勝手に張良さんについて語ってますが、もちろん彼がナニ考えてるかはわかってません。彼の考え方や人生に関して、脚本で解答を語っているわけじゃないしな。
 また、役者がどう考えて演じているかも、関係ないっす。
 見たいモノを勝手に見て、勝手に語ってこそヅカヲタ(笑)。

 てことで今回語るのは、『虞美人』の、衛布さん@みつる。

 とにかくぱったばったと人が死んでそれきり出てこなくなる、この作品。
 衛布さんも2幕前半であっさりお亡くなりになる。

 ここで死んでたらいかんやろう!と思うんだけどねえ。

 というのも彼には、二重の意味で役割があるのよ。
 張良のくだりでも書いたけれど、この『虞美人』にはテーマのリプライズがいろんなカタチでちりばめられている。
 項羽@まとぶんと劉邦@壮くんという、ふたりの武将を対比させることで展開する物語だ、あらゆるところに主人公の影が存在する。

 衛布というキャラクタの役割の一つは、「もうひとりの項羽」である。

 項羽のテーマソングである「私には羽根がある」だけど、この歌は彼ひとりのものではないのね。
 この時代の野心を持つ男たちすべての、テーマソングなの。

 そもそも衛布は、「誰もが天子になれる」を歌う男のひとり。

 項羽が自分の可能性を信じ未来に希望を掲げて歌うこの歌を、衛布もまた歌っているの。
 衛布も項羽と同じように、天下を狙う武将のひとりなんだ。

 衛布は、もうひとりの項羽……己れの才覚ひとつで天にその存在を問う漢、なのよ。

 それゆえに桃娘パパ@めぐむを裏切り、項羽に付いた。居酒屋に密偵@みとさんを放ち、情報収集していた。
 項羽の忠臣のふりをしながら、自分こそが覇者になるべきだと爪を研いでいる。

 項羽が「誰も裏切らなかった、裏を掻かなかった」とその人生を昇華させるのと対照的に、衛布は裏切りと卑劣を極めて頂点を狙う。劉邦が人から愛されて力を得るのとも対照的に、人を利用し憎まれて前へ進む。

 役割がきちんとあるので、衛布は最初、やたらイイ扱いで登場する。
 野望に燃える項羽の才覚を見抜き、瞬時にその側へ付く。さらに、思わせぶりな密偵の存在、「ご主人様に知らせなくては」と大仰な引きまで使う。
 項羽を仇と狙う第2ヒロイン桃娘@だいもんを手の内に置く。

 項羽のミラーのひとりなんだから、これだけの描かれ方をしていても不思議はない。

 
 そして、衛布の二重の役割のもうひとつは、その第2ヒロイン桃娘の関係者、ということだ。 
 項羽と劉邦の物語の中に付け加えられた、ドラマティックなサブストーリー、英雄・韓信@みわっちと男装の少女・桃娘のロマンス。

 それに、「悪役」として絡むということ。

 桃娘の弱みにつけ込んで弄ぶ悪漢。
 項羽とも劉邦とも違い、裏切りと卑劣を極めて頂点を狙う衛布に相応しい役割。

 
 この衛布が、桃娘にあっさり殺されること自体は正しいと思う。

 悪漢には悪漢に相応しい死を。
 戦場で華々しく散るのではなく、宮廷で痴話喧嘩のように女に殺されるのは、彼に似合いの最期だろう。

 利用していた娘に殺されて終わるのは、因果応報。
 彼の抱いていた壮大な野心が、名だたる武将との立ち会いの末や陰謀劇の勝敗によって断ち切られるのではなく、ちょっとした油断によって簡単にバッドエンドになる。
 項羽のミラーとして、正しい最期。

 正しいのに、ここで死んでたらいかんやろう!と思う。

 だって。
 二重の役割を受け持ちながら、あるのは設定だけで、中身がまったく描かれていないんだもの。

 ここまで思わせぶりに描いておきながら、彼が実際にナニをしていたのか、ナニをしたかったのかは、まったく描かれていない。

 伏線張るだけ張っておいて、回収ナシでエンドって、そんなバカな。

 番手制度の縛りもあるし、みつるにそれだけの役割を振ることが許されなかったのかもしれないけれど。
 それならなんで、衛布に二重の役割を課したのよ。

 桃娘を弄ぶだけの悪者、とするならば、項羽に取って代わる系の野心をクチにしないようにすればよかったのよ。
 少年に変装してきた桃娘を見破るのは、別に密偵の注進がなくてもできる。もともと衛布は桃娘の父の部下だったんだから、見破っても変じゃない。
 権力になびくただのスケベオヤジっつーことで、権力者項羽の元でぬくぬくしつつ、元上司の姫君をアレするだけのゲス男としても、ストーリーラインはナニも変わらない。
 項羽に桃娘の正体をばらさないのも、彼女を支配したいというスケベ心ゆえ、で説明が付くし。

 3番手役である韓信と第2ヒロインの当て馬、悪者、という役割だけで十分、衛布というキャラは活きる。ヘタに物語の本筋ともテーマとも関わらず、整合性のあるキャラクタになる。

 なのにハンパに、天下を狙う発言を繰り返させてるんだよなあ。

 衛布が本筋に関わる必要のない脇キャラだというなら、少なくとも密偵のくだりはなくすべきだ。わざわざ密偵を使ってまでなにかしら壮大な画策をしているよーに描いておきながら、ナニもしていない・描かれないのは変。

 密偵の設定を活かすならば、衛布はちゃんとなにかしら本筋に絡まなくては。

 項羽のミラーであると同時に、身内にまで狙われている主人公項羽! どうなるのかしら、どきどき! ……という仕掛けもあるわけでしょ、衛布の野心っつーのは。
 2幕最初で桃娘にあっさり殺されてエンドなのはそのままでいいから、それまでになにかしら、一箇所でもイイから「衛布がナニを考え、ナニをしようとしていたか」を描く必要があるんだ。
 その上で、野心の途中であっけなく殺されてしまうから、「物語」として盛り上がるのよ。

 どうせなら、桃娘絡みで。
 二重の役割を持つのだから、天下への野心と桃娘との関係、両方に関連するエピソードをひとつ挿入する。

 虞姫の信頼を得、項羽とのいちゃいちゃ場面にもBGM係として配置されるほどの桃娘だ、項羽が油断しきっているときに暗殺しろ、他の兵は自分が遠ざけてある、と衛布が桃娘に指図する場面を作る。
 1幕最後の盛り上がりのどさくさ、一瞬だけ衛布と桃娘にスポットが当たる、だけでいいから。台詞が数個あるだけ、時間にして1分なくていいから。

 桃娘のアゴを持ち上げて、とか、一瞬なのにエロく、ふたりの力関係と目的が観客に焼き付くように。

 そーすれば、2幕最初の項羽と虞姫の膝枕でいちゃいちゃ場面も、愛し合うハッピーなふたりと、隙を狙う桃娘でさらに盛り上がるし、そこへやってきた張良@まっつの「項羽は暗殺されるべきではない」の台詞も活きる。
 英雄には英雄に相応しい最期がある。
 そして、悪漢には悪漢に相応しい最期が。

 張良が桃娘に太刀を渡す必要はないから、「何故項羽を殺さなかった」と詰め寄る衛布を、1幕ラストで衛布からもらった小太刀で桃娘が刺し殺す、でいいと思うんだが。

 たったそれだけで、衛布の物語と役割は完成すると思うのにな。
 でもってみつるなら、見事に奥行きを持って演じてくれると思うのにな。
 と、前日欄で真面目に衛布さんについて語りましたが。

 はい、次は衛布さん萌えの話です。ええ、衛布@みつる×桃娘@だいもんですよ!!(笑)

 『虞美人』にて語られる衛布は、第2ヒロイン桃娘に対しては「悪漢」でしかない。
 衛布は桃娘の父の部下で、裏切り者。父の仇を討とうと男装して現れた桃娘を手籠めにする。桃娘の秘密をネタに、どーやら継続的に関係を強要していたらしい。で、ついには桃娘に殺される。

 桃娘の方は韓信@みわっちを慕っていたし、衛布を嫌っていることがわかるのだが、衛布が桃娘をどう思っていたのかは、まったく語られていない。
 表面的なものから読みとれば、悪役らしく桃娘を利用していただけで、彼女に対してなんの思い入れもないのだろう。

 が、なにしろなにも描かれていないので、観客が勝手に想像できる。

 悪漢の手を逃れたお姫様が、恋しいダーリンとハッピーエンド、というだけでも十分だろうし、原作が書かれたという今より1世紀も前ならばそれで良かったのかもしれないが、ここはタカラヅカで今は21世紀だ。
 三角関係、とするのも、ぜんぜんアリだろう。

