8月になった。
 なってしまった。

 『一夢庵風流記 前田慶次』『My Dream TAKARAZUKA』東宝初日行ってきました。
 演出的に大きな変更はなく、すっげーささやかな微調整入ってるかなあ、ぐらい。

 なんだけど、個人的に「!!!」だったのは、えりたんが支えナシで松風から降りた!!こと。

 『一夢庵風流記 前田慶次』には、馬の松風が登場する。
 外部のプロの方が演じている、生きた馬。主人公の前田慶次@えりたんが、この馬の松風に颯爽と乗り降りする……場面が、劇中何度もある。
 この松風の乗り降り、たぶん安全性の問題で、「支えをつけること」が決まってるんだと思う。
 大野先生は細心の注意を払って、不自然ではないように松風に人が集まった状態でのみ、慶次を乗り降りさせてきた。
 支えメンバーが集まらないときは、慶次はいつまでも馬上にいる。人が集まったぞー、と思うと、すらりと降りる。
 えりたんはとても軽々と乗り降りしていて、支えなんか不要に思えるけど、それでも絶対誰か2名以上は松風の横に付いた状態でないと乗り降りしないので、そういう「契約」なんだと思って見ていた。

 それが。
 ラストの1回だけなんだけど、えりたんが支えなしで降りるのよ。
 びっくりした。
 そんなこと出来るのか。していいのか、って。

 そして、「つちかった信頼関係」を思って、じーんとした。

 ムラで1ヶ月乗り降りしてきて、「支えなしでも大丈夫」と判断されたんだろうな。
 不要に見えても、不自然でも、絶対に支えの人がはべっていたのに。それが安全上の決まりだったんだろうに。
 そういった縛りを超えられるくらい、互いの絆が強くなっているのかと。


 あー、あと、聚楽第の鉄砲隊の扱いが、見るたびに変わるというか、落ち着かないのは何故?
 初日は金色の幕が落ちると鉄砲隊登場、翌日午前公演は幕なしで号令と共に鉄砲隊登場、午後公演は幕あり。
 ナニがしたいのか、いまいちわからん(笑)。


 それ以外でわたしが気づいたのは、重太夫関係ぐらいかな。登場シーンがザッキー含めより大げさに胡散臭く、あと各種「重太夫メロディ」のアレンジが派手になっていた、印象。そこまでバカっぽくしなくても……ってくらい、わかりやすく(笑)。


 松風はますますノリノリに、どんどん演技過多になっていて、ショー場面のジャンプの高さにびびる(笑)。
 ちょ、松風、松風、やり過ぎやり過ぎ! 馬はそんな風に真上に跳ばないから!! そんな骨格も筋肉もしてないから!(笑)


 松風といえば、松風ぬいぐるみマスコットを鞄につけて観劇していると、いろんな人に話しかけられて、交流の輪が広がります。ほっこり「ヅカファンって、いいなあ」という気持ちになれます。
 や、大抵「買えたなんてすごいですね! いいなあ!」てな導入。
 発売から数時間で売り切れるような生産管理ってどうなの、と劇団のアホさを嘆く……のとは別に、そうやってレアグッズとなりはてた松風だから、知らない人から「あ、松風!」と反応され、会話のきっかけになる。そっから、公演の感想や「壮さん辞めるの惜しいですよね」とかいう話になる……のは、いいかも。
 他愛ないヅカトーク楽しい。
 松風を持っている・松風グッズに反応する=一見さんではないヅカファンである、ってことで、お互い安心して話せるのなー。
 んで、知らない人相手にいきなりディープなことやマイナス意見を振ることもないから、ほんとにただキラキラした美しい思いだけを交わすことが出来る。
 贔屓退団で身も心も疲れ切っているもんで、この「他愛ない、好意だけの会話」ってのが、なかなか染みるのよーー。

 タカラヅカっていいね。
 同じモノを好きで集まった人たちって、いいね。楽しいね。

 ショーもあちこちアレンジ変わってない? 気のせい? 翔くんの銀橋ソロの導入部とかさー。


 まあともかく、ムラと同じにシンプルに劇場だけ変わりました、という印象。
 大野くん、作品大幅改編してくれても良かったんだけどな(笑)。


 ムラでサヨナラショー観て、袴姿のパレード見て、もうすっかり「卒業」を意識にきざんでいる面があって。や、まっつ退団は未だに受け入れられてないんだけど、それとは別チャンネルで。
 もう「終わった」はずなのに、またこうして「別の場所」で同じことをしている……というのが、不思議な気がした。

 もちろん、東宝がラストなのはわかっている。ムラでも「まだ東宝がある」と思っていた。

 でもわたしはムラがホームなので、ムラが終わることが「区切り」になる。
 東宝は「終わったあとに、まだ残りがあった」という感じかな。「まだあったんだ、うれしいな」と特別感を置く……自分の意識を騙す感じ? 最初から「東宝まで」を全部と考えるのではなく。

 もともと東宝は遠い劇場。距離だけでなく、気持ちの面で。
 それが今回さらに大きくなった気がする。

 もう、ここに来ることもなくなるんだなあ。

 そう思うことで、より距離を感じる。
 ムラはホームだから、これからも通うけれど、大阪人のわたしはわざわざ東京まで「すでに観た」公演を観に行くことはない。
 千秋楽より初日が好きなんだもん。ムラで初日を観られる以上、わざわざ東宝まで遠征することはなくなる。
 どんだけ「ムラは公開舞台稽古。東宝が本番。舞台クオリティが高いのは東宝。東宝を観ずに公演を語るな」てな風潮がヅカにあるとしても、だ。
 や、わたしがお金持ちなら、遠征もばんばんするけどさー。いいもの観たいしー。でも現実問題、お金ないんだもん。

 まっつを観るために遠征していたのは、お金があるからではなく、まっつを観たいからだ。
 びんぼーで、生活に余裕なんかまったくないけれど、人生の優先順位に従って、まっつを観に通っていた、というだけのこと。
 まっつがいなくなれば、少ない収入の優先順位で「ヅカ遠征」の位置はかなり下がる。
 仕方ない。わたしはまだ、生きていくつもりだから。生活しなきゃなんないから。

 おかげで、東宝劇場がさらによそよそしい(笑)。
 アウェイだなあ、と思う。
 このアウェイ感のまま、まっつを見送るんだなー。
 仕方ない、今までもがんばって遠征していたけれど、所詮わたしは東西股に掛けられるくらいのお金持ちではなかった。自宅と仕事のあるムラでなら、そこで生活しつつ20回観られても、東京に公演の間だけ1ヶ月住み、ムラと同じ頻度で劇場に通うことは、出来なかった。出来ない以上、東宝はホームにはならず、アウェイのままだ。

 いろんな意味で、さみしい。
 『My Dream TAKARAZUKA』こあらった目線のまっつまっつ、続き。

 「第5章 伝説(レジェンド)誕生」……わたしはここの「ナニも知らない部外者が作った、素人日記みたいな歌」が生理的にダメ。
 そして、その歌のテイストで作られたこの場面の演出もダメ。

 なので、「『伝説誕生』大好き、この場面の悪口なんて一切認めない!!」という人は、この欄は飛ばして、「その9」へ行ってくださいまし。
 個人の感想なんだ、許して。


 「伝説誕生」にて、まっつは退団者として最後に登場する。
 ゆっくり大物らしく歩いて上手袖から現れ、おもむろに踊り出す。

 白尽くめの衣装に、白いハチマキ。昭和のアイドルみたいな格好。
 初日の翌日だっけ、このハチマキの結び方がおかしくて、ファンからは総ツッコミが入っていたなー。や、終演後会ったまっつファンがもれなく「ハチマキ、ひとりだけ変じゃなかった?!」と言及、みんなソコか~~、とウケたもんだった。
「これからもずっとあの結び方なの?」「誰か教えてあげて、まっつさんそれ変ですよって」「誰が?!」「そんな勇者、ファンにも組子にもいないっしょ?!」……翌日からはふつーになっていて、ほっ。
 誰か勇者がいたのか、たまたまあんときだけ手が滑って(?)あんなみょーな結び方だったのかは、わからない(笑)。

