完結するということ・その2。@一夢庵風流記 前田慶次
2014年9月2日 タカラヅカ 『一夢庵風流記 前田慶次』東宝千秋楽。
最後の最後になって、わたしはこれが雪丸の物語だと気づいた。
脚本の粗に負けて見えなかったいろんなことが見え、すべての線がつながった。
まっつの演技が、すごかった。
だからもう、他を見ることはあきらめて、雪丸だけを見ることにした。
アタマが拒否したの、今はこの感動以外を入れたくない、って。これは本来『一夢庵風流記 前田慶次』という物語で、主人公の慶次だけでなく、重太夫や捨丸も、きちんと起承転結まで描かれている。だから、ふつうにしていたら、彼らの物語、彼らの一人称も頭に入ってくる。それを拒否したのね。今はチガウ、今わたしが脳に入れていいのは、心で味わっていいのは、雪丸だけだ、って。
てことで、2014年8月31日に、わたしが見た雪丸様@まっつ像語りの続きの続き、行きます!
あくまでも、わたしの目と脳に映ったまっつだ!!
これは、「雪丸」の物語だと気づいた。思い知った。
アタマが、空白だ。
雪丸以外はなにも入らない。
そうやって場面が進み、また雪丸が登場する。さあ、スタートだ、わたしの中の感性が、心が、動き出す。
雪丸の物語を観る。そのためだけに。
今までわからなかった雪丸の言動が、すべて理解できる。バラバラに見えた点が、線でつながる。
「惚れているから抱いた。男が女を抱く理由が他にあるか」……慶次のドヤ顔台詞や、鉄砲隊登場のとき、奥村助右衛門登場のとき。
雪丸の思い。
忍びに生まれた雪丸は、「惚れているから」という理由だけで、加奈は抱けない。慶次は「パンがなければお菓子を食べればいいのに」と言っているようなもんだ。慶次の慶次たるおおらかさは、雪丸の身分に生まれていたら、培われなかったかもしれない。
恵まれた身分の者が、恵まれたものを捨てて、傾いてみせている。もとからなにも持たない者の前で。
助右衛門が鉄砲隊を率いて現れた。
そこで雪丸はすべてを察する。
加奈が裏切った。加奈が密告した。
それと同時に。
そういう加奈だから、愛した。
すべてを察する。納得する。
これが自分の運命。やるだけやった。あがくだけあがいた。それこそ、狂うほどに。
雪丸のやっていることは、めちゃくちゃだ。まともな者から見れば、整合性のなさ、雑さにツッコミしかない。
そんな状態になるほど、おかしくなるほど、求めた。光を。
人事は尽くした。
だから雪丸は、家康に刀を預ける。
家康が雪丸を斬るまでの間、わりと空白がある。時間がある。
家康の中の人が疲れてきてて、素早く動けないだけなのかもしんないけど、「そんだけ時間あったら逃げられるじゃん?」てな間、雪丸はただ立ち尽くしている。
ルキーニの凶刃に身をさらすシシィみたいだ。トートに呼ばれ、立ち尽くす。
斬られることがわかっていて、雪丸は動かずにいる。
加奈が裏切ったこと……そういう女だからこそ愛したこと……そして、逃げた加奈が、自分の後を追って自害するだろうこと……すべてわかって、雪丸は天命を待つ。
天命を告げるのは、徳川家康。のちの天下人。
証人たるのは、現在の国家元首・豊臣秀吉。
陽のあたる場所に出ることを夢としてあがき続けた、名もなき忍び、草でしかない身が、なんという破格の扱い。
