荻田浩一、神。

       
 出会ってから、今日でちょうど10年目。

 誕生日おめでとう、わたし。
 それから、あのひとと出会った記念日おめでとう、わたし。

 1995年9月29日。バウホール公演『大上海』観劇。

 数字の上では、9年前。そして今日から10年目。
 だけど、出会った1周年記念日はないんだね……。来年の誕生日には、もうあのひとは存在していない。

 
 最後に私信。

 birthdayメールくれた方々、ありがとー。感謝っす。
 でも結局、「スターからのメッセージ」は聞けていません……(笑)。

    
        
 9月28日、深夜。
 メールを書いているうちに、日付変更線を越えた。

 あら、もう29日だわ。

 29日はMyバースデー、そいでは恒例の「タカラヅカ・デスクトップカレンダー」を立ち上げて、スターさんからの「お誕生日おめでとう」メッセージを聞きましょう。

 すでに、誰を選んだかおぼえてない……。年寄りの記憶力はこんなもん。だからこそ、自分で自分にサプライズを仕掛けているよーなたのしみをもって、カレンダーを立ち上げた。

 
 エラー

 
 メッセージは、聞けませんでした。

 
 なななななぜぇっ?!

 どーして?
 画面はグレーのまま。
 なにかプログラムに不足があるらしい。
 わたしなにか、必要なモノを消してしまっていたのかしら。

 再インストールすりゃ、いいわけだけど。
 すでに日記として活用している(このサイトでの日記は、日記として役に立っていない)から、再インストールによる初期化はごめん。

 めそめそめそ。
 かなしいときには、かなしいことばかりつづくのよ……。

 
 日記のネタは溜まる一方なので、またそのうちどーんと、書きます……。
 今はフテ寝するー。

       
 千秋楽。
 わたしは立ち見でした。
 ええ、チケット運ないもんで。

 いつもの位置に立ちながら、「1ヶ月半後も、ここにこうして立っているんだな」と思って、泣きたくなった。

 1ヶ月半後。
 ええ、もちろん立ち見です。チケット運ないもんで。

 ヘルナンデスと踊るギジェルモ社長にオペラグラスを合わせて、あの巨大な劇場のいちばん後ろから、見えなくなるまで見つめていました。
 めそ。

 
 ところが。
 『タカラヅカ舞夢』の方は、ちゃっかり座席にいたました、わたし。

 見知らぬ方が、チケットをくださったので。

 ありがとうありがとう、見知らぬ方。
 11列目サブセンター。
 ショーは観ないで帰るから、という方から、席を譲っていただけたのでした。ハラショー。
 客席から登場の水しぇんが間近だばんざい! 銀橋の兄貴の視線が近いよばんざい!

 そーやって、隣の席の見知らぬお嬢さんとふたりして、うきゃうきゃ盛り上がってました。
 共に兄貴のご挨拶で涙し、幕が下りたあとも脱力して立ち上がれずにいました。

 
 兄貴は最後まで男前でした。
 わたしたちの見たい矢吹翔でいてくれました。

 そして、春野寿美礼は春野寿美礼でした。
 腹の底なんか見せないで、元気にキャラ作って盛り上げてました。

 時間がなかったので、終演後のお見送りは出来なかったけれど、すがすがしくも男前な兄貴の姿を瞼に刻んで、帰路につきました。

 
 1ヶ月半後。
 てゆーか、1ヶ月と少しあと。

 カウントダウンのはじまっているその日が、重い。

        
 何故カルロスは、ミルバを愛さないんだろう。
 そんな疑問を抱きつつも千秋楽。

 脚本上では、カルロスはミルバを愛しているようだが、実際のカルロスは、ミルバのこと愛してないよねえ?
 花組公演『La Esperanza』は、重ねて観れば観るほど、主役カップルの愛のなさに唖然とする。

 作品のカラーやテーマをぶちこわしているのは、まちがいなく主役のふたりだ。

 『La Esperanza』は地味な作品。
 宿命だの悲劇だの、ドラマチックな告白だのがない分、役者が自力で愛を高めなければならない。
 台詞やシチュエーションの底上げナシに、愛し合っていることを観客にわからせなければならない。
 なーのーにー。

 カルロスは、ミルバ以外と接するときはハートフルだ。フアンのことは本当に大切にしているらしいし、ベニートの熱さを苦笑しつつも気に入っている様子。おにーちゃんのことは大好きで甘えまくってるし、事件後のフラスキータへの深い思いもわかる。
 なのにどーして、ミルバには表面的にしか接しないんだろう。

 ミルバは、カルロス以外といるときの方が、魅力的だ。いちばん彼女が輝くのはギジェルモやヘルナンデスと一緒にいるとき。活き活きとした素敵な女の子になる。
 なのにどーして、カルロスといるときはくすんでしまうんだろう。

 相性が悪いってのは、こういうことをいうんだなあ。と、思う。
 一緒にいるだけで、相手に悪影響を与える。べつに悪意も害意もないのに、自然とそうなってしまう。
 人間って不思議だ。

 そしていちばん不思議なのは、どうしてこんなに相性の悪いふたりが、トップコンビなのかってことだけどな。

 もちろん、相性云々ぐらい、真の役者ならば演技力でカバーするもんなんだろうけど、残念ながらこのふたりにはそこまでの力量がない。技術ではなく、カバーする気がないだけかもしれんが。
 自己完結した表面的な演技だけで、ちゃんと演じているつもりらしい。自己愛の透けて見えるふたり。そういう意味では、相性はいいのかな。結局自分しか好きじゃないわけだから。そんなふたりがくっつくのは、世の中のためかも。

 
 とまあ、ちと辛辣かもしれませんが。
 「自分しか愛せない」ナルシストで傲慢な美青年、てのもキャラとしてはアリだと思うんで、花組トップスター様にはこのまま突っ走っていって欲しいです。

 そしてわたしの好みとしては、そーゆー男の妻は、けなげなまでに夫に惚れていてほしいのですわ。
 その昔、ヤンさんに一顧だにされないにかかわらず、みはるちゃんがけなげについていっていたよーに。

 オサちゃんの相方が、オサちゃんと同じように「自分しか愛せない」タイプのふーちゃんだっつーのは、つまらんです。
 ただの仮面夫婦じゃん、そんなの。
 萌えないわ。

 
 たか花やワタ檀がたのしいのは、夫婦がラヴラヴあつあつだから。
 愛があることが、目に見えるから。

 この殺伐とした現代に、目に見える「愛」があるなんて、すばらしいじゃないですか。
 それこそ「夢の世界」じゃないですか。
 わたしは夢が見たいのです。
 夢を見せてください、劇場にいる間だけ。

 
 ヒロインと恋愛する主人公、というのは、オサ様に関してはもうあきらめているんで、「誰からも愛されるけど、誰も愛さない男」としてのカルロスを堪能しました。

 いいよねえ、カルロス!
 出会う人出会う人に、猛烈に愛されて。
 でも本人、そんなのぜんぜん気づいてなくて。

 事件の夜、フラスキータが何故わざわざ自分を追いかけてきたか、素で理解してないんだよね。
 しかも、彼女が撃たれたことにさえ気づかないし。おにーちゃんのことしか考えてないから。……ほんとに、彼女のことなーんとも思ってなかったんだよねえ。ただの「職場の同僚」だったんだねえ。
 新しい職場でも、やたらみんなカルロスを好きだよね。ジュースをくれた女の子とか、マジでカルロスに惚れてがんばってアタックしてるんだろーに、もちろんカルロスはそんなことまったく気づいてないし。ベニートを案内してきて、そのまま一緒に喋りたがっている男もそうだね。カルロスの「特別」になりたくて、うずうずしている。
 でもカルロスは、彼らの「愛」にまったく気づかない。ただの「職場の同僚」だよね。

 だって、「愛されている状態」が、「平常」だから。

 愛されているのがあたりまえ。やさしくされるのがあたりまえ。
 それがデフォルトだから、気づかない。
 カルロスはマイペースにかろやかに、自由に生きる。

 愛があふれている暑苦しい男ベニート。彼もまた、いそいそとカルロスのもとに通う。そう、自分からアプローチしないと、カルロスからはしてくれないからね。触れ、抱きつけ、スキンシップ過多、とにかく全身で愛を表現しろ、でないとカルロスにはまったく通じないぞ(笑)。

 顔はクールな二枚目なのに、黙って踊っていれば超絶色男なのに、言動が三枚目の愛すべき男ベニートと、一見人当たりのいい美男子、フレンドリーでハートフル、しかしその実誰の愛も届かない砂漠男のカルロスは、とてもいいコンビだと思う。

 カルロスがどんどん「愛の届かない男」だとわかるにつれ、ベニートの「愛の暑苦しい男」ぶりがヒートアップしていったと思う。
 初日付近とちがい楽付近では、ふたりのコントラストは笑えるくらいくっきりしていた。

 すさんだ目をしたクールな男に「愛が届かない」よりも、陽気で前向きで社交的なやさしい男に「愛が届かない」方が、より残酷で、愉快じゃないか?
 カルロスはやさしく誠実ないい男だよ。潔く真面目な男だよ。だからこそ彼の小悪魔ぶりが、不思議な「味」になっている。

 愛されるばかりで、自分から誰かを愛することはないんだね?
 ダンスのことしか考えてないんだね?
 フアンを大切にしているのも、彼が「自分の夢を継ぐ者」だからだね?
 本能に忠実なペンギンめ。
 ミルバを愛さないカルロスが、とても好きだ。彼の壊れた部分がとても好きだ(笑)。

 もちろん、カルロスとミルバの間に愛が見えないことで、作品の質を盛大に下げているけどね。
 今さらキャスティングが変わるわけじゃないから、それはもーあきらめてるの(笑)。ミルバ役が別の人なら、別の物語になったんだろうけどね。

 そして、「片想いキャラ」が好きなわたしは、ベニートが好きだ。
 この男の、カルロスへの潔い片想いっぷりが、ものすげーツボ。ぜんぜん報われてないのもまた、ツボ。
 『巖流』の武蔵の、小次郎への爆裂片想いっぷりがツボだったよーに、愛を隠さない男は大好きです。玉砕上等、空回り上等の暑苦しさが大好きです。

 あー、ベニートとカルロスでなんか書きたい……。ベニートの報われなさぶりと、カルロスの小悪魔ぶりを書きたい……。
 フアンとカルロスもいいんだけどなー。フアンは徹底的に健気、カルロスは大人で、なしくずしに……的な話。

 これだけキャラに萌えられる話は、さすが正塚だわ……。

 てな感慨に耽っておりましたよ、千秋楽。
 もう彼らに会えないのがかなしい。
 千秋楽だからなのか、カルロスは微妙に柄が悪くて(笑)、いつもよりクールで悪党入ってました。千秋楽だから熱っぽくなるかと思いきや、逆なのね。より「素」の部分が出るのかな。
 愉快だからヨシ。

     
 寿美礼ちゃんの写真集はAmazonで取り扱いがあったのに、パーソナルブックはナシかい……。

 宝塚パーソナルブック? Vol.1 安蘭けいを買ってきましたー。

 今どき笑っちゃうよーな「美少年」ぶりに、まずウケた。
 フリルのブラウスに、リボンタイって……『風と木の詩』?!

 表紙はワイルドなのよ?
 なのに、ページをめくるとジルベールなのよ?

