結局わたしは、東宝では『NEVER SAY GOODBYE』を前楽の1回きりしか観なかった。
わたしの甲斐性ではチケットが手に入らなかった、という理由がいちばん大きい。
チケットあればそりゃ何度も観ているさ。たかはなの最後の公演なんだから。
仲間たちはみんな、声をそろえて「東宝の方がよくなっている」と言うし。観たいよそりゃ。
でも、前楽を観て思ったんだ。
わたしがこの公演のチケットが手に入らなかったのも、仕方ないのかもしれないなと。
千秋楽、せめて中継でも観たかったのだけど、結局なにも観られずパレードの場所取りをすることになった……のは、当然の摂理かもしれない。
だって、思ったんだもの。
「よくなった」と評判の東宝で、実際前楽というある意味記録に残る楽よりも熱のこもる特別な回で、それでもなお。
やっぱりこの芝居、好きになれない。
そう思って、引いている自分がいた。
ジョルジュという男に、好意がもてないんだ。いや、ジョルジュ単体はいい。ジョルジュをこんなふーにしてしまった演出家に対しての不信感や嫌悪感が邪魔をして、作品への絶望感が先に立ってしまうんだ。
最初、ジョルジュはかっこよく出てくる。
デラシネの彼は、写真を撮ることで人生を探している。
が。
彼がカメラと写真への情熱を語るたびに、「でもソレ、捨てるんだよね? その程度のものなんだよね?」という思いがよぎる。
歴史が動き、ドラマティックな群衆芝居が展開され、ジョルジュがそこに絡んで物語は最高峰に盛り上がる。
が。
「でもソレも、結局は自分で否定するんだよね? みんなみんな無意味なんだよね?」という思いが、水を差す。
理想の女を歌うジョルジュも、キャサリンとの最初の愛のデュエットも。「なんだかんだいって、自分の思い通りになる、都合のいい女しか好きじゃないんでしょ?」と、身勝手さとあさはかさに気分が萎える。
前半の彼が、真摯にカメラマンとして誇りを持って生きていればいるほど、ソレを捨ててしまうラストを知ったうえで観ると、だまされたような気持ちになる。
前半の彼が、女にとって魅力的な高嶺の花だと描かれれば描かれるほど、男女以前のつまらない自己中男だとわかる後半を知ったうえで観ると、だまされたような気持ちになる。
なんでこんな男なの、ジョルジュ?
せっかく前半で「いかにもかっこいいヒーロー」として「なにもかも持ち合わせた男」として描いておきながら、後半で全部台無しにするの?
いや、台無しにするのは別にいいの。わたしは間違った人間大好物だし。愚かだったり醜かったりする人間は、人間らしくて好き。
問題は、「あさはかでくだらない男」だと後半これでもかとバレるのに、それを「いかにもかっこいいヒーロー」として描き続けることが、気持ち悪すぎるの。
植爺作品と同じ。どー考えたってまちがっているのに、その世界ではそれが「正義」として描かれている。歪んだ地平。
ジョルジュは口ばかりの、つまらない男だった。偉人でも英雄でもなかった。理想なんかまったくなく、ただ自分が「みんなと一緒だよ、ここにいればいいんだよ」と言ってもらえれば満足な、幼児程度のメンタリティしか持っていない男だった。
女の趣味も、「ボクが見るものだけをボクとまったく同じに見、ボクのそばでボクのことだけを考えてくれる、ボクのためだけに生きる美女」を求めていただけの、「ふざけんな、それならひとりで人形遊びでもしてろ」的な笑止な男だった。
前半でヒーローだったジョルジュの、そんな人間としての弱さや愚かさを露出させ、それでもなお人生と向き合っていく姿を追う物語なら、わたしは大喜びで通っていただろう。
でも、チガウんだ。
後半、人間性のアラが出まくり、ヒーローどころか、かなり底辺の人格をしているぞこいつ? と思わせておきながらも、いまだに作品的にはジョルジュを「ヒーロー」「正義」として描いているつもりなんだ。
それが、わたしの逆ツボ直撃。
世界観が歪んでいるもの、都合良く倫理観を歪めているものがダメ。気持ち悪い。
植爺作品はまず100%こーゆー歪みに満ちているんだけど……小池もこう来たか。
たかちゃんが最後だから、そのことだけで泣けはするけれど、作品としてはひどいよ。演出のうまさで1シーン1シーンはすごくいいし、キャストの熱の入り方もすごくて、断片的には感動もできるんだけど。
とにかくあちこちで冷水をぶっかけられて。
ストーリーとして泣けるところは、2幕のキャサリン@花ちゃんの独唱のみだもんなあ。
「ジョルジュがどーしよーもない、ただのつまらない男だとわかったうえで、こんな男をそれでも愛してしまったキャサリンのあきらめというか悟りというかをたのしむ話だと思えば、感動できますよ」
と、kineさんは大人の意見。「『ネバー』の正しい見方に開眼した」そうで。や、kineさんはもっとちゃんとした、大人な表現でこのことを自ブログで書いてらっしゃいますが、わたしが間に入って書くと、こんな書き方になる(すまん)。
が。
チガウから! 作者も役者も、そんなこと思ってやってないから!(笑)
でもほんとに、
「ああ、マジでバカだこの男。しかも、自分をバカだとも思わず、いい男なつもりで、利口なつもりで、あたしをなだめようとか思っている。なんであたしは、よりによってこんなバカに惚れてるんだろう。でも仕方ない、バカをバカだとわかってて、それでも好きなんだもの」
……そう、涙ながらに葛藤して去っていくキャサリンなら理解できる、と、そこまで観ている者を追いつめる作品を書くのは、植爺の専売特許かと思っていたが、そうでもないんだな。とほほ。
たかはなのラストステージでなければ、ここまで追いつめられなかったよ。
ただの数ある失敗作だとか駄作だとかと同じよーに、とりあえず1回観て「あ、今回の作品はハズレだったな。んじゃもう観なくていいや」とふつーにスルーしていたさ。『傭兵ピエール』とか1回しか観てないもん。
最後だから、スルーするわけにいかなくて、繰り返し観るしかないから、追いつめられちゃうんだ。別の見方を開眼するなりしなきゃ、歪んだ地平の世界観に身を置くのはつらすぎる。
物語だと思わずに、極力たかちゃんの姿だけ、男役としての美しさだけを堪能した。
サヨナラショーだけ見に来たよーなもんかもしれない。
エリックに会いに来たんだよな。
あああ、エリック、大好きだ。彼はまちがっていたけれど、それでもダイスキだ。物語も、「彼は間違っている。でも、そうとしか生きられなかった」ことの悲劇を描いている。『ネバー』と世界観が根本からちがっているもの。
最後の作品が、役が、すばらしいものに当たる確率なんて、ほんとうに低い。
作品的にどうこうもそうだけど、ファンの目線での判断もある。……まあ、世間がどう評価しようと、ファンが感涙で通えるものならそれがいちばん正解なんだとは思うが。
たかちゃんファンが、この作品とこのキャラクタをよろこんでいたのなら、それがいちばんだ。
ただ、わたしがどーにもこうにもダメだっただけで。
小池氏には、演出のみをやってほしいなあ……もう脚本は書かなくていいよ……。
てゆーか。たのむ。今すぐ、『ファントム』の演出やってくれ。
わたしの甲斐性ではチケットが手に入らなかった、という理由がいちばん大きい。
チケットあればそりゃ何度も観ているさ。たかはなの最後の公演なんだから。
仲間たちはみんな、声をそろえて「東宝の方がよくなっている」と言うし。観たいよそりゃ。
でも、前楽を観て思ったんだ。
わたしがこの公演のチケットが手に入らなかったのも、仕方ないのかもしれないなと。
千秋楽、せめて中継でも観たかったのだけど、結局なにも観られずパレードの場所取りをすることになった……のは、当然の摂理かもしれない。
だって、思ったんだもの。
「よくなった」と評判の東宝で、実際前楽というある意味記録に残る楽よりも熱のこもる特別な回で、それでもなお。
やっぱりこの芝居、好きになれない。
そう思って、引いている自分がいた。
ジョルジュという男に、好意がもてないんだ。いや、ジョルジュ単体はいい。ジョルジュをこんなふーにしてしまった演出家に対しての不信感や嫌悪感が邪魔をして、作品への絶望感が先に立ってしまうんだ。
最初、ジョルジュはかっこよく出てくる。
デラシネの彼は、写真を撮ることで人生を探している。
が。
彼がカメラと写真への情熱を語るたびに、「でもソレ、捨てるんだよね? その程度のものなんだよね?」という思いがよぎる。
歴史が動き、ドラマティックな群衆芝居が展開され、ジョルジュがそこに絡んで物語は最高峰に盛り上がる。
が。
「でもソレも、結局は自分で否定するんだよね? みんなみんな無意味なんだよね?」という思いが、水を差す。
理想の女を歌うジョルジュも、キャサリンとの最初の愛のデュエットも。「なんだかんだいって、自分の思い通りになる、都合のいい女しか好きじゃないんでしょ?」と、身勝手さとあさはかさに気分が萎える。
前半の彼が、真摯にカメラマンとして誇りを持って生きていればいるほど、ソレを捨ててしまうラストを知ったうえで観ると、だまされたような気持ちになる。
前半の彼が、女にとって魅力的な高嶺の花だと描かれれば描かれるほど、男女以前のつまらない自己中男だとわかる後半を知ったうえで観ると、だまされたような気持ちになる。
なんでこんな男なの、ジョルジュ?
せっかく前半で「いかにもかっこいいヒーロー」として「なにもかも持ち合わせた男」として描いておきながら、後半で全部台無しにするの?
いや、台無しにするのは別にいいの。わたしは間違った人間大好物だし。愚かだったり醜かったりする人間は、人間らしくて好き。
問題は、「あさはかでくだらない男」だと後半これでもかとバレるのに、それを「いかにもかっこいいヒーロー」として描き続けることが、気持ち悪すぎるの。
植爺作品と同じ。どー考えたってまちがっているのに、その世界ではそれが「正義」として描かれている。歪んだ地平。
ジョルジュは口ばかりの、つまらない男だった。偉人でも英雄でもなかった。理想なんかまったくなく、ただ自分が「みんなと一緒だよ、ここにいればいいんだよ」と言ってもらえれば満足な、幼児程度のメンタリティしか持っていない男だった。
女の趣味も、「ボクが見るものだけをボクとまったく同じに見、ボクのそばでボクのことだけを考えてくれる、ボクのためだけに生きる美女」を求めていただけの、「ふざけんな、それならひとりで人形遊びでもしてろ」的な笑止な男だった。
前半でヒーローだったジョルジュの、そんな人間としての弱さや愚かさを露出させ、それでもなお人生と向き合っていく姿を追う物語なら、わたしは大喜びで通っていただろう。
でも、チガウんだ。
後半、人間性のアラが出まくり、ヒーローどころか、かなり底辺の人格をしているぞこいつ? と思わせておきながらも、いまだに作品的にはジョルジュを「ヒーロー」「正義」として描いているつもりなんだ。
それが、わたしの逆ツボ直撃。
世界観が歪んでいるもの、都合良く倫理観を歪めているものがダメ。気持ち悪い。
植爺作品はまず100%こーゆー歪みに満ちているんだけど……小池もこう来たか。
たかちゃんが最後だから、そのことだけで泣けはするけれど、作品としてはひどいよ。演出のうまさで1シーン1シーンはすごくいいし、キャストの熱の入り方もすごくて、断片的には感動もできるんだけど。
とにかくあちこちで冷水をぶっかけられて。
ストーリーとして泣けるところは、2幕のキャサリン@花ちゃんの独唱のみだもんなあ。
「ジョルジュがどーしよーもない、ただのつまらない男だとわかったうえで、こんな男をそれでも愛してしまったキャサリンのあきらめというか悟りというかをたのしむ話だと思えば、感動できますよ」
と、kineさんは大人の意見。「『ネバー』の正しい見方に開眼した」そうで。や、kineさんはもっとちゃんとした、大人な表現でこのことを自ブログで書いてらっしゃいますが、わたしが間に入って書くと、こんな書き方になる(すまん)。
が。
チガウから! 作者も役者も、そんなこと思ってやってないから!(笑)
でもほんとに、
「ああ、マジでバカだこの男。しかも、自分をバカだとも思わず、いい男なつもりで、利口なつもりで、あたしをなだめようとか思っている。なんであたしは、よりによってこんなバカに惚れてるんだろう。でも仕方ない、バカをバカだとわかってて、それでも好きなんだもの」
……そう、涙ながらに葛藤して去っていくキャサリンなら理解できる、と、そこまで観ている者を追いつめる作品を書くのは、植爺の専売特許かと思っていたが、そうでもないんだな。とほほ。
たかはなのラストステージでなければ、ここまで追いつめられなかったよ。
ただの数ある失敗作だとか駄作だとかと同じよーに、とりあえず1回観て「あ、今回の作品はハズレだったな。んじゃもう観なくていいや」とふつーにスルーしていたさ。『傭兵ピエール』とか1回しか観てないもん。
最後だから、スルーするわけにいかなくて、繰り返し観るしかないから、追いつめられちゃうんだ。別の見方を開眼するなりしなきゃ、歪んだ地平の世界観に身を置くのはつらすぎる。
物語だと思わずに、極力たかちゃんの姿だけ、男役としての美しさだけを堪能した。
サヨナラショーだけ見に来たよーなもんかもしれない。
エリックに会いに来たんだよな。
あああ、エリック、大好きだ。彼はまちがっていたけれど、それでもダイスキだ。物語も、「彼は間違っている。でも、そうとしか生きられなかった」ことの悲劇を描いている。『ネバー』と世界観が根本からちがっているもの。
最後の作品が、役が、すばらしいものに当たる確率なんて、ほんとうに低い。
作品的にどうこうもそうだけど、ファンの目線での判断もある。……まあ、世間がどう評価しようと、ファンが感涙で通えるものならそれがいちばん正解なんだとは思うが。
たかちゃんファンが、この作品とこのキャラクタをよろこんでいたのなら、それがいちばんだ。
ただ、わたしがどーにもこうにもダメだっただけで。
小池氏には、演出のみをやってほしいなあ……もう脚本は書かなくていいよ……。
てゆーか。たのむ。今すぐ、『ファントム』の演出やってくれ。
アレは、春野寿美礼。@ファントム
2006年6月30日 タカラヅカ「エリックでもファントムでもない、アレは、『春野寿美礼』というイキモノ」
という台詞を、わたしは幾度となく繰り返すことになる。
もちろん、花組公演『ファントム』を観たときにも言うけれど。
いちばん混乱し、この概念にすがりついたのは。
和央ようかサヨナラショーを観たときだ。
はい。
こまりました。
ものすっげー、こまっちゃったんだよ。
何故なんだ歌劇団。何故今、このタイミングで『ファントム』を再演したんだ。
わたしは、東宝宙組前楽を観に行った。楽も楽中継もチケットは手に入らず、唯一当たった友会チケット1枚を握りしめ、前楽を観に行ったわけだよ。
ムラでも前楽も楽もバウ中継すら観られなかった。東宝前楽を観られるとわかっていたので、CSなどのサヨナラショー映像は見ていなかった。だから相変わらず、予備知識なしで劇場にいた。
そーいや『ファントム』やるのやったの、小耳に挟んだよーな気はしていた。でも、予備知識を好まないわたしはなにも考えていなかった。記憶にとどめていなかった。
だから。
はじめて観る、たかちゃんサヨナラショーで『ファントム』がはじまっちゃったときには、うろたえましたよ。
なつかしいあのロゴがスクリーンに映し出される。そして、心がかきたてられる前奏。
『ファントム』だ! エリックだ!!
エリック@たかこが現れた瞬間。
どれほど、ときめいたか。
エリックだ。
エリックだよ。
会いたかった。
会いたかったよお。大好きだよお。
どどどどーしよお。わたし、なんかコレに似た、でもなんつーかすべてにおいて微妙なものをつい先日良席観劇してきたんですがっ?!
あんなにあんなに前で、間近で、オサエリック見てたんですが。
でも、なんつーかその、首を傾げているうちに終わってしまったというか。
宙組の『ファントム』があったりまえに展開され、わたしは自分がものすげー昂揚していることを知る。
ああ、見たかったのはコレだ。
コレが『ファントム』だ。
たかこエリックがざんばら髪でばしばし踊り、端正な従者たちがその周囲で踊る。可憐なクリスティーヌと木訥なエリックが、映りよくふたりで歌う。寄り添う。
うわわわん、これが『ファントム』だよ。わたしの知ってる『ファントム』だよ。
こまった。
ものすごく、こまった。
何故今なんだ。
今この瞬間、ムラではオサ様が同じことをやってるんだってば。
なんでこんなことになってるんだ。
わたしが見たかったエリックはこのエリックである。……その思いがさらに、混乱になる。
じゃあ花組のアレはなによ? オサ様がやっているアレはなによ?
……アレは、「春野寿美礼」。いいも悪いもなく、まったくの別物。
もちろん、花組『ファントム』が、オサエリックが、宙組とたかこのコピーである必要はない。まったく別物であっていいんだ。ふたつの組とキャストたちは、それぞれの個性で作品に挑んでいるのだから。
あとは、好みの問題だろう。芝居に正解もまちがいもない。どちらかが正しくて、どちらかがまちがっているなんてありえないんだってば。
ただ。
わたしが求める『ファントム』とエリックが宙組バージョンであり、今なお、こんなに愛しいのだという現実に、うろたえた。
や、だって。
わたし、自他共に認める春野寿美礼ファンですから!!
かのひとの美点も欠点も、ファンタジーまんまに崇め奉り、とほほでムカつくところも、なにもかもがまるっと愛しくてならない。そーゆー人なのよオサ様は、わたしにとって。
いちばんのご贔屓ではないことになっているけど、「わたしの人生から春野寿美礼が消えてしまったら、どうすればいいんだろう」ってくらいには、特別惚れ込んでるのよ。
なのになのに。
オサ様エリックのことだって、祭り上げたいし萌え狂いたいし、大絶賛したいのよあたしはっ!!
オサ様の演じる役すべてが好きなんだから。演技しているのかどうか怪しい、あの天然ぶりを愛しているんだから。
エリックのことだって、絶賛カマして妄想して大いに盛り上がりたいのよーっ。
なのに。
わたしには、オサ様のエリックが心に響かない。
日替わり公演替わりの人だから、あとになればまた別ものになるだろうと思っているけど、初日とその周辺では届いて来ない。
だってアレは「春野寿美礼」。
無邪気さも幼さも、あわれさもあいらしさも、みんなみんな、春野寿美礼まんまじゃん。
エリックじゃないし、オペラ座の怪人でもない。
わたしは春野寿美礼が好きだから、そのまんまの春野寿美礼っぷりも愛しいけど、エリックだと思って眺めると違和感がつきまとう。
年齢の低さも気になる。
いくらなんでも、子どもすぎるよなあ。
わたしショタの気がないもんで、子役まで行かれると引くんだよなあ。
こまった。
すごく、こまった。
花組の『ファントム』も、すごく好き。それはたしか。再演が決まったときは落ち込んだけど、実際に観てみれば、これに通うのはぜんぜん苦じゃない。むしろたのしい。
でも、こまっている。
エリックが、エリックに見えなくて。
アレは、春野寿美礼というイキモノ。まったくの別カテゴリ。
ただわたしは、「春野寿美礼」を観に劇場へ行っている、気がする。
……春野寿美礼が、好きです。ぽっ。
という台詞を、わたしは幾度となく繰り返すことになる。
もちろん、花組公演『ファントム』を観たときにも言うけれど。
いちばん混乱し、この概念にすがりついたのは。
和央ようかサヨナラショーを観たときだ。
はい。
こまりました。
ものすっげー、こまっちゃったんだよ。
何故なんだ歌劇団。何故今、このタイミングで『ファントム』を再演したんだ。
わたしは、東宝宙組前楽を観に行った。楽も楽中継もチケットは手に入らず、唯一当たった友会チケット1枚を握りしめ、前楽を観に行ったわけだよ。
ムラでも前楽も楽もバウ中継すら観られなかった。東宝前楽を観られるとわかっていたので、CSなどのサヨナラショー映像は見ていなかった。だから相変わらず、予備知識なしで劇場にいた。
そーいや『ファントム』やるのやったの、小耳に挟んだよーな気はしていた。でも、予備知識を好まないわたしはなにも考えていなかった。記憶にとどめていなかった。
だから。
はじめて観る、たかちゃんサヨナラショーで『ファントム』がはじまっちゃったときには、うろたえましたよ。
なつかしいあのロゴがスクリーンに映し出される。そして、心がかきたてられる前奏。
『ファントム』だ! エリックだ!!
エリック@たかこが現れた瞬間。
どれほど、ときめいたか。
エリックだ。
エリックだよ。
会いたかった。
会いたかったよお。大好きだよお。
どどどどーしよお。わたし、なんかコレに似た、でもなんつーかすべてにおいて微妙なものをつい先日良席観劇してきたんですがっ?!
あんなにあんなに前で、間近で、オサエリック見てたんですが。
でも、なんつーかその、首を傾げているうちに終わってしまったというか。
宙組の『ファントム』があったりまえに展開され、わたしは自分がものすげー昂揚していることを知る。
ああ、見たかったのはコレだ。
コレが『ファントム』だ。
たかこエリックがざんばら髪でばしばし踊り、端正な従者たちがその周囲で踊る。可憐なクリスティーヌと木訥なエリックが、映りよくふたりで歌う。寄り添う。
うわわわん、これが『ファントム』だよ。わたしの知ってる『ファントム』だよ。
こまった。
ものすごく、こまった。
何故今なんだ。
今この瞬間、ムラではオサ様が同じことをやってるんだってば。
なんでこんなことになってるんだ。
わたしが見たかったエリックはこのエリックである。……その思いがさらに、混乱になる。
じゃあ花組のアレはなによ? オサ様がやっているアレはなによ?
……アレは、「春野寿美礼」。いいも悪いもなく、まったくの別物。
もちろん、花組『ファントム』が、オサエリックが、宙組とたかこのコピーである必要はない。まったく別物であっていいんだ。ふたつの組とキャストたちは、それぞれの個性で作品に挑んでいるのだから。
あとは、好みの問題だろう。芝居に正解もまちがいもない。どちらかが正しくて、どちらかがまちがっているなんてありえないんだってば。
ただ。
わたしが求める『ファントム』とエリックが宙組バージョンであり、今なお、こんなに愛しいのだという現実に、うろたえた。
や、だって。
わたし、自他共に認める春野寿美礼ファンですから!!
かのひとの美点も欠点も、ファンタジーまんまに崇め奉り、とほほでムカつくところも、なにもかもがまるっと愛しくてならない。そーゆー人なのよオサ様は、わたしにとって。
いちばんのご贔屓ではないことになっているけど、「わたしの人生から春野寿美礼が消えてしまったら、どうすればいいんだろう」ってくらいには、特別惚れ込んでるのよ。
なのになのに。
オサ様エリックのことだって、祭り上げたいし萌え狂いたいし、大絶賛したいのよあたしはっ!!
