初日からずっと、「雪丸様、わけわかんねえ(笑)」と書いてきました。
 稲妻とともに登場して、すっげえ大物感ゆんゆんなのに、やってることバカっぽいし、女の子と力比べして負けるし、腕斬られたぐらいで取り乱すし、黒幕の名前連呼して台無しにするし。
 「なにを致すのかは、この傷が教えてくれよう」とか、思わせぶりなこと言ってるくせに、やってることむちゃくちゃだし。

 脚本の粗を全部押しつけられちゃったんだろうなあ。
 わけわかんない人になってるなあ。
 でもま、かっこいいから、いっか。
 てな人だった、雪丸様。

 それが、『一夢庵風流記 前田慶次』東宝千秋楽。
 すべての線が、つながった。

 納得がいった。
 答えを得た。

 わけわかんなかった、すべてのこと。

 楽の数日前から上京、ヅカ三昧まっつ三昧な日々を送っており、ラストスパートに入った雪丸様の演技がますます磨き抜かれていたことは、わかってたんですが。
 方向性としてそちらに向かっていたことは、わかっていたんですが。

 ラストアクトにて。

 雪丸様の狂気が、ハンパなかった。

 あ、この人、狂ってる。

 まともに見えるし、実際ちゃんと生活……というか、忍びの頭領もやれてるんだけど。
 根っこのところが、最初からすでに壊れてる。

 この人が引き起こした一連の出来事、行動は、そういうことなんだ……。

 てことで、2014年8月31日に、わたしが見た雪丸様@まっつ像語りの続き、行きます!


 雪丸のキャラクタがもっとも出るのって、加奈との場面だと思うのね。
 本心が見える場面というか。
 だから、「セクシー立ち回り」と「Wラヴシーン」が重要なの。ここでの雪丸様は、最高に美しく色っぽい、というだけでなく、本心が垣間見えるから。

 わたしはいつもまっつをあなどっているというか、毎回「ごめん」な気持ちになる。わたしが思っているよりすごいものを、彼はどんと出してくるんだなこれが。
 今回もそうだ。
 退団公演だし、なんかめちゃくちゃな役だし、これが限界……というか、ここまでやってくれたらもう十分だよな的な枠を、わたしは勝手にはめて見ていたらしい。
 差し出されるモノで十分、楽しかったし。
 不満があるとすれば退団することだけだもん。それさえなかったら、なんの問題もない出来。

 なのに。
 最後の最後に、すごいもんキタ。

 芝居で、演技で、ここまで表現するのか。

 加奈と指を「ぎゅっ」と握り合ってセリ下がっていく雪丸様を見て、死にそうになった。

 あたし今まで、なにを見ていたんだろう??

 この芝居は、雪丸の物語だ。
 カットされまくったそうで、雪丸の出番も見せ場も当初の台本とは掛け離れ、わけわかんない変な人になっているらしいよ、ひどいよ大野くん! でもま、エロ見せ場があるからそれでいいか、てな落とし方ではなくて。
 そんな半端な描き方しかされていないのに……中の人は、まっつは、ガチに勝負懸けてる。
 「雪丸」という男の生涯を、描いている。

 加奈との場面だけで、「雪丸」の人生を浮き彫りにしてきた。

 そのまっつの芝居に、まさに雷に打たれたようになった。
 心臓ばくばくアタマがんがん、涙でオペラグラスが曇る。
 アタマが切り替わらない。次の場面になっているのに、目には映っているのに、神経に届かない。

 むしろ、不思議だった。今、舞台の上にあるモノが。
 わたしには、雪丸しか見えない。
 なのに、雪丸がいない舞台で、なにかやっている?