 愉快ですね。

 ノーブルに美しいトウコちゃんがつづき、タニちゃんとのさわやか対談、そして舞台写真集、モノクロの嘘っぽい(失礼)日常風景、プライベートのスナップ写真、2ページ使ってのインタビュー、黒・白と視覚もあざやかなかっこいー写真がつづき、さらに。

 おバカ・ヤンキー集団がいた……。

 トウコ兄貴と、その舎弟たち。
 この21世紀では気志團以外では現存していないだろう、庇のよーなリーゼント・ヘア。
 髪型はいいんだが、問題は服装。
 半端な丈の学ランにサングラス。……何故いっそのこと長ランじゃないんだ……半端丈がすげー気になる……ウエストラインより上の短ランでもいいのに……どーして真面目高校生ラインの長さでツッパリやってるの?
 ズボンもドカンじゃないしさー。しかもみんなさりげなくハイヒール履いてるし。
 あああ、半端だ、半端だぞ、ヤンキーぶりが!(笑)

 でも、兄貴素敵だ。

 あの舎弟たちは全員、兄貴にベタ惚れですねっ。兄貴のためなら火の中水の中ですよねっ。

 愉快ですね。

 トウコ兄貴だけは、ハイヒール履いたりしてないのよ。ヤンキーらしい革靴でコーディネイト。
 となると兄貴、相当小柄ですね。舎弟どもの間にまじると、お姫様状態ですか?

 愉快ですね。

 リーゼント・ヤンキー(木刀付き)の次のページをめくると、これまた脱がされるのを待っているよーな、微妙に開いた襟元に手をやり、フェロモン放出中のトウコ姫。
 えーと、その不適に開けたボタンは、誘ってるんですよね? 鎖骨を見せて、「come on」ってゆーとるわけですね?

 愉快ですね。

 ラストは『卒業』ですか、教会から花嫁奪取のタキシード男。式服着てるってことは、参列者だったんかい。仁義のない男だな(笑)。

 でも、このバイクにまたがっている男らしい顔が、いちばん好き。

 その昔、雪組にいたときはこーゆー顔した、こーゆーキャラだったんだよなあ。
 星組に行って受姫になっちゃったけど。

 
 とりあえず、愉快な1冊でした。
 大きさは前回と同じにして欲しかったけど。よーするにアレでしょ、合法的に値上げしたかったんでしょ? バウホールのプログラムの値上げと同じで。

 予約特典のポストカードは、タニちゃんと対談しているときの別バージョン・ショットでした。
 思ってたよりサイズがでかくて、おどろいた……。

 
 今回のパーソナルブックは全部で7冊。
 ……さみしいよねえ。10冊出して欲しかったわ。いや、全部買う気はまったくないけど。輝いている人たちを、少しでも多くこうしたカタチにして欲しいと思うのよ。
 あと3人プラスされるとしたら、誰だろ。
 花1人、月2人、雪1人、星1人、宙2人だから、花・雪・星の3番手よね。ゆみこ・壮・まとぶんか。出せばいいのにー。

 シリーズ7巻のうち応募券4枚で写真プレゼント、だそうだから、ほんとに7人で打ち止めなのね。
 冒険ナシ、手堅くきやがったな。
 さて、応募券目当てで4人分は買うかなー。水しぇんとゆうひくんと、……あと1冊は誰にするかなー。
 

 てゆーかさ。
 ケロのパーソナルブックが欲しかった……心から、欲しいよ……。めそ。

     
 さえちゃんが、かわいいのだ。

 もう何回目かわからない、月組『飛鳥夕映え』を観ながら、思った。

 さえちゃん鞍作、かわいい……。

 
 最初わたしは、首を傾げていた。
 鞍作というキャラクタが、どーしても理解できなかった。掴めなかった。
 脚本が悪いせいだと思った。演出が悪いせいだと思った。
 そして。
 何度か観ているうちに、気がついた。
 たしかに脚本も演出も悪い。でも、さえちゃんが悪いのも、事実。
 鞍作という役は、「トップスター」あて書きキャラだ。タカラヅカの「トップスター」ならば、似合って当然の役だった。
 周囲の人全員から愛され(もしくは憎まれ)、英雄肌で世界の中心にどんと立つヒーロー像。
 仮にもヅカのトップに上りつめた人ならば、できてあたりまえ、ハマってあたりまえの役。
 なのにさえちゃんは、この役を持てあましていた。ハマることができなかった。
 技術の低さもそうだが、なによりセンターとしての吸引力に欠けていた。
 英雄に見えない。
 トップに見えない。
 それがいちばん、痛かった。

 この事実にはかなりがっくりきたので、さえちゃんに関してはもうあきらめていた。
 さえちゃん以外の人を見てたのしもう。
 そう割り切ってた。

 ああ、なのに。

 なんか、さえちゃんがかわいい……。
 鞍作がかわいい……。

 なんか一段とハスキーになった声がかわいい。
 英雄には見えないけど、たよりないぽやぽやした男の子に見えるけど、それはそれで、いいかもしれない。
 鎌足@かしげには相手にされてないっぽくて、誘って振られて「がーん」て顔してるのがまた、かわいい。振られるとは思ってなかったんだな、おぼっちゃま……。かわいいぞ。

 さえちゃんに期待して、裏切られてヘコんで、あきらめて、それら全部を突き抜けちゃったみたい。

 なんかもー、どーでもいー。かわいいからゆるーす。

 はっ。
 この心境って、後水尾天皇@花供養の心境?!
 色即是空、すべては無。
 悲しみも苦しみも、突き抜けて悟りの境地へ。

 
 さえちゃんは進化してます。亀よりのろいけど、確実に前へ進んでいます。
 ムラよりは東宝の鞍作の方がいいよ。
 少しずつだけど、彼がどういう人なのかが見えてきた。

 
 かっしー鎌足は、笑っちゃうほど悪役。
 鞍作を愛しているよーには見えなかったな。あまりに悪役を極めすぎていて。
 むしろ、誰からも嫌われた経験のない鞍作が、鎌足に拒絶されて、その反動でfall in LOVE しちゃってる感じで愉快でした。
 鎌足に片想いしてる鞍作か……。その方がいいなー。さえちゃん鞍作は、おとなしく受キャラしてた方がいいのよ。もともと受属性なんだから。
 鎌足を振り向かせよう作戦、を、軽様だとか麻呂くんだとかに協力要請したりしてさー。気を引きたくて部下を引きつれて踊ってみたりさー。つっても鎌足は、同期3人で飲んで喋るのに夢中で、鞍作のダンスろくに見てくんないけどさ。
 惚れられるのがあたりまえ、口説かれるのがあたりまえで、自分からはなにもしたことなかったから、アプローチの仕方がわかんないままだったから、ついに気持ちを伝えられないまま、暗殺されちゃうのね。
 かわいそうな鞍作……ほろり。

 鎌足の悪役度・冷酷度が突き抜けていることと、鞍作のキュートさが上昇していたおかげで、そんな腐女子舞台を観ました、今回。

 片想い鞍作。いいじゃん(笑)。

        
 せっかく東京へ行ったのだから、もちろん観てきました『飛鳥夕映え』あーんど『タカラヅカ絢爛?』

 ところで東宝はサバキ禁止じゃなくなってんですかねえ。先日も今回も、シャンテ前にはチケットを出した人がずらり整列。当日券も売りきれないし、気易くていい感じ。……あれ? でも今回は祝日だったんだけどな……。買い手市場なんで助かります。

 なんにせよ、今回のトピックスは、ゆうひくんの胸ですわ。

 先日とはチガウ席で観てみようと思ってチケットを探した結果、2階席をGETしたので(値段は聞かないで・笑)、ショーではゆうひくんの胸を見る気満々でした(1階で観るときは、のぞみちゃんのパンツを見るのが醍醐味)。

 幕開きの白い衣装。

 そこまで見せていいのか、おおぞらゆーひ!!

 今までで最高の見せっぷりでした。
 谷間はもちろん、ぷっくらしたふたつのお山まで見えてます。

 あまりに堂々と見せているので、興奮すると同時にうろたえました。
 いいいいいのかわたし、こんなもん見てて。
 見せていただいて、いいのかしら。
 顔も姿も青年なのに、胸だけ女の子。アンドロギュネスの美。乳房を持つ男性。両性具有、あるいは無性?
 加速する倒錯感。

 娘役の巨乳を見るより、はるかに興奮します。
 本来あってはならない、見せてはならないモノが、ちらちらと隙間見える。おお、これぞチラリズムの妙。

 その気前の良さは、誰のためだ?!

 男客を悩殺したいのか、女客か?

 男役の胸元に注目する男客は少ないんじゃないかなー、と思いつつ……やはり女客悩殺が目的? しかし、男役の豊満なチチを見て悩殺される女って? はっ、わたし?!

 ゆうひくんの胸は、ちゃーんとドーランが塗ってありました。谷間まで。ふくらんでいる部分まで。本来見せない部分まで。
 ふつーなら衣装の下で見えない部分まで、毎日ドーラン塗ってるのか……どこまで塗ってあるんだろう……自分で塗るんだよねえ……手伝ってもらったりはしないよねえ……遠い目。
 そんな手間なことせんでも、衣装にあて布をするとか、肉色シャツを着るとかすれば、なんの問題もないのに、チチにドーラン塗ってまで、生の肌で勝負するのね。

 その心意気やヨシ!!(鼻息)

 
 ちなみに、見せっぷりがいいのは最初の白い衣装だけで、他のときは肉色シャツを着ていたり、言い訳のように小さなあて布がしてあったりして、ガードされてました。
 チラリズムの帝王おおぞらゆーひ。
 漢字で書かないのは、真面目なファンの方々の検索がこわいからです(笑)。

 ああ、どきどきさせてもらったわー。
 いつまでもそのままのゆーひくんでいてください。

     
 トド様の挨拶を聞きに、『花供養』千秋楽へ行ってきました。
 トド様の挨拶は独特なので、生で聞いてなんぼっすよ。

 わたしがトド様の挨拶をはじめて聞いたのは、『天守に花匂い立つ』新人公演のときでした。トド様が研6になったばかりの1月。彼は中卒なんで、まだ22歳、学生の年齢ですわな。
 そのときからすでに、トド様はトド様でした。あのみょーちくりんな挨拶をカマしてました。

 当時のわたしは金も経験もなく、挨拶がある公演を観に行くスキルがなかったため、ジェンヌの生挨拶を観られるのはトド様の新公だけ、状態でした(トド様の新公だけは、性根を入れてチケットGETしてたからなー)。
 だもんで、「すべてのジェンヌさんは、あーゆー挨拶をするもんなんだ」と思いこんでました。
 たとえ挨拶であっても、キャラを作り、「男役」になりきったまま喋らなければならないのだと。

 だから、トド様以外の人の挨拶をはじめて聞いたときは「ポカーン」となりましたわ。
 とくに、最初に聞いたのがよりによってタータンだったもんでな……ショックは大きかったわ。
 あれは『華麗なるギャツビー』の新人公演。いつもの調子で挨拶をカマしたトドロキ氏が、突然、2番手を務めたタータンに、話を振ったのだわ。ぬきうちだったらしい。挨拶は他人事、と見守りムードだったタータンは、突然指名を受けて、嬌声を上げる。
 スーツ芝居だ。タータンももちろんスーツ姿。本役のいっちゃんよりはるかに貫禄のあるおやぢぶり。実際堂々たる芝居と歌で舞台を盛り上げた。
 その貫禄あふれたおやぢが、だ。挨拶を振られるなり、「いやぁぁん☆」てな女の子になったのだわ。内股、上目遣いでもじもじ(顔はおやぢ)。おずおずとマイクの前に出てきて、あのかんわいらしー「タータン喋り」で、舌っ足らずに甲高く挨拶をはじめた(顔はおやぢ)。
 えええっ?! 挨拶って、「男役」のキャラのまんまでなきゃ、ダメなんじゃないの? 本名の女の子まんまの姿でしていいもんなの?
 びっくりした。
 さっきまで完璧におっさんだったのに、名前呼ばれるなり豹変、て、すげえ……。ただ立っているだけでも、「男役」ってのは技術なんだなあ。気を抜くと女の子になっちゃうもんなんだー。ほえー。
 てゆーか、挨拶って……ふつーに喋っていいもんだったんだ……節を作って歌わなくてもいいもんなんだ……。

