星東宝チケット取れなかったよ、玉砕メールばかりが次々舞い込むよ、いったいチケットってのはどこにあるんだ、お星様のバカ☆

 とゆーことで、安禄山×玄宗、ラヴラヴ話行きまーす。
 アホ話でもしてなきゃ、やってらんねーよ。

 
 玄宗ってほんと、チョロい男だよな。

 安禄山はわかりやすくいやらしい男で、顔に大きく「すけべ男」と書いてある。
 言ってること、嘘ばっか! 口ではおべっか言って、腹の中では反対のことを考えている。そーゆー「いやらしい男」。

 なのに、この安禄山の実にうさんくさいおべっかに、玄宗ってばいちいち目尻下げてんのよ!
 うれしそーに、愛しそーに、安禄山を見ているのよ。

 安禄山はべつに、楊貴妃のことなんてなんとも思ってない。
 楊貴妃を褒めると、玄宗がよろこぶから、褒めている。

 安禄山はあんな顔だけの女、興味ないでしょう。道具としか見ていないでしょう。
 最初に玄宗@暴れん坊皇帝が、寿王から玉環(楊貴妃)をかっさらって行ったとき、安禄山は黒い笑いを浮かべているよ。あー、たくらんでるたくらんでる、なにかろくでもないことを! てな顔。
 だってもともと、安禄山が玉環のことを玄宗に教えたわけだもんねえ。たくらんでるよねえ。
 そっからあとは、ひたすら楊貴妃を褒めまくる。嘘くさいフレンドリーな笑顔。
 それはひとえに、玄宗ヨイショが目的。
 現に彼は、玄宗のいるときしか、楊貴妃を褒めない。唯一楊貴妃とふたりっきりになったときは、侮蔑の眼で襲いかかるという徹底ぶり。

 玄宗はいつも安禄山にはあまえた口調で話すけど、とくに「ヲイヲイ」と思うのは、安禄山のもっとも見え透いたお世辞に対しての、玄宗のとろけっぷり。

「お妃様はワタシにとりまして、母親同然でございますから!」

 どっから母親っ?! アンタいくつよ、楊貴妃はいくつよ?!
 という、観客の総ツッコミをさらりとかわして、安禄山はしたり顔。

 玄宗、よろこんでんぢゃねーよ。

 そうなのよ、ここで皇帝陛下ってば、とってもとってもたのしそうで、うれしそうなのよ。

 だってさ、「楊貴妃を母と呼ぶ」ってことはさ。それはつまり、玄宗を父のように思っている。ということでしょ?
 最大級の愛と尊敬の言葉なわけよ。
 それを安禄山は、ライバル@清らか青年・皇甫惟明の心からの言葉の尻馬に乗って、しれっと言っちゃうのよ。
 あわれ皇甫惟明の誠実な言葉は、安禄山のスタンドプレイに踏みにじられたさ。ま、惟明くんはそーゆー汚い宮廷陰謀劇とは無縁そうな男の子だから、ぜんぜんわかってない風で、楊貴妃LOVEしてたけど(しあわせな男だ)。

 お気に入りの部下に、「あなたを愛しています」と堂々と言われ、ご機嫌な皇帝陛下。
 チョロい……チョロいわ、玄宗……。
 安禄山からしてみれば、ほんとにいつでも手折ることが出来たんじゃないか?

 しかも、そのあとがまた愉快。

 宰相・李林甫に「さあ、仕事の時間ですよ」と言われ、玄宗ってばふくれちゃうのさ。

 安禄山と会うのは、仕事じゃないんだ。

 安禄山が歌をうたう鳥を持ってきたときも、そう。安禄山が皇帝の謁見の間に入ってくるのは、仕事じゃないの。玄宗にとっては、プライベートなのよ。
 だから毎回、安禄山と会ったあとに李林甫に「仕事です」と言われ、ふくれるのね。

 そうか玄宗、そんなに安禄山が好きか……。

 おべっか安禄山が、「ワタシが興を添えましょう」とか言って、赤い布きれ持って踊ってみせたときもさ。
 玄宗、ほんとに安禄山見てるし……。他にいくらでもプロのダンサーたちが、若くてきれーな子たちが踊っているのに、玄宗が見ているのは安禄山。
 安禄山がくるくるこちょこちょ回っているところ、玄宗を見てあげて。愛のこもったやさしい目が、安禄山の姿を追いかけて左右に動いているから。

 
 玄宗はとにかく浅慮な男なので、「愛=女に対して」としかのーみそが働いていない。
 いや君、十分安禄山のこと好きだって。めためたに惚れてるって。
 肩を叩いて教えてあげたい。

 楊貴妃を愛しているのは事実だけど、その反面、安禄山にも惚れてるって。
 だけどバカだから気づかないのね……。

 そして安禄山は、もちろん全部気づいている。
 玄宗が自分にめろめろなのも、ちゃーんとわかっている。
 わかったうえで、てきとーに遊んでいる。楊貴妃だけに惚れていると思わせておいた方が楽だから、あえてそうさせている。
 なんて「いやらしい男」、安禄山(笑)。

 
 続く

        
 続きなんで、ひとつ前から読んでくださいな。

 『ドルチェ・ヴィータ!』ぶちこわしにしているのは、ケロじゃないかと思うんだ。

 エピローグでディアボロが、新たに欲する男。
 てのが、よりによってケロなんだわ。

 男S@ワタルは、ディアボロに選ばれ、無限のメビウス・リングに堕ちていったってのに、彼にはディアボロが見えていない。
 ディアボロは異邦人のまま。
 男Sはディアボロの存在も気持ちも知らず、かなしく不幸に「別れと喪失」を繰り返し続けている。自分が果てのないメビウスの輪の中にいることすら、気づいていない。

 なのに、男@ケロときたら。

「海の底だろーがどんと来い! 行ってやろうじゃないか、この世に未練なんかないっつーの!」
 と、高々と晴れやかに、しゃがれ声で歌ってますがな。

 そして、ディアボロの手を握るし。

 えっと、ディアボロは誰にも見えなかったんだよね? 彼は彼の意志で自在に存在を消したり現れたりしていたけど、ちゃんと向き合って、なにもかも納得した上で手を取り合うなんてことは、なかったよね?
 男@ケロは、ディアボロがなんであるかわかったうえで、手を取っているよね?

 まあ、新しい男がそーゆー力強いタイプだというのも、アリだろう。男Sとの差別化という意味で。

 しかしいちばんの問題は。

 男@ケロ、めちゃくちゃうれしそーなんですけどっ?!

 ディアボロと一緒に行くのが、そんなにうれしいかっ。
 この世を捨て、恋人(だよね?)@ちかちゃんを捨て、ディアボロ@トウコと海の底へ行くのがそんなにうれしいかっ。

 ディアボロと男の握手のあと、銀橋で踊るのは、まだ物語の中でしょう? トウコちゃんはちゃーんと「ディアボロ」の顔のまま踊ってるよ。他の男たちもにこりともせずに、物語重視で踊っているよ。
 だって、メビウスの輪の中なんだから。ディアボロの孤独は続くんだから。別れと喪失の物語は続くんだから。

 ああ、なのに。
 なのになのになのに。

 ストーリーをぶちこわしにして、ケロが笑う。
 にこにこにこにこ、うれしそーに、物語を離れ役を離れ、「素のケロちゃん」になって踊っている。
 別れ際に、トウコに親しげなサインを送ったりする。

 ケロ…………。

 ストーリー、ぶちこわしやがな。
 ディアボロの新しい獲物であるアンタが、そんなにうれしそーに前向きだと、話が変わって来ちゃうでしょお?

 ああもお、好きだわケロちゃん!!(笑)

 去年の『巖流』で、小次郎@トウコは役になりきってクールに踊っていたのに、武蔵@ケロはにこにこにこにこうれしそーに笑いまくっていたのを思い出す。
 アンタはそーゆー人だ。愛を隠さない男、愛にあふれた男(笑)。

 別れと喪失の物語。
 回り続けるメビウスの輪。
 永遠に孤独な、かなしいディアボロ。

 なのになのになのに。

 ハッピーエンドじゃん!!(笑)

 よかったね、ディアボロ。
 あなたもう、ひとりじゃないよ。
 あなたを悪魔と知りつつも、あなたの手を握り、あなたの横でうれしそうに笑う男がいるよ。
 なにもかも捨ててあなたのそばにいることを選んだ男がいるよ。
 しあわせそうに、笑っているよ。

 オギー・ショーとしては、ぶちこわしだと思うんだけど。
 こんなオチじゃなかったと思うんだけど。

 
 でも、いいじゃん、ハッピーエンドで!

 もう愛を失う物語を繰り返さないですむよ。
 「相手のため」とか偽善こいて愛を捨てる言い訳を、しないでいいよ。
 手を取ったんだから。
 男は、それをのぞんだんだから。
 ハッピーエンドだ。
 あなたのそばには、愛にあふれた、愛を隠さない男がいるよ。
 長い孤独だったね。
 でももう、いいんだ。
 しあわせになりなよ。

 
 こみあがってくる笑いをかみ殺しながら、思ったよ。泣きながら、それでも笑ったさ。
 せっかくの美しくかなしい物語を、ケロがそのケロらしさで、あったりまえにトウコだけしあわせにしちゃうのが、もー、ツボ直撃で。
 ワタさんとか他のキャラはメビウスの輪の中に置き去りだー。でもディアボロだけはとりあえず、ケロが愛の力ですくい上げたぞ(笑)。

 作品的には、許されないことかもしれないが。
 ディアボロをしあわせにしたいから、男@ケロはあれでヨシ! と思ってしまうのだ(笑)。

 もちろんケロも、全開で笑っているときとそうでないときがあるよ。ちゃんとシリアス・テイストで踊っているときもある。
 物語が正しく終息するのも、まさかのどんでん返しでハッピーエンドになるのも、どちらもヨシ!(笑)

 男@ケロが銀橋で愛にあふれた目で見るもんだから、ディアボロ@トウコはこまったよーな複雑そーな顔をする。ディアボロとしては、「こいつ選んだの、マチガイだったかも……」てなもん? まさかこんなに簡単に、「ディアボロLOVE」になるなんて思わずに口説いただろ?
 ディアボロと男の新生活を考えると、愉快じゃないか。
 愛されることに慣れていないディアボロは、きっと何年も何十年も、とまどったままだぞ(笑)。どう接していいかわからずに、突き放してみたり他の人間に浮気してみたり、いろいろするんだ(笑)。
 それでも男は変わらない。何年、何十年、ディアボロを愛し続けるさ。うれしそうに、しあわせそうに。
 ディアボロの孤独が癒えるまで。
 そうさ、永遠に。

 ファンタジーじゃないか。
 夢じゃないか。
 それこそ、痛くてかなしい、大人の童話じゃないか。
 甘い毒、『ドルチェ・ヴィータ!』さ。

     
 オギー・ショー『ドルチェ・ヴィータ!』ぶちこわしにしているのは、ケロじゃないかと思うんだ。

 『ドルチェ・ヴィータ!』は、加工された宝石のようにいろんな角度からたのしめる作品だ。
 登場人物のひとりひとり、あるいはシーンのひとつひとつを取っても、別の物語が紡げるだろう。

 そのなかでディアボロ@トウコを中心に考えた場合が、たぶんいちばん手っ取り早く「ひとつの物語」として見えてくると思う。
 もちろん、その「ひとつの物語」だって、観る人の感性でいくらでもちがったものになるだろうから、これはあくまでもわたし限定の話ね。

 ディアボロはたしかに、トウコのための役であり、正しくあて書きだと思う。

 トウコという人が切ないのは、彼女がとても「強い人」だと思えることだ。

 同じだけ傷ついても、倒れて起きあがれなくなる人と、黙って立っていられる人がいる。
 倒れてしまう人の方がより痛かったわけじゃない。耐えられなかったってだけ。
「だってあの人は平気で立ってるじゃん。きっと大して痛くなかったのよ」
 ってのとは、チガウ。
 痛みは、同じ。
 他の人なら倒れてしまうほどの傷を受けても、それでも立ち続ける人は、強い人だ。だけど強いからって、痛くないわけじゃないんだよ。

 それが、せつない。
 倒れて泣いている人と同じだけ痛かったのに、それでも立ち続けている……いっそ強くない方が同情を受けられるし、楽に生きていけるだろうに。
 強さが、せつない。
 傷だらけなのがわかるのに、それでも立ち続ける強さが愛しい。

 はかないのは、可哀想なのは、弱い者だけじゃないよ。
 強い者も、はかないさ。
 その強さゆえにな。

 ディアボロっちゅーのは、そーゆーキャラだ。

 繰り返される別れ喪失の物語の外側にいる者。
 「言葉」「歌」によって「物語」をわかりやすくわたしたちに伝える。

 ディアボロは、異邦人である。
 物語の水先案内人だったり解説者だったりしながら、つかず離れず「世界」に関わっているが、彼はあきらかに「そこにいない者」だ。
 ふつーの人間に、「見えていない者」だ。
 導いたり操ったり、あるいは小悪魔水兵さんになってチャチャ入れをしていたりもするが、本来彼は「世界のよそ者」である。