 いやいやいや、これは『一夢庵風流記 前田慶次』というお芝居で、慶次が主役、でもってえりたん最後なんだからえりたん見なきゃ、あたしがどんだけえりたんスキーで来たと思うのよ、『タランテラ!』ではずしきった音とリズムで歌うあの銀橋の壮くんのぺかーっとした笑顔に救われたのよ命の恩人なのよ……理性はそう解説するけど。
 けど、ダメだ。
 ごめんえりたん。
 えりたん好きだけど、今は無理。

 わたしは、まっつが好き。いちばん好き。

 まっつの芝居と、波長が合うのだと思う。
 彼ほどわたしに感動をくれる役者はいない。今のとこ。
 想像力と萌えをくれる役者はいない。

 そのまっつが、消えてしまう。
 いなくなってしまう。
 それだけでも重大事件だっつーに、そのうえ彼は、最後の舞台で最大級の爆弾を落としてきた。
 今まで見た、最高の芝居をしてきた。

 それはもう、受けるしかないでしょう。
 受け止めるしかないでしょう。

 他は、見ない。
 決めた。腹をくくった。切り替えた。

 これは、「雪丸」の物語。他は、不要。

 いい悪いじゃない。わたしには、それだけのキャパしかない。
 二兎を追って自滅する猶予はない。まっつのラストアクトなんだ。
 ふだんのわたしなら、そこまで極端なことはしない。えりたんえりたん、えりたんへの愛着、過ごしてきた日々が悲鳴をあげる。
 だけど、人生が取捨選択で成り立っていることを知っている、ひとつしか選べないというなら、わたしはまっつを選ぶ。

 続く。
 『一夢庵風流記 前田慶次』東宝千秋楽。

 最後の最後になって、わたしはこれが雪丸の物語だと気づいた。

 脚本の粗に負けて見えなかったいろんなことが見え、すべての線がつながった。
 まっつの演技が、すごかった。
 だからもう、他を見ることはあきらめて、雪丸だけを見ることにした。
 アタマが拒否したの、今はこの感動以外を入れたくない、って。これは本来『一夢庵風流記 前田慶次』という物語で、主人公の慶次だけでなく、重太夫や捨丸も、きちんと起承転結まで描かれている。だから、ふつうにしていたら、彼らの物語、彼らの一人称も頭に入ってくる。それを拒否したのね。今はチガウ、今わたしが脳に入れていいのは、心で味わっていいのは、雪丸だけだ、って。

 てことで、2014年8月31日に、わたしが見た雪丸様@まっつ像語りの続きの続き、行きます!
 あくまでも、わたしの目と脳に映ったまっつだ!!


 これは、「雪丸」の物語だと気づいた。思い知った。
 アタマが、空白だ。
 雪丸以外はなにも入らない。
 そうやって場面が進み、また雪丸が登場する。さあ、スタートだ、わたしの中の感性が、心が、動き出す。
 雪丸の物語を観る。そのためだけに。

 今までわからなかった雪丸の言動が、すべて理解できる。バラバラに見えた点が、線でつながる。

 「惚れているから抱いた。男が女を抱く理由が他にあるか」……慶次のドヤ顔台詞や、鉄砲隊登場のとき、奥村助右衛門登場のとき。
 雪丸の思い。

 忍びに生まれた雪丸は、「惚れているから」という理由だけで、加奈は抱けない。慶次は「パンがなければお菓子を食べればいいのに」と言っているようなもんだ。慶次の慶次たるおおらかさは、雪丸の身分に生まれていたら、培われなかったかもしれない。
 恵まれた身分の者が、恵まれたものを捨てて、傾いてみせている。もとからなにも持たない者の前で。

 助右衛門が鉄砲隊を率いて現れた。
 そこで雪丸はすべてを察する。

 加奈が裏切った。加奈が密告した。

 それと同時に。
 そういう加奈だから、愛した。

 すべてを察する。納得する。
 これが自分の運命。やるだけやった。あがくだけあがいた。それこそ、狂うほどに。

 雪丸のやっていることは、めちゃくちゃだ。まともな者から見れば、整合性のなさ、雑さにツッコミしかない。
 そんな状態になるほど、おかしくなるほど、求めた。光を。

 人事は尽くした。
 だから雪丸は、家康に刀を預ける。

 家康が雪丸を斬るまでの間、わりと空白がある。時間がある。
 家康の中の人が疲れてきてて、素早く動けないだけなのかもしんないけど、「そんだけ時間あったら逃げられるじゃん?」てな間、雪丸はただ立ち尽くしている。
 ルキーニの凶刃に身をさらすシシィみたいだ。トートに呼ばれ、立ち尽くす。

