たぶん、色男設定。たぶん、ちょい悪設定。@オクラホマ!
2006年10月11日 タカラヅカ すんません。
最初に謝っておく。
『オクラホマ!』において。
怪しい商人アリ・ハキム@ルイスを、ただの通行人だと思いこんでいた。
アド・アニー@ねねちゃんとからんではいるけど今だけ、ソレだけ、カーテン前でちょっと喋っていなくなる、ただの脇役だと思っていた。
何度も出てくるから、おどろいた。
そして、混乱した。
彼の「設定」がわからなくて。
商人といっても、見るからにまともでもないし、大したこともない。
自分で荷車引いてヒーヒー言っているし、持ってくる商品も高級品ではなく子どもだまし。
びんぼーな村を回って行商するのだから高級品は必要ないっちゃその通りなんだが、どうもあか抜けない。格好つける必要ないから格好悪いというより、ほんとうにどんくさい詐欺まがいの小悪党か。
じゃあどうして、女にモテるのだろう? アニーだけなら「彼女はおバカキャラだから」ってことで説明がつくが、それ以外にもふつーにモテていそう、不自由していなさそうだ。
よそ者、都会を知っている、つーだけでモテるのか? それもいまいち説得力がない。
目に映っているものと、台詞やストーリーで語られる設定のギャップにとまどい、終盤まで整理がつかなかった。
ラスト近くになってようやく、理解した。
そうか、アリって色男設定なんだ!!
だからいかにもうさんくさくても、格好悪くても、どんくさそうでも、口先三寸でいい加減そうでも、女にモテるんだ!
たとえばタニちゃんとか壮くんとか。
他のなにが欠けていたってぶっちゃけなにもできなくたって、どんなにダサい格好でサムい会話をしていたって、彼らのような美貌の男なら、納得できる。そりゃモテるだろう、って。
あるいは。
そうか、アリって強引でぬけめない、でも人間としてのかわいさを持つ男設定なんだ!
だからべつに美形でなくても、そのキャラクタの強さに巻き込まれた人間は、彼にハマっちゃうんだ。
たとえば嘉月さんとかハマコとか。
いわゆる美形キャラではないけれど、彼らがその存在感で華々しくうさんくさく、強引に調子よく快走すれば、そりゃみんなついて行くだろうさ。
えーと。
アリってたぶん、おいしい役だよね?
バリバリ美形の路線スターだとか、あるいは芸達者な別格スターがやるような役だよね? 今思ったけど、この役マヤさんがやったらどれだけ盛り上がっただろう。
登場があまりに地味で、かつ、任をこなしていなかったので、わたしはするっとただの脇役、通行人認定していた。
出てくるだけで笑えて、一挙手一投足に観客が反応し、場の空気を動かす役ではないのだろうか。
最後まで見てから、構成的に想像したんだけど。
いやあ、ルイスはがんばってました。
がんばっていた。
それはわかる。
わかるけど。
ほんとに、ダメダメだった。
嘉月さんがふたりいればなぁ。
アリを演じる嘉月さんが見たかったよ……。どれだけ愉快で、そして魅力的なちょい悪親父だったことだろう。
もしくは越リュウ、女役なんかやってる場合じゃないよ、アリをやってくれよ……。どれだけ女泣かせの色男だったことだろう。
嘉月さんの鎌足はすばらしかったし、越リュウのエラー叔母さんがすばらしかったことはわかっていて、わがまま言ってるだけなんだけど。
もしくは専科のおじさま方に、出て欲しかったなぁ。
路線系でいくなら、さららんとかがやっても、おもしろいはじけっぷりをしただろうなあ。みっちゃんでも愉快だったろーなあ。
ルイスは真ん中スキルがまったくない人だから。
空気を動かすことが出来ない。演技に華がない。
それがイタイ。
と。
ひどいことをさんざん書いてますが。
ルイスがこの役であったことは、うれしい。
や、わたしが見た段階ではダメダメだったけどな。
スキルがないなら、身につければいいことだから。
研ルイスはふつーに男役としての基礎のある人だ。歌唱力という武器もある。
ただ今まで、未来の嘉月絵里や未沙のえるを目指せるよーな、ピンで真ん中に立つ別格の役をまったく与えてもらっていなかった。
基本が出来ていることと、真ん中に立つ力は別物だ。
だから、現時点でアリ役ができなくても仕方ない。
要は、これからだ。
舞台はナマモノで、そして、経験値が大きく物をいう世界。
この経験を生かして、大きく成長してくれりゃーそれでいい。
どーせタカラヅカはファンとリピーターで保っているんだ、ルイスがどれだけダメダメでも、きっとあたたかく見守ってくれるさ。
全ツのあひくんがダメダメっぷりをさらしながらも、大きな拍手をもらっているように。
弱点をさらけ出していいんだ。そこから努力し、進歩している姿を愛でるのも、ヅカの醍醐味だから。
にしても、まあ、巧い人とそーでない人たちの差の激しい公演でした(笑)。仕方ないことなんだけどな、組を半分に割っての公演だから。こーやって場数を踏んで、みんな伸びていくんだから。
怪しい商人アリと、ヒゲ親父@一色瑠加がもっと巧ければ、コメディ部分ももう少し滑りよく機能していたと思うんだが……。一色氏はルイスの比ではなく、その、アレで……ゲフンゲフン。が、がんばれ。
あと、アド・アニーとガーティ@みっぽーのキャラは疑問。
かぶってるよ、思い切り。
どっちも突拍子ない系の「かわいい」女の子。
とくに出番のろくにないガーティ。変な高笑いをするくらいしかないのかよ? やってるのがみっぽーだから、ふつーにかわいいので、「かわいくてのーみそライト感覚」のアニーちゃんと、かぶるかぶる。
別ジャンルの舞台なら、デブでブスなおばさんとかがやるんぢゃないか、この役。出てきた瞬間「うわ、この女とだけはありえねえ」と思わせるよーな。
ジャッドと通じるものがあるな。タカラヅカでは、外見を醜くできないから、役の正しい表現が不可能という共通点。
作品の根本にある、現代との感性のズレは置いておいても、つまんない話と、ひどい演出なんだが、まあソレはソレ。
アタマ空っぽに、キャストにだけ心を動かして眺めましょう。
トド&きりやんは実力安定していてふたりで別世界だし、あいちゃんはキュートにヒロイン、こちらも真ん中として問題ナシ。
越リュウいい女で色男だし(笑)、みっぽーちゃんうまいし。
『Ernest in Love』以来気になる姿樹えり緒くん、持ち味のくどさがいいよなあ。
もりえは善良キャラをやると小さくまとまってしまう危惧を感じる。無理目な役を与えて鍛えた方がよかったんじゃないか?
女の子たちがかわいい。月娘はビジュアルよくてたのしーなー。
男の子たち、声がんばれー。まだ男役声ができていない子が多いなー。仕方ないことだけども。
モブで気になる子がいても、誰が誰だかわからん。プログラム買ってないからなぁ。
次に出会うとき、一回りも二回りも大きくなって、改めてわたしの目を奪ってくれないかしら。や、この作品はさすがのわたしももう二度と観ないけれど、大劇場は本公演も新公も観るからさ。
好きな子が増えるとうれしい。知っている子が増えるのもたのしい。
ルイスは次の公演で、どれくらいステキになってるかなぁ。
きっと成長している。
きっと色男度が上がっている。
たのしみだ。
最初に謝っておく。
『オクラホマ!』において。
怪しい商人アリ・ハキム@ルイスを、ただの通行人だと思いこんでいた。
アド・アニー@ねねちゃんとからんではいるけど今だけ、ソレだけ、カーテン前でちょっと喋っていなくなる、ただの脇役だと思っていた。
何度も出てくるから、おどろいた。
そして、混乱した。
彼の「設定」がわからなくて。
商人といっても、見るからにまともでもないし、大したこともない。
自分で荷車引いてヒーヒー言っているし、持ってくる商品も高級品ではなく子どもだまし。
びんぼーな村を回って行商するのだから高級品は必要ないっちゃその通りなんだが、どうもあか抜けない。格好つける必要ないから格好悪いというより、ほんとうにどんくさい詐欺まがいの小悪党か。
じゃあどうして、女にモテるのだろう? アニーだけなら「彼女はおバカキャラだから」ってことで説明がつくが、それ以外にもふつーにモテていそう、不自由していなさそうだ。
よそ者、都会を知っている、つーだけでモテるのか? それもいまいち説得力がない。
目に映っているものと、台詞やストーリーで語られる設定のギャップにとまどい、終盤まで整理がつかなかった。
ラスト近くになってようやく、理解した。
そうか、アリって色男設定なんだ!!
だからいかにもうさんくさくても、格好悪くても、どんくさそうでも、口先三寸でいい加減そうでも、女にモテるんだ!
たとえばタニちゃんとか壮くんとか。
他のなにが欠けていたってぶっちゃけなにもできなくたって、どんなにダサい格好でサムい会話をしていたって、彼らのような美貌の男なら、納得できる。そりゃモテるだろう、って。
あるいは。
そうか、アリって強引でぬけめない、でも人間としてのかわいさを持つ男設定なんだ!
だからべつに美形でなくても、そのキャラクタの強さに巻き込まれた人間は、彼にハマっちゃうんだ。
たとえば嘉月さんとかハマコとか。
いわゆる美形キャラではないけれど、彼らがその存在感で華々しくうさんくさく、強引に調子よく快走すれば、そりゃみんなついて行くだろうさ。
えーと。
アリってたぶん、おいしい役だよね?
バリバリ美形の路線スターだとか、あるいは芸達者な別格スターがやるような役だよね? 今思ったけど、この役マヤさんがやったらどれだけ盛り上がっただろう。
登場があまりに地味で、かつ、任をこなしていなかったので、わたしはするっとただの脇役、通行人認定していた。
出てくるだけで笑えて、一挙手一投足に観客が反応し、場の空気を動かす役ではないのだろうか。
最後まで見てから、構成的に想像したんだけど。
いやあ、ルイスはがんばってました。
がんばっていた。
それはわかる。
わかるけど。
ほんとに、ダメダメだった。
嘉月さんがふたりいればなぁ。
アリを演じる嘉月さんが見たかったよ……。どれだけ愉快で、そして魅力的なちょい悪親父だったことだろう。
もしくは越リュウ、女役なんかやってる場合じゃないよ、アリをやってくれよ……。どれだけ女泣かせの色男だったことだろう。
嘉月さんの鎌足はすばらしかったし、越リュウのエラー叔母さんがすばらしかったことはわかっていて、わがまま言ってるだけなんだけど。
もしくは専科のおじさま方に、出て欲しかったなぁ。
路線系でいくなら、さららんとかがやっても、おもしろいはじけっぷりをしただろうなあ。みっちゃんでも愉快だったろーなあ。
ルイスは真ん中スキルがまったくない人だから。
空気を動かすことが出来ない。演技に華がない。
それがイタイ。
と。
ひどいことをさんざん書いてますが。
ルイスがこの役であったことは、うれしい。
や、わたしが見た段階ではダメダメだったけどな。
スキルがないなら、身につければいいことだから。
研ルイスはふつーに男役としての基礎のある人だ。歌唱力という武器もある。
ただ今まで、未来の嘉月絵里や未沙のえるを目指せるよーな、ピンで真ん中に立つ別格の役をまったく与えてもらっていなかった。
基本が出来ていることと、真ん中に立つ力は別物だ。
だから、現時点でアリ役ができなくても仕方ない。
要は、これからだ。
舞台はナマモノで、そして、経験値が大きく物をいう世界。
この経験を生かして、大きく成長してくれりゃーそれでいい。
どーせタカラヅカはファンとリピーターで保っているんだ、ルイスがどれだけダメダメでも、きっとあたたかく見守ってくれるさ。
全ツのあひくんがダメダメっぷりをさらしながらも、大きな拍手をもらっているように。
弱点をさらけ出していいんだ。そこから努力し、進歩している姿を愛でるのも、ヅカの醍醐味だから。
にしても、まあ、巧い人とそーでない人たちの差の激しい公演でした(笑)。仕方ないことなんだけどな、組を半分に割っての公演だから。こーやって場数を踏んで、みんな伸びていくんだから。
怪しい商人アリと、ヒゲ親父@一色瑠加がもっと巧ければ、コメディ部分ももう少し滑りよく機能していたと思うんだが……。一色氏はルイスの比ではなく、その、アレで……ゲフンゲフン。が、がんばれ。
あと、アド・アニーとガーティ@みっぽーのキャラは疑問。
かぶってるよ、思い切り。
どっちも突拍子ない系の「かわいい」女の子。
とくに出番のろくにないガーティ。変な高笑いをするくらいしかないのかよ? やってるのがみっぽーだから、ふつーにかわいいので、「かわいくてのーみそライト感覚」のアニーちゃんと、かぶるかぶる。
別ジャンルの舞台なら、デブでブスなおばさんとかがやるんぢゃないか、この役。出てきた瞬間「うわ、この女とだけはありえねえ」と思わせるよーな。
ジャッドと通じるものがあるな。タカラヅカでは、外見を醜くできないから、役の正しい表現が不可能という共通点。
作品の根本にある、現代との感性のズレは置いておいても、つまんない話と、ひどい演出なんだが、まあソレはソレ。
アタマ空っぽに、キャストにだけ心を動かして眺めましょう。
トド&きりやんは実力安定していてふたりで別世界だし、あいちゃんはキュートにヒロイン、こちらも真ん中として問題ナシ。
越リュウいい女で色男だし(笑)、みっぽーちゃんうまいし。
『Ernest in Love』以来気になる姿樹えり緒くん、持ち味のくどさがいいよなあ。
もりえは善良キャラをやると小さくまとまってしまう危惧を感じる。無理目な役を与えて鍛えた方がよかったんじゃないか?
女の子たちがかわいい。月娘はビジュアルよくてたのしーなー。
男の子たち、声がんばれー。まだ男役声ができていない子が多いなー。仕方ないことだけども。
モブで気になる子がいても、誰が誰だかわからん。プログラム買ってないからなぁ。
次に出会うとき、一回りも二回りも大きくなって、改めてわたしの目を奪ってくれないかしら。や、この作品はさすがのわたしももう二度と観ないけれど、大劇場は本公演も新公も観るからさ。
好きな子が増えるとうれしい。知っている子が増えるのもたのしい。
ルイスは次の公演で、どれくらいステキになってるかなぁ。
きっと成長している。
きっと色男度が上がっている。
たのしみだ。
アタリな日、ハズレな……?@オクラホマ!
2006年10月10日 タカラヅカ さて、わたしが観に行った回の『オクラホマ!』客席には、タカラジェンヌが鈴生りだった。
開演前、自分の席に着いたわたしがなんとなく顔を上げると、目の前にマッチ先輩がいた。
硬直した。
マチオ先輩はわたしの前の列らしく、自分の席に着くためにそこにいたわけだ。目があってももちろんなんの反応もない。「目のあったファンが硬直する」ことなんて、スターなマチオ様には日常茶飯事なんだろう。
マチオ先輩を先頭に、通路にはジェンヌがそろっていた。それがみーんな、わたしのいるあたりを目指してやってくる。
月全ツ組、勢揃い。
わたしはもちろん、ゆーひくんを探した。
学年順ならマチオより後ろにいるはず……だが、そうではなく、ゆーひくんはあさこと一緒、嘉月さんや専科さんのグループにいた。
わたしの前の列はマチオとか末子はんとかあたりの学年、そしてその1列前が管理職とあさゆひ。うおー、近い。斜め前がゆーひくんかよー!!
……ん、あさゆひ? かなみちゃんは?
と思っているウチに、わたしの列にもジェンヌがずらりと入ってきた。おおっ、あひくんだあひくんだ、膝を縮めて前を通りやすくするんだけど、狭い劇場なのでどーしてもなんとなーく当たってしまう。わーい、あひくんに膝蹴られたー、なんかときめく〜。(変態発言はやめなさい)
しかし、同じ列にジェンヌが坐るってすごいねっ。
だって膝の前を接触しながらジェンヌが通るんだよ? わたしの太股分の距離しか、ジェンヌと距離が離れていないわけよ? 坐っているわたしの目の位置に、ジェンヌの胴や腰がくるわけよ?
あひくんのお尻が、目の前だ〜〜。
手を伸ばすだけで、触れる位置。
そんな極近距離に、あひくんのお尻。……さ、触りてええぇ。(変態発言はやめなさい)
あひくんのお尻は、信じられないほど薄かったっす。女の尻ぢゃないよありゃ……。かっこいー。ハァハァ。
と、あひくんにとろけていると。
かなみちゃんも、わたしの前を通っていった……てゆーか。わたしの隣の席ですかーっ!!
や、正確にはふたつ隣だったんだが、わたしの隣って空席だったのだわ。だからかなみちゃんが坐っている姿がまんま見える。
かわいい……ものごっつかわいい。肌とか輝いてるよー。目大きいよー。わーん。
おそれ多くて、ろくに見ることができません。
緊張する〜〜。
わたしの後ろの列も、どうやらジェンヌがずらずら入って行っているよーだ。でも振り返れないので、よくわかんない。振り返って目が合っちゃったりしたら、至近距離だとわかっているだけにすげー不審者、失礼ぢゃん? 後ろは見られないよ〜〜。
前方センターブロックの出来事です。
なんか周囲の人はジェンヌのお知り合い率が高いよーで、挨拶をしてたりする。
終演後、HOTEL DOLLYの仲間たち大集合でメシ食ったりしているときに、「どーしてそんな席のチケットが手に入ったんですか」と聞かれたけれど。
どーしたもこうしたも。
わたしゃ一般人です、なんのツテもコネもございません。
ふつーに、発売日にチケットぴあで買っただけです。
大当たりの席だったよ……わわわ。
生ジェンヌが至近距離、というのもそりゃオイシイ話だが、それだけにとどまらないのだ。
舞台の上の出演者たちのテンションがチガウ、サービスがチガウ。
髭オヤジ@一色氏が大真面目な顔で客席の下級生を狙い撃ちしていたこともそうだし、怪しい商人@ルイスがどさくさまぎれの投げチューをよこしたりと、芝居中もにぎやかだ。
そしてフィナーレともなると、みんなノリまくり。
前方センターブロックめがけて、サービスサービス。
ウインクは来るわ投げキスは来るわ、微笑みも目線も、集中砲火。
ジェンヌ席、主にあさゆひに向かってのサービスが多いので、その斜め後ろにいるわたしは、おこぼれでウハウハです。
トド様の指差しごちそうさまです、きりやんの投げチューごちそうさまです、越リュウ様のキメ目線ごちそうさまです。
みんなみんな、わたしの周囲のジェンヌに向けてやっているとわかっていても、こちらに向かって飛んでくるのでカンチガイしてしあわせになれるのです。
ああ、堪能。
そして、あさゆひのふたりがいちいち反応しているのが、かわいいのなんのって。
フィナーレでは手を振り返したりしているし、芝居中も愉快なシーンだとか、ふたりでなにかしらこそこそ喋っているのがかわいい。ふたりの頭が互いに寄っているのがわかるのよ。
仲良きことは美しきかな。
作品自体はドン引きしているんだが、シーンごとのたのしさや、なんといっても演じている人たちの活き活きした様子は大好きなのよ。
わたしは結局のところタカラヅカが好きで、気持ちに濃淡はあれどジェンヌさんみんな愛しいもの。
みんないい感じだよ、月組『オクラホマ!』メンバー。思いもかけない面子が活躍していたり、とてもたのしい。
一色氏を見ているだけでなく、リュウ様にとろけているだけでなく、「新しい出会い求む!」とモブを見るのも忙しかったっす(笑)。
舞台の上も、客席も、ジェンヌいっぱい笑いと手拍子いっぱい。
舞台も客席もテンション高く、大変お得な公演。
……だったんだけど、気になることがひとつ。
きりやんのことなんだけど。
そのう……きりやんのお化粧、変ぢゃなかったですか?
褐色の肌はべつにいいんだけど、ブルーのアイシャドーは何故?!
褐色に、そこだけ浮いてるブルーの瞼。
あ、このお化粧知ってる。デジャヴ。
……ああ、そうだ、マチオ先輩だ!
大変個性的な、マチオ先輩のオリジナルメイク。一度見たらおぼえてしまうステキメイク。
マッチ先輩のコスプレ?! なんのために?!!(白目)
たまたま、わたしの観た回だけ、お化粧の手がすべったのでしょうか。
きりやんはもっと色男だと知っているし、黒い霧矢さんは好みなんですが、今回はなんかビジュアルがちがった気がします。
いやその、マチオ先輩はマチオ先輩だからいいのであって、彼の個性も含めてあのステキメイクが映えるわけで。
きりやんがマチオ風メイクなのはちょっと……モゴモゴ。
帰宅してから『オクラホマ!』初日映像見たけど、べつに青瞼なんかしてなかったし。
……マチオ先輩がいらっしゃっていた日に、マチオメイク。こ、これは……。
ただの偶然でしょーか。
オペラグラスいらない席だったんで、終始一貫使わなかったんですけど、もっとちゃんとアップで見て確認するべきだった?
すげーアタリな回、アタリな席だったけど。
きりやんのメイクだけは、ハズレな日だったのかもしれない……。(いや、かえってレアでアタリ??!)
開演前、自分の席に着いたわたしがなんとなく顔を上げると、目の前にマッチ先輩がいた。
硬直した。
マチオ先輩はわたしの前の列らしく、自分の席に着くためにそこにいたわけだ。目があってももちろんなんの反応もない。「目のあったファンが硬直する」ことなんて、スターなマチオ様には日常茶飯事なんだろう。
マチオ先輩を先頭に、通路にはジェンヌがそろっていた。それがみーんな、わたしのいるあたりを目指してやってくる。
月全ツ組、勢揃い。
わたしはもちろん、ゆーひくんを探した。
学年順ならマチオより後ろにいるはず……だが、そうではなく、ゆーひくんはあさこと一緒、嘉月さんや専科さんのグループにいた。
わたしの前の列はマチオとか末子はんとかあたりの学年、そしてその1列前が管理職とあさゆひ。うおー、近い。斜め前がゆーひくんかよー!!
……ん、あさゆひ? かなみちゃんは?
と思っているウチに、わたしの列にもジェンヌがずらりと入ってきた。おおっ、あひくんだあひくんだ、膝を縮めて前を通りやすくするんだけど、狭い劇場なのでどーしてもなんとなーく当たってしまう。わーい、あひくんに膝蹴られたー、なんかときめく〜。(変態発言はやめなさい)
しかし、同じ列にジェンヌが坐るってすごいねっ。
だって膝の前を接触しながらジェンヌが通るんだよ? わたしの太股分の距離しか、ジェンヌと距離が離れていないわけよ? 坐っているわたしの目の位置に、ジェンヌの胴や腰がくるわけよ?
あひくんのお尻が、目の前だ〜〜。
手を伸ばすだけで、触れる位置。
そんな極近距離に、あひくんのお尻。……さ、触りてええぇ。(変態発言はやめなさい)
あひくんのお尻は、信じられないほど薄かったっす。女の尻ぢゃないよありゃ……。かっこいー。ハァハァ。
と、あひくんにとろけていると。
かなみちゃんも、わたしの前を通っていった……てゆーか。わたしの隣の席ですかーっ!!
や、正確にはふたつ隣だったんだが、わたしの隣って空席だったのだわ。だからかなみちゃんが坐っている姿がまんま見える。
かわいい……ものごっつかわいい。肌とか輝いてるよー。目大きいよー。わーん。
おそれ多くて、ろくに見ることができません。
緊張する〜〜。
わたしの後ろの列も、どうやらジェンヌがずらずら入って行っているよーだ。でも振り返れないので、よくわかんない。振り返って目が合っちゃったりしたら、至近距離だとわかっているだけにすげー不審者、失礼ぢゃん? 後ろは見られないよ〜〜。
前方センターブロックの出来事です。
なんか周囲の人はジェンヌのお知り合い率が高いよーで、挨拶をしてたりする。
終演後、HOTEL DOLLYの仲間たち大集合でメシ食ったりしているときに、「どーしてそんな席のチケットが手に入ったんですか」と聞かれたけれど。
どーしたもこうしたも。
わたしゃ一般人です、なんのツテもコネもございません。
ふつーに、発売日にチケットぴあで買っただけです。
大当たりの席だったよ……わわわ。
生ジェンヌが至近距離、というのもそりゃオイシイ話だが、それだけにとどまらないのだ。
舞台の上の出演者たちのテンションがチガウ、サービスがチガウ。
髭オヤジ@一色氏が大真面目な顔で客席の下級生を狙い撃ちしていたこともそうだし、怪しい商人@ルイスがどさくさまぎれの投げチューをよこしたりと、芝居中もにぎやかだ。
そしてフィナーレともなると、みんなノリまくり。
前方センターブロックめがけて、サービスサービス。
ウインクは来るわ投げキスは来るわ、微笑みも目線も、集中砲火。
ジェンヌ席、主にあさゆひに向かってのサービスが多いので、その斜め後ろにいるわたしは、おこぼれでウハウハです。
トド様の指差しごちそうさまです、きりやんの投げチューごちそうさまです、越リュウ様のキメ目線ごちそうさまです。
みんなみんな、わたしの周囲のジェンヌに向けてやっているとわかっていても、こちらに向かって飛んでくるのでカンチガイしてしあわせになれるのです。
ああ、堪能。
そして、あさゆひのふたりがいちいち反応しているのが、かわいいのなんのって。
フィナーレでは手を振り返したりしているし、芝居中も愉快なシーンだとか、ふたりでなにかしらこそこそ喋っているのがかわいい。ふたりの頭が互いに寄っているのがわかるのよ。
仲良きことは美しきかな。
作品自体はドン引きしているんだが、シーンごとのたのしさや、なんといっても演じている人たちの活き活きした様子は大好きなのよ。
わたしは結局のところタカラヅカが好きで、気持ちに濃淡はあれどジェンヌさんみんな愛しいもの。
みんないい感じだよ、月組『オクラホマ!』メンバー。思いもかけない面子が活躍していたり、とてもたのしい。
一色氏を見ているだけでなく、リュウ様にとろけているだけでなく、「新しい出会い求む!」とモブを見るのも忙しかったっす(笑)。
舞台の上も、客席も、ジェンヌいっぱい笑いと手拍子いっぱい。
舞台も客席もテンション高く、大変お得な公演。
……だったんだけど、気になることがひとつ。
きりやんのことなんだけど。
そのう……きりやんのお化粧、変ぢゃなかったですか?
褐色の肌はべつにいいんだけど、ブルーのアイシャドーは何故?!
褐色に、そこだけ浮いてるブルーの瞼。
あ、このお化粧知ってる。デジャヴ。
……ああ、そうだ、マチオ先輩だ!
大変個性的な、マチオ先輩のオリジナルメイク。一度見たらおぼえてしまうステキメイク。
マッチ先輩のコスプレ?! なんのために?!!(白目)
たまたま、わたしの観た回だけ、お化粧の手がすべったのでしょうか。
きりやんはもっと色男だと知っているし、黒い霧矢さんは好みなんですが、今回はなんかビジュアルがちがった気がします。
いやその、マチオ先輩はマチオ先輩だからいいのであって、彼の個性も含めてあのステキメイクが映えるわけで。
きりやんがマチオ風メイクなのはちょっと……モゴモゴ。
帰宅してから『オクラホマ!』初日映像見たけど、べつに青瞼なんかしてなかったし。
……マチオ先輩がいらっしゃっていた日に、マチオメイク。こ、これは……。
ただの偶然でしょーか。
オペラグラスいらない席だったんで、終始一貫使わなかったんですけど、もっとちゃんとアップで見て確認するべきだった?
すげーアタリな回、アタリな席だったけど。
きりやんのメイクだけは、ハズレな日だったのかもしれない……。(いや、かえってレアでアタリ??!)
素晴らしい男(?)たち。@オクラホマ!
2006年10月9日 タカラヅカ 『暁のローマ』で気づいたことがある。
わたしはどうも、一色瑠加が、好きらしい。
なんかね、気がつくと彼を見ているのですよ。
イケメンぞろいのあの暗殺者軍団のなかにあって、弱々しくも地味くさい一色氏を、探すともなく探して、見ているの。
何故か。
やはりなんつーかね、顔が好みなんですね。
てゆーかその、顔の中でもズバリ、目の下のシワが。
…………。
ははははは。
目の下のシワといえばなんといってもケロです。彼は年齢に関係なくシワを刻んでおりました。
そして。
目の下のシワといえばなんといってもまっつですね。彼は年齢に関係なくシワを刻んでおりますから。
あああ。いつの間にかわたし、シワ愛好家に?!
一色氏も、年齢に関係なく目の下にシワを刻んでおりますよ!! やたら若々しく年齢不詳なジェンヌのなかにおいて、目の下にシワのある人ってかえってレアな存在ですよねっ? ねっ? 目がいっても仕方ないですよねっ? ねっ?
……そんなに、特異な好みぢゃないよね、わたし……?
マニアとかフェチとかぢゃ、ないよね……?
