さてと、いい加減ラストスパートです、こあらった目線のまっつまっつ、『EXCITER!!』

 フィナーレの大階段前男ダンス。
 大階段中央で踊るまとぶさん、まっつは少し遅れて階段上から降りてくる。ここも上手。

 わたしはオープニング衣装を変わり燕尾と書いたけど、ほんとのとこアレが燕尾なのかはわかっていない。燕尾カテゴリだと思うからそう書いたけど、厳密にはチガウかも。
 だって「燕尾」たるツバメのしっぽ……テールがジャケットとつながってないんだもの。見た目はテールなんだけど、あれってただのスカートなのかなー、マントなのかなー。
 まあいいや、どーせオレ、衣装の知識ないし。無知だし。

 ほんとの燕尾はこのフィナーレの方だよな。男役の制服のシンプル黒燕尾ではなく、華美な飾り付き。中のブラウスもひらひらキラキラ。

 ここでは、ダンスよりも吠えるまっつを堪能



 って、ちょっと待って、書いた文章が途中から消えてる!!
 オーマイガッ。

 あと2000字強、なんで消えてるの?
 わーん、パレードまで全部書いたのにー。DiaryNoteのばかー。今日2回目のエラーだよ、わたしから何千文字と何時間奪ったら気が済むの?
 

 書き直せるだろうか……。

 
 追記。
 今までになかったタイプのエラーだから、記録として残しておく。
 3000文字弱ふつーにテキストを入力し、ふつーに「この内容で書き込む」ボタンを押してふつーに書き込みができたのに、ブログを確認すると最初部分しか存在せず、2000文字以上が消えていた。
 タグのアタマだけが残っている状態だったので、以降の記事がすべて大きなフォントになっていた。

 DiaryNoteは今までも勝手にログを消してくれたり、壊してくれたりいろいろいろいろあったので、信用はまったくしていない。問い合わせたってただの一度も回答はおろか、反応すらもらえない。
 だからUPする際は自衛手段を執っていたんだが、今回はたまたま抜け落ちていた。連続更新で一気に10000字とか書いてて疲れてたせいだなー。千秋楽までに少しでも感想追いつかせたいと思ってがんばった結果、テキスト消失で凹んで終了。

 DiaryNoteは信用できない。
 他のブログと比べて「なにもできないから、最初からなにもしなくていい」ところが長所。
 しかし、他のブログと比べてあまりにもエラーが多く、そしてそれに対する誠意がない。
 再度肝に銘じて自衛しなければ、こんなサイト使ってられない。
 とりあえず、途中で消えたまっつ語りを終わらせる。
 こあらった目線の『EXCITER!!』

 フィナーレ階段前の男たちのオラオラダンス。
 ここは細かいテクニックより力押し。あの細かくキメてくるまっつですら、力任せに踊ってる。そーゆー振付で、そーゆーものを演出家が求めているにしても、らしくない粗さ。
 体力的にいちばんピークに来るところなのかなー。
 ショーを通して一本調子じゃつまんないわけだから、踊り方にもいろいろあっていいわけだが、この力任せで大雑把……技術や繊細さより気合いと勢いのここのダンスは、じつはあまり好きじゃない。
 かっこいいよ。かっこいいんだけどねー。ガン見しているんだけどねー(笑)。

 だからダンスよりも、掛け声を楽しみにしている。

 まっつが、あの低音で、本気で、漢っぽく吠えている。

 台詞声や歌よりも、このダンスの声出しっていうのはある意味「本気」っぽいよね。
 一声だけで雰囲気を出さなければならない。間違ってオンナノコの声を出してはならない。
 とびきり野郎っぽく、セクスィに(笑)、わずかなタイミングで確実に、キメなくてはならない。

 まっつはなんかよく吠えていて、まっつらしくもなくアグレッシヴでたのしい。
 いい声だなほんと。

 
 で、最後のおたのしみのエトワール。

 まっつがエトワールだと最初に耳にしたときは、否定的だった。
 わたしが「エトワール」を娘役の晴れ舞台だと思っていることと、男役がやる場合でも華やかな歌ウマさんがやるべきだと思っていることからだ。
 ショーの最後は、ドレス姿の娘役さんのハイソプラノが聴きたい。非日常的な、夢の世界のプリンセスな歌声でパレードに導いて欲しい。
 そうでなければ、将来のトップスターである若手男役スターが、そのキラキラ度を全開にタカラヅカならではの美しさでパレードをはじめて欲しい。

 残念ながらまっつは、チガウと思うんだ。
 「エトワール」には向いていない。
 彼の歌声も姿もキャラクタもダイスキだけど、容赦ない言い方をすれば「こんな不幸くさい地味な男役で、パレードをはじめるのは勘弁してくれ」と思う。

 ついでに、こんだけキャラの合わない仕事が回ってくるってことは、ひょっとしてまっつ**するのかと、びびった。や、**ご祝儀っていうか餞別っていうか。言霊を恐れるため、伏せ字で書きますが(笑)。

 次に、エトワールといっても単独ではなく、いちかちゃんとふたりでだと知った。
 それならアリか、とかえって安心した。
 華やかな女性歌手と一緒なら渋い男が歌ってもわたしのイメージの「エトワール」を損なわない。
 いちかちゃんとのコンビは「いつもの」安定感、相性の良さ、ありがちなことなので、これなら**ご祝儀ではないなと、そんなことでも胸を撫で下ろした(笑)。

 そんなつまらないいろーんなことを、ささやかにうだうだとさらっと考えてはいたんですよ。

 で、実際目にしてみたら。

 まっつにエトワールが合わないって、誰が言ったのよ? んなこと言ったヤツ出てこい。(前言ころっと撤回)

 否定的な思いが全部ひっくり返りました。
 おーっほほほ、なんのことかしら、やーねぇ。

 エトワールをやるご贔屓ってのは、こんなにたのしいものなのか!!(目からウロコ)

 いろんなショーを見てきているから、エトワールっつーのが名前ばかりだったり、ワンフレーズしかソロがなかったり立ち止まって歌うのが一瞬ですぐにパレードに突入したり、いろいろあることはわかっている。
 単独エトでない以上、まっつの声を聴くことはあまりないかもしれない、とも思っていた。

 それが、ほんとにちゃんとしたエトワールで。
 あの大階段の真ん中で、ふつーに1曲歌いきる系のエトワールで。せわしなく歌い継ぐパレードで、ショートバージョンとはいえ1曲持ち歌を歌いきるのは、エトワールとトップスターだけ、という、ほんとにふつーにエトワールの役割で。

 つか、まとぶんとまっつだけなのか。パレードで1曲歌いきりって。

 改めて、じーん……。

 そう。
 わたしのなかでは「エトワールは女子」という思い込みがあって、一花と一緒に歌うのなら、彼女が主でまっつは従だと思っていたのね。彼女のソプラノを、まっつが下から支えるのだと。
 ……すみません、んなこたぁないですね。タカラヅカは男役上位。
 あくまでもまっつがソロ歌手で、いちかちゃんはハモり要員でした。デュエットですらなく。
 や、それでも形式としてはデュエットでふたりエトワールなんだけど、まっつの単独エトだなんて思ってないし実際チガウんだけど。

 まっつがどうこうではなく、タカラヅカのシステムとして。
 まっつが主旋律と歌詞を歌い、一花はそれに「るーるー♪」とスキャット入れるか歌詞を重ねて歌うという主従ぶりは、見る前に「まっつだからきっと従の方」と勝手に思い込んでいたわたしが、まーーったく予想だにしなかったことなの。

 まっつが、パレードで1曲ソロ。いちかゃんという実も華もあるすばらしい相棒と共に。
 じーん……。

 ドリーミングな導入歌を、まっつが確実な「男役の声」で歌う。
 ショー『EXCITER!!』導入部で夢王子がうっとり歌っていた、名前通り夢夢しい美しい旋律。
 まっつの低音に、一花が確実にハモりを入れる。響き合う美しさ。

 まっつは饒舌な歌手ではない。
 美声だけど確実だけど、表現力が高いとは、あまり思ってない。

 だけどこの「エトワール」という役に求められる「的確な美しさ」は果たしていると思う。
 端正であること。
 大きく深く響くこと。

 光とか華とかには欠けているかもしれないが(笑)、まっつの的確で端正で真面目な歌声は、個人の個性よりも記号としての技術を必要とするエトワールに、ある意味合致しているのかもしれない。
 と、思った。

 ……ので、見る前はあんまりよく思ってなかったくせに、前言ころっと撤回、大フィーバー。

 やーん、エトワールうれしいっ、エトワールたのしいっ。

 まっつが本気できれいに歌ってるよーっ。
 ただ「キレイであること」に集中していいんだもの、役割的に。
 美声をより真正面から研ぎ澄ましている感じがもお、たまらん~~。

 ありがとうフジイくん、ありがとうまっつ。
 まっつのエトワールが見られて、聴けて、心からうれしい。

 
 パレードの並びは壮くんの隣。
 大きな羽根にときどき攻撃されてるのもたのしい。
 や、いっそまっつの後ろが全部壮くんの黒い羽根に覆われて欲しい(笑)。背景全部黒。まっつ黒髪だから保護色。

 いつだっけかの午後公演、まっつが肩から掛けてる赤い羽根ショールがはずれちゃったことがあって。
 肩からずり落ちるの、羽根が。
 まつださん、必死。笑顔振りまきながら、押さえるのに必死。

 で。
 それに気づいたのは、たぶん隣の壮さんのみ。羽根は壮くん側の肩に掛けているわけだし。片手でごそごそやっているのは、隣ならばわかるもんなんでしょう。

 ずり落ちる羽根を必死に押さえ、誤魔化し歌うまっつを見て。

 壮一帆、容赦なく笑う。

 今あの人爆笑した? ぱかっと笑ったぞ、まっつ見て?!!
 ナニあのSっぷり!!(笑)
 いやあ、今回壮くんとの絡みが美味しいわ~~(笑)。

 
 今回まっつまっつな位置はみんな上手側で、上手前方はふつーには手に入らないしでしょぼんなんだが、最後のパレードだけは下手側。
 エトワールで上手にはけるわりに、次に登場するときは下手端からなのー。後ろぐるーっと走ってるのかなー、とか考える(笑)。

 『EXCITER!!』のまっつは大変美味です、はい。
 あー、かっこいー。
 『EXCITER!!』のまっつが、満面の笑顔でずり落ちる羽根ショールを押さえている姿を思い浮かべているときに、とーとつに昔自分が書いた日記のことを思い出した。

 フィナーレのパレードで全開の笑顔を見て「まっつキライ!」と言う人の話。

 えーと、あれはたしか『マラケシュ』のときの話だな、と、発掘発掘。

>「私の友だちに、まっつを嫌いな人がいて」
>
> ほほお。
> そりゃ好きな人も嫌いな人もいるよなー。
>
>「なにが嫌いって、なんかこう、不幸そうっていうか、いつも泣いてるよーな顔が嫌いだって」
>
> すみません。
> ツボに入りました。
>
> 爆笑しちゃったよ。
>
>「笑ってても、フィナーレでも、なにしててもベソかいてるよーな顔だから、嫌いって」

 2005/06/18(土)の記述ですな。(http://koalatta.blog48.fc2.com/blog-entry-1077.html

 今から4年前。
 このときわたしはまだ、まっつファンではない。

 まっつ好きでダイスキできゃーきゃー言ってるけど、このときは別に、ほんっとにファンではないんだ、今のように。

 まっつの笑顔、変わったよね?

 当時のまっつはたしかに、泣いてるんだかなんだかわかんない笑顔だったが、今は誰もそんなこと言わないよね?

 まっつ、笑えるようになったんだよね。

 笑顔を見て泣き顔だとは思われないよね? パレードでシャンシャン振ってて「こっち見るな、不幸が伝染るっ」とは思われないよね?(当時、「まっつをキライ」な理由として「見てると不幸が伝染りそうでイヤ」っての聞いた。爆笑した)←ひどい。

 それとも、今も変わってないんだろうか?

 変わったのはわたしの方?

 わたしがもお、まっつ好きで好きで、彼が絶世のイケメンでキラキラ王子様に見えているから、真実がわからない?(前日欄で「こんな不幸くさい地味な男役」と書いた舌の根も乾かないうちに、のうのうと書きますよ)

 あれから4年。
 ヘタレな若い男の子(でも目の下にはシワ有り)だったまっつは、見事に大人の男に成長した。
 薄幸キャラだし暗いし地味だと思うけど、それだけではなくそこには留まらず、翳りだとか深みだとか渋さを得ていると思うの!!

 薄幸→翳りがある、暗い→深い、地味→渋い、ですよ、ひとつの事柄には同時にもうひとつの側面があるものなのです。わたしが「まっつ地味~~(笑)」と言ったら、それは「まっつ渋みがあってステキ~~!」ノロケているのです。人生裏腹、言葉の裏を読まなければ都会という名の砂漠は渡れません。
 
 まっつも変わったし、わたしも変わったんだと思う。

 今の大人でかっこいいまっつと、ヘタレ標準装備の泣き顔まっつはチガウと思うし、今のマジまっつファンなわたしと、ヘタレまっつをネタキャラとして無責任に愛でていた昔のわたしはチガウのだわ。

 …………なんか、のっぴきならないところまで来ちゃったというか、「オレもヨゴレちまったな、フッ」てキモチだわ。
 昔からヅカファンだったけど、ご贔屓はいたけど、今がいちばん病が重い、気がする……。

 周囲の影響もあると思う。
 わたしの周囲にまっつファンはいないが(まっつメイト募集中です、よろしくフレンズ・笑)、濃いぃヅカファンには事欠かない。

 上記の日記に登場する友人ふたりは、わたし以上の濃さでヅカファンライフを送り、ご贔屓への愛に日々爆走している。
 周囲の仲間たちに比べたら、あたしなんかひよっこもいいとこだわ……と思う。心から。

 友人たちが素直にご贔屓への愛を叫んでフルスロットル人生送ってくれているから、わたしも安心してイタいまっつファンとして世界の片隅でまっつへの愛を叫んでいられる。
 ビバ友情、ビバ責任転嫁!