 衛布が桃娘を愛していた、愛と呼べないまでもなにかしら執着していた、とするならば。
 韓信と桃娘、そして衛布の位置関係は、恋愛モノの定番である。

 力尽くで女を捕らえる男、利害関係から仕方なく従っている女、されど愛しているのは別の人……力尽くでどうこうしていた男だって、本当は女のこと愛してるんだよ、それしか方法を知らないだけなんだよ……しかし女は真実の恋人の元へ戻ってハッピーエンド。女がふたりの男に猛烈に愛されるという、女子の大好きな物語。
 今隣のバウホールでも、まさにソレをやってますね、の黄金パターン。

 好きな女を権力でしかつなぎ止められない、最後は振られる色男、ってのは、実に萌えですな。

 男ふたりに女ひとり、という設定でも実に美味しいのですが、さらにここに、「BLの定番ネタ」とゆーのがある。
 ここでは三角関係である必要はナイ。男(攻)と女(受)だけで成り立つ。
 金(権力)で攻に買われる受、ソコに愛はなく、利害関係のみのふたり。攻はなにかにつれ「**(カラダとか、地位とか、対外的なモノ)だけが目当てだ」と受を貶め、受はそんな攻を嫌い抜きながらも言いなりになるしかない。
 が、ほんとーのところ、攻は受を愛していて、強引に受を手に入れたのはそのため、でも嫌われていることを知っているので愛は決して告げない。
 また、受もほんとーは攻のことを愛していて、そもそもこんな関係になる前に好意を持っていたのに、「こんな人だったんだ、見損なった」とか思って心を閉ざしているの。

 BLにこのネタが顕著なのは、行為までファンタジーとして描けるからでしょうな。読者が女性である以上、女性が酷い目に遭うのはNGだし。
 Hナシでなら少女マンガでもいくらでもある。名目だけの夫婦(婚約者)で指一本触れないけど、対外的には妻としての振る舞いを要求される系のヤツ。
 男(攻)が権力で強引に関係を強要し、女(受)は男の目的が別のところにあり自分は利用されているだけだと思い込んでいる。
 ……この話が女子の好む定番としてもてはやされているのは、男が美貌・権力・富の三拍子を持ち、さらに女を愛しているため。権力は振りかざすけれど、愛に対しては少年のように臆病かつ不器用で、素直に表現することができない。また、女は自分を力で支配する男を実は、愛しているのが鉄板。しかし愛されていない、利用されているだけだから胸の内は死んでも明かさないと決意。愛し合っているのに、心はすれ違ったまま表面のみ夫婦だったり濃ゆい肉欲関係だったりする。
 ヅカの名作『はばたけ黄金の翼よ』もまさにコレですな。

 衛布と桃娘に萌える、とよく耳にするのはまさに、「女性が好む恋愛フィクションのシチュエーション」だから。
 あくまでもフィクション。現実だと受け止めて怒る人とは立っている次元がチガウ。誰だって現実なら嫌でしょう、戦争も、男の邪魔にならないよう自殺する女も。フィクションをフィクションだと割り切って、ドラマティックな戦争モノやアクション、愛のために死ぬ物語を楽しんでいるわけで。
 衛布と桃娘も同じ意味でのファンタジー。

 最初衛布にとって桃娘は上司の娘、お嬢様、お姫様。高嶺の存在。
 それが下克上して、命すら自分の手の中。
 この逆転現象が萌えを発動させる。

 たんに今ソコで桃娘の秘密を知って脅しました、じゃないのよ。
 桃娘の美しい姫時代を知っているからこそ、手を出すわけよ。

 衛布は、桃娘を愛しているんじゃ? と、思わせるから、萌えが発動するのよ。

 身分違いの姫をひそかに愛していた、ならば女子向けロマンスとして鉄板設定ですから。
 愛までいかなくても、少年にしか見えない桃娘を速攻襲うくらいに興味を持っていた、なにかしら執着があった、と思わせることが。

 舞台上にあるシチュだけならば、ロマンス物の定番。その上衛布が自分の心を語る部分がまったくないために、観客は、萌え放題。

 演出家がどう思ってとか役者がどう思ってとか関係なく、舞台上にあるモノだけで、ロマンスGOGO!

 衛布は、桃娘を愛していた。
 当人が愛とは思っていなくても、執着はあった。手の中に転がり込んできた小鳥を弄ぶくらいには。
 なにしろ、毎晩ですから。
 お優しい虞美人様@彩音ちゃんが「この子ったら毎晩出歩いているのよ、おませさん♪」と証言。
 毎晩って、衛布、どんだけ桃娘に夢中なん。
 でも自分では「利用しているだけだ、こんな小娘に興味はない」って思ってるのよね。端から見ると「めろめろですやん」状態でも、本人だけは「オレって悪だな、フフフ」と思っている、と。
 
 たーのーしーいー(笑)。
 だからわたしは、攻キャラが好きなんですよ。そして、片想いが好きなんですよ。
 過度に感情移入するのは攻キャラ、萌えるのも攻キャラ。

 つーことで、『虞美人』の衛布@みつるは萌えハート直撃されてます。

 野心は語るけれど、桃娘@だいもんのことをどう思っているのかは一切クチにしない……のが、イイ。
 そして語らぬまま絶命するのがイイ。

 桃娘は衛布を嫌い抜いている。
 嫌われるよーなことをしているのはたしかだが、それにしても最後までカケラの情も湧いてこないというのは、かえって不自然。どんな状況も悲しいかな毎日続けばそれが日常になる。ストックホルム症候群じゃないけど、自分を守るために征服者に疑似愛情を持つぐらいは、ありそーなもんだ。
 そんな心理を持たせないほど、彼女がずっと嫌い続けるくらい永続的にひどいことをしていた、傷つけ続けたってことですか。マメだな衛布。
 誇り高いお嬢さんだから、父の部下だった男に……というシチュエーションだけで「絶対無理!」と衛布個人に対して目を向けようとしていないのかもしれないが。

 桃娘の心はまったく動いていない、終始一貫して衛布を嫌っている。衛布の心は見えないのに、桃娘の心は観客にわかりやすく示されている。
 これが良いですな。
 好きに妄想できて。

 この描写されているだけの設定で、衛布が桃娘を愛していたら、すげーせつない物語ですよ。
 衛布的には桃娘はただの駒なので、いずれ使い捨てる予定。つまり、愛することはできない。なのにうっかり彼女をかわいく思ってしまったら? 心が動いてしまったら?
 野心と愛の葛藤。
 桃娘を駒として利用する以上、彼女を愛してしまったらその関係は成り立たない。王になりたければ愛を捨てるしかない。いやそもそも、愛自体認めることをせず。
 冷たく、ビジネスライクに接しているつもりなのに、その態度を貫くつもりなのに、ふとしたことで愛情やら優しさやらがもれてしまい、あわてて冷たくしてみたり。
 ことさら傷つけられた桃娘が、さらに心を閉ざしてしまったり。

 なんてことないところで衛布の優しさに触れ、「それほど悪い人でもないのかもしれない……?」とか「孤独な人なんだわ」とか思った次の瞬間、わざわざこれ以上なくひどいことをされたり言われたりしたら、「いい人かもとか思った私が馬鹿だった、やっぱり最低な男よ!!」と過剰に反応することになる。
 いちいちそーやって心新たに憎めるくらい、なにかしらやってたんですかね、衛布さん(笑)。

 衛布が桃娘を愛していたとして、それをまったく彼女に理解されることすらなく殺されて終了、という最期がイイ。救いがなくて、せつなくて。
 不器用な愛の終着点として。

 殺し続けた己れの愛に殺される、その皮肉。
 最期の瞬間、彼がなにを想うのか。

 ひとことも発さず息絶える衛布がイイ。
 桃娘を愛していた、ならばその愛する娘に殺される現実をどう受け止めたのか。愛していたけれど頑強に認めなかった、ならば己れのキモチにここにきてようやく気づいたかとか。
 いくらでも展開できる。

 でも、ひとつだけたしかなこと。

 衛布が、この世で最後に瞳に映した相手は、桃娘。
 あの大きな目で見つめた相手は、桃娘。

 
 ……そんなこんなを想像するのがたのしい。

 
 もちろん、愛などまったくない、野心のみの衛布にも萌えられますしね。
 少年にしか見えない……しかもほらあの、だいもんくん童化粧はかなりあのそのせめてそのカツラはあのその……な、あの状態の桃娘相手にアレしてしまえるくらい、悪食な男ですよ、衛布さんは!(笑) 愛がなければそれってさらにすげーキワモノですよ衛布さん!
 あの童相手にがっつきまくるエロオヤジ。それだけでも十分オイシイって(笑)。
 
  
 とりあえずキムシンに、台詞をひとつだけ増やして欲しいの。
 少年の振りをして現れた桃娘の正体を、衛布が暴く場面。
 「よく化けたものだ」てなことを言う衛布にもうひとこと、「あの美しい髪を切ってまで」と言わせて下さい!!
 そこで髪を撫でるか触るかしてくれれば完璧。