オサ様の演じる役すべてが好きなんだから。演技しているのかどうか怪しい、あの天然ぶりを愛しているんだから。
エリックのことだって、絶賛カマして妄想して大いに盛り上がりたいのよーっ。
なのに。
わたしには、オサ様のエリックが心に響かない。
日替わり公演替わりの人だから、あとになればまた別ものになるだろうと思っているけど、初日とその周辺では届いて来ない。
だってアレは「春野寿美礼」。
無邪気さも幼さも、あわれさもあいらしさも、みんなみんな、春野寿美礼まんまじゃん。
エリックじゃないし、オペラ座の怪人でもない。
わたしは春野寿美礼が好きだから、そのまんまの春野寿美礼っぷりも愛しいけど、エリックだと思って眺めると違和感がつきまとう。
年齢の低さも気になる。
いくらなんでも、子どもすぎるよなあ。
わたしショタの気がないもんで、子役まで行かれると引くんだよなあ。
こまった。
すごく、こまった。
花組の『ファントム』も、すごく好き。それはたしか。再演が決まったときは落ち込んだけど、実際に観てみれば、これに通うのはぜんぜん苦じゃない。むしろたのしい。
でも、こまっている。
エリックが、エリックに見えなくて。
アレは、春野寿美礼というイキモノ。まったくの別カテゴリ。
ただわたしは、「春野寿美礼」を観に劇場へ行っている、気がする。
……春野寿美礼が、好きです。ぽっ。
あるべき場所に。@安蘭けい次期星組トップスター内定発表
2006年6月29日 タカラヅカ トウコちゃんトップ、おめでとうございます。
ただ素直にうれしいです。
……明日こそは、溜まっている日記を更新するぞぉーっ。
ただ素直にうれしいです。
……明日こそは、溜まっている日記を更新するぞぉーっ。
SS席なんて一般人には手に入らないものなのさ。
2006年6月28日 タカラヅカ わたしが「TAKARAZUKA DIARY 2006」(まっつ写真を表紙にしているため、「まっつ手帳」とも呼ばれている)巻末の東宝劇場座席表ページを眺めているとき。
横にいた弟がそれをのぞき込んで言った。
「SS席ってのは、大抵前の席だよな」
そりゃそうでしょ? 舞台が近くてよく見える席がふつーSSだよな。
でもさあ、東宝は2階席もSSがあるし、ムラは広大なサブセンターまでもが全部SSなんだよ? なーんか割り切れないよなあ。
「いや、そんなのぜんぜんマシだって。某所の某劇場は、通路際がSSなんだぞ……前後ろ真ん中端一切関係なく」
はあ? なんじゃそりゃ。
「客席降りしたキャストに触れるから、通路際の縦1列がそれぞれSS席。たとえいちばん後ろの席でも、SS。あと、S席とA席の間の通路のところも、横1列だけSS」
SS料金つーのは、お触り代かよ?!!
「なにも知らない人が、料金表だけ見て『SSなら見やすいはずだ』ってチケット取ったら、ショックだろうな……B席のいちばん隅だって、通路際ってことで1列だけSSだからな」
そ、それは……ひどい話だな。
舞台よりもキャストに触れることだけを主眼としたカンパニーなのか……いや、そういう意図で上演される興行があってもいいだろうし、いっそ潔いだろうけど。
その某劇場の話を聞きながら。
弟よ。
実は姉は、「劇場座席表」を見ていたわけではないのだよ。
座席表ページに栞代わりにはさんである、まっつ写真をぼーっと眺めていただけなんだよ……。まっつかっこいーんだもんよ……。
ほんとーのことは、決して言えないのだった。はい。
横にいた弟がそれをのぞき込んで言った。
「SS席ってのは、大抵前の席だよな」
そりゃそうでしょ? 舞台が近くてよく見える席がふつーSSだよな。
でもさあ、東宝は2階席もSSがあるし、ムラは広大なサブセンターまでもが全部SSなんだよ? なーんか割り切れないよなあ。
「いや、そんなのぜんぜんマシだって。某所の某劇場は、通路際がSSなんだぞ……前後ろ真ん中端一切関係なく」
はあ? なんじゃそりゃ。
「客席降りしたキャストに触れるから、通路際の縦1列がそれぞれSS席。たとえいちばん後ろの席でも、SS。あと、S席とA席の間の通路のところも、横1列だけSS」
SS料金つーのは、お触り代かよ?!!
「なにも知らない人が、料金表だけ見て『SSなら見やすいはずだ』ってチケット取ったら、ショックだろうな……B席のいちばん隅だって、通路際ってことで1列だけSSだからな」
そ、それは……ひどい話だな。
舞台よりもキャストに触れることだけを主眼としたカンパニーなのか……いや、そういう意図で上演される興行があってもいいだろうし、いっそ潔いだろうけど。
その某劇場の話を聞きながら。
弟よ。
実は姉は、「劇場座席表」を見ていたわけではないのだよ。
座席表ページに栞代わりにはさんである、まっつ写真をぼーっと眺めていただけなんだよ……。まっつかっこいーんだもんよ……。
ほんとーのことは、決して言えないのだった。はい。
何故、彼がオスカルを?@TAKARAZUKA REVUE 2005
2006年6月27日 タカラヅカ 今年の『TAKARAZUKA REVUE 2006』を見て、引っ張り出したのは、『TAKARAZUKA REVUE 2005』だ。
いやその。
まっつとそのかの宝塚デートが見たくなってな。
『2005』では、まっつもそのかもインタビューページをもらえていない。花組はみわっちまでだ。
代わりに、「若手」として企画ページに載っている。
「駅から宝塚大劇場への道をご案内します」というコンセプトで、地図に即した場所でポーズを取るふたりの小さい写真が、えんえん載っている(笑)。
これがもー、かわいいんだ(笑)。
まっつはふつーに女の子なんだが、そのかが、不思議な生き物と化していて。
なんであんなに微妙なジャケットを着ているんだ? ライン失敗してるだろ、どう見ても。
そのかのごつさと、まっつの華奢さが実にいいコントラストになっていて萌えます。
まつそののどこがいいかって、リアル男女カップルに見えるとこだよな(笑)。
胸があってさえ、リアル男子に見えるそのか万歳!! いや、胸はべつに見たくないので(笑)隠していてもらえると、より助かるんだが。
あ、まっつは胸あってもヨシです、女の子だから! そのかは男だから、胸はないのがふつーっしょ! ねえみんな?!
まっつがねえ、あちこちちょこんって感じで写ってるのがたまらんのですよ。
あああ、かわいいー。
ところで。
「花のみち」のオスカル&アンドレ像の真似っこをしているまつそのだけど。
オスカル@そのかと、アンドレ@まっつなのよね。
なんでそのかがオスカルなのか、どっちが言い出してそんなことになったのか、誰か教えて下さい!!
『2006』ではもう、まっつとそのかは別の組に載っています。ちゃんと1ページずつもらって。
扱いが上がっているのはうれしいけれど、やっぱりさみしいっすよ……。
他のみんなも全員組替え後の配置で、新鮮というより混乱。
そして来年の表紙は半数が一気に変わっているのだという事実にも、混乱。
いやその。
まっつとそのかの宝塚デートが見たくなってな。
『2005』では、まっつもそのかもインタビューページをもらえていない。花組はみわっちまでだ。
代わりに、「若手」として企画ページに載っている。
「駅から宝塚大劇場への道をご案内します」というコンセプトで、地図に即した場所でポーズを取るふたりの小さい写真が、えんえん載っている(笑)。
これがもー、かわいいんだ(笑)。
まっつはふつーに女の子なんだが、そのかが、不思議な生き物と化していて。
なんであんなに微妙なジャケットを着ているんだ? ライン失敗してるだろ、どう見ても。
そのかのごつさと、まっつの華奢さが実にいいコントラストになっていて萌えます。
まつそののどこがいいかって、リアル男女カップルに見えるとこだよな(笑)。
胸があってさえ、リアル男子に見えるそのか万歳!! いや、胸はべつに見たくないので(笑)隠していてもらえると、より助かるんだが。
あ、まっつは胸あってもヨシです、女の子だから! そのかは男だから、胸はないのがふつーっしょ! ねえみんな?!
まっつがねえ、あちこちちょこんって感じで写ってるのがたまらんのですよ。
あああ、かわいいー。
ところで。
「花のみち」のオスカル&アンドレ像の真似っこをしているまつそのだけど。
オスカル@そのかと、アンドレ@まっつなのよね。
なんでそのかがオスカルなのか、どっちが言い出してそんなことになったのか、誰か教えて下さい!!
『2006』ではもう、まっつとそのかは別の組に載っています。ちゃんと1ページずつもらって。
扱いが上がっているのはうれしいけれど、やっぱりさみしいっすよ……。
他のみんなも全員組替え後の配置で、新鮮というより混乱。
そして来年の表紙は半数が一気に変わっているのだという事実にも、混乱。
アタシのガラベエトオ。@楠恵華退団発表。
2006年6月26日 タカラヅカ 6月26日。
まっつの誕生日は、星組と月組の退団者の発表で、ぶっとんでしまった、わたし的に。
星組の方は、覚悟していた感があった。
ムラの集合日だからな。
『巖流』のときからずーっと、なにかっちゃーみらんくんの演技について、ツボったとここで語り続けていただけに、彼の退団を惜しむ。心から惜しむ。
が。
それ以上にショックだったのは、のぞみちゃんの退団発表だ。
月組は、油断していた。
ムラではなく、東宝集合日だったから。ゆらさんとたまこちゃんのことは、ムラでちゃんと見送った。自分の中で、そう整理をつけていた。
だから。
のぞみちゃんの退団は、寝耳に水だ。
はあ? なにソレ。
のぞみちゃんクラスの人が、ムラで階段降りないなんて、そんな馬鹿な。
まだまだぜんぜん、語り足りていない『暁のローマ』。
足りてない。足りてないんだよ。
まだまだ、語りたいことがやまほどある。
1列目の隅に坐ったとき、ブルータスたちを追うローマ市民が、どれほどこわかったかとか。
「悪いのはいつも、自分以外の誰か」……その確固たる意識のもと、正義の市民たちは弱き者たちを狩る。ジプシーを迫害した善良なるキリスト教徒たちのように@炎にくちづけを。
逃げまどう暗殺者たちが、わたしの真横だった。
銀橋を駆け抜けて、下手花道にたどり着いた男たちは、ものすっげー慟哭芝居をしていた。
や、実際、こわいだろアレ。
関係ない、客席にいるわたしですら、マジ泣き寸前だった。あまりにこわくて。
その暗殺者たちのなかでも、もっとも濃い演技をしていたのが、のぞみちゃんだ。
この人、どこまで行くんだろう。
震撼した。
わたしの真横にいる彼が、熱を発しているのがわかるの。
や、マジ。
温度がチガウの。温度計あったらわかるよきっと。
彼を振り返らなくても、そこで空気が動いていることがわかるの。
役者、楠恵華は、どこまで行くのだろう。どの高みまで、どの地平まで。
演技に答えなんかないし、舞台に正解なんてない。
だけど。
この人はやはり、得難い「役者」である。
そう、再確認した一瞬だった。
そして、安心したのに。
これほどの役者がいる、月組に。タカラヅカに。
このアツさに。安定した実力に。
だから。
本日、月組東宝集合日。
……本気で、うろたえた。
どうしようどうしようどうしよう。
星組集合日ばかり気にしていたの。
みらんくん辞めちゃやだーっ、て、そればっか気に病んでいたから。
ノーマークだったのぞみちゃんの退団を知り、動物園のシロクマみたいにうろたえた。あっちうろうろこっちうろうろ。
どうしよう。
そんなの聞いてないよ。
スケジュール帳出して、「東宝月組、観れるとしたらいつだ?」とか、本気で悩んでみたり。
うおーっ、なんでコミケの日は6時半公演ないんだよ、コミケとヅカとコンボ決めたいのにーっ。
カルメンちゃんが辞めて、ガラベエトオが辞めるなんて、そんなのナイよ。ひどいよ。
ムラでお見送りも出来なかったなんて、ひどいよおおお。
チーム『血と砂』は特別で。
特別すぎるもので。
『血と砂』を形成する重要なファクタであった楠恵華がいなくなることなんか、考えたくもないんだ。
本気で愛していたんだよ、ガラベエトオ。
だからだから、行っちゃ嫌だ。
幸福で、幸福すぎて苦しかったあの時間ごと記憶ごと、欠けてしまうのが辛すぎる。
うろたえて。
現実を受け止めかねて。
そして気がついたら、12時過ぎてたんだ。
あ。
別館のまっつスレ、眺めに行きそびれた……。(お誕生日は、スレッドの色が変わるから、ソレを眺める予定だった)
まっつの誕生日は、星組と月組の退団者の発表で、ぶっとんでしまった、わたし的に。
星組の方は、覚悟していた感があった。
ムラの集合日だからな。
『巖流』のときからずーっと、なにかっちゃーみらんくんの演技について、ツボったとここで語り続けていただけに、彼の退団を惜しむ。心から惜しむ。
が。
それ以上にショックだったのは、のぞみちゃんの退団発表だ。
月組は、油断していた。
ムラではなく、東宝集合日だったから。ゆらさんとたまこちゃんのことは、ムラでちゃんと見送った。自分の中で、そう整理をつけていた。
だから。
のぞみちゃんの退団は、寝耳に水だ。
はあ? なにソレ。
のぞみちゃんクラスの人が、ムラで階段降りないなんて、そんな馬鹿な。
まだまだぜんぜん、語り足りていない『暁のローマ』。
足りてない。足りてないんだよ。
まだまだ、語りたいことがやまほどある。
1列目の隅に坐ったとき、ブルータスたちを追うローマ市民が、どれほどこわかったかとか。
「悪いのはいつも、自分以外の誰か」……その確固たる意識のもと、正義の市民たちは弱き者たちを狩る。ジプシーを迫害した善良なるキリスト教徒たちのように@炎にくちづけを。
逃げまどう暗殺者たちが、わたしの真横だった。
銀橋を駆け抜けて、下手花道にたどり着いた男たちは、ものすっげー慟哭芝居をしていた。
や、実際、こわいだろアレ。
関係ない、客席にいるわたしですら、マジ泣き寸前だった。あまりにこわくて。
その暗殺者たちのなかでも、もっとも濃い演技をしていたのが、のぞみちゃんだ。
この人、どこまで行くんだろう。
震撼した。
わたしの真横にいる彼が、熱を発しているのがわかるの。
や、マジ。
温度がチガウの。温度計あったらわかるよきっと。
彼を振り返らなくても、そこで空気が動いていることがわかるの。
役者、楠恵華は、どこまで行くのだろう。どの高みまで、どの地平まで。
演技に答えなんかないし、舞台に正解なんてない。
だけど。
この人はやはり、得難い「役者」である。
そう、再確認した一瞬だった。
そして、安心したのに。
これほどの役者がいる、月組に。タカラヅカに。
このアツさに。安定した実力に。
だから。
本日、月組東宝集合日。
……本気で、うろたえた。
どうしようどうしようどうしよう。
星組集合日ばかり気にしていたの。
みらんくん辞めちゃやだーっ、て、そればっか気に病んでいたから。
ノーマークだったのぞみちゃんの退団を知り、動物園のシロクマみたいにうろたえた。あっちうろうろこっちうろうろ。
どうしよう。
そんなの聞いてないよ。
スケジュール帳出して、「東宝月組、観れるとしたらいつだ?」とか、本気で悩んでみたり。
うおーっ、なんでコミケの日は6時半公演ないんだよ、コミケとヅカとコンボ決めたいのにーっ。
カルメンちゃんが辞めて、ガラベエトオが辞めるなんて、そんなのナイよ。ひどいよ。
ムラでお見送りも出来なかったなんて、ひどいよおおお。
チーム『血と砂』は特別で。
特別すぎるもので。
『血と砂』を形成する重要なファクタであった楠恵華がいなくなることなんか、考えたくもないんだ。
本気で愛していたんだよ、ガラベエトオ。
だからだから、行っちゃ嫌だ。
幸福で、幸福すぎて苦しかったあの時間ごと記憶ごと、欠けてしまうのが辛すぎる。
うろたえて。
現実を受け止めかねて。
そして気がついたら、12時過ぎてたんだ。
あ。
別館のまっつスレ、眺めに行きそびれた……。(お誕生日は、スレッドの色が変わるから、ソレを眺める予定だった)
それで結局。@ファントム
2006年6月25日 タカラヅカ「それで、花組『ファントム』はどうだったの?」
緑野はまっつの話しか書かないし、nanakoさんはとーぜん「ゆみこ素敵!」しか言わないし(笑)。
彩音ちゃんの歌がどうとかオサ様の足が短……ぢゃねえ、衣装が微妙過ぎとかじゃなく、「作品」はどうなのよ?
「緑野さんが、まっつの話しか書かないってことは、つまりはそういうことですよ。オサ様が良ければまずオサ様を書くだろうし、作品が良ければまずソレを書くでしょうから」
kineさんが冷静にツッコミを入れていたよーですよ。
え?
他のなにより、まっつが美しかった、とは思ってくれないんですね(笑)。
まっつがものごっつー麗しくてかっこよくてかわいくて、「オベ様あのまま持って帰りたい」とか、本気で思っていたりするほど、なにを捨ててもまずまっつを語るしかなかったのだ、とは……思ってくれないんだ。
まあな。
作品がよければ、それでもまず作品を語ってるしな(笑)。
花組『ファントム』を観ておどろいたことのひとつは、こんなにモブがたのしい芝居だったのかということ。
宙組版を観ていたときは、ほんっとーに真ん中しか観てなかった。
従者はわりと観ていたと思うけど、まず基本はエリック@たかこをガン見していた。
だからモブがなにをしていたか、記憶にない。
もちろん、部分的に記憶はあるんだけどね。
宙組名物動く背景という印象しかなかったのだわ。
あひくんやともちがおいしくなかったこととか、マイナスのイメージしかなかった。
『ファントム』=「役がない」「出番がない」。だもんで演目が発表になったとき、わたしはマジで落ち込んだ。
そう覚悟していたもんだから。
最初からめちゃくちゃたのしくて、びっくりした。
パリのシーン、花組名物弱肉強食スイッチオン。みんながみんな、とにかくなにかしらやっている。ごちゃごちゃ動き回り、アピールしている。
ど、どこを見ればいいんだ?
どこを見てもたのしーんだけど?
わたしははとにかくまっつを見るのに必死で、他を見ている余裕がないのがくやしい。だって、ほんとにみんなたのしそうなんだもの。
ヘタにまっつばかり見てたら、フィリップ@まとぶの登場に気づかないまま終わりますよ、ほんと!
びびった。真ん中見ろよわたし!! 話が進んでるじゃないの! 彩音ちゃんの歌のものすごさに度肝を抜かれて、ただの「音」として認識していたせいで、台詞も歌も判別不能、気がついたらまとぶがいて、彩音となにか喋っている様子だった初日……わわわ、ストーリーから取り残されてるよ。
宙組版もこんなのだっけ? パリのシーンは素直にストーリーど真ん中、花ちゃん見てトウコ見てかなみちゃん見てたから、わかんない。わたしにとって、街の人たちはほんとにただのモブでしかなかったんだ。
オペラ座のシーンになっても、とにかく団員たちがたのしくて。
ライトろくに当たらない従者たちもが、それでも濃くて濃くて、目について目についてたまらなくて。
きれいだとか揃っているとか、宙組を観たときに受けた印象は、花組にはまったくない。
てゆーか、少しは揃えるとか考えた方がいいんじゃ?って感じだ、花組。みんなバラバラ、好き勝手に暴走している。つか、うるさい?
でもそれがたのしくて、やりすぎな小芝居観るのに必死になって、真ん中を観ている余裕がない。
万事、その調子だったんだよなあ。
落ち着いて真ん中を観られなかったんだ、わたし。
宙を観たときは、真ん中とモブのコントラストがはっきりとしていた。モブの子たちは決して場を壊すほどのアピール合戦はしなかった。
また、真ん中の人たちの吸引力もすごかったしなあ。
アピール上等!の、花組っ子たちのごちゃごちゃしたうるさい芝居に気が散っていたことは事実。
でもわたし、所詮オサファンだから、オサちゃんはいつも特別で、出てきたときはオペラピン取り、他はシャットアウト(除・まっつ)状態だったんだけど。
そうしててなお、「作品」としての吸引力を感じられなかったんだ……。
オサ様の芝居を観てはじめて、「花組『ファントム』はバウホールで上演するべきかも」と思った。
4列目で観てなお、オサの芝居はオペラグラスがないとわかりにくかった。
今までどんなわかりにくい芝居でも(あの『マラケシュ』でさえ!)、天下の春野寿美礼に対して「小劇場向きの人」だなんて思わなかったよ。
春野寿美礼は巨大劇場で、多くの人に愛でられるに相応しい大スターだと思っているからさ。
何故にここまで、小さく内へ内へと閉じているのだろう。
これは、大劇場でやる芝居じゃない。
作品はともかく、主役の演技は大劇場向きじゃない。
そう思った。
思ってしまったから……つらかった。
ストーリーは知っているし、歌だって知っている。
わかっているから、わかっていることをただなぞり、受け取り、終わってしまった。
オサちゃんの歌声がすばらしいのはわかっている。
声も歌声も大好きだ。
オサに『ファントム』の曲を歌ってもらえるのはうれしい。
ただ歌だけを聴きに行った……そんな感じだよ、ヲイ。
あのー。
初日のエリック、どうだったんですか?
わたしの目には、春野寿美礼にしか、見えなかったんですが。
ナルシーだから「エリックのコスプレしている春野寿美礼」になっているわけではなくて、ほんとーに、ただナチュラルに寿美礼ちゃんに見えたんですが。
スターとしてばーんと巨大劇場の真ん中に立つ人ではなく、内へ内へ深くなっていく方向を見ている人というか。
こまったなあ。
寿美礼サマは内へ小さくなっているし、モブたちはモブの仕事を超えて派手に暴れているし、アンサンブルはそろってねーし、この作品を、どう受け取れと?
ばらばらだー。
しかも、初日は彩音ちゃんの危うさと、それを見守る緊張感で客席もすごいことになっているし。
すばらしい初日でしたよ、ほんと。
得がたい空間だった。
だからとても、「作品」も「春野寿美礼」も語れないよ。
語るべきじゃないし、語るところまで達していない、作品も、そしてわたしも。
だから華麗にスルー。
まっつの話をしましょう、話題に詰まったときは、とりあえずまっつ。
まっつのことなら、いくらでも書けるもん。
でも、だからって。
花組『ファントム』を嫌いなわけでも、ダメだと思っているわけでもないんだよ。
好きよ。
たのしいもん。
だって、真ん中にいるのはまぎれもなく「春野寿美礼」よ? たのしくないわけないじゃん。
「エリックとかファントムとかいうんじゃなくて、アレは、『春野寿美礼』という生き物」
……苦し紛れにそう評したのだけど。
そののち、わたしは幾度となくこの台詞を繰り返すことになる(笑)。
その話はまた、別欄で。
「春野寿美礼」という生き物だから、もうソレでぜんぜんいい。ソレだけでいい。
「それで、花組『ファントム』はどうだったの?」
……たのしいよ。
緑野はまっつの話しか書かないし、nanakoさんはとーぜん「ゆみこ素敵!」しか言わないし(笑)。
彩音ちゃんの歌がどうとかオサ様の足が短……ぢゃねえ、衣装が微妙過ぎとかじゃなく、「作品」はどうなのよ?
「緑野さんが、まっつの話しか書かないってことは、つまりはそういうことですよ。オサ様が良ければまずオサ様を書くだろうし、作品が良ければまずソレを書くでしょうから」
kineさんが冷静にツッコミを入れていたよーですよ。
え?
他のなにより、まっつが美しかった、とは思ってくれないんですね(笑)。
まっつがものごっつー麗しくてかっこよくてかわいくて、「オベ様あのまま持って帰りたい」とか、本気で思っていたりするほど、なにを捨ててもまずまっつを語るしかなかったのだ、とは……思ってくれないんだ。
まあな。
作品がよければ、それでもまず作品を語ってるしな(笑)。
花組『ファントム』を観ておどろいたことのひとつは、こんなにモブがたのしい芝居だったのかということ。
宙組版を観ていたときは、ほんっとーに真ん中しか観てなかった。
従者はわりと観ていたと思うけど、まず基本はエリック@たかこをガン見していた。
だからモブがなにをしていたか、記憶にない。
もちろん、部分的に記憶はあるんだけどね。
宙組名物動く背景という印象しかなかったのだわ。
あひくんやともちがおいしくなかったこととか、マイナスのイメージしかなかった。
『ファントム』=「役がない」「出番がない」。だもんで演目が発表になったとき、わたしはマジで落ち込んだ。
そう覚悟していたもんだから。
最初からめちゃくちゃたのしくて、びっくりした。
パリのシーン、花組名物弱肉強食スイッチオン。みんながみんな、とにかくなにかしらやっている。ごちゃごちゃ動き回り、アピールしている。
ど、どこを見ればいいんだ?
