わたしはコミックスを買うことが少ない。
 置き場にこまるためだ。もう家は飽和状態。これ以上、置く場所がない。

 わたしはマンガは少年・青年マンガしか読まない。女性向けはあまり合わないよーだ。卒業して久しい。
 わたし自身やほひをこよなく愛しているが、いわゆるボーイズものも読まないしな。パロディ人間らしく、同人しか興味がないんだわ。だからオリジナルBLに興味はなし。
 こんなわたしにとって、マンガのコミックスというと、「少年・青年マンガのコミックス」ということになる。

 だから、買えない。
 女性向けと比べて男性・一般向けのマンガって、長いんだもの!
 下手に買い出したら、何十冊買い続けるハメになるかわかんないじゃん! 置く場所ないよ!!

 ただでさえ、『ワンピース』と『からくりサーカス』という、いつ果てるともしれないタイトルを買い続けているのに……。

 とまあ、こういう事情があるからわたしは、極力コミックスを買わないように、自分をセーブしている。
 少年・青年誌を何種類か定期購読しているが、多少好きでもコミックスには手を出さないように己れを戒めている。

 わたしはたいてい、1話でハマる。
 1話を読んで「これだ!」と思わないものには、長い目で見ても結局心を動かされることはない。あとでじわじわ好きになるということは、ほとんどないのだわ。
 1話を読んだだけで「これだ!」と思う作品なんぞ、あまり多くはない。そして、1話が多少おもしろくても、なんといっても少年マンガ、長くつづいていると失速し、だんだんつまらなくなってどーでもよくなって終わる、ということの方が圧倒的に多い。
 だから、コミックス買い自重中のわたしは、より警戒心が強くなる。
 たしかに、1話で「これだ!」と思った。続きを読んでも好きだしおもしろい。でも落ち着けわたし、1年後にはなんとも思わなくなってるかもよ? 最初の勢いは、いずれ消えてしまうかもよ?

 そうやって、自戒すること多数。

 しかし。
 最近ついに、敗北した。

 1話を読んだとき「これだ!」と思った。以降、読み続けて毎回「好きだ」「おもしろい」と思う。泣く。ついでに萌えもある。
 それでもまだ「少年マンガだし」と自分をごまかし続けた。「いずれ、おもしろくなくなるときがくるわ」「雑誌で1回読むだけで十分よ」
 ああだけど。
 あれから2年以上たつけどまだわたし、この作品好きでおもしろくて、泣けて、しかも萌えるんですけどっ?!
 2年以上毎週たのしみに読んで、泣いて、脳内で受と攻が攻防してたりするんですけどっ?!
 こ、これってもう、あきらめてもいいのでは?
 もう一度読みたい、手元に置いておきたい、その衝動と戦い続けたこの2年。

 ついに、敗北。

 買いはじめました……。

 もちろん正価です。
 じつは1年くらい前から、「中古で見つけたら買ってもいいかも……」とか、コミックスを買わない決意が揺らいでいたのよね。
 でも、ユーズド・ショップではまったくといっていいけど、見かけないんだもん。
 まだみんな、手元に置いているんだね。
 古本屋を見ていると気づくけど、話題先行ものや、超人気大量出版今売れてますものや、ふつーの出版量であまりおもしろくないものは、けっこう出るよね、中古市場に。だけど、ほんとーにおもしろいものって、正しい人気を保っているものって、ほとんど出ないよねえ。
 好きな人が正価で買って、大切に手元に置いているからなんだろうね。

 そしてわたしも、正価で買って大切に手元に置きます。
 何度も読み返して、素直にたのしんで感動して、そしてヨコシマに妄想します(笑)。

 えーと、その作品は『クニミツの政』といいます。
 政治もの……になるのかな?
 国会で行われている政治ではなく、わたしたちの手の届く範囲での物語。
 少年マンガらしく、次々と迫り来る障害を、型破りな主人公・国光(クニミツ・政治家秘書・18才)が痛快に打破していく物語。
 バカで熱血で脳みそまで筋肉の、国光がかわいい。素直にいい漢だと思う。
 あ、国光は攻でヨロシク(笑)。バカ攻好きなんですわん。国光の軍師、光明(高校生・17才)も攻です。鬼畜でヨロシク(笑)。このふたりは恋愛関係ナシで、がしがし行って欲しいです。
 つーと受は誰かっちゅーともー、言うまでもなくライバルの不破さんです。彼、年齢いくつなんですかね? まだ30前? 28ぐらいかな、少年誌だから。希望としては32くらいなんですが。ドラマでなら、織田裕二に演って欲しいです。目的のためには手を汚すことのできる男。
 とにかく不破受が読みたい……どこにもなさそうだが……。
 去年の今ごろ、『ハレのちグゥ』で「保健医陵辱本が読みたい!」とオレンジとふたりで叫んでいたんですが、あーゆーハートですかね。保健医が受なら、相手は誰でもいい、オレに保健医受を読ませろ、心は野獣、みたいな。まあいちおー、いちばん読みたかったのはグゥ攻の保健医受だったんですが。グゥは人間外生命体なんで、女の姿をしていてもホモに分類。
 不破受なら、相手は誰でもいいです。ゴキタ相手でもウジムラ相手でも。希望は光明です。鬼畜属性の17才攻、クールビューティ政治家受。最近光明いい人路線まっしぐらだけど、そもそもあいつ、女複数はべらしてハーレムかましてた不良高校生でしょ? 誌面に現れてないだけで、その性癖がきれいさっぱり更生しているとは思えないんだけど……そこはそれ、少年誌だからなあ。
 国光には伊地知あたりでいいです。つーか作者は「国光×伊地知」なんだよね? 何回本編であのふたり、ヤッてた? いや、悪夢にうなされながらいろんな体位でもつれてて、朝起こしにきたヒロインが誤解して悲鳴をあげる、というパターン……。
 しかしなんでよりによって「国光×伊地知」? 作者、いまいち腐女子の嗜好を理解していないよーな。それともこのカップリングに萌えてる腐女子がじつは多いのか?(ふつーは国光×光明/リバあり、あたりかと思うんだが)
 ほんとのとこ、国光の本命は坂上先生がいいです。このマンガの総受は不破と坂上でしょう。国光×不破も見てみたいんだけどな……そーすると不破が誘い受ってことになるな……。

 と、えんえん妄想語り。
 変だな、本気で「物語」自体を愛しているんだが、「萌え」とは切っても切れないんだよなあ。
 今よーやく4巻を手に入れたんだが、不破先生が光明を「1億円で買おうとする」シーンがじつに萌えです。17才の美少年高校生を1億円の札束を出して買おうとする美形政治家……すげーシーンだ……。
 光明には是非、「金じゃなくアナタをください」と返してほしーもんだ(妄想)。
 早く続刊を買い集めて、金にこまった光明が不破先生に「自分を売ろうとする」シーンをもう一度読みたいもんです。
 ……って、こう書いてるとすげーやほひ臭いマンガみたいだな……ふつーの少年マンガなのに……つーか、ほんとにそんなシーンがあるおそろしいマンガ……男の描く男の世界って、女から見るとものすげー恥ずかしい世界なんだよなあああ。

 いや、妄想は置いておいて、ほんと素直に好きなのよ。
 国光の迷いのない生き方に、自問させられるのよ。
「わたしって、これでいいの?」「楽な方に逃げているだけなんじゃないの?」
 自分の居場所を顧みるよーな。

 それにしても。
 発売から2年以上も経ってから見かけるたびにぼちぼち買っているんだが、どこに行っても帯付き初版がある謎。
 売れているのか……? 大丈夫なのか……?

 
 さて今日は、忘年会。
 梅田に集合……しよーとしたら、事故で電車遅れまくり。
 早めに着いて買い物するはずだったんだがな……。

 集まったのはいつものメンバー。
 あらっちときんどーさんという第九メンバー+テルちゃん、星子ちゃんといういぢめっこコンビ(笑)、そして幹事のピンクちゃん。
 前回の「しいたけ狩り」(11/4)において財布を忘れて「忘年会幹事決定!」したピンクちゃんが、仕切ってくれました、ハワイ料理のお店。
 口うるさい松竹ちゃんと、「アタシ、誘ってもらってない。ピンクちゃんはアタシが嫌いなんだわ」と嘆きつづけていたキティちゃんは不参加。
 ピンクちゃんはキティちゃんにもメールを送ったそうだが、未着だったらしい。「1万人の第九」のときだか、キティちゃんがいじけていたのを聞いて、わたしがピンクちゃんに問い合わせた。あわてたピンクちゃんはキティちゃんに連絡を取り直し、機嫌を直すよーに言ったが……。

「結局不参加?」
「そーなのぉ。『誘ってもらってない』、って文句はしこたま言ってたけど、『その日は用事があるの』だそうよぉ」

 いやあ、キティちゃんらしいオチだ。彼女の場合、こーゆー言動をとっても許されるのだ。キャラクターで。

 みんな、個性のキツい人ばかり。
 キャラがかぶってないって、いいなあ(笑)。

 ピンクちゃんは「いじめられっ子」。なんか知らんが、「いじめてオーラ」をいつも全開にしている。ナチュラル・セクシーで、あまえっこ。芸能人で言うと、酒井若菜系。合コンの華(笑)。
 いじめっ子コンビ、テルちゃんと星子ちゃんの合い言葉は、「ピンクをいぢめに行かなきゃな」だ。ふたりとも「デキる女系」のOL。外見もびしりとしているし、言うこともキツイ。
 テルちゃんなんかはいかにも「女史」という外見をしている。眼鏡に凝っていて、わざと「ザマス系」眼鏡をかけては、さらに「女史」ぶりに磨きをかけている。(わたしはテルちゃんのクールビューティな外見が、実に好みだ・笑)
 ふたりのツッコミは苛烈で、コンボ攻撃をされるとわたしでさえマットに沈む。一撃だぞ。
 きんどーさんは、われらグループの良心。大柄な体格と顔立ち、おかーさんのよーなあたたかさで、おおらかにみんなを見守っている。でも地味〜に変な人。
 わたしにとって、きんどーさんは秤のよーな人だ。きんどーさんに嫌われるよーなことがあれば、わたしはわたしを許せないだろう。つまりそれくらい、わたしは彼女の公正さと寛大さに心酔している。ついでに顔も好みだ(カエル顔は好きなのー・笑)。
 あらっちはグループの癒し系。ここにいてくれるだけでいいの、あなたがいると場が和むのよー。個性のキツすぎる面子の中で、唯一マトモな人。でも意外に大食らい(笑)。

 今回集まったのは6人。
 ……食い過ぎです、あんたたち。

 その昔わたしが名付けた「ポチ」という名の携帯電話を、星子ちゃんは今も愛用中。
 ……なんでポチなんだろうねえ。前後の脈絡は忘れたが、ハシゴした何件目かのバーで、わたしが勝手に名付けた……んだよね?
 酔っぱらいのしたことだ、深く追及するな、ピンクちゃん。
「ねーねー、どーしてポチなのぉ? 緑野ちゃん、酔っぱらうとおもしろいんだってぇ? ねえねえ、どうおもしろいのぉ?」
 舌っ足らずなあまえた声で、会うたびに聞かれるんだが。悪いな、理由はわたしもおぼえてねーよ。ついでに、あそこまで酔うことはそうそうないよ。
 いじめっ子の星子ちゃんは会うたびに、
「ほーら緑野ちゃん、ポチだよーん」
 と言って携帯を見せてくれるしなっ。

 ねえねえ、次はいつ会うの?
 わたしは君たちと一緒にいるのが大好きだよ。

「次はクリスマス・イヴとか? 予定丸空きだよーん」
「あたしもー」
「空いてるよー」

 ……ってオマエら、いいトシしてそれはどうかと思うが……。

 わたし?
 もちろん空いてるよっ。
 呼んでくれたら、どこでも行くぞ(笑)。

 
 映画つながりで、『リング』の感想いっとこう。

 ハリウッド・リメイク『リング』。
 あの「貞子」は「サマラ」になりました。

 実は映画の公開前に、問題の「呪いのビデオ」だけは見ちゃってたんだよね。
 あの、時間にして1分くらいのもんですか? 見たら呪われるというビデオ。
 超こわがりのWHITEちゃんが持ってきた。どこぞのCD屋で、「ご自由にお取りください」とあったので、もらってきたそーだ。
 さっそくその夜ひとりで見て、次に彼女に会ったときに感想を語り合おうとしたら「あたしは見てない」とか言われてねー。見てないだと? おいおい、わたしだけ呪われたらどーするんだ?(笑)

 わたしがいちばん興味があったのは、「呪いのビデオ」だったんだよね。

 元祖『リング』の呪いのビデオ、あれ、めちゃこわかったんだもん。
 よくもまあ、あれほどこわい映像を創ったもんだと感心したよ。
 べつに、なにか完璧に「こわい」ものが映ってるわけじゃないじゃん。ひとつずつ口で説明したら「はあ? それのどこがこわいの?」てなものを、あそこまでこわくした、その手腕とセンスに脱帽。

 しかしあれって、「日本人のセンス」だよね。
 日本人が見て、「こわい」もの。
 アメリカ人から見たら……どうだ? こわいのか、はたして?

