ノロケ話、ムカシ話。@まっつまっつまっつ
2009年10月3日 タカラヅカ 『EXCITER!!』のまっつが、満面の笑顔でずり落ちる羽根ショールを押さえている姿を思い浮かべているときに、とーとつに昔自分が書いた日記のことを思い出した。
フィナーレのパレードで全開の笑顔を見て「まっつキライ!」と言う人の話。
えーと、あれはたしか『マラケシュ』のときの話だな、と、発掘発掘。
>「私の友だちに、まっつを嫌いな人がいて」
>
> ほほお。
> そりゃ好きな人も嫌いな人もいるよなー。
>
>「なにが嫌いって、なんかこう、不幸そうっていうか、いつも泣いてるよーな顔が嫌いだって」
>
> すみません。
> ツボに入りました。
>
> 爆笑しちゃったよ。
>
>「笑ってても、フィナーレでも、なにしててもベソかいてるよーな顔だから、嫌いって」
2005/06/18(土)の記述ですな。(http://koalatta.blog48.fc2.com/blog-entry-1077.html)
今から4年前。
このときわたしはまだ、まっつファンではない。
まっつ好きでダイスキできゃーきゃー言ってるけど、このときは別に、ほんっとにファンではないんだ、今のように。
まっつの笑顔、変わったよね?
当時のまっつはたしかに、泣いてるんだかなんだかわかんない笑顔だったが、今は誰もそんなこと言わないよね?
まっつ、笑えるようになったんだよね。
笑顔を見て泣き顔だとは思われないよね? パレードでシャンシャン振ってて「こっち見るな、不幸が伝染るっ」とは思われないよね?(当時、「まっつをキライ」な理由として「見てると不幸が伝染りそうでイヤ」っての聞いた。爆笑した)←ひどい。
それとも、今も変わってないんだろうか?
変わったのはわたしの方?
わたしがもお、まっつ好きで好きで、彼が絶世のイケメンでキラキラ王子様に見えているから、真実がわからない?(前日欄で「こんな不幸くさい地味な男役」と書いた舌の根も乾かないうちに、のうのうと書きますよ)
あれから4年。
ヘタレな若い男の子(でも目の下にはシワ有り)だったまっつは、見事に大人の男に成長した。
薄幸キャラだし暗いし地味だと思うけど、それだけではなくそこには留まらず、翳りだとか深みだとか渋さを得ていると思うの!!
薄幸→翳りがある、暗い→深い、地味→渋い、ですよ、ひとつの事柄には同時にもうひとつの側面があるものなのです。わたしが「まっつ地味~~(笑)」と言ったら、それは「まっつ渋みがあってステキ~~!」とノロケているのです。人生裏腹、言葉の裏を読まなければ都会という名の砂漠は渡れません。
まっつも変わったし、わたしも変わったんだと思う。
今の大人でかっこいいまっつと、ヘタレ標準装備の泣き顔まっつはチガウと思うし、今のマジまっつファンなわたしと、ヘタレまっつをネタキャラとして無責任に愛でていた昔のわたしはチガウのだわ。
…………なんか、のっぴきならないところまで来ちゃったというか、「オレもヨゴレちまったな、フッ」てキモチだわ。
昔からヅカファンだったけど、ご贔屓はいたけど、今がいちばん病が重い、気がする……。
周囲の影響もあると思う。
わたしの周囲にまっつファンはいないが(まっつメイト募集中です、よろしくフレンズ・笑)、濃いぃヅカファンには事欠かない。
上記の日記に登場する友人ふたりは、わたし以上の濃さでヅカファンライフを送り、ご贔屓への愛に日々爆走している。
周囲の仲間たちに比べたら、あたしなんかひよっこもいいとこだわ……と思う。心から。
友人たちが素直にご贔屓への愛を叫んでフルスロットル人生送ってくれているから、わたしも安心してイタいまっつファンとして世界の片隅でまっつへの愛を叫んでいられる。
ビバ友情、ビバ責任転嫁!