 人間たちが愛したりよろこんだり、苦しんだり悲しんだりしている、外側にいる。
 「生活」の外側にいる。

 彼が繰り返し歌う「失った愛」が彼自身の物語なのか、あるいは人間たち(もしくは「世界」)の思いを代弁しているのかは、見ている者の想像に託されているが、なにはともあれ、彼が「異邦人」であることはまちがいない。

 『ドルチェ・ヴィータ!』のせつなさのひとつは、ディアボロにある。
 彼は孤独だ。
 彼はひとりだ。
 彼だけが、「世界」に属していない。

 わたしたちが生きているこの世界を、見下ろしている青年のことを想像すればいい。
 彼はわたしたちの世界を眺めている。
 この漆黒の大宇宙で、ひとりぼっちで、わたしたちの地球を見つめている。
 地球儀を回して遊ぶみたいに、時折手を伸ばしたりもしている。
 でも彼は、わたしたちのもとへは来られない。一緒に生活することは出来ない。共に時間を重ね、共に老い、死ぬことも出来ない。
 ちっぽけなわたしたちを嘲笑ったり憎んだりもする。
 だけどそれすら、わたしたちには届かない。
 憧憬し、愛したとしても、それはわたしたちには一切届かない。誰にも届かない。

 ドルチェ・ヴィータに魅せられた男が海に漂ったとしても。
 出会いと別れ、愛と罪を繰り返したとしても。
 その場面ごとに必ずディアボロがいたとしても。
 
 彼は、ひとりだ。
 ひとりぼっちで、わたしたちの世界を見つめている。

 「外側」にいるかなしさ。
 「異邦人」である痛さ。

 どれだけかなしく、傷ついていても、それでも立ち続けているその強さ。
 それがせつない。

 
 『ドルチェ・ヴィータ!』は、メビウスの輪のよーな作品だ。
 はじまりと終わりの境目がなく、時間軸も自在に変化している。
 それはディアボロにもいえる。
 彼は終始一貫ひとりだし孤独だし、誰を求めようとなにを託そうと結局まわりまわって同じところにたどりつく。
 繰り返される「別れ」と「喪失」。

 プロローグとエピローグは、わざと同じモチーフを使っているよね。
 プロローグでディアボロは男S@ワタさんに出会い、彼をターゲットに決める。以来、男Sは「別れと喪失のメビウス」に足を踏み入れ、えんえん同じテーマの出来事を繰り返すことになる。
 そして、エピローグ。男Sにいい加減飽きたのか、手を離してもあの男は永遠にメビウス・リングの中だからと安心したのか、ディアボロは別の男を新たに欲する。
 ここで想像できるのは、その新しい男も、男Sと同じ道をたどるだろうということ。男がなにをどうしても、ディアボロの孤独は癒えない。ディアボロが異邦人である事実は変わらない。彼が求めるものは、「失った愛」だろうと「孤独を癒す者」だろうと、きっとなにも手に入らないんだろうな、と。
 こうしてメビウスの輪は続く。

 ……とゆーのが、ディアボロの『ドルチェ・ヴィータ!』という話だと思うんだわ。
 ディアボロにしろ他のキャラたちにしろ、みーんな不幸なまま。愛を求め、宿命に翻弄される。
 しかし、不幸だからって彼らの人生や世界が全否定されているわけでなく、ものがなしくも美しい物語は、ある意味「癒し」や「希望」も秘めている、というややこしさ(笑)。

 まあそれが、『ドルチェ・ヴィータ!』だろうと、わたしは思う。

 
 なんだけど。
 この『ドルチェ・ヴィータ!』という物語をぶちこわしにしているのが、ケロじゃないかと思うんだ(笑)。
 
 続く

     
 ショックなことが。

 今日、某ホテルから、某ディナーショーの予約確認+代金振込依頼のハガキが届いたのだわ。今さら某某言ってもバレバレだとは思うが、某ディナーショーな。

 そこに記載されている申し込み内容が、ちがったのだわ……。

 ガクガクブルブルしながらホテルに問い合わせたよ。

「わたしは日曜日と月曜日の2回分申し込んだんですけど。ハガキには1回分しか記載されていません。どういうことですか?」

 お待ち下さい、のあとに、帰ってきた言葉は。

「緑野様は日曜日と月曜日2回の、3回ご予約されています」

 3回? ってソレ、フルエントリー?? それはそれでうれしい気もするが、ごめん、それはちょっと。時間も金もないってばよ。

「月曜日は1回です。合計2回分予約したハズなんですが」

 またしてもお待ち下さい。
 のあとに、よーやく。

「失礼しました、緑野様は日曜1回と月曜1回の、合計2回のご予約ですね」

 ほんとか? ほんとにちゃんと予約できてたのか? 向こうの言うことがころころ変わるあたり、あやしい。
 ほんとは手続きミスで予約入ってなくて、わたしのこの電話であわてて手続きしたんじゃないか?
 発売日、けっこー早く電話つながったんだけど? 向こうのミスで一番最後の予約扱いになってたらグレるぞーっ。

「ちゃんと予約はできています。記載されていない分の請求ハガキは、別に届くはずです」
「いつもこうなんですか? 2回申し込んだら、2枚ハガキが届くんですか? 2回分記載できる欄がハガキにわざわざ印刷してあるにもかかわらず? そして手数料も2倍払うんですか?」
「いえ、そんなことはないんですが……ディナーショーはみなさま1回だけ申し込まれるのが通常なのでこんなことになったんだと思います。お手数をかけて申し訳ありません」

 オレか?!
 ディナーショーにひとりで2回も行こうとした、オレが悪いのかっ?!(涙)

 
 さて、ほんとのとこ、どうだったんだろうなあ。
 ちゃんと予約できてたのかなあ。今日になってあわてて予約したことになったのかなあ。
 レストランでも、オーダー通すの忘れていても「間もなくお持ちします」って言うもんなあ、その瞬間からあわてて作るとしても。
 すっごい席悪かったら、まちがいなく「忘れられていた」ってことになるなー。電話つながったのは開始から数分だったわけだから。

 結果はまた報告しますわ。今後の某ホテルのディナーショー対策のためにも。

        
 ワタルファン的に、ワタル×ケロはOKなのか……。

 ワタさんファンのモリナカ姉と一緒に観劇だったんだが、彼女はショーを見終わってから大興奮。

「ワタルくん、ケロちゃんにキスしようとしてなかった? してましたよね?! いったいなにごとなのっ?! と思ってたら、そのあと銀橋で、ワタルくんケロちゃんのこと腰抱いてお持ち帰りしちゃうし!! あんなのはじめて見た! いいの? いつからやってるんですか、あんなこと?」

 え、えーと、モリナカさん?
 モリナねーさんはクールビューティ、いつもテンションの低い人なんですが。
 すっげー興奮してる……てゆーか、こわれてる??(笑)

 彼女が語っているのは、前にわたしが日記で「ホモの恋」と書いた、セレブ男@ワタさんと航海士@ケロのことです。
 銀橋を渡ってきたセレブ男から、航海士がコートと帽子を受け取る。その後は船上のシーンあれこれ。水兵さんのロケットがあったりな。それから中詰めでみんなそろって明るく元気に「フニクリ・フニクラ」を歌ったあと銀橋で雷が鳴り暗転、嵐となるシーン。
 その銀橋で雷が鳴るとき、最初ワタルくんは檀ちゃんの手を取ってふたりで上手にはけて行っていた。夫婦だから当然ですな。でもすぐに、そこにケロも加わって3人ではけて行くようになった。銀橋の並び通り、右からワタル、檀、ケロの順に手をつないで走る。
 それが、途中から、おかしくなった。
 毎回確実ではないが、ワタさんは嫁の檀ちゃんをスルーして、その隣にいるケロの手を取ってふたりで走り去るんだ。

 今回の「セレブ男と航海士さん」は、雷を怖がってしゃがみこんだ航海士を、セレブ男がやさしく腰に手を回して立ち上がらせ、そのまま一緒に走り去ったの。
 あわれ、存在を忘れられたセレブ女は、「待ってぇ〜〜」と旦那を追いかけていく。

 たしかに萌えな光景だったさ!!
 『長い春の果てに』だっけかのクロード×ジャンを彷彿とさせる萌えなシーンだったよ。
 体格のいいワタさんが、小柄なケロの細い腰を片手でひょいと抱き寄せちゃうさまを見るのは、快感ですとも!
 そうやって腰抱いたまま退場してくれるのも、すばらしいですよ。

 しかし。
 それをお持ち帰りと表現しますか、モリナねーさん。

 モリナカ姉はワタルファンなので、基本的にワタルくんしか見ていません。
 ワタさんをオペラグラスでずっと追っている彼女の目には、下手花道でセレブ男が帽子を取るシーンで、セレブ男が航海士にキスを迫ったように見えたそうです。

 アレはそーゆーシーンだったのか?
 ケロ中心で見ていたわたしには、ワタさんが顔を突き出してきて、ケロちゃんがびびっているよーに見えたんだが。
 あれはキスだったのか……。

「わたしが前に見たときは、あんなことやってませんでしたよ。ああ、それならまた観に来なくちゃ。ワタルくんとケロちゃん見に!」

 大喜びしてますがな、ねーさん。
 いいの? モリナねーさんは腐女子じゃないし、萌えを語るわたしのことをいつもなまあたたかい目で見て「緑野さんって、ほんとうに変わった人ね」って言ってたじゃないですか。なまじねーさんはクールな美人さんだから、すげーきついひとことなんですけどソレ。てな、そんな人だったのに。

 ワタル×ケロは、いいんだ……。

 観劇回数を増やす理由になるんだ……。

 
 いや、わたしはうれしいですが。
 ワタさんとケロちゃんが仲良しなのも、それをワタルファンによろこんでもらえるのも。

 
 その夜、Be-Puちゃんからひさしぶりに電話がかかってきた。
「緑野さん、モリナねーさんになにがあったの……? こわれてたよ、あの人……」
 わははは、君にまで波及しましたか。

 こわれているモリナさんはすげーかわいいぞ。
 なまじ普段がクールビューティだからなー(笑)。

 
 みんなをしあわせにするワタ×ケロ! ってことで(笑)。

      
 台風のおかげで予定がつぶれて、しょぼんな緑野です……。この盛大な雨・風の中、張り切って買い物に出かけたのに……。

 ヒマになってしまったので、新公の感想の続きでも書きましょう!

 新人公演『花舞う長安』

 役的に本役とずいぶんちがったのが、楊貴妃@うめちゃんと安禄山@みらんくんでした。

 楊貴妃はね……仕方ないっちゅーかね……。
 もともとこの作品は、檀ちゃんの存在におんぶに抱っこ、まずはじめに檀れいありき、で他はなにもないくらい、檀ちゃんあて書きだったので、檀ちゃん以外が演じるのはハンデありまくり。
 うめちゃんは健闘してました。
 最初の出会いのとこなんて、「気、強っ!」とびっくりした。ちっともしなしなしてない。等身大のふつーの女の子、って感じ。
 伝説の美女、傾国の美女にはまったく見えなかったが……どんなに地位が上がり、皇帝の寵愛を受けても「場違い」な感じが見えている、そーゆー女の子でした。
 玄宗の愛を欲しがるのも、なにしろ「場違いな立場にいる庶民の女の子」だから、彼の愛がなくなったら最後だもんな、という悲壮感がありましたわ。

 
 そして、役の色がまったくちがったために作品のカラーまで変えてしまったのが、安禄山@みらんくん。

 ははははは。
 個人的に、すごいウケました。

 つーかさ、本役の安禄山@トウコ、エロ過ぎ!!
 トウコがエロくやりすぎてるから、作品のカラーが変化しているのね。
 たぶん、みらんくんの安禄山の方が、作品的には正しいと思うの。

 みらくんの安禄山は、正しく敵役でした。

 有能で豪傑で、野心家。
 ある意味素直で、まっすぐな男。
 少年マンガのライバルキャラみたい。

 トウコがひねくれまくっていて、いつもなにかたくらんでいて、台詞ひとつ言うんでも「うわ、腹の中ではチガウこと考えてやがるな」ってのがあるのに、みらんくんはストレートに「台詞通りのことを考えているんだな」とわかる。
 皇甫惟明@しゅんくんとやりあうとことか、ほんとにストレート。
 楊貴妃を襲うところだって、ちゃんと楊貴妃本人を欲しがっていることがわかった。楊貴妃に罵倒されて激怒したりな。