 だから、興味があった。
 もしもあのビデオがそのままアメリカ版でも使われているとしたら、アメリカ人を見直すぞ、てな。
 見直す、というと言葉は悪いが、わたしはアメリカ人とは相容れない感性を持っていると自分で思っているんで、「なんだ、けっこー共通する部分もあるんじゃん」と考え直すきっかけになるぞ、という感じかな。

 結果。
 別もんでした。

 なるほどー。そうきたかー。

 別もんだけどまあ、ニュアンスやモチーフは使われている。
 しかし、別もん。
 はっきりいって「気持ち悪いけど、こわくはない」。

 さすがアメリカ。わたしのアメリカ観を裏切らない、直接ぶり。
 気持ちでこわいんじゃなくて、痛いとか気持ち悪いとかいう露骨なもので、こわがらせるのね。
 うん、やっばりアメリカだ(笑)。

 それが悪いと言ってるわけじゃなくて、この相違がおもしろいと思っているの。
 そーでないと、アメリカで作る意味がないよね(笑)。

 それでも、忠実にリメイクされていました、映画『リング』。
 ストーリーライン、展開、すべて同じだよー。

 ただし、日本版であった「うさんくささ」は排除。
 貞子の母の超能力がどーのとかね。
 あの不気味さ、アメリカでは通じないのかー。なるほど。

 んでもって、日本版より「ミステリ」になっているのが、笑える。
 ちゃんと伏線をいちいち拾ってあるのよー。おー、なるほど、こうきたかー。そうそう、あれはこれの伏線だったのよ。って、いちいち原因と結果が出てくる。おー、ホラーなのにいちいち解説入るぜぇ。

 日本版よりも、全体として「説明的」。
 「呪い」という言葉も「祟り」という言葉も、わたしが見る限り一度も出なかった。
 合理的だった。
 こういう出来事があったから、こういう事件になった。その繰り返し。
 オチまでちゃんとあります、って感じ。

 「呪い」のなにがこわいかっていうと、理不尽であることなんだけどねえ。

 「呪い」のなにがこわいかっていうと、答えがないことなんだけどねえ。

 推理小説のように、犯人までしっかり書かれていましたー、って感じ。
 犯人わかったら、こわくないじゃん……。

 ま、いいや。
 そこがアメリカ(笑)。

 単体で見ていたら、ちゃんとこわかったと思う。
 もちろん、わたしは日本人だから、元祖ほどこわいものはないけどさ。

 
 ショー『バビロン』の話をするつもりだったんだが……。

 ひとあし先に見てきました、『ギャング・オブ・ニューヨーク』!!
 いやあ、あんまり愉快だったからさー。

 レオナルド・ディカプリオ主演のこの大作映画を実際に見て、痛烈に感じたことは、

「『パール・ハーバー』再び……」
 だった。

 『パール・ハーバー』の予告にしろポスターにしろ、日本のマスコミはえんえん「恋愛映画!」って謳ってたじゃない。真珠湾攻撃を題材にしただけの「恋愛映画」だって。
 フタを開けてみたら、どこが恋愛映画、ただの戦闘機オタク映画だった。
 んで、この『ギャング・オブ・ニューヨーク』。
 さんざんっぱら謳われているキャッチコピーは「すべては、愛のために。」だったり、「この復讐が終われば、愛だけに生きると誓う。」だったりする。「極限の中で生まれた究極の愛」とか。CMでも、美しいラブシーンがこれでもかと流れる。
 あおり文句は「『タイタニック』から5年−−。あの感動をしのぐ超大作が、ついに誕生!」だしな。
 これ以上なく、「恋愛映画」であることを武器にして宣伝しまくっている。

 『パール・ハーバー』再び。
 どのへんが「恋愛映画」なんだ?

 そーいや『パール・ハーバー』も『タイタニック』を引き合いにして宣伝されてたっけ。
 つまり『タイタニック』は「柳の下のドジョウよ、再び!」ってことなのかな。「あわよくば!」というオトナの駆け引きで、その名を冠したモノはニセモノだってことかな?

 なんにせよ、あの宣伝はすべて嘘です。
 少なくとも、レオ様と美女キャメロン・ディアスとの恋愛映画ではありません(笑)。

 ……わかるんだけどね。
 日本では、「恋愛映画」でないとヒットしないからさ。
 女性が映画館に行かないことには、大ヒットにはならないもん。そして、女性を取り込むには「恋愛映画」でしょう。
 だから『パール・ハーバー』も恋愛映画、『ギャング・オブ・ニューヨーク』も恋愛映画。
 「愛」は人間の基本、エンタメの基本だからさ、どんなものであれ、多かれ少なかれ「愛」は存在している。
 だから広義で「嘘」にはなりえないよ。『パール・ハーバー』が恋愛映画でも、『ギャング・オブ・ニューヨーク』が恋愛映画でも。
 それをいったら『寅さん』だって『釣りバカ日誌』だって『リング』だって『ハリー・ポッター』だってみーんな「恋愛映画」だけどなっ。

 とまあ、相変わらずの「映画の現実と宣伝の嘘」に苦笑しつつ。

 ツッコミどころは満載だが、とりあえず愉快だったぞ、『ギャング・オブ・ニューヨーク』。

 1862年、ニューヨーク。ギャング組織のボス、ダニエル・デイ=ルイスを父の仇と狙う青年、レオナルド・ディカプリオがやってくる。素性を隠し、ダニエルの組織に入るレオ。ダニエルは、腕もたち度胸もあるレオを気に入り、特別に目を掛けるよーになる。しかし、レオの素性と目的がダニエルに密告される。パーティの最中、復讐を遂げようとするレオと、レオの真意を知ったダニエルは……?! てな。

 宣伝通りの「恋愛映画」でないとすれば、これはいったいなんでしょう?
 答えその1。「歴史映画」。

 歴史、しかもニューヨークの歴史です。アメリカ全土でもありません。とってもピンポイントっちゅーか、マイナーな歴史映画です。
 ニューヨーク限定の歴史を常識として熟知している日本人てのは、どれくらいいるんでしょうなあ。
 わたしはまったくなにも知りません。アメリカにしろニューヨークにしろ、わたしがもっとも興味のない場所のひとつです。
 同人小説を書くために、ちょっくらニューヨークの歴史について勉強したあとだったので、わたしはまだ「ああ、アレのことか」とか思って見ていたんですが、まったく予備知識のなかったWHITEちゃんなんかは、展開にアタマがついていかなかったそうです。
 主人公たちのドラマにではなく、「知ってて当然」という感じで描かれている「ニューヨークの歴史」について。
 よその国の、1都市限定の歴史なんか、知らねーよ。……と言いたいです。はい。
 親日家でもなんでもないふつーのアメリカ人に、日本の歴史映画見せて、「背景がわからないので、キャラクターの言動の制限がわかりません」と言われても仕方ないのと同じさ。
 日本人なら、「島原の乱」と言われたら「ああ、アレのことか」とわかるけど、アメリカ人にはわかんないでしょ? それと同じ。
 日本人だから、ニューヨークの動乱の歴史なんかろくに知りません。

 「恋愛映画」とはよく謳ったもんだよ。
 ニューヨーク歴史モノだと謳っていたら、どれくらいの日本人が観に行ったかしら。

 なんかもー、真正面からがんばった「歴史映画」だったりするから、「アカデミー賞欲しいんだろうなあ」とか、いろいろ考えてしまいます(笑)。
 ギャングたちの抗争の物語だけど、それは「歴史映画」としてのもの。彼らの立ち位置には、「歴史」というバックボーンがあるの。何故群れる必要があったのか、何故対立するのか。
 あくまでも、激動の時代に翻弄される人々、なわけよ。

 さて、答えその1が「歴史映画」ならば、その2は?
 答えその2。「ヤクザ映画」。

 タイトル通りです。はい。
 日本で言うところのヤクザ映画、まんまです。
 いやーもー、暑苦しいほどの、「漢の世界」。漢、漢、漢っ!!
 ピストルは使わず、筋肉勝負です。組同士で広場に集合して、出入りカマシます。
 最初っから最後まで、暴力満載です。

 これ、日本映画だったらきっと、見れなかったよ、わたしゃ。
 ヤクザ映画苦手なの。暴力ってだめなの。
 まだガイジンさんの殺し合いだから、汚さと生々しさが、日本のヤクザ映画ほどわたしの目に飛び込んでこなかった。

 んでもって、ヤクザ映画の特徴のひとつ。

「漢の世界に、女はいらねぇ」

 女は出てきますが、あくまでも「華」の扱い。添え物です。
 「究極の愛」と宣伝されてるレオ様とキャメロンの恋愛も、たくさんあるエピソードや、テーマのひとつにしかすぎない。
 そりゃ、いい男にはいい女が必要でしょう。……その程度の扱いです。

 さて。
 この映画、ふつーの人にはおもしろかったのか?
 3時間近くもある、なげー映画なんだが。爆睡している人もけっこーいたようだが。

 わたしには、愉快だったぞ。
 つーか、腐女子にはおもしろいにちがいない。

 この映画。
 ある意味、「恋愛映画」なんだ。
 そりゃーもー、「究極の愛」だよ。「極限の中で生まれた」だよ。

 レオ様と、宿敵ダニエルの、究極の愛(笑)。

 途中からもー、笑いがこみ上げてきて大変でした。
 なんなんだこりゃ。
 すごすぎ、お前ら恥ずかしすぎ。

 レオ様にとってダニエルは父の仇。
 16年間、彼のことだけを考えて生きてきたんだろうよ。彼に再びめぐり逢うために、成長したんだろうよ。
 素性を隠し、復讐するために彼に近づく。
 実際ダニエルは狡猾で凶暴で理不尽な暴君。暴力と恐怖で君臨する男。彼を見つめるレオ様には、嫌悪の表情が。
 だが。
 ……嫌悪する傍ら、惹かれていく。その強さと恐ろしさ、その裏にある孤独に。

 ダニエルはその昔、たった一度だけ敗北したことがある。敗北は死なのに、相手は彼を殺さなかった。彼を恐れた己を潔しとせず、ダニエルは自らの片目をえぐり、彼に再戦を申し出る。
 その、ダニエルにとって唯一無二の相手が、レオ様の父親なのだ。
 レオ様の父親をその手で殺し、「この男の亡骸に触れることはゆるさん」と言い渡し、彼の肖像画を飾り、彼を殺した日を16年間祝日としつづける。
 誰にも心を許さず、王者の孤独のもとに生きる獰猛な男。
 そんなダニエルが、はじめて心を許すこ気になった人間がいた。昔話を語って聞かせる相手ができた。
 それが、レオ様。……あの男の息子だと知らずに、愛した若者。

 父と息子、両方か……。
 運命だな、そりゃ。

 レオ様を愛していた分、彼が「復讐のために」近づいたことを知ったダニエルの、激昂ぶりったらよ。
 殺せばすむことなのに、それでもダニエルはレオ様を殺さないし。
 う・わー……。

 レオ様もレオ様で、美女キャメロンが「あたしとふたりで逃げて」と言っても無視。
 ダニエルとの決着優先。

 激動の歴史のなかで、運命的に憎み合い、戦うふたり。

 ……は、恥ずかしい。
 見ていて、恥ずかしかったよー、もー。
 ラヴラヴじゃん。
 お前ら、ラヴいよ、恥ずかしすぎるよー!!

 しかもラストは。
 ラストは、『血と砂』(タカラヅカ)状態だしっっ。
 なんで手を握ったままなの?
 ねえっ?!
 ねえ、ねえっ?!

 ハッピーエンドかよっ。

 ……すさまじい話でした。
 えらいもん見たよ。

 ダニエル・デイ=ルイスがトータス松本に見えてしょーがなかったとか、レオ様のチョビ髭がめちゃ変だとか、そんなことは些細なことさ。

 愉快でした、『ギャング・オブ・ニューヨーク』。

 それにしてもアメリカ人って、ほんとに「アメリカが好き」なんだなあ……。


 こまったもんだ、まだ『ガラスの風景』の話だよ……。
 主役のキャラが好みではないって話だけで、文字数エラー出ちゃったんだもん。あれじゃ、最初に書いた「芝居もショーもたのしく拝見いたしました。」の1文につながらないじゃないかー。

 今日は水曜日ってことで、『リング』を見てきたんだけどな。その話はいつ書けるのだろー。

 んで、『ガラスの風景』。

 首を傾げたこと。
 ヒロインである、殺人現場の富豪邸の長女。
 彼女の再出発の物語でもあるわけなんだよね、この作品。
 それはいいんだが、わたしは最初から最後まで、ずーっとひとつのことが気になってたんだが。
 真実の恋によって、人生やりなおし、握り拳だこの野郎、再出発、ああ生きるってすばらしい! な彼女。
 ……あのー……旦那はどーすんですか??

 ずーっとずーっと、気になってたんだけど。
 彼女、人妻なんだよね?
 それをきれーに無視して再出発にきらきらしてますけど、えっと、旦那はいいの? それって不倫だよね? 旦那に食わせてもらって、優雅に暮らしてる奥様なのよね?
 なのに勝手に恋して、人生ってすばらしい、わたしってすばらしい、きらきらきら〜☆ で終わってるけど。
 旦那は?

 いや、わかってはいるよ。
 女優として壁にぶつかった彼女は、自殺未遂の末に結婚に逃げ込んだだけなのよね。2度目の妻、ということはきっと、旦那はかなり年上の、とーってもよくわかった、デキたお人なのでしょう。夫というよりは、保護者のような間柄なのでしょうよ。
 だから、彼女が「もう一度女優をやりたい」と言ってもあっさりOK、「離婚したい」と言ってもあっさりOKなんでしょうよ。だから夫のことは完全無視で話が進んでいるのでしょう。
 それはわかってるのよ。
 でもさ。

 おばさん、いくつだよ?

