東京まで行ったのに『ファントム』観られなかった、くやしいぞ記念日記(笑)。いや、新宿の某ショップで時間つぶしながら、つらつら日記をハンドヘルドPCに書いてたもんで、そいつをそのままUPします。

 6月11日の腐女子語り『ファントム』のつづきです。

 テーマはズバリ、ハッピーエンド!!(笑)

 
 キャリパパがちゃっかりエリックとデキあがって、でもストーリーラインは本編まんまだからエリックはキャリパパの手で射殺されて。

 ああ、悲劇ですねえ。
 このまま終わってたら、アンハッピーっすねえ。腐女子的には悲劇もオイシイんだけどさ。

 だからまあ、キャリパパとエリックの物語としては、ここでENDマークよろしく。
 こっから先の話は、時間軸は繋がってるけど、別の話ね。

 なんせ、ヒロイン替わってますから!!

 愛するエリックを失い、人生真っ暗のジェラルド・キャリエール。ぴちぴちの42歳(てきとー)。
 キャリパパも自殺したかったけど、宗教上それもできなくて。
 すったもんだの事後処理の末、なにもかも失ったキャリエールを迎えたのは、ふくれっ面のフィリップ・ドゥ・シャンドン(30歳くらい希望・29歳以下却下)だった。……てな話。どうすか?

 フィリップも可哀想なのよ。挫折を知らない人生歩んできて、こわいモノなしだったのに、はじめて女の子に振られちゃってさ。彼としては「愛する恋人」が化け物にさらわれた! 行くぜヒーロー、立ち上がれオレ、てなもんで、張り切って剣振り回してたのにさ、肝心の恋人はフィリップなんか眼中になくて、「ひょっとしてオレ、ただのカンチガイ野郎?」ってくらい相手にされてなくて。
 今までにない本気の恋だったらしいのに。それが失恋、しかもこれ以上ないくらい手ひどい振られ方。「あら、フィリップいたの?」ってくらい完全存在忘却。……拒絶されるよりひでえ。
 そのうえ友だちのキャリエールまで大変なことになってるし。てゆーかジェラルド、オレのこと今までだましてた?! オペラ座のファントムのこと、なんにも聞いてないよ?! 息子ってなにソレ?!
 クリスティーヌはまだいいよ。全部オレのひとりよがりだったんだろうさ。出会ってから日も浅かったし、舞い上がってたことは認めるし。しかしジェラルドとは何年のつきあいだ? 友だちだと思ってたのはオレだけか?
 裏切られた気持ちと疎外感と、それでもキャリエールを信頼している気持ちとで、揺れ動くシャンドン伯爵(笑)。

 見慣れた相手の意外な一面にときめくことはよくあることで、失恋したばっかでナイーーヴなフィリップには、ぜひ「知らなかった、君のそんな顔」に胸を突かれ、そのままキャリパパの余生の伴侶になってほしいっす。

 のーてんきに金と権力と美貌で人生を謳歌していた青年貴族が、友人の真の苦悩を知り、それゆえに友情が恋にかわるわけですな!

 キャリエールがエリックの所行を黙認していたことや射殺したことや、もろもろの罪に問われたとして、それを救えるのはフィリップだけだと思うのでとくに、フィリップにはがんばってほしい。
 物理的には、金と権力にものを言わせて。札びらきって、キャリパパを釈放させるのだ。無実ぐらい、金と権力で手に入れられる時代でしょ?(笑)
 精神的には、そりゃもちろん、その「愛」で!! フィリップ、貞操観念低そうだから、キャリパパをカラダでなぐさめちゃえ(笑)。
 金と権力で救ってやったことを盾にとって、命令受しちゃえ。大丈夫、キャリパパ男前だから、一度でもヤっちゃえばOK、あとは覚悟決めてくれるよ。

 ほーら、ハッピーエンドだ!(笑)

 個人的には、そーやって命令で関係強要したあとに、キモチがすれ違っちゃったりしてじれじれするのが好みですな。
 キャリパパはフィリップの誘いに乗った時点でもう、フィリップへの愛を認めているのだけど、フィリップはそれに気づいてない。自分が命令したからだとか、今もキャリパパはエリックを愛しているのだと思い込んで、ヲトメ全開なせつなーい恋愛モノに持っていきたいですなあ。
 それからすったもんだと事件やいろんな出来事や、ついでにベッドシーンも手替え品替えいろいろあって、すれ違っていたふたりの心が通じ合うのがいいですなあ。誤解してただけで、両想いなんじゃーん!って。
 フィリップ@トウコちゃんの「揺れる瞳」を堪能し、キャリエール@じゅりぴょんの男前ぶりを堪能したいところです。
  

 てな、たのしい「オペラ座の怪人・その後」を考えているんだけど。
 ああ……誰か同人誌とか出してくんねーかなー……。
 
     
 なんで火曜日なのに、2回公演じゃないの〜〜、と、かなしみの緑野です。
 よりによって灼熱日、またしても東京に行ってたんですが、ヅカは観られなかったです。昼1回だけの公演の日だったんで、用事と時間がかちあっていて、どう調節しても観られませんでした。めそ。あああ『ファントム』うぅ。たかちゃあん。当日券並ぶ気満々だったのにぃ。

 東京宝塚劇場『ファントム』のポスターには、「絶賛上演中」というシールが貼ってありました。
 そうよねえ、「上演中」という事実のみを書くしかないよねえ。チケットはもう売り切れてるんだから。

 わたしは自分が大阪在住で、ムラを中心にしか観劇生活をしてこなかったので、ひとつきだけ東京で観劇生活をしておどろいたことがある。
 数年ぶりに買った『宝塚GRAPH』のキャリエール×エリック抱擁シーン等の切り抜きを、東京でわたしが借りていた部屋の壁に貼っているときに、ふと気づいたの。
 まだ『ファントム』、こっちではやってないんだ。
 わたしが東京かその周辺に住んでいたなら、当然東京公演までその演目を観るのを待っていたと思う。自分のテリトリーで観られるのがわかっていたら、高い金を出して遠征しないだろうから。
 となると、先にこうやって、出版物に公演の写真が載るわけだ。本拠地ではひとつき以上も前に公演しているわけだから。

 東京に住んでいたら、まだ観てもいない公演の写真を、見ることになるんだ。

 ……共感の得られないおどろきだとは思うよ。“雑誌に「自分がまだ観ていない公演の写真が載るんだ」ってことが、おどろき”だなんて、そういうことが起こることにはじめて気づいたなんて。

 でもわたしには、ほんとーにおどろきだったの。
 ヅカファンやって16年、これまでずーーーーっと、「雑誌の舞台写真」っちゅーのはわたしにとって「終わった公演」が載るものだったんだもの!!
 もう自分の中では「終わってしまった」公演。
 ページをめくると「あら、なつかしいわね。観に行ったわ」と感じる写真が載っている。
 そういうものだったのよ、16年間。
 記憶を確認したり、なつかしむためにあったのよ、雑誌の舞台写真は。

 あ、なにもわたし、すべての公演を観ているわけじゃないんで、全ツとか名古屋や博多の公演写真なんかは、もちろん観ていない舞台の写真が雑誌に載っているよ。でも、はじめから観る予定のない公演の写真はまた、別だし。
 自分がこれから観る作品が、先に写真という既成事実になって先に目に入る、ことがおどろきなの。

 もちろん、ムラ公演のあとに東京公演があることは知っているし、雑誌にも東京公演の話題が載っていたりする。
 でもそれはものすごく遠い話というか、「あら、あの公演まだやってたの」って感じで、自分には関係ない世界のようだった。
 なにしろ、ムラの公演中心の身なので、いくら同じ演目が東京でやっていてもそれは「終わった公演」なのよ。わたしの体内感覚ではめでたく千秋楽なの。ENDマーク出ちゃってるから、「思い出」に昇華されちゃってるの。

 ものすごくハマった作品だとか、誰かわたしにとって大切な人が退団するとか、なにか理由がない限り、ムラ公演の楽と同時に、わたしのなかでも華麗にフィナーレ、その公演は「終わってしまう」。目の前にないから、記憶の奥へ沈む。
 だってそのときにはもう、ムラでは別の新しい公演がやっているわけだし。終わった公演のことまで考えていられない。わたしは通常公演は全組観るし、どの組も好きだし、たのしいし。初日が好きだからスタートダッシュに燃えているし。

 ムラ中心だから、知らなかった。
 東宝組って、写真とか記事とかが先なんだ。自分の目より記憶より、他人の目や記憶が先なんだ。

 いやあ、おどろいたよー。
 知らなかったんだもん。想像したことなかったんだもん。
 自分が体験したことないもんだから、ほんと、想像の余地がなかったの。

 『ファントム』の写真を部屋に貼りながら、「でも、東京ではまだコレやってないんだ。つか、こっちではまだ『スサノオ』やってるしな」と、感慨深かった。
 大好きな『スサノオ』をまた観られたのはうれしかったけど、やはりわたしにとって『スサノオ』は「終わった公演」だったので、「すごい、終わった公演をまた好きなだけ観られるなんて!」という、タイムマシンに乗ったような興奮があったこともたしかだ。

 東京タイムマシン。
 わたしにとっては、そんなもの。

 数ヶ月のタイムラグ。
 時間の断絶、記憶の浮遊。

 東宝公演が特別感あふれているのも、そのせいだろうなあ。
 なんかなつかしくて愛しい感じなのね。
 わたしにとって「過去」であり、「終わってしまったもの」に、また会える公演だから。
 さよならを言って別れたともだちに、また会えたような。

 だからこそ、観たかったのになー、『ファントム』。
 チケットを押さえてあるのは2回だけなんで、それ以外に東京行くことがあれば、当日券で立ち見する気満々なのになー。

 キャリエール×エリックの、あのあとの物語を考えたのよ。
 あのあとっちゅーのは、6月11日の日記参照ね。

 微妙に文字数足りないんで、腐女子語りは翌日欄へ。

        
 月組公演『飛鳥夕映え』、かしげ鎌足バージョンの感想その2。

 作品にも演出にも、責任はある。
 『飛鳥夕映え』はおもしろくない。

 たしかにそれは、作品の力不足だ。

 しかし。

 2回目観てもなお、主役のキャラクタがわからないっていうのは……演じている者にも、問題があるんじゃないか?

 タカラヅカに駄作は数あれど、どんな号泣キチガイ作品であったとしても、トップスターはトップスターである底力で、なんとか魅力を発掘するのだ。
 スター力ともいうちからで、駄作を支えるのだ。そうやってタカラヅカは90年やってきたのだ。

 『飛鳥夕映え』程度の駄作は、ヅカの歴史の中にいくらでもあった。てゆーか、まだかわいい方だ。下の上、くらいだ。
 これくらいの作品、トップスターが力技で魅力を作り上げねばならんのだ。

 だからこそ。

 はじめて思った。

 鞍作役がさえちゃんでなければ。と。

 鞍作も役替わりがあればいいのに、と妄想配役をたのしみはしたよ。でもわたし、「タカラヅカ」のファンだから。トップ至上主義は身に染みついてるのよ。冗談で言っても、本気でトップの役をどうこうは思わないわ。
 まずトップスターありき。作品も他のキャスティングも、全部そのあとについてくるもの。
 トップスターの力量が多少アレでも、そんなのトップだから不問。それくらい、「トップスター」という地位は特殊なものだと思う。

 さえちゃんが月組のトップスターで、それはデフォルト、前提ってやつだから、そのことを疑問視することなどまったくなかった。
 もちろん、他の組の他の人でも同じね。トップスターはいつでも「前提」で、そのうえでいろいろ思うのよ。

 「前提」だから、考えなかった。
 鞍作という役をやっているのがさえちゃんでなければ、もう少しマシな作品になっていたのに、とは。

 ……さすがにね、2回観てまったく主役のキャラクタがわからなかったことには、うろたえたの。
 どんな駄作でも、嫌いな話でも、なにかしら主役のキャラぐらいは伝わってきたから。彼がなにを考えていて、なにをどう感じる人かぐらいは、意識して考えなくてもわかったの。

 
 そう。
 鎌足@かしげを見ながら思ったのよ。
 この鎌足はいい。腐女子的にもOKだ。

 だが、何故だ?
 ぜんぜん、萌えないんですけどっ?!

 このわたしが、こんなにおいしい鎌足を前にして、萌えないですって?!
 どうして? 鎌足はこんなにも鞍作を愛しているでしょう? どうしてソレで萌えないのよ?!