 いやその、童だいもんくんのビジュアルが微妙だとか、でかくてごつくて大変だとか、言ってませんよ?(笑) 言葉で美しいって説明が必要なんて、言ってませんってば(笑)。
 年頃の娘さんが女の命でもある髪をばっさり切ってまで、覚悟を決めてやって来たんだってことを、説明して欲しいの。童を装ってったって、顔見ればわかるに決まってるじゃん!というツッコミをかわすためにも。女が髪を切るなんて常識では考えられないことだから、たとえ顔が同じでも密告がなければわからなかった、ってことを。
 そーすりゃ桃娘の健気さも上がるし、密偵の役割も意味があるし、衛布のスケベっぷりも上がるし(笑)、イイコト尽くめだと思うなっ。

 髪を切ったことに言及してくれたら、衛布が桃娘に対してなにかしら興味を持っていたという妄想に拍車を掛けてくれるからねええ。

 てゆーかたんに、エロみつるが見たい。
 桃娘の髪に触って、言及してくれたら萌え死ねる(笑)。
 昔、『ONE-PIECE』というマンガが週刊少年ジャンプではじまった、その連載第1回をおぼえている。
 巻頭カラー、最初の1ページ。「おれの財宝か? 欲しけりゃくれてやるぜ」「探してみろ、この世のすべてをそこに置いてきた」英雄の最期、そして“世は大海賊時代を迎える--”
 人々の歓声を眺めながら1枚めくるとそこに、喜びを全身で表現しているひとたちの姿。

 その作品を好きかどうかをアタマ悪く「涙」で判断するわたしは、ここですでに「このマンガ好きだ」と思った。
 最初の1ページと、見開きの表紙。これだけで、ぶわーっと泣けたからだ。
 大海賊時代がはじまる。夢に向かって一途に突っ走る時代がはじまる。みんなみんな、待っていたんだ、欲しいモノを欲しいと言って、走り出せる時代を。

 わたしには、そーゆーツボがあるらしい。
 少年マンガの持つ、「いちばんになりたいツボ」。
 少年たちは「オンリーワン」より「ナンバーワン」を求める。いちばん強い、いちばんくわしい、いちばんえらい。とにかく「いちばん」が好き。
 みんな等しく素晴らしいから、競うなんて馬鹿らしいのよ、と一列に手をつないでゴールインなんてナンセンス、「優勝したい」と熱望する主人公があくなき努力を重ね、友情やら挫折やらを積み重ね、望みを勝ち取る物語が好きだ。
 
 いちばんになりたい。夢を叶えたい。のぞむ自分自身になりたい。
 そのために、自由競争に身を投じる、投じていい、時代の到来。祝砲が鳴る、さあ走れ、欲望のままに、本能のままに。
 夢を見ること、希望を持つこと、それはすべの人に与えられるべきものだから。
 『ONE-PIECE』の連載第1回のオープニングと表紙に泣くほどわくわくした。

 つーことで、わたしはキムシンの描くところの「男はみんな王になりたい」を全面支持。
 いちばんになりたい、と瞳をきらきらさせる男たちが好きだ。萌えツボなんだ。

 始皇帝の死、戦国時代の到来。
 「誰もが天子になれる」……男たちは夢を見る。

 『虞美人』は項羽@まとぶんが主役だから、項羽が銀橋に出て「私には羽根がある」と歌うけれど、ほんとのところどの男たちだってそう思っている。
 自分こそが天下を取れると、夢を見る。……夢と現実は違い、多くの者たちは見るだけで実行しない、そこであきらめてしまうけれど、見るだけは見る。
 そして居酒屋で騒ぐわけだ、誰に付けば得か、生き残れるか。自分が兵を起こし軍を率いて世の中を変えるのではなく、そーゆー特別な人の尻馬に乗ろうとする。
 
 「誰もが天子になれる」と男たちは夢を見るが、実際に歴史に台頭してくるのは限られた男たちだ。
 クチばかりの烏合の衆の中、「漢はいないのか」と檄を飛ばすよーに、実際に飛ぶ勇気のあった者と、飛ぼうとしなかった者たちが描かれているんだ。

 「私には羽根がある」と内心思っていても、本当にその羽根を使う覚悟のあった者だけが、なにかしらカタチを残した。

 項羽の傲慢さが、心地よい。
 彼は有言実行、欲望と自負を素直に表し、それゆえの泥も被る。
 キレイゴトだけ言って自分ではナニもせず、ナニかした人に文句ばかり言う匿名の民衆たちとは違うんだ。

 いちばんになりたい。
 最上級のものしか欲しくない、次善のものはそれだけで心を傷つける。

 いちばんになったからといって、それでナニがしたいわけでもなさそーなとこが、項羽のあやうさ。
 武人だから戦うことに幸福を感じると本人が言うように、いちばんになることだけが欲求で、夢のために努力し続けることこそが幸福で、夢を叶えたそのあとには、特にナニもないんだね。
 戦う人であって、治める人ではない。古い時代を破壊して、更地にするために、天が必要とした男。更地の上に新しい時代を築くのは、また別の人の仕事。

 そんな項羽だから、虞美人がいる。

 いちばんになりたい。なったからといって、どうすることもない、ただなりたいと闘い続ける……そんな男を、受け止め、許容し、肯定し続ける。

 項羽はほんっとーに、しあわせだった思う。
 裏切られ無惨な最期を迎えるにしろ、最後の言葉は負け惜しみでもなんでもない、ほんとうに心からの言葉だろうと思う。

 「私には羽根がある」と信じ、心のままに戦うことが出来た。戦っていい時代に青年期を過ごせた。
 大海賊時代の幕開けに歓声を上げた人々のように。夢に生きていい時代に生き、夢に向かって生きた。
 周囲の雑音なんか関係なかった、彼のそばにはいつも彼だけを全肯定する愛する女がいた。
 
 そりゃしあわせだろうよ。
 ちょっとナイくらい、完璧な幸福の図だわ。

 物語は「項羽と劉邦」であり、ふたりの対比を元に進んでいく。
 それでも主人公は項羽であり、タイトルは『虞美人』である。

 自由に牙をむいていい時代に、信念を貫く自由を行使した男、項羽。
 自由だからって、自由に発言したら攻撃されるんだよ、出る杭は打たれるんだから。その矛盾は、普遍的なもの。人間ってそーゆーもの。
 その軋みや痛みを、虞美人が癒す。全肯定することで。

 泣けるほど主人公は項羽で、テーマは虞美人なんだなと思う。

 
 わたしはもともとキムシンととても波長が合うので、彼の掲げるテーマが好きだ。
 彼が描こうとするモノが好きだ。

 だから結局のところ『虞美人』も、好きだとは思う。

 でもな。
 今回のこの『虞美人』に関しては、不満アリまくりだ(笑)。

 盛り上がりに欠けるとか人の出し入れがワンパタだとか、前に書いたそーゆーことではなくて。

 キムシンらしくないところ。が、いちばん不満(笑)。

 もっともっとウザいくらい主義主張を叫ぼうよ。愚かで無責任な民衆の醜さを描こうよ。愛について説教カマそうよ(笑)。
 ついでに、トンデモSONGとトンデモ台詞で、タカラヅカ史にまた名前を残そうよ。

 もっとカマしてくれると思ってたのになあ。
 ふつーになっていて、そこがいちばんつまんない。

 根っこの部分は相変わらず大好きなんだが、それを表現する部分がすげー平板だ。
 もっとキムシン全開にしてくれりゃいいのに、ナニあのふつーっぷり。ふつーになったらただのつまんない話じゃん。
 キムシンのいいところは、「蛇蝎の如く忌み嫌われるモノは書いても、印象に残らないつまらないモノは書かない」ことでしょうに(笑)。

 てなわけで、「キムシン節が足りない!」についてはまた別欄にて。
 ひとがキューピーを抱いて挨拶する項羽様を見ているうちに、なんつー発表をするんだ。

2010/03/25

2010年 公演ラインアップ【宝塚大劇場、東京宝塚劇場】


花組
■主演…(花組)真飛 聖、蘭乃 はな

◆宝塚大劇場:2010年7月30日(金)~8月30日(月)
<一般前売:2010年6月26日(土)>
◆東京宝塚劇場:2010年9月17日(金)~10月17日(日)
<一般前売:2010年8月15日(日)>

ミュージカル
『麗しのサブリナ』

脚本・演出/中村 暁

サミュエル・テイラーの戯曲「サブリナ・フェア」が1954年にビリー・ワイルダー監督により映画化された「麗しのサブリナ」は、オードリー・ヘップバーン主演のロマンティック・コメディ。「ローマの休日」に続くオードリー・ヘップバーンのヒット作で、ハンフリー・ボガート、ウィリアム・ホールデンが共演。映画の中でオードリーが身に着けていた細身のパンツは、「サブリナパンツ」と呼ばれ、1950年代当時、爆発的な流行を見せ、ファッション文化を生む出したことでも有名です。大富豪ララビー家に仕える運転手の娘サブリナを巡り、ララビー家の長男ライナスとその弟ディヴィットとが繰り広げるロマンチックでコミカルな三角関係が、ミュージカル・ナンバーに乗って、おしゃれに繰り広げられます。

スパークリング・ショー
『EXCITER!!』

作・演出/藤井大介

2009年に同組で上演し好評を博した作品の再演。刺激、熱狂、興奮をもたらす者“EXCITER”。ありふれた人生も、ちょっとした刺激、スパイスでバラ色に輝く。“音の革命”“美の革命”“男の革命”…。愛と夢を現代社会に送り届ける宝塚こそ“EXCITER”であるという軸の上に、究極に格好良い場面で構成された現代的でエネルギッシュなショー作品。真飛聖と新トップ娘役・蘭乃はなを中心に作り出す『EXCITER!!』にご期待下さい。

 えーと、つまりコレはだ、

「植爺作品を観たくないから、花組公演は観ないことにするわ。ショーは素敵みたいだから残念だけど、ショーだけにお金出せないし」

 と言っていた人たちに、観に来てもらうための企画?

