今さらだが『フェット・アンペリアル』

 しいファンのはしくれとして初日に駆けつけ、そしてちょっとしょぼんだった。
 大野せんせの新作っつーんで、期待しすぎたんだと思う。ストーリーなさ過ぎ、主人公なにもしなさ過ぎと、肩すかしを食らった。
 冗長な1幕と、端折りすぎた2幕。なにがやりたかったのか意味不明な悪役、唐突に出てきては去っていく脇キャラたち、主張はするけど有益なことはなにもしない主人公、思わせぶりだけどべつに深いところまで考えられていなさそーなあれこれ。
 えーとコレ、ただのキャラもの?
 萌え〜なキャラクタが出てきて、そのキャラらしい萌え〜な会話をしたりする、ただそれをたのしむだけのもの?
 キャラを好きになってくれ、その他のことは全部気にするな。……そーゆー作り?

 もちろん、そーゆー世界観はアリだと思う。実際さいとーくんやこだまっちなんか、ソレだけの作家だ。
 アニメやコミックやライトノベル、シリーズもののコメディドラマだとか、「キャラの人気」だけで成り立っているモノは多くある。
 タカラヅカもまた、キャストを魅力的に見せてなんぼ、「**ちゃんで**な役が見たいわ(はぁと)」を満たしてくれればそれでOK、ストーリーも辻褄もなにもいらない! つーのは、アリだと思っているよ。

 ただ、大野せんせだから。
 TCAで1シーン演じればそれでOKな、ただのキャラものなんか描かないはずだという思いこみがあってな。
 それで、しょぼんとしたのよ。
 大野作品としては、レベル低い……。

 誤解しないでくれ。
 大野作品としては低レベル、なのであって、タカラヅカ的に水準は超えてるから!

 誤解しないでくれ。
 大野作品としてただのキャラものっつーのはわたし的に「どうなのよソレ」と思うだけで、キャラものとしても高水準だから!

 大野作品だから、もっと上をのぞんでしまうのよ。
 消費者は貪欲なの。

 実際、キャラクタは、すげーイイ。

 魅力的。誰も彼もが。

 「この役者で、この役が見たかった……っ!!」という願望を、全部まるっとかなえてくれている。
 すげえ。

 構成的にとほほと思いながらも、ウィリアム@しいちゃんに腕を取られて一緒に駆け出したい、と思った。
 ヒロイン・エンマ@ウメとシンクロして。
 共に逃げるこの瞬間こそが世界のすべて、人生のすべて。
 そう思えて、幸福な切なさで涙が出た。

 しかし、繰り返すがわたしは「ただのキャラ萌え」を大野作品に求めていなかったので、いまいちノりきれずに初日を過ごした。
 ただのキャラ萌えなら、翌日初日を迎えた『コパカバーナ』の方が萌えた。せつなさもパワーで押し切る『コパ』の方に感じた。

 コメディだと思って観たのに大泣きに泣けたので、『コパ』の点数は高くついてしまったのだな(笑)。
 『フェット…』が、大野作品だからと構えて観て期待していたほどではなかったので、点数が低くついてしまったのと対照的に。

 その『コパ』初日に、2日連続観劇したkineさんが太鼓判を押す。「『フェット…』がよくなっていた」と。
 初日はたしかに、微妙な脚本を誇張するかのように出演者たちも微妙だったが、今日は脚本の微妙さをカバーできるくらい出演者たちがよくなっていたと。

 舞台はナマモノだ。
 そーゆーことは多分にある。

 実際、脚本が微妙だっつってもだ、植爺だの谷だの酒井だのとちがい、大野せんせの脚本は「出演者次第でいくらでもカバーできる」程度のアレさだ。植爺の某作品などは、元が腐りきっているから誰がどうあがいてもキ○ガイ作品でしかないが、『フェット…』なら、上演回数を重ね、出演者の熱が上がれば充分佳作になりうる。

 てゆーか、最初からそう思っていたし。こんなにノりが悪いのは、初日だからだろうな、と。

 だもんでわたしは、初日のみの感想をUPするのは控えておいた。
 2回目を観てから書こう。そう思った。

 ちといろいろばたばたしていて、結局2回目に観ることができたのは、千秋楽の前、ドリーズ総見のときだった。

 集まってきた仲間たちと並んで観劇。

 続けて千秋楽も観たのだけど、この楽の前公演の方がよかった。
 出演者が脚本を埋めている、熱と演出の絶妙のバランス。こなれていて、だけど慣れきってもいなくて。

 そして、『フェット…』は初老の男が青春時代を回想するカタチではじまる作品だから、2回目以上の観劇ではじめて「作品と同じ目線」になれるのね。
 なにもかも知ったうえで、キャラも出来事も結末も、なにもかもわかったうえで、「過ぎ去りし日の想い出」をたどる。そこではじめて、物語は正しく回転をはじめる。
 「過ぎ去りし日」はもうそこにないからこそ、せつなさを帯びる。

 誠実に生きたことがわかる落ち着いた初老の男が、若さゆえに勇み足な女性をエスコートして踊る。彼は、ダンスの名手らしい。
 恋人の身を案じて浮き足立つ女性に、彼は寛くあたたかな強さで言う。「誰も見捨てたりはしない」と。
 時は戻り、その初老の男の青年時代の話になる。
 ダンスがへたっぴーで、女性に特訓を受けたりしている。それが主人公のウィリアム@しい、見るからに不器用そうな好青年なのに、スパイになるんだってさ。
 ウィリアムのダンス教師がエンマ@ウメ、ふたりの相性は最悪。
 ウィリアムに必要なのは、ダンスの腕だけじゃない。女を手玉に取る能力だ。女には男、男には女。人を操るには色事師としてのスキルを求めるのがいちばん早い……らしいよ、英国情報部。
 表立って戦争してるだけじゃ足りないこの時代、政治の要職につく男たちを影で操るのは女、どの国も色仕掛けで歴史を動かそうと高級娼婦を装った女スパイたちを投入。騙し合いの化かし合い。
 ウィリアムの仕事はその、英国の「国家機密」とも言える女スパイ・エンマの補佐。
 エンマは女の武器でフランス皇帝の弟に取り入るのだが……ウィリアムは彼女のそんな生き方を黙って見ていられない。女スパイの仮面からときおりのぞく素顔が、その強さが、とても痛々しいからだ。
 彼女のためになにかできないのだろうか……つまずく現実ゆえに、ウィリアムは成長していく。
 青く愚かで勇み足ばかりの彼が、冒頭の落ち着いた初老の紳士へたどりつくまでの、「エンマ」という名の甘い痛みの記憶。

 初老のウィリアム@ヒロさんの目線で再び物語を味わうことこそが、この物語の真髄。

 正直、もう少し整理してくれればさらによくなったのになあ、と惜しい気持ちは変わっていない。
 初日に受けた印象、冗長な1幕と、端折りすぎた2幕、つーのは最後まで同じだったから。

 それでも、「キャラクタが魅力的である」というだけで、乗り切れてしまう。
 過去はせつなく、甘美なものだから。
 「失われたもの」を見つめる視線は、傷さえも愛しいものに変えてしまうから。

 つまりは、キャラものなんだと思うよ。
 あて書き勝ちというか。

 出演者を好きなら、少なくとも嫌いでないのなら、充分酔える作品。

 出演者のことを、さらに好きになれる。
 これって、「キャラもの」としてのいちばん正しい姿じゃないだろうか。


 ちょっくらここで、オサ様話題。

 わたしが機嫌良く月組『暁のローマ』を観に行っているときに、オサ様と花組ご一行様がぞろぞろ客席に現れたことがありました。

 へんだなあ、わたしの目はみわっちはいつも見分けられるんだけど、まっつがいたかどうか、わからないんだよなあ。地味だからかなあ。
 風の噂では、その日まつださんは来ていなかったとか。

 まあともかく、花組総見(会の総見とは意味ちがい・笑)の日。

 幸か不幸か、わたしはオサ様と同じ列に坐っていた。

 オサ様、ゆみこちゃん、彩音ちゃんは1列目どセンター、わたしはいつもの1列目の端っこ。
 同じ列、つってもすげー遠い(笑)。

 でも、同じ列、って、すごいよ。
 大劇場の座席列はゆるやかに湾曲しているから。

 わたしの席から、障害物ナシで寿美礼サマの横顔が見えるの。

 せっかくの最前列観劇だっつーにわたし、財布を忘れて遅刻したので(サザエさんか!)芝居のときは花組一行が来ていることを知らなかったの。
 わたしが劇場にたどり着いたときは、ゆーひさんがカクカク脚あげながら扇動ソング歌ってたからなあ。

 オサ様が1列目センターに坐っている、ことを知って観劇したのは、ショーのみ。

 そしてショーってさ、明るいことが多いんだよね。舞台だけでなく、客席前方も。

 
 わたしはあちこちで、寿美礼ちゃんを見ていた。

 ごめん、舞台もそりゃ見たかったし、実際せっかくの最前列だ、きゃーきゃー見てはいたんだけど。めおちゃんにウインクされてびびったりとか、いろいろしていたんだけど(笑)。
 それと同時に、客席にいる寿美礼ちゃんの横顔を見ていた。

 近かったら、見ることなんか出来なかったと思うよ。ブロックまるまるひとつ離れていたから、安心して見られたんだ。

 
 寿美礼ちゃんは、たのしそうだった。

 なんだかとても澄んだ表情で、わらっていた。

 それがなんだか、きゅんとせつなかった。……あああ、痛いファンだあたしも。

 
 そして、寿美礼ちゃんが、あさこちゃんを好きだということも、よーっくわかった。

 その、澄んだやさしい表情でオサ様が見つめているのは、あさちゃんなのよ。
 舞台にいるあさこの動きに合わせて、顔が動くからわかるの。
 真ん中にいたあさこが上手に移動すれば、オサ様の顔も右へ向くの。
 かなみちゃんだって花組にいたのにねえ。あさこかなみが真ん中にいて、ふたりが上手と下手に分かれて移動するときとか、オサちゃんは迷わずあさこを目で追っている(笑)。

 そうか、あさこが好きか。
 あさこを見に来たのか。

 それはなんだか、ほっこりあたたかくなるような、不思議とせつなくなるような、複雑な感覚が胸に広がりますよ。

 あさちゃんも、下手花道(わたしの目と鼻の先)でゆらさんに襲われるとき、「まさちゃん助けて〜〜!!」と叫んで、愛をアピールしていたし。

 大好きだったなあ、オサアサ。ロマンだったよ、まったく。
 劇団は萌えなユニットを平気で解散させるからなあ。

 
 ひさしぶりにナマの寿美礼ちゃんを見て、なにがどうじゃないけどせつなかった。
 美形だとは思えないけど、見るたびに「好きだ」と思う。

 次々とトップさんが退団発表をしていくなか、いつか寿美礼ちゃんの順番も来るのだろう。
 時間は流れ時代は変わる。それは仕方のないことだ。

 わかっているけれど、恐怖する。いや、わかっているからこそ、か。
 春野寿美礼がいなくなってしまったら、わたしはどうすればいいんだろう、みたいな。

 後悔のないよう、今を、見つめ続けるしかないんだよな。


「さようなら、博多。もう何年かは来ないわ」

 と、去年の夏思った。

 『マラケシュ』にハマりまくり、何往復したんだっけか? あの夏は異常だったよな、3週間で博多3往復と東京1往復したんだっけか?

 『マラケシュ』は仕方ない。
 オギーで寿美礼ちゃんだもん。オギーファンで寿美礼ちゃんファンのわたしのタガがはずれるのも無理からぬこと。
 リュドヴィークに会いたくて、寿美礼サマに恋してはるばる本州を越え九州の地に通ったわけだ。

 そこまでするのは、オギー+ダーリンという、夢の共演あってのこと。
 わたしが今まで博多まで遠征したのは、

 2001年 雪組 凱旋門/パッサージュ
 2004年 星組 花舞う長安/ドルチェ・ヴィータ!
 2005年 花組 マラケシュ/エンレビ

 と、見事に荻田浩一作品のみ。でもってわたし、トドファンでケロファンでオサファンだから(笑)。

 オギーはキャストにあて書きするから、配役が変わったらタイトル同じでも別物必至だもん、ファンならどこのハコでも行くしかない。

 『マラケシュ』で数年分は博多に通った。2006年は宙組か、宙にダーリンはいないから博多くんだりまで行くことはないだろう、オギー演出でもない限り。

 そう思っていたのに。

 オギーぢゃないのに。
 もう博多には当分行きたくないのに。博多という街がどうこうではなく、たんに、遠いから。高くつくから。

 
 まさかの人事異動。

 かしちゃんをはじめ、宙組新世代人事が発表になった日に、決めました。

 かしちゃんトップお披露目を観に、博多へ行く。

 や、いちお、息の長いかっしーファンですから。細々とした雪組ファンでもありますから。

 かしるいタニらんとむほっくんともちって、どーゆー組になるんだ宙組?!
 そんなごった煮めいたどこの組だかわかんないよーな愉快な顔ぶれで行う最初の公演、見逃す手はない。や、ほくしょー氏は博多座出ないけど。
 なんにせよ、初物好きですからわたし。初日ダイスキですからわたし。

 ああ、3年連続夏は博多か……遠い目。金ないのになー。

 
 と、思いつつも星組『コパカバーナ』初日観劇。

 作品もキャラも気に入った。大いにウケた。

 それと同時に。

 宙組コレ、どーすんだよっ?!(笑)

 そのことに、わくわくした。

 同じ作品を、宙組で続演。
 かっしー、るいるい、タニ、らんとむで。博多座で。

 かっしーとるいちゃんはいい。
 問題ない。
 かしちゃんトニー、ハマるだろーな、いい人オーラ全開で、ちょっとヘタレててさぞやかわいいだろう。
 るいるいローラも、あの舌っ足らずなアニメ声でのーみそゆるい系の気の強い女の子を演じたら、身悶えものでキュートだろう。

 問題は。

 リコ@タニちゃん。

 トウコのノリノリ中年ヒゲエロオヤジにときめきながら、同じハートで危惧していた。

 タニちゃんこの役、どーすんのっ?!

 トウコはトウコだから、おやぢでいい。
 スケベもエロエロもおやぢも、トウコの持ち味だから!(注・トウコちゃんは美貌の男役スターです)

 トウコはおやぢでいいけど、タニちゃんはやめとけ。な? 同じ役作りだけは、しないでくれよ? トウコのアレは、トウコ個人の持ち味だから! タニちゃんはタニちゃんの持ち味で勝負していいんだから!!

