アイシテルヨ、アイシテル。@宝塚巴里祭2009
2009年6月18日 タカラヅカ わたしは、まっつという人を知りません。
まっつでなくても、ジェンヌは誰ひとり知らないけれど。
それにしても、ご贔屓でありながら、ほんとにまっつという人のことは、わかっていないと思う。
わたしが見ているのは舞台の上だけで、そこから受ける印象がすべてで。しかも、舞台の印象だってわたし自身の勝手なフィルターが掛かりまくっているわけで。
まっつ……というか、未涼亜希の「中の人」がどんな人なのかは、まったく想像がつきません。
と、いきなりこんなことを書いているのは。
『宝塚巴里祭2009』の千秋楽の最後の挨拶で、未涼さんは、泣くのでしょうか?
という疑問があるためです。
公私混同がタカラヅカの魅力ひとつ。
「がんばっている」ことや「うれしい/さみしい」とかのナマの感情を、「舞台」で見せること、それを愛でることも、ヅカの醍醐味。
ふつーのプロなら、そんなの見せちゃいけませんけどね。
パン屋さんが泣きながらパン作っているところを買い物客に見せたら、パンは売れません。んなもん、こわくて買えるか。
店の経営者が客にお尻を見せて従業員に「ありがとう、私が今日までやってこれたのはみんなのおかげだ」と言っていたら、「そんなもんは閉店後にやれ、営業中にやるな」と思いますよ。
でも、それらをやっていいのがタカラヅカ。良くも悪くも、タカラヅカ。
新公・初バウ主演楽では主演の子は感極まって泣きながら、声を詰まらせながら終演後の挨拶をし、退団者のいる千秋楽ではみんな泣いてヨシ、むしろ悲しんでいない方が不自然、てなもんで。
公演を最後まで務めたら、最後の挨拶ではナマの感情を出していい。つか、出した方が「好感度アップ」な部分が大いにある。
初主演楽は、泣きながら挨拶がデフォでしょ? 昔は知らんが、近年はずっと。
泣かずに余裕で挨拶キメたのは、マギーぐらい?(大物)
だから初主演のまっつも、流れから行けば、「泣いて当然」なんですが。
通常公演でなくディナーショーだし、シャンソンばっかの巴里祭だし、で、そんな感極まる系の挨拶にならないわー、てのはあるかもしんないけど。
でもケロだってDS楽の挨拶では、大泣きしてハンカチ握りしめて出てきたし。DSだからどう、ってわけでもないだろう。
ふつーに「主演作品」として、「泣いて挨拶」はアリだと思うが。
「……泣かないんじゃない?」
「あー、やっぱそう思う?」
てな会話を、まっつメイトとしてしまいました。
まつださん、新公主演の挨拶でも、泣いてなかったっすよね……。
千秋楽で退団者を見送るときは顔固まったまま、涙だけこぼしてます。でも、自分の新公主演時は泣いてなかった。
そのまつあすトリオでの座談会でも、「まっつは泣かない子」という話をしているしなあ。
「他人のことでは泣くけど、自分のことでは泣かないイメージ」
……と、友人と頷き合う。
まっつがどんな人か、未涼さんの中の人がどんな人なのか、まったく知りませんけれど。
知らないだけに、想像の翼は広が……りもせず、とっとと失速。
「ふつーに淡々と挨拶して終わりそう」
「……カーテンコール少ないよ、それじゃあ」
でも、大泣きされて客席も号泣して、涙と拍手でカテコが終わらない! てのも、まっつのイメージぢゃない。
「お客さんイエーイ!」をやってノリノリでパッショネイトでフリーダムなあおり方をする、てのも、まっつのイメージぢゃない。
つか、そんなことされたらびびる(笑)。
実際のとこ、どうなんでしょうね?
や、この際、なんでもやってくれていいです。
大泣きでも、ノリノリでも、あっさり終了でも、なにがあってもついていく!
泣かれたら一緒に泣くし、「アイシテルヨー!」と叫ばれたら「アイシテルー!」と叫び返す!(どこのオサコンだ)
あっさり終了したら、「まっつらしいねー」で済ませる!(笑)
で、どうなんでしょうね?
全国5万人のまっつファンの意見が聞きたいっす。
まっつでなくても、ジェンヌは誰ひとり知らないけれど。
それにしても、ご贔屓でありながら、ほんとにまっつという人のことは、わかっていないと思う。
わたしが見ているのは舞台の上だけで、そこから受ける印象がすべてで。しかも、舞台の印象だってわたし自身の勝手なフィルターが掛かりまくっているわけで。
まっつ……というか、未涼亜希の「中の人」がどんな人なのかは、まったく想像がつきません。
と、いきなりこんなことを書いているのは。
『宝塚巴里祭2009』の千秋楽の最後の挨拶で、未涼さんは、泣くのでしょうか?
という疑問があるためです。
公私混同がタカラヅカの魅力ひとつ。
「がんばっている」ことや「うれしい/さみしい」とかのナマの感情を、「舞台」で見せること、それを愛でることも、ヅカの醍醐味。
ふつーのプロなら、そんなの見せちゃいけませんけどね。
パン屋さんが泣きながらパン作っているところを買い物客に見せたら、パンは売れません。んなもん、こわくて買えるか。
店の経営者が客にお尻を見せて従業員に「ありがとう、私が今日までやってこれたのはみんなのおかげだ」と言っていたら、「そんなもんは閉店後にやれ、営業中にやるな」と思いますよ。
でも、それらをやっていいのがタカラヅカ。良くも悪くも、タカラヅカ。
新公・初バウ主演楽では主演の子は感極まって泣きながら、声を詰まらせながら終演後の挨拶をし、退団者のいる千秋楽ではみんな泣いてヨシ、むしろ悲しんでいない方が不自然、てなもんで。
公演を最後まで務めたら、最後の挨拶ではナマの感情を出していい。つか、出した方が「好感度アップ」な部分が大いにある。
初主演楽は、泣きながら挨拶がデフォでしょ? 昔は知らんが、近年はずっと。
泣かずに余裕で挨拶キメたのは、マギーぐらい?(大物)
だから初主演のまっつも、流れから行けば、「泣いて当然」なんですが。
通常公演でなくディナーショーだし、シャンソンばっかの巴里祭だし、で、そんな感極まる系の挨拶にならないわー、てのはあるかもしんないけど。
でもケロだってDS楽の挨拶では、大泣きしてハンカチ握りしめて出てきたし。DSだからどう、ってわけでもないだろう。
ふつーに「主演作品」として、「泣いて挨拶」はアリだと思うが。
「……泣かないんじゃない?」
「あー、やっぱそう思う?」
てな会話を、まっつメイトとしてしまいました。
まつださん、新公主演の挨拶でも、泣いてなかったっすよね……。
千秋楽で退団者を見送るときは顔固まったまま、涙だけこぼしてます。でも、自分の新公主演時は泣いてなかった。
そのまつあすトリオでの座談会でも、「まっつは泣かない子」という話をしているしなあ。
「他人のことでは泣くけど、自分のことでは泣かないイメージ」
……と、友人と頷き合う。
まっつがどんな人か、未涼さんの中の人がどんな人なのか、まったく知りませんけれど。
知らないだけに、想像の翼は広が……りもせず、とっとと失速。
「ふつーに淡々と挨拶して終わりそう」
「……カーテンコール少ないよ、それじゃあ」
でも、大泣きされて客席も号泣して、涙と拍手でカテコが終わらない! てのも、まっつのイメージぢゃない。
「お客さんイエーイ!」をやってノリノリでパッショネイトでフリーダムなあおり方をする、てのも、まっつのイメージぢゃない。
つか、そんなことされたらびびる(笑)。
実際のとこ、どうなんでしょうね?
や、この際、なんでもやってくれていいです。
大泣きでも、ノリノリでも、あっさり終了でも、なにがあってもついていく!
泣かれたら一緒に泣くし、「アイシテルヨー!」と叫ばれたら「アイシテルー!」と叫び返す!(どこのオサコンだ)
あっさり終了したら、「まっつらしいねー」で済ませる!(笑)
で、どうなんでしょうね?
全国5万人のまっつファンの意見が聞きたいっす。
『宝塚巴里祭』と、スカステ・ニュース。
2009年6月17日 タカラヅカ うっかりしていたけれど、6月半ばってことは、『宝塚巴里祭2009』まで、1ヶ月を切ったということです。
……まだチケット送られて来ないんですが、無事に受理されているのだろーか……ホテルの人、振り込み期限は言っても、チケット発送日や、「この日までに送られて来なかったら事故が考えられるので問い合わせてください」とかは一切言わなかったぞ。
電話がつながっただけでテンパってたから、向こうが言うことをメモるだけで精一杯だったさ……。
1ヶ月切ったはいいが、どの程度情報は前もって得られるのだろうか、と近年の『宝塚巴里祭』のスカステ・ニュースのデータをあさってみた。
や、なにしろオレ、溜め込むタイプのヲタクだから、スカステ・ニュースほぼ全部保存してあるんだわ(笑)。
★2006年 あひくん 7/24・25
T News 「宝塚巴里祭2006囲み取材」あひくんと草野せんせ 2006/7/13
T News 「宝塚巴里祭2006対談」あひくんと草野せんせ 2006/7/20
T News 「宝塚巴里祭2006稽古場」 2006/7/24
T News 「宝塚巴里祭2006開催」 2006/7/26
★2007年 れおんくん 7/17・18 7/23・24
T News 「宝塚巴里祭2007囲み取材」れおん単独 2007/7/12
T News 「宝塚巴里祭2007インタビュー」れんた・キトリによるれおんインタビュー 2007/7/16
T News 「宝塚巴里祭2007稽古場」 2007/7/17
T News 「宝塚巴里祭2007開催」 2007/7/25
★2008年 ともちん 7/21・22 7/29・30
T News 「宝塚巴里祭2008制作発表」ともちんと岡田せんせ 2008/6/30
T News 「宝塚巴里祭2008稽古場」2008/7/22
T News 「宝塚巴里祭2008稽古場レポート」出演者全員 2008/7/22
T News 「宝塚巴里祭2008開催」 2008/7/31
こうして比べてみると、いろいろ見えてくるものがあるというか。
れおん巴里祭への、力の入れ方がすげえな、とか。
れおんくんの場合、他の出演者も組ファンに知名度や人気の高い子を揃えているし。「絶対に失敗は許されない」という面子で、単独記者会見開いてまでのバックアップ。
そして、あひくん……。
あひくんは、大阪で2回のみしか開催されてなかったのね……他の人の半分の場しか与えられていなかったのか……。(ちなみに、2002年以降東西合わせて4回開催が基本)
「囲み取材」「製作発表」とニュースのタイトルは違っているけれど、やっていることは同じ。劇団?に記者を集めて会見をしている。トップスターの退団発表とか、スポンサー付き大作製作発表のようにホテルの金屏風の前ではない、つーだけで。
とりあえず、3年連続製作発表があったってことは……今年もあるの?
まっつが、記者会見するの?
えええ?
なんかソレは、ぴんとこない……マジであるんだろうか。劇団は生徒に合わせて扱いは変えてくるので、今年はいきなりなかったりして?
なかったらヘコむなー。
そして、主演者か出演者全員か、とりあえずなにかしら意気込みを口にする場はある、ようだ。
まっつの場合はともちんパターンかな、じゅりあがインタビュアーで。
まっつひとりに喋ってもらいたい気はするが、みんなと一緒に一言ずつ、がいいのかもな。
たぶん、まっつと中村Bの対談とかだったら、サービス精神に欠ける淡々とした会話になっておもしろくな……ゲフンゲフン。
今年は例年より半月ほど開催が早いので、それを理由(会見やる時間ナイ、レポート収録する時間ナイなど)にニュースに出してもらえない、なんてことがナイことを祈ります。
例年通り、4回はニュースに取り上げてくれよぉ? 頼みますよ、歌劇団様。
……まだチケット送られて来ないんですが、無事に受理されているのだろーか……ホテルの人、振り込み期限は言っても、チケット発送日や、「この日までに送られて来なかったら事故が考えられるので問い合わせてください」とかは一切言わなかったぞ。
電話がつながっただけでテンパってたから、向こうが言うことをメモるだけで精一杯だったさ……。
1ヶ月切ったはいいが、どの程度情報は前もって得られるのだろうか、と近年の『宝塚巴里祭』のスカステ・ニュースのデータをあさってみた。
や、なにしろオレ、溜め込むタイプのヲタクだから、スカステ・ニュースほぼ全部保存してあるんだわ(笑)。
★2006年 あひくん 7/24・25
T News 「宝塚巴里祭2006囲み取材」あひくんと草野せんせ 2006/7/13
T News 「宝塚巴里祭2006対談」あひくんと草野せんせ 2006/7/20
T News 「宝塚巴里祭2006稽古場」 2006/7/24
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★2007年 れおんくん 7/17・18 7/23・24
T News 「宝塚巴里祭2007囲み取材」れおん単独 2007/7/12
T News 「宝塚巴里祭2007インタビュー」れんた・キトリによるれおんインタビュー 2007/7/16
T News 「宝塚巴里祭2007稽古場」 2007/7/17
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★2008年 ともちん 7/21・22 7/29・30
T News 「宝塚巴里祭2008制作発表」ともちんと岡田せんせ 2008/6/30
T News 「宝塚巴里祭2008稽古場」2008/7/22
T News 「宝塚巴里祭2008稽古場レポート」出演者全員 2008/7/22
T News 「宝塚巴里祭2008開催」 2008/7/31
こうして比べてみると、いろいろ見えてくるものがあるというか。
れおん巴里祭への、力の入れ方がすげえな、とか。
れおんくんの場合、他の出演者も組ファンに知名度や人気の高い子を揃えているし。「絶対に失敗は許されない」という面子で、単独記者会見開いてまでのバックアップ。
そして、あひくん……。
あひくんは、大阪で2回のみしか開催されてなかったのね……他の人の半分の場しか与えられていなかったのか……。(ちなみに、2002年以降東西合わせて4回開催が基本)
「囲み取材」「製作発表」とニュースのタイトルは違っているけれど、やっていることは同じ。劇団?に記者を集めて会見をしている。トップスターの退団発表とか、スポンサー付き大作製作発表のようにホテルの金屏風の前ではない、つーだけで。
とりあえず、3年連続製作発表があったってことは……今年もあるの?
まっつが、記者会見するの?
えええ?
なんかソレは、ぴんとこない……マジであるんだろうか。劇団は生徒に合わせて扱いは変えてくるので、今年はいきなりなかったりして?
なかったらヘコむなー。
そして、主演者か出演者全員か、とりあえずなにかしら意気込みを口にする場はある、ようだ。
まっつの場合はともちんパターンかな、じゅりあがインタビュアーで。
まっつひとりに喋ってもらいたい気はするが、みんなと一緒に一言ずつ、がいいのかもな。
たぶん、まっつと中村Bの対談とかだったら、サービス精神に欠ける淡々とした会話になっておもしろくな……ゲフンゲフン。
今年は例年より半月ほど開催が早いので、それを理由(会見やる時間ナイ、レポート収録する時間ナイなど)にニュースに出してもらえない、なんてことがナイことを祈ります。
例年通り、4回はニュースに取り上げてくれよぉ? 頼みますよ、歌劇団様。
なんてこった・追い打ち。
2009年6月16日 タカラヅカ2009/06/16
雪組 退団者のお知らせ
下記の生徒の退団発表がありましたのでお知らせいたします。
(雪組)
天勢いづる
森咲かぐや
愛輝ゆま
寿々音綾
冴輝ちはや
2009年10月18日(雪組東京宝塚劇場公演千秋楽)付で退団
2009/06/16
雪組 宝塚大劇場公演・東京宝塚劇場公演 休演者のお知らせ
雪組 宝塚大劇場公演・東京宝塚劇場公演『ロシアン・ブルー』『RIO DE BRAVO!!(リオ デ ブラボー)』の休演者をお知らせいたします。
雪組 飛鳥 裕
※体調不良の為、全日程休演いたします。
■休演期間
宝塚大劇場公演:2009年7月31日(金)~8月31日(月)千秋楽まで全日程
東京宝塚劇場公演:2009年9月18日(金)~10月18日(日)千秋楽まで全日程
2009/06/16
星組『太王四神記 Ver.II』 凰稀 かなめの休演について
『AQUA5 コンサート』及び、宝塚歌劇95周年記念・「歌劇」通巻1000号記念スペシャル『百年への道』を、怪我(左足小指骨折)の為に休演いたしました星組・凰稀かなめですが、6月26日(金)に初日を迎えます宝塚大劇場 星組公演『太王四神記 Ver.II』につきましても、当面の間休演させて頂きます。
同公演中での復帰を目指して引き続き治療を行ってまいりますので、何卒ご理解を賜りますようお願い申し上げます。
尚、復帰時期につきましては改めて当ホームページでご案内させて頂きます。また、公演の代役については下記の通りです。
■代役について(太王四神記 Ver.II)
ヨン・ホゲ役 ・・・ 夢乃 聖夏(凰稀 かなめの代役)
サリャン役 ・・・ 壱城 あずさ(夢乃 聖夏の代役)
……なんなの、この3連発。
集合日だから覚悟はあるにしたって、退団者はいつだって「まさか」な出来事。
え、この人が今、辞めてしまうの? どうして? それを咀嚼する間もなく、ナガさん休演。
東宝まで全休ってことは、次の公演のお稽古開始まで休むってことで……4ヶ月もの休養が必要な状態と言うこと?
また次の公演は大劇場ではなく他のハコだから全員出演の縛りがないため「出る」と確約されているわけでもなく……。
「体調不良」って、どの程度のことなんだろう。
と、おろおろしていたらさらに。
かなめくん……。
「当面の間」休演ということは、全休は考えていないということで、「会える」可能性があるのは素直にうれしい。
かなめくんのホゲが見たい。
しかし、「当面の間」と発表したことが枷になって、無理したり、しないだろうか。
と、さらにおろおろ。
代役のともみん、しーらん、星の組子たち、みんなみんな一丸となって、すげえ舞台を見せてくれるんだろう。かなめくんの分もがんばって、新生星組のパワーを見せてくれるだろう。
わかっている、信頼している。
けど、その輝きを支える縁の下での苦労を想像して、勝手におろおろ。
「フェアリー」である彼らは、本当のところとても過酷な現実を生き、わたしたちに夢を見せてくれている。
卒業するフェアリーたち、お休みするフェアリーたち、さらに夢を作り続けるフェアリーたち、どうかそれぞれがそれぞれの場所で最良の時間を過ごせますように。
なんかもお、さみしいなあ。せつないなあ。
つーことで、気がつけば6月も半ば。
今日は大劇場で『百年への道』イベントが開催された、はず。友人が観劇したので、そのうちブログにレポをあげてくれるだろー、と他力本願。
思えば、大劇場で行われる全組網羅モノのイベントに参加しないのは、数年ぶりだ。えっと、いつ以来? このブログはじめてからはずーーっと参加していたような? 今世紀になってから皆勤だった?
や、たんに今回はチケット手に入らなくて。友会はずれたし、一般も取れなかったし。
それでも毎回、無理をしてでも参加していたけれど、今回はおとなしくしていようと思った。
だって、まっつ出ないし。
わたしがTCAとか必死にチケ取りする理由は、わたしの好きな人は、テレビに映らないという、切実な理由があったからだ。
DVDでも中継映像でもスカステ放送でもなんでもいいけど、とにかく、映してもらえない。そこにいるのに、フレームの外。
彼を見たかったら、なにがなんでもナマで見るしかない。
その切実な思いに背中を押され、チケ取りに奔走するのですよ。
たとえただのバックダンサーだろうと、大階段のデコレーションに並ぶだけであろうと、まっつが出演するなら万難を排して駆けつけるんだけどねえ……。
出ないんだったら、テレビ放送を待てばいいか。
と、気力と財布の中身のなさゆえに、指をくわえてお留守番です。
てな内容のテキストを電車の中で打っていたら、オサ様結婚のニュースが飛び込んできました。
あわてて公式サイトまで見に行ったよ……。
えーとえーと。
お、おめでとうございます。
祝福するキモチとは別に、混乱しているとゆーか、実はかなりショックだというか。
「ハルノスミレ」というヒトはわたしにとって「神」レベルの方なので、なんつーか、今さらながらオサ様って、実は人間だったんだというショックが……(笑)。
勝手に崇め奉っていただけなんで、勝手なこと言ってるだけなんですが。
ショックはショックとして、それはもおわたしの問題だから置いておいて(よっこらしょっと)、おめでとうございます。
時間は確実に流れているんだな。
そのことを目の当たりにした、という気がして、また地味にショックだったりします。
わたしのアタマのなかは、なんかもういつからかわかんないくらい、止まったままなのにな。
今日でゆーひくんもののすみも、花組からいなくなってしまうわけだし。
おめでたいけれど、ちょっと寂しい。
時間は止まらない。
みんなみんな、前へ進み続ける。
わたし、いつまで止まったまんまでいるんだろう?(ヒトとしてダメ過ぎる……)
今日は大劇場で『百年への道』イベントが開催された、はず。友人が観劇したので、そのうちブログにレポをあげてくれるだろー、と他力本願。
思えば、大劇場で行われる全組網羅モノのイベントに参加しないのは、数年ぶりだ。えっと、いつ以来? このブログはじめてからはずーーっと参加していたような? 今世紀になってから皆勤だった?
や、たんに今回はチケット手に入らなくて。友会はずれたし、一般も取れなかったし。
それでも毎回、無理をしてでも参加していたけれど、今回はおとなしくしていようと思った。
だって、まっつ出ないし。
わたしがTCAとか必死にチケ取りする理由は、わたしの好きな人は、テレビに映らないという、切実な理由があったからだ。
DVDでも中継映像でもスカステ放送でもなんでもいいけど、とにかく、映してもらえない。そこにいるのに、フレームの外。
彼を見たかったら、なにがなんでもナマで見るしかない。
その切実な思いに背中を押され、チケ取りに奔走するのですよ。
たとえただのバックダンサーだろうと、大階段のデコレーションに並ぶだけであろうと、まっつが出演するなら万難を排して駆けつけるんだけどねえ……。
出ないんだったら、テレビ放送を待てばいいか。
と、気力と財布の中身のなさゆえに、指をくわえてお留守番です。
てな内容のテキストを電車の中で打っていたら、オサ様結婚のニュースが飛び込んできました。
あわてて公式サイトまで見に行ったよ……。
えーとえーと。
お、おめでとうございます。
祝福するキモチとは別に、混乱しているとゆーか、実はかなりショックだというか。
「ハルノスミレ」というヒトはわたしにとって「神」レベルの方なので、なんつーか、今さらながらオサ様って、実は人間だったんだというショックが……(笑)。
勝手に崇め奉っていただけなんで、勝手なこと言ってるだけなんですが。
ショックはショックとして、それはもおわたしの問題だから置いておいて(よっこらしょっと)、おめでとうございます。
時間は確実に流れているんだな。
そのことを目の当たりにした、という気がして、また地味にショックだったりします。
わたしのアタマのなかは、なんかもういつからかわかんないくらい、止まったままなのにな。
今日でゆーひくんもののすみも、花組からいなくなってしまうわけだし。
おめでたいけれど、ちょっと寂しい。
時間は止まらない。
みんなみんな、前へ進み続ける。
わたし、いつまで止まったまんまでいるんだろう?(ヒトとしてダメ過ぎる……)
そして、妖精が舞い降りる。@宝塚巴里祭2009
2009年6月14日 タカラヅカ 前日欄からの長い長い前振りで恐縮ですが。
『宝塚巴里祭2009』の、ポスターの話です。
あきらめていただけに。
そして、おそらくは、最初で最後だろうだけに。(前述の考察から、劇団は路線様以外をポスターに載せる気はナイ)
その、「最初で最後のポスター」って、どうなるの? どんなふーになるの?
いやもちろん、過去の劇団基準がどうあれ、最後でなくていいし、そうあってほしいと思っているが、現在のキモチとして、それくらいの思い込みで。
芝居ぢゃないから、ストーリーがあるワケじゃない。巴里祭、という、よーするにディナーショー、「ショー」のポスターだよ? まっつが?!