 トド様のおかげで、何年も誤解してましたよ。
 タータンを皮切りに、他の人の挨拶を聞く機会も増えたが、あーんな変な挨拶をする人はトド様の他にはいない。
 トド様が変だったんだ……挨拶はふつーに挨拶、ふつーに喋っていいもんだったんだ……。

 とまあ、唯一無二のトドロキ御大。あの阿呆……愉快な挨拶は、生で聞かなくっちゃ。つーことで、遠路はるばる東京へ。

 舞台は熱く、また、落ち着いておりました。トバしすぎてこちらが引いてしまうようなこともなく、情熱を感じさせる静かさが満ちておりました。これはこれで、すばらしいことでしょう。

 しかし。
 とどのつまりわたしは、この物語が好きになれないのだと心から思った。
 後水尾天皇の無神経で自己中で、くどく女々しくひがみっぽい性格がキライだし、宗教に逃げてハッピーエンドというオチもキライだ。
 わたしは困難に立ち向かう物語が好きだし、それを乗り越え、成長する物語が好きだ。『花供養』はそういったテーマと対局の部分で描かれているのだから、はじめからわかっていることを「キライ」と言っても仕方がない。わかっているさ。嫌なら見るなってこった。

 同じテーマでも、脚本や台詞の選び方ひとつでいくらでも変わると思うんだが、何故かこの作品では、キャラクタのひとりひとりがとても無神経に見えるように描いてある。
 同じ意味を言うんでも、よりによってどーしてそんな言い方を? 言葉の使い方まちがってない? それって他人に言っていいことじゃないのでは? がてんこ盛り。
 同じテーマとストーリーラインでも、もっと感動的にできるだろうに……何故こんなに心が冷える台詞と演出なんだ……とほほ。

 まあ、もともと好みじゃない話だから、仕方ないさ。ちょっとした言葉のニュアンスが引っかかって、さらに気持ちを萎えさせるのさ。
 ツボな話なら、多少言葉が無神経でも用法がまちがっていても、いいように解釈しちゃうからなー。

 わたしの好みからもっともはずれているのは、「無」という悟りの使い方。
 後水尾天皇にしろお与津御寮人にしろ、本人の意思や努力とは関係ないところで不幸な境遇を強いられている。かなしい想いをしている。それは気の毒なことだ。
 色即是空、宗教に走ってしまうのも、仕方ないことかもしれない。
 しかし。
 悲しみや苦しみも、この世のものはすべて「無」である、と悟りに至る彼らに、わたしは盛大につっこんでしまう。
 悲しみや苦しみが「無」ならば、よろこびや愛もすべて「無」ってことだな。と。
 あれだけ愛してるのどーのと大騒ぎこいといて、敵前逃亡かよ。愛していたこと、今までの人生のよろこびややさしさ、全部「色即是空」で「なかったこと」かよ。
 泣きながらでも、美しいモノをそこに築いていたはずなのに、それを捨ててしまうのね。
 人間らしい汚さを捨てる代わりに、人間らしい美しさも捨てるのね。

 それが、いちばん嫌。

 悟りに達した人間は美しい。世俗の泥を突き抜け、悟りの水面に美しい花を咲かせる。たしかにそれは、すばらしいことだろう。そこにたどりつくまでの慟哭と苦悩も深いだろう。
 それがすばらしいこと尊いこと、美しいことを知った上で、わたしは思う。

 世俗の泥の中であがく生き方が好きだと。

 汚いものを抱えながら、かなしみながら苦しみながら、それでも愛して笑って生きる。それこそを、真にすばらしいと思っている。

 天使なんか愛せない。わたしが愛するのは善と悪、天と地、聖と俗の間で揺れ動く人間だ。
 かなしみや苦しみを否定する人なんか、愛せない。

 後水尾天皇に徳川に反乱を起こせとか戦えとか言ってるんじゃないのよ。誰だってなにかしら制約を受け、枷をはめられて生きている。そのなかで、どう生きるかが重要。
 彼には彼の世界の中で、苦しみながらもあがきつづけてほしかった。どれだけ自己中でヘタレでもかまわないから。弱くない人間なんかいないから。彼なりの真摯さを見せて欲しかった。

 ……いや、そーゆー話じゃないことはわかってるんだけどな。
 よーするに、わたしの好きな物語ではなかったのよ、致命的に。

 だもんで、いちばん盛り上がっている3幕、兄弟が怒鳴り合って生きるの死ぬのと大騒ぎしているところが、笑いツボ直撃なのよ。
 いかんなあ。泣かせどころで、そんな反応。情緒が不足しているのだわ。

 
 さて、トド様の挨拶ですが。
 彼はただ一度だけ、「素」で喋ったことがあります。わたしが知る限り、ただ一度。
 『バッカスと呼ばれた男』のムラ千秋楽。同期がこの日をもって退団するときに。
 マイクの前で、トド様は「男役・轟悠」ではなく、本名の石**子ちゃんになった。いつもの挨拶をしようとして……泣いてしまい、喋れなくなったの。
 素で喋り、素で泣いている彼を見たのは、あとにも先にもそれっきりだ。
 すぐに泣きやみ、いつもの挨拶をはじめたけれど。つーか、涙に濡れた顔のまま、それでもあの挨拶を無理矢理はじめてしまうことに、おどろいたんですけど。

 愛すべき人だと思うよ。
 強情で、不器用で。古き良き日本男児のような人だと思う。

 もういい加減忘れかけているので、あわてて花組新人公演『La Esperanza』の感想の続きを書くことにする。
 機嫌良く2日にわたって書いていたのに、まっつのことを書いてUPした数時間後に、あーゆーことになっちゃったしさー。公式発表出てないから、ずばりなにが起こったかを日記に書くわけにもイカンしさー、てゆーか、なにも書きたくなかったし、今も書きたくないし。その話題は自分的に避けて生きてるし。未だ現実逃避中だからな。
 9月2日の事件を境に、花組新公の記憶は飛んでしまって、なにを書くつもりだったのか、いまいち思い出せないでいる。

 えーと、作品のことは書いたよな。んで、主役のまっつのことを書いた。あとは……。

 他の出演者、めちゃくちゃ下手だったね! と、付加疑問文で書いてみる。
 もちろん、なかにはそこそこうまい人もいたけど、全体的な印象として。

 わたしは理世くん、けっこー好きなんだがな。天下無敵のバカキャラとして。きれーでおつむの弱い男の子キャラとしては、最強のかわいさだと思っている。ヘタレ好きなもんで、こーゆー個性は好きだ。下手だってことはわかってるけど、下手さがキャラに合っているので、ソレはソレでヨシというか。タニちゃんが下手でも愛らしい、のと同類項で。
 『野風』の新公の秀頼とか、アタマ弱い方がさわやかに悲劇が盛り上がるので、かしこそうな本役のゆみこちゃんよりある意味好きだったくらいさ。
 しかし、バカがかわいいのは、時代劇とかファンタジー世界の底上げがあってこそだなあ。
 リアルなスーツものでは、かわいいバカというより、下手さのみが浮き上がって見えて、きつかった。キャラが合えばかわいいんだがなー、合わないとただの舞台クラッシャーだよなあ。とほほ。

 ベニート@理世くん、フアン@扇めぐむ。
 カルロスを愛するふたりの男。
 本公ではカルロスがミルバを愛していないので、彼の愛は男たちに向けられていた。
 新公ではそのへんどーなるんだろ、と興味津々だったんだが。

 色気ナッシング。

 カルロス@まっつはミルバ@あすかちゃんを愛していることもあり、男たちには見向きもしてなかった。
 はー……ただの友だちですか……そーですか。

 てゆーか、長椅子のフアンinコンテスト控え室のシーンでさ。
 本公だとカルロスとフアンのラヴシーンなのに、新公ではまったく空気がちがっててびっくりだ。
 だってカルロス、フアンの手、握らないじゃん。ただ横に坐って話しかけるだけじゃん!
 本公のあのいやらしさはなんなの? あれって公式の演出じゃなくて、出演者が勝手に盛り上げているもんなの?
 カルロス@オサがいちばんやさしい目をするのは、あのときフアンに対してでしょう? ミルバのことはあの人、お義理にしか見てないし考えてないから。

 こんなところでも、新公と本公はまったくの別物。
 新公のベニートもフアンも、色気もなにもない、そこにいるだけで精一杯の男の子たちなんで、物語の中枢に入ってこられないのね。
 真ん中にいるまっつとあすかちゃんががっぷり芝居しているので、芝居以前の人たちは彼らに絡むこともできていなかった。ものすげー乖離感。
 えーと、新人公演ってこんなもんだっけ? 来年が心配になったよ……。

 ファビエル@そのかは、納得のビジュアル(笑)。つーかなんでこー、オヤジが似合うかな。ヒゲが似合うかな。恰幅がよくて背が高くないのも、オヤジっぽくてヨシ。
 フラスキータ@きほちゃんとあまりかみあってない気がしたんだが……あんなもんなのかしら。

 あと、ワンフレーズだけでその存在を主張したみつるがツボだった。
 オープニングの歌い継ぎでわずかワンフレーズ歌っただけなのに、その音痴っぷりに「あっ、今のみつるだ!(笑)」とオペラグラスを使うまでもなく判別がついた。がんばれ、みつる〜〜(笑)。

 あすかちゃん、もともと好きだし、多少ムラがある気はするが、演技も好きだ。
 しかし、ビジュアルはどうかなあ。
 かわいいとき、きれいなときと、ものすげーイケてないときの差が激しい。本公のフラスキータはスタイル抜群の雰囲気美女だし、ショーのアフロディーテはキュートなNo.1美女だ。
 しかし、新公のミルバはちと微妙……。髪型のせいかなあ。すげーファニーフェイスだったんだが……。
 ビジュアルを安定させてくれたら、こわいもんナシだと思うなー。

 
 さて、わたしにはもうひとり、必死にオペラグラスで追っかけている新人さんがいました。
 バウ『NAKED CITY』で思わず釘付けになってしまった女の子。
 彼女ばかり見ていたので、コンテストのシーンは真ん中をろくに見られなかったくらい(笑)。

「いやあ、とにかくその子、ものすごい乳をしていてねえ。バウで見たときに、『なんじゃそのデカ乳は!』とびっくりして、以来つい探しちゃうのよ」
 と、帰りの電車でデイジーちゃんに言うと、ちとあきれ顔をされました。まーな、自身がFカップのデイジーちゃんに、巨乳娘のありがたさを語っても、それほどの理解は得られないだろうよ。
 言っておくけど、なにも乳のでかさだけで注目しているんじゃないのよ。
 まず、よ。
 『NAKED CITY』で「好みの顔発見!」と思ってよく見たら、すげー爆乳の持ち主だったのよ。チチは付属物よ。

「あたしもコンテストのところは、脇の娘役ばっか見てましたけどね。ひとり、好みの顔の子がいて……」
 デイジーちゃんも語る。

 ん?
 コンテストの脇の娘役で、顔が好み?

 わたしとデイジーちゃんは、顔の好みが同じなんですけど。いつもいつも、ふたりで別々に同じ男にハマってるんですけど(ケロ除く)。

「それって、キャミみたいなドレスで肩出してます?」
「出してるよ、胸の谷間見せまくりの景気のいい衣装だよ」
「脇にスリットが入って……髪はショートのボブ」
「そう、ソレ!!」

 またしても、同じ顔に夢中になっていましたか、わたしとアナタ!