 斬られることがわかっていて、雪丸は動かずにいる。

 加奈が裏切ったこと……そういう女だからこそ愛したこと……そして、逃げた加奈が、自分の後を追って自害するだろうこと……すべてわかって、雪丸は天命を待つ。

 天命を告げるのは、徳川家康。のちの天下人。
 証人たるのは、現在の国家元首・豊臣秀吉。
 陽のあたる場所に出ることを夢としてあがき続けた、名もなき忍び、草でしかない身が、なんという破格の扱い。
 悔いなし、だよなああ。
 完結、してるよなああ。

 確固たる愛がそこにあって、自分のすべて出し切った仕事して、たとえ敗北であろうと誠心誠意闘い切って、ゲームセットの声を聞いた瞬間、終わるんだよ。
 なんつー人生。
 ハッピーエンドじゃん。

 これ、ハッピーエンドじゃん。

 震撼した。
 マジに、震えた。

 雪丸の人生。
 その輪郭のあざやかさに。

 取捨選択したから、迷わない。
 心臓ばくばくしたまま、次の場面を待つ。目に映るモノ、耳に聞こえるモノがあっても、惑わない。
 わたしが見ているのは雪丸の人生。雪丸の物語。それ以外のモノは紗がかかったように遠く薄く見える。
 場面が進み、次に雪丸が登場するのは、エピローグ。

 雪丸は、加奈とふたり、穏やかな笑顔で現れる。
 加奈の肩を抱く。加奈がうれしそうに笑う。そんな加奈の隣で、雪丸もうれしそう。

 わたしの席からは、加奈をエスコートして歩き去る雪丸の表情はよく見えなかった。
 だけどわかる。
 きっと彼は、しあわせそうに顔をしている。

 ハッピーエンドだもんな。

 やりきった、生ききったあとだもんな。
 そりゃ、しあわせだわ。

 再度登場し、慶次の「散ちらば花のごとく」で口角を上げる。
 うん、そうだね。
 花のようだったね。
 あなたの人生も。

 咲き誇り、咲ききって、そして潔く散ったんだものね。


 最後の最後に、答えを得た。
 たったあれっぽちの出番で、書き込みで、「雪丸の人生」を完結させた。
 説得させた。

 すごい。
 やっぱ、まっつってすごい。
 すごい役者だ。

 感動とか、そんな言葉では言い表せられない、足りない。
 すごいもん見た。
 すごいもん見た。
 ああだから、舞台ってすごい。自分で主人公決められるんだよ、映画じゃこうはいかないよ、だってカメラは必ず「制作側が決めた意図」に従ったモノしか映さないからね。
 タカラヅカのファンでよかった。まっつのファンでよかった。
 このカタルシス、ただ日常を生きてるだけじゃ、絶対味わえない。

 すごいモノを見た……。
 と思うことと、「こんな感動はもう味わえないんだ。だってまっつはもう、いなくなる」という絶望が同時に押し寄せてきて、息が出来ない。

 タカラヅカファンでよかった、まっつのファンでよかった、そう思う気持ちがそのまま裏返って、心に闇が広がる……から、始末に負えない。
 まっつのバカ(笑)。
 『一夢庵風流記 前田慶次』の破壊力がすごすぎて、息も絶え絶え……のまま、『My Dream TAKARAZUKA』へ。

 どこを観るかどうするか、なにも考えてなかった。
 本能に任せよう。
 泣いても笑っても最後なんだもの、理屈は捨てて、観たいように観よう。

 ……と、開き直ったら、あらま、記憶が、ありません。

 まいったねー、なんもおぼえてないわー、ははは。

 千秋楽だから、最後だから、どうこう、というのは、まつださんにはあまりナイんだろうなと思う。それよりもまず、自分の仕事をしっかり勤めあげることを、最優先にしていそう。

 前楽は下手、楽は上手と、バランスいい席だったので、前日に見えなかったものが最後に見えて、最後に見えなかった分は前日の記憶をたぐって、かなり満足な視界でした。

 記憶はなくても、まっつが最高に美しいことは、わかっている。

 おぼえていることの中で、声を大にして言いたいことが、ふたつ。

 まず、ジゴロの髪型。

 最後の最後で、これをやりますか!! これを出してきますか!!
 唸ったね。

 最高の美乱れ髪キターーッ!

