さて、わたしの友人たちは、今回の月組公演のチケットを前もっておさえていない人も多かった。
 わたしの周囲限定の話だが、今回の月組公演は人気がなかった。
 さえちゃんを嫌いな人が多いことが、理由のひとつ。
 そしてもうひとつの理由が、ショーが『タカラヅカ絢爛』だからだ。
 
「さえちゃんでしょ? 作品がいいなら観てもいいけど、『タカラヅカ絢爛』じゃ観に行く気しない」
 と、何度、何人の人の口から聞いたことか。
 きっとこれが人気作家の作品だったら、
「さえちゃんでしょ? オギーだから仕方ないから1回は観るわ」
 とかになるんだろーなー。
 劇団は客をなめてるんだろうけど、出演者人気とは別に、作品の如何で左右されちゃうんだけどな。

 続演は、悪い方にしか働かなかった。わたしの周囲では。せめて新作ショーなら「観てみるまでわからない」ってことで、1回は観てもらえたかもしれないのに。
「ショーが最初から駄作だってわかっている公演に、お金は使えない。出演者を好きでもないのに」
 ということだ。

 わたしはキャストを好きだし、本命氏のいたところでもあるので、月組には愛着がある。柴田先生の日本物だし、さえちゃんの蘇我入鹿はきれいだろうし、期待はあった。
 それでも役替わりがなければ、前もって買うチケットは1枚こっきりだったろう。
 だって、ショーがキライだから。
「ショーが最初から駄作だってわかっている公演に、お金は最低限しか使えないわ。出演者にそれなりの好意があっても」
 ということだ。

 歌劇団のやることは、ほんとにわからない……。
 チケット売りたかったら、新作ショーでお披露目させてやればいいのに。さえちゃんの魅力をこれでもかとアピールする、完全あて書きのショーを。
 それとも『タカラヅカ絢爛』に絶対的自信があったのか? それこそ『エリザベート』並に、観た人は涙を流して感動し、何度でも劇場に足を運び、続演も観ずにはいられなくなるって? …………バカ?(首傾げ)
 万人に受けるものとそうでないものの区別もつかないのかしら。万人に受けるのは、もっと特色のない薄いものだよ。絶賛する人はいないけど、嫌う人もいないもの。
 『タカラヅカ絢爛』は、最極端にある作品。とことん強い個性、原色ぎらぎら。オーソドックスさはどこにもなく、冒険的意欲的な世界がそこに。
 好きな人にはこたえられないものかもしれないが、嫌いな人にはまったく受け付けられない作品。

 実際のところ、星組で上演された『タカラヅカ絢爛』の世間一般の反応やら評価やらは知らない。わたしの周囲ではすこぶる評判が悪かったことと、前回の星組公演は東宝劇場までさばきで観に行ったんだが、買い手市場ゆえ定価以下で買えたことぐらいしか、わたし自身には判断材料がない。
 これはとても狭い範囲の話だから、世間一般がどうだったのかは、わからない。友だちってのはそもそも、似た感覚の人がなるわけだから、わたしがキライなものをわたしの友だちがキライであっても、なんら不思議はないわけだからな。判断対象にはならんさ。

 ほんとのとこ、どうだったの? みんなあのショー、好きだった?
 わたしはタカラヅカを観たいのであって、えせキューバショーを観たいわけではなかったのよ。演出家の自己満足世界を観たいわけではなかったのよ。

 たんに、経費節減という目先の利益しか見えていないのなら、ほんとにバカだなー、と思う。
 商売下手過ぎ。

 
 というのが、実際に観に行くまでのわたしと周囲の反応。

 
 つーことで、実際に観てみて。

 感想。星組の『タカラヅカ絢爛』よりは、ずっとマシ。

 あくまでも、わたし個人の意見ね。
 星は「2度と観たくない」だったけど、月は「また観てもいいか」ぐらいだった。

 つーのもだ、月組の『タカラヅカ絢爛?』は、なんだかんだいってかなり「タカラヅカのラテンショー」だったんだ。

 舞台のレベルとか、キャストのクオリティの話ではなくて、作品のカラーがね、月組の方がより「タカラヅカ」だったの。
 わたしが見たいのは「タカラヅカ」よ。えせキューバショーじゃないわ。と立腹していたわけだから、「タカラヅカのラテンショー」になっていた月組は、OKだったわけよ。そりゃ、ものすごく好きだとは思えないけど、数あるどーでもいーショー作品のひとつくらいには、ふつーに観られる。星組のように「キライ! もう観に行かない!」と思うようなものではなかった。
 よかった……役替わりのために3回も観なきゃいけないショーが「キライ」レベルじゃなくって。ふつーでよかった。心底、胸を撫で下ろしたよー。

 さて、相変わらず予備知識なく観ているので、誰がなんの役でどこに出ているとか、なにが変更になったとか、まったく知らないまま観ました。
 月組ではわたし、不動のゆうひファンだし、特出のかしげファンでもあります。だもんで自然とこのふたり中心で観てるかな。

 
 今回おどろいたこと。
 我が愛するゆーひくんの扱いが、「歌手」だったこと!!

 かかかか歌手?!
 音痴のレッテルを貼られていたゆーひが、歌手ですか?!

 わたしはゆーひくんを音痴だとは思ってません。
 ファンの欲目もあるだろうけど「歌が苦手」なだけで音痴なんかじゃないと思ってるわ。周囲からはいろいろ言われたけどっ(笑)。
 ゆーひくんの得意分野は歌とかダンスとか演技とかいう技能系ではなく、「美しさ」や「スタイルの良さ」や「色気」だと思っているので、多少歌がアレでも演技できる役の幅が異様に狭くても開脚ができなくてもブレずにターンできなくてよろめいていてもウザそーに踊っていても、そんなのぜんぜん気にしないわっ。
 いいのよ、見ているだけでしあわせなんだから。わたしの愛するアライグマくんなんだから。

 愛ゆえに、実力の「?」部分を全部スルーして見守ってきたゆうひくん。
 まさかここで、「歌手」ですか……。
 今の月組って……。

 幕開きからゆーひくんのソロで、わたしゃびっくりしました。

 ……かっこいい……ぽっ。

 じつはわたし、ゆーひの黒塗り、好きなの。ぽっ。
 それに声も好きだったりするしね。「俺は男役」と根性据えた歌い方をしてくれると、すっごくすてきなのよー。
 なんかフェロモン垂れ流してるよね、1場のゆーひさん。歌もなんか、それなりにうまく聞こえたんですが、幻聴ですか?

 文字数足りないんでまた別の欄へつづく。

         
 さて、月組公演『飛鳥夕映え』の感想その2。

 
 思ったんだけどこの作品、大劇向きじゃなかったんじゃないかな。
 鞍作という青年を中心にした青春群像の色を持っているだけに、彼らの心の動きを表現するのに、大劇場は大きすぎた。
 バウホールでじっくり描くネタだった気がする。

 そう、ネタ自体はいいんだよなあ。
 悪役として描かれることの多い蘇我蝦夷・入鹿親子の、入鹿を主役にした恋と友情の歴史ロマン。
 鞍作(入鹿)とヒロイン瑪瑙は幼なじみで、ずっと恋をはぐくみ、運命的な離反をする藤原鎌足とは学友で青春時代をともに過ごす。
 ずっとそばにいて、変わらずに鞍作を愛する瑪瑙と、ずっと一緒にいたはずなのにやがて鞍作を裏切る鎌足。
 青春時代のきらめきがまばゆいほど、青年期の立場のちがいや心の変化がせつない。

 瑪瑙との話は子ども時代、鎌足との話は学生時代としてちゃーんと描いてあるわけだから、時の流れによる対比を描くことが目的のひとつであったのはたしかよね。
 実際、いちばんきらきらしたシーンだと思った。学生時代の鞍作たち仲良し5人組の銀橋。山背も少ない出番ながら印象強いし。
 若き日の恋を、友情を、もっと突っ込んで描き、現在と対比させてほしかったなあ。

 にしてもそれは、大劇で派手派手しくぶちあげるのに向いているかどうかは疑問だ。
 このネタで盛り上げるには、演出に技量が必要だよな。
 大劇では、情緒性よりも見た目の派手さを必要とするから。
 
 地味で退屈な物語になってしまったのは、役のねつ造も悪因だったが、ネタが大劇向きではなかったこともあげられるんじゃないだろうか。

 
 まー、それはさておき、キャラとキャストの感想でもいくかー。

 役替わり公演だから、やっぱそーゆー目で観てしまうよなー。
 役替わり役替わり。

 ええわたし、鞍作の役替わりが観たいっす!!

 ………………すみませんすみません、禁句ですね。悪気はないです。わたし、さえちゃん好きだって前から明言してますよね。
 それでも、鞍作も含めた役替わりが観たいと思ってしまったよ……。

 つーことで、以下、あくまでも個人的意見! 趣味入りまくりの役替わり希望!!

 とりあえず鞍作役は、さえちゃん、カシゲ、あさこの3人で!
 かっしーの「白い貴公子」ぶりが見たいー。見たいー。
 そしてドラマチックに破滅するあさこが見たいー。見たいー。

 えっ、ゆーひですか? ……ゆうひくんの鞍作はノーサンキューです。見たくないっす(笑)。

 鎌足役は、カシゲとゆうひくんで見たいです。
 生真面目官僚的な、かっしー鎌足(笑)。見たいー。
 放っておいても悪役にしか見えないだろう、ゆーひ鎌足(笑)。見たいー。

 さえちゃんの悪役はノーサンキュー。ついでに、あさちゃんの鎌足も好みではなかったっす。

 軽皇子役は、役替わりする必要なし。
 主役クラス以外の、誰か適任者が演じていてください。

 石川麻呂は、さえちゃん、カシゲ、あさこの3人で!
 苦悩するヘタレさえちゃん! 所詮小者のさえちゃん! 見たいー。
 生真面目官僚的に、苦悩するかっしー。見たいー。
 ああそして、じつは『マノン』のロドリゴに萌え萌えだったこのわたし、石川麻呂こそあさこで見たいー。いちばん見たいよーっ、わーん。

 それにしても、少年時代のかっしー、致命的にヅラが似合ってなかった……何故。ほんとに無駄に美貌の持ち主だ……どーしてそう、生かし切れないかなー。

 ああでも、この4人が並んでいると華やかで美しくていいですなあ。
 そこにさららんとのぞみちゃんが加わるのも、いいですなあ。

 
 女性陣は、なんつーかもー、組長の歌声と、ちずさんのよろめき人妻ぶりにくらくらして、なんもおぼえていないっていうか。
 なんで月組が誇る熟女ふたりが、あんな役なんですか……?
 ゆら姐さんは、『愛しき人よ』以来、若者食いに目覚めちゃったんですか。ぴちぴちの若者と愛欲の彼方へGO!の熟女……。親子にしか見えないけど、ラブシーンGOGO。
 そして何故、ちずさん……。あの素敵な、老け役まかせての度量ある女役さんが何故、ぴちぴちの若者ふたりの間でよろめく役を……。親子にしか見えないけど、ラブシーンGOGO。
 若い設定なの、ちずさん? でも、異様な若作りはきついっす……。若菜お嬢様19歳@ゆらさんのよーに。
 あと、末子はんの役も物申したい気持ちがむんむん。

 あー、そーいやるいるいがまた、かっとんだ役やってたなあ。
 主役に色仕掛けで近づく女、って、バウの川島役まんまやん……。アニメ声きんきん、アクセル全開。彼女はずっとこの路線なんだろうか……落ち着いた大人の女でせまってくれてもよかったのになあ。

 娘役のキャスティングには「?」がとびかいまくりました。
 不思議な組だ、月組。

 これで退団のえみくらちゃんについては、またいずれ欄を改めて語るかなぁ。
 
 
 とりあえずわたし、役替わりは全部観る予定なんで、カシゲ鎌足とゆうひ鎌足、それプラス新公を観ます。
 つってもかっしー鎌足の分はチケットまだ持ってないんだけどねえ。大劇のいいところは、チケット押さえてなくてもいくらでも観に行けることだ(笑)。

 今は作品とキャラをまったく理解できてなくて、語ることもできやしねえ。
 役替わりがなかったら、たぶんもう観に行ってない(笑)。うーむ、劇団の思うツボなわたし。

 
 さて、ショーの感想はまた別の欄で。

    
 月組公演『飛鳥夕映え』『タカラヅカ絢爛?』を観てきました。
 
 えー、まず、『飛鳥夕映え』の感想いきます。
 思ったことを順番に箇条書きしていいですか。

・さえちゃん、歌下手っ(笑)。歌からはじまる演出のすごさに脱帽。
・ゆーひくん、その顔は……。い、いつかきれいに見える日もくるんだよね(祈)。
・のぞみちゃん熱演。なんてくどい芸風(笑)。
・熟女ブーム?? 若いきれーな男の子は、みんな熟女に惚れて取り合うの? 不思議なキャスティング。
・カシゲの歌がめーっちゃうまく聞こえる……てゆーか、唯一無二? すげえやかっしー、星のときといい、このまま歌手昇格だ!(まちがってる)
・越リュウさま、それだけですか? それだけなんですか?!
・で、嘉月さんは誰とデキてたんですか? さえちゃん? あさこ?(役名で言えよ)
・……おもしろくない……ものすっげーおもしろくない……つか退屈……ねむい……どうしよう……。
・あ、終わっちゃった。

 とりあえず、途方に暮れました。わたし的に。
 なにがどうというより、ただひたすら、つまらなくて。

 えー、あらすじは「蘇我入鹿」、というだけでOKだよね? とゆー有名人の半生。
 蘇我鞍作(入鹿)@さえちゃんは、瑪瑙@くらりんとラブラブで、藤原鎌足@あさこ、軽皇子@カシゲ、蘇我石川麻呂@ゆうひたちとお友だち。
 でも結果、友だちのはずだった鎌足に討たれちゃうんだよーん。とな。

 
 なんなんだろう、これは。
 どうしてこんなことになっちゃってるんだろう。
 わたしのアタマが悪いせいなのか、ここまでつまんないのって。
 どれくらいつまんないかっちゅーとホレ、『春麗がどーしたこーした』とかゆー変な日本物があったじゃないですか。アレくらいつまらんかったです。ただし、アレのよーにぶっ壊れているわけでもありません。
 ストーリーラインはまちがってません。『春麗…』ほどまちがえるのはすでに才能だからな。アレと比べては失礼だろうけど、骨組みまちがってなくても、つまらないのはどっこいどっこい。はあぁぁ。