 ……すみません。
 すみません、あきちゃん。ごめんなさい。
 でもわたし、あなたが若い娘さんに見えないのです。
 中年女性に見えるのです。
「若いころはわたし、女優だったのよ」
 と言っている、ふつーのおばさんに見えたのです。
 あ、ふつーの、きれーなおばさんね。
 なるほど、美人だと思ってたら、そっかー、昔は女優さんだったのかぁ。どーりで今でも美人なわけだー、てな。
 昔女優だった美人なおばさん、だと思って見ていたから、「女優としてやりなおすの!」と言われたときには、おどろきました。
 えっ、それはちょっと、やめといた方がいいのでわっ?! と、うろたえてしまいました。
 そりゃ、若ければいいかもしんないけど、そのトシでカムバックはきついんじゃない? おばさん、恋に華やいで、なんかカンチガイしちゃった?

 ……すみません。
 最後まで見ていれば、わかりました。
 まだ若かったんですね。設定。
 十分やり直しのきく年齢だったのですね。
 外見に惑わされておりました。だからこそ、「旦那は?」と思ってしまったのよ。そのトシで旦那をそこまでないがしろにしていいのか? と。まだ小娘なら、そこまで甘え倒してもアリかもしれない。旦那はきっと、オトナだろうし。

 いやあ、そんちゃんといいあきちゃんといい、外見に惑わされて、設定を読めなくなっていました、わたし。

 それともヒロインは、やはりいいトシなんだろうか?
 オトナの女性の再出発、なのか?
 もし彼女が見た目通りのオトナの女性ならば、旦那へのあの態度はどうかと思うぞ。たとえ、愛のない生活であったとしてもだ。自分の人生に責任を持て。それは再出発ではなく、ただの逃げだ。
 ……てことになるから、やっぱり彼女は小娘なのでしょう。
 2回目以降の観劇では、ヒロインの年齢も修正して観ることにします。

 主人公の人格や役割を読みとれず、ヒロインの年齢を読みとれず、キーパーソンである美貌の夫人を美貌だと気づかずいた、こんなわたしが、この作品を語ってはいかんのではないでしょうか……。

 でも、たのしく観たのよ。
 美貌の警部さんがいたから、だけではなくて。

 それはなんといっても、「青春のかほり」ってやつですかね(笑)。

 観ていて感心したのは、徹底したその「上流階級ぶり」なの。
 舞台になっているのは、ほぼ現代(40年ほど前らしいが)のイタリア。
 感覚的に、陸続きなんだよね。同じ地球の上っていうか、実際に「知ってる」「ある」というような舞台。
 でも、ここはタカラヅカ。「知ってる」よーな舞台じゃ、タカラヅカである意味がない。それこそ、近世のヨーロッパだとか平安時代だとか、「異世界」感覚がないとつまらない。
 だから、徹底した「上流階級」。
 そこには、わたしたち日本人庶民の「知っている」ものはない。
 わたしたちがあこがれる「異世界」。それをちゃーんと描いている。
 見事に庶民が出てこない。祭りでケンカしてるのも、みーんな「上流階級」のかほり。「選ばれたるものたち」だけの世界。
 いいなあ。
 その潔い描きっぷり。
 いちばんウケたっちゅーか、感心したのが、ヨットが出てきたとき。
 ヨットですか!!
 さすが、上流階級です。デートっちゅーと、いきなりヨットがきますか! なんと裏切らない「異世界」ぶり。

 そのわたしたちがあこがれる「異世界」に、「青春のかほり」で味付けしてあるのが、なんともくすぐるのよ。

 この地味〜な話を、「青春」で味付けするとは、いいじゃないですか。
 本筋とは関係ない部分が全部、「青春!!」の群衆芝居やミュージカル・シーンになっているのが好きです。

 ……本筋が、わたし的にはしょぼかったんだけどな……なんせ主役とヒロインがアレだったからさ……。

 そして、こうまで「青春」と対比させるなら、主役たちをきちんと「オトナ」にしてほしかったんだけどな……「アダルト・チルドレン」ではなくて。
 彼らが、自分のいる場所から逃げるのではなく、受け止め、立ち向かっていくオトナならば、青春の息吹がちりばめられているだけに、せつない物語になったろうにな、と悔やまれます。

 あと、ガイチがとてもいい男でした。
 誰かあの男、押し倒してください、てないい男。(注・ほめてます)
 眼鏡の大学教授。も、萌え……。

「ガイチがすごくいい役だったら教えて」
 と言っているクリスティーナさんに、どう言えばいいのやら。
 わたし的には、すばらしい受として、とてもいい役なんだけどな。ガイチはあの健康さが邪魔をして、受攻を考える以前に除外されていた人なのに、今回はよっしゃあ、ど真ん中キタ〜〜ッ!!(鼻息)って感じで、実によろしいのだが。
 クリスティーナさんは、一般人なのだよ。受も攻も、そもそも概念からして存在していない人なのだよ。
 専科からの特出なのに、あの扱い(ショーも含む)ってのは、えーと、……ふつのー、まっとうなファンの人にはどう言えばいいのだろう……。

 あとはひたすら、警部と御曹司を見てました。
 警部のとりまきーず(部下と別荘管理事務所のみなさん)もすてきでした。警部、愛されてるなー。ふふふ。管理事務所所長とやら、何故にそう警部にくっついていくのか、下心がありそーなとこもよいです。
 でも警部の心は、主人公のものなんでしょうか。
 最後の公私混同はどうかと思います、警部殿。自分が好きな相手だからって、犯罪者を見逃すのか……そうか……。
 わたしは主人公を好きになれなかったので、警部とは男の好みがチガウみたいだ。しょぼん。

 とまあ、結局のところはたのしんで観たのよ。『ガラスの風景』。2回目以降はきっと、もっとたのしめるんだろうな、と。
 問題は、次を観る予定がないってことかな……。(をい)
 そのうちふらりと観に行くかな。

 で、もうショーの話を書くスペースがない……。
 新人公演の話はいつ書けるのだろー。
 映画『リング』の話は? 明日観に行く予定の、レオ様の『ギャング・オブ・ニューヨーク』は……?


 今さらですが、星組観てきました。

 あまりにもヅカから遠ざかった日々を送っていたので、忘れそーだった……。心は来月の東宝『エリザベート』なわたし……。

 芝居もショーもたのしく拝見いたしました。
 宙組御一行様も客席に登場、たかはなを客席で見かける回数は他のスターさんよりほんと多いですなあ。

 さて、『ガラスの風景』は。
 なんともノリの難しい作品だなあ、と。
 どこでどういうふーにノればいいのか、わからんままに終わってしまった。
 謎解きあたりまで気づかなかったんだが、そんちゃんの役って、美女だったんだな? いやあ、この大前提をスルーしてたもんだから、あちこちで思考が滞っちゃったよ。
 そんちゃんが美女なら、すべてわかる。美貌で妖艶な人妻なわけだ。奔放に生きる恋多き女なわけだ。旦那のガイチとは仮面夫婦なわけだ。
 ……美女だと気づかずにいたもんだからさ……。ふつーのおばさんだと思っちゃってたからさ……。ミステリになってくんないよな、そりゃ。
 ごめんそんちゃん、ごめん柴田せんせ、わたしが迂闊でした。

 とゆーのも、だ。
 この物語のなかでの、ぶっちぎり断然いちばん、超絶美貌で可憐でかわいくてコケティッシュで、すべての人間をめろめろにしてしまう魅力的なハニーは、警部さんだったんだもん。
 わたし視点。
 びしりとスーツ着て、シニカルな笑いなんぞを浮かべてたりする、あのかわういハニー。
 小柄なのに、尊大な仕草なんかしちゃってさ。慇懃な喋り方とかしちゃってさ。
 ああ、なんてきれーでかわいくて魅力的なの。
 絶対あんたがいちばん、あーたがいちばん美人!
 ……てことで、警部以外の人に美人がいるなんて、気づかなかったんですわー。

 ははははは。

 警部の次に、銀行家の御曹司を美人だと愛でておりました。はー、眼福眼福。

 とまー、アホウな話は置いておいて。

 さて、これはサスペンスものなんでしょーかね。殺人事件のからんだ恋愛ドラマなのよね?
 相変わらず先入観ナシ下準備なにもナシで観て、あちこち首傾げてました。
 誰が出てるのかもチェックしてないからさー、未沙のえるさんがいたのにおどろいたよ。まさかまやさんの太股を拝めるとはなー。長生きはするもんだ。

 金持ち別荘地区である、あの有名なイタリアのコモ湖。そこにはいろーんな国からお金持ちが集まってひと夏のバカンスをたのしんでいる。
 そこで起こった殺人事件。殺された男はどーやら複数の金持ちたちを恐喝していたらしい。容疑者は殺人現場となった富豪邸の次女、その恋人で銀行家の御曹司、画家、政治家の息子、そして新顔の貿易商。
 主人公はこの新顔の貿易商で、取り乱す富豪邸の次女に同情したのかなんなのか、関わり合ったあげく、長女と意気投合、自ら捜査を開始する。……んだが。
 ドラマにノることができなかったのは、なんといっても主人公に感情移入できなかったことが大きい。いや、ヅカの主人公に感情移入を求めちゃいかんが(某谷せんせの主人公なんて、キチガイぞろいだしな)、それを踏まえた上でも、この貿易商は人間性が最後までわからなかった。
 ひとことで言うなら、「薄」かった……。
 他の人たちは、わかりやすくて、役割が簡単につかめたんだけどなー。主役がなにしたいのか、よくわかんなかった。
 彼はただの巻き込まれ型の主役ではなく、また単純な探偵役でもなく、彼自身秘密のかほりを漂わせていたりもするわけだ。なんせ容疑者のひとりだしな。
 でもそれが、裏目に出たかな。
 巻き込まれ型の主役なら、役割もキャラ立てもはっきりしているさ。また、単純な探偵役だとしてもな。
 しかし、「ひょっとしたら犯人かもよ?」な主役で探偵役だからなあ。ミステリアスを狙ったら、薄くなりました、てか。
 ゲームでよくあるじゃん、主人公の名前も顔グラフィックも人格もナシってやつ。プレーヤーが好きにイメージできるよう、なにも個性がないの。
 なんにでも染まれる代わりに、個性はナシ。犯人かもしれなくて、探偵役で、恋なんかもしちゃって、主役だから観客の視点役もやっちゃって、と、なんでもやる代わりに、個性は薄く。
 役割を最後まではっきりさせないままに、たった1時間半でミステリをやるもんだから、主人公がどんな人でなにをしたいのか、確証が持てないままに終わってしまった。
 ノれなかったなー。

 タカラヅカはリピート観劇が基本だから、それを狙っているのかもしれない。
 主役の役割を理解したうえで観る、2回目以降の観劇ならば、いろいろとたのしめそうだ。
 主役は「いい人」。
 なんか思わせぶりなことがいろいろでてくるが、それは無視してヨシ。彼は「いい人」だ。迷うな、まちがうな。
 ついでに、年齢とか(ご丁寧にも、37才、と繰り返されるのだ)、見た目の老けっぷりも、気にするな。
 彼の心は「少年」だ。
 37才だなんて思って観たら、混乱するぞ。なんせ彼の悩みやつまずきは、10代の少年のやうなセンシティヴ・ハートゆえだ。
 40前のおっさんが、悩んでサマになるよーなことではないことで、いろいろ悩んでいる「潔癖な少年」のやうな「いい人」なのだ。

 わたしは最後まで観て、「おっさん、悩みはソレかいっ」と盛大に突っ込んでしまったクチなので、2回目以降ならば「実年齢がどうあれ、あーゆーことで悩めるコドモな男なんだ」と納得したうえで観るさ。

 まあ、好みの問題、というのあるだろうな。

 わたしにしてみれば、主役貿易商の抱える苦悩は、とても青臭くて笑止なものだったんだわ。
 彼はミステリアスな青年(には見えないが、設定は青年貿易商)らしくて、とーっても暗い過去があるらしい。死を求めたこともあったさ、しかし時が傷を癒してくれてだな……てな、人生を小娘相手に語ってみたりな。
 暗い過去を持つ男。傷ついた少女を助けたり慰めたりする、やさしい男。現在は金持ちで成功者で、社交的で洗練されていて、すべてを持ち合わせていそーな男。しかし、その裏でどーやらキナ臭いことにも関わっていそうな、危険な男。
 んでもって実際彼は、貧しい生まれから実力で這い上がってきたのに、一度徹底的につまずいていた。恋人は死ぬわ、仕事は失敗するわでまさにどん底。そこから立ち直るために悪に手を染める。それゆえに今の地位を築いたってわけだ。
 ここまではいい。
 問題は、37にもなるこの男は、自分の今までの人生に、なんの覚悟も責任も持ってなかったってことだな。
 彼は恋をした。真実の恋らしい。なんでいつの間に恋に落ちたのか、よくわかんねーけど、とにかく恋に落ちた。
 そしたらあっちゅー間に、今までの人生、全否定。
 禊ぎをすませないことには、彼女と生きることはできない、と、断腸の別れ。
 ありゃー。
 なんでそこまで、簡単に全否定できるの、自分の人生。
 今、ここで彼女に出会い、恋をしたのは、今の自分でしょう?
 そりゃ犯罪組織と関係している悪人かもしれないけどさ、それを含めたすべてひっくるめた、「今の自分」だからこそ、彼女と恋ができたのよ?
 人は生まれ変われる。何度でもやり直せる。それはわかる。
 でもそれはさ、現在を受け止めたうえででしょー?
 10代のコドモならともかく、40前の男が、なにキレイゴト言ってんだ? と、首を傾げました。それは再出発というより、逃げなんじゃねーの?
 なにもかも彼女に話して、それでもアイシテルって言えよー。それでも俺にツイテコイって言えよー。もしくは、俺が過去を清算して迎えに来るのをマッテイロ、って言えよー。
 
