ハマコは、雪組の至宝である。

 それを痛いほど噛みしめた、『アルバトロス、南へ』

 巧い人だ。
 歌手としての名がいちばん高いけれど、それだけではなくダンスも、芝居も巧い。舞台人としての華、存在感もある。

 それはわかっていたし、十分理解していたつもりだ。

 だが今回、『アルバトロス、南へ』で自在に場を操る姿を見て、痛感したんだ。

 もしもハマコが30年早く生まれていたら、あたりまえにトップスターだったんぢゃないだろーか。

 それも、誰もが唸るよーなカリスマトップ。
 たしかな実力、そして三枚目にも善人にも、色悪にもなれる説得力あるキャラクタ。
 周囲を巻き込む情熱。
 なにより、ストレートに伝わってくる舞台への愛情。

 ふつーにトップスターでもおかしくない。昭和中期〜後期なら。

 だが、時代はハマコを真ん中としない。
 21世紀の今は、ハマコ氏は実力云々以前に「ビジュアル」でトップ路線から撥ねられてしまう。
 素顔はすげー美人さんだし、舞台でだっていくらでも色男になれる人なんだが……今はそーゆー時代ぢゃない。

 そーゆー時代ぢゃない今に、ハマコがいてくれる。これほどの能力を持ちながら、時代がちがえば真ん中にいたかもしれない人が、脇で真ん中を支えてくれる。
 それは、得がたいことだ。

 なんてありがたいんだろう。
 なんて贅沢なんだろう。

 未来優希ほどの舞台人を、支えとして使えるカンパニーの存在に、震撼する。

 すごい。
 すごいよそれ。

 ハマコがうまいこと、すばらしい舞台人であることもありがたいことだと思っているけれど、わたしがいちばんうれしいのはさ。

 ハマコが、たのしそうに舞台に立っていること。

 あれだけの人がさ、すっげーたのしそうに、舞台や共演者や客席への愛情だだ洩れに、脇役やってんのよ?

 時代がちがえば真ん中だったかもしんない実力者が、あたりまえのよーに脇役を、たのしそーに演じている。
 この『アルバトロス、南へ』でも、彼がどれほどコムを愛し、コムを支えたいと思っているかが、伝わってくる。
 舞台を愛し、作品を愛し、タカラヅカを愛しているかが伝わってくる。

 ありがとうハマコ。
 ありがとう。

 タカラヅカにいてくれて、ありがとう。

「こんな劇団より、わたしの実力を過分なく発揮できるところが、他にあるはずだわ」
 って、見限って出て行ってしまわないでくれて、ありがとう。

 タカラヅカには、アナタが必要だから。
 雪組には、ハマコが必要だから。

 
 安定した実力ゆえの、ゆたかな表現。
 歌とダンスと芝居。
 ショースターとしての存在感。
 コミカルなシーンでの的確な仕事と、発散型の歌声による場面転換、空気を変える力。

 なにより、芝居の巧みさ。

 ハマコがいなければ、『アルバトロス、南へ』はありえなかった。
 流れるように変わり続ける役と、表情。
 狂言回しであり、すべてを支配する存在のようでもあり、悪意と毒に満ちたアルルカンとして舞台を俯瞰しながら、場面場面で別の役になりきる。
 苦渋に満ちた父親に、愛情深い友人に、冷酷な軍人に。
 その瞬間瞬間を、切り取る力。
 この人は、どれほどの引き出しを持っているのか。
 どれほどの仮面を持つ役者なのか。
 底が見えない。

 
 ただもう単純に。

 ハマコが、かっこよかった。

 いつも三枚目としてばかり使われているひとだけど、まぬけな善人として使われている人だけど、チガウから。たしかにソレもうまいけど、ソレだけぢゃないから。

 ハマコの真骨頂は、色悪だよう。

 その熱ゆえに、本気でエロい悪役をやったら映えまくる人だよう。
 芝居のアルルカンで、台詞もなくただ舞台の奥で「物語」を見つめているときのエロカッコイイことときたらっ!!
 若造には出せない、華奢な美青年には出せない、オトナの男の黒さとエロさだよう。

 
 たぶんハマコは、ほんとうの「悪」や「絶望」を表現できる人だと思う。
 言葉だけで人を殺せる「言霊」を操れる人だと思う。
 もちろん、作品によるよ。彼は「役者」であり、「脇」としての仕事をする人なんで、濃度を作品によって変えているから。

 オギー芝居『アルバトロス、南へ』では、ハマコが全開だった。
 ここまで、できる人なんだ。
 それを見せつけてくれた。

 ……それでいて、彼の魂の持ち味は、「健康」なんだ。
 彼自身は正しい人なの。
 強いから。
 その強さで、「邪」をその身のうちで浄化してしまえるの。「邪」を表現できるくせに、「邪」がなんたるかを理解しているくせに、彼自身は「邪」を必要としないの。

 その、健康さで。
 その、正しさで。

 どれほど、救われただろう。

 オギー全開芝居で、わたしは死にそうだった。
 毒が魂に浸透し、叫びだしたいのをこらえるので必死だった。両手で口元押さえて、嗚咽しないようにするのに必死だった。

 「アルバトロス、南へ」……脱走兵と彼を助けた女の、対話だけの芝居。追いつめられていく感覚。研ぎ澄まされていく感覚。
 皮が消え、肉が消え、剥き出しになっていく感覚。
 銃声が響き、「物語」ははじめのつづきに戻る。
 いつか失うことがわかっている男の手を取り、女が笑う。今はここにいるのだと。
 そして、それぞれの「物語」で男を見送った女たちが、黙って男を見つめる。
 ひろがる痛み。
 まもっていたものを全部削ぎ取られ、剥き出しになった神経は、誰に触れられなくても痛み続ける。空気ですら激痛になる。

 こんなにいたかったら、しんじゃうよう。

 ……そんな、ときに。

 ハマコが、救ってくれるんだ。
 空気を変えてくれるの。

 剥き出しの、痛い痛い感覚に、ふわりとコートをかけてくれる。

 キムとハマコ、「強い」男ふたりが、その強さで、絶望の淵でうずくまって泣いているわたしを、「こちら側」に引っ張り上げてくれるの。

 ハマコが、空気を変えてくれるの。
 キムは「美形キャラ」としての仕事が別にあるから、ほんとーの意味での「空気を変える」仕事は任されていないのね。
 ハマコなの。

 あのぐたぐたに痛い世界から、一気にひっぱりあげてくれるのは、救ってくれるのは、ハマコなの。
 にっこり笑ってさ。
 わかってるよ、って。大丈夫だよ、って。

 うわああぁぁん。
 ハマコ、大好きだー!!

 健康な人でいて。正しい人でいて。強い人でいて。
 そのまっすぐさで、わたしを……わたしみたいなまちがったコワレた弱い人間を、救い続けて。

 ずっとずっと、その強さを舞台の上で示し続けて。

 
 観劇後、kineさんとごはん食べながら、ハマコを思い存分絶賛していたんだが。
 kineさんが言うのさ。

「知ってました? ハマコって、コムちゃんより下級生なんですよ」

 え。

 ………………えーと。

 もちろん、知ってますよ。ハマコは水と同期だもんね。79期だよね。2学年も下だよね。しいちゃんと同期で、かしちゃんよりも下だもんね。新公学年からずーっと観てるんだもん、そんなの知ってるよおおお。

 …………。

 …………。

 ……嘘だろおぉっ、コム姫より下級生だなんてっ!! ありえねーっ!!


 『アルバトロス、南へ』初見のとき、わたしは貧血起こして立てなくなった。へろへろになりつつ、つきそってくれていたkineさん相手に、よーやく口を開いた第一声は。

「あたし、キムにマジ落ちするかもしんない」……だった。

 や、もともとキムのことは好きだったよ。
 これまで何度も語ってきたよーに。
 『さすらいの果てに』のときなんか、そこまで褒めるかヲイってくらい大絶賛カマしたさ。
 しかし。

 「好き」とか「ファン」とか、ひとことに言っても、いろいろあってだね。ダーリンとして好きだったりネタとして好きだったり役者として好きだったり、一概には言えないのだわ。
 キムのことは大絶賛カマしてその実力に感服しているけれど、ときめくことはないんだよなあ。『さすらいの果て』語りでさんざん書いたけれど。

「緑野さんにとってのキムくんは、トウコちゃんに近いんじゃないですか」
 と、『さすらい』のときにkineさんがずばり言い当ててくれた。

 そーなんだよ。
 わたしにとってキムって、トウコちゃんなの。
 役者として尊敬し、愛しているけれど、恋の対象じゃない。
 ダーリンとしてときめくことはなくても、めちゃくちゃ好き。このひとがなにか演じるなら、なにがなんでも観たいと思う。この人が舞台に立つなら、その舞台のクオリティを上げてくれるだろう、という信頼感を持つ。
 ふつーのミーハーな恋心よりはるかに、信頼し、愛している。

 もちろん、トウコとキムはまったく別の人だよ。ただ、わたしのなかでの「好き」の分類が似ているの。
 

 『アルバトロス』のキムは、ものすごかった。
 アイドルキャラとしての役目を軽々とこなし、かつ豊かな歌声で舞台を支える。
 舞台慣れと舞台度胸。仕事の的確さと、華と存在感。

 無邪気さと、生意気さ。

 若さと、老練さ。

 熱さと、冷ややかさ。

 純粋さと、邪悪さ。

 いろんなものを、あたりまえに内包する強さ。

 この子、こんなにうまくて、路線として大丈夫なんだろうか。と、危惧してしまうほどの安定っぷり。

 タカラヅカのトップスター路線ってのは、実力的にはいろいろやばいところや欠けたところがあって、周囲の実力者たちに支えられながら真ん中に立ち続ける。そーやって成長していくのを、ファンはドキドキ見守り応援するものであって。

 巧すぎると、真ん中より脇が向いているって言われちゃうものなのよー。
 大丈夫か、キム。こんなにこんなにうまくて。
 脇の実力者No.1ハマコ大先生とナチュラルにコンビ組めるほどうまくて。
 心配になってしまう(笑)。

 キムについて考えて、あらゆるものを持ち合わせた子だけど、唯一持たないモノがあるなと思った。
 身長だとかオヤジ臭い顔だとか、身体的なことぢゃないよ(笑)。
 舞台人スキルの話ね。

 この子が持ち得ない唯一のモノは、弱さだ。

 
 2部の芝居で、キムはいろんなものに変わる。
 迷彩服の兵士、ナイフ投げの男、皇太子の忠臣、スペインから亡命してきた青年……。
 彼が冷ややかにたたずめば、それだけで危険な獣に見えるし、熱く語れば誠実な人に見える。
 彼があたりまえに持つ熱は、自在に温度を変えられるのだろう。
 平熱が高いからこそ、それを消したときの冷ややかさが際立つ。

 その力強さが、心地いい。

 そう……強い。
 彼はいつも、強い人だ。
 傷つき、うずくまるときですら、それは「強い人」の挫折でしかない。彼ならきっと耐えられるだろうと思えてしまう。
 ふつーの人なら倒れて泣くだけの傷を受けても、彼なら耐えられるだろう。
 血のにじむ傷口を押さえ、立ち上がり、また歩き出すだろう。
 そう思える、強さ。

 傷の痛みは同じなのに。
 倒れて泣いていた方が楽なのに。
 それでも立ち上がってしまう、強さ。

 「弱さ」を持たない、知らないゆえの残酷さや傲慢さを、キムには突きつめて欲しい。
 その「強さ」こそが彼の「いびつさ」であり、陰影であり、見ていてぞくぞくする。

 いや、その。

 2部の芝居のナイフ使いの男のまがまがしさにヤラレました。
 なんなのあの黒さ。

 コム姫に絡んでいないときね。
 ひとりでナイフを弄んでいるとき。
 あのぶ厚い唇を歪めて、邪悪な笑みを、残酷で鬼畜な笑みを浮かべている。
 壮絶な、色気。

 キムのことは、いつもすごいと思っているよ。
 実力を認めている。華を、美貌を認めている。
 だけど、それだけだったのに。

 どうしよう、あたし、ときめいてる?!(笑)……笑うのか……

 フィナーレの『エリザベート』のトートのまがまがしさにヤラレました。

 ルドルフ@コムとトート@キムで、「闇が広がる」を大真面目に再現。
 歌の力もあるが、ソレだけに留まらず、キムが持てる力を一気に解放しているのがわかる。
 円熟期のトップスターと対峙するには、それだけのオーラを返さなければならない。
 喰らいつくすだけの覚悟を持って、大人の男ルドルフに向かう若いトートの、力。

 コム演じるルドルフは、宙『エリザベート』上演当時のはかなげな幼さを持つ青年ではない。人生がなんたるかを知った、大人の男だ。それを喰らい尽くそうと牙を剥き出しにして襲いかかる、赤裸々な欲望。

 なにコレ。なんなのコレ。

 わたしは、ナニを見ている?
 なんか、ものすげーもん見てるんですけど?