一色氏も、トシを経ることによってわたし好みのシワが鮮明になってきた模様。いやあ、年輪を感じさせる顔はいいですよ、ええ。若くてもいいもんですよ、ええ。
さて、月組日生公演『オクラホマ!』。
予備知識もなければその他の出演者も知らないこのわたし。先に全国ツアーを観ているけれど、そこに一色氏がいなかったことなど、記憶にない。一色氏は勝手に目に付く人であって、前もってチェックする人ではないのだ。いない舞台を観ても、いないことにも気づかない。
だから日生ではじめて、あ、一色瑠加だ。と気づいた。そうか、そーいや全ツにいなかったっけ。こっちに出てたんだ。
ふつーに村の若者〜〜って感じでその他大勢にまざっている。
そして、その他大勢なのに、わたしは彼を目で追ってしまう。
出演者の少ない公演でも、やっぱ役はついてないのね。と、油断していると。
髭オヤジで出てこられて、おどろいたんですけどっ?!
役ついてたのか! てゆーか髭オヤジって?! ねねちゃんのパパって?!
ぶっとび系の人の話聞いてませんオヤジ。猟銃片手に吠える男。
わたしの観た回は客席がジェンヌだらけだったので、下級生の坐っているブロックめがけて銃を構える一色オヤジに一部客席が大ウケ。
そ、そうか……こーゆー役回りになるジェンヌなんだ……。
考えてみりゃ月組は上級生が少ない。一色氏の学年(たしかタニと同期)ならもうおっさん役者認定されても当然なんだ……。
なにしろ目の下にシワだもんな。……ケロも、若いうちから老け役やってたなぁ。遠い目。
一色氏にはぜひこのまま、かっこいー大人の男を目指して欲しいっす。ケツの青い若造には表現できないかっこよさを見せてほしいっす。
色気ダダ漏れ中年男は越リュウ様がいるけれど、それとは別に「いい人」系というか……ええその、一色氏はどうもヘタレ系に見えてしまっていて……色悪はちとチガウかなと。最初に彼を認識した公演が、『SLAPSTICK』のヘタレギャング役だったからさぁ。
髭オヤジ役をたのしそーに演じる一色氏に胸をアツくしつつ。
わたしにとってのこの公演は、越リュウ様のためだけにありました。
や、わたしトドファンで、トドの出る公演は絶対観に行く人なんだけど(あの『花供養』だって2回も遠征して観たのよ! しかも定価でよ!!)。『オクラホマ!』だって、トドが出てなければ絶対わざわざ遠征して観に行ってないけど。
今回もまたトドはわたしの観劇意義にはなってくれませんでした……(あの『花供養』だって観劇意義にはなってくれなかったわ……)。
むしろ、「観なかった方が、心安らかだったかもしれん」ってくらい、ひどい作品のひどい役ばっかやってるのがトドなんだけど。
とにかく、トドを好きでも、今回の救いは、越リュウ様。
女役の越リュウ、素敵。
はじめは、越リュウだとわからなかった。
最初の場面、ひとり歌うさわやかトド様の後ろで女の人がなにやら作業をしている。……それが越リュウだと気づいたときの衝撃。
や、『花供養』のときもね、最初女ハマコに気づかなかったの。専科のおねーさまだと信じ切っていたの。
でもソレとはチガウ。だってわたし、ハマコが女役で出ることを知らなかったんだもの。
越リュウが女だってことは、知っていた。てゆーか、ものごっつたのしみにしていた。
なのに、最初気づかなかった。
越リュウ、ふつーに女の人。
えええっ、越リュウなのに?!
あの素敵な色中年男が、男の中の男、ヅカでフンドシが似合う5人に入る、あの越リュウ様がっ?!
いやほんとに、ふつーにきれーな女の人なの。
そりゃ若くはないけれど、かっこよくてかわいい大人の女なのよ。
長いスカートも、花飾りの付いた帽子も、ふつーに似合うのよ。
ガーターベルトつけていたって、ぜんぜん不思議ぢゃないのよっ。
ああ……越リュウ……。
女性としての越リュウの魅力にめろめろ。
声もいいし、芝居もいい。包容力のある大人の女。
なのに。
ああ、なのに。
フィナーレで、男に戻ってます!!
びびびっくりしたっ。
フィナーレの野郎ダンスに、越リュウもふつーに混ざってます。男として踊りまくってます。
でも、眉細いです。髪長いです。
女メイクのまま、野郎になってるの。
セ、セクスィ〜〜。くらくらっ。
なんかね、ものすげー耽美なんですよ。
どこの耽美キャラなんですかあの人っ。
白いブラウスとリボンタイつけてもOKですよありゃ。
リーゼントではなく、自然に流した長めの髪をざんばら揺らして、ダイナミックに踊りまくる越リュウの美しさときたらもー。
なのになのに。
最後のパレードでは、女に戻ってるし!!
すげーサービスだ!!
越リュウ、ブラボー!!
この越リュウが見られただけでも、観に行った甲斐がありましたよ『オクラホマ!』。
ああもー、越リュウ素敵〜〜。
わたしはどうも、一色瑠加が、好きらしい。
なんかね、気がつくと彼を見ているのですよ。
イケメンぞろいのあの暗殺者軍団のなかにあって、弱々しくも地味くさい一色氏を、探すともなく探して、見ているの。
何故か。
やはりなんつーかね、顔が好みなんですね。
てゆーかその、顔の中でもズバリ、目の下のシワが。
…………。
ははははは。
目の下のシワといえばなんといってもケロです。彼は年齢に関係なくシワを刻んでおりました。
そして。
目の下のシワといえばなんといってもまっつですね。彼は年齢に関係なくシワを刻んでおりますから。
あああ。いつの間にかわたし、シワ愛好家に?!
一色氏も、年齢に関係なく目の下にシワを刻んでおりますよ!! やたら若々しく年齢不詳なジェンヌのなかにおいて、目の下にシワのある人ってかえってレアな存在ですよねっ? ねっ? 目がいっても仕方ないですよねっ? ねっ?
……そんなに、特異な好みぢゃないよね、わたし……?
マニアとかフェチとかぢゃ、ないよね……?
一色氏も、トシを経ることによってわたし好みのシワが鮮明になってきた模様。いやあ、年輪を感じさせる顔はいいですよ、ええ。若くてもいいもんですよ、ええ。
さて、月組日生公演『オクラホマ!』。
予備知識もなければその他の出演者も知らないこのわたし。先に全国ツアーを観ているけれど、そこに一色氏がいなかったことなど、記憶にない。一色氏は勝手に目に付く人であって、前もってチェックする人ではないのだ。いない舞台を観ても、いないことにも気づかない。
だから日生ではじめて、あ、一色瑠加だ。と気づいた。そうか、そーいや全ツにいなかったっけ。こっちに出てたんだ。
ふつーに村の若者〜〜って感じでその他大勢にまざっている。
そして、その他大勢なのに、わたしは彼を目で追ってしまう。
出演者の少ない公演でも、やっぱ役はついてないのね。と、油断していると。
髭オヤジで出てこられて、おどろいたんですけどっ?!
役ついてたのか! てゆーか髭オヤジって?! ねねちゃんのパパって?!
ぶっとび系の人の話聞いてませんオヤジ。猟銃片手に吠える男。
わたしの観た回は客席がジェンヌだらけだったので、下級生の坐っているブロックめがけて銃を構える一色オヤジに一部客席が大ウケ。
そ、そうか……こーゆー役回りになるジェンヌなんだ……。
考えてみりゃ月組は上級生が少ない。一色氏の学年(たしかタニと同期)ならもうおっさん役者認定されても当然なんだ……。
なにしろ目の下にシワだもんな。……ケロも、若いうちから老け役やってたなぁ。遠い目。
一色氏にはぜひこのまま、かっこいー大人の男を目指して欲しいっす。ケツの青い若造には表現できないかっこよさを見せてほしいっす。
色気ダダ漏れ中年男は越リュウ様がいるけれど、それとは別に「いい人」系というか……ええその、一色氏はどうもヘタレ系に見えてしまっていて……色悪はちとチガウかなと。最初に彼を認識した公演が、『SLAPSTICK』のヘタレギャング役だったからさぁ。
髭オヤジ役をたのしそーに演じる一色氏に胸をアツくしつつ。
わたしにとってのこの公演は、越リュウ様のためだけにありました。
や、わたしトドファンで、トドの出る公演は絶対観に行く人なんだけど(あの『花供養』だって2回も遠征して観たのよ! しかも定価でよ!!)。『オクラホマ!』だって、トドが出てなければ絶対わざわざ遠征して観に行ってないけど。
今回もまたトドはわたしの観劇意義にはなってくれませんでした……(あの『花供養』だって観劇意義にはなってくれなかったわ……)。
むしろ、「観なかった方が、心安らかだったかもしれん」ってくらい、ひどい作品のひどい役ばっかやってるのがトドなんだけど。
とにかく、トドを好きでも、今回の救いは、越リュウ様。
女役の越リュウ、素敵。
はじめは、越リュウだとわからなかった。
最初の場面、ひとり歌うさわやかトド様の後ろで女の人がなにやら作業をしている。……それが越リュウだと気づいたときの衝撃。
や、『花供養』のときもね、最初女ハマコに気づかなかったの。専科のおねーさまだと信じ切っていたの。
でもソレとはチガウ。だってわたし、ハマコが女役で出ることを知らなかったんだもの。
越リュウが女だってことは、知っていた。てゆーか、ものごっつたのしみにしていた。
なのに、最初気づかなかった。
越リュウ、ふつーに女の人。
えええっ、越リュウなのに?!
あの素敵な色中年男が、男の中の男、ヅカでフンドシが似合う5人に入る、あの越リュウ様がっ?!
いやほんとに、ふつーにきれーな女の人なの。
そりゃ若くはないけれど、かっこよくてかわいい大人の女なのよ。
長いスカートも、花飾りの付いた帽子も、ふつーに似合うのよ。
ガーターベルトつけていたって、ぜんぜん不思議ぢゃないのよっ。
ああ……越リュウ……。
女性としての越リュウの魅力にめろめろ。
声もいいし、芝居もいい。包容力のある大人の女。
なのに。
ああ、なのに。
フィナーレで、男に戻ってます!!
びびびっくりしたっ。
フィナーレの野郎ダンスに、越リュウもふつーに混ざってます。男として踊りまくってます。
でも、眉細いです。髪長いです。
女メイクのまま、野郎になってるの。
セ、セクスィ〜〜。くらくらっ。
なんかね、ものすげー耽美なんですよ。
どこの耽美キャラなんですかあの人っ。
白いブラウスとリボンタイつけてもOKですよありゃ。
リーゼントではなく、自然に流した長めの髪をざんばら揺らして、ダイナミックに踊りまくる越リュウの美しさときたらもー。
なのになのに。
最後のパレードでは、女に戻ってるし!!
すげーサービスだ!!
越リュウ、ブラボー!!
この越リュウが見られただけでも、観に行った甲斐がありましたよ『オクラホマ!』。
ああもー、越リュウ素敵〜〜。
現代の勧善懲悪で、何故いけなかったんだろう?@オクラホマ!
2006年10月8日 タカラヅカ 世界観構築で、やってはいけないこと、ってのがある。
たとえば、『サザエさん』で、人が死ぬ。
明るくやさしく、深く考えずハハハと笑ってたのしい気分のままで終わる『サザエさん』で、「もっと感動的にしよう」「いい話にしよう」と思ったからって、あの世界では人を殺してはいけないのだ。
『ドラえもん』でも同じ。誰も死んではいけない。
誰か死ねば「感動的」「いい話」を簡単プーに作れるが、世界観ゆえに「やってはいけない」のだ。
つーことで、『オクラホマ!』でいちばん気持ち悪いのは世界観の歪みなのだわ。
作品は『サザエさん』系なのに、強い立場の主人公とその側にいる者たちが弱い立場の人間をいじめて、しかもソレを「正義」として描いて、弱者はみじめに死ぬし、それでも強者たちは笑ってハッピーエンドだし。
世界観がブレまくっている。
このブレを修正すれば、少なくとも「気持ち悪い」ことにはならないんじゃないの?
軽快な勧善懲悪ラヴコメディとするなら、姫を助けて悪を成敗する話にしなくてはならない。
それなら、主人公が殺人を犯してもハッピーエンドになる。
嫌われ者ジャッドを本当の悪人とする。窃盗脅迫暴行なんでもござれの大悪人。彼の暴力がこわくて、誰もなにも言えない。
ローリーの農場の下働き、という設定のまま、男手が必要だしたしかに最低限仕事はしているからそれを理由に凄まれると首に出来ない、暴力がこわくて強く出られない、ということにすりゃーいい。
物語冒頭から、理不尽に暴力をふるい、悪の限りを尽くすジャッドの場面を入れる。彼におびえる人々の姿も。
ジャッドには人間性などいらん。ただの「悪」だ。ただの「障害」だ。それを倒し、乗り越えることで「物語」になるっつーだけものだ。
強い絶対悪に立ち向かうカーリーは、ちゃんと「いい男」に見える。
現代日本人の共有できる感覚として、いじめられていいのは「主役側」であって、主役側が敵側を「差別」して「いじめ」てはならない。
『オクラホマ!』の気味の悪さは、それが逆転していることにある。
強い立場の者が、その権力を使って弱い立場の者を虐げる。
と、これだけ見れば、「主役は弱い立場の者で、権力と戦うのね」となるさね。
ところが『オクラホマ!』の主役側はこの「強い立場の者」であり、権力を使って弱い立場の悪役ジャッドを虐げるのだわ。
時代劇だから仕方がない。というのは、わかる。
ナチスドイツがユダヤ人を迫害していた時代を舞台にした物語で、ナチス将校が弱いユダヤ人を虐め殺して、血統正しきドイツ人同士でハッピーエンドになってしあわせしあわせしていても、変だとは思わない。
だが、ユダヤ人は別に悪くなく、彼に落ち度があったとしたらソレは「ユダヤ人だった」ということのみ、もともとナチスの方が強い立場だから、ユダヤ人を殺して排除することはなんの造作もない、ソレを殺してハッピーエンド、って、ソレ、物語としておもしろいか?
障害を乗り越えなきゃ、盛り上がらないじゃん。強い者が弱い者を殺してハッピーエンドじゃ、物語としてなんにもおもしろくないよ。
実際にナチス全盛期に作られ、同じ価値観の人々だけでたのしむ物語なら、単純でいいのだと思う。
愛し合うナチス将校とドイツ人の美しい娘、そこに卑しい男が横恋慕してきた。そいつはユダヤ人だった。やっぱりユダヤはサイアクだな、悪を殺して、将校と娘はハッピーエンド。……その時代なら、ソレでよかったんだろう。
だが現代に、こんな露骨な設定で物語を描いて、誰がよろこぶ? 思想的にどうとか、差別はよくない! とかゆー以前に、純粋に「物語」として盛り上がらないじゃん。
だから、ナチスがユダヤを殺す話を描くなら、殺されるユダヤ側からの物語にしたり、殺す方と殺される方に葛藤を描いたりするわけでしょう?
『オクラホマ!』が時代劇で、日常として「差別」が存在する時代の話だということはわかる。描かれた世界も、そしてそれを見てよろこぶ世界も、同じ感覚を持ってる時代の作品なんだろう。
同時期の日本だって、「鬼畜米英!」っつって竹槍持っていたわけだし。そのときの日本人が共感できる物語は「強い日本人が、卑劣で弱い敵国人を殺した、正義は勝つ!」とかだったんだろうし。
『オクラホマ!』で描かれている「強い立場の者が、権力を使って弱い立場の者を虐げ、その分不相応な弱い立場の者を成敗し、強い立場の者たちだけでハッピーエンド」というのが、「みんなが見てたのしい作品」だったんだろう。
でも今、現代だし。
現代の感覚では、「強い立場の者が、その権力を使って弱い立場の者を虐げ成敗してハッピーエンド」てのは、物語としておもしろくないよ。
かといって、殺される弱い者側からの物語にしたり、殺す方と殺される方に葛藤を描いたりするわけにはいかないの。
だってコレ、楽しさあふれるミュージカル作品だから。のーてんきなラヴコメだから。
んな重いことをやると、のーてんきにならない。ミュージカルナンバーに合わない。
強い者が弱い者を虐めて殺す、ことを「たっのしーい♪」と思う世界観を共有しなければ、真の意味でこの作品をたのしめないんだ。
いくらなんでもソレじゃあんまりだから、と、いくぶんウェットな仕上がりにはなっているのだと思う、タカラヅカ版『オクラホマ!』。
でもソレ、成功してないし。
タカラヅカ版のジャッドはなんとなくかっこよくて影のある訳ありの男風になってるんだが、そのことが世界観の歪みの気持ち悪さに拍車を掛けている。
最初に言ったように、勧善懲悪ラヴコメディとするなら、姫を助けて悪を成敗する話にしなくてはならない。
悪は徹底して悪、同情の余地もなく悪にしなければならない。
そうすることでようやく、主役側が数に任せてたったひとりを迫害することを正当化できるのだから。
ジャッドが絶対悪にならなかったヅカ版は、虐げ殺される男と、殺す人たち(競売・裁判の一方的さから、殺すのはカーリーひとりではなく村の人々みんなだ)のどちらに感情移入すればいいのか混乱を招く。
世界大戦終結以前のアメリカの世界観に徹底するか、あるいは現代的勧善懲悪に徹底するべきだった。
や、思想的にどうこう以前に、たんに「物語をたのしく盛り上げるため」に。
現代の正義とちがっていようがなんだろうが、「物語として正しい」ならあたしゃソレでいい。自分の好みとは別の問題としてな。
ソレがハンパに曲がっていることが、とても気になる。
現代日本では、カツオがクラスを扇動していじめをし、恋敵を自殺に追い込み、サザエが「死んだ子のためにみんでお祈りしたんだから、その子も浮かばれたわ!」と言ってまとめた話を、お茶の間で家族揃って「アハハ」と笑って見ることはできないよ。
たとえば、『サザエさん』で、人が死ぬ。
明るくやさしく、深く考えずハハハと笑ってたのしい気分のままで終わる『サザエさん』で、「もっと感動的にしよう」「いい話にしよう」と思ったからって、あの世界では人を殺してはいけないのだ。
『ドラえもん』でも同じ。誰も死んではいけない。
誰か死ねば「感動的」「いい話」を簡単プーに作れるが、世界観ゆえに「やってはいけない」のだ。
つーことで、『オクラホマ!』でいちばん気持ち悪いのは世界観の歪みなのだわ。
作品は『サザエさん』系なのに、強い立場の主人公とその側にいる者たちが弱い立場の人間をいじめて、しかもソレを「正義」として描いて、弱者はみじめに死ぬし、それでも強者たちは笑ってハッピーエンドだし。
世界観がブレまくっている。
このブレを修正すれば、少なくとも「気持ち悪い」ことにはならないんじゃないの?
軽快な勧善懲悪ラヴコメディとするなら、姫を助けて悪を成敗する話にしなくてはならない。
それなら、主人公が殺人を犯してもハッピーエンドになる。
嫌われ者ジャッドを本当の悪人とする。窃盗脅迫暴行なんでもござれの大悪人。彼の暴力がこわくて、誰もなにも言えない。
ローリーの農場の下働き、という設定のまま、男手が必要だしたしかに最低限仕事はしているからそれを理由に凄まれると首に出来ない、暴力がこわくて強く出られない、ということにすりゃーいい。
物語冒頭から、理不尽に暴力をふるい、悪の限りを尽くすジャッドの場面を入れる。彼におびえる人々の姿も。
ジャッドには人間性などいらん。ただの「悪」だ。ただの「障害」だ。それを倒し、乗り越えることで「物語」になるっつーだけものだ。
強い絶対悪に立ち向かうカーリーは、ちゃんと「いい男」に見える。
現代日本人の共有できる感覚として、いじめられていいのは「主役側」であって、主役側が敵側を「差別」して「いじめ」てはならない。
『オクラホマ!』の気味の悪さは、それが逆転していることにある。
強い立場の者が、その権力を使って弱い立場の者を虐げる。
と、これだけ見れば、「主役は弱い立場の者で、権力と戦うのね」となるさね。
ところが『オクラホマ!』の主役側はこの「強い立場の者」であり、権力を使って弱い立場の悪役ジャッドを虐げるのだわ。
時代劇だから仕方がない。というのは、わかる。
ナチスドイツがユダヤ人を迫害していた時代を舞台にした物語で、ナチス将校が弱いユダヤ人を虐め殺して、血統正しきドイツ人同士でハッピーエンドになってしあわせしあわせしていても、変だとは思わない。
だが、ユダヤ人は別に悪くなく、彼に落ち度があったとしたらソレは「ユダヤ人だった」ということのみ、もともとナチスの方が強い立場だから、ユダヤ人を殺して排除することはなんの造作もない、ソレを殺してハッピーエンド、って、ソレ、物語としておもしろいか?
障害を乗り越えなきゃ、盛り上がらないじゃん。強い者が弱い者を殺してハッピーエンドじゃ、物語としてなんにもおもしろくないよ。
実際にナチス全盛期に作られ、同じ価値観の人々だけでたのしむ物語なら、単純でいいのだと思う。
愛し合うナチス将校とドイツ人の美しい娘、そこに卑しい男が横恋慕してきた。そいつはユダヤ人だった。やっぱりユダヤはサイアクだな、悪を殺して、将校と娘はハッピーエンド。……その時代なら、ソレでよかったんだろう。
だが現代に、こんな露骨な設定で物語を描いて、誰がよろこぶ? 思想的にどうとか、差別はよくない! とかゆー以前に、純粋に「物語」として盛り上がらないじゃん。
だから、ナチスがユダヤを殺す話を描くなら、殺されるユダヤ側からの物語にしたり、殺す方と殺される方に葛藤を描いたりするわけでしょう?
『オクラホマ!』が時代劇で、日常として「差別」が存在する時代の話だということはわかる。描かれた世界も、そしてそれを見てよろこぶ世界も、同じ感覚を持ってる時代の作品なんだろう。
同時期の日本だって、「鬼畜米英!」っつって竹槍持っていたわけだし。そのときの日本人が共感できる物語は「強い日本人が、卑劣で弱い敵国人を殺した、正義は勝つ!」とかだったんだろうし。
『オクラホマ!』で描かれている「強い立場の者が、権力を使って弱い立場の者を虐げ、その分不相応な弱い立場の者を成敗し、強い立場の者たちだけでハッピーエンド」というのが、「みんなが見てたのしい作品」だったんだろう。
でも今、現代だし。
現代の感覚では、「強い立場の者が、その権力を使って弱い立場の者を虐げ成敗してハッピーエンド」てのは、物語としておもしろくないよ。
かといって、殺される弱い者側からの物語にしたり、殺す方と殺される方に葛藤を描いたりするわけにはいかないの。
だってコレ、楽しさあふれるミュージカル作品だから。のーてんきなラヴコメだから。
んな重いことをやると、のーてんきにならない。ミュージカルナンバーに合わない。
強い者が弱い者を虐めて殺す、ことを「たっのしーい♪」と思う世界観を共有しなければ、真の意味でこの作品をたのしめないんだ。
いくらなんでもソレじゃあんまりだから、と、いくぶんウェットな仕上がりにはなっているのだと思う、タカラヅカ版『オクラホマ!』。
でもソレ、成功してないし。
タカラヅカ版のジャッドはなんとなくかっこよくて影のある訳ありの男風になってるんだが、そのことが世界観の歪みの気持ち悪さに拍車を掛けている。
最初に言ったように、勧善懲悪ラヴコメディとするなら、姫を助けて悪を成敗する話にしなくてはならない。
悪は徹底して悪、同情の余地もなく悪にしなければならない。
そうすることでようやく、主役側が数に任せてたったひとりを迫害することを正当化できるのだから。
ジャッドが絶対悪にならなかったヅカ版は、虐げ殺される男と、殺す人たち(競売・裁判の一方的さから、殺すのはカーリーひとりではなく村の人々みんなだ)のどちらに感情移入すればいいのか混乱を招く。
世界大戦終結以前のアメリカの世界観に徹底するか、あるいは現代的勧善懲悪に徹底するべきだった。
や、思想的にどうこう以前に、たんに「物語をたのしく盛り上げるため」に。
現代の正義とちがっていようがなんだろうが、「物語として正しい」ならあたしゃソレでいい。自分の好みとは別の問題としてな。
ソレがハンパに曲がっていることが、とても気になる。
現代日本では、カツオがクラスを扇動していじめをし、恋敵を自殺に追い込み、サザエが「死んだ子のためにみんでお祈りしたんだから、その子も浮かばれたわ!」と言ってまとめた話を、お茶の間で家族揃って「アハハ」と笑って見ることはできないよ。
歪んだ正義ほど、こわいものはない。@オクラホマ!
2006年10月7日 タカラヅカ ジャド子は息をのんだ。
彼女の机の上に、花が生けられた花瓶と、黒いリボンをつけられたジャド子の写真が置いてあったからだ。
「ジャド子は昨日、自殺したのよ」
クラスでも中心的な存在であるカリ子が言う。
「だってジャド子、ブスだし臭いしびんぼーだし、根暗で卑屈で陰険で、生きてても仕方なかったもの。それで首を吊って死んだんですって(笑)」
華やかな美人で人気者のカリ子は、黙り込んでしまったジャド子にさらに言葉を重ねる。
「それでみんなで、ジャド子のお葬式をしようって話をしていたの」
「……お葬式?」
「ほらなにしろジャド子、みんなの嫌われ者だったでしょう? 誰かが率先してお葬式をしてあげなきゃ、誰もその死を悼んであげたりしないだろーし。だから、アタシがみんなに言ってあげるの。
『たしかにジャド子はゴキブリみたいに嫌われていたわ。醜くて卑怯で無能で、同じ空気吸うなボケ汚れるだろがッみたいな子だったけど。でもほんとうは、心の美しい子だったのよ』
って」
「…………」
「ジャド子は嫌われ者。ブスでバカで暗くて性格悪くてひがみっぽくて、みんなみんなジャド子を大嫌いだったけど、でも本当チガウのよ、ジャド子は実はいい子だったの」
「そう、ジャド子は嫌われ者のドブスだったけど、本当はいい子だったの」
「みんなジャド子をゴミでブタで臭い邪魔者だと思っていたけど、本当はいい子だったの」
カリ子の取り巻きたちも声を合わせて話し出す。
「本当はいい子だったのに、ジャド子。可哀想に、死んでしまって」
「可哀想なジャド子」
「可哀想なジャド子」
「…………もうやめて!!」
溜まりかねたジャド子は、机の上にあった花瓶をなぎ倒した。花瓶は教室の床に叩きつけられ、大きな音をたてて割れた。花が飛び散り、水が広がる。
「なにごとですか」
ドアが開き、担任教師が入ってきた。いつの間にか始業のベルが鳴っていたらしい。
「先生、ジャド子さんが花瓶を割ったんです」
「わたしたちなにもしてないのに、ジャド子さんったらひどいんです」
長身の女教師は黙ったままのジャド子を一瞥し、言い渡した。
「ジャド子さん、花瓶を片付けなさい。そしてそれが終わったら教室を出なさい。アナタに授業を受ける資格はないわ」
ジャド子はなにも言わず、跪いて破片を拾い始めた。そんな彼女に、クラスメイトたちの忍び笑いがあびせられる。
可哀想なジャド子。アナタはもう、死ぬしかしあわせになれないわよ? 嘲笑がそう言っている。
☆
……すみません、わたしダメでした、月組日生公演『オクラホマ!』。
なにがどう、出演者が演出が、などという以前の問題で。
生理的にダメです、この世界観。
いかにもアメリカ的な勧善懲悪。絶対正義の元、敵と仮定した対象には徹底した侮蔑と排除。敵の死や破滅に喝采を送るドライさ。ルール=自分だから、自分が勝つようにルールを歪めて、敵が負けるまで追いつめる。相手を陥れて自滅させ、名ばかりの裁判(出席者は全員自分の味方)を開いて自身の正当性を確立。
わたし、ウェットな日本人だから、ついていけないっす。
明るい他愛ない物語なんだけど、明るい他愛ない物語だからこそ、そこにあったりまえに肯定されている「歪み」がこわくてこわくて、正視できない。
カーリー@トドとローリー@あいは、周囲も認める両想いカップル。でも結婚前の男女がベタベタするのははしたいないし、相手に夢中だと思われるのもなんだかくやしいし……と、中学生程度の精神年齢で、ちょっとギクシャク。
そこへ、村の嫌われ者ジャッド@きりやんがローリーに横恋慕してきた。なにしろジャッドは気味の悪い男。道を歩いているだけで職務質問され、前を歩いていた女の子は「痴漢よ! 犯される!!」逃げ出し、下着泥棒が出たと言えば真っ先に疑われるよーな男。「絶対性犯罪者よ!」ローリーも村のみんなも、みーんなそう思っている。
でも、ジャッドはローリーの農場の下働きなの。誰もやりたがらないよーな仕事を押し付けられる、都合のいい下等労働者が必要だから、仕方なく雇っている。
ジャッドに村をあげてのイベントに誘われたローリー。承諾した理由は、「だって断ったりしたら、ナニされるかわからないじゃない!」。
カーリーはそんなジャッドに釘を刺しに行く。「やあジャッド! いいところにロープがあるな、どうだジャッド、このロープで自殺してみないか? みんなよろこぶぞ」。そして、えんえんジャッドの葬式の話をする。しかも美談として。
「嫌われ者だったジャッド。死んでしまって可哀想に。本当はいいヤツだったのに」と、えんえん、生きている本人の前で言い続ける。
心底、こわかったっす。
突然部屋に入ってきた顔見知り程度の人が、「ねえこあら、あんた嫌われ者なんだし、自殺してみない?」と言って、わたしの葬式の話をえんえんえんえんするとしたら。
悪意だけなら、まだわかるんだ。ああ、この人はわたしをキライで、わたしが邪魔なんだな。キライ=死ね、邪魔=死ね、という価値観の人なんだ、と思える。
でも、悪意だけじゃないの。
「大丈夫、死ねば『いい人だった』ってことになるわ。みんなあんたのために泣くわよ。感動的なシーンね」
と、ほんとーに感動的な話だと信じて言っているの。
正義なの! キライ=死ね、邪魔=死ねが、この人個人ではなく、この世界全部での「正義」であり「ルール」なの!