芝居ならまだわかる気がするんだが……いきなり、ショーのポスターは敷居が高すぎるだろう。ショーの真ん中を務められる、何度も務めたことのある人でないと、静止画でショーのイメージを表現できないだろ。
そしてまた、過去の巴里祭ポスターを思い出してみる。劇団主催の公演ではなく、ホテルでのイベントなのでチラシが手に入っていないため、記憶に頼るしかないが……ええっと。
昔は複数写りだった。路線スターがどーんと複数出演していたりしたし。
でも近年は主演者のひとり写りが基本だ。
3年前のあひくんがえらくシックに……つか、地味になりすぎていたせいか、それ以降のれおんとともちんは「いかにもなタカラヅカ衣装でバアァァン!!」なポスターだったような。
(ハマコのと、さえちゃんのと、あひくんの巴里祭チラシは持ってます。ふつーDSのチラシは劇場には置いてないのだが、売れ行きの関係か、まさかのチラシが置いてあったのだわ……)
そしてまた、記憶にある限り巴里祭ポスターって、あまり凝っていない……スターの「見せ方」だけに頼った単純なものだった。
キラキラお衣装着て、ポーズ付けて立っている、だけで、「1枚絵」としてのデザイン・演出はされていないというか。
素人が「変身写真館」でスクリーンの前で撮影するアレとあんまし変わっていないというか。
単独のDSポスターなら、そのスター個人のイメージでデザインされるけど……巴里祭ってそのへんお金も意識も掛けられていないのが丸わかりってゆーか……ゲフンゲフン。
唯一がんばっていたのがあひくんのときだけど……がんばりすぎて「どこが巴里祭?」なものすごーくまちがった方向へ突っ走っていた。
でも。
……あの、まっつは、あひくん路線でいいです……地味なくらいでいいです……総スパンとかターバンとかフリルとか、なくていいです……。
ショーのポスターで地味はいかんだろーけど、興行的にどうこうというより、ただもおファンとして、メモリアルでスーベニールなキモチで、「まっつにいちばん似合うものにして」という、祈るよーなキモチでおったのですよ。
わたしだって、「未涼亜希」を使って「巴里祭らしい、派手でキラキラで集客の良くなるポスターを作れ」って言われたら、けっこー途方に暮れると思う。まっつの似合うモノと、劇団というかイベント主催側の求める図は、ちがっているもの。
わたしはファンだから、わたしが作れば、「まっつがもっともまっつらしく、格好良く見える」ものにすると思う。わたし個人のイメージでだが。そしてソレは、決して「ショーの真ん中でバアァァァン!!」なものではない。
『宝塚巴里祭』は巴里祭と銘打っているが、よーするに「タカラヅカのディナーショー」だ。スター個人のDSではなく、「宝塚歌劇団」のホテル宴会用出し物だ。一般人はタカラヅカ=『ベルばら』で、そのあたりものを期待するわけだから。だからNYでもリオでもなくパリなわけで。
まっつで「良くも悪くも、いかにもタカラヅカ!」な「ショーポスター」を作るとなると、なかなかどーして大変だってば。(芝居ならともかく……)
某組2番手ファンの友人が、その2番手さんの主演DCポスターを見て、その出来映えのアレさに悲鳴を上げていた。わたしも、たしかにこりゃひどいなと思ったし、友人と一緒になってネタとしてアレさについて盛り上がったりもした。
でもそれって、「未来がある」と思っているから言えることなんだよね。某2番手さんは過去にも主演ポスターが複数あるし、これからもふつーに主演があり、主演でなくても2番手なんだから大劇場公演ポスターに載り続ける、ということがわかっている。
最初で最後じゃない。その安心感があるから、ひとつくらいポスターがアレでも、笑い話だ。
しかし、まっつは……。
いやあ、気を揉みました。
わたしがじれじれしても仕方ないんだが。取り越し苦労をしてこそファン(笑)。
『宝塚巴里祭2009』ポスター第一報は、全ツ市川初日を観劇した友人からの写メールでした。
携帯画面だから、小さい。細部まではわからない。
それでも、全体像・雰囲気はわかる。
白燕尾+シルクハット!!
背景は青。補色は赤。
赤、白、青。……フランス国旗か(笑)。
その、わっかりやすいイメージに、吹いた。
そして、とりあえずほっとした。
出来がいいか悪いかまでわかんないけど、とりあえず、白燕尾でよかった。シルクハットでよかった。
燕尾+山高帽は、まっつの得意の衣装です!(笑)
総スパンギラギラとかフリルフリル埋もれますとか、ターバンとかキラキラヘアバンドにあちこちツンツンしたラメ付きヘアとかでなくて良かったっ。
や、似合う人はいいけど、ソレで負けない人はいいけど、まっつの場合それがどうなるか未知数過ぎる。
無難に、本人が似合うとわかっているもので攻めてくれたのは、ありがたい。
で。
その白燕尾紳士は、足を交差させ、腰にポイントを置き、ステッキを持ってポーズを決めています。
すごく、「巴里祭」らしい姿ではある。
姿ではあるが。
なんか、おかしい(笑)。
じわじわと、笑いがこみあげてくる。
それは、ニマニマとかニヤニヤという笑いで……よーするに、うれしいらしい。
携帯で画像拡大して、写真がぼやける寸前まで拡大して、上から下から何度も眺めた。
おおお、まっつだ。
まっつだわー……。
見るまでは、「失敗していたらどうしよう」と気を揉んでいたのに。
実際見て、わかった。
どんなポスターだろうと、まっつが写っている限り、「失敗」はナイのだ。
まっつだから、それで正解。それで成功。
わたしにとって。
理屈を山ほど並べても無駄。贔屓がポスターに載っている、それだけでもお、他のことは全部どーでもよくなった。
このポスターの出来がどうなのかなんて、さっぱりわかんない。判断できない。
まっつ好きだから、オールオッケーにしか見えない(笑)。
わたしがポスター実物を目にしたのは、全ツ梅田公演の日。
壁のポスター欄だけでなく、劇場にわざわざプレートを立てて、ポスターを飾っていた。
はじめて、「ふつーに貼ってある」ところを見た。
せ、正視できません。
なんか恥ずかしくて。じろじろ見られない。まじまじ眺められない。うわーうわーうわー。
「まっつ、お化粧濃い」「気合い入りすぎ」……友人たちの冷静なツッコミに、はじめて正気に返る。
たしかに。
まっつ、2500人劇場と同じ勢いでお化粧してる? 静止画相手にそこまでやんなくていいんだよ?
巴里祭は舞台化粧ポスターだもんねえ。そりゃ、いつもと同じように化粧するか。
通常の、ポスターサイズ。この大きさで、まっつを見られる日が来ようとは……。
じーん。
や、ちっこいとか足が短く見えるとか、そんなことはどーでもいいんだっ。
なんかもー、ひたすらかわいいっ。
かわいいかわいいかわいい(笑)。←笑うのか。
コロボックルとかウンパルンパみたいじゃね?
まっつ妖精さん(はぁと)。
いかん、チラシ眺めてにまにましてたら、どんどんアタマが沸いてきた。
欲目でもなんでも、好きだと思えるポスターでよかった。
『宝塚巴里祭2009』の、ポスターの話です。
あきらめていただけに。
そして、おそらくは、最初で最後だろうだけに。(前述の考察から、劇団は路線様以外をポスターに載せる気はナイ)
その、「最初で最後のポスター」って、どうなるの? どんなふーになるの?
いやもちろん、過去の劇団基準がどうあれ、最後でなくていいし、そうあってほしいと思っているが、現在のキモチとして、それくらいの思い込みで。
芝居ぢゃないから、ストーリーがあるワケじゃない。巴里祭、という、よーするにディナーショー、「ショー」のポスターだよ? まっつが?!
芝居ならまだわかる気がするんだが……いきなり、ショーのポスターは敷居が高すぎるだろう。ショーの真ん中を務められる、何度も務めたことのある人でないと、静止画でショーのイメージを表現できないだろ。
そしてまた、過去の巴里祭ポスターを思い出してみる。劇団主催の公演ではなく、ホテルでのイベントなのでチラシが手に入っていないため、記憶に頼るしかないが……ええっと。
昔は複数写りだった。路線スターがどーんと複数出演していたりしたし。
でも近年は主演者のひとり写りが基本だ。
3年前のあひくんがえらくシックに……つか、地味になりすぎていたせいか、それ以降のれおんとともちんは「いかにもなタカラヅカ衣装でバアァァン!!」なポスターだったような。
(ハマコのと、さえちゃんのと、あひくんの巴里祭チラシは持ってます。ふつーDSのチラシは劇場には置いてないのだが、売れ行きの関係か、まさかのチラシが置いてあったのだわ……)
そしてまた、記憶にある限り巴里祭ポスターって、あまり凝っていない……スターの「見せ方」だけに頼った単純なものだった。
キラキラお衣装着て、ポーズ付けて立っている、だけで、「1枚絵」としてのデザイン・演出はされていないというか。
素人が「変身写真館」でスクリーンの前で撮影するアレとあんまし変わっていないというか。
単独のDSポスターなら、そのスター個人のイメージでデザインされるけど……巴里祭ってそのへんお金も意識も掛けられていないのが丸わかりってゆーか……ゲフンゲフン。
唯一がんばっていたのがあひくんのときだけど……がんばりすぎて「どこが巴里祭?」なものすごーくまちがった方向へ突っ走っていた。
でも。
……あの、まっつは、あひくん路線でいいです……地味なくらいでいいです……総スパンとかターバンとかフリルとか、なくていいです……。
ショーのポスターで地味はいかんだろーけど、興行的にどうこうというより、ただもおファンとして、メモリアルでスーベニールなキモチで、「まっつにいちばん似合うものにして」という、祈るよーなキモチでおったのですよ。
わたしだって、「未涼亜希」を使って「巴里祭らしい、派手でキラキラで集客の良くなるポスターを作れ」って言われたら、けっこー途方に暮れると思う。まっつの似合うモノと、劇団というかイベント主催側の求める図は、ちがっているもの。
わたしはファンだから、わたしが作れば、「まっつがもっともまっつらしく、格好良く見える」ものにすると思う。わたし個人のイメージでだが。そしてソレは、決して「ショーの真ん中でバアァァァン!!」なものではない。
『宝塚巴里祭』は巴里祭と銘打っているが、よーするに「タカラヅカのディナーショー」だ。スター個人のDSではなく、「宝塚歌劇団」のホテル宴会用出し物だ。一般人はタカラヅカ=『ベルばら』で、そのあたりものを期待するわけだから。だからNYでもリオでもなくパリなわけで。
まっつで「良くも悪くも、いかにもタカラヅカ!」な「ショーポスター」を作るとなると、なかなかどーして大変だってば。(芝居ならともかく……)
某組2番手ファンの友人が、その2番手さんの主演DCポスターを見て、その出来映えのアレさに悲鳴を上げていた。わたしも、たしかにこりゃひどいなと思ったし、友人と一緒になってネタとしてアレさについて盛り上がったりもした。
でもそれって、「未来がある」と思っているから言えることなんだよね。某2番手さんは過去にも主演ポスターが複数あるし、これからもふつーに主演があり、主演でなくても2番手なんだから大劇場公演ポスターに載り続ける、ということがわかっている。
最初で最後じゃない。その安心感があるから、ひとつくらいポスターがアレでも、笑い話だ。
しかし、まっつは……。
いやあ、気を揉みました。
わたしがじれじれしても仕方ないんだが。取り越し苦労をしてこそファン(笑)。
『宝塚巴里祭2009』ポスター第一報は、全ツ市川初日を観劇した友人からの写メールでした。
携帯画面だから、小さい。細部まではわからない。
それでも、全体像・雰囲気はわかる。
白燕尾+シルクハット!!
背景は青。補色は赤。
赤、白、青。……フランス国旗か(笑)。
その、わっかりやすいイメージに、吹いた。
そして、とりあえずほっとした。
出来がいいか悪いかまでわかんないけど、とりあえず、白燕尾でよかった。シルクハットでよかった。
燕尾+山高帽は、まっつの得意の衣装です!(笑)
総スパンギラギラとかフリルフリル埋もれますとか、ターバンとかキラキラヘアバンドにあちこちツンツンしたラメ付きヘアとかでなくて良かったっ。
や、似合う人はいいけど、ソレで負けない人はいいけど、まっつの場合それがどうなるか未知数過ぎる。
無難に、本人が似合うとわかっているもので攻めてくれたのは、ありがたい。
で。
その白燕尾紳士は、足を交差させ、腰にポイントを置き、ステッキを持ってポーズを決めています。
すごく、「巴里祭」らしい姿ではある。
姿ではあるが。
なんか、おかしい(笑)。
じわじわと、笑いがこみあげてくる。
それは、ニマニマとかニヤニヤという笑いで……よーするに、うれしいらしい。
携帯で画像拡大して、写真がぼやける寸前まで拡大して、上から下から何度も眺めた。
おおお、まっつだ。
まっつだわー……。
見るまでは、「失敗していたらどうしよう」と気を揉んでいたのに。
実際見て、わかった。
どんなポスターだろうと、まっつが写っている限り、「失敗」はナイのだ。
まっつだから、それで正解。それで成功。
わたしにとって。
理屈を山ほど並べても無駄。贔屓がポスターに載っている、それだけでもお、他のことは全部どーでもよくなった。
このポスターの出来がどうなのかなんて、さっぱりわかんない。判断できない。
まっつ好きだから、オールオッケーにしか見えない(笑)。
わたしがポスター実物を目にしたのは、全ツ梅田公演の日。
壁のポスター欄だけでなく、劇場にわざわざプレートを立てて、ポスターを飾っていた。
はじめて、「ふつーに貼ってある」ところを見た。
せ、正視できません。
なんか恥ずかしくて。じろじろ見られない。まじまじ眺められない。うわーうわーうわー。
「まっつ、お化粧濃い」「気合い入りすぎ」……友人たちの冷静なツッコミに、はじめて正気に返る。
たしかに。
まっつ、2500人劇場と同じ勢いでお化粧してる? 静止画相手にそこまでやんなくていいんだよ?
巴里祭は舞台化粧ポスターだもんねえ。そりゃ、いつもと同じように化粧するか。
通常の、ポスターサイズ。この大きさで、まっつを見られる日が来ようとは……。
じーん。
や、ちっこいとか足が短く見えるとか、そんなことはどーでもいいんだっ。
なんかもー、ひたすらかわいいっ。
かわいいかわいいかわいい(笑)。←笑うのか。
コロボックルとかウンパルンパみたいじゃね?
まっつ妖精さん(はぁと)。
いかん、チラシ眺めてにまにましてたら、どんどんアタマが沸いてきた。
欲目でもなんでも、好きだと思えるポスターでよかった。
ポスター掲載基準と、厚い壁。
2009年6月13日 タカラヅカ 昔、ヅカにはまったばかりのころ、ご贔屓はふつーにポスターの隅っこに載っていた。
大劇場ポスターは「トップスターと2番手のもの」というイメージだったので別次元だったが、バウホールポスターならば、新公学年のご贔屓も載っていた。
そして3番手になると同時に、大劇場ポスターにも載るようになった。
次のご贔屓も、Wとはいえバウ主演したし、バウ2番手としてもポスターに載っていた。また、新公主演してない脇要員のわりに、どさくさにまぎれて大劇場ポスターに載ったりもしていた。
そんなわけで、「ポスター掲載」については、かなり鈍感になっていたと思う。
好きになる人はみんなふつーに、時期が来ればポスターに載っていたので。
タカラジェンヌ数百人のうち、ポスターに載ることができる人は、ほんのひと握りだということが、わかっていなかった。
今のご贔屓にオチてはじめて、まともに考えるようになったんだ。
時期が来れば順番に載せてもらえるわけじゃない、と。……そんな当たり前のことに。
劇団のポスターに関する考え方も時代によってまちまちで、バウポスターなら昔はわりと複数の人が掲載されていた。主演とヒロインから3番手くらいまでずらずらっと、大きさはちがうものの詰め込まれていたり。バウの3番手って、組内では何番手よ? 番手以前の若手だったりもしたよ。
それが最近では、掲載人数はかなり絞られることになった。基本は主演者とヒロイン、場合によっては2番手までが載る。主演者へ劇団が期待をかけている場合は、ひとり写り。
(この、「ひとり写り」に関しては、以前真面目に語っている→http://koalatta.blog48.fc2.com/blog-entry-661.html)
バウ出演2番手ならふつーに掲載されていた時代からヅカファンやっていたので、この最近のポスター基準を実感したのは、今の贔屓にオチた以降だ。
場合によっては2番手まで掲載。……この「場合」というのは、その2番手が「路線スター」である場合だ。新公主演してるとかではなく、劇団が路線と考えているかどうか。積極的に売りたいと思っているかどうか。
前述のデータに引き継ぐカタチとして、現在までたどってみると、
★2007年
『Hallelujah GO!GO!』れおん、ウメ
『ノン ノン シュガー!!』キム
『NEVER SLEEP』らんとむ、まちゃみ
『大坂侍』きりやん
『舞姫』みわっち、ののすみ
『THE SECOND LIFE』みっちゃん、たっちん
『HOLLYWOOD LOVER』ゆーひ、あいちゃん
★2008年
『ブエノスアイレスの風』れおん
★2009年
『忘れ雪』キム、みみ、かなめ
『逆転裁判』らんとむ、まちゃみ
『二人の貴公子』まさき、みりお
『オグリ!』壮、ののすみ
『フィフティ・フィフティ』みつる、めお
前回データと同じ、ワークショップやコンサートなどは除外、純粋にバウ公演のみ。
近年ほんとに掲載人数は減り、ふたりまでが定員になってるっぽい。だからこそ、定員越えとなる3人目の掲載は「路線」のみになる。
ポスターに載せることで、ファン以外の人間にも顔と名前を売りたい生徒のみ。阪急・阪神沿線に貼りまくられるわけだから、一般人(が興味を持つとも思えないが)の目にも触れることが前提。
2002年以降のバウ公演ポスターに掲載された2番手は、みな一度はWSであってもバウ主演をしている。当人の名前で主役としてポスターが作られた人たちばかり。
劇団は、ちゃんと線引きをしている。バウで公演2番手としてポスターに載るかどうか……そんなところでも、トップ路線とその他を区別している。厚い壁があるわけだな、そこには。
で、最初の話に戻る。
昔は劇団期待の路線でなくてもある程度の生徒ならポスターに混ざることができていたので、ぴんときていなかった。とりあえずバウで2番手すれば、ポスターには載る。作品によって主演ひとり写りだとかカップルのみとか、運はあるにしても、チャンスはある。
漠然とそんな感覚でいたので。
バウで2番手しても、我がご贔屓がポスターに載ることはありえないんだ。と、気づいたとき、とても残念だった。
路線云々を置いておいて、とりあえず、「ポスター用の顔をしたご贔屓」を見てみたかったんだ。
公演ポスターという、「ファン以外の人」が目にする「宝塚歌劇団の宣伝媒体」で、どんな姿でどんな化粧でどんな表情をするのか。バウだから芝居の役として演じるのだろうけど、舞台と写真はチガウから、どう表現するのか。
ただファンとして、贔屓の「知らない顔」を見てみたかったんだ。
それが、ありえないのだと気づき……しょんぼりしていたら。
いきなり、「2番手としてチラ写り」を飛び越して、「ひとり写り主演ポスター」とゆー話になった。
なんて長い前振り。
よーするに、現在のご贔屓、まっつの『宝塚巴里祭2009』ポスターの話をしたいだけなのだ。
で、前振りが長すぎるために、本題は翌日欄へ続く(笑)。
大劇場ポスターは「トップスターと2番手のもの」というイメージだったので別次元だったが、バウホールポスターならば、新公学年のご贔屓も載っていた。
そして3番手になると同時に、大劇場ポスターにも載るようになった。
次のご贔屓も、Wとはいえバウ主演したし、バウ2番手としてもポスターに載っていた。また、新公主演してない脇要員のわりに、どさくさにまぎれて大劇場ポスターに載ったりもしていた。
そんなわけで、「ポスター掲載」については、かなり鈍感になっていたと思う。
好きになる人はみんなふつーに、時期が来ればポスターに載っていたので。
タカラジェンヌ数百人のうち、ポスターに載ることができる人は、ほんのひと握りだということが、わかっていなかった。
今のご贔屓にオチてはじめて、まともに考えるようになったんだ。
時期が来れば順番に載せてもらえるわけじゃない、と。……そんな当たり前のことに。
劇団のポスターに関する考え方も時代によってまちまちで、バウポスターなら昔はわりと複数の人が掲載されていた。主演とヒロインから3番手くらいまでずらずらっと、大きさはちがうものの詰め込まれていたり。バウの3番手って、組内では何番手よ? 番手以前の若手だったりもしたよ。
それが最近では、掲載人数はかなり絞られることになった。基本は主演者とヒロイン、場合によっては2番手までが載る。主演者へ劇団が期待をかけている場合は、ひとり写り。
(この、「ひとり写り」に関しては、以前真面目に語っている→http://koalatta.blog48.fc2.com/blog-entry-661.html)
バウ出演2番手ならふつーに掲載されていた時代からヅカファンやっていたので、この最近のポスター基準を実感したのは、今の贔屓にオチた以降だ。
場合によっては2番手まで掲載。……この「場合」というのは、その2番手が「路線スター」である場合だ。新公主演してるとかではなく、劇団が路線と考えているかどうか。積極的に売りたいと思っているかどうか。
前述のデータに引き継ぐカタチとして、現在までたどってみると、
★2007年
『Hallelujah GO!GO!』れおん、ウメ
『ノン ノン シュガー!!』キム
『NEVER SLEEP』らんとむ、まちゃみ
『大坂侍』きりやん
『舞姫』みわっち、ののすみ
『THE SECOND LIFE』みっちゃん、たっちん
『HOLLYWOOD LOVER』ゆーひ、あいちゃん
★2008年
『ブエノスアイレスの風』れおん
★2009年
『忘れ雪』キム、みみ、かなめ
『逆転裁判』らんとむ、まちゃみ
『二人の貴公子』まさき、みりお
『オグリ!』壮、ののすみ
『フィフティ・フィフティ』みつる、めお
前回データと同じ、ワークショップやコンサートなどは除外、純粋にバウ公演のみ。
近年ほんとに掲載人数は減り、ふたりまでが定員になってるっぽい。だからこそ、定員越えとなる3人目の掲載は「路線」のみになる。
ポスターに載せることで、ファン以外の人間にも顔と名前を売りたい生徒のみ。阪急・阪神沿線に貼りまくられるわけだから、一般人(が興味を持つとも思えないが)の目にも触れることが前提。
2002年以降のバウ公演ポスターに掲載された2番手は、みな一度はWSであってもバウ主演をしている。当人の名前で主役としてポスターが作られた人たちばかり。
劇団は、ちゃんと線引きをしている。バウで公演2番手としてポスターに載るかどうか……そんなところでも、トップ路線とその他を区別している。厚い壁があるわけだな、そこには。
で、最初の話に戻る。
昔は劇団期待の路線でなくてもある程度の生徒ならポスターに混ざることができていたので、ぴんときていなかった。とりあえずバウで2番手すれば、ポスターには載る。作品によって主演ひとり写りだとかカップルのみとか、運はあるにしても、チャンスはある。
漠然とそんな感覚でいたので。
バウで2番手しても、我がご贔屓がポスターに載ることはありえないんだ。と、気づいたとき、とても残念だった。
路線云々を置いておいて、とりあえず、「ポスター用の顔をしたご贔屓」を見てみたかったんだ。
公演ポスターという、「ファン以外の人」が目にする「宝塚歌劇団の宣伝媒体」で、どんな姿でどんな化粧でどんな表情をするのか。バウだから芝居の役として演じるのだろうけど、舞台と写真はチガウから、どう表現するのか。
ただファンとして、贔屓の「知らない顔」を見てみたかったんだ。
それが、ありえないのだと気づき……しょんぼりしていたら。
いきなり、「2番手としてチラ写り」を飛び越して、「ひとり写り主演ポスター」とゆー話になった。
なんて長い前振り。
よーするに、現在のご贔屓、まっつの『宝塚巴里祭2009』ポスターの話をしたいだけなのだ。
で、前振りが長すぎるために、本題は翌日欄へ続く(笑)。
エリザベートと共に生きた人々。@新人公演『エリザベート』
2009年6月12日 タカラヅカ 月組新人公演『エリザベート』感想続き。
新公は抜粋『エリザベート』だから、ここぞ!という派手なシーンがさくっと削られていて拍子抜けになる。……仕方ないんだけど。
とくにプロローグと最終弁論、エリザベートと共に生きた人々の証言がまるっとカットされているんだよな。なのにルキーニは台詞で彼らに話しかけるのよ。ルキーニの、話しかける台詞はカットになってないの。……だから余計、カーテンが開いて誰もいないと、かくっとなるわ(笑)。
んでもって、そんなエリザベートと共に生きた人々、キャストについて思ったことを、おぼえている範囲で流し書き~~。
ルドルフ@煌月爽矢くんは、うまかったっす。とくに、あとになるほどなめらかになっていった。
『SAUDADE』のときは主要キャラとの実力差が歴然としていて大変だったけど、新公でなら気にならないね。学年からすれば、十分及第点かと。
しかし……丸い。
雪のりんきら、花の鳳くん、そして月の煌月くん、と路線系若手で実力そこそこ、しかしまるまる、とイメージの似た子が出てきたなあ。や、わたしの周囲だけかもしんないけど、「なんかかぶる……」と。ここに次の公演から星の麻央くんも入ってくるだろうか……?
若いときはみんなぷくぷく健康的なもんで、これからどう男らしいラインに絞っていくかが課題だよね。
子ルドルフ@千海華蘭くん、うまくてかわいかった。おお、ちゃんと歌えている~~。お目目キラキラ。
しかし彼、これで何役続けて子役やってるんだ? 前回は本公も新公も子役だったような……あれ、新公は子役ぢゃなかった(妻がいたよーな)? でも子役っぽい印象が……。
少年役がうまいことはわかったから、大人の役が見てみたいっす。
革命家トリオが大人だ。
てゆーかエルマー@鳳月杏くんがちゃんと青年……そして後半はおっさんに見えた。ヒゲ似合うじゃん。タッパがあってかっこいー。
シュテファン@星輝つばさくん、若いうちは「なんか引っかかる……なんで引っかかるんだろう」と首を傾げていたが、おっさんになってからわかった。
……顔が、好みだ……。
ヒゲになってから、ソレがわかった。ヒゲ有りになることで、より顕著になったらしい(笑)。
ジュラ@珠城りょうくんが、頬骨から上だけ、そのかに見える……彼も好みの顔だ……。てゆーか彼、まだ研2? それでカゲソロまでやってるの?
