花組『ファントム』前売り日。
 いつものよーに並びに行きました、三番街。

 並びが好きなのは、友だちと会えること。
 購入時間までを、友だちとだらだらしながらお茶したりごはんしたりするのが、とってもたのしい。
 今回はkineさんにも会える!と心待ちにしていたんだけど、kineさんはすぐにムラに行っちゃったので残念。

 友だちがいてこそのヅカライフ。
 ひとりだったらこんなに、長くディープに過ごせていないよな。

 てゆーか、友人の影響で、確実にヅカへの耽溺度が上がっている。

 ドリーズと呼んでいるわたしの友人たち、東西自在に行き来しすぎだから!
 毎週のように誰かしら西に東に現れるもんだから、それを「ふつー」だと思っちゃうよ。
 1ヶ月上京していないと「あたし、なんかものすごーく長い間東京に行ってない気がする」と思うよーになっちゃってるなんて、変だから!!
 しばらくはわたし、東京には行きませんことよ。たか花の見送りに行くつもりだから、7月アタマには行くけど、それまでは行かないもん!(ラストディ中継、東京会場が無事に取れますよーに。見終わったあとから移動して、パレード間に合うよね?)
 まあ、6月はkineさんが毎週西に現れるハズだしなー。しい担のサトリちゃんともいっぱい会えるしなー。しいバウは「ドリーズ総見」も予定してあるしなー。わたしが東に出向かなくても、いっぱい会えるもんなー。わくわく。

 今年こそは落ち着いた生活をするハズ、なんだがな、わたし……。
 今年の目標は、「観劇回数99回以内」なんだがなー……。
 えーと、今の段階で**回……そいでもって『ファントム』のチケット、すでに*枚も買って……うおーっ。

 
 まっ、それはさておき(汗を一筋貼り付かせつつ、笑顔で話題転換)。

 ニンテンドーDS Lite、手に入れましたー!

 ずーっとオチこぼれていたのよ、わたし。
 弟はとっくに手に入れてるのにさっ。

 でもって、念願の『おいでよ どうぶつの森』スタート!!
 キューブ版でハマりまくっていただけに、携帯機での『ぶつ森』は垂涎の品だったのよ。

 キューブ版ではひとつの村で弟と住んでいたのでできなかったけど。
 携帯機では、わたしひとりの村!

 つーことでもちろん、やりましたよ。

 村の名前「まっつ村」

 キャラクター「こあら」

 まっつ村に住んでいる、こあらちゃん!!(笑)

 まっつ村でスローライフ。いいところですよ、まっつ村。川のカタチと主要建物の配置がいいの。少なくとも、弟の「まめさま村」より便利な地形。

 ムラ近辺にも持ち歩いていますんで、「すれちがい通信」で「まっつ村のこあら」から手紙が届いたら、どーぞヨロシクです、みなさま。


 暁郷、かっこよすぎ。

 宙組『NEVER SAY GOODBYE』新人公演での、いちばんの色男は、ぜったいGOだ、わたし的に(笑)。

 ソビエトの諜報員コマロフ。本役はソルーナさん。

 あの渋さはナニ、色気はナニ、軍服かっけーっ、歌うまーいっ!!

 専科役を演じてここまで出来上がってるってのはどうなのよ89期!
 いいなあGOアカツキ。

 横に立つアギラール@和がものすげー美貌の悪役なもんで、さらにいい感じ。
 どこのBLですかアンタたち。
 制服モノですか。萌えシチュですか。
 これで脚本が良ければさらに萌えたんだが、アギラールってアレな役だからなー。とほほ。

 
 GOの次に色男認定だったのは、ヴィセント@春風弥里。
 どっちもいわゆる「美形」ではないが、色男だ。GJ!!

 
 でもって、おめでとー初主役、のちぎくんは。
 えーと。

 ……たかちゃん主演作の新公を観て、たかちゃんのすごさを再確認することが、ままある。
 たかちゃんの芸風は「ナチュラル」と言われ、なんでもないよーな白い二枚目として舞台に立つ。あまりになんでもない風だから、あなどりがちだが。
 たかちゃんだから成り立っている芸風であり、キャラクタ造形なんだ。

 その昔、和央ようかは黒い役だとか濃い役だとかを得意としていた。「ジプシー役者」とも言われ、公演ごとに「たかこ、またジプシー役かよ」と言われた時代があった。白い王子様だなんてとんでもない、色濃い芸風でのびやかに雪組の末っ子をしていた。
 その「濃いくどい時代」があってこそ、今の「ナチュラル」がある。
 うそくさいまでの「男役」っぷりを作ったうえで、それらを剥ぎ落とした「ナチュラル」という芸風を確立した。

 だから、たかこが軽々と「白い二枚目」を演じているからといって、それをそのままコピーしても「カタチ」にならない。
 緻密な計算で作られたシンプルなラインを持つ像を見て、「なんだよ、こんな単純な形の像、子どもでも作れるって!」と真似をして作ったら、まったくなにも作れなかった、みたいな。

 たかこは20年かけて、今の「和央ようか」を作り上げたんだなあ。
 と、今さらながらにしみじみした。

 えー、つまり。

 ジョルジュ@ちぎくんが、地味だった。

 今までわたし、彼を地味だと思ったことなかったんたけど。戦闘意欲旺盛で、自分が路線であることを早くから自覚し、そのための戦いに身を投じる覚悟が伝わってくる、小気味いい傲慢さのある子だと思っていた。
 歌はアレだが、古来より美と華を持つ男役スタァは「歌が壊滅的」というジンクスもあることだし、それはソレとして、スタァ力で押し切るつもりだと思っていた。

 とても真面目に、たかちゃんの演技のコピーをしていることはわかった。わかったけど……コピーであるだけに、あまりの地味さにおどろいた。

 そーだよなあ、ジョルジュはまともにやったら地味なだけになるよなあ。アレはたかこだから、あそこまでの華と存在感を出せているんだよなあ。
 まあ、新公の演出が悪すぎたということも、大いにちぎくんの足を引っ張っていたと思うが。

 歌はよくなっていたし、まだまだ若いのだからこれからに期待。

 
 キャサリン@アリスちゃんもまた、なんか手堅く小さくまとまっていた印象。ふつーにうまいんだけどなー。
 お花様の存在感、リアリティ、娘役芸のハイクオリティさを再確認させられた。

 新公レベルを超えているのはもちろんアニータ@たっちん。ジプシー占いの歌のものすごさに、そこだけ別次元。

 
 新公になってもコーラスのうまさは衰えず、ずんちゃん時代から「コーラスの組」と言われていただけはあるよなー、と感心。
 初舞台生が加わっているから、人数的にも見劣りナシ。にぎやかでいい感じだ。

 群衆たちのなかで、わたしはついつい水くん似の初舞台生、真風涼帆くんを眺めていました。あー、目立つカオだなほんとに。
 終演後、真風涼帆くんの出番をひとつひとつ言えてしまうわたしに、nanakoさんは言いました。

「緑野さん、今回ヒマだったのね」

 ……図星。

 作品的にも構成的にも、そして出演者的にも、ハマれなかったのでけっこーあちこち見ていたのだわ。

「雪のときは、ヲヅキしか見てなかったのにね」

 はい。ヲヅキほどわたしを魅了するキャラには、今回出会えませんでした。GOがもっと出番多かったら、GOばっか見ていたかもしんないけど。
 でもそのぶん、ほんといろんな子たちを眺めていたよー。研一さんを眺めるに達するほど、いろいろと(笑)。

 若者たちががんばっている姿はいいです、ええ。


 今さらだが、『NEVER SAY GOODBYE』新人公演の話。
 こっそり、こっそりと、空いた日にちを埋めていく(笑)。

 
 それにしても、1本モノの本公演を1時間半の新公にまとめるのは、演出家の力量を表していて、おもしろいね。

 まあ、新公担当の演出家ひとりの独断でどうこうできるわけではなく、いろんなしがらみがあって、どのシーンを使ってどのシーンをカットするとか、自由にはならないんだろうけど。

 今回の新公は、構成がまた愉快なことになっていて。

 半ばまで、主役が誰かわからなかった。

 とゆーのもだ。
 現代パートのペギー@妃宮さくらとエンリケ@澄輝さやととのシーンの次に、本舞台中央にスポットライトを浴びて立つのが、ヴィセント@春風弥里だ。
 派手なマタドール衣装で、カポーテを振りながら、これまた派手こく踊る。彼が群舞のセンター、彼が舞台の中心だ。
 見るからに「ナレーター」であるペギーとエンリケの解説台詞を背景に、スポットライトを浴びて踊る男。
 主役登場!! だよな。

 本舞台にスポットライトを浴びて登場した派手な男がいたら、そちらを見るだろう? 人の生理として、まちがってないよな?
 わたしはごくあたりまえに、センターで踊る男をオペラグラスで見ていた。ペギーとエンリケが長々と解説台詞を喋り続けているのをBGMにな。
 なにしろわたし、キャスティング、ぜんぜん知らないし。主演がちぎなのは知っていたけど、ヒロインが誰なのかも、わかってなかった。
 とーぜんヴィセント役が誰なのかも知らない。だからあわててカオの確認をしていたわけだ。
 おお、あの子知ってる。名前は知らないけど(笑)、『W-WING』で目立っていた子だー。
 そうしてふと、オペラグラスを下げると。

 あれ?

 銀橋から去っていく人たちがいる?

 スーツの背中は、たぶんちぎ。

 いつの間に、出ていたの?

 ええー? ちぎってたしか、主役だよね?
 脇役がライト浴びて本舞台で派手に踊って登場している間に、無言で銀橋を歩いて終わりだったの?!

 ヴィセントを見ていたわたしは、ジョルジュ@ちぎに会えずじまいでした。
 背中をちらりと見られただけ。キャサリン役は誰なのか、カオも確認できなかった。てゆーか、ペギーと別人がやっていたのか!

 そしていきなり、話はバルセロナ、開会式のリハーサル突入。
 群舞だコーラスだ、画面派手に大騒ぎ!
 センターにいるのはひたすらヴィセント。

 で。
 そんな「中心」な彼らの元にやってくる、カンチガイテイストの女優とその一行。女優のツレのカメラマンが……えええ、アレが主役?
 銀橋を歩いて終わりだったジョルジュ、次の登場もまた超地味。
 ちぎがやっているから「あ、あれが主役なんだ」とわかるけど、そーでなかったらまずわからない演出。

 そこへ遅れて登場するキャサリン@アリスもまた、最初の銀橋で背中しか見ていない者からすりゃ、「アンタ誰?」状態。ヒロインだなんてまったくわからない……。
 あー、あのカメラマンの知り合いかー、で終わり。

 こまった。
 誰を「視点」にしていいのかわからない。

 幕開きでヴィセントを見ていて、主役の登場を見逃したのはわたしのミスかもしれんが、それにしたってコレじゃ主役が誰だかわかんないよ。
 ハリウッドでのジョルジュとキャサリンの「出会い」は、場面としてはタルかったけれど、彼らが「主役」で、彼らの信念を解説する上で必要なんだと再確認。
 バルセロナで大騒ぎをしている以上、外国人旅行者であるジョルジュとキャサリンは「脇役」認定になるよそりゃ。

 誰が主役か理解できないままに、内戦勃発、そしてソレに続くのが、またしてもヴィセントのシーン。
 競技場の控え室とやらで、ヴィセントを中心としたマタドールたちがわいわい、そしてヴィセントとその恋人のやたらと濃いラヴシーンで終わる。
 あ、さっきあまりに登場人物が多すぎて混乱したけど、やっぱりヴィセントが主役で合ってるんだ。
 と、腑に落ち……ちゃイカンだろう?! ジョルジュ中心のシーンはどこ? 彼はどーゆー人でなにを考えているの?

 次がまた大勢でわいわいやっている市街戦シーン。とーぜんヴィセントもいるし。
 主役がわからない……。

 ジョルジュが主役だとわかったのは、サクラダ・ファミリアの外でメロドラマをはじめてから、だ。よーやく主役とヒロインのシーン。そこにたどりつくまでは、ひたすら大勢でわいわい、登場人物いっぱい。モブシーンばかり。
 そっか、ヴィセントって主役じゃなかったんだ。こっちのジョルジュって人が主役だったんだな、とわかるまでのこの長い道のり。

 3分の1以上、半分近くまで、主役が誰かわからなかった……。

 ジョルジュが主役、ヴィセントは脇役、とわかったあとはふつーに観ることができたけど。
 「視点」が定まらないままで半分近く終わってしまったから、とても散漫な印象が残る。

 わたしは本公演を観ているから、主役がわからなくても物語がわからなくても、かまわないっちゃーかまわないんだが、「視点の確定」「視点の流れ」という意味で勉強になった。
 短縮版であるからこそ、視点となる主役をまず紹介しなければならないんだ。
 それも、ただ黙って現れてナレーションをつける、ではなくて、本人たちになにかしらアクションを起こさせる。
 このあと彼らの出番が長い間ないのだとしても、視点の混乱がおこらないよーに、「どこが世界の中心か」を印象づける。

 なにもない舞台にジョルジュとキャサリンが現れ、簡単な口論と信念を語らせちゃえばよかったんだ。でもってジョルジュが一発「僕はデラシネ」を歌う。
 彼らがどーゆー人でどーゆー関係か、なにを思って生きているのか。
 最初の5分で無理矢理披露しちゃえ! ペギーとエンリケはその上でのナレーターとして登場。全部彼らに解説させて終わり、じゃダメだ。

 本来のストーリーとは別に、「短縮版」の構成もたのしみにしていたわたしは、ヴィセント主役物語として観劇しました、『NEVER SAY GOODBYE』新公。
 春風弥里、新公主演おめでとー! って感じ。や、途中までだけどね(笑)。
 半分までがソレだっただけに、後半もかなりヴィセント寄りで観ちゃったし。
 そっかあ、こんなにおいしい役だったんだ、ヴィセント。知らなかった。

 また、春風弥里くんとやらが、やたらいい男でね。
 男臭くてセクシーダイナマイツ。体臭のしそうな男だ(笑)。
 そーゆー男臭く暑苦しいキャラ立てのためか、わたしにとっての鬼門台詞とシーンも、さほど不快にならなかった。あー、こーゆータイプの男なら、ここでつい激昂してこう言っちゃうのもアリか、と。神経質さがナイってのも、いい方向に働くんだな。

 新公演出担当は、小柳せんせ。
 前日欄で小柳演出『NAKED CITY』に萌えてますが、やっぱ小柳せんせ、構成力ないな(笑)と、短縮版制作についてだけは、思いますな。月組『エリザベート』の短縮版もひどかった……。


 ところで、11月の花組ドラマシティ公演の主演は、誰なんですか?

 同時期の全国ツアーはすでに発表になったよね、オサ彩音で『うたかたの恋』って。
 DCは? 青年館は?