 と自問自答してよーやく、気づいたのです。

 鞍作のせいだ。

 鞍作に人格が見えないなら、萌えられない……。がっくり。

 そこでわたし、まずいつものよーに、鞍作というキャラを作った演出家の方が悪いと思ったのことよ。脚本でもっとなんとかしていれば、と。
 しかし。

 考えたのよ。

 もしも鞍作が、あさこだったら、って。

 …………。
 …………。
 …………。

 萌える。
 めちゃくちゃ、萌える。
 フンガー!!
鼻息。

 
 それではじめて、気がついたのよ。
 そうか、演出だけの問題じゃないんだ、って。

 さえちゃんなんだ……。

 「トップスター」は前提だから、さえちゃんに問題があるなんて真の意味では考えたことなかったよ……。
 世間で言われるほどわたし、さえちゃんが下手くそだと思ってないしさ。技術云々とは別のところにあるのが「タカラヅカ」だから。「彩輝直である」という「才能」は、アリだと思っていたからな。(「彩輝直」の位置に誰の名前をあてはめてもOKだ。それがタカラヅカ)

 
 ああ、そして。

 ひょっとしてさえちゃん、ものすげー下手で作品壊してるんでわ? と思ったきっかけが。

 だって、さえちゃんだと萌えないし、という、目眩がするほど腐女子な理由って、どうよソレ?!

 ヲタク・センサーゆえかよ!
 なさけなさすぎるよ!!

 …………友人たちには知られていることだけど、わたしじつはべつに、あさこちゃん特別好きではないです。萌えジェンヌだと認めてはいるけど。好きか嫌いなら好きだけど、ファンじゃないです。オサアサは大好きだけど、あさちゃん個人だとふつーに好きなだけです。たぶん、この日記でもそれはわかると思う。ふつーに好きなだけで、あまり興味はないんだなって。
 あさことさえこなら、さえこの方が好きです。つか、さえちゃんのことは、個別に好きだとあちこちで明言している。キャラ的に萌えるんだもん。いじりたいキャラなんだもん。

 だからこそ。
 鞍作がさえこでなく、あさこなら萌えた、という事実に、けっこーショックです。

 めそめそ。

 
 鞍作に情緒があるように見えなくて、ただ台詞を言っているだけのお人形さんに見えて、まったく感情移入できなくて、理解もできない。
 だから、そんな人を相手に陰謀を巡らしている鎌足が不憫に思える。バカに思える。

 見ながら、思ったんだ。
 鎌足よ、鞍作なんてやめて、軽皇子にしとけよ。鞍作なんて愛しても抱いてもぜんぜんおもしろくないって。
 ほら、軽皇子だって、きれいでお育ちがいいぞ。家柄のいい人にしか欲望持たないんだよね、鎌足。だったら軽皇子にしとけって。征服して悦に入るなら、そっちの方がたのしいって!!

 軽皇子なんつー、脇に萌えを振らなければならないほど、鞍作がダメですか……。

 そして、そんなふーに考えている自分を顧みてよーやく、さえちゃんがダメなんだってことに気づきますか……。

 偏った感性だな、わたし……。とほほ。

 
 まあなんにせよ、おもしろい芝居ではないです、『飛鳥夕映え』。
 主役がお人形過ぎて。
 せっかくお人形ならお人形としての特性を活かせる演出にすればいいものを……ぶつぶつ。ああやっぱり、それでもわたし、さえちゃんではなく演出の方に文句があるわ。

 ま、わたしの感性とわたしの感想なんて、この巨大な歴史の歯車の前には無にも等しいので、多少まがっていも偏っていても的はずれでも、どうかみなさん、寛大にスルーしてやってください。

 
 つーか……かしげ×あさこが見たいな、個人的に……しみじみ。と、つぶやいてみる。

       
 さて、TCAの感想だけで数日使っちゃいましたが。
 月組公演『飛鳥夕映え』の2回目にも行ってきました。えーと、15日かな。

 目当てはもちろん役替わり、大好きなかっしーの鎌足です。

 実はわたし、かっしー鎌足の日も、いつもの1列目の端席を押さえてあったんだけど、その日は大阪に帰れなくて、泣く泣く手放した。……同等席交換も難しく(みんな端席嫌いなんだよね)、仕方なくかっしーを少しばかり遠い席で観たよ……ああ、前で観たかった。真ん中でなくてもいいんだ、人の顔を見るためだけならば。とにかく前方席で見たかったのよ、美しいかっしーを。

 ええ。
 期待通りの、美しい鎌足でした。

 
 ところでわたし、今回の鎌足@かしげを見て、いちばん、腹の底からおどろいたことは。

 かっしー、頭良さそうな役もできたんだ!!

 われらがかしげちゃんの、愛すべき特色は、なにをやってもアタマ悪そうなキャラに見えることだったからねえぇぇ。
 なにをやってもどんな役を演じても、誠実さと頭の悪さが透けて見える、それがかっしーだったからねえ。

 まさか、頭の良さそうなかしげちゃんを、この目で見られる日が来ようとはなあ。長生きはするもんだなあ。

 ついでに、成功したかしげの悪役も、はじめて見た(笑)。

 かっしーてば、なにをやってもどんな役を演じても、かなしいくらい「いい人」だったからなあ。
 生真面目で器用じゃなくて誠実な、とにかく「いい人」。
 悪役をやっていても、一生懸命悪役しているのが透けて見える、小人物な「いい人」。

 ハンサムで背が高くて地位も財産もそこそこあって、しかも誠実でやさしくて、ヒロインのことを誰よりも愛しているんだけど、
「あなたはとても素敵な人よ。でもごめんなさい、あたし、やっぱり彼を愛しているの」
 と、結局最後は振られてしまう、またすっきり身を引いてしまう、恋愛ドラマの当て馬のよーな「いい人」かしげ。

 だからかっしー、人気ないんだよね……。
 恋愛ドラマの視聴者は、ヒロインに感情移入して見るからさ。ただの「いい人」かしげには立場以上の好意はなくて、たとえ地位や財産がなくても、他に女(あるいは男とか・笑)の影があったとしても、あさこのよーな色男のもとに走るんだよなー。

 わたしはずっと、かしげちゃんのそのかしげちゃんらしい鈍くささ、美貌の持ち腐れとしか思えない薄さ(いや、髪の毛のコトじゃなくて)と善良さを愛でてきました。

 『追憶のバルセロナ』でなにをまちがったか黒いオイシイ役をいただきながらも、持ち前の鈍くささと善良さで台無しにしていた、あのなさけない姿ですら、あたたかく見守ってきましたとも。
 『バルセロナ』の役ができなかった人が、鎌足なんつーわかりやすい悪役をできるんかいね? フェロモン炸裂のあさちゃんやらゆうひやらと並んで、色気皆無のさわやかさんが、どうする気だね?
 とまあ、いろいろ勘ぐってはおりました。
 かっしーのかっしーらしさを愛してはいるが、致命的な欠点だとも思っていたからな。「いい人」以外演じられないというのは。

 救いは、得意の日本物だってことかな。
 日本物の雪組で御曹司として育ったかしげは、日本物が得意。若いころから鍛えられている。素地があるのは強みだよね。説得力になるから。
 それだけを支えに、見に行きましょう、大好きなかっしーを。
 たとえまたしても失敗して、「なんちゃって悪役」だとか「頭悪そうで見ていて失笑」だとかいう鎌足になっていても、だ、大丈夫、それでもわたし、かしげを好きなままでいるわ!!

 
 きゃ〜〜っ、かっしー素敵ー! 鎌足さまぁ♪

 意外や意外、ちゃんと頭の良さそうな、悪役らしい悪役のかっしーがいました。
 なまじ美貌だから、悪をやると映える。

 はあ。
 かっこいいかしげなんて、見るの『アナジ』以来だよ……。何年ぶりだよ……。
 素敵なかしげなんて、見るの『アンナ・カレーニナ』以来だよ……。何年ぶりだよ……。

 とまあ、うれしいおどろきに満ちていました。

 
 悪役の鎌足はきちんと悪役で、日本物の所作にも優れ、歌も演技もそこそここなしている。
 そしてわたしは、この芝居を観るのが2回目。
 それなら今度こそわかるはずだわ、鞍作という人のことが。

 わかりませんでした。
 ねえ、鞍作って、いったいどういう人?


 ふつうは、1回観ただけでわかるもんなんだが……。初日の翌日だったかに観に行ったときは、さっぱりわからなかったの。主役の鞍作という人のキャラクタが。
 作品がアレなせいだと、そのときは納得した。

 タカラヅカは座付き作者が、「タカラヅカのための作品」を書き下ろす。よその作家がそのときだけ雇われて演出するわけじゃないんだ。専属のクリエイターが需要明確に書き下ろすんだよ。
 それだからこそ、主役を演じるトップスターの魅力を引き出して当然だと思っている。だって、そのために座付きとして存在しているんだから。
 それゆえにわたしは、この口うるさい日記で、演出を責めることはしても、演じる人の力量を責めることはあまりない。そりゃま、感想の範囲として多少は言及するけどさ。生徒の力量よりも演出の方に興味があるのよ。
 ダンスが下手な人に「このシーンのダンスが下手だから、作品をぶちこわしている」とは言わない。ダンスが下手だとわかっているスターに、「このダンスが踊れないと作品がぶちこわしになる」よーなダンスシーンを書き下ろした作家を責める。なんのための座付きだ。「ダンスが下手なスター」だとはじめからわかっていて、「スターを魅力的に見せる」ことが使命のくせに、そんなバカなことをするなんて、と。
 「このダンスが踊れないと作品がぶちこわしになる」よーな作品が書きたかったら、別のときにやればいい。求められているのはあくまでも「スター」であって、「タカラヅカ」であって、その演出家個人ではないのだから。「タカラヅカ」という枠の中ですばらしい作品を創るクリエイターが必要とされているのだから。
 好きな演出家はいろいろいるけれど、彼らが「ヅカ」ではなく、ふつーに外部の人たちを使って芝居を書いても、観に行きたいと思うことはあまりない。人気の荻田浩一だって、彼の外部オリジナル芝居を観に行く人はほんとーにわずかだ。つまりそれくらい、必要とされているのは「タカラヅカであること」なんだ。
 「タカラヅカである」以上、作家はスターの特性に合わせた芝居を書く使命がある。それでメシを食ってるんだから、当然だ。発注通りの製品を納品するのが社会人としてあたりまえのこと。
 だから、『飛鳥夕映え』をはじめて観たときも、まず言及したのは作品の低品質ぶりだ。
 つまらないよ、この話……。ただの「あらすじ」って感じで、中身ないじゃん……。主役のキャラクタが見えないって、どういうこと? もっとさえちゃんに合った話にしてやれよー。
 
 そう。作品を語っても、主演者の力量についてどうこう言う気はなかったさ。

 でもさ……。
 2回目を観て、思った。

 たしかに作品も、けっして名作ではない。問題点ありまくりだ。誰が演じてもおもしろくなるっちゅーレベルの物語じゃないよ。
 しかし。

 文字数ないからつづく。

    
スポーツニッポン新聞大阪本社では、この「TCAスペシャル」をグラフで速報した「宝塚歌劇90周年特集号」(タブロイド版、24ページ、オールカラー)を17日に発売(定価200円)します。


 ということで、買いに行ってきました、近くのコンビニまで。

 なんつーか、愛を試されますわね。
 雑誌とかじゃなく「新聞」だから。
 コンビニに、わざわざ新聞だけを買いに行くのって……本気!って感じしない?

 しかも、相当恥ずかしい紙面なのだよ、これが……。

 スポーツ新聞の紙面センスで、タカラヅカ。
 そりゃーもー、身も蓋もなく恥ずかしい新聞だぞっ?!