 わたしが観た回数なんてたかだか40回に満たないんだけど、そのなかで最高の髪型来ました!
 乱れ具合の美しいのなんのって。
 最初の登場から、ちょいラフな部分がいつもよりほんのわずかに多くて、その分量が絶妙でまっつの整った額のラインを飾っていて。
 踊るに従って、ラフ部分がさらに多くなってきて。
 でも、えりたん登場あたりで最初の掻き上げきて、せっかくの前髪ぴたっと抑えて、しかししかし、踊っているうちにまたふんわり広がり、落ちてきて。
 ラストの激しいダンスで、髪もまた、踊る踊る!!

 かかかかっけーっ! かっけーっ! かっけーっ!

 なんなのあの美しさ!! 神ビジュアル!

 うおーーっ、この髪型で映像に残って欲しかった~~!!

 や、千秋楽が1年後にスカステで放送されることはわかってますよ。
 でも、スカステは「まっつアングル」ないから、えりたん中心っしょ? ラストディ映像と兼ねているわけだから、通常の楽撮りよりも、トップのアップ中心。
 DVD撮りのときにこの髪型ならな……(笑)。

 でも、最後の最後に最高の出来を持って来てくれるなんて、ファン孝行ですよ。いや、罪作りかな。最後またどかんとファンを悶えさせ、病を重くするなんて(笑)。

 はー、まっつ、美しすぎ。


 そしてもうひとつは。

 ありがとう、ちぎまつハグ!!

 「伝説誕生」にて、ちぎくんと並んで坐ってえりたんダンスを見ているちぎまつ。
 いわゆる「明星」場面ですな。
 えりたんダンスご披露場面が終わり、立ち上がったちぎまつは、笑顔で握手をする。
 ……というところまでは、通常運転。

 問題はそのあと。

 ふたりは、どちらからともなく抱き合った。

 ま、最後だしね。
 あるかな、って、期待はしてた。
 でも実際にあると……目の当たりにすると、うおおおーーーっ、とテンション上がった。

 そして、いちばん忘れられないのは……というか、それだけしかおぼえてない、他のことぶっ飛んじゃった、のは。

 ちぎまつが抱き合う、までは想定内だったの。
 『舞姫』のときもそうだったしね。「ここはもう、やっときますか」的に、男同士ハグしますぜ、てな。

 ちぎまつが抱き合ったーー! うっひょーー! と、思っている、わたしの目の前で。

 えーと、どっちがどっちなのかすでにわたしの海馬が混乱してるし、友だちに聞いてもわかんなかったんだけど。
 ちぎくんが上手側で、まっつが下手側であってる? ふたりの立ち位置的にはそうだから、抱き合いながらくるりと反転したりしてない限り、まっつ-ちぎという立ち位置であってるとは思うんだけど。

 とにかく、わたしの席からは、ちぎくんの背中が見えたわけね。
 まっつを抱くちぎくんの背中、まっつはアタマとデコあたりが、ちぎくんの肩越しに見える、ぐらい。

 おお、ちゃんと抱き合ってるわー、まっつの両手がちぎくんの背中に回ってるわー、と思って眺めてた。

 そのわたしの目の前で。や、オペラ越しの「目の前」ですがな。
 ちぎくんの背中へ回ったまっつの両手に、「きゅっ」と、力が入ったの。

 ただ背中に腕を回した、というだけのハグじゃないの。
 きゅっ、て。
 抱きしめたの。

 軽い形式だけのハグではなくて。

 強く、抱きしめ合ってたの。

 一瞬だけど。
 互いに、ぎゅって。

 手に力が入るのが、わかって。

 わたしから見えたのはまっつの手だけだけど、たぶん、ちぎくんも同じようにしてる。
 むしろ、ちぎくんの方が先? 両手を回してから、少し時差があったから。
 ちぎくんがぎゅってしたから、まっつも応えた? そのへんはわかんない、ドリーム入ってるかもだけど。

 とにかく、男ふたりがぎゅって力強く抱き合ったのよ!!