 鳥肌の立つ瞬間。
 長い研鑽の時を経て、男役として最終段階、最高峰に到達するコムを相手に、キムが野生の魔性を解放している。

 キムのいちばんエロい部分は、計算をはずれた「野生」にあると思う。
 彼はどこか、野蛮だ。
 どこか、土の匂いがする。
 農耕民族の土ではなく、獣の踏みしめる土。弱肉強食のジャングルの地面。

 どうしよう。
 ねえ、どうしよう。

 このままぢゃ、キムにマジ堕ちしちゃうよおお。

 おろおろおろ。
 これ以上、ダーリン増やしたらカラダが保たないよお。

 てゆーか、キムみたいなガキに惚れるのは、なんか、なんか、オトナのオンナとしてどうなのよ、とか、いらん矜持がうずいたりな……って、なに言ってんだわたし〜〜!!

 2005-05-08の日記で、わたしはこう書いています。

 いつか音月桂に、「ヲトメ」としてときめくことがあれば、すこーんと恋に落ちそうな気がする。


 これは、予言だろうか。


「天使の夢を見たわ」
 という少女の透明な歌声ではじまる、美しい悪夢。

 天使、として描かれるのは、ひとりの美しい少年。性を超越した美しさ、重力を超越した軽やかさ。
 最初少年は無邪気に踊る。無垢という美しさ。
 壊れる寸前の、水で出来た王冠のよう。

 次に少年が現れたとき、彼はまがまがしい色に身を染めている。黒衣の堕天使として、地獄の王の僕として踊る。人間を誘惑する。

 そして、最後に。
 無垢な天使の姿で、この世のうつくしいものはかないものの象徴のように光の中に現れた少年は、泣く。
 うつくしいひかりのなかで、なく。
 そして、背を向けて去っていく。
 世界では、男と女が別れていく。恋人たちが壊れていく。うつくしいはずのものが、終わっていく。
 背を向けた少年は、重力を超えた天使ではなく、疲れた人間のようにその脚で大地を踏んで去っていく。つかれたにんげんのように、こわれたにんぎょうのように。

 そして。

 時は流れた。

 同じ白い光の中に、あのときの少年がいる。
 いや、彼はもう少年じゃない。天使でもない。
「天使の夢を見たわ」
 同じ歌が響くけれど、そこにはもう、あのときの天使はいないの。
 人間の青年が、踊っているんだ。

 すべてにおいて。

 いつかのコムの舞台なのに、コムが演じた役なのに、すべてが「今の姿」になっているの。
 なつかしい記憶と、そこにはもう戻れないことを、見せつけて。だからこそ、愛しさに胸がかきむしられる。

 時が流れている。
 決して止まることはない。

 それがいとしく、せつない。

 コムの運命を変えた『エリザベート』のルドルフだって、今演じればまったく別のものになってしまうんだね。
 「舞台」という「リアルタイム」の芸術は、なんて興味深く、そしておそろしいんだろう。
 なんて、おもしろいんだろう。

 リアルタイムで、触れて。感じて。
 過ぎて戻らないものだからこそ、「時を刻印」して。

          ☆

 ところで、阪急交通社「朝海ひかるBOXプラン」、ショボすぎ。

 『アルバトロス、南へ』のバウホール公演を、阪急交通社企画のツアーで取ると、「朝海ひかるBOXプラン」という謎の商品になり、9300円かかる。
 チケット代は7000円だから、差額の2300円の言い訳として、「朝海ひかるBOX」という「中身は、届いてからのおたのしみ♪」なおまけが付くらしい。

 自力でチケットを取る甲斐性のなかったわたしは、チェリさんからこのツアープランをひとり分譲ってもらった。
 2300円UPで『アルバトロス』を観られるなら、安いもんだ。そのうえなにか、おまけが付く……? ありがたいありがたい。わたしは「非売品」とか「レアグッズ」とか「初回特典」とか大好きな俗物だ。このすばらしい公演絡みのレアグッズが手に入るなら、それほどうれしいことはない。

 「朝海ひかるBOX」……なんだろう?
 食べ物ではないらしい。
 イメージとしては、白い小さな箱だ。
 白地に箔押しで小さく「アルバトロス、南へ」とか「朝海ひかる」とかロゴが入っている。
 中身はブロマイドとかかな。あとはしょぼいステイショナリーにロゴだけ付け加えました、程度の。下級生お茶会のおみやげレベルというか、そのあたりの小物かな。ポスター写真使い回しのポストカードとか。そこに「阪急交通社」とか、いかにも「ウチのオリジナル企画ですからね!」と自己主張文字を入れてみたり?
 まあ、公演ロゴが入っていれば、「これも記念か」と思えるから、どんなものでもいっかー。
 たしかに「参加した」とわかるもの、「時を刻印」したのだとわかるものなら、どんなにちゃちいものでもいいや。

 
 で。
 公演数日前によーやく、チケットと「朝海ひかるBOX」が到着し。
 梅田の某喫茶店で、チェリさんから受け取った。

 
 ……ショボっ!!

 「朝海ひかるBOX」つったじゃん。BOXって!!

 箱ではありませんでした。
 袋ですらなかった。

 コム姫のサイン色紙がナイロン袋にそのまま入れられておりました。
 言い訳のように、黄色いリボンがかけてある。

 な、なんじゃこりゃ。

 たしかに、サイン色紙は、まあ、うれしい……かな……。
 わたしはコム姫好きだし、コム姫のサインなんか持ってないし。
 でもぶっちゃけあんまし興味な……ゲフンゲフン。

 わたしが欲しかったのは、『アルバトロス、南へ』関連商品だ。
 だってコレ、『アルバトロス、南へ』ツアープランなんだから。

 なのにどう見たって、そのサイン色紙は、『アルバトロス、南へ』とはなんの関係もない色紙だった。

 コム姫の写真が貼ってあるけれど、『アルバ』の写真じゃない。いつかの公演のスチールっぽい。

 極めつけは、色紙に同封されていたポストカード。

 過去の阪急交通社貸切公演無料配布の、残り物でした。

 うわー……『霧のミラノ』だぁ……『ワンダーランド』だぁ……。

 色紙もポスカも、残り物かよ……っ!!

 『アルバトロス、南へ』のオリジナルぢゃないんだ。
 倉庫にあるものてきとーに詰めただけで、「朝海ひかるBOX」のできあがりかよっ。

 いやその、コム姫グッズはうれしいんですよ。わたしはグッズ好きですし。
 ただ。

 ひとめで残り物とわかるクオリティにされてしまってもな……。
 せめて色紙の写真、『アルバ』のものと貼り替えればよかったのに。いつかの「貸切公演、座席番号で抽選、縦一列同じ番号の人にサイン色紙プレゼント」の残り物であったとしてもだ。
 阪急交通社め……(笑)。

 
 つーことで、わたしの部屋には今、コム姫のサイン色紙(黄色いリボン付き)が飾ってあります。
 サイン色紙は、トドロキ(92.12.18の日付入り。サイン会に行った)のしか持ってなかったから、これで記念すべき2枚目ですな。


 あいかわらず、なんの予備知識もなく観た。
 芝居なのかショーなのか、なにも知らない。
 わかっているのは『アルバトロス、南へ』というタイトルと、出演者だけ。

 ハマコ、キム、いづるん、ゆめみちゃんとゆー出演メンバーを知ったとき、興奮したねー。オギーのお気に入りばっかぢゃん!!と。
 オギー世界を表現しうる舞台人を集めましたか、そうですか。有沙姉さんと舞咲りんちゃんが過去のオギー作品でどういう使われ方をしていたかわたしの記憶にないんだけど、有沙姉さんはコム姫の同期だからそーゆーことだろうと納得。
 6人の共演者のうち、4人までが確実にオギー系芝居のできる人だよ。期待するでしょそりゃ。

 構えて観た、青年館初見時。
 1部のショーは正直言って、肩すかしだった。
 あ、なんだ、こんなもんか。
 過去のコム姫出演作品を細密につなぎあわせ、オシャレでたのしい小品として再構築。うまいと思うし、鋭さと甘さ、かろやかさのなかにわずかな棘、と絶妙に作ってあることには感嘆するよ。
 でも。
 わたしはすっかり身構えていたから。
 「オギー×コム」(受攻ではナイ)なら、そしてハマコ、キム、いづるん、ゆめみなら、どれほどオギー全開の痛いものを持ってくるかと、警戒しまくっていたのね。
 なんだ、こんななんだ。ぜんぜんふつーの範疇じゃん?
 映像の使い方や、要所で輝くコムのダンス、「鳥」「旅」「羽ばたく」「旅立つ」など美しく痛いモチーフは随所にちりばめられているけれど。
 純粋にコムのダンスをたのしみ、お別れを惜しめばいいのかー、とぼーっとしていたところに、最後に『銀の狼』がキて、胸を突かれたが。
 朝海ひかる、という舞台人のハマり役は、そして代表作は、よりによって全国ツアーでやったシルバ@『銀の狼』なんだなあ。本拠地公演ぢゃないから、観ることができた人が通常より少ないだろうに……そんなイレギュラーぶりも、コム姫らしいなと思ってみたり。

 あの痛くて美しい物語、『銀の狼』のコーラスが流れ、「うわっ、キたか!」と身構えたところに、「かわらぬ想い」@『ブラックジャック』が来た。この構成には、うならされた。絶望の入口を見せておいて、希望に続けるの。
 よかったー、「かわらぬ想い」だー、人間肯定のあたたかい歌だー、と安心させておいて。
 最後の最後、幕が下りる寸前のメロディは『銀の狼』なの。
 ……持ち上げたくせに!
 ほっとさせたくせに!
 最後に突き落とすのかよ!!
 しかもメロディだけだよ。言葉に頼らず、言葉で判断させず、これがなんのメロディなのか、どういう意味のメロディなのかを知っている人間だけを、奈落へ叩き落とす。

 ほっとした直後だっただけに。
 ラストのどんでん返しに硬直した。

 呆然としている間に、幕が下りるし。

 ……ラストのどんでん返しは、すごかったけど。明るくおしゃれな作品だっただけに、ラストの毒でトドメ刺されたけど。
 それでもなお、肩すかしだったんだ。

 オギー×コムだよ? 『パッサージュ』ぐらいはやってくれるだろうと思っていたから。
 『パッサージュ』を再現しろと言っているのではなく、『パッサージュ』レベルという意味ね。
 『パッサージュ』を観たあとわたし、マジで立てなくなって大変だったからなあ。駅で倒れて、道で倒れて。ヨッパライにからかわれ(夜に倒れていると、ヨッパライ女だと思われるらしい)、親切な人に助けられ、ヨボヨボになって家に帰り着いたなー。

 それくらいの破壊力を期待していたから。
 1部が終わって、「なんだ、ぜんぜんふつーだ」と思った。
 これはこれでいい舞台だけど……『アルジャーノンに花束を』を観たときと同じかな。すばらしいクオリティだけど、「それだけ」だ。
 わたしが求めていたモノではない。

 なんの予備知識もなかったから。

 2部がはじまり、「芝居」であることにおどろいた。
 あ、なんだ、芝居あるんだ。1部がショーだから、もう芝居はやらないんだと思ってた。

 2部構成なら、どーしても2部がメインで、1部が前座になる。
 わざわざショーを前に持ってきたのは、「芝居」をメインにしたかったからだ。
 本領を発揮するのは、この「芝居」の方だ。

 コムちゃんだから、てっきり「ショー」がメインだと思っていたから。
 「芝居」か。「芝居」なのか。

 「物語」を見せてくれるのか。

 
 そして。
 この「物語」が、すごかった。

 「朝海ひかる」というファンタジーの魅力を、あますところなく見せてくれた。
 それを目的にしているよーでありながら、ゆっくりと、静かに毒を浸透させていった。

 
 「芝居」のものすごさに、正気を保つのに必死になっているところへ、だめ押しのよーに、「Holiday」@『パッサージュ』がはじまる。
 いやはや。
 たぶんこれで、息の根を止められた。

 
 作品の流れに沿って、アレはこう、コレはソレ、と感想羅列だとかシーンの読みときだとか、しよーかとも思ったけど、トシだからやめた。
 や、ほんとにもー、体力ないんですよ、ばばあだから。
 つきつめてがんばるとバテるんで、ほどほどに。

 だもんでこの公演に関しては散漫なままいきます。
 具体的なことは語らず、説明もせず、感想だけだー。なにのどこをどう語っているのか、はたして読んでいる人にわかるのだろーか。

 
 青年館初見で貧血起こして立てなくなったけど、翌日の2回目はなんとか大丈夫。よいお席だったし、素直に作品を堪能して「世界」に自分を浸す感覚を味わった。
 わたしが細胞レベルまで分解して、『アルバトロス』世界の空気と同化する。
 あのとき同じ客席にいたみなさん、みなさんが吸っていた空気のなかに、分子レベルまで細かくなったわたしがいたかもよー(笑)。

 あとは、バウホールで1回。
 残念ながらそれ以上のチケットは取れなかった。
 かしちゃんお披露目初日をあきらめれば、もう1回観られたんだけど。……わたしはかしちゃんファンでもあるんだ。生涯にただ一度きりの、トップお披露目初日を見逃すことは出来なかった。