 なまじ、リコの部下コンビゆーほとともみんは、どっかで見たチェックのスーツを着ている。
 ええ。タニちゃんがオールバックにちょびヒゲつけておやぢ役をやっていた『ガイズ&ドールズ』で、両側にはべっていたゆーひたちの着ていたスーツですよ。
 何故よりによって『ガイドル』の衣装?!
 これでタニちゃんがトウコと同じ役作りできたら、ネイサンまんまやがな。

 タニちゃんにはぜひ、ポスターまんまのキャラで演じて欲しい。

 ロックシンガーのよーな派手なイケメン。
 若く美しい青年。
 でも、台詞や性格は星版と同じ。つまり、冷酷で傲慢。

 タニちゃんがあの美貌で、若くして権力を得たマフィアの御曹司として傍若無人の限りを尽くしたら……萌える。

 コンチータ@あすかは、自分よりはるかに年下のリコ@タニにマジ惚れ。彼に愛され、彼の庇護の元でスターとして生きることを望んでいる。
 多少トシは食っていても、美貌のスターであることはかわらないのに……そのコンチータにリコは言う。「おばさん」と。
 若く傲慢な男は、その若さゆえの残酷さで、ひとりの女の心をズタズタに引き裂く。

 ……って。ももも萌えー。

 タニちゃんぜひ! 王子様なまま鬼畜キャラやっちゃってください!!

 まちがっても、トウコと同じ役作りはしないで。

 
 ところで、らんとむの役はなんですか?
 他に役、ないぢゃないですか。

 主演バウを華々しく終え、組替え一発目に「役がない」なんて、今までの例を見てもありえない。
 組替えご褒美で誰だってなにかしらオイシイ役をもらっている。

 だもんで想像。てゆーか、希望。

 グラディス@らんとむプリーズ!!

 年増役だけど、男役がやる分には年齢関係ないし! しかも、とむみたくゴツい男がやるなら迫力になってステキっつーもん。

 らんとむの森高コスプレ……ハァハァ。
 あのものすげー衣装を着て微笑むらんとむ。
 ドスをきかせて「アタシはコパガールよっっ!」と啖呵を切るらんとむ。

 あああ、見たい〜〜。

 そしてkineさんとも言っていたんだけど、サムはきっとすっしーだろうから、最後の3組カップルのデュエットダンスでは、かしげ×るい、タニ×あすかときてもうひと組、すっしー×らんとむになるってことなのよー。
 きゃ〜〜っ、そんなの見たい見たい見たい〜〜。

 
 らんとむがグラディスなら、みらんがやっていたオカマの振り付け師@ともちだろーし!!
 あのサイズでオカマ! ステキ!!
 見たいわ〜〜、オカマのともちー!!

 
 と、夢が膨らみますのよ……。
 や、どーなるかなんてわかんないけど。

 今年の夏も、博多だー。
 ら、来年こそは、関西だけで満足したいなー……。遠い目。


 さあて、一発自慢をしよう。

 わたし、3列目どセンターで観劇したの。
 ありがとうキティちゃん、誘ってくれて。『コパカバーナ』は超良席でしか観劇していないわ。それも他力本願、友だちのおかげで。

 いやいや、自慢つーのはだ、良席観劇のことぢゃないよ。席自慢なんか不毛だ。いつもあたしゃ、梅芸は3階席ばっかだし(チケ運皆無)。

 そーぢゃなくて。

 星組組長、英真なおき氏の「ぱんつ」を見ました。

 自慢だろ?
 コレって、自慢していいことだよなあっ?!

 我らが英真くみちょが、今回は女役。しかも、3番手ヒロインつー感じの役どころだ。
 森高コスプレかバレリーナのチュチュか、てな地面と平行に広がった超ミニスカワンピを来た煙草売りの娘グラディス役。

 くみちょの女役、というだけでもかなりアレなのに、超ミニスカート。しかもふつーの女の子が着てもかなりアレなアイドル系コスプレ衣装。
 くみちょ、太股まで剥き出し状態。
 いやその、足はきれいなんだけどね。細くてね。でも、見たいかと言われると、かなり微妙つーかね……ゲフンゲフン。

 前方席ダイスキ、前方席に坐ったときは娘役のぱんつチェックするのダイスキな、このわたし。
 檀ちゃんとかトウコちゃんとか、必死にぱんつチェックしてきました、今まで。
 娘役のひろがるスカートの中をのぞくのが……ゲフンゲフン、スカートの中が偶然見えてしまうのが、前方席観劇の醍醐味。

 そして。

 ああ、そして。

 見えてしまったのです、グラディス@くみちょのぱんつが!!

 あのミニスカでくるくる踊る彼女の、健康的な白いぱんつが。

「……微妙」
「微妙ですね」

 わたしが「英真くみちょのぱんつ見たっ」と報告しても、友人たちはうらやましがってくれない。
 なによーっ、檀ちゃんだとかトウコちゃんのときはうらやましがったくせにー。

 英真くみちょのぱんつ。
 レアだろ?
 自慢だろ?

 自慢していいことだよなあっ?!

 
 さて。
 わたしはこのグラディスつー、パワフルなおばさんキャラが好きです。
 てゆーかこの作品には好きなキャラしかいないんだけど(笑)。

 グラディスの歌う「アタシはコパガールよっっ!」の歌が好き。(正式曲名なんぞ知らん)

 女と生まれたからには、一度は見る夢だろう。
 美貌と色気で頂点立つ、つーのは。

 男たちをひれ伏させ、女たちに憎まれる。
 金持ちも王子様も、アタシの前にひざまずきなさい。だってアタシはコパガールよ!

 「男はみんな王になりたい」ぢゃないけど(笑)、小気味いい野望と自尊心の歌だよなー。

 ありえないとわかっているからこそのファンタジーというか。
 わたしなんかにゃ、ほんとに「異世界」でしかないが、だからこそ余計に、ソレを胸張って歌ってしまえるキャラクタの「強さ」に感動する。

 素直に、「かっこいい」と思える。

 てゆーか、泣きポイントだったりする、グラディスの歌。
 夢につまずいてしょぼくれている若い女の子に、年長の、大昔の女の子(笑)が語る壮大なファンタジー。

 誇りを持って生きろ、女の子たち。

 
 ところで、みらんの役は、デフォルトでオカマなんですか?
 群舞のときのギラギラ感と、役をやっているときのカマっぽさのギャップがステキ。
 ほんとにみらん、いい役者だなあ。

 ゆかりくんは相変わらず美しいし、どんどん男役になってきているし、コトコトとモモサリはキュートだし。
 ゆーほとともみんはいいコンビだし、一輝慎くんと舞夕くんはやっぱどこにいてもきらきらわたしの目の中に飛び込んでくるし、何故なんだ天緒圭花くんがどんどんわたし好みになってきてびびってるし、かつきとエレナは何故にそうかわいこぶってても濃いんだとか、ゆっちもほんとに負けてないなーだとか、どこ見ていいかわかんないっ状態とゆーか、目がいくつあっても足りない状態とゆーか。

 いやあ、こまったこまった。
 幸福な困惑。

 舞夕くんには何度も目線もらいました、ごちそーさま。かわいこちゃんはいいねえ、ほんと。

 
 あともうひとり、目に入ってこまったというか、再会してしまったのが、大輝真琴くん。
 ……自分的にとても慣れない名前なんで、慣れるためにも書いてみる。
 91期で1、2を争うファニーフェイスの**さん(本名)ぢゃん。星組配属だったのか。
 おおき・まこと、愛称はまこと、まいける、だそーだ、『おとめ』によると。まいける、って、本名からか……?

 だから、文化祭は本名でなく芸名でプログラム販売してくれよ……入団と同時に誰が誰だかわかんなくなるよ。

 本名でしかおぼえてなかったので、芸名見てもぴんとこない。
 大輝くんみたく、顔に特徴あればノーマークでも舞台で見分けつくけどさあ。

 なんにせよ、ローラのオーディションのときピアノを弾きに登場したとき、それだけで「あれ? あの子って**さんだよね?」と思い出せるくらい個性的な顔立ち、つーのは強みですな。

 いったん目に入っちゃうと、きっとこれからずーっと、見つけてしまうだろうと思う……。

 
 初日にスタンディングオベーションがあったのは、星組のお約束だと思っているが。
 なんでもないふつーの日も、スタンディング上等!だった。
 というのも、ワタさんが舞台の上から「さあ、みなさんもご一緒に」とスタンディングを誘導するからだ。

 ああ、星組クオリティ。
 参加しなきゃ星組ファンぢゃない(笑)。

 決まった振付があるわけぢゃないが、とりあえず立ち上がって、揺れながら手拍子をする。
 オケのみなさんに拍手拍手。

 とってもハッピーな気持ちで終演を迎えることの出来る作品。
 千秋楽、行きたいなあ。
 なんで月組とかぶってるのかなあ。
 ゆらさん退団ぢゃなかったら、星『コパ』楽を取るんだが、ゆらさんの袴姿と同期トドの共演は捨てられないんだよ。や、いちおーわたし、トドファンだし!

 星組のアツさが好き。

 星組が演じるラテンもの、つーだけで、『コパカバーナ』はステキだよね。


 『となりのトトロ』っちゅー映画があるよな。
 説明不要の超有名映画。

 わたしにとって『となりのトトロ』ってのは、禁断の号泣作品なのだわ。
 最初っから最後まで、なにかコワレたみたいに、泣き通すことになる。最後は泣きすぎて気分が悪くなること請け合い、実にやばい禁断の一作。
 最初に映画館で見たときから、ずっと。繰り返しテレビで放映されてるけど、それをうっかり見てしまってもやはり泣ける。同時上映だった某戦争映画では泣けないけど(泣かせ目的の「可哀想」表現で泣いても、わたし的には泣いたとカウントしない)、『トトロ』はダメだ、わたしのフェイバリットな映画のひとつ。

 『トトロ』のなにがそんなに泣けるのか。

 そこに、幸福があるからだ。

 幸福な家族が、幸福そうに笑っている。
 なにげない日常に愛があり、小さな感動に満ちている。

 あいすべきひとたちが、しあわせそうにしている。

 ただそれだけで、泣けて泣けて仕方ない。
 せつなくてたまらない。

 
 陽気でハッピーなコメディ・ミュージカル『コパカバーナ』

 ごめん、わたしコレ、コメディだと認識してない。
 だって笑えないもの。

 アメリカンジョークの応酬で成り立った作品らしいが、その会話の無駄さ野暮ったさおもしろくなさわけわからなさは、笑えるはずがない。
 笑えるのはキャラクタのみ、役者のハマり具合のみよ。

 じゃあどーしてこんなにこの作品を好きなのか。

 泣けるから好き。

 初日から、だーだー泣いた。
 2回目観に行って、さらに笑うシーンはなくなり、さらに泣くシーンが増え、クライマックス以降はカーテンコールが終わるまで泣き通した。

 どうして泣けるのか?

 そこに、幸福があるからだ。

 トニー@ワタルとローラ@となみが、愛し合っている。
 愛し合うふたりが、愛を歌う。
 愛だけを歌う。

 幸福なハッピーエンド。
 障害を乗り越えたふたりが、互いをかえがたい大切なものとして慈しみ歌う。
 愛と幸福に、トロトロにとろけた姿。

 そのことに、泣ける。

 あいすべきひとたちが、しあわせそうにしている。

 ただそれだけで、泣けて泣けて仕方ない。
 せつなくてたまらない。

 わたし的に、『となりのトトロ』で号泣するのと同じハートだ。

 
 リコ@トウコとコンチータ@あすかもそうだし、サム@マヤさんとグラディス@くみちょもそうだ。

 愛し合い、しあわせそうにしている人たち。
 特別でもなんでもなく、たぶん、それがふつーの姿である人たち。

 彼らの幸福さに、わたしもまた幸福になる。
 せつなくて、いとしくて。
 

 でもって。

 となみちゃんのかわいらしさに、クラクラになる件。

 ヒロイン、ローラ@となみのかわいいことといったら!
 おつむ弱めのかわいこちゃんを演じるとヅカ1ですか、となみちゃん。いやその、ローラがアタマゆるい系のヒロインかは意見の分かれるところだと思いますが、となみがやるといい感じにゆるい。
 一生懸命で、でもズレてて、気が強くて。
 わたし、個人的にくやし泣きする女の子って好きなの。
 悲しんで泣くとか弱くて泣くとか、そーゆー泣き方は女の子ならあたりまえだよね。
 でも、くやし泣きっつーのはさー、向上心がなきゃできないことだから。自尊心があり、それにふさわしい扱いを得るべきだと思っているってこと。現実と理想のギャップに憤ることができるってこと。
 あきらめることで楽をしない。卑下することで保身をしない。かっこわるくてもくやし泣きをする女の子が好き。
 ……女の子がくやし泣きするところって、大抵お笑いシーンにされちゃうけどね。「くやしい〜〜、キィ〜〜ッ!!」って。
 ローラももちろん、笑われていたけどね。
 それでも、ひとことも言い返せずに「傷付いたわたし」をアピールして泣きながら逃げていく女の子より、ずっといいよ。

 そんなふーに、人前でくやし泣きしちゃえる女の子ローラ。なりふり構わず一生懸命。そりゃかわいいだろ。トニー@ワタルも一目惚れするだろ。
 わたしはもちろん一目惚れだ。大好きだローラ。

 笑えないアメリカンジョークだらけで構成されたこの芝居で、もっとも笑えるのがローラのオーディション風景。
 おかしな黄色い羽根を脳天につけて、ピアノの上でポーズを取る、それだけでもー爆笑。しかもやたらドスのきいた声で歌い出して。
 思い切りハズしている姿が、かわいいのなんの。

 そんなイケてない女の子が、トニーのプロデュースでみるみる「いい女」に変身するのが気持ちいい。

 ダサいはずの歌がノリよくアレンジされ、ミニドレス姿でセクシーに踊り出したときの、あの高揚感!!

 椅子ですよ、椅子!!

 脚線美を晒し、椅子を大きくまたいで坐ったときの、あの美しさ。気品と色気。
 スリットからのぞく太股!!
 きゃ〜〜っ!!

 太股っ! 太股っ! 太股っ!

 太股スキーとしては、たまりません、あそこ。
 サムがローラの太股に釘付けになっているのが、よーっくわかる。うんうん、わたしと同じだよサム!!

