昨日からのつづきね。

 
 数珠職人になりたいと、その日わたしは心から思った。

 数珠の専門店があってだね。
 わたしと弟は数珠を見ていたのさ。

 わたしもいちおー、数珠は持っている。祖母の形見だ。翡翠でできていて、きれいで手触りもいい。
 自分の数珠を気に入っているだけに、これ以上数珠を買うつもりなんかなかったんだけど。
 ふつーに生きてる若者(……と言ったらマズいか? でも独身だからまだ気分は青春)だから、数珠のことなんかなんにも知らないし、まともに見ることもない。
 が、あらためて数珠という文化に触れてみるとだ。

 なかなかどーして、奥が深い。

 デザインが豊富だ。
 ババ臭い、いかにも年寄り以外よろこびそうにないものも、そりゃあるにはある。
 だが、美しいものも、たくさんあるのだ。
 や、マジ、きれいだよ。びっくり。
 アクセサリー・ショップと変わんないよー。
 水晶、珊瑚、翡翠、ウッドビーズ、装身具に使われているものと変わらない。デザインだって、そりゃカタチは数珠だけど、そのビーズを使った色合わせは独立したアートだったよ。
 そっか、数珠って芸術のひとつなんだ。
 ネックレスが宝石やらをつないでデザインされているのと、同じ感覚。
 いくらでも美を追究できるものだったんだ。
 そして。
 もひとつアートだと思ったのは、「値段」ですわな。
 …………高い。
 店頭には数百円から数千円レベルの、どーってことないものが並べられていたけれど。
 店の中には万円単位のモノがあった。
 このへん、なかなかにきれい。
「これ、2万円かあ」
「きれーだねー。このカラーリングはおしゃれだよー」
 てな会話をしているわたしと弟は、商売柄、あることが気になってしまう。

「2万円の商品を、こんなふーに無造作に陳列するのか……」

 壁一面にフックがとりつけられており、そこに数万円の数珠たちが、むき出しでぶらさげられているのね。

 包装もなにもなし。いくらでも手に取れる。店員も近くにはいない。

 これ、小売店勤務経験者としては、相当こわい状況です。
 いつでもポケットに入れられるよ? つーか、手のひらに握りこむことだってできちゃうよ。
 万引きし放題。
 縁起物だから、盗む人はそうそういないとは思うけどさ。
 こんなふうに無防備に陳列していいのは、せいぜい数千円の商品までだよー。いや、わたしの働いていた店では、数千円の商品でも万引きされないように店ぐるみで必死にガードしてたぞ。
 それくらい、万引きってのは深刻な問題だ。店側が努力しないとなくならない犯罪だ。
 小さくて高価なモノは、絶対にショーケースの中。コレ常識。
 なのにこの珠数屋さん。5万円とかでもあったりまえにむき出しでぶらさげられてるよ……。
 これ盗んで、質屋に行ったらいくらかにはなるんだろーなー。
「棚卸し、大変だろうな」
 と、現役販売員の弟はつぶやいていた。うん、基本が手作りっぽいから、ひとつひとつ微妙にデザインちがうもんね。バーコードもPOSシステムもなさそーな、この店の棚卸し作業は、考えただけでも目眩がするよ……。
 数万円の商品でもむき出し、の店だ。いちばん奥にショーケースがあったから、期待したさ。いったいいくらの商品様が、栄えあるショーケースに鎮座できるのであろうかと。

 はい、もちろん10万円以上、でした。平均50万かなあ。100万OVERもあったよ。

「ひゃくまんえん……」
「それでも、この扱いかー」

 ショーケースったって、宝石店のやうなものではなく、田舎の駄菓子屋程度です。そこに無数の数珠がぎっちり詰め込まれている。
 とても100万様の居場所には見えません。

 でもさすがに、きれーだよ。
 宝飾品だ。
 わたしは48万円のラピスラズリの数珠が、特に気に入った。傷ひとつない大粒のラピスをこれだけ使ってあるんだもん、そりゃ値段も張るだろーさ。ブレスレットにしたい感じだよー。

「恐ろしい世界だな。ブランド名とかなくて、この値段なわけだろ」
 弟はしきりに感心している。
 まあブランド名だって実はあると思うけどね。巨匠の**作、とか、老舗の**工房作、とか。でもこの無造作な売り方は、とても名前で売っているようには見えない。
 深い世界だ。

 わたしは手作りアクセとか好きだからさ。
 数珠にも思わず萌えてしまった。
 美しい数珠が作りたい!
 持つ人をしあわせにするような、癒すような、そんな静かな美しさ。
 いいなあ、数珠職人。数珠デザイナー。
 なってみたい職業のひとつだ(笑)。


 さて、珠数屋さんをあとにして、向かうは奥の院、弘法大師御廟。
 書きたい話題はあとふたつなんだが、また文字数エラー出ちゃうかな。


 奥の院へ向かう道は、巨大な墓場。
 石塔、墓石がニョッキニョキ。
 これがもう、感動的。まさにテーマパークだよ。現実の世界ではありえない。
 夜はひとりで歩けないね。こわすぎる。
 天高くそびえる杉の木。その大きさが、まっすぐさが、感覚を失わせる。見上げるとそのまま後ろに倒れてしまいそう。それが何百本と連なる。
 太陽はたしかにあるのに、光が足りない。ここは暗い。
 わたしたち人間が知り得ない時間を過ごしてきた巨木たち。
 その間に鎮座する、苔生した墓石たち。
 ここが別世界なのは、時間の流れがチガウからだ。
 戦国武将の墓がつづく。明治以後の大戦での戦没者たちの墓がつづく。
 巨大な卒塔婆、石に刻まれた梵字。あざやかな布で包まれた地蔵菩薩。
 並ぶ石像、ひとつだけ首がない。
 木々の緑、地球の表面、遠い遠い宙。

 どこか他の空間につながっていても変じゃない。
 キツネ面をつけた和服の子どもが走り出してきても、白い着物を引きずった顔の見えない女がよろよろ歩いていてもぜんぜんOK違和感なし。落武者や僧兵もOKね。
 この雰囲気は、他で出せるモノじゃない。
 そうしていたら、お坊さんの行列がやってきた。袈裟を着たお坊さんたちが20名ほど?合掌しながら歩いてくる。
 石畳みの下駄の音。夏の色濃い緑と青い空、灰色の巨大な墓石群、そして目にいたいほどの、あざやかな袈裟の黄色。
 きれいに2列になって、通り過ぎる。
 …………こわいっす。
「パレードだな」
「さすがテーマパーク」
 わたしたちはささやき合う。うむ、なんてこわいパレードだ。

 奥の院のすみっこにあった「納骨堂」には、とどめをさされたな。

 なんて名前の建物だったか、調べずに入ったんだけど。
 建物すべてに燈籠が飾ってあった。見渡す限り、燈籠。壁も天井も隙間なくびっしり燈籠。黄色い灯がともっている。きれいなのか、こわいのか、とっても微妙。
 その建物の外にあったのよ、納骨堂。小さな祠。
 納骨堂だとは知らずに近寄った。仏像でもあるのかな、てな気持ちで。
 扉は閉ざされていて、中は見えない。だから回りを一周して、順路にもどろうとした。そのとき。
 ふと、文字が目に入った。
 その祠には、びっしりと字がかかれてるんだ。
『また会いに来るね』
 そう黒いマジックで書かれていた。あとは日付と名前。
 会いに来る?
 わたしは他の文字も読んでみた。
『今日は**とふたりで会いに来ました。』
『ずっと見守っていてね。』
『また来ます。』
 なんなんだ、これは。
 わたしは祠の正面に戻り、古い看板を読んだ。
 納骨堂、と書いてあった。

 会いに。

 もう、今は亡い人に、会いに来たのか。

 納骨堂ったってね、めちゃ小さな祠だから、ほんとうに遺骨が入っているかどうかは、あやしいと思うよ。だけど人々は、ここにやってくるの。
 愛しい人に会いたくて。
 忘れられなくて。

 死んじゃった人には、会えないよ。そんなの常識。
 ここに書かれたメッセージだって、ほんとうに死者に会えた人のものなんか、ないだろうさ。みんなただ、この祠で手を合わせて、「会った」気分になってるだけだろう。
 自己満足よね。
 でもさ。

 無機物でしかない祠に手を合わせて、亡き人に語りかけずにはいられない、人間の情の深さに哀しさに、わたしは涙が出るよ。
 人間てさあ、愛さずにはいられない生き物なんだねえ。
 祠に『また会いに来るね』なんて語る生き物が、他にあるかっつーの。この宇宙にどれだけの生き物がいるか、知らないけどさ。

 「心」があるってのは、痛いことだねえ。

 今はもう存在しない人を、想っているなんてさ。
 生存することに、関係ない想いでしょ、そんなの。
 食べて寝て安全に暮らす、それ以外のことじゃん。
 そんな、「生存に不必要」なことに一生懸命な、「人間」という生き物がわたしは好きだ。

『ずっと見守っていてね。またいつか会おうね。』

 うん。もう今はいない、愛する人たち。
 またいつか、きっと、会えるね。わたしは100まで生きるつもりだから、ずっとあとのことだけど。
 わたしが大好きな人とも、ついに好きにはなれなかった人も、いつかきっと、また会おうね。


 なにから語ればいいのやら。

 おもしろすぎだよ、高野山!!

 今日は家族恒例の、夏休みPART.2。
 家族4人そろって行楽地へ遊びに行く日。
 本日の目的地は真言宗の総本山、和歌山県の高野山だ。

 コミケ旅行の疲れも取れないままだから、体力的にはキツかったんだけどね。我が家の遊びは歩くのが基本。体力勝負。さすがに最後の方は膝がイカレてきて(痛くて曲がらないのよー)、片足を引きずるハメになりましたが。
 でも、たのしかった。
 我が家族はわたしの膝に同情したり労ったりはしませんから、手加減なしで最後まで遊び優先。そしてわたしも、多少の痛みは無視してついていく(笑)。

 高野山に行くのは、おぼえている限りでは2回目。ほんとは3回目らしいが、ガキのころに連れて行かれたのは、おぼえてないんだ。
 前回は母とふたりだった。なんで母とふたりで高野山に行ったのかは不明。行ったことはおぼえちゃいるが、理由はわたしも母もおぼえていない。

 えーと、我が家の連中は全員が寺や神社の類が大好きだ。父と母はどこぞの寺へ行く途中に出会い、はじめてのデートは東大寺と二月堂だったというくらい、若いころからナチュラルに日本文化が好きな人たちだった。
 わたしも学生時代は文芸部と歴史部に所属し、顧問の歴史学教授にくっついて寺などを巡っていた。弟は史学科卒で日本史オタクだ。
 家族でお出掛け、というと、高確率で史跡や寺社巡りになる。

 だから、高野山行きはまぎれもない「行楽」だ。
 我が家は真言宗なので、高野山は馴染み深い。が、宗教云々以前に、好きなんだよね、お寺って。

 ロマンだもん。

 高野山でいちばん最初に感動したのは、お寺の多さ。
 どこを見ても、お寺がある。
 寺だけじゃなくて、神社だとか、辻々の祠やお地蔵様、いわくありげな石碑。
 ここでは日常に、あったりまえに「神秘」がある。