だって、陽気で痛快なラヴコメディなんだもの! 軽快な音楽で歌い踊るミュージカルなんだもの!
わたしには、理解できないし、したくもない。
こわいよーこわいよーこわいよー。ぶるぶるぶる。
嫌われ者ジャッドは絶対悪。だから、彼に対し、なにをしてもかまわない。そして、彼が虐げられ、歪められ、悲憤のうちに自滅するさまを、軽快なコメディとして、楽しく歌い踊って幕。
こわい。こわいよー。
ジャッドはカーリーに殺されるんだけど、「正当防衛」ってことでカーリーはその場で許されるしね。裁判はカーリーの味方だけで行われ、誰もジャッドの側には立たないしね。裁判やる意味ないし、そんなの。
で、その足でラヴラヴ新婚旅行だしね。
ブラックすぎるだろ。
もちろん、クソ古い作品だし、当時の世界観だとか世相だとか関係しているのは想像がつくし、本来ジャッドは同情の余地もないクソな悪役に描かれるべきなんだろう。
そーゆーもんだ、というのはわかる。
わかったうえで、わたしはこの作品を「いらない」と思う。生理的に許容できないので、いらない。
明るく楽しいラヴコメ部分と、敵認定した者への迫害が同じ世界にあるのがこわい。敵認定、なだけで、その敵とやらは具体的になにも悪いことはしていないの。でも、「敵」だから「悪」と決めつけ、「悪だから、虐げていい」。
「ジャド子ってキモくね?」
「キモいよねー。絶対なんかヤバいよあいつ」
「んじゃ、ちょっとくらい虐めていいよねー」
「いいよいいよ、みんな同じこと思ってるって」
「いなくなればいいのにね」
「キモいもんね」
嫌いな子の「お葬式ごっこ」をしていじめている、女子中学生みたいな怖さがある。本人たちには「正当で、たのしい日常」なあたりが。
彼女の机の上に、花が生けられた花瓶と、黒いリボンをつけられたジャド子の写真が置いてあったからだ。
「ジャド子は昨日、自殺したのよ」
クラスでも中心的な存在であるカリ子が言う。
「だってジャド子、ブスだし臭いしびんぼーだし、根暗で卑屈で陰険で、生きてても仕方なかったもの。それで首を吊って死んだんですって(笑)」
華やかな美人で人気者のカリ子は、黙り込んでしまったジャド子にさらに言葉を重ねる。
「それでみんなで、ジャド子のお葬式をしようって話をしていたの」
「……お葬式?」
「ほらなにしろジャド子、みんなの嫌われ者だったでしょう? 誰かが率先してお葬式をしてあげなきゃ、誰もその死を悼んであげたりしないだろーし。だから、アタシがみんなに言ってあげるの。
『たしかにジャド子はゴキブリみたいに嫌われていたわ。醜くて卑怯で無能で、同じ空気吸うなボケ汚れるだろがッみたいな子だったけど。でもほんとうは、心の美しい子だったのよ』
って」
「…………」
「ジャド子は嫌われ者。ブスでバカで暗くて性格悪くてひがみっぽくて、みんなみんなジャド子を大嫌いだったけど、でも本当チガウのよ、ジャド子は実はいい子だったの」
「そう、ジャド子は嫌われ者のドブスだったけど、本当はいい子だったの」
「みんなジャド子をゴミでブタで臭い邪魔者だと思っていたけど、本当はいい子だったの」
カリ子の取り巻きたちも声を合わせて話し出す。
「本当はいい子だったのに、ジャド子。可哀想に、死んでしまって」
「可哀想なジャド子」
「可哀想なジャド子」
「…………もうやめて!!」
溜まりかねたジャド子は、机の上にあった花瓶をなぎ倒した。花瓶は教室の床に叩きつけられ、大きな音をたてて割れた。花が飛び散り、水が広がる。
「なにごとですか」
ドアが開き、担任教師が入ってきた。いつの間にか始業のベルが鳴っていたらしい。
「先生、ジャド子さんが花瓶を割ったんです」
「わたしたちなにもしてないのに、ジャド子さんったらひどいんです」
長身の女教師は黙ったままのジャド子を一瞥し、言い渡した。
「ジャド子さん、花瓶を片付けなさい。そしてそれが終わったら教室を出なさい。アナタに授業を受ける資格はないわ」
ジャド子はなにも言わず、跪いて破片を拾い始めた。そんな彼女に、クラスメイトたちの忍び笑いがあびせられる。
可哀想なジャド子。アナタはもう、死ぬしかしあわせになれないわよ? 嘲笑がそう言っている。
☆
……すみません、わたしダメでした、月組日生公演『オクラホマ!』。
なにがどう、出演者が演出が、などという以前の問題で。
生理的にダメです、この世界観。
いかにもアメリカ的な勧善懲悪。絶対正義の元、敵と仮定した対象には徹底した侮蔑と排除。敵の死や破滅に喝采を送るドライさ。ルール=自分だから、自分が勝つようにルールを歪めて、敵が負けるまで追いつめる。相手を陥れて自滅させ、名ばかりの裁判(出席者は全員自分の味方)を開いて自身の正当性を確立。
わたし、ウェットな日本人だから、ついていけないっす。
明るい他愛ない物語なんだけど、明るい他愛ない物語だからこそ、そこにあったりまえに肯定されている「歪み」がこわくてこわくて、正視できない。
カーリー@トドとローリー@あいは、周囲も認める両想いカップル。でも結婚前の男女がベタベタするのははしたいないし、相手に夢中だと思われるのもなんだかくやしいし……と、中学生程度の精神年齢で、ちょっとギクシャク。
そこへ、村の嫌われ者ジャッド@きりやんがローリーに横恋慕してきた。なにしろジャッドは気味の悪い男。道を歩いているだけで職務質問され、前を歩いていた女の子は「痴漢よ! 犯される!!」逃げ出し、下着泥棒が出たと言えば真っ先に疑われるよーな男。「絶対性犯罪者よ!」ローリーも村のみんなも、みーんなそう思っている。
でも、ジャッドはローリーの農場の下働きなの。誰もやりたがらないよーな仕事を押し付けられる、都合のいい下等労働者が必要だから、仕方なく雇っている。
ジャッドに村をあげてのイベントに誘われたローリー。承諾した理由は、「だって断ったりしたら、ナニされるかわからないじゃない!」。
カーリーはそんなジャッドに釘を刺しに行く。「やあジャッド! いいところにロープがあるな、どうだジャッド、このロープで自殺してみないか? みんなよろこぶぞ」。そして、えんえんジャッドの葬式の話をする。しかも美談として。
「嫌われ者だったジャッド。死んでしまって可哀想に。本当はいいヤツだったのに」と、えんえん、生きている本人の前で言い続ける。
心底、こわかったっす。
突然部屋に入ってきた顔見知り程度の人が、「ねえこあら、あんた嫌われ者なんだし、自殺してみない?」と言って、わたしの葬式の話をえんえんえんえんするとしたら。
悪意だけなら、まだわかるんだ。ああ、この人はわたしをキライで、わたしが邪魔なんだな。キライ=死ね、邪魔=死ね、という価値観の人なんだ、と思える。
でも、悪意だけじゃないの。
「大丈夫、死ねば『いい人だった』ってことになるわ。みんなあんたのために泣くわよ。感動的なシーンね」
と、ほんとーに感動的な話だと信じて言っているの。
正義なの! キライ=死ね、邪魔=死ねが、この人個人ではなく、この世界全部での「正義」であり「ルール」なの!
だって、陽気で痛快なラヴコメディなんだもの! 軽快な音楽で歌い踊るミュージカルなんだもの!
わたしには、理解できないし、したくもない。
こわいよーこわいよーこわいよー。ぶるぶるぶる。
嫌われ者ジャッドは絶対悪。だから、彼に対し、なにをしてもかまわない。そして、彼が虐げられ、歪められ、悲憤のうちに自滅するさまを、軽快なコメディとして、楽しく歌い踊って幕。
こわい。こわいよー。
ジャッドはカーリーに殺されるんだけど、「正当防衛」ってことでカーリーはその場で許されるしね。裁判はカーリーの味方だけで行われ、誰もジャッドの側には立たないしね。裁判やる意味ないし、そんなの。
で、その足でラヴラヴ新婚旅行だしね。
ブラックすぎるだろ。
もちろん、クソ古い作品だし、当時の世界観だとか世相だとか関係しているのは想像がつくし、本来ジャッドは同情の余地もないクソな悪役に描かれるべきなんだろう。
そーゆーもんだ、というのはわかる。
わかったうえで、わたしはこの作品を「いらない」と思う。生理的に許容できないので、いらない。
明るく楽しいラヴコメ部分と、敵認定した者への迫害が同じ世界にあるのがこわい。敵認定、なだけで、その敵とやらは具体的になにも悪いことはしていないの。でも、「敵」だから「悪」と決めつけ、「悪だから、虐げていい」。
「ジャド子ってキモくね?」
「キモいよねー。絶対なんかヤバいよあいつ」
「んじゃ、ちょっとくらい虐めていいよねー」
「いいよいいよ、みんな同じこと思ってるって」
「いなくなればいいのにね」
「キモいもんね」
嫌いな子の「お葬式ごっこ」をしていじめている、女子中学生みたいな怖さがある。本人たちには「正当で、たのしい日常」なあたりが。
ゆーひくんを、観に行こう!@レ・ビジュー・ブリアン
2006年10月6日 タカラヅカ あさこがヘタレ受でゆーひがクール攻としてイメージが固定しそうなほど、芝居といいショーといい、似たよーな立場の役割が続いていますが。
そのショー『レ・ビジュー・ブリアン』は演出家が酒井せんせだから、なにも考えてないってのが、ほんとのとこだと思いますよ。
樹里ちゃん退団作品で、ほとんど寿美礼サマとWトップ?てな扱いだった『エンター・ザ・レビュー』を博多座で上演する折、生徒の持ち味もなーんも考えず、「上から順番に割り振り」をした演出家だからな。
ゆみこのコメディアンがどれほどサムかったか……まっつの兄鳥がどれほど痛々しかったか……。
属性もなにもあったもんぢゃない。
樹里ちゃんとゆみこちゃんでは、持ち味正反対だっつーに。まあ、酒井氏がなにも考えていないおかげで、「アランフェス」がオサゆみになって、よかったっちゃーよかったんだが。
今回の『レ・ビジュー・ブリアン』も、なにも考えずに「空いたところに上から順に」役を振っていったんだろう……。
その結果が、受のトップと攻の2番手。あさこだから、ゆーひだから、ではなく、「この公演の、上からひとりめとふたりめ」。
……あて書きしようよ……。
えー、役割に付属する属性の話は置くとして(笑)、今はゆーひさんの話。
今回彼が入っていた箱、すげー小さくなかったですか?
びっくりしたんですけど。
大劇とかでもあんな大きさだった?
あの小さな箱にあのでかいゆーひさんが小さく丸まっていたのかと思うと、萌えます。
なにがどうぢゃないが、ときめきます(笑)。スターって大変だなー(笑)。
ゆひくん今回、どさくさにまぎれて中詰めの真ん中やってますよー。
すげーや。
あさこちゃんはそのあとの新作シーンがあるから、早々にいなくなってしまって、ゆーひとかなみちゃんが中心になって中詰めを最後まで持っていくのね。
下級生たちがわーっと客席降りして通路で歌い踊り、客席も手拍子して大賑わい。
すごいたのしいシーンなの。
通路のきれいさんたちも見たいし、舞台のゆひかなも見たいしで、大忙しさー。
しかしほんとに、感慨深いっす。
あのゆーひくんが、中詰めの芯ですよ。
機嫌が悪いとショー1時間中一度もニコリともしなかった、「スター」らしさとはかけ離れていた、あの隅っこにいたゆーひくんが。
全ツとはいえ、とりあえず中詰めの芯。
大人になったんだねえ……しみじみ。
たのしそーに笑っている顔を眺めながら、胸が熱くなりました。
いや、なにしろ演出家があの酒井氏なので。なにも考えずに「空いたところに上から順に」役を振ったのが手に取るよーにわかりますが(笑)、もういいや。
ゆみこのコメディアンもまっつの兄鳥もアリだったんだからなー。ナニが起こってもおどろかないぞー。(いや、おどろきました)
「ゆーひくんがトド様の衣装着て、ズボンの裾は足りたんですか?」
と、友人が心配してましたが。
足りたんじゃない? あひくんがきりやんの衣装着てるくらいだから、ヅカの衣装マジック恐るべし!
中詰めでゆーひくんが着ている衣装がトドのものかどうか、わたしはいちいち気にしてなかったんでよくわからんですが、エトワールの衣装が同じなのはわかった。
ゆひくん……似合ってない(笑)。
スタイルがアレなトド様を縦に長く見せるために、縦のラインを強調した白い衣装と、謎の白レースカーテン。
この嘘くさいトンデモ服が、似合ってないの!(笑)
いやあ、こーゆーのを「普段から着てますが、なにか?」てなふーに着こなすところがトド様のすごいとこなんだよなあ、と、かの人の偉大さに改めて思い馳せてみたり。
ゆーひの歌が弱いことはもう言わずもがな。うーん、衣装に負けていて、さらに歌声のインパクトも弱いとなるとつらいなー。がんばれー。
や、わたしたんに、ゆーひがエトワールってアリかよソレ?! ってことの方にウケてたんで(ウケてたのか!)、微妙さも含めておいしくいただきました。
歌がアレな男役のエトワールが、今日日の流行りなのでしょーか。
で、その似合わないトド様印のエトワール衣装@ゆーひくんは、歌い終わってそそくさと退場、自分のフィナーレ衣装に着替えて、こっそり合流しているのが、すげーツボりました。
本来の衣装に着替えるんだ! つーとやっぱアレは借り物認識?(笑)
横から現れて、こっそり並び位置に入り、なに食わぬ顔であさこちゃんを待つのが素敵。
真っ白な2番手羽根背負ってさー。なにげなーくまざっちゃって。エトワールも大変(笑)。
ゆーひくんの魅力は、ダークでクールに見える美貌と抜群のスタイル、そして、そのくせ笑うとくしゃっと子どものよーに無邪気な笑顔になることかなあ、としみじみ思ってみたり。
中詰めのかなみちゃんとのかわいーカップルぶりと、その直後の鬼畜オーラ全開ぶりのギャップが素敵で。
いやはや、どこに行くのか知らないが、ついていきますよ、おーぞらゆーひ。
わたしの知っているゆーひくんのようであり、すでにもう知らない人のようであり。
計り知れないところが、魅力なのかなぁ。
そのショー『レ・ビジュー・ブリアン』は演出家が酒井せんせだから、なにも考えてないってのが、ほんとのとこだと思いますよ。
樹里ちゃん退団作品で、ほとんど寿美礼サマとWトップ?てな扱いだった『エンター・ザ・レビュー』を博多座で上演する折、生徒の持ち味もなーんも考えず、「上から順番に割り振り」をした演出家だからな。
ゆみこのコメディアンがどれほどサムかったか……まっつの兄鳥がどれほど痛々しかったか……。
属性もなにもあったもんぢゃない。
樹里ちゃんとゆみこちゃんでは、持ち味正反対だっつーに。まあ、酒井氏がなにも考えていないおかげで、「アランフェス」がオサゆみになって、よかったっちゃーよかったんだが。
今回の『レ・ビジュー・ブリアン』も、なにも考えずに「空いたところに上から順に」役を振っていったんだろう……。
その結果が、受のトップと攻の2番手。あさこだから、ゆーひだから、ではなく、「この公演の、上からひとりめとふたりめ」。
……あて書きしようよ……。
えー、役割に付属する属性の話は置くとして(笑)、今はゆーひさんの話。
今回彼が入っていた箱、すげー小さくなかったですか?
びっくりしたんですけど。
大劇とかでもあんな大きさだった?
あの小さな箱にあのでかいゆーひさんが小さく丸まっていたのかと思うと、萌えます。
なにがどうぢゃないが、ときめきます(笑)。スターって大変だなー(笑)。
ゆひくん今回、どさくさにまぎれて中詰めの真ん中やってますよー。
すげーや。
あさこちゃんはそのあとの新作シーンがあるから、早々にいなくなってしまって、ゆーひとかなみちゃんが中心になって中詰めを最後まで持っていくのね。
下級生たちがわーっと客席降りして通路で歌い踊り、客席も手拍子して大賑わい。
すごいたのしいシーンなの。
通路のきれいさんたちも見たいし、舞台のゆひかなも見たいしで、大忙しさー。
しかしほんとに、感慨深いっす。
あのゆーひくんが、中詰めの芯ですよ。
機嫌が悪いとショー1時間中一度もニコリともしなかった、「スター」らしさとはかけ離れていた、あの隅っこにいたゆーひくんが。
全ツとはいえ、とりあえず中詰めの芯。
大人になったんだねえ……しみじみ。
たのしそーに笑っている顔を眺めながら、胸が熱くなりました。
いや、なにしろ演出家があの酒井氏なので。なにも考えずに「空いたところに上から順に」役を振ったのが手に取るよーにわかりますが(笑)、もういいや。
ゆみこのコメディアンもまっつの兄鳥もアリだったんだからなー。ナニが起こってもおどろかないぞー。(いや、おどろきました)
「ゆーひくんがトド様の衣装着て、ズボンの裾は足りたんですか?」
と、友人が心配してましたが。
足りたんじゃない? あひくんがきりやんの衣装着てるくらいだから、ヅカの衣装マジック恐るべし!
中詰めでゆーひくんが着ている衣装がトドのものかどうか、わたしはいちいち気にしてなかったんでよくわからんですが、エトワールの衣装が同じなのはわかった。
ゆひくん……似合ってない(笑)。
スタイルがアレなトド様を縦に長く見せるために、縦のラインを強調した白い衣装と、謎の白レースカーテン。
この嘘くさいトンデモ服が、似合ってないの!(笑)
いやあ、こーゆーのを「普段から着てますが、なにか?」てなふーに着こなすところがトド様のすごいとこなんだよなあ、と、かの人の偉大さに改めて思い馳せてみたり。
ゆーひの歌が弱いことはもう言わずもがな。うーん、衣装に負けていて、さらに歌声のインパクトも弱いとなるとつらいなー。がんばれー。
や、わたしたんに、ゆーひがエトワールってアリかよソレ?! ってことの方にウケてたんで(ウケてたのか!)、微妙さも含めておいしくいただきました。
歌がアレな男役のエトワールが、今日日の流行りなのでしょーか。
で、その似合わないトド様印のエトワール衣装@ゆーひくんは、歌い終わってそそくさと退場、自分のフィナーレ衣装に着替えて、こっそり合流しているのが、すげーツボりました。
本来の衣装に着替えるんだ! つーとやっぱアレは借り物認識?(笑)
横から現れて、こっそり並び位置に入り、なに食わぬ顔であさこちゃんを待つのが素敵。
真っ白な2番手羽根背負ってさー。なにげなーくまざっちゃって。エトワールも大変(笑)。
ゆーひくんの魅力は、ダークでクールに見える美貌と抜群のスタイル、そして、そのくせ笑うとくしゃっと子どものよーに無邪気な笑顔になることかなあ、としみじみ思ってみたり。
中詰めのかなみちゃんとのかわいーカップルぶりと、その直後の鬼畜オーラ全開ぶりのギャップが素敵で。
いやはや、どこに行くのか知らないが、ついていきますよ、おーぞらゆーひ。
わたしの知っているゆーひくんのようであり、すでにもう知らない人のようであり。
計り知れないところが、魅力なのかなぁ。
「ヘタレ」とは似て非なるモノ。@レ・ビジュー・ブリアン
2006年10月5日 タカラヅカ つい先日までムラでやっていたショーを、またやるのかぁ、という印象でした、『レ・ビジュー・ブリアン』。東宝まで観に行ったしさぁ。なんかついこの間、って気がしてならない。
予備知識ナシで幕が上がり。
月のブランコがないことに落胆した。
そっか、全ツってこーゆーことなんだ。さみしくなるもんなんだ。
あさこちゃんのブランコ、好きだったなあ。いかにも「夢の世界」って感じの美しさで。
トド様がいないことを再確認し、あひくんがいることを再確認し。ゆーひくんが単独2番手であることを、再確認し。
おお、役替わりってこういうことかー、本公演の印象がまだ強いだけに新鮮だなー。
人数が少ないからかハコが小さい(小さいのか?)からか、はたまたわたしがたんにほどよい席にいたからか、大劇で観ていたときよりマギーとまさきがやたら目に付いた。活躍してるなー、やる気満々だなー。
まさきのやる気っぷりは、芝居では多少うるさく感じられたのだけど、ショーではいい感じだ。水を得た魚。あーゆー受動態の役は、まさきの柄にあってないんだろうな。彼は「役のしばり」を飛び越したくてうずうずしているように見えた。
マギーは堅実にしぶとくアツい(笑)。おもしろいしたたかさ。
大劇のころから引き続き、かなみちゃんのかわいらしさにときめきっぱなし(笑)。
首飾りをめぐってのあさこの妄想シーン(正式名称知らん)、あそこのかなみちゃんがごっつかわいい。
無国籍な港町、宝石売りの嘉月おじさまと、歌う海の男@マッチ先輩、ラヴラヴカップルのあさかな。で、あさこが警官の撃った流れ弾に当たって、なんか夢の世界へ行っちゃう場面な。……あれって危機一髪あさちゃんのめくるめく妄想の世界よね? 心が強ければ陥らなかった隙間、ちゅーか。ま、結局身の丈にあった幸福に辿り着く、と。
そこのかなみちゃんが和柄っぽいミニワンピースとロングブーツ、無邪気な笑顔で、健康的なかわいらしさなんだよなー。ミニスカートの下のフトモモがなんか萌えなんですけど。
このかわいい女の子の横に、かっこいい男の子がいること、それだけのことが妙にうれしい。
ただこのシーン、きりやんのときは安心して酔っていられたんだが、全ツではあひくんの危なっかしさに気もそぞろ。おーい遼河はるひさん、わたしにかなみちゃんのフトモモを堪能させてくれよー(笑)。
反対に、かなみちゃんのミニスカポリスのところは、役替わりでトドの位置に入ったのが実力者の嘉月さんだったので安心、かなみちゃんガン見してました。
いやあ、かわいすぎるよなあのコスプレ。のーみそ少な目なところがたまらん。シーン自体は意味不明(山ナシオチなし)なんだけど。
てか、トドの位置に嘉月さん、つーのがすごいな。素敵に余裕のあるおじさまぶりで、大劇版とは印象ががらりと変わった。ううむ、タイプも年代もちがう色男ふたりをはべらすかなみちゃんがキュート。そして、うらやましい(笑)。
さて、トド様がいないので、彼メインだったタンゴのシーンがまるっと別物に差し替えられてました。おお、新作があると、なんかお得な気分だ。
あさこちゃんがシリアスに受ウケしく苦悩なさってました。
あさちゃんにヘタレな受子ちゃん役ばかりをやらせるのは、劇団の意図なんでしょうか、演出家の趣味でしょうか(笑)。で、ゆーひくんはクールな攻男なのね。これも劇団の以下略。
世の中のお嬢さんたちは基本的に「受」が好きなので、受キャラとして売り出すのは戦略として悪くないと思うけれど、あさこちゃんって2番手まで攻キャラで売っていた人だと思うんで、ファンのニーズに合っているのかどうか疑問ですわ。
攻キャラだと思って惚れた男が突然受になっちまったら、ファンの女の子たちは混乱するんじゃないか……?
それとは別にあさこちゃん、どーも「受」と「ヘタレ」を捉えまちがっている気がする。
女の子に人気が高いのは「受」であって「ヘタレ」ではない。
なまじ攻キャラのふりをして生きてきた人だから、そのへんがわかっていないのではないかと危惧する。
わたしは「ヘタレ」は好物なので、瀬奈氏がヘタレ街道驀進してくれても、なんの文句もありません(笑)。
さて、反対にゆーひくんは攻として売り出し中ですか。
ヘタレあさこちゃんに対峙する役、敵役として、新作シーンでもゆーひくん登場です。あさこから女奪っていきます、黒いです、クールです。
……ゆーひが人気あったのは、受キャラとしてだと思うんですが。や、わたしは彼を受だと思ったことはありませんが、世間の認識では、って意味。
トップが受だと、2番手が攻になるのは自然の習わしってもんで仕方がないし、わたしは攻のゆーひくんが大好きなのでぜんぜんかまいませんが。
ただ世の中的にどーなのか、わたしにはさっぱりわかりません。
「とりあえずあさことゆーひを絡ませておけ、そーすりゃ人気が出る」みたいな単純な構図に見えるんですが……それなら逆にした方がよくないか?
あさこ×ゆーひの方が、世間のニーズにあっている気がするんだが。
あさこにシシィやらせる劇団だから、なにを言っても無駄だろうなー。
おやぢどもは、女子の「属性」に対する感覚を理解できないようだからな。「美形」=「耽美」でもないし、「美形」=「受」でもないのよ!!
や、腐女子用語での感想なんで、共通言語と感覚を共有できる人だけ受け取ってください。
とりあえず、あさこちゃんとゆーひくんが絡んでくれるので、オイシくたのしい場面です。かなみちゃんも黒くてかっこいーし。
芝居となんか設定カブってる気がしないでもないが、よーするに彼ら3人が「映える」設定なんだろうな。わくわく。
ついこの間観た気がする……わりに、結局のとこたのしかったっす、『レ・ビジュー・ブリアン』。
予備知識ナシで幕が上がり。
月のブランコがないことに落胆した。
そっか、全ツってこーゆーことなんだ。さみしくなるもんなんだ。
あさこちゃんのブランコ、好きだったなあ。いかにも「夢の世界」って感じの美しさで。
トド様がいないことを再確認し、あひくんがいることを再確認し。ゆーひくんが単独2番手であることを、再確認し。
おお、役替わりってこういうことかー、本公演の印象がまだ強いだけに新鮮だなー。
人数が少ないからかハコが小さい(小さいのか?)からか、はたまたわたしがたんにほどよい席にいたからか、大劇で観ていたときよりマギーとまさきがやたら目に付いた。活躍してるなー、やる気満々だなー。
まさきのやる気っぷりは、芝居では多少うるさく感じられたのだけど、ショーではいい感じだ。水を得た魚。あーゆー受動態の役は、まさきの柄にあってないんだろうな。彼は「役のしばり」を飛び越したくてうずうずしているように見えた。
マギーは堅実にしぶとくアツい(笑)。おもしろいしたたかさ。
大劇のころから引き続き、かなみちゃんのかわいらしさにときめきっぱなし(笑)。
首飾りをめぐってのあさこの妄想シーン(正式名称知らん)、あそこのかなみちゃんがごっつかわいい。
無国籍な港町、宝石売りの嘉月おじさまと、歌う海の男@マッチ先輩、ラヴラヴカップルのあさかな。で、あさこが警官の撃った流れ弾に当たって、なんか夢の世界へ行っちゃう場面な。……あれって危機一髪あさちゃんのめくるめく妄想の世界よね? 心が強ければ陥らなかった隙間、ちゅーか。ま、結局身の丈にあった幸福に辿り着く、と。
そこのかなみちゃんが和柄っぽいミニワンピースとロングブーツ、無邪気な笑顔で、健康的なかわいらしさなんだよなー。ミニスカートの下のフトモモがなんか萌えなんですけど。
このかわいい女の子の横に、かっこいい男の子がいること、それだけのことが妙にうれしい。
ただこのシーン、きりやんのときは安心して酔っていられたんだが、全ツではあひくんの危なっかしさに気もそぞろ。おーい遼河はるひさん、わたしにかなみちゃんのフトモモを堪能させてくれよー(笑)。
反対に、かなみちゃんのミニスカポリスのところは、役替わりでトドの位置に入ったのが実力者の嘉月さんだったので安心、かなみちゃんガン見してました。
いやあ、かわいすぎるよなあのコスプレ。のーみそ少な目なところがたまらん。シーン自体は意味不明(山ナシオチなし)なんだけど。
てか、トドの位置に嘉月さん、つーのがすごいな。素敵に余裕のあるおじさまぶりで、大劇版とは印象ががらりと変わった。ううむ、タイプも年代もちがう色男ふたりをはべらすかなみちゃんがキュート。そして、うらやましい(笑)。
さて、トド様がいないので、彼メインだったタンゴのシーンがまるっと別物に差し替えられてました。おお、新作があると、なんかお得な気分だ。
あさこちゃんがシリアスに受ウケしく苦悩なさってました。
あさちゃんにヘタレな受子ちゃん役ばかりをやらせるのは、劇団の意図なんでしょうか、演出家の趣味でしょうか(笑)。で、ゆーひくんはクールな攻男なのね。これも劇団の以下略。
世の中のお嬢さんたちは基本的に「受」が好きなので、受キャラとして売り出すのは戦略として悪くないと思うけれど、あさこちゃんって2番手まで攻キャラで売っていた人だと思うんで、ファンのニーズに合っているのかどうか疑問ですわ。
攻キャラだと思って惚れた男が突然受になっちまったら、ファンの女の子たちは混乱するんじゃないか……?
