罪と罰と愛。@ラスト プレイ
2009年10月17日 タカラヅカ ムーア@きりやんっていくつなんだろ?
きりやんは小柄で明るい持ち味から、若者役を得意としてきた。
若手~中堅ぐらいまで、少年役は任せろ!だったよな。
でもほんとのとこ、彼が真価を発揮するのは大人の男役だと思う。
ムーアは若くなくていい、青くなくていい、おっさん希望。
大人の男が若い男の子を拾う話ですよね、『ラスト プレイ』。
アラフォー男が20代男子を拾っちゃう感じ。ねえ?
年の差けっこーアリ、されど年の差に関係なく対等に、ふつーに友人なのよ。そこがいいのよ!!(力説)
グラハム@マヤさんが見るからに年配なのにふつーに仲間であるように、クリストファー@まさおが若輩なのにふつーに仲間であるように。
友情に、年の差は関係ナシ。
グループのリーダーは自然とムーアだけど、グラハムもクリスも部下じゃない、手下じゃない。そこがいい。
とことん「ポスターに偽りアリ」な最近の正塚せんせ。
『薔薇に降る雨』でやっちゃって、どうも味をしめたのかなんなのか。引き続き『ラスト プレイ』でもポスターとは無関係なぐだぐだなコメディっぷり。
んで、この「ポスターに偽りアリ」ってのは、「シリアスに見せかけておいて、じつはお笑い」というだけではなくて。
きり×あさホモものと思わせておいて、べつにそんなことナシ。……という意味でもある。
あ、ごめん、単語間違えた、「ホモ」を消して「友情」にしておいて。(投げやり)
ポスター最初に見たときは、あまりの慎みのなさに眩暈がしたもの。
正塚せんせ、ホモはもっとオブラートにくるんでやるものです。こんな「どこのBLアニメ」みたいなポスターを、大真面目に作っちゃいけません(笑)。
まあ、これは正塚せんせのトラップ、確信犯としての行動かもしれない。
彼がガチホモを描くときは、あえてポスターからガチホモ男をはずし、主人公とヒロインのみで作ったりするのよ@『マリポーサの花』。
「男同士のラヴストーリー」にしか見えないポスターをあえて作ったとしたら、「ほんとはチガウんだな、別にホモぢゃないんだな」と読み解くべきなのかもしれない。
……って、ややこしいよ、正塚晴彦!(笑)
というのも、主人公アリステア@あさこは別にムーア@きりやんを愛してないし、ほんとのとこムーアもそれほどアリステアを愛しているわけではないからなのよ。
大人の男ムーアが、世間知らず坊やのアリステアを拾ったのは、成り行きと人情(笑)ゆえであって、ホモな下心でも「Boy Meets Boy」な運命でもありゃーしません。
ムーアはふつーに恋人の美女エスメラルダ@あいちゃんを愛しているし、友情だけでいったらクリスの方が業が深そうだ。
出会ったときも、そしてその後一緒にいて商売やっているときも、べつにアリステアはムーアの特別でもなんでもない、ふつーに仲間。ふつーの空気感。
だからふたりの関係が変わるのはあくまでも、「ムーアのせいでアリステアが撃たれた」ときから。
で、アリステアはとーとつに記憶喪失になるし。
で、アリステアはピアノなんか弾いちゃうし。
ムーアはそれまで、アリステアの過去なんか気にしていなかったと思う。友情に氏素性は不要じゃん? 今、目の前にいるアリステアが善い人物だから信頼して一緒に仕事をしている。それだけ。
が、自分のミスで彼を損なって。
そこではじめて、自分が知っていたアリステアがすべてでなかったことを知る。
記憶を失ったアリステアは、本人の力ではなにもできない。本来のアリステアがナニにつまずき、ナニを求めていたか。
ムーアが責任を持つべきなのは、この本来のアリステアに対して。
アリステアがナニを抱え、自分の前で穏やかに笑っていたのか……はじめて、考えることになる。
ムーアが「アリステア」を本気で見つめるのは、彼自身の罪だから。
無骨で真っ直ぐな彼は、そりゃあもお真正面から正攻法で、アリステアに詫び、支えようとするわけで。
自分が犯した罪の象徴であり、自責の結晶である「アリステア」は、ムーアの人生の真ん中にどーんと置かれてしまうんだ。
もともと友人で、もともと好きな相手である。
自分のために自分の女を守って、それゆえに記憶喪失になってしまった相手である。
ムーアはたぶん、アリステアの一生を、引き受ける覚悟をしたと思う。
エスメラルダと別れることがあっても、彼女とアリステアとのどちらかを選ばなくてはならなくなったとしても、アリステアだけは見捨てないだろう。見捨てられないだろう。……気の毒に。
そして、なにがあっても、アリステアを恨んだり嫌ったりも、しないだろう。
記憶喪失のアリステアは、穏やかで嫌味のない青年で。ムーアのせいだと教えられても、それでムーアを恨むでなしあるがままを受け入れている。こんな毒のない青年を嫌う必要もないだろう。