 高野山は、いわばテーマパークだ。

 おもしろさが詰まっている。
 わたしがここを好きにプロデュースしていいのなら、ほんとーに「テーマパーク」にしちゃうよ。
 お寺とか、すべて今のままで保存。宗教的なことはわからないが、そのまま信仰し、生活していてくれ。
 ただ、もっともっと、ここをたくさんの人にたのしんでもらえるようにする。
 まず、拝観料は廃止。そのかわり、ディズニーランドみたいに、パスポートを販売する。5500円で、1日どこのお寺にも入れるようにするの。
 100以上あるっていうお寺の「売り」を調べて、「うわ、どこから回ろうか」とわくわくするようなカタログを作って入口で配布。スタンプラリーもやるぞ。
 パーク内は別世界、一般自動車は一切禁止。「時が止まったような」中世時代のロマンあふれる空間なの。
 一般自動車の代わりに、無料で乗れるエコ系の車は必要だけどね。お年寄りが気軽に移動できるように。
 初心者はまず、金剛峰寺などわっかりやすいところから攻めていこう。スタンプラリーも「初心者コース」ならすぐに集められるようになっている。
 だけどスキルが上がってきたら、ぜひ小さめの寺社をアタック。クイズを解きながら、スタンプを集めるのだ。
 上級コースになれば、町角のお地蔵さんや道から外れたところにある小さな祠までもチェックしなければいけなくなる。
 宗教の善し悪しだとか、優劣は問わないこと。信じる信じないもナシ。
 それよりも、「それを信じていた・信じている」日本人たちの文化、として受け入れ、愛してみよう。
 「仏なんてナンセンス。祈れば救われるなんて、バカじゃないの?」と笑うのではなく、それを信じて美しい仏像を作った人々の真摯さを、荘厳な建築物の美しさを、堪能するんだ。
 うん、正直わたし、宗教ってぜんぜんわかんないからねえ。
 ただ、「信じる」ことによってなにかを為し得る、「人間」という生き物が好きなんだ。

 わたしは宗教都市・高野山をとてもたのしいところだと思った。
 わくわくした。
 だから、テーマパーク化なんてものを、弟とふたりで考えてたのしく談笑した。
 …………や、悪気はないです。愛ゆえです。でも、真面目な宗教関係者がこんな文章読んだら激怒しちゃうのかしら。

 まー、そーゆー与太話はともかく。

 金剛峰寺。ここがもー、素晴らしかった。
 わたし、建築物って好きなのね。自然よりも人間が造ったものが好き。
 だから本殿つーんですか、メインの建物にとても感動しましたですよ。
 おもしろいんだもん、造りが。生活の知恵がいっぱい。しかも複雑怪奇。ここの上がこうなりますか、ここにこうつながりますか、ほえー、すげーなー。
 あきることなくくるくると、あちこち見て回りました。
 特に台所に感動したわ。

 それからあの派手派手な大塔。正気ぢゃねーな、と苦笑したくなるカラーリングに乾杯。

 あと、弟のオススメNo.1だった刈萱堂。
 弟は春ごろに友人と来たばかりだったから、記憶も新しいということでいろいろ案内してくれたのね。
 彼がぜひわたしに見せたいと言った、刈萱堂。

 …………大ウケ。

 爆笑してしまいました、はい。

 えーと、もちろんそこは、お寺関係の建物です。ありがたーい場所です。
 しかし。

 ええ、なにも予備知識のないわたしは、弟に先導されるままに入りました。
 どうやら仏教、高野山のお坊さんにまつわる物語が、いかにもありがたそうな押絵で表現されているのです。
 絵が並べられているだけで、物語は書いてありません。話を知らないと、ちっともわかりません。
 でもまー、出家のシーンがあったり涙に暮れるシーンがあったり、なにかしら感動的な物語なんだろうなあ、と想像します。
 何十枚かあったかな。連作の絵です。
 それらを見終わった後に、よーやく物語を教えてもらえます。
 出口のところに、絵本が置いてあるの。
 わたしが手に取ったのは、「2歳〜6歳向け」のオールひらがなで書かれた「文字をおぼえようね」てな意図で作られたぬりえ絵本でした。
 とってもシンプルでかわいらしい絵で、ひとめで好感。あら、いいわね、これ。と読みはじめる。
 そしたら。

 …………ものすげー内容だった。

 妻のある男が若い娘を愛人にして、妻のいる本宅に一緒に住まわせるのよー。で、妻と愛人はバトル開始、憎み合うふたりを見て男は反省、出家してしまう。
 妻は愛人を殺そうとするんだが失敗、愛人は身を隠した先で子どもを産む。愛人と子どもは、元凶であるところの助平男が高野山にいると聞き、会いにやってくるが、高野山は女人禁制、幼い子どもひとりが父をたずねて三千里。
 僧になった助平男と子どもは再会するんだが、男はもう俗世とは関われないっちゅーんで親子の名乗りをせず、子どもの父は死んだと嘘を教える。
 傷心の子どもは母の元へ一旦帰るが、なんてこったい、母はもう亡き人に。天涯孤独な子どもは、高野山で会ったやさしい僧を頼って再び男の元へやってくる。そして子どもも僧になり、男とふたりで仏教三昧。生涯親子の名乗りをあげずに、清く正しく美しく暮らしましたとさ。

 って、こんな物語を、オールひらがなで、かわいいイラストで、書いてあるのよ。
 をい。こんなもん、幼児に見せていいのか??
「どーしてこのおとこのひとのおくさんは、おとこのひとのつれてきたおんなのひとのことを、いじめたの?」
 とか、無邪気に聞いてきたら、なんて答えるんだ?

「これって、美談なの?(笑)」とわたし。
「美談なんちゃうん?(笑)」と弟。

 女房持ちの男が、若い娘に手を出して家庭を崩壊させた、って、そーゆー話だよね……。
 そしてその女房も愛人も子どもも誰ひとりしあわせにせず、償いもせず、勝手に逃げ出して仏様にすがって自分ひとり救われよーとした話、だよねえ。
 そりゃまあ、時代がちがうから。倫理観もちがうわけで。この助平男のしたことは、罪でもなんでもないのかもしれんし、どんな罪だろうと出家したからノープロブレム! なのかもしれんが。
 今の感覚で言うと、相当ひどい話だぞ……。
 なのにそれを、力業で美談にしている。
 すっげえ。
 「名乗れぬ親子」ってことで、ものすごい美しいシーンとして描かれているのよ。
 いやそもそも、今ここで子どもを不幸にしているのは逃げ出したアンタやん……。それを棚上げして「なんてかわいそうなわたし」って酔われてもな。

 意識のギャップに、笑うしかなくて。
 しかも、これもやはり時代でしょうな。そのかわいらしい絵本の他に、いかにも古くさい劇画やカラー絵本が置いてありまして。
 ええ、その物語を『ゴルゴ13』に梅図かずおの恐怖マンガを足して2で割ったようなタッチの劇画(コミックじゃないっす。劇画っす)にしてあったり、戦前のかほりのする児童絵本にしてあったりするのだわ。
 もー、こわいっつーか、おかしいっつーか。
 物語をわかったうえで、あのありがたい数十枚の絵ももう一度見て回りました。
 笑いが止まらなかったよ……。
 ごめんね。感動物語なのに。つっこみしか出てこなかったよ。(某谷先生や植田巨匠の作品を観たときのやうだ)

 文字数エラー出ちゃったよ。
 まだ書きたいことがあったんだが。


 旅行分の日記を一気書き(笑)。

 さて、今日の早朝無事帰着しました。が。

 初体験、夜行バス、交通事故に遭いました〜〜!!

 夜行バスの利用回数、たぶんもう3ケタ近くになってるはずだけど、はじめてだよ、事故は。
 高速道路で後ろから接触されたらしい。
 つっても、とっても軽い事故だったんだがね。

 変な止まり方するなあ、と思ったら、放送がかかった。
 接触事故のため、しばらく停車する、と。
 警察の現場検証がどーのと。
 じきに運転手さんが現れ(わたしたちの席は2階)、接触の衝撃でケガをした人や気分が悪くなった人はいないかと座席を回って確認。
 大丈夫、みんな無事だよ。現にWHITEちゃんなんか、ぐーすか寝たまんまだったよ(笑)。
 パトカーはやって来るし、バス動かないし。
 いつ帰れるのかなー、めんどーだなー、と思いつつも、まあべつに急いでいるわけでもないのでとてもお気楽。
 WHITEちゃんは今日宙大劇と花バウ千秋楽見る予定だから、時間が気になったろうけど。
 はじめて、名簿作成に協力を求められた。もしなにか問題に発展したときに必要なんだろうな。ケガとかの保障で。名前と電話番号を記入。

 でもま、ほんとに大した事故ではなかったので、バスはやがて走り出した。

 やれやれ。

 今ごろWHITEちゃんは花バウを観ているころだな。
 爆睡してなきゃいいけど。

 
 旅とは、非日常のことである。
 まとわりつく日常、ケガレを解脱し、祭りを味わうハレの日である。

 だのになんで、旅先でチケ取りしてるのかな、わたしたち?!(笑)

 ええ、よりにもよって星バウ発売じゃないですか。
 待ちに待った齋藤くんの新作ですよ!!

 ぴあでいちばん並びができるとは思えないので、某コンビニチェーン店を探す。ええ、前日のうちにね。
 1軒じゃだめよ、2軒ね。だってわたしとWHITEちゃん、ふたりともチケ取り予定だもん。
 そしてそれぞれターゲットのコンビニへスタンバイし、時報と同時に受話器を握る。
 リダイアル、リダイアル、リダイアル……!!

 はい。
 無事にチケット取れました。
 わたしもWHITEちゃんも。

 …………だーかーらー、旅先でなにやってんだ、わたしたち。
 今のところ星バウ、わたしは初日を含めた4回分のチケットを確保。WHITEちゃんは3回分。これくらい押さえておけば大丈夫かな。千秋楽も欲しいんだけどなー。

 ところで、トド様コンサートのチラシが手に入りません。
 あちこち探し回ったんだけど。問い合わせもした。
 ちぇーっ。

 存分にチケ取りをしたあとで、さて本日もまた夏コミへ。
 並ぶのが嫌だから、お昼から入場。

 タカラヅカ・サークルは相変わらず少ないです。しょぼん。
 観劇記録はいりません。そんなのネットで読めます。写真を模写しただけのイラストも、べつに興味ないです。
 それよりわたしは「作品」が読みたいのです。

 なにも買わないのもさみしーので、ワタル兄貴本を買いました。

 そうそう、カタログには「やおい」を謳ったサークルがあるようでしたが、わたしが見たときはそこは留守でした。ずーっと留守でした。
 だからどんな本があったのかも知らない。

 そうそう、コミケでいちばんおどろいたこと。

 ビッグ・ジュールがいた!!(笑)

 トートやシシィは今までもよく見かけたけどさ。
 白黒ストライプのメンズ・スーツを着て、胸に赤いカーネーションを挿し、クマのぬいぐるみを持ち、顔にドーランをぬって髪をぴっちし固めたおねーさんが歩いてました。
 いやあ、見るなり固まっちゃったよ、わたしゃ。
 すごーい。
 その心意気に乾杯。

 つーか、ビッグ・ジュールってアニメ的なキャラクターだよね。他のキャラじゃあコスプレしても「ホストのにーちゃん?」にしか見えないもんなあ。ビッグ・ジュールなら元ネタ知らなくても「なにかのコスらしい」と察してもらえる(笑)。

 
 わたしはわりとしょっちゅー東京へ行く。
 ヅカファンで、そのうえオタクだからだ。
 気軽に出掛けるから、移動はほとんど夜行バスだ。安いんだもの。
 飛行機代の片道料金で、往復できてしまう。新幹線なら、片道料金の2000円増しくらいで往復かな。
 夜行バスは経験値の低い人ほど拒絶反応を示す。「何故そんな大変な真似までして東京へ行くの?!」てなもんでな。
 大変ってそんな。
 黙って数回乗ってみ? 快適っすよ。早朝に着くから、時間が有効に使えるしね(東京に着くなり、東宝の当日券に並ぶのがちょーどいいぞっ)。

 さて、もちろん今回も夜行バスだ。
 JRの夜行バス、ドリーム号は2種類のバス会社が運営している。
 当たりは「西日本JRバス」。わたしも連れのWHITEちゃんも、いつも神に祈る。
「わたしたちの乗るバスが、西日本社のバスでありますように」
 西日本のバスはきれいで設備が良く、快適なのだ。
 一方、ハズレが「JRバス関東」。
 こちらに当たると最悪。車体は古く、設備もぼろぼろ。リクライニングが壊れていたり、座席間が狭くて足が伸ばせなかったり、シートが狭くて固かったり、通路が狭すぎて歩きにくかったりと、悲惨なバスばかりだ。
 西日本のバスにも古いものがあるが、それでも関東バスの最良バスくらいのレベルはある。

 西日本バス最新>>>西日本バス旧式>>関東バス最新>>>関東バス通常>>>>>>関東バス旧式

 とゆーよーなレベルだ。
 同じ料金で何故ここまでチガウ?!
 と、理不尽な思いを噛みしめる。
 指定券を取る際にバス会社を指定できないか、調べたことがあるのだが、ほとんど無理に近かった。相当がんばれば、事前に調べることは不可能ではないが、「不可能ではない」程度のことを一旅行者がやるのも大変。
 だから泣き寝入り。

 東京旅行の行きと帰りの運試し。
 さあ、当たりの西日本バスか?!
 それともオーマイガッ!! の関東バスか?!

