『一夢庵風流記 前田慶次』東宝公演千秋楽観劇。

 最後の最後で、雪丸様に気づいたこと。

 この人……狂ってる。

 そうかもう、狂ってたんだ。
 おそらく、先の野望が潰えたときに。加奈に顔を斬られたときに。
 自分はここまでだと。これが運命だと。

 人生を賭して切望し、裏切られた。忍びに生まれ主家の小姓となり……って、何年も何年も、人生の時間すべて懸けて抱いてきた野望ですよ。これが潰える、イコール=死ですよ。
 魂懸けて望んだ、挑んだ……しかし、叶わなかった。その痛みから、雪丸は狂った。

 その狂気の中で、「加奈は俺を殺さなかった」「加奈は俺を愛している」ということが、唯一の救いだった。

 身分という、己ではどうすることもできない壁の中、唯一超えられたのは、加奈の愛だ。
 武家娘が、卑しい身分の自分を愛した……それは雪丸の人生の、唯一にして最大の勝利であり、正解なんだ。
 だから、再び野心を持ったとき、加奈と、彼女につけられた傷が問題……いや、「答え」になっている……「なにを致すのかは、この傷が教えてくれよう」。

 表面上は、ふつうに生きている。忍びの頭領として、冷徹な策士として、家康のような天下人の器を持つ男とも渡り合っている。
 でも、誰も……ひょっとしたら、本人すら気づかないところで、すでに細かいヒビが走っていた。蜘蛛の巣のように。
 なにか大きな力が加われば、粉々に崩れ落ちる。
 そんな、破滅の予兆。

 すでに狂っているから、作戦は杜撰で意味不明。そして、うまくいかなくなったときは、みっともなく取り乱したんだな。

 加奈の愛が生きる意味……というか、狂った男をこの世にようやくつなぎ止めている糸なんだ。
 だから、彼女に突き放されると、怒る。
 「邪なそなたに騙された」と言う加奈に対し、本気の怒りが見える。加奈に嫌がられたり逃げられたりする、その都度瞳に怒りが見える。
 「それしか手立てがなかったのですよ」と己の宿命を語るときも、暗い怒りが熱を持つ。すぐにまた「悪役ぶった笑い」の奥に隠されるけれど。


 千秋楽の雪丸様は、狂気度がハンパなかった。
 それまでも、どんどんそっち系に際立っていたけれど、ラストアクトはその比ではなかった。
 あ、狂ってる。
 シンプルにそう思えるほど。

 偸組や又左衛門たちの前では、一定した「悪役」の顔を見せている。
 雪丸様の真実が垣間見えるのは、加奈との場面。いわゆる「セクシー立ち回り」と「Wラヴシーン」。
 それまでの「悪役」の仮面から、雪丸本人の素顔が見える。仮面を全部はずすのではなく、水面に光が揺れるように、ちらちらゆらゆらと見えて消える、のぞいて消える。
 その様が、壮絶だ。

 雪丸はあくまでも「いつもの顔」でいようとする。ことさら悪ぶった忍びの顔、目的のためには手段を選ばぬ「悪人」の顔。
 だが、そこから素顔が、本心が、垣間見える。本人の意図ではなく、無意識に、こぼれてしまう。
 相手が、加奈だから。

 己が宿命に対する怒り。「世界」に対する怒り。
 そして、雪丸にとって加奈は「世界」に等しい。
 家柄と育ちと現在の地位、品性と美貌。闇社会から遠く憧れるすべてのモノが、加奈に集約されていた。
 奥村家の娘を正式に伴侶として迎えることのできる男……てのが、すなわち「雪丸が望んだ表社会で生きる姿」だよね。
 地位も身分も財産も教養も、全部持ち合わせてなきゃ彼女には釣り合わない。

