歴史はくり返す?@銀河英雄伝説@TAKARAZUKA
2012年9月4日 タカラヅカ で、『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』って、どうなのよ?
初日を観たときの感想は、『太王四神記』の花組初日を観たときと酷似していました。
「……で、これ、面白いの?」
いろいろ派手でたくさん詰め込まれて、きれいな人がコスプレして大騒ぎどっかんどっかんで幕。
だけど結局のとここれって……面白いの?
「サイトーくん演出で見たかった」
イケコ演出って総じて地味だよね……サイトーくんに比べて。
基礎体温が低いというか。
同じことをやっていても、サイトーくんの方が無駄にアツいというか。
映像使いまくりーの盆回りまくりーの階段とセリが上下しまくりーのレーザー光線使いまくりーのの、現小池作『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』を「地味」だと言わしめる、サイトーヨシマサの芸風恐るべし(笑)。
つっても、『太王四神記』のときは『エル・アルコン-鷹-』の印象が強かったのでサイトーマンセーになっていたのであって、『TRAFALGAR』のショボ演出を観たあとである今となっては、手放しにサイトーくんを持ち上げられない。
単に『エル・アルコン』が神がかっていただけかも。大劇場芝居演出デビューってことで、めちゃくちゃ気合い入ってたんだよね。さらに、演出家の相談役(笑)としても定評のあるトウコちゃんが主演だったしね。
それでも、一発成功例があると強いね。
『エル・アルコン』の神オープニングが脳裏に焼き付いている者としては、『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』のオープニングの地味さと残念さに肩を落とした(笑)。
そしてこれは、キムシンにも言えることなんだけど、小池作品は、音楽が残念だ。
演出家によって、組む作曲家が決まっている。
演出家の好みで決めているらしい。
キムシンが長谷川せんせの音楽に惚れ込んでいることもわかるし、イケコが太田せんせの音楽に惚れ込んでいることもわかる。
でも、「作品」と合ってないんだ、それらの音楽ってば。
太田・長谷川の共通点は「よく聴くときれいな曲だが、瞬発力がない」。
はじめて耳にしたときに絶大なインパクトを与え、脳裏から消えなくなる。……そういう音楽じゃない。
きれいだからBGMには適しているけど、主題歌に向かない。
メインに使う曲だけ、外部の作曲家に依頼するべきでは、と思う。とにかく瞬発力のある、1回聴くだけでよそ見していたのを振り向かせるような、求心力のあるタイプの音楽に。
選ぶ作曲家のタイプに、その演出家の作風が表れてるよなああ。
太田せんせの音楽は、長谷川氏の音楽ほどタルくないし、そこそこ重厚だと思う。
派手なのではなくて、奥行きがある。だから1本立てコスプレ作品の音楽としてそぐわないほど地味で単調ってわけじゃない。音楽が主張しすぎてドラマの邪魔をする、ということがない。さらっとしていて重みや澱みはない。
何十時間もある原作を2時間半(フィナーレ・大階段パレード込み)にまとめた『太王四神記』も大概だが、本編だけで10巻まである原作を2時間半(フィナーレ・大階段パレード込み)にまとめた『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』も、大概だ。
その詰め込み方が。
や、『銀英伝』は実質2巻までだけど。
説明することが多すぎて、出来事を追うだけで精一杯で、ドラマ部分が弱いのはお約束。
『銀英伝』みたいに複数視点で、かつ「後世の歴史家」視点っつーか、どこかに肩入れするでない突き放した感のある物語を切り取って「ドラマ化」するのって、実はイケコ苦手分野じゃあ?と、思う。
まとめる力、演出する力は、イケコを超える人はそうそうナイと思うけど。
だからただ「長いモノをまとめました! キリッ!」というデキになり、感情として盛り上がるところがナイっちゅーか。
出来事が多くてどったんばったんしているから、なんか盛り上がったキモチになるけど、ほんとのとこ、心揺さぶられるモノはないっちゅーか。
盛り上がらないなあ、と思うのは、視点のあるなしかな。
