彼がファム・ファタールならば。-ちょっと腐女子注意報?-@ラスト プレイ
2009年10月16日 タカラヅカ わたしはいっそムーアを視点にすれば良かったのに、と思っている。
正塚晴彦作『ラスト プレイ』。
「物語」があるのはムーアなんだよね。「愛」があるのもムーアなんだよね。
アリステアは「美しい」だけでナニもしない、ナニもない。
ただの箇条書きになってしまっているのは、アリステアが弱いためだと思う。それがじれったい。
だからいっそ、ムーア@きりやんを語り部にして、彼の目を通したファム・ファタール、アリステア@あさこの物語にすれば良かったのに。
女無用の男同士の世界を描くのが好きな人だが、実際のとこ正塚せんせはとてもノーマルで、「女のいない世界」は描けないのだと思う。
ヒロインの出番がどんだけなくったって、主人公はちゃんとヒロインを愛していて、それを彼の魂の基盤にしていたりする。
今回トップ娘役不在公演ってことで、あえて主人公は恋愛沙汰をシャットアウトしているんだが、これが成功しているとは到底思えない。
相手役はいなくても、誰かを愛している設定は必要だったよ。
心の中にひとりの女がいて、その上でその女に出番はまったくないまま男同士の友情のみで話を進めるべきだった、いつものよーに(笑)。
同じよーに男同士の友情やら確執を描いてみせた大野せんせは、本気で女不要の耽美世界だったが。
正塚は女無用(使い道がない)なのであって、不要(いらない、最初から存在しなくていい)でないんだ。
ハリーは健康的な思考回路の作家だから、倒錯世界は書けないし、書く必要がないんだ。
女性作家はわりと、女不要世界描くの得意だけどな。BL作家とかがその最たるもので。男性作家にソレを求めるのはまちがっているし、また、本気で女不要世界のみを構築する作家は、ヅカには不要(笑)。
ヅカの女性作家陣も別に女不要の作風の人はいないし(こだまっちはちょっとアヤシイ・笑)、耽美派の大野せんせも両方描けるだけで不要の人じゃない。
ただ健康で人生肯定、人間讃歌のハリーには、女不要話は書けなかったんだなと。
「女不要」で物語を書ける人なら、アリステアをヒロインにしたなら、容赦なく彼をファム・ファタールにできただろうにな、と。
正塚せんせ、中途半端だわ(笑)。
ムーア視点で物語を進めれば、アリステアはどんだけ美しく神秘的だったかと(笑)。
世間知らずなピュア・ボーイだったり、お笑いを入れてなお、ムーアの目を通して語られれば、アリステアがマイナスに語られることはないんだから。だって彼、愛されてるもの。
石岡くんの一人称で書かれる御手洗シリーズみたいなもんですよ。おっさんふつーに書いてるつもりだろうけど、ソレ壮大なラヴレターだから、いい加減気づけよ恥ずかしいヤツだな、みたいな。
視点と主人公はチガウ。
ムーアが語り部であっても、アリステアはちゃんと主役として君臨できたろうし、あさこちゃんほどキャリアを重ねた人なら「モノローグの心理説明」だけに頼らなくても主役たらしめただろうに。
出来事の箇条書きであったとしても、語り部が「視点」として散漫な出来事を要所要所でまとめれば良かったんだよ。
ムーアが語り部でも、最後のオチというか正塚的どんでん返し?はできるし。
それまで語り部だったムーアが本舞台で倒れ、エスメラルダ@あいちゃんだのに介抱されつつ、「最期の頼みだ、ピアノを弾いてくれ」って言ってるとこにつなげればいいんじゃん。
今までの回想は、悪者に撃たれ、アリステアのピアノを聴いているムーアの走馬燈なんだってわかるじゃん。
お前どんだけアリステア好きなん、で(笑)。
でも、そーゆー話なわけでしょ? あくまでも、アリステアの物語なんだから。
きりやんなら、あのテンポの悪い「ボクの日記」を牽引してメリハリつける仕事、してくれたと思うけどなあ。
カーテン前だの花道だので地味だけど技術は半端ない仕事をきりやんがやって、本舞台で派手に大きな見せ場はあさこちゃんが担当。だってあさこちゃんのサヨナラ公演だもん、てことで良かったと思うんだが。
ナニもしない誰も愛してないアリステアが主役で彼の目線で彼のモノローグ(録音)で淡々と「今日の出来事」の箇条書きで進むから、なんともはや。
アリステアを愛しているムーアの目線で、アリステアの半生を描いてくれ。
思い切りが足りないよ、正塚せんせ。アリステアがヒロインなら、ここまでやってくれなくちゃだわ。
ファム・ファタールやってよ、開き直ってとことん!
