くわッぱ!!
 の、かけ声とともに、見てきました映画『TRICK』。

 おもしろかった……。
 笑ったよー。
 もー、すごい笑ったよー。

 堤監督の作品の好きなところは、笑いと怖さの紙一重感なのね、わたしの場合。

 本筋以外のところに、それが現れる。
 なんてことはないモブシーンで、画面の端々に「変なもの」がなにげなく描かれていたりしてね。
 「境界線」の怖さだと思う。

 たとえば『ハンドク!』というドラマがあった。このドラマは打ち切りだったのかなんなのか、ラスト2本くらいでものすごいことになって、ひどい終わり方をする(伏線をぶちこわしたり、キャラの人格をこわしたりな)んだけど、途中まではいかにも堤ワールドでとても愉快なドラマだった。
 この『ハンドク!』では、時間の経過や舞台の転換を表す記号として「老人」が使われていた。
 「次の日の朝、主人公の住む町」というものを表すのなら、朝靄っぽい色で町を映せばすむ。鳥の声とか入れてな。それがふつー。
 しかしこのドラマでは、その映像の中にわざわざ「老人」を入れていた。
 無表情な老人が無表情な声を出しながら、ロボットのように体操をしている。
 ぎょっとするよ。
 なんの関係もないものが、突然画面に現れたら。
 この調子で、あちこちに「老人」がいる。
 大筋にはまったく関係ないし、その存在についての説明も一切ない。
 だが老人は何度も何度も現れ、無表情に体操していたり、立っていたりする。

 ……笑えばいいのか?
 怖がればいいのか?

 その、「境界線」な感覚。
 それがわたしには、ものすごーく、ツボだ。

 『TRICK』というドラマも、堤節全開で「笑えばいいのか? 怖がればいいのか?」が隅々まで充ち満ちていた。
 笑いと恐怖は近いところにある。
 それを確信犯として作品にしていることに、わたしは賞賛を送る。

 とゆーことで、映画『TRICK』。
 さすが映画ってことですか?
 「笑い」がよりグレードアップしていたことは言うまでもないですが……。
 この「笑い」の部分も、ファンは期待しているわけだから、過剰にやってくれてぜんぜんOK。ファンにおもねってくれて、OK。そして、ストーリーのめちゃくちゃさ加減やギャグに頼り切っている部分も、ファンに甘えてくれてOKだ。

 映画『溺れる魚』は、この「ファンにおもねる」と「ファンに甘える」が、悪い意味で出ていたと思う。だからアレ、わたし的には評価低いのよ。
 見終わったあと、「堤、いい加減にせいよ」と思ったもん。いつも同じ柳の下にドジョウはいないのよ、と。

 しかし、『TRICK』はこれでいいのだ。

 そしてなにより「おおっ、これが映画効果というものか!」と瞠目したのは、「ロマンス度」です。

 ちょっとぉ、恋愛入ってんじゃん、これ(笑)。

 てゆーか、正しく「恋愛モノ」のセオリーを踏んでいます。
 びっくりした。
 『TRICK』で、恋愛やるか……。

 その昔、友人でハーレクインロマンスが大好きな子がいました。
 月に30冊以上読んでたな。高校の図書室で「予約」と称して大量の同レーベル本を毎月入荷させていた子です。
 わたしとその子は図書室友だちというか、図書室に行くとたいてい顔を合わせるもんで喋るようになったって感じ。
 わたしは司馬遼太郎にハマっており、司馬遼本を全読破せんとの野望に燃えて通っておったんですが。(あと栗本薫とか平井和正とか、とにかくたくさん本が出ている人を全読破することに燃えていた。おかげで卒業時には表彰されたよ……読書量と図書室利用の頻度を)
 わたしはハーレクインにはなんの興味もなかったんだが、その友人があまりにたくさんの同レーベル本を読んでいるので、聞いてみた。「おもしろいの?」と。
 すると彼女は答えた。
「べつにおもしろくはないよ。全部同じだし。でも、1冊30分で読めるし、アタマ使わないですむし、楽だから暇つぶしにいいの」
 通学の電車が暇だから、1冊30分のペーパーバックはちょうどいいそうな。
 しかし、全部同じって?
 不思議がるわたしに、彼女はそのとき持っていたハーレクインの本の束から1冊を差し出した。「まあ、試しに読んでみてよ」と。
 そして彼女は眼鏡の奥の理知的な瞳をクールに瞬かせて、こう言ったんだ。
「ストーリーを先に教えてあげる。まず、女が男と出会うの。そのとき女は『なんて失礼な男なの!』と怒る。そのあとで、偶然女と男は再会する。絶対に偶然、ね。男はお金持ちだったり権力があったりして、とても魅力的なの。それで女は男のことを少し見直すの。そして女はだんだん男に惹かれていくんだけど、あるとき事件が起こって『あんな男とは二度と会わないわ!』と怒る。だけどまたなにか起こって、誤解が解けてハッピーエンド」
 先にストーリーを、ってあなた、この本は新着図書でまだ誰も先に読んでいない、図書室蔵書印のインクも新しい本なんですが。あなただってまだ、読んでないわけでしょ?
「読まなくてもわかるって。みんな同じだもん」
 半信半疑で読んでみると……。

 その通りでした。

 どんな話だったか、細かいディテールはおぼえていないが、ヒロインが男と最初に出会ったときに「あんな失礼な男はいないわ!」とご立腹だったことは忘れられない……。そ、そうか。第一印象は最悪でなきゃならんのか……ハーレクインよ。
 1冊読んだわたしに、その友人は「これでもう2度とハーレクインを読む必要はないわよ、あとは全部同じだから」と、にっこり笑ってくれた。同じストーリーラインの物語を、ディテールだけ変えて何度も読みたい人向けなんだそーだ。男の職業が弁護士だったり実業家だったり、はたまたアラブの大富豪だったりな。裏切られることのない世界がそこに。

 この記憶はわたしに「エンターテイメントとは」を考えさせる原点のひとつになっている。
 大衆に支持される物語には、法則があるのさ。
 方程式があるのさ。

 しかしこの方程式を、まさか『TRICK』で見ようとは。

 まず起承転結の「起」の部分で、ヒロイン奈緒子は相棒の上田教授に手ひどく傷つけられる。
 泣くし。
 う・わー、泣いてるよ奈緒子。どんなに悲惨な状況になろうと「えへへへへっ」と超音波な笑い方をしている娘だったのに。
 それで仲違いしたふたりは、それぞれ別に問題の「糸節村」へ行くことになる。
 そこで奈緒子はピンチに陥る。偶然再会した上田と「仕方なく」協力。いつもの凸凹コンビの姿がそこに。だがここで、奈緒子は「上田から愛の告白をされた」と誤解してとまどう。……すぐに誤解だと気づくが、この誤解が伏線になっている。これが「承」の部分。
 そして「転」では、奈緒子は「わたしにとっての本当に大切なものはなにか」という自問自答に答えを出し、なーんとっ、「数億円」のお宝を捨てて上田のもとへ走るっっ。おいおいおいっ。さきほどの「誤解」ゆえに、彼女は自分の気持ちに気づくってわけさね。おおっ、正しく方程式にあてはまっているぞ。
 事件を無事解決したふたりは、なんだかんだ言いながらも、またもと通りの凸凹コンビになる。だが、例の「誤解」の伏線はここでも生きていて、上田はナチュラルなのかわざとなのか、その「誤解」をネタにして奈緒子をうろたえさせるし、しかも奈緒子は「それって告白?」めいたことを言うし。これできれーに「結」。

 恋愛映画だったのか、『TRICK』??(笑)

 ストーリーとしては、「予算のいっぱいあったテレビドラマ」って感じ(笑)で、特別なものではない。
 まさに、いつもの『TRICK』。
 ドラマの最新スペシャル番組でも見た感じ。
 それでもわたしは十分だと思うんだけど。

 やっぱ映画だから?
 +αが必要だったのかしら。
 それが「恋愛要素」ってこと?

 「恋愛」ってのは、いちばんてっとり早く強力な「エンターテイメント」だからね。

 奈緒子が上田に傷つけられたくらいで泣く、ってのは、どーもちがう気がするんだが(そういう意味で「生身の人間」っぽさがないキャラだもん、『TRICK』の登場人物って全員)、わたしは恋愛モノ好きだから、ぜんぜんOK(笑)。
 微妙にズレた感覚で「恋愛」している奈緒子と上田はとてもかわいい。
 「こんなの奈緒子と上田じゃないわっ」と思う気持ちはどこかにあるが。……ま、そこは「映画だから」ってことで。サービスサービス。

 そして「恋愛モノ」として見た場合、あのラストの冗長さはどうかと思うんだが……つーか、不要だろ、アレ。
 かわいいけど。
 そして、その「いらんだろ」と思わせるところがまた、いかにも『TRICK』らしいと言えるんだけど。

 あとでパンフレットの堤監督のインタビューを読んで、さらに納得。わたしがひとつの「作品」として見た場合「不要」だと感じた部分は、意図的に付け加えたモノなのね。
 「だめ〜な感じのラブストーリーにしたかったんです」という監督の狙い通りだ(笑)。そういうところが、『TRICK』らしい。

 いや、とにかくたのしかったよ、『TRICK』。見て良かった。
 つーか、「もう一度見たい!」と思わせる映画だ(笑)。

 映像でしか表現できない、ガラクタの詰まったすてきな宝石箱。
 そーゆー映画。


「ごめん、緑野ちゃん。ちゃんと用意していたのよ。袋に入れて、鞄と一緒に玄関に置いていたの。なのに、でかけるときについ、鞄だけ持って出てしまって……」

 デジャヴ。
 あら、デジャヴですわ。

 フクスケさん、あなたたしか、以前会ったときもまったく同じことを言ってませんでした?
 あれは6月16日ですわね。今、この日記サイトでたしかめました。

 のんき者が4人。
 「イタリアに行くぞ!」てなことで集まった寄せ集めのメンバー。昨年の秋、例のテロ事件で世界中が震撼している最中、それでも旅立った強者ども。

 ある日キティちゃんからメールがきました。
「19日にフクスケちゃんと会うんだけど、緑野も来ない? フクスケが本を返したいって言ってるの」
 あら、キティちゃん、フクスケちゃん、わたしと3人そろうなら、ミジンコくんにも声をかけましょう。そしたらイタリア4人組勢揃いするじゃない。
 そう、のんきなわたしたちは旅行から1年以上経つというのにまだ、写真の受け渡しをしていないのさ。

 そして5ヶ月ぶりで集まったわたしたち。
 わたしの顔を見るなり、フクスケちゃんは言った。

「ごめん、緑野ちゃん。ちゃんと用意していたのよ。袋に入れて、鞄と一緒に玄関に置いていたの。なのに、でかけるときについ、鞄だけ持って出てしまって……」

 つまり、本をすべて忘れてきた、と。

「あれ……? なんかそれ、前にも聞いたよーな気がする……」
 マイペースで人の話を聞かないミジンコくんまでもが、素で首を傾げている。

「そーよっ、2度目よっ。2回とも同じことやってんのよ、ごめんねっ」
 フクちゃん開き直り(笑)。

 フクスケちゃんには、『銀英伝』のコミックを全巻貸出中。旅行に行く前からだから、1年以上。
 彼女は会うたび話すたび、「今度返すから」と言い続けている。
 いや、いいんだよ、いつまで持っていてくれても。そのぶん我が家が広くなるから(笑)。
 わたしはそれより、『ハリー・ポッター』の続きを早く貸して欲しいだけ。
 ねえ、いつ貸してくれるの?
 デジャヴはもういやよー(笑)。

 さんざんフクスケちゃんに謝らせたあと。
 キティちゃんがにやりとして言う。
「ま、あたしも写真間に合わなかったけどな」
 「ええーっ?!」と叫ぶフクスケちゃん。そう、旅行にカメラを持っていかなかったのはフクスケちゃんだけ。つまり、焼き増しをもらえない限り、彼女は旅行の写真が一枚もない状態なのだ。
 キティちゃんは焼き増しが間に合わず、持ってきていないというのだ。
「ええっ、キティちゃんも? ははは、あたしも写真持ってきてないー。ネガが行方不明でさー」
 と、わたし。フクスケちゃん、再び「ええーっ?!」。

 のんき者が4人。
 旅行から1年以上経つのに、未だに写真の受け渡しはできず。

「なんのために集まったの? 本の受け渡しはできないし、写真はないし……」

 ただのおしゃべり目的。
 そーゆーことで。

 ごはん食べて、お茶して。店を変えて。喉が涸れるまで喋り倒してまた今度。

 で、今度っていつよ??