どこを見てもたのしーんだけど?
わたしははとにかくまっつを見るのに必死で、他を見ている余裕がないのがくやしい。だって、ほんとにみんなたのしそうなんだもの。
ヘタにまっつばかり見てたら、フィリップ@まとぶの登場に気づかないまま終わりますよ、ほんと!
びびった。真ん中見ろよわたし!! 話が進んでるじゃないの! 彩音ちゃんの歌のものすごさに度肝を抜かれて、ただの「音」として認識していたせいで、台詞も歌も判別不能、気がついたらまとぶがいて、彩音となにか喋っている様子だった初日……わわわ、ストーリーから取り残されてるよ。
宙組版もこんなのだっけ? パリのシーンは素直にストーリーど真ん中、花ちゃん見てトウコ見てかなみちゃん見てたから、わかんない。わたしにとって、街の人たちはほんとにただのモブでしかなかったんだ。
オペラ座のシーンになっても、とにかく団員たちがたのしくて。
ライトろくに当たらない従者たちもが、それでも濃くて濃くて、目について目についてたまらなくて。
きれいだとか揃っているとか、宙組を観たときに受けた印象は、花組にはまったくない。
てゆーか、少しは揃えるとか考えた方がいいんじゃ?って感じだ、花組。みんなバラバラ、好き勝手に暴走している。つか、うるさい?
でもそれがたのしくて、やりすぎな小芝居観るのに必死になって、真ん中を観ている余裕がない。
万事、その調子だったんだよなあ。
落ち着いて真ん中を観られなかったんだ、わたし。
宙を観たときは、真ん中とモブのコントラストがはっきりとしていた。モブの子たちは決して場を壊すほどのアピール合戦はしなかった。
また、真ん中の人たちの吸引力もすごかったしなあ。
アピール上等!の、花組っ子たちのごちゃごちゃしたうるさい芝居に気が散っていたことは事実。
でもわたし、所詮オサファンだから、オサちゃんはいつも特別で、出てきたときはオペラピン取り、他はシャットアウト(除・まっつ)状態だったんだけど。
そうしててなお、「作品」としての吸引力を感じられなかったんだ……。
オサ様の芝居を観てはじめて、「花組『ファントム』はバウホールで上演するべきかも」と思った。
4列目で観てなお、オサの芝居はオペラグラスがないとわかりにくかった。
今までどんなわかりにくい芝居でも(あの『マラケシュ』でさえ!)、天下の春野寿美礼に対して「小劇場向きの人」だなんて思わなかったよ。
春野寿美礼は巨大劇場で、多くの人に愛でられるに相応しい大スターだと思っているからさ。
何故にここまで、小さく内へ内へと閉じているのだろう。
これは、大劇場でやる芝居じゃない。
作品はともかく、主役の演技は大劇場向きじゃない。
そう思った。
思ってしまったから……つらかった。
ストーリーは知っているし、歌だって知っている。
わかっているから、わかっていることをただなぞり、受け取り、終わってしまった。
オサちゃんの歌声がすばらしいのはわかっている。
声も歌声も大好きだ。
オサに『ファントム』の曲を歌ってもらえるのはうれしい。
ただ歌だけを聴きに行った……そんな感じだよ、ヲイ。
あのー。
初日のエリック、どうだったんですか?
わたしの目には、春野寿美礼にしか、見えなかったんですが。
ナルシーだから「エリックのコスプレしている春野寿美礼」になっているわけではなくて、ほんとーに、ただナチュラルに寿美礼ちゃんに見えたんですが。
スターとしてばーんと巨大劇場の真ん中に立つ人ではなく、内へ内へ深くなっていく方向を見ている人というか。
こまったなあ。
寿美礼サマは内へ小さくなっているし、モブたちはモブの仕事を超えて派手に暴れているし、アンサンブルはそろってねーし、この作品を、どう受け取れと?
ばらばらだー。
しかも、初日は彩音ちゃんの危うさと、それを見守る緊張感で客席もすごいことになっているし。
すばらしい初日でしたよ、ほんと。
得がたい空間だった。
だからとても、「作品」も「春野寿美礼」も語れないよ。
語るべきじゃないし、語るところまで達していない、作品も、そしてわたしも。
だから華麗にスルー。
まっつの話をしましょう、話題に詰まったときは、とりあえずまっつ。
まっつのことなら、いくらでも書けるもん。
でも、だからって。
花組『ファントム』を嫌いなわけでも、ダメだと思っているわけでもないんだよ。
好きよ。
たのしいもん。
だって、真ん中にいるのはまぎれもなく「春野寿美礼」よ? たのしくないわけないじゃん。
「エリックとかファントムとかいうんじゃなくて、アレは、『春野寿美礼』という生き物」
……苦し紛れにそう評したのだけど。
そののち、わたしは幾度となくこの台詞を繰り返すことになる(笑)。
その話はまた、別欄で。
「春野寿美礼」という生き物だから、もうソレでぜんぜんいい。ソレだけでいい。
「それで、花組『ファントム』はどうだったの?」
……たのしいよ。
初日万歳。@ファントム
2006年6月24日 タカラヅカ コムバウチケット、取れました?
わたしはぜんっぜん、ダメでした。つながりゃしねえ……。
どっかで追加公演やってくれませんかね。
トップ退団+オギー新作がバウホールなんて、チケット取れるわけないぢゃん!!
☆
花組『ファントム』。
いろいろささやかに変更があり、突っ込みどころもいろいろあったんだが。
やっぱり初日っておもしろいなあ。
最初のパリのシーンで、ヒロイン・クリスティーヌが現れたときの、あの空気!!
このたびトップ娘役となった、かわいこちゃん。オサ様と何歳差だよ?という下級生抜擢。
歌が苦手なことは周知の事実、さて、歌を重要視されるこの演目で、いったいどーゆーことになるのか?
注目度はオサエリック以上だろう。特に初日、クリスティーヌの歌い出しのシーン、なにもかもが「初」であるこの一瞬。
ボロボロだった。
う・わー。
つらい。
つらすぎるっ。
彩音ちゃんの歌がへたっぴーなことも、そりゃつらいさ。
だが、それだけぢゃない。
彩音ちゃんの緊張が伝わるんだ。萎縮していること、音がはずれ、旋律がどえらい状態になっていること、でも自分では調節不可能なこと、でもなんとかしようと必死になっていること、それらが全部、まるっと伝わる。見える。
そして、そんなことをすべてわかったうえで、観客が固唾をのんで見守っているのが、もお。
つらいっ。
あの空気!!
彩音の歌も歌う彩音も見守る観客も、すべてが一体となってできあがったあの空気が、ものすごくつらいっ。
……だから。
そのあと彩音ちゃんがどんどん呼吸を取り戻し、歌えるようになっていくのが、気持ちよくて。
ものすげー緊張して、一曲一曲、一音一音ずつ神経配って歌っているのが見える。
それが、物語が進むにつれ、技巧よりも「気持ち」が歌声に表れてくる。
2幕になると、「歌の下手な彩音」がクリスをやっていることなんか、気にならなくなる。
ただ純粋に、物語をたのしめるようになる。
すげえ。
やっぱ生の舞台っておもしろい。
初日っておもしろい。
まだ練り上がっていない、剥き出しのモノがそこにある。
そして、タカラヅカのいいところであるアットホームさが、それを赦し、受け止める。
ヒロインの経験不足による拙さを、あんなに息を詰めて、「観客全員が母親」状態で見守る舞台なんて、他にないって(笑)。
そして、ヒロインがふつーに「仕事」レベルになったのを見てよかったねと胸を撫で下ろす、「観客全員が母親」状態で見守る舞台なんて、他にないって(笑)。
安くない金額払って観に行ってるのにねー。
とまあ、2時間半の舞台でステキに変化した彩音ちゃん。
クリスティーヌ、けっこうよかったじゃない? とみんなが油断したところで。
やってくれました。
フィナーレは、音痴彩音復活!!
すすすすげーや彩音!! マンガならここで観客全員ギャフンと脚を上にひっくり返ってるよー(笑)。
オチまでつけるか。ツワモノだな。
そう、フィナーレの彩音ちゃんが、いつもの彩音ちゃんクオリティ。
だからこそ、本編の歌をどれだけお稽古したかがわかる。
がんばったんだね、彩音ちゃん。
オサちゃんのビジュアルは、わたしにはよくわかりません。
オペラグラスで、顔だけしか見てませんから!
「オサファン的に、あのビジュアルはどうなの?」とドリーさんに言われたけど、全身像見てないからわかんないよー(笑)。
顔だけなら、いつもの春野寿美礼サマだもーん。
というのも。
オペラグラスを使わないと、オサ様の表情がわからなかったんだ、わたしには。
4列目で観てたんですけどね……いつもならこんな席でオペラなんか使わないんだけど。使うつもりなかったから、鞄に入れたままだったんだけど。
あわてて出したよ。
たかちゃんのときは、かなり後方席でもオペラグラスは不要だった。
たかちゃんは姿の美しい人だから。顔だけ見る必要ナシ、全身の美しさを堪能すべし。
ナマ目でも、エリックの感情は伝わったよ。
しかし、オサ様。
オペラグラスでガン見しなきゃ、わかんない……。
歌声が素直なことも、たかちゃんエリックと別人なこともわかるのだけど。
人間としてのかわいらしさのある、愛しい人だとゆーことも、わかるんだけどな。
今のところちょっと消化不良。
毎週行くから(行くのか)、どう変化していくかに期待。初日のオサ様が、その後と別人なことなんて、あったりまえだもんなー。
なにしろオサ様の演技は日替わり・公演替わり、とりあえず「未完成」な初日を見てから、他をたのしむのだ(笑)。
全身像見てないから、ビジュアルのこと言われてもわかんない。……そう言っておきながら。
終演後、オサファンでまっつファンの木ノ実さんと、
「フィナーレで地髪になった瞬間、喝采しましたよね!」
「ずっとそのままでいてー!って思いましたよね!!」
と、心をひとつにして叫んでしまいましたよ……。
やっぱりビジュアルは相当つら……モゴモゴモゴ……。
わたしはぜんっぜん、ダメでした。つながりゃしねえ……。
どっかで追加公演やってくれませんかね。
トップ退団+オギー新作がバウホールなんて、チケット取れるわけないぢゃん!!
☆
花組『ファントム』。
いろいろささやかに変更があり、突っ込みどころもいろいろあったんだが。
やっぱり初日っておもしろいなあ。
最初のパリのシーンで、ヒロイン・クリスティーヌが現れたときの、あの空気!!
このたびトップ娘役となった、かわいこちゃん。オサ様と何歳差だよ?という下級生抜擢。
歌が苦手なことは周知の事実、さて、歌を重要視されるこの演目で、いったいどーゆーことになるのか?
注目度はオサエリック以上だろう。特に初日、クリスティーヌの歌い出しのシーン、なにもかもが「初」であるこの一瞬。
ボロボロだった。
う・わー。
つらい。
つらすぎるっ。
彩音ちゃんの歌がへたっぴーなことも、そりゃつらいさ。
だが、それだけぢゃない。
彩音ちゃんの緊張が伝わるんだ。萎縮していること、音がはずれ、旋律がどえらい状態になっていること、でも自分では調節不可能なこと、でもなんとかしようと必死になっていること、それらが全部、まるっと伝わる。見える。
そして、そんなことをすべてわかったうえで、観客が固唾をのんで見守っているのが、もお。
つらいっ。
あの空気!!
彩音の歌も歌う彩音も見守る観客も、すべてが一体となってできあがったあの空気が、ものすごくつらいっ。
……だから。
そのあと彩音ちゃんがどんどん呼吸を取り戻し、歌えるようになっていくのが、気持ちよくて。
ものすげー緊張して、一曲一曲、一音一音ずつ神経配って歌っているのが見える。
それが、物語が進むにつれ、技巧よりも「気持ち」が歌声に表れてくる。
2幕になると、「歌の下手な彩音」がクリスをやっていることなんか、気にならなくなる。
ただ純粋に、物語をたのしめるようになる。
すげえ。
やっぱ生の舞台っておもしろい。
初日っておもしろい。
まだ練り上がっていない、剥き出しのモノがそこにある。
そして、タカラヅカのいいところであるアットホームさが、それを赦し、受け止める。
ヒロインの経験不足による拙さを、あんなに息を詰めて、「観客全員が母親」状態で見守る舞台なんて、他にないって(笑)。
そして、ヒロインがふつーに「仕事」レベルになったのを見てよかったねと胸を撫で下ろす、「観客全員が母親」状態で見守る舞台なんて、他にないって(笑)。
安くない金額払って観に行ってるのにねー。
とまあ、2時間半の舞台でステキに変化した彩音ちゃん。
クリスティーヌ、けっこうよかったじゃない? とみんなが油断したところで。
やってくれました。
フィナーレは、音痴彩音復活!!
すすすすげーや彩音!! マンガならここで観客全員ギャフンと脚を上にひっくり返ってるよー(笑)。
オチまでつけるか。ツワモノだな。
そう、フィナーレの彩音ちゃんが、いつもの彩音ちゃんクオリティ。
だからこそ、本編の歌をどれだけお稽古したかがわかる。
がんばったんだね、彩音ちゃん。
オサちゃんのビジュアルは、わたしにはよくわかりません。
オペラグラスで、顔だけしか見てませんから!
「オサファン的に、あのビジュアルはどうなの?」とドリーさんに言われたけど、全身像見てないからわかんないよー(笑)。
顔だけなら、いつもの春野寿美礼サマだもーん。
というのも。
オペラグラスを使わないと、オサ様の表情がわからなかったんだ、わたしには。
4列目で観てたんですけどね……いつもならこんな席でオペラなんか使わないんだけど。使うつもりなかったから、鞄に入れたままだったんだけど。
あわてて出したよ。
たかちゃんのときは、かなり後方席でもオペラグラスは不要だった。
たかちゃんは姿の美しい人だから。顔だけ見る必要ナシ、全身の美しさを堪能すべし。
ナマ目でも、エリックの感情は伝わったよ。
しかし、オサ様。
オペラグラスでガン見しなきゃ、わかんない……。
歌声が素直なことも、たかちゃんエリックと別人なこともわかるのだけど。
人間としてのかわいらしさのある、愛しい人だとゆーことも、わかるんだけどな。
今のところちょっと消化不良。
毎週行くから(行くのか)、どう変化していくかに期待。初日のオサ様が、その後と別人なことなんて、あったりまえだもんなー。
なにしろオサ様の演技は日替わり・公演替わり、とりあえず「未完成」な初日を見てから、他をたのしむのだ(笑)。
全身像見てないから、ビジュアルのこと言われてもわかんない。……そう言っておきながら。
終演後、オサファンでまっつファンの木ノ実さんと、
「フィナーレで地髪になった瞬間、喝采しましたよね!」
「ずっとそのままでいてー!って思いましたよね!!」
と、心をひとつにして叫んでしまいましたよ……。
やっぱりビジュアルは相当つら……モゴモゴモゴ……。
まっつinファントム。@ファントム
2006年6月23日 タカラヅカ えー、とりあえず花組『ファントム』初日、行ってきました。
ゆみこ担4人(しかもうち3人はヨッパライ)の天井知らずテンションにもまれまくり、あやうく終電逃すところでした(笑)。
ウチねえ、実はムラまで遠いんですよ。あまりにしょっちゅームラに出没しているから「大劇場の地下に住んでるのかと思った」とか言われちゃいましたが(住めるモノなら住みたい)。
ちょっと話し込んでいると、終電がヤバくなる……阪急ってば終電早すぎ。あ、ウチは阪急沿線です。
まあ、たのしいから話し込んじゃうんだけど。
そして今日は、nanaタンがけっこー酒癖悪いことがわかってラヴリー(笑)。
いや、それはともかく、『ファントム』の話。
まっつが、さらに麗しくなっていました。
……すんません、いきなりまっつです。
需要ナイことは知ってるんですけどね。まっつファンが少ないことも、そしてわたしのまっつ観がピュアまっつファンと言えないこともわかってるんですが。
需要がなくても書く。
まっつが、さらに美しかったです。
「さらに」というのがポイントです。
わたしはいちおー、まっつのことは「美しい人」だと思っています。
ただ彼の芸風をいわゆる「美形キャラ」ではないと思っているので、いつもは美しさよりも他の部分を愛でています。ひとから「まっつって美形だよね」と言われて返答に窮するくらい、「美形キャラ」認識が薄いのです。
が。
なんか最近、まっつを美形だと素直に思いつつあります。
アズ@スカウトが美しすぎたせいでしょーか。エンカレ1幕がオトコマエすぎたせいでしょーか。
こまった。
まっつがかっこいい。
まっつが美しい。
こまった。
……ドキドキする。
まっつは大好きだけど、ときめきはしなかったのになあ。
やばい、病がどんどん重くなっている……。
1幕最初、楽譜を売るクリスティーヌ@彩音に絡むみわまつその三兄弟がかわいいっす。
そのかがいじられ役? なかなか楽譜を手に出来ない(笑)。
ここですでに、まっつがきれいと、わたしは震撼していました。
笑ってるんだよー。カオしわしわにしてー。年齢不詳だなあ、まったく。
そのかと肩組んだりみわっちと接触したり、かわいいかわいい。
次のオペラ座のがちゃがちゃしたシーンでは、ステキに微妙な甲冑姿を披露。
まっつ、かぶりもの似合わない……。
いや、派手なんだよ。派手な衣装、着せてもらっているの。でもそれが、笑いを誘うの。
派手な中世の兜から、細いカオがたよりなく出ているところが、もお。
まっつのカオって、端正だけど淋しいんだよね。だから、派手すぎる衣装が似合わない。
その横で、似たテイストの超派手な衣装を、そのかがあったりまえのカオで着こなしているのがもう……。
それでも、かぶりものを取ってくれたあとは、やっぱりまっつって美しいと、しみじみガン見してました。
ここでもやっぱ三兄弟、みわそのと一緒でうれしい。
団員3人、仲良しなんだねえ。
次が劇中劇「カルメン」のシーン。
まっつがリシャール役だと発表されたとき、まっつがエスカミリオかよ!!と、びびったんですが。
宙組版ではリシャール役のあひくんがやっていたよね。
まっつが花形闘牛士かよ、ちっちゃいし弱そうだし、よろこんでいいのかびびればいいのか、反応にこまるなと。
でもすぐに、美形スターとしての場面だし、エリック@オサ様に翻弄される役なら、ソレはソレでオイシイか、と思い直していたんだけど。
CSのお稽古場で、まっつがオーベロンをやっているのを見て、またしても混乱した。
まっつの得意は歌だ。歌が武器だ。そして、脇役でソロがある男の役は、オーベロンだけだ。だから、まっつがオーベロンをやるのは順当と言えば順当だ。
しかし。
エスカミリオぢゃなかったの?!
オーベロンはみわっち、まっつは歌ナシのエスカミリオだと自分に整理をつけていたから、それを根本から覆されて混乱した。
いやその。
エスカミリオは闘牛服だからかっこいーことがわかっているし、妖精王オーベロンは、衣装がとんでもないことがわかっている。
淋しい美貌のまっつに、オーベロンの派手派手衣装が似合わないことも、わかりきっている。
仲間内での妄想配役で「オーベロン@まっつが見たい」「うひゃひゃひゃひゃ」と笑いネタにされていたくらい、似合わないことがわかりきっている衣装。
オーベロンはみわさんに任せます! みわさんならあのトンデモ衣装を着こなせる!! ……と、信じていたんだよ、宙組版でオーベロン役は若キャリ役とセットだったから。
まっつの二枚目ダンスシーンはナシですかい、劇団様……。
そう思ってしょんぼりしていた「カルメン」で。
まっつが、群舞のセンターでひとりだけチガウ衣装着て踊ってます!!
び、びっくりした。
そのあとそのかが同じよーに群舞を率いて登場し、さらに「真打ち登場!」って感じでみわさんが登場するから、まっつが特別どうってわけでもないんだが。
なにしろ最初だから。
最初に群舞率いてセンター取るから。
心臓に悪い。
ここのまっつが、最高に麗しい。
なんなんだ。あたりまえのカオして真ん中にいるぞ? いいのかソレ。
まっつがスター扱いされると、わたしはどーもびびるみたいだ。
このときの衣装が、真っ赤な闘牛服でねえ。
赤か。赤なのかまっつ。まっつなのに、赤!
そのかは紺の軍服。すっげーかっくいー。
みわっちは白の端正な軍服。てゆーのも、エリックと似た服ってコンセプトで選ばれた服だと思う。ふたりが取り違えられるというか、エリックが混ざることで混乱を大きくするためというか。
劇中劇「カルメン」のはずなんだが、宙版とちがい、エスカミリオがいない。
プログラムを確認したんだが、「踊る男A」「踊る男B」だとかになっている。
……「カルメン」ちゃうやん、すでにコレ。
にしても、まっつが赤なんだ。
こだわってごめん、でもさー、なんか変なんだもん。
そのかが紺でみわっちが白で、まっつが赤なんだよ? キャラ的にソレ、チガウだろ?
まっつはもっと地味な色が似合うし、みわさんにはもっと派手な色でキザってもらった方が見ていて落ち着くんですが。
さて、仲良し3人組、お次はビストロです。
まっつの恋人は、一花でした。
まっつ×一花キターーーーッ!!
このカップリングが大好きなわたしは、ソレだけで感涙ものです。
ふたりでいちゃついたり踊ったり、あとはクリスティーヌに注目したり、小芝居えんえんやってます。
そのか、みわっちもそれぞれカノジョがいるよーだが、ごめん、ろくに見てないっす。そのかのカノジョ、じゅりあちゃんで合ってる?
なんつーかこの3人組、ふつーに気の合う男同士って感じでいいなあ。それぞれ美人のカノジョがいて、やりがいのある仕事があって。
でもさー、この3人ならアイドルはみわっちであるべきだよね? ボーイズとかソレを意識した少女マンガなどによくある位置関係。男しかいない世界で「姫」ポジになる美少年とか美青年がいて、他の男たちはホモぢゃないふつーの友だちなのに、何故か姫ポジの人を持ち上げているというか、讃えているというか。姫ポジ、あるいはアイドルポジ。
何故かアイドルポジにいるのが、わたしにはそのかに見えた。
そのかが、他ふたりにいじられ、小突かれながらもかわいがられている……子犬のように。
そのかは団員のカオをしているときは、すげーかわいい。でも、劇中劇で踊っているときは、すげーオトコマエ。
このギャップはズキュンとクるなあ。
そして次がついに、恐怖の「タイターニア」。
………………。
ものすごい、衣装。
まっつ、手は出てる? 足は? 大丈夫?!!
ヤママユガ@どうぶつの森みたいな衣装で、歌うオーベロン様!!
や、歌は一瞬なんだけど。
衣装はすごいの。
まっつ的には絶対コレ、着こなせてなんかない。てゆーかコレを着こなせる人がいるのか? ワタさんならOKか?
それでも。
それでもね。
まっつ、かっこいいよね?
