ショー『ノバ・ボサ・ノバ』が名作かどうかは知らない。
1999年の再演は雪月共に観たけれど、大騒ぎするほどの名作だとは思えなかった。初見ではやはり古さに引いたし。リピートしてようやく愉しみ方がわかったかな。
だがとりあえず、「アマール・アマール」と「シナーマン」が名曲であることは、わかる。
「シナーマン」には歌唱力が必要だが、「アマール・アマール」はそれ以上にタカラヅカ力が必要とされる。
わたしがこれらの曲を「名曲だ」と思い、特別に思っているのは、そのためだ。
特に、「アマール・アマール」。
この曲は、「タカラヅカ」という文化を表現したモノのひとつであると思う。
この曲を、さらりとオシャレに歌っては、イカンのだ。
声を大にして言おう。
「アマール・アマール」は、恥ずかしくてナンボだ。
「タカラヅカ」という文化の持つ、異端さ。現実世界との乖離っぷり。それを表した、極端な例のひとつが、「アマール・アマール」だ。
「ライライライ」とか「アマールアマール」とか他愛ない音の繰り返しの合間に小学生の作文みたいな簡単な文章があるだけのどーでもいーよーな歌詞を、とにかくねっとりとラテン調に、腰振って流し目して舌回して溜めまくって歌うのよーーっ!!
ラテンっつっても、ほんとのラテンじゃないわよ。日本人が勝手にお茶の間で空想する「ラテン男」よ。アメリカ人が夢見てる「NINJA」みたいなもんよ。
たぶん本物のラテンな人が見たらプゲラなモノでいいのよ、フィクションなんだから。想像力で楽しむモノなんだから。
タカラヅカって、そーゆーもんなんだから。
架空を楽しむ。
ナンチャッテを愉しむ。
嘘を嘘とわかった上で、お約束を愛する。
夢の世界、この世に存在しない世界ってのは、そーゆーある意味オトナのルールの上で、唯一存在できるもんなんだ。
だから。
とびきり「タカラヅカ」な存在である未来優希が、「アマール・アマール」を歌ってくれる、という事実に、舞い上がった。
『イゾラベッラ サロンコンサート(第8回 未来優希)』、宝塚メドレー[II]は、「ソル・エ・マル~アマール・アマール~シナーマン」という、『ノバ・ボサ・ノバ』名曲メドレーだった。
ハマコはキラキラ付きてらてらな光沢の濃紺スーツ(もっとマシな表現はないのか)を着ていたんだが、このメドレーの前にわざわざ、上着を脱いだ。
ナッマ着替え! ナマ着替え!!
すごいわハマコさん、サービス満点! 生着替え付きですよ奥さん!
いやその、べつにハマコに脱いでもらっても、あんましときめきはしないんだが……。(ヲイ)
「これから激しい歌を歌うので」脱ぐそうですよ(笑)。
中はフリフリビロビロ白ブラウス(だからもっとマシな表現は……)に、紺ベスト。お袖のドレープとかとってもファンタジーに王子様なんだが、なにしろ着ているのがハマコだし。(ヲイ)
まあともかく、わざわざ身軽になっての歌唱ですよ、本気ですよ。
歌の合間のトークのときは、ふつーに……なんつーかこう、妙齢(微妙な表現)の女性って感じなんだけど。
いざ歌になると、声も顔も変わる。
ハマコは小柄だし、体型も顔立ちも女性的で、「男に見える」というわけじゃない。
だから男になる、のではなく、なにか「別の存在」に変わるの。
男でもなく、女そのままでもない。
その半端さが、「タカラヅカの男役」なんだと思う。
衣装でも化粧でもなく、意志の力で、変わる。
その変化が、ゾクゾクする。
「ソル・エ・マル」はまあ、腕ならしって感じ。すげー手軽に歌えてしまえるあたりがハマコ。
そして、次の「アマール・アマール」。
もお……もお、ハマコ好き。ダイスキ。もお、どうしよう!!
やらしいの。
恥ずかしいの。
濃ゆいの。
クドいの。
たまらないの。
わたしが、「アマール・アマール」に求めるモノすべてを、ハマコが簡単にあったりまえに、表現してくれちゃってるよおおお。
またわたしたちの席が、すげー良席で。
今まで参加したイゾラベッラ・コンサートではジェンヌとか理事長とかが坐っていた席で。そーいやここ、シビさんのときトウコちゃん坐ってなかったか? てな席で。(まさにトウコちゃんの席が、あたしの席だよね? nanaタン! と、今書いてて気づいたよ、私信私信)
ハマコから目線来まくり、客席降りでは目の前で立ち止まりまくり。
そんな席で、nanaタン……あ、チガウ、今はくりすてぃーぬだった、イカンイカン、ご贔屓の公演ごとに呼び名の変わる友人持つと大変だわ……くりすてぃーぬちゃんとふたり、大喜び。
つか、ふたりとも喜びすぎてはしゃぎすぎて、大変ですよ……ちょっと落ち着け。
余裕なのよ、ハマコは。
キザるのも、客席のファンをきゃーきゃー言わせる(わたしらのことだ)のも、ぜんぜん朝飯前なの。
「オレのセクスィさにメロメロだな、フッ」て、すごくふつーに思って歌ってるの。むしろ、そんな「大スターと、彼にメロメロなファン」プレイを楽しんでいるよーにすら、見える。
「歌うこと」自体が、彼にとっては「容易いこと」なんだと思う。
もちろん緊張して、集中して臨んでいるのだろうけれど、それとは別に、「得意分野での戦い」だから、相手をナメてかかる余裕があるの。相手ってのは客ではなく、試合自体に飲まれないって意味。
いっぱいいっぱい、ぎりぎりになって「このまま倒れちゃうんじゃあ?」なんて歌い方はしない。
余力ありまくり、腹八分目ですっていうか。
ソレが、ニクい。
「予定のウチですがナニか?」てなキザり具合で、それでも若造ごときが逆立ちしても真似できない濃さで「アマール・アマール」を歌いきって。……ああもー、素敵すぎるー!!
そして、真打ち「シナーマン」。
驚異の歌い上げがあるこの難曲を。
ハマコは、これまた余裕で、歌いきった。
コレもまた、腹八分目っていうか。このあと50mダッシュ5本ぐらい簡単に出来そうな体力気力っていうか。
いっぱいいっぱいではない、メーターがレッドゾーンになることないところで、悠々歌ってしまう、その不敵さ!!
うん、全力疾走だけが美徳じゃないのよ。
プロなんだから。
自分が「イイ声」を聴かせられるゲージ内で、余力を持って仕事をするって、あたりまえなんだよ。
日本人はいつだって全力疾走、このまま倒れて死んじゃいますまでやらないといけないみたいな風潮だけど。
や、出来ない人がやらなきゃなんないときは、ほんとにそこまでやっても当然みたいなものはあるかもしんないけど。
ハマコ、できるんだもん。
倒れて死んじゃいます、までやんなくても、本人が機嫌良く歌える範囲で、ものすげー歌を聴かせてくれちゃうんだもの。
余力ありまくりなのが、それですげーたのしそうに自分の声に、歌に酔っている風なのが、音を愉しんでいる姿が、震えるほどカッコイイ。
うわあああ。
ハマコ好きだ~~~っ。
かっこいーーー!!
1999年の再演は雪月共に観たけれど、大騒ぎするほどの名作だとは思えなかった。初見ではやはり古さに引いたし。リピートしてようやく愉しみ方がわかったかな。
だがとりあえず、「アマール・アマール」と「シナーマン」が名曲であることは、わかる。
「シナーマン」には歌唱力が必要だが、「アマール・アマール」はそれ以上にタカラヅカ力が必要とされる。
わたしがこれらの曲を「名曲だ」と思い、特別に思っているのは、そのためだ。
特に、「アマール・アマール」。
この曲は、「タカラヅカ」という文化を表現したモノのひとつであると思う。
この曲を、さらりとオシャレに歌っては、イカンのだ。
声を大にして言おう。
「アマール・アマール」は、恥ずかしくてナンボだ。
「タカラヅカ」という文化の持つ、異端さ。現実世界との乖離っぷり。それを表した、極端な例のひとつが、「アマール・アマール」だ。
「ライライライ」とか「アマールアマール」とか他愛ない音の繰り返しの合間に小学生の作文みたいな簡単な文章があるだけのどーでもいーよーな歌詞を、とにかくねっとりとラテン調に、腰振って流し目して舌回して溜めまくって歌うのよーーっ!!
ラテンっつっても、ほんとのラテンじゃないわよ。日本人が勝手にお茶の間で空想する「ラテン男」よ。アメリカ人が夢見てる「NINJA」みたいなもんよ。
たぶん本物のラテンな人が見たらプゲラなモノでいいのよ、フィクションなんだから。想像力で楽しむモノなんだから。
タカラヅカって、そーゆーもんなんだから。
架空を楽しむ。
ナンチャッテを愉しむ。
嘘を嘘とわかった上で、お約束を愛する。
夢の世界、この世に存在しない世界ってのは、そーゆーある意味オトナのルールの上で、唯一存在できるもんなんだ。
だから。
とびきり「タカラヅカ」な存在である未来優希が、「アマール・アマール」を歌ってくれる、という事実に、舞い上がった。
『イゾラベッラ サロンコンサート(第8回 未来優希)』、宝塚メドレー[II]は、「ソル・エ・マル~アマール・アマール~シナーマン」という、『ノバ・ボサ・ノバ』名曲メドレーだった。
ハマコはキラキラ付きてらてらな光沢の濃紺スーツ(もっとマシな表現はないのか)を着ていたんだが、このメドレーの前にわざわざ、上着を脱いだ。
ナッマ着替え! ナマ着替え!!
すごいわハマコさん、サービス満点! 生着替え付きですよ奥さん!
いやその、べつにハマコに脱いでもらっても、あんましときめきはしないんだが……。(ヲイ)
「これから激しい歌を歌うので」脱ぐそうですよ(笑)。
中はフリフリビロビロ白ブラウス(だからもっとマシな表現は……)に、紺ベスト。お袖のドレープとかとってもファンタジーに王子様なんだが、なにしろ着ているのがハマコだし。(ヲイ)
まあともかく、わざわざ身軽になっての歌唱ですよ、本気ですよ。
歌の合間のトークのときは、ふつーに……なんつーかこう、妙齢(微妙な表現)の女性って感じなんだけど。
いざ歌になると、声も顔も変わる。
ハマコは小柄だし、体型も顔立ちも女性的で、「男に見える」というわけじゃない。
だから男になる、のではなく、なにか「別の存在」に変わるの。
男でもなく、女そのままでもない。
その半端さが、「タカラヅカの男役」なんだと思う。
衣装でも化粧でもなく、意志の力で、変わる。
その変化が、ゾクゾクする。
「ソル・エ・マル」はまあ、腕ならしって感じ。すげー手軽に歌えてしまえるあたりがハマコ。
そして、次の「アマール・アマール」。
もお……もお、ハマコ好き。ダイスキ。もお、どうしよう!!
やらしいの。
恥ずかしいの。
濃ゆいの。
クドいの。
たまらないの。
わたしが、「アマール・アマール」に求めるモノすべてを、ハマコが簡単にあったりまえに、表現してくれちゃってるよおおお。
またわたしたちの席が、すげー良席で。
今まで参加したイゾラベッラ・コンサートではジェンヌとか理事長とかが坐っていた席で。そーいやここ、シビさんのときトウコちゃん坐ってなかったか? てな席で。(まさにトウコちゃんの席が、あたしの席だよね? nanaタン! と、今書いてて気づいたよ、私信私信)
ハマコから目線来まくり、客席降りでは目の前で立ち止まりまくり。
そんな席で、nanaタン……あ、チガウ、今はくりすてぃーぬだった、イカンイカン、ご贔屓の公演ごとに呼び名の変わる友人持つと大変だわ……くりすてぃーぬちゃんとふたり、大喜び。
つか、ふたりとも喜びすぎてはしゃぎすぎて、大変ですよ……ちょっと落ち着け。
余裕なのよ、ハマコは。
キザるのも、客席のファンをきゃーきゃー言わせる(わたしらのことだ)のも、ぜんぜん朝飯前なの。
「オレのセクスィさにメロメロだな、フッ」て、すごくふつーに思って歌ってるの。むしろ、そんな「大スターと、彼にメロメロなファン」プレイを楽しんでいるよーにすら、見える。
「歌うこと」自体が、彼にとっては「容易いこと」なんだと思う。
もちろん緊張して、集中して臨んでいるのだろうけれど、それとは別に、「得意分野での戦い」だから、相手をナメてかかる余裕があるの。相手ってのは客ではなく、試合自体に飲まれないって意味。
いっぱいいっぱい、ぎりぎりになって「このまま倒れちゃうんじゃあ?」なんて歌い方はしない。
余力ありまくり、腹八分目ですっていうか。
ソレが、ニクい。
「予定のウチですがナニか?」てなキザり具合で、それでも若造ごときが逆立ちしても真似できない濃さで「アマール・アマール」を歌いきって。……ああもー、素敵すぎるー!!
そして、真打ち「シナーマン」。
驚異の歌い上げがあるこの難曲を。
ハマコは、これまた余裕で、歌いきった。
コレもまた、腹八分目っていうか。このあと50mダッシュ5本ぐらい簡単に出来そうな体力気力っていうか。
いっぱいいっぱいではない、メーターがレッドゾーンになることないところで、悠々歌ってしまう、その不敵さ!!
うん、全力疾走だけが美徳じゃないのよ。
プロなんだから。
自分が「イイ声」を聴かせられるゲージ内で、余力を持って仕事をするって、あたりまえなんだよ。
日本人はいつだって全力疾走、このまま倒れて死んじゃいますまでやらないといけないみたいな風潮だけど。
や、出来ない人がやらなきゃなんないときは、ほんとにそこまでやっても当然みたいなものはあるかもしんないけど。
ハマコ、できるんだもん。
倒れて死んじゃいます、までやんなくても、本人が機嫌良く歌える範囲で、ものすげー歌を聴かせてくれちゃうんだもの。
余力ありまくりなのが、それですげーたのしそうに自分の声に、歌に酔っている風なのが、音を愉しんでいる姿が、震えるほどカッコイイ。
うわあああ。
ハマコ好きだ~~~っ。
かっこいーーー!!
ハマコは首席入団。
76期首席の純名が雪組で、77期首席のトウコが雪で、78期首席の王子が雪で、79期首席のハマコも雪に来たから、まだヅカ歴の浅かったわたしは「雪組って首席の人が配属される組なの?」と思った記憶がある。
地味に堅実、優等生な芸風……そうよね、芝居と日本物の雪組だもんね、なにはさておき実力最優先よね、とか納得してたっけあのころ。だから首席者が多い、てな。
ともかく、ハマコは首席入団。
だもんで初舞台のときも、組長に呼び出されるのは研一を代表してハマコ。
1993年当時、月組の組長は汝鳥伶サマ。汝鳥さんはハマコを呼び出して、研一生になにかしらの事柄を「伝えるように」と言った。
ぴっちぴちの初舞台生ハマコさんは、「はい、わかりました!」とよい子のお返事。
が。
ハマコさんは、何故かしらそのことを、すっかり忘れていた。なんでかわからんが、伝えなかったらしい。
言いつけが伝わっていないことに疑問を持った汝鳥さんが、再びハマコを呼び出した。
「この間言ったこと、ちゃんと伝えてくれた?」
それに対してハマコさんは。
瞳をキラキラさせて、満面の笑みで答えた。
「はい、伝えていません!!」
……それから実に15年以上の月日が流れた。
汝鳥さんは未だに、ハマコを見るとなにかにつれそのときの話をするらしい。
ハマコはすでに忘却の彼方。伝言の内容も、そもそも「そんなことあったっけ?」状態らしいし、なにより、言いつけを忘れていたくせに満面の笑みで「伝えていません」ってなんだそりゃ、どんな研一だよヲイってもんらしいが。
した方は忘れても、された方は忘れないもんなんだ。
汝鳥さんは語る。
「あの、ハマコが、副組長だもんねえ。しっかりしてきて良かったねえ(笑)」
てなことを。
『イゾラベッラ サロンコンサート(第8回 未来優希)』は、ハマコのヅカ人生を振り返るものであり、彼の豊富を語るモノでもあった。
オープニングは初舞台公演『グランドホテル』『BROADWAYBOYS』から主題歌。
「ブロードウェイ・ボーイズ」はともかく、ハマコの声で「グランドホテル」を歌われるとテンション上がるわ。てゆーか『グランドホテル』観たい……ふつーに男爵主役で、雪組で。水しぇん主演で。……はっ。となみ姫にバレリーナは無理だわ(ヲイ)。
その初舞台時の想い出、つーことで、失敗談を話してくれました。
それから「思い出深い曲をメドレーで」と、曲の解説は後回しに歌い出した。
前もってプログラムをもらっているから、次の「宝塚メドレー[I]」が「パッサージュ~この世に残らぬ愛~いのち」であることは知っている。
プログラムには公演名や出典名ではなく、あくまでも曲名が記されている。
「パッサージュ」とあればソレは公演名『パッサージュ』ではなく、同公演で使用された同名の主題歌のことだろう。
しかし。
ハマコが歌い出したのは。
天使の夢を見たわ
真夜中にひとりきり
白い翼広げて
空に浮かんでいた
オープニングかよっ?!
『パッサージュ』という作品の導入、テーマの一部を表す歌。
びびびびっくりした。
少女の透明なソプラノで歌われる幻想世界が、ハマコの的確なアルトで綴られる。
歌詞があるのはここだけなので、そのまま歌声はスキャットになり……「ホリデー」になる。
そう。
『パッサージュ』の核。サブタイトルにもなっている、「硝子の空の記憶」と名付けられた場面。
崩れかけた硝子の町で、一人の男が、死にゆく女に出会う。そのダンス。
クリエイターのデビュー作には、その本質が詰まっているという。
オギーのショー作家としての、デビュー作『パッサージュ』。
その、コアを成す場面。
陰コーラスは、圭子女史とハマコ。
切なさと空虚さある静かな歌声が、古いレコードのような、わずかにノイズの入った音で再生される。
無表情な男女、男の手のひらに操られるように、独特の動きをする女。
舞台いっぱいの男女カップルたちは、やがてみな終焉を迎えていく。
美しく、どこまでも美しく、そして哀しい……わたしにとっては、美しすぎて哀しすぎて、おそろしい、場面だった。
当時『パッサージュ』で号泣し過ぎて、帰り道で貧血起こして倒れたり(迷惑な)してたもんで、もうカラダが条件反射的に反応するのな。
「ホリデー」を聴くと、泣く。という。
ハマコの、生「ホリデー」!!
8年だかの時を経て、夢の空間。
スイッチ・オン。
泣きスイッチ入りましたよ、ええ。
が。
……が、なんだよな。
この「ホリデー」はとーーっても短くて。
わたしのスイッチ入った途端。
曲調はがらりと変わる!!
許されざぁる愛とぉぉお 心にぃ決ぃめぇてえええ
いきなり仰々しいザ・宝塚的歌謡曲、コブシ回して歌い上げだ、『バッカスと呼ばれた男』だ!!
わたしの叙情スイッチは一気に地面に人型にのめりこみ、顔に縦線山ほど引いて終了しました。
こぉの世にぃ残~らぬ愛もあぁぁるうう……って、ああ、歌える自分が嫌。『バッカス』はダイスキだったのよ、通ったわよ、最後は広島まで行ったさ!!(笑) アタシに『バッカス』語らせると長いわよ? ムラ、東宝、全ツと改編されて、3つとも微妙にチガウ話だからねアレ。加えて新公まであるからね。
新公の悪役しいちゃんがどれほどかっこよかったか、吟遊詩人のレアちゃんがどんだけ美しかったか、ハマコがナチュラルにおっさんだったことも含め、語ると長いわよ~~!(笑)
ド演歌まっしぐらな「この世に残らぬ愛」に続き、『凱旋門』の「いのち」。鳩の羽ばたきが聞こえてきそうなほど、一音一音を大切に、愛しそうに発音して歌う。
ハマコが歌う「ハマコの歴史」。
それは、雪組を見てきたわたしの歴史でもあった。
どの歌にも、想い出がありすぎる。
歌い終わったあとで、どの公演の曲だったのかを解説。
最初の「パッサージュ」は、冒頭の曲だけど、エトワール・バージョンらしい。たしかに、最後に歌い上げがあるから、そっちバージョンだなとそこでわかった。『アルバトロス、南へ』でも、ゆめみちゃん(博多座『パッサージュ』エトワール)が歌ってたよな。
「ホリデー」は当時録音スタジオで「試合に負けたボクサーのような感じで」歌えと先生に指導されて、「???」状態で試行錯誤して歌ったらしい(笑)。
すごい表現だな、ソレ……。
しかもハマコ、当日はきれーに寝過ごしていて、相棒の圭子タンの電話で起きたそうで。起床から40分だかなんだかでマイクの前に立っていて、声がまったく思うように出なかったとか。それでえんえんえんえん歌い続け、声が出る、を通り越してオーバーワークになってから本番だったとか。
今明かされる。製作秘話(笑)。
なんにせよ、生「ホリデー」が聴けただけで、あの場に行った甲斐があった。……ほんとにワンフレーズだけだったけどな(笑)。
76期首席の純名が雪組で、77期首席のトウコが雪で、78期首席の王子が雪で、79期首席のハマコも雪に来たから、まだヅカ歴の浅かったわたしは「雪組って首席の人が配属される組なの?」と思った記憶がある。
地味に堅実、優等生な芸風……そうよね、芝居と日本物の雪組だもんね、なにはさておき実力最優先よね、とか納得してたっけあのころ。だから首席者が多い、てな。
ともかく、ハマコは首席入団。
だもんで初舞台のときも、組長に呼び出されるのは研一を代表してハマコ。
1993年当時、月組の組長は汝鳥伶サマ。汝鳥さんはハマコを呼び出して、研一生になにかしらの事柄を「伝えるように」と言った。
ぴっちぴちの初舞台生ハマコさんは、「はい、わかりました!」とよい子のお返事。
が。
ハマコさんは、何故かしらそのことを、すっかり忘れていた。なんでかわからんが、伝えなかったらしい。
言いつけが伝わっていないことに疑問を持った汝鳥さんが、再びハマコを呼び出した。
「この間言ったこと、ちゃんと伝えてくれた?」
それに対してハマコさんは。
瞳をキラキラさせて、満面の笑みで答えた。
「はい、伝えていません!!」
……それから実に15年以上の月日が流れた。
汝鳥さんは未だに、ハマコを見るとなにかにつれそのときの話をするらしい。
ハマコはすでに忘却の彼方。伝言の内容も、そもそも「そんなことあったっけ?」状態らしいし、なにより、言いつけを忘れていたくせに満面の笑みで「伝えていません」ってなんだそりゃ、どんな研一だよヲイってもんらしいが。
した方は忘れても、された方は忘れないもんなんだ。
汝鳥さんは語る。
「あの、ハマコが、副組長だもんねえ。しっかりしてきて良かったねえ(笑)」
てなことを。
『イゾラベッラ サロンコンサート(第8回 未来優希)』は、ハマコのヅカ人生を振り返るものであり、彼の豊富を語るモノでもあった。
オープニングは初舞台公演『グランドホテル』『BROADWAYBOYS』から主題歌。
「ブロードウェイ・ボーイズ」はともかく、ハマコの声で「グランドホテル」を歌われるとテンション上がるわ。てゆーか『グランドホテル』観たい……ふつーに男爵主役で、雪組で。水しぇん主演で。……はっ。となみ姫にバレリーナは無理だわ(ヲイ)。
その初舞台時の想い出、つーことで、失敗談を話してくれました。
それから「思い出深い曲をメドレーで」と、曲の解説は後回しに歌い出した。
前もってプログラムをもらっているから、次の「宝塚メドレー[I]」が「パッサージュ~この世に残らぬ愛~いのち」であることは知っている。
プログラムには公演名や出典名ではなく、あくまでも曲名が記されている。
「パッサージュ」とあればソレは公演名『パッサージュ』ではなく、同公演で使用された同名の主題歌のことだろう。
しかし。
ハマコが歌い出したのは。
天使の夢を見たわ
真夜中にひとりきり
白い翼広げて
空に浮かんでいた
オープニングかよっ?!
『パッサージュ』という作品の導入、テーマの一部を表す歌。
びびびびっくりした。
少女の透明なソプラノで歌われる幻想世界が、ハマコの的確なアルトで綴られる。
歌詞があるのはここだけなので、そのまま歌声はスキャットになり……「ホリデー」になる。
そう。
『パッサージュ』の核。サブタイトルにもなっている、「硝子の空の記憶」と名付けられた場面。
崩れかけた硝子の町で、一人の男が、死にゆく女に出会う。そのダンス。
クリエイターのデビュー作には、その本質が詰まっているという。
オギーのショー作家としての、デビュー作『パッサージュ』。
その、コアを成す場面。
陰コーラスは、圭子女史とハマコ。
切なさと空虚さある静かな歌声が、古いレコードのような、わずかにノイズの入った音で再生される。
無表情な男女、男の手のひらに操られるように、独特の動きをする女。
舞台いっぱいの男女カップルたちは、やがてみな終焉を迎えていく。
美しく、どこまでも美しく、そして哀しい……わたしにとっては、美しすぎて哀しすぎて、おそろしい、場面だった。
当時『パッサージュ』で号泣し過ぎて、帰り道で貧血起こして倒れたり(迷惑な)してたもんで、もうカラダが条件反射的に反応するのな。
「ホリデー」を聴くと、泣く。という。
ハマコの、生「ホリデー」!!
8年だかの時を経て、夢の空間。
スイッチ・オン。
泣きスイッチ入りましたよ、ええ。
が。
……が、なんだよな。
この「ホリデー」はとーーっても短くて。
わたしのスイッチ入った途端。
曲調はがらりと変わる!!
許されざぁる愛とぉぉお 心にぃ決ぃめぇてえええ
いきなり仰々しいザ・宝塚的歌謡曲、コブシ回して歌い上げだ、『バッカスと呼ばれた男』だ!!
わたしの叙情スイッチは一気に地面に人型にのめりこみ、顔に縦線山ほど引いて終了しました。
こぉの世にぃ残~らぬ愛もあぁぁるうう……って、ああ、歌える自分が嫌。『バッカス』はダイスキだったのよ、通ったわよ、最後は広島まで行ったさ!!(笑) アタシに『バッカス』語らせると長いわよ? ムラ、東宝、全ツと改編されて、3つとも微妙にチガウ話だからねアレ。加えて新公まであるからね。
新公の悪役しいちゃんがどれほどかっこよかったか、吟遊詩人のレアちゃんがどんだけ美しかったか、ハマコがナチュラルにおっさんだったことも含め、語ると長いわよ~~!(笑)
ド演歌まっしぐらな「この世に残らぬ愛」に続き、『凱旋門』の「いのち」。鳩の羽ばたきが聞こえてきそうなほど、一音一音を大切に、愛しそうに発音して歌う。
ハマコが歌う「ハマコの歴史」。
それは、雪組を見てきたわたしの歴史でもあった。
どの歌にも、想い出がありすぎる。
歌い終わったあとで、どの公演の曲だったのかを解説。
最初の「パッサージュ」は、冒頭の曲だけど、エトワール・バージョンらしい。たしかに、最後に歌い上げがあるから、そっちバージョンだなとそこでわかった。『アルバトロス、南へ』でも、ゆめみちゃん(博多座『パッサージュ』エトワール)が歌ってたよな。
「ホリデー」は当時録音スタジオで「試合に負けたボクサーのような感じで」歌えと先生に指導されて、「???」状態で試行錯誤して歌ったらしい(笑)。
すごい表現だな、ソレ……。
しかもハマコ、当日はきれーに寝過ごしていて、相棒の圭子タンの電話で起きたそうで。起床から40分だかなんだかでマイクの前に立っていて、声がまったく思うように出なかったとか。それでえんえんえんえん歌い続け、声が出る、を通り越してオーバーワークになってから本番だったとか。
今明かされる。製作秘話(笑)。
なんにせよ、生「ホリデー」が聴けただけで、あの場に行った甲斐があった。……ほんとにワンフレーズだけだったけどな(笑)。
わたしはすでに、若くない。
ぶっちゃけおばさんである。
しかし、『ノバ・ボサ・ノバ』の初演は知らない。……さすがに。
知らないけれど、わかる。
「アマール・アマール」を熱唱するハマコを見て、きっとナニも変わっていないんだと、思う。
『イゾラベッラ サロンコンサート(第8回 未来優希)』に行ってきました。
イゾラベッラはこれで3回目。
最初のシビさんでこれ以上なく堪能、大感激し、「素晴らしいコンサート・シリーズだわ! みんなどんどん出演すべきよ!」と思い、次のたっちんでがっくり肩を落とし、「誰でも出来るわけじゃないんだ……やめておいた方がいい人もいるよなー」と思った。
歌さえうまければソレでイイ、というものではないんだ、このコンサート。司会進行をすべて出演者ひとりでやらなければならないので、まず「喋って客を楽しませる」ことができる人でないと、空気が凍る。
たとえばお茶会なら司会者がいて、質問に答えていれば話が進むけど、このコンサートではそれすらない。
なにもかも、ひとりきり。誰も助けてくれない。
それでたっちんは、自爆してえらいことになっていた。……気の毒に。
あーゆー姿はもう見たくないので、歌で選ぶより、キャラクタで選ぶ必要がある。行くか、行かないか。
そーいやシビさんのときも、歌はもちろんのこと、あの闊達な喋りにも期待して行ったもんなあ。それくらいできゃ務まらないんだよなあ。
星組の英真組長がこのコンサートに出演するってときも、「歌はどっちでもいいけど、とにかく楽しそうだよなあ」って思った、多分ソレが正解なんだ。
まず、キャラクタと喋りに期待。歌はまあ、うまい方がいいな。……そーゆー優先順位でしょう、このコンサート・シリーズ。でないと自爆必至。
つーことで。
……ハマコなら大丈夫だよね? ね?