 ああ、正しい敵役だわ……。
 必要以上にねちこくないし、ずるがしこくもない。玄宗との距離感がふつうに「皇帝と武将」になっている。
 「武」の男だから、豪快に感情を表現し、また、戦う。勝利を確信した銀橋で哄笑する。
 かっこいい……。

 
 安禄山が豪傑なので、それに対する玄宗もまた、男ぶりがあがっている。
 本公演の「うわ、安禄山に丸め込まれてるよ、手のひらの上で転がされてるよ。情けねー男だなー」という皇帝ではなく、ふつーに「皇帝陛下」だった。
 安禄山がねちねちとなにかたくらんでいる感を出さないと、ストレートに豪快に接していると、玄宗もさっぱりした男に見えるのね。

 楊貴妃@うめちゃんが「ふつーの女の子@うっかり美人に生まれちゃって大変!」なのと、安禄山@みらんくんが「俺は英雄@世界を正しくするぜ!」なので、彼らにはさまれた玄宗@れおんくんは、本役のワタルくんとなにも変わらない役作りとキャラ感だったにもかかわらず、本役より男前に見えました(笑)。
 本役はなー、あきらかにダメダメ男だからなー(そこが愉快なんだが・笑)。

 安禄山がチガウだけで、玄宗がちがって見え、それゆえ作品のカラーが変わって見えた。
 かっこいい立ち回りも含め、エンタメ感が増していた。

 この玄宗と安禄山なら、ちがった意味で萌えられそうだわ。だってこの安禄山、受だし(笑)。楊貴妃を襲うところも力任せでちっともエロくないし。

 
 萌えといえば、楊国忠@ゆかりちゃん。
 美しすぎ。
 やばいです、この子(笑)。
 最初からもちろんきれいなんだけど、立ち回りのときの総髪姿。

 出てくるなり、舞台の色が変わった。

 アンタが美しくても意味はないだろう? なんでそう、無駄に美しいの?(笑)
 楊国忠としての演技がどうだったとか、どんなキャラだったとかは、ごめん、さっぱりわかりません。ただただ、いつもとにかく、美しかった。
 美貌だけで世界征服できそうだ……。楊貴妃より美しくてどうするんだ、楊国忠。傾国の美女はアンタなんじゃないの?

 楊国忠の無駄な美貌と色気に、大ウケしました。おもしろい。おもしろいぞ、新公!

 
 皇甫惟明@しゅんくんは、意外にも「武将」でした。本役のまとぶんが「貴族」って感じなのに、けっこー気の荒そうな押しの強い男だった。
 安禄山もストレートな男だし、おいおいお前らふたり、皇帝の前で本気で怒鳴り合うなよ、って感じ。
 だからこそ、楊貴妃を相手にしたときの「優男喋り」と違和感あったけどな(笑)。
 堂々とした、たのしみな若者。

 
 そして、いちばん感心したのが、梅妃@みなみちゃん。
 匂い立つ気品。
 うわ、姫だ。
 貴族の姫君なんだわ、この人。
 一流の家系に生まれ、一流の教育を受けてここにいる本物の姫君なんだわ。
 とゆーのが、すげーわかった。
 高慢な物言いも納得。だって本物のお姫様だもん。ぽっと出のなりあがり娘なんか、見下して当然でしょうよ。また楊貴妃@うめちゃんが、すげー庶民くさかったもんで余計に対比がくっきりしていた。
 
 「楊貴妃のライバル」としての梅妃像にも感心していたというのに。
 すごかったのは、そこに「玄宗への愛」が見えたこと。

 梅妃って、玄宗のこと愛してたんだ!!
 知らなかった!

 皇帝だから寵愛を求めていたわけじゃないんだ。権力が欲しいだけじゃなかったんだ。愛していたから、一生懸命だったんだ。

「どうして陛下はあんな女を……」
 の台詞で、「恋する女」としての彼女の姿が鮮明に浮かび上がった。
 うわ、梅妃可哀想。こんなに愛しているのに、もともとは彼女のもとにあった男の心が、よそへ行ってしまったなんて……。
 楊貴妃より、梅妃の方がいい女に見えてしまった……。
 若い娘と不倫する夫と、それに堪える妻、のドラマを見て、妻に感情移入するハートで。

 なんにせよ、うまいなあ、みなみちゃん。
 美形で姫役者で歌がうまくて(聴きたかったのに)演技力もあるのに、何故未だにこの子の主演作が1本もないんだろう。謎だ。

 せっかく素敵な梅妃だったのに、さいとーくん演出では、余計なひとことが付け加えられていた(笑)。
 安禄山と梅妃が通じていた、ということにしたいのだろうが、それについてのエピソード追加はまったくナシ。ヲイヲイ。演出家の脳内でだけ完結させてんぢゃねーよ。
 梅妃のシーンから安禄山の乱まで、舞台上ではどれくらいの月日が流れてんだ? その間に李林甫が死んだり楊国忠が宰相になったり皇甫惟明が死んだりしているわけでしょ? そんなに月日が経っているのに、安禄山がずいぶん前に梅妃にたきつけられたから、って楊貴妃襲いに来るの、変じゃん。
 月日なんて経ってません、梅妃が「安禄山……」とつぶやいた数日後の話です、というなら、間にある「楊国忠、宰相就任おめでとー」とか、時の流れを表すシーンを削れよー。もしくは「もうとっくに宰相だったのよね」って月日の調節をしろよ。
 さいとーくんってほんと、物語を構成できないんやな……。思いつきだけでやってるとしか思えん。
 それでもエンタメ力があるから、いいけどさ。

   
 新人公演『花舞う長安』を観てきました。

 いちばん先に言いたい。
 これだけは言いたい。

 楊国忠が、楊貴妃より美しい、ってどういうことっ?!(笑)

 
 抱腹絶倒でした、新公。
 いやあ、おもしろかった。

 最近の新人公演ってのは、演出家がその個性で独自にアレンジしていいものなの?
 『ファントム』新公が、本公演とはまったく別物であったのが記憶にあるせいで、ことさらそう思えてしまうのかしら。

 新公『花舞う長安』もまた、あちこち変更されてました。
 主にベッタベタな台詞が増えている。
 ところどころに説明台詞が新挿入。
 とはいえ、本編が説明足らなさすぎでわけわかんないので、台詞が増えるのは歓迎。ひとつの台詞をのぞいて。(梅妃@みなみちゃんの台詞は謎。あとで語るが・笑)

 変更された中で、いちばんわたしのツボに入り、爆笑しそうになったのは、最後の立ち回りでした。

 さすがだ、齋藤吉正!!

 
 公演がはじまる前、齋藤くんがいつもの調子で細い足を不器用に動かしながら、自分の席へやってきた。髪型もびしりと決まり、おしゃれないまどきのおにーちゃん。

 ? なんでさいとーくんがいるの?
 わからなかったわたしは、あわてて新公プログラムを見ました。
 そうか、演出がさいとーくんだ。だから観に来たんだな。
 さいとーくんは腰低くあちこちにぺこぺこしながら、酒井せんせの隣に着席。
 あいかわらずかわいいぞ、齋藤吉正。彼のルックスも雰囲気も、わたしは好きだ(笑)。

 ふーん、さいとー演出かあ。だからこんな、ベッタベタな台詞が増えてんだなー(笑)と、なごやかに観ておりました。

 そしたら、最後の立ち回り。

 やたら派手で、かっこいいんですけどっ(笑)。

 玄宗が強そうです、安禄山が強うそうです。
 見得を切るふたり、対峙するふたり……。
 『巖流』ですか、これは(笑)。

 さすがさいとーくん。「意味もなくかっこいいシーンを作る才能」を持つ男。
 物語を正しく組み立てる才能も、脚本を書く才能も大きく欠けているが、代わりにキャラクタを「かっこよく見せる」ことだけはできる男。

 いやあ、ウケたウケた。
 銀橋で見得切って対峙するふたりを観て、吹き出したもんよー。やったなさいとー! てなもんで。

 やっぱりさいとーくんは演出の才能はあるんだと思うよ。派手でかっこよくて美しくて、観甲斐があるもん。
 しっかりした脚本を与えてもらって、それを齋藤くんが自由に演出したら、おもしろいものができるんじゃないかなあ。

 同じく立ち回りのときの、楊国忠もさ。
 1時公演を観たあと、kineさんと話してたんだよ。
「あそこで名前を呼んで欲しい」って。
 だって、初見の人には誰かわからないと思うから。楊貴妃の義兄で宰相になった白い衣装の人だって、わかんないだろふつー。他の兵士と見分けつかないだろう。宰相が軍服着て最前線で戦ってるなんて思わないだろうし(そりゃ皇帝自ら戦ってるけど)。
 誰だろこの人? なんでひとりだけ別な感じで殺されてるの?? てなもんで。
 楊一族で、政治を占有し国を傾けた諸悪の源のひとり、ってことで、ターゲットにされていた人だって、あれじゃわかんないって!
 なんであそこで名前を呼ばないの。せっかくおいしい殺され方して、見せ場になるはずなのに、空回り。演出下手だよな、酒井。
 ……とつねづね不満に思っていたシーンで。
 叫んでましたよ、反乱軍の兵士が。
「楊国忠、覚悟!」
 台詞を言った子がカマシてて、あまり迫力なかったけどそれはまあ、新公だから仕方ないってことで。
 演出として、正しく派手になっていた。

 
 だから全体として、本公よりはるかにいい演出だった。
 わかりやすく、派手になっているわけだから。

 しかし。
 ひとつだけ、謎の演出があった。

 楊貴妃と火花を散らす梅妃。
「あの梅園はワタシのものよ、アンタなんかに入らせないわ」
「いいわよ、入らずにテラスから眺めるから」
 つーことで、結局楊貴妃を追い払うことの出来なかった梅妃が、
「くやしい、なによあの女!」
 とやったあとで。
 女官が言うのさ。
「梅妃様、安禄山様が……」
 梅妃、はっとして。
「安禄山……」
 なにか含むようにして、退場。

 ……ねえ、これってなんですか?
 なんの意味があるの?
 なにか新しいエピソードが追加されるのかと期待したんですが。

 なにもなかったじゃん。

 これってやはり、アレですか。

 さいとーくんらしい失敗ってことですか。
 どう考えても話つながってないし、壊れてるんだけど、齋藤くんのアタマの中だけでつながっている、という、彼の作品に100%出てくる、アレですか。
 新公でさえ、アレをやってしまいますか、齋藤吉正!!(笑) ここまで来ると、ほんと才能。爆笑したわ。

 
 そんなふうに、演出面でやたらおもしろかった新公。
 さらにこの公演、役者の味と解釈のちがいから、さらに愉快なモノになっているのだ。

 それはなんといっても、安禄山@みらんくんの役割が大きい。

 まあソレは、次の欄に……。

 はっ。
 これって、10月20日の日記欄よね?
 わーん、ケロちゃんのお誕生日じゃん。HAPPY BIRTHDAY、Myダーリン!!
 昨年のこの日、わたしは「理想の結婚相手」を、ケロちゃんの顔を思い浮かべて話していたわ……遠い目……。去年の日記参照。

 みんなみんな、しあわせであれ。
 あってくれ。
 たのむ。

       
 大阪の中心地、梅田にBIGMANとゆー、どでかい宣伝用ビジョンがある。待ち合わせのメッカ、誰もが知っている巨大画面。

 そこに、ケロちゃんがUPになって映っていた。

 BIGMANは阪急の持ち物なので、関連のニュースやCMを流すことが多い。
 ただいま公演中の、星組公演の模様が何分間もかけてじっくりと放映されていた。

 もちろん、BIGMANにヅカの映像が流れているのは知っていたさ。大阪生まれの大阪育ちだからな。
 だけど、考えたこともなかった。

 トップスターでも路線スターでもないケロが、この巨大画面で単独大写しになることがあるなんて。

 芝居の映像のあと、ショーの映像になった。
 まずは銀橋で歌うワタルくん。これでもかとUP。
 その次が。

 突然、ケロだった。

 フィナーレの白スーツ。ソロ。

 星組トップスター湖月わたるの次に、ケロのソロだとっ?!


 何故?
 なんなの、この構成っ?

 夢にも思ってなかった。ちらりとでも映ればラッキ☆くらいの気持ちで眺めていた。

 油断していたからさ。
 泣きそうだったよ……。

 BIGMANだよ。梅田の真ん中の巨大ビジョンだよ。一辺が何メートルもあるこのクソでかい画面いっぱいに、ケロちゃんなんだよ?
 ひとりUPで、しかも歌ってるんだよ?