作品に作者自身の視点っちゅーか思い入れを強く置き、「俺はこう思う!」「この台詞を言わせたいがためだけに、この芝居1本書いたんだっ」という、本人の創作意欲、表現意志。そーゆーのがあってモノ作りをしている……わけじゃないもんなあ、イケコの作風。
引いたところで作劇しているから、複数視点の歴史物を演出すると、まとまってはいるけど、地味で精神的な盛り上がりと深みのないモノになる。
とはいえ、今回の作品が盛り上がらないのはイケコの責任だけじゃないよなあ。
原作からして、もっとも盛り上がる場面をクライマックスに出来ないところに、「タカラヅカ」の限界を感じた。
いちばん盛り上がる、盛り上げてしかるべきなのは、キルヒアイス@まぁくんの死だ。
そこを盛り上げることが出来ず、上がったテンションをわざとぶち切る、冷水ぶっかけて「ここで盛り上がっちゃダメ、ここクライマックスじゃないから、誤解しないで!」とやる……やらなければならなかった、ことに、原作ファンとしても、タカラヅカファンとしても、盛大に落胆した。
エンタメなんてラスト命、クライマックス命。
それまでどんだけ盛り上がらず、ぐだぐだになっていても、ラスト10分盛り上げて、観客高揚させて泣かせちゃえば、過去は帳消し、「いいもん見たー!」なキモチになるっちゅーに。
クライマックス否定で盛り上げろ、と言われても……無理な相談だよなああ。
てことで、ますます「長大な原作を、各種関係者の顔を立てながら短くまとめました」的な作品になっている。
そのまとめる手腕が老練でそつがないため、ちゃんと楽しいモノになってはいる。
キャストはとにかく美しいし。
それでなんか、大作を見たなー、という気分で劇場を出るんだけど。
「すごいことはよくわかった。……で、これ、面白いの?」
と、『太王四神記』初日と同じ感想を持った。
ああデジャヴ。わたしこれ、3年半前にも同じこと言った。
「オープニングとか、残念すぎ。サイトーくん演出で見たかった」
『エル・アルコン』の夢よもう一度。
今のサイトーくんにそんな力があるのかどうかわかんないけど。
それでも複数回観たいと思わせる力のある、大作だと思う。
と、コレを書いている時点で「毎週『銀英伝』、週に一度は『銀英伝』」状態で、ムラへ通うことになってるわたしです(笑)。
初日を観たときの感想は、『太王四神記』の花組初日を観たときと酷似していました。
「……で、これ、面白いの?」
いろいろ派手でたくさん詰め込まれて、きれいな人がコスプレして大騒ぎどっかんどっかんで幕。
だけど結局のとここれって……面白いの?
「サイトーくん演出で見たかった」
イケコ演出って総じて地味だよね……サイトーくんに比べて。
基礎体温が低いというか。
同じことをやっていても、サイトーくんの方が無駄にアツいというか。
映像使いまくりーの盆回りまくりーの階段とセリが上下しまくりーのレーザー光線使いまくりーのの、現小池作『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』を「地味」だと言わしめる、サイトーヨシマサの芸風恐るべし(笑)。
つっても、『太王四神記』のときは『エル・アルコン-鷹-』の印象が強かったのでサイトーマンセーになっていたのであって、『TRAFALGAR』のショボ演出を観たあとである今となっては、手放しにサイトーくんを持ち上げられない。
単に『エル・アルコン』が神がかっていただけかも。大劇場芝居演出デビューってことで、めちゃくちゃ気合い入ってたんだよね。さらに、演出家の相談役(笑)としても定評のあるトウコちゃんが主演だったしね。
それでも、一発成功例があると強いね。
『エル・アルコン』の神オープニングが脳裏に焼き付いている者としては、『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』のオープニングの地味さと残念さに肩を落とした(笑)。
そしてこれは、キムシンにも言えることなんだけど、小池作品は、音楽が残念だ。
演出家によって、組む作曲家が決まっている。
演出家の好みで決めているらしい。
キムシンが長谷川せんせの音楽に惚れ込んでいることもわかるし、イケコが太田せんせの音楽に惚れ込んでいることもわかる。
でも、「作品」と合ってないんだ、それらの音楽ってば。