わたしの目には、彼が美しく見えるのですよ……似合わない服を着せられてなお。
その後ろで、そのかがとってもビミョーな妖精さん姿で踊っているのを見て、オベ様にしろ妖精さんにしろ、どっちにしろ微妙なら、歌がある分オーベロンでいいかという気になった。
そのか、メルヘェンな格好は似合わない……それでもすごいオトコマエなカオで踊ってる……。
あ、もちろんみわっちは着こなしてました>メルへェンな妖精服。
劇中劇はすぐにクリスティーヌが歌えなくなってぐたぐたになるんだけど、シーン自体は続くのね。
ファントム乱入、発砲、シャンデリア落下。
まっつ、ずーっとオーベロン様衣装のままです。
シャンデリア落ちのスローモーションも、オベ様衣装。
ははははは。
ただ、笑う。
で、1幕は終わり。
あら。
まっつのことを書いているだけで文字数オーバーだ。4000字超えてるよ。
しかもまだ1幕だけかい……。
続きはまたいずれ。
ゆみこ担4人(しかもうち3人はヨッパライ)の天井知らずテンションにもまれまくり、あやうく終電逃すところでした(笑)。
ウチねえ、実はムラまで遠いんですよ。あまりにしょっちゅームラに出没しているから「大劇場の地下に住んでるのかと思った」とか言われちゃいましたが(住めるモノなら住みたい)。
ちょっと話し込んでいると、終電がヤバくなる……阪急ってば終電早すぎ。あ、ウチは阪急沿線です。
まあ、たのしいから話し込んじゃうんだけど。
そして今日は、nanaタンがけっこー酒癖悪いことがわかってラヴリー(笑)。
いや、それはともかく、『ファントム』の話。
まっつが、さらに麗しくなっていました。
……すんません、いきなりまっつです。
需要ナイことは知ってるんですけどね。まっつファンが少ないことも、そしてわたしのまっつ観がピュアまっつファンと言えないこともわかってるんですが。
需要がなくても書く。
まっつが、さらに美しかったです。
「さらに」というのがポイントです。
わたしはいちおー、まっつのことは「美しい人」だと思っています。
ただ彼の芸風をいわゆる「美形キャラ」ではないと思っているので、いつもは美しさよりも他の部分を愛でています。ひとから「まっつって美形だよね」と言われて返答に窮するくらい、「美形キャラ」認識が薄いのです。
が。
なんか最近、まっつを美形だと素直に思いつつあります。
アズ@スカウトが美しすぎたせいでしょーか。エンカレ1幕がオトコマエすぎたせいでしょーか。
こまった。
まっつがかっこいい。
まっつが美しい。
こまった。
……ドキドキする。
まっつは大好きだけど、ときめきはしなかったのになあ。
やばい、病がどんどん重くなっている……。
1幕最初、楽譜を売るクリスティーヌ@彩音に絡むみわまつその三兄弟がかわいいっす。
そのかがいじられ役? なかなか楽譜を手に出来ない(笑)。
ここですでに、まっつがきれいと、わたしは震撼していました。
笑ってるんだよー。カオしわしわにしてー。年齢不詳だなあ、まったく。
そのかと肩組んだりみわっちと接触したり、かわいいかわいい。
次のオペラ座のがちゃがちゃしたシーンでは、ステキに微妙な甲冑姿を披露。
まっつ、かぶりもの似合わない……。
いや、派手なんだよ。派手な衣装、着せてもらっているの。でもそれが、笑いを誘うの。
派手な中世の兜から、細いカオがたよりなく出ているところが、もお。
まっつのカオって、端正だけど淋しいんだよね。だから、派手すぎる衣装が似合わない。
その横で、似たテイストの超派手な衣装を、そのかがあったりまえのカオで着こなしているのがもう……。
それでも、かぶりものを取ってくれたあとは、やっぱりまっつって美しいと、しみじみガン見してました。
ここでもやっぱ三兄弟、みわそのと一緒でうれしい。
団員3人、仲良しなんだねえ。
次が劇中劇「カルメン」のシーン。
まっつがリシャール役だと発表されたとき、まっつがエスカミリオかよ!!と、びびったんですが。
宙組版ではリシャール役のあひくんがやっていたよね。
まっつが花形闘牛士かよ、ちっちゃいし弱そうだし、よろこんでいいのかびびればいいのか、反応にこまるなと。
でもすぐに、美形スターとしての場面だし、エリック@オサ様に翻弄される役なら、ソレはソレでオイシイか、と思い直していたんだけど。
CSのお稽古場で、まっつがオーベロンをやっているのを見て、またしても混乱した。
まっつの得意は歌だ。歌が武器だ。そして、脇役でソロがある男の役は、オーベロンだけだ。だから、まっつがオーベロンをやるのは順当と言えば順当だ。
しかし。
エスカミリオぢゃなかったの?!
オーベロンはみわっち、まっつは歌ナシのエスカミリオだと自分に整理をつけていたから、それを根本から覆されて混乱した。
いやその。
エスカミリオは闘牛服だからかっこいーことがわかっているし、妖精王オーベロンは、衣装がとんでもないことがわかっている。
淋しい美貌のまっつに、オーベロンの派手派手衣装が似合わないことも、わかりきっている。
仲間内での妄想配役で「オーベロン@まっつが見たい」「うひゃひゃひゃひゃ」と笑いネタにされていたくらい、似合わないことがわかりきっている衣装。
オーベロンはみわさんに任せます! みわさんならあのトンデモ衣装を着こなせる!! ……と、信じていたんだよ、宙組版でオーベロン役は若キャリ役とセットだったから。
まっつの二枚目ダンスシーンはナシですかい、劇団様……。
そう思ってしょんぼりしていた「カルメン」で。
まっつが、群舞のセンターでひとりだけチガウ衣装着て踊ってます!!
び、びっくりした。
そのあとそのかが同じよーに群舞を率いて登場し、さらに「真打ち登場!」って感じでみわさんが登場するから、まっつが特別どうってわけでもないんだが。
なにしろ最初だから。
最初に群舞率いてセンター取るから。
心臓に悪い。
ここのまっつが、最高に麗しい。
なんなんだ。あたりまえのカオして真ん中にいるぞ? いいのかソレ。
まっつがスター扱いされると、わたしはどーもびびるみたいだ。
このときの衣装が、真っ赤な闘牛服でねえ。
赤か。赤なのかまっつ。まっつなのに、赤!
そのかは紺の軍服。すっげーかっくいー。
みわっちは白の端正な軍服。てゆーのも、エリックと似た服ってコンセプトで選ばれた服だと思う。ふたりが取り違えられるというか、エリックが混ざることで混乱を大きくするためというか。
劇中劇「カルメン」のはずなんだが、宙版とちがい、エスカミリオがいない。
プログラムを確認したんだが、「踊る男A」「踊る男B」だとかになっている。
……「カルメン」ちゃうやん、すでにコレ。
にしても、まっつが赤なんだ。
こだわってごめん、でもさー、なんか変なんだもん。
そのかが紺でみわっちが白で、まっつが赤なんだよ? キャラ的にソレ、チガウだろ?
まっつはもっと地味な色が似合うし、みわさんにはもっと派手な色でキザってもらった方が見ていて落ち着くんですが。
さて、仲良し3人組、お次はビストロです。
まっつの恋人は、一花でした。
まっつ×一花キターーーーッ!!
このカップリングが大好きなわたしは、ソレだけで感涙ものです。
ふたりでいちゃついたり踊ったり、あとはクリスティーヌに注目したり、小芝居えんえんやってます。
そのか、みわっちもそれぞれカノジョがいるよーだが、ごめん、ろくに見てないっす。そのかのカノジョ、じゅりあちゃんで合ってる?
なんつーかこの3人組、ふつーに気の合う男同士って感じでいいなあ。それぞれ美人のカノジョがいて、やりがいのある仕事があって。
でもさー、この3人ならアイドルはみわっちであるべきだよね? ボーイズとかソレを意識した少女マンガなどによくある位置関係。男しかいない世界で「姫」ポジになる美少年とか美青年がいて、他の男たちはホモぢゃないふつーの友だちなのに、何故か姫ポジの人を持ち上げているというか、讃えているというか。姫ポジ、あるいはアイドルポジ。
何故かアイドルポジにいるのが、わたしにはそのかに見えた。
そのかが、他ふたりにいじられ、小突かれながらもかわいがられている……子犬のように。
そのかは団員のカオをしているときは、すげーかわいい。でも、劇中劇で踊っているときは、すげーオトコマエ。
このギャップはズキュンとクるなあ。
そして次がついに、恐怖の「タイターニア」。
………………。
ものすごい、衣装。
まっつ、手は出てる? 足は? 大丈夫?!!
ヤママユガ@どうぶつの森みたいな衣装で、歌うオーベロン様!!
や、歌は一瞬なんだけど。
衣装はすごいの。
まっつ的には絶対コレ、着こなせてなんかない。てゆーかコレを着こなせる人がいるのか? ワタさんならOKか?
それでも。
それでもね。
まっつ、かっこいいよね?
わたしの目には、彼が美しく見えるのですよ……似合わない服を着せられてなお。
その後ろで、そのかがとってもビミョーな妖精さん姿で踊っているのを見て、オベ様にしろ妖精さんにしろ、どっちにしろ微妙なら、歌がある分オーベロンでいいかという気になった。
そのか、メルヘェンな格好は似合わない……それでもすごいオトコマエなカオで踊ってる……。
あ、もちろんみわっちは着こなしてました>メルへェンな妖精服。
劇中劇はすぐにクリスティーヌが歌えなくなってぐたぐたになるんだけど、シーン自体は続くのね。
ファントム乱入、発砲、シャンデリア落下。
まっつ、ずーっとオーベロン様衣装のままです。
シャンデリア落ちのスローモーションも、オベ様衣装。
ははははは。
ただ、笑う。
で、1幕は終わり。
あら。
まっつのことを書いているだけで文字数オーバーだ。4000字超えてるよ。
しかもまだ1幕だけかい……。
続きはまたいずれ。
月組千秋楽の日、いそいそニンテンドーDSを持ってムラへ行った。
すれちがい通信予告をしたから、今度こそ誰か知らない人とメッセージボトルの交換ができるかも!! と。
結果は。
…………しくしくしく。
誰とも、会えず仕舞い。
誰もいないの?
ぶつ森プレイヤーは?
あ、ゲーム名の略し方ですが、『おい森』は却下です、緑野姉弟的に。
だってわたしたち、キューブ版からのプレイヤーだもん。
『どうぶつの森』が正式名称で、DS版がたまたま『おいでよどうぶつの森』なだけだから、略すなら『どうぶつの森』を略すべきっしょ。
『おい森』じゃあ、シリーズ中の1作だけのタイトルにしかならない。
『ドラゴンクエスト8 空と海と大地と呪われし姫君』は『ドラクエ8』であり、『ドラ空』とか略さないのと同じ。
だから、『どうぶつの森』は『ぶつ森』なのよーっ(笑)。
わたしの周囲に『ぶつ森』プレイヤーはどんどん増えています。
kineさんでしょ、ハイディさんでしょ、キティちゃんでしょ、チェリさんも買ったし、木ノ実さんはわたしよかDSの先輩だし、nanaタンもなんかいきなりDS買うって叫んでるし(でも『ぶつ森』は買わないとか言ってる?・笑)。
みんな、ご贔屓関連の名の付いた村で、たのしくスローライフ。
微妙にキャラのカオがチガウのもご愛敬。
最初にプレイをはじめたときの質問にどう答えるかで、プレイヤーキャラの顔立ちが変わるんだって。つまり、プレイヤーの性格が、キャラの顔立ちに反映されるの。
kineさんとこのキャラはちょい気が強そうな女の子だし、キティちゃんのキャラはかわいーファニーフェイス。
わたしと弟のキャラはそれぞれ、性別チガウのに同じカオだし(どうも性格が似ているらしいな、この姉弟)。
そんなとこも、笑える。みんな、性格出てるよなあ。
今、まっつ村のこあらは、「織田信長」コスプレして、元気に村を走り回っています。
信長のトレードマークの天を突くよーなちょんまげに、西洋甲冑を着込んでるの。
その前は、「おとうとさん」コスプレしてたんだけど。ほれ。任天堂が誇るヒゲ兄弟の、影の薄い緑色の弟の方。
そして、まっつ村の住人たちは、意味のない挨拶を繰り返す。
「まっつはオーベロン!」
「ファントムみる?」
「あいことばは、まっつ」
とかな。
てきとーてきとー。
どーぶつたちに、他愛ない言葉を教えてますよ。
さて。
わたしはまだ、あきらめていません。
ムラに行くときは、DS持っていくもん。
すれちがい通信チャレンジ続けるもん。
初日とか新公とか楽とか、人がたくさんいるときには、これからもすれちがい通信するからね!
ぶつ森プレーヤーさん、タカラヅカ村に来るときはよろしく!
まっつ村のこあらが、手ぐすね引いて待ってますから!!
すれちがい通信予告をしたから、今度こそ誰か知らない人とメッセージボトルの交換ができるかも!! と。
結果は。
…………しくしくしく。
誰とも、会えず仕舞い。
誰もいないの?
ぶつ森プレイヤーは?
あ、ゲーム名の略し方ですが、『おい森』は却下です、緑野姉弟的に。
だってわたしたち、キューブ版からのプレイヤーだもん。
『どうぶつの森』が正式名称で、DS版がたまたま『おいでよどうぶつの森』なだけだから、略すなら『どうぶつの森』を略すべきっしょ。
『おい森』じゃあ、シリーズ中の1作だけのタイトルにしかならない。
『ドラゴンクエスト8 空と海と大地と呪われし姫君』は『ドラクエ8』であり、『ドラ空』とか略さないのと同じ。
だから、『どうぶつの森』は『ぶつ森』なのよーっ(笑)。
わたしの周囲に『ぶつ森』プレイヤーはどんどん増えています。
kineさんでしょ、ハイディさんでしょ、キティちゃんでしょ、チェリさんも買ったし、木ノ実さんはわたしよかDSの先輩だし、nanaタンもなんかいきなりDS買うって叫んでるし(でも『ぶつ森』は買わないとか言ってる?・笑)。
みんな、ご贔屓関連の名の付いた村で、たのしくスローライフ。
微妙にキャラのカオがチガウのもご愛敬。
最初にプレイをはじめたときの質問にどう答えるかで、プレイヤーキャラの顔立ちが変わるんだって。つまり、プレイヤーの性格が、キャラの顔立ちに反映されるの。
kineさんとこのキャラはちょい気が強そうな女の子だし、キティちゃんのキャラはかわいーファニーフェイス。
わたしと弟のキャラはそれぞれ、性別チガウのに同じカオだし(どうも性格が似ているらしいな、この姉弟)。
そんなとこも、笑える。みんな、性格出てるよなあ。
今、まっつ村のこあらは、「織田信長」コスプレして、元気に村を走り回っています。
信長のトレードマークの天を突くよーなちょんまげに、西洋甲冑を着込んでるの。
その前は、「おとうとさん」コスプレしてたんだけど。ほれ。任天堂が誇るヒゲ兄弟の、影の薄い緑色の弟の方。
そして、まっつ村の住人たちは、意味のない挨拶を繰り返す。
「まっつはオーベロン!」
「ファントムみる?」
「あいことばは、まっつ」
とかな。
てきとーてきとー。
どーぶつたちに、他愛ない言葉を教えてますよ。
さて。
わたしはまだ、あきらめていません。
ムラに行くときは、DS持っていくもん。
すれちがい通信チャレンジ続けるもん。
初日とか新公とか楽とか、人がたくさんいるときには、これからもすれちがい通信するからね!
ぶつ森プレーヤーさん、タカラヅカ村に来るときはよろしく!
まっつ村のこあらが、手ぐすね引いて待ってますから!!
そういえば、『レ・ビジュー・ブリアン』の感想はまったく書いてない。
もともと芝居好きなのでショーの感想があまりないんだよな。つっても、ショーがない公演はつまんないんだけど。
とくにどーってことのない、ふつーのショーだよね。
酒井せんせは一生ショーだけ作っていて下さい、世界の平和のために。
このショーで思ったことは、かなみちゃんかわいいっと、ゆーひさんが1場面もらってる?!と、トドが吠えていると。
ゆうひくん、やっぱりケロのDNA受け継いでいるよね? ってこと。
じわじわと。
わたしの周囲のケロファンが、ゆーひくんのなかにケロ兄貴を見るよーになっていってます。
ケロに似ている、ケロを思い出す、っていうのは、ケロファンにとって、最大級の誉め言葉だから。
ゆうひくんがどこまで行くのか、どこまでいい男になるのか、どきどきしながら見守っています。
ケロにはない光を放ちつつ、ケロを彷彿とさせる色気をまとい、ケロとはチガウ階段を上がっていく、ケロの弟。
ゆうひくんはゆうひくんだというだけで、どきどきする。
ずっとずっと、特別な人。
タンゴのシーンはほんと、感謝感激っす。
よくぞこのシーンをこの配役で見せてくれました。
かなみちゃんとエロく踊る姿もいいし、絡む相手がよりによってトップ・オブ・トップスのトドときた。トドと絡んでいいのはトップとか新専科スターとか、とにかく特別な人だけ、みたいな刷り込みがあっただけに、「えええっ、ウチの子でいいんですか」とうろたえたよ最初(笑)。
微妙な後ろ髪に気をとられつつも、ケロ兄貴の背中を感じ、思わず涙腺直撃、体勢を立て直せないままに、トドから女取って終わるし。
えええっ、勝っちゃうの?! 負けて終わりじゃないの? トド様フラレ男? ギャグ?!!
びびびっくりしたー。
ゆーひが、あのゆーひくんがっ。うわーっ。
なんかもお。
感慨深いやらせつないやら。
それからほれ、わたしは力一杯トドファンでもあるので、大変なんですよ、どこを見ていいのか。
ゆーひくんも見たいし、トドも見たいしで。
今回、またしみじみと、トド様、好きやなーっ、と、実感しました。
声ですよ、声。
わたし、なによりあの声が好きなの。
地の底から轟くよーな野太い声もダイスキなんだけど、今回歌い方が微妙に変わっていて、とてものびやかにしているのが印象的だった。
あれー、こんな歌い方もするんだー。
びっくりして、改めて「轟悠」という人を見直した感じ。
正直出番は多くなくてもいいんだけどな。
見られるだけでうれしい。
出ずっぱりよりは、ほんとうに彼に似合う、彼が必要な役でピンポイントに出てくれた方がいい。
今回芝居はトドロキ主役ではなかった。そんなのぜんぜんかまわない。助演でもいいんだよ、トドロキがいい仕事をしてくれるなら。
タンゴのシーンが見られて、うれしかったさ。ゆらちゃんとの絡みもうれしかった。
あの濃さ、クドさ、大人の美貌、そしてフラレて歌う声。……わーん、好きだー(笑)。
轟悠という人も、どうその名と折り合いをつけて生きていくのか、興味深い人だ。
はじめて観た新公で、いつものあのみょーちくりんな挨拶をして客席を湧かせ、でも幕が閉まる瞬間、くしゃっと泣き出しそーになった、研5だか研6だかのときの、トドロキのカオが忘れられないんだよ。
あのみょーに頑固な男の子は、いったいどこまで行くのか。
彼がたどりつくところはどこなのか。
彼と共に、彼の歩く道と平行して歩いていきたいと思うよ。彼の人生を眺めながら。
わたしは衣装を記憶する能力がなく、衣装萌えすることがまずないんだが。
今回のかなみちゃんの衣装には萌えました。
あさこちゃんとやたらかわいいカップルやってるシーンの、オリエンタルな柄のワンピース。
イヴォンヌ、と役名がついてるな。劇場でもらってチラシによると。(案の定、プログラムは買ってない)
かわいいよねー、あのワンピース。
欲しい。
着たい。
わたしが着たってかなみちゃんみたくかわいくならないことはわかっているが。てゆーか、あたしが着たら世の迷惑だって、わかっているが……ううう、わたしがあと10年若くてもっともっと美人ならっ!(10年でいいのか?!! 20年のまちがいぢゃないのかっ?!!)
かなみちゃんの笑顔が炸裂していてかわいい。でれ。
かなみちゃんの場合も、「折れそうに華奢」じゃないのがいいんだろうなあ。
ちょっと触ってみたい感じにリアルにニクがあるもんなあ(最近感想がヤバめになってるか、わたし??)。
いやあ、女の子がやわらかい曲線をしているのはいいですよ!
女が女である美しさを持っているのは、いい。見てて気持ちいいもん。
コムちゃんブリーザのドレス以来か? 娘役の衣装を見て「着てみたい!」と思ったのって。
なにがどうってわけでもない、オーソドックスなショーだから、安心して眺めて、好きな人たちを堪能できた。
まさきがアピールしまくっているのも、目線絨毯爆撃第一人者が間違いなくマギーなのも、相変わらず(笑)。
いやあ、今回わたし的にかなりおどろいたのは、めおちゃんのウインクを見てしまったことですよ。透明人間めおちゃん、そんなことやっていたのか!!
ゆらさん見て、たまこちゃん見て、大忙しであちこち眺めて。
やっぱショーはなくてはならないよ。
わたしはあんましショーの感想は書かないけれど(のぞくオギー作品)、ちゃんとたのしんでいるもの。
来年は、ショーがちゃんとある公演が続けばいいなあ。
もともと芝居好きなのでショーの感想があまりないんだよな。つっても、ショーがない公演はつまんないんだけど。
とくにどーってことのない、ふつーのショーだよね。
酒井せんせは一生ショーだけ作っていて下さい、世界の平和のために。
このショーで思ったことは、かなみちゃんかわいいっと、ゆーひさんが1場面もらってる?!と、トドが吠えていると。
ゆうひくん、やっぱりケロのDNA受け継いでいるよね? ってこと。
じわじわと。
わたしの周囲のケロファンが、ゆーひくんのなかにケロ兄貴を見るよーになっていってます。
ケロに似ている、ケロを思い出す、っていうのは、ケロファンにとって、最大級の誉め言葉だから。
ゆうひくんがどこまで行くのか、どこまでいい男になるのか、どきどきしながら見守っています。
ケロにはない光を放ちつつ、ケロを彷彿とさせる色気をまとい、ケロとはチガウ階段を上がっていく、ケロの弟。
ゆうひくんはゆうひくんだというだけで、どきどきする。
ずっとずっと、特別な人。
タンゴのシーンはほんと、感謝感激っす。
よくぞこのシーンをこの配役で見せてくれました。
かなみちゃんとエロく踊る姿もいいし、絡む相手がよりによってトップ・オブ・トップスのトドときた。トドと絡んでいいのはトップとか新専科スターとか、とにかく特別な人だけ、みたいな刷り込みがあっただけに、「えええっ、ウチの子でいいんですか」とうろたえたよ最初(笑)。
微妙な後ろ髪に気をとられつつも、ケロ兄貴の背中を感じ、思わず涙腺直撃、体勢を立て直せないままに、トドから女取って終わるし。
えええっ、勝っちゃうの?! 負けて終わりじゃないの? トド様フラレ男? ギャグ?!!
びびびっくりしたー。
ゆーひが、あのゆーひくんがっ。うわーっ。
なんかもお。
感慨深いやらせつないやら。
それからほれ、わたしは力一杯トドファンでもあるので、大変なんですよ、どこを見ていいのか。
ゆーひくんも見たいし、トドも見たいしで。
今回、またしみじみと、トド様、好きやなーっ、と、実感しました。
声ですよ、声。
わたし、なによりあの声が好きなの。
地の底から轟くよーな野太い声もダイスキなんだけど、今回歌い方が微妙に変わっていて、とてものびやかにしているのが印象的だった。
あれー、こんな歌い方もするんだー。
びっくりして、改めて「轟悠」という人を見直した感じ。
正直出番は多くなくてもいいんだけどな。
見られるだけでうれしい。
出ずっぱりよりは、ほんとうに彼に似合う、彼が必要な役でピンポイントに出てくれた方がいい。
今回芝居はトドロキ主役ではなかった。そんなのぜんぜんかまわない。助演でもいいんだよ、トドロキがいい仕事をしてくれるなら。
タンゴのシーンが見られて、うれしかったさ。ゆらちゃんとの絡みもうれしかった。
あの濃さ、クドさ、大人の美貌、そしてフラレて歌う声。……わーん、好きだー(笑)。
轟悠という人も、どうその名と折り合いをつけて生きていくのか、興味深い人だ。
はじめて観た新公で、いつものあのみょーちくりんな挨拶をして客席を湧かせ、でも幕が閉まる瞬間、くしゃっと泣き出しそーになった、研5だか研6だかのときの、トドロキのカオが忘れられないんだよ。
あのみょーに頑固な男の子は、いったいどこまで行くのか。
彼がたどりつくところはどこなのか。
彼と共に、彼の歩く道と平行して歩いていきたいと思うよ。彼の人生を眺めながら。
わたしは衣装を記憶する能力がなく、衣装萌えすることがまずないんだが。
今回のかなみちゃんの衣装には萌えました。
あさこちゃんとやたらかわいいカップルやってるシーンの、オリエンタルな柄のワンピース。
イヴォンヌ、と役名がついてるな。劇場でもらってチラシによると。(案の定、プログラムは買ってない)
かわいいよねー、あのワンピース。
欲しい。
着たい。
わたしが着たってかなみちゃんみたくかわいくならないことはわかっているが。てゆーか、あたしが着たら世の迷惑だって、わかっているが……ううう、わたしがあと10年若くてもっともっと美人ならっ!(10年でいいのか?!! 20年のまちがいぢゃないのかっ?!!)