 DC開設当初は、2番手以下が「特別公演」として主演していた。複数の組の合同公演だったり、続演だったり。
 それが単独2番手公演となり、たかちゃんとかリカちゃんが主演するよーになった。
 2番手さんはバウぢゃなくてDCなんだ、ほー。と思っていたのはあまり長い間ではなく、いつの間にかDCは「トップスター専用」の劇場となった。この期間がいちばん長いかな。

 さらに時は流れ、飛天だとか梅コマだとか呼ばれていた巨大な劇場が「トップスター専用」にスライドしたので、DCは再び「2番手用」になった……らしい。
 若手はバウ、集客力のある2番手はDCってことなんだろう。

 でも、えーと。
 花組の2番手って、誰だっけ?
 前回の『ASIAN WINDS!』で、誰も2番手羽背負ってなかったよね?
 3番手羽を背負った人が3人いたけど。

 劇団のやることがわけわかんないのはいつものことしても、さて、花DCの主演は誰だろう?

 
 観たいモノがあるんだが。
 今の花組なら、まだ、上演可能な作品。

 『NAKED CITY 2』が観たいっ!!

 『NAKED CITY』のキャラクタたちで、新しい物語。遠くへ旅立ったヒロイン・デイジー、死んでしまったウィリアムは『2』に出演しなくてもいいわけだから、組替えしたあすかちゃん、退団したちはる兄貴に問題はナシ。
 NYに生きる人々は全員そのままのキャスティングでGO! もちろんまゆみ姐さんも出演ヨロシク!

 いつものよーにパパラッチしているビリー@ゆみこが巻き込まれる、新しい事件。
 鍵を握るセレブ男@まとぶ! 高慢キャラだといいなー。わくわく。真面目にドシリアスに、でもかわいい男希望。ビリーが庶民だから、コントラストの関係でエリートくんなのよ。W主演でヨロシク!
 ふたりが対立しながら、ひとりの美女を取り合いながら、巨悪に立ち向かっていくの。ハリウッド映画テイストで(笑)。
 彼らの周辺で活躍するのが、いつもの面々。女編集長@まゆみ姐さん、下っ端新聞記者バーナード@まっつ、刑事コンビ@まりん&りせ。
 ビリーの家族も健在、肝っ玉母さん@みとさん、めがねっこ@さおたん(ハァハァ)、かわいー妹@きらり。
 ビリーに惚れて押しかけ女房しているキャシー@きほをヒロインに昇格してもいいし、別の美女をヒロインにしてもヨシ。
 もちろん、あすかちゃんに特別出演してもらってもいいんだけど。それならニコラ@みわっちとは別れたとゆー設定で。

 主演クラスの出演者がわかんないけどさー。

 ゆみこ+まとぶなら、みわっちは全ツだよね?
 ビリー@ゆみこと新キャラ@まとぶのW主演作品。ヒロインがキャシーなら最終的にビリーとハッピーエンド、別に新キャラがヒロインになるなら、まとぶとハッピーエンド。

 ゆみこ+まとぶ+みわっちとゆー贅沢さなら……いや、それだと全ツ2番手がまっつになるからありえない。でも、みわっちがDC組だとしたら。
 みわっちがニコラ役で再登場するのはややこしいから(デイジー@あすかがいない以上)、別の役で出演することになるな。敵役とか観たいなー。みわさんは黒い方がかっこいいっす。

 『NAKED CITY』の設定とキャラ配置がベッタベタで最高だったんだもん。
 いくらでも続編可能、シリーズ化OK、スピンオフ上等、って感じでさー。
 ニコラ@みわっち主演も観てみたいし、キャシー@きほを主軸にした物語も観てみたいし、もちろんバーナード@まっつのヘタレ物語も観てみたい(笑)。

 なにはともあれ、ビリー@ゆみこだよなー。
 ハマリ役ですから。……願わくばもうちょい色悪になってくれるといいんだけど(笑)。

 タカラヅカでは続編とかスピンオフとかほとんどやらないから(オギーの『夜明けの天使たち』はスピンオフだよね)、そこを突いた宣伝をして、盛り上げる。
 続編とかスピンオフとかゆーと、「へー、そんなに人気作品だったんだ」と大衆を誤解させることができるとゆー利点がある(笑)。
 『ベルサイユのばら』再演!! とかと同じで、なにも知らない人を煽るために利用するのだ。そりゃ『ベルばら』のネームバリューには届かないにしろな。

 観たいなあ、『NAKED CITY 2』。
 今ならまだ、上演可能なのに。主要キャラが在団しているから。
 移り変わりの激しい現在のヅカ事情では、次のシーズンどんな顔ぶれになっているかさっぱりわからないもの。

 どーせDCなんて誰が主演したってチケ難になるほど売れやしないんだから、冒険してくんないかなー。
 わたしが億万長者なら(笑)、札束積んで『NAKED CITY 2』の企画を通させるのに。

 
 ビリーとバーナードの凸凹コンビに会いたいなあ。(ソコか!!)


 とーとつだがわたしは、まっつを美形男役だと思っている。

 えーと、「基本設定」の話。
 舞台姿が美しい人。舞台人である以上、メイクして衣装着て舞台に立ってこその勝負。(素顔も美人だとは思ってるけど、それはまた別の話)

 そもそもわたしが最初にまっつに対して思ったことは、「カオが好み」ってことだ。
 成瀬こうきファンだったわたしは、あのテのカオに弱いのだ。ポイントは鼻。鷲鼻とか、ちょっとクセのある鼻が好き。

 まっつは、美しい。
 でもそれだけなら、ここまでファンになっていない。
 美しい男役はいっぱいいるし、好みのカオの男役だって他にたくさんいる。
 わたしがまっつを好きな理由は。

 英国紳士といった風情の美しい男が、ヘタレているのが、最高にツボなのだ。

 好みの美しさ。
 端正さとヘタレのギャップ。
 そこがイイのだ。

 バーナードくんとかウラジミールとかクリフォードとか。美しいのにヘタレキャラ。クールビューティかと思ったアズにしろ、やっぱりほんとはヘタレテイスト。

 キザりまくってキメる投げキスが盛大にスベっていたり、小柄で華奢なのにフェアリーな衣装が羞恥プレイだったりするのがたまらないのだ。

 似合いもしないかわいこちゃんを演じた博多版・ひな鳥たちロケットの、兄鳥なんて悶絶モノのいたたまれなさ。
 あああ、まっつかわいー!!

 「まっつは美しい」という基本設定を忘却するくらい、ヘタレキャラとして愛でている。
 「まっつって美形だよね?」と言われると「はあ?」と返すくらいには、どーも認識が歪んできている。

 
 とまあ、そーゆーふーに、「基本設定」よりも「ヘタレキャラ」としての色を強く愛しているもんだから。

 花組『エンカレッジコンサート』第1幕を、どう消化していいかとまどった。

 マジ、かっこいいんですけど。

 黒燕尾の着こなしも美しく、派手で濃い表現力でキザりまくる、余裕の二枚目。

 えー?
 誰ソレ?

 歌声の美しさと押し出しの良さ、視覚的な美しさにとまどう。
 どうしよう? ワタシノシラナイヒトダ。

 結局のところわたしは、「かっこいいまっつ」に芯からは慣れないまま終わってしまいました。
 なまじ2幕がいつもの地味なまっつだったもんでね……1幕だけ3日間ぢゃ、無理だよ慣れられないよ……。

 あの気恥ずかしさはなんだろう。
 まっつがかっこいいと、美しいと、オトコマエだと、なんか、恥ずかしくて正視できないんですよ。
 美しい人だと思っているのに。ステキだと思っているのに。なのに何故、あんなに恥ずかしいんだ……。

 あの流し目はナニ?
 振り返り際のセクシーな目つきはナニ?
 挑戦的な姿はなんなの?
 挑発的な仕草はなんなの?
 まっつのくせにーっ。「山寺の和尚さん」でキザってる方が似合ってるくせにーっ。
 見ていて恥ずかしいぢゃないのっ。正視できないぢゃないのっ。
 カオを手で覆い隠し、指の間からのぞいていたいよーな、落ち着かなさ。
 なんかすごく、こまる。こまっているのよ、あたし。

 それでも、まっつの登場を心待ちにしている。
 何度も何度も、心の中でアタマの中で、まっつの姿と歌声を反芻している。

 …………病が、重くなってるんでしょーか、ひょっとして…………。

 素直にとろけることもできず、恥ずかしくて正視できない。
 でもどーやら、自分で意識している以上に、たのしんでいるらしい。

 わたしの「まっつ大好き病」はさらに深刻になっているのでしょうか。
 おろおろ。

 
 あんなに地味で「寿美礼サマへの愛はいいから、もっと自分をかっこよく見せる歌を歌ってくれよ」と溜息をついていた2幕も、千秋楽にはずいぶんかっこよくなってました。
 スターっぽくなっていたよ。はあ、一時はどーなることかと。

 
 しかし。

 まっつをガン見するつもりで、実際そうしていたんだけど。

 ラストシーンとか、だいもんが視界の端でちょろちょろしているのが、すっげー気になった。

 ……隣じゃないんだよ。まっつの、隣の隣なの。それでも、視界に入るの、だいもん。
 だってめちゃ濃いんだもんよ……。すっげーアピールしまくってんだもんよ……。
 めぐむとまっつのアピールの弱さが、これまた引き立つんだわ……(笑)。

 研4になったばかりのだいもんの濃さに負ける、そんなまっつがとってもまっつらしくて、さらにステキです。

 ちょっとヘタレているまっつが、安心してガン見できるわ……。

 まっつ、あんまりステキにならないでね。

 (やはり、病が重くなっているらしい)


「まっつってさあ、オサ様好きだよね」
「エンカレでわざわざオサ様の歌だもんね」
「オサ様に『この歌を歌わせてもらいます』って挨拶に行ったのかな」
「挨拶に行くもんなのかな」
「行くんじゃない? で、まっつ的にはかなり本気で想い出のあの歌をっ!!って意気込んで挨拶行って……」
「オサ様、たくさん歌ってきてるもんだから、『え? そんな歌あったっけ?』」
「がーーーーん……」
「がーーーーん……」
「可哀想なまっつ……」
「可哀想……」
「でもやっぱ、選曲がビミョーすぎるよ。何年も前のDSの曲なんて、わかりにくすぎ」
「オサ様が忘れてても仕方ないよね」
「やっぱ本気でオサ様への愛を歌うなら、オサ様の『持ち歌』を歌わなきゃ」
「オサ様の持ち歌……YOSHIKIとか?」
「ソレだ! ミュージカルとかヅカ歌でしかダメだとしても、YOSHIKIはアリだ」
「『Forever Love』を熱唱するまっつ……」
「『世界の終りの夜に』を熱唱するまっつ……」

「それならまっつの愛がオサ様に伝わるねっ」
「オサ様張りに入り込んで歌う」
「陶酔して、本気で歌う」
「しかも、涙目で歌う」
「……ソレ、観たい……」
「聴きたい……」

 花組『エンカレッジコンサート』に通っていたときの、罪のない会話です。
 ええ、意味も根拠もありませんから(笑)。


 キムシン作品には一貫したテーマがある。
 『鳳凰伝』『王家に捧ぐ歌』『スサノオ』『炎にくちづけを』、そして今回の『暁のローマ』と、ずーーっと同じテーマを叫び続けている。
 政治的なものや宗教的なものを扱っているよーに見えても、それはテーマとは別。テーマを表現するための手段としているだけに過ぎない。

 わたしは、彼の叫ぶテーマが好きだ。

 べつになにも、特別だったり独創的だったりもしない、普遍的なふつーのテーマだ。
 そのふつーのことを、ことさらドラマティックに味付けして叫ぶ、その姿勢を正しいと思う。

 たとえば、「人には、親切にしましょう」というテーマがあったとする。
 ものすっげー当たり前で、幼稚園児でも知っているようなことだ。
 それをただ「人には、親切にしましょう」と言うだけでは、なんのカタルシスもない。

 だがそれを、親切だと思ってやったことが相手にとっては迷惑でしかなく、そのことが引き金となって相手が死に、自分も罪を問われ、なにもかも失って地獄を這いずり回り、自分と運命を呪い汚濁と絶望にまみれた結果、他人から親切にされ、心の救いを得る。テーマ「人には、親切にしましょう」……てなふーに持っていくのが、キムシンだ(笑)。
 や、これはただの喩えだけど。

 テーマを強く訴えかけるためにことさら、出来事を大きくし、人の生き死にだとか国の興亡だとかにまで発展させ、最終的に人類の普遍的精神にまで話を広げてしまうのがキムシンだ。叫んでいるテーマはごくごくふつーのことなので、そこまで話を大きくしてもべつにかまわないんだ。まちがってるわけじゃないから。

 先日観た『NEVER SAY GOODBYE』とかと対照的。イケコは壮大な話を小さくしてしまう人、キムシンは小さな話を壮大にする人。どっちがいいとか悪いとかではなくてね。
 イケコは女性的でキムシンは男性的。仲間内で景子せんせの『THE LAST PARTY』のスコットとアーネストになぞらえて、イケコとキムシンを語り、そのハマり具合にウケましたさ。

 キムシン的に、なんの変わりもなく主義主張を叫び続けている『暁のローマ』。
 「叫ぶ作家」は健在。
 だけど今回の作品は、あまり出来が良いとは言えない。

 大劇場向けの作品を作れる、のもキムシンの才能のひとつだと思っているんだけど、今回の作品は大劇場向きではなかったと思う。中劇場向きだな。テーマもそれを表現するための演出も。そして、初日を観た段階では、主役を演じる役者も大劇場向きぢゃなかった。

 ストーリーはシンプル。
 英雄カエサル@トドロキは人気絶頂、権力GOGO。王冠を得てもなんの不思議もない状態。だがローマは共和国だ。王様なんてとんでもない。カエサルが王位を望むのなら、排除するべきだ。カエサルを慕っていたブルータス@あさこは苦悩の末カエサル暗殺を決行する。
 民意を得ての暗殺だったのに、カエサルの腹心アントニウス@きりやんの演説で立場逆転、ブルータスは追われる立場になり、自殺して果てる。

 キムシン演出のよさは美しい画面とハッタリのうまさ。クライマックスを作る技法に優れている。……が、今回はいまいちだ〜。
 カタルシスの構築が弱い。とても散漫になっている。
 多少ストーリーに粗があろうと、クライマックスの派手さで全部誤魔化してしまうのがキムシンのいいところだったのに。
 今回はそのクライマックスを失敗しているので、粗ばかりが目に付き、記憶に残ってしまうんだよなー。
 クライマックスで盛り上げまくって「なんかすごいもの観たかも」と観客を煙に巻くのが常なのに、今回はソレを物語としてではなく芝居としてではなく、「漫才」と「フィナーレ」に任せてしまっている。これは反則だろ。
 お笑い部分は不要だった。漫才に逃げず、真っ向から「重い・暗い」話を作るべきだった。前作が『炎にくちづけを』だったせいだろうとは思うけど、それでも逃げずに描くべきだったとわたしは思う。