 マーキューシオとベンヴォーリオ。

 わたしのちぎまつの原点。
 最後にもう一度、夢を見せてくれた。

 もうそこで、アタマぱーーーん! ですよ。
 記憶も飛びますよ。

 ええもん見た……。
 エトワールのときににさ。

 まっつの目線がこっちに来たの。
 別に向こうはわたしを見ているわけではナイんだろうけど、こっちは客席で、「あ、目が合った」と思う、タカラヅカあるある。

 最後の最後の場面で。
 スポットあびて朗々と歌うそのときにさ。

 まっつと目が合った、気がした。

 よりにもよって、歌詞が。

「君への思いをここに残して」


 …………。

 君への思い、でわたしを見た。ように思えた。
 おお……。すげーなそれ。カンチガイでも偶然でも、なかなかナイ神タイミング。

 ファンなのでもちろんこれは、グッとくる。てゆーか反射的に泣けた。

 しかし。
 それと同時に、別の思いも込み上げた。

 あたし、なんでコレを信じられないんだろう?

 「タカラヅカ」なんて、「嘘」で成り立っている世界だ。
 そもそも女性が男を演じている時点で嘘。日本人なのに金髪にしてガイジンのふりしてるのも嘘。なんで日本人がコスプレしてガイコクのために生きて死ぬ話とか真剣にやってんのよあり得ない。
 嘘、嘘、嘘。舞台なんて全部嘘。
 卒業するスターはみんな「ありがとうソング」歌うけど、他人が書いた歌詞じゃん。本人の言葉じゃない、つまり全部台本、ヤラセ、全部嘘。
 …………と、わかった上で、それを楽しむ。それが「タカラヅカ」。
 「嘘」を楽しむことが出来ない人は、「タカラヅカ」を楽しめない。
 虚構を虚構とわりきって、夢を見る。楽しむ。

 だって、たとえそれが嘘でも台本でも、演じているひとの心は本物だからだ。

 男役はほんとうに男性になりきってその役の人生を舞台で生きるし、ライトの当たらないすみっこの子でも、舞台を愛し誠心誠意演じ歌い、踊っている。
 ほんとうのこと、って、伝わる。
 ひとの心って、伝わる。
 「嘘」で成り立った舞台の上で、「真実」を込めて存在するジェンヌたちがいるから、「嘘」は「夢の世界」になる。

 そしてわたしは、その「夢の世界」を愛している。

 このルールでいけば、わたしはまっつの「舞台上の言葉」を額面通りに受け取るべきなんだ。
 「♪君への思いをここに残して」「♪君を強く強く抱き寄せて」「♪離れていても君のことを思い続ける」……せっかく演出家が卒業する生徒へのはなむけに言葉を贈ってくれているのに。
 わたしはそれを、「まっつの言葉」としては、受け取れずにいる。

 まあな、まっつに関してはいろいろ余計なことを知りすぎていて、それで素直に受け止められない、というのはある。確実にある。

 でも、それ以上に。
 それこそ、「嘘を嘘として楽しむ」わたしの立ち位置からすれば、だ。

 愛の言葉を信じられない、と思わせる「未涼亜希」というドリームが成立している、てことなんだな。

 わたしのまっつ観ってやつぁ。

 素直に「まっつがわたしへの思いを歌ってくれてる☆」と思えるような、そんなドリームを描けるジェンヌ像だったらよかったのに。
 「与えられた歌詞を歌っているだけにしろ、愛を歌うまっつを見るのって萌えだわ」というややこしいドリームは、まっつだけ。まっつならでは。

 最後の最後、神タイミングで目線来て、ズキュンとなりつつも、同時に思う、「あー、なんであたし、これをこのまま信じられないんだろ?」。

 最後の最後に、泣き笑い。

 信じられないのがあたしで、信じさせてくれないのがまっつだった。

 こんなジェンヌは他にいない。

 だから、まっつなんだ。
 まっつ以外、いないんだ。

 だから、どこにもいかないで。
 「嘘」で作られた「夢の世界」にいて。
 ややこしいわたしに、ややこしい夢を見させ続けて。
 ムラの千秋楽で、まっつのスタンスはわかった。
 「卒業」というタカラジェンヌ最大のイベントに対し、どういう演出をするのか。