 ともあれ。
 中村Bの心遣いゆえか、トップ娘役のあゆっちよりあとに、退団者として最後にゆっくり出てきたまっつは、とてもいい笑顔で踊っている。

 が。
 歌詞でドン引きしたわたしは、このわざとらしい「退団仕様」に入り込めずにいる。
 泣く準備はできていたのに、むしろ積極的に泣くつもりでいたのに、退団者ファンを満喫するつもりでいたのに、盛大に水を掛けられた。
 だもんで、とても「引いた」気持ちでここを見ている。

 おかげでわたしは、まっつ退団の、実感がわかない。

 今まで見てきた退団者って、「退団オーラ」てのが出て、どんどん透明になっていくというか、手の届かない次元を感じたりするんだけど……まっつには、それがない。
 彼はほんとにまっつで、いつものまっつだ。
 や、めちゃくちゃ美しくてかっこいいけど、そんなの、いつも通りだし。
 「退団だから」美しくてかっこいいわけじゃない。

 「なんか、ふつー過ぎて……」「いつも通り過ぎて……」覚悟して、意気込んでやって来たまっつメイトたちが、みんな出鼻をくじかれて困惑していたっけ。
 あー、みんなもそうなんだー、あたしもあたしも。
 あの人ほんとに辞めるの? そんな感じぜんぜんしないんですが。

 だからこそ、こわいね。……そう話した。
 こんなに「いつも通り」でしかないと、9月になって「まっつはもうこの世のどこにもいない」「もう二度と会えない」となったあとの、喪失感が大きすぎる。
 これが最後なんだ、お別れなんだ、と、自分で努力して自覚しないと。

 なんかひどい歌詞の歌で、他人事みたいに踊っている、あの通常営業の美しい人を、どう受け止めればいいんだ。

 イイ笑顔だけどさー、そんなん、組替え前の『EXCITER!!』でもそうだったよ。そーゆー場面なら、そーゆー顔するよ、プロなんだから。

 えりたんが銀橋に出たあと、退団者だけが立ち上がって踊っていて、他のみんなは坐って眺めてるじゃないですか。
 あそこでまっつが「立って踊っている側」なのが、理解できない。
 辞めるの? ほんとに? なんで? 嘘でしょ?

 中詰めが終わったあとの場面、って、そのショーでのテーマ部分、いちばんの胆ですよ。
 中村Bはパターン通りにしか作らないから、咲ちゃんの銀橋が終わったとき、ライトが点く前からすでに拳握って緊張してたもん、これからすごいのが来るぞ、泣くぞ、感動するぞ、って。
 『Shining Rhythm!』でいえば、「光と影」ですよ、あれくらいすごい場面が繰り広げられると、わくわくどきどきしていたわけですよ。
 それが……これでしょ?

 期待していた分、落下量がハンパなくてなー。

 いちばんの「退団仕様」場面に感情移入できないもんで、肝心の部分がぽっかり抜け落ちたまま、最後のショー作品を迎え、終えてしまった。

 「パリ・ドリーム」も、フィナーレの大階段黒燕尾も素晴らしい。
 ここだけ見れば、まるで『Shining Rhythm!』みたいだ。『Shining Rhythm!』はいいショーだったなあ。
 まだまだこれからも続く、永遠の中の1作。退団? 誰が? 通常公演で、通常まっつだよね?

 えりたん銀橋、そして組子は全員(次の場面に出る3名除く)本舞台で踊っている。
 初日はドン引きしてわかんなかったけど、翌日は舞台を見渡して、「ああ、2番手位置だ」と気がついた。
 白い衣装で全員きれいに並んでいて、あゆっちとまっつだけが、列の前に出ている。

 まっつはついに、2番手にはなれなかった。3番手としても、扱いは悪かった。DC青年館完売させても、写真集が3刷になっても、劇団はがんとしてまっつを大切にはしなかった。

 退団を発表してはじめて、この立ち位置を許されたんだなあ。

 まっつ退団、を「ああ、そうか」と思ったのは、この立ち位置のみかなあ。
 この場面の最初の、退団者ソロの最後に出てきたときより、はるかに「そうか」と思ったよ。

 中村Bには感謝している。中村Bでなければ、ここまではしてくれなかったかも、と思っている。
 だけど、中村Bの「退団演出のセンスの悪さ」には、心から落胆している。
 オサ様退団公演とサヨナラショーを数年根に持ったように(笑)、これから先も「あれはナイわー」と話すんだろうなあ。

 歌謡界の巨匠の例の曲は、ディープなヅカヲタには評判悪い。
 わたしの周囲限定。
 そして、ライトな人には、評判がいい。
 わたしの周囲限定。

 観劇者全員のアンケートを取れるはずもないので、わたしの周囲のごくごく狭い範囲のみの感触だ。

 何故あの歌が生理的に無理なのか、わかる人には説明しなくてもわかってもらえるだろう。
 わかる人だけで共有できればいい。
 わたしはダメだったよ。
 それだけ。

 ジェンヌは純粋だから、わたしのような拒否反応などなく、心から感動してあの歌を歌い、踊っているんだと思う。
 そういう彼らに申し訳ないとは思うが、ジェンヌへの敬意と曲への拒絶感は別モノだ。

 曲も演出も無理だけど、それでも、えりたんのキラキラ笑顔や、組子たちの笑顔やパフォーマンスを眺めて、じーんとする。
 矛盾しているけれど、それはほんとう。
 『My Dream TAKARAZUKA』こあらった目線のまっつまっつ、続き。

 「第5章 伝説(レジェンド)誕生」で、いちばんのトピックスは、唯一のちぎまつ。

 まっつの動線は、退団者として最後に登場、えりたんセンターで退団同期だけのダンス、みんな出てきて総踊り、このとき上手側。
 んで、すぐに上手袖へ引っ込む。
 出番、短いのだわ。
 そっから先、このクソ長い歌のほとんどに、まっつは関与しない。出て来ない。この歌が苦手なわたしは、ある意味救われている。

 えりたんが組子たちと一通り絡んだあと、まっつは下手から大人数と一緒に出て来る。
 まっつの前を、ちぎくんが歩いている。

 全員が舞台に揃ったら、にわさんの歌で、えりたんのダンスソロになる。
 そして組子たちは、思い思いに坐り込み、えりたんを眺める。

 ここですよ。
 ここ。

 唯一の、ちぎまつ。

 前述の通り、ショーでちぎくんとまっつが絡むことは、相当レア。
 全員集合のときにどさくさ紛れに絡む以外は、基本関与しない。
 ここがその、「どさくさ紛れ」ですよ!!
 ものすげー人口密度の中でしか絡めないふたりの、ものすげー人口密度の中だからこそ、絡んでいる姿ですよ!!