 起承転結が甘くて薄い。盛り上がりに欠ける。いつもなら有無を言わせぬ熱とスピードでハイジャンプかましてフィニッシュするのに、それがないからキャラクタ描写の中途半端さが前面に出ている。
 『スサノオ』のときもそうだったけど、テーマを語ることに必死になり、「何故そのテーマに行き着いたか」を書き込んでいない。

 中劇場で、濃い慟哭系の役者を主役にして、ねっとりと上演してほしかったなあ……。大劇場は広すぎるし、あさこちゃんは薄くて軽すぎる……。
 芝居はナマモノで、舞台は役者のモノだから、あさこちゃんが変わってくれるのを期待しているけれど。後半になればよくなるかな? あさこちゃんの軽さはお洒落さであるから、ショーだとかラブコメではいい味出すんだけど、重い芝居ではちとつらい。重さは野暮ったさでもあるので、相容れないのなー。

 ま、歌詞が最悪なのはキムシンクオリティなので、もーあきらめの境地(笑)。

 出来は良くないと思う。
 でも、わたしは好きよ。
 結局のところ、キムシンの叫び続けているテーマが好きなんだと思う。

 人々の醜さ、無責任利己心浅慮偽善、そーゆーものをこれでもかと描きながらも、その奥にある美しさを求める。
 過ちや悪意といったマイナス部分が世界に満ちていることを肯定しながらも、それと同時に、愛や善意も存在するのだということを否定しない。
 容赦のない「人の醜さ」に対する描写、「卑怯さ」に対する描写、そしてあまりに無力で無意味な「愛」や「善意」。それでも、物語と主人公は「愛」や「善意」といった人の持つ美しいモノを肯定して終わるんだ。……あー、『炎にくちづけを』もそうだったね。

 キムシンの描く物語はいつも、泥の中に咲く蓮の花のよーだ。物語……テーマ部分がね。
 泥部分がきついから拒絶反応も出るし、花は美しい花園だとか花瓶で咲いてなきゃ花として認識しない人にも、拒絶反応出るんだろうな。ソレはソレでわかるけど。
 泥の中で咲くからこそ蓮は美しいし、夜空だからこそ月は輝く。人の醜さの中にあるからこそ、美徳が生きる救いとなる。わたしの人生観に合っているんだろーな、キムシンのテーマは。
 植爺の描く「偽善者万歳」「言動不一致、挙動不審」「人格破壊」な話とかは、生理的に受け付けないもんよ……。

 とはいえ、『暁のローマ』の出来が悪いことは事実だがな(笑)。
 テーマ部分は「いつものキムシン」なだけに、惜しい。『スサノオ』以下ってどういうことよ、もっとちゃんと作ってよ、と思う。
 好きな話であるだけに、口惜しいわ。ローマ市民の卑怯さも、テロリストチームの悪辣さも、主要キャラクタ全員が持つ利己心も、そしてそれに翻弄されるブルータスも大好きよ。
 穴だらけなのはかまわない、多少穴やほころびがある方が想像の余地があって盛り上がるから(例・少年ジャンプ)、問題はエンタメとしての爽快感とカタルシスの欠落。よーするにクライマックス作りに失敗してんのよー。

 じれったく思いながらも、好きな話で好きな人が好きなキャラクタで出ているから、通うけどさ。

 
 とゆーテキストを、初日を観たあとに書いていたんだが、先に腐女子話をUPしてしまいましたよ……罪作りなかねすきさん(はぁと)。
 そして、「かねすき 暁のローマ ブログ」等で検索している方々、前にも書いたけどかねすきさんつーのは仮名なんで、その名前で検索しても彼女のブログにはたどりつけません。どこかで腐った話題をしているヅカ腐女子ブログがあれば、それがかねすき嬢かもしれません。はい。


 もりえ攻のあさこ受で萌えましたが、なにか?

 役者に含みはありません、『暁のローマ』の話です。あたしゃいわゆる妄想系は苦手です。

 他に書くことあるし、実際書きかけのテキストもあるんだけど、先日2回目の観劇の際(ひっそりと通っているらしいよ、この人。週1ペースかな)に腐女子友のかねすき嬢と腐った話で盛り上がりましてね。
 かねすき氏も自分のブログでそのネタ書いてるし、わたしと一緒にいたnanakoさんもブログでそのネタ書いてるしで、わたしもソレを先に書くしかないでしょう状態(笑)。

 かねすきさんとわたしが腐女子話を繰り広げている間、nanakoさんは「折り紙が折りたい……」とつぶやいていました。
 なんで「折り紙」かは、2005-02-16の「折り鶴に願いを込めて。−腐女子会話−」をお読みください。
 

 つーことで、作品語りは棚上げして、まず腐女子話。

 ブルータス@あさこがステキにヘタレ総受なので、カップリングし放題です。

 一般的にダーリンとしておすすめなのが、美形度No.1、カシウス@ゆーひです。

 ゆーひさん、すばらしいです。
 あのビジュアルはなにごとっ。
 ゆーひさんを眺めるだけでも、わたしには価値のある公演ですよ、『暁のローマ』。

 さて、このカシウス。すばらしー美形様ぶりで「我が友よ」とか言って登場し、「私の妻はキミの妹、私たちは兄弟だ」とかなんとか言って、「ブルータスは俺のモノ」発言を繰り返してます。
 彼が欲しかったのは「妻」ではなく、ブルータスでしょう。「この女を妻にすれば、ブルータスと兄弟になれる」が目的でしょ?

 キムシンは徹底してブルータス以外の人間の「悪」の部分を描いているので、この美しいカシウス様と彼の率いるテロリスト軍団もわかりやすく「悪」です。
 言葉では「ローマのため」「みんなのため」と言いながらも、目的は私利私欲である。
 わたし的にはやはり、カシウスは、はじめからブルータスを利用するつもりで近づいたと思いたいですね。
 彼がブルータスを手に入れたかったのは、傀儡が欲しかったから。
 カエサル@トドロキを倒し、権力を得るには「陰」のカシウスではダメだ、「陽」のブルータスが必要だ。市民は愚かだから、正しく見えるものに惹かれる。
 ほんとーに「正しいもの」ではなく、「正しく見えるもの」ね。カエサルはそれを理解している男だから、「正しく見える」ように振る舞っていた。ブルータスは善人ゆえそれを理解できず、ローマとカエサルの間で苦悩することになるんだが……まあそれはまた別で語るとして、今はカシウスだ。
 カシウスは、愚かな市民を扇動する者として、愚かなブルータスを選んだ。
 カエサルを暗殺することで、ブルータスが傷つくとか失うものがあるとかは、考えもしない。カシウスは自分のことしか考えていない。

 ブルータスを傀儡にし、義弟である自分が実権を握る。
 あれほどカエサルを敬愛していたブルータスに、カエサル暗殺を口説き落とすことに成功したんだ、それはたやすいことだろう。
 そうやってカシウスこそがローマを治める。
 彼もまた野心を持った男であり、「男はみんな王になりたい」のだから。

 ところがっ。

 あれほどバカにしていた、利用するだけのつもりだったブルータスに、本気で惚れてしまうのだ。

 カエサル暗殺後、ブルータスがあまりに純粋であることに触れ。

 踏みつけ上等、と思っていた操り人形に、うっかり本気でfall in love、マイナスからはじまった恋だから、もう大変!
 いや、カシウス自身の野心も潰え、彼自身弱っているところだったから、余計に恋に溺れやすい状態だったんだけどね。

 カシウスは鬼畜な美形攻様なので、ブルータスを手玉に取っているときすでに手を出し、言葉とカラダで巧みに飴と鞭、愛と理想とローマの未来という美しいモノでブルータスを思い通りに動かす。
 ブルータス、なにしろ純粋無垢だから。強引に押し倒されてヤることヤられても「キミを愛しているんだ」のひとことでころりとだまされそうだ。
 いや、愛してるなら強○はしないだろう、相手のことを真に思いやっているならばありえないだろう、というツッコミは、ブルータスにはない。
 強○されるほど強く愛され、求められているのだと幸福な誤解をするんだろう、巷のBLなどの思考回路で。

 んでカシウスが、「カエサル暗殺GOGO、権力掌握GOGO」なときは平気で睦言繰り返してブルータスを抱いてきたのに、いざなにもかも失って逃避行、本気で惚れてしまってからはそっけなくなったり手を出さなくなったりすれば最高です。

 カシウスの亡霊との抱擁シーン、あれはすばらしいですよ!

 世界中が敵になり、お互いしか愛し信じる者のない極限状態ですよ。
 どれほどカシウスがブルータスを愛し、必要とし、またブルータスがカシウスを愛し、必要としていたか、想像するだけで凄絶なんですが。

 カシウスを失ったブルータスには、もうなにも残っていないわけですよ。
 だからこその亡霊ですよ。

 そのカラダを抱きしめ、「会いたかった」と言う男。
 抱かれながら「すぐに会える」と返す男。

 彼は亡霊。もう会うことのかなわない相手。
 どれほどの絶望、どれほどの痛み。

 その手に抱いた恋人が、もう今は亡き人だと……亡霊になって会いに来た、あるいは亡霊でもいいから会いたかったのだと気づいたときに。

 ブルータスは己の人生に意味を見いだす。

「私は、愛された」と。

 たしかに彼は愚かだった。彼の味方も、彼の敵も、真に賢い者などいなかった。ひとはみな愚かなのかもしれない。
 それでも彼は、「愛された」ことに気づく。
 愚かであるからこそ。愛し、愛されたのだ。

 
 カシウス×ブルータスの、壮大な愛の物語。
 本気で恋愛モノですよ。ハーレクイン的展開ですよ。「敵のハズなのに、何故惹かれる……?!」とゆー定番。「利用していただけなのに……!」って。

 カシウスゆーひとブルータスあさこがもー、これでもかと美しく、映りのいいふたりだからさー。
 このふたりでこんな素敵なラヴロマンスをありがとー! ですわよ。

 カシウス×ブルータスで、激しく熱いラヴストーリーが読みたいっす。誰か書いてくださいよ、同人誌出してくださいよ。

 
 と、さんざん吠えたあとでなんですが。

 カップリングはし放題、ブルータス総受ですから。
 わたし的にいちばん萌えたのは、リガリウス@もりえだったりするんですね(笑)。

 キムシンはこの作品でもテーマ絶叫健在なので、リガリウスはとてもステキに悪役です。
 彼は「愚かで卑劣な、正しい民衆」の代表のようなキャラクタです。
 弱者である権利を振りかざし、「私はこんなに弱い。弱いのだから、強い人に守ってもらって当然だ。弱い私のために動かない人間は愚劣だ」というステキ理論で成り立った人。
 「正しいのはいつも自分、間違っているのはいつも他人」ですから。
 キムシン的テーマの具現キャラ(笑)。
 ちょっと目眩がするほど、ステキです。大好きだ、こーゆー「正しく」歪んだキャラ。

 この男なら、どんなに卑劣かつ理不尽な要求も正々堂々としてきます。
 だって、「弱い私は正義」ですから。

「私は余命幾ばくもない哀れな男です。そんな私の願いを聞いてくれないのですか?」
 と魔法の言葉を唱えれば、ブルータスはなんでも従ってしまうことでしょう。
 ええ、どんなにエロ鬼畜な要求でも。

 弱者であることを振りかざされ、理不尽な要求に、辱めに、唇噛んで従うあさこ……もももも萌え。あっ、名前で書いちゃイカンやろ、ブルータスだブルータス!

 
 ま、そゆ感じで、素敵な話なんですよ、『暁のローマ』!(笑)
 他のカップリングについてはまたいずれ。(まだあるのか)

 
 時計を見た人は、いったい何人いただろう。
 わたしは見た(笑)。

 カエサル@トドロキが死んだとき。

 えっ、もう死んじゃうの? 時計を見た。暗くてはっきりとはわからなかったけれど、50何分か。95分の芝居だから、半分強でいなくなっちゃうのね。
 帰りの電車で隣になった人たちも、「思わず時計見た」って話していたから、わたしだけではないはずだ(笑)。

 主役が、ブルータス@あさこだった。

 月組『暁のローマ』初日に行って来ました。

 なんだか信じられない思いのまま。
 だって数日前にはここで、たか花がさよならパレードやってたんだよ? アタマがうまく切り替わらない。

 とはいえ。
 幕が上がれば、わたしは「タカラヅカ」の虜になる。

 今回は初日のチケットをあらかじめ購入していたので、たか花ショックでボケたアタマでも観劇に駆けつけることが出来た。

 ふだんは、初日のチケットなんて前もって買わない。
 あとから買った方が安いチケットが出る。びんぼー人のわたしは、安けりゃ安い方がありがたい。いちばん後ろでも立ち見でもかまわないもの。
 張り切ってチケットを用意していたのは、ひとえにキムシン+トドロキに期待したからだ。

 ネタが「ジュリアス・シーザー」で「ロック・オペラ」で、うるさい芸風のキムシンに、重すぎる芸風のトドロキ様だよ?

