みやるりの知名度って、どんなもんだ?
 組ファンはもちろん知っているし、スカステ加入者なら「何年か前、スカフェしていた子」ぐらいの認識はある?
 最近の星新公を観ている人なら、「この間、れおんくんの役をやった子ね」くらいの記憶には残っている?

 でも、全組規模で見回して、まだ無名の域だと思うんだ、みやるり。

 ふつうのヅカファンが顔と名前と舞台姿を認識するには、新公主役やWS主演するくらいでないと、無理だと思うんだ。
 出版物やテレビにその人個人で出るラインが、そーゆー「主演」だと思うので。

 新公だのWSだのの2番手とか、毎年10人いるスカフェのひとり、じゃ駄目なんだ。
 「新進スター」として、組を超えて認知されるには。

 でも結局のところ、「名前」だけ知られたって本当の認知度には関係ないんだよな。
 ただの知識として「新公主演したらしい」ってだけ入ってきても、実感や納得には至らない。

 下級生が注目を集めるには、なんといっても「舞台」だ。
 タカラヅカはテレビや雑誌で楽しむものじゃない。あくまでも、ナマの舞台が命。

 限られた一部の人しか足を運ばない新公やバウではなく、大劇場で、本公演で、意味のある役を付ける。ただのにぎやかしで舞台に背景として立っているだけではなく、ストーリーに関係のある役をやらせる。

 そこではじめて、一般観客が、そのジェンヌを認識するんだ。あの芝居で、あの役をやった子、と。

 みやるりは今まで無名に近かったと思う。
 大劇場でストーリーに関係する、重要な役を演じたことなどない。

 それが今回の『太王四神記 Ver.II』で、はじめて大きな役を得た。

 スジニ役。
 原作のWヒロインの片方で、花組版では4番手男役が演じた。トップスター演じる主人公と(一方通行でも)恋愛する役だ。

 これだけ華々しい役を、無名の下級生に演じさせるって、どーゆーこと?

 花組では、4番手が演じたわけだよ。
 配役を見たときには、他はともかくスジニに関しては比重を下げるんだろうと思った。番手のあるスターが演じるまでもない役になるのだと。
 ところがどっこい。
 星組版でも、ぜんっぜん変わってないじゃん。そのまんまじゃん。
 星組版には神話部分がないので、花組でスジニを演じていたみわっちよりも星組のみやるりの方が出番は少ない。
 が、それは神話の「セオ」役がないということで、「スジニ」自体はそのまんまなんだよ。
 最後の階段降りだってそうだ。スジニ@みやるりは、4番手あたりの位置で、センター降りだし。

 花組版観たときからさ、「スジニって、貴重な男役人生何ヶ月も潰してやるほどの役ぢゃないじゃん」と握り拳だったんだけどさ。
 星組版観て、さらに演出家への疑問が強くなりましたよ。
 ちくしょー、やっぱり4番手がやるほどの役ぢゃないじゃん! 無名の下級生で十分の比重じゃん!! みわっちの男役期間を返せ~~!!
 ……みわっちのスジニが可愛かったこととは、別にね。

 まちがっているのは、花組のキャスティングなのかもしんないけど、まあともかく、スジニは4番手男役がやった役、なのは事実で。

 他組で「4番手」が演じた役を、星組では無名の新人が演じる。ドラマシティや全国ツアーなどの、組を半分にした公演じゃないよ、本気・全力投球の大劇場公演でだよ?

 ……これはふつう、抜擢である。ふつうなら。

 否応なく内外の注目を集める出来事である。
 ふつうに考えたら。

 なのに。


 劇団はどうやら、ふつうには、考えていないらしい。

 
 まず、本公演の配役を見たときは、テンション上がったよ。
 ふつーに「スジニ@みやるり」というのは、「抜擢」であり、劇団が「スター誕生」をプロデュースするつもりなのかと思って。

 ところが。

 新公の配役を見て、肩すかしを食った。
 みやるりは、カクダン役だった。本公演で娘役2番手で、新公で娘役の番手未満役って……。

 
 みやるりがどうこうじゃなく、単に外側から見ていて、「4番手男役」の役を「無名の新人」が演じるというのは、事件だ。抜擢だ。
 放っておいても注目が集まる。

 わたしが経営者なら、これを利用しないテはない。
 大金はたいて宣伝を打たなくても、たまたま街へやってきたテレビカメラがどーんと宣伝してくれたよーなもんだ。
 せっかく宣伝してくれるなら、たくさんの人の目に触れるなら、そこで大写しにしてもらうのは、「コレを売りたい!」という商品にするだろう。
 「コレをよろしく、コレがウチの店の自信作ですっ」と差し出すだろう。

 で、テレビ隊が帰ったあとは、いつその番組を見た客が来てもいいように、テレビで映してもらった商品を「『突撃**』で紹介されました」とかキャプション付けて店頭にわかりやすく並べるだろう。

 それがふつーじゃん?

 なのに。
 みやるりにスジニ役をやらせる(たまたまテレビのロケ隊がやってきた)のに、新公ではみやるりをプッシュしない(店頭から肝心の商品を下げてしまう)のは、どーゆーこと??

 せっかくタダで宣伝できたのに、何故売らない??

 えー、繰り返すが、「みやるりをプッシュしろ」という意味じゃない。してくれてもぜんぜんいいけど、今はそーゆー話じゃなくて。

 せっかく内外から注目を集める、スターを作りやすい機会が転がっているのに、それを無視する劇団の経営方針が、理解できない。

 
 みやるりでなくていい、誰か劇団が「売り出したい」と思っている無名の若手を、「他組の4番手がやった役」、「ドラマではWヒロイン」に抜擢する。
 そーやって「え、誰?」と興味を持たせ「でも女の子の役ぢゃ、男役としての魅力わかんないよなー」と思わせておいて、新公で「男役として抜擢」する。それこそ、準主役のホゲ役とか、悪役でありスタースキルの必要なプルキルとかをばーんとやらせる。

 もちろん、美しさかある程度の実力は必須だが、どちらかが及第点あれば、一気に「期待の新星」の誕生だ。
 劇団がそのスター性に期待していることが、ばばーんと全組レベルで浸透する。

 
 そーゆー役なのに。
 本公のスジニと、その子が新公でどの役をやるか、というのは。
 「宣伝」としてうってつけなのに。

 そんなごくあたりまえのこともやらない、劇団がわけわかんねえ。

 劇団がみやるりを売る気がないのは、新公配役でわかる。月組のみりおが、本公演で娘役でも、新公では男役なのを見ればわかるように、イチオシ若手くんが美貌ゆえに女役をさせられることがあっても、新公では絶対男役をさせるもの。金になるのは男役、劇団だって商売でやってるんだから、人気のある男役スターの宣伝ひとつでしか、女役はさせない。
 本公演で女役、新公でも女役って、男役としてのみやるりに期待してないってことですか、歌劇団様……。

 もったいない。
 「スジニ」という、「売れる機会」を無駄にしているのも、みやるりという、魅力ある若手男役をちゃんと売り出さないことも。

 劇団ってほんと、わけわかんないなあ。
 『太王四神記 Ver.II』において、ヒョンゴ役が組長さんであることは、予想がついていた。

 や、なにしろわたしはイタいまっつファンなので。
 花組版の『太王四神記』で、まっつが担っていた役割を果たせるのは、代替わりしたばかりの若いスターさんたちではないんだろうなと。

 花組版のヒョンゴに求められていた、「ナレーション」という技術。
 滑舌良く心地よく、センターの邪魔にならない、センターの音や音楽にかき消されない、明解な男役声で2場面にも渡る長台詞を歌を交えてこなせる人って、けっこー限られてくるよね?
 そりゃ脇にうまい人たちはいるだろうけれど、ヒョンゴはまったくの脇役でもなく、ある程度の露出もある、銀橋も渡る。スターか、それ寄りの人で、これだけの「仕事」をこなせる人って?
 
 番手がどうとか関係なく、純粋に「技術力」のみで考えると、組長さんか、すずみんか、という予想だった。
 役の比重や出番がどうなるかはわかんないにしろ。

「すずみんのヒョンゴを見てみたい(笑)」
 と言う友人たちは、彼の実力を買うと同時に「すずみんならもれなくお衣装が豪華になるから、無駄に豪華衣装のヒョンゴってのを見てみたい(笑)」という意味だったらしい。
 それはたしかに、見てみたかった気もする……。

 でもま、すずみさんは3番手さんなので、たぶん組長さんだろうなと。

 まっつヒョンゴは年齢不詳だったけれど、組長さんが演じるヒョンゴは疑問の余地無くおっさんで、たぶんこれが正しいんだろうな。
 が、しかし、ヒョンゴがナチュラルにおっさんだと、相棒のヒョンミョン@れんたとの関係性に混乱する……(笑)。
 まっつとだいもんでも苦しかったのにな。子役専門のれんたが、おっさん~老人専門の組長さんとタメ口の同世代役(へたすりゃ、れんたが年上)ってつーのは……。

 そこに絡むのが、顔はかわいいけど声と所作が「男」のスジニ@みやるりという、カオスっぷり。

 なんか愉快だなあ、こいつら……(笑)。

 台詞はあちこち修正されていて、ヒョンゴはインチキ占い師ではなくなっていた。

 ヒョンゴ中心の視界しか持っていなかったわたしには、星組版のポンファ通り場面は「はじめて見る場面」くらいの感覚(笑)。
 ええ、ヨン・ホゲ@かなめが登場して、トラジ@ももさりの店へ入っていくまでのやりとりを、じっくり見られた。

 つか、ホゲ様、軽っ。

 なんかイマドキな、ライトなイケメンにーちゃんだ……。わたしの脳裏には「サクラギ、大好き(はぁと)」な自称外科医、ナルミ先生が浮かんで消えてゆきました……。それでいいのかホゲ。や、いいんだろ、こーゆーのも。

 で、いちいち台詞が修正されているのが、カユい。
 ヒョンゴの持つ「玄武の神器」は、チュシンの王が憤ったときに反応する。と、なにかにつれ言っていたのに、花組ヒョンゴは、「これから女の子といちゃいちゃするぜ~~!」とご機嫌なホゲ様に神器をかざし、「反応しないなー」とやっていた……するわけないやん、憤ってへんやん!! と、観客が総ツッコミを入れたところが、ちゃんとフォローされている。

「反応しないなー」
「憤ってないからねー」
 みたいな会話が、ちゃんと入ってるんだわ。

 ……訂正するくらい、「変」だとわかったんだろ、イケコ。それならなんで最初から……ぶつぶつ。

 そして、サリャン@ともみんと、キハ@ねねちゃん登場。
 ……キハの登場ってほんとに地味だ、と愕然とする。また、ここのお衣装がもお……花組版とは変えてあるんだが、さらに地味になったよーな?

 にしても、サリャンが強そうだ。

 いくら白髪アタマでも、この体格で老人には間違えまい、というよーな。

 チュシンの王だと神託を受けたタムドク@れおんが何故かアホの子の振りをしているから、民衆たちが神託に疑問を持っている様子。
 この場合、信頼を失うのはタムドクではなく天地神堂のお告げや、神話のチュシンの王なわけで……国自体が揺らがないか? やっぱわけわかんねー作りだ(笑)。

 
 そして、舞台は王宮内、書庫でのタムドクとキハの出会いになる。

 花組版と決定的にチガウのは、ふたりが初対面ではないということ。
 運命の日に出会った、ということで、最初から強い印象と親近感を持っているらしい。
 まあ、互いに同世代の異性と接点がなさそうだから、特に運命を感じてしまうのかもしれない。
 年齢差も客が変に思わないよーに、ぼかされているし。

 ここのタムドクが、なかなかにイヤナヤツで。
 なんでこいつってば、こんなにえらそーなの? や、王子様だからえらいんだけど、ナチュラルに傲慢つーか上から目線でステキ。

 
 ヨン・ガリョ邸の宴席で、ちゃっかりプルキル@すずみんのお付きたちが舞っていたよーな気がするが、おぼえちがいかな。あのこわいおねーさんたち。

 4部族の族長たちもまた、ここで初登場ではなく、王の神託時に登場している。
 そしてここではちゃんと、5部族のうちチョルロ族はヨン家のお取り巻きではないことを説明している。
 細かいフォロー、細かい修正。

 大商人という触れ込みで登場するプルキルはこれでもかと派手派手で。いいなー、この作り込み様がステキ。

 ここでのポイントはなんといってもホゲの母、セーム@華美ゆうかちゃん。
 ヤン王@一樹さんの生まれに疑問があることは、やはり神託時に出ているんだけど、ここでも台詞に修正加わってるし、……イケコほんとに細かい。
 しかしソレなら最初からもっと……ゲフンゲフン。

 いやあ、タムドクが、冷徹でかっこいいねっ。 

 ほんとにれおんタムどんは冷酷で傲慢でいい感じ。情がないわけではなく、必要なときにそれに流されない強さを持っている。
 
 このタムドクに追いつめられるセームが可哀想に思えるくらい、容赦なくてステキ。

 セームはわりと抑え気味。初日だからそれでいいと思う。
 花組のホゲママはたしかに怪演だったけれど、どんどんやりすぎちゃって台詞は聞こえないわ、パフォーマンスの大きさに本人がのまれているわ……な感じはあったので。
 あまりマンガちっくにせず、常識の範囲内で乱れてくれるので、よかったなと。
 ……どーせ日が経つにつれ、エンジンかかっちゃうんでしょ?(笑)

 にしても華美ゆうかちゃん、うまくなったよねえ。あの出雲の阿国が……きゃんきゃんうるさすぎで耳に痛かった女の子が、こんないい女に、いい舞台人になって。ほろり。

 
 てことで、続く~~。
 なんかもー今さら過ぎるので、あとは駆け足で『太王四神記 Ver.II』感想流し書き。

 キハ@ねねちゃんの真紅ポスター衣装は、実のところあまり似合っていない気がした。つーか彩音ちゃんが似合いすぎだったのか。

 ホゲ@かなめくんに、まともによーやく拍手を出来るのは、彼の銀橋ソロまでおあずけだった。
 歌、やばっ。……と思ったのはナイショ(笑)。

 ところで「ホゲ」という名前は相当イカン名前なのだろうか、やっぱ。花組版でもキツイ音だと思っていたが、星組で姑息な改訂をされると「やっぱり……」と溜息をついてしまう。
 つまり、「ホゲ」ではなく「ヨン・ホゲ」になっているんだ。花組以上に。いつもひとりだけフルネーム。たとえ親子でもフルネーム呼び。つまりそれだけ「ホゲ」という音で呼ぶことがマイナスであると判断したようだ。
 だったら最初から、名前を変更すればよかったんだ……。姑息に変更したって、変なモノは変だよ。
 原作に敬意がないわけではなく、ただたんに日本語の音としてはおかしい、というだけのこと。他の音の名前に変えてもいいだろうに。
 韓国語に限らず、他国の言葉で、日本語だとマイナスな意味を持つ音のつらなりはあると思う。放送禁止用語と同じ音の名前でも、「原作に忠実に」使うとは思えない。そこは臨機応変だろうに。
 
 タルビ@せあらがパソン@コトコトの妹になっていた。出番は増えているし、いちいちかわいいし(ハァハァ)、チュムチ@ベニーと出会いから描かれている。すげえなヲイ。
 チュムチまでなまっていて、お笑い度アップ。そして2作連続バカップルなんだ、ベニーとせあら。……かわいいー。

 セドル@しーらん、すげー鼻息。あの目の輝きったら。

 タムドク@まとぶんは、タムタム。かわいこちゃん、タムタム。お子ちゃま、タムタム。
 しかしタムドク@れおんは、タムどん。もっさりでっかく、タムどん。おいどん、与作どん、とかと同義で使われているだろう、タムどん。
 ……アテ書きなんだね、イケコ……。

 武道会の審判の声が通らない……。固有名詞が聴き取れない……。
 がんがんアクションしているかなめくんにハラハラ。
 そしてタムどんはいつでも本気で強そうだ。

 タムどんははぢめてではない、と態度でわかるミョンヒョン山(笑)。でも、キハも不明だなこりゃ。

 カクダン@まりもVSサリャン@ともみん。
 カクダン、かっけー!!
 確実に花組版より激しい振付になっている(笑)。前作でカップルだったふたり、すばらしい呼吸で殺し合ってます。
 ……にしても、女近衛兵たちが小さくて弱そうでふつーにまるまるしたラインの女らしい子たちばかりでつまんない……。いや、そこにこそこだわりがあるのかな?

