夢をつなぐ。@時を奏でるスミレの花たち
2014年4月4日 タカラヅカ 宝塚歌劇100周年 夢の祭典『時を奏でるスミレの花たち』初日に行ってきました。
とりあえず、叫ぶ。
鬼まっつのフィギュアを売ってください。
ナニあの二次元感!!
目張り入ったお化粧にアニメ的ロン毛、しかも角付き。
黄色と赤の着物も美しい。
ちっちゃくきゅっとコンパクトな体格ごと、ミニチュア化して、飾りたい。
角が、角がマジたまらん。
ゲームやアニメの萌えキャラにしか見えん。
……わずか15分程度の寸劇、しかも鬼さんの出番はラスト数分。
それでも一気にテンション沸騰しました。
ストーリー展開は、よくわかりません。鬼さんたちが登場した瞬間から、まっつしか見てません。
真ん中はほら、あとからいくらでも映像で見られるでしょう? でもまっつは、今ここでしか見られないっ!!
まっつ眺めてたら幕が閉まって、「えっ、終わり??」ってなった。マジなにもわかってない(笑)。結局鬼退治したの??←
まっつを見たかったら劇場へ行くしかない(映像には映らない)、がモットーなので、いつものように(タカスペとか、いつもコレ言ってるよね)大劇場へ行ったわけですが、もちろんまっつだけが目当てではありません。
演目自体に、興味津々。
だって、100周年。100年に一度。人生たった一度のイベント!
お祭り好きなので、いっちょ噛みせねば。
てことで、本日オープンの「宝塚歌劇の殿堂」にも行きました。報道カメラだらけで、避けるの大変(笑)。
や、こちらも思いのほか楽しかった。
今日は劇場全部が独特の雰囲気。
報道者の数が半端ナイ。
祭典開演前、劇場内の1-8扉前の空間が、報道関係者だけで、埋まっていた。
異様な光景。
スタンバイしてるんだと思うけど、黒っぽい服装の報道関係者たちが鈴なりになってしゃがんでるんだよ……それぞれでかいカメラだの機材だの持って。
100周年、って、すごいんだ。
改めて、思う。
そして、77期を中心とした、わたしの中で「見慣れた」顔ぶれが登場し、歌ってトークして、徐々に登場するスターさんたちの期が遡っていって……。
泣けて仕方ない。
オサ様とかトウコちゃんとか、わたしのよく知る時代のスターさんたちより、わたしが生を見たことのない古い時代のスターさんたちの場面にこそ、より泣けた。
見たことなくても、知らなくても、「タカラヅカ」は、変わらない。見てきたスターさんたちと同じように近しく感じることが出来る。
そして昔のスターさんほど、「タカラヅカ」成分が濃密なのだわ。
だからより「タカラヅカ」に触れて、心がざわめくのだと思う。
「つなぐ」ということを、意識した。
タカラジェンヌたちはみな口を揃えて言う、「偉大な上級生の方々がいらしたから」「タカラヅカの伝統」「受け継いでいく」……。
タカラヅカは一朝一夕に出来たモノじゃない、長い時間を掛け、たくさんの人々がいて、今のカタチになった。
男役の造形、型ひとつとっても、試行錯誤の上、研磨されてきたモノだ。
タカラジェンヌたちは先輩たちの背中を見て育ち、後輩たちへ芸と魂を受け継いでいく。
つないでゆく。
タカラヅカがそうであること、タカラジェンヌがそうであることは、わかっていた。花の命は短くて、スターたちは新陳代謝していく。泣いても笑っても。
だからそのこと自体は、一ファンとして理解していた。タカラヅカはタカラジェンヌたちによってつながれてきたこと。
今日ずきんと思ったのは、その「つなぐ」もののひとつに、自分もいるのだということ。
自分……つまり、わたし。
わたしはただの一ファンで、もちろん舞台にはなんの関係もナイ。まったくの一般人、ファンカーストの最下層にいる、金もコネもないいろんな意味で貧しい人間だ。