 加奈は、雪丸が求めた「世界」そのもの。
 だから加奈が雪丸を拒絶すると、怒りを露わにする。が、すぐに律して冷徹な顔で抱き寄せる。
 セクシー立ち回りからWラヴシーンは、雪丸の人生そのものだ。
 闇社会から這い出ようとあがく、光を求め焦がれる。「世界」と対峙し、勝利しようとする。

 雪丸の赤裸々な「人生」まんまの場面で。
 狂気の度合いがハンパなくて。
 「世界」に対し、ここまで狂ってしまっている……彼の生き様が、悲しくて。切なくて。

 そのくせ。

 「世界」を……加奈を見つめる瞳に、愛があって。
 狂っているのに、愛があって。

 や、いっそ愛がなければ、救われるのに?
 こんなになって、こんな姿になって、それでもまだ、愛してるの?

 最後の最後、加奈を抱きしめたあと、口づけする。
 その、最後の口づけのときに。

 加奈の左手が雪丸に縋るようにのばされる。雪丸の胸に。
 雪丸はその手を覆うように掴む。
 ……だけじゃない。
 雪丸の手は……加奈の手を握る。
 指を、ぎゅっと。
 加奈もまた、雪丸の指を握る。ぎゅっと。

 ふたりの指が、絡み合う。

 恋人同士の指。

 ただの色事なら、色仕掛けなら、その必要はない。
 今までの雪丸がやってきたように、顎に手を掛けて強引に口づける、縋ってくる手を掴む、それで済む。

 雪丸様、あれでどうしていろんなパターンがあってね、「キスしながらセリ下がり」「キスを手で隠したりしませんことよ」という、男役17年は伊達じゃねえぜ!ってな、見事なキスシーンでセリ下がっていくだけじゃなく、地味にいろいろやってるんだわ。
 お茶会前後あたりから、たまにこの「手を握る」バージョン披露してくれて、客席のまっつファンを即死させてくれてたんだよ、まつださん。手をぎゅっ、ですよ。優しく性急に、ですよ。
 篭絡目的ならそんなことする必要ないよね、それって加奈のこと愛してるってことじゃん! 口では悪ぶってても、ほんとは愛してるってことじゃん!! きゃ~~っ! まっつメイトと「あれいいよね! いいよね!」と大騒ぎ(笑)。
 それだけでも十分「きゃ~~っ!」だったのに。
 千秋楽前あたりから、「指ぎゅっ」をやり出した!!
 こ、これは……、はじめて見たとき、心臓止まるかと。ヲトメ心鷲掴みですよこの人殺し! けしからん!

 いつもやるわけじゃなくて、エロ勝ちしてるときは顎掴んで強引にキスしてたし、雪丸様の演技はそのときどきでいろいろ違っていたので、千秋楽がどうなるかなんて、まったくわかってなかった。
 そして、実際にはじまってみれば、狂気全開。痛々しいまでに、狂ってる。
 そうやって、もっとも狂っているときに。

 最後に、指ぎゅっ、ですよ。

 加奈が、雪丸に縋る。
 愛しい男を抱く手つき。
 その加奈の手を、雪丸の手がなぞる。口づけの激しさと裏腹に、ひどくやさしい動き。
 そして、求め合うように、互いの指が絡み合う。

 そう、探していたんだ。
 ふたりの指。
 愛する人を。
 愛する人と、結ばれるときを。

 だから、雪丸の指が加奈の指にたどり着いたとき、双方の指がきゅっと絡み合った。

 ようやく、逢えたね。

 愛し合うふたり。
 求め合っていたふたりが。
 ようやく。

 雪丸、狂ってるのに。
 それでも、愛してる。この愛だけは、ほんとう。


 いや、もう、マジで。
 なんか、すごい。
 すごいことになってる。

 今までずっと雪丸様に対して抱いていた不透明なモノ、疑問、そんなもんが、全部ぶっ飛んだ。
 すごい。

 すごい芝居になってる。
 まっつ。
 最後の最後に、なんてもんを出してくるんだ。

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