 自分の過去を、「ナカッタコト」にして、それから愛を築こうなんて思うなよー。
 警察に追われる立場だから彼女を巻き込めない云々はわかるけど、それでもその事情を、ちゃんと話して欲しかったよ。自分の言葉で。意志で。
 言わないのがやさしさ、みたいな描き方してるのもまた、好みじゃなかったのさ。言わないのはやさしさでも思いやりでもなく、ただの勝手、だからそんな、悲劇の主人公みたいな描き方はよせ。

 好みの問題なんだろーなー。

 主人公がなんとも薄くてねえ。
 いつの間にか恋に落ちていたと思ったら、せっかく悪の人だったらしーのに、どうやらその生き方も中途半端だったらしく恋した途端全否定。
 そっか、少年のよーなセンシティヴ・ハートな男だったんだと納得するまで、人格が見えなかったよ。立場と言動が一定して見えてくれなかったから。
 あそこで過去を全否定するのも、薄さの言い訳めいて見えたしな。自分の人生に覚悟を持った大人の男なら、あーゆー苦悩はしないだろう、って。

 2回観れば、彼にも好意を持てるかもしれない。
 1回しか観てないので、この感想はあくまでも、なにも知らずに観た人間の、とってもライトな感想なのだ。
 ディープに語る資格はまだない。なんせ1回こっきり。しかも警部萌え。

 ああしかも、主役の感想書いてるだけで、文字数リミットだよ。
 しょーがないから、明日に続く。


 買ったばかりのDVDレコーダーと遊ぶ傍ら、年賀状のことを考える。

 わたしは、年賀状を作るのが好きだ。

 年に一度の、自己表現の場だからだ。

 子どものころから、年賀状とはひたすら自己表現の場だった。

 記憶にあるいちばん最初の年賀状は、手作りのゴム版画だった。
 既存の型をなぞるのではなく、自分で下絵から描いた。……もちろん、思った通りになんかできなかったが、それでも「自分だけのオリジナルである」ということに満足していた。
 ゴム版画の腕は年々上がっていき、MY彫刻刀セットを持っている、変な小学生だった。

 次に、プリントごっこ時代に突入。1版300円ほどのコストがかかるため、多版刷りはできない。せいぜい2版まで。わずか2回の印刷で、どれだけイメージ通りの作品を作るかに燃える。
 これが中高校生くらいかな。
 このへんではまだ、わりとふつーの年賀状の枠内のものを作っていたな。絵には凝っていたけど。

 次に、プリントごっこ+手塗り時代。
 周りの影響で、マンガを描いていたため、年賀状にもマンガ絵を描くよーになる。
 だがマンガ絵といっても、そのときの流行ジャンルのキャラクターを描くのではなく、普遍的なキャラをチョイスした。スナフキン、ドラえもんなど。
 しかもこのあたりから、コピー、キャッチフレーズに凝るよーになる。
 一般広告を作るよーなハートで、年賀状を作る。
 おかげで、「あけましておめでとう」などの定例句は存在せず、「新年」をイメージさせる別の言葉を使うようになった。
 セピアカラーで統一した画面に、スナフキンの横顔と背中で、コピーが1文。「歌え、夜明けの歌を…」は、今思うとものすげーイタタな恥ずかしさに満ちているが、当時のインパクトは絶大だった。
 反響がすごかったっす。友人の家族とかから感想をいただいたり、あれから10何年経つ今でも、友人たちの口に上ったりする。
 このあたり、年賀状コンクール(かなりローカル)の入選常連となる(笑)。

 スナフキンの反響と、コンクール入選に味を占めて以来、わたしの年賀状は「広告系」一直線となる。
 「新年」をテーマにしたキャッチフレーズと、絵。
 毎年切り口を変え、見た人に発見や感動を与えるものを! と凝りに凝り出す(笑)。

 ここ10数年の自作年賀状を改めて見てみたんだけど……。
 いやあ……どれも香ばしいですわ。
 カンチガイしまくりっていうか。
 まともな年賀状は1枚もない。

 でも、今後も続行予定。
 ひとりくらい、こんなヤツがいてもいいでしょう、ってことで(笑)。

 年賀状は、年に一度の自己表現の場。
 わたしには必要なの。

「緑野の年賀状をたのしみにしている」
「今年、喪中なんだけど、緑野の年賀状だけは欲しいから、こっそり送ってくれない?」
「緑野の年賀状のファンだから」
 などと言われ、毎年腕まくりして作ってるんだよ、お客さん!

 ひとさまによろこんでもらえる、たのしみにしてもらえるって、うれしいじゃない!
 年に一度だもん、がんばれるよ。

 近年はパソコンを使って作っているので、さらに広告系一直線だなー。
 もう絵は描かなくなっているので、文字だけでデザイン、文字で絵を描く感覚。

 今まで作った年賀状関係の中で、もっとも反響が大きかったのが、わたしが生まれてはじめて作った「喪中はがき」。
 育ての親でもあった祖母が亡くなった年に、作ったもの。

 わたしが年賀状がオリジナルであることにこだわるのは、母の影響が大きい。
 わたしの母もずっと、ひたすらオリジナルなものを作り続けてきた人だ。
 彼女が言っていたんだ。
「喪中はがきって、もらうひとがもっともつまらないはがきだと思うわ。暗いデザインの紙面に、淡々と事務連絡が書いてあるだけだもの」
 そこが日本人の謙虚さなのかしら。自分の「かなしみ」を他人には伝えず、儀礼のみにこだわる。
 だけど、ただの事務連絡ではなく、そこに「心」を載せたい。母はそう言うのだ。また、そういう喪中はがきを受け取ることがあれば、お悔やみの言葉は儀礼の域を超えて真摯なモノになるのに、と。
 その母が、わたしより先に「オリジナルな喪中はがき」を作って見せた。
 正直、ショックだった。
 わたしはクリエイターとしての母を尊敬している。母個人にはモニョるところはかなりあるんだが(笑)、クリエイターとしては、尊敬してるんだよ。
 その母の才能と実力を、見せつけられたのな。
 ……泣いたもん。母の喪中はがき見て。
 端正ななかに、哀惜が詰められていたわ。

 それを見て、対抗心が沸いた。
 負けるもんか、と。
 純粋に、「ものを創る人間」として、かきたてられたんだよ。
 いいモノを見て刺激を受けたら、それを吐き出したくて仕方なくなるから。

 そうやって作った、渾身の「喪中はがき」。

 効果絶大。

 何年も会っていない、「年賀状友だち」から手紙がきたり、電話がきたり。
 いろんな人から「感動した」「泣いた」と言われた。

 喪中はがきでファンレターもらうヤツ、そうそういないだろうなあ……。
 わたしにしろ母にしろ、この喪中はがきでファンレターを複数いただきました。

 弟が心底あきれた顔で、「これだから物書きってヤツは……」とつぶやいていたのが、印象的。

 身内の死を利用したとか、そんなわけではないのよ。
 素直なかなしみを、ありのままに表現したのよ。
 そして「死」は、誰もが経験するかなしみごと。
 わたしや母の表現した「かなしみ」は、それを受け取った人にも無関係な感情ではなかった。
 大切な人を失ったことのある人が、その記憶を揺さぶられて、感想をつづってくれたりしたよ。
 何故かなしかったのか。それは、そのひとを愛していたから。
 よみがえるかなしみは、愛情の確認でもある。
 「泣きました」と、読んでるこっちもが泣けてくるような手紙をもらったりしたなあ。

 そーいや文字だけのはがきを作った最初が、その喪中はがきだったな。それまでは自作イラスト付きだった。
 わたしは文章を書くのが本業なんだと、そのとき再確認したわけだ。
 以来、文字だけの年賀状作りに専念してきた。

 さて。
 今年はどーしよーかなー。
 去年作った、「2002年版年賀状」は、今見ても凝りすぎだと思う(笑)。とてもじゃないが、こんなのは毎年作ってられない。
 もっとシンプルに、かつインパクトのある、わたしらしい年賀状。

 ……猫の写真でも使おうかなぁ……。←ありがち(笑)。

 
 あ、あれ?
 なんかまた、カウンターの調子がおかしい?
 よくおぼえてないんだけど、1日で100ぐらい進んでないか?

 この日記を読んでいるとわかっているのは、今のところかねすきさんと、そのお友だち1人のみ。
 まさか、わたしの友人誰かがたどりついて、過去日記を読んだんじゃあるまいな、と戦々恐々。
 日記のことは、ほとんど誰にも言っていないのだが……。バレてたりするのかしら。
 それとも、ぜんぜん知らない人に笑われているのかなとか、思ってみたり。
 まあ、オレンジに「こんな内容の日記書いてる」と言ったところ、「アンタそれ、めちゃくちゃイタイよ」と太鼓判押されたしな。
 匿名だからできる、Web日記。責任のないところで、アタマの体操。文章書くのって、アタマつかうからさ。(そうとも、こんな日記でもアタマ使ってるかんな!)

          ☆

 さて、本日念願のDVDレコーダー到着!

 ついに買いました、物欲のかたまり。
 悩んだあげく、パナにしました。HS2。
 こいつに決めるまで紆余曲折、いろいろあったんだけどねー。なんか運命的に、決まってしまいました。

 到着したならば、接続しなければ。使えるようにしなければ。
 てなわけで、1日がかりで自力接続。

 ただテレビに接続すればいいわけじゃないからね。
 2台のビデオデッキも活かし、WOWOWだのBSだの、コピーガード・キャンセラーだの……いろんなものに接続しなきゃならない。
 となると、移動させなきゃならない家具なんかも出てきて……うおーっ、大騒動だぞっ?!

 引き続き風邪で体調が悪いときに、うれしがってそんなことをするもんだから、途中頭痛と吐き気でうずくまるハメにもなり……。

 それでもなんとか、接続完了。
 さあこれから、デジタル・ライフがはじまるのだ。
 (……にしても、メディアが高いなぁ……)

 
 銀行からやってきた、謎の借金のお知らせ。
 わたしが某銀行から「216円」借りている、という……。

 なんやそれは。

 わけがわからず、銀行に問い合わせること、数日。
 ストレスだけが溜まる。

 いや、体調が悪いのはわたしの都合だ。風邪で喉が痛くて喋りたくないのも、熱があるのも、わたしの勝手だ、銀行のせいじゃない。
 だが今このときに、電話で何度もあーだこーだ言ったり、実際に出向いていくのは、心からっ、うざいのだよ。

 しかも、結局のところ、その金額が何故発生したのか、判明しなかったし。

 最初は女の子が応対してくれていたんだが、途中から肩書きのある男の人が出てきた。
 電話のやりとりの不手際に、わたしがプチ(petit−ぷち−、だ。buじゃないぞ。てんてんの濁音ではなく、まるの半濁音な)切れ状態だったせいもあるかもしれん。だが、電話の不手際は、100%向こうのミスだぞ。
 なんかもー謝りまくられて、余計不愉快になったよ。
 わたし……クレーマーなのか……?
 身に覚えのない請求書送られたから、真偽を問いただしているだけなのによー。涙。

「すべて解約していただくのがいちばんいいと思われます」
 って、おじさんソレ、やっかい払いか? もううちの銀行とは取引しないでくれって?
 たった216円の謎でいろいろ調べるのがうざいってそういうことか?

 もともと、すべて解約して、オサラバする予定の銀行だったんだがね。

 今日改めて窓口へ行って、精算してきました。
 窓口の女の子は、わたしが名前言っただけで話通じたし、上の男の人もいそいそ出てきたよ。や、やはりクレーマー扱い??
 善意に受け取れば、それくらい誠意を見せてくれてる、ということなのか?
 でも、結局のところ「216円の謎」を解明してはくれないのよね。
 調べることはできる、やれと言われればどんなことでもする、でもそれをするのはものすごーく大変なんですよ、ここらへんで引いてもらえませんか、たった216円のことだし。
 ……と、言っているのが見え見えなのよ。

 わたしも体調悪くて、できれば今日は1日寝ていたかったくらいなので、もーなにも言う気になれず、「もーいいです」の一点張りで判子ついて216円払ってきたよ。

 さようなら、アルファベット3文字の某都市銀行。
 二度とおつきあいはいたしません。
 その昔、スヌーピーの通帳がかわいかったから、口座を作ったのがマチガイだったのか……。

          ☆

 親の家から戻ると、留守番をさせていた愛猫が、なにやらがさごそ遊んでいる。
 なにをしているのやら……と見れば。

 うきゃあ〜〜っっっ、ネズミの死骸で遊んでるぅ〜〜っっ。

 ここ数日、どこから紛れ込んできたのか、ネズミがいるらしいことは知ってたけど……うわ、獲ったのかお前!
 てゆーか、わたしに見せるな!
 ゴキブリは生きていても死んでいてもダメだけど、ネズミはほ乳類だから生きているときはそれほどこわくないし、気持ち悪くない。実害があるから嫌なだけで。
 だけどだけど、死体はダメだよ! 気持ち悪いよ。
 毛皮のあるほ乳類の死体は、えぐいよぉおお。

 携帯電話で父にSOS。
 動物の死体を、自分で触れません。
 とーちゃんに来てもらって、捨ててもらいました。

 猫はせっかくの獲物が突然なくなったので、不思議そーにあちこち探し回っている……。

 『バイオ0』はセーブほとんどナシで処理場まで来たのに、うっかりカエルに飲み込まれてしまって、ブルウだし……(研究所からやり直しかいっ?!)。

 なんともついてない日だ。

 

ママ孝行。

2002年12月5日 家族
 母と旅行することになった。
 お正月に。

 なんでもいきなり、思い立ったらしい。

「娘なんてものは、嫁に行ってしまったら一緒に遊べなくなる。母娘で旅行できるのは最後のチャンスかも!」と。

 いやその……心配しなくても、娘、嫁に行く予定ないですが……。

「そんなのわかんないじゃない。あたしは出会ったその日に『この人と結婚する!』って思ったもの。あんただってそうかもよ」

 それはあんただけっすよ、ママン……。わたしにはそんな思いこみの激しさはないってばよ。

 よーするに母、予定外に休日ができてしまい、暇らしい。
 「この世でもっとも忙しい人」であるのが母のポリシーなので、予定のない休日なんてものは存在してはならない。んで、わたしに白羽の矢がたったのだろう。

 わかったよ……安かったら、つきあうよ……娘、今金ないんや……。

「大丈夫、ほら、これなんか安いでしょ? つきあってくれるなら、半額出してあげてもいいわ」

 と、見せられたツアーは、まあ許容範囲。
 そしてそのまま、わたしはアルバイトへ出かけた。CANちゃんの会社がまた忙しいそーなので、お手伝いするのだ。

 そのバイト先で、母からのメールを受け取る。

『旅行、いいのがあったから申し込んだよ』

 申し込んだ? いいのがあった? じゃあ、さっき見せられたのとは別なやつ?