 想像するだけで、わくわくする(笑)。 

 キムシンの説教ソングを、地底からの地響きのよーな声でトドロキが咆吼する。うわー、たのしそうっ。
 キムシンとトドって芸風合うと思うんだよね。どっちも好きなわたしとしては、期待せずにはいられない。

 が。

 えーと。

 いろいろ、思っていたこととはちがっていた。

 専科・轟悠、各組回り4組目。
 花組で主役、雪組で主役、だが星組ではW主演ときて、今回の月組でついに助演となった。
 だんだん彼の比重が下がってきているね。次の宙組ではどうなるのかな。

 トドが主役であるかどうかはべつに、どうでもいい。わたしはトドファンだが、彼になにがなんでも主役をして欲しいとは思っていない。それよりも、まず「作品」ありきだ。駄作で主演するより、名作で助演してくれた方がよっぽどいいからな。
 ただ、今までものすごーく「主役」な扱いを受けてきているのを見ていたから、「あ、主役じゃないんだ」というのは、新鮮なおどろきだった。

 主役はブルータス。カエサルは「象徴」。
 それは実に、いい感じの比重であり、役者の持ち味にあったアテ書きっぷりだ。

 キムシンは演出力にも優れているが、ヅカの座付きとしてもっとも優れているのは「アテ書きができる」ということだと思う。オギーのような「ちょいヒネった小ニクいアテ書き」ではなく、ストレートに真ん中ズバリのアテ書きをしてくれるから、見ていて愉快だ。

 そっかあ、キムシンがあさこにアテ書きすると、こうなるのか。ゆーひにアテ書きすると、こーなるのか。
 キムシンすごいわ、わたしと男の趣味が似ているわ(笑)。

 あさこ総受ですか、そーですか。

 でもって、ゆーひが鬼畜属性の攻ですか、そーですか。

 キャラ認識が同じでうれしいです(笑)。

 『暁のローマ』をわたしらしい言葉で解説すると、トドとかなみんの間で揺れ動くあさこを、ゆーひが横からかすめ取る話ですよ!!(役名で言いましょう、誤解を受けます)
 そのくせ、最終的に、まさきが全部持っていく話ですよ!!(役名で言いましょう、誤解を受けます)

 あさこを取り合うのが、トド、かなみん、ゆーひ、まさきですか。素敵な攻たちがこぞってあさこLOVE、あさこは翻弄され、苦悩し、泣き崩れ、実にすばらしい総受っぷりを披露。
 広い意味ではきりやんもえりりんもあさこLOVEで狙っている人たちに分類できますし、テロリスト軍団もまたあさこLOVEですし、もーどーしましょー。テロリスト組には越リュウだののぞみだのマギーだの濃い人たちがたっぷりで、「あさこ逃げて! マワされるわ〜っ!!(笑)」てな感じで、大変愉快です。(だから、役名で……以下略)

 トドが主役ではなく半分強で退場することも意外だったし、ここまで見事にあさこ総受話になっていたこともびっくりしたけれど。

 いちばん大きなおどろきはなんといっても、コメディだったことだ。

 
 いつもの通り、なんの予備知識もナシ。原作も読んでません。わたしアタマ悪いんで、シェイクスピアなんてぜんぜんわかんないっす。
 でも、有名すぎる話とキャラクタなんで、大まかな流れは知っている。「オクタビアヌス」と聞いて、「シーザーの甥で、のちのローマ皇帝」とか、「アントニウス」と聞いて「シーザーの部下でクレオパトラとくっつくオトコ」とか答えられる程度の知識。キャラ設定とストーリーだけ知ってます、てな感じ。
 ちなみに、わたしの偏った知識では、「オクタビアヌス」って、「ローマでいちばん美しい少年」という設定なんですが……配役見たときはびびったな(笑)。

 「蘇我入鹿」の話をやる、と聞いて「ああ、設定と主なキャラとストーリーは大体知ってるな」と思ったのと同じ程度の温度感。
 それだけで、あとは何も知らずに観劇して。

 
 はじまるなり、幕前にきりやんとほっくんが出てきて、漫才をはじめたので、びっくりした。

 え、えーと?
 ふたりともビシバシにローマ人のコスプレしてるんですけど……しかもお互い、役名で呼び合ってますけど。
 それで、やっていることは漫才。

 てゆーか。
 やばいぞ、霧矢大夢。
 あまりにも、ナチュラルだ。
 漫才師がハマりすぎている。

 巧い人だということはわかっている。実力があるからこそ、2500人収容劇場の幕前なんぞで漫才ができる(空気を掴める)んだということは、わかっている。
 だがしかしっ。
 そこまでナチュラルに漫才を極めてしまっては、タカラジェンヌとしてまずいだろう!!(笑)

 アテ書きのキムシン。
 アントニウス@きりやんは、すばらしーアテ書きっぷりだ。
 しかしソレ、やりすぎだから!
 霧矢大夢のタカラジェンヌ人生を縮めているんぢゃないかと、いらぬ心配をした。
 や、それくらいハマってるのよ、ベタベタの大阪弁で漫才をはじめた霧矢さんってば。そんな霧矢さん、大好きだけども。

 今まで、漫才からはじまるヅカ芝居観たことなかったから、しばらく呆然としていた。笑っていいのかどうかすら、わからなくて。

 そして幕が上がり、これぞキムシン! てなローマ市民たちの総おどりがはじまる。
「カエサルはえらい〜〜♪」
 漫才の次は「すごつよ♪」テイストソングいきなりですか!!

 コメディか……コメディだったのか……。

 ノリを理解できるまで、大変だった(笑)。

 とはいえ、所詮モトが「ジュリアス・シーザー」なので、話は重く暗くなるんだけれど。
 ラストでまた、漫才師登場でひっくり返すし。

 なんか、えらいことになってるな今回。

 予想していたこと、期待していた物語とは、ずいぶんちがっていて。
 そのことに、とまどった。

 笑いに逃げている分、軽くて薄い。

 それでも、キムシンは全開(笑)。

 彼が終始一貫して訴えかけるテーマに、クライマックスでは涙した。
 彼はやはり、「叫ぶ作家」だ。よくも悪くも。
 こんなに軽い、薄い作品にしてもまだ、叫び続けている。

 おもしろいなあ、キムシン。


 他の感想の隙間を縫うようにして、花組『エンカレッジコンサート』の話(笑)。

 『Young Bloods!! 』もそうだったけれど、花組の戦闘意欲の高さにウケた公演だった。
 弱肉強食。少しでも前へ出ようとみんながあがいている。
 いちばんソレが弱かったのが煌雅あさひ(研3)で、次が座長であったちあきさん(研14)かな。最下級生と最上級生かよ(笑)。
 ちあきさんは「座長である」ことにいっぱいいっぱいになっていて、初日なんかもー大変!だった。挨拶でマジ泣きしかけてるんだもんな。どうなることかと思ったけれど、千秋楽にはちゃんと落ち着いて仕事をしていた。
 そんなダメっぷりを披露した初日でも、ちあき女史は歌い出すと「いい女」になるんだよね。「歌手」なんだなあと思う。

 歌唱力のある人たちが余裕をもって自己表現をし、まだ勉強中の子たちは貪欲に「技術が足りない分は気合いで勝負だっ」と打って出る。
 おもしろいなあ、花組。

 『Young Bloods!! 』のときのダメっこ彩城レアが、短期間でものすげー成長していたのも印象的。
 『Young Bloods!! 』楽は泣いちゃってまともに喋ることさえできなかったのにね。エンカレではピアノの弾き語りをして、二枚目ぶってますよ!!(笑) 挨拶もふつーですよ!!(笑)

 楽は爆裂タニぃファンのジュンタンも一緒だったんだけど、幕間の彼女の第一声が「みんな歌うまいね、びっくりした」だったのはいいとして、その次が「この彩城レアって子、花組ではどういう位置?」だったのが素晴らしい。
 そこを突きますか!!(笑)

 ヘタレかわいこちゃんの愛されキャラ、ということでいいんですかね、彼のポジショニング。まだ男役にはなれていないけれど、本人やる気アリ、エンカレでの選曲も充分挑発的、てことで。

 「ヒロイン希望!!」と鼻息の荒さが見える芽吹幸奈ちゃん(研3)と珠まゆらちゃん(研7)とか、あの有り余った戦闘意欲が「歌の場外乱闘上等!」って感じですごいよな。娘役でここまで好戦的な人たちつーのは、愉快だ。向き不向きはともかく、がんばれ。

 純粋に「声」だけで好きだと思ったのはまっつ以外では、だいもんくんと煌雅あさひくんです。……正反対ですがな、キャラクタが(笑)。
 だいもんは「やりすぎだからっ、ちょっと落ち着けキミ!」って感じの余裕っぷりでじつにたのしそーに舞台にいたんだが、あさひくんはカチンコチンの発表会状態。なのに「声」だけならどっちも同じくらい好きだ(笑)。

 煌雅あさひくんは、視覚情報と聴覚情報で混乱が生じたわ。
 「歌声」だけなら彼、けっこー熱と演技力がある。
 ただし。
 棒立ちなんですよ。決まった振付をわずかにやってはいるんだが、全体として、棒立ち。カオはこわばったまま。
 耳に届く歌声と、目に映る姿のギャップに、とまどう。
 やたら自己主張の強い面々の中で、煌雅あさひの不戦敗ぶりはどーしたもんか。
 花組はまっとーに「コンサート」で、実力のある人たちが「みんな、たのしんでいってね!」と客席に向かって叫んでいるよーな感じだったんだが、煌雅あさひくんだけは「発表会」のノリだった。
 声を聴いている限り、彼が「表現しよう」としていることはわかる。でも、舞台に立つ彼のカオや姿を見るとアスリートを見ているようで、歌声をたのしみにくい……あんなに決死のカオで脇目もふらずに歌われてもなー……。
 他にも彼と同じ「発表会」テイストの子がいれば別に「下級生だもんな、仕方ないな」で済んだんだが、花組好戦的な子ばっかだから(笑)、彼ひとりが浮き上がっていたんだよなー。大変だー。
 でもほんと、声とその声で「やろうとしていたこと」は好きよ。初日の『かわらぬ思い』は溜めすぎでどーなることかと思ったが、翌日はすごくよくなっていた。……そして楽はまたやりすぎて、ハズしそうになってあわてて撤退、を繰り返していたが(笑)。
 この子が平気でキザりながら歌えるようになったら、たのしいだろうなあ。

 わたし的に、煌雅あさひをベースに涼紫央として思い切り派手に発展させたキャラクタってのが、望海風斗だったりする(笑)。
 「声」と「声で表現しようとしているもの」が、このふたりは同じタイプかなと思って。

 ただし、大門……漢字で書くとやばいのか? 読みはチガウが本名まんまになるもんな……えー、ひらがな表記にしてだいもんは、おそろしー余裕っぷりで、スタァ力を発揮してました。
 「まだ研4」だというともモロさんがマジでおどろいていた(笑)。
 初舞台踏んでたった3年だなんて誰が思う、てな余裕。研1の終わりだか研2の最初だかに新公でらんとむの役に抜擢されて、ゆみこ役のりせと組んで演技するんだけど、りせよりよっぽど男役度が高かったのをなつかしく思い出す。
 だいもんくんはずっとなんとなく注目してきた人だけれど、ここまで濃いキャラだとは、知らなかった……。いやその、今までもそのアピールぶりにすずみんを彷彿としていたんだけどさ。

 娘役で「声」が好きだと思えるのは、やはりきほちゃんと花咲りりかちゃん。
 きほちゃんはあれだけ美しいまろやかな声をしているのに、表現力が伴っていないのが惜しい。いや、うまいよ。うまいだけに、欲張ってしまうの、もっとできるはず、やってほしい、と。
 りりかちゃんは、歌声だけでなく、芝居心も感じられてよかった。歌のうまい人って、ふつーに台詞喋って演技する何倍も歌声で表現できるものね。宙組のたっちんなんかがそう。彼女も歌っているときの方が饒舌。

 あと、「男役」としてのセンスの良さを感じさせる夕霧らいと、かわいこちゃん娘役としての役割を果たしている愛純もえりと初姫さあやの将来に期待。

 難曲『誰も寝てはならぬ』に挑戦し、ただの一度も歌いきれなかっためぐむの勇猛果敢さに手に汗握り、それでも扇めぐむはオトコマエであると、わたしとnanakoさんの共通認識は揺るがず(笑)、めぐむは笑顔より怒った顔の方がかっこいいよねっ♪なんてアタマの悪い会話をしながら彼の特別出演作「椿姫」を愛でる。
 ああ、nanakoさんは幕間にブログ読者から突っ込まれてましたよ、「めぐむの『椿姫』って、アレだけなんですか」と。
 初日を観た段階でnanaタンがものすげー鼻息で「めぐむのアルフレッド超かっこいー!」とブログに書きまくっていたから、誤解を呼んだよーです。
 たしかに、あの書きっぷりぢゃあ、エンカレ内に『椿姫』コーナーがあり、めぐむが寸劇にでも出演しているように受け取れますな。
 や、めぐむの出番は一瞬ですよ。りりか嬢の歌に一瞬ハモりに現れるだけっす。
 でも、かっこいいんだけどね。(真顔)

 きよみ氏のニクはどこまでが体型補正でどこからが本物のニクかで盛り上がったり、今度仲間内で『私のヴァンパイア』限定カラオケをやったらどうか(参加者全員が感情と個性たっぷりに『私のヴァンパイア』をひとりずつ歌う。どこまでぶりっこできるかがポイント。特にkineさんの参加に期待が高まる)とか、3日間5公演はたのしく過ぎていきました。


「私の姿が見えている方も声しか聞こえない方も、聞いてください」

 それまでは、「イベント」だった。
 歴史に刻まれる日にナマで立ち会っている高揚感があった。

 ありえないほどのたくさんの人々、ド派手な演出の数々。
 それを素直に楽しんでいた。

 人が人の力で行う「祭り」に感動していた。

 たかちゃんが現れ、ゆっくりとお立ち台に上る。
 わたしが場所取りをはじめてから5時間半。ただこの瞬間のために、わたしは並び続けた。
 流れる曲は「世界でひとつの花」……想い出の『W-WING』の。

 イベントだった。祭りだった。FCにも入っていないわたしは、外側から眺めることでしか参加できず、実感できないまま、なにかをどこかに置き去りにした感を抱えたまま、早朝からムラにいた。

 だけど。

 さあ 涙を拭き
 顔を上げて 歩くんだ
 僕は生きている 君の中に
 決して言いはしない サヨナラだけは
 NEVER SAY GOODBYE


 たかちゃんが歌い出した瞬間、なにもかもが消えた。

 涙が出た。

 「世界でひとつの花」が奏でられているとゆーのに、たかちゃんはそんなことはものともせず、高らかに歌った。
 アカペラで。
 とびきりオトコマエな、「男役」の声で。
 「和央ようか」の声で。

 不意打ちだ。
 お立ち台があった。マイクが用意されていた。
 だからといって、歌い出すなんて、思ってなかった。

 彼は、舞台人なんだ。
 ナマの女性の姿ではなく、オフで喋っているマイペースな姿でもなく、彼がほんとうに生き、魅力を放っていたのは、舞台での姿だ。
 誇るべき舞台人だ。
 だからこそ。

 最後まで、舞台人としての姿を見せてくれるんだ。

 舞台で歌うのと遜色ない歌声を、こんな音響もなにもあったもんぢゃないところで、だけど愛だけで埋まった空間で、響かせる。

 和央ようかという人。

 万全の体調でもなく過酷な退団公演の舞台を勤め上げ、愛と感謝を歌って去っていく。
 白一色で埋まった夜のステージで。

 ずっと見てきた。18年間。
 イメージはいつだって血統書付きの大型犬。
 優雅に美しいのに、ひとなつこくて盛大にしっぽを振ったりじゃれついたりするから、ちとありがたみに欠ける、親しみやすいやさしい大きな犬。
 細いくせに大きなカラダも、ふさふさの毛並みも、きっときっと、誰かをあたためるためだね。寒い夜によりそって、凍えないようにあたためてくれる。
 このぬくもりがあるから、生きていける。そう、思わせてくれる。

 拍手と、愛を呼ぶ声だけに満ちる空間。
 白い花と白い人々と、フラッシュの点滅と。
 白い服の人々が振る、やわらかい色のライトと。

 
 ここは、美しいところだ。

 
 神様、ここは、美しいところです。
 とても無意味で、なんの役にも立たない、だけど愛だけが詰まっています。

 これは「祭り」。大きな祭祀。
 人の心がただ愛と感謝だけを語る。
 無力で、カタチに残らなくて、だけど、だからこそ、うつくしいもの。

 かみさまがいるなら、ここに降りてきて。

 どうか、このひとたちに、祝福を。
 みんなみんな、しあわせでありますように。

 たかちゃんが、最後までしあわせに「和央ようか」であれますように。
 たかちゃんを愛する人たちが、最後までしあわせに「和央ようか」を見守れますように。

 神社が美しいように、教会が美しいように、祈りの場は美しいものだから。
 ここもまた、祈る美しさに満ちているから。

 わたしは宗教とかさっぱりわかんないが、それでも祈る。
 大好き。ありがとう。しあわせに。……祈りの言葉は、とても単純。

 
 オープンカーに乗って遠ざかっていくたかちゃんを、いつまでもしぶとく見つめながら。

 祭りの終わりの呆けたようなざわめきを、感じていた。

 一定のルールのある空間はきれい。どんなに雑多な場所であったとしても。
 その一定のルールで整列した大勢の人々の輪が、崩れる。ルールが崩れ、人垣が崩れる。ダムが決壊するように。