「ゆーひくんに似た顔した娘役!」
 わたしがバウで惚れ込んだのは、化粧顔がゆうひくんに似ていたからさ。
「そうか、ゆーひさんだ。誰かに似てると思ったら。ゆうひさんが失敗せずにふつーに女の子をやったらあんな感じ、って顔の子」
 デイジーちゃんも膝を打つ勢いで同意。

「名前なんて言うんですか、知りたかったんです」
 と言うデイジーちゃんに、教えて差し上げました。
 わたしたちの好みの顔のお嬢さん、彼女は華月由舞ちゃんです。
 「おとめ」で見る限り、素顔も美人さんですねー。素顔はべつに、ゆーひくんには似てないのになー。
 顔が好みで爆乳。いやあ、たのしみな娘さんだ(笑)。

 
 他にもなにか書きたかったことや、感じたことはいろいろあったはずだが、忘却の彼方。
 やっぱ感想はとっとと書かんとイカンね。

 そーいや、新公のあと本公を観に行くと、ミルバ@ふーちゃんが別物になってた。アレはどうなんですか、みなさん?

        
梅田のキャトレで「春野寿美礼写真集・予約受付中」のPOPを見たわたしが、「あっ、そうか。写真集出るんだ。予約しなきゃな」と言ったときの、横にいたチェリさんの冷静なツッコミが耳に残っています。

「えっ。買うんですか?」

 ………………買うんです。
 だからわたし、寿美礼ちゃんの素顔も好きなんだってば(笑)。

 と言いつつ、そのまますっかり忘れていたので、買ったのはシャンテのキャトレでだったけど。大阪まで持って帰るのが面倒だってばよ。

 
 わたしが持っているヅカの写真集は、トド様とたかちゃん、そしてこの寿美礼ちゃんで3冊になりました。
 うわ、今気づいたけど、たかちゃんの写真集より、寿美礼ちゃんのが高いんだ。ページ数も装丁も同じっぽいのに。寿美礼ちゃんは雑誌扱いなのにー。

 にしても、たかちゃんと寿美礼ちゃんのキャラの差は愉快だなー。
 たかちゃんがサイパンで、Tシャツにジーパンなのに、寿美礼ちゃんはイギリスで、スーツにブラウスだよ。衣装協力、も、たかちゃんはほとんどないし(Tシャツ、自前だったらしい)。
 まあ、衣装の話になると、トド様の写真集は衣装協力ナシなのに、シャネルばかりをお召しになってますがな(笑)。

 
 写真集の感想ですか?

 え、えーと。

 
 わたしは、動いている春野寿美礼サマの方が好きです。

 あと、写真はバストショットか、下半身の写ってないモノが好きだな。ははは。

 そうか、寿美礼ちゃんとトド様ってのは、こーゆーとこも似てたんだな……。
 写真集のカラーが同じなの。ヨーロッパ+仰々しい雰囲気。彫刻系のキャラクタを、わざとつくってるところとか。
 全身を写すと微妙なところまで、同じかい……。

 
 パーソナルブックの破壊力を期待していたので、正直ちょっと、肩すかしでした。

 パーソナルブックはなー……見た途端、床をごろごろ転がり回りたくなるくらい、恥ずかしかったからなー。
 かわいい「純真な笑顔」の表紙をめくるなり、

仕事は、俺の生き甲斐。
それは、仕事が自分の力を試せる唯一の手段だから。
恋はとうぶんお預け。
今はこのゲームに夢中なのさ。


 って、むちゃくちゃサムいポエムつきで、エリートビジネスマン気取りのオサ様が、サングラスかけてかっこつけてんのよ?!
 でもって、そっから数ページ、えんえんキザりまくったオサ様が続くのよ?!

 「仕事のできるビジネスマン」というテーマだったらしいけど、そんな風にはぜんっぜん、見えなかった。
 「腹の底まで邪悪なビジネスマン」に見えたってばよ!!(笑)

 水くんがパーソナルブックでホストのにーちゃんを演じている(笑)けれど、彼の場合は笑えるくらい「悪」に見えなかった。
 ホストとビジネスマンなら、悪い男はホストの方だよねえ。
 なのに、水しぇんは「人の善いホスト」にしか見えず(客のハズの女に本気で惚れて悩みそう)、寿美礼ちゃんは「邪悪なビジネスマン」にしか見えない(自分に惚れた相手をとことん利用して踏み台にしてそう)って、どうよソレ?!(笑)
 ビジネスマンの方が、どっから見ても「悪」って、どうなのよソレ!

 と、ふたりのキャラクタのちがいにウケまくったなあ。

 ああそして、わたしが「見たい」春野寿美礼は、その「腹の底まで邪悪な男」なんだわ……。

 性格悪いことなんかわかってる。
 悪い男だって、わかってる。
 鬼畜で暴君で自己愛の塊だって、わかってるのよ。自分以外の誰も愛せないナルシストだってわかってるのよ。
 こんな男に引っかかったら、不幸になるって、最初からわかってる。

 わかってるけど、愛さずにはいられない。

 …………とゆー、キャラなんだわ、わたし的に!(笑)

 オサ様が演じると、どんなキャラでも鬼畜で悪になるから好きなの。どんなに「いい人」を演じていても、底の方にちらちらと黒い炎が見える。
 純白の天使こそ、魂の闇が深いと思わせるような。

 だってオサ様ってば、笑うとほんとに「天使の笑顔」だもんねえ。心の底まで真っ白、って顔するもんねえ。

 そこがまた、二面性を感じさせて好きなんだよなー。
 真の悪魔は、天使の仮面をかぶっている、ってのを具現しているようで。

 どうせ古城や教会で撮影するなら、もっとドロドロしたダーク・ファンタジーに徹したモノを撮ってほしかったなー。
 悪に汚せば汚すほど、寿美礼ちゃんの美しさは引き立つと思うの。

 
 とまあ、いろいろほざいてはいるけれど、所詮ファンなので(笑)写真集は問答無用でうれしいのだ〜〜。
 写りが微妙なものが多くて、しょぼんな気持ちもあるけどさっ。

 いちばん好きなのは、教会の中での横顔の写真。
 瞼を閉じて、こころもち顎を上げた端正なライン。

 ……キスを待っている顔に、見えません?

 もももも萌え〜〜っ。
 唇の艶やかさと、わずかに開けた襟元がセクスィ〜なんですがっ。
 教会のムードと相まって、その横顔は清廉たるおごそかさがあるとゆーに、何故かみょーにエロい……。
 ああ、これでこそオサ様。エロくてなんぼや。

 誰か、この写真にあさこの横顔を合成してくんないかな……。画像職人のデイジーちゃんに頼んでみようかな。ああでもデイジーちゃん、ノーマル嗜好の人だから、ホモは断られるかなー。
 デイジーちゃん、この日記見てたら、リアクションよろしく。見てない場合は、内密のままにな、友人諸氏。
 
 
 にしても寿美礼ちゃん、パーソナルブックから比べて、ずいぶん老けたよね……。たった3年、されど3年。重い重い3年だったね。
 そして。
 たかこの若さが不気味だ……。たかちゃんと寿美礼ちゃん、写真集出したの、同じ年齢だよねえ? ふたりの年の差が4つで、たかこの写真集が2000年発行、寿美礼ちゃんが2004年発行なら。
 寿美礼ちゃんが老けているのか、たかこが若いのか。
 たかこだよな……。

 ちなみにトド様の写真集は1995年発行。当時研11。今でいうと、きりやんとかゆみこの学年ですな。しかもトド様中卒だしな。……若い……。

        
 さて、『花供養』の話の続き。

 あらすじをひとことで言うと、「人事を尽くして天命を待っていたら、悟りに達しちゃった」ですな。
 4幕もかけてくどくどやっていて、とどのつまりはそれだけのこと。

 同じテーマで同じ設定で、いくらでもおもしろくできるはずなんだが、全部はずしているのは、きっとわざとなんだろう。
 抑圧された悲劇の主人公が感情を爆発させ、しかし涙ながらに耐える。
 これを3回繰り返し、3回目はいちばん大きく爆発させ、これで耐えたならもう次はないだろう、と思わせておいて、4回目では「もう爆発しました」と過去完了形。
 ストーリーのおもしろさではなく、情緒の部分を味わうための作品。……たぶん。

 ストーリーの「動」の部分は一切描かれない。
 それは、舞台となる屋敷の外にあるものだからだ。
 屋敷の中で展開されるのは、台詞による感情と外の世界の解説のみ。

 1幕目を観たときに、あぜんとした。
 その情報量の多さに。
 立て板に水、で、まくしたてられる情報。時代設定からキャラクタの立場、性格や言動、なにもかもが全部台詞で羅列される。
 すっ・げえ。
 マンガでいうなら、四角で囲んだモノローグ枠だらけってとこ? マンガで説明するんじゃなくて、全部活字で説明しちゃうの。……ってゆーか、そんなマンガはまず、読者にトバされて読まれないだろうけど(笑)。
 高額なチケットを買って座席にいる人たちは、トバさずに読んでくれるからいいよね。
 わたしもちゃんと台詞の山を拝聴しました。ふむふむそうか、そーゆーことになってんのか。ほほお、それは可哀想だなあ、と、主人公の立場に同情するところからはじまったよ。

 第2幕、第3幕ときて、あぜんとしたよ。
 1幕であれほどものすげー情報量を押しつけておきながら、2幕3幕も同じことを台詞で説明し直すのよ。
 それならなにも、1幕で全部言わなくてもよかったんじゃ? 2幕3幕と、必要な部分だけ分けて言うとか、1幕で全部言うなら、もう2幕以降では言わないとか。

 無理か。
 2幕3幕も同じことを繰り返す芝居なわけだもんな。
 『ホップスコッチ』だっけか、そんな芝居があったな。3人主役がいて、3人とも同じ台詞とシチュエーションを繰り返すの。最初の1回はいいけど、2回目以降は観客が飽きているという、あのお寒いコメディ。
 アレと同じ手法なわけだ。

 同じ屋敷が舞台。
 全4幕にそれぞれ四季を当てはめ、ついでに起承転結も当てはめる。
 てゆーか、先にソレを思いついたから、無理矢理当てはめて創ったんでしょ?

 だってどー考えてもコレ、4幕もいらないもんな。
 会話と心理だけなら、1幕モノで十分なんだが……。
 同じこと3回やる必要ないよ。最初の1回で終わらせて、4幕目につなげてしまえばいいのに。
 ただしその1回を、きちんと描く。時系列の説明台詞の羅列ではなく、もっと凝った構成にしてさ。
 凝った構成の植田紳爾作品を見たことがないので(笑)、そんな選択肢というか可能性ははなから存在しないんだろうけど。

 短編小説の内容で、無理矢理長編小説を書いているもんだから、たるいのなんのって。
 3回同じこと繰り返して行数を稼ぎ、余白を多くとってページ数を稼ぎ、本を太くした分定価を上げた同人誌みたいな(笑)。

 4幕構成にしたいのなら、手を抜かずに「動」の部分も描写し、盛り上げるべきだろうと思うよ。

 「静」と「情緒」、「ああ、日本人っていいわねえ」を売りにするためにあえてこうしました、というならば、もっと洗練された作品を創ってくれ。
 いらないものや悪趣味なものがごてごてとまとわりついていて、「うわー、どんくさい作品だなあ」って感じ。
 研ぎ澄まされた鏡面のような、染みのない絹のような、咲いて散る桜のような、あるがままだからこそ隙のない、ほんとうに美しいモノを創ってくれよ。
 芸術ぶるなら、そこまでのものを書いてくれよ。
 
 まあ、植田紳爾作品だから、誰もそんなものを期待していないだろうけど。

 作品はどんくさくて、トホホなところがかなりあるにしろ、まーとりあえず「ぶっ壊れている」わけではないので、観られる範囲だと思う。
 テンポは悪いし、暗転長いしで、睡眠薬効果がかなり高いのが難だが。
 でも観ているうちに慣れる。

 あとは出演者の演技に集中すればよし。
 少なくとも、下手な人はひとりもいないので、その点は安心。

 
 わたしは出演者を好きなので、それだけでなんとか乗り切ることができる。
 感情移入もできる。

 トド様のうるさい芸風を堪能できるしなー。
 この主人公、すげーうるさい(笑)。
 思いこみ激しくて被害者意識強くて、ヘタレでバカで、なんか大変。
 もう少し押さえてくれれば同情もできるんだが、とにかくうるさいのでおもしろい。
 さあ泣け!という押しつけがましい台詞と演技が、なかなかいい味になってます。

