Happy Birthday! 宝塚歌劇団。

 月組『宝塚をどり』『明日への指針』『TAKARAZUKA 花詩集100!!』、雪組トップコンビ特出楽に行ってきました。
 てゆーかまだ初日の感想UPしてないよーな。

 100年前の今日、宝塚歌劇団が幕を開けたとか。
 4月1日、切りのいい日からはじめたもんだニャ。

 公演を観ながら、わたしの意識は過去にばかり向いてました。

 10年前の記念公演。
 植爺作の記念祝舞『飛翔無限』、植爺作の短いお芝居『天使の季節』、3人の演出家の競作レビュー『アプローズ・タカラヅカ!』の3本立て。
 花組で行われたこの公演は、4月の初舞台生お披露目公演ではなく、お正月公演だったのだけど。
 90周年の記念公演であり、和物ショーとショートコメディと洋物ショーの3本立て、トップコンビ特出ありと、今の月組公演と酷似しているため、記憶がダブる。

 10年前の記念公演、ショー2本に挟まれたおまけみたいなお芝居で、まっつは、新公主演した。

 今の時代なら、芝居だけの新公ってことは、なかったろう。先年の星組、そして今回の月組と、芝居+ショーの新公だったはず。
 でも当時は2本立てで新公をするなんて考えもつかず、おまけみたいな短い芝居だけだった。しかも、植爺の書き下ろしコメディですよ、ナニその悪夢。駄作を超えた酷い作品だった。パクリの上に、実在の病名を使って患者を笑う内容だった。
 10年前もすでに、植爺はクリエイターを名乗る資格なし! もう二度と制作に関わるな!と憤っていたっけ。

 まっつが研6の終わりで初主演、2番手は研5のみつる。そして、まっつの親友役が、研1のだいもんだった。
 わたしが見た大劇場新人公演は89期内だけど、東宝が次の期、つまり90期に入るから、東宝新公ではまっつ研7なりたて、みつる研6、だいもん研2という計算。

 あれから、10年。

 似合わないカツラをつけたまっつの笑顔を、やたら思い出す。
 地毛ではいかんかったんかい……と、おなかがもぞもぞするよーな、変な姿だった。キムタクを目標にしたんだっけか。

 まっつは今、研17。
 新公を卒業して、10年経とうとしている。

 10年前、「士官」という十把一絡げの役で踊ってた下級生……その子が、今もまだこの花園にいて、唯一無二の男役芸を貫いている。
 当時ですら「小柄」であり、男役に向いているとは思えない体格だった。
 それでも、それを補う技術を身に付け、小柄で華奢で中性的になりそうなもんなのに、まともに女役をやったことのない、めずらしいキャラクタを通している。

 舞台人が完成するまでにかかる時間は、さまざまだ。
 芸の道に終わりはなく「完成」なんかない……という意識は置いておく。一定のカタチが作られること、それが終わりではないが、その人の核をなす確固たる成形を、ここではとりあえず「完成」と呼ぶ。
 まっつは完成するまで、時間がかかったのだと思う。
 もともとうまかった。10年前ですら、ふつーによく出来ていた。芝居も歌もダンスも、そして男役としての声も所作も、スターとして遜色ない。
 それだけを見れば、早熟な人だったのかもしれない。
 でも、「未涼亜希」を作るためには、もっと長い時間が必要だった。
 彼が完成するには、「ふつーにうまいよね」と思われたときより、さらに倍の年月が必要だった。
 研14を過ぎてからだよな。
 「舞台人・未涼亜希」が俄然面白くなったの。

 時間は、違う。
 早く出来上がる人もいる。人の倍掛かる人もいる。
 だいもんは研1からすでに、すげーうまかったよなあ、とか思いを馳せる。この子はもっと早いうちに重責に着かせるべきだった。責務を与えられればその分早く伸びただろう、とか。

 ひとりひとり違うのだから、それを見極めて……いや、それが難しいというならせめて、どんな時間も受け止められるだけの器を用意して欲しい。
 それぞれに居場所を作れる、そんなところであってほしい。
2014/04/01

組替えおよび副組長就任について


このたび、下記の通り組替えおよび副組長の就任が決定いたしましたので、お知らせいたします。

【花組】
華形 ひかる・・・2014年7月6日付で専科へ異動

【宙組】
鈴奈 沙也・・・・2014年7月28日付で専科へ異動

【宙組 副組長就任】
美風 舞良・・・・2014年7月28日付で宙組副組長に就任
 みつるが残ってくれること、それをうれしく思う。
 心から、うれしく思う。
 宝塚歌劇100周年 夢の祭典『時を奏でるスミレの花たち』初日に行ってきました。