 おバカキャラはもういいから、セクシーダイナマイトな悪女とかやってくんないかなぁ、となみちゃん……あの太股を使ってさ……ハァハァ。

 1幕後半以降、ローラがなにかにつけて「トニー」と口にするのもまた、いいよなあ。
 なんでもない会話に、目が覚めたときに、とにかくいつも、愛する人の名を口にする。
 ほんとに好きなんだね。彼が人生の一部になっているんだね。
 ドラマティックなシリアス恋愛ではないけれど、そんなささやかなところに思いの深さが見えて好きだ。

 あああ、ローラかわいい。
 サマンサもかわいい。眼鏡萌え。

 
 ワタルくんは相変わらずの包容力。
 このひとだからこそ、こんなにダダ泣きできるくらいのカップルを見せてくれるんだろうなあ。
 『コパ』のショーシーンなんか、ありえねーくらいかっこいいし。

 歌ですか?
 わたし、ワタさんの歌とは相性よくないようで、彼の歌はいつも「ヘタ」だと思ってますが。
 ヘタだと思うということと、好き嫌いはまったく別で。
 ワタさんが歌ってくれてぜんぜんOKよ。歌詞が聴き取れなくても、気にならない。
 ワタさんが真ん中で、ワタさんらしく歌ってくれる、それでいい。それで幸福。

 オサコンと同じ曲をここで聴けたのもうれしい。『コパ』のプログラム買ってないから、曲名わかんないけども。何度も何度も使われていて、そのたびになつかしくなり……(笑)。

 
 トニーとローラがお似合いで、しあわせそうで、バカップル(笑)で、それだけでうれしい。


 『コパカバーナ』はとびきりたのしかった。
 翻訳に難アリでも、キャラものとしてたのしめる。

 この公演でいちばん愉快だったのは、トウコのエロオヤジっぷりだ。

 えーと、トウコちゃん。
 あなた前回の星組公演では、オスカル様だったんですよね? あのいじらしくも魅力的な女の子、だったわけですよね?

 1幕のトウコの出番はオープニングの「スティーヴン@妄想中」のラテンシーン以来ほとんどなく、後半になってからよーやく登場するんだけど。

 登場シーンから、アゴが落ちた。

 ヒゲ?!

 初日ですから。誰も、トウコがこんな役作りで来るとは思ってません。ざわつく客席。
 そのざわめきは、トウコ的にツボったんでしょう。なんか彼、すっげー機嫌いいんですけどっ?(笑)

 たのしそうでした、トウコちゃん。
 日記書くのずーっと放置していたんで、すでに別の日にも『コパ』観に行ったんだけど、初日の方がトウコちゃんノリノリだった。すっげーたのしそうだった(笑)。

 安禄山再びっ。

 「へっへっへっ」と二枚目タカラヅカスターにあるまじき笑いをあげていた、あのすけべ中年男と同じですよ。
 安禄山よりダンディに決めてますが、スケベ度は同じ、ノリノリなのも同じ。安禄山は楊貴妃を襲う1シーンしか活き活きおやぢしてなかったけど、リコは全編活き活きしまくってますから!

 トウコちゃん……あなたって人は……。

 あまりにたのしそーなスケベオヤジっぷりに涙。大好きだ。

 やりすぎ。やりすぎだから!!

 
 でもって「やりすぎ」といえば。

 わたしはもともとあすかちゃん大好きなんだが、トウコ×あすかとくると、すごいね。
 なんなのあの濃さ。

 『コパカバーナ』はコメディで罪なく嘘臭く(笑)大げさに話が進む。コメディにはコメディのルールがあり、ストーリー展開もオチもそれを逸脱してはならない。
 リコもコンチータも、正しくコメディキャラとして作られている。トウコのオヤジっぷりは嘘臭いほどの大袈裟さに満ち、コンチータもまたみょーにべたべたした喋り方をする。カテゴライズされたキャラたち。

 なのに。
 ああ、なのに。

 クライマックス、トウコ×あすかのふたりがぶっちぎりでシリアス芝居をはじめる!!

 キミらソレ、変だから! 浮いてるから!
 そこで悲劇的に盛り上がっちゃイカンから! お笑いキャラなのに!!

 あーもー、大好きだ。

 他の全部ぶっとばして主役になってしまうリコとコンチータ。
 アツい、クドい、ネバい(笑)。
 ああ、いいなあ。
 トウコとあすかってほんと、芝居合うわー。このふたりでとことんアツくてクドくてネバネバした、ドシリアス悲劇恋愛モノとか観たい。

 リコとコンチータがあまりに悲劇ぶっちぎりだから、最後のオチの部分が活きる。

 スティーヴン@わたるの生きる世界と、彼の創造に過ぎなかった『コパカバーナ』の世界が重なる瞬間。

 車椅子に乗ったリコが、かわいすぎるっ!!

 なんなの、あの得意そうな顔! どこのいたずら坊主よ?
 そしてそれを受け止め慈しむ、幸福そうなコンチータの余裕ある笑顔。

 『コパ』のリコとコンチータの最期が悲劇的だっただけに、あたりまえにしあわせそうにしている現代のリコとコンチータの姿が、泣けて仕方がない。
 ちくしょー、このオチを知っていて、わざと泣かせの演技してやがるんだなっ、きたないぞっ。……と、理不尽なことを言いたくなるよーな鮮やかな転身。

 ストーリーの芯になる部分が好みで、キャラがハマッていて好みだったりすると、他のことに多少難があってもぜんぜん関係ないんだな、という見本のような作品だ。月組の『暁のローマ』と同じハートか(笑)。

 リコとコンチータが好きで好きでしょーがない。泣けて泣けてしょーがない。
 現代パートでは「笑わせる」ための演技をしているし、トウコちゃんなんかアドリブ満載で遊びまくっているのに。
 そんな姿に泣ける。笑いながら、だーだー泣いている。

 
 だから、とびきりハッピーな気分になれる。
「いいもん観たっ」とご機嫌になれる。

 大好き。
 だから、大好きな人たちがしあわせそうに笑うこの作品が好き。


 『リンダキューブ』というゲームがある。
 古いゲームだな。
 8年後に滅びる惑星を舞台としたRPG。物語は3つ、それぞれ同じ舞台とキャラクタのパラレル・ストーリー。
 3つのシナリオ、出てくるのはいつも同じ顔ぶれ。主人公はケン、恋人はリンダ。
 物語のはじまりも同じだし、終わりも同じ。
 惑星が8年後に滅びることがわかり、ケンとリンダが「箱船」の乗務員になるところからはじまり、8年後惑星が滅び、ケンとリンダとつがいの動物たちを乗せた「箱船」が別の惑星に向かって旅立つところで終わる。
 同じ人々が、同じ舞台と同じ設定で、別の物語を紡ぐ。はじまりも結末も、キャラクタも同じ、3つの物語。

 3つのうち、シナリオAとシナリオBは、物語がめちゃくちゃ過酷でね。

 かなしさを含んだ恐怖が広がる。いつだって、いちばんおそろしいのは人間で、いちばんかなしいのも人間だ。
 人間の持つ醜さを目の当たりにし、己の無力に膝を折り。
 ボロボロになりながら、それでも握りしめた恋人の手だけを真実とし、未来へ旅立つ。

 そーゆー物語をふたつ越えて。

 最後の、シナリオCに辿り着く。
 舞台も、登場人物も同じ。主人公はケン、恋人はリンダ。
 だけど。

 シナリオAで、シナリオBで、かなしく破滅していった人たちが、ここではにこやかに笑って生きている。
 パラレル・ストーリーだから。
 舞台も設定も登場人物も、物語のはじまりも終わりも同じ。
 だけど、物語だけがチガウ。
 あのとき救えなかった人たちが、救いたかった人たちが、この物語では、幸福に生きている!
 とりたててドラマティックでも感動的でもない、平凡であったりまえの、滑稽ですらあるほのぼのとした日常。
 その、どーでもいいような「ふつうさ」に、泣けてくる。
 ふつうにしあわせにしている。世界を揺るがすような事件に関わったり、永遠の若さを手に入れたりしていないけれど、かわりに、ふつーにつつましく、しあわせにしている。

 そのことに、救われた。

 映画だとかアニメのような起承転結のある物語中心だったシナリオA・Bとちがい、Cには物語らしい物語もない。ケンとリンダはなんの障害もなく結ばれ、ラヴラヴ新婚カップルとして仕事に励む。ドラマティックな「物語」をたのしむのではなく、ただ純粋に「ゲーム」をたのしむ。それが、最後のシナリオだった。

 完璧な仕掛け。
 3つのパラレル・ストーリーが紡ぎ出す「物語」。

 
 ソレを、思い出した。

 前置きが長くてすまんね、星組梅田芸術劇場公演『コパカバーナ』初日に行ってきました。チケット譲ってくれてありがとうドリーさん、感動の1階5列目観劇。

 予備知識なんか、まったくナシ。知っているのは「コパカバーナ」という有名曲と、いかにもラテンなポスター写真だけ。舞台がどこなのかも知りやしねえ。宙組版のポスターがスーツものだったので「『ノバ・ボサ・ノバ』みたいな舞台ではないらしい」と想像するくらいのもんだ。

 舞台は現代ですか?
 ソングライターのスティーヴン@ワタルが作曲中。やたらと色っぽい妻の声にも生返事、夢中でお仕事。
 ……仕事なんだか趣味なんだか、だんだん彼の妄想はヒートアップ、「理想の女の子ローラ」と「ハンサムで才能あふれるソングライターの卵トニー」の物語作りに夢中になる。
 トニーはもちろん、自分自身。……イタタタタ。

 時は終戦直後、場所はニューヨーク。
 ナイトクラブ「コパカバーナ」でトニー@ワタルとスターを夢見るローラ@となみは出会う。才能はあるのにチャンスに恵まれなかったふたりが運命の出会いをすることによって大成功、夢への階段がほらそこで手招きしている!状態に。
 ところがそこに、ギャングのリコ@トウコがやってきた。ローラを見初めた彼は酒と薬で彼女を拉致、景気よくハバナの自分の屋敷のベッドに直行。
 …………ベッドですよ。早いですね。露骨ですね。
 トニーはリコからローラを取り返すために、命懸けで彼のナイトクラブ「トロピカーナ」へ乗り込む。そこではリコの長年の愛人で往年のスター(本人は現役バリバリ希望)コンチータ@あすかが、リコの執着がローラに移ったために立場を危うくしていた。
 コンチータの協力で、トニーは「トロピカーナ」のショーに紛れてローラ救出大作戦を決行するが……。

  
 トニー、ローラ、リコ、コンチータ。
 みんな「あて書き?!」ってくらい、ハマっている。
 なんと活き活きと個性的なキャラクタを演じていることか。

 物語は、ソングライターのスティーヴンの物語と、彼の創る『コパカバーナ』という物語がつかず離れず、リンクして進む。

 この作品でいちばん文句があるのはなんといっても翻訳のひどさだ。
 昭和初期に翻訳されたものをそのまま使ってる? 日本語としてすでに変。文法ちがうだろそりゃ。
 テイストも変だし、センスもひどい。

 現代語訳してくれ。

 言葉は生き物であり、時代と共に変化するモノだ。
 ただでさえアメリカ人と日本人は笑いのセンスがまったくチガウ。「アメリカ人なら爆笑しているんだろうな」と想像しながらつまらない言葉のやりとりをえんえんえんえん聞かされるのはつらい。
 映画『プロデューサーズ』の客席みたいだ……。わたしが行ったとき、アメリカンジョークの応酬で進むこの映画、観客ドン引きで静まりかえっていたよ……その空気の冷たさの相乗効果としてまた映画の寒さに引き……の循環コースまっしぐら。
 「笑い」というのは、文化・風土・時代によってまったくチガウもんなんだよなあ。「泣き」が共通しているのとは対照的に。だからこそ、とても難しい。だからこそ、もっともセンスが問われる。センスのない演出家にやらせちゃイカンよ……。

 現代の作品としてきちんと演出されていたなら、もっとたのしい作品だったろう。

 「翻訳物」という縛りがあって、オリジナルを言葉ひとつ変えてはいけない、というなら、タカラヅカで上演する意味ないよ?
 タカラヅカは海外ミュージカルをただ右から左へ輸入するカンパニーじゃない。「タカラヅカらしいモノ」を見せるところだ。輸入物が観たいだけなら、他のカンパニーへ行くって。

 『コパカバーナ』を「タカラヅカ」として、現代の感覚と言葉で演出できたら、どんなに素晴らしい作品になっていたかと思うと、それがくやしい。

 
 だってコレ、時空を越えたラヴロマンスだよね?(笑)

 うまく作れば、『ドルチェ・ヴィータ!』的構成のラヴストーリーになったんだ。

 男と少女が時空を越えて何度も巡り会い、そして別れる物語『ドルチェ・ヴィータ!』。
 男と少女が、彼らを取り巻く男たち女たちが、時空を越えて何度も巡り会い、そして結ばれる物語『コパカバーナ』。
 細かいことは置いておいて、「タカラヅカ」的にとことん盛り上げれば、ものすげーラヴロマンス。もちろん、笑いも観劇後の幸福感も忘れずに。

 「理想の美女ローラ」を創り上げて歌うスティーヴンと、その想像の中の美女でしかないはずのローラが、せつなく恋のデュエットをする。
 ローラは愛するトニーと引き離され、ひとりで愛する男を想って歌う。
 引き離されているのは、場所なのか、距離だけの問題なのか。
 彼女に応えて歌うのは、現代にいるスティーヴンなのか、あるいは同じ世界にいるトニーなのか。

 スティーヴンが語る「彼の想像した物語」でしかなかったはずの『コパカバーナ』が彼の生きる「現代」、わたしたちが生きる「現実」とリンクする。
 トニーはローラを愛し、トニーであるスティーヴンはサマンサを愛し、リコもコンチータもサムもグラディスも愛を繰り返して生きている。

 愛が廻り、愛がつながっていく。
 永遠に回り続けるメビウスの輪。

 別の時代、別の世界、別の名前で出会っていても、たとえ不幸に終わっていても。
 何度でも出会い、愛し続ける。

 普遍的で、ヘヴィで、せつないテーマを、陽気な笑いと派手な画面でしっちゃかめっちゃかにかき回しながら進めて盛り上げて、ハッピーに終わる。
 タカラヅカだよね? コレって、コレこそが、タカラヅカだよね?

 『リンダキューブ』を思い出した。
 せつなくてやるせない、だけど幸福な愛の物語を思い出した。

 ひとはだれでも、「箱船」に乗る人類最後の恋人同士。
 世界が終わるとき、あなたの手を握る。あなたこそが、わたしの希望。
 どんな平凡な、ふつーの人であっても。ギャングだとかスターだとか、華々しい人生じゃなくっても。みんな、みんな、きっと。

 わたしが愛したあなたが、あなたが愛したわたしが、きっと「世紀の恋人」。

 いつかどこかの時代では、最高にスペクタルな恋を演じていたかもよ?
 いつかどこかの世界では、最高に悲劇的な最期を遂げていたかもよ?