 
 そして今日は、一万人の第九の練習日。
 今週、来週とも、2日連続第九の練習日だったりする。

 わたしは音楽の才能を持たずに生まれてきたが、そんなわたしでもふたつの合唱のレベルのちがいぐらいはわかる。
 日曜日に練習に行った某合唱団は、やっぱ一万人の第九の人々よりも、うまいわ。どちらも自分でお金を払って歌っている趣味の合唱団だけど、やっぱ一万人の方はことさら素人の集まりだよなー。なんせわたしが毎年参加してるくらいだもんなー。

 だから一万人は、こわくないの。へたでも、ぜんぜん。
 しかしもうひとつの方は……へただと、目立つなー。いやだなー。
 あらっちは歌がうまい。きんどーさんはふつーにうまい。
 そしてわたしひとりが、へたなのだ……。「音痴よね(笑)」と言われてしまう人間なのだ……。

 それでも、好きなんだけどな。
 歌うこと。

 こわかろうと、こわくなかろうと、とりあえずちょっとでもうまくなりたくて、練習するのだ。

「それで、昨日のポスターどうした? あたしはちゃんと貼ったよ!」
 あらっちは胸を張って言う。
 昨日の某合唱団での練習のおり、わたしたちも参加する第九コンサートのポスターを配布されたのだ。
 「ポスターは巻いてあってもただの紙です。ちゃんと貼って宣伝してくださいね」と言われた。
 ……貼ってないよ……。
 近所ならともかく、すげー遠い会場のコンサートだからなー。気軽に「いらっしゃい」とは言えない距離。
「弟に頼んで、男湯にも女湯にも貼ってもらったし、ないとは思うけど、チケットのことを聞かれたらどう答えるかも教えておいた」
 と言うあらっちの家はお風呂屋さん。
 そうか……あらの湯(仮名)では、脱衣場にベートーヴェンの顔が貼ってあるわけか……アカデミックだなー。
 わたしも親に言って、店に貼ってもらうかな。……恥ずかしいけどなー。

 なにが恥ずかしいって。
 んなもん貼ったら、親が宣伝しそうだ、コンサートをではなくて「娘が歌うんですよ!」なんてことを。
 わたしはへたっぴで、いちばん後ろでめだたないよーにこっそり歌っているだけだっつーの。
 つーか、「あんたの遺伝子を受け継いでいて、歌がうまいわけないだろーっ」てなもんだよ。

 お家が自営業ではないきんどーさんが、いちばんこまっていた。
「うちのトイレにでも貼ろうかな……」
「だめだよ、そんなんじゃ! 他の人も見るとこに貼らなきゃ」
「そうそう。電柱とか貼りに行ったら?」
 こまるきんどーさんを見て、わたしとあらっちはさらに追いつめてみるのでした(笑)。

 一万人の第九、本番まではあとちょっと!
 某合唱団のコンサートは、宙組DCのころ!(そんなおぼえ方……)

 

食は文化。

2002年11月17日 その他
「母親ってさ、スーパーで和菓子買ってこない? アレ、ゆるせないんだけど」
「買ってくる買ってくる」
「ヤ*ザキかなんかの和菓子! どーしてこんなもん買ってくるのよ、ほんのちょっと行けば、ちゃんとした和菓子屋さんがあるでしょ、どうせならおいしい和菓子が食べたいじゃない! でも何度言ってもだめなの、母親って。『面倒だから』ってスーパーで和菓子を買うのよっ」

 ゆるせないっ。
 …………と、普段は穏やかなあらっちの叫びと、やはり普段は穏やかなきんどーさんの同意の声を聞いていた。

 第九の練習のあとの、喫茶店にて。
 何故か和菓子の話題で盛り上がる。

 わたしは無口。
 だってうちの母親もスーパーでヤマ*キとかの和菓子買ってくるけど、べつにわたしそれ、平気なんだもん……。
 ていうか。
 わたし、あんこダメなんっす。
 甘いモノは自分では好きだと思っているけど、食べられないモノが多い。あんことチョコレートはダメ。甘すぎて食べられない。フルーツの缶詰もダメ。炭酸で中和されていない、甘さだけが売りのジュースもダメ。ムースポッキーとかも甘すぎてダメ。
 甘いから食べられない、というものがたくさんある。
 かわりに、辛いモノはぜんぜんOKなんだけども。(しょっぱいモノではなくて、辛いモノね)

 おまんじゅうでいちばん好きなのは、「皮」だからなあ。中のあんこはいらない……。
 だから、「皮」が分厚いものほど、わたしにとっては「おいしい」ことになる。
 おまんじゅう、あんまん、たいやき、シュークリーム……中身が少なく、皮が分厚いのが好き。

 その昔、某和菓子チェーン店でアルバイトしたときは、大変でしたなあ。
 自分が食べられない、おいしいと思えないモノを売る、というのは……。
 おやつをいただくときも、「これなら甘くないよ」という言葉を信じて食べて、「嘘だ、十分甘いじゃん!」と言えず、なんとか半分食べたけど残り半分どーしよー、でも食べないと失礼だよね……と笑顔の下で悩んだなー。
 友人に頼まれてやっていた、助っ人バイトでした。自分で選ぶなら、食べられないモノを売る仕事は選びません……。

「あたし、和菓子にはちょっとうるさいよ」
「あたしも和菓子がマイブームでねー」
 あらっちときんどーさんは、熱く語る。
「わらび餅が食べたくてしょーがないの、おいしいわらび餅が!」
「うんうん、いいよね、わらび餅」
 店の名前がいろいろ出ているが、わたしにはよくわからない。

 わらび餅とゆーと、我が家ではやはり、彼女たちが「ゆるせない!」と言う、スーパーで98円のわらび餅を、母がよく買ってくる、夏の間。
 弟の大好物なので。……とゆーのも弟は甘党。和菓子があるとにこにこ食べている。チョコレートも大好物だ。わたしの敵である白桃の缶詰なんかも、じつにうれしそーに食べる。
 98円のわらび餅も、彼はうれしそーに食べる。
 わたしはわらび餅をことさらありがたがることはないので、弟が食べているわらび餅を、横から数個つついただけで満足。1人前はとても食べられない。

 そーいやきんどーさんやあらっちと、「おいしいわらび餅」の店にわざわざ行ったことがあったね、昔。
 わたしは「友だちと歓談」するのが目的だから、わらび餅なんかどーでもよかったし、また、特別に「おいしい店」と言われてそれなりの値段を払ったおぼえはあるが、劇的においしかった記憶はない。
 わたし、グルメとはほど遠いんだよね……。

 わたしが口を挟めないウチに、ふたりは京都にあるというおいしい和菓子の店に行く話で盛り上がっている。
 ああ、ほんとに好きなんだね。

 わたしにとって「食べること」はあまり重要な意味を持っていない。必要だからしていることで、たのしむよーなものではないからだ。
 だから、わざわざ「おいしいモノを食べに行く」という文化にはなじめずにいる。
 どこかへ「行ったついでに、おいしいモノを食べる」ならアリなんだけども。
 そーいやきんどーさんたち元の職場の仲間たちとは、わざわざ「おいしいモノを食べに行く」ために何十分も電車に揺られたりしたなー。わざわざ京都、わざわざ神戸。お店に行って、食べて、帰る。また何十分も電車に乗って。
 わたしはそういう文化になじみがなかったので、「嵐山に行くってことは、そのへんのお寺の散策だよなっ」と勝手に思いこんでいたよ。ごはんは「ついで」だと思って参加したんだ。まさか「ごはん」ごときが目的だとは思わなかったから。

 食は文化。
 そしてわたしは、文化レベルが低い。

「梅田にシフォンケーキの専門店ができてて、わたし、シフォンケーキ大好きだから食べたいんだけど、イートインできないのよ。わざわざ買って帰ってまで食べたくないし」
 と、わたしは言いました。
 わたしがケーキの中でいちばん好きなのは、シフォンケーキです。フルーツもアイスクリームもチョコレートもいらん、純粋にケーキ、そしてクリームは自分で加減しながらつける。だからシフォンケーキが好き。あまり甘くないから。
 そのいちばん好きなケーキでさえ、買ってまで食べたくない。
「喫茶店だったらよかったのに。そしたら、友だちとお茶するたびにそこの店に行くのに」
 わたしにとってケーキは「友だちと歓談する」ためのアイテム。
 自分のために自分で買って、家でひとりで食べたいわけじゃない。
 ……あれ? それってつまり、純粋に「食べ物」としては好きじゃないってことか?

「そうね、ケーキはわざわざ買わないかな」
「和菓子なら食べたいときは買って帰って食べるけど。ケーキはね」
 と、友人たちは同意してくれたけど。
 あれ。わたし、ハズレたこと言いました?
 みんな、ほんとはケーキも買って帰って食べたりするの?

 食は文化。
 むずかしいっす。

 
 舞台のケロが小さく見えないってのは、バランスが取れてるからなんだろーなー、と、WOWOWの『うたかたの恋』を見ながら思う。(昨日の話題をまだ引きずっているのだ・笑)
 ケロのスタイルがいいとは、特別思ったことがないけれど、たった167cmの身長(トウコやきりやんと同じ身長)で、「顔でかっ」と思わないってことは、身長の割には小顔なんだろー、とか。身長の割に手足が長いんだろー、とか、やはりあのでかい手は好みだよなー、と、いかん、どんどん「うっとりファンモード」で見ているぞっ。

 しかし、マミさんのルドルフ役って、どうよ……。アンドロイドみたいだ……。嘘くせぇ(笑)。
 それはそれで愉快だけど、「『うたかたの恋』のルドルフ」ぢゃねーよーなー、マミさんは。

          ☆

 ひさしぶりに、道に迷った。

 そのときわたしは「タイムスリップ昭和!」と言うべき、淡路の商店街にいた。めったに行かないんだけど、たまにいくと目眩がするほど前世紀。
 目当ての買い物ができず、意気消沈。
 そこへ母からのTEL。
「今どこ? 荷物運ぶの手伝って欲しいんだけど」
「今、淡路。これから帰るとこ」
「じゃあそのままこっちへ寄ってよ、江坂にいるから」
「わかった」
 安請け合いしたはいいが。

 江坂? 江坂だと?

 今いるところから江坂って、どう行けばいいんだ?

 ちなみにわたしは、自転車だ。
 江坂に行くためのいちばんメジャーな橋は、たしか車専用。自転車は通行できない。
 んじゃ別ルートだな。

 別ルートって?
 知らねえよ、そんなもん。
 
 大阪市から隣の吹田市に行くには、大きな川を越えなければならない。淡路から江坂に行くには、JRと阪急の線路を越えなければならない。
 阪急はともかく、JR。
 貨物も通っている、広大な線路群。
 どうやったら渡れるんだ??

 ……迷いました。
 ええ。

 方角のアタリだけつけて走っていたら、謎な場所へ。
 ここはどこーォっ?!

 道を聞こうにも中小工場地帯、土曜日の午後には人っこひとりいやしねえ。
 目の前の広大な線路群を向こう岸に渡るためには、右左どちらへ行けばいいんですか? つーか、何キロ走ったら渡れる道があるの? 行きたい方向に道がありません!!

 ぜえぜえ。

「ずいぶん遅かったわねー。直線コースで言えば近いのに」
 と、ママン。
 懸命にやってきた娘に対して、ボケたことを言ってくれる。
 そうね、地図で見れば大したことないわね。地図に定規で線を引けばね。
 でも現実には道ってもんがあって、それは個人の都合だけでのびていないのよ。
 川と線路を渡るために、どれだけ遠回りしたと思うよ?!

「いい運動になってよかったじゃない。……あ、手袋買ってあげようか?」
 いりません、ママン。180円のカラー軍手なんて。

 またしても母が「自分の自転車だけでは運びきれない」ほど買った、花の苗と土を載せて、母と娘の2台の自転車は、よろよろと紅葉美しい江坂の街を走りました。

 

物欲MAX!

2002年11月14日 家族
 DVDレコーダーが欲しい……。

 今わたしは物欲の人。
 収入もないダメ人間のくせに、なに言ってんだ、というセルフツッコミはおいといて。

 今、DVDレコーダーが欲しい……。

 某電化製品量販店に勤める弟に、DVDレコーダーのことを聞いてみた。
「パイオニアのなら、今やってる優待セールの重点商品だよ」
 それって、HDDつきのやつ?
「はあ? んなもんついとらん。DVDレコーダーといえば、漢らしくDVDレコーダーのみだ」
 漢らしくなくていいわい。
 重点商品というのは、弟の会社が時折やってる「お客様優待セール」で目玉になる商品だ。つまり、かなりお買い得になっている。……そのかわり、店員は「販売ノルマ」が課せられ、なにがなんでも売らなくてはならないらしい。

「欲しいのはHDDつきのDVDレコーダーだよう。友だちはパナソニックのを持ってて、すっごく便利だって言ってるんだよう。『緑野ちゃんがRAMを持ってたら、CS放送のトド様をデジタルで録画してあげられるのに』って言われてるんだよう」
 わたしが持ってるのはプレステ2、つまりRしか見られないんだよー。RAMは再生できないの。

「RAM? RAMは消えゆく運命だから、あんまりおすすめしないけどなあ」
「えー? でも、わたしの周りではRAMが優勢だよ? それって、わたしの周囲だけ?」
「お姉の周囲だけでしょ。世界的に、優勢なのはRW」

 でもでも、某掲示板では、みんな反対のこと言ってるよ?
 優勢なのはRAM、RWはもうだめだって。
 電器屋の店員がRWをすすめたりするけど、きっと売れ残りを売りつけようとしているんだ、信用するな的なことを、複数の人が同意しあってたぞ。

「ぼくら店員サイドからすれば、RAMを売る方がこわいな。将来的になくなりそうだってわかってるだけに、あとでクレームのもとになりそうだから、躊躇する。RAMを欲しいって人には、『RAMですけど、本当にいいんですか?』って確認してるよ。あとがこわいから」

 そ、そんなにだめなの、RAMって……。んなこと言われると、たしかに躊躇するよ。

「ま、とりあえずRAM/Rを買っておけば問題ないでしょ。RAMは消えるかもしれないけど、Rは生き残るだろうから」

 そうか。Rのレコーダーさえあれば、なんとかなるか。
 んじゃやっぱり、HDDつきのDVDレコーダーで、RAMがいいな。友だちと互換性があるにこしたことないもん。

「そういえば、パナソニックは次世代のDVDレコーダーとも互換性があるんだよね? んじゃパナにしておくべきかな」
 と、わたしが聞きかじりの知識を披露すると弟は、シニカルに笑った。
「パナソニックはなー……冷徹だからなー。信じると、あとがこわいぞー」
 な、なになに。

「たしかに、パナは互換性をうたい文句にはするけどな、それは第一期機種までなんだ。
 パナは昔、独自で大容量の記憶メディアを開発してたんだけど、そのときのうたい文句が、『DVDと互換性があります』。
 たしかにそれは、嘘じゃなかった。
 DVDレコーダーが発売された、最初の機種だけには互換性があった。けど、その半年だか1年だかあとに発売された機種からは、互換性ナシ。切り捨て」
 切り捨て?
「そう。DVDレコーダーとの互換性を信じて買っていた人たちは、切り捨て」
 いいのか、それ?
「たしかに、次世代機の最初の機種では互換性があったから、嘘はついてない。嘘じゃないけど……。
 ぼくら販売店サイドの人間からすりゃ、よくもあれだけ冷酷に切り捨てられるもんだな、こわいな、と。
 パナは過去2回、やってるからな。互換性を売りにしたうえでの、切り捨て」
 2回っすか! そ、それは……3回目もありそーだな……。

 互換性はアテにしちゃいかんっちゅーことか。
 うう。
 どうしよう。

 でも今すぐ欲しい……。
 莫大なビデオ財産を、Rに焼きたいんだよう。

 頭を抱えるわたしに、弟は言う。

「それよりも、誰か空気清浄機いらない? 重点商品なんだけど……」

 いらない。
 つーかそんな微妙にマニアックなもの、同世代の独身たちが欲しがるかっつーの。
 そしてそれって、店頭で安くなってるからって、流しの客が買うとも思えないアイテムですけど……?

「だからみんな、こまってる」
 みんな、って、現場の社員一同ですか。決めるのは現場を知らない上の人たち。
 いずこも同じ秋の夕暮れ。

 てゆーか弟よ、あんたはパソコン売り場の人間でしょ。
 なんで空気清浄機売るのがノルマになってるのよ?

 

熊ですかっ?!