 それも、壮観だ。
 この一大イベントを最初から眺めていた者にすれば。

 うわー、すげー。

 ぽかんと眺める。
 崩れていく人垣を。ゲートに向かって流れていく一般人たちの波を。

 歴史が今、動いた。
 あの人の退団は、歴史の大きな1ページ。

 わたしはソレを見守る。
 見守ることしか、できない。

 
 花の道からパレードを見ていたというハイディさんと合流し、ずぶ濡れ(いろいろあってね・笑)なのをおどろかれつつも、千秋楽の話を聞かせてもらう。

 ハイディさんと入れ替わりに別の場所にいたジュンタンと合流、誠さんにもちらりと会って、ついでに某店で麻尋しゅんくんとすれ違い(こんな店でふつーにメシ食ってんのか、こんな日に・笑)、2日連続終電を逃さないよう気をつけながら解散する。

 帰りの電車でひとり、思わず携帯電話で録画した、たかちゃんのお立ち台の姿を眺める。わたしカメラも録音機器もなにも持ってないんだわ。ナマが命の人なんで、そーゆーの興味なくて。
 でもさすがに「お立ち台+マイク」まで出たときゃ「音だけでも記録したいっ」と携帯のビデオカメラを立ち上げた。
 画面はハレーション起こしていて、ろくに映ってないんだが。

 歌は、聴ける。

 
 泣いた。

 
 
 白に染まる日。
 次々と白い服の人たちが走り出てくる。
 ある人は泣きながら、ある人はハイテンションのまま。

 白い服の人たちは、事前に練習していた通りに所定の位置につく。
 芸能人のさゆりもいた。彼女は後ろにいるわたしたちに向かって、大きく泣き真似をして見せた。実際、たくさん泣いたんだろう、そんな感じで。彼女も特別扱いはなく、ふつーにガードに入った。

 あらかじめ敷かれていたカラーシートが、白に染まる。白い服の人たちで埋まっていく。
 一般人は彼女たちの後ろにしか立てないから、たちまち視界から消える。
 なにかもが、白。他の色は、世界から消える。

 運び込まれていた白薔薇がパレード沿道に並べられ、白い服の人たちは声掛けの練習をはじめる。

 用意が調っていく。

 祭りがはじまる。

 
 そう。
 これは、必要なことだ。

 祭祀。
 神がいるかどうかは論点ではない。
 神を必要とする人の心のために、祭りはあるのだ。

 日常ではない「ハレ」の日。
 闇と光が交ざり、邪と聖が隣り合う日。

 すべては、ひとのこころのために。

 
 「イベント」としてのこの宙楽のセッティングをずっと眺めてきた。
 壮大な祭り。大きなイベント。
 たくさんの人が働き、ひとつの目的のためにひとつになっている。

 それを眺め、場所取りというカタチで「参加」しているわたしは、昂揚していた。

 今、歴史が動いている。
 歴史に残る1日を、体験している。
 その高揚感。
 イベントが大きければ大きいほど、わくわくする。

 退団して欲しいわけじゃない、失いたいわけじゃない。ただ、それとは別に、この退団のためのセレモニーが、派手であればあるほど愉快なのだ。
 彼らのための「祭り」が特別なものであって欲しいのだ。

 
 準備完了のあと、待ち続けた時間からすればあっという間に、祭りははじまった。
 退団者が花道を歩いてくる。まさに、花道。花で飾られた道。
 夕暮れ。
 拍手とフラッシュの光、潮騒のような歓声。

「きれいね」
「きれいね」
 見守る人たちが、口々に言う。
 タカラジェンヌは、みんなきれい。
 退団する人たちは、みんなきれい。

 
 花總まりが現れたとき、わたしはそれでもまだ、信じられずにいた。

 袴姿で歩いてくる女の子。
 あれは誰。

 花ちゃんなの?
 ほんとうに?

 あまりにちょこんと、華奢で小さな女の子。
 舞台での花ちゃんを小さいと思ったことはないし、実年齢も君臨してきた年数も知っている。
 それでも目の前を歩く花ちゃんは、とても幼くかわいらしい儚げな女の子だった。

 ああ、ミーミルか。
 ミーミルやった子だ。

 伝説の『白夜伝説』を観たとき、幕間にプログラムのページをめくった。あのミーミルって役をやった子、誰? あんな子いた?
 そして、見つけた写真に、愕然とする。写真の小ささと、位置に。こんなに下級生なの?
 ……それと、カオに。
 いやその、花ちゃん当時すごい写真写りでね……舞台のかわいらしさと素顔のギャップは、ものすごいものがありましたのよ。

 あの幕間を思い出した。

 そっか、ミーミル役の子だ。

 見つけた。
 妖精・花總まり。

 ここにいたんだね。

 わたしのなかで、ミーミルと目の前の女の子がつながった。
 あの子誰? と白黒のプログラムのページをめくった、あのとき。
 わたしが「花總まり」と出会ったあのときに、「今」がつながった。
 メビウスの輪のように。

 
 ぐるっと回って、最初に戻ったというなら。
 これで終わりはおかしいよ。
 まだまだ、見ていたいのに。いてほしいのに。

 まだ。
 ……そう思う気持ちを残して、花ちゃんは車の中に消える。花で飾られたガラスの中は見えない。

 暮れはじめてからは、早い。世界が「夜」に飲み込まれるのは。

 あんなに明るかった世界は、いつの間にか夜になっている。花道を歩く退団者の顔が見えにくくなっていることに、太陽の不在に気づく。

 
 残された退団者はひとり。

 たかちゃんの登場を前に、祭りは「夜」に突入した。

 真の「祭り」は夜に催される。儀式だから。祈りだから。
 篝火と詠唱と、荘厳な祭礼具と。

 どうか、壮大であれ。
 わたしたちの愛した人に相応しく。

 派手で、大仰で、美しく。
 「記念」になることで、想い出を作って。行き場のない想いを浄化させて。

 祭りは、大きい方がいい。
 昂揚と恍惚にすべてを忘れ、酩酊できるように。

 和央会は、それを理解しているようだ。
 神官たちは祭儀を執り行う。
 人々の期待のままに。

 まず、白い花で埋まったオープンカーが現れた。

 ド派手な車、ド派手な装飾。
 歓声が上がる。高まる興奮。

 それが覚めやらぬうちに、次の歓声が和央会の間を伝言ゲームのように伝わる。「絨毯だって」「赤絨毯やるって」……彼女たちのささやきは、スタッフが朱の絨毯を抱えて現れたときに、歓声に変わる。

 赤絨毯登場。

 映画で見るような巻かれた絨毯を、くるくる転がしながら広げていく。
 その贅沢感。

 絨毯のセッティングが終わらないうちに、次の歓声が上がる。
 報道席の後ろで作られていたお立ち台が、数人がかりで運び込まれてくる。

 お立ち台登場。

 生きた白薔薇で埋められた、ありえないほど豪華なお立ち台。
 報道席前に設置され、動かないように固定したり、さらに花を運んで周囲を飾ったりと、天井知らずの贅沢さ。

 しかもこのお立ち台、ただの台ぢゃないんだ。

 お立ち台の、ライトが点灯した。

 白い花の間から、やさしい黄色い光が灯る。
 幻想的な美しさ。
 上がる歓声。

 なになに、あそこにたかちゃんが立ってくれるの? それなら、後ろの人たちにも姿が見えるね。
 わざわざああやって台まで作ったんだから、あそこでしばらく立ち止まるってコトだよね? それなら、いままでのトップさんたちより長く見られるってコトだよね。

 それだけでもよろこんでいたというのに。

 スタンドマイク登場。

 さらに盛り上がる歓声。
 マイクがセットされたってコトは、たかちゃん、喋る?
 これまでのトップさんは生声で「ありがとう」とか言ってくれるだけで、ちゃんとした長い挨拶はしてくれなかった。つか、できなかった。
 でもマイクがあるなら、単語以外のちゃんとした言葉を話すことができる、そのつもりのはず。

 声が聞ける? という期待で盛り上がる人々の耳に。
 突然、音楽が届いた。

 生演奏開始!

 パレード沿道の一角に、不自然に白木のラティスで囲った空間があったけれど。
 そこにエレクトーンが運び込まれていたらしい。

 どこまでやるんだ和央会!
 派手さが小気味いい。

 そう、どこまでも盛り上げて。
 わたしたちの愛したあの人に相応しく。
 あの人が特別だということを、知らしめて。

 世界はすっかり夜。
 地球の半分は、太陽の影に入ってしまった。

 だけどわたしたちが待つのは光。
 まぎれもない、光。

 
 そして、待ち人が……和央ようかが、現れた。


 今、歴史が動いているのだと思った。

 
 5月7日の夜、宝塚にある某花屋の前を通った。
 そこには、何畳分もの白い薔薇が用意されていた。

 何畳分。
 部屋ふたつが、白薔薇で埋まっているの。

 バケツとかに花が束になって突っ込まれていて、それが部屋中にいくつも置いてあるんじゃないのよ。
 スポンジに一輪ずつ挿してあるの。同じ大きさの花を、同じ高さにそろえて。花を挿したスポンジが部屋中に敷き詰められることによって、何畳分もの「白薔薇の絨毯」ができあがっている。

 あんなの、はじめて見た。
 一輪ずつ直立した花が、等間隔であれほどの量、並んでいるなんて。

 思わず、足を止めて眺めちゃったよ。

 今、歴史が動いている。
 それを実感した。

 
 前日が花エンカレ楽で、まっつメイトやめぐむファン、ついでにタニィファンと浮かれ過ぎて終電を逃がしたりしたもんで、ほとんど眠る時間もないまま、翌朝ムラへ駆けつけた。

 当日券争奪戦に参加するため。
 朝9時までに並んだ人を対象に抽選、だから早く行く必要はなかったが、たかちゃんの入りを見るために、がんばって早くに行ったんだ。当日券並びにとっとと決着をつけないと、たかちゃんの入りが見られない。

 張り切って並んだんだけどなあ。

 はずれました。

 ……そっかあ、たかちゃんのムラ最後、映像ですら見られないのか……。

 ヘコむヒマもなく、とにかく楽屋口へ!! これでたかちゃんの入りまで見られなかったら泣くに泣けない。
 ハイディさんと合流し、花の道にスタンバってすぐに、たかちゃん登場。

 
 わたし、たかちゃんナマで見るの、何年ぶりだろう。
 入り出待ちをしない、お茶会にも参加しないわたしは、基本的にナマのジェンヌに遭遇することが少ない。
 でもたかちゃんは、わたしの記憶となんら変わることなく、ひょろっと長いカラダで、のんきな少年のような笑顔で集まったファンに手を振っていた。

 変わらない。
 変わっていない。

 なのに、これで最後なの?

 
 たかちゃんには間に合ったけれど、花ちゃんの入りには間に合わなかった。残念。

 そういえば、トップ退団の千秋楽にムラへ並びに来て、映像鑑賞券すらGETできなかったのって、はじめてだ。今まで、大抵どこかしらで眺めることぐらいはできていたんだ。
 なにがなんでも見たい人でなきゃ、当日並びには行ってなかったし。

 SS席チケットを持つハイディさんを中に送り出してから、わたしはひとりで劇場前に残った。

 パレードの、場所取りをするために。

 
 ヅカファンになって18年。
 今までただの一度も、パレードの場所取りをしたことがない。
 唯一記憶にあるのが、去年のさららんの東宝楽かな。終演前から2時間くらい待ったんだっけ。観劇したあとに「せっかくの楽だから」とパレードを見ていくことはあっても、観劇もしてない、終演時刻以前から、場所取りするなんてまずありえない。
 わたしの場合、人混みの後ろからでもパレードを見ることが出来る。ちょっとヒールを履けばそのへんの男性よりでかくなるから、人混みなんか平気だ。
 さららんの出待ちをしたのも、ひとりでなかったからというのがいちばん大きな理由。わたしひとりなら、さららんが出てくるぐらいの時間を見計らって東宝前に行き、人混みの後ろから眺めたよ。

 でも、たかちゃんと花ちゃんだ。
 人混みの後ろからでも見えるかもしれないが(実際、ぎりぎりに行っても入りは見えたし)、もっとちゃんと見たい。
 観劇していたり用事があったりして早くから並べないというならともかく、ムラにいて、ヒマなのに、場所取りしない理由がない。

 そう、わたしは、「参加したかった」のだ。
 たかちゃんと花ちゃんのムラ最後の日に。

 わたしはまったく実感していない。
 たか花が退団してしまうこと。
 たかちゃんと花ちゃんがいなくなってしまうことに、まったく現実味を感じられずにいるんだ。

 千秋楽を見られたら、実感できるかと思ったのだけど。
 ソレもかなわなかったわけだし。
 はじめての入りで見たたかちゃんは、昔となんにも変わっていなくて。

 こんな状態で、どーして実感できる? 彼らともう会えなくなるなんて。

 わたしは、「参加したかった」。
 歴史が動いているのだとわかる、今。

 後ろからでも見えるからいいや、ではなくて。
 坐り込み、並び続けることでもいい、感じたい。「ここ」にいること。

 好きだということ。

 それを、感じたかった。

 
 つーことで、開演後から場所取り並びをはじめた。
 ひとりで。

 周囲の見知らぬたかちゃんファンの人たちとなんとなーく喋りながら、時間が移ろうのを眺めていた。

 わたしはこの4日間、ムラへ通い詰めていた。
 わたしが向かう先はバウホールであり、大劇場ではなかったけれど、それでもいろんなものを目撃した。

 和央会のスタートダッシュ付き「楽の日のガード位置整列予行演習」だとか、和央会貸切の日のロビーの壮観さだとか、軍隊並みに統率された整列ぶりだとか。
 ゆっくりと地鳴りが続いているような、噴火を前にした落ち着かなさを感じていた。

 祭りだ。
 祭りが近づいている。

 たのしい祭りではないし、待ちわびてもいないけれど。
 これはたしかに大きな「イベント」であり、必要不可欠のもなんだ。

 ひとりで並びながら、セッティングされていくパレード会場を見守っていた。

 運び込まれる、花・花・花……。
 昨夜目にして絶句した、あの何畳分もの白薔薇が、カートに乗せて運び込まれてくる。
 花屋の人たちが数人で、いったい何十回往復しただろう。
 運んでも運んでも、運び足りない。
 いつまでも運び込まれつづける。