かなみちゃんの笑顔が炸裂していてかわいい。でれ。
かなみちゃんの場合も、「折れそうに華奢」じゃないのがいいんだろうなあ。
ちょっと触ってみたい感じにリアルにニクがあるもんなあ(最近感想がヤバめになってるか、わたし??)。
いやあ、女の子がやわらかい曲線をしているのはいいですよ!
女が女である美しさを持っているのは、いい。見てて気持ちいいもん。
コムちゃんブリーザのドレス以来か? 娘役の衣装を見て「着てみたい!」と思ったのって。
なにがどうってわけでもない、オーソドックスなショーだから、安心して眺めて、好きな人たちを堪能できた。
まさきがアピールしまくっているのも、目線絨毯爆撃第一人者が間違いなくマギーなのも、相変わらず(笑)。
いやあ、今回わたし的にかなりおどろいたのは、めおちゃんのウインクを見てしまったことですよ。透明人間めおちゃん、そんなことやっていたのか!!
ゆらさん見て、たまこちゃん見て、大忙しであちこち眺めて。
やっぱショーはなくてはならないよ。
わたしはあんましショーの感想は書かないけれど(のぞくオギー作品)、ちゃんとたのしんでいるもの。
来年は、ショーがちゃんとある公演が続けばいいなあ。
えーと、あのひと、巨乳なんですってよ?@月組千秋楽。
2006年6月20日 タカラヅカ 月組千秋楽の幕間。
もと同僚のセンダさんとそのお友だちと偶然会ったので喋っていたのだけど。
彼女たちは先日星『コパ』を観に行き、客席でそのかに遭遇したらしい。
「なにが驚いたって、あの胸!」
「揺れてるのよ、ただ歩いてるだけなのに」
「歩いて揺れるって相当よ?」
「あっ、そのかちゃんだ! と思った次の瞬間アゴ落ちたわ」
「そのかちゃんに会えたよろこびよりもなによりも、胸に釘付けで」
「胸しかおぼえてない」
巨乳だったのかそのか。
あまりに……その、イメージが……。
わたしは言葉を濁していたんだが。
センダさんとお友だちは、容赦なかった。
「あのカオに胸があるってだけで変」
そ、そうか。「変」か。ひとことか。
そのか……。
もと同僚のセンダさんとそのお友だちと偶然会ったので喋っていたのだけど。
彼女たちは先日星『コパ』を観に行き、客席でそのかに遭遇したらしい。
「なにが驚いたって、あの胸!」
「揺れてるのよ、ただ歩いてるだけなのに」
「歩いて揺れるって相当よ?」
「あっ、そのかちゃんだ! と思った次の瞬間アゴ落ちたわ」
「そのかちゃんに会えたよろこびよりもなによりも、胸に釘付けで」
「胸しかおぼえてない」
巨乳だったのかそのか。
あまりに……その、イメージが……。
わたしは言葉を濁していたんだが。
センダさんとお友だちは、容赦なかった。
「あのカオに胸があるってだけで変」
そ、そうか。「変」か。ひとことか。
そのか……。
彼女は、甘くない。@ゆらさんとわたし。
2006年6月19日 タカラヅカ わたしが「夏河ゆら」と最初に出会ったのは、友人の言葉からだった。
「こあらちゃん、タカラヅカ好きなの? じゃあ夏河ゆらって知ってる?」
知らない。何組の人? 男役? 娘役? わたし、雪組しか見てないから、他の組だったらまったくわかんない。
「月組の娘役。まだ下の方だと思うけど、私の友だちなの、見てあげてね」
わかった。じゃあ今度はじめて月組を観に行くんで、そのときがんばって探すね。
つーことでわたしの「夏河ゆら」体験は、まずは「名前」、次はプログラムの「写真」だった。
おおっ、美人さんだー! とよろこんだおぼえがある。よろこぶのも変だが、やっぱ美人さんだとうれしい。
でも実際の「舞台」での出会いは……いつだったろう?
最初に張り切って観に行ったときは、まーったくわかんなかった。
とーぜんだわな。
ヅカ初心者がはじめて観に行って、脇の下級生娘役まで見分けつくかっつーの。日本物だったからお化粧もチガウし。トップコンビと天海祐希ぐらいしか区別つかなかったわ。(ちなみに、天海3番手。2番手は印象に残らなかった……初心者っすから!)
金も時間もなかったわたしは、雪組以外ほとんど観に行くことがなかったので、「夏河ゆら」という人は、いつまで経っても「写真」だけの人だった。
「ゆらちゃんをよろしくね」と言った友人は、大のタカラヅカ嫌いだったので、決して一緒に「ゆらちゃんを見に行こう」てなことにはならなかった。
彼女は親が劇団関係者だったがゆえに「すみれの花園の裏側」を知っており、そのせいで「嫌い」なのだから、どーしよーもない。
「こあらちゃん、裏のことなんて知らない方がいいよ、幻滅するだけだから」
という言葉を、ヅカ初心者なわたしは素直に信じ、「うん、わたしもそーゆーの興味ないし、聞きたくないからいいー」と言って、ひとりで勝手に機嫌良く劇場に通っていた。
おかげで、「ゆらちゃん」がわからない。
友だちの幼なじみ、ゆらちゃんてのはどの子だーっ。
「舞台」での夏河ゆらと、友だちが言っていた「ゆらちゃん」がイコールになったときは、衝撃だった。
気づいたのは、最初に月組を観に行ったときから何年もあとだ。
誰だかわかんないままに観ていた『チェーザレ・ボルジア』の女領主カテリーナがその「ゆらちゃん」だと気づいたとき。
あれかーっ!!
と、なんか、ひとりで衝撃を受けていた。
なんつーかね、思いこみ、つーのがあってだね。
わたしの友人は、すげーかわいいこだったんですよ。可憐で小柄でマシュマロみたいなスウィートちゃんだったんですよ。舞台の上の娘役より娘役っぽいっていうか、「いいおうちで育ったんだろうな」と思わせる上品なお嬢様だったんですよ。お嬢様の常なのか、とっとと嫁に行ってしまい、そののちなんとなく親交も途絶えてしまいましたが。
そのマシュマロちゃんが「友だちのゆらちゃんをよろしくね(小首をかしげてにっこり)」とかゆーもんだから、「ゆらちゃん」もとびきりスウィートなふわふわかわいこちゃんだと思い込んでいたんですよ!!
や、友人のタイプと舞台人夏河ゆらはなんの関係もないけど。友だちだからって似てるとは限らないし、舞台の上とオフは別だし。
なのにわたしは、無意識に思っていたの。探していたの。
友人のマシュマロちゃんみたいな「夏河ゆら」を。
…………見つかるわけないじゃん。
「あれが夏河ゆら」だとわかると、思い当たる節がいろいろあった。
あー、あのときアレやってた人、アレもゆらちゃんだ……あ、あの役も今思えばゆらちゃんじゃん……。
以来、夏河ゆら氏は、「ハートブレイクなヒト」として、わたしの胸に刻まれておりました。
衝撃受けたのはわたしの勝手なんだが。それはわかっているんだが。
だってさ。
とびきりあまーい「みるくここあ」だと思って飲んだら、とびきり強烈な「ブラックコーヒー」だったみたいな、口押さえてそのへん走り回りそうになるよーな感じの出会いだったのよ(笑)。
個性派女優夏河ゆら、怪進撃中。
ハートブレイクなあなた、ゆらちゃん。
ゆらちゃんを見るたび、マシュマロちゃんのかわいい無垢な笑顔と、「アレが夏河ゆら」とわかったときの衝撃を思い返す。
マシュマロちゃんとはもう年賀状だけのつきあいになってしまったけれど、ゆらちゃんだけはずーっとそこにいてくれる。
マシュマロちゃんは名字が変わって、なんか別の人みたいになっちゃったけど、ゆらちゃんは同じ名前でずーっとそこにいてくれる。
それがうれしい。
変わり続けるこの世界で、流れの速すぎるこの現代で、変わらずにあるモノ。
それが、うれしい。
ずっといてくれると思っていたから、「変わらないモノ」であって欲しいと思っていたから、退団発表は寂しかった。
寿退団だと聞き、納得しつつもおどろいた(笑)。
エンターティナーゆらさん。
いつも「やりすぎ」ってくらい、やってくれた。
わたしのお気に入り席(笑)である下手最前列にいるとき、ゆらさんがそばに来るとうれしかった。サービス満点、目線も笑顔も雨あられ。てゆーかこわい(失礼な)。
見ていると、見つめ返してくれる、その心配りがうれしかった。
ゆらさんの挨拶が好きで、初日・千秋楽のたのしみのひとつだったな。原稿を読むのではなく、ちゃんと前を向いて話してくれる、よどみのない声。
あと、友だちに言われるまで気づかなかったけれど、ゆらさんは専科生を紹介するとき、自分より上でも下でも等しく「さん付け」で呼んでいたっけ。
タカラヅカは不思議なところで、上級生は「さん付け」するけど下級生は呼び捨て。「専科のお二方から多大なお力を……」とか言いながら、ひとりは「さん付け」でひとりは呼び捨て。そーゆーおかしなことをゆらさんはしないのだ、と。
……コレ最近は、そーでもなかったよーな気がする。途中で方針変えた?
でも、友人から言われてから最初に気をつけて聞いていたとき、「あっ、すげー」と感心したなー。下級生を「さん付け」してるー、と。
ゆらさんときちんとお別れするために、星『コパ』楽を捨ててムラへ行った。
やっぱり夏河ゆらは、変わらぬハートブレイカーぶりを発揮していたよ。
ええ、濃いってばよ!(笑)
芝居のノリノリコーラスも、ショーのアダルトでパワフルなダンスも好き。
とくに、トドと踊るタンゴは絶品。
くぁあーっ、かーっこいいっ!!
大人の女っていいなっ。
トシ取るのは悪いことだけじゃない。そう思わせてくれる、大人の女。大人のカップル。
袴姿での挨拶に泣き、そのくせ、トドが挨拶している後ろでの顔芸に笑わせてもらい……最後まで「夏河ゆら」であり続けてくれた。
ケロファンにとっては大切な娘役ちゃんであるたまこちゃんの最後も愛しく見守り、しあわせな千秋楽が終わる。
退団者はみんなきれいだ。
すがすがしく、瑞々しく、きれいだ。
彼女たちの未来が明るいことを、心から祈る。
こっそり人混みの後ろから、出のお見送りをした。
たまこちゃんはかわいく美しく去っていったのだけど。
ゆら姐は。
濃かった。
袴姿で花を持って、なのにぴょんぴょん飛び跳ねていた。
顔芸もしこたまやっていった。
最後の最後まで、「夏河ゆら」。
あれほど見送る人が爆笑する袴姿の楽屋出もめずらしいのではないか。
みんな声に出して笑って、ゆらさんの乗る車(ゆらさん、自分でドア開けるんだもんよ、周囲の人があわててたぞ・笑)が行ってしまったあとで、一斉にハンカチ出していた。
別の会服着た人たちなのにね。みんな笑って、みんな泣くんだね。
笑って、泣いて。
そーやってタカラヅカは回っていく。
「こあらちゃん、タカラヅカ好きなの? じゃあ夏河ゆらって知ってる?」
知らない。何組の人? 男役? 娘役? わたし、雪組しか見てないから、他の組だったらまったくわかんない。
「月組の娘役。まだ下の方だと思うけど、私の友だちなの、見てあげてね」
わかった。じゃあ今度はじめて月組を観に行くんで、そのときがんばって探すね。
つーことでわたしの「夏河ゆら」体験は、まずは「名前」、次はプログラムの「写真」だった。
おおっ、美人さんだー! とよろこんだおぼえがある。よろこぶのも変だが、やっぱ美人さんだとうれしい。
でも実際の「舞台」での出会いは……いつだったろう?
最初に張り切って観に行ったときは、まーったくわかんなかった。
とーぜんだわな。
ヅカ初心者がはじめて観に行って、脇の下級生娘役まで見分けつくかっつーの。日本物だったからお化粧もチガウし。トップコンビと天海祐希ぐらいしか区別つかなかったわ。(ちなみに、天海3番手。2番手は印象に残らなかった……初心者っすから!)
金も時間もなかったわたしは、雪組以外ほとんど観に行くことがなかったので、「夏河ゆら」という人は、いつまで経っても「写真」だけの人だった。
「ゆらちゃんをよろしくね」と言った友人は、大のタカラヅカ嫌いだったので、決して一緒に「ゆらちゃんを見に行こう」てなことにはならなかった。
彼女は親が劇団関係者だったがゆえに「すみれの花園の裏側」を知っており、そのせいで「嫌い」なのだから、どーしよーもない。
「こあらちゃん、裏のことなんて知らない方がいいよ、幻滅するだけだから」
という言葉を、ヅカ初心者なわたしは素直に信じ、「うん、わたしもそーゆーの興味ないし、聞きたくないからいいー」と言って、ひとりで勝手に機嫌良く劇場に通っていた。
おかげで、「ゆらちゃん」がわからない。
友だちの幼なじみ、ゆらちゃんてのはどの子だーっ。
「舞台」での夏河ゆらと、友だちが言っていた「ゆらちゃん」がイコールになったときは、衝撃だった。
気づいたのは、最初に月組を観に行ったときから何年もあとだ。
誰だかわかんないままに観ていた『チェーザレ・ボルジア』の女領主カテリーナがその「ゆらちゃん」だと気づいたとき。
あれかーっ!!
と、なんか、ひとりで衝撃を受けていた。
なんつーかね、思いこみ、つーのがあってだね。
わたしの友人は、すげーかわいいこだったんですよ。可憐で小柄でマシュマロみたいなスウィートちゃんだったんですよ。舞台の上の娘役より娘役っぽいっていうか、「いいおうちで育ったんだろうな」と思わせる上品なお嬢様だったんですよ。お嬢様の常なのか、とっとと嫁に行ってしまい、そののちなんとなく親交も途絶えてしまいましたが。
そのマシュマロちゃんが「友だちのゆらちゃんをよろしくね(小首をかしげてにっこり)」とかゆーもんだから、「ゆらちゃん」もとびきりスウィートなふわふわかわいこちゃんだと思い込んでいたんですよ!!
や、友人のタイプと舞台人夏河ゆらはなんの関係もないけど。友だちだからって似てるとは限らないし、舞台の上とオフは別だし。
なのにわたしは、無意識に思っていたの。探していたの。
友人のマシュマロちゃんみたいな「夏河ゆら」を。
…………見つかるわけないじゃん。
「あれが夏河ゆら」だとわかると、思い当たる節がいろいろあった。
あー、あのときアレやってた人、アレもゆらちゃんだ……あ、あの役も今思えばゆらちゃんじゃん……。
以来、夏河ゆら氏は、「ハートブレイクなヒト」として、わたしの胸に刻まれておりました。
衝撃受けたのはわたしの勝手なんだが。それはわかっているんだが。
だってさ。
とびきりあまーい「みるくここあ」だと思って飲んだら、とびきり強烈な「ブラックコーヒー」だったみたいな、口押さえてそのへん走り回りそうになるよーな感じの出会いだったのよ(笑)。
個性派女優夏河ゆら、怪進撃中。
ハートブレイクなあなた、ゆらちゃん。
ゆらちゃんを見るたび、マシュマロちゃんのかわいい無垢な笑顔と、「アレが夏河ゆら」とわかったときの衝撃を思い返す。
マシュマロちゃんとはもう年賀状だけのつきあいになってしまったけれど、ゆらちゃんだけはずーっとそこにいてくれる。
マシュマロちゃんは名字が変わって、なんか別の人みたいになっちゃったけど、ゆらちゃんは同じ名前でずーっとそこにいてくれる。
それがうれしい。
変わり続けるこの世界で、流れの速すぎるこの現代で、変わらずにあるモノ。
それが、うれしい。
ずっといてくれると思っていたから、「変わらないモノ」であって欲しいと思っていたから、退団発表は寂しかった。
寿退団だと聞き、納得しつつもおどろいた(笑)。
エンターティナーゆらさん。
いつも「やりすぎ」ってくらい、やってくれた。
わたしのお気に入り席(笑)である下手最前列にいるとき、ゆらさんがそばに来るとうれしかった。サービス満点、目線も笑顔も雨あられ。てゆーかこわい(失礼な)。
見ていると、見つめ返してくれる、その心配りがうれしかった。
ゆらさんの挨拶が好きで、初日・千秋楽のたのしみのひとつだったな。原稿を読むのではなく、ちゃんと前を向いて話してくれる、よどみのない声。
あと、友だちに言われるまで気づかなかったけれど、ゆらさんは専科生を紹介するとき、自分より上でも下でも等しく「さん付け」で呼んでいたっけ。
タカラヅカは不思議なところで、上級生は「さん付け」するけど下級生は呼び捨て。「専科のお二方から多大なお力を……」とか言いながら、ひとりは「さん付け」でひとりは呼び捨て。そーゆーおかしなことをゆらさんはしないのだ、と。
……コレ最近は、そーでもなかったよーな気がする。途中で方針変えた?
でも、友人から言われてから最初に気をつけて聞いていたとき、「あっ、すげー」と感心したなー。下級生を「さん付け」してるー、と。
ゆらさんときちんとお別れするために、星『コパ』楽を捨ててムラへ行った。
やっぱり夏河ゆらは、変わらぬハートブレイカーぶりを発揮していたよ。
ええ、濃いってばよ!(笑)
芝居のノリノリコーラスも、ショーのアダルトでパワフルなダンスも好き。
とくに、トドと踊るタンゴは絶品。
くぁあーっ、かーっこいいっ!!
大人の女っていいなっ。
トシ取るのは悪いことだけじゃない。そう思わせてくれる、大人の女。大人のカップル。
袴姿での挨拶に泣き、そのくせ、トドが挨拶している後ろでの顔芸に笑わせてもらい……最後まで「夏河ゆら」であり続けてくれた。
ケロファンにとっては大切な娘役ちゃんであるたまこちゃんの最後も愛しく見守り、しあわせな千秋楽が終わる。
退団者はみんなきれいだ。
すがすがしく、瑞々しく、きれいだ。
彼女たちの未来が明るいことを、心から祈る。
こっそり人混みの後ろから、出のお見送りをした。
たまこちゃんはかわいく美しく去っていったのだけど。
ゆら姐は。
濃かった。
袴姿で花を持って、なのにぴょんぴょん飛び跳ねていた。
顔芸もしこたまやっていった。
最後の最後まで、「夏河ゆら」。
あれほど見送る人が爆笑する袴姿の楽屋出もめずらしいのではないか。
みんな声に出して笑って、ゆらさんの乗る車(ゆらさん、自分でドア開けるんだもんよ、周囲の人があわててたぞ・笑)が行ってしまったあとで、一斉にハンカチ出していた。
別の会服着た人たちなのにね。みんな笑って、みんな泣くんだね。
笑って、泣いて。
そーやってタカラヅカは回っていく。
谷正純進化中。@やらずの雨
2006年6月16日 タカラヅカ 人情落語シリーズ3本目『やらずの雨』初日。
予備知識はまったくナシ、キムくんが主演、2番手が雪組デビューのひろみちゃん、ヒロインが転向したてのちとせちゃん、というだけしかわかっていない。落語の基礎知識もなにもないしな。
わたしは笑いのツボが少ない人間なので、喜劇とやらで笑うのがけっこー難しい。ふつーの人より笑えないんだよなー。まあそのかわり泣きツボがふつーの人の何倍もあるみたいだから、人生の釣り合いはとれてるんだろー。
これみよがしな「笑い」の押しつけが苦手で辟易してしまう性質なんだが、そのへんは覚悟を決めて観劇。3作目だもんな、いい加減こっちも慣れる(笑)。
材木問屋の若旦那徳兵衛@キムの波瀾万丈、人生山アリ谷アリ七転び八起き。いやあ、人生大忙しですね。
徳兵衛くん(花の23歳独身)は、超堅物の世間知らず。真面目が過ぎるっつーんで周囲が心配していきなりプロ中のプロ、花魁によるご指導をお膳立て。で、怒濤の初体験。
よっぽどヨかったらしく(凄腕だな花魁・笑)、 すっかりそっちに目覚めてしまった徳兵衛くん(花の26歳独身)は遊びの達人まっしぐら。芸者衆をはべらし、ついでに美少年太鼓持ち一八@ひろみをはべらし、じつはいい男の乞食・菰平@彩夏涼をはべらし、総攻道まっしぐら。
ところが驕る平家は久しからず、ついに勘当されて無一文に。金の切れ目が縁の切れ目、あれほど徳兵衛くんをちやほやした人々が去っていった。お安く絶望して身投げしようとした彼を拾ったのが芸者のお初@ちとせだった。
お初姐さんに怒鳴り倒されながら、徳兵衛くんの社会復帰がはじまる。まずは額に汗して働け!
お初怖さに嫌々労働にいそしむ徳兵衛ははじめて、人情というものを知るが……。
とにかく二転三転する徳兵衛の人生。人格がそのたびチガウ気もするが細かいことはキニシナイ!
作品の出来はともかく、「タカラヅカでやる人情落語もの」としての意義、企画・演出の腕が上がっていることに瞠目。
まず、舞台美術が派手だ。
作りつけの船宿だけでなく、吉原になったり川縁だったり川だったりと多彩に変化する。
衣装いろいろ、役もいろいろ。
下級生たちがいろーんな役で、通行人ひとつにまでなにかしら意欲満々に取り組んでいる。きちんとした「*番手」というような大きな役ではないが、それぞれ見せ場をもらい、顔を売り、この役を演じこの舞台に出ることが彼らの血肉になるだろうことが観ていてわかる。
そしてコレがいちばん大きいと思うんだが。
主役が、タカラヅカ的二枚目だ。
過去2作は、たしかにおもしろかったが、主人公はかっこよくなかった。笑わせることを主眼にしたため、主人公はとことんバカで情けない男だった。
それでも魅力がある、魅力を出す、のが男役スターの仕事だが、役のかっこわるさゆえに「タカラヅカでコレをやる意味があるのか?」という疑問がついてまわった。や、わたしは好きだったし、たのしんだけどな。たのしかったのは結果論であって、企画への疑問とは別の話よ。
落語の主役じゃ、タカラヅカ的じゃない。まぬけだったり卑怯だったり情けなかったりして、そーゆー面をことさら滑稽に演じ笑われるのは、ヅカのヒーローじゃない。
『なみだ橋』はまだ主役とヒロインが恋愛していたらしいが(らしい、て……)、『くらわんか』に至っては恋愛モノですらなかった。
それが3作目にしてはじめて、「タカラヅカの二枚目男役」が「ヒロインと恋愛」する話になった。
進化だよねえ、これは。
物語は3つのパートで成り立っている。
お堅いおぼっちゃまとどーしよーもない遊び人、そしてそれらを乗り越えたストイックないい男、と。
同じシチュエーションを繰り返すことで笑いを取る手法なんだが、それぞれ3つのパートのとくべーさんは別人。まともに考えたら「ありえねー」のひとことで終わってしまうが、まあそれも「お約束」だから問うのは野暮ってもんだろう。
長い1幕でおぼっちゃまと遊び人をやってしまい、短い2幕で二枚目をやる。
この2幕がねー、別人ぶりが際立っていてねー。てゆーか、1幕のことなんか「なかったこと」にした方がよくないか?ってくらい、ふつーにタカラヅカ的二枚目。
立ち方も発声も、なにもかもチガウ。
ヒロインお初も別人みたくしっとりしているし(笑)、「いっそ2幕だけで別芝居やってくれよ」というあきらかに別次元。
この2幕があるだけで、よっぽどよかったんじゃないのか? 1幕はまあ、お勉強ってことで。
今までの落語シリーズは1幕だけのテイストで、それにヅカ的な2幕がオマケでついているから、進化。
キムくんがうまいことは、べつにもう言うまでもない。
1幕の三枚目もうまいし、うってかわった2幕の二枚目もいい。
まあ、予想通り、てのがいちばんキムの弱点なのかもしれない。
ヒロインのちとせちゃんは、大変なことになってたな(笑)。
でけー。
お化粧も微妙?