 えりたんを眺めるために、その場に坐るのね。
 単に立ち位置が近かったから、でしょう。他に理由はなさそう(笑)。
 ライトは、ない。
 薄暗いなか、ふたりは坐っている。
 ちぎくんは自然な男子坐り、そしてまっつが、そのちぎくん側に突いた腕に、体重を傾けた坐り方。
 接触するでなし、されどかなり近い位置をキープ。
 ふたりは優しい表情で、踊るえりたんを見ている。

 なつかしい。
 ふたりの位置、坐り方。

 マーキューシオとベンヴォーリオを、思い出す。

 接触するでなし、されど接触しても不思議ではない距離で、坐る男子ふたり。
 互いの存在があたりまえであるような男たち。

 こんなふたりを、見たかった。
 どの公演でも、どの作品でも。
 見たかったんだよ。

 最初に見られたのが、まっつが雪組に来た最初の公演。そして次が、最後の公演って。
 しかもこんな短い間、ライトも当たらない、映像にも残らないなんて。

 はかないなあ。
 ほんとうに、はかない。
 わたしが望んだモノは、そんなに途方もない奇跡のようなモノだったのか? 2番手と3番手が同じ場面に出て仲良くしている、っていう、ただそれだけのことだったのになあ。

 このふたりの画像が欲しい。残って欲しい。
 心から、切望する。
 せめて、ライトを当てて欲しい。
 えりたんの踊る位置により、ごく稀にライトが通り過ぎる、こともある、程度なんだもの。日によってはライト皆無のときすらある。
 組子全員が坐っている、場所によっては常に明るい。だけどよりによってちぎまつがいるのは、常に暗いところだった。
 中村B、番手スターだけライトでピックアップするとか、してほしかったよ。ここだけでも。

 3年以上許されなかった、ちぎまつを、見せて欲しかった。

 ライトも当たらないこのふたりの姿は、映像には残らないだろう。肉眼なら見えても、テレビカメラでは写せないはず。きっとぼんやりした闇の中に沈んでいる。
 他のみんなの位置や関連性、表情も見たいけれど、人生は取捨選択の積み重ねだ、捨てることからはじまるんだ、覚悟を決めて、ちぎまつしか見てない。他のみんなだって、映像には残らないから、今ここで見るしかないのにね。

 えりたんと退団するのはやめて欲しかったよ。
 わたしはえりたんにもすっげー愛着がある。わたしは、えりたんの退団を悲しみたかった。泣きたかった。なのに、まっつのせいでえりたんとの別れを惜しむことができない。そこまで、感情が回らない。
 同じ場面にいるところはすべて、えりたんを見ることが出来ない。
 まっつのバカ。

 えりたんのソロが終わると、ちぎまつは立ち上がり、握手する。くしゃっと笑って。
 握手というか、ぱんっと手を取り合う……感じ?

 それだけ。

 そのあとまっつは、銀橋へ向かうえりたんとハイタッチ。
 えりたんとのハイタッチはアドリブだと、お茶会で言っていた。指示された演出ではない、自発的にやったのだと。
 だからたぶん、ちぎくんとの握手もアドリブかなと思っている。演出家も振付師も、「はい、そこで笑い合って握手して」なんて指示はしてないと思う。

 えりたんの銀橋ソロの間、本舞台にいるまっつたち退団者は立ち上がって踊り、それ以外のみんなは坐って眺めている。
 みんなあんましまっつを見てないね(笑)。必ず凝視してるのって、きゃびぃぐらいだ。わたしが組子なら、他の人あきらめてもまっつだけを見る……ってわけにはいかないか、いろいろと。
 いろいろを捨てて、潔くまっつを見ているきゃびぃに敬礼。

 このショーはえりたんのためのショーであり、この退団仕様場面も、まっつのための場面じゃない。
 まっつのイメージと掛け離れた「退団演出」だからだ。
 まっつにアテ書きしたら、まっつ本人の望むものにしたら、こうは絶対ならないだろうと思う。
 だからこそ、まっつは「えりたんの公演の共演者」であり、仕事としてそこにいるのだなと思う。
 まあぶっちゃけ、「天使みたいな笑顔」「憑きものの落ちたような表情」を、嘘くさいと思っている(笑)。
 嘘くさい……はチガウか。役割を演じている、いつものまっつ、プロの舞台人だなあと思って見ている。
 自分も退団だから天使のようになっている、とは、思えない。彼はたぶん、そんな夢っぽいことは考えず、リアルに役目を果たしていると思う。

 そう思うこと自体が、わたしが「未涼亜希」という人に夢を見ている結果かもしれないが。

 わたしは、わたしが見たいようにまっつを見ているだけだからね。
 そんなわたしには、この場面のラスト、えりたんを囲んでみんなが「いかにも感動的」と笑顔で静止して終わる……その一拍あとが、すごく好き。
 まっつは「ものすごくいい笑顔」でえりたんを見つめ、えりたに向かっているポーズのまま場面終了、ぱんっと暗転する。
 そのライトが落ちた瞬間、余韻もなにもなく、「はい、仕事終了!!」と背中を向けて走り去るまっつの、身もフタもない感じが、めっちゃツボ(笑)。

 なんかすげー切り替えっぷりで。
 くるり!っぷりと、ダーーーーッ!っぷりが、愉快。(ナニこの日本語)

 この押しつけがましい「感動シーン」を「仕事でやっている」感じが、すごくまっつっぽくて、萌える(笑)。
 や、他のジェンヌさんは純粋に自分も感動してやってるんだと思う。でも我らがまっつは、そういう思いが奥底にあるとしても、それよりなにより「仕事だから」と責任感とプライドを持って完璧にこなしている、そーゆー「タカラヅカ的に夢のない」ジェンヌである……と、思わせてくれるのが、いい。
 そう思わせてくれることが、未涼亜希というジェンヌのファンタジー。
 『My Dream TAKARAZUKA』こあらった目線のまっつまっつ、続き。

 「第5章 伝説(レジェンド)誕生」が終わると、雰囲気をがらりと変えて、「第6章 フィナーレ」がはじまる。
 まずは下手花道に、あんりちゃんセンターにかなとくんとひとこくんがトリオで登場する。

 ここが、ひそかな泣きポイントだったりする(笑)。

 退団仕様群舞であゆっちと対の位置で踊っていたまっつを見て、「そうか……」と思った直後に。
 ペパーミントグリーンのスーツに黄色いシャツのかなとくんを見て、反射的にずきーんとキタのなー。

 『TUXEDO JAZZ』を思い出して。

 中詰めの狂乱のあと、場の雰囲気を変えるための、かわいい若手銀橋。
 まっつはそこでまさかの、「スター!」な扱いで遅れて登場した。
 そんな扱いしてもらったことないから、そんな扱いしてもらえるとは思ってなかったから、うろたえてびびって、「どうしよう!!」状態だった、わたしが(笑)。

 理屈ではなく、あのときを思い出した。
 別に同じ衣装じゃないし、同じ演出でもないのに。
 でもって、かなとくんとまっつはまったく似てなくて、どっちかってーとひとこの方が顔立ちとかサイズ感は似てるのに、そっちじゃなくてかなとくんを見て、だし。や、たんにわたしが、かなとくんしか見てないせいなんだけど(笑)。

 若々しく歌い踊るかなとくん見て、泣けるのだわ。
 『TUXEDO JAZZ』思い出して。
 はー、切ない。


 んで、トリオ銀橋のあとロケットがあって、きんぐとみゆちゃんの銀橋があって。

 次です。
 後半最大の爆弾。

 大階段黒燕尾。

 ここは。こ、こ、はっ、もう、テーブルばんばん叩きながら叫びます、素晴らしいっ!!と。

 生きててよかった、レベルの場面ですニャ。
 ヅカヲタでよかった、まっつファンでよかった。こんなすごいもん見られて、見るために通えて。
 退団でなかったら完璧だったんだけど。(まだ言う)

 カーテンが上がると、大階段。
 黒燕尾の男役たちがもしゃっと真ん中に集まっている。
 その男たちが、音楽に合わせて首を振る。顔の向きを変える。
 外側から、順番に中側へ。
 1、2、3……まっつは最後、4つめの音で、顔を上げる。
 ちぎくんとふたり。
 この群れの中心は、今の段階ではふたり。ちぎくんと、まっつ。
 その、「最後に顔を上げる」のがぞくぞくする。
 これだけのイケメンたちの中、最後の男ふたり、それがちぎまつ。

 その直後、男たちは花が開くように外側へ散り、センターに行儀悪く坐り込んでいるえりたんが現れる。
 ……って、この演出好き。神!!と思う。
 えりたんがテラかっこええ。平澤せんせマジ好き。

 男たちは6本の縦列に分かれる。まっつは下手側で、その縦列には属さない。列と列の間に立つ。上手側のちぎくんと対。

 ここの振付がまた、平澤せんせ全開で。
 クラシカルな黒燕尾なのに、振付は独特。端正さとワイルドさが混ざる感じ。
 平澤せんせ振付のまっつは、大好物。せんせの独特の振りを、いちばん美しく表現するのがまっつだと思っている。贔屓目上等! 盲目上等!
 やっぱ好評だったのか、今回も背中でのフィンガーアクションあり!!
 黒燕尾の背中を見せて、腰の上で指を動かすアレ!!