 1幕最後の盛り上がり、「アナタこそチュシンの王!」の台詞が弱い……。タムどんが強いからいいのか?

 
 さて、1幕でお亡くなりになった人たちは、2幕最初で「愉快なコムル村祭り」に登場。
 てゆーか、カジン@まりも、強そう。
 こわいよ女王様!(笑)

 祭りだからとーぜんなんだろうが、この神話解説な部分の音楽が、やたら陽気でびびる。

 ファヌン@海隼人くん、きれー。

 でもってみなさん、わかってますか、おぼえてますか。
 コムル村は、男ばかりの村です。
 つまり、カジンもセオも、男が演じているのです。
 祭りが近づくと、配役発表でモメるんだろーな。

「誰がセオをやるんだ? ヒロインだぜ? オレの子どもを産むんだから、ゴツいブスはやだよ」
「オマエがファヌン役だと決まってないだろ。セオはアレだな、村いちばんの美少年にやってもらわないとなっ」
「美少年コンテストするぞ。候補者は全員女装してパレードするんだ。ハァハァ」
「去年のセオは最悪だったからな、てゆーかなんでヒョンゴがセオ役だったんだよ」
「やりたいってゆーんだからしょーがないじゃん。でも安心しろ、村長になったからもうセオ役はない」
「そのために、ヒョンゴを村長にしたよーなもんだからな」

 ……あ。ヒョンゴが村長になった経緯が、こんなところで判明した……!(違います)

 カグン将軍@あまおっちは最近じじい役として認識されているのか?
 てゆーかわたしは、あまおっちの顔が好きだ。……これで声が良ければなぁ。惜しいよなぁ。なんで未だに男役の声じゃないんだ。
 チョロ様@真風は、やはりナルシストではなかった。あのナルっぷりはめおくんの専売特許。つか、がんばれ真風。いろいろと。

 今まで美城れんくんの芸の確かさに安心していたんだが、今回のチョク・ファン役では彼の芸風の「弱さ」に驚いた。てゆーか地味過ぎる……。声はすごくいいのに。
 イルス@どいちゃんもオイシイ役だと思うのに、弱い……。
 ホゲ軍の双璧が、ふたりそろって華がナイのがつらい。

 サリャンは生身の男っぽくて、ちょっとヤだ(笑)。彼が「キハを愛している」という事実は、リアルな感じがして、ちょっとアレだな。アレってのはつまり、うん、その、ちょっと……ときめくな(笑)。

 タムどんは、チュシンの王とコムルたちにひざまずかれているのに、「そんなことより自分の色恋が大事」などとほざいてヒョンゴ@組長やスジニ@みやるりを絶句させたりしない。
 タムどんチームのターン、ホゲチームのターン、と交互に同じ画面が続かないように、銀橋を使ってみたりする。
 タムどんはじめ、仲間たちはすでにタルビのことを知っているので、食事係としてタルビ同行に関しても台詞は調整済み。……当たり前のことだけど、なにしろ植爺という、「内容が変わっても台詞はそのまま使う」人間がいるので、その当たり前のことにも感動する。
 神話でファヌンを演じていないからか、神器を手放すときのタムドクの歌はなし。同じことを台詞で言う。
 あちこち微調整され、ぶっちゃけ改訂されて、観やすく良くなっている。

 そのアテ書きで改訂されているなかに、ホゲがヘタレというのも、含まれている。
 婚約発表会でキハにチューさせてもらえず、死ぬ間際に「オレは指一本触れていない」という、かなしい告白をする……。
 イケコ……(笑)。

 そーやっていろいろ良くなっている(テルホゲ改訂ぶりは良くなった認識・笑)のに、ラストはそのまま。

 ラスボス・プルキル@すずみんの最期も、多少マシになっているとはいえ、やっぱなし崩しだし、クレーン朱雀ちゃん登場も同じ。

 このラストは絶対なん……? ちっともオチてないオチってゆーか。
 ついでにこのクレーン、立見だとやっぱ顔が見えないんですが。見切れちゃうんだよー。

 
 フィナーレのかなめくんの、衣装がふつーだ。
 ゆーひくんは、ものすげー衣装だったんだが……アレはいったい……。
 そして、本編よりさらに歌、やばっ。……と思ったのはナイショ(笑)。

 「青龍」ですずみん活躍。他のみんなも活躍。
「出られるんじゃん……」
 と、星組初日まっつメイトは溜息をつきました。主語が無くてもわかるさ友よ。
 そのあとの「玄武」に出るから「青龍」には出られない、というのはナシだってことが、星組版でわかっちゃったからさー。出してもらえなかった人のファンとしては、溜息も出るわさ。

 それくらい、「青龍」ってかっこいいよね。

 かなめくんが出られないためか、「玄武」の振付が微妙。みんなが踊っていない時間が長く(本来はかなめくんが踊っているところ?)、れおんくんがひとりでくるくる回っていたりする、同じことの繰り返しが目に付いた。
 完璧版が観たいな。「玄武」はフィナーレ中もっともかっこいい場面なのに。

 にしても、花組版でゆーひくんが務めていたポジを、星組版でトップスターのれおんくんが務めているのを見ると、「まとぶんって……」と思ってしまう。
 
 パレードではスジニのセンター降りにびっくりしたさ。みやるり、男役5番手? それとも娘役2番手か。

 れおんくんの羽根の大きさ。それをモノともしない存在の大きさに、心から拍手を送る。
 
 
 とまあ、初日感想走り書き。いっぱい抜けてるけど、まあそれもまた思い出。『巴里祭』祭りに丸かぶりだったから、書くヒマなくてなー。
よりファンタジックに。@ME AND MY GIRL
 グッズスキーなので、とりあえずクマを買いました。
 や、その昔『あさきゆめみし』クマも買ったから。コレクション・ハートがうずいて(笑)。
 公演タイトルの入ったリボンをしている、というだけの、なんの変哲もない、テディ・べア。
 縫製はあまりよくなくて、顔がゆがんでいる。や、梅芸と梅田キャトレ両方探したけど、みんなそうなの。この子がいちばんマシだった……て、両方の店に、わざわざ行ったのか(笑)。
 わたしのご贔屓が出演していたら、きっとそのお衣装を作って、このクマに着せたことでしょう……2作続けて、我が贔屓は梅芸公演に出ていないが。

 プログラムは買わないくせに、こんなどーでもいいものは買ってしまう、ヲタクの性よ。

 
 花組『ME AND MY GIRL』初日に行ってきました。
 
 梅芸メインホールのロビーには、出演者たち手書きの七夕の短冊が展示されていて、壮くんの容赦のないエゴ爆発したお願いっぷりに感動したが、じつはいちばんウケたのが、みちるタンの「世界平和」だったりする(笑)。ひとり観劇だったので、誰にもナニも言えず、ひとりで短冊の前でじたばたしたわー。
 みんなふつーに文章で「~~でありますように」ってやってるなか、四文字熟語……しかも、「世」がでかすぎて、あとになるほど字が詰まって窮屈になっていっている、「計画性の無さ」がすばらしい。

 ん? なんでみちるタンが? 短冊が飾られているのは、『ME AND MY GIRL』組だけでなく、何故かバウホール『フィフティ・フィフティ』組も一緒だった。

 ……『宝塚巴里祭2009』組は、入れてもらえてません……「スープの冷めない距離」で開催されるのに。
 なんかすげーさみしいっす。

 
 短期間のウチに再演を繰り返される、謎の演目となった『ME AND MY GIRL』。ぜんぜんやらなかったり、やりまくったり、バランス悪いよなあ。
 音楽は録音だけど、大劇場より高額な座席料で剛毅に開演。

 
 いやあ、なによりも。 

 ジョン卿@壮一帆が、プリティ過ぎるっ。

 最初の「家つき弁護士」の歌で踊る姿のおかしな動きに、ノックアウト。なに、あのかわいいイキモノは……っ?!

 登場するどの男より長身でスタイル抜群のヒゲのおっさんは、その細長いカラダを使ってひょこひょこ踊るのよ。
 動きのひとつひとつがおかしくて、かわいくて、客席で身悶えた。

 あーもー、かわいいなあ、ジョン卿。こんなに愛らしいイキモノだったのか、ジョン卿。

 きりやんのジョン卿のイメージが色濃く残っているだけに、その別物っぷりにもウケた。
 きりやんのジョン卿はほんとに色男で、オッサンスキーなわたしとしては「サリー、ビルはやめてジョン卿にしなよ」とか思っちゃったくらいだが(笑)、えりたんジョン卿はそーゆー次元じゃない。サリーになって恋愛するよりは、虫かごに入れて生体を眺めたい感じ。

 なんかすごく、ファンタジー色の強いジョン卿だった。いい意味で嘘くさいというか、不思議な存在感があって。
 おとぎの国の人だから、彼の恋や友情を、素直に眺め、エールを送った。

 
 かわいいといえば、ジャスパー卿@ふみか。

 最初、このキャスティングは残念だった。ふみかなら、ヘザーセットが見たかったから。色男のふみかが見たいのに、おデブのじじい役なんて……と。

 でもでも、かわいいのっ。
 表情のひとつひとつが、すげーかわいい。仕草や動きもかわいい。

 癒し系なのか、ふみか……!

 あの邪気のない顔。なにか別の世界で生きているような、満たされた感覚。天使とか、ひなたぼっこしているもふもふの老デブ猫の風情。

 ジャスパー卿にときめく日が来ようとは……。

  
 で、わたし的にはけっこー気になる役であるところの、バターズビー卿。
 役として、気になるの。脇スキー的に、目を引く役なのよ(笑)。月組ではわたしの好みの顔である一色氏が演じていて、なにがどうじゃなく、顔を眺めていてたのしかった。ああ、あの枯れたなさけない感じの、でもいかにも貴族っぽいヘタレ男ぶりがいいのよー。

 その、脇スキーはぁとのうずく役が。

 ええっと。

 ものすげえ、キャラ立ってました。

 赤ら顔のおっさんがいる……!

 最初にわしゃっと出てきたときに、目を引きましたとも、そりゃあ。
 赤ら顔に眼鏡、ちょびヒゲと、まるでカトちゃんのよーな姿。酒瓶抱いて酔っぱらい風味。なさけない八の字眉とおちょぼぐち。

 ひとめでわかるよ、あ、マメだ。ええ、こんなことをするのは、マメしかいない。
 ただ問題は、彼がフレデリックだと、わからなかったこと。

 あまりにもくずしすぎた外見ゆえに、名も無き脇役なんだと思った。『明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴』の書生さんのときのように、モブだから好きに遊んでいるんだと思った。

 が。
 見ていればわかる。

 あれ、フレデリック・バターズビー卿だ。

 そーか、こう来たか。
 酒好きで妻に頭の上がらない貴族の彼。たしかに台詞だけ抜き出せば、こーゆー外観でもおかしくない。わたしは外部の『ME AND MY GIRL』を知らないし、たぶん一生観ることもないと思うが、外部でやるならこんなふーにやりそう? キャラ立てという点ではわかりやすくていいと思う。
 ただ、ヅカでこーゆーキャラを真正面からやってくるとは思わなくて。

 外見からして思い切り行き過ぎている上に、表情や動作もそれに合わせてとことんコミカル。
 うわー、ヘタにフレディ見ちゃったら、目が離せなくなる(笑)。

 『ME AND MY GIRL』はとにかく最初から名前のある役がぞろりと登場して大変だから、キャラ立てをよりわかりやすくするのは正しい。アニメやゲームのキャラ設定に必要なラインを、きちんと押さえているのが好感触。

 
 ジェラルド@みわっちは、やっぱ芝居うまいのかな。
 世間知らずのおぼっちゃまを演じても、嫌味がない。ヘタレキャラだけど、あくまでもそれはキャラであり、壊れていないんだ。

 いやその、あひくんがあまりに強烈だったんで、「アレは役のせいか? あの役をやったら、ああすることしかできないんだろうか?」と疑問に思っていたので。
 アレは、あひくんだからなんだ。と、答えが出てほっとした。

 考えなしだけど善良で、ほんとのとこ別に弱いわけではない。見える角度が違っているだけ、角度が変わればまたちがった姿が見えるだろう、と思わせる若い男の子。
 それが最後の、ジャッキーへのビンタになるんだろーな、と。

 
 主役たちの話はまた別欄で。

 しかしビル@まとぶんは……あれって、イイのか? 

 と、引きを作ってみる(笑)。
 もう劇団は、関西で『ラストディ』の中継をしてくれないのだろうか。

 宝塚歌劇団は、関西に拠点を置く95年の歴史を持つカンパニーだ。
 従って日本中でも特に関西人に認知度が高く、ファンの数が多いと思う。
 この認識は間違っているのだろうか。

 なのに何故か、トップスター退団最後の日の舞台中継を、関西ではほとんど行わない、ということになった。

 今までもそうならば「そーゆーもんなんだ」と思えるが、それまでは関西でも何カ所かの会場で中継をしていたのに、突然やらなくなった。

 日本の首都は東京だから、東京中心。
 自分の地元で中継がない、と文句を言うのはただの自己中発言。……かもしれないが、先に語った通り、そもそもタカラヅカが関西中心社会であり、また今までやっていたのだから、「あった」ものを「なくした」のはおかしい、という話。

 イベントの『百年への道』もそうだったが、これはまだ本拠地宝塚大劇場でのイベントだったので、関西での中継箇所が少なくても仕方ないかと思う。
 や、ぶっちゃけ特殊なイベントだから観客は全国から駆けつけているのであって、関西開催であることは理由にならないとわかっているが、百歩譲って言い訳にすることはできる。

 しかし、東京で開催している公演の中継を、東京でばかり何箇所も行い、関西が西宮の小さな映画館1個ってのはどうなのよ。

 トウコちゃんの『ラストディ』中継が西宮1軒だけだとわかったときは、唖然としたもの。
 や、信じてなかったの。どーせ途中で数が増えるに違いない。だってどう考えたって、足りないもの。トウコファンの数をナメてんのか、と。
 ワタさんだってコムちゃんだってオサ様だって、はるかにたくさんの会場でやったでしょう? トウコちゃんだって彼らクラスの動員はしちゃいますよ? と。

 ところがどっこい、会場の数は増えないままで。
 おかげで、そのたった1軒の中継チケットが、数万円するという事態に。
 中継なのに。本人いないのに。

 劇団になんの得があるんだろう。
 ファンを悲しませて、ダフ屋を儲けさせて。

 そして今回、タニちゃんの『ラストディ』でも、状況は改善されなかった。
 東京ではチケットが余り、掲示板に定価や割引で出回っているのに、関西のチケットはナシ。
 東京で余らせているくらいなら、そっちのハコを減らして、関西で増やせばいいのに。

 
 大人の事情が絡んでいるのはわかるが、こーゆーところにも劇団の誠意の無さが見えて、嫌だ。
 商売優先で、ファンなんかどーでもいい、という本心が透けて見える。

 中継はサービスでやっているのであって、「放っておいても客が入る」手持ちの東宝映画館でやりたくないんだろう、と思う。
 大阪にある東宝シネマは、場所がいいこともあって客入りがいいからな。映画館に来る客を捨ててまで、ヅカの中継に1日潰したくないんだろう。