きれいに見える角度と、そうでない角度の差が大きいというか、そうでない角度が多すぎるというか……。
正直、「なんでこの子がヒロインなんだろう……」と首を傾げていたんだが(ファンの台詞か)、2幕で歌い出した瞬間に、納得した(笑)。
そうとも、こーゆー武器があるから強いんだよな、ちとせちゃん。組配属当初から歌では抜擢されてたんだから。
とはいえ、新公ですらまともに台詞のある役をもらっていない研4の子が、いきなりの抜擢でよくここまでやったもんだ。
これからもがんばってほしい。
ひろみちゃんは雪組馴染みがよく眼福。合うよね。キムと並ぶと、サイズ的にもかわいこちゃん具合もお似合い。
まさか組替え一発目がここまで完璧にお笑い路線になるとは思ってなかったが、殻を破る意味ではよかったのかも。
にしてもこの太鼓持ちくん、後半、なんの脈絡もなく徳兵衛@キムへ愛の告白をはじめて、びっくりした。
なんなんだアレは。なくてもいいのに、突然語り出すからウケたぞ(笑)。
あと雪組下級生、見事に誰も知らなくて、おどろいた。
いや、何人かは知っているカオもあるんだが、わからん度の高さは他組のエンカレやヤンブラ以上だ(笑)。
なのに。
みんな、ふつーにうまくて、さらにおどろいた。
雪組、すげーなー。
過去2作の落語シリーズ、主役周辺以外はどえらいことになってたのに、雪組下級生たちの基礎力の高さはナニ?
……でも、誰が誰だか、ちっともわかんないまま終わった……。
作品としては、落語シリーズ中いちばん進化しているとは思うけれど。
まったく萌えなかった……。
せっかくひろみちゃんが、キムに愛の告白してるのになあ。どーもチガウんだよなあ。
シリーズでどれが好きかというと、『くらわんか』がいちばん好きだったなあ。下級生のへたっぴ具合ではワースト作品のはずなんだが(笑)。
『くらわんか』のときも思ったけど谷せんせ、男と女は「笑い」のセンスがチガウから、「男ギャグ」で落語作品を作り続けるのはどうかと思うよ? 男は笑えても、女は眉をひそめる系の笑いを使い過ぎ。虱ネタとかセックスネタとか、女性は絶対好きじゃないって。
予備知識はまったくナシ、キムくんが主演、2番手が雪組デビューのひろみちゃん、ヒロインが転向したてのちとせちゃん、というだけしかわかっていない。落語の基礎知識もなにもないしな。
わたしは笑いのツボが少ない人間なので、喜劇とやらで笑うのがけっこー難しい。ふつーの人より笑えないんだよなー。まあそのかわり泣きツボがふつーの人の何倍もあるみたいだから、人生の釣り合いはとれてるんだろー。
これみよがしな「笑い」の押しつけが苦手で辟易してしまう性質なんだが、そのへんは覚悟を決めて観劇。3作目だもんな、いい加減こっちも慣れる(笑)。
材木問屋の若旦那徳兵衛@キムの波瀾万丈、人生山アリ谷アリ七転び八起き。いやあ、人生大忙しですね。
徳兵衛くん(花の23歳独身)は、超堅物の世間知らず。真面目が過ぎるっつーんで周囲が心配していきなりプロ中のプロ、花魁によるご指導をお膳立て。で、怒濤の初体験。
よっぽどヨかったらしく(凄腕だな花魁・笑)、 すっかりそっちに目覚めてしまった徳兵衛くん(花の26歳独身)は遊びの達人まっしぐら。芸者衆をはべらし、ついでに美少年太鼓持ち一八@ひろみをはべらし、じつはいい男の乞食・菰平@彩夏涼をはべらし、総攻道まっしぐら。
ところが驕る平家は久しからず、ついに勘当されて無一文に。金の切れ目が縁の切れ目、あれほど徳兵衛くんをちやほやした人々が去っていった。お安く絶望して身投げしようとした彼を拾ったのが芸者のお初@ちとせだった。
お初姐さんに怒鳴り倒されながら、徳兵衛くんの社会復帰がはじまる。まずは額に汗して働け!
お初怖さに嫌々労働にいそしむ徳兵衛ははじめて、人情というものを知るが……。
とにかく二転三転する徳兵衛の人生。人格がそのたびチガウ気もするが細かいことはキニシナイ!
作品の出来はともかく、「タカラヅカでやる人情落語もの」としての意義、企画・演出の腕が上がっていることに瞠目。
まず、舞台美術が派手だ。
作りつけの船宿だけでなく、吉原になったり川縁だったり川だったりと多彩に変化する。
衣装いろいろ、役もいろいろ。
下級生たちがいろーんな役で、通行人ひとつにまでなにかしら意欲満々に取り組んでいる。きちんとした「*番手」というような大きな役ではないが、それぞれ見せ場をもらい、顔を売り、この役を演じこの舞台に出ることが彼らの血肉になるだろうことが観ていてわかる。
そしてコレがいちばん大きいと思うんだが。
主役が、タカラヅカ的二枚目だ。
過去2作は、たしかにおもしろかったが、主人公はかっこよくなかった。笑わせることを主眼にしたため、主人公はとことんバカで情けない男だった。
それでも魅力がある、魅力を出す、のが男役スターの仕事だが、役のかっこわるさゆえに「タカラヅカでコレをやる意味があるのか?」という疑問がついてまわった。や、わたしは好きだったし、たのしんだけどな。たのしかったのは結果論であって、企画への疑問とは別の話よ。
落語の主役じゃ、タカラヅカ的じゃない。まぬけだったり卑怯だったり情けなかったりして、そーゆー面をことさら滑稽に演じ笑われるのは、ヅカのヒーローじゃない。
『なみだ橋』はまだ主役とヒロインが恋愛していたらしいが(らしい、て……)、『くらわんか』に至っては恋愛モノですらなかった。
それが3作目にしてはじめて、「タカラヅカの二枚目男役」が「ヒロインと恋愛」する話になった。
進化だよねえ、これは。
物語は3つのパートで成り立っている。
お堅いおぼっちゃまとどーしよーもない遊び人、そしてそれらを乗り越えたストイックないい男、と。
同じシチュエーションを繰り返すことで笑いを取る手法なんだが、それぞれ3つのパートのとくべーさんは別人。まともに考えたら「ありえねー」のひとことで終わってしまうが、まあそれも「お約束」だから問うのは野暮ってもんだろう。
長い1幕でおぼっちゃまと遊び人をやってしまい、短い2幕で二枚目をやる。
この2幕がねー、別人ぶりが際立っていてねー。てゆーか、1幕のことなんか「なかったこと」にした方がよくないか?ってくらい、ふつーにタカラヅカ的二枚目。
立ち方も発声も、なにもかもチガウ。
ヒロインお初も別人みたくしっとりしているし(笑)、「いっそ2幕だけで別芝居やってくれよ」というあきらかに別次元。
この2幕があるだけで、よっぽどよかったんじゃないのか? 1幕はまあ、お勉強ってことで。
今までの落語シリーズは1幕だけのテイストで、それにヅカ的な2幕がオマケでついているから、進化。
キムくんがうまいことは、べつにもう言うまでもない。
1幕の三枚目もうまいし、うってかわった2幕の二枚目もいい。
まあ、予想通り、てのがいちばんキムの弱点なのかもしれない。
ヒロインのちとせちゃんは、大変なことになってたな(笑)。
でけー。
お化粧も微妙?
きれいに見える角度と、そうでない角度の差が大きいというか、そうでない角度が多すぎるというか……。
正直、「なんでこの子がヒロインなんだろう……」と首を傾げていたんだが(ファンの台詞か)、2幕で歌い出した瞬間に、納得した(笑)。
そうとも、こーゆー武器があるから強いんだよな、ちとせちゃん。組配属当初から歌では抜擢されてたんだから。
とはいえ、新公ですらまともに台詞のある役をもらっていない研4の子が、いきなりの抜擢でよくここまでやったもんだ。
これからもがんばってほしい。
ひろみちゃんは雪組馴染みがよく眼福。合うよね。キムと並ぶと、サイズ的にもかわいこちゃん具合もお似合い。
まさか組替え一発目がここまで完璧にお笑い路線になるとは思ってなかったが、殻を破る意味ではよかったのかも。
にしてもこの太鼓持ちくん、後半、なんの脈絡もなく徳兵衛@キムへ愛の告白をはじめて、びっくりした。
なんなんだアレは。なくてもいいのに、突然語り出すからウケたぞ(笑)。
あと雪組下級生、見事に誰も知らなくて、おどろいた。
いや、何人かは知っているカオもあるんだが、わからん度の高さは他組のエンカレやヤンブラ以上だ(笑)。
なのに。
みんな、ふつーにうまくて、さらにおどろいた。
雪組、すげーなー。
過去2作の落語シリーズ、主役周辺以外はどえらいことになってたのに、雪組下級生たちの基礎力の高さはナニ?
……でも、誰が誰だか、ちっともわかんないまま終わった……。
作品としては、落語シリーズ中いちばん進化しているとは思うけれど。
まったく萌えなかった……。
せっかくひろみちゃんが、キムに愛の告白してるのになあ。どーもチガウんだよなあ。
シリーズでどれが好きかというと、『くらわんか』がいちばん好きだったなあ。下級生のへたっぴ具合ではワースト作品のはずなんだが(笑)。
『くらわんか』のときも思ったけど谷せんせ、男と女は「笑い」のセンスがチガウから、「男ギャグ」で落語作品を作り続けるのはどうかと思うよ? 男は笑えても、女は眉をひそめる系の笑いを使い過ぎ。虱ネタとかセックスネタとか、女性は絶対好きじゃないって。
共通のテーマだから。@暁のローマ
2006年6月15日 タカラヅカ 実はまだ、ぜんぜん語り足りていないのだ、『暁のローマ』。
作劇に文句はある。
もっと練り込むべきだったと思うし、成功しているとは思っていない。
主演俳優の薄さに、かなーり物足りないものを感じてもいる。主演がちがったらどーなっただろう、とかも考える。
それでも、この作品が好きだ。
主演俳優を好きだったら、あるいは、主役の演技がツボっていれば、気の狂ったよーに通っていると思う(笑)。実際、同じよーにいろいろやばい作品だった『スサノオ』には通ったぞ、えらい回数。
や、あさこちゃん好きだけど、今回はダメだな、と。真ん中、他のキャラクタにも作品自体にも負けっぱなしだ……。
漫才ではじまりクライマックスのあとに漫才が入り、さらに「なんでもアリ!」てなおちゃらけフィナーレでお茶を濁して終わる。
……ことに、不満を感じていた。
正直漫才はいらないと、今でも思う。
でもフィナーレはアリかもなと思っている。
だってさ。
どさくさにまぎれて、フィナーレで、テーマを歌ってるよね?
そこまでで描かれていたのは、悲劇。
人間たちの汚さ。弱さ。愚かさ。
それらを全部するっと超えて、肯定して、そのうえでたのしく歌い踊り。
カエサル、ブルータス、アントニウス、オクタヴィアヌス、それからカシウスも他の暗殺者たちも、みんなみんな、ローマを狙っている。
ローマを自分のものにしたいと思っている。
男はみんな王になりたい。
私欲?
いや。私欲と善意の境目なんか、言い訳でしかない。
ローマはみんなのもの、と歌うブルータスと、ローマは私のもの、と歌う他の男たちと、ちがいなんかない。
「どんな悪い結果に終わった行いも、もとは善意からはじめられた」ように。
次々現れる男たちが、みんなローマを狙っている。みんなそれぞれの思いで、幸福になりたいと思っている。
誰ひとり、破壊しようとして、マイナスの意味で王になりたいわけじゃない。
自分自身のためであろうと他人のためであろうと、幸福が欲しくて前へ進んでいるんだ。誰もがみな。
だから、その原動力が私欲であれ善意であれ、区別など無意味だ。
ローマは誰のもの?
ローマをどうしたい?
誰のものであろうと、目指すものはひとつだろう?
幸福になりたい。
じゃあ、どうやって?
カエサルは自分が治めることで、ローマを幸福にしようとした。
アントニウスや他の野心家たちは、自分が幸福になることで自分の治めるローマを幸福にしようとした。
ブルータスは共和制で、ローマを幸福にしようとした。
目的はひとつ。
でも。
方法は、ひとつじゃない。
誰も彼もが、願っている。
誰も彼もが、それぞれの想いがある。
正義はひとつではないし、真実だってひとつではないんだ。
人間の数だけ、正義も真実もあるんだよ。
正義をひとつだと、真実をひとつだと思うから、自分が思う以外のものを許せなくなるんだ。
自分以外の価値観を許せなくなり、攻撃するようになるんだ。
「正しいのはいつも自分、愚かなのはいつも相手」
「もう3500年もこうして彷徨っている。見ろ、なにも変わっちゃいない」
「20年経っても 200年経っても 2000年経っても 何も変わりはしなかった!」
ローマは誰のもの?
カエサルとブルータスは歌う。ローマをどうするかで争い、悲劇に終わった男たちが笑いながら歌う。
「たとえ、愛し方はちがっても!」
ひとつじゃないのよ。
ちがう正義を信じた男たちが、「ちがう」ことを認め合う瞬間。
『暁のローマ』が悲劇なままで終わらず、ハッピーエンドになる瞬間。
ひとりずつチガウ人間たちが、チガウことを認めたうえで笑って一緒に歌う。
「どうして生きて死んでいく、その問いかけに答えたくて」
「アイシテイル」と。
ローマを愛している。
たとえ、愛し方はちがっても。
チガウから、いいんだよ。
ちがわなきゃダメだよ。
チガウから、争うし、傷つくけど。
「ひとつの心」しか認められないんじゃダメなんだよ。
人間の数だけ心があるんだもの。
そのうえで、生きていくんだ。
難しいけれど。苦しいけれど。
愛しているから。
同じものしか愛せないのではなく、チガウことがわかってもなお。
それでも、人生は続き、歴史は続く。
間違いながら、迷いながら。
悲劇を描き、肯定で終わる。
陽気なフィナーレである以上に。
「人間」を肯定して終わるんだ。
「すべての人に許しを、すべての恨みに許しを」
「祈ろう明日を、この地上にこそ希望を」
「恵まれて恵まれて、花は開く、いつしか実る」
アイシテイル、から。
作劇に文句はある。
もっと練り込むべきだったと思うし、成功しているとは思っていない。
主演俳優の薄さに、かなーり物足りないものを感じてもいる。主演がちがったらどーなっただろう、とかも考える。
それでも、この作品が好きだ。
主演俳優を好きだったら、あるいは、主役の演技がツボっていれば、気の狂ったよーに通っていると思う(笑)。実際、同じよーにいろいろやばい作品だった『スサノオ』には通ったぞ、えらい回数。
や、あさこちゃん好きだけど、今回はダメだな、と。真ん中、他のキャラクタにも作品自体にも負けっぱなしだ……。
漫才ではじまりクライマックスのあとに漫才が入り、さらに「なんでもアリ!」てなおちゃらけフィナーレでお茶を濁して終わる。
……ことに、不満を感じていた。
正直漫才はいらないと、今でも思う。
でもフィナーレはアリかもなと思っている。
だってさ。
どさくさにまぎれて、フィナーレで、テーマを歌ってるよね?
そこまでで描かれていたのは、悲劇。
人間たちの汚さ。弱さ。愚かさ。
それらを全部するっと超えて、肯定して、そのうえでたのしく歌い踊り。
カエサル、ブルータス、アントニウス、オクタヴィアヌス、それからカシウスも他の暗殺者たちも、みんなみんな、ローマを狙っている。
ローマを自分のものにしたいと思っている。
男はみんな王になりたい。
私欲?
いや。私欲と善意の境目なんか、言い訳でしかない。
ローマはみんなのもの、と歌うブルータスと、ローマは私のもの、と歌う他の男たちと、ちがいなんかない。
「どんな悪い結果に終わった行いも、もとは善意からはじめられた」ように。
次々現れる男たちが、みんなローマを狙っている。みんなそれぞれの思いで、幸福になりたいと思っている。
誰ひとり、破壊しようとして、マイナスの意味で王になりたいわけじゃない。
自分自身のためであろうと他人のためであろうと、幸福が欲しくて前へ進んでいるんだ。誰もがみな。
だから、その原動力が私欲であれ善意であれ、区別など無意味だ。
ローマは誰のもの?
ローマをどうしたい?
誰のものであろうと、目指すものはひとつだろう?
幸福になりたい。
じゃあ、どうやって?
カエサルは自分が治めることで、ローマを幸福にしようとした。
アントニウスや他の野心家たちは、自分が幸福になることで自分の治めるローマを幸福にしようとした。
ブルータスは共和制で、ローマを幸福にしようとした。
目的はひとつ。
でも。
方法は、ひとつじゃない。
誰も彼もが、願っている。
誰も彼もが、それぞれの想いがある。
正義はひとつではないし、真実だってひとつではないんだ。
人間の数だけ、正義も真実もあるんだよ。
正義をひとつだと、真実をひとつだと思うから、自分が思う以外のものを許せなくなるんだ。
自分以外の価値観を許せなくなり、攻撃するようになるんだ。
「正しいのはいつも自分、愚かなのはいつも相手」
「もう3500年もこうして彷徨っている。見ろ、なにも変わっちゃいない」
「20年経っても 200年経っても 2000年経っても 何も変わりはしなかった!」
ローマは誰のもの?
カエサルとブルータスは歌う。ローマをどうするかで争い、悲劇に終わった男たちが笑いながら歌う。
「たとえ、愛し方はちがっても!」
ひとつじゃないのよ。
ちがう正義を信じた男たちが、「ちがう」ことを認め合う瞬間。
『暁のローマ』が悲劇なままで終わらず、ハッピーエンドになる瞬間。
ひとりずつチガウ人間たちが、チガウことを認めたうえで笑って一緒に歌う。
「どうして生きて死んでいく、その問いかけに答えたくて」
「アイシテイル」と。
ローマを愛している。
たとえ、愛し方はちがっても。
チガウから、いいんだよ。
ちがわなきゃダメだよ。
チガウから、争うし、傷つくけど。
「ひとつの心」しか認められないんじゃダメなんだよ。
人間の数だけ心があるんだもの。
そのうえで、生きていくんだ。
難しいけれど。苦しいけれど。
愛しているから。
同じものしか愛せないのではなく、チガウことがわかってもなお。
それでも、人生は続き、歴史は続く。
間違いながら、迷いながら。
悲劇を描き、肯定で終わる。
陽気なフィナーレである以上に。
「人間」を肯定して終わるんだ。
「すべての人に許しを、すべての恨みに許しを」
「祈ろう明日を、この地上にこそ希望を」
「恵まれて恵まれて、花は開く、いつしか実る」
アイシテイル、から。
彼は殉教者。@フェット・アンペリアル
2006年6月14日 タカラヅカ 世界でただひとり認識、されちゃいました……(笑)。
前日欄で、サマービル@水輝涼×ニール@すずみん萌えしてるのって、わたしだけかしら? と書いたら。
やーん。
他にもいるよね? ね?
きっと、サマービル×ニールで萌えた人は奥ゆかしい人見知りさんばっかしで、声をあげて賛同したりしないだけなのよきっと。そーにちがいないわ。
ちなみに、まっつファンだってほんとーはほんの何万人もいるけど、みんな地味に応援したいひとばかりだから声をあげないのよね。それと同じよね。そうよね?(涙目)
つーことで、需要がなくてもさらにサマービルの話(笑)。
わたしはたぶん、水輝涼が痩せていないから好きなんだと思います(笑)。
素の水輝涼は知らんよ。舞台の上な。
ヅカの美形男役にありがちな薄いカラダでスタイル抜群! でないから好き。
あのカラダの厚みがリアル男子っぽくていいの。ヲトメのあこがれる王子様には程遠いが、近所に住んでるチョイ悪なにーちゃん的でかっこいー。
と、エンカレのときから思った(笑)。
さて、その適度な厚みを持つサマービルくん。
最初に観たときは「悪役でかっこいい」でしかなかった。
だが、彼がどーゆー人生をたどるのかを理解して観た2度目の観劇時に、ツボにハマった。
ポイントは、彼が、主の裏切りを知っていたかどうか。
ブランメル@萬ケイ様は、なんかよくわかんねーまま真犯人だった人。せっかくこつこつ積み上げてきた人生を、逆ギレしてぶっ壊したとゆー、「そんなご都合主義って……」な悪役様。
サマービルはブランメルの部下。ブランメルに拾われ、彼に心酔しているという設定。
わたしの印象では、ブランメルは単体で悪だくみしており、サマービルにすら真実は打ち明けていなかったのではないかと。
ブランメルが英国を裏切っているのを知っており、その手下として働いているなら、サマービルのウィリアムたちに対する態度がちがっていると思うんだ。もっとブランメルのために、ウィリアムたちを厳しく見張っただろうと思う。
サマービルが真実を知ったのは、ほんとーにあの場でだったろうと思う。
だからこそ萌え。
サマービルが忠誠を誓っているのは祖国イギリスでも女王様でもなく、ブランメル個人であり、正義でも道徳でもなく、ブランメルのためだけに生きることが、彼の人生であるとゆーこと。
ブランメルが売国奴であったとしても謀反人であったとしても、そんなのぜんっぜん関係ない。サマービルに迷いは一切ない。
それが、萌え。
ただ、サマービル自身は、ブランメルの変化に気づいていたと思う。
サマービルだって昔からあそこまでひねくれていたわけではないだろうし、少年時代はほんとーに「英雄」としてブランメルを尊敬していたんぢゃないかな。
それが時が流れると共に変化して行き。……ブランメルもまた、やばい方向へ変化して行き。
たとえ真実を打ち明けられなくても、主がやばい方向に変わっていっていること、心を病んでいることには、気づいていただろう。
ただ。
どーでもよかったんだろう。ブランメルを唯一神と決めたときから。
彼が変わり、泥に堕ちても。
彼の行くところについていく覚悟だから、その方向なんかどーでもよかった。
彼の向く方向を向き、彼の敵を殺す。それだけしか考えていないから。
興味がないから、考えなかったんだろう。
だからなんの迷いもなく、裏切り者ブランメルのために銃を抜いたんだろう。
迷いなく、幸福で、あわれな男。
それが萌え。
ブランメルが英雄でもなんでもない、ただのつまんないメッキ男だとわかるだけに。設定のいい加減さや、萬ケイ様のアレな演技も含めて。
そんなしょーもない男を神とあがめて、破滅し、そのくせそれがまた満足そうなサマービルという男が、たまらなく萌え。
このどーしよーもないケダモノが、かわいいニールくんをエロ不幸にしてくれたら、至上の喜びです(笑)。
前日欄で、サマービル@水輝涼×ニール@すずみん萌えしてるのって、わたしだけかしら? と書いたら。
やーん。
他にもいるよね? ね?