大丈夫でした。
プログラムを見た段階で、「ああ、そういうことなのか」と思う。
とくに意識していなかったけれど、わたしはずーーっと雪担で、雪組だけを観てきた時代が長かったんだ。
曲名を見て「これってなんだっけ?」と思ったのは「もののふの詩」のみで、コレもはっきりとはおぼえてないけど、「えーと、『メナム』?」ぐらいの知識はあったし、「ゾフィーの死」は今回も一緒に行ったnanaタンが興奮気味に「これって本家『エリザベート』の歌だよね、ヅカではカットになってるヤツ!」と言ってるからわかったし。(本家『エリザベート』も、nanaタンと一緒に梅芸へ行ったなー)
あとのヅカ曲はふつーにどの作品で何故ハマコがコレを選んでいるのかが、見当つくんだわ。
「ブロードウェイ・ボーイズ」と「グランドホテル」は、ハマコの初舞台公演だよね、月組の。
「パッサージュ」は曲名じゃなくて公演名? ナニ歌うんだろう? 「硝子の屋根に~♪」の主題歌? ハマコがソロを歌ってたのは「玻璃の街角・黄昏」場面だけど、アレはすがた香くん他と掛け合いだったし、ハマコで『パッサージュ』と言えば「ホリデー」だけど、アレはスキャットだけだし、たしか録音だったわけだし、ナニ歌うかわかんないなー。
「この世に残らぬ愛」は『バッカスと呼ばれた男』だ、ハマコが新公主演した!
「いのち」は『凱旋門』だね、中盤で全員一列になって歌い上げるヤツ。ハマコはベルリン公演出演のために、大劇は出てないんだ。東宝でコムちゃんの役をやってた。博多座ではトウコの役、と、どんどん役付きが上がってたっけ(笑)。ええ、『凱旋門』は大ハマリしてましたから、もちろん1000days楽まで駆けつけ、博多座にも行ったわ。
『ノバボサ』は語るまでもない、ハマコはみやたんと一緒にピエロやってて、すごい顔して笑ってたっけ。新公ではルーア神父だったよね。
「この世にただひとつ」は『心中・恋の大和路』だ。コウちゃん主演、2番手ケロって、「渋いなんてもんぢゃないだろ、チケ売る気あるのか劇団」てな配役で(笑)。おかげでサバキであっさり観られたけど。最後のハマコの絶唱でダダ泣きしたっけ。
ハマコの歴史、「未来優希」の歩んできた道は、全部眺めてきている。
ああ、そーゆーことなのか。
そういやシビさんも、自分のヅカでの歴史を振り返る選曲していたっけ。さすがに古すぎてわかんないものだらけだった。
たっちんは「歌いたい歌」「好きな歌」中心で、ヅカの曲自体は少なめだった。……はじめてのコンサートでヅカ曲を中心にしない、それがたっちんの生きる道を表していたんだ。
3回目、3人目のコンサートにしてはじめて、わたしはプログラム全体を馴染みのあるモノとして受け止めることが出来た。
ハマコがなにを歌いたいのか、歌うことでなにを伝えようとしているか。
こんな小規模コンサートだから、客席はほぼ100%ファンばかりだ。
そこで「タカラヅカの未来優希」として行う、歌うことの意味。
難しく考えることではなくて。
「アマール・アマール」を熱唱するハマコを見て、変わらないモノはあると、思った。
わたしは『ノバ・ボサ・ノバ』の初演を知らないし、たぶん今映像とかで見ても「古っ、ダサっ」と引くんだろうけど、それとは別に、今目の前で歌うハマコを見て「きっと初演の『ノバボサ』の人もこんな感じだったんだろうな」と思った。
この、恥ずかしさ。
この、古くささ。
ヅカファン以外が見たら爆笑するかドン引きするか確定の、ものすごく独特で濃ゆい世界。
ノリノリで歌うハマコはものすげー濃くて、ものすげー恥ずかしくて、……その恥ずかしさが、最高なの。
たしかにコレは現代じゃない、21世紀じゃないし、平成でもない。
だけどコレが好きなの。必要なの。
時代と共に変わることは必要だけど、伝統をすべて捨ててしまえばいいってもんでもないの。
ヅカなんてね、一般人から見たら「変」の一言だよ。異様な文化だよ。
でもね、ふつーでない「カラー」があったから、今まで生き残ってきたんでしょう。
他で代えのきかないモノだから。
今、タカラヅカはどんどん変わっていっている。
わたしが年寄りだからかもしれないけれど、変革の予感は、不安でしかない。暗い未来に胸がふさがれる。
そんなときに。
95年の歴史の流れの中でわたしごとき若輩者が知りようもないタカラヅカの伝統を、濃さを、異様さを、恥ずかしさを、体現して見せてくれる未来優希に、明るい未来を見た。
変わらないモノがある。
大切なモノがある。
コレを守っていける、伝えていけるタカラジェンヌがいる限り、未来はある。
ぶっちゃけおばさんである。
しかし、『ノバ・ボサ・ノバ』の初演は知らない。……さすがに。
知らないけれど、わかる。
「アマール・アマール」を熱唱するハマコを見て、きっとナニも変わっていないんだと、思う。
『イゾラベッラ サロンコンサート(第8回 未来優希)』に行ってきました。
イゾラベッラはこれで3回目。
最初のシビさんでこれ以上なく堪能、大感激し、「素晴らしいコンサート・シリーズだわ! みんなどんどん出演すべきよ!」と思い、次のたっちんでがっくり肩を落とし、「誰でも出来るわけじゃないんだ……やめておいた方がいい人もいるよなー」と思った。
歌さえうまければソレでイイ、というものではないんだ、このコンサート。司会進行をすべて出演者ひとりでやらなければならないので、まず「喋って客を楽しませる」ことができる人でないと、空気が凍る。
たとえばお茶会なら司会者がいて、質問に答えていれば話が進むけど、このコンサートではそれすらない。
なにもかも、ひとりきり。誰も助けてくれない。
それでたっちんは、自爆してえらいことになっていた。……気の毒に。
あーゆー姿はもう見たくないので、歌で選ぶより、キャラクタで選ぶ必要がある。行くか、行かないか。
そーいやシビさんのときも、歌はもちろんのこと、あの闊達な喋りにも期待して行ったもんなあ。それくらいできゃ務まらないんだよなあ。
星組の英真組長がこのコンサートに出演するってときも、「歌はどっちでもいいけど、とにかく楽しそうだよなあ」って思った、多分ソレが正解なんだ。
まず、キャラクタと喋りに期待。歌はまあ、うまい方がいいな。……そーゆー優先順位でしょう、このコンサート・シリーズ。でないと自爆必至。
つーことで。
……ハマコなら大丈夫だよね? ね?
大丈夫でした。
プログラム
オープニング
ブロードウェイ・ボーイズ
グランドホテル
宝塚メドレー[I]
パッサージュ~この世に残らぬ愛~いのち
宝塚メドレー[II]
ソル・エ・マル~アマール・アマール~シナーマン
マイ・フェイバリット
ムーンライト・セレナーデ
甘いささやき
ゾフィーの死
もののふ詩
フィナーレ
この世にただひとつ
One Night Only
プログラムを見た段階で、「ああ、そういうことなのか」と思う。
とくに意識していなかったけれど、わたしはずーーっと雪担で、雪組だけを観てきた時代が長かったんだ。
曲名を見て「これってなんだっけ?」と思ったのは「もののふの詩」のみで、コレもはっきりとはおぼえてないけど、「えーと、『メナム』?」ぐらいの知識はあったし、「ゾフィーの死」は今回も一緒に行ったnanaタンが興奮気味に「これって本家『エリザベート』の歌だよね、ヅカではカットになってるヤツ!」と言ってるからわかったし。(本家『エリザベート』も、nanaタンと一緒に梅芸へ行ったなー)
あとのヅカ曲はふつーにどの作品で何故ハマコがコレを選んでいるのかが、見当つくんだわ。
「ブロードウェイ・ボーイズ」と「グランドホテル」は、ハマコの初舞台公演だよね、月組の。
「パッサージュ」は曲名じゃなくて公演名? ナニ歌うんだろう? 「硝子の屋根に~♪」の主題歌? ハマコがソロを歌ってたのは「玻璃の街角・黄昏」場面だけど、アレはすがた香くん他と掛け合いだったし、ハマコで『パッサージュ』と言えば「ホリデー」だけど、アレはスキャットだけだし、たしか録音だったわけだし、ナニ歌うかわかんないなー。
「この世に残らぬ愛」は『バッカスと呼ばれた男』だ、ハマコが新公主演した!
「いのち」は『凱旋門』だね、中盤で全員一列になって歌い上げるヤツ。ハマコはベルリン公演出演のために、大劇は出てないんだ。東宝でコムちゃんの役をやってた。博多座ではトウコの役、と、どんどん役付きが上がってたっけ(笑)。ええ、『凱旋門』は大ハマリしてましたから、もちろん1000days楽まで駆けつけ、博多座にも行ったわ。
『ノバボサ』は語るまでもない、ハマコはみやたんと一緒にピエロやってて、すごい顔して笑ってたっけ。新公ではルーア神父だったよね。
「この世にただひとつ」は『心中・恋の大和路』だ。コウちゃん主演、2番手ケロって、「渋いなんてもんぢゃないだろ、チケ売る気あるのか劇団」てな配役で(笑)。おかげでサバキであっさり観られたけど。最後のハマコの絶唱でダダ泣きしたっけ。
ハマコの歴史、「未来優希」の歩んできた道は、全部眺めてきている。
ああ、そーゆーことなのか。
そういやシビさんも、自分のヅカでの歴史を振り返る選曲していたっけ。さすがに古すぎてわかんないものだらけだった。
たっちんは「歌いたい歌」「好きな歌」中心で、ヅカの曲自体は少なめだった。……はじめてのコンサートでヅカ曲を中心にしない、それがたっちんの生きる道を表していたんだ。
3回目、3人目のコンサートにしてはじめて、わたしはプログラム全体を馴染みのあるモノとして受け止めることが出来た。
ハマコがなにを歌いたいのか、歌うことでなにを伝えようとしているか。
こんな小規模コンサートだから、客席はほぼ100%ファンばかりだ。
そこで「タカラヅカの未来優希」として行う、歌うことの意味。
難しく考えることではなくて。
「アマール・アマール」を熱唱するハマコを見て、変わらないモノはあると、思った。
わたしは『ノバ・ボサ・ノバ』の初演を知らないし、たぶん今映像とかで見ても「古っ、ダサっ」と引くんだろうけど、それとは別に、今目の前で歌うハマコを見て「きっと初演の『ノバボサ』の人もこんな感じだったんだろうな」と思った。
この、恥ずかしさ。
この、古くささ。
ヅカファン以外が見たら爆笑するかドン引きするか確定の、ものすごく独特で濃ゆい世界。
ノリノリで歌うハマコはものすげー濃くて、ものすげー恥ずかしくて、……その恥ずかしさが、最高なの。
たしかにコレは現代じゃない、21世紀じゃないし、平成でもない。
だけどコレが好きなの。必要なの。
時代と共に変わることは必要だけど、伝統をすべて捨ててしまえばいいってもんでもないの。
ヅカなんてね、一般人から見たら「変」の一言だよ。異様な文化だよ。
でもね、ふつーでない「カラー」があったから、今まで生き残ってきたんでしょう。
他で代えのきかないモノだから。
今、タカラヅカはどんどん変わっていっている。
わたしが年寄りだからかもしれないけれど、変革の予感は、不安でしかない。暗い未来に胸がふさがれる。
そんなときに。
95年の歴史の流れの中でわたしごとき若輩者が知りようもないタカラヅカの伝統を、濃さを、異様さを、恥ずかしさを、体現して見せてくれる未来優希に、明るい未来を見た。
変わらないモノがある。
大切なモノがある。
コレを守っていける、伝えていけるタカラジェンヌがいる限り、未来はある。
太陽と月と花。@陽月華退団発表
2009年1月26日 タカラヅカ 陽月華という名前。
最初はなんにも思わなかったけれど、あるときふと気づいた。
太陽と月と花。
タカラヅカが象徴するものに加え、わたしが個人的趣味で「必要だ」と思っている要素を、全部端的に揃えた名前なんだと。
太陽っていうのは、光。
タカラヅカスターに必要な、キラキラ。
そして花は、美しさ。
タカラヅカスターには、ナニより先に美貌が必須。
ここまでは、一般論。
わたしはその上に、「陰」が欲しい。
ただ明るいだけ、痛みもヨゴレもなにもない、きれいなだけのキラキラ美形には、ほんとうの意味で惹かれない。
わたしを虜にするのは、ヅカらしい美しさやスターらしさを持った上で、さらに「陰」の部分を持った人だ。
太陽に対する、月。
陰を表す言葉だ。
太陽と月と花。
見事に、わたしの好みを揃えている。
しかも余分な説明無しで、ひたすら美しい並び、語感、字面。
完璧だわ、この名前!
と、震撼した。
予感はあったので、驚きよりも、寂しさと哀しさが強い。
やはり、そうなのか、と。
ひたすらあっけらかんとキラキラも出来るし、オギー作品で毒を滲ませることも出来る、陽と月とを併せ持つ美貌のスター。
めずらしく買った「歌劇1月号」のウメちゃんの絵と文に大ウケしていたさ。
ヅカヲタでありながら娘役トップスターであるという矛盾を、かろやかに両立してしまう姿に。
類型に収まりがちなタカラヅカにおいて、前人未踏のキャラクタを造形してくれた、娘役トップスター。
『バビロン』の女豹ちゃんで一目惚れして以来、ずっと特別な女の子だった。
さみしいなあ。
さみしいよ。
どんどんみんな、いなくなる……。
最初はなんにも思わなかったけれど、あるときふと気づいた。
太陽と月と花。
タカラヅカが象徴するものに加え、わたしが個人的趣味で「必要だ」と思っている要素を、全部端的に揃えた名前なんだと。
太陽っていうのは、光。
タカラヅカスターに必要な、キラキラ。
そして花は、美しさ。
タカラヅカスターには、ナニより先に美貌が必須。
ここまでは、一般論。
わたしはその上に、「陰」が欲しい。
ただ明るいだけ、痛みもヨゴレもなにもない、きれいなだけのキラキラ美形には、ほんとうの意味で惹かれない。
わたしを虜にするのは、ヅカらしい美しさやスターらしさを持った上で、さらに「陰」の部分を持った人だ。
太陽に対する、月。
陰を表す言葉だ。
太陽と月と花。
見事に、わたしの好みを揃えている。
しかも余分な説明無しで、ひたすら美しい並び、語感、字面。
完璧だわ、この名前!
と、震撼した。
2009/1/26
宙組主演娘役 陽月華 退団のお知らせ
宙組主演娘役 陽月華が、2009年7月5日の東京宝塚劇場宙組公演『薔薇に降る雨』『Amour それは・・・』の千秋楽をもって退団することとなり、2009年1月27日に記者会見を行います。
予感はあったので、驚きよりも、寂しさと哀しさが強い。
やはり、そうなのか、と。
ひたすらあっけらかんとキラキラも出来るし、オギー作品で毒を滲ませることも出来る、陽と月とを併せ持つ美貌のスター。
めずらしく買った「歌劇1月号」のウメちゃんの絵と文に大ウケしていたさ。
ヅカヲタでありながら娘役トップスターであるという矛盾を、かろやかに両立してしまう姿に。
類型に収まりがちなタカラヅカにおいて、前人未踏のキャラクタを造形してくれた、娘役トップスター。
『バビロン』の女豹ちゃんで一目惚れして以来、ずっと特別な女の子だった。
さみしいなあ。
さみしいよ。
どんどんみんな、いなくなる……。
作品のことは忘れゆき、キャストのみで盛り上がる。@忘れ雪
2009年1月25日 タカラヅカ いつになったら本公演『太王四神記』の感想を書けるんだろう、とか、「それで『カラマーゾフの兄弟』はいつ書くのよ?! イワン様ステキなんだから!」と某ゆみこファンにせっつかれたりしてますが、とりあえず先に、バウ・ピュア・ストーリー『忘れ雪』の感想を終わらせます。
(2008年12月半ばにぼこっとブランクがあるのは、『カラマーゾフの兄弟』その他雑談用、年末のブランクは『タカスペ』用ですってば。ちゃんと書くつもりで空けてあるのよ。と、言い訳する)
眼鏡ヲヅキ萌え。
コレを書かずに、『忘れ雪』の感想を終えることは出来ません。
ヲヅキがクールだ。ヲヅキが悪役だ。
ヲヅキがかっこいい。
スーツ姿最高!!
「昌明さん」
呼びが、無意味に色っぽくて萌える!!
……てゆーか。
ヲヅキの無駄遣い、どーしてくれんだっ。
そりゃキムもかなめもそうなんだけどさ、あんな作品、あんな役で大変なんだけどさ、それにしたってヲヅキの出番が10分弱ってなんなのソレ。
こだまっちのバカー、バカー、バカー!
貴重なテルキタ作品の1本なのに。
かなめ×キムなんか描いてるヒマがあったら、ヲヅキ×かなめでも描けっ。それが空気読めるヲタクってもんだろうに。あ、かなめ×ヲヅキでも可。『マリポーサの花』ではヲヅキ受推奨だったしわたし!
とまあ、アタマ悪く感情だけで叫んでおく。
まともに考えるのも嫌だ、この作品。
キムの舞台人としての力量のすごさを見せつけるということにおいてのみは、意味があったのかもしれん。
あんなにヘタレで途方に暮れさせてくれたかなめくんも、「こんなに立派になって」と親心でじんとくるほど、ちゃんと男役として立ってくれているし。
ところでかなめくん、ほんとにサックス吹いてたの?
すごーくかっこよかったらしいが……バーテン見てたんで、わかんない。
かっこいいテル、はいつでも見られるけど、かっこいいあずりんはそうそう見られないかもしれない、という危機感により、バーテンの小道具ダンス見てた。
そーいや前に「ケロとみっさまを足して2で割らず、足しっぱなし」のよーな顔の男がバーテンにいたと、書いたところ、ケロメイトから反応ありました。
「それって、髪の毛後ろで束ねてる子だよね?」
ケロファンの間で、噂になっているらしい(笑)。
みんな食いついてんだ、ケロに似たあの子に。
その正直さというか、本能にウケる。
さて、キャストの感想をさらっと記しておきます。
ヒロイン深雪@みみちゃん、かわいかった。
ランドセルが似合うってすごいなヲイ。
電波でコワレたコワイ女の子の役で大変だったと思うが、それでもかわいく演じていた。脚本のひどさを覆し、ときどき健気な女の子に見えたから健闘かと。
静香@みなこ、うますぎ。
彼女の心の動きが真に迫っていて、本気でコワイ。ナニかする、この女!(白目)と、台詞で説明しなくてもすごい「引き」を作ってくれる。
もっとまともな作品で、キムと役者として一騎打ちしてほしい。
鳴海父@ナガさん。
こだまっちよ、ナガさんに、悪役をさせるな。
ナガさんはすばらしい組長さんだが、出来る役はとても限られた人だ。このどーしよーもない作品の、どーしよーもない部分が、ナガさんがこの役を演じることでさらに強調されてしまったってば。
ナガさんは大好きだが、頼む、悪役はやらせないでくれ。ナガさんが悪いのではなく(ナガさんはそのままのナガさんでいて・はぁと)、こだまっちが悪い。断言。
深雪の婚約者@そらちん。……えええ、出番アレだけ?!
いやその、かっこよかったっす。怜悧な美貌が栄え、野心家風に見えました。
たしさん出番があったら、彼の場合ボロが出たんだろうか……ゲフンゲフン。
深雪の母@かおりちゃん、すごいうまいんだが……あの衣装はいったい……。
現代日本が舞台とは思えないセンスの公演なんだが、それにしても深雪母は昭和の母だった……。
もうひとつの役もリアルでわかりやすくて、こわかったよー。
……こわい、としかないのか、役の感想……だってそんな話だし……。あうう。
清涼飲料水、どろどろ濁流の中のひとすじのサワヤカのどごし、中里@キング。
あああ、この子がいてくれて良かった……。
『銀薔薇』以降のいつものキングなんだが、もういいよ、この芸風を貫いてくれ。
主人公一希@キムの家族、パパ@マヤさん、ありがとう、マヤさんとキムの場面だけ見事に別世界。ほっとしたわ。
そして素敵なミツル@せしる。
出てくるだけで爆笑させてくれるのは、この作品のキャラクタとして正しい在り方。
中でも、
「兄貴のそんなとこ、キライぢゃないゼ☆」
の、キメ台詞には、客席に前後2列(最前列と2列目……)で坐っていたわたしと友人たちを悶絶死させる破壊力だった。
いやあ、4人揃って「ぷはあっ!!」と吹き出してたからなあ。声殺して笑うのに必死で、しばらく顔上げられなかったもんなあ。
せしるは客席のハートを鷲掴みにした。
断言。
終始そんなノリの舞台だったんだから、仕方ない。
ええ、通行人のあずりんが、待ち合わせに遅れてきたカノジョ相手にぷんすかして、カノジョが「ゴ・メ・ン♪」とあずりんのほっぺにちゅー、照れたあずりんが、「こ・い・つ、め☆」とカノジョの脳天にチョップとか、見ていてこそばゆさに転げ回りたくなりましたから。
てゆーかライト暗すぎるんだよ、通行人がろくに見えないだろーがっ。
あずりんの顔を眺めるのだって、わたしには観劇意欲のひとつだったんだぞー。
「ところでさ、なんでミツルはライターの持ち主調べるのに、いきなりスーツだったの? ワルな世界を嗅ぎ回るなら、いつもの格好の方がいいだろうに」
「きっと潜入先がホストクラブだったんだよ」
「チガウチガウ、ホストじゃなくて、ハスラーって言って」
「そうか、ハスラーの店を経営しているのがヲヅキね!」
「いつもはああやって眼鏡掛けてスーツ着てクールぶってるけど、店に出るときはラテンなロレンツォになるの」
「なるほどー、出番少ないのは、裏で別の仕事してたからなのねー!!」
てな話で落ち着きましたよ、ヲヅキさん。
(2008年12月半ばにぼこっとブランクがあるのは、『カラマーゾフの兄弟』その他雑談用、年末のブランクは『タカスペ』用ですってば。ちゃんと書くつもりで空けてあるのよ。と、言い訳する)
眼鏡ヲヅキ萌え。
コレを書かずに、『忘れ雪』の感想を終えることは出来ません。
ヲヅキがクールだ。ヲヅキが悪役だ。
ヲヅキがかっこいい。
スーツ姿最高!!
「昌明さん」
呼びが、無意味に色っぽくて萌える!!
……てゆーか。
ヲヅキの無駄遣い、どーしてくれんだっ。
そりゃキムもかなめもそうなんだけどさ、あんな作品、あんな役で大変なんだけどさ、それにしたってヲヅキの出番が10分弱ってなんなのソレ。
こだまっちのバカー、バカー、バカー!
貴重なテルキタ作品の1本なのに。
かなめ×キムなんか描いてるヒマがあったら、ヲヅキ×かなめでも描けっ。それが空気読めるヲタクってもんだろうに。あ、かなめ×ヲヅキでも可。『マリポーサの花』ではヲヅキ受推奨だったしわたし!
とまあ、アタマ悪く感情だけで叫んでおく。
まともに考えるのも嫌だ、この作品。
キムの舞台人としての力量のすごさを見せつけるということにおいてのみは、意味があったのかもしれん。
あんなにヘタレで途方に暮れさせてくれたかなめくんも、「こんなに立派になって」と親心でじんとくるほど、ちゃんと男役として立ってくれているし。
ところでかなめくん、ほんとにサックス吹いてたの?
すごーくかっこよかったらしいが……バーテン見てたんで、わかんない。
かっこいいテル、はいつでも見られるけど、かっこいいあずりんはそうそう見られないかもしれない、という危機感により、バーテンの小道具ダンス見てた。
そーいや前に「ケロとみっさまを足して2で割らず、足しっぱなし」のよーな顔の男がバーテンにいたと、書いたところ、ケロメイトから反応ありました。
「それって、髪の毛後ろで束ねてる子だよね?」
ケロファンの間で、噂になっているらしい(笑)。
みんな食いついてんだ、ケロに似たあの子に。
その正直さというか、本能にウケる。
さて、キャストの感想をさらっと記しておきます。
ヒロイン深雪@みみちゃん、かわいかった。
ランドセルが似合うってすごいなヲイ。
電波でコワレたコワイ女の子の役で大変だったと思うが、それでもかわいく演じていた。脚本のひどさを覆し、ときどき健気な女の子に見えたから健闘かと。
静香@みなこ、うますぎ。
彼女の心の動きが真に迫っていて、本気でコワイ。ナニかする、この女!(白目)と、台詞で説明しなくてもすごい「引き」を作ってくれる。
もっとまともな作品で、キムと役者として一騎打ちしてほしい。
鳴海父@ナガさん。
こだまっちよ、ナガさんに、悪役をさせるな。
ナガさんはすばらしい組長さんだが、出来る役はとても限られた人だ。このどーしよーもない作品の、どーしよーもない部分が、ナガさんがこの役を演じることでさらに強調されてしまったってば。
ナガさんは大好きだが、頼む、悪役はやらせないでくれ。ナガさんが悪いのではなく(ナガさんはそのままのナガさんでいて・はぁと)、こだまっちが悪い。断言。
深雪の婚約者@そらちん。……えええ、出番アレだけ?!
いやその、かっこよかったっす。怜悧な美貌が栄え、野心家風に見えました。
たしさん出番があったら、彼の場合ボロが出たんだろうか……ゲフンゲフン。
深雪の母@かおりちゃん、すごいうまいんだが……あの衣装はいったい……。
現代日本が舞台とは思えないセンスの公演なんだが、それにしても深雪母は昭和の母だった……。
もうひとつの役もリアルでわかりやすくて、こわかったよー。
……こわい、としかないのか、役の感想……だってそんな話だし……。あうう。
清涼飲料水、どろどろ濁流の中のひとすじのサワヤカのどごし、中里@キング。
あああ、この子がいてくれて良かった……。
『銀薔薇』以降のいつものキングなんだが、もういいよ、この芸風を貫いてくれ。
主人公一希@キムの家族、パパ@マヤさん、ありがとう、マヤさんとキムの場面だけ見事に別世界。ほっとしたわ。
そして素敵なミツル@せしる。
出てくるだけで爆笑させてくれるのは、この作品のキャラクタとして正しい在り方。
中でも、
「兄貴のそんなとこ、キライぢゃないゼ☆」
の、キメ台詞には、客席に前後2列(最前列と2列目……)で坐っていたわたしと友人たちを悶絶死させる破壊力だった。
いやあ、4人揃って「ぷはあっ!!」と吹き出してたからなあ。声殺して笑うのに必死で、しばらく顔上げられなかったもんなあ。
せしるは客席のハートを鷲掴みにした。
断言。
終始そんなノリの舞台だったんだから、仕方ない。
ええ、通行人のあずりんが、待ち合わせに遅れてきたカノジョ相手にぷんすかして、カノジョが「ゴ・メ・ン♪」とあずりんのほっぺにちゅー、照れたあずりんが、「こ・い・つ、め☆」とカノジョの脳天にチョップとか、見ていてこそばゆさに転げ回りたくなりましたから。
てゆーかライト暗すぎるんだよ、通行人がろくに見えないだろーがっ。
あずりんの顔を眺めるのだって、わたしには観劇意欲のひとつだったんだぞー。
「ところでさ、なんでミツルはライターの持ち主調べるのに、いきなりスーツだったの? ワルな世界を嗅ぎ回るなら、いつもの格好の方がいいだろうに」
「きっと潜入先がホストクラブだったんだよ」
「チガウチガウ、ホストじゃなくて、ハスラーって言って」
「そうか、ハスラーの店を経営しているのがヲヅキね!」
「いつもはああやって眼鏡掛けてスーツ着てクールぶってるけど、店に出るときはラテンなロレンツォになるの」
「なるほどー、出番少ないのは、裏で別の仕事してたからなのねー!!」
てな話で落ち着きましたよ、ヲヅキさん。
チームワーク必須だから。@新人公演『太王四神記』
2009年1月24日 タカラヅカ 新人公演『太王四神記』の感想、これでラスト。
『Red Hot Sea』の走っていく女の子役を見て、のびやかな肢体という言葉が浮かんだハルちゃん。
南国ドレスに身を包み、長い手足と凹凸のあるリアルな肉付きがみょーになまめかしくて、あのカラダを「男役だから」と今まで隠していたのか、そりゃもったいない、見せつけて娘役にもなりたかろうなあ、と思ったもんだった。
そのハルちゃんが、女隊長カクダン役。
なんつーか……えっちな女隊長さんだなあ。
いやそのべつに、具体的に彼女がナニかしたっつーわけじゃないんだが、あのボンキュッボンなカラダを見せつけて男装している美女っつーのは、やらしいよなあ、と。
ドレス着たり肌見せたりしているより、鎧でかためて露出無しで武装している方がさらに禁忌を煽ってるってゆーか。
よりアニメ的っていうか。アニメの女軍人でいるよな、こーゆー真面目に軍人してるだけなのに、やたら女っぽくてやらしーおねーさん。
客の目には薬なので、ありがたくいただきます。
ただし、タムドクの目には毒だと思うよ、このおねーさんは。
やたら肉感的で、ストイックな言動とは無関係にえっちくさい年上の美女、なんて、子どもの教育によくないってば(笑)。
こんなしたたる肢体のおねーさんを前にして「ちっとも女らしくない連中だ」と言い切ってしまうタムドク@だいもんのこどもっぽさが栄える。
子ども過ぎてタムちゃんにはまだ、大人の女の魅力がわかってないんだ。女の子っていうのは、ドレスを着てしとやかにしているだけだと思ってるんだ。
本公のカクダン@りせは、まさに「女らしくない」女性で(笑)。カラダもぺったんこで、少年のよう。たしかにこの女隊長になら、若いタムドク@まとぶんも特に女を感じることはなかろう、と思ったさ。
本公のタムドクの年齢設定だと、ハルちゃんのよーな色っぽいカクダンはまずいと思うが、新公の「子ども」であるタムドクにはちょうどいい。
元アニヲタとしては、このハルちゃん女隊長のビジュアルが、すげー好みだ。『ガンダム』とかでモビルスーツ操縦してそう(笑)。
あ、アフロディアっぽいのか。……て、わかる人いるのか?(余談だが、故シオザワカネト氏の声ではテレビ版のマリン役がいちばん色っぽいと思ってるっす。喘ぎ声とか絶品だから!)