 涙も出るさ。

 そしてそのまま、ディアボロ@トウコ登場、ふたりの握手……。

 泣けるよねええ?!
 こんなすごいシーンを、この巨大画面で見られるなんて。家庭用テレビの比じゃないのよ? BIGMANなのよおおお。

 それ以外にも、ケロちゃんはあったりまえにいっぱい映ってました。完全に3番手な扱い。びっくりだ。

 全国のケロファンのみなさま。星組観劇でムラに来たついでに、ぜひ梅田BIGMAN詣でもどうぞ。(追記。向かって左のBIGMANです。CO-BIGMANの方)
 ケロちゃんをあの大きさで眺められますよ。

 なにしろ、トップスター様の次にUPになって歌っている男役、というスターな構成です。快感です。
 ……ただこの構成だと、待ち合わせのためだけにBIGMAN前にいる一般人に「タカラヅカの人ってみんな、歌下手なんだ……」と思われてしまう恐れもあ……ゲフンゲフン。

 
 という日記を書いているのは、18日の夜。1日ズレてます。
 両親が旅行中なんで、外食するべく弟と梅田で待ち合わせていたわけですよ。弟のヤツがこのわたしを40分も待たせてくれたので、BIGMANの映像も一巡全部見ましたとも。

 わたしはひとりで夕方から梅田をうろついていたんですが、その間にさえちゃん退団がニュースサイトに出、友人たちから次々とメールが舞い込みました。

 しょぼん。

 そりゃトップスターはいつか辞めるよ。知ってるよ。
 でもさえちゃん、まだなんにもしてないじゃん。
 さえちゃんのためにあて書きされた作品、まだ1本もないじゃん!!
 さえちゃんの魅力を最大限に発揮する作品も役も、もらってないじゃん。
 なのに辞めちゃうの?

 てゆーか、娘役トップスター不在じゃん!
 そんなのひどいよー。

 わたしは腐女子だから、男役同士でエロエロしてくれる方が好きだけど、それは「タカラヅカ」という伝統の枠組みの中でのことよ。男1と娘1がちゃんといて、形式美様式美の伝統の中で、他にいろいろ妄想するのがたのしいのよ。
 
 ああ、そしてわたしは自分本位なことでさらに心を乱す。
 さえちゃんバウ、当たるかしら……。
 ケロDSが取れた勢いのまま、入力済ませてあったんだけど。樹里ちゃんが出ないのは残念だしさみしいしかなしいけど、それでも観る気満々で入力してたんですけど! 誰もつきあってくれないだろうから、ひとりでこっそり行く気だったんですけど!
 あさこコンサートに行く気はないが、さえちゃんバウには行く気満々だったという、「緑野さん、あなた希有な人ですよ」と友人たちからなまあたたかい目で見られていたわたしですもの。
 退団発表しちゃったら、きっとわたし程度の人間には、チケットが回ってこない……がっくり。

「退団発表したって、入力する人数は増えませんよ」

 しょぼんとするわたしに、某友人から冷徹なメール。
 辛辣だわMyフレンズ。てゆーか、わたしの周りでさえちゃん好きな人、ひとりもいないんだもんよ……孤独だわ。

 当たりますように、バウ。
 さえちゃんのために書き下ろされたステージを見たいの。

 
 40分遅れてきた弟は、わたしの鞄の中からのぞいている「透明保存用ブックカバーA4サイズ」を見て溜息。

「これだからオタクは……」

 失礼ねっ、なによその偏見は。

「同人誌用のカバーだろ、ソレ。そんなの持って歩くってことは、オタクだって宣伝してるよーなもんじゃないか」

 馬鹿者め、A4サイズなんだから、同人誌用じゃないわよ。
 なにしろでかくて、書店の人がどの袋に入れればいいか悩んでいるようだったから、エコロジストなわたしは「シールでいいです」と包装を断ったのよ。だもんで鞄からぬっとパッケージが飛び出しているのよ。
 これは、タカラヅカ用よ。
 プログラムやパーソナルブックやル・サンクに、このカバーをつけるのよ。同人誌にカバーつける趣味は持ってないわ。

「……オタク……」

 溜息をつくなと言うに、失礼なっ。

       
 安禄山@トウコちゃんは、陳玄礼@ケロの、恋敵です。

 断言。
 腐女子センサーがそう言うてます。

 回を重ねるごとに、どんどんどんどん濃くなっていくキャラクタたち。
 安禄山はその筆頭です。
 愉快に濃い、すけべ笑いなおやぢキャラです。

 星組に行って受姫として華開いたトウコちゃん。
 なのにどーしたことでしょう、安禄山って、攻だよね?!
 ランブルーズ@白昼の稲妻ですら瞳うるうるの受キャラにしてしまったトウコなのに、何故安禄山は玄宗@ワタル相手に攻やってんのよ?! 驚愕。

 えー、最近悟りの境地に達し、駄作は駄作なりにたのしもうとしている緑野です。つーことで、『花舞う長安』腐女子語り。

 ホモ萌えでもしなけりゃ、やってられません、こんな駄作。
 玄宗はあの通りの、バカヘタレ自己中視野針の穴の、色ボケ皇帝。しかし外見はピカイチ、男前。
 受と女は、バカな方がかわいい。と、世の攻男たちは考えるわけですよ。
 つーことで、玄宗の周りではいろーんな攻男たちがその華を競っています。

 攻その1。陳玄礼@ケロ。言わずとしれたアンドレ。お前は光、俺は影。一生配下として尽くし抜く覚悟。いろいろ悶々していそう。
 攻その2。楊国忠@しいちゃん。天真爛漫、裏表なく腹の底から陛下LOVE。ちょっとは隠せ、というか、のーみそまで筋肉なのは『王家』のときから健在、人の善さ全開。こんな男に国事を任せるのはやめましょう。
 攻その3。李林甫@みっこちゃん。厳格な年上の男。日本のおとーさん。「仕事第一」で受や女には理解されにくい、忍の字の男。おヒゲがチャームポイント。玄宗には「口を開けば仕事仕事! アナタ、アタシと仕事、どっちが大事なのよ?!」と逆ギレされてますね、本編で。

 そして、攻その4にして本命、安禄山@トウコ。
 エキゾチックな転校生、有能で強引で自信家、生徒会長のハートをゲッチュ! てな感じですな、学園モノBLで言えば。

 高力士@星原さんはあえて攻からはずす。好みの問題っす。皇甫惟明@まとぶんも、あまりに清らかなので除外。

 なにしろ玄宗と安禄山、どっから見ても、両想いです。

 仲良しですよ、こいつら。
 玄宗はあたりまえのよーに安禄山にあまえた口調で話すし、アイコンタクトでふたりだけ意思の疎通を図っている。
 玄宗は安禄山のこと、大好きだよね。彼を見つめるとき顔に「お気に入り」って書いてある。
 一方安禄山は、玄宗と話すのがたのしそうだ。ええ、安禄山の場合、「たのしそう」なのであって「好き」だとはあまり思えないあたりが、すばらしい。

 実際、安禄山のような利口な男からすれば、玄宗のような「姿は抜群だけど、アタマの弱い受」と話すのはたのしいのだろう。大抵の男が、「のーみそ軽めだけど美人で巨乳の女の子」と話すのがたのしいように。
 好き嫌いは別として、巨乳美人ちゃんと話したり、いちゃいちゃじゃれるのはたのしい。しかも相手はプリンセスだ。アクセサリとしてこれ以上ない存在。
 そーやって百戦錬磨のすけべ男・安禄山は玄宗のハートを手にしていたのだ。
 楊貴妃だろうと「歌を歌う鳥」だろうと、玄宗のよろこびそうなものはなんでもプレゼントしちゃうよ。
 こんな底の浅い男、いくらでも利用できる、手のひらで転がせる。……てなもんで。

 安禄山が、玄宗を好きなのは事実だと思う。嫌ってはいない。玄宗といて、たのしそうなのはほんとう。
 玄宗を見つめる目は、ちゃんと微笑んでいる。

 でも。
 安禄山は、ただの好意に溺れる男じゃない。はじめから利用する相手には、壁を作っている。

 わかる相手には、わかるんだよ。
 安禄山の愛情が、見せかけのものであると。

 少なくとも、陳玄礼と、高力士は、気づいている。

 見守る男・陳玄礼はイライラ。安禄山のやさしさはマガイモノ。受を手に入れるための手管に過ぎない。なのに陛下のバカっ、どーしてそう簡単に騙されるんだ! そこがかわいいんだけどっ! ……とか、思っていそうだ。

 安禄山はもちろん、陳玄礼の気持ちには気づいている。だからこそ余計に余裕の笑み。玄宗が陳玄礼を「恋愛の対象」にしないことをわかっているから。
 火花ばちばち、同期の桜、共に濃い攻男(笑)。

 好色な安禄山、いっそ陳玄礼に手を出してくれてもぜんぜんかまわないんだけどな。陳玄礼なら、「陛下から手を引く」とか条件つければ簡単にモノにできると思うけど。トウコ攻のケロ受?(笑)

 まあともかく。
 クライマックス、安禄山はついに牙を剥く。
 楊貴妃を襲うのは、彼女自身が欲しかったわけではない。だってそんな様子、それまでまったくなかったでしょ?
 安禄山にしてみれば、楊貴妃もオウムも同じなのよ。どっちも「モノ」。どっちも「受の気を惹くための献上物」。オウムを平気で殺すのも、楊貴妃をレ*プするのも同じハート。だってはじめから俺のモノ、はじめからただの道具、なにしてもかまわない。

 安禄山の目的は、玄宗と、彼の地位だ。

 謀反を起こし、玄宗の権力を地に落とし、さらに彼の最愛の女・楊貴妃をも奪う。殺す。
 なにもかも失った玄宗を、いただくのです、合法的に。
 史実なんぞ無視して、玄宗に鎖でも首輪でもつけて、安禄山の足元に転がして欲しいですな。緊縛プレイでもなんでもOK、仕込みに何年もかけたぶん、たっぷり回収して欲しいです、安禄山。傷だらけで屈辱に震える玄宗とか、いいですな。

 それを陳玄礼が助けに来たりなんだりと、BLのなんちゃって歴史物風に、ホモの愛憎関係だけで歴史が動いちゃったりする壮大に傍迷惑な物語にすれば、きっとスペクタクルでたのしいですわ。

 責められているうちに安禄山への愛が華開いちゃったり、あるいは助けに来た陳玄礼の献身的な愛に心を開いたり、さあ玄宗が選ぶのはどっちの男だ?!

 
 と、すでにもう、別物として、たのしんでいます、『花舞う長安』。

 それもこれも、トウコちゃんが、大変濃くいやらしくなっているからです。
 初日から比べて、なんて素敵にすけべなの、安禄山!!
 楊貴妃を押し倒すところ、さらに激しくなってますぜ。無理矢理脱がした檀ちゃんの、生の鎖骨あたりに顔をうずめるって、なにやってんですかトウコさん。大劇場ですよ、バウじゃないですよ、すみれコードはいいんですか?(笑)
 さすがに、生肌見せられると、びびったわ(笑)。はじめはそこまで脱がさなかったのに……公演がすすむと、こんなえらいことに。

 トウコの持ち味は、エロいこと。
 それをちゃーんと実践してくれる。拍手。

 だからこそ、玄宗相手にも同じことをして欲しいです。楊貴妃を押し倒すシーン、そのまま玄宗にスライドして萌えておこう(笑)。最後まで完遂できるかどうかは謎だがな(がんばれ・笑)。

 そして陳玄礼。愛する陛下を、安禄山の魔の手から守れっ。ついでにお前もナニかしろっ! アンドレだって1回はブチ切れてオスカル押し倒してるんだから大丈夫だ!