 2005年。
 ……博多座『マラケシュ』と『I got music』で、わたしは華麗にまっつオチする。
 で、この博多座へ初日から参戦することを決めたのは、この日記の遠征、東宝『マラケシュ』宝くじ貸切の日の当日券並びなんだよな。
 友だちの友だちで、メールで少しやりとりはしていても、実際会ったことのなかったジュンタンとはじめて会い、ムラで何度か顔は合わせていても双方大人ゆえ社交辞令の域を出ていなかったnanaタンと本気で打ち解けたのが、この日だった(いきなり一緒に旅行へ行く計画立ててるんだからな)。
 この日出会った(さらに親しくなった)友人たちが、その後のわたしを変え(エスカレートさせ)、結果としてわたしはまっつにオチ、現在まっつまっつゆってるわけだ。

 あああ。人生ってなにがどう転ぶかわからない……。

 
 それにしてもまっつ、今も昔もステキよねっ。(言うことがコロコロ変わる)
 今回の花組公演を何回観たか?
 それは、『EXCITER!!』を何回観たか、と聞いてほしいっす。『外伝 ベルサイユのばら-アンドレ編-』の回数は聞かないで。
 心の狭いわたしは、芝居は観てないっすから。チケット代はフジイくんの『EXCITER!!』のためだけに支払ってます。植爺のためには払ってない。今回の公演はフジイくんのショー1本立て、50分のコンパクト公演だと割り切ってます(笑)。立見、あるいは前後左右誰もいないような通路際席をわざと選んで買って、革命場面から途中入場したことは複数回ありますが。芝居を最初から最後まで観たのは初日と楽とあと1回だけだ。

 飢爺を憎んで生徒を憎まず、生徒に罪はないのだから、あんな脚本でもがんばって演じているキャストに敬意を払って観劇するべきだ。駄作を耐えてこそファン、耐えられないなんて、ファンのすることじゃない、ファン失格。
 と、思いはするが、それでも駄目だ。

 植爺『ベルばら』は、わたしには致命的に鬼門。
 繰り返し観ると、植爺云々を超えて宝塚歌劇に絶望する。
 「タカラヅカなんか大嫌い、もう二度と観ない」と、極論へ走るおそれがある。
 こんなモノが容認され、キャストたちが涙ぐましい努力で演じ持ち上げている「宝塚歌劇団」を、許せなくなるんだ。
 劇団を憎んでしまうと思うんだ。嫌悪感から、愛情よりも黒いモノがわたしを支配してしまう。

 わたしはタカラヅカを好きでいたい。
 これからも、作品にツッコミ入れつつ生徒に萌えて、たのしく観劇したい。
 だから、タカラヅカを好きでいるために、これからも観劇していくために、今回の芝居はわたしの中で抹消した。

 わたしはとびきり心が狭いのだ。

 『EXCITER!!』は9回観ました。はい。結局のとこほぼ週2ペースで観劇。1ヶ月公演は短いなあ。あっちゅー間だ。でさらに、オサコンだのケロコンだのトウコちゃん『AIDA』だの観に行っているので、さらにもー大忙し。
 第九のレッスンはあるわ、マジに体調アレで病院通いだわで、もーフラフラ(笑)。
 あー、寄る年波には勝てん……数年前ならこれくらいなんでもないスケジュールなのに、今はもう体力が持たない。
 8月あたりから体調がアレでいまだにヨボヨボ、這うように観劇して、友だちが同じ回を観ているとわかっても連絡もせず這うように帰る……誰かに会える健康状態と気力がないという……そんな孤独な日々も送り、ブログも停滞し。

 こんなときに植爺『ベルばら』なんかで消耗できるかっ!!(笑)

 わたしに必要なのは『EXCITER!!』、そしてまっつなの!(笑)

 と、とびきり視野狭く、苦手なモノを排除して好きなモノだけに閉じこもる、精神的ニート生活。

 実際視界もすごく偏っていて、何回ナマ舞台観たって、まっつしか見ていない。
 オペラグラスで切り取った視界にまっつしかいないから、まちがった感想をイロイロ書いている。
 全体を見ていたらまずこんなこと書かないのに……てなことを、平気で書いてますよ、まっつ語り。
 や、それもまたヨシ。

 間違いに気づいたときは「あちゃー、恥ずかしすぎ!」と思うけど、それも含めてリアルタイムの感想、記録だから。
 真実がどうあれ、その一瞬のわたしが感じたことは、事実だから。
 も、ソレでいいじゃん、と。

 
 ところで、9月11日の記事に書いた、はじめて『ベルばら』を娘さんと観に行く人の話。
 先日会ったので、聞いてみたのよ、「どうでした?」と。

「すっごく良かった!! また行きたい」

 ……案ずるより産むが易し。
 『ベルばら』だから、わたしが大嫌いだからと、他人様の観劇チャンスを奪ったり水を差したりするものじゃない。
 ソレがなんであれ、「観たい」と思ったときが運命のとき、背中を押してやるがヨシ。

 ふつーに楽しんだようだ、『ベルばら』。
 原作を知らない娘さんにはあらかじめプログラムを読むように勧めたらちゃんとストーリーについて行けたらしいし、大昔に原作を読んだことのあるご本人は「そうそう、たしかアンドレって失明するんだわ! すっかり忘れてた!」と、素直に舞台の展開に膝を打って喜んだ模様。

「ドレスがすごいわね。それも、私たちが子どものころ夢見たような、いかにもなドレスで」
 さおたさんたち女子部の人たち、さすがです。カーテン前で喋るだけの短い出番で、ちゃんと『ベルばら』らしく初心者を喜ばせたんだ。

 ショーはさらに、楽しかったそうな。「すごくカッコイイ!!」と。

「お買い物も楽しいわね、『ベルばら』のメモ帳買っちゃった(笑)」
 と、笑顔で言われて、こっちまでうれしくなった。

 ご本人は大昔、天海祐希の『風と共に去りぬ』を1回だけ観たことがあるらしい。
 さすがは天海。なんの関係もない一般人を劇場に足を運ばせる力のあった大スター。
 そして今回の観劇理由は、「『ベルばら』だから」。娘さんが「『ベルばら』って観てみたい」と言ったから。

 腐っても『ベルばら』だ。

 で、高校生の娘さんと一緒にトップスター5人の素顔を比べて、「真飛さんと大空さんがきれい」という話になり、「娘は大空さんがいちばんカッコイイって言ってる」そうな。
 ヅカ初見の高校生のハートを動かすのか、さすがだビジュアル系ジェンヌおーぞらゆーひ!!(笑)

 んじゃまた観てくれる? そのカッコイイゆーひさんの主演公演があるよ。『カサブランカ』を娘さんと是非。

「今度はあわてて2階S席の端っこを買ったりせずに、そのすぐ後ろのB席を買うことにするわ(笑)」
 ……なんか、いきなりスキル上がってる。「たまたま見かけた新聞に広告が載っていて……電話したら、幸運にもチケットが残ってて」と2階S席をなんも知らずに買った人が。

「こあらちゃんの好きな人も見たわよ。クールな感じの人ね」
 おおお。まっつのことも見てくれましたか。プログラムにインタビュー載ってることとかベルナール役で台詞がないこととか、あらかじめ説明した甲斐があった(笑)。
 そうそう、クールエロな人なんですよー、歌ウマなんで、ショーではちょろちょろ歌ってたでしょ? ……と言っても、そっちでは区別ついてなかったらしく「?」と顔に書いてあった。
 おおお、腐っても『ベルばら』、腐っても黒い騎士、ベルナール。初見者に説明できる役って貴重なんだ。

 すっかり視界が狭くなって、偏った考え方しかできないわたしに、新しい風。
 初心者さんの話が心地よい。

「ところで私、家に帰ってから『風と共に去りぬ』のパンフレット探したの、なんかなつかしくなって。そしたら。『風共』のパンフにおおぞらゆーひがいたのっ。あの人いくつよ?!!」

 高校生の娘さんもびっくり、と。

 落ち着いて落ち着いて、ジェンヌはフェアリーだからっ。とくにゆーひさんはフェアリーの中のフェアリー、奇跡のファンタジスタだからっ(笑)。

 いやあ、びっくりしただろうなあ。
 高校生の娘さんなんか、ふつーにカッコイイと思ったにーちゃんが、実は自分が生まれたころ(生まれた翌年とかその次とか?)の舞台に、ふつーに今と変わらない姿で立っていたと知ったわけなんだから。

 タカラジェンヌってすごかろ?
 現代にある、奇跡のよーな人たち、奇跡のよーな劇団。

 
 彼らを愛して、見つめていきたいの。
 日向燦は、どこへ行くのだろう。

 花組『外伝 ベルサイユのばら-アンドレ編-』『EXCITER!!』千秋楽。

 組長が読む退団者からのメッセージで、すでに客席は爆笑に次ぐ爆笑だった。
 惜しむらくは、組長が噛み噛みで読んでいたことか。何度もつかえて読み直したり、意味が通じにくかったりした。……アレ、ふつうに読める人(うまくなくていい、ふつーに朗読できる人)が読んだら、さらにおもしろかったと思う。組長下手すぎ。

 そしてもちろん、マメ本人の挨拶も、実に愉快だった。

 この人を失うことが、心から惜しい。
 残念すぎる。

 てゆーか辞めてナニすんだよ、もったいないだろその個性、才能。
 芸能界以外では宝の持ち腐れ、じゃあここではないどの芸能界へ行くんだ?

 芸能界も広いから、どこかマメが才能を遺憾なく発揮できる場所があるのだと信じたい。
 またどこかで、めぐりあえることを。

 マメの才能を惜しみ、マメ個人を惜しむ。
 彼は十分美しい人だ。スタイルが素晴らしいのは言うまでもなく、丸いやさしい顔立ちはふつうにかわいらしいが、これからさらにあか抜けて美しくなる整い方をしている。

 マメを好きで、マメにずっとここ……タカラヅカにいて欲しいと思い。

 だけどやっぱり、タカラヅカではダメだったのかなあ、とも思う。

 今回の公演を通して見て。
 わたしはひたすらまっつまっつな人で、いつもまっつ中心の視界しか持っていないんだが、それでもマメのことは極力追うようにしていた。や、んなことせんでも目に入るし彼。
 千秋楽は、いつもならまっつ見るとこでも、マメを見ていたりした。

 マメは素晴らしい舞台人だと思う。
 これからも可能性のある、のびしろのたくさんある人だと思う。
 だからそれを発揮しきらないうちに、若くして卒業していくことが残念でならない。別れがさみしくてならない。

 それでもなお。
 マメのいる場所は、タカラヅカではダメだったのかもなあ、と思った。

 この公演通して、そして、楽が近づくとかなり、さらに楽においては、もお。
 マメは、「群舞のひとり」というタカラヅカのルールを無視して、自分ひとりで踊っていた。

 揃える気はないんだと思う。
 主役の後ろのバックダンサーではなく、ただひとり別カンパニーの人のように踊っていた。

 タカラヅカは個性を出して踊ってもいいところで、ぴたりとCGのように動きを揃えることだけを求められる場所ではない。
 だから個々にカラーはチガウし、個性を大切に踊ってヨシ。

 が、マメのダンスはそーゆー域を超えていた。

 悪目立ち。
 ひとりだけ、チガウ踊りをしている……。
 や、振付は同じだけど。でも、同じ振付でも揃える気がなく自分ひとりが気持ちよく踊ると、チガウ踊りになるよ。

 マメだから、退団だから、みんなそれでも愛しく眺めていると思うけれど。
 無名の生徒が退団でもなくコレをずーーっとやり続けたら、いろいろ弊害があるだろうなと。

 楽の日のマメはほんとに、完璧にひとりだけチガウ踊りを踊っていた。群舞なのに。

 反対に、どれだけ個性を出したくても、ただ同じ振付で踊るだけでここまでチガウものにならない、目を引かない人もいるだろう。
 マメはここまでできてしまう。
 本気になればもっともっと、衆目を集めるパフォーマンスができてしまうのだろう。
 本人に実力があり、華がある。
 彼が自分の持つパワーを、彼の個性にとって正しい方向で発散したら、それは「タカラヅカ」のルールを壊してしまうのかもしれない。

 限界だったのかもしれない。

 彼は「タカラヅカ」の群舞にいてはならない人だ。
 彼が「タカラヅカ」を愛し、「タカラヅカ」に合うように自分を抑え、和を乱さないようにしてようやく群舞のひとりとして踊ることが出来た。……それでも十分個性的に。
 彼の本来の姿は、ずっとずっと抑えられ喘いでいたのかもしれない。

 彼の持つ、爆発的な力。個性。光。
 それは、宝塚歌劇団で発揮できるタイプのものではなかった……のかも、しれない。

 だからこそ。

 それでも彼がここにいて、ここを愛して、楽しそうに脇役を務めてくれた。
 いろんなものを表現してくれた。
 そのことがうれしく、貴重で、泣けてくるほど愛しい。

 ぶっちゃけ悪目立ちしている千秋楽のダンス、明らかにやりすぎなパフォーマンスも苦笑しつつ愛しい。
 そっかあ、こーゆーのが全部まるっとマメなんだよなあ。

 本人も自分の組でのキャラクタや立ち位置を知り、期待されていることを知っているだろう。
 それに応えるべくやっている面もあるのだろう。

 マメだから……と、どんな役でも登場するなり演技も役割も無関係に観客に笑われた新人公演。まず演技を見てやれよ、「マメだからおかしい」って先入観で笑うなよ、と腹立たしかったほどに。
 彼はきっと、ここではないどこかで、リセットする必要があるんだろう。

 彼が本来の才能を、魅力を、素直に生きるために。

 それがタカラヅカでなかったことが、残念だ。
 タカラヅカだからこそ出会えて、彼を好きになれて、タカラヅカだからこそ彼は去っていく。
 なにひとつ間違ってはいないのだろう。
 そうだとしても、ただただ寂しい。悲しい。

 日向燦は、どこへ行くのだろう。

 ここには収まりきらなかった光と華を持つ彼は、これからどこへ向かうんだろう。

 わたしがもっともときめいた、あの毒に満ちた耽美キャラとしての彼を、また見せてくれる場であればいいのだけど。
 ……この公演通して、芝居もショーも耽美とは逆路線ぶっちぎりのいわゆる「マメらしいマメ」だったから、外部でもそうそうあの美しいマメには出会えないのかもなあ。
 両方持っている人なのになあ。片方だけに特化した扱いはもったいないよ~~。

 彼との別れを惜しみ、未来に期待する。
 ああそれでもやっぱ、まだいてほしかったな。この花園に。

 でもって組長。
 東宝楽では、噛まずに朗読してくれよ。何度も読んでるだろうに自分ひとり笑ってなに言ってるのかわかんないとか勘弁して。

 最後のメッセージや挨拶までが、「日向燦」という作品なのだから。
 マメが「タカラヅカ」でプロデュースしているキャラクタなんだから。
 彼のその意識の高さやサービス精神もが、うれしくてならないから。

 最後まで、タカラヅカの日向燦として、爆走して。
 『外伝 ベルサイユのばら-アンドレ編-』をキライだと書いた。
 好き嫌い以前に許容できない、見ることすら出来ない、自分の中から抹消するとまで書いた。

 だけど結局のところ、ベルナール@まっつ単体は、めちゃくちゃ好きだったりする。

 なんつー言動不一致。ダブルスタンダード。
 作品がどうの演出がどうのと語る資格ナシ。

 しかもベルナールを好きな理由っつーのがね、ただもお単純に、「カッコイイ」から、だけなのだわ。

 なんつーアタマ悪い理由。恥ずかしい理由。
 脚本がどうのテーマがどうのと語る資格ナシ。

 どんな作品だろうとどんな扱いのどんな役だろうと、ただたんに「**ちゃんが出てるから名作(はぁと)」「他の組? くだらないのわかってるから見ないわ、だって**ちゃんが出ていないもの」とのたまうある意味ヅカファンの究極のカタチ!
 あああ、わたしもまた、紛うことなきそーゆーヅカファンのひとりなのだわ!!
 だってあれほど大嫌いな植爺『ベルばら』なのに、おかまいなしにまっつまっつなんだもの! アンタよーするにまっつさえ出てればそれでいいんじゃん、今後作品がどうのとえらそーに語るなよ、てなもんですよ。

 いっそ「まっつがカッコイイから名作(はぁと)」と言い切る方が潔いですよ。
 作品を完全否定しながら、ご贔屓だけ肯定するなんて、卑怯すぎる。

 自分でもひでーなーと思うし、かっこわるいし恥ずかしいし、間違ってると思いますよ。

 しかし、事実なのだ。

 ベルナール@まっつは、カッコイイ。

 ……たぶんねえ、台詞がナイのが、幸いしているんですよ。
 植爺の『ベルばら』は、ほんっとにわたし、心から大嫌いで。原作レイプの気の狂ったよーな台詞を聞いていると、「うき~~っ!!」となるんですよ。
 その台詞はそーゆー意味で書かれたんじゃない、そんな場面で使われたんじゃない、何故原作の台詞をそのまま反対の意味や無意味な場面で使う?!
 いっそ原作と関係ない、植爺オリジナルの台詞ならもう少し心穏やかでいられるものを、原作のまま、原作を陵辱する意味でしか使用されないから、許せないの。
 役とかキャストとかへの愛情とは無関係に、ただもう植爺が許せないの。

 まっつのベルナールがどんだけかっこよくても、植爺台詞をべらべら喋っていたら、わたしはべつにときめかなかったと思う。
 ネタとして「ベルナール・コスプレをしているご贔屓」として受け止めるに留まったと思う。全ツ『アラン編』のジェローデルみたいに。

 それが、ベルナールは喋らない。
 わたしがアタマをシャットアウトして抹消しなければならないよーな、気の狂った台詞を言わない。

 アンドレ@まとぶんを闇討ちするのはよくわかんないが、喋らないし他に出番がないから、なにか事情があったんだと、脳内補完できる。

 あとは、市民のリーダーとして、武装した王宮軍を相手に立ちはだかる場面だ。
 ろくな武器も持たない烏合の衆なのに、敵わないことはわかっているのに、それでも立ち上がり、志を遂げようとする……その真ん中で、矢面に立つわけですよ。
 かっこいいじゃないですか。
 民衆のリーダーっつーことはだ、それだけの人望があるってことでしょ? そんだけ素晴らしい人格者だっつーことでしょ?