2002年11月13日 その他
 わたしの家の隣には、ひとり暮らしのおじさんが住んでいる。
 おじさん、とゆーか、おじいさん、かな。それくらいの年齢の人。

 うちは角なので、道に面した部分が大きい。でもお隣さんには少ない。
 そしてお隣さんは、花が好き。植物を育てたいというので、うちの家の前を貸している。

 つまり、うちの玄関前から角(角の家って、そこだけ壁が削られたよーになってるよね?)のあたりまで、お隣さんが育てているお花がずらりと並んでいるの。植木鉢、プランターなどがずらり。

 わたしはひとり暮らしの独身の女の子。もういいトシだが、独身だから「女の子」だ。
 女の子がひとりで暮らしている家の前が、花であふれている、てのは、良くないか? 良いだろう?
 わたしは植物を育てるのは苦手だが、眺めるのは好きだ。そして、お隣のおじさんは育てるのが好き。
 両者の利害は一致した。
 だもんで、わたしの家の前は花でいっぱい。

 最初のうちは、かわいいもんだった。
 植木鉢がいくつか並んでいる程度。
 12月になればポインセチアなんかが置かれ、とっても女の子らしい、かわいい玄関になった。

 時が経つにつれ、花の数は増えていく。
 どこまでも、増えていく。

 ……あの、おじさん。どこまで増やすんですか……? もう置き場所、ほとんどないですが……つーか、そこは長年自転車を置いていたスペースなんだけど……わ、わかりました、自転車の方を移動させます。

 お隣のおじさんは、花だけではなくどーやら、かわいいものも好きみたいだ。
 植木鉢の間や中に、陶器の動物たちが置かれている。
 小首を傾げたリスさんとか、かわいいクマさんとか、七人のこびととかな。
 ……これもだんだん、増えている。
 そーいやおじさん、一人暮らしなのに、彼の家の表札は季節のお花があしらってあるリースだ。玄関だけ見たら、女の子の家だと思われるぞ?

 なんか、わたしの性格とはかけ離れた玄関になってきている気がする……と、小首を傾げたリスさんと目が合うたびに思う。

 そして、お花たちの間に、ある日奇妙なものが置かれていた。

 全長150センチくらいでしょうか。
 巨大な、細長い赤いガラスの花瓶。

 さすがにこれには、おどろいた。

「あの……なんなんですか、コレ……?」

 目を点にしたまま、お花にお水を遣っているおじさんに聞きました。

「ああ、あるお店でもういらないって言うんで、もらってきたんだ」
 おじさんは意気揚々と答える。

 もらってきたって……。
 どう考えても、ホテルのロビーとか、大きなお店とかでライトをあびて飾られているよーな花瓶なんですけど。
 だって高さが、こどもくらいありますぜ。

 当然大きすぎるから、花なんか活けられない。これに活けることができる人は、プロのコーディネーターだけだろう。

 道を行くいろんな人が足を止め、おじさんに話しかける。
「これ、なんですか……?」
 おじさんはうれしそうに説明する。

 そりゃ、理解できずに質問するだろーよ。
 道ばたに巨大な花瓶(しかも花は活けてない)があったら。

 かわいいものが好きな、花好きのおじさん。
 そう思っていたんだけど。
 この花瓶のあたりから、疑問が生じる。

 そして、今日。

 わたしは信じられないモノを目にする。

 お花で埋まった、わたしの家のエアコンの室外機の上に、それはあった。

 木彫りの、熊の置物(黒塗りの台付き)。

 ふつー玄関とか、応接間なんかによく置いてある、躍動的な姿をした熊の置物。
 もらうもんなんですかね、たいていの家にあるよね。こんなの趣味じゃなかったり、置きたくなんかないだろうな、って人の家にも、何故かちゃっかり置いてあるから、なにかしら日本家屋には必要不可欠な因習があるのかもしれない。
 その、熊の置物。

 それが、わたしんちの外壁に沿ったお花畑の中に。
 エアコンの室外機の上に。

 ……ガーデニングをたのしむ人たちは、たしかにお花の間に陶器の置物を置く。動物を置いたりする。
 でも。

 木彫りの熊は、置かないだろおっ?!

 おじさん。
 かわいいものとお花が好きなおじさん。
 ひょっとして。
 ひょっとしておじさん、実は飾れるものなら、なんでもいいの……??

 ……道行く人たちに、どう思われてるんだろう。
 木彫りの熊を植木鉢の間にディスプレイする、ひとり暮らしの30女の家、って。

 
 弟に会うなり、文句を言われた。

「お姉は大罪を犯した。おかげでぼくは迷惑を被った」

 お姉、というのはわたしのことだ。弟はわたしをこう呼ぶ。そして弟の一人称は「ぼく」だ。何故か一度も「おれ」とは言わない。へんなところでおぼっちゃま。

 
 は? 大罪?
 愛用のマグカップを持ってもらい湯に行ったわたしは、顔を見るなりそう言われて首をひねった。
 いや、のどが渇いたからお茶が飲みたかったのよ。でもちょーどウチのポットが空でさ。一から沸くのを待つより、親の家にカップ一杯のお湯をもらいに行った方が早いだろーと思ったのよ。
 んで、茶こしにお茶っぱ入れて、それをマグカップの上に乗っけて、つっかけ引っかけて、すたすた公道を歩いて、親の家まで行ったのよ。

 ドアを開けるなり、「あーっ、言ってたら本人が来た」と言われ、なにごと? と顔を見た途端、弟に責められたのよ。

「お姉が、この世でもっとも尊い母上様の予定を狂わすと言う、ゆるしがたい大罪を犯したから、すべて悪い」

 仕事から帰って来たところなんだろう。弟はひとりで遅い夕食を取っていた。
 弟の横には母が坐っている。

「母の予定とは、地上に存在するあらゆるものより大切な、なんびとたりとも邪魔をすることはゆるされない尊いものだからな」

 弟はかなり怒っている。
 怒りながら、ごはんを食べている。

 あー、なるほど。

 わかりました。

「母、あんたにも言ってたの?(笑)」
「言っていたさ。ずーーーーっとな(怒)」

 はい。
 今日わたしは、つい先刻まで飲まず食わずでいました。
 理由はありません。
 もともと食事というものにルーズなので、理由もなく食べなかったりするんですわ。
 それが、母にバレましてね。

「なんでなにも食べてないの?!」
 と、叱られましたのさ。

 んで、ゆうべから20時間ほど飲まず食わずだったわたしに、大慌てでなにか食べさせようと、ごはんを作ってくれたんですわ。つっても、レトルトのパスタソースを温めて、パスタをゆでてくれただけだけどな。
 食欲がなくても、とりあえず他人が労して作ってくれたら、その厚意に報いるために箸を取ります。
 とくに食べたくもなかったんだが……母上様がわざわざ作ってくれたから、ありがたくいただきましたさ。

 でもそれによって、母は「予定が狂った」のだ。

 母は忙しい。
 いつもいつも忙しい。
 仕事と家事だけなら、それほど忙しくはないはずだが、彼女はその人生において「暇」だったことなどただの一度もない、とてつもなく忙しい人なのだ。
 秒刻みで生きている、たぶんこの世でもっとも忙しい人の時間を、わたしが不用意に奪ってしまった。
 わたしが自分でごはんを食べなかったから、母が作るはめになった。
 母は予定が狂った。
 わたしが自分でごはんを食べてさえいれば、しなくてよかったことで、時間を浪費した。

 それに対して母は、怒っていた。

 山からの帰り道でわたしに電話してきたとき「なんでなにも食べてないのっ?!」と叱りつけてからずーーーっと、家に帰ったときも、わざわざわたしのために作ったごはんを、わたしがありがたくいただいているときも、ずーーっとずーーっと、怒り続けていた。

「予定が狂った!」
 と。

 わたしのために時間を浪費したことを、えんえんえんえん、愚痴り続けていたんだわ。
 わたし相手にも、顔を合わせている間中、絶えることなく言っていたんだが。

 どうやら、帰宅した弟相手にも、同じように愚痴りつづけていたらしい。

「朝起きたところからはじまって、現在にたどり着くまでずっとだぞ」
 と、弟。

 朝?

 わたしのためにごはんを作ってくれたのは、今日の夕方だ。なのに母の愚痴は今日の朝のことからはじまる。朝の段階では、別の家に暮らしているわたしとはまったく関係ないはずなんだが。

 朝、忙しい母は「今日はこうしましょう」と自分で1日のイメージを作る。
 朝、母はいろいろ夢を見る。今日はこんな日。今日はあれをするの。これもするの。そしてこんなふうになるの。
 朝の希望。きらきらきら。

 なのに。
 アホウな娘のために、予定が狂った。
 朝、あんなに夢を見たのに。
 あれもしましょう、これもしましょう。こんな日になるはず。
 そう思っていたのに。
 ああ、夢を見たわたしの朝のひととき。
 朝のわたしが希望に満ち、無邪気だったことから語らなければ。アホウな娘の仕打ちの非道さは伝わらないわ!
 ……てなもんで、まず、母の朝の話からはじまるわけなんだわー。

 朝の話を聞かされて、昼間の趣味の山登りの話を聞かされて、夕方機嫌良く帰ってきたら、なんと娘が食事もせずにいるという! オーマイガッ! すぐになにか食べさせなければ! なんて非常識な娘なの、いいトシをして!! という話を聞かされ。

 弟は、仕事から帰ってからずーーーっと、母の愚痴を聞かされつづけていたらしい。

 た、大変だな。
 朝から今日一日ぶんの母の日記を愚痴モードで聞かされたのか……そりゃ怒るわ。

「母の大切な時間を浪費させるなんて、絶対にやってはならないことだ、法律でも決まっている!」
 弟はぷんぷん。
 ごめんてば。
 まさかあんた相手にも、壮大な自分語り……じゃねーや、「アホウな娘のために、大切な時間を30分ほど浪費させられた」ことを嘆いていたなんて、思わなかったからさー。
 しかも朝の話からか……わたしには朝の話はしてなかったから、弟の方が話が壮大になっている分、気の毒だ。

 でもわたし、母にはひとことも言い返してないよ。
 「ごはん作ってなんて、わたし頼んでない」なんてこと、言ってませんてば。
 母はわたしのことを思って、自発的に作ってくれたんだもん。ありがたいことです。
 そして、食べている間中、ずーーーっと責められつづけていましたさ、「予定が狂った。時間を浪費した」と。

 いやあ、元気です、マイ・マミー。

 母がなんでそんなに忙しいのか、わたしは理解する気がないので、子どものころからずっとスルーしてきた。
 下手に「なんで忙しいの?」なんてことを聞こうものなら、それこそ何時間も「いかにわたしが忙しいか!」を語られてしまうからだ。
 何時間も語る暇があるなら、もっと有意義に時間を使えばいいのに……とは思うんだが。こわくて言えない(笑)。

 とにかく母は忙しい。
 そんな母の時間を奪うことは、万死に値するのだ。
 そして今日のわたしは、大罪を犯した。

 弟は被害者。
 彼は最近、母と人間らしい会話することをあきらめている節があるのだが、今日またそれに拍車がかかったかもしれん。

 母は「息子がろくに口をきいてくれない」と嘆くが、それはまー、自然の摂理のひとつじゃないかと。
 それこそ、母の時間を浪費することはこの世でもっとも許されない大罪、という摂理と同じくらいには。

 緑野家は今日も平和ナリ。

  
 母がきのこを採ってきた。

 母は山女。
 傍目からすれば「アンタおかしいよ」というくらいの、山オタク。
 この世のすべての価値観の中心にあるのが「山」。
 母を見ていると、「いくら好きでも、ものごとには限度があるよな」と自戒になるくらいの日々の暴走ぶり。

 そんな母は、今日も山登り、明日も山登り。

 んでもって、わたしが第九の練習に行くために自転車を取りに親の家まで行ったとき、ちょーど母は山から帰ってきたところだったようだ。
 まだ着替えもせずに、茶の間で本を読んでいた。

 きのこの本。

 テーブルの上には、得体の知れないきのこがごろごろ。

「今日山で採ってきたの。食べられるかと思って」
 母はご機嫌でそう言う。

 ……食べる? ちょっと待て、冗談でしょ。なんでそんな、得体の知れないモノを食べようなんて考えるの?

「だから今、調べてるのよ。種類さえわかれば安心して食べられるでしょ? わざわざこの本、買ってきたんだから」

 そういう問題じゃないでしょ。
 この飽食の時代に、食用としてお店に並んでいない種類のきのこなんて、食べられないか、食べてもおいしくないかのどちらかに決まってるっつーの!!

「あたしはこれから練習に出かけるから、ごはんは帰ってから食べるね」
 つきあっていられないので、それだけ言い捨てて自転車に乗って家を出た。

 マジ母は、あのきのこを食べるつもりなんだろうか。
 晩ごはんはきのこ料理なんだろうか。
 難関、フーガの練習をしながらも、わたしは不安にさいなまれる。
 わたしは絶対食べない、口にしない。わたし個人の問題なら、それでいい。
 しかし母は。
 あの調子なら、絶対食べる。父にも食べさせるかもしれない。弟もだまされて口にするかもしれない。
 どうしよう、毒きのこだったら……!!

 腹を抱えて笑い続ける緑野家の人々が、救急車で運ばれる姿を想像。
 もちろん、遠巻きにひそひそ話をするご近所さんたちの図付き。

 うわあああ、いやだぁぁああ。

 つーか母、山でなにか採ってくるのはよせと、あれほど言っているだろう!!
 勝手に採ってくるのは泥棒だってばっ。この国のどこに所有者のいない土地があるというんだ、みんなどこかしらが権利を持っている私有地なんだぞ。そこにあるものを勝手に採取したらそれは、泥棒だってばーっ。
「**さんなんか、たけのこを採ったりしてるけど、あたしはしてないもん。あたしが採るのはワラビとかの山菜くらいのもんよ」
 そーゆー問題じゃないってば。
 中高年ハイカーのおそろしさ。集団で狩りに出るからなー。

 母は狩猟民族タイプだから、きっと血がうずいてるんだと思う。獲物を狩りたくてしょーがないんだ。
 わたしと母はまったく似ていないと思うのだが、母はわたしを見て「顔も性格もそっくり!」とおそろしいことを言う。
 たしかに顔は似ているかもしれないが、性格はちがうってばーっ。
 わたしはアナタほど攻撃的じゃないよーっ。

 ああでもでも、前の職場に有名な「イタタ」なおねーさまがいた。彼女のものの考え方はすべてにおいて「自分中心」、身勝手を絵に描いたよーな人だった。
 そのおねーさまが語るところの、おねーさまの母上様。これがまた、おねーさまそっくり!!
 そっかー、おねーさまの性格の傍迷惑さや非常識さは遺伝だったのかー、と感心して聞いていたら。
「ほんとにうちの母ときたら、自分勝手で! アタシとは性格ぜんぜん似てない!!」
 ぎゃふん!!
 アンタら親子、そっくりですがな!!
 と、ココロの手がハゲしくツッコミ入れましたがな!