 主人公が暑苦しいので、周囲の人間もそれに負けじと暑苦しい。
 弟はいつもアクセル全開フルスロットル。被害者意識を押し出していない分、兄よりまともなんだが、同じ遺伝子を感じさせる力強さ。

 ヒロインは言いたいことを全部腹の中にため込んで、ひとり黙ってハンケチを引き裂くタイプ。けなげなんだか、情がこわすぎるんだか、微妙なライン。
 宗教にハマるのが納得のキャラ。

 いや、なにかっちゃー宗教に走る時代だとわかったうえで言ってます。
 「出家」が都合よく使われているだけの気がしてなー。

 
 しかし、こーゆー作品があること、こーゆー作品に役者がチャレンジすることに意義は認めるよ。
 劇団と出演者が、それでスキルを上げるのはヨシ。こんな作品もできるんだ・やるんだ、ってことを、世間にアピールするのもヨシ。

 ただ、「そんなモノを求めていない」観客に向けて、高額取る言い訳のような劇場と日程で上演するのはいかがなものかと思う。

 バウホールで1週間とかでよかったのになー。
 それが正しい判断でしょう。

 もっともわたしは、東京在住だったなら、何度でも通ったよ。チケットすげー安いもんよ。
 植田紳爾の作品はカス認定だけど、それに息吹を与えている出演者のリアルを観るために。
 ライヴであることの楽しみを、満喫するために。

 
 とりあえず、キムくんのファンは観るべきだー。熱いぞー。惚れ直すぞー(笑)。
 となみちゃんファンに勧めていいモノかどうかは、わたしには微妙。
 ハマコファンは、観てもいいハズ。愉快だぞ。ハマコはハマコだぞ。
 それから専科ファンにもたのしいはずだ。汝鳥伶サマの春日局は一見の価値アリ。他の方々もすばらしい。

 トド様は……お化粧、変じゃないですか?
 第一印象は顔、白っ!!だったんですが。
 なんか気持ち悪いくらい、真っ白。
 いくら公家さんだからって、そこまでせんでも……とびびったんですが。
 だって、トド様は美しくてナンボでしょう?!
 既成事実にとらわれず、とにかく美しくあって欲しいですわん。

     
 ハマコが出ていることは知っていた。
 でも、なんの役なのかは知らなかった。
 90周年特別公演『花供養』

 誰だろう、この女役さん。とってもうまいけど、すげー濃いなあ。こんな専科のおばさま……ぢゃねえ、おねーさま、いたかしら。

 めーっちゃ素で、そう思ってた。幕開きから。
 そして、ハマコはいつ出るんだろう、と、思っていた。

 ハハハハハ、ハ、ハマコ?!

 女役だったの?!


 ……だから、知らなかったんですってば、なにひとつ。爆走兄弟以外は全員女しか出てこない芝居だって!

 おかげで、汝鳥伶さまが女役で登場し、磯野千尋兄貴までもが女役で登場した日にゃあ。
 気が遠くなるかと思った……。

 ありがとうXA席。こんなにすばらしいものを間近で観るための最前列。レートが低い公演はありがたい。
 そーいやわたし、タータンのスカーレットも最前列で観たのよ。タースカの意気込んだ鼻の穴がよく見えたわ……。

 ハマコはすばらしかったです。女のハマコなんて想像がつかないと思ってましたが、ハマコだって気がつかないくらいナチュラルにおば……いや、女性でした。
 雰囲気はサザエさん。陽気でマイペースで空気読めなくて人の話聞かなくて。ても憎めない元気モノ。……あて書きですか、元理事長? あのサザエさんがハマコだと気づいた一瞬だけ、元理事長を尊敬しました。はい、一瞬です。

 
 ところでこの作品、どうなんでしょうねえ?

 爆笑兄弟ホモ話として笑って観ましたが、それとは別に真面目に観てもいるんですよ。観たのは1回だけど、アタマが複合的に動いているのはいつものことで。

 少なくとも、エンタメじゃないんだよね?
 観客が求めていない作品だってことは、一目瞭然だし。

 去年、この演目が発表になったとき、わたしの友人たちはみーんななまあたたかく笑いました。
「大変ね、緑野さん」
 と。
「誰だって観たくないだろう、つまらないとわかっている作品を、大金はたいて東京まで行って、観なければならないなんて、同情するわ」
 と言う意味ですわ。
 「誰だって」という言葉の中には、「緑野さんも観たくないわよね」という意味が込められてます。
 ええ。わたしもしがない一般人ですから。ふつーの人が「観たくない」と思うモノは、観たくないですよ。
 「大変ね」と笑いながらも、わたしが本当に観に行くのだと言えば、「ええっ、ほんとうに行くの?!」と驚かれる。
 そして、「ほんとーにファンなのね」と感心される。
 あたりまえに「ファンでも観に行くはずがない」と思われてしまうほどに、一般人のニーズからはずれた公演。

 少なくとも、観客のために行われた公演ではないのでしょう。
 人気のなさがそれを物語っている。

 わたしは本来、ベタベタのエンタメが好きで、大衆性あふれたものが好きだ。
 作者の自己満足より、サービス精神を悦ぶ。
 その方がマスタベ純文学系より、ある意味制作が難しいと思うからだ。もちろん、作者の自慰行為でしかない作品でも、おもしろけりゃそれでいいのよ。でも、自己満足に偏った作品がおもしろい確率はとても低いからさ。
 通俗でも低俗でも、まず「客を悦ばせる」ことを主眼にした作品が好き。
 わたしは俗物なの。難しいモノはわかんないの。

 そーゆー人間だから、この「最初からエンタメ性無視」している『花供養』という作品には懐疑的だった。
 誰も求めてない。
 誰も観たくない。
 だけど、商業作品として興行する。

 なんのために?

 
 ……もちろん、なかには「ぜひ観たい」「たのしみ」「こんな作品を待っていた」という人もいるだろうけど。
 ソレ、圧倒的少数だし。
 チケットが売れていないことが、それを証明しているわけだし。

 
 なんというか、この公演自体にとても「落ち着きの悪さ」を感じるんだ。

 商業演劇でありながら、はじめから客のニーズを無視し、「誰も観たくない」作品を上演する。
 大半の者が敬遠している「日本物」で、しかも時代遅れの才能枯渇作家「植田紳爾」作で、そのうえ感覚がちがっているから今さら観ても仕方のない「再演モノ」。
 主演のトド様は雪組トップ時代から人気はいまひとつ。新陳代謝を美学とするタカラヅカにおいて「変わらない」彼は、賛否両論ある存在。
 極めつけの悪因は、宝塚「歌劇団」であり、ミュージカルとレビューのカンパニーである、という前提を無視したストレートプレイであるということ。
 伝統がどーの継承がどーのと言いながら、何故か根本部分を自ら否定した公演。

 これだけ「客が観たくないと思う要因」を、よくもそろえたモノだと感心する。

 それならば劇団は、この公演自体に「商業価値」を認めていないのか?

 過去から未来へ続く過程として、技術の伝達は必要だ。
 偉大な先人の持つ「教科書にはない技術」を、実践で学ぶことは意味があるだろう。
 水は流れなければ腐るし、使わない刃物はさびる。
 練習だけでなく、実際に「発表会」として幕を上げて鍛錬することはアリだろう。
 タカラヅカの「日本物」を継承するために、あえてこの公演を行った、ということだろうか。
 それならばわかる。鍛錬だけが目的ならば、観客のニーズなんぞに応える必要はない。

 だが、それなら何故、日生劇場で3週間も興行するのか。

 ダンス発表会も舞踊会も、1日限りじゃん。
 カンパニーのスキルアップが目的なら、それで十分なはずだ。
 90周年記念だとしても、発表会に相応の劇場で、数日行えばすむはずだ。

 観客のニーズはまるきし無視。誰も観たいと思わない要因ばかりを羅列。
 なのに、通常の「商売」としての興行と同じスタンスでのお膳立て。

 この乖離感はなんなの?
 劇団はなにがしたいの?
 この「落ち着きの悪さ」はなに?
 言っていることとやっていることがチガウ、もぞもぞした感じ。

「無料配布本です、どうぞ」
 と言って案内されたテーブルの上に、薄い冊子と「カンパ箱」が置いてあるよーな落ち着きの悪さ。
 無料配布の本が欲しかったら、「任意で」お金をカンパ箱にいれなければならないの。
 ええっ、お金取るの?! しかもみんなが凝視している中、「任意で」金額を決めなきゃいけないの?
 いくら入れればいいんだろう……てゆーかもう欲しくないんだけど、カンパ箱見て逃げ出すのも恥ずかしいし。つか、えんえん列に並んだわけだし。手ぶらで帰るのもバカみたいだし。
 ふつーに定価を決めて売ってくれよ……ちゃんと買うからさー、こんな姑息な真似しないでよー。

 なーんてね。某晴海で某有名漫画家さんのサークルの「無料配布本」を「いただいた」ときのことなんかを、思い出しちゃったわ。

 
 そう、その「落ち着きの悪さ」とは、売り手の誠意のなさに由来している。

 出演者のことじゃないよ。売り手……あくまでも、企業としての劇団。
 観客のことなんかなにも考えず、自分たちの欲望だけを最優先させている、ダーク感。

 あわよくば儲けようとしたんだろうなあ、この公演で。客はバカだから盲目的だから、いくらでも踊ると思って。
 いくらなんでも、ここまで客の求めていない作品をぶちあげておきながら、それでも「あわよくば」と思ったんだろーなー。
 あさましさが透けて見えて、イヤンだわ。

 てゆーか。
 やっぱ劇団ってバカだな。と、思った。

 …
 90周年特別記念公演『花供養』を観ました。

 ツッコミどころが多すぎて、なにをどう、どこから語ればいいのやら、途方に暮れる(笑)。

 とりあえず、バカ兄と逆ギレ弟と、電波女の話、でFA?

 相変わらずなんの予備知識もなく観て、プログラムも買ってません。トド様とキムくんが「兄弟」ということぐらいさ、知っていたのは。
 兄弟? トドとキムが? そりゃ無理アリまくりだろう、とは思っていたよ。だってトドとキムなら、どうあがいても親子にしか見えないじゃん。兄弟なんておこがましいわー、トド様若作りするの? それともキムくんががんばって老け役するの??