 わたしの行ったコンビニには、やる気なさそーに「宝塚歌劇90周年特集号」というポスターが新聞売り場に貼られていました。

 わたしは「近所のおばさん」なのがひとめでわかるやぼったい格好に財布ひとつだけ握りしめて、まっすぐ新聞売り場に行き、迷わず宝塚新聞を1部取り、レジへ直行しました。
 客がいなかったせいもあるんだろうけど、レジの男の子、このわずかな間ずっとわたしのこと見てたわよ。ごめんね、おばさん、宝塚ファンなのよー。この悪趣味な新聞買いに、わざわざやってきたのよー。

 もちろん、袋なんぞ拒否してナマで持って歩いたけどなっ(笑)。

 
 中身は……まあ、よくも悪くも「紹介記事」だけです。
 広く浅く、初心者向け、宝塚に興味はあるけどまだ観たことがない人などをターゲットに編集されたらしい、24ページまるまるつかって広告記事、みたいな。
 コアなファンは、初心者向けにどんな紹介のされ方をしているかチェックしたり、トップスター+1の撮り下ろし写真目当てにするぐらいしかありませんな。

 それにしても、「トップスター」って単語、使われまくってますなー。「主演男役」なんていう、わけのわからない単語は一切ない。
 初心者向け宣伝ならば、なにがなんでも「トップスター」という名前は必要だ。わかりやすいもの。

 スポニチの写真っていつも微妙なんだけど、今回もまた盛大に微妙ナリ……。なんでその写真使うかな……もっときれいなものもあったんじゃないのか??
 トップスターの素顔写真がすげーでっかく載ってるんだが……なまじでかいだけに……。
 まず、寿美礼ちゃんの目元のシワにヘコんだ。
 たのむよ、スポニチ……。シワぐらい修正してやってくれよ……。
 そして、とどめが、たかこ。
 や、やばい。その顔はやばいだろおっ?!
 素顔写真のたかちゃんはいつもとても美人さんなので、安心してたのに……なにもこんな、破壊された表情を載せなくても。よよよ。

 あと、以前読んだことのある記事もそのまま再録されてました。前にこの日記で書いた、『ファントム』の裏方さんの話とか。
 手抜き……。
 

 駅売り新聞で200円、さて、これで新規ファン開拓はできたのかしら。
 
 
 そして、万が一これから買いに行く人に、助言。
 どんなに恥ずかしくても、できる限り中身をその場でたしかめろ。

 なにしろ新聞だから、印刷最悪。

 わたしの買ったものには、せっかくのスターさんのアップ写真ほとんどに、印刷上のヨゴレみたいな引きずったよーな線が入ってた。どのページも同じ位置に同じヨゴレだから、輪転機の段階でヨゴレがついたんだと思う。
 200円だからもうあきらめるけど。

 これから買う人、できるだけきれいな印刷のをGETするのだ。エールを送る。

     
 さすがにもう書くの飽きてきた、『TCAスペシャル2004「タカラヅカ90−100年への道−」』の感想その6、これで最後です。

 芝居以外のパートは、各組ごと+特出チームで超絶簡単な歌い継ぎショーになってました。
 花月雪星宙の順で、年代順。
 最初の花組が気の毒なのは、歌のセンスが半世紀前だということ……なんだけど、さすがだタカラヅカ、半世紀前も現代も大してちがいはねぇ。
 タカラヅカはあきれるほどタカラヅカなのである。
 第2部昭和後半からよーやく、実際に馴染みのある曲になってくれた。
 ……それにしても、そのいちばん馴染みがあり、かつなつかしい曲を歌ってくれるのが星組さんたちで……破壊力抜群。
 星組に歌手を。切実な祈りですわな。

 不思議だったのは、最後の宙組。最近の曲のパートなのはわかるけど、何故か宙組ヒットステージだった。
 なんで宙組が宙組の曲を歌ってるの? トウコは『王家に捧ぐ歌』の曲を歌うし。
 歴史を振り返るのが目的で、自分の持ち歌を披露する場ではないでしょう?

 好きな歌を好きな人で聴けて、うれしかったんだけどさ。
 うわー、たかこの『ミレチャ』久々に聴いた〜〜。好きだったな、コレ(笑)。『エクスカリバー』も、作品のばかばかしさは置いておいて、歌は好きだったよ……。

 宙組ファンには何故かおいしいイベントでした、どういうことだ、TCA。
 

 フィナーレの「学年別」ヒットパレードはヅカファンの本能としてたのしんだ。
 ヅカにおける学年、同期ってやつはほんと、独特の魅力を持っているよねえ。TCAに出るようなスターを「同期」で並べると、華やかさと親近感がばーっと増すんだもの。

 てゆーか。

 ゆうひさん、あなた何故、2番手さんと一緒に歌っちゃいますか。

 答え、同期だからです。
 …………わかってる、わかってるけどっ。なんかすっげーうれしいんですが(笑)。

 かしげ、あさこ、ゆうひの並びが。
 月組公演でさえ存在しないシーンが、TCAで観られたなんて……わーい、この目で見られてうれしいよう。

 これだけ「同期大安売り」の構成じゃ、Myダーリン・ケロちゃんは出る場所がなかったなと思うけどさ。いくら同期でも、安蘭けい様と並んでフィナーレには出れまいよ……かしあさとゆーひ以上に、立場開きすぎてるもんなぁ。

 
 最初に言ったけれど、いちばん文句なしでたのしかったのが、1部の2番手6人(多い……)の「歴史の時間」だ。
 『ドンブラコ』からはじまる、どーしよーもない古くさい歌たちを、力技でギャグにして、たのしいエンタメシーンとして昇華させた。
 2番手6人は、それぞれとんでもないお笑い眼鏡をかけて、コミカルに大袈裟に歌う踊るおどける。
 だから、6人は多いってば。
 誰を見ればいいのかわからない〜〜。みんな素敵すぎ〜〜。バカ眼鏡姿なのにぃ(笑)。
 あさこと組むトウコとかな……目に新しくていいなぁ。こういう豪華なシーンをいっぱい観たかったのにな。ここだけだなんてな。
 6人が横1列で、歌っていない人もそれぞれなにかしらやっているもんだから、目が6つ欲しかったよ、マジで。

 
 さて、最後にトド様なんだが。
 トドロキ氏はまさにタカラヅカの象徴のように思えた。
 ごめん、あまりいい意味でじゃない。

 トド様は徹頭徹尾、タカラヅカの持つ「伝統」というか、「古くささ」を踏襲していらっしゃいました。
 彼はひたすら古い。重い。
 もちろん生涯をヅカに捧げるお人だから、かたくなに伝統的男役である必要があるんだろうけど。
 今回のTCAの悪趣味だったところ、つまらなかったところ、憤慨したところ、そーゆー悪い意味での「伝統にあぐらをかいた観客無視の自己満足」が感じられる部分での、タカラヅカの象徴のような存在に見えたんだ。

 これからどうなるんだろうなぁ、タカラヅカ。
 これからどうなるんだろうなぁ、轟悠。
 ……ってくらいに、悪い意味での古くささを感じたんだよ。

 伝統が素晴らしいのはわかったから、連呼しまくらないでください。自画自賛しないでください。
 本当に素晴らしいなら、ここぞというときに、ちらりともったいつけて見せていただければそれで、十分ですから。
 あとは苔にまみれた過去ではなく、「現代」を見せてください。
 「現代」が輝けば輝くほど、そこにつづく「過去」や「伝統」がすばらしかった、ということなのだから。
 自分で声高に宣伝しなくても、ちゃんと伝わりますから。

 つーことで、トド様はタカラヅカの悪い見本みたいな使われ方してないで、もっと出番少なくてもぴりりとかっこよく(あるいは愉快な)登場の仕方をして欲しかったよ。
 それこそ、トップスター色男5人組扮する美女(!)を転がしてくれる、とかさー(笑)。中年の色男は、自分より背の高い女を転がしてもOKなんだからさー。たかちゃんなんか、絶対大喜びでドレスアップして迫ってくると思うのになー。たとえヒールとカツラで身長185cmを超えていたとしてもだ!!(笑)
 個人的に美女オサちゃんと、色男トド様の絡みが見たかった……。

 とりあえずトド様、エリマキトカゲ衣装だけはやめて……現役時代から、ファンはかなしい想いをしつづけているのよ……あなたソレ、致命的に似合わないから。
 MCも苦手なんだから、わざわざしなくていいっす……。

 出番少なくても、真ん中に立たなくなっても、ずっとずっと好きだから。
 タカラヅカの悪しき象徴には、ならないで。

 
 第1部があまりにひどかったため(笑)、幕間では相当脱力していたわたしですが、2部がそこそこたのしかったので、なんだかんだいって機嫌良く帰路につきました。
 宙組ヒットパレードと、フィナーレの学年別スター特集がたのしかったんだもーん。お花様のエトワールにはひっくり返ったけどさー(笑)。

 参加することに意義のある、TCA。
 大抵駄作立腹作だが、それでもがんばってチケ取りするぞ。いや、ここ何年か続けさまにチケット手に入っているから、次こそは無理な気もするが。努力だけはするぞ。

 年に一度のお祭りだから。
 タカラヅカが、好きだから。

       
 TCA感想の途中ですが。

 いづるん、娘役転向って、なんじゃそりゃあ。

 日記にAAは使わない主義だが、思い切り貼り付けたい気分。
 ああ……、貴重な耽美役者が路線変更してしまうなんて。

 いづるんは下級生時代から娘役転向を打診されていると、噂だけはさんざん耳にしていたさ。
 みわっち、るいるい、いづるん。
 同期のこの3人は、劇団から性転換を希望されていながら、それでも男役に固執しているのだと。芝居やショーで女役を振られながらも、それでもがんばって男役していると。
 それが2年前だったか、るいるいがまさかの性転換。
 ……るいるいは新公学年だったから、まだわかる。
 もう、残るふたりの性転換はないと安心していたよ。だって新公卒業したんだもん。

 いいトシになってからの、性転換なんて。

 耽美で毒と無垢さを持つ実力派の男役。
 ふつーのヒトをやるとただ地味なだけだが、ソレ系の男を演じると匂い立つ色気があった。腐女子にはこたえられない持ち味のヒト。

 腐女子のわたしは、とてもかなしい。
 いづるんの最後の男役姿が、TCAだったんじゃん……。去年とちがって今年のTCAは、ぜんぜん役もらってなかったしよ……そりゃ、脇で踊っていても習性でいづるんさがして眺めてたけど、最後だと思って見てないもん! 先に言ってよ、うわあぁぁぁん!!

 救いは、今年もTCAをナマで観ていたことか……。ビデオとかじゃあ、脇は映らないからなぁ。

 もちろん、性転換しようがどーしよーが、いづるんのことはずっと好きだけどさっ。泣。

 ドラマシティ公演終わったら、また男役に転向しなおさないかな。

          ☆

 『TCAスペシャル2004「タカラヅカ90−100年への道−」』の感想その5。

 よーやく第2部の話。

 月組芝居の『心中・恋の大和路』はきれいに手堅く終わってました。
 てか、きれーよー、さえちゃん、えみくらちゃん。短いわりにどーんと盛り上げることのできる、お得なシーンだ。
 これも「時代物」、コスプレ系なのでイベントで上演するうえの「古さ」は関係ない。
 愛ゆえに死にゆくふたりと、彼らを見守る者たちという、日本人が好きな「泣かせ」芝居。
 ある意味この芝居のこのシーンは、「歌が命」だと思う。主役ふたりのデキより、歌い手のデキが重責というか。
 雪組バウのときはハマコが歌い上げていたし(もちろん彼は号泣していた)、いつぞやのTCAのときはタータンだったんじゃないかな。つまり、それくらいのレベルの歌をナチュラルに求められる。
 歌手はほっくん。
 ……めちゃうま。
 
 帰りの電車で、デイジーちゃんと話していた。

「ほっくんとハマコのちがいってなんだろう?」

 ほっくんは路線で、ハマコは路線外。それはみんなが知っている事実。
 ふたりとも実力派。素顔はともかく、舞台姿はオヤジ系。
 同じように実力があって、同じようにきらきら美形じゃないのに、ひとりはスター、ひとりは脇役。

 デイジーちゃんの答えは、容赦なく端的でした。

「若さ」

 …………いや、それはその通りなんだけどっ。
 ハマコだって若いころがあったのよ。生まれたときからオヤジだったわけじゃないわ。
 いちおー、新公主役だってやってるんだし。

「少なくとも、ほっくんの歌は、コブシ回ってません

 …………納得。
 同じくらいうまい歌だとしても、ほっくんの歌は端正で、ハマコの歌はコテコテなんだわ……コブシ回りまくっちゃうんだわ……。
 
「緑野さんはほんと、ハマコさんファンですよね」
 とまた、真顔で言われる始末さ……。

 ほっくんの歌は過不足ない正しい歌声だった。ああなのにわたし、ハマコの人を選びまくる歌声を聴きたいとか思っちゃってるよ……わぁあん。
 
 
 そして芝居のトリは花組『ベルサイユのばら』。

 えー、わたしもデイジーちゃんも、おさ様ファンです。去年なんか、ふたりして寿美礼ちゃんのBJ先生に腰くだけてました。
 そりゃあもう、素敵でしたもの、BJ先生……エロエロで。
 しかし、今年は『ベルばら』?
 てゆーか、フェルゼン??

 なんでオスカルじゃないの?

 見たかったのは、オサアサで、オスカルとアンドレよ!!
 オスカル@おさとアンドレ@あさこで「今宵一夜」とかやってくれたら、それだけでTCAチケットの相場が跳ね上がったことでしょう。

 フェルゼンか……たしかに、消去法でフェルゼンしかないけど(アンドレ役者ではないわな)、微妙なキャスティングやな……。
 てゆーか寿美礼ちゃん、意外にコスプレ似合わないヒトだよね……?