 …………なーんてね。フフ。

     
 陳玄礼@ケロはまたしても、どんどん台詞を増やしている。
 『王家に捧ぐ歌』のときと同じ。あのときは、公演が進むにつれ台本にない台詞、「アイーダ!」を連発していたね。
 今回の『花舞う長安』でもそう。

 「陛下!」のひとこと、大増量中。

 マイクを切られているのをいいことに、生声で「陛下」って何回言ってるよ、あんた……。

 相変わらず、愛がクソ熱い男だ。

 ケロちゃんのすばらしさのひとつは、「愛を表現するのを惜しまない」ことだと思う。
 ショーのとき、組んでいる娘役さんに対するまなざしとか見ていてもわかるよな。
 よくもそこまでっ!ってくらい、とろとろにやさしい瞳で相手を見つめている。

 恋にめろめろ、君にめろめろ、というのを表現して、男ぶりを下げる男と、上げる男がいるよね。
 恋なんかに女なんかに腰砕けになってみっともなーい、と思わせる男と、そこまで愛してるんだかっこいい、と思わせる男。
 両者を分けるのは包容力かしら。
 男としての度量かしら。
 なんにせよ、恋人を見つめるケロちゃんの「愛にあふれた」瞳にきゅーんとなるのだ。ああ、あの瞳で見つめられたい! と。
 冷酷な役をやると、とことん冷酷な眼になる人なのにねえ。ふだんはとにかくやさしいよなあ。

 そんな「愛チカラ」にあふれきった彼は今、全身全霊を上げてワタさんLOVEを貫いています。
 うわー……濃い……。

 陳玄礼はどこまでも、「陛下、陛下」と小うるさく騒いでいます。顔は冷酷な武将なんだが、いちいち熱い。博多のときとは別人になってないか、おい。
 行きすぎた愛情が、台詞にない「陛下」という相手への呼びかけの言葉になって、ほとばしっているようです。

 ……恥ずかしい……。
 愛を隠さないのは君の美点だが、野郎相手にそこまで惚れてるのは、しかも盛大に空回っているのは、ちと恥ずかしいよ(笑)。
 好きだけどな、そーゆーとこ(笑)。

 
 博多座『ドルチェ・ヴィータ!』でも、ホモの恋を演じていた航海士@ケロとセレブ男S@ワタル(プログラムを買ったので役名がわかった)ですが。
 大劇でも健在です。
 シーンが博多とは変更になっているので、ふたりの接点が一瞬しかないんだけど、その一瞬で毎回確実に、航海士はセレブ男SにFall in LOVEしとります。
 初日からずっと、わたしが見る限り1回もハズすことなく、パーフェクトに。つまり、ここは「公式に」こーゆー解釈なんでしょう。演出家オギーだから、ホモに理解ありそうだし。「男が一目惚れするほどの、いい男」ってことで、タカラヅカ的にもOKなんでしょう。

 銀橋を渡ってきた美男美女、セレブ男Sとセレブ女S@檀ちゃんを、下手花道で迎える航海士たち。
 セレブ男Sは、航海士の前で帽子を取る。
 はじめて間近でセレブ男Sの顔を見た航海士は、その男前さに放心、誰の声も届かずただぼーっとセレブ男Sだけを見つめ続ける……。

 本筋には関係ないところで、何故男同士の一目惚れを丁寧に演じているのか。
 愉快でなりません。

 正妻の檀ちゃんにかなうはずもないが、どうかがんばってこの恋を貫いて欲しいですわ、ケロちゃん。

 
 ワタさんLOVEぶりが熱くて濃いので、ケロトウぶりはちとひかえめだなあ、この公演。役に引きずられるのかな。芝居でトウコはケロの恋敵(断言)だもんなあ。
 『王家』や『巖流』のときほどの、目を覆いたくなるようなトウコLOVEぶりは見えないものの、ショーではちゃんとケロトウなシーンもあるので、それもたのしい。愛が見える男だから、ケロ。愛を隠さない男だから、ケロ。

 愛が見たい。
 一途さや熱血が「かっこわるい」とされるこの現代で。
 とことん一途で、とことん熱血な、見栄も保身もなくただ素直にあるがままの愛を、見せて欲しい。

 それは救いだから。
 それは祈りだから。

 愛のある姿は、わたしを救うから。わたしを癒すから。

 
 そして。
 陳玄礼は「陛下!」を連発し、航海士は恋をし、フィナーレの男は盟友と踊るのさ。

 愛が熱い。

     
 過ちは、出会ったことでも恋に落ちたことでもない。

 別れたことだ。

 今ならまだ、なかったことにできる。
 相手を傷つけずに済む。

 ……傲慢だ、愚か者め。
 最悪の過ちだ。

 出会ったのだから、恋に落ちたのだから、覚悟を決めろ。
 共に堕ちろ。
 自分のために、この恋のために、不幸になる最愛の人を見届けろ。
 その覚悟もナシに、中途半端に手を離した。
 それが罪。
 それが過ち。

 男のエゴは少女を壊し、終わりははじまりにつながって水面が揺れる。

 男を惑わす女が笑い、黄昏に悪魔がたむろしている。

 見つめ合うふたりに「壊れる音」が響く。
 美しくおそろしい音。

 過ちは出会ったこと、恋に落ちたこと。
 立ち止まることなく惹かれて堕ちる。堕ちる。

 明るい花市場は闇の領域をも内包し、陽気な船上パーティは悲鳴に満ちる。
 光のかたわらに影はでき、足跡が深く残る。傷跡が遠く残る。

 だけどそのあやうさの、なんと美しいことか。
 闇を持つ光のまばゆさと、傷みを持つ微笑みのあでやかさ。

 血も流さないと、腐るのかもしれない。
 涙も流さないと、腐るのかもしれない。

 愚か者め、愚か者め、愚か者め。

 この手を取って、滅びるがいい。
 それが真実。

       
 どんな駄作でも、重ねて観劇しているうちに、いろいろ考えてしまうものです。
 いいとこ探しなんかしてしまうもんです。

 星組公演『花舞う長安』
 言わずとしれた大駄作で、語るべき言葉もない作品ではありますが。

 そーだな、目に美しいってことの他にも、美点はあるわ。

 ケロの演じている役が、攻キャラだ。

 わたしはもともと攻キャラ好きなので、好きな人が攻をやっていると、それだけでどきどきするのですわ。
 昔はケロちゃん、ふつーに攻男だったのに、『ゼンダ城』あたりから受もOKになっちゃって、『血と砂』では総受してるし、以来おやぢをやろーとテロリストをやろーとどーにも受くさい人になっていたんですが。

 そうよ、陳玄礼は攻キャラじゃん!!

 しかも相手、玄宗@ワタルだし!
 ワタさん相手に受けてばっかだったのに、最後に攻キャラかよ! すげえや! 退団御祝儀か?!(チガウ)

 
 さて、この陳玄礼という男。

 もともとどーしよーもない芝居のどーしよーもない役のうちのひとつでしかないわけなんだが。
 最初に首を傾げたのは、ケロ本人の役の解釈についてだった。

「楊貴妃の次に、玄宗皇帝のことを思っている役」
 だそうだ。

 …………はにゃ?(首傾げ)

 えーと。
 悪いけど、そんなふうに、ぜんぜん見えなかったんですけど。

 陳玄礼という男の印象は、なんといってもだ。
 冷酷な無表情、酷薄な笑い。傲慢で腹黒い言動、二枚舌。

 玄宗を愛しているというより、玄宗を利用して、おいしい汁を吸っている感じ。
 色ボケ皇帝を冷笑しつつも手のひらで転がし、自分の身の安泰をはかっているよーな。
 ジュード@LUNAをさらに能動的な悪役にした感じというか。
 博多座を観たあと、ざーっとWEBで感想を探して読んでみたけど、陳玄礼を善人だと思っているものは見あたらなかったぞ?? なにか企てていそうだ、でもなにもなかったなあ拍子抜け、てのが大方の意見じゃないのか?

 玄宗のことを本気で愛している役だったのか。誠実に仕えている役だったのか。

 そんなの、ぜんぜんわかんねーよ。

 
 だって、完璧に悪人顔じゃん!!
 むやみやたらと三白眼光りまくりじゃん!
 浮かぶ表情が、冷酷感際立ってんじゃん!
 他人踏みつけにするの平気っちゅーか、ソレ仕事にしてそうじゃん! それも大義のためではなく、私欲のために!

 悪人じゃなかったのか……。
 玄宗みたいなアホ皇帝を、本気で愛している役だったのか……。
 ギャフンな気持ちっす。

 
 まあねえ。
 たしかに、クライマックスの楊貴妃差し出しシーンが、前後のつながりが悪いくらいひとりでアツいけどね、陳玄礼。
 見れば見るほどアツくなっていって、今でこれだけアツいなら、千秋楽になるころにはどれだけアツくるしくなっているのかと不安になるくらいに、アツいけどね。

 
 あー、つまりだ。
 陳玄礼っちゅーのは、顔で誤解されがちな人ってことだな。
 悪人顔で、本人はにこやかにしているつもりなのに腹に一物あるように見えてしまうのね。本人はやさしく微笑んでいるつもりが、企み笑いにしか見えないのね。
 すばらしい。
 なかなか個性的なキャラクタではありませんか。

 相棒の楊国忠@しいちゃんが、どっから見ても100%善人なのと対照的。

 楊貴妃の身内ってことでいい思いしまくった楊国忠がなにをやっても善人に見えて、身ひとつでがんばって仕えている陳玄礼がなにをやっても悪人に見えるってのは、人生皮肉ね、って感じですてきですよね。

 
 そう思って見れば、なんともかわいらしい人物です、陳玄礼。
 ああ、こんなに冷酷な目つきなのに、ほんとうは誠実。
 ああ、こんなにいやらしい薄ら笑いをするのに、実は真面目。
 二枚舌も陰謀も、みんなみんな愛する玄宗のため。
 無私の境地で我が君にお仕えしているのですよ!

 
 だからこそ、クライマックスではやたらアツいんですよお客さん!
 ある意味玄宗以上にテンパってるのは、そのせいなんですよ。
 このまま暴走して、さらにさらにアツくなることでしょう。ウバルドの暴走が止められなかったように(笑)。

 
 最後の役が、大好きなワタさんを愛している男の役でよかったね、ケロちゃん。
 てゆーか、ケロが演じているからそーゆー解釈になったんじゃないかと思ってみたりなんだり……ゲフンゲフン。

 
 そうよ、駄作だからこそ、なにかしらたのしみを見つけなければならないわ。そうやってポリアンナはしあわせになるの。

 陳玄礼×玄宗。
 ケロ攻のワタ受。
 最後の最期に、ついにワタさんをも転がせる役ですよ。そう思えば、さらにたのしくこの芝居を観られます。ヲタクでよかった。よかったさがし。

 具体的なシチュエーションとエピソードは、これから通って考えます。
 腐女子人生に、敵などナシ。

         
 大運動会の萌えはあちこちにあったんだけど、生徒席で誰と誰がどうしていたから萌え〜、とか、そーゆーのはもう、いちいち語らずわたしの胸の宝石箱におさめるとして(笑)。

 ケロちゃんの笑顔とか泣き顔とか、髪型のとんでもなさとか、カエルをかぶっていた姿とか、スコート姿のものすごさとか、そのスコートが前後ろ逆だったこととか(回っちゃってた?)、みんなみんな、わたしの胸の宝石箱の中なのよ。

 
 だからそーゆーこと以外の、出し物として、興行としての部分の萌えを、ひとつだけ語りたいと思います。

 オサアサです。

 入場パレードの、オサアサ。
 あれってね、あれがね、あれこそが、わたしの見たいオサアサなんです。

 グラサン+黒スーツ軍団を従え、御輿でふんぞりかえっているオサ様。
 高慢傲慢女王様オーラ放出中。
 彼の横には、忠実な部下あさこ。クールなタフガイ。
 オサ様のために生きることが仕事。そりゃーもー、昼夜なく(意味深)内外なく(意味深)主に仕える(意味深)。汗をふいてさしあげたり、着替えを手伝ったりは日常業務。

 とくにわたしが悶え狂ったのは、あさこの手を借りて、御輿から降りるオサ様。

 姫君がナイトの手を取って、馬車から降りるよーな、ヲトメ心鷲掴みシーン!!

 オサ様の傲慢かつ気品あふれる姿と、あさちゃんのひかえめなのに存在感ある端正な姿が、わたしのハートを撃ち抜きました!!

 わたしが見たいのはコレよ、コレなのよ。
 鬼畜属性主人と、彼の静かなる片腕。
 ふたりの間にある信頼と、エロス。

 もしもなにかあれば、片腕はカラダを張って主人を守るのよ。彼のために死んで悔いナシなのよ。
 たとえ目の前で片腕になにかあっても、主人は冷淡なまでに動じないの。だって、それがあたりまえだから。自分のために人が動き、死ぬのがあたりまえ。そんな立場にいる人なの。
 主人のその覚悟と孤独をもっとも理解し、愛しているのが彼の片腕なのよー。

 わーん、オサアサで暗黒街ものが見たいー。見たいー。見たいー。
 愛と裏切りの物語が見たいー。見たいー。見たいー。

 まさか運動会なんぞで、わたしの理想のオサアサを見せつけられるとわっっ!!
 

「オサアサ堪能〜〜っ、わーん、うれしいよー!」
 と叫ぶわたしの横で。

「オサアサ? どのへんがですか? オサさんの横にいる人はいいんですか?」
 チェリさんの、すっげー冷静な声。

「いいのよっ、オサ様の横にはあさこしかいないのっ。わたしの目には入ってないの! だからオサアサ!」
「3人で並んでますけど? もうひとりはいいんですか?」
「わたしの目にはふたりしか入ってないから、いいの」
「今、オサさんと肩を組んでいる人のことは、いいんですか?」

 いいのっ。
 たとえオサちゃんがふーちゃんと肩を組んで退場しようと、わたしの目にはオサちゃんとその横のあさこちゃんしか入ってないから!!
 無問題!!