 だから唯一、もともと客入りの悪い西宮のみを中継に利用する。絶対に損はしない、ヅカのためなんかに、という姿勢。

 オサ様以前の中継は、手持ち映画館ではなく、他の会場をレンタルしていた。
 他社物件より、手持ち物件の方が安く上がるから、今の方式に変更(オサ様はテストだったので両者併用、しかもドル箱映画館利用)した。

 と、勝手に思ってんだが、どうだろう。
 

 あくまでも商売のため、儲けがなくちゃヅカだってなくなっちゃうんだよ? というのは、わかる。
 経費を最低限に抑えた結果が、今の方式なんだろうさ。

 しかし。

 わたしは大阪人で、わたしの利害が絡んでいるので憤っているのだが(笑)、それを抜きにしてもおかしな話ではないか?
 片方に沢山中継劇場を作り余らせて、片方では1箇所しかなくてチケ難というのは。
 「商売」ならば、売れるところで売ればいいのに。何故、みすみす販売チャンスを自ら棒に振るのだろう。
 完売するのはわかっているのだから、損をしない価格を設定すれば済むことだ、1館だけの問題ではなく全国の経費を合わせて。

 それすらしない、ヅカファンのために努力なんかする気はない、という姿勢が見ていてつらい。
 サービスでやっているんだ、手間ばかりかかって儲けはほとんど無いんだ、文句言うならもう一切やめるぞ? な、上から目線ってゆーか。

 
 これから先も、関西ではトップスター退団の『ラストディ』中継は見られない、と考えるしかないのか。
 バウホールより席数が少ないという、小さなハコのチケットを奪い合うしかないのか。

 「ファンなら中継を見るために、東京まで行けば? もしくは定価以上出して関西の中継チケットを手に入れれば? それをしないってことは、大してファンでもないんだろ」……と言われれば、その通りなんだが。
 だけど、「そこまでしない人は、ファンではない」「そこまでしない人は、見なくていい」と、高みにいてやっていける時代と状態なんだろうか、歌劇団は。

 
 世の中は平等ではない。
 できることと、できないことがある。
 手に入るモノと、そうではないものがある。

 物理的、金銭的なことに留まらず、精神的なことにおいても。

 ようするに、それだけのことだ。

 わたしはタニちゃんやウメちゃんの『ラストディ』中継は見られなかった。
 ひょっとしたら今後も、いろんなトップスターさんの『ラストディ』を見られないのかもしれない。

 特別な努力や財力を注ぎ込む気がない程度の、ライトなファン、軽い「好き」になんか、なんの力もない。なんの意味もない。劇団がそう意思表示している。
 たとえ今までのトップスターさんの中継は、それくらいのライトな人間でも、見ることが出来たとしても。今後は、ありえない。

 世の中は平等ではないのだから。
 それだけのことだ。
 

 そして。

 「それだけのこと」と、どーでもよくなってしまう日が来るかもしれないことが、こわい。
 『アデュー・マルセイユ』のタイトルが発表になったのが、前年の12月。
 オサ様卒業がクリスマスイヴだったことを思うと、1年も前に発表になったんだよな。

 演目発表から退団発表まで、実に半年。
 いつ発表があるのかと、びくびくしまくっていた。『アデュー・マルセイユ』で退団するならこのあたりに発表があるだろう、という時期を過ぎてもなんの変化もなく、ディナーショーが開催されても発表がないもんで、「退団、なくなっちゃったの?」と思ったりもした。
 一縷の望みにすがりついていたなぁ。
 公演タイトルと、人事はなんの関係もありませんように、と。あのひとを失う日が、もっともっと先でありますように、と。
 祈るように、過ごしていた。

2009/07/06
月組トップスター・瀬奈じゅん 退団のお知らせ


月組トップスター・瀬奈じゅんが、2009年12月27日の東京宝塚劇場月組公演『ラスト プレイ』『Heat on Beat!』の千秋楽をもって退団することとなり、2009年7月7日に記者会見を行います。

なお、会見の模様は当ホームページでもお知らせ致します

 
 『ラスト プレイ』のタイトル名が発表になったときに、予感はあった。
 タイトルからして、そうなんだろうと。
 タカラヅカのお約束だから、説明の必要もないんだろうけれど、それにしても、この「予告制度」はつらいなあ。
 『アデュー・マルセイユ』というタイトルを突きつけられて、びくびく過ごした日々を思い出す。ヘビの生殺しだったよ、ほんと。あさこちゃんのファンも、いろいろ気を揉み続けただろうなあ。

 なんなんだろうね、この「お約束」っぷりと、発表の遅さって。

  
 発表になったあとは、残りのヅカ生活が、ファン生活が、豊かであれと願うばかり。
 またひとつ、時代が移り変わろうとしているんだなぁ。
 ビル@まとぶんって、イイの?

 花組『ME AND MY GIRL』初日観劇。
 他はともかく、主役のまとぶんに、疑問を持ちました。

 わたしは作品自体に思い入れがないので、「ビルはこうでなきゃならない」というこだわりはあまりないと思う。
 だから疑問だったのは、ビルとしてどうこうではないんだな。

 こだわりがないので、とても罪なく楽しんで観劇していた。
 が、幕が下りるときに思ったんだ。

 この主人公で、リピートするのはつらいな、と。

 1回見たら、おなかいっぱいになるな、と。

 初見ならたのしんいんだけど。
 リピート基本のタカラヅカとしては……こまった。

 たんにわたし個人の好みの問題。

 かっこいいまとぶんが見たかった。

 「男役」のまとぶんが見たかった。 

 幕が下りたときに、思ったんだ。
 今回、まとぶの「男役の声」をほとんど聴いていない、と。
 おちゃらけた甲高い声なら山ほど聞いたけど。

 わたしが見たかったのは「タカラヅカ」で、タカラヅカの男役の演じるビルという主人公だった。
 顔芸もおちゃらけもぜんぜんかまわない、それもアリだと思っているが、それとは別に、「男役」としてかっこいいまとぶんを見たかった。

 ふつーに喋ってくれ……。リナちゃんが得意なのはわかったから、甲高いオモシロ声ではなく、男役のまま愉快なことをやってくれ。

 『アデュー・マルセイユ』で「ソレ、やりすぎだから」と苦手だった、シモンの酔っぱらい演技とあの声がえんえん続く……。

 たしかに変な声で子どものように喋れば笑いは取れるけど、それで笑わせて、ソレでいいんだろうか。
 たしかに笑ったし、そんなまとぶんをかわいいとも思うけど……べつにソレは、わたしが見たいものでも好きなものでもない。

 まとぶんは好きだけど、わたしが苦手と感じる部分が全開になっているよーな気がして、ちょっと困ってしまった。
 もっとふつーに演じてくれればなあ……下町育ちの下品な若者ってのは、あんな表現方法しかないんだろうか。

 初日でコレ、というのも、なかなかにスリルを感じることだった。
 『アデュー・マルセイユ』のシモンだって、最初からあんなことになっていたわけじゃない。ムラ初日はふつうに酔っぱらいだったのに、どんどんエスカレートして「ソレ、別の人」ってくらい、やりすぎるようになっちゃったんだよ、まとぶん。
 『ME AND MY GIRL』のビルも、これからさらにやりすぎるのか……? 笑いを取りたくて、もっともっとおバカなことをやっておどけるんだろうか。ピエロになっていくんだろうか。
 それは想像すると、ちょっとこわかった。

 まとぶんにアドリブOKなコメディはやらせちゃ駄目だ……と、肩を落とした。
 一生懸命笑いを取ろうとして、一生懸命ドツボにはまっていく様を見るのは、あまりうれしいことじゃない。

 シリアスや悲劇をやりすぎてコブシが回ったり歌舞伎になったりするのはアリだと思うけど、男役から離れてしまうのはなぁ。
 なんかいろいろと残念だ、まとぶん。

 
 とまあ、ここまでオトしておいて、だ。
 それはそうとして、だ。

 ビル@まとぶんかわいい。

 ……どっちやねん! てとこだが、どっちのキモチも事実だ(笑)。

 見終わったあとに首を傾げたが(なにしろリピート基本で考えるから)、見ている最中はわくわくでたのしんでいたのよ。

 人柄の良さ、かわいらしさはもお、演技でどうこうの話じゃないよな。
 少々空回りしてるっぽいとこも含め、かわいくて仕方がない。

 
 かわいい主人公と、かわいいカノジョ。
 かわいい家族・親戚たち。

 しあわせな空気が、空間が、そこにある。

 
 サリー@彩音ちゃんもまた、かわいかった。
 最初のうちは彩音ちゃんっぽくない。
 表情の少ない彩音ちゃんが、なんかすげーたくさんの表情でサリーを演じているのが、たのしい。
 歌もうまくなった……よ、ね、本人比で(笑)。

 サリーは不思議な女の子だと、彩音ちゃんを見て思った。
 ビルとヘアフォード家の人々を中心にした視界の中で、彼女はとても異質だ。
 かわいい女の子でありながら、ところどころ、ちょっとイラっとさせる(笑)。
 でもそのイラっとする感じが、彼女に視界を合わせるきっかけになる。や、わたし的に。
 そこが、リアルに五感に訴えかけてくるんだろう。このよりファンタジックな物語で、彼女ひとり現実っぽくて。

 異質な彼女は、もっともファンタジーなジョン卿@壮くんの手を借りて、ファンタジーの住人になって戻ってくるわけだ。
 うーむ、すげー「正しい」結末。

 
 ジャッキー@まぁくんは、ふつーに女の子だった。
 若いっていいね、柔軟で。
 明らかにジェラルド@みわっちよりも、ビルよりも背が高いのもイイ。わたしはノミの夫婦が大好きだ(笑)。

 長身のイイ女が、小柄な好青年の腕に絡まって歩いている姿は、萌え。だってそれだけいい男ってことじゃん、彼氏が。「この男は身長なんかよりもっと素晴らしいモノがあり、それゆえに長身ゴージャス美女がめろめろになってるんだ」って言ってるよーなもん。
 
 ところでジャッキーって、マリアの娘なのね、今回。
 今までは「姪」だったと思うんだけど、見るたびに「姪って不自然、娘の方が関係性がはっきりするのに」と思っていたので、はれて「娘」として出てきて、すっきり気持ちいい。
 マリアが子持ちで、ジョン卿が独り者、の方がさらに萌えるんですが(笑)。

 
 マリア@京さんは、意外にOKだった。
 枯れている感じが、嫌味がないのかもしれない。変に肉厚だと、「年輩の女」のエグみが出てつらくなるけど、このマリアはかわいく年を取ったおばさん……おばーさんっぽくてイイ。
 でもって相手が壮くんなので、不思議なほど違和感がなかった。

 壮くんはつくづく稀なキャラクタだ。本人は美形にーちゃんなのに、ヒゲのおっさん役ならおっさん役で、おばーちゃん相手でもなんの違和感もなく恋愛してしまえる。
 現実味の無さが、境界線を取っ払ってしまうのな。

 
 わたしは『ME AND MY GIRL』という作品があまり得意でないので、いつだって1回観れば十分、なんでコレがそんなに大騒ぎされる名作なんだろう、と、役も少ないし古いし自組でやるのは勘弁、というスタンスなんだが。
 半分の人数で、自組でやるならたのしいのかも、と今回思った。

 たしかに役は少ないが、モブたちがもー、これでもかっとうるさくアピっているので、脇を見ていてもたのしかった。
 それは自分の贔屓組で、脇の下級生たちにも愛着があるためだ。

 パーチェスターがマヤさんで、配役発表時はしょんぼりしたが、見慣れたマヤさんだからこそ、パーちゃんはスルーして(ごめん、でも月組のときはパーちゃんに釘付けだったから)、その周囲の人たちを見ることも出来た。
 あー、モブの小芝居見るのもたのしーわ、こりゃ。

 それでもやっぱ、本公演は勘弁してほしいけど。銀橋のいらない芝居なんか、大劇場で上演しなくてイイっす(笑)。

 別ハコで上演する限り、罪なくたのしい。
夢のステッキが、振り下ろされて。@宝塚巴里祭2009
 チケットが、もぎられなかった!!

 『宝塚巴里祭2009』初日、グランドパレスにて。

 チケットが、もぎられなかった。提示するのみで良かった。

 素晴らしい。

 とゆーのもだ、グラパレの巴里祭チケットってば、ものごっつーステキなのだ。
 フルカラーのしっかりした紙質で、左側にシルクハットに指をかけてかっこつけてるまっつのバストアップがあり、さらにさらに、右端のもぎり部分には、三色旗カラーをバックに、ステッキを肩にかけておすましポーズをキメているまっつの全身写真が載っているのだ。あの、ポスターと同じ写真ね。

 なんつー愉快……素敵な、チケット。
 デザインした人はわかってるわー。どーやったらファンが爆笑……よろこぶか、わかってるわー。

 で、この素敵チケットの、切り取り線の向こう側にある、おすましまっつ全身像。切り取り線があるってことは、切り取られてしまうわけで。

 ……そんなの嫌だ。このトリコロールを背景にポーズきめきめなまっつが笑え……ステキなのに、それを切り取っちゃったら、せっかくのチケットの破壊力……すばらしいデザインが、損なわれるわ。

 とゆーことで、もぎり取られないよう、入口で係の人に頼み込むつもりでいたの。
 ついでに、もぎった半券を入れた箱の中を、のぞかせてもらおうと思っていた。だって、おすましまっつだけが切り取られて何百枚箱の中に入れられてるのよ? 何百枚の全身まっつよ? そんな愉快なもん、見なければ駄目でしょ。許可がもらえたら、記念に写真を撮りたいわ。

 そこまで思っていたのに。

 チケットは、もぎられることなく。
 素敵デザインのまま。

 きゃー、うれしー、このまんま持っていられるんだわ、記念にできるんだわ。
 と、浮かれて会場へ入ると。

 テーブルにはそれぞれ、プログラムが置いてあるわけなんだが。
 この、プログラム写真がもお。

 魔法のステッキを振る、白燕尾の妖精さん。

 こ、これはもお、見なければわからないよ、この破壊力は。
 グラパレでは客1組ずつホテルマンの案内付きで(タカホもHHIもそんなことありえない)、いちいち彼が「こちらでございます」、椅子を引いて坐らせたあと「こちらが本日のプログラムでございます」、「お飲物のメニューがこちらに」とか全部至れり尽くせり世話を焼いてくれるんだがっ、それが苦しかったよ、あたしゃテーブルにずらりとセッティングされた「魔女っ子まっつ@ステッキが光ってます」写真を見て吹き出さずにいるため、最大の自制心をかき集めていたんだもの。
 タカホぐらい放置プレイだったら、その場で吹き出していたわ。

 あーもー、たのしー。
 おもしろー。

 ステージの中央には、エッフェル塔のセット。ああ、巴里祭だなあと思う。飾りは白と水色とピンクで、とてもかわいらしい。
 ポップでキュートで白く明るいイメージ。

 なのに。

 まっつ主演の「宝塚巴里祭」は、背景セットのイメージとは、けっこー離れていたよーな気が、した(笑)。

 プログラムは、6部構成。
 第一章 オープニング、第二章 タンゴ、第三章 スパニッシュ~ラテン、第四章 宝塚巴里祭、第五章 ボレロ、第六章 フィナーレ。

 なんか、えらく情熱的な構成になってますけど……?