 トウコちゃんとキャラや芸風のかぶる人なんで、トウコちゃんがやって似合わなかったものは、寿美礼ちゃんもやめておいた方が無難というか。
 あの衣装とカツラにはきびしいものがあるんじゃないかとか。

 いろいろ杞憂してしまった。

 でも、結局のところ。
 ファンですから。盲目です。

 似合っているのかいないのか、わたしにはさっぱりわかりません。
 ただもー寿美礼ちゃんなんで、なにやってもヨシ! みたいな(笑)。

 『ベルばら』はタカラヅカが誇る大駄作の代表作だし、そのなかでもフェルゼン編は最下層に位置するキチガイ作品だけど、それはもう考えない。この作品はふつうの作品ではなく、すでに「ネタ」と化している「別物」なのだから。
 「ネタ」だから、なにを何度やってもいいのだ。
 「なんの説明をしなくても、みんながわかる」ヅカファンの共通認識作品という意味で、意義のある作品なのだから。

 てなわけで、開き直ってたのしみましょう。

 ああ……この歌が好き。

 ベルばらの曲はどれも前時代的で大仰。これでもかっとドラマティック。
 だからこそ。

 寿美礼ちゃんの声が映える……うっとり。

 
 寿美礼ちゃんのフェルゼンも心配されていただろうけど、世間的に演目の無謀さを責められていたのは、むしろ相方の方だったと思う。
 アントワネット@ふーちゃん……。

 だからやめようよ、劇団。こーゆー生徒の持ち味をまったく考えない配役は。
 観客が見たいもの、ではなく、劇団がやらせたいものをやるんだよね。客より自己満足が大切なんだよね……。

 オサカルとアサドレが見たかったなー。
 寿美礼ちゃんの脚にすがりつくあさちゃんが見たかったなー。
 寿美礼ちゃんに「私を抱け」の台詞を言って欲しかったなー(笑)。
 くそー、年に一度のお祭りぐらい、オサアサ見せてくれたっていいじゃん(笑)。

 
 とまあ、芝居に関してはこんなふうに思って見ていました。
 イベントで一部分だけ上演する、という観点において成功していたのは、なんといっても宙組『虞美人』でしょう。
 ついで月組『心中・恋の大和路』と花組『ベルばら』かな。
 あくまでも、「イベント」としてね。
 しかし、どーせイベントなら、組の垣根を越えて「夢の顔合わせ」にしてくれた方が愉快だったけどね。トップと娘役トップのシャッフルとかさ。

 項羽@ワタルに虞姫@花ちゃんとか、フェルゼン@おさにアントワネット@檀ちゃんとか。
 もしくは、トップ男役に対し、ヒロインは全員2番手男役とか。
 
 なにかひねりが欲しかったわ。
       
 『TCAスペシャル2004「タカラヅカ90−100年への道−」』の感想その4です。

 
 第1部の星組芝居『霧深きエルベのほとり』(昭和38年初演)について。

 …………。
 コスプレものはさ、いいんだよ。古びないからさ。別枠ってやつだからさ。
 
 数十年前のテレビ時代劇を見てもとくになにも思わないけど、数十年前のテレビ青春ドラマを見たら、吹き出しちゃうよねえ。
 首にネッカチーフ巻いてギター弾いて、夕陽に向かって走られたりしたら、爆笑するよねえ。
 
 舞台の上に、小林旭がいました。

 当時の最先端のモードだったのかもしれません。あれこそが、もっとも粋で美しい男の姿だったのかもしれません。
 しかし、この21世紀にギターを抱いた渡り鳥をマジで見せられると、失笑してしまいました。お尻がむずむずするー。

 いや、べつにギターは抱いてなかったけど。
 でもモロに当時の小林旭な姿だったのよ、カール@ワタルってば。いちいち上着を脱いで肩にかけるしね。
 ワタルくん自身はかっこいいよ。こんな男っぽい役だからこそ、魅せてくれますさ。
 しかし……ギャグじゃなくて本気で小林旭を演じますか……この21世紀に、まんまやりますか……。

 伝統は大切だし、過去の名作も大切にするべきだ。
 しかし、再演するのだけは絶対にやめてくれ。
 そう観客に切実に思わせてくれるという意味で、意義のある作品だったと言える。
 時代は移り変わるのだ。
 とくに「かっこいいもの」は流行りすたりが激しいのだ。ちょっと前のアイドルの髪型ひとつとっても、今では笑いの対象にしかならなかったりするんだ。
 安直に古いモノを現代に再現しても、その作品のよさは伝わらないんだよ。
 その作品の「本質」を取り出して、現代の感覚で「再構築」するぐらいの手間暇かけないと、センスのいい「再演」にはならない。

 なのにヅカってところは、昔の作品を一言一句まちがえずにコピーすることを「再演」だとカンチガイしてるからなあ。それを「伝統を守る」ことだとカンチガイしてるからなあ。
 伝統とセンスは別物なのに。
 
 とまあ、とても愉快にとほほに、舞台に小林旭がいました。

 しかもこの「いなせなマドラスさん」は、突然盛り上がって豊満なおねーさん@かのちかにすがりつきます。カラダじゃなく、精神的に。
 つらい片想いを、べつの女に告白することで昇華しようというらしい。

 それはいいけど。
 あのー、娘役トップスター@檀ちゃんはどこですか?

 舞台で盛り上がっているのは、カール@ワタルくんとヴェロニカ@かのちかちゃん。
 え、えーと? なんじゃこりゃ?

 宙組の「世界はふたりのために」芝居を観た後に、娘役トップ不在芝居って、どういうことよ?

 首を傾げていると、ようやく出てきたヒロイン@檀ちゃん、銀橋で「カール〜〜」と叫んで終わりです。
 …………はあ??
 なんじゃこりゃあ?

 首にネッカチーフの小林旭で、相手役はほとんど出番ナシで、いくらダイジェストorハイライトとはいえ、もう少しなんとかならなかったのか。
 これを見てうれしい人は、うちのママみたいな人かなぁ。
 うちの母は、テレビを見ていて「たのしめるかどうか」は「知っている場所が映るかどうか」にかかっているのよ。
 自分が知っている場所とか行ったことのある場所が映ると、それだけで大喜び。「ここ、知ってるわ! あのときアタシは誰々と一緒で、なになにってことがあって」てなふーに自分語りをはじめる。知らない場所には興味もなければ、感情移入もしない。
 「知っている場所だから」うれしい・たのしい、っていうのは、その番組を見て「おもしろい」と思っているんじゃなく、たんに「そこを知っている自分自身が愛しい」ってことよねえ。
 「ギターを抱いた渡り鳥」を丁寧に再現することでよろこぶ人は、そこに「その作品を好きで見ていた若いころの自分」を映し見ることができるから、うれしい、ということなんじゃないかな。
 もちろんそれは、悪いコトじゃない。「変わらないもの」「なつかしいもの」を見て、過ぎし日々を愛しく思い返すのはいいさ。
 ……でも、制作側がソレしか念頭にないっちゅーのは、問題だろうよ。

 演出家はオギーでした。
 なにやってんだろね、オギー。「個」を捨てて「仕事」に徹した?
 まあここまでセンスがちがってしまったモノを再演するんだから、作り手はいっそおもしろがっちゃうかもしんないけど。どうせ枷をはめられるなら、とことんダサくありのままに再演してやれ! みたいな。

 ワタルくんは「いなせなマドラスさん」姿が似合っていたので、ファンはOKなのかしら?
 その昔、トド様が舞台で学ランを着ていたことがあったのを、思い出したよ。
 周囲も「似合ってる」と言うし、実際ものすげー似合ってた。違和感なし。
 しかしソレ、どうよ?
 たしかに似合ってる。似合ってるけど……ソレ、ぜんぜんうれしくないし。そんなもんが似合っちゃまずいだろ、というか、そんなもんが似合う人を好きでいるのはどうかっちゅー気がするというか。
 あのもやもやした感じを、思い出したわ……(笑)。
 わたしは時折トド様の男らしさに、過ぎたものを感じて「とほほ」な気持ちになったが、ワタルくんのファンはそんなことにはならないのかしら。
 小林旭でもぜんぜんOKなのかなー。ファンがいいなら、もうそれで正解ってもんだけど。

 服装のセンスでお笑い系ビジュアルだったけど、物語的にはけっこう好みっぽかった。
 別の女に、好きな女の名で呼びかけてすがりついて……って、ツボだわー。

 あー、それにしても。
 どうしてもわたし、ここにケロがいないことに違和感……。
 ヒロインと一緒にいる男@しいちゃん、ケロの方が似合うのにー……と、思ってしまうのでした……ふふふ……ごめんね、しいちゃん。しいちゃんも大好きだけど、ヒロインにくっついて出てくるだけのあのしどころのない役は、まさにケロっぽいと思ってしまったのよ(笑)。

 それにしても星組って、すごい組だなあ、と改めて思ったのは。

 歌手がすずみんだってこと。
 下手すりゃまとぶんだって「歌手」のくくりにされそうな勢いだよな。
 マジで歌える男がいないんだ……。

 トウコちゃん、カムバック(切実)。

 
 という、宙・星・雪組によるたのしい第一部でした。

 
 幕間休憩の折、デイジーちゃんとふたりして、かなしみばかり語ってしまいました(笑)。
 去年のTCAはたのしかったなあ。

 
 あー、まだ終わらないわ……わたし、短い文章って書けないのよ、修行不足だから。
 次の欄につづく。

     
 『TCAスペシャル2004「タカラヅカ90−100年への道−」』の感想その3です。

 予備知識なく観ていたので、舞台の上だけがすべて。
「お稽古の都合で、各2番手・専科は特出した組での出演になる」と舞台上で解説されたので、「そうなんだ」とそのまま納得した。

 そして、この最初の解説があったもんだから。
 信じていたのよ。
 2番手さんはみんな、それぞれの特出組に出演、と。出演するんだからそりゃ、「お芝居」にも出るんだと。

 雪組の芝居『星の牧場』において。
 わたしこの芝居、なにがなんやらさっぱりわからなかったんですが。
 ストーリーも舞台もなにもわからないし、コム姫の歌詞は相変わらず初見ではなに言ってんだかさっぱり聞き取れないし(わたしの耳と相性が悪いんだろうな)、まーちゃんのナレーションは立て板に水で情報量が多すぎて、予備知識のないものには「??」でしかなかったし。
 さっぱりわかんないけど、モブの人々がきれーだなー、ということと、コムちゃんその格好はどうなのよ、その靴思い切りふつーの靴だよね、あたしソレと同じよーなの持ってたわ、とか、服装が微妙過ぎてこまるけど……なのにどーしてそんなにかわいいの?! と、いろいろ困惑して観ていたんですわ。
 わけわかんないなりに、コムちゃんがなにかしらラヴい台詞を言っている。
「会いたかった」「もうお前を離さない」「ずっと一緒だ」……てな意味のことを。

 に。

 馬……?
 馬相手に、ラヴラヴ?
 コムちゃん、愛を語りまくり? その笑顔は全部馬のもの?

 で、馬役って、誰よ。

 わたしの頭の中には、たったひとりの顔しか浮かびません。

 馬役って、水くんっ!?

 
「いくら水くんが顔長いからって、ソレはないですよ」
 雪組パートが終わったあとの幕間、デイジーちゃんに一蹴されました。
「特出組は、芝居には出ないんですよ」
 そ、そんなの知らなかったもん。てっきり芝居にも出ると思い込んでたから。

 馬は水くんだと信じてた。

 
 結局、舞台に馬は登場せず、コムちゃんはいもしない馬にずっとひとり語りかけ、最後はまたがって走り出しました。
 笑顔きらきらの美少年。

 ……きらきらなのはいいんだけど……やっぱかなり微妙……いもしない馬にまたがって「ハイヨー!」とかやっちゃうのって。そしてまた、やたら長いし、馬にまたがってますシーン。

 もと芝居がどうなのか知りようもありませんが、この雪組芝居パートはかなり特異な感じがしました。
 ヅカっぽくないというか、どこぞの小劇団っていうか、ダンスアクトのノリっていうか。
 過去作品のダイジェストorハイライト、であるはずが、「テーマを表現するためだけの、雰囲気重視」。ストーリー性、エンタメ性無視。なにやら昇華したいモノがあって、それを優先して抽象的な世界を作りましたっていうか。

 演出家の名前を見て、納得。
 木村信司。

 …………とことんまでキムシンやな、こいつ。
 あまりにキムシンがキムシンらしいことをしているので、苦笑しちゃいましたさ。そっか、そんなに君は自分自身が好きか。いつもいつも「俺は俺が好き!」って叫び続けられると、思わず笑っちゃうよ。微笑ましいやら、脱力するやら。
 まあ、彼の個性は、ソレはソレでアリだと思っている。「恥ずかしいヤツだ」とも、心から思っているが。

 なんにせよ、コムちゃんはかわいかった。
 そしてわたしは。

 馬@水夏希が見たかった。

 馬に愛を語るモミイチ@コム。
 馬を撫で、頬ずりし、ちゅうなんかもしちゃうモミイチ。
 馬とラヴラヴ追いかけっこなんかをしちゃうモミイチ。「つかまえてごらんなさぁい♪」「こいつぅ♪」
 馬と草原を転げ回るモミイチ。抱き合っちゃったり、上になったり下になったり、脚からめたり見つめ合ったり。

 ……馬。
 馬を出せ!!
(鼻息ッ!)