 まっつは列の中ではなく、イレギュラーな立ち位置。
 トップスター様の真横でもないし、群舞の最前列でもない。けっこー変わった場所だと思う。
 きれいな列になっていないことに、最初は違和感があった。なんでそこなんだろう。や、ちぎくんと対、3番手らしく特別な場所でうれしいけど。
 で、まっつばっかオペラグラスで見ているから最初、気づかなかった。
 「心の砂時計」の指使い美しい~~、背中向けての指使い萌え~~、とか、切り取られた画面の中でうほうほしてたのね。
 でもあるときふと、オペラなしで見たときに。
 あれ? ……他の子たちの「砂時計」も背中の指も……見えにくい?
 座席にもよるんだろうけど。
 1階席から大階段を見上げていると、列の中にいる子たちは、前に立っている子の上半身で、下半身が隠れてしまう。せっかくの黒燕尾姿が、全部見えないんだ。

 だけど、まっつは見える。
 全部。
 爪先から、頭の先まで。
 遮蔽物ナシ、なんのストレスもなく、美しい姿を堪能できる。

 それって、イレギュラーな立ち位置のせいか!!
 列に入らず、なにもないところに立っているからこそなんだ。

 や、端っこから見たらどこにいたって誰かしらかぶっちゃうだろうけど。
 1階センターから見てかぶらない、全身が見える立ち位置。
 そして、大階段センターのトップさんに近い位置。
 ……って、すげえ考えられた、オイシイ立ち位置じゃん!

 こーゆーフォーメーションもアリなのか。導入部分のわしゃっと固まったところから、えりたんがセンターに坐っている演出含め、この黒燕尾場面はニク過ぎる!

 舞台なんてセンターで観たときがいちばん美しいのは当たり前だけど、それにしたってこの大階段黒燕尾は、センターからの眺めが美しい。
 まっつの前に、誰も立ってないんだよ。
 大階段黒燕尾で、誰にもかぶることなく踊る姿、って、すげー貴重。

 『Shining Rhythm!』の黒燕尾は、逆三角形の美しさを堪能させてくれた。
 男役が逆三角形になり、大階段を降りてくる姿は壮観。

 そして今回は。
 6列縦隊で並ぶ男たちの間を、えりちぎまつが、降りてくる。

 わたし、基本まっつしか見てないし、まっつを細胞レベルで欲してるもんで、いつもオペラグラスかじりつきなんだけど、ここだけはオペラを下ろして全体を観てる。

 磨き抜かれた美しい男たち。
 その美男たちの中、特別な3人の男が、歩き出す。
 すべてを従えて。
 空気が動く。
 緊張感。縦隊の間を模様が変わるように。
 選び抜かれた、真のスターが理を動かす。

 この特別感が、ぞくぞくする。
 雪男たちのぴたりとそろった端正さ、そこを崩すように動く3人。
 正の中、和の中に広がる波紋。
 そのうちのひとりが、まっつだということ。我がご贔屓だということ。

 心臓バクバクする。

 かっこいい。
 震えるほど、かっこいい!!
 あまりのことに、笑えた。
 めずらしい経験だ。
 歌いながら銀橋を渡ることちゃんを見ているとき、笑えてきたんだ。

 格が、違いすぎる。

 星組新人公演『The Lost Glory―美しき幻影―』

 主演はいちおー、オットー役だということになっている。
 オットーは辛抱役、受け身の役。難しいし、発散系の派手な役ではない。
 準主役イヴァーノは、オイシイ悪役で、役としての強さから派手に目立てる面は大いにある。
 に、してもだ。

 主役はいちおー、オットーなのに。

 主役は、イヴァーノ@ことちゃんだった。
 完全に。
 完膚無きまでに。

 格が違う。次元が違う。
 あまりにその差がものすごくて、それを顕著に表しているのが「銀橋ソロ」で、そのパワーの奔流に、笑えてきた。
 すげえ。
 すっげえな、ヲイ。

 ことちゃんだって足りないところはある。にしても、今彼が持っているモノだけでも、「新人公演」という舞台にはそぐわなかった。
 こんだけものすごい歌を、舞台姿を披露しておいて、パワーを開放しておいて、主役じゃないんですよこの人。
 おかしいでしょそれ。面白いでしょそれ。

 バウ主演経験して、確実に伸びたよね。
 でもって、こういう「好きに発散していいんだよ!」って役、得意だよね? てゆーか抑えるのはかえって苦手だよね? 得意分野で好きなだけ吠えられて、暴れられて、いいね! 気持ちよさそうだね!
 つか、好きなだけ吠えればいいじゃん! 暴れればいいじゃん!
 新公だもん。好きなだけ飛び出せばいいよ。

 うーん、オットー@まおくんが気の毒でした。相手が悪かったとしか。
 途中から彼の存在が薄れて、……まあもともと、いろいろと不自由そうな舞台姿ではあったんだけど、それにしてもわたしの視界からはずれがちで、クライマックスは「あれ? オットーどこいった??」状態だった。
 イヴァーノがロナルド@せおっちに撃たれる場面。
 見事に彼が「主役!!」で、ディアナ@キサキアイリちゃん、ロナルドと三人模様が展開され……途中でふと、正気に返った。あれ? この場面ってオットーいなかったっけ?
 探したけれど、いないっぽい。変だな、トド様はたしかいたと思うんだけど……。
 2回見回して、いることに気づいた。端っこの方に。気づいたときには、真ん中に駆け寄っていった。
 や、いるよなそりゃ。っていうかわたしここ、オットー@トド様見てたよなー。真ん中ももちろん観てたけど、オットーも見ていた。
 でもなんつーか新公は、真ん中の圧が強すぎて、周囲の輪郭を奪っていた。

 イヴァーノがあまりに「主役!!」なので。
 彼が死んだあと、街の人々の合唱で幕が下りると、無意識が判断していて、そのあとオットーが出てきてえんえん喋るのがすげー違和感だった……。
 そういや本公演では、彼が主役だったっけ……。

 相手が悪かったとしか。
 『BUND/NEON 上海』のだいもん思い出したわ。主役吹っ飛ばして、センターがどこかを自分で表しちゃう系。
 それでもまぁくんは、あのイッちゃっただいもん相手によく踏ん張っていたけど、まおくんは……実力という重しがない分、どうしても吹っ飛ばされるよね……。

 改めて、オットーという役の難しさを知った。
 そして、トド様ごめん! と思った。
 初日を観て、トド様が生彩に欠けるとか、れおんくんに負けてるとか思ったけど。
 いやいやいや、この役でれおんくん相手にあんだけ見せてくれたトド様は、やっぱすげえや。これで経験値も実力もなかったら、吹っ飛ばされてたんだ。
 今のれおんくん相手に、この辛抱役でこんだけ向こうを張れるのは、トド様だからだ!