 実際に観てももちろん、兄弟というにはつらいくらい、年齢差のあるふたりでした。トド様は実年齢以上に老けてるからなあ(トド様はたかちゃんと同じ年)。
 しかし、そんな見た目の違和感を吹っ飛ばすくらいに、愉快な兄弟でしたよ。

 江戸時代初期、傀儡はつらいよな、な天皇家の人々の物語。
 後水尾天皇@トド様は二代将軍徳川秀忠の第七女和子@シナちゃんと政略結婚、子どもまでこさえておった最愛のお与津御寮人@となみちゃんとは引き裂かれた。
 お与津は後水尾天皇の弟・信尋@キムくんの家に匿われ、和子との結婚後も後水尾天皇はお与津との関係を続けていたが……。
 

 トド兄はバカ道を驀進し、誰にも手がつけられない状態。
 舞台は弟の屋敷なんだが、そこに兄の元妻を匿っている関係上、来てはいけない場所なんだな。
 来てはいけない場所に兄がやってくることで、この物語は成立するんだ。4幕構成なんだが、そのうち3幕はストーリーが全部同じ。ギャグのよーに3回同じことをするわけだ。来てはいけない人間が、周りの迷惑や制止をかなぐり捨て、本能のままに現れて暴れる。このシチュエーションを3回繰り返すんだよ。
 兄が理性とか他人の迷惑とかを考えられる人間なら、この舞台に彼が姿を見せることはないわけ。
 兄がバカで暴走気質であるがゆえに成り立つ物語なんで、彼はもー潔いまでにバカ道を突っ走ってます。毎回同じことを言っては暴れています。
 ……どうしよう。

 キム弟は耐えに耐えてついに逆ギレという、あんなにーちゃんがいたら弟はこうなるよな、の見本のような男。
 3回同じことを繰り返すので、3回目に弟はついにぶちギレて、物語に変化をつけるわけですわ。
 これだけできた弟を持ちながら、バカ兄はバカであるゆえ、暴走ついでに弟の真心さえ踏みにじります。苦労して兄の元妻を匿ってきてやったのに、敵に通じている裏切り者呼ばわり。それで弟もついに、爆発するわけです。自分は兄の元妻を愛しているんだ、敵に寝返るわけがないと。

 ……残念ながらわたしには、弟が兄の元妻を愛しているよーには見えませんでした。

 元妻を愛し、元妻の幸福だけを望んでいた、というには、兄がバカすぎる。前後の見境なくてめえの不幸を嘆きまくり喋りまくり3幕続けて「なんて不幸で可哀想なオレ!」と酔いきった絶叫をかます兄を、黙って受け入れている段階でもう、それは元妻の存在なんかただの言い訳に見えます。
 あのはた迷惑でうざい兄を許しているのは、元妻のためじゃないでしょう。バカ兄自身を愛しているから、耐えられたんでしょう? 元妻のためなら、あのバカ兄こそなんとかしろよ。あいつを野放しにしていると、誰のためにもならないぞ。
 それでもバカ兄を許し、守り続けた弟。
 ……惚れた弱みだよなあ。しょーがないよなあ。できた人間ほど、どーしよーもない相手に惚れたりするものさ。

 兄と弟が、
「愛してる! にーさんを殺してボクも死のうと思ったんだ! そうしないと、にーさんをボクのものにできないから!」
「がーん、弟よ、そうだったのか」

 とか言って(パラフレーズ。実際の台詞とは少々ちがいますが、概ねこんな意味のことを恥ずかしげもなく叫びあってました)もつれあっているところに。
 問題の元妻が現れます。

「わたしは悟りました。巨大な歴史の歯車の前には、わたしの存在など無にも等しいのです」
 清々しい美しさで、元妻は宗教に走っておりました。
「わたしには宇宙からのメッセージが聞こえるのです。覚醒せよ、宿命の巫女よ、と。わたしは俗世を捨てて、宇宙の平和のために生きます。色即是空」
 受信しちゃってるんだから、もうどうすることもできません。目がイッてしまってます。
 ……どうしよう。

 3幕かけてこんなに大暴れして、いったいラストの4幕でどうオチをつける気なのか、ある意味ものすげーたのしみになりましたよ。
 もちろん想像はつくけど、3幕までがあまりにパワフルにバカだったので、これ以上というとどうする気だろう、と、わくわくしちゃったの。

 期待を裏切らないバカっぷりでしたよ、トド兄!!
 3幕かけて同じことをやって大騒ぎしたあとで、最終幕では今までそれでもなんとかぎりぎりのところで持ちこたえていた最終ラインをぶっちきり、3幕耐えてきたことを全部めちゃくちゃにして終わったの。
 すばらしい!
 なんのために今まで努力してきたのかとか、他人の苦労や迷惑、なにひとつ考えず、自分ひとりが気持ちよく自己完結して、積み上げてきた積み木の城をがっしゃーん!とひっくり返しめちゃくちゃにし、「ああ、なんて不幸なオレ。うっとり」としてENDマーク。

 あまりに終始一貫しているので、心から拍手してしまった(笑)。
 すげえや。

 
 トド様はいつものトド様。彼はこの芸風でどこまでも突き進むのでしょう。
 ただ、こういったタイプのヘタレ男を演じるトド様には萌えない……。

 キムくんを眺めながら、しみじみ思いましたさ。ああ、なんでこの子はこうエロいんだろう、と。あの分厚い受け口がたまらんよなあ。まだほんの小僧っ子なのに、骨太な色気がある。この個性を大事に育ててほしいわ。
 体当たりの熱演。そこまでやってカラダ保つのか? といらん心配をしたくなるほどのテンションの高さ。てゆーか全幕テンパって泣いてるのはどうよ。その入り込み方がすごいけど。
 実力と美貌を兼ね備えた、どこまで成長するのか、たのしみな男の子。

 ヒロインのとなみちゃんは、「大変そうやな……」という溜息しか出なかったんだが……どうなんだろう。正統派娘役としての才能のある子だから、こうやって鍛えることには賛成。それが成功しているかどうかは判断不能。
 化粧と衣装とカツラが似合ってなくて、見た目はキツかったわ。仕方ないこととはいえ、いっぱいいっぱいなのが目に見えるし。
 それでもクライマックスの突き抜け方は見事。
 

 ああ、それにしても。
 ツッコミどころだらけの、このなんとも微妙な作品を観て、いちばん気になったことは。

 バカ兄と逆ギレ弟は、どっちが受かってことです。

 ……兄なのか? やはり、兄が受なのか。
 キムごとき小僧っ子相手に、トド様御大が受ちゃってるのか。

 ねえ、それってどうなの?!(涙目)

     
 お願いです。
 お化粧がんばってください、ほっくん!!


 ほんとにもー、心から懇願しちゃうよ。頼む、頼むよほっくん。

 君に足りないのは美貌だ!!!

 
 予定にまったくなかったんだが、あっさりサバキで手に入っちゃったもんで、ついでに観てきました、月組新人公演『飛鳥夕映え』
 東宝の新公なんて、たかちゃん新公初主演の『天国と地獄』以来だよ……何年ぶりだそりゃ。
 花組新公の感想、途中でぶった切れたままなのに(9月2日の事件が悪い)、まさか月組新公の感想をまた書くことになろうとは(笑)。
 

 他の人たちはともかくとして、主役の鞍作@ほっくんがえらいことになってました。えらいって……ものすげー、うまかった。
 ムラ公演のときもうまかったよ。技術にかけては太鼓判さ。
 しかし。
 なんかさらに、うまくなってたんですけど。

 響きわたる歌声。
 き、きもちいいっ。
 この歌って、こんなにいい歌だったんだ。思わず目をつぶって聴き惚れてしまった……。

 鞍作という男の想いが、人生が伝わってくる。彼の夢、野望と愛、そしてそれが潰える無念。
 この作品、もう何回か忘れるくらい(記憶力ナシ)は観てきたけど、ラストで泣けたのははじめてだ。

 ほっくんてほんとに、実力派なんだなー。ほけー。
 ほっくんが出てくるたびうれしかった。声を聞くとほっとした。もっともっと歌ってほしくて、「次の歌はどこだっけ」とぼんやり考えた。
 そしてつい、ときおりオペラグラスをのぞいてしまって、「はうっ」とのけぞるのだった。
 ねえほっくん、前も思ったんだけど、その眉毛、なんかまちがってない? ギャグキャラのようなんですけど。
 鞍作をかっこいいと思って見ているのに、オペラグラスは使えない……あああ、ほっくん、お願い、お化粧がんばって。もとの顔立ちなんか、どーだっていいんだから。要は舞台で美しければ、それだけでいいんだから。
 頼む。頼みます。懇願。

 これだけうまいなら、真ん中に立つのは仕方ないかもしれない。そう思えた。
 だからお願い、ビジュアルを向上させて。
 神様、ほっくんに美貌を。彼が美貌を手に入れられれば、みんながしあわせになります。

 
 他の人たちへの感想は、ムラと同じ。
 真咲くん、お化粧さらに失敗してたよーな。真っピンクの顔色に、鼻筋だけ白くて京劇のやうだった。誰か止めてくれよ。
 ひろみちゃんが、ルイ16世のようだったムラに比べて、大分二枚目よりの役作りになっていた。やっぱムラのアレはやりすぎだったのか……。
 たまこちゃんがうまくなっていた。本役コピーまんまなのは変わらないけど、安定感アップ。うまいー。
 長い牛さん(いい加減名前おぼえてやれよ)も、ムラのときより確実にうまくなっていた。
 それくらいかな。

 
 お約束のカーテンコール、「スエニョパティ、スエニョパミ♪」と歌い出したほっくんに、後ろの席からすかさず 「チガウやろ」 とツッコミが入ったのにウケました。わたしの心の声かと思ったよ。

 てゆーか、何故にナチュラルに関西弁……(ここは東京・笑)。

     
 誰か、石川麻呂@かしげを愛してください。

 『飛鳥夕映え』は『あの日見た夢に』と同じで、脚本だけ読んだら萌え作品だけど、役者に問題があって実際の舞台には萌えが存在しない。
 『あの日…』の萌えを破壊していたのはスティーブ@いっぽくんだったけど、『飛鳥…』の萌えを破壊しているのは主役の鞍作@さえちゃんだ。
 鞍作を中心に愛憎が渦巻いているはずなのに、肝心の鞍作役のさえちゃんが誰のことも見ないでひとりで演技しているので、萌えようがない。
 鞍作と鎌足の愛の物語のはずなのにねえ。

 鞍作のことはもうあきらめているので、なにも言わない。
 それなら残った男たち、鎌足、軽、石川麻呂で萌えをさがそう。

 そーんな気持ちで観に行ってきました、月組東宝公演『飛鳥夕映え』『タカラヅカ絢爛?』

 おどろいたのは、あれほど心が存在しないように思えた鞍作に、人並みに心があるように見えたこと。
 とりあえず、鎌足@ゆうひを好きなことはわかった。石川麻呂@かしげのことも、どうやら好きらしい。軽皇子のことをどう思っているのかまではわからなかったけど、鎌足と麻呂を好きだとわかっただけでもびっくりだ!!
 さえちゃんは進化している。……相当歩みは遅いんだが、それでも進化しているようだ。ほっとした。
 もっとも「鎌足のこと好きなんだー。へー」というだけでは、萌えにまでは発展しないけどな。鎌足の抱えている暗い情念に届くどころかかすりもしない、浅はかな好意止まりなんだもの、鞍作ってば。やっぱ賢い男に見えないよ、鞍作……。

 まあそれでも、鎌足はかなしくひとりで鞍作相手に恋愛している。一人相撲っていうか、壁に貼ったアイドルのポスター相手に恋してるような虚しさが漂っているが、がんばれ鎌足。たとえ君が見ている「鞍作」が、君の脳内で過大評価された「幻想の鞍作」であり、現実ののーみそと情緒に欠けている鞍作とは別人であったとしても、恋は恋だ。後悔なく生きろ。
 と、鎌足はひとりで青春しているし、軽様は清々しくストーリーと人間関係の外側にいる。
 じゃあ石川麻呂は? 彼なりにストーリーとも人間関係とも関わっている石川麻呂は、どうなの?

 誰か、石川麻呂を愛してください。

 麻呂ってばひとりで受オーラ出して「いぢめてください」と顔に書いてあるんだけど、誰からも省みられてないの。かなしみのひとり受。「追われた受より哀れなのは、死んだ受です。死んだ受より哀れなのは、忘れられた受です」とポエムってしまうくらい、不幸ですよ。
 鎌足にもう少し度量というか余裕があれば、鞍作に相手にされない鬱憤を麻呂で晴らしておこうとか、たのしい展開を考えられたのに、あの小物感漂う鎌足ではそんな期待もできず。
 萌えられない芝居だわ……。
 かしげ麻呂単体には萌えまくったのにー。いぢめたおしたい男なのにー。
 どっかに鬼畜な男前はいないのか? 越リュウ様さえ、今回は受だしなあ。相手がチャルさんじゃあ、さすがのリュウ様も受になるよなあ。のぞみちゃんがもっと、他のキャラと絡んでくれてたらなあ。彼は貴重な鬼畜属性のある色男なのに。

 
 役替わりがなければ、この作品はどうなっていたのだろう、と思う。
 鎌足はあさこのための役だよね。みんなが見たいはずの、かっこいー男前の役。
 軽皇子はかしげ。今までのかしげのイメージまんまの、白い貴公子。
 石川麻呂は、あとからとってつけた役じゃないかという気がする。同期3人に役を振るための。もともとあったにしろ、役替わりが決まってから膨らませた、というか。
 んじゃゆーひはなんの役だったかというと、彼の持ち味からして、山背皇子だったんじゃないか? 出番は少なく、されど決めシーンがある、あたりが、本来のゆうひくんの扱われ方だと思った。

 役替わりのおかげで、いろいろたのしかったけどさ。かしちゃんとかかしちゃんとかかしちゃんとか……あれ?