 演出というと大袈裟かもだけど。
 わたしたちふつーの人間でも、家族に見せる顔、会社で見せる顔が違うように、タカラジェンヌにもいろいろな顔があるはず。役ではなく芸名で舞台に立つ卒業セレモニーにて、どのあたりの顔を出すのだろうか。
 まっつだけでなく、すべてのタカラジェンヌが、芸名で舞台に立つ場合考えることだろう。意識・無意識の濃度は別として。

 タカラヅカにおいて、「卒業」はイベントである。劇団もジェンヌも、そして観客も、それを認めている。数々のお約束があり、ルールやエチケットがあり、それを遵守した上で楽しむ。ルールを守れない・理解できない人は、プレイを楽しむことはできない。この世のすべてのことと同じく。
 だからタカラジェンヌも、そしてファンも、ルールの中でのプレイを楽しむ。
 ……である以上、そこでどんなパフォーマンスをするのかは、ジェンヌ個々の意識による。

 まっつは「あのキャラ」で通すんだなあ。てことは、千秋楽ではなにかしらオチをつけるのかしら。

 まっつの退団を知ったあと、たしかスカステを見ているときにふと、思ったんだよなあ。
「感謝の気持ちでいっぱいです」って、まっつも言うのかしら。
 タカラジェンヌの定型句。挨拶するとき高確率で言う。100周年イベントでインタビューされている黒木瞳までもが言っていて、ヅカDNAすげえなと思った。
 や、ヅカだけでなく世間一般でも常套句だけど、世間一般よりヅカではなにかっちゃー口にしている印象だから。

 退団挨拶で、もっとも多く使われる言い回しは、個人的に以下のふたつだと思っている。

 話の途中で「感謝の気持ちでいっぱいです」と1回言い、ラストは「感謝の気持ちを込めまして(ふつうの声)、ありがとうございました!!(大声)」で締める。
 ってコレ、定番中の定番よね? 統計取ってないけど、かなりのパーセンテージ占めるよね?
 とくに最後の「感謝の気持ちを込めまして~」は、日本語として変なので、聞くたびに「あ、まただ」と記憶に残る。
 漠然と、まっつに「定番中の定番」は言って欲しくないなー、と思っていた。
 ハタチそこそこの若い子が、定例句をつなぎあわせて話すのはいいとして、勤続17年の超ベテランが、新人と同じマニュアル通りの挨拶ってのもねー、と。
 まさか感謝の言葉、礼の言葉皆無になるとは思ってなかったけど(笑)。
 どんだけマニュアル破り。

 ムラであんだけオリジナルな……長いモノに巻かれない挨拶をしておいて、東宝ではどうするのかと思った(笑)。

 ネタ振りしたんだから、回収してくれなきゃやだな。
 よろしくお願いします、と進行形にしたからには、エンドマークをつけてもらわないと。ふつーはありがとうございました、で締めるけどー。まっつさんが、さらにハズしたらどうしよう。

 東宝楽のまっつの挨拶は、ムラ楽と呼応したモノだった。「いってきます」「ただいま」とか「いただきます」「ごちそうさま」くらい、対になる内容だったので、最初から決めてたのかなーと思う。
 カーテンコールでのえりたん大好き発言も、ムラでウケたネタをグレードアップさせてたので、こちらも計算の上だなと思った。

 計算というと言葉が悪いかもだけど、「舞台」の上で観客に見せるのだから、ネタを仕込むのはプロとして当然のことだ。
 まっつは観客から求められる自分のキャラクタや立ち位置に応えた。
 キムくん時代のアフタートークで見せたキャラが大変ウケが良かったので、それを踏襲したのかもしれないな。
 スカステで見せるキャラともお茶会とも違う、間違いなくまっつではあるけれど、「観客」を意識したキャラクタ。
 「舞台」の上だとそうなるのかもしれない。ギアが換わるというか。とことん、舞台人だ。