 そーゆー例があるからな。
 ひょっとしてわたしと母は、ほんとは似ているのか、性格??
 でもでも、わたしはあそこまでコワレてないぞ。コワレてないと思いたい……。
 わたしはタカラヅカ大好き人間だけど、人生の価値のほとんどをタカラヅカだとは思ってないぞ。

例 「ねえねえこの服、すてきでしょ?」
母 「でもそんな服じゃあ、山では着られないわ、すぐに破れそう」
ツッコミ 誰が山の話をしている!!

例 「このスープ、おいしくない」
母 「山でならなんでもおいしいわ。空気がちがうもの」
ツッコミ 誰が山の話をしている!!

例 「**ってたのしくていいよね」
母 「山ほどたのしいものはないわ」
ツッコミ 誰が山の話をしている!!

例 たとえそれがどんな話であろうと、
母 「山はいいわ。どうしてみんな山に登らないのかしら。世の中の人って変ね」
ツッコミ 変なのはアンタだっ!!

 わたしは少なくとも、「この服すてきでしょ?」と言われ、「タカラヅカではそんな服着られないわ」とは返さないわ。ちゃんとその服についての感想を言うわ。
 スープの話をわざわざヅカにつなげたりしないし、とにかくなんの関係もない日常生活のあらゆる会話を、すべてヅカに関連づけて喋ったりはしないわ。
 ヅカに興味のない人を、「変」だとは思わないわ。

 わたしは母よりは常識的だと思う!
 そうよね??

 練習の帰りの電車の中で、携帯電話のチェックをした。
 ……母から電話が入っている。
 練習中は音を切ってあったから、事なきを得た。
 が。
 家に帰ってもちろん怒る。
「ちょっと母、あたしはこれから第九の練習に行くって言って家を出たよね? なのになんで、その練習中に『今すぐごはん食べに来い』って電話かけてくるのよ!」
「あんたが家にいないなんて知らなかったもん!」
「これから練習に行くって言ったでしょ?」
「聞いてない」
「言った」
「いつ言った?」
「母がきのこの話してるとき」
「じゃあそんな話、聞いてるわけないじゃない、あたしはきのこの話してたんだから!」
 勝ち誇って言うな!
 つーか人の話を聞け。
 自分の話しかしないんだから。

 んで、問題の晩ごはん……。
 きのこなの?

「あのきのこは、あきらめたわ。図鑑に載ってないんだもの」
 母はしぶしぶ。

「だからっ、食べられないことぐらい、最初からわかってたでしょーに!」
「なんでわかるのよ? 調べてみないとわからないじゃない!」
「知らないきのこだってだけで、もうダメなのわかるでしょー?!」
「知らないから調べるんじゃない!」

 世の中の母と娘は、どんな会話してるのかなあ。
 ウチは、コミュニケーションに問題アリっす。
 ママには微妙に日本語が通じません。

 
 映画『OUT』を見に行った。

 『OUT』の原作は読んでいない。
 だから、原作と比べてどうこうは言えない。

 でも、ドラマは見ていた。
 田中美佐子主演。
 主題歌がたしか、福山雅治。福山が歌っているとは思えない曲調で、そして福山らしくないから、福山の歌の中で唯一好きだと思える歌(笑)。

 ドラマが好きだったの。
 田中美佐子がもー、かっこよくて。
 どきどきしながら見ていたわ。
 そして、渡辺えり子。この人がもー、めちゃくちゃよかった。おでぶなおばさんなのに、どんどんかっこよく見えていく。女優ってすごい。
 女がかっこいい物語ってのは、希有だ。保護しなければならない、ってくらいな。
 テレビドラマ『OUT』はその希有な、女がかっこいい物語だった。
 ただしこのドラマ、最後はえらいことになっていたの。
 せっかく「主婦たちの犯罪」がテーマだったのに。
 ごくふつーの主婦たちが、日常の中で犯罪に手を染める。滑り落ちていく日常、ほんのささやかなことから壊れていく平穏。
 日常、だから、主婦だから、よかったの。
 なのにこのドラマ、後半は『ターミネーター』になってた。
 殺しても殺しても立ち上がってくる超戦士を相手に、腕利きの女戦士が戦いを挑む話になってた。
 はあ? 日常と主婦の話じゃなかったっけ? いつからモンスター・パニックものになったの?
 どんどんSFになっていって、最後はどこぞのアクション映画のオチのよーになっていた。
 日常と主婦が、遠いっす。

 ドラマはなんであんなことになったんだろ? ドラマだから? 派手に盛り上げないと、視聴率がよくない、って、スポンサーから横やりが入ったとか?
 だから殺人鬼は殺しても殺しても立ち上がってくるし、ただの主婦は女戦士に変身して戦うの?
 それとも原作もああなのかしら。

 まー、なんにせよ、ドラマは最後がいただけなかった。
 その変すぎたラストを、映画はどう描くのか。
 それに興味があったの。

 おもしろかった。
 映画はいいぞ!
 ドラマで不満だったラストがそっくりちがっている。
 ちゃんと最後まで、「日常」と「主婦」の物語だった。

 なんともせつなくて、痛い物語だ。

 主役の原田美枝子を含む4人の女たちは、誰もがつらい現実を抱えている。
 家庭崩壊、老人介護、カード破産、夫の暴力。
 全編に貫かれている、閉塞感がすごい。
 女たちは、誰も彼もがものすげー閉塞感にさいなまれている。
 苦しい。
 未来が見えない。
 しあわせが見えない。
 どこをどうすれば、とか、なにがあれば、とかじゃないのな。
 慢性なの。不幸が。
 それも、カタチになっていて警察や法律が助けてくれるような不幸じゃなくて、目に見えずじわじわと息を詰まらせるような不幸。
 それはもう、「わたしがわたしである不幸」みたいなもんさ。
 ここから抜け出すためには、別人になるしかない、別の魂でも入れてしまうしかないって、そーゆータイプの不幸。
 そしてひとは、別のひとになんか、なれない。
 だから永遠。
 未来は見えない。しあわせは見えない。
 だけどとりあえずごはん食べてるし、仕事してるし、寝るところはあるし。地球上の戦争している国や、飢えている人たちに比べたらそんなのぜんぜん大したことないって、言えてしまう状態。
 閉塞感。
 わたしは、どこにも行けない。
 どこにも、逃げられない。
 ゆるゆるとした、絶望。

 これがさあ、せつないの。
 痛いの。

 今すぐ自殺するような、死んだ方が楽だ、えいやっ、てな痛みじゃないだけにね。
 生殺しっていうか、耐えられなくなる一歩手前の痛みがずーっと続いているよーな。
 4人の女たちが生きているのは、そんな日常。

 こわいのは、彼女たちの閉塞感が、決して特殊なモノじゃないってこと。
 みんな、多かれ少なかれ、感じているよね?
 彼女たちほど闇は濃くないかもしれないけど、誰でもみんな、似たような苦痛を抱いて生きているよね?
 それが生きるってことだよね?

 だから、彼女たちの閉塞感が、映画を見ている間中、ずっとわたしの呼吸も苦しくさせる。

 4人の女たちは、犯罪に手を染める。
 夫の暴力から逃れるために、夫を殺した。ココロの軽い、いちばん若い女。頭が悪いと言うよりは、心の成長が遅れている感じ。目の前のことしか見えないし考えられない、子ども。
 彼女の殺した夫を、他のふたりがバラバラに解体する。
 ひとりは頼られたあげくに押しつけられて、後に引けなくて。解体場所は彼女の家。どうせ家庭崩壊中、家族は夜中まで帰って来ない。
 もうひとりの協力者は義理とお金に挟まれて。夫に先立たれ、たったひとりで働きながら寝たきりの姑の介護をする女。貧乏どん底。金がいる。
 そこへ偶然やってきたカード破産女も、やはり金目当てで死体遺棄に荷担する。
 職場が同じ、というだけの、友だちというには薄い関係の女4人が、共犯者になった。運命共同体になった。

 それだけではなく、そののち彼女たちは、ヤクザ関係の「仕事」として「死体解体」を引き受けるんだ。

 殺人、死体の解体。
 ヤクザの男でさえ「冗談じゃない」と首を振るような残虐なことを、ふつーの主婦たちがやってのける。
 考えてみれば女たちは、いつも包丁使ってるもんね。
 男たちはそれを当たり前だとなんの疑問もなく、テーブルに並んだ料理を食べるけれど。
 女たちは魚や肉を切り刻んで、家族のために料理しているもんね。
 死体を家庭用の包丁とかで解体するの。
 場所は風呂場。主婦が毎日お掃除するところ。そこで人間を解体して、またきれいにお掃除して。
 男たちはなにも知らない。なんの疑問もなく、湯を使う。
 「主婦」を人間とは思わず「当たり前にあるモノ」と思っている男たち、恐怖しなさい。あなたのいないときに、死体を解体しているかもよ?
 てな、こわさがいい。

 たしかに彼女たちは、犯罪に手を染める。それゆえにどんどん追いつめられていく。
 だけどせつないのは、それで「変わらない」ことなの。
 彼女たちの「閉塞感」が。

 犯罪があろうとなかろうと、彼女たちの抱える「不幸」は変わらないの。

 たしかに、とんでもないことになってるんだけど。
 ふつーじゃない状態なんだけど。
 それによって不幸にはならないのね。
 だってもともと、不幸なんだもん。絶望してるんだもん。
 「犯罪」があってもなくても、変わらない。
 それが、せつない。痛い。

 「犯罪」のおかげで彼女たちは、「日常」を捨てることになる。
 今いる絶望から、一歩を踏み出すことになる。

 訪れる、変化。
 それがいいことなのか悪いことなのかは、わからない。

 原田美枝子と、倍賞美津子の最後のシーンがいいよ。
 ナイフの薄い刃の上に立つような、ふたりの女。
 倍賞美津子が、きれいでね。
 それまでは「うわー、倍賞美津子、トシとったなー。しわしわ〜」てな、生活に疲れたおばさんなんだけど。
 自分の運命と闘う決意をした彼女の、美しいこと。闘うっていうか……今いる場所から押し出されて、選択の余地もなくそこへ立たされるわけだけど。それでもね。
 ふたりの女の友情が、かっこいい。
 ハードボイルド。
 そっか、女のハードボイルドって、こうなんだ。
 男だったらタフでクール、てなもんだが、女ならこうだ。
 ただの主婦が閉塞感の中で、自分の足で立って微笑む。……これこそが、ハードボイルドだ。
 銃を持ってドンパチやればいいってもんじゃないよねえ。こういう戦いもあるよねえ。

 このふたりの女の関係は、「男だったらホモ」だと思うよ(笑)。
 女同士だから、レズにはならないけど。
 男の友情ってはてしなく恋愛に近いけど、女の友情って恋愛とはほど遠いからね。
 女同士の真の友情は、男の友情よりもさらにピュアに「友情」だと思う。

 かっこいい倍賞美津子が脱落し、残ったのはかっこいい原田美枝子と、バカ女がふたり。子どもな夫殺し女と、バカのカード破産女。
 よりによって、バカ女がふたり残るなんて……。ただの足手まといってゆーか、確実に足引っ張るよな、こいつら。
 そんな女たち3人の逃避行がはじまる。

 うんざりするよーなバカ女ふたりも、とどのつまりは、いい味出してるしねえ。
 泣かせてナンボ、の、泣き顔最高女優、西田尚美の子どもぶりもいいし、低脳バカ女を演じる室井滋はさすがだ、あの説得力。
 バカ女ふたりすら、かっこいいと思わせてしまうんだな、これが。

 最後まで、「日常」であり「主婦」であったよ。
 彼女たちのスタンスが変わらなかった。
 だからせつなくて、痛い物語だった。
 閉塞感。絶望感。
 たとえそれが「仕方なく」であろうと、「日常」から一歩を踏み出していく彼女たちに、拍手を贈る。
 ハッピーエンドだと、わたしは思っているしね。
 夢ってのは、ばかばかしい方がいいからね。途方もなくて、意味なんかないよーな、そんな夢こそが、ひとをしあわせにするし、救うんだと思う。
 ガテンな女トラック運ちゃんが、カラカラと豪快に笑ってくれたようにね。

 ああほんとうに、かっこいい「女」の物語だったよ。


 突然メル友と宝塚デート。
 メル友っちゅーか、わたしの最初のペンネームのときから手紙をくれていた子だ。

 おいおい、マジかわいーぢゃん!!
 おねーさん、大喜び(笑)。

 かわいこちゃんを連れ回して、ファミリーランドでデートなのさ(笑)。

 それだけじゃなんなので、これまた突然に『エリザベート』観劇。
 突然すぎてチケット用意できず。当日券だからショボい席。
 それでもいいの、予定外におさトートを観ることができて。
 何度観ても好みだわ、ブルウトート。萌える。萌えるよーっ。

 何故か客席でデイジーちゃんとばったり会う。何故にわたしの2列前にアナタがいるの(笑)。
「突然観に来ることになっちゃったんです。でも緑野さんこそどーして?」
 同じです、突然です、予定外です。

「でもイイよねっ、おさトート!!」
「もーっ、ヨすぎですぅ〜〜っ!!」

 いかん、わたしのデート相手のかわいこちゃんを放っておいて、デイジーちゃんとふたり、トート様で身もだえてしまったっ。引かないでね、ハニー。

 わたしは紳士なので、わざわざホテルの近くまで送ってゆきましたよ。

          ☆

 んで、カレンダー買いました。
 来年のスターカレンダーと、卓上カレンダー。

 毎年買ってるから、デフォルト買い。中身なんか見ずに買った。

 んで、まず卓上カレンダーから開けてみた。

 …………。
 表紙。
 …………。
 あの…………これは…………。
 なんだってこんな、ものすごいことに?
 舞台化粧?
 ヅカ以外の劇団の。
 少なくとも、10メートルは離れて見るためのお化粧だよね? ね?

 次に、ケースの後ろ、スタンド部分が厚紙になっていることに、プチショック。……びんぼくさ……。

 表紙をめくると、たかこ。おお。へんな髪型(笑)。でもまあ、太ってないからマシか。たかこってカレンダー撮影時期に1年でいちばん太る人だからなー。なんかすっきりとしてて、おにーちゃんな感じがヨシ(笑)。
 めくる。1月の裏ね。
 げ。
 タニ。
 なんかアップ……。さわやか・たかこを見たあとだと、妙に目に痛いのは何故?