すべてを失うことがあっても、ムーアはアリステアの腕だけは、離さないだろう。
もしも離さなければ奈落に落ちるとゆーなら、一緒に落ちるだろう。
ムーアの実直さ、不器用さ……そして、しぶとさは、そーゆーことだと思う。
いざとなったらダイナマイト持ち出すくらいには、パッショネイトにバカですから。
ムーアは自分の過ちから、はじめて「アリステア」という男をまともに見るようになった。考えるようになった。
記憶が戻ったあとも、ムーアのアリステアへの干渉は続く。それまでの「ただの仲間」の域を超えて、お節介を焼く。
ムーアの中で、アリステアは昔とは別の場所に置かれているんだから。病気が治りました、だからもうムーアの罪は消えました、にはならないんだ。
ほんとのところ、ムーア→アリステアの片想いっていうのは、恋とか友情とか、プラスの感情ではないと思う。
罪悪感や自責の念、責任感が形を変えたモノで、ちっとも純粋じゃない。
だから、切ないんだ。
ムーアはアリステアを愛している。
でもそれは、歪んだ意味でも真っ当な意味でもなくて。
ムーアが見ているのは、自分自身なだけかもしれない。
ムーアがいい男なのは、「大人の男」である点。
自分の罪から、失敗から、逃げない。真正面から向き合い、すべてを背負う。
大人の彼は、かなしいかな「受け止める」強さを持っている。自分の罪を。犯した過ちを。
登場してきたとき彼は、刑務所帰りだと言う。「務めは果たしてきた」と。犯した罪と等価の罰を受け、逃げることなく果たしてきたんだ。
そして、変に悪びれない。務めは果たした……対価を払ったからこそ、前科に対して卑屈になることもない。
そして、大人だけで留まらない彼は、罰を受けるだけでなく、少年の純粋さで一歩踏み出す。
「本当はピアノを弾きたいんだろう」と記憶の戻ったアリステアに迫るのは、ただのお節介。もう彼が口を出す筋合いはないのに、アリステア個人の事情に踏み込んでいく。
いい男だ。
大人で、バカで、潔い、いい男。
彼が伴侶たるエスメラルダをまともにふつーに愛し、自分の罪であるアリステアを歪むことなく愛しているのが、心地良い。
余談だが。
アラフォー男が20代男子を拾う話、で、ついちょっくら考えちゃったんだ。
ムーア@某ツツミシンイチ、アリステア@某オカダジュンイチでキャスティングしたら、萌えまくっちゃったよ……(笑)。
きりやんは小柄で明るい持ち味から、若者役を得意としてきた。
若手~中堅ぐらいまで、少年役は任せろ!だったよな。
でもほんとのとこ、彼が真価を発揮するのは大人の男役だと思う。
ムーアは若くなくていい、青くなくていい、おっさん希望。
大人の男が若い男の子を拾う話ですよね、『ラスト プレイ』。
アラフォー男が20代男子を拾っちゃう感じ。ねえ?
年の差けっこーアリ、されど年の差に関係なく対等に、ふつーに友人なのよ。そこがいいのよ!!(力説)
グラハム@マヤさんが見るからに年配なのにふつーに仲間であるように、クリストファー@まさおが若輩なのにふつーに仲間であるように。
友情に、年の差は関係ナシ。
グループのリーダーは自然とムーアだけど、グラハムもクリスも部下じゃない、手下じゃない。そこがいい。
とことん「ポスターに偽りアリ」な最近の正塚せんせ。
『薔薇に降る雨』でやっちゃって、どうも味をしめたのかなんなのか。引き続き『ラスト プレイ』でもポスターとは無関係なぐだぐだなコメディっぷり。
んで、この「ポスターに偽りアリ」ってのは、「シリアスに見せかけておいて、じつはお笑い」というだけではなくて。
きり×あさホモものと思わせておいて、べつにそんなことナシ。……という意味でもある。
あ、ごめん、単語間違えた、「ホモ」を消して「友情」にしておいて。(投げやり)
ポスター最初に見たときは、あまりの慎みのなさに眩暈がしたもの。
正塚せんせ、ホモはもっとオブラートにくるんでやるものです。こんな「どこのBLアニメ」みたいなポスターを、大真面目に作っちゃいけません(笑)。
まあ、これは正塚せんせのトラップ、確信犯としての行動かもしれない。
彼がガチホモを描くときは、あえてポスターからガチホモ男をはずし、主人公とヒロインのみで作ったりするのよ@『マリポーサの花』。
「男同士のラヴストーリー」にしか見えないポスターをあえて作ったとしたら、「ほんとはチガウんだな、別にホモぢゃないんだな」と読み解くべきなのかもしれない。
……って、ややこしいよ、正塚晴彦!(笑)
というのも、主人公アリステア@あさこは別にムーア@きりやんを愛してないし、ほんとのとこムーアもそれほどアリステアを愛しているわけではないからなのよ。