 帰宅してから、その「すでに申し込んだ」という旅行のパンフレットを見せられる。

 ……あの、最初に見たやつの「倍」のお値段ですが……。
 そして母、「つきあってくれるなら、半額出す」と言ったことはきれーに失念してます。
 全額、わたしが出すんですか……?
 この金額出して旅行するなら、友だちと行きたいです。その方が絶対たのしいのわかってる。

 でもまあ……親孝行……だよな……つきあってあげなきゃ……。

 ママはビール片手にるんるん。
 がんばってエスコートしますですよ、はい……。

 

大阪人VS……

2002年12月4日 その他
 Be-Puちゃんがきたときに、わたしはおNEWバッグを彼女に自慢した。
「あら、きれいなバッグね」
 と、彼女もほめてくれる。
 でしょでしょ? オーダーメイドなのよ。インターネットで注文して、たった3日、『1万人の第九』のリハの日に届いたのよ。早っ。
 デザインのことでここ数日悩んでいたし、友人たちにも相談したりしていたから、さっそく第九の本番はこのバッグで行ったの。

「オーダーメイド?」
「そう。決まった型の中から好きなのを選んで、あとは全部自由なの。色も材質も、パーツごとに選べるの」
「あー、なるほど、緑野さんらしい色ねえ。きれいでいいわ」
 そう言ってBe-Puちゃんは、バッグの中を見る。

「…………大阪の人って…………」

 とゆー、Be-Puちゃんは鹿児島人。
「表はきれいだと思うけど、中はなにこれ。ついてけないっ、大阪の人のセンスって!!」
 ちょっと待て、なんだその言いっぷりはっ。

 ちなみに、バッグ本体は黒のワニ皮模様で、持ち手など部分的にエナメルとオーストのオレンジをアクセントで使っている。
 友人たちにも好評、きれいだと言われたわ。
 そして、内張は。

 パープルのスウェードだ!!

「紫のどこが悪いのよぉ」
「大阪だわ、大阪のセンスだわっ」
「反対色を使いたかったのよっ、オレンジと対照的な色を」
「それが大阪なのよーっ」

 むきーっ。
 ゴールドにしなかっただけ、まだおとなしいカラーリングなのよ?

「ゴールドだったら、さらに引いてるわ」

 うるさいわねー。
 わたしは、「太陽の名残のある夜」というテーマでバッグを作ったんだもん。
 だから黒と紫とオレンジなのよ。夕暮れの空の色なんだもん。
 それでも、紫とオレンジはケンカしそうだから、紫は内張で、外には一切使わなかったのよ。
 大阪人をなんだと思ってるのよ。いろいろ誤解がありそーね、鹿児島人(笑)。

 ちなみに、大阪人のキティちゃんには内張まで大好評だったわ。
「紫!! いいじゃない!!」
 と。

 
 未だ『1万人の第九』の話。

 わたしは指揮者の佐渡裕と同じ年に初参加した。予備知識はほとんどナシ。

 なんつーか佐渡先生。
 めちゃくちゃ、アツかったんだわ。

 最初の特別レッスンのとき、そのバイタリティとパッションに押され、クラクラしたよ。
 握り拳な人だなあ。
 自分を信じ、自分の力を信じ、自分の道をばく進している。そんな感じ。
 人生が、人間が、大好きなんだろうなあ。
 なによりも、自分のことが大好きなんだろうなあ。
 自分に「なにか」できると信じてるんだろうなあ。

 実際、才能のある人だから、ソレが許されているんだろう。実際に評価を得ているから、そうやって自分を好きでいられるんだろう。
 彼の「俺は俺が好きだぁぁああっっ!!」パワーには、圧倒されたんだ。

 あれは1999年のことだ。初参加の年ね。
 彼は握り拳な人だった。
 自分を好きで自分の能力に自信を持ち、それゆえに「新しいこと」に挑戦しようとしていた。
 それが『1万人の第九』だ。
 すごい意気込み。鼻息。
 素人の集団であるわたしたちに、音楽を語り、第九を語り、ベートーベンを語った。
 彼の握り拳が気持ちよかった。
 未知の世界に挑戦し、勝利しようと鍛え抜かれた拳を振り回している無邪気な戦士。彼の純粋な情熱に大いに酔った。

 そして、2年目。2000年だ。
 佐渡裕はそれでも意欲的だった。『1万人の第九』ってのはどーも、自分が夢見ていたモノとはチガウ気がする。でも、まだまだやれるはずだ。
 司会の内藤剛志氏との漫才コンビも前年に引き続き快調。

 3年目。2001年。つまり、去年。
 佐渡先生は……失速していた。

 つまんなかった。去年の『1万人の第九』。

 佐渡先生に、あまりやる気を感じなかったせいだ。
 1年目の無邪気な握り拳。1年目の不満をふまえてリベンジ上等! だった2年目の握り拳。
 それが3年目になると、「惰性」になっていた。

 限界を感じたのかな。素人1万人集めたって、自分の望む音楽は創れやしないと。
 司会もノリのよかった内藤さんから、事務的な人に変わった。佐渡さんとの会話も台本通り。
 惰性の感じられる合同レッスン、リハとゲネプロ、そして本番。

 1年目2年目と、なにかしら新しいことにチャレンジしていた佐渡裕だったが、3年目にはなにも新企画はなし。
 ある意味主役であるはずの、わたしたち1万人の合唱団を置き去りにして、自分の友人であるお気に入りのアーティストをゲストとして呼んで、プロのオーケストラと自分たちだけで、たのしそーにセッションしている。
 なんだ、これは。
 いやあ、去年は唖然としたねえ。
 そりゃ君はたのしいかもしれんが、わたしたちはどうなるの? って感じ。
 ちょっとあきれたな。

 彼のテンションの低さと「1万人の合唱団」への興味の低さに感化され、わたしのテンションも低かった。
 それでも、実際本番になると、佐渡さんはちゃんと「仕事」をするし、素人の合唱団も走り出す。

 去年は、「1万人」であることに感動したよ。
 それまでの年は、佐渡裕にも感動してたんだけどさ。
 去年は、「こんだけテンション低くても、やっぱ1万人っていう人数はすごいわ。第九はすごいわ。このなかにいると、鳥肌立つわ」と実感した。
 ……本番になるまで、ちっとも感動しなかったんだけどな。本番ではやっぱり、もっていかれたよ。

 んで、2002年。今年。
 去年が去年だったから、ちょっと懐疑的。佐渡さん、やる気あるのかな? と。

 もちろん、1年目や2年目のパッションはなかった。
 でも、去年ともちがっていた。
 「1万人の合唱団」には限界を感じているんだろう。かわりに彼は、「学生オーケストラ」を持ってきた。
 プロのオケではなく、学生たち。
 素人1万人に、学生オーケストラですか。
 つくづく、「新しいこと」が好きな人だなあ。
 同じことの繰り返しはつまらなく感じる人なんだろうな。

 リハのとき、去年のやる気なさげな彼とは、明らかにちがっているのに気がついた。
 わたしはそれを、学生オケの影響かと思ってたんだけど。
 キティちゃん曰く。
「客演の手前よ」
 ……なるほど。
 今回のコンサートには、本場ウィーンの演奏家たちを招いてるんだ。彼らの手前、手抜きなものを見せられない。

「幸運な学生たち。世界の最高クラスの演奏家たちと一緒に演奏できるのよ。あたしだって、やらせてもらえるなら、なにをさておいてもやるわ」
 音大卒のキティちゃんの言葉には熱がこもる。
 高校の部活でサッカーやってる子が、W杯クラスの外国選手と練習試合させてもらうようなもん?
 それはたしかに……すごい経験だろうな。

 関西の8つの音楽大学から選ばれた100人だかの学生たちは、将来プロを目指す音楽家の卵たちだという。
 長い長い「第九」の演奏を聴きながら、わたしは彼らのことを考えていた。
 「好きなこと」でプロになろうとする若者たち。
 今いる場所にたどりつくまでにも、いろいろあったことだろう。音大に入れたところで、プロになれるのはほんの一部で、プロで食べていけるのはさらにほんの一握りの人だよね?
 それでも今、こうやってここにいて、演奏しているんだよね。

 たとえばキティちゃんも、その友人のフクスケさんも、音大を出て、今は音楽とは関係のないふつーの仕事をしている。
 キティちゃんはそれでも、年に一度仲間たちとボーカル・コンサートを開いていたけれど、最近はそれもなくなっている。理由は聞いていない。
 続けていけないなにかがあったんだろうと思う。

 わたしの前の職場にも、音大や芸大出の人が何人もいた。
 けど、彼らがやっているのはわたしと同じ、表現者ではあり得ないふつーの仕事だった。

 「好きなこと」で生きていける人なんて、ほんのひと握りだ。

 学生たちの演奏を聴きながら思う。
 この中の何人が、ほんとうにプロとして生きていけるのだろう。

 生きていけたらいいね。
 ほんとうに、好きなことで。

 そして、ウィーンの演奏家たちとの出会いが、彼らの人生で意味のあるものとして輝きますように。

 今、ここにいることの意味。

 わたしがハタチくらいのときって、なにやってただろう。
 人生を変えるくらいの重い出会いが、いったいどれくらいあり、そしてそれを正しく受け止められることって、いったいどれくらいあるのだろう。
 振り返ってみれば、後悔が残る。
 どうしてあんなにわたし、幼かったんだろう。
 どうしてあんなにわたし、無知だったんだろう。
 今のわたしなら、あんなことにはならないのに。

 ……ほんとうに?
 ほんとうにわたし、あのころより進化しているの?

 無駄にトシくってるだけじゃないの?
 感性が、能力が、好奇心が、行動力が、衰えているだけじゃないの?

 可能性に満ちた若者たち。
 世界のトップクラスの人との出会いを今まさに、体現している若者たち。
 彼らの奏でる「第九」を聴きながら、わたしは思考の波を漂う。

 実際、長いんだもんよ、「第九」。
 考える時間が山ほどある。
 隣ではあらっちが爆睡中。彼女はリハもゲネプロも本番も、いつもいつも演奏中は寝ている。平井堅の歌さえ、起きていたのはリハの1回だけ。あとは爆睡。
 わたしは考えても仕方のない、思考のドツボに入って涙ぐんでいたりする。
 泣きたがる左目が、勝手に涙を流したりもする。

 佐渡先生のテンションは上がり続ける。走っている。ばく進している。
 こうでなきゃだめだ。

 音楽が変わる。
 第4楽章、キターーーーッ!! ってか。
 あの瞬間、すごく好き。スタンドに満ちる緊張感。
 寝ているあらっちの目がぱちりと開く。
 ティンパニーの音で、1万人が動く。立ち上がる。
 空気が動く。

 空気って、ほんと動く。
 指揮者を中心に、14000人だかのホール内の人間が、ひとつになるよ。

 来い来い来い。
 わたしの人生でそうそうない、アグレッシヴな時間。
 打って出るというか。
 蓄積していたモノを、吐き出す瞬間。
 次は次は次は。
 大昔、演劇部にいたころ。
 1幕目の出はわたしひとりだった。いきなりの長台詞。ピンライトでえんえんひとりで語って。ここで失敗したら、舞台全体にケチがつく。絶対失敗できない、カメない、まちがえられない。
 緊張感、圧迫感、責任感。
 ふるえて、逃げ出したくて。
 だけどいったん動き出したら、こわいものなんかなかった。
 高揚感、充実感、達成感。
 出番を終えて舞台袖にハケるときは、両手でVサインをしていた。仲間たちに迎えられる。よろこばれる、ほめられる。「かかってきないサイ!(鼻息)」な気分。こわいものナシ。
 そんな大昔のことを思い出す。

 自分のなかにあるものを、地球に向けて吐き出す瞬間。

 だから、快感なんだろう。
 1万人の快感。
 だから、空気を動かすんだろう。

 後ろの音痴のおばさんもね。
 音程も歌詞も発音もめちゃくちゃだけど、それでも大きな声を出しているよ。きっと、気持ちいいんだろうね。

 『1万人の第九』は、すごいよ。


 毎年、ギャンブルだ。
 『1万人の第九』の座席は。

 当日になるまで、どこの席になるかはわからないんだよね。係の人の指示に従うこと。わがままは言わないこと。
 運を天に任せること。

 わたしは佐渡先生と同期なの。『1万人の第九』。
 佐渡裕が監督・総指揮をするよーになってから、このイベントに参加するようになったんだ。
 そのいちばん最初の年は、大当たり。
 スタンドのいちばん前の座席だった。
 アリーナはプロだとかセミプロの合唱団の席だから、素人である一般参加者たちのいちばんいい席ってのが、スタンドのいちばん前。
 しかも、アルトのいちばん端、わたしたちの隣のブロックは観客席、てなところだったからさー。
 目立つ目立つ。
 テレビに映りっぱなしの席だった(笑)。

 大当たりはその年だけで、あとは良くもなく悪くもなく。

 そして今年は。

 席の当たりはずれってのは、ステージがよく見えるとか、テレビによく映るとかだけのことじゃないんだよね。
 そんなのは二次的なモノで、わたしがいちばん重要視していることは。

 後ろに音痴がいないこと。

 てなわけで、今年は大ハズレでした、オーマイガッ!!