 欲を出せば、きりがない。
 ずっとずっと、何度でも観たかったよ、『アルバトロス』。

 だけどわたしは正直こわがっていたし、疲れてもいた。

 立てなくなるよーな破壊力のあるモノを、過分に摂取するのはカラダに悪い。
 どれだけそれが甘美だとしてもだ。

 わたしはわたしを守るため、楽な方に逃げた。
 丸1日サバキ待ちをし、「これで手に入らなかったら、それを理由にあきらめよう」と思った。
 朝からバウホール前に行き、夕方までチケットを探した。開演したあとも、別日程が出ないかと探し続けた。

 本当に観たかったら、札ビラさえ切れば、観られる時代だ。
 それをせず、「タカラヅカの良心」であるサバキに懸けたのは、わたしなりのけじめだった。

 まだ観たい、と思う心を、理由をつけてあきらめさせた。
 そーでもしないと、カラダが保ちませんて。わたしもう、若くないんだから。

 まだ、大劇場公演があるんだから。
 大劇ではきっと、毒は薄められ、もっと一般的になっていることだろう。もっとわかりやすく、やさしくなったなかから、それでも「オギー×コム」らしいものを、わたしは探し、感じ、味わうだろう。
 それを味わいつくすために今は引かなければ。

 
 しあわせだなあ。
 オギーがいてくれて、コム姫がいてくれる。
 このふたりが出会って、舞台をつくりあげてくれる。
 なんて、幸運なことだろう。


 愛した人を失ったことがある、すべての人へ。

 オギー最新作、コム姫主演バウ公演『アルバトロス、南へ』

 1部はコム姫出演作をコラージュしたショー、2部が同じ手法の芝居で、4つのサブタイトルのある「物語」。
 そのうちのひとつに、コラージュではなくまったくのオリジナルとして「アルバトロス、南へ」がある。
 オギー芝居、そして朝海ひかるというオギー役者を、周囲を気にせずつきつめてくれたシーンだと思う。オギー芝居と合わない人はここで爆睡するみたいだ(笑)。
 そのシーンを含み、過去のコラージュと現在と未来を万華鏡をのぞくように「物語」がつづられる。
  

 この物語が「痛い」のは、記憶に訴えかけるためだと思う。
 生きていれば、どんな人でも「別れ」を経験する。精神的な別れも、物理的な別れも。
 美しい記憶に昇華されていても、今別離の苦しみのなかにいるとしても。
 誰もがみな、一度は泣いたことがあるはずだ。
 失うことに。

 コム姫の過去の舞台をコラージュしながら、描かれ続ける「喪失」。
 「過去」の断片を使って「現在」の新しい物語を作り、今現在の別れを物語として描きながら、やがて来る「未来」のコムとの別れを暗示する。
 その手腕の秀逸さ。

 ただコム姫との別れを思って泣いていたはずだったのに、毒はいつの間にか魂に浸透する。

 コム姫との別れもつらい。
 もちろん。
 直接、その痛みに泣くさ。

 でも。

 それだけで、とどまらなくて。

 何故コム姫と別れなければならない?
 こんなにこんなに、想っているのに。

 「今」を愛しているのに。
 「過去」を愛しているのに。
 「未来」を愛しているのに。

 何故、「今」は過ぎ去り、「過去」は触れることが出来ず、「未来」は失われるのか。

 そこにあるのは、普遍的なモノなんだ。

「タカラヅカの男役スターが退団する? それで泣いてるの? バッカみたい」
 ……って、それはその通りなんだけど、それだけぢゃなくて。

 わたしがコムを失うという事実は、わたしが出会ったモノといつか必ず、すべて失う・別れる、という事実と、同じなんだよ。

 それがコムでなくても。
 他の誰かでもいいさ。
 母親でも恋人でも夫でも、息子でもいい。
 家でもいいし、宝物でもいいし、記憶でもいいし、自分の腕や脚、目でもいいさ。

 そこになにをあてはめてもいい。
 普遍的なものなんだよ。

 繰り返し繰り返し、『アルバトロス』で描かれる「喪失」と「絶望」は。

「タカラヅカ興味ないから、退団が悲しいとかわかんない」
「コムキライだから、やめてくれてぜんぜんかまわない」
 とか、そーゆーことですらなくてな。

 コム姫を失う、別れる、置いていかれる。
 この物語を、ただそれだけの想いで、うつくしいものとして観ていたら、もっともっとチガウ、ヤヴァイものに魂を浸食されていたんだ。

 
 愛したものを失ったことがある、すべての人へ。
 
 「喪失」の痛みを知っている人へ。

 どうか、この物語に触れて欲しい。
 痛くて痛くて痛くて。
 立ち上がれないくらい痛くて。

 だけど、それだけぢゃないから。

 それほどに「痛い」と思えるくらい、「愛しい」ものを持つことに、誇りを持って。

 なにも愛していなければ、こんなに痛くない。
 「喪失」なんかこわくない。

 この物語を観て、「痛い」と思った、その心を愛して。

 
 誰かを、なにかを愛したことのある、すべての人へ。

 いつかは消えてしまうこの心ごと、魂ごと、愛し続けたい。


 お願い、ここにいて。
 どこへも行かないで。

 かなしいのは、その祈りが届かないことを知っていること。
 不可能だと知っていること。

 出会いは偶然、別れは必然。

 あのね、わたしたちは、必ず別れるの。
 わたしたちは、必ず失うの。

 すべて。

 出会ったすべてと別れる。
 得たすべてを失う。

 どれほど愛しても。
 どれほどの過ちも。
 美しいものも醜いものも。
 等しく。

 繰り返される物語。
 どこにも行けない、ここにいることもできない男と、彼を愛した女の物語。
 空洞を抱えたまま、南へ向かう男と、残される女の物語。
 場に満ちているのは破滅と悲しみなのに、清浄で静かなんだ。
 どこかで見た、だけど新しい物語が、いくつものキーワードを含み、乱反射する。

 痛みが降り積もっていく。
 繰り返される物語。繰り返される痛み。

 お願い、ここにいて。
 どこへも行かないで。

 叶うはずのない祈りだけが、宙に浮く。

 お願い、ここにいて。
 どこへも行かないで。

 繰り返し祈り、繰り返し裏切られる。

 お願い。
 お願いです。

 ここにいてください。

 祈りと同じ重さの絶望が返る。
 絶望するためだけに、祈り続ける。

 傷付くためだけに、愛し続ける。

 救われないまま。

 仕方がない。
 わかっていて、愛したのだから。
 
 出会ったすべてと別れる。
 得たすべてを失う。

 見ないふりで生きてきた、気づかないふりで生活していた、悲しい嘘をあばきたてて。

「拍手って、飛べない鳥のはばたきのようだね」
 −−昔、愛しい少年が口にしたつぶやきが、今も胸の奥にくすぶる。


 作品は壊れていたけれど、それでもまあ、観られる範囲だろう、宙組『コパカバーナ』

 スティーヴン/トニー@かしげは、納得の美しさと破綻ない実力で主役をつとめあげた。
 ちと地味な気はするが、ギラギラしてればいいってもんでもないんだろう。
 きれいで誠実で、そして愛がある。
 ワタさんを見たあとだと温度が低いのが気になるが、あのナチュラル高温男と比べても意味ないだろう。
 かしちゃんの「ぬるさ」は彼の持ち味であり、魅力だと思う。ぬるま湯だからこそ、安心して長時間浸かっていられるというか。じわじわとあたたまってくるというか。
 ……薄いけどな。いや、髪の毛のことぢゃなくて。

 
 ローラ@るいちゃんは、ふつーだった。
 てゆーかとなみちゃんのローラが、どれほどふつーではなかったかということだな。

 あれえ?
 ローラがバカキャラじゃないー。
 空回りしているふつーの女の子だー。

 えーと。
 かしちゃんトニーには、るいちゃんローラが合っていると思った。
 ふつーだからこそ、薄いトニーに似合う。あの暴走とにゃみを受け止められるのは、やっぱ漢ワタさんだよ……。

 ふつーに少女マンガなんだ、るいるい。
 等身大の女の子。

 サマンサの方はとくに違和感なし。眼鏡はあんまし似合わないかも(笑)。

 
 ある意味とても興味深かったリコ@タニちゃん。
 えーと、年齢設定は謎ですね? トニーたちの親世代のようですが、見た目は若い。
 とても端正な、抑えた演技。「気を抜かない」演技だと思った。でもその存在は謎。浮世離れしまくってる。
 てゆーか、ナニ考えてんのか、わかんない……(笑)。なにも考えていないよーにも見える。リコは「悪役」「障害」というわかりやすい型キャラなので、わかんなくてもきれいで、華があればそれでヨシ。
 そーいや歌、うまくなったよね。覚悟して(期待して?)聴いたのに、べつにヘタぢゃなかったわ。もちろんぜんぜんうまくもないけれど。
 ちょっと残念(笑)。

 オチ部分の車椅子のリコが、すごいかわいい。なんなのあのセンターパーツ。タニちゃんの「かわいこちゃん青年ヘア」ってすっごいひさしぶりで見た気がする。
 タニちゃんと安達祐実ってわたし的にけっこーイメージかぶるんだけど、「大人になりたい」「大人だと認めて欲しい」と無理をして、せっかくの自分の持ち味を壊しているのがもったいない。他の人には真似できない武器を持っているのに、それを自分で否定して、他の人がふつーに持っているモノを欲しがっている。
 タニちゃんがタニちゃんだけの武器で勝負していたころを彷彿とさせてくれた、センターパーツでかわいこぶるリコ。いいなあ、こーゆータニちゃんにまた会いたいよー。

 
 コンチータ@あすかちゃんは、星版に引き続きいい女。
 深刻芝居が映えるアクトレス。
 タニちゃんとはあまり合っていない気がする……。濃さというか存在感というか、ぶっちゃけ演技の質というか。

 
 サム@らんとむは、うまいよなー。
 のーみそ足りないボクちゃんを熱演。
 二枚目シーンが皆無なのがつらい。ギャップで笑わせてくれないと。ずーっとただのバカなんだもん。まやさん演じるハゲオヤジの方がまだ二枚目って、演出絶対まちがってる。

 初日はキャラのとんでもなさに客席が引いて、「笑っていいの?」「笑うモノなの?」というとまどいが舞台にも伝わったんだろうなあ、らんとむの緊張もまた伝わり返ってきて……大変だー。
 尻上がりに役者も観客も慣れて、キャラをたのしめるようになったけれど。

 漢湖月わたるの後を継げる、ホットな漢蘭寿とむ。飛翔を期待する。

 
 グラディス@まいらちゃんは、かわいかった。歌もきれい。
 ただアクがなさ過ぎて、存在が謎。
 ふつーのかわいこちゃん、ぢゃダメな役だからなあ。かといって、この役を完璧に演じてしまったら、タカラヅカの娘役としての寿命を削りそうな気がする。専科一直線というか。
 ミスキャストなんだろうなあ。罪なことをする。

 
 スキップ@初嶺麿代。謎。
 宙組でのはっちゃんの役付は、いつも謎だ(笑)。
 はっちゃんに対してどうこうというより、純粋に役付が謎だ。

 宙組プロデューサーが川で溺れたときに、はっちゃんが飛び込んで助けた、命の恩人だから役付がいいという噂は、ほんとうかしら……。(嘘です。信じないよーに)

 オカマではなく、ふつーの人だった。
 ふつーにかっこつけてる、ふつーの振り付け師。だからさらに謎。

 
 ウィリー@ともち。
 ヘタレ男。てゆーか、でかい。

 なんだか、ともちのでかさが、悪目立ちしている気がした。
 かしちゃんもタニちゃんもらんとむも、すっしーもはっちゃんもべつに、大きくないからなー。
 脇の若者たちは大きいけれど、真ん中はふつー。
 そこにまざるともちは、ひとりだけでかかった。

 ちょい猫背気味に、キョドりながらまざっている感じ。
 ヘタレててかわいいんだけど。
 ダンスシーンでもっとギャップを出して色男になってほしかったのに、それほどでもない気がして。
 もともとの組子なのに、借りてきた猫っぽいのが不思議。

 ともちともちともち。がんばってともち!

 
 あとは暁郷を見て、春風弥里を見て。
 うきょーさんとタマちゃんと八雲氏を見て。
 いづみちゃんを見て、対で踊っているのは誰かとしばし考える。いつものことだが、誰が出ているかも調べてないからさー。考えて考えて、ひょっとしてまちゃみ?!と驚愕する。マジでわかんなかったよ……。
 

 まだ、自分がナニ組を観ているのか、本能の部分で理解していないんだと思う。
 TCAとか、特別な公演を観ている感じ。

 だけど新生宙組、きれいできらきらしていて、たのしそう。
 続演だけど星組と比べて地味で薄い(笑)のも、宙組的には正しいことなんだと思う。

 これからがたのしみだ。
 もう変な組替えとかなく、今あるものをおちついて観ることができますように。
 観客だって、慣れるのに時間かかるんだよー。組を理解し、愛着を持つまでに時間かかるんだよー。
 その時間をください。


 ぶっ壊れた宙組『コパカバーナ』

 壊れた理由は、らんとむに立場に相応しい役を付けるため、だろうと思う。
 では何故、サムは幼児でなければならなかったのだろう?

 大人の男では、ダメだったのか?
 路線男役なら、しぶい大人の男を演じてもおかしくないぞ?
 ハゲにさえしなければよかったんだろう?