とまあ、今回は女の子の話から。
肉感的で色っぽいカクダンが、女近衛兵たちに守られて混戦の場内を横切っていくところに、ドキドキしたわ(笑)。本公でもあの場面好きなの。
……女近衛兵の仙名さんが、いつ見ても同じ顔だったのは、たまたまかなぁ。いやその、彼女はどこにいても目に付くんだが、新公ではいつもにも増してこわかった気がする、顔。
パソン@ゆまちゃんが、かわいすぎる。
あの美貌で剣振り回して、素敵すぎる。
歌もダンスもイケてる彼女、何故に路線扱いされないんだろう? 博多座『マラケシュ』ではその棒読みっぷりに全世界が震撼したが、そっからどんどんうまくなったじゃん! ナニが不満なんだ、歌劇団!
本公演に引き続き子役の、姫花ちゃんとイブちゃん。
タムドク@姫花、ヨン・ホゲ@イブ。
姫花ちゃんのあの舌っ足らずな風情の棒読みは、すごくリアルに「子ども」だ。
子どもに感情がないと言っているのではなく、どれだけいろんなことを感じていようと、表に出てくる声や台詞は一本調子なことが多い、幼い子は。まだ表現することの経験値が低いために。
姫花ちゃんの棒読みは、すごく子どもらしさが出ている。
プロの女優さんが舞台で演じる子役や、プロの声優さんが演じるアニメや洋画吹き替えの子ども役は、すごく過剰に「演技」してるんだよね。棒読みではなく、そこに大人であるゆえの技術を織り込んでいる。
どれだけ技術のあるプロが演じる子どもより、ほんとうの子どもを使った方が、子どもらしさが出る、ということがある。子どもはただ台詞を棒読みしているだけなんだけど、とにかく「あ、子どもだ」とわかる強さ。
キハだろうとタムドクだろうと、姫花ちゃんに感じるのはソレ。
子役だからソレだけでいいし、なにしろ姿はたまらなく美しいので十分なんだが……えーと、大人役はできるんだろうか?
イブちゃんは「演技」している。
懸命に「少年」であろうとがんばっている。本役のヒョンゴのイメージがあるからかなあ、こうやって「男の子」を演じていると、まっつに似ている気がする(笑)。もちろん、まっつよりずっと華やかなんだけど。(ヲイ)
少年タムドクと少年ヨン・ホゲは、本公演でもののすみ演じる「自然な子ども」とれみちゃん演じる「一生懸命男の子の演技をしている女の子」というバランスなので、新公でも同じことになっているのは、ちょっとびっくりした。
姫花ちゃんは演技しているのかしていないのかよくわかんない風情なんだが、とりあえずリアルに子どもで、イブちゃんはすごーくがんばってるけど、女の子、なんだよなあ。
遊女たちはみなあでやかでかわいーが、誰が誰だかわかんない……しょぼん。
本公演ではココ、まっつしか見てないから、真ん中でナニが起こっているのか、記憶にないので、新公ではここぞとばかりに見ていたんだが。
トラジ@萌子が鼻息荒かったことぐらいしか……(笑)。
しかし、女の子役がほんと少ないんだなあ。
で、他の男の子たちをちろっと書いて終わる。
ヒョンミョン@大河くん、かわいくてうまかった。本役もヒョンミョンは少年ぽく演じているから、若い子が演じやすいタイプの役とはいえ、溌剌とよくやっていた。
てゆーか大河くん、研2で中卒? まだ10代ですか……つか、確実に平成生まれ? 若っ。
イルス役って、わたし的にすげーいい役だと思ってたんだ。初日から、マメに釘付けだったし!
だから新公イルス@輝良まさとだと知ってわくわくしていたんだが……あれえ? それほどおいしく見えない……。
この役をおいしく見せていたのは、マメの力技だったのか。
ポンファ通りの人々がえらいことになってましたな。
てゆーかヒゲ率高すぎ!(笑)
ナニかやらないと気が済まないのか、花っこたち!(笑)
そして、みちるタンのやる気っぷりに涙。二の線は完全に捨てるんだな? マメのあとを継ぐんだな? 心意気やヨシ! がんばれ。
挨拶込みで2時間と、ちょい長めの新公でした。
がんばって短くしてあったよ。生田せんせー、短縮するのうまくなったね。
そして、本公演まんまだとしても、舞台人口密度がやたら高く、装置使いがものすごいことになっているわけだから、短縮して変更された分さらにえーらいこっちゃだろうに、みんなよく演じた、仕事した。
ひとりまちがっても大混乱必至な大所帯で、武道会やら騎馬と楯の群舞やら、大人数の立ち回りやら、よくやったよ。すごいチームワークだ、一致団結だ。
そのことにも、感動した。
新公プログラムの活字の詰まり方、ものすごいよ。開けた途端、「黒っ!」と思うくらい、隙間なく活字ぎっしり。紙面に配役が書ききれない勢い(笑)。
みんながんばったね。
『Red Hot Sea』の走っていく女の子役を見て、のびやかな肢体という言葉が浮かんだハルちゃん。
南国ドレスに身を包み、長い手足と凹凸のあるリアルな肉付きがみょーになまめかしくて、あのカラダを「男役だから」と今まで隠していたのか、そりゃもったいない、見せつけて娘役にもなりたかろうなあ、と思ったもんだった。
そのハルちゃんが、女隊長カクダン役。
なんつーか……えっちな女隊長さんだなあ。
いやそのべつに、具体的に彼女がナニかしたっつーわけじゃないんだが、あのボンキュッボンなカラダを見せつけて男装している美女っつーのは、やらしいよなあ、と。
ドレス着たり肌見せたりしているより、鎧でかためて露出無しで武装している方がさらに禁忌を煽ってるってゆーか。
よりアニメ的っていうか。アニメの女軍人でいるよな、こーゆー真面目に軍人してるだけなのに、やたら女っぽくてやらしーおねーさん。
客の目には薬なので、ありがたくいただきます。
ただし、タムドクの目には毒だと思うよ、このおねーさんは。
やたら肉感的で、ストイックな言動とは無関係にえっちくさい年上の美女、なんて、子どもの教育によくないってば(笑)。
こんなしたたる肢体のおねーさんを前にして「ちっとも女らしくない連中だ」と言い切ってしまうタムドク@だいもんのこどもっぽさが栄える。
子ども過ぎてタムちゃんにはまだ、大人の女の魅力がわかってないんだ。女の子っていうのは、ドレスを着てしとやかにしているだけだと思ってるんだ。
本公のカクダン@りせは、まさに「女らしくない」女性で(笑)。カラダもぺったんこで、少年のよう。たしかにこの女隊長になら、若いタムドク@まとぶんも特に女を感じることはなかろう、と思ったさ。
本公のタムドクの年齢設定だと、ハルちゃんのよーな色っぽいカクダンはまずいと思うが、新公の「子ども」であるタムドクにはちょうどいい。
元アニヲタとしては、このハルちゃん女隊長のビジュアルが、すげー好みだ。『ガンダム』とかでモビルスーツ操縦してそう(笑)。
あ、アフロディアっぽいのか。……て、わかる人いるのか?(余談だが、故シオザワカネト氏の声ではテレビ版のマリン役がいちばん色っぽいと思ってるっす。喘ぎ声とか絶品だから!)
とまあ、今回は女の子の話から。
肉感的で色っぽいカクダンが、女近衛兵たちに守られて混戦の場内を横切っていくところに、ドキドキしたわ(笑)。本公でもあの場面好きなの。
……女近衛兵の仙名さんが、いつ見ても同じ顔だったのは、たまたまかなぁ。いやその、彼女はどこにいても目に付くんだが、新公ではいつもにも増してこわかった気がする、顔。
パソン@ゆまちゃんが、かわいすぎる。
あの美貌で剣振り回して、素敵すぎる。
歌もダンスもイケてる彼女、何故に路線扱いされないんだろう? 博多座『マラケシュ』ではその棒読みっぷりに全世界が震撼したが、そっからどんどんうまくなったじゃん! ナニが不満なんだ、歌劇団!
本公演に引き続き子役の、姫花ちゃんとイブちゃん。
タムドク@姫花、ヨン・ホゲ@イブ。
姫花ちゃんのあの舌っ足らずな風情の棒読みは、すごくリアルに「子ども」だ。
子どもに感情がないと言っているのではなく、どれだけいろんなことを感じていようと、表に出てくる声や台詞は一本調子なことが多い、幼い子は。まだ表現することの経験値が低いために。
姫花ちゃんの棒読みは、すごく子どもらしさが出ている。
プロの女優さんが舞台で演じる子役や、プロの声優さんが演じるアニメや洋画吹き替えの子ども役は、すごく過剰に「演技」してるんだよね。棒読みではなく、そこに大人であるゆえの技術を織り込んでいる。
どれだけ技術のあるプロが演じる子どもより、ほんとうの子どもを使った方が、子どもらしさが出る、ということがある。子どもはただ台詞を棒読みしているだけなんだけど、とにかく「あ、子どもだ」とわかる強さ。
キハだろうとタムドクだろうと、姫花ちゃんに感じるのはソレ。
子役だからソレだけでいいし、なにしろ姿はたまらなく美しいので十分なんだが……えーと、大人役はできるんだろうか?
イブちゃんは「演技」している。
懸命に「少年」であろうとがんばっている。本役のヒョンゴのイメージがあるからかなあ、こうやって「男の子」を演じていると、まっつに似ている気がする(笑)。もちろん、まっつよりずっと華やかなんだけど。(ヲイ)
少年タムドクと少年ヨン・ホゲは、本公演でもののすみ演じる「自然な子ども」とれみちゃん演じる「一生懸命男の子の演技をしている女の子」というバランスなので、新公でも同じことになっているのは、ちょっとびっくりした。
姫花ちゃんは演技しているのかしていないのかよくわかんない風情なんだが、とりあえずリアルに子どもで、イブちゃんはすごーくがんばってるけど、女の子、なんだよなあ。
遊女たちはみなあでやかでかわいーが、誰が誰だかわかんない……しょぼん。
本公演ではココ、まっつしか見てないから、真ん中でナニが起こっているのか、記憶にないので、新公ではここぞとばかりに見ていたんだが。
トラジ@萌子が鼻息荒かったことぐらいしか……(笑)。
しかし、女の子役がほんと少ないんだなあ。
で、他の男の子たちをちろっと書いて終わる。
ヒョンミョン@大河くん、かわいくてうまかった。本役もヒョンミョンは少年ぽく演じているから、若い子が演じやすいタイプの役とはいえ、溌剌とよくやっていた。
てゆーか大河くん、研2で中卒? まだ10代ですか……つか、確実に平成生まれ? 若っ。
イルス役って、わたし的にすげーいい役だと思ってたんだ。初日から、マメに釘付けだったし!
だから新公イルス@輝良まさとだと知ってわくわくしていたんだが……あれえ? それほどおいしく見えない……。
この役をおいしく見せていたのは、マメの力技だったのか。
ポンファ通りの人々がえらいことになってましたな。
てゆーかヒゲ率高すぎ!(笑)
ナニかやらないと気が済まないのか、花っこたち!(笑)
そして、みちるタンのやる気っぷりに涙。二の線は完全に捨てるんだな? マメのあとを継ぐんだな? 心意気やヨシ! がんばれ。
挨拶込みで2時間と、ちょい長めの新公でした。
がんばって短くしてあったよ。生田せんせー、短縮するのうまくなったね。
そして、本公演まんまだとしても、舞台人口密度がやたら高く、装置使いがものすごいことになっているわけだから、短縮して変更された分さらにえーらいこっちゃだろうに、みんなよく演じた、仕事した。
ひとりまちがっても大混乱必至な大所帯で、武道会やら騎馬と楯の群舞やら、大人数の立ち回りやら、よくやったよ。すごいチームワークだ、一致団結だ。
そのことにも、感動した。
新公プログラムの活字の詰まり方、ものすごいよ。開けた途端、「黒っ!」と思うくらい、隙間なく活字ぎっしり。紙面に配役が書ききれない勢い(笑)。
みんながんばったね。
悪役たちと、色男たち。@新人公演『太王四神記』
2009年1月23日 タカラヅカ 新人公演『太王四神記』感想の続き。
ホゲパパ@しゅん様は、どーにも弱っちく見えた。
優柔不断で他人の意見に踊らされ、確固たる意志がなく流されている感じ。
ああ、この小物な父の息子じゃあ、ホゲ@鳳くんがあんなにダメっ子なのも当然だよなあ。と、思ってしまった。
考えてみればわたし、「武人ではないしゅん様」ってはじめて見るのかもしれない。
しゅん様の演じる役は大抵、知より武。坐ったまま策略を練るより自分で行動する役。アジズ、フィリップ、天城刑事……、今回の本役であるチョク・ファンは言うまでもなく。
知略の人を演じると、あんなに弱くなってしまうの……?
しゅん様自身のこともあったと思うけれど。
チョ・ジュド@ネコ、やりすぎだから!(笑)
ホゲパパの側近、チョ・ジュド。ホゲパパ悪だくみのときは必ず側にいる、ヒゲ男。本役はふみか。
チョ・ジュドはすげーいい役で、実質的な悪だくみは彼が率先してやっている。だからネコちゃんが張り切るのはわかる。
わかる、けど。
張り切りすぎだから! やりすぎだから!
側近じゃなくて、君が悪の帝王になってるよ!!(笑)
すげー鼻息で、ぶるんぶるん唸りながら演じてるんだわ。
スタンドプレイ上等で、いつも前へ出ようという意欲に満ちあふれたネコちゃん。彼のそーゆー心意気やヨシと思っているが、コレはどうだろうな~~。
ホゲパパとホゲがただの操り人形で、黒幕がチョ・ジュドだというなら、プルキルとの関係を整理して欲しいわ。
プルキル@まぁくんは本役の役作りを踏襲しているので、チョ・ジュドに操られているバカな人、という設定では演じていないのよー。
しゅん様も別に、チョ・ジュドに操られているとは思ってないだろうなあ。たんに力負けしちゃってるだけで。
ホゲパパ、ホゲ、プルキル、チョ・ジュドと4人で登場する場面がやたら多いんだけど、ここがもう、バラバラで落ち着きが悪いったら。
ホゲパパは力負けして右往左往してるし、ホゲは存在感ないし、プルキルはマイペースだし、チョ・ジュドは暴走しているし。
おもしろいことになってるなあ、悪役カルテット(笑)。
ホゲママ@きらりがいるときは、きらり圧勝。
きらりすごい。
ほんとすごい。
見事に場をかっさらっていった。
本役のじゅりあちゃんもうまいけど、彼女とはまたチガウ迫力。より静かに、暗いオーラが出ている。それが沸点に達したときに、なにか切れてはいけないモノが切れて、叫び出す感じ。
……なんできらりちゃん、新公主演できなかったのかなあ。
こんなにうまくて、きれいなのに。そりゃまあ、歌はアレだが(笑)。
きらりのヒロインも見てみたかったよ。
でもって、色男の話に移る。
カグン将軍@らいらい。無駄に色男(笑)。
なんでああも色っぽいかな、じじいのくせに。
本役のさおたさんがこう、ストイックな美老人であるのに、らいが演じると「まだ現役@いろんなコト(はぁと)」って感じで、ちょっとアセりますな(笑)。
キャリエールが涸れてなくて、現役であれこれしちゃう人だと、エリックとの関係がやらしくなっちゃって困りますがな! と、わけわかんないことを言ってみる。や、宙組のじゅりキャリとたかこエリックはやらしくて困りましたよな、花組のゆみこキャリとオサエリックは健全でそれはそれはで拍子抜けしたけど……って、何の話?!
らいがあのガタイで、チョロを後ろから押さえつけると、なんかドキドキしました……って、これはもう、わたしの目が腐っているせい?!
カグン将軍にいいようにされてしまう(語弊有り)美青年チョロ@瀬戸くん。
いやあ、やっぱ彼、いい男ですなっ。
輪郭がきれいでいかにも「男役」って感じ。
ガタイの良さもいいです。
しかし。
チョロって、ナルシスト設定ぢゃなかったのか。
本役のめおちゃんが、剣に映った自分の顔を見て「コレが俺の顔か……美しい」と、うっとりするので、それはデフォかと思ってた。規定演技かと思っていたよ。
アレはめおちゃんオリジナルなんだ。や、そんな気はしてたけど(笑)。
瀬戸くんはべつにうっとりと自分の美貌に酔いしれることはなく、ふつーに醜い皮膚のなくなった顔に感動していました。
らいと瀬戸くんって、いいなあ。
並びが好みだわー。
今度、らいがじじいでなくて、ふつーに美青年同士でがっつりなんかやって欲しいわ。
で、色男といえばこの人、コ将軍@アーサー。
ねーねー、アーサーって、キラキラしてるよね?
なんか知らんがキラキラと目立つよね? わたしの欲目?
前回の新公に引き続き、今回もまたヒゲのおっさん役なんだけど。
それでもキラキラしてるの。なんか彼は少女マンガなの。
あ、あそこにキレイな人がいる! って感じのキャラなの。……ヒゲおやじなんだけど(笑)。
今回アーサーは本役の審判役があまりにも格好良すぎて、そのイメージがあるからか、新公はちょっと「少ない」気がした。
声の出方、通り方が、少ない。
審判役の声は、半端なく「イイ声」だからなー。
目の効き方が、少ない。
審判役の目の効き方、半端なく「きらん☆」としてるからなー。
1ヶ月以上お稽古して、初日から毎日やり続けている審判役と、本番1回こっきりでしかも出番が(審判役より)多いコ将軍役だ、そりゃ出来上がりが違って当然だけど。
もっともっと出来るはずだ。
ああ、東宝の新公も見たい~~。『エンカレッジコンサート』の5回公演で、悪戦苦闘しながら変化していったアーサーだもの、きっと東宝ではもっといいモノを見せてくれるはず。
にしてもアーサー、きれーだなー、キラキラしてるなー。イイ声だなー。
……同意してくれる人、いっぱいいるよね? ね?(いつも少数派なので、自信がないらしい)
続く~~。
ホゲパパ@しゅん様は、どーにも弱っちく見えた。
優柔不断で他人の意見に踊らされ、確固たる意志がなく流されている感じ。
ああ、この小物な父の息子じゃあ、ホゲ@鳳くんがあんなにダメっ子なのも当然だよなあ。と、思ってしまった。
考えてみればわたし、「武人ではないしゅん様」ってはじめて見るのかもしれない。
しゅん様の演じる役は大抵、知より武。坐ったまま策略を練るより自分で行動する役。アジズ、フィリップ、天城刑事……、今回の本役であるチョク・ファンは言うまでもなく。
知略の人を演じると、あんなに弱くなってしまうの……?
しゅん様自身のこともあったと思うけれど。
チョ・ジュド@ネコ、やりすぎだから!(笑)
ホゲパパの側近、チョ・ジュド。ホゲパパ悪だくみのときは必ず側にいる、ヒゲ男。本役はふみか。
チョ・ジュドはすげーいい役で、実質的な悪だくみは彼が率先してやっている。だからネコちゃんが張り切るのはわかる。
わかる、けど。
張り切りすぎだから! やりすぎだから!
側近じゃなくて、君が悪の帝王になってるよ!!(笑)
すげー鼻息で、ぶるんぶるん唸りながら演じてるんだわ。
スタンドプレイ上等で、いつも前へ出ようという意欲に満ちあふれたネコちゃん。彼のそーゆー心意気やヨシと思っているが、コレはどうだろうな~~。
ホゲパパとホゲがただの操り人形で、黒幕がチョ・ジュドだというなら、プルキルとの関係を整理して欲しいわ。
プルキル@まぁくんは本役の役作りを踏襲しているので、チョ・ジュドに操られているバカな人、という設定では演じていないのよー。
しゅん様も別に、チョ・ジュドに操られているとは思ってないだろうなあ。たんに力負けしちゃってるだけで。
ホゲパパ、ホゲ、プルキル、チョ・ジュドと4人で登場する場面がやたら多いんだけど、ここがもう、バラバラで落ち着きが悪いったら。
ホゲパパは力負けして右往左往してるし、ホゲは存在感ないし、プルキルはマイペースだし、チョ・ジュドは暴走しているし。
おもしろいことになってるなあ、悪役カルテット(笑)。
ホゲママ@きらりがいるときは、きらり圧勝。
きらりすごい。
ほんとすごい。
見事に場をかっさらっていった。
本役のじゅりあちゃんもうまいけど、彼女とはまたチガウ迫力。より静かに、暗いオーラが出ている。それが沸点に達したときに、なにか切れてはいけないモノが切れて、叫び出す感じ。
……なんできらりちゃん、新公主演できなかったのかなあ。
こんなにうまくて、きれいなのに。そりゃまあ、歌はアレだが(笑)。
きらりのヒロインも見てみたかったよ。
でもって、色男の話に移る。
カグン将軍@らいらい。無駄に色男(笑)。
なんでああも色っぽいかな、じじいのくせに。
本役のさおたさんがこう、ストイックな美老人であるのに、らいが演じると「まだ現役@いろんなコト(はぁと)」って感じで、ちょっとアセりますな(笑)。
キャリエールが涸れてなくて、現役であれこれしちゃう人だと、エリックとの関係がやらしくなっちゃって困りますがな! と、わけわかんないことを言ってみる。や、宙組のじゅりキャリとたかこエリックはやらしくて困りましたよな、花組のゆみこキャリとオサエリックは健全でそれはそれはで拍子抜けしたけど……って、何の話?!
らいがあのガタイで、チョロを後ろから押さえつけると、なんかドキドキしました……って、これはもう、わたしの目が腐っているせい?!
カグン将軍にいいようにされてしまう(語弊有り)美青年チョロ@瀬戸くん。
いやあ、やっぱ彼、いい男ですなっ。
輪郭がきれいでいかにも「男役」って感じ。
ガタイの良さもいいです。
しかし。
チョロって、ナルシスト設定ぢゃなかったのか。
本役のめおちゃんが、剣に映った自分の顔を見て「コレが俺の顔か……美しい」と、うっとりするので、それはデフォかと思ってた。規定演技かと思っていたよ。
アレはめおちゃんオリジナルなんだ。や、そんな気はしてたけど(笑)。
瀬戸くんはべつにうっとりと自分の美貌に酔いしれることはなく、ふつーに醜い皮膚のなくなった顔に感動していました。
らいと瀬戸くんって、いいなあ。
並びが好みだわー。
今度、らいがじじいでなくて、ふつーに美青年同士でがっつりなんかやって欲しいわ。
で、色男といえばこの人、コ将軍@アーサー。
ねーねー、アーサーって、キラキラしてるよね?
なんか知らんがキラキラと目立つよね? わたしの欲目?