 だって、描かれてないし。

 台詞も出番もないから、ただ「ある」ものだけで判断すると、「民衆のリーダー」「勇敢に戦う」というものすごーく素晴らしいキャラクタ像だけで、そこから逆算すると「アンドレ闇討ち」にもなにかしら事情があったんだっつーことになるし。

 台詞がナイ、出番がナイゆえに、わたしは素直にベルナールを見た目だけで判断できるのですよ。

 彼の美貌と、弱き者たちを背中にかばって剣を取る男らしさ、無傷で戦い抜く戦士としての強さ、過ちを悔やんだり傷ついたモノをかばったり悼んだりする優しさ。
 目に映る情報ゆえに、ときめくのですよ。

 でもってまっつがまた、すげーストイックにハードに、本気で美形に演じているし。

 こんだけ真正面から美形キャラやってるまっつ、すげーひさしぶりに見る。

 アルバロ@『哀しみのコルドバ』は三の線入ってた。ヒョンゴ@『太王四神記』は愉快なおっさんだった。ジェローデル@『外伝 ベルサイユのばら-アラン編-』はたしかに二枚目だけどわたしの中ではノーカウント(植爺だから、キャラ破壊されてるから、まともに受け止められない・笑)。アブ・サラン@『愛と死のアラビア』はヒゲのおっさん。
 相沢くん@『舞姫』まで遡るのか? ……でもわたし、相沢くんを美形キャラだとは特に思ってなかったよーな……(笑)。や、まっつだからクール・ビューティだったけど。
 バロット@『メランコリック・ジゴロ』はバカキャラだったし、ジオラモ@『アデュー・マルセイユ』はこれまた愉快なヒゲオヤジだったし、書生さん@『明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴』はヘタレキャラだったし、リチャード@『MIND TRAVELLER』はマッド・サイエンティストだし。

 役としてはまあ、相沢くんやリチャード以来の、美形キャラなのか。

 なんかもー、すげー久しぶりに、本気でストイックに美形やってるまっつを見た。

 抜きどころナシに、本気に美しく、かっこよくやってる。
 途中弱い表情をすることはあるけれど、それはキャラクタのうちで、そーゆーところも含めて、美形キャラ。

 喋らないから、その美しい姿のみで、あとはいくらでも想像の翼を広げられる。
 彼がどんな思いで革命運動をし、あの日あのときサーベルを手に民衆の前に立ったのか。
 描かれてないからこそ、勝手に都合良く美しく想像できる。

 彼は平民だし、新聞記者という知的職業(文盲率の高かっただろう民衆の中で、書く側だったんだから、インテリだろう)でありつつ、黒い騎士なんかやっちゃう武闘派である。剣術にも長けているわけだよ。
 そーゆー強い強い男なわけで。

 あのまっつが、精悍だ。

 小柄で華奢、医者役者のまっつが。皇子とか弁護士とかのハマるまっつが。
 ベルナールは弱っちくない。ちゃんと強い。

 アンドレたち衛兵隊と合流したあと、男たちが吠える場面があるんだが、この吠えるまっつが、すげーカッコイイ。

 精悍なまっつ。ワイルドなまっつ。

 ときめくなという方が、無理だろう。

 最後の「やったぞおおお」のあと、死に逝くアンドレに対し腕を伸ばすとき、見るたびに表情がちがっていた。
 嘆き悲しんでいることも、苦痛に顔を歪めていることもあるんだけど。

 いつだったか、強い、決意のある表情をしていたことがあって。
 唇を引き結び、まっすぐにアンドレを見つめていた。

 その強い強いまなざしが、嘆き悲しむより姿よりも、なお見ているわたしの胸を締め付けて。
 いやあもお、アレはキたなあ。ぐさりと。

 まあさらに、今後アラン@壮くんと親友になるのかと思うと、楽しさ倍増だし(笑)。

 あああ。
 ベルナールかっこいー。ベルナール好き~~。

 アッタマ悪く、そんなことをほざいております。

 思いあまって「ベルナール・ストラップを作ろう」と貴○製作所とかウロウロしてるんだけど、サーベルのチャームって売ってないんだねー。
 どっか売ってるとこない? ベルナールっぽいモチーフで、てきとーにデザインして作りたいんだが……(笑)。

 
 ところで。
 「ベルナールは台詞ひとつだけ」だと、さんざん書いて来ましたが。

 「ル・サンク」見たら、そーぢゃなかったの。
 「引け!」の他に、「フ!」てのがあったの!!(笑)

 アンドレ闇討ちのとき、やたら気合い入れて声出してると思ったら、「フ!」っての、台詞だったのよ! 脚本に書いてあるのよ、「フ!」って、わざわざ感嘆符付きで!(笑)

 見たとき爆笑したわ。
 そっかー、ベルナールさん、台詞ひとつぢゃないじゃん。ふたつじゃん、2行あるじゃん。

 ははははは。
 『再会』という、ものすげー話がある。

 売れない小説家ジェラール@れおんは、親からの仕送りゆえに女の子たちにちやほやされている男。……それってプレイボーイっていうの? 単に金目当ての女たちに食い物にされているバカ男でしかないんじゃないの? と、設定からつまずくが、大富豪の父親から「結婚して家を継がないと、仕送りは中止する」と通告される。
 女たちにも親友にも借金まみれのジェラールは、仕方なく一旦実家へ帰ることになった。……仕送り受けててなお借金まみれ、周囲の人全員に金銭がらみでしか関係を築けていないって、どんだけ最低男なの? と、設定からつまずくが、とりあえず舞台は彼の故郷、モナコへ。

 大ホテルの経営者である父の跡を継ぐ気になったジェラール。後妻の連れ子である弟に、後継者を譲るのは嫌だ、というだけの理由。……単に金目当て。
 小説家になる夢とかホテル経営への意識とかなにもなく、ただ「義弟に財産を持って行かれるのは嫌だ」「金がない人生は嫌だ」というだけ。そんな男が主人公って……と、設定からつまずくが、とにかく金目当てのジェラールは、父の出す試練を受けることになった。

 この試練がすごい。「サンドリーヌという女性を騙し、心もカラダも弄び、その後捨てる。その様子を小説にする」……いくらなんでもこれはないやろ。ひどすぎるやろ。人間としてありえないやろ。
 「経営者は時に非情になることが必要」だからこんな条件なんだと父は言うが、「経営者として非情になること」が、なにゆえに「なんの罪もない女性を騙して弄んで捨てること」なのか。経営者としての非情さなら、仕事関係で非情さを試せばいい。仕事で非情になるのは生きる上で仕方ないこともあるが、わざわざ女性を騙して捨てることは必要性がまったくない。性別に関係なく、そんな事態とは一生無縁な人がほとんどのはずだ。
 結婚詐欺師になる試練ならともかく、ホテル経営者となんの関係があるのか。と、設定からつまずくが、自分の欲のためだけに、ジェラールはこの条件を承諾。えええ、引き受けるってどんだけ最低なの、人間やめろ! この親にしてこの息子あり! と設定からつまずくがとにかくジェラールはサンドリーヌ@ねねちゃんを騙すために近づき、偽りの恋を仕掛ける。

 ところでこの物語は「コメディ」で、「笑い」部分の大半は、「女を騙してえっちする」ことに関する笑いと、ヒロイン・サンドリーヌの外見を笑うことにある。
 サンドリーヌは外見も性格も「男性から見た女性的な魅力」に乏しい女性で、外見さえまともになれば他に問題ないという描かれ方をしている。滑稽な言動も彼女が不細工な格好をしているときのみで、美しいドレス姿になれば立ち姿からして別人で、そこには性格的な問題もなくなり、笑い要素はほとんどなくなる。外見がすべて。女は所詮カオとカラダ。ブスは笑いものにしてヨシ。少年マンガでもよくある描かれ方。

 服と化粧を整えたサンドリーヌは美しい女性で、ジェラールは彼女に惹かれていく。
 外見さえまともになれば他に問題ない、むしろあの外見だったから男に相手にさせず、清純無垢だと良い方向へ考えられるよーになった。
 そーやって男にとってのマイナスがプラスになったあとで、彼女が不倫・同棲歴有りの「ふしだらな女」だとわかる。

 それでも彼女を悪く思えないと驚くジェラールは、自分は金で女を買う生活(前述の「金の切れ目が縁の切れ目」でしかない女性関係)だったくせに、恋愛感情ゆえにしていた不倫のことは「ふしだら」で「怒ったり責めたりして当然の犯罪」だと思っていることが判明。どの面下げてソレを言うのかと設定からつまずくが、あくまでも悪人はサンドリーヌでジェラールは「彼女の悪を知ってもキライになれない」と善人ぶる。
 
 サンドリーヌに惹かれているジェラールは、父の命令で「えっちしてから捨てろ」を実行できずにもたもたしているが、なにしろ不倫経験有りで「ふしだら」なサンドリーヌは行動的だ。さあ、これからえっちするわよ、とホテルの部屋で意思表示。
 女が処女でないことは罪だから責めていいが、ソレとは別腹、えっちに貪欲で積極的な女を、男は大好きだ。『青い鳥を捜して』で自分から宣言してベッドで脱ぐヒロインをわざわざ描く作家ですから、この「女が自分から」つーのが萌えポイントなんだろう。
 で、女から意思表示させておきながら、それを受け入れておきながら、ジェラールはひとりで先に眠ってしまう……のはよくわからない。サンドリーヌが一服もったのかもしれないが、作品中で名言はされない。

 サンドリーヌは作家志望の貧しい女の子で、ジェラール父に雇われていた。ジェラールに恋を仕掛けて捨てる役だったのだ。
 ……それはいいんだが問題は、ジェラールの親友たちもグルだったということだ。ナニも知らないのはジェラールのみ。だって彼にあるのは父親の金だけ、彼の周囲は金目当ての人間しかいない。親友たちも金のために平気でジェラールを騙して高みの見物でニラニラしていた……ってどうなのよ、そんな主人公、そんな親友、という設定からつまずくが、なにしろこれは「コメディ」なのでかまわないらしい。

 ひとりだけナニも知らないジェラールは父の財産も得られずひとり都会でびんぼー生活。みじめに太鼓持ち人生。
 そこへ羽振りの良くなった親友たち登場、ジェラールに種明かしをする。
 「すべてお前のためにしたことだから」と騙していたことを正当化、金で雇われ金のために親友を騙し、金を儲けてウハウハ笑う親友は、「小説が売れて金持ちになったんだから許してくれるよな」と金がすべての世界観を語る。……もし小説が売れなかったら、友情を金で売っただけで終わっていたんだが、そんなことはまったく気にしていない。
 またジェラールも、自分が騙されて書いた小説がベストセラーになったと知り、ころりと全部肯定する。もともとその程度の人間関係、それしかない人格、傷つくこともない……って、どんだけ最低な人しかいないの、と設定からつまずくが、「ボクたち親友! ルルル♪ラララ♪」と割れ鍋に綴じ蓋、最低人間ばかり平和につるんでモナコへ。

 すべては父の策略で、ジェラールとサンドリーヌがデート中に感銘を受けた出来事はヤラセだったと判明。最低男の最低物語の中の、わずかばかりの「ちょっといい話」もただの嘘、じゃあマジでただ最低なだけでナニも残らないけどいいのソレで?! と、設定からつまずくが、「どんでん返し、すごいだろー(笑)」「すごいなあ、イシダせんせってばストーリーテラー♪」な盛り上がりを見せる舞台上。
 騙されて書いた、その騙されっぷりを本人以外が書いた(1冊の本になるようまとめたのは別人、ジェラールはラストまで書いていない)、しかも共著でひとつの出来事をふたりの作家が書いているという小説がベストセラーになったからといって「オレって大作家! ホテル経営者にはならないよ、小説で食べていくから」と言い切るアホさはどうなの、アンタの実力でも実績でもなんでもないやん……と設定からつまずくが、ジェラールは夢を叶えて実は善人の後妻と義弟に家督を譲って家庭円満。

 そこへサンドリーヌ登場。実は彼女は貧しい卑しい生まれの娘ではなく、大富豪の姫君だった!! ……貧しいから金のために泣く泣く、ではなく、お金なんかいくらでもあるのにわざわざ悪事に手を染めたの?! と、設定からつまずくが、「どんでん返し、すごいだろー(笑)」「すごいなあ、イシダせんせってばストーリーテラー♪」な盛り上がりを見せる舞台上。
 サンドリーヌは「金のために女を抱いて捨てようとしている男を騙す」ことがミッションだったが、ジェラールは「なんの罪もない女を弄んで捨てる」ことがミッションだった。ふたりのやったことは同じように「金のために相手を騙す」ことだが、罪の重さがチガウ、つーか倫理的にちがいすぎる。なのに罪を責めるのはジェラールのみ、悪人はサンドリーヌ。
 しかもサンドリーヌは不倫歴ありの「ふしだら」な女だ。大悪人だ。こんな女を、男はいくらでもなじっていい、責めていい。女も、悪いのは自分だけだと思っている。

 傷物で嘘つきな大悪人だけど、寛大な男はそんな女を許して結婚してやることにした!! ジェラール人格者! 赦してもらってよかったねサンドリーヌ!!
 とゆーことで、ハッピーエンド!!