 2月表、タータン。ふーん、すっきりきれー。
 めくる。2月裏。
 げっっっ。
 ねったん。
 ななななんだ、このイケてない写真は?!
 ビーバー? 目元も変。な、なんで? もっとかわいいだろ、ねつは。

 3月表、樹里。うわ、樹里って表なんだ(失礼?)。なんかとっても美人さん。
 3月裏。
 ゆーひ。
 ……まあ、こんなもん……?

 4月表、コウちゃん。きれー。そんでもってすごい服。どうすごいかというと、ものすごくコウちゃんらしいところ。
 4月裏。
 ハ、ハマコっ?!
 何故ハマコがここにっ?!
 ハマコ相変わらず、目元濃いよ、アイライン入れすぎだよ、って、ごめん地顔だっけ。
 ……あれ?
 ゆうかちゃんだ……。
 変……。アイライン濃すぎ……。

 5月表、ガイチ。すっげーすっきり。地味……。
 5月裏。
 かよこ。
 色彩にくらくら。この服って、自前? でなかったら何故、どのへんを求めてこの服? このコーディネイト?
 かよこ自身はけっこーきれい。

 6月表、ワタル兄貴。兄貴なのに……おばさん……。
 6月裏。
 あさこ。
 いい男。でも、化粧濃いっす。
 6月は裏表で野郎組ですか。

 このへんまで来るとね、さすがに気づいてるよ。
 表はきれい。
 裏は変。
 表は紗をかけたりなんだりして、とても気を遣って加工してある。
 裏はそのまんま。ただアップなだけ。まんまアップなだけだから、せっかくの気合いの入ったお化粧が、大失敗。
 マスカラで固めた睫毛がびーんびん。アイラインの筆の跡までばーっちり。
 表を見て「あら、すっきりときれいね」
 裏を見て「げっ、キモ!!」

 裏の人が、かわいそすぎる。
 表紙の3人もそうだね。
 表と裏じゃあ、カメラマンがちがうの? かけている経費がちがうの?
 ひどいよー。

 裏ではキモくて当たり前。マシだったら感謝。
 全体的に薄い顔の人はそこそこに、そして濃い顔の人や、もともとの美人さんは、化粧の濃さが災いしてすごいことに……。

 7月表、なおちゃん。美人。
 7月裏。
 きりやん。
 裏にしては、まだマシ。でも化粧濃い……。

 8月表、リカちゃん。すごいセンス……。
 8月裏。
 ケ、ケロぉおおおぉぉぉお。
 こ、これは……ま、まだマシか? マシなのか?
 なにゆえにこんな、さわやかかわいこちゃんなテイストで撮ってるんだっ?!
 その髪型はイケているのかと、小一時間問いつめたいが……い、いや、落ち着けわたし。
 まだマシ。裏にしたら、きっとぜんぜんマシ。
 もともとの顔の薄さと、口を閉じているのが勝因かと。

 あとの月は省略。
 ケロを見た段階で、みょーに疲れた。
 9月表の寿美礼ちゃんは好き。好きな顔。ふふふ。

 とにかく、ひどいよ歌劇団。
 どーして表と裏でこんなに差をつけるの?
 表の人しか大事じゃないの?
 なのに表でも失敗した写真があるのは何故? トド様とかトド様とかトド様とか……。

 気を取り直して、スターカレンダーを開ける。

 表紙はタン・リー様。
 美しい……。眼福眼福。

 スターカレンダーはやっぱ、お金と気を遣って撮影しているんだと思う。
 みんなきれい。

 つーか、トド様!!
 よかった、きれいで!!
 卓上だけだったら、泣いてたよわたしゃ。でもトド様って卓上はいつも大失敗カマシていたよーな。

 たかこはこちらも同じ髪型。そしてやっぱり、変……でもまー、たかこらしくきれーだからいいのか……。

 卓上がイケてなかった人も、スターカレンダーはきれいでよかった。
 例外はコム姫。わたしの目には、どちらもかなり研ナオ……ゲフンゲフン。

 さあ、あとはパーソナルカレンダーがおたのしみ。

 そして……いつもならスルーしていた、ステージカレンダー。
 表紙のためだけに買わねばならんとわっ。
 てゆーかなんでゆーひはナイスリーなのに、ケロはビッグ・ジュールじゃないの?! ペアにしてよ、セットにしてよ。
 わかってないわ、歌劇団!!

 
 エミリオ攻のキッド受小説を、書こうか。ここに。
 わたしにとってのなおちゃんつーと、あのかしましいキッドだったから。
 萌えキャラを演じた人が退団を発表したら、ここで萌えを文字にしてみようか、自分的な区切りの意味で。

 ……なんてことを5分ほど考え、やめた(笑)。

 『大海賊』はプログラムも買ってないし、ビデオも持ってないし、記憶も遠いし。
 小説書くには資料が足りないわ。
 それにエミリオ×キッドを真面目に書いたら、お下品になりすぎる。勃つのたたないの、入れるのいれないのという話になるから(あ、これだけでも十分お下品だわ……)。

 またなにか萌えがあったら、そのとき考えよう。

          ☆

 母の携帯に迷惑メールが来る。
 何故?
 わたしの携帯にも弟にも、あとてきとーに聞いた友人たちみんな、迷惑メールなんかほとんど来ないというのに。

 母にだけ、1日に何通も来る。

 母は、メール文化に慣れていない。いや、携帯電話というものにさえ、未だ慣れているとは言い難い。
 携帯電話を買ってしばらくは、「無くしたりぶつけて壊したりしちゃいけないから」と言って、携帯しなかった。
 携帯電話を携帯しないでどうする!(怒)
 そしてつい先日までは「もったいないから、使わないときは電源を切っておきましょう」という人だった。
 電話の電源を切ってどうする!(怒)
 言い含め、諭し、半ば脅迫して、「外出するときは携帯電話を携帯する、いつも電話の電源を入れておく」ということをおぼえさせた。

 メールは母が自分からおぼえたいというので、わたしが教えた。……そりゃーもー、すばらしい忍耐力で、教えた。サルにものを教えるような、はてしない忍耐力でだ。
「ねえねえ、それで、漢字の変換はどうやるの?」
「……前にも何十回と言ったけど、ここを押すの」
「わかった、おぼえたわ。それで、句読点はどうやったら出るの?」
「……前にも何十回と言ったけど、ここを押すの」
「わかった、おぼえたわ。それで、のばす記号が使いたいんだけど、どうするの?」
「……前にも何十回と言ったけど、ここを押すの」
 そのときちょうどわたしは、出かけるところだった。待ち合わせの時間が迫っていた。それでも「前にも何十回と言った」ことを忍耐強く繰り返し教えていた。
「もう一度言っておくけど、変換はこう、記号はこう、こことここを押せば、それで送れるから。んじゃ、あたし、もう出かけるね」
 だめ押しにもう一度説明して、さあ家を出るぞと思ったら。
「ええっ、あんた出かけるの?! それならメモ取るから最初から説明して!!」

 最初からメモを取れ(怒)。

 何十回でも何百回でも、わたしがいる限り、横で説明させるつもりだったろう、ママン!!
 「おぼえた」と言いながら、カケラもおぼえる気なんかないんだよね?!

 母にメールをおぼえさせるのが、どれだけ大変だったか……。遠い目。
 未だに、句読点とのばす記号はおぼえてないみたいだけどな。

 母にとって、携帯電話もメールも、いまひとつ理解しがたい文化らしい。
 そんな母のもとに、迷惑メールが来る。

「知らないメールが来た!!」
 …………パニックである。

「人妻、熟女とも出会える……って書いてある!! あたし、人妻も熟女もいらない!!」
 そりゃそうだろう。

「なんなのこれっ?!」
 出会い系サイトってやつだよ。名前くらい聞いたことあるでしょ?

「なにと出会うの?」
 人とに決まってんじゃん。

「なんで出会うの」
 友だちとか恋人とか、その他いろいろ、欲しいとか思うんじゃない?

「なんで欲しいの? あたし、友だちなんかこれ以上いらない。今、どうやって友だちを減らそうかって苦労してるくらいなのに」
 …………。

「あたしと友だちになりたいって人が多すぎてこまってるのよ。あたしはもういっぱいいっぱい、これ以上つきあう人を増やせないところまで来てるのに、みんなどうして……」
 以下、自分語りがはじまるので略。

 とにかく、これ以上なく人気者で人生充実していて現状になんの不満もない母上様には、「出会い系サイト」などというアサハカな広告メールは迷惑千万、誰に向かって言ってるの、文句があったらベルサイユへいらっしゃい!! なシロモノらしい。

「いらないメールは、読まずに消去。はい、ここを押す」
「わかった、おぼえたわ」

 ……ええもちろん、この「わかった、おぼえたわ」ももちろんただの相槌に過ぎず、わたしは何十回と同じ説明をすることになったさ。迷惑メールが入るたびにな。

 そして母は最近、メールの消去の方法はおぼえたようだ。いちいちわたしに消し方を聞きに来なくなった。
 しかし。

「なんとかして、いらないメールが山ほど来るの!!」

 はじめ、わたしは信じなかった。だって、わたしにはまったく来ないのよ。昔はそーゆーメールが山ほど来ていたころもあったけれど、いつのころからかピタリと来なくなった。電話会社が規制をかけたんだよね、たしか。
 またまた、たまーに1通2通迷い込んでくるぐらいのことで、「山ほど」とか言って。大袈裟なんだから。
 と、なまあたたかく母の携帯をのぞいてみると。

 ほんとに、いっぱい来ていた。

 1日に5通以上は当たり前。
 おかしい。なんで母の携帯にだけ、こんなに来るの? わたしには1通も来ないのよ?
 しかも母の携帯は、電話番号メールを拒否している。アドレスを打ち込まないとメールは来ない。
 ちなみに、わたしの携帯は電話番号メールも受信することにしてるんだけど。それでも迷惑メールは来ないよ?
 弟や、他の友人たちにも聞いてみた。
 みんな、迷惑メールは来なくなったと言っている。

 何故、母にだけ?

 しかも、よりによって、母。
 迷惑メールが来るたび、パニックに陥る。
「またメールが来た」
「またメールが来た」
「またメールが来た」……
 メール着信するたびに、騒ぐ。
「どうして? 不愉快だわ。友だちが欲しいなんて変。わたしは友だちを減らすのに必死なのに。熟女や人妻。さみしいあなたって誰よ、わたしはべつにさみしくなんてないわ。さみしいなんて言う人が変。ふつうに生活していたら、そんなこと思わないものなのに」……
 ああ、うるさいっ。

「いちいち騒ぐな、いらんメールが来たらさっさと消せ!!」

「またメールが来た」
「またメールが来た」
「またメールが来た」……
 理屈ではなく、耐えられないらしい。
 メール着信音がするたびに、踊るアホウがひとり。

「メールがママンになにかした? 噛みついた? 爆発した? お金を取った? 些細なことでぎゃーぎゃー言わず、消せばすむことでしょうがっ」
 うちの携帯がメール受信に課金されるタイプならともかく、無料だっつーのに。なにをそんなにさわぐことがある。

「だって、電気代がもったいないわ!!」

 ……はい?

「いらないメールを受信したら、そのぶん電気代がもったいないわ!! 画面が動くし、音がするし、消すのだって電気使ってるし!!」

 どうやら母、電気代を心配して踊りまくっていたらしい。

「あのね、母。母は1日何分時計を見る? 1日に時計を見る時間を全部合わせても、5分間ぐらいよね? じゃあ時計を見ていない23時間55分は無駄だってことよね? 電池代がもったいないってことよね?」

 母が言っているのは、そういうことよ。
 見ていない23時間55分、時計を動かしているのはもったいないって!!

 つーか、メール着信関係の電気代って、いくらだよ?!
 それは時計の電池代とどっちが上だ?!

 言い含め、諭し、半ば脅迫して、
「わかったわ。メールを受けて消しても、大して電気代はかからないのね。それなら我慢するわ」
 と、納得させた。

 それでも迷惑メールが来ると、やっぱりなにかとうるさい。
 ああああ。
 何故、母にだけ。
 他の誰にも来ないのに!!
 そして、他の誰だって、迷惑メールごときでこんなに騒がないのに!!

 もちろん、着信拒否アドレスを設定してあげましたよ。ドメインごとね。
 それでも、隙をぬうように、母の携帯にだけ迷惑メールはやってくる。

 誰か、緑野家の平和を壊す目的で、うちのママンを狙っている?
 迷惑メール爆弾で。


 さて、今日は映画だ、『ごめん』、出演者舞台挨拶付き試写会。

 試写会だから行った。自分で金を払うなら絶対行っていない。
 とゆーのはべつに、映画のできばえ云々でなく、この映画の予告を見たときに思ったこと。
 わたしはきっと、この映画では楽しめないだろう。そう思ったからだ。

 実際見に行って……まあ、まがりなりにも映画だから、ちゃんとたのしんだけれど、やっぱり感想は変わらなかった。
 金を出してまで見たくない。
 予告を見て思ったとおり、わたしはこの映画には向かない。たのしめない。
 では、どんな人が楽しめるのだろう?

 児童文学の映画化作品、らしい。主人公は小学6年生の男の子。彼はクラスで(たぶん)いちばんに「蛇口が開いた」(映画の中での表現のひとつ。他には「汁が出た」とか)。そして彼は、ふたつ年上の中学2年生の女の子に恋をする。初恋ってやつだ。
 つまり、カラダもココロも思春期なわけだ。
 そんな男の子の日常の物語。

「ほほえましくもちょっと切ない、誰もが経験する思春期の一瞬を切り取った宝箱のような映画です」
 と、もらったチラシには書いてあった。

 そしてわたしは、映画を見ている間中、首を傾げていた。

 この映画、視聴対象者は、誰を想定しているんだろう??

 チラシのあおりを見る限り、大人が対象のようだ。今の子どもの青い初恋を見ることによって、昔の自分を思い出してほろ苦い気持ちになれってか。
 たしかに、そんなふーな作りもしてあった。
 というのも、笑いが起こる場面というのが、スクリーンの子どもたちが「大人のような言動」を取るシーンばかりなのな。
 恋愛関係で、大人の男と女がかわすような言葉を、神妙な顔で子どもが言う。ソレを見て大人である観客が笑う。
 ……てことはこれ、大人対象?