 クライマックスは、第五章のボレロ。なんせ、ここだけ1曲のみ。他の章は複数曲でもって構成されているのに、第五章のみ、1曲だけ。

 その1曲っつーのが、「黒い鷲」だった。

 まっつ。
 うおおおまっつ。
 よりによって、この曲ですか。
 「黒い鷲」といえばあーた、オサ様ですよ。
 『エンカレッジ・コンサート』でわざわざオサ様のDS曲を歌ったまっつ。わざわざDSと同じ振り付けで、自分がオサ様になったかのよーに、オサ様のパートを歌っていた。
 そんな彼が、はじめての主演作で、オサ様の歌を歌うって。クライマックス、もっとも力の入った演出部分で、わざわざこの曲って。

 オサ様へ届けまっつのバーニング・ラヴ。

 ……いや、別に、オサ様というか花組にとって大切な思い出の曲だから、クライマックスに使われていてもおかしくはないんだが、なにしろまっつなので、「ここで『黒い鷲』かよ、よりによって!」と、ウケました。

 すばらしかったです。

 研ぎ澄まされた歌声と、端正かつ情熱を込めたダンス。
 表現しよう、と、全身で訴えている。

 この人は今、歌で、ダンスで、身体能力すべてを使って、表現しているんだ。伝えようとしているんだ。や、オサ様への愛、ではなくて(笑)、歌のテーマを。
 
 たった1曲に、すべてをこめて。

 
 で。
 みんなでにこにこ「ラビアン・ローズ」を歌って終了、舞台から出演者たちは消えていく。
 が、客電はつかないし、バンドマンたちも帰らない。拍手が続き、ステージはまた明るくなる。お約束の「アンコール」曲だ。
 プログラムには載っていないので、最後までナニが来るかわからない「最後のお楽しみ」だ。

 まっつが豪華衣装に着替えて、ひとりで出てきた。

 歌は、「愛の讃歌」。

 これが……すごかった。

 アクションも芝居がかった振り付けもない。客いじりもしない。ただマイクを手に、歌う。

 朗々と。

 響きわたる、声。
 歌声だけの勝負。

 ……すげえ。
 すげえ、イイ声。

 歌うことだけに集中した、「歌手」の歌だった。

 
 この曲を最後に、ほんとーに全プログラム終了。
 全員ステージに登場してまっつが挨拶して全員でアタマ下げて、今度こそ終了。
 みんながハケたあと、鳴りやまない拍手に引っ張られてまっつだけ顔を出し、礼の言葉を並べ、「気を付けてお帰りください」という、「これでカテコも終了だからね」の合図となる言葉を言って、客電もついてみなさん解散。

 客席降りもたくさんあって、まっつがわたしの横を通ることもあった。目線ももらった。
 まっつはたくさん歌っていた。キザったりなんだり、いろいろいろいろ、やっていた。

 が。

 どーしたこったい、なんもおぼえてねえぇぇ。

 「黒い鷲」と「愛の讃歌」以外、なにもおぼえてないのよ、わたしの海馬ときたら。なんて値打ちのない。
 まっつが目線くれたの、どの曲だっけ? なに歌って、どんなことしてたっけ? どんな衣装着てたっけ? この曲歌ったの、誰だっけ?? あとからプログラム見ても、なんも思い出さない……。
 どんだけアホなん、わたし。

 なんか最初の方で盛大に一本釣りされて、そっからアタマがスパークして、ナニもわかんない……。
 

 ただ、まっつを見ていた。

 それだけだった。
そして、鷲は舞い降りた。@宝塚巴里祭2009
 ごめん、まっつ!

 『宝塚巴里祭2009』2回目。

 2回目の感想は、まずコレだ。

 ごめん、まっつごめん。
 ごめんなさい。

 わたし、まっつを見くびっていた。

 初日を見て、すげー良かったし楽しかったけれど、「うん、こんなもんよね、まっつだし」という思いがあった。
 手堅く巧いれけどそこまでっていうか、暗かったり地味だったりすることを覆すほどではないってゆーか。
 掌握できる空間もこれくらいだよね、とか。

 どんなもんでも、まっつが真ん中でがんがん歌ってくれる、それがうれしい、それだけでうれしい……と、思っていた。

 が。

 
 ちがった。

 
 初日と、別物。

 ナマって、タカラヅカって、人間って、すげえ。
 たった1日で、1回で、こんなに変わるの?!!

 
 昨日より更に、豊かに響き渡る、声。
 自然な笑顔。いたずらっぽい顔。キザりと溜め、客席いじり。

 トークも冴えわたり、どっかんどっかん笑わせる。

 だだ漏れな、エロ。

 エロっぽいですよこの人!! なにその流し目、仕草、アゴの角度。計算された指先まで、なにもかも。

 
 そして、圧巻は。

 「黒い鷲」。

 歌声もさることながら、ダンスすげえ。

 もともと踊れる人だとは思っていたけど、わたしの思い込みなんかぶっとばす勢いで、表現してくれた。

 鳥肌立つ感覚。

 このひとは、「表現者」なんだ。
 その躰で、これだけのことを表現してみせるんだ。

 決して大きくないカラダ。男役として不利な、小さくて華奢な身体から、朗々と低音を響かせ、空間を別次元に染め上げて踊る。

 わたしの好きな人は、こんな人だったのか。
 ここまで、できる人だったのか。

 ごめん、そんなこと考えたことなかった。
 その実力に安心はしていたけれど、同時に足りない部分もいろいろ目に付く人だったし。
 そーゆー部分も含めて、好きだったんだけど。

 あなどっていた。
 見くびっていた。

 あたし、こんなすごい人に惚れてたんだ。

 
 まっつがかっこよすぎて、背中がぞわぞわして、熱は上がるわ涙は出るわ貧血起こすわでもお大変(笑)。

 ぜえぜえ。カラダもたないわ、こんな精神状態。

 くわしくはまたのちほど。
 一寝入りしよう。


 あああ、まっつまっつまっつ。まっつ~~。(うなされ気味)
 誰かわたしに記憶を下さい。
 優秀な海馬を下さい。

 貧血起こすくらい集中して見ていたのに、何故ナニもおぼえていないんでしょう……ほろほろほろ。

 『宝塚巴里祭2009』、初日と翌日、2回観たのに。
 初日はほんっとにナニもおぼえてなくて、翌日ランチしたまっつメイトに「なんにもおぼえてないから、おしえて」と頼んだら、まっつメイトもまた「私もおぼえてません」と返して、いずこも同じ……と、ほっとしたが(笑)。
 そうよね、ファンならアタマがぶっとんじゃって、ソレどころちゃないわよねっ。

 んで、2回目は「なにかおぼえて帰るぞ」と気負っていたんだが……。
 結果は……。ううう。

 たぶん間違いまくっていると思うが、老後の楽しみのために書いているので、間違っているのもまた愉快、てことで、おぼえている限り記しておこう。

 えーとねえーとね。

 まず、オープニング。
 セット中央の、階段上にまっつ。
 シルエットでわかる、ちっちゃな……ゲフンゲフン、見間違えようのない後ろ姿。
 白燕尾に白シルクハット。
 振り返りで登場、ばばんと。

 うわ。
 なんか、スターっぽい。

 曲は「セシボン」。
 ポスターと同じ衣装で歌うまっつに、上手から男子たち一行、下手から女子一行が登場、コーラス入れて、そのまま1曲。

 若者たちがいなくなって、まっつひとりで2曲目。「シェルブールの雨傘」……日本語じゃなかった、たしか。

 あのー、いきなり暗いです、重いです、雰囲気。
 『巴里祭』って、こんななの……?

 んで、次は若者たちでかわいく「明日は月の上で」。まっつはいったんはける。

 いなくなったまっつは、白いふわふわショール?を片方の肩にかけてセンターから再登場。
 拍手拍手。

 んで曲が「For me formidable」だっけ?
 怒濤の客席降り。……だったと思う。たぶん。チガウ? 自信ない。

 初日はこの最初の客席降りで、うわわ、まっつ降りてキターー!! 下級生も全員キターー!! まっつ、わたしの席通り越して後ろ行ったー、お立ち台でなんかやってるー、あ、歌いながら戻ってきたー、また横を通ってくれ……る……、と思った瞬間、振り返って一本釣りされた。

 はい。
 初日はここで終了しました。
 こっから先、記憶がありません。

 たしか「~~アナタ♪」とかゆー歌詞で、そのまさに「アナタ」で手をさしのべられたと思うんだが。ちがったか? お、おぼえてない……。

 フリーズしてそのまま電源落ちました。リカバリーに時間食います、なにしろOS古すぎるんで。
 再起動が終わったのは、「黒い鷲」でした。……と言ったら、友人に「あと4曲で終わりじゃん」と突っ込まれた。うん。ほんとに、ラスト4曲しかまともにおぼえてなかった、初日(笑)。

 今まで、どんだけ最前列とかでまっつだけガン見してても、目線ひとつまともにもらった記憶がないので。
 いきなり至近距離での一本釣りは、致死量でした。はい。

 で、人を殺しておいて、罪な男はさっさと舞台に駆け戻り、プロローグのラスト曲「待ちましょう」あたりでよーやく、『巴里祭』の挨拶、メンバー紹介。
 バンド紹介は下級生に任せてまっつ退場。

 プロローグが終わり、次はタンゴ・パートへ。
 若者たちでは、もちろんめぐむが2番手位置。部分的なソロの割合も多い。
 彼らの仕事は、ヒロイン・ポジ@じゅりあ=2番手@めぐむ≧若手かわいこちゃんポジ@萌子≧若手男子コンビ@るな、がりん>若手女子@かぐらちゃん>下級生カルテットという感じ。

 「Black Coffee」は若者たちだっけ?
 とにかくまっつはこのあたりでお着替え中……のはず。
 曲が変わってステージに誰もいなくなり、ん?と思ったら案の定、会場の中央位置のドア前に気配。

 客席登場キターー!!

 なんか真っ赤ですよ、衣装。
 明るい赤ではなく、暗い赤のイメージ。スーツ自体はきれいな赤だったのかなあ。でもなんかダークな印象しか残ってない。中も真っ赤なブラウスに黒い模様付き。深々と被ったソフト帽。
 またも目の前通っていったけど、ブラウスの生地の厚みがすごかった。いいお衣装着せてもらってるのね……ほろり。

 曲は「ラスト・タンゴ・イン・パリ」でいいのか? なんか1曲ぐらいズレているよーな気もする。なにしろ素養がないため、どの曲がどれなんだかわかんない……。

 まっつが客席でエロエロに歌っている間、ステージには肩出しドレス姿のじゅりあちゃん。
 これまた大人のムードで色っぺえ。

 ステージに着いたまっつとじゅりあちゃんはタンゴを……えええ、これって、『La Esperanza』のタンゴ? よくわかんないけど、そんな感じ。

 まっつのかぶっていた帽子をじゅりあがかぶり、まっつがまたそれを取ってかぶり直し……と、とにかく濃密でエロっぽい場面。
 帽子をかぶり直したまっつが、人差し指でひさしをなぞる、その仕草がありがち過ぎで穿ち過ぎ狙い過ぎで「タカラヅカ」過ぎてピンポイントに笑いツボっぽかったりするんだが、それでもまっつステキ♪ と思ってしまうのは、もー、どーしよーもない。

 踊ったあとそのまま「奥様お手をどうぞ」になり、まっつが歌う。
 じゅりあがはけて、萌子が出てきたりと、まっつが色男やってます。うおお、まっつなのに、いろんな女の子とっかえひっかえ~~。

 んで、男子たちもよく見かける深紅衣装で登場。このあたりがたしか、スパニッシュ~ラテン。パート。
 なんかどんどん「小粋な巴里祭」から遠ざかっている気がする……(笑)。

 まっつ「ジザベル」。ここでジャケット脱いでたっけ? あの情熱的な黒赤ブラウス姿だったよーな。
 んでなんか最近、誰かさんの歌声で脳裏にインプットされているんだが……まっつ「ジザベル」もイイ。

 で、たしかまたお着替えのためにいなくなったよーな?
 若者たちがまっか衣装で歌い踊っていたよーな? うおお、このあたりマジでわかんねー。曲はプログラムによると「I Love Paris」「男と女」「サン・トワ・マミー」。

 まっつが黒い衣装だったような? あああ、ますます「巴里祭」ではないよーな。
 とにかく情熱的で暗くて重いですよ、中村せんせ。まっつだと、構成がこんなことになっちゃうんですか?(笑)

 まっつは黒髪で、「もう何年も黒髪まっつしか知らないから、『巴里祭』できっと茶髪や金髪のまっつと会えるわね、たのしみ(はぁと)」と思っていたのが、見事に裏切られました(笑)。
 まっつ、何年黒髪なん……。タカラジェンヌにあるまじき黒髪ING。

 でも、こんだけ赤だの黒だのと、重苦しい曲ばっかやってるんだったら、そりゃ髪は黒のままになるか……スパニッシュでラテンだもんよー(笑)。

 初日はなんかひたすらまっつが険しくまっつらしくキザっていた印象があるんだが(なにしろろくにおぼえていない)、翌日はいろんなところで笑ってました。
 いかにもな「ショーですから笑顔です」という笑顔ではなく、余裕の笑みというか、シリアスな顔の合間にふっとくだけて笑って見せたりして、破壊力高いっす。はぁはぁ。

 まあともかく、「サン・トワ・マミー」で、よーやくトーク・コーナー。

 続く~~。
 まっつの声が好きです。
 「アナタこそ、チュシンの王!!」の台詞でも、その美声っぷりに惚れ惚れしたけれど、ほんっとイイ声だと思う。

 それを再確認した、『宝塚巴里祭2009』

 歌は歌であり、台詞はなかったこのステージで。
 まっつが唯一、その美声を轟かせて言った台詞があります。

 それが。

「どけ、庶民ども!」

 いやあ、めちゃくちゃイイ声。うっとり。

 
 さて、プログラムも前半終了、ってことでトークタイム。
 「巴里祭」だからとにかくパリに絡めてなんか喋んなきゃ、ってことで、まっつがどーってことない、面白味のない話をしていたのが、初日。

 んじゃ出演者に「“パリ”と聞いてイメージするモノは?」と質問し、上手側にいる、めぐむたちにひとりずつ喋らせる。
 萌子たち女子は、食べ物の話しかしなかった……男子の方がロマンチストだ(笑)。

 上手側が終わって、次は下手側のじゅりあたちだな、と思ったら、まっつが上着を脱ぎ出して……次の曲へ。
 あれえ? 下手の子たちは? まっつ、忘れてる?