 たしかに『EXCITER!!』は良いショーだったよ。わたしは大好きだ。
 しかし。

 ショーの再演をされる、ということが、これほどショックな出来事だとは思わなかった。

 思わなかったのも、当然だ。
 ヅカファンやってたかが20年だけど、その20年間でこんな事態には一度も遭遇していなかったんだもの。
 想定外だ。

 で、思いもしなかったことが現実として差し出され、「そうか、こんなに凹むもんなんだ」と身を持って知った。

 「次の花組公演どんな作品かしら、わくわくっ。今回1本モノだから、次こそはショー作品よね、わくわくっ」という楽しみを、1年先送りされてしまうのね。

 2009年11月に上演した作品を2010年7月に、たった半年ちょい後に、同じ組でほぼ同じメンバーで、同じ衣装で同じセットで同じ曲を同じ振付で、東西合わせて2ヶ月やるんだー。スゴイナーミナサンハクシュハクシュ。

 
 『EXCITER!!』は好きだったけれど、前回の千秋楽からたった7ヶ月後に本公演で再演しなければならない、20年に1度の超絶名作だとは、まーーったく思わない。
 よくある「ふつー」の佳作だ。フジイくんらしいぐたぐたな作りになっているし、仕事が立て込んでいたためか焼き直しと使い回し感の目立つ、粗い作りのショーだった。
 それでもフジイくんの長所はよく生かされていたので、勢いでわーっと楽しめるパワーがあった。
 ……勢いで、だ。じっくり味わったら、粗がさらに目立つってばよ。

 名作には至らないふつーの「評判が良かった」レベルのショーをそのまま間を置かずに再演する、ってのは、ネガティブな想像をしてしまう。

 つまり……劇団に、新作を上演する経済的余裕がなくなってきている、とか。

 経営がかなり苦しくなっている、とか。

 不安になるわ。

 少なくともこの20年はなかったことだし。
 20年やらなくて済んだことを、今ここでやる意味は?

 ……なくならないでね、歌劇団。

 
 せめてタイトルに『2』と入っていれば、救いもあったのになあ。

 フジイせんせが全面リニューアルしてくれればいいんだけど……それならタイトルに『2』って入るよなあ。ついこの間の『Apasionado!!』だって『2』と入っていたって、ろくに変更もされずいびつなカタチで再演されていたし、完全な安心材料にはならないけど、それでも『2』なら素直にわくわくできた。

 名作ではなくても「評判の良かった」ショーを踏襲して、新しいモノを差し出す姿勢として、前向きに受け止められた。

 オープニングと中詰めとフィナーレのパレード以外、全取っ替えしてくれてもいいんだけどなあ。
 つまり『EXCITER!!』という主題歌部分のみ残して、あとは新作に……ダメかなあ。

 少なくともミスターYUは勘弁して欲しいっす……。
 

 『EXCITER!!』を好きなことと、7ヶ月後に再演されることの是非とはまったく別、なだけです。
 しょぼん。

 
 でもまあ、好きなショーだったことは事実なので、最悪な事態ではないと、自分に言い聞かせる。
 アレとかアレとかアレとかを、贔屓組で再演されるよりマシだ、と思うんだ、前向きに、前向きに。
 
 
 あとは芝居が楽しいことを祈ります。
 原作がどうというより、中村Aである、ということが重要。
 スゴイデスネーキタイデキマスネー。

 奇跡が起こらないとは誰にも断言できないのだから、わたしは奇跡を信じる。中村Aだって、突然紙芝居以外の演出に目覚めるかもしれないじゃないか!
 たとえ地球が明日滅びようとも、君は今日林檎の木を植える……そう、わたしはあきらめない。
 脚本がどうあれ、演出がどうあれ、きっと花組ならばすばらしい公演を見せてくれるさ!!

 
 宙組全ツ演目も、どうかと思います……名作かもしれんが、ヅカでやらんでもええタイトルを、さらに地方に持っていくのはどうかと……ヅカらしいショー付きで大きな羽根背負って夢の世界でええやん……。

 せめて月組は平和に、よい作品になりますように。中村Bショーは安全牌っすよ。谷芝居は『CAN-CAN』になりますように、『愛と死のアラビア』にはなりませんように。なむなむ。
 さて、わたしは相変わらず予備知識ナシで観劇している。
 作品解説なんてもんはラインアップ発表時に流し読みするだけで、基本アタマにまったく残ってない。なにしろ記憶力なくてなー。

 宙組バウホール公演『Je Chante(ジュ シャント)』
 この物語が「歌手」の物語だということすら、わかっていなかったという。

 全公演観るのが前提だから、予備知識は不要なのよ、マジで。解説とか読んで「おもしろそうだから観ることにしよう」とかやらないもの。「観る」のが前提だから、先入観になるあらすじなんてもんはかえって害悪。まっしろな状態で観て、どう思うか。その方が、わたしには重要。

 ……なんだけど、それはわたしだけの事情で、世の中的には公式HPやチラシの解説は予備知識としてわかった上で観なければならないのかな。開演前にはプログラムを買ってストーリー解説を熟読しなければならないのかな。

 設定や展開を知っていて当然、なのかもしれないが。

 なにも知らずに観劇したわたしは、物語に置き去りにされた(笑)。

 こんな単純な物語なのに?(笑)

 そうまるで、中村A作品を観たときのように!(笑)

 てかコレ、中村暁演出だっけ? 既視感バリバリ。
 知ってる、わたしコレ知ってるわ、『さすらいの果てに』とか『あの日見た夢に』とかよね? アレと同じ感覚で作られた話よね?

 いやはや。
 すごかったっす。
 

 おしゃれでかわいいポスター、舞台はフランスなのねー、なんてかわいいミュージカルなオープニング。
 若さがきらきら、いいわねえ。
 そうか、主人公シャルル@カチャは映画の小道具係をしている、映画が好きな男の子なのね。

 わがまま女優ミスタンゲット@圭子ねーさまに振り回されてみんな大変。そんなわがまま女優が頼りにしている付き人の女の子ジジ@アリス、かわいくて性格もいい子なのね。
 こんな子と偶然出会ったら、そりゃときめくわねえ。

 シャルルには友だちジョニー@いちくんがいて、一緒にお店で歌って騒いで楽しそう。みんなみんなかわいいなあ。

 その翌朝、シャルルはジジに偶然再会。ふたりでいつか海を見に行こうと打ち解け、いい雰囲気。
 シャルルは自作の歌も披露。つっても別にどーってことないふつーの歌、ミュージカル映画製作現場で働いている男の子だもん、音楽が好きなのは想定内、鼻歌ぐらい作るよね。
 青春!って感じでいいわねー。

 ここまでは良かったんだが。
 そのあとから、すごい勢いで置いていかれた。

 突然、シャルル撮影所クビ。ミスタンゲットの差し金らしい。
 たしかに仕事中に男の子とたのしそうにしていたジジも悪いけど、それだけでシャルルを遠ざけるって、どこまでわがままっつーか、ジジを所有物扱い? まあ、そういうキャラクタなのかな。
 しかし、それに対してジジはなにも言わない。ジジにとってシャルルってその程度なんだ……まあなあ、2回会ってちょっと喋っただけの相手だもん、仕事の方が大事だよね。

 ジジがヒロインだってことはポスターからわかっているから、きっとこのあとなにかあって愛し合うことになるんだな。
 最初に淡い好意、次に裏切り、それから本格的な恋愛へ、ってことだな。
 シャルルがクビにされるのを見て見ぬフリ、目線そらしてシカトするヒロインだもん、ひでー裏切り行為。
 別に好意を持っている相手でなくても、ただの知り合い相手であっても、酷いよこれ。他人の人生を保身のために踏みにじったわけだから。
 こんな酷いことをしなければならないほど、ミスタンゲットに弱みを握られているとか、事情があるんだわ、きっと。

 失業中のシャルルと友人ジョニーのもとへスカウトマン@すっしー登場。彼らの歌が大人気なんだって。

 はあ?
 ここで本気で驚いた。
 いつそんなことに?