 予備知識を好まないので、誰がなんの役とか、どんな話だとか、まったく知らないままに観ました。つっても、長く日本人やってるんで、この時代に関する最低限の知識はあります。歴史の流れや人物も大体わかってます。山背といえば「ああ、聖徳太子の息子ね」とか「母親は蘇我氏の娘よね」とか、飛鳥の石舞台は馬子の墓って言われてるわねえ、とか、飛鳥の資料館のロッカーではいろいろオイシイ思いをしたわねえとか、地元ならではの感想や知識も混じってますが。
 関西育ちで寺社仏閣だのを好きなら、まーふつーにのーみそに入ってるだろう程度の知識で、観ました。
 だからたぶん、バックグラウンドの無知が災いしたとは、思えんのですわ。わたしが勉強不足だからおもしろくなかったっちゅーわけでもないと思うのよ。てゆーか勉強しなきゃおもしろく観られないもんなんか、エンタメじゃないやい。

 ああ、溜息。
 
 この物語をどーやったら、おもしろく盛り上げることができるのかを考え込みながら観てしまった……。

 言えることはただひとつだと思う。

 キャラをしぼれ。

 書かなきゃいけない「歴史」がどっしりあって、それについての説明をしなきゃならない。1時間半のエンタメ作品で、このしばりは大きい。時代や舞台、登場人物の立場や考え方、人間関係、それらを説明するだけでも大変だってば。
 そしてこれはタカラヅカだから、主人公に「恋愛」させなきゃならない。
 ……ふつーなら、これでいっぱいいっぱいでしょう。これらの要因を正しく計算して起承転結これでもかと盛り上げてカタルシスを迎える。というだけでも、きちんと作りきったら拍手喝采、それくらい難しいさ。
 なのに。
 ふつーでも難しいっちゅーに、そのうえ「どーでもいい役」を無理矢理「重要な役」に押し上げる作業をしている。
 散漫になり、あらすじを追うだけで精一杯、つまんない睡眠薬効果満載の作品になった原因は、ここにあると思う。

 ポイントしぼって書き直してくれ……。
 鞍作と瑪瑙、そして鎌足の物語に。

 鞍作がなに考えてるどーゆー人なのかさっぱりわからなかったし、鎌足はただの小狡い小悪党、薄っぺらぺらのつまらん男にしか見えなかった。瑪瑙はただのおバカちゃん。のーみそのなかはピンクなことだけでいっぱい。

 ……なんか、この間観た『ジャワの踊り子』とかぶるんですが……。
 周囲の者たちが口をそろえて鞍作(アディナン)を素晴らしいと褒め称えるけど、どこがすごいのかさっぱりわからない色ボケおバカさんに見えたし、純粋無垢のヒロインは「アタシ。それからアタシのダーリン(はぁと)」だけでのーみそができあがっているよーなハムスター並みの人格しか持たないよーに見えたし、鎌足(タムロン)は小市民気質の「俺様の損得だけがいちばん大事」の虫ケラ野郎。

 でもわたし、『ジャワの踊り子』は好きだったわ。だってアレ、笑うためにある作品でしょう? 『真珠夫人』とか『牡丹と薔薇』とか『冬のソナタ』とかと同じ、観客にツッコミと笑いを提供してくれる意図で作られた物語でしょう?
 あれくらい開き直って、バカな話を大真面目にあっけらかんとやってくれたら、微笑ましいわ。わたし、『真珠夫人』も『ぼた薔薇』も『冬ソナ』も、ちゃーんと大爆笑しながら本放送時に全話見ましたことよ。好きなのよ、あーゆーバカメロドラマ。エンタメに徹したスタンスが好き。

 『ジャワの踊り子』はたのしかったのに、『飛鳥夕映え』がダメなのって……やっぱり、スタンスのちがい? 『ジャワ』は笑えるけど、『飛鳥』は笑えないんだもの。ただ退屈なだけ。

 ひたすら散漫なんだよなあ。
 鞍作と瑪瑙と鎌足だけをじっくりねっとり書き込んで、完全に3人の物語にしちゃえばよかったのに。
 それでも、なんせ歴史物なんで登場人物は多いし、見せ場も作れるから、人海戦術のタカラヅカらしく作れたろーになー。
 軽皇子も蘇我石川麻呂も、ふつーに脇役としてオイシイ役程度で十分だったよ。持ち上げる必要のない役だ。つか、真ん中に彼らのエピソードは邪魔。鎌足に託すことができる程度の存在意義やエピソードを割り振るから、失敗する。

 役替わりって、誰が発案したんですか。
 作品壊すくらいなら、やめようよ、そんなアホなこと。

 今までも役替わりはいろいろあったけど、作品壊すような「しばり」として役をねつ造しなかったよねえ?
 

 作品がこのままとしても、せめて役替わりがなければ、回を重ねるうちに役者の演技が深くなるかなと思えるけど……今回はそれも期待できないんだもんなー。
 がっくり。
 それでもわたし、役替わりは全部観るわ……オタクだもん。
 こうやってチケットを売るための役替わり……作品壊しても、チケット売る方がいいんだ……いい作品だからチケットが自然に売れる、ということは考えないんだ……。

 なんか、誠実さに欠けるよなあ……。

 
 文字数残り少ないんで、翌日欄につづく。

    
 ヅカの写真と言えば。

 キャリエール×エリックの銀橋抱擁写真、なんでないのっ?

 劇団の公式販売写真にもないし、公演写真集「ル・サンク」にも載ってなかったよっ?!
 なんでっっ?!

「あるわけないじゃないですか」

 と、友人デイジーちゃんはめーっちゃ素で言う。

 あるわけないの……?
 そうなの?
 そーゆーもんなの、世の中的にはっ?!

 がーーーーん……。

 
 たしかにね。
 いいシーンだけど、フォトジェニックなシーンではないのよ。
 がっちり抱き合っちゃってるから、カオは見えないしね。とくにエリックは仮面をつけた方を客席に向けているからね。
 抱き合っている男ふたりというだけにしか、映らないもんさ、客観的にはさ。

 ご贔屓のカオが命のジェンヌファンが、金を出してまで買わない、と判断されても仕方ないかもしんねーさ。

 ああ、しかし。
 「ル・サンク」くらい、載せてくれたっていいだろう、写真!! なんのための写真集だよ!! 泣。

 
 仕方なくわたしは、『GRAPH』を買いました。
 唯一、抱擁シーンが載ってたからさ。
 『GRAPH』買ったの、何年ぶりだ、おい。『歌劇』も買わなくなって久しいしな。
 トド様の厚化粧がまぶしいわ……つーかここまで塗りたくらなくても、トド様は十分きれいだと思うんですが。

 ま、せっかく買ったわけだから、さっそく『ファントム』の舞台写真は切り抜いて壁にべたべた貼りましたともさ。
 ああ、たかちゃんきれー……。

 
 キリがないので、写真は買わないことにしているの、いちおー、わたし。
 最後に狂ったよーに買いあさっていたのは、『血と砂』のころで、あれ以来は自重している(笑)。

 そんなわたしがついつい「写真欲しい……」とふらふらキャトレへ足を運んだのは、なにを隠そう『BOXMAN』だった(笑)。

 ケビン@たかこがあまりにかっこよくて……。

 1枚だけ。1枚だけだから、ゆるして。
 と、自分に言い訳しながらキャトレへ行って。

 敗北して帰った……。

 だって、1枚にしぼれなかったんだもん! どれも素敵すぎて!!(笑)

 我を忘れて物色して、アレもコレもと手に取っていたが。
 ふと、正気に返ったんだよね。この写真の値段にちょっと付け加えるだけで、公演1回観られるじゃん、と。

 で、買うのやめた。
 落ち着けわたし! 写真より生がいいに決まってるだろう! ってことで。

 
 そんなふうに、グッズを買うのは控えまくっていたのに。
 プログラムだって買ってないのに。

 …………『ファントム』はなー、ついなー、買っちゃったんだよなー。プログラムも、クリアファイル(笑)も。
 エリック@たかこが美しすぎて……。

 ケビンといい、わたしにはたかちゃんのビジュアルが大変ツボにハマるらしい……。

 
 ああ、それにしても。

 キャリエール×エリックの銀橋抱擁写真がないなんて。
 公式販売されてないなんて。

 ひーどーいー。

「FC写真ならひょっとして……なんなら、会の人に聞いてみましょうか」

 と、顔の広いデイジーちゃん。

 うんうん、お願い。
 キャリ×エリがあったら買って。

「あー、でも、たぶん無理ですねー。会写真ってたいていひとり写りだし」

 がっくり。

 『ファントム』のいちばんいいシーンなのに……。
 萌えシーンなのに……。

 
 劇団よ、そして世間よ、何故にそう、わたしとニーズがちがいますか!!(えっ、わたしが悪いの?!)

     
 レマルクの『凱旋門』を手に入れた。

 長らく絶版だったこの本が、最近復刊されたのは知っていた。わたしも「復刊ドットコム」に登録していたけど、機会を逸したまま、買いそびれてたんだ。
 
 この日記には、小説をはじめとする活字文化作品の感想を書かないようにしているのだけど、ヅカ関係は除く(笑)。
 レマルクの『凱旋門』は、大好きだー。

 原作の『凱旋門』を読んでわたしはさらに、ラヴィックという男を好きになった。
 美しく繊細な物語。

 復刊はとてもうれしいのだけど、叶うことなら現代語訳してほしかった。
 さすがに今の日本語と差異が生じていて、それがわたしみたいなぬるいのーみそしか持っていないものにはつらい。おくりがなの違いや言葉の使い方、誤字なんかが気になるんだよ……。無意識で文章の添削をしてしまって、その都度物語から現実に引き戻されてしまう。
 ふるめかしい喋り方なんかはまだ「味」だと思えるけど。にしてもやっぱ、興をそがれる部分があるなあ、文章の時代錯誤さに。
 美しい現代語訳で出してくれたら、うれしかったなー。

 とまあ、文章自体はそのまんまな復刊なわけだ。
 

 三原順の『ハッシャバイ』の復刊ヴァージョンをブックオフで見かけたことがあったので、漠然と復刊っちゅーのはあんな感じなんだと思っていた。
 かつての姿を忠実に再現してあるが、お値段だけは少部数発行を物語る元定価の数倍、てな。
 だから『凱旋門』もきっと、昔通りの素っ気なくもいかめしい装丁で、値段は当時の数十倍とかするんだろうな、と覚悟していた。なんせ発刊当時はハードカバー本が数百円っちゅー物価だったわけだから。今の文庫本以下の元定価で復刊できるはずがない。
 どんな姿になるかと思いきや。

 値段的には、予想の範疇だった。税抜きで2600円。まー、こんなもんじゃろ。
 だが、装丁がずいぶん予想とちがった。

 ハードカバーじゃないんだ……。
 しかも、大きい。
 そして、活字がでかい……。

 昔の、小さく硬い姿に郷愁を持っていたので、ちと拍子抜け。
 硬い硬い、今よりずーっと融通利かないハードカバーに、小さな活字がぎっしり2段組。ものすげー読みにくい画面だけど、とりあえずコンパクトで「特別感」のある姿。
 『ハッシャバイ』が元の姿まんまだったから、『凱旋門』にも元の姿を期待していたんだよ。

 なーんだ、ものすごーく「今」な感じの装丁。
 今現在、ふつーに新刊として翻訳本コーナーに並んでそうな。
 表紙は映画のヒロイン写真だし。
 ……なまじっか「今の活字」「今の誌面」「今のデザイン」だから、文章の時代錯誤感が目に付いたんだよなー。

 そしてさらに異彩を放つのが、帯。

 トドロキ御大がいらっしゃいます……。

 え、えーと。
 この本って、完全ヅカファン向けなの?
 いちおー文豪作品で映画原作なんだよねえ?
 帯で堂々と「宝塚歌劇原作」と謳われるとびっくりだ。純粋にこの作品のファンで復刊を心待ちにしていた人は、引くんじゃ……?

 たしかに復刊を願っていたひとたちは圧倒的にヅカファンが多かったけどさ。復刊ドットコムの復刊希望コメントはそれ一色に近かったけど。
 
 わたしがこの本を読んだきっかけはたしかにトド様の『凱旋門』だったけど、実際に読んでみれば、「たとえヅカの舞台を観ていなくても、この小説を好きになっただろう」と心から思った。世の中には「あの作品の原作だから好き。そーでなかったらどーでもいー」レベルの作品があふれているというのに。
 アタマのぬるいわたしが読んで理解できて、感動できるくらいまっとーにすばらしい作品なんだから、ふつーにファンがたくさんいそうなもんだが。
 そしてそういうふつーの人たちは、ヅカメイクの顔写真が帯についてたら引くんぢゃねーかー? と、いらぬ心配をしてしまいました。

 いやあ、帯だけでもわたしゃ、そんなことを危惧していたのにねー。

 本の中に、そりゃーもー堂々と、ピンナップがついてましたよ。
 宝塚歌劇の。

 ははははは。
 笑っちゃった。
 帯ごときで心配しちゃってごめんねー。

 これって、一般人のことなんか考えてない本だったんだ。完全ヅカファン向け。ファン以外の購読者を想定していません、てな。
 なーんだ。

 それなら、いっそ表紙写真もトドロキにしちゃえばいいのにー。毒をくらわばだよー。

 ファンアイテムとして開き直った商品だと理解した途端、こちらも開き直りました。
 ああ、トド様ラヴィックが美しいわー。きゃー、すてきー。
 ああ、やっぱりボリスはタータンだよねええ。
 あら、コウちゃんヴェーベルも載ってるのね。
 あー、グンちゃんジョアンはもっときれいに写ってるヤツにしてあげればいいのに……。
 なんにせよ、大切にするわ。

    
 某スクープが紙面を飾り、景気のいい売り上げを記録した日の夜。そのゴシップ新聞社の女編集長と新米新聞記者は、ふたりっきりで祝杯をあげていた。

「……そのときちょうど、デイジーさんが現れたわけです」
「なるほど。愛するニコラのそばに張り付いていてもいいだろうに、ビリーのことも心配で、思わず刑事たちのあとを追ってきたわけね」
「そういうことです。ビリーさんとデイジーさんには、深いなにかがあったんですよ」

