小池先生がタカラヅカで演出家をこれだけ長く続けていられるのは、彼が優秀なサラリーマンだからなのか、と思う。

 芸術家よりも、職人。
 自分の作品・芸術性を愛し、譲らずに作劇する芸術家気質ではなく、まずクライアントがいて、その希望に添って質の高い作品を作ることに心血を注ぐ、職人気質。

 謎な配役、大人の事情。
 それが丸わかりでもとにかく、イケコは自分の仕事をする。
 彼は劇団に雇われて、劇団の仕事をしているわけだから。

 小池先生って劇団理事なんでしたっけ? 劇団にてひとかどの位置にいる人なのは、わかります。
 それでもやっぱり、サラリーマン。劇団の意志に従って、作劇しているんだろうなあ。
 演劇というお金の掛かるジャンルでは、なにもかも好きになんて作れない、いろんな事情や横やりがあって、それらの中で譲ってあきらめて、制限ある中で精一杯のモノを作る、というのが当たり前なんだろう。

 主要キャストは上から言いなりだけど、脇だけは自由に出来る。そこでだけ、ひっそりと自己主張。
 海外ミュージカルの潤色でもっとも才能を発揮するように、まったく自由であるより、「制限がある」方が燃える人なのかもしれない。


 毎度いろいろ大変そう、と思う小池せんせ。

 小池せんせが毎回大変のは、彼が「ヒットメーカー」であり、彼の登板を指名するということはつまり「大作」を制作することであり、大作を用意するからにはそこに「劇団事情」が特に関わっている、ということにある……と、思う。

 小池作品っていつも、人事大変!というイメージ(笑)。

 謎のヒロイン抜擢とか、番手ぼかしとか。
 全タカラヅカの娘役よりも、「優れている」「相応しい」ってことで、他組の無名の男役下級生がエリザベート役に抜擢されたりとか、入団したばかりで舞台人としての基礎も娘役スキルもなにもない研1生がジュリエット役に抜擢されたり。
 その「全タカラヅカ生徒より優れている」とされた「100年に一度の天才」たちが、そのときだけ抜擢され、その後はそれが「なかったこと」にされたかのように、ふつーの組子に戻されていたり。
 トップスターも2番手も3番手もない、わけわかんない配役を、とても細心の注意を持って行ったり。準トップだとか、トップはいても2番手がわからないように、だとか。

 劇団がお金を掛けて上演する「大作」は、その分「大人の事情」が満載。大作はヒットメーカーのイケコでなくては、だからイケコはいつも事情を抱え込んで「大変」。
 やーん、3つの「大」が重なるのが当たり前のイケコってば素敵、重圧かかえてがんばれ日本のサラリーマン。

 今回の『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』は、いつものにも増して。ほんっとーに大変だったんだなあ、と思う。
 プログラムの異例の長文(笑)。どれだけ大変だったかの言い訳羅列。書かなきゃまずいことを並べ立てた事情羅列。

 ご苦労様っす。


 人事面でいつも大変そうな小池せんせ。

 今回もなあ。

 原作からして、もっとも盛り上がる場面をクライマックスに出来ないってあたりがもお、気の毒だなと。

 ラインハルト@かなめを主役に原作の2巻までを使ってミュージカルを作るなら、クライマックスは当然キルヒアイス@まぁくんの死だろう。
 ラインハルトの腕の中で死ぬキルヒ、をいちばんのドラマティック場面にするだろう。
 よく例えられるけど、ラインハルトとキルヒアイスは、オスカルとアンドレみたいなもん。アンドレの死は重要でしょう。

 なのに、『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』は、そのいちばん盛り上がり必須の場面を、クライマックスにできない。してはならない。
 盛り上がって当然、ストーリー的にもファン心理的にも盛り上げろ泣かせろ!と期待する場面を、「ここで泣いちゃダメ、感動しちゃダメ」と制止しなきゃならない。

 キルヒアイスが死に至るまでの経緯もあっさりしたもんだし、死もあっさり。
 慟哭するラインハルト、さあここからさらに盛り上がるぞーっ、と観客がスタンバったところで。
 突然場面が変わり、関係ない人たちが出てきて次の芝居を進める。
 えっ……。

 えー、「タカラヅカ」のお約束では、こういう場合、ラインハルトの独白やソロ歌になります。
 キルヒアイスを失った、慟哭の場面になります。

 ラインハルトが泣きながら1曲歌って銀橋渡ったりします。

 本舞台にスモークたいて、回り舞台から笑顔のキルヒアイスがせり上がってきたりします。
 そして友情のデュエットダンスをしたりします。(それってどこの『愛のプレリュード』 ……)

 舞台奥の階段に、少年時代のおハルやキルヒ、アンネローゼ様が現れて、無邪気に「キルヒアイスと呼ぶことにする」とか「ジーク、弟と仲良くしてやってね」とかの会話を再現していたりします。

 そしてキルヒの今際の際の台詞が響く中、目の前のキルヒが消えてゆき、残ったおハルが再び客席に向けて絶叫(メロディ付き)。

 それくらいやるのが「タカラヅカ」ですとも。

 キルヒが死ぬなりソルーナさんたちが出てきて陰謀話の続きをはじめ、盛大に、肩すかし。
 わざと盛り上がらないよう、余韻をぶった切っている。

 何故か。


 クライマックスは、ヒロイン・ヒルダ@みりおんと、ラインハルトの場面にしなければならない。

 だから、キルヒアイスを相手に盛り上げてはいけない。

 いやその、原作ではヒルダ、ここでまだレギュラー入りしてないし。
 原作にはいないキャラのために、原作の盛り上がり部分をスルーする。……ありゃりゃ。


 男役至上主義のタカラヅカだ、トップ娘役を飾りにして男役同士でドラマを展開することはできる。
 トップとはいえ娘役の面子のために、トップスターの見せ場を犠牲にすることは通常ない。
 オスカルとアンドレはその最たるモノだし、『愛のプレリュード』 なんかトップと2番手が痴話喧嘩して和解するまでの話で、クライマックスは男同士のデュエットダンスだ。

 女性キャラに出番がない、見せ場がない、程度のことでタカラヅカのシステムは揺るがない。

 今回クライマックスを正しく設定して盛り上げることができなかったのは、ヒロイン問題に加えて、

 2番手男役が不明

 であるためだ。

 まぁくんが正2番手なら、ヒルダのことは置いておいて、とにかくキルヒアイスの死→ラインハルトの慟哭を盛り上げることができた。
 『愛のプレリュード』 が成り立ったのは、主人公の親友役が2番手だったからだ。

 何故か新制宙組の2番手は明確にされていない。
 プログラムでは、ともちん、ヲヅキ、まぁくんが同等の扱い(学年順)になっている。
 同等ってことは、オーベルシュタイン@ともちん、ヤン@ヲヅキ、キルヒアイス@まぁくんは同等の扱いにしなくてはならない。

 原作も大事にしなくちゃならない、タカラヅカのお約束も守らなければならない、その上人事まで気を使わなくてはならない……。

 イケコ、乙。

 ほんとに大変だなあ……。しみじみ。

 がんばれサラリーマン。がんばれ職人。


 まあ、イケコが本能のままに作劇したら、世界征服でマッドサイエンティストでエコでNPOでネットでスマホでヒップホップなわけだしな。
 制約があってナンボだよな、うん。

日記内を検索