 今回は往復とも大当たり。
 西日本バスでございましたよ。
 しかも行きは新型車両。めっちゃ快適!!

 バスのプラットホームで一喜一憂するのも妙な話だがな。

 さて、午前7時半ほどに新宿着。
 夏の定宿、父の仕事関係で取れる新宿の激安ホテル。朝食付きで1人4130円(税サ込み)。
 チェックインはまだできないが、荷物だけ預け、さあ一路有明へ。
 目的はお買い物っす。
 「書き手」と呼ばれる自分で創作活動をしている人たちは、本を作って売りはしても、他人の作品を買ったりはしなくなる確率が高い、らしい。
 殿さんは書き手さんだが、大真面目に「緑野さん、コミケで本買ったりするの? なんで?」とか言われたよ。彼女の周りの書き手さんたちも、本は売るけど買わないんだって。創作はするけど、他人の創作には興味ないってこと??
 わたしは書き手のひとりだが、それでもやっぱり他人の作品が読みたいよ。
 だからはるばる、ひとさまの作品を買うために有明へ行くんだよ。

 サークル参加ではないので、有明の喫茶店でお昼近くまでのんきにお茶する。炎天下に並ぶ気ないもん。
 並ばなくても入れるようになってから入場し、あとはマイペースにお買い物。
 超大手の売れっこサークルさんに興味がないので、ひたすら自分の足で細かいテーブルを回り、掘り出し物を探す。
 運命の出会いを求めて(笑)。

 コミケのあとは、わたしは仕事の打ち合わせだ。
 ライス氏の待つB社へ。
「コミケのために夜行バスで上京してくる作家」
 つーことで、ライス氏にも彼の上司にもとてもウケられてしまった。なによおー、わたしはオタクだって最初に言ってあったじゃない。
 オタクだというのは恥ずかしいことではあるが(ヅカファンつーのもな)、その恥ずかしさもがわたしだと思っている。ふむ。
 ライス氏に連れられてさらにC社へ行き、ごはんを食べながらC社の人と打ち合わせ。

 今までわたしは、ひとりで仕事をしてきた。
 あくまでも、わたし個人ベースだ。
 だが今回はじめて、大きなチームに入って仕事をすることになった。
 これがもー、新鮮で新鮮で。
 歯車は、動き出しているのだ。
 途中で止めることも、逃げ出すこともできない。
 ライス氏とC社のブライトさんの会話を聞いていて、「かっこいい」と思ったのよ。
 腕に憶えのある傭兵たちが集まって、作戦会議をしている風情。敵を切り崩し、勝利するために不敵な笑いを浮かべている。
 なんでわたし、ここにいるんだ? わたしなんかがここにいていいのか? って、不思議な気分。
 そして、責任の重さをひしひしと感じる。
 この不敵な人々と共に、ブランド名と期待に恥じない仕事をしたい。
 自分にできるかどうか、今はまだ未知数なので、正直不安だ。こわい。失敗は許されない。されどもし失敗したら? と、考えるだけでもこわい。
 だがそれと同時にわくわくする。武者ぶるいって、こういう感じか。
 わたしはわたしの才能と、実力を信じたい。

 
 さて、恒例のコミケ旅行だ。
 今回は目的がコミケだけ。めずらしくも潔い日程だ。
 ほんとは星東宝と『シンデレラ』を観るつもりだったんだが、なんかめんどーになってしまい(ついでに金もない)チケットは早々に売っぱらった。
 ああ、トウコちゃんに会いたかったんだがな。ジュリちゃんに会いたかったんだがな。

 創意工夫と整理整頓が好きなわたしは、コミケ旅行の際は荷造りに燃える。
 どーやったら効率よくコミケでお買い物ができるか。また、戦利品を運搬できるか。
 いろいろうだうだ考えて、半日かかって荷造り。

 この日記を書いているのは、旅から帰った11日だ。
 どの服を着るか、持っていくかでも相当悩んだんだがな。なんせ女の子だから(笑)。
 柄にもなくフェミニン系でまとめて、失敗したかなと反省中だ。わしには女オンナした格好は似合わん……。

 
 家族4人で遅い夕食をとっているとき。
 わたしは「それ」に気が付いた。

 居間の隅には洗濯物が干してあった。
 洗濯バサミがいっぱいついたサークル状のハンガーに、靴下とかハンカチとかの小物が吊してあったんだが。

 そこに、妙なものが一緒に吊されていた。

 「新聞」。

 …………洗濯物と、新聞?

 とてもシュールな光景だ。
 新聞が1部、丸々吊されている。朝刊だ。第1面がちょうど見えている。

 言うまでもなく、新聞とは洗うものではないし、濡れたらそれでOUTなものである以上、乾かすという行為もあまり意味は持たない。てゆーかその新聞、べつに濡れた形跡もないし。

「それ、なに?」
 あきれたわたしが問うと、母は大声で叫んだ。

「そうそう、あんたに見せようと思ってたの」

 わたしに見せたい記事があったそうだ。
 だが、忘れっぽい母はそのことをおぼえている自信がなかった。どこか、目に付くところに新聞を置いておく必要があった。

「それで、洗濯ハンガー……?」

 ホワイトボードに切り抜きを貼っておけば、すむことじゃないのか?

「そんなんじゃあ、気づくまでに時間がかかったり、たまたま目に入らなかったりするでしょ。誰の目にも付いて、ものすごくおかしな光景だったら、誰かが『あれなに?』って聞くから、そのときに絶対思い出せるもの!」
 母は自分の素晴らしいアイディアにうっとり。

 つまりこれからも、珍妙なところにとんでもないものを放置し、他人を驚かせることによって自分の記憶を呼び起こすつもりか???

 脱力しながら、母から問題の新聞を受け取る。

 タカラヅカの、中国公演のことが載っていた。
 ありがとね、母。
 でもわたし、この写真のスターさんには興味がないのだよ……。

 
 またしても、うっかり寝ていない。
 いかんね、寝不足で観ちゃったら。

 せっかくの前補助センター席だっつーに。
 襲い来る睡魔と戦うのに必死。

 でも……。
 眠くなるよね、第1幕?

 花組バウホール公演『月の燈影』。

 友人から「近年まれにみるバウでのサバキ嵐」と報告を受けていたが、わたしが見た限りではそれほどでもなかったよ。
 需要と供給が釣り合ってる感じだった。

 全体として、よいお話でした。
 なるほど、地味に骨太な印象。
 プロット破綻してないし、ちゃんとキャストに合った役をさせているし。

 しかし。

 わたしはだめだなあ。

 局地的な萌えはあるんだが、全体として評価できないんだもんよ。
 それは作品の質とはべつの部分。

 なんでこれ、タカラヅカで上演してんだろう?

 この疑問がずーーーっと頭の中にあった。
 梅コマでいいんやないの? 高橋*樹とか北島*郎とかでいいんやないの?

 なんか、根本的な疑問なのよ。

 さすがに北島*郎とかなら、演出はもっとベタにせにゃならんだろーが、ふつーに外部の年配の人向けの興行ができる内容だと思ったの。
 つまりそれって、ヅカである意味ないじゃん。

 タカラヅカってなんなんだろーなぁ、と、和服の着こなしのなってない下級生男役の立ち回りや群舞を見ながらぼーっと考えた。
 カタチができていない和モノって、きっついなー。男役たちに「お嬢ちゃん」が透けて見えると、萎えるのだわ。
 なまじ、作品が梅コマ系なだけに、下級生の技術不足が目に付く。
 これ、ほんとの男の人がやったらかっこいいんだろーな、とか思わせないでくれよー。

 タカラヅカには、タカラヅカでしかできないことをやってほしい。
 『月の燈影』は作品単体で見れば佳作だが、タカラヅカとしては、あまりうれしいものじゃない。
 江戸モノを誠実に創り上げた意気込みと成果は評価する。
 しかし何故、江戸モノなのか。
 くりんくりんの金髪巻き毛よりも、青天には「男役」のリアリティがない。わたし的にな。

 リアリティとは、「どれだけ上手に嘘を付くか」だ。ここはタカラヅカで、女性が演じる男役なわけだからな。
 それは演技以前に、ジャンルの向き不向きがあると思う。
 マンガで言うならばだ、『北斗の拳』の絵柄の人と、『ベルばら』の絵柄の人と、『サザエさん』の絵柄の人は、まったく同じ話を描いたとしても別物になってしまうってことだ。
 どの絵柄が優れていて、どの絵柄が下等だというわけじゃない。ただ、絵柄には向き不向きがある。
 『ベルばら』の絵柄で江戸人情モノやられてもな……。収まりがわるいっちゅーか。みんな睫毛がぴんぴんして目の中に星が輝いてます。バックには薔薇がとんできらきら光ってます。ウエストは顔より細いです。
 タカラヅカは絵柄で言うならやはり、少女マンガ系でしょう。少年マンガじゃないし、ましてやオヤジ向け青年マンガじゃない。だから、少女マンガの絵で描いて似合うジャンルのものが、いちばんよく表現できる。
 それが、売りであり醍醐味でもある。
 『北斗の拳』や『サザエさん』では描けない物語を描くことができるのだから。
 絵柄は、その作品世界のリアリティを作る武器だ。『ベルばら』はあの絵だからこそ、嘘をほんとうらしく盛り上げることができた。もし『北斗の拳』の絵柄だったら、オスカルは男装の麗人ではなく肉感的な美女になっていたろうな。男女は骨格から描き分けされているから。誰も彼女を男だとまちがえたりしない。
 もしも典型的少女マンガの絵柄で、青年誌に載っているような江戸人情モノをやろうとしたら大変だ。なんせ、絵柄の段階ですでにマイナスがついている。江戸人情モノの持つ雰囲気を、絵柄が台無しにしてしまうからだ。
 この絵で江戸モノ? という、ページをめくった第一印象でマイナス点がついているわけだから、それを挽回して高得点をたたき出すには並ならぬ力量がいる。
 同じ力量の作家が、少女マンガ絵で少女マンガを描くのと、江戸モノを描くのとでは、できあがった作品に明らかな優劣がつく。仕方ないさ、スタート地点がちがうんだもの。0から出発したものと、マイナス100から出発したものとでは、同じ速さで走ったとしてもゴールインの時間がちがって当然だ。