 相手が悪かった、とは思うけれど、まおくんはこれからどこを目指す人なのか、首をかしげたことも確かだ。
 こんだけ苦手なことが多いと、路線スターをやるのは大変だと思う。
 もともとスタイルのいい人だし、今はちゃんと痩せてきれいになった……てことで、彼の売りはビジュアル?
 スタイルの良さや、ホットな持ち味は劇場では武器になる。でも、やっぱ舞台はそれだけじゃないしなー。他のことが不自由過ぎてなー。
 まおくんが、タニちゃん並の華と美貌を持っているなら、真ん中人生もアリかと思うけど……今は彼の向かう方向が、わたしにはわからないっす。

 終演後、晩ごはん食べながらわたしと友人たちは「ことちゃんの実力」「まおくんの実力」について感嘆符をトバして感想を言い合わずにはいられなかったし、そんでもって出た共通の言葉は、
「次のバウ、大丈夫なの……??」
 だった。
 実力面への不安爆発。
 みんな原作スキーだからな……。

 ことちゃんも主演バウを経てどーんと伸びたし、まおくんにもそこを期待すべきでしょう。
 うん。


 見事に名目上の主役を吹っ飛ばして、真ん中ぶんどっちゃったことちゃん。どこの「吸血鬼カーミラ」by『ガラスの仮面』かと(笑)。
 結果的にそうなっちゃったけれど、彼もまだいろいろ課題持ちだよね。
 まあその、そもそも主役吹っ飛ばすなよと(笑)。
 れおんくんのイヴァーノ像をなぞってて同じ方向性なだけに、造形の荒さは気になる。
 そこは真似なくていいんだよ~~、れおんくんはれおんくんだから許されるのであって、あの大味さを取り込んでしまうのはよくない気がするよ~~。

 そして、いつも思うことだけど、あとはビジュアル。
 早く歌声に相応しい美男子になってくれることを願う。心から願う。
 本公演で見えないモノが、新人公演で見える、ことがある。
 だから新公は面白い。
 新公を観劇した上での、『The Lost Glory―美しき幻影― 』の作品感想。

 新公を観て、「トド様ごめん」と思った。
 初日観劇時トド様の生彩のなさに肩を落としたけど、あれはトド様だからあそこまで成り立ってたんだ。力のナイ人が演じたら、フレームアウトしてしまうような役だったんだ。

 と、思ったように。

 本公演で「マカゼの役、すごくオイシイ! こーゆー役こそ、次代のトップ候補、ベニーが演じるべきでは?」と思った、カーティスおぼっちゃま。
 新公では、別に、おいしくなかった……。

 むしろ、ベニーがやっていたロナルドの方が、重要な役に見えた。いやその、元から重要だけど、ちゃんとおいしく見えたっていうか。

 新公の番手というか役の重要度順は、主役イヴァーノ@ことちゃん、2番手ロナルド@せおっちに見えた。
 物語を「動かす」のが、このふたりだからだ。
 オットー@まおくんは、イヴァーノありきで、画面にいなくてもあまり関係ない役だった。

 景子先生の作品の骨組みが、ここでよく見えた。

 主人公は、イヴァーノ。
 物語はすべて、彼が動かす。彼がいなければ、そもそも話が存在しない。
 イヴァーノはいろんなことをしているが、中でももっとも大きな仕掛けとして描かれているのが、ロナルドを使っての三角関係演出。
 イヴァーノが主役だから、彼の一人称、すなわちナレーション・モノローグが多用されるのも道理。
 これでオットーへの愛憎を最初から打ち出していたなら、2番手役というか、相手役はオットーになるのだけど、そうじゃない。景子たんは何故か「オットーを愛しているから許せなかったのだ」というイヴァーノの本心を「最後のどんでん返し」として隠している。
 そのため、ピカレスクロマンとして、イヴァーノが獲物を追い詰める話として進行。獲物は記号でしかない。冷徹に計画を進めるイヴァーノがかっこいい、ということが展開のほとんどになり、オットーの比重は低い。
 ぶっちゃけ、オットーは存在しなくてもイイ。シルエットだけとか、パーティションの向こうにいるとか、「いるけれど、あえて舞台上には出て来ない」演出にしてもイイ。
 イヴァーノの陰謀メインなら、それくらい割り切ってもいいくらいだ。
 オットーの妻、ディアナは必要だ。オットーが舞台上にいなくても、ディアナは華やかに登場し、夫への愛を語り、ロナルドにゆがんだ愛を燃え上がらせる必要がある。
 話を動かすイヴァーノ、彼の道具となるロナルド、錯綜する思いの引き金となる美女ディアナ……この3人がメインキャスト。
 それなら、ディアナとの語らいで心を動かす→ロナルドに撃たれる→オットーはイヴァーノを裏切ってなどいなかったと知る→ディアナの腕の中で死ぬ、というストーリーがきれいに機能する。

 それが、「ぶっちゃけいなくてもイイ」オットーを、「主役のひとり」にしたもんだから、ややこしい。しかも、便宜上は「オットー主役」だもん。
 イヴァーノの一人称小説なのに、オットーが主役、というのは、かなり難しい手法。その上、イヴァーノが能動、オットーは受け身。せめて逆で、語り手が受け身で、主人公が自ら行動する人ならまだ、書きようもあるけど。
 何重にも難しい。
 語りを任される準主役、てのは、もっと第三者的立ち位置の人でなきゃダメだよ。『激情』のメリメとか『うたかたの恋』のジャンとか。
 シシィが語り手も務めて出ずっぱりで、あまり出て来なくてシシィの人生に横からちょっかい出すだけのトートを主人公に物語を成立させる、なんて脚本演出無駄に難しいぞ?

 新公を観て、しみじみ「これ、イヴァーノの物語だよなあ」と思った。
 オットーとディアナの船室の場面とラストのオットーの旅立ちをカットして、クライマックスのオットー・ディアナ・イヴァーノのダンスシーンを完全にイヴァーノ中心にすれば、それだけでOKじゃん?
 浮いた時間は2番手役であるロナルドを描くことにして。彼の場面なら、ヒロイン・ディアナの出番にもなるし。
 ラストシーンはテーマのひとつを担う街の人々の合唱で、彼らが次の人生へとそれぞれ散っていったあと、舞台奥にひとりイヴァーノ(幻影)が立ち、ソロ(歌でもダンスでも)をキメれば完了。

 もともと「イヴァーノの物語」なのに、そこへ取って付けたカタチで押し込まれたオットー役で、あそこまで善戦したしたのは、トド様の力量。
 少なくともラストシーン、「主人公(イヴァーノ)もういないのに、なんで脇役(オットー)がえんえん真ん中で喋ってんの?」という蛇足感はなかった。

 ロナルドは、ちゃんといい役だった。
 ベニーがこの役を「いい役」に見せられなかったのは、彼の対戦相手が「トド様とれおんくん」という、現在のタカラヅカの二大スターだったためだ。
 ベニーだからというより、轟悠と柚希礼音がガチンコ勝負しているところに、割って入って同じ密度で戦える、引き分けに持って行けるジェンヌが、どれほどいるだろうか?ってことだと思う。
 らんとむさんくらいじゃね? ここに入ってなんとかなりそうなの。(ごめん、えりたんはチガウと思うし、テルとまさおはたぶん、ベニーの二の舞……)

 マカゼがおいしく見えたのは、トドVSれおんというステージの外側にいたためだろう。
 カーティスは、ロナウドと同じくイヴァーノに利用される役だが、比重がチガウ。チャールストン場面といい、にぎやかしキャラだ。
 それでも、きちんとにぎやかしを務め、「オイシイ役」に昇華したのはマカゼ氏の功績。新公ではそれすらなかったもの。

 思うのはつくづく、景子タン、なにがしたかったんだろう、ってことだニャ。

 イヴァーノとオットーをW主役として描くならば、イヴァーノの一人称はやめとくべきだ。せっかくレイモンド@みっきぃとかパット@ことちゃんとか、最適なキャラクタがいるのに。
 また、真っ向からふたりを対立させる描き方が出来たのに、していない。
 たとえ一人称がイヴァーノであっても、ソロ歌でばばーんと登場したイヴァーノの次、もったいつけて登場したオットーも一曲歌うべきだろ。比重が同じというならば。
 オットーの登場シーンは、主役のそれではない。タカラヅカ的にも、そしてイヴァーノの登場演出からの流れ的にも、「ここで歌」というところをスルーされて、最初から肩すかしを食らう。
 そしてなんといっても、この作品の「売り」のひとつとなっている、クライマックスのダンスシーン。何故、イヴァーノとディアナが踊るんだ。この時点でイヴァーノはディアナになんの興味もない。
 イヴァーノが踊る相手は、オットーであるべきだ。
 加えて、イヴァーノが腕の中で死ぬ相手は、オットーであるべき。
 イヴァーノの陰謀が、オットーに裏切られたから、という動機付けである以上、彼の関心はオットーに集約しなければおかしい。なのに、変に気が散っている。分散している。