 建設される報道陣席。
 設置されるライト。

 報道席の後ろでは、巨大なお立ち台の制作がはじまっていた。
 てゆーか、お立ち台? なんじゃそりゃ。そんなの今まであったか?
 大まかなカタチは前もって作ってあり、この場で白薔薇を挿し、装飾していく。
 いったい、どれほどの数の薔薇を? 飾る、なんてもんぢゃない、あれは「埋める」だ。
 生花で埋められた、贅沢かつ美しいお立ち台。仕上げるのに数人がかりで3時間くらいかかっていたぞ。

 立ち働く会スタッフたち。
 まさかの晴天のなか、会の仕事としてカラフルなシートの上で何時間も場所取りしている人たち。
 なんて多くの人が、「働いている」ことだろう。

 世紀の大イベントのために。
 祭りのために。

 1時間ごとに、写真を撮ってみた。
 記録。
 忘れたくないから。

 ひとつの目的のために、仕事ではなく自分の意志で、無償で、働き続ける人たち。
 目に映るのは、白。
 花の白。
 そして、服の白。

 今、歴史が動いている。
 これは胎動なんだ。

 それを見届けるために、わたしはそこにいた。
 自分の目で見、自分の肌で感じるために。

 
 会場のセッティング自体は、終演するまでに終わったのだと思う。
 だが、準備は完了していない。
 人だ。
 サヨナラパレードの主役は退団者であると同時に、彼らを送るファンクラブの人たちでもある。
 和央会の人たちが劇場から出て、ガード位置につかなければ、準備完了したとはいえない。

 終演を待った。
 そして。

 すべての準備が整った。

 
 視界のすべてが、白に染まる。

 花の白。
 服の白。

 美しく、そしてかなしいいろに。

 
 告白しましょう。
 千秋楽、わたしの席は「まりん席」でした。

 唯一の客席降りでまりん氏が真横に立つ席。

 初日の段階でソレがわかっていたのだけど、「ごめん、まりん! 真横に立つアナタを無視して、下手通路の同じ位置に立つまっつをガン見するわ!」と、固く心に誓っていた。てゆーか、放っておいてもそうなるだろうと思っていた。

 告白しましょう。
 千秋楽、わたしの真横に立つまりん氏。ここはまぎれもない「まりん席」。

 まりん氏を、見てました。

 まっつを見るはずだったのに。
 見るつもりだったのに。

 まりん氏から目が離れないっ。

 悠真倫が真横で、わたしに微笑みかけながら歌ってるのよ?! そりゃ見ちゃうでしょお?!

 …………オトされるかと思ったよ、まりん。

 とゆーのもなー、土曜日に前方ドセンターで見たとき、出演者からのカンチガイ目線がばしばし来たんだけど、そのなかでもまりん氏からの目線がいちばんすごかったのよ。

 彼、わたしを見てる?(ドキドキ)の、連続でな。

 まりん氏が穏やかに微笑みながら、『二人の時』を歌うわけですよ、わたしを見つめて!
 「君を愛している」と、わたしに、歌いかけるわけですよ!!

 も、どーしよーかと(笑)。

 まりん氏は美形でもオトコマエでもないが(失礼)、男の価値はそんなもんでは決まらない。
 あのやさしげな眼差しで、語りかけるよーに愛の歌を歌われたら、じんじんきます。
 癒しの歌声。
 ハンサムな若い男との恋に疲れたときに、こーゆー中年男に本気でスコンと惚れそーです。中年て、まりん氏はタニやまとぶと同期なんだけどな。

 
 花組『エンカレッジコンサート』、まつださんへの愛はまた別に叫ぶとして、本日は他の話。

 5公演全制覇して、いろいろ思うところがあった。

 わたしにとって「名も知らぬ下級生」に「記憶」をプラスする区切りは「89期」なのだわ。
 掲示板でチケットを譲ってもらってはじめて観た音楽学校文化祭が、89期なの。
 以来毎年文化祭は観るようにしているけれど、やっぱり最初だった89期は特別なのね、記憶の残り方が。なにしろ89期だけは偶然「すみれ売り」も見ているから。素顔ですみれを売っていた姿と、はじめて観た文化祭の二重の記憶は大きい。
 89期以下の「名も知らぬ下級生」は、文化祭の記憶と照らし合わせて「ああ、あの子か」と整理することが多い。……なにしろ文化祭は「本名」でしかプログラムに載ってないので、「整理」しないと芸名とイコールにならなくてな……。

 初日を観て、帰宅してからあわてて確認したのは、花咲りりかちゃん。89期じゃん、この子。まず本名を調べて、「ん? この名字、記憶にあるぞ」と文化祭プログラムを引っ張り出してきて納得。
 89期文化祭の歌姫じゃん。幕開きで「清く正しく美しく」を独唱していた娘さんか……そりゃすばらしい歌声の持ち主だわな。
 あたりまえのことなんだけど、文化祭よりもずっとずっとうまくなっている。
 成長しているんだ。
 下級生たちは、あまり歌声を披露する場がないよね。りりかちゃんは影ソロやっていたりしただろうけど、そーゆーのとは別の意味で。スポットライト浴びて「さあ、歌を聴かせますよ」な場を与えられるわけじゃない。
 なのに、成長している。ずっとお稽古しているんだ。見せ場のあるなしではなくて。

 これまで何度か書いているけれど、大門くんはわたしにとって「はぢめてのヒト☆」的愛着のある子。はじめて観た文化祭で「芝居の主役」だったからな。わたしはなにより芝居ができる人が好きだから。
 以来ずーっと気にして眺めてはきているけれど、このエンカレで「ほんとーに歌うまいんだ」と改めて感心した。
 文化祭でソロを聴いているし(彼は男役ではただひとりのソロ歌手だった)、そのときもうまいと思ったけれど、今はさらにうまくなっている。
 そーいやすみれ売りのころってだいもんが首席だっけ? 文化祭前にカチャに抜かされたとか聞いたが?
 文化祭での印象は、カチャが華の人で、だいもんが実の人、だったなぁ。首席と次席の男ふたり。見た目からして対照的(カチャは現代風、だいもんは古典的)でたのしかったなー。

 エンカレ出演のもうひとりの89期、澪乃せいらは『Young Bloods!! 』のときに本名を調べて記憶を整理、ああかわいこちゃんの**さんの芸名だったのか、と納得したな。

 わたしの記憶のポイントとなる89期をきっかけにして、思うんだ。89期の彼らだけのことではなくて。

 みんな、前へ進んでいるんだ。
 ……あたりまえのことなんだろう。人として、プロとして。
 あたりまえだとわかっていても、なんだか感動する。興奮する。そして、まったく成長していない自分が恥ずかしくなる。

 タカラヅカは、時を共有する文化なんだと、しみじみ思う。
 わたしが過ごす時間と、同じだけの時間を過ごしている彼らを観るたのしみ。
 成長する彼らを眺め、応援すること。
 それは、こんなにも感動的なことなんだ。

 やっぱわたし、タカラヅカが好きよ。
 だからできるだけ、たくさんの公演を観たい。ご贔屓の出る公演だけでなく、観られる限り全部。
 そしてひとりでも多くの生徒さんの顔と名前をおぼえて、彼らの人生を見守りたい。
 文化祭を眺めた、そんなささやかな記憶があるだけで、愛着度がちがってくる。ワークショップを観た、エンカレを観た、そんなことだけでも、きっとこれからの愛着度が変わってくるんだ。

 あのときのあの子が、今、こんなになってるんだ。
 あのときなにもできなかった、なんで舞台に立ってるんだこの子?と首を傾げたあの子が、今、こんなにがんばっている。
 ……それを観て、力をもらう。勇気だとか希望だとか夢だとか。
 そーゆーものを感じるために、「好き」を増やしていきたい。

 もともとエンカレは全組制覇するつもりだけど、残り2組もとてもたのしみだ。
 歌の実力だけではなくて、若い子たちに「出会う」ことが。

 わたしは、未来の「好き」を、「感動」を増やすために、小さな劇場に通うんだ。

 「タカラヅカ」が好きだから。

 
 もっともっと、好きになるために。

 

「で、ドリーズのみなさんは、他に誰がいらっしゃるんですか?」

 わたしの唯一のまっつフレンズ、モロさんが無邪気に言う。

「来ないよ、誰も」

「えっ? でも、ドリーさんは? 花担でしょう?」
「来ませんとも。ご贔屓が確実に客席に来る日がわかるなら行ってもいいとか言ってたな」
「じゃあkineさんは? kineさんなら」
「……来ないのよ。あの人、らんとむの『スカウト』のためならわざわざムラまでやってきたし、そのかの『Young Bloods!! 』のためにも、わざわざムラまでやってきたけど、まっつの『エンカレ』のためには、来てくれないのよ」
「……『Across』終わったのに……」
「『Across』終わってるのにねえ……まっつにはほら、興味ないそうだから。ドリーズでエンカレに必死なのは、唯一のまっつファンであるわたしと、『めぐむめぐむ』言ってコワレてる、nanakoさんだけだから」

 おかげで、ドリーズのみんなが、快くチケ取り協力してくれました。「花エンカレは興味ないから、いくらでも言って」と。友会入力だろうと、一般発売だろうと。
 それでわたし、今回のチケットはとても潤っています。全部センターで、うち3枚は超前方、うち2枚は通路際。まっつが降りてきてくれることを祈って。……くそーっ、上手通路なんだよ、まっつ反対側だよっ。
 張り切ってチケ取りしすぎて、ダブらせて大変だったなんて、内緒です(笑)。定価でさばけてよかった。

 世の中、そんなにまっつファンってのは少数派なんでしょうかねえぇ。
 いい男ぢゃん、まっつ!
 ちょっと地味だけど、端正で一通りなんでもできて、なによりも「声」がいい、コンパクトなおにーちゃんですよ。
 黒燕尾姿なんてあたしゃ、このまま小脇に抱えて家に持って帰りたいとか思いますから!(そこまで小さくないから! てゆーかソレ犯罪)

 初日一緒だったnanaタンはめぐむの話ばかりになりがちなので(笑)、今日はまっつメイトのモロさんと、まっつ語りができてしあわせです。
 ああ、まっつはこれからどこまで行くのでしょう。
 彼の向かう先がどこであれ、彼が幸福であればそれでいいのです。

 まっつの歌うソロ曲は2曲。1幕の『And All That Jazz』はなんかまっつらしくもなく、色気全開でアピールしまくりなので、実はちょっと落ち着かないです。
 かっこいいよ。かっこいいけど……おろおろ。
 もっと若いうちからこの芸風で突っ走っていたら、もっとファンがついていたかもしれないし、そしてわたしはきっとファンになってない(笑)と思える素敵さです。てゆーか、アンタ、誰? そんなセクスィーダイナマイトな男役は、わたしの知っている人ぢゃありません。
 誰もがふつーに、「まっつ、かっこいいじゃない」と言ってくれる、とってもわかりやすいかっこよさと、押し出しの良さ。
 すっげーかっこよくて、それゆえのとまどいが先に立ち、素直にとろけることができておりません……あたしっていったい、まっつにナニを求めているの。

 かといって2幕の『The Winner Takes It All』は、まっつらしくて、やばいです。
 どうまっつらしいかってそりゃ……地味なんです。もー、泣けるほど地味だっ。
 歌はうまいの。声もいいの。
 なのになにゆえに、こうまで埋もれる……。
 途中から大門、彩城、きほ、もえりがコーラスについてくれるんだけど……ダメだよ、ひとりで歌わなきゃ。「ソロを歌うスターとバックコーラス」ではなく、ただの5人口になってるからっ!!

 ……ううう。

 モロさんと話してたんですよ。

「なんであんな歌、選んだんだろう……」

 埋もれてしまうよーな地味な歌。わかりやすくテクニックが必要で実力を見せつけるわけでなし、わかりやすく盛り上がるでなし。第一、なんの歌なんだろう。プログラムにはみんな歌の出典が書かれているんだけど、まっつの2曲目に関しては表記ナシ。

 そうこうしているうちに、情報が。
 まっつの選んだ2曲目『The Winner Takes It All』は、オサ様ディナーショーの曲だという。

 オサ様の歌かいっ。
 しかも、自分も一緒に出演していたディナーショー。

 謎は解けた。

「あの曲は、まっつから寿美礼サマへの愛の告白なんですね」

 星エンカレで、美城れんくんが「尊敬する上級生の歌です」とかゆって、わざわざトウコの持ち歌ばかりを歌っていたのと同じか!

 スカステで寿美礼サマへ告り、グラフで寿美礼サマへ告り、エンカレでも告りますか、まっつよ!!
 ほんっとーに、オサ様が好きなんやな君。

 折しも、本日午後の部は、客席に寿美礼サマが。

 わたしとモロさんはふたりして大ウケです。

「じゃあナニ、まっつが直にオサ様に愛の歌を捧げるところを見られるわけねっ」
「すばらしいですねっ」

 届けまっつのバーニングハート!!

 どんなに愛を叫んでも、寿美礼サマにはするっとスルーされていそーなとこがまた、すばらしいのです。わたしは片想いスキー、まっつの爆裂片想いっぷりがツボです。スカステで告ったときも、オサ様は笑って聞き流していたわよね〜〜(笑)。
 ああ、まっつ、わたしと男の好みが同じねっ。わたしも寿美礼サマが大好きよ(はぁと)。

 帰宅してからDVDを確認したんだけど、ほんとに、オサ様の歌まんまだった。
 演出まで同じにしてあるの。
 バックコーラスが4人、メンバーに季帆ちゃんが混ざっているのが違和感あったんだけど、オサDSのバックコーラスを踏襲しているからなんだ。

 まっつ…………。

 4年も前の、オサ様DSのシーンを再現して見せたんやな……自分がオサ様になって。
 まっつには、合ってないのに。ここでこの曲を歌うことが、ちっともプラスになっていないのに、それでも、オサ様の歌が歌いたかったんだ……オサ様と同じ演出で。

 なんかもー、とほほを通り越して、まっつが、愛しくてなりません。

 そうか、そんなにそんなに、春野寿美礼が好きか、未涼亜希よ。

 そんなまっつが、大好きだ(笑)。

 
 ところで、『And All That Jazz』でもなく『The Winner Takes It All』でもなく、今回わたしがいちばんとろけたまっつの歌は、1幕の全員で歌う『ジュテーム』でした。
 男たちのコーラスから、まっつがソロで歌うところ。
 びびびびっくりした。
 ソロパートはみんなで持ち回りなんだけど、先頭を切るのが学年順無視してまっつだから。
 予測してないときに、まっつの超美声で「ジュテーム・ジュテーム♪」とやられて、腰砕けました。
 うおー、1曲ソロで歌ってくれえ。
 2幕の『オサ様への愛の絶唱The Winner Takes It All』より、よっぽどこっちが聴きたいっす。

 まっつまっつまっつ。


「ますます恥ずかしい手帳になってるね」

 と、nanakoさんににこやかに言われてしまった「まっつ手帳」を片手に、花組『エンカレッジコンサート』初日。
 手帳にはさんでいるまっつ写真の数がどーんと増えてましてね……だってアズ、かっこいいんだもん。

 エンカレは全組+専科、行く気満々だが、わたしにとっての本命はこの花組。

 まっつの歌が聴ける。

 それだけを心の支えに幾年月。
「めぐむ〜〜っ!」
 と吠え続けるnanakoさんと一緒に、いざバウホール。

 歌えるって、すごい。

 歌がうまいってのは、すごいことなんですねっ。
 気持ちいい。
 歌うまっつを眺めていること、同じ空間にいることが心地よくて、すごくたのしい。

 いやそのわたし、「歌手」のファンになるのはじめてだし。
 ケロちゃん、歌はアレだったし。
 そうか、歌える人のファンになると、こんなにたのしいのかー。ほえー。

 いやー、まつださんは歌っているときは超オトコマエです。
 余裕だしね。やっぱ自信があるからだろうな、「主役」のカオで客席アピールしてましたよ。

 ほんとにほんとに素敵なんだけど……なんか、別格歌手まっしぐらって感じで、ソレはソレで、ちと複雑でもありました。

 月組、星組と、「1幕ラストは路線スター、2幕ソロラストは実力派歌手」と続いていたから。
 花組はいちおーね、期待したんですよ、まっつが1幕トリかしら、と。
 まっつが路線かどうか、アヤしいとこだとは思ってますが、出演者を見回して他に適任はいないから、1幕トリが回ってくるかと。

 …………1幕のラストは、出演者全員のコーラスでした。

 花組だけナゼ、構成がチガウのっ?!
 そんなにまっつをスター扱いしたくないの? そーゆーことなの?!