 とりあえず、叫ぶ。

 鬼まっつのフィギュアを売ってください。

 ナニあの二次元感!!
 目張り入ったお化粧にアニメ的ロン毛、しかも角付き。
 黄色と赤の着物も美しい。

 ちっちゃくきゅっとコンパクトな体格ごと、ミニチュア化して、飾りたい。

 角が、角がマジたまらん。
 ゲームやアニメの萌えキャラにしか見えん。

 ……わずか15分程度の寸劇、しかも鬼さんの出番はラスト数分。
 それでも一気にテンション沸騰しました。
 ストーリー展開は、よくわかりません。鬼さんたちが登場した瞬間から、まっつしか見てません。
 真ん中はほら、あとからいくらでも映像で見られるでしょう? でもまっつは、今ここでしか見られないっ!!
 まっつ眺めてたら幕が閉まって、「えっ、終わり??」ってなった。マジなにもわかってない(笑)。結局鬼退治したの??←


 まっつを見たかったら劇場へ行くしかない(映像には映らない)、がモットーなので、いつものように(タカスペとか、いつもコレ言ってるよね)大劇場へ行ったわけですが、もちろんまっつだけが目当てではありません。
 演目自体に、興味津々。
 だって、100周年。100年に一度。人生たった一度のイベント!
 お祭り好きなので、いっちょ噛みせねば。

 てことで、本日オープンの「宝塚歌劇の殿堂」にも行きました。報道カメラだらけで、避けるの大変(笑)。
 や、こちらも思いのほか楽しかった。

 今日は劇場全部が独特の雰囲気。
 報道者の数が半端ナイ。
 祭典開演前、劇場内の1-8扉前の空間が、報道関係者だけで、埋まっていた。
 異様な光景。
 スタンバイしてるんだと思うけど、黒っぽい服装の報道関係者たちが鈴なりになってしゃがんでるんだよ……それぞれでかいカメラだの機材だの持って。

 100周年、って、すごいんだ。
 改めて、思う。

 そして、77期を中心とした、わたしの中で「見慣れた」顔ぶれが登場し、歌ってトークして、徐々に登場するスターさんたちの期が遡っていって……。

 泣けて仕方ない。

 オサ様とかトウコちゃんとか、わたしのよく知る時代のスターさんたちより、わたしが生を見たことのない古い時代のスターさんたちの場面にこそ、より泣けた。
 見たことなくても、知らなくても、「タカラヅカ」は、変わらない。見てきたスターさんたちと同じように近しく感じることが出来る。
 そして昔のスターさんほど、「タカラヅカ」成分が濃密なのだわ。
 だからより「タカラヅカ」に触れて、心がざわめくのだと思う。

 「つなぐ」ということを、意識した。

 タカラジェンヌたちはみな口を揃えて言う、「偉大な上級生の方々がいらしたから」「タカラヅカの伝統」「受け継いでいく」……。
 タカラヅカは一朝一夕に出来たモノじゃない、長い時間を掛け、たくさんの人々がいて、今のカタチになった。
 男役の造形、型ひとつとっても、試行錯誤の上、研磨されてきたモノだ。
 タカラジェンヌたちは先輩たちの背中を見て育ち、後輩たちへ芸と魂を受け継いでいく。
 つないでゆく。

 タカラヅカがそうであること、タカラジェンヌがそうであることは、わかっていた。花の命は短くて、スターたちは新陳代謝していく。泣いても笑っても。
 だからそのこと自体は、一ファンとして理解していた。タカラヅカはタカラジェンヌたちによってつながれてきたこと。

 今日ずきんと思ったのは、その「つなぐ」もののひとつに、自分もいるのだということ。

 自分……つまり、わたし。

 わたしはただの一ファンで、もちろん舞台にはなんの関係もナイ。まったくの一般人、ファンカーストの最下層にいる、金もコネもないいろんな意味で貧しい人間だ。
 そんなわたしが、タカラヅカを「つなぐ」ものだなんて、おこがましいっすねー。ありえないっすねー。
 そうじゃなくて。
 わたし、というか、わたしのような、ただのファンを含めた、タカラヅカを愛する人。
 タカラヅカが好きで、チケット買って、あるいはグッズや、スカステの視聴料払って、タカラヅカに関わっている人。
 そんな名もなき「タカラヅカが好き」なひとたちがいて、タカラヅカは続いている。
 ファンがいなかったら、続いてないよね。
 「好き」という、それだけのことで、100年、続いちゃったんだ。
 タカラヅカを好きだという人がいて、必要だという人がいて、求める人がいるから、存在した。