大人の男ムーアが、世間知らず坊やのアリステアを拾ったのは、成り行きと人情(笑)ゆえであって、ホモな下心でも「Boy Meets Boy」な運命でもありゃーしません。
ムーアはふつーに恋人の美女エスメラルダ@あいちゃんを愛しているし、友情だけでいったらクリスの方が業が深そうだ。
出会ったときも、そしてその後一緒にいて商売やっているときも、べつにアリステアはムーアの特別でもなんでもない、ふつーに仲間。ふつーの空気感。
だからふたりの関係が変わるのはあくまでも、「ムーアのせいでアリステアが撃たれた」ときから。
で、アリステアはとーとつに記憶喪失になるし。
で、アリステアはピアノなんか弾いちゃうし。
ムーアはそれまで、アリステアの過去なんか気にしていなかったと思う。友情に氏素性は不要じゃん? 今、目の前にいるアリステアが善い人物だから信頼して一緒に仕事をしている。それだけ。
が、自分のミスで彼を損なって。
そこではじめて、自分が知っていたアリステアがすべてでなかったことを知る。
記憶を失ったアリステアは、本人の力ではなにもできない。本来のアリステアがナニにつまずき、ナニを求めていたか。
ムーアが責任を持つべきなのは、この本来のアリステアに対して。
アリステアがナニを抱え、自分の前で穏やかに笑っていたのか……はじめて、考えることになる。
ムーアが「アリステア」を本気で見つめるのは、彼自身の罪だから。
無骨で真っ直ぐな彼は、そりゃあもお真正面から正攻法で、アリステアに詫び、支えようとするわけで。
自分が犯した罪の象徴であり、自責の結晶である「アリステア」は、ムーアの人生の真ん中にどーんと置かれてしまうんだ。
もともと友人で、もともと好きな相手である。
自分のために自分の女を守って、それゆえに記憶喪失になってしまった相手である。
ムーアはたぶん、アリステアの一生を、引き受ける覚悟をしたと思う。
エスメラルダと別れることがあっても、彼女とアリステアとのどちらかを選ばなくてはならなくなったとしても、アリステアだけは見捨てないだろう。見捨てられないだろう。……気の毒に。
そして、なにがあっても、アリステアを恨んだり嫌ったりも、しないだろう。
記憶喪失のアリステアは、穏やかで嫌味のない青年で。ムーアのせいだと教えられても、それでムーアを恨むでなしあるがままを受け入れている。こんな毒のない青年を嫌う必要もないだろう。
すべてを失うことがあっても、ムーアはアリステアの腕だけは、離さないだろう。
もしも離さなければ奈落に落ちるとゆーなら、一緒に落ちるだろう。
ムーアの実直さ、不器用さ……そして、しぶとさは、そーゆーことだと思う。
いざとなったらダイナマイト持ち出すくらいには、パッショネイトにバカですから。
ムーアは自分の過ちから、はじめて「アリステア」という男をまともに見るようになった。考えるようになった。
記憶が戻ったあとも、ムーアのアリステアへの干渉は続く。それまでの「ただの仲間」の域を超えて、お節介を焼く。
ムーアの中で、アリステアは昔とは別の場所に置かれているんだから。病気が治りました、だからもうムーアの罪は消えました、にはならないんだ。
ほんとのところ、ムーア→アリステアの片想いっていうのは、恋とか友情とか、プラスの感情ではないと思う。
罪悪感や自責の念、責任感が形を変えたモノで、ちっとも純粋じゃない。
だから、切ないんだ。
ムーアはアリステアを愛している。
でもそれは、歪んだ意味でも真っ当な意味でもなくて。
ムーアが見ているのは、自分自身なだけかもしれない。
ムーアがいい男なのは、「大人の男」である点。
自分の罪から、失敗から、逃げない。真正面から向き合い、すべてを背負う。
大人の彼は、かなしいかな「受け止める」強さを持っている。自分の罪を。犯した過ちを。
登場してきたとき彼は、刑務所帰りだと言う。「務めは果たしてきた」と。犯した罪と等価の罰を受け、逃げることなく果たしてきたんだ。
そして、変に悪びれない。務めは果たした……対価を払ったからこそ、前科に対して卑屈になることもない。
そして、大人だけで留まらない彼は、罰を受けるだけでなく、少年の純粋さで一歩踏み出す。
「本当はピアノを弾きたいんだろう」と記憶の戻ったアリステアに迫るのは、ただのお節介。もう彼が口を出す筋合いはないのに、アリステア個人の事情に踏み込んでいく。
いい男だ。
大人で、バカで、潔い、いい男。
彼が伴侶たるエスメラルダをまともにふつーに愛し、自分の罪であるアリステアを歪むことなく愛しているのが、心地良い。
余談だが。
アラフォー男が20代男子を拾う話、で、ついちょっくら考えちゃったんだ。
ムーア@某ツツミシンイチ、アリステア@某オカダジュンイチでキャスティングしたら、萌えまくっちゃったよ……(笑)。