 しかし、大人対象であり、「ほほえましくもちょっと切ない、誰もが経験する思春期の一瞬を切り取った宝箱のような映画」とするにはあまりにも、ファンタジーが欠けている。
 せつなさや痛み、うつくしさ。はかなさや、きらめき。
 大人が失った時代を懐古して、掌の中の宝物をのぞくような気持ちにはほど遠いんだけど、この映画。
 「今の子どもをリアルに描いているから、ファンタジーに欠けるのは仕方ない」……という意味でもない。現在をリアルに描いたって、ファンタジーを描くことはできるからだ。
 なんだかとても、中途半端だったんだ。

 たとえばこの映画を子どもが見て、たのしめるのか?
 あまりにもファンタジーに欠けるので、大人対象だとは思えなかった。では、実際に今現在、登場人物と同じ年代の子どもたちが見て、共感できるのか?
 わたしには、それが疑問だった。
 現在の子どもから見れば、「なんだこれ。ズレまくってる」「こんな子どもいないよー(失笑)」なものじゃないのか? と。

 わたしは原作を読んでいない。だから、原作がどうなのかはわからない。
 しかし、原作は「子どものモノ」に近いスタンスなんじゃないだろうか。
 子どもが読んで共感できる作品なんじゃなかろーか。
 しかし、映画は大人のモノだ。大人が見るためにつくられている。
 わたしが感じた「気持ち悪さ」はそこに由来しているのではないだろうか。

 現在の子どもが共感できる物語を、「大人の目線」で撮っていること。

 大人が、「子どもってのはこんなもんだよな」と、見下して作っている。

 高いところから、見おろしている。

 だから、主役の子どもが大人びた物言いをするシーンで、大人の観客が笑う、などという状態になる。
 なんで笑う? 子どもからしたらその言葉は「大人の真似」ではなく、ナチュラルに今現在使っている言葉なんじゃないの? 勝手に大人が「意味もわからず、大人の真似をして。ふふっ、子どもね(笑)」と思っているだけじゃないの?

 全編に気持ち悪さが漂っていて、素直に「ほほえましくもちょっと切ない、誰もが経験する思春期の一瞬を切り取った宝箱のような映画」としてたのしめなかったのよ。
 わたしが子どもの恋を描くなら、こんな描き方はしたくない。
 大人向けにノスタルジックにやる。わたしにはもう、リアルな現在の子どもなんか描けないから。それくらいなら、現代のエッセンスを使いながらも「完全に大人向け」な作品にする。
 こーゆー気持ち悪い思い上がった作品は、描きたくないよぅ。

 かえって原作に興味がわきました。原作はすごくおもしろいのかも。

 「父親」の存在はすごくよかった。主人公の父親も、ヒロインの父親も。どっちもタイプはちがうが、かわいい大人の男たち。

 んで、出演者たちの舞台挨拶。
 ……子どもはいいよな。ふつーに喋るだけでもウケる。ってソレ、動物扱いされてるよーなもんだけどな。
 クールでモテモテの少年(ひとりだけいつも短パン。……サービス? 彼がお花ちゃんなの?)役の子が、「役柄が正反対すぎて苦労しました」と言っていたのが印象的。いちばん小柄で幼い子。だけどものすごく大人びた喋り方。照れてろくに喋れないんだけど……言葉の端々に「うわ、この子すげー大人っぽい」というのが匂っていた。
 主役の子が「演技というか……ほとんど地というか……もごもご」と、姿勢も悪く、素人同然のぱっとしない喋り方で通していたのもまた、印象的。
 そして主役の子は言う。「なんで『ごめん』ってタイトルなのかわかりません……台詞でも2回くらいしか出てこないし……」

 そっか、わかんないのか。
 わたしにはわかったけどなあ。
 主人公たちが剣道部ってのも、タイトルにひっかけてあるんだろーなー、と思って最初にくすりとしたけどな。

          ☆

 見終わった後、隣の席のカップルが席を立ちながら喋っていた。

女「わたしのオバが出てたから、おどろいちゃった(首を傾げている。どーやら知らなかったらしい)」
男「オバさん? えっ、出てたの?!」
女「うん、ちらっとだけど。オバさん、元宝塚だから……。テレビでも、サスペンス劇場の犯人の母親とかしか、やってないし……」

 なんですとぉ?
 出てたのか、元タカラジェンヌ?! 誰だよ?

 わかるわけないけどな……そっか……サスペンス劇場の犯人の母親か……せつないなー。

 

神様仏様。

2002年11月5日 その他
 朝起きると、わたしの耳は大仏だった。

 左の耳たぶを、虫かなにかに咬まれた模様。
 ぷっくり腫れて膨らんで、痛がゆい。熱い。

 もともとわたしの耳たぶは大きい。
 いわゆる福耳ってやつ?
 まーるく肉厚。アクセサリの似合わないカタチ。
 遺伝なので仕方ない。緑野家の人間はみんな福耳(母除く)。

 ただでさえ福耳なのに……。

「まるで大仏ね」
 ママンはあっさりと言う。言ってくれる。
「ひどいわ、それが年頃の娘に言う台詞?!」
「だってほんとにすごいもん。うわー、大仏みたいー」
「痛いのよ、かゆいのよ、可哀想だと思わないの?」
「あんな部屋に住んでるからよ」

 あ・ん・な・部屋。

 毎日が障害物競走の部屋のことですか?
 足の踏み場をいちいち確保しなければ移動できない部屋のことですか?

「まー、あんな部屋じゃあ、虫も湧くわね」
「ひどいわ、それが年頃の娘に言う台詞?!」

 蚊の仕業だよ、たぶん。羽音を聞いたもん。
 なのになのにママンったら、そんな言い方するのね! ひどいわっ。

 部屋が汚いのは事実だけど。
 …………。

 わたしの耳は大仏の耳。
 まーるく腫れて、なんて福々しい。耳たぶが大きいと幸運だとかなんとかいう迷信があるのなら、なにかいいことあるかしら。

 そうだ、腫れている今のうちに友会の入力だ! 

 と、思いついて受話器を握ったんだけど。
 「約40秒で10円」とかいうアナウンスのあと聞こえてきたのは

「はい、こちらは宝塚友の会です。この電話番号はただいま受け付けておりません……」

 またかよっ!
 金だけ取られて、無駄足かよ。

 わたしがかけるときって、高確率でメンテ中なんだよ。つーかなんでそんなにいつもいつもメンテばっかやってるんだ。24時間受付なんて嘘ばっか。

 わたしの耳は大仏の耳。
 福々しい大きな耳たぶ。

 幸運をプリーズ!!

 
 わたしはシイタケが嫌いだ。

 食感系の食べ物は苦手なの。コンニャクもだめ。
 味じゃなくて、食感。
 気持ち悪いのよー。

 なのに、行ってきましたシイタケ狩り。

 何故かって?
 友だちに会いたいから。

 そーいや友人のミジンコくんが、ある日あるとき、真剣な面持ちで言ったそうな。
「みんな焼肉、好きじゃなかったんだってね!」
 好きじゃないよ。
 わたしは肉より野菜の人。肉なら脂のないヒレ限定の人だ、つまり本物の肉好きから見たら「ケッ」てなレベルの肉好きだ。
 WHITEちゃんに至っては、肉なんて大嫌い!(身震い)の人だ。
 なのになんで、わざわざ焼肉パーティにつきあっていたか。

 君を好きだからだよ。

 君を好きで、君に会いたくて、君がうれしそーに食べるのを見たくて、それで、好きでもない焼肉パーティにつきあっていたんだよ。
 君が、焼肉を好きだから。

「ぜんっぜん、知らなかった。あたし、みんなが焼肉好きだから、焼肉食べに来てるんだと思った。……じゃあなんで、わざわざ焼肉食べに来てたの?」

 君の鈍さに乾杯。
 や、WHITEちゃんはともかく、わたしは肉はキライじゃないよ。それほど好きでもないが、ちゃんと食べられる。内臓と生がだめだから、鶴橋界隈の本物の焼肉がつらいだけで……それでもまだ、つきあいで食べることはできる。WHITEちゃんはすべてだめだから、かなり苦労してたみたいだけどね。
 焼肉以外で誘ってくれたら、もっともっとうれしかったんだけど……君があんまりしあわせそうだから、ずっと言えなかっただけ。
「そろそろ焼肉以外も食べに行かない?」
 と、わたしが言ったのをひとから伝え聞いて、心底おどろいたんだね、ミジンコくん。

「じゃあなんで、わざわざ焼肉食べに来てたの?」

 気づけよ、お前(笑)。
 ミジンコくんの目的は焼肉。鶴橋の某有名店には複数名で行かないと、いろんな味が楽しめない。だから仲間を募っていた。
 目的は焼肉で、わたしを含めた友人たちは焼き肉を食べるための手段。そして彼女は、自分がそうだから他のみんなもそうにちがいないと信じこんでいた。
 わたしの目的は焼肉じゃない、君だ(笑)。

 てなわけで、わたしにとって食べ物の嗜好は友人たちへの愛で多少左右される。
 好きな人が好きなモノなら、つきあう程度のことはできる。
(魚だけはだめだけどな。見たら悲鳴あげるくらいだめだから、魚料理の店には入れない。だもんでこれだけは例外)

 とゆーことで、シイタケ狩り。

 はるばる電車とバスを乗り継いで、行ってきました。ちょっとした日帰り小旅行だね。
 集まったのは、前の職場の仲間たち。総勢9人。
 シイタケを採って、その場で焼いて食べる。シイタケだけは自分たちで好きにむしるが、他の野菜や肉はちゃんと用意してくれてるの、そのイベントやってる農家が。
 天気は快晴、イベント盛況。
 たくさんの人たちでにぎわっている。

 オトナになってよかったことといえば、「友だち」のことだろうか。

 オトナになってからできた友だちってのは、変わらないんだ。
 時間が存在しない。
 職場がなくなって、みんな散り散りになって1年ちょっと経つわけだが、みんなぜんぜん変わらない。
 昨日「また明日ねー」と手を振って別れた、そのまんまのノリだ。
 みんな変われよ。全員独身のままかよ。ひとりぐらい、そーゆー話はないのかよ(笑)。

 女ばかりの職場だった。
 女ばかり、100人以上。
 仕事は個人、他人との接触はナシ。
 仕事の座席も日替わり。IDカードをリーダーに通した際に、その日に坐る端末をランダムに提示される。隣の人と口をきく必要もない。親しくなる必要もない。
 万が一、いやな人がとなりでも1日我慢すれば、次に隣になる確率は人数分の1。
 逆に言えば、好きな子がたまたま隣になっても、次に隣同士になる確率も人数分の1ってこと。

 休んでもさぼっても、同僚に迷惑をかけるということがなかった。給料も一律同じ、不公平ナシ。
 自分の仕事だけをこつこつやっていればいい。
 お茶くみも挨拶もなにもいらない。
 他人の名前も顔も、覚える必要はない。
 必要なのは、仕事だけ。

 こんな職場だったから、ここで生まれた友情はなかなかしぶといんだ(笑)。
 だって、その気になれば誰ひとり友だちや知り合いを作らなくてもいいわけだからね。
 現にわたしが紹介してこの仕事をはじめたミヤビンスキーは、ついにひとりも友だちを作らなかった。休憩時間はずっとひとりで本を読んでいたそうだ(わたしとは部署がちがったので仕事中は会えなかった)。丸一日、仕事以外ではひとことも口をきかない日々だったらしい。彼女はすぐに辞めてしまったけれど。

 キティちゃんやきんどーさん、ワゴンねーちゃん、あらっちと出会ったのはこの職場でだ。
 わずらわしい人間関係が必要ない、いくらでも回避できる場所で、わざわざ友だちになるわけだから、彼らはみんな得難い人たちだということだ。

 シイタケなんか嫌いだけど、いいもん、みんなに会いたいんだもん!
 みんなだって、わたしに会いたいはずだ(笑)。
 だから行くわ、みんなに会いに。

 わたしの嫌いなモノで遊びを企画しないでよ、なんて言おうものなら「そんなら緑野が次の幹事やってよ」とお鉢が回ってくるので、言い出せない(笑)。つーか、この人数だから、絶対なにか誰か嫌いなモノ食べられないモノがあるからさー。幹事は大変なのよ。
 次は忘年会。
 幹事はピンクちゃんに決定。なんでかって? 彼女今日、財布忘れて来たんだわ。定期があったから、梅田まで気づかずに来てしまい、総ツッコミの嵐に。
 ペナルティとして、次の幹事は君!!
 牛肉の食べられないピンクちゃんは、どんなお店を選ぶだろう。言っておくけど、わたしと松竹ちゃんは魚がダメだよ、わたしはともかく(笑)松竹ちゃんは口うるさいぞぉ。

 友だちがいるから生きていける。
 わたしの人生の最優先事項のひとつ。

 なんだけどさ。

「緑野ってさ、シイタケ嫌い嫌いって言うくせに、がんがん食べてんじゃん。ほんとは好きなんじゃないの?」

 ちがわい、嫌いだけど食べてんだい。

「ほんとに嫌いな人は、焼いただけのシイタケをまるまる1個、塩ふっただけで食べられないよねー」

 採りたてのシイタケだけは食べられるの。たしかにこれは、なかなかうまいと思う。……でも食感が気持ち悪いのは事実なのよ。

「たんなるワガママ……?」

 ちがーうっ。
 場の雰囲気だよ、あんたたちを好きだから、たのしい場所だから、たのしく食べられるんじゃん!!