それとは別にあさこちゃん、どーも「受」と「ヘタレ」を捉えまちがっている気がする。
女の子に人気が高いのは「受」であって「ヘタレ」ではない。
なまじ攻キャラのふりをして生きてきた人だから、そのへんがわかっていないのではないかと危惧する。
わたしは「ヘタレ」は好物なので、瀬奈氏がヘタレ街道驀進してくれても、なんの文句もありません(笑)。
さて、反対にゆーひくんは攻として売り出し中ですか。
ヘタレあさこちゃんに対峙する役、敵役として、新作シーンでもゆーひくん登場です。あさこから女奪っていきます、黒いです、クールです。
……ゆーひが人気あったのは、受キャラとしてだと思うんですが。や、わたしは彼を受だと思ったことはありませんが、世間の認識では、って意味。
トップが受だと、2番手が攻になるのは自然の習わしってもんで仕方がないし、わたしは攻のゆーひくんが大好きなのでぜんぜんかまいませんが。
ただ世の中的にどーなのか、わたしにはさっぱりわかりません。
「とりあえずあさことゆーひを絡ませておけ、そーすりゃ人気が出る」みたいな単純な構図に見えるんですが……それなら逆にした方がよくないか?
あさこ×ゆーひの方が、世間のニーズにあっている気がするんだが。
あさこにシシィやらせる劇団だから、なにを言っても無駄だろうなー。
おやぢどもは、女子の「属性」に対する感覚を理解できないようだからな。「美形」=「耽美」でもないし、「美形」=「受」でもないのよ!!
や、腐女子用語での感想なんで、共通言語と感覚を共有できる人だけ受け取ってください。
とりあえず、あさこちゃんとゆーひくんが絡んでくれるので、オイシくたのしい場面です。かなみちゃんも黒くてかっこいーし。
芝居となんか設定カブってる気がしないでもないが、よーするに彼ら3人が「映える」設定なんだろうな。わくわく。
ついこの間観た気がする……わりに、結局のとこたのしかったっす、『レ・ビジュー・ブリアン』。
初日の彼はいかほどに。@レ・ビジュー・ブリアン
2006年10月4日 タカラヅカ わたしは初日好きです。初日ゆえのできあがっていない感をたのしむのが好きなの。
でも今回、花東宝楽とかぶっていたから、念のために月全ツ初日はスルーしたのね。
初日に行けばよかった!
と、口惜しい思いをしました。
芝居を観る上ではそこまで思わなかったの。
ショー『レ・ビジュー・プリアン』を観て。
心底、思ったね。何故わたし、初日を観なかったんだろう、観ればよかった! と。
遼河はるひのダメっぷりに、心ときめいたっす!!
芝居ではあひくん、役付も悪かったし、あまり目立つこともなかったんで、気づかなかった。ああ、いるんだ、ぐらいだったの。
でもショーでは、ちゃんと場面や出番をもらっているのね。
きりやんの位置にスライドしていたりするのね。
ここまで、ナニも出来ない人だったとは!!
キョドってます。
盛大に、キョドってます。
どーしていいかわかってないの。なにをすればいいのかとまどいまくってるの。
うわー。
わたしが観たのは、梅芸の楽、すなわち公演4回目。4回も客の前で上演してきて、まだこの状態?
んじゃ、いちばん最初はどんなことになってたの?
心ときめきました。
『NEVER SAY GOODBYE』のアギラール役でノミの心臓ぶりを披露していたけど、ほんとに小心なんだー。
真ん中でスポットライト浴びると、キョドっちゃうんだー。
かわいいー。
めずらしいよね。
こんなに「真ん中」とか「スター扱い」が苦手なのに、舞台人を志したなんて。
べつに脇役志望、私に主役をふらないで、て人にも思えないだけに。
きりやんパートだから、彼に比べて歌が下手なことは、べつにわかっているからどーでもいい。
ただ、うまいヘタ以前に「ショースターとして歌を観客に届ける」という立場を理解していなそーな姿に、疑問を持った。
これが、「真ん中」としてのスキルが少ないってことだろうか。
宙組にいたあひくんは、たとえ全ツであろうと、「場面の真ん中」「場面の主役」をもらったことがなかった。
本公演ではもちろんその他大勢、みんなそろって歌う背景踊る背景。それが宙組クオリティ。
全ツで出演者が半分になっても、抜けたスターの出番は組長とか副組長とかはっちゃんが埋める。それが宙組クオリティ。
おかげであひくんは、「真ん中」に立つ訓練をまったく受けていない。
自分のファンしか観に来ない、小さなバウホールで主役はできても、お手本のある1回限りの新人公演で主役はできても、「遼河はるひ個人」として、「真ん中」の仕事はできない。
……それって、どうなの?
たしかに経験を積むことができなかったのだから、気の毒だなとは思うけれど。
同じようにキャリアがなくても、まさきやマギーなら、やってのけると思えるんだが……。
宙組でのあひくん(に限らないが)の扱いはひどかった。そのために、経験値が低いことは認める。
しかし……ソレは言い訳にならない気がするんだよ。
うん。
実はさ、「真ん中」以前に。
「男役」基本値の低さに、驚愕したの。
パンツスーツのきれーなおねーさんが、真ん中で歌ってる……。
周囲の男たちより、背が高いのに。
なのに、「男役」スキルが低いために、おねーさんに見える。
これは、どーゆーこっちゃ。
かしコンにて、宙組の「男役」基本値の低さにショックを受けたところだった。でもそのあとのエンカレで、ともちがちゃんと「男役」として美しいことに大喜びをした。
でも、「宙組」単体で観ているときはわたし、気になってなかったよね、彼らのスキルの低さに。
かしコンでは、異分子ほっくんがいたからこそ、気づいたんだよね。
あひくんだって、宙組にいるときはなにも気づかなかったよ。ふつーにきれーでかっこいい男役だった。
なのに、月組の若い男の子たちの間に入ると、スキルの低さが全開になるの。
エンカレは、宙組の子しかいなかった。……ひょっとして、ともちがかっこよかったのも、宙組内だけの話? 彼もよその組の子たちの混ざると、ダメダメに見えちゃうの?!
たかはなはたしかに稀代のトップコンビだったし、わたしはたかはなのファンで、彼らが作り出す美しさに夢中だったけれど、やはり彼らだけに偏重した宙組のありかたは、まずかったんだなあ。
たかはなとその他大勢、たかはなと歌う背景、踊る背景、だった宙組。
その歪みを、あひくんが体現しているのだと思った。
研11、新公主演バウ主演し、組内4番手だの5番手だので、路線としてスターファイルにも載っている人が、「男役」基本値がこれだけやばいレベルだという現実。
あひくん単体ではなく、宙組への危機感を改めて感じ、震撼することになりました。
とゆーことで。
キョドっているあひくんに対して、興味がむくむくわき上がっています。
フィナーレで、2番手羽背負ってんだよ?!
で。
やっぱり所在なさげで、キョドってるんだよ?!
気になるじゃないか。かわいいじゃないか。
もちろん、そのふがいなさにおどろきと苛立ちはある。
でも、彼への反感にはならないんだなー。
だって宙組にいたときは、そんなにレベルが低いなんてわからなかったもの。あひくん個人の問題だけではなく、組自体の問題っつー意味も大きいだろうから。
そして、あひくんがちゃんと一生懸命であることがわかるから。
がんばれ、と思う。
月組にいたときは、ちゃんと「男役」だったんだ。月組にいればきっと、元の「月男」に戻るよね。
あんなに素顔が美人さんで、でかい図体して、もういいトシ(学年)で、ノミの心臓……。なんて腐女子心をそそる存在だろう(笑)。マギーとかまさきとかを攻にして、月組1デカイ受として花開いてほしいもんですな。や、宙にいたときから受属性だったけど(笑)。
……にしても宙組……どーなるんだろ、これから。
かっしーのあとのトップが誰か知らないけれど、きちんとヅカの「男役」芸を示し、伝えていけるといいなあ。
タニちゃんは美しい人だけど、アレは「大和悠河」という美しさであって、いわゆる「男役」芸とはチガウものだしなあ。
いや、5組もあるんだから、1組くらいはいいのかな、ヅカスキルとか基本とかと無関係な組があっても。それはソレで味とか個性とかゆーもんだし。ただ、宙育ちでよその組に組替えになると苦労するっちゅーだけで。(和くんも苦労してるよなー。彼はまだ若いので基本値が低くてもあまり気にならないけれど)
コーラスだとか「団体芸」において、宙組に敵うものはないもんな。そーゆー特色があるんだから、それでいいのかもしんない。
と、何故か月組を観に行って、宙組の話で終わるのだった。
でも今回、花東宝楽とかぶっていたから、念のために月全ツ初日はスルーしたのね。
初日に行けばよかった!
と、口惜しい思いをしました。
芝居を観る上ではそこまで思わなかったの。
ショー『レ・ビジュー・プリアン』を観て。
心底、思ったね。何故わたし、初日を観なかったんだろう、観ればよかった! と。
遼河はるひのダメっぷりに、心ときめいたっす!!
芝居ではあひくん、役付も悪かったし、あまり目立つこともなかったんで、気づかなかった。ああ、いるんだ、ぐらいだったの。
でもショーでは、ちゃんと場面や出番をもらっているのね。
きりやんの位置にスライドしていたりするのね。
ここまで、ナニも出来ない人だったとは!!
キョドってます。
盛大に、キョドってます。
どーしていいかわかってないの。なにをすればいいのかとまどいまくってるの。
うわー。
わたしが観たのは、梅芸の楽、すなわち公演4回目。4回も客の前で上演してきて、まだこの状態?
んじゃ、いちばん最初はどんなことになってたの?
心ときめきました。
『NEVER SAY GOODBYE』のアギラール役でノミの心臓ぶりを披露していたけど、ほんとに小心なんだー。
真ん中でスポットライト浴びると、キョドっちゃうんだー。
かわいいー。
めずらしいよね。
こんなに「真ん中」とか「スター扱い」が苦手なのに、舞台人を志したなんて。
べつに脇役志望、私に主役をふらないで、て人にも思えないだけに。
きりやんパートだから、彼に比べて歌が下手なことは、べつにわかっているからどーでもいい。
ただ、うまいヘタ以前に「ショースターとして歌を観客に届ける」という立場を理解していなそーな姿に、疑問を持った。
これが、「真ん中」としてのスキルが少ないってことだろうか。
宙組にいたあひくんは、たとえ全ツであろうと、「場面の真ん中」「場面の主役」をもらったことがなかった。
本公演ではもちろんその他大勢、みんなそろって歌う背景踊る背景。それが宙組クオリティ。
全ツで出演者が半分になっても、抜けたスターの出番は組長とか副組長とかはっちゃんが埋める。それが宙組クオリティ。
おかげであひくんは、「真ん中」に立つ訓練をまったく受けていない。
自分のファンしか観に来ない、小さなバウホールで主役はできても、お手本のある1回限りの新人公演で主役はできても、「遼河はるひ個人」として、「真ん中」の仕事はできない。
……それって、どうなの?
たしかに経験を積むことができなかったのだから、気の毒だなとは思うけれど。
同じようにキャリアがなくても、まさきやマギーなら、やってのけると思えるんだが……。
宙組でのあひくん(に限らないが)の扱いはひどかった。そのために、経験値が低いことは認める。
しかし……ソレは言い訳にならない気がするんだよ。
うん。
実はさ、「真ん中」以前に。
「男役」基本値の低さに、驚愕したの。
パンツスーツのきれーなおねーさんが、真ん中で歌ってる……。
周囲の男たちより、背が高いのに。
なのに、「男役」スキルが低いために、おねーさんに見える。
これは、どーゆーこっちゃ。
かしコンにて、宙組の「男役」基本値の低さにショックを受けたところだった。でもそのあとのエンカレで、ともちがちゃんと「男役」として美しいことに大喜びをした。
でも、「宙組」単体で観ているときはわたし、気になってなかったよね、彼らのスキルの低さに。
かしコンでは、異分子ほっくんがいたからこそ、気づいたんだよね。
あひくんだって、宙組にいるときはなにも気づかなかったよ。ふつーにきれーでかっこいい男役だった。
なのに、月組の若い男の子たちの間に入ると、スキルの低さが全開になるの。
エンカレは、宙組の子しかいなかった。……ひょっとして、ともちがかっこよかったのも、宙組内だけの話? 彼もよその組の子たちの混ざると、ダメダメに見えちゃうの?!
たかはなはたしかに稀代のトップコンビだったし、わたしはたかはなのファンで、彼らが作り出す美しさに夢中だったけれど、やはり彼らだけに偏重した宙組のありかたは、まずかったんだなあ。
たかはなとその他大勢、たかはなと歌う背景、踊る背景、だった宙組。
その歪みを、あひくんが体現しているのだと思った。
研11、新公主演バウ主演し、組内4番手だの5番手だので、路線としてスターファイルにも載っている人が、「男役」基本値がこれだけやばいレベルだという現実。
あひくん単体ではなく、宙組への危機感を改めて感じ、震撼することになりました。
とゆーことで。
キョドっているあひくんに対して、興味がむくむくわき上がっています。
フィナーレで、2番手羽背負ってんだよ?!
で。
やっぱり所在なさげで、キョドってるんだよ?!
気になるじゃないか。かわいいじゃないか。
もちろん、そのふがいなさにおどろきと苛立ちはある。
でも、彼への反感にはならないんだなー。
だって宙組にいたときは、そんなにレベルが低いなんてわからなかったもの。あひくん個人の問題だけではなく、組自体の問題っつー意味も大きいだろうから。
そして、あひくんがちゃんと一生懸命であることがわかるから。
がんばれ、と思う。
月組にいたときは、ちゃんと「男役」だったんだ。月組にいればきっと、元の「月男」に戻るよね。
あんなに素顔が美人さんで、でかい図体して、もういいトシ(学年)で、ノミの心臓……。なんて腐女子心をそそる存在だろう(笑)。マギーとかまさきとかを攻にして、月組1デカイ受として花開いてほしいもんですな。や、宙にいたときから受属性だったけど(笑)。
……にしても宙組……どーなるんだろ、これから。
かっしーのあとのトップが誰か知らないけれど、きちんとヅカの「男役」芸を示し、伝えていけるといいなあ。
タニちゃんは美しい人だけど、アレは「大和悠河」という美しさであって、いわゆる「男役」芸とはチガウものだしなあ。
いや、5組もあるんだから、1組くらいはいいのかな、ヅカスキルとか基本とかと無関係な組があっても。それはソレで味とか個性とかゆーもんだし。ただ、宙育ちでよその組に組替えになると苦労するっちゅーだけで。(和くんも苦労してるよなー。彼はまだ若いので基本値が低くてもあまり気にならないけれど)
コーラスだとか「団体芸」において、宙組に敵うものはないもんな。そーゆー特色があるんだから、それでいいのかもしんない。
と、何故か月組を観に行って、宙組の話で終わるのだった。
青春時代は必要だよね?@あかねさす紫の花
2006年10月3日 タカラヅカ 10年ぶりに『あかねさす紫の花』を観て。
つくづく思うんだよなあ。
大海人と額田の、恋人時代〜結婚式までを1場面入れてくれと。
のーみそ幼児、としか思えないハイティーン時代に出会って、次の瞬間子持ちですよ。いくらなんでもそりゃないだろ。
好きな話なんだけど、センスのちがいにより引っかかりがあちこち大きくて、ソレが気になるなあ。
物語は大海人の独白からはじまり、額田と大海人が歌を交わしたとゆー有名な蒲生野の場面につづくのだが。
伝えなくてはならない情報量が膨大だから仕方ないとはいえ、なんつーか滑りが悪いんだよなあ。最初の蒲生野の場面であまりに人が多く出過ぎるから、「さっきの独白の人」がどの人か、観客が見失いそうなのもまた、気になるし。
きちんと、「主役」を主役として盛り立ててほしいのよ。どんな大勢の場面であろうと、まず大海人をきちんと目立たせ、そのうえで額田と中大兄を目立たせて欲しい。状況説明はそのあと。とりあえず、「この人たちに注目していればいいのね」ということだけ、わからせて欲しい。
ぶっちゃけ、人間の心理さえ追うことができれば、歴史的背景なんかわかんなくても、「なんとなく?」でも、観客は物語についてゆけるのだから。
蒲生野の、やたらめったらゆーーったり喋りは、ムード作りのためなんだろうけど、やりすぎに思えるし。全編そのテンポならともかく、最初だけ特にのろいし、ものすげー時代錯誤感が強い。現代でこのテンポはないだろ的、初心者が「なんか場違いなところへ来てしまった?!」とドン引きしそうな昭和ムード。
なのに、時をさかのぼってふたりの出会いたる額田の郷の場面になると、いきなり幼児的お遊戯喋りになるし。
いくらなんでも、ここまでのーみそ後退させなくてもいいだろうに。いくら古代だからって十代後半の若者が幼児喋りをするのって、純粋に変だよ。史実にこだわるつもりはないが、中大兄と大海人って、幼児と大人、ほどは年齢離れてないよね? 兄弟前後逆疑惑があるくらいなんだからさー。
この子ども時代をもう少しマシにするだけで、「時代遅れ」感はずいぶん減ると思うんだけどな。
せっかくいい話なのに、わざと「ついて来られる者だけついて来な。この昭和ムードを受け入れられない者は観なくていい」と言っていそうな作りがもったいない。
で、最初の話題に戻るが、この直後にいきなり子持ちだし。
間延び歌舞伎調喋り→幼児喋り→子持ちでラヴラヴふつーの喋り。……ふたりの代わりっぷりに、一般人はついていけないんぢゃないのか? 観客すべてが役者の顔と名前もわかっていて、どんなに衣装や喋り方、性格まで変わっていても「同一人物」とわかるわけじゃないんだよ?
ふたりが恋をして結婚するまで、台詞ふたつみっつと掛け合いデュエット1曲でいいから入れてくれよ。青春時代希望。
そうやって、「ふつーの恋愛結婚」だということを印象づけるからこそ、さらに中大兄の横恋慕が活きるんじゃん。
あとはどーしてもラストが蛇足に思える。
95年の雪組を記憶のスタートにしてしまった者には、花組版のラストの蛇足っぷりにアゴが落ちたのね。
テーマやストーリーを、ラストでとってつけたよーな台詞やナレーションで解説、なんていちばんかっこわるいと思っている。(類似・『愛するには短すぎる』)
大海人が玉座の前で大暴れして高笑い、中大兄が「大海人、狂ったか?!」の一言のみで幕が下りる雪組版が最良だ。
そーゆー終わり方が「わかりにくい」と言う人は、どれだけ言葉で説明したってわからない人なんだから放っておけばいい。のちの歴史なんか知らなくても、『あかねさす』のこれまでの物語を、大海人と額田の立場や気持ちをロールプレイングしていたならば、何故あのシーンで、大海人の狂ったような高笑いで幕が下りるのか、わかるはずだ。わからん人は物語をちゃんと理解してないってことだから、どんなに説明したって無意味。
今回の『あかねさす』でも、やはり蛇足説明はだらだらあるわ、「狂ったか!」「狂いました!」とコントのよーなやりとりがあって、一気に萎えました(笑)。いやあ、ダサいわー。かっこわるいわー。
ここまでテーマを口で説明しないと、観客には伝わらないと思ってるんだね。「観客はバカばっかり」と思っているか、もしくは「演出に自信ないんだ、ごめんね」ってことだろうか。
やれやれ。
まあ、センスがチガウってことなんだろうなあ。
ツボにハマる演出で一度観てみたいなあ。
ラストで涙が引っ込むんだけど(笑)、その前の場面まではダダ泣きでした。
最後の蒲生野のシーンはいいよねええ。額田の独白から大海人登場「来てしまった……!」、十市ののーみそ足りなさ具合もベタで萎える寸前なんだが(笑)泣かせるし。
ちなみに、95年雪組の『あかねさす』の主人公は額田女王@お花様でした。男ふたりは脇役ですよ、もちろん(笑)。
蒲生野で独白をはじめた瞬間の吸引力。舞台が、世界が、彼女を中心に回っていることがわかるの。
今回の月組『あかねさす』はそこまで額田が強くは思えなかった。かといって大海人の存在感がそれほどあったとも思えないので、結果大海人、額田、中大兄3人のパワーバランスがちょうどよくなったんだろうな。
3人主役の『あかねさす』も、正しい姿だと思うよ。
さて、主役3人以外ではやはり、鎌足@嘉月さんのうまさが印象に残る。鎌足は重要な役、雪組では4番手のタータンが演じていたはず。てっきり歌を聴けるものだと期待していたのに、ソロはカットなのね。
天比古@まさきは、正直ちょっとチガウ気がした。ソレ、天比古ぢゃないだろう! みたいな(笑)。
気合い入りすぎだから。そこまでアツくトバしすぎると、作品壊すからもー少し抑えてくれや。
と思いつつ、小月@れみちゃんとの映りがいい。無駄にアツいダメ男に惚れて尽くし続ける、押しの強い健気美女って、なんて素敵カップル(笑)。
誰が出ているのか、いつものことだが知りもしないで観に行って、マギーの濃さと存在感に振り回される(笑)。いやあ、どこにいてもわかる、つい目が行く。
マギーを無意識に見てしまうせいか、気を取られるせいか、いつも一緒にいるあひくんに、気づかなかった。
途中から、そーいやマギーと一緒にいる男の子は誰だろう、わたしの知らない若手かな? と思ってよく見ると、あひくんだった。
そうか、あひくん月組に戻って来てたんだった!!
よく見るとたしかに大きくて、きれいな顔で、顎が立派で、あひくんなんだ。
……でも、目立たなくてびっくりしたっす……。マギーが無駄に濃いだけかな。
あと雉の歌手の歌声に癒される。誰かわかんないまま見てたんだけど。
席はそこそこだったんで、オペラグラス使わずに、ほぼナマ目で観劇。プログラムもとーぜん買ってないので、誰が誰やら、どの場面がなんて名前やら(笑)。
心残りは、ゆーひくんのブックマークが売り切れで、買えなかったことでしょうか。(ソコか!)
つくづく思うんだよなあ。
大海人と額田の、恋人時代〜結婚式までを1場面入れてくれと。
のーみそ幼児、としか思えないハイティーン時代に出会って、次の瞬間子持ちですよ。いくらなんでもそりゃないだろ。
好きな話なんだけど、センスのちがいにより引っかかりがあちこち大きくて、ソレが気になるなあ。
物語は大海人の独白からはじまり、額田と大海人が歌を交わしたとゆー有名な蒲生野の場面につづくのだが。
伝えなくてはならない情報量が膨大だから仕方ないとはいえ、なんつーか滑りが悪いんだよなあ。最初の蒲生野の場面であまりに人が多く出過ぎるから、「さっきの独白の人」がどの人か、観客が見失いそうなのもまた、気になるし。
きちんと、「主役」を主役として盛り立ててほしいのよ。どんな大勢の場面であろうと、まず大海人をきちんと目立たせ、そのうえで額田と中大兄を目立たせて欲しい。状況説明はそのあと。とりあえず、「この人たちに注目していればいいのね」ということだけ、わからせて欲しい。
ぶっちゃけ、人間の心理さえ追うことができれば、歴史的背景なんかわかんなくても、「なんとなく?」でも、観客は物語についてゆけるのだから。
蒲生野の、やたらめったらゆーーったり喋りは、ムード作りのためなんだろうけど、やりすぎに思えるし。全編そのテンポならともかく、最初だけ特にのろいし、ものすげー時代錯誤感が強い。現代でこのテンポはないだろ的、初心者が「なんか場違いなところへ来てしまった?!」とドン引きしそうな昭和ムード。
なのに、時をさかのぼってふたりの出会いたる額田の郷の場面になると、いきなり幼児的お遊戯喋りになるし。
いくらなんでも、ここまでのーみそ後退させなくてもいいだろうに。いくら古代だからって十代後半の若者が幼児喋りをするのって、純粋に変だよ。史実にこだわるつもりはないが、中大兄と大海人って、幼児と大人、ほどは年齢離れてないよね? 兄弟前後逆疑惑があるくらいなんだからさー。
この子ども時代をもう少しマシにするだけで、「時代遅れ」感はずいぶん減ると思うんだけどな。
せっかくいい話なのに、わざと「ついて来られる者だけついて来な。この昭和ムードを受け入れられない者は観なくていい」と言っていそうな作りがもったいない。
で、最初の話題に戻るが、この直後にいきなり子持ちだし。
間延び歌舞伎調喋り→幼児喋り→子持ちでラヴラヴふつーの喋り。……ふたりの代わりっぷりに、一般人はついていけないんぢゃないのか? 観客すべてが役者の顔と名前もわかっていて、どんなに衣装や喋り方、性格まで変わっていても「同一人物」とわかるわけじゃないんだよ?
ふたりが恋をして結婚するまで、台詞ふたつみっつと掛け合いデュエット1曲でいいから入れてくれよ。青春時代希望。
そうやって、「ふつーの恋愛結婚」だということを印象づけるからこそ、さらに中大兄の横恋慕が活きるんじゃん。
あとはどーしてもラストが蛇足に思える。
95年の雪組を記憶のスタートにしてしまった者には、花組版のラストの蛇足っぷりにアゴが落ちたのね。
テーマやストーリーを、ラストでとってつけたよーな台詞やナレーションで解説、なんていちばんかっこわるいと思っている。(類似・『愛するには短すぎる』)
大海人が玉座の前で大暴れして高笑い、中大兄が「大海人、狂ったか?!」の一言のみで幕が下りる雪組版が最良だ。
そーゆー終わり方が「わかりにくい」と言う人は、どれだけ言葉で説明したってわからない人なんだから放っておけばいい。のちの歴史なんか知らなくても、『あかねさす』のこれまでの物語を、大海人と額田の立場や気持ちをロールプレイングしていたならば、何故あのシーンで、大海人の狂ったような高笑いで幕が下りるのか、わかるはずだ。わからん人は物語をちゃんと理解してないってことだから、どんなに説明したって無意味。
今回の『あかねさす』でも、やはり蛇足説明はだらだらあるわ、「狂ったか!」「狂いました!」とコントのよーなやりとりがあって、一気に萎えました(笑)。いやあ、ダサいわー。かっこわるいわー。
ここまでテーマを口で説明しないと、観客には伝わらないと思ってるんだね。「観客はバカばっかり」と思っているか、もしくは「演出に自信ないんだ、ごめんね」ってことだろうか。
やれやれ。
まあ、センスがチガウってことなんだろうなあ。
ツボにハマる演出で一度観てみたいなあ。
ラストで涙が引っ込むんだけど(笑)、その前の場面まではダダ泣きでした。
最後の蒲生野のシーンはいいよねええ。額田の独白から大海人登場「来てしまった……!」、十市ののーみそ足りなさ具合もベタで萎える寸前なんだが(笑)泣かせるし。
ちなみに、95年雪組の『あかねさす』の主人公は額田女王@お花様でした。男ふたりは脇役ですよ、もちろん(笑)。
蒲生野で独白をはじめた瞬間の吸引力。舞台が、世界が、彼女を中心に回っていることがわかるの。
今回の月組『あかねさす』はそこまで額田が強くは思えなかった。かといって大海人の存在感がそれほどあったとも思えないので、結果大海人、額田、中大兄3人のパワーバランスがちょうどよくなったんだろうな。
3人主役の『あかねさす』も、正しい姿だと思うよ。
さて、主役3人以外ではやはり、鎌足@嘉月さんのうまさが印象に残る。鎌足は重要な役、雪組では4番手のタータンが演じていたはず。てっきり歌を聴けるものだと期待していたのに、ソロはカットなのね。
天比古@まさきは、正直ちょっとチガウ気がした。ソレ、天比古ぢゃないだろう! みたいな(笑)。
気合い入りすぎだから。そこまでアツくトバしすぎると、作品壊すからもー少し抑えてくれや。
と思いつつ、小月@れみちゃんとの映りがいい。無駄にアツいダメ男に惚れて尽くし続ける、押しの強い健気美女って、なんて素敵カップル(笑)。
誰が出ているのか、いつものことだが知りもしないで観に行って、マギーの濃さと存在感に振り回される(笑)。いやあ、どこにいてもわかる、つい目が行く。
マギーを無意識に見てしまうせいか、気を取られるせいか、いつも一緒にいるあひくんに、気づかなかった。
途中から、そーいやマギーと一緒にいる男の子は誰だろう、わたしの知らない若手かな? と思ってよく見ると、あひくんだった。
そうか、あひくん月組に戻って来てたんだった!!
よく見るとたしかに大きくて、きれいな顔で、顎が立派で、あひくんなんだ。
……でも、目立たなくてびっくりしたっす……。マギーが無駄に濃いだけかな。
あと雉の歌手の歌声に癒される。誰かわかんないまま見てたんだけど。
席はそこそこだったんで、オペラグラス使わずに、ほぼナマ目で観劇。プログラムもとーぜん買ってないので、誰が誰やら、どの場面がなんて名前やら(笑)。
心残りは、ゆーひくんのブックマークが売り切れで、買えなかったことでしょうか。(ソコか!)