 『月の燈影』の出来はいいと思うよ。
 でももしこれが、タカラヅカのタカラヅカたる、得意分野で表現されていたとしたら?
 たとえば、ギャングエイジのアメリカ。アンタッチャブル・ゾーンとして名高い街が舞台。スーツにフェルト帽の若きギャングたちと、ボブ・ヘアのギャルソンヌ・スタイルの美女たち。銃と酒と誇りと罪と。
 ありがちだよ。5万回は観たよーな話になるだろうさ。
 でも、萌えると思うな。

 もしも舞台設定がちがっていたら、もっと客を呼べたし、キャストの人気も出ただろう。
 しかし。
 わかっているのよ。
 この作品が、江戸人情モノとしてのこだわりでもってできあがった作品だということは。
 「もしも」なんていうのが、お門違いだってことは。
 タカラヅカには日本物が必要だし、日本物を書ける作家も必要だ。こうして文化は継いでゆかなければならない。
 意義はわかる、心意気もわかる。

 それでも。
 この作品じゃ、客は呼べねーだろーなー、と、思う。
 いい作品だよ、キャストもがんばっていたよ、でも1回で十分。

 んじゃいつも客に媚びた、王子様ものばかり上演してりゃいいのかタカラヅカ、ってことになるけどさー。
 タカラヅカとはなにか、という、とてもヘヴィな命題にぶちあたっちゃうけどさー。

 もうこうなりゃあとは、ファン心理に架すしかねーな。
 ファンなら、通え。そしてヅカにおける日本物の意義と地位を確立しろ。

 ゆみこちゃんはそりゃー、かっこいいさ。堂に入ったもんだね。この作品において、中央が彼女だということが、よくわかるよ。
 たとえばわたし、この役がケロなら、通ってます。ファンだから。そして、ケロならこーゆー役はハマるでしょう。
 イナセなケロ兄貴を見るためだけに、わたしは日参することでしょう。
 良い作品をありがとう、とすべての関係者に感謝するでしょう。
 ……が。それでも、前述した通りの「これはヅカとして板に乗せるのはどうよ?」という疑問も、抱き続けるでしょう。わたしは主役のファンだからいいけどさ、そーでない人にはただ「よかったわね、でも地味ね」で終わるだけのもんじゃんよー、と。そもそも「観たい」と思ってさえもらえないかも、と口惜しい思いもするでしょうよ。

 さて。
 なんか、不満めいたことばかり書いた気がする。
 ケナシているつもりじゃないんだが。
 萌えもあったし、プロットしっかりしているし、わたしは好きな作品なんだけどな。

 先に観ていたかねすきさんは、最後の「ねずみ小僧」オチを許せなかったよーだが、わたしはそんなこともなかったし。
 プロローグで同心がねずみ小僧を捕縛した、と語っていたので、そこへどうたどりつくのかを楽しんで観ていたからな。次郎吉というとらんとむくんだけど、このキャラの性格でどーやってねずみ小僧になるんだ? と素直に疑問に思って見ていたからなあ。なるほど、ゆみこちゃんならわかるよ、ということで納得。

 くるみちゃんが美しかったなあ。
 芸者言葉がかっこいいよう。「わっち(わたし)」とか「ござんす」とかいう言葉をかっこよく響かせてしまうんだもの。
 このくるみちゃんを見れただけでも、行った甲斐があった。こういう背筋の伸びた女性は大好き。

 らんとむくんはかわいかったけど……正直、ゆみこちゃんやくるみちゃんほど目を見張る良さは、わたしには感じられなかった。予定調和っていうか、わかってますっていうか。
 しかしらんとむくん、いったい犬系何連続? そーゆーキャラで行くの? まー、若いうちはなんでもやっておけってことか。


 そしてまあ、これを語らないとわたしじゃないよな(笑)、ということで、やおひ語りいってみよー。

 これ、男3人の愛憎物語だよね?
 幸蔵は、真性ホモ。女に興味なし。幼馴染みの次郎吉を愛しているが、ノーマルな彼にはなにも言えないでいる。
 そして、幸蔵を絡め取ったのが淀辰。若い性を弄び(笑)、自分の色に染め上げる。最初は淀辰の大人のテクニック(笑)に翻弄され溺れていた幸蔵だが、やがて彼のもとから逃げ出す。
 が、淀辰は幸蔵を手放す気なんかこれっぽっちもない。手のひらの上で遊ばせている感じ。
 このへん、『バナナフィッシュ』とイメージかぶるんですが。幸蔵がアッシュ、次郎吉がエイジ、淀辰がディノっすね。
 淀辰の目的は、幸蔵ただひとり。喜の字でもなんでもない。幸蔵を再び腕の中へ取り戻すために、邪魔ものはみんな片付けちゃうのさ。

 すごいのは、あの終わり方っすね。
 幸蔵と、次郎吉。
 自分をかばってその腕の中で死んだ、愛した男の名前を名乗り、その男の名で刑死するなんて、究極の愛っすよ!!
 すばらしいわ、大野くん。
 『更に狂わじ』も、顎が落ちるくらいものすげーホモ作品だったが(鬼畜チャル様×被虐に耐えるきりやん)、今回もまたやってくれたわ。

 最後に。
 そのかちゃんに、伊七役をやってほしかった……。

      
 我が家では、家族行事が最優先される。

 あれはいくつのときだったか。ある夜、父が言った。
「明日は家族で**へ遊びに行く」
 えっ、でも明日、わたしバイトだよ?
「バイトなんか休め。家族行事の方が大切だ」
 いやしかし、わたしが休むと他の人に迷惑が……。第一、前日の夜に休ませてくれなんて言っても、許可してもらえないよ。
「それなら僕が店長に電話をして話してやる」
 やめてよ、恥ずかしい。

 父を説き伏せ、友人に電話をして、バイトのシフトを代わってもらった。そのうえではじめて、店長に休むことと代理を伝達。
 大変だったなぁ。

 家族行事はいつだって最優先。子どものころからずっと。
 学校休んで家族で遊びに行く、とか、平気な家だった。
 学校の勉強より、大切なことがある。わたしの両親はそう言っていた。

 そのせいか、うちの家族は仲がいい。
 わたしは小学生のころから祖父母の家で育ったけれど、両親と弟が住む家には毎日顔を出しに行っていたし、弟も毎日わたしの家に遊びに来ていた。
 距離感がよかったのかもしれない。
 わたしは大人になるまで両親と一緒に家で食事をしたことがほとんどなかったし、会いに行くのを怠れば会わないままで過ぎる、という関係。そのためか、「家族4人で過ごすこと」には新鮮さと感動があった。

「家族で出掛けるの? 家族って、お父さんも? まさか、弟さんは一緒じゃないよね」

 なんて驚きの声をよく耳にする。
 高校生くらいのころから、ずっと言われてきた。
 みんな大きくなると、家族と一緒に出かけるの、嫌になるんだって?
「お父さんとなんか、ろくに口きいたことない」
 とか、言う子もいたなあ。
 わたしは父とよくデートするし、弟も母と山登りに出かけたりしている。姉弟で映画や買い物にも行くし、どんな組み合わせもアリで、とにかく仲良くやってるなぁ。子どものころも思春期のころも、大人になってからも、ずっと。

 こんな家庭に育ってしまったから、いいトシになってもまだ、家族行事優先しているのよ。

 今日は家族恒例の、夏休みPART.1。
 昔から、夏は家族で行楽地に遊びに行くことに決まっているの。第3週は旅行、とこれまたずっと決まっていて、それ以外の月曜日は日帰りで遊ぶ。

 朝一番から、お坊さんに来てもらって一足早いお盆の供養を済ませる。
 そのあとから、神戸に向かって出発。
 目的地は六甲山。
 ケーブルカーに乗って山上へ。そこからはハイキング。展望台やら植物園やら、太陽の黒点やコロナを見られる天文館やらを半日かかって見学。
 帰りはロープウェイで有馬温泉へ降りる。
 みんな、着替えは持ってきたな? とゆーことて、温泉で汗を流し、服を着替えて次はハーバーランドへ。
 港の夜景を見ながらディナー。
 帰宅したときは、日付変更まであとわずか。

 いやー、なんて元気な家族なんだ。
 今回のお出掛けのコーディネイトは父。なんか、ずいぶん前からうだうだと予定をたてていたぞ。

 友人知人から、「家族で出掛けるの?!」といちいちおどろかれる意味も、最近ではわかっているさ。
 見回せばわかるもん。
 今日だってそうだ。
 夏休みの六甲も有馬もハーバーランドも、家族連れであふれている。
 しかし、わたしたちのような年代の家族連れは、まったくいない。
 老人(と言ったら怒られるな。両親とも年齢よりはるかに若く見えるし、元気)と、大人(中年、と言うべきなのか? しかしわたしも弟も年齢通りに見られたことはまずない)の姉弟。
 老人のいるファミリーなら、孫がいるのが定番。中年なら夫婦行動、若ければ小さな子どもと一緒。
 30を過ぎた子どもたちとその親、というのは、まず見かけないなあ。まあ、わしらは30過ぎてるよーには見えんかもしれんが、20代としたって、妙だよなあ。なんで親と出歩いてるの? 恋人いないの? 友だちいないの?
 答え。恋人がいよーが友だちがいよーが、家族行事が優先なのだ。

 いつか、家族はばらばらになる。

 母はわたしが子どものころからそう言っていた。

 いつか、家族はばらばらになる。
 いつか、あんたたちは自分の家庭を持ち、巣立っていく。自分の家庭を第一とし、守り愛することになる。
 だから、「家族」でいられる間は、家族をやっていよう。
 わたしたち親が、親としてあんたたち子どもと遊んだりできるのは、長い一生の間の、ほんのわずかな間なんだ。
 あんたたちが「べつの家族」になってしまう時間の方が長いんだ。
 だから、「家族」でいられる間は、家族をやっていよう。

 つーことで、未だに家族行動。

 ひとから見りゃ、異様で気持ち悪いのかしらねえ。
 さすがに、植物園の広場にて竹馬で遊ぶ姉弟(30ちょい過ぎ。ちなみに姉は身長170近く、弟は180以上)と母(還暦)、それをうれしそーに
ビデオで撮る父(70まであとちょっと)の図には、客観的に見て「……どうよ?」とは思ったけどな。
 母は竹馬で歩けなくなっていたことに、ショックを受けていたよ。「昔はできたのに!」って、あんた自分のトシ考えなよ……。

 
 夢枕獏が有名になりすぎてしまった。
 それがちょっと、さみしい。

 WOWOWで『陰陽師』の放送があった。とりあえず録画。
 野村萬斎演じる安倍晴明は、まさにイメージそのもの。他のショボイTVドラマの晴明とは同一に語れない。
 キャスティングを聞いたときから、映画の公開をたのしみにしていたさ。
 ちなみに、源博雅役が伊藤英明っつーのは不満だった。わたしのイメージでは杉本哲太の方が近い。

 そして、原作通りとても恥ずかしい映画だった。
 映画館でWHITEちゃんとふたり、悶絶しそーになったよ(笑)。

 わたしは、夢枕獏のファンである。
 好きな小説家をひとりあげろ、と言われれば、彼を名のあげる。
 わたしの文体に大きな影響を与えたのは、太宰治と夢枕獏、つーくらいだ。

 わたしが夢枕を知ったのは、『サイコダイバー・シリーズ』がブレイクしたときだ。
 エロスとバイオレンスがブームになったとき。
 そのときはまだ、ファンじゃなかった。当時出ていた『サイコダイバー』を3冊とも読んだし、『キマイラ』も出ている分だけ読んだけれど、「ふーん」としか思えなかった。
 それより、作者のはしゃぎぶりがイタかった。

「この小説は絶対おもしろい」
 と、あとがきで断言してあるけど、べつにちっともおもしろくないよ。ばっかみたい。
 そんなふうに思った。

 ただの軽薄な流行作家だと思った。過剰な暴力表現と性描写で客を喜ばせているだけだと思った。
 わたしはそのときまだ10代で、潔癖だったんだ。セックスを道具のように描かれると、それだけで嫌悪感を持った。