 芝居ではかしちゃんばっか見てるわりに、ショーになるとぜんぜん食指が動かなくなるのは何故なんでしょうね……。
 ショーでは断然ゆーひくん見てるしな。

 あ、でも色男トリオ椅子ダンスのシーンではかっしー見てるなー。あのシーンのかしげさ、なんかみょーにオヤジくさくない?
 オールバックと無表情のせいだと思うんだけど。
 それがツボなの。おやぢなかっしー好き。あの広い広いデコと長い顔が好き。
 色男トリオは、かっしーが鉄壁の無表情を終始貫いているのと、色悪路線のさえちゃんがときおりニヤリとするのと、あさこがにまにま笑いっぱなしなのが、三者三様で好きだ(笑)。
 帽子を窓に投げ捨てるところ、あさちゃんひとりがいつも、ちゃーんと窓を振り返って「よいしょっ」と捨てているのも好き。
 さえちゃんの黒塗りオールバックを見ると、『WSS』を思い出す。なつかしーなー。ナニ気にさえちゃんのこのビジュアルが好きかも。富士額が気になりつつも(笑)。

 
 そうそう、楠恵華のパンツも健在でした。今回3列目だったんで、パンツとその上の背中も堪能しましたよ、のぞみちゃん!
 でも他の人たちもパンツ率高くなってる気がする。サービス満点だねっ。

     
 さて、せっかくだから『あの日みた夢に』の話をもう少ししておく。

 えー、コレはアレだな。
 タカラヅカのお約束のひとつ、「主人公は、登場人物全員から愛される」ですな。
 『飛鳥夕映え』もそうだし、『La Esperanza』もそう。
 主人公は、全員から愛されるの。
 味方からは愛、そして敵からは「憎悪」というカタチで。

 この話がもたもただらだらして、ギャング抗争がやりたいのかラヴロマンスがやりたいのか、友情モノがやりたいのか、とにかくわけわかんねー、お手上げ〜(語尾上がる)になっている理由ひとつは、タカラヅカのお約束のひとつである「愛される主人公」を徹底して描写・演出しなかったせいだと思うよ。

 マイケル至上主義でいいじゃん。
 出てくる奴ら全員、マイケルが好きなの。愛してるの。恋してるの。

 スティーブは子どものころからマイケル一筋。会えない時間も愛を育てまくり、再会のときを待っていた。
 今の自分があるのは、マイケルのおかけだ。だから再会したらなにがあっても僕がマイケルをしあわせにする。と、拳を握って生きてきた生真面目な好青年。

 んで再会して、マイケルのためだけに生きようと決意を新たにしたところに、マイケルの妹そっくりのエリーが現れて。
 マイケルがエリーを好きだとわかるから、うっかりエリーにプロポーズしちゃって。
 好きな男の愛した女を、欲しがるのはお約束ですよ。

 エリーへの愛の言葉はすべて、マイケルへの言葉です。これほどマイケルを愛しているんだと、スティーブは語るのです。
 マイケルの愛した女でなければ、エリーにはなんの価値もない。
 マイケル絡みになると、やたら苦しそうなスティーブ先生。

 これなら、スティーブのエリーへの告白が唐突すぎなのも納得いくでしょ? エリーなんかはじめから見てないから。15年前からマイケルしか見てないわけだから。

 
 バカ息子ロッキーも、マイケルLOVE。どーしよーもないLOVE。しかしこのひねくれ男の場合、マイケルへの愛はすべて、「嫉妬」「憎悪」のカタチになって現れた。
 マイケルを征服するために、毎日毎日つっかかる。好きな子に意地悪をしないではいられないガキ大将のように。血のラブレターを書いて下駄箱に入れるストーカーのように。まちがいLOVE炸裂。
 そして、愛しのマイケルがエリーとかいう娘に惚れている、とわかり、怒髪天。マイケルへのまちがった愛(無自覚)ゆえにエリーをさらう。

 これなら、なんでロッキーがエリーにこだわるの? という謎も説明がつくでしょう。

 
 アルビン親分ももちろんマイケルLOVE。いわば彼は光源氏、マイケルは紫の上。もしくはディノ・ゴルツィネとアッシュか。見込んだ子どもを、好みの人間に育て上げる愉しみ。
 ……そりゃ、跡目争いも起こるわ。

 
 マイケルとエリーの恋愛くらいはまともに描いて欲しかったが、こうなると正直どーでもいー。
 マイケルの孤独さを強調して、彼はエリーの中に「あの日みた夢」を求めただけで、ほんとうの生身の愛ではなかった、ぐらいの設定の方が萌えですわ。
 だって、ぜんぜんふたりの気持ちを描写せず(ベンチのシーンぐらいかよ)、幻のデュエットダンスばかりされてもなー。

 エリーは最初からマイケルを好き。助けてくれたクールだけどやさしい美青年に惚れない女はいないって。だから彼女は一途に愛を表現する。ヒロインだから、ひとりせつなく盛り上がってくれ。ここまでやってなお、すれちがっちゃうなんて! 想いが届かないなんて! と観客をやきもきさせてくれ。

 とにかく主人公は愛されなきゃ。すべてのキャラクタは全員、それぞれのカタチでマイケルを愛し、全身全霊をあげて表現するのだ。

 スティーブとロッキーとエリーとアルビン、これだけの面子がマイケルひとりを愛し、その愛を巡ってばたばたすれば、それだけでドラマチックな世界になるだろう。それにマイケルの弟分たちまでもが加わるわけだし。

 そんななかで、マイケルがエリーと愛し合うもよし、エリーを通してこの世にはない幻だけを愛してもよし。

 焦点のはっきりした物語になるよ。
 恋愛ドラマでありながら、ギャング抗争ドラマにもなるわけだから。

 
 脚本だけでいうなら、こちらへ盛り上げることも可能だ。
 なにしろ穴だらけなので、演出次第で変更できる(笑)。

 しーかーしー。
 無理なんだろうな。

 なんせ、スティーブ役はいっぽくんだし。

 ほんとに、なんであの子はああ、壮絶に色気がないのかねえ(笑)。
 同じ脚本・演出のままでも、役者がちがえばものすっげー愉快な作品になっていただろうに。
 色気のある人がスティーブを演じていたら、どんなにたのしい話になっていただろう……。

 ロッキーもまだまだ、小者だったしなー。
 アルビン、生身の姿が見えてこないし。
 エリーは好感度を保つだけで精一杯。

 
 時間がないので、さらりと流して書いてみました。
 うお、出発まであと1時間ない!! 用意しなくちゃ!

 ってことで、明日は月組だーー!!(笑)

      
 ようやく雪組ドラマシティー公演『あの日みた夢に−シカゴ・アンダーワールド・ブルース−』を観てきました。
 初日あたりに安いチケットでも買って観に行くつもりだったのに、9月2日の大事件で全部吹っ飛んでました。友会でチケット当たってなきゃ、このまま忘却してたかもしれん……。
 

 前日にかねすきさんから萌無と聞いてはいたんだが。

 ほんとーに、萌えがなかった。

 てゆーか、あまりの萌えナシぶりがツボに入って、吹き出しそうになったよ。

 脚本だけ読む機会があれば、わたしはこの作品を「萌え作品」だと思ったことだろう。
 だからなにがしたかったのかよくわかんねー、だらだらしてるだけの話だとしても、「萌え」だと思ったろう。

 設定だけは「萌え」なんだよ。

 なのに、いざ舞台を観てみると、萌えはどこにもない。

 ただきれいな人たちがいるだけ。

 色気は? 色気はどこにあるの、みんな?!(笑)

 かねすきさんの名言、「いっぽくんがとにかく、無駄にきれいでねえ……(溜息)」に、心底同意です。

 相変わらず、美貌の無駄遣いしまくってやがるな、壮一帆(笑)。いっそ、そんないっぽくんが愛しいです。

 
 マイケル@コムとスティーブ@いっぽは幼なじみ。共にびんぼー少年だったわけだが、マイケルはギャングのボス・アルビン@くみちょに拾われ裏街道、スティーブはまともに勉強して医者になった。ふたりの運命が分かたれたのは、マイケルがスティーブをかばって罪を着たせい。
 さて、大人になり再会したふたり。立場はちがっても仲良し。なんせ、同じ女の子を好きなった。田舎から出てきてギャングの巣になにも知らずに飛び込んだ、という「その設定はどうよ?」をその他にもあちこちにぶらさげたお嬢さん・エリー@まーちゃん。
 いったいいつの間にそうなったのか、マイケルとエリーは相愛みたいだし、スティーブはさわやかきらきらにエリーにプロポーズしてるし、そのくせいざとなったら身を引く気満々だし。両想いになる以前からマイケルは「エリーと街を出よう」とか幻とデュエットダンスしてテンパってるし。
 彼らの心の機微は理解不能だが(笑)、アルビン組は跡目争いに突入。アルビンは出来の悪い息子ロッキー@かなめくんより、マイケルにあとを継がせたいと思っているんだが、それはファミリーが荒れる元だよな……というか荒れ出してさあ大変。まちかめぐるもひじりんも大活躍だ(でも帽子でろくに顔は見えない・笑)。

 
 脚本だけなら、十分萌え作品。
 しかし、脚本だけではどーにもならない、芝居は板の上に載ってなんぼ、てのは本当だ。

 だって、萌えない(笑)。
 あまりにも色気がなさ過ぎて。さわやかすぎて。

 役者がちがえば、同じ脚本で別物になったろーなー。
 エロエロな匂い立つよーな舞台になったろうに。
 惜しい。

 台詞・シチュエーション・設定と、これでもかと萌えなシーンで、「よくもここまでハズしてくれるよなあ」と、笑い出しそうになって、こらえるのに苦労した。

 その最強キャラが、いっぽくん。
 こいつ、誰かなんとかして(笑)。
 清く正しく美しすぎる。
 この子に色気があるかどうか、そのキャラ造形や表現力に深みがあるかどうかで、作品のカラーが変わったはず。

 かなめくんはまだ勉強中なのがわかる。まだ自爆してるけど、学年からしても「これから」に期待できる。

 今回は、いっぽとかなめの役如何で、別物になったとわかるだけに、惜しいやらおかしいやら。

 
 わたし、やっぱりいっぽくん好きだよなあ、と思うよ。
 これだけ盛大にハズしまくってる彼を見ても、かわいいと思えてしまう。そのハズしっぷりもまた、個性だと思える。
 バカキャラとしてなら、これでもいいのかなあ。かしげに通じるトホホさ加減だよなあ。

 かしげといい、いっぽくんといい、色気のかけらもない清く正しく美しい人ばかりで、雪組は白い百合の花咲く丘のようですわ。近くで見るときれいだけど、遠目にはただの風景になっちゃって見分けがつかない。すげー地味。
 派手な赤だの青だのの花が咲いた別の組のように、目立たない。
 コム姫は個人で強烈な色を放つキャラではなく、原色キャラの横に立つことでコントラストを大きくしたり、ハイライトになったり、あるいは深みをつけたりするキャラだからなー。白い花の中に入ると、コム姫まで白くなって目立たなくなってしまう。
 前回の『スサノオ』は、水しぇんというあざやかな色が加わったことで、コム姫個人の色も引き立ったんだよねえ。
 しかし今回はまた、いつもの白い雪組に逆戻りか。

 
 物語は、「壊れていない」というだけの、つまらない話でした。散漫で、なにがしたかったのかわからない。

 ただ、コム姫はめちゃくちゃかっこよかった。
 スーツ姿が最高。

 でかい男たちに囲まれてるのもまた、いいですなあ。

 いっぽ、かなめ、きたろうと、大男が並んで壮観。
 かなめくんはこのままうまく育てば、いい色男になるかもなー。
 きたろうくんは…………適役だった。アタマの悪い弟分役。てゆーか、アオセトナは無理アリ過ぎやろ。こーゆーキャラの方が安心できるわ、持ち味的にも。

 スージー@いづるん、かわいすぎ。違和感なさすぎに、かわいい女の子。いじらしくていい役だ。

 まーちゃんは、なんか大変な役だったねええ。衣装変だし、カツラ変だし。清純無垢って、一歩まちがえると人格なさげなキャラを、かわいらしく清潔感を持って演じなきゃなんないわけだし。
 エリーがあまりにどーでもいい描かれ方だったので、「現実のエリーより、幻のエリーの方が重要キャラみたいやな」と思ったよ。マイケル、自己完結しすぎ。

 
 まあ、主要キャラがかっこよかったし、スーツの男たちのダンスがたのしかったから、それだけでいいかもな。

 
 かねすきさんも無事、まちかめぐるファンになってくれたみたいだし(笑)。ね? どこにいても、目に入るでしょ?