そんなわたしが、タカラヅカを「つなぐ」ものだなんて、おこがましいっすねー。ありえないっすねー。
そうじゃなくて。
わたし、というか、わたしのような、ただのファンを含めた、タカラヅカを愛する人。
タカラヅカが好きで、チケット買って、あるいはグッズや、スカステの視聴料払って、タカラヅカに関わっている人。
そんな名もなき「タカラヅカが好き」なひとたちがいて、タカラヅカは続いている。
ファンがいなかったら、続いてないよね。
「好き」という、それだけのことで、100年、続いちゃったんだ。
タカラヅカを好きだという人がいて、必要だという人がいて、求める人がいるから、存在した。
ただのファンであるわたしも、タカラヅカ100年をつないできた、ひとりだ。
だって、こんなに、好き。
今、こんなに好きで、そしてたぶんこれからも、好きでいる。生活が変わったり、贔屓の卒業とかで関わる濃度が変わったとしても、ずっと好きでいる。
好きである限り、ひとから「タカラヅカってどうなん?」と聞かれれば「興味があるなら一度観てみて。体験してみて」と答えるし、良さを語りもする。
直接的なバックアップは出来なくても、「味方」でいる。タカラヅカが好きだから。続いて欲しいから。
つなぎたいと思う。未来へ。
祭典は、とてつもなく「タカラヅカ」。
構成・進行ぐだぐだなところも含めて(笑)、とっても「タカラヅカ」。
20時30分終演、と書いてあるのに、劇場を出たらまさかの22時だった。時計二度見したよ、いくらなんでも90分押しはすごいやろ(笑)。
や、延びてくれる分にはぜんぜんいいよ、大歓迎。得した~~。
おねえさま方のトークはいろいろいろいろ爆弾発言ありすぎで、さて、DVDには収録されるのかしら。やっぱあちこちカットされるんじゃ……?(笑)
なんにせよ、ミキさん、乙。
ミキさんだからこそ、成り立ったのだと思うわ……おねえさま方、フリーダム過ぎ(笑)。
現役3番手の出番は、1幕の「ドンブラコ」と、2幕ラストのフィナーレのみ。月組は2番手不在、みっちゃんは3番手筆頭ってポジかな、2番手場面には出ないから。
ということで、フィナーレは、記憶がない。
まっつが登場した瞬間から、まっつしか観てないので(笑)。
だって、進行や真ん中さんたちはあとからいくらでも映像で以下略。
専科さんたちが「ドンブラコ」の衣装で先に登場したので、期待したのに、鬼コスプレまっつ再登場。
白燕尾に着替えての登場でした。
そりゃ着替えるか。3番手スターたちがイベントで着た切り雀のお衣装1着限りのわけないよな。
でもでも、鬼コスプレが見たかったよ。マジでカッコよかったんだってば。
とりあえず、叫ぶ。
鬼まっつのフィギュアを売ってください。
ナニあの二次元感!!
目張り入ったお化粧にアニメ的ロン毛、しかも角付き。
黄色と赤の着物も美しい。
ちっちゃくきゅっとコンパクトな体格ごと、ミニチュア化して、飾りたい。
角が、角がマジたまらん。
ゲームやアニメの萌えキャラにしか見えん。
……わずか15分程度の寸劇、しかも鬼さんの出番はラスト数分。
それでも一気にテンション沸騰しました。
ストーリー展開は、よくわかりません。鬼さんたちが登場した瞬間から、まっつしか見てません。
真ん中はほら、あとからいくらでも映像で見られるでしょう? でもまっつは、今ここでしか見られないっ!!
まっつ眺めてたら幕が閉まって、「えっ、終わり??」ってなった。マジなにもわかってない(笑)。結局鬼退治したの??←
まっつを見たかったら劇場へ行くしかない(映像には映らない)、がモットーなので、いつものように(タカスペとか、いつもコレ言ってるよね)大劇場へ行ったわけですが、もちろんまっつだけが目当てではありません。
演目自体に、興味津々。
だって、100周年。100年に一度。人生たった一度のイベント!