前回の新公に引き続き、今回もまたヒゲのおっさん役なんだけど。
それでもキラキラしてるの。なんか彼は少女マンガなの。
あ、あそこにキレイな人がいる! って感じのキャラなの。……ヒゲおやじなんだけど(笑)。
今回アーサーは本役の審判役があまりにも格好良すぎて、そのイメージがあるからか、新公はちょっと「少ない」気がした。
声の出方、通り方が、少ない。
審判役の声は、半端なく「イイ声」だからなー。
目の効き方が、少ない。
審判役の目の効き方、半端なく「きらん☆」としてるからなー。
1ヶ月以上お稽古して、初日から毎日やり続けている審判役と、本番1回こっきりでしかも出番が(審判役より)多いコ将軍役だ、そりゃ出来上がりが違って当然だけど。
もっともっと出来るはずだ。
ああ、東宝の新公も見たい~~。『エンカレッジコンサート』の5回公演で、悪戦苦闘しながら変化していったアーサーだもの、きっと東宝ではもっといいモノを見せてくれるはず。
にしてもアーサー、きれーだなー、キラキラしてるなー。イイ声だなー。
……同意してくれる人、いっぱいいるよね? ね?(いつも少数派なので、自信がないらしい)
続く~~。
しあわせになるために。@柚希礼音、夢咲ねね次期星組トップスター決定発表
2009年1月22日 タカラヅカ 長年ヅカに浸って、ぬるく浅くファンしてきた年寄りの「タカラヅカ」というものに対してのこだわりは。
1.トップスターがいる。
2.組がある。
3.組が、トップを頂点としたピラミッドになっている。
4.トップスターはいずれその栄光の座を退き、次世代へ移り変わる。
5.トップ誕生からその卒業までが一区切り、また次のトップ誕生から新たな時代がはじまり、卒業までが一区切りと、終わることなく続いていく。
未婚の女性ばかりの劇団で、男役があって娘役があって、ということは前提なので言うまでもないとして。
その上での決まりごとっていうか。
別に明文化されたルールじゃないから、歌劇団がなにをどうしようと勝手だろうが、わたしが「タカラヅカ」を知ったときにはそーゆーもんだったし、ファンになってからも概ねそーゆーもんだった。
95年の歴史からすりゃー、わたしのファン期間なんてたかが5分の1でしかないんだから、なんの判断基準にもならんだろうが、わたしはわたしの希望で一方的にこだわる。
タカラヅカには、「トップスター」がいて欲しい。
わたしはあえて一度も「主演男役」とかゆー妙な言葉は使わない。マスコミは依然「トップスター」と表記し、劇団もソレを許している。商売的に「トップスター」の方が正しいとわかっていて、なんらかの内部事情で「主演」という言葉を使っている不透明さを否定する意味で、わたしはトップスターと言い続ける。
トップスターあってのタカラヅカ。
そしてこの「トップスター」ってのには、「トップ・コンビ」という意味が含まれる。
男役単体じゃない。娘役とふたり揃ってこそ、組の顔。組のトップスター。
ヅカを担うのは男役スターであることは確かだが、それは娘役あってのことだ。
公演ごとにオーディションで寄せ集められた、個人的に口をきいたこともない人たちではなく、同じ釜の飯を食う一蓮托生の家族のような仲間たち。
良く知り合うモノ同士だからこその呼吸で作り上げられる、舞台。
団員を生徒と呼び、上級生、下級生と呼ぶ。
学校のように先輩は後輩を導き、面倒を見、後輩は先輩を敬い、従う。
組の頂点に立つトップスターを中心に、2番手、3番手などポジションがあり、いずれトップが卒業すると2番手がそのあとを引き継ぐ。
共有する、世界。
去る者も、あとを担うものも、共に同じ組で、同じ舞台を作り続けてきた。
ファンは組全体の成長を、時の流れを見守り、トップ交代を時代の一区切りとし、また新たな世代を見守り続ける。
共有する、世界。
自分自身の人生と同じように、タカラヅカという虚構の中にも、出会いと別れを繰り返す。
それを当たり前と眺めてきて、最近不安ばかりが先に立つようになった。
トップ娘役は、なくなるのではないか。
組はなくなるのではないか。
トップスターがなくなり、組がなくなったらソレはもう「タカラヅカ」じゃない。
この変貌流転激しい世の中で、ヅカが生き残ってこられたのは「この世でただひとつ」のものがあったからだろう。
他にはない、代えがない、だから生き残ってこられた。……まあ、ひとつあれば十分、大してニーズはないんだから、とも言えるが(笑)。
次々とトップスター退団の報が発表される中、先行きに不安を感じていたのだが。
トップ娘役は、なくならない。
つまり、「トップスター」がなくならないということだ。制度がなくならないということだ。
そして、2番手からの昇格。
現トップスターと何年も一緒に舞台を作り上げてきた人が、次の時代を継ぐ。
つまり、「組」がなくならないということだ。制度がなくならないということだ。
よかった。
本当に、よかった。
最近の劇団には、不安と危機感しかなかったもの。
おめでとう、れおんくん、ねねちゃん。ビッグ・カップル誕生っすね。
長身で華やかなトップ・コンビで、あの濃くてにぎやかでお祭り好きの星組を盛り立てていってください。
次期体制がわかると、なんかほっとする。
ラスト・スパートに集中できるっていうか。
サヨナラ公演の前にわかってよかった。
同時に、組替え発表もあった。
なんていうか、足元が崩れる感じ。この子はこうで、こう応援する、と決まったスタンスが根底から覆される感じで。
テルキタ解散が、かなしいっす。
あのふたりの並びが、ほんと好きなんだよ。劇団は同期萌えを許さないよなあ、いつだって解散させるもんよ。
かなめくん、ちぎくん、あまちゃき、みんな新天地での活躍を期待しているよ。
どんな人事異動も、よい方向へ行くために、しあわせになるためにあるのだと、願っているから。
……タカラヅカは、新陳代謝を繰り返す。
今のトップが辞めなければ次の人はトップになれない。
シビアだけど、これが現実。
あの人のトップスター姿をずっとずっと眺めていたいけれど、それでは2番手の彼のジェンヌ人生が終わってしまう。旬が過ぎてしまう。
トップの彼に辞めて欲しくない。でも、2番手の彼にもトップになって欲しい。
どーしよーもないジレンマを抱え、「今がずっと続けばいいのに」と思う、そんなことはありえない、偽善でも虚構でもいいから、みんなみんなしあわせになればいいのにと願う、光を恋いながら闇を抱える。
美しい夢の世界は、たしかに現実の痛みを伴っている。
だからこそ、こんなにも魅力的なのだと思う。
昇格する人も、組替えする人も、そして、組替えしない現状維持?なポジションの人も、どうかどうかみんな、その人にとっていちばんいい結果にたどり着きますように。
わたしが納得するしないとか好みが理想がとかとは関係なく、ジェンヌさんたちがいちばんしあわせになる結果になりますように。
1.トップスターがいる。
2.組がある。
3.組が、トップを頂点としたピラミッドになっている。
4.トップスターはいずれその栄光の座を退き、次世代へ移り変わる。
5.トップ誕生からその卒業までが一区切り、また次のトップ誕生から新たな時代がはじまり、卒業までが一区切りと、終わることなく続いていく。
未婚の女性ばかりの劇団で、男役があって娘役があって、ということは前提なので言うまでもないとして。
その上での決まりごとっていうか。
別に明文化されたルールじゃないから、歌劇団がなにをどうしようと勝手だろうが、わたしが「タカラヅカ」を知ったときにはそーゆーもんだったし、ファンになってからも概ねそーゆーもんだった。
95年の歴史からすりゃー、わたしのファン期間なんてたかが5分の1でしかないんだから、なんの判断基準にもならんだろうが、わたしはわたしの希望で一方的にこだわる。
タカラヅカには、「トップスター」がいて欲しい。
わたしはあえて一度も「主演男役」とかゆー妙な言葉は使わない。マスコミは依然「トップスター」と表記し、劇団もソレを許している。商売的に「トップスター」の方が正しいとわかっていて、なんらかの内部事情で「主演」という言葉を使っている不透明さを否定する意味で、わたしはトップスターと言い続ける。
トップスターあってのタカラヅカ。
そしてこの「トップスター」ってのには、「トップ・コンビ」という意味が含まれる。
男役単体じゃない。娘役とふたり揃ってこそ、組の顔。組のトップスター。
ヅカを担うのは男役スターであることは確かだが、それは娘役あってのことだ。
公演ごとにオーディションで寄せ集められた、個人的に口をきいたこともない人たちではなく、同じ釜の飯を食う一蓮托生の家族のような仲間たち。
良く知り合うモノ同士だからこその呼吸で作り上げられる、舞台。
団員を生徒と呼び、上級生、下級生と呼ぶ。
学校のように先輩は後輩を導き、面倒を見、後輩は先輩を敬い、従う。
組の頂点に立つトップスターを中心に、2番手、3番手などポジションがあり、いずれトップが卒業すると2番手がそのあとを引き継ぐ。
共有する、世界。
去る者も、あとを担うものも、共に同じ組で、同じ舞台を作り続けてきた。
ファンは組全体の成長を、時の流れを見守り、トップ交代を時代の一区切りとし、また新たな世代を見守り続ける。
共有する、世界。
自分自身の人生と同じように、タカラヅカという虚構の中にも、出会いと別れを繰り返す。
それを当たり前と眺めてきて、最近不安ばかりが先に立つようになった。
トップ娘役は、なくなるのではないか。
組はなくなるのではないか。
トップスターがなくなり、組がなくなったらソレはもう「タカラヅカ」じゃない。
この変貌流転激しい世の中で、ヅカが生き残ってこられたのは「この世でただひとつ」のものがあったからだろう。
他にはない、代えがない、だから生き残ってこられた。……まあ、ひとつあれば十分、大してニーズはないんだから、とも言えるが(笑)。
次々とトップスター退団の報が発表される中、先行きに不安を感じていたのだが。
2009/01/22この発表で、心からほっとした。
次期星組主演男役・娘役について
この度、次期星組主演男役に柚希 礼音(星組)、次期星組主演娘役に夢咲 ねね(星組)が決定致しましたので、お知らせ致します。
トップ娘役は、なくならない。
つまり、「トップスター」がなくならないということだ。制度がなくならないということだ。
そして、2番手からの昇格。
現トップスターと何年も一緒に舞台を作り上げてきた人が、次の時代を継ぐ。
つまり、「組」がなくならないということだ。制度がなくならないということだ。
よかった。
本当に、よかった。
最近の劇団には、不安と危機感しかなかったもの。
おめでとう、れおんくん、ねねちゃん。ビッグ・カップル誕生っすね。
長身で華やかなトップ・コンビで、あの濃くてにぎやかでお祭り好きの星組を盛り立てていってください。
次期体制がわかると、なんかほっとする。
ラスト・スパートに集中できるっていうか。
サヨナラ公演の前にわかってよかった。
同時に、組替え発表もあった。
2009/01/22退団とはまた別の意味で、組替えはショックだ。
組替えについて
この度、下記の通り、組替えが決定致しましたのでお知らせ致します。
【雪組】
凰稀 かなめ・・・4月14日付で星組へ
※宝塚大劇場公演『風の錦絵』『ZORRO 仮面のメサイア』千秋楽後に異動(東京宝塚劇場公演には出演致しません)。
【宙組】
早霧 せいな・・・2月24日付で雪組へ
天咲 千華・・・2月24日付で花組へ
※上記二名は中日劇場公演『外伝ベルサイユのばら-アンドレ編-』『ダンシング・フォー・ユー』千秋楽後に異動。
※早霧せいなは雪組東京宝塚劇場公演『風の錦絵』『ZORRO 仮面のメサイア』より出演致します。
なんていうか、足元が崩れる感じ。この子はこうで、こう応援する、と決まったスタンスが根底から覆される感じで。
テルキタ解散が、かなしいっす。
あのふたりの並びが、ほんと好きなんだよ。劇団は同期萌えを許さないよなあ、いつだって解散させるもんよ。
かなめくん、ちぎくん、あまちゃき、みんな新天地での活躍を期待しているよ。
どんな人事異動も、よい方向へ行くために、しあわせになるためにあるのだと、願っているから。
……タカラヅカは、新陳代謝を繰り返す。
今のトップが辞めなければ次の人はトップになれない。
シビアだけど、これが現実。
あの人のトップスター姿をずっとずっと眺めていたいけれど、それでは2番手の彼のジェンヌ人生が終わってしまう。旬が過ぎてしまう。
トップの彼に辞めて欲しくない。でも、2番手の彼にもトップになって欲しい。
どーしよーもないジレンマを抱え、「今がずっと続けばいいのに」と思う、そんなことはありえない、偽善でも虚構でもいいから、みんなみんなしあわせになればいいのにと願う、光を恋いながら闇を抱える。
美しい夢の世界は、たしかに現実の痛みを伴っている。
だからこそ、こんなにも魅力的なのだと思う。
昇格する人も、組替えする人も、そして、組替えしない現状維持?なポジションの人も、どうかどうかみんな、その人にとっていちばんいい結果にたどり着きますように。
わたしが納得するしないとか好みが理想がとかとは関係なく、ジェンヌさんたちがいちばんしあわせになる結果になりますように。
みんなダイスキ。みんなガンバレ。@新人公演『太王四神記』
2009年1月21日 タカラヅカ 新人公演『太王四神記』の感想続き。
プルキルの眉毛がふつーだった。
……って、ソコからですか。
や、気になるじゃん、「プルキル=二股眉毛」なのか、それともアレはえりたんオリジナルなのか。
どーやら壮くんのオリジナルだったようです。新公のプルキル@まぁくんはふつーの眉毛でした。
新公主演経験有りのベテランが、最後の新公で脇に回るの、わたしは大賛成です。
初新公でいっぱいいっぱいの後輩を支え、かつ自分は余裕を持って最後の新公を終えることが出来、二枚目以外の役で芸幅を広げることが出来る。
まぁくんがやたら余裕有りに見えました。
まあもともと、あまりいっぱいいっぱいに見えない子だけど、それにしても余力を残して空気を読んでいる感じが、余計オトコマエに見えた。
やりすぎるんじゃなく、ここで立ち止まって楽しんでいる風っていうか。
ヒゲも似合っていて、スタイルいいもんだから目立つわ。
役柄的には壮くんを真面目に踏襲、そして壮くんより「まとも」に見えた。や、壮くんのプルキルはすごい愉快だからねー(笑)、あそこまで愉快にしちゃうとまたバランス悪いしねー。
じじい演出は無し、たぶん新公のために特殊マスクの製作はしていないんだろう。神話時代もないんでプルキルは最初から最後までヒゲのおじさん。
だからラストシーンで彼がどーなったのか、本公演以上にわかりにくいのは残念。
ホゲ@鳳くんは……ヘタではないんだろうけれど、反対になにができるのかよくわからなかった。
カシウス様@『暁のローマ』新公でも思ったけど、コスチューム物でゆーひの役をやる子は大変だよなあ。まず外見でゆーひくんと比べられるわけだから、分が悪すぎ。
ゆーひが美しすぎることはわかってるけど、比べちゃ酷だと自戒しているんだけど、それにしたって、いろいろと残念だった。
ビジュアルの難を吹き飛ばす芸があればよかったんだが……。
1幕の銀橋の歌が伴奏と無関係になっていたのでびびったんだが、アレは演出? それともわたしのカンチガイ? 音楽と関係なく歌詞を載せているから「ラップ? ここはラップに演出が変わったの?」とびびりまくったんだが。
その昔マミさんが『ノバ・ボサ・ノバ』で、おそらく彼の歌唱力では歌えないと判断した部分をラップ調にアレンジしていた記憶があるので、鳳くんもそーゆーことなのかと思ったんだが、2幕最初のホゲ銀橋からタムドク、キハとの三重奏はふつーに歌っていたので、別に歌えないってわけでもなさそうだ。
ビジュアルは置いておいて、このホゲくんに漂うのは「小物」感。
キャリアが不足しているためだと思うが、表現できるモノがまだ少ない。台詞のないときにどーゆー表情でなにを表現できているかいないか、わかっていない感じ。
追いつめられていく様もすねた子どものようで、窮鼠猫を噛むってゆーか、小人窮すれば斯に濫すってゆーか。
だからこそ、ことさら「哀れ」だった。
見てはならない夢を見た子。プルキルひどいよ、騙すにしてもこんなふつーの子を騙さなくてもいいじゃん。なんつーんだ、「アイドルになれるよ」って騙して中学生からお金巻き上げるえせプロデューサーみたいな感じ? 可哀想に真面目な学級委員くんはその言葉を真に受けて、クラスで集めた給食費に手をつけてしまい、それがみんなの知るところとなり、「オレはもう後戻りできないんだああっ」ってナイフ振り回しちゃう感じ? プロデューサー・プルキルひどい!(えっ)
いやその、すぐれた人物の破滅とはまた違った意味で、ホゲくんの破滅は可哀想で、胸が痛みました。子どもがこうやって道を踏み外すとき、親の存在が大きいよねー、ホゲパパ@しゅん様、間でおろおろするだけの人だったしなー、と、そっちについて考えちゃいましたわ(笑)。
なんか鳳くんって、雪のりんきらと不思議とイメージかぶるんだが、いきなりの大役で大変だったと思う。まだまだ下級生、これから経験を積んで技術を磨いて、ついでにほっぺの肉も落として(笑)、どんどんいい男になっていってくれ。
スジニ@れみちゃんがかわいかった……っ!
娘役が「少年のような女の子」を演じると、一足飛びに「子役」になってしまうのね。幼すぎるのは気になったけれど、それゆえの切なさ、いじらしさがあった。
ぶかぶかの花嫁衣装を羽織り、本心を隠して強がる姿に涙が出た。
やっぱスジニは娘役で見たかったよ……みわさんが悪いわけではなくて、みわさんのスジニも大好きだけど、バランスとしてコレは娘役の役だと思う。
ヒョンゴ@真瀬くん、まっつまんまで驚いた。
まっつを丸コピしてるよ……!(震撼)
イントネーション、喋り方、ちょっとしたことまで丁寧にコピーしている。歌声や、声まで似てるんですけど?!
器用な子だなあ。
よく初主演の子とかが、本役さんまんまコピーしてくることがある。模写は勉強の基本だから、役割が大きすぎるととにかくコピーで消化するんだよね。
脇役でそこまでまんまなコピーをあまり見かけないのは、丸コピするより自分なりのアプローチをする余地のある比重とか出番だったりするから、かな? または、若手抜擢で丸コピしたくても技術的にできない、という現実だったり?
真瀬くんは実力者だからなあ。真似るとなると、ここまで出来ちゃうんだな。
本公でまっつばっかガン見しているしている者からすれば、彼の丁寧な「まっつぶり」がすげー興味深かった。やーん、たのしー。
がんばれ92期男役トップ入団者(首席は娘役だった)。歌の成績も男役で1番だったんだよね? クラシック・ヴォーカルで唯一のソロもらってたから。(ちなみに、だいもんも89期文化祭で唯一のソロ歌手)
にしても、主要な役にキャリアのある子、下級生抜擢、と、バランス良くちりばめてあるな。せっかくの新公「いつもの顔ぶれ」でもつまらないし、かといって抜擢ばかりのなんにもできない学芸会を見せられても途方に暮れるし。
脇役は芸達者な88期で手堅く固めてあるし。
とゆーことで、その手堅い88期・ヤン王@めぐむは、なんか登場の仕方にいろいろおどろいた(笑)。
幕開き、神話その他カットのため、いきなり登場したからなあ。そして2幕では、まさかの下手セリ上がり(と、そのままセリ下がり)。や、こちらも1幕ラストのテジャ城セットが本舞台にあるため、本公演のように本舞台ののれん裏(のれん、て……)から登場できなかったためなんだけどね。キハ@ののすみだって、三重唱まで武道会の巫女衣装のままだし。
めぐむを見てはじめて、ヤン王っていうのが「強い」だけの役ではないんだなと気が付いた。
てゆーか、けっこう弱い、ダメダメなおっさんだなー、と(笑)。
というのも、めぐむって前回のムハンマド・アリのような押し出しのいいおっさんだと堂に入って格好いいけど、弱い部分を出すとかっこよさが落ちるなと思ったからだ。すまん、めぐむ。
星原先輩はよわよわな部分を演じてもその威厳が弱まることはないんだけど、めぐむは情けなくなっていたような……。
本公演のコ将軍がとことんカッコイイことからしても、こーゆー強いおっさんは得意だけど、そこに人間的な部分が加わるとまだ思うようには演じられないのかな。
めぐむには期待が高い分、点数が辛いかも。
新公2番手まで行った実力とキャリアの持ち主だもの、これからも楽しみにしてるよお。
つーことで、続く。
プルキルの眉毛がふつーだった。
……って、ソコからですか。
や、気になるじゃん、「プルキル=二股眉毛」なのか、それともアレはえりたんオリジナルなのか。
どーやら壮くんのオリジナルだったようです。新公のプルキル@まぁくんはふつーの眉毛でした。
新公主演経験有りのベテランが、最後の新公で脇に回るの、わたしは大賛成です。
初新公でいっぱいいっぱいの後輩を支え、かつ自分は余裕を持って最後の新公を終えることが出来、二枚目以外の役で芸幅を広げることが出来る。
まぁくんがやたら余裕有りに見えました。
まあもともと、あまりいっぱいいっぱいに見えない子だけど、それにしても余力を残して空気を読んでいる感じが、余計オトコマエに見えた。
やりすぎるんじゃなく、ここで立ち止まって楽しんでいる風っていうか。
ヒゲも似合っていて、スタイルいいもんだから目立つわ。
役柄的には壮くんを真面目に踏襲、そして壮くんより「まとも」に見えた。や、壮くんのプルキルはすごい愉快だからねー(笑)、あそこまで愉快にしちゃうとまたバランス悪いしねー。
じじい演出は無し、たぶん新公のために特殊マスクの製作はしていないんだろう。神話時代もないんでプルキルは最初から最後までヒゲのおじさん。
だからラストシーンで彼がどーなったのか、本公演以上にわかりにくいのは残念。
ホゲ@鳳くんは……ヘタではないんだろうけれど、反対になにができるのかよくわからなかった。
カシウス様@『暁のローマ』新公でも思ったけど、コスチューム物でゆーひの役をやる子は大変だよなあ。まず外見でゆーひくんと比べられるわけだから、分が悪すぎ。
ゆーひが美しすぎることはわかってるけど、比べちゃ酷だと自戒しているんだけど、それにしたって、いろいろと残念だった。
ビジュアルの難を吹き飛ばす芸があればよかったんだが……。
1幕の銀橋の歌が伴奏と無関係になっていたのでびびったんだが、アレは演出? それともわたしのカンチガイ? 音楽と関係なく歌詞を載せているから「ラップ? ここはラップに演出が変わったの?」とびびりまくったんだが。
その昔マミさんが『ノバ・ボサ・ノバ』で、おそらく彼の歌唱力では歌えないと判断した部分をラップ調にアレンジしていた記憶があるので、鳳くんもそーゆーことなのかと思ったんだが、2幕最初のホゲ銀橋からタムドク、キハとの三重奏はふつーに歌っていたので、別に歌えないってわけでもなさそうだ。
ビジュアルは置いておいて、このホゲくんに漂うのは「小物」感。
キャリアが不足しているためだと思うが、表現できるモノがまだ少ない。台詞のないときにどーゆー表情でなにを表現できているかいないか、わかっていない感じ。
追いつめられていく様もすねた子どものようで、窮鼠猫を噛むってゆーか、小人窮すれば斯に濫すってゆーか。
だからこそ、ことさら「哀れ」だった。
見てはならない夢を見た子。プルキルひどいよ、騙すにしてもこんなふつーの子を騙さなくてもいいじゃん。なんつーんだ、「アイドルになれるよ」って騙して中学生からお金巻き上げるえせプロデューサーみたいな感じ? 可哀想に真面目な学級委員くんはその言葉を真に受けて、クラスで集めた給食費に手をつけてしまい、それがみんなの知るところとなり、「オレはもう後戻りできないんだああっ」ってナイフ振り回しちゃう感じ? プロデューサー・プルキルひどい!(えっ)
いやその、すぐれた人物の破滅とはまた違った意味で、ホゲくんの破滅は可哀想で、胸が痛みました。子どもがこうやって道を踏み外すとき、親の存在が大きいよねー、ホゲパパ@しゅん様、間でおろおろするだけの人だったしなー、と、そっちについて考えちゃいましたわ(笑)。
なんか鳳くんって、雪のりんきらと不思議とイメージかぶるんだが、いきなりの大役で大変だったと思う。まだまだ下級生、これから経験を積んで技術を磨いて、ついでにほっぺの肉も落として(笑)、どんどんいい男になっていってくれ。
スジニ@れみちゃんがかわいかった……っ!
娘役が「少年のような女の子」を演じると、一足飛びに「子役」になってしまうのね。幼すぎるのは気になったけれど、それゆえの切なさ、いじらしさがあった。
ぶかぶかの花嫁衣装を羽織り、本心を隠して強がる姿に涙が出た。
やっぱスジニは娘役で見たかったよ……みわさんが悪いわけではなくて、みわさんのスジニも大好きだけど、バランスとしてコレは娘役の役だと思う。
ヒョンゴ@真瀬くん、まっつまんまで驚いた。
まっつを丸コピしてるよ……!(震撼)
イントネーション、喋り方、ちょっとしたことまで丁寧にコピーしている。歌声や、声まで似てるんですけど?!
器用な子だなあ。
よく初主演の子とかが、本役さんまんまコピーしてくることがある。模写は勉強の基本だから、役割が大きすぎるととにかくコピーで消化するんだよね。
脇役でそこまでまんまなコピーをあまり見かけないのは、丸コピするより自分なりのアプローチをする余地のある比重とか出番だったりするから、かな? または、若手抜擢で丸コピしたくても技術的にできない、という現実だったり?
真瀬くんは実力者だからなあ。真似るとなると、ここまで出来ちゃうんだな。
本公でまっつばっかガン見しているしている者からすれば、彼の丁寧な「まっつぶり」がすげー興味深かった。やーん、たのしー。
がんばれ92期男役トップ入団者(首席は娘役だった)。歌の成績も男役で1番だったんだよね? クラシック・ヴォーカルで唯一のソロもらってたから。(ちなみに、だいもんも89期文化祭で唯一のソロ歌手)
にしても、主要な役にキャリアのある子、下級生抜擢、と、バランス良くちりばめてあるな。せっかくの新公「いつもの顔ぶれ」でもつまらないし、かといって抜擢ばかりのなんにもできない学芸会を見せられても途方に暮れるし。
脇役は芸達者な88期で手堅く固めてあるし。
とゆーことで、その手堅い88期・ヤン王@めぐむは、なんか登場の仕方にいろいろおどろいた(笑)。
幕開き、神話その他カットのため、いきなり登場したからなあ。そして2幕では、まさかの下手セリ上がり(と、そのままセリ下がり)。や、こちらも1幕ラストのテジャ城セットが本舞台にあるため、本公演のように本舞台ののれん裏(のれん、て……)から登場できなかったためなんだけどね。キハ@ののすみだって、三重唱まで武道会の巫女衣装のままだし。
めぐむを見てはじめて、ヤン王っていうのが「強い」だけの役ではないんだなと気が付いた。
てゆーか、けっこう弱い、ダメダメなおっさんだなー、と(笑)。
というのも、めぐむって前回のムハンマド・アリのような押し出しのいいおっさんだと堂に入って格好いいけど、弱い部分を出すとかっこよさが落ちるなと思ったからだ。すまん、めぐむ。
星原先輩はよわよわな部分を演じてもその威厳が弱まることはないんだけど、めぐむは情けなくなっていたような……。
本公演のコ将軍がとことんカッコイイことからしても、こーゆー強いおっさんは得意だけど、そこに人間的な部分が加わるとまだ思うようには演じられないのかな。
めぐむには期待が高い分、点数が辛いかも。
新公2番手まで行った実力とキャリアの持ち主だもの、これからも楽しみにしてるよお。
つーことで、続く。
歌で綴られる英雄譚。@新人公演『太王四神記』
2009年1月20日 タカラヅカ 本日は本公・新公ダブルヘッダ。
本公演の最後のパレードで、花組が好きだ、今の花組が好きだ、と、なんか泣きたくなった。
や、今に限定しなくても、いつだって好きなんだけどさ。
最近続くいろんな発表、いろんな変化で、不安が尽きないんだ。
今の花組が好きだよ。
わたしだけでなく、いろんな人たちが、いろんな組のファンたちが、みんなそれぞれそう思っていると思う。
それはさておき、新人公演『太王四神記』。
まだ本公演の感想をまともに書いてないんでアレだが、キモチがアツいうちに新公を書いておく。
演出は生田大和。生田せんせで思い出すのは『ファントム』新公なんだが、あのちまちましたカットぶりからすれば、なかなか大胆につぎはぎするようになったなあ。
まず、神話とタムドク誕生時の神器と守り主の話は全カット。初日に観て「いらないんぢゃね?」と思ったところを本当に潔くカットしていた。で、なくても問題なかった(笑)。
せり上がりヒョンゴ@真瀬の語りも最小限に、子どもタムドク@姫花、子どもヨン・ホゲ@イブの「自主練」から物語スタート。
前景の背後で盆を回して次の場面までのロスタイムを無くしたり、間を省略したのちの場面と場面をつなぐために立ち位置や登場位置を左右ひっくり返したり、細かいことやってる(笑)。
新公のいちばんの感想は、年齢設定の正しい『太王四神記』だわ、てことだったり(笑)。
や、わたしは原作知らないけど、舞台を観るだけでも本公演の主人公たちの年齢設定には「?」が飛び交っていたので。
キハが、タムドクより年上だった。
キハ@ののすみの第一声から、「え?」と思ったのは、その大人っぽさと、知性。
タムドク@だいもんとはじめて出会う書庫の場面で、明らかにタムドクより年上の女性だった。
子犬のような瞳(笑)の少年王子になつかれ、思案しながらも心を寄せていく知的な女性。
反面、タムドクの幼さが気になった。
こんなに子どもでええんかいな、と思っていたが。
この物語は、タムドクの成長物語なんだ。と、思わせる、無邪気な少年から大人の男へ、王者へのあざやかな変貌。
キハとの年齢差は、あとになればなるほど気にならなくなる。タムドクが急激に大人びていくからだ。
傷つくたびに、障害に出会うたびに、彼は大人になっていく。あるときを境に変わるのではなく、なめらかに、されどハイスピードで、彼は人生を駆け抜けていく。
そして、スジニが、少女だった。
元気で健気な少女。アニメ的というか、記号として役割のわかりやすい女の子。
キハより年下だとわかるし、タムドクに「妹」と言われても違和感がない。
タムドクと同い年くらいだから幼すぎる気もするが、タムタムだって最初はえらく幼かったわけだし、彼の急激な成長を鑑みればスジニはこれくらいの年齢でいい。
でもって、パワーバランスも、ある意味正しい?
主人公は圧倒的にタムドクであり、2番手は、タムドクの敵であるプルキルだった。
神話時代からタムドク誕生までがカットされているので、プルキルの出番は少なくなっており、ホゲの出番はほぼそのままなんだが、プルキル@まぁくんが2番手に見えた。
主人公が最終場面で対決する相手が2番手、つーのは、ヅカ的に正しいんぢゃね? ……プルキルの最期の描き方は、本公以上にどうかと思うが。
ヨン・ホゲは、ふつーの人だった。
ホゲ@鳳くんは、王としての器などまーーったく持っていないのに、プルキルに操られ、自滅していく様が、哀れだった。
明らかにふつーの人、なんで王様になれるなんて思っちゃったんだろう、という場違い感は「英雄タムドクの物語」としてはぜんぜんアリだと思う。
本公演の年齢・パワーバランスを否定するわけではなく、こういうのもアリか、という意味っす。
両方楽しめてお得。
最初のうち、タムドクがえらく幼い作りだから、わたしはけっこうがっかりしていた。
何度となく書いてきたが、女性である以上「少年」は演じやすいんだ。男役としての技術が拙い人でも、子役なら誤魔化しが利く。
だいもん、子役ばっかやらされていたから、もう大人の男はできなくなっちゃったのかな。満を持しての新公主役で、こんなかわいらしい少年を演じられてもなー。
とまあ、油断していたら。
彼は、どんどん加速していった。
歌声の、圧倒的な力。
歌える子だとはわかっていたけれど、そこに感情がのり、芝居が加わると、爆発的な力になる。
2幕のキハを想って歌う歌、語りのような独り言のようなつぶやきからはじまり、魂の絶唱に至る昂揚ときたら!
ぞくぞくした。
てゆーかもー、あちこち泣かされた。
歌で芝居することを知っている声だ。
饒舌な歌声。
前へ出、表現しようとする声。
決して派手ではないんだけどね。
堅実な「表現者」の歌声だった。物語好き、芝居好きの人間としては、この歌声が綴る、この歌声が表現する「物語」に、つい引き込まれる。
課題は、ビジュアルかなあ……。
本役さんの髪型を踏襲するのではなく、とにかく「自分に似合うモノ」で勝負してもよかったんじゃないだろーか。
てゆーかだいもん、公称身長169cmなんだね……まとぶさんと同じで、ゆーひさんより1cm低いだけなんだ……いやその、触れぬが華だとわかっちゃいるが、花組生え抜きさんの公称身長と、組替えさんの公称身長には深い溝があるなと。
キハはなんかあちこち、こわかった。
ののすみに操られる役とか狂っちゃう系の役やらせちゃダメだよ、やりすぎちゃうよこの子(笑)。
本当のキハと、操り人形キハの差がすごい。
あ、今人形スイッチ入った、てときの顔が、生理的にぞわっとする。
お告げの舞を舞うときとか、笑ってんですけど、この人。心の壊れた笑顔がめちゃくちゃこわい。
精神ヤヴァイときはともかくとして。
大人の女性として少年タムドクの前に現れるのが、いいなと思う。
ヨン夫人を自害へ追い込んだことで自分を責めるタムドクに、彼が「欲しかった言葉」を投げかける姿の力強さ。
タムドクにとって、この女性が「救い」であることがわかる。
また彼の、おどおどとした抱擁がイイしな(笑)。そのあとに、年上の彼女にイイカッコするために「ひとりで街へ行く練習しないと、君を案内できない」と言うあたりの、台詞のつながりがなめらかだ。うんうん、がんばれ少年。
『太王四神記』で年下の男の子との恋、を楽しむことが出来るとは思わなかったわ。
彼はかわいい年下の男の子。彼はわたしに恋して、どんどん大人になっていく。
かわいこちゃんだと油断していたら、はっとするほど豊かな大人の男性になって、いつの間にかわたしが彼の一挙手一投足にどきどきしている……!
てな感じっすか?(笑)
他の子の感想は別欄へ続く。
本公演の最後のパレードで、花組が好きだ、今の花組が好きだ、と、なんか泣きたくなった。
や、今に限定しなくても、いつだって好きなんだけどさ。
最近続くいろんな発表、いろんな変化で、不安が尽きないんだ。
今の花組が好きだよ。
わたしだけでなく、いろんな人たちが、いろんな組のファンたちが、みんなそれぞれそう思っていると思う。
それはさておき、新人公演『太王四神記』。
まだ本公演の感想をまともに書いてないんでアレだが、キモチがアツいうちに新公を書いておく。
演出は生田大和。生田せんせで思い出すのは『ファントム』新公なんだが、あのちまちましたカットぶりからすれば、なかなか大胆につぎはぎするようになったなあ。
まず、神話とタムドク誕生時の神器と守り主の話は全カット。初日に観て「いらないんぢゃね?」と思ったところを本当に潔くカットしていた。で、なくても問題なかった(笑)。
せり上がりヒョンゴ@真瀬の語りも最小限に、子どもタムドク@姫花、子どもヨン・ホゲ@イブの「自主練」から物語スタート。
前景の背後で盆を回して次の場面までのロスタイムを無くしたり、間を省略したのちの場面と場面をつなぐために立ち位置や登場位置を左右ひっくり返したり、細かいことやってる(笑)。
新公のいちばんの感想は、年齢設定の正しい『太王四神記』だわ、てことだったり(笑)。
や、わたしは原作知らないけど、舞台を観るだけでも本公演の主人公たちの年齢設定には「?」が飛び交っていたので。
キハが、タムドクより年上だった。
キハ@ののすみの第一声から、「え?」と思ったのは、その大人っぽさと、知性。
タムドク@だいもんとはじめて出会う書庫の場面で、明らかにタムドクより年上の女性だった。
子犬のような瞳(笑)の少年王子になつかれ、思案しながらも心を寄せていく知的な女性。
反面、タムドクの幼さが気になった。
こんなに子どもでええんかいな、と思っていたが。
この物語は、タムドクの成長物語なんだ。と、思わせる、無邪気な少年から大人の男へ、王者へのあざやかな変貌。
キハとの年齢差は、あとになればなるほど気にならなくなる。タムドクが急激に大人びていくからだ。
傷つくたびに、障害に出会うたびに、彼は大人になっていく。あるときを境に変わるのではなく、なめらかに、されどハイスピードで、彼は人生を駆け抜けていく。
そして、スジニが、少女だった。
元気で健気な少女。アニメ的というか、記号として役割のわかりやすい女の子。
キハより年下だとわかるし、タムドクに「妹」と言われても違和感がない。
タムドクと同い年くらいだから幼すぎる気もするが、タムタムだって最初はえらく幼かったわけだし、彼の急激な成長を鑑みればスジニはこれくらいの年齢でいい。
でもって、パワーバランスも、ある意味正しい?