三角関係上等!@あかねさす紫の花
2006年10月2日 タカラヅカ とゆーことで、なにがあるかわからない昨今、「花組東宝千秋楽」と「月組全国ツアー初日」が同日だったため、月組初日の方はあきらめ、翌日にしました。
周囲に月組ファン皆無なため、話題にものぼらないっすが、ひとりでチケ取りし、ひとりで行って来ました、『あかねさす紫の花』『レ・ビジュー・ブリアン』梅芸楽。
『あかねさす』をナマで観るのは、雪組以来です。
花組の『あかねさす』は、博多だから観てないのだわ……寿美礼サマの中大兄を見たくてぐるぐるしたけど、結局あきらめたんだった。当時のわたしに、博多はものすげー遠いところだったのよ。今思えば、有間皇子@まっつを見るために行っておけばよかった、と後悔しきりですが。あのはかなさを見れば、まっつオチする日が早まったかもしれん(笑)。
月組のは中日だったから観てません。梅田でやってくれたら、1回くらいは観ていたと思う。ゆーひくんが出ていればどこへでも行くけど、出てなかったんでスルー。きりやんの中大兄も見たかったなぁ。
『あかねさす』を観るのは、実に10年振り。
やっぱ、好きだ。
この三角関係には、ぞくぞくするわー。
やっぱ時代のせいなのか、最初物語の流れの悪さ、テンポの悪さに辟易したんだけど、中大兄が横恋慕はじめるあたりから「きゃーきゃー♪」な気持ちに(笑)。
物語としては、大海人が主役であるべきだと思う。能力はあるが善良であるがゆえにおだやかに生きている男が、大切なモノを奪われ牙を剥き出すに至るまでの過程。……とゆーのが萌えですなっ。
そしてこの三角関係を魅力的にするには、横恋慕する中大兄が、主役?と思えるくらい魅力的であることが必須。
観ている観客が中大兄と大海人、ふたりの男の間でよろめいてしまうくらい、ふたりとも魅力的でなきゃね。
額田に感情移入して、ふたりの男、ふたつの愛の狭間で心乱され戸惑い苦しむのがツボ。乙女ゲーの感覚、女の夢ですわよ。
だからこそ、ほんとのとここの物語は額田主役であるべきだと思う。タカラヅカだから、そうできないという建前だけど、額田視点、大海人寄りってのがいちばん正しい姿だと思うよ。
つーことで、プロローグでまず大海人のモノローグがあるのは、どっちの男が、ヒロインのダーリンか最初にを示すことになるので、正しい。
ふたりとも魅力的、であるわけだから、最初に観客に教えてもらわなきゃこまるのよ、観る上での心構えとして。どっちの男が設定上のダーリンかわかったうえで、心を安定させて観なくちゃだわ。それがルールってもん。
たとえ、そのあと出てくる男がどんなに魅力的でも、「物語」としての主役がどちらか、まず表明しておかなければ。
「物語」の主役はこっちの男なんだわ、でももうひとりの男の方が好き!! とまで思わせてこそ「物語」の力になる。
『生徒諸君!』の岩崎と沖田とかさ。
岩崎がナッキーと最終的にくっつくダーリンであることは、読者みんなわかってるけど、それでも沖田が大人気! とかゆーのと同じ。
岩崎と沖田の人気が拮抗して(いや、沖田人気の方がすごかったが)いるからこそ、マンガ自体の人気もヒートアップしていったよな。
この「沖田」ポジションの男キャラが成功すると、少女マンガは成功するよな。
『あかねさす』がおもしろいのは、男ふたりの魅力が拮抗することにある、と思う。
あくまでも主役は「夫にしたいタイプ」「やさしい安全パイ」大海人で、それに対する「愛人にしたいタイプ」「強引で危険な男」中大兄をスパイスにするから、物語が引き締まる。
大海人は「主役」としてのおいしさを、中大兄は「2番手」だからできるおいしさを持つ役。
この作品を演じるには、力の拮抗したトップと2番手が必要だ。
大海人と中大兄に、あまりにも格差があったり並びが悪かったりすると、設定が映えなくなる。
だもんで、今回のあさゆひによる再演は、願ったり叶ったり。なにかにつけてあさゆひで客を釣ろうとする劇団の思惑にのってしまうよーで複雑だが、おいしくいただいておきます。
95年に雪組で再演されたとき、主役の大海人はトップのいっちゃんで、中大兄と天比古は2番手のタカネくんと、3番手のトドロキの役替わりだった。
先にトップと2番手が拮抗していなければ、と書いたが。
ある意味中大兄は「ある程度の男役スキルのある人ならできる役」なんだよね。だから、2番手がやろうと3番手がやろうと、路線スターとしての華と実力があり、大海人個人のハマり具合や彼との映りがよければなんとかなる。拮抗、と言える範囲でな。
ただ、天比古はそうはいかなくてなー。
雪組でのベストキャスティングは、わたし的には大海人@いっちゃん、中大兄@トド、天比古@タカネくんだった。
トドロキは中大兄はできても、天比古はできなかったんだよ……。冷酷な美形、は演じられても、人間くさい弱さのある役、はできなかった。どーにも嘘くさかったよ、あの人の慟哭シーン。
難しい役だったんだ、天比古。
その天比古と通じるもののある役、大海人もまた、中大兄以上に難しい役だと思う。
当時のタカネくんは大海人も演じられたろうけど、トドロキは大海人を演じるだけの力はなかったろう。
てなことも踏まえて、大海人こそが主役で、トップスターが演じるべきなんだと思うよ。難しいからこそ、演じる意義のある役だからさ。
中大兄は「オイシイ」役。「2番手はオイシイ」と言われるのと同義語。
その、「役」としてのオイシさで嵩上げされた「魅力」でいい、大海人と中大兄は「拮抗」してくれなきゃいかんのだ、物語的に!!
いやあ、たのしかったっすよ、あさゆひ『あかねさす』。大海人@あさこ、中大兄@ゆーひ。
ゆーひくん、合ってるよね、ああいう役。
トドのときも思ったんだけど、中大兄に人間性なんかいらないわ、わたしは。
実はいい人だとか、苦悩しているだとか、そーゆーハンパなもんはいらない。
ひたすら傲慢で、強引で、計算高くて、冷酷な王者であってヨシ。
それでもなお、惹かれてしまうてのが萌えだ。
本能として、あると思うんだ。
やさしい夫と平凡に幸福に暮らしている、なんの不満もない毎日。でも。
強引で傲慢なめーっちゃハンサムな外国の大富豪が現れて、無理矢理さらわれてしまったら……ての。
そりゃ泣くし傷つくし、夫や家族を思ってつらい想いをするだろーけど。
富も名誉もあるハンサムに「君を愛している」と熱烈に迫られ、命ギリギリ愛を見せつけられたら、そりゃときめくわさ。
ラヴロマンスの定番ストーリーですわな。
平凡を愛しているつもりだったけれど、ほんとうのわたしは、激しい恋を求めていたんだ!! と、ハンサムな彼と恋の逃避行で終わってもいいし、激しい求愛によろめきもしたけれど「本当に愛しているのは夫」というオチにたどりついてもいい。
なにしろ定番だから。
ただ、『あかねさす』は「本当に愛しているのは夫」というオチだからこそ、横恋慕強引男は、「冷酷」である方が萌える。
クールな美形、なに考えてんのかいまいちわかんねー。……という方が、よりどきどきするんだ。
ホットで人間的なタカネくんの中大兄より、冷酷で機械的だったトドの中大兄にときめいたように。
つーことで、ゆひ中大兄、人間性乏しそうなとこが、実にツボです(笑)。
いいわー、あのなに考えてんのかわかんないとこ!!
中大兄の腹の中が見えにくい分、大海人の人間らしさが際立っていて、いいコントラストだ。
こういう「拮抗」ぶりは好みです。
ゆひさんの中大兄は、実にいいんだけど。
……ゆひさん、万葉モノの化粧もカツラも、似合わねー(笑)。
総髪にしてくれると、ほっとするわ〜〜。
周囲に月組ファン皆無なため、話題にものぼらないっすが、ひとりでチケ取りし、ひとりで行って来ました、『あかねさす紫の花』『レ・ビジュー・ブリアン』梅芸楽。
『あかねさす』をナマで観るのは、雪組以来です。
花組の『あかねさす』は、博多だから観てないのだわ……寿美礼サマの中大兄を見たくてぐるぐるしたけど、結局あきらめたんだった。当時のわたしに、博多はものすげー遠いところだったのよ。今思えば、有間皇子@まっつを見るために行っておけばよかった、と後悔しきりですが。あのはかなさを見れば、まっつオチする日が早まったかもしれん(笑)。
月組のは中日だったから観てません。梅田でやってくれたら、1回くらいは観ていたと思う。ゆーひくんが出ていればどこへでも行くけど、出てなかったんでスルー。きりやんの中大兄も見たかったなぁ。
『あかねさす』を観るのは、実に10年振り。
やっぱ、好きだ。
この三角関係には、ぞくぞくするわー。
やっぱ時代のせいなのか、最初物語の流れの悪さ、テンポの悪さに辟易したんだけど、中大兄が横恋慕はじめるあたりから「きゃーきゃー♪」な気持ちに(笑)。
物語としては、大海人が主役であるべきだと思う。能力はあるが善良であるがゆえにおだやかに生きている男が、大切なモノを奪われ牙を剥き出すに至るまでの過程。……とゆーのが萌えですなっ。
そしてこの三角関係を魅力的にするには、横恋慕する中大兄が、主役?と思えるくらい魅力的であることが必須。
観ている観客が中大兄と大海人、ふたりの男の間でよろめいてしまうくらい、ふたりとも魅力的でなきゃね。
額田に感情移入して、ふたりの男、ふたつの愛の狭間で心乱され戸惑い苦しむのがツボ。乙女ゲーの感覚、女の夢ですわよ。
だからこそ、ほんとのとここの物語は額田主役であるべきだと思う。タカラヅカだから、そうできないという建前だけど、額田視点、大海人寄りってのがいちばん正しい姿だと思うよ。
つーことで、プロローグでまず大海人のモノローグがあるのは、どっちの男が、ヒロインのダーリンか最初にを示すことになるので、正しい。
ふたりとも魅力的、であるわけだから、最初に観客に教えてもらわなきゃこまるのよ、観る上での心構えとして。どっちの男が設定上のダーリンかわかったうえで、心を安定させて観なくちゃだわ。それがルールってもん。
たとえ、そのあと出てくる男がどんなに魅力的でも、「物語」としての主役がどちらか、まず表明しておかなければ。
「物語」の主役はこっちの男なんだわ、でももうひとりの男の方が好き!! とまで思わせてこそ「物語」の力になる。
『生徒諸君!』の岩崎と沖田とかさ。
岩崎がナッキーと最終的にくっつくダーリンであることは、読者みんなわかってるけど、それでも沖田が大人気! とかゆーのと同じ。
岩崎と沖田の人気が拮抗して(いや、沖田人気の方がすごかったが)いるからこそ、マンガ自体の人気もヒートアップしていったよな。
この「沖田」ポジションの男キャラが成功すると、少女マンガは成功するよな。
『あかねさす』がおもしろいのは、男ふたりの魅力が拮抗することにある、と思う。
あくまでも主役は「夫にしたいタイプ」「やさしい安全パイ」大海人で、それに対する「愛人にしたいタイプ」「強引で危険な男」中大兄をスパイスにするから、物語が引き締まる。
大海人は「主役」としてのおいしさを、中大兄は「2番手」だからできるおいしさを持つ役。
この作品を演じるには、力の拮抗したトップと2番手が必要だ。
大海人と中大兄に、あまりにも格差があったり並びが悪かったりすると、設定が映えなくなる。
だもんで、今回のあさゆひによる再演は、願ったり叶ったり。なにかにつけてあさゆひで客を釣ろうとする劇団の思惑にのってしまうよーで複雑だが、おいしくいただいておきます。
95年に雪組で再演されたとき、主役の大海人はトップのいっちゃんで、中大兄と天比古は2番手のタカネくんと、3番手のトドロキの役替わりだった。
先にトップと2番手が拮抗していなければ、と書いたが。
ある意味中大兄は「ある程度の男役スキルのある人ならできる役」なんだよね。だから、2番手がやろうと3番手がやろうと、路線スターとしての華と実力があり、大海人個人のハマり具合や彼との映りがよければなんとかなる。拮抗、と言える範囲でな。
ただ、天比古はそうはいかなくてなー。
雪組でのベストキャスティングは、わたし的には大海人@いっちゃん、中大兄@トド、天比古@タカネくんだった。
トドロキは中大兄はできても、天比古はできなかったんだよ……。冷酷な美形、は演じられても、人間くさい弱さのある役、はできなかった。どーにも嘘くさかったよ、あの人の慟哭シーン。
難しい役だったんだ、天比古。
その天比古と通じるもののある役、大海人もまた、中大兄以上に難しい役だと思う。
当時のタカネくんは大海人も演じられたろうけど、トドロキは大海人を演じるだけの力はなかったろう。
てなことも踏まえて、大海人こそが主役で、トップスターが演じるべきなんだと思うよ。難しいからこそ、演じる意義のある役だからさ。
中大兄は「オイシイ」役。「2番手はオイシイ」と言われるのと同義語。
その、「役」としてのオイシさで嵩上げされた「魅力」でいい、大海人と中大兄は「拮抗」してくれなきゃいかんのだ、物語的に!!
いやあ、たのしかったっすよ、あさゆひ『あかねさす』。大海人@あさこ、中大兄@ゆーひ。
ゆーひくん、合ってるよね、ああいう役。
トドのときも思ったんだけど、中大兄に人間性なんかいらないわ、わたしは。
実はいい人だとか、苦悩しているだとか、そーゆーハンパなもんはいらない。
ひたすら傲慢で、強引で、計算高くて、冷酷な王者であってヨシ。
それでもなお、惹かれてしまうてのが萌えだ。
本能として、あると思うんだ。
やさしい夫と平凡に幸福に暮らしている、なんの不満もない毎日。でも。
強引で傲慢なめーっちゃハンサムな外国の大富豪が現れて、無理矢理さらわれてしまったら……ての。
そりゃ泣くし傷つくし、夫や家族を思ってつらい想いをするだろーけど。
富も名誉もあるハンサムに「君を愛している」と熱烈に迫られ、命ギリギリ愛を見せつけられたら、そりゃときめくわさ。
ラヴロマンスの定番ストーリーですわな。
平凡を愛しているつもりだったけれど、ほんとうのわたしは、激しい恋を求めていたんだ!! と、ハンサムな彼と恋の逃避行で終わってもいいし、激しい求愛によろめきもしたけれど「本当に愛しているのは夫」というオチにたどりついてもいい。
なにしろ定番だから。
ただ、『あかねさす』は「本当に愛しているのは夫」というオチだからこそ、横恋慕強引男は、「冷酷」である方が萌える。
クールな美形、なに考えてんのかいまいちわかんねー。……という方が、よりどきどきするんだ。
ホットで人間的なタカネくんの中大兄より、冷酷で機械的だったトドの中大兄にときめいたように。
つーことで、ゆひ中大兄、人間性乏しそうなとこが、実にツボです(笑)。
いいわー、あのなに考えてんのかわかんないとこ!!
中大兄の腹の中が見えにくい分、大海人の人間らしさが際立っていて、いいコントラストだ。
こういう「拮抗」ぶりは好みです。
ゆひさんの中大兄は、実にいいんだけど。
……ゆひさん、万葉モノの化粧もカツラも、似合わねー(笑)。
総髪にしてくれると、ほっとするわ〜〜。
まっつに会いたい。@ファントム
2006年10月1日 タカラヅカ うわあああんっ、『ファントム』千秋楽、行けばよかった!!
いや、チケット持ってなかったんですがね……金さえ積めば手に入るこの世の中、「チケットないから、行かなかった」は「行く気がなかった」とイコールされても仕方ないっすよ。
でもわたしは、お金がなかったのよ……星組で使いすぎて。
それで、花組はあきらめたの。
もし、チケットが手に入るようならいつでも飛んでいくぞ! と、月組全ツ初日もあきらめて、日程だけは空けておいたんだけど、まあ世の中そんなに甘くはないわな。
結局わたしは、自分に言い訳してあきらめたのさ。
あとになって、まっつ大泣き+そのか会への挨拶とゆーのがあった、ということを知り、地団駄踏んでます。
なんで行かなかったんだわたし!!
そんなそんな、おいしいまっつを何故、見逃したんだ〜〜っっ。
情報ありがとうございます、れちあ様。
まっつはフィナーレから泣いており、退団者挨拶時には完全に固まっていたそうです。
あの、「強張った顔のまま泣く」とゆー、オサコンのときにやっていたアレですなっ。
じたばた。うわーん、まっつ〜〜っ。
そして、終演後の楽屋出のとき。
入るのも出るのもめっちゃ早いまっつなのに、そのとき出は、遅かったらしい。
先に出てきたそのかが、わざわざまっつ会に報告してくれたそうです。
「まっつはまだ大泣きしている」
と。
や、正確には「みわっちさんとまっつがまだ、大泣きしてます」と、両会に教えてくれたらしいけど。
大泣き。あの、まっつが。
そしてソレを、いちいち報告していくのか、そのかよ!!
そのあとにまっつが出てきて、そのか会に、
「今日までありがうございました。これからも、園加についていってください」
と、はっきりした口調で挨拶をしたそうです。
……お礼、言うんだ……。
そのかを応援してきたそのかのファンに。
まっつにとって、そのかって。
「まっつとそのかは仲良しなんですか?」とか書いてごめんよぅ。
大切な人ぢゃなかったら、そのかを応援してきた人たちに、頭なんか下げないよなあ。
……すんません、書いてて、なんか泣けてきた。
友だちのために、友だちを支えてくれた人にお礼言うのって、純粋な感謝だよね。愛情だよね。
そんな友だちがいるのって、すごいよね。
そーやってきちんと挨拶をしておきながら、まっつさんは自分の会には小さな声でぼそぼそとお礼を言うのみだったらしく……なにやってんだもおっ、かわいいぢゃないかっ!!
泣きはらした眼をしていたそーです、まっつ。
…………。
…………。
…………萌え死ぬかと思った。
緑野こあら、一生の不覚。
泣いちゃってめためたな挨拶をするオサ様(こちらも萌えでした)はスカステで映してくれるけれど、強張った顔のまま泣いているまっつは誰も映してくれない。
ましてや、終演後のことなんて……。
自分で行かなければならなかったのに。自分で見て、感じなければならなかったのに。
わーん、わたしのバカバカバカ〜〜。
や、ほんとに教えていただけて感謝です。
これからもまっつ情報はいつでも募集中ですから!! みなさまよろしく!!
まっつ大好き。
うお〜〜。
てゆーか。
報告して去っていくそのか、にもすげー萌えます。
なんなの、その関係って(笑)。
まっつまっつまっつ。
いや、チケット持ってなかったんですがね……金さえ積めば手に入るこの世の中、「チケットないから、行かなかった」は「行く気がなかった」とイコールされても仕方ないっすよ。
でもわたしは、お金がなかったのよ……星組で使いすぎて。
それで、花組はあきらめたの。
もし、チケットが手に入るようならいつでも飛んでいくぞ! と、月組全ツ初日もあきらめて、日程だけは空けておいたんだけど、まあ世の中そんなに甘くはないわな。
結局わたしは、自分に言い訳してあきらめたのさ。
あとになって、まっつ大泣き+そのか会への挨拶とゆーのがあった、ということを知り、地団駄踏んでます。
なんで行かなかったんだわたし!!
そんなそんな、おいしいまっつを何故、見逃したんだ〜〜っっ。
情報ありがとうございます、れちあ様。
まっつはフィナーレから泣いており、退団者挨拶時には完全に固まっていたそうです。
あの、「強張った顔のまま泣く」とゆー、オサコンのときにやっていたアレですなっ。
じたばた。うわーん、まっつ〜〜っ。
そして、終演後の楽屋出のとき。
入るのも出るのもめっちゃ早いまっつなのに、そのとき出は、遅かったらしい。
先に出てきたそのかが、わざわざまっつ会に報告してくれたそうです。
「まっつはまだ大泣きしている」
と。
や、正確には「みわっちさんとまっつがまだ、大泣きしてます」と、両会に教えてくれたらしいけど。
大泣き。あの、まっつが。
そしてソレを、いちいち報告していくのか、そのかよ!!
そのあとにまっつが出てきて、そのか会に、
「今日までありがうございました。これからも、園加についていってください」
と、はっきりした口調で挨拶をしたそうです。
……お礼、言うんだ……。
そのかを応援してきたそのかのファンに。
まっつにとって、そのかって。
「まっつとそのかは仲良しなんですか?」とか書いてごめんよぅ。
大切な人ぢゃなかったら、そのかを応援してきた人たちに、頭なんか下げないよなあ。
……すんません、書いてて、なんか泣けてきた。
友だちのために、友だちを支えてくれた人にお礼言うのって、純粋な感謝だよね。愛情だよね。
そんな友だちがいるのって、すごいよね。
そーやってきちんと挨拶をしておきながら、まっつさんは自分の会には小さな声でぼそぼそとお礼を言うのみだったらしく……なにやってんだもおっ、かわいいぢゃないかっ!!
泣きはらした眼をしていたそーです、まっつ。
…………。
…………。
…………萌え死ぬかと思った。
緑野こあら、一生の不覚。
泣いちゃってめためたな挨拶をするオサ様(こちらも萌えでした)はスカステで映してくれるけれど、強張った顔のまま泣いているまっつは誰も映してくれない。
ましてや、終演後のことなんて……。
自分で行かなければならなかったのに。自分で見て、感じなければならなかったのに。
わーん、わたしのバカバカバカ〜〜。
や、ほんとに教えていただけて感謝です。
これからもまっつ情報はいつでも募集中ですから!! みなさまよろしく!!
まっつ大好き。
うお〜〜。
てゆーか。
報告して去っていくそのか、にもすげー萌えます。
なんなの、その関係って(笑)。
まっつまっつまっつ。
ああ無情。@堕天使の涙
2006年9月30日 タカラヅカ ワタさんとコムちゃんの、個性のちがいを、興味深く思う。
ふたりのさよなら公演。『愛するには短すぎる』と『堕天使の涙』。
どちらも主人公あて書きで、どちらも複数の人々の人生が交差する物語だ。
ワタさんの『愛するには短すぎる』は、悲喜こもごも、それでもあたたかくコメディ的に物語が進む。
コム姫の『堕天使の涙』は、悲劇と孤独を耽美に描き、ドシリアスに物語が進む。
どっちも、主軸となる物語に、ある意味不要ともいえる脇の話をいっぱい絡めてあるのにねえ。
このちがいっぷりときたら。
愉快だなあ。
とっても大雑把に分類すると、話の骨組みもほぼ似通ってるんだよね。
それでも、ワタさんがフレッドで、コム姫がルシファーであることがうれしい。
ふたりのキャラクタのちがい、そしてソレは、「タカラヅカ」の懐の寛さだと思えるから。
「よい」とされるものは、ひとつではない。
さまざまなカタチの魅力があり、さまざまなカタチの表現がある。
たったひとつだけを正義とし、それ以外を認めない・排除するのではなく、さまざまな魅力の存在を肯定する。
そうすることで、タカラヅカは90年続いてきたんだろう。
人間全部が同じ価値観・美意識しか持たなかったら、気持ち悪いよ。
好きなモノ、嫌いなモノ、心地よいモノ、苦手なモノ、いろいろあっていいんだと思う。
自分の価値観以外を、理解や同調できるかどうかは置くとして、とりあえず許容する。
それが、すべてのはじまりだと思う。
ええ、ほんとに。
そして、宙組チケット発売日。
梅田にはたった800人ほどしか並びませんでした。通常公演となんら変わりなし。前回の雪組の、半分強の人数か……ははは。
なのになのに、白紙を引きました。わたしもハイディさんも。……人生無情。
ああそして。
美意識・価値観は人の数ほどあるとはいえ。
チョンマゲに軍服、というらんとむさんの姿はあんまりぢゃないのかと、宙組の巨大看板の前で思いましたことよ。……苦苦苦。いくら史実とはいえなー。
ふたりのさよなら公演。『愛するには短すぎる』と『堕天使の涙』。
どちらも主人公あて書きで、どちらも複数の人々の人生が交差する物語だ。
ワタさんの『愛するには短すぎる』は、悲喜こもごも、それでもあたたかくコメディ的に物語が進む。
コム姫の『堕天使の涙』は、悲劇と孤独を耽美に描き、ドシリアスに物語が進む。
どっちも、主軸となる物語に、ある意味不要ともいえる脇の話をいっぱい絡めてあるのにねえ。
このちがいっぷりときたら。
愉快だなあ。
とっても大雑把に分類すると、話の骨組みもほぼ似通ってるんだよね。
それでも、ワタさんがフレッドで、コム姫がルシファーであることがうれしい。
ふたりのキャラクタのちがい、そしてソレは、「タカラヅカ」の懐の寛さだと思えるから。
「よい」とされるものは、ひとつではない。
さまざまなカタチの魅力があり、さまざまなカタチの表現がある。
たったひとつだけを正義とし、それ以外を認めない・排除するのではなく、さまざまな魅力の存在を肯定する。
そうすることで、タカラヅカは90年続いてきたんだろう。
人間全部が同じ価値観・美意識しか持たなかったら、気持ち悪いよ。
好きなモノ、嫌いなモノ、心地よいモノ、苦手なモノ、いろいろあっていいんだと思う。
自分の価値観以外を、理解や同調できるかどうかは置くとして、とりあえず許容する。
それが、すべてのはじまりだと思う。
ええ、ほんとに。
そして、宙組チケット発売日。
梅田にはたった800人ほどしか並びませんでした。通常公演となんら変わりなし。前回の雪組の、半分強の人数か……ははは。
なのになのに、白紙を引きました。わたしもハイディさんも。……人生無情。
ああそして。
美意識・価値観は人の数ほどあるとはいえ。
チョンマゲに軍服、というらんとむさんの姿はあんまりぢゃないのかと、宙組の巨大看板の前で思いましたことよ。……苦苦苦。いくら史実とはいえなー。
堕天使と毒蜘蛛に会って、またしても号泣してきましたよ。
2006年9月29日 タカラヅカ
誕生日の朝に見た夢は。
トウコちゃんのコンサート、わたしは3列目下手側の通路際席。たぶんドラマシティクラスのハコ。ステージは大盛り上がりで、わたしは隣席の見知らぬお嬢さんと一緒になってきゃーきゃーやっていた。
そして、客席から登場したトウコちゃんが、なんとわたしの前の席に坐った。前の席は空席だった模様。
トウコちゃんの背中が、わたしの目の前!!
トウコちゃんは星組カラーのYシャツ(会服?)を着ていて、背中に英語でなにかプリントしてある。きっと公演名とかだろう。流暢な筆記体の文字の斜め下に、何mmか厚みのある小さなプラスチックの星がついている。発光するナニカが仕込んであるんだろう、電気がつくんだ、その星。きらきらきれい。
隣席のお嬢さんは、どさくさにまぎれてトウコちゃんの背中に触っている。指でなにか文字を書いている?
わたしは何故か、トウコちゃんの肩胛骨に釘付けだった。ブルーのシャツを羽織ってるし、きっと体型補正だってしているから、肩胛骨以前に生身部分だってどこからかわからないのに、「ここが肩胛骨」と勝手に見つめていた。触ってみたんだっけか。
ここに、翼があったんだな。
そう、思ったんだ。トウコちゃんの背中を見て。
翼があったあと。今はない翼。だからこの人はここ……地上にいる。
てなことをやってるうち、トウコちゃんはするりとステージに戻り、次は真っ白な衣装で歌い出した。大きな袖の、翼のような衣装。
……そんな夢。
ありがとうトウコちゃん、わたしの誕生日を祝うために、夢に出てきてくれたんだね。(ちがいます)
目が覚めたあと、とりあえずわたしが触った背中は、共に寝ている猫の背中です。涼しくなったね最近。猫がベッドに上がってくるよーになった。
ああ、そんな1日のはじまり。
まっつまっつまっつ。(脈絡なくつぶやく・笑)
☆
で、夕方親の家に行くと。
晃さんとkineさんから、プレゼントが届いてました。
晃さんは、カエルのブランケットと携帯アクセ付きカード。おお。これからの季節、カエルさんを膝にブログの更新をするとしよう。
そして、kineさん。
こちらは、封を切る前から首を傾げた。
だって……差出人が、「伊豆オルゴール館」になってるよ? 「kine様のご依頼の品でございます」って、仰々しい包装、「オルゴールの取り扱い注意書」などついて、えらいこっちゃな大きな箱。
kineさん女口説くのが日常のイタリア男だから、女性にオルゴールを贈ってもなんの不思議もないけど、わたしとオルゴールの接点が思い当たらない。そりゃ、わたしは平凡な女なので、オルゴールを贈られればうれしいけど……何故、わざわざ伊豆でオルゴール?