 これがもう、センスのなさだと思う。
 理由は、「笑いを取るため」だと思うから。
 二枚目男役が、のーみその足りない幼児役をやる。滑稽な声で滑稽な言動を取る。それで笑いを取ろうというのだ。
 溜息。

 サムのキーポイントを、ハゲとカツラではなく「ライナスの毛布」にする。これはべつにいい。
 だが。

 ふつーにおっさんでいいじゃないか、サム。横柄で頑固なおっさんだが、毛布を失うとパニックを起こす。毛布に顔を押し付けてニコォっとし、はっと周囲を見て元の威厳を取り戻そうとする。
 らんとむなら、本気でうさんくさくもかっこいいおっさんを演じられただろう。
 リコ@タニちゃんとの「とっちゃん坊や対決」も見物になったはずだ。

 とことんエロに、うさんくさくもかっこよく。
 そして毛布のギャップで笑わせる。

 リコとのキャラかぶりが心配なのかもしれないが、大丈夫、タニちゃんが誰かとかぶるワケがない。
 リコはものすげー真面目キャラぢゃん。トウコはともかく(笑)、タニちゃんのリコは真面目だった。抜くところのない真面目でクールなリコと、毛布ネタで笑わせまくるサムでいいじゃないか。

 サムがおっさんなら、オチをいじる必要もない。ちゃんとサマンサの「親」でいい。
 頑固オヤジとして登場し、ジャケットのポケットからのぞいている毛布にスティーヴンが反応する。……これでなんの問題もない。

 サムがおっさんなら、もちろんグラディスだっておばさんだ。設定をいじって「ローラを応援する若い女の子」にする必要もない。
 元のまんまでいい。

 ただ、キャスティングは変えよう。
 まいらちゃんでは若い若くない以前に、オーラがなさすぎる。

 グラディスはローラやトニーの「人生の先輩」でなきゃダメだ。かっこつけたらんとむサムに負けないだけのアクの強い、そこに立っているだけで「あのおばさん、タダモノぢゃない」と思わせるキャラじゃないと。
 専科のシビさんだとか、ちと若いがまゆみ姐さんだとか、それクラスの女傑を持ってこないと。
 宙コパ出演者内でまかなうなら、すっしーかともちがやってもよかったよ。

 どっちも女に見えないかもしれないけれど(笑)、だからこそ「若いころはさぞかしブイブイ言わせたんだろうな」という迫力になるだろー。

 個人的にはともちで見たい。チュチュ型ワンピースを着た、悠未ひろ。
 その脚を見るだけで、そのでかさを見るだけで、「このおばさん、若いころはさぞかし……」と思わせることだろう。

 大丈夫、らんとむならともちが女でも、ふつーにカップルに見えるだけの包容力があるよ。ドーンと任せなっ。

 ラストのオチも、現代のふつーの夫婦、としてらんとむと女ともち@キャリア風パンツスーツ姿、が出てきたら、かしげぢゃなくても後ろにぶっとぶって!! インパクト強すぎ!! アレがボクのお義母さんですか! うひゃー!! てなもんで。

 
 てかふつーに、グラディス@らんとむ、ハゲオヤジサム@すっしーにしておけば、いちばんなんの問題もなくスライドできたのにな。

 グラディスは重要なキャラクタだから、「組替えできた御曹司」にやらせても問題のない役なのに。
 おつむの足りないボクちゃんで、笑わせるためだけにおつむの足りない演技をさせる今のサムより、よほど、面子の保てる役だろうに。
 フィナーレで一箇所だけ、「男役」としてかっこつけて登場させればそれで問題ナシだっつーの。

 演出家にセンスがないと、なにも考えていないと、こーなるんだなー……。はー……。

 宙版として手を加えたところが見事に全部壊れているので、目眩がしたよ。

 ただそのまま翻訳したんだろうな、といういびつな星版もアレだったが、宙で続演するにあたり演出家が余計な手を加えたら、そこだけさらにぶっ壊れるとは……。
 なんのためにいるんだ、演出家。

 ま、それはともかく。

 
 漢らんとむの、膝小僧萌え。

 
 アホウなボクちゃんキャラだが、それゆえのショタコン衣装に萌えておこう。

 しかし蘭寿とむでショタって……。三木章雄、悪食。


 三木章雄はセンスのない人だと思う。
 『コパカバーナ』、星組版のとき、すでにそれは露呈しきっていた。
 日本語の芝居として、タカラヅカとしてありえない破綻を抱えながら、それでもキャラクタのハマり具合とキャストの力技で星コパはなんとかなっていた。
 それを、宙組に移行するにあたって。

 彼は、なにがしたかったんだろう?

 トニー@かしげとローラ@るいちゃんはいい。主演コンビは真っ当にラブストーリーを演じられるだろう。
 リコ@タニは……ええっと、まあ、なんとでもなるだろう。コンチータ@あすかちゃんは続演だから問題なし。

 問題は、3組目のカップル、サムとグラディスだ。

 『コパカバーナ』は二重構造でオチつきの物語だ。
 一人二役を完璧にこなせる人たちが演じなければならない。
 この一人二役を完璧にってのは、「演じ分ける力」というだけのことではない。ぶっちゃけ、演じ分けなくてもいいんだ。どちらかというと、逆。

 別の役だけど、同じ人だよね?

 と、観客に思わせなければならない。
 衣装やカツラを変え、立場や年齢が変わっていても、「同じ人がやっている」とわからせないと。

 タカラヅカ初心者は口を揃えて言う。「みんな同じ顔だから、誰が誰かわからない」「登場人物の見分けがつかないから、話の筋がわからない」「衣装が次々意味もなく替わるから、余計混乱する。なんでいちいち着替えるの?」
 それでも主役と相手役くらいは「なんとなくわかる」から、団体客のおっちゃんおばちゃんも物語について来られるんだ。
 髪型が変わっても衣装が替わっても、一見さんに見分けてもらう力。脇役はAとBが入れ替わっていてもわからないが、主役と脇が入れ替わっていたらわかる。
 今回の場合で言うなら、かしちゃんはボーイの制服を着て給仕をしていても、「あれ?あの人主役やってる人だよね?」とわかるってこと。
 でもボーイAとボーイBが入れ替わって給仕をしていても、一般客は気づかない。
 コパガールCとコパガールDが立ち位置を入れ替えて踊っていても、気づかない。
 スター力というもの。
 どこにいても「あの人、メインキャストだ」とわからせる力。
 それは歌だとか踊りだとかという技術とは、ちょいと異なる特別の能力。もちろん後天的に取得する技術でもあるけれど。

 二重構造でオチつきの物語である『コパ』では、メインキャストにこのスター力が必須。

 オチの部分で、ふたつの世界が融合する。別人のハズのキャラクタが、リンクする。
 出てきた瞬間に「同じ人? 別の役? あれれ?」と観客を混乱させなくてはならない。

 宙版サムとグラディスは、この構造の構築に、失敗していた。

 
 グラディス役は何故、美風舞良ちゃんだったのだろう?

 うまい人だしキュートだということもわかる。サム@らんとむと同期だから組ませやすいというのもあるかもしれない。
 しかし。

 グラディス役としては、チガウだろ。

 彼女では「スター」として「一人二役」をこなせない。
 真ん中教育を受けてこなかった彼女は、ライトを跳ね返す力に欠けている。……今は。将来どうなるかはわからないけれど、今この時点では。
 オチの部分が、彼女ではまったく活きない。

 そもそも、キャラ立てがチガウのだ。

 グラディスは元コパガールで、人生経験とハッタリを重ねた頼もしい「おねーさん」だ。小娘ではない。
 まいらちゃんのグラディスでは、彼女が語る「アタシはコパガールよ!」の歌が、全部嘘に聞こえる。
 今はおばさんだけど、たしかに若いころは大富豪だの王子様だのを足蹴にして吠えていた高慢なコパガールだったのかも、と思わせる迫力が必要なんだ。
 そのへんのショーガールと差異のない、オーラのない「ふつーにかわいいよね?」程度の女の子が吠えてみせても、「ぢゃなんでアンタ今、そんなに平凡なの?」ということになる。
 グラディスの語る「栄光のコパガール時代」は多分に嘘くさいけど、「嘘だとしても信じたいファンタジー」としての魅力がなきゃダメだよ。
 まいらちゃんのグラディスは、なんなの? おばさんなの? ふつーに若くてかわいいけど? じゃあなんで今、コパガールじゃないの? 

 最後のオチの部分で、星版ではサムもグラディスも「そのまんま」で登場したのに、宙版ではふたりともわざわざ「老けて」登場する。
 つまり、物語部分のグラディスは「若い」という設定なんだろう。

 何故?
 物語部分と現代部分が「そのまま」リンクするから「オチ」になるのに何故、ソレをぶち壊す?

 しかも、グラディスが「若い」と彼女のキャラクタが崩壊する。ローラに説教し、励まし、世話を焼く「先輩」としてのキャラが壊れる。

 何故、グラディスを壊した?
 何故、物語を壊した?

 なにをしたかったんだ?

 
 サムもまた、キャラクタを壊されている。
 わざわざ「サムの息子サミー」という別人にされている。
 「ライナスの毛布」を肌身離さず持っているガキンチョ。カラダは大人だが、中身は幼児。
 「こんな人いるよね?」というコメディ枠を超えて、「こんなヤツいねーよ」のギャグ枠。
 ただ笑わせることだけを目的としたキャラ設定、言動。

 サムがあまりに幼児でギャグキャラなので、グラディスとの「恋愛色」が消えてしまった。
 
 グラディスとサムは、オチ部分で「夫婦」として登場する。
 恋愛色の消えたこの構成でソレをやられても、意味がない。オチにならない。

 何故、サムを壊した?
 何故、物語を壊した?

 なにをしたかったんだ?

 
 理由の見当は付く。

  
 らんとむの役がない。
 

 コレだけだろ、理由?
 たったこれだけの、あさはかな理由で、なにもかも壊したんだよな?

 花組のバリバリ路線男役、御曹司らんとむの演じる役がない。
 組替え直後の公演だ、扱いは落とせない。
 タカラヅカのタカラヅカらしい理由で、らんとむになにかしら役を付けなければならなかった。

 そしてすべてを、台無しにした。

 どこまでアタマ悪いんだ、この演出家。溜息。

 
 らんとむに「路線男役」としての面子を潰させない扱いでサムを演じさせるなら、脚本全部作り直す必要があった。

 サムが毛布を握りしめたガキでなければならないというなら、それに合わせて全部作りかえないと。
 まず、最後のオチの「親」というのはやめる。
 「そのまま」のガキで登場させられる、サマンサの兄だとか弟だとかにするしかない。そうして毛布を持って、うっとりさせるしかない。……「親」としての登場より、確実にインパクトは落ちるが仕方ない。

 それから、グラディスと恋愛させる。
 幼児程度のーみそのサムと、若い女の子のグラディスだが、それでも見ているモノにわかるようにラヴを入れなきゃ。
 でないとオチでサムとグラディスがカップルで登場できない。

 グラディスがコパガールを辞めた理由を作る。もしくは、彼女もまたコパガールにあこがれて、でも結局なれなかった女の子という設定を作り直す。
 おばさんだったら説明しなくても「トシのせいで辞めたのね」とわかるけど、「サムとも長いつきあいなのね」とわかるけど、若い女の子設定なら、全部一から作って説明しないと。

 ローラに対して「姉」のように導くのではなく、「夢を追う同志」として「親友」として存在させる。

 ここまで作りかえないと、「サムの息子サミー@のーみそ幼児」を使えない。
 それをなにもしないで、ただ「あさはかに笑いを取る」目的でサムを幼児にして、「ハゲオヤジ役ぢゃないから、路線に相応しいだろ」という理由で、らんとむに演じさせる。
 サムの年齢に合わせてグラディスも若返らせ、あとは全部、もとのまま。
 物語が壊れているのに、キャラクタが壊れているのに、オチが壊れているのに、おかまいなし。

 演出家、バカですか。
 つか仕事しろよ。

 パズルと一緒なんだから、勝手にピースをいじったら、他も調整しないと1枚の絵にならないっつーの。
 バカじゃないなら、手を抜いたとしか思えない。


 宙組トップスターお披露目おめでとう、かしちゃん!!

 はるばる博多まで駆けつけました。
 ファンならとーぜんだよねっ。トップスターお披露目公演初日だよ? 国内ならまず駆けつけるよね? 聞いたこともない地方公民館ぢゃないよ、定期公演やってる設備の整った美しい劇場・博多座だよ? 駆けつけてとーぜん……。

 何故、初日チケット売り切れてないの??

 何故、当日券並びに誰もいないの??