でもって3人ともでかい。統一感あっていいなあ。
グリュンネ伯爵@美翔くん、かっこいい。良い感じに枯れたおっさんぶり。なんか彼、どんどんオトコマエになっていくなあ。
ラウシャー大司教@輝城みつるくんが、あのマッシュルームヘアにも負けず、かわいかったよーな。歌もいいな。
密告者ふたり@海桐くんと瑞羽くん。壮くん似の海桐くんと、りせ似の瑞羽くんがふたり並んで登場していることに、なんかツボる。密告者ではなく、アルバイトのカフェの男でヒゲなしで並んでいるときが、特に。
瑞羽くんが喋って歌って演技してるの、はじめて見る、くらいの感覚だわ……。
しかし瑞羽くん……太った……? 頬のラインにびっくり……せっかくの美形くんが……っ。
マデレーネ@うらもえ……おおお、ちゃんと美少女だ! 舞台では化けるよなほんと。踊ってるとほんとにきれいだ。
黒天使@まんちゃんはクールでかっこいー。ときどきふっと、さおたさんっぽく見えた気がした……のは、花組『エリザベート』のイメージをわたしが引きずっているせいかもしれない。顔は別に似てないはずだしな。
わたしは彼の、クチビルが好きかもしんない……(笑)。
ヘレネ@蘭はながかわいすぎるっ。
最初にすっころぶところ、わたしの隣の席の人は本気で声出して笑ってた。見事だ。
他にも主要キャラで特に下手とか思う人はなく、みんな作品を壊さずうまく務めていたと思う。
しかし、前回の月組『エリザベート』からたった4年なんだよね。新公出演者もかぶっているわけで。
こんなに早く、しかも役が多いわけでもない作品をもう一度やってしまうのは、新人育成にはあまり利点がない気がする……。
いっそ1幕2幕フルタイムで上演しちゃえばいいのになー。Wキャスト有りで、できるだけ多くの子にチャンスを与えて。
だってまだ4年だよ……。そのへん考慮して、役や出番を増やしてあげたいよ。
新公学年だから、カチャが出演するのかどうか、座席に置いてあるプログラムを見るまでわかんなかった。
トップ就任したあとでも、学年が若い子は新公にも出演していたもの。その他大勢のモブにまざって。
カチャもそれがあるかもしんないと思った。彼女はトップスターでも月組組子でもないわけだから、月組の新公に出るのはおかしいけど、なにしろ前例がないことなので、出ても出なくても変じゃない。
カチャは、出てなかった。
本公演だけでも大変だろうから、それでいいんだと思う。
てゆーか、カチャがもし出ていたら、男女どっちで出たんだろう?
と、ありもしなかったことに思いを馳せてみる(笑)。
新公は抜粋『エリザベート』だから、ここぞ!という派手なシーンがさくっと削られていて拍子抜けになる。……仕方ないんだけど。
とくにプロローグと最終弁論、エリザベートと共に生きた人々の証言がまるっとカットされているんだよな。なのにルキーニは台詞で彼らに話しかけるのよ。ルキーニの、話しかける台詞はカットになってないの。……だから余計、カーテンが開いて誰もいないと、かくっとなるわ(笑)。
んでもって、そんなエリザベートと共に生きた人々、キャストについて思ったことを、おぼえている範囲で流し書き~~。
ルドルフ@煌月爽矢くんは、うまかったっす。とくに、あとになるほどなめらかになっていった。
『SAUDADE』のときは主要キャラとの実力差が歴然としていて大変だったけど、新公でなら気にならないね。学年からすれば、十分及第点かと。
しかし……丸い。
雪のりんきら、花の鳳くん、そして月の煌月くん、と路線系若手で実力そこそこ、しかしまるまる、とイメージの似た子が出てきたなあ。や、わたしの周囲だけかもしんないけど、「なんかかぶる……」と。ここに次の公演から星の麻央くんも入ってくるだろうか……?
若いときはみんなぷくぷく健康的なもんで、これからどう男らしいラインに絞っていくかが課題だよね。
子ルドルフ@千海華蘭くん、うまくてかわいかった。おお、ちゃんと歌えている~~。お目目キラキラ。
しかし彼、これで何役続けて子役やってるんだ? 前回は本公も新公も子役だったような……あれ、新公は子役ぢゃなかった(妻がいたよーな)? でも子役っぽい印象が……。
少年役がうまいことはわかったから、大人の役が見てみたいっす。
革命家トリオが大人だ。
てゆーかエルマー@鳳月杏くんがちゃんと青年……そして後半はおっさんに見えた。ヒゲ似合うじゃん。タッパがあってかっこいー。
シュテファン@星輝つばさくん、若いうちは「なんか引っかかる……なんで引っかかるんだろう」と首を傾げていたが、おっさんになってからわかった。
……顔が、好みだ……。
ヒゲになってから、ソレがわかった。ヒゲ有りになることで、より顕著になったらしい(笑)。
ジュラ@珠城りょうくんが、頬骨から上だけ、そのかに見える……彼も好みの顔だ……。てゆーか彼、まだ研2? それでカゲソロまでやってるの?
でもって3人ともでかい。統一感あっていいなあ。
グリュンネ伯爵@美翔くん、かっこいい。良い感じに枯れたおっさんぶり。なんか彼、どんどんオトコマエになっていくなあ。
ラウシャー大司教@輝城みつるくんが、あのマッシュルームヘアにも負けず、かわいかったよーな。歌もいいな。
密告者ふたり@海桐くんと瑞羽くん。壮くん似の海桐くんと、りせ似の瑞羽くんがふたり並んで登場していることに、なんかツボる。密告者ではなく、アルバイトのカフェの男でヒゲなしで並んでいるときが、特に。
瑞羽くんが喋って歌って演技してるの、はじめて見る、くらいの感覚だわ……。
しかし瑞羽くん……太った……? 頬のラインにびっくり……せっかくの美形くんが……っ。
マデレーネ@うらもえ……おおお、ちゃんと美少女だ! 舞台では化けるよなほんと。踊ってるとほんとにきれいだ。
黒天使@まんちゃんはクールでかっこいー。ときどきふっと、さおたさんっぽく見えた気がした……のは、花組『エリザベート』のイメージをわたしが引きずっているせいかもしれない。顔は別に似てないはずだしな。
わたしは彼の、クチビルが好きかもしんない……(笑)。
ヘレネ@蘭はながかわいすぎるっ。
最初にすっころぶところ、わたしの隣の席の人は本気で声出して笑ってた。見事だ。
他にも主要キャラで特に下手とか思う人はなく、みんな作品を壊さずうまく務めていたと思う。
しかし、前回の月組『エリザベート』からたった4年なんだよね。新公出演者もかぶっているわけで。
こんなに早く、しかも役が多いわけでもない作品をもう一度やってしまうのは、新人育成にはあまり利点がない気がする……。
いっそ1幕2幕フルタイムで上演しちゃえばいいのになー。Wキャスト有りで、できるだけ多くの子にチャンスを与えて。
だってまだ4年だよ……。そのへん考慮して、役や出番を増やしてあげたいよ。
新公学年だから、カチャが出演するのかどうか、座席に置いてあるプログラムを見るまでわかんなかった。
トップ就任したあとでも、学年が若い子は新公にも出演していたもの。その他大勢のモブにまざって。
カチャもそれがあるかもしんないと思った。彼女はトップスターでも月組組子でもないわけだから、月組の新公に出るのはおかしいけど、なにしろ前例がないことなので、出ても出なくても変じゃない。
カチャは、出てなかった。
本公演だけでも大変だろうから、それでいいんだと思う。
てゆーか、カチャがもし出ていたら、男女どっちで出たんだろう?
と、ありもしなかったことに思いを馳せてみる(笑)。
よかった。
よかった、宙組、『ベルばら』ぢゃないっ。
前回のラインアップ発表で、花組が『外伝 ベルサイユのばら-アンドレ編-』だとわかり、まだ発表されていない宙組に望みを託した。
キモチは、「俺の屍を越えて行け」だ。
『ベルばら』って、みんな大嫌いぢゃないですか。宝塚歌劇団がある限り上演され続けられる、決してなくなることはない悪夢、天災じゃないですか。誰もが自分の贔屓の組には当たってほしくないと願う最悪作品じゃないですか。
いやその、「みんな」って言ったら言い過ぎかもしんない、世界中の人の嗜好を聞いたわけじゃないから。
でもわたしの周囲、とても狭い範囲ではありますが、わたしが知る限りの「みんな」は、嫌っています。
自組に当たったら嘆き悲しみ、他組に当たるとお悔やみの言葉をかける、そーゆー位置づけ。
わたしも今回、友人たちから同情や励ましの言葉をいただきました。
植爺と『ベルばら』は、天災である以上、絶対になくなることはなく、誰かが犠牲になる。これはもう、仕方ないこと。
それならせめて、被害は出来るだけ少ない方がいい。
人間として、そう思うのはふつうでしょう。
「不幸なのはわたしだけでいい、お願い、みんなは不幸にならないで」と、泣きながら顔を上げてつぶやく、そのノリです。
「オレの死を無駄にせず、この屍を超えて未来を掴んでくれ……(ばたり)」てなノリです。
これで宙組まで植爺だったら、救いがない。泣く人が増えるだけじゃないかっ、そんな世の中間違ってるよママン!!
てなキモチだったので(いろんな方面に失礼な物言い)、宙組が『ベルばら』でなくて、心から喜びました。
そしてさらに、最悪の事態におびえていただけに、この演目に小躍りしてまつ。
あああ、かっこいいゆーひくんが見られるんだー。
原作付きだし、20時間超えを2時間半にまとめるわけでもないし、ふつーに期待できそうぢゃないですか。(原作付きでないもの、原作があっても長すぎてほぼオリジナル化しないと無理なものに対しての、イケコへの不信感ときたら・笑)
わたしはほんとのところ、小池先生の作品は好きになれないことが多いのだけど、それでも「小池演出・新作の大作ミュージカル(有名原作付き)」となると、俄然楽しみに思えるので、やっぱ演出家としての小池せんせはすごいよなあ。
名前聞くだけで嫌悪と絶望で気が遠くなるほど苦手な演出家もいるわけだから、「こーゆーとこが好きになれないんだよな」てな部分を抱えていても、それを払拭するほどの美点を持つ演出家は貴重だ。
そして、その嘆き悲しんだ(笑)『外伝 ベルサイユのばら-アンドレ編-』、一部配役とポスターが出ました。
……宙組中日作品の再演だから、この配役になるのはわかっている。
問題は、こうやって発表してポスターまで出してしまったってことは、他組からの特出はナイってこと。
わたしの記憶にある限り、本公演で1幕モノの『ベルばら』をやったことはないので、特出してまで大騒ぎしなくてもいいか、てなもんなのかもしれない。
が、わたしの記憶にある限り、本公演で特出も役替わりもない『ベルばら』は観たことがないし、初演の宙中日でオスカルが役替わりだったので、今後発表があるのかなと思う。
宙中日の番手で当てはめると、3番手=フェルゼン、4・5番手役替わり=オスカルになると思うが……花組にまんま当てはまるとも思えないし。
や、今までの番手で持ち上がるとすれば、3番手みわっち、4番手まっつと続くことになるけど、まっつがそのまま持ち上がるとは、残念ながら思っていない。
てゆーか、その法則で行くと、まっつがオスカルになるから、ありえない(笑)。
みわさんのオスカルはもうおなかいっぱいなので、頼むから別の役がいいっす。や、オスカルがというより、女役がもういいっす。フェルゼンでもジェローデルでもベルナールでも、みわさんならさぞや濃くクラシカルに演じてくれますよ。
どうかどうか、男役オンリーでお願いしますだ。
めおみつバウ『フィフティ・フィフティ』の配役が発表になったけれど、……わ、わからん。ヒロインは誰?
て、その「ヒロインは誰?」と思えることに、花組の娘役豊作ぶりを思う。
きらりちゃんでもれみちゃんでもあまちゃきでも、みんなヒロイン即OK!だもんな。
研3の菜那くららちゃんだって、93期入団次席、娘役ではトップの期待の星じゃん、抜擢なのかもしれないし。
花盛りだなあ、花組。
もひとつ、『逆転裁判2』の配役発表。
ミツルギ@ともちんキターーッ!!
いやはや、まずミツルギが出ることから、トピックだった。七帆くんがあまりにハマリ役だったため、永久欠番かと思ってた。
ともちんに今になって二枚目役が回ってくること、しかもソレが内外から注目度の高いミツルギ役だということ、いろんな意味でテンション上がった。
や、大変だと思うけどね、あれだけのハマリ役の、あとを受けるのは。
でもうれしいな。2番手のともちんもうれしいし、らんとむと絡んでくれるのもうれしい。観たことなかったもんよ。
せーこちゃんがヒロインだとわかったときも、うれしかったんですけどね。せーこちゃんはヅカのヒロインにはちょっと線が太いんだけど、漢らんとむなら全部まるっと受け止めてくれそうだし!
『逆転裁判』は主要キャラにしか見せ場がなく、下級生は背景扱い、そして主要キャラだって結局は主役以外芝居というよりキャラ見せ程度で終わっていて、「人を観る」タカラヅカの趣旨からははずれているんだよね。
だから芝居として、下級生が活躍できるはずの小劇場公演としてはおいしくないのかもしれないけれど、話題作なことはたしかだから、ヅカファン以外の人にも注目されるチャンス。チガウ客層の中で舞台に立ち、さらにスキルアップしてくれることだろう。
てゆーかチケット取れるんだろーか……。
よかった、宙組、『ベルばら』ぢゃないっ。
2009/06/11
2009年 公演ラインアップ【宝塚大劇場、東京宝塚劇場】<11月~2010年2月予定・宙組『カサブランカ』>
6月11日(木)、2009年宝塚歌劇公演ラインアップにつきまして、宝塚大劇場、東京宝塚劇場<11月~2010年2月予定・宙組>の上演作品が決定いたしましたのでお知らせいたします。
宙組
■主演・・・(宙組)大空 祐飛、野々 すみ花
NTT東日本・NTT西日本フレッツシアター
ミュージカル
『カサブランカ』
CASABLANCA and all related characters and elements are
trademarks of and (c)Turner Entertainment Co. (s09)
脚本・演出/小池修一郎
前回のラインアップ発表で、花組が『外伝 ベルサイユのばら-アンドレ編-』だとわかり、まだ発表されていない宙組に望みを託した。
キモチは、「俺の屍を越えて行け」だ。
『ベルばら』って、みんな大嫌いぢゃないですか。宝塚歌劇団がある限り上演され続けられる、決してなくなることはない悪夢、天災じゃないですか。誰もが自分の贔屓の組には当たってほしくないと願う最悪作品じゃないですか。
いやその、「みんな」って言ったら言い過ぎかもしんない、世界中の人の嗜好を聞いたわけじゃないから。
でもわたしの周囲、とても狭い範囲ではありますが、わたしが知る限りの「みんな」は、嫌っています。
自組に当たったら嘆き悲しみ、他組に当たるとお悔やみの言葉をかける、そーゆー位置づけ。
わたしも今回、友人たちから同情や励ましの言葉をいただきました。
植爺と『ベルばら』は、天災である以上、絶対になくなることはなく、誰かが犠牲になる。これはもう、仕方ないこと。
それならせめて、被害は出来るだけ少ない方がいい。
人間として、そう思うのはふつうでしょう。
「不幸なのはわたしだけでいい、お願い、みんなは不幸にならないで」と、泣きながら顔を上げてつぶやく、そのノリです。
「オレの死を無駄にせず、この屍を超えて未来を掴んでくれ……(ばたり)」てなノリです。
これで宙組まで植爺だったら、救いがない。泣く人が増えるだけじゃないかっ、そんな世の中間違ってるよママン!!
てなキモチだったので(いろんな方面に失礼な物言い)、宙組が『ベルばら』でなくて、心から喜びました。
そしてさらに、最悪の事態におびえていただけに、この演目に小躍りしてまつ。
あああ、かっこいいゆーひくんが見られるんだー。
原作付きだし、20時間超えを2時間半にまとめるわけでもないし、ふつーに期待できそうぢゃないですか。(原作付きでないもの、原作があっても長すぎてほぼオリジナル化しないと無理なものに対しての、イケコへの不信感ときたら・笑)
わたしはほんとのところ、小池先生の作品は好きになれないことが多いのだけど、それでも「小池演出・新作の大作ミュージカル(有名原作付き)」となると、俄然楽しみに思えるので、やっぱ演出家としての小池せんせはすごいよなあ。
名前聞くだけで嫌悪と絶望で気が遠くなるほど苦手な演出家もいるわけだから、「こーゆーとこが好きになれないんだよな」てな部分を抱えていても、それを払拭するほどの美点を持つ演出家は貴重だ。
そして、その嘆き悲しんだ(笑)『外伝 ベルサイユのばら-アンドレ編-』、一部配役とポスターが出ました。
アンドレ 真飛 聖
マリーズ 桜乃 彩音
アラン 壮 一帆
……宙組中日作品の再演だから、この配役になるのはわかっている。
問題は、こうやって発表してポスターまで出してしまったってことは、他組からの特出はナイってこと。
わたしの記憶にある限り、本公演で1幕モノの『ベルばら』をやったことはないので、特出してまで大騒ぎしなくてもいいか、てなもんなのかもしれない。
が、わたしの記憶にある限り、本公演で特出も役替わりもない『ベルばら』は観たことがないし、初演の宙中日でオスカルが役替わりだったので、今後発表があるのかなと思う。
宙中日の番手で当てはめると、3番手=フェルゼン、4・5番手役替わり=オスカルになると思うが……花組にまんま当てはまるとも思えないし。
や、今までの番手で持ち上がるとすれば、3番手みわっち、4番手まっつと続くことになるけど、まっつがそのまま持ち上がるとは、残念ながら思っていない。
てゆーか、その法則で行くと、まっつがオスカルになるから、ありえない(笑)。
みわさんのオスカルはもうおなかいっぱいなので、頼むから別の役がいいっす。や、オスカルがというより、女役がもういいっす。フェルゼンでもジェローデルでもベルナールでも、みわさんならさぞや濃くクラシカルに演じてくれますよ。
どうかどうか、男役オンリーでお願いしますだ。
めおみつバウ『フィフティ・フィフティ』の配役が発表になったけれど、……わ、わからん。ヒロインは誰?
て、その「ヒロインは誰?」と思えることに、花組の娘役豊作ぶりを思う。
きらりちゃんでもれみちゃんでもあまちゃきでも、みんなヒロイン即OK!だもんな。
研3の菜那くららちゃんだって、93期入団次席、娘役ではトップの期待の星じゃん、抜擢なのかもしれないし。
花盛りだなあ、花組。
もひとつ、『逆転裁判2』の配役発表。
ミツルギ@ともちんキターーッ!!
いやはや、まずミツルギが出ることから、トピックだった。七帆くんがあまりにハマリ役だったため、永久欠番かと思ってた。
ともちんに今になって二枚目役が回ってくること、しかもソレが内外から注目度の高いミツルギ役だということ、いろんな意味でテンション上がった。
や、大変だと思うけどね、あれだけのハマリ役の、あとを受けるのは。
でもうれしいな。2番手のともちんもうれしいし、らんとむと絡んでくれるのもうれしい。観たことなかったもんよ。
せーこちゃんがヒロインだとわかったときも、うれしかったんですけどね。せーこちゃんはヅカのヒロインにはちょっと線が太いんだけど、漢らんとむなら全部まるっと受け止めてくれそうだし!
『逆転裁判』は主要キャラにしか見せ場がなく、下級生は背景扱い、そして主要キャラだって結局は主役以外芝居というよりキャラ見せ程度で終わっていて、「人を観る」タカラヅカの趣旨からははずれているんだよね。
だから芝居として、下級生が活躍できるはずの小劇場公演としてはおいしくないのかもしれないけれど、話題作なことはたしかだから、ヅカファン以外の人にも注目されるチャンス。チガウ客層の中で舞台に立ち、さらにスキルアップしてくれることだろう。
てゆーかチケット取れるんだろーか……。
フランツとルキーニって。@新人公演『エリザベート』
2009年6月10日 タカラヅカ「フランツやった子って、なんかまっつに似てるね」
月組新人公演『エリザベート』観劇後、チェリさんが言った。
「似てないよ」
わたしは即座に否定。
でもってみりおくんの美しさやしずくちゃんの美しさの話になり、たのしくだらだら喋ったあと。
「で、フランツやった子って、なんかまっつに似てるね」
「だから、似てないってば」
チェリさん、わざわざ2回言いましたよこの人、ゆりやくんのことまっつ似だって。
わたしもわざわざ2回否定したけど(笑)。
フランツ@ゆりやくんは、べつにまっつには似ていない、と思う。わたしは少なくとも、一度も思ったことはない。「似てるなんて言われたら嫌だわ」というのではなく、たんに、ほんとーに、心から、一度も思ったことがないので、事実として「似てない」と言うだけで。
顔立ちも、芸風も、得意分野も、まっつにはまったくかすっていない。
だけどなんでチェリさんが「まっつに似てる」と思ったのか、……ちょっと考えれば、わかった。
終始、泣きそうな顔をしているからだ。
困った顔というか。笑っているのか泣いているのかわからない……でも泣き顔寄りがデフォルトというか。
わたしは、今回彼を見ながら堺雅人を思い出していた(笑)。堺さんは笑い顔寄りだけど。
ゆりやくんはパステルカラーのクリーム満載スイーツのよーなイメージ。キラキラした、あまいあまいハンサムな王子様。王子だけど王太子ではなく、王位継承とか政治とかには無縁な、愛されてやさしくやさしく世間知らずに育ったかわいこちゃん。
前回の新公では悪役をがんばっていたけど、ちっとも強く見えなかった。そんな彼が挑戦する大役、フランツ・ヨーゼフ。
あたたかくてやさしくて、そして終始泣き顔のヘタレで、ある意味フランツらしかった、の、かも。
貴族的な雰囲気とやさしさは持って生まれたモノだろうから、あとはそこに強さとかいろんなものを加えていけるといいね。……歌は、がんばれ(笑)。
本役のきりやんフランツの黒さ(笑)に「ソレ、フランツちゃうやん」的ツッコミを入れているもんで、ゆりやくんの「いかにもなフランツぶり」には、かえってウケた。
あー、『エリザベート』から連想するフランツの大雑把なイメージって、こんな感じ、と。特徴を捉えて似顔絵を描きましたってゆーか。それはソレで間違いじゃない。
てゆーか、「まっつに似てる」とか言われたら、これから意識しちゃうぢゃないか(笑)。
新公『エリザベート』の演出というか、短縮場面の処理の仕方って毎回違っているのは何故。毎回刷新しようとしているの?
でも、良くなっているとも思えないんですが……。
たしかに前の月新公『エリザ』の演出はひどかったよ。その失敗を踏まえて、次の雪新公では改編してたじゃん?
なのにまた戻しちゃうのって、なんで……? 雪新公の演出は良くなかったの?
プロローグ全カット、ルキーニ@宇月くんの銀橋の語りから、肖像画1枚出て来てシシィ@しずく登場。詩の朗読。……て、トートは?!
なんかもー、盛り上がらない、肩すかしのまま話が進んでいく。
毎回思うけど、「パパみたいに」を削ってもプロローグやればいいのに。舞台にふたりしかいない場面より、主要人物勢揃い場面作った方が舞台も客席も暖まるのに。出番が多い方が若手たちの成長にもいいだろうに。
空気が冷えたまま難曲「パパみたいに」に突入するのは、なかなか困難なんじゃないかと……。
でも、削ってはいけない絶対の場面なんだね。プロローグや最終答弁を削っても、「パパみたいに」は削ってはいけないんだ。……よくわかんねえ。
植爺の『ベルばら』で、フェルゼンとメルシー伯爵の会話を1場面まるまる、絶対削ってはいけないのと同じ?
雪新公のときの方が良かったなあ、と思うのはプロローグがただ「あった」というだけ、「みなさん出てきただけ」であってもあったということと、ルキーニの、客席登場。
今回も期待してたんだよ? ルキーニがカメラ持って客席から現れ、さんざん客席いじりしたあと、銀橋でピンスポ浴びて1曲フルで歌う、ての。
……なかった。
客席登場も、客席いじりも。
ふつーに下手花道から現れて、銀橋で台本通りの台詞言って、終わった。そのあとひとり「キッチュ」を歌ってはいたけど。
なんで演出変えたの? てゆーか、戻したの?
派手にする分にはいいじゃん。宇月くんならできたと思うし。
このへんは大人の事情かなぁと思う。
つまり、番手の問題。
雪新公では、主役がトートなのは当然だが、2番手役はルキーニだったんだよね。フランツは、3番手。
だからフランツの見せ場を削り、ルキーニを派手な演出にしてあった。
フランツ役は作品を支える脇の職人くんが演じ、ルキーニを路線スターが演じた。
だが今回の月新公は、フランツもルキーニも、ふつーに路線くんが演じている。番手をあからさまに逆転させるわけにもいかない。
2番手はフランツ、3番手がルキーニ。
番手の縛りがあるから、その方がいいとわかっていても、ルキーニばかりいい扱いできない。
……まあ、ルキーニが客席登場する必要はナイんだけどね、ほんとのとこ。飛び道具というか、そこまで下駄履かしたらそりゃ客席の目を一気に集められますよ的、役者の実力へのフォローだったのかもしんないが。
なんにせよ、ルキーニ@宇月くんは、良かった。
聞きやすい台詞、聴きやすい歌声。狂言回しとして過不足ナイ仕事ぶり。
てゆーか歌、うまくなってるよね? もとから歌えたけど、こんなにふつーにきれいに歌えるんだ。
「ルキーニって、やりやすい役なのかな」
と、観劇後にチェリさんが言っていたけれど、たしかにソレはあると思う。
本公演のルキーニを「良くない」という声は、どの公演に限らず耳にするけど、新公のルキーニは大抵「良かった」と言われる。
物語の外側から台詞で解説するルキーニは、ある程度の男役スキルのある子なら、演じやすいんだと思う。外へ向けて発散する役だから、アピールしやすいし。
また、舞台中央で演じられている物語自体が、あくまでも新公レベルのものなので、ひとりチガウ立ち位置にいることで、際立って見えるんだよな。
本公演レベルの物語を相手に、ルキーニを演じるのはそりゃ大変なんだろう。
とゆーことは、さすがに7回目の『エリザベート』で、ナマで新公観るのが4回目になると、気づいてくる。
わたしもずっと、新公ルキーニは絶賛してるし(……て、そうだ、初演雪はチガウか。でもアレはまた別ってことで)。
なんて理屈をこねてみても、でもやっぱり宇月くん良かったってば~~!
前回の新公では「みりおくんの次のスターって誰??」状態だったんだけど、今回で次代は宇月くんに新公主演して欲しくなりました。
来年には彼、新公主演できるかな。キモチ的には、次で主演してほしいんですが。みりおくんには脇へ回ってもらって。
や、みりおくんに限らず、新公は独占連続主演で卒業するのではなく、最後の回は長の期に脇で支えて欲しい派なので。みりおくんには悪役とか老け役とか、新公以外では当分出来そうにない役をやって、芸の幅を広げて欲しいし、若い主演の子にはのびのび演じて欲しいしで。
ダメかな?