 もともと酒に弱いのだろう新米記者は、スクープの一部始終を語るうちにずいぶん回っているようだった。語りがいつになく熱い。

「ほんとうに、デイジーさんが来てくれて、よかったですよ」
「そうね」

 一方、女編集長は酒に滅法強い。いくら飲んでも普段と大して変わらない。

「もしあのままデイジーさんが現れなかったら、僕、途方に暮れてました。だってビリーさんとふたりきりなんですよ。ビリーさんは、長年わだかまりを抱いていたお父さんと親子の名乗りをして、しかもビリーさんがお父さんの罪を告発するカタチになっていて……」
「複雑よねええ。しかもマイク・バインダー……ビリーの実の父親は、自殺しようとしてたんでしょう。父親が目の前で死のうとして、それをかろうじて止めて……そして、逮捕されて。さすがのビリー・ザ・フェイマスもこたえるわよねえ」
「僕が刑事さんたちと駆けつけたときには、ビリーさんは床に坐り込んでました。誰とも視線を合わさずに。マイク・バインダーが逮捕され、連行されたあともそのまま……。そんなビリーさんとふたりきりですよ? どうすればいいんですか」
「たしかに、途方に暮れるわね」
「なんて言えばいいか、わからないじゃないですか」
「そうよね。どんな言葉をかければいいのか、わからないわね」
「そうですよ。もしあのときデイジーさんが来てくれなかったら……とにかく僕はビリーさんを抱きしめていただろうし」
「…………抱きしめて?」
「だって、なに言っていいかわからないんですから。言葉がないなら、抱きしめるでしょう?」
「そ、そうかしら」
「抱きしめますよ! あのときのビリーさんは、そうでもしなきゃいけない感じだったんですってば。坐り込んだままのビリーさんを、こう、背中から包むように抱きしめて」
「…………」
「それでもし、ビリーさんが僕のこと抱きしめ返してきたら、どうします? いや、抱きしめ返さなくても、こう、身体をあずけてきたら」
「えーっと……」
「それでもって、涙なんか見せられちゃったら、どーしたらいいんですか、僕!」
「泣かないと思うけど……」
「泣かないにちがいない人が泣くから、問題なんですってば! あのときのビリーさんは、触れただけで壊れてしまいそうな、幼い少年のような、つかれきった大人のような、いたいけな瞳をしていたんですよ! 泣きますよ、抱きしめられたら!!」
「そ、そうなの……」
「そうですよ。で、泣かれちゃったら僕は、どうしたらいいんてすか。小さな子にするように髪を撫でて……頬を撫でて……それから、キスするしかないじゃないですか」
「する、しか、ないの? 選択肢は」
「ありませんよ! 傷ついたビリーさんは、それを求めているんです」
「断定なのね……」
「断定ですよ。あのときのビリーさんの瞳を見ればわかります。抱きしめて、キスをして。……それでも彼が泣きやまなかったら、さらに僕にすがりついてきたら、僕はどうすればいいんですか。やっぱりもっと深く抱いて、あの人の孤独や傷ついた心を癒してあげるしかないでしょう? でも、もっと深くって、どうすればいいんですか。僕はゲイじゃないし、したことないし、うまくできる自信ないし、でもかわいくおねだりされちゃったらやっぱ後には引けないし、コンクリートの上じゃ固いし痛いし、でも場所考えてる場合じゃないし、とにかくあのときの、傷ついたビリーさんはやたらめったら色っぽいし、僕の方が先にいっちゃったりしたら意味ないし、持久力に自信ないし、そもそも技巧にもぜんぜん自信ないんだけど、とにかく情熱だけはあるから挑戦するとして……それでビリーさんを満足させてあげられなかった場合は、どうなるんですか? 彼が満足するまでつづけるんですか? どう考えても、僕よりビリーさんの方がタフですよね。そこは僕が一念発起してがんばりまくって、なんとか彼を満足させちゃった場合は、どうなるんでしょう。やっぱ責任、取るしかないですよね。婚約指輪は給料3ヶ月分ですか?」

 ほとんどつぶれるようにテーブルに突っ伏して語る新米記者に、女編集長はようやく言った。

「よかったわね、デイジーが来てくれて」
「………………よかったんですよね。デイジーさんが来てくれて」


        
 花組『NAKED CITY』青年館千秋楽の話、つづき。

 妄想を垂れ流しすぎて、本題を忘れてたね……そうなのよ、千秋楽なのよ。
 わたし結局この作品、バウ初日を観て中日を観て千秋楽を観て、そのうえ青年館千秋楽まで観てるのよね。すごいわー。
 初日と楽はお客のテンションがちがうから、コアでたのしいよね。客席にいるのがファンばかりだから、最初から熱気がチガウ。やる気満々の観客は、微笑ましい。

  
 わたしがこの物語を好きだったのは、萌えがあったこともキャストが好きだったこともストーリーが破綻なく正しく収束していることももちろん要因なんだけど、いちばん大きな理由は、「快楽中枢に訴える作品」だったからだと思う。
 千秋楽、「これでこの作品を観るのは最後なんだ」と泣きながら思った。
 この作品を好きな要因はいくらでもあった。だがそれを凌駕して、作品自体の「作り」が「快感」だったんだ、わたしにとって。

 齋藤吉正の最高傑作『花吹雪恋吹雪』を観たときに感じたものに、近い感覚だ(アレが最高傑作なのか、齋藤吉正。あんなに壊れきったバカ作品が最高? ……悲しいが現時点ではそうとしか言えない。泣)。
 わたしは理屈をこねるのが好きだが、理屈を放棄して本能の欲求に従うことがある。
 このシーンのここでこうなると気持ちいい。ここでこうライトが当たったら気持ちいい。ここで主題歌一発かましてくれたら気持ちいい。ここで盛り上げて決めポーズで終わってくれたら気持ちいい。
 そんなふうに、ストーリーとか萌えとか関係なく、本能で感じる「気持ちよさ」があるんだ。
 わたしのバイオリズムに、そーゆー欲求があるんだろう。他人がどうかは知らない。あくまでも、わたし限定だ。
 そのわたしが「気持ちいい」と感じる五感効果をしてくれる作品。わたしの快感中枢を刺激してくれる演出。
 それは理屈ではなく、ほんとーに「本能」の部分だと思うのよ。どんなに完成されたすばらしい作品であっても、そこを刺激されないことなんかあたりまえにあるからな。

 『NAKED CITY』は、わたしのバイオリズムに合った。理屈を越えた部分で快感だった。
 それをベースにしたうえで、ストーリーだとかキャラだとか萌えだとかがあったの。
 もちろんそれは、『花恋吹雪』ほど強烈なものじゃなかった。アレは壊れきっている分、なりふり構わず萌えだけで押していたからな。
 『花恋吹雪』や『血と砂』が快感だったのは、わたしの本能に訴え掛けるものがあったんだと思うよ。理屈では説明できない快感。アタマを空っぽにして、五感のみで酔う。極端な話、日本語以外で上演されていても、ストーリーラインさえ理解できていれば、酔えたと思う。それくらい、ふだんのわたしとは「別なところ」で気持ちいい作品だったわけだ。
 ……今のところ、純粋な「快感」という点に置いて、『花恋吹雪』を越える作品に出会ってない……。
(言うまでもないが、『花恋吹雪』はいちばん好きな作品ではない)

 千秋楽、この作品と別れることにわたしは、ほんとうにかなしんでいた。
 また、酔っていた。
 最後の最後まで、「気持ちいい」と思っていた。

 そして。
 こころから、「必要だ」と思ったんだ。
 わたしには、こーゆーものが必要なんだって。
 食事や睡眠と同じように、わたしにはこの快感が、そして涙が必要なんだ。
 こころがふるえないと、生きていけないよ。わーん。

 ほんとーに気持ちよかったから、感謝の気持ちでいっぱいだった。
 小柳先生、ゆみこちゃん、あすかちゃん、みわっち、まっつ、兄貴……キャストのみんなひとりひとり、この作品全部にありがとうって感じだった。
 他人の評価は知らない。ただ、わたしにとってはものすげー気持ちいい作品だった。それだけでいいよ。わたしは幸福だ。
 気の多いわたしは好きな生徒さんがいっぱいいるが、いわゆる「ご贔屓」のいない舞台だったにもかかわらず、酔わせてくれた。(これで「ご贔屓」が出ていたらえらいことになったろーな・笑)
 
 この舞台で宝塚を卒業される幸美ねーさんにも、たくさんたくさん拍手があったよ。
 わたしと幸美ねーさんの出会いは、舞台ではなく「トレカ」だったんだけどな(笑)。その昔、一度だけバンダイから発売された「宝塚歌劇トレーディングカード」、じつはわたし、けっこー真面目に蒐集してたんだが、そのときのダブリNo,1が幸美さんだったのよ……。当時は幸美さんを個別認識してなかったからさ、「誰よコレ。なんで毎回毎回この人のカードが出るの(怒)」と思っていたのよねー。
 おかげで、忘れられない人よ。トレカ以来、舞台でも探すよーになったもんよー(笑)。
 いい味出してるすてきな女役さん。いい舞台をありがとう。

 カーテンコールのたびに、幕が下りる瞬間までマイペースに踊り続けるちはる兄貴に目頭を熱くしつつ。
 わたしの「観たかった舞台」だった、と再確認したんだ。

        
 すみません、花組『NAKED CITY』千秋楽、観に行っちゃいました。……青年館まで。
 へんだなあ、今日はほんとーならムラで、とのさんと並んで『ファントム』観てたはずなんだけどなあ。どーして青年館にいるのかなあ(笑)。

 さて、なにはともあれ千秋楽。
 アドリブ合戦になって大騒ぎ、なんてことはない作品なので、楽日だからといって特別なにかあるわけじゃないんだが。
 少しばかりあったサービス・アドリブのなかで、わたしのツボにジャストミートしてくれたのは。

 スパニッシュハーレムのシーンで。
 ビリー@ゆみこちゃんとバーナード@まっつが、ビッグママはじめ浮浪者たちに囲まれいじられ遊ばれるあの愉快なシーンにおいて。

 スキンシップ度大幅UP。

 バーナード、ビリーにすがりつきまくり。
 なにをいちゃいちゃしてんだお前らー(笑)って感じ。

 もともとかわいくて大好きなシーンだったんだけど、楽日はさらにかわいさUPしてんだもんよー。猫にまたたびだよー。うわーん、お前らかわいすぎです。

 さんざんいちゃくらしたそのあとで。
 命からがら某マネキン倉庫まで逃げてきたときに。

 ビリーがバーナードに言うのさ。

「いつまで握ってるんだ」

 そう。
 バーナードはずーーーーっと、ビリーの手を握ったままだったわけです。
 いいトシした男ふたりが。
 ずーーーーっとお手々つないでたわけねっ。

 か、かわいいっ。
 お前ら、かわいすぎです。

 はああ。
 まっつファンでゆみこちゃんも好きなわたしにとっては、夢のようなシーンがいっぱいなのよー。今までゆみこちゃんといえば、オサ様×ゆみこ だとか、らんとむ×ゆみこ しか考えてなかったからねえ。ゆみこ総受はデフォルトとしても(笑)、まっつを絡めて考えたことはなかっただけに、今回目からウロコのハッピーライフ!!
 ビリーの肩越しに前をのぞき込もうとつま先立ちになるバーナードなんか、地団駄踏みたくなるくらい、かわいいっっ!
 バーナードはとりたててチビには見えないので(そりゃ高くないことは一目瞭然だが、目に見えて小柄でもないよな。まあ「ふつー」って感じ?)、ビリーが何気に背が高いんだなってことで、双方いい味になってるし。

 つま先立ちバーナードがあまりにかわいいので、1回くらいビリー、まちがえてキスしちゃってくれないかな。
 背中から肩越しにのぞきこんでくるバーナード。ビリーにしてみりゃうざい。だからビリーはいつも、そんなバーナードを邪険に振り払うんだが。
 振り払うときにさー、まちがえてぶつかってくれよー。ちゅーしちゃってくれよー。見たいよ見たいよー。てか、見たかったよー。
 リカちゃんとマミさんだって、千秋楽はうっかりちゅーしちゃって、リカちゃんのほっぺたにマミさんの口紅がべったりついたまま演技してたぢゃん。
 アレ、たのしかったなー。
 見たかったなー、まっつ×ゆみこで。いや、バーナード×ビリーで。

 そこからはじまるのよ……バーナードの高嶺の恋が(笑)。いや、事故ちゅーがなくても、はじまってるけど、物語として書くなら、事故ちゅーネタからスタートさせると愉快だもの。ガキんちょバーナードに、わかりやすくスイッチが入るから。
 元気にかわいくいっぱいいっぱい、下っ端体質全開で、高嶺の花を振り向かせるのだ!
 そしていつか、バーナードのあまりの全開ぶりと空回りぶりにビリーがほだされて、「1回だけなら」とか言ってくれちゃうわけよ。
 でも、1回だけなんてとんでもない、1回やったら最後、バーナードは指輪用意してプロポーズに来るね。
 大真面目にビリーの家族に挨拶しに行って、あの男前なかーさんに「息子さんを僕にください」とか言って叩き出され、あのかわいい妹に「僕のこと、お兄さんって呼んでいいんだよ」とか言ってうさんくさがられるの。うっとり。
 そんな勇み足バーナードを、ビリーが血相変えて引き戻しにやってくるの。うっとり。
 バーナードが真剣に差し出した指輪を、ビリーが怒って投げ捨てたりしてな。バーナード、ショーック。しかも、「母の形見の指輪が」てなことをつぶやいちゃったりして。ええっ、形見ってなに? 「母が父から贈られた指輪で、亡くなる前に僕にくれたものなんです。『お前の愛する人に渡しなさい』って」フカシてません、マジです。
 根が真面目なビリー、それを聞いてこれまたショーック。「なんでそんな大切な指輪を、俺に渡すんだ」「だから、母の遺言通り、愛する人にはめてほしくて」フカシてません、大マジです。ビリーの負け、それ以上悪ぶれず、必死になって指輪を探してみたりな。
 指輪を探すうちに、他の事件に巻き込まれたりなんだり、オールスター・キャストの大騒動ののちに、ビリーはぼろぼろになって指輪を見つけだす。バーナードに渡すと、たしかに母の形見が無事だったことはよろこぶんだけど……ビリーが受け取ってくれない限り、バーナードのかなしみは止まらない。
 背中を丸め、しっぽを丸めてしょぼくれている血統書付きワンちゃんに、由緒正しき雑種の野良犬は、ついにほだされてしまう。
「はめればいいんだろ」
 ったく、てな感じに指輪を奪い、指にはめようとするけれど。
 とーぜん、入りません。バーナードのママの指輪が、大の男の指にぴったり入るかっての。詰めの甘い男、バーナード。結局指輪は突き返される。「サイズ直してきますから!」「いらん。もう絶対、受け取らない」「そんなぁ〜〜」てなバカップル押し問答を、天下の往来で展開だ。
 例としてあげている話が超絶陳腐ですまん。が、陳腐な方が萌えるんだ(笑)。「お約束」で驀進するのだ。
 ものすごーく愉快でかわいいカップルになるわ。かわいいラヴストーリーになるわ。
 引っかき回され、腹を立て、怒りながらも……結局ほだされ、ゆるしてしまうビリーに、バーナードはつま先立ちでキスをするのー。ビリーは絶対かがんでなんかやらないから、バーナードが伸びあがらなきゃなんないの(笑)。
 ま、それほどものすごい身長差があるわけでもないので、バーナードがちょっと踵を浮かせるだけだけどね。
 ヘタレ攻の男前受。ああ、うっとり。