きっと、サマービル×ニールで萌えた人は奥ゆかしい人見知りさんばっかしで、声をあげて賛同したりしないだけなのよきっと。そーにちがいないわ。
ちなみに、まっつファンだってほんとーはほんの何万人もいるけど、みんな地味に応援したいひとばかりだから声をあげないのよね。それと同じよね。そうよね?(涙目)
つーことで、需要がなくてもさらにサマービルの話(笑)。
わたしはたぶん、水輝涼が痩せていないから好きなんだと思います(笑)。
素の水輝涼は知らんよ。舞台の上な。
ヅカの美形男役にありがちな薄いカラダでスタイル抜群! でないから好き。
あのカラダの厚みがリアル男子っぽくていいの。ヲトメのあこがれる王子様には程遠いが、近所に住んでるチョイ悪なにーちゃん的でかっこいー。
と、エンカレのときから思った(笑)。
さて、その適度な厚みを持つサマービルくん。
最初に観たときは「悪役でかっこいい」でしかなかった。
だが、彼がどーゆー人生をたどるのかを理解して観た2度目の観劇時に、ツボにハマった。
ポイントは、彼が、主の裏切りを知っていたかどうか。
ブランメル@萬ケイ様は、なんかよくわかんねーまま真犯人だった人。せっかくこつこつ積み上げてきた人生を、逆ギレしてぶっ壊したとゆー、「そんなご都合主義って……」な悪役様。
サマービルはブランメルの部下。ブランメルに拾われ、彼に心酔しているという設定。
わたしの印象では、ブランメルは単体で悪だくみしており、サマービルにすら真実は打ち明けていなかったのではないかと。
ブランメルが英国を裏切っているのを知っており、その手下として働いているなら、サマービルのウィリアムたちに対する態度がちがっていると思うんだ。もっとブランメルのために、ウィリアムたちを厳しく見張っただろうと思う。
サマービルが真実を知ったのは、ほんとーにあの場でだったろうと思う。
だからこそ萌え。
サマービルが忠誠を誓っているのは祖国イギリスでも女王様でもなく、ブランメル個人であり、正義でも道徳でもなく、ブランメルのためだけに生きることが、彼の人生であるとゆーこと。
ブランメルが売国奴であったとしても謀反人であったとしても、そんなのぜんっぜん関係ない。サマービルに迷いは一切ない。
それが、萌え。
ただ、サマービル自身は、ブランメルの変化に気づいていたと思う。
サマービルだって昔からあそこまでひねくれていたわけではないだろうし、少年時代はほんとーに「英雄」としてブランメルを尊敬していたんぢゃないかな。
それが時が流れると共に変化して行き。……ブランメルもまた、やばい方向へ変化して行き。
たとえ真実を打ち明けられなくても、主がやばい方向に変わっていっていること、心を病んでいることには、気づいていただろう。
ただ。
どーでもよかったんだろう。ブランメルを唯一神と決めたときから。
彼が変わり、泥に堕ちても。
彼の行くところについていく覚悟だから、その方向なんかどーでもよかった。
彼の向く方向を向き、彼の敵を殺す。それだけしか考えていないから。
興味がないから、考えなかったんだろう。
だからなんの迷いもなく、裏切り者ブランメルのために銃を抜いたんだろう。
迷いなく、幸福で、あわれな男。
それが萌え。
ブランメルが英雄でもなんでもない、ただのつまんないメッキ男だとわかるだけに。設定のいい加減さや、萬ケイ様のアレな演技も含めて。
そんなしょーもない男を神とあがめて、破滅し、そのくせそれがまた満足そうなサマービルという男が、たまらなく萌え。
このどーしよーもないケダモノが、かわいいニールくんをエロ不幸にしてくれたら、至上の喜びです(笑)。
サマービルの方が年下だよね?−腐女子注意報−@フェット・アンペリアル
2006年6月13日 タカラヅカ「しあわせなら手を叩こう」
で、なんの迷いもなく手を叩いてしまったひとりです。
『フェット・アンペリアル』千秋楽。
普段ならニール@すずみんが「……しあわせですか?」とサマービル@水輝涼に言うところ。
千秋楽ではニール、いきなり歌い出しました。
で、舞台も客席も、なんの疑問もなく「パン、パン」と手を打った。
えええっ? アドリブだろコレ?! 舞台はともかく、どーして客席まで一糸乱れず手を叩くの?!!
自分もやっておきながら、星組クオリティに大ウケした一瞬。
千秋楽はほんと、遊びすぎ。
5分に1回お遊びっていうか、とにかく数え切れないほどアドリブとばしまくって、そのたび大爆笑になり、本来の物語が迷走していた。
アドリブはたのしいし、実際大笑いさせてもらったけど、正直やりすぎだと思ったよ。(とくにすずみさん。ほんっとーにあーたやりすぎ)
作品を堪能したかったので、いちいち笑いに邪魔されるのがつらかった。
それに、スカステで放送されるの、この千秋楽なんだよねえ……? ソフト化されないならなおさら、コレってまずいんじゃないの? 半永久的に残るのがこのお遊び命の物語置き去り、何度も笑いで中断する千秋楽映像だなんて、あんまりだ。
作品をきちんと残して欲しかったよ……。
千秋楽は、オマケみたいなもん。本来の『フェット…』は別物なんですよみなさん!
とまあ、苦言を呈しつつも。
千秋楽で、ホモ萌えしました。
終幕後、隣の席のサトリちゃんと抱き合って「いい公演だった、ありがとう!」と素直に感動していたのはたしかなんだが。
その足で劇場を出るかたわら、kineさんに、
「ニール@すずみんは、受だと思う? 攻だと思う?」
と真面目に訊ね、
「知りません」
と、一刀両断された。
ヘタレ攻が大好物のわたしは、ニールみたいなキャラは攻がいいんですよ、ほんと! あーゆーかわいい男は、かわいく攻をやるべきなんですってば。
だから迷ったんですが。
最終的に、ニールは受ということで、落ち着きました。
相手ですか?
もちろん、サマービル@水輝涼です。
「やっぱり」
大人なkineさんは頷くのです。
「緑野さんがカップリングするなら、絶対サマービル絡みだと思った」
kineさんねえ、本人腐女子ぢゃないそうですが、わたしの嗜好を読んでいるというか、たびたび言い当てるんですよねえ。
もともと、ニールとサマービルの絡みは好きだったんです。
ウィリアムとエンマを逃がすためにどさくさにまぎれるニールと、それを張り倒すサマービル、ニールの「……しあわせですか?」の台詞。
そのあとニールの大切なステッキを、嫌みったらしく弄ぶサマービルと「返せ!」と取り返すニール、「歌、うまかったじゃないか」とかなんとか、これまた皮肉たっぷり言い捨てるサマービル。
どっちも性格悪いキャラというか、「スネ夫がふたりで覇を競っている」って感じで愉快だったんですが。
千秋楽は、このふたりの我の張り合いがさらに愉快なことになっていて。
前述の「しあわせですか?」が、「しあわせなら手を叩こう」になってしまったので、ニールの決め台詞(笑)がひとつなくなったなー、と思っていたら、取り返すステッキと「歌、うまかったじゃないか」のくだりにスライドされていた。
いつもなら冷笑で去っていくサマービルが、戻ってくるんだもんよ。いつもより派手に「キーッ!」とサマービルの背中にステッキ振り上げて怒るアクションをしていたニールの前に。
怒ってステッキを振り上げてはみたものの、ニールくんは文化系青年、サマービルは武闘派。サマービルと正面切ってケンカできるはずもなく、じたばたと怒りアクションを誤魔化すニールが言う。「しあわせですか?」
ここでサマービル、ニールくんをぶん殴りでもするのかと思いきや。
歌い出すんだもの。
エンカレでその名を馳せた「いい声」で(笑)。
大真面目に、サマービルキャラのまま。
ニールが唖然とその背を見送るのがまた、すばらしくて(笑)。
なんなのこいつら。かわいすぎるっ。
わきわきわきっ、やほひセンサー感度良好、電波受信!!
サマービル×ニールって、すげーイイぢゃないですか!!
なにがイイって、ニールが不幸そうなところがですよ!!
サマービルなんかに惚れちゃったら、絶対不幸ですよ。
サマービル、最後死んでなくて、ふつーに刑務所送りになるわけですよ。んで、なんかニールは放っておけなくて、彼が極刑にならないよう尽力するわけですよ。
サマービルはブランメル命だから、主を亡くしたあと(ブランメル氏は取り調べ中に自殺とかがいいなあ)とても傍迷惑な自棄状態になっているのを、ニールが支えちゃったりするわけですよ。
できれば、拘留中のサマービル(拘禁服とか萌えですなっ。彼は凶暴なので人権無視のひどい状態で拘留されているの。ふふふ)を救うために骨を折って、そのどさくさでアヤマチまで行っちゃうといいですな。ニールが拘禁服をはずしてやるなり襲いかかられたりなー。よりによってニールが人払いしたあとで、助けを呼ぶこともできないとかなー。
ニールはもちろんシンシアと結婚して、息子のベニーなんかも作っちゃってるんですがね(息子、名前チガウって!)。
あーんなことがあったあとも、根が真面目なニールはその後何年もサマービルに面会に行ったり、なにかと気を配っているわけですよ。や、もう二度と襲われないように自衛しながら(笑)。
で、そののちサマービルが出所してきてから、彼が社会復帰できるようにがんばっちゃったりしてね。もちろん嫌味言いつつ。
いくらなんでも、お互いいいトシだから妙なことにはならないだろう、と油断しているニールに、いくつになってもケダモノのサマービルが牙を研いでいて……。
と、ドリームは留まるところを知りません!!
うーむ、サウフェ@王家に捧ぐ歌のときもすずみんは総受だったんだよな、そういえば。
今までとくに意識してなかったが、わたしにとってすずみさんは受キャラ認識なのかもしれん。
いやあ、彼は攻でもいい味出すと思うけどねえ。
ただ今回は、相手が悪かったということで。水輝涼が相手じゃ、受になるしかないよな、すずみん!(役名で言いましょう、誤解を受けます)
ところで、こんなカップリングで萌え萌えなのは、世界中で、わたしひとりなんでしょうか?
……孤独だニャ……。
で、なんの迷いもなく手を叩いてしまったひとりです。
『フェット・アンペリアル』千秋楽。
普段ならニール@すずみんが「……しあわせですか?」とサマービル@水輝涼に言うところ。
千秋楽ではニール、いきなり歌い出しました。
で、舞台も客席も、なんの疑問もなく「パン、パン」と手を打った。
えええっ? アドリブだろコレ?! 舞台はともかく、どーして客席まで一糸乱れず手を叩くの?!!
自分もやっておきながら、星組クオリティに大ウケした一瞬。
千秋楽はほんと、遊びすぎ。
5分に1回お遊びっていうか、とにかく数え切れないほどアドリブとばしまくって、そのたび大爆笑になり、本来の物語が迷走していた。
アドリブはたのしいし、実際大笑いさせてもらったけど、正直やりすぎだと思ったよ。(とくにすずみさん。ほんっとーにあーたやりすぎ)
作品を堪能したかったので、いちいち笑いに邪魔されるのがつらかった。
それに、スカステで放送されるの、この千秋楽なんだよねえ……? ソフト化されないならなおさら、コレってまずいんじゃないの? 半永久的に残るのがこのお遊び命の物語置き去り、何度も笑いで中断する千秋楽映像だなんて、あんまりだ。
作品をきちんと残して欲しかったよ……。
千秋楽は、オマケみたいなもん。本来の『フェット…』は別物なんですよみなさん!
とまあ、苦言を呈しつつも。
千秋楽で、ホモ萌えしました。
終幕後、隣の席のサトリちゃんと抱き合って「いい公演だった、ありがとう!」と素直に感動していたのはたしかなんだが。
その足で劇場を出るかたわら、kineさんに、
「ニール@すずみんは、受だと思う? 攻だと思う?」
と真面目に訊ね、
「知りません」
と、一刀両断された。
ヘタレ攻が大好物のわたしは、ニールみたいなキャラは攻がいいんですよ、ほんと! あーゆーかわいい男は、かわいく攻をやるべきなんですってば。
だから迷ったんですが。
最終的に、ニールは受ということで、落ち着きました。
相手ですか?
もちろん、サマービル@水輝涼です。
「やっぱり」
大人なkineさんは頷くのです。
「緑野さんがカップリングするなら、絶対サマービル絡みだと思った」
kineさんねえ、本人腐女子ぢゃないそうですが、わたしの嗜好を読んでいるというか、たびたび言い当てるんですよねえ。
もともと、ニールとサマービルの絡みは好きだったんです。
ウィリアムとエンマを逃がすためにどさくさにまぎれるニールと、それを張り倒すサマービル、ニールの「……しあわせですか?」の台詞。
そのあとニールの大切なステッキを、嫌みったらしく弄ぶサマービルと「返せ!」と取り返すニール、「歌、うまかったじゃないか」とかなんとか、これまた皮肉たっぷり言い捨てるサマービル。
どっちも性格悪いキャラというか、「スネ夫がふたりで覇を競っている」って感じで愉快だったんですが。
千秋楽は、このふたりの我の張り合いがさらに愉快なことになっていて。
前述の「しあわせですか?」が、「しあわせなら手を叩こう」になってしまったので、ニールの決め台詞(笑)がひとつなくなったなー、と思っていたら、取り返すステッキと「歌、うまかったじゃないか」のくだりにスライドされていた。
いつもなら冷笑で去っていくサマービルが、戻ってくるんだもんよ。いつもより派手に「キーッ!」とサマービルの背中にステッキ振り上げて怒るアクションをしていたニールの前に。
怒ってステッキを振り上げてはみたものの、ニールくんは文化系青年、サマービルは武闘派。サマービルと正面切ってケンカできるはずもなく、じたばたと怒りアクションを誤魔化すニールが言う。「しあわせですか?」
ここでサマービル、ニールくんをぶん殴りでもするのかと思いきや。
歌い出すんだもの。
エンカレでその名を馳せた「いい声」で(笑)。
大真面目に、サマービルキャラのまま。
ニールが唖然とその背を見送るのがまた、すばらしくて(笑)。
なんなのこいつら。かわいすぎるっ。
わきわきわきっ、やほひセンサー感度良好、電波受信!!
サマービル×ニールって、すげーイイぢゃないですか!!
なにがイイって、ニールが不幸そうなところがですよ!!
サマービルなんかに惚れちゃったら、絶対不幸ですよ。
サマービル、最後死んでなくて、ふつーに刑務所送りになるわけですよ。んで、なんかニールは放っておけなくて、彼が極刑にならないよう尽力するわけですよ。
サマービルはブランメル命だから、主を亡くしたあと(ブランメル氏は取り調べ中に自殺とかがいいなあ)とても傍迷惑な自棄状態になっているのを、ニールが支えちゃったりするわけですよ。
できれば、拘留中のサマービル(拘禁服とか萌えですなっ。彼は凶暴なので人権無視のひどい状態で拘留されているの。ふふふ)を救うために骨を折って、そのどさくさでアヤマチまで行っちゃうといいですな。ニールが拘禁服をはずしてやるなり襲いかかられたりなー。よりによってニールが人払いしたあとで、助けを呼ぶこともできないとかなー。
ニールはもちろんシンシアと結婚して、息子のベニーなんかも作っちゃってるんですがね(息子、名前チガウって!)。
あーんなことがあったあとも、根が真面目なニールはその後何年もサマービルに面会に行ったり、なにかと気を配っているわけですよ。や、もう二度と襲われないように自衛しながら(笑)。
で、そののちサマービルが出所してきてから、彼が社会復帰できるようにがんばっちゃったりしてね。もちろん嫌味言いつつ。
いくらなんでも、お互いいいトシだから妙なことにはならないだろう、と油断しているニールに、いくつになってもケダモノのサマービルが牙を研いでいて……。
と、ドリームは留まるところを知りません!!
うーむ、サウフェ@王家に捧ぐ歌のときもすずみんは総受だったんだよな、そういえば。
今までとくに意識してなかったが、わたしにとってすずみさんは受キャラ認識なのかもしれん。
いやあ、彼は攻でもいい味出すと思うけどねえ。
ただ今回は、相手が悪かったということで。水輝涼が相手じゃ、受になるしかないよな、すずみん!(役名で言いましょう、誤解を受けます)
ところで、こんなカップリングで萌え萌えなのは、世界中で、わたしひとりなんでしょうか?
……孤独だニャ……。
キャラ萌えしても、腐女子萌えに至らず。@フェット・アンペリアル
2006年6月12日 タカラヅカ ところで、すずみんが、素敵すぎるんですが。
『フェット・アンペリアル』の話。
もー、どーしましょー。
見たかった涼紫央がソコに!!
ウィリアム@しいちゃんにはヲトメとしてときめくんですが(笑)、ニール@すずみんには、腐女子としてときめきます。
わたしはいつものよーに、なんの予備知識もなく観ていたんだけど、周囲の人が言うわけですよ、「すずみん、悪役らしいよ」と。
ほー、そうなのか、悪役なのか。悪役のすずみんっていいよなあ、ふふふ。てなくらいの気持ちで観ていたら。
どこが悪役?! この、大嘘つきめ(笑)。
嫌味な嫌な奴、として登場したニールくん。よくあるいぢわるキャラとしてスタートしたのに、どんどんどんどん、わかってくる。その、かわいらしさが。
なんなのよー、この男。かわいいぢゃないのーっ。
俗に「2番手はオイシイ」というけれど、その「オイシイ2番手」の具現のよーだぞ、涼紫央!!
目を離せない、いじりたいキャラクタ。
ああなのに、しいちゃんとWだと、色気がなさ過ぎて萌えられない。何故そんなに健康的なんだお前ら。男ふたりで友情してるのに、そっち系にアタマが働かない〜〜っ。
エンマになってウィリアムと一緒に走り出したい、とは思うけど、ウィリアムでホモ萌えはできない……。くそーっ、ウィリアムには純粋ヲトメハートしか動かないわ。
そのため、ニールがどんだけいじられキャラであったとしても、相手役不在でカップル萌えできない……くやしい。
星組の大野作品って、どうしてこう、健全路線なの? 『花のいそぎ』もあまりもの健全さに目眩がしたもんだけど……大野せんせの星組イメージって健全健康優良児? そーいや『エピファニー』も健全だったなあ……男が男に惚れるエピソードも含まれていたのに……。
このかわいらしい物語で、ホモなのはブランメル@萬ケイ様とサマービル@水輝涼だけだ。
水輝涼。……エンカレでいちばん濃かったあの水輝涼。
今この男、キてるんですか? しゅんくんと対で踊ってたりしますけど? なんか、ひとりでものすげー色男ぶってますけど? いいんですか?
この物語で、たぶんいちばんの悪役サマービル。萬ケイ様に拾われ、お稚児さんしていたらしーが、どうもこの物語の時点では下克上済、サマービル×ブランメルだった模様。
萬ケイ様があまりにダメダメ受で、水輝涼がオトコマエ攻で、どーしよーかと。
萬ケイ様はもっと演技が巧い印象があったんだが、なんか今回ほんと精彩を欠いていた。どーしたんだ? 初日は台詞すっ飛ばしたり棒立ちになっていたり、体調悪い?と心配したくらいだ。
雰囲気色男だから、それだけでカタチにはなってるんだけど。脚本の粗を補うほどの演技はしていなかったなぁ。
萬ケイ様がいまいちだったので、水輝涼とのカップリングもいまいち映えなかった。残念。せっかく素敵なホモだったのに。
ホモになりそーでならないと言えば、星組が誇るロリショタキャラ麻尋しゅん。
エンカレで男臭さ全開で、「ボクが目指しているのはこっち!」と全身でアピールしていたのに、またしても子役かい。
気の毒になあ。彼自身がどれほど大人の色男を目指しても、与えられる役は子役ばかり。美少年に生まれるのも考え物だな。
ウィリアムの弟アーサー役。すでに軍人だから、子役ではないのだが、話し方も声も子役の範疇。BLのショタキャラポジ。
もっとちゃんと大人の男としての役作りも出来たろうに、わざわざショタキャラなのは演出家の意図なんだろうな。不自然なほどに子どもっぽかったもの。
そしてまた、うまいんだしゅんくん。ちゃんと自分の仕事をわきまえている。
だがわたしはロリショタ萌えする気はないので、「娘役が今回だけ男役をやっている?」みたいな役作りでは腐女子ハートは萎えるばかり。
てゆーか、なんでこう健康的なんだ。美形兄弟が愛憎やって抱擁したりしているのに。
腐女子的は、萌えツボをことごとくハズされて、ちと不完全燃焼でした。
ヲトメハートて盛り上がれたから、いいっちゃーいいんだが。両方あるとさらに盛り上がれるだけに、惜しいなと(笑)。
しかし千秋楽に、よーやくホモ萌えに着地するんだが、それはまた別欄で(笑)。
『フェット・アンペリアル』の話。
もー、どーしましょー。
見たかった涼紫央がソコに!!
ウィリアム@しいちゃんにはヲトメとしてときめくんですが(笑)、ニール@すずみんには、腐女子としてときめきます。
わたしはいつものよーに、なんの予備知識もなく観ていたんだけど、周囲の人が言うわけですよ、「すずみん、悪役らしいよ」と。
ほー、そうなのか、悪役なのか。悪役のすずみんっていいよなあ、ふふふ。てなくらいの気持ちで観ていたら。
どこが悪役?! この、大嘘つきめ(笑)。
嫌味な嫌な奴、として登場したニールくん。よくあるいぢわるキャラとしてスタートしたのに、どんどんどんどん、わかってくる。その、かわいらしさが。
なんなのよー、この男。かわいいぢゃないのーっ。
俗に「2番手はオイシイ」というけれど、その「オイシイ2番手」の具現のよーだぞ、涼紫央!!
目を離せない、いじりたいキャラクタ。
ああなのに、しいちゃんとWだと、色気がなさ過ぎて萌えられない。何故そんなに健康的なんだお前ら。男ふたりで友情してるのに、そっち系にアタマが働かない〜〜っ。
エンマになってウィリアムと一緒に走り出したい、とは思うけど、ウィリアムでホモ萌えはできない……。くそーっ、ウィリアムには純粋ヲトメハートしか動かないわ。
そのため、ニールがどんだけいじられキャラであったとしても、相手役不在でカップル萌えできない……くやしい。
星組の大野作品って、どうしてこう、健全路線なの? 『花のいそぎ』もあまりもの健全さに目眩がしたもんだけど……大野せんせの星組イメージって健全健康優良児? そーいや『エピファニー』も健全だったなあ……男が男に惚れるエピソードも含まれていたのに……。
このかわいらしい物語で、ホモなのはブランメル@萬ケイ様とサマービル@水輝涼だけだ。
水輝涼。……エンカレでいちばん濃かったあの水輝涼。
今この男、キてるんですか? しゅんくんと対で踊ってたりしますけど? なんか、ひとりでものすげー色男ぶってますけど? いいんですか?