 ……とゆーオチに設定からつまずくんだが、さらに駄目押しが付け加えられる。

 ご丁寧に、「金の切れ目が縁の切れ目」だった相手をラストに再登場させ、「主人公が金持ちになったから態度を豹変、媚びへつらう」ところを「コメディ」として描く。ことさら滑稽に描き、笑わせる。
 金がないときは強者に媚びへつらっていた主人公が、いざ上の立場になると豹変、弱い立場の者を足蹴にする様、をまた「コメディ」として描く。笑わせる。
 どんだけ最低なん?!! と、また絶句させて幕。
 

 ……というなにもかもがすごすぎる話なんだが、ナニより怖いのは、この物語が、「かわいらしい、罪のないラブコメディ」だと世間的に認識されていることだ。
 まともな人間は誰ひとり出てこないし、愛も誠実さもどこにもなく、あるのは金と権力への執着、すり寄りと媚びへつらい、騙して平気、傷つけて平気、徹底した男尊女卑、他人を傷つけ虐める様を笑う価値観。
 これが「かわいらしいラブコメ」で、何度も再演される「名作」なのだ。

 この事実が、いちばんこわい。
 「宝塚歌劇団」に絶望する要因のひとつだ。
 わたしはイシダ作品が苦手だ。
 そして『再会』も、嫌いだ。イシダのイシダらしい、嫌ったらしさに満ち満ちた作品だと思っている。女性を弄んで捨てることを笑うコメディなんて、正気とは思えない。

 だが。

 星組全国ツアー初日、改めて『再会』を観劇して。

 どうしてこの作品が支持されるのか、わかった気がした。
 いや、思い出した、というか。

 昔々、この作品の初演を、わたしは初日から繰り返し観た。ムラだけに留まらず、東京まで追いかけていって観た。
 当時わたしは、この作品を、キライではなかった。

 初見では、無邪気に笑うことができるんだ。
 先を知らないから、どうなるのかわかっていないから、そのときそのときだけを楽しめる。
 さすがに初見から「女を騙して弄んで捨てる」のはどうかと思うが、これだけひどいことをネタにするには、なにか意味があるとかすばらしいどんでん返しがあると思うじゃないか。
 ふつーに楽しく、笑って観ることができるんだ。

 それが、リピートすると作品の酷さが目に付くようになって、どーにもこーにも気持ち悪くなる。
 オチを知ったあとでは、なにひとつ笑えなくなってしまう。登場人物すべてが最低。みんな嘘。欲にかられた嘘だけで、他人を騙す物語。そしてそれを「相手のため」と偽善ぶる物語。
 ストーリーもひどいが、作家の人間性が透けて見える気がして、それにも閉口。他人を傷つける様を笑う「コメディ」は、わたしの逆ツボ。

 あとになればなるほど、嫌悪感しか残らない。

 初演はもう、昔々、10年も前。
 10年間、嫌悪感ばかりが強く残り、熟成された。

 『再会』というと、最低な話。という感想。『ベルばら』というと、最低な話。という感想なのと同じ、わたし的枕詞の域。ぬばたまの、と言えば、黒髪と続く、ぐらい自然な言葉。

 だから再演が決まったときに、心からうんざりした。
 どの組の誰が演じるにしろ、勘弁してくれと。あんな最低な偽善話を「ちょっといい話」として再演を繰り返すのは絶望するからやめてくれと。

 10年間嫌悪だけが積み上がって、初見時のキモチを忘れていた。

 そうだわたし、あのころこの話をキライではなかった。
 引っかかるところはあっても、そーゆーことより別のところが楽しくて、そこまで気を取られることがなかった。

 全ツ初日。
 れおんくんとねねちゃん、そしてかなめくんという若々しい新生星組の面々による『再会』を観て。

 思い出した。
 
 主役のファンならば、ものごっつー楽しめるのだということを。

 たしかにひどい話で、主人公は最低最悪なんだが。
 そーゆーことには思考をストップさせて、役ではなく役者個人を眺めるのは、ものすごくたのしい話なのだ。

 かわいいんだ。

 主人公ジェラールは、ストーリー内でどんどん立場が変わる。また、気持ちも変わっていく。
 それを主人公目線でえんえんじっくり描かれる。

 大雑把が基本のタカラヅカにおいて、主人公が恋に落ちていく様をじっくり眺められる物語は、稀有だ。

 出会った瞬間恋に落ちてそれまでと別人とか、さっきまでふつーに世間話していたのに、しばらく舞台上で会ってない・出てこないのに、次の銀橋では愛の歌を歌っていたりするのがタカラヅカ。
 いつ、なんで、恋に落ちたのか。どーしてその人なのか。
 なんの説明もない、ただ「トップスターと娘役トップスターだから」というだけの恋物語を何十年何百作上演し続けるタカラヅカ。

 そんななかで、出会いから恋、打ち明けられなくてじれじれ、すれ違ってじれじれ、もうダメだサヨナラだ、でもどんでん返しでハッピーエンド! を、フルコース主役目線でやってくれる作品は、ほとんどない。
 「恋愛至上主義」の劇団なのに、ほんっとーに、ほとんどないんだコレが。

 それがこの『再会』ときたら。
 これでもか、と主役の感情のみを追い続ける。

 主人公の表情、感情、浮き沈みの激しさを、たーーっぷり堪能できる。

 てゆーか、恋に落ち、女の子にめろめろになって、自分の気持ちに振り回される主人公を見られる、って、すげーたのしいっ。

 トドファンだったわたしが、当時どんだけ舞い上がっていたか。
 愉快なイキモノ・グンちゃんにめろめろになって振り回されているトドが、どんだけかわいかったか。グンちゃんを見つめるトドの目が愛情と興味にあふれていて、アドリブでグンちゃん抱き上げてぐるぐる回ったりする姿に「どどどどーしたんだ硬派一途の九州男児が?!」と目を飛び出させたもんだった。
 恋にコワレるトドロキ、という、未知の状況にくらくらしつつも、楽しそうで幸せそうなご贔屓に、こっちもつい頬がゆるむという状況で。

 そうだった、コレ、すげーたのしいんだった。
 1回観るだけなら、誰でもふつーに楽しいし、オチを知った上でもリピートしても、主演のファンなら楽しいんだ。主演に好意を持っているなら、楽しめるんだ。

 なまじ何度も観すぎていて、映像でもなんでも見すぎてきて、最初の出演者への感想よりもあとから残る作品と作者への嫌悪感ばかりが大きくなっていた。

 うおおお、10年ぶりの『再会』。
 や、コム姫の再演は全国ツアーのみだったので観ていない。当時の全ツはほんとに全ツで、大阪では上演されなかったから。
 だから初演以来の観劇。

 ジェラール@れおん、かわいすぎ。

 かわいいっ、ジェラールかわいいっ。
 金髪のれおんくん、ステキ過ぎ、イケメン過ぎ。

 ナニあの男、格好良すぎる。

 彼の周りがきらきらして、リアル少女マンガだ!

 「結婚なんてしないぞぉーっ」と若者らしく言い捨てているときもかわいいし、プレイボーイらしくいかにもなカッコ付けてるとこもステキ。そして、どんどんどんどんサンドリーヌ@ねねちゃんに夢中になっていくところが。
 サンドリーヌの「ふしだらな過去」にショックを受ける様とか、混乱してぐるぐるしているとことか。
 最後、再会したふたりの「嘘つき合戦」、嘘だからひどいことを言っているのに、サンドリーヌが泣き出してしまうかわいらしさ、それにジェラールの心の動く様。
 ナニもかもが可愛すぎて、うきゃ~~~~っっとなる。

 かわいいかわいいかわいい。

 幕が下りたあと、見知らぬ隣席の人と、「ナニあれ、かわいすぎるっ」「ちえちゃんイケメン過ぎっ」「星組よ、とてつもなく星組だわっ」と盛り上がる(笑)。

 うっわ、たのしい。
 たのしすぎる。

 つか、れおんくんマジやべえ。
 かっこいい。
 開く、という行為は、エクスタシーなのだと思う。

 月組公演『Heat on Beat!』初日観劇。

 暗闇が、開かれていく。門が開く。光によって。
 その切り取られた空間が、どんどん広がっていく高揚感。ときめき。

 そして。
 闇の向こうに、トップスターがいる。

 今、を最高潮に輝いているスターがいる。

 開く。
 そのときめき。
 開いたその先に、あさこちゃんがいる。
 光の中に、光をまとって、光そのものとして、瀬奈じゅんがいる。

 …………いやあ、冒頭のテンション上がり方はハンパなかったっす、わたし的に。
 そのあとのオープニング自体は明るく元気なんで、最初の胸がハクハクする感じとはまたチガウんだが。

 相変わらず予備知識なく観たわけだが、『Heat on Beat!』はえらく盛りだくさん、つーか節操ないほどにバラエティに富みまくっている。

 オギーみたいな「作品全部でひとつの、何重にも張りめぐらされた複雑な物語」になっているショーはともかく、ふつーのタカラヅカ・ショーでは、「ひとつだけでも、この場面のために通える」ってな魂揺さぶり系のツボ場面があれば、「好きなショー」とカウントしている、わたしは。

 んで、この『Heat on Beat!』。

 なんかツボにど真ん中キタんですけど。

 前半の目玉だと思う、赤い椅子の場面。
 白スーツの旅人あさこがたどりついた、エキゾチックなクラブ。
 ここが、もお。

 あさこちゃんの、美しさ。
 洗練されたスーツのライン、落とした照明の中、浮かび上がる光。彼個人の光。

 対する赤スーツきりやんの、毒々しさ。

 きりやん毒全開!!
 うわーん、このきりやさん好き、見たかったきりやんがそこに!!

 あさこちゃんを翻弄するきりやん、そしてスーツの男たち。
 椅子を相手に踊る官能、倒錯。

 で、椅子を蹴るのあひくんだよね? かっこよかったわ。

 男たちもエロいし、女たちもエロい。あさこちゃんが台の上で女の子ふたりに押し倒されて上に乗られてるのを見た日にゃあ、目が点になりましたよ。

 そして、ファムファタルよろしく登場するあいちゃんの、艶やかさ……!

 男たちが愛撫するように踊っていた赤い椅子が肉体を得たなら、まさしくこの女だろうと思わせる、デカダンスな大輪の華。
 あさ×あいの、大胆なリフトもすげー美しい。

 エロ美しいだけでなく、不吉で不安、まさしく耽美な場面だった。
 この場面だけでも通えるでしょー、この作品。
 久しぶりに、ショーで好みの場面を見た。(いつ以来かおぼえてないくらい、久しぶり……『ソロモンの指輪』以来か?)

 
 とにかくバラエティ・ショーなので、やりすぎっていうか落ち着きのなさは感じた。
 個人的に突然で無理矢理なラテン部分(「クンパンチェロ」だの「ベサメムーチョ」だの)には、思わず「ヲイヲイ」と突っ込んだ(笑)。やらにゃならんのか、ソレは。

 でもそのごちゃ混ぜ感がいかにも「タカラヅカ」で、いいんだと思う。
 全体としてどうよりも、「1場面お気に入りがあればOK!」なんだもの。

 蛍光カラー部分入りのスーツのオープニング、いきなりあさこ様の両脇がそのかとマギーで、その渋さにびびった(笑)。組長も真っ赤な口紅でがんがん踊ってるし。
 そのかより上の人たち、きりやん、あひ、もりえ、まさお、みりおは彼らだけで銀橋場面。だから最初はそのマギなわけねー。
 いったん「オープニング終了」って感じに暗転したあと、「おまけ」ってな場面がちょろりとあったり。

 芝居に引き続き、まさおセンターで1場面っつーのにびっくり。この学年と番手?で1場面って、キム以来かなあ、イメージ的に。
 目玉はうらもえのバレエシーンのよーな気がしなくもないが(笑)、まさおくん中心で若い少年たちばかりでまるまる1場面って、信頼されてんだなあ。まさみりの並びが麗しい。
 組ファンだとたのしさもまたチガウんだろうな、お気に入りの若手をがっつり眺められる場面なわけだから。
 まあちと長い気がするんだけどね、ここも一旦終了と見せかけて、またさらに続くわけで。……ミッキーせんせのブームだろうか。
 
 
 それとは別に、まさみりはまたしても女装して美脚を披露。あさこちゃんに絡んでました。ラテンな場面からの流れでだっけ?
 柱がくるりと回って、そこから美女が登場するのは興奮するな(笑)。

 ロケットも変則的な位置に挿入。つか、ほぼ真ん中あたり?
 プログラム買ってないから確認も出来ないんだが、「え、ここでロケット??」と思った。

 
 中詰めになるのかな、白い衣装の大人数群舞。
 神が望み、人が夢見る明日。そんなフレーズが繰り返されていた。

 エル・ビエント、風の吹き渡る空間。

 中央で踊るあさこちゃんがどんどん透き通っていく。
 輝度はそのままに、白い風になっていく。
 美しい、ひろいひろい場面なのに、息詰まる感じがある。この美しい人が、この地上を離れて飛び立っていくのだと思い知らされるからだろうか。

 見つめていると、自分も体重やら大地やらを見失ってしまいそう。
 や、わたしは「落ちる」と思った。
 だってわたしには翼はない。
 あさこちゃんと同じように重力とは無関係に、大地から離れてしまったら、わたしは墜ちてしまう。羽ばたくあさこちゃんを、墜ちながら見上げるんだろう。

 そーゆーたまらない場面。

 
 かと思えば、タンゴもありーので。
 古城でがっつり踊る人々がかっこいい。あひくんとしずくちゃんが踊りながら銀橋渡ってたのはここだっけ?

 わたしゃここでの「あさこさん脱ぎ脱ぎプレイ」に気を取られてました。
 だって、登場するなり階段降りてくる間にどんどん脱いでいくんだもの! さすが瀬奈じゅん、最後のショーにナマ脱衣シーン入れるのかよ?! と、心臓バクバクさせてました(笑)。

 どこまで脱ぐんだ、と思ったら、最後の1枚をなかなか脱がなくて、「いつ脱ぐの、いつ?!」とじらしまくり。
 いやその、最後の1枚ったって、ジャケット(周囲から浮いてる真っ赤なヤツ)のことなんだけどね。絶対アレも脱ぐぞ、脱ぐはずだ!と思って見ていたから……結局脱いだの最後だし。

 
 黒燕尾大階段ダンスもあって、ほんとに「これでもか!」な作りだ。

 この圧巻の黒燕尾男ダンス場面に、愛希れいかちゃんが混ざっているのを見てびっくり。ダンサーだから?
 ちっこくてほっそいカラダで黒燕尾着て、下手奥のいちばん端でがんばって踊ってました。最後は上手端。
 で、パレード直前に黒燕尾なわけだから、ロケット衣装でパレードする他の研1生たちとはちがい、ちゃんと黒燕尾で男役として階段降りて来た……でもって、なんか上手端でしばらくコーラスしてたよーな? びっくりしたー。

 あ、あと輝月くんはロケットでも最後の階段でもわかりました。やっぱ好みなのかな、あのキャラクタ……。

 
 あさこちゃんときりやんは、がっつり組んで歌って踊って。
 ふたりだけの場面もあった。
 銀橋とか、これから変わっていくんだろうな……てゆーかアレは、楽の日とか絶対泣けるぞヲイ。

 あいちゃんはあさこちゃんよりも、きりやんとのデュエットダンス姿にきゅんときた。
 ずっと相手役だったよね。今回は芝居も相手役だし。

 
 あさこちゃんと現在の月組の魅力を存分に、縦横無尽に見せてくれるショーだと思った。
 あああ、もっぺん見たい~~。チケット持ってない~~。

 
 芝居? 芝居の話は、またいずれ……。うーん、アレはなあ……正塚よ……。溜息。 
 とりあえず正塚せんせは、モノローグだけで進む芝居をやめてくれ。

 男役・瀬奈じゅん最後の公演『ラスト プレイ』観劇感想。

 モノローグ過多はすでに芸風だとあきらめてはいるが、今回は特にひどい。舞台上の80人だかの脇出演者の総台詞量より、主役のモノローグの方が多いってな勢いで、モノローグだらけ。
 モノローグもナマ台詞なら許せるが、全部録音。
 観客はナマの芝居を観に来ているのであって、録音芝居を観たいわけじゃない。

 モノローグで説明しないと話が進まないというか、ぶっちゃけ話がナイというか、もう大変だ(笑)。

 主人公の自分探しなので、物理的なアクションより精神的な変化が重要、でもって精神面を描く手法が録音モノローグ。
 ストーリー展開が日記風というか、「○月×日 こんなことがありました。ボクはこう思いました。」「○月××日 こんなことがありました。ボクはこう思いました。」とだらだら連なっていくだけなので、すげーテンポ悪い。