 と思ったんだが、翌日ちゃんと「昨日は上手の子に聞いたんで、今日は下手」と言ってから回答させていたんで、そーゆー仕切りらしい。
 たしかに、通常のDSはバックコーラス4~5人だもんな、せいぜい。10人に喋らせたら時間無くなるか。
 でも喋られなかった子の家族とかが、たまたまハズレた方の回を観ていたりしたら、せつないだろうなあ。

 2回目はまっつの喋りも堂に入ったモノで、まず最初の「2年前パリに行きました」という、初日と同じ話を、さらにふくらませて話してました。

 職業柄彼は、パリに行くと関連ソングを口ずさんでしまうそうです。
 「メロディメロディ♪」と歌ってみたり、「シャンゼリゼを~~♪」と歌ってみたり。や、ほんとに歌っちゃったんだって、パリで。
 で、実際話しながらその場で歌ってくれました、ワンフレーズ。『ファントム』なのは、客席にそのかが来ていたから? なつかしいね、オペラ座三兄弟。

 大真面目な顔してしれっと歌うまっつに場内爆笑。

 それでもまっつはしれっとしたまま、話を横のじゅりあに振る。

まっつ「パリというと?」
じゅりあ「やはり、『ベルサイユのばら』ですかね」

まっつ「この間、全国ツアーでやりましたね」(真顔で相槌)
じゅりあ「ええ、そのときに……全国ツアーの楽屋っていうのは、すごく狭いんです。狭い場所に衣装とか並べてみんなすごく大変な感じで着替えたり用意したりしているのに……ジェローデルっていう貴族が」(「ジェローデル」というときに、カッと目を見開く。こわいです)
まっつ「ジェローデルという貴族が」(ただの合いの手)
じゅりあ「ええ、ジェローデルという貴族がいるんですけどね、そのジェローデルという貴族がマントをひるがえして……」(だから、「ジェローデル」というときに、カッと目を見開く。こわいって)

 まっつは半笑いで聞いていたが、じゅりあがあんまり「ジェローデルという貴族」を意味ありげに連呼するもんで、あとを受けて、言った。

「どけ、庶民ども!(超美声)」

 マントをひるがえす動作付きで。

 場内、これ以上ない大爆笑。

 爆笑で音声かき消されがちの中、まっつが早口に言うには、よーするに全ツのジェローデル様は、ヒマだったらしい。
 ええそうね、出番、無さ過ぎだったもんね。
 せっかくジェローデル様の扮装しているのに、出番自体はほとんどないもんで、モチベーションを保つために楽屋でもジェローデルであろうとしていた……ということかな、好意的に解釈して(笑)。
 その結果が、平民たちを蹴散らす傲慢お貴族サマぶり。

じゅりあ「はっきり言って、迷惑でした(笑)」(はっきり)
まっつ「ごめんなさい(笑)」(アタマ下げ)

 てな感じで。

 台詞は嘘っぱちです、雰囲気だけ酌んでくれ。

 いやあ、じゅりあは良い仕事してます、マジで。
 お笑い担当、ツッコミ担当として、自覚を持ってトークに混ざってくれてます。じゅりあちゃんがいてくれて良かったっ。

 てな感じのトーク。
 東京で2回に分けて、「パリと言えば?」で上手・下手だったんで、さて大阪ではなにをテーマに話すのかな。
 まっつは4回とも「2年前にパリに行きました」と話すつもりなのかしら。
 や、この際、大阪でもジェローデル様やってくれてもいいけど、あの美声で傲慢ドS台詞を聴きたい(はぁと)、と心から思いますんで。

 トーク中にわざわざセットの説明をするのもデフォなのかしら。2回とも、セットのエッフェル塔やなんやかんやの説明してました。や、ほんとかわいいセットなの。
 ステージ内容に合っていないってだけで(笑)。

 セットはさわやかに、ポップでキュートなんだがなあ。かわいいんだがなあ。
 でも『宝塚巴里祭2009』自体は、ねっとり重苦しくて濃いぃ感じなんだが……。
 セットを発注したときのコンセプトと、ショーの出来上がりが、結果的に乖離しちゃったんだね。いやいや、Bせんせ、GJですよ、まっつだから軽くない方がいいっす。

 
 トーク終了時にまっつが上着を脱いで、後半戦スタート。宝塚巴里祭、とチャプター名のつけられた、シャンソン・メドレー。 
 まっつが「ミロール」を歌って退場、そっから先は他の子たちの見せ場。

 めぐむが黒燕尾でひとりで登場。おおお。歌うは「ブルージーンと革ジャンパー」、彼もまた歌声がかっこいい。
 次に萌子がひとりで「聞かせてよ愛の言葉を」。
 それぞれソロですよ、『エンカレッジコンサート』以来だよね、ふたりとも。ステージにひとりで立って歌う、って。あ、それをいうと、まっつもか。

 次が、るな、かぐらちゃん、がりんで「ろくでなし」。
 わたしにとってこの曲のスタンダードがしいちゃんなので……(笑)。あのノリノリのコブシ回ってます腰も回してますな、ステキしい様が焼き付いているので、かわいくさわやかに歌う彼らとのギャップに、それだけでウケてしまう。

 で、下級生4人で「パリ野郎」。

 わたし的に今回の『巴里祭』出演者で顔がわかっていなかったのが、男の子ががりんくん、女の子が花奈ちゃん。がりんくんはこの間の『太王四神記』新公で、観ているその間だけは顔を覚えた気でいたが、またわかんなくなっていたので、今回でおぼえた。
 わかんない子が男女1名ずつだったのが幸い、消去法で誰かわかりやすかった。

 和海くんはホレ、わたしの大好き正塚作品の『MONOLOGUE』で主役だったシオリくんだし、縦にも横にも大きな羽立くんもまた文化祭で一度見たら忘れない系の子だったし、仙名さんはもともと好きだし(笑)。
 この3人は歌ウマだとわかっているので安心……なんだが、研2の彼らまでソロパートがあってびびった。バックコーラスぢゃないんだ……いい演出だー。

 で、「メンバー全員順番に見せ場」の最後に、トリを飾る勢いで、じゅりあ登場。
 歌よりダンスの人、というイメージのあったじゅりあちゃんだが、今回はよく歌ってくれた。
 でも彼女の歌う「ラ・メール」は、じゅりあソロは短く、半分はコーラス付きナリ。

 メンバー全員のメドレーが、タイトルと同じ「宝塚巴里祭」というチャプター名っていうのは、ニクいと思う。
 みんなで作る作品なんだ。

 この場面の最後は、もちろんまっつだ。
 「夜霧のモンマルトル」……これまたものごっつイイ声で。

 続く。
 まっつが登場すると、途端雰囲気が変わる。
 下級生たち=明るくさわやかに、まっつ=重厚に、というコンセプトなのか。や、逆だったらいたたまれないので(笑)、これで十分ですが。

 「夜霧のモンマルトル」から、そのまま「黒い鷲」に移る。
 曲が変わると、まっつも変わる。
 重厚かつクラシカルだった「夜霧の~」から、「黒い鷲」スタートと共に、まっつになにかスイッチが入る。

 それまでは「歌」であり、「ディナーショー」だった気がする。
 そこから、別のところへシフトチェンジする。

 「黒い鷲」を歌いはじめたまっつが、どれほどこの曲を、ことばを、大切にしているかが伝わってきた。なにかやわらかい、はかないものを抱えているような。
 腕の中のはかないものを、あやすように揺らしながら歌っているというか。

 それは小さな灯火で、強い光の中では見えない。
 だけどたしかに、在る。

 歌声は力となり、はかない灯火は徐々に広がっていく。

 「歌」は歌であるに留まらず、そこに「物語」を紡ぎ出す。
 クリアに届く歌詞、「伝える」という基本を押さえた明瞭な声。

 まっつの歌はいつも「巧い」けれど、感情を伝えるのは苦手だと思う。彼の歌の巧さ、正しい音程やリズム、滑舌ほどに、情感や表現が届いていない感じ。
 それは一朝一夕でどうなるものでもないんだろう。
 この「黒い鷲」も、歌だけで感情を表現し切れていたかは、あやしい。

 だけどまっつは、表現しようとしていた。
 大切に大切に、歌……「作品」と向き合い、真っ向から挑んでいた。

 感情をのせるために、まっつはまっつのすべてを使っていたと思う。

 声、歌だけでなく、カラダすべて。持てるものすべて。

 だからこそ。
 歌からダンスに移ったときに、涙腺が決壊した。

 まっつは歌の人だとカテゴライズされがちだけれど、十分踊れる人だとも思っている。
 わたしはダンスの善し悪しがわかっていない人間なんで、説得力ナイっちゃーナイんだが。
 それでも、思った。
 めぐむとるなくんを両脇に、センターで踊るまっつを見て。

 この人は、タカラヅカだ。

 かなしいほど、思った。痛感した。
 この人は、「タカラヅカ」だ。
 95年続いてきた、この奇異な文化、長い年月とたくさんの人々の手を経て磨かれ淘汰され研ぎ澄まされてきた、その「型」を美しくプリミティヴに受け継いでいる。

 現代の「タカラヅカ」はすでに小柄な男役を必要としていないのかもしれないが、時代がどうあれ、「タカラヅカ」としての技術を体現してみせる小さな背中に、感動と、喜びと、切なさを感じた。

 この人は、「タカラヅカ」というファンタジーの、一面を具現しているひとりなんだ、と。
 いびつで、ある意味滑稽で、だけど美しくて魅力的な、他にない他のナニかでは代え難い、「タカラヅカの男役」というもの。

 だからこそ、こんなにこんなに、好きなんだ。

 受け継がれてきた美しさ。時代の変化に消されることなく、どんだけ奇異な世界であろうと、それを愛する人から人へ伝えられ、生き残ってきた。
 その、美しさだ。
 その、型だ。

 ひとの想いがつらなり、力となり、ここに至るんだ。

 それを感じた。
 踊るまっつを見て。

 まっつはまぎれもなく「タカラヅカ」で、泣けるほど「タカラヅカ」で、そして、「花組」だ。
 「タカラヅカ」の、「花組」の遺伝子を持ち、ここにいる。

 「黒い鷲」までは、「歌」であり、「ディナーショー」だった。
 だがこの曲で、「歌」でも「ディナーショー」でもなく、別のモノになった。

 「舞台」になった。

 「芝居」でも「ダンス」でもなく。
 それらすべてを内包する、表現する、「舞台」になった。「タカラヅカ」になった。

 確かめるように確実に踊り、舞い降りたまっつは、またひとり歌い出す。

 夢のように。

 歌声だけでは、足りないかもしれない。まっつは端正に歌うことは得意でも、饒舌に歌うことは苦手だ。でもたしかに今、まっつは表現した。「黒い鷲」という曲を。
 まっつの持つ、すべてで。

 
 『宝塚巴里祭2009』7月9日の「黒い鷲」は、とんでもなかった。
 鳥肌が立つ、血の気が引く……と、なんか悪い感じの表現になるが、そんな感覚を味わうのは、久しぶりだ。
 精神的な衝撃から、自分の身体が変化し、その変化にカラダが悲鳴を上げているのがわかる。体温が上昇し、足りない血を補うために心臓が早鐘を打つのがわかる。
 こりゃ貧血来るな、と思った。「作品」を見て貧血起こすのって、『アルバトロス、南へ』の青年館初日以来?

 
 『宝塚巴里祭2009』のクライマックスが終了、次はフィナーレになる。
 「Laissez-moi danser」は若者たちで、だよね? なんかもお、記憶が怪しすぎる。
 油断しているところで、後ろのお立ち台にまっつ登場、それまでを吹き飛ばすように明るくラストを飾る。

 プログラムにある最後の曲は「ラビアン・ローズ」。
 曲にのせて最後の挨拶したり、みんなでノリノリに終了。

 
 えーと、客席降りが何回かあり、そのたびにまっつは一本釣りしまくりで場内おおさわぎだったんだが、どこでどうだったかわかんねー。
 下級生たちもいっぱい降りてきてくれて、華やかで楽しかった。

 9日は、初日よりさらにうしろの席だったので、客席降りだろーと舞台だろーと、いつもまっつは遠く、お立ち台にいるときがいちばん近いかなってなロケーションだった。
 客席降りしているまっつを見るために、オペラグラスのぞくぐらいには、いつも遠かった(笑)。

 でも、落ち着く。
 まっつをオペラでガン見していると、「いつものわたし」って感じで(笑)。

 そーやって平静を取り戻そうとしていたのに、最後の最後、舞台に戻るためにわたしの横を走り抜けてくまっつとちらりと目が合って、またわたし的に「どっかん」なキモチになったしな。同じテーブルの友人たちに、目線もらって反応しまくっていたことを、初日に続いて指摘されるしな。あああ。

 
 プログラムにない、本当の最後の1曲「愛の讃歌」。
 寿美礼サマの豪華衣装(だよな?)に身を包み、熱唱するまっつ。よりによってこの衣装か(笑)。
 初日はこの曲がいちばん素晴らしかったが、翌日は「黒い鷲」がすごすぎてこちらはふつうに美しい良い歌声として聴いた。別に、歌声が劣っていたわけではないから、「黒い鷲」がえーらいこっちゃ、だっただけだよな。

 
 終わったあと、興奮さながらに立ち上がって拍手している人がいたが、他に誰も立たないのであわてて坐ってたり、これからも拍手が続きそうなのに、拍手が続けばスタンディングもなくはなさそうなのに、まっつがばっさりと「気を付けてお帰り下さい」と終わらせたりで、その余韻のぶった切り方に、かえってウケる。
 いやあ、容赦なくまっつ!って感じ(笑)。

 
 誰かわたしに記憶を下さい。
 優秀な海馬を下さい。

 留めたくてあがくのに、文字にしたい、残したいと切望するのに、まったく思うようにならない。
 うおお、まっつまっつまっつ。
もっともっとまっつ。@宝塚巴里祭2009
 プログラム写真が、東京と違ってました。

 『宝塚巴里祭2009』、ホテル阪急インターナショナル。

 チケットはショボく1色刷り。そして、テーブルまでの案内はナシ。「勝手に入って、勝手に席探して、勝手に坐りな」というステキなサービスぶりは健在。
 ディナーもスープなしだし。

 グランドパレスの方がいいなあ……いろんな面で。プログラム写真も、笑えるし。(そこ?!)

 
 これで3回目の参加。

 まっつの豹変ぶりが、愉快です。

 初日は険しく息詰まる感じだったのが、2回目は突き抜けてオーラ放出、そして今回の3回目は。

 慣れた?

 なんか、余裕っぽく、余力残した仕事っぷりです。
 安定した歌声、どこでどうすればどうなる、と理解した動き。

 ……なんでこの人、こんだけチガウのよ? てゆーか、たった3回目でこの空間、この仕事に慣れたのか。
 考えてみれば、プロなんだからいつまでも「一か八か」な感じではやってられないだろうけど、「真ん中」経験のない人がいきなりショーの主演やらされて、たった3回目で安定期に入るってどんだけ基礎力高いんだ。

 
 客席は『ME AND MY GIRL』組がぞろっと出席していて、めっさ華やかでした。
 わたしの席からではよく見えなかったけど、きっとまっつは仲間たちのそばに行ってキザりまくっていたにちがいない(笑)。
 東京でも、そのかちゃん相手に「まっつポーズ」キメたりして、アピってたもの。(*まっつポーズ……いろんなとこでやっている、指さしポーズのこと)

 トークは「2年前にパリに行きました」ではなく、子どものころはじめて見たタカラヅカのビデオが『TMP音楽祭/ラ・シャンソン』で、それがシャンソンだとは知らず、ひとり歌い踊っていた……という話でした。
 『ラ・シャンソン』って、87年か……。そんときまっついくつだっけ……と、つい今から逆算して考える。(ジェンヌはフェアリーです、年齢などありません)
 クールでアンニュイなお子様まっつが、シャンソンを歌い踊るところを想像してみる……が、ちびまる子ちゃんのカラダに今のまっつの顔を切り貼りしたものにしかならん。(あまりにシュールです)

 下級生トークは上手側。質問は同じく「パリと言えば」。……結局のとこ、あまり返答にも変化がなかったような?

 
 安定した仕事っぷりのまっつは、「黒い鷲」も安定して歌い踊り、最後の「愛の讃歌」の方が職人っぷりをより際立たせて良い出来になっていた気がしました。

 ……9日の「黒い鷲」は奇跡だったのか……? あの盛り上がりはなんだったんだろう? と、ちょっと首を傾げる。わたし的にもすっげー盛り上がり、取り乱しだったからなあ。
 わたしももう3回目だから、安定してきたのかな?