 だけどわたしは活字中毒で、流行っている本は片っ端から読んでいた。人生でいちばん本を読んでいたころだ。
 夢枕獏も菊池秀行もべつに好きじゃないけれど、新刊が出るととりあえず読んでいた。

 ハマったのは、『餓狼伝』だ。
 半分バカにするよーな気持ちで手に取ったのに、読みながらボロボロ泣いていた。
 そこには過剰な暴力も翻弄される性もなかった。
 ただただストイックな、「闘い」があった。

 それから、夢枕獏の描く格闘技小説をむさぼり読んだ。
 彼の描く男たち、女たちに魅了された。

 読書好きな友人たちはみんな、菊池秀行は読むけれど、夢枕獏は読まなかった。
 理由はひとつ。菊池の小説には少女マンガのような美形が出るけれど、夢枕の小説には出ないから。
 派手な超能力や、卓越した力を持つ美形のヒーローが活躍する菊池の小説は、友人たちに人気があったよ。
 一方夢枕ときたら、売れて名前が通るようになると、そういった美形ヒーローものをぱたりと描かなくなった。
 彼が描くのは、分厚い筋肉に首が埋まったような、泥臭い厳つい男たちだ。
 完全無欠のヒーローではなく、人生の落伍者が泥の中であがくよーな話ときたもんだ。しかもテーマは「空手」だとか「プロレス」。
 そりゃ、女の子は読まないよ。

 だけどわたしは、そんな男たちの物語が好きだった。
 愛しかった。

 弱い男が、汚物まみれになりながら、涙と鼻水をすすりながら、拳を握って立ち上がる、そーゆー物語を愛した。

 夢枕は同じ物語を何度も書く。
 繰り返し繰り返し、同じテーマで小説を書く。

 わたしは彼が描きつづける、その物語が好きだった。

 夢枕の描きつづける物語。
 それは、

「ひとは、しあわせになれる」

 ということ。

 わたしはこんなに弱い。
 わたしはこんなに醜い。
 だけど。

 ひとは、しあわせになれる。
 あなたも、しあわせになれる。
 わたしも、しあわせになれる。

 ひとに、生きる価値はある。意味はある。
 あなたに、生きる価値はある。意味はある。
 わたしに、生きる価値はある。意味はある。

 そう、繰り返しつづけている。
 そんな物語に、どれほど救われたか。

 夢を求め、あがきつづける不器用で一途な男たちに、どれほど焦がれたか。
 自由で、孤独な男たち。
 強くて、弱い男たち。

 わたしは女だから、彼らのようになれない。
 彼らのようには、生きられない。
 それをとても、かなしく思った。

 だけど。
 わたしは女だから、彼らのような男たちを愛することができる。
 抱いて、癒してやることができる。
 それをとても、誇りに思った。

 夢枕の描く作品は、同じカラーに貫かれているので、ツボにハマるかそうでないかで、評価が分かれることだろう。
 わたしは、ひとごとぢゃない痛みを感じるので、ツボにハマりまくる。
 つまり、「夢」ってもんについてだ。
 夢枕作品に如実に表れる、「こんなふうにしか生きられない」男たち。
 ふつーに会社行って、ふつーに働いて、ふつーにお金もらって。そうやって生きることのできない男たち。
 なにか、心のうち、魂のうちにとんでもない「飢え」があって、それを満たすためにあがきつづける男たち。
 空手でも釣りでも登山でもいいよ。そんなもんやらなくたって、ふつーの人は生きていけるのに、その男たちは、ダメなんだ。生活することよりも、大切なことがあるんだ。
 「それ」ができなければおれは存在している意味がない。
 そう思えるたったひとつのものを持っている。
 生活すること、よりも、大切なこと。
 「それ」を極めることで誰もしあわせにならないできない、お金にもならない。だけど彼が存在するために、必要なこと。
 他人も自分も不幸にして、泣きながら迷いながら、だけど「それ」を求めずにはいられない。
 そーゆー男たちの姿が、自分自身と重なるのだろう。

 わたしにも、たったひとつ、ゆずれないものがある。
 「それ」ができなければ、わたしは存在している意味がない。

 自分と重なり、だけど自分ではなく。
 男たちの渇望と慟哭がわかり、そしてそんな男たちに絶望し、なおも愛する女たちに共感する。

 女の子で夢枕ファンはいなかった。話が合うのはもっぱら男の人だったなー。

 『陰陽師』が最初に出版されたころ、わたしは「あちゃー」と思った。
 こりゃまた恥ずかしい本を出したな、と。
 夢枕は声の大きな作家だ。作品で自分の想いを絶叫するタイプの作家。
 『陰陽師』は夢枕が今まで書いてきた作品たちの、恥ずかしい部分をギュッと詰め込んだよーな短編集だった。
 仏教系の思想とか、ひととひとの距離や温度、ヒーロー像、というような、今まで彼の作品中で手を変え品を変え5万回は読んだよーなエッセンスが、摘出され濃縮され、詰め込まれている。
 つーか、自分の「萌え」だけでリビドーのままに書いた短編。それが安倍晴明の物語だろう。
 あちゃー、この人またこんなことやってるよ。恥ずかしー。
 「萌え」だけで短編書いて、また自分でそれに酔って。ほんと、たのしそうに書いてるな。レベルはともかく、すげー同人誌的。

 と、ファンだからこそ赤面してしまうよーなシリーズ。
 巻を追うごとに恥ずかしさは爆走、ただ晴明と博雅がテーマを会話して、いちゃいちゃしているだけでストーリーがなかったりとかな。おいおい、作家としてそれはまずいだろう。ちゃんとストーリー作れよ、書けよ。

 それがまさか、大ブレイクするとはなー。
 なんだかなー。
 恥ずかしいなー。
 しかも、女の子に大人気ときたもんだ。ああもー、恥ずかしいよママン。

 誰にも見せないつもりで「秘密のぉと」とかに萌えなSSを書きつづっていた、それがそのまま出版されて大人気!! になってしまったよーな恥ずかしさだ。
 いや、わたしの作品じゃないけど、なんか、そーゆー気恥ずかしさに満ちてるのよー。

 もちろん、大好きだけどね、『陰陽師』。
 ただただ、恥ずかしいの。青春の過ち的な感じで。

 映画の『陰陽師』も、恥ずかしかったよー。
 夢枕おじさん、本気で恥ずかしい。
 いちばん「うわ、恥ずかしっ」と思ったところはやはり、夢枕のアイディアだった。彼が監督に異議を唱えて直させたところ。うんうん、もー、あんたは正しく夢枕獏だよ。裏切らずに夢枕獏だよ。

 『陰陽師』は恥ずかしくて、またその恥ずかしさを愛してはいる。いるが、どうか夢枕おじさん、戻ってきてね。未完のシリーズの続きを書いてね。

 個人的に『獅子の門』のつづきがものすごーく読みたい。
 志村×文平で萌えたんだ、わたしゃ(笑)。

 
 恒例の、淀川花火大会へ。

 いつの間にやら恒例。しかも面子は母とわたしと叔母。
 昔は他の人と行ってたんだが、最近はこのメンバーだ。なんて色気のない。

 6時に集合ね、って言ってたのに、叔母は4時に現れた。早すぎるよー。急き立てられて、5時過ぎに出発。早く行きすぎても、待つのが大変なだけじゃんよ。

 叔母はわたしの顔を見るたびに「膝は大丈夫なの?」と聞いてくる。
 わたしはそのたびに、そっかわたし膝悪かったんだったな、と思い出す。
 膝に違和感があるのも軽い痛みがあるのも日常だから、本人的にはすっかり忘れているんだ。痛くてあたりまえ、だから、気にならない。
 わたしは歩くのが好きだし、実際よく歩いている。現在のダイエット方法は踏み台昇降だしな。膝に悪いこといっぱいしてるわ。
 そーだ、わたし膝悪かったんだ。いつもちょっぴり痛いけど、そんなのいつものことだから忘れてた。
 本人が忘れているくらいなのに、何故叔母はいつも同じことを聞いてくるのか。
 ……叔母の前で一度、歩けなくなったからだ。
 いつだっけ、花見に行ったとき、突然膝が抜けたんだわ。
 わたしの意志とは関係なく、膝が機能しなくなって、ぺたんと坐り込んだ。たしか哲学の道でだ。あれにはわたしもおどろいた。
 叔母もおどろいただろう。その日わたしが足をひきずっていたのは知っていたろーけど、まさか突然歩けなくなるなんて。
 一緒にいた母は激怒するし。母は体調不良は本人の責任だという信念を持っているので、わたしが歩けなくなったことに対して怒っていた。「歩けないなら、ついて来なくてよかったのに」と。「ひとりがそんなふうだと、みんなが迷惑するわ」と。
 悪かったってば。たしかに体調最悪だったわ。仕事が佳境で、何日もまともに休んでいない状態だったんだ。だから参加するのを、一度は断ったよ。しかし、家族揃ってのお出掛けをとてもたのしみにしていた父が、当日の朝にわざわざわたしの家まで「一緒に行こうよ」って迎えに来たんだもの。腹をくくって、無理して出掛けたさ。
 そしたら途中から膝が痛み出して、片足を引きずることになった。普段ならわたしは、ふつーに歩けるんだけどな。
 で、ついに坐り込み。みんなもびっくりしただろーけど、わたしもおどろいた。せめて家までは保つと思ったんだ。
 そーゆー醜態を見せてしまったから、叔母はわたしの顔を見るたびに膝のコンディションを聞く。
 あの、ぜんぜん大丈夫です、叔母さん。わたし元気に歩いてるし、美容と健康のために階段で大汗かいて昇降運動なんぞしてます。チケットのために、毎週がんがん並んでます!(笑)

 そうして女3人で、LET’S 花火見物。北大阪最大規模の淀川花火大会へ。
 近いのは十三だけど、十三は混み方がえげつないので、あえて塚本へ。
 予定外の早い時間に出発したから、わたし完全にすっぴんです。だって6時出発だって信じてたんだもん。叔母は両親の家で6時まで待ってるんだと思ってたんだもん。
 なのに5時にはわたしの家の前に、準備を済ませた母と叔母が並んでて「さあ出発!」。待ってくれ、わたしまだ外に出ていい格好してない。外出のときでなきゃ、コンタクトレンズ入れてないのよう。
 鼻息の荒い彼らは、わたしにコンタクトを入れる時間しかくれなかったわ。

 人出は去年より多い。しかも、年々若者率が高くなる。わたしたち一行は、参加者の平均年齢を引き上げているよな。
 毎年参加の慣れで、いい場所をGET。ビールを開け、お弁当を食べ、時を待つ。

 たのしみはやはり、「今年の新作」だ。
 花火は進化している。毎年確実に。如実に。
 わたしは花火についてなんの知識もないシロウトだが、新作だけはわかる。
 見たことがないもの=「新作」だ(単純)。
 猫と魚、蝶が大進化。ハートだってさらに洗練されてきた。丸い花火の中で星(五角形のあの星)がちかちか瞬くやつなんか、すごい。ファンタジーだよ。たんぽぽの中で星が瞬いてるみたい。
 そして。

 花が、咲いた。
 デイジーみたいな、花弁の細い可憐な花。

「あ、お花だ」
 子どもの声があがる。
「お花だ」
「お花だ」

 花火。
 そーゆー名前だってことは、アタマではわかっている。
 だけどわたしも、心の中でつぶやいていた。子どもたちと一緒に。
「あ、お花だ」

 ほんとに、お花なんだもん。
 花火で、花を作る。
 花のようだから花火、ではなく、花火で花を作って夜空に咲かせる。
 なんか、言葉にするとみょーな感じだが、そうとしか言いようがない。
 花火の、花。