 雪組芝居パートを眺めながら、わたしの心は宙を飛んでいました……馬の登場を待ちわびて。

 
 ちがったんや……。がっくり。

 
 そういえば、それより前に上演された宙組『虞美人』にも星組『霧深きエルベのほとり』にも、特出組は出てなかったね……。
 でも宙組はたかちゃんとお花様だけの組だから、誰が出ていなくても気にならないし、星組の特出はタニちゃんでしょ、タニはほとんど星組生って気がしているから、これまたあえて出てなくても気にならなかった。
 そんなことより、雪組に水くんが出ないことの方が、わたし的には異様に映ったよ……ふふ…ふ…。

 
 宙組『虞美人』は、すばらしゅーございました。
 項羽@たかこと虞姫@花ちゃん、超ラヴラヴ。
 うっわー、世界がふたりだけのためにあるバカップルがしあわせそーにいちゃくらしてるよー。それだけのシーンだよー。
 正直、ものすごいツボでした(笑)。
 元がどんな作品なのかは知りませんが(昭和26年作品じゃ知りようがないわな)、現代感覚で過不足なくエンタメとして盛り上げてくれるなら、こんなワンシーンだけでなく全部観たいわ、と思えるくらいいい感じ。
 世界を壊しても誰を不幸にしても、互いの愛だけが大事、という傍迷惑きわまりない「権力を持ったバカップル」の姿が浮き彫りにされて、「英雄ってのは、歴史大作ってのはこうでなきゃね(笑)」って感じがして、とても愉快でした。
 わたしはそーゆーの好きよ(笑)。
 お衣装も派手で美しく、ハッタリがきいて小気味いい。お花様は文句なく美しいし、たかこの武将ぶりもまたくぅわーっこいい。

 こういう派手くさいコスチュームものは、どんなに古くさくてもイベントで再演する意義があると思う。
 コスプレものは古びないんだよね、ビジュアル的に。

 再演芝居トップバッターの宙組『虞美人』を観て、「おや、わりといい感じじゃない?」と思っていただけに、衝撃は大きかった。
 

 次は、星組『霧深きエルベのほとり』、昭和38年初演。

 これが、もお。
 文字数ないので、翌日欄につづく。

     
 さて、『TCAスペシャル2004「タカラヅカ90−100年への道−」』の感想ですが。

 ひとことで言うと、最悪でした。苦笑。

 なんつーかねー、身の置きどころのない恥ずかしさに満ちてました。
 わたしはこんなもんを観ていていいんだろうか、いいかげん足洗うべきなんじゃないだろうか、という厭世観と、それでもたのしいしなあ、というファン真理が交互に襲ってくる、なんとも複雑な時間でした。

 去年のTCAはたのしくて、大絶賛したじゃない。デイジーちゃんとふたり、大喜びしてたじゃない。

 なのに今年は、ふたりで絶望したよ……。
 あまりに悪趣味で。

 つまらないだけならまだしも、ファンの背筋を凍らせるってのは、すごいよなあ。

 宝塚歌劇は「変わらない」ことを指標にあげている劇団だ。伝統を守る、ということな。
 それはそれでいい。世の中には変わらないものも必要だ。
 しかし、それでも時代は流れているんだ。「変わらない」ゆえに「現代に必要ない」と判断されて絶滅したらどうするんだろう。
 このあたりのさじ加減はむずかしいだろうさ。
 むずかしいのはわかるが、あまりに古くさいものを古くさいまま出されても、観ている側はつらいだけだ。

 古くさいものを、現代人が拒絶反応を示さない表現で、差し出せばいいのに。
 何故、それをしないんだ?

 今、古くさいモノは現代人に愛されている。
 昭和時代を感じさせるものだとか、レトロなものは癒し系として立派に商売になっているじゃないか。
 古くさい作品を板にあげるなら、それを踏襲すればよかったのに。
 すなわち、「レトロ感」「郷愁」「癒し」に包み込み、ファンタジーとして成立させるんだ。セピア色の古い写真を見るような、愛しいせつなさを全面に押し出せばいいんだ。
 
 なのに、なんの努力も工夫もせずに、ただ古くさいモノを差し出して、悪趣味さを「伝統だから」と開き直っている。
 それでいいのか。がっくり。

 いくらでもすばらしく味付けできる素材を持ちながら、土や虫の付いたままテーブルに並べられた料理みたいだ。あの、せめて洗ってください、切って盛りつけてください、このままじゃどんなにすばらしい由緒正しい食材でも、食べられません。
 昔の人は土の付いたまま生で食べていたのかもしれないけど、現代人は洗って切って火を通したものを食べるんですよ。……え、それが「伝統」ですか……嫌なら食うな、ですか……いや、そーゆーことが言いたいんじゃなくて、全否定しているわけじゃなくて、ここをこうすればずっとよくなるのにっていう……すみません、余計なお世話ですね。

 そう。
 TCAってのは、参加することに意義がある。
 毎年必死にチケ取りするけど、そうやってがんばった末に大抵、実物を観てがっくり肩を落とすのさ。
 あたし……こんなもんのために、あんなにがんばってチケ取りしたのか……。
 わかっているのに、毎年参加したくて奔走する。
 何年かに一度、たのしいモノを観られるから。その低い確率のために、観続けるのさ、TCA。

「コレ、あたしたちは定価だからいいですけど、高いお金出して手に入れた人とか、どう思って観てるんでしょうねえ」
「価値観はひとそれぞれだから……」
「これなら、立ち見でもよかったですね」
「そうだね……」
 デイジーちゃんとふたりして、怒りなんだか失望なんだかを幕間から語り合う。

 今年はハズレの年でした。
 もー、華麗なまでに大ハズレ。
 毎年バクチだ、TCA。去年が大当たりだったから、しばらくはハズレが続くのが世の常ってやつかもしれん。
 来年もまた、がんばってチケ取りするさ〜。
 惚れた弱みさ。泣。

 
 とまあ、文句ばかり言っていても仕方ないので。
 ふつーに感想行きます。

 オープニングのみ、組単位でした。

 特出としていろんな組に出稼ぎ中の2番手たちが、それぞれの組にいるの。

 なんか。
 なんか、泣きそうだったんですが。

 トップバッター花組で、おさちゃんの隣にあさちゃんがいるんですよ。
 
 う・わー……。

 なんか、泣きそう。
 自分で自分におどろいた。
 そんなに、この並びが好きだったのか。
 そりゃオサアサが好きだったけど、なければないで仕方ないっていうか、ふつうに受け止めている現実だと思っていたのに。
 いざこうして、在りし日のオサアサな並びを観て、こんなにせつなくなるなんて。

 ここまでは、ふつうっていうか、「そうか、あたしはそんなにもオサアサが好きだったんだ」ってことで納得していたんだけど。

 雪組で、コムの隣にかしげがいるのを観て、さらに泣きたくなった、事実におどろいた。

 だってあたし、コムちゃんもかっしーも好きだけど、このふたりの並びは好きじゃなかったんだよ! お互いのいいところを相殺するコンビだから。
 組替え希望ってくらい、このふたりの並びは好きじゃなかったんだ。

 なのに。
 今年はかっしー試練の年、星だの月だの狸だのと休みナシ武者修行中で。
 こうしてひさしぶりに雪に帰ってきて、コムの隣にいるのを観て。

 なんか、泣きたいくらい、せつない。

 ああ、特出ってのは、そういうことなんだと思った。
 オサアサだからじゃなくて、コムかしげだからどうなんじゃなくて。

 2番手特出、ってのは、それくらい特異なことで、気持ちを無意識にでも磨り減らしている状態なんだ。

「早く自分の組に戻ってほしいですよねえ」
 と、幕間にデイジーちゃんも言う。オサアサやたか水の並びに泣きたくなったらしい。
 同じだよデイジーちゃん。わたしも、組が組としてひとつになっている、あたりまえの「タカラヅカ」の姿に泣きたくなった。
 「伝統」を守るというなら、それこそを守って欲しいよ。古くさい作品をマンセーするばかりじゃなくて。

 オープニングとそのあとの2番手6人のシーンが、今回のTCAでいちばんよかった……って、かなしい事実だなあ。ソレだけかい……通常の公演より3割もチケット代割高なのに……。
 つまり、出演者のキャラだけがよかったってことで、演出でよかったところはひとつもないってことなんだよね。溜息。

 お客が観たいモノ、なんてまったく考えずに、劇団がやりたいこと、をやっただけなんだと思う。
 大衆演劇じゃないな、こりゃ。

 
 なんにせよ。
 「スター」勢揃いに意義があるTCA。

 トップスターは6人。
 …………6人って。
 多いよ。
 なんともすわりが悪いっちゅーか、観ていて落ち着かない並び。

 だって中央、トド様なんだもん。

 学年順って、残酷だ。
 トド様の両脇、たかことワタルなんだよ?!(笑)


 う・わー……トド様、埋もれてる……。

 おさコムの間ならまだしも、巨人ふたりの間かよ。
 背が低いだけじゃなく、スタイルの悪さも際立ってますがな。

 トップ5人と並ばず・一緒に出てきて喋らず、別格で最初と最後に少し歌うとかだけでよかったのでわ……?
 いやわたし、トド様ファンだからこそ思ったんですけど。
 なんか、彼ひとりあきらかに「時代がチガウ」のがかなしくて。
 変だな、たかちゃんとトド様、同い年(学年)なのにな……なんであんなに、世代がちがって見えるんだろう……。
 
 期待していなかったにしろ、トップ6人のMCは超絶サムかったです。

 翌日欄につづく。

   
 何故唐突に、昨日の欄の日記で、『心中・恋の大和路』の話をしているか。

 こたえはひとつ、行ってきましたのよ、『TCAスペシャル2004「タカラヅカ90−100年への道−」』へ。

 予備知識を好まないので、どんなプログラムなのか、誰がなにに出るのかはまったく知らないまま観ました。

 まさかまた、『心中・恋の大和路』を見せられるとは思わなかったよ。

 てゆーかコレ何年か前のTCAでやってたよねえ?
 まったく同じシーンを。
 たしか、いっちゃんと花ちゃんで。
 わたしが観た回は誰のミスなのか、銀橋でいっちゃんと花ちゃんが真面目にお芝居しているっちゅーに、楽屋の音がそのまま聞こえちゃって、場内爆笑だったなあ。たしかマリコの声だったと思うんだけど……「あー、喉乾いたー」とか、そんな素の会話がまんま聞こえたんだわ……。
 あれって何年前かなあ。
 お花様……まだトップ娘役なんだよなあ……。いっちゃん、タカネくん、トド、ずんちゃん、タカコ……歴代の夫たち……しみじみ。

 『ベルばら』や『風共』までいくと、「もう仕方ない」と思うけど、『心中・恋』を繰り返しこんなふうに使うのはなんとも安直な気がする。
 てゆーかバウ作品なんだから、観た人少ないだろうに。いくら再演していても、『ベルばら』とはケタがチガウだろう。
 自己満足のニオイがぷんぷんするなあ。

 いや、『心中・恋』は名作だと思うし(そりゃ古い作品だから、現代の感覚で観ると気が遠くなるシーンも多々あるが・笑)、今回もきれいに盛り上げてくれましたよ。
 ただこんなに簡単に、同じイベントで同じコトをやる劇団の姿勢が疑問なの。

 まあ、それはさておき、今回の『心中・恋』のハイライト・シーン。
 演じるのは月組、忠兵衛@さえちゃん、梅川@くらりん。ハマコが演じていた与平役はほっくん、これまたすばらしい歌声を披露。
 そして。

 ああそして、八右衛門@ゆうひ!!

 ケロがやっていたあの江戸の色男、親友を愛しすぎている男前・八右衛門がゆーひくんですがな!!