 だからこの平和でつまらない現代で、平凡にしあわせになろうね。


 わたしは幸福な人間である。
 大抵機嫌がいいし、腐りながらも愚痴りながらものんきに生きている。

 わたしは不幸ではないし、助けなんか求めていないし、なにかに飢えているわけでもないが。

 
 しいちゃんなら、わたしを救ってくれるのではないかと思った。

 星組バウホール公演『フェット・アンペリアル』を観て。

 ごめん、ウィリアム@しいが、ぢゃなく、モロに「しいちゃん」が。
 主人公ウィリアムは、しいちゃんでなくてはならない。しいちゃんあってこそのウィリアムという男。
 立樹遥という光。

 わたしは自分を不幸だとは思っていない。いないはずだが。
 だが、人間だから。きっとすべてのひとがあたりまえに持っている閉塞感だとか絶望感だとかは、ふつーに持ち合わせているから。

 それらから、救ってくれる、強引に手を取って走り出してくれる人だと思った。

 そして、救って欲しいと、思った。

 あたりまえに持っている閉塞感だとか絶望感だとかから。

 今、キーを打っているわたしの前に、ウィリアム@しいちゃんが現れないかしら。
 そして、わたしの腕を取って走り出してくれないかしら。
 ついて行くから。
 ついて行くのに。


 カシウスが、ブルータスを好きだったのはほんとうだと思う。

 彼は自分以外のすべてを見下していたし、ブルータスのことも利用していただけだけど、彼が本心を叫ぶシーンでブルータスのことを認めていたのは、たしかだと思う。

 『暁のローマ』語り、今回のテーマは、「カシウスの愛はどこに」(笑)。

 カシウスはクールにシニカルに、この世のすべてを見下して生きてきた男だ。
 ブルータスも例外ではない。「野心をくすぐれ」と歌う彼は、人間を操ることなどたやすいと思っている。実際、ブルータスも彼の思いのままに動いた。
 人生、チョロイ。人間なんて、チョロイ。男はバカばかりで彼の策略で簡単に騙せるし、女もまたバカばかりで彼の美貌で簡単に騙せてきたんだろうよ。暗殺者チームは彼の思いのまま。ブルータスの妹をたらし込んだのも計算尽くだろーから、女も思いのまま。

 カシウスは、ブルータスを利用していた。
 ……この段階で、愛はない。
 友だとか兄弟だとか、美しげなことを言っているが、本気ではない。
 ブルータスの利用価値を認めているだけだ。
 下手に出てはいるが、冷え冷えとしたたたずまいが崩れることはない。

 だが後半、クールだった彼は豹変する。
 なにもかも失い、追われる身になって。
 あれほど余裕綽々にすべてのものを俯瞰していたくせに、激昂し叫び出す。

 このとき彼は、アントニウスを非難し、ブルータスを持ち上げる。

 とーぜんだわな。
 カシウスという男の「立ち位置」を考えれば、そうするしかないんだ。

 だって彼は、「ブルータスを選んだ」のだから。
 カエサルを倒して、自分が王になる。
 この野望をかなえる傀儡として選んだ相手が、ブルータス。アントニウスじゃない。

 アントニウスを選んでいれば、王になれたのかもしれない。たとえ3分の1であっても、ローマを治められたのかも。
 だけどカシウスが選んだのは、ブルータスだった。

 それは、見込み違いか。

 選び違えてしまったカシウスが愚かだったということか。
 クールさの仮面を投げ捨てて激昂するカシウスは、アントニウスを否定する。
 「アントニウスを選ばなかった自分を正当化するため」に、アントニウスを貶めなければならない。

 さらに、この状況まで追いつめられたカシウスにとって、残っているのはブルータスだけだ。
 市民はアントニウスを選んだ。カシウスの選んだブルータスを否定して。
 そう、世界は無知と軽薄と悪意に満ちていて、価値があるのは自分と、自分が選んだブルータスしかない。

 カシウスには、ブルータスしかいない。

 「立ち位置」的にも、そして自分の精神的優位、存在意義を確立するためにも、ブルータスを必要とし、ブルータスのすばらしさを認め、愛さなければならないんだ。

「この男をすばらしい人物だと認めなさい。認めなければ、オマエを死刑にします」
「この男を愛しなさい。この男に愛を告げなければ、オマエを死刑にします」
 運命の女神が、そう命令している。
 他に選びようのない二者択一。
 ブルータスはすばらしい、ブルータスを愛している。……そう定義づけなければ、カシウスは破滅する。

 カシウスは、ブルータスを愛しているのか?
 愛しているとして、その愛は本物か?

 他に選択肢がなかったから、自分を守るためだけに、ブルータスを愛したのだとしたら、それは本当の意味で愛したことにはならないだろう。

 
 と、ここまでが状況確認と疑問提示。

 わたしの結論は最初に書いた。

 それでも、カシウスが、ブルータスを好きだったのはほんとうだと思う。

 なにもかも失ったカシウスは、ブルータスを愛するしかない状況だった。
 ……だから愛した。という側面も、たぶんある。
 自分を守るために、自分に利益をもたらす相手に好意を持つのは人間の本能だから。

 でもそれ以上に、ほんとーに、好きだったんだよ。

 最初はたしかに、ただ利用していただけだったんだろうけど。

 本人が言っている通り、カエサル暗殺後の市民への演説、アレがポイントだったんだろうとは思う。

 今まで他人を見下し、偽りで操ることしかしてこなかったカシウスだ、嘘偽りない真心で多くの人々の気持ちを動かしたブルータスを見て、目からウロコだったんだろう。
 嘘やお世辞、脅しや利益でしか、人間の心は動かないと思っていた。そーやってカシウスは人を動かしてきた。
 それがどうだ。
 ブルータスはチガウ。人の心の美しい部分で、人を動かしてみせる。

 そのことに、純粋に感動した。

 その直後。

 アントニウスが、なにもかもひっくり返す。
 言葉巧みに市民を扇動し、誘導し、洗脳する。市民を動かすのは狭小な人情と、金。
 アントニウスがやって見せたことこそ、カシウスが今までやってきたことだ。
 相手が望むコトバを口にしてやり、持ち上げ、気持ちよくしてやる。さらに利益があることを教える。……そーやって人を操ってきた。
 見せつけられたのは、自分の暗部、歪んだ鏡。
 善意のブルータスのあとで見れば、その醜さが際立つ。
 しかも。
 アントニウスの方が、カシウスより遙かに大物なのだ。
 カシウスがちまちまやってきたのと同じ方法論で、大勢の市民たちを一瞬で傀儡に変えてしまった。

 コレは、効くだろ。

 人生観変わるぐらいショック受けても仕方ないだろ。
 なまじ自分を「非凡」だと信じてきた男だから。

 カシウスは、「世界」に否定された。
 自分にはあると信じていた翼が、ただの思いこみ、偽物に過ぎないことを知らされた。

「私は嫌だ! 私はチガウ! 私は戦う!」

 アントニウスを否定し、アントニウスを選んだ民衆を否定し、アントニウスを選んだ「世界」を否定する。

 駄々をこねる子どものように。

 その情けない姿が。
 自分のレーゾンデートル崩壊を認めまいとあがいている大人と、自分の好きなモノを貶められたことに憤るガキ、両方に思えるのよ。

 利用していたくせに、見下していたくせに、ブルータスが他人から蔑まれると、ムカつくんだね(笑)。
 いや、人格者ブルータスを見下していたのは自分だけだった。特別なカシウスだからこそ、ブルータスごときどうとでもできた。
 そんな自分が、ブルータスのすばらしさを彼の演説によってはじめて感じたところだったのに。それを自分の嫌な部分だけで構成されたようなアントニウスによって貶められるなんて。

 アントニウスは、歪んだ鏡。
 冗談じゃない、俺はあんなに醜くない。
 俺には崇高な理想があるのだから、私欲で動いているアントニウスとはチガウ。

 理想ってなにさ? 他人を騙し利用することを正当化できるナニがあるというんだ? ーーというツッコミは今は置いておく。
 カシウスが自分を正当化していること自体が、「どんなに悪い結果に終わった行いも、元は善意からはじめられたのだ」というコトバに集約されているんだよね。

 アントニウスに貶められることによってはじめて、カシウスは自分の心を知る。
 ブルータスを、愛していると。
 民衆がアントニウスを選んだことが許せない。俺のブルータスがあんな男以下だと評価されるのが許せない。民衆の支持を失い、みじめに追われるなんて許せない。

 アントニウスを罵るカシウスの、情けない格好悪い姿が、もう。

 あー、そんなにブルータスが好きかぁ……。
 そんなに、自分のことを好きでいたいのかぁ……。

 そうやって、心を守るしか、ないんだね。そこまで、追いつめられてしまったんだね。

「ブルータス、歌ってくれ!」
 すがりつくように言う。
 カシウスが持っている唯一のもの、彼が選び、彼が愛し、彼を救うただひとつのもの、ブルータス。

 ローマはみんなのもの、と歌うふたりは、「世界にたったふたりきり残された、最期の絆」そのものだ。
 

 カシウスは、ブルータスを愛していた。

 自分を守るための、ずるいものが含まれていたにしろ。そうするしか、他に選択肢がなかったのだとしても。

 それでも、愛している。

 美しいだけでも正しいだけでもなくて。
 汚くて間違っている部分も含めて。

 カシウスが、ブルータスを好きだったのは、たしかだと思うんだ。


 かなり「オイシイ」作品なんじゃないかと思うんだ、新人公演『暁のローマ』を観て。

 象徴であるだけにカエサル@マギーがここぞという見せ場に恵まれたオイシイ役であることは、説明するまでもないだろう。
 名目はともあれ、真の主役であるブルータス@まさきがオイシイ役であることも、誰にでもわかるだろう。

 ヒロイン・ポルキア@れみちゃんは割を食っているとはいえ、ちゃんと見せ場は配慮してある。
 2番手のアントニウス@みりおは漫才を除いても、後半にどかんとした見せ場がある。
 3番手カシウス@かすがは主人公の親友の振りをしながら実は悪役という、オイシイ役。
 オクタヴィアヌス@るうも出番自体は少なくても、たったひとりで舞台に立って歌うという、他には変えられない見せ場がある。

 他にも、ブルータスママやカエサル妻、クレオパトラとナマ腹ダンサー、占い師、暗殺者チーム、特に病弱卑怯男と扇動歌手コンビ、と、それぞれ「見せ場」のある役がいっぱいだ。

 どの役も、「この役でこのシーンをきちんとつとめあげれば、舞台人としてスキルが上がる」だろうということが、想像できる。
 どの役も、その役が割り振られて不思議ではないポジションの子が「あの役にあたるかも」と思ったときに、わくわくするものがある。

 やりがいのある役。
 たとえ一時でも、場の中心になって物語に関わる魅力。

 多くの場合、物語を進めることに必死でキャラに見せ場を作るヒマなんかなかったりするもんなんだが、『暁のローマ』は構成失敗している分、キャラの見せ場をいろいろ作れたんだな(笑)。
 脇キャラの見せ場削って、ストーリーをもっと書き込めば良かったのにねえ。てか、失敗している部分はソコぢゃないし。

 ま、なんにせよ、「数人のキャラクタしか描けない」と言われたキムシンが、破格のサービス精神でいろんなキャラに見せ場を用意してますよ!

 
 ブルータスママ@青葉みちる嬢が地味だったことは意外。
 役が派手だから、派手になるのがデフォルトだと思っていたの。そーかアレは、嘉月さんならではの派手さだったのか……。
 青葉みちる嬢はうまい人なので、きちんと仕事はしていたんだが。見た目がふつーに女の人なので、毒々しさがないとインパクトに欠けるんだな。
 ……て、この書き方だと、えりりんが「見た目がふつーの女の人ぢゃなく、毒々しさに満ちている」って意味に取られるな。……や、その通りなんだけど。

 
 モブに混ざっているあいちゃんが、派手すぎて、笑える。
 カエサルの愛人ズでうきゃうきゃやっていたり、ローマ市民できゃーきゃーやっていたり。
 濃い。派手。
 そこまでやらなくていいから! ってくらい、はじけてる。
 同じ振付で踊っていても、なにもかもが派手だ。

 たのしそうだなー、あいちゃん……。

 
 エジプシャン・ダンサーの衣装がちがっていたのは、何故ですか?

 わたしはねっ、わたしはフジコちゃんのナマ腹を期待していたのよーっ。
 最前列観劇の際みっぽーちゃんの割れた腹筋を堪能させてもらったから、新公のフジコちゃんの腹筋を見たかったのよ。新公は後方席だったけど、オペラグラススタンバイOK、ダンサー出たー、腹だ腹、腹を見るぞ。

 衣装の飾りで、腹筋が見えん……。がっくり。

 ナマ腹なのはたしかだ。
 だが、腹の真ん中に飾りがくるよーになっており、腹筋もヘソも見えないようになっていた。

 何故?
 みっぽーは見せて、フジコは見せない?
 その差はなんなの?
 フジコはそんなに高い女なのか? 簡単に腹は見せないわよーっオホホホホッ!!てか?!

 しょぼん。(ダンスも見てやれよ)

 
 リガリウスは美形がやってはいかん役なのかなぁ……衣装ピンクなのになあ。本公新公とも意志を持って役者を選んでいる? じゃあキャラ立てはアレで正しいのか……わかりやすく最低な男だから、せめて美形キャラにしないと救いがないかとも思ったんだけど、そこで美形に逃げないのがキムシンのポリシーなのかしら。
 と、ちょっと歯切れ悪い文章を書いてみる。

 暗殺者チームで目を引いたのは、顎ヒゲ男でした。歌も台詞もないにぎやかしキャラだが、なんかすっげー色男。
 わたしのヒゲスキーハートをきゅっととらえたわ!