 ビバ、オサアサ!!
 傲慢カマシてるオサ様万歳!! 黒スーツ軍団万歳! ふーちゃんもかっこよかった!(これはほんと)

 ありがとう、運動会!

     
 大運動会です、立ち見です、愉快です、疲れたです(笑)。

 今日はチェリさん=「み」さんと一緒。るるる♪ たのしかったー。

 ひとりでなくてよかった!
 と、しみじみ思いましたのことよ。
 だってさ、ふだん舞台を観るときは私語ナシじゃん。なにか言いたいことやツッコミがあっても、ぐっと腹の中に溜めておくじゃん。
 でもさでもさ、運動会では、喋りまくっててOKだもんよ!
 広い城ホールでご贔屓がどこにいるか、なにをしているか、きゃーきゃー言いながら捜して、見て、盛り上がるの!

「うそっ、似合ってないよあの格好」
「似合うわけないじゃないですか!」
「さっきワタルくんと腕組んで写真撮ってた!」
「ケロがケロかぶってる」
「あそこ、トウコちゃんと抱き合ってる?」
「腰っ、腰に手ぇ回してる!」
「泣いてるし」
「……泣くし」
「涙もろいよね……」
「まだ泣いてるよ……」

 ふたりでえんえん、ケロちゃんチェックしてました……(笑)。

 いやあ、マジたのしかったっすよ。たった1000円でこんなにたのしくていいの?! ってくらい、たのしかった。

 わたしたちは、専科・音楽学校席の後ろにいました。

 テンション低!!
 というのも、この応援席、半分は音楽学校生の父兄席だったんですよ。
 おじさん、おじーさん率高し。ビデオカメラ率高し。てゆーか、みんな手に手にビデオ持って、生徒を映している。
 えーと、いちおー撮影は禁止だったんだけどねー。仕方ないか、親じゃなー……。娘の運動会だもん、ビデオも撮りたいだろうよ。
 彼らも調子狂ったろうなあ、「どこが運動会やねん」っていうか。娘たちは晴れ姿どころか、悲壮な顔して一糸乱れず行動してるし。客席に背を向けたまま。ふつーの運動会のように、たのしそうじゃないんだ。応援に来てくれた親に笑顔で手を振ったりとか、絶対しないしな。気の毒になあ。空気重かったよ、客席も生徒たちも。

 もひとつ気の毒にな、と思ったのは。
 わたしたちの前の席のおじさん、必死に娘さんを撮影しているらしーんだが、そのテープには、わたしたちのお喋りがひっきりなしに録音されてしまっているだろーなーということだ。ははは。すまんすまん。音声は編集するなりしてね、はぁと。

 星組生徒席を見ること。
 トラックを正面から見ること。
 それから、いちばんすいていること。

 このみっつがこの場所を選んだ理由です。……いや、わたしいちおートド様ファンだし(言い訳)。

 いい位置でした。目当ての星組席は正面から顔が見えるし、トラックに対して正面なので、競技中や式の整列時に生徒の顔が全部見える。
 いちばん見えないのが、当の専科・音楽学校生でした。後ろアタマしか見えない。……星組席にいなくてよかった……。
 入場パレードがはじまってから移動したのに手すりがいくらでも空いている状態。おかげで自由に動けて楽だった。

 個人的には、ワタさんに自分から腕を絡めるケロが見られたのが、ポイントです。
 星組応援席の真下、反対側からでしか見えないだろー位置で、そんなことをしているふたりを目撃できて、うきゃうきゃしてました(笑)。
 いやたんに、「一緒に写真撮りましょーよー」って感じで、ワタさんを引っ張ってたんですけどね。で、腰だの肩だのに手を回して他の人も含めて一緒に記念撮影していただけなんですけどね。
 とても得した気分に(笑)。

 
 ツッコミどころはもーいろいろありすぎて(笑)、書いているときりがない感じ。

 羅列だけすると、

 入場パレード
・「雪組」かしげ、かしげが『スサノオ』にいる〜〜、なんかすげえうれしい(笑)。
・「専科」ノリノリのチャルさんが愛しい……。
・「星組」………………困惑………………。
・「花組」うっきゃ〜〜、萌え萌え萌え〜〜っっ。オサアサ! 鬼畜で女王様なオサ様!! きゃーっ、きゃーっ。
・「宙組」……サムい……。すっげーハズしてる……けど、なんかすげーたかこらしいというか、宙組らしいというか。

 応援合戦
・「星組」……あの、またその衣装ですか、ケロちん……ほろほろ。
・「宙組」……変……ハズしてる……サムい……でも、たかこはこーゆーの、すっげー好きそう……。
・「月組」学ラン萌え〜萌え〜萌え〜。なにげに越リュウ萌え〜。
・「花組」うわ、オサ様似合わない(笑)。でも素敵(どっちや)。なにげにアサコがこわかった……(笑)。

 その他
・ゆうひの胸。
・ってゆーか、月組男役の胸。応援合戦で学ランを着るためにつぶしていた模様。そんなこと知らないから、はじめのうちは不思議だったよ。運動会なのに、Tシャツなのに、わざわざ胸つぶしてるなんて。他の組の人たちはナチュラルに乳のカタチ見せてるのに。
・演出家とファンの二人三脚……あたしオギーファンだけど、オギーと二人三脚ヤだ……実際転んで、オギーに上に乗られてたよ、参加したファンの人。組むなら齋藤くんと組みたい。
・檀ちゃんオトコマエ!! かっこよすぎ! うきゃーっっ。なんでもない仕草まで男らしい。
・月組は何故、あんなにアフロが好きなんだろう。
・ちはる兄貴はなにやっても、す・て・き。
・ナルセが美人だ、ぐんちゃんが美人だ。
・123ゲーム、星組はハナから勝敗捨ててたよね? かっこよかったからいいけど。
・トウコとまとぶんが仲良し(笑)。
・ゆらさんのテンションの高さを見るたびに「ああ、この人とわたし、同い年なんだ……」としみじみ思う。
・トド様のテンションの低さを見るたびに「ああ、この人とわたし、同い年なんだ……」としみじみ思う。
・MVPはヤラセじゃないかなんて、黒いことを思ってしまったことよ。

 他にもいろいろあって、萌えとか萌えとか萌えとか、書ききれないので今はいったん置くことにする。
 感想ばかりで、なにがあったのかという解説は一切してないしな。主観だけだなんて、下手な文章の見本みたいねっ。

 最後にひとつ。
 ちゃんと出来事を描写しましょう。

 ラストの表彰式は、組が偏ることがないよう気を遣った授賞ぶりだったんだが。
 そのなかで、愉快だったことがひとつ。

 ふたりが同じ賞に選ばれることが、多々あった。不公平なく賞を与えるためにだろうな。
 なんせふたりだから、最初に名前を呼ばれた人は、もうひとりが出てくるのを待って、ふたり一緒に台に上がり、賞品を受け取るのさ。気配りと礼儀正しさのタカラジェンヌですから! トップスターだろうと、下級生だろうと、みんな同じ。

 なのに。
 コム姫はひとりでさっさと台に上がり、ひとりでさっさと賞品を受け取った。

 ウケました。つか、すっげー、「らしい」よね、コムちゃん!

 待ってやれよ、一緒に台に上がってやれよ! なんでそーマイペースっちゅーかクールなんだよ!(笑)

 ちなみに、コムちゃんに置いてかれたのは、同期の寿美礼ちゃんです。

 あと、きほちゃんもひとりでうれしそーに賞品受け取りに来たなー。待ってやれよ、もうひとりいるのに。この子の場合も、すげー性格出てる気がして愉快だったわ。

 文字数もないことだし、今日はこのへんで。

     
 友会、星東宝全滅……。
 今回当たれば、向こう何年当たらなくてもよかったのに……。
 いつものチケカウンターがなくなった今、一般発売で取れるはずもないしな。めそめそ。

 友人知人および見知らぬ方々、もしどこかで星東宝楽チケ余っていたら、ご一報を。
 切実っす。

     
 ゆうひバウ友会全滅にヘコみつつ。
 そのゆーひバウのちらしを見てまた、複雑な気持ちになる。

 …………これはいったい…………どーしたことだ、ゆうひくん。
 まちがったのはお化粧なのか、なんなのか。
 もともと写真写りの悪さには定評がある彼だが、それにしても、ものすげえや。

 せ、せくすぃー……なのかしら……コレ……。

 世間の人が「タカラヅカってこうでしょ(冷笑)」って思うタカラヅカ男役まんまのよーな姿。
 キムタクが真似してポーズつけていそーな。

 まあ、いいのかな、これで……。

          ☆

 河村隆一が来ていたときに、たまたまわたしも客席にいました。大騒ぎだもんよ、客席。ショーがはじまるの、遅れるくらいにさ。(わたしはその人見てないんだけど)

 まあそれはともかく。

 星組公演『花舞う長安』
 作品について語る気はまったくないので、出演者の話をしませう。

 なんといっても、1年ぶりに星組全員出演。うれしいねえ、たのしいねえ。
 トップスターと2番手スターが男役同士ではじめて並んだ、という、記念すべき作品なわけだ。1年経ってはじめてかよヲイヲイ、というツッコミ付きで祝いましょう、ハレルヤ。

 わたし的には、タニちゃんは星組の組子、という印象なので、この舞台に出演していないことが不思議なんだが、月組でバウに出るから仕方ないのか……あれ? バウは宙組で出るんだっけ? 来年のバウと同じで、ひとつの組で同じ作品を3番手4番手とつづけて主演して公演するんじゃなかったっけ?
 てゆーかタニちゃんって、ナニ組だっけ? 新専科?
 以前は宙組で、水くんとW2番手だったけど、そのあと異動したんだっけか。だって外部の出版物には軒並み「宙組2番手・水夏希」って載ってて、タニちゃんいないし。

 てゆーのはもちろん皮肉だけどな。
 劇団はタニちゃんをどうしたいんだ。最近の扱いはひどいよな。

 そのタニちゃんが博多座で演じていた安禄山を、大劇でトウコちゃんが演じるわけだ。

 博多座で観ているときに、正直わたしは、トウコちゃんが恋しかった。
 『ドルチェ・ヴィータ!』を観ているときには、べつになんとも思わなかった。そこにある世界にずっぽりはまっていたから。
 だけど『花舞う長安』の間中、トウコちゃんが恋しかったよ。

 とゆーのもだ。
 『花舞う長安』はどこを切っても納得の駄作ぶりで、出演者が支えるしかない作品だったからだ。

 トウコちゃん、カムバック!
 この駄作を支えるには、君が必要だ!

 トウコの実力を、心から乞うた。

 歌ってくれ、芝居してくれ、そのくどい黒い持ち味で、この風通しのよすぎるベニヤ板でできたよーな世界を、塗りつぶしてくれ。
 懇願。

 タニ安禄山は、そりゃスタイルはいいんだが、喋るとアウトだったんだわ……。作品のうすっぺらさを加速させる大根ぶり。
 タニちゃんはなにをやってもタニちゃん。かわいいアイドルのタニちゃん。一生懸命大物ぶって悪ぶってるけど、やっぱりかわいいタニちゃん。
 タニちゃんは最近よーやく、サバティエ系の役はできるようになったの。『白昼の稲妻』ではサバティエ、『1914/愛』ではモディリアーニと、名前はチガウけど同じ役をしていたよーに、アイドル・タニちゃんの他に、アレ系の不良青年だけは、できるようになったの。
 でもまだ、他の役はできないの。安禄山みたいないやらしい悪役はできないのよ……仕方ないの、まだお勉強中の子だから。サバティエができるまで10年かかったから、あと10年あればきっと、安禄山もできるようになると思う。それを期待して待ちましょう。

 だけど、タニちゃんのタニちゃんらしい持ち味は、他の人が10年かけたって手に入れられないモノだから、あと10年待つまでもなく、今のままのタニちゃんでわたしはいいんだけどな。
 彼にできない役を、やらせなければ。

 つーことで、子どもがママに甘え損なって逆ギレしていたような博多座安禄山にいたたまれなさを感じていたわたしは、大劇版の安禄山を心待ちにしていた。

 トウコが安禄山系を得意なのは、はじめからわかっていたし。ビジュアルも演技も歌も、立ち回りも。
 わかってたから……実際に観てみて感じたのは、ただひたすらな安心感だった。

 予定調和というか、あるべき姿というか。
 ぴたりとハマって……なんの発見もなかった。

 えーと……それは、どうなんだろう。
 わくわくもしないし、どきどきもしない。思った通りのトウコ。

 それはひょっとして、期待はずれ、とか、言う、んだろう、か。

 う、うーむ。
 博多座版に比べれば、そりゃ技術力でキャラをきちんと作り上げているんだけど……こんなもんなのかなぁ?
 駄作なのもしどころがない役なのも仕方ないこととして、もう少し、なんとかならないもんなのかしら。
 わたしはトウコちゃんに過大な夢を見ているのかしら。

 わたしがトウコに期待しているモノ。
 それはやはりいやらしさだわ。

 楊貴妃を襲うところ、もっともっとねちこくいやらしくしてほしいなあ……見ているこっちがどきどきするくらい。

 今日観たときは、団体の学生さんたちから嬌声があがっていたから、ちゃんとやんらしくやってるのかしら。
 ええ、なんかあまりにもヅカの客席にそぐわない学生さんたちの一団が百名単位でいたんですが(顔ピアス率高い、髪の色日本人離れ率高い……アート系専門学生っぽい?)、安禄山が楊貴妃を押し倒したときに、声があがってましたよ。
 やらしかったのかな、ちゃんと。

 ソレが物足りないわたしって?