月組新人公演『エリザベート』観劇後、チェリさんが言った。
「似てないよ」
わたしは即座に否定。
でもってみりおくんの美しさやしずくちゃんの美しさの話になり、たのしくだらだら喋ったあと。
「で、フランツやった子って、なんかまっつに似てるね」
「だから、似てないってば」
チェリさん、わざわざ2回言いましたよこの人、ゆりやくんのことまっつ似だって。
わたしもわざわざ2回否定したけど(笑)。
フランツ@ゆりやくんは、べつにまっつには似ていない、と思う。わたしは少なくとも、一度も思ったことはない。「似てるなんて言われたら嫌だわ」というのではなく、たんに、ほんとーに、心から、一度も思ったことがないので、事実として「似てない」と言うだけで。
顔立ちも、芸風も、得意分野も、まっつにはまったくかすっていない。
だけどなんでチェリさんが「まっつに似てる」と思ったのか、……ちょっと考えれば、わかった。
終始、泣きそうな顔をしているからだ。
困った顔というか。笑っているのか泣いているのかわからない……でも泣き顔寄りがデフォルトというか。
わたしは、今回彼を見ながら堺雅人を思い出していた(笑)。堺さんは笑い顔寄りだけど。
ゆりやくんはパステルカラーのクリーム満載スイーツのよーなイメージ。キラキラした、あまいあまいハンサムな王子様。王子だけど王太子ではなく、王位継承とか政治とかには無縁な、愛されてやさしくやさしく世間知らずに育ったかわいこちゃん。
前回の新公では悪役をがんばっていたけど、ちっとも強く見えなかった。そんな彼が挑戦する大役、フランツ・ヨーゼフ。
あたたかくてやさしくて、そして終始泣き顔のヘタレで、ある意味フランツらしかった、の、かも。
貴族的な雰囲気とやさしさは持って生まれたモノだろうから、あとはそこに強さとかいろんなものを加えていけるといいね。……歌は、がんばれ(笑)。
本役のきりやんフランツの黒さ(笑)に「ソレ、フランツちゃうやん」的ツッコミを入れているもんで、ゆりやくんの「いかにもなフランツぶり」には、かえってウケた。
あー、『エリザベート』から連想するフランツの大雑把なイメージって、こんな感じ、と。特徴を捉えて似顔絵を描きましたってゆーか。それはソレで間違いじゃない。
てゆーか、「まっつに似てる」とか言われたら、これから意識しちゃうぢゃないか(笑)。
新公『エリザベート』の演出というか、短縮場面の処理の仕方って毎回違っているのは何故。毎回刷新しようとしているの?
でも、良くなっているとも思えないんですが……。
たしかに前の月新公『エリザ』の演出はひどかったよ。その失敗を踏まえて、次の雪新公では改編してたじゃん?
なのにまた戻しちゃうのって、なんで……? 雪新公の演出は良くなかったの?
プロローグ全カット、ルキーニ@宇月くんの銀橋の語りから、肖像画1枚出て来てシシィ@しずく登場。詩の朗読。……て、トートは?!
なんかもー、盛り上がらない、肩すかしのまま話が進んでいく。
毎回思うけど、「パパみたいに」を削ってもプロローグやればいいのに。舞台にふたりしかいない場面より、主要人物勢揃い場面作った方が舞台も客席も暖まるのに。出番が多い方が若手たちの成長にもいいだろうに。
空気が冷えたまま難曲「パパみたいに」に突入するのは、なかなか困難なんじゃないかと……。
でも、削ってはいけない絶対の場面なんだね。プロローグや最終答弁を削っても、「パパみたいに」は削ってはいけないんだ。……よくわかんねえ。
植爺の『ベルばら』で、フェルゼンとメルシー伯爵の会話を1場面まるまる、絶対削ってはいけないのと同じ?
雪新公のときの方が良かったなあ、と思うのはプロローグがただ「あった」というだけ、「みなさん出てきただけ」であってもあったということと、ルキーニの、客席登場。
今回も期待してたんだよ? ルキーニがカメラ持って客席から現れ、さんざん客席いじりしたあと、銀橋でピンスポ浴びて1曲フルで歌う、ての。
……なかった。
客席登場も、客席いじりも。
ふつーに下手花道から現れて、銀橋で台本通りの台詞言って、終わった。そのあとひとり「キッチュ」を歌ってはいたけど。
なんで演出変えたの? てゆーか、戻したの?
派手にする分にはいいじゃん。宇月くんならできたと思うし。
このへんは大人の事情かなぁと思う。
つまり、番手の問題。
雪新公では、主役がトートなのは当然だが、2番手役はルキーニだったんだよね。フランツは、3番手。
だからフランツの見せ場を削り、ルキーニを派手な演出にしてあった。
フランツ役は作品を支える脇の職人くんが演じ、ルキーニを路線スターが演じた。
だが今回の月新公は、フランツもルキーニも、ふつーに路線くんが演じている。番手をあからさまに逆転させるわけにもいかない。
2番手はフランツ、3番手がルキーニ。
番手の縛りがあるから、その方がいいとわかっていても、ルキーニばかりいい扱いできない。
……まあ、ルキーニが客席登場する必要はナイんだけどね、ほんとのとこ。飛び道具というか、そこまで下駄履かしたらそりゃ客席の目を一気に集められますよ的、役者の実力へのフォローだったのかもしんないが。
なんにせよ、ルキーニ@宇月くんは、良かった。
聞きやすい台詞、聴きやすい歌声。狂言回しとして過不足ナイ仕事ぶり。
てゆーか歌、うまくなってるよね? もとから歌えたけど、こんなにふつーにきれいに歌えるんだ。
「ルキーニって、やりやすい役なのかな」
と、観劇後にチェリさんが言っていたけれど、たしかにソレはあると思う。
本公演のルキーニを「良くない」という声は、どの公演に限らず耳にするけど、新公のルキーニは大抵「良かった」と言われる。
物語の外側から台詞で解説するルキーニは、ある程度の男役スキルのある子なら、演じやすいんだと思う。外へ向けて発散する役だから、アピールしやすいし。
また、舞台中央で演じられている物語自体が、あくまでも新公レベルのものなので、ひとりチガウ立ち位置にいることで、際立って見えるんだよな。
本公演レベルの物語を相手に、ルキーニを演じるのはそりゃ大変なんだろう。
とゆーことは、さすがに7回目の『エリザベート』で、ナマで新公観るのが4回目になると、気づいてくる。
わたしもずっと、新公ルキーニは絶賛してるし(……て、そうだ、初演雪はチガウか。でもアレはまた別ってことで)。
なんて理屈をこねてみても、でもやっぱり宇月くん良かったってば~~!
前回の新公では「みりおくんの次のスターって誰??」状態だったんだけど、今回で次代は宇月くんに新公主演して欲しくなりました。
来年には彼、新公主演できるかな。キモチ的には、次で主演してほしいんですが。みりおくんには脇へ回ってもらって。
や、みりおくんに限らず、新公は独占連続主演で卒業するのではなく、最後の回は長の期に脇で支えて欲しい派なので。みりおくんには悪役とか老け役とか、新公以外では当分出来そうにない役をやって、芸の幅を広げて欲しいし、若い主演の子にはのびのび演じて欲しいしで。
ダメかな?
強い光を。@新人公演『エリザベート』
2009年6月9日 タカラヅカ みりおくんのおもしろいところは、本役のコピーにならないところだと思う。
なんかここんとこずっと同じ公演の話ばっかしてる気がする……何日にも分けてだらだら書きすぎてるんや……にしてもとにかく、月組新人公演『エリザベート』の感想行きます。
『エリザベート』の新公はいつだって大人気、チケ難必至。作品にネームバリューがあると、新公にも興味が集中する。
『エリザベート』は、「枠を超えたサプライズ」を期待できる作品だ。役者の潜在能力まで引き出せるかもしれない。みんなそれを願っている。思いがけない感動に出会えるかもしれないと期待している。
トート@みりおくんは組配属直後から手順を踏んで抜擢され続けてきた、安定したスターだ。無茶な抜擢で反感を買うこともなく、実力や学年に応じた正しい道のり。実力や人気の伴わない抜擢でスターの成長を損ない続けてきた劇団の、数少ない成功例のひとつだろう。
美貌と実力。両方を兼ね備えた若者が、ひとつずつステップアップしていくのを見るのはたのしい。
本役のルドルフも「みりおくんなら似合うだろうな」と思わせ、新公主演のトート役も「みりおくんのトート見てみたいな」と思わせる、期待の人。
むしろ、「できる」ことも「美しい」こともわかっている分、最初からハードルが高くて大変だったかもしれない?
わたしがみりおトートから痛烈に感じたのは、真ん中での光だ。
そもそも彼には「できて当たり前」と見る前から安心している面があって、わりと俯瞰して「ふーん、こんなもんか」と思って見ていた。
力強い存在感で「帝王」として舞い降りるトート閣下。クールだけれど、骨組みの強さが前に出ている感じ。ほおほお、こーゆートートなんだ。
新公は短縮バージョンなので、本公演通りの場面をやるわけじゃない。
プロローグがばっさりカットされているため、トート閣下の初登場は遅い。すごく、遅い。てゆーか小柳せんせ、なんでこんな演出なの? この間の雪組新公はプロローグにトート閣下登場してたじゃん。
シシィが木から落ちてトートとはじめて会う場面まで、出番なしなのよ? ありえないっつーの。
よーやく登場が、椅子にふんぞり返ってせり上がり。新公だけ初見の、ヅカファンでない出演者身内さんとかだったら、「この人誰?」な演出だな。
そんな小柳せんせらしい、物申したいところ満載の演出でも、負けていないみりおトートに乾杯。
新人公演って、本役さんのコピーになりがちなものなのに、みりおくんにはソレがまったくない。
いつだってみりおくんの演技で、そこにいる。
コピーしようとして足りていないのではなく、そもそもまったくチガウような。本役さんを軽んじて真似る気なんかナイよというのでもなく、そもそもまったくチガウ方を向いているので模倣する余地もないというか。
頼ったり慢心するほどのテクニックもキャリアもないので、ただ夢中になって演じているその姿が、ひとつのカタチになっている。個性になっている。それは、強いよな。
ふーん、そうなんだ。と、俯瞰していたところに。
ぐーんと、光を増す。
「最後のダンス」とか「ミルク」とか。
トートが中心になって場を支配し、前に向かって爆発していいところで。
彼から、光が出る。
ぷわっと。
う・わー……。
こういうことができるから、すごいんだよな、みりおくん。
物語の流れに従って、正しい場所で盛り上げることが出来るんだ。自分の感情や表現の盛り上がりとシンクロさせて、光を放てるんだ。
「黄泉の帝王」トートとして、それが正しいのかどうかわたしにはわかんないんだが(笑)、それでも「タカラヅカの真ん中」に立つには、必要不可欠な才能だ。
このままこのライトスタッフを磨いて、ビッグなスターになって欲しい。
で、思った。みりおくんには毒がナイんだなと。
彼が持つスキルは「英雄」。曇りなどナイ、強く輝く能力。
トートは「黄泉の帝王」だからダークな要素をいろいろ持っていて当然なんだが、タカラヅカの『エリザベート』では「ヒーロー」役なので、んなもんなくてもかまわない。
強く、真ん中としての仕事を果たせば、毒なんかなくても成立する。
あさこトートとはまったく別人だが、「トップスター・トート」ぶりは同じかもしれない。
スターだから、とそのスター力だけで、他の細かいこと全部ナシにしちゃうという(笑)。
最後の挨拶も良かった。
なんか、さららん以来のよく喋る挨拶だな、と(笑)。さららんも「今のキモチ」を「自分の言葉で」伝えようと必死になって、誤解されがちなトンデモ挨拶を長々やっていたが。
みりおくんもまた、暗記してきた感謝の言葉だけのソツのない挨拶、ではなく、自分自身で話そうと必死になっていた。話している内容はさららんと大して変わらないだろーに、なんとも前向きに、プラスに響く挨拶だった。この差はなんだろう……キャラクタ?(同じ台詞も、まさきが言ったら傲慢に響くと思う・笑)
いっぱいいっぱい苦しんだだろう、その末に、「自分がやりたいこと」を舞台で表現しようと決意するに至った、そしてそれを挨拶時に自分の言葉で伝えられる……そんなまっすぐな彼に、胸が熱くなった。
そんなみりおくんだから、強く、まっすぐに光を放つんだろうな。
エリザベート@しずくちゃんは、とにかくもお、肖像画から飛び出してきた最初の最初から、「うわっ、かわいい!」とほっこりした。
「美貌」って大切だ。
なんかもお、しみじみ。
とりあえず出てきた瞬間、「ヒロイン、キターーッ!」と思えるって大事。
そのあとの「パパみたいに」の歌で、椅子から落ちそうになったが。だ、大丈夫なのか、と、今よりこのあとに待ち構えるモノを想像して手に汗握る思いだったが、いちばんひどかったのがこの最初で、あとは尻上がりに良くなっていったので、ほっとした。
トートとはじめて会ったときの、きょとんとした顔とか、すごくかわいい。
なんの邪心もなく、ただ、目の前にいるトートを見つめて。恐れるでなく、拒絶するでなく。
その「あるがまま」な存在に、トートは心惹かれたんだろう。
表現できることがまだまだ少ないようなので、足りないところは山ほどあるが、2時間弱の舞台の上でどんどんシシィとして動き出しているのはわかった。
動こうとしている。ただ、技術がソレについて行ってないので、もんどり打っている感じか。
みりおくんとしずくちゃんの並びは、美しくてすごく「タカラヅカ」を見た、という気分にさせてくれる。
同期ならではの空気感ってあるよね。
……そーいやこれで、89期は4人目のエリザベート? ねねちゃん、さゆちゃん、カチャくん、しずくちゃん。すげえなヲイ。
なんかここんとこずっと同じ公演の話ばっかしてる気がする……何日にも分けてだらだら書きすぎてるんや……にしてもとにかく、月組新人公演『エリザベート』の感想行きます。
『エリザベート』の新公はいつだって大人気、チケ難必至。作品にネームバリューがあると、新公にも興味が集中する。
『エリザベート』は、「枠を超えたサプライズ」を期待できる作品だ。役者の潜在能力まで引き出せるかもしれない。みんなそれを願っている。思いがけない感動に出会えるかもしれないと期待している。
トート@みりおくんは組配属直後から手順を踏んで抜擢され続けてきた、安定したスターだ。無茶な抜擢で反感を買うこともなく、実力や学年に応じた正しい道のり。実力や人気の伴わない抜擢でスターの成長を損ない続けてきた劇団の、数少ない成功例のひとつだろう。
美貌と実力。両方を兼ね備えた若者が、ひとつずつステップアップしていくのを見るのはたのしい。
本役のルドルフも「みりおくんなら似合うだろうな」と思わせ、新公主演のトート役も「みりおくんのトート見てみたいな」と思わせる、期待の人。
むしろ、「できる」ことも「美しい」こともわかっている分、最初からハードルが高くて大変だったかもしれない?
わたしがみりおトートから痛烈に感じたのは、真ん中での光だ。
そもそも彼には「できて当たり前」と見る前から安心している面があって、わりと俯瞰して「ふーん、こんなもんか」と思って見ていた。
力強い存在感で「帝王」として舞い降りるトート閣下。クールだけれど、骨組みの強さが前に出ている感じ。ほおほお、こーゆートートなんだ。
新公は短縮バージョンなので、本公演通りの場面をやるわけじゃない。
プロローグがばっさりカットされているため、トート閣下の初登場は遅い。すごく、遅い。てゆーか小柳せんせ、なんでこんな演出なの? この間の雪組新公はプロローグにトート閣下登場してたじゃん。
シシィが木から落ちてトートとはじめて会う場面まで、出番なしなのよ? ありえないっつーの。
よーやく登場が、椅子にふんぞり返ってせり上がり。新公だけ初見の、ヅカファンでない出演者身内さんとかだったら、「この人誰?」な演出だな。
そんな小柳せんせらしい、物申したいところ満載の演出でも、負けていないみりおトートに乾杯。
新人公演って、本役さんのコピーになりがちなものなのに、みりおくんにはソレがまったくない。
いつだってみりおくんの演技で、そこにいる。
コピーしようとして足りていないのではなく、そもそもまったくチガウような。本役さんを軽んじて真似る気なんかナイよというのでもなく、そもそもまったくチガウ方を向いているので模倣する余地もないというか。
頼ったり慢心するほどのテクニックもキャリアもないので、ただ夢中になって演じているその姿が、ひとつのカタチになっている。個性になっている。それは、強いよな。
ふーん、そうなんだ。と、俯瞰していたところに。
ぐーんと、光を増す。
「最後のダンス」とか「ミルク」とか。
トートが中心になって場を支配し、前に向かって爆発していいところで。
彼から、光が出る。
ぷわっと。
う・わー……。
こういうことができるから、すごいんだよな、みりおくん。
物語の流れに従って、正しい場所で盛り上げることが出来るんだ。自分の感情や表現の盛り上がりとシンクロさせて、光を放てるんだ。
「黄泉の帝王」トートとして、それが正しいのかどうかわたしにはわかんないんだが(笑)、それでも「タカラヅカの真ん中」に立つには、必要不可欠な才能だ。
このままこのライトスタッフを磨いて、ビッグなスターになって欲しい。
で、思った。みりおくんには毒がナイんだなと。
彼が持つスキルは「英雄」。曇りなどナイ、強く輝く能力。
トートは「黄泉の帝王」だからダークな要素をいろいろ持っていて当然なんだが、タカラヅカの『エリザベート』では「ヒーロー」役なので、んなもんなくてもかまわない。
強く、真ん中としての仕事を果たせば、毒なんかなくても成立する。
あさこトートとはまったく別人だが、「トップスター・トート」ぶりは同じかもしれない。
スターだから、とそのスター力だけで、他の細かいこと全部ナシにしちゃうという(笑)。
最後の挨拶も良かった。
なんか、さららん以来のよく喋る挨拶だな、と(笑)。さららんも「今のキモチ」を「自分の言葉で」伝えようと必死になって、誤解されがちなトンデモ挨拶を長々やっていたが。
みりおくんもまた、暗記してきた感謝の言葉だけのソツのない挨拶、ではなく、自分自身で話そうと必死になっていた。話している内容はさららんと大して変わらないだろーに、なんとも前向きに、プラスに響く挨拶だった。この差はなんだろう……キャラクタ?(同じ台詞も、まさきが言ったら傲慢に響くと思う・笑)
いっぱいいっぱい苦しんだだろう、その末に、「自分がやりたいこと」を舞台で表現しようと決意するに至った、そしてそれを挨拶時に自分の言葉で伝えられる……そんなまっすぐな彼に、胸が熱くなった。
そんなみりおくんだから、強く、まっすぐに光を放つんだろうな。
エリザベート@しずくちゃんは、とにかくもお、肖像画から飛び出してきた最初の最初から、「うわっ、かわいい!」とほっこりした。
「美貌」って大切だ。
なんかもお、しみじみ。
とりあえず出てきた瞬間、「ヒロイン、キターーッ!」と思えるって大事。
そのあとの「パパみたいに」の歌で、椅子から落ちそうになったが。だ、大丈夫なのか、と、今よりこのあとに待ち構えるモノを想像して手に汗握る思いだったが、いちばんひどかったのがこの最初で、あとは尻上がりに良くなっていったので、ほっとした。
トートとはじめて会ったときの、きょとんとした顔とか、すごくかわいい。
なんの邪心もなく、ただ、目の前にいるトートを見つめて。恐れるでなく、拒絶するでなく。
その「あるがまま」な存在に、トートは心惹かれたんだろう。
表現できることがまだまだ少ないようなので、足りないところは山ほどあるが、2時間弱の舞台の上でどんどんシシィとして動き出しているのはわかった。
動こうとしている。ただ、技術がソレについて行ってないので、もんどり打っている感じか。
みりおくんとしずくちゃんの並びは、美しくてすごく「タカラヅカ」を見た、という気分にさせてくれる。
同期ならではの空気感ってあるよね。
……そーいやこれで、89期は4人目のエリザベート? ねねちゃん、さゆちゃん、カチャくん、しずくちゃん。すげえなヲイ。
初日、劇場にてあれこれ。@エリザベート
2009年6月8日 タカラヅカ で。
「先に観劇感想書くべきだよな」と途中で思い立って順番差し替えたんだけど、ほんとは「タカラヅカを観に行きました日記」を先に書いていたんだ。
や、だってココ、わたしの観劇日記ブログだし(笑)。
月組2回目の『エリザベート』、初日を観てきました。……ではじまる、ふつーに公演内容の感想、以外のこと。
前回の月組『エリザベート』初日に感じたあの異様な緊張感はなかった。
あんときはなあ、はじめての男役のシシィ、しかもあの男の中の男、あさこ様がまさかのシシィ役っつーんで、劇場全部がすげー緊張していた。
また、雪組再演『エリザベート』も、水くんのトップお披露目初日でもあったので、劇場内の空気がちがった。
かたや話題沸騰のあさこシシィ+トップスター退団公演の初日、かたやトップスターお披露目初日、どちらの公演も初日はすげーチケ難で、チケット用意するのが大変だった。
今回はあくまでもふつーの公演なので、そこまでの緊張感はなく、チケット事情も落ち着いていた。サバキも出てたし(わたしも1枚さばいた・笑)、立見も出てたし、需要と供給がいい具合に釣り合って、盛況盛況。
月組は前回の『夢の浮橋』も客入り良かったみたいだし(わたしが知る限り)、安定しているイメージ。
花組全ツ写真目当てで開演前にキャトルレーヴに行ったんだが、プログラムのあさこトートはめっちゃ美しいし、トート&シシィのテディペアなんつーものが売り出されていて、これがまためっちゃかわいいし! いいなあ、あさこちゃんファンはグッズがいっぱい買えて……と、グッズスキーは指をくわえる(笑)。
んで、公演ストラップが2種類発売されていた。……あれ?
たしかに以前は芝居とショー2種類発売されていたし、1本モノの『太王四神記』は色違いで無理矢理2種類出していたが、ソレやめたんじゃなかったの?
少なくとも前回の雪組は1種類しか発売されていなくて、「1公演2種類出すのは不経済だからやめたのかな」と思ってたんだが……なんで雪組だけ??
ストラップは、すみれ色のトートバージョンと、白のシシィバージョン。……買ったことはないけど、見るのは好きなので、2種類出してくれるとうれしい。
ただ、ここまで「シシィ」をキャラクタ化してグッズ展開するなら、キャスティングをもっと考えるべきだったんじゃないかなあ、とか、相変わらず余計なことを考える。
グッズって作品ファンより結局のとこ、スターのファンが買うものだと思うから。
トップスターしかオリジナルグッズが発売されないのは、組でいちばん集客力があり、いちばん人気の人でないと、そのグッズも売れない、作る必要がないってことでしょう?
カレンダーやパーソナルブックだって、一部のスターしか発売されない。それは、一定数以上売れるとわかるラインの人しか、作ることができないから。
たとえばあさこちゃんがシシィをやっているときに、このシシィストラップやシシィ白クマを発売したら、あさこファンの何割かは記念に買ったんじゃないかと思う。
カチャシシィが、あさこシシィ以上に個人ファンが多いとは思えないんだが……。
劇団って、微妙にズレてるなー、と思う。
グッズ好きなのでついグッズについてはいろいろ勝手に考えてしまうんだが、95周年フィギュアにしろ、一から作らなくてはならないちゃんとした(コストのかかる)グッズより、既存グッズにのっかってしまえばいいのに。
たとえばあちこちで限定版が売っているキューピーストラップ。気軽にオリジナルが作れるのか、際限なく種類が増え続けているあの文化にのっかって、公演ごとに「トップスター・キューピー」を作っちゃうとか。低価格だから、リピート基本でグッズやおみやげには手を出さないヅカファンも、気負わず購入できる。
……て、友人にキューピー集めている人がいたり、某卒業ジェンヌのフェアウェルパーティの記念品に、緑袴姿の***ちゃんキューピーが制作されていたことを知っての偏った意見だが(笑)。
月組って人少ないの? ……と、本来若手でまかなう場面に、中堅を導入していたときに思ったのは、その前に劇場ロビーの写真ブランクを前もって見ていたことも原因だ。
劇場入口入ったところのロビー、自動ピアノのあるあの空間に、今回の公演のスター写真が飾ってある。キャトルレーヴ入口の上に、ずらりと一列に。
左から基本学年順で。
それが。
右端がふたつ、空いてるんだわ。
写真立てだけが飾ってあって、中身はナシ。
……スターの写真、なんだよね? 場所はあるのに写真がないってことは、「飾るに相応しいスターが、月組にはいない」ってこと? 他組は全部埋まるほどスターがいるけど、月組はスター不足で欄が空いてるんです、ってこと?