お祭り好きなので、いっちょ噛みせねば。
てことで、本日オープンの「宝塚歌劇の殿堂」にも行きました。報道カメラだらけで、避けるの大変(笑)。
や、こちらも思いのほか楽しかった。
今日は劇場全部が独特の雰囲気。
報道者の数が半端ナイ。
祭典開演前、劇場内の1-8扉前の空間が、報道関係者だけで、埋まっていた。
異様な光景。
スタンバイしてるんだと思うけど、黒っぽい服装の報道関係者たちが鈴なりになってしゃがんでるんだよ……それぞれでかいカメラだの機材だの持って。
100周年、って、すごいんだ。
改めて、思う。
そして、77期を中心とした、わたしの中で「見慣れた」顔ぶれが登場し、歌ってトークして、徐々に登場するスターさんたちの期が遡っていって……。
泣けて仕方ない。
オサ様とかトウコちゃんとか、わたしのよく知る時代のスターさんたちより、わたしが生を見たことのない古い時代のスターさんたちの場面にこそ、より泣けた。
見たことなくても、知らなくても、「タカラヅカ」は、変わらない。見てきたスターさんたちと同じように近しく感じることが出来る。
そして昔のスターさんほど、「タカラヅカ」成分が濃密なのだわ。
だからより「タカラヅカ」に触れて、心がざわめくのだと思う。
「つなぐ」ということを、意識した。
タカラジェンヌたちはみな口を揃えて言う、「偉大な上級生の方々がいらしたから」「タカラヅカの伝統」「受け継いでいく」……。
タカラヅカは一朝一夕に出来たモノじゃない、長い時間を掛け、たくさんの人々がいて、今のカタチになった。
男役の造形、型ひとつとっても、試行錯誤の上、研磨されてきたモノだ。
タカラジェンヌたちは先輩たちの背中を見て育ち、後輩たちへ芸と魂を受け継いでいく。
つないでゆく。
タカラヅカがそうであること、タカラジェンヌがそうであることは、わかっていた。花の命は短くて、スターたちは新陳代謝していく。泣いても笑っても。
だからそのこと自体は、一ファンとして理解していた。タカラヅカはタカラジェンヌたちによってつながれてきたこと。
今日ずきんと思ったのは、その「つなぐ」もののひとつに、自分もいるのだということ。
自分……つまり、わたし。
わたしはただの一ファンで、もちろん舞台にはなんの関係もナイ。まったくの一般人、ファンカーストの最下層にいる、金もコネもないいろんな意味で貧しい人間だ。
そんなわたしが、タカラヅカを「つなぐ」ものだなんて、おこがましいっすねー。ありえないっすねー。
そうじゃなくて。
わたし、というか、わたしのような、ただのファンを含めた、タカラヅカを愛する人。
タカラヅカが好きで、チケット買って、あるいはグッズや、スカステの視聴料払って、タカラヅカに関わっている人。
そんな名もなき「タカラヅカが好き」なひとたちがいて、タカラヅカは続いている。
ファンがいなかったら、続いてないよね。
「好き」という、それだけのことで、100年、続いちゃったんだ。
タカラヅカを好きだという人がいて、必要だという人がいて、求める人がいるから、存在した。
ただのファンであるわたしも、タカラヅカ100年をつないできた、ひとりだ。
だって、こんなに、好き。
今、こんなに好きで、そしてたぶんこれからも、好きでいる。生活が変わったり、贔屓の卒業とかで関わる濃度が変わったとしても、ずっと好きでいる。
好きである限り、ひとから「タカラヅカってどうなん?」と聞かれれば「興味があるなら一度観てみて。体験してみて」と答えるし、良さを語りもする。
直接的なバックアップは出来なくても、「味方」でいる。タカラヅカが好きだから。続いて欲しいから。
つなぎたいと思う。未来へ。
祭典は、とてつもなく「タカラヅカ」。
構成・進行ぐだぐだなところも含めて(笑)、とっても「タカラヅカ」。
20時30分終演、と書いてあるのに、劇場を出たらまさかの22時だった。時計二度見したよ、いくらなんでも90分押しはすごいやろ(笑)。
や、延びてくれる分にはぜんぜんいいよ、大歓迎。得した~~。
おねえさま方のトークはいろいろいろいろ爆弾発言ありすぎで、さて、DVDには収録されるのかしら。やっぱあちこちカットされるんじゃ……?(笑)
なんにせよ、ミキさん、乙。
ミキさんだからこそ、成り立ったのだと思うわ……おねえさま方、フリーダム過ぎ(笑)。
現役3番手の出番は、1幕の「ドンブラコ」と、2幕ラストのフィナーレのみ。月組は2番手不在、みっちゃんは3番手筆頭ってポジかな、2番手場面には出ないから。
ということで、フィナーレは、記憶がない。
まっつが登場した瞬間から、まっつしか観てないので(笑)。
だって、進行や真ん中さんたちはあとからいくらでも映像で以下略。
専科さんたちが「ドンブラコ」の衣装で先に登場したので、期待したのに、鬼コスプレまっつ再登場。
白燕尾に着替えての登場でした。
そりゃ着替えるか。3番手スターたちがイベントで着た切り雀のお衣装1着限りのわけないよな。
でもでも、鬼コスプレが見たかったよ。マジでカッコよかったんだってば。