主人公は圧倒的にタムドクであり、2番手は、タムドクの敵であるプルキルだった。
神話時代からタムドク誕生までがカットされているので、プルキルの出番は少なくなっており、ホゲの出番はほぼそのままなんだが、プルキル@まぁくんが2番手に見えた。
主人公が最終場面で対決する相手が2番手、つーのは、ヅカ的に正しいんぢゃね? ……プルキルの最期の描き方は、本公以上にどうかと思うが。
ヨン・ホゲは、ふつーの人だった。
ホゲ@鳳くんは、王としての器などまーーったく持っていないのに、プルキルに操られ、自滅していく様が、哀れだった。
明らかにふつーの人、なんで王様になれるなんて思っちゃったんだろう、という場違い感は「英雄タムドクの物語」としてはぜんぜんアリだと思う。
本公演の年齢・パワーバランスを否定するわけではなく、こういうのもアリか、という意味っす。
両方楽しめてお得。
最初のうち、タムドクがえらく幼い作りだから、わたしはけっこうがっかりしていた。
何度となく書いてきたが、女性である以上「少年」は演じやすいんだ。男役としての技術が拙い人でも、子役なら誤魔化しが利く。
だいもん、子役ばっかやらされていたから、もう大人の男はできなくなっちゃったのかな。満を持しての新公主役で、こんなかわいらしい少年を演じられてもなー。
とまあ、油断していたら。
彼は、どんどん加速していった。
歌声の、圧倒的な力。
歌える子だとはわかっていたけれど、そこに感情がのり、芝居が加わると、爆発的な力になる。
2幕のキハを想って歌う歌、語りのような独り言のようなつぶやきからはじまり、魂の絶唱に至る昂揚ときたら!
ぞくぞくした。
てゆーかもー、あちこち泣かされた。
歌で芝居することを知っている声だ。
饒舌な歌声。
前へ出、表現しようとする声。
決して派手ではないんだけどね。
堅実な「表現者」の歌声だった。物語好き、芝居好きの人間としては、この歌声が綴る、この歌声が表現する「物語」に、つい引き込まれる。
課題は、ビジュアルかなあ……。
本役さんの髪型を踏襲するのではなく、とにかく「自分に似合うモノ」で勝負してもよかったんじゃないだろーか。
てゆーかだいもん、公称身長169cmなんだね……まとぶさんと同じで、ゆーひさんより1cm低いだけなんだ……いやその、触れぬが華だとわかっちゃいるが、花組生え抜きさんの公称身長と、組替えさんの公称身長には深い溝があるなと。
キハはなんかあちこち、こわかった。
ののすみに操られる役とか狂っちゃう系の役やらせちゃダメだよ、やりすぎちゃうよこの子(笑)。
本当のキハと、操り人形キハの差がすごい。
あ、今人形スイッチ入った、てときの顔が、生理的にぞわっとする。
お告げの舞を舞うときとか、笑ってんですけど、この人。心の壊れた笑顔がめちゃくちゃこわい。
精神ヤヴァイときはともかくとして。
大人の女性として少年タムドクの前に現れるのが、いいなと思う。
ヨン夫人を自害へ追い込んだことで自分を責めるタムドクに、彼が「欲しかった言葉」を投げかける姿の力強さ。
タムドクにとって、この女性が「救い」であることがわかる。
また彼の、おどおどとした抱擁がイイしな(笑)。そのあとに、年上の彼女にイイカッコするために「ひとりで街へ行く練習しないと、君を案内できない」と言うあたりの、台詞のつながりがなめらかだ。うんうん、がんばれ少年。
『太王四神記』で年下の男の子との恋、を楽しむことが出来るとは思わなかったわ。
彼はかわいい年下の男の子。彼はわたしに恋して、どんどん大人になっていく。
かわいこちゃんだと油断していたら、はっとするほど豊かな大人の男性になって、いつの間にかわたしが彼の一挙手一投足にどきどきしている……!
てな感じっすか?(笑)
他の子の感想は別欄へ続く。
王になる宿命を持つ彼が、歩く道は。@大和悠河退団発表
2009年1月19日 タカラヅカ あれは、なんて作品だっただろう。
たしかノンちゃんがトップスターで、コウちゃんがワイヤーで吊られてばびゅーんって意味もなく飛んでいた。作品自体は「勘弁してくれ(怒)」ってもんで記憶から抹消されているけれど、そこで抜擢されていたぷくぷくほっぺのピエロ姿の男の子のことは、おぼえている。
大きな瞳がきらきらしていて、ほんとうに少女マンガの登場人物みたいだった。
「めちゃくちゃかわいいっ」「天海に似てる」「まだ研2だって?!」……観劇後、仲間内でも話題騒然。
大和悠河、という名は、ヅカファンならば避けては通れないビッグネームだった。
それは彼が入団してからずっと。入団直後から、ずっと。
「いつか君は王になる。ならなければいけない」
そう言われ続けて、生きてきた人。
タニちゃんは、トップスターになる宿命を背負って生まれた。
本名のタニオカさんはタニオカさんの人生があるだろうが、タカラジェンヌ「大和悠河」として生まれた瞬間から、「トップスターになる」という宿命を負っていたんだ。
それは、わたしも含め、市井の人間が想像もつかない重責だったろう。
未来の王様が通る道を造るために、そこを通ることができただろういろんな人たちが迂回させられたり、進むことを断念させられたり、よその道へ追いやられたりした。
いろんな人たちが兵士たちに蹴散らされていく様を眺めた上で、その道を改めて通らなければならなかった人。
……「宿命」であったことは一目瞭然だし、誰もが認めることであったけれど、長い年月のうちにそれは「義務」と化していた。
宿命と義務はちがうよ。
タニちゃんの不幸は、そこにあったかもしれない。
宿命が義務に変わる前に、トップスターになれれば良かったのだけど。
彼の歩む英雄譚は、途中から大きく色を変えた。
宙組に組替えが決まり、決まったのに星組に特出し続け、どこの所属かわからないまま時間だけが過ぎ、よーやく宙組生として本公演に出たときから、タニちゃんの迷走がはじまった気がする。
最初、まっすぐに最短距離で頂点へ続いていると思った彼の道は、思いの外蛇行を繰り返しときには迷路になり、予想の倍近くの道のりだった。
迷走していたと思う。
彼は「夢の世界の住人」だったけれど、「おとぎ話の登場人物」ではなかったので。夢の世界に住んでいる、生身の人間だったので。
迷走してなお。
彼の輝きは、褪せることがなかった。
その輝きは、王の印。王になるべき定めの証。
公式HPを見て、「嘘だ」「嘘だ」……と、声に出して何度もつぶやいていた。
わたしが「大和悠河」を好きとかキライとか以前に、「大和悠河」というファンタジーを信じていたからこそ、こんなの、わかんない。
彼は「王になる宿命」の人。王子様、と呼ぶに相応しい人。
だけど王の息子に生まれたから王になるんじゃない。なんの地位も名もない生まれであっても、彼は王になる、そういう宿命の人。
正直なとこ、わたしは宙組時代以降の彼の芝居に共感出来ず、彼の演じているものを理解できないことが多かったのだけど、そんなわたしをもってしても、その強い光の前に彼が王であること、この世界に必要な人であることに、異論はなかった。
彼の光を浴びていることが、心地よかった。
ただ、きらきらしいだけじゃない。
迷走し、たぶんいっぱい苦しんだだろうけれど、それらを超えていく強さを持った人。迷いや間違いすら、結果として「正しい」と収束させる力を持った人。
王としての資質、ってのは、それゆえの「宿命」や「重責」に耐える「強さ」をも言うんだ。
現在の彼の輝きは、ピエロの格好でただ持って生まれただけの輝きを発していた、あの幼い抜擢スターの輝きとはチガウ。
もともとの輝きに加え、長い時間を掛けて、苦しんで、手に入れた輝きだ。
それらすべて含め、彼は王であり、トップスターであり、わたしたちの「夢」だった。
思ったより遙かに長い道のりだったけれど、王は王座にたどり着いた。
彼が立つに相応しい場所だ。
これから、彼の新しい物語がはじまるのだと思った。
かしちゃんのときも思ったけれど、人には相応しい場所がある。真ん中でこそ、発揮できる力もある。
スロースタートになるかもしれないが、王が真ん中に立つことで徐々にその光で周囲の人たちを振り向かせることができるだろう。
時間を掛けて、取り組んでいくのだと思った。一朝一夕で結果の出ることではないから。
これほど時間を掛けて、彼を王にしたのだから。
どうして「今」なのかな。
トップスターとしてのタニちゃんの旬は、まだこれからも続くだろうに。
むしろこれから、芳醇な輝きを増すだろうに。
「王」の決断なのだから、それがきっと、正しいことなのだと、遠く市井の隅から想像することしかできないけれど。
たしかノンちゃんがトップスターで、コウちゃんがワイヤーで吊られてばびゅーんって意味もなく飛んでいた。作品自体は「勘弁してくれ(怒)」ってもんで記憶から抹消されているけれど、そこで抜擢されていたぷくぷくほっぺのピエロ姿の男の子のことは、おぼえている。
大きな瞳がきらきらしていて、ほんとうに少女マンガの登場人物みたいだった。
「めちゃくちゃかわいいっ」「天海に似てる」「まだ研2だって?!」……観劇後、仲間内でも話題騒然。
大和悠河、という名は、ヅカファンならば避けては通れないビッグネームだった。
それは彼が入団してからずっと。入団直後から、ずっと。
「いつか君は王になる。ならなければいけない」
そう言われ続けて、生きてきた人。
タニちゃんは、トップスターになる宿命を背負って生まれた。
本名のタニオカさんはタニオカさんの人生があるだろうが、タカラジェンヌ「大和悠河」として生まれた瞬間から、「トップスターになる」という宿命を負っていたんだ。
それは、わたしも含め、市井の人間が想像もつかない重責だったろう。
未来の王様が通る道を造るために、そこを通ることができただろういろんな人たちが迂回させられたり、進むことを断念させられたり、よその道へ追いやられたりした。
いろんな人たちが兵士たちに蹴散らされていく様を眺めた上で、その道を改めて通らなければならなかった人。
……「宿命」であったことは一目瞭然だし、誰もが認めることであったけれど、長い年月のうちにそれは「義務」と化していた。
宿命と義務はちがうよ。
タニちゃんの不幸は、そこにあったかもしれない。
宿命が義務に変わる前に、トップスターになれれば良かったのだけど。
彼の歩む英雄譚は、途中から大きく色を変えた。
宙組に組替えが決まり、決まったのに星組に特出し続け、どこの所属かわからないまま時間だけが過ぎ、よーやく宙組生として本公演に出たときから、タニちゃんの迷走がはじまった気がする。
最初、まっすぐに最短距離で頂点へ続いていると思った彼の道は、思いの外蛇行を繰り返しときには迷路になり、予想の倍近くの道のりだった。
迷走していたと思う。
彼は「夢の世界の住人」だったけれど、「おとぎ話の登場人物」ではなかったので。夢の世界に住んでいる、生身の人間だったので。
迷走してなお。
彼の輝きは、褪せることがなかった。
その輝きは、王の印。王になるべき定めの証。
2009/01/19
宙組主演男役 大和悠河 退団のお知らせ
宙組主演男役 大和悠河が、2009年7月5日の東京宝塚劇場宙組公演『薔薇に降る雨』『Amour それは・・・』の千秋楽をもって退団することとなり、2009年1月20日に記者会見を行います。
公式HPを見て、「嘘だ」「嘘だ」……と、声に出して何度もつぶやいていた。
わたしが「大和悠河」を好きとかキライとか以前に、「大和悠河」というファンタジーを信じていたからこそ、こんなの、わかんない。
彼は「王になる宿命」の人。王子様、と呼ぶに相応しい人。
だけど王の息子に生まれたから王になるんじゃない。なんの地位も名もない生まれであっても、彼は王になる、そういう宿命の人。
正直なとこ、わたしは宙組時代以降の彼の芝居に共感出来ず、彼の演じているものを理解できないことが多かったのだけど、そんなわたしをもってしても、その強い光の前に彼が王であること、この世界に必要な人であることに、異論はなかった。
彼の光を浴びていることが、心地よかった。
ただ、きらきらしいだけじゃない。
迷走し、たぶんいっぱい苦しんだだろうけれど、それらを超えていく強さを持った人。迷いや間違いすら、結果として「正しい」と収束させる力を持った人。
王としての資質、ってのは、それゆえの「宿命」や「重責」に耐える「強さ」をも言うんだ。
現在の彼の輝きは、ピエロの格好でただ持って生まれただけの輝きを発していた、あの幼い抜擢スターの輝きとはチガウ。
もともとの輝きに加え、長い時間を掛けて、苦しんで、手に入れた輝きだ。
それらすべて含め、彼は王であり、トップスターであり、わたしたちの「夢」だった。
思ったより遙かに長い道のりだったけれど、王は王座にたどり着いた。
彼が立つに相応しい場所だ。
これから、彼の新しい物語がはじまるのだと思った。
かしちゃんのときも思ったけれど、人には相応しい場所がある。真ん中でこそ、発揮できる力もある。
スロースタートになるかもしれないが、王が真ん中に立つことで徐々にその光で周囲の人たちを振り向かせることができるだろう。
時間を掛けて、取り組んでいくのだと思った。一朝一夕で結果の出ることではないから。
これほど時間を掛けて、彼を王にしたのだから。
どうして「今」なのかな。
トップスターとしてのタニちゃんの旬は、まだこれからも続くだろうに。
むしろこれから、芳醇な輝きを増すだろうに。
「王」の決断なのだから、それがきっと、正しいことなのだと、遠く市井の隅から想像することしかできないけれど。
……こうして95周年ははじまった、らしい。
2009年1月18日 タカラヅカ 変だな、なんか疲れてるなあ、と改めて今週の自分の行動を振り返ってみれば。
4日連続でムラ通いしてますがな。
そりゃ消耗するわ……。
身体もだが、財布もな……。よぼよぼ。
『太王四神記』の感想をまともに書いていないが、まあソレは先送りして(通うこと前提だからなー)、とりとめない雑記をば。
初日に「あんな高すぎる場所に飾っても見えねーよ!」と書いた出演者写真パネルの位置が、変わっていた。
初日はたしか天井付近に1列に並べてあったのに、翌々日に行ったときはキャトルレーヴの入口の上に1列に並んでいた。この高さなら見える。
……歌劇団、やればできる子。
初日に立見したときは、2幕は座席券譲ってもらって、坐って観ていたので、気づかなかった。
最後の大技、クレーン朱雀ちゃん、立見だと、主役ふたりの首から上が見えねえ!!
途中でぐーんと上に上がるじゃん? 2階席サービスって感じで。あの間中ずーーっと、首ナシ状態。
立見客は客ぢゃないってことっ?!
と、嘆いていたら、一緒に立見していたnanaタンが、「あたしたちが大きすぎるせいだよ……ふつーの身長の人には見えるんじゃない?」と言っていた。……そうなの? みんな、見えてるの?
やー、なんにせよ、立見券が出てくれる公演はありがたいっす。こちとら貧乏でねえ……。
お正月が終わると、さすがに立見券には期待できない。平日はがんばって当日B席をGETだー!
でもってその当日B席。
吊りモノで、セリの上の人たちの首から上が見えねえ!!
承前のコムル村の一行とか全滅(笑)。つまり、あの高さだと見えないの。1階で見ているときは存在すら気づかない、飾り以外の意味のない天井の吊りモノで顔が、芝居が、見えないって……イケコ……当日Bに坐ったことないやろ……。
当日B客は客ぢゃないってことっ?!
それともこれも、わたしの座高が高すぎるせいか……?
宝塚歌劇95周年記念「宝塚大劇場 新春・特別企画イベント」の、特製ポストカードプレゼント。
幕間に出演者が出てきて抽選会やるヤツじゃなく、もうひとつの方。
これ……やる意味あるのか?
わたしもそんなもんやってるの知らずに劇場へ行っていたし、たぶんほとんどの人がそんなもんに興味を持っていない。
幕間休憩中に放送で「*番の列の方」とか言ってるんだけど、……聞いてる人いるの? 放送の声は大きくないし、客席はざわついているしで、わたしも最初放送に気づかなかった。途中で「あ、なんか言ってる」と注目したけど。
メール打ちがてらロビー2階から入口横に設けられた「プレゼント引き取りブース」を眺めていたんだが、誰も引き取りに行かない。制服のおねーさんがふたり、ぽつんと立っていた。
今どきポスカ目当てで小1万かかる観劇をしないだろうし、行けば全員もらえるならともかく、抽選でわずかな人に当たるだけ、しかも抽選している姿を見せもしないんじゃ、やってること自体気づいてもらえないよ。
虚しい……。
あれはいつのころだっけ? 89期生だっけかが入団した年くらいにたしか、「木曜3時公演を観劇したら、もれなくポスカ・プレゼント!」ってやってたよね? あんなふーに、全員に配っちゃえばいいのにー。や、たんにわたしがうれしいのにー(笑)。
劇場内のチラシ・コーナーに置いてあった、現公演のあらすじチラシがなくなった。
たしか、以前プログラムの表紙が「トップスター写真どーん」から、イメージデザインに変わったときから、あのチラシも作られるようになったと思う。
もともとヅカのプログラムは300円くらいの安価なモノで、子どものお小遣いでも買えた。それで出演者の顔写真、脚本まで載っていたんだからお買い得。代わりにサイズは一回り小さなB5、表紙と口絵4ページしかカラーがなく、残りの写真は全部モノクロ、それ以外は紙質も低いものだったけど、価格からすりゃ文句はない。なんせショーの脚本まで載ってたから、歌詞が全部わかったんだよなあ。
それが突然、脚本無しでオールカラー、分厚い上質紙使って1000円で売りはじめたんだよ。今までなかった無関係な人の解説とか関連情報とかに無意味にページ割いて、中身の無さを水増しして。
たしかにプログラムもじわじわ値上げされていたけど、それでも良心的な内容だったから、最後はたしか600円だったけど、機嫌良く買っていたんだ。それが中身が改悪されて倍額近い1000円だもんよ……あのときから買うのやめたんだ。
今までの良心的なプログラム制作を捨てた劇団の、最後の良心のカケラが、あの無料あらすじチラシだったんだと思う。
「いきなり1000円にしてごめんね、脚本無くしてごめんね。こんなぼったくりじゃあ、小林一三翁の精神に反するよね。でもお金が必要だから仕方ないんだ。高すぎてプログラムを買えなかったり、そこまでする気もなく気軽な娯楽として劇場にやってきたライトな人のために、無料のチラシを作ったからね。これで勘弁してよね?」……という、劇団のキモチだと思って、あのチラシの登場を受け止めたんだ。
栄えある95周年に、その良心のカケラも、ついに捨てたか……。象徴的な話だなー。
毎公演ごとに発売される、携帯ストラップ。芝居とショーで2種類発売されるもんなんだが、今回は1本モノなので、芝居をテーマに2種類。通常2種類まったくチガウものを作るところが、チャームを兼用できているのでコストが下がっているだろうに、定価は同じ。
まあソレはいいとして。
その2種類が、青龍イメージのものと、朱雀イメージのもの。
なんで青龍?!
朱雀はしょーがないよ? 物語に大きく関わっているわけだし。でも青龍って、後半になってよーやく出てくるキャラじゃん?
最初から最後まで出ずっぱりの玄武こそ、グッズ化すべきでしょう!!
亀ぢゃ不満なのっ?!
リニューアルされた大劇場。
床の絨毯が新しくなり、ふかふかの薔薇柄になっていた……が、ソレは入口前の一部だけだった。
正面入口のみ張り替えて、あとは旧絨毯のまま……。途中で切り替えてあった。
絨毯張り替え、って大袈裟に言ってたけど、それってあの広大な劇場の十分の1ぐらい……?
お金ないんやなー、劇団……。
新しくなったフルールに、「フルール焼き」なるメニューがあった。
店の名を冠したメニューだ。どんだけウマいのだろうと、わたしと友人たちは期待に胸を躍らせて洋食コーナーへ並んだ。
見本写真から察するに、お好み焼きだろう。エビ・イカ、豚から選ぶことができる、というのも、いかにもお好み焼き。
小さなハート型をしており、それが4つお皿に並べてある。「お花の形だからフルール焼きなのねっ」と、その心遣いによろこんだ。
有名な話だが、フルールのたこ焼きはウマい。焼いているおばちゃんはコワイが(笑)、たしかにウマいのだ。
ウマいたこ焼きを出す店の、お好み焼きだ。焼いている人がチガウにしろ、おかしなものは出さないだろう。
おかしなものだった。
大阪に生まれ育ち、有名店でないその辺の町の小さな無名店でも、カラオケボックスでもスーパーのお総菜コーナーでも、お好み焼きなんてもんはそこそこウマいものしか存在しないと思い込んで生きてきた。
こ、こんなマズいものがあるなんて……っ。
いやまあ、一度食べてみてくれ。
新しい大劇場名物になると思う、たこ焼きとは逆の意味で。
とまあ、いろいろ。つれづれ。
4日連続でムラ通いしてますがな。
そりゃ消耗するわ……。
身体もだが、財布もな……。よぼよぼ。
『太王四神記』の感想をまともに書いていないが、まあソレは先送りして(通うこと前提だからなー)、とりとめない雑記をば。
初日に「あんな高すぎる場所に飾っても見えねーよ!」と書いた出演者写真パネルの位置が、変わっていた。
初日はたしか天井付近に1列に並べてあったのに、翌々日に行ったときはキャトルレーヴの入口の上に1列に並んでいた。この高さなら見える。
……歌劇団、やればできる子。
初日に立見したときは、2幕は座席券譲ってもらって、坐って観ていたので、気づかなかった。
最後の大技、クレーン朱雀ちゃん、立見だと、主役ふたりの首から上が見えねえ!!
途中でぐーんと上に上がるじゃん? 2階席サービスって感じで。あの間中ずーーっと、首ナシ状態。
立見客は客ぢゃないってことっ?!
と、嘆いていたら、一緒に立見していたnanaタンが、「あたしたちが大きすぎるせいだよ……ふつーの身長の人には見えるんじゃない?」と言っていた。……そうなの? みんな、見えてるの?
やー、なんにせよ、立見券が出てくれる公演はありがたいっす。こちとら貧乏でねえ……。
お正月が終わると、さすがに立見券には期待できない。平日はがんばって当日B席をGETだー!
でもってその当日B席。
吊りモノで、セリの上の人たちの首から上が見えねえ!!
承前のコムル村の一行とか全滅(笑)。つまり、あの高さだと見えないの。1階で見ているときは存在すら気づかない、飾り以外の意味のない天井の吊りモノで顔が、芝居が、見えないって……イケコ……当日Bに坐ったことないやろ……。
当日B客は客ぢゃないってことっ?!
それともこれも、わたしの座高が高すぎるせいか……?
宝塚歌劇95周年記念「宝塚大劇場 新春・特別企画イベント」の、特製ポストカードプレゼント。
幕間に出演者が出てきて抽選会やるヤツじゃなく、もうひとつの方。
これ……やる意味あるのか?
わたしもそんなもんやってるの知らずに劇場へ行っていたし、たぶんほとんどの人がそんなもんに興味を持っていない。
幕間休憩中に放送で「*番の列の方」とか言ってるんだけど、……聞いてる人いるの? 放送の声は大きくないし、客席はざわついているしで、わたしも最初放送に気づかなかった。途中で「あ、なんか言ってる」と注目したけど。
メール打ちがてらロビー2階から入口横に設けられた「プレゼント引き取りブース」を眺めていたんだが、誰も引き取りに行かない。制服のおねーさんがふたり、ぽつんと立っていた。
今どきポスカ目当てで小1万かかる観劇をしないだろうし、行けば全員もらえるならともかく、抽選でわずかな人に当たるだけ、しかも抽選している姿を見せもしないんじゃ、やってること自体気づいてもらえないよ。
虚しい……。
あれはいつのころだっけ? 89期生だっけかが入団した年くらいにたしか、「木曜3時公演を観劇したら、もれなくポスカ・プレゼント!」ってやってたよね? あんなふーに、全員に配っちゃえばいいのにー。や、たんにわたしがうれしいのにー(笑)。
劇場内のチラシ・コーナーに置いてあった、現公演のあらすじチラシがなくなった。
たしか、以前プログラムの表紙が「トップスター写真どーん」から、イメージデザインに変わったときから、あのチラシも作られるようになったと思う。
もともとヅカのプログラムは300円くらいの安価なモノで、子どものお小遣いでも買えた。それで出演者の顔写真、脚本まで載っていたんだからお買い得。代わりにサイズは一回り小さなB5、表紙と口絵4ページしかカラーがなく、残りの写真は全部モノクロ、それ以外は紙質も低いものだったけど、価格からすりゃ文句はない。なんせショーの脚本まで載ってたから、歌詞が全部わかったんだよなあ。
それが突然、脚本無しでオールカラー、分厚い上質紙使って1000円で売りはじめたんだよ。今までなかった無関係な人の解説とか関連情報とかに無意味にページ割いて、中身の無さを水増しして。
たしかにプログラムもじわじわ値上げされていたけど、それでも良心的な内容だったから、最後はたしか600円だったけど、機嫌良く買っていたんだ。それが中身が改悪されて倍額近い1000円だもんよ……あのときから買うのやめたんだ。
今までの良心的なプログラム制作を捨てた劇団の、最後の良心のカケラが、あの無料あらすじチラシだったんだと思う。
「いきなり1000円にしてごめんね、脚本無くしてごめんね。こんなぼったくりじゃあ、小林一三翁の精神に反するよね。でもお金が必要だから仕方ないんだ。高すぎてプログラムを買えなかったり、そこまでする気もなく気軽な娯楽として劇場にやってきたライトな人のために、無料のチラシを作ったからね。これで勘弁してよね?」……という、劇団のキモチだと思って、あのチラシの登場を受け止めたんだ。
栄えある95周年に、その良心のカケラも、ついに捨てたか……。象徴的な話だなー。
毎公演ごとに発売される、携帯ストラップ。芝居とショーで2種類発売されるもんなんだが、今回は1本モノなので、芝居をテーマに2種類。通常2種類まったくチガウものを作るところが、チャームを兼用できているのでコストが下がっているだろうに、定価は同じ。
まあソレはいいとして。
その2種類が、青龍イメージのものと、朱雀イメージのもの。
なんで青龍?!
朱雀はしょーがないよ? 物語に大きく関わっているわけだし。でも青龍って、後半になってよーやく出てくるキャラじゃん?
最初から最後まで出ずっぱりの玄武こそ、グッズ化すべきでしょう!!
亀ぢゃ不満なのっ?!
リニューアルされた大劇場。
床の絨毯が新しくなり、ふかふかの薔薇柄になっていた……が、ソレは入口前の一部だけだった。
正面入口のみ張り替えて、あとは旧絨毯のまま……。途中で切り替えてあった。
絨毯張り替え、って大袈裟に言ってたけど、それってあの広大な劇場の十分の1ぐらい……?
お金ないんやなー、劇団……。
新しくなったフルールに、「フルール焼き」なるメニューがあった。
店の名を冠したメニューだ。どんだけウマいのだろうと、わたしと友人たちは期待に胸を躍らせて洋食コーナーへ並んだ。
見本写真から察するに、お好み焼きだろう。エビ・イカ、豚から選ぶことができる、というのも、いかにもお好み焼き。
小さなハート型をしており、それが4つお皿に並べてある。「お花の形だからフルール焼きなのねっ」と、その心遣いによろこんだ。
有名な話だが、フルールのたこ焼きはウマい。焼いているおばちゃんはコワイが(笑)、たしかにウマいのだ。
ウマいたこ焼きを出す店の、お好み焼きだ。焼いている人がチガウにしろ、おかしなものは出さないだろう。
おかしなものだった。
大阪に生まれ育ち、有名店でないその辺の町の小さな無名店でも、カラオケボックスでもスーパーのお総菜コーナーでも、お好み焼きなんてもんはそこそこウマいものしか存在しないと思い込んで生きてきた。
こ、こんなマズいものがあるなんて……っ。
いやまあ、一度食べてみてくれ。
新しい大劇場名物になると思う、たこ焼きとは逆の意味で。
とまあ、いろいろ。つれづれ。
語るはヒョンゴ先生~幕間ミニトークショー~・その2。@太王四神記
2009年1月17日 タカラヅカ 「花組公演『太王四神記』出演者による幕間ミニトークショー」、出演者・未涼亜希の回の話、続きっす。
いやあとにかくわたし、舞台姿でトークをする未涼亜希を見たの、はじめてですから!
以前の宝塚歌劇では、組長の他はトップか2番手までですよ、舞台上から挨拶したりトークしたりするのは。貸切公演とかしかなかったっすからね、そーゆー機会って。
だって大劇場ですよ。ファン向けのイベントじゃないっすよ、「宝塚歌劇」というブランド名だけでやって来た一般のお客様相手っすよ。
以前のヅカじゃありえなかった、不況万歳。(ヲイ)
まっつがどんどん「男役スター」から、「素」になっていく様がかわいい。
声が小さく早くなって聴き取れなくなるのも、両手でマイク握って立つ姿がオンナノコになってしまっているのも(最初はちゃんと男だったのに、どんどんにじみ出てくる・笑)、慣れてないのが丸わかりで、うきゃ~~っ、てくらい、たのしいっす。
とにかく、客席を見るのを忘れてしまうのか、司会のじゅりあちゃんを見て喋るので、横顔ばっか見せている。
横顔まっつ! 横顔まっつ!
まっつの横顔が大好物のわたしは、ひとりオペラを上げてガン見してみたり。周囲の誰もオペラ使ってない!(この近さで使う人はいないって)
やー。
いいもん見たなあ。
ヒョンゴ先生なのに、両手でマイクを「きゅっ」て握って立つ姿。脇が閉まってるの、男の立ち姿ぢゃないの(笑)。
きっと素顔でイベントに出ているときは、あーゆー立ち方で、「男役」ではあっても「男」ではないんだよね。
「男」の姿のままでやっているもんだからもお……ナニあの頼りなげな萌えキャラ風情はっ。ハァハァ。(注・衣装は水戸黄門です)
とまあ、幕間トークショーも十分すぎるほどたのしかったんですが。
この日はさらに大盤振る舞いがあった。
2幕フィナーレの「玄武ファイター」にて。
黒尽くめでガシガシ踊る、超カッコイイ場面。芝居本編ではご隠居さんで三枚目な役のまっつが、本来のクールビューティまっつらしく、ハードにクールにキメまくる場面。
そこで。
まっつのヘアバンドが、飛んだ。
はじけ飛んだ。ぴょーんと床に落ちた。
うおおお。
生デコまっつ!!