 前もってチケット用意していたけど、もっといい席が手に入らないかしら、と張り切って当日券に並んだんだ、博多座の。

 …………わたしひとりでした、並んだの。
 えええっ?!
 もう当然、わたしより先に何人も並んでいるもんだと思っていたの。だから、劇場前が閑散としてるのを見て、「並ぶ場所、まちがえてる?!」って不安になって劇場周辺探しちゃったよ……。
 朝8時半を過ぎてから、よーやく次の人(ふたり組)が来てくれたけど……。
 その人たち、去年も初日に並んでいた人たちでね。つまり、かしちゃんファンだとか宙組ファンだとかぢゃなくて、博多座初日には必ず来る人たちみたい。「去年もお会いしましたね」って和んじゃったよ……。

 結局、当日券に並んだのはわたしと、常連さんふたり組の、計3人だけ。
 だ、誰も来ないの?
 そうか、お披露目初日だもん、完売が当然で当日券なんか出るわけナイとみんな思っているんだな、と納得して「チケット販売状況一覧表」を見ると。

 ……売り切れて、ナイ。
 絶賛発売中かよ?!

 どうしてえ? お披露目初日だよおおお?!! かしちゃんおめでとー!な気持ちだけで駆けつけるもんぢゃないのおー?!
 記憶に新しいとこでいうと、梅芸のあさこお披露目だって「初日だけ」は超チケ難だったよお?!

 自分がチケットを押さえた段階で発売状況に興味をなくしていたわたしは、はじめて見る「現状」に呆然でした。
 いや、博多座公演が「売れてない」とは聞いていたけどね……他日程はともかく、初日と楽は売れるものだと思っていたし、楽が売れるのはみんなの力だけど、初日の売れ行きはトップお披露目のかしちゃんの力だと思っていたからさ。

「武田鉄矢より売れてませんねぇ(笑)」
 一緒に並んでいたおねーさんたちは、この「現状」をにこやかに一刀両断する。
 宝塚歌劇公演と次の武田鉄矢主演公演のチケット販売状況一覧表が並んでるもんでさ……ふふふ、一目瞭然(泣)。

 
 そーなんだ。
 コンサートの売れ行きを見てもわかるけど、みんなかしちゃんのことは「わりと好き」あたりなんだよね。
 「近くでやっていたら、見てもいい」「予定が合えば、見てもいい」であって、遠征したり、平日に無理をして休みを取ってまで見たい人じゃない。犠牲を払ってまで追いかけたい人ぢゃないんだよね……。
 熱狂的ファンは少ないけれど、「ふつーに好き」な人は多い。こ、こーゆー人は「便利ないつもの劇場」で「白くアクのない主役」を演じていれば人気が出るもんなんだ。そ、そーだ、かしちゃんはこれからの人さっ。
 と、自分を鼓舞してみる。
 

 さて、宙組博多座公演『コパカバーナ』

 かしちゃんは、真ん中が似合います。

 ファンの欲目もあるだろーけどさ。
 真ん中に輝く白い光、つーのは、必要だよ。

 とにかくきれいなんだ、スティーヴン/トニー@かしげ。
 登場するなり、「あっ、きれいだ」と心が浮き立つ。

 最初のスティーヴンのとき、なんだか演技にクセがあるというか、ねばっこい感じがしたんだけど、杞憂だった。話が進むと、いつものかしちゃんに戻った(笑)。
 最初は力みすぎてたんだねー。

 サマンサ/ローラ@るいちゃんとの並びもきれい。
 少女マンガの世界がソコに。

 タニちゃん、らんとむ、あすかちゃん、ともちと、みんなみんなきれいで、ナニ組を観ているのかさっぱりわからないが、とにかくきれい。すごーくトクした気分になる。

 
 かしちゃんが笑っている。
 目を線にして、るいちゃんにおでこをくっつける勢いで笑っている。

 それをこの目で見ることが出来ただけで、しあわせ。
 うれしくて幸福で、泣けてくる。

 るいちゃんが、信頼した目でかしちゃんを見つめてくれている。

 それをこの目で見ることが出来ただけで、しあわせ。
 うれしくて幸福で、泣けてくる。

 ひどい政略結婚だったけどさ。
 それでもふたりがしあわせなら、それでいいんだ。
 祝福するよ。見守るよ。
 しあわせになってくれ。そして、宙組を盛り立てていってくれ。

 この笑顔を見るためだけに、わたしは博多まで来たんだ。

 
 星組からの続演で、やっぱりかしちゃんは地味だし(笑)、宙組も宙組ファンも星組に比べて地味でおとなしい。
 客席のテンションの低さにちと面食らいつつ、それでもスタンディングで拍手する。
 ……星組が変なんだよね。あそこはアツすぎる、なにもかも(笑)。

 
 おめでとう、かしちゃん。
 これからも応援するからね。


 さあ、忙しい夏がやって来ています。
 去年に引き続き、博多座初日行ってきます!!

 去年博多に通いすぎて、「もうあと何年かは行かない」と誓ったんだけどな……宙組なら行かなくてもいいかー、とか、そのときは思ってたはずなんだけどな。

 かしちゃんお披露目なら、行くしかないでしょう!!

 待っててかしちゃん!!
 ……って、今年はあたし、ひとりなのよ〜〜っ。誰もつきあってくんないのー!

 明日、誰か博多座に行く人いないですか?
 去年も一昨年も、行けば誰かに会えたんだが。日本は狭い。

 さあっ、ひとりで18きっぷ、ひとりで夜行列車だー!!


 『ファントム』、他の出演者の話をたらたらいきます。

 そのかが、超絶オトコマエです。

 軍服着て踊っているときの美しさは、そりゃーもー、どえりゃーことになっております。
 ……のに、三兄弟やってるときのプリチーさときたら、もお。
 かわいいかわいいいぢられキャラ。あーもー、大好き。

 
 みわさんは相変わらず、目線絨毯爆撃がすげーです。
「みわっちと目が合った!」
 が、1公演中に何度もある。どこに坐っていてもある。当日BB席に坐っていてさえある(笑)。この人のこーゆーとこが好き。
 『カルメン』のときの白い軍服のイケてなさが、実はツボです。えーと。あの軍服姿、なんであんなにどんくさいんですか? 慣れないスターブーツのせい? 静止しているとかっこいいのに、動くとぐたぐたになっている(笑)。今までで最大にダンスのヤヴァイみわさんがそこに……。
 みわっちってほんと「花組男役」だなぁと思う。なにができるわけぢゃなくても、ギラギラにキザって生きているところが「うきゃー!」って感じに魅力。おもしれー人だ。

 
 従者では、マメの次にだいもんを見てます。
 てゆーかだいもん、濃い……。やりすぎ……。
 初日が下手席だったもんで、なにかっちゃーだいもんにヤラレて帰りましたよ。表情豊かだなぁほんと。

 みつるの美貌にはときおり目を奪われます(ときおり、でしかないのは、大抵わたしがマメに夢中なせい)。しゅん様の濃さとまぁくんのよるべない風情(笑)、りせの不自然さも愉快。らいは無表情な方がオトコマエ(やりすぎると笑いツボにハマるんだな、この子)。かりやんは美貌だと思うけど、何故かわたしの目にはあまり入ってくれない。ヤンブラ組のかわいこちゃんたちががんばってキザっている方が目に入る。

 珠まゆらちゃんが目についてしょーがない……。エンカレでこの子、すっごくこわかったからさー。なんか強烈にインプットされちゃったよ(笑)。
 脇にまざっていても目に付くし、役がついているときなんか、さらに強烈に目を奪う。(例・薬草売り。こわい)

 ベラドーヴァ@花咲りりかちゃんは、「天使の歌声」ではないと思うな……。歌がうまい人だとは思うけれど、イメージがチガウというか。
 難しい役だなー、ベラ。
 声はともかく、彼女の演技には泣かされる。

 小エリック@ののすみちゃんは、めちゃくちゃうまい。
 この子の絶叫でわたしの泣きスイッチ入るもんな。得がたい役者だ。

 ソレリ@きほちゃんの地味さには、おどろかされた。歌はうまいんだけどなー。リピートしてはじめて「あれ? きほちゃんこんなとこにも出てたんだ」と発見することになる。
 宙のかなみちゃんと同じ役だよねえ? ロケットセンターも含め。スタイルは抜群なんだけどなぁ。なんであんなに地味なんだろう。

 メグ@きらりちゃんは、華やかだなー。ぼーと眺めていても、「あれ、今の子誰?」と注目してしまう。
 と、ゆまちゃんも、なにをしているわけでもないのに見てしまう。きれーだよねー。
 ゆまちゃんといえばだが、今回もまたすごい。通常は1階前方席ではパンチラをたのしみ、2階席のときは胸の谷間をたのしむもんなんだが、ゆまちゃんは、1階席からでも胸の谷間をたのしめる。うおー、チチでけぇ。ロケット衣装、マイク付きなのがまたエロいー。
 眼福眼福。

 眼福といえば、舞台監督@王子が、無駄に美しくて素敵です。
 うさんくさいバレリーノ@『マラケシュ』以来、王子は自分の美貌の使い道に開眼したのでしょーか。いい感じにきれーです。
 王子は演技がいつまでたってもアレな人なんで、台詞を喋ったり物語に絡んだりするといろいろアレなことが多いんですが、「美貌」という点では大変優れた人なので、今回のような位置にいてもらえると舞台が華やぎます。
 なにをしているわけじゃないのに、きれーだから目に付くもんなあ。
 フィナーレでもたのしそーに「美形キャラポジ」をたのしんでるよね? アドリブでまっつに迫っているよーですが、わたし的にはそのへんはスルー。狙ってやりすぎているので、腐女子的に萎えポイントです。そーゆー据え膳は好きぢゃない。

 めぐむはいろんな役で大活躍してますなー。コスプレコスプレ。
 まっつより、台詞多いし。とにかくあちこちに出没しているので、探すのがたのしい。
 でも笑顔率高くてちょっとつまんない……(めぐむは怒ってる顔がいちばんオトコマエ)。

 ビストロのイケメンウェイターたちが、いい感じです。
 このウェイターって、テーブルの上で歌ったりと職業的にどうよ?な演出されてますが、目立っていいよなあ(笑)。
 どの子がお好みですかマダム? って感じぃ?(語尾上がる) とりあえずアーサーの弱さとキョドり具合を観察してみる(笑)。

 あと研1男子で、やたら目に付く子がいるんですが、アレは誰だろー。モブで団員男だとか街の男だとかやってるんだけど。そのうち名前わかるかなー。若い子はすぐ顔が変わっちゃうから、見失うかもな。

 カルロッタ@たきさんがすごいのは言うまでもないことだが、彼女と同列で違和感のないヴァレリウス@ひーさんもすごいんぢゃないだろーか……。
 アラン・ショレ@はっちさんは、何故にあの役作りなのだろう……。

 
 花組で『ファントム』再演が決定したとき、ものすっげー落ち込んだ(物語は破綻・演出のセンス最悪・わずかなメインキャスト以外は動く背景)けど、実際に観てみればすごーくたのしかった。
 花組はほんと、モブがうるさすぎて愉快。
 動く背景になる気皆無。どこを観ればいいのか迷うお祭り状態が続く。そのぶん、アンサンブルが弱いけど。
 宙組の方があらゆる意味で正しくてクオリティも高いんだろうけど、それでも花『ファントム』も大好きだー。
 たのしい〜〜。


 腐った話を一発。

 『ファントム』において、リシャール@まっつと文化大臣@まりんの、接触度合いが高いことについて。

 文化大臣は「金で人事を動かす」俗物だ。
 そしてリシャールは『カルメン』ではセルジョ@みわっちよりも役付が悪い。
 が、次の『フェアリークィーン』ではセルジョより役付が良くなっている。
 『カルメン』と『フェアリークィーン』の間に、ファントム騒動があり、リシャールと文化大臣は接触をしている。

 さて。
 ここで腐った妄想。

 リシャールが、色仕掛け(笑)で文化大臣に近づいたゆえに、役付が上がった。

 とすると。

 ビストロで、『フェアリークィーン』の主役タイターニア役がクリスティーヌ@彩音に決まったとき、リシャールひとりがショックを受けている。他の人はみんな、最初はおどろいていても最終的には祝福しているのに。
 クリスティーヌがすばらしい歌声を披露したときは、みんなと同じように喝采を送っているのに、タイターニアの話が出た途端の豹変。
 この理由付けになる。

 色仕掛けで文化大臣に取り入ったリシャールは、約束を取り付けていたんだ。
「次のオペラ、『フェアリークィーン』でキミを主役のタイターニア役に抜擢するよ、ハニー」
「女役ですか?」
「大丈夫、キミならできる!! 美しいタイターニアになるはずだ」
「はいっ、がんばります!」
 てなふーにな。

 次は主役、カルロッタを抑えてヒロインになる……リシャールは金髪ロン毛のカツラ選びに余念がない。
 ソプラノで歌う練習もしていたかもなっ。男性ホルモン薄そうだし、なんとかなる(笑)。

 なのに。

「この子は、タイターニア役を演じるべきよ!!」
 ビストロで、カルロッタがまさかの推薦。
「『フェアリークィーン』のですかっ?!!」
 驚愕の声を上げるリシャール。
 周囲は感嘆と祝福ムードに包まれる。
 だが、リシャールだけは納得がいかない。だってあの役は、ボクのものなのに……。そのために、文化大臣と***だってしたのに……。