この物語で、たぶんいちばんの悪役サマービル。萬ケイ様に拾われ、お稚児さんしていたらしーが、どうもこの物語の時点では下克上済、サマービル×ブランメルだった模様。
萬ケイ様があまりにダメダメ受で、水輝涼がオトコマエ攻で、どーしよーかと。
萬ケイ様はもっと演技が巧い印象があったんだが、なんか今回ほんと精彩を欠いていた。どーしたんだ? 初日は台詞すっ飛ばしたり棒立ちになっていたり、体調悪い?と心配したくらいだ。
雰囲気色男だから、それだけでカタチにはなってるんだけど。脚本の粗を補うほどの演技はしていなかったなぁ。
萬ケイ様がいまいちだったので、水輝涼とのカップリングもいまいち映えなかった。残念。せっかく素敵なホモだったのに。
ホモになりそーでならないと言えば、星組が誇るロリショタキャラ麻尋しゅん。
エンカレで男臭さ全開で、「ボクが目指しているのはこっち!」と全身でアピールしていたのに、またしても子役かい。
気の毒になあ。彼自身がどれほど大人の色男を目指しても、与えられる役は子役ばかり。美少年に生まれるのも考え物だな。
ウィリアムの弟アーサー役。すでに軍人だから、子役ではないのだが、話し方も声も子役の範疇。BLのショタキャラポジ。
もっとちゃんと大人の男としての役作りも出来たろうに、わざわざショタキャラなのは演出家の意図なんだろうな。不自然なほどに子どもっぽかったもの。
そしてまた、うまいんだしゅんくん。ちゃんと自分の仕事をわきまえている。
だがわたしはロリショタ萌えする気はないので、「娘役が今回だけ男役をやっている?」みたいな役作りでは腐女子ハートは萎えるばかり。
てゆーか、なんでこう健康的なんだ。美形兄弟が愛憎やって抱擁したりしているのに。
腐女子的は、萌えツボをことごとくハズされて、ちと不完全燃焼でした。
ヲトメハートて盛り上がれたから、いいっちゃーいいんだが。両方あるとさらに盛り上がれるだけに、惜しいなと(笑)。
しかし千秋楽に、よーやくホモ萌えに着地するんだが、それはまた別欄で(笑)。
でも、彼は現れない。永久に。@フェット・アンペリアル
2006年6月11日 タカラヅカ 『フェット・アンペリアル』の主人公ウィリアムのキャラ造形には、言いたいことありまくりだけど、そこはもう、都合良くアタマの中で別物に変換してます。
わたしの脳内では、ウィリアムは「空気読めないただのバカ」でも「無能なくせに文句ばかり言う偽善者」でもありません。
しいちゃんが演じているやさしさとおおらかさ、不器用さ、そして未熟さゆえの棘や無神経さと、朴訥な魅力にあふれた青年とゆーことで納得しています。
ほんとは脚本上でもそう描くつもりだったんだろうと思う。失敗しているだけで。
脚本の失敗を、しいちゃんがナチュラルに(計算できているとは思えん)正しい方向に肉付けした結果が、あのウィリアムだろうなと思う。
だからわたしは、ウィリアム@しいちゃんに、救って欲しかった。
今いるこの場所から、連れ出して欲しかった。
たったひとつを選ぶということは、選ばなかった他のすべてを捨てるということ。
ウィリアムがわたしの目の前に現れて、手を取って走り出すとしたら。それについて行くとしたら。
わたしは、わたしのすべてを捨てることになる。
親とも兄弟とも、二度と会えない。
友だちとも会えない。
名前も仕事も、この緑野こあらというハンドルネームも全部捨てる。
……考えるだけで、せつなさに泣けてくるわ。
そーやってせつなくてたまらないのに、それでも、ウィリアムが現れたら、一緒に行くんだろうなと思う。
ウィリアムってゆーのは、そーゆー男なんだと思う。
きっと、ケンカするなぁ。
あんたのせいであたしはなにもかもなくしたのよ、って責める日があるだろうな。
それでも、それらの後悔や痛みを全部超えられるほど、彼の存在が意味を持つんだろう。
彼が、救いとなるんだろう。
……わたしはウィリアムに恋しているわけでもないし、ぶっちゃけ、しいちゃんがいちばんのご贔屓でもないんだが。
しいちゃんの魅力っていうのは、そーゆーところにあると思う。わたしにとって。
彼の存在が、ひとつのファンタジーである。
しいちゃんの持つ「厚み」が好きだ。カラダの話。
素のしいちゃんは知らないよ。ジェンヌさんはみんなすっげー細いし。
ただ、舞台の上のしいちゃんは、リアルな「厚み」を持つ。女を抱きしめることのできる、男の身体としての厚み。
アンドレをやったとき、オスカル@トウコ相手に「うわ、これからこのふたりセックスするんだ」と思い知らせた、牡としての生々しさ。
わたしが倒れ込んでいっても、びくともせずに支えてくれるだろうと思わせてくれる、「厚み」。
性を持たないタカラジェンヌでありながら、ナマの性を感じさせる危うさと、ひだまりのようなあたたかさ。
現実に疲れたとき、「逃げ場」として目の前に現れてくれるのに、彼ほど適した人もいない。
性を感じさせるくせに、強烈な「癒し」の君でもあるんだよなあ。
うん、性があるからいいんだよな。
女同士で救うの救われるの、癒すのどうのって、なんかチガウし。
彼が「男」だから、「女」であるわたしを救えるのだと思うよ。
言葉や感覚がチガウ、通じない部分は永遠に通じないままに、それでもカラダの交わりだけで「ま、いいか」と納得……安心させてしまう存在。
や、ファンタジーですから!
あくまでも、架空の話ですから!
男役は「男」認識ですから!
トウコやしいちゃんを語ると話がナマっぽくなって、書いていてふとアセる……(笑)。
そーゆー意味での「しいちゃん」を、改めて感じさせてくれたから、作品にも主人公造形にも、いろいろ物言いたいことはあっても、この作品はヲトメ心に響くんだよなあ。
素直に、ヒロインに同化できるから。
エンマになって、ウィリアムに恋できるから。
だから、気持ちいい。
でもって。
サトちゃん、ごめん。
なんか謝ってみる。
友だちのダーリン相手に、ひどいこといっぱい書いてしまったよーな気がする……。
わたしの脳内では、ウィリアムは「空気読めないただのバカ」でも「無能なくせに文句ばかり言う偽善者」でもありません。
しいちゃんが演じているやさしさとおおらかさ、不器用さ、そして未熟さゆえの棘や無神経さと、朴訥な魅力にあふれた青年とゆーことで納得しています。
ほんとは脚本上でもそう描くつもりだったんだろうと思う。失敗しているだけで。
脚本の失敗を、しいちゃんがナチュラルに(計算できているとは思えん)正しい方向に肉付けした結果が、あのウィリアムだろうなと思う。
だからわたしは、ウィリアム@しいちゃんに、救って欲しかった。
今いるこの場所から、連れ出して欲しかった。
たったひとつを選ぶということは、選ばなかった他のすべてを捨てるということ。
ウィリアムがわたしの目の前に現れて、手を取って走り出すとしたら。それについて行くとしたら。
わたしは、わたしのすべてを捨てることになる。
親とも兄弟とも、二度と会えない。
友だちとも会えない。
名前も仕事も、この緑野こあらというハンドルネームも全部捨てる。
……考えるだけで、せつなさに泣けてくるわ。
そーやってせつなくてたまらないのに、それでも、ウィリアムが現れたら、一緒に行くんだろうなと思う。
ウィリアムってゆーのは、そーゆー男なんだと思う。
きっと、ケンカするなぁ。
あんたのせいであたしはなにもかもなくしたのよ、って責める日があるだろうな。
それでも、それらの後悔や痛みを全部超えられるほど、彼の存在が意味を持つんだろう。
彼が、救いとなるんだろう。
……わたしはウィリアムに恋しているわけでもないし、ぶっちゃけ、しいちゃんがいちばんのご贔屓でもないんだが。
しいちゃんの魅力っていうのは、そーゆーところにあると思う。わたしにとって。
彼の存在が、ひとつのファンタジーである。
しいちゃんの持つ「厚み」が好きだ。カラダの話。
素のしいちゃんは知らないよ。ジェンヌさんはみんなすっげー細いし。
ただ、舞台の上のしいちゃんは、リアルな「厚み」を持つ。女を抱きしめることのできる、男の身体としての厚み。
アンドレをやったとき、オスカル@トウコ相手に「うわ、これからこのふたりセックスするんだ」と思い知らせた、牡としての生々しさ。
わたしが倒れ込んでいっても、びくともせずに支えてくれるだろうと思わせてくれる、「厚み」。
性を持たないタカラジェンヌでありながら、ナマの性を感じさせる危うさと、ひだまりのようなあたたかさ。
現実に疲れたとき、「逃げ場」として目の前に現れてくれるのに、彼ほど適した人もいない。
性を感じさせるくせに、強烈な「癒し」の君でもあるんだよなあ。
うん、性があるからいいんだよな。
女同士で救うの救われるの、癒すのどうのって、なんかチガウし。
彼が「男」だから、「女」であるわたしを救えるのだと思うよ。
言葉や感覚がチガウ、通じない部分は永遠に通じないままに、それでもカラダの交わりだけで「ま、いいか」と納得……安心させてしまう存在。
や、ファンタジーですから!
あくまでも、架空の話ですから!
男役は「男」認識ですから!
トウコやしいちゃんを語ると話がナマっぽくなって、書いていてふとアセる……(笑)。
そーゆー意味での「しいちゃん」を、改めて感じさせてくれたから、作品にも主人公造形にも、いろいろ物言いたいことはあっても、この作品はヲトメ心に響くんだよなあ。
素直に、ヒロインに同化できるから。
エンマになって、ウィリアムに恋できるから。
だから、気持ちいい。
でもって。
サトちゃん、ごめん。
なんか謝ってみる。
友だちのダーリン相手に、ひどいこといっぱい書いてしまったよーな気がする……。
仕事しようよ。@フェット・アンペリアル
2006年6月10日 タカラヅカ 『フェット・アンペリアル』のいちばんの失敗って、わたし的に主人公がかっこわるいことだと思う。
わたしはヘタレ男が大好物だが、それとはまた別の話。
ウィリアムのキャラ造形、失敗してると思うんだけどなあ。
しいちゃんが演じることでハートフルになってるから、セーフだけど、文字だけで彼の言動を追ったらひでーことになってると思うんだけどなあ。
しいちゃんじゃなかったらわたし、この男逆ツボ直撃で嫌悪まで行っていたかもしれない。
わたしはどうにも、「仕事のできない人間」が好きじゃないんだ。
人間には能力差も向き不向きもある。だからなにをもって「仕事ができる・できない」を決めるかというと、難しいんだが。
純粋に能力だけでなく、仕事に取り組む態度だとか努力だとか、メンタル面も含めて「仕事ができない人間」が逆ツボ。
人並み以下の能力しか持たなくても、明るくはきはき働いて、場のムードをよくしている人とか、努力している人とかはいい。
無能なくせに努力もせず、不満ばかりを口にし、チームの足を引っ張る。他人の仕事の邪魔をする。義務はなにひとつ果たさないくせに、要求ばかりする。……そーゆーのが「仕事のできない人」で、わたしはどーにも好意を持てない。
ウィリアムとゆーキャラでいちばん引っかかったのは、オマエ、仕事しろよということだった(笑)。
まず、ウィリアムは自分の意志でスパイ稼業に脚を突っ込んだ。とても浅慮な理由で転属したようだから、「思ってたよーな仕事ぢゃない」と幻滅しても仕方ないっちゃー仕方ないが。
でもソレ、自分の責任じゃん。大人なんだから。
自分で選んだ仕事なのに、不満たらたら。大して使いモノにもならないし、あまつさえ命令無視の大暴走をやってのける。大事に至らなかったからよかったけど、個人の感情でプロジェクトをぶちこわすってなに。ありえない。
ウィリアムが無能なことしか描いてない脚本に疑問を持つ。
彼を浅慮で感情的な善人とするのはいい。だが、そーゆー人格面と仕事の能力は別。善人と有能、つーのはいくらでも並び立つ長所だ。
この芝居で描かれたウィリアムときたら、文字の上だけで判断すると、マイナス面ばかりだ。
・ダンスが下手、女の子に叱られ、ぶすったれる。
・女を口説くはずが、手玉に取られる。
・振られ男の演技をするが、大根。
・仕事への不満たらたら。
・命令無視、暴走。
これらのエピソードが愉快だったり、キャストがかわいかったりするのとは、別問題だからね。
ウィリアムというキャラクタを造形するために、これらのエピソードが必要だというのもいい。実際、しいちゃんが演じる以上、ハートフルでかわいいのだから。
だがそれなら何故、ウィリアムが有能な軍人であり、頼もしい男であるエピソードを入れないのか。
ダンスだの恋愛ゲームだのといったちゃらけた部分は苦手、よりによってその苦手分野の職に就いてしまった、本来は有能な軍人なんだ、ということにしてくれよ。中佐という階級は金で買ったわけぢゃないんだろう?
今のままじゃ、なんにもできないくせに文句ばっか言って仕事の邪魔をするうざい男だよ。
1幕で唯一、ウィリアムが「軍人」として「男」としてかっこいいシーンがある。
敵に銃を突きつけられてもおびえもせずに対峙し、余裕で会話する。……これって、わかりやすくかっこいいシーンだよね? ウィリアムとは本来こーゆー男なんだよね? ふつーに軍人やっているときは、銃や脅しに屈することなく堂々としているかっこいー人なんだよね?
ここしか、ウィリアムが有能であることを表すシーンがないのに……このシーンも、失敗してるし。
なんで、ウィリアムに銃を突きつけるのがふた回りも小さな、子どものような女の子なの?
本来なら、かっこいいシーンのはずなのに。
相手が華奢な女の子だってことで、台無し。
そりゃあ、あんな見るからに弱そうな女の子に銃を突きつけられたからって、脅威にはならんわな。ウィリアムが堂々としていたって、「そんなの、あたりまえじゃん」になってしまって、ちっともかっこよくない。むしろ、あんな弱そうな女の子に暴力を振るう男、みたいに見えてしまう。
どうしてここ、こんなことにしてしまったの?
同じように女を使っての謀略合戦、英国はウィリアムたち男も投入しているのに、某北の大国は女の子だけなの? なんで、女ふたりでウィリアムを脅しに現れなきゃなんないんだ。英国と同じように武装した男たちがわらわらと現れたっていいじゃないか。女はその後ろで冷たく構えていればいい。
武装した男たちを前に臆さず対峙し、勝ってしまうほどの冷静さと強さ。……これまで、エンマだのミス・ハワードだの、女たち相手にたじたじになっていた情けないウィリアムが?! と瞠目させるほどのインパクトで。
ウィリアムがちゃんと仕事もしている、できる人だと見せてくれたうえでなら、それを自分で覆すような行動を取ってもいいさ。
きちんと自分の義務を果たしてきた人間だからこそ、「嫌だ!」という理由でエンマをさらって逃げることの大きさが際立つ。
なにもできない仕事の足をひっぱるだけのお荷物男がさらに任務を投げ出してエンマと逃げたって、弱いじゃん。もともとバカだから、さらにバカなことをした。って、それだけになっちゃうじゃん。
あくまでも、脚本上の話ね。
実際の舞台では、役者の演技が加わるからチガウよ? しいちゃんウィリアムは納得のできる心のつながりで暴走してくれたよ。
でもさあ。
ほんとに、しいちゃんじゃなかったらコレ、どーなってたんだ、と思うよ。持ち味が無神経系の人がウィリアムをやっていたら、ほんとに目障りなバカになったろうなと。
今回、大野せんせの悪いところが出たなーと思ったのは、主人公の描き方。大野せんせの作品っていつも主人公はなにもしないんだけど、それをさらに楽な方に逃げた結果かなと。
そのキャラクタがどんな人であり、どんなバックボーンを持ち、どんなふうに動いて物語に絡み、動かしていくかではなく、「このエピソードがあれば、このキャラがかわいいよね」とか「この台詞言わせたらおもしろいよね」という、「キャラいじり」に重点が置かれ過ぎていたこと。
えーと、そーゆーのは同人誌がやることで、本編がやることじゃないよ?的っていうか。番外編でやるならいいけど、本筋薄くしてまでソレやらなきゃいけないの?的っていうか。
物語を動かす計算部分ってさ、書くの大変だし、難しいし、キャラのかわいいシーンを書くのはたのしくて簡単だけど。
大野せんせには、簡単な方に逃げて欲しくなかった。
2幕のウィリアムがダブルスパイを突き止めるくだりも、見事に手抜きされちゃってさ。
スパイものなのに、肝心のスパイものの醍醐味であるだろう場面がダンスで誤魔化されちゃうってなんなの。ウィリアムのかっこいいシーンのはずなのになあ……。
重ねて言うが、キャラがいいだけに、基本部分での失敗っつーか「手抜き?(首傾げ)」的なところが、くやしいの。
もっとちゃんと作り込んで欲しかった。
役者の持ち味に頼るのではなく、きちんと主人公をいい男にして欲しかった。
エンマとの出会いと別れを通してウィリアムが成長し、それ以後は仕事もできるようになりました、ということだから、作品中でどれほどバカでもいいの、とは思わないわ。最低限の社会常識を持った人間でいて欲しいから。そのうえで、悩みもし、傷付きもし、感情にまかせて走り出して欲しいの。
空気読めないバカだから平気でバカなことをする、では意味がない。
あくまでも、私感だけどなー。「仕事のできない人」好きじゃない、つーのは。
とゆー、わたしの逆ツボ直撃キャラでありながら、それでも魅力的に演じてくれたしいちゃんに喝采。
わたしはヘタレ男が大好物だが、それとはまた別の話。
ウィリアムのキャラ造形、失敗してると思うんだけどなあ。
しいちゃんが演じることでハートフルになってるから、セーフだけど、文字だけで彼の言動を追ったらひでーことになってると思うんだけどなあ。
しいちゃんじゃなかったらわたし、この男逆ツボ直撃で嫌悪まで行っていたかもしれない。
わたしはどうにも、「仕事のできない人間」が好きじゃないんだ。
人間には能力差も向き不向きもある。だからなにをもって「仕事ができる・できない」を決めるかというと、難しいんだが。
純粋に能力だけでなく、仕事に取り組む態度だとか努力だとか、メンタル面も含めて「仕事ができない人間」が逆ツボ。
人並み以下の能力しか持たなくても、明るくはきはき働いて、場のムードをよくしている人とか、努力している人とかはいい。
無能なくせに努力もせず、不満ばかりを口にし、チームの足を引っ張る。他人の仕事の邪魔をする。義務はなにひとつ果たさないくせに、要求ばかりする。……そーゆーのが「仕事のできない人」で、わたしはどーにも好意を持てない。
ウィリアムとゆーキャラでいちばん引っかかったのは、オマエ、仕事しろよということだった(笑)。
まず、ウィリアムは自分の意志でスパイ稼業に脚を突っ込んだ。とても浅慮な理由で転属したようだから、「思ってたよーな仕事ぢゃない」と幻滅しても仕方ないっちゃー仕方ないが。
でもソレ、自分の責任じゃん。大人なんだから。
自分で選んだ仕事なのに、不満たらたら。大して使いモノにもならないし、あまつさえ命令無視の大暴走をやってのける。大事に至らなかったからよかったけど、個人の感情でプロジェクトをぶちこわすってなに。ありえない。
ウィリアムが無能なことしか描いてない脚本に疑問を持つ。
彼を浅慮で感情的な善人とするのはいい。だが、そーゆー人格面と仕事の能力は別。善人と有能、つーのはいくらでも並び立つ長所だ。
この芝居で描かれたウィリアムときたら、文字の上だけで判断すると、マイナス面ばかりだ。
・ダンスが下手、女の子に叱られ、ぶすったれる。
・女を口説くはずが、手玉に取られる。
・振られ男の演技をするが、大根。
・仕事への不満たらたら。
・命令無視、暴走。
これらのエピソードが愉快だったり、キャストがかわいかったりするのとは、別問題だからね。
ウィリアムというキャラクタを造形するために、これらのエピソードが必要だというのもいい。実際、しいちゃんが演じる以上、ハートフルでかわいいのだから。
だがそれなら何故、ウィリアムが有能な軍人であり、頼もしい男であるエピソードを入れないのか。
ダンスだの恋愛ゲームだのといったちゃらけた部分は苦手、よりによってその苦手分野の職に就いてしまった、本来は有能な軍人なんだ、ということにしてくれよ。中佐という階級は金で買ったわけぢゃないんだろう?
今のままじゃ、なんにもできないくせに文句ばっか言って仕事の邪魔をするうざい男だよ。
1幕で唯一、ウィリアムが「軍人」として「男」としてかっこいいシーンがある。
敵に銃を突きつけられてもおびえもせずに対峙し、余裕で会話する。……これって、わかりやすくかっこいいシーンだよね? ウィリアムとは本来こーゆー男なんだよね? ふつーに軍人やっているときは、銃や脅しに屈することなく堂々としているかっこいー人なんだよね?
ここしか、ウィリアムが有能であることを表すシーンがないのに……このシーンも、失敗してるし。
なんで、ウィリアムに銃を突きつけるのがふた回りも小さな、子どものような女の子なの?
本来なら、かっこいいシーンのはずなのに。
相手が華奢な女の子だってことで、台無し。
そりゃあ、あんな見るからに弱そうな女の子に銃を突きつけられたからって、脅威にはならんわな。ウィリアムが堂々としていたって、「そんなの、あたりまえじゃん」になってしまって、ちっともかっこよくない。むしろ、あんな弱そうな女の子に暴力を振るう男、みたいに見えてしまう。
どうしてここ、こんなことにしてしまったの?
同じように女を使っての謀略合戦、英国はウィリアムたち男も投入しているのに、某北の大国は女の子だけなの? なんで、女ふたりでウィリアムを脅しに現れなきゃなんないんだ。英国と同じように武装した男たちがわらわらと現れたっていいじゃないか。女はその後ろで冷たく構えていればいい。
武装した男たちを前に臆さず対峙し、勝ってしまうほどの冷静さと強さ。……これまで、エンマだのミス・ハワードだの、女たち相手にたじたじになっていた情けないウィリアムが?! と瞠目させるほどのインパクトで。
ウィリアムがちゃんと仕事もしている、できる人だと見せてくれたうえでなら、それを自分で覆すような行動を取ってもいいさ。
きちんと自分の義務を果たしてきた人間だからこそ、「嫌だ!」という理由でエンマをさらって逃げることの大きさが際立つ。
なにもできない仕事の足をひっぱるだけのお荷物男がさらに任務を投げ出してエンマと逃げたって、弱いじゃん。もともとバカだから、さらにバカなことをした。って、それだけになっちゃうじゃん。
あくまでも、脚本上の話ね。
実際の舞台では、役者の演技が加わるからチガウよ? しいちゃんウィリアムは納得のできる心のつながりで暴走してくれたよ。
でもさあ。
ほんとに、しいちゃんじゃなかったらコレ、どーなってたんだ、と思うよ。持ち味が無神経系の人がウィリアムをやっていたら、ほんとに目障りなバカになったろうなと。
今回、大野せんせの悪いところが出たなーと思ったのは、主人公の描き方。大野せんせの作品っていつも主人公はなにもしないんだけど、それをさらに楽な方に逃げた結果かなと。
そのキャラクタがどんな人であり、どんなバックボーンを持ち、どんなふうに動いて物語に絡み、動かしていくかではなく、「このエピソードがあれば、このキャラがかわいいよね」とか「この台詞言わせたらおもしろいよね」という、「キャラいじり」に重点が置かれ過ぎていたこと。
えーと、そーゆーのは同人誌がやることで、本編がやることじゃないよ?的っていうか。番外編でやるならいいけど、本筋薄くしてまでソレやらなきゃいけないの?的っていうか。
物語を動かす計算部分ってさ、書くの大変だし、難しいし、キャラのかわいいシーンを書くのはたのしくて簡単だけど。
大野せんせには、簡単な方に逃げて欲しくなかった。
2幕のウィリアムがダブルスパイを突き止めるくだりも、見事に手抜きされちゃってさ。
スパイものなのに、肝心のスパイものの醍醐味であるだろう場面がダンスで誤魔化されちゃうってなんなの。ウィリアムのかっこいいシーンのはずなのになあ……。
重ねて言うが、キャラがいいだけに、基本部分での失敗っつーか「手抜き?(首傾げ)」的なところが、くやしいの。
もっとちゃんと作り込んで欲しかった。
役者の持ち味に頼るのではなく、きちんと主人公をいい男にして欲しかった。
エンマとの出会いと別れを通してウィリアムが成長し、それ以後は仕事もできるようになりました、ということだから、作品中でどれほどバカでもいいの、とは思わないわ。最低限の社会常識を持った人間でいて欲しいから。そのうえで、悩みもし、傷付きもし、感情にまかせて走り出して欲しいの。
空気読めないバカだから平気でバカなことをする、では意味がない。
あくまでも、私感だけどなー。「仕事のできない人」好きじゃない、つーのは。
とゆー、わたしの逆ツボ直撃キャラでありながら、それでも魅力的に演じてくれたしいちゃんに喝采。