 もっともっと、エロが欲しい。うがー。

 ぎとぎとに濃いトウコが見たい。
 小さくても男前のトウコが見たい。
 熱すぎてくどすぎて、「楊貴妃を愛してるんじゃなくて、実は玄宗を愛してるんだろう」ってくらい、行きすぎた安禄山が見たい。

 おとなしくまとまった、「減点ポイントがないから及第点」のトウコなんか、トウコぢゃないっ。
 プラスアルファを加点する熱さが、トウコだと思っている。期待している。

 おかえりなさい、トウコちゃん。
 ワタルくんの隣にトウコちゃんがいることがうれしい。暑苦しさにおいて、似たものを持つトップと2番手がそろうのがうれしい。
 似ているくせに、太陽と月の持ち味のある、ふたりが並ぶのがうれしい。
 

 安禄山の進化を期待し、見守りたい。

     
 星組初日、わたしはkineさんと一緒だった。
 わたしの日記を読んで、「一緒に星組を観に行かないかい、ベイベ」と、誘ってくれたありがたい方。うおうおう、お誘いありがとう、ナイストゥミチュー、出会いがうれしい。
 初デートだ初日だオギーだ風邪っぴきだと、いくつもコンボが決まって、わたしの足は地についていなかった。いろーんなことをうわごとのよーにまくしたてていたと思う。
 とくにkineさんは「わたしならこうする」とか、意志と力のある視点で日記を書かれている方。この人なら、多少わたしが理屈っぽいことを言っても、引かないにちがいない(決めつけっ)と、整理のできていないアタマのわるーい感想をきゃーきゃーまくしたててしまった。
 わたしは文章では饒舌だけど、実際に会って喋るのはそう得意な方じゃない。アタマが悪いので、咄嗟に正しい文章を喋ることができない。劣っていることを知っているので、極力気をつけて、起承転結を考えて喋るよう気をつけているけど。下手なわりに、お喋り自体は好きなので、本人はたのしいんだけど。
 初日は、いろいろなことが重なって、それらの気遣いもぶっとび、とてもアタマのわるい、むきだしの緑野こあらさんが喋っていた。

 そこでわたしは言った。
「酒井澄夫はいちばんきらい」

 わたしが日記で吠えていたのをご存じらしいkineさんは、すかさず「『砂漠の黒薔薇』ですか」と返してくれた。
 ええ、そうね。『砂漠の黒薔薇』は大嫌い。創作者としても、座付き作者としても、義務を放棄したとしか思えない粗悪な作品。誠意も意欲もカケラもない作品。
 あの駄作で退団するずんちゃんを見送らなければならなかった、ファンに心から同情した。

 たしかに、『砂漠の黒薔薇』は大嫌いだし、こんな不誠実な作品を送り出して恥ずかしくない作者には、憤りを感じている。
 だけどkineさんと話しているときわたしのアタマにあったのは、『浅茅が宿』だった。

 その昔わたしは、『浅茅が宿』という作品を観て、タカラヅカに絶望した。開いた口がふさがらなかった。こんなものを平気で上演してしまう無神経さに愕然とした。
 大嫌い。もう観ない。
 そう思った。
 当時のわたしは雪組ファンで、雪組は週に1回ペースで観ていたんだが、この公演だけは初日と新公と楽しか行かなかった。それだけは、先にチケット取ってたんでな。
 この直後に、荻田浩一作『凍てついた明日』がなければ、そしてそれにケロが出ていなければ、わたしはタカラヅカを見限っていたかもしれない(ケロが出ていなければ、観ていない公演だった)。
 どんな駄作でも文句言い言い、それでもゆるし、通ってしまうわたしを絶望させるなんて、よっぽどのことだぞ、酒井澄夫。

 今思えば、たぶん、そういう時期だったんだ。『浅茅が宿』はたしかに太鼓判を押せる立派な駄作だが、そんな絶望するほどの大駄作じゃない。ヅカにはいくらでも駄作はある。その数多い駄作のなかのひとつでしかなかったさ。
 それでも当時のわたしが絶望したのは、きっとそういう時期だったんだ。タカラヅカというモノから、心が離れかけていたのだと思う。トド様のことがずっと好きで、平行してケロを好きになって、雪組を中心に全組まんべんなく観て、そうやってタカラヅカを愛してきたけれど、潮時になっていたんだと思う。
 わたしの背中を押すのに、十分な駄作だった。誠意のない作品だった。
 原作に思い入れがあったのも、災いしたと思う。雨月物語なんつー料理しやすい材料を使って、ここまで無能なのか、演出家よ! と、怒りにふるえたもんさ。

 ただの駄作で、そこまで怒って、正直すまんかった。『砂漠の黒薔薇』に比べたら『浅茅が宿』なんて、大したことない駄作レベルだわ。
 わたしの精神状態が悪かっただけね。冷静に観れば、『浅茅が宿』はただの駄作よ。あそこまで怒る必要はなかった。怒るのもバカバカしいただの駄作。

 ただの駄作でしかないのに、絶望するほど嫌ったのは、わたしの方に問題があったのだろう。
 しかし、わたしのなかで『浅茅が宿』はものすげー「嫌な思い出」になっている。「絶望の思い出」とか、「怒りの思い出」とかな。

 そう考えれば、「酒井澄夫はいちばんきらい」と言い切ってしまうのは、チガウ気がする。

 少なくとも酒井澄夫作品は、生理的嫌悪感をもよおすほど、ムカつかない。
 植田紳爾作の『皇帝』は、生理的嫌悪感で二度と観られない。観ている途中で席を立ちたくなった唯一無二の作品。
 また、植田紳爾作の『春ふたたび』も、『皇帝』と同じ理由で生理的嫌悪感を刺激する。
 駄作製造ぶりのタカラヅカNo.1はまちがいなく植田紳爾だし、この名前を聞くだけで観劇意欲が失せるのは事実。

 それに比べれば、酒井澄夫なんて、かわいいもんだ。生理的にゆるせないよーな破壊力はどこにもない。
 ただ、つまらない、というだけだ。

 植田紳爾は終わっている作家で、壊れているうえにまちがっている、その度合いがものすごい。
 長所であれ短所であれ、「破壊力」を持つのは、ある意味創作者としての強みである。
 ムカつく代わりに、印象に残る。話題になる。
 ななめ見して流したくても、ムカついて目に入ってしょうがない。
 そーゆー力。
 これはやはり、能力のひとつだと思う。

 わたしはあと、太田哲則がきらいなんだが、この人の場合は作品の作り方がわたしの好みに合っていない、ということが大きい。
 なんてゆーか、根本にある「エンタメへの否定観」が好きになれない。
 じゃあ高尚なモノを創っているのかというとそうでもなく、「高尚ぶって失敗したつまらないもの」ばかりという印象。
 エンタメを創って失敗しているなら好感も持つけど、エンタメをバカにして「もっと高尚なモノ」にこだわって、それで結局「下賤なエンタメ以下」のモノしか創れない……とゆー感じがなー。いやなんだよなー。

 植田紳爾や太田哲則をさしおいて、酒井澄夫ごときを「いちばんきらい」と言っていいのか、わたし?
 酒井澄夫の作品は、植田紳爾や太田哲則以下だぞ? つまらないということにおいて。
 てゆーか、語る必要もないレベルだぞ?
 そんなどーでもいー人を、「いちばんきらい」とまで言っていいのか、わたし?

 ということで、わたしは迷った。
 ねえほんとに、酒井澄夫がいちばんきらい?

 星組公演『花舞う長安』も、酒井澄夫らしい駄作だ。

 嫌悪感はない。怒りもない。ただ、つまらないだけ。
 睡魔に襲われるだけ。

 「物語」として機能する以前のモノだというだけ。

 もちろんわたしはきらいだし、こんなモノを創って金を取ることが恥ずかしくない作家を軽蔑するけど、でもなー、べつにこれくらい、どーってことない程度の駄作だもんなー。
 ヅカではよくあることだもんなー。

 少なくとも、生理的嫌悪感で席に坐っていられなくなるよーな作品でなくて、よかった。
 出演者が汚い衣装や似合わない衣装ばかり着せられていて、見ていてつらくなるよーな作品でなくて、よかった。
 
 さて。
 わたしはほんとうに、酒井澄夫がいちばんきらいなのかな。

       
 星組公演の感想が途中なんだが、てゆーか芝居の感想をまったく書いていない気もするが、あえてスルーして。

 今さらな話題をひとつ。

 「初めまして、白羽ゆりです」

 あれは先月の終わりごろだっけかな。
 母宛の郵便物がちゃぶ台に置いてあるのを見つけた。

 「トラピックス倶楽部」の会誌だった。袋が透明なので、中身がまんま見える郵便物だったのよ。
 旅行代理店・阪急交通社の通信販売旅行業務がたしか、トラピックスとゆーたはず。
 毎月1回以上旅行に出かける母は、トラピックス倶楽部の会員である。定期的に会誌が送られてくる。

 その最新号の会誌の表紙に、となみちゃんがいた。

 ばっちりカメラ目線で、スーツ姿で電話を受けている写真だ。

 そーいや、くららちゃんのあとのトラピックスのイメージキャラクタはとなみだと、どっかで聞いたな。
 耳にしていたことだったから、それは別におどろかない。

 おどろいたのは。

 その会誌の表紙に、でかでかと「初めまして、白羽ゆりです」と載っていたことだ。

 えーと。
 この会誌は、ツアーを売るための通信販売カタログなんだよね。「秋の特別増刊号」つって、「東海・西日本の紅葉」とか「美しきヨーロッパのクリスマス」とかいう、目玉になる「商品名」を表紙に書いているわけだよね。

 だが、カタログの本来の目的である「商品名」よりなによりも、「初めまして、白羽ゆりです」の文字が大きかった。

 これはいったい、なんの雑誌なの?
 売りたいのはツアー? それとも白羽ゆり?

 巻頭はもちろん、となみちゃんのインタビュー、撮り下ろし写真付き。

 …………なにごとですか。
 もんのすげー、力入ってません?

 雑誌のタイトルより、コピーより、「初めまして、白羽ゆりです」の方が大きいのよ?

 いくら関連会社だからって、ものすげーなー。
 このものすげープッシュの仕方に、となみちゃんの未来を想像してみたりな。
 歴代トラピックス・ガールって、みんなトップになったよねえ。しみじみ。

 
 そんでもってはじめて、阪急交通社の貸切公演に応募してみたんだけど、当たるといいなっ、謝恩価格(笑)。

           ☆

 それと。

 しいちゃんの外部出演にすげーおどろいたんですが(笑)。
 うん、演目より外部がどうこうより、
「何故しいちゃん?!」
 だった(笑)。

 そして、観に行こうと真面目に算段しているしているあたり、ファンだなあ、と(笑 ←何故笑う?!)。

       
 冷静な感覚が戻らないまま、48時間。
 てゆーかコレたんに、風邪がひどくなっているせいだと思う。夜になると熱が上がる。
 のーみそを使いたくないので、コントローラを握る。『バイオハザード』はやっぱおもしろいねえ。キューブのリメイク『バイオ1』。正しいリメイクだわ。ボリュームアップとクオリティアップしながらも、「お約束」ははずさない器用さ。しかし、なんか『静岡』テイスト入ってない? リサだっけ、鎖の彼女とその周辺はかなりダーク……というか、『勝手に改蔵』の羽美ちゃんの精神世界のよーなこわさがあるんですが……。
 ジル編終了。次はクリスやるべかな。

 クリスを見ていると、ついワタさんを思い出す……。

 
 さて、星組公演『ドルチェ・ヴィータ!』

 細かいことはさておき、キャラクタについてちょいと意外だったこと。

 トウコとまとぶんの、毒のなさ。

 博多座でタニちゃんが演じていたサテュロスはまとぶんが演じ、トウコちゃんはディアボロという新しい役を演じておりました。

 共通項は、両性具有と毒と華。……のはず。

 しかし。
 ふたりとも、それらがとっても薄かったよーな。

 
 改めて、タニの偉大さを知る。
 タニちゃんサテュロスはものすっげー悪の華でした。毒がぎらぎら、なのに目が離せない蠱惑する力。
 問答無用で引きつける力。
 華、とは魔力である。そう思わせる強い強い輝き。