 たしかにちょっと前に酒場で歌ってたけど、それってそんなに特別だった? みんなで歌い踊るミュージカル場面、オープニングと同じ扱いで観ていたよ。
 とてもじゃないが、ムーヴメントな大事件だとは思わなかった。

 これがストレートプレイならば、「歌」が重要なのはわかる。ふつーの人は日常で歌い踊らない。なのに自作の歌を披露する主人公は、たしかに特別だろう。
 しかしミュージカルである以上、モブの通行人すらふつーに歌い踊る世界観で、いくらでもあたりまえに歌があふれているなかで、主人公の歌う1曲が「スカウトされるほど特別」と描くなら、それなりの描き方が必要だろう。

 代役で酒場でどんちゃんしたときも、周囲の反応を描く。シャルルとジョニーの歌がどれだけ楽しかったかを、みんなが楽しんでいるかを、表現する。シャルルたちが楽しそうにしていることは描いていたけれど、それは客観的な評価じゃないよね。
 彼らのことを人々が噂をしたり、あのときの歌を口ずさんでいたり。
 クビになる前の撮影所で、「この前の歌、すごく良かった、歌手になればいいのに」とか、モブに言わせるとか。シャルルは笑って取り合わないとしても。
 なにかがじわじわ起こって、それがついにスカウトというカタチになる。

 「失意の底で、突然スカウト」というのを描きたかったから、あえてシャルルたちの歌がすごかったことも、人気を博していたことも描かなかったんだろうか、演出家? 歌手の物語なのに、その歌の良さや人気は表現しないポリシー?

 展開がいきなりすぎてぴよ?っとなった。
 シャルルたちだけが特別だった? みんなで歌って騒いでたんだから、あの酒場にいた全員をスカウトするべきじゃ??

 シャルルって実は歌手になりたかったんだ? 映画をやりたい人なのかと思っていたよ。ごめんね、「歌手」の物語だって設定知らなくて。
 でも、ジジに自作の歌を聴かせたときも、夢だとは特に言ってなかったような?

 歌手が夢なら、スカウトは願ってもないよなあ。でもジョニーと違って、シャルルはスカウトにも消極的。されどジジを振り向かせたくて承諾する。
 彼らのデビューはミスタンゲットの代役。
 失敗を危惧する関係者をよそに、まさかの大成功……はお約束なので、別にいい。お約束は大切だ。

 問題はそのあと。

 続く。
 中村暁作『さすらいの果てに』や『あの日見た夢に』と同じ香りのする、バウ公演『Je Chante』について、感想の続き。

 わがまま大女優ミスタンゲット@圭子ねーさまの代役でステージ立ち、まさかの大人気、成功を収めたらしい、主人公シャルル@カチャとその親友ジョニー@いちくん。

 彼らがどのように成功したのかが、よくわからない。
 初舞台成功!の、そのままの流れで続くので、時間の経過や世の中の反応がわからず、彼らのイメージ映像とか思いこみとか、狭い範囲でウケているだけなのか不明。「またファンレターか」という台詞によってファンレターの来る立場になっているんだ、と思うのみ。

 そもそもシャルルはミスタンゲットのせいで職を失い、好意を持った女の子ジジ@アリスちゃんとも遠ざけられた。歌手を目指すのは二重の意味でミスタンゲットが原因となっている。
 そのミスタンゲットの代役を成功させたのなら、次に描くべきは「代役に成功され、面目を失ったミスタンゲット」であり、「歌手としてデビューしたことによる、ジジの反応」だろう。
 なのにそれが一切ないまま、徴兵されて数年経過。

 待ってくれ。ナニが起こっているんだ。

 まず、代役を成功させて大人気スターになるほどの時間が流れているなら、ミスタンゲットやジジはその間どうしているの?
 そこが描かれていないから、まだ時間はたっていないんだ、代役ステージからせいぜい数日? だとしたら、たかが1ステージ経験しただけ、大スターとか歌手として生活とかしてるわけないよね、だからこれは彼らのイメージ映像? 脳内で「こんなふーにスター生活送るぞ」という未来?
 と思っていたら、どうやら本当に成功していたらしいし。
 じゃあミスタンゲットは? ジジは? 成功しさえすれば、どーでもいい相手だったんだ?

 まあたしかに、2回会って立ち話しただけの相手だ。シャルルは一目惚れしたのかもしれないけど、ほんとにただソレだけだもん、成功すれば忘れても仕方ないか。
 ……って、成功したら忘れる、程度の相手だったの、主人公にとってのヒロインって?? ファンレター来る立場の方が重要なの??

 だってそーゆーことじゃん、シャルルたちの成功場面は描いて、ジジへの気持ちは描かないんだもの、この演出。
 で、戦争でも楽しく歌い踊るだけで、ジジのことは言及しないし。成功したら人間は変わってしまう、ってこと??

 シャルルも相当アレだが、ジジはさらに謎だ。

 ジジのしたことといえば、シャルルと雨宿りしたあと、見殺しにしただけ。

 シャルルにとっての映画はその程度のモノだったから良かったけど、もしも映画界で生きることに命を懸けている子だったら、どーするんだ? ジジは自分を守るために、他人を見捨てる子なんだ?

 ジジの立ち位置がわからない。
 シャルルをどう思っているのか、まずコレが謎。
 彼に対して好意があるなら、彼を見殺しにはしないだろう。なのに、した。んじゃ、ただの通行人、世間話しただけの人扱い?
 いやいやいや、ポスターでラヴラヴしているヒロインなんだから、ソレはないだろ。
 じゃあ、好きなのにそれでも見殺しにするしかなかった?
 ミスタンゲットに弱みを握られていて、言いなりになるしかない?
 だとしたら、せめてフォローに来ようよ、謝ろうよ。24時間監視されていて、こっそり会うことも手紙を書くことも人に伝言を頼むこともできないの?
 結局ガン無視して終了、って、そういう人格? いいのかヒロイン?!

 シャルルが戦争へ行っているの間にジジはリーズという名前でレビュースターとしてデビュー。ミスタンゲットとジジの関係がまだ描かれていないし、ジジがなにをしたくて付き人をしているのかもわからないので首を傾げるが、これはまあそのうちわかるんだろうと静観。

 数年が経過したらしく、パリへ戻ったシャルルはすっかり別人となったジジと再会する。ナチスの庇護を受け、ゲオルグ少佐@みーちゃんの愛人やりながらスターとして君臨するリーズ。なんてこった、シャルルがーん!で、1幕終了。

 …………ごめん、ついて行けなかった(笑)。

 しかも2幕はもっとすごい。
 いつの間にかシャルルとジジは昔愛し合っていた恋人同士が再会したことになっていて、別にミスタンゲットに脅迫されていたわけでもなくて、運命で非劇でピストルばぁーん、かばって撃たれて死んで終了。

 たった2回立ち話しただけだよね?
 しかもジジは、そのせいでシャルルが撮影所をクビになってもフォローなし、保身ゆえに縁切りしたよーな女の子だよね?
 シャルルだって成功したら、ジジのことなんて忘れてたよね?

 いったいぜんたい、どっからそんなことになってるんだ??

 これってどこの中村A? 『さすらいの果てに』や『あの日見た夢に』?!(笑)

 演出家名すらチェックせずに観ていたら、中村A作品だと思っていただろう。

 や、わかるよ? 脳内補完可能な投げっぱなしぶりだとは思うよ? ヅカファンなら「こうくればこうなる」ってパターンがアタマにあるから、断片を見せられるだけであとは全部セオリーに従って勝手に納得するけれど。
 しかし。
 1箇所2箇所ならともかく、最初から最後まで万事において、「断片だけ、あとはルール通り脳内補完してね」ってのは、どうなの?(笑)
 
 観ながら、すごいデジャヴ。

 目の前のことしか考えられない、おぼえていられない主人公。ヒロインが目の前にいたら「愛してる」、目の前からいなくなると忘れてしまう。
 数回会って立ち話しただけで「運命の恋」で、脳内でラヴラヴなデュエットダンス。や、ひとり勝手に盛り上がってないで、まず彼女と会話しにいくなりすれば?(そこからかよ?!)
 幼なじみと再会→運命の恋人、書斎から出てきた男→父を殺した犯人、偶然たまたまその男と再会した→せっかく追いつめたのに! ……あのノリです、それらしきパーツひとつで、勝手に物語ががんがん展開し、客席でぽかーんとなる、アレ。