 
 真ん中が安定しているがゆえに、とても充実した新公でした。

 新公初主演挨拶って、泣いてぐぢゅぐぢゅになるもんだっていうイメージがここんとこずーっとあったから、マギーの笑顔の簡潔挨拶がまた新鮮。てか、長のあいちゃん喋り過ぎ(笑)。

 華と実を備え、躍進してほしいっす。心から。

 
 
 
 あとこれは、蛇足というか、ぜんぜん関係ないことなんだけど。

 この『暁のローマ』について、公の場で挨拶する月船さららが見たかったな(笑)。
 ありえないけど!
 さららんはカエサルより、絶対ブルータス役者だし。
 さららんが新公主演で、しかも主演の役がブルータスで、新公挨拶をさららんがやったら……。

 そう考えると、心奮える。

 キムシン作品とさららん。
 どれほどアツい暴走挨拶をカマしてくれるか、想像するだけで愉快だ。

 さららん……すばらしいキャラクタだった。


 新人公演の主演者が発表になったとき、大喜びした。

 カエサル@マギー、ブルータス@まさき。

 マギーにはぜひ一度真ん中に立って欲しかった。あのクドいアツい持ち味は、月組では異端(笑)。異端ならば、端に置くより真ん中へ。彼は実力も持ち合わせているしね。

 『Young Bloods!! 』主演はうれしかったけれど、これでまさきが新公主演独占、という状況になるのは嫌だった。他に誰もいないならともかく、1期上にマギーがいるのだから、まずは彼に主演して欲しい。
 ……と願っていた者にとって、トド様降臨の今回の作品はうってつけ。トド役が「主役」だとしても組トップスターたるあさこの役もやりがいのあるオイシイ役だとわかっていたから。マギーとまさきで厚い(変換ミスにあらず)モノが観られるにちがいない、と。
 まあ、あそこまでトドが「象徴」に過ぎず、あさここそが「主役」で来るとは、発表当時は思ってなかったけどな。

 そーして、新人公演『暁のローマ』観劇。

 まず、カエサル@マギー氏の、あまりに堂に入った「スター」ぶりにウケた。

 最初に登場する、ほんとにいっちばん最初の銀橋渡りで、余裕の笑顔で客席に目線トバしまくってるんですけどっ?!(笑)

 誰だオマエ(笑)。
 どこの大スター様だ。

 しかも、なんかえらくサワヤカで。
 芝居とは関係ないショーシーンのよーでした。

 掴みはOK。
 このずーずーしいほどにきらきらした登場シーンだけで、すべて許せる(笑)。
 スタァ様よ。スタァ様がお渡りになったわ! て感じ。
 ローマの大スタァ・カエサル様。市民たちはきゃーきゃー。

 そこへ遅れて登場する、深刻ブルータス@まさき。
 きらきらきゃーきゃーカエサルとのコントラストがステキ。

 
 さて。

 この新公でわたし、はじめて、ブルータス視点で物語を観ました。

 本公演は、神の視点(文章作法用語? 通じるよね?)で観ていたの。誰に肩入れするわけでもなく。
 それをはじめて、ブルータスに視点を固定した。三人称一視点っつー感じ。

 『スサノオ』のときもそうだったけど。
 主人公に視点固定して観ると、すっげーたのしいねっ!!
 周囲なんか見なくていい、主人公ひとりの行動と心の動きを追っていると、すげー気持ちいい。
 こんな話だったのか、『暁のローマ』(笑)。や、今まで感じていたこととチガウものが見えたわけでもないが、たのしさがちがったんだ、段違いに。
 あさこファンがうらやましー。こんなに気持ちよくなれていたのか。

 とても快調に、あちこちで泣けました。

 まさきは、うまかったです。
 想定内。
 サプライズは特になく、だからこそつまずくことなく「作品」を楽しめた。

 ふつーにたのしく、「物語」を味わうことが出来る。

 ……あのー、コレって、すごくないですか?
 他の場合の話ぢゃないっす。今回。

 主演やってるふたり、今まで、大劇場の真ん中に立ったことないんだよ?

 前回の新公、カエサル様は専科さんの役でブルータスは副組長の役だったんだよ? 2番手や3番手すら、やったことないんだよ?
 なのに、真ん中で「ふつー」に「スター」をやれてしまうんだよ? 「ふつー」に「公演」を「物語」を、進めてしまえるんだよ?

 彼らがどーして今まで日の目を見なかったのか、不思議でならない。月組新公事情はわけわかんなかったもんなあ。

 まさきはやっぱりあさこに似ていて、影響受けていることがよくわかる。
 でも時折にじみ出ている「黒さ」はまさき自身の持ち味なんだろうな。黒さ……性格の悪さ?(笑) や、わたしは彼がどんな人なのか知らないけど、彼の舞台からはいつも、そーゆーモノを感じるので(笑)。

 まさきに視点固定で観ていたので、彼から「にゅるっ」と「黒いモノ」が這い出る瞬間瞬間がツボでした。
 あさこブルータスを踏襲しようとしていて、それでもその奥から時折出てくる「龍真咲」がたのしい。
 や、今コワかったよブルータス。ソレ、キミが目指している本役ブルータスにはナイから! チガウから! なのに、目指していない、隠しているモノがトーガの隙間からのぞいている(笑)。
 目指しているモノと持ち味の差が、本人にコントロールできていないところが不安定で、ツボ。真面目にコピーしているのにね。真面目にコピーしているからこそ、あちこちでほころびが見えるんだね。
 どこか歪んだ、あやういブルータス。たのしいぞ(笑)。

 
 さて、配役を見たときいちばん危惧したのは、アントニウス@みりおでした。

 歌や演技という技術面ではなく、ズバリ、漫才の心配。

 幕前に現れ、漫才をする。
 相方のオクタヴィアヌスはただの合いの手入れ、場を導くのはアントニウスひとり。

 ある意味主役より難題であるこのシーンを、キャリア不足の新人少年でどう乗り切るつもりなのか。
 最初でスベッたらどれだけ悲惨なことになるか、『エリザベート』新公でキャストも観客も思い知っているだろう。

 とりあえず、杞憂に終わった。
 脚本が、書き換えられていたためだ。
 アントニウスひとりですべてを担うのではなく、オクタヴィアヌスとふたりで話を進めることになっていた。むしろ、オクタヴィアヌスがすすんでボケをかますことにより、アントニウスがツッコミやすく、話を進めやすくなっていた。

 なるほどー。
 やっぱりスタッフ側も、アレを新人にやらせるのは荷が重すぎると判断したか。

 ハードルを相当低くしてもらって、アントニウス@みりおとオクタヴィアヌス@るうはなんとか、ふたりががりで漫才を乗り切った。
 決してうまくなかったし、やばい空気(学芸会空気っつーか)は漂っていたけど、タカラジェンヌは漫才できなくても無問題!!(笑)

 漫才で手に汗握ってしまったので、その後のアントニウスについては点数甘いですよ。いちばん難しいのは漫才だから、アントニウス最大の見せ場「市民への演説」シーンも特に気負うことなく眺めた。
 本公演よりかなりマイクボリュームに気を遣ってもらっているなー、という印象(笑)。
 健闘を讃える。よくがんばった。
 容姿の秀でたかわいこちゃんなので、このまま順当に育ってほしいなー。

 
 カシウス@白鳥かすがが、タータンに見えた件について。

 なんでだろ。あちこちで、「すっきり顔のタータン」に見えた。わたしだけか?

 なんかふつーにうまくてびっくりだ。
 歌えるし、演技できるし。男役になってるし。
 そういや彼、今までもふつーにいい役もらっていたよね、新公で。マギーやまさきより役付上の人だったよね。
 地道にキャリアを積んで成長しているわけだ。
 花組に行ってもぜひ、このまま男道を進んでくれ。

 
 ポルキア@れみちゃんが、ぐんちゃんに見えた件について。

 かわいい妻、のときはともかく、狂ってからは特に『バッカスと呼ばれた男』以降のぐんちゃんに見えた。
 れみちゃん、痩せた? そのせいで顔に険が出てしまったのかな?

 難しい役だなと再確認。
 ポルキアの書き込み不足は問答無用でキムシンが悪い(笑)。

 ポルキアはかわいくなくてはならないのだと思う。
 妖艶だったり計算高かったり反抗的であったりしてはいけない。
 かわいらしく、罪なくあること。
 そうでないと最後の狂気にまでつながらない。

 れみちゃんはかわいかった。だからいいのだ。

 
 長くなったから、一旦切る。


 どうしよう。

 カシウス@ゆーひが、かっこいい。

 おろおろおろ。
 どうしよう。どうしよう。どうしよう。

 『暁のローマ』の話っす。ああ、わたしのPC、「あかつき」って入力したらカナ変換しやがったわ……それはGOアカツキよ、漢字だ漢字。暁郷のローマ……GOカエサル……見てみてえ……。

 なんて、現実逃避してないで、話を戻そう。

 カシウス。

 最初から、「かっこいい」を連発していた。
 あまりに美しく、見栄えのする男だから。
 そして、ブルータス@あさことの並びが良く、「萌え」な関係としてもたのしい役だった。

 そーゆー意味でミーハー心で、わたしは騒いでいた。

 大空祐飛が美しいのもカッコイイのも、地球の常識だから、ソレを騒ぐことにとりたてて意味はない程度の気持ちで。

 そーぢゃなくて。

 「カシウス」というキャラクタ自体に、ハマってしまったのだ……。

 
 『スサノオ』もそうだったけど、『暁のローマ』はリピートすればするほどたのしくなる。
 『スサノオ』のときも、初見では「失敗だろこりゃ」と肩をすくめて両手を広げて見せたんだが。もちろん、アオセトナ@水しぇんのステキさにきゃーきゃー言っていたし、作劇に難アリでもキムシンの叫ぶテーマ自体は好みなので、リピートすることになんの疑いも持たなかった。
 で、実際リピート観劇すると、どんどんハマる。おもしろい。萌える。泣ける。
 どんどん、好きになる。
 ……それと同じだ。『暁のローマ』も。

 リピートしているうちに、なんかやばいことになってしまった。

 カシウス萌え。

 ゆーひが、ではなく、カシウスという男。
 もちろんゆーひくんだからというのはあるが。
 ゆーひくんの演じる役に萌えるのは、プルミタス以来かもしれん……。

 ゆーひ個人を好きなことと、役への萌えは別もんだからな。

 
 『暁のローマ』は、人間の醜さをこれでもかと描いている。
 誰も彼もが、等しく醜い。そして誰ひとり、ほんとーの悪人ではない。
 唯一「善人」として描かれるブルータスは善人であるがゆえの「過ち」を犯す。
 善も悪もない。そこにあるのは、ただ「人間」だ。

 カシウスは野心家だ。
 クールで計算高く、本心を見せない。
 自分を高みに置き、他の人間たちを見下している。

 その姿が、かっこいい。

 ブルータスをたきつけ、暗殺者たちを操る。
 人の心の弱さや醜さを嘲笑い、利用する。

 その姿が、かっこいい。

 大体において、彼には表情が少ない。
 ゆーひくんの持ち味にぴったりあったクールさ、シニカルさ。
 暗く、動き少なく、たたずむ目の鋭さ。

 その悪役ぶりを、たんにかっこいいと愛でていたんだ、わたしは。

 最後、破滅するのもまたかっこいいしね。

 ただぼーっとわたしは、芝居を見ていた。ゆーひくんを好きだから、ゆーひくんばかり見ていた。それだけだった。
 クールでダークなゆーひくんなんて、素敵なあて書きだわキムシンありがとう!なだけだった。

 それが。

 なにもかも失ったカシウスが叫び出す瞬間に、変わった。

 
 それまでは、順調だった。
 ブルータスの妹と結婚し、彼に近づいた。
 「王になりたい」だけのバカな暗殺者たちを利用し、人の善いブルータスを利用し、カエサル@トドを暗殺した。市民たちの気持ちも掴んだ。
 しかし。
 アントニウス@きりやんによって覆された。
 「ローマを救った英雄」は「憎むべき反逆者」になった。
 市民たちに追われ、みじめに逃げまどい、よーやく身を隠した。

 順調だったのに。
 なにもかも、彼の思惑通りだったのに。
 人間たちはみんな愚かで、カシウスの手のひらで踊るだけの存在だったのに。

 いつも、見下していた。
 シニカルに嘲笑していた。
 無表情に、クールに、ひとりだけ落ち着いていられた。

 なのに。

 なにもかも失って。
 なにもかもを見下して笑っていた男は、はじめて、声を荒らげる。

「私は嫌だ! 私はチガウ! 私は戦う!」

 なんて、情けない男。

 痛い。
 なんて痛さだ。

 他人すべてを見下し、嘲笑っていたのに。
 自分より下等だと思っていたものたちに、裏切られ、拒絶されて。

 それを認めたくなくて、取り乱す。

 トクベツなんかぢゃないよ。
 あんたは、トクベツじゃない。あんたが軽蔑していた「下等な市民たち」と同じ、ただのくだらない人間だ。

 神話が壊れるとき。
 神が死ぬとき。

 自分が「トクベツななにか」であると信じていた。他の奴らとはチガウ、オレだけはトクベツだ。
 そう思って、せせら笑って生きてきたのに。

 自分が特別でもなんでもない、ただの「ふつーの人」であることを知り。
 プライドもレーゾンデートルも粉々になり。
 自分を否定したくなくて、他者を否定する。「世界」を否定する。

「オレをトクベツだと認めない世界なんて、世界の方がまちがってる!!」

 呪文。
 正しいのは自分、まちがっているのは自分以外のすべて。
 本能では「真実」に気づきながらも感情が否定する。気づかないふりをする。

 気づいてしまったら、認めてしまったら、もう生きてはいけない。

 「特別である」ことが、存在意義だったのだ。他人がではなく、自分がそう定義してしまったのだ。
 ただの凡人に過ぎないことがわかってしまったら、まちがっているのが世界ではなく自分だと認めてしまったら、もう生きていけない。

 だから、否定する。
 生命を懸けて。
 魂を懸けて。
 絶叫する。

「まちがっているのは、世界の方だ!」

 オレは正しい、オレは正しい、呪文を繰り返す。心を守るために。ただ、生きるために。

 ただ、狂わないでいるために。

 
 それまでが、クールに無表情にすまし返っていただけに。
 取り乱して叫び出す姿が、あまりにあさましくて。
 必死になって他人を否定し、自分を肯定する姿が、醜くて。

 その、あまりにみっともない姿に、心奮えた。

 
 ゆーひくんがなまじ美しすぎ、かっこよすぎるもんで、初見では気づかなかった。
 彼の、醜さに。
 いや、醜いだけなら「かっこいい」に分類してもいいかもしれないが、感情をむき出しにするかっこわるさに気づいたとき、もう後戻りが出来なくなった(笑)。

 何故あそこでラップなのか、今までのメロディを捨てて歌い出すのか。
 その意味を、考えもしなかったんだ。

 や、その、アレがラップだって、初見では気づかなかったし。

 初日観劇後、デイジーちゃんから「祐飛さんのラップはどうでした?」とメールをもらって、「ラップ? はて? あの人そんなことしてました?」とマジで返した(笑)。
 一緒に初日を観たチェリさんにも「ラップってどこ?」とメールしたし。チェリさんも「そんなのありましたっけ?」状態だし。ふたりで考えたけど、ぜんっぜんわからなかった(笑)。
 だってほら、ゆーひさんだしさ……できることとできないことが……ゲフンゲフン。
 

 カシウスは、醜い。

 誰より美しい姿をしながら、クールでニヒルでありながら、ほんとうは誰よりも人間くさい醜さを持っていた。

 そのことに気づいてしまったから。

 カシウスが、かっこいい。

 カシウスが、愛しくてならない。


 あかししか見ていないので、いまいち語りに説得力のない星組『Young Bloods!!−Twinkle Twinkle STAR−』の話。

 えー、娘役では、コロちゃんがすごかったっす。
 芝居ではとーってもナチュラルにコメディエンヌぶりを発揮。
 とてもありがちな「やり手の女社長」を熱演。

 コロちゃんに関しては、「ええっ、こんなにうまかったの?!」というおどろきがない。

 てか、うまいよね? 知ってるし。

 ……ん? なんで知ってるんだ?
 今までコロちゃん、なんかまともに役もらったことってあったっけ?