 ビリーとバーナードのデュエットも好き。
 まっつはいつも、何気に低音響かせるよね。はー、ゆみこちゃんが主旋律で、まっつはさらに下の音でハモるんだ……ガキくさい顔して、何故にそう男前に歌うかな(笑)。
 歌手ふたりのデュエットは、聴いてて気持ちいい……。
 てか今回、歌うまい人ばっかだもんね、出演者。実力派で固められた舞台。……かわりにちょっと地味(笑)。
 まあ、「地味」ってのが雪組育ちのゆみこちゃんの持ち味だけどさー。
 堅実に、いい舞台を観せてもらったよ。

 
 はああ……萌え〜〜。

    
 その昔、『新世紀エヴァンゲリオン』というアニメがあった。
 そのアニメを見て、わたしがつくづく・しみじみ思ったことは。

 そもそも第1話で、ゲンドウがシンジに「私はお前を愛している。私のために戦ってくれ」と言えば、すべて済んだんぢゃねーか?
 と、いうことだった。

 それが本心であろうとなかろうと、騙すつもり利用するつもり、いや本心は愛があったのなかったの、そーゆーことは全部置いておいて。

 ゲンドウが息子に、「愛している」と言うだけで、物事はとーっても円滑になったはずだ。
 「親からすら、愛されない」→ 「自分には価値がない」→ 「居場所がない」→ ……など、無限ループにはまっている多感な少年シンジは、とりあえず最強呪文「アイシテイル」を唱えれば嬉々として戦ったと思うけど。どれだけ辛かろうと、傷つこうと、「愛」ゆえに「許し」ゆえに、盲目的にゲンドウに従ったでしょう。

 なのになー。
 なんだかなー。
 あの親子ときたら、ほんとに似たもの親子で。
 無意味に感情表現が下手で、言葉が足りなくて、頑固で、盛大にすれ違ってんだもんなー。

 シンジを操るのなんか、簡単じゃん。
 「愛してる」って言ってやればいいんだよ。あんなにあんなに、愛されたがっていて、それが得られないとわかっているから強がっているだけの子どもなんだから。

 
 …………と、思ったことを、思い出した。
 宙組公演『ファントム』初日を観たときに。

 
 エリックに仮面をかぶせてもいい。地下に幽閉してもいい。
 なにをしてもいいから、とりあえずキャリエールが言えばよかったんだよ。

「私はお前を愛している」 と。

 最初にソレだけ言っておけば、悲劇にはならなかったのに。
 傷のない顔も、両親も家も、未来もふつうの生活も、なにも持たないとしても、それでもエリックはあそこまで不幸にはならなかったはずだ。

 こんなに醜いボクを愛してくれる人がいる。……そのことを救いに、地下の小さな王国で平穏な暮らしができただろう。
 もちろんソレは、ふつうの意味での幸福ではないけれど……ふつーの人間がふつーに得られるふつーの愛や幸福より下位のものであるとは、誰にも言えないだろう。

 キャリエールのいちばんの過ちは、不倫でもベラを見捨てたことでもエリックに父だと名乗らなかったことでも地下に幽閉したことでも殺人を見過ごしてきたことでもなんでもない。
 エリックを抱きしめてやらなかったことだ。

 親だと名乗る必要なんかない。不義の子だと説明してやる必要もない。

 ただ、愛を語れ。
 背景の事情も理屈も関係なく、キャリエール個人が、エリック自身を愛していると、告げろ。

 親としてだとか、真実だとか、それを語るためには弊害がとか、理屈並べてなにもしないくらいなら、なんのしがらみもない赤の他人として「愛している」と告げろ。
 エリックが求めているのソレなんだから。
 エリックが孤独なのは哀れなのは、ソレを得られないためなんだから。

 
 とゆーことで、キャリエール×エリック。

 エリックを救う、いちばん早くて確実な方法。
 ぶっちゃけ、誰でもいいんだから。エリックを素顔ごと愛してやれる人なら。
 ママじゃなくても、クリスじゃなくても。

 
 そんでもって、パターン1。
 例の銀橋ラヴシーンのあとに、ふたりの初***があったっちゅー案。
 告白→ ラヴシーン→ 初***、という、ある意味正しく、性急なあたりが今どきのBLやTLみたいでニーズに合っているかと(笑)。

 エリックはガキなので、恋愛も親子愛も区別ついてないし、性への知識も薄い。ので、自分では親子愛のつもりでいるのに、抱きしめられたら感じちゃった、どうしよう、うろたえ。なにしろ他人との抱擁ははぢめてだ、しかも愛の告白のあとでだ。そりゃ若いんだから反応しても仕方ない。
 まかせて安心、余裕のキャリパパ、やさしく初***突入。
 てのはどうですか、世の腐女子のみなさん。
 「終焉」の予感に急き立てられ、美しくも哀しくがっつんしてもらえたらいいかと。
 
 
 パターン2。
 クリス登場で、エリックの気持ちが不安定。せっかく誰にも摘み取られないよう地下で育ててきた華が、あんな小娘に手折られてどーする?!
 クリスを誘拐したエリックに詰め寄り、冷たく追い払われてしまったキャリパパ。エリックにクリスをあきらめるように、再度説得に向かうが……口で説得するつもりが、あ、あれ? なんか行き過ぎちゃって手が出たっちゅーか、カラダが出たっちゅーか……半分無理矢理?
 エリックの痣だけど、顔だけでなく、カラダにもあるとなおヨシ。いやがるエリックを裸に剥いて、「こんなに醜い姿で、彼女に愛されると思うのか?」とか、鬼畜バージョンで詰め寄って欲しいですなー。
 鞭とアメの使い方絶妙に、キャリパパのテクが冴える! みたいな。

 そーゆー出来事があったと脳内仮定したうえで、本編に戻って。

 それでもなおクリスの愛を信じ、結果悲鳴上げて逃げられ、ぼろぼろに傷つくエリック。
 キャリエールの腕の中で、「この間は追い返してすまなかった」てな台詞を力無く言う本編のエリックは、むちゃくちゃ萌えです。
 どうですか、世の腐女子のみなさん。

 
 パターン3……とか、なんかいくらでも考えられそーなんですが(笑)。
 誰か書いてくんねーかなー。

 
 1列目の下手端はいろいろおいしい席で、出演者が近いのは言うまでもないが、クリスに促され仮面を取るエリックの顔が、ほぼ真正面で見られる位置なんだよね。
 3列目サブセンのときはオペラグラスを持っていかなかったのに、1列目端のときは握りしめていた。
 仮面を取るエリックを見るの!! 鼻息!!
 このときのエリック、最高に、受くさい表情するのよ。
 迷いながら仮面を取り、はにかんだよーな笑顔のような微妙な表情をし、クリスの反応に一瞬空白になり、次に慟哭へ変わる。
 この一連の表情がね……絶品。ハァハァ。

 銀橋ラヴシーンもなかなかドラマチックなアングルだし(キャリパパ正面、エリックは後ろ姿。抱かれる瞬間がすばらしい)、無理して手に入れた甲斐があったというものだ!!

 ただ。
 腐女子として唯一のかなしみは、銃傷を負ったエリックをキャリエールが抱きかかえて隠れるあの萌えシーンが、ものすごーく遠いことです。
 ここだけは「上手に坐りたかったっ」と思ったね(笑)。

 
 ああ、とにかく『ファントム』はすばらしい萌え作品よー。
 多少ストーリー破綻してても、画面が悪趣味でも問題ナシ。

 ああ、君に出会えて良かった。

       
 キャリエールはなにゆえに、あそこまで言動めちゃくちゃですか?

 が、大きなポイントだと思う。
 宙組公演『ファントム』感想。6月9日の日記のつづき。

 物語の舞台となっている19世紀末だっけのパリと、現代日本では感覚がまったくチガウ。だから、舞台背景を理解しなければ、キャリエールを理解できない。

 というのが、キャリエールの謎の答えだとは思っている。
 時代もチガウし、宗教もチガウ。離婚が許されないとか堕胎が罪だとかいう意識は、現代日本にはないからな。不義の子・障害者などへの差別っぷりも、そりゃー昔の方がすごいでしょう。
 禁忌がチガウ、常識がチガウ。
 あの世界では、キャリエールはああするしかなかった。

 ……というのは、べつにいい。わざわざそーゆー時代を舞台にした芝居やってんだから。

 問題は、そーゆー「世界観のちがい」を何故、きちんと解説・昇華していないのかということだ。

 「そうするしかなかった」ことを、ひとつずつ説明してくれよ。
 そーでないとキャリエール、ただの異常者だよ……。

 
 物語の根幹部分を形作る「キャリエール」が壊れているために、必然的に他の部分もガタがきている。
 「そうするしかなかった」結果がファントム伝説であり、エリックのかなしみと狂気につながるはずが、えらく乖離した物語に。
 
 
 キャリエールをきちんと描くことは、舞台となる「世界」を正しく描くことだと思う。
 いっそ彼を狂言回しにしてもよかったんじゃないか。そしたら2幕の過去話の唐突さが緩和されるんじゃ? もともと彼が語り部なら、多少長く語っても変じゃないし。

 キャリエールと時代背景を描き、そのうえでエリックの立ち位置や哀しい宿命を大きく打ち出す。
 キャリエールが異常者に見えてしまってはイカンのと同じで、エリックがただのバカに見えてしまってはイカンのだ。
 本人の責任ではなく、追いつめられて必然的にそこにたどりついてしまった……という設定が不可欠。

 
 感じるのは、ストーリーを進めることだけに終始して、人の心の動きを描き忘れているんじゃないかってこと。

 細かいところは描き忘れているにもかかわらず、クライマックスではどーんと情緒的。なんてバランス悪い(笑)。

  
 新公を観てしまったあとでは、「なんだ、あの話1時間半でもできるんじゃん」とわかってしまったので(笑)、新公の演出をベースにキャリエールの物語その他いろいろを付け加えて、改めて2時間半の作品にするってのはどうだ?(笑)
 もちろん、ラストシーンは全面カットか、あるいは新公バージョンにして。

 
 さて。
 物語としてみた場合、思い切りよく破綻しているこの『ファントム』。
 もしも大上段な原作がなく、オリジナルとしてこの脚本と演出だったら、駄作っ!!と、叩かれまくってただろーなー。
 それこそ、齋藤作品が叩かれるように。

 だが、齋藤作品がどれだけぶっ壊れていても魅力があるよーに、『ファントム』は魅力のある作品だ。
 こまったことに。

 わたしなんか、萌え萌えで観てるぞっと。

 美しい音楽に助けられているし、知名度の高いドラマチックな原作に助けられてもいる。そしてなにより、キャラ勝ちしている。
 ファントム=エリックというキャラクタは、女のツボだ。冷たい美貌に重い過去、いたいけな少年のような純粋な魂……こーゆー男に、女はめろめろになるわな(笑)。ヅカのターゲットは大人の女性なんだから、この母性本能を突かれるキャラクタは大変正しい。
 キャリエールの慈愛あふれる父親像、クリスティーヌの聖母性と、辻褄なんか問うな、キャラとシチュエーションで萌えろ!!と言わんばかりの力技。

 萌え作品上等! エンタメだからソレでヨシ!!

 …………でもな、演出担当の中村B先生。齋藤くんと同列に語られてしまう中堅作家ってのは、問題アリ過ぎだと思うよ。齋藤くんは若気の至りって芸風だからもう仕方ないけど、Bせんせはそーゆー芸風じゃないでしょー?

 
 さて。
 そろそろ疲れてきたので、わたしらしい話に移りたいと思います。

 このつっこみどころ満載っちゅーか、そもそも壊れてるから見ているモノが補完しないと落ち着かない作品。

 補完しましょう、Myビジョンで!!

 
 キャリエールは、エリックを独占したくて、地下に閉じこめたんだよね?

 同人BLの定番。どのジャンルでも絶対ある、「狂うほど受を愛した攻が、受を監禁してヤりたおす」アレですな。

 愛する受が、他人の目に映るのさえゆるせない。自分以外の人を見ることさえ許せない。ゆがんだ独占欲。狂った愛情。

 キャリエールが、エリックを人知れず閉じこめたのは、「私以外の誰も見ることはゆるさん」であり、「私以外を愛することはゆるさん」だよね?

 そうすれば、「誠実な頼りがいある支配人」としての彼のキャラを壊さず「顔が醜いっちゅーだけで息子を認知もせず幽閉した偽善者」にならず、「すべて愛ゆえ」という、美しい話になるよね?(笑)

 ただわたしは、幼児嗜好がないので、キャリパパが幼いエリックをどうこうしていたとは考えたくないです。ついでに、無理矢理も好きじゃないです。
 片想いややせ我慢が大好きなので(笑)、わたし的には、キャリパパとエリックは、クリス登場時点でまだ、肉体関係ナシです。

 エリックを愛するキャリエールは、幼い彼を監禁したのち、成長するのをじっくり待っているの〜。
 また、エリックが「じゅて〜む、ジェラルド」と言ってくれるのを、待っているのです!! 