 ただのファンであるわたしも、タカラヅカ100年をつないできた、ひとりだ。
 だって、こんなに、好き。
 今、こんなに好きで、そしてたぶんこれからも、好きでいる。生活が変わったり、贔屓の卒業とかで関わる濃度が変わったとしても、ずっと好きでいる。
 好きである限り、ひとから「タカラヅカってどうなん?」と聞かれれば「興味があるなら一度観てみて。体験してみて」と答えるし、良さを語りもする。
 直接的なバックアップは出来なくても、「味方」でいる。タカラヅカが好きだから。続いて欲しいから。
 つなぎたいと思う。未来へ。

 祭典は、とてつもなく「タカラヅカ」。
 構成・進行ぐだぐだなところも含めて(笑)、とっても「タカラヅカ」。

 20時30分終演、と書いてあるのに、劇場を出たらまさかの22時だった。時計二度見したよ、いくらなんでも90分押しはすごいやろ(笑)。
 や、延びてくれる分にはぜんぜんいいよ、大歓迎。得した~~。
 おねえさま方のトークはいろいろいろいろ爆弾発言ありすぎで、さて、DVDには収録されるのかしら。やっぱあちこちカットされるんじゃ……?(笑)
 なんにせよ、ミキさん、乙。
 ミキさんだからこそ、成り立ったのだと思うわ……おねえさま方、フリーダム過ぎ(笑)。


 現役3番手の出番は、1幕の「ドンブラコ」と、2幕ラストのフィナーレのみ。月組は2番手不在、みっちゃんは3番手筆頭ってポジかな、2番手場面には出ないから。

 ということで、フィナーレは、記憶がない。
 まっつが登場した瞬間から、まっつしか観てないので(笑)。
 だって、進行や真ん中さんたちはあとからいくらでも映像で以下略。

 専科さんたちが「ドンブラコ」の衣装で先に登場したので、期待したのに、鬼コスプレまっつ再登場。

 白燕尾に着替えての登場でした。
 そりゃ着替えるか。3番手スターたちがイベントで着た切り雀のお衣装1着限りのわけないよな。
 でもでも、鬼コスプレが見たかったよ。マジでカッコよかったんだってば。
 わたし個人の話を書く。
 あくまでも、わたしの個人的な想いだ。

 わたしにとって、ジェンヌの「退団」は、「死」と同じだ。

 そのジェンヌがこの世から消える。消失する。
 ジェンヌの中の人の人生が続くこととは、別問題だ。「タカラヅカ」のそのジェンヌが、消えてしまう。

 もう会えない。
 未来を夢見ることも出来ない。
 過去を懐かしみ、涙することしか残されない。

 そして、「死」は物理的な消失であり、精神的な消失ではない。
 心は、思いは、消失しない。

 好きだ、と思う気持ちは、肉体の死とは無関係だ。
 想いだけはそのままここにあるのに、その想いを向ける相手が、消失する。
 現実の死と同じ。

 死んでしまうから、好きじゃなくなるわけじゃない。

 好きなのに、なにも変わらないのに、死はやって来る。

 好きな人が、いなくなる。
 もう二度と会えなくなる、この世から消えてなくなる。

 わたしにとって退団発表とは、余命宣告と同じだ。


 2014年4月24日。
 宝塚歌劇団 未涼亜希に、余命宣告がされた。

 あと、4ヶ月。

2014/04/24

雪組 退団者のお知らせ


下記の生徒の退団発表がありましたのでお知らせいたします。

(雪組)   

壮 一帆   -すでに発表済み-
麻樹 ゆめみ
未涼 亜希
愛加 あゆ  -すでに発表済み-
白渚 すず
大澄 れい
天舞音 さら
寿春 花果

2014年8月31日(雪組 東京宝塚劇場公演千秋楽)付で退団

 スカステの「タカラヅカニュース」を、リアルタイムで見ることはあまりない。
 録画しているので、1週間2週間、貯めて遅れて眺めるのが通常だ。

 だけど今日は、きちんと見た。

 昨日の退団発表のニュースがあった。


 まっつの写真と名前が、あった。


 ただ心臓がばくばくしていて。

 そうやってテレビ画面で見るまっつの「おとめ」写真を美しいと思い、そこだけ見て、テレビを消した。
 他のニュースも、スカステも、見たくない。

 今は。

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