 ふだんのタニちゃんは、耽美世界に邪魔なくらい健康的で幼児的なのにね。
 あの変身ぶりはびっくりだ。
 子どもの残酷さが、オギー演出によって引き出された結果だと思う。虫の足を1本ずつちぎって遊ぶ幼児が持つ、毒。善悪の知識以前の存在が持つ、闇の部分。
 それは本人が無邪気であればあるほど、際立つモノだから。

 
 タニの役がトウコではなくまとぶだ、と聞いたときに納得したんだ。
 まとぶんなら、きっと美しいサテュロスになるだろう、と。まとぶんは黒っぽい役が得意な人だから、タニちゃんよりも柄に合っている分、男役としても女役としても、すばらしいものを見せてくれるだろう、と。

 ところが。
 サテュロスはあきらかにトーンダウンしていた。

 もちろん、まとぶんは美しい。それなりに華もある。
 しかし彼には、毒がなかった。

 まとぶんってさあ、男っぽい芸風で売ってたじゃん。素顔のかわいらしさとのギャップを大きくする戦略だったのかどうかは知らんが。
 黒い役、男くさい役をする人だったじゃん。わたし的には納得がいかなかったが、世間がそう認識しているよーなので、そうなんだろうと思っていた。
 だから毒もあるだろうと思っていたのよ。そこにいるだけで不安をあおるよーな、「棘」を演じられると思って安心していたのよ。

 びっくりだ。
 そうかまとぶん、あなた正当派の白い貴公子だったのね……。やっぱり今までの黒い男っぽさは、つくったものだったんだ……。

 毒のないサテュロスは、ただの美人なおねーさんでしかありません……。目にはたのしいけれど、作品の力にはなっていないっすよ。
 脇役サテュロスのすずみんとみらんくんの方が、「女装した男」だとわかる分、毒々しくて正しいくらいです。

 まとぶんはすっきり二枚目の一等航海士をやっているときの方が、絶対輝いてるっす……。

 
 サテュロスが失速してしまった舞台に、新たに加わったキャラクタ、ディアボロ。

 観る前は、ものすごーく期待していた。
 オギー全開なあの世界に、「悪魔」が加わる。しかも演じるのが陰の魅力を持つトウコ。
 どれほどダークで、痛いものを見せられるのだろうか、と。

 ありゃ?

 悪魔は、「毒」を持つ存在ではありませんでした。
 水先案内人というか、狂言回し? 解説役?

 抽象的だった物語に、ディアボロという「わかりやすい存在」を投入することによって、噛み砕いて説明されちゃってました。
 しかもこのディアポロ、ものすげー饒舌だし。トウコは歌の人だからねー、歌う歌う、歌で解説しまくりー。

 そうか。
 オギーだもんな。

 「悪魔」なんてわかりやすい名前のキャラに、ほんとうに悪魔的な役割をふるわけがない。

 『パッサージュ』でいちばん「毒」に満ちていたのが、「天使」のコムだったよーに。
 『バビロン』でいちばん残酷だったのが、「白い鳩」のかよこだったよーに。

 「悪魔」がほんとに悪魔なわけないじゃん……(笑)。

 そもそもトウコは、陰の魅力を持つ人だが、「毒」は持たない人だ。
 「哀」だとか「翳」だとか「寂」だとかは持っていても、「毒」は持たないんだよ。
 泥に落ちても自分で立ち上がって歩き出す人だから。

 
 ディアボロが「毒」を持たず、サテュロスが「毒」を持たず。
 そんじゃこの作品、どーなっちゃってんの? というと。

 博多座バージョンと、テーマ変わってます。確実に。

 大劇バージョンの『ドルチェ・ヴィータ!』のテーマは、ずばり別れです。

 後半、サヨナラショーみたいになってます。
 えーらいこっちゃ。

 海・船乗り・旅行者・港の街……モチーフはすべて「別れ」を含んだもの。
 出会いと別れ、寄せては返す波、つかのま・たまゆら・いっしゅん。
 なんてたのしそうに、「別れ」を演出していやがるのか。

 唯一の通し役?であり、作品の案内役であるディアボロが、あるときは妖しく、あるときは陽気に、あるときは哀切に、「別れ」を盛り上げる。
 彼個人が毒を持つ必要はない。彼はニュートラルにその場にいればいい。
 愉快なシーンも、きらきら陽気なシーンも、それが「海と港」である以上、舞台の外側には見えない部分に「別れ」の棘を持っている。
 舞台が棘、世界が毒、だから悪魔は案内するだけでいい。

 
 ああ、そして。
 主役であり、この舞台の、世界の中心立つワタさん。

 どんなに世界に棘があっても、別れがあっても、かなしみに満ちていても。
 彼自身、かなしい歌を歌っていても。かなしい役を演じていても。
 ワタさんの持つ生命力が、世界を絶望には染め上げない。

 そこにあるのは、すがすがしい別れだ。
 かなしみの向こうにある、うつくしいものだ。

 世界に、光がさす。
 泣いた人にも笑った人にも、同じように光は射す。

 闇の聖女・檀ちゃんが世界の色を決め、哀と時の吟遊詩人・トウコが語り、それらに翻弄されながらも堅固な存在感で希望を織る……ワタさんがいてこその、『ドルチェ・ヴィータ!』だ。

 
 キャラクタの力。
 その役者が持つ色。

 オギーはそれを全開にさせるから、おもしろいよね。
 「作品よりも人を見る」ヅカとして、正しいよね。

         
 後日追加予定だったが、もーいいや。10月1日の日記はあのままにしておこう。
 てな気分になった24時間後。

 星組公演『花舞う長安』『ロマンチカ宝塚’04』初日を観てきました。

 前座の中国物ショーのことは、今のとこ置いておく。

 問題は、『ロマンチカ宝塚’04−ドルチェ・ヴィータ!−』だ。

 
 わたしはヅカファンになって16年、ご贔屓の退団というものを経験したことがない。
 トド様のファンだったもんでな。退団どころか寿命の心配をするよーな立場になってしまったよ。
 トド様からスライドするカタチでわたしのNo.1になったのが、ケロちゃんだ。
 もともと真ん中に立つ人より脇が好きなわたしが、ハマるにふさわしい人だ。(トド様だって、わたしが好きになったときは群舞の隅にしかいなかったんだよ)
 

 この夏、何故タカラヅカなのか、という話を知人とした。
 知人は、タカラヅカなんて観たこともないし、たぶん一生観ることはない人だ。わたしがわたわたと大阪−東京間を行き来し、情熱と時間と金をかけているのを不思議に思った模様。

「タカラヅカって、そんなにいいですか? どこがいいんですか?」

 答えはひとつじゃない。魅力はいろいろある。
 だが、そのなかでいちばん重要で、特異なものであることを、強く語った。

「出会った瞬間から、別れることが決まっているところ」

 万物流転、この世のすべては変わり続ける。不変のものなどない。
 わたしもあなたも、すべての人も、出会った全部といずれ別れるし、失わずにすむものなんてひとつもない。
 それは事実だ。

 だけど、長いありきたりな人生の中で、それを実感することはそうそうない。
 朝起きて家族の顔を見るたび、「いつか死ぬんだ」「明日永遠に失うかもしれない」なんてこと、考えていられない。新しく出会った人に「はじめまして、いつか確実に永遠に別れることになりますけど、今はよろしくお願いします」とは言わない。
 日常という長いスパンの間では、「普遍の事実」も意識には上がってこない。

 俳優でもアイドルでも、出会うとき、好きになるときに「でもこの人はいずれ絶対にこの世から消えてなくなる」と思うことはない。
 廃業するかもしれないし、亡くなることだってあるかもしれないけれど、それは未知数であるし、廃業しようが亡くなろうが、その人物は事実上消えることがない。

 だが、タカラヅカの男役だけは、チガウ。
 「別れ」が「絶対」なんだ。
 はじめから決められているんだ。

 廃業したら最後、その人はこの世に存在しなくなる。たとえ芸能活動を続けていても、「男性」としてのその人は消滅する。

 失うことがわかっていて、それでも「今」を愛する。

 なんとも絶望的で、すごいことじゃないか。

 質問した知人は感心していた。
 「今」しかないから走ることを、わかってくれた。

 
 タカラヅカという不思議。
 いずれ失うと宿命付けられたものを愛する不思議。


 人間はすごいねえ。
 傷つくことがわかっていても、愛することをやめないんだから。

 痛いのがいやなら、はじめからやらなきゃいいのにね。
 いずれ死ぬのに、なにもかもなくすのに、それでも誰かを愛するじゃん。
 すごいよね、人間って。

 そーゆー人間のすごさの縮図だと思うの。
 タカラヅカを愛するのは。

 どーせ最後は苦しんで死ぬだけなんだから、生まれてこなければよかったのに、と言わない、人間という生き物の愛しさ。

 別れることが、失うことがわかっていて、それでも愛する強さ。しぶとさ。ふてぶてしさ。

 壮絶だよね。

 
 さて、わたしは今その、「タカラヅカの醍醐味」のただ中にいる。
 16年ファンをやってきて、はじめて、だ。

 なにしろ未知の経験なので、自分がどうなるのかがわからない。
 こわくもあり、興味深くもある。

 でもせっかくだから、味わいつくしたいと思っている。
 こんな経験、他ではできないからな。
 生まれてきてよかったぜ、ラッキー! てなくらい、今、かなしくてかなしくてたまらないことを、噛みしめている。

 だってさ、こんなにかなしいのは、それだけ好きだったってことだからね。

 かなしいのが自慢だぞ、こんちくしょー。

 てな。
 気持ちを満喫できるのが、『ドルチェ・ヴィータ!』だったのだわ。

 
 最初はふつーに拍手したり、手拍子したりして機嫌良く観ていたんだけどね。

 途中から、それどころじゃなくなった。

 
 ねえねえ、なんで人は祈るとき、両手を組み合わせるんだろうね?

 そうしないと、崩れるからだよ。

 途中から、ずっと、両手を組み合わせていた。
 祈りのポーズ。
 自分で自分の手を握る。指と指を交差させて。

 胸の前で両手を組んで。
 祈ってるのかな。なにを?

 抑えているのかもしれない。
 なにか、わたしというモノを破って、とびだしてきそうだった。
 それを抑えるために、指を交差しているのかもしれない。
 力をこめているのかもしれない。

 オペラグラスも使えない。
 魂がぐつぐつ動いているのを感じる。
 自分が今、息をしていることを強く感じる。

 祈っているのかな。なにを?
 両手を組んで。指と指を交差させて。力をこめて。

 崩れる。なにかがとびだす。なにが?

 うおー。
 いい感じ。
 長年人間やってきて、感じたことのない惑乱。

 魂が動く。
 お盆を床に落としたとき、∞のマークを描くようにくわんくわんと揺れていることがあるよね。
 あんな感じだ。

 「タカラヅカの醍醐味」のただ中にいるわたしと、そんなわたしへ向けてオギーが放ったメッセージが、わたしを揺り動かす。

 いや、まったく、すごい。

 まだちょっと、アタマが整理できていないっていうか、理屈のところまでいってないのね。
 感覚だけ、感情だけなの。
 わたしは今むきだしのわたしのままなの。

 すごいものを見た、ということと、それによって反応したわたしの内側のことだけを書いている状態。
 おもしろいから、興味深いから、書いておく。

 つらくてかなしくて、だけどだからこそ、それがものすごいパワーになってわたしをぐちゃぐちゃにしている。
 体温が上がっているのがわかる。この感覚が続けばまたきっとわたし、倒れる(笑)。カラダが感情についていけなくなる。感情の生き物だよな、まったく。

 オギーはきっと、「かなしい」とか「別れ」とかにとても敏感な人なんだと思う。
 だからこそ、そこを突いてくるんだと思うよ。
 「技術」として、うまい。
 どうやれば「かなしい」かを、きちんとわかって作っている。「かなしい」が正しくわかる人は、「うれしい」もわかるんだよ。
 そして「うれしい」が「かなしい」のもうひとつの顔であることも。

 とってもぐちゃぐちゃな感想ですが(笑)。

 タカラヅカという世界を愛し、誰が退団するかを踏まえた上で観ると、ものすげー「うまい」作品です。『ドルチェ・ヴィータ!』。
 退団者に愛や興味がなくても、「タカラヅカ」というルールを知っている人が観れば、そのうまさがわかるはず。
 才能豊かな人が作った、高い水準の作品。ヅカを愛する人たち、美しいものが好きな人におすすめ。

 そして。
 ケロファンは感涙必至、破壊力∞。

   <…

< 200 201 202 203 204 205 206 207 208 209 210 211 212 >

 

日記内を検索