悔いなし、だよなああ。
完結、してるよなああ。
確固たる愛がそこにあって、自分のすべて出し切った仕事して、たとえ敗北であろうと誠心誠意闘い切って、ゲームセットの声を聞いた瞬間、終わるんだよ。
なんつー人生。
ハッピーエンドじゃん。
これ、ハッピーエンドじゃん。
震撼した。
マジに、震えた。
雪丸の人生。
その輪郭のあざやかさに。
取捨選択したから、迷わない。
心臓ばくばくしたまま、次の場面を待つ。目に映るモノ、耳に聞こえるモノがあっても、惑わない。
わたしが見ているのは雪丸の人生。雪丸の物語。それ以外のモノは紗がかかったように遠く薄く見える。
場面が進み、次に雪丸が登場するのは、エピローグ。
雪丸は、加奈とふたり、穏やかな笑顔で現れる。
加奈の肩を抱く。加奈がうれしそうに笑う。そんな加奈の隣で、雪丸もうれしそう。
わたしの席からは、加奈をエスコートして歩き去る雪丸の表情はよく見えなかった。
だけどわかる。
きっと彼は、しあわせそうに顔をしている。
ハッピーエンドだもんな。
やりきった、生ききったあとだもんな。
そりゃ、しあわせだわ。
再度登場し、慶次の「散ちらば花のごとく」で口角を上げる。
うん、そうだね。
花のようだったね。
あなたの人生も。
咲き誇り、咲ききって、そして潔く散ったんだものね。
最後の最後に、答えを得た。
たったあれっぽちの出番で、書き込みで、「雪丸の人生」を完結させた。
説得させた。
すごい。
やっぱ、まっつってすごい。
すごい役者だ。
感動とか、そんな言葉では言い表せられない、足りない。
すごいもん見た。
すごいもん見た。
ああだから、舞台ってすごい。自分で主人公決められるんだよ、映画じゃこうはいかないよ、だってカメラは必ず「制作側が決めた意図」に従ったモノしか映さないからね。
タカラヅカのファンでよかった。まっつのファンでよかった。
このカタルシス、ただ日常を生きてるだけじゃ、絶対味わえない。
すごいモノを見た……。
と思うことと、「こんな感動はもう味わえないんだ。だってまっつはもう、いなくなる」という絶望が同時に押し寄せてきて、息が出来ない。
タカラヅカファンでよかった、まっつのファンでよかった、そう思う気持ちがそのまま裏返って、心に闇が広がる……から、始末に負えない。
まっつのバカ(笑)。
最後の最後になって、わたしはこれが雪丸の物語だと気づいた。
脚本の粗に負けて見えなかったいろんなことが見え、すべての線がつながった。
まっつの演技が、すごかった。
だからもう、他を見ることはあきらめて、雪丸だけを見ることにした。
アタマが拒否したの、今はこの感動以外を入れたくない、って。これは本来『一夢庵風流記 前田慶次』という物語で、主人公の慶次だけでなく、重太夫や捨丸も、きちんと起承転結まで描かれている。だから、ふつうにしていたら、彼らの物語、彼らの一人称も頭に入ってくる。それを拒否したのね。今はチガウ、今わたしが脳に入れていいのは、心で味わっていいのは、雪丸だけだ、って。
てことで、2014年8月31日に、わたしが見た雪丸様@まっつ像語りの続きの続き、行きます!
あくまでも、わたしの目と脳に映ったまっつだ!!