 つーことで、安心して、眺められました。

 まっつの姿、まっつの表情、まっつの指先、まっつの服のシワ。
 まっつまっつまっつ。
 ひたすらまっつ。

 ……幸福だ……。しみじみ。

 声と歌に聴き惚れ、うっかり目を閉じて味わいそうになり、「はっ、いかん、ナニをもったいないことをっ」と、刮目する。
 声があまりに心地いいので、視界を必要としなくなりそうに、なるんだわ。
 だめだめ、わたしはまっつのビジュアルも好きなのよ。こんなにまっつばっか見られることなんて、最初で最後……滅多にないんだから、堪能しなければ。

 最初の挨拶と最後の挨拶は3回とも一緒で、カーテンコールの回数も一緒、余韻をぶった切り「気を付けてお帰り下さい」で早々に終わらせてしまうのも一緒。
 なんつーか、ほんとに「無駄のない」人だなあ。

 明日で最後。

 どうしよう、終わっちゃうよ。
 こんなにこんなに幸せなのに、財布にはつらいが、心は豊かに幸福なのに、終わっちゃうよ。
 どうしようどうしよう。

 
 もっともっとまっつ。
 まっつまっつまっつ。

 
 ……それにしても、泣きそうにないよね、まっつ。
 あたしきっと、まっつを持ち上げることが出来ると思う。

 わたしは体格のわりに非力で、力仕事がろくにできないでくのぼーなんだが。
 それでも思った。
 
 このまっつなら、持ち上がりそうだ。

 客席降り中、間近で見るまっつはなんかすごく痩せていて、頬のラインとか確実に削げていて、腕とか腰とかすっげ細くって、ついでにまぁその、ちっこくってだ、わたしみたいな非力なおばさんでも持ち上げられそうだった。

 こんなに頬が削げるまで、お稽古していたんだなーと思う。
 頬骨が目立つくらい、がんばっていたんだなーと思う。

 小さな顔に、目がやたら大きくて、それが動いていて、びびる。や、生きてるんだから動いて当然なんだけど、間近にまっつの顔があって目が動いたらびびる。わたしを見る見ない以前にびびる。

 生きてるまっつにびびる。
 
 本物のまっつにびびる。

 あのー、知ってますか? 本物のまっつって、目ぇでかいんですよ。なんでかなあ、まっつって切れ長のイメージあるんだけど、素顔はマジで目ぇでかい。ちっちゃい顔にアンバランスなほどでかい。
 ちっちゃい顔にアンバランスなほど、鼻がでかいのと同じで。
 目と鼻のでかさが、なんか変。(ソコが好き・笑)

 『宝塚巴里祭2009』最終日。
 今まででいちばん後ろの席だった。でも、客席降りのまっつは、横で立ち止まって歌ってくれた。目線は、もらったよーなもらってないよーな。ま、それくらいの感じが、楽でいい。(まともに目が合ったら死ぬ)
 真横にいるけど、別の方向を見て歌っているまっつの顔を、しみじみ眺めた。

 お化粧は、すげー濃い。本気のヅカメイク。大劇場ぢゃないのに。ここまで描かなくてもいいのに。……てくらい、濃い。
 その濃いぃメイクの下に、動いているでっかい目があって、改めてその生々しさにびびる。

 なまままっつ体験。動揺しているのか、「ま」が1個多いけど訂正しない。大盛りなまっつっぽくていい。(意味不明)

  
 まっつの歌声は、さらにのびていた。

 2回目のときのよーな、なんか行き過ぎちゃった系のぶち切れたゆえの響く声ではなく、実力ゆえの技術ゆえの声だった。

 初日は険しく息詰まる感じだったのが、2回目は突き抜けてオーラ放出、そして3回目は慣れたのか安定していた。
 そして最後の4回目は、安定した上に、さらにのびやかだった。

 ちょっと待った。
 まっつって……まだ、のびしろあったのか。
 ごめん、ファンのくせに「まっつってこんなん」と決めつけていた。
 まっつの実力はこんなで、埋められる空間がこれくらいで、できないこととできることはこれとこれで……と、いつの間にか決めつけていた。

 この『巴里祭』にて、まっつははじめて「真ん中」を体験した。
 お勉強の場であり、お手本があって、お芝居である、新人公演とはわけがチガウ。ショーの真ん中だ。自分が座長として興行を行うんだ。
 通常、ディナーショーの主演をするスターは、そこにたどり着くまでにみんな済ませている。バウなどで自分が主演として興行を牽引すること、その責任を負うこと。また、本公演のショーで1場面センターで踊ったり歌ったり、銀橋をひとりで渡りきったりカーテン前でひとりで歌ったり、台詞があり別の役になる芝居ではない、ショーで自分というキャラで「真ん中」を務めるという経験を、済ませる。ロケットのどさくさセンターとかではなく、ひとりで空間を埋める。

 銀橋渡りきったことナイ、カーテン前すら任されたことナイ人が、なんでいきなり興行ひとつ主演打ってんだよ?

 ふつーのスターさんが段階踏んでひとつずつ経験すること、すっ飛ばしていきなりですよ。

 やったことナイ、見たことナイから、知らなかった。
 まっつが「真ん中」をやると、どうなるのか。
 学年と実力で、まあやるにはやるだろうと思っていたけれど、ぶっちゃけ「真ん中やりました」止まりかなと、思った。
 「真ん中やりました」からまさか、さらにのびてくるとは、思ってなかった。

 「真ん中」に立つことで素晴らしい華とオーラが開花し、ぴかーっと発光しはじめた……のではなく、や、残念ながらそっち方面ではなくて(笑)、歌の実力が、さらにのびた。
 手堅く失敗しない優等生ラインで留まるのではなく、まださらにうまくなるんだこれが。

 のびやかに、深く、心地よく。

 歌声が、ぎゅ~~んっ、と、届く。

 まだ、のびしろあったのか。いつも聴くあたりで限界なのかと思ってた。
 「場」を与えられたら、まだのびるんだ?
 今回はじめて与えられて。真ん中を、自分ひとりでステージを支配することを、1曲ひとりきりで歌いきることを、経験して。
 のびるんだ。
 じゃあじゃあ、これからさらになにか、今までにない場や立場が与えられたら、さらに変わるの? 知らないまっつを見せてくれるの?

 すごいな。
 なんかもお、すごいよ。

 
 トークは本日が7月14日、まさに「巴里祭」の日であることを語って、まっつ個人タイム終了、下手側の下級生たちの「パリについて」の話は、前と同じ。

 ただじゅりあがまた「ジェローデルという貴族」の話をしたので、まっつの美声傲慢台詞とマントさばきを再度堪能できました。
 ジェローデルのコスプレしているときは(コスプレ言うな)、言動までジェローデルっぽくなっているのに、ジェローデルのカツラを取るといきなり「すみません、すみません」という、小心な市民モードに変わる……という小ネタが追加された(笑)。

 あとのトークは台本通り、そつなく読み上げる(笑)。

 カーテンコールは2回。
 千秋楽でも、2回。初日からずっと同じ。
 アンコール曲「愛の讃歌」を歌い終わったあと、再登場して下級生たちを呼び、みんなはけたあと下手からひとりちょろっと出てきて「気を付けてお帰り下さい」で終了。頑なに、2回だけ。
 さすがに千秋楽の今日は、2回目のカテコで下手からひとりちょろっと、ではなく、ステージ中央まで行き、出演者全員で頭を下げた。……が、それで終わり。袖にはけしなに「気を付けてお帰り下さい」と言って終了。
 千秋楽でも、この素っ気なさ?!
 ふつー楽ってのは、何度もカテコするもんなんぢゃあ……?(笑) や、何回もでなくていいから、せめて通常よりは1回くらいは多く……。

 あー……ほんとにまっつだ……とことんまっつだ……(笑)。

 まだのびしろが? 知らないまっつが?
 と、芸の上では思わせてくれるのに、まっつ個人の部分では、予想通りすぎるまっつが、そこに。

 きっとものすごくものすごくがんばって、ちっちゃな顔がさらにちっちゃく、ニクが削げるほど努力して、素晴らしい歌声聴かせて、回数重ねるごとに進化して、深化して、なのにカテコは容赦なく「2回(ヅカ的お約束の最低回数)で終了」して。
 過剰な感情も演出もすっぱり拒否って。
 クールに、端正に。しれっと。
 

 ええ。
 泣きませんともさ彼、ぜんっぜん(笑)。予想通り。
 先週の水曜日から昨日までの7日間で、わたしが観た公演。

・『宝塚巴里祭2009』(東京)×2
・『ME AND MY GIRL』(梅芸)
・『フィフティ・フィフティ』(バウ)
・『宝塚巴里祭2009』(大阪)×2

 公演だけで7日間に6本か……。ちなみに、東京大阪間は、バスで移動、片道9時間、往復18時間。

 で、その観劇だの移動だの宿泊だのの右往左往な7日間の合間合間に人と会う約束だの、エスコートする相手の仕切りだのでえんえんメールしたり電話したりしていて、ええっと。
 ついでに越リュウ様コンサートのチケ取り電話もして。あんなにあんなにがんばったのに、取れなくてがっくり落ち込んで。うわああん、リュウ様~~。

 なんかすげー忙しかった気がする……時間がほとんどなかった気がする……。

 友人諸姉、たくさんの皆様方に大変お世話になりました。
 わたし自身めっさ舞い上がっていたので、いろいろ不備やらご迷惑やら、あったと思います。寛大に、なまあたたかく、受け入れていただき、ほんとーに感謝しています。
 ありがとうございました。

 
 スカステで『宝塚巴里祭2009』のニュース映像を見ながら、改めて「すげえことだったんだなあ」と思いました。

 だってさー、たった数分のダイジェスト映像で、まっつがえんえん歌ってるんだもん。曲が次々変わって、えんえんまっつ。なまじ短い枠なだけに、そこにぎゅっと凝縮されてまっつがばんばん映っているのが、違和感。
 バウ主演すらしたことない、大劇場公演のニュース映像でも出番をアップで抜いてもらえなかったりするランクの人がさー、えんえんえんえんひとりで歌ってるんだよー。あああありえねー。

 で、毎年スカステ・ニュースで「4回」放送された『宝塚巴里祭』関連ニュースは、やっぱり今年はたったの「2回」で、制作発表なしでした。
 おかげで、『巴里祭』開催しても、スポーツ新聞にすら記事がなかった。毎年小さくても開催の記事は載っていたのに。
 日本国内であちこち開催される全国的イベントの「巴里祭」、それを宝塚歌劇団が自分とこの名前を冠したイベントとして行う、から新聞社が取り上げるわけで。制作発表もない、ただのDS扱いぢゃ、マスコミにもスルーされるわなー。

 まっつだからこんな扱いしかしてもらえないのか、単に今年から宣伝打つのをやめたのかわかんないけど。
 宣伝してもらってなくても、『巴里祭』は盛況だったからいいんだ。会場は人でいっぱいだったし、わたしを含めてみんな「思ったより大きな会場で、しかもたくさん人がいる」って驚いてたし。(みんなまっつをあなどりすぎだ……わたしも含めて・笑)

 正直なんでまっつにこんな機会が回ってきたのかわかんない。
 今の劇団に通例が意味無くなっているのはわかっているつもりだが、よくまっつにやらせたよなー。そしてまっつ、よくやったよなー。

 昨日の客席には、めおくん、みつるくんたちバウ組がぞろりとやって来てくれました。めおみつ、同期だけど別のテーブルだった? まっつがそれぞれの横に行って、それぞれアピールしているようだった。みつるくんが、立ちあがらんばかりの勢いでノリノリで反応している様が、遠くわたしの席からでも見えた。

 4回の公演で、OG含めて素顔のジェンヌさんをいろいろ見かけることが出来て、たのしかったしうれしかった。
 そんなかでもっとも派手派手だったのが、せんどーさんだ。
 彼女を知らない人たちも、「アレ誰?」と話題にするくらい、派手派手に、いかにも「私は芸能人よ」という感じに着飾っていた。……すげーせんどーさんらしい(笑)。変わってないんだなー。

 
 なんか全力疾走で1000m持久走駆け抜けてしまったよーな疲労感があります。
 ちょっと休もう……カラダがもたん。よぼよぼ。

 体力よりナニより、気力かなあ。
 気力さえあれば、あとはなんとでもできるもんな。(で、あとで倒れたりするから、カラダの無理は利かなくなっているが、それでも倒れるまで走れるのは、まず気力あってのこと)

 
 で、祭りが終わった今の思案事は。
 まっつ巴里祭ポスターをどこに貼るか、です。

 今まで貼ってあったいろんなポスター、カレンダーはすべて、猛獣猫トコに落とされまくりましたから。
 掲示物、展示・装飾物は全部、鋭利な爪のついた前足で叩き落とすのが彼女のポリシー。なにもない壁を忍者のように特撮のように走り上がるイキモノですから。
 額に入れたって同じです、額ごと床に落下させられるだけ。それで祖父母の遺影、猫の遺影もフローリングに叩き落とされ、ヒビ入ったりしましたから。

 どこに貼れば、あのビーストの攻撃から守られるだろうか……ううむ、悩む……。

 コレが目下の悩み事って、どんだけ平和なん。
 いまだに現実に戻って来れてナイっす。
 毎日毎日アタマの中でまっつの歌声がエンドレス。

 つーことで、どーしよーもない話をしよう。

 もしもわたしがお金持ちだったら、お金の力で「まっつCD」を発売するっ。
 ヅカの前例とかルールとか「そもそも、まっつでそんなもん出しても売れねー」とか関係なく、札束で全部黙らせて、わたしのためだけに発売するっ。

 歌のCDは当たり前ですよ?
 古今東西のヅカ有名ソングで1枚、ジャケットはヅカメイクのいかにもなまっつ。
 古今東西の有名ミュージカル曲だけで1枚、ジャケットは素顔の男役なまっつ。
 それと、ヅカもミューも関係なく、「お友だち(一般人)に聴かれても平気」な、ふつーの曲、古今東西ジャズでもポップスでもなんでもありな1枚、ジャケットはきれーなおねーさんテイストな素顔まっつ。

 全部新録音でヨロシク。まっつ大変。

 
 それだけじゃないですよ?

 まっつ台詞集CDですよ、真骨頂はっ。

 古今東西のヅカ有名作品の有名台詞を、まっつが語っちゃうCDですよ。
 「千の誓いが欲しいか…」も、「金貨で150ドル!」も、アリですよ。まっつ本人にセレクトさせるとオサ様主演作オンパレードになりそーだが、それもまたヨシ!
 他ははずしても、とりあえず、「おはよう、お寝坊さん」は入れてもらわなきゃな!(笑)

 CD封入のブックレットには部分的な脚本集付きで、まっつの台詞に合わせて自分でも台詞を言うことができるよーになっている。
 つまり、アンドレ@まっつに愛を告白されるオスカル@わたしもアリってことで!(痛い。痛すぎる)

 で、ボーナストラックには、ヅカとは無関係なミニ台詞集。
 「執事とお嬢様」「教師と女生徒」「上司と部下OL」などのシチュエーションの数行の台詞よ。聴いている人が、まっつに語りかけられている感じに聞こえるよーに。
 なんならわたし、脚本書きますわよ?