 出来事が同じテンションで羅列されるだけなので、「これって何分の芝居だっけ……いつ本編はじまるんだっけ……なにがしたいんだろう……」と疑問符を飛ばしまくった。

 孤児のアリステア@あさこはプレッシャーからピアノが弾けなくなった。ピアノで金を稼げる人になるのが、孤児の彼の唯一の生きる道だったのに。
 人生途中で突然トラバーユを強いられたアリステアは、偶然出会った刑務所帰りの男ムーア@きりやんとつるんで新人生をはじめた。ムーアは裏世界にも詳しいようだが、あくまでもアリステアはムーアの表商売の相方。
 なのにムーア狙いのマフィアに間違って撃たれてしまった。目ざめたアリステアは「私は誰? ここはどこ?」……記憶のないアリステアはプレッシャーもないのでピアノも弾ける。びっくりしたのはムーア、「えっ、こいつピアニストやったん?!」……ただの世間知らずのイケメンだと思ってたんだよなー。
 で、とーとつに記憶は戻る。や、ほんと唐突に。理由なんてナイですよ、現実なんてそんなもん。大事件があってそれゆえ劇的に記憶が戻るなんて、物語の中だけですよお客さん。……でもコレ、フィクションなんだけど。記憶が戻ったら、またピアノは弾けなくなっちゃった。「ホンマはお前、ピアノ弾きたいんやろ」「ピアノはもう捨てたんだってば。弾く気なんかないよ」アリステアはまだうじうじ。まあ所詮、プレッシャーでコンクール本番に倒れた男ですから。
 そんな折に悪のマフィア再襲来! 恋人エスメラルダ@あいちゃんを人質に取られたムーアはダイナマイト持ってマフィアへ殴り込み。ムーアの一大事だ、アリステアも駆けつける! 悪者どもをやっつけ……たというより向こうが勝手に自滅してハッピーエンド、と思いきや。
 なんとムーアが撃たれていた! 「俺の最期の頼みや……ピアノ聴かせてくれ……俺、お前のピアノ聴きたいねん……」「バカ、最期とか言うな!!」アリステア、涙ながらにピアノに向かう!! 友情の力でプレッシャー克服だ、トラウマ打破だ! ムーアはアリステアのピアノを聴きながら……まあ、お約束の展開で、お約束はイイが、そこですとんと終幕。
 えええ、これで、ここで終わるのか。あ、ムーアさんが関西弁なのはただのイメージです、本気にしないように。
 

 ずーっと同じテンションで、「今日の出来事」だけが日記のようにモノローグ・モノローグ・モノローグで続いていく。
 ……誰か、添削してくれる人はいなかったのか。
 もしもわたしが教師で、生徒がこーゆーレポート出してきたら、「テーマを絞って書き直しましょう」と一旦返却しているわ。
 まず、出来事を1行にまとめて、それを時系列に箇条書きにする。「アリステア、ピアノコンクールに出場」「アリステア、コンテスト会場で倒れる」とか、そーゆー風に。端的に、出来事だけを整理して。
 その上で、「いちばん描きたいこと」がその箇条書きのどの部分かを考える。
 いろいろいろいろ思い入れはあるだろうけど、あえて1行だけ選ぶ。
 「アリステア、記憶喪失になる」でもいいし、「ムーアの頼みで、ピアノを弾く」でもいい。
 とにかく、1行、ひとつの出来事のみを選ぶ。

 で、その選んだ1行を含む場面、事件だけの「物語」を描く。

 記憶喪失なら、記憶喪失のみ。その前の孤児院でどーのとかアンティークショップ経営とか、そのあとの記憶が戻ったあとのギャングとのあれこれとかも、一切なし。
 記憶喪失のアリステアがなにを感じ、どうやって日々を過ごしているかのみ描く。
 それによってなにを表現したいのか、テーマだけを突き詰める。

 ムーアの頼みでトラウマを乗り越えてピアノを引くのならば、そのふたりの最後のやりとりのみをじっくりねっとり描く。記憶喪失もその他の出来事も一切なし。
 ムーアの頼み、それを叶えるためのアリステアの葛藤などだけを描く。
それによってなにを表現したいのか、テーマだけを突き詰める。

 で、肝心要、ここがいちばん大切、と自分が選び、こだわり、まるまるひとつの物語をその場面だけで描ききる勢いで描いたあとに、最初の箇条書きを引っぱり出す。
 ひとつだけ選んで描いた場面に関連する、直接キーとなっている出来事のみをピックアップし、時系列に並べる。

 いちばん要の場面を活かす、そこをいちばん盛り上げる、ただそのためだけにそれ以外の出来事を配置し、演出する。
 最重要場面のみはもうかなりのボリュームで出来上がっているから、それ以外の場面にはあまり時間を割かない。

 テーマの確立と、ストーリーの緩急。
 そこに時系列をあえていじったりの仕掛けを加え、クライマックスが盛り上がるように心がける。
 主要人物以外の出番は、仕方ないからこのあとで付け加え。本筋にはまーーったく絡まないダンスシーンやクラブで女の子が踊る場面を入れるわけだな、正塚らしく(笑)。

 ほんとは大筋を考える段階で、主要人物以外のモブをどう入れるかミュージカルらしい場面をどうするか考えるもんだけど、まあなにしろ正塚だし(笑)。すれ違う通行人たちと脈絡のないクラブのショーでお茶濁してすべてヨシなんでしょ?

 と、えらそーに語ったところで、わたしは教師ではないのでただの素人のたわごと。
 しかし、素人にすぎなくても、もどかしくてたまらない。
 なんなの、あのダラダラした盛り上がらない「ボクの日記」は?
 「物語」なら、起承転結緩急付けて、クライマックスでどーんと盛り上げて終了しろよー。

 お笑いに逃げるのではなく。

 頼むよほんと。
 『ラスト プレイ』の、ダラダラした盛り上がりのなさには閉口した。
 いくらでも面白くできるネタだし、あさこちゃん、きりやん、あいちゃんと実も華もあるキャストが揃っていて、なんでこんなことになっているのか、とじれったかった。

 でも、いちばんトホホとアタマを抱えたのは。

 お笑いに逃げていることだ。

 なんか、手を抜いた言い訳に、お笑いに走っている気がした。

「ものすごく大事件が起こりました、主人公は危機一髪です。この危機を、どうやって乗り越えるのでしょうか?!」

 という、状態があり、その回答が。

「大丈夫です。主役はなにもしないけど、悪役がバカだったので、勝手に自滅しました。おバカな悪役を笑ってハッピーエンド、よかったね★」

 ……だと、肩透かしも甚だしいっす。
 これってもお、禁じ手ぢゃないの?
 どんだけ深刻な、大事件も起こしたい放題。
 うわっ、こんなに大変なことになって、ハラハラドキドキさせて、いったいどうやってこれをまとめるの、ひっくり返すの?!

 悪役がバカだから、無問題。

 テロリストが攻めてきても、核爆弾のスイッチが押されても、昔の女が「あなたの子よ!」と突然現れても、全部OK、「悪役がバカだから、勝手に自滅」。
 なんて魔法の言葉、悪役がバカだから、無問題。るるる、ららら♪

 どんなことも書けるし、やりっぱなし、てきとー、その場しのぎでOK。どんなに大変なことにしても、悪役がバカだから、勝手にバカやって「うおーっ」と滑稽なことやって、観客が大笑いして、「よかったねー、全部丸く収まったわー」るるる、ららら♪

 ……正塚よ……何故にこんなことに? あなたいつからそんな人になっちゃったの?

 最初からおバカなコメディだと銘打ってくれていれば、そんなオチでもかまわないのよ。
 主人公チームに絡んでくる敵が、わずか数名(ボスの愛人含む)しかいないのに大マフィアを気取っているバカ小悪党だと書いてくれれば。
 カンチガイして大物気取って歌い踊ってくれれば、「ああ、そーゆー世界観なのね」とわかる。
 そんなアホに撃たれて記憶喪失になる主人公や、そんなアホとモメて死んだふりをする準主役の男ぶりは下がるけどな。
 
 シリアスもののよーに登場させて、実はおバカでした、ちゃんちゃん♪ で笑わせて終わりっつーのは、あまりに誠意がないわ。
 そりゃそれまでまともに見えた人がいきなりお笑い芸人みたいな崩れ方をしたら、観客は笑うけど、その瞬間ウケるし、「ふつーの主人公がバカに勝つのは当たり前」だから、クライマックス収束の方程式は間違ってないけど、それで「当たり前」にしちゃうのはひどくないか?

 真面目に書くと大変だから、楽をした結果に思える。
 だって正塚せんせ、真面目に書くことだって出来る人だし。

 日常の中にあるおかしさ、シリアスだけどくすりと笑える、というのと、今回の『ラスト プレイ』のちぐはぐな笑いは、チガウと思うんだ。

 シリアスと笑いが融合していない。
 これらは相反するモノではなく、共存できるんだよ。
 なのに、してない。ちぐはぐ。どっちつかず。

 なんつーかもー、観ていて、途方に暮れた。

 最後の場面、ムーア@きりやんが虫の息でアリステア@あさこにピアノを弾いてくれと頼むところで、笑えばいいのか、感動すればいいのか、判断に困るのは勘弁して欲しい。

 こちらもオチの予想は付いて観ているけれど、作者がどーゆーつもりで描いているのかわからなくて、演出の中途半端さに困惑するという。
 初日ゆえの客席の、あの空気。
 「え? 死なないよね?」「でもなんかシリアスだよ??」「あさこさんサヨナラだし、最後はシリアスなんぢゃね?」「じゃあここ、笑っちゃいけないの??」「えー、でもなんか嘘っぽいよー??」……誰も声には出さないが、「???」が飛び交う、ある意味緊迫した空気。

 まあ、オチを知り、観客が自分でどう感じるか咀嚼したあとでなら、演出の半端さはどんどん気にならなくなるんだろう。
 あの空気感は初日のみで、この情報過多時代、先にどんな話か耳にした人はまたちがった受け止め方をするだろうし。
 ラストだけでなく、全体に漂うシリアスと笑いのちぐはぐさも。

 
 ともあれ、ラストの盛り上がり場面を、どちらかにすることは、できたと思うんだ。

 感動のドシリアスな場面にすることも、最初からオチをわかっていて、安心して笑いながら、それでも男たちの友情に感動することだって、できる。
 それまでの演出、世界観の統一で。

 それをしていないからこの作品は、ただ箇条書きにして、〆切が来たから提出しました、という未完成品に思える。

 や、こっから推敲して、いらないものを削ったり必要な肉付けをしたり、最後にカラー統一してきれーにパッケージして、はじめて「商品」として店頭に出すんだよね?

 ……未完成とか下書きとかで、「まあいいや」って客に売ってしまうのは、手抜きに思えるんですが。

 同じキャラと設定、同じストーリーで、もっともっとおもしろくできるだろうに。
 なんでやらないんだ。

 じれったい。
 すげー、じれったい。

 あさこちゃんもきりやんも、もっともっと出来るのに。
 彼らの魅力は、もっと多面的に複合的に、表現できるのに。

 もったいないっす。

 つか、ネタ的にはオイシイのに。
 書きようによっていくらでも盛り上げられるし、「悪役がバカだから、無問題」にしなくても事件を起こして収束できるし、モノローグ一辺倒の淡々日記ではなく起承転結メリハリつけて、ついでに耽美にも愉快にも萌えにもできるのに。

 だってコレ、あまりにも「未完成」で「下書き」風味で、「仕上げをやらせてくれ、これを原画としてデザインをさせてくれ、『作品』にさせてくれ」というキモチになる……。

 あー、同人誌作ればいいのか。
 本編がスカスカで辻褄があっていないことだらけだと、同人界が活気づくのな。隙間なく書き込まれたまともな物語だと、ツッコミも入れられない、知りたいことはみんな本編で過不足なく書いてくれるから想像の翼を広げてがんばって補完する必要がない、という。

 同人誌向きの作りだわ、この作品。
 観客のキャラへの愛情だけで持っている感じが、もお(笑)。

 
 とまあ、しろーとが勝手にいろいろほざいてますが、正塚せんせだからついこちらも要求を高くしてしまうだけであって、植爺『ベルばら』を観たあとでは、パラダイスですよ。

 舞台が美しく、主役がいろいろと萌えな「美しいこと」になっている。演出が地味ですが、それはつまり悪趣味ではないということで、リピート基本の作品では、悪趣味よりは地味な方が絶対イイ。
 悪役たちのご都合主義と下級生の役のなさはどうかと思うけど、悪役はオイシイ役だし、役はなくても出番はできるだけ作ろうとがんばっていることもわかるし。

 主要キャラたち、個々はとても興味深いし。

 彼らのキャラを、人生を、彼らの演技から行間から読みとっていくのは、たのしいと思う。
 そーゆー作りであるのは、いつもの正塚作品。

 そーなんだよねえ、キャラなんだよねえ。
 ストーリー手抜きでも、ともあえずキャラがかっこよかったりかわいかったりしたら、それだけで通えちゃうからなー。作品がどうあれご贔屓が出ていたら通っちゃうタカラヅカと同じで。
 キャラもの作家という点では、正塚せんせはまちがいなくヅカ作家だよなー。ハリー作品って主人公の自分探しであったり、ストーリーよりキャラやテーマ、雰囲気重視だもんよ。(つか、息もつかせぬストーリー展開、物理的な出来事によって進む正塚作品ってあったっけ?)

 つーことで、なんやかんや言っているくせに。

 キャラは好きだぞ(笑)。と、次はキャラ話~~。 
 正塚晴彦は、瀬奈じゅんをどうしたかったのだろう?

 『ラスト プレイ』のぐだぐだっぷりは、そこに尽きる気がする。

 とりあえず、アリステア@あさこのヒロインっぷりを、愉快だと思う。

 最後の最後に天下の瀬奈じゅん様に、魔性の総受キャラをやらせんでも、正塚よ(笑)、と思う。
 孤児ですよ。ピアニストですよ。ナイーーヴで傷つきやすくてトラウマ抱えちゃって大変★な美青年ですよ。
 出てくる人たち、男女問わず彼に興味モチマス、彼がキニナリマス。
 彼はなーんにもしないのに彼の周りだけ、みんなわいわい。

 これだけでもなかなか笑える厨設定てんこ盛りなのに。
 極めつけは、記憶喪失っすよ?!(笑)

 予備知識なく見ているもので、この脈絡のない展開に「ボクのお人形さんプレイ」キターーっ!!と、大ウケしたね(笑)。

 昔から「耽美系」と言われるジャンルに、どんだけ厨設定と嗤われようと廃れない確固たるニーズの「お人形さん」モノっつー設定があるのだ。
 記憶だの知能だのを失い、無垢な幼児のようになってしまった美しい受を、攻が大切に大切に屋敷に囲う、というシチュエーション。事故で記憶を、とか、あるいはショックなことがあって心がコワレてしまった、とか、理由もとってもアレなんだけど、攻の庇護無しでは生活できない、姿は美しいままの生きている人形状態。
 きれーなお洋服を着せ、髪を梳ってやって、「今日もきれいだよ」とか話しかけるんですね!!(笑)
 もちろん無私無償の究極のプラトニックから、愛欲の限りを尽くす鬼畜モノまで多種多様よりどりみどり。

 きり×あさなのは最初から謡ってあるし、ポスターでもこれでもかと煽っているので、据え膳に食指の動かない真の腐女子としては「ふーん、勝手にやってれば?」と高みの見物気分だったんだが。
 アリステアの無意味な記憶喪失ぶりを見て、大ウケしたさ。高みの見物してる場合ぢゃねーよ、なにやってんだマサツカ!(笑)

 あさこで「お人形さんプレイ」がしたかったのか。

 この記憶喪失にもう少し意味があれば良かったんだが、ほんとに「箇条書きであらすじ書いてます」な無味乾燥などーでもいい調子で「はい、そーゆー順番なんで記憶喪失入りましたー」で、あっちゅー間に「はい、出席印だけもらったからお役御免、記憶戻りましたー」で終了。
 うわ、意味ねー。
 意味ないのにわざわざ無理矢理挿入してあるもんだから、あさこにお人形さんやらせたかっただけかと。
 記憶をなくし、頼りなげな瞳で喋らせたかっただけかと。

 おっさん、あさこにナニ求めてんだ(笑)。
 や、ナニを求めてもいいが、ソレはあさこファンのニーズに合ってんのか? 最後の作品なんだから、ストーリーがアレなのはともかく、ファンのニーズをいちばんに満たしてやってくれよ。
 あさこちゃんのファンは、こーゆーあさこちゃんを見たかったのかな? それならいいんだけど。

 アリステアがあまりにも少女マンガのヒロインか、ヲタクコミックの受キャラまんまでびびります(笑)。

 ヒロインやらせたかったのはいいけど、とどのつまりナニをさせたいのかわからないあたりが、作品がぐだぐだになった所以かな。
 正塚せんせ所詮ノーマルだから、「お人形さんプレイ」を萌えて書いてないんだもの、プレイの真髄がわからないまま「こんなプレイがあるんだ、へー、やってみよー」ってだけで書かれても、足りないわっ(笑)。