 『お笑いの果てに』くらい突き抜けてくれていたら、爆笑できたんだけど、『あの日見た夢に』程度の間違い方なので、笑えない。ただぽかーんとするのみ。

 えらいことになってるなあ、新人演出家。
 よりによって中村Aかよ……(笑)。

 続く。
 中村暁氏のオリジナル作品は、物語としての計算ができてない。
 1+2=3という、純粋に計算部分。

 ここでコレを描いたら、次にコレをフォローして、コレにつなげる。という、ごくごくまっとーな、ふつーの計算式。
 それが苦手であるらしい。

 計算は苦手でも、得意なことはある。

 中村A氏は、オーソドックスが得意だ。

 「タカラヅカ」というジャンルの持つ、普遍的なモノ。
 何十年経とうと変わらないスピリッツ。それを忠実に描くことのできる人だ。

 だから悪趣味な衣装は着せないし、とんでもない画面も作らない。
 ヅカファンが好きな時代の好きな国、好きなテイストでラヴストーリーを上演する。
 大昔はもっととんがった作品も創っていたようだが、柴田せんせの再演作を演出するようになってからの彼は、ことさらオーソドックスに伝統を守り続けている。

 柴田大先生の大昔の名作を、古い古いままそのまんま再現する。お手本を変えてはならない、ただなぞるだけ。減点されないよう、叱られないよう、あるものを懸命になぞる。冒険はしない、加点は望まない。
 減点されないこと、失敗しないことが最終目的で、成功することは別に目標にしていない。
 それが彼の作るところの、オーソドックス。

 ふつーにきれいな画面を作れる人なので、どんなに計算式の破綻した物語であっても、フィナーレがカッコイイから誤魔化されてしまう(笑)。
 あー、「タカラヅカ」ねえ。そう思わせて、うやむやにする。

 ……という、中村Aせんせの作風を、めーっちゃデジャヴしました、『Je Chante』!!(笑)

 そこにあるのは「オーソドックスなタカラヅカ」であり、お約束のオンパレード。でも、計算式がまともに描けていないので、提示されているのは設定の断片だけ。
 されどなにしろ「オーソドックスなタカラヅカ」なので、断片があると観客は勝手に脳内で「これはこういうこと」と変換していく。
 観客の「タカラヅカ・スキル」に頼り切った作劇。

 それでも、観客が大好きな「オーソドックスなタカラヅカ」なので、観たいモノを観られて、ある程度の満足感は得られる、という(笑)。
 『さすらいの果てに』だって『あの日見た夢に』だって、衣装や画面はハズしてないし、主人公たちの設定とストーリーの展開予定(あくまでも、予定・笑)だけは、ヅカファンが大好きなラインをきちんと守っているので、観る人によっては名作にもなり得るんだと思うよ。

 ツッコミ入れ出すとキリがないだけで。

 この『Je Chante』でデビューする、新人演出家の原田せんせ。
 何故よりによって中村Aテイストなのか、聞いてみたいっす(笑)。

 オーソドックスで手堅いけれど、個性のない作品。
 お手本通りに切り取ろうとして、失敗するのがこわくて切取線の外側を切っていたら、出来上がった切り絵はラインがぼけてしまってつまらなくなってました、みたいな。
 最初から合格ラインの70点目指してました、100点満点目指して大技チャレンジして失敗したら嫌だから、失敗しないことだけ考えました、みたいな。

 それで地味でも粗のない作品ならいいんだけど、なにしろ「観客の脳内補完前提の投げっぱなし脚本」だもんよ。
 オーソドックスだから、さわりだけ描けばヨシ、苦労して計算して伏線だの伏線回収だのしなくていいってか。

 最初のうちは「そんなこともあるわよね」と思って見ていたんだが、あまりにもさわりだけのフォロー無しっぷりが積み重なり、どんどん気持ち悪くなった(笑)。
 や、気持ち悪いって言葉が悪いけど、かゆいところがひとつならともかく、かゆくてもかけないままどんどんかゆさが降り積もっていき、途中でうきゃー!と叫びたくなる感じ、気持ち悪い~~、かゆいところに手が届いてなさすぎるよー!

 すべてお約束、すべて予定調和。最初に解説読んで観客が脳内でパッチワークしなければならない、というのが正しい観劇方法なら仕方ないけど。

 いやはや。
 同じ構成上の粗でも、作家の「コレを描きたいんだ~~っ!!」というパッションゆえに些末が吹っ飛ばされているなら、微笑ましいんだが。
 保身に走った結果で拙いんじゃ、観る方はつまんないなあ。

 
 とまあ、言いたい放題言ってますが。

 そーゆーことは置いておいて、だ。

 かわいい物語である。

 作品のアレさにはムズムズモニョモニョしまくったが、それでもやっぱり、「オーソドックスなタカラヅカ」はイイんだよ。
 中村Aに期待するキモチは探して発掘して振り起こさなければ出てこないが、新人さんには期待したいじゃないか。
 こーゆー「タカラヅカのお約束」だけで出来上がった作品も、ぜんぜんアリだと思うのよ。

 だって、あたたかいもの。

 「青春の輝き」というか、カチャをはじめ、出演者たちがキラキラキラキラしているんだもの。
 ツッコミどころは多々あれど、脳内補完しつつ勝手にシャルルやジジの物語を脳内で盛り上げて、切なくなったりすることは可能なんだもの。

 キャストの魅力に掛かっているところは大きいけれど、なにしろここはタカラヅカ、キャストの魅力で「見る」ところだもの。
 シャルルがどんな人か、ではなく、カチャが演じている役。ジジがどんな子か、ではなく、アリスが演じている役。

 カチャだからまっすぐキラキラしていて、アリスだからやさしいいい子に違いない、そーゆー見方だ。
 主人公とヒロインだから、愛し合うに決まっている、そーゆー見方だ。

 観客がキャスト個人のキャラクタを知った上で、ストーリー展開のルールも熟知した上で、観る。
 大衆劇場の宝塚大劇場ではなく、キャストのファンしか観に来ない小劇場、バウホールでだ。
 いいんだ、そーゆーので。

 それが許されるのが、「タカラヅカ」の美点のひとつだと思う。

 ファンだけが観て、さらにファンになって帰る。
 そういう場を作るのも、タカラヅカには必要。

 オーソドックスなタカラヅカ作品を、とても真面目に作ってきた新人演出家くんは、タカラヅカとキャストを愛してくれいるんだと思う。
 このタカラヅカならではの「お約束」ごと。

 だから『Je Chante』は、キラキラまぶしい、かわいい作品になった。
 悲劇ではあるけれど、後味は良く、しあわせなキモチで劇場を出ることができる。

 ……ただ、中村Aはひとりで十分っちゅーかひとりでマジ勘弁してくれなので、原田せんせには別のところを目指して欲しいと、心から祈ります。

 

 
 それにしても『舞姫』って、ほんっとーに低予算公演だったんだなあ、と、今ごろになって思った。
 かけてもらってるお金、ぜんぜんチガウだろヲイ……(笑)。
 みーちゃんにがっつき過ぎだ、自分(笑)。

 『Je Chante』の目当てはもちろんみーちゃんだったわけだが、待てど暮らせどみーちゃんが出てこない。1幕はほとんど出ないと聞いていたが、まさかあそこまで出てこないとは思ってなくて。
 出たーー!と思った途端、幕。ええええっ。

 さんざんじらされて、よーーやくがっつり眺められる2幕。
 みーちゃんが出るなりオペラピン取り、ガン見。みーちゃんが動くとわたしのオペラも動く。

 ……なんて状態に、自分でウケた。がっつき過ぎだ自分。ちったぁ落ち着け。

 『Je Chante』は1幕と2幕別物。1幕はかわいい明るいミュージカル、2幕はシリアスな恋愛モノ。
 ゲオルグ@みーちゃんはそのシリアス部分担当の恋敵、ナチス将校。

 かっこいいんだ、これが。

 や、わかってたよ、みーちゃんがかっこいいことは。そして、みーちゃんが軍服着たらかっこいいに決まってるって、見る前からわかってたよ、知ってたよ。
 わかってるくせに、改めて感動する。かっこいいぃぃ。

 つっても、役自体はなかなかどーしよーもない役というか。
 書き込みが不足していて、見る側が想像で埋めなきゃどーしよーもないなと。

 で、そーゆー場合を助けるのは、なんといっても役者個人の魅力、萌え。
 描かれていない部分を、観客に妄想させる力があるかどうかにかかってくる。

 いやその、うすっぺら脚本でもそのキャラクタの人生を感じさせる演技、てのはあると思うが、それもやっぱ限度があるじゃん? 描いてないことは描いてないんだから、どうあがいても。
 なにもかも脚本で説明する必要はないし、穴だらけを想像で埋めるのが楽しい場合もあるし、別にいいんじゃね? てことで。

 ゲオルグ少佐は観客側で萌えを補完できるよ。

 でもって少佐。

 本国に奥さんいるよね?