  
 はー。
 痛さ全開の妄想っぷりですわねー。
 もしもわたしが大金持ちで、大金積み上げてまっつに「これやって」と企画渡したら、すっげー嫌がられそう(笑)。

 こんなCDがあったら、部屋でひとりこっそり聴いて、恥ずかしさに転げ回ってるわねー。
 
 まっつの「声」がすごく好き。
 その「好きなモノ」を、特化させて考えてみた(笑)。

 
 でもねでもね、わたしが好きなのは声だけぢゃナイですよ。
 まっつのヴィジュアルも、すげー好きです。

 まっつ写真集が欲しいさ。

 ヅカの前例とかルールとか「そもそも、まっつでそんなもん出しても売れねー」とか関係なく、札束で全部黙らせて、わたしのためだけに発売するっ。

 ただてきとーにそのへんで、きれーな服着ててきとーに撮りました、ぢゃないのよ? 本気の写真集よ?
 バラエティに1ページずつ別の衣装、別の雰囲気で、クールだったりかわいこちゃんだったりするよーなヤツではなくて、全部まるっと「ひとつの物語」になった写真集にする。

 ひとり芝居だと構図に限界があるので、もうひとり出演願って、クールかつハードな世界観で映画でも撮るよーな感じで、ひとつの物語を綴る。
 マフィアものとか、刑事物とか。
 スーツで拳銃持つ系ね。

 共演者は、そのかくんヨロシク。や、単にわたしが好きだからだ(笑)。

 まっつ写真集の共演、ではなく、同じコンセプトでそのかも写真集出すの。
 ひとつのセット、ひとつの物語、ひとつの企画と予算(笑)で、ふたり分撮るのよ、まぁステキ。

 夜の港とか、廃ビルでロケしたりね。豪華っぽい部屋が必要なときは、やはり阪急系列のホテルを借りるのかしら。

 ひとつの場面も、まっつサイドのショットと、そのかサイドのショットと2パターン撮る。
 それぞれの写真集に、まったく同じ写真も何割か載せ、同じ写真だけどアングルが違うモノを何割か載せ、さらにシングル・ショットも何割か載せる。
 ひとつの物語を、ふたりの男の視点で追う。
 片方だけでも物語として完結しているけれど、両方読むことでより深く味わうことが出来る作り。
 表紙も2冊並べると1枚写真になるとか、仕掛けをして(笑)。

 日本語の台詞があるとウザいので、必要最低限のストーリーとシチュエーションのガイドとなる文章を、日本語以外の言葉で要所要所に挿入。文字もデザインの一部となるよーに。あくまでも、映画っぽく。
 や、ありきたりでいいのよ、ひとつのヤマをコンビで追っていたはずのふたり、片方に秘密(別の顔)があり、裏切りと決別・対立、葛藤・決闘……そして、終焉。写真を見るだけで背景を想像できるような、筋書き自体はシンプルなもの。
 わかりやすいものだからこそ、演じている男たちの表現力で、いくらでもふくらませることができる。

 さーらーに、マルチ・エンディング(笑)。
 たとえば、まっつ本ではラストが悲劇(そのかの腕の中でまっつが息絶えていたり?)、そのか本ではハッピーエンド(ふたりで仲良く肩組んで笑ってたり?)とか。

 別売り基本だけど、両方買うしかないっ。……みたいな?

 写真集と言いつつ、ちゃんとした書籍コードを取るよーなモノではなく、姑息に雑誌扱いでパソブみたいな作りにして。うん、B5・24ページくらいのぺらい本なの(笑)。
 や、いっそ自費出版扱いでもいいんだけどな。取次に出す予定ナシ、キャトレや会のみで販売前提とか。(どんどんスケールが小さくなっている……)

 撮影予算はチープにひとり分なのに、出す本は2冊、そしてどっちのファンも両方買うしかない、というアコギな商法。
 しかも、2冊セット販売だと、オマケの「メイキングDVD」が付いてきて、価格は別々で買うより高いという、どこまでもアコギな商売。
 本編がクールでハードな世界なので、かわいい笑顔やおちゃめな表情、NG集とかは、メイキングDVDでしか見られないっ、もーどんなに高くてもセット販売で買うしかないっ!!

 ……と、妄想し出すとキリがない。
 商売方法まで含めて(笑)。
 や、わたし脚本書きますよ? 「どっかで見たよーな、チープなハードボイルドもの」を、その「どっかで見た」感をとびきり満載に!! ソレこそが狙い!

 男役も10年を過ぎれば、素顔でも十分「男」として演技できると思うし。
 まっつもそのかもそれだけのアクターだと思うし。

 あー、見たいなー。素顔のハードボイルド写真集。

 わたしがお金持ちだったら、札束で劇団の横っ面ひっぱたいて、まっつグッズ作らせるのに(笑)。

 イタさ全開、まっつまっつまっつ。
 『宝塚巴里祭2009』の構成が良かったのかどうか、わたしにはわかりません。
 びんぼー人なので通常ディナーショーなんてものはまったく縁がないし、スカステですら過去に『巴里祭』番組をまともに見たのは、去年のともちんのときのみです。(これでもともちんスキー、他は映像ですら見ていない)

 ともちん巴里祭映像を見たときは、まさか自分の身に降りかかってくるとは思ってないのでぼーっと流し見しちゃったし。(わたしの身には関係ありませんってば)

 過去の巴里祭と比べてどうこうとか、スタンダードと比べてどうこうとか、まったく語ることができません。なにしろ初体験。
 巴里祭的にどうこうではなく、ただのまっつファンとして言うと。

 なんつっても、サムいお笑い場面がなくてよかったっ!!

 あとから映像で「作品」として客観的に楽しむ場合、お笑い場面は困るんですよ。笑えないことが多くて。
 本公演などと違って、客席とステージが近く、客席降りも頻繁にある……ディナーショーならではのお遊び、というか、コント。
 寸劇だったり、トークだったり、いろいろあるけど。
 そーゆーお笑い場面はその場のノリが大切。出演者と客が双方向性たり得る、DS会場のみで成り立つ空気感。

 そーゆーコントは、あとからテレビで見てもそれほど楽しくない、んだよなー、わたし的には。

 もちろん、「あとからテレビで見る」ことを考えて、演出の幅を狭めるのは、本末転倒だ。映像よりもまず、ナマのステージで、客席と対話することを考えるべきだ。
 と、わかっちゃいるけど、ナマは1回限りで終わっちゃって、録画したテレビ放送は何十回何百回リピートするとわかっているだけに、「1回だけ楽しい」演出よりは、そのあと何十回何百回楽しめる演出の方が、ほっとする。

 や、まっつ人生に何度もDS主演があるなら、1回くらいはコントやってくれてもいいかもしれんが、今のところ先はわかんなくて唯一無二かもしんないんだから、歌とダンスだけ直球勝負! でいいっす。ありがたいっす。
 あとからスカステ放送を何百回リピートさせてもらいますから。

 とゆーことで、歌だけ正味ぱんぱんに詰まっていて、トークすらほとんどなかったのが、うれしい。

 そして、「黒と赤と情熱の世界」だったのも、うれしい。
 パステルピンクやペパーミントグリーンの世界でなくてよかった。かわいくてさわやかできらきらでなくてよかった。

 ねっとり重くて暗くて、「どこが巴里祭?!」でよかった。

 途中から「これってフラメンコ?」なダンスになったり、「何故タンゴ?」だったり、「ここでボレロかよ!」だったりするのが、すごくツボ(笑)。
 ヨーロッパはひとつってことで、いいじゃんいいじゃん、「巴里」であるより、「まっつに似合うモノ」で。

 うん。
 実は、『巴里祭』ポスターを見て考えてたんだ。

 あのやたらめったら、かわいくさわやかなポスター。
 あのポスターは、ポスターとして、イイ。アリだと思う。

 が。

 あのポスターまんまな世界を、見たいだろうか? まっつで?

 う、うーん……。
 てゆーかそもそもまっつって、「パリ」ってイメージかぁ?

 いやその、まっつがどうであれ、これは「巴里祭」で「パリ」なのは前提なんだから仕方ないけど。けど、そもそもまっつがパリとかショースターな人ぢゃ……ゲフンゲフン。

 トリコロールのかわいいポスター、そして、ポスターのイメージを引き継いだかわいいセット。
 たぶんふつーに「巴里祭」というんで、どんな公演になるか内容が決まる前に、一般的イメージで発注したんだろうなと思えるものたち。

 それを裏切る、重く暗いパッショネイトなステージ(笑)。

 「巴里祭」というイメージよりも、主演者の個性を尊重した作りに、主演者ファンとしては感動しました(笑)。
 だからもお、構成がどうとかわかんない。「よかった! 中村B、GJ!」としか。

 んで、衣装がやたらとクラシカルだったのもGJ。

 えー、まつださんは白燕尾と黒燕尾、両方着ています。
 そして、この両方で、シルクハットかぶってます。

 山高帽ですよ。クラシカルですよ。さらにステッキまで持っていたりしますよ。

 某ゆみこファンの証言によると、ゆみこちゃんは『巴里祭』主演時に、べつに山高帽はかぶってなかったそーです。『巴里祭』=山高帽、ではないそうです。

 なのに、まっつは山高帽。しかも、2回も(笑)。

 ヅカでは燕尾は燕尾で独立していて、べつにシルクハットまでかぶる必要ないじゃないですか。なのにわざわざかぶって登場させるだけでも「へええ」てなもんだが、それが2回、色まで変えて出てくるともお。

 まっつには、クラシックなモノが似合う。と、わかってやってるってことですよね??

 中村Bせんせ、握手しましょー、握手!!(相手に嫌がられますって)
 同感です、納得です、まっつまっつです!

 ただ、「中村Bのまっつのイメージって、赤なんだ」と、前述の某ゆみこファンが言ってたのは、どうかと思いますが。
 そーいや『ファントム』でまっつ、赤を着ていたっけ……まっつなのに赤……と、絶句した思い出が……。
 ああでも、あの赤いマタドール服のまっつ、かっこよかったなあ。

 て、中村Bはナニ気にまっつの魅力を引き出すのが得意??

 ここんとこ中村B株は落ちるままだったのが、ここでぎゅーんと跳ね上がりました。や、単純ですから!

 
 もっとも。
 これで数ヶ月後のスカステ放送が「著作権の都合により」カットだらけだったりしたら、株は暴落すると思いますが。

 頼むよ中村B、そしてスカステ!!

 
 あ、『宝塚巴里祭2009』ポスターは、友人のアドバイスに従って、天井に貼りました。
 ベッドの上です。
 朝起きるとまずまっつが見えます。

 ……じつはもう何年も前からトド様(素顔)ポスターが貼ってあったんだが……トド様をはがして、かわりにまっつを貼った。
 このトド様、何年前のものだろう……紙がごわごわになってる……。そしてまっつも、一度貼ったが最後、何年も貼り続けることになる、とこの古い古いトド様ポスターが物語っている……。
 えー、いい加減、まっつ以外の『宝塚巴里祭2009』出演者の話をしよう。

 『巴里祭』だから、ふつーのDSより出演者は多い。個人DSではなく、あくまでも劇団の、組の公演というスタンスなんだろう。

 ここ数年の出演者をチェックしたところ、いわゆる「路線」や「別格スター」の候補生などがひとりもいない布陣っつーのは、今回だけみたいだ。
 ともちん、れおん、あひくんと過去3年の『巴里祭』では、それぞれ「新公かWS」で主演した・するだろうメンバーが含まれていた。

 まっつに合わせたら、今回のメンバーになったんだろうか……? なんかやたら渋いですよ(笑)。

 新公やWSで主演したとゆーよーなメンバーではないため、他組ファンには無名かもしんないけど、個性的なキャリアを積みつつある中堅と、歌が得意な下級生たちと、実力本位な頼もしい面々だ。

 
 ヒロイン+2番手の役どころをがっつりこなしたのは、じゅりあちゃん。
 ……めぐむが2番手かと思ってたんだけど、フタを開けてみればじゅりあ大活躍。

 わたしがじゅりあちゃんを最初に認識したのが『TAKARAZUKA舞夢』のかわいこちゃんだったし、次に瞠目したのが『エンター・ザ・レビュー』のコロンビーヌちゃんだったりで、キュートな美少女だと思ってたんだよ、ずっと。
 それがオサコン『I got music』のアドリブでセシリィ@『Ernest in Love』のモノマネをするオサ様を、アルジのよーに後ろから持ち上げる姿を見て以来、「なんか、イメージとチガウかも?」と思うよーになった。
 男たちがなにもできないでいるのに、ひとり前へ出てアドリブでなんかできるって、すげえ。男役やってしまえるってすげえ。

 と、ゆってるうちにそのかWSでスケ番を演じたり、どんどん怪演するよーになり、今ではマメ、さあやと並んで花組のイロモ……いやその、個性派として知られるよーになった。

 ダンサー枠の人で、ぶっちゃけ歌はええっと……な人だったはずなんだが、きれいな声で歌っていた。

 わー、「ザ・娘役」の歌だ。
 きれいに、高くすーっと響く声。
 ちょっとアヤしい部分があっても、その娘役として堂の入ったドレスの着こなし、あでやかさで文句を言わせない(笑)。

 じゅりあちゃんは押し出しの良さのある女役。いわゆるヒロイン系の華ではないけれど、脇に埋没しない強さがある。
 その強さ、しなやかさで、まっつと真っ向勝負をしてくれた。

 よりそってない(笑)。
 だから恋人同士を演じていても、甘さよりも緊迫感がある。

 甘甘な恋愛まっつが見られるかと思ったんだけど、そうはならなかったなー(笑)。ナニあの挑む感じ。どちらも引かない感じ。

 すごく、良かった(笑)。

 かっこいいカップルを見せてくれた。
 こーゆー男と女もアリだろう。

 それにじゅりあちゃん、やせたよねえ? まっつより縦にも横にも大きいイメージだったんだが(ヲイ)、まっつと踊っても体格的に違和感がなかった。

 じゅりあが「高そうないい女」でいてくれるからこそ、まっつがさらにいい男に見えた。

 トークでも、じゅりあがいてくれて良かったっす……心から思うっす……。
 まっつは真面目に台詞喋ってるし、下級生たちは(めぐむを含めて)遠慮の固まりだし、もーどしよーか、つーときに、じゅりあがぽーんとかき混ぜてくれる。

 ありがとう、じゅりあ。
 じゅりあがいてくれて良かったっ。

 そーいやわたしがじゅりあを注目するようになった、そして、実はまっつオチした運命の作品『I got music』って、まっつオケ団員が、じゅりあオケ団員に気のある設定だったね……。まっつは神経質な男で、じゅりあはお色気むんむん女で。まっつは椅子の位置とかに細かくこだわりまくってるくせに、じゅりあが現れると無表情のまま彼女に反応するという……。
 そうか、あのときのカップル(?)再びなのか。

 
 じゅりあと共に2番手を務めた……というか、2.5番手かな、とゆーのがめぐむ。
 歌える人だからなんの心配もない(笑)。心配したのは、むしろ歌以外。

 主役と2番手男ってのは、必ず男同士で1回は絡むわけで、残念ながらまっつとめぐむでは萌えないなと思っていた(笑)。体格的にめぐむ×まっつの方が収まりはいいだろうけど、めぐむにまっつ相手の攻ができるわけないじゃん、まっつ×めぐむぢゃ見た目が苦しいわ、とか、そんな理由で(笑)。

 お約束通り、まっつとめぐむが絡む……というか、ふたりでシンクロして踊る場面があったけれど、案の定、萌えなかった(笑)。

 てゆーか、まっつも悪い。まっつ、絶対めぐむのこと相手にしてねえ(笑)。や、共演者としてジェンヌとしての話ではなく、腐った意味で。
 まっつにその気があれば、「男ふたりのダンスで花組的サービスするぜ」な意識があれば、あそこまで無機質にはならないはずだ。
 まっつはなんのサービス精神もなく、ふつーに、踊ってました。
 そしてめぐむは、そんな余裕もあるはずもなく、必死に踊ってました。

 こーゆー場面で主演の上級生相手に後ろからエロムード出せる男に育てば、花組の未来も安泰なんだけどな、扇くん。
 その恵まれた体格、大らかなキャラクタに、色気を備えれば鬼に金棒っすよ。がんばれー(笑)。

 トークは研2生と同じくらい、あんまし喋らない……。
 学年的に、もう少しはじけちゃってもいいのになー。あんま喋らない人なんでしょーか。
 オチのある話もしない印象。……て、すべての話題にオチを求めるのはわたしが大阪人だから?(万が一オチのない話を長々してしまったら、「オチもなくてごめん」ってゆーよね? 日常会話で)
 歌やダンスの真面目さと同じ。イメージ通りっちゃーイメージ通りだ。張り切って笑いを取りにいけるよーになれば、ダンスとかにも色が加わるだろうか。キャラの持ちようだもんな、こーゆーとこ。

 そんな彼が後半、シンプルな黒燕尾でひとり登場し、歌い出すときはそのかっこよさにどきっとする。
 まっつの縮尺を見慣れた目に、その長身がどんだけ新鮮に映るか(笑)。
 テクニック的なことはわかんないんだけど、ソロの中で声をアハンって感じに揺らして歌うとこが好き。

 
 てな調子で、続くー。

 『宝塚巴里祭2009』出演者たちの感想。

 
 萌子が存分にかわいこちゃんだ。

 花組歴が少ないわたしは、下級生に疎く、出会いが遅い。まっつオチする前は1公演1~2回観る程度だったので、下級生までわかんないのな。
 萌子は「萌え~~!の萌子よ(はぁと)」と、『エンカレッジコンサート』の正統美少女娘役っぷりがわたしの印象の最初。
 ふつーにかわいこちゃんポジの新人さんだと思うじゃん。
 ところがちょっと目を離している隙に、濃いめの女役として花開いているってどうよ?
 中卒で年も若いし(「萌え~~」のときに、思わず調べた。あの子いくつなんだろう、と。……サイトーめ)、かわいこちゃんで行くんじゃなかったの? なんで一足飛びにおば……大人なの?