ボリュームのある黒髪オールバックを押さえていたモノがなくなったので、黒髪が、フリーダムに!
踊ると揺れます、乱れます。
うおおお。
カッコイイっ!!
心拍数、跳ね上がりました。
曲が終わり、暗転の最中、まっつは落ちていたヘアバンドを自分で拾い、脱兎の如く駆け去りました。すげー高速の動きだった、拾い上げるとこ(笑)。
まっつメイトと一緒の観劇だったわけだから、終演後もふたりできゃーきゃー。
うおお、まっつ~~、まっつ~~。
ごちそうさまっす、乱れ髪まっつ!
ちなみに。
この日は、販売DVDの収録日だったよーです。
カメラが何台も入ってました。
頼むよTCAさん!
全体流すだけでいいから、後半のヘアバンド無しまっつも撮ってね? 収録してね?!
いやあとにかくわたし、舞台姿でトークをする未涼亜希を見たの、はじめてですから!
以前の宝塚歌劇では、組長の他はトップか2番手までですよ、舞台上から挨拶したりトークしたりするのは。貸切公演とかしかなかったっすからね、そーゆー機会って。
だって大劇場ですよ。ファン向けのイベントじゃないっすよ、「宝塚歌劇」というブランド名だけでやって来た一般のお客様相手っすよ。
以前のヅカじゃありえなかった、不況万歳。(ヲイ)
まっつがどんどん「男役スター」から、「素」になっていく様がかわいい。
声が小さく早くなって聴き取れなくなるのも、両手でマイク握って立つ姿がオンナノコになってしまっているのも(最初はちゃんと男だったのに、どんどんにじみ出てくる・笑)、慣れてないのが丸わかりで、うきゃ~~っ、てくらい、たのしいっす。
とにかく、客席を見るのを忘れてしまうのか、司会のじゅりあちゃんを見て喋るので、横顔ばっか見せている。
横顔まっつ! 横顔まっつ!
まっつの横顔が大好物のわたしは、ひとりオペラを上げてガン見してみたり。周囲の誰もオペラ使ってない!(この近さで使う人はいないって)
やー。
いいもん見たなあ。
ヒョンゴ先生なのに、両手でマイクを「きゅっ」て握って立つ姿。脇が閉まってるの、男の立ち姿ぢゃないの(笑)。
きっと素顔でイベントに出ているときは、あーゆー立ち方で、「男役」ではあっても「男」ではないんだよね。
「男」の姿のままでやっているもんだからもお……ナニあの頼りなげな萌えキャラ風情はっ。ハァハァ。(注・衣装は水戸黄門です)
とまあ、幕間トークショーも十分すぎるほどたのしかったんですが。
この日はさらに大盤振る舞いがあった。
2幕フィナーレの「玄武ファイター」にて。
黒尽くめでガシガシ踊る、超カッコイイ場面。芝居本編ではご隠居さんで三枚目な役のまっつが、本来のクールビューティまっつらしく、ハードにクールにキメまくる場面。
そこで。
まっつのヘアバンドが、飛んだ。
はじけ飛んだ。ぴょーんと床に落ちた。
うおおお。
生デコまっつ!!
ボリュームのある黒髪オールバックを押さえていたモノがなくなったので、黒髪が、フリーダムに!
踊ると揺れます、乱れます。
うおおお。
カッコイイっ!!
心拍数、跳ね上がりました。
曲が終わり、暗転の最中、まっつは落ちていたヘアバンドを自分で拾い、脱兎の如く駆け去りました。すげー高速の動きだった、拾い上げるとこ(笑)。
まっつメイトと一緒の観劇だったわけだから、終演後もふたりできゃーきゃー。
うおお、まっつ~~、まっつ~~。
ごちそうさまっす、乱れ髪まっつ!
ちなみに。
この日は、販売DVDの収録日だったよーです。
カメラが何台も入ってました。
頼むよTCAさん!
全体流すだけでいいから、後半のヘアバンド無しまっつも撮ってね? 収録してね?!
語るはヒョンゴ先生~幕間ミニトークショー~・その1。@太王四神記
2009年1月16日 タカラヅカ 大人の事情でチケット発売後に開催が決まったイベント、「花組公演『太王四神記』出演者による幕間ミニトークショー」。
16日は我らがまっつの日。
わたしは、新しいまっつメイトとの初デートに浮かれつつ行って来ました。
や、ほんとにまっつファン周囲にいないから。わたしの周囲はゆみこファンしかいないし、もちょっと外側を見回すと世界にはゆーひファンしかいないよーな勢いだし、まっつ中心の視界でまっつの話だけで盛り上がれることに、いつもいつも飢えているのよ。
筆無精なわたしがろくに返事を書かないのに、それをものともせずまっつ愛に満ちあふれたメールをすげー勢いで送り続けてくれたパッショネイトなころさん、会えてうれしかったっす、ありがとう!
隣の席がまっつファンである、という安心感で、本編・トークショー問わず、欲望のままに、まっつをガン見し続けました。
幕間のミニトークショーは、マジで短いです。
実質5分?
最初と最後の挨拶を抜いたら、ほんとに何分喋ってるのかわからんっす。
まっつは1幕最後の水戸黄門衣装で登場。ただし、杖がありません。
杖持ってくればいいのにー。や、2500人劇場がまっつファンだけで埋まっているとは残念ながら思っていないわたしは、「まっつが出てきても、誰なのか、どの役の人なのか、わかんないんじゃね?」と気が気ではなかったので。
杖を持って出てくれば、「ああ、あの人」とわかってくれるんじゃないかなー。でもって親近感持って2幕を見てくれて、そいでついでに「あの杖の人、いい感じよね、なんて人かしら」って配役表見て「ふーん、未涼亜希っていうのね」ってわかって、さらにプログラムの写真見て、「あら、きれいな人じゃない」って思って、さらに「なんか好きになったかも、またこの未涼さんって人を見に来ようかしら」って、思わないとは限らないってゆーかそんな可能性だって万にひとつナイとは言えないんじゃないかもしれないってゆーかもー、なにを言ってんだかヲイ。
名前と役名と挨拶をし、杖は大切な神器だから置いてきた、てなことを話したまっつ。
コムル村について話すんだけど、「男しかいない村で、神器を守るという役目のある村で……」のあとはなんかもう、ムニャムニャ。なに言ってんのか、よくわかんなかった。
しかし、わたしはここではじめて知った。
コムル村って、男しかいなかったのか!!
嫌な村だなソレは。修道僧みたいな感じなのか? だからあんな制服(村服?)着てるのか? 男ばっかで愛憎渦巻いてんの? や、人間の集まりなんだからいろいろあるでしょ?
ヒョンゴ村長の寵を争って、若手村民が張り合ったり抜け駆けしたり嫉妬したり? 表のトップスターは村長だけど、影のアイドルがいたり、番長がいたり? 魔性の美少年に年長さんたちが骨抜きになっていたり、そーゆーの?(男ばかり、で何故かそんな想像になる)
男ばかりだとマジで気づいてなかったし、じつは村民に誰がいるのかも知りません。
だってコムル村の場面は、ヘアバンドまっつしか見てませんから。
あとはインチキ占い師ヒョンゴ先生の話になる。
インチキ、とスジニ@みわっちに言い切られているけれど、ヒョンゴ先生はそれなりに占いの知識があるんではないかと思ったまつださんは、自分でも手相の勉強を多少はしてみたらしい。
そして武道会くじ発売の場面とかで、街の人たち相手に「黒のくじを買え」と占っているらしい。
えーと、ヒョンゴ先生、くじを売ってるのはヒョンミョン@だいもんとスジニで、彼らはヒョンゴ先生の仲間で……自分たちが売っているモノを「占い」で売りつけるってゆーのは、詐欺って言わないか……?
しかしなんで黒を薦めているのかは話題に出ず。司会のじゅりあちゃんがそこの場面で街の女として登場し、はしゃいでいる話になだれ込む。
ええ、じゅりあちゃんはものすげー勢いでヒョンゴ先生に迫ってますからなあ、あそこ。占いの話なのか、ヒョンゴ先生自身に迫っているのか教えて欲しかったんだが、その話もなく、ぐだぐだ。
今回に限らず、ヅカのこーゆートークイベントで、プロの司会者ではなく生徒同士の話になるとどうしても、客観性が失われてしまう。
自分たちだけがわかっている話を、自分たちだけで話してぐたぐだで終了、という。他人に説明をする場合に必要な5W1H……すなわち、Who(誰が)What(何を)When(いつ)Where(どこで)Why(どうして)How(どのように)したのか、ができていない。
主に「どうして」が説明できないことが多い気がする。
誰々がなになにしたんだよねー、あれはウケたねー、きゃー(笑)で終わる。なんでそんなことになっているのかは、説明がない。話している彼らにとってはすでにわかっている話なので、Why?な話ではないからだ。
どの場面で誰がどんな風に出ていて、とかは、「そんな些細なことまで言わなくても通じてるのに」ってくらい一生懸命説明するんだけど、そこで起こっている「愉快な出来事」について、「何故そんなことになっているのか」は説明無し。
むしろ、「何故するのか」さえ話してくれれば、どこの場面でナニをしているとかわからなくても「そんなこと考えて、なんかたのしそーにやってるんだな」と思えるんだが、こだわるところのピントがズレてるんだなー。客観性がないから。
まっつに限らず、ジェンヌは大抵の場合そうなんだが、まっつにしても同じことになっていたので「……オマエもか(笑)」なキモチで微笑ましく眺める。ええ、微笑ましいですよ、そのダメっぷりが! 所詮ファンですから!!(笑)
さらにまっつは、最初ははっきりと観客を意識して喋っていたのに、どんどんじゅりあちゃんの方を向いて喋り出し、声はどんどん低く小さく早くなり、ナニ言ってんのか、物理的に聴き取れねえ?!という事態に(笑)。
まっつがなんかぼそぼそ早口で喋ってる~~、きゃ~~。
遠くの席ならいざ知らず、マイク無しでも聞こえるんじゃね? てな席にいるのに(下手SS席・笑)、それでもナニ言ってんだかよくわからないって。
舞台の上で、あんなに滑舌良くはっきり喋ってるのって、やっぱ「演技」だからなんだ。
ふつーに喋っちゃうと、こんなふうに聞こえにくくなっちゃうもんなんだ。
そのことに萌え(笑)。
……てオマエ、なんでもいいのか?! なんでもいいんだ、ファンだからっ。(自問自答)
そしてまっつとじゅりあちゃんはスジニに黒朱雀の印があった話で観客がすでに知っていることを「あ、これは言ってはいけないことだった、2幕のお楽しみってことで」とあわてて言うのをやめていた……1幕でヒョンゴ先生自分でソレ言ってたのになあ。やっぱ客観性が……ゲフンゲフン。
めおちゃんのミニトークショーのときも、「ソレは秘密にするよりも、ここで説明しておいた方がいいのに」ってことを「2幕を見てのお楽しみってことで」とわざわざ秘密にしていたことを思い出した。
長くなったので、一旦切る。
16日は我らがまっつの日。
わたしは、新しいまっつメイトとの初デートに浮かれつつ行って来ました。
や、ほんとにまっつファン周囲にいないから。わたしの周囲はゆみこファンしかいないし、もちょっと外側を見回すと世界にはゆーひファンしかいないよーな勢いだし、まっつ中心の視界でまっつの話だけで盛り上がれることに、いつもいつも飢えているのよ。
筆無精なわたしがろくに返事を書かないのに、それをものともせずまっつ愛に満ちあふれたメールをすげー勢いで送り続けてくれたパッショネイトなころさん、会えてうれしかったっす、ありがとう!
隣の席がまっつファンである、という安心感で、本編・トークショー問わず、欲望のままに、まっつをガン見し続けました。
幕間のミニトークショーは、マジで短いです。
実質5分?
最初と最後の挨拶を抜いたら、ほんとに何分喋ってるのかわからんっす。
まっつは1幕最後の水戸黄門衣装で登場。ただし、杖がありません。
杖持ってくればいいのにー。や、2500人劇場がまっつファンだけで埋まっているとは残念ながら思っていないわたしは、「まっつが出てきても、誰なのか、どの役の人なのか、わかんないんじゃね?」と気が気ではなかったので。
杖を持って出てくれば、「ああ、あの人」とわかってくれるんじゃないかなー。でもって親近感持って2幕を見てくれて、そいでついでに「あの杖の人、いい感じよね、なんて人かしら」って配役表見て「ふーん、未涼亜希っていうのね」ってわかって、さらにプログラムの写真見て、「あら、きれいな人じゃない」って思って、さらに「なんか好きになったかも、またこの未涼さんって人を見に来ようかしら」って、思わないとは限らないってゆーかそんな可能性だって万にひとつナイとは言えないんじゃないかもしれないってゆーかもー、なにを言ってんだかヲイ。
名前と役名と挨拶をし、杖は大切な神器だから置いてきた、てなことを話したまっつ。
コムル村について話すんだけど、「男しかいない村で、神器を守るという役目のある村で……」のあとはなんかもう、ムニャムニャ。なに言ってんのか、よくわかんなかった。
しかし、わたしはここではじめて知った。
コムル村って、男しかいなかったのか!!
嫌な村だなソレは。修道僧みたいな感じなのか? だからあんな制服(村服?)着てるのか? 男ばっかで愛憎渦巻いてんの? や、人間の集まりなんだからいろいろあるでしょ?
ヒョンゴ村長の寵を争って、若手村民が張り合ったり抜け駆けしたり嫉妬したり? 表のトップスターは村長だけど、影のアイドルがいたり、番長がいたり? 魔性の美少年に年長さんたちが骨抜きになっていたり、そーゆーの?(男ばかり、で何故かそんな想像になる)
男ばかりだとマジで気づいてなかったし、じつは村民に誰がいるのかも知りません。
だってコムル村の場面は、ヘアバンドまっつしか見てませんから。
あとはインチキ占い師ヒョンゴ先生の話になる。
インチキ、とスジニ@みわっちに言い切られているけれど、ヒョンゴ先生はそれなりに占いの知識があるんではないかと思ったまつださんは、自分でも手相の勉強を多少はしてみたらしい。
そして武道会くじ発売の場面とかで、街の人たち相手に「黒のくじを買え」と占っているらしい。
えーと、ヒョンゴ先生、くじを売ってるのはヒョンミョン@だいもんとスジニで、彼らはヒョンゴ先生の仲間で……自分たちが売っているモノを「占い」で売りつけるってゆーのは、詐欺って言わないか……?
しかしなんで黒を薦めているのかは話題に出ず。司会のじゅりあちゃんがそこの場面で街の女として登場し、はしゃいでいる話になだれ込む。
ええ、じゅりあちゃんはものすげー勢いでヒョンゴ先生に迫ってますからなあ、あそこ。占いの話なのか、ヒョンゴ先生自身に迫っているのか教えて欲しかったんだが、その話もなく、ぐだぐだ。
今回に限らず、ヅカのこーゆートークイベントで、プロの司会者ではなく生徒同士の話になるとどうしても、客観性が失われてしまう。
自分たちだけがわかっている話を、自分たちだけで話してぐたぐだで終了、という。他人に説明をする場合に必要な5W1H……すなわち、Who(誰が)What(何を)When(いつ)Where(どこで)Why(どうして)How(どのように)したのか、ができていない。
主に「どうして」が説明できないことが多い気がする。
誰々がなになにしたんだよねー、あれはウケたねー、きゃー(笑)で終わる。なんでそんなことになっているのかは、説明がない。話している彼らにとってはすでにわかっている話なので、Why?な話ではないからだ。
どの場面で誰がどんな風に出ていて、とかは、「そんな些細なことまで言わなくても通じてるのに」ってくらい一生懸命説明するんだけど、そこで起こっている「愉快な出来事」について、「何故そんなことになっているのか」は説明無し。
むしろ、「何故するのか」さえ話してくれれば、どこの場面でナニをしているとかわからなくても「そんなこと考えて、なんかたのしそーにやってるんだな」と思えるんだが、こだわるところのピントがズレてるんだなー。客観性がないから。
まっつに限らず、ジェンヌは大抵の場合そうなんだが、まっつにしても同じことになっていたので「……オマエもか(笑)」なキモチで微笑ましく眺める。ええ、微笑ましいですよ、そのダメっぷりが! 所詮ファンですから!!(笑)
さらにまっつは、最初ははっきりと観客を意識して喋っていたのに、どんどんじゅりあちゃんの方を向いて喋り出し、声はどんどん低く小さく早くなり、ナニ言ってんのか、物理的に聴き取れねえ?!という事態に(笑)。
まっつがなんかぼそぼそ早口で喋ってる~~、きゃ~~。
遠くの席ならいざ知らず、マイク無しでも聞こえるんじゃね? てな席にいるのに(下手SS席・笑)、それでもナニ言ってんだかよくわからないって。
舞台の上で、あんなに滑舌良くはっきり喋ってるのって、やっぱ「演技」だからなんだ。
ふつーに喋っちゃうと、こんなふうに聞こえにくくなっちゃうもんなんだ。
そのことに萌え(笑)。
……てオマエ、なんでもいいのか?! なんでもいいんだ、ファンだからっ。(自問自答)
そしてまっつとじゅりあちゃんはスジニに黒朱雀の印があった話で観客がすでに知っていることを「あ、これは言ってはいけないことだった、2幕のお楽しみってことで」とあわてて言うのをやめていた……1幕でヒョンゴ先生自分でソレ言ってたのになあ。やっぱ客観性が……ゲフンゲフン。
めおちゃんのミニトークショーのときも、「ソレは秘密にするよりも、ここで説明しておいた方がいいのに」ってことを「2幕を見てのお楽しみってことで」とわざわざ秘密にしていたことを思い出した。
長くなったので、一旦切る。
月組では、ナニが起こっているんだろう。@エリザベート役発表。
2009年1月15日 タカラヅカ 良くも悪くも、タカラヅカにはスター制度がある。
トップスターを頂点とした、組単位のピラミッドだ。
このシステムの是非を問うのではなく、前提として、すべてが語られ、回っていく。
トップスターになるまでの道のりも、一本道ではないものの、通るべきチェックポイントは変わらずにあるので、途中枝分かれしていようが蛇行していようが関係ない。
ファンは応援する生徒たちと同じように、ロールプレイングを楽しむことが出来る。
新人公演主演、は、トップスターへの道の中にある、もっとも大きなチェックポイントだ。
新公主演してはじめて、「スター」であると認識される。
ジェンヌはみんな魅力を持っているし、トップ路線だけが価値ではないし、新公主演者のみをスターだと思っているワケじゃない。
ただ、客観的な「記録」として最初に「スター」と認識されるのが新公主演だと思っている。
スター制度の劇団である以上、「好きなスターのいる組しか観ない」という層が少なからず存在する。
全部の組を愛し、観劇する人間も多いだろうが、ファン層の全部じゃない。
「贔屓の組」だけ観ていれば完結できる作りなのだから、当然のことだ。
その一定の組しか観ない人たちもが認識するのが「スター」だ。
実際の人気とか実力とかではなく、ほんとーにただの便宜上のものとして、「新人公演主演者」というのは名前だけは出るんだ。公式雑誌にもテレビにも。
組ファン以外のヅカファンの目に耳に名前や存在が入る、そのわかりやすい区切りだと思っている。
て、なにが言いたいのかというと。
新公主演していない下級生は、「無名」である。
と、ゆーこと。
いいえ、**さんは知っている人が多いから無名じゃないわ! とかゆー次元の話ではなく。
機会を与えられ、ファンの目につく要素が多くても、それはただの口コミでしかない。
新公主演してはじめて、いろんな出版物に名前が出、某スポーツ新聞に1面ぶち抜きで写真が掲載されたりするよーになる。
……カチャを知らない人、多いんじゃね?
月組しか観ないで、月組を愛してきた人にとって、どこの誰かもわからない人が突然やってくる……てな感じになるんじゃね?
「スター」として認識のある人なら、「スターの特出」ということになるけど。
無名の下級生の場合は?
タカラヅカの主演というのはかなり特殊なポジションなので、真ん中に立つべき人は段階を踏んで鍛えていくもんだ。
それをまったく無しでいきなり真ん中に立たなければならないカチャは大変だと思う。
わたし個人としては、「エリザベート」という特別な役はちゃんと娘役で観たいし、トップスター制度と同じように組制度をヅカの特色として愛しているので月組の組子で観たかった。
カチャは文化祭から見ている、わたし的に思い入れのある89期のスタイル良しさんで愛着のある子だ。初舞台ロケットではGOアカツキと共に、話題をさらった子だ。躍進してほしいと思う。
こんなことして誰のためになるのかさっぱりわからないが、カチャにも月組さんにも幸多かれと願う。や、マジで願うよ。
いい結果につながりますように。
トップスターを頂点とした、組単位のピラミッドだ。
このシステムの是非を問うのではなく、前提として、すべてが語られ、回っていく。
トップスターになるまでの道のりも、一本道ではないものの、通るべきチェックポイントは変わらずにあるので、途中枝分かれしていようが蛇行していようが関係ない。
ファンは応援する生徒たちと同じように、ロールプレイングを楽しむことが出来る。
新人公演主演、は、トップスターへの道の中にある、もっとも大きなチェックポイントだ。
新公主演してはじめて、「スター」であると認識される。
ジェンヌはみんな魅力を持っているし、トップ路線だけが価値ではないし、新公主演者のみをスターだと思っているワケじゃない。
ただ、客観的な「記録」として最初に「スター」と認識されるのが新公主演だと思っている。
スター制度の劇団である以上、「好きなスターのいる組しか観ない」という層が少なからず存在する。
全部の組を愛し、観劇する人間も多いだろうが、ファン層の全部じゃない。
「贔屓の組」だけ観ていれば完結できる作りなのだから、当然のことだ。
その一定の組しか観ない人たちもが認識するのが「スター」だ。
実際の人気とか実力とかではなく、ほんとーにただの便宜上のものとして、「新人公演主演者」というのは名前だけは出るんだ。公式雑誌にもテレビにも。
組ファン以外のヅカファンの目に耳に名前や存在が入る、そのわかりやすい区切りだと思っている。
て、なにが言いたいのかというと。
新公主演していない下級生は、「無名」である。
と、ゆーこと。
いいえ、**さんは知っている人が多いから無名じゃないわ! とかゆー次元の話ではなく。
機会を与えられ、ファンの目につく要素が多くても、それはただの口コミでしかない。
新公主演してはじめて、いろんな出版物に名前が出、某スポーツ新聞に1面ぶち抜きで写真が掲載されたりするよーになる。
2009/01/15
月組公演『エリザベート』 エリザベート役について
5月22日~6月22日:宝塚大劇場、7月10日~8月9日:東京宝塚劇場において、『エリザベート』-愛と死の輪舞(ロンド)-[潤色・演出/小池修一郎]を月組により上演致しますが、この程、ヒロイン・エリザベート役が決定致しましたので、お知らせいたします。
尚、その他の配役につきましては、決定次第お知らせいたします。
エリザベート役 ・・・ 凪七瑠海(宙組)
※凪七は月組公演『エリザベート』に特別出演のため、4月17日~5月18日:宝塚大劇場、6月5日~7月5日:東京宝塚劇場における宙組公演には出演致しません。
-公式より-
……カチャを知らない人、多いんじゃね?
月組しか観ないで、月組を愛してきた人にとって、どこの誰かもわからない人が突然やってくる……てな感じになるんじゃね?
「スター」として認識のある人なら、「スターの特出」ということになるけど。
無名の下級生の場合は?
タカラヅカの主演というのはかなり特殊なポジションなので、真ん中に立つべき人は段階を踏んで鍛えていくもんだ。
それをまったく無しでいきなり真ん中に立たなければならないカチャは大変だと思う。
わたし個人としては、「エリザベート」という特別な役はちゃんと娘役で観たいし、トップスター制度と同じように組制度をヅカの特色として愛しているので月組の組子で観たかった。
カチャは文化祭から見ている、わたし的に思い入れのある89期のスタイル良しさんで愛着のある子だ。初舞台ロケットではGOアカツキと共に、話題をさらった子だ。躍進してほしいと思う。
こんなことして誰のためになるのかさっぱりわからないが、カチャにも月組さんにも幸多かれと願う。や、マジで願うよ。
いい結果につながりますように。
もっとも彼を愛していたのは。-腐女子注意報?-@忘れ雪
2009年1月14日 タカラヅカ 鳴海@かなめがホモなのはガチとして。
あんまり見え見え過ぎて、ときめかない。
なんつーかこー、慎みがないよな。もう少しオブラートに包んでくれないと、萌えないわ。据え膳に興味ないのが腐女子の心意気ってもんよ。
えー、バウ・ピュア・ストーリー『忘れ雪』の話です。
なんでいちいちタイトルの前に「バウ・ピュア・ストーリー」とつけるかというと、つけたいからです。つけないと、やってらんないからです(笑顔)。
まあそれはともかく、鳴海の話。
彼の行動の辻褄を合わせるには、一希@キムを愛していたことにするしかない。
でなければ深雪@みみを隠したりしないし、父親を裏切りもしないだろう。
深雪を愛していたとか、唐突過ぎてわけわかんないし、そのわりにやってることは彼女に対して思いやりがないし、で、ただの「言い訳」にすぎないことがわかる。
静香@みなこと同じで、一希を誰にも渡したくなかったんだろう。
深雪を一希から遠ざければ済むと思っていたが、一希が狂ったように彼女を捜すから、作戦を変更するしかなかった。
原作では、一希の死因はリンチされたからではなく、GO!GO!静香さんに刺されるかららしい。
なんで原作通りにやらなかったんだろう?
原作でも一希は笹川たちにひどく殴られるが、生命にかかわるよーなケガではなかったそうだ。殴られてぼろぼろになりながら、それでも深雪のために走る……で、なんの問題もなかったし、死因が別にあるなら、あんなに長々と暴力シーンを描く必要はなかったはずだ。
刺殺ではなくリンチ死だという設定に変更するから、あれだけ長々と暴行シーンを描かなくてはならなかったんじゃ?
こだまっちがなんで設定を変更したのかは知らんが、この変更によっていちばん割を食ったのは鳴海だと思う。
リンチにあって大ケガをした一希が、その身体で深雪のところへ行くのを、なんの手当もせずに鳴海は送り出している。
はい、ここでポイントなのは、鳴海の職業です。
彼は、医師です。
このままじゃ死んでしまうほどの重傷人を、手当もせずに送り出すんですよ。
一希の状態はわかったはずだ。だって素人じゃなく、医者なんだから。
深雪を探しに行けば、死ぬ。それがわかってて、送り出した。
それで誰が幸せになる? 死んでしまう一希はもちろん不幸だし、よしんば一希と深雪が会えたとして、そのために一希が死んだら、ふつー深雪も傷つくわな。自分のせいで誰か死んだら、相手が誰であれ一生もんのトラウマだ。つまり深雪も不幸になる。深雪が無事だった、会えた、とそのときは自己満足に浸ることができたとして、一希が深雪を愛しているのなら、彼女が不幸になれば一希も不幸だよな。ここでさらに不幸が増える。
原作通り、一希のケガが生命にかかわるものでないなら、手当より一希の気持ちを優先させた鳴海の行動もアリだが、死ぬとわかっていて送り出すこだまっちバージョンは明らかにおかしい。
鳴海は、一希を殺したかった。としか、思えん。
「誰かに盗られる くらいなら あなたを殺していいですか」
……どこの「天城越え」……。
そしてたった1年後、自分の行動が引き金になって父親まで死んでしまったというのに、やたら陽気な鳴海。
嘘臭い理由で深雪の目が治ったと喜び、一希父@マヤさんまで駆り出して一希の遺骨を深雪に渡し……なんか、なにもかもが嘘臭い。
全部、鳴海の策略なんじゃないの?
そもそも深雪が行方不明になり、一希が狂ったよーにその行方を追っていた……そのときからすでに、鳴海は一希を騙していたんだよね? そーゆーことをするのが平気な人なわけだ。
んじゃ、途中から真実を話し、いい人になった、なんて、なんの証拠もないよな。なんせ目的のためにはどんなことでもする、父親譲りのパーソナリティの男なんだから。
深雪が失明した、てのは、嘘だった。
一時的に見えなくなっているだけで、簡単な治療で治る程度のものだった。
が、鳴海は一生治らない、そんな醜い姿では一希に会えないと強迫観念を植え付けた。
だって、深雪の事故からほとんど日にちは経ってないんだよね? 何ヶ月も何年も経ってないよね? なのに深雪は他にどこのケガもなく、ただ目だけが見えなくなっている。大ケガをして、それが治った、というほどの時間も経っていない。ケガはほんっとーに大したことはなかったんだろう。
精神的に追いつめて、「目が見えない」と思い込ませただけかもしれん。
目が見えない=蛇に象徴される醜い姿、と思い込むのも変だし。
そこになにかしら作為がないと。
深雪が自分の意志で一希に会わなくなるようにしたわけだ。鳴海くんお金持ちだから、ほとぼりが冷めるまで何年でも深雪を軟禁するつもりだったんだろう(笑)。どーせ家出娘だし?
その間に一希が深雪をあきらめればヨシ、そうでなくてもてきとーなところで深雪を野に放って、片を付けるつもりだった。
プランAはもちろん、一希を殺すこと、だ。
自分のモノにならないなら、殺してしまえばいい。そーすりゃ脳内恋人の一希はいつまでも鳴海のモノ(はぁと)。
そして、さらに大掛かりなプランB。
一希が死んだ、と見せかけて、実は生きている。
べつに一希の傷は死ぬよーなものじゃなく、たんに気を失っただけだが、目の見えない深雪にはわからない。鳴海一族の医師たち・政治家たち総動員して死体すり替え、一希(とゆーことになっている死体)は実の家族の目に触れることなく荼毘にされ、遺骨になってしまう。
本物の一希は、鳴海の隠れ家へ。鎖でも薬でもお好きなように(はぁと)。
用ナシの深雪は奇跡的に手術が成功したとかいって目があっさり治って、ハッピーエンド。プランA・Bともにここは同じ。
深雪の失明も嘘くさかったが、あっけなく治ってしまうのはさらに嘘くさい。そして、一希の死もまた嘘くさく、あののーみそ晴天な後日談で、いつ一希が「実は生きてたんだ」「まあ、びっくり!」ふたりが抱き合って(一希父と鳴海は微苦笑しつつ去る)、完……になると思ってたら遺骨が出てきて「マジでアレで死んだんだ一希?!」とびっくりしたさ。
あの嘘くさい演出も展開も、全部鳴海の策略だった、つーことなら「それもアリだな」と思える。
とまあ、いろいろ考えたところで、萌えないんだけどなー。ロジャー×リナレスの方がずっと萌えるわ。そこに愛がまったくなさそーなとこが。
こだまっち自身も、大して萌えてないんだろうなと思う……やれやれ。
あんまり見え見え過ぎて、ときめかない。
なんつーかこー、慎みがないよな。もう少しオブラートに包んでくれないと、萌えないわ。据え膳に興味ないのが腐女子の心意気ってもんよ。
えー、バウ・ピュア・ストーリー『忘れ雪』の話です。
なんでいちいちタイトルの前に「バウ・ピュア・ストーリー」とつけるかというと、つけたいからです。つけないと、やってらんないからです(笑顔)。
まあそれはともかく、鳴海の話。
彼の行動の辻褄を合わせるには、一希@キムを愛していたことにするしかない。
でなければ深雪@みみを隠したりしないし、父親を裏切りもしないだろう。
深雪を愛していたとか、唐突過ぎてわけわかんないし、そのわりにやってることは彼女に対して思いやりがないし、で、ただの「言い訳」にすぎないことがわかる。
静香@みなこと同じで、一希を誰にも渡したくなかったんだろう。
深雪を一希から遠ざければ済むと思っていたが、一希が狂ったように彼女を捜すから、作戦を変更するしかなかった。
原作では、一希の死因はリンチされたからではなく、GO!GO!静香さんに刺されるかららしい。
なんで原作通りにやらなかったんだろう?
原作でも一希は笹川たちにひどく殴られるが、生命にかかわるよーなケガではなかったそうだ。殴られてぼろぼろになりながら、それでも深雪のために走る……で、なんの問題もなかったし、死因が別にあるなら、あんなに長々と暴力シーンを描く必要はなかったはずだ。
刺殺ではなくリンチ死だという設定に変更するから、あれだけ長々と暴行シーンを描かなくてはならなかったんじゃ?
こだまっちがなんで設定を変更したのかは知らんが、この変更によっていちばん割を食ったのは鳴海だと思う。
リンチにあって大ケガをした一希が、その身体で深雪のところへ行くのを、なんの手当もせずに鳴海は送り出している。
はい、ここでポイントなのは、鳴海の職業です。
彼は、医師です。
このままじゃ死んでしまうほどの重傷人を、手当もせずに送り出すんですよ。
一希の状態はわかったはずだ。だって素人じゃなく、医者なんだから。
深雪を探しに行けば、死ぬ。それがわかってて、送り出した。
それで誰が幸せになる? 死んでしまう一希はもちろん不幸だし、よしんば一希と深雪が会えたとして、そのために一希が死んだら、ふつー深雪も傷つくわな。自分のせいで誰か死んだら、相手が誰であれ一生もんのトラウマだ。つまり深雪も不幸になる。深雪が無事だった、会えた、とそのときは自己満足に浸ることができたとして、一希が深雪を愛しているのなら、彼女が不幸になれば一希も不幸だよな。ここでさらに不幸が増える。
原作通り、一希のケガが生命にかかわるものでないなら、手当より一希の気持ちを優先させた鳴海の行動もアリだが、死ぬとわかっていて送り出すこだまっちバージョンは明らかにおかしい。
鳴海は、一希を殺したかった。としか、思えん。
「誰かに盗られる くらいなら あなたを殺していいですか」
……どこの「天城越え」……。
そしてたった1年後、自分の行動が引き金になって父親まで死んでしまったというのに、やたら陽気な鳴海。
嘘臭い理由で深雪の目が治ったと喜び、一希父@マヤさんまで駆り出して一希の遺骨を深雪に渡し……なんか、なにもかもが嘘臭い。
全部、鳴海の策略なんじゃないの?
そもそも深雪が行方不明になり、一希が狂ったよーにその行方を追っていた……そのときからすでに、鳴海は一希を騙していたんだよね? そーゆーことをするのが平気な人なわけだ。
んじゃ、途中から真実を話し、いい人になった、なんて、なんの証拠もないよな。なんせ目的のためにはどんなことでもする、父親譲りのパーソナリティの男なんだから。
深雪が失明した、てのは、嘘だった。
一時的に見えなくなっているだけで、簡単な治療で治る程度のものだった。
が、鳴海は一生治らない、そんな醜い姿では一希に会えないと強迫観念を植え付けた。
だって、深雪の事故からほとんど日にちは経ってないんだよね? 何ヶ月も何年も経ってないよね? なのに深雪は他にどこのケガもなく、ただ目だけが見えなくなっている。大ケガをして、それが治った、というほどの時間も経っていない。ケガはほんっとーに大したことはなかったんだろう。
精神的に追いつめて、「目が見えない」と思い込ませただけかもしれん。
目が見えない=蛇に象徴される醜い姿、と思い込むのも変だし。
そこになにかしら作為がないと。
深雪が自分の意志で一希に会わなくなるようにしたわけだ。鳴海くんお金持ちだから、ほとぼりが冷めるまで何年でも深雪を軟禁するつもりだったんだろう(笑)。どーせ家出娘だし?
その間に一希が深雪をあきらめればヨシ、そうでなくてもてきとーなところで深雪を野に放って、片を付けるつもりだった。
プランAはもちろん、一希を殺すこと、だ。
自分のモノにならないなら、殺してしまえばいい。そーすりゃ脳内恋人の一希はいつまでも鳴海のモノ(はぁと)。
そして、さらに大掛かりなプランB。
一希が死んだ、と見せかけて、実は生きている。
べつに一希の傷は死ぬよーなものじゃなく、たんに気を失っただけだが、目の見えない深雪にはわからない。鳴海一族の医師たち・政治家たち総動員して死体すり替え、一希(とゆーことになっている死体)は実の家族の目に触れることなく荼毘にされ、遺骨になってしまう。
本物の一希は、鳴海の隠れ家へ。鎖でも薬でもお好きなように(はぁと)。
用ナシの深雪は奇跡的に手術が成功したとかいって目があっさり治って、ハッピーエンド。プランA・Bともにここは同じ。
深雪の失明も嘘くさかったが、あっけなく治ってしまうのはさらに嘘くさい。そして、一希の死もまた嘘くさく、あののーみそ晴天な後日談で、いつ一希が「実は生きてたんだ」「まあ、びっくり!」ふたりが抱き合って(一希父と鳴海は微苦笑しつつ去る)、完……になると思ってたら遺骨が出てきて「マジでアレで死んだんだ一希?!」とびっくりしたさ。
あの嘘くさい演出も展開も、全部鳴海の策略だった、つーことなら「それもアリだな」と思える。
とまあ、いろいろ考えたところで、萌えないんだけどなー。ロジャー×リナレスの方がずっと萌えるわ。そこに愛がまったくなさそーなとこが。
こだまっち自身も、大して萌えてないんだろうなと思う……やれやれ。
彼の戦いは。@忘れ雪
2009年1月13日 タカラヅカ キムを偉大だと思う。
舞台人として、タカラジェンヌとして、そして、将来トップスターになるべき人として、その実力に敬服する。
バウ・ピュア・ストーリー『忘れ雪』の主演として、見事に演じきった音月桂のものすごさを、改めて思い知った。
ひどい脚本、アレな演出を、キムが力尽くで支えている。
正攻法というか、正当派というか。
キムはすごい。ほんとに、すごい。
年相応のキャラが無邪気にたのしそーにしているだけの場面でも、「素」の顔をのぞかせることはない。一分の隙もなく「演技」しつづけている。
手加減無し。
まさに獅子搏兎!
百獣の王は、ウサギごときを追うのにも全力を尽くすのだ。
ぼろぼろで壊れる寸前の建物を、キムが必死になって支えている。や、ぼろぼろなんじゃなくて、はじめから「この設計図で建てるのは不可能ですよ」「でも建てるしかないんだ、仕事だから」と、図面通りに作り、やはり崩れ落ちそうだから、キムが支えている、つーか。
でも、設計図自体はそれほどまちがっているわけではないの。
『忘れ雪』の物語自体は、ツッコミどころは満載でも、ご都合主義の嵐でも、失笑台詞や無意味な演出だらけでも、全体の流れはべつに、まちがってない。コレはコレでありだと思う。
まちがったのは、コレをタカラヅカで上演したこと。
ぺらぺらの資材で豪雪地域に南の国のコテージを作ってみました、寒くてとても暮らせません、てゆーか一晩で雪に押しつぶされました、みたいな。コテージの設計図自体は、たとえ三流レベルの図面であろーと、まちがっているというほどのこともなかったのに、建てる場所を激しく間違えた。
こんなもんをやらされた、キムと雪組っこたちは、大変だ。
でもみんな、けなげなまでに真摯に作品と向き合っている。……ほろり。
キムがすごいこと、彼が力業で作品を支えていることは、よーっくわかっている。
しかし。
今回ばかりは、キムの「正当派」な演技が、このトンデモ作品に合っていない。
すげー不協和音……。
高校の文化祭レベルのストーリーで、プロが演技しちゃってるから、脚本と乖離しまくり。
『忘れ雪』のトンデモさに必要なのは、演技力じゃない。
トンデモ力だ。
リアルさではなく、異次元さ。
CGだと丸わかりの宇宙空間を背景にポーズ決めて、絵になっちゃう系の能力。
計算より感覚。技術より本能。
コレ、主役がキムじゃなかったら、もっと気持ちよく大爆笑できただろうに。
壮くん主演の『お笑いの果てに』で腹がよじれるほど笑えたように。
や、『忘れ雪』も笑ったよ? 大いに笑えたけれど、チガウんだよなー。どっかーんってロケット発射みたいな笑いじゃないの、バナナの皮で滑った系のスケールの小さな笑いなの。
まともに受け入れるにはつらいだけの作品なんだから、あとはたのしむしかないじゃん?
でもその「お笑い度」が中途半端なのよ。
せっかくのトンデモ作品なのに、キムがその演技力で、現実につなぎ止めているの。
つなぎ止めちゃダメよ! そんなことしたら、作品のアラしか見えなくなる。ヒロインのサイコさんなところからはじまって、主人公のダメさにも目がいってしまうから!
「そもそもいちばん悪いのって、一希じゃん?」
で終わってしまうから。
設定から起承転結全部に「ふざけんな」とか、キャラみんなアレすぎるとか、ショーガールてんこ盛りのありえない店とか、無意味な鼓笛隊でどこまで時間稼ぐんだとか、ぬいぐるみは勘弁とか、役なさすぎ、ヲヅキの無駄遣い極まれり、バウなのにコロスしかまともに仕事のない人がほとんどって座付きとして最低キましたーとか、なにより暴力シーンの描き方最悪とか、キリがないから!!
そんなことを考える余地がないくらい、別世界に連れて行ってくれなきゃ。
わたし、キムはなんでもできる子だと思っていたけど、……そうか、トンデモ作品をトンデモに突き抜けることはできなかったのか……。
『さすらいの果てに』をお笑いにせず、その実力で「脚本はアレだけど、ふつーに感動できる作品」にまで昇華させた実績を持ってしても、今回は無理だったんだな。
というのも、中村A作の『お笑いの果てに』はほんっとーに完璧なまでにぶっ壊れていた最低作だけど、舞台が外国で、時代が現在ではなかった。
そこでまずファンタジーが成立していたので、キムの実力で立て直すことが可能だったんだと思う。
しかし『忘れ雪』は、現代日本が舞台ということになっている。
タカラヅカがもっとも不得意とするジャンルだ。
現代日本人で、センスはともかく現代っぽい服装をした人たちが、身も蓋もない日本名で呼び合っている……のに、メルヘンな雪の精が舞っている、この状態でどうしろというんだ。
いくらキムでも無理だって。
『お笑いの果てに』とはスタート地点がちがうんだって。
正攻法で支えるより、突き抜けた方がイイよ……。
演技せずに勢いだけでやっちゃった方が、半端感が消えたかもしれない、と思う。たとえばあれしかできないキングなんかは、この作品世界にうまく調和しているのだから。
キムはなまじうますぎるし、さらにパッションがありすぎるんだなー(笑)。
このトンデモ作品を支えているのは、キムだ。
ヅカのトップの資質は「駄作を佳作に替える力」を持つこと。キムの実力を、まざまざと見せつけられた。
この子はトップスターになるに相応しい力を、持っている。
それを痛感した上で。
その実力ゆえに作品と調和せず、異種格闘技戦っぽくなっている、その姿。
ある意味貴重。
興味深い。
いいもん観た(笑)。
舞台人として、タカラジェンヌとして、そして、将来トップスターになるべき人として、その実力に敬服する。
バウ・ピュア・ストーリー『忘れ雪』の主演として、見事に演じきった音月桂のものすごさを、改めて思い知った。
ひどい脚本、アレな演出を、キムが力尽くで支えている。
正攻法というか、正当派というか。
キムはすごい。ほんとに、すごい。
年相応のキャラが無邪気にたのしそーにしているだけの場面でも、「素」の顔をのぞかせることはない。一分の隙もなく「演技」しつづけている。
手加減無し。
まさに獅子搏兎!
百獣の王は、ウサギごときを追うのにも全力を尽くすのだ。
ぼろぼろで壊れる寸前の建物を、キムが必死になって支えている。や、ぼろぼろなんじゃなくて、はじめから「この設計図で建てるのは不可能ですよ」「でも建てるしかないんだ、仕事だから」と、図面通りに作り、やはり崩れ落ちそうだから、キムが支えている、つーか。
でも、設計図自体はそれほどまちがっているわけではないの。
『忘れ雪』の物語自体は、ツッコミどころは満載でも、ご都合主義の嵐でも、失笑台詞や無意味な演出だらけでも、全体の流れはべつに、まちがってない。コレはコレでありだと思う。
まちがったのは、コレをタカラヅカで上演したこと。
ぺらぺらの資材で豪雪地域に南の国のコテージを作ってみました、寒くてとても暮らせません、てゆーか一晩で雪に押しつぶされました、みたいな。コテージの設計図自体は、たとえ三流レベルの図面であろーと、まちがっているというほどのこともなかったのに、建てる場所を激しく間違えた。
こんなもんをやらされた、キムと雪組っこたちは、大変だ。
でもみんな、けなげなまでに真摯に作品と向き合っている。……ほろり。
キムがすごいこと、彼が力業で作品を支えていることは、よーっくわかっている。
しかし。
今回ばかりは、キムの「正当派」な演技が、このトンデモ作品に合っていない。
すげー不協和音……。
高校の文化祭レベルのストーリーで、プロが演技しちゃってるから、脚本と乖離しまくり。
『忘れ雪』のトンデモさに必要なのは、演技力じゃない。
トンデモ力だ。
リアルさではなく、異次元さ。
CGだと丸わかりの宇宙空間を背景にポーズ決めて、絵になっちゃう系の能力。
計算より感覚。技術より本能。
コレ、主役がキムじゃなかったら、もっと気持ちよく大爆笑できただろうに。
壮くん主演の『お笑いの果てに』で腹がよじれるほど笑えたように。
や、『忘れ雪』も笑ったよ? 大いに笑えたけれど、チガウんだよなー。どっかーんってロケット発射みたいな笑いじゃないの、バナナの皮で滑った系のスケールの小さな笑いなの。
まともに受け入れるにはつらいだけの作品なんだから、あとはたのしむしかないじゃん?
でもその「お笑い度」が中途半端なのよ。
せっかくのトンデモ作品なのに、キムがその演技力で、現実につなぎ止めているの。
つなぎ止めちゃダメよ! そんなことしたら、作品のアラしか見えなくなる。ヒロインのサイコさんなところからはじまって、主人公のダメさにも目がいってしまうから!
「そもそもいちばん悪いのって、一希じゃん?」
で終わってしまうから。
設定から起承転結全部に「ふざけんな」とか、キャラみんなアレすぎるとか、ショーガールてんこ盛りのありえない店とか、無意味な鼓笛隊でどこまで時間稼ぐんだとか、ぬいぐるみは勘弁とか、役なさすぎ、ヲヅキの無駄遣い極まれり、バウなのにコロスしかまともに仕事のない人がほとんどって座付きとして最低キましたーとか、なにより暴力シーンの描き方最悪とか、キリがないから!!
そんなことを考える余地がないくらい、別世界に連れて行ってくれなきゃ。
わたし、キムはなんでもできる子だと思っていたけど、……そうか、トンデモ作品をトンデモに突き抜けることはできなかったのか……。
『さすらいの果てに』をお笑いにせず、その実力で「脚本はアレだけど、ふつーに感動できる作品」にまで昇華させた実績を持ってしても、今回は無理だったんだな。
というのも、中村A作の『お笑いの果てに』はほんっとーに完璧なまでにぶっ壊れていた最低作だけど、舞台が外国で、時代が現在ではなかった。
そこでまずファンタジーが成立していたので、キムの実力で立て直すことが可能だったんだと思う。
しかし『忘れ雪』は、現代日本が舞台ということになっている。
タカラヅカがもっとも不得意とするジャンルだ。
現代日本人で、センスはともかく現代っぽい服装をした人たちが、身も蓋もない日本名で呼び合っている……のに、メルヘンな雪の精が舞っている、この状態でどうしろというんだ。
いくらキムでも無理だって。
『お笑いの果てに』とはスタート地点がちがうんだって。
正攻法で支えるより、突き抜けた方がイイよ……。
演技せずに勢いだけでやっちゃった方が、半端感が消えたかもしれない、と思う。たとえばあれしかできないキングなんかは、この作品世界にうまく調和しているのだから。
キムはなまじうますぎるし、さらにパッションがありすぎるんだなー(笑)。
このトンデモ作品を支えているのは、キムだ。
ヅカのトップの資質は「駄作を佳作に替える力」を持つこと。キムの実力を、まざまざと見せつけられた。
この子はトップスターになるに相応しい力を、持っている。
それを痛感した上で。
その実力ゆえに作品と調和せず、異種格闘技戦っぽくなっている、その姿。
ある意味貴重。
興味深い。
いいもん観た(笑)。
心ゆくまで語り合おう。@忘れ雪
2009年1月12日 タカラヅカ バウ・ピュア・ストーリー『忘れ雪』の1幕が終わった瞬間、
「静香、こわすぎっ」
「てゆーか深雪サイアク、なにあの女」
とゆー会話からはじまった幕間休憩、女4人(笑)。
リアル女子が嫌うタイプの女をヒロインにして、女性相手に「ピュア」を訴えるのはなかなか難しいだろうなあ。
あ、役者の話ではないですよ、あくまでも、物語の中のキャラクタのこと。
内容がすごすぎて、演じている生徒さんの話までたどりつかない(笑)。まず、キャラやストーリーについて、つっこまずにはいられない。
人生どん底のときにやさしくしてくれた異性に恋するのは王道だし、子どもの頃の恋をずっと胸に抱き、7年間も想い続けてきたのに相手にはきれーさっぱり忘れられていた……ってのは、せつないよな。
思い出してくれない男を強引にデートに誘って想い出作り……とかも、アリだよな。
あきらめているけど、やっぱり思い出して欲しくて、愛して欲しくて、思わせぶりなことを言ったりしたりしちゃうのも、わかるよな。
やってることはストーカーに近いけど、そうせざるを得ないキモチはわかるかな。
と、思っていた。
しかし。
そんなもんは全部、吹っ飛ぶのだ。
最悪のタイミングで、真実を押し付けることで。
過ちに気づいた男がフォローすることも出来ない、自分だけが安全なタイミングで真実を伝え、相手を傷つけておいて、自分は国外逃亡。
育ての親だの婚約者だのに、迷惑かけまくって、自分だけが楽になる。
なんだ、結局大切なのは自分だけ、愛してるのは自分だけ。相手の男も、それまで築いてきた人間関係も、全部どーでもいいことだったんだ。
ヒロイン深雪は1幕最後でこの大爆弾カマシてくれるので、「ピュア」が霧散した。
「言っちゃダメでしょアレは」
「言ったらただの嫌な女だよねー」
「てかこわいよ……全部計算……?」
「むしろ静香の方がマシじゃん?」
「静香こわくていいよねー」
偽善者より悪人の方が支持されるのは、フィクションの常。
「でもなんで一希おぼえてないの? 7年前でしょ?」
もちろん、小学生の女の子との結婚の約束を後生大事にしている高校生の男は嫌だ(笑)。健康な高校生なら忘れててイイ。
「でもふつー、あれだけヒント出されたら思い出すでしょ」
「一瞬会っただけじゃなくて、犬のトレーニングの間中一緒にいたわけでしょ? 一週間?」
「ふつー名前くらい教えてるよね。出来事と本人の名前と犬の名前まで合ってたら、ふつーなら思い出すでしょ?」
「わかった。一希は、すり替えられてるんだ」
「あの一希は、高校時代の一希とは別人なの。昔の一希は死ぬとかしてて、今の一希と入れ替わってるの」
ピュア・ストーリー『忘れ雪』が、サスペンスな展開をする、とどっかで聞いたような気がしていたし、1幕のサイコ・ホラー的展開ぶりに、「コレ絶対『火曜サスペンス劇場』だよね?」という前提で、話が進む。
一希記憶喪失ネタ、一希入れ替わりネタ、そーなると犯人は一希父の陰謀なのかとか、いやそもそも深雪が尋ねていく病院を間違えたとか、話は自在に展開する。
「大体、高校時代の一希と現在の一希と、同一人物に見えないし」
「なんで現在の方が背が低くて、アタマが小さいの? 身長はふつう縮まないし、なにより頭蓋骨が縮小することはありえないから」
「なんでそもそも高校時代をキムでやらないの? 高校時代の出会い場面の背景でキムがなんか苦悩して歌ってるから、キムの回想で、キムはおぼえてるんだと思ったよ」
「キムでふつーに高校生くらいやれるだろうに」
「高校時代は太っててイケてなかったって設定なのかな。だから?」
「てゆーかなんであーたんがやってるの?」
「「「アレ、あーたんじゃないから!!」」」(総ツッコミ入ります)
「しかし犬。アレはいいの?!」
「しかも1匹じゃないし」
「あの2匹の犬、ドラマがあるのがすごい」
「よく動いてたねー」
「犬のぬいぐるみが出てくることは問題だけど、それで笑っちゃって大変だけど、でも、本当の問題も、笑えるところも、ソコじゃないからね」
「ペガちゃんが出たことも確かに問題だしお笑いだけど、深刻な問題も真に笑えたのもソコじゃない、むしろそんなことは些細なことだった、てのと同じね。……あ、どっちも雪組か」
「しかし深雪、あの絵の実力で留学して大丈夫なの?」
「や、300万ドルの絵@『Paradise Prince』よりはいいんじゃね?」
「一希の布のめくり方がホラーでびびった」
「あちこち演出ホラー入ってるよね」
あとはヒメの掛け声がドス利きまくってすごかったとか、「そらちんがシンバル叩いてる!!」(ソレだけでうれしいらしい)、「雪組はデートというと遊園地に行かにゃならんのか?」とか、「医学部と獣医学部が同じクラスになる大学ってどこだろう」の検証とか、「ランドセルは何年生まで使用していたか」とか、「てゆーかミツルって! せしるがミツルって!」(せしる氏の役名がミツル……このことに、みんなすごく食らいつく、4人とも花担)……まあ話題はいろいろ。
「ねーねーソレで、誰が死ぬの?」
「真犯人は誰?」
「最後は崖の上? それとも倉庫街?」
『火サス』としか考えてませんよ、この人たち。船越英一郎か片平なぎさが出てくるのよね?
無邪気に尋ねる3名に、唯一原作を読破しているドリーさんは、口の端をムズムズさせながら、「それは、見てのお楽しみ(はぁと)」と微笑んだ。
……もちろん、2幕終了したときも、トンデモ作品への感想は熾烈を極めましたとも。
てゆーか、静香、大人気(笑)。
原作通りのオチ希望。GO! GO! 静香!!
ところで。
ケロメイトであるわたしとドリーさんは、幕間にふたりしてプログラムで若手くんの写真をチェックしてました。
多くを語る必要はなかった。
「バーテンだよね?」
「そう、バーテン!」
「ケロに似た子いなかった?」
「いた」
「てゆーか、みっさまにも似ていたような……」
ええ、「ケロとみっさまを足して2で割らず、足しっぱなし」のよーな顔の男がいたんですよ(笑)。ふたりとも同時に食いついているのが愉快。
あ、ぐっちょんではなくてね。
長々会話中心に書いたのは。
バウ・ピュア・ストーリー『忘れ雪』。
これは、仲間と語り合いたくなるドラマだ。
仲間の大切さ、ありがたさに気づかせてくれる……そんな作品なのだ。(劇評風に)
ええ、ひとりで観てたら、大変っすよ。喋りたくて喋りたくて、ストレスになる(笑)。
「静香、こわすぎっ」
「てゆーか深雪サイアク、なにあの女」
とゆー会話からはじまった幕間休憩、女4人(笑)。
リアル女子が嫌うタイプの女をヒロインにして、女性相手に「ピュア」を訴えるのはなかなか難しいだろうなあ。
あ、役者の話ではないですよ、あくまでも、物語の中のキャラクタのこと。
内容がすごすぎて、演じている生徒さんの話までたどりつかない(笑)。まず、キャラやストーリーについて、つっこまずにはいられない。
人生どん底のときにやさしくしてくれた異性に恋するのは王道だし、子どもの頃の恋をずっと胸に抱き、7年間も想い続けてきたのに相手にはきれーさっぱり忘れられていた……ってのは、せつないよな。
思い出してくれない男を強引にデートに誘って想い出作り……とかも、アリだよな。
あきらめているけど、やっぱり思い出して欲しくて、愛して欲しくて、思わせぶりなことを言ったりしたりしちゃうのも、わかるよな。
やってることはストーカーに近いけど、そうせざるを得ないキモチはわかるかな。
と、思っていた。
しかし。
そんなもんは全部、吹っ飛ぶのだ。
最悪のタイミングで、真実を押し付けることで。
過ちに気づいた男がフォローすることも出来ない、自分だけが安全なタイミングで真実を伝え、相手を傷つけておいて、自分は国外逃亡。
育ての親だの婚約者だのに、迷惑かけまくって、自分だけが楽になる。
なんだ、結局大切なのは自分だけ、愛してるのは自分だけ。相手の男も、それまで築いてきた人間関係も、全部どーでもいいことだったんだ。
ヒロイン深雪は1幕最後でこの大爆弾カマシてくれるので、「ピュア」が霧散した。
「言っちゃダメでしょアレは」
「言ったらただの嫌な女だよねー」
「てかこわいよ……全部計算……?」
「むしろ静香の方がマシじゃん?」
「静香こわくていいよねー」
偽善者より悪人の方が支持されるのは、フィクションの常。
「でもなんで一希おぼえてないの? 7年前でしょ?」
もちろん、小学生の女の子との結婚の約束を後生大事にしている高校生の男は嫌だ(笑)。健康な高校生なら忘れててイイ。
「でもふつー、あれだけヒント出されたら思い出すでしょ」
「一瞬会っただけじゃなくて、犬のトレーニングの間中一緒にいたわけでしょ? 一週間?」
「ふつー名前くらい教えてるよね。出来事と本人の名前と犬の名前まで合ってたら、ふつーなら思い出すでしょ?」
「わかった。一希は、すり替えられてるんだ」
「あの一希は、高校時代の一希とは別人なの。昔の一希は死ぬとかしてて、今の一希と入れ替わってるの」
ピュア・ストーリー『忘れ雪』が、サスペンスな展開をする、とどっかで聞いたような気がしていたし、1幕のサイコ・ホラー的展開ぶりに、「コレ絶対『火曜サスペンス劇場』だよね?」という前提で、話が進む。
一希記憶喪失ネタ、一希入れ替わりネタ、そーなると犯人は一希父の陰謀なのかとか、いやそもそも深雪が尋ねていく病院を間違えたとか、話は自在に展開する。
「大体、高校時代の一希と現在の一希と、同一人物に見えないし」
「なんで現在の方が背が低くて、アタマが小さいの? 身長はふつう縮まないし、なにより頭蓋骨が縮小することはありえないから」
「なんでそもそも高校時代をキムでやらないの? 高校時代の出会い場面の背景でキムがなんか苦悩して歌ってるから、キムの回想で、キムはおぼえてるんだと思ったよ」
「キムでふつーに高校生くらいやれるだろうに」
「高校時代は太っててイケてなかったって設定なのかな。だから?」
「てゆーかなんであーたんがやってるの?」
「「「アレ、あーたんじゃないから!!」」」(総ツッコミ入ります)
「しかし犬。アレはいいの?!」
「しかも1匹じゃないし」
「あの2匹の犬、ドラマがあるのがすごい」
「よく動いてたねー」
「犬のぬいぐるみが出てくることは問題だけど、それで笑っちゃって大変だけど、でも、本当の問題も、笑えるところも、ソコじゃないからね」
「ペガちゃんが出たことも確かに問題だしお笑いだけど、深刻な問題も真に笑えたのもソコじゃない、むしろそんなことは些細なことだった、てのと同じね。……あ、どっちも雪組か」
「しかし深雪、あの絵の実力で留学して大丈夫なの?」
「や、300万ドルの絵@『Paradise Prince』よりはいいんじゃね?」
「一希の布のめくり方がホラーでびびった」
「あちこち演出ホラー入ってるよね」
あとはヒメの掛け声がドス利きまくってすごかったとか、「そらちんがシンバル叩いてる!!」(ソレだけでうれしいらしい)、「雪組はデートというと遊園地に行かにゃならんのか?」とか、「医学部と獣医学部が同じクラスになる大学ってどこだろう」の検証とか、「ランドセルは何年生まで使用していたか」とか、「てゆーかミツルって! せしるがミツルって!」(せしる氏の役名がミツル……このことに、みんなすごく食らいつく、4人とも花担)……まあ話題はいろいろ。
「ねーねーソレで、誰が死ぬの?」
「真犯人は誰?」
「最後は崖の上? それとも倉庫街?」
『火サス』としか考えてませんよ、この人たち。船越英一郎か片平なぎさが出てくるのよね?