開けて、大ウケ。
ニッパーの、マグカップ。
ニッパーつーのは、Victorの商標になってるあの犬だ。小首をかしげて儚げに蓄音機をのぞき込む犬。
えー、わたしらの間では、まっつに似ているということで、「ニッパー=まっつ」として愛でられています。
わざわざ、注文してくれたわけだ。まっつのために。いや、ウケを取るために?(笑)
優に4倍はあるでかい箱に、これでもかとものすげー厳重な包装をされた、マグカップ(笑)。
笑えて、そしてなんか、泣けてきた。
うわああぁぁん、ありがとう。
ケロメイト晃さんの、変わらぬケログッズがうれしい。
ケロは好き。ずっと好き。
ケロは消えることなく、ずっとあるの。
しあわせの記憶。
ケロ祭りと、ケロ祭りで出会った人々はわたしの宝物。わたしがわたし自身に刻みつけ、共に年老いていくの。わたしの一部。かなしい、だけどものすごーくしあわせな思い出。
わたしを豊かにする宝物。
そして、現在のまっつ。
ブログを読んでくれている人の多くに、まっつファンだと理解されていないらしいれど(何故だ……みんなどーしてわたしを「寿美礼サマファン」だと思ってメールくれるんだ? や、まちがってないけど! たしかに寿美礼サマは特別だけど! 大好きだけど!寿美礼サマファンの人からのメールもうれしいし大好物だけど! 同じテンションで寿美礼サマへの愛を語れるけれど!)いちばんはまっつなんですってば!!
文章ではまっつへの愛をストレートに表現できていないらしいけれど(そうなのか? 自分では充分愛を叫んでいるつもりなんだが……)、HOTEL DOLLYな人々曰く、舞台のまっつを見たあとのわたしは、とても盛大ににやけているそうで……うっとりしているそーで……うわそんなの見られたもんぢゃないだろってカオしてるみたいだ。
きっと将来、わたしを幸福にする記憶を、今、創っているんだと思うよ。
「すき」って、そういうことだよね。
に、しても。
この、ふたつのプレゼントが。
過去の男と、現在の男を並べられているよーで、非常にウケました。
冒頭の写真は、ケロ膝掛けとまっつマグカップ写真……を撮ろうとしたら、何故かいそいそやってきて、両方に頭突きを繰り返す猫の図。頭突きをやめたと思ったら、横にぴったりと坐り込んじゃった。なに考えてんだ。
そして今は、萩の月@堕天使パッケージの上で機嫌良く寝ている。……なんなの。
カエルの携帯アクセは、さっそく携帯電話につけました。ちなみに、ニッパー=まっつの携帯アクセもつけているので、こちらもまた過去の男と、現在の男が並んでいる状態です(笑)。
さて、これから家族で食事に出掛けます。
パパのおごりだー(たぶん)。
トウコちゃんのコンサート、わたしは3列目下手側の通路際席。たぶんドラマシティクラスのハコ。ステージは大盛り上がりで、わたしは隣席の見知らぬお嬢さんと一緒になってきゃーきゃーやっていた。
そして、客席から登場したトウコちゃんが、なんとわたしの前の席に坐った。前の席は空席だった模様。
トウコちゃんの背中が、わたしの目の前!!
トウコちゃんは星組カラーのYシャツ(会服?)を着ていて、背中に英語でなにかプリントしてある。きっと公演名とかだろう。流暢な筆記体の文字の斜め下に、何mmか厚みのある小さなプラスチックの星がついている。発光するナニカが仕込んであるんだろう、電気がつくんだ、その星。きらきらきれい。
隣席のお嬢さんは、どさくさにまぎれてトウコちゃんの背中に触っている。指でなにか文字を書いている?
わたしは何故か、トウコちゃんの肩胛骨に釘付けだった。ブルーのシャツを羽織ってるし、きっと体型補正だってしているから、肩胛骨以前に生身部分だってどこからかわからないのに、「ここが肩胛骨」と勝手に見つめていた。触ってみたんだっけか。
ここに、翼があったんだな。
そう、思ったんだ。トウコちゃんの背中を見て。
翼があったあと。今はない翼。だからこの人はここ……地上にいる。
てなことをやってるうち、トウコちゃんはするりとステージに戻り、次は真っ白な衣装で歌い出した。大きな袖の、翼のような衣装。
……そんな夢。
ありがとうトウコちゃん、わたしの誕生日を祝うために、夢に出てきてくれたんだね。(ちがいます)
目が覚めたあと、とりあえずわたしが触った背中は、共に寝ている猫の背中です。涼しくなったね最近。猫がベッドに上がってくるよーになった。
ああ、そんな1日のはじまり。
まっつまっつまっつ。(脈絡なくつぶやく・笑)
☆
で、夕方親の家に行くと。
晃さんとkineさんから、プレゼントが届いてました。
晃さんは、カエルのブランケットと携帯アクセ付きカード。おお。これからの季節、カエルさんを膝にブログの更新をするとしよう。
そして、kineさん。
こちらは、封を切る前から首を傾げた。
だって……差出人が、「伊豆オルゴール館」になってるよ? 「kine様のご依頼の品でございます」って、仰々しい包装、「オルゴールの取り扱い注意書」などついて、えらいこっちゃな大きな箱。
kineさん女口説くのが日常のイタリア男だから、女性にオルゴールを贈ってもなんの不思議もないけど、わたしとオルゴールの接点が思い当たらない。そりゃ、わたしは平凡な女なので、オルゴールを贈られればうれしいけど……何故、わざわざ伊豆でオルゴール?
開けて、大ウケ。
ニッパーの、マグカップ。
ニッパーつーのは、Victorの商標になってるあの犬だ。小首をかしげて儚げに蓄音機をのぞき込む犬。
えー、わたしらの間では、まっつに似ているということで、「ニッパー=まっつ」として愛でられています。
わざわざ、注文してくれたわけだ。まっつのために。いや、ウケを取るために?(笑)
優に4倍はあるでかい箱に、これでもかとものすげー厳重な包装をされた、マグカップ(笑)。
笑えて、そしてなんか、泣けてきた。
うわああぁぁん、ありがとう。
ケロメイト晃さんの、変わらぬケログッズがうれしい。
ケロは好き。ずっと好き。
ケロは消えることなく、ずっとあるの。
しあわせの記憶。
ケロ祭りと、ケロ祭りで出会った人々はわたしの宝物。わたしがわたし自身に刻みつけ、共に年老いていくの。わたしの一部。かなしい、だけどものすごーくしあわせな思い出。
わたしを豊かにする宝物。
そして、現在のまっつ。
ブログを読んでくれている人の多くに、まっつファンだと理解されていないらしいれど(何故だ……みんなどーしてわたしを「寿美礼サマファン」だと思ってメールくれるんだ? や、まちがってないけど! たしかに寿美礼サマは特別だけど! 大好きだけど!寿美礼サマファンの人からのメールもうれしいし大好物だけど! 同じテンションで寿美礼サマへの愛を語れるけれど!)いちばんはまっつなんですってば!!
文章ではまっつへの愛をストレートに表現できていないらしいけれど(そうなのか? 自分では充分愛を叫んでいるつもりなんだが……)、HOTEL DOLLYな人々曰く、舞台のまっつを見たあとのわたしは、とても盛大ににやけているそうで……うっとりしているそーで……うわそんなの見られたもんぢゃないだろってカオしてるみたいだ。
きっと将来、わたしを幸福にする記憶を、今、創っているんだと思うよ。
「すき」って、そういうことだよね。
に、しても。
この、ふたつのプレゼントが。
過去の男と、現在の男を並べられているよーで、非常にウケました。
冒頭の写真は、ケロ膝掛けとまっつマグカップ写真……を撮ろうとしたら、何故かいそいそやってきて、両方に頭突きを繰り返す猫の図。頭突きをやめたと思ったら、横にぴったりと坐り込んじゃった。なに考えてんだ。
そして今は、萩の月@堕天使パッケージの上で機嫌良く寝ている。……なんなの。
カエルの携帯アクセは、さっそく携帯電話につけました。ちなみに、ニッパー=まっつの携帯アクセもつけているので、こちらもまた過去の男と、現在の男が並んでいる状態です(笑)。
さて、これから家族で食事に出掛けます。
パパのおごりだー(たぶん)。
他愛なく、『どうぶつの森』話。
2006年9月28日 タカラヅカ←ウワサのホッケーマスクの着物女。
ここでちょっくら、『どうぶつの森』の話。
星前楽の日、タカラヅカの地にぶつ森ユーザー4人が集結した。
わたしとkineさん、チェリさん、ハイディさん。こーやって雁首揃えたらそりゃ、「ぶつ森」するでしょ。
みんなでkineさんの村に集合だあ、わーい。
「私は今、『ダンディズム』仕様ですから」
kineさんはいつものよーに冷静に言う。
『ダンディズム』仕様ってなんだ?
見れば、kineさんちの女の子は、黒シルクハットに口ひげつけて、あたりまえのよーに現れる。
『ダンディズム』って……!!(震撼)
「ヒゲは何種類かありますから」
kineさんはさらに冷静に解説する。ミスターダンディ5人組の、いろんなヒゲを用意済みらしい。
や、わたしの2人目キャラのアズ(『ぶつ森』は、ひとつのゲームソフトで4人までプレイヤーキャラを登録出来るのだわ。で、わたしはこあらの他に、「アズ」という男の子を登録した。アンニュイな目つきのクールガイ・笑)だって今は、ローマ兵士コスプレしてるので、似たもの同士なんだけど。
こあらはそーゆーこと、とくになにもしてないからなぁ。
kineさんすげーなー、と思いつつ、こあらもkineさんの村へ足を踏み入れた。
「なんか、へんなものが来た!」
変って……だからこあらは今、日本物やってるんですよ。
日本髪結って赤い着物着てます、はい。アタマでかいのなんの。
「日本髪はわかるとして……カオ、なにつけてんの?」
ホッケーマスク。
や、なんの意味もないんだけど、単に、こわいかなと思って(笑顔)。
日本髪に赤い着物を着た、ホッケーマスクの女。
愉快でしょ?
「なにソレー!!」
と、さんざん笑っていたハイディさんちののぶながくん(男の子)が、最後にkineさんの村にやってきた。
彼は、ウサ耳コスプレでした。
男なのにウサ耳!!
「いや、ウサギ服を上下で手に入れてしまったもんで、つい……」
ハイディさんは言い訳してるけどな。
ヒゲのダンディ女の子に、ホッケーマスクの着物女、ウサ耳の男の子。
「まともなのは、私だけですか」
チェリさんはひーひー笑ってるし。ええ、4人いて、まともなのはチェリさんとこのメイちゃん(女の子)のみ。
べつに、今日こうやって集まる約束をしていたわけでもないので、ウケ狙いで突拍子もない格好をしていたわけではなく、日常の姿がコレだという事実。
でもなあ、4人中3人まで変だと、ひとりだけふつーなのも、変とゆーか。
4人並ぶと圧巻です。
記念写真を撮らなかったことが悔やまれる……。
それにしても『ぶつ森』、ほんとプレイヤーの個性が表れるなぁ。
「『愛短』仕様です」(冷静)
見れば、さっきまでヒゲのダンディだったkineさんキャラは、マリンルックのさわやかガールになっている。冒頭のバーバラ@となみちゃんみたい!!
すげー!!
わたしたちの間では、まだまだ『ぶつ森』ブームです。
怒濤のヅカ耐久ロードの中、いちばん割を喰ったのは宙組『エンカレッジコンサート』だと思う。
わたしの記憶も他のものに上書きされちゃってあんまし残ってないし、公演自体星組祭りに紛れちゃって気の毒な感じになっていた。
土日祝の公演で、通常なら恵まれた日程のはずだ。それがなんてこったい、日祝が星前楽・楽とまるかぶり。チケットの価格も、初日の土曜日と日曜の午前のみがとりあえず定価以上になるが、日曜午後、祝日午前と人気は落ち、千秋楽は当日券有りときたもんだ。
みんな、星組を観るついでにエンカレも、って感じでチケット探してたんだな……。サヨナラショー公演とかぶる回は人気いまひとつ、って。宙組にもエンカレにも興味ナシ、というのがありありとわかるチケット販売状況がきつい。
それに、楽はファンの出待ち、どうなったんだろう。通常バウの出待ちをする場所が星組のパレードで占領されていたけど。……もともとバウ楽屋口へ続く階段、工事中だったからいいのかな。
なんにせよ、星組祭りでごった返すなか、ぽつんとコンサートをやっているのが不憫な印象を持った。……もっと考えて日程組んでくれよ劇団。
ええ、花組エンカレも不憫でしたよ、たかはな祭りの真っ直中に、ぽつんとコンサートやっててな……まあ、千秋楽とかぶってなかっただけが救いだったが。
エンカレの、わたしのいちばんの関心事は、「1幕トリが誰か」。
月組もりえ、星組しゅん、雪組コマと、劇団が路線として売るつもりの子たちはみんな、1幕のトリを単独で勤めている。トリの彼が熱唱し、感動冷めやらぬうちに幕。トップスターのみに許されるよーな演出。
……ともちだよね? 1幕の、幕を降ろすのはともちだよね? 世間ではほっくんに下克上されたよーな扱いだと言われているが、まだともちだって路線だよね?
まず、プログラム見て、ヘコみました。ともち、トリぢゃない……。
いやそれでも、まっつよりは路線として扱ってもらっているから、大丈夫か。
まっつにつづき、ともちまで逸れていくよーだと、わたしは自分を「貧乏神」認定したくなりますよ……いやその、もともと微妙だったまっつとちがい、ともちは真ん中が似合う人だからさー。わたしが好きになる途端、みんな真ん中から逸れていくなんてあんまりだ。
や、もともと真ん中の人はあまり好みぢゃない、脇にばかり惹かれる性質なんだけどさ……わたしが好きになると脇に逸れる、なんて自分ジンクスは作りたくない。
ともちの扱いには多少ナーヴァスになりつつも。
コンサート自体はとてもよかったっす。
ああ、ともち。
ともち、かっこいー。
つい先日、宙組の男の子たちのヅカ基本値の低さにショックを受けたところだったから。
ともちが「男役として」きちんと美しい人であることを知り、心からよろこんだ。
かっこいい。大きなカラダを武器にして持て余すことなくカタチを作っている。ダイナミックスさと端正さ。あああ、かっこいいよー。
歌も充分及第点。歌手、というほどうまくはないが、スターでこれだけ歌えれば問題ないでしょ。
たっちんとふたり、この公演のトップコンビ、という位置づけもいい。作品自体が安定する。
エンカレのよさは、「16名の出演者横並び」なのかもしれないけれど、わたしはやはり、最低限の「スター」と「ピラミッド」は必要だと思う。
通常公演のように「スターとその他大勢」でなくていいから、せめて、「真ん中」がどこかは決めておいてほしい。「発表会」ではなく「エンタメ」ならば。
ともちとたっちんが「真ん中」の役目を果たし、華と実力で公演自体を導き、他の実力ある人々がそれぞれ見せ場をもらいながら盛り上げていく。
素直に、たのしかった。
感動できるコンサートだった。
たっちんの歌声は期待通りの心地よさ。
ただ意外だったのは、「千の風になって」が、ただきれいなだけで素通りしてしまったこと。きっとものごっつー感動できるはず、と勝手に思いこんでいたのが悪かったのか。
かなみちゃんの歌声の方が深みがあるのかな。たっちんの歌はほんとにきれいでうまかったのだけど、なにか違ったみたい。
学年もキャリアもチガウから、とーぜんっちゃー当然だが。
2幕ラストのともち×たっちんのデュエットから、フィナーレソングの『グランドホテル』2曲、すげー気持ちよかった。
ドラマティック。「ミュージカル」という醍醐味。わーい。
2幕は前半に歌のヤバイ人をまとめ(笑)、後半はひたすら盛り上げてくれたから、ものすごーく気持ちいいまま、昂揚したまま終わることが出来た。
なんか、プログラム紛失しちゃったんで(わたしの部屋にはイタヅラな妖精さんがいるのよ……)、記憶だけで書いてるので、他出演者のこととか記憶をたどることすらできないんだが。
宙組にも、歌の下手な子がいるんだね。
なんかわたし、「宙組=コーラスの組」で、みんな歌はふつーにうまいんだと思い込んでいた。だから数名えらいこっちゃな実力の子が混ざっていて、おどろいたというかほっとしたというか。
まあなあ、タニちゃんがいる、という段階で「宙組の子はみんな歌がうまい」というのが誤解であることは、わかりそーなもんなのに……。思いこみってこわいなー。
宙組下級生については、他の組よりさらになにも知らないんだけど、そんなわたしでも名前を知っている人たちは、そりゃーうまかったっす。
スカステで見かける太めの彼女の歌声もよかったし、市長は歌ってるときほんとにオトコマエだ、ヤンブラのゴツい婚約者も芸達者で芝居心のある歌声で素晴らしい、博多グラディスまいらちゃん、なんかさらに歌うまいぞすげー、たまちゃん何故に松田聖子?!
あと名前わかんないけど、とてもドラマティックにうまい女の子がいたなー。
そして、心の星だぞ暁郷。
マジに歌うまいし、なによりも芝居っけたっぷりなのがたまらん。
2幕のオープニング、全員でサワヤカに笑顔で「セピア色の写真」を歌っているのに、GOひとり、顔を歪めてせつなげに熱唱。
たしかに、「セピア色の写真」はさわやかな曲調とうらはらに、帰らない過去を歌うせつない歌なんだけど……GO、やりすぎだからキミ!!(笑)
いいなあ、GOアカツキ。そーゆーとこが好きだ。
でもさあ。
宙エンカレでGOの歌う「世界に求む」を聴いたその足で、星前楽に参加、ワタさんの歌う「世界に求む」を聴いたわけよ。
……今同じ時間、GOも歌ってんじゃないの、同じ曲。
やっぱり、宙エンカレを星祭りと丸かぶりさせた劇団の無神経さに絶句するわ。
花ムラ『ファントム』と宙東宝楽サヨナラショーで、エリックが同時にふたり存在したことと同じ理不尽さ。
某ネズミーランドのミッキーネズミと同じで、何人スペアのミッキーがいても、絶対に同時刻に別の場所には存在させないのが、「夢の国」のルールであると思うのよ。
わたしの記憶も他のものに上書きされちゃってあんまし残ってないし、公演自体星組祭りに紛れちゃって気の毒な感じになっていた。
土日祝の公演で、通常なら恵まれた日程のはずだ。それがなんてこったい、日祝が星前楽・楽とまるかぶり。チケットの価格も、初日の土曜日と日曜の午前のみがとりあえず定価以上になるが、日曜午後、祝日午前と人気は落ち、千秋楽は当日券有りときたもんだ。
みんな、星組を観るついでにエンカレも、って感じでチケット探してたんだな……。サヨナラショー公演とかぶる回は人気いまひとつ、って。宙組にもエンカレにも興味ナシ、というのがありありとわかるチケット販売状況がきつい。
それに、楽はファンの出待ち、どうなったんだろう。通常バウの出待ちをする場所が星組のパレードで占領されていたけど。……もともとバウ楽屋口へ続く階段、工事中だったからいいのかな。
なんにせよ、星組祭りでごった返すなか、ぽつんとコンサートをやっているのが不憫な印象を持った。……もっと考えて日程組んでくれよ劇団。
ええ、花組エンカレも不憫でしたよ、たかはな祭りの真っ直中に、ぽつんとコンサートやっててな……まあ、千秋楽とかぶってなかっただけが救いだったが。
エンカレの、わたしのいちばんの関心事は、「1幕トリが誰か」。
月組もりえ、星組しゅん、雪組コマと、劇団が路線として売るつもりの子たちはみんな、1幕のトリを単独で勤めている。トリの彼が熱唱し、感動冷めやらぬうちに幕。トップスターのみに許されるよーな演出。
……ともちだよね? 1幕の、幕を降ろすのはともちだよね? 世間ではほっくんに下克上されたよーな扱いだと言われているが、まだともちだって路線だよね?
まず、プログラム見て、ヘコみました。ともち、トリぢゃない……。
いやそれでも、まっつよりは路線として扱ってもらっているから、大丈夫か。
まっつにつづき、ともちまで逸れていくよーだと、わたしは自分を「貧乏神」認定したくなりますよ……いやその、もともと微妙だったまっつとちがい、ともちは真ん中が似合う人だからさー。わたしが好きになる途端、みんな真ん中から逸れていくなんてあんまりだ。
や、もともと真ん中の人はあまり好みぢゃない、脇にばかり惹かれる性質なんだけどさ……わたしが好きになると脇に逸れる、なんて自分ジンクスは作りたくない。
ともちの扱いには多少ナーヴァスになりつつも。
コンサート自体はとてもよかったっす。
ああ、ともち。
ともち、かっこいー。
つい先日、宙組の男の子たちのヅカ基本値の低さにショックを受けたところだったから。
ともちが「男役として」きちんと美しい人であることを知り、心からよろこんだ。
かっこいい。大きなカラダを武器にして持て余すことなくカタチを作っている。ダイナミックスさと端正さ。あああ、かっこいいよー。
歌も充分及第点。歌手、というほどうまくはないが、スターでこれだけ歌えれば問題ないでしょ。
たっちんとふたり、この公演のトップコンビ、という位置づけもいい。作品自体が安定する。
エンカレのよさは、「16名の出演者横並び」なのかもしれないけれど、わたしはやはり、最低限の「スター」と「ピラミッド」は必要だと思う。
通常公演のように「スターとその他大勢」でなくていいから、せめて、「真ん中」がどこかは決めておいてほしい。「発表会」ではなく「エンタメ」ならば。
ともちとたっちんが「真ん中」の役目を果たし、華と実力で公演自体を導き、他の実力ある人々がそれぞれ見せ場をもらいながら盛り上げていく。
素直に、たのしかった。
感動できるコンサートだった。
たっちんの歌声は期待通りの心地よさ。
ただ意外だったのは、「千の風になって」が、ただきれいなだけで素通りしてしまったこと。きっとものごっつー感動できるはず、と勝手に思いこんでいたのが悪かったのか。
かなみちゃんの歌声の方が深みがあるのかな。たっちんの歌はほんとにきれいでうまかったのだけど、なにか違ったみたい。
学年もキャリアもチガウから、とーぜんっちゃー当然だが。
2幕ラストのともち×たっちんのデュエットから、フィナーレソングの『グランドホテル』2曲、すげー気持ちよかった。
ドラマティック。「ミュージカル」という醍醐味。わーい。
2幕は前半に歌のヤバイ人をまとめ(笑)、後半はひたすら盛り上げてくれたから、ものすごーく気持ちいいまま、昂揚したまま終わることが出来た。
なんか、プログラム紛失しちゃったんで(わたしの部屋にはイタヅラな妖精さんがいるのよ……)、記憶だけで書いてるので、他出演者のこととか記憶をたどることすらできないんだが。
宙組にも、歌の下手な子がいるんだね。
なんかわたし、「宙組=コーラスの組」で、みんな歌はふつーにうまいんだと思い込んでいた。だから数名えらいこっちゃな実力の子が混ざっていて、おどろいたというかほっとしたというか。
まあなあ、タニちゃんがいる、という段階で「宙組の子はみんな歌がうまい」というのが誤解であることは、わかりそーなもんなのに……。思いこみってこわいなー。
宙組下級生については、他の組よりさらになにも知らないんだけど、そんなわたしでも名前を知っている人たちは、そりゃーうまかったっす。
スカステで見かける太めの彼女の歌声もよかったし、市長は歌ってるときほんとにオトコマエだ、ヤンブラのゴツい婚約者も芸達者で芝居心のある歌声で素晴らしい、博多グラディスまいらちゃん、なんかさらに歌うまいぞすげー、たまちゃん何故に松田聖子?!
あと名前わかんないけど、とてもドラマティックにうまい女の子がいたなー。
そして、心の星だぞ暁郷。
マジに歌うまいし、なによりも芝居っけたっぷりなのがたまらん。
2幕のオープニング、全員でサワヤカに笑顔で「セピア色の写真」を歌っているのに、GOひとり、顔を歪めてせつなげに熱唱。
たしかに、「セピア色の写真」はさわやかな曲調とうらはらに、帰らない過去を歌うせつない歌なんだけど……GO、やりすぎだからキミ!!(笑)
いいなあ、GOアカツキ。そーゆーとこが好きだ。
でもさあ。
宙エンカレでGOの歌う「世界に求む」を聴いたその足で、星前楽に参加、ワタさんの歌う「世界に求む」を聴いたわけよ。
……今同じ時間、GOも歌ってんじゃないの、同じ曲。
やっぱり、宙エンカレを星祭りと丸かぶりさせた劇団の無神経さに絶句するわ。
花ムラ『ファントム』と宙東宝楽サヨナラショーで、エリックが同時にふたり存在したことと同じ理不尽さ。
某ネズミーランドのミッキーネズミと同じで、何人スペアのミッキーがいても、絶対に同時刻に別の場所には存在させないのが、「夢の国」のルールであると思うのよ。
そのかのキック。@ファントム
2006年9月26日 タカラヅカ トークショーにて、まっつは組替えしていく同期、そのかのことになにも触れませんでした……。
司会者は、ケロトークショーにてやたらトウコネタを振った、ケロトウ認定のおねーさんだったのに……。そっかタケシタさん、園松は好みやないんやね……。
まっつも、公演中のエピソードとかでそのかの話もできるだろうに、ぜんっぜんしなかったしなー。
そのかとまっつって、仲いいんですか?
……ケロが異常だったんだよな、トウコスキーにも程がある、つーか(笑)。
トークショーでは話題にも出なかったそのか。
おたのしみの『ファントム』冒頭のパリの場面にて、わたしが観た回は。
そのかがまっつに、足蹴りくらわしてました。
蹴った? 今、蹴ったよねっ?!
まっつメイトの木ノ実さんと並んで観ていたもんだから、ふたりして同時に反応してるの。ピクって。
蹴ってましたよ、末っ子、次男を。
んまああ、いつの間にそんな野蛮な子に?!(笑)
ビスコに飽きたのか、3人が手にしているのは、なにか丸いお菓子。クリーム入りのミニリッツって感じ。……パンに見えないから、ソレ。
3兄弟の接触度が上がっていて、実に楽しいっす。
ケンカの後の嘘くさい仲良しぶりとかも、いちゃついてる感じが増していいよなあ。うっとり。
3兄弟だけを収めたアングルのDVDとか、発売してくんないかしら……みわ・まつ・その、3人のファンが集まれば、ちとまとまった数売れると思うんだけどなあ。
そして、いつもいつも歌い出しの音程がやばかった、オーベロンのソロ。
わたしの見た中で、いちばんいい歌声でした。
東宝『ファントム』に通っているゆみこ担のともちゃんさんが、「まっつは今日がいちばんいい出来でした」と言っていたので、やっぱりそうなんだ。
トークショーのある日、まっつファンが遠方から駆けつけているだろー日に、いちばんいい歌声を披露するとは、やるぢゃないかまっつ!!
おさエリックの出来もよく、なんかもーひたすらしあわせな観劇でしたよ、ええ。
千秋楽チケットが手に入ったらまた遠征しようと思っていたけれど、手に入るはずもないので断念、今日が最後の『ファントム』と、退団者にも注目し、組替え者にも注目し、まっつ見てオサ様見てと大忙しさ。
てか珠まゆらちゃん、いいキャラなのに辞めちゃうんだー。あの好戦的な芸風、好きだったのにな。
もう、まっつとそのかが同じ舞台に立つことは、ないんだよな。通常。
それがさみしい。
まっつがふつーに女性に見えるのに、リアル男子にしかみえないそのかとのコントラストが、大好きだった。
友人がたまたま出だか入りだかをギャラリーしていて聞いたとかいう、黒尽くめ私服そのかを見たまっつが「男かと思った(笑)」と素で言っていたとかいうエピソードも、転げ回りたいほど萌えだ。そうかそのか、まっつの目から見てもふつーに男子なのか……ハァハァ。
ふたりの並びが、大好きだった。
まっつの沖田と、そのかの土方が見たかったっすよ……。
わたしが見た最後の「花組でのまつその」は、まっつに蹴りを入れるそのかだ。
ある意味、ラヴいシーンだよね? 気心しれてなきゃ、アドリブで蹴りは入れんだろーから。
まつその……えーと、並び的には園松フォーエバー。(名前の並びの前後は、まあその、そういう意味だ・笑)
司会者は、ケロトークショーにてやたらトウコネタを振った、ケロトウ認定のおねーさんだったのに……。そっかタケシタさん、園松は好みやないんやね……。
まっつも、公演中のエピソードとかでそのかの話もできるだろうに、ぜんっぜんしなかったしなー。
そのかとまっつって、仲いいんですか?
……ケロが異常だったんだよな、トウコスキーにも程がある、つーか(笑)。
トークショーでは話題にも出なかったそのか。
おたのしみの『ファントム』冒頭のパリの場面にて、わたしが観た回は。
そのかがまっつに、足蹴りくらわしてました。
蹴った? 今、蹴ったよねっ?!
まっつメイトの木ノ実さんと並んで観ていたもんだから、ふたりして同時に反応してるの。ピクって。
蹴ってましたよ、末っ子、次男を。
んまああ、いつの間にそんな野蛮な子に?!(笑)
ビスコに飽きたのか、3人が手にしているのは、なにか丸いお菓子。クリーム入りのミニリッツって感じ。……パンに見えないから、ソレ。
3兄弟の接触度が上がっていて、実に楽しいっす。
ケンカの後の嘘くさい仲良しぶりとかも、いちゃついてる感じが増していいよなあ。うっとり。
3兄弟だけを収めたアングルのDVDとか、発売してくんないかしら……みわ・まつ・その、3人のファンが集まれば、ちとまとまった数売れると思うんだけどなあ。
そして、いつもいつも歌い出しの音程がやばかった、オーベロンのソロ。
わたしの見た中で、いちばんいい歌声でした。
東宝『ファントム』に通っているゆみこ担のともちゃんさんが、「まっつは今日がいちばんいい出来でした」と言っていたので、やっぱりそうなんだ。
トークショーのある日、まっつファンが遠方から駆けつけているだろー日に、いちばんいい歌声を披露するとは、やるぢゃないかまっつ!!