 作中ではまったく触れられませんが。
 当時の将校、しかも若造ではない大人の男が独身のわけないし。
 リーズ@アリスに対し、愛があることはわかるけれど踏み切れない部分があったのは、妻帯者だからかなと。

 つってもここはもちろん、上司の薦めとかで愛のない結婚をしているわけですよ。優秀な民族の一員として、優秀な子孫を残すためにも、選ばれたモノとしか結婚できないわけですから。
 でもそれは契約のようなモノで、本当の愛は知らない。
 リーズと出会い、はじめて愛を知ったわけですよ!!(机を叩く)
 しかし、既婚者だから真っ正直にプロポーズできないわけですよ!!(机を叩く)
 だからあんなツンデレな態度でしか接することができないんですよ!!(机を叩く)

 とゆーことでヨロシク(笑)。
 勝手に設定作ってますけどヨロシク(笑)。

 リーズをドイツへ連れて行くと言い出したときには、奥さんと上司と、彼を取り巻く一連の状況と、一戦交える覚悟を決めているわけですな。
 愛人止まりにしかできないかもしれないけど、それでも現地妻を連れて帰国すればいろーんな面倒が発生する、それを理解してなお、リーズが欲しかった、と。
 魂の彷徨の果てに、彼が求めた夢は……。

 いいじゃないですか、そーゆーの。
 
 フィナーレの黒燕尾もすばらしゅーございました。
 カッコイイわあ。これぞタカラヅカ、これぞ男役。

 
 みーちゃんにがっつきまくってましたが(笑)、もちろん主人公シャルル@カチャも見てました。

 新公ではスーツを着こなせなくて大変なことになっていたけれど、シャルル役はOK。
 すげーかわいい男の子。

 少女になって、こーゆー男の子と恋愛したいような、まっすぐな明るさ。
 彼の恋や歌を応援したくなる、そのあたたかな持ち味は、彼の魅力のひとつだと思う。

 大人の男の役は難しくても、等身大の若者役は得意分野。若いうちはそれもアリだろう。
 両方できるに越したことないが、若いかわいこちゃんには若いファンがつくだろうし、これからのタカラヅカに必要なアイドル系なのかもしれない。

 しかし、スタイルが良すぎて小顔過ぎて、隣に並ぶ人を選びまくるよなあ。

 
 ヒロインのジジ@アリスちゃんは安定した巧さと可愛さ。
 ジジってやってることは相当ひどいんだが(笑)、アリスなので憎めない。むしろ、けなげな女の子に見える不思議。

 等身大の女の子を演じると、ぎゅっとコブシ握りたくなるよーなかわいさがある。
 レビュースタァにはちょっと無理がある気はしたが……彼女の魅力はソコぢゃないんだよなあ。

 ジジががっつり支えてくれたから、シャルルがかわいくかっこよく見えたのかな。
 でもわたし、なんかシャルルの光にジジが負けていたよーな気がするっす……。

 
 フィナーレのデュエットダンスがいいんだわー。
 物語の続き、夢の続きのようで。

 
 そんでもって、ジョニー@いちくんが、すごくイイ。
 なんか今、地味にいちくんブームが来ている?(笑)
 スカステで見た、トド様DSもいちくんに持って行かれたしなー(笑)。

 とにかく、かわいい。おもしろいんだけど、かわいい。つつきたくてたまらない可愛さに満ちている。
 カノジョ役のれーれがまたかわいくて、ふたりそろってマスコットにして携帯に付けたい感じだ。(ナニそれ)

 そのくせ、あっちこっちで踊っていて、あれ、ジョニーどうしたの、とツッコミつつ(別人役ですってば)モブな彼も愛でてました。

 
 若手スターがいろいろ出演しているわりに、役が少ないっつーか、モブで踊ってるのがいちばんの仕事っぽくて、せっかくのバウなのにもったいないなと思いつつも。
 組ファンなら楽しみはいろいろと見つけられるのかな。

 樹茉くんに食いつきつつも、やっぱりわたしこおまいくんが好きらしい、彼がやたら目に付く(笑)。

 
 とにかく、みーちゃん萌えできて、それがいちばんたのしかったっす。

 ふつー若手主演バウは、主演する子より学年が下のスターしか出ないので、舞台クオリティも集客もいろいろ苦戦するものなんだが、今回はヒロインも2番手も主演経験有りの上級生だもんなあ。
 タニちゃん以外でこんな扱いを受けているバウ公演は、わたしの記憶にない。

 タニちゃんが特別であったように、カチャも特別なんだろう。
 タニちゃんバウで2番手をやっていたゆーひくんが今、宙組のトップスターなんだから、みーちゃんもまだまだこれからだよな。
 番手と学年の逆転は、オーソドックスな(笑)ヅカヲタであるためにとまどいしきりだが、それでもジェンヌさんたちが持ち味に応じて、よりよい方向に進んでくれることを望んでいるよ。
 まさかの、幕前コント有り!!の、花組新人公演『虞美人』って……!!

 いや、びっくりした。
 2幕を1幕の短縮版に変更するにあたって、不要な場面を切って説明台詞を増やすのはありがちな手法だが、それにしても、1幕をほぼそのままやって2幕前半をカット、後半につなげるために韓信@ネコちゃんと桃娘@実咲ちゃんがコントをするなんて……新し過ぎるだろ、キムシン。

 新公演出もキムシン自身でした。
 『暁のローマ』を思い出した。きりやんとみっちゃんがコントしてたっけね……。

 最初「これ、笑っていいとこ?」と微妙な空気が流れていた客席も、「ラヴシーンをしたがる韓信、それを軽くいなして解説を続ける桃娘」あたりから納得した模様、ハンカイ@ビックたち3人が「宴会だー!」と登場したときはふつーに笑っていた。

 しかし、新公オリジナルで漫才なんて、なんつー難易度の高いことをさせるんだ。
 鼻息の荒さに定評のあるネコちゃん(笑)だからやってくれるだろうけど、それにしてもすげえな。実咲ちゃんにしろまだ研1(もうすぐ研2)なのに、すげえや。

 たった1回こっきりの新公、シリアス大芝居のはずなのに、途中でそんなふーに空気をぶった切るのは、どーゆーつもりなの、演出家?

 しかしそーやって印象付けたせいか、韓信がやたらオイシイ役に思えた。
 解説を続ける桃娘に「(ラヴシーンは)おあずけですか」、解説を追えて去ろうとする桃娘に「なにか忘れていませんか(ラヴシーンするんだってば)」と言ってくれるもんで、韓信が愉快キャラになっている!(笑)

 そうか、そーゆー人なんだ。
 つーことで、そのあと劉邦軍に合流するときも、韓信と桃娘が、空気読めないバカップルに見えてウケた。
 義兄弟の契りに懸けて、項羽@鳳くんと劉邦@瀬戸くんは戦をやめてそれぞれ兵を引くことになった。追撃する絶好の機会だと張良@アーサーがたたみかける。
 その緊迫した雰囲気の中、桃娘とラヴラヴしながら韓信が登場する。うわ、なにこいつら!(笑)

 劉邦に項羽を後ろから討てと熱弁を振るう韓信がまた、やたらパッショネイトで。理を説いているというより、個性勝ちな愉快キャラが騒いでるみたいで。
 うわー。ネコちゃんオイシイ。つか、おもしろい。

 「名物男韓信」と歌われるに相応しい、爆走ぶりでした。
 幕間漫才で観客から笑われて、スイッチ入った?
 いっそ最初からこのキャラでやってくれればいいのに。1幕はふつーに二枚目やってたぞ? 股くぐりではかなりぴくぴくきてたみたいだけど。

 韓信がマンガ的にキャラ立ちしまくってくれて、華やかでした。
 本来の『虞美人』として正しいかどうかは置いておいて。
 コントをやらせたキムシンがいちばん悪い(笑)。

 
 さて、わたしの新公観劇のお目当ては、なんつっても張良@アーサー。
 毎公演力を付けている伸び盛りな研6、90期。今回もまっつの役。アーサーも歌ウマかつ美声の持ち主、その上タッパがあり男役らしい資質に恵まれている。どんだけ素敵な軍師様かと、見る前からわくわく。

 えーと。

 張良って、いい役、だよね? 少なくとも、まっつが演じているのを見て、すごーくいい役だと思った。なのに。

 あまり、アーサーに合っていない気がした。

 というのもだ。
 張良って、彼が真ん中でどーんっ!と発散する場面のない役なんだ。基本辛抱役というか、たしかに大役だしいい役なんだけど、役目的には裏方でありいぶし銀な役なんだ。

 アーサー、鹿の布持って歌ってる本公演の方が、似合ってる……。

 前回のベルナール@『外伝 ベルサイユのばら-アンドレ編-』は、すごかった。
 センターに立ち、歌う。群舞を従えて、踊る。
 あのときの輝きっぷりときたら!
「スターがいる!!」
 と、心からわくわくしたもんなあ。

 それと同じ発光を期待していたんだが、そーゆーのとはちがっていた。
 張良役は、ふつーに地味だった。期待していたようなまばゆい光は感じられなかった。いやその、そーゆー役だし。
 歌も、声の通りも、思っていたほどではなく……あの歌、難しかったんだね、アーサーでも手こずる歌なんだね。

