わけわかんねー話なのだわ。『シークレット・ハンター』

 繰り返し観るほど納得できないことが目について、不快指数が上がる。
 構成上の粗は、初見で引っかかってもリピートする場合には「そういうもの」と納得して観るので気にならない。

 やはり、「心」が壊れている部分は、何回観たって慣れない。つか、どんどん不快になる。

 最近の作品では、『ノン ノン シュガー!!』とまったく同じ。
 物語的に、「いちばんいい場面」のキャラクタの心の動きが、まるっと壊れている。

 これは、キツイ。

 『ノン ノン シュガー!!』でいうと、2幕前半、不良とのケンカに負けた主人公が、突然ヒロインに向かって「金持ちのお前に、びんぼー人の気持ちがわかるのかよ!」と怒鳴りはじめるところ。
 はあ? ケンカに負けたことと、ヒロインが金持ちなことになんの関係が?
 ヒロインも「お金持ちだったら、びんぼー人に恋しちゃいけないの?!」みたいな会話を展開、あのー、だから、どうしてそんな会話に? ケンカに負けただけでしょ?
 言いがかりにしか思えない絡み方を一方的にしてきた主人公、突然態度をがらりと変え、「そうだ、ノンノンシュガーへ行こう、俺たちが出会ったあの場所へ」とヒロインを抱きしめてドリーミーにささやく。
 いやあの、だから、どーしてそういう展開に。ヒロインと言い争う理由もわからないし、会話もつじつま合ってなくて気持ち悪いだけだし、そんな電波会話のあとこれまた一方的に感動シーン的抱擁されてもこまる。
 脚本、ひどすぎ。

 それとまったく同じ印象、『シークレット・ハンター』。てか、ぶっちゃけもっとひどい。

 思い出の教会にやってきたダグ@トウコとジェニファー@あすか。ダグの思い出話のあと、「どうして泥棒なんてやってるの?」という話になる。
 これがもー、見事な、電波会話。つじつま合ってないし、意味わかんない。

「人の魂は平等だと言うけれど、父のように心の弱い者もいる」→だから反抗して泥棒に。
 この論理がわからない。

 人間は平等だというけれど、金持ちと貧乏人がいる。心正しさと貧富はイコールではない。それに反抗して、泥棒に。
 ……なら、わかるんだけど。

 父親が心弱い人だったとして、それが何故「泥棒」で「反抗」になるんだ?
 「泥棒をする=心弱い人。自分もこんなに心が弱いんだ!!」ってこと?
 でもダグ、自分を「心弱い人」だとは思ってないよね。「この世で盗めぬモノはない」って、強い自分を誇って生きているよね。

 心弱い人が許せないなら、父を憎み続けるだけのことだが、ダグは父を憎んでいない。
 じゃあ、父を死へ追いやった「汚い人間たち」を憎んでいるのかというと、そーでもない。ダグは人生を謳歌している。

 ダグはとても前向きに、たのしそーに「泥棒」をやっている。
 それならそれでべつにいいのに、いきなりなにか「ちょっといい話」「お涙ちょうだい話」を入れて、自爆している。

 「心」がつながっていないんだ。
 「お涙ちょうだいの父話」と「生き方の理由」が。

 これを書いた作者、どんな精神構造してるんだろう……。

 ショーガールとの手切れ金欲しさに王女誘拐に荷担したダグ。→「ダグは自分のためだけに盗みをしているわけではない」(ジェニファー談)
 この論理がわからない。

 ダグはただの泥棒でしょ? 義賊なんですか? 盗むことで社会悪と戦っているの? 恵まれない人たちにほどこしをしているの?
 ただ、自分のシュミと実益を兼ねて、たのしんでいるだけでしょう?

「自分のためだけに盗みをしているわけではない。だったら何故?」→夢だから。父親のように、たったひとつの宝物を探し続けている。
 この論理がわからない。

 夢のためにやっているなら、自分のためだろう!!
 てゆーか、なんで泥棒が「自分探し」なんだ。
 泥棒をしなければ探せない宝物ってなんだ? 行方不明の父の手がかりを追うために泥棒をしている@『キャッツアイ』とか、愛するジョフレの財産を取り戻すことが復讐@『アンジェリク』とかとは、根本的にチガウだろう?

 会話の意味がわからない。

 日本語で話しているのに、外国語を聞いているかのようだ。
 ひとつひとつの文章が、相手の文章につながっていないの。

 気持ち悪いの。

 会話が成り立っていない。キャッチボールになっていない。
 ただ、「なんとなく“感動的なこと”を、羅列している」だけなの。

 会話の気持ち悪さに鳥肌を立てているところへ、さらに追い打ち。それまで、「泥棒はいけないことだわ」と言っていたジェニファーはするっと前言撤回。

「じゃあ約束して。宝物を手に入れたら、泥棒から足を洗って」

 「じゃあ」ってなんだ、「じゃあ」って。ソレでいいのか。

「自分だけの宝物を手に入れるために、他人を傷つけ続ける」→「じゃあ、宝物が手に入るまでは、いくらでも他人を傷つけてね」
 こんな人道的にまちがいまくったことを、「美談」として言うな。

 「泥棒はいけない」んじゃなかったのか。「夢」なら、なにをしてもいいのか。

 もちろん、フィクションだから泥棒が主人公でいいんだ。スパイでも殺し屋でも娼婦でもいいんだから。不道徳だからいけないと言っているんじゃない。

 言っていることのつじつまが合っていないから「変」だと言っているんだ。

 これを書いた作者、どんな精神構造してるんだろう……。
 人間として社会生活が可能なのか?

 物語の他の部分がどんなに壊れていたって、リピートするうちに「そーゆーもん」だと思って気にならなくなる。
 だが、「心」が壊れていると、リピートすればするほどつらくなる。

 この作者がもっとも「いい話」だと思ってかわしている一連のやりとりが、もっとも不快で、気持ち悪い。

 人間なのか、作者?
 宇宙人ぢゃないのか、じつは。

 人間の言葉をコンピュータに入力して、てきとーに並べただけぢゃないのか?
 ここまで会話が成立していないラヴシーンは、前代未聞だぞ。

 
 こだまっちの宇宙人ぶりに目眩がし、そしてなにより。

 台詞の内容のめちゃくちゃさなんかお構いなしで、それでも「心」をつなげて演技してしまう、トウコとあすかだ。

 会話の内容さえ「ただの音」だと割り切ってしまえば、ふたりの演技だけで十分感動シーンになるんだよこれが。

 脚本なんか、いらないの。

 すげー……。
 実力派俳優ふたりで組むと、こんなことになるのかヲイ。

 ある意味、えらいもんを観たぞ。


日記内を検索