 その夜、クリスティーヌとフィリップ@まとぶが「成功をたのしんでいる」とき、リシャールと文化大臣ももつれていた。
「あの役は、ボクにくれるって約束したぢゃないですか!」
「すまん、まさかカルロッタがあんなことを言い出すとは思ってなかったんだ。代わりにオーベロン役はキミに回す。今度は絶対だ」
「ヒロインぢゃないじゃないですか……」
「ああ、そんな泣きそーな顔をしないで。オーベロンもいい役だよ、用意したカツラもそのまま使えるし。なっ? なっ?」
「…………」
「そーだっ、衣装をずーっと派手にしよう!! タイターニアより豪華な衣装だ! 機嫌を直してくれよハニィ」
「…………」
「ああっ、そんな顔をしないで、かわいいぢゃないかっ」

 とかなんとか。腐った会話と腐った夜。
 ほーら、理由付け完璧。
 だからあーゆー展開になっていたのねっ。

 
 ……なんて、いくらあたしでも書いてて気持ち悪かったので、ありえませんが。


 フィリップ・ドゥ・シャンドン伯爵@まとぶが、ツボです。

 まとぶはどんどんいい男になるねええ。しみじみ。
 『パレルモ』『アパシネ』ときてこの『ファントム』で、さらにオトコマエ度を上げているよー。

 シャンドン伯爵の登場シーンだけは、ついに一度も見たことがなかったんだけど(ごめんよ、あそこは三兄弟しか見てないからさー)、それはともかく、いい男なんだフィリップ。

 あの暑苦しさは、ナニ?(笑)

 ビストロで入団試験大成功!のクリスティーヌに向かって、すごい勢いで恋を歌うシャンドン伯爵。
 その空回りっぷりがラヴ!!
 てゆーかキミ、声でかすぎ(笑)。もう少し落として歌ってくれよ。

 ひとりものすごい高温で空回っていて、おもしろいのなんの。
 クリスティーヌがぜんぜん聞いてないだけに、彼の浮き足立ちぶりが際立つ。
 いいなあ、フィリップ。

 若くて華やかで、プレイボーイでもいやらしくない。シャンパンで財を成した……のはきっとパパで、フィリップはお気楽な二世なんだろうな。
 宙のトウコフィリップが成り上がりっぽかったのと対照的に、まとぶフィリップはおぼっちゃまだー。
 若さとまっすぐさ、白さがまぶしい。

 恋に一直線で、クリスティーヌのために大騒ぎして、でかい声で歌って「命懸け!」で、ついでにクリスの楽屋のドアの鍵ぶっ壊して(笑)、たぶんキャリエールが現れなかったら鏡もぶち破っていただろー、恋のクラッシャーマン。
 暴れる暴れる。

 そこまでひとりで大騒ぎしておいて。

「あの人を殺さないで、あの人と話をさせて」と泣くクリスを見つめるときの、愕然とした顔がたまらない。

 クリスティーヌが愛しているのが自分ではなくあの怪人であることを知ったときの、彼の受けた衝撃。
 それが、見ていて伝わる。
 痛い。

 なにもかも知り、その痛みに喘ぎながらもなお、クリスを思いやり、彼女の受ける痛みを最小限にしてやろうと思案しているのがわかる。
 伝わる。
 痛い。

 片想い好きのわたしのツボに、ジャストミートしますよ、シャンドン伯爵!!

 彼の熱さが、そして彼の受ける痛みが、たいへん好みです。
 あああ、いい男だ、フィリップ。
 美形でお金持ちで、そして振られちゃうのよ!! もー、好み好み〜〜!!

 彼にはぜひ、今後のクリスティーヌを支えていってほしいですな。
 恋人ぢゃなくてもね。
 それくらいの度量としつこさがあるよな、フィリップ。

 
 宙版では、キャリエールとフィリップは対等な友人同士に思えたけど、花版では「父と息子」的。
 キャリエール@ゆみこは、息子のよーな感じでフィリップをかわいがってないか? キャリ氏が老けすぎてるせいもあるんですがね(笑)。
 エリックと同年代のフィリップを見つめながら、キャリは「ウチの子もふつーに育っていればこれくらい美男子で、女の子にもモテたはずだ」と好々爺の顔で想像していたりな(笑)。

 
 前の欄で「花キャリエールは主役のひとりではない」と書いたけれど。
 他意はないよ。
 役者がどうこうではなく、演出意図としてそーゆーことになっているんだろうなと思う。
 タカラヅカだから、父と息子のラヴシーンぢゃダメだもん。主役の相手役は、パパぢゃダメなんだよ、だから相手役じゃなくなった、というだけのこと。
 ゆみこちゃんは堅実にいい仕事をしてくれている。
 愛があふれているのが彼の芸風のすばらしいところで、ベラドーヴァを愛し、エリックを愛しているのがよくわかる。……てゆーかアンタ、息子甘やかしすぎ。エリックへの愛情がダダ洩れで、見ていておかしいやらかわいいやら。

 それまでの抑えてきたものがあふれ爆発するような、クライマックスの父子の銀橋の歌はすばらしい。

 今回チケ運がそこそこよくて、最前列で2度も観劇できたんだけど、内容的にいちばんよかったのは、よりによって劇場最後列、当日BB席で観たときだったよ。
 あの巨大な劇場のいちばん隅っこ、てっぺんにいたっていうのに、「届く」の。「響く」の。
 オサエリックのかなしさ、ゆみこキャリエールの深さ、人々の愛が空気を動かし満ちる、舞台の「気」が客席を包み翻弄する。
 遠いはずの舞台が、銀橋が、息づかいがわかるところにあるよーな、錯覚。
 オサ様は気まぐれで公演ごとにテンションもキャラも出来もチガウ人だし、周囲の役者たちもそれに全霊をあげてついていき、共有するわけだから。
 相乗効果がぴたりと決まったときは、すごいクオリティの舞台を見せてくれるよね。

 それをいちばん感じさせてくれるのが、オサとゆみこの銀橋。
 ふたりの「役者」としての相性の良さが、「歌手」としての相性の良さが、奇跡のような瞬間を生む。

 キャリエールが、ゆみこでよかった。
 いいものを見せてもらったよー。

 ただ、片想いスキーなわたしは、この愛に満ちあふれたキャリはそれゆえにツボらないんだけどな(笑)。


 文化大臣とやらは何故、あんなにリシャールくんを抱きしめますか。

 初日の段階で、実はアゴが落ちてました。

 わたしとしては、三兄弟のかわいー絡みを期待していたわけですよ。
 みわまつそのがいちゃいちゃしてくれることをたのしみに、劇場に行ったわけですよ。同期並び最後だから、そのまつでオイシイこととかしてくんないかなー、てな期待に胸をふるわせていたわけですよ。

 何故、まっつにいちばんよく触るのが、まりんなんですか。

 ブケーの死体が発見され、リシャール@まっつがまっつらしいヘタレ全開であたふたするシーンで。

 何故か、リシャールが絡む相手は、文化大臣@まりんなんです。

 ふたりでもー、いちゃいちゃしてます。
 びびるリシャールに後ろから大臣が抱きついてみたり、腕を組んだまましばらくわたわたしていたり、反対にリシャールが大臣にすがりついてみたり。

 何故だ。
 何故なんだリシャール。
 そんな愉快ヒゲのおっさん相手にかわいいことしてないで、ラシュナル@そのかとラヴってくれよ。

 …………あうー。

 リシャールくんは「花形劇団員(デイリースポーツ)」であり、美形で歌姫……ぢゃねー、歌手で、スター街道を歩いているひとりのはずなんだが、他のスターふたりセルジョ@みわっち、ラシュナル@そのかと同様、素敵にヘタレなんだよね……。

 抱きつき癖があるのか、ジャン・クロード@さおたさんにも抱きついてるよね?

 まっつが、あの「困った顔」「情けない顔」で、男たちに抱きついては引き離されてるのが、かわいくてかわいくて……しかも、ヒゲ中年限定で抱きついてるし……リシャール、キミの趣味って……。

 
 文化大臣といちゃつくリシャールも謎だが(誰でもいいのかもな……近くにいる男にてきとーに抱きついてる?)、フローラ@一花との関係も謎。
 ビストロのシーンだけを見れば、ふつーに「つきあってる」みたいなのにねー。

 フローラちゃんは、「フィリップ親衛隊トリオ」のひとり。胸にはフィリップ様の写真入りロケット。

 まっつ、二股かけられてる?(真顔) はっ、まっつ、ぢゃなくてリシャールよリシャール、役名で言わなきゃ! いくらまっつが、「二股かけられてる男」としてイメージぴったりだからって役名で言わなきゃダメぢゃん!

 ああ、いいなあ、二股かけられてるまっつ……。
 まっつはちゃんと一花を好きだし、一花もまっつとつきあっているけど、「まとぶ伯爵を愛している気持ちとは別なのっ」てゆーかねっ。(役名で言いましょう、誤解を受けます)

 シャンドン伯爵は高嶺の花、見上げて爪先立って恋し憧れるけれど……ふと横を見て、「ま、このへんで妥協しておくべきよね」と溜息ついて、リシャールに微笑みかけるフローラ。
 ……って、萌えだわっ。
 んでもってリシャールは最初から、フローラちゃんラヴなのっ。二股なんてわかってないのっ。「シャンドン伯爵? ああ、憧れてるらしいね」って。タカラヅカスターに入れ込んでいる妻を「偶像に憧れるなんて、かわいいなぁ」とカンチガイして許容している夫のように。自分が理解できないからって、あなどってると痛い目みるよっ、「憧れ」ほど純粋で鋭角な情熱はないんだからねっ、世の男たちよ!、みたいな(笑)。

 二股受動態まっつは萌えですよ、萌え……。

 
 でもって、もひとつ謎。
 そのビストロのシーンで。

 クリスティーヌが「フェアリークィーン」の主役に抜擢されるという。
 団員たちはみんな祝福。おめでとークリスティーヌ! てなもん。

 なのにここでリシャールは、情けない顔をしている。
 不満そうな、こまったよーな、泣き出しそうな顔。

 クリスがすばらしい歌声を披露したときは、他の団員たちと同じように大喜びで祝福しているのよ?
 なのに、「クリスティーヌがタイターニア役をやる」となった途端、泣き顔(まっつのもっともまっつらしい表情?・笑)になる。

 やはりコレは、彼が、タイターニア役を狙っていたと理解するべきですよね?!

 リシャールはヒロイン志望だった!!

 真っ白なドレスを着て、ソプラノで歌う予定だったんですよね?!
 オペラ座の娘役トップを狙っていたんですよね?!

 それを横からクリスにかっさらわれたから、あんなにショックな顔してたのよねーっ?!!

 さてその場合、オーベロン役は誰だろう。みわさんかなー、そのかかなー。どっちもダーリンとして遜色ナシよね(笑)。

 でもってエリック先生に歌のレッスンとかも、して欲しいんですけどね。
 「ドレミファソ」とか歌いながら、手をつないで銀橋歩いて欲しいわ。
 (妄想が一人歩きしています)

 いやその。
 オーベロン@まっつ、美しいだけでなく騎士然としていて素敵なんですけどね。あのとんでもねー格好で、クリスティーヌを気遣ったり守ろうとしたりするところが、オトコマエ。

 
 フィナーレで王子相手にやってるより、萌えは他のところにありますよ、はい。
 てゆーかまつださん、自分を受だと思ってるんですか。フィナーレの男祭りシーンについて、お茶会で受発言したそーで。わたしゃお茶会行ってませんから、ひとから聞いただけですが。
 受攻はファンタジーなんで、自分で属性決めないで、観客にゆだねてください(笑)。

 
 あー……。
 そのまつで、濃い〜〜のが見たかったなぁぁ。(基本的にわたし攻スキーなんですが、そのか相手なら、まっつが受でいいっす)……はっ。舞台でですよ、役でですよ! わたし、生身で妄想する趣味ないっすから(笑)。



未涼亜希“男役10年”目前
 自分の持ってるものすべてで勝負


 花組男役ホープ未涼亜希は、着実に、そしてスピーディに成長を続けている。今公演ではパリ・オペラ座の花形劇団員を熱演、劇中劇「フェアリー・クイーン」では妖精王オーベロンとして、ゴージャスな魅力を見せている。“男役10年”の節目を前に「時間をしっかり使えている感覚がある」と表情に充実感みなぎらせている。



 はい。
 たったひとりだけど、需要があることを教えてくれたので、デイリーのまっつ語り行きます!>木ノ実さん!!

 
 いやあ、すごいですよ、「デイリースポーツ2006/07/25」の「the 宝塚WORLD」。

 「ホープ」だとか「花形」だとか「ゴージャス」だとか「みなぎらせて」だとか、およそ、まっつに似合わない形容がガンガン出てきて、ウケました。

 すげー。なんかこの記事だけ読んだら、まっつってGOGO加速度付きのスターみたいだナ☆
 「すべてで勝負」とか、強気だー。編集ってすげー。

 デイリースポーツのいいとこは、写真がきれいなことと(スポニチは最悪だっ)、1ページまるまる使って写真とインタビューを載せてくれる「わ、大スターみたい♪」な扱いをしてくれること。たまりませんなあ。

 木ノ実さんからもらったメールに「昨日のデイリースポーツにまっつが載っていた」とあり、「昨日かよっ?! んぢゃもー売ってないぢゃん!!」と涙に暮れ……かかったときに、思い出した。
 そーいや今日、いつものおいちゃんが来て、新聞切り抜きの束を置いていった! と。
 亡くなった祖父の友人、とゆー人が、「新聞の切り抜きを集めるのが趣味」で、わたしがヅカファンだと知って以来何年も、数ヶ月に一度ずつ、ヅカ関係新聞切り抜きをどっさり届けてくれるんですよ。
 たしかソレが、デイリーと報知と、ランダムな他社だった!!(タカラヅカ特集があると、わざわざ買ってくれてるみたいだ……じーちゃん、いい友だち持ったなー。おかげで孫が恩恵受けてるよー)

 昨日のデイリー、昨日の……っ。
 もらった束をひっくり返し、目的の1枚を探す。
 届けてくれたのは今日、昨日の分まで入れてくれているかしら……って、あったーっ!!