 エリックを手なずけることなんて簡単。
 愛されたがっている孤独な彼は、やさしくしてやりさえすれば、「愛しているよ」と言ってさえやれば、問答無用に墜ちるでしょう。
 性的にも未熟な彼を、自在に 調教 あわわその、愛し合い方を教えることもできるでしょう。

 でもキャリパパはあえてソレをせず、「エリックが自分から」キャリパパを愛し、求めてくれる未来を待っていたのです……!!(笑)

 キャリパパからすれば、エリックの顔の痣なんか、「ちょうどいい言い訳」にすぎない。
 幼いころと比べ、成長したエリックの顔の痣はかなり治ってきてるけど、本人はそれを知らない。
 キャリパパはとにかくエリックを外に出したくないから、「お前は醜い」と洗脳してるのね。エリックが年のわりに精神年齢が低いのも、キャリパパの教育ゆえ。
 自分は外に居場所がない……エリックにそう思い込ませることで、キャリパパはいつまでもエリックを独占できるわけだ。

 「天使の声」を持つクリスの出現に、キャリパパが警鐘を鳴らすのも、エリック愛しのため。
 キャリパパ、クリスとエリックを引き裂くために、奔走してますわー。

 もちろんソレは、「エリックを真に愛し、しあわせにできるのは自分だけ」と信じ切っているがため。

 ああ、歪んだ愛……。うっとり。

 そして、キャリパパとエリックが、境界線を越えて禁じられた愛の世界に踏み込むのは……あ、もう文字数がない。

       
 ほんとはあと1回観に行く予定だったムラの『ファントム』
 いろいろあってチケット手放しちゃったので、もう観られないんだわ……。東宝のチケットなんて、絶対手に入らないだろうし。東宝余ってたら声かけてください〜(ありえねえ)。

 さて、初日を観たときに、作品以外でおどろいたこと。

 自走する船。

 まさか、自分で動くとは思わなかったから、目が点になった(笑)。
 ヅカ舞台の船っていえば、舞台固定で盆が回ることによって動いているよーに見える、とか、ほらあの『雪之丞変化』のときの素敵たかちゃん(笑)の乗った船みたいに、舞台袖でスタッフの男性が必死こいてロープを引くことで動くものだったり。
 それしかありえないと思ってたから、船が自分で動いたことに、心底おどろいた。ええっ? カーブしてるよ、盆の動きと関係ないよ、ロープもどこにもないよ??
 そしてその船は、不自然に不格好。飾り立ててはあるが、微妙な姿。
 リモコンなのか、あるいは前もってプログラムされた動きをしているのか……あの変にふくれたところにエンジンとかが入ってるのね。
 最近の機械はすごいなあ、ああいった動作をさせることができるんだー。

 そののち、前述の『ファントム』の舞台裏が載った新聞記事で、自走する船のことを読んだ。

 自走する船、におどろいた。リモコン、あるいは事前プログラムだろうと勝手に考えて、それについてもおどろいていた。

 しかし。

「中に人が入って運転している」ことには、それ以上におどろいたぞっ。

 あの変にふくれた部分。機械が入ってるんじゃなく、人が入ってるのね……。

 3列目サブセンで観劇したときの「前方席だからこそのチェックポイント」のひとつは、自走する船の運転席チェック!でした(笑)。
 たしかに、人が乗っているんだろう……あのふくれた部分は布製らしく、中から外を見ることができそうだった。
 3列目観劇のときはわたし、席がよいことに浮かれて、オペラグラス持っていってなかったのよねー。オペラでのぞいたら、運転手も布越しに見えたかも??(そんなわたしの隣で、WHITEちゃんはキャリエールが出たときだけしきりにオペラを上げていた。「やっぱり付けモミアゲがないわ。ちっ」……目的はソレかい)

 人が乗って、実際に運転しているんだとわかったときから、あの船がみょーに愛しいです……(笑)。
 だって、役目が終わったら、こっそりターンして退場していくのよ。後ろ姿が哀愁あっていいのよ(笑)。

 あ、ちなみにもうひとつの「前方席だからこそのチェックポイント」は、ジョセフ・ブケー(死体)の首の傷痕です。右京ファンは要チェック。

 
 さて、さんざん後回しにしていた『ファントム』の感想を、ぼちぼちと何度かに分けて書いていきます、その2。6月6日の日記のつづきです。

 視覚的なびんぼくささと悪趣味さにげんなりしたことは、もうこれ以上触れないとして。

 「物語」としての感想。
 不親切な話だなあ、こりゃ。と、思った。

 わたしは「物語」を味わううえでの「予備知識」を好まない。下準備やら勉強の必要なものは、「エンタメ」だと思っていないからだ。
 なにも知らずに観てたのしめること。これが大前提。
 もっとも、役者の顔の区別が最初からついているわたしの場合、まったくの「予備知識ナシ」とはいえないだろーけどさー。

 原作が有名すぎるからいろいろ先入観になっちゃってるんだけど、この『ファントム』だけで「物語」を見た場合……コレ、どうなのよ?

 あまりに説明不足じゃないか?
 
 説明不足が過ぎて、「破綻」してないか??

 原作だとか、他舞台の話はしてないんで、誤解なきよう。原作がどうあれ、これは宝塚歌劇で、宝塚大劇場で上演しているんだ。
 ムラに宝塚を観にやってくるお客さんのための舞台だろう?

 「説明不足」ゆえに「破綻」しているすべては、キャリエールという人物だ。

 この物語はすべて、キャリエールにはじまり、キャリエールに終わる。
 キャリエールがしでかしたこと、そしてそれへのフォローの仕方、現状が変わったときの対応、自らが招いた結果への決着のつけ方、とにかく、物語を動かしているのは全部キャリエールなんだ。
 だがこのキャリエールへの説明がまったくない。
 2幕の前半、無意味に長い過去話があるにはあるが、これは「出来事」を羅列しているだけであって、キャリエールの行動の意味を説明してはいない。
 
 キャリエールが謎なのは、彼の行動と心情が、かけはなれて見えることだ。

 彼のやっていることだけを考えれば、最悪に最低だ。
 結婚していることを隠し、純粋な娘を騙して妊娠させ、捨てた。
 子どもが生まれたあとも、認知せず、名乗らず。
 子どもが醜いからといって、オペラ座の地下に幽閉。
 ファントムと呼ばれるよーになった子どもが殺人をしようがなにをしようが、黙認。父だと名乗っていない、ただの善意の味方のふりをしているので、被害者面。
 
 行動だけ羅列すると、ほんとひでーよなー。
 しかし、彼のキャラクタは、「多くの人から信頼される、誠実な人」であり、クライマックスではファントムに突然「愛しい我が子よ」とか言い出す。

 お前が言うか。お前がソレを言うのか。
 すべての不幸も悲劇も、全部お前が蒔いた種だろう!!


 と、いうことになる。
 ひでえ。

 冷静に見れば、キャリエールは精神異常者か、あるいは邪悪な偽善者ということになってしまう。

 しかし、知っての通りこの作品のいちばんのクライマックスは、キャリエールとファントム=エリックの心が通じ合う銀橋のシーンだし、母の愛を求める男の物語でもある。
 このテーマで、このシーンを盛り上げるつもりならば、キャリエールを精神異常者や偽善者にしてはイカンだろう。

 キャリエールの行動だけを書かずに、何故彼がそんな行動を取ったのか、の説明が必要だろうに。

 そんな大切な部分をまったく書いていないって、なんなのコレ?

 この物語、破綻してるよね?

 
 実際、物語が破綻していたって、おもしろいものはいくらでもある。魅力的な作品はいくらでもある。
 齋藤吉正の一部の作品がいい例。

 そしてこの『ファントム』もそうだ。
 たしかに破綻しているが、とりあえず魅力的だ。

 そう、これだけ物語が破綻しているにもかかわらず、この物語は魅力的なんだ……。
 

 ということで、文字数がないので、この話はさらにつづく。

        
 Be-Puちゃんおすすめの店が、いつのまにか宝塚にできていた。
 その名も『もち吉』
 楽屋口そばの交差点を、踏切の方へ行ったところ。あのみょーちくりんな鼻水噴水のある角の向かい。

 おせんべいの店だ。

 この店を見つけるなりBe-Puちゃんは奇声を発し、駆け寄っていきました。
「九州ではものすごく有名な店なのよっ」
 九州人のBe-Puちゃんは、福岡にいたころ高頻度でここのせんべいを食べていたそうです。

 Be-Puちゃんの鼻息はすごいし、WHITEちゃんは無類のおかき好き。ふたりがお買い物する横で、わたしひとりぼーっとしてるのもなんだし。
 とりあえず、買ってみた。

 「激辛せんべい」とやらを。

 いろんなところで「激辛」と名の付いたせんべいを買ってきたが、どれもどーってことのないものだったので、期待はなし。
 ふつーに考えて、「食べられない辛さ」のものを、企業が販売するはずがないのだから、仕方ない。

 まったく期待なく、自宅でかじり……。

 驚愕。
 か、辛い……っ。


 『暴君ハバネロ』なんか、足元にもおよばない。
 なんじゃこの辛さは。

 ……やーん、辛いー、すごいー、汗かいちゃうー。顔、にやけるー。

 わたしはもともと消化器系が弱く、辛すぎるものを食べるとおなかが痛くなるんだなー。
 『ハバネロ』は2袋一気に食べたら、なんとなく腹の調子が悪くなった。

 しかし、もち吉の激辛せんべいは、2枚食べただけで、腹が痛くなった。

 すげえ。
 こんなにダイレクトにカラダに変調きたすなんて。

 あまりに愉快な辛さだったので、家族にすすめてみた。

「おなかが痛くなるようなモノ、食べたくないわ」
「不愉快な味をわざわざ食べて、なんでカラダをこわさなきゃならないんだ?」
「唐辛子でも舐めてろ」
「それはすでに、せんべいである必要性があるのか?

 けんもほろろ。
 誰も、ひとかけらさえ食べてくれない。

 なんでー?
 激辛、って言われたら、とりあえず食べてみたくなるだろう? わたしならそうだぞ?
 なんで味見すらしてくんないのよー。

 ホラーゲームをひとにすすめたときの反応と似ているわ。
 どんなにこわいかを切々と訴えると、みんな口をそろえて
「そんなにこわいなら、絶対やらない」
 って言うのよ。

 ものすごくこわいなら、プレイしてみたくなるだろ?
 ものすごく辛いなら、食べてみたくなるだろ?

 ……どうしてみんな、わたしがすすめるものは、逆の反応とるのよー。
 セールスポイント(こわいとか辛いとか)を、拒絶ポイントにするのよー。

 
 とにかく、感動の辛さです、もち吉の激辛せんべい。
 辛いモノ好きな人はチャレンジよろしく。

 わたしは腹痛をなだめながら、それでもよろこんで食ってます。ああ、癖になる辛さだわ……。うっとり。

       
 6月6日、Be-Puちゃんのお誕生日。その日、わたしは宙『ファントム』観劇で、WHITEちゃんとBe-Puちゃんは花『NAKED CITY』観劇。それぞれ見終わったあとは落ち合って遅めのランチの予定。
 『NAKED CITY』初観劇のBe-Puちゃんは言う。

「あのキャシーって役をやった子、男役?」

 Be-Puちゃん……。きほちゃんは新公ヒロインやっちゃう新進気鋭の娘役ですが。

「花組観るの、すっごいひさしぶりなんだもん。知らない顔ばっかでとまどったよ」

 花組ファンだったくせに……。
 愛するチャー様が卒業し、大嫌いなオサがトップになってからは、見事に花組を見捨てている模様。まあそれも正しいヅカファンの姿でしょう。
 みわっちの学年以上しか生徒さんの見分けがつかないと言うBe-Puちゃん。作品的にはすっごく気に入ったし、大好きなゆみこちゃんが素敵だったので満足だが、上級生の使い方にはいろいろ不満があるそうだ。うまい人たちの出番があれっぽっちだなんて、もったいない、と。

「でも、五峰亜季さんのエロ尻を見られたから、それでいいわ」

 エロ尻。

「やっぱエロいねええ、あの人の尻」

 どこを見てるんですか。

「あの尻を見て、『ああ、五峰さんだわ』って、すっごくなつかしかったよ」

 五峰亜季の、エロ尻。
 そう、あれは何年か前の雪組公演だった。
 タイトルは忘れたが(調べるのめんどくせー)、あるショーで、スター娘役が尻たぶを半分見せて踊るという、すばらしいシーンがあった。
 尻を披露するスターのひとりは、星奈優里ちゃん。くるりと後ろを向いた途端見える、キュートなお尻にどきどき。きゅっと引き締まった小振りなヒップ。女の目から見て「美しい」と思える、まさしく美尻。
 そしてもうひとりが、五峰おねーさまだった。くるりと後ろを向いた途端見える、セクシーな尻にはらはら。肉感的というか、熟れてますっていうか。ダンサー五峰姐さんだからもちろん、その尻は鍛えられた実用的な尻なんだが……なんであんなにエロいの?!
 星奈ちゃんの尻はうっとり眺めていたい美尻だが、五峰姐さんの尻は目のやり場に困る、まさしくエロ尻だった。
 いいのか、あんないやらしー姿でがんがん踊ってて!

 もっとも、このふたりの美女の尻の印象は、さらなる尻の持ち主の登場によって、ぶっ飛んだ。記憶から消えてしまった。
 さて、尻見せ美女の3人目、トリを飾るのは真打ち登場、ディスコ・クイーン、タータンだった。
 くるりと後ろを向いた途端見える尻に、客席は阿鼻叫喚。

 タータンの持ち味は、なんといっても「渋いおやぢ」だ。包容力と男らしさ、青二才には真似できない大人の男の色気ってやつだ。
 その中年男の、まさかの女装。
 ショーの一場面だから、当然顔は男のまま、衣装だけ女物。
 その女装オヤジの、まさかの尻見せ。

 きゃあああぁぁぁああっ!!
 なななななんてこと、させんですかぁぁああっ。

 のりのりで腰を振るタータンに、涙。
 おぢさん……ごついです……こわいです……。

 タータンのすさまじい尻のインパクトで、他の尻の印象がぶっ飛んでしまった。
 
 あー……忘れてたよ、五峰姐さんの尻……エロエロだっつーんで当時、盛り上がったねええ。あのシーンはわたし、古代みず希さんばっか見てたよーな気もするが……。Be-Puちゃんは五峰姐さんの尻に釘付けだったのよね。

 そしてBe-Puちゃんにはもちろん、「バーナード×ビリー」も、「みわっち、マワされてたよね?」も、すっぱり否定されました。
「そんなふうに見える緑野が、腐ってる」と。

 
 腐っていようがいまいが。
 作品が気に入ったわたしは、いそいそとその翌日、つまり今日もムラにでかけました。
 花組バウ『NAKED CITY』千秋楽。
 適度にチケットが流通している公演は、ほんとありがたいっす。念願の段上がりセンターで、じっくり作品全体をたのしみました。
 

 演技をしているときだけが生きているときだという、女。
 ファインダーをのぞいているときだけが生きているときだという、男。

 こいつら、同じこと言ってんだよなあ。

 女は、撮られることで。
 男は、撮ることで。
 レンズを通してだけ、「世界」と関わることができる。

 何故ならば、「自分をキライ」だから。

 
 とりあえずわたし、ビリー好きだなー。

 わざと悪ぶって「恋人の居場所を教えて欲しかったら、一晩つきあえ」と言い、そのくせあっさり教えちゃって、「一晩」はなかったことに。
 んじゃ口だけのヘタレ野郎かと思えば、嫌がる女を強引に抱き寄せることはする。

 ビリーとデイジー、鏡に映った自分自身みたいな男と女。
 このふたりが向き合うことになったきっかけは、やっぱり「1枚の写真」なんだなとしみじみ思った。
 デイジーの「あたし、あなたの写真好きよ」→「あなたに会いたかったのかもしれない」→ビリー、デイジーが去っていこうとするのを止める、までの流れにめーっちゃときめくんですが(笑)。