 大人の女もえり、ばかりが最近印象に残っていたので、初心に返る勢いで「美少女もえり」と再会できてうれしい(笑)。

 じゅりあちゃんがオトコマエな「大人の女」として、まっつとがっつり組んでいるので、萌子は初々しくめぐむと組む。じゅりあの強さ・黒さと、萌子の可憐さ・かわいらしさはいいコントラストだった。
 色男まっつに娘役が次々絡む場面で、じゅりあのあとに萌子が登場したときの色の違いは素晴らしかった。可憐な佇まいが「あ、ヅカの娘役だ!」って感じで。

 萌子も「歌の人」認識。正直「歌手」というには足りない部分があるんだけど、タカラヅカの娘役としてきれいに歌える子だと思う。
 じゅりあは本来「ダンスの人」で歌はスリリングな面がある(笑)ので、ソロは短め、途中からコーラス付きになる、という構成だったのに対し、「歌の人」萌子はひとりで1曲。
 めぐむソロのあとに萌子がひとりで登場して歌い出すときの「タカラヅカ」感がいい。
 黒燕尾の男役が歌ったあと、ドレスの娘役が登場して歌う……あああ、タカラヅカだわー、という陶酔感。
 キレイでクリアな歌声と、可憐で美しい姿、両方をちゃんと備えているのがイイ。

 
 『アデュー・マルセイユ』の子役で一気に内外の注目を集めたであろう、ルナくん。
 かわいくて歌える子なのに、どーして本公演はおろか、新公でも役付きイマイチなのかなあ?

 今回の『巴里祭』でのお花ポジション……だと思った。
 実力本位メンバーなので、いかにもな美形とかアイドルとかいうビジュアルは、このルナくんひとりの受け持ちかな、と。
 「キレイ好き」を自認する超面食い友人(せしるとか和くんとかの顔が好み)が「この中でいちばん顔が好み」と言っていたし。
 顔立ちは甘くきれいな子だと思う。……ただ、美貌に派手さがない、かなぁ。せしるや和くんにはあるんだけどなぁ。

 でもそれがルナくんの良さでもある。主張しすぎない美貌や佇まいは、いろいろと「くすぐる」モノがある(笑)。
 重く渋いまっつ、ソレに準ずるめぐむ、のあとを受けて、「ここからは若手!」と線を引いてかわいく演じていたと思う。

 ソロではなく、かぐらちゃん、がりんくんとトリオで登場。……ソレがまた、アイドルっぽい。
 この3人が歌微妙っぽいのもまた、アイドルっぽい(笑)。

 ルナくん単体では歌はうまいと思うんだけど、選曲なのかダンスがある(というほどの振付でもないが)ためなのか、なんとも微妙だったよーな?
 このトリオでは、がりんくんがいちばんうまかったかな。

 
 かぐらちゃんは「ダンスの人」だよなあ? 正直歌はええっと……だと思うんだが、てゆーかソロはじめて聴いたかも、な勢いなんだが、どうなんだろう? 実は歌の人なんですか?

 最初に彼女を認識したのが某サイトー作品。「男役さんだよね?」と思ったほどの、オトコマエなダンスっぷりだったので……まさか本職の娘役だと思わなかったんだよー、男が女装してるんだと思ったんだよー、わたしだけでなく、一緒に観ていたnanaタンも同じ感想だったんだもんよー、ドレス着た男だと思ったんだよー。
 最初がソレだったからか、それ以来「強い女」「こわい女」認識で……くまちゃん同様の、戦闘意欲ありまくりーのの花娘らしい花娘だと思ってるんだよー。

 可憐っぽく笑っていても可憐に見えない、「たくらんでる」系の女に見えるところが好き。
 そんな認識は迷惑かもしれないが、ただかわいいだけの女の子はいくらでもいるので、かぐらちゃんの肉食系なところは十分すぎるアピールポイント、長所だと思っている。

 ので今回も、可憐な「いかにもなタカラヅカ娘役」ぶっているけれど、ぶりきれていない感じが個性としてステキに映りました。イイよ、そこがイイんだ! 力説。
 じゅりあ-萌子-かぐら、と、キャラかぶってないんだもの、すげーよ、君たち!!
 ちゃんと棲み分けているとこがイイ。

 歌の人ではないので、トリオで歌う紅一点としての歌唱力は弱く、トリオをまとめるルナくんが微妙に割を食っていた気もするが、ルナくんの可憐さが際立って良かったのではないかと。(え?)

 
 トリオの3番目、がりんくんがいちばん歌えていた。
 てゆーか、この子が全体通していちばん野心があった気がする。

 彼より下の子たちは「舞台に立つ」だけでも意識を集中させるのに必死で、彼より上の子たちは「与えられた役割を果たす」ことだけを考えていた気がする。
 で、がりんくんひとり、仕事をしつつも「個人アピール」をしていたよーな。

 多分まだ無名の若手である彼は、お初の人たち相手に「ボクのことおぼえて帰ってね!」と明確に意志を放っていたよーに見えた。

 いちばんの見せ場だ、とトリオで歌う場面ですげーがんばってるんだもの。うわー、やる気だ、この子やる気だわー、とウケた。
 いいよね、イイ、こーゆーのはイイですよ。がんばれ。

 
 上の3人の娘役たちがそれぞれキャラかぶりしていないのだが、残りのふたりの娘役は同じカラーだったかなと思う。
 花奈ちゃんと、仙名さん。
 可憐に、かわいらしく、寄り添う系で。

 とゆーのも、彼女たちの学年(研3と研2)でそれ以外どーしろちゅーのだ、ってことだよな。
 まず「娘役」としての本分を、几帳面に守っている印象。

 かわいらくて娘役っぽくて、客席降りで彼女たちがそばにやってくると心が浮き立つ。うわ、タカラヅカの娘役さんだ!と。

 花奈ちゃんのまろやかさ、仙名さんのシャープさの上にある、ほわんとした空気。
 仙名さんの背中の筋肉も、お約束なので眺めましたとも。

 
 最下の男ふたり、和海くんと羽立くん。共に研2。
 でもって和海くんはまだ18歳……若っ。(ジェンヌはフェアリーです、年齢はありません)まっつとの年齢差すごいよな……。(ジェンヌはフェアリーです、年齢はありません)
 でもって羽立くん身長178cmって……まっつとの身長差すごいよな……。

 和海くんは客席降りで近くに来てくれることが多く、そのつやつやほっぺがかわいくてなりません。
 羽立くんはのびやかに歌い踊る印象。
 ふたりとも文化祭で活躍している姿が印象に残っているので、実力には安心していた。歌ウマさんで、芝居もできる子たち。
 これからカラダを絞り、男役の声を作っていければ、強い戦力になるだろう、ぴっかぴかの若手くんたち。

 今はただ、その若さゆえのきらきら感をまとってステージに立つだけで、十分仕事は果たしている。

 
 実は1回だけ、リハーサルを終えたジャージ姿の巴里祭組を、ホテルでちらりと見かけることができたんだが(みんなふつーにぞろぞろ歩いていた)、和気藹々かわいかった~~。
 そして、まっつもその中にいたらしいのに、わたしの目はまっつを判別できなかったという……何故だー、他の子たちはいちいち「あ、誰々だ」と判別ついたのに。わたしの愛が足りないのかしら……しくしく。(単に小さいから目に入……ゲフンゲフン)

 ステージで歌い踊る彼らもステキだったけれど、タオルを首からぶら下げたジャージ姿の彼らも、すごくすごくステキだった。
 たのしそーに笑いさざめいているのが、かわいくてかわいくて。

 このメンバーで『巴里祭』を観ることが出来て良かったと、心から思う。
 石田昌也は、何故宝塚歌劇団にいるのだろう?

 と、もう何度目かわからない疑問に首を傾げる。イシダ作品最新作『フィフティ・フィフティ』を観劇して。

 『50/50』は、悪くない作品だと思う。
 同じ孤児院出身の幼なじみ詐欺師コンビが、田舎の村で人々のあたたかさに触れて改心する物語。ストーリーラインは簡単。そこに主人公ふたりのそれぞれの恋バナと、出会う人々の人生模様を絡め、自分探しして全員ハッピーエンドになだれ込む。

 悪くはない。
 ちゃんと起承転結しているし、盛り上げて泣かせて、うまく機能していると思う。そもそもなんで詐欺師コンビがこの村で暮らすはめになったのか、村長の息子@だいもんの行動が謎とはいえ。

 ただ。

 なんでコレ、タカラヅカでやってるんだろう?

 と、盛大に首を傾げた。

 出演者たちの魅力、彼らがステキだったことや、熱演だったこととはまったく別。
 キャストの話は別欄でやるので、今回はあくまでも、イシダせんせと、彼の作品『フィフティ・フィフティ』について。
 

 わたしのいちばんの疑問は、舞台がアメリカであることなんだよな。

 だってコレってどう考えても日本の話で、出ている人たちも日本人だよね?
 テーマもキャラもストーリーも、細かいエピソードもおふざけも、なにもかも日本でしかない。

 タカラヅカが「日本人が演じるナンチャッテ西洋」であることとは、まったく別。
 「なに言ってんの、日本人が金色に髪の毛染めて『オスカル~~』とかやってんのがタカラヅカじゃん!」って、そーゆー話じゃないので混同しないで。
 演じているのが日本人であっても、物語はふつーに外国であること、がタカラヅカなんだってば。

 舞台が外国であっても、そこに流れる精神は日本である。……これも、タカラヅカのお約束のひとつ。
 生まれ育った慣習ゆえの「ツボ」というものがあり、海外ミュージカルをそのまんま輸入したって日本人が理解できない、できても真の意味で共感したり出来ない、ことがままあるので、「外国そのもの」である必要はない。
 外国の設定を使いながらも、根っこの感覚は日本独自のモノ。それが、タカラヅカの柔軟さ、素晴らしさ。

 じゃあ『50/50』だってそうじゃん、舞台が外国なだけで感性は日本って、ヅカのお約束守ってるだけじゃん!
 ……ということでも、ナイんだ。

 『50/50』は、「舞台が外国なだけで感性は日本」なんじゃない。「舞台が外国である意味がない」んだ。

 あまりにも、「日本」でありすぎる。ストーリーも道具立てもキャラもテーマも。
 むしろ、アメリカにすると無理がありすぎて、本質が損なわれる。

 ふつーに日本が舞台の物語だったら、もっとリアリティがあり、おもしろい芝居になっただろう。
 そう思える。
 ちりばめてあるネタが全部現代日本だからだ。

 だが、現代日本を舞台にして、この公演は成り立たない。
 主人公がタカシとカズオで、ヒロインがキョウコとヨウコで、彼らが出会うのが山形県のなんとか村とかだとかだったりしたら、ヅカとしてありえない。夢が見られない。(名前はてきとー)

 タカラヅカだから、あえてアメリカで、あえてカタカナ名前なんだ。ジョナサンとヴィクターなんだ。

 それはわかる。
 タカラヅカで上演する以上、舞台をアメリカにしたのはいい。GJだ。日本でやられてたらドン引きしていた。

 が。

 タカラヅカで上演するために、作品のクオリティを落とすのは、どうなのよ?

 舞台は日本であるべきで、登場人物もふつーの日本人であるべき物語なのに。
 「タカラヅカだから」と、作品を曲げてまでアメリカにしなければならなかった。

 作品を曲げなければならないのなら、そもそも何故これをタカラヅカで上演する?
 意味ないじゃん。
 作品をもっとも良いカタチで提供できる媒体でやるべきだろう。

 テーマを訴えるための手段として、ファンタジーを利用するのはアリだと思っている。むしろ、そのためにファンタジーはあって良いとさえ思っているクチだ、わたしは。
 だから、『50/50』のテーマを訴えるもっとも良い方法が、舞台をあえてアメリカにし、「タカラヅカ」としての手法を使うことだったのだ、というならばそれでいいと思う。
 が、『50/50』は反対だ。この作品の良さを、「タカラヅカ」が邪魔している。マイナスになっている。

 「タカラヅカ」であることがマイナスになる作品を、何故タカラヅカで上演するんだ。
 それが理解できない。

 「作品」本位に考えて、すごくもったいないし、くやしいと思う。
 我が子を望むカタチで世に送り出してやることができないなんて、作家としてどう思うんだろう?

 もちろん、仕事なんだから割り切りは必要だ。
 天才でない以上、好きなモノだけ書くことが仕事ではないだろう。
 「少年が人々との触れ合いの中で成長していく王道スポ根モノが描きたい」と思っていても、「エロネタ満載のラブコメ描いてね」と言われたら、描くしかないんだろうさ。
 でもさー、依頼された「エロエロ・ラブコメ」の中に、少年の成長譚を盛り込むのと、スポ根モノをエロエロに改稿するのとでは、まったく意味も出来も違ってくると思うんだが。
 まず作品を発表できなければ読者に届かないわけで、それを最重要視するなら、意に染まないジャンルでも描くしかない。でも、そのジャンルの中で、自分の色を出す。与えられた枠の中で戦う。エロラブやりながら、主人公やヒロインの心の流れを丁寧に描き、成長していく様をドラマティックに繊細に描く……とかさ。 
 が、イシダは反対やってないか?
 エロラブやらなきゃそもそも本誌掲載なし、と言われたからって、もともと描きたかったスポ根モノをエロラブに変換。主人公ががんばる対象をスポーツではなくえっちなことにする。そしたらキャラもストーリーもテーマもみんな同じで、立派にエロラブになったぞー、イェーイ♪ てか?

 安易に「舞台がアメリカで、出てくる人たちみんなカタカナ名前です」ってだけで、「タカラヅカです、文句ないっしょ?」とやられてもな。

 日本人しか描けないなら、タカラヅカにいる必要ないのに。
 ちゃんと日本人の舞台を作れるんだから、もっと自分の才能を活かせるところに行けばいいのに。

 ヅカを辞めろとはべつにまったく思っていないので、自分の中の「作品」をうまく割り振りして、外部とヅカと両立すればいいのに。

 『50/50』は、「タカラヅカではない」ことをのぞけば、いい作品だったんだと思う。
 『殉情』と同じように、想像の余地がないほどなにもかも台詞で語り尽くされてしまうので、その観客に対する下品さがわたしの趣味ではまったくないが、外部で上演されていたら、「イシダ、やるじゃん」と思えたと思う。

 なんでコレ、タカラヅカで上演したんだろう?
 イシダせんせは自分の作品へ、愛やこだわりはないのかなあ? 上演できればなんでもヨシ? 作品の質が損なわれても?
 わっかんねーなー。

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