 ありがとうおいちゃん、ありがとう!!
 切り抜きをもらうのが「日常」になり、最近ろくに感謝してなかったのが、吹っ飛んだ。ありがとうおいちゃん、次に会うときはもっともっと感謝をカタチにして伝えるよおお。

 そーして九死に一生を得て(大袈裟)手に入れたデイリースポーツ。

 まっつ、写真びみょーーっ!!

 写真の写りがいいデイリーで、何故にこんな……涙。
 えー、フィナーレの白スーツでノリノリで踊ってらっさるところです。

 あ、顔はいいんですよ、顔は。
 めずらしく躍動的な明るい表情で写ってます。

 ただ、ポーズが。
 よりによって何故この一瞬なの?

 下半身が、泣けます。
 あああ、あのびみょーな膝の曲げっぷり……脚が短く見えるよおお。
 あのね、あのっ、微妙に内股なのは、まっつクオリティですか?!(泣)
 たしか初の本公演舞台スチールも、内股ぢゃなかったか?>エイサー(買ったはいいが、封印しているのでよく見ていない)

 ポーズよりも、表情の良さをかってこの写真を掲載したのかしら、デイリースポーツの中の人……。

 でも。

 でも。
 でも。
 でもっ。

 うれしーよー!! 新聞にカラーででっかく載ってるまっつー!!

 小さくオベ様写真も載ってるんだが、そっちはほんときれいなの!
 ちっちゃいんだけどねっ。
 そこには、


 キリリとした表情で、観客を魅了する
 劇中劇では妖精王オーベロンを熱演



 ってあるしなっ。「キリリ」かよっ。でもって「観客を魅了」かよっ。
 きゃ〜〜っ。なんかなんか、きゃ〜〜っ(笑)。

 
 でもなによりときめいたのは、まっつの素顔写真っす。

 えーっと。

 ものすっげえ、きれいです。

 字を大きくせずに、平静に言います。
 まっつ、すごくきれいです。

 ちょっと白く抜きすぎているキライはあるが(笑)、でも本気で、美形だ。

 どこの女優さんですかあーた。
 落ち着いた大人の美しい女性。
 アタマよさそう。

 と、真面目に賞賛しつつ。

 胸元がけっこー開いているのが、気になる(笑)。

 デイリースポーツに登場する人たちはいつも決まっているので、よーやくまっつにも順番が回ってくることがあるよーになったのかと(両トップと男役3番手までは固定。あとは新公主役。男役で目立つ人はそれ以外の枠でたまに載る)思うと、感慨深いっす。花組はいつも、みわっちまでだったもんなあ。
 これから毎回載るとは思ってないけど、載ってもおかしくないあたりには、いてくれるんだなあ。しみじみ。

 今回デイリーの「the 宝塚WORLD」のHP
   http://www.daily.co.jp/ad/duka.shtml
 をはじめて見たんだが、「完売」しているしていないが、なんとなく興味深い結果になってる(笑)。
 まっつのも、いつまでも売れ残っていたり、するんだろうか……はっ、発売早々なんて暗い想像を!!

 
 「GRAPH」の沖田総司扮装写真だとか、「ル・サンク」だとか、あちこちで美しいまっつが見られて、ほんとにしあわせです……。

 ……まっつってさ、前回公演の『パレルモ』のときなんて、「ル・サンク」にすら、載ってなかったのよ? モブですら!!(芝居の方な。ショーはモブにはいる。……遠い目)
 ムラのときは、舞台スチールも発売されてなかったしな……ふ、ふふ、ふ……。

 それが今は、舞台スチールもあるし、「ル・サンク」にわざわざ名前付きで丸囲みで載ってるし、夢のようだわ。

 かみさま、まっつさま、しあわせをありがとう。
 このしあわせが、もっともっとつづきますように。


 ふたつの『ファントム』について、私感。
 

 宙組版を見たとき、主人公はエリックで、その相手役はキャリエールに思えた。物語のもっとも盛り上がるところが親子の銀橋で、クリスティーヌは影が薄かった。
 孤独な怪人エリックは銀橋でキャリエールの告白を聞き、不器用に男の胸にもたれかかる。自分から抱きしめることもできないエリックを、キャリエールが強く抱きしめる。
 わたしが腐っている(笑)せいだけではなく、一般的にも「ふたりの物語」だと認知されていたのだと思う。「宙組『ファントム』ってどう?」「たかこさんの相手役が、樹里ちゃんだった」とゆー、罪なき会話をあちこちで耳にしたもんなー(笑)。
 演出的にも、キャリエールは登場時に1曲歌いながら銀橋を渡り、「主役のひとりである」ことを印象づけている。
 『ファントム』は親子の物語であるから、ムラ版のラストシーンが不評だった。タカラヅカだからといって、なんの脈絡もなく死んだはずのエリックと生きているクリスが抱き合ってENDはおかしい、と。そしてラストシーンは東宝では改変された。

 花組版は、主人公はエリックで、相手役はクリスティーヌだと思う。物語のもっとも盛り上がるところが、最後のクリスの腕の中で死ぬエリックであり、キャリエールは影が薄い。
 もちろん、見せ場のひとつである親子の銀橋が盛り上がっているのは事実だけれど、物語の力点が移動しているため、宙版とは異なる。
 花エリックは、キャリエールが父であることをあらかじめ知っている。銀橋での告白でも、おどろきはなく愛情の確認をしているんだな。言葉にして聞いたことはなくても、彼はわかったいた。キャリの愛情がだだ漏れ(笑)で、自分がちゃんと愛された子どもであること。もともと甘えっ子モードでキャリに接していたエリックだから、最後の抱擁も積極的。がっつりと腕を回して強く抱き合う。
 エリックが物語の冒頭でブケーを殺さない、殺人鬼設定ではないのは、彼が「愛された子ども」だからだ。たしかに顔の痣もオペラ座の地下で暮らすしかないのも不幸だが、それ以外の大切なものを彼はちゃんと与えられて育った。母に愛され、父に愛され。顔で選んだとしか思えない(笑)浮浪者たちもいっぱい一緒に暮らし、ひとりぼっちではない。
 父との和解は、花組版の力点ではない。演出的にも、キャリエールは登場時の銀橋ソロがまるっと削られ、「主役のひとりではない」という扱いにされている。
 物語のポイントは、タカラヅカらしく、ヒロインとの恋愛にある。
 フィリップという暑苦しい恋敵(笑)も絡み、正統派に三角関係やって、恋愛的ハッピーエンドを決めてくれる。もちろんクリスは母の象徴であり、その母性が大きな意味を持つけれど、ママの代わりってわけぢゃない。歌のレッスンという名のデート中、クリスを見つめるエリックが、とろとろに溶けきった顔をしているからだ。
 恋するエリック。初々しい少年の恋。バスケットにサンドイッチを詰めて、森へ行こう。ピクニックシートを広げて、詩を朗読するの。
 すれちがってなお、エリックとクリスは恋人同士。もしもクリスを止める者が誰もいなかったら、ふたりは手を取り合って秘密の森へ走って行ったんだろう。エリックを「仮面の悪魔」だと思いこんだ人々が邪魔をして、彼は死んでしまうけれど。

 
 「オペラ座の怪人」として正しいのは宙『ファントム』かな。
 でも、「タカラヅカ」として正しいのは花『ファントム』だろう。

 主人公が殺人鬼でなく、逆境で生きる純粋な人物で、暗い過去背負っていて、障害を乗り越えてヒロインと恋愛してその腕の中で死んでいくんだからなー。
 これでもう少し年齢設定が高ければ、ほんとにふつーの「タカラヅカ」だ。

 わたしはやっぱり宙『ファントム』の方が好きだし萌えだし、たかこエリックの歪み方と樹里キャリエールの色気(ついでにトウコフィリップのうさんくささ・笑)が大好物だったし、それは今も変わっていないけれど。

 それでもなお、花『ファントム』とオサエリックが、愛しくてならない。

 おもしろいなあ。
 これだけちがう作品になると。


 機嫌良く『ファントム』に通っている。
 春野寿美礼のファンである以上、この公演はたのしい。「エリック」はまちがいなく「春野寿美礼」であるからだ。他の誰でもない、「春野寿美礼」が演じるこその「エリック」だからだ。

 リュドヴィークもヴィットリオもウルフもそうだったけれど、春野寿美礼は絶望に微笑うタイプなのよね。ほんとうにつらいとき、絶望の淵で生きているとき、微笑むの。泣くのではなく。
 ふつーならそこは取り乱して泣き叫ぶところだろう、苦悶に顔をゆがめるところだろう、てな精神状態のときに、なにもかもあきらめたように、悟りきったように、微笑む。これはもー、春野寿美礼クオリティなんだろう。
 よーするに、エリックもまた「諦観」が根底にある、かわいそうな子どもなんだな。
 彼のおかれている状況は悲惨で、ゆがんでいて、あわれで、全世界を呪いながら生きていてもおかしくないのに。
 それでもエリックは、どこかひょうひょうと穏やかに微笑んで生きている。生い立ちは不幸だけれど、母に愛され、父に見守られ、すくすくと成長したんだろー。
 「限界」を知り、それ以上を欲しがることもなく、与えられた箱庭の中でそれでも幸福そうに生きる。……はじめから、あきらめているから。手に届かないものを、欲しがらない。そうやって余分な苦しみを、自分にもキャリエールにも与えない。
 「僕が生まれてきた意味」とまで言うクリスティーヌのことにしても。
 かなしいほど、いつもあきらめている。

 花組版のエリックは、あわれでいたいけで、愛しい子どもだ。
 クリスティーヌに拒絶されたあと、絶叫する春野寿美礼の背中に、子役野々すみ花の背中と絶叫が重なって見える。

 あんまりだ。
 あんまりだよ。
 可哀想すぎるよ。
 愛しすぎるよ。
 エリックがかなしくて、泣けて仕方がない。

 オペラ座の「怪人」であった宙組版とちがい、花組のエリックは「周囲の理解のなさゆえに怪人にまつりあげられた無邪気な少年」であり、性格付けも設定もいろいろちがっている。
 実在の存在なのかあやしい従者(設定はどうあれ、舞台上で彼らについての説明はない)を従え、自分のテリトリーを犯す者は容赦なく殺す宙エリック。殺人は彼にとって大した禁忌ではなく、まためずらしいことでもないんだろう。
 明確な「ゆがみ」と「狂気」を持ちつつも、少年の夢見がちさと潔癖さを持つ、あやうい魅力。圧倒的な美貌(スタイル)と熱のある激しい性格。……うおー、ダイスキだたかこエリック。
 ……とはまったくチガウ、花組版。町で拾った浮浪者(この台詞、やめようよ……)を養い、ひょうひょうと、いたずらを繰り返して生きる花エリック。キャリエールのことを父だとわかったうえで、愛されている確信のうえでわがままを言う、甘えっこ。
 オサエリックは殺人はしない。そんなことをしなくても、周囲の人は勝手に彼を「怪人」だと、「仮面の悪魔」だと決めつける。
 彼がその手を汚すのは、愛する少女の復讐のため。子どもらしい激しさでカルロッタを殺す、あれが最初で最後の殺人なら、「怪人」ゆえではないよね。「人間」ゆえだよね。浅慮で愚かだけど。それすら、人間らしいだろう。警官相手のときも、殺意はなさそーだもんな。天井を狙って撃ったりな。恋敵フィリップには多少含むところがあるよーだが(笑)。

 花『ファントム』が大好きだし、なによりオサエリックがかわいくて仕方がないのだけど、まったく萌えない(笑)。
 カップリングしようがないからなぁ。
 宙『ファントム』ではキャリエール×エリックでも、キャリエール×フィリップでも盛り上がれたんだけど、花では無理。

 理由はわかる。

1.エリックが、純真無垢なガキ。(あたしゃ、ショタの気はまったくありません)
2.エリックが、クリスティーヌにベタ惚れ。(オサちゃん、鼻の下のびすぎ!ってゆーか、ええっと。若い嫁にめろめろになっているのがわかりやすくて、かわいくてたまりません……うおーっ、オサ様好きだぁぁあ)
3.キャリエール、いい人過ぎ。(歪んでないのよこの人。ふつーに善人でハートフル)
4.フィリップ、若造で初恋ムードぶっちぎり。(がんばれおぼっちゃま)

 これだけ重なると、腐女子妄想もできませんて。ちぇっ(笑)。

 nanaタンと言ってたんだけど。

「宙キャリエールの過ちは、女の子騙して妊娠させて、生まれた子どもをオペラ座の地下に閉じこめて育てたことだけど、花キャリエールの過ちは、エリックを溺愛してわがまま放題に育てちゃったことだよね」

 宙キャリは鬼畜。花キャリは親バカ。
 ……あー、あー、あー……。

  
「エリックでもファントムでもない、アレは、『春野寿美礼』というイキモノ」
 ……そう言って、愛でてきた花『ファントム』とオサエリック。

 ゆみこに愛されてるのはデフォルトで、そのうえであやねにデレデレかよ、ったくよぉ。……と、オサファン的見地からも、実にたのしい。
 愛さずにはいらない、かわいいエリック。わがままで気まぐれな猫。フーフー毛を逆立てて威嚇したり、あわれな声で鳴いてみせたり。そのくせ要所要所で諦観に微笑み、見ている者のハートを鷲掴みにする(笑)。

 大好き。


 なんか、従者@マメが素敵なんですけど、どうしましょう?!