おさエリックの出来もよく、なんかもーひたすらしあわせな観劇でしたよ、ええ。
千秋楽チケットが手に入ったらまた遠征しようと思っていたけれど、手に入るはずもないので断念、今日が最後の『ファントム』と、退団者にも注目し、組替え者にも注目し、まっつ見てオサ様見てと大忙しさ。
てか珠まゆらちゃん、いいキャラなのに辞めちゃうんだー。あの好戦的な芸風、好きだったのにな。
もう、まっつとそのかが同じ舞台に立つことは、ないんだよな。通常。
それがさみしい。
まっつがふつーに女性に見えるのに、リアル男子にしかみえないそのかとのコントラストが、大好きだった。
友人がたまたま出だか入りだかをギャラリーしていて聞いたとかいう、黒尽くめ私服そのかを見たまっつが「男かと思った(笑)」と素で言っていたとかいうエピソードも、転げ回りたいほど萌えだ。そうかそのか、まっつの目から見てもふつーに男子なのか……ハァハァ。
ふたりの並びが、大好きだった。
まっつの沖田と、そのかの土方が見たかったっすよ……。
わたしが見た最後の「花組でのまつその」は、まっつに蹴りを入れるそのかだ。
ある意味、ラヴいシーンだよね? 気心しれてなきゃ、アドリブで蹴りは入れんだろーから。
まつその……えーと、並び的には園松フォーエバー。(名前の並びの前後は、まあその、そういう意味だ・笑)
彼はエリック。@ファントム
2006年9月25日 タカラヅカ 春野寿美礼には、ビデオ記録が無意味だ。
『マラケシュ』の東宝楽をスカステで見たとき、わたしが知っている『マラケシュ』とあまりにちがっていることに愕然とした。
わたしの知っているリュドヴィークは、テレビ放送されているリュドヴィークとは、あまりに別人だった。
なにコレ。
コレ、わたしが見たかった『マラケシュ』ぢゃない。わたしの愛したリュドヴィークぢゃない。
……もちろんコレが『マラケシュ』でリュドヴィークだということは、わかるけれど。
だってオサ様、同じ演技は二度としないんだもの!!
日によって公演によって、別人があたりまえなんだもの!!
わたしは、わたしが「視た」ときのリュドヴィークをリュドヴィークだと思うし、複数のリュドのなかでも、いちばんわたしの感性に合うリュドをリュドだと認識して、記憶に刻んでいるのよ。
だから、今さら映像で、別のリュドヴィークを見せられても、混乱する。落胆する。
わたしが愛したリュドヴィークは、もうどこにもいないんだ。
記録映像の中にさえ。
その事実が、悲しい。
泣けてくるほどせつない。
オサ様は、ナマで視てなんぼの人。
スカステやDVDが無意味な人。
変わり続ける、ナマの感情で、感覚で、酔わせる人。
『ファントム』でも、そうだ。
ムラで『ファントム』を観たとき、エリック@オサがあまりに幼くなりすぎていて、興醒めした。
いたいけでせつない少年だけど、わたしが見たいオサ様は子役ぢゃない。
どんなにエリックが愛されていて、キャリパパ@ゆみこといちゃいちゃしていても、ショタの気のないわたしには、萎えるばかり。
ムラの当日B席で観劇したときのエリックが、いちばんよかった。適度に青年で、そして可哀想で。
歌声も冴え渡り、キャリパパとの銀橋の響き合いは素晴らしかった。
『ファントム』という作品自体に萎え気味だったけれど、それを持ち直させてくれる出来の良さだった。
なんだ、『ファントム』もけっこーいいじゃん。……そう思ったけれど、次に観たときはまた、そのときほどの昂揚は得られず、気分は下を向いた。
なんとなく盛り上がりに欠けるままの、東宝観劇。
席はそこそこ、1階S席センター。……てゆーか、わたしの位置、0番? こんなにど真ん中で『ファントム』観るのはじめてだ。
やはり、今までのどの回ともチガウ、新しいエリックがいた。
観る前から、「幼児化が進んで、ひどいことになってるよ」とさんざん威されていたんだけど。
べつに、幼児じゃなかった。
ふつーに青年だった。あわれで、いたいけな青年だった。
キャリパパとの銀橋、キャリパパをはじめて見た。
ど真ん中の席だと、両方見えるんだ。今まで、どこに坐っていようと、たとえ後頭部しか見えなかろうと、エリックしか見てなかったからな。
はじめてちらりとだがキャリパパも見て、そしてあとはずーっとエリックだけ見つめて、だだ泣きした。
銀橋、べつに泣けなかったのになー。泣けたのはムラBB席の1回だけだったのになー。
傷ついた魂が、あえいでいる。
誰を恨むこともない、愛を知る人。
すべての運命を受け入れながら、微笑む人。
なにも欲しがらなかった彼が、ただひとつ欲した少女、クリスティーヌ。
「彼女は僕の顔を見たんだ。彼女は僕のものだ」
……痛みに耐えるような、かなしい顔で、つぶやく。ひとりごとのように。うわごとのように。
泣いているように。あきらめているように。でもどこか、微笑んでいるように。……なにかを耐えた、かなしい顔で、彼はつぶやく。
エリックだ。
あまりに痛々しい、エリックがそこにいる。
無惨なのは顔の傷じゃない。心の傷だ。
ズタズタになりながらも光と愛を信じ生きてきた青年が、すべてを受け入れてなお、手を伸ばさずにいられなかったもの。なにかに背を押されるかのように。運命であるかのように。
エリックの元へ行こうとあがくクリスティーヌ。
クリスティーヌの元へ行こうとあがくエリック。
運命に引き裂かれる恋人たち。
……エリックが、好きだ。
たかこエリックは大好きだったけれど、オサ様エリックは幼児過ぎて好みぢゃなかった。
でも今、このエリックのことは、大好きだ。
子どもじゃない。
少年の魂を持った、あわれな大人の男だ。
ひとり女に恋をする、大人の男だ。
やっぱり、春野寿美礼は、すごい。
この人、すごいよ。
目を離せない。なんなの、この魅力。カリスマ性。
計算してやっているというより、過分に本能的な演技が、ツボにハマったときのカタルシスは他では考えられない。
そして、この人のすごさは、ビデオでは伝わらないんだ。
変わり続ける日々の演技の中にあるんだ。
きっと、この先花組『ファントム』の映像を見ることがあっても、首を傾げるんだろうな。
これは、わたしの視た『ファントム』じゃない。わたしの愛したエリックじゃない、って。
うわあぁぁああん、大好きだオサ様。
どうしよう。もー、どうしよう。なんて人なの。
と、ここまで感動させてくれておいてさ。
フィリップとの対決で、ナイフを落とすのは、どうなの。
いやあ、すばらしい空気でした、劇場内。
フィリップを羽交い締めにして、後ろからナイフを振り下ろそうとして、クリスに止められるシーンね。
あそこでエリックわざわざ、ナイフを投げて持ち替えるじゃん。なんでそんなことするのか謎のアクション。落としたらどーすんだ、とはらはらするシーン。
あそこで、ほんとに落とした。
「あ」
全員が、止まった。
……しーん……。
エリックもフィリップも、彼らの下方にいるクリスも警官たちも、みーんな。
固唾をのんだ。
どうしようって。
ナイフがないまま、あるふりをして続けるのか。
それともナイフではなく素手で殺すふりをするのか。
まとぶんが混乱してぐるぐるしているのがわかる。「オレか? オレがなんとかするのか? どーすんだオレ?!!」
静まりかえる客席。静まりかえる舞台。
高まる緊張感、ああまさにクライマックス!!
エリックが、動いた。
フィリップを羽交い締めにしたまま、じりじりと横に動き、落ちているナイフへ、手を伸ばした。
フィリップも、抵抗するふりをしながら、協力。
ふたりでカニ歩きして、無事にナイフ取得。
で、なにごともなかったかのよーに舞台再開。
「うおおおっ」
「お願いやめてエリック!!」
……おもしろいぞキミら。
いやあ、いいもん見ました。
あの、舞台全員の「あ」ってゆー顔。
それでも最後の、クリスティーヌの腕の中で事切れるエリックに、再び号泣しましたとも。
オサ様大好き。
『マラケシュ』の東宝楽をスカステで見たとき、わたしが知っている『マラケシュ』とあまりにちがっていることに愕然とした。
わたしの知っているリュドヴィークは、テレビ放送されているリュドヴィークとは、あまりに別人だった。
なにコレ。
コレ、わたしが見たかった『マラケシュ』ぢゃない。わたしの愛したリュドヴィークぢゃない。
……もちろんコレが『マラケシュ』でリュドヴィークだということは、わかるけれど。
だってオサ様、同じ演技は二度としないんだもの!!
日によって公演によって、別人があたりまえなんだもの!!
わたしは、わたしが「視た」ときのリュドヴィークをリュドヴィークだと思うし、複数のリュドのなかでも、いちばんわたしの感性に合うリュドをリュドだと認識して、記憶に刻んでいるのよ。
だから、今さら映像で、別のリュドヴィークを見せられても、混乱する。落胆する。
わたしが愛したリュドヴィークは、もうどこにもいないんだ。
記録映像の中にさえ。
その事実が、悲しい。
泣けてくるほどせつない。
オサ様は、ナマで視てなんぼの人。
スカステやDVDが無意味な人。
変わり続ける、ナマの感情で、感覚で、酔わせる人。
『ファントム』でも、そうだ。
ムラで『ファントム』を観たとき、エリック@オサがあまりに幼くなりすぎていて、興醒めした。
いたいけでせつない少年だけど、わたしが見たいオサ様は子役ぢゃない。
どんなにエリックが愛されていて、キャリパパ@ゆみこといちゃいちゃしていても、ショタの気のないわたしには、萎えるばかり。
ムラの当日B席で観劇したときのエリックが、いちばんよかった。適度に青年で、そして可哀想で。
歌声も冴え渡り、キャリパパとの銀橋の響き合いは素晴らしかった。
『ファントム』という作品自体に萎え気味だったけれど、それを持ち直させてくれる出来の良さだった。
なんだ、『ファントム』もけっこーいいじゃん。……そう思ったけれど、次に観たときはまた、そのときほどの昂揚は得られず、気分は下を向いた。
なんとなく盛り上がりに欠けるままの、東宝観劇。
席はそこそこ、1階S席センター。……てゆーか、わたしの位置、0番? こんなにど真ん中で『ファントム』観るのはじめてだ。
やはり、今までのどの回ともチガウ、新しいエリックがいた。
観る前から、「幼児化が進んで、ひどいことになってるよ」とさんざん威されていたんだけど。
べつに、幼児じゃなかった。
ふつーに青年だった。あわれで、いたいけな青年だった。
キャリパパとの銀橋、キャリパパをはじめて見た。
ど真ん中の席だと、両方見えるんだ。今まで、どこに坐っていようと、たとえ後頭部しか見えなかろうと、エリックしか見てなかったからな。
はじめてちらりとだがキャリパパも見て、そしてあとはずーっとエリックだけ見つめて、だだ泣きした。
銀橋、べつに泣けなかったのになー。泣けたのはムラBB席の1回だけだったのになー。
傷ついた魂が、あえいでいる。
誰を恨むこともない、愛を知る人。
すべての運命を受け入れながら、微笑む人。
なにも欲しがらなかった彼が、ただひとつ欲した少女、クリスティーヌ。
「彼女は僕の顔を見たんだ。彼女は僕のものだ」
……痛みに耐えるような、かなしい顔で、つぶやく。ひとりごとのように。うわごとのように。
泣いているように。あきらめているように。でもどこか、微笑んでいるように。……なにかを耐えた、かなしい顔で、彼はつぶやく。
エリックだ。
あまりに痛々しい、エリックがそこにいる。
無惨なのは顔の傷じゃない。心の傷だ。
ズタズタになりながらも光と愛を信じ生きてきた青年が、すべてを受け入れてなお、手を伸ばさずにいられなかったもの。なにかに背を押されるかのように。運命であるかのように。
エリックの元へ行こうとあがくクリスティーヌ。
クリスティーヌの元へ行こうとあがくエリック。
運命に引き裂かれる恋人たち。
……エリックが、好きだ。
たかこエリックは大好きだったけれど、オサ様エリックは幼児過ぎて好みぢゃなかった。
でも今、このエリックのことは、大好きだ。
子どもじゃない。
少年の魂を持った、あわれな大人の男だ。
ひとり女に恋をする、大人の男だ。
やっぱり、春野寿美礼は、すごい。
この人、すごいよ。
目を離せない。なんなの、この魅力。カリスマ性。
計算してやっているというより、過分に本能的な演技が、ツボにハマったときのカタルシスは他では考えられない。
そして、この人のすごさは、ビデオでは伝わらないんだ。
変わり続ける日々の演技の中にあるんだ。
きっと、この先花組『ファントム』の映像を見ることがあっても、首を傾げるんだろうな。
これは、わたしの視た『ファントム』じゃない。わたしの愛したエリックじゃない、って。
うわあぁぁああん、大好きだオサ様。
どうしよう。もー、どうしよう。なんて人なの。
と、ここまで感動させてくれておいてさ。
フィリップとの対決で、ナイフを落とすのは、どうなの。
いやあ、すばらしい空気でした、劇場内。
フィリップを羽交い締めにして、後ろからナイフを振り下ろそうとして、クリスに止められるシーンね。
あそこでエリックわざわざ、ナイフを投げて持ち替えるじゃん。なんでそんなことするのか謎のアクション。落としたらどーすんだ、とはらはらするシーン。
あそこで、ほんとに落とした。
「あ」
全員が、止まった。
……しーん……。
エリックもフィリップも、彼らの下方にいるクリスも警官たちも、みーんな。
固唾をのんだ。
どうしようって。
ナイフがないまま、あるふりをして続けるのか。
それともナイフではなく素手で殺すふりをするのか。
まとぶんが混乱してぐるぐるしているのがわかる。「オレか? オレがなんとかするのか? どーすんだオレ?!!」
静まりかえる客席。静まりかえる舞台。
高まる緊張感、ああまさにクライマックス!!
エリックが、動いた。
フィリップを羽交い締めにしたまま、じりじりと横に動き、落ちているナイフへ、手を伸ばした。
フィリップも、抵抗するふりをしながら、協力。
ふたりでカニ歩きして、無事にナイフ取得。
で、なにごともなかったかのよーに舞台再開。
「うおおおっ」
「お願いやめてエリック!!」
……おもしろいぞキミら。
いやあ、いいもん見ました。
あの、舞台全員の「あ」ってゆー顔。
それでも最後の、クリスティーヌの腕の中で事切れるエリックに、再び号泣しましたとも。
オサ様大好き。
はぢめての、まっつです。@トークスペシャル in 東京
2006年9月24日 タカラヅカ まっつ落ちしてから早1年。頑なにお茶会参加すら拒んでいるわたしにとって、『トークスペシャル in 東京』(出演・未涼亜希、望海風斗)は、ナマのまっつをはぢめて体験しちゃうイベントなわけなんです。もぢもぢ。
オチる前は、ステージトークを見に行ったりしてたんですがね。今さらどっきどきの初対面(一方的)だったわけです。もぢもぢ。
しかも、友人ってありがたい、最前列センターを譲ってくれました。てゆーかよく当てるよな、そんな。わたしのチケ運はこのナマまっつで燃え尽きたのかもしれません。まっつが目の前。もぢもぢ。
まっつとだいもんのトークショーって、よりによってこの面子というのがありがたいやらとまどうやら。
まっつオチしているだけでなく、だいもん少年もわたしにとっちゃ特別な気になる男の子だもん。なんておいしい顔ぶれなの。
さて。
舞い上がっていたせいかろくになにもおぼえていないトークショー。
強烈におぼえているのは、まっつの閉じた膝と足の甲までのパンツの裾。
彼らが会場に入ってきたとき、わたしはまっつのパンツ丈がひどく気になった。ものすげーハイヒールを履いているにもかかわらず、靴の先まで隠れるよーな長すぎるパンツを穿いてるのよまつださん。ヒールがなけりゃまちがいなく松の廊下状態。
だいもんくんはふつーのパンツ丈。甲が隠れる程度のきれいな長さ。
ふたりで打ち合わせしてベージュにしたという、きれいなスーツ姿だったけれど、パンツ丈まちがってないかまっつ?
答えはすぐに出た。
トークショーで立ったままなのはほんのわずかな間だ。1時間のうちほとんどは坐っていることになる。
壇上の椅子に坐るまっつの長すぎるパンツは、ちょうど足の甲を隠す位置となった。
膝を閉じ、脚を前後にずらす形で坐るまっつは、とても端正だった。
一方だいもんくんは。
立っているときにちょうどいいパンツ丈だったので、坐ると足の甲全開。足首まで見えてしまう。また、膝も開いていて、あまりきれいな坐り方といえない。
まっつ……慣れてる。
暴走するでなく、スタンドプレイするでなく、司会者の話に適度に答えだいもんくんにも話を振り、にこやかに話すまっつは、まぎれもなく芸能人だった。
話の内容よりなにより、そんなことに感動していたんだ。
まっつ……かっこいー。
アタマのよさを感じさせる姿が、話し方が、なんかすごくかっこいい。
芸能人といってもね、「女性タレント」ぢゃないの。ちゃんと「タカラヅカの男役」として話しているの。構えとか所作とか、心の立ち位置とか。
となりにいるのが「まだふつーに女の子」のだいもんくんだから余計にそう見えるのかもしれないが。
この人、きちんと「男役」なんだなあ。
仕事ができる人がいろんな意味で好きなので、こんなふーに立場をわきまえた仕事ぶりを見せてくれると、わくわくする。
トーク・イベント初出演だというだいもんくんは、最初めちゃくちゃ緊張していたんだけど、緊張がテンション上昇になり、成り行きのままタニちゃんに、愛の告白をしていた。
おーい、だいもん、これテレビ放送するって知ってるかぁ? なにテンパって告ってるんだ(笑)。
だいもんは、タニちゃんにあこがれてジェンヌになったらしい。
タニちゃんを見て自分もヅカに入ろうと思ったらしい。
……すまん、ソレを聞いたときわたしは、「これくらいなら自分もできると思ったんぢゃない?」と、大変失礼なことを考えちゃったよ。だってタニちゃんとだいもんだったら、歌とかだいもんの方がはるかにうま……ゲフンゲフン。
話がめためたになっていくだいもんがすげーかわいい。そして、それを受け止め、からかうよーに愛でるよーに眺めていたりいじっていたりするまっつが、攻っぽくて素敵(笑)。
にしても、だいもんくんはお肌つるつる。若いっていいなあ。
まっつはええっと、やっぱり年齢不詳だ。お肌コンディションはいまいち? 目の下のシワもはっきりわかるし。同年齢の女の子より、ある意味老けて見えるかも。
でもいいんだ、その年齢不詳さとシワごと好きだから(笑)。
いろいろ話していたけど、耳に残ったのは、『ファントム』のオーベロンについての話題。
まっつはあそこでほんのわずかだけど、ソロがある。
歌いにくい歌らしくて、最初の歌い出しは音程があやういことが多い。そのあたりの話になるのかと思いきや。
「オサさんの指揮で歌っているので」
「指揮をしているオサさんをちゃんと見たいけど、目線を下げることが出来ない」
「いつか指揮をしているオサさんを見たい」
てなことしか、言わない。
えーと。
まっつにとってのオベ様ソロは、春野寿美礼サマの指揮で歌うということが最重要ポイントなのか!!
や、たしかにあそこはエリック@オサ様が指揮をしているけど……それとはまったく切り離して考えてたよ。ぶっちゃけ、考えたことなかったよ。
まっつ……ほんまにオサ様好きなんやね……。ホロリ。
ところで、最後の「お土産手渡し」ですが。
わたしと木ノ実さんは会場を出るのが最後になってしまったのだけど(後方席から出るので、最前列組は必然的に最後になる)、先に会場を出ていたドリーさんとnanaタンは、「あとから来る友だちを待つ」という大義名分で、いつまでもまっつとだいもんの側に立っていたらしい。
いいなあソレ、おいしいなあ。
わたしと木ノ実さんが順番を待っている間、ずーっと間近でまっつとだいもんを見ていられたってことでしょう?
わたしたちが無事にまっつからお土産カードを手渡してもらい、合流するなり言うのですよ、ドリーさんとnanaタン。
「まっつとだいもんって、鼻のカタチが同じ!!」
他の角度からだとぴんとこなくても、横顔だと一目瞭然だという。テーブルに並ぶふたりの顔を真横から眺めていての発見。
「なんで緑野さんが、まっつとだいもんを好きなのかわかった」
ははは。
同じか、そうか。
まっつとだいもんの鼻のカタチが「同じ」とまでは思ってなかったけれど、好きな鼻であることはたしか。
まっつの顔の中で、たぶんいちばん、鼻が好き。あの鼻さえ別のカタチならもっと美人だったかもしれないのに、と言われる個性的な鼻だけど、アレがいいの。
大きくて存在感がある、高い鼻が好き。鷲鼻とか大好物。横顔で、鼻がきちんと存在を主張している顔が好き。
だいもんの鼻も好きだ。あとすずみんとか、お花様とか、そしてなんといってもケロの鼻。
ぐだぐだとまっつの顔を眺めていることも出来たのかもしれないが、お土産を受け取ったあとはすぐに退場。や、なんか舞い上がっていたので。照れまくっていたので。
はぢめてのナマまっつ。
なんにもおぼえてないけど、いいんだ、いずれスカステで放送あるし。なにを言ったどうしたより、ほわわんとした夢見心地だけ、おぼえていよう。
……質問コーナーがあったら、「『タイターニア』でリシャールの役付が上がったのは、文化大臣がパトロンについたせいですか?」と聞いてみたかったんだが……なくてよかったかな。
オチる前は、ステージトークを見に行ったりしてたんですがね。今さらどっきどきの初対面(一方的)だったわけです。もぢもぢ。
しかも、友人ってありがたい、最前列センターを譲ってくれました。てゆーかよく当てるよな、そんな。わたしのチケ運はこのナマまっつで燃え尽きたのかもしれません。まっつが目の前。もぢもぢ。
まっつとだいもんのトークショーって、よりによってこの面子というのがありがたいやらとまどうやら。
まっつオチしているだけでなく、だいもん少年もわたしにとっちゃ特別な気になる男の子だもん。なんておいしい顔ぶれなの。
さて。
舞い上がっていたせいかろくになにもおぼえていないトークショー。
強烈におぼえているのは、まっつの閉じた膝と足の甲までのパンツの裾。
彼らが会場に入ってきたとき、わたしはまっつのパンツ丈がひどく気になった。ものすげーハイヒールを履いているにもかかわらず、靴の先まで隠れるよーな長すぎるパンツを穿いてるのよまつださん。ヒールがなけりゃまちがいなく松の廊下状態。
だいもんくんはふつーのパンツ丈。甲が隠れる程度のきれいな長さ。
ふたりで打ち合わせしてベージュにしたという、きれいなスーツ姿だったけれど、パンツ丈まちがってないかまっつ?
答えはすぐに出た。
トークショーで立ったままなのはほんのわずかな間だ。1時間のうちほとんどは坐っていることになる。
壇上の椅子に坐るまっつの長すぎるパンツは、ちょうど足の甲を隠す位置となった。
膝を閉じ、脚を前後にずらす形で坐るまっつは、とても端正だった。
一方だいもんくんは。
立っているときにちょうどいいパンツ丈だったので、坐ると足の甲全開。足首まで見えてしまう。また、膝も開いていて、あまりきれいな坐り方といえない。
まっつ……慣れてる。
暴走するでなく、スタンドプレイするでなく、司会者の話に適度に答えだいもんくんにも話を振り、にこやかに話すまっつは、まぎれもなく芸能人だった。
話の内容よりなにより、そんなことに感動していたんだ。
まっつ……かっこいー。
アタマのよさを感じさせる姿が、話し方が、なんかすごくかっこいい。
芸能人といってもね、「女性タレント」ぢゃないの。ちゃんと「タカラヅカの男役」として話しているの。構えとか所作とか、心の立ち位置とか。
となりにいるのが「まだふつーに女の子」のだいもんくんだから余計にそう見えるのかもしれないが。
この人、きちんと「男役」なんだなあ。
仕事ができる人がいろんな意味で好きなので、こんなふーに立場をわきまえた仕事ぶりを見せてくれると、わくわくする。
トーク・イベント初出演だというだいもんくんは、最初めちゃくちゃ緊張していたんだけど、緊張がテンション上昇になり、成り行きのままタニちゃんに、愛の告白をしていた。
おーい、だいもん、これテレビ放送するって知ってるかぁ? なにテンパって告ってるんだ(笑)。
だいもんは、タニちゃんにあこがれてジェンヌになったらしい。
タニちゃんを見て自分もヅカに入ろうと思ったらしい。
……すまん、ソレを聞いたときわたしは、「これくらいなら自分もできると思ったんぢゃない?」と、大変失礼なことを考えちゃったよ。だってタニちゃんとだいもんだったら、歌とかだいもんの方がはるかにうま……ゲフンゲフン。
話がめためたになっていくだいもんがすげーかわいい。そして、それを受け止め、からかうよーに愛でるよーに眺めていたりいじっていたりするまっつが、攻っぽくて素敵(笑)。
にしても、だいもんくんはお肌つるつる。若いっていいなあ。
まっつはええっと、やっぱり年齢不詳だ。お肌コンディションはいまいち? 目の下のシワもはっきりわかるし。同年齢の女の子より、ある意味老けて見えるかも。
でもいいんだ、その年齢不詳さとシワごと好きだから(笑)。
いろいろ話していたけど、耳に残ったのは、『ファントム』のオーベロンについての話題。
まっつはあそこでほんのわずかだけど、ソロがある。
歌いにくい歌らしくて、最初の歌い出しは音程があやういことが多い。そのあたりの話になるのかと思いきや。
「オサさんの指揮で歌っているので」
「指揮をしているオサさんをちゃんと見たいけど、目線を下げることが出来ない」
「いつか指揮をしているオサさんを見たい」
てなことしか、言わない。
えーと。
まっつにとってのオベ様ソロは、春野寿美礼サマの指揮で歌うということが最重要ポイントなのか!!
や、たしかにあそこはエリック@オサ様が指揮をしているけど……それとはまったく切り離して考えてたよ。ぶっちゃけ、考えたことなかったよ。
まっつ……ほんまにオサ様好きなんやね……。ホロリ。
ところで、最後の「お土産手渡し」ですが。
わたしと木ノ実さんは会場を出るのが最後になってしまったのだけど(後方席から出るので、最前列組は必然的に最後になる)、先に会場を出ていたドリーさんとnanaタンは、「あとから来る友だちを待つ」という大義名分で、いつまでもまっつとだいもんの側に立っていたらしい。
いいなあソレ、おいしいなあ。
わたしと木ノ実さんが順番を待っている間、ずーっと間近でまっつとだいもんを見ていられたってことでしょう?
わたしたちが無事にまっつからお土産カードを手渡してもらい、合流するなり言うのですよ、ドリーさんとnanaタン。
「まっつとだいもんって、鼻のカタチが同じ!!」
他の角度からだとぴんとこなくても、横顔だと一目瞭然だという。テーブルに並ぶふたりの顔を真横から眺めていての発見。
「なんで緑野さんが、まっつとだいもんを好きなのかわかった」
ははは。
同じか、そうか。
まっつとだいもんの鼻のカタチが「同じ」とまでは思ってなかったけれど、好きな鼻であることはたしか。
まっつの顔の中で、たぶんいちばん、鼻が好き。あの鼻さえ別のカタチならもっと美人だったかもしれないのに、と言われる個性的な鼻だけど、アレがいいの。
大きくて存在感がある、高い鼻が好き。鷲鼻とか大好物。横顔で、鼻がきちんと存在を主張している顔が好き。
だいもんの鼻も好きだ。あとすずみんとか、お花様とか、そしてなんといってもケロの鼻。
ぐだぐだとまっつの顔を眺めていることも出来たのかもしれないが、お土産を受け取ったあとはすぐに退場。や、なんか舞い上がっていたので。照れまくっていたので。
はぢめてのナマまっつ。
なんにもおぼえてないけど、いいんだ、いずれスカステで放送あるし。なにを言ったどうしたより、ほわわんとした夢見心地だけ、おぼえていよう。
……質問コーナーがあったら、「『タイターニア』でリシャールの役付が上がったのは、文化大臣がパトロンについたせいですか?」と聞いてみたかったんだが……なくてよかったかな。
孤独の天使。@堕天使の涙
2006年9月23日 タカラヅカ 植田景子は、あて書きをしない。
これは、ここ数年の印象だった。
彼女があて書きをしたのって、『シンデレラ・ロック』ぐらいじゃないの? 『ICARUS』だってあて書きとは思えない。たんに自分がやってみたかったんだ、としか。
『ルートヴッヒ』とか、健康優良児のタモさんに耽美をやらせて自爆してみたり、情熱的な恋をする禁断の恋人たちをよりによってあのオサ&ふーにやらせてみたり。あて書きをしていたら、ありえない失敗をしている。
ただ、景子せんせのいいところは、ニュートラルにかっこいい主人公を描くところだ。
あて書きをしなくても、誰が演じてもかっこいい役を描くから、無問題。
『ルー』のタモさんとか、『パレルモ』のオサ&ふーとか、できないことをやらせていない限り、「誰が演じてもかっこいい役」なら、スターが演じればふつーにかっこよくなる。
あて書きをしない、が前提の景子先生なのに。
今回は、あて書きをしている。
雪組公演『堕天使の涙』は、まちがいなくコム姫あて書きだよねえ? まーちゃんあて書きだよねえ?