 ああああ青天のゆうひ……。

 語るゆうひの姿に、Myダーリンの姿が重なって見えます……だもんでもう、感慨深いのなんのって。
 あのころわたしは、八右衛門役のケロがかっこよく見えてうろたえたもんだが、ゆーひくんはいついかなるときもかっこいいので、違和感なし。
 てゆーか、なんか貫禄あるし、どうしたんだゆうひ……。

 やっぱさあ、同じ役をやるっちゅーんでさあ、ふたりだけで練習とかしたんじゃないかとか、夢見ちゃうよねえ。
 ゆーひくんは日本物(江戸モノだぜい)苦手だろうし、キャリアも不足してるし、ケロにーさんは得意だし経験豊富だし。
 ここはやはり、ぷらいべえとれっすんだよねええ。

 いやはや。

 ケロがいないTCAで、ケロの影を追っておりましたよ、わたしゃ(涙)。

 
 ま、ともかく。
 去年に引き続き、今年もデイジーちゃんと一緒だったんだが、幕間にしろ終演後にしろ、ふたりとも感想がいちいち同じで笑える。

 今年のTCAに対して、言いたいことはいろいろあるにしろ。

 終演後にわたしたちがふたりして吠えていたことは。

「ねえねえ、七帆ひかるくん、みょーにかっこよくなかった?」

「かっこよかったですよーっ」
「きれいだったよね? びっくりした」
「あたしも七帆くんばっか見てましたっ。緑野さんなら絶対、同じだと思った!!」

 わたしとデイジーちゃん、男の好み一緒だから(笑)。
 わたしがいいと思う男のことは、大抵デイジーちゃんもいいと思って見ているのよ。

 帰りの電車では、えんえん七帆くんの美しさについて語る(笑)。

 ビデオにはきっとろくに映ってないんだろうなあ。真ん中しか映らないもんなあ。残念ナリ。
 きれいだったんだよ、ほんと。
 一般的にどうかはわかりませんが、わたしとデイジーちゃんの目には、きらきらの美形に映ったのよ。
 趣味が同じ友だちがいるっていいわあ……。
 あ、ちなみに、わたしとデイジーちゃんはもちろん、七帆くんの素顔も好みです(笑)。

 
 さて、TCA全体の感想は、明日の欄へ。

     
 昔語りをさせてくれ。
 ばばあなもんでな、なにかっちゃー昔の話をしたくなるのよ。

 その昔……何年前か、もうすっかり忘れたが。
 わたしはカラオケボックスで働いていたのだよ。
 店員はわたしひとり。店を開けるまでのお掃除タイムに、わたしはいつも有線の「宝塚チャンネル」を聞いていた。
 そう、当時は有線放送にそーゆーチャンネルがあったのさ。
 プログラムは日替わりで、ショーだったり芝居だったりをのべつまくなし1日中流していた。
 『TMP音楽祭』はあきるほど聴いたわ。いろんな年のを。『戦争と平和』は長すぎて一度も最後まで聴くことができなかったなあ。1本ものはお掃除タイム以上の長さがあるもんだから。『大いなる遺産』はいつも途中でわけがわからなくなる……音だけだとつらいよなあ。『微笑みの国』はとりあえず歌がきれいー。
 てなふうに、観たことがある作品もない作品も、わたしは機嫌良く聴いていた。

 そんななかで、ひとつ、ものすげー気になる作品があった。

 どうやら、日本物らしい。
 お芝居だ。愛し合う恋人同士が主人公……女の方はどうやら遊女らしい。
 お掃除をしながら「ふーん」と思って聴いている。所詮耳で聴くだけだし、仕事をしながらなので、それほど本気で聴き入っているわけじゃない。
 ……わけじゃ、なかったんだが。

 ど、どうなるの、このふたり??

 気がつくと、わたしは真剣に聴き入っていた。

 女は遊女、男はどこぞのぼんぼん、男はなにやら禁を破って、女とふたりで逃げたらしい。
 
 ふたりで逃げて、それでどうなるの? 無事に逃げられるの? しあわせになるの?

 耳をそばだてて放送を聴くのだが。

 わからない。

 結末が、まったくわからないのだ。
 台詞を待っているうちに、あ、あれ? 別の番組がはじまった。
 今の芝居は? ラストどうなったの?

 なにしろ有線放送だ。いつなにが流れるかわからないので、わたしのお掃除タイムにたまたまその芝居が流れる確率は低かったが、それでも何回かは聴くことができた。
 よし、今度こそラストをきちんと聴くぞー。
 と思って聴いていても、やっぱりラストがわからない。
 たぶん、アンハッピーなんだと思う。逃げたふたりは死んでしまうんだと思う……そんな感じだ。
 にしても、ラストがわからないっつーのは、気になるよー。ストレスだよー。
 なまじそこまでがおもしろいお話だからさー。

 ずっと気になってはいた。
 有線放送から「宝塚」が消え、わたしの職場だったカラオケボックスがなくなってしまったあとも。

 気にはなってたけど、どうしようもない。
 なんせ有線放送、プログラムのタイトルもわからない。出演者もわからない。
 きっと古い作品だ。わたしがヅカを好きになる前の上演作品。そんなもの、調べようもないし、二度と観ることもできない。
 当時はインターネットもなかったし、スカステがあるわけでもなかったからな。わたしは潔くあきらめていた。

 
 そして時は流れ。
 わたしは、汐美真帆っちゅー人のファンになっていた。
 なにはともあれ、この人が出ている舞台はとりあえず観る。そういうスタンスだった。
 ……にしても、そのとき彼が出る作品は、えらく微妙な感じだった。
 日本物で、心中もの、しかも昔の作品の再演、主演がわたしのまったく興味のない人、という、「ケロちゃん出てなかったら観なくてすむのに……」とかなしい気持ちになるよーな公演だった。

 仕方ないから、観に行った。1回だけ。
 何故かBe-Puちゃんとふたりで。
 Be-Puちゃんも観る気はさらさらなかったらしく、わたしへのおつきあい程度の気持ちだったはず。
「日本物だしー」
「コウちゃんだしー」
「今さら心中とかいうしー」
「再演ものだしー」
「青天だしー」
「出演者地味過ぎだしー」
 熱意のないわたしたちも問題だが、この公演の企画自体にも問題あるだろう。

 汐風幸主演で、汐美真帆2番手、って、いくらなんでも地味過ぎだろう!(笑)

 チャレンジャーだよ劇団。
 つーか、コウちゃん関係のお客様だけでなんとかなると思ったのか?? ふつー一般のヅカファンはこんな渋過ぎる公演、観たがらないって。
 
 客入りがどうだったかまでは、おぼえていない。わたしの友人たちのなかで、この公演をわざわざ観に行ったのは、わたしとBe-Puちゃんのふたりだけだった。

 そして、実際に観てみて。

 わたしは、昔の記憶がよみがえるのを感じた。

 これ、アレだ!!
 お掃除タイムに聴いていた、ラストがわかんないままのヤツ!!


 時はめぐり、人はめぐって、わたしはふたたび出会ったのだ。
 思わず聴き入っていたあの物語に。
 タイトルもなにもわからなかった、あの物語に。

 音だけでは理解に至らなかったいろんなシーンを、実際に目にすることのできるよろこび。

 ああ、そして。

「……Be-Puちゃん……あたし、目がおかしいのかなあ……ケロちゃんが美形に見える……

 幕間で、わたしはおそるおそる言ってみる。

「おかしくないって。わたしにも美形に見えるから!」

 Be-Puちゃんも断言。
 やっぱりぃぃ? わたしの目がおかしいわけじゃないよね? なんか、ケロちゃんがすっげー男前なんですけど!
 どきどき。
 わたしはケロファンではありましたが、残念ながら彼を美形だと思ったことは、一度もなかったのです。
 ハンサムじゃないけど、好き。……というスタンスだったんだ。『80周年運動会』とか見てたら、無理もないって。

 ああなのになのに、二枚目ですがな、Myダーリン!!
 目からウロコ。

 こんなに素敵な人だったの??

 美形なケロちゃんにめろめろになりつつ。
 わたしはついに、数年越しの物語の結末を、観ることができたのです。

 禁を破り、愛する遊女と逃げた男は、手に手を取って雪の中に消えていくのです……。

 ラストシーン、台詞なし。

 そうだったのか。
 だから、音だけだとどうなったのか、わからなかったんだ……!


 何年か越しの謎が解けました。

 てゆーか。

 ラスト数分間、だだ泣き。

 幕が下り、客席が明るくなったとき、わたしとBe-Puちゃんは呆然と顔を見合わせました。

 ふたりとも、顔ぐちゃぐちゃ。
 泣くとは思ってなかったので、ハンカチ用意せずに油断しきって観てたのね。
 クライマックスで鞄ごそごそできないし、で、ふたりともハンカチ出せないままだだ泣きした結果、ずぶぬれ顔で顔を見合わせる結果に。

「泣いた……すっげー泣いた……」
「泣くとは思わなかった……」

 演目を見ただけだと、あんなにあんなに「誰が観るの、コレ」なタイトルでキャストだったけど。

 名作ですがな。キャストもすばらしいですがな。

 ごめんコウちゃん、すばらしかったよ……。泣かせてもらったよ……。
 おまけに、ケロがばりばり二枚目だし……なんておそろしいんだ、舞台ってやつは。役者ってやつは。嘆息。

 こうして、長年謎だった物語は、わたしのなかで最良のカタチで結末を迎えた。

 その作品の名は、『心中・恋の大和路』
 ケロをはじめて二枚目だと思い、しじみ売り役のいづるんに瞠目し、ハマコの熱唱に心ふるわせた公演。
 忘れられない物語。

   
  

ご報告。

2004年7月11日 タカラヅカ
 緑野、無事に大阪に戻ってきました!!

 ここんとこちょっくら東京在住だったんですが、なんやかんやの末、帰阪しました。
 ほんとはもう少し、向こうにいるはずだったんだが……なんとかやりくりして帰ってやる!! という直接的な原動力はちはる兄貴の退団発表でした。

 だって、発売日に大阪にいないと、チケット取れないもん!!(笑)

 つーことで、必死こいて花組前売り日の早朝に帰ってきました。
 そしてその足で三番街に並びに行ったので……帰ってから、親に叱られまくりました。(このトシで叱られるって、なんてこと)
 いやその、わたしが帰宅していると信じてやってきた母が、もぬけの殻のわたしの家を見て、いろいろ余計な心配をしたようでね……。事故にまきこまれたりしてないってば。

 チケット購入して帰るなり母に怒鳴りつけられるとゆー珍事はありましたが(笑)、またしても大阪でのんきなヅカオタク・ライフをする予定です。

 さあ、かしげ鎌足観に行かなきゃだわ!

 友人諸氏、あらためてよろしくですわん。

       
 まちかめぐるがいっぱい……。

 
 NHKスペシャルを見ながら、驚愕するわたし。
 現役生でもっとも出演したのがまちかめぐるって、そんな……。

 デイジーちゃんからも実況驚愕メール来るし。つか、まちかめぐるっちゅーとわたしに話題振るのやめてよ、みんな!!(笑)

       
 キムシン作品は萌える。
 『鳳凰伝』ではカラフ×バラクだった。そりゃーもー、萌えに萌えた。わたしにしてはめずらしく、受視点で萌えた。
 『王家に捧ぐ歌』では、いろんなカップリングに萌えた。
 ちなみにラダメス受。ファラオ×ラダメス(少年時代から現在まで)と、ケペル(妻子持ち・笑)×ラダメスに萌えまくってた。もちろん攻視点。
 あと、エチオピア・トリオにも萌えてた。こちらはカマンテ×ウバルド×サウフェという救いのない一方通行ラヴ。サウフェはエジプト兵相手にも総受状態ですな。カマンテ×ウバルドなら攻視点、ウバルド×サウフェなら受視点。どっちにしろ悲恋上等。

 そして『スサノオ』では、いろんな人に却下されつづけながらも、アシナヅチ×スサノオで、さらに最近目覚めてしまったスサノオ×アオセトナ。
 それからまあこれは定番でしょう、月読×スサノオ。

 さて、『スサノオ』のなかでいちばん好きなキャラはもちろんスサノオだし、ヲトメとして恋しているキャラはアオ様なんだけど。

 腐女子としていちばん好きなキャラは、月読なんだよね。

 てか、わたしの今までの嗜好からいけば、いちばん好きなのは月読であるはずなんだよ。
 ヘタレ男、大好きなんだもん。

 月読×スサノオは、設定だけでいけばこのうえなくやほひだと思う。
 べつに、やほひ友のかねすき嬢が言うように、月読がスサノオの死体撫で回してどーのってことを考えなくても、あの兄弟の設定はやらしすぎだと思うよ。

 てめえの弟を見殺しにする役、だからな、月読。

 たぶん、演じているのが別の人だったら、萌えてたと思う(笑)。

 壮くんは何故にああも壮絶に色気がないのでしょう……。そして、演技力がないのでせう……。
 きれいなんだけど。
 そりゃーもー、とてつもなくきれいなんだけど。
 あの美貌に色気が加わったら、天下盗れると思うんだけどなー。
 歌唱力と存在感はものすげー成長したから、これからきっと、もっと変わっていくんだろうなとは思う。
 しかし。
 今この時点では、月読というキャラクタには力不足だったなと思う。

 と、言いつつも。
 あの大根くさい感じがまた愛しいから、それはそれでいいのかな、と思ったりもする(笑)。
 アレはアレでアリかなー。味ってもんかなー、と。
 今の『スサノオ』という作品を、欠点ごと愛しているわけだから、月読@壮くんもなんだかんだいって好きなんだけど。それはもう、断言できるんだけど。

 ただ、腐女子的には大変口惜しい(笑)。
 こんなにオイシイ役でありながら、無駄に美貌まで備えながら、やほひ妄想に水を差す大根ぶりというのは。
 

 たとえばわたしさー、同じ設定で別の物語書いたとしてよ、月読の位置に値する役がケロで、スサノオの位置に値する役がトウコだったら、萌え狂ってますがな(笑)。
 どこぞの貴族とか家元とか、雅な家系が舞台でさ。
 一族の長である姉を愛し、一族を追われたトウコ。
 そんなトウコを見守り、かつ試練を与える兄ケロ。
 しかしその試練とは、トウコの才能を恐れたゆえに一族の者たちが仕組んだ罠だった。傷つき、慟哭しながらのたうちまわるトウコ。ケロの使命は、トウコの死を見届けることだった。すべてのからくりを知り、絶望しながらケロの腕の中で息絶えるトウコ。トウコを失ってはじめて、己の愛と罪に気づくケロ。
 一族の陰謀を知り、死んだトウコのために怒りをあらわにする姉、そして過ちに涙するケロ、とまどう一族の者たち。
 そこへ死んだはずのトウコが現れ……。

 てな話。
 トウコちゃんは深刻系で慟哭芝居の似合う人だから、こーゆー暑苦しい役(笑)はハマるでしょう。
 ケロはもちろん、懐の深い役、見守る系の大人の男が似合う人なのでなんとでもなるでしょう。てゆーか、トウコを愛している役なら、問題なくハマるでしょう。

 役者が萌え要素のある人だったら、月読×スサノオは腐女子専用ってくらい、オイシイ関係なんだよねー。
 だからつくづく惜しいわ……。

 月読というオイシイ人が、アンタッチャブル・ゾーンにいるのが。

 
 とゆーことで、いちばん萌えたにちがいないカップリングはスルーして、スサノオ×アオセトナに萌えておきますか!