 見事だと思ったのは、まっつが「この場をお借りして」と組子たちの方を振り返って話し出したとき、下級生たちが、ぶわーっと泣き出したこと。
 わたしの視界にいちばんよく入ったのが咲ちゃんだったのだけど、彼が「崩壊」って言葉が似合う勢いでくしゃくしゃに泣き出したのを見て、こっちも崩壊した。まっつに、というより、組子たちの涙にもらい泣き。

 最後のお茶会で、自分が卒業したあともタカラヅカを見て欲しい、雪組を見て欲しいと言ったことを、思い出した。
 正直、そんなことを言うとは思ってなかったんだな。自分のことしか語らない人だったから。

 雪組を、仲間たちを、愛していたんだね。
 そして、雪組に、仲間たちに、愛されていたんだね。

 それがわかる挨拶だから、ファンはそれでいいんだけど、もう少し、「お客様への感謝」を打ち出すべきだったとは思うよ(笑)。劇場にいるのもスクリーンで中継を見ているのも、まっつ個人のファンだけじゃないからねー。
 でも、そういうところも含めて「未涼亜希」というキャラクタだと思う。

 まっつの「卒業」パフォーマンスは、入りのヒョウ柄+黒パンツ(インナー白だったわ、あれって精一杯の歩み寄り?!とファンを沸かせた)高速歩み去り(会の人は声かけできず。去っていく背中に向かって遠く「いってらっしゃい」とばらばらに叫ぶのみ)からはじまって、袴姿での高速歩み去りパレードに至るまで、一貫していた。
 そのなかで、「舞台」の上でこそ、もっとも輪郭のあるキャラクタを出してきた。個性的な退団挨拶、ネタ会話、客席大ウケ、笑い声と大きな拍手。
 「舞台人・未涼亜希」の卒業にふさわしく。
 きっぱりと起承転結、振ったネタは回収してオチまでつけた。きれいな構成に舌を巻く。

 もちろん、ふつーに愛と感謝の言葉だけで、ネタ振りもオチもない、気持ちだけでつづられた、素朴な挨拶も好きだけど。
 まっつはまっつらしくオチをつけた。そのこだわりが愛しい。

 最後まで、小憎いまでに、かっこいい人だ。
 タカラヅカは、夢の世界である。
 タカラジェンヌは、夢の世界を構成する一員である。

 わたしはモノを書くことが好きで、小説を書くことが好きで、日々なにかしら書き散らかしているけれど。
 こうしてパソコンの上で、文字の上だけでも、「架空の世界」を作り上げることはけっこうな労力がいる。

 その労力を必要とすることを、タカラジェンヌは自分の人生を使って表現する。
 それは、並大抵のことではない、だろう。

 ジェンヌって個性が出るまでに何年もかかるし、キャラが確立するまでまた数年必要。
 そして大抵のジェンヌは「キャラが確立」したあたりで辞めていく。
 もちろんそこにはいろんな要因があるのだろけれど。

 ひとつ、言えることは。
 「キャラクタ」を保つことは、容易ではない。

 人生をかけて、架空のキャラクタを演じる、ということ。
 キャラを確立できる年数いるとしても、露出の少ない上級生たちはバランスを取りやすいかも。
 でも「番手スター」だと、「芸名」で日々の大半を生きることを使命づけられる。
 路線スターとして若い頃からその意識、生き方を順番に学ばされた人ならともかく、研14にもなって突然立場が変わった人は、混乱しただろうなと思う。