 よく考えついたよね。花火で花を作ろうなんて。

 とても、きれいだ。
 夜空に咲く花。
 一瞬だけたしかに咲いて、そして消える。

 人々は、花火を見るために集まる。
 いったいどれほどの人数だろう。行動は制限され、危険も増し、それぞれなにかしら不愉快な想いをしているだろう。暑さだったり混雑だったり場所取りだったり。
 行きはともかく、帰りの不快さ不便さは覚悟のうえだろう。
 それでも、人々は花火を見るために集まる。
 美しいものを見るために、やってくる。
 感動するために、やってくる。

 人々は、拍手をする。
 相手は花火だ、喝采をあびてもなにも感じない。河川敷何キロにも広がった人々の拍手が、花火師に届くわけでも見えるわけでもないだろう。
 だけど人々は拍手をする。
 感動するから。
 声を上げ、手を叩く。
 それはなにか見返りを求めた行動ではなく、純粋に心から出た行動だ。

 昨日かねすきさんは、「大変な想いまでして、花火なんか見たくない」と言った。
 花火ごときで、不快な想いを我慢したくない、と。
 たしかに、それはその通りだ。わたしも今日淀川に来る予定だったから、宝塚はスルーした。規模が段違いだから、まったく惜しくないさ。

 花火大会の不快さは、「過剰な混雑」がすべてだろう。
 混みすぎるから暑いし、空気悪いし、トラブルが発生するし、待たされるし、と、すべての引き金になっている。
 わたしも混雑はいやだ。つらい。
 だけど。

 わたしはやはり、花火を見るためにたくさんの人が集まるということもが、愛しいのだと思う。

 声があがるのよ。歓声だよ。
 素直な、魂の声だよ。
 拍手が起こるのよ。
 感動で身体が勝手に動くのよ。
 あちこちの話し声。感想。赤ちゃんの泣き声。見渡す限りの人波。遠く輝く屋台の明かり。はぐれた連れを探す人。両手いっぱいに食べ物のお皿を持って歩く人。女の子たちの色とりどりの浴衣。
 そして空には華。

 音が突き抜けるのがわかる。
 響いている。
 ガイチのことを思い出した。ガイチのコンサートで体験した、ゴム風船を抱きしめることによって、音を振動として身体で感じるってやつ。
 風船を買ってくればよかった。おなかを震わせるようなこの音は、どんなふうに抱きしめられるのだろう?

 純粋に美しいものを見て、こころもふるえた。
 行って良かったよ。ビバ恒例行事。

 帰りを想定して見る場所を決めていたので、帰りもとてもスムーズ。
 花火終了から30分後には電車の中(座席確保)、1時間後には帰宅してました。

 
 やはりわたしの日記のカウンターは、500を区切りにおかしくなるらしい。
 今見て、おどろいた。なんでいきなり80もカウントされてるの? なにがあったっていうんだ? 見まちがいか?
 誰かに笑われてるのかしら、と、ちょっとしょぼん。……だからわたしは小心者なんだってば。

 かねすきさんに会うためにムラへ。
 ついでに宙組を観る。
 いいサバキがちっともないよ。かなしい。
 14列目の上手を定価で買うわたしにかねすきさんは、
「緑野さん、ほんとーに今回の宙組好きなんですね。14列目を定価で買うなんて!」
 と、しきりに感心していた。

 ええ。
 好きなんです。
 でなきゃ、14列目ごときに7500円も出しません。
 『ル・サンク』も買っちゃったしな。

 今日は宝塚花火大会の日だったので、お喋りは適当に切り上げて解散。
 花火帰りの人混みになんか、もまれたくないよ。

 星バウのチラシをGET。
 いやー、すばらしい(笑)。

 齋藤先生は、とてもわかりやすいリビドーを持っている。
 わかりやすすぎて、見ていて恥ずかしい。
 だけどわたしは、そのベタさが大好きだ(笑)。

 まとぶにナチ軍服ですか!!
 来た来た来た〜〜ッ!!
 わかりやすすぎです、齋藤先生!

 かねすきさんとふたり、チラシを見ながら、
「で、どっちが『復讐に燃える義賊』なのかしら。そして、『その男を執拗に追い求める男』なのかしら」
 と談笑しました。
 やはりかよこちゃんが前者、まとぶんが後者なのかしら。

 わたし的には真っ黒なかよこちゃんが見たかったのですが。白のかよこちゃんならしょっちゅー見てるじゃん。黒のまとぶもね。
 あえて逆にしてほしかったのにな。
 齋藤くん、ベタベタな人だから無理か。

 
 カウンターが飛ばずに500を超えた。
 毎回500で飛ぶ仕掛けとかあったらおもしろいのに。

 『かまいたちの夜』が終わってしまった。
 いや、まだ金の栞の謎は解いてないけど。いちお、全エンディング、コンプリート。
 最後の「冒険篇」はたのしかったぞ。このシリーズならではのくだらない笑いと、謎解きが融合して、いい感じ。

 しかし、金の栞の出し方は、わからなかったんだ。
 コンプリートしたらいいんだと信じてたから、ちょっとショック。
 で、仕方なしに攻略サイトを探した。

 ……そしたら。
 見る気はなかったんだけど、一緒に見えちゃったの。
 金の栞で、なにが起こるのかを。

 うわーん。

 知りたくなかった。
 なにも知らずにプレイしたかった。

 なにが起こるのかわかっててやっても、こわかったのよ、金の栞!!
 もしこれで、予備知識なしにやってたら……どれだけこわかっただろう。

 もったいないことをした。

 さて、わたしは映画は映画館でしか見ない人間である。
 なんでかっちゅーと、映画は映画館で見てもらうことを前提に創られているからだ。
 テレビじゃない。
 それ用に創ってあるんだから、わたしはわざわざ映画館へ足を運ぶ。

 だって、もったいないもん。

 映画館と家のテレビとでは、あきらかに感動がちがうよ。
 映画館でなら100%感動できるものが、家では50%だったりする。
 それは、もったいない。
 映画自体ももったいないが、なによりも、わたしがもったいない。
 映画館で見れば100%感動できたのに。努力を怠ったために、半分しか感動できなかったら、わたしの感性がもったいない。

 わたしはわたしのために、映画館まで行く。
 見たかったら、それくらいのことはする。

 映画館へ行かなかった作品は、もう見ない。だって、それっぽっちの努力すらしなかったってことは、きっとわたしにとってその程度のものなんだ。
 縁がなかったと思って、あきらめよう。

 とまあ、わたしはべつに特別な映画好きではないが、そー思っている。

 しかし。
 世の中のひとは、そーじゃないんだということを、最近知る。
 仕事を無くして鬱屈していたわたしは、あるとき「ええいっ、ものごとは経験だーっ」と、とある出会い系サイトに登録してみた。べつに男が欲しいわけじゃないから、「メル友募集」だ。趣味は「映画・ドラマ・本・マンガ・宝塚」と、実に正直に書いた。
 そしたら、来るメール来るメールみんな「わたしは映画ファンです」。
 なんで映画ばっかなの? マンガやヅカでもいいのよ、わたしは。ついでになんで男ばっかなの。女の子の友だちも欲しかったのに。
 まあいいや、と映画の話をしてみる。
 すると見事に全員「最近映画は見ていません」。
 をい。
 映画好きなんちがうんかい?!

 彼らの言う「映画」とは、ビデオのことなんだ。
「最近、『ダイバー』という映画を見て感動しました。今ならレンタルショップの新作コーナーにありますから、一度見てみてください」
 とか、メールもらってもな。
 『ダイバー』? わたしゃ公開当時に映画館で見てるから、そんな昔のこと言われても、もーろくにおぼえてないよ。ふつーにおもしろかったから、とくになにも残ってない。
 映画はビデオになるのを待って、家で見るもんなんだなあ。
 「年間100本以上映画を見ます」という人と知り合ったときも、「じゃあ今やってる映画でおすすめってなんですか」と聞いたら、「いや、映画館には行かないんで、今やってるやつのことは知りません」とか返されたしな。それは「映画を100本見ている」じゃなくて、「映画のビデオを100本見ている」のまちがいだろう?

 かなしいなあ。
 わたしが映画つくってる人ならきっと、かなしいよ。
 話を聞いてるだけでも、かなしいもの。もったいなくてさ。

 とゆーわたしは、映画館で『リング』を見た。
 なんの予備知識もない。真田広之と松嶋菜々子だっちゅーんで、見に行った。原作も知らない。
 ……どれだけ、こわかったか。
 今までホラーと呼ばれるものを見て、こわいと思ったことなんかなかったんだが、あれだけはこわかった。

 そののち、『リング』がブームになったのも当然だ。
 語らずにはいられない体験だったからだ。
 『リング』を見た、ってだけで、顔を知っている、程度の人ともものすごくアツく語れたもんだったよ。あの恐怖を語りたくてしょーがなかった。
 おもしろいものは、口コミで広がる。
 映画館、あんなに空いてたのにね。若い人しかいなかったな。
 角川映画だし、2本立てでホラーとかいうし、きっとショボい、いつもの日本映画だよね。……なんて想像が吹っ飛んだ。

 しかし。
 ブームになってよくわかんねー類似品が作られたり、あの最悪なテレビドラマが放映されたりして。
 当初の感動は、べつのところへ流れていく。
 とにかくブームだから、映画を見ていない人もストーリーを聞きかじっている。こわいんだ、と想像をふくらませる。
 そこへ、テレビ放送だ。

 ……もったいない。
 しみじみ、思った。

「なーんだ、こわいこわいっていうから期待したのに、ぜんぜんこわくないじゃん」
 CM入りまくりのブチ切れ作品を、明るいお茶の間で家族と喋りながら見て、そう評するわけさ。

 わたしはもともと映画はテレビでは見ない人だったが、このときばかりは実感したね。
 わたしが映画館至上主義者でよかった!
 あれほどの感動(恐怖もまちがいなく感動の一種だ)を得ることができたのは、無名だったときにわざわざ映画館まで行ったからだ。
 そうでなかったら、やはりわたしもテレビでなんとなく見て、「ふーん」ですませていたかもしれない。

 得した。
 テレビでしか見てない、多くの人たちよりも。

 先に見ていた優越感とか、そんなんじゃなくて。
 わたしは利己的だから、そーゆー虚栄よりも「わたしがたくさん感動できて得した」というところに、多くこだわるよ。

 と、長い例題だったが。
 今回の話題はここへ帰着するのだ、『かまいたちの夜』。
 攻略サイトでネタバレを見てしまったわたしは、いわばテレビで映画を見てしまったよーなものなのだ。

 うわーん。
 もったいないよう〜〜。

 
 さて、今日はオギー作品のチケ取りと、宙組の新公。

 荻田浩一は好きなので、彼の作品はできる限りこの目で見、この心で感じたいと思っている。
 前回は東京だけだったし、出遅れたのでチケット取れなかったんだけど、今回はちゃんと前もって動きました。
 トド様のコンサートに合わせて、雪東宝も取ったし、オギーも取った。
 なのに肝心のトド様のチケットが取れないってのは、何故?! トド様人気ないんでしょう? チケット余りまくって困るだろうって、みんな言ってたじゃん(わたしも思ってた)、なんでチケットないのよう。泣。

 宙組新公は、わたしまたチケット余らせました……。
 なんでこー、欲しいチケットと余るチケットがあるんだ。
 新公のサバキ待ちは白熱しててこわいので、こっそり声をかけて売る。2枚余ってたんで、ふたり連れに声かけたのに、「1枚でいいんです」と言われ、結局サバキ待ちの人に取り囲まれ、こわかったっす。