 あたしの惚れる人ってどーしてこう、脇へ脇へ逸れていくんだろう……まあな、真ん中しか似合わない人には、興味ないもんな。

 基本的に脇の実力者ポジは好きなので、そっちで花開いてくれるぶんにはまったくかまわんのですが、出番が多いに越したことはないので、路線寄りでいてくれるとうれしーです。
 てゆーかトリをつとめるまっつも見たかったよ。

 それはさておき下手前方チケット、どっかに落ちてませんか?

 今回のまっつ席は下手でした。
 うきーっ、あたし今回上手しか持ってない〜〜っ。
 上から3番目だから、上、下、上、で、上手だと思うじゃんよっ。
 下手が欲しいよ〜〜っ。

 1幕のまっつ曲『And All That Jazz』のときは、下手にアピールしまくってるんですよあの人!!
 んじゃ2幕は上手来るかと思ったら、2幕の『The Winner Takes It All』はおとなしいし、真ん中でふつーに歌うだけであんましクドくないし!
 全員での客席降りは1回しかないのに、まっつ下手だし!

 ああ……なんてこと。

 そしてまっつのまっつらしいとこなのか、全員で歌っているときとかは、決して出過ぎないというか、ぶっちゃけ地味……ゲフンゲフン。
 そんなまっつが好きです。

 
 さて、花組で3組目となったエンカレ。

 今回、はじめて「まっとーなコンサート」でした。

 びっくりだー。
 今わたし、コンサートに来てるんだ、と感心してしまった。

 月組はストイックに発表会テイスト、星組は技術は問うな祭りだホイ! だったのに対し、花組はふつーにコンサートだった。
 そっかー、「歌の花組」なんだねええ……。

 
 めぐむが、かっこよくて!!

 nanakoさん、コワレるコワレる(笑)。
 ソロで歌っているときはそれほどでもなかったんだが、花咲りりかちゃんの『花から花へ』にゲスト出演(笑)したときのめぐむがもー。
 今回のコンサート全編で、いちばんオトコマエだった。なにごとだ、めぐむ?! そーゆーポジなのかめぐむ?!

 
 あとは、大門くんのやりすぎぶりが、とても愉快です。いやいやいや、君、おもしろいなほんと! はじけっぷりがいいよ。
 全員で歌うとこになると、大門くんに注目っす。

 
 きほちゃんはうまいんだけど、なんつーか「予想範囲内の巧さ」で、相変わらず発見や感動にまで至らず。……何故彼女はいつも「そこ」で止まってしまうんだろう。

 
 今回いちばんすごかったのは、なんといっても花咲りりか嬢。

 2幕のトリは手堅くちあき女史なんだが、真の歌手はりりか嬢だ。
 女史のソロのあと、全員でのコーラスで、りりか嬢がかーんと持っていくんだコレが。
 すげーよ。

 
 2幕のまっつが地味なので、なんかりりか嬢に持って行かれたまま、初日が終わりました(笑)。

 でもいいんだっ、まっつの歌、まっつの声を聴けるよろこび。
 それを心の支えに明日からも生きていこう(笑)。

 
 そーいや「組カラー」は今回関係なし?
 組色燕尾着ると思ってたんだけど。黒燕尾で幕が上がったから、「2幕はピンク燕尾かー。まっつ、微妙やなー」とか思ってたんですが。
 娘役のドレスは華やかでよかったな。

 まっつの黒燕尾好きだから、いっぱい見られてソレはソレでしあわせ。

 
 しかし……帰りの電車で、張り切って買ったムラまでの回数カード、落としました。

 買ったトコなのに……あうう。安くないのに……あうう。


 それにしてもタニちゃん、やる気満々だよねっ。

 『NEVER SAY GOODBYE』を、いつもの最前列の端っこで観劇したとき、タニちゃんが目線絨毯爆撃していったんですよ。
 「セクスィだろ?」って目つきで!!
 わたしと、隣の席のキティちゃんはふたりしてきゃーきゃーでした。

 そーいやいつも、最前列で観劇したときはタニちゃんが目線をくれます。
 彼はファンに対して手を抜きません。スタァである自分を知っているからこそ、目線を客席に投げて、ファンをよろこばせるのです。
 わたしは鼻息の荒い人が好きなので、タニちゃんのこーゆー戦闘意欲十分なところが好きです。いつもいつも、たのしそうに舞台にいるところが。

 残念ながらわたしはタニちゃんの演技と相性が悪いので、役としてどうこうとか演技がどうこうはさーっぱりわからんのですが、「大和悠河」というキャラクタを愛でています。
 だもんで、タニちゃんのタニちゃんらしさを見られると、うれしい。
 歌がものすごかったり、場の空気を無視して暴走していたりすると、さらにたのしくなる。

 そして、まぎれもなく「スター」である「光」の存在を、改めて思い知るのだ。
 脇の人は暴走したって「場の空気」は変わらない。
 タニちゃんが動くと、ちゃんと空気が動くのだ。

 それは得がたいことだと思う。

 ああ、タニちゃんは今日も爆走している……。
 そう思うと愛しいです。

 
 たかちゃんの「声」を好きだと思う。

 今までになく、今まで以上に、思う。
 動きが制限されている分、魂を込めて歌っている今の歌声に、とても心地よいものを感じる。

 歌詞が聞き取れない? いえいえ、そんなことはございませんよ、Myフレンズ!
 たかちゃんの癖のある歌声は、耳に馴染んでおりますから。伊達に18年も聴いてません(笑)。問題なく聴き取れます、物語に集中できます。

 わたしの美しいひと、和央ようか様。

 退団コンサートの『WING』と『Across』のセンスの差を思うと、もーかなしいやらなさけないやらで、たかちゃん、ほんまにセンス悪いよな……と、とほほな気持ちになりますが、そんなとこも好きだっ。断言するよ、そーゆーとこも好きっ。好きだっっ。おおー!

 
 花ちゃんの「物語を作る力」に感服する。

 これまで幾度も幾度も、感じていたことだけど。
 花總まりとゆーのは、どこまですごい人なんだろう。

 たとえどんな駄作でも、薄っぺらのぺらぺら脚本でも、彼女が力尽くで説得力を持たせてしまう。
 
 彼女が「主役」として「物語を動かす」瞬間に、空気が収束していくのがわかるんだ。
 画面がぎゅいーんとアップになるように。
 広大な空間が、彼女の持つ力で密度を上げる。
 その、快感。

 これほどの女優を、ナマで観てこられたことに感謝する。

 
 あとは宙組のコーラスのすばらしさを堪能し、団結力を堪能する。
 それからなんといっても、若手のイケメンたち。

 七帆くんはほんとに美しいねえ。いろいろ足りていない感じが、おぼつかなく舞台にいるたたずまいが、またよいのだ。

 和くんはほんとに美しいねえ。熱さとくどさがいい味をかもしだしている。

 十輝の横顔が好きだ。ええ、あの受け口が。ちょっと「男・岩城」入ってる感じが、たまりません。

 それから、ともち。
 ああ、ともち。
 せっかくの最前列、されど隅っこ、されど下手……ともちが、遠いっ!!
 ともち、ずーっとなにかと、上手にいるよ……遠いよともち(泣)。

 いてもいなくてもいいよーな役であったとしても、その他大勢でいつもわらわらいる「同志」のひとりであっても、いつも必ず濃くて熱くて、すげー勢いで演技しているのが好きだ。
 「ハイジャンプ」ポーズが微妙を通り越して笑えるけれど、それすら愛しい。

 
 それから、初舞台生の中にいる、水くん。
 無事劇団デビューしてくれたから、芸名で書いてもいいんだよな、真風涼帆くんが口上のとき目の前で、なにかと愉快でした。

 文化祭のときわたしの目を奪った「線目男」……べつにきれいとか思わなかったし、好みのカオってほどでもなかったのに、その堂々たるアピールぶりで、わたしの視線を釘付けにした憎いヤツ。文化祭欄では名前を書かなかったが、ココでは書くぞ、月映樹茉くんだ。
 その樹茉くんが、すごかった。

 初舞台生なのに、目線くれました。

 ……客席見てるんだ、この子。
 初舞台生って、舞台に立つだけでいっぱいいっぱいなんじゃないの?
 客席見て、自分を見ている客にアピールしたりして、いいの?

 ええ、アピールですよ。
 フィナーレのとき、わたしは樹茉くんを見ていたんですよ、「あっ、**さん(本名。文化祭のときはまだ芸名がナイ)だー」と。

 そしたら樹茉くん。

 にこっ、と、微笑んでくれました。

 えええ。
 初舞台生に、微笑まれちゃったよー!

 わたしもつい、全開で微笑み返しましたともさ!
 負けてらんないー!(いやソレちがうから!)

 よ、余裕だな月映樹茉。おばさん、びっくりしたぞ。

 どんなに見つめても、水くんのそっくりさんは客席なんかまったく見てくれなかったのにぃー!(いやソレふつーだから)

 
 今回の公演で、いちばんわかりやすく完璧に目線をくれたのは、タニちゃんと樹茉くんでした。
 ありがとー。


 彼らは、びんぼーな小劇団です。それぞれ別々の田舎から都会へ出てきて、ひとつの志を胸に劇団を旗揚げしたのです。
 みんなで力を合わせ、誠実に興行をしてきました。
 ところが、団員のひとりが弱気になりました。
「どんなにがんばって演技をしても、ちっとも客が来ない。世間は俺たちを理解せず、勝手なことばかり言っている。このままびんぼー劇団にいて、野垂れ死ぬのは嫌だ……故郷へ帰りたい」
 それを聞いて、リーダーのヴィセントくんがキレました。
「この田舎者の負け犬め! そんなに役者をやるのが嫌なら勝手に帰れ!!」
 温厚なジョルジュくんが、間に入りました。
「まあまあ、落ち着けよ。みんなそれぞれ志を持って集まった同志じゃないか。怒るにしても出身をどうこう言うのはやめようよ」
「お前はただの裏方だろう! 実際に命懸けで舞台に立っているのは俺たちだ、お前に劇団のなにがわかる!」
 あんまりです。
 舞台を作るのは、役者だけではありません。裏で支えるスタッフがいてこそはじめて、興行が成り立つのです。舞台の真ん中でスポットライトを浴びる人だけがエライわけないじゃないですか。
 多くの人の力が集まって、はじめて成り立つのです。でもそんなこと、キレているヴィセントくんのアタマにはありません。
 ヴィセントくんの言葉に、センチメンタルな団員は「ああ、故郷へ帰るよ!!」と叫んで飛び出して行ってしまいました。
 それに追い打ちを掛けるよーに、ヴィセントくんは言うのです。
「所詮お前らは、田舎者だもんな。都会で失敗したって、故郷へ逃げればそれですむ。この都会で生まれ育った俺とはチガウんだ」
 あんまりです。
 自己を肯定し、他者を否定する理由が「生まれ」です。「レジのお金がなくなったのは、生まれの卑しいバイトの娘の仕業にちがいないわ!」とか、そーゆーレベルの根拠です。
 ヴィセントくんが怒りのあまり我を忘れ、人として言ってはイケナイ類のことをまくしたててしまっていることは、誰にでもわかります。べつにヴィセントくんはそれほど悪人ではないし、ただちょっと言葉が過ぎてしまっただけでしょう。
 だから大人なジョルジュくんは、ゆっくりとヴィセントくんを諭します。
「思い出そうよ、お前たちはこの澱んだ世の中だからこそ、尊い志を持って劇団を作ったんじゃないか。名誉のためでも金のためでもなく、真に素晴らしい芝居をと、がんばってきたんじゃないか。その姿に俺は感銘を受けたんだ」
 ヴィセントくんは話せばわかる人なので、落ち着いて道理を説かれて、とりあえず怒りを収めました。
 ま、謝りませんけどね。どれだけ非道なことを言ったか、理解していないのでしょう、「ごめんな(笑)」「うん(笑)」程度のやりとりで終わります。
 きっとヴィセントくんの心の中には、差別意識とかふつーにあるし、仲間のことも信じているわけではないのでしょう。思っていなければ、激したからと言って口に出すこともないでしょうし。
 なんだかなし崩しに仲間たちは馴れ合って、「俺たち、同志だもんなっ」と盛り上がります。えーと、根本の解決はしてないんですが……ま、いいか。
 そしてこの「同志ってすばらしい!」に、大人だと思っていたジョルジュくんものってしまいます。

「俺も裏方はやめて、舞台に立つよ!」

 裏方で舞台と劇団を支えるなんて、ナンセンス。やっぱり、スポットライトをあびてこそです。汗と埃にまみれて大道具を作ったり、力仕事をしたって、「裏方のお前は劇団のことなんてなにもわかっていない」と断言されちゃうわけですから。舞台に立つ役者以外は下層民ですから。
 それなら、舞台で華やかに活躍した方が絶対いいです。
 今日まで裏方としてがんばってきたジョルジュくんの功績は、役者さんたちからすればなんの意味もなかったみたいです。えらいのは役者で、裏方は裏方ですから。スター様と下働きですから。みんな等しく同じ小劇団の「同志」だと思っていたのは、まちがいでした。
 つーことでジョルジュくんも無事に役者宣言をしたので、これで晴れて「同志」です。
 まったく同じことをしないと、「同志」だと認めてくれないのは、どこの社会も同じです。ほら、小学校のとき、流行っているおもちゃをひとりだけ持っていないと仲間はずれにされたでしょ? アレと同じですよ。仲間みんなが万引きをしたら、同じように万引きをしないと排斥されます。アレと同じですよ。
 役者は舞台の上で、裏方は舞台の裏側で、ひとつの志のためにそれぞれの方法で戦う、なんて、ありえませんよ。
 みんな同じ方法でなきゃ、みんなみんなわかりやすく同じでなきゃ、「同志」ではないのです。