 それでもまっつは、最後まで「未涼亜希」だった。

 架空の世界で、求められる役目を果たした。
 そりゃあもお、頑ななまでに。
 本人が、宣言した通りに。

 舞台での美しさ。演技の神がかりっぷり。ダンスのキレ。歌声の確かさ。長台詞も古語ゆえに難解な言い回しも任せろ滑舌抜群。
 それはまさしく、「未涼亜希」だった。

 わたしが退団してほしくないから、わたしがもっともっと「未涼亜希」を見ていたいから、納得できていないだけで。
 まっつはきちんと完成して、卒業したのだと思う。

 頑ななまでに、完結。ちくしょー。

 本当に、美しい男役だった。未涼亜希。
 トラウマジェンヌ。
 友人たちの間で、そう呼ばれていたりする。
 マジで共感、納得。
 トラウマ以外のナニモノでもない。ヅカファンやってて、……こういっちゃなんだが、たかが趣味、たかが芸能人のことで。
 こんだけ傷つくことがあるなんて、思ってなかった。
 マジでトラウマ。このままずっと、じくじく痛み続ける。傷の記憶は残る。


 でも、好きだよ。
 まっつまっつまっつ。
 まっつもそうだけど、えりたんがもうヅカにいないとか、嘘みたいだわ……。
 キャパオーバーでちゃんと考えられなかったけど、なんかしみじみと寂しいな。

 まっつより、えりたんを先に個別認識してたわけだしね。
 えりたんを初認識したのは、バウの『マノン』2001年。愉快な逆ギレ爆走男がわたしと友人の話題をさらった。そのときまっつも同じ舞台にいたはずだが、まったく知らない、見ていない。
 えりたんが雪に来たときは、その美貌と華にわくわくした。あのミゲル役の子が、頭の中将役の子が、雪組にやってきた!と。
 えりたんの「車内マナーポスター」、探せば家にあるはず。友人が入手してくれたんだよね、「こあら、いっぽくん好きだったよね」と。

 ずっと同じ濃度で好きだったわけじゃない。苦手だった時期もある。
 でも、それもまるっと含めて、愛着のある特別なジェンヌだ。
 『マノン』の頃から、って……かれこれ13年かあ……。干支ひとまわりして、さらに1年経ってますがな。


 今さら、自分の書いたえりたん関連記事を読み返してみた。
 ほんとわたし……えりたん好きやなああ。ちゃかしてるような書き方もしてるけど、要は彼が愛しいという、それだけを根っこにしている。


肯定の輝き。−壮一帆万歳−@タランテラ!
http://koala.diarynote.jp/200611021540150000/

癒しの輝き。−壮一帆万歳・2−@タランテラ!
http://koala.diarynote.jp/200612301518040000/

白馬に乗った王子様。−壮一帆万歳・3−@あさきゆめみしII
http://koala.diarynote.jp/200708010228540000/

小さな地球を抱きしめて。−壮一帆万歳・4−@愛と死のアラビア
http://koala.diarynote.jp/200806200257030000/

小さな地球を抱きしめて・その2。−壮一帆万歳・4−@愛と死のアラビア
http://koala.diarynote.jp/200806200410260000/

巨大怪獣のように。-壮一帆万歳-@オグリ!
http://koala.diarynote.jp/200906031524035629/

「タカラヅカ」のミューズであれ。-壮一帆万歳-@復活
http://koala.diarynote.jp/201204142106103210/


 とりあえず、「壮一帆万歳」だけ抜粋したけれど、ふつーの観劇感想にもえりたん万歳は書いてるしなー。『虞美人』とか『麗しのサブリナ』とか、えりたん爆発!だもん。

 えりたんのえりたんらしさに、泣けてくる。
 ほんとに、この人がわたしの救いだったなあ……。

 えりたんとまっつが同時退団とか、ほんとやめてよ。わたしのHPを減らすのが目的なの。しくしく。
2014/09/25

宙組 退団者のお知らせ


下記の生徒の退団発表がありましたのでお知らせいたします。

(宙組)

凰稀 かなめ  -すでに発表済み-
緒月 遠麻
風羽 玲亜
留美 絢

2015年2月15日(宙組 東京宝塚劇場公演千秋楽)付で退団

 ヲヅキには、残って欲しかった。

 わたしはテルキタ萌えな人間だけど、テルキタ添い遂げは嫌だった。
 萌えと役者・緒月遠麻への評価は別だ。
 役者としての彼を、タカラヅカで見続けたかった。テルの相手役という位置づけではなく。

 ヲヅキには、残って欲しかった。


 それと。
 えまおゆう、最悪だ。

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