 娘トップ不在、女と恋愛しなくていい、ならばあさこ萌えだけを突き詰めてくれればいいのに。
 マサツカさぁ、ぶっちゃけあさこにそれほど萌えてないっしょ?
 あさこはヒロインだから女と恋愛はしなくてイイ……ってだけじゃん、これじゃ。
 あさこでナニがしたいか、ナニが見たいか、もっと明確にしてよ。
 ……まあなぁ、明確に萌えて書いてたら、「時系列にただだらだら並べただけの日記」にはなってないか……書くことナイと出来事箇条書きになるよね、人は。

 このアリステアって役は、ほんと困った役だ。
 最初にピアニストとして使命感バリバリに登場したとき以外は、ナニもしない、ナニも考えない。
 されるがまま、流されるまま。記憶があろうとなかろうと同じ。
 そして、コレが重要。

 誰のことも、好きじゃない。

 友好的だし、好意的だけど。日常のある一定ラインの「好き」はあるんだけど、ほんとのとこ彼は誰ひとりまともに愛してない。

 「男同士の友情」ってのを謳い文句にしているけれど、ムーアが愛しているほど、アリステアはムーアを愛してない。
 ヘレナ@しずくちゃんとかポーリーン@蘭はなとか、あからさまにアリステアを愛している者たちもいるけれど、とにかくすべてにおいて不等号でしか関係していない。ムーア>アリステア、ヘレナ>アリステア。
 愛されるばかりで、愛し返さない、返せない。

 アリステアがナニもしないため、物語自体がもったりしている。

 これがあさこちゃんの個性なんだろうとは思う。
 同じ脚本、同じ演出でも、別の役者が演じれば、アリステアは別人だったろう。「愛」という動詞を持ち味にした人ならば、なまじ恋愛がないからこそ、さらに愛があふれていただろう。

 アリステアのなにもしなさは、「余白」だと思うんだ。

 たしかに正塚せんせはあさこ単体に萌えてはいないだろうと思う。
 だけど、男役・瀬奈じゅんを信頼していると思う。

 余白の多い、フリースペースのある役を、最後に与えた。
 脚本上ナニもしない男だけど、だからこそ、あとは男役としての基礎力で、18年培ってきた個性でなんとかしろと。
 なんとかしろ、と丸投げするのは、つまり、「ナニをしてもイイ」ってことで。

 余白をどんな色に染めるのか、あさこちゃん個人に任されているのだと。

 正塚せんせはかなり細かく演技指導する人だと思うけど、それをしてなおフリースペースのある役だと思うのね、アリステア。

 その結果が吉と出るか否かはまぁ、ファンが判断すればいいのでしょう。退団公演はファンのモノだし。

 ただ、最後の最後にあさこちゃん、すげー難しいものを求められているなと思うよ。
 それが、マサツカがあさこちゃんにやらせたかったことなのかな。

 にしてもおっさん、きりあさで「お人形プレイ」って……!!(笑)←そこか。
 いちおーこれでもトド様ファンなわけで。
 長年、トド様のガチな恋愛モノが見たい見たいとゆーて来ました。

 でもって、『コインブラ物語』初日観劇。

 ペドロ@トド様とイネス@まりもちゃんの、恋物語。正味ラヴストーリー。つか、恋愛以外、ナニもない話。

 すすすすすみません。
 たしかにわたし、恋するトド様が見たいとゆーてました。ゆーてましたが、実際に見てみたら。

 盛大に、テレました。

 うっきゃ~~、恥ずかしい~~、恥ずかしすぎる~~(笑)。

 ペドロ王子@トドは、花も恥じらう、25歳。恋を夢見、恋に命を懸けたいお年頃。
 貿易商の娘イネス@まりもちゃんとパーティで出会い、すぐラヴラヴな仲に。
 身分違いだと恐れ入るイネスちゃんを、口説くわデート誘うわ家まで押しかけるわ、ラヴは盲目、パッショネイト。

 イネスちゃんちの庭には、呪いの泉があって、そこで愛を誓ったカップルはもれなく不幸に……あ、チガウチガウ、「愛の泉」があって、愛を誓うと結ばれるんだってさー。(棒読み)
 王子もイネスちゃんも、呪いの泉で愛を誓って正しく不幸に……あ、チガウチガウ、愛の泉でラヴラヴさー。(棒読み)

 とにかく愛、愛がすべて。
 恋愛モード全開なトド様。

 は、恥ずかしい……。
 なんかすげー恥ずかしい……(笑)。

 いやその、あんまり長くトド様見てきてるせいかもしんない。彼のことは愛情より愛着を持って眺めているので、「硬派で知られる上司が恋人にめろめろになっているところを、うっかり目撃してしまった」よーな、いたたまれなさを感じるんだわ……。

 「男の中の男に、女はいらぬ」でただのお飾り妻だとかシモネタでしか女の子と絡まないトドより、恋愛しているトドの方がずっといい。
 ひとりで英雄やってるトドより、相手役を見つめているトドの方が、ずっといい。

 が。

 ……ち、ちがうんだ、わたしが見たかった「恋するトド様」は、ペドロくんとはちょっとチガウんだ。

 轟悠に、年相応の大人の恋をさせてやってくれ。

 なんで25歳なんだ……しかも精神年齢は17歳みたいな青い果実を、何故轟理事がやってるんだ……春日野八千代先生がいまだに若衆を演じる劇団だからなのか……? 立場が上がると役は若返るのか……?

 『オクラホマ!』といい、今回の『コインブラ物語』といい、なんで劇団は、トドに青臭いガキの役をやらせるんだ?
 「ボク、恋に恋する17歳☆」な役は、相応の学年の男の子たちにやらせてやってくれよおお。

 研25のトド様には、研10だの研5だのには絶対真似できない、大人の男を演じて欲しいっす……。

 ラヴィック先生@『凱旋門』再びは、かなえられない夢なのか……?

 えーと。
 「国より政治より国民たちより、自分の恋が大事」な、「大人はみんなキタナイっ!」と叫んで真夜中の校舎のガラスを割ったり盗んだバイクで走り出しそうな、純粋無垢な思春期王子を演じるトド様は、そりゃーもお、かわいらしいです。
 豪華絢爛衣装も美しいです。
 「ハニーが殺された?! 殺したヤツを殺してやるー! バッサリ!!」な短絡思考と、「ヲイ、生かして捕らえないと殺害動機も聞けないよ?」と見ていてハラハラする暴走ぶりと、それでも殺陣は華麗にキメキメなところも、素晴らしいです。
 小人物で十分常識的なんだけど、恋が絡むと感情暴走大騒ぎなところも、愛しいです。泣くわわめくわ、もー大変。
 ラヴラヴなトド様、めそめそトド様、いろいろ見られてステキです。

 なんかもー、全編、トドロキを愛でるためにある舞台だな、と、思いました。

 オレはトド好きだからいいよ、しかしこのトド様、オレが見たかったトド様ぢゃないっす……(笑)。

 大人の男が見たい。
 あー、キーン@『Kean』がガチで恋愛してくれたら、たのしかったのになあ。アレ、女は絡んでいたけど、恋愛モノぢゃなかったからなあ。プリンス@れおんとの愛憎モノとしておいしくいただいたけどさー。そーゆー屈折系ではなくて、もっと真っ当に愛憎してくれてもよかったのに……相手、男でも女でもいいから(笑)。

 恋愛しているトド様に照れたというより、少年のやうな若々しい演技のトド様に照れたという方が、正しいかもな。
 トド様真面目に設定通りの年齢演じちゃうからなー。四十路で高校生はキツイわ。(トド様はフェアリーです、年齢なんかありません)

 
 恋愛モードなトド様にテレまくり、目を覆いながらも指の間からちゃっかり見ている感じかな、終始(笑)。

 ヘタに愛を語ってデレデレしているときや、慟哭しているときより、デスクで手紙を書いているときの横顔や、従僕@マイケルにワインを許してやる愛情のにじんだ笑顔や、コンスタンサ@優香りこちゃんとビメンタ@すずみんの逃避行を手助けしてやるときのやさしい寂しい表情が好きだ。

 演技がノッて「絶好調!」とトバしているときより、押さえた、引いた、日常の仕草に、重ねられた年輪と磨き抜かれた艶を感じる。

 あたしが劇団のエライ人なら、もっと別の企画をするのに。トドでやりたいもの、見たいものは他にいくらでもあるのになー。
 
 歌声は昔に比べ、明らかにスケールダウンしている。
 もう彼は、以前のようには歌えないんだろうなと思う。
 それはもう仕方ない。

 それを嘆くのではなく、それを踏まえた上で、今の彼にしかできないものを、演じられないものを、今のトドロキに演じさせたいよ。
 今より若くてパワーがあった、でも今ほど研ぎ澄まされてなかった頃には出来なかった、今のトドだからこそ出来る、大人の物語を。

 いやその、ペドロ王子だって、今のトドロキだからこそのペドロ王子なんだとわかっちゃいるが。

  
 驚いたことに、初日の挨拶で、トドロキは、歌わなかった。
 新人公演主演挨拶時から、ずーーっと一貫して、自分が主演のときはあのおかしな節回しの挨拶をしてきたのにね。

 大人になっちゃったのかなあ。
 なのに、舞台の上では若作りな役……ゲフンゲフン。
 いちばん盛り上がったのは、まちがいなくベニーが登場した瞬間だ。

 星組DC『コインブラ物語』初日。
 作品はもおアレで、「脚本書いたヤツも演出したヤツも最低(怒)」状態、平坦で退屈、「出来事を時系列に並べただけの絵日記風」な展開に、客席が沈んでいるところで。

 突然、歌声が聞こえる。
 舞台上からではなく、客席。

 上手側真ん中の扉前。

 で。
 今までの世界観をひっくり返す調子で、派手に歌って踊る。

 退屈な絵日記でしかなかったのに、突然ミュージカルになるの!!
 王子様とお姫様がふたり並んでラヴラヴするだけだった童話絵本に、いきなり現代アニメのヒーローが登場するの。
 絵日記も絵本も、画面は動かない。なのに突然のアニメーション、動画、動く動く動く!

 客席の空気が、一気に変わった。

 昂揚。

 ぶわっと、沸き立った。

 紅ゆずるの、とんでもねー美貌っぷり。

 真ん中の扉から現れた彼は、真ん中通路を歌いながらやって来て、わたしの席のすぐそばで立ち止まった。
 で、客席を見回すよーにした。なんか言ってたかな。
 彼に呼応して、後ろ扉から男たちがぞろぞろ現れる。縦通路2本とも、イケメンたちが踊り通っていく。そのにぎやかさ。

 んで、ベニーだ。
 彼はものすげー勢いで、一本釣りした。
 歌いながら、ひとりの客にがーんとアピール。体勢を低くして、腕を広げて。
 目を合わせてアピられた女性は一瞬凝固し、ベニーが去ったあと、うきゃきゃと崩れた。や、その周囲も一斉にうきゃ~~!!となった。
 や、心はひとつ、ベニーが一本釣りしたそのブロック全部が、ざわついてえらいことに。(わたしも含まれる・笑)

 ベニー効果で客席がざわめいているその勢いのまま、舞台に上がったベニーと男たちは、陽気に野性的に歌い踊る。
 ひとりだけ混ざっているプラチナブロンドの女の子もかっこいい……って、アレ、まりもちゃん??(2役だと知らなかったから、混乱した)

 それまでの舞台進行のもたつき、テンポの悪さを全部ひっくり返す陽気さ。派手さ。
 ベニーをはじめとして、みやるりとまりもちゃんがまたいいんだ、美しいんだ。

 彼らは義賊で、元は由緒ある身分のモノだが悪人の謀略により今は野に身を伏している。力を蓄え、近い将来悪に鉄槌を加え、真実を明るみに出すべく大望を胸に秘めているんだ。
 おおお、よーやく物語が動き出した? 王子とその恋人が身分違いだからどーのこーの言ってるだけの「4畳半のお茶の間」的な、狭いところでうだうだやってるなんとも動きのない平坦な話が、過去の陰謀とか義賊とかで舞台が広がった??

 義賊リーダー@ベニー、その妹@まりもちゃんの、ワケありっぷり。彼らの身の上は、まんまキャスバルとアルテイシア。いわば、国を追われた王子と王女。幼かった彼らは逃げるしかなかったけれど、成長した今は故郷へ凱旋も可能。彼らを信じてついてきた家臣たちもいる!
 しかも甘い美貌の青年みやるりと、ワイルド美少女まりもちゃんは恋仲だ。ラヴラヴだ。
 みやるりが年下彼氏、てゆーかみやるりソロってナニゴト?! うおー、かしちゃんに似てるわやっぱ、なにあの美貌、王子様系。

 と、ほんとに、いちばんわくわくした一瞬だった。
 ベニーと盗賊団登場。

 物語的にも「長い長い導入部分が終わって、これからよーやく本編スタートね」という感じで、心からわくわくしたんだ。

 ほんとに。

 一瞬だったけどな。

 作者は物語センスが皆無らしいので、ほんとにわけわかんないことになってるんだわ。
 幕が開いてからずっと紙芝居状態で、衣装とキャストの豪華さと美しさのみ、それだけしかない状態で30分経過しているのよ。
 で、ストーリーは?? と、平坦さに客が困惑しているところに、派手に異分子投入、がらりと空気を変えて、「さあこれからだ!」と盛り上げておいて。

 この、いちばん盛り上がる彼らが、本筋と無関係って、どーゆーこと?!

 盗賊団の背景、リーダーとその妹のワケありっぷり、妹とイケメンの恋、しかもこの妹、王子様の恋人と瓜ふたつ、そこにはナニか秘密が?! と、わずかな間にすげー勢いでドラマを盛り上げているのよ。
 彼らが主役でもおかしくない勢いで。
 実際ベニーの美貌と華が半端ナイし。
 動きの少ない王子様側と対比させて、この義賊たちの物語が派手に進行するのね! 昔彼らを陥れた悪人たちが、現在の物語にナニか絡んでくるのね? 妹がヒロインと瓜ふたつ(まりもちゃん2役)なのは、物語の鍵よね? 生き別れの姉妹とか、そーゆーこと?
 そうでなければ、わざわざ盗賊団が1場面、これみよがしに歌い踊って自己紹介し、ベニーたちの背景説明なんかしないだろうし。
 なにより、みやるりとまりもちゃんの恋の話、これが決め手、みやるりにソロがあるんだもの、それだけ重要な役なわけよ。ふつーワケありで登場して恋人がいてソロのあるキャラは、主要キャラだもの、作劇の基本として。
 王子様の恋と隣国の関係、奸計ゆえ盗賊に身を落としたセレブ兄妹のお家再興と仇討ち、それらが複雑に絡み合って盛り上がり、最後はものすごいカタルシスに……!!

 ……これだけ伏線としか思えない登場しておいて、無関係って、どーゆーこと?

 盗賊団はべつに、どーでもいい役でした。
 彼らの名前も背景も設定も、まったくの無意味。
 妹ちゃんとその年下彼氏も、無意味。

 出てこなくても問題ナシ。

 話はあくまでも「4畳半のお茶の間」で終了。王子様が「ヒロインちゃんは盗賊に殺されました!」と報告受ければいいだけのこと。
 盗賊を描く必要はなかった。
 盗賊妹とヒロインが瓜ふたつである必要もなかったし(屋敷にいた若い娘でヒロインのドレスを着ていたから間違っても問題ナシ、死体は誰の目にも触れさせずに処理してまうわけだし)、その恋だとか元はお姫様だとかは、まーーったく、なんの意味もなかった。

 怒り狂った王子様が、わざわざ兵を率いて盗賊団を全滅させるのも、すげー感じ悪い。
 ちゃんと調べてから討伐しろよ、キミが惨殺している相手は善人なんだよ?? 主人公がただのバカだとなんで時間を掛けて表現するんだ??
 と、疑問ばかり。

 作品中、もっとも盛り上がったのは、まちがいなくベニーが登場した瞬間。観客に大歓迎された、ベニーと盗賊団。

 なのに彼らはストーリー上なんの意味も価値もなく、出てきたと思ったらなんの罪もなく主人公に惨殺、全滅させられる。
 彼らがひとりずつ殺されていく場面は、とにかく盛り上がる。登場時が最大の盛り上がりだから、ソレに次ぐ場面ね。
 影の主役?てくらいの登場だったから、彼らがただ為すがないまま殺されていく様に半信半疑。なんで? どーして?