     
「日記の『緑野こあら』さんは、どんどん素の緑野さんと、かけはなれたキャラになっていってますね」

 と、かねすきさんに笑顔で言われた。

 そーなのよ、どこまで行くんでしょうねえ、あの人。

          ☆

 さて、今日はちはる兄貴のお茶会でした。
 太っ腹にゴージャスな催しで、気分悪くなるくらい食べまくってしまいました……甘いモノ苦手なのに何故、ケーキをいくつも食べるんだわたし(それは意地汚いから)。
 本日初対面の方と一緒になって、バイキング形式のお料理をうほうほ皿に盛り上げて、自分の席でばりばり食しておりましたよ。うまうま。

 今さら言うまでもないことですが、兄貴はかっこいいです。
 眺めているだけでしあわせです。
 あのしぶーい声を聞いているだけで、しあわせです。

 なのに。

 ああ、なのに。

 そのうえ、目の前で歌ってくれたらソレ、天国ですがな!!

 目の前でした。

 お茶会の最後に、ひとりずつに握手をしてくれるのですわ。
 そのときになにかひとことくらい、言葉を交わすことが可能なのです。

 わたしはアタマ悪いので、そのとき思ったままのことを、そのまんま言います。気の利いた言い回しとかなにも思いつかないし。つか、そもそもボキャブラ枯渇してるし。

 握手をしてもらいながら、わたしは兄貴に言いました。

「さっき、思いがけず歌声が聴けて、ものすごーくうれしかったです」

 会がお開きになる寸前に、兄貴はショーの黒タキ祭での歌を、ちょちょいっと披露してくれたのです。本日のプログラムにないのに、アカペラで「サービスよん」って感じに、最初のとこだけ。

 それがもー、すっげーうれしくて。
 生よ、生。
 「I Gotcha」を生で!

 よろこびと感動を伝えたくて、握手のときに視線を合わせて申し上げました。ほんとにほんとに、うれしかったの!
 兄貴も微笑んでくれました。

 そしたら、わたしの隣にいたおねーさん。わたしとは本日初対面(うっかり名前聞き忘れた)一緒にお料理を皿に盛り上げた同志。わたしの次に、兄貴に握手をしてもらう順番の方。

 彼女は、わたしの言葉を受けてさらに言った。

「もっと聴きたかったです!」

 すると兄貴。

 歌ってくれました。わたしたちの目の前で。

 てゆーか、わたしたちのために?!

 うっ・きゃ〜〜っっ!!

 壊れる。緑野、壊れました。黄色い歓声あげまくり。
 1ファンのために、歌ってくれちゃいますか! うおお、なんとありがたい。拝んでしまいますよ。

 わたしとその名前聞きそびれたおねーさん、初対面だってのに「がしっ」と手を握り合ってコンビネーションを讃え合いました。
 よくぞ言った! と、お互いを。

 ありがとうありがとう、いろんな人にありがとう。
 ちはる兄貴に感謝、とびきりの夢を見せてくれる素敵な人。
 なんのツテもないロンリー・ファンのわたしを、いつもお茶会に仲介をしてくれる方、今日縁あって一緒に同じ時間を過ごせた方たち、みんなみんなありがとう。

 最近つらいことが多いので、ひとの厚意や笑顔に癒されます。

 
 そして、兄貴を見送りながら、間近に迫ったあの人を見送る日のことを考え、二重にかなしくなるのだ……。

     
 この世には、2種類の考え方がある。

 「人は、完全にわかりあえる」と「わかりあえない」と。

 わたしは、後者の人間だ。
 人と人は、わかりあえない。だって、別の人間だもんよ。
 人はひとりで生まれて、ひとりで死ぬんだ。
 わたしが今なにを考えていて、なにに傷ついているかなんて、誰にわかるっていうんだ。
 家族でも恋人でも友だちでも、わかるもんか。

 だからこそ。
 わたしは、ひとと触れあいたいと思う。ひとりぼっちは嫌だと思う。
 家族や恋人や友だちが必要だと思う。

 わかりあえるから、必要なんじゃない。
 わかりあいたいから、必要なんだ。

 わたしはわたしの分身が欲しいんじゃない。
 なにもかもわたしの思うとおりの、鏡のような人が欲しいんじゃない。

 チガウ人間で、チガウこと考えていて、チガウ人生送ってきて、それでもなお、縁あってわたしと出逢い、一緒にいてたのしいと思う。この人によろこんでほしい、この人に必要として欲しい、与えて与えられたいと思う。
 チガウ人間なのに、好きだと思って欲しい。思いたい。

 なーんて人間なので、同じ「わかりあえない」と思っている作家の作品に共感する。
 「わかりあえる」と思っている作家の作品には、拒絶反応を示すことが多い。

 正塚晴彦作品が好きなのは、彼が「人は本来わかりあえないもの」だと思っている作家だからだと思うんだ。

 君と僕は別の人間。
 だから、本来はわかりあえない。
 でも僕は君が好きで、君は僕を好きだと言う。
 別々の人間だから誤解もするし、すれちがいもするけれど、好きだから、それらを乗り越えて手を取ろう。
 僕は君を見ていてときどきひどく苛々するし、憤慨することだってあるけれど、たとえばなにかとても美しいモノを見て感動したときに、隣に君がいて、同じように「きれいね」と言ってくれたら、それはとてもしあわせなことだと思う。

 ……そーゆー感覚。
 他人を他人だと認めるところからはじまる、関係。

 正塚作品はかっこつけてクールぶったものが多いけれど、じつはべったべたの「人間大好きハート」があふれていると思っている。
 そりゃーもー、理想主義?ってくらい。
 根底に流れるものが、ひどくウエットで、やさしい。派手で大仰な愛の台詞だのシチュエーションが作品中になくても、正塚せんせーこそ、ものすげーロマンチストだと思う。

 『La Esperanza』にしてもそうだ。
 どうしてこんなにも、やさしくロマンチストな物語を書くのか。
 見ていて恥ずかしいぞ(笑)。

 欠点はいろいろあるにしろ、わたしはこの物語が好きだ。
 人間賛歌、人生賛歌にあふれた作品だからだ。

 がんばりすぎている人間の肩を、ぽんとやさしく叩いてくれる物語。

 君の居場所は、そこだけじゃないよ。
 君の価値はそれだけじゃないよ。
 立ち止まって休んでも、誰も君を責めないよ。

 みんな毎日、必死に走ってるじゃん?
 なにかしら追われて、目の色かえて生きてるじゃん。
 わたしだって、「わたしであること」に固執して、きりきり舞いしているよ。
 「こうあらなきゃならない!」「こうでないわたしには、なんの意味もない!」って。

 そう思っているよ。わたしは、わたしであることにとてもこだわっている。他人にはなれない。
 自分大好き! というにはコンプレックスが強すぎて、こんな恥ずかしいわたしだから他にはなれないっていうか、わたしはわたしのなかでコアに固まっていたいというか。こんなわたしに、わたし自身が価値を認めてやらなきゃ、もう救いがないっていうか。

 わたしであること、に必死になって、それ以外の可能性を考える余裕のないのわたしに、ぽん、と、やさしい言葉が振ってくる。

 大丈夫。
 本能は消えない。

 
 ドラマチックな物語はいつだって、夢をあきらめることを罪悪だとあおり立てる。
 野生のペンギンは自由ですばらしいけれど、檻の中のペンギンは醜悪だと。
 障害を乗り越えて、夢を掴むために努力することこそがすばらしい、美しいと。

 でもこの『La Esperanza』ときたら。
 夢をあきらめて平凡に生活することを真っ正面から肯定している。

 囲いの中なら、長生きできるよ。楽だから。夢なんか忘れて。現状に満足して。
 檻の中のペンギンって言うと、言葉は悪いけど、どこにだって希望はある。一方的に悪いことなんてない。
 と。

 やさしく、肯定する。
 大丈夫。
「お前さんがいいとおもったら、それでいい。その方がずっといい」
 挫折も進路変更も、なにもかも、肯定。
 疲れた背中に、肯定。
「どんどんやっちくりぃ」

 がんばりすぎて尖った肩に、やさしい手。
 そっか。檻の中でもいいんだ。

 だって、本能は消えない。

 動物園のペンギンだって、囲いがなくなったら迷わず外へ出て行くから。
 いま、檻の中で息をついていたっていいんだ。居場所は、他にもあるんだ。
 檻の中でたのしいことを見つけて休息するのは、罪悪じゃないんだ。
 たとえ一生檻の中で、囲いの外に出られなかったとしても。それは決して、恥じることではないんだ。

 本能は消えない。
 わたしは、わたしを信じていいんだ。

 
 人間賛歌。人生賛歌。
 恥ずかしいくらいの応援歌。
 ドラマチック・シリアスを否定して(笑)、ほんわか軽妙に、エールを送る。

 ロマンチストだねえ、正塚せんせー。
 命懸けの夢だ恋だと叫ぶ方が、よっぽど恥ずかしくないよ。

 人は本来わかりあえない。
 だからこそ、わかりあえたときがうれしい。心が近づいたとき、重なったとき、「ひとりじゃない」と知ったとき。
 生まれてきてよかったと思う。
 今、あなたを理解し、尊重しあえるこの一瞬のために、あなたと別の人間に生まれてきてよかったと思う。
 あなたの欠けた部分を埋めるために、わたしがあなたとちがうカタチでよかったと思う。
 まったく同じカタチだったら、決してあなたの欠けた部分を埋められないもの。
 
 同じ速度で歩くカルロスとミルバは、欠けた部分を埋め合わせることができるカップルなんだと思う。
 バイオリズムは同じだけど、目指すモノは別。ピースはぴたりとはまるけれど、もともとひとつのピースなんじゃなくて、別の一片なの。
 だからこそきっと、ぴたっとはまったことがうれしいんだよね。
 それぞれ自分の道を歩きながら。べつのカタチでありながら。
 よかったね。ベストパートナーが見つかって。

 
 ……まあ、演じているのが寿美礼ちゃんとふーちゃんだから、あまり愛があるように見えないんだけど……ソレはまあソレとして(笑)。
 ふたりとも、自分がいちばん好き!に見えるのは、どーしたもんかと思うけど。

 物語自体は、ロマンチストが書いたとびきりの夢物語だと思うよ。

    
          ☆

 私信。
 チェリさん=「み」さん、「先生」は勘弁しちくり……。わし、なにもんですか……。うひょー。

        

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