 星組とトドロキというと、『長崎しぐれ坂』という悪例があるから、トップとトドが愛し合うホモ展開を避ける必要があると思う(笑)けど、それとこれとは別だろう。

 景子タン……人事事情のある演出、ヘタやなあ。

 理事様降臨、トップスターとトップ娘役考慮……変にあちこち気を遣って、いろいろいびつになった結果、ってことかな。
 『The Lost Glory』の据わりの悪さって。
 新人公演『The Lost Glory―美しき幻影― 』覚え書き。

 新公初ヒロイン、綺咲ちゃんはかわいかった。顔立ちが、というより、全体のバランスがかわいい。ヒロインっぽい持ち味がある人。
 つか、綺咲ちゃんというとほら、棒読み! 大根!という印象からスタートした子だからさー、見るたびに、「うまくなってる!」と思う。
 スタート地点がマイナスだったために、成長がわかりやすいのだとしても、見るたびに「うまくなったなー」と思えるのは楽しい。
 もう棒読みでも大根芝居でもない、ふつうにヒロインしている。歌もうまい。

 んでなんつっても今回感心したのが、彼女の芝居の弱さ。
 芝居力が低いという意味の弱さではなく、彼女の演じる女性に弱々しさを感じるということ。可憐さがあるということ。

 打ちひしがれるディアナ@綺咲ちゃんに、説得力がある!!

 本役さんだと、ちっとも弱く見えなくてなあ。
 なんの非もないのに不貞を疑われ、一方的に責められる可哀想な妻、のはずが、あんまし可哀想に見えないのな……。
 いやアンタ、そんだけ日常的に派手だと、貞淑な妻に見えにくいっちゅーか、同情しにくいっちゅーかね……てな感じ方をしてしまう。
 だけどキサキちゃんだと、ほんとに弱々しい小動物に見えて、一方的に責められると「可哀想!」と思える。

 つまり反対に言うと、カリスマアーティスト、ファム・ファタールには見えない、ってことでもある。
 ふつうに可憐で可愛い。しかし、絶世の美女でも天才でもない。
 いたいけなプリンセス。ねねちゃんのような「女王様!」オーラは今のところ感じない。……そりゃまあ、6年トップの座に君臨したらキサキちゃんも女王様タイプになってるかもだけど。現時点では。

 オットー@まおくんが弱かったので、これくらいこじんまりきれいな子がヒロインの方が、バランスはいいのかも。


 ロナルド@せおっちがいい感じに芝居してました。
 髪型のせいかメイクのせいか、はたまた役柄のせいか、やたらとタータンを思い出した。イケコの『失楽園』のタータンへと、わたしの脳の回路がつながるらしい。
 朴訥とした味わいが、最後の凶行につながる。

 カーティス@紫藤くんは、つるりとした印象。
 別になにが悪いわけではないと思うんだが……なんかこう、届くモノがないというか。つるりと指先をすり抜けて落ちていく。わたしには掴めない。
 もどかしさだけが残る。

 エマ@風ちゃん、ミラベル@美伶ちゃんは、安定の巧さ。ふつーに本公演レベルというか、本役でもおかしくない感じ。
 星組ってナニ気にそーゆー娘さんたちを抱えているような。いやその、トップが6年変わらないとそうなるってことだけかもしんないけど。
 ゼイタクだけど、観客としては眼福である。

 上級生役を演じてた子たちは総じて安定、うまかったし、若手役もよくやっていたなあ。
 パット役はなかなかどーして大役だと思うけど、違和感なく務めていたし、レイモンド役もよく喋り、動いていた印象。

 あ、そだ、オットーの子ども時代役の子、かわいかったー!
 それから、ハリーやった子の顔があちらこちらで目に付いた。記憶に残った。てゆーか、一瞬だけでも名前のある役をやってくれてよかった(笑)。でないと「あの顔」としかわからず、困ったわ……。
「中村Bのまっつのイメージって、赤なんだ」

 その昔、友人が言った。
 わたしはそんなこと、特に意識したことなかったんで、すごく意外だった。
 赤?
 まっつに、赤?
 なんだそりゃ。

 『宝塚巴里祭2009』のときだ。
 わたしにつきあって参加してくれた友人が、ニラニラしながら言ったんだ。

 当時のまっつは、花組の中堅。得意な役は、ヘタレ三枚目。下っ端。
 貫禄の色悪おじさまジオラモでは爆笑され、娘のお尻に敷かれたヒョンゴ先生は八の字眉のトホホ顔。美形だけど情けない、そこが味のある芸風。
 バウ主演も下級生に抜かされ、モバタカの「スター紹介」もスルーされた、「路線外」の芸達者。
 小さい・地味、という形容詞が枕詞。

 「赤」なんて花形色とは、対極にあるキャラクタ。

 だからこそ友人は言うわけだ。「中村Bのまっつのイメージって(笑)」と。
 ふつーなら思いもつかない、まっつにコレはナイわー、という色だからこそ、(笑)を付けて。ネタ扱いで。

 巴里祭でいろんな衣装を着ていたけれど、友人のセンサーには「赤」が引っかかったらしい。
「『ファントム』でも赤だったもんね」

 まっつお得意のヘタレ役。
 オペラ座の俳優リシャール。新公主演済みの研9だっつーに、一本物で台詞がふたつだけという扱いだった。
 今の雪組でいうと翔くんの学年とポジションですな。研9で5番手。翔くんと比べると、扱いの差も歴然。
 だけど何故か、赤を着ていた。

 まっつなのに、赤!!
 http://koalatta.blog48.fc2.com/blog-entry-200.html ←当時のブログ

 群舞センターのまっつ。しかも、ひとりだけチガウ衣装のまっつ。スター!!な、まっつ。
 なにもかもはじめてで、想像もしてなくて、うろたえまくった。

 エスカミリオ役ではなかったけれど、それならただの脇に回すことも出来たろうに、名もなき役だとしても、わざわざ華やかな赤の闘牛服を着せて、センターで踊らせてくれた。
 その、記憶。

 それはわたしにとっても強烈だったけれど、所詮まっつファンのわたしは「赤を着るまっつも素敵」となって納得という記憶の底に沈んだ。しかし「まっつに赤(笑)」と草を生やして眺めていた、ファン以外の人間には、「違和感」として残ったんだろう。
 『宝塚巴里祭2009』を見て、『ファントム』のときのことを思い出したらしい。

 言われるまで、忘れてたよ。
 中村B演出の『ファントム』で、まっつはよりにもよって赤を着ていた。
 それはたしかにそうだけど、やっぱり「まっつ=赤」はチガウんじゃね? もっとまっつっぽい色は他にあるだろ。
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 そんな他愛ない会話を、思い出した。

 『My Dream TAKARAZUKA』「第20場 フィナーレ5(紳士・淑女)」。
 他の男たちは直前の場面と同じ、黒燕尾のままだ。
 だけどまっつは、赤い燕尾服で登場した。

 2度目の銀橋ソロ。
 まさかここで、もう一度ソロがあるなんて思ってなかった。油断していた。
 しかも、わざわざ衣装替えまでして。
 しかも。

 しかも。

 赤で。

 「中村Bのまっつのイメージって、赤なんだ」

 泣けた。

 ナニがどうじゃない。
 ただ、蛇口ひねったみたいになった。
 ありがとうソングでドン引きして出かけた涙もひっこんだっつーのに、この赤燕尾ひとつで滝涙。

 そして、あとでわかったことだけど、この赤燕尾が、未涼亜希の、最後の衣装だった。

 このあとは、大階段パレードがあるだけだ。
 パレード衣装は、まっつ単体というよりも、「パレード衣装」だ。パッケージのうちというか、中身とは別の部分だ。

 ショーの中身、フリースペースの最後の最後に、中村Bはまっつに赤を着せた。
 べつに、着せる必要は特になかったのに。
 他の男の子たちと同じ黒燕尾のままでもよかったのに。他の色だってあったのに。
 赤。
 よりによって、赤。