これは、「雪丸」の物語だと気づいた。思い知った。
アタマが、空白だ。
雪丸以外はなにも入らない。
そうやって場面が進み、また雪丸が登場する。さあ、スタートだ、わたしの中の感性が、心が、動き出す。
雪丸の物語を観る。そのためだけに。
今までわからなかった雪丸の言動が、すべて理解できる。バラバラに見えた点が、線でつながる。
「惚れているから抱いた。男が女を抱く理由が他にあるか」……慶次のドヤ顔台詞や、鉄砲隊登場のとき、奥村助右衛門登場のとき。
雪丸の思い。
忍びに生まれた雪丸は、「惚れているから」という理由だけで、加奈は抱けない。慶次は「パンがなければお菓子を食べればいいのに」と言っているようなもんだ。慶次の慶次たるおおらかさは、雪丸の身分に生まれていたら、培われなかったかもしれない。
恵まれた身分の者が、恵まれたものを捨てて、傾いてみせている。もとからなにも持たない者の前で。
助右衛門が鉄砲隊を率いて現れた。
そこで雪丸はすべてを察する。
加奈が裏切った。加奈が密告した。
それと同時に。
そういう加奈だから、愛した。
すべてを察する。納得する。
これが自分の運命。やるだけやった。あがくだけあがいた。それこそ、狂うほどに。
雪丸のやっていることは、めちゃくちゃだ。まともな者から見れば、整合性のなさ、雑さにツッコミしかない。
そんな状態になるほど、おかしくなるほど、求めた。光を。
人事は尽くした。
だから雪丸は、家康に刀を預ける。
家康が雪丸を斬るまでの間、わりと空白がある。時間がある。
家康の中の人が疲れてきてて、素早く動けないだけなのかもしんないけど、「そんだけ時間あったら逃げられるじゃん?」てな間、雪丸はただ立ち尽くしている。
ルキーニの凶刃に身をさらすシシィみたいだ。トートに呼ばれ、立ち尽くす。
斬られることがわかっていて、雪丸は動かずにいる。
加奈が裏切ったこと……そういう女だからこそ愛したこと……そして、逃げた加奈が、自分の後を追って自害するだろうこと……すべてわかって、雪丸は天命を待つ。
天命を告げるのは、徳川家康。のちの天下人。
証人たるのは、現在の国家元首・豊臣秀吉。
陽のあたる場所に出ることを夢としてあがき続けた、名もなき忍び、草でしかない身が、なんという破格の扱い。
悔いなし、だよなああ。
完結、してるよなああ。
確固たる愛がそこにあって、自分のすべて出し切った仕事して、たとえ敗北であろうと誠心誠意闘い切って、ゲームセットの声を聞いた瞬間、終わるんだよ。
なんつー人生。
ハッピーエンドじゃん。
これ、ハッピーエンドじゃん。
震撼した。
マジに、震えた。
雪丸の人生。
その輪郭のあざやかさに。
取捨選択したから、迷わない。
心臓ばくばくしたまま、次の場面を待つ。目に映るモノ、耳に聞こえるモノがあっても、惑わない。
わたしが見ているのは雪丸の人生。雪丸の物語。それ以外のモノは紗がかかったように遠く薄く見える。
場面が進み、次に雪丸が登場するのは、エピローグ。
雪丸は、加奈とふたり、穏やかな笑顔で現れる。
加奈の肩を抱く。加奈がうれしそうに笑う。そんな加奈の隣で、雪丸もうれしそう。
わたしの席からは、加奈をエスコートして歩き去る雪丸の表情はよく見えなかった。
だけどわかる。
きっと彼は、しあわせそうに顔をしている。
ハッピーエンドだもんな。
やりきった、生ききったあとだもんな。
そりゃ、しあわせだわ。
再度登場し、慶次の「散ちらば花のごとく」で口角を上げる。
うん、そうだね。
花のようだったね。
あなたの人生も。
咲き誇り、咲ききって、そして潔く散ったんだものね。
最後の最後に、答えを得た。
たったあれっぽちの出番で、書き込みで、「雪丸の人生」を完結させた。
説得させた。
すごい。
やっぱ、まっつってすごい。
すごい役者だ。
感動とか、そんな言葉では言い表せられない、足りない。
すごいもん見た。
すごいもん見た。
ああだから、舞台ってすごい。自分で主人公決められるんだよ、映画じゃこうはいかないよ、だってカメラは必ず「制作側が決めた意図」に従ったモノしか映さないからね。
タカラヅカのファンでよかった。まっつのファンでよかった。
このカタルシス、ただ日常を生きてるだけじゃ、絶対味わえない。
すごいモノを見た……。
と思うことと、「こんな感動はもう味わえないんだ。だってまっつはもう、いなくなる」という絶望が同時に押し寄せてきて、息が出来ない。
タカラヅカファンでよかった、まっつのファンでよかった、そう思う気持ちがそのまま裏返って、心に闇が広がる……から、始末に負えない。
まっつのバカ(笑)。