 もちろん手堅く巧いんだけど、今までの舞台で、今回の本公演で、どーんっと発光できる人だということを知ってしまっているだけに、その手堅くまとまった姿が残念だった。

 そうかアーサーって真ん中向きの人なんだ……。
 センターに立って発散していい役なら、輝度が増すんだ。
 現に、本公演の居酒屋センターでは目立ってるじゃん。美声が響いてるじゃん。幕間や終演後に「あの鹿の人って誰?」とあちこちから聞こえてくるくらいに、注目を集める華があるじゃん。
 張良だと、そこまで達しないというか、まったく趣がチガウというか。
 役によって切り替えられるのは役者として正しいけれど、真ん中で輝けるのは才能だから、使わずにいるのはもったいないよ。

 ついでに言うと、軍師オンリーな役割の人としては、ふつーに強そうだ。謀略よりも、剣握って戦場へ突進した方が話早くないか? って感じに見えた。

 思い切り発散していい、「英雄」役のアーサーが見てみたいなあ。
 いくらでも発光していいとなると、どこまで輝度を増すのか見てみたい。
 ……実際に真ん中でヒーローをやったら、2500人劇場を満たすほどは発光しないのかもしれないが、こればかりは実際見てみないとわかんないしなあ。機会があればいいな。

  
 それと、コスプレ物でない新公を見てみたい、としみじみ思った(笑)。

 若者たちがゴテゴテした飾りのついていないスーツなどをどう着こなすのか、いい加減見てみたいわ。

 というのも、主役の鳳くんが大変そうでねえ。
 や、初主演おめでとー!! 大役だがんばれ! なわけなんだが、それにしても、衣装が似合わなくてなあ。
 あの首の飾りはなくすことはできないんだろうか。首と顎がなくなっちゃって顔の丸さが強調されて、気の毒だった。
 もともとまるまる顔だけど、この間のバウにしろ今回の本公演にしろ、衣装はすっきり着こなしているのだから、本役さんの衣装をまんま着なくてはならない新公だからこそ気の毒なことになっているんだと思う。ホゲ@『太王四神記』のときも、ビジュアル王ゆーひくんと比べられて大変なことになっていたけど、まとぶさんでも大変なわけか……。

 素直な持ち味でまっすぐ演じる項羽は、主人公らしい輝きがあった。
 学年相応の力はあるんだと思う。別にヘタじゃないしなあ……でも、2500人劇場の真ん中に立つのは、それ以外のナニかが必要なんだよなあ。

 人柄の優しさがちょっとした表情から伝わる。この項羽、いい子だ……と思う。最後まで少年ぽくて、英雄には見えないにしろ、誠実さと熱意があり、人柄ゆえに軍をまとめたのだと思えば……あれ? それって項羽じゃない??

 ふつーにいい人を演じる鳳くんが見てみたいですな。いつも彼、黒い役ばっかで持ち味に合っていない気がする。(フェルゼンも黒い人認識ですとも・笑)
「華形みつるはやっぱイイよねえ」「うんうん、みつるはイイ!」
 てな会話で、ふと自問する。
 ちょっと待て、華形みつる? なんかチガウよーな?

 仲間内でも「華形みつる」と書かれていてなんの疑問もなくコメントが続いたりするけど、チガウから。
 × 華形みつる
 ○ 華形ひかる

 愛称が浸透し過ぎて、芸名がわかんなくなるという(笑)。

 それと同じ現象の起こっている若手くんがひとり。

「瀬戸あきらはやっぱイイよねえ」「うんうん、あきらはイイ!」

 瀬戸あきら? あれ? そんな名前だっけ?

「芸名が思い出せない……」「瀬戸……なんだっけ? も、あきらで良くない?」
 そんな会話をしていましたっけねえ、前回の新公のころ。
 そもそも彼、なんであきらって愛称なんですか?

 このブログではずっと瀬戸くん表記ですが、日常会話ではふつーにあきら呼び(呼び捨て)っす。なんか言いやすいよね、あきらって。


 新人公演『虞美人』、劉邦@瀬戸くん。
 キャスティングが発表になったときに、テンション上がりました。つーのも、2番手が回ってくるよーな人だとは思ってなくて(笑)。何故にあきら?と。90期ならネコちゃんとかアーサーとかの方が納得というか。

 瀬戸くんにナニがある、ナニができる、というのはよくわかりません。見ていてなお、よくわからない。

 ただ彼を見ると、「タカラヅカって、コレだよな」と思う。

 なんつーんだ、ビジュアル上等! ハッタリ上等!っていうか。

 前回の新公で、衛兵隊士のセンターとして瀬戸くんが登場したときの、客席の空気。
 なんかかっこいい男が出てきた! という、感動。
 劇団から特に宣伝されている子ではないので、多分多くの人たちがノーマークとしてまず舞台姿を見ることになっただろう、アルマン役。
 誰アレ。なんか、カッコイイ。
 うまいのかどうかよくわかんないけど、どーんと出てこられると、とりあえず目が行く。おっ、と思う。

 「男役」としてのビジュアルが出来上がっていること。
 ぷくぷく丸い、若い女の子たちの中で、瀬戸くんの武器ははっきりしている。とかく若手少年は「かわいこちゃん」に分類されがちなのに、瀬戸くんは「イケメン」への所属意識を持っているというか。
 長身に小顔、男子としての体型。主演の鳳くんと並んでせり上がってくる合戦場面とか、少年体型の項羽に対し、頭身の差が顕著。単純にスタイルがいいというよりは、男子としてのバランスがきれい。うっわ、タカラヅカだー、このビジュアルっぷり。

 演技は壮くんのコピーで、壮くんと同じバランスで衣装を着こなしていることと同様、意外に器用なんだと驚いた。
 ときどき表情がオバチャンぽくなるというか、元の顔立ちが一歩間違えるとオバチャン系(ごめん)なこともあり、残念な部分もあるんだが、ビジュアル重視キャラクタとして存在していたかと。

 持ち味がワイルド系で王子サマ系ではないんだよねえ。だから衛兵隊士はハマりまくっていたわけだし。たぶん、バリバリの武闘派を演じた方が、魅力を出しやすいのだと思う。劉邦はヘタレ面強調キャラなので、実はやりにくかったのではないかと思う。
 2幕前半がまるっとカットされていたため、劉邦のテーマソング銀橋ソロがなく、かわりに絶望ソングが銀橋に変更されていた。
 これはけっこー、瀬戸くんには痛い変更ポイントだったのではないかな。彼の得意とする野郎度でアピれるヒーローソングがカットで、苦手な弱っちい部分を見せ場にするしかないというのは。

 しかも。
 怒濤の2幕カット、それを幕前コントで解説という荒技を使った新人公演、ネコ&ミサキの夫婦漫才+お笑いトリオで騒然とした劇場に、いきなり登場して銀橋ソロ、絶望全開、って、なんのイジメ?!みたいな演出(笑)。

 客席のあのビミョーな空気。
 え、これってコントの続き? 笑っていいとこ? と、一瞬ぴよっとなったあと、「あ、シリアスな本筋がはじまったらしい」と理解し、居住まいを正す、あの感覚。
 ヅカの観客って真面目だね。しみじみ思った。ヅカファンのそーゆーとこ好きだ(笑)。
 ひどい演出なんだけど(笑)、それを茶化して笑ったりせず、親心で見守って、客席から援護射撃している。12人目のプレイヤーじゃないけど、客席のファンってのはサポーターなんだなあ。

 演出で底上げされないどころか難易度めちゃ上げされていた劉邦の絶望銀橋、それでも瀬戸くんよくやった。

 またここで登場する戚@姫花の異次元度がハンパない。

 いきなり二次元キャラ来ました、萌えキャラ投入されました!
 棒読みアニメ声にアニメキャラまんまの美少女。

 彼女を見つめる劉邦の図に、「continue? 1・yes 2・no」のテロップが見えた。や、continueだ、yesだ。劉邦様今、すげー勢いでyes選択して決定ボタン連打したね?(笑)

 姫花のあの現実感のなさ。突然天使が舞い降りてきたんだもの、わけわかんないままyes押して次ステージに行くでしょう、男としては。

 みょーな説得力に充ち満ちてました。……にしても、幕前コントからぶっとばしまくってるなこの新公。

 合戦ダンスは力入りすぎてるのか、すげー汗。漢らしさは得意分野だがんばれ。

 物語が項羽中心にまとめてあるため、劉邦の見せ場はいろいろとカット、最後も項羽が絶命するところで幕、なので劉邦の主題歌ソロは無し。
 愉快な韓信@ネコちゃんに詰め寄られ、強そうな張良@アーサーに苛められ……もとい、説得され、項羽を後ろから討つと決意するところまでが出番。
 嘆き全開、汗も全開、とかく体当たり感に満ちた劉邦様。

 そのあと四面楚歌で無言登場するけど、出番としてはその前の決断場面まででしょう。

 突然の抜擢によく応えていたのではないかと。……や、ほんと、見てなおナニができる人なのかわからん(笑)。……花組時代の壮くんの新公を思い出す、というか、えーと(笑)。
 それでも彼がそのイケメンっぷりを武器に今後も戦ってくれれば、一観客としてとてもうれしい。

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