 改めて思い返してみると、「役」としてはなにもない。
 ただ。

 わたしの印象に残りまくっているコロちゃんは、『王家に捧ぐ歌』中日公演のエチオピア娘。
 わたしは4列目だっけか、数字は忘れたけどかなり前方席で観劇していた。
 そのときの黒塗りコロちゃんがもー、濃かったのだわ。濃すぎ。目の前で繰り広げられる、慟哭芝居の数々。コロちゃんガン見しちゃったってばよ、あまりに濃すぎて。
 台詞がなかろーがライトが当たっていなかろーが、おかまいなしにガンガンとばしていた。
 あの姿を見、声の美しさを知っていたらもー、なんの心配もありません。
 コロちゃん? ああ、うまいよね、知ってるよー。と。

 意外だったのは、彼女が「ダンサー」としても「ショースター」だったことだ。
 歌の人だという思いこみがあったので、軽やかにかつ熱く踊っているのを見てびっくり。
 なんだ、ダンスもイケるんじゃん。小気味いいキャラクタだ。

 
 芝居はヒロイン不在というか、れおんがいろんな娘役と絡んでみました、てな感じなんだけど、別格スターっぽいのが華美ゆうかちゃん。
 あまりに堂に入った「大人の女」ぶりがすごい。変だなあ、『巖流』の阿国なのになあ。『ドルチェ・ヴィータ!』のかわいこちゃんシンガー・トリオなのになあ。
 わずかな間に、ちがった方向で華開いてるよなあ(笑)。あまりにもソレって、星娘DNAだよなあ(笑)。

 まりんちゃんはどんどん歌がやばくなっているよーな気がする……わ、わたしの耳がおかしいのかな。昔は歌のうまい子だという認識だったんだがな……。
 にしても、かわいい。
 めーっちゃかわいい。
 芝居ではスターを夢見る等身大の女の子、ショーでの目玉はなんといっても「イーハトーヴ」の少女。もー、めっちゃかわいい。少女役なんか、マジでお人形みたいだ。

 
 他の組に比べて、下級生の見せ場自体は少ない気がした。れおんオンステージな印象。実力の乖離がそう誤解させただけかしら。

 「押されている」と思ったのは天寿光希。首席入団で「TTOK」の表紙を飾った子だよね?
 まだ男役にはなっておらず、女の子のまま子役を熱演。
 ショーでは中性的なかわいこちゃん少年。
 さて、この子はこれからどう変わっていくんだろう?

 あとはなんといっても、壱城あずさ。芝居は相当アレで、どーなることかと手に汗握ったが、ショーではソレを払拭して余りあるやる気っぷりだった。
 こちょこちょといろいろやってるよー。や、本人的にはかなりキザってアピってるつもりなんだろう。その心意気やヨシ!(笑)
 あー、この子も89期なわけかー。

 
 そして、全体としても「星組」を感じました。
 月組はおとなしいのでカラーがまるでチガウからいいとして、花組と星組はカラーが「似て非なる」。
 花組は個人芸というか、「オレを見ろ!」「ワタシを見て!」と戦闘意欲満々でアピりまくる。客はそれをたのしく受け止める。
 星組は、たしかに個人でアピりもしているんだけど、それよりも「祭りだわっしょい!」とゆーか、「お客さん、たのしんでいってね!!」という感が強い。客も一緒になって大騒ぎする、参加するというか。

 しばらく星組を離れていたので、ソレを忘れていたのですよ……。

「さあ、みなさんもご一緒に!」
 と舞台から指図され、立ち上がって一緒に踊らなければならなかったとき、うっわー、星組に来ちゃったよ!!と思い知った(笑)。
 花組なら「踊るオレたちを見てくれ!」なのに、星組だと「一緒に踊れ!」になるんだ……。

 なまじ、わたしが観たのが千秋楽だから。
 客席、ファンとリピーターばっかだし!!
 踊ること前提で、シャンシャン?まで持ち込んでるし!

 すんません、予備知識なかったんで、引きました……(笑)。

 隣の席が会の人たちで、手拍子も拍手もずーっと「目の高さ」なんすよ……ショーの間中ずっと。わたしよりセンター側の人たちだから、目の端にずーっと揺れているものが入るのって、かなりつらい。音が大きいのは、もーべつにいいんだけど。
 18年観劇してきて、他人の手拍子の手が邪魔でつらかったのって、はじめてだ。しかも手振りが大きいから、何度となくわたしにぶつかってきたし。わたし、自分の席にいるだけなのに……肘置きにだって触れてないのに。

 かなりこわがって、反対側に寄って、小さくなってました(笑)。

 昔何故自分が星組を苦手とし、ほとんど観なかったのかを思いだした(笑)。
 人見知り(笑)な人間には入りにくいのだ、星組って。
 熱狂の坩堝に突然放り込まれても、自分と周囲の温度差にびびってしまう、という。

 ただし。
 いったん中へ入ってしまうと、すっげーたのしいのだ、星組って。

 阿波踊りぢゃないけど、熱狂している人たちを引いて眺めているより、中に入って一緒に踊ってしまえば快感なのだ。

 隣の席の人たちがめちゃくちゃこわいけど、後ろの席の人たちもすげーこわいけど(会話が聞こえるんだ、熱烈リピーターなんだ)、びびるなわたし、引くなわたし!

 星組は、こーゆー組なんだ。理解して、ソレをたのしめ!!

 つーことで。

 一緒に踊ってきました、カーテンコールで(笑)。

 や、ちっとも踊れてなかったけどなっ。遅れていたし、まちがいまくってたけどさっ。んなもん、生まれてはじめて見た振りをそのままコピれるなら、ダンスの授業で居残りレッスンさせられたりしなかったさ!!(かなしみの高校時代。わたしはダンスなんか大嫌いだった)

 カテコでは、あかしのオトコマエさをさらに堪能したよ。
 なんと言っていいかわからず沈黙してしまっているれおんの手を取り、問答無用で「ばんざーい」と上げさせてしまったその姿。

 ああ、なんてステキに攻キャラなの……と、感動してしまいました。
 えへっ(照笑)。


 あかしのかっこよさを、叫ぼう!!

 星組『Young Bloods!!−Twinkle Twinkle STAR−』の話っす。

 なんの予備知識もなく席に着き、幕が上がる。
 舞台上にはうぞーむぞーの人々。
 限られた明度のなかで、どこぞの前衛舞踊のよーにもぞもぞ踊り出す。
 誰が誰だかわからない。

 だけどわたしの目は、たったひとりをLOCK ON !
 真ん中のスーツの人、かっこいい! あ、そっか、きっとあれが主役のれおんね。だっていちばんかっこいいもの。

 明かりがついてびっくり。

 あかしやがな!!

 えええ、あかしだ、あかしだよ、あかしなのにかっこいいよーっ。どーしよーっ。

 プロローグではあかしだけがスーツ着用だったんで、そのせいで男前度が上がっていたことは、たしかだと思います。
 思うけど……かっこいー。
 加えて言うと、れおんはこの群衆に混ざってませんでした。下級生ばかりの間にいりゃー、そりゃ男前度も上がって見えるでしょう。
 見えると思うけど……かっこいー。

 芝居はなにより男役たちが「えらいこっちゃ」な状態で、れおんのひとり舞台(複数の女の子たちが脇役として絡んでは去る)+狂言回しあかしの「ふたり芝居」になってました……。や、女の子たちはいいんだけどね……男役って出来上がるまでに年月と経験が必要だから。
 れおんひとりだったら、ますますとんでもないことになっていたと思うので、彼と拮抗できる役者がいてくれたことに感謝する。

 そーなんだ。
 あかしもまた、「若くして抜擢を受けてきた有望な新人」だったんだよ、すっかり忘れてたけど!(笑)

 「真ん中」経験は伊達ぢゃない。
 あかしは「真ん中に立つ」ということがどーゆーことなのかを知っている。
 主演経験こそないが、「スター」として大劇場で役と場をもらい、自分ひとりで、あるいは自分が中心になって「場面」を動かす経験をしてきた子はチガウね。
 わたしが最初にあかしを見たのは『プラハの春』新公のヘス役だった。当時は「誰コレ?」だったし、役が個性的すぎてうまいもヘタもわからなかったなー(笑)。当時あかし、研3すか……すげー抜擢だな。
 次に彼を意識したのは『巖流』の利助で、色気のカケラもない山ザルぶりに、口惜しい思いをしたもんだった……利助に色気さえあれば、萌えられたのにっ。利助×武蔵で!(武蔵受かよっ?! や、下克上は基本だから!)
 以来、大劇場でもとにかく利助が目について目について、ゆーほさとると並ぶ、星組での「わたしの視界に入る双璧」だった。
 色気のなさ、やんちゃなガキぶりにあちこちでとほほな思いをし、「利助でさえなければ……っ!」と、腐女子観点から唇を噛みしめたさ。

 ソレがいつの間に、こんな色気キャラに。

 マリコ系の、由緒正しき星組男役ぢゃん。
 星ファンは好きだろ、この男。……そう思える、クドい濃い色男。

 あああ、かっこいー。

 狂言回しの「シナリオライター」という役で、物語の外側でナレーションをし、群舞のセンターで踊り、ときに物語の中の登場人物となる。

 物語の「中と外」の使い分けとか、男役としての所作、役者としての発声、すべてにおいて、堂々としたものだ。
 シリアス芝居の狂言回しなので、彼も充分シリアスに、緩急つけて存在する。
 踊っているときのアピールと色気がすごい。
 まぎれもなく「スター」として、そこにいるんだ。

 彼が物語の中に入るシーンの中で、いちばんおいしいのが大女優ミーシャ@華美ゆうかが初登場するナイトクラブのシーン。
 高慢女優ミーシャの付き人? ボディガード? ジゴロ?とゆー風情で、彼女に付き従っているんだが。
 それがもー、うさんくさくて、最高!!
 黒タキ黒タキ! 高慢美女をエスコート! そして、彼女が投げた靴を拾いに行こうとする!!
 なになに、「ひざまずいて靴をお舐め」と言われたら舐める関係?!(鼻息)

 ここのあかしを見られただけで、来た甲斐あったっちゅーもんです。

 高校生の創作演劇みたいな台詞(笑)を言わされる、大変な役なんだけどな、「シナリオライター」って。
 あかしがものすげー熱量で演じているので、脚本の陳腐さを「ま、いっか」と棚上げしたくなる。

 
 ショーの方でも、あかしは堂々たるスターです。

 真ん中あたりまえ!
 ふつーです。
 ふつーに「スター」で、ふつーに「かっこいい」。
 それも、まぎれもなく星組DNAを持ったスター。
 濃いアピールをしながらも、さわやかぶることにも長けています(笑)。
 そうそう、色気だけぢゃダメなのよね、スターたるもの、さわやか二枚目もできないと! あかしくんはちゃーんと使い分けてます。
 まあそれと、歌がものすごいことになっているのも由緒正しき星スターかと(笑)。
 いやあ、あかしってほんと歌ヘタだねっ。彼が真ん中で朗々と歌い出すたび「ギャフン☆」な気持ちだったよっ(笑)。音痴でもナンでも、それくらいのことぢゃ彼の男前度は下がらないのだ。それが星スターってもんだ。

 若いころから抜擢され、育てられてきたことが実っているんだ。こーやって華開くんだ。と、ひたすらうれしい。
 若い子って伸びるときは一気に伸びるよね。『1914』新公で、美貌に欠けるアポリネール(本役、美貌いちばんかしげサマ)をやってわたしを「とほほ」な思いにさせた子だとは思えない。

 わたしは『Young Bloods!! 』ではできるだけ周りを、今までろくに知らなかった下級生を見るように心がけていたんだけど……。

 今回は、敗北。

 あかしを見ていたら、他を見る余裕がなかった。

 とにかくとても幸福に、あかしにとろけておりました……ふにゃふにゃ。

 
 あかしの主演公演が見たい……見たいよー。

 
 星組『Young Bloods!!−Twinkle Twinkle STAR−』にて。

 公演自体への疑問は、すごかった。
 わたしはついに最後まで、そこから立ち直れなかった。
 劇団への不審や苛立ちはいつも多々あるが、それが一気に吹き出してしまう公演だった。

 ……てなことは置いておいて。

 
 柚希礼音を絶賛しよう(笑)。

 
 わたしは、ダンスの巧い下手があまりよくわからない。だから、ダンサーと呼ばれる人のすごさがわからない。
 ダンスのうまさより、「見せ方」のうまさや、はったりのできる人の方を「かっこいい」「すてき」と思う、ドシロートだ。
 足が高く上がるとか、何回もくるくる回るとか、そーゆーことを「すごい」と思うよーなモノ知らずだ。

 だから、柚希礼音がどれほど「ダンスが巧い」と言われていても、目にも耳にも入らなかった。
 いつもひとりでくるくる回っているから「すごい」ことはわかるけど、それだけだ。
 テレビでハシゴの上で逆立ちする人を見ても「すごい」と思う、そーゆー感覚と同じってゆーか。

 
 そんなヤツがだ。

 今回のれおんバウではじめて、「柚希礼音って、ほんとにすげー」と思ったワケだ(笑)。

 芝居がはじまってすぐに、彼はまた回りはじめた。
 れおんといえば、回ること。
 くるくるくるくる、回ること。

 彼が回り出すなり、観客は「待ってました!」と拍手をはじめたけれど、わたしはその拍手のタイミングにも引いてしまった。
 「待ってました!」の拍手はチガウやろ。芸に感動してから拍手しろよー、てゆーかまた回るのかれおん……。
 と、「れおんといえば」の演出に最初から鼻白み、静観していた。

 しかし。

 彼は、回り続ける。

 えっ? えっ?
 いつまで回るの?
 まだ回るの?