 完全なる拒絶と、憎しみ。
 その拒絶と憎しみだけでこの世に存在する魂を、痛ましく思う男が、不器用このうえなくさしのべようとする手。愛。
 それをねーっとりせつないやほひで描けたら、そりゃーもー、たのしいでしょうなあ。
 手をさしのべる側の男も、バカで幼くて、傷だらけなわけだから。
 救いがなくていいよなあ。
 うっとり。

 言葉や心が通じないなら、とりあえずカラダだけでもつないでおけ、てな。
 そんな関係。

 剣で戦うかわりの、心の戦い。

 絶対に、お前を愛したりしない。
 絶対に、お前たちを赦したりしない。

 愛した方が楽だってわかってるけど。(愛したい、とどこかで思っているけど)
 赦した方が楽だってわかってるけど。(赦したい、とどこかで思っているけど)

 だけど、絶対に、認めない。

 ……そーゆー戦い。

 キムシン作品は萌えるなー(笑)。作品が多少力技すぎて骨組みにガタがきていても、キャラが魅力的だから七難隠しちゃうんだよね。

 はっ。
 わたしったら、『鳳凰伝』に続いて水しぇん受だわ。
 わたし的に水くんって受キャラなのかしら?? あんなに男前なのに??
 次の花組では、どーなるのかしら。

         
 最近、記憶の衰えが激しい。
 わたしは『スサノオ』をいったい何回観たのだろうか。ムラで観た回数のことはいい。過去だからな。てゆーか、はじめから数えてなかったし。
 では、東宝では? わたし、東宝で何回観たんだっけ??
 ……いかん。思い出せない。半券探して数えでもしないと、わからない。べつに、そんなにたくさん観たわけじゃないのに。たぶん、4回か5回か6回でしかないのに。なんでおぼえてないんだろう??
 前もってチケットをゲットしていて、わくわくとその日を待って観に行った、わけじゃないからだわ。全部サバキだとか当日券で、その日の朝思い立って観に行ったとかそんなだったからだわ。だって友会全滅したから、前もっては1枚も手に入らなかったんだもんよ。

 スサノオの色気ががんがん上がっていくのが、観ていてたのしくてねぇ。スサノオ@コムちゃん、回を重ねるごとに色っぽくおなりです。フェロモンが唐草模様に発せられています。
 主役の色気が上がると、作品全体の色気が上がるんだよね。
 いやあもー、艶っぽいのなんのって。『スサノオ』という作品自体がフェロモン放出ですがな。うひゃー。

 そう。
 なんかわたし、またひとつ目からウロコが落ちまして。
 ふつー目に張り付いているウロコというのは、それが張り付いている状態が「平常」なわけだから、落ちなくてもいいっていうか、むしろ落ちない方が人生まっとーだとわかってはいるのですが。

 あのーー……。

 アオセトナ様@水しぇん受、って、ダメっすか……? おそるおそる。

 今までわたし、アオ様にはひとりのヲトメとしてめろめろだったので、ホモ萌え・腐女子萌えいっさいナシだったのよ!! やほひ範囲外、聖域! アオ様LOVE!! 喜び組のひとりになって、きゃーきゃー言いたい、とっても気持ちいいことだのとろけてしまうことをしていただきたい、と恋するヲトメ全開でしか見られなかったのに。

 東宝Ver.を観ているうちに、目からウロコが落ちました。
 

 スサノオ×アオセトナ。

 
 ええええっっ、コム×水??!
 なにいってんのよあたし、それはありえないだろ、つか逆だろっ?!
 と、セルフツッコミ入れまくりながら。

 スサちゃん、アオ様ヤっちゃっていいっす、つかどうぞ、ヤっちゃってください、はぁと。な気持ちに。

 スサノオにしろアオセトナにしろ、東宝にきてボルテージ上がってるわけよ。アオ様がスサノオに迫るシーンのやんらしさが増していることはおまけでしかない。ええ、おまけよ。なんでアオ様そこでスサちゃんの頬撫でるの、顎に手を掛けようとするの、髪を撫でるの、そしてスサちゃん、魂抜かれたような顔でされるがままになっているの、とか目にたのしいツッコミどころはあるけどさ、それはあくまでもおまけよ、ええ(笑)。

 ふたりの対決が、すっげー温度上がってるのよ。
 わたしの萌えセンサーがびびびっと反応しました。
 ふたりの対決シーンに。

 スサノオとアオセトナの間に、はじめてエロスを感じた。

 これまでは、どんなにこのふたりが見た目にうるわしく、カップリングとして最高の素材だとしても、とくに萌えなかったのよ。単体では大好きだったけど。
 ふたりの心のベクトルに、接点を見いださなかったから。

 しかし。
 ついに、ウロコは落ちた。
 ふふふ。
 ふ、ふ、ふふふ……。

  
 アオ様はカマっぽく……失礼、中性的にふるまってはいるが、その実ばりばり女好きな男らしい人だと思うのよね。中性的にふるまっているのはファッションだと思う。ゲイってことにしておいた方がオレってアーティストっぽい、とか、カンチガイしてる青いにーちゃんみたいに。天才はすべてにおいて非凡でなきゃ、とか。
 まあ、喜びの森の教祖として、女性にきゃーきゃー言われるためにも、男くさい男であるより、少女マンガかタカラヅカななよっちい男である方がいいと判断したのでしょう。それと、ナルシス入ってる分、美しく装い、振る舞うのが好きなんでしょうな。
 とまあ、一見カマ……じゃねえ、そっちもイケそーなおにーちゃんに見えるけど。
 きれいな男の子を征服して転がすのはオスの部分を刺激されるからたのしくて好きだけど、べつにバイだってわけじゃないんです、みたいな。つか、百歩譲って攻ならしてもいいけど(相手選びまくるぞ。女の趣味は広いが、男の趣味は相当狭いぞっと)受なんて言語道断、ずえったいありえないっっ、な、実はものすげー箱入り令嬢のやうなガードの固さを誇るお方なのです、アオ様は(笑)。

 だからこそ、スサノオに盛大に転がして欲しいなっと。

 誘い受とか襲い受とかもなしよ。ファッションでそれらしい態度を取ってもソレ、嘘だから。ポーズだけだから。
 いざ本気でこられたら、アオ様絶対抵抗するから。本気だから。ひょっとしたらヴァージンかもしれないし(笑)。あ、セカンド・ヴァージンの方が萌えだな(笑)。

 ……ちょっとわたし、夢見てます? 夢街道爆走してます?
 いいのよ。どーせわたしはロンリー・ランナー、誰もいない道をひとりで走り続けるのよ。

 あの対決の折、そのままふたりだけでもつれこんでほしいなあ。スサノオにはとことん男らしく、力の神らしく突き進んで欲しい。
 ほんとうに、憎しみを溶かすことはできないのか。愛の介入はありえないのか。アオセトナがスサノオを赦し、愛する未来はないのか。
 政治色全開テーマ絶叫話より、BL的すれちがいだの模索だのの方が萌えるわ。

 喜びの森に入ってから決着がついてしまうまで、本編では一瞬だから、ここはほれ、サイドストーリーっちゅーことで「じつはスサノオVSアオセトナは何日・何ヶ月もかかったのよ。ふたりは、どこかふたりっきりで過ごしていたらしい」ということで!!

 アオセトナは結局、最後までスサノオを拒みつづけるんだけどね。そこは本編通りに。
 だけどスサノオは、アオセトナのこと、べつに嫌ってないしね。憎しみしかない彼を「哀れ」だと思っているからね。そこは本編通りに。
 わたしはもともと攻キャラ好きで攻視点が好きなので、スサノオでやほひ書くなら、スサちゃん視点で堪能したいっすなあ。不器用攻にクールビューティ受ですよ! 定番ですよ!

 アシナヅチ攻のスサノオ受よりはまだ、ニーズあるよね、世間的に??(まだ言うか)

 もーいいかげん『スサノオ』で真面目な感想(いや、わたしにしてはね……)ばっか書いてきたから、そろそろいちばんわたしらしい話でいくかな、と。
 つーことで、あと何回か、腐女子語りいきまーす(笑)。

     
 とりあえず今日は、午後3時ジャストの阿鼻叫喚、てことで。
 ええ、愛するちはる兄貴の退団発表ですわよ。

 花組のチケット、1枚も持ってないっつーに……てゆーか、発売日に並びに行けるかどうかもあやしいのに。
 くそー、なにがなんでも並びに行くぞぅ。

 
 ハンケチーフを噛みしめながら、悲嘆にくれるの図。

          
 雪組公演『スサノオ』で、見たいけれど、演出上わざと見せてくれないところ。
 ……の、話のつづき。

 去っていくアマテラスを追いかけるスサノオの顔。

 ねえねえ、これ見せないのってすごくない?
 わたし毎回、せつなさに胸がきゅんきゅん(笑)するんですが。

 暴力をふるったスサノオに対し、アマテラスは彼に背を向け、天の岩戸に隠れた。
 スサノオは舞台中央で、去っていくアマテラスを見つめている。
 わたしたちに向けているのは背中。

 いったいどんな顔で、アマテラスの背中を見つめているのか。

 見送るスサノオは、アマテラスの後を追って駆け出す。手を伸ばし、彼女を求める。
 その駆け出す一瞬前に、スサノオは小さく首を振るのよ。

 幼い子どものように。
 力無く、はかなく、いやいやをする。


 そして、なにかに引きつけられるように、姉のあとを追うの。
 そこに意識は感じられない。張りつめた意地だとか、プライドだとかは消え失せ、本能のみに従って無意識に身体が動いたような。

 どんな顔で、愛する姉を追ったの?
 どんな顔で、振り返らない背中を求めたの?

 
 わたしが朝海ひかるという役者を好きになったのは、彼の傷ついた瞳ゆえだ。
 コムちゃん自身にどれくらい演技力があるとか、なにをどう考え計算して演技しているかとかは知らない。
 だけど、彼はときおりものすごーくわたし好みの演技をする。わたしのツボにクリティカルをくらわす存在になる。

 最初にソレを意識したのは、『SAY IT AGAIN』だ。親友を裏切る男ビンス役。
 何故ビンスは、親友のピエール@ナルセを裏切ったか。
 ピエールが、嘘をついたからだ。
 親友にとっていちばん大切な存在は自分であることをたしかめたくて何度も言いつのったビンスに、ピエールから返された言葉は、別れの言葉だった。
 ピエールを信じたい、これからもふたりで生きていきたい。……だからこそ言質を取りたくてくどい会話をした結果が、「俺たち、コンビ解消だな」……別れの言葉。
 そのときの、ビンスの瞳。

 見ていて、「痛っ」と思った。
 それ言っちゃイカンだろうピエール!!
 見ているこっちが息をのむくらい、ビンスの傷がわかった。彼の味わった痛さが伝わった。

 おかげで、ピエールを裏切り、陥れるビンスの行動が、まったくもって憎めない。
 そりゃ、復讐するわ……あれだけ傷つけられたんだから。

 きれいに別れてなんかやらない。
 俺を捨てるというなら、一生忘れられないくらい傷つけてやる。

 忘れられるくらいなら、憎まれた方がいいってか。

 ピエールを傷つけることで、結局は自分の心もさらに傷つくのに、それでも愛する相棒を傷つけずにはいられない。
 そーゆー絶望的な寂寥が、ビンスには満ちていた。

 以来、わたしゃコムちゃんを「コム姫」と呼ぶようになった。
 なんつったってあーた、傷ついた瞳が絶品なんだもんよ。

 彩輝直が心の傷ゆえにすねた瞳が絶品なのと同じよーに、コム姫は傷ついた瞳が絶品なのよーっ。鼻息。

 だからこそ、コムちゃんは傷つけてなんぼ。
 ナイーヴでいてなんぼ。
 泣かせてなんぼだ!