 ベニーがトドに殺されて1幕終了、客席のぽかーんぶり。

「ええっと……さゆみちゃん、2幕も出てくるのよね?」「なんか殺されてなかった?」「出てくるでしょ?」……客席のざわめきったら(笑)。

 作者のセンスのなさをどーにかしてくれ。
 いちばん盛り上がる場面が、ストーリーと無関係、ただの端役たちの場面って……。
 アホや。
 『ラスト プレイ』を見て、主役の愛のなさに「うわー、こうきたか」と唖然としはしたが、実はいちばんびっくりしたのは。

 もっともラヴいカップルって、そのあひかよ?!

 ということでした。

 1時間半の上演時間の中、作品を通して、いちばん愛し合っていることがわかり、また、痴話喧嘩して別れるのと騒いだり、愛のために命懸けたり、ちゃんと関係に盛り上がりや事件が練り込まれてるのって。

 そのか×あひ、なのか。

 想像だにしてませんでしたよ。
 よりによってソコなのか。

 てっきりふつーにきりあさで来ると思ってたんだけどなー。
 アリステア@あさこは誰のことも愛してないのでノーカウント(笑)。
 ムーア@きりやんは、恋人のエスメラルダ@あいちゃんと「痴話喧嘩して別れるのと騒いだり、愛のために命懸けたり、ちゃんと関係に盛り上がりや事件が練り込まれてる」んだけど、それと同時にアリステアのことも愛しているので、エスメラルダだけのカップリングでは語れない。

 そんななか、大して出番があるわけでもない、おバカコンビのジークムント@あひ、ヴィクトール@そのかのラヴっぷりときたら……!(笑)

 どっちもバカなんだけど、ヴィクトールはさらに輪を掛けたバカで。
 バカコンビとして、物語中出てくるだけで笑いを取っている。

 多分設定的にはジークムントはバカではないと思うんだけど、あひくんが演じるとヘタレ度が上がりすぎてしまって、そのかとのコントラストが弱くなっている。
 チンピラのジークムントと、バカのヴィクトールという、個性のはっきりしたコンビのはずだから、「どっちもバカ」にするのはやめてほしい、がんばれあひ、負けるなあひ。
 芝居がアレだったり男役スキルが低いのはもうあひくんクオリティだと思うが、あれだけの出番でそのかに喰われるのは勘弁してくれ。

 でもってマサツカはそのかをバカだと思っているのか、いつもいつも彼にその類の役をやらせる。
 たしかにバカキャラはそのかの得意分野っつーかアテ書きだとそうなっちゃうのかもしれないが、正直またかと思った。

 色男の桐生園加が見たいっすよ、マサツカせんせ……。クールでハードな大人の男が見たいっすよ……。あの子犬のよーな子リスのよーな声がイカンのだろうか。

 てなことは、置いておいて。

 
 ヴィクトール×ジークムント萌え。

 えー、攻はヴィクトールですよ。あのちっこい子リス(笑)だかハムスター(笑)だかのよーな男です。
 バカで考えナシで口が軽くてどーしよーもないチビ男。

 いいとこないじゃん! 実際いつも足引っ張ってばかりだし。トラブルメーカーでお荷物だし。
 なんでこんな男とつきあってんの? と思わせるよーな、どーしよーもない男。

 そんな男と別れられない、長身美人ジークムント(笑)。

 ジークムントは黙っていればクールな美人。口を開くと演じている人のスキルがアレなんで途端ヘタレるけど、設定上は美人だと思う。

 ヴィクトールはジークムントに惚れていることを隠さない。痴話喧嘩はいつもジークがヴィーのアホさにキレてひとりで怒って、ヴィーが「捨てないでよ~~」とすがりついて終了。

 でも実際、惚れているのはジークの方。

 どーしよーもないアホ男を切れないのは、自分にとってお荷物でしかない相手を捨てられないのは、愛しているからでしょう。
 しかも相手が本気でバカだから、そんなジークの切ないヲトメゴコロをまったく理解しない。
 「アイシテル、オマエガヒツヨウダ」と口に出して言ってやらない限り、ジークの真意にヴィクトールが気づく日は来ない。
 それでも言えないのがツンデレたる所以、がんばれジーク、負けるなジーク。

 ……告白したらしたで、あのアホがつけあがるのは目に見えてるしね……あああ、どっちにしろ報われないなジーク(笑)。

 バカ攻が大好物のわたしには、カモネギなカップリングです。

 あひくんが本気で美形でうれしいっす。
 動いて喋るとヘタレにしか見えないけど、でもいちおー、衣装とか役割はかっこよくてうれしいっす。
 そのかとの芝居はあまり合っているとは思えず、間合いとか「あちゃー」とアタマを抱える不協和音だったけど、き、きっと公演を重ねるごとにうまくなっていくと信じてる。
 つかそのか、キミが合わせてやれ、暴走しないで。あひくんはキミに合わせることはきっと不可能だ(笑)。

 
 『Le Petit Jardin』でわたしをメロメロにして以来、あひくんはわたしの萌えキャラです。
 どんだけ技術的にアレだったとしても、そのダメっぷりを嘆いたり突っ込んだり文句言ったりしつつも、でもやっぱり好きでしょーがない。
 ダメっぷりに苛々したりうきーっとなったりもするんだけど、それでもやっぱり彼は憎めない。

 彼が舞台にいると、萌えるんだもの。
 彼が演じるキャラはわたしの琴線に触れるんだもの。

 彼を失うことが、心から寂しいです。

 最後の役が、ラヴい役で良かった。

 愛し合っている役で良かった。……相手、そのかだけど(笑)。

 
 そのうちこっそり、ヴィクトール×ジークムントでSS書いてるかもしれん……(笑)。
 わたしはいっそムーアを視点にすれば良かったのに、と思っている。
 正塚晴彦作『ラスト プレイ』

 「物語」があるのはムーアなんだよね。「愛」があるのもムーアなんだよね。
 アリステアは「美しい」だけでナニもしない、ナニもない。

 ただの箇条書きになってしまっているのは、アリステアが弱いためだと思う。それがじれったい。

 だからいっそ、ムーア@きりやんを語り部にして、彼の目を通したファム・ファタール、アリステア@あさこの物語にすれば良かったのに。

 女無用の男同士の世界を描くのが好きな人だが、実際のとこ正塚せんせはとてもノーマルで、「女のいない世界」は描けないのだと思う。
 ヒロインの出番がどんだけなくったって、主人公はちゃんとヒロインを愛していて、それを彼の魂の基盤にしていたりする。
 今回トップ娘役不在公演ってことで、あえて主人公は恋愛沙汰をシャットアウトしているんだが、これが成功しているとは到底思えない。
 相手役はいなくても、誰かを愛している設定は必要だったよ。
 心の中にひとりの女がいて、その上でその女に出番はまったくないまま男同士の友情のみで話を進めるべきだった、いつものよーに(笑)。
 
 同じよーに男同士の友情やら確執を描いてみせた大野せんせは、本気で女不要の耽美世界だったが。
 正塚は女無用(使い道がない)なのであって、不要(いらない、最初から存在しなくていい)でないんだ。
 ハリーは健康的な思考回路の作家だから、倒錯世界は書けないし、書く必要がないんだ。
 女性作家はわりと、女不要世界描くの得意だけどな。BL作家とかがその最たるもので。男性作家にソレを求めるのはまちがっているし、また、本気で女不要世界のみを構築する作家は、ヅカには不要(笑)。
 ヅカの女性作家陣も別に女不要の作風の人はいないし(こだまっちはちょっとアヤシイ・笑)、耽美派の大野せんせも両方描けるだけで不要の人じゃない。

 ただ健康で人生肯定、人間讃歌のハリーには、女不要話は書けなかったんだなと。
 「女不要」で物語を書ける人なら、アリステアをヒロインにしたなら、容赦なく彼をファム・ファタールにできただろうにな、と。
 正塚せんせ、中途半端だわ(笑)。

 ムーア視点で物語を進めれば、アリステアはどんだけ美しく神秘的だったかと(笑)。
 世間知らずなピュア・ボーイだったり、お笑いを入れてなお、ムーアの目を通して語られれば、アリステアがマイナスに語られることはないんだから。だって彼、愛されてるもの。
 石岡くんの一人称で書かれる御手洗シリーズみたいなもんですよ。おっさんふつーに書いてるつもりだろうけど、ソレ壮大なラヴレターだから、いい加減気づけよ恥ずかしいヤツだな、みたいな。

 視点と主人公はチガウ。
 ムーアが語り部であっても、アリステアはちゃんと主役として君臨できたろうし、あさこちゃんほどキャリアを重ねた人なら「モノローグの心理説明」だけに頼らなくても主役たらしめただろうに。

 出来事の箇条書きであったとしても、語り部が「視点」として散漫な出来事を要所要所でまとめれば良かったんだよ。
 ムーアが語り部でも、最後のオチというか正塚的どんでん返し?はできるし。

 それまで語り部だったムーアが本舞台で倒れ、エスメラルダ@あいちゃんだのに介抱されつつ、「最期の頼みだ、ピアノを弾いてくれ」って言ってるとこにつなげればいいんじゃん。
 今までの回想は、悪者に撃たれ、アリステアのピアノを聴いているムーアの走馬燈なんだってわかるじゃん。
 お前どんだけアリステア好きなん、で(笑)。
 でも、そーゆー話なわけでしょ? あくまでも、アリステアの物語なんだから。

 きりやんなら、あのテンポの悪い「ボクの日記」を牽引してメリハリつける仕事、してくれたと思うけどなあ。
 カーテン前だの花道だので地味だけど技術は半端ない仕事をきりやんがやって、本舞台で派手に大きな見せ場はあさこちゃんが担当。だってあさこちゃんのサヨナラ公演だもん、てことで良かったと思うんだが。

 ナニもしない誰も愛してないアリステアが主役で彼の目線で彼のモノローグ(録音)で淡々と「今日の出来事」の箇条書きで進むから、なんともはや。

 アリステアを愛しているムーアの目線で、アリステアの半生を描いてくれ。

 思い切りが足りないよ、正塚せんせ。アリステアがヒロインなら、ここまでやってくれなくちゃだわ。
 ファム・ファタールやってよ、開き直ってとことん!
 

 と、言いつつ。

 今のあのしどころのない、どーしよーもないアリステアに惚れているムーア、つーのもツボなんですが。
 
 やー、オレ片想いスキーだからさー。
 ムーアの一方通行なのは、それなりにたのしいのよー。

 
 きり×あさだと思って『ラスト プレイ』見て(わたしはあさこちゃんは受派のため、予備知識ナシだと右側に置きます・笑)、いちばんわっかりやすいカップルがその×あひだったことに驚き、せっかくの主役たちはきり→あさでしかないことに驚き、ナニ気にまさ→きりだったことに驚いた(笑)。

 まさ×きり!!

 ちょっと待て、オレこれ大好物ですよ(笑)。『大坂侍』がどんだけたのしかったか。
 政×又七はもお、鬼畜攻に被虐受として確固たる萌えあがりっぷりですが、今回のクリストファー@まさお×ムーアは、クリスの片想いっぷりがツボです、ええ。
 今は片想いで黙って耐えてるけど、そのうちこりゃ爆発するな、ひどいことになるな、と思えるあたりステキです。や、わたしがまさおくんをSだと思っているせいも大いにありますが(笑)。

 行間を読む、描かれていないキャラクタの人生を感じるのが正塚芝居の醍醐味。
 キャラ萌えだけでたのしいですよ、この芝居。

 作品的には、作者に物言いたいことありまくりですが、でもとどのつまりはキャラクタさえたのしければソレで楽しいんだよな。ラノベとかマンガとか、そーゆーもんじゃん?

 
 なんやかんやで、楽しいです、『ラスト プレイ』。
 ムーア@きりやんっていくつなんだろ?

 きりやんは小柄で明るい持ち味から、若者役を得意としてきた。
 若手~中堅ぐらいまで、少年役は任せろ!だったよな。

 でもほんとのとこ、彼が真価を発揮するのは大人の男役だと思う。
 ムーアは若くなくていい、青くなくていい、おっさん希望。

 大人の男が若い男の子を拾う話ですよね、『ラスト プレイ』
 アラフォー男が20代男子を拾っちゃう感じ。ねえ?

 年の差けっこーアリ、されど年の差に関係なく対等に、ふつーに友人なのよ。そこがいいのよ!!(力説)

 グラハム@マヤさんが見るからに年配なのにふつーに仲間であるように、クリストファー@まさおが若輩なのにふつーに仲間であるように。
 友情に、年の差は関係ナシ。
 グループのリーダーは自然とムーアだけど、グラハムもクリスも部下じゃない、手下じゃない。そこがいい。

 とことん「ポスターに偽りアリ」な最近の正塚せんせ。
 『薔薇に降る雨』でやっちゃって、どうも味をしめたのかなんなのか。引き続き『ラスト プレイ』でもポスターとは無関係なぐだぐだなコメディっぷり。

 んで、この「ポスターに偽りアリ」ってのは、「シリアスに見せかけておいて、じつはお笑い」というだけではなくて。

 きり×あさホモものと思わせておいて、べつにそんなことナシ。……という意味でもある。

 あ、ごめん、単語間違えた、「ホモ」を消して「友情」にしておいて。(投げやり)

 ポスター最初に見たときは、あまりの慎みのなさに眩暈がしたもの。
 正塚せんせ、ホモはもっとオブラートにくるんでやるものです。こんな「どこのBLアニメ」みたいなポスターを、大真面目に作っちゃいけません(笑)。
 
 まあ、これは正塚せんせのトラップ、確信犯としての行動かもしれない。
 彼がガチホモを描くときは、あえてポスターからガチホモ男をはずし、主人公とヒロインのみで作ったりするのよ@『マリポーサの花』。
 「男同士のラヴストーリー」にしか見えないポスターをあえて作ったとしたら、「ほんとはチガウんだな、別にホモぢゃないんだな」と読み解くべきなのかもしれない。
 ……って、ややこしいよ、正塚晴彦!(笑)

 というのも、主人公アリステア@あさこは別にムーア@きりやんを愛してないし、ほんとのとこムーアもそれほどアリステアを愛しているわけではないからなのよ。

 大人の男ムーアが、世間知らず坊やのアリステアを拾ったのは、成り行きと人情(笑)ゆえであって、ホモな下心でも「Boy Meets Boy」な運命でもありゃーしません。
 ムーアはふつーに恋人の美女エスメラルダ@あいちゃんを愛しているし、友情だけでいったらクリスの方が業が深そうだ。

 出会ったときも、そしてその後一緒にいて商売やっているときも、べつにアリステアはムーアの特別でもなんでもない、ふつーに仲間。ふつーの空気感。

 だからふたりの関係が変わるのはあくまでも、「ムーアのせいでアリステアが撃たれた」ときから。
 で、アリステアはとーとつに記憶喪失になるし。
 で、アリステアはピアノなんか弾いちゃうし。

 ムーアはそれまで、アリステアの過去なんか気にしていなかったと思う。友情に氏素性は不要じゃん? 今、目の前にいるアリステアが善い人物だから信頼して一緒に仕事をしている。それだけ。
 が、自分のミスで彼を損なって。
 そこではじめて、自分が知っていたアリステアがすべてでなかったことを知る。