 座席的には、悪くなかったのよ。平井堅がばっちし見えたわ。
 でもねでもね。

 後ろの列に、ものすごい人がいたのよーっ。涙。

 わたしには、絶対音感なんてものは備わってないの。
 耳元で破壊された音程をがなられたら、正しいメロディがわからなくなるの。
 誰か助けて。

 ほんものの音痴の人って、自覚できないものね。自分の音がまちがっていること。
 だから自信満々、大声で歌うのよ。
 そしてスタンドは急勾配。後ろの席の人の声は、前列の後頭部を直撃する。

 わたしが頼りにするのは、隣の席のあらっちの正しい歌声。反対側の隣の見知らぬおばさまは、完璧な発音で美しいドイツ語を歌われる。ああ、よかった。両隣が正しいメロディならなんとか、後ろの音痴と戦えるかもしれない。
 そう思った、のに。

 歌うときはもちろん起立。
 立ち上がれば……うわーーーんっ、両隣はわたしよりアタマひとつ小さいよーっ。歌声がわたしの耳まで届かないよーっ。
 そして後ろの音痴さんは、年配のおばさま。当然小柄だ。一段上に立つ彼女の破壊音は、わたしの耳にこれでもかと飛び込んでくる。
 ひとより背が高いと、こ、こんなところでもつらいめにあうの……?!

 リハのとき、すでに後ろの音痴さんに辟易していたわたしたち。
 本番で音痴さんと席が離れることだけを祈っておりました。
 なのに、神はわたしたちの願いを聞いてはくれなかった。
 席はそのまま。音痴さんはそのまま。あうあう。

「んで、例の音痴はどーなったの?」
 と、お昼休憩にやってきたキティちゃんは意地悪く笑う。
「席、そのまま? まー、不幸(笑)」
 笑うな、人ごとだと思って。
 声楽科卒のあなたは、どんな音のなかでも正しく歌えるのかもしれないけど、素人にはつらいんだぞ。
「緑野、前も言ってなかった? 後ろが音痴だって」
 それははじめて参加したとき。まだ歌詞もメロディも今よりずっとアタマに入ってなくて、不安だけはめいっぱいだった年のリハーサルで、後ろの席に音痴さんがいたのよ。どれだけ恐怖したか。
 しかし本番では席が替わったので、なんの問題もなかった。
 とはいえ、あのときの恐怖は染みついてるのよ。後ろに音痴がいたら最悪、と。
 そして、今年はその最悪な座席。
 歌のうまいあらっちでさえ「つらい……」と暗い表情をしている。
 音痴さんは、あらっちの真後ろの席なんだよなー。

 音痴さんは、第九が歌えない。
 音程がぶっとんでいる。
 とくに、第一音からとんでもない音を出すので、最後まで狂いきっている。ときおり途中で直りかけることもあるけど。
 入るところもよく間違える。歌詞もよく間違えている。
 だけど、声は大きい。
 そのうえ、地声だ。喋っているのと同じ声で歌う。……そりゃ、高い音も低い音も出ないよ……。

 彼女が歌えないのは、第九だけではなかった。
 『大きな古時計』も歌えない。「おじいさんといっしょに チクタクチクタク」を、お経のように歌われてしまい、周囲になんとも言えない空気が広がった。

 なのに。
 不思議だなー。
 『蛍の光』はけっこー歌えるのよ。民謡みたいな歌い方だけど。

 なにはともあれ、わたしとあらっちの握り拳。

「音痴に負けるな!」

 大きな声で歌うんだ。
 後ろの怪音波をかき消すために。

 精神力だ、集中力だ。
 ちょっとでも気力が萎えたら、爆笑してしまう。
 音痴さんを笑うんじゃないよ。ただ、集中している狭間に変な音が聞こえたら、笑いの発作が起きてしまうの。真剣な分、反動かな。

 『1万人の第九』。
 それはすばらしいイベント。

 そこにあるのは非日常。
 わきあがるパワー。

 音楽という奇跡。

 ベートーベンという、とてつもない力。
 1万人という、とてつもない力。
 佐渡裕という、とてつもない力。

 それらがひとつになる。

「今年はすごかったわ」
 と、キティちゃんは言う。

 ひとから「『1万人の第九』ってすごいの?」と聞かれ、
「ま、所詮1万人は1万人ね」
 と、シニカルに答えていた彼女が。

「今年はすごかったわ。去年なんかと比べものにならない。歌ってる最中に背中がゾクッとしたもの」

 と、感嘆するほどの出来だった。

 うん、素人のわたしにだってわかるよ。今年はすごかった。
 佐渡先生のテンションも、昨年とは雲泥の差だった。

 しかし。
 わたしは、歌っている最中にあの電流を感じることができなかった。
 練習とかでは、ときおり感じることができたのに。

「音痴と戦うだけで、精一杯だったよ……」

 肩を落とすわたしに、爆笑を返さないで、友よ。

 
「これ、アタリだから」

 と、CANちゃんがわたしにささやいた。
 雪組の一般発売、三番街プレイガイドの列、抽選箱まであと2人、てところで。
 先に抽選を済ませたCANちゃんが、わたしのところに走り寄ってきて、小声で言ったんだ。手にした封筒を指さして。

 なにを言っているのか、わからなかった。

 反射的に「わかった」と答えはしたけれど、ほんとのとこは「???」。
 アタリ? なに?

 そしてすぐに、わたしがくじを引く番になった。
 チケット用の封筒がたくさん入った箱に手を伸ばす。その封筒の中に、購入整理券が入っているわけだ。いい番号を引かなければ、のぞみのチケットは買えない。
 たくさんの封筒を指ですべらして選んでいるうちに。

 わかった。
 CANちゃんの言ったこと。

 アタリとハズレの見分け方を、教えてくれたんだ。

 わたしはCANちゃんに教えてもらった通りの封筒を1枚選んだ。
 すでに抽選を終えた仲間たちのもとへ行く。
 封筒を開ける。

 大当たり。
 17番だった。

 どよめきが起きたね。
 誰かに背中をどやしつけられた。痛い。
「おねがい、僕の分も1枚買って!」
 ボスという通り名で親しまれている方にすがりつかれた。
「わ、わかりました。ボスの分も買います」
「ほんとにいいのっ?!」
「いいです、いつもお世話になってますから」
 1枚の整理券で、3枚のチケットを買うことができる。
 トド様出演日の1月3日と、新人公演さえ買えれば、それでいいんだもの、残りの1枚はボスに進呈するわ。
 ボスはコム姫ファン。初日のチケットを欲して、総勢9人のアルバイトを雇ってこの並びに参加していた。……なのに、ハズレばっかだったんだって。
 1枚くらい回しますとも、今まで何度となくさよならショー付き大楽を回してもらってたんですから!

 今回の抽選の「アタリの見分け方」に気づいたのは、わたしの5人前に並んでいたCANちゃん。
「あたしの前に並んでいた人が話しているのを、聞いたの。半信半疑で試してみたらほんとにアタリだったから、あわてて緑野に知らせたの」
 ありがとうありがとう。
 おかげでのぞみのチケットを買えました。

 ま、今回限りだよ、この「アタリの見分け方」は。次はもうない。
 それにしても、ラッキーだった。

 今回から三番街プレイガイドは、チケットの発売枚数が減った。
 1列目と2列目がなくなり、前方席は3列目だけとなった。
 だから、わたしたちの戦いは熾烈を極める。
 今までは、「1列目と2列目の1番から4番まで」がアタリ席。つまり、1日に8つはアタリ席があったわけ。
 なのにこれからは、「3列目の1番から4番まで」しかアタリ席がない。
 1日につき4席だけだと??

 わたしたちが狙うのは、そのたった4席だけだ。あとはハズレ。いらない。

「たった4席だよ。初日は制限がないから、1人で3席買う人がいるかも。そしたらもう、おしまいだ」
 と、ボスはモーニングセットを食べながら嘆く。
 新公と千秋楽だけは、1人1席までと決められているんだけど、それ以外の日はフリーだからねえ。
 17番の整理券を手に入れたとはいえ、たしかに心許ない話だ。

 そしていざ発売、というときになって。
 ボスったら、わたしの整理番号より前に知人を見つけたらしい。
「こっちの人に買ってもらうことにしたから、緑野さんは3枚とも自分の好きな席を買っていいよ!」
 ええっ?!
 そんなこと突然言われても。
 そう、「悪い席ならいらない」のだ、ボスもその仲間たちも。3列目を買えないならもう、いらないのだ。
 整理番号17番なら、どんな日にちでも買えるけど……初日の3列目以外はいらないから、買う権利が1席分、いきなり余ってしまった。

 こまったなー。
 ……てことで、わたし、つい買ってしまった。
 千秋楽。
 買うつもりなかったのに、せっかくある買う権利
を捨ててしまうのが惜しくて。
 トド様出演日の3列目、新人公演、そして、千秋楽……。
 なんか、イベント日のチケットばっか買っちゃったよ。

 わたしの次にいい整理券を手に入れていたCANちゃんは、春日野八千代大先生ファンのママと、そのつきそいの自分の分として1月3日のチケットと、本日体調不良だか寝坊だかでまた欠席しているWHITEちゃんの分の新公チケットをGET。

 みなさん、実り多い発売日でございました。

 てゆーか。
「なんで今日に限って、おもらいさんがいないの?」
 いい整理券を手に入れて並んでいると、「整理券余ってたらください」ともらってまわるおばさんが何人かいるんだけど。
 今日に限って、見あたらない。
 わたしたち……整理券、めちゃ余らせてるんですけど。しかも、けっこーいい番号なんですけど。
 知り合いも見あたらない、欲しがる人もいない。仕方ないから破棄しました。(うおー。もったいねー)

          ☆

 そして本日は、『一万人の第九』リハーサル日。

 前代未聞、リハーサルなのにチケット売って、一般客を入れております。さすがは平井堅! てことか。
 リハとはいえ、歌うもんね、堅ちゃん。

 初の生・平井堅!!

 わたしはちゃっかりオペラグラス所持。
 はじめて彼を見た感想は……「濃ゆっ!!」(笑)。

 プログラムを買っていないわたしたちは(3000円もするんだもんよ)、彼がなにを歌うのか知りませんでした。

 聞こえるのは、第九のメロディ。
 しかし、歌詞は……チガウ。

 これって、英語だ。
 英語で第九歌ってる。

 そして歌声は、そのまま聞き覚えのある歌につながる。
 『リング』。
 堅ちゃんの今の曲だ。

 わたしは、『リング』という歌は、好きでも嫌いでもない。どーでもいいレベルの歌だった。
 発見のない歌、というか。
 生きるつらさやかなしさを歌うのは、よくあることだから。それでも前を向いて生きよう、なんてのは、ほんとによくある歌だから。
 平井堅が歌うから説得力になってるけど、歌だけを見れば、べつにどーってことない陳腐な歌だよなー、と。

 しかし。
 しかし、だ。

 生で聴くと、すごかった。

 歌自体はそりゃ、よくある歌だよ。今まで5万回と歌われてきた歌詞だしテーマだし、フレーズだよ。
 しかし。

 それを平井堅が歌うと、……いや、今までもテレビで聴いてたけど、生で聴くと、こうなのか。

 生きる痛みの歌が、朗々と響く。
 響き渡る。

 そしてその痛みの歌は、第九のメロディにつづく。

 よろこびの歌に。

 生きる痛みが、闇が、慟哭が、生きる力に、光に、よろこびに結びつく。

 アカペラ。
 英語の第九。

 ここにあるのは、ひとりの人間の声。
 それだけ。
 祈りのような、歌声。

 そして。
 メロディは変わり、おなじみの『大きな古時計』になる。

 ……いやあ。
 いいもん聴かせてもらったよー。
 癒しの歌声だったよ。

 わたしたち出演者は、リハとゲネプロと本番とで、3回も堅ちゃんの歌を聴けるのさ。ふふふ、ラッキー。

 そっかあ、「ふろいで」は英語だと「じょいふる」なんだなあ。
 「ふろいで しぇーねる」が「じょいふる じょいふる」だったよ。
 第九のゴスペルアレンジ。

「堅ちゃんの第九のあとさぁ、司会者が『一万人のみなさんも3番の歌詞は一緒に歌ってください』って言ったとき、ぎょっとしたよ。英語なんてわかんないぞっ?! って」
 と、リハが終わったあと合流したキティちゃん。
 音大出の彼女は特別ルートがあるらしく、練習には一切参加せず、リハと本番の2日だけこの『一万人の第九』に参加しているのだ。
 だもんで、わたしたちとは座席がちがい、終わってからでないと会えないの。