 なんか、すいこまれるように、ビリーはデイジーの腕を取るんだよね。
 アレ、無意識だよね?
 今までビリーは、無意識に女を追ったことなんかなかったよね?
 だから自分でもおどろいてるんだよね。

 他の男のもとへ行こうとする女の腕を、無意識に掴む。
 ビリーの目は、ずっとデイジーの顔に注がれたままだもん。視線は一切動かさず、手だけ動くの。
 思わず、引き留めちゃったんだよね。行くな、って。
 台詞はないけど。

「せめて一曲だけ」
 って、強引に抱き寄せて、踊って。
 ……これがまた、泣けてくるくらい、拒絶されまくりだし(笑)。
 嫌がる女を何度も引き戻し、「時よ止まれ」てなせつない情熱で踊る。

 「あなたの写真、好きよ」→「あなたに会いたかったのかもしれない」は、殺し文句だわ……。

 写真でしか「現実」と関われない「自分自身をキライ」な男が、これを言われたらそりゃ墜ちるって。
 魂の共鳴を感じてしまうって……。

 アムロとララァみたいなもんだねえ。
 アムロには「突然」、ララァには「遅すぎた」。
 ララァはもう、シャアを愛している……。

 
 なんにせよ、大好きだったわ、『NAKED CITY』。
 恋愛至上主義以外の物語も大好きなわたしは、とってもたのしめました。

 段上がり席のおかげで、念願の兄貴の死体も見られたし。
 顔が隠れていたなんて、マジ知らなかったって……前方席は舞台と目線が高さ一緒なんだもん。

 
 ところで、前述のBe-Puちゃん。
 夏恒例の伊藤園チケットプレゼントにわたしが応募するつもりでバーコードを集めていると言ったら。
「なんならワタシの住所使ってくれてもいいよ」
 とのこと。
 ありがとう、んじゃ、当たったら一緒に行きましょうね、と言ったのに。

「いらない。チケット全部あげる」
 だそうだ。

 …………ほんっとーに、オサがキライなんだな(笑)。
 
    
 青い仮面を付けた彼が目の前を通るときに、わたしの膝に小さな光が踊っているのに気づいた。
 花びらのような光。
 ちらちらと揺れて、消える。
 なんだろう、と考え、すぐに思い至った。

 照明が彼の仮面に反射しているんだ。

 宙組公演『ファントム』3回目。今日はひとり、いつもの下手端。潔く1列目1番だ。
 いやー、もー、たのしい。たのしいぞ、下手端。なんせ今回、下手せり大活躍だからなー。ファントム様がせり上がったりせり下がったり、オペラ座のみなさんがうようよコーラスしてたり、従者の美青年たちがわらわら立っていたり。ついでに、カルロッタも美声をとどろかせてくれるしな。
 ファントムの青い仮面はじつは超でこぼこ。モザイクのよーに細かい破片を貼り合わせて作ってある。その仮面が、光をはじく。ミラーボールと同じ原理。乱反射する。
 光は客席へ。最前列の客の膝の上へ。
 はかない光の花びらとなって舞い落ちる。

 「宝塚歌劇」の“ファントム”は美しい。
 これは大前提さ。
 他の理屈は全部置いておいて、とにかく美しいから、彼はゆるされてしまうんだ。見ていて泣けるんだ。

 醜い顔を隠す仮面が、光の花びらを揺らすように。

 ビバ・タカラヅカ。
 とこしえに、美しく。
 
 つー話はともかくとして。

 
 今さらって感じだけど、『ファントム』という作品の感想を何回かに分けてたらたら書く。
 
 
 相変わらずわたしは、予備知識ナシで観に行った。
 大昔に四季の『オペラ座の怪人』は観たし、映画も見た。しかしそれらは大して琴線に触れず、印象は薄かった。予備知識に含めるのもなんだかな、ってくらいだ。
 まあ、有名な物語を、一般常識として知っている程度だ。

 それにしたって。

 この宝塚歌劇『ファントム』にはおどろいた。

 オペラ座の怪人・ファントムが美しいにーちゃんで、美貌をさらして歌い踊っていることじゃないよ。それはヅカの範疇だから、おどろくに値しない。

 いちばんおどろいたことは、舞台の安っぽさだ。

 うっわー、びんぼくさー。

 というのが、感想第一声なのだわ、わたし。

 お金ないんだなあ、歌劇団。VISA冠でこれだけ名高い海外ミュージカルを持ってきて、この安っぽさか……よっぽど金に困ってるんだな。
 と、夢から覚める思いだった。

 ベニヤ板に色を塗っただけのセット。着古しつくしたセンスの悪い衣装。
 それらが、みょーに明るい照明のもと、すべてさらされている。

 金がないのは仕方ない。版権もバカ高かったんだろう。
 だが。
 金がないならないで、演出でごまかせたんじゃないか??

 さて、びんぼくさっ、の次に思った感想は、趣味わるっ。……だった。

 舞台における、色彩や造形、あくまでも視覚の範囲の世界観が、とてつもなく悪趣味に思えた。

 制作費のないアニメみたいなセンスだなと思った。
 キャラひとりひとりにてきとーに派手な色のコスチュームを着せて差別化したはいいが、そいつら全員が並ぶと調和も統一感もありゃしない。野放しになった色やデザインが暴力的で、雑然と汚らしく見える。
 あるいは合作のマンガとか。持ち味がちがいすぎてうるさいだけの画面、せっかくのうまい絵も下手に見える、そんなおちつきないマンガみたいな。

 欲しかったのは、統一された世界観。
 視覚だけの話よ。脚本や演出にはまだなにも、触れていない。

 見た目に美しくないことに、ショックを受けたわけだ。

 これがふつーの大劇作品ならとくになにも思わない。よくあるごちゃごちゃした画面だと思ったろう。
 しかしこれは、『ファントム』だ。『オペラ座の怪人』だ。わたしは、統一感のある美しい画面を期待していた。

 そう、『ファントム』のポスターのような。

 宣伝ポスターと同じ美しさを本編に期待するのは、まちがっていないだろう? 別作品のポスターじゃないんだぞ? この作品のポスターなんだぞ?

 言うならば、「耽美」だ。「ゴシックホラー」だ。
 闇と光、グレーとブルーの世界だ。

 ミュージカルだから、元気なシーンやたのしいシーンがあるのは当然だが、それでも統一されたイメージは闇の中で燃える蝋燭の炎だ。
 
 タカラヅカだから原色を使わなければならない?
 黒っぽい画面は重くて嫌われる?

 そんなの言い訳だ。統一したテーマで「美」を創ることはできる。
 たとえば、基調になる色を「黒」と「ゴールド」にするだけで、いくらでもイマジネーションは広がるだろう。耽美で美しい画面を創れるはずだ。
 36色の絵の具を全部使わなければ「手を抜いたと思われる」と信じ切ってる小学生の描いた絵じゃないんだからさー、色があふれていれば「豪華」「タカラヅカらしい」わけじゃないだろう。

 てゆーか。
 ポスターのイメージで舞台を創ったら、あの致命的なびんぼくささを誤魔化せたと思うのよ。
 統一感で、セットの安っぽさを緩和するのよー。原色ぎとぎとより、ダークカラーの方が誤魔化せるからさ。
 同じくらいベニヤ板っぽいのに、オペラ座内より地下墓地の方が美しく見えるようにね。

 そして、わたしが演出家なら、あるいはなにか口を挟める立場なら、シャンデリア落ちは速攻やめさせる。
 いくらなんでもアレはないでしょう(笑)。わかった、お金がないのはもうわかったから、お願い、勘弁して。これ以上台所事情をさらさないで。泣いて頼みたい気持ちになった。

 シャンデリア落ちとどっちが恥ずかしいか、究極の選択だなと思えるのが、母子像のイラスト。

 えー、アレ、素人の絵だよね? プロじゃないよね?
 同人誌とかWEBで趣味の絵を発表している、しろーとさんの描いた絵だよね?
 だってアレ、ホラーだよね? 
 赤ん坊、手と胴体、つながってないよね?


 問題は、なんでそんな素人の絵を、あんなふーに大々的に使うのかってことだ。
 VISAの会長の描いた絵で、多額の融資と引き替えに劇中で使う約束をしたとか、なにか大人の事情があったとしか思えん壊滅的な絵。
 あの赤ん坊は手も足もなくて、見えている手は母親の髪の毛から生えている、がFA?

 とまあ、視覚だけでもこんなにかなしい『ファントム』。
 初日に感想書いたはいいが、あの萌え日記と同時にUPできなかったわけだ……(笑)。

 さて、ある新聞に『ファントム』の裏方事情が載っていた。
 それによると「衣装代の見積もりは1億から1億5000万円」という。これだけ読むと「すげえ」だが、そのあとに「古い衣装をリニューアルして、予算の半分以下に抑える」というオチがつく。
 半分って……。100万が50万になる、のとはわけがチガウ……。
 1億かかってしかるべきものを、5000万で作るのか……。
 しょぼいわけだ。

 なまじ大作だから、よりびんぼくさく見えちゃうんだねえ。
 夢が壊れるから、なんとか踏ん張って、美しくしてほしい。舞台裏ははりぼてだらけでいいんだからさ。

 「宝塚歌劇」の“ファントム”は美しくなくてはならない。彼の顔の傷にリアリティがなくても、それが「タカラヅカ」なんだからいいんだ。
 だから宝塚歌劇よ、美を護り続けてくれ。

     
 バウホールの椅子は、薄い。

 バウホールにしろ大劇場にしろ、さすが宝塚の劇場、夢を損なうことなく居住性のいいきれいな椅子だ。
 でも。
 大劇場に比べて、バウは微妙に薄いんだ。

 それを身をもって知った最初のきっかけは、バウホールで『血と砂』が上演されていたときだ。
 わたしは「我が人生でここまでハマることが他にあるだろうか。いやない。(反語)」ってくらい、ハマりきって劇場に通っていた。何回観に行ったんだっけな。おぼえてないけど、たぶん、自己最高回数。

 その、何回目かの観劇において。

 顰蹙な客がひとりいた。

 その人は、どでかいカメラを持ち込み、周囲を完全無視で撮影しまくっていたんだ。
 舞台の盗撮ではない。
 そのとき客席に「客として」やってきていた某スターを撮っていたんだ。

 彼女はおそらく、舞台になんの興味もなかったんだろう。某スターがバウの客席に現れると前もって知り、写真を撮るためだけにチケットを手に入れた。
 幕が下りる少し前から舞台なんか観もせず、巨大なカメラバッグを開け、音をたてながらカメラの用意をする。そして客電が点くなり撮影。幕間は、ひたすらカメラのチェック。
 2幕の終わりなんか、出演者の挨拶に尻を向けて通路に立ち、立ち去る瞬間の客席の某スターを連射し続ける。

 上演している舞台を撮影しているわけじゃないから、これらの行動はすべて野放しだ。

 しかし。
 わたしは舞台の盗撮以上に、不快だった。

 舞台を観る気がないなら、来るな。
 某スターを撮るためだけに、舞台の邪魔をするな。
 真剣に演じ、それをまた真剣に観劇している他の客全員を愚弄するな。

 違法行為はしていない。だから誰も彼女をとがめない。
 わたしもなにも言う気はない。某スターの名前も出さない。
 彼女にとっての人生の優先順位は、某スターの写真を撮ることで、某スターの出ていない舞台なんざどーでもいいんだろう。上演中も舞台ではなく客席だけを見、時計を何度も確認し、終わりに近づくとカメラを持って通路でスタンバイするのも、常識なんだろうさ。

 某スターは、通路にしゃがんで待ちかまえ、真正面から自分の写真を撮るその女性に一瞥をくれ、さっさと退場していった。

 某スターがいなくなったんだから、それで終わってくれればよかったんだけど。
 その女性は席から動かない。カメラのチェックに忙しいようだ。
 あの、舞台はもう終わったんですが。観客はそれぞれ席を立っているんですが。
 通路際のあなたが動いてくれないと、不便なんですが。

 なにしろ彼女は巨大なカメラバッグを足下に置いているので、前を通ることもできないのさ。
 もちろん、「某スター様」以外の世界が存在しない彼女は、荷物をどけて通路をつくるなんてことはしない。自分の作業に夢中。

 おかげで起こる、交通渋滞。
 わたしたちの列だけ、片方が彼女によってせき止められ、もう片方から通路を目指すしかなくなった。

 彼女の隣の席だったわたしは、当然列の最後尾になる。
 いらいらいら。
 渋滞自体いやなものなのに、そのうえ、この不快な女の隣で列が進むのを待つのはさらに精神衛生上よくない。

 つーことで仕方なくわたしは、座席をまたぎました。

 椅子をまたいで、後ろの列に降り、そのままさっさとホールを出た。渋滞しているのはわたしたちの列だけで、後ろの列はもう人がいなかったもの。

 
 とまあ、書いてるうちにいろいろ思い出してむかついたので(笑)長くなっちゃったけど、結論はバウホールの椅子は、簡単にまたぐことができるということ。

 
 さて。
 このことにわたしは、味を占めた。
 劇場を出る際の交通渋滞、好きじゃないんだわー。ちゃきちゃき歩きたいのよ、大阪人としては。
 だからつい、大劇でもやっちゃったのだわ。

 自分の列の進みが遅く渋滞こいてるのに、後ろの列がすいていた場合。
 座席、またいじゃえ!

 
 宝塚トリビア。
 大劇場の椅子は、バウホールの椅子より、分厚い。

 …………またげなかったの!!
 背もたれを「よいしょ」っとまたいだ状態で、足が反対側に届かなかったのよ!!

 ああ、あの身も凍る一瞬!!

 ふつーに考えて、座席をまたぐなんてことは、はしたない行為です。
 だからやるときは躊躇なく、一瞬で行わなければなりません。周囲の人を蹴飛ばしたりしないよーに、また、椅子に靴を当てて汚したりしないよーに、ひょいっとスマートにまたがなければなりません。
 周囲の人が気づかないくらいの瞬間技でなくては、ならないんですってば。

 なのに。
 足が、届かない。

 わたしは、座席にまたがった姿のまま、固まりました。
 両足は床から浮き、背もたれを股ではさんだ姿のまま。固定。
 わたしの股はゆーてます。

 
「思ってたより、分厚い!!」

 
 ああ。
 バカですかわたしは。バカですがな!!