 記憶を失ったアリステアは、本人の力ではなにもできない。本来のアリステアがナニにつまずき、ナニを求めていたか。
 ムーアが責任を持つべきなのは、この本来のアリステアに対して。
 アリステアがナニを抱え、自分の前で穏やかに笑っていたのか……はじめて、考えることになる。

 ムーアが「アリステア」を本気で見つめるのは、彼自身の罪だから。

 無骨で真っ直ぐな彼は、そりゃあもお真正面から正攻法で、アリステアに詫び、支えようとするわけで。

 自分が犯した罪の象徴であり、自責の結晶である「アリステア」は、ムーアの人生の真ん中にどーんと置かれてしまうんだ。

 もともと友人で、もともと好きな相手である。
 自分のために自分の女を守って、それゆえに記憶喪失になってしまった相手である。
 ムーアはたぶん、アリステアの一生を、引き受ける覚悟をしたと思う。
 エスメラルダと別れることがあっても、彼女とアリステアとのどちらかを選ばなくてはならなくなったとしても、アリステアだけは見捨てないだろう。見捨てられないだろう。……気の毒に。

 そして、なにがあっても、アリステアを恨んだり嫌ったりも、しないだろう。
 記憶喪失のアリステアは、穏やかで嫌味のない青年で。ムーアのせいだと教えられても、それでムーアを恨むでなしあるがままを受け入れている。こんな毒のない青年を嫌う必要もないだろう。

 すべてを失うことがあっても、ムーアはアリステアの腕だけは、離さないだろう。
 もしも離さなければ奈落に落ちるとゆーなら、一緒に落ちるだろう。

 ムーアの実直さ、不器用さ……そして、しぶとさは、そーゆーことだと思う。
 いざとなったらダイナマイト持ち出すくらいには、パッショネイトにバカですから。

 ムーアは自分の過ちから、はじめて「アリステア」という男をまともに見るようになった。考えるようになった。
 記憶が戻ったあとも、ムーアのアリステアへの干渉は続く。それまでの「ただの仲間」の域を超えて、お節介を焼く。
 ムーアの中で、アリステアは昔とは別の場所に置かれているんだから。病気が治りました、だからもうムーアの罪は消えました、にはならないんだ。

 ほんとのところ、ムーア→アリステアの片想いっていうのは、恋とか友情とか、プラスの感情ではないと思う。
 罪悪感や自責の念、責任感が形を変えたモノで、ちっとも純粋じゃない。

 だから、切ないんだ。

 ムーアはアリステアを愛している。
 でもそれは、歪んだ意味でも真っ当な意味でもなくて。
 ムーアが見ているのは、自分自身なだけかもしれない。

 ムーアがいい男なのは、「大人の男」である点。
 自分の罪から、失敗から、逃げない。真正面から向き合い、すべてを背負う。

 大人の彼は、かなしいかな「受け止める」強さを持っている。自分の罪を。犯した過ちを。
 登場してきたとき彼は、刑務所帰りだと言う。「務めは果たしてきた」と。犯した罪と等価の罰を受け、逃げることなく果たしてきたんだ。
 そして、変に悪びれない。務めは果たした……対価を払ったからこそ、前科に対して卑屈になることもない。

 そして、大人だけで留まらない彼は、罰を受けるだけでなく、少年の純粋さで一歩踏み出す。
 「本当はピアノを弾きたいんだろう」と記憶の戻ったアリステアに迫るのは、ただのお節介。もう彼が口を出す筋合いはないのに、アリステア個人の事情に踏み込んでいく。

 いい男だ。
 大人で、バカで、潔い、いい男。
 
 彼が伴侶たるエスメラルダをまともにふつーに愛し、自分の罪であるアリステアを歪むことなく愛しているのが、心地良い。

 
 余談だが。
 アラフォー男が20代男子を拾う話、で、ついちょっくら考えちゃったんだ。
 ムーア@某ツツミシンイチ、アリステア@某オカダジュンイチでキャスティングしたら、
萌えまくっちゃったよ……(笑)。
 で、ムーア@きりやんを好きなせいがたぶんにあると思いますが、今回クリストファー@まさおがめっちゃ好きです。

 うわー、なんかど真ん中キタよなにコレこの好みの男。

 クリストファーは脇役で、カメラのフレームの端や外にいる。だから彼自身のキャラクタや人生が垣間見えるのは、フレームの中に入ったわずかなときだけ。
 そのちらりちらりと入る情報が、いちいちツボだ。

 ふつーに若い男であるらしいこと。
 若さゆえの無邪気さと無神経さ、明るさと希望と優しさを持っている。
 浮ついたところ、安っぽいところが多分にあり、彼がつきあっている女の子ポーリーン@蘭はなのはじけたキャラクタも納得。彼女に対するやさしさと独占欲も、いかにもな感じ。
 
 で。
 で、ムーアのことが好き。

 特に語られることはない、わざわざ台詞でどうこう表現されないけれど、見ていればわかる。
 ムーアのことが好き。
 たぶん、命懸けで好き。

 ムーアのためならなんでもするんだろう。
 それが彼にとっての「当たり前」だから、いちいち口に出して言わないんだろう。

 この、「当たり前だから、説明しない」あたりがツボです。大仰に語ることなく、銃を持ってムーアについていくわけだ。
 つか、悪者から宣戦布告状受け取るなり、まっすぐにムーアのとこへ駆けつけて、しかもすでに銃装備してて「一緒に行く」って断言ですよ。どんだけ本気で来たんだ。
 彼を守って闘う、彼のために死んだり彼と共に死んだりしたいわけだ、それが彼の「当たり前」なんだ。

 若い男にありがちじゃないですか、年長の友人を尊敬していて「兄貴のためならなんでもやるっすよ」なチンピラって。なにかにつけて「兄貴」連発、威嚇したり寵を争ったりやりすぎて叱られてしょんぼりしたり。
 男子の中にはありがちな光景かもしれないけど、あまりによく見かけるのでうざったい。
 クリストファーって位置的にはムーアのこういう「弟分」なんだけど、彼は「兄貴兄貴」と言わないのね。言葉の問題だけじゃなく、言動的に弟分としての特別感を主張しない。ムーアがそーゆー関係を潔しとせず、対等な友人としてつきあっているのだろうけれど、若輩のクリス的には十分ムーアは「兄貴」ポジションなんだが、それらを踏まえてもなお、「兄貴兄貴」言わない。
 クリスにとってムーアは「兄貴」だと思う。男社会によくある、アレ。で、男たちはアレが楽しいんだと思う、弟分は尊敬する年長の友人を「兄貴」と呼ぶのがうれしいし、兄貴分はかわいがってる若者からそう呼ばれることがうれしいんだと思う。双方快感だから成り立っている。ヤクザ社会のみならず。男って変。
 舎弟ごっこが男の快感であるのに、ムーアとクリスはあえてそのキモチイイ関係にはならず、「友人」で踏み止まっている。
 そのストイックさが、萌えなんだ。

 「兄貴」呼びはダーリン呼びと同じ、愛情の表れだからなー。呼びかけの言葉に「特別な関係ですよ」と含ませている。
 だから安っぽいチンピラを描くときにもやたら強調されるよね、兄貴風を吹かせるとか弟分が「兄貴兄貴」とうるさいとか。上っ面の関係や、呼びかけで持ち上げることで立場を保つ安っぽさを表現することに使える。

 それを一切封じて、「ふつうの友人」のふりして、実はかなりディープに愛している。
 それがわかる関係だから、クリストファーが萌えなわけです。好みど真ん中なわけです。

 あいらびゅーん、とは一切言わず、ただ危機が迫ったときにのみ、共に戦おうとする。死ぬかもしれないのに、共にあろうとする。
 日常ではそこまでの覚悟をおくびにも出さず、ふつーに友だちやって、女の子とちゃらちゃらしているのにね。
 その説明のなさ、黙して語らず、ただ行動あるのみ、なとこが萌えです。
 
 まさおがまた、ふつーにハンサムだしね。
 女の子っぽいかわいい男の子じゃなく、ふつーにイマドキなイケメン男子っぽいのがいい。
 で、これはまさおクオリティかもしれんが、ふつーに黒いのがイイ。
 黒い。ダーク。闇。悪人っぽい(笑)。
 無邪気なだけの善人に見えない(笑)。
 いろんな歪んだモノを、そのウチに秘めていそうなとこがいい。
 正塚せんせ、クリスってアテ書きだよね? ムーアやヴィクトール@そのかがアテ書きなように。
 一見安いチャラ男でそのくせ驕ってそうで、さらにどっかダークというか性格悪そうなとこが、たまりません(笑)。

 見たかったまさおがソコに!!(笑)

 わたしがまさきくんにアテ書きしたら、まさにこうなるわー、なステキな若者、クリストファー。
 もー、ダイスキ。

 他の誰かが演じていたら、あんなに「毒」は感じないだろう。
 クリスそのうち、ムーア襲うんぢゃね? 突然キレてオスカルをベッドに押し倒すアンドレみたいなことは、ふつーにやりそうぢゃね? ……と思えるのが、クリスの良いところだ(笑)。

 
 まさおくんは前回公演に引き続き、怒濤のポジションアップ。
 この役と出番とミュージカル場面の少ない芝居で、ちゃんと通し役があり、1場面彼がセンターで歌って踊ってしまうという、破格の扱い。
 ショーでの出番を考えても、彼が現月組の3番手なんだなあ……プログラムとかの公的出版物、パレード位置などの扱いはただの下級生であっても。
 87期研9だから、昔のヅカなら決してめずらしいことではない、むしろそれがふつーだったんだが、今世紀に入ってからこの学年でこの扱いは稀。……つーか、見ている方が落ち着かない、ここんとこ前例を見てないから(笑)。

 雪組4番手のちぎくんは、公的出版物パレード位置などいろんなところで「4番手」と明言されているのでショーで1場面センターでも驚かないが、まさおは「番手なんかありませんよ」なボカシ入れられたまま、実際の舞台上では3番手位置だから、落ち着かないんだよなー。
 
 また彼は昨今のタカラジェンヌにはめずらしい、肉食系。
 貪欲で傲慢な芸風・キャラは判官贔屓で謙虚をヨシとする日本人好みではないと思うが(笑)、だからこそ他にはないキャラとしてがんばって欲しい。

 なんつーてもあの「毒」と「闇」は貴重だ。タカラジェンヌって「いい人」は地で演じられるけど、「悪人」は演じられない人が多いんだもの、特にキャリアの少ない若手時代。若いウチからなにやっても「黒い」のは才能だ。
 「毒」が強すぎると真ん中向きではなくなっちゃうんだけど、まさきはそれらを「上昇欲」に還元できるみたいだから、期待している(笑)。
 女無用の『ラスト プレイ』、女性キャラたちの話。

 エスメラルダ@あいちゃんは、「ひとめでわかる」いい女だ。
 一斉にざーっと出てきたけれど、ムーア@きりやんの仲間のなかでは紅一点でわかりやすいとはいえ、とにかく登場した瞬間に、「いい女キター!」「高そうな女キター!」と思える。
 デイジー@『グレート・ギャツビー』でもそうだったけど、登場した瞬間「彼女がいちばんの美女」とわかるのがすごい。

 ヒロイン不在の物語だから、あいちゃんの扱いはなんとも半端で、もったいない限りだが。
 それでも、その半端な扱いの半端な役を、きっちり演じていたのはあいちゃんだからだろう。

 エスメラルダはムーアの恋人。つか、妻。正式な手続きがどうあれ、人生のパートナー位置。
 アリステア@あさこの物語だから、ムーアとエスメラルダのことは画面の真ん中にして描いてくれないけれど、行間が見える濃密なカップルぶり。
 ケンカしたとして、別れるのどうのと言ったとして、そこに濃ぃいドラマがあったんだろうなと思わせる。そこをあえて教えてくれない・説明してくれないのがマサツカ芝居(笑)。

 されどこのふたりの痴話喧嘩が妙に重い。
 きちんと書く気のない、「アリステアがムーアと間違えられて撃たれる」状況を作るためだけに取って付けられたエピソード。
 だからそれだけで終わっていいようなものなのに。

 演じているのがきりやんとあいちゃんだから、本筋を喰う重さが出てしまっている(笑)。

 や、それであの話はどーなったのよ、ムーアとエスメラルダよ。ムーアがどこぞの女と浮気して、エスメラルダが実家に帰ったって? よっぽどのことがない限り、ソレはあり得ないでしょう。よっぽどのことが起こったわけでしょ? ソレを教えなさいよ、記憶喪失の男のことは置いておいて!!

 と、思えるくらいには、重い。濃い(笑)。
 ストーリー進行上の取って付けたエピソード、どーでもいい話なんだからソコに食いつくなよ! 忘れろよ! 本筋見ろよ! と言われても、きりあいが本気で愛憎芝居はじめたら、そっちに気が散ってしまうって。

 ムーアとエスメラルダの芯を描いてくれないまま、何故か突然はじまる三重唱。
 マサツカ……ほんとに、手ェ抜いてないか? 変だとか思わないのか? と、アタマを抱えつつも、もう仕方ない、あるものだけを愉しもう。

 クライマックスのぐだぐだ、お笑いに逃げてどっかーんで大団円を迎える、エスメラルダ救出大作戦。

 ここでエスメラルダが怒りながら登場するのが好きだ。

「全部見てたわよ!!」
 と、ムーアにくってかかる。

 自分のせいでムーアが危機に陥る。そりゃ自分も助かりたいだろうけど、それよりやっぱムーアが大事じゃん? 助けて、と、逃げて、が一緒になってぐるぐるしているだろう、人質の心境。

 そこへ、ムーア登場。
 ああ、やっぱりアタシを見捨てずに助けに来たんだ……そーゆー優しくて不器用な男なのよ……でもなんで来たのよ、逃げてよーーと、思っていたら。

 ムーア、ダイナマイト持ってますがな!

 ちょっと待って、あのバカなにやってんの?! ダイナマイト? 信じられない、やめてよちょっと!!

 ビルの上、悪者の愛人?アヌーク@ほたるちゃんとエスメラルダが、どんな会話していたか、想像するだけで愉快過ぎる。

 互いの男のバカっぷりを責めつつ、男を守りたくて女の闘いを繰り広げていたんだろうなと(笑)。

 自分のために、ダイナマイト持ってやって来る男。

 そんな男の命ギリギリのハッタリに、命懸けの「あいらびゅ~ん」に、心が動かないはずがないっ。

 どんな思いで、見ていたのか。
 ダイナマイト持って、なんかいろいろコント(笑)をやっているムーアと仲間たち。VS悪者。
 どんな思いで……エスメラルダ。

 想像すると、泣けてくるんだ。

 そりゃ、せっかく助かってムーアと再会!の瞬間、トップテンションで怒ってるよね、怒鳴りもするよね。
 でも、強く強く抱きしめるよね。

 ああもお、ダイスキだ。

 オトナだからかえって滑稽で、愉快でどーしよーもなく愛しい人たち。

 愛しい、男と女。

 
 現在の月組には、トップ娘役がいない。
 だからって簡単に単純に女無用な話を書いた正塚せんせ。

 なんでこんなことになっちゃうのかな。
 もっとちゃんと、書いて欲しかったよ。
 こんなにこんなに、「描かれていない部分」を盛り上げることの出来る役者が揃っているのに。

 
 主人公を愛している少女、という意味ではヒロインに近いかな、というヘレナ@しずくちゃん。

 アリステアの幼なじみで、唯一の理解者。
 言い出せずにいるけれど、彼女がアリステアを愛しているのはよーっくわかる。
 つか、その「言い出せない」感じがじれじれしていてすごい。

 言えないのはわかるよ。
 男が、「言わせない」んだもの。
 空気読まない女なら、自分の気持ちを押し付けるだろうけど、男がこれだけ「ただの友だち、ありがとう」オーラ出してたら、ナニも言えないって……かわいそおおお。

 そのいじらしい、小動物みたいな女の子は、しずくちゃんアテ書きