ちょっと愕然。

 今さっき、新ドラマの『天体観測』を見たわけだ。伊藤英明・坂口憲二・オダギリジョーと、旬な美男勢揃いで、大好きな松重豊も出てるし、たのしみなドラマのひとつだったさ。
 内容は、見る前から簡単に想像できる。学生時代の仲間たちが数年後に再会、あのころのような無邪気な子どものままではいられない、夢と現実、友情と恋に悩むわけだな。
 アホアホ系ではなく、センシティヴ系。青春ものですわ。
 本来なら、好きなジャンルだ。

 なのになー。

 どーにもこーにも、薄っぺらくて、つまらなかったんだわ。
 7人もキャラがいて、全員ロープレのパーティ並にジョブが分けられていて、たぶんジョブチェンジは不可能なんだろーな。
 ひとつのパーティには、勇者と魔法使いとアーチャーと、てなふーに、決まってるのよねえ。ゴレンジャー系の戦隊モノに例えたっていいわ。赤は熱血ヒーロー、青はクール、黄はぶさいくで力持ち、てなふーに。
 なまじ『愛という名のもとに』っちゅードラマの記憶が強いだけに、「あら、あの子が保奈美ちゃんね、職業まで同じっすか? そんでもってこいつが江口でこいつが唐沢。うわー、チョロまでいるわ、まんまだわ」と、いちいちオーバーラップしてしまう。

 つまんなかったのよ。
 彼らのキャラも、抱えている悩みも、直面している現実も、なにもかもが陳腐で。

 かけらも共感できない。

 で、ちょっと驚愕、なのさ。
 日本語として変だけどな、「ちょっと」で「驚愕」てのは。

 わたし、前期のセンシティヴ・ドラマ『夢のカリフォルニア』が、まーーーーったく、ダメだったの。
 共感だとか感情移入とか、その入口にも立てない。

 「こいつら、バカ?」としか、思えなかったのよ。すべてにおいて。

 彼らの悩み苦しみ、そしてよろこびすらも、理解不能。
 なんでそんなことで、思い悩むかな。そんなことの、なにがたのしいの?
 わわわ、わかんないです。宇宙人みたいです。

 いや、やろうとしていることは、わかったの。
 センシティヴっすからね。とにかく、なにがなんでも傷つきやすく、悩まなきゃならないのよね。
 その「やらせ臭さ」がどーにも鼻について、ダメだったのよ。
 「傷つかなければならない」「悩まなければならない」という、お題目がこう、目の前に掲げてあって、それに向けてすべてのレールを敷いたような、不自然な作品だった。

 出来事があって、それにつまずき、結果として傷ついた、ならわかるのよ。
 でも、『カリフォルニア』には感じたのは、逆。
 傷つく、というゴールがあって、そのためにわざわざ出来事をねつ造している感じ。

 しらけました。
 つーか、気持ち悪かった。

 谷せんせじゃないんだからさあ。
 「人が死にました、さあ泣きなさい」と言われてもこまるよ。
 人はあんまり死ななかったけど、方法論は同じだからねえ。

 だがそれは、わたしの感性の問題なのかもしれない。
 わたしには、あんなどーでもいい、とってつけたよーなことで思い悩む若者の気持ちがわからないし、またその出来事もそれに対する周りの反応もあまりにも荒唐無稽、リアリティがまったく見えなかった。
 しかしそれは、わたしがもう若くないからなのかも、しれない。

 だから、プチ驚愕。
 『カリフォルニア』と『天体観測』、2本つづけて「傷だらけの青春」モノが理解不能なのか、わたし?!
 こんなに感性ってのは急激に衰えるモノなのか?! トシをとるものなのか?!

 まあ、せっかくトシをとるわけなんだからさ、今にしか味わえない感性を大切にしたいとは思うよ。
 若いころなら理解できなかっただろーものも、理解できるようになっているもの。
 ケツの青い小娘どもを鼻で笑って、大人の女を気取りたいものさ。

 しかし。
 少女のココロを忘れたいわけではないのだ。

 くそー。

 
 さて、今日から新ドラマ・ラッシュがはじまった。
 わたしはドラマ・オタクでもある。以前は相方とふたりで、ドラマに対してあーだこーだ言う同人誌を作ったりもしていた。

 前期はたのしいドラマが豊作で、ビデオ録りが大変だったよ、まったく。

 いちばん萌えたのは『ビッグマネー!』で、素直に手に汗握り、「がんばれトモヤ! タイゾーなんかやっつけろ!」とココロから思いましたさ。
 あとわたしは、じじばばものに弱いのね。子どもネタには不快感を持つことが多いが、じじばばネタには落涙してしまうのだよ。
 だから植木等と八千草薫の、静かで美しい愛の姿に涙したさ。
 あと個人的に松重豊が好きでねー。この人にはぜひ『ガイドル』のビッグ・ジュールをやってほしいもんさ。ケロとイメージがダブる感じの、いい男。
 いい男ぞろいのこのドラマ中、いちばん「かっこええ〜〜っ」と思ったのは、なんといっても小日向さん。「口は閉じて眼を開け」ですか、あれはもー、すばらしかったです。

 『眠れぬ夜を抱いて』にも萌えました。ああ、オジー。オジーってばオジーなのに、なんてすてきなの。
 古田新太氏は、名作『木更津キャッツアイ』以降、「わたしたちのオジー」なのです。なにをやっても「オジー」と呼ばせてもらいます。オジーのときは見るのがつらいほどぶさ*くっちゅーかデブキモおやじだったのに(オジー好きです)、『眠れぬ夜…』での男前ぶりはどうよ?! 男は顔じゃないわ、オジー!
 トオルくんは相変わらず受くささ爆発、「日本でもっとも背の高い総受」の名に恥じぬ受男っぷり。葛井には絶対喰われてるよね。ってな妄想がたのしいったら。
 そして最終回、「絶対そうだよな」と思っていた通りだ、筧さん! 康平が愛していたのは類子じゃなくて要士だよねえ。要士を取られたくなくて、類子を殺したんだよね。

 『天国への階段』は、男の夢爆発。いいなあ、男が描く男のロマンってやつは、女から見れば抱腹絶倒で。男って所詮少年ジャンプな感性持って生きるナマモノだから、かわいくておかしいね。大好きです、こーゆーの。
 佐藤浩市は、トシをとっていい具合に枯れてくれた。このドラマでは総受のお姫様。可憐です。『プラハの春』のトウコちゃんくらい可憐で総受です。
 登場人物全員が彼を愛し、彼を欲する。ここまであからさまに「争奪戦」をやられちゃうと、見てるこっちが照れちゃいます。

 他にも見ている分にはたのしいドラマもいろいろあったし、北川悦吏子の撃沈ぶりも華々しいほどだし、岡田恵和はアレどーなん、わたしゃまったくダメっちゅーかさぶいぼものだったよ、とか、思うところもそれぞれあった。

 たのしかったよ。

 つーことで今期は、どんなもんだろね。
 前人気NO.1と言えばまちがいなく『濱マイク』だよねー。いろんなところで耳にするぞ。
 映画は見てないんだが、ずっと気になる存在だった濱マイク。
 今日が第1話だったわけだが、なるほど、映画的な作り。以後期待。

 
 観られるとは思ってなかった、月バウ千秋楽。
 ありがとうインターネット、ありがとう某さん。

 タカラヅカのさばき制度のいいところは、どんなプラチナチケットでも、定価売買が基本なところ、だと思っていたよ。
 ところが最近は、ちがうんだねえ。
 商売にしている人が、目につく。
 ついにムラにもダフ屋の魔の手が? つーか、一般人がにわかダフ屋化してる?
 今回のチケットも、わたしが知る限り、定価のさばきはなかった。3倍以上の値をつけるって、いくらなんでもひどいんじゃない?
 劇場ロビーで商売されたら、いくら田舎者な歌劇団でも、怒って「さばき行為全面禁止、発見次第警察へ通報」とか言い出すかもよ?
 それでこまるのはわたしたち一般人だしさー。やな感じだ。

 かねすきさんにしろ、殿さんにしろ、『追憶のバルセロナ』にはご立腹だ。
 とくにかねすきさんは、唾棄すべき駄作だと気炎をあげていた。
 わたしは正塚ファンだから弁護はするけど、否定はできないのがつらいところ。

 途中まではいいんだよね。
 フランシスコが目覚める前、までは。
 あのあとはすべて、ぶっこわれてる。
 いったいいかなる横槍が入って、あの物語は壊れたのだろう?
 まさか最初から、あんなに壊れていたとは思いたくない。

 少し前のドラマで、『スウィート・シーズン』という大好きなドラマがあった。
 いちおー「不倫」という明確なテーマはあったんだが、それはただの名目で、そこにあったのは真摯な恋と、家族問題だった。
 父の不倫が原因で兄が死んだ、だから父を許せない、不倫が許せない。そんなヒロインが愛したのは、妻のある男だった……こんな二律背反を抱えるヒロインの、成長と家族の再生。
 とても丁寧に誠実に構築された物語を、たのしんでいたんだが。
 この物語はとてもわかりやすく、ぶっこわれた。
 「ただの不倫もの」に堕ちたんだ。

 「不倫もの」っていうと、どんな話を想像する?
 ドロドロのベタベタでしょ?
 愛人がヒロインなら、妻が髪振り乱して包丁持って現れる、とか、「この泥棒猫!」と愛人の髪を掴んで引きずり倒すとか。
 夫は優柔不断にふたりの女の間をふらふら、「彼女は僕がいないと生きられない女なんだ」とか言って不誠実さを正当化、勝手に苦悩してたりな。
 愛人は愛人で「わたしが身を引けば、みんなしあわせになれる」とこれまた自己完結、やってきたことの責任なんかいっさい取らずに逃げようとする。自分が悪人になるのが嫌なだけ。
 まー、そーゆーのが定番だわな。定番ってのは、つまりそーゆーのを好きな人たちが、世の中多いってことでしょう。

 『スウィート・シーズン』は、「恋愛もの」であったにもかかわらず、いきなりこの、べったべたな「不倫もの」にシフトチェンジしたんだわ。

 突然だったから、おどろいたよ。
 いきなり、登場人物の人格が変わってるの。さばさばした気っぷのいい姉御肌のおねーさんが、ドロドロの粘着気質のストーカー女に変身。彼女に常識はずれな行動を取らせ、ドラマを盛り上げる。
 いちばん笑えるのは、男がなんの脈絡もなく「記憶喪失」になったこと。夢オチと記憶喪失って、禁じ手の代表格でしょうが。またこれがストーリー的にもなんの意味もなく終結。

 いったい、視聴者の手の届かないところで、なにがあったんだろう?

 『スウィート・シーズン』は、はじめからかなり、おかしな作りをしていた。
 宣伝と内容が、あまりにかけ離れていたんだな。
 宣伝は「今流行りの不倫ものです! ドロドロしてまっせ! 抱腹絶倒、『真珠夫人』路線ですぜ! 見てちょーだいよ!!」と言っていた。新聞に載るサブタイトルなどを見ていると、まさにそう。
 ところがどっこい、本編は、センシディヴな純愛もので、家族の再生がテーマときた。
 宣伝を見て「おもしろそうだわ」と思う人は、本編を見て「なにこれ、退屈。いつ奥さんは逆ギレして包丁を振り回すのよ? ぜんぜんそんなシーンないじゃない」と思うだろう。
 また、繊細な心理をたのしむのが好きな人は、あの宣伝じゃあ、はじめからバカにして本編を見ることはないだろう。

 制作者側は、『真珠夫人』系をやらせたかったんだよね。バカバカしく派手な、いつも誰かが絶叫しているよーな不倫もの。
 だけど現場スタッフは、センシティヴな純愛がやりたかったんだな。
 それで純愛をこつこつやっていたが、視聴率がふるわない(当たり前だ)、制作側から「たわしコロッケぐらいのことはやれ!」と横槍が入る。
 んで、途中で路線変更、宣伝に偽りないドロドロの不倫ものになる。
 奥さんは絶叫し、ヒロインは泣き崩れ、男は意味もなく記憶喪失になったりもする。

 ここまでわかりやすく路線変更して、ぶっこわれたドラマは、ある意味興味深い。
 んで、ぶっこわれた後の方が、視聴率はよかったのかい? 数字的な結果なんか、わたしは知らないけどさ。

 ただ、わたしがこのドラマを評価しているのは、ヒロインの恋愛事情は「みんなが期待しているドロドロの不倫もの」に落としたけれど、当初の目的のひとつだった「家族の再生」だけは、きちんと描ききったこと。
 譲歩したんだね。「ドロドロの不倫もの」にしたかわりに、「家族の再生」だけは譲らずに真っ向勝負で描写、おかげで最後は「家族もの」になってたぞ。恋愛周辺の話がトンチキ系になってるだけに、家族周辺の話の繊細さがより際だってますがな。

 「商品」である以上、作家は「創りたいもの」だけを創るわけにはいかないんだ。
 こんなバカバカしい横槍にも、唇噛んで耐えるしかないんだ。
 「大人ってキタナイ」と、いつまでもコドモなわたしは、思うけどさ。
 完璧な形で見たかったよ、『スウィート・シーズン』。

 てなことが、世の中往々にしてあるわけだから。
 『追憶のバルセロナ』には、なにがあったんだ?
 なにゆえに、物語は壊れたんだ?

 『SLAPSTICK』も、かねすきさんたちにはボロクソに言われてました。
 主人公に物語がないのは、たしかに致命的。
 それはわかるが、わたし的には、あの物語が「主人公の死の間際の夢」であることが大きいかな。
 老人の回想だから、自分自身のいちばんドロドロした部分には触れず、美しい部分だけをクローズアップ、友人の悲劇には着目、そしてそれらの痛みも苦労も悲しみも、なにもかもがただ美しい、ゴールデンデイズ。
 つーことで、わたし的にはぜんぜんOKよん。
 ……いや、きりやんだったから、OKなんだとは思うが。へたっぴな人がやってたら、えらいことになってた脚本だとは思うよ、うん。

 千秋楽は客席降りがありました。舞台に階段が設置されてたし、休憩時に、係のおねーさんに荷物を通路に置かないよう注意されたので、「これはアルな」と思っていたけど、あるある、ありましたよ。
 ビバ通路際。
 わたしの真横はのぞみちゃんだー!! 笑いかけてもらいましたさ、やっほう。

 

by『山月記』

2002年6月29日 家族
 今日は髪を切って、ブリーチして。
 茶髪が流行の世の中になってよかった。
 その昔、まだ今ほど髪の色が自由でなかったころ、うっかり失敗して金髪になっちゃったことがあったんだよね……。金髪ってゆーか、「10円玉」みたいな色……。
 「緑野がヤンキーになった!」って、さんざんはやされたなー。遠い目。今なら、あそこまで浮かないし、派手な女だと誤解されることもなかったよな。時代は変わるのだ。
 友人たちに、悪い例としてよく使われたな。「髪の色をちょっと明るくしたいんです。友だちで金髪っていうか、10円玉みたいな色になっちゃった子がいて、あれはやりすぎで嫌だなーと思いました。ああはならない程度でお願いします」と、美容師さんに言ったとか。
 ふっ、人間はね、失敗を繰り返して成長するものなのよ。
 今はもう失敗しないわ。自然な茶髪よ。
 今でも、「10円玉」時代を知っている子は、「もう金髪にはしないの?」と聞いてきやがるが。しないわよっ。つーか、いつまでおぼえてるのよ、大昔のことじゃない。
 よっぽどインパクト強かったのね……あの色……。

 今日の母との会話。
 わたしが見ていたユニクロのちらしを見て、母は言った。
「そういえばサッカーの日本代表のユニフォーム、あれって2重になってるんだって。2重なんて暑そうだけど、汗を吸って熱を発散する構造になっていて、とても快適なんだそうよ。それで近所のAさんの知人のBさんっていう人がね……」
 ユニフォームの話だな、ふむふむ、とわたしは聞いている。
 が。
「大阪ドームで試合が見れるようにスクリーンがあって、それに先着何名かで入れるようになってるのね(以後大阪ドームの話になるが省略)、それでBさんはインターネットで申し込んで、その先着何名の中に入ってね(インターネットで申し込むってなんのことかしら、という話になるがそれも省略)、Bさんっていう人は、独身なのかしらね、それは聞かなかったわ、歳はあんたぐらいで……」
 はいー?
 なんの話だ? ユニフォームが2重になっている話はどーなったんだ?
 いい加減わたしは面倒になって、彼女の話を遮る。

「で、いったいなにが言いたいの?」

 母はきょとんとして、
「ユニクロのちらしを見たから、ユニフォームの話を思い出したの」
「大阪ドームとユニフォームがなんの関係があるの? インターネットとユニフォームの関係は?」
「だから、Bさんはユニフォームを着て、大阪ドームへ行ったのよ」
 だったら大阪ドームのライブ中継を一から説明する必要はないし(んなもん知ってる)、そのチケットの購入方法まで説明する必要はもっとない。そしてそもそも、「Bさんがユニフォームを着てライブ中継を観に行った」というのが話題の主旨なら、ユニフォームの構造も説明する必要はない。

 ユニフォームが2重構造になっている、ということを主題に話すならば、実際にそれを着てみたBさんが「たしかに涼しくて着心地が良かった」と言っていた。という文脈になるのなら、わかる。
 1万円もするユニフォームをあえて買って、ライブ中継を観に行く人がいる、すごいわね、という主旨ならば、話題の導入がまちがっている。
 チケットの購入方法の説明なんぞ、どの道不要だ。しかも母はインターネットを知らない。知らない人が「なんかそういうものがあるんだって?」と解説しても、まだるっこしいだけだ。

 思いついたままに話し、話しているうちにまたなにか思いだし、結局なにを言いたいのかわからなくなってしまった明白な例。

 そりゃ、日常会話にはありがちだけど、母の場合脱線のひとつひとつが長すぎて「この話はどこへつながるんだろう」と思う時間が長すぎる。しかもその脱線がおもしろくもない。
 脱線するなら、一度ひとつの話題を終わらせたうえで、あとから話せ。ひとつの文章を、「、」でだけどんどんつないで、主語述語が破壊された文章のようだよ、それは。一度「。」で終わらせてから、別の文章で次の話をするのよ。
 脊髄反射で喋るのはやめようよ。
 なんか、昨日の児玉先生のビデオレターを見たあとだから余計に、「とほほ」な気持ちになった。
 なんでああも、壊れた喋り方するかなあ。喋る前に、「起承転結」考えればすむことじゃない。細密に設定することはないよ。ものすごーく大ざっぱに、「このことをこの筋道で話す。オチというか結論はコレ」と決めていれば、いくらでもできることじゃん。いや、筋道を決めなくても、最低限オチだけ決めていれば、いいんじゃん。
 訓練でいくらでも、できるようになると思うんだがなあ。
 訓練てのは、なにも講習に通うとかじゃないよ。日常生活だよ。
 会話している相手の反応をしっかり見ていれば、できることだ。
 自分の心情ばかりに気がいっていたら、できないよ。相手のことを見ない人は、ひとりで勝手に喋ってしまう。
 会話ってのは相手があって成り立つことだから、喋りたいのが自分でも、相手を見て、相手に伝えるために頭使って、喋るでしょう。整理もするし、表現も工夫する。反応を見て、結論を急いだり解説を増やしたりするでしょう。
 言いたいように勝手に垂れ流すんじゃ、幼児と一緒じゃん。

 …………とゆーのは、独りよがりな、ひどい意見なのかしら。
 わたしは少なくとも、会話するとき最大限の努力をする。相手に伝えるために。

 わたしはたぶん、口の立つ方だと思う。たとえば人前でなにか喋れと言われても、平気で喋る。壇上に立つ。舞台もマイクもこわくない。挨拶とか司会とか、得意だよ。
 でもそれは、「喋る」以上に考えているし、観客や会話相手を「見ている」からだ。
 披露宴では高確率でスピーチ役を仰せつかるが、いつも原稿は作らずに行く。だってお祝いの席で下を向いて原稿を読み上げるなんて野暮だと思うし、また、他の人のスピーチとネタがかぶったら嫌だもの。
 実際に行ってみて、場の空気を見て、人の話を聞いたうえで、その場で即興でなにか話す。聞いてくれる人の反応を見て、「よし、オトシどころはここだな」とか計算する。ピタリと決まると、うれしいねえ。狙ったところで爆笑が起こり、拍手で終わる。よっしゃ! てなもんだ。
 わたしはこーゆーヤツだから、喋るのがヘタな人の気持ちはわからないのかもしれない。
 でもな、スピーチじゃなく、日常会話ならできるでしょう。「相手に伝えるために、相手の反応を見て話す」ことぐらい。

 昨日の児玉せんせーが痛かったのは、「この人、他人のこと考えて喋ってないな」ということ。
 ビデオレターなのに、相手のことなんか考えてないの。自分のことだけ考えて、自分の中でぐるぐるしちゃってる。
 一般人ならともかく、表現者なのにさ。しかも、「仕事」としてカメラに向かって話しているのに。
 他人を必要としない表現者は、天才でもない限り、器は見えてしまうよ。
 そして児玉せんせーは、どう見ても天才ではない。
 …………年末のDCが不安だ。

 と、好きに書いておいて。
 小心者なわたしは、こんなこと書いたら「なんてひどい人なの!」と思われちゃうのかな、とびくびくしている(笑)。
 今さら、じゃないわ。いつも思っているわ。
 匿名っていいなあ。すごく傲慢だぞ、緑野こあら! そんなにお前は頭が良くて大人物なのか、緑野こあら!

 「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」が、わたしのすべてだ。
 ……なさけないけどな。

 
 今日はトークショー初体験。

 が、その前にバウ三昧。
 午前午後とバウホール。何故かチケット取れちゃうし。つーか、午前の部はわたし、全部で3枚さばきました。
 後方席で観たのははじめてだけど、ライトがすごくきれいだね。ファンタスティック。

 やおいの巨匠、かねすきさんに「で、今回のカップリングはいかに?」と聞いてみたところ。

「それほど萌えはありませんね。かけおちカップルと、やくざカップルぐらい?」

 かけおち組はともかく、ケッセル&ボーマンまでカップルに分類しますか!(笑)

 かけおち組というのは、言うまでもなく、
「妻とは別れた。君とふたりで映画を作りたい、愛してる、君の一生をぼくに託してくれ」
 てなパラフレーズ台詞でプロポーズしてくれた、ゴールドウィンと、即OKで鞄ひとつで彼についていったデミルくんですが。

 このふたりは、わっかりやすいカップルだから、みんな一目でわかるよね?
 最初の映像で、「カップル坐り」してるしさ。
 その映像だけど、かねすきさんてば、言うてはならんことを言うていたよ。

「ガラベエトオの脚の間にモライマ公爵……」

 こらこらこらっっっ。
 わたしだって最初に観たときは顎が落ちたけど、あえて言葉にはしなかったのに。

「ガラの股の間に、モライマ……」って、繰り返すなよ、かねすきさん。ショックなのはわかるけど(笑)。

「あと、ヘンリーはセネットのこと好きでしょうね」
 うん、それは思う。本命はセネットだろうね。
 でもわたし、ヘンリーは実はルー・コディとデキてると思うんだけど。たぶん、本気じゃなくて、ただの遊び。若くかわいい男の子にちょっかい出してる悪い大人(笑)。
 セネットとふたりきりで話しているところに、「ふたりでなに話してるの」と現れるルー・コディ。「なんでもないさ」と流して、彼の背中に手をおき、促して去っていくヘンリー。……わ、悪い奴だ。
 ルー・コディ、ああいう男にはね、カラダはゆるしても、ココロはゆるしちゃだめだぞ!(笑)

 んで、トークショー。
 いっぽくんととなみちゃん。
 若くきれーな子たちを間近に見られて、たのしーです。座席の番号の振り方がちょっと変わってたから、整理番号が悪いからといって悪い席とは限らないんだな。わたしとWHITEちゃんはそこそこいい位置だった。

 トークはたのしく拝聴。となみちゃんはかなり天然。かわいー。いっぽくんがまともに喋れる子でよかった。

 しかし。
 ある意味、いっぽくんたちの印象をぶっとばすほどのインパクトをくれたのが、ビデオレターで登場した児玉先生だ。
 この人……やばくないか……?
 焦点の定まらない目で一瞬たりとも静止せずにもじもじぞわぞわしつづけ、長々と喋っていたわりに、日本語はほとんど喋らず、結局なにが言いたかったのかまったくわからなかった。
 演出家って、自分の思っていることを、他人に伝えるのも技量のうちじゃないのか? ここまで日本語表現に問題ある人も、できる商売なの?
 不信感がむくむく。
 なまじ、その前に出てきた正塚せんせーが、しっかり押し出しよく喋って(東京公演の宣伝までして)ただけに、ショックな映像だったわ。

 提出が義務づけられている(?)アンケートの要望のところには、「正塚先生のトークショーがあったら行きたいです」と書きました。

 
 たとえばタカラヅカは、なくなってもかまわない。
 地球はこまらない。

 人間が生存していくのに、不必要だ。

 だけど、客席にいる数時間の間、わたしは夢を見ることができる。
 今ここにいて、あのドアを開けて出て行くまでの間、舞台はわたしに夢をくれる。わくわくをくれる。どきどきをくれる。萌えや煩悩も(笑)くれる。

 忘れていたなにか、を、思い出させてくれる。

 BSの『デパートメント・ストア』の再放送を観た。パソコン録画に燃えた。

 『デパメン』ってまんま、タカラヅカのことだよねえ。
 主題歌なんか、「デパート」の部分を「タカラヅカ」に変換すれば、そのままじゃん。
 不景気になって、金金金で、なにか大切なものを忘れて。
 あの豊かな時代を、自分で否定して。
 そんな経営者に、「それでいいのか?」と問いかける。
 ショーの皮を借りた、いつもの正塚芝居。
 大好きよ。

 三兄弟が好きだった。このころまだトウコちゃんは攻キャラだったわ。
 ショーも芝居も、トドの役に爆裂片想いのターに、目頭が熱くなったっけ。

 地球にとって無意味でも、わたしには、愛や夢が必要だ。

 
 今日は雪組新公。

 の、はずだった。
 いやもちろん、新公も行ったよ。チケット持ってたしね。
 でもなんか、それよりも。

 昨日、深夜1時ぐらいかな。日記を書いたあとだ。
 …………手に入れてしまったの、月バウ前補助センターブロック。
 ありがとうインターネット。ありがとう、某さん。
 今日はご機嫌で月バウだー。

 気持ちよく泣いてきました。

 今回スクリーン上映があるからね。さすがに最前列は首が痛かったけど。
 やっぱ舞台に近いといいよねえ。
 ああ、きりやん、好きだー。ラーヴ。さららん、いぢめたいー。泣かせたいー。ラヴラヴ〜〜。
 そして麻月れんかちゃんが、なにげに好きなのー。前回のロケットのときからお気になの。なんでこの子、男役と女役、両方やってんの?

 そのあとに、雪新公。
 席が上手だったもんでさ、3列後ろは本役さんたちだよ。うわー。

 えーと。
 出来映えには、なにも触れますまい。
 やることに意義があるのだ、新公。

 いっぽくんはほんと、美しいねえ。
 美は才能だね。

 わたしの個人的な好みの問題だけど、「フランシスコ」というキャラで言うなら、いっぽくんの方が好みだった。
 ブンちゃんはストイックだからなあ。わたしにはちょっと物足りない。
 いっぽくんの青さと熱さ、なにより神経質さが、わたし的にはフランシスコというキャラに合っていたよ。
 とくに、アントニオと論争になるシーン。いっぽフランシスコは、キレてますがな。ええ感じや。

 真ん中が似合う子だから、あとはただひたすら、実力をつけてくれ。頼む。今のままじゃつらいっすよ。

 いづるんは……。
 なんかさー、昔むかし、新公でたかこの役をケロがやったときのことを思い出したよ……。
 すごいなー、これ、同じスーツだよなあ。そうは見えないけど、同じなんだよなあ。
 わたしケロちゃん大好きで、ケロちゃんのために新公に行ってたんだけど、あれは目が泳いじゃったなあ。

 しかしいづるん。
 処刑台の上に現れたとき、いきなりなんでそう、色っぽいですか。
 すばらしいです。

 色っぽいって言えばさ。
 キムちゃんって、なんでああえっちくさいかね??
 なんか、なにやっててもエロい。
 あの唇のせいか?
 この子、脱いでもすごいしな。
 いっぽくんなんか「こいつ脱がせてもしょーがねえな」と思うんだけど。ほら今回、ショーで女役やってるからさ。
 しかしキムちゃんてば、女役でもやっぱし、エロい。本役の三枚目やってても、エロい。
 肉、を感じさせるエロさ。
 わたしが男なら、こーゆー子にお願いしたいですねえ(なにを?)。
 生意気そうでいいよなあ。驕りの春って感じが、じつにそそられる。

 「少年」という傲慢さ。

 このまま育ってくれることを、こころからのぞむ。小さくまとまったり、謙虚ないい人キャラになったりしないでくれ。
 君は小さくても太陽キャラだ。帝王キャラだ。そして見事な、攻キャラだ(笑)。

 となみちゃんは、お姫様キャラの方が似合うなあ。しみじみ。気品ってのは持って生まれた才能だから、それを生かしてほしいものだ。
 ……ねえ。
 今、「生かして」って変換しようとしたら、第一に「イカして」って変換しやがったよ、マイ・ワープロ。なんでこんな変換ですか。やおい変換機能付きですか。動揺。

 ゆめみちゃん、もっと声を聴かせてー。声が好き。博多座の天使の歌声は忘れられないよ。もっと歌って。

 て、この調子で感想書いてるとキリないな。
 今日はたんなるファンモードねー。

 かねすきさんから、「同人誌、無事入稿しました」とのメールが届く。

 「緑野さんのナイスリーの鬼畜ぶりにびっくりしました」と言われ、驚愕。
 鬼畜?
 うちのナイスリーのどこが??
 鬼畜と言うなら、殿さんの「テディベアを返して欲しかったら、黙って足を開け」を超えるものはないと思いますけど?!
 わたしのパロ作品のコンセプトは「バカップル」、ナイスリーとビッグ・ジュールがいちゃいちゃラヴラヴしているだけのお話。
 だいたい、えっちもしてない話で、なにが鬼畜なの……。

 やおいの道は、深くて厳しいのだった。

 
 萌えはどこにあるかわからない。

 萌えツボってのがある。それはもー明確にある。
 だが、それ以外でも、ふとしたことでジャストミート、ホールインワンな萌えがやってきたりする。

 今回、月バウ、きりやん単独初主役おめでとー公演『SLAPSTICK』でも、意外なトコで萌えました。

 ラストの方で、るいるいメイベルがきりやんセネットに、キスをするのな。女の方からのキスだ。
 するのが女なら、し終わって離れるのも、女の方からだ。イニシアチブは、すべて彼女に。
 その、終わって離れる瞬間。

 きりやんセネットは、閉じていた瞳を開くのだ。

 それが…………わたしにはとてつもなく、萌え〜〜っっっ、だった。

 「されている」というのに、萌えたのかもしれん。
 静かに強引に、口付けられ、彼女のなすがままにされ、すべてを受け入れる。
 半合意のうえでの唇レイプ。
 そんな風情があってね。
 も、萌え……。

 や、わたしの主観だから、他の人はそんなふうには思えないとしてもだ。
 わたしには、とてつもなく萌えだった。

 きりやんだからねえ。
 あの健康優良児に、そんな頽廃の魅力を感じるとはねえ(笑)。

 とってもたのしみました、『SLAPSTICK』。
 なんつーかね、ワシゃあもうトシじゃからね、あーゆーのに弱いんじゃわ。
 我が青春の日々っちゅーか、ゴールデンデイズっちゅーかね。

 わたしたちが、もっともバカで、余裕がなくて、がむしゃらで、……そして、輝いていたころ。
 無我夢中で走り続けていたころ。
 他人も自分も傷つけながら、泣きながら、血まみれの拳を振り上げながら、それでも、走り続けていたころ。
 走らずにはいられなかったころ。
 とことんバカで、今思うと恥ずかしくて穴に入りたいくらいだけど、だけど、愛しくて愛しくてたまらない、あのころ。

 あのころを、思い出させるのよ。

 たぶん、誰もがいつかは必ず持っていた、そしていつの間にか失っていた、なにか。

 それが指の隙間からきらきら輝いているのが見える。

 ワシ、ばばあじゃから。
 こーゆーの、弱いんよ。

 せつなくてせつなくて、たまらなくなるのよ。

 きりやんのことはもともと大好きだけど、この公演を観て、もっともっと好きになったよ。
 この子の持つ健康さや元気さ前向きさは、好きだけどわたしのツボとは、微妙にハズれてたのよね。
 でも、さすがに実力者だなあ。
 持ち味が「陽」であっても、ちゃんと「陽」ゆえのかなしさやせつなさを表現してくれる。
 セネットはいい子でねえ。見ていて、とても素直に、応援したくなったよ。

 君が見る夢を、わたしも見たい。

 そう思える男の子だ。
 こんな子と、初恋したかったなあ。

 きりやんファンのWHITEちゃんが、この公演を観てなんと言うかがたのしみだー。
 なんせ『愛のソナタ』を観て、「きりやんを下僕にしたい」と言った女だからな(笑)。
 「きりやんなら、『奥様』と呼ばせてあげてもよくってよ」ってさ(注・WHITEちゃんは独身です)。

 あとツボだったのは、さららん。
 さすがポスト・タモさん!!
 泣かせてなんぼだな、この野郎!(笑)
 わたしにとってタモさんの究極のハマリ役は、『失われた楽園』のエリオットだ。あとは、いつぞやのTCAで、タイトル忘れたがマリコさん演じる日本武士に入れあげたせいで国が傾くっちゅーんでマリコさんがそのために自殺するとゆー、なんだこのホモ話はっ?!な国王役(ひどい日本語……。ここは勢いで読むのだ。マリコは傾国の美青年ってか)。
 その、わたしの愛するヘタレ受タモさんの、あとを継げるすばらしき若手。
 さららん。
 顔だけじゃなく、芸風まで似てるのか君は。
 さららんを見ていると、嗜虐心がうずく。
 いぢめたい……いぢめたいぞっ。
 ここはやはり、鬼畜OKな嘉月さんに、もっともっと責めまくってほしいとこですなっ。鼻息。

 とても気分良く観劇したあと、Be-Puちゃんちへ。

 ごはん食べながら、チャー様の名場面集&サヨナラショーのビデオを見る。
 うわー、なつかしー。
 リカちゃんかわいいー(「緑野さん、そればっか言ってる」とBe-Puちゃんにつっこまれる)ズンコ耳目立つー(群舞でも場所がわかる!)、トド髪型変ー(いつもか)、タモさんぜんぜん変わらないー(それってどうよ?)。

 Be-Puちゃんはムラの前・大楽ともに観劇しているし、昨日の東宝は御堂会館で中継を見ている。
 その彼女の解説入りだ。臨場感あふれるビデオ鑑賞ナリ。

 ちなみにわたしは、寿美礼ちゃんが好きだ。
 Be-Puちゃんは、寿美礼ちゃんが大嫌い。
 したがって、あちこちで意見が分かれる(笑)。

 チャー様の後ろにちらりと映る寿美礼ちゃん。
「あ、寿美礼ちゃんだ。*さいくー」
「ひどーい。でもほんとぶ*いくー。でも好きー」
 てな会話が繰り返される。
「緑野さん、なんでアレが好きなの? *さいくにしか見えないけど」
 いいじゃない。なんか知らんが、好みなのよ。彼女の顔がゆがんでいることぐらい、わかっているわ。でもでもなんか、すごーくいいの。好きなの。
 笑顔のチャー様が映る。その後ろにピンぼけの、でもやっぱり笑顔の寿美礼ちゃん。
「かわいいー」
 わたしとBe-Puちゃんが同時に声をあげる。
「緑野さん、今後ろを見て言ったでしょ」
 はい。すみません(笑)。

 わたしとBe-Puちゃんは、好みがまったくちがって、カケラもかすらない。
 でも仲良しだ(笑)。

 
 昨日の日記で書き忘れたけど、同人誌原稿脱稿。かねすきさんに送った。
 殿さんにはしかられるだろーけど、えっちは一切ナシ。うーん、やおいと名乗るにはおこがましいよーな健全さだわ。ただバカップルがいちゃいちゃしてるだけの話。
 でもさ、ナイスリーとビッグ・ジュールだよ……シリアスなエロが書けるわけないっしょ……。
 あまり達成感がないのは何故だろう。ここ数日はかかりきりだったんだけどな。

 さて、『二戦』の話のつづきでもするか。

 今日は冒頭で同人誌の話をしたから、やおいの話にしよう。

 『二戦』でやおい(笑)。

 シンクレアとその親友クリフォードの関係は、わかりやすいやおい秋波を出している。
 たしかクリフォード役のトド様自身が、役のホモ的側面について語っていた。クリフォードが生涯独身なのは、シンクレアへの友情が強すぎたためだ、と。
 グラフに載っていた座談会見て、ぶっとんだもんな。トド様、わかってて演じてたのか、と。そーゆー色気面に乏しい人だと思ってたからさ。

 クリフォードはわっかりやすいホモだし、アルヴァもやばい感じ。
 だが、見事なことにシンクレア、完全にノンケなんだよなあ(笑)。
 シンクレアひとりが健全オーラ出しまくってるんで、主人公周辺ではちっとも萌えなかったよ。
 正塚せんせ、さすがに当て書きうまいよね。いっちゃんの持つ健全さが、まんまシンクレアとシンクロしてる。やおい好き的にはおいしくないけど(笑)。

 だから、わたしが萌えたのは、べつの男たち。
 ええ、力いっぱいアダルト路線、ハウザー大佐だ!!(笑)

 『二戦』を観て痛感したのは、

「ハウザー大佐、総受」

 とゆーことだ……。

 誰相手にも受だよね、大佐。天然ボケ男シンクレア相手でも受だわ。

 ここで、昔知人に出したメールを発掘。
 なんかどえらいことになってるけど、愉快な内容なので、貼り付けておく。
 『二戦』クエイド×ハウザーのやおいストーリー解説。あくまでも、解説。わたしならこう書くなー、という。

 あ、この日記をうっかり読んでしまった、やおいがダメな人は、この下は読まないでください。

 クエイドにとってハウザーは、「気の合わない上司」。
 まあ、どこにでもあるよね、こーゆーの。と、あきらめムード。
 いちおー、口やかましく意見するけど、聞く気ないだろこのオヤジ(怒)てなもん。
 気は合わないし、規律を重んじるクエイドにとって、ハウザーの言動は理解したくないものも多々あるけれど、彼の優秀さは認めている。だからなんとか、険悪にならずにつきあっている。ダジャレを言うハウザーに、わざわざ溜息ひとつついたあとで、わざとらしく拍手をしてみせるクエイド。むっと黙り込むハウザー。重たーい沈黙のあと、淡々と仕事の話を再開したりね。
 ま、ここまでは、「愉快なオヤジたち」(笑)。
 しかし。
 変化が訪れるのは、ハウザーがシュトロゼックと仲良くなってから。
 最初はもちろん、シュトロゼックとハウザーは犬猿の中で、顔を合わせるたびに舌戦をかわしていたのだけど。
 ずれていた歯車が、あるときぴたりと合ってしまう。
 んで、一度あってしまえばアンタ、はなれられない居心地のよさ。
 ハウザーはシュトロゼックに骨抜き。
 それを目の当たりにしたクエイドに芽生える、嫉妬。
 自分を理解せず(自分も理解しなかった)、自分を愛さない(自分も愛さなかった)あの男が、自分でない別の男を認め、愛した。
 それって、おれがシュトロゼックより劣っているということか?
 ハウザーがシュトロゼックの肩を持つのが気に入らない。あいつは敵の首魁なのに。
 人間として男として、自分が価値を認められないシュトロゼック(だって敵で異民族。このへん、クエイドは選民意識のカタマリ)が、ハウザーに認められて、自分が認められないなんて、おかしい。
 ハウザーの軍人としての器量を尊敬してはいたが、人間としての性格には反感を持っていたクエイド、ここでまちがった方向へ走る。
 ハウザーは、「人間の器量」とはべつのところで、自分よりもあの男を認めているのだ、と。
 べつのところって?
 そりゃもちろん、いちばん下世話な方向さ。
 「ハウザー大佐が奥様と離婚された原因は、やはり性癖の問題ですか? あの赤熊のような男がお好みでは、連邦の名家出身であられた奥様にはさぞご不満でしたでしょうね」
 真面目な男はキレるとこわい。クエイドはあの上品な顔で、次々とそれ言っちゃシャレにならんぞ的なお下劣なことを言う。
 言うだけでなく、想像する。ハウザーが、あの赤熊に抱かれている様子なんぞを。
 それは、自分をまもるため。おれが人間としてシュトロゼックに負けたわけじゃない。シュトロゼックはハウザーの愛人だから、おれよりも好まれているというだけのことだ。
 ハウザーは憤慨する。そりゃもちろん。彼とシュトロゼックは、もちろんプラトニック(笑)。
 おたがい、恋愛に近い感情があることは認めているが、なんといっても思慮深い大人の男たちなので、今の関係を壊すよーなマネはしないと、暗黙の了解があった。
 それを愚弄するかのような、クエイドの言葉。そりゃ怒るさ。
 だけどクエイドは、ハウザーの怒りの中に真実を嗅ぎつけ、さらに激昂する。やっぱりそうなんだ、と。
 クエイドの、ハウザーへの破壊衝動は、恋愛感情ではないかもしれない。
 気は合わないけれど器を認めていた上司。相手に自分の望む形で認めてもらえなかったこと、自分が価値を認められない男以下に思われていること、プライド、異民族への差別意識、基地に孤立する今の状態への恐怖、いろんなものがすべて混ざり合い、クエイドは破滅へ突き進むことになる。
 男に欲情する趣味はカケラもないが、ひび割れた存在意義が、ハウザーを蹂躙しろと叫ぶ。シュトロゼックよりもおれが上だ。ハウザーよりもおれが上だ。おれが正しい。誰もおれを否定するな。おれだけが正しい……!
 もしも、ハウザーが、おれを愛してくれたら。
 受け入れてくれたら。
 おまえは正しい、と言ってくれたら。
 ……救われる、のに。
 救われたい、のに。
 犯しておいて、泣くのは反則だぞ、と、ハウザーは思うけれど、とりあえずクエイドの涙は見なかったふりをしてやる。いい男だ、ハウザー。
 クエイドの慟哭はわかるけれど、そこまで面倒見てやるほどハウザーも大人物じゃないし、ヒマもない。彼はやっぱりシュトロゼックのもとへ行く。シュトロゼックをいちばん信じ、愛する。クエイドはさらに「おれは否定された」と思って激昂するんだがね。ああ、悪循環。

 一方、シュトロゼックの息子、アルヴァ。父親そっくり(外見は母親似らしい。神さまありがとう!)の彼はもちろん、父の愛人(笑)ハウザーに反発しながら惹かれていく。ハウザーに似ている、とゆー理由でシンクレアにちょっかい出してみたり。
 クエイドがハウザーに無体なマネをしているのを知って、マジにクエイド暗殺を考えて、父親に殴られてみたり。ま、若いわな。
 舞台のクライマックス、シュトロゼックと最後のランデヴー(笑)中のハウザーのもとへ、クエイドがなぐり込んでくるよね。あのとき、「この野郎!」とクエイドに向かっていくアルヴァはツボですわ。(あっけなく撃たれて、役立たずなのもまたよし)
 クエイドは最後の最後まで、ハウザーに向けてだだっ子のよーに、地団駄を踏みつづけた。愛ではなかったかもしれない。だけど、他のなにものにもかえられない激情が、そこにあった。
 ハウザーの心を誰よりもなによりも求めていたのは、まちがいなくクエイドだった……。
 そんなクエイドの無形の思いを、彼の死と共に、ハウザーは背負うことになる。
 クロイツェル基地の地下に安置されたクエイドの遺体に、そっと口付けて。「あいしてる、って、言ってやればよかったな」……それは真実じゃないけど、クエイドだってべつに、真実なんか欲してなかったよ。
 欲しかったものは。
 ……クエイドのバカがこんな死に方したせいで、ハウザーは愛するシュトロゼックと決別することになる。生涯会うこともなく。
 ただ、父の想いを背負い、傷を抱いたまま隠居生活をするハウザーを、アルヴァが訪ねてゆくのはまた、べつのはなし……。(そんときいくつだ、ハウザー……50代やほひ……)
 どっとはらい。

 あ、もう文字数がない。
 この話をきちんと小説にしたら、おもしろそうなんだけどなあ。いつか書けるといいなあ(笑)。

  
 さあ、『二戦』の話をしよう。

 わたしが正塚晴彦と最初に出会ったのが、この『二人だけの戦場』だ。
 トドロキ目当てで観に行った。思えば、わたしのくじ運はこのときが最高、これ以上のものはなかったな。最前列センターで千秋楽を含めた複数回の観劇。トド様の美貌が目の前で、いたたまれないほどの至福を感じたっけ。

 わたしは『二戦』が好きだ。
 これほど衝撃を受けた作品は少ない。
 たぶんわたしは、タカラヅカを軽く見ていた。
 ヅカの持つ特殊性を愛し、それゆえに「あきらめていた」。所詮ヅカはヅカだって。

 それが、くつがえされた。

 これ、ほんとにタカラヅカ?

 もちろん、タカラヅカだ。タカラヅカでしかありえない作品だ。だが、タカラヅカである以上の可能性を見せてくれた。

 わかりにくい、というのがいちばん前にあるな。
 油断して見ていたら、わからない、置いていかれることがある。
 でもそれさえ突破してしまえば、すごくたのしい作品だぞ。

 わたし、なんだかんだいってもプロットの緻密な作品が好きなのね。
 キャラ萌えもするけどさ、まず第一にプロット。
 キャラ優先ストーリー破綻型の作品より、地味でも計算された作品が好き。

 『二戦』って、プロット緻密だよね。正塚作品の中でも、いちばんじゃない?
 三重構造なのはすぐにわかるとしても、この三重が、うまく機能しているの。
 きれいな計算式。
 まず、「現在」のシンクレアが、作家に過去を語る、というパート。これは最後の仕掛け。
 次に、「裁判」パート。これは「物語」を盛り上げるための道具。
 そして、「過去」。これがメイン・ストーリー。

 べつに、「過去」パートだけでもいいんだよね。士官学校卒業シーンからはじめたって。彼らに派手に歌い踊らせりゃあ、プロローグを兼ねられるでしょう。
 そして時系列に沿ってすすむ。最後だけ「現在」パートを入れて、年を取ったふたりの再会、で終わらせるのはぜんぜんOK。
 ふつうはこうでしょう。

 そこに、「裁判」パートをからませている。
 そのせいでややこしくなっているけれど、わたしはこの手法が好き。
 ミステリなんかではよく使われている手法だよね。
 事実の断片を提示することによって、謎を深める。

 まず、「すべては徒労だったのかもしれない」と「現在」パートのシンクレアの独白。ネガティヴ。
 そのうえ軍事法廷。裁かれる罪は「上官殺害」。軍隊において、最大級の罪のひとつ。
 いったいなにがあったのか?

 と、問題提起。
 なのに舞台はうってかわって、クソ明るい卒業式。希望と理想に燃えた青年士官。

 「過去」と「裁判」が交互に描かれることによって、謎が深まる。
 いったいなにがあって、シンクレアは犯罪者となったのか。

 シンクレアの青春が生き生きとしているだけに、裁判の暗く硬質な雰囲気が異様。明確なコントラスト。

 とても愉快で魅力的な司令官、ハウザー大佐登場と、その直後の裁判シーンが好き。
 「おいおいおっさん、大丈夫か」てな、とびきり愉快なハウザー。陽気でおちゃめ、だけど真剣に人間を信じ、手を取り合えるはずだと思っている人。
 ああ、いいなあ、このおじさん。「信じ合えばわかりあえる」……そんな理想を本気で信じ、そのために努力のできる人。
 思い切り笑って、ほっこりしたその直後。
 「裁判」パートでばっさりやられる。
 「ハウザー大佐は軍籍を剥奪」……なんでぇ?!
 あの愉快なおじさんが、魅力的な男性が、なにもかも失ってしまっているの?
 いったい、なにが起こったの。

 うまいよなあ。
 ここでこれを入れるかあ。

 「裁判」パートは、物語を盛り上げるための付加部分だから、なくてもいいものなのね。
 それによって謎が深まっているけど、同時に、ややこしくうざくなっている。無用だと思う箇所もある。
 だけど。
 やはり、この作品には「裁判」パートが必要だったと思う。

 ただの恋愛終始ものでなくすために。

 「過去」パートだけだったら、おぼっちゃまシンクレアくんの、恋愛事情だけで終始するおそれがあった。
 異民族の娘に惚れたがために、上官を殺した男になってしまうかもしれなかった。

 「裁判」という、硬質なベルトで、やわらかなタカラヅカ・カラーを引き締めた。
 そのことによって、シンクレアの恋がよりあざやかに浮かびあがる。

 彼は、異民族の娘に恋をした。
 それは何故か。
 彼は、上官を殺害した。
 それは何故か。

 すべてが必然だった。

 そこは多民族国家。中枢民族であり政権を持つ勢力の中に、彼は生まれた。軍人の家庭に生まれ、軍人に抱かれて育つ。愛国心と理想心。
 国をよくしたいと、彼は考えていた。だからこそ、異民族を理解したい、手を取り合いたいと思っていた。
 みんなが、しあわせであるようにと。
 そんな彼だから、異民族の美しい少女に惹かれた。
 異民族への親愛がなければ、そんな気持ちは最初から生まれない。

 士官学校を卒業した彼は、もっとも民族間の軋轢の激しい地へ、志願して赴任する。
 異民族と理解しあいたい。そう思っている彼が、赴任先で少女と再会したならば、恋に堕ちるのは当然のことだ。

 民族が異なっても、街の人々はやさしいし、花は美しい。空は美しい。歌は歌えるし、ダンスも踊れる。
 同じでしょう? みんなただ、しあわせになりたいと思っている。

 少女と、街の人々。少女への気持ちと、異民族への気持ち。
 どちらが先ではなく、一体となって盛り上がっていく。
 彼は少女を愛する。異民族を理解したいと思う。
 必然だ。
 彼が彼だから、そうなった。

 恋愛も政治的な事件も、同じことなんだ。
 どちらかを描いても、意味がない。
 シンクレアはシンクレアだから、そこにたどりついた。
 恋と軍人であること、どちらが欠けてもダメだ。
 だから「裁判」パートは必要だった。

 流れゆく時間の中で、「ここ」にいること。
 歴史の濁流の中で、ささやかだけどたしかに今、「ここ」にいること。
 その、一瞬のきらめきに似た恋の絶唱が、はかなくも美しい。

 これがふつーのタカラヅカなら、まちがいなく「裁判」パートはなかったね。
 恋愛事情さえ描ければ、それでいいのがタカラヅカ。それでいいのに、恋愛事情さえ描けていない作品が多いという、なさけないタカラヅカ。
 なのにあえて、「裁判」パートを描いた正塚に乾杯。

 わたしはそれまで、「あきらめていた」よ。タカラヅカをね。
 好きだから、あきらめていた。そーゆーもんなんだと。
 ああだけどごめん、謝るよ。
 タカラヅカにだって、できるんじゃん、こんなことが!

 プロットの美しさだけでなく、場面構成も美しい。派手なセットやスパンコール衣装だけが美しさじゃない。
 端正であること。余分なモノがないという、美しさ。
 それらも総合して、とてもすばらしい作品だった。

 以来、正塚ファンだ。

 未だ『二戦』以上の作品にめぐりあっていないけれど、いいんだそれは。
 これを創った作家だもの。
 わたしはずっと好きでいるよ。

            
 わたしとちがって、かねすきさんは忙しい人だ。
 話を聞いてると「あなた、人間の範囲を逸脱してます」ってくらい、忙しい。
 その忙しい人が時間をやりくりして、年2回、コミケ合わせに同人誌を作ってきた。

 でもさすがに「次の冬コミはお休みしましょう」と言ってきた。
 そうだね。あなた忙しすぎるもんね。
 ひとりで本を作る気のないわたしは、彼女がそういうならば従う。次はお休みしましょう。
 でも。

 齋藤くんの新作に萌えたら、「本作ろーよーっ」と叫んでいるかもしれない……。

 と、メールに書いたら、同意が返ってきたよ。

 『血と砂』レベルのものを見せられたら、血反吐吐いても本を出すでしょうとも。
 イッツ・オタク・スピリット!!

 
 なんかモーレツに『シャンゼリオン』が見たくなった。
 『仮面ライダー龍騎』で、悪のライダーをやっている萩野崇くんを見ていて。
 わたしと彼の出会い作品である『シャンゼリオン』が、見たくて見たくてしょーがなくなった。

 実はわたし、持ってるのよね、『シャンゼリオン』のビデオ。全話。
 友人のオレンジさんが、市販ビデオ全巻買ったんで、それをダビングさせてもらった。市販ビデオ全巻って、たぶん10万くらいしたはず。太っ腹だわ、オレンジさん。

 でもそれも昔のこと。
 どこにしまってあったかしら、と、捜索の旅に。

 よーやく見つけたビデオは、途中まで見てたまんまなんだろーな、巻き戻されていず、とても半端なところで止まっていた。
 まあいいや、とそのまま再生。

 24話「人生最悪のナンパ」からだった。

 ぐはぁっ!!(吐血)

 ……って感じ(笑)。

 いやあ、すごい番組だ。
 バカバカしいっちゅーかなんちゅーか……。

 わかってはいたよ。
 あまりにもショボイ作品だって。
 お金をかけられていないのが丸わかりの、着ぐるみ、人形、大昔の特撮テイスト。背後にピアノ線があるんじゃないかって目をこらしてしまう。
 放映は1996年。
 でもそれ以上に古い感じ。

 制作費がほとんどなくて、音声はすべて後録りだと聞いた。
 つまり、映像だけ撮って、あとから声を録音する。俳優たちは、まるでアニメや洋画の吹き替えのように、自分の演じている役の声を自分で吹き替えをしたわけだ。
 最初に見たとき、「これ、どこの制作? 香港?」と首を傾げたのは、どーみても日本が舞台なのに、香港映画を見ているような違和感があったからだ。
 吹き替えだったからなんだ。わかってびっくり。登場人物、口の動きと台詞が微妙にズレてんだもん。そりゃ変だわ。

 そして、映画の吹き替えを旬のタレントやアイドルにさせたとき、「声優って商売が別にあるのは、こういうわけなんだ」と納得するよね?
 ふつーにテレビで演技を見てる分には平気なのに、「声」だけだと、なんでみんなあんなにヘタかな!
 「声」だけで演技するのって、また別の技術なんだよね。
 だから、映画の安直なタレント吹き替えは、ヘタすぎて見ていられない。

 それと同じさ。
 見てられなかったよ、『シャンゼリオン』。
 演技、ヘタすぎ。吹き替え最悪。

 画面がショボイ上に、演技もだめだとなると……。
 さ、さむい。
 さむいよー。

 でも。

 わたしはやっぱり好きだ。

 「人生最悪のナンパ」、おもしろかったよ。ネタの隅々までおぼえてるのに、それでもまた笑ってしまった。
 ロケで使われた東京のモンスーンカフェに、ごはん食べに行ったよ……遠い目。

 特撮に興味のないわたしが、それでも見てしまったのがこの『シャンゼリオン』だ。
 昔見た特撮を逆手に取ったような、確信犯的内容。
 子どものころに『仮面ライダー』や『ゴレンジャー』を見ていた人なら、爆笑確実。

 子ども心に思ってたもの。
 なんでショッカーは幼稚園バスを狙うんだろう。なんで総理大臣になって日本を征服しないんだろう。アメリカの大統領になって核戦争を起こさないんだろう。
 小学生でも、疑問を持つよなあ。

 そしてこの『シャンゼリオン』。
 悪役の暗黒騎士ガウザー様は、東京都知事になった。ちゃーんと立候補して、選挙で勝って(笑)。
 なんて正しい悪の組織の怪人なんだっ。

 とことんギャグで、声をあげて笑わせてくれるのに。
 ……あの、最終回。
 あれはもう、反則でしょ。
 不覚にも泣いちゃったよ。
 オレンジさんは、あの最終回を見た途端「ビデオ買おう」と思ったそーだ。10万かかったって、ビデオを揃えよう、と。
 今までの、バカ丸出しのおちゃらけストーリーが、すべて、最終回で意味を持つ。そうか、あんなにバカバカしかったのは、しあわせで愉快だったのは、こんなに哀しい現実があったからなんだ……。
 油断して見ていただけに、テレビの前でガーガー泣いた……。
 とことん、裏切ってくれる番組だ。予測不能。

 そーいや当時、友人のミジンコくんが、大真面目な顔で聞いてきたな。

「新聞の番組欄に『シャンゼリオン』っていうのがあったんだけど、どんな話?」

 特撮だよ。変身ヒーローもの。

「でもね、あたしが見たときのタイトル名、“サバじゃねえ!”だったんだけど。変身ヒーローもので、“サバじゃねえ!”の巻、って、いったいどんな番組??」

 爆笑。ウケました。
 そ、そーだね、ミジンコくん。ふつーなにかと思うよな、いかにも特撮な番組名の下に「サバじゃねえ!」と書かれてたら。

 いや、そーゆー番組だったんだよ。
 特撮ヒーローものなのに、「サバじゃねえ!」(笑)。

 そして当時。
 暁と速水、どっちが受かで悩んだなー。(あ、暗黒騎士ガウザー様こと、黒岩都知事は受。これは迷いナシ)
 
 

 

リセット。

2002年6月18日 その他
 びっくり。
 カウンターとんでますがな。

 はじめての経験(笑)。
 なんでこういうことが起こるんだろ、そして何番までいってとんだんだろ、その場合、0からやり直しになったのかしら、とか、疑問いっぱい。

 やっぱ0からやり直し?
 だとしたら、それも変。

 わたしが最後に見た数字は、「491」で、朝の6時頃。
 次に見たのが昼の12時ぐらいで、数字は「12」。

 6時間の間にリセットされて、すでに11人がこのページに来たってこと? もしくは過去ログを調べたりして、カウンター回しちゃったのかな。
 いきなり11もカウントされてるのは、変。誰がそんなにここへ来てるのよ?(笑)
 老後の楽しみのために書いておくと、1日に回るカウンターは、平均7ぐらいです。多少前後するけど。
 たまたま新着コーナーにあがってたとかの、出会い頭の事故で来てしまい、「なーんだ」って帰る人がほとんどだと思うんだけどな。

 そういやいつだったか、いきなりカウンターが50くらい回ってたときがあったな。
 あれはなんだったんだろ。

 この日記を読んでいる人なんて、ほとんどいないし、カウンターなんてあっても意味をなしてないのだけど。
 それでも、リセットされてると、びっくりだわ。

 わたしのせいじゃないよね?
 わたし、なにもしてないよね? ね?

 今日は真面目に原稿書き。
 ナイスリーはいい。問題はビッグ・ジュール。書きにくいよ、こいつ。

 ワールドカップは、日本負けちゃったね。
 アンチなパパがうざいので、ママンがわざわざわたしの家にやってきて、ふたりでテレビを見ました。
 昨年の10月に、イタリアに行った。
 テロが起こってから、半月ほどだった。ベネチアとフィレンツェの2都市だけだったんだが、ベネチアは日本人がほとんどいなくてびっくりだったよ。
 そしてフィレンツェは、警官だらけでおどろいた……。

 行ったのは、去年の10月。
 今は6月。

 ああ、なのに。
 今ごろになって、できあがった写真を見せ合うために、集まるわたしたち……。

 のんきすぎるっつーの。
 半年以上も前の写真を、今ごろ。

 「イタリアに行くぞ!」ということで、にわかに集まったメンバーだから、生活に接点がなくて。なかなか、集まれなかったんだよなあ。

 4人で行ったのだけど、全員誰かとは初対面。わたしはキティちゃんとミジンコくんとは友だちだけど、フクスケさんとは初対面、ミジンコくんはわたし以外の人と初対面、というふうに。
 わたしはイタリア3回目だし、キティちゃんとフクスケさんは2回目、ミジンコくんはまったくのはじめて。
 行きたいところ、回りたいところがみんなばらばらで、結局個人行動多し。みんなマイペースだから。
 なかでも、いちばん言葉を喋られないわたしが、いちばん個人行動してたよなあ……写真を見ると、わたしだけいないものが、いっぱいある。
 そして、わたしひとりで行動していたときの、わたしだけしか見ていないものの写真も、多い。主に猫。イタリアまでわたし、猫ウォッチングしに行ってるよね……いつも猫の写真撮ってる(笑)。

「緑野ちゃんって、ものすごーくイケてる写真と、そうでないものの差がすごいよね」

 ……まったくね。
 あらこれ、きれーじゃん!(嬉)という写真と、このブス野放しにすんな!(怒)という写真が半々くらいある……。
 写真ってすごいよね、もとがブスでも、写りによってはそこそこ見られるよーになる。みんな、わたしを美しく撮ってくれ! 頼む! 写真の中だけでも夢を見せてくれえ。

 会ったのはお昼の12時、別れたのは夜の10時半。
 喋りすぎだよ、みんな……喉ヒリヒリ。

「じゃあまた1ヶ月後に」

 写真を焼き増しして、それを渡すために会う約束は1ヶ月後。
 っておい、旅行行ってから、何ヶ月後だよ?!
 のんきすぎるよ!!(笑)
 いつものお散歩コースを、変えてみた。
 通常わたしは、都心の方に向かって歩く。ウインドウ・ショッピングを兼ねるためだ。
 だが今回は、あえて町外れの方へ向かった。いつもは行かない中央図書館を目指してみた。

 読みたい本をネット検索したところ、中央図書館の書庫にあることがわかったんだ。
 いつも使っている図書館でも、予約さえ出せば運んでくれるのはわかっているが、大した距離じゃないのだから、自分で借りに行った方が早い。
 つーことで、中央図書館へ。

 じつはわたし、中央図書館で数年アルバイトをしていたことがある。
 だから、利用しなくなったんだ。知り合いばっかのトコは、利用しにくい。
 さて、あれからもう何年経つ? さすがにもう時効だろう、わたしもトシくったし、面バレもしないだろう。

 時が止まったような図書館は、相変わらず古くて汚くて、そして利用しにくい、一昔前の図書館として、そこにあった。
 徒歩で行ける距離に、他にふたつも図書館があるのは、老舗の中央図書館が、あまりに不便なところにあるせいだろう。昔はなんとも思わなかったけれど、福祉の充実が謳われる最近において、この不便さはなんだ? 身体の不自由な人やお年寄りはまず、ここまでたどりつけないよな。
 ハードだけでなく、ソフトも不備が目立つ。狭く息苦しく、蔵書も少なく、いいところのない図書館だ。……だから、あえて来る必要もなく、まったく利用してなかったんだよなあ。

 目当ての本を借りたあと、ふと思いついて、図書館裏の公園へ行ってみた。
 子どものころは、よく遊びに来た公園だ。図書館もまだこの不便な中央図書館しかなかったし、わたし自身余計な知恵がついていなかったので、満足して通っていたころ。
 公園と図書館は、セットだった。

 想い出の公園。

 しかし。

 図書館はまったく変わってないのに、公園は変わり果てていた……。

 なんだ?
 中途半端に、小綺麗だぞ?

 鬱蒼たる木々で飾られた、死体がこっそり転がっていそうな公園だったのに。
 探検とか肝試しのできた公園だったのに。

 なんか、きれーになってる。
 川が流れてて、池があって。
 みなさん、水遊びしてますがな。リゾートな雰囲気?

 ちょっとぼーぜん。

 10年ぶり……いや、もっとか?
 その間に、こんなことになってたのか。
 軽くひとまわりしてみたけれど、ほんとにきれーになってるよ……半端に。
 なんで半端かっていうと、造ったときはきれーだったかもしれないが、今は植物が伸びて、はみ出してる。管理はいまいち?

 図書館は変わってないのに!!

 公園と図書館なら、公園には変わってほしくなかったよ……想い出の場所が、跡形もない。
 理屈ではわかってるよ、公園は定期的に整えないと、危険だって。でもなあ、さみしいなあ。
 今はもう亡い人と、遊んだ場所。失った時間。好きだった男の子と歩いた道。冒険。
 それがみんな、根こそぎなくなってた……。

 図書館は、変わってないのに……。

 図書館こそ、進歩させようよ。
 あれが中央図書館だなんて、文化レベル低すぎるよ、マイシティ。

 さみしい想いと、重い鞄をさげて、帰路についた。

 ところで『ガイズ&ドールズ』の原作って、時代設定ちがうんだね。
 わざわざ中央図書館の書庫から出してもらった、ラニアンの『ブロードウェイ物語』。
 禁酒法の時代っすか!! 驚いた。
 つーか、第二次世界大戦前かよ。それって、現代じゃないじゃん……。

蛇の人。 

2002年6月14日 テレビ
 メル友と、『仮面ライダー』の話をしている。
 今放映されている、『仮面ライダー龍騎』の話だ。
 彼とその友人たちも、見ているらしい。

 わたしは最初の方に少し見て、そのうち見なくなってしまっていた。
 それが最近になって、再び見はじめた。それどころか、ビデオまで録っている。

 理由。萩野崇。

 ええ、その昔、『シャンゼリオン』でのーてんきヒーローをやっていた彼が、『仮面ライダー』に出る?!
 つーんで、あたふたと視聴再開。

 …………ストーリー自体、よくわかってないんで、メル友に聞いた。
 説明してもらったけど、やっぱりよくわからない。つーか、きちんと見ている友人も、「わかんないことだらけ」らしい。

 ま、いいか。

 萩野崇が見られれば、それでいいのだ。
 しかも。

 ……萩野崇って、ナルセに似てない?
 鼻とか顔の輪郭っていうか、雰囲気。
 シャンゼリオンのときは思わなかったけど、今の鬼畜極悪蛇ライダーだと、なんかこう、ナルセを彷彿とさせられる。あ、萩野くんの方がハンサムだけど(ごめんね、ナルちゃん。わたしあなたのファンだけど、あなたを美形だとは思ってないのよ……つーか、ファニーフェイスだよね、かなり)。

 つまり、わたしは二重の意味でたのしいのだ(笑)。

 ただ、このテの特撮は、狙いきったホモなので、そっちの萌えはありません。
 オタク女たるもの、据え膳に興味はないのです。

 でも、弁護士ライダーとその助手の「吾郎ちゃん」って、

>やっぱアレな関係なのかなぁ、、、、

と、メル友。
 やおいのDNAを持つ女じゃない、ふつーの男の人が見ても、そうとしか思えないわけですか。
 それって、なんなんですか。

 まあ、たのしーからいいんだけどね。

言論の自由。

2002年6月13日 家族
 アンチなんかきらいだ。

 アンチ**、という言い方があるよね。アンチっつーのは、「**でない」とか「反対」とかいう意味のはずだが。
 よーするに、「**が嫌いな人」って感じで通ってる言葉よね。

 最近この、アンチと戦うことが多くて。

 理屈じゃないのよ、わたしが今、毎日のように戦っているアンチは。
 **とゆーものが、世間的にどう思われているとか、どんな意義があるとか、それを愛している人がいるとか、日々努力している人がいるとか、まったく関係ないの。
 言うべきことは、ひとつ。

 「わたしは**が嫌いだ」。

 だから、「世間が**を持ち上げるのはおかしい」。

 「**をよいと言うものはすべて、まちがっている」

 「正しいのは、わたしだけ」

 理屈もなにもない。**の欠点ばかりあげるけれど、それが正しいも間違っているもなく、「**はくだらない」という結果に導くためだけに、事実も常識も湾曲する。
 ダブルスタンダードはあったりまえ。言ってることは支離滅裂。議論になんか、なりゃしねえ。とにかく、「**はくだらない。**なんてなくなってしまえ。**をよいというものすべてまちがっている」と言いたいだけ。

 ああまったく、なんでそんなに狭量なの、父よ?!

 争点は、ワールドカップ。
 父はワールドカップが、というよりも、自分が理解できない、自分の若いころに存在していなかった文化すべてが嫌い。
 毎日毎日、ワールドカップの話で言い争うはめに。
 なまじわたし、口がたつっていうか、議論好きだしさ。理詰めで武装しちゃうからさ。

 ああでも、同じスタンスに立たない、ただの駄々っ子相手にしても、疲れるだけだわ。

 べつにわたし、サッカー好きなわけでもないし、詳しいわけでもない。
 ただ、アンチの間違いまくった悪意の垂れ流し意見が、耳障りなのよーっ。
 がるがる。鼻息。

 ああそして。
 父なんぞと本気で議論してて、『ビッグマネー!』の最初を見逃してしまったことが、悔しいのよ、腹が立つのよーー!!

 その足でWHITEちゃんに連絡取って、ダビングさせてもらったけどさ。

 **の存在や、**を応援する人がいることさえゆるせない、正しいのは自分だけだと毒を吐くアンチへ、贈る言葉。

「私は君の意見には反対だが、君がそれを述べる自由は死んでも守る」−−ボルテール

 言論の自由。言いたいことは言ってくれ。だが、わたしも負けてないぞ。
 『こんな恋のはなし』(再放送)が無事最終回を迎えた。

 このドラマが放映された97年当時、真田広之はプライベートでモメて、世の女性たちのひんしゅくをかいまくっているところだった。
 おかげで『こんな恋のはなし』おもしろいよ、と言っても、「でも真田広之でしょ?(怒)」と返され、見てもらえないことが何度かあった。
 役者なんだから、本人がどうであれ、いい仕事さえしてくれりゃ、わたしはそれでいいけどな。

 共演の松嶋菜々子は、ブレイク前。他の出演者も地味。
 ……だからか?
 評価は高かったはずなのに視聴率はふるわず、ビデオは出なかった。

 オーソドックスなテーマとストーリーを、裏切ることなく忠実に、キャラを大切に描いた佳作。

 リッチマン(真田広之)とプアマン(玉置浩二)、プアガール(松嶋菜々子)、リッチガール(戸田奈穂)の立ち位置と、関与関係がすてき。

 なかでも秀逸なのは、リッチガールの描き方だろう。

 いちばん簡単なのは、リッチガールを「厭な女」にすることだから。
 悪徳政治家の娘で、主人公の政略結婚の相手。心の美しいプアガールの恋敵。
 ふつーなら、彼女は悪役だろう。
 彼女を心の壊れたサイコ女にでもすれば、いくらでも話は盛り上がり、視聴率も取れただろう。

 でも、あえてそうせずに、リッチガールを「もうひとりのヒロイン」として描いた。彼女の「成長」をも、描いてみせた。
 だからこそ、この作品は「せつない恋物語」として機能した。

 実際わたしは、彼女に感情移入しまくりだった。盛大に泣かせてもらった。

 しかし。

 わたしがこの作品を気に入っているのは、それだけが理由ではない。

 だって……。

 この物語の真のヒロインって、主人公のリッチマン、原島でしょ?(笑)

 幼少時の体験から、「愛も恋も信じない」と心を閉ざし、冷酷に事業家としてだけ生きてきた孤独な男、原島。
 彼は医者から「あと半年の生命」と宣告される。
 立ち止まってみれば、彼は「金」以外のなにも持っていなかった。
 周りはすべて敵。
 当然だ、そういう生き方をしてきたのだから。

 その、余命の宣告を受けた日。
 原島は運命の出会いをする。

 「金」はかけらも持たないけれど、あふれんばかりの「愛」を持った男、孝之助。
 孝之助は、原島が自分たちの工場を潰しアパートを取り壊そうとしている原島グループの会長とは知らず、無償の愛を与えてくる。
 孝之助はいわば、「敵」のひとりだ。だが原島は、彼に自分の正体を告げることができない。
 彼に微笑みかけてもらえる「今」を失いたくない……。

 いや、原島はもうひとり、孝之助の妹分の香織にも出会ってて、番組的には、原島の恋の相手は香織ってことになってるけど。

 孝之助だろ?

 原島の生き方を変えたのは、孝之助。
 香織はただ、「女だった」という以外に、孝之助に勝てるものはなにも持っていない。

 原島と孝之助のラブストーリーとして見ても、いい出来なのだ(笑)。
 抱擁シーンもデートシーンもあるしなっ。
 あの別荘で、原島、なんであんたシャツの胸元開けてんの?! と、わたしと友人はつっこみましたものよ、本放送時。

 当時大事に録画したテープはあるけれど、やっぱデジタル化したいから、がんばって録画しました、今回。
 再放送ゆえカットされているスポンサー紹介や次回予告、CDプレゼントのお知らせ等も、昔のビデオからダビング、編集加工して、完璧なデータを作りました。
 がんばったぞ、わたし!(笑)

 ただホモなだけでは、萌えない。
 物語として完成度が高くなくては。
 魅力がなくては。

 そのうえでホモなら、二度オイシイのだ(笑)。

 この『こんな恋のはなし』で映りが良かったから、「真田広之と松嶋菜々子で映画? それなら見に行きましょう」ということになって、わたしはあの『リング』を見に行ってしまったのだ……。
 これもまた運命。
 ブンちゃんと目が合ったわ!!

 一瞬だけど(笑)。

 友人のキティちゃんは、「今リカちゃんと目が合ったわ! リカちゃんはあたしを見たわ!」と、本気で言う。
 あのー、ここ、A席なんですけど? てときにも「オペラグラス越しに合ったもん!」と言ってはばからない。
 それを見るにつれ、「ファンってのは、すごいよなー」と思う。

 しかし。
 今日はわたしも言うわ。
 ブンちゃんは、わたしを見たわ。

 ブラボー、1列目!

 ……すみっこの方なんだけどね。それでも、腐っても最前列だ。いろんな人と目が合う!!(笑)

 というわたしは、今日もまたタカラヅカ。
 ほんとにもー、しょっちゅー行ってるわねえ。そりゃ阪急電車の回数券も使い切るわよねえ。

 今日も殿さんと一緒だったんだけど、彼女は「新しい萌えを見つけたわ。かしげ×ナルセ!」と言ってよろこんでいた。
 うーむ、かしげに甲斐性があれば、わたしだってそのカップリングに萌えたわ。好きこのんで「まりえさん×ナルセ」とかゆー、超渋カップリングにハマってるわけじゃないわ。
 あ、お芝居の役の話ね。生徒さん個人にはなんの妄想もしてません。
 まあ今回は、「キム×コム(リバ可)もいいかもなあ」と思ってみたり。お芝居の話ね、繰り返すけど。

 で、今日のメインな話題。

 わたしも殿さんも、『追憶のバルセロナ』の半端っぷりがゆるせないのだ。かゆいところに手が届かなくて、いらいらするのだ。
 そんでもって。

「いっそのことさ、正塚の脚本を、齋藤くんが演出するってのはどーだ??」

 とゆー話になったのだ。
 if話ってやつっすねー!

 もしも、『追憶のバルセロナ』を齋藤くんが演出していたら!

「まず絶対、ナルセ・アントニオの拷問シーンがあるっ!!」

 かしげクリストフ大尉が、縛られたナルセをびしばしやってくれたことでしょう。
 クリストフは「妄執の人」ととなり、最初から最後までアントニオをいたぶりまくることでしょう。

「英雄“黒い旋風”ブン・フランシスコを仲間たちが囲んで、『黒い旋風!』って叫ぶ!」

 ストーリーを中断して、黒い旋風たちの群舞がはじまる。銀橋で決めポーズはあたりまえさね。
 そのときに「おれたちはお前について行く!」とか「おれたちの命はお前のものだ!」とか、仲間たちに口々に叫ばせること。

 そしてブン・フランシスコはとーぜん、

「この復讐を果たすまで、フランシスコ・アウストリア、邪悪の神にこの魂売りわたさん!!」

 と叫ぶ。この台詞は一言一句変えてはならない。

 あと、母親が死ぬシーンも絶対いるな。息子の身を案じながら死んでいくの。

 そして、運命の皮肉に傷つくブン・フランシスコを抱きしめ、まひるイサベルが、「あたしがあなたを守ってあげる」と言う。

 ブン・フランシスコとナルセ・アントニオの、火花を散らすようなダンス。背景は赤。運命のいたずらで敵になってしまった親友同士! を強調。

 公開処刑襲撃シーンでは、ジプシーの仲間たちが、ブン・アントニオを先に進ませるために、ひとりずつ死んでいく。

 ストーリーなんかわけわかんなくなってもいいから、とにかくハッタリ、とにかく決め台詞、とにかく決めポーズ。

 ラストのハッピーエンドを変えないで終わらせるなら、襲撃の混乱の最中、群衆たちのなかでフランシスコが演説、仲間たちの鬨の声、「あなたについて行くわ!」と寄り添うイサベル、そのまま超派手な全員のダンスへ。
 ジプシーたちが踊り、その場を奪うようにフランス軍人たちが踊り、あとは総踊り。そこへ逆光のなかから、着替えてきたフランシスコ登場! マントは必需品!!
 ギターの音もドラマチックな主題歌を全員で歌い、幕が下りる。

 ……てのはどうだろうね?
 齋藤せんせ、やってくんねーかな(笑)。
 大劇でもウケると思うんだけどな、齋藤くんのベタな才能って。

 つーか、見たいなー、拷問されるナルセ……。でも相手がかしげじゃつまんないかなあ(失礼な)。
 3日も引きずるのはどうかとも思うが……。
 今日もまた、TCAの話だったりする(笑)。

 TCAとは、「お祭りだから許せる」という、イレギュラーなものだ。
 客席にいるのは、ファンばかり。タカラヅカをはじめて観る団体客などは、いないだろう。
 だから、いつもの大衆主義を捨てて、「ファンを愉しませる」という主眼で構成ができる。

 ムラでのLOVEも、東宝てのDREAMも、その点では同じスタンスだろう。
 LOVEでは1部で、トップスターがちがう組のトップ娘役と組む、ということをわざわざ「おたのしみください」と台詞で言わせた。2部はお笑いショー、これはスターの個性を知っていないと笑えない作り。
 つまり、完全に「スタンダードを熟知している人」へのプログラムだ。
 DREAMではスターのプライベートな写真を公開し、それについて生のコメントをさせた。完全なファンサービスだ。
 ムラにしろ東宝にしろ、TCA以外では反則でしかないことを、やっている。万が一、生まれてはじめてヅカを観る人がいたら、盛大に引くだろーし、軽蔑される可能性もある。
 見事な「内輪受」な内容だったからだ。

 でも、これはTCA。だからぜんぜん、OKよ。

 ただ、同じ「内輪受」でありながら、ふたつの作品に明らかに差があったことが、くやしいだけ。

 トップスターさんというのは、とても忙しいんだよね。だからあれが精一杯なのよね。……そう自分を納得させるしか、ないなあ。
 LOVEの方のことね。
 1部の、別の組の娘役とのからみ……わざわざ「おたのしみください」と言うから期待したら、なーんだ、ただ一緒に歩くだけか。ダンスはナシなのねー。
 ははは、たしかに新鮮ね、手をつないで歩いてる。…………これを、たのしめと?
 全編、ただ、歩いて歌うだけの構成。1人出てきて、1人で歌う。また1人出てきて、1人で歌う。トップさんはとくにこの傾向。梅コマの第2部、「北島三郎、大いに歌う」とかのノリっすか。
 TCAである意味、ほとんどないっす。
 だって、いつも1人だけなら、5組揃う意味ないじゃん。
 唯一、まともにメンバーが絡んだのは、お笑い歌謡劇、「のど自慢大会」だけ。
 ええ、あってよかったわ、「のど自慢大会」。これがなかったら、TCAの意味が皆無だった。1人で別録りしたテープを、あとで編集して1つの作品にしたみたいに、みんな1人ずつしか出てこないんだもの。

 で、このTCA LOVE、なにがしたかったの?

 とてもわかりやすい、簡単な失敗例として、興味深い作品だ。

 トップ5人は、平等でなくてはならない。娘役も、それに準じる。専科も、ないがしろにしてはならない。
 つまり、全員が主役クラス。脇役なし。

 ……そんな作品、つまらないって。

 緩急のつけようがない。
 いつも同じテンション、同じレベル。誰も1番になっちゃだめ。
 MCも台本通り、ぬけがけナシ、ヒーロー不在を要求。気持ちよりも形式重視。

 わたしが演出家でも、アタマかかえるな、こりゃあ。
 いったいどんな演出をしろっていうんだ。
 しかも、トップスターさんは忙しいから、揺れるだけの振りで歌うのが精一杯、相手役が必要な複雑なダンスも演技も、お稽古時間がとれないからできない。
 ほんと、ただひとりずつ歌わせるしか、ないか。
 でもそれだけじゃあんまりなんで、「のど自慢」。これなら出演者グループごとの練習が可能。全員そろわないと一歩もすすめない構成じゃない。

 舞台裏に同情はするが、それでできあがった作品がアレじゃあ、評価できないわ。選曲含め、センスは最悪だったしねえ。つーか、本気で作ってアレだったの? ファンをバカにして、手を抜いて作ってない??

 舞台は、トップスターだけでは作れない。
 さまざまな人たちがいる、その中央に立つからこそトップスターは輝き、タカラヅカの醍醐味はそこに生まれる。

 そのことを、再確認させてくれた。
 この、わっかりやすい失敗作で。

 LOVEを観たあとに、東宝DREAMを観て。
 ほっとしたよ。こちらは、ちゃんとピラミッドが形成されていた。
 タカラヅカだった。
 メインになるのは組内2番手の男役たち。かれらより少し露出を抑えるかたちで3番手たち。その下に娘役たち、さらに下に花組の若手たち。
 そして、トップというかたちで、トド、娘役トップというかたちで檀ちゃんが現れる。
 見事なまでに、2、3番手男役たちの魅力をアピール!! することを目的に作られてるなあ。完全なファンサービス。娘役は総脇役状態。
 トドはトップスター、冗長になる舞台を締める意味でも、お笑いなし。芸だけ勝負、おもしろみはなし。でも、この人の立場と芸風に合っているから、適材適所。
 檀ちゃんは、娘役で唯一無二の扱い。男たちにかしずかれる女王の位置だ。されどお笑いにも参加、そのへんの立ち位置がうまいね。
 プライベート写真の使用とMCは諸刃の剣、失敗すると最悪だが、うまく使ったもんだ。やっぱテーマを決めてあったのが、強いな。

 こちらの作品も、ある意味興味深い。
 徹底した男役重視。娘役はただの背景。
 タカラヅカの性質を、剥きだしにしている。

 わたしは、LOVEを失敗作だと思っている。そして、DREAMを成功作だと思っている。
 それは、出演者がどーこーではない。作品として、だ。
 どちらも「お祭り」ならではの「内輪受」作品、3回限定だから許される、という前提で作られたもの。
 なのに、あからさまな明暗。

 タカラヅカであるなら、トップスターを中心とした、ピラミッドは崩してはならんのだ。
 いや、ヅカじゃなくても、「作品」ならそうだろう。
 登場人物すべてが同じ扱いのTVドラマが、おもしろいもんか。同じ色一色で塗りつぶした、背景も人物もわからなくなった絵を見て、なにをたのしめというのか。
 まちがってるよ。

 みんなが大好きな主役だけ出して、主役だけの扱いをして、さあよろこびなさい、なんて、バカげてる。

 タカラヅカが、タカラヅカであることを、忘れないで。

 あー。
 企画段階から、まちがってたよね……今年のTCA。
 たとえ、どんなに「所詮TCA」であっても、今年ほどひどいものじゃなかった。だって最低限それは「タカラヅカ」であり、トップスターを中心としたピラミッドが形成されていたのだもの。

 それでも。
 草野球チームのユニホームを着たナルセは、かわいかった……。

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