なんかもー、すげえトホホなんですが。
そーゆーみっともないこと、やめようよ~~。
写真立てだけあって、中身ナシなんて、「人材不足・スター不足」と自分たちで言ってるよーなもんじゃん。格好悪いよ。
月組にスターがいないとは思っていない。
わざわざブランクを作ってある理由は、ヅカファンにはわかるだろう。
学年順の右端に飾ってあるのは、シシィ@カチャの写真だ。
本来トップスターは下級生であっても左端の特別ポジションに掲示するのだが、今回は特例だ。カチャは別に月組トップスターぢゃない。
だからカチャは学年順の位置にしか飾れない。しかし、彼女は「エリザベート」だ。『エリザベート』という公演のタイトルロールだ。公演タイトルを冠されたヒロインを、「その他大勢」の中に混ぜるわけにはいかない。
その二律背反の結果、「右側のいちばん端」にシシィの写真を飾った。「いちばん端」だから、「特別」っぽい。この位置なら、ナニも知らない一般客も変には思わないだろう。
……変だってば。
「いちばん端」にするなら、隣にある空っぽの写真立てをはずせよ~~。
写真立ては壁に貼り付けてあって、はずすには工事が必要というなら、やれよ、工事。
大劇場のフォーマットで対応しきれないような人事をしちゃったんだから、責任持ってフォローしろ。
空っぽの「スター位置」を貼り付けておくよーな、みっともないことするなよ~~。
なんかもお、いろいろ中途半端で格好悪いっす、劇団。
「てきとー」感が透けて見えるのがやだな。本気でとことんやってないっていうか。
いやまあ、こんなのは舞台の出来とは関係ない、どーでもいいことなんだろうけど。
でも、タカラヅカってほんと、いろいろ大変だよな。一般観客には無関係なルールがあって。でも、一般客の目も意識しなければおかしいと思うし。
わたしはヅカファンで、ヅカならではのこだわりもわかるし大切にしたいと思うけど、それでもやっぱ一般客を忘れるよーな作りにはして欲しくないと思ってるから、複雑だわ。
楽までに改善されるかな。されるといいな。
と、そんな、観劇に至るまでの日常日記。
「先に観劇感想書くべきだよな」と途中で思い立って順番差し替えたんだけど、ほんとは「タカラヅカを観に行きました日記」を先に書いていたんだ。
や、だってココ、わたしの観劇日記ブログだし(笑)。
月組2回目の『エリザベート』、初日を観てきました。……ではじまる、ふつーに公演内容の感想、以外のこと。
前回の月組『エリザベート』初日に感じたあの異様な緊張感はなかった。
あんときはなあ、はじめての男役のシシィ、しかもあの男の中の男、あさこ様がまさかのシシィ役っつーんで、劇場全部がすげー緊張していた。
また、雪組再演『エリザベート』も、水くんのトップお披露目初日でもあったので、劇場内の空気がちがった。
かたや話題沸騰のあさこシシィ+トップスター退団公演の初日、かたやトップスターお披露目初日、どちらの公演も初日はすげーチケ難で、チケット用意するのが大変だった。
今回はあくまでもふつーの公演なので、そこまでの緊張感はなく、チケット事情も落ち着いていた。サバキも出てたし(わたしも1枚さばいた・笑)、立見も出てたし、需要と供給がいい具合に釣り合って、盛況盛況。
月組は前回の『夢の浮橋』も客入り良かったみたいだし(わたしが知る限り)、安定しているイメージ。
花組全ツ写真目当てで開演前にキャトルレーヴに行ったんだが、プログラムのあさこトートはめっちゃ美しいし、トート&シシィのテディペアなんつーものが売り出されていて、これがまためっちゃかわいいし! いいなあ、あさこちゃんファンはグッズがいっぱい買えて……と、グッズスキーは指をくわえる(笑)。
んで、公演ストラップが2種類発売されていた。……あれ?
たしかに以前は芝居とショー2種類発売されていたし、1本モノの『太王四神記』は色違いで無理矢理2種類出していたが、ソレやめたんじゃなかったの?
少なくとも前回の雪組は1種類しか発売されていなくて、「1公演2種類出すのは不経済だからやめたのかな」と思ってたんだが……なんで雪組だけ??
ストラップは、すみれ色のトートバージョンと、白のシシィバージョン。……買ったことはないけど、見るのは好きなので、2種類出してくれるとうれしい。
ただ、ここまで「シシィ」をキャラクタ化してグッズ展開するなら、キャスティングをもっと考えるべきだったんじゃないかなあ、とか、相変わらず余計なことを考える。
グッズって作品ファンより結局のとこ、スターのファンが買うものだと思うから。
トップスターしかオリジナルグッズが発売されないのは、組でいちばん集客力があり、いちばん人気の人でないと、そのグッズも売れない、作る必要がないってことでしょう?
カレンダーやパーソナルブックだって、一部のスターしか発売されない。それは、一定数以上売れるとわかるラインの人しか、作ることができないから。
たとえばあさこちゃんがシシィをやっているときに、このシシィストラップやシシィ白クマを発売したら、あさこファンの何割かは記念に買ったんじゃないかと思う。
カチャシシィが、あさこシシィ以上に個人ファンが多いとは思えないんだが……。
劇団って、微妙にズレてるなー、と思う。
グッズ好きなのでついグッズについてはいろいろ勝手に考えてしまうんだが、95周年フィギュアにしろ、一から作らなくてはならないちゃんとした(コストのかかる)グッズより、既存グッズにのっかってしまえばいいのに。
たとえばあちこちで限定版が売っているキューピーストラップ。気軽にオリジナルが作れるのか、際限なく種類が増え続けているあの文化にのっかって、公演ごとに「トップスター・キューピー」を作っちゃうとか。低価格だから、リピート基本でグッズやおみやげには手を出さないヅカファンも、気負わず購入できる。
……て、友人にキューピー集めている人がいたり、某卒業ジェンヌのフェアウェルパーティの記念品に、緑袴姿の***ちゃんキューピーが制作されていたことを知っての偏った意見だが(笑)。
月組って人少ないの? ……と、本来若手でまかなう場面に、中堅を導入していたときに思ったのは、その前に劇場ロビーの写真ブランクを前もって見ていたことも原因だ。
劇場入口入ったところのロビー、自動ピアノのあるあの空間に、今回の公演のスター写真が飾ってある。キャトルレーヴ入口の上に、ずらりと一列に。
左から基本学年順で。
それが。
右端がふたつ、空いてるんだわ。
写真立てだけが飾ってあって、中身はナシ。
……スターの写真、なんだよね? 場所はあるのに写真がないってことは、「飾るに相応しいスターが、月組にはいない」ってこと? 他組は全部埋まるほどスターがいるけど、月組はスター不足で欄が空いてるんです、ってこと?
なんかもー、すげえトホホなんですが。
そーゆーみっともないこと、やめようよ~~。
写真立てだけあって、中身ナシなんて、「人材不足・スター不足」と自分たちで言ってるよーなもんじゃん。格好悪いよ。
月組にスターがいないとは思っていない。
わざわざブランクを作ってある理由は、ヅカファンにはわかるだろう。
学年順の右端に飾ってあるのは、シシィ@カチャの写真だ。
本来トップスターは下級生であっても左端の特別ポジションに掲示するのだが、今回は特例だ。カチャは別に月組トップスターぢゃない。
だからカチャは学年順の位置にしか飾れない。しかし、彼女は「エリザベート」だ。『エリザベート』という公演のタイトルロールだ。公演タイトルを冠されたヒロインを、「その他大勢」の中に混ぜるわけにはいかない。
その二律背反の結果、「右側のいちばん端」にシシィの写真を飾った。「いちばん端」だから、「特別」っぽい。この位置なら、ナニも知らない一般客も変には思わないだろう。
……変だってば。
「いちばん端」にするなら、隣にある空っぽの写真立てをはずせよ~~。
写真立ては壁に貼り付けてあって、はずすには工事が必要というなら、やれよ、工事。
大劇場のフォーマットで対応しきれないような人事をしちゃったんだから、責任持ってフォローしろ。
空っぽの「スター位置」を貼り付けておくよーな、みっともないことするなよ~~。
なんかもお、いろいろ中途半端で格好悪いっす、劇団。
「てきとー」感が透けて見えるのがやだな。本気でとことんやってないっていうか。
いやまあ、こんなのは舞台の出来とは関係ない、どーでもいいことなんだろうけど。
でも、タカラヅカってほんと、いろいろ大変だよな。一般観客には無関係なルールがあって。でも、一般客の目も意識しなければおかしいと思うし。
わたしはヅカファンで、ヅカならではのこだわりもわかるし大切にしたいと思うけど、それでもやっぱ一般客を忘れるよーな作りにはして欲しくないと思ってるから、複雑だわ。
楽までに改善されるかな。されるといいな。
と、そんな、観劇に至るまでの日常日記。
だらだら感想・その8。@エリザベート
2009年6月7日 タカラヅカ だらだら垂れ流した月組2回目の『エリザベート』感想、最終回。
いやあ、テーマをまとめることなくただ流し書きするのは楽なのだわ。
つっても、最初は観た感想だったのに、だんだんそこから思ったこと・考えたことになって、だらだらの内容が変わって来ちゃったけど(笑)。
前回の雪『エリザベート』で新しいことに挑戦して、結局「タカラヅカ」の『エリザベート』でいいんじゃね? と元に戻したふつーの『エリザベート』だから、今回の月組公演は、薄いくらいでいいのかもしれない。
と、最後まで観て思った。
全編に漂う「ふつー」さ。「規定演技をしています」感。「『エリザベート』をやっています」と言っているような、知っているモノをまた観ている感じ。
演じている役者がチガウのだから、個々に差はあるのだけど、全体的に「いかにもな『エリザベート』」であり、規定ラインの内側に収まっている。
新しいナニかを創り上げるのでも、過去をぶっ壊すのでもなく、「伝統を再現し、伝える」ことに重きを置いたような。
……で、ガイドラインぴったりに線を書こうとしたら、つい内側に書いちゃった、みたいな。人間の心理として、ぴったり同じにしようとしたら、小さく書いちゃうんだよね。あとからやり直しが利くように。内側ならいいよね、はみ出してないからセーフ、あとから隙間を塗りつぶせばいいよ、的な。
そしてそれは、狙いとして正しいのだろう。
濃すぎたり深すぎたりすると、リピートが大変だから。タカラヅカはファンのヘビーリピートで成り立つものだから。
今回は役替わりもあり、「ひとりで何回も観に来てね」がテーマ。ひとつの組、同じキャストで深めて行くよりも、他組からの特出アリで役替わりもアリ、というイベント感を重視したスタンス。
「重い」「ミュージカル大作」であることだけが、『エリザベート』ではないのだろう。再演も7回目になれば、いろんな『エリザベート』があっていいのだろう。
最後、昇天していくときにシシィを抱きしめるトートの笑顔が、「死」ではなく、ふつーの男でしかないことにも、今回の『エリザベート』の位置づけを見た気がした。
や、ソレでいいんだよな、今回は。
フィナーレも良く見知った……というか、伝統という名のワンパターンなので、もう覚悟の上で、ソレをたのしむ。
にしても、トートとシシィが昇天したあとに下手セリに登場するフランツの衣装は、回を追うごとに華美になってないか?
きりやん衣装の、これでもかっのキラキラぶりにびびった(笑)。
そして、トート様中心場面のアレンジの、陽気さにびびる。なにあの愉快な音楽。
イケコのあさこトートのイメージって??
男役群舞では、その顔ぶれにびびった。
トート様の後ろで踊る3人は、フランツ、ルキーニ、ルドルフって決まってたんじゃないの?
なんで黒天使@そのか??
少人数になる前の、大階段を男たちがゆっくり降りてくる段階で、まさきが端っこにいることに「あれ?」と思った。ルキーニなら、最後に降りてくるはずじゃあ……? と。
フランツ@きりやん、黒天使@そのか、ルドルフ@あひという、不思議な顔ぶれ。
……番手をぼかさなければならない、タカラヅカって大変なところだよなあ。
トート閣下退場後の男群舞、人数が減るときに、るうがいないことにも驚いた。ここでオトされちゃうのかよ。そして、宇月くんが入っていることにも、驚いた。そ、そーゆーことなのか。
そして、最後のパレード。
るうは革命家として、トリオで真ん中降り。……パレードの歌手には入れてもらえるのに、男群舞の少人数からオトされるなんて、どこのヲヅキ@『エリザベート』だよ、と思った……。
ええそして、黒天使にフィナーレでポジションを奪われていたルキーニは、ちゃんとルキーニとして男役3番手位置で階段降りしてました。
まさおくんの、あの笑顔。うれしそーだなー。うれしいんだろーなー。やる気のあるなしがほんと顔と舞台に出る子だよなー(笑)。
この最後の階段降りが、ヅカの番手優先でなくて良かったと、心から思った。
タイトルロールのヒロインが下級生だからと半端な順番で降りてきたり、今回は最長学年のあひがルドルフだからいいけど、役替わりによってはエルマーがフランツの前にひとりで降りてきたり、ルキーニが革命家たちと一緒に降りてきたり、しなくて良かった。
ヅカファンにとっては大切でも、一般客には関係ないもの、そんなこと。番手に囚われて「作品」を壊すのはタカラヅカの欠点のひとつ。(同時に、長所のひとつでもある。番手や組がなくなったらタカラヅカぢゃない)
『エリザベート』もこれで7作目。
これからも再演され続けるのだろうし、いろんなカラー、役者たちが日々新しい『エリザベート』を作り続けるんだろう。
あとは好みの問題。
アイドル・ユニットがやたら大勢まとめて売りに出すように、「7作あるから、どれでも自由に好きになってね」と言えていいんだと思う。いやあ、初演・再演のあたりはファンの対立がこわかったもの。7種類もありゃ、意見が分かれて争乱にはなるまい(笑)。
正直『エリザベート』という演目には目新しさを感じず、観劇意欲も薄かったが、実際に観てみると「作品の力」に惹きつけられる。
やっぱすごい作品だなあ。
いやあ、テーマをまとめることなくただ流し書きするのは楽なのだわ。
つっても、最初は観た感想だったのに、だんだんそこから思ったこと・考えたことになって、だらだらの内容が変わって来ちゃったけど(笑)。
前回の雪『エリザベート』で新しいことに挑戦して、結局「タカラヅカ」の『エリザベート』でいいんじゃね? と元に戻したふつーの『エリザベート』だから、今回の月組公演は、薄いくらいでいいのかもしれない。
と、最後まで観て思った。
全編に漂う「ふつー」さ。「規定演技をしています」感。「『エリザベート』をやっています」と言っているような、知っているモノをまた観ている感じ。
演じている役者がチガウのだから、個々に差はあるのだけど、全体的に「いかにもな『エリザベート』」であり、規定ラインの内側に収まっている。
新しいナニかを創り上げるのでも、過去をぶっ壊すのでもなく、「伝統を再現し、伝える」ことに重きを置いたような。
……で、ガイドラインぴったりに線を書こうとしたら、つい内側に書いちゃった、みたいな。人間の心理として、ぴったり同じにしようとしたら、小さく書いちゃうんだよね。あとからやり直しが利くように。内側ならいいよね、はみ出してないからセーフ、あとから隙間を塗りつぶせばいいよ、的な。
そしてそれは、狙いとして正しいのだろう。
濃すぎたり深すぎたりすると、リピートが大変だから。タカラヅカはファンのヘビーリピートで成り立つものだから。
今回は役替わりもあり、「ひとりで何回も観に来てね」がテーマ。ひとつの組、同じキャストで深めて行くよりも、他組からの特出アリで役替わりもアリ、というイベント感を重視したスタンス。
「重い」「ミュージカル大作」であることだけが、『エリザベート』ではないのだろう。再演も7回目になれば、いろんな『エリザベート』があっていいのだろう。
最後、昇天していくときにシシィを抱きしめるトートの笑顔が、「死」ではなく、ふつーの男でしかないことにも、今回の『エリザベート』の位置づけを見た気がした。
や、ソレでいいんだよな、今回は。
フィナーレも良く見知った……というか、伝統という名のワンパターンなので、もう覚悟の上で、ソレをたのしむ。
にしても、トートとシシィが昇天したあとに下手セリに登場するフランツの衣装は、回を追うごとに華美になってないか?
きりやん衣装の、これでもかっのキラキラぶりにびびった(笑)。
そして、トート様中心場面のアレンジの、陽気さにびびる。なにあの愉快な音楽。
イケコのあさこトートのイメージって??
男役群舞では、その顔ぶれにびびった。
トート様の後ろで踊る3人は、フランツ、ルキーニ、ルドルフって決まってたんじゃないの?
なんで黒天使@そのか??
少人数になる前の、大階段を男たちがゆっくり降りてくる段階で、まさきが端っこにいることに「あれ?」と思った。ルキーニなら、最後に降りてくるはずじゃあ……? と。
フランツ@きりやん、黒天使@そのか、ルドルフ@あひという、不思議な顔ぶれ。
……番手をぼかさなければならない、タカラヅカって大変なところだよなあ。
トート閣下退場後の男群舞、人数が減るときに、るうがいないことにも驚いた。ここでオトされちゃうのかよ。そして、宇月くんが入っていることにも、驚いた。そ、そーゆーことなのか。
そして、最後のパレード。
るうは革命家として、トリオで真ん中降り。……パレードの歌手には入れてもらえるのに、男群舞の少人数からオトされるなんて、どこのヲヅキ@『エリザベート』だよ、と思った……。
ええそして、黒天使にフィナーレでポジションを奪われていたルキーニは、ちゃんとルキーニとして男役3番手位置で階段降りしてました。
まさおくんの、あの笑顔。うれしそーだなー。うれしいんだろーなー。やる気のあるなしがほんと顔と舞台に出る子だよなー(笑)。
この最後の階段降りが、ヅカの番手優先でなくて良かったと、心から思った。
タイトルロールのヒロインが下級生だからと半端な順番で降りてきたり、今回は最長学年のあひがルドルフだからいいけど、役替わりによってはエルマーがフランツの前にひとりで降りてきたり、ルキーニが革命家たちと一緒に降りてきたり、しなくて良かった。
ヅカファンにとっては大切でも、一般客には関係ないもの、そんなこと。番手に囚われて「作品」を壊すのはタカラヅカの欠点のひとつ。(同時に、長所のひとつでもある。番手や組がなくなったらタカラヅカぢゃない)
『エリザベート』もこれで7作目。
これからも再演され続けるのだろうし、いろんなカラー、役者たちが日々新しい『エリザベート』を作り続けるんだろう。
あとは好みの問題。
アイドル・ユニットがやたら大勢まとめて売りに出すように、「7作あるから、どれでも自由に好きになってね」と言えていいんだと思う。いやあ、初演・再演のあたりはファンの対立がこわかったもの。7種類もありゃ、意見が分かれて争乱にはなるまい(笑)。
正直『エリザベート』という演目には目新しさを感じず、観劇意欲も薄かったが、実際に観てみると「作品の力」に惹きつけられる。
やっぱすごい作品だなあ。
だらだら感想・その7。@エリザベート
2009年6月6日 タカラヅカ 年を取ると、集中力が続かなくなる。
わたしももう若くないので、そーゆー意味でも一本モノはつらいのだろう。
名場面「夜のボート」で、こまったことに集中力の限界が来ていたようだ。なんかぼーっと眺めていた。台詞も歌も全部知ってるから、眺めるだけでも物語に置いて行かれることはない。その安心感もあってつい、油断してしまうんだろう。
あとになって友人たちと話したところ、ここで寝ていた人もいたので、ちょうど集中力が切れる場所なのかもしれない。
おぼえているのは、「きりやん、顔が埋まってる……」と思ったことぐらいだ。
衣装と帽子と容赦ないぶ厚いヒゲで、きりやさんの顔は見えている部分がとても少ない、カラダの小ささと相俟って、きりやんの「見えている部分」の少なさを感慨深く眺めた。
アタマがすっきり動き出したのは、そのあとの「最終答弁」だ。
若い悪役顔のフランツ@きりやんキターー!!
悪い。
このフランツ、悪いデスヨー!! 黒いデスヨー!!
フランツに対して感じていた「この男、根っこのトコで同情できないってゆーか、けっこーヤな奴じゃね?」という思いが、カタチになって現れる!
エリザベート@カチャの愛をめぐってトート@あさこちゃんと対立する場面で、フランツってば傲慢さ剥き出し。
うわっ、ヤな奴こいつ。
妻をトロフィーとしか思ってなかった歪んだ男が、ナニいい気になって宣言してんのよ。
悪人フランツが、ツボ過ぎる。うきゃ~~、このフランツ好き。
一方、トート閣下は。
悪人に虐められ、旗色が悪くなる可哀想な人。
ずっと厭世的で寂しげだったトート。シシィを欲しがっているふりをしていたけど、ふりでしかなくて、別に愛していたわけじゃない。
だけど「シシィから愛されていない」と断言されたら、長い年月費やしてきたプレイ時間が無駄になる。
しかも、拒絶される理由が「黄泉の帝王だから」って、それって職業差別(笑)じゃん? トート自身を嫌いなら仕方ないけど、「エリートのオレの妻が、フリーターなんか相手にするわけナイだろ」と鼻で笑われてしまったら、がーんとなるわな。
フランツ悪い奴! トート可哀想!
……と、心から思えるこのキャラクタ設定に、大喜び(笑)。
さて、「狂気」をわかりやすく全開に出来る最後の暗殺場面での、ルキーニ@まさき。
まさきくんは基本「強い」人なので、「狂気」を出すのは苦手なのかもしれないと思った。
彼が自然に持つのは「毒」であり、黒いモノはふつーに持っているけれど、それらは「狂気」ではないんだな。
彼の最大の才能、「自己愛を起点とするスター力」は、強い自己肯定によって沸き上がるので、自己否定に走ることで創り出しやすい狂気というものが、結果苦手になるのかなと。
そして、「タカラヅカ」の真ん中を目指すのならば、それは正しい資質だと思う。
「狂気」を得意とするのは、脇の職人さんに任せた方がいいんですよ、ほんとのところ。
そっちに行き過ぎると、一般観客に拒絶反応が出るから。
演技力に重きを置く人には認められ誉められるだろーけど、その分真ん中コース向きではないってことになるから。
まさきの場合、ただでさえ「毒」が強いので万人に愛されるキャラぢゃないんだから。「アク」ではなく、「毒」ね。アクは強くないよな、まさき。
ルキーニには「狂気」が必要ってよく言われるけど、初演のトド以外でいわゆる「狂気」を感じたことのあるルキーニはいないです、個人的には。
だからわたしには、世間で言うところのルキーニに求められる「狂気」ってのがよくわかっていない。7人のうちひとりしかやらなかったことは別に、スタンダードでもなんでもないよねえ。最初だったから、それが必須になってしまったのか?
ルキーニは『エリザベート』という作品のカラーを決める役だと思う。
だがソレは、ルキーニひとりで決まるのではなく、まずカラーがあり、それに即したルキーニが在る。
今回の月組2回目の『エリザベート』のカラーには、まさおルキーニが正しいのだろう。
トドルキーニは、あの初演だからこそ成り立ったルキーニだ。他組の他『エリザベート』に相応しい男じゃない。
規定演技をそつなくこなすまさおルキーニは、この『エリザベート』を端的に表している。
全体的に薄いというか、「今までの『エリザベート』を踏襲して作りました」的というか。他はともかくトップスターがかっこいいからそれでいいじゃん的というか。
なにより、あさこトートに似合ったルキーニだと思う。
や、もしもマギーがルキーニだったら、と考えて、すげーハマるしうまいだろうけど、あさこトートを中心にした舞台では見たくないと思ってしまった。や、まさきにもマギーにも含みはないが。
と、だらだら語りつつ、あと1回続く。
わたしももう若くないので、そーゆー意味でも一本モノはつらいのだろう。
名場面「夜のボート」で、こまったことに集中力の限界が来ていたようだ。なんかぼーっと眺めていた。台詞も歌も全部知ってるから、眺めるだけでも物語に置いて行かれることはない。その安心感もあってつい、油断してしまうんだろう。
あとになって友人たちと話したところ、ここで寝ていた人もいたので、ちょうど集中力が切れる場所なのかもしれない。
おぼえているのは、「きりやん、顔が埋まってる……」と思ったことぐらいだ。
衣装と帽子と容赦ないぶ厚いヒゲで、きりやさんの顔は見えている部分がとても少ない、カラダの小ささと相俟って、きりやんの「見えている部分」の少なさを感慨深く眺めた。
アタマがすっきり動き出したのは、そのあとの「最終答弁」だ。
若い悪役顔のフランツ@きりやんキターー!!
悪い。
このフランツ、悪いデスヨー!! 黒いデスヨー!!
フランツに対して感じていた「この男、根っこのトコで同情できないってゆーか、けっこーヤな奴じゃね?」という思いが、カタチになって現れる!
エリザベート@カチャの愛をめぐってトート@あさこちゃんと対立する場面で、フランツってば傲慢さ剥き出し。
うわっ、ヤな奴こいつ。
妻をトロフィーとしか思ってなかった歪んだ男が、ナニいい気になって宣言してんのよ。
悪人フランツが、ツボ過ぎる。うきゃ~~、このフランツ好き。
一方、トート閣下は。
悪人に虐められ、旗色が悪くなる可哀想な人。
ずっと厭世的で寂しげだったトート。シシィを欲しがっているふりをしていたけど、ふりでしかなくて、別に愛していたわけじゃない。
だけど「シシィから愛されていない」と断言されたら、長い年月費やしてきたプレイ時間が無駄になる。
しかも、拒絶される理由が「黄泉の帝王だから」って、それって職業差別(笑)じゃん? トート自身を嫌いなら仕方ないけど、「エリートのオレの妻が、フリーターなんか相手にするわけナイだろ」と鼻で笑われてしまったら、がーんとなるわな。
フランツ悪い奴! トート可哀想!
……と、心から思えるこのキャラクタ設定に、大喜び(笑)。
さて、「狂気」をわかりやすく全開に出来る最後の暗殺場面での、ルキーニ@まさき。
まさきくんは基本「強い」人なので、「狂気」を出すのは苦手なのかもしれないと思った。
彼が自然に持つのは「毒」であり、黒いモノはふつーに持っているけれど、それらは「狂気」ではないんだな。
彼の最大の才能、「自己愛を起点とするスター力」は、強い自己肯定によって沸き上がるので、自己否定に走ることで創り出しやすい狂気というものが、結果苦手になるのかなと。
そして、「タカラヅカ」の真ん中を目指すのならば、それは正しい資質だと思う。
「狂気」を得意とするのは、脇の職人さんに任せた方がいいんですよ、ほんとのところ。
そっちに行き過ぎると、一般観客に拒絶反応が出るから。
演技力に重きを置く人には認められ誉められるだろーけど、その分真ん中コース向きではないってことになるから。
まさきの場合、ただでさえ「毒」が強いので万人に愛されるキャラぢゃないんだから。「アク」ではなく、「毒」ね。アクは強くないよな、まさき。
ルキーニには「狂気」が必要ってよく言われるけど、初演のトド以外でいわゆる「狂気」を感じたことのあるルキーニはいないです、個人的には。
だからわたしには、世間で言うところのルキーニに求められる「狂気」ってのがよくわかっていない。7人のうちひとりしかやらなかったことは別に、スタンダードでもなんでもないよねえ。最初だったから、それが必須になってしまったのか?