と、言いつつ。
今のあのしどころのない、どーしよーもないアリステアに惚れているムーア、つーのもツボなんですが。
やー、オレ片想いスキーだからさー。
ムーアの一方通行なのは、それなりにたのしいのよー。
きり×あさだと思って『ラスト プレイ』見て(わたしはあさこちゃんは受派のため、予備知識ナシだと右側に置きます・笑)、いちばんわっかりやすいカップルがその×あひだったことに驚き、せっかくの主役たちはきり→あさでしかないことに驚き、ナニ気にまさ→きりだったことに驚いた(笑)。
まさ×きり!!
ちょっと待て、オレこれ大好物ですよ(笑)。『大坂侍』がどんだけたのしかったか。
政×又七はもお、鬼畜攻に被虐受として確固たる萌えあがりっぷりですが、今回のクリストファー@まさお×ムーアは、クリスの片想いっぷりがツボです、ええ。
今は片想いで黙って耐えてるけど、そのうちこりゃ爆発するな、ひどいことになるな、と思えるあたりステキです。や、わたしがまさおくんをSだと思っているせいも大いにありますが(笑)。
行間を読む、描かれていないキャラクタの人生を感じるのが正塚芝居の醍醐味。
キャラ萌えだけでたのしいですよ、この芝居。
作品的には、作者に物言いたいことありまくりですが、でもとどのつまりはキャラクタさえたのしければソレで楽しいんだよな。ラノベとかマンガとか、そーゆーもんじゃん?
なんやかんやで、楽しいです、『ラスト プレイ』。
正塚晴彦作『ラスト プレイ』。
「物語」があるのはムーアなんだよね。「愛」があるのもムーアなんだよね。
アリステアは「美しい」だけでナニもしない、ナニもない。
ただの箇条書きになってしまっているのは、アリステアが弱いためだと思う。それがじれったい。
だからいっそ、ムーア@きりやんを語り部にして、彼の目を通したファム・ファタール、アリステア@あさこの物語にすれば良かったのに。
女無用の男同士の世界を描くのが好きな人だが、実際のとこ正塚せんせはとてもノーマルで、「女のいない世界」は描けないのだと思う。
ヒロインの出番がどんだけなくったって、主人公はちゃんとヒロインを愛していて、それを彼の魂の基盤にしていたりする。
今回トップ娘役不在公演ってことで、あえて主人公は恋愛沙汰をシャットアウトしているんだが、これが成功しているとは到底思えない。
相手役はいなくても、誰かを愛している設定は必要だったよ。
心の中にひとりの女がいて、その上でその女に出番はまったくないまま男同士の友情のみで話を進めるべきだった、いつものよーに(笑)。
同じよーに男同士の友情やら確執を描いてみせた大野せんせは、本気で女不要の耽美世界だったが。
正塚は女無用(使い道がない)なのであって、不要(いらない、最初から存在しなくていい)でないんだ。
ハリーは健康的な思考回路の作家だから、倒錯世界は書けないし、書く必要がないんだ。
女性作家はわりと、女不要世界描くの得意だけどな。BL作家とかがその最たるもので。男性作家にソレを求めるのはまちがっているし、また、本気で女不要世界のみを構築する作家は、ヅカには不要(笑)。
ヅカの女性作家陣も別に女不要の作風の人はいないし(こだまっちはちょっとアヤシイ・笑)、耽美派の大野せんせも両方描けるだけで不要の人じゃない。
ただ健康で人生肯定、人間讃歌のハリーには、女不要話は書けなかったんだなと。
「女不要」で物語を書ける人なら、アリステアをヒロインにしたなら、容赦なく彼をファム・ファタールにできただろうにな、と。
正塚せんせ、中途半端だわ(笑)。