「犬好きの人って猫タイプの人が多くて、猫好きの人は犬タイプの人が多いんだよね」
 と、あらっち。
 犬派の松竹ちゃんは眉をひそめる。図星だからだろ? 君は自分が気まぐれなのはかまわないが、相手からは絶対的な盲目的な愛を欲する人だ(笑)。
 猫派のわたしとあらっち、テルちゃんはうんうんとうなずく。
「犬タイプでなきゃ、猫なんて生き物を愛せるわけないじゃん。冷たくされると萌えるのよねーっ」
「永遠の片想いって感じがいいのよね」
「愛してもらえなくても、夢中で愛を捧げるよねええ」

 わたしは猫を愛する、犬タイプの女。
 片想いに萌える女。

 わたしの人生はいつも、片想いばかりさ。
 家族にも仕事にも、そして友人にもなっ。

 
 
 爪が痛い……。

 よせばいいのに、ゲームの『静岡』のために徹夜してしまった。
 あんまり勝てないもんだからさ、止まらなくなって。

 今、2回目のプレイ。
 1回目のエンディングは「GOOD」だった。だけどウワサによれば「GOOD+」というエンディングがあるそうなので、それに向けて鋭意努力中。
 ……なんだが。
 ちょっとまて、なんやこれは。
 難易度が上がっている。
 敵の数が多い。
 殺しても殺しても、いくらでも出てきやがるっ。

 わたし、アクション苦手なのよ。
 1回目でさえ、死にまくったのよ。
 なのに2回目、難易度UPってなによそれ。
 こんなんじゃ、とてもじゃないがクリアできないよーっ。

 死にまくり。

 死は日常。
 あ、また死んだ。
 continue。
 また死んだ。
 continue。

 ムカつくので、萌えでも考えよう。

 主人公のハリー。
 彼は受でしょ?
 すーぐ抱きつかれやがって。
 すーぐ押し倒されやがって。
 隙だらけだっつーの。
 いちいち「あぁ」とか「うっ」とか、うめきまくるしさー。
 32歳、戦うお父さん。
 頭の中にはどーやら、娘のシェリルのことしかないらしい。

謎のおばさん「世界が危ないのよ!」
ハリー「シェリルはどこだっ」

謎のおばさん「今ならまだ間に合う。あなたが世界を救うのよ!」
ハリー「シェリルはどこだっ」

 いやあの今、世界の話してるんですが……どっから見てもふつーでない状況なんですが……。
 全人類より地球より、娘が大事。
 それはそれで、潔いですが。
 地球が滅びてしまったら、娘ひとり無事でも意味はないよーな気がしますが。
 ハリーの「人の話を聞かない度」のぶっちぎりな高さにもくらくらします。

 わたしにつづいて弟もクリアしました。
 彼は「BAD」エンディングだったらしい。
 彼は病院で1度カウフマンに会ったっきり、2度と会わなかったそうな。
「じゃあラスボス戦で、カウフマンは出て来たの?」
「だから、あのおっさんとは1度しか会ってないってば。ラスボス戦にあのおっさんが出るの?」
 来たよ。つーかこの騒動にあのおっさんもかかわってるんだってば。わたしはカウフマンとリサの関係を聞きたかったんだが。あのふたり、デキてたの? わたしのラスボス戦と弟のラスボス戦では、なんか微妙にチガウみたいだ。
 リサってよーするに、自縛霊だよねえ? だから裏病院にずっといたのよね? そのリサがわざわざ血まみれで引きずり込みに現れたんだから、カウフマンとリサってそーゆー関係だったのかなと思ったんだが……弟、カウフマン関係のイベントをまったくやってないんじゃ、聞けないじゃないか。

 ハリーを受だと思う、とは、パンピーの弟には言えないしな……ああ、ストレスだけが溜まるわ。
 ハリーが単独で受でも、攻がいないのよ。カウフマンでもそりゃいいけどさー。
 いちばんアリだと思えるのは「猿×ハリー」よ……あの猿、ハリーを見るとまっしぐらに襲ってきて、押し倒しやがるからっ。何度それでゲームオーバーになったか。

 『静岡』のストーリーはいまいちわからないことが多い。
 結局、静岡……サイレントヒルというあの街は何故、あんなことになってたの?
 表の街に人間がまったくいなくなっていたのは何故?
 表の街をうろうろしているあの鳥や犬は何者?
 裏の街のあちこちに、死体が飾ってあるのは何故? 誰が飾ったの?
 説明してくれよ。
 なんでモンスターだらけなのか。
 たとえば『バイオハザード』なら、ちゃんと納得できる話になってたぞ。
 理由もなく街ひとつまるまる、人間が消え失せて、かわりにモンスターがいるなんて、おかしいじゃないか。

 せめて萌えがあればな……。
 まぬけ男ハリーにふさわしい攻をプリーズ(弟には絶対言えない不満点)。

 詰めの甘いゲームだわ。

 
 ゴッホ展に行きたかったんだが……。

 結局、あきらめました。
 いつでも行ける、と思っていたから、行きそびれた。11月4日までだけど、もう行けない。
 だって……つい先日行ってきた人の話を聞いたのよ。平日だったのに、2時間待ち。どの絵も30人くらいが群がっているそーな。小さな絵を1枚見るために30人が場所取りをし、待ち続ける。よーやく見たら次の絵のためにまた30人が場所取りを繰り返す。
 小学校の頃の恩師の話なんだが、彼はもー、絵を見るのはあきらめて、音声ガイダンスだけを聞いて帰ってきたそーだ。

 見たかったな、ゴッホ……。
 しかも今回は、もうひとりのゴッホ、弟のテオにもスポットがあたっている。
 この兄弟の関係ってけっこー萌え……ゲフンゲフン。

 わたしとゴッホの出会いは、とある幼児向けテレビ番組でだ。

 『ママと遊ぼうピンポンパン』という番組が、その昔あった。
 小学生だったわたしは、毎朝時計代わりにその番組を見ていた。
 「ビッグマンモス」という少年だけのコーラスグループがお気に入りだった。おそろいの衣装を着た長髪(当時の流行)の10代はじめから半ばくらいのかわいい少年たちで構成されていて、オリジナルの曲も歌ったり踊ったりしていた。今思うと、ジャニーズみたいなノリのグループだったな。ジャニとちがうのは、ほんとに歌がうまかったこと(笑)。
 おたのしみはその男の子たちの歌だったんだけど、いつどこで誰が歌うかわかんなかったから、番組は最初から最後まで全部見ていた。
 そして番組の最後の方には、いつも人形劇があった。
 ブチャネコとワンタンという、ベタな名前の人形2体がベタベタなコントをするコーナーだ。
 最初のうちはただのコントだったんだけど、そのうちネタが切れてきたんだろう。1週間連載で、「偉人伝」をするようになった。
 猫と犬の人形、2体だけでいろんな役をやりながら、偉人の人生を物語るわけだ。
 特別、おもしろいものでもなかった。朝っぱらから幼児番組で「偉人伝」なんぞやらなくていいだろうに。しかも続き物。企画的に失敗している気が、するんだけど……。

 そこでわたしは、「炎の画家・ゴッホ」に出会った。

 ゴッホ役は猫のブチャネコ。声は富山敬氏。彼は通し役。
 弟テオ他、出てくる他のすべての役(もちろん女役含む)は犬のワンタン。声は富田耕生氏。
 2大声優がその実力を駆使して演じるふたり芝居。表情乏しい(なんせ猫と犬だ)人形に、命を吹き込む。

 最初、変だなと思ったんだ。
 ブチャネコが大きな肌色の「耳」をつけていたから。
 なんせブチャネコは猫だ。頭の上に三角の猫耳がついている。
 なのにわざわざ目の横に、人間のような肌色の耳をつけているんだ。
 「偉人伝」だからそりゃ、人間の話だよ。でもそれまでやったどんな話だって(エジソンとか野口英世とか、そーゆーやつだな)わざわざ人間の耳なんかつけてなかったし、猫は猫のまま、犬は犬のままで演じていたのに。
 わざわざ耳がついていて、変だった。猫の顔に人間の耳……茶トラ猫の顔に肌色の耳……キモ。

 なんのために「耳」がついていたのか……知ったのは、最終回の金曜日だ(月〜金の5回完結)。

 ブチャネコ・ゴッホは、ナイフで自分の耳(肌色の人間耳)を削ぎ落とした!!

 ちょ〜〜っと待てぇっっ。

 幼児番組なんですけどっ。
 人形劇なんですけどっ。
 朝なんですけどっ。

 引きました、わたし。
 そりゃーもー、盛大に。

 こわかったんだよ、「耳を削ぎ落とす」なんてシーンをなんの予備知識も心構えもない、さわやかな朝からビジュアルで見せつけられて。
 びっくりしたよ。
 強烈だよ。
 わたしゃまだ小学生だよ。
 ゴッホなんて人、カケラも知らないよ。興味もないよ。

 ぜんぜん知らないし記憶にとめる気もない、見終わったらそのまま忘れるだろーどーでもいい番組で……突然の残酷シーン。

 赤いライトに照らされ、ナイフを手にして立つ、片耳のブチャネコの姿が忘れられない……。富山敬氏の絶叫もね。

 「こうして彼は、『炎の画家・ゴッホ』と呼ばれるようになったのです……」とかなんとか、力強いナレーションが流れてね。

 うう、ぶるぶる。
 忘れられない幼少の記憶のひとつが、この片耳のブチャネコ。

 トラウマです、はっきりいって。

 おかげで、わたしにとっての「ゴッホ」はこの片耳のブチャネコ。
 わたしにとっての富山敬の代表作は、古代くんでもデューク・フリードでもテリィでもなく、ブチャネコ。

 「炎の画家・ゴッホ」。
 燃える深紅のライト、めらめら揺れる炎の効果、仁王立ちするブチャネコ、片耳とナイフ。

 画家としてのゴッホに出会うのは、そのずーっとずーっとあと。
 つーか、あのトラウマのネタになった人が画家だったことも、わかっていても実感としてはつながってなかったよ。ブチャネコの印象強すぎて。

 ゴッホ展に行きたかった。
 わたしのなかの、永遠の炎の人(ただし姿はブチャネコ)。

 
 すでに恒例になっている、オレンジとの長電話。

 ほぼ90%、かかってくるのを受けるだけなので、かけてくるオレンジは万全の態勢でのぞんでいるだろうが、わたしの方はそうではない。
 午前2時、ヤマダさんとのデートで食べた夕食が中途半端な時間だったから、そろそろ夜食でも食べようかな、お茶を蒸らす間にトイレにも行って……とアタマの中で考えながらも『サイレントヒル』の2回目(すでに1回はクリアした)をプレイ中だった。

 つまり、おなかがすいていたの。トイレにも行きたかったの。
 だけどかかってきた電話を親機で受けて、そのまま5時間半。
 ……電話を切ったときには、まっすぐトイレに駆け込んだ。

 オレンジはいつも子機でかけてくるから、平気で電話中に洗い物して料理して、ごはんも食べてるんだよねー。音が全部聞こえる。
 わたしは親機で受けてるから、電話のそばから離れられない。同じ態勢で5時間半。……こ、腰が……。

 じゃ、切ればいいじゃん、電話。
 相手に待ってもらって、その間にしたいことをすればいいじゃん。

 ごもっとも。
 でも、それができない。

 オレンジと喋りたいんだもん〜〜。

 かねすきさんにまた「のろけ」だと言われるかもしれんが(笑)。
 オレンジとの電話タイムはわたしにとって貴重なので、彼女からの電話を切るなんてとんでもないのよ。

 今期のドラマでは、オレンジは『真夜中の雨』『アルジャーノンに花束を』『天才柳沢教授の生活』だけを1本のビデオテープに録り溜めており、まだ1話も見ていないそうな。
 で、他のドラマはリアルタイムに見て、「つづけて見る価値ナシ」と判断。
 期待しているドラマのみ、ビデオに撮り溜めているために、かえって1話も見れていないという。

「どうかな、この3本だけにヤマを張ってたアタシは?」
「いいんじゃない? アタリだよ、それ」
「アタリか! えらいぞオレ!」
「いや、その3本にしたのはたしかにアタリだけど、その3本がアタリな作品であるというわけでもないしなー……もしビデオ録りしてなくてもハズレにはならないくらいだ」
「そ、そうなのか……『アルジャーノン』は岡田さんだから期待してるんだけど、だめ?」
「まー、いーんじゃないー? 程度」
「その程度か……原作アリでその程度じゃ、『イグアナの娘』は超えられないね」
「いや、世間の評価は知らないよ。あれだけの超有名原作つかうわけだから、絶対文句は出るだろうし……つーか、主演がユースケである段階で、ブーイングだろ」
「ユースケはいいものを持った役者なんだけどねえ。でもこれだけのタイトルをやるなら、ユースケでは役者不足だ。かといって誰がいいってのも浮かばないけど……」
「ほんとうにうまい人に、させるべきだったよ。どんな人でもマニアからはブーイングされるだろうけど、せめて演技力に定評のある役者をつかえば、『おれはあんなのキライだけど、演技がうまいことだけは認める』と言わせることができるのに」
「テレビも世間も、ユースケの使い方まちがってるよなあ。ユースケはただのいい人より、悪役の方が映える役者なのに。ほらあの、キムタク主演のぶっこわれバカサスペンスドラマ。あれのユースケはすごかった」
「『眠れる森』ね。壊れたひどいドラマだったけど」
「ユースケだけはよかった。彼のためだけに見ていたよ。ただのいい人、ただの友だち、のふりしながら、実は……という黒い部分を計算して見せていたよね」
「途中で死ぬ役だからよかったんだよ。あのドラマ、結末は役者も知らなかったわけでしょ? ユースケは途中退場だから、ちゃんと自分の役を最後まで知って、計算した演技ができたんだろーな」
「他の役者は悲惨……。計算もなんもできねーもんな。人格はいくらでも歪められちゃうし。毎週ごとに人格変わる人ばっかの、ぶっこわれドラマ。……それとそれと、あれもよかったでしょ、高島なんとか主演の1話完結の刑事ものかなんかで……」
「高島礼子主演の『ボディガード』ね。ユースケは彼女に守ってもらうバカ男役」
「ほんとーにバカな役で、なんで自分が命を狙われるのか、まったくわらない。殺したいと思うくらい恨まれて当然、のひどいことをしていながら、まったく自覚ナシ。そして最後に自覚して改心することもなく、最初っから最後まで一貫して『おれ、なんも悪くねーのにぃ』とへらへら笑っていて、高島にぶん殴られる。……あれ、見ててこわかったよ。ほんとーにバカだから」
「毒がある演技、実はうまいんだよね、ユースケ。顔や雰囲気がいい人系なだけに、彼の表現する『毒』はリアルで痛い。……でもいつも彼は、いい人俳優。ただのいい人しか、仕事が来ない」
「ユースケの冷酷無情な悪役が見たいよーっ。いやべつに、顔はぜんぜん好みじゃないんだけどーっ」
「今回もまた、いい人系だしな」
「『アルジャーノン』はちがうではしょ? ほら、アタマよくなったあととか……」
「天使モノだよ。知的障害ゆえに、現在天使。彼が知性を得ることによって、汚れた現実を知り、傷つく。だけど愛することを忘れない……天使が汚れ傷つき、でもけなげに立ち上がる話。そして失われていく物語」
「天使……ユースケで天使……。ああでも、他にいい俳優とか、とくに思いつかないし……窪塚くんは……ちょっとちがうかなぁ?」
「窪塚!! あ、それいい。窪塚ならわたし、萌える。知的障害で周りにいじめられながらも、それに気づかずに笑っている窪塚……徐々に知性を持ちはじめる窪塚……天才になり、知らず凡人どもを見下す窪塚……も、萌えーっ」
「主人公は最低限、美形で見たいよねえ、『アルジャーノン』は。現実にはそうでないとしても、ドラマだからねえ。こーゆーいじめられ系のは、美形でない人だと、見ていてつらいからなあ」
「主人公のハルが窪塚だったら、きっとあのパン屋の従業員たちに、夜もいぢめられてるねー。おもちゃにされてるねー。そんな彼が知性を持ちはじめ、彼をおもちゃにしていた従業員たちにも動揺が……」
「ああなるほど、いいねえ……ってアンタ、さりげなく鬼畜な萌えの話してないかっ?!」
「ユースケじゃそれはないだろーからなー」
「ないない、ユースケじゃ誰も夜のいぢめはしないヤらないっ」
「ああ、窪塚ハル萌えー」