太田・長谷川の共通点は「よく聴くときれいな曲だが、瞬発力がない」。
はじめて耳にしたときに絶大なインパクトを与え、脳裏から消えなくなる。……そういう音楽じゃない。
きれいだからBGMには適しているけど、主題歌に向かない。
メインに使う曲だけ、外部の作曲家に依頼するべきでは、と思う。とにかく瞬発力のある、1回聴くだけでよそ見していたのを振り向かせるような、求心力のあるタイプの音楽に。
選ぶ作曲家のタイプに、その演出家の作風が表れてるよなああ。
太田せんせの音楽は、長谷川氏の音楽ほどタルくないし、そこそこ重厚だと思う。
派手なのではなくて、奥行きがある。だから1本立てコスプレ作品の音楽としてそぐわないほど地味で単調ってわけじゃない。音楽が主張しすぎてドラマの邪魔をする、ということがない。さらっとしていて重みや澱みはない。
何十時間もある原作を2時間半(フィナーレ・大階段パレード込み)にまとめた『太王四神記』も大概だが、本編だけで10巻まである原作を2時間半(フィナーレ・大階段パレード込み)にまとめた『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』も、大概だ。
その詰め込み方が。
や、『銀英伝』は実質2巻までだけど。
説明することが多すぎて、出来事を追うだけで精一杯で、ドラマ部分が弱いのはお約束。
『銀英伝』みたいに複数視点で、かつ「後世の歴史家」視点っつーか、どこかに肩入れするでない突き放した感のある物語を切り取って「ドラマ化」するのって、実はイケコ苦手分野じゃあ?と、思う。
まとめる力、演出する力は、イケコを超える人はそうそうナイと思うけど。
だからただ「長いモノをまとめました! キリッ!」というデキになり、感情として盛り上がるところがナイっちゅーか。
出来事が多くてどったんばったんしているから、なんか盛り上がったキモチになるけど、ほんとのとこ、心揺さぶられるモノはないっちゅーか。
盛り上がらないなあ、と思うのは、視点のあるなしかな。
作品に作者自身の視点っちゅーか思い入れを強く置き、「俺はこう思う!」「この台詞を言わせたいがためだけに、この芝居1本書いたんだっ」という、本人の創作意欲、表現意志。そーゆーのがあってモノ作りをしている……わけじゃないもんなあ、イケコの作風。
引いたところで作劇しているから、複数視点の歴史物を演出すると、まとまってはいるけど、地味で精神的な盛り上がりと深みのないモノになる。
とはいえ、今回の作品が盛り上がらないのはイケコの責任だけじゃないよなあ。
原作からして、もっとも盛り上がる場面をクライマックスに出来ないところに、「タカラヅカ」の限界を感じた。
いちばん盛り上がる、盛り上げてしかるべきなのは、キルヒアイス@まぁくんの死だ。
そこを盛り上げることが出来ず、上がったテンションをわざとぶち切る、冷水ぶっかけて「ここで盛り上がっちゃダメ、ここクライマックスじゃないから、誤解しないで!」とやる……やらなければならなかった、ことに、原作ファンとしても、タカラヅカファンとしても、盛大に落胆した。
エンタメなんてラスト命、クライマックス命。
それまでどんだけ盛り上がらず、ぐだぐだになっていても、ラスト10分盛り上げて、観客高揚させて泣かせちゃえば、過去は帳消し、「いいもん見たー!」なキモチになるっちゅーに。
クライマックス否定で盛り上げろ、と言われても……無理な相談だよなああ。
てことで、ますます「長大な原作を、各種関係者の顔を立てながら短くまとめました」的な作品になっている。
そのまとめる手腕が老練でそつがないため、ちゃんと楽しいモノになってはいる。
キャストはとにかく美しいし。
それでなんか、大作を見たなー、という気分で劇場を出るんだけど。
「すごいことはよくわかった。……で、これ、面白いの?」
と、『太王四神記』初日と同じ感想を持った。
ああデジャヴ。わたしこれ、3年半前にも同じこと言った。
「オープニングとか、残念すぎ。サイトーくん演出で見たかった」
『エル・アルコン』の夢よもう一度。
今のサイトーくんにそんな力があるのかどうかわかんないけど。
それでも複数回観たいと思わせる力のある、大作だと思う。
と、コレを書いている時点で「毎週『銀英伝』、週に一度は『銀英伝』」状態で、ムラへ通うことになってるわたしです(笑)。