 「同じ」でなければ、ひとはわかりあえないのですよ。

 ……変だなあ、別々の故郷から出てきた人たちが、ひとりずつはまったく「ちがった」人たちが、ひとつの目的に向かって団結したのが、劇団結成時だったのになあ。特技とかもみんな「ちがった」んだけどなー。
 「同じ」でなきゃダメなんだ……「ちがった」考え方は許されないんだ……。

 ジョルジュくんがどーしてヴィセントくんと「友だち」なのか、よくわからなかったけれど、ここで答えが出ました。
 似たもの同士だったんですね。

 ジョルジュくんなら、「裏方には裏方の戦い方がある。舞台と劇団を愛する気持ちは変わらない」とか、「いろんな考え方や、いろんな人たちがいるからいいんじゃないか。だから争いも起こるが、協力し合ったり愛し合ったりも出来るんだ」とか、言ってくれるかと思ったんだけど。

 「所詮田舎者だ」「所詮裏方だ」と、他人を「生まれ」だとか「立場」で並列に排斥した、その同じ会話で「所詮裏方なら、裏方をやめるよ! これで問題なし!」でハッピーエンド。

 おめでとう。
 君たちの未来は明るい。


「そーいや宙組公演、観に行ったんですか? 感想書いてないけど、よかったんですか?」

 と、問われて。

 わたしはしばらく沈黙する。
 そしてよーやく口を開くのだ。

「ともちが、かっこよかった」

「いや、ともちはいいから。たか花は? 作品はどうでした?」

 しばらく逡巡して。
 よーやく口を開く。

「舞台に立つたかちゃんを見られてしあわせだった。花ちゃんはやっぱりすごい人だった。作品は……ええっと……その、よかった、よ」

「たか花はそれだけですか?」

「たか花を見られて、しあわせだった。役としては……たか花がやっているんじゃなかったら、終わっていたかと」

「作品はどうよかったんですか」

「コーラスがすごかった。歌う背景宙組健在。たっちんかっこいー。音楽はいい。子犬のように頼りなげなあひくんが母性本能をくすぐる演技で、ファンを増やしているかも。タニちゃんの歌はまたクオリティを増していて、破壊力絶大、タニちゃんを『見た』という満足感を得られる。小池はドラマティックな演出がうまいよね。部分部分の演出がよくて、何年かあとにTCAとかで1場面だけ再現とかしたら、すごい名作だと誤解させることが可能だと思う」

「えーと、ソレ、よかった、んですか?」

「よかった、としか言いようがないから、よかったんじゃないかと。べつに、悪くないし。ただ、つまんないだけで」

 
 宙組公演『NEVER SAY GOODBYE−ある愛の軌跡−』に、いつものよーに予備知識はあまりなく、初日の翌日に劇場へ駆けつけた。
 初日じゃない分、どーしても感想は耳に入る。

 ドリーズ関連の友人たちからは「駄作っっ!」「小池がやらかした」と聞いていたし、宙担のデイジーちゃんはにこやかに絶賛していた。
 正反対の感想を耳にしてはいたけど、「物語」自体の予備知識はナシ。舞台がどの時代のどの国の話なのかも知らない。
 知っていたことは、タニちゃんが「マタドール」だってことぐらいかな(笑)。

 わたしは西洋史に無知もいいとこだし、なんの教養もない人間だ。
 でも、「ソレがどーした」と思っている。
 なんの予備知識もない人間が観て、ふつーにたのしめる作品以外は評価しない。わたしのよーな低能な俗物をも拾ってくれるよーな作りでなきゃ、2500人収容劇場で上演するべきではないと思っている。
 日本語がわかり、主要登場人物が遠目でも区別がつき、歌詞が聞き分けられる(笑)のだから、ふつーレベルの骨組みを持った作品なら理解できるし、たのしめるはずだ。
 実際、ふつーにたのしめた。ストーリーは単純だし、どっかで観たよーな設定満載だし、キャラは薄くて典型的なテンプレ型ばっかだし、なんの問題もなくたのしめる。

 ただ、わたしの好みの話ではなかった。

 たか花の最後の作品でなければ、たぶん「1回観たからもういいや」と思っただろう。

 駄作だとは思わない。
 充分よい作品だと思う。
 世の中にはひどい作品が山ほどあるのだから、『ネバー』を駄作と言ってしまったらあとがない。
 わたしの価値観で言えば『ネバー』は、ふつーレベルの作品だ。

 リピート観劇が基本であるタカラヅカで、「生理的嫌悪感」で正視できないよーな作品は最悪だ。
 「よくもないが、悪くもない」「プラス面はさほどないが、マイナス面もあまりない」という、さしさわりのないものは「何度観ても精神衛生上悪くない」から、讃えられるべきだと思う。

 ただ、『ネバー』はすべてにおいて、薄いんだ。
 物語が。
 演出は派手なんだけど。
 『ネバー』のなかに、わたしがどーしても「嫌だ」と思う部分があるんだけど、それすらも薄い。
 声を高くして「ここがキライっ」と言いたいほどの気持ちにもならない。
 あー、嫌だなコレ。どーしてここでこうするかなー。わたしがいちばん理解できない部分を、作者がいちばん嬉々としてやっている気がして、そこも萎えるなー。やだなー。『スカウト』のラストのオチと同じじゃん、今までのすべてを作者が否定するという。コレがあるから、それまでの感動も全部「なかったこと」にされちゃって、出かかった涙も引っ込むんだよなー。どーしてこんなことになるかなー……あー、でも、ま、いっか。
 裏切られた脱力感はあっても、腹を立てるほどの気持ちにならない。
 感動も怒りも、なにもかもが「薄い」。
 ストーリー展開の突っ込みどころや、伏線回収のアレさだとか、ほころびもいろいろあるんだけど、それをどうこう言う気力もあまりわかない。わたしを突き動かすほどの「熱」がないから。

 この「薄さ」は、美点なんだと思う。
 なにしろ退団公演だから。
 ファンは何十回と観るのだから。
 濃いモノはあまり続けて食べられないけど、薄いモノなら大丈夫。
 そーゆー意味でも、ほんとに「タカラヅカ的」な作品だ。

 ただわたしは、ある程度の濃さがないとたのしめない。
 生理的嫌悪感と戦うのと、薄すぎて感動がないものを眺めるのと、どっちがいいのかは、そのときの体調や精神状態によってもチガウし、キャストによってもチガウので一概には言えない。

 ただ、今回はなーんだか「鳴り物入り」の扱いを受けている「大作」なので、どーにもおさまりが悪くてこまる。
 駄作ならわかりやすく駄作、名作ならわかりやすく名作ならよかったのに。
 あー、包装が立派なため「名作」っぽく見えるから、名作ってことでいいのかな。実際、悪くないもんな。

 悪くないから、良い。それが、『NEVER SAY GOODBYE』の感想。

 加点法で計算すると落第だけど、減点法で計算したから合格! みたいな。

 でもソレ、感想語りにくいっす。

 
 作品としてはアレなのでもうあきらめ、わたしはキャストだけを眺めてます。

 最初に観たときは、ただもーたか花がたか花だというだけで、泣けて仕方なかった。

 たかちゃんが舞台にいる。
 花ちゃんが舞台にいる。

 もういいよ。
 それだけで、もういいよ。

 それだけで、価値があるのが「タカラヅカ」だ。

 ふたりがいなくなるなんて、わたしは未だに信じられないし、信じたくないのだけど、今、舞台にいるふたりを観ていられるのはしあわせだ。

 大好きだ。

 
 そして今朝。

 夢を見た。
 わたしはどこかの大きな体育館にいて、バレーボールの試合を観ている。
 わたしはカメラマンなのか、大きなカメラを持って、体育館の2階部分の手すりのある回廊みたいなとこから、選手を撮影している。
 選手の中に、ひときわパワフルな人がいた。

 両手を高く上げ、ブロックに跳ぶ、赤いブルマーを穿いたその選手は。

 ともち@ハイジャンプはまかせろでした……。

 な、なぜこんな夢を……っ!!


 その昔、『薔薇の封印』という作品を観た。
 ポスターがステキだし、キャストも好きなので、張り切って初日に駆けつけた。
 そして。

 しょんぼりと、肩を落として帰った。

 過去作品の劣化コピーであったことや、ストーリーの破綻ぶり、キャストの使い方にも不満はあった。
 だがそこにさらに、分の悪いことがあった。

「同じテーマなら、『**』の方が好きだわ」

 と、思ってしまったことだ。

 『**』は別作家の別作品だ。
 『薔薇の封印』との類似点を上げるのもばかばかしい。てか、「なに見当はずれのことを言ってるの? 『**』と『薔薇の封印』はまったくチガウ作品じゃない!」と言われるだろーなー、とも思う。
 だが、わたしのなかでは同系統の話なのだ。

 永遠の命を持ってしまった、男の物語。
 愛する人を失い、それでも生き続ける孤独な魂の物語。

 『**』で感じた「痛さ」を、『薔薇の封印』では感じなかった。
 『**』の雰囲気だけを転化したよーな印象を受けた。
 大人の読み物だった江戸川乱歩作品から、エログロと耽美を削除して、子ども向けの少年探偵小説にしたよーな。
 「痛い」部分、いちばんわたしを惹きつけてやまなかった、やるせない部分を除いて、もっと一般向けにわかりやすく、やさしくやわらかくしたよーな。

 もちろん、わたしの勝手な思いこみだ。
 ふたつの作品を結びつけて考える必要なんて、他の人にはまったくない。

 だが、他の人はどーでもいー、「わたし」は、すでに『**』を知っている。
 『**』を知ってしまったあとでは、『薔薇の封印』を観てもたのしめないのだ。
 心が躍らない。わくわくしない。
 せつなさに胸が締め付けられることもなく、やるせなさに人生を考えることもなかった。

 ただ、「好きな人がコレで退団してしまう。男役の彼を見るのはこれが最後なんだ」という寂寥のみで泣いた。
 作品とはまったく別のところで。

 
 時は流れ、わたしは『NEVER SAY GOODBYE−ある愛の軌跡−』を観た。
 そして。

 しょんぼりと、肩を落として帰った。

「同じテーマなら、『**』の方が好きだわ」

 『**』で感じた「痛さ」を、『ネバー』では感じなかった。
 『**』の雰囲気だけを転化したよーな印象を受けた。
 大人の読み物だった江戸川乱歩作品から(以下略)。
 「痛い」部分、いちばんわたしを惹きつけてやまなかった、やるせない部分を除いて、もっと一般向けに(以下略)。

 もちろん、わたしの勝手な思いこみだ。
 ふたつの作品を結びつけて考える必要なんて、他の人にはまったくない。

 だが、他の人はどーでもいー、「わたし」は、すでに『**』を知っている。
 『**』を知ってしまったあとでは、『ネバー』を観てもたのしめないのだ。
 心が躍らない。わくわくしない。
 せつなさに胸が締め付けられることもなく、やるせなさに人生を考えることもなかった。

 ただ、「好きな人がコレで退団してしまう。男役の彼を見るのはこれが最後なんだ」という寂寥のみで泣いた。
 作品とはまったく別のところで。

 
 さすがになー……2作連続で、まったく同じことが起こると、頭を抱える。

 そして、わたしが言う『**』が、同じ作家による別作品であったりするもんだから。
 さらに、頭を抱える。

 前者の『**』とは、『不滅の棘』だ。
 後者の『**』とは、『炎にくちづけを』だ。

 わたしが『不滅の棘』を知らずに『薔薇の封印』を観ていれば、もっとちがった感想があったかもしれない。
 でもわたしは、すでに『不滅の棘』を観ていた。
 だから『薔薇の封印』を観ても、心が動かなかった。

 好みの問題だ。
 わたしは『不滅の棘』の、救いのなさや痛さが好きだった。
 そしてその奥にある壮絶な「叫び」に魅せられた。

 わたしが『炎にくちづけを』を知らずに『ネバー』を観ていれば、もっとちがった感想があったかもしれない。
 でもわたしは、すでに『炎にくちづけを』を観ていた。
 だから『ネバー』を観ても、心が動かなかった。

 好みの問題だ。
 わたしは『炎にくちづけを』の、救いのなさや痛さが好きだった。
 そしてその奥にある壮絶な「叫び」に魅せられた。

 
 今回はほんとに分が悪い。
 『炎にくちづけを』はついこの間、同じキャストで上演されていたもんだから。
 あれほどのカタルシスを味わったあとで、同じテイストの、ものすげー薄いものを見せられても、ノれないっす。

 ああ、薄い……薄いよコレ……。
 やってることは同じなのに、すごい薄い……。
 作者が「叫びたい」と思っているのはわかるけど、「叫びたいと思っている」っていうのはすでに「叫び」ぢゃないから。
 「叫び」っつーのは、本人が意図しなくても叫んでしまうから「叫び」なんだよ……。

 小池氏が「叫びたい」「叫ぶ作家になりたい」ことは、よーっくわかった。
 「カンチガイしてんぢゃねーよ、てめーの説教なんか誰も聞きたくないんだよ」と叩かれるよーなアクの強いモノを作りたいのは、よーっく伝わった。
 一般的でわかりやすくて、誰が観てもふつーにたのしめるよーな佳作よりは、大半の人にはよろこばれた上で、「問題作」と言って一部の人に嫌われ攻撃されるが、一部の人には熱狂的に支持されるようなものを作りたいのはわかった。

 わかったけどさ……。

 小池氏の持ち味は、そんなところにないのに。
 一般的なものを否定されているよーで、かなしい。
 みんながふつーにたのしめて、嫌悪感や拒絶反応を見せない作品って、いいじゃない。タカラヅカはそーゆーものが愛される世界なんだからさー。
 全部の作家に叫ばれても、観ている方は疲れるから。
 小池氏は叫んだりせず、ふつーにやってくれよー。
 叫んでみて、それが成功しているならともかく、こーやってスベってるんだからさ。薄い、一般的なものにしかなってないから。
 最初から『DAYTIME HUSTLER』みたいな、他愛ない作品でいいんだよ。オサダくんみたいな他愛ない作品でいいんだよ。
 他愛ないほっこりする作品を創るのだって、才能なんだからさ。

 てゆーか小池氏の本懐はやはり、「演出」であって、「物語を作る」ことではないからさー。
 原作が他にあった方がいいよなあ。
 ドラマティックな「大作」をやりたいなら、原作付きがいいよ。
 「演出家」としてはほんと、非凡な人なんだからさ。

 でも。

 「作家」になりたい、よりによって「叫ぶ作家」になりたい、と思って失敗している小池氏は、ある意味とても、愛しかったりする。
 そーゆーの、好きだ(笑)。


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