 びっくりして、拍手した。
 すげーすげー。

 とゆーおどろきを皮切りに。

 ダンサー・柚希礼音、男役・柚希礼音を堪能することになる。

 他組の学園祭の出し物とか宴会芸芝居とはちがい、真っ当に「タカラヅカ」な脚本。
 1時間の短い芝居でできるだけ出演者全員に見せ場を、と考えられているせいもあり、薄くて他愛なくて、ツッコミどころ満載のボロボロ作品だが、そんなことはどーでもいー。だってソレくらい、タカラヅカには、ふつーに存在している。
 どーってことのない作品だ。良くは絶対にないが、とりたてて言うほど悪くもない。

 娘役はできあがりが早いから、若い子たちもそれなりにカタチになっているが、やはり男役は悲惨。わー、大変やなー、とは思うが、宴会芸脚本ではなくクラシカルなヅカ脚本なので救われている。

 そんななかで、れおんの「別物」感が際立っている。

 男役声で喋ることもおぼつかない少年たちの中に立ち、ひとり「男」として余裕の存在感を放つ。
 今まで培ってきたものを、自在に放出する。

 共産国のバレエダンサーが自由を求めて亡命し、なんやかやの末にアメリカでデビューを飾る。彼は祖国に残してきた妻と息子をいずれ呼び寄せるつもりでいたが、成功の一歩を踏み出したときに妻の死を知る。
 妻と息子への贖罪のために、せっかく掴んだ栄光を捨てて祖国へ戻ろうとする彼の元に、成長した息子が現れた……。

 なんてことない話だし、それ以前にツッコミどころが多すぎて「ヲイヲイ」だらけなんだけど、それでもなお、ラストシーンで泣けたんですけど。
 年齢設定まちがってるよな?とゆー巨大な息子が、おぼつかなくバレエを踊り、その息子を抱きしめてれおんに号泣された日にゃあ。
 観客もダダ泣きですよ。

 脚本の粗を吹っ飛ばし、「なんかいいもん見たかも?」と観客を誤解させるチカラ、熱量を持つこと。
 わたしはソレを「トップスターの必須条件」だと定義している。

 れおんは、トップになるべき人だな。

 や、それはもう何年も前からわかっていたことだけど。
 今回また改めて思う。
 きっとトップになってから、いい仕事するだろうな。

 
 ショーは「踊ること」に集中した構成になっていた。
 ヴォーカル付きの音楽で、踊ることだけに集中。ヘタに歌ってダンスも歌も中途半端、ということにしない。
 踊りよりも「タカラヅカ」に重点を置いたシーンでのみ、ヅカ的に歌ったりキザッたりする。

 わたしは、ダンスの巧いヘタがよくわからない。
 わからない人なのに。

 「柚希礼音って、ほんとにすげー」と思ったワケだ。繰り返すけど(笑)。

 れおんだけ、時間の流れ方がチガウの。
 空気がチガウの?
 滞空時間がチガウ。
 ちょっとしたことのひとつひとつに、彼だけ別撮りした映像を見せられているようなの。特殊効果で、時間を変えてあるみたいなの。

 口ぽかーん、状態でした、あたしゃ。

 場を与えてもらったら、ここまでちゃんと踊ってみせるんだな彼は。

 そして、ダンスだけではなく、「男役」としての所作ができているし。
 流し目もらいましたよ、れおんに。袖に入り際に。うおっ、今あたしのこと見た?! あたしのことオトそうとしたっ?! ドキドキ。

 正しく「真ん中」が機能している公演を観るよろこび。
 れおんを頂点に、あかしを2番手に、きれいに作られたピラミッド。
 安定したカタチは美しい。

 いやはや。
 たのしい公演でした。
 てゆーかほんとにすごかったよ、れおん。
 本公演でもこれくらい、実力を発揮できるといいのにね。それはまた、難しいことなんだろうなあ。ショーの1シーンでもいいから場を与えれば、彼はやれるんだろーになぁ。

 
 れおんが安定した「キャリア」を発揮したからこそ、さらにわたしの「『Young Bloods!! 』の存在意義」についての疑問が深くなったんだよなー。

 いろんな意味で、罪作りだわれおん。


 星組『Young Bloods!!−Twinkle Twinkle STAR−』千秋楽観劇。

 ……こまった。
 いろいろと、こまった。

 結論から言えば、たのしめたのだ。今までの『Young Bloods!! 』とは段違いに。
 だが、それだからこそとまどう。

 柚希礼音、こんなとこでなにやってんだ?

 『Young Bloods!! 』ってそもそもナニ?
 ワークショップってナニ?

 他の組の顔ぶれを見る限り、「新公主演5回、バウ主演2回、本公演では役替わりで2番手のアンドレ役」というそのへんのスター様以上の経歴を持つ人間が出てはイカンやろう、と思う。

 小学生がたのしく草野球しているところに、高校生がやってきて「すごーい、うまーい!」と喝采される技術を披露してみせた。たしかにその高校生の技術は、高校生レベルではなくプロで通用するよーなものである。……だからといって、小学生の草野球に割って入るのは正しいのか?

 そーゆーとまどいだ。

 れおんくんがどれほどすごいかは、よーっくわかった。実際たのしかった。4500円の価値があるとはじめて思える『Young Bloods!! 』だった。
 でも。

 れおんくんがいるべき場所は、ここじゃないでしょう?
 高校生は高校生のマウンドに行くべきだよ。子どもたちのグラウンドを取らないで。

 もちろん、れおんのせいじゃない。すべては劇団の決めたことで、ジェンヌは健気に従っているだけだ。与えられた課題を必死にこなし、超えていくだけだ。
 わかっているから、よけいにせつない。

 れおんくん、こんなとこでなにやってんの?
 キミがいるべき場所はここじゃない。
 そして。
 たしかに悪いのは劇団だけど、劇団だけのせいでもないと思う。
 ここに混ぜられてしまう現実も、受け止めないと。
 れおんが劇団の期待と抜擢にちゃんと応えられていたなら、今こんな公演で主演してないだろーと思うんだ。たしかに彼は成長しているけれど、それはまだ与えられてきた機会に釣り合うほどの成果を叩き出していない。特に、「人気」という面で。
 いろいろと足踏みしているからこそ、「大人の事情」を理由にこんなところへ置かれてしまうんだ。

 それが、じれったい。

 らんとむが『Young Bloods!! 』に出てるよーなもんだもんなぁ。キムやほっくんが『Young Bloods!! 』に出ているよーなもんだもんなー。
 「真ん中」経験のない(少ない)子が主演する公演のはずなのに、3番手のころのトドロキ大先生より主演経験豊富なれおんだもんなー。(トドはバウ主演はほとんどしてない、真ん中経験の少ないままトップになったひとり)
 「まちがっている」感がぬぐえない。

 だが、最初に書いたように、公演自体が「よかった」のもたしかだ。
 月・花の『Young Bloods!! 』とはレベルがチガウ。脚本・構成も含めてな。
 はじめて、値段にふさわしいと思える公演だった。

 という現実もまた、もどかしい。

 値段にふさわしいものが見たかったら、ベテランだけ見てろってことなのか、歌劇団。
 本公演でも使ってもらっている、「スター」だけ見ていろと。
 金額に釣り合うのは「スター」だけだとこれでわかっただろう? 海のモノとも山のモノともつかない若手なんかに出す金額じゃないと思い知っただろう?
 さあ、これからも「スター」だけを見ていなさい。
 ……って意味ですか、歌劇団様。このあとの雪と宙なんか、高くて見られないよなー、と思えと? 値段分のクオリティを見られたら幸運だと思え、ギャンブルだから負けても文句は言うなと?

 『Young Bloods!! 』の意義は、スター以外を見ることだと思っていた。チケ代高いな、と思いつつも、「がんばっているから」とか「若いから」とか自分を納得させていた。
 それが、スターのれおん登場で、その納得を壊された気がする。この星『Young Bloods!! 』が「ふつー」なら、今まで見せられた月と花はなんだったの?
 コンセプトがチガウのだから、比べること自体まちがっているが、チガウものを同じ皿に並べたのは劇団だ。
 ああ、納得がいかない。もどかしい。

 れおんに罪はないがな。
 いつだって、ジェンヌに罪がないのはわかっている。
 でも、もどかしくて、もやもやしたまま観劇した。
 それこそ、がんばっている小学生を見に来たもんだから、「うまいのはわかるけど、ひとりだけ高校生なんだから、小学生よりうまくてもあんましすごいと思えないわ……」とゆーか。
 そんなふーに思わせてしまう今回の公演自体に、疑問を持った。

 脚本や構成が月・花と同じならもう少し、ちがったかもしれない。
 なのに月は学園祭のクラス演劇、花は宴会芸みたいな芝居脚本だったのに、星だけふつーに「タカラヅカ」っていうのがもー……。星も宴会芸レベルの脚本なら、ここまで「別物」感を持たずにすんだだろうにな。
 2幕のショーも、ヴォーカル入りの音楽にのせて本格的に踊る、という構成で、「踊るだけでも大変なのに、みんな踊りながら無理矢理歌う」という無茶な構成だった花(星と同じく、主演のウリがダンスなのに)とちがいすぎる。
 れおんが高校生だから、高校生用の演出にしたんだろうけど……小学生用の陳腐な演出で、高校生ってすごいや!と思わせてくれるほどの実力を見せつけてほしかったわ……。

 
 いやー、もー、わたしはほんと「タカラヅカ」が好きなんだと思ったわ。
 ヅカを好きでなきゃ、こんなどーでもいーことで悶々しない(笑)。素直に、「れおんくんすごーい、いい公演でうれしーい」で済んだのに。

 れおんが今さら『Young Bloods!! 』に主演してしまう、「宝塚歌劇」の体質を憂う。
 劇団をダメにするのはやはり、劇団だよな。


 風を感じることがある。

 長くヅカファンやっていて、FCにも入らない、入り出待ちもしない、ただ舞台を観に通う日々で。
 客席の熱気、ざわめきで、わかることがある。

 風が、誰に吹いているか。

 朝海ひかる、というほぼ無名だった男の子に風が吹きはじめたのを見た。
 花組時代は、新公主演もできなかった。組ファン以外にはきっと無名。
 宙組設立の際、棚ボタのよーに4番手扱いになった。宙組人気、ずんこ人気に後押しされ、ダンス力よりなによりキュートな容姿と女装の美しさで注目を集める。
 そして、運命の分かれ道。

 『エリザベート』での、ルドルフ役。

 なにかが変わるのを感じた。
 舞台の上でじゃない。
 周囲だ。観客たちだ。

 観客の気持ちが、朝海ひかるに向かって動く。

 あちこちで、コムの名前を聞いた。劇場のあちこち、花の道、喫茶店、電車。
 誰も彼もがコムの名を出す。「ルドルフをやった子」がどれだけステキかを。

 動き出した波に、人事が後押しをする。
 雪組へ、組替え。
 安蘭けい、成瀬こうきとともに研9トリオ結成。ジャニーズのよーにユニット売りだ。

 バリバリ路線だったトウコと成瀬とユニットを組まされることで、ひとりだけ「おまけ」状態。
 組替え直後の大劇場公演でも、芝居ではトウコ、成瀬とはちがい、出番も少ない「いなくてもいい役」。かわりにショーでは女役・娘役・男役とひとりだけ3パターン。トウコと成瀬は2パターンなのにね。コムひとり「イロモノ」扱い。

 それでも人事の動きはヅカ全体の注目をあびることになる。
 「組替え」「研9トリオ」「役替わり」は、とりあえず話題を集める。

 芝居の方は完全にどーでもいい役だから、口の端にものぼらないが。
 ショー『ノバ・ボサ・ノバ』の役替わりは大成功だった。いや、正確には娘役ブリーザが。
 マジで美しい。完璧なプロポーションとあでやかなダンス。

 いろんな人が、コムの名前を口にする。「ブリーザ役の子」「組替えで来た子」「贔屓の相手役になって欲しい」……娘役としての鮮烈なデビュー(笑)。

 基本的にわたしは舞台の上でのことしか知らないが、舞台以外のジェンヌのうわさ話等が耳に入ることがある。並びのときとか劇場とかで。知らない人と会話をしたり、また会話が耳に入ったりして。

 それは、素のコムちゃんがどれほど小悪魔的にかわいらしいかとゆー話だった。

 おねーさん体質のトウコが、どれほどコムの世話を焼き、たのしそーに夢中になっているか。
「トウコちゃんがもー、めろめろで」
 と、何人に聞いたかな……。
 当時のトウコは路線一直線の雪組御曹司、研6で新公卒業し、研7で本公演単独3番手、研8で単独バウ主演とエリート街道を驀進してきた超強気スター。ええ、雪組時代のトウコは攻男だったんですってば、今からは想像つかないだろうけど!(笑)
 あのオトコマエなトウコちゃんが、小悪魔美少年にめろめろって……。
 知らない人の家でお茶会ビデオみせてもらったりしたけど(知らない人についていくのはやめましょう)、トウコとコムがほんとに仲良くいちゃついていたよ……。

 トウコと仲良しだから、コムちゃんと一緒だとかわいいトウコちゃんが見られるから、とトウコファンも味方につけて、コムちゃんはますます勢いに乗る。

 研9トリオでバウワークショップ『The Wonder Three』、そして同年ナルセとW主演で『SAY IT AGAIN』。おいおい、どさくさにまぎれて1年間に主演バウが2本?! 新公主役もしてない脇の子が?

 わたしはこの主演バウをナマで観てきているけれど、コム姫の「基本的技術の低さ」にはびっくりしたクチだ(笑)。
 うっわー、歌下手〜〜。演技微妙〜〜。
 『The Wonder Three』は「歌のショー」だったので、コムちゃんのパートは苦痛だった。ナルセの方がうまいなんて知らなかったよ。
 『SAY IT AGAIN』もコムちゃん目当てで観に行ったのに、ナルセにオチて帰ったし(笑)。

 それでも。
 『SAY IT AGAIN』以来わたしはコムちゃんのことをコム姫と呼ぶことに決めた。
 それまでは「娘役」として好きだったコムちゃんのことを、「男役」として好きになったのがこの公演。
 なんでそう呼ぶことにしたのかは、2002-11-15の日記に書いてあるから省略。

 そうこうしているうちに、まさかのずんちゃん退団発表。
 あれほどの人気を誇った宙組初代トップスターが退団。劇場に詰めかけていたずんちゃんはファンはどこへ流れるの?