ムーア視点で物語を進めれば、アリステアはどんだけ美しく神秘的だったかと(笑)。
世間知らずなピュア・ボーイだったり、お笑いを入れてなお、ムーアの目を通して語られれば、アリステアがマイナスに語られることはないんだから。だって彼、愛されてるもの。
石岡くんの一人称で書かれる御手洗シリーズみたいなもんですよ。おっさんふつーに書いてるつもりだろうけど、ソレ壮大なラヴレターだから、いい加減気づけよ恥ずかしいヤツだな、みたいな。
視点と主人公はチガウ。
ムーアが語り部であっても、アリステアはちゃんと主役として君臨できたろうし、あさこちゃんほどキャリアを重ねた人なら「モノローグの心理説明」だけに頼らなくても主役たらしめただろうに。
出来事の箇条書きであったとしても、語り部が「視点」として散漫な出来事を要所要所でまとめれば良かったんだよ。
ムーアが語り部でも、最後のオチというか正塚的どんでん返し?はできるし。
それまで語り部だったムーアが本舞台で倒れ、エスメラルダ@あいちゃんだのに介抱されつつ、「最期の頼みだ、ピアノを弾いてくれ」って言ってるとこにつなげればいいんじゃん。
今までの回想は、悪者に撃たれ、アリステアのピアノを聴いているムーアの走馬燈なんだってわかるじゃん。
お前どんだけアリステア好きなん、で(笑)。
でも、そーゆー話なわけでしょ? あくまでも、アリステアの物語なんだから。
きりやんなら、あのテンポの悪い「ボクの日記」を牽引してメリハリつける仕事、してくれたと思うけどなあ。
カーテン前だの花道だので地味だけど技術は半端ない仕事をきりやんがやって、本舞台で派手に大きな見せ場はあさこちゃんが担当。だってあさこちゃんのサヨナラ公演だもん、てことで良かったと思うんだが。
ナニもしない誰も愛してないアリステアが主役で彼の目線で彼のモノローグ(録音)で淡々と「今日の出来事」の箇条書きで進むから、なんともはや。
アリステアを愛しているムーアの目線で、アリステアの半生を描いてくれ。
思い切りが足りないよ、正塚せんせ。アリステアがヒロインなら、ここまでやってくれなくちゃだわ。
ファム・ファタールやってよ、開き直ってとことん!
と、言いつつ。
今のあのしどころのない、どーしよーもないアリステアに惚れているムーア、つーのもツボなんですが。
やー、オレ片想いスキーだからさー。
ムーアの一方通行なのは、それなりにたのしいのよー。
きり×あさだと思って『ラスト プレイ』見て(わたしはあさこちゃんは受派のため、予備知識ナシだと右側に置きます・笑)、いちばんわっかりやすいカップルがその×あひだったことに驚き、せっかくの主役たちはきり→あさでしかないことに驚き、ナニ気にまさ→きりだったことに驚いた(笑)。
まさ×きり!!
ちょっと待て、オレこれ大好物ですよ(笑)。『大坂侍』がどんだけたのしかったか。
政×又七はもお、鬼畜攻に被虐受として確固たる萌えあがりっぷりですが、今回のクリストファー@まさお×ムーアは、クリスの片想いっぷりがツボです、ええ。
今は片想いで黙って耐えてるけど、そのうちこりゃ爆発するな、ひどいことになるな、と思えるあたりステキです。や、わたしがまさおくんをSだと思っているせいも大いにありますが(笑)。
行間を読む、描かれていないキャラクタの人生を感じるのが正塚芝居の醍醐味。
キャラ萌えだけでたのしいですよ、この芝居。
作品的には、作者に物言いたいことありまくりですが、でもとどのつまりはキャラクタさえたのしければソレで楽しいんだよな。ラノベとかマンガとか、そーゆーもんじゃん?
なんやかんやで、楽しいです、『ラスト プレイ』。