 うん、ぎょっとした。
 そりゃ第九は歌えるけど、英語の歌詞はわからないよ。

「『古時計』の3番だったんだねー。いやあ、あせったよー(笑)」

 てなわけで、わたしたちは、堅ちゃんと『大きな古時計』を一緒に歌いました。


 パパがうれしそーに「ベルばらは見たんか?」と聞いてくる。
 ウチは家族もわたしの趣味に理解を示してくれておりまして、テレビ放送や新聞記事があると教えてくれるんですわ。
 ありがとうパパ。
 だけどわたし、ソレ、カケラも興味ないっす。気持ちよく忘却の彼方。
 その時間は『バイオハザード0』に打ち込んでおりました。
 おかげでへっぽこなわたしも無事クリア。うう、つらかったよ、ノーマル・モード。何回死んだことか。
 んで現在はおまけモードに燃える。なんなんだ、この難しさは。弾が足りない、回復アイテムが足りない……。

          ☆

 WHITEちゃんがやってきました。
 相変わらず突然。
「今から行っていい?」
 とTELがあったのが、午後11時半。
 おお、いいぜ。
 電話を切ってからあわてて1階の部屋を掃除する。……つっても、ほうきで軽く掃くだけだが。1階は普段は使ってない。お客が来たときのみ使用。だもんで冷え切ってるから、前もってヒーターのスイッチON。よかったよ、今日ガスが通ってて。

 そして、使っていない部屋だから、相も変わらず時計がない。
 12時前にやってきたWHITEちゃん……。
 さんざん喋り倒して、「ところで今、何時?」ということになり。
「時計見るのがこわい……」
 と、つぶやきつつ、携帯電話を取り出す。うん、こわいね。わたし、3回以上お茶を淹れ直したよね。短い時間ではありえないよね。

「3時過ぎてる……」

 君、明日も仕事だよね?
「早く帰って寝なきゃ」
 と、よろよろ自転車にまたがる彼女にわたしが贈る言葉は、

「土曜日がんばって早起きしてね」

 雪組の発売日だもんよ。
 わたしのために1/3のチケットをGETしてぇえ、友よ!
 わたしにトド様の艶姿を見せてぇえ(はぁと)。
 や、わたしももちろんがんばって並ぶけどさ。わたしのくじ運じゃきっと無理。
 友人たちのくじ運に懸けるのだ。

 えーと、WHITEちゃんは、ビデオテープの受け取りに来ました。録画を頼まれてたのね。
 べつに土曜日に会うから、そのときでもいいのに、わざわざ家までやってくるあたり、律儀だ。
 とゆーか、実はわたしに会いたかっただけだろ? と、うぬぼれておこう(笑)。

 
 あらっちはノリノリだ、『一万人の第九』。

 昨日の月曜日、『一万人の第九』の最後の練習日だった。きんどーさんはお休み。雨天だからじゃないかと、わたしは推測する(笑)。
 だもんで、わたしとあらっちのふたりきり。
 練習の前半はわたし、後ろの席の学生さんの歌声が気になっていまひとつ集中できなかったんだ。
 というのも、となりにいるあらっちの歌声と、わたしの後ろにいる学生さんの歌声の、音が微妙にチガウからだ。
 ど、どっちが正しいの?!
 いやもちろん、あらっちと見知らぬ学生さんなら、あらっちの音の方を信頼するよ。彼女が歌うまいの知ってるし。
 でも、わたしは周りの音に左右される。自分では楽譜通りの音なんて出せない。つーか楽譜なんざ読めん。そんなわたしのそばでチガウ音を出されたら、それだけで混乱するのよ。
 幸いなことに学生さんは、グループそろってこっそり早退してしまった。
 だから後半は安定。
 あらっちの歌声をガイドに、集中して歌うことができた。
 しかもあらっち、ノリノリだし。
 いつもより声出てるよ?
 わたしもつられて、ノリがよくなる。
 とても気持ちよく歌えた。

 第九を歌っているとき、時折「電流が走る」ことがある。ゾクゾクッと背筋を走るものがある。
 それは毎回チガウところで起こるし、いつ起こるとも限らない。
 が、さすがは最終練習日。
 キました、今回は。
 知識のないわたしはどこの箇所、と名指しできないが……「あーねすと どぅー でん しぇっふぇる、べぇると?」のとこ。
 アホウなヅカファンのわたしにとって、「げぷりゅーふと いむ とーと」は「ふふっ、トートですって。ああ、寿美礼ちゃん素敵だったなー」だし、「あーねすと」というと『アリスの招待状』のタカネくんのことしか思い出さないんですが。
 それでも今回は「あーねすと」でキたなあ。
 ぞくぞくぞくっ。
 「ふぉる ごっと」とか「べぇると」って言葉はほんと、盛り上げてくれるよなあ。

 んで、今日火曜日は、佐渡裕先生の特別レッスン日。
 わたしったらまた遅刻して行きました。
 つーのも、道に迷ってな。
 1年前に1度行っただけの場所だったから。なのに、一度行ってるからって、地図も持たず、場所の正式名称すら知らずに行ったのよ。
 ……迷ったわ。
 ひとに聞いても、「知らない」「わからない」ばかりだし、正式名称知らないのがまた、運の尽き。
 ぜんぜん関係ない、仕事中のWHITEちゃんに電話でSOS出した。たしか昔、彼女とそこの前を通ったことがあった。つーことは、彼女はあの場所を知っている! と。……おかげで、発声練習には間に合わなかったけど、ちゃんと佐渡先生のレッスンには間に合ったわ。

 んでもって今日は、最後の「ふろいで」でキました。
 ぞくぞくぞくっ、とな。

 「多少、音なんかハズれてもいい。『ふろいで』は叫べ」みたいなことをえんえん言われていたせいか。
 最後の最後、大音響だったぞ、「ふろいで」。

 この間、ミジンコくんに会ったとき、第九の話になった。『一万人の第九』に参加するのに5000円くらいかかるって言ったら(正確には4000円。でもこのときはよくおぼえてなかったんで、5000円くらい、と言った)、

「ええっ? 5000円も出してわざわざ歌いに行ってるの? 交通費まで自分で出して??」

 と、驚愕されてしまった。
 おどろかれたことに、おどろいた。
 わたしにとっては、あのイベントに参加できるなら5000円+交通費なんか安いものだ。つーか、たった5000円だなんて安いわ、わたしも参加したい、と誰もが言うものだと思っていた。
 そっかあ、価値観ってのはほんと、ちがうもんなんだよなあ。
 いや、「他人もこう思うに違いない」なんて、狭量きわまりない考えだと思ってはいるが、それでもアサハカなわたしは無意識にそう思っていたから、おどろいちゃったのさ。

 あれだけレッスンしてもらって、イベントを企画運営してもらって、それで4000円。
 ぜんぜん安いと思うけどなー。つーか、営利目的じゃないだろ、このイベント。
 宣伝目的ってことで、利潤度外視でやってんじゃないの、サントリー。

 なんといっても。
 背筋に電流の走る瞬間を、経験できるのだから、それだけで4000円なんて、安すぎるもんだよ。
 わたしにとって。

 ふつーに生きていて、自分のいる場所で電流走ることなんか、どれほどあるよ?

 そして、あらっちは今日もノリノリ。

「佐渡先生とお話ししたい」
 と、興奮気味に繰り返す。
「ああいう人、好き」
 と。

 無理です。
 わたしたちは1万人のひとり。彼からすれば、ゴマ粒です。個別認識なんざあり得ない。

 ごはんしてお茶して、ハシゴして喋り倒していたんだけど、
「もしこの席に佐渡さんがいたとしたら、なにを話すかしら」
 と、あらっちの妄想は止まらない。
「世界の佐渡裕だもんね、緊張して話せないよー。ああでも、きっとふつーの話をしてくれそう」

 恋するヲトメのように頬染めて、興奮して語るあらっち。
 かわいいなあ(笑)。

「佐渡先生って、オーラがちがうよね。見ていて圧倒される。ああいう生きるオーラの強い人と話したら、こっちもなんか変われそうな気がする。がんばろうっていうか」
 無意識だろうね、握った拳がいいの。

 あらっちはほんと、性格のいいおねえさん。人の善さが顔や雰囲気に現れている。のほほんとした、癒し系。
 彼女がこんなふうに強く語るのはめずらしい。

 そして彼女はけっこーマジに言う。

「佐渡先生と合コンしたいなぁ」

 って、合コンかいっ?!

 その発想の柔軟さっちゅーか低俗さにウケました、わたし(笑)。
(注・佐渡先生はぴちぴちの41才、既婚者です)

          ☆

 ところで、遅くに帰宅したところ、我が家のガスが死んでいました。
 キッチン死亡、お風呂も死亡、そしてわたしの家の暖房器具はすべてガス使用なのです。

 さむい……。

 なにが起こったんだ、わたしのいない間に??
 深夜ゆえ、問い合わせもできないし。

 仕方なく、まだ今年は使っていなかった電気毛布を出してくるまりました。
 我が家はすべてフローリング、畳も絨毯も1枚もないのよ。底冷えするのよ。凍えるのよ。

 なにもできず、する気にもなれずに布団の中……。

 
 死にまくってます、『バイオハザード0』。

 今「処理場」にいます。レベッカはひとりぼっちです。武器が足りていません。マグナムが18発、グレネードが2発、ショットガンが1発です。ハンドガンはビリーに持たせていたのでありません。
 ……あまりに武器が足りないんで、養成所まで戻ってハンドガン取って来ちゃったよ……。ついでにいろんなアイテムも、持てるだけ持ってきた。
 今回の『バイオ』は、アイテムBOXがないんだね。ない方がそりゃリアルだし、戦術的にも深くなるけど……ちょっとさみしーなー。好きだったのに、アイテムBOX。や、『コード・ベロニカ』はやってないから、そっちは知らないんだけどさ。

 今ところ、ストーリー的にもたのしいっす。
 レベッカとビリー、いい感じ。
 レベッカお嬢ちゃんが、野生派ビリー青年に惹かれていく過程が、どきどきするっす(笑)。
 新米女性警官(18)と、脱走死刑囚(26)との恋! いいですなあ。
 ビリーはちゃんといい男に描いてあるし。そしてお約束、彼は冤罪で捕まっちゃってるのよね。ほんとは正義の人なのよね。こーゆーお約束は好きよ。
 あと、筋肉美のこの野生派ビリー。な、何故か特技はピアノだしっ。笑ったよ、レベッカが弾けないピアノを、ビリーが軽やかに弾いてくれたときには。

 そして。
 そして、悪役であるウェスカーとウィリアム。
 あんたたち、同期だったの。
 しかも、ウェスカーは戦闘部門、ウィリアムは研究部門と個性はっきり、幹部養成所での双璧ときたもんだ。お互いライバル意識びんびんで、いがみあっていた……。
 なのに。
 どーして今、運命共同体って感じでいっしょにいるの?
 ウィリアムくん、無精髭の浮いた顔に白衣がいいです。どーしてこの男、こうまで受オーラ出してるのかしら。
 アルバート・ウェスカー氏は、シリーズ通しての人気悪役。いわば『ガンダム』でいうところのシャアですからな。サングラスが渋い、クールな男。自分を総攻だと信じ切っているよーな人です。(注・信じ切ってるのは、本人とウィリアムだけ・笑)

 悪の巣窟アンブレラの創始者のひとり、マッド・バイオ・サイエンティストが「人間で信用できるのはアルとウィルのふたりだけ」と言い切る、すてきコンビ、ウェスカーとウィリアム。
 希望としては ウェスカー×ウィリアム ですな。
 ウィリアムは、「お前なんか嫌いだ」と言いながらも……な典型的受子ちゃんでよろしく(でも彼は妻子持ち。しかも奥さんはS属性の攻女・笑)。ウェスカーは心底悪人なので、ウィリアムを利用することしか考えていない。
 ウェスカーの本命はクリス。こちらは完璧にウェスカーの片想い(笑)。クリスは正義の味方だから、ウェスカーのことなんか大嫌い。
 クリス×ウェスカー が、わたし的にも本命カップリング。……すげー濃い……。

 今のところ、あの愉快な「歌うヒル男」には心が動きません。つーか、彼が出てくると、なまあたたかい笑いがこみあげてくるんですが。
 なまじ本気で「美形」として描かれているだけに、突然歌い出す彼には笑わせてもらってます。考えた人、えらいなあ。ロン毛の超美形、ヒルがお友だち、歌でヒルを操る……通常の精神では考えられないミスマッチさ(よりによってヒルかよ)。『北斗の拳』(アニメ版)になら、出ても違和感なさそーだな。

 どこまでプレイしたら終わるんだろーなー。
 イージーモードでプレイしたかったんだよ、ほんとは。
 でも弟がゆるしてくれなかったのさ……(んで泣く泣くノーマルモードでプレイ中)。わたしのゲームの腕は超絶へっぽこだってのさ。

  

うちの生き物。

2002年11月23日
 野生の獣は鳴かない。

 日々を命がけで生きる彼らに、「音」が存在してはならない。
 肉食動物は、獲物を追いつめるために。
 草食動物は、天敵から身を守るために。
 「音」をたてない。
 だから鳴かない。
 (生殖などのために異性を呼ぶのはまた別の話)

 猫もまた、本来は鳴かない獣だ。

 しかし、人間に飼われている猫は鳴く。
 「声」を出すことによって人間に働きかけるすべを学習するからだ。
 どんな声を出したときに、人間がどう反応するか。自分になにをしてくれるか。
 獣である猫は、てめえの損得本能によって学習する。

 人間の存在がなければ、猫は鳴かない。

 それならば。
 寝ごとを言う猫は?