他の人にはできないもの。
堕天使ルシファー@コムは神が創った「人間」に嫉妬し、神によって地獄へ落とされたんだって。
だから彼は、探し続ける。
神が「人間」を愛する理由を。
物語は20世紀はじめくらいのパリ。
芸能界はいつの時代も欲と毒に満ちている。
実の母@まゆみ姐さんと憎み合っている振付家のジャン=ポール@水、弟子@ひろみの曲を自分の名で発表しようとする作曲家@壮、夢を叶えるためにパトロンを作るダンサー@さゆと彼女に捨てられる善良だがびんぼーなピアニスト@キム。
ルシファーは、「人間」がどれほど醜いか、弱くてまちがっているかをあげつらい、あおり立てる。
……とまあ、この設定とストーリーラインがね、あて書き以外の何物でもないと思えるの。
ルシファーは人間たちの物語には直接関与しない。添うように、そこにいるだけ。
シニカルに眺め、自分の正体を知っているジャンPに露悪めいた台詞を投げつけるだけ。
際立つのは、ルシファーの孤独感。
人間たちと同じ地平にいない彼。
人間たちの罪にも慟哭にも流されない彼。
ルシファーは、ひとりだ。こんなにも、ひとりぼっちだ。
神が何故、「人間」を創ったか。神が何故、「人間」を愛したか。
それがわからず、いや、わかりたくなくて彼は罪を弄ぶ。
「人間」がどれほど愚かで醜いかをあげつらう。自分ではなく「人間」を愛した神に、「アナタが愛したものはこんなに醜い」と言って嗤う。それを神への復讐だという。
傷つけているのは、自分自身でしょう?
「人間」を貶めることで、さらに貶めているのは、ルシファー自身。
美貌が自慢のお姫様がいました。
だけど、彼女が夢中になっている王子様は、彼女ではなく別の女の子を選びました。
お姫様は怒り狂い、女の子を泥の中に突き落として言います。
「ほら、この子はこんなに泥だらけよ。こんなに汚いわ。アナタはこんな子を好きだというの?」
王子様は言います。
「泥だらけでも、この子の方が好きだ」
お姫様は女の子の服や装飾品を奪い取りました。身分も地位も奪い取りました。
「ほら、この子はなにも持っていないわ。アナタはこんな子を好きだというの?」
王子様は言います。
「なにも持っていなくても、この子の方が好きだ」
お姫様が女の子を貶めれば貶めるほど、お姫様自身がみじめになっていくのです。
人間を、愛したい。
堕天使ルシファーがほんとうの意味で欲していたこと。
愛したいのに愛せないから、愛したくないから、駄々をこねていた。
人間の美しさを認めてしまったら、負けを認めることになる。
だけど、「選ばれなかった」時点で彼は負けているんだ。
ただ、ソレを認めまいとしている。
神が「人間」を愛している。
その前提を受け入れるならば、「人間」は神の愛にふさわしい存在であるということだ。
だが、前提を受け入れられないルシファーは、はじめから歪んだ目で「人間」を見つめる。アンチ目線ってやつですな。アンチだから、なにをやっても言っても、全部悪く映る。
そのことで、結局傷つくのは自分なのに。
際立つ孤独感。
自ら望んで人間の醜さを嘲笑っているはずなのに、無表情な彼にいたましさが見える。
愛したい。
愛することが出来たら、救われるのに。
彼自身が、心に壁を作り、決して人間を愛すまい、認めまいとしている。
誰か、彼を救って。
心を閉ざし、孤独の底にいる美しい人を救って。
人間たちのドラマを描きながら、浮かび上がってくるのは、ルシファーの孤独感。
物語の外側にいる天使の、壮絶な孤独。
人間たちはいいよ。愛したり憎んだり、関わり合ってるじゃないか。
ルシファーにはそれすらないんだ。
彼は同じ世界に生きていないもの。
別の存在なんだもの。
コム姫あて書きだろ、コレ。
この壮絶な孤独感、異世界存在感を出すのは、コム姫の特性だろ。
たとえば、『銀の狼』のような。
研ぎ澄まされた、絶望的な孤独感。
『堕天使の涙』を視ていて、痛切に思いだしたよ。『銀の狼』と『スサノオ』。
コム姫が「孤独」を演じて秀逸だった作品。
ルシファーが良くも悪くも「大人」である分、その孤独は『銀の狼』を思い出させ、物語的には『スサノオ』を彷彿とさせる。あああれも、人間たちの中にただひとり立つ神の物語だったっけ。
愛されない。
愛せない。
すべてを否定した「孤独」の中にいる男の前に。
清冽な光が射す。
リリス@まーちゃんの、光。
満身創痍で余命数日の盲目の娼婦は微笑む。「すべてを受け入れる」と。
神に愛されなかった。母に愛されなかった。運命に愛されなかった。
あらゆる苦しみ、負の感情。それらすべてを受け止め、昇華し。
赦す、と。
自暴自棄になったスサノオの前に、清冽な少女イナダヒメが立ったように。
孤独という闇の中に、白い少女が立つ。裸足で、踊り出す。光をまとって。
それまでの孤独感と、リリスの持つ光とのコントラストがすごい。
宗教画のようだ。
まーちゃんあて書きだろ、コレ。この清浄さは、まーちゃんの持つ特性だよな?
絶望から、救いへ。
憎しみから、赦しへ。
闇から、光へ。
コム姫の孤独すぎる姿に胸がつぶれそうなほど痛み、まーちゃんの清らかな光に悲鳴をあげそうなほどせつなくなった。
痛い。
痛みに満ちた……そして、救いへ辿り着く物語。
すげえ。
景子せんせ、あて書きできるんだ。
あて書きしたら、こんなすごいことになるんだ。
ラストの、怒濤の説明台詞は健在。うわ、景子タンクオリティだ(笑)。
ルシファーが「愛を認める」ことができれば、「人間」を認めることさえ出来れば、彼は救われるわけだから。
今さら天上界には戻れないとしても、人間界で生きることができないにしても。
魂の孤独からは、解き放たれた。魂の否定からは、解き放たれた。
王子様は、お姫様の愛を拒絶し、なにも持たない泥だらけの女の子とお城を出て行きました。
王子様や女の子のことを憎んでいたときは、つらいだけの日々だったお姫様も、今では平穏に暮らしています。
「あの女の子にも、いいところはあったわ。だから王子様が愛したのね」
お姫様がどう生きるか、どうしあわせになるかは、これからのお姫様次第です。
お姫様はひとりぼっちのお城で、静かにお茶を飲みながら空を眺めていました。
いやその。
ラストの、前を向いたまま、じりじり後退していく装置は、どうかと思う。てかぶっちゃけやめてくれ(笑)。
これは、ここ数年の印象だった。
彼女があて書きをしたのって、『シンデレラ・ロック』ぐらいじゃないの? 『ICARUS』だってあて書きとは思えない。たんに自分がやってみたかったんだ、としか。
『ルートヴッヒ』とか、健康優良児のタモさんに耽美をやらせて自爆してみたり、情熱的な恋をする禁断の恋人たちをよりによってあのオサ&ふーにやらせてみたり。あて書きをしていたら、ありえない失敗をしている。
ただ、景子せんせのいいところは、ニュートラルにかっこいい主人公を描くところだ。
あて書きをしなくても、誰が演じてもかっこいい役を描くから、無問題。
『ルー』のタモさんとか、『パレルモ』のオサ&ふーとか、できないことをやらせていない限り、「誰が演じてもかっこいい役」なら、スターが演じればふつーにかっこよくなる。
あて書きをしない、が前提の景子先生なのに。
今回は、あて書きをしている。
雪組公演『堕天使の涙』は、まちがいなくコム姫あて書きだよねえ? まーちゃんあて書きだよねえ?
他の人にはできないもの。
堕天使ルシファー@コムは神が創った「人間」に嫉妬し、神によって地獄へ落とされたんだって。
だから彼は、探し続ける。
神が「人間」を愛する理由を。
物語は20世紀はじめくらいのパリ。
芸能界はいつの時代も欲と毒に満ちている。
実の母@まゆみ姐さんと憎み合っている振付家のジャン=ポール@水、弟子@ひろみの曲を自分の名で発表しようとする作曲家@壮、夢を叶えるためにパトロンを作るダンサー@さゆと彼女に捨てられる善良だがびんぼーなピアニスト@キム。
ルシファーは、「人間」がどれほど醜いか、弱くてまちがっているかをあげつらい、あおり立てる。
……とまあ、この設定とストーリーラインがね、あて書き以外の何物でもないと思えるの。
ルシファーは人間たちの物語には直接関与しない。添うように、そこにいるだけ。
シニカルに眺め、自分の正体を知っているジャンPに露悪めいた台詞を投げつけるだけ。
際立つのは、ルシファーの孤独感。
人間たちと同じ地平にいない彼。
人間たちの罪にも慟哭にも流されない彼。
ルシファーは、ひとりだ。こんなにも、ひとりぼっちだ。
神が何故、「人間」を創ったか。神が何故、「人間」を愛したか。
それがわからず、いや、わかりたくなくて彼は罪を弄ぶ。
「人間」がどれほど愚かで醜いかをあげつらう。自分ではなく「人間」を愛した神に、「アナタが愛したものはこんなに醜い」と言って嗤う。それを神への復讐だという。
傷つけているのは、自分自身でしょう?
「人間」を貶めることで、さらに貶めているのは、ルシファー自身。
美貌が自慢のお姫様がいました。
だけど、彼女が夢中になっている王子様は、彼女ではなく別の女の子を選びました。
お姫様は怒り狂い、女の子を泥の中に突き落として言います。
「ほら、この子はこんなに泥だらけよ。こんなに汚いわ。アナタはこんな子を好きだというの?」
王子様は言います。
「泥だらけでも、この子の方が好きだ」
お姫様は女の子の服や装飾品を奪い取りました。身分も地位も奪い取りました。
「ほら、この子はなにも持っていないわ。アナタはこんな子を好きだというの?」
王子様は言います。
「なにも持っていなくても、この子の方が好きだ」
お姫様が女の子を貶めれば貶めるほど、お姫様自身がみじめになっていくのです。
人間を、愛したい。
堕天使ルシファーがほんとうの意味で欲していたこと。
愛したいのに愛せないから、愛したくないから、駄々をこねていた。
人間の美しさを認めてしまったら、負けを認めることになる。
だけど、「選ばれなかった」時点で彼は負けているんだ。
ただ、ソレを認めまいとしている。
神が「人間」を愛している。
その前提を受け入れるならば、「人間」は神の愛にふさわしい存在であるということだ。
だが、前提を受け入れられないルシファーは、はじめから歪んだ目で「人間」を見つめる。アンチ目線ってやつですな。アンチだから、なにをやっても言っても、全部悪く映る。
そのことで、結局傷つくのは自分なのに。
際立つ孤独感。
自ら望んで人間の醜さを嘲笑っているはずなのに、無表情な彼にいたましさが見える。
愛したい。
愛することが出来たら、救われるのに。
彼自身が、心に壁を作り、決して人間を愛すまい、認めまいとしている。
誰か、彼を救って。
心を閉ざし、孤独の底にいる美しい人を救って。
人間たちのドラマを描きながら、浮かび上がってくるのは、ルシファーの孤独感。
物語の外側にいる天使の、壮絶な孤独。
人間たちはいいよ。愛したり憎んだり、関わり合ってるじゃないか。
ルシファーにはそれすらないんだ。
彼は同じ世界に生きていないもの。
別の存在なんだもの。
コム姫あて書きだろ、コレ。
この壮絶な孤独感、異世界存在感を出すのは、コム姫の特性だろ。
たとえば、『銀の狼』のような。
研ぎ澄まされた、絶望的な孤独感。
『堕天使の涙』を視ていて、痛切に思いだしたよ。『銀の狼』と『スサノオ』。
コム姫が「孤独」を演じて秀逸だった作品。
ルシファーが良くも悪くも「大人」である分、その孤独は『銀の狼』を思い出させ、物語的には『スサノオ』を彷彿とさせる。あああれも、人間たちの中にただひとり立つ神の物語だったっけ。
愛されない。
愛せない。
すべてを否定した「孤独」の中にいる男の前に。
清冽な光が射す。
リリス@まーちゃんの、光。
満身創痍で余命数日の盲目の娼婦は微笑む。「すべてを受け入れる」と。
神に愛されなかった。母に愛されなかった。運命に愛されなかった。
あらゆる苦しみ、負の感情。それらすべてを受け止め、昇華し。
赦す、と。
自暴自棄になったスサノオの前に、清冽な少女イナダヒメが立ったように。
孤独という闇の中に、白い少女が立つ。裸足で、踊り出す。光をまとって。
それまでの孤独感と、リリスの持つ光とのコントラストがすごい。
宗教画のようだ。
まーちゃんあて書きだろ、コレ。この清浄さは、まーちゃんの持つ特性だよな?
絶望から、救いへ。
憎しみから、赦しへ。
闇から、光へ。
コム姫の孤独すぎる姿に胸がつぶれそうなほど痛み、まーちゃんの清らかな光に悲鳴をあげそうなほどせつなくなった。
痛い。
痛みに満ちた……そして、救いへ辿り着く物語。
すげえ。
景子せんせ、あて書きできるんだ。
あて書きしたら、こんなすごいことになるんだ。
ラストの、怒濤の説明台詞は健在。うわ、景子タンクオリティだ(笑)。
ルシファーが「愛を認める」ことができれば、「人間」を認めることさえ出来れば、彼は救われるわけだから。
今さら天上界には戻れないとしても、人間界で生きることができないにしても。
魂の孤独からは、解き放たれた。魂の否定からは、解き放たれた。
王子様は、お姫様の愛を拒絶し、なにも持たない泥だらけの女の子とお城を出て行きました。
王子様や女の子のことを憎んでいたときは、つらいだけの日々だったお姫様も、今では平穏に暮らしています。
「あの女の子にも、いいところはあったわ。だから王子様が愛したのね」
お姫様がどう生きるか、どうしあわせになるかは、これからのお姫様次第です。
お姫様はひとりぼっちのお城で、静かにお茶を飲みながら空を眺めていました。
いやその。
ラストの、前を向いたまま、じりじり後退していく装置は、どうかと思う。てかぶっちゃけやめてくれ(笑)。
世界の中心に、強く美しい人が立つ。@タランテラ!
2006年9月22日 タカラヅカ あれは、『アルバトロス、南へ』をバウホールで観たあと。
わたしは白木蓮ちゃん相手に、なんかものすげー興奮して喋っていた。感情が高ぶって、半泣きになっていた。
……ごめんよ、パクちゃん。めーちゃ年下の女の子相手に、なにをやってんだか。
コムちゃんファンの人と話したかったんだよ。『アルバ』を、語りたかったの。
で、自分でもこりゃまずい、大人としてこの興奮っぷりはいかんやろ、パクちゃんドン引きしてんぢゃねえ? と、びびっていたとき。
「オギーの『タランテラ!』を、たのしみにしているんですよ。なんといっても、壮くんの使い方を」
パクちゃんが言った。
自分の醜態を恥じて「どーしよー」とアタマを抱えていたわたしに、パクちゃんはそう言って、すこんと話を変えてくれたんだ。
荻田浩一が、壮一帆を、どう使うか。
想像しただけで、爆笑してしまいました。
たのしみだ。そりゃー、めっちゃくちゃたのしみだっ。
つーことで、あれほど熱くイタく『アルバ』を語り、目に涙を溜めて熱弁をふるっていたのに、わたしとパクちゃんの会話の最後は、「壮一帆」。わたしの『アルバ』感想の最後は、「壮一帆」。ふたりして爆笑して終わりました。
すげえよ、壮一帆。
とゆーことで、壮くんに心をときめかせて、行って来ました雪組公演『タランテラ!』初日!!(芝居はちょっと横へ置いておく)
わたしは水くんLOVEな人間なので、オギーが水くんをどう使うか、どのよーなあて書きをするかを、とてもたのしみにしておりました。
………………。
オギー、水くんにあんまし興味ないんだね……。涙。
いや、そーぢゃないかな、とは、ちと思ってはいたんだ……いたんだよ……。でもさ、こうまであからさまな扱いをされるとさ……(笑)。
期待の壮くんは、期待をはずさない使われ方でしたとも。
終演後にパクちゃんと会ったんだけど、彼女も壮くんの素敵さに、大きな瞳をきらきら輝かせておりました。
プロローグからすごかったよ。
毒々しいきらびやかな人たちの中に、必殺リーマンヘア&地味スーツで登場! で、みんなに喰われる。毒蜘蛛たちに弄ばれ、ヘタレ全開。おー、キムにまで喰われてるー。きゃー。
ヘタレでなければ、スカンと明るい場面や、キャラクタとして使う。派手な衣装で銀橋渡ったりねっ。
いいなあ、壮一帆。癒やし系だよ。
この人の毒のなさ、空気のちがい、周囲からの浮きっぷり。すばらしい個性だ。
ほら、壮くんってなまじ美形ぢゃん?
センスのない人だと、「美形」=「耽美」とか、安直に思い込むぢゃん?
「美形」と「耽美」は、別の概念。併せ持つ人もいるけど、壮くんはそうぢゃない。
いやあ、さすがオギー。
壮くんにフリルブラウス着せて、オスカル様カツラかぶせて、コム姫とえっちくさく男同士で踊らせたりしないんだよ!!
ほれ、つい先日、センスのない人の「エセ耽美」見せられたとこだからさあ(笑)。や、かっしーにもちぎにも罪はない。やらせたヤツが悪い。
わたしが盛大に引っかかっているのは、この素敵壮一帆と、愛する水夏希先輩の使われ方に、あまり差がなかったこと。
番手の話じゃないよ。
キャラクタとして。
水くんはもちろん、2番手としてコム姫とがっぷり組んでみたり、かっこよかったりおいしかったりしていますよ。
ただ。
オギー的に、水くんは好みぢゃなかったってことなのかなぁ、と。
水くんは、健康な人だと思うの。カラダがではなく、魂が。
そして、魂が健康な人って、オギー的ではないんだよね。
健康は健康でも、ハマコくらい突き抜けて、「頑丈」って感じになればまだ別なんだろうけど。
水くん、適度に繊細だからなぁ。
さて。
壮くんと水くんを語るだけではなんなので。
レビュー・アラベスク『タランテラ!』とやら。
毒々しい色彩の洪水。いつものオギーショーの洗練とは、おもむきがチガウかな。群舞と娘たちの独唱、とにかくダンスダンスダンス。
なんつーか、アレだな。
教会のステンドグラスというより、カラーセロファンとアルミホイルで創った子ども工作のステンドグラスみたい。
安っぽい。
だが、安っぽいことが、不安をかき立てる。
夏祭りの夜店の、裸電球が作る美しさというか。
まがいものだと、太陽の光の下だとメッキがはがれることがわかっていて、今この瞬間の美しさだけを愛でるよーな。
その嘘くさい色彩世界で、タランテラ@コム姫が踊る。
彼は変わらない。
物語が変わり、舞台が変わっても、彼は変わらないんだ。
で。
んな変わらない人だけぢゃ、どーしよーもないわな。
この「物語」を「視る」なら、もうひとりの主人公に注目しなければならない。
もうひとりの主人公……いや、影の主人公、真の主人公と呼ぶべきか?
キムだ。
タランテラ@コム姫は「象徴」として世界の中心に存在し、彼のミラーとしてキムが存在する。
変わらないコムと対照的に、キムは変わり続ける。ときに残酷に笑い、毒を振りまき、純粋な憧れや寂寥、もどかしさをも表現する。
『パッサージュ』の主演がトドであったのに、主役がコム姫であったよーに、『タランテラ!』では主役の位置にキムを配したようだ。
そしてそれは、時の流れと、コム姫への讃辞と哀悼でもあると思う。
『アルバトロス、南へ』へ、コム姫はかつて自分が演じた役を相手に、現在の男役・朝海ひかるとして対峙した。
そしてこの『タランテラ!』では、かつて自分が演じたポジション……作品の中枢を表現する「主役」をキムに譲り、「主演」をつとめた。
あの少年天使は成長し、なにものにも揺るがないタランテラとなり、かつての少年@キムを背後に置く。
コム姫。
こんなところまで、やってきたんだね、アナタは。
……てゆーかこの作品、キムをガン見してないとストーリーについていなくなるんぢゃあ……?
ふつートップスター退団作品で、下っ端の男の子をガン見しているファンは少ないと思うが……いいのか、この作りで?
壮くんとキムのパレードの立ち位置のことで、友人のユウさんが憤慨していたけれど(はい、ついにブログ登場ですよユウさん>私信)、そんなのささやかですよ、水ファン的には。
ショーが終わってから、パクちゃんとにこやかに、
「キムくんが2番手でしたねっ」
と、会話してしまえるくらい、「物語」的に、比重がキムの方が上だったんだもん。
水くんがいなくても物語は成り立つけれど、キムがいないと成り立たない。
……オギー……あうあう。
正直者め……。
でも、壮くんは銀橋ひとり渡りするシーンをもらっていたし、水くんだってコム姫といっぱい絡んで、いいシーンをたくさんもらっていた。あーついでにエトワールだしなー。コム姫への愛を歌う歌だっけ? コレを水に歌わせるのって絶対確信犯(笑)。
とまあ、「物語」に絡んでいなくても、つりあいは取れるよーにしてあるんだ。……ずるいよなー。
目がいくつあっても足りない、含みがあちこちにありすぎる作品。
チケットぜんぜん持ってないんだけどなあ、どうしたもんか。
あー、最後に。
あいようこ、歌いすぎ。
じつは2番手娘役か?(笑)
わたしは白木蓮ちゃん相手に、なんかものすげー興奮して喋っていた。感情が高ぶって、半泣きになっていた。
……ごめんよ、パクちゃん。めーちゃ年下の女の子相手に、なにをやってんだか。
コムちゃんファンの人と話したかったんだよ。『アルバ』を、語りたかったの。
で、自分でもこりゃまずい、大人としてこの興奮っぷりはいかんやろ、パクちゃんドン引きしてんぢゃねえ? と、びびっていたとき。
「オギーの『タランテラ!』を、たのしみにしているんですよ。なんといっても、壮くんの使い方を」
パクちゃんが言った。
自分の醜態を恥じて「どーしよー」とアタマを抱えていたわたしに、パクちゃんはそう言って、すこんと話を変えてくれたんだ。
荻田浩一が、壮一帆を、どう使うか。
想像しただけで、爆笑してしまいました。
たのしみだ。そりゃー、めっちゃくちゃたのしみだっ。
つーことで、あれほど熱くイタく『アルバ』を語り、目に涙を溜めて熱弁をふるっていたのに、わたしとパクちゃんの会話の最後は、「壮一帆」。わたしの『アルバ』感想の最後は、「壮一帆」。ふたりして爆笑して終わりました。
すげえよ、壮一帆。
とゆーことで、壮くんに心をときめかせて、行って来ました雪組公演『タランテラ!』初日!!(芝居はちょっと横へ置いておく)
わたしは水くんLOVEな人間なので、オギーが水くんをどう使うか、どのよーなあて書きをするかを、とてもたのしみにしておりました。
………………。
オギー、水くんにあんまし興味ないんだね……。涙。
いや、そーぢゃないかな、とは、ちと思ってはいたんだ……いたんだよ……。でもさ、こうまであからさまな扱いをされるとさ……(笑)。
期待の壮くんは、期待をはずさない使われ方でしたとも。
終演後にパクちゃんと会ったんだけど、彼女も壮くんの素敵さに、大きな瞳をきらきら輝かせておりました。
プロローグからすごかったよ。
毒々しいきらびやかな人たちの中に、必殺リーマンヘア&地味スーツで登場! で、みんなに喰われる。毒蜘蛛たちに弄ばれ、ヘタレ全開。おー、キムにまで喰われてるー。きゃー。
ヘタレでなければ、スカンと明るい場面や、キャラクタとして使う。派手な衣装で銀橋渡ったりねっ。
いいなあ、壮一帆。癒やし系だよ。
この人の毒のなさ、空気のちがい、周囲からの浮きっぷり。すばらしい個性だ。
ほら、壮くんってなまじ美形ぢゃん?
センスのない人だと、「美形」=「耽美」とか、安直に思い込むぢゃん?
「美形」と「耽美」は、別の概念。併せ持つ人もいるけど、壮くんはそうぢゃない。
いやあ、さすがオギー。
壮くんにフリルブラウス着せて、オスカル様カツラかぶせて、コム姫とえっちくさく男同士で踊らせたりしないんだよ!!
ほれ、つい先日、センスのない人の「エセ耽美」見せられたとこだからさあ(笑)。や、かっしーにもちぎにも罪はない。やらせたヤツが悪い。
わたしが盛大に引っかかっているのは、この素敵壮一帆と、愛する水夏希先輩の使われ方に、あまり差がなかったこと。
番手の話じゃないよ。
キャラクタとして。
水くんはもちろん、2番手としてコム姫とがっぷり組んでみたり、かっこよかったりおいしかったりしていますよ。
ただ。
オギー的に、水くんは好みぢゃなかったってことなのかなぁ、と。
水くんは、健康な人だと思うの。カラダがではなく、魂が。
そして、魂が健康な人って、オギー的ではないんだよね。
健康は健康でも、ハマコくらい突き抜けて、「頑丈」って感じになればまだ別なんだろうけど。
水くん、適度に繊細だからなぁ。
さて。
壮くんと水くんを語るだけではなんなので。
レビュー・アラベスク『タランテラ!』とやら。
毒々しい色彩の洪水。いつものオギーショーの洗練とは、おもむきがチガウかな。群舞と娘たちの独唱、とにかくダンスダンスダンス。
なんつーか、アレだな。
教会のステンドグラスというより、カラーセロファンとアルミホイルで創った子ども工作のステンドグラスみたい。
安っぽい。
だが、安っぽいことが、不安をかき立てる。
夏祭りの夜店の、裸電球が作る美しさというか。
まがいものだと、太陽の光の下だとメッキがはがれることがわかっていて、今この瞬間の美しさだけを愛でるよーな。
その嘘くさい色彩世界で、タランテラ@コム姫が踊る。
彼は変わらない。
物語が変わり、舞台が変わっても、彼は変わらないんだ。
で。
んな変わらない人だけぢゃ、どーしよーもないわな。
この「物語」を「視る」なら、もうひとりの主人公に注目しなければならない。
もうひとりの主人公……いや、影の主人公、真の主人公と呼ぶべきか?
キムだ。
タランテラ@コム姫は「象徴」として世界の中心に存在し、彼のミラーとしてキムが存在する。
変わらないコムと対照的に、キムは変わり続ける。ときに残酷に笑い、毒を振りまき、純粋な憧れや寂寥、もどかしさをも表現する。
『パッサージュ』の主演がトドであったのに、主役がコム姫であったよーに、『タランテラ!』では主役の位置にキムを配したようだ。
そしてそれは、時の流れと、コム姫への讃辞と哀悼でもあると思う。
『アルバトロス、南へ』へ、コム姫はかつて自分が演じた役を相手に、現在の男役・朝海ひかるとして対峙した。
そしてこの『タランテラ!』では、かつて自分が演じたポジション……作品の中枢を表現する「主役」をキムに譲り、「主演」をつとめた。
あの少年天使は成長し、なにものにも揺るがないタランテラとなり、かつての少年@キムを背後に置く。
コム姫。
こんなところまで、やってきたんだね、アナタは。
……てゆーかこの作品、キムをガン見してないとストーリーについていなくなるんぢゃあ……?
ふつートップスター退団作品で、下っ端の男の子をガン見しているファンは少ないと思うが……いいのか、この作りで?
壮くんとキムのパレードの立ち位置のことで、友人のユウさんが憤慨していたけれど(はい、ついにブログ登場ですよユウさん>私信)、そんなのささやかですよ、水ファン的には。
ショーが終わってから、パクちゃんとにこやかに、
「キムくんが2番手でしたねっ」
と、会話してしまえるくらい、「物語」的に、比重がキムの方が上だったんだもん。
水くんがいなくても物語は成り立つけれど、キムがいないと成り立たない。
……オギー……あうあう。
正直者め……。
でも、壮くんは銀橋ひとり渡りするシーンをもらっていたし、水くんだってコム姫といっぱい絡んで、いいシーンをたくさんもらっていた。あーついでにエトワールだしなー。コム姫への愛を歌う歌だっけ? コレを水に歌わせるのって絶対確信犯(笑)。
とまあ、「物語」に絡んでいなくても、つりあいは取れるよーにしてあるんだ。……ずるいよなー。
目がいくつあっても足りない、含みがあちこちにありすぎる作品。
チケットぜんぜん持ってないんだけどなあ、どうしたもんか。
あー、最後に。
あいようこ、歌いすぎ。
じつは2番手娘役か?(笑)