無邪気に尋ねる3名に、唯一原作を読破しているドリーさんは、口の端をムズムズさせながら、「それは、見てのお楽しみ(はぁと)」と微笑んだ。
……もちろん、2幕終了したときも、トンデモ作品への感想は熾烈を極めましたとも。
てゆーか、静香、大人気(笑)。
原作通りのオチ希望。GO! GO! 静香!!
ところで。
ケロメイトであるわたしとドリーさんは、幕間にふたりしてプログラムで若手くんの写真をチェックしてました。
多くを語る必要はなかった。
「バーテンだよね?」
「そう、バーテン!」
「ケロに似た子いなかった?」
「いた」
「てゆーか、みっさまにも似ていたような……」
ええ、「ケロとみっさまを足して2で割らず、足しっぱなし」のよーな顔の男がいたんですよ(笑)。ふたりとも同時に食いついているのが愉快。
あ、ぐっちょんではなくてね。
長々会話中心に書いたのは。
バウ・ピュア・ストーリー『忘れ雪』。
これは、仲間と語り合いたくなるドラマだ。
仲間の大切さ、ありがたさに気づかせてくれる……そんな作品なのだ。(劇評風に)
ええ、ひとりで観てたら、大変っすよ。喋りたくて喋りたくて、ストレスになる(笑)。
ピュア・ストーリー。@忘れ雪
2009年1月11日 タカラヅカ とてもピュアな青年がいた。
人を疑うことを知らず、憎むことを知らず、彼自身不幸を抱えているのに微笑みを絶やさず、すべてのものにやさしい……天使のような青年がいた。
彼の職場には、彼をひそかに愛し、彼を手に入れようと虎視眈々とつけねらう女がいた。もちろん美人で女子力が高く、手料理なんか披露しちゃうタイプの女だ。
また、彼には長いつきあいの親友がおり、心から信頼しあっている……と思っているのはピュアな彼だけで、親友は実はホモで、彼のことを手に入れたくていろいろ策を弄していた。
表面だけは善人らしくにこにこつきあう狼たちの中で、とにかくピュアな青年は、にこにこ笑って生きていた。
そこへ、青年に一目惚れした少女が現れる。えーと、すごくピュアな少女、という設定らしい。ピュアでけなげな彼女は、ピュアでけなげなゆえに盗みをはたらいたり、ストーキングしたり、青年の留守宅に何度も勝手に入り、彼の秘密を暴いたり、やりたい放題。ピュア最強。
だけど青年はなにしろ バカ 天使なので、少女がナニをしたって天使の微笑みで赦し続けるのだ……。てゆーか、青年と少女は惹かれ合っていくのだ。何故?!
あとから出てきたストーカー女に、青年を取られてたまるものか!! と、職場の女も、親友のホモ男も善人の顔を脱ぎ捨て、戦いを開始する。罠を張り巡らす。
ピュアでイノセントな純愛物語の、明日はどっちだ?!!
えー、こだまっち最新作『忘れ雪』を観た。
内容は、愛憎ドロドロお笑いとキ○ガイ満載の昼の帯ドラマだ。東海テレビ制作の。『真珠夫人』とか『牡丹と薔薇』とか。たわしコロッケとか財布ステーキの出てくるアレ。
ストーカー体質のヒロイン・深雪@みみが彼女の脳内で恋をし、恋人認定した男・一希@キムを現実でじわじわと追いつめる。一希のそばにはもうひとり完璧最強ストーカー体質の女・静香@みなこがいて、彼女も策を弄し手を尽くし一希を追いつめる。さらにそんな出来事すべてを俯瞰した上で一希を独占しようと、ストーカー体質の親友・鳴海@かなめもまた、一希にむらがる女たちを一掃しようと策を練る。
一希の運命やいかに?!
……て、まともな人間率低すぎないっ?!(白目)
メインキャラは主役以外全員ナチュラルに犯罪体質な人ばっかって……。
『真珠夫人』だって『牡丹と薔薇』だって、宣伝文句は「純愛」だ。まともな人間がひとりも出てこなくったって、キチ○イしか出てこなくったって、「純愛」だ。
べつに、東海の昼ドラが悪いわけじゃない。確実にニーズはあるのだから。
ただなあ。
東海昼ドラは、「わかって」作ってるわけだからなあ。
キャベツの千切りと一緒にたわし皿に載せて出して「たわしコロッケ召し上がれ」って、視聴者が「笑わない」とは、思って作ってない。むしろ、「笑わせる」ためにやっている。
「視聴者のみなさん、テレビの前で盛大につっこんでくださいね。ママ友同士で『昨日、大爆笑したわー』って盛り上がってくださいね」という意図で作られている。
出演者も「来週の展開はまたものすごいことになりますよー、お見のがしなく(笑)」みたいなこと言って、「わかった」上で仕事をしている。
だからいいんだ。狂った人しか出ない狂ったドラマだとしても、作っている人たちはあえてソレを狙って作っているのだから。
しかし……。
やっていることはお笑い昼ドラなのに、スタッフたちは純愛「月9」だと思い込んでいたら、なにかと困るよなあ。
前期の月9、いわゆる月曜9時のフジテレビのドラマ枠で2008年秋~冬にかけて放送された『イノセント・ラヴ』がそんな感じ。
冒頭に書いた天使のような青年をめぐるピュアなラヴストーリーは、ドラマ『イノセント・ラヴ』のキャラ紹介っす。
キャラのとんでもなさもやっていることもストーリー展開も愛憎ドロドロお笑い昼ドラとまったく同じなんだけど、何故か「純愛」ってカテゴリで「せつない恋愛モノ」だと思って作っていそうで、その半端さがすごく気持ち悪かったんだが。
『忘れ雪』は、『イノセント・ラヴ』と、いちいちかぶって困った(笑)。
ストーリーラインは違うんだけど(『イノラヴ』の方がマシ)、キャラの立ち位置かぶりまくってるし、それ以上に、笑うしかない話なのに「ピュア」とか思って作ってそうな、とほほ感が同じ。
いっそ突き抜けてバカドラマに徹してくれれば、たのしめるのに。
半端は、いかん。
爆笑しながら観劇したが、ほんとうの意味で「コレおもしろすぎ、もっぺん観たいかも」というわくわく感に欠けていた。
とりあえず笑えるけど、気持ちのいい笑いじゃないんだよなあ。
とにかく、頭……というか、心?のおかしな人たちばかりなので(笑)、「まともな人がひとりもいない!」「一希大変だなー、ストーカーだらけかよ」と思って観ていたわけだが。
そのうち、一希まで、壊れ出した。
長々とリンチされる彼は、途中でお花畑に行ってしまうのだった。や、マジで。マリア様の肖像とか出てくるんだよ! 殴られ過ぎて頭イッちゃったのな。
そして、いったんお花畑に行ってしまった彼は、そっから先もう完全には戻って来られなかったようで。
どんどんどんどん、コワレていく!!
ちょっと、コワイんですけどっ? リナレス、リナレスがいるよ! やばいですよ狂っちゃってますよこの人!
まともな人が、誰ひとりいなくなった!(白目)
えー、原作を読んだドリーさんの弁によると、原作での一希の死因はチガウそうです。原作通りなら一希はべつに「ついにコワレた?」ってほどのことはないと思うが、舞台の死因だと、やっぱ精神的にどっかスイッチ入っちゃって、そのせいで死んだ、としか思えないなあ。
狂った人たちがわーわーやって、それでなんか死んじゃって、それでもいちおー、人が死ねば悲しいわけで、あっけにとられていたとはいえ、周囲に泣いている人もいるしまあこーゆー話なんだと厳粛に受け止めていたのに、その直後の後日談がほとんどギャグだし。
あまりにのーてんきなうふふあははな人たちに、
一希、犬死っ?!(白目)
と、震撼して終わった……。あ、だから犬が物語のキーとなっているのか。(たぶんチガウ)
ストーカーたちに翻弄され、追いつめられ、狂って死んだ主人公、合言葉は「ピュア」。
キム……大変だな……。
や、一見の価値あります、マジで。
人を疑うことを知らず、憎むことを知らず、彼自身不幸を抱えているのに微笑みを絶やさず、すべてのものにやさしい……天使のような青年がいた。
彼の職場には、彼をひそかに愛し、彼を手に入れようと虎視眈々とつけねらう女がいた。もちろん美人で女子力が高く、手料理なんか披露しちゃうタイプの女だ。
また、彼には長いつきあいの親友がおり、心から信頼しあっている……と思っているのはピュアな彼だけで、親友は実はホモで、彼のことを手に入れたくていろいろ策を弄していた。
表面だけは善人らしくにこにこつきあう狼たちの中で、とにかくピュアな青年は、にこにこ笑って生きていた。
そこへ、青年に一目惚れした少女が現れる。えーと、すごくピュアな少女、という設定らしい。ピュアでけなげな彼女は、ピュアでけなげなゆえに盗みをはたらいたり、ストーキングしたり、青年の留守宅に何度も勝手に入り、彼の秘密を暴いたり、やりたい放題。ピュア最強。
だけど青年はなにしろ
あとから出てきたストーカー女に、青年を取られてたまるものか!! と、職場の女も、親友のホモ男も善人の顔を脱ぎ捨て、戦いを開始する。罠を張り巡らす。
ピュアでイノセントな純愛物語の、明日はどっちだ?!!
えー、こだまっち最新作『忘れ雪』を観た。
内容は、愛憎ドロドロお笑いとキ○ガイ満載の昼の帯ドラマだ。東海テレビ制作の。『真珠夫人』とか『牡丹と薔薇』とか。たわしコロッケとか財布ステーキの出てくるアレ。
ストーカー体質のヒロイン・深雪@みみが彼女の脳内で恋をし、恋人認定した男・一希@キムを現実でじわじわと追いつめる。一希のそばにはもうひとり完璧最強ストーカー体質の女・静香@みなこがいて、彼女も策を弄し手を尽くし一希を追いつめる。さらにそんな出来事すべてを俯瞰した上で一希を独占しようと、ストーカー体質の親友・鳴海@かなめもまた、一希にむらがる女たちを一掃しようと策を練る。
一希の運命やいかに?!
……て、まともな人間率低すぎないっ?!(白目)
メインキャラは主役以外全員ナチュラルに犯罪体質な人ばっかって……。
『真珠夫人』だって『牡丹と薔薇』だって、宣伝文句は「純愛」だ。まともな人間がひとりも出てこなくったって、キチ○イしか出てこなくったって、「純愛」だ。
べつに、東海の昼ドラが悪いわけじゃない。確実にニーズはあるのだから。
ただなあ。
東海昼ドラは、「わかって」作ってるわけだからなあ。
キャベツの千切りと一緒にたわし皿に載せて出して「たわしコロッケ召し上がれ」って、視聴者が「笑わない」とは、思って作ってない。むしろ、「笑わせる」ためにやっている。
「視聴者のみなさん、テレビの前で盛大につっこんでくださいね。ママ友同士で『昨日、大爆笑したわー』って盛り上がってくださいね」という意図で作られている。
出演者も「来週の展開はまたものすごいことになりますよー、お見のがしなく(笑)」みたいなこと言って、「わかった」上で仕事をしている。
だからいいんだ。狂った人しか出ない狂ったドラマだとしても、作っている人たちはあえてソレを狙って作っているのだから。
しかし……。
やっていることはお笑い昼ドラなのに、スタッフたちは純愛「月9」だと思い込んでいたら、なにかと困るよなあ。
前期の月9、いわゆる月曜9時のフジテレビのドラマ枠で2008年秋~冬にかけて放送された『イノセント・ラヴ』がそんな感じ。
冒頭に書いた天使のような青年をめぐるピュアなラヴストーリーは、ドラマ『イノセント・ラヴ』のキャラ紹介っす。
キャラのとんでもなさもやっていることもストーリー展開も愛憎ドロドロお笑い昼ドラとまったく同じなんだけど、何故か「純愛」ってカテゴリで「せつない恋愛モノ」だと思って作っていそうで、その半端さがすごく気持ち悪かったんだが。
『忘れ雪』は、『イノセント・ラヴ』と、いちいちかぶって困った(笑)。
ストーリーラインは違うんだけど(『イノラヴ』の方がマシ)、キャラの立ち位置かぶりまくってるし、それ以上に、笑うしかない話なのに「ピュア」とか思って作ってそうな、とほほ感が同じ。
いっそ突き抜けてバカドラマに徹してくれれば、たのしめるのに。
半端は、いかん。
爆笑しながら観劇したが、ほんとうの意味で「コレおもしろすぎ、もっぺん観たいかも」というわくわく感に欠けていた。
とりあえず笑えるけど、気持ちのいい笑いじゃないんだよなあ。
とにかく、頭……というか、心?のおかしな人たちばかりなので(笑)、「まともな人がひとりもいない!」「一希大変だなー、ストーカーだらけかよ」と思って観ていたわけだが。
そのうち、一希まで、壊れ出した。
長々とリンチされる彼は、途中でお花畑に行ってしまうのだった。や、マジで。マリア様の肖像とか出てくるんだよ! 殴られ過ぎて頭イッちゃったのな。
そして、いったんお花畑に行ってしまった彼は、そっから先もう完全には戻って来られなかったようで。
どんどんどんどん、コワレていく!!
ちょっと、コワイんですけどっ? リナレス、リナレスがいるよ! やばいですよ狂っちゃってますよこの人!
まともな人が、誰ひとりいなくなった!(白目)
えー、原作を読んだドリーさんの弁によると、原作での一希の死因はチガウそうです。原作通りなら一希はべつに「ついにコワレた?」ってほどのことはないと思うが、舞台の死因だと、やっぱ精神的にどっかスイッチ入っちゃって、そのせいで死んだ、としか思えないなあ。
狂った人たちがわーわーやって、それでなんか死んじゃって、それでもいちおー、人が死ねば悲しいわけで、あっけにとられていたとはいえ、周囲に泣いている人もいるしまあこーゆー話なんだと厳粛に受け止めていたのに、その直後の後日談がほとんどギャグだし。
あまりにのーてんきなうふふあははな人たちに、
一希、犬死っ?!(白目)
と、震撼して終わった……。あ、だから犬が物語のキーとなっているのか。(たぶんチガウ)
ストーカーたちに翻弄され、追いつめられ、狂って死んだ主人公、合言葉は「ピュア」。
キム……大変だな……。
や、一見の価値あります、マジで。
「歌劇」創刊1000号記念で、運試し。
2009年1月10日 タカラヅカ 1月10日はえべっさんの日。
小雪が舞う中、近所の神社へ笹を買いに行くと、コスプレした人たちが弓を射てました。えべっさん宝くじの当選番号を決めていたらしい……知らなかった、こんなことやってたんだ。華やかな中世衣装のおにーちゃんおねーちゃん(ハタチ前後でルックスそれなりにヨシ、男子は狩衣姿、女の子は巫女さんコス!)で、くるくる回る的を射る、という。弓道ってやっぱ美しいよねえ。日本文化って美しいねえ。
「えーと、いちばん安い笹を下さい」
と、とっても辛気くさい買い方をしているのに、金烏帽子の巫女さんが鈴を鳴らして祈念してくれました。巫女コスの若いかわいー女の子に祈ってもらえるなんて、いいサービスだな、この神社。
最寄り神社なので、生まれてすぐのお宮参りから七五三から、ずーーっとお世話になって来たんだが、最近どんどんイベントが派手になってきている気がする……これも冬の時代ゆえの営業努力なのかな。
そこで縁起物購入特典福引きをしたところ、「銅賞」を引きました。
帰宅して家族に報告したら、驚かれたよ。この街に住んで数十年、家族を代表して毎年1回だけえべっさん福引きをするわけだが、当たったことない。わたしがひとりで行ってきた今年が、初の快挙だ! って。
「アンタ、すごく幸運なんじゃ?」
と言われ、首を傾げる。
本日発売のトウコちゃんサヨナラショーのチケット、買えませんでしたけど?
1分未満でサイトに入れたけれど、すでに「販売枚数終了」だった。
ヅカファンじゃない友だちも協力してくれてたんだけど、とーぜん無理だった。
とてもツイてる人間だとは思えん。
だけど、「そうだ、今こそ!」と思い立ち、財布を某下級生会お茶会おみやげのトートバッグ(最近のお茶会みやげの中で、「使える」という意味で最大のヒット、ヘヴィに愛用中・笑)に突っ込み、近所の書店へ行きました。
「歌劇」1000号記念を買うのー!!
わたしは通常「歌劇」や「GRAPH」などを購入することはなく、まっつ関連だけnanaタンにもらってました。nanaタンも「贔屓が出たときだけ買う」人だったはずが、さすが2番手ともなるとどの号にもまんべんなく載っているので「定期購読契約した方が早いんぢゃ?」状態(笑)。
今回の「歌劇」1月号、わたしが「買うつもりだ」と言うと、「どうして? まっつの新春ポートならあげるよ?」と、いつものよーに親切に言ってくれました。
ありがとう、でもいいの、今回は自分で買う。
だって、記念トレカが欲しいから。
そう言うと、すげー納得されました(笑)。ええ、わたしはグッズ大好きヲタクですから。
非売品とか初回特典とかに踊らされる収集癖のあるヲタクなのよー。アイテム集めがメインのゲームとかすげー好きなんだよー。
創刊1000号記念号ってことで、「歌劇」1月号にはトップスター+トドのカードが封入されている。どのカードが入っているかはわからない。開けてみてのお楽しみ。
全部集める気はないが、ふつーに1枚は持っていたい。
そして、どーせなら好きな人のを持っていたい。
気の多いわたしは、カードメンバー6人中4人までは「持っていたい」認識の人だ。今のトップさんはみんな素敵だけれど、あえて言うなら、こんな感じ。
確率6人分の4、つまり3分の2。当たる確率の方が大きい。
が。
なにしろわたしは、くじ運がない。
はずれる方が難しいときでも、しっかりはずれている。
1冊しか買う気がない「歌劇」で、はずれたらやだなー、とじれじれしていた。
だからこそ今、えべっさんの力を借りて、かわいー巫女さんの祈念の力を借りて、いざ運試し!!
女性誌にやたらと力を入れている近所書店は、売り場面積の3分の1が女性用雑誌で、ヅカ関連書籍も豊富だ。
「歌劇」も「GRAPH」も平積みしてある。
つまり、選ぶ余地があるんだ。1冊しか売ってなかったから、という理由で選ぶわけじゃなく、吟味して1冊購入した。
どきどきどき。
帰宅して、巻末付録の袋をやぶる手も震える……てゆーかこの袋、開けにくくない? きれいに開けたかったのに、びりびりですよ。え、わたしが不器用なだけ?
結果。
水しぇんでしたーっ!!
よっしゃー、アタリだーー!!
幸先いいぞ、イェー!!
や、一瞬トド様に見えたことはナイショです。
見た瞬間ナチュラルに「あ、トド様だ♪」と思い、よく見ると水しぇんだった。
白い服の水先輩が、険しい表情していて、すげーオトコマエ。
美しいなあ。ほれぼれ。
他の人のカードも見てみたいなあ。
……て、よく見ればこの記念トレカ、「アタリシールが出たら、さらにプレゼント(はぁと)」とか書いてある。
なんなのソレ?!
とーぜんシールなんかついてませんでした。
なになに、ナニがもらえるの?
「お好きなスター名」と「電話番号」を書けって、なにソレ……。
「お好きなスター」から、電話が来たりするの?!!(たぶんチガウ)
しかし、ほんとに電話だったらすげーなー。
電話に出たら、「宝塚歌劇団の水夏希です」とか、ふつーに言われちゃったりしたらっ。
「緑野こあらさん、ご当選おめでとうございます。『歌劇』は創刊1000号を迎え……」
とかなんとか、すげー真面目に「言わされてる」感満々に水しぇんが語り、その「台本通りでしかない」話のあちこちに、「なにか『イイコト』を言って、相手をよろこばせてあげよう」という、これまた生真面目な誠意が透けて見えたりとかして、うわあああ、萌え~~。
トウコちゃんだったらどんだけ規定演技の中に笑いを入れてくるかとか、トド様は絶対四角四面で台本通りでおもしろくないぞとか、想像するとたのしいなあ。
あ、でもコレって、べつにトップスターでなくても「好きなスター」なら誰でもいいのか。
……まっつでも?
まっつから電話かかってきたら、まず「すいません、録音しますからちょっと待ってください」と言って、嫌がられる。「はい、もういいですよ、喋ってください」と仕切って、ものごっつーお義理感見え見えのことしか喋ってもらえなくて、そのアンニュイさにもさらに萌えるとか?
や、実際はまっつから電話とか、あったら舞い上がってしまってパニック起こして、記憶も言語回路もぶっとんだまま終了、でしょうが。
ほんと、このプレゼントってなんなんだろ。電話番号だけ別に書かせるのは、住所以下の記載部分を宛名カードに利用する都合だけだと思うし(笑)。
写真にサイン入ったものが送られてきて終了、かな。
……て、当たってから言えってね。
新春ポートのまっつは、ふつーにまっつでした。
見開きページのお隣のれおんさんの派手さに、完璧に負けているとゆーかそもそも競う土俵にいないんだけど、それにしても地味さにツボる(笑)。
パソコン前に飾ってある2008年新春ポートのまっつと取り替えなきゃな。結局1年間飾ってたわけだ。
『太王四神記』座談会で、小池せんせがまっつだけ最初の呼びかけで「まっつ」呼び(他の人は最初の呼びかけだけはちゃんと芸名か、あるいは役名のみ)なのにひそかにウケたり、まっつのまっつらしい牛の絵に心奮えたり、まあその、まっつ関連だけ拾い読みしてみる。
えべっさん福引きで初の快挙! で沸き立つ緑野家の夕餉の席で、遅れてこのニュースを知った弟はもひとこと。
「1年分の幸運を、もう使い切ったってわけだ」
ちょっとぉー、やめてよ、縁起でもないっ。
チケ運チケ運、神様わたしにチケ運ください。金運も欲しいけど。
ちなみに、
えべっさん福引きの「銅賞」の賞品は「ウスターソースの小瓶」です。ええ、ささやかですとも。
こんなレベルのくじ引きすら、何十年当たったことない緑野家って……!(白目)
小雪が舞う中、近所の神社へ笹を買いに行くと、コスプレした人たちが弓を射てました。えべっさん宝くじの当選番号を決めていたらしい……知らなかった、こんなことやってたんだ。華やかな中世衣装のおにーちゃんおねーちゃん(ハタチ前後でルックスそれなりにヨシ、男子は狩衣姿、女の子は巫女さんコス!)で、くるくる回る的を射る、という。弓道ってやっぱ美しいよねえ。日本文化って美しいねえ。
「えーと、いちばん安い笹を下さい」
と、とっても辛気くさい買い方をしているのに、金烏帽子の巫女さんが鈴を鳴らして祈念してくれました。巫女コスの若いかわいー女の子に祈ってもらえるなんて、いいサービスだな、この神社。
最寄り神社なので、生まれてすぐのお宮参りから七五三から、ずーーっとお世話になって来たんだが、最近どんどんイベントが派手になってきている気がする……これも冬の時代ゆえの営業努力なのかな。
そこで縁起物購入特典福引きをしたところ、「銅賞」を引きました。
帰宅して家族に報告したら、驚かれたよ。この街に住んで数十年、家族を代表して毎年1回だけえべっさん福引きをするわけだが、当たったことない。わたしがひとりで行ってきた今年が、初の快挙だ! って。
「アンタ、すごく幸運なんじゃ?」
と言われ、首を傾げる。
本日発売のトウコちゃんサヨナラショーのチケット、買えませんでしたけど?
1分未満でサイトに入れたけれど、すでに「販売枚数終了」だった。
ヅカファンじゃない友だちも協力してくれてたんだけど、とーぜん無理だった。
とてもツイてる人間だとは思えん。
だけど、「そうだ、今こそ!」と思い立ち、財布を某下級生会お茶会おみやげのトートバッグ(最近のお茶会みやげの中で、「使える」という意味で最大のヒット、ヘヴィに愛用中・笑)に突っ込み、近所の書店へ行きました。
「歌劇」1000号記念を買うのー!!
わたしは通常「歌劇」や「GRAPH」などを購入することはなく、まっつ関連だけnanaタンにもらってました。nanaタンも「贔屓が出たときだけ買う」人だったはずが、さすが2番手ともなるとどの号にもまんべんなく載っているので「定期購読契約した方が早いんぢゃ?」状態(笑)。
今回の「歌劇」1月号、わたしが「買うつもりだ」と言うと、「どうして? まっつの新春ポートならあげるよ?」と、いつものよーに親切に言ってくれました。
ありがとう、でもいいの、今回は自分で買う。
だって、記念トレカが欲しいから。
そう言うと、すげー納得されました(笑)。ええ、わたしはグッズ大好きヲタクですから。
非売品とか初回特典とかに踊らされる収集癖のあるヲタクなのよー。アイテム集めがメインのゲームとかすげー好きなんだよー。
創刊1000号記念号ってことで、「歌劇」1月号にはトップスター+トドのカードが封入されている。どのカードが入っているかはわからない。開けてみてのお楽しみ。
全部集める気はないが、ふつーに1枚は持っていたい。
そして、どーせなら好きな人のを持っていたい。
気の多いわたしは、カードメンバー6人中4人までは「持っていたい」認識の人だ。今のトップさんはみんな素敵だけれど、あえて言うなら、こんな感じ。
確率6人分の4、つまり3分の2。当たる確率の方が大きい。
が。
なにしろわたしは、くじ運がない。
はずれる方が難しいときでも、しっかりはずれている。
1冊しか買う気がない「歌劇」で、はずれたらやだなー、とじれじれしていた。
だからこそ今、えべっさんの力を借りて、かわいー巫女さんの祈念の力を借りて、いざ運試し!!
女性誌にやたらと力を入れている近所書店は、売り場面積の3分の1が女性用雑誌で、ヅカ関連書籍も豊富だ。
「歌劇」も「GRAPH」も平積みしてある。
つまり、選ぶ余地があるんだ。1冊しか売ってなかったから、という理由で選ぶわけじゃなく、吟味して1冊購入した。
どきどきどき。
帰宅して、巻末付録の袋をやぶる手も震える……てゆーかこの袋、開けにくくない? きれいに開けたかったのに、びりびりですよ。え、わたしが不器用なだけ?
結果。
水しぇんでしたーっ!!
よっしゃー、アタリだーー!!
幸先いいぞ、イェー!!
や、一瞬トド様に見えたことはナイショです。
見た瞬間ナチュラルに「あ、トド様だ♪」と思い、よく見ると水しぇんだった。
白い服の水先輩が、険しい表情していて、すげーオトコマエ。
美しいなあ。ほれぼれ。
他の人のカードも見てみたいなあ。
……て、よく見ればこの記念トレカ、「アタリシールが出たら、さらにプレゼント(はぁと)」とか書いてある。
なんなのソレ?!
とーぜんシールなんかついてませんでした。
なになに、ナニがもらえるの?
「お好きなスター名」と「電話番号」を書けって、なにソレ……。
「お好きなスター」から、電話が来たりするの?!!(たぶんチガウ)
しかし、ほんとに電話だったらすげーなー。
電話に出たら、「宝塚歌劇団の水夏希です」とか、ふつーに言われちゃったりしたらっ。
「緑野こあらさん、ご当選おめでとうございます。『歌劇』は創刊1000号を迎え……」
とかなんとか、すげー真面目に「言わされてる」感満々に水しぇんが語り、その「台本通りでしかない」話のあちこちに、「なにか『イイコト』を言って、相手をよろこばせてあげよう」という、これまた生真面目な誠意が透けて見えたりとかして、うわあああ、萌え~~。
トウコちゃんだったらどんだけ規定演技の中に笑いを入れてくるかとか、トド様は絶対四角四面で台本通りでおもしろくないぞとか、想像するとたのしいなあ。
あ、でもコレって、べつにトップスターでなくても「好きなスター」なら誰でもいいのか。
……まっつでも?
まっつから電話かかってきたら、まず「すいません、録音しますからちょっと待ってください」と言って、嫌がられる。「はい、もういいですよ、喋ってください」と仕切って、ものごっつーお義理感見え見えのことしか喋ってもらえなくて、そのアンニュイさにもさらに萌えるとか?
や、実際はまっつから電話とか、あったら舞い上がってしまってパニック起こして、記憶も言語回路もぶっとんだまま終了、でしょうが。
ほんと、このプレゼントってなんなんだろ。電話番号だけ別に書かせるのは、住所以下の記載部分を宛名カードに利用する都合だけだと思うし(笑)。
写真にサイン入ったものが送られてきて終了、かな。
……て、当たってから言えってね。
新春ポートのまっつは、ふつーにまっつでした。
見開きページのお隣のれおんさんの派手さに、完璧に負けているとゆーかそもそも競う土俵にいないんだけど、それにしても地味さにツボる(笑)。
パソコン前に飾ってある2008年新春ポートのまっつと取り替えなきゃな。結局1年間飾ってたわけだ。
『太王四神記』座談会で、小池せんせがまっつだけ最初の呼びかけで「まっつ」呼び(他の人は最初の呼びかけだけはちゃんと芸名か、あるいは役名のみ)なのにひそかにウケたり、まっつのまっつらしい牛の絵に心奮えたり、まあその、まっつ関連だけ拾い読みしてみる。
えべっさん福引きで初の快挙! で沸き立つ緑野家の夕餉の席で、遅れてこのニュースを知った弟はもひとこと。
「1年分の幸運を、もう使い切ったってわけだ」
ちょっとぉー、やめてよ、縁起でもないっ。
チケ運チケ運、神様わたしにチケ運ください。金運も欲しいけど。
ちなみに、
えべっさん福引きの「銅賞」の賞品は「ウスターソースの小瓶」です。ええ、ささやかですとも。
こんなレベルのくじ引きすら、何十年当たったことない緑野家って……!(白目)