 まあ、凍りついていたのは一瞬で、あとは必死こいて後ろの通路側へ体重移動してなんとか片脚を床につけ、残った脚を引きずり下ろしたけどな。それほど時間はかかってなかったと思うけどな。

 こうしてわたしは、身をもって知ったのだ。
 バウホールの椅子はまたげる分厚さ。
 しかし、大劇はまたげない。

 
 みなさんも、大劇場の椅子をまたぐときは、気をつけてください。
 バウホールの椅子より、分厚いっすよ! 知らずにまたぐと凍りますよ!!

 
 そして。
 話はバウホールに戻る。

 
 バウの椅子は、薄い。
 わたしはいつも、背もたれに盛大にもたれかかって観劇する。沈み込むよーに坐る。
 この間の花バウ初日もまた、そうやって坐っていた。

 そのわたしの耳に。

 真後ろから、低い呼吸音がずーっと、聞こえていた。

 コーホー、コーホー。
 シュゴーッ、シューッ。
 スー、ハー、スー、ハー。

 真後ろ、しかも耳のすぐ後ろだ!!

 感じるのは、並々ならぬプレッシャー。
 わたしのアタマのすぐ後ろの空間に、誰かの顔がある!! つか、呼吸してる!!
 いや、生きてるんだから呼吸するだろうけど……し、しかしアタマのすぐ後ろは、なにもない空間のはずでしょ? 宝塚の座席は空間に余裕があるんだから。座席にふつうに坐ってたら、前の席の背もたれにくっつくよーな位置に顔は来ないよ!
 よっぽど前のめりになってるってこと? しかし、こんなに椅子と椅子が離れてるのに? ものすげー座高の高い人がカラダをくの字に追ってるってこと??

 疑問が回る。
 それでも振り返れない。だって、気配はわたしの顔のすぐ真後ろなんだよ? 振り返ってそこに目があったら、こわいじゃないかぁぁあ。

 
 結局、休憩時間にこっそり振り返って確認しました。

 わたしの後ろに坐っていたのは、ものすげー体格のいい男性でした。まるい……。

 な、なるほど……。
 あの分厚さならば、椅子にふつーに坐っても、顔が前に押し出されちゃうんだ……。でもって、音のしない呼吸ができないんだ……。

 そして、バウホールの椅子は薄い。
 彼のやたら大きな呼吸音は、リアルに前の席のわたしの耳に届くんだ。

 スーコーッ、スーコーッ。シューッ、シューッ。

 舞台では萌え萌えな世界。耳の後ろにはダースベイダー。
 ちょっとスリリング。

         
 写真の中で、微笑む貴女。貴女の視線は、写真を見ている俺へ注がれて。
 そう、貴女はカメラに向かって微笑んだ。
 カメラに……いいや、カメラを構えている、愛する男へ向かって、微笑んだ。

 写真は、真実を切り取る。

 微笑む女、その微笑みを受け止める男。
 過ぎ去った時間。消えた時間。
 それでも、それはたしかにあった。
 貴女は愛する男に微笑みかけ、男もまた愛する貴女に微笑みかけた。その瞬間が切り取られ、1枚のポートレートになった。

 古い写真の中で、母さん、貴女はたしかに微笑んでいる。
 たしかにあった愛を刻んで、微笑んでいる。

「もう会えないかもしれないだろ」
 そう言ってカメラを向けた俺に、君は泣きながら笑ってみせた。
 君は俺に向かって微笑み、俺はシャッターを切る。
 写真は、真実を切り取る。
 泣きながら笑う君を、たしかに今あるこの瞬間を、閉じこめる。
 言い訳もなく、解説もなく。

 NAKED CITY−−−−ただ、真実だけが、そこにある。

             ☆

「写真集が出たら、送ってね」
 というデイジーの台詞。初日に観たときから、わたしは速攻つっこんでいた。買えよ。

 
 つーことで、観劇2回目の花組バウ『NAKED CITY』
 今年のバウはチケット取りやすくていいよなあ。気に入ったらいくらでもリピートかけられるよろこび。昨年のバウは異常だったよ……遠い目。
 初日を見たあとでチケット探して、前補助が定価以下で手に入るなんて、ありがとうインターネット。
 首が痛くなるから嫌う人も多いんだろうが、わたしは好きだぞ、前補助。理屈はさておき、美しい人たちを間近で見たいから。
 しかし……最後のちはる兄貴はまったく見えないんだな……初日も前方席だったんであまり見えなかったけど、今回はほんっとーに見えなかった……段上がり席でないとラブリー兄貴は見られないのねっ。
 初日を観たあとWHITEちゃんが、「ビリーの撮ったちはる兄貴の写真が欲しい……」とつぶやいてましたが。
 うん。わたしも欲しい。兄貴の死体写真……。床の上に転がるわけだから、段上がり席をGETしないと見えない、ラブリー(まだ見てないから、あくまでも予想)な姿。
 

 ああ……まっつ、かわいいなあ……。
 ガキんちょバーナードだけどさ、いちばん大人っぽい顔をしているのが、ビリーを見つめているときってのは、どういうことですか(笑)。
 例の店でダンス指南を受けたあと、無言でビリーを見つめている顔が、全編通していちばん男らしい顔してるんだよねー。
 そして、すべて片が付いたあと、いろんなことで傷心なビリーのそばに立つバーナード。ここからモーションかけるのか?!と思いきや、デイジー登場で、ヘタレな思いやり深い彼はそのまま引いちゃうし。
 あああそこ、チャンスだったのに! 傷ついているビリーをそのまま持っていっちゃうこともできただろーに! なんでそこで引くかなっ?! きらきらしくソロ歌ってんじゃねーよ、と、見ていてじれったくなりましたが(笑)、あのヘタレ具合がバーナードっちゅー男でしょう。
 ビリーとデイジーが結ばれないのはわかっているし、あの編集長のもとで働いていればビリーとも接点あるし、未来に期待……とゆーか、あのうれしそーなソロを聴いていると、とっても単純に「はじめての恋、恋するって素敵」とかズレたところで舞い上がっている気もしないでもないが……。
 バカ男攻が好きなので、バーナードはわたしの好みど真ん中です。

 
 いや、ホモ以外にも、ちゃんと作品を味わっておりますよ。
 ビリーとデイジーの関係、好きだし。
 いちばんのクライマックスは、ビリーとパパのシーンだと思ってるし。(ほんと、恋愛モノだとは思ってねーなー・笑)
 パパが、昔捨てた息子のために、死をあきらめたのがすごいと思うし。「やりなおせるかな」とか言ってるけど、パパはもう社会的には再起不能だよね。同じ立場になんか二度と戻らない。つーか、生きることは苦痛でしかないと思う。死ぬ方がはるかに楽。
 それでも、息子への愛で、死ぬよりつらい「生きること」を選んだ。それが贖罪でもあったのだと思う。
 パパ役のヒロさん、やっぱうまいよねえ……しみじみ。

 デイジーの弱さやずるさも好きだし。
 てめえの保身のために、一度は愛する男を売った女。それでも未練たらしく男を求め、保身と愛の間で揺れ動いている。
 彼女がウィリアムへ啖呵を切るに至るまでに、ビリーとの出会いが必要だったんだと思うよ。

 ただなー。
 ビリーとデイジーの間に、「一夜」があってくれた方が、わたし的には好みだったんだが……。
 ビリーってば女たらし設定のわりに生真面目なもんだから、せっかく「ヤらせろよ」「いいわ」という会話があったあとでも、ヤらないんだもんっっ。
 いーじゃん、ヤってもー。
 その方がさらにねっとりせつなくなったのになー。
 でもって、ビリーとデイジーの微妙な親密さを嗅ぎ取って、ニコラがちょっくらビリーを嫉妬の目で見てくれたりしたら、さらに萌えるのになー。
 てか、嫉妬するニコラ、見たくないか? すっげーエロいと思うぞっ。
 今のままだとニコラ、ビリーのことただの物好き認定で、恋敵として数えてもくれてないじゃん。
 男たるもの、恋敵に「いいヤツだなお前」と言われるより、嫉妬の炎を燃やされてこそ華でしょう!! ビリーに足りないのはソレだ! このふつーにいい人めっ。ゆみこちゃんだからそう見えてしまうのか??

 あと、ポスターによる先入観は大きいなあと思った。
 ビリー@ゆみことデイジー@あすかちゃんの、ふたりっきりのポスター。このポスターは美しくて大好きだけど、男女ふたりのポスターで恋愛モノ以外をやられると混乱するのだわ。大人っぽい雰囲気だと、さらに。
 このポスターの構図のままで、デイジーの後ろ、右側に半分見える感じでニコラが立っていたり、さらにその後ろに小さくキャシーがいたりすると、わかりやすかったかなあと思う。

 まあ、わたしの脳内では『NAKED CITY2』がすでにできあがりつつあるので、そのポスターでは、ビリーとバーナードのふたりしか写っておりません(笑)。
 ビリーがスクープした写真と、バーナードが追っていた事件がリンクして、ニューヨークを揺るがす大陰謀の存在が明らかに?! ふたりは協力して真実を追うが、なーんとビリーが敵に誘拐されてしまった。ヘタレ男バーナードは仲間たちの助けを借りて、ビリー救出に向かうが……。
 ビリーにはもちろん美女を絡めて、デイジー&ニコラ以外のキャラ総動員で。主役はもちろんビリー。ただし彼の役割は、「ヒロイン」(笑)。かっこいーヒロインが活躍する物語なのよー。ヒーローはあくまでも「ヒロインの相手役」なのよー。
 さんざんすれ違って、脈がなさそうで、でもあちこちにかわいい台詞やシーンがあって、クライマックスではもどかしいラブシーンがあって……あっ、もう文字数がないから、この話は終了(笑)。

       
「緑野さん、ホモに飢えすぎ」

 とのさんに、言われました。

 とのさんは腐女子仲間です。ヅカホモ語りOKな人です。だからわたしも安心して、萌えを語りまくってます。
 なのに。

「花バウ、べつにバーナード×ビリーじゃなかったじゃない」

 えええっ?!

「雪の『スサノオ』だって、どっからアシナヅチ? ありえない」

 えええっ?!

「緑野さんって、これまではわかるところを突いて、それを大きく広げていたけど、最近なにもないところから無理矢理ホモを作ってない?

 えええっ?!

「ホモに飢えすぎだよー。なんでもホモにしすぎー。つか、別のモノ見過ぎ」

 えええっ?!

 そーなんですか?
 あたしだけなの? あたしだけが、別のモノを見ているの?!

「バーナードとかアシナヅチとか言うんだったら、あたしが『ファントム』観て、エリック×フィリップ萌えとか言うのと同じくらい、無理ありまくりだよ」

 とのさんはエリック攻の人です。キャリパパ受。わたしとは意見が対立し、さんざん議論しました(笑)。
 それにしても、エリック×フィリップって……。

「だってクリスティーヌより、フィリップの方が歌うまいじゃん。『ママに似ている』つってフィリップさらってきた方がいいよ。フィリップはオペラ座のパトロンなんだしさ、カラダ漬けにして言うことなんでもきかせるよーにしたら、支配人はキャリエールに戻せるし、エリックの将来も安泰だし、万々歳じゃん

 とのさん……アンタ、悪や。
 カラダ漬けって……(注・ほんとーにこう言いました。目が点)、ちょ、調教しろと……。

「まったく緑野さんたら、自分がハマコファンだからって、ハマコをカップリングに絡めないでよ」

 ちょーっと待ったぁぁああっ。
 聞き捨てならないわ。わたしが、なんですって?

「緑野さん、ハマコとまちかめぐるの大ファンだもんね。そのうち、このふたりでカップリング作るんじゃないの?」

 やーめーてーよー。
 ありえない。ありえないわ〜〜。
 てゆーか、役者が好きだから妄想してんじゃないのよ。役に妄想してんの。アシナヅチ×スサノオなんであって、アシナヅチがハマコであることは無関係なのよ〜〜。もちろん、ハマコのアシナヅチがよかったせいだけどさ〜〜。
 役者でいうなら、水くんに萌え萌えだったけど、アオセトナさまに激ラブしてたけど、彼で腐女子妄想はべつにしなかったもん。ヲトメ心全開で「喜び組に入って、『欲しいモノを言ってごらん♪』に『キャ〜〜っ!!』って言って倒れたいっ!!」つー夢しかなかったもん。

 そんなこと言ったら、『王家に捧ぐ歌』ではわたし、ファラオ×ラダメス(+ケペル×ラダメス)だったんだから。本命様が出ている舞台でも、別カップリングだったわよ。
 役者より、役なんだってば。

「やおいっていうのは、美しいことが前提なのよ。だから緑野さんのは、そもそもやおいじゃないの」

 えええっ?!

「ハマコが絡んでいる段階で、すでにやおいじゃない」

 ひーどーいー(笑)。
 てか、どーしてわたしがハマコファンだって断定するのよ。そりゃハマコ好きだけど! わたしの周囲はハマコ嫌いな人ばっかで肩身狭いけど! それでも好きだって公言してるけど!

「巴里祭、行くんでしょ? ハマコ主役よ?」

 行かないわよ。誰があんな高い金出せるのよ。

「もし、バウや青年館だったら行く?」

 行くっっ!! ハマコ観に行く! ちとせちゃんも出るし!

「やっぱり……」

 そのなまあたたかい目はなに?

「緑野さん、どんどん遠い人になっちゃうね……」

 その笑いと憐れみを浮かべた目はなに?

 
 とのさんとは、ずーっと意見がすれちがったままでした。がっくり。
 でも。
 

 ねーねー、花バウだけどさ、みわっち、マワされてたよね?

「うん。アレはマワされてた」


 −−−−よーやく、意見の一致をみました。
 
         
 さて、宙組新人公演『ファントム』の話。その2。

 昨日書いた感想は「見てはいけなかった話」だったので、今日はふつうに新公全体の感想を書こうかなと。

 2時間半の大作を、1時間半に短縮して上演された、新人公演。
 なにが感心したって、そのまとめ方によ。

 ちゃーんと辻褄合ってるし、ふつうに1本の物語になってる。

 半分近くカットされているはずなのに。

 これがもー、すっきりしててねえ。
 観ていて気持ちよかったのだわ。

 そっか……本公演、無駄なシーンがありまくりだったんだなあ。

 もちろん、あった方がいいのになくなっていたシーンや演出もあったよ。でもそれは、時間が足りないからそうなっているだけで、あと30分あればカットされなかったと思う。
 
 個人的に、真実を知って泣き叫ぶちびエリックに、大人エリックが重なるシーンは必要だと思ったな。
 エリックという青年が、あのかなしい子どものまま、魂が凍りついてしまったんだってことがわかり、彼のあわれさが増すから。
 とにかくエリックはこれでもかってくらい、可哀想さを見せつけてくれなきゃねえ。彼に同情できてなんぼやからな、この話。

 にしても、本公演の演出に不満たらたらな身としては、すっきりした新公演出がとても気持ちよく、こころからたのしめましたのよ。

 おかげで。

 出演者の印象薄っ。

 わたしの神経は演出面にばかり行き、出演者に対してはろくにセンサーが動きませんでした。
 もちろん、みなさん熱演だったし、破綻なく真摯に演じられていて「ああ、新公だねえ」という熱さに満ちていた。
 
 でもソレ、いつもだし。
 新公はいつだって、若者たちの熱意と努力がすばらしく、おばさんの胸を熱くするものなのさ。
 わたしにとってはいつもの新公で、こういっちゃなんだが、それほどものすごいハイレベルなものだとは感じなかった。や、もちろんみんなちゃんとうまかったけど。破綻してなかったけど。

 それより、演出にどきどきしてたしな(笑)。

 だから、カーテンコールが起こったことには、正直おどろいた。ええっ? 新公って毎回カーテンコールすることに決まったの??