 花組『ファントム』の話。

 今わたしには、ちょいデ……いやその、「決して華奢でない、肉厚な顔と体型」男ブームが来ているのでしょうか。

 水輝涼といい、ヲヅキといい、マメといい。
 彼らの「厚み」がいいのですよ。体格も、顔も。

 わたしがマメ氏を最初に認識したのは、スカステでした。ええ、はじめて見たスカステニュースで、リーマンスーツ着てリーマンヘアで、無表情にニュース読んでたの。
 わたしはスカステ興味なかったし、今もあんまし見てないんだけど(予備知識キライだし、役者がナニ考えて演じているとか興味ない。自分が観て、感じたモノだけがすべて)スカイフェアリーズって、顔がきれいなタレント系の子がやるもんなんぢゃないの? と、驚愕した覚えがある。
 まあ、失礼ねっ。

 今年のスカフェ見て「顔だけで選んでるわけぢゃないんだ……」とは思ったけれど(だから失礼だって!)、当時は勝手にそう思い込んでいたのよ。えーと、2004年後期のスカフェを見回してみても、好みの差はあれ、どの子も「きれいな子」なんだろうと思ったしさ。
 だから、マメひとり異質に思えて、かえって注目しちまったのさ、「誰だアレ」って。

 2004年当時、わたしは自分が花担になるとは、夢にも思ってませんでした(笑)。オサファンなので花組はよく観ているけれど、下級生までチェックしてないし。
 だから、役者としてのマメ氏との出会いは、わたしがすこーんとまっつにオチた、博多座『マラケシュ』になる。

 ムラ東宝でまっつが演じた役がなくなり、かわりに新しい役が増えている。まっつが演じたときより、重要な役になっている(笑)。
 注目しない方がおかしい(笑)。

 で。
 まっつだったはずの役を演じるマメを見て。

 ひょっとして、芸風は二枚目なのか? と混乱した。

 なにしろ、最初がリーマンスーツでリーマンヘアでしょ。微妙まっしぐらだったもんだから。それが刷り込まれてしまっているわけだから。
 繊細風味な二枚目キャラを演じられても、わたしのなかで情報混乱が起こるのよ。
 外見はコメディ系なのにー。芸風は二枚目かよー。どーしよー。

 で、次に見たら、山寺の和尚さんだったし。
 うわああん、なんかよくわかんないー。

 で、次に見たら、コジローくんだったし。お花畑で「ウフフ」「アハハ」だったし。「ユー」で「ミー」で「オウム返し」だったし!!

 日向燦って、ぜんっぜんわかんないっ。(逆ギレ)

 で。
 ……で、『ファントム』で。

 彼は従者で。
 や、役なんかぜんぜんチェックしてなかったんだけど。

 初日から、目に飛び込んできて。

 なにをしていても、どこにいても、目に飛び込んできて。
 ライト当たってないくせに、隅っこなくせに。や、従者のなかでは彼はセンターだけど。
 とにかく、真ん中芝居とは関係ない、影の存在のくせに。

 マメばかり見てます。どうしよう!(逆ギレ)

 
 えー。
 納得するまで、ずいぶん時間がかかってしまいましたが。

 日向燦って、美形だよね?

 素顔ぢゃなく、芸風が。
 ハマコ先生が美形も演じられるのと同じで。色男だとか色悪だとか演じられるのと同じで。

 従者として「悪」の存在に徹するマメ氏が、かっこよくて美しくて、たまらんのですよ!!
 従者が「悪」かどうかの定義は置いておいてくれ。浮浪者だとかエリックに世話をされているだとか笑止な設定が加わっている、みょーちくりんな存在だが、花男たちはじつにクドくエロく美形アピールしまくってますからなっ。ここまで直球に「黒い美形」を表現する役は、「悪」のカテゴリでアタマわるく語彙少なく括っちゃいましょー。

 無表情に美形ってる(日本語破壊)マメ氏もそりゃー素敵なんですが、わたしがいちばん好きなのは、1幕のカルメンのあと、大暴れファントムのことをみんなで「大変だー、ファントムだー、うひゃー」と歌っているところ。

 騒いでいる劇団員たちの周囲を、どさくさにまぎれて従者も一緒になって騒いでいる。
 そこの、マメ氏が。

 「ぎゃお」と吠えていて、震えるほど好き。

 や、べつに、台詞はないですが。
 でも彼、吠えてるんだもん。
 すっげーの顔して。
 他の従者たちが無表情にキメているのに、マメ氏は哄笑してるの。
 それがねっ、もーっ、もーっ、すっごい好きなのよーっ!!

 あーっ、かーーっこいいっ。
 溜息出ちゃうわー。

 
 そんなマメ氏が、新公ではアラン・ショレを演じ、期待通りのコメディセンスを披露してくれた。
 カルロッタ@さあやちゃんとふたりして、舞台を乗っ取っていたよーな(笑)。いちばんウケてたよね、この夫婦。

 なにをやってもおかしい、オリジナリティと持ち味のホットさをきちんと出して、素敵にうさんくさい支配人を演じてくれた。
 GJ! マメ!

 でも。

 わたし的には、マメは美形キャラを演じてくれなきゃヤだっ! てなハートです。

 マメがコメディ得意なことなんて、外見から素のキャラからわかりきってんじゃん?
 そーぢゃなくて、「役者」として素を凌駕する「美形」っぷりを披露してナンボでしょー。
 マメは美形ー、美形でなきゃヤだー、じたばた。(デパートの駄々っ子風に)

 いやはや。
 自分でもびっくりです。

 
 えー、自分的にマメから話題を続けることに違和感ないんですが。

 最近、まりんにオトされそうです。

 この人、なんでいつも、わたしに微笑みかけるのよーっ。(カンチガイです)
 そんなに「目を見てにっこり」されたら、目を離せなくなっちゃうでしょーっ。わたしをオトしてどーしよーってゆーのよーっ。(妄想です、痛いです)

 エンカレのときもひたすら微笑みかけられてくらくらしてたんですが。
 今回も、なんか知らんが微笑んでくれて、もーどーしよー状態です。
 いやその、わたしが坐る席がいつも「まりん席」でね。フィナーレでまりん氏が目の前に来るのよ。で、目の前に来ると彼は絶対、目を見て微笑みかけてくれるのよ。
 わたしがどうこうじゃなくて、あの席に坐る人にはすべからく微笑みかけているんだと思うよ。思うけど……どきどきどき、あの癒し系男に微笑まれたら、ぐらついちゃうぢゃないの!!

 
 マメだとかまりんだとか、「男はカオぢゃない!」を地でいく色男に、ときめきまくる今日このごろです……。


 彼は、ひとりぼっちでぬいぐるみを抱いている。
 母は亡く、父は仕事でいつも不在。
「パパは忙しいんだ。仕事の邪魔をしないように」
 と父に言いつけられたので、その通りにしている。
 家からは出ない。子ども部屋でひとり、ぬいぐるみだけを話し相手に、おもちゃのピアノを弾いている。
 たとえ熱を出していても、ケガをしていても、「パパの邪魔はしちゃいけない」と、黙って耐えている。与えられた部屋の中で、ぬいぐるみを抱いて、おもちゃのピアノを弾いている。
 ひとりぼっちで。

 なにも、欲しがらない。
 外に出たい、友だちが欲しい、他の子どもたちがあたりまえに持っている自由が欲しい……それら全部を飲み込んで、今そこにあるものだけで満足している。……しようとしている。彼は、そーゆー子どもだ。
 生意気なことも言うし、いたずらもしてみせる。でもそれらはみんな他愛のないモノで、ほんとうの意味で父を煩わせるようなことはしない。
 わきまえた、あきらめた、あわれな子ども。

 ある日、彼の部屋に小鳥が舞い込んできた。
 弱々しいけれど、美しい声で鳴く小鳥だ。彼はよろこんで、小鳥の歌声に合わせてピアノを弾いた。
 ぬいぐるみは歌わない。動かない。小鳥は、彼が生まれてはじめて出会った、自分で歌い、動く友だちだった。彼は小鳥に夢中になった。幼いころに聴いた母の歌声のように、小鳥の声は心地よかった。

 でも小鳥は、飛んでいってしまう。
 彼は部屋の窓から、小鳥を見送った。小鳥には翼があり、彼にはない。彼はそれをよく知っていた。自分はこの窓の中から外を見つめることしかできないのだと……知っていた。
 小鳥の翼を折ろうとは思わなかった。彼はわきまえた、あきらめた、あわれな子どもだった。
 彼はまたひとり、ぬいぐるみを抱いて、ピアノを弾いた。返事をしないぬいぐるみに話しかけ、手の届かない窓の外を眺めた。ひとりで、眺めていた。小鳥が彼と同じ年頃の少年の肩にとまり、たのしそうにしている姿をも、ただ黙って眺めた。きっと、あの少年の小鳥だったのだ。彼のものなど、なにひとつない。彼にゆるされた世界は、この部屋の中だけなのだから。

 その小鳥がまた、彼の部屋に飛び込んできた。外でいじめられたのだ。彼は窓から手を伸ばし、必死になって小鳥を守った。
 小鳥をいじめるすべてのものから、守りたいと思った。

 彼は誠心誠意小鳥をもてなした。
 以前迷い込んできたときは、はじめからあきらめていたけれど。自分とは別の世界の存在だと、なにものぞまなかったけれど。
 小鳥は外の世界でいじめられ、ここに逃げ込んできた。ここにいれば、安全だ。外を嫌い、ここに彼と一緒にいてくれるかもしれない。
 なにも欲しがらない、わきまえた、あきらめた、あわれな子どもは、生まれてはじめて欲しいものを「欲しい」と思った。

 話さないぬいぐるみを捨て、彼は小鳥と歌った。ふたりで歌った。

 生まれてはじめて、ふたりで歌った。

 だけど。
 小鳥はまた、逃げ出した。
 一緒にいて欲しい、と言った彼の元から。彼の抱える孤独や愛、願い、すべて知っていたはずなのに、それでも逃げ出した。その翼で。無邪気に。本能的に。

 彼は叫ぶ。
 なにも欲しがらなかった、わきまえたはずだった、あきらめたはずだった、あわれな子どもは慟哭する。

 逃げた小鳥。
 彼が欲した唯一のもの。

 残されたのは、物言わぬぬいぐるみ。彼はもう、ぬいぐるみに話しかけない。だって知ってしまった。彼に必要なのは、ぬいぐるみじゃない。
 彼は部屋を出る。
 ぬいぐるみとおもちゃのピアノで守られた、歪んだ檻をあとにする。

 彼は小鳥を憎んでいない。
 小鳥の翼を折らなかったのは、彼自身。自由に無邪気に飛ぶ小鳥の存在すべてを愛している。
 彼はわきまえた、あきらめた、あわれな子どもだった。
 小鳥と同じ空を飛べないことを、承知の上でそれでも叫んだ。

「その小鳥は、ぼくのものだ」

 なにも欲しがらない、わきまえた、あきらめた、あわれな子どもは、生まれてはじめて欲しいものを「欲しい」と叫んだ。

 彼が部屋からいなくなったのを知り、父があわててやってきた。忙しくてろくにかまってやれずにいたけれど、父は彼を愛していた。安全な檻に閉じこめることしかできなかったけれど、それでも愛していた。
 彼は父に愛されていることを知っていた。だから、与えられたぬいぐるみを抱いて部屋にいた。
 今、ぬいぐるみは捨ててしまった。でも彼は父に微笑みかける。父もまた、彼に微笑みかける。
 ほんとうは、もっと早く、微笑み合うべきだったのかもしれない。あの部屋の中ではなく、大空の下で。

 父に見守られながら、彼は飛んだ。
 小鳥と同じように。
 小鳥と同じ翼は持たないまま。

 彼はなにも欲しがらない、わきまえた、あきらめた、あわれな子どもだった。
 飛べないことは、知っていた。
 だけど一瞬、小鳥と同じ空にいた。小鳥は彼を見、彼のために歌った。

 飛べないことは、知っていた。

 動かなくなった彼のかたわらで、小鳥が歌った。彼が愛した声で、歌い続けた。

 
 彼は、幸福だったのだと思う。


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