 揺るがないな、中村B。

 しあわせな気持ちで劇場に通っていた、あのころを思い出したよ。
 わずかな間、群舞のセンターに立った、ひとりだけちょっと豪華な衣装を着せてもらった……そんなことに大喜びしていた。
 台詞がなくても、舞台の上にいる時間が短くても、ライトが当たらなくても、まっつを見ていた。
 それで、しあわせだった。

 そうか、赤か。
 まっつは、赤。
 花形色。センターの色。情熱の色。

 銀橋ソロをせわしなく歌ったあと、まっつはすぐにまた登場する。
 ちぎくんが銀橋にいる間、本舞台に組子たちみんな登場するんだ。
 そのセンターにまっつがいる。

 赤い燕尾を着て。
 黒燕尾の男たちのなか、ただひとり、特別な衣装を着て。

 最後の色が、赤。
 『My Dream TAKARAZUKA』こあらった目線のまっつまっつ、これでラスト。

 「第19場 フィナーレ4(黒燕尾)」は、息を詰めて見すぎているので、毎回死にそうだ。
 脳の末端神経がぷつんぶつん切れてんじゃね? 酸素足りなくてあちこち細胞死んでんじゃね?
 てな、寿命が縮む思いで見ている(笑)。

 動きのひとつひとつ、ポーズのひとつひとつが、とても「まっつ」だ。
 平澤せんせの振付は、正統派黒燕尾の振付ではなく、正統派がなんたるかをわかったうえではみ出した部分がある、と思う。
 まっつはその「黒燕尾」という様式美への、バランス感覚が秀逸。
 求められているモノがなんであれ、「黒燕尾」として最短の美しさを表現し、余韻部分で個性を出す。身に入っているからなにがあっても最短距離を理解し、プラスアルファを載せてくるんだ。

 まっつの立ち位置はずっと下手側。えりたんをセンターとして、その向かって左横。

 基本まっつのみオペラピン取りだけど、ときどきははずして全体を眺める。
 タカラヅカを、男役を、美しい生き物だと思う。
 それは、まっつを愛するのと同じベクトルで、そう思うんだ。
 だからその美しい、愛しい場にいるまっつを、眺める。


 あんまり根詰めて見すぎているため、黒燕尾が終わって娘役ちゃんたちが大階段を降りてくるところからは、息継ぎタイム。や、ピンクドレスの娘役が大量に流れるような優雅さで階段を降りてくる、あの場面は大好きなんだけど、心がうきゃーーっと沸き立つんだけど、それとは別に、き、休憩させて、でないと死ぬ(笑)。

 よーやく生き返るのが、黒燕尾男子たちによる「♪My Angel」。
 ここ、注意。すげー危険なので、マジ注意。
 美形揃いの雪組の、イケメン精鋭が銀橋に出て来る。しかも、みんながっつり客席釣りまくる。
 「俺を見ろよ」と訴えてくるイケメンたちに、ぼーっとなっているヒマはないっ。
 1回目の「アナタはMy Angel~~♪」を聴いたら、すぐさま左向け左!
 下手花道から、まっつ登場。ライトもまだないけど、けっこーすたすた歩いてるってばよ。

 銀橋まで来てはいピンライト、はい拍手。

 まさかの赤燕尾。
 あんな短い時間で、しっかり着替えてる!!
 てゆーかもうショー終わりだよね? 大階段出てきてからずいぶん経ってますよ? 男役黒燕尾があったんだから、あとはもうトップコンビのデュエットダンスで終了じゃないの??
 ってときに、まだまつださん出て来るんですよ!(笑)

「♪たとえ離れていても 君のことを思い続ける」

 ここの歌声は、ふつーにイイ声です。
 一時期、歌詞をとっても大切に包み込むように歌っていたときがあったんだけど、そのときですらここはふつーだった(笑)。

 せわしない歌声というか、走り去る忙しさの合間に、とにかく声を出しました的な。
 そんな短いソロだけど、それでもわざわざまっつに見せ場をくれた中村Bに感謝。

 まっつは下手から銀橋渡って上手花道へ走り去る。
 んで次はちぎくんの出番、彼も赤燕尾、まっつよりずっと豪華バージョン。
 ここでも注意、危険。ちぎくんにぼーっと見とれてちゃダメ、「アナタはMy Angel~~♪」とちぎくんが上手側から銀橋に出てきたら、そのまま目でちぎくん追っちゃダメよ!
 本舞台に、まっつが出て来る。上手袖から、他のみんなと一緒に。

 黒燕尾の男たちの中。まっつひとりが赤燕尾。
 ちぎくんは銀橋にいるから、まっつがゼロ番。
 ただひとりチガウ衣装を着て、舞台のゼロ番に立つまっつ。

 これが、最後の場面。
 大階段パレードは別カテゴリ、「ショー作品」としての中身の、最後の場面がこれ。トップコンビにとって最後の場面がデュエットダンスであるように、タカラジェンヌ未涼亜希の、最後に出演した場面が、これなんだ。
 「第20場 フィナーレ5(紳士・淑女)」。

 赤い燕尾服姿で、宝塚大劇場舞台のゼロ番に立つ、まっつ。


 そして次がほんとうの最後。
 大階段パレードの皮切り。
 エトワール。

 階段上にスタンバイする姿から、眺める。
 けっこうぎりぎりに現れるから、えりたんとあゆっちにちゃんと拍手は出来るよ。
 踊り終わったふたりにがっつり拍手、そのあとポーズを解いて挨拶する、そのときはごめん、意識は階段の上へ。

 階段上のスタンバイ、そしてタイミングを計ってシャンシャンの電気をつけて。
 小さな羽根を背負った、小さな身体が降りてくる。

 エトワールとしての、ソロは短め。
 もっともっと聴きたいけれど。
 この短いソロが、すごい厚みを持っていて。

 透明なのに、厚い。

 すうっと伸びて、劇場を満たす。

 オープニングのクリスタルヴォイスともチガウ、なんだかとても、まっつの「生の声」。
 いちばん出しやすい音、気持ちいい歌だと言っていた。無理のない、素直に美しい音。

 そのままのまっつが、世界を満たす。
 その大きさ。
 その力。

 歌い終わってお辞儀する、彼への拍手の大きさときたら。
 欲目ではなく、毎回すごいよね?

 そのまま上手袖へはけて、次の登場は、あゆっちのソロのとき。
 あゆっちが歌い出したら上手袖をチェックだ。翔くんと一緒に出て来るぞっと。

 定位置に着いてすぐに、えりたん登場。
 まっつは客席に横顔を見せて、トップスターを見つめる。
 ライトは消え、大階段中央に立つえりたんだけを照らしている。

 わたしは、まっつを見ている。

 もう何度、何十回、何百回、この横顔を見ただろう。
 トップスターを迎える、まっつの横顔。
 トップ以外は全員、こうしてライトの外側でトップを待つんだ。
 まっつ自身、それ以外の立場を夢見たことは、あったんだろうか。自分が最後に階段を降りてくる日を、夢見ることはあったんだろうか?
 最近とみに、そう思う。
 まっつの真の願いなんて、わたしにはわからないし、また、想像することすらしなかったなあと。

 ただひとつ言えることは。
 わたしは、まっつを見ている。
 ライトの中にいるトップスターではなく、暗い中横顔を見せてシャンシャンを振っているまっつを、見てきた。ずっと。
 ずっと。

 わたしにとって、舞台のセンターは、いつもまっつだった。


 パレードの衣装が、3番手仕様の総スパン衣装で、とても助かっている。
 や、単純に「スター仕様の総スパンうれしい! 背負い羽根うれしい!」ということもある。
 でもさ。それとは別に。