「ずんちゃんのあとは、コムちゃんを応援するわ」

 全部が全部じゃないのはわかっているが、けっこーな割合で耳にした。
 ずんことコムでは、タイプがぜんぜんチガウと思うんだが……いいのか?

 タイプが、というより、「風の行方」なんだと思う。
 風が吹いている人に、流れる層って絶対ある。
 今いちばん力を持ち、伸びていこうとしているモノ。追い風に乗る気持ちよさ。いちばん人気の集まっているモノに、さらに人気は集まる。
 行列の出来ている店には、並んでみたくなる心理というか。
 「動いている」モノに惹かれる本能。ミーハーとか移り気とかいうんじゃなく、本能としてあるんだと思うよ。

 風が吹いている。
 コムに向かって。

 ずんちゃんの退団した年の後半に、ついに堰が崩壊する。
 風によって、牙城が崩れる。

 「路線と呼ばれるのは、新公主役経験者のみ」というタカラヅカの伝統。

 朝海ひかるが、新人公演で主演する。
 研10にもなった男役が。
 「役替わり公演」という、前代未聞のイベントを劇団に用意させてまで。
 絶対に失敗させないよう、ベテラン娘役・貴咲美里を相手役にし、主演経験豊富な同期ふたりトウコとナルセを補佐役に配置。
 コム姫のために、なにもかもが動き出す。

 新公は研7まで、という牙城を崩してまで、コム姫を「路線」に引っ張り上げた。

 コム人気は『月夜歌聲』で絶頂期に突入。男役と絡ませた方が似合う、女装が似合うコム姫に男装の麗人役。相手役が宙組時代からお似合いだったワタル兄貴。

 雪の御曹司トウコの放出。
 月組時代路線として早くから抜擢を受けていたナルセ放出、彼はそのあとすぐに退団。
 研9トリオは1年半で完全解体。

 なにもかもが、コムのために。

 風が吹く。
 コムに向かって風が動く。

 たしかに風を感じた。
 そしてそれは、異を唱えさせない力なんだ。だって風が吹いているんだから。誰にも止められないんだから。

 わたしは長くの雪ファンで、ずっとトウコを見てきたから、この結果に傷ついたしかなしんだ。
 雪組三兄弟が好きだったから、こんなカタチで後味悪く終わるのが嫌だった。
 それでも、そーゆーマイナスの気持ちを吹きとばすくらい、風はたしかに吹いていたの。

 オギーとコム姫の夢のコラボ、『パッサージュ』。

「天使の夢を見たわ 真夜中にひとりきり 白い翼広げ 空に浮かんでいた……」
 ではじまる美しいショー。
 美しく無垢な天使。ときに黒衣の堕天使となり、白い絶望に悲鳴を上げる嘆きの天使となる。

 美しい、という力。
 そこにある絶望と毒。

 風が吹く。
 そして、風からこぼれた人たちの運命が変わる。

 トドがトップから退き、次のトップはブンちゃんだと発表された。
 だが、まさかの1作トップ。劇団の意向だとブンちゃんは会見で口にする。

 ブンちゃんの大劇場千秋楽、サヨナラパレードのときに公式発表が出た。

 雪組トップスター・朝海ひかる。

 ああ、風はここに向かって吹いていたんだ。
 わかっていた。最初の上昇気流からずっと、期待と危惧が一緒にあった。予測していたのではなくて、結果を知ったあとに納得した。

 たしかに、風は吹いていたんだ。

 わたしはあの風を知っている。
 この身で体験している。
 だから、なにも言うまい。
 すべてはなるべくしてなったんだ。

 おめでとう、コムちゃん。
 真ん中より脇にいた方が魅力が発揮できる人だと思うけれど、それでも応援するよ。わたしの大好きな雪組をよろしく。

 
 そーやって、4年。
 コム姫はトップになってからも進化を続け、外見にそぐわないオトコマエな芸風を開花させた。
 真ん中に相応しい人となった。

 トップになってからは、風を感じなかった。
 頂点には、風は吹かないんだね。

 コムを押し上げていったあの風は、ほんとーにすごかった。前代未聞。
 いろんなことが、コム姫のために動いていた、歴史が曲げられていくのを見る驚きと快感。

 でもね。

 風によってたどり着いた頂上で、自分の力で立ち続けたこと。

 あの風と同じくらい、すごいことだと思うんだ。

 あの風のために道が変わってしまったいろんなことの分まで、コム姫は戦い、結果を出した。
 ただのアイドルトップじゃないよ。必然だよ。コム姫は、なるべくしてトップになり、そして実力でトップであり続けたんだ。

 だから胸を張って、最後まで見守りたい。

 風の行きつくところを。


 わたしがバウであかしにとろけている間に、発表がありました。

 コム姫の退団発表。

 花ちゃんの発表のときと同じく、nanakoさんと一緒でした。てゆーか火曜日は大抵nanaタンと一緒にムラ近辺にいるよーな?

 今年後半の演目が発表になったときと、そして駄目押しのよーにありえない日程のオギーバウが発表になったときに、覚悟はしました。
 タイトルと演出家から考えて、退団なんだろうなと。

 特にバウは、日程がすごすぎる。コムバウ楽の翌日が雪エンカレ初日って、ありえない。舞台稽古は初日当日のみかよ、エンカレ。無理矢理押し込んだことが丸わかり過ぎ。
 こんなひどいスケジュールであってもなお、やらなければならなかったバウ公演って。
 退団イベント以外では、考えられないだろう。

 たぶんみんな、わかっていて、覚悟をしていて、それでも口をつぐんできたんだと思う。

 
 かなしい予感はあえて、考えずに。別れの符丁には、気づかないふりで。

 朝海ひかるが、荻田浩一の書き下ろしオリジナル作品で、舞台に立つ。

 そのすばらしさ、その幸運だけに、想いを馳せて。

 前にも書いたが、『パッサージュ』の主役は天使@コム姫だった。トドは主役じゃない。コム姫がいたから、わたしは『パッサージュ』という作品と出会えたんだ。
 クリエイターの創作意欲を引き出すミューズ。それが朝海ひかる。オギーワールドを表現できるアクター。それが朝海ひかる。
 『パッサージュ』のためだけに、劇場に通った。
 美しい絶望に、囚われ続けた。

 もう一度、あのうつくしい世界に会える。
 同じではないけれど、同じくらいうつくしい世界に。

 それは、しあわせなことだ。
 コム姫と出会えてよかった。コム姫がいてくれてよかった。

 
 やはりそれは、別れのための舞台だったんだな。
 かなしい予感も別れの符丁も、その通りだった。口に出さず、覚悟をしていた、その通りだった。

 
 クリスマスは、東宝に行く。
 天使を見送りに行く。


 ブログの背景色を、変えてみました。

 「プリン色」です。

 バナナ色ではありません。
 爆裂タニぃファンのジュンタンから、「こあらったさんちが、タニ色に!」という陽気なツッコミが入りましたので、注釈(笑)。

 わたしは甘いモノは苦手なんですが、子どものころの刷り込みで、「好きなスイーツ」がいくつかあります。
 そのひとつが、プリン。

 おでかけのときに喫茶店で食べる「プリンアラモード」が、なんかものごっつー「特別の食べ物」だったんですよ。
 味云々ではなく、「家族でおでかけ」「きれーに盛りつけられたお菓子を食べる」という「イベント感覚」が好きだったんだと思う。

 おかげで今でも、プリンは特別な食べ物。
 トシとともにさらに甘いモノが苦手になっているんだが、それでもプリンは食べる。

 プリンとイチゴのショートケーキとメープルシロップ、この3つが、「甘いモノ苦手なくせに何故好きなの?」と首を傾げられてしまう、わたしの好きなスイーツですよ。
 幼児体験ゆえに、味覚を超えて執着しておるのですよ。

 なんかこー、「しあわせの記憶」と結びついていて。
 幼くて、世界が発見とよろこびだけに満ちていて、家族がいて、なんの疑問もなく「今日の続きは明日」だと思っていた、「今」が永遠に続くのだと思っていた、あのころに結びついているんですわ。
 もう今はいない人の想い出だとかな。もう今はいない猫の想い出だとかな。

 ああ、それにしてもいい色だなあ、この背景……しみじみ。
 おいしそうな色だ……。

 
 あーでも、前の「ピンク×緑」のときはnanakoさんから「花組カラー×かっぱ色ですか?」とツッコミ入れられたしなー。

 ヅカファンの思考回路はステキだ(笑)。

 
 ……まっつの色って、何色ですか?
 ぼそっと聞いてみる。


 長かった『ベルサイユのばら』が終わる。
 星全ツからこっち、「役替わりコンプ」を目指して西に東に走り回った。

 残念なのは、トウコアンドレが観られなかったこと。

 チケ取り全滅したんだもんよ……。
 星東宝はふつーに一般発売で5列目とか買えたし、日にちを変えて2枚目買えたりしたし、当日券で並んでもふつーに観られた。
 なのに雪東宝はどーなってんの? 前売りつながらねえ、当日券極限状態ってナニ?!
 わたしは東宝まで当日券目当てでカシドレを観に行ったけど、星のときより1時間早く並んでギリギリだったよ。わたしの3人後ろぐらいでアウトだったもん。

 かしちゃんでコレってことは、トウコちゃんなんか絶対無理だ、手に入るはずがない。
 そう思って手ぶら遠征をあきらめた。……チケットがあれば遠征したけど、ナイもんはナイし。

 英断だったよ。
 始発で当日券に並んだkineさんとジュンタンが観られなかった話を後日聞いたからな……。始発でもダメって、なにソレ。おそるべし『ベルばら』&トウコ!!
 大阪からわざわざ遠征して、それで観られなかったら泣くに泣けない。

 にしても、観られなかったのがトウドレだというのがくやしい……わたしは「役者」としてのトウコちゃんが大好きだ。その役の「プラスアルファの力」を見せてくれる人だと思っているから。つまんねー作品でも役でも、「トウコがやるなら、見てみたい」と思わせてくれる人だから。

 見たかったよ……トウコちゃん。

 そして、ベストキャスティングである、かしジェロと水アランもまた、見たかったのさ、もう一度。

 
 雪『ベルばら』で語り洩れていたことが、少しある。

 わたしは星『ベルばら』で印刷技術の進歩、万歳!と叫んだ。 (2006-01-06参照)
 だがそれに対してのオチが、わざわざ雪版であった。

 印刷技術の限界、残酷!

 1幕最後に出てくる「愛の肖像」……大劇場の舞台全体サイズの巨大な絵。

 それはまさに、わたしが若いころに見た、

> 目の位置が変、鼻が変、口の位置はさらに変。……ふくわらい? 目隠ししてパー
>ツを並べた? そうよね、そうでなきゃありえないわよね?
> マンガ雑誌の「お便りコーナー」に載っている、「アタシ、マンガ描くの得意なの!」
>な中学生レベルの絵。

 だった。

 ……オチなんて、つけてくれなくていいから……。
 わたしが「ベルばら祭り」の最初にあげたネタを、わざわざオトしてくれなくていいから……植爺、なんてサービスたっぷりなの。

 現代の印刷技術なら、たとえ大劇場サイズであったとしても「絵」を拡大することができるだろう。
 ただ、劇団が「やらなかった」んだ。経費がかかりすぎるから。
 お金と「客が失笑するドヘタクソ絵」を秤に掛けて、金を選んだんだな……。
 そしてやはりおそろしいことに、この絵のオスカルのカオが崩れていることに、スタッフは気づいてないのではないか? という疑問が浮かび上がってくる。
 少女マンガの絵を理解できない、少女マンガ自体を理解できない、「おじさん脳」でこの舞台は作られているのではないか? という、公演自体への不信感が。

 ま、夜這いするロザリーがいるんだから、原作を理解できていないことなんか、今さら語るべきことでもないがな。

 
 それと、もうひとつ。
 雪『ベルばら』はあいようこおねーさまの子役をのぞけば、ヲヅキの栄養失調も含め(笑)、すばらしいベストキャスティングでできあがっていたと思っている。
 あとはみんな、いいんだよ。まちかのオスカルズだって、いいさ!

 ただ、わたし的に。
 腐女子的に。

 ジャルジェ将軍@星原先輩だけは、チガウのっ!!

 ジャルジェ将軍はねっ、二枚目なのよ! スレンダーな中年紳士なのよっ。
 星原先輩はハートフルだけど、チガウのっ。

 だってだって、星原先輩だと、腐った夢を紡げないの!!

 
 えーと。

 ジャルジェ将軍×ジェローデルだよね?

 ジェローデルってさ、ジャルジェパパとデキてるよね?
 登場するときは、パパと一緒。あたりまえのよーに、後ろに従っている。
 地位も職務もチガウのに、何故いつも一緒?
 オスカルがいないときも、ふたりで一緒。

 ……なにやってんの、いつもふたりで?

 ジェロつんは、パパに会いに来ているわけか? オスカルはただの言い訳?
 パパもまた、あたりまえにジェロつんはべらして? お気に入りなんだよね?

 やばいな、この男ふたり、と思っていたら、いきなり「ジェローデルと結婚しろ」だよ。
 なんのための結婚?

 ジェローデルを「息子」にするために、唯一の独身の娘に結婚しろと命令したんですね、おとーさん。

 オスカルは言い訳。当て馬。どーでもいー。
 パパが欲しいのは、ジェローデル。ジェローデルが欲しいのは、パパ。
 だからオスカルが結婚を断ったときも、ジェロは「身を引きましょう」と簡単プーに引き下がった。オスカルと一緒にいるより、パパと一緒にいる時間の方が長いジェロつんだ、とーぜんの選択だわな。

 どっから見ても、パパ×ジェロ。

 ジェローデル@かしげがまた、不自然なほど、美しいし。
 こんなお人形さんみたいな美青年がいたら、そりゃパパもよろめきますって。

 しかし。

 星原先輩だと、萌えないっ!!

 星原先輩攻のかしげ受はいやだ〜〜っ!!

 ブイエ将軍@ヒロさんと交代してくれ、頼むっ。
 ヒロさんなら萌えるのに。ううう。

 
 いやその、ほんと、星原先輩に含むとこはないんですよ……いい役者ですよ彼は……わかってますよ……。ううう。

 
 とまあ、こんな感じで、書き洩れたネタを拾って「ベルばら祭り」の最終としておこう。
 豪華だったなあ、雪組。コム姫にかしちゃんにみずしぇん……この並びを、他の演目で堪能したかったよ。

 
 はっ。
 「ベルばら祭り」、まだ続くのか?
 全ツ、水オスカルで。

 
 ……ああ、Endless Game……。


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