 眠りながら、人間と関わっているということか?
 それはつまり。

 わたしの夢を見てるってこと? MY飼い猫よ。

 深夜、ショットガンを手に緊張しきって養成所を歩くわたしの耳に、

「みゃ? る〜にゃ」(アクセントは「み」と「る」)

 とかゆー生き物の声が入り、思わずびくんとする。
 画面の中にモンスターが出たわけじゃなく、膝の上でお菓子のカールのよーなカタチになって熟睡している生き物の出した声かいっ。ぴっくりさせるなっ。

 人間に話しかける以外で鳴かない生き物が、眠りながら鳴くってことは、人間が出てくる夢を見ているってことよね?
 そして、その夢の中に出てくる人間ってのは、十中八、九、飼い主よね?

 どんな夢を見ているんだ……MY飼い猫よ。
 しあわせそーな顔しやがって。

 野生の獣は鳴かない。
 人間と共存するうえで、鳴くことを覚える。

 そして、我が家の猫よ。
 1階で大声で鳴けば、人間が2階から下りてきて新しいエサをくれる。
 ……という認識はまちがいだっ。
 わたしはあんたがどんなに1階で泣き叫んでも、わざわざ降りていって新しいエサをあげたりしないわっ。あきらめて古いエサを全部食べなさい。

 うちのバカ父が、こーゆー妙な癖をつけさせたのよっ。
 猫に呼ばれて、目尻下げて鼻の下のばして給仕をしに行くなーっ。
 鳴きさえすれば、なんでもしてもらえると思いこんじゃってるじゃないの。
 飼い主はわたし、1日1回やって来るだけの父は猫にとって「都合のいい下僕」。
 何度言い聞かせても、父は猫をあまやかすことをやめない……。飼い主が迷惑するんだってば、横からへんないじり方をされるとよぅ。

 本来、猫は鳴かない生き物。
 しかしうちの生き物ときたら……近所迷惑だ、雄叫びをあげるなーっ!!

 
「月曜日は行ったの?」

 と、人から聞かれた。
 わたしの答えは「行ってない」。

 あと、別の人から、

「月曜日行かなかったの? へええ」

 とも言われた。

 なんなんだ、この反応?
 わたしにはわけがわからない。
 月曜日は行ってない。てゆーか、行く気ははじめからなかったし、もちろん行くとも行きたいともひとことだって言っていない。

 なのになんで、こんなふうに言われるの??

 月曜日、とは。
 花組『エリザベート』千秋楽のことだ。

 そーいやわたしはイベント好き。初日とか千秋楽とか新人公演とか、大好きでよく行ってたっけ。

 でも、「よく行ってる」のは「絶対確実に行っている」とはまったくチガウものだと思うんだが。
 なんか知らんが、ひとさまにはそういう印象が焼き付いているようだ。

「緑野は千秋楽には必ずムラに行っている」と。

 だから会う人会う人に、「月曜日は行ったの?」「え、行ってないの? なんで?」とか言われてしまうんだわ。

 わたしが必ず行くのは「初日」であって、「千秋楽」じゃないんだけどなー。
 「千秋楽」に絶対確実に行くのは愛するトド様のいた雪組だけなんだけどなー。そして絶対確実、ではないけれどそれに近い確率で、心のダーリン・ケロちゃんのいる月組に行くだけなんだけどなー。
 あとはたまたまチケットが取れてしまったときしか、行ってなかったはずだよ、千秋楽。

 んでもって今日は、星組初日。
 いつものわたしなら、よろこび勇んで駆けつけている。
 が。
 行きませんでした。

 星組と旧花組は「1回」観劇が基本。
 いつも初日に観に行っていたのは、前もってチケットを押さえていなかったから。手ぶらで行って、さばきで観て帰る。これがパターン。
 なのに今回は、前もってチケットを買ってあるのです。タータンファンの殿さんのために前売りの並びに参加したので、1回分はちゃんと買ってある。
 だから初日まで観てしまったら、「2回」観ることになってしまうわ。
 つーことで、初日はスルー。

 ……なんだけど。
 「月曜日」のことをあれだけ聞かれたわけだから、今度は「金曜日」のことを聞かれるんだろーなー、と気づきました。
 みんな、わたしが初日を観ているもんだと思って、なにか言うんだろうな。

 ひとに言われて、はじめて気づくことってあるわけよ。
 わたしそんなに、ムラに通いまくってる人だと思われてるんだ……。
 んでもって、たしかに、わりと気軽に通っている、かも、しれな、い……。

 行き過ぎてる?
 そりゃ、上を見たらきりがないけど、それにしてもわたし、けっこー通ってた?
 ちょっと自分の行動を反省してみたりな。

 いや、お金が腐るほどあれば、反省なんかしませんとも(笑)。
 しかし今の経済状況で、こうまで欲望のままにヅカに通っているのはいかがなものかと。

 つーことで、しばらくはおとなしくします。

 星組は1回。次の宙DCも1回。来年の雪組も1回。

 落ち着くのだ。

 と、言いつつ、ふらりとムラへ行っている可能性がないとは誰にも言えない……(つまりわたしにもな、ってダメじゃんソレ)。

 
 弟がわたしの部屋にやってきた。

「本体ごと買った」
 と、手にしているのは……。

「キューブ?! 嘘っ、買ったの?!」
 グレートだ、弟!!

 ニンテンドウの、ゲームキューブ。
 子ども対象のゲーム機。大人が楽しめるソフトはほとんどない。
 この少子化の時代、売れ行きがイマイチなんだろう。大人……いわゆる20代30代の「自分の楽しみのためにお金を使える」人たちを取り込めるソフトを出しはじめた。
 このゲームをやりたいがゆえに、本体を買う。本体への魅力ではなく、あくまでもそのゲームタイトル単体の魅力。いわゆるキラーソフトの誘致。

 それが、『バイオハザード』シリーズ。

 『バイオ』をやりたかったら、ゲームキューブ本体を買わなければならない。たとえ、他にただの1本も興味のあるタイトルがなくても。

 キューブでさえなかったら、と、弟とはいつも話していた。
 アクションとレースとスポーツしかないゲーム機なんて、まったく魅力がない。アクションゲームだって、キャラとかのセンスがよければまだしも、マリオじゃなー。あのヒゲオヤジ、世間的にはイケてるのか? 中年オヤジだぞ?
 『バイオ』ファンであるわたしたちは、嘆いていたさ。キューブの客寄せパンダになってしまったときに。
 さしづめ、贔屓のジェンヌが「できれば見たくない」と思っていた組に組替えになった気分さ。見たいのは、あの人ただひとり。組にもトップスターにも興味はない。端っこにいるあの人のためだけに、見たくもない組と演目にチケット代を払い続けるのか?! と、ゆーよーな嘆き。
 キューブは欲しくない、でも、『バイオ』はやりたい……。

 それでも買ってきたのか、弟よ!!
 『バイオ』だけのために、2万円も出してキューブ本体買ったのか。グレート!

 そうまでしてやりたかったのだ、シリーズ最新作『バイオハザード0』。

 そしてわたしたち姉弟は、基本的にゲームは共有する。同時にプレイする方が、そのゲームの情報交換ができたりして、たのしいからだ。
 別々の家に住んでいるくせに、共有(笑)。
 いつもなら1本のソフトが2軒の家を行き来するのだが、今回は本体ごとだ。
 弟はわざわざわたしの部屋まで、本体ごと持ってきてくれた。わーい。

 ありがたく受け取ったはいいが。

 ど、どこに置こう??

 テレビの前にあるワゴンには、1番下の段にセガサターン、真ん中の段にプレステ2、いちばん上の段はいちばんひどい、ドリキャスの上にニンテンドウ64が載っている。親亀の上に子亀状態。ドリキャスは平らじゃないから、64はぐらぐらしてる。
 こ、これ以上どこへ置けと?!

「いやだねえ、マニアの部屋は……」
 弟は溜息をつく。

 し、失礼ねっ。わたしべつに、ゲームマニアじゃないわよっ。
 まだ他にプレステとスーファミとメガドラとワンダースワンがあるけどさっ。あ、たしかゲームギアも持ってるけどさっ。
 マニアじゃないもん。女の子にその言い方は失礼だわ。

 とりあえず、スキャナがわりと平らなので、その上に置くことにした。ケーブルが長いから、接続はぜんぜん平気。
 さて、AVケーブルは……ああ、たしかまだAVセレクタに空きがあったなー。
 AVセレクタにケーブルをつなぐわたしを見て、

「いやだねえ、マニアの部屋は……」
 弟は再度溜息をつく。

 し、失礼ねっ。わたしべつに、ゲームマニアじゃないわよっ。
「ふつーの人は、セレクタなんか持ってないって」
「うるさいわねっ。便利なのよ、ボタンひとつでゲーム機をチェンジできて」
 プレステ2と64がつないであるの、今。ボタンひとつでどっちのゲームもプレイできる。
 もうひとつ端子に空きがあったから、そこにキューブをつないで、あら完璧。気分次第で3つのゲーム機をどれでもプレイできるわ。

 てなことのあとで、よーやくプレイ開始。
 弟もわたしのプレイっぷりを眺めるつもりだろう。猫を抱いたまま動かない。

 最初にわたしは弟に聞いた。
「ね、こわい?」
 弟は意味深に笑った。
「こわいというよりは、笑える」

 たしかに。
 笑えるわ……。

 というのも、『バイオ』は『バイオ』だからだ。
 わたしたちは1のころから、このゲームを愛してプレイしてきている。
 つまり、「よく知っている」のだ。
 そして、「よく知っている」ものの新作なのだ。
 ……笑えるよ、そりゃ。

「まず絶対列車なんだよなー」
「お約束お約束。列車が出なきゃ『バイオ』じゃないよなー」
「レベッカって新米っていう設定だったのにな。すでに忘れられてるよな」
「新米の18才の小娘をひとりしたらいかんよなー。ふつー、二人一組が基本でしょ、警察は」
「この人たち、警察なんよなあ。忘れがちだけど」
「1では新米の小娘だから生き残った、ての納得できたのにな。危険な場所には他のメンバーが行かせなかったんだな、って思えるから。なのに、0でこんなバリバリ活躍してどーするよ」
「まあ、ふつーの女子大生がショットガンぶっ放して無敵だったりするわけだからねえ。新米警官が無敵でもしょうがないか」
「ゾンビはまず、ムービーだよねえ」
「そうそう。敵はまず、ムービーで印象づけてから戦闘になる。どっかのゲームみたいになんの説明もなく鳥が襲ってきたりしない」

 お約束がいっぱい、知っている単語やアイテムがいっぱい。
 旧友に会った感じ。
 なつかしくて新しい、再会のよろこび。だから笑える。

 しかし。
 わたしはへっぽこゲーマー。

「おい。なんで死ぬんだ、ゾンビごときで」

 だってぇぇええ。
 ハンドガン構えたまま、後退しようとしたら変な動きしたよお。

「構えたら後退はできないって。できたのは『静岡』」

 あっ、そうだっけ。

「ちゃんと狙って撃てって。どこ向いてる。『静岡』じゃないぞ」

 自動照準じゃなかったっけ。上とか下とか、自分で操作するのよね。……そうか、静岡はそれができなくてうざかったっけ。
 ところで、カメラ位置変わらないから、敵が見えないよ。なんとかならない?

「『バイオ』はカメラ位置固定。『静岡』じゃないんだから」

 ええーっ、それ不便じゃん。

「だからこわいんだろ、音だけで敵を察知するしかなくて……てゆーか、なにやってる、しがみつかれたら、ふりほどけ。ボタン連打」

 だって、サルに押し倒されたらなにしたって無駄でしょ? モグラにしがみつかれたら、時間がくるまでそのままでしょ?

「それは『静岡』だっ」

 うわーん、わたし、『静岡』と『バイオ』が混ざってるよーっ。

「『静岡』なんてショボいゲーム、何周もクリアするから妙な癖つけやがって……」
 弟はぶつぶつ。
 わ、悪かったわね。あんたが貸してくれたゲームじゃんよ、『静岡』って。職場の人からの又貸しで。その貸してくれた本人さえ、その不親切なシステムに辟易してクリアできなかったとゆーのに、わたしは3回もクリアしたわ。
 そりゃ手が覚えちゃってるよ、操作方法を。

 わたしは『バイオ』ファンよ、『静岡』なんかべつに好きじゃなーいっ。
 なのになのに、カラダは『静岡』を忘れていないのか……っ?!

 弟はわたしのへっぽこぶりに溜息をついて出て行った。
 いいのよ、わたしはあんたの2倍も3倍も時間をかけてプレイするんだから。あんたの100倍くらい死ぬんだから(比喩ではないあたりがかなしい……)。
 努力と執念でクリアするの。

 さて、最近プレイしていた64の『オウガバトル』はちょっとお休みだ。
 これからは『バイオハザード0』!!


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