 パレードの衣装って高確率で、オープニングの衣装だったりするんだよね。
 ともみん以下は、オープニングの青い変わり燕尾だ。それに、肩から羽根ストールを掛けている。

 オープニング衣装でなくてよかった。

 あの、背中に翼のようなキラキラのついた、衣装でなくて。
 飛び立ってしまう。
 いなくなってしまう。わたしを、置き去りにして。
 そう泣いた、あの衣装。

 まっつの羽根は、翼じゃなくて、羽根。空は絶対飛べない、ヅカならではの丸い羽根。
 よかった。
 ……どうでもいいことだけど、よかった。

 まっつは、いなくなる。
 この美しい世界から、消えてしまう。
 その事実は変わらないけれど。

 いつか、翼だった名残のような、背中のキラキラは、見ないですんだよ。
 『一夢庵風流記 前田慶次』東宝公演千秋楽観劇。

 最後の最後で、雪丸様に気づいたこと。

 この人……狂ってる。

 そうかもう、狂ってたんだ。
 おそらく、先の野望が潰えたときに。加奈に顔を斬られたときに。
 自分はここまでだと。これが運命だと。

 人生を賭して切望し、裏切られた。忍びに生まれ主家の小姓となり……って、何年も何年も、人生の時間すべて懸けて抱いてきた野望ですよ。これが潰える、イコール=死ですよ。
 魂懸けて望んだ、挑んだ……しかし、叶わなかった。その痛みから、雪丸は狂った。

 その狂気の中で、「加奈は俺を殺さなかった」「加奈は俺を愛している」ということが、唯一の救いだった。

 身分という、己ではどうすることもできない壁の中、唯一超えられたのは、加奈の愛だ。
 武家娘が、卑しい身分の自分を愛した……それは雪丸の人生の、唯一にして最大の勝利であり、正解なんだ。
 だから、再び野心を持ったとき、加奈と、彼女につけられた傷が問題……いや、「答え」になっている……「なにを致すのかは、この傷が教えてくれよう」。

 表面上は、ふつうに生きている。忍びの頭領として、冷徹な策士として、家康のような天下人の器を持つ男とも渡り合っている。
 でも、誰も……ひょっとしたら、本人すら気づかないところで、すでに細かいヒビが走っていた。蜘蛛の巣のように。
 なにか大きな力が加われば、粉々に崩れ落ちる。
 そんな、破滅の予兆。

 すでに狂っているから、作戦は杜撰で意味不明。そして、うまくいかなくなったときは、みっともなく取り乱したんだな。

 加奈の愛が生きる意味……というか、狂った男をこの世にようやくつなぎ止めている糸なんだ。
 だから、彼女に突き放されると、怒る。
 「邪なそなたに騙された」と言う加奈に対し、本気の怒りが見える。加奈に嫌がられたり逃げられたりする、その都度瞳に怒りが見える。
 「それしか手立てがなかったのですよ」と己の宿命を語るときも、暗い怒りが熱を持つ。すぐにまた「悪役ぶった笑い」の奥に隠されるけれど。


 千秋楽の雪丸様は、狂気度がハンパなかった。
 それまでも、どんどんそっち系に際立っていたけれど、ラストアクトはその比ではなかった。
 あ、狂ってる。
 シンプルにそう思えるほど。

 偸組や又左衛門たちの前では、一定した「悪役」の顔を見せている。
 雪丸様の真実が垣間見えるのは、加奈との場面。いわゆる「セクシー立ち回り」と「Wラヴシーン」。
 それまでの「悪役」の仮面から、雪丸本人の素顔が見える。仮面を全部はずすのではなく、水面に光が揺れるように、ちらちらゆらゆらと見えて消える、のぞいて消える。
 その様が、壮絶だ。

 雪丸はあくまでも「いつもの顔」でいようとする。ことさら悪ぶった忍びの顔、目的のためには手段を選ばぬ「悪人」の顔。
 だが、そこから素顔が、本心が、垣間見える。本人の意図ではなく、無意識に、こぼれてしまう。
 相手が、加奈だから。

 己が宿命に対する怒り。「世界」に対する怒り。
 そして、雪丸にとって加奈は「世界」に等しい。
 家柄と育ちと現在の地位、品性と美貌。闇社会から遠く憧れるすべてのモノが、加奈に集約されていた。
 奥村家の娘を正式に伴侶として迎えることのできる男……てのが、すなわち「雪丸が望んだ表社会で生きる姿」だよね。
 地位も身分も財産も教養も、全部持ち合わせてなきゃ彼女には釣り合わない。

 加奈は、雪丸が求めた「世界」そのもの。
 だから加奈が雪丸を拒絶すると、怒りを露わにする。が、すぐに律して冷徹な顔で抱き寄せる。
 セクシー立ち回りからWラヴシーンは、雪丸の人生そのものだ。
 闇社会から這い出ようとあがく、光を求め焦がれる。「世界」と対峙し、勝利しようとする。

 雪丸の赤裸々な「人生」まんまの場面で。
 狂気の度合いがハンパなくて。
 「世界」に対し、ここまで狂ってしまっている……彼の生き様が、悲しくて。切なくて。

 そのくせ。

 「世界」を……加奈を見つめる瞳に、愛があって。
 狂っているのに、愛があって。

 や、いっそ愛がなければ、救われるのに?
 こんなになって、こんな姿になって、それでもまだ、愛してるの?

 最後の最後、加奈を抱きしめたあと、口づけする。
 その、最後の口づけのときに。

 加奈の左手が雪丸に縋るようにのばされる。雪丸の胸に。
 雪丸はその手を覆うように掴む。
 ……だけじゃない。
 雪丸の手は……加奈の手を握る。
 指を、ぎゅっと。
 加奈もまた、雪丸の指を握る。ぎゅっと。

 ふたりの指が、絡み合う。

 恋人同士の指。

 ただの色事なら、色仕掛けなら、その必要はない。
 今までの雪丸がやってきたように、顎に手を掛けて強引に口づける、縋ってくる手を掴む、それで済む。

 雪丸様、あれでどうしていろんなパターンがあってね、「キスしながらセリ下がり」「キスを手で隠したりしませんことよ」という、男役17年は伊達じゃねえぜ!ってな、見事なキスシーンでセリ下がっていくだけじゃなく、地味にいろいろやってるんだわ。
 お茶会前後あたりから、たまにこの「手を握る」バージョン披露してくれて、客席のまっつファンを即死させてくれてたんだよ、まつださん。手をぎゅっ、ですよ。優しく性急に、ですよ。
 篭絡目的ならそんなことする必要ないよね、それって加奈のこと愛してるってことじゃん! 口では悪ぶってても、ほんとは愛してるってことじゃん!! きゃ~~っ! まっつメイトと「あれいいよね! いいよね!」と大騒ぎ(笑)。
 それだけでも十分「きゃ~~っ!」だったのに。
 千秋楽前あたりから、「指ぎゅっ」をやり出した!!
 こ、これは……、はじめて見たとき、心臓止まるかと。ヲトメ心鷲掴みですよこの人殺し! けしからん!

 いつもやるわけじゃなくて、エロ勝ちしてるときは顎掴んで強引にキスしてたし、雪丸様の演技はそのときどきでいろいろ違っていたので、千秋楽がどうなるかなんて、まったくわかってなかった。
 そして、実際にはじまってみれば、狂気全開。痛々しいまでに、狂ってる。
 そうやって、もっとも狂っているときに。

 最後に、指ぎゅっ、ですよ。

 加奈が、雪丸に縋る。
 愛しい男を抱く手つき。
 その加奈の手を、雪丸の手がなぞる。口づけの激しさと裏腹に、ひどくやさしい動き。
 そして、求め合うように、互いの指が絡み合う。

 そう、探していたんだ。
 ふたりの指。
 愛する人を。
 愛する人と、結ばれるときを。

 だから、雪丸の指が加奈の指にたどり着いたとき、双方の指がきゅっと絡み合った。

 ようやく、逢えたね。

 愛し合うふたり。
 求め合っていたふたりが。
 ようやく。

 雪丸、狂ってるのに。
 それでも、愛してる。この愛だけは、ほんとう。


 いや、もう、マジで。
 なんか、すごい。
 すごいことになってる。

 今までずっと雪丸様に対して抱いていた不透明なモノ、疑問、そんなもんが、全部ぶっ飛んだ。
 すごい。

 すごい芝居になってる。
 まっつ。
 最後の最後に、なんてもんを出してくるんだ。

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