2005年。
……博多座『マラケシュ』と『I got music』で、わたしは華麗にまっつオチする。
で、この博多座へ初日から参戦することを決めたのは、この日記の遠征、東宝『マラケシュ』宝くじ貸切の日の当日券並びなんだよな。
友だちの友だちで、メールで少しやりとりはしていても、実際会ったことのなかったジュンタンとはじめて会い、ムラで何度か顔は合わせていても双方大人ゆえ社交辞令の域を出ていなかったnanaタンと本気で打ち解けたのが、この日だった(いきなり一緒に旅行へ行く計画立ててるんだからな)。
この日出会った(さらに親しくなった)友人たちが、その後のわたしを変え(エスカレートさせ)、結果としてわたしはまっつにオチ、現在まっつまっつゆってるわけだ。
あああ。人生ってなにがどう転ぶかわからない……。
それにしてもまっつ、今も昔もステキよねっ。(言うことがコロコロ変わる)
フィナーレのパレードで全開の笑顔を見て「まっつキライ!」と言う人の話。
えーと、あれはたしか『マラケシュ』のときの話だな、と、発掘発掘。
>「私の友だちに、まっつを嫌いな人がいて」
>
> ほほお。
> そりゃ好きな人も嫌いな人もいるよなー。
>
>「なにが嫌いって、なんかこう、不幸そうっていうか、いつも泣いてるよーな顔が嫌いだって」
>
> すみません。
> ツボに入りました。
>
> 爆笑しちゃったよ。
>
>「笑ってても、フィナーレでも、なにしててもベソかいてるよーな顔だから、嫌いって」
2005/06/18(土)の記述ですな。(http://koalatta.blog48.fc2.com/blog-entry-1077.html)
今から4年前。
このときわたしはまだ、まっつファンではない。
まっつ好きでダイスキできゃーきゃー言ってるけど、このときは別に、ほんっとにファンではないんだ、今のように。
まっつの笑顔、変わったよね?
当時のまっつはたしかに、泣いてるんだかなんだかわかんない笑顔だったが、今は誰もそんなこと言わないよね?
まっつ、笑えるようになったんだよね。
笑顔を見て泣き顔だとは思われないよね? パレードでシャンシャン振ってて「こっち見るな、不幸が伝染るっ」とは思われないよね?(当時、「まっつをキライ」な理由として「見てると不幸が伝染りそうでイヤ」っての聞いた。爆笑した)←ひどい。
それとも、今も変わってないんだろうか?
変わったのはわたしの方?
わたしがもお、まっつ好きで好きで、彼が絶世のイケメンでキラキラ王子様に見えているから、真実がわからない?(前日欄で「こんな不幸くさい地味な男役」と書いた舌の根も乾かないうちに、のうのうと書きますよ)
あれから4年。
ヘタレな若い男の子(でも目の下にはシワ有り)だったまっつは、見事に大人の男に成長した。
薄幸キャラだし暗いし地味だと思うけど、それだけではなくそこには留まらず、翳りだとか深みだとか渋さを得ていると思うの!!
薄幸→翳りがある、暗い→深い、地味→渋い、ですよ、ひとつの事柄には同時にもうひとつの側面があるものなのです。わたしが「まっつ地味~~(笑)」と言ったら、それは「まっつ渋みがあってステキ~~!」とノロケているのです。人生裏腹、言葉の裏を読まなければ都会という名の砂漠は渡れません。
まっつも変わったし、わたしも変わったんだと思う。
今の大人でかっこいいまっつと、ヘタレ標準装備の泣き顔まっつはチガウと思うし、今のマジまっつファンなわたしと、ヘタレまっつをネタキャラとして無責任に愛でていた昔のわたしはチガウのだわ。
…………なんか、のっぴきならないところまで来ちゃったというか、「オレもヨゴレちまったな、フッ」てキモチだわ。
昔からヅカファンだったけど、ご贔屓はいたけど、今がいちばん病が重い、気がする……。
周囲の影響もあると思う。
わたしの周囲にまっつファンはいないが(まっつメイト募集中です、よろしくフレンズ・笑)、濃いぃヅカファンには事欠かない。
上記の日記に登場する友人ふたりは、わたし以上の濃さでヅカファンライフを送り、ご贔屓への愛に日々爆走している。
周囲の仲間たちに比べたら、あたしなんかひよっこもいいとこだわ……と思う。心から。
友人たちが素直にご贔屓への愛を叫んでフルスロットル人生送ってくれているから、わたしも安心してイタいまっつファンとして世界の片隅でまっつへの愛を叫んでいられる。
ビバ友情、ビバ責任転嫁!
2005年。
……博多座『マラケシュ』と『I got music』で、わたしは華麗にまっつオチする。
で、この博多座へ初日から参戦することを決めたのは、この日記の遠征、東宝『マラケシュ』宝くじ貸切の日の当日券並びなんだよな。
友だちの友だちで、メールで少しやりとりはしていても、実際会ったことのなかったジュンタンとはじめて会い、ムラで何度か顔は合わせていても双方大人ゆえ社交辞令の域を出ていなかったnanaタンと本気で打ち解けたのが、この日だった(いきなり一緒に旅行へ行く計画立ててるんだからな)。
この日出会った(さらに親しくなった)友人たちが、その後のわたしを変え(エスカレートさせ)、結果としてわたしはまっつにオチ、現在まっつまっつゆってるわけだ。
あああ。人生ってなにがどう転ぶかわからない……。
それにしてもまっつ、今も昔もステキよねっ。(言うことがコロコロ変わる)