 スサノオ万歳!
 傷だらけの朝海ひかる万歳!!

 さすがキムシン作品はあてがきうまいよねえ。コム姫を絶望させるなんて、使い方をよーっくわかってるわぁ。

 それでいて、コム姫の絶品表情をわざと観客に見せないってのは、まったくもってどうなのよー、にくいわぁああぁぁ。キリキリキリ ← ハンケチを噛む音(笑)。
 

 アマテラスが振り向かないのは正解よ。
 もし振り返っちゃったらきっと、彼女は天の岩戸に隠れることなんてできなかったろうから。
 どんな女も、コム姫の「傷ついた瞳」を見たら、抱きしめて愛撫してあげたくなるから!!(笑)
「泣かないで、わたしはどこにもいかないわ」
 って髪を撫でてあげたくなるから!!

 とことんまで、彼をあまやかしてあげたくなるから。

 …………男にもいろいろあるけどさー、ここまで母性本能直撃してくれる男もいいよなあ(笑)。

 『ノバボサ』や『SAY IT AGAIN』のころのコムちゃんは、ほんとに魔性の美少年を地でいってたからなあ。爆発的に人気が出て、石を投げればコムファンに当たったあのころ。
 あちこちから、コム姫の魔性ぶりを聞かされたなあ(笑)。微笑ましかったなあ(笑)。

 今は当時と雰囲気はちがってきちゃってるけど、この芸風は独特、希有なものだよねー。
 芯に立つ力強さを得てなお、この繊細さを持ちつづけてほしいナリよ、ほんと。
 心から思う。
 
 わたしは、スサノオ@コムが大好きだ。

    
 そして。
 ……演出でわざと見せてくれない「傷ついた瞳」を、見てみたいと思っているのコトよ。

       
 毎月1日は、映画の日です。大抵の映画は、1000円で観られます。
 ってことで、本日のわたしの予算は3500円。
 
 3500円で、『スサノオ』と映画2本観るのー。


 東宝の立ち見は、たった1500円なんですよ。そして、立ち位置が指定済みなんで争奪戦もしなくていいし、取られる心配なく席をはずせるし、後ろに人が立たないから圧迫感もないし。いいことずくめ。
 しかもムラとちがって都会の真ん中だから、朝から並びに行ってもいくらでもつぶしがきく。
 ハンパな席に高い金を出すより、立ち見の方がはるかに好き。とくに『スサノオ』は2階席の方がおいしいし、何度も観ているし。

 朝10時に劇場到着、立ち見のセンターブロックを手に入れる。センターはサイドより1列前だから、BB席2500円よりおいしい。わーいわーい、最良の場所だわ。

 その足で郵便局に行き、交換するチケットを発送したりなんだりしてから、劇場向かいの映画館へ。『白いカラス』を見て、盛大に泣く。
 映画が終わったのが1時20分。いそいそと劇場へ。

 『スサノオ』を観終わって、休憩時間にいったん外に出て仕事の電話を済まし、再度劇場に戻って『タカラヅカ・グローリー』観劇。

 劇場を出たのが5時前。隣の映画館で6時台の指定席チケットを買っておいてから、食事へ。

 無事2本目の映画、『花咲ける騎士道』を観終わって帰路へ。

 
 タカラヅカ観て映画2本観て3500円!!
 ……なんかものすげー感動でしたわ……。

 金は無いけどフィクションが観たい人間には、夢のよーな1日。

          ☆

 さて、すでに何回観たのか忘却の彼方の『スサノオ』ですが。

 いちばん観たいところを見せないのがキムシンなんだな、とつくづく思いました。

 『不滅の棘』でいちばん観たいと思えるのは、エロール@おさ様の寝顔だった。
 あの黄色い椅子に無造作に坐り、そのまま眠ってしまった「真実の顔」。
 スーパースター・エロール様でもなんでもない、永遠の命と永遠の痛みに疲れはてた年老いた魂を持つ男の寝顔。

 キムシンはわざと、エロールの寝顔を観客に見せなかった。
 だからこそ、わたしたちはそれぞれが自分で、自分がもっともせつなく愛しい気持ちになる寝顔を想像するしかなかった。

 
 それと同じように。

 イナダヒメ@まーちゃんに剣を向けるスサノオ@コム姫の顔は、わたしたちに見せないのね。

 「打ち捨てられて満たされずにいる愛の仮の姿」だと、「ほんとうは彼女を愛していた」のだと、自分を護るために気付かないよう封印してきた真実をことごとく指摘され、逆ギレするスサノオ。
 その姿こそがまさに、「打ち捨てられて満たされずにいる愛の仮の姿」だよね。

 彼女の愛が欲しくて駄々をこねたのに、その駄々ゆえに愛どころか彼女自身すら失って。
 せめて虚勢で自分を護ろうとしていたのに、その殻すら見知らぬ少女に論破されて。

 少年は、武器をふりかざす。

 追い詰められて。
 殺される小動物が、悲鳴を上げながら捕食者に向かっていくように。
 それが、イナダヒメの言う、「暴力は打ち捨てられて満たされずにいる愛の仮の姿」だよね。
 ふるいたくて振り上げた拳じゃない。追い詰められて追い詰められて、他の選択肢をなくして、そして振り上げた、かなしい拳なんだよ。

 もちろんそれは、弱いからさ。まちがっているからさ。余裕がないからさ。
 自分が劣っていることを理由に、暴力をふるっていいはずがないよ。

 だから彼は責められてしかるべきだ。
 
 だけど。
 彼の弱さも、彼の罪も、なんとかなしく、いとしいことか。

 
 語るイナダヒメに、「やめろ」と叫んで剣を突きつけるスサノオ。
 観客席に向ける背中。
 彼の表情は見えない。
 わざとだね。わざと、見せない演出になっている。
 わたしたちが見るのは、彼を見つめる、彼の瞳に映るイナダヒメの顔のみ。

 スサノオの罪と慟哭を受け止め、赦す聖少女の微笑のみ。

 
 後半、「虚しい」と地面に這いつくばって泣くスサノオの顔も、やっぱり見えないよね。

 いちばん観たいところを、わざと見せないの。

 にくいな、と思う(笑)。

           
 友人諸氏に連絡。
 ネット環境復活しましたー。ふつーにメール受け取れます。
 よろしく〜。

       ☆

 月組『タカラヅカ絢爛?』感想その2。
 

 まず、ゆうひ君の話(笑)。

 ショーのゆうひくんを見るときのチェックポイントは「表情」。……ぶっちゃけ、たのしそうにしているか、ふてくされているかを確認するのな。公演によっては、にこりともせずにいやそーに踊ってたりするから。クールビューティだから、それはそれでいいんだけどね。某あんちゃんが組替えになった直後の公演だっけ? フィナーレまでただの一度も笑わなかったのは。その公演中はいつ見てもそうだったなー。公私の区別がついてない感じが、いっそ愉快だったんだが。

 今回はゆーひくん、全開で笑ってます。ああ、ごきげんさんね、よかったねー。
 ふてくされているラスカルも好きなので(痛いファンだ)それはちと残念だが、ごきげん笑顔のゆーひくんもかわいいー。きゃー。

 プログラム買ってないんで場の名前はわかんないけど、あさこ中心のダンスシーンで、ゆうひがからむとこがすごく好き。てゆーか、セナゾラをもっと見せろ。ハァハァ。
 あさちゃんの使い方がわかってないわ! かしげなんかと踊らせてる場合(あ、さえちゃんもいたな)じゃないわよ、ゆうひよ、ゆうひ。ゆーひくんとからめてよーっ。
 
 本気でチケット売るつもりなら、あさことゆうひでエロエロな男ふたりダンスをさせるべきだったね。番手なんか無視してさ。
 おさあさで売ることを知っている劇団が、何故ソレがわからないのかしら。演出家のせい?

 もしくは、せっかくの特出だから、同期3人のシーンを腹を据えて作って欲しかった……。
 きれいだったろーに……無駄に美貌のかっしーと、ショースター俺様と、クールビューティ・ラスカル。
 つくづく、作者の趣味先行作品だったことが悔やまれる。生徒のためにあてがきなんか、したことないよな、草野せんせー。

 せっかくの同期トリオを阻んでいるのは、番手の壁か……。ちぇっ。ゆうひが路線外だってことはわかってるけど、ゆーひくんだけ銀橋がないとかなしいわ。

 
 さて、次にかっしーについて思ったこと。
 
 星組と月組、ふたつの同じショーで、かっしーが同じ役をしていることには疑問を持った。
 てっきり役替わりしてると思ってたから。
 だって、1年中同じ役をやる意味があるとは思えなかったんだもの。公演ごとにチガウ姿を見せてくれるタカラヅカスタァともあろうものが、何故えんえん同じ役。しかも、当たり役でもなければ、それほどすばらしい役でもない……。
 同じショーで別の役をやってくれたら、それはそれで観る側としては興味深くてたのしめる。芝居の役替わりと同じで。
 だけどかっしー、同じ役。
 またしてもそんな、幼児向け番組のキャラクターみたいなことしてんのね……。涙。
 わたしは大人が演じるわざとらしい幼児というものが苦手なんだが(芝居なら仕方ないと思うが、ショーでやられると最悪)、なかでも男役のぶりっこ幼児喋りが苦手だったんだとよくわかった。
 娘役が演じる幼児には、とくになにも感じないんだ。いいトシした大きなカラダの男が、「ボクむじゃきなんでちゅ」系の喋りをされると苦手メーターが跳ね上がる。
 今回のスポーツジム・シーンが、星組ほど苦手じゃなかったのは、ボクちゃんかっしーと一緒に幼児喋りをしているのが「娘役」だったからだ……。
 星はなー、きつかったからなー。オヤジ系の男役が、ショートパンツ穿いて幼児喋りして……つらかった……。またえんえんえんえん長いしさー……。
 とりあえずかっしーはきれいだから、幼児キャラになっていても救いはあるしな。一緒にいるのが女の子だからなおヨシ。
 もちろん、月組Ver.にしたって観たいシーンではないので、最悪の事態を脱していた、という意味でしかないけどなー。なんでこんな役を1年間も……。涙。

 同じ役なんだ……とあきらめた瞬間、唯一たのしみだったのは銀橋のシーン。星組で男前かっしーが美女となった清十郎様(笑)とからんでくれた、あの素敵シーン。どんな男を美女にして、かっしーが転がすのかしら。わくわくっ。
 …………相手、男役チガウやん! 期待したのに、女装。
 あいちゃんが悪いわけじゃなくて、たんにわたしは清十郎様並の華麗なる性転換を期待してたんだってば。ちぇっ。
 ふつーに女の子相手だと、かっしーさわやかさんだから色気が減るんだもん……。もともとほとんど色気の持ち合わせがない人なのに……。

 星組Ver.で異彩を放っていたヘビのシーンがさっくりなくなっていて、ヅカらしい男役ダンスになっていたことが、とてもうれしい。そうよ、こーゆーのが見たくて、この劇場に来ているんだからさー。タカラヅカらしいものが見られてうれしい。
 さえちゃん、あさちゃん、かっしーの3人は、とても美しい。
 でもなんか、この並びだとせっかくの俺様の色気のやり場がなくて、中和されているというか……なんかもったいないなあ。
 あさちゃん、ゆーひ、越リュウだったら萌え狂ったなぁわたし……と妄想してみる(笑)。

 ショーまでくると、さえちゃんの歌のアレさにはあまりに気にならなくなっている(笑)。人間は慣れる生き物なのさ。
 素直にヴィジュアルを堪能ですわ。
 さえちゃんだと「妖精」って言われても納得できるしね。

 さららんがウメちゃんの役だとはおどろいた。
 たしかに、時計係は性別問わないよねえ。全開の笑顔がかわいい。つか、丸い……。さららんをこんなに丸いと思ったのははじめてだ。
 それにしても、ウメちゃんは「スター」だったなあ。

 最後の大階段、センターを降りてくるメンバーにちとおどろきました。
 …………ひろみちゃんが入って、めおちゃんがいないですと?!
 やーん、この間のバウでめおちゃんに萌えたのにー(笑)。

 
 まとまりなくつらつらと感想書きましたが。

 なんつーか今回の公演は芝居・ショーともわたしにはどうも消化不良です。
 それはずばり、あて書きされていないもどかしさですわ。
 さえちゃんをはじめ、キャストの魅力を最大限に発揮する、持ち味のよさを何倍もに盛り上げる、座付き作者だけが作ることの出来る快感作品……でなかった、ことに物足りなさを感じるわけですな。
 多少作品が壊れていようと退屈だろうと、キャラさえはまっていれば、たのしいのになぁ。
 あて書きの魅力万歳の星組『王家に捧ぐ歌』、雪組『スサノオ』が、物語のアラなんぞ吹き飛ばしているように。

 キムシンやオギーが今の月組(特出のふたりも含めて)に作品を書き下ろしていたら、どんなふうになってたのかなあ、と思ってみたりな。

         

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