 作品の力かなあ……と、思ってしまった。
 駄作だったら、どんなにすばらしい演技をしても、観客は熱狂しないもんなあ。
 あのラストシーンの演出に、わたしはいくらでも拍手を惜しまない。カーテンコールだってするさ。その演出をうわすべりにしない演技をして、応えてくれた出演者のみなさんに。

 ……つーことで、いちばん泣かせてくれたのは、エリック・ママ@和音ちゃんとちびエリック@咲花杏ちゃん。
 彼らが清らかで美しいほどに、涙腺は刺激されるのです。……とくに、和音ちゃんの「天使の歌声」は重要。説得力。

 エリック@七帆くんは、たかちゃんだとなに言ってんのかわからなかった歌詞がはっきりわかって、うれしかった。特別歌がうまい人だとは思ってなかったので、しっかり聴かせてもらえてうれしいおどろき。まあ、ときどきカマしてたけど、ソレはソレ(笑)。
 しかし……ロン毛、似合わないね……。従者のときの地髪の方が二枚目に見える……。
 
 クリスティーヌ@アリスちゃんは、おどろきの歌声。うまいんだー。知らなかった。クリスティーヌ役に関してのかったるい演出がすべてカットされていたので、テンポよくさくさくと歌い、演技してくれるのが、快感。
 可憐で初々しくて、かわいー。
 あと、もう少し太ってくれたら言うことないのになー。ものすげえ痩せてて、頬とか首筋とか、痛々しいくらいだ……。
 
 フィリップ@いりすくん。…………でかっ。
 群衆に埋もれていたトウコちゃんと、ここまでチガウ人をもってこなくても……劇団のいぢわる。
 でかくて明るくて、アメリカンな伯爵らしかったです。ええ。伯爵、というより、伯爵家のぼっちゃん(社会経験ナシ)に見えたのは、ソレはソレで「役」としてアリかと。

 キャリエール@和くん。噂に高い美貌の彼が、よーやくばーんと役ついたなー、と要注目。出てきた瞬間、ヒゲだ!と、ヒゲ・フェチ(ヅカ限定)のわたしの胸は高鳴りました。
 なんつーか……すっげー受々しいキャリエールでした。
 はっ、すみません、腐女子用語で感想を言ってしまって。
 じゅりちゃんのキャリパパは攻だと思いましたが、和くんのキャリパパは受に見えました。いや、どっちにしろデ〜リシャス!(よだれ付き)って感じですが。
 キャリエールのくせに、そんなに美しくていいの??と、ちとうろたえ(笑)。

 カルロッタ@芽映はるかちゃんがいい味出してた。
 てゆーかわたし、しみじみ思ったの。
 どんなに出番が多くても、役の重要度が高くても、若手の娘役さんが体当たりで演じているなら、こんなに見ていてたのしいんだわ……!
 本公演では、カルロッタという役が出てくるだけでげんなりしちゃったんだけどね。どんなにうまくても、適役でも、とにかくげんなりしちゃったの。あくまでもわたしの個人的な感じ方にすぎないんだけど。
 見るのがつらかった役だっただけに、新公ではもー、心が洗われる思いで、彼女を見つめました。ああ、うまいわー、悪役だけどかわいげがあっていいわー、と。

 文字数あまり残ってないから、あとひとりだけ。

 警部@暁郷は……いいんか、アレ?
 なんかものすっげーやりすぎてた気がするんだけど……。
 ああ、なんか知ってるわ、このやりすぎ感……そうよ、ハマコよ!!
 ハマコを見ていて感じる「やりすぎだよー、もっと周囲を見ようよ」を、GOに感じてしまったのだわ。
 若くしての抜擢だから、意気込んじゃう気持ちはわかるけど、もともと持ち味が濃いんだから、突っ走りすぎるとハマコになるよ……?
 といいつつ、GOをやたらオペラグラスで追っていたわたし……あの手の男に弱いの??

 
 それにしても、やっぱ宙組はなにげにでかいんだよねえ……。
 帰り際に友人のとのさんが、
「キャリエールはやっぱでかい人の方がいいよ」
 と言っていた。
 えーと……キャリエール役の和くん、べつに小さくないです。つか、よその組なら長身と言ってもらえる部類なのでは? てか、じゅりちゃんよりでかいはずだし。
 つまり、他の男たちがでかすぎんだよな〜〜。
 宙組の男たちを語るときは、横に煙草の箱でも三角定規でもいいから置いて、大きさが比較できるよーにしておいた方がいいな。

         
 見てはいけないモノを、見てしまった……!!

 宙組新人公演『ファントム』

 見てはいけないモノを見てしまった。
 うろたえ。

 あの肖像画はどうなのよ??

 本役さんと新公役さんで同じ顔だと、肖像画の使い回しができていいわね。だから本公演の肖像画はエリック・ママではなく、もろクリスティーヌの顔に描いてあったんだわ。
 ……そう納得していたのに。

 何故、写真切り貼り?!
 肖像画の顔の部分だけ、わざわざ写真を貼り付けてあるって、なんだそりゃ。

 そんな小細工をする必要があるのか??
 笑わせたいのか? 脱力させたいのか?
 意図がわからん。

 ファントム@七帆くんに「顔を見せて」と愛を歌うクリスティーヌ@アリスちゃん。ああ、美しい歌声、ひろがる慈愛。
 しかし。
 クリスティーヌの後ろには、お笑い肖像画が。

 上手席にいたもんで、クリスティーヌを見ようとすると、どーしても彼女の後ろに肖像画が見えてしまう。

 ……笑わせたいのか? 笑わせたいのか、演出家!! しかもドリフのコント系の笑いだぞ?! 涙。

 
 見てはいけないモノを見てしまった。
 うろたえ。

 路線男役の、鼻水。

 名前は出しません。彼の今後の人生に響くといやだから(笑)。
 しかし、舞台であそこまで本格的な鼻水を見たのははじめてだ……。
 鼻の下に垂れてる程度のなら、何度も見たけど。そんなレベルじゃなかった……。

 そーだよなー、鼻水ってのは、垂れるもんなんだよなー。
 たらーっと、線になって空を切り、床に落ちました。涙ではありません。粘度の高い液体でした。だから長ーくのびて、ゆっくりと落ちた。
 いや、舞台でなくても見るのはじめてだ……地面に落ちるほどの大量の鼻水……。

 そこまで大量に鼻水を床に垂らしながらも、彼は洟をぬぐおうとはしませんでした。そのまま、演技を続けていました。

 鼻血を吹いた顔を観客にさらした、姫川亜弓を見る思いでした……!

 ビバ役者魂!!

 彼を応援しようと、心に誓いました(笑)。

   
 肖像画については演出家を問いつめたいところですが、それ以外の演出はすげーよかったです。
 てゆーか。

 ラストはアレでいいのか??

 おどろいた。
 心底おどろいた。
 やっていいのか、あんなこと。

 ラストシーンが、本公とは別物になってました。

 本公演、というか、『ファントム』という作品について、わたしは言いたいことが山ほどあります(笑)。もー、不満だらけ(笑)。キャリパパ×エリック萌え!!ってことで帳消しにしてたのしんではいますが、作品的には「どうよ?」がありすぎ。
 萌えばかり語って、作品についての感想をまだちゃんと書いてないっすが。(だって花バウに萌えちゃったんだもん……)
 その数多い不満点の最大級の箇所が、ラストシーンでした。

 『エリザベート』じゃないんだからさ……。ファントムとクリスティーヌが寄り添って昇天してくみたいなラストは、どうなのよ。
 死んだ男と、生きている女が、どーして「そしてふたりは天国で結ばれました。めでたしめでたし」みたいな、ヅカでよくあるワンパターン・ラストで終わるの??

 こんなわけわかんねーラストシーン、いらない。

 あの死の瞬間、ファントム・エリックは最高に幸福だった。これ以上のしあわせはないっちゅーぐらい、すばらしい最期だった。
 ……それで終わってくれよ。なんで、せっかくの感動をぶちこわすのよ。

 と、怒りすら感じていたラストシーン。

 それが、新公では別物になっていた。

 ファントム・エリックと、クリスティーヌが抱き合って昇天(?)するのは同じ。
 しかしそのふたりの下に、エリック・ママ@和音ちゃんとちびエリックが!!

 ええっ?!

 あ、あの、そこで母子を出すと、ラストシーンの意味が変わってしまいます。

 エリックとクリスティーヌは男女の恋愛、という本公演の趣旨を、エリックが求めたのは、母の愛という答えに変換してしまいますが??!

 もちろんわたしは、それでいいと思っている。エリックが真に求めていたものは母の愛だと。クリスティーヌを愛し、求めたのも、彼女がママに似ていたから。似てなかったら、どんなに歌がうまくても、興味持ってなかっただろーな、と。
 本公演も、途中まではちゃんとそう描いていたと思う。だから、いちばん盛り上がるシーンが、エリックとキャリエールの銀橋なんだと。男女のラヴシーンより、父と息子の告白シーンなんだと。
 死にゆくエリックを抱きしめたクリスティーヌが、唇ではなく彼の醜い顔にキスをするのだと。
 テーマが恋愛ではないからでしょう? 恋愛以上、といっては語弊があるが、慈愛とかそーゆー部分にまで昇華した愛の姿を見せてくれていたでしょう?

 だからこそ、ラストシーンの脈絡ない「男女の恋愛」めいた演出が、不快だった。
 作品のテーマから思い切り逸れてるやん。今までやって来たこと、積み上げてきたもの、全部自分たちでぶちこわしてるやん。
 観客をバカにしている? 「王子様はお姫様と結ばれました、めでたしめでたし」以外の内容を理解できないと思っている? だから、どんなにまちがっていても脈絡なくても、「とりあえず主役とヒロインくっつけとけや。客はソレで満足するからな(鼻ほじり)」ってか?

 これだけ意味なくても、無理矢理「王子様はお姫様と結ばれました、めでたしめでたし」で終わっていたこの作品が。

 正しいラストシーンになっていた。

 微笑む美しい母。彼女に抱きしめられて、微笑む少年。その頬に醜い痣はなく、母がその愛ゆえに信じていた通りの、美しい顔。

 愛が、そこにあった。

 愛する父の手で望みを叶えられ、母に似た愛する少女の腕の中で息絶える、最高のしあわせのなかにいるエリック。
 そのシーンをも超えた幸福を、みせてくれた。

 新公って、ここまでやっていいもんなの? テーマまで変えていいのー?
 うれしかった。
 見たかった物語を、見ることができた。
 気持ちよく、盛大に泣いた。

 
 ああ、それにしても。
 こんなすばらしいラストシーンを観てしまったら、本公の嘘っぱちラストシーンを観られないよ……。ただでさえ嫌なシーンだったのに。

 
 見てはいけないモノを、見てしまった……!!

         
 まだつづいているぞ、花バウ『NAKED CITY』感想その3。
 
 わたしはこの作品が好き。

 
 どこぞのショー? って感じの素敵なオープニングが終わるなり、

 五峰亜季おねーさまが独唱かますのに、椅子から落ちそーなくらい、おどろいたけどな。

 歌わせるか……天下のまゆみねーさんに。ああおどろいた。
 長くヅカを観ていますが、まゆみねーさんのちゃんとしたソロを聴くのは『風と共に去りぬ』のベル・ワトリング以来だよ……。
 ああ、なつかしいタータン・スカーレット。そしてなつかしいまゆみベル。
 美しくも迫力のベル・ワトリングが、おなじみのソロを歌い出した瞬間、10年にもわたる謎が解けたっけ。

 何故、五峰亜季が歌わないのか。

 歌わせちゃいかんからだ。

 いや、キュートにコケティッシュに踊りながらの歌だから、ベルのよーに両足を上げて椅子から転げ落ちるよーなショックはなかったですが。
 にしてもびっくりだ。
 歌うまゆみねーさんか……長生きはするもんだ……あまりにめずらしいモノを見たので、拝んでしまいそうになったよ。

 
 いろんなところで、いろーんなことにツボを押されてひとり客席で悶えているわたしの横で、相棒のWHITEちゃんは冷静に、ちはる兄貴にだけオペラグラスを使っていた。
 あの、WHITEちゃん。わたしらのこの席で、オペラグラスは必要ないと思いますが。わたしは現に、持ってきてないんですが。
「なにを言ってるのよ。ちはる兄貴を見るんだから!!」
 と、それでもWHITEちゃんは兄貴仕様の視界を譲りませんでした(笑)。

 
 それにしても、ゆみこちゃんはかっこいい……。
 まっつ、かわいー。
 みわっち美しー。そいからエロい〜(笑)。
 ちはる兄貴、エロい〜(笑)。
 さおたさん、黒尽くめで踊っているときのかっこよさと、眼鏡っこのときのかわいさは、ほとんど犯罪〜〜、ふにゃふにゃ〜〜。
 あすかちゃん、うまいー、きれー。
 きほちゃん、かわいー。でも夜の店で働いてる女に見えない〜。

 キャラ萌えだけでもたのしいよー。

 
 帰宅するなり、チケット掲示板に行きました……(笑)。
 よーし、もう1回観に行っちゃうぞーっ。
 そんでもって、バーナード×ビリーに萌えるんだーい。

 
 じつはこの日、午前中は『ファントム』観てたんですが……感動の3列目サブセン、銀橋で泣き笑いするエリック@たかこが目の前で、萌え萌えだったんですが。

 ……まさか、バウでここまで骨抜きになってしまうとわっ。
 わたしまだ、『ファントム』の感想書いてないのに。萌え語りしかしてないのに。

 ああ、心は花バウ……(笑)。

 しかし、午前午後と芝居観て、どっちも身悶えるくらい萌え作品ての、どうよソレ。
 こんなオイシイことがあっていいの??

 カラダが保ちません……。

         

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