 変だな、主役のカラフをぜんぜん、見なかった。あひるくん好きなんだけどな。

 わたしが見ていたのは、ひたすらトゥーランドット。彼女の表情の変化だけを、オペラグラスで追いかけた。
 正直、トゥーランドット役のかなみちゃんは、そう美しいとは思わなかった。お花様とはタイプがちがうのに、無理矢理同じ衣装髪型お化粧。そりゃ変だよ。
 あー、きれいじゃないなあ、かなみちゃん向きじゃないなあ、と思った。
 だが。
 歌い出すと、絶世の美女になる。
 芸の力って、すげえ。
 説得力になるのな。

 人数の少なさ以外は、新公らしくない新公だった。雪組観たとき、学芸会って思ったのになー。作品の差もあるだろーけど、『鳳凰伝』の新公はよかったよ。
 歌のアンサンブルがいい。
 気持ちいいぞ。
 個人的に、北京の民(歌手・男)に釘付け。ぜ、ぜんぜん知らない人(失礼)なんだけど、すげえ好き。本役のづー川さんより好みだ。
 あと、でかい男ばかりで壮観。
 身体の大きさは、たしかにひとつの才能だね。説得力だね。
 カラフとバラクが並んでいると、それだけでかっこいいっす。現実の男ではありえない、完璧なスタイル。

 思えば、あひるくんをぜんぜん見なかったのは、見なくても大丈夫だったからだろう。意外に安定していて、邪魔にならなかった。ヘタだったりすると、見る気なくても視界に入ってうざいからな。
 そっかー、いい男に育ってるねえ、あひちゃん。月組から見ている者としては、うれしいよ。
 バラクはもちろん水くんの方が好みなんだが、それでも悠未ひろくん、よくやっていた。ああ、かっこいい。ちはる兄貴を彷彿とするのはわたしだけ?
 アデルマ姫は前半は可憐できれーでいいんだけど、クライマックスで落ちるなあ。やっぱふーちゃんてうまいのな。
 あと、やたらと目に付いた、踊る北京の民の、お花様そっくりさん。あれが噂のアリスちゃんか。たしかにめちゃくちゃ似てる。

 あひちゃんとかなみちゃんの並びがよかった。
 かなみちゃん、誰と組んでも「でけえ」と思うんだが、あひるくん相手ならぜんぜんOK。
 身体の大きさも顔の大きさも、ばっちりだ!!

          ☆

 『かまいたちの夜』、ピンクの栞攻略。
 おたのしみの「官能篇」で、阿鼻叫喚のホモ落ちがあったのに驚愕。
 ふんどしは厭ぁ〜〜、ふんどしは厭ぁ〜〜!!
 わたしはオトメだから、BLはよくてもさぶはいやよう(笑)。
 爆笑しました。

 
 今日もまた、まちがい電話で起こされた。

 まちがい電話が多いのは、圧倒的に月曜日の午前9時から10時くらい。
 わたしにとってそのあたりの時間は、まちがいなく睡眠時間である。生活習慣が世間様と6時間ほどズレているのだ。
 ズレているわたしが悪いと言えば悪いが、わたしがひとりでこっそり朝寝をしていたって、世間様に迷惑はかけていない。
 いちばん悪いのはまちがって電話をかけてくる、うっかりさんたちだろう。はっきり言って迷惑だ。

 そう。
 かかってくる電話はいつも、某旅行代理店宛の電話である。
 うちと番号が似ているのさ。
 つーか、うちの番号の方が、きれい。ゴロがいい。
 そのせいか? みんながんがん、まちがえやがる。
 月曜日の午前中に集中しているのは、どうやら土日の新聞に、広告を載せているためらしい。

 まちがい電話をする人の多くは、自信満々だ。
 自分がまちがっているなんてことは、カケラも考えない。
 不思議だ。
 わたしなんかは「ちがいますよ」とひとこと言われたら、反射的に自分のミスかもしれない、と思う。謝ってしまう。
 ええわたしゃ、道でぶつかられても反射的に謝っちゃう人だからさ。
 自分がそうだから、そうでない人というのが、新鮮である。
 明らかにまちがっているのに、それを認めず怒り出す人とか。
 いや、あなたがどんなに怒っても、あなたが自分でまちがえたんですよ。だってわたし、某旅行代理店の人じゃないもん。ここはわたしの家。某旅行代理店が今の番号にする前から、使っている電話番号。
「なんでちがうのよ?!」
 と怒られてもなあ。広告の電話番号もまちがってない以上、まちがえたのは電話をかけたあなたです。

 あまりにまちがい電話が多いので、統計でも取ったら愉快かもしれない。
 日を変えて同じ人からかかることはまずないから、公平な結果が期待できる。
 こんなことなら10年前からやればよかった。……たぶん、迷惑を被るようになってから、それくらい経ってる。

 気分や体調が悪いときのまちがい電話は最悪だし、相手が逆ギレ系の電波さんだと毒にあてられてキツイが、それ以外ではわたし、けっこーまちがい電話に寛容だと思う。
 基本的に、人と話すの好きだから。
 接客業、長かったしね。
 テレフォン・オペレーターも長年やってたからな。
 まちがい電話の人と、そのまま世間話に突入したりとかな(笑)。そーゆーの、けっこう好きよ。

 電話を取った瞬間、相手はわたしの声なんか無視して喋りはじめる。
 わたしはちゃんと名乗ってるんだがな。向こうは聞いちゃいねえし、名乗りもしない。
 こちらを旅行代理店だと信じているからだ。
 ひたすら、広告にある番号を読み上げはじめる。
 予備知識のない人がこんな電話受けたら、びびるだろーなー。こっちが喋ってるのも聞かず、一方的に数字を読み上げる電話だよ? 事情知らなかったらこわいって。
 相手は広告のパック旅行の申し込みコードを読み上げるのに必死だ。それをなんとか遮って、「ちがいますよ、うちは**交通社じゃありません」と言うのが、けっこー大変。みんな聞かないから。
 うん、わかるのよ。申し込みでまちがっちゃいけないから、みんな数字を確実に読むことだけに神経使ってて、耳はお留守になってんだよね。
 わかるから、何度もチャレンジ。あなたが今行っている労力は、まったくの無駄なんす。早く気づいてください。
 聞く耳さえ持ってくれれば、「えっ、ちがうんですか?!」という驚愕のあと「すみません」で電話は切れる。
 これが一般的。
 まあ、最後の「すみません」がないものも、3分の1くらいはあるかな。
 そして、10本に1本くらいは、「えっ、ちがうんですか?!」のあとに、オプションがつく。
 「なんでちがうのかしら。えーと、****−****……」と、番号確認。ここで、自分がまちがえたと確実に認識している人は半数くらい。自分のミスを顧みるために番号確認する人と、「おれは悪くない。悪くないのになんでちがうんだ」と他者に対してクレーム態勢になる人。
 前者の人は、「よくまちがわれるんですよー」「すみませんね、ほんとに」「いえいえ」なんて会話でなごやかに終わる。たまに長電話に突入(笑)。
 問題は、後者だ。
 自分は悪くない、と信じ切っているから、わたしが悪者になる。
 わたしが嘘を付いている、もしくは、勝手に旅行社の電話をジャックして混乱させようとしいる、とでも思っているのかな。そんなことありえないっていうか、してどうするんだ、って思うんだけど。

 実はこーゆー人の電話がいちばん、おもしろい。あ、もちろん不愉快は不愉快だけど。

 だって言ってること支離滅裂だからねえ。
 「まちがえたのは自分」ということさえ認めたら、世界はクリアー、とても住みやすいものになるだろうに。
 「自分はまちがっていない、まちがっているのは世界の方だ」と信じているし、主張するから、論旨が破滅する。

「なんでちがうんだ、この番号は**交通社だろう!」
 ちがいます。
「なんでちがうんだ、番号は****−****だろう!」
 ちがいます。
「なんでちがうんだ!」
 おまちがえだと思います。
「お前の番号を言え!」
 あなたのおかけになった番号ではありません。
「なんでちがうんだ!!」
 堂々巡り。

 なんで、じぶんがまちがったって、思いつかないんだろう?
 体調さえ良ければ、とりあえずこーゆー電話にも最後までつきあうことにしている。
 テレオペ歴長いからね、とても流暢に温厚に、やさしい声を心がける(笑)。

 わたしを疑っていることがありありとわかる人が、愉快っすね。
 いったいどういう背景で、わたしは「**交通社の客が電話をするのを妨害している者」ということになるんだろう?
 産業スパイ? ライバル会社のまわし者?
 ひょっとしたらこの電話の人は、こういういやがらせを他人からされる心当たりがあるのかも知れない。
「おれはたしかに**へ電話をかけた。おれはまちがっていない。なのに変な女が出て来て、『**ではない』と言い張る。これはなんの陰謀か? おれに恨みを持つ奴が、おれの家の電話に細工をしている?!」
 うーん、スペクタルっすねー。

 もちろん、わかってますわよ。
 そーゆー毒吐きさんたちは、とにかくなんでもとりあえず噛みついてみせるだけで、そこまで考えちゃいないことは。
 わかってるけど、彼らの言い分を「正しい」とするなら、そーゆースペクタルな世界に突入するもの。
 それを考えるのよ。

 つーか、そーでもしないと、ほんと迷惑なだけだもん、勝手にまちがえて、勝手に噛みついてくる人たち。

 そうそして、この逆ギレ系の人たちの共通項。
 勝手に喋りつづけるくせに、会話の途中(本人の会話含む)でも、勝手に電話を切る。
 わたしの話を聞かずに切る、ならまだわかるけど、自分も喋ってる途中なのに、いきなり「ガンッ」と切るのよー。
 いったい普段どんな人間関係構築してるんだろ。

 あ、今日のまちがい電話さんは、いたってふつーの人でした。

 
 先生GET〜〜!!

 まだまだ『ときメモ』の話だ。
 『ときメモ』の主人公は高校生、そして舞台は高校だ。だからダーリンたちも当然高校生となる。
 しかし、ふたりだけ年長キャラがいるのだ。
 担任の数学教師(氷の美貌の眼鏡先生・笑)と、学園の理事長さま(口ひげのダンディおじさま)だ。

 今回は、最初から先生狙いではじめた。
 成績がいい子が好きに違いないから、がんがん勉強してパラメータを上げた。先生はクールで、こちらからはデートに誘えないので、休日も勉強一筋。
 退屈なので多少、暇なときにモデル美少年とデートする。
 そうしているうちに、先生はわたしにときめいてくれるようになった。そりゃーもー、すごい勢いでデートに誘いにやってくる。

 しかしこの先生……。
 かわいいのだ。
 ものすっげー、かわいいのだ。

 冷徹な美貌の君で、アンドロイドだという噂まである人なのよ?
 なのに、いったん恋をすると、どんどんコワレてくる。
 そのコワレっぷりがまあ、かわいいやらおかしいやら。

 無事エンディングを迎えたあとに聞くことのできる、担当声優さんのフリートークってのがあるんだがね。
 先生担当の子安武人氏のトークがまた、おかしかった。
 先生というキャラクターのことを「こいつバカです!!」と、言ったあと、力いっぱい爆笑しまくっていた。
 そ、そうか……演じる人からしても、思わず爆笑しちまうよーなバカキャラなのか……。
 そして子安氏、先生のことを「かわいい」と断言。
 そ、そうか……演じる人からしても、かわいいと思えるよーな以下略。

 わたしは声優ファンではないのでよく知らないのだが、子安氏って変わった人だね。
 いきなり「子安武人にょ〜ん」って、「にょ〜ん」ってなによ、にょ〜ん、て。いくつなんだ、この人?(笑)
 また、自分のことを「切れ長の瞳の美形」と表現しているあたり、すごいにょ〜ん。
 なんにせよ愉快でした。