ルキーニは『エリザベート』という作品のカラーを決める役だと思う。
だがソレは、ルキーニひとりで決まるのではなく、まずカラーがあり、それに即したルキーニが在る。
今回の月組2回目の『エリザベート』のカラーには、まさおルキーニが正しいのだろう。
トドルキーニは、あの初演だからこそ成り立ったルキーニだ。他組の他『エリザベート』に相応しい男じゃない。
規定演技をそつなくこなすまさおルキーニは、この『エリザベート』を端的に表している。
全体的に薄いというか、「今までの『エリザベート』を踏襲して作りました」的というか。他はともかくトップスターがかっこいいからそれでいいじゃん的というか。
なにより、あさこトートに似合ったルキーニだと思う。
や、もしもマギーがルキーニだったら、と考えて、すげーハマるしうまいだろうけど、あさこトートを中心にした舞台では見たくないと思ってしまった。や、まさきにもマギーにも含みはないが。
と、だらだら語りつつ、あと1回続く。
だらだら感想・その6。@エリザベート
2009年6月5日 タカラヅカ だらだらと『エリザベート』感想。
病院訪問は、ある意味「エリザベート」としての演技の成熟さがもっとも必要な場面かと思う。
つーことで、シシィ@カチャ、ここはほんとに大変だなと。つか、がんばれと。
ヴィンディッシュ嬢もまた、再演を繰り返すにつれ変化していったキャラクタだなと思う。
もう拘束衣は使わないんだね。前回の雪組でも拘束衣はなく、狂気の度合いが減っていたというか、種類が違っていたけれど、今回のヴィンディッシュ嬢@なっちゅ(『熱帯夜話』以来、この呼び方しか思い浮かばない・笑)は昔のヴィンディッシュ嬢を踏襲しつつ、表現はマイルドになった感じ。
カチャシシィとなっちゅヴィン嬢は、服装だけでなく体型まで正反対っぽくて、対比という点ではいいのかもしれない。
でもなんか、「狂気」という点ではあまりインパクトがなく、対するシシィも深みに欠けているよーな気がして、「この場面ってこんなもんだっけ?」と首を傾げる。
短くなってた、わけじゃないよね?
前回の雪といい、ヴィン嬢がなんつーか「ファンシー」なのは気になる。攻撃性の無さというか。拘束衣を必要としないくらいだから、当然だけど。
その方がいいからそうしているんだろうけど、こってり味に慣れたあとではあっさり味が、単に味がないように感じてしまうかな。
(ちなみに、わたし的にいちばんこわかったヴィン嬢は、陵あきの@星組で、いちばん好きなのがあすかちゃん@花組だ)
ヴィンディッシュ嬢より、彼女のとりまきらしい少女の方が気になった……けど、これは雪のときもそーだったから、ヴィン嬢よりそっちに狂気の質が移っているのかもしれない。
ところで、ヒゲ・エルマー@もりえくんがかっこいいっす。
2幕の革命家トリオはみんな中年なので、それなりにヒゲ男です。
てゆーかわたし、「今日のエルマーはもりえだよな、エルマーといえば……ヒゲ!!」と、そこに反応しておりました。
ええ、ヒゲのもりえは大好物です。オイシクいただきましたっ。うまうま。
スタイルの良さが際立つフロックコート、そしてヒゲを付けるとあの奥目がますますガイジンっぽくて良いのですよ、もりえくん。
エルマーはまっすぐな役。トートに踊らされているとはいえ、まっすぐ飛ぶ矢のような男ですから、若いスター男役がその若さのまま輝きのままに演じると、力になるのです。
……と言いつつ、「あひのエルマー見てぇ。かっこいいだろなー」と思う。あひくんはもう若手ではないけれど、彼は下手にヘタレとか悪役とかやるより、真面目にヒーロータイプの男を演じる方がハマると思うの。迷わず余計な気を回さず、まっすぐに突き進む方が。ヒゲも似合うと思うし!
えー、同じヒゲ男でも、みりおくんは似合ってませんでした。キミはヒゲつけなくていいよ(笑)。
革命家トリオがかしずくルドルフ@あひがもっといい男ならわくわくするんだが……あうー。(かしずくルドルフ@あひ、が、しずくルドルフ@あひに見えてなんかおかしい・笑)
せっかく「ひざまずいてプロポーズ」なのになあ。エルマー@さららんとルドルフ@ゆーひには萌え狂ったなあ(笑)。
トート閣下@あさこちゃんがいるときは、ほぼ彼をガン見状態だったので、黒天使をまったく見ておりませんでした。
が、マデレーネ@蘭はなちゃんがあまりに美少女だったので、「黒天使としての蘭はなはどうよ?」という気になって、はじめて周囲も見るよーになった。(遅い)
ルドルフを翻弄する黒天使たち、ええもお、蘭はな、こわい(笑)。
マデレーネで印象深いのは、なんといっても前回の月のあいちゃん。
「クールビューティ」とは彼女のために在る言葉だ、と思ったほどに冴え冴えと美しかった。
その印象もあってか、黒天使としてのマデレーネにも、「黒天使」の名に相応しいクールさを求めていた。
なのに蘭はな黒天使は、笑うんだ。
かわいらしい、少女の微笑みで。
それがもお、こわいのなんの。
無邪気な、天使の微笑みで、死へいざなうんだよ。彼女が美しければ美しいほど、邪気がなければないほど、背筋がぞっとする。
こわいよーこわいよー。
てゆーか蘭はなイイよー。この黒天使も好きだー。
結果としてわたし、黒天使@そのかをほとんど見ていません……園松担として失格です!(えっ)
ルドルフいぢめをしているときのトート閣下は、なんかたのしそーに見えました。
うーん、ますます閣下がわかりません、わたし(笑)。
わたしの視界はほぼトート様と、フランツ@きりやんで二分されています。
このふたり、同時に出てくることがほとんどないんだよね。だからそれぞれをガン見できる。
トートがいるときゃトート中心、フランツがいるときゃフランツ中心。
そして、思うのです。
こいつら、どっちもシシィのこと、別に愛してないじゃん。
ルドルフの柩の前で、泣き崩れるシシィを抱き留めるフランツを眺めるのが葬儀場面の醍醐味なので、毎回そうして来ましたが。
……きりやフランツ、シシィのこと、どう思ってんだろう?
フランツはとても自立した強い男なので、シシィを必要としているようには、あまり見えないのです。
ぶっちゃけ家族なんか、いらなくね? キミ、キミひとりで完結してね?
フランツは、ゾフィママ@あいちゃんのことも、なんとも思ってなさそうだったし。
ひとりで生きていける、強い人。
シシィを欲したのは、「エリート・ビジネスマンのオレに似合う女」ってだけなんぢゃ……?
や、ソレはそれで萌えです、歪んだ人って大好物。
そしてもうひとりの愛のない男、トート閣下。これでゲームクリア、と思っていたのに、「死なせて」と胸に飛び込んできたシシィを、「欲しかったアイテムはコレじゃない」と突き放す。
尻尾を切ったんだから、尻尾からはぎ取れるのは「**の尻尾」であるはずでしょ? なんで「**の鱗」なのよ?! とがーんとなる感じ? や、『モンハン』でいうところの。(ゲームに例えても、大抵のヅカファンには通じないんぢゃ?)
だけどトート閣下、物語が進むに従って、むきになっているというか、後に引けなくなっている感じ?
「愛と死の輪舞」を歌うころには、ほんとにもお、心が動いているような気がする。愛ではないかもしれないけれど、手に入れなければならないんだろう、すでに。
まだ続く~~。
病院訪問は、ある意味「エリザベート」としての演技の成熟さがもっとも必要な場面かと思う。
つーことで、シシィ@カチャ、ここはほんとに大変だなと。つか、がんばれと。
ヴィンディッシュ嬢もまた、再演を繰り返すにつれ変化していったキャラクタだなと思う。
もう拘束衣は使わないんだね。前回の雪組でも拘束衣はなく、狂気の度合いが減っていたというか、種類が違っていたけれど、今回のヴィンディッシュ嬢@なっちゅ(『熱帯夜話』以来、この呼び方しか思い浮かばない・笑)は昔のヴィンディッシュ嬢を踏襲しつつ、表現はマイルドになった感じ。
カチャシシィとなっちゅヴィン嬢は、服装だけでなく体型まで正反対っぽくて、対比という点ではいいのかもしれない。
でもなんか、「狂気」という点ではあまりインパクトがなく、対するシシィも深みに欠けているよーな気がして、「この場面ってこんなもんだっけ?」と首を傾げる。
短くなってた、わけじゃないよね?
前回の雪といい、ヴィン嬢がなんつーか「ファンシー」なのは気になる。攻撃性の無さというか。拘束衣を必要としないくらいだから、当然だけど。
その方がいいからそうしているんだろうけど、こってり味に慣れたあとではあっさり味が、単に味がないように感じてしまうかな。
(ちなみに、わたし的にいちばんこわかったヴィン嬢は、陵あきの@星組で、いちばん好きなのがあすかちゃん@花組だ)
ヴィンディッシュ嬢より、彼女のとりまきらしい少女の方が気になった……けど、これは雪のときもそーだったから、ヴィン嬢よりそっちに狂気の質が移っているのかもしれない。
ところで、ヒゲ・エルマー@もりえくんがかっこいいっす。
2幕の革命家トリオはみんな中年なので、それなりにヒゲ男です。
てゆーかわたし、「今日のエルマーはもりえだよな、エルマーといえば……ヒゲ!!」と、そこに反応しておりました。
ええ、ヒゲのもりえは大好物です。オイシクいただきましたっ。うまうま。
スタイルの良さが際立つフロックコート、そしてヒゲを付けるとあの奥目がますますガイジンっぽくて良いのですよ、もりえくん。
エルマーはまっすぐな役。トートに踊らされているとはいえ、まっすぐ飛ぶ矢のような男ですから、若いスター男役がその若さのまま輝きのままに演じると、力になるのです。
……と言いつつ、「あひのエルマー見てぇ。かっこいいだろなー」と思う。あひくんはもう若手ではないけれど、彼は下手にヘタレとか悪役とかやるより、真面目にヒーロータイプの男を演じる方がハマると思うの。迷わず余計な気を回さず、まっすぐに突き進む方が。ヒゲも似合うと思うし!
えー、同じヒゲ男でも、みりおくんは似合ってませんでした。キミはヒゲつけなくていいよ(笑)。
革命家トリオがかしずくルドルフ@あひがもっといい男ならわくわくするんだが……あうー。(かしずくルドルフ@あひ、が、しずくルドルフ@あひに見えてなんかおかしい・笑)
せっかく「ひざまずいてプロポーズ」なのになあ。エルマー@さららんとルドルフ@ゆーひには萌え狂ったなあ(笑)。
トート閣下@あさこちゃんがいるときは、ほぼ彼をガン見状態だったので、黒天使をまったく見ておりませんでした。
が、マデレーネ@蘭はなちゃんがあまりに美少女だったので、「黒天使としての蘭はなはどうよ?」という気になって、はじめて周囲も見るよーになった。(遅い)
ルドルフを翻弄する黒天使たち、ええもお、蘭はな、こわい(笑)。
マデレーネで印象深いのは、なんといっても前回の月のあいちゃん。
「クールビューティ」とは彼女のために在る言葉だ、と思ったほどに冴え冴えと美しかった。
その印象もあってか、黒天使としてのマデレーネにも、「黒天使」の名に相応しいクールさを求めていた。
なのに蘭はな黒天使は、笑うんだ。
かわいらしい、少女の微笑みで。
それがもお、こわいのなんの。
無邪気な、天使の微笑みで、死へいざなうんだよ。彼女が美しければ美しいほど、邪気がなければないほど、背筋がぞっとする。
こわいよーこわいよー。
てゆーか蘭はなイイよー。この黒天使も好きだー。
結果としてわたし、黒天使@そのかをほとんど見ていません……園松担として失格です!(えっ)
ルドルフいぢめをしているときのトート閣下は、なんかたのしそーに見えました。
うーん、ますます閣下がわかりません、わたし(笑)。
わたしの視界はほぼトート様と、フランツ@きりやんで二分されています。
このふたり、同時に出てくることがほとんどないんだよね。だからそれぞれをガン見できる。
トートがいるときゃトート中心、フランツがいるときゃフランツ中心。
そして、思うのです。
こいつら、どっちもシシィのこと、別に愛してないじゃん。
ルドルフの柩の前で、泣き崩れるシシィを抱き留めるフランツを眺めるのが葬儀場面の醍醐味なので、毎回そうして来ましたが。
……きりやフランツ、シシィのこと、どう思ってんだろう?
フランツはとても自立した強い男なので、シシィを必要としているようには、あまり見えないのです。
ぶっちゃけ家族なんか、いらなくね? キミ、キミひとりで完結してね?
フランツは、ゾフィママ@あいちゃんのことも、なんとも思ってなさそうだったし。
ひとりで生きていける、強い人。
シシィを欲したのは、「エリート・ビジネスマンのオレに似合う女」ってだけなんぢゃ……?
や、ソレはそれで萌えです、歪んだ人って大好物。
そしてもうひとりの愛のない男、トート閣下。これでゲームクリア、と思っていたのに、「死なせて」と胸に飛び込んできたシシィを、「欲しかったアイテムはコレじゃない」と突き放す。
尻尾を切ったんだから、尻尾からはぎ取れるのは「**の尻尾」であるはずでしょ? なんで「**の鱗」なのよ?! とがーんとなる感じ? や、『モンハン』でいうところの。(ゲームに例えても、大抵のヅカファンには通じないんぢゃ?)
だけどトート閣下、物語が進むに従って、むきになっているというか、後に引けなくなっている感じ?
「愛と死の輪舞」を歌うころには、ほんとにもお、心が動いているような気がする。愛ではないかもしれないけれど、手に入れなければならないんだろう、すでに。
まだ続く~~。
2009/06/04
『AQUA5 コンサート』ならびに『百年への道』 星組・凰稀かなめの休演について
星組の凰稀かなめは、『AQUA5 コンサート』(2009年6月9日・10日、於・赤坂BLITZ)及び、宝塚歌劇95周年記念・「歌劇」通巻1000号記念スペシャル『百年への道』(2009年6月15日、於・宝塚大劇場)に出演を予定致しておりましたが、公演の稽古中に左足小指を骨折致しましたため、休演させて頂くことになりました。
尚、復帰時期につきましては回復状況を見ながら改めてご案内させていただきます。
うわわ。
なんてことに……。
本日はパンクしかけのHDDレコーダのデータ整理をしておりました。
溜め込むタイプのヲタクなので、公演関連ニュースはまるっと保存しているのです。
その中に、『太王四神記 Ver.II』のポスター撮り映像もあって。
花組『太王四神記』に通いまくったモノとしても、花組の次に雪組に通っているモノとしても、かなめくんのヨン・ホゲ姿は感慨深いモノがあり、つい手を止めて見入っちゃったりしていたところ、だったのに。
最初にこのニュースを知ったとき、思い出したのは某ヲヅキさんのことですけどね……。
ヲヅキファンのチェリさんと、初日から駆けつける約束だった『ノン ノン シュガー!!』を、たしか骨折で休演したかなめ姫の同期がいましたよね……。
「ヲヅキバウを初日から観るの!」「ちょっとちょっと、ヲヅキバウぢゃなくて、キムバウよ、チェリさん」てな会話を繰り返していたのにね。
んで、約束のバウ初日、チェリさんは現れなかった。や、前もって「ヲヅキいないなら、なにも初日に行く必要ないし」とすっぱり言い渡されてたんだけど。……一緒に行くつもりだったわたしは、盛大にフラレて、ひとりさびしく観劇したんだわさ……。
かなめくんと言えばヲヅキ。
ヲヅキといえばかなめくん。
ふたりの並びが好きで、ずっと愛でてきた。
このコンビを同じ組の舞台で観られなくなる……アタマでわかっていても、まだ実感としてリアルに理解していないまま。
かなめくんのニュースに、わたしの海馬はヲヅキのことを思い出させる。
そして、ヲヅキの仲良し、宙組のヒヅキさんのことを思う。
彼女の休演も、ショックだった。
誰だって休演は大変だけど、背負うモノが大きければ大きいほど、ケガと共にキモチの傷口も大きくなる。
や、わたしなんかが想像できることでもないだろうが。
カラダも心配だが、ココロも心配だ。
かなめくんの今の立場、彼が今背負っているモノ。
そして、その状況で、ケガで休演って。
それを思うと、勝手に胸がどきどきする。わたしがどきどきしてどーなるもんでもないが、なんか、いたたまれないキモチになる。
どうかどうか、ゆっくり休んでください。
続・ルドルフという男。@エリザベート
2009年6月3日 タカラヅカ ルドルフ役の、3人の役替わり。
「どのルドルフが見たい?」
と、ちょうど友人とわたし、合わせて3人いるときに聞いたところ、三者三様、希望は3つに分かれたのでした。
「よかった、これで1パターン見るだけで、あとはどんなだったか聞けるね」
と完結、「ちょっと待って、劇団は3人で1パターンずつ分けて見てね、と思ってるんじゃなくて、ひとりで3パターン全部見てねって言ってるんだよ?」とツッコミが入るほど、きれーに納得したもんでした。
わたしが希望したのは、あひルドルフ。
勝手なイメージだけど、たぶん、「ルドルフ」としていちばん似合っているのはみりおくんだろうなと思っている。だから、みりおルドルフを見てみたいと思う。
でも、1回しか見ないなら、見てみたいルドルフより、その中でいちばん好きなジェンヌのルドルフを選ぶ。
……そーだよ、この3人の中では、あひくんがいちばん好きさ。みりおくんももりえくんも好きだけど、順位を付けるなら、あひくんだ。
なんつーんですかね、彼には萌えがあるのです、いろいろと。……じれったかったり、苛々したりも、するんだけど。そのマイナス面も合わせて、とどのつまり好きなんだと思う。
今のところ、月組2回目の『エリザベート』は、1回しか観劇予定はない。や、チケット持ってないし。
その1回こっきりだからこそ、あひくんを選んだ。ちょうど初日だったしな。
あひくんの、ルドルフ。
わたしの不安というか、懸念は、「テルみたいなルドルフは勘弁してくれよ」だった。
純然たる好みだけの問題で、わたしはかなめくんのルドルフが苦手だった。万引きが見つかって、1回叱られたら自殺しちゃう中学生みたいなルドルフ。
ルドルフはたしかに「死」に魅入られて自殺しちゃう人だけど、んな弱弱男ぢゃないっ。破滅することと単に弱いことはチガウっ。……と、思っているので。
ただの個人的な思い込みなので、真実とか世間的見解は知らん。
自殺する繊細な人を、ただ弱く演じることは簡単なの。
簡単だからって、まるっとソレをやられたらたまらない。
表面的な出来事の、その奥を表現してくれ。
不安だったし、懸念したし、危惧しましたとも。
……まさか。
まさか、アレ以上に弱っちい男で来るとは、思ってなかった。
テルドルフでも、「これ以上よわよわなルドルフはナイだろ」と溜息をついていたのに、それ以下って……!(笑)
最初から最後まで、泣き出しそうな30男……。
革命とか国の未来とか、この男に語らせちゃダメだってば。てゆーかそもそも皇太子にしちゃダメだ。無理だよ、責任なんか与えたら、泣き出しちゃうよ??
あああ。
ルドルフって、こーゆーキャラなの、世間的に?
わたし的には、彼の人となりをいちばんに表す台詞だと思っているのは、シシィに助けを求めるところ。
「最悪の事態に陥ってしまったんだ」
と歌う彼が、ママに「助けて」と懇願する内容は、「パパがボクを皇位継承者からはずすって言うんだ、大ピンチ! ママから取り直して、ボクの地位を守って!」ではない。
流れからいって、そう訴えても不思議ではないのに。
彼が歌うのは、帝国の未来だ。
「今ハプスブルクを滅亡から救える道は、ドナウ連邦しかない」
この青年は、本気で祖国の未来を考えているんだ。自分の保身よりも、世界の行く末を憂いているんだ。
この、「政治家」としての「未来の皇帝」としての部分が活きることで、ルドルフというひとりの男の「強さ」になる。
たしかにマザコンで「ママ、ママ」で、トートに誘惑されて革命家たちに持ち上げられて、後先考えずに行動して破滅するおバカさんだけど。
それだけではない、一国の皇子としての気骨を持った人物であるということ。
繊細さとは別。美しさとは別。
……と、以前に書いた。テルドルフのときに。
だけど今回もまた、さらに輪を掛けて弱っちいルドルフ像を見せられると、「ルドルフは弱くてナンボ」だと、演出家が思っているってことかな。
テルドルフが中学生だったのに、あひルドルフに至っては、小学生ですよ……メンタルが……。
終始大袈裟に顔を歪めて苦悩というか泣きの演技してまつ。
「イヤダ! イヤダ!」とデパートの床で大の字になって手足をじたばたしている子どもみたい。
ジェラルド@『ME AND MY GIRL』を「ヘタレ」を通り越してなにか障害のある人のような感じに演じてしまったのと、同じかほりが……。
「繊細」に演じようとして、これまたオトナには見えない人になってるよぉ。
1回しか観ない、つもりだった、『エリザベート』。
あひくん見た途端、「他のルドルフも、自分で見るべきか?」と思った。
あひくんの演じるルドルフ像が、演出家の意図なのかどうかを確かめたいと思った。
こんなに精神発育に問題ありそうなキャラクタなの、世間的なルドルフって?
二の宮@『夢の浮橋』は、すごく良かったんだよ、あひくん。
なのにどーして、こんなことに。
二の宮だって、ある意味あれ、ルドルフキャラだよ? ルドルフよりフランツに近いキャラだけど。挫折する王子の役じゃん。二の宮をあんなに大人っぽく「負けを認める強さ」が切ない男に演じられた人が、どーしてこんなことになってるんだよぉ。
いやその。
すべてわたしの個人的感想に過ぎないので、ひとが見たら「ぜんぜんチガウじゃん、なにわけわかんないこと言ってんの」かもしれませんが。
あひくんこそが「ルドルフの中のルドルフ! 歴代『エリザベート』の中で最高の、イメージ通りのルドルフだわ!」てなことだって、あるのかもしれませんが。
わたしにとってのルドルフは、強さと繊細さを併せ持つ、だからこそその破滅が切ない人なもんで。
「ママ、寂しいんだ」と歌いながらも、勇気を試すために猫を殺すよーなエキセントリックさも持つわけで。
「ママはボクの鏡だから」と歌って良い、「もうひとりのエリザベート」なわけで。
生涯闘い続けたヒロイン・エリザベートと対をなすキャラクタだと思っているので。
弱い人が弱いまま弱いせいで自殺するんじゃ、なんのカタルシスもないじゃん。そんなの、ただの弱いモノ虐めじゃん、トート閣下。
あんまり泣き顔一直線で、トートより高い身長を高く見せないためにか姿勢も良くなくて、そんな男が美貌のトート閣下の腕に抱かれて死んでも、萌えなかったっす。
うおおお、あひくん……。
なんでこう、気を揉ませるんだ。そこがたまらん、つーのもたしかにあるんだが(笑)。
あひくんはこれからもこーゆー芸風で行くのかなあ。ジェラルド風っていうか。
ヘタレでも弱虫でもなく、ふつーにかっこよく演じ方変えてくんないかな……。
大丈夫、ふつーに二枚目の大人の男に演じても、あひくんならヘタレに見えるから! それぐらいでちょうどいいんだよ、きっと。
……て、ダメなのかなあ……。
「どのルドルフが見たい?」
と、ちょうど友人とわたし、合わせて3人いるときに聞いたところ、三者三様、希望は3つに分かれたのでした。
「よかった、これで1パターン見るだけで、あとはどんなだったか聞けるね」
と完結、「ちょっと待って、劇団は3人で1パターンずつ分けて見てね、と思ってるんじゃなくて、ひとりで3パターン全部見てねって言ってるんだよ?」とツッコミが入るほど、きれーに納得したもんでした。
わたしが希望したのは、あひルドルフ。
勝手なイメージだけど、たぶん、「ルドルフ」としていちばん似合っているのはみりおくんだろうなと思っている。だから、みりおルドルフを見てみたいと思う。
でも、1回しか見ないなら、見てみたいルドルフより、その中でいちばん好きなジェンヌのルドルフを選ぶ。
……そーだよ、この3人の中では、あひくんがいちばん好きさ。みりおくんももりえくんも好きだけど、順位を付けるなら、あひくんだ。
なんつーんですかね、彼には萌えがあるのです、いろいろと。……じれったかったり、苛々したりも、するんだけど。そのマイナス面も合わせて、とどのつまり好きなんだと思う。
今のところ、月組2回目の『エリザベート』は、1回しか観劇予定はない。や、チケット持ってないし。
その1回こっきりだからこそ、あひくんを選んだ。ちょうど初日だったしな。
あひくんの、ルドルフ。
わたしの不安というか、懸念は、「テルみたいなルドルフは勘弁してくれよ」だった。
純然たる好みだけの問題で、わたしはかなめくんのルドルフが苦手だった。万引きが見つかって、1回叱られたら自殺しちゃう中学生みたいなルドルフ。
ルドルフはたしかに「死」に魅入られて自殺しちゃう人だけど、んな弱弱男ぢゃないっ。破滅することと単に弱いことはチガウっ。……と、思っているので。
ただの個人的な思い込みなので、真実とか世間的見解は知らん。
自殺する繊細な人を、ただ弱く演じることは簡単なの。
簡単だからって、まるっとソレをやられたらたまらない。
表面的な出来事の、その奥を表現してくれ。
不安だったし、懸念したし、危惧しましたとも。
……まさか。
まさか、アレ以上に弱っちい男で来るとは、思ってなかった。
テルドルフでも、「これ以上よわよわなルドルフはナイだろ」と溜息をついていたのに、それ以下って……!(笑)
最初から最後まで、泣き出しそうな30男……。
革命とか国の未来とか、この男に語らせちゃダメだってば。てゆーかそもそも皇太子にしちゃダメだ。無理だよ、責任なんか与えたら、泣き出しちゃうよ??
あああ。
ルドルフって、こーゆーキャラなの、世間的に?
わたし的には、彼の人となりをいちばんに表す台詞だと思っているのは、シシィに助けを求めるところ。
「最悪の事態に陥ってしまったんだ」
と歌う彼が、ママに「助けて」と懇願する内容は、「パパがボクを皇位継承者からはずすって言うんだ、大ピンチ! ママから取り直して、ボクの地位を守って!」ではない。
流れからいって、そう訴えても不思議ではないのに。
彼が歌うのは、帝国の未来だ。
「今ハプスブルクを滅亡から救える道は、ドナウ連邦しかない」
この青年は、本気で祖国の未来を考えているんだ。自分の保身よりも、世界の行く末を憂いているんだ。
この、「政治家」としての「未来の皇帝」としての部分が活きることで、ルドルフというひとりの男の「強さ」になる。
たしかにマザコンで「ママ、ママ」で、トートに誘惑されて革命家たちに持ち上げられて、後先考えずに行動して破滅するおバカさんだけど。
それだけではない、一国の皇子としての気骨を持った人物であるということ。
繊細さとは別。美しさとは別。
……と、以前に書いた。テルドルフのときに。
だけど今回もまた、さらに輪を掛けて弱っちいルドルフ像を見せられると、「ルドルフは弱くてナンボ」だと、演出家が思っているってことかな。
テルドルフが中学生だったのに、あひルドルフに至っては、小学生ですよ……メンタルが……。
終始大袈裟に顔を歪めて苦悩というか泣きの演技してまつ。
「イヤダ! イヤダ!」とデパートの床で大の字になって手足をじたばたしている子どもみたい。
ジェラルド@『ME AND MY GIRL』を「ヘタレ」を通り越してなにか障害のある人のような感じに演じてしまったのと、同じかほりが……。
「繊細」に演じようとして、これまたオトナには見えない人になってるよぉ。
1回しか観ない、つもりだった、『エリザベート』。
あひくん見た途端、「他のルドルフも、自分で見るべきか?」と思った。
あひくんの演じるルドルフ像が、演出家の意図なのかどうかを確かめたいと思った。
こんなに精神発育に問題ありそうなキャラクタなの、世間的なルドルフって?
二の宮@『夢の浮橋』は、すごく良かったんだよ、あひくん。
なのにどーして、こんなことに。
二の宮だって、ある意味あれ、ルドルフキャラだよ? ルドルフよりフランツに近いキャラだけど。挫折する王子の役じゃん。二の宮をあんなに大人っぽく「負けを認める強さ」が切ない男に演じられた人が、どーしてこんなことになってるんだよぉ。
いやその。
すべてわたしの個人的感想に過ぎないので、ひとが見たら「ぜんぜんチガウじゃん、なにわけわかんないこと言ってんの」かもしれませんが。
あひくんこそが「ルドルフの中のルドルフ! 歴代『エリザベート』の中で最高の、イメージ通りのルドルフだわ!」てなことだって、あるのかもしれませんが。
わたしにとってのルドルフは、強さと繊細さを併せ持つ、だからこそその破滅が切ない人なもんで。
「ママ、寂しいんだ」と歌いながらも、勇気を試すために猫を殺すよーなエキセントリックさも持つわけで。
「ママはボクの鏡だから」と歌って良い、「もうひとりのエリザベート」なわけで。
生涯闘い続けたヒロイン・エリザベートと対をなすキャラクタだと思っているので。
弱い人が弱いまま弱いせいで自殺するんじゃ、なんのカタルシスもないじゃん。そんなの、ただの弱いモノ虐めじゃん、トート閣下。
あんまり泣き顔一直線で、トートより高い身長を高く見せないためにか姿勢も良くなくて、そんな男が美貌のトート閣下の腕に抱かれて死んでも、萌えなかったっす。
うおおお、あひくん……。
なんでこう、気を揉ませるんだ。そこがたまらん、つーのもたしかにあるんだが(笑)。
あひくんはこれからもこーゆー芸風で行くのかなあ。ジェラルド風っていうか。
ヘタレでも弱虫でもなく、ふつーにかっこよく演じ方変えてくんないかな……。
大丈夫、ふつーに二枚目の大人の男に演じても、あひくんならヘタレに見えるから! それぐらいでちょうどいいんだよ、きっと。
……て、ダメなのかなあ……。
だらだら感想・その5。@エリザベート
2009年6月2日 タカラヅカ だらだら『エリザベート』感想、よーやく1幕終わり。
鏡の間のシシィ@カチャを見ていたら、いかん、銀橋トート@あさこちゃんの登場シーン見損ねたっ。や、雪のときはライト着く前のスタンバイ状態から眺めるのが常だったので、それをできなかったことがちょっとくやしい(笑)。
2幕もまたルキーニ@まさきのひとり登場からはじまる。
ほんとルキーニってのは大変な役だなー。舞台スキルがモロに表に出る。
まさおルキーニは可もなく不可もなく。カチャと同じで、キャリアの少なさからすればよくやっていると思う……が、これまたカチャシシィと同じであまりわたしの興味を引かない。ので、視界に入らない。
過去に、悪目立ちして視界にちょこちょこ入ってくることが苦痛なルキーニはいたので、それに比べるとぜんぜんOKだ。
ルキーニの規定演技を離れ……というかついうっかり「自分大好き、ルキーニを演じている自分サイコー!」と思っているっぽいところこそが、ツボにハマる。まさおくんはもお、その路線で行っていいよ、自分大好きルキーニを開眼しちゃいなよ、と。
客席は新型インフルエンザ予防のため、マスク客でいっぱい。それをルキーニがアドリブで口にしていたことも、この公演を語るときの思い出になるんだろうな。
や、わたしゃもうすっかり記憶力の衰えたおばさんなので、公演に絡めていろんなことを記憶しているもんで。
例・「ひさしぶり~~、**ちゃんに会うの半年ぶりぐらいだっけ?」「前に会ったのは*組の『**』のときだよ」「え、それって2年前ってこと?? そんなに経つの?!」
カチャのスタイルの良さを、しみじみ感心する。
実身長は確実にあさこちゃんより高いし、そのために容赦ないぺたんこ靴を履いているのに、それでもスタイルの良さが損なわれていない。
なによりも、あさこちゃんと並んでも、小顔だ。
瀬奈じゅん氏は娘役泣かせの小顔色男だからなあ。どんな美女も彼の横に並ぶと大顔になってしまう。現実世界は男より女が大顔なんてことはありえないから、ヅカで娘役の方が顔が大きいとなんとも見た目が悪くなってしまう。
相手役を選ぶあさこちゃんの隣にいて、顔の小ささで負けていないってすごい。ちなみにあさこちゃんより長身なのに顔が小さいってことは、さらに頭身が高いってことだし。……すげえや。
と、トートとシシィがふつーに並んで対峙する「私が踊る時」を見て思う。
初演ビデオを未だにリピートしているモノには、この「私が踊る時」がとても違和感なんだが(笑)。ええ、未だに慣れません、革命家トリオの増えた台詞と同じように。
戴冠式のあとはそのまま「ママ!」になるの、わたしの体感時計では(笑)。
少年ルドルフ@しずくちゃんは、かーわーいーいー。
歌のか細さも、役には合っているか。歌は……まぁその、がんばれ(笑)。
しかし、この子が成長してルドルフ@あひくんになるのね……と思うと、ちょっとおかしい(笑)。これからアゴが育っていくのね、とか。
でもって、私事ながら、あひくんで「ママどこなの」の歌を使って、SS書いたな昔、あのときはまさかほんとにあひくんがルドルフやるなんて思ってなかった、とひとりで勝手にウケる。ええ、あのSSでは、トート@越リュウだった……(笑)。
「ミルク」を歌っていた重臣ズが、ふつーに重臣の姿で現れて、ゾフィー@あいちゃん相手にああだこうだ。
あいちゃんはちゃんと老けメイクしてがんばってる。こちらもゾフィーの規定演技? あれほどゾフィーに「ひとりの人間」としての人生が見えたのは、ハマコが特殊だったのか……今までのゾフィーってどうだったっけ?
圧倒するパワーがない分、あいちゃんのゾフィーはゾフィーとしての外側をなぞった感がある。
重臣たちはみんな老けメイクがステキ。とくに華央くん!! あのもみあげとヒゲ! あのクマさん具合! いいなあ、うっとり。
マギーはますます「愉快なチョイ悪オヤジ」で……あああ、マギーでジオラモさん@『アデュー・マルセイユ』見てみたいかも(笑)。
そしてそして、マデレーネ@蘭はな!!
なにあのロリータ美少女!!(鼻息)
見るなり一気にテンション上がった。むちゃくちゃ可愛いっ。無邪気な笑顔がいいの。表情に邪気がなければないほど、こわさが増す。
この美少女になら、そりゃ惑わされるわ、フランツ@きりやん!
わかる、わかるよ。キモチはわかる。
……てゆーかさ、そもそもフランツがシシィを見初めたときも、シシィはまだ15歳の少女だったんだよね? でもってフランツはすでに皇帝業もやっていた社会人で20代半ば? 現代でいうなら、女子中学生とリーマン?
つまり、もともとフランツって、ロリコンなんじゃん。
フランツを誘惑するのに、ロリロリ美少女をチョイスしたゾフィー(?)はえらいわ!
マダム・ヴォルフはすげー厚化粧の、体格のいいおばさんでした。下品でノリノリなのが素敵。……え、新公学年の男役なの? 将来が楽しみですわ。
さて、やたらビジュアル系のトート閣下。
医者コスプレから正体を現したときも、異世界感はなく、「おっさん医師だと思ったら、イケメンにーちゃんでした」という具合の変身ぶり。……タカラヅカとしては、これが正しいのかもしれない。
シシィを愛しているのか欲しているのか、見れば見るほどわからなくなるので、このへんまで来ると「もういいか」なキモチに。
美しさを愛でるものなんだ、きっと。
トート閣下はマジでかっこいいっす。
これが『エリザベート』なのか、「トート」なのかと言われると自信がないが……もう7作目なんだから、こーゆーのもアリなんだよきっと。
2幕になってからの方がトート様は元気な気がしたけれど、それでもなんか寂しげな感じは変わらず。
わたしの目が曇っているだけかもしれんが。
……あさこちゃんは、寂しげだったり悲しげだったりする方が、わたしには魅力的に映るのです。
勝手に好みに引き寄せて見ているだけかもしれん。
続く。
鏡の間のシシィ@カチャを見ていたら、いかん、銀橋トート@あさこちゃんの登場シーン見損ねたっ。や、雪のときはライト着く前のスタンバイ状態から眺めるのが常だったので、それをできなかったことがちょっとくやしい(笑)。
2幕もまたルキーニ@まさきのひとり登場からはじまる。
ほんとルキーニってのは大変な役だなー。舞台スキルがモロに表に出る。
まさおルキーニは可もなく不可もなく。カチャと同じで、キャリアの少なさからすればよくやっていると思う……が、これまたカチャシシィと同じであまりわたしの興味を引かない。ので、視界に入らない。
過去に、悪目立ちして視界にちょこちょこ入ってくることが苦痛なルキーニはいたので、それに比べるとぜんぜんOKだ。
ルキーニの規定演技を離れ……というかついうっかり「自分大好き、ルキーニを演じている自分サイコー!」と思っているっぽいところこそが、ツボにハマる。まさおくんはもお、その路線で行っていいよ、自分大好きルキーニを開眼しちゃいなよ、と。
客席は新型インフルエンザ予防のため、マスク客でいっぱい。それをルキーニがアドリブで口にしていたことも、この公演を語るときの思い出になるんだろうな。
や、わたしゃもうすっかり記憶力の衰えたおばさんなので、公演に絡めていろんなことを記憶しているもんで。
例・「ひさしぶり~~、**ちゃんに会うの半年ぶりぐらいだっけ?」「前に会ったのは*組の『**』のときだよ」「え、それって2年前ってこと?? そんなに経つの?!」
カチャのスタイルの良さを、しみじみ感心する。
実身長は確実にあさこちゃんより高いし、そのために容赦ないぺたんこ靴を履いているのに、それでもスタイルの良さが損なわれていない。
なによりも、あさこちゃんと並んでも、小顔だ。
瀬奈じゅん氏は娘役泣かせの小顔色男だからなあ。どんな美女も彼の横に並ぶと大顔になってしまう。現実世界は男より女が大顔なんてことはありえないから、ヅカで娘役の方が顔が大きいとなんとも見た目が悪くなってしまう。
相手役を選ぶあさこちゃんの隣にいて、顔の小ささで負けていないってすごい。ちなみにあさこちゃんより長身なのに顔が小さいってことは、さらに頭身が高いってことだし。……すげえや。
と、トートとシシィがふつーに並んで対峙する「私が踊る時」を見て思う。
初演ビデオを未だにリピートしているモノには、この「私が踊る時」がとても違和感なんだが(笑)。ええ、未だに慣れません、革命家トリオの増えた台詞と同じように。
戴冠式のあとはそのまま「ママ!」になるの、わたしの体感時計では(笑)。
少年ルドルフ@しずくちゃんは、かーわーいーいー。
歌のか細さも、役には合っているか。歌は……まぁその、がんばれ(笑)。
しかし、この子が成長してルドルフ@あひくんになるのね……と思うと、ちょっとおかしい(笑)。これからアゴが育っていくのね、とか。
でもって、私事ながら、あひくんで「ママどこなの」の歌を使って、SS書いたな昔、あのときはまさかほんとにあひくんがルドルフやるなんて思ってなかった、とひとりで勝手にウケる。ええ、あのSSでは、トート@越リュウだった……(笑)。
「ミルク」を歌っていた重臣ズが、ふつーに重臣の姿で現れて、ゾフィー@あいちゃん相手にああだこうだ。
あいちゃんはちゃんと老けメイクしてがんばってる。こちらもゾフィーの規定演技? あれほどゾフィーに「ひとりの人間」としての人生が見えたのは、ハマコが特殊だったのか……今までのゾフィーってどうだったっけ?
圧倒するパワーがない分、あいちゃんのゾフィーはゾフィーとしての外側をなぞった感がある。
重臣たちはみんな老けメイクがステキ。とくに華央くん!! あのもみあげとヒゲ! あのクマさん具合! いいなあ、うっとり。
マギーはますます「愉快なチョイ悪オヤジ」で……あああ、マギーでジオラモさん@『アデュー・マルセイユ』見てみたいかも(笑)。
そしてそして、マデレーネ@蘭はな!!
なにあのロリータ美少女!!(鼻息)
見るなり一気にテンション上がった。むちゃくちゃ可愛いっ。無邪気な笑顔がいいの。表情に邪気がなければないほど、こわさが増す。
この美少女になら、そりゃ惑わされるわ、フランツ@きりやん!
わかる、わかるよ。キモチはわかる。
……てゆーかさ、そもそもフランツがシシィを見初めたときも、シシィはまだ15歳の少女だったんだよね? でもってフランツはすでに皇帝業もやっていた社会人で20代半ば? 現代でいうなら、女子中学生とリーマン?
つまり、もともとフランツって、ロリコンなんじゃん。
フランツを誘惑するのに、ロリロリ美少女をチョイスしたゾフィー(?)はえらいわ!
マダム・ヴォルフはすげー厚化粧の、体格のいいおばさんでした。下品でノリノリなのが素敵。……え、新公学年の男役なの? 将来が楽しみですわ。
さて、やたらビジュアル系のトート閣下。
医者コスプレから正体を現したときも、異世界感はなく、「おっさん医師だと思ったら、イケメンにーちゃんでした」という具合の変身ぶり。……タカラヅカとしては、これが正しいのかもしれない。
シシィを愛しているのか欲しているのか、見れば見るほどわからなくなるので、このへんまで来ると「もういいか」なキモチに。
美しさを愛でるものなんだ、きっと。
トート閣下はマジでかっこいいっす。
これが『エリザベート』なのか、「トート」なのかと言われると自信がないが……もう7作目なんだから、こーゆーのもアリなんだよきっと。
2幕になってからの方がトート様は元気な気がしたけれど、それでもなんか寂しげな感じは変わらず。
わたしの目が曇っているだけかもしれんが。
……あさこちゃんは、寂しげだったり悲しげだったりする方が、わたしには魅力的に映るのです。
勝手に好みに引き寄せて見ているだけかもしれん。
続く。
外側につまずいて、ちょっと黄昏れる。@エリザベート
2009年6月1日 タカラヅカ だらだら感想途中だが、そしてだだら感想の続きでもあるが、ちょうど1幕終わりだからインターミッション的に、今回の『エリザベート』の、外側の話。
や、所詮わたし個人の感想なので、内も外もないんだが。
1幕のラスト、『エリザベート』の最大の見せ場である、シシィの鏡の間。
肖像画のドレスを着て「エリザベート」として毅然と登場するシシィ@カチャ。
……とりあえず、このときだけはぺた靴かどうか確認できなかった。
いやその、結婚式その他、いかなるドレス姿であろうと踵と呼ぶより靴底と呼ぶのが相応しいような、TPOを無視した靴を履いている皇后様なのでつい、こちらもずっとチェックしてしまいました。
鏡の間のドレスは、作品中もっとも動きが少ないので、足元はまったく見えませんでした。
でも、きりやんと並んだ感じからして、やはりここでもぺたんこ靴を履いていたのではないかと推察。2幕でも、とにかく一貫して靴底しかない靴を履いているか、あるいは裸足だったので、鏡の間もそうなんだろう。
この、「美貌ですべてを圧倒する」場面ですら、女性を美しく見せるためのヒールのある靴を履けないなんて。
以前「変身写真館」でシシィのドレスのレプリカをうれしがって着たことがあるんだけど、わたしの場合は、わたし自身がでかすぎて、せっかくのドレスが寸足らずだった。ふつーにしていると、足先が見えてしまうの。
で、「ドレスの中で足を広げて立って下さい」と言われ、そうしたんだけど……そんなことしたら、脚が短く、顔が大きく見える。
小柄な人は、台の上に立って写真を撮る。台はドレスにすっぽり隠れるから外からはわからず、顔が小さく脚が長く見える。
なのにわたしは、わざわざ背を低く、脚を短くして写真を撮らなければならなかった。
ドレスを着ることはたのしかったけれど、それはしょぼんな出来事だった。どうせなら、きれいになりたいよ……。
小柄な人が乗る台は、いわばヒールの代わりだ。写真館は靴を脱ぎ、裸足で入るところなので。
写真館のレプリカ衣装は、平均身長の女性がハイヒールを履いて、ちょうど美しく着こなせるサイズに作ってあるんだろう。
せっかくのドレスなのに、ヒールを履けない。足が短くなるカタチで背を低くして、結果頭身が下がりスタイルが悪く見える、ようにしか写真に残せない。
それはとても、寂しいことだ。女として。
今回の『エリザベート』の出来がどうとか、他組からの特出がどうとか、上演時期がどうとか、そーゆーことを全部置いておいて。
美貌を武器に戦い抜いた皇后エリザベートが、自分の美しさを損なうぺたんこ靴しか履けないという一点だけをもってしても、今回の公演に疑問を持っている。
「エリザベート」なら、ヒールを履くべきだろう。
たとえそれで、トートやフランツより大きくなってしまったとしても。
誰よりも美しくあるために、壮絶な努力をしていた人なんでしょう?
小学生の上履きのような、容赦ないぺた靴を履いて、豪華なドレスを着て天下一の美女を演じるなんて、変だよ。いびつだよ。
そうまでして、何故『エリザベート』を上演しなければならなかったのだろう?
カチャが月組全員を超えた、タカラヅカ全組を超えたただひとりの「エリザベート役者」であるというなら、彼女のエリザベートのために、彼女に合わせたキャスティングをすればいい。
彼女より背の高い男たちで固めた『エリザベート』を。
それくらいの特別扱いをしてもいいだろう。そこまでして彼女でなければならないのなら。
そうではなく、あくまでも月組の今の布陣のなかでの『エリザベート』ならば、やはり主要キャスト全員より長身の男役をエリザベートにするのは、無理があるだろう。
シシィがぺたんこ靴で豪華なドレスで現れるたびに、この公演への疑問がわき上がって閉口した。
もちろん、そんなつまらない、外側のキモチをぶっ飛ばしてくれるくらい、素晴らしいシシィならば、良かったんだが……。
カチャ自身はよくやっている。
前代未聞の状況で、負けずに演じていたと思う。
はじめての女役で、はじめての組で、はじめての真ん中で、はじめてのタイトルロールで……十分、及第点だと思う。
思う、けれど。
ぺたんこ靴の皇后エリザベート、という冷水を蒸発させるほどの爆発的な感動は、得られなかった。
もちろんシシィには興味があるから、出てくれば注目して見ていたんだけど。
なんだか、途中でシシィに飽きてしまった。
彼女の物語で、彼女の人生を追体験しなければならないのに。
シシィを追ってもあんまりたのしくないので、心が動かないので、別の人を見るようになってしまった。
シシィとして、エリザベートとして、ふつうにできているのだけど。
規定演技はできているのだけど。
ぺたんこ靴履いてまでエリザベートをやるには、あまりにふつう過ぎて。
カチャは華のある美しい人だけれど、このエリザベート役で、彼女の魅力を存分に発揮できているのだろうか。
『殉情』でそのかっこよさに瞠目したところなのになあ。
よくやっている、できている。
悪くない。いいと思う。
……それだけだと、プラスにならないんだ。目に見えるマイナスがあるため、相殺されてゼロ、「ふつー」になってしまう。
こんなにふつーだと、話もキャラもよくわかっているんだから、なにも彼女だけガン見しなくてもいっか、なキモチになる。
彼女でなければならい、その理由がわからなくて。
どうして彼女なんだろう、というのは、靴を見るたび思ってしまうのに。
また、立ち読みしたプログラムの、出演者写真。
タイトルロールのヒロインが、最後に小さな写真で載っている、というのは純粋に、変だ。
プログラムはヅカファン専用グッズぢゃない。一般のお客さんも買うのに。
他組の下級生をエリザベート役にする、というのは、タカラヅカ95年の歴史を、スターシステムを覆す行為なのに、なんか中途半端だ。
ナニやってんだろうな、歌劇団。
舞台や演技の話ではないので、外側の話。
ジェンヌさんに含みはなく、ただ、劇団に対して疑問がある。
や、所詮わたし個人の感想なので、内も外もないんだが。
1幕のラスト、『エリザベート』の最大の見せ場である、シシィの鏡の間。
肖像画のドレスを着て「エリザベート」として毅然と登場するシシィ@カチャ。
……とりあえず、このときだけはぺた靴かどうか確認できなかった。
いやその、結婚式その他、いかなるドレス姿であろうと踵と呼ぶより靴底と呼ぶのが相応しいような、TPOを無視した靴を履いている皇后様なのでつい、こちらもずっとチェックしてしまいました。
鏡の間のドレスは、作品中もっとも動きが少ないので、足元はまったく見えませんでした。
でも、きりやんと並んだ感じからして、やはりここでもぺたんこ靴を履いていたのではないかと推察。2幕でも、とにかく一貫して靴底しかない靴を履いているか、あるいは裸足だったので、鏡の間もそうなんだろう。
この、「美貌ですべてを圧倒する」場面ですら、女性を美しく見せるためのヒールのある靴を履けないなんて。
以前「変身写真館」でシシィのドレスのレプリカをうれしがって着たことがあるんだけど、わたしの場合は、わたし自身がでかすぎて、せっかくのドレスが寸足らずだった。ふつーにしていると、足先が見えてしまうの。
で、「ドレスの中で足を広げて立って下さい」と言われ、そうしたんだけど……そんなことしたら、脚が短く、顔が大きく見える。
小柄な人は、台の上に立って写真を撮る。台はドレスにすっぽり隠れるから外からはわからず、顔が小さく脚が長く見える。
なのにわたしは、わざわざ背を低く、脚を短くして写真を撮らなければならなかった。
ドレスを着ることはたのしかったけれど、それはしょぼんな出来事だった。どうせなら、きれいになりたいよ……。
小柄な人が乗る台は、いわばヒールの代わりだ。写真館は靴を脱ぎ、裸足で入るところなので。
写真館のレプリカ衣装は、平均身長の女性がハイヒールを履いて、ちょうど美しく着こなせるサイズに作ってあるんだろう。
せっかくのドレスなのに、ヒールを履けない。足が短くなるカタチで背を低くして、結果頭身が下がりスタイルが悪く見える、ようにしか写真に残せない。
それはとても、寂しいことだ。女として。
今回の『エリザベート』の出来がどうとか、他組からの特出がどうとか、上演時期がどうとか、そーゆーことを全部置いておいて。
美貌を武器に戦い抜いた皇后エリザベートが、自分の美しさを損なうぺたんこ靴しか履けないという一点だけをもってしても、今回の公演に疑問を持っている。
「エリザベート」なら、ヒールを履くべきだろう。
たとえそれで、トートやフランツより大きくなってしまったとしても。
誰よりも美しくあるために、壮絶な努力をしていた人なんでしょう?
小学生の上履きのような、容赦ないぺた靴を履いて、豪華なドレスを着て天下一の美女を演じるなんて、変だよ。いびつだよ。
そうまでして、何故『エリザベート』を上演しなければならなかったのだろう?
カチャが月組全員を超えた、タカラヅカ全組を超えたただひとりの「エリザベート役者」であるというなら、彼女のエリザベートのために、彼女に合わせたキャスティングをすればいい。
彼女より背の高い男たちで固めた『エリザベート』を。
それくらいの特別扱いをしてもいいだろう。そこまでして彼女でなければならないのなら。
そうではなく、あくまでも月組の今の布陣のなかでの『エリザベート』ならば、やはり主要キャスト全員より長身の男役をエリザベートにするのは、無理があるだろう。
シシィがぺたんこ靴で豪華なドレスで現れるたびに、この公演への疑問がわき上がって閉口した。
もちろん、そんなつまらない、外側のキモチをぶっ飛ばしてくれるくらい、素晴らしいシシィならば、良かったんだが……。
カチャ自身はよくやっている。
前代未聞の状況で、負けずに演じていたと思う。
はじめての女役で、はじめての組で、はじめての真ん中で、はじめてのタイトルロールで……十分、及第点だと思う。
思う、けれど。
ぺたんこ靴の皇后エリザベート、という冷水を蒸発させるほどの爆発的な感動は、得られなかった。
もちろんシシィには興味があるから、出てくれば注目して見ていたんだけど。
なんだか、途中でシシィに飽きてしまった。
彼女の物語で、彼女の人生を追体験しなければならないのに。
シシィを追ってもあんまりたのしくないので、心が動かないので、別の人を見るようになってしまった。
シシィとして、エリザベートとして、ふつうにできているのだけど。
規定演技はできているのだけど。
ぺたんこ靴履いてまでエリザベートをやるには、あまりにふつう過ぎて。
カチャは華のある美しい人だけれど、このエリザベート役で、彼女の魅力を存分に発揮できているのだろうか。
『殉情』でそのかっこよさに瞠目したところなのになあ。
よくやっている、できている。
悪くない。いいと思う。
……それだけだと、プラスにならないんだ。目に見えるマイナスがあるため、相殺されてゼロ、「ふつー」になってしまう。
こんなにふつーだと、話もキャラもよくわかっているんだから、なにも彼女だけガン見しなくてもいっか、なキモチになる。
彼女でなければならい、その理由がわからなくて。
どうして彼女なんだろう、というのは、靴を見るたび思ってしまうのに。
また、立ち読みしたプログラムの、出演者写真。
タイトルロールのヒロインが、最後に小さな写真で載っている、というのは純粋に、変だ。
プログラムはヅカファン専用グッズぢゃない。一般のお客さんも買うのに。
他組の下級生をエリザベート役にする、というのは、タカラヅカ95年の歴史を、スターシステムを覆す行為なのに、なんか中途半端だ。
ナニやってんだろうな、歌劇団。
舞台や演技の話ではないので、外側の話。
ジェンヌさんに含みはなく、ただ、劇団に対して疑問がある。
だらだら感想・その4。@エリザベート
2009年5月31日 タカラヅカ だらだらとまとまりなく書く、『エリザベート』感想。
拒絶されてしょんぼり退場していくフランツ@きりやんをぼーっと見ていたら……ああああぶないあぶない、トート様@あさこちゃんのフィンガーアクション見逃すところだったっ。
シシィ@カチャの部屋のクローゼット?から登場するトート様。
……あまりにホラーな水トートの印象が強すぎて、あさこトートはふつーにきれいでびびる。そっか、別にここホラーにしなくても良かったのか……。
それからミルクの場面になるわけだが。
まさか、マギーたちいないよね? 重臣ズが「政府を倒せ!」系の群衆にまざってたらイカンやろ。まさかいないよね……?
と思ったら。
います。
マギーをはじめ、みなさんノリノリで「怒れる民衆」を演じてらっしゃいます。
月組って人数少ないんだっけ? 重臣ズがアルバイトしなきゃいけないくらい、人がいないのか?
そりゃ、マギーたち組の中堅どころの出番が多いのは、ファンとしてはうれしいけれど、彼らが出ている分、市民たちという「若手枠」が削られているわけで、将来的にそれっていいことなんだろうか、と老婆心。繰り返し。
ただ野次馬根性で群れているカフェの人々なら、ただのアルバイトで済んだけれど。
さすがに、ミルク場面にまで出るとなると、演出家の意図を考えてしまいます。
なにかしら深い意味があるのかしら。正反対な役をあえて同じ役者に演じさせることに。
重臣ズに「怒れる市民たち」をわざわざ演じさせるのに、どんな意味がこめられているのだろう。なにを表現しようとしているんだろう。
「ゾフィーにおべんちゃらしている人たちが、実はハプスブルクの滅亡を望んでいた」ってこと? ゾフィーの孤独感を表現している? ……タイトルは「エリザベート」で、「ゾフィー」ちゃうし。
ゾフィー云々の狭い話ではなく、現政府で利権を得ているハプスブルク重臣たちすら本当は信用できない、それくらい人間は愚かだとか卑劣だとか表したい?
ただ単に「出番の少ないスターに、少しでも出番を」というだけのこと?
しかしそれって、びんぼーな友人フーケ役だけじゃ2番手様には役不足だっつーんで、きれいな衣装も着られるコラゾフ公爵役もさせました@『赤と黒』とか、今回アンドレ出番少ないから後半はアラン役もやってね@『外伝 ベルサイユのばら-ベルナール編-』とかと同じじゃん? 観客が混乱するから変な2役はやめろ系の。
このスターに対し、これだけの出番ではまずい、だってここはスターシステムのタカラヅカだもん、というなら、そもそもそんな役しか回せないような作品を上演するなということになっちゃうよ?
歴代ルドルフの何人かは、モブにまざってアルバイトしていたのだから、2役自体はどーってことない。
ただ、重臣たち全員がわざわざそろって同じ役で使われているのは、アルバイトではなく彼らの役割に関係していると考えても、変じゃない。
アルバイトでモブにまざるなら、完全にばらばらに使うべきだろう。なにがしたかったのかな、イケコ。
とゆー演出に対する疑問で足を引っ張られつつも、彼らの登場場面が多いことは、純粋にうれしい。
……ヅカファンってのはどーしよーもねーなー。演出に疑問あっても、作品レベルを下げることになっても、スターの場面が多い方がいいっていう感覚、なんとかしろよ>自分
ミルクはテンションの上がる名場面。
そこでシャウトする人々の基礎舞台人力は、あるにこしたことはない。キャリアが少ないためにスキルの低い下級生たちに任せるより、実力の安定した中堅に任せた方が厚みが出るに決まっている。……という意図もあるのかな、でもそれじゃ若手の成長が……としつこく老婆心。
なんにせよ、無駄に濃く、そして若く!シャウトするマギーにツボっております。トート閣下もたのしそうだしな、ココ(笑)。
そしてカーテン前で腰を振るリヒテンシュタイン@憧花さんのソロと、メイドコスもかわいらしい女官たちを愛でたあと、おたのしみのフランツ@きりやさんの壮大なラヴソングだー!!
前回の雪組と比べて悪いが、雪のフランツ@ゆみこは、母ゾフィー@ハマコの存在なくては語れないフランツだった。
この母と息子はまちがいなく同じ血が流れており、同じ意識のもと責任を持って戦っている人たちだと思った。
ゾフィーがどれほどの信念でどれほどの痛みを耐えて生きてきたか、そしてそれを見て育った息子が、同じ痛みを背負って母の分も戦い抜こうとしていることが、泣けるほどよくわかった。
それだけのバックボーンをにじませて、それでもなお、「愛のために信念も曲げる」と歌うフランツが壮絶だった。
だが、きりやんフランツに、母の存在はない。彼の人生や考え方に影響を及ぼすことが出来るほど、母は偉大でもないし、また、双方愛し合ったり理解し合ったりしているようには、見えなかった。
雪のゾフィーとフランツがたったひとつの正解というわけでは、まったくない。ひとつのカタチであったというだけのこと。
だから単に、ゾフィーのことはまったく無関係に、今回のフランツは彼自身の意志で決断し、行動しているように見える。
フランツは精神・金銭的に自立していて、とても親と同居している息子には見えない。都会のマンションで一人暮らししているビジネスマンのようだ。仕事も人生も自分の意志と責任だけで終始して良いと思っているような。
そんな、いい意味でも悪い意味でも「ひとりの男」として信念を曲げて愛を乞う姿に、きゅんとトキメキました(笑)。
可哀想とか「彼だってつらいのよ」とか、「フランツ」というキャラに寄せられがちな感情が、どーにもきりやんフランツには薄くなる。同情する部分が少ないんだ、なんかこの男、自分勝手な面が感じられて。
でもそれこそが、萌えです。トキメキです。ええ。
つーことで、さらに続く。
拒絶されてしょんぼり退場していくフランツ@きりやんをぼーっと見ていたら……ああああぶないあぶない、トート様@あさこちゃんのフィンガーアクション見逃すところだったっ。
シシィ@カチャの部屋のクローゼット?から登場するトート様。
……あまりにホラーな水トートの印象が強すぎて、あさこトートはふつーにきれいでびびる。そっか、別にここホラーにしなくても良かったのか……。
それからミルクの場面になるわけだが。
まさか、マギーたちいないよね? 重臣ズが「政府を倒せ!」系の群衆にまざってたらイカンやろ。まさかいないよね……?
と思ったら。
います。
マギーをはじめ、みなさんノリノリで「怒れる民衆」を演じてらっしゃいます。
月組って人数少ないんだっけ? 重臣ズがアルバイトしなきゃいけないくらい、人がいないのか?
そりゃ、マギーたち組の中堅どころの出番が多いのは、ファンとしてはうれしいけれど、彼らが出ている分、市民たちという「若手枠」が削られているわけで、将来的にそれっていいことなんだろうか、と老婆心。繰り返し。
ただ野次馬根性で群れているカフェの人々なら、ただのアルバイトで済んだけれど。
さすがに、ミルク場面にまで出るとなると、演出家の意図を考えてしまいます。
なにかしら深い意味があるのかしら。正反対な役をあえて同じ役者に演じさせることに。
重臣ズに「怒れる市民たち」をわざわざ演じさせるのに、どんな意味がこめられているのだろう。なにを表現しようとしているんだろう。
「ゾフィーにおべんちゃらしている人たちが、実はハプスブルクの滅亡を望んでいた」ってこと? ゾフィーの孤独感を表現している? ……タイトルは「エリザベート」で、「ゾフィー」ちゃうし。
ゾフィー云々の狭い話ではなく、現政府で利権を得ているハプスブルク重臣たちすら本当は信用できない、それくらい人間は愚かだとか卑劣だとか表したい?
ただ単に「出番の少ないスターに、少しでも出番を」というだけのこと?
しかしそれって、びんぼーな友人フーケ役だけじゃ2番手様には役不足だっつーんで、きれいな衣装も着られるコラゾフ公爵役もさせました@『赤と黒』とか、今回アンドレ出番少ないから後半はアラン役もやってね@『外伝 ベルサイユのばら-ベルナール編-』とかと同じじゃん? 観客が混乱するから変な2役はやめろ系の。
このスターに対し、これだけの出番ではまずい、だってここはスターシステムのタカラヅカだもん、というなら、そもそもそんな役しか回せないような作品を上演するなということになっちゃうよ?
歴代ルドルフの何人かは、モブにまざってアルバイトしていたのだから、2役自体はどーってことない。
ただ、重臣たち全員がわざわざそろって同じ役で使われているのは、アルバイトではなく彼らの役割に関係していると考えても、変じゃない。
アルバイトでモブにまざるなら、完全にばらばらに使うべきだろう。なにがしたかったのかな、イケコ。
とゆー演出に対する疑問で足を引っ張られつつも、彼らの登場場面が多いことは、純粋にうれしい。
……ヅカファンってのはどーしよーもねーなー。演出に疑問あっても、作品レベルを下げることになっても、スターの場面が多い方がいいっていう感覚、なんとかしろよ>自分
ミルクはテンションの上がる名場面。
そこでシャウトする人々の基礎舞台人力は、あるにこしたことはない。キャリアが少ないためにスキルの低い下級生たちに任せるより、実力の安定した中堅に任せた方が厚みが出るに決まっている。……という意図もあるのかな、でもそれじゃ若手の成長が……としつこく老婆心。
なんにせよ、無駄に濃く、そして若く!シャウトするマギーにツボっております。トート閣下もたのしそうだしな、ココ(笑)。
そしてカーテン前で腰を振るリヒテンシュタイン@憧花さんのソロと、メイドコスもかわいらしい女官たちを愛でたあと、おたのしみのフランツ@きりやさんの壮大なラヴソングだー!!
前回の雪組と比べて悪いが、雪のフランツ@ゆみこは、母ゾフィー@ハマコの存在なくては語れないフランツだった。
この母と息子はまちがいなく同じ血が流れており、同じ意識のもと責任を持って戦っている人たちだと思った。
ゾフィーがどれほどの信念でどれほどの痛みを耐えて生きてきたか、そしてそれを見て育った息子が、同じ痛みを背負って母の分も戦い抜こうとしていることが、泣けるほどよくわかった。
それだけのバックボーンをにじませて、それでもなお、「愛のために信念も曲げる」と歌うフランツが壮絶だった。
だが、きりやんフランツに、母の存在はない。彼の人生や考え方に影響を及ぼすことが出来るほど、母は偉大でもないし、また、双方愛し合ったり理解し合ったりしているようには、見えなかった。
雪のゾフィーとフランツがたったひとつの正解というわけでは、まったくない。ひとつのカタチであったというだけのこと。
だから単に、ゾフィーのことはまったく無関係に、今回のフランツは彼自身の意志で決断し、行動しているように見える。
フランツは精神・金銭的に自立していて、とても親と同居している息子には見えない。都会のマンションで一人暮らししているビジネスマンのようだ。仕事も人生も自分の意志と責任だけで終始して良いと思っているような。
そんな、いい意味でも悪い意味でも「ひとりの男」として信念を曲げて愛を乞う姿に、きゅんとトキメキました(笑)。
可哀想とか「彼だってつらいのよ」とか、「フランツ」というキャラに寄せられがちな感情が、どーにもきりやんフランツには薄くなる。同情する部分が少ないんだ、なんかこの男、自分勝手な面が感じられて。
でもそれこそが、萌えです。トキメキです。ええ。
つーことで、さらに続く。
だらだら感想・その3。@エリザベート
2009年5月30日 タカラヅカ 月組2回目の『エリザベート』だらだら感想の続き。
シシィVSゾフィー、午前5時の女の戦い。
ゾフィー@あいちゃんは、わたしにはよくわからなかった。
吊り上げて描いた眉のせいなのか、表情もあまり変わらないような。「ゾフィー」としての規定演技はわかるんだけど、それ以外の部分が伝わらず。初日のせいかな。
彼女とガチンコ勝負するシシィ@カチャもまた、エリザベートとしての規定演技はしているんだけど、それ以上でもなくて……。
うーん、こまったなー。
原作無視でいっそ、あいちゃんがいつもの美女メイクで、現役美女母として、小娘嫁と対峙してくれても良かったのに。それはそれでこわい戦いになると思うんだが……。クールビューティなゾフィーって絶対怖さ倍増だよー。
そしてシシィの歌唱で最大の見せ場である「私だけに」になるわけだが。
シシィとしての技術的価値を左右する重要な場であるだけに、客席の集中度もすごい。
よく歌っていたと思う。圧倒的に経験不足な若者なのに、よくやっていたかなと。特にうまいとかいうわけじゃないけど、
つか、このプレッシャーの中で、ほんとによくやってるよ、カチャ。
それにしてもカチャ、細い。いづるんに「お願い服を着て、二の腕や脚は出さないで」と祈るときのよーなキモチになる、細い細い二の腕だった。
さて、役代わりな人々、お待ちかねの本登場だ、エルマー@もりえ。やっぱスタイルいいよね。シュテファン@みりおくんは、やっぱ美しいし。でもってジュラ@るうくんなんだ!(だから配役わかってなさすぎ)
今にはじまったことじゃないが、何度見ても革命家たちのカーテン前は違和感ありまくる。
いちいち相手の名前を呼んでから会話をするのって、変。
初演ではエルマーとシュテファンの名が出るだけで、ジュラは名無しのままだった。や、役名はあるけど、会話中では呼ばれないの。日常会話で3人しかいない場合、いちいち名前呼ばないよね。んなことしなくても誰に言っているのかわかるし。
それがいちいち名前呼んでから話すから、すごく嘘臭い。真剣に革命目指しているのか、革命って言いたいだけなのか、名前を連呼したいだけなのか。
いらん台詞削ってほしいっす。台詞さえ多く喋らせれば役者を大切にしているって思うの、勘弁してほしいなー。や、役者さん的には台詞の行数が多いとうれしいのかもしんないけど。
革命家トリオも、ここはまだ顔見せって感じだよなー。
そして個人的にかなりおどろいた、カフェの場面。
いやその、若者たちがまるまると噂話を歌っているのは、いいのよ。
ツェップス@一色氏を見て「眼鏡ハァハァ」しているぐらいで、わたし的にはどうということもなかったんだか……。
ちょっと待て。
ここはウィーンのカフェだぞ?
なんでシュヴァルツェンベルク@マギーがいるんだ??
宮廷側の人間が、市民側に立って歌ってちゃ駄目でしょー?! と、マジでびびった(笑)。
さらによく見れば、重臣ズみんないるんだもんよ。
なんで??
月組って人数少ないんだっけ? 重臣ズがアルバイトしなきゃいけないくらい、人がいないのか?
そりゃ、マギーたち組の中堅どころの出番が多いのは、ファンとしてはうれしいけれど、彼らが出ている分、市民たちという「若手枠」が削られているわけで、将来的にそれっていいことなんだろうか、と老婆心。
でもって、フランツ@きりやんの、「開けておくれ」場面。
萌え。
うおおお、きりやさんステキ~~。
ヒゲのない若いころよりも、壮年以降が絶対イイのよこの人!!
ガウン姿で妻の寝室訪ねちゃってさ。鍵掛けられててショック受けてさ。そんでもって扉の前で泣き言並べてさ……!
青年時代の謁見の場とか舞踏会でのシシィへの態度とかさ、やさしいとか誠実とか母の言いなりで可哀想とか、そーゆーものだけぢゃないしたたかさ、計算高さ、総じて「大人」である印象のある人だっただけに。
その強い男が泣き言並べて、でもところどころプライドの高さみたいなものが垣間見えて、なんかいちいち萌えなんですけど?!
なんかフランツが「都合の良すぎない、リアルな男」に思える。
本当は寛容でやさしい人なのに、使命に忠実なため冷酷な判断も下さなければならない。妻と母の間で板挟み、妻を愛しているから妻を取る。立場をわきまえるゆえに不器用にしか生きられない。
という「フランツ」としての記号は、ヒロインであり彼の妻である「エリザベート」から見て「都合のいい男」だ。つまりは、タカラヅカ観客である女性の目からしても。
2番手級のスターが演じる、「女性から見てステキな男性」だ。
エリザベートとはすれ違っちゃっているけど、フランツって十分いい男じゃん、トートといいフランツといい、いい男ふたりに愛されてエリザベートってばゼイタクもん。……と思わせなければ、女性向け作品は成り立たないから。
だからこそ、フランツはエリザベートから見て「都合のいい男」である必要があった。
が、きりやんのフランツはそこまで都合よく見えない。
彼はリアルにひとりの男である、気がする。
扉の前でエリザベートに拒否られたときの傷つき方が、ただ「拒絶されて悲しい」とか「ショックだ」とかだけではなく、今一瞬ムカついただろ? という感じがして(笑)。
や、それでふつーだって。
仕事でくたくたになって帰って来たのに、なに不自由ない額の給料預かって専業主婦してる妻が、寝室に鍵掛けてんですよ? 男ならムカつきますって。
でも根がやさしい人で、妻にベタ惚れだから譲歩して「開けておくれ」と言ってみる。やさしいこと、妻を愛していることと、「閉め出しされたことがわかった瞬間ムカついた」こととは別ですよ。同時に存在して当然ですよ。
また、プライドが傷ついた、のもあるだろうな。仕事でくたくたになって帰って来たのに、なに不自由ない額の……以下略。
そーゆー、人間としての感情の生理現象がリアルに感じられて、萌えだ、きりやさんのフランツ。
シシィVSゾフィー、午前5時の女の戦い。
ゾフィー@あいちゃんは、わたしにはよくわからなかった。
吊り上げて描いた眉のせいなのか、表情もあまり変わらないような。「ゾフィー」としての規定演技はわかるんだけど、それ以外の部分が伝わらず。初日のせいかな。
彼女とガチンコ勝負するシシィ@カチャもまた、エリザベートとしての規定演技はしているんだけど、それ以上でもなくて……。
うーん、こまったなー。
原作無視でいっそ、あいちゃんがいつもの美女メイクで、現役美女母として、小娘嫁と対峙してくれても良かったのに。それはそれでこわい戦いになると思うんだが……。クールビューティなゾフィーって絶対怖さ倍増だよー。
そしてシシィの歌唱で最大の見せ場である「私だけに」になるわけだが。
シシィとしての技術的価値を左右する重要な場であるだけに、客席の集中度もすごい。
よく歌っていたと思う。圧倒的に経験不足な若者なのに、よくやっていたかなと。特にうまいとかいうわけじゃないけど、
つか、このプレッシャーの中で、ほんとによくやってるよ、カチャ。
それにしてもカチャ、細い。いづるんに「お願い服を着て、二の腕や脚は出さないで」と祈るときのよーなキモチになる、細い細い二の腕だった。
さて、役代わりな人々、お待ちかねの本登場だ、エルマー@もりえ。やっぱスタイルいいよね。シュテファン@みりおくんは、やっぱ美しいし。でもってジュラ@るうくんなんだ!(だから配役わかってなさすぎ)
今にはじまったことじゃないが、何度見ても革命家たちのカーテン前は違和感ありまくる。
いちいち相手の名前を呼んでから会話をするのって、変。
初演ではエルマーとシュテファンの名が出るだけで、ジュラは名無しのままだった。や、役名はあるけど、会話中では呼ばれないの。日常会話で3人しかいない場合、いちいち名前呼ばないよね。んなことしなくても誰に言っているのかわかるし。
それがいちいち名前呼んでから話すから、すごく嘘臭い。真剣に革命目指しているのか、革命って言いたいだけなのか、名前を連呼したいだけなのか。
いらん台詞削ってほしいっす。台詞さえ多く喋らせれば役者を大切にしているって思うの、勘弁してほしいなー。や、役者さん的には台詞の行数が多いとうれしいのかもしんないけど。
革命家トリオも、ここはまだ顔見せって感じだよなー。
そして個人的にかなりおどろいた、カフェの場面。
いやその、若者たちがまるまると噂話を歌っているのは、いいのよ。
ツェップス@一色氏を見て「眼鏡ハァハァ」しているぐらいで、わたし的にはどうということもなかったんだか……。
ちょっと待て。
ここはウィーンのカフェだぞ?
なんでシュヴァルツェンベルク@マギーがいるんだ??
宮廷側の人間が、市民側に立って歌ってちゃ駄目でしょー?! と、マジでびびった(笑)。
さらによく見れば、重臣ズみんないるんだもんよ。
なんで??
月組って人数少ないんだっけ? 重臣ズがアルバイトしなきゃいけないくらい、人がいないのか?
そりゃ、マギーたち組の中堅どころの出番が多いのは、ファンとしてはうれしいけれど、彼らが出ている分、市民たちという「若手枠」が削られているわけで、将来的にそれっていいことなんだろうか、と老婆心。
でもって、フランツ@きりやんの、「開けておくれ」場面。
萌え。
うおおお、きりやさんステキ~~。
ヒゲのない若いころよりも、壮年以降が絶対イイのよこの人!!
ガウン姿で妻の寝室訪ねちゃってさ。鍵掛けられててショック受けてさ。そんでもって扉の前で泣き言並べてさ……!
青年時代の謁見の場とか舞踏会でのシシィへの態度とかさ、やさしいとか誠実とか母の言いなりで可哀想とか、そーゆーものだけぢゃないしたたかさ、計算高さ、総じて「大人」である印象のある人だっただけに。
その強い男が泣き言並べて、でもところどころプライドの高さみたいなものが垣間見えて、なんかいちいち萌えなんですけど?!
なんかフランツが「都合の良すぎない、リアルな男」に思える。
本当は寛容でやさしい人なのに、使命に忠実なため冷酷な判断も下さなければならない。妻と母の間で板挟み、妻を愛しているから妻を取る。立場をわきまえるゆえに不器用にしか生きられない。
という「フランツ」としての記号は、ヒロインであり彼の妻である「エリザベート」から見て「都合のいい男」だ。つまりは、タカラヅカ観客である女性の目からしても。
2番手級のスターが演じる、「女性から見てステキな男性」だ。
エリザベートとはすれ違っちゃっているけど、フランツって十分いい男じゃん、トートといいフランツといい、いい男ふたりに愛されてエリザベートってばゼイタクもん。……と思わせなければ、女性向け作品は成り立たないから。
だからこそ、フランツはエリザベートから見て「都合のいい男」である必要があった。
が、きりやんのフランツはそこまで都合よく見えない。
彼はリアルにひとりの男である、気がする。
扉の前でエリザベートに拒否られたときの傷つき方が、ただ「拒絶されて悲しい」とか「ショックだ」とかだけではなく、今一瞬ムカついただろ? という感じがして(笑)。
や、それでふつーだって。
仕事でくたくたになって帰って来たのに、なに不自由ない額の給料預かって専業主婦してる妻が、寝室に鍵掛けてんですよ? 男ならムカつきますって。
でも根がやさしい人で、妻にベタ惚れだから譲歩して「開けておくれ」と言ってみる。やさしいこと、妻を愛していることと、「閉め出しされたことがわかった瞬間ムカついた」こととは別ですよ。同時に存在して当然ですよ。
また、プライドが傷ついた、のもあるだろうな。仕事でくたくたになって帰って来たのに、なに不自由ない額の……以下略。
そーゆー、人間としての感情の生理現象がリアルに感じられて、萌えだ、きりやさんのフランツ。