 てな、バカ話。
 ……電話の大半は、深刻な話なんだけどね。
 深刻な話とバカ話が平気でミックスしているあたり……。

 
 今日はヤマダさんとデート。

 ヤマダさんは旧友なので、どーしても昔の話が出る。
「あのころ、緑野んちはすごいことになってたねえ」
「ああ、毎週誰か来てたよね」
「毎日だったでしょ?」

 ……そういや、毎日だったよーな。

 あのころ、というのは、学生時代のころだ。
 まだうちにおじーちゃんとおばーちゃんがいて、盲目の猫がいたころ。
 わたしが3人と1匹で暮らしていたころ。

「おじーさんとおばーさんには、悪いことしたと思うよ。あたしたち毎日押しかけてたじゃない?」
「なれてたと思うよ。高校生んときもわたしの部屋って、友だちのたまり場だったからねー」
「それにしても、毎日はひどかったよね。緑野にはプライベートなかったでしょ、あの状況じゃ」

 なかった。
 たしかに、なかった。

 ほぼ毎日、誰かがわたしの部屋にいた。遊びに来ていた。
 たとえわたしが留守でも、勝手に部屋にあがっていた。

「緑野んちに行けば、かならず誰かいるからさー。当時は携帯電話なんかなかったから、誰かと連絡取りたかったらまず、緑野んちに電話かけたよね」
「そーねー。ぺーちゃんから電話かかってきて『緑野には用ないの、WHITEちゃんに渡すモノがあるんだけど、WHITEちゃんいる?』とかな。『いるよ』って返事したら、10分後にはぺーちゃんも現れているという」
「WHITEちゃん、ほとんど緑野んちに住んでなかった? 絶対にいたよーな」
「あの子は電話嫌いだったから、絶対前もって電話でわたしの都合を聞いてきたりしなかったからねー。勝手に現れて、勝手にくつろいでいたよ……ほぼ毎日」

 友人たちの間でいちばんせまい家に住んでいたのは、たぶんわたしだと思う。
 なのに何故か、わたしの部屋がたまり場だった。
 たぶん、楽だったんだろうね。
 友人たちにとって、老人ふたりと暮らすわたしは、ほとんどひとり暮らしと変わらなかったんだ。「オヤ」という気疲れする生き物と一緒に暮らしていない友人、てことで、訪問しやすかったんだと思う。
 まあ、せまい部屋にあらゆるオタクグッズをそろえていたせいもあるな。
 自分の家では見られないビデオ(笑)なんかは、わたしの部屋に持ってきて見てたもんなー、あいつら。

 毎日、誰かがいた。
 みんなお菓子やマンガ、ビデオをさげて、勝手に現れては帰っていった。
 えんえんえんえん、他愛ない話をしていた。
 ハタチそこそこの娘たちの、楽園だった。
 終わらない祭りだった。

「あのせまい部屋に、よくあれだけの人数が入ったよね……今ならひとりとして泊まったりはできないよ……足の踏み場ないし」
「6人くらい泊まったりしてた? 坐ったまま寝たりしてたよね、横になるスペースなくて」
「泊まりじゃなくても、ベッドの上はWHITEちゃんの定位置だったしな。あの子、わたしの部屋に入るとまっすぐにベッドに行くから」

「コミケにもみんなで行ったね」
「大森だっけ、あの一升瓶伝説!」
「TAMAちゃん30回コール事件とか」
「サンルートに泊まれなかった事件もあったよね」
「『ホテルも揺れるぜ』はサンルートだっけ。クリスマスの日にチェックアウトしてる女はただひとり。他はみんな男だよーっ」
「そりゃ、チェックアウトは男だよねえ。女の子はみんなロビーのソファで待っている(笑)」
「『触っていい?』は大森だっけ」
「あれは三條苑。『さよなら三條苑』って作ったじゃん」
「作った作った。ていうかあたしたちなんで、ことあるごとに本作ってたの?」
「自分たち主役の内輪受け本を、なにかしら事件があるたびに作っていた……」
「アイタタタ」
「アイタタタ」

 人生でいちばんバカだった、あのころ。
 むやみやたらなパワーだけはあった。

「今、若い子が多少バカでおいたをしてても、目くじらたてる気にはならないよ。わたしたちもバカだったもん、君たちの年頃には、って」
「そうそして、今バカでおいたをしている子どもたち、君たちもいずれ、『なんであんなに恥ずかしい真似ができたんだーっ』と穴を掘って埋まりたくなる日が来る(笑)」

 そして、人生でいちばんバカな時代を共有した友は、みんなが宝物になる。

 
 水曜日なのに、はるばる宝塚まで行きました。

 お風呂に入りに。

 題して、リベンジ、ホテル『若水』!!

 そうあれは、震災直後くらいのこと。
 当時のムラには、手頃なレストランがなかった。
 プレハブの飲食店やロッテリアはあったけれど、みんな閉店が早い。3時開演を観たあと、ゆっくりごはんを食べておしゃべりができる店がなかった。
 わたしとクリスティーナさんは仕方なく、ワシントンホテルを利用していた。駅前で夜遅くまで開いているレストランはここしかなかったのさ。
 しかし、あまりにいつも同じ店では飽きる。つーかメニューも食べ尽くした。
 そしてわたしたちは、ワシントンホテルから見える、もうひとつのホテル、改築だかをしたばかりできれいな『若水』に行ってみることにした。
 『若水』なんて、いかにもダサい、昭和っぽいホテルだ。和食しかないかもしれないが、うどんくらい食べられるんじゃないかな。

 ……甘かったっす。
 高級旅館だったのね……『若水』……。

 わたしもクリスティーナさんも、そんなことまったく知らなかったからさ。
 1階ロビーでレストランのメニュー見て、回れ右したよ。
 た、高い……高すぎる……。つーか、たかだか晩メシにこんな値段出すなら、大劇場公演を観るよ。
 特別でもなんでもない、日常の晩ごはんが、S席値段(最低価格)なんてやだ……。

 それ以来、一切近寄らなかった『若水』に、行ってきました。
 風呂好き三姉妹、ワゴンねーちゃん、きんどーさん、わたしの3人で。
 大劇場勤務のワゴンさんが、聞きつけてきたんだ。『若水』のランチメニュー「仙水」3500円が、おいしいうえに温泉にも入れるからお得だって。
 なお、『若水』の温泉はお金持ちのおばさま方がたくさん利用しているので、いつもとっても混雑しているとのこと。
 だから狙うなら歌劇のない水曜日。水曜日ならすいているからゆっくりすることができる。
 それにワゴンねーちゃんの休日も、とーぜん水曜日なわけだしな。
 わたしたちは、満を持して水曜日に『若水』を攻略した!!

 ここで問題。
 じつはわたし、和食だめなんだわ。
 魚介類全部だめなの。
 和食以外で調理してあるものならまだ食べられるけど、この風呂付きランチはとーぜん和食だよー。
 和食ってさ、素材の姿も味もまんまだから、きついのな。さしみとか生だし。
 死体の肉を生で食べたり、死体の姿まんまを調理したものは食べられないっす……。和食の魚って、断末魔の苦痛にのたうつおぞましい姿そのままとか、生前の姿そのままとかで出てくるからなー。想像力豊かなわたしには、恐怖が先に立って食べられないんだわ。
 豚や牛だって、死の苦痛にのたうつ姿や、生前の姿そのままで出されたら、食べられない。
 幸い肉は、もとのカタチがわかる状態では食卓にあがらないから、和洋中問わずに食べられるんだけど。そして魚介類でも、もとのカタチがわからない和食以外の文化ならばまだ食べられる。
 どうもわたしは、「動物を食べる」ことに拒絶反応があるみたいなんだわ。なんて偽善的。
 おぼえてないけど、トラウマでもあるのかな。とくに魚。食卓にあがる種類の魚は、生きていてもこわい。
 ゴキブリと魚を見たら、わたしは悲鳴を上げる……。(わたしにとって魚は、ゴキブリと同類項)

 まー、こんなやつが、天下の『若水』様でランチをしよーなんて考えることがおこがましかったね。
 死体の姿まんまの魚は出なかったので、さしみ以外はがんばって食べたけど(連れに悪いし、もったいない)、味なんかわかんないよー。「食べた」という事実のみ。ぜえぜえ。がんばったわ、わたし!
 連れのふたりが「おいしい」と言っていたので、きっとおいしいお料理なのでしょう。

 ただし、量は少ない。
 ワゴンさんは「足りない!」と叫んでいた。

 ま、食事はいいんだ。どーでも。
 わたしたちの目的は、温泉。

 見晴らし最高です。8階なの、大浴場。
 大劇場も川も橋も山も、全部見える。
 今日はまたすばらしくいい天気。青空の美しいこと。

 でもなー。
 女風呂はつまんないね。
 目隠しが張り巡らされているから、湯船につかってしまったら、外が見えない。
 せっかくの露天風呂なのに。
 立ち上がって目隠し塀の向こうをのぞかなきゃ、眺望はたのしめないのよ。
 男風呂はきっと、こんな無粋な囲いはないよね。世界を見下ろしながら風呂につかれるんだよね。男はいいなあ。
 盗撮されて、写真を販売閲覧されたりするんでなけりゃ、わたしゃべつに多少裸見られても平気なんだけどね。
 というと、誤解があるかな。
 女風呂ってたいてい、外からは見られにくいような位置に作ってあるでしょ。200メートル向こうからなら見えるけど、とか、そんなふう。
 わたしはその、200メートル向こうからなら、見られてもかまわねー、と思うのよ。ただの肌色にしか見えないからね。顔もカラダの細かいカタチもわかりゃしねーもん。
 そりゃ世の中にはいろんな人がいるから、望遠レンズで200メートル先からのぞいたり、写真撮ったりする奴はいるかもしれないけどさ……そんな人に当たる可能性なんて、交通事故くらいの確率でしょ。だって露天風呂利用者の平均年齢知ってたら、盗撮屋さんもあまり熱心には仕事しないと思うよ……若者向け温泉施設以外では、若い女の子率低いんだからさ。
 『若水』に限らず、露天風呂に入るたびに思う。こんなの露天風呂じゃないよー、外が見えないよー、と。

 水曜日だったのに、けっこー混んでた。平均年齢は、ものすごく高い。わたしはまちがいなく、最少年齢だ。
 お風呂はふつーに温泉旅館のお風呂。健康ランドのよーな設備はない。
 のんきに湯船につかってました。
 ただ、ゆうべ寝ていないというワゴンねーちゃんがのぼせて坐り込んでたな。

 お風呂だけなら、きれいだし気持ちいいし、でよいのだけど、食べられない和食とセットで3500円はわたしにはきついわ。
 2度目はないでしょう。

 でも、リベンジしたし!
 あの日逃げ帰った『若水』に入ったわ。ランチだけど。

 んでもって、この『若水』お風呂とランチのセットコースだが。
 ……風呂だけならたぶん、ただで使える……。
 チェックポイント、ないのよ。
 誰でも入れるわ、あのお風呂。
 ちょっとびっくり。
 予備知識さえあれば、何度でもタダで入れるよ。タオルその他のお風呂グッズも全部浴室にあるし。手ぶらで行って、内緒でひとっ風呂浴びて帰れるよ。

 ……いいのか、『若水』。太っ腹だな、『若水』。

          ☆

 ワゴンさんはどうして、ゆうべ眠っていないか。

 息子さんの試験勉強につきあっていたらしい。

 ……これって、ふつーのことなのかな……。
 一緒に起きていてあげないと、息子さん眠っちゃうんだって。
 先日はワゴンさんがつい、眠ってしまったために息子さんは勉強ができなかったそうな。
 ワゴンさんが、意識が途絶える前に見たページと同じページを開いたまま、机に突っ伏して息子さんも眠っていて、「とってもかわいそうだった」とワゴンさんは言う。「あたしさえ起きてあげていたら、あの子も起きて勉強できたのに」と。
 かわいそう? それ、自業自得って言わない? 勉強っつーの自分でするものだと思う……。
 だからワゴンさんは、息子さんの試験期間は、仕事を休むそうな。勉強につきあわないといけないから。

 それって、ふつーのことなのかな。
 今の若いおかーさんって、それがふつーなのか。
 ワゴンさんはさほど教育熱心なママさんではないし、息子さんの学校も進学校ではない。
 でも試験勉強で夜更かしや徹夜をするときは、横につきそってあげなきゃいけないのか……?
 ワゴンさんが教育熱心で、「怠けるなんてゆるさないわ!」と起きて息子さんを見張る、というのならまだわかるんだが。
「息子は、勉強というつらいことをしているんだもの、あたしも手伝ってあげなきゃかわいそうだわ」
 という心理がわからない……。つらくても本人の問題としか、わたしには思えないから。

 わたしはそれが不思議だったので、そのままのことを言ったんだが、ワゴンさんは「だってかわいそうだもの」としか言わない。
 うーむ。
 まあ、遊びに行く息子さんを「(自転車や徒歩で行かせるなんて)かわいそうだから」と車で送ってあげる人だしなあ。
 修学旅行とかで集合時間が早かったり、荷物があったりするときも、絶対送り迎えしてあげるもんなあ。「うちの子はあたしが送ってあげたからいいけど、車のない子はかわいそうだったわ、荷物を持って朝早く電車に乗らなきゃいけないのよ」……それも修学旅行ってもんだと思うが……。

 ワゴンさんはやさしくてかっこいい、すてきな女性だが、息子さんへの干渉の仕方だけはわたし、違和感あるんだよなあ。
 ワゴンさんと知り合った当初、息子さんたちのことを「ひとりで電車に乗せるのが痛々しいような年齢」の小さな子どもだと思って聞いてたもんなー、わたし。
 でも実際は息子さん、もう高3と中3で、見上げるほど大きな男たちなんだが……。


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