 先生をオトすべく努力しているときの副産物。
 ああら、モデル美少年までがわたしに対してニコニコ状態ですがな!
 うるんだ瞳とはにかんだ表情、そしてもう聞くことはないと思っていたセクスィヴォイスで名前呼ばれちゃいますがな!
 校舎裏の猫のイベント、再び見れちゃうし。

 そっか、モデルくんもパラメータ命の人だっけ。
 成績優秀の優等生になると、勝手に好意を持ってくれるんだ。ろくに口説いてもいないのに。

          ☆

 『かまいたちの夜』は「底蟲村篇」終わり。そいつのエンディングはあとひとつでコンプリート。

 「底蟲村篇」は、顎の落ちる怪獣大決戦でした……。
 子どものころに見た、モスラとかの怪獣映画再び。
 つーか制作者はこれがやりたかったんだろーなー。だって、第一線のクリエイタの人たちって、同世代多いもんな。子どものころに流行ったものを、今の技術を使って自分で創りたいってのは、わかるよ。
 わかるけど……顎は落ちたままだ。

 不明だったNo.8のエンディングも無事に読めた。

          ☆

 さて、今日はゲームよりも実は、仕事に精を出していたんだ、これが(笑)。

「緑野さんは〆切を守って、きちんとお仕事してくださる方なので安心しています」

 と言ってくれた取引会社の担当氏、この台詞に続けてこうも言った。

「きちんとした方だからわたしもつい、安心してしまって、〆切を決めませんでしたよね。そうしたら、2ヶ月近くも音沙汰無しで……。ひょっとして、〆切決めた方が良かったですか?」

 はい。
 〆切があれば、矜持に懸けて仕上げます。仕事します。
 でも、〆切なかったら、後回しにしちゃいます。

 じつは今やってるゲームだって、仕事みたいなもんなんだよ。

「じゃあ〆切を決めます」
 担当氏はすっぱりと日付を言った。
 それに向けて、ゲームに現実逃避しながらも一生懸命お仕事お仕事。

 なんとか完成、メールで送りました。
 〆切も当然クリアー。

 
 バスケ少年GET。

 またしても『ときメモ』です。
 プランスにしろ、バスケ少年にしろ、チョロいです。簡単にときめきモードになりやがる。
 早々にときめいてくれるので、あとが大変。同じイベントを繰り返さなきゃなんないんだもの。
 その点主役格キャラのモデル美少年は、難攻不落だった。ちょっとやそっとじゃオチねえ。

 なんていうか、脇役と主役は書き込みに差があるんだなあ。
 モデル美少年をプレイしたとき、彼のイベントとキャラ描写に感心したんだけど、それって、彼が主役格だったからなのね。
 たとえばプランスなんか、見るからにお笑いバカキャラだから、薄いよー。イベント少ないし(数だけの問題じゃない、中身のあるイベントの数ね)、ドラマもない。
 今回のバスケ少年も、やっぱり薄かった。お約束の範囲で泳がされている感じ。
 もちろん、1回プレイしただけだから、全部のイベントを見たわけじゃないけどさ。
 今のところの印象。

 主役を丁寧に書き込むのは基本だから、正しいんだけどね。

          ☆

 『かまいたちの夜』は、「陰陽篇」をコンプリート。

 「陰陽篇」は不愉快だった。わたし、意味のない虐殺は好きじゃないのよ。
 ホラーってのはそういうもんかもしれないが、こわいというより、不愉快だった。
 血や内臓が飛び散るより、こわいものって、あると思うよ。そしてそういうものの方が、眠れないくらい印象に残るんだがな。
 ただもーえんえんえんえん、無惨に殺される、血の飛び散るシナリオを読んでブルウ。

 で、次に「底蟲村篇」スタート。
 こちらは、パニックホラー? 化け物に追い回されてますが。伝奇モノなんじゃなかったの? 古事記ベースっぽいのに、ひたすらモンスター・パニックものになってる……。
 まだ途中なので、これから伝奇らしくなるのかしら。

 そして、最近思うのだが、わたしは小林さんのファンかもしれない……。
 スタッフも、じつは小林さん好きなんじゃないのか、と思う……。
 あのだらしなくてやさしい、気のいいまぬけオヤジなとこが、スタッフの共感を呼んでいるのではないかと、弟と考察するのだ。

 
 本日は『かまいたちの夜』を重点的にプレイする。

 「わらべ唄篇」をNo.8をのぞいてコンプリート。No.8はどうやったら読めるのかな。弟も、8だけはわからないと言っていた。
 いちばんお気に入りのエンディングは、「キヨ死この夜」だわ。これには素直に笑った。……くだらないんだけどな。

 その足で「陰陽篇」に突入。あら、こちらはホラーなのね。理不尽に殺される殺される。
 個人的に、俊夫さんの最期がいちばんキツかった。グロいっすよー。
 こちらはあっさりエンディング。え、これで終わり? と少々拍子抜け。しょーがないから、あとはエンディングのコンプリートに燃える。

 昨夜から、仕事の企画書作りにアタマを痛める。うおー、なんかなんか、こう、なんか足りないっちゅーか、筆の滑りが悪いぞー。
 とゆーことで、ゲームは息抜きに活用。

 

猫の涙。

2002年7月24日
 母はタマネギをきざんでいた。
 強烈に目に染みる。
 涙ぼろぼろだ。

 母はテーブルでタマネギをきざんでいた。
 冬はこたつ、それ以外はふつーのテーブルである、一家団欒の場所だ。お膳、と我が家では呼んでいる、和風のテーブルだ。
 とーぜん母は正座している。
 正座をして、テーブルでタマネギをきざんでいるのだ。
 台所は超絶狭いので(母は整理整頓が苦手だ)、彼女は料理の仕込みをすべて、食卓の上でやるのだ。

 母の足元には、猫がいた。
 わたしの猫だ。
 昼間に連れて行ったら、そこで落ち着いてしまったので、そのままにしてあった。
 テーブルの下の床で、前足を折りたたむようにして、坐っている。
 母の膝の、すぐそばだ。
 狭いテーブルの下は、彼のお気に入りの場所だ。

 母はタマネギをきざんでいる。
 強烈に目に染みる。
 涙ぼろぼろだ。

 そしてふと、テーブルの下をのぞいてみた。
 そこには猫がいる。
 大きな目で、母を見ている。

 その、猫の目に。

 涙が盛り上がり、こぼれた。

 透明な、きれいなきれいな涙。

 …………どーやら猫も、相当染みたらしい、タマネギが。

 涙をこぼした猫は、のっそりとカラダの向きを変え、母におしりを見せてうずくまった。
 相当染みたらしい、タマネギが。

 母はわざわざわたしの部屋にやってきて、鼻息荒く語る。
「あんた、猫の涙って見たことある?!」
 ねえよ。
 つーか、本来なら泣かない生き物を泣かすなっちゅーの。

「長年猫飼ってきたけど、はじめて見たわ。ものすごくきれいだったわ」

 大変だな、猫よ。
 まさか泣かされるとは、お前も思わなかっただろう。

 どーせなら、わたしも見たかったぞ、猫の涙。

 
 本日は、ナルシス・プランスをGET。

 ええ、『ときメモ』です。
 オトせる男たちのなかには、もちろん色物キャラもいる。
 現実にいたら絶対イヤな、お馬鹿キャラ。
 フリルのブラウスを着て、髪を腰まで伸ばし、天才芸術家で「ボク自身が最高の美術品」とのたまう、ほとんどキ*ガイな男。マザコンで「マミー」を連呼。わがままで協調性ナシ。言動は電波系、思考は宇宙人。
 このゲーム、ダーリンの呼び方は、プレーヤーが決められるのね。そのキャラが許しさえすれば。あんまりアホウな呼び方すると、いやがられるのさ。
 で、上記のバカキャラをどう呼ぶか、ニックネームのリストを見たとき、「これしかない!」と思ったのが、「プランス」。フランス語で、王子、よね?

 初対面に毛が生えた程度で「プランス」と呼びかけたのに、この男、拒否しなかったよ……。
 下校デートの誘いは断りやがったくせに、「プランス」と呼ぶのはOKかいっ。

 ふつー、他のキャラならば、親しくないときに渾名で呼びかけると拒絶されるし、それが変な渾名ならなおさら、なんだけどな。
 なのにこいつ、「プランス」一発OKかい。

 なのでわたし、終始一貫して彼を「プランス」と呼び続けました。

 どんどん仲良くなって、「ときめき状態」になってなお、「プランス」。
 最後の「約束の教会」での、愛の告白も、「プランス」。

 どんなにシリアスなシーンでも、わたしの彼への呼びかけは、すべて「プランス」。

 あからさまにバカキャラなので、きっと人気はないだろうな。
 絵のレベルも、主役格の葉月くんと比べると、明らかに低い。手ェ抜いてるよね。この作画は。
 難易度も低めだろう。葉月くんであれだけ苦労したあとだから、あまりに簡単にオトせたので、拍子抜け。

 しかしわたしは、このキャラはけっこー好きなのだ。
 理由は、「バカだから」。
 お馬鹿すぎて、愛しいわ。
 あからさまに手抜きで、笑いをとるためだけのキャラ造形が。

 しかし、プランスとラヴラヴでデートを繰り返しているときも、ふと、葉月くんを思ってせつなくなったりな……(笑)。

          ☆

 セールスマンのおにーさんと、3時間も話し込んでしまった。
 3時間……もっとか?

 わたしは、よくやるんだ、そーゆーの。
 以前、セールス電話をしてきたおねーさんに「仕事以外で電話してもいい?」と言われたこともある。

 喋ることが、好きなのだ。
 人と接するのが好き。

 だから、初対面の人とでも、いくらでもぺらぺら喋る。
 セールスマン相手でも、平気で喋る。
 今日のおにーさんも仕事そっちのけで、たのしそーに喋りまくっていた。
 トシを聞いたら、「26歳」とのこと。
 なーんだ、ガキじゃん、とわたし、それから余裕モード。
 途中、母が乱入して、わたしが今失業中の独身女なんだということを、バラしていきやがる。余計なこと言わなくていいのに。
 仕事の話は、つっこまれたくないのよ。
 そして、独身、つーのも余計なお世話さ。
 お喋りが3時間を超え、仕事を終えた父が乱入してきたあと、さすがにセールスマンくんはおたおたと帰り支度。

 が、ちゃっかり言ってくるのさ、「今度、合コンしません?」と。

 わたしは思わず吹き出す。
「わたしはいいよ。独身の友だちもいっぱいいるよ。でもさ、みんなわたしぐらいか、あるいはわたしより年上だよ? それでもいいの?」
 セールスマンくん、ぎょっとして。
「あのー、あなた、いくつなんですか……?」

 聞いておどろけ、34だ。

 26の君が、ナンパしていいトシじゃねーっつの(笑)。

「すいません、ぼくと同じくらいかと思って話してましたっ。あ、いや、少しは上かなと思ったけど」
 トシの話して「若く見られすぎると、『常識知らずのガキとか、仕事できないバカとかに見られてるみたい』で、感じ悪いよね」という会話をしたあとだ、セールスマンくん、アセるアセる。
 トシより若く見られるのはいつものことなので、わたしはべつにおどろかない。が、彼はいろいろ考えてしまったよーだ。すまんな、年齢不詳で。

「わたしの友だちってさ、40前とかだよ? それでも合コンしたい?」
 26歳に、40歳前はキツイだろ(笑)。セールスマンくん、うなる。
「ぼくは年上好きなんで、ぜんぜんいいんだけど……友だちはイヤがるかも……」
 いいよいいよ、無理すんな。
 人生一期一会だ。
 この話は、聞かなかったことにしよう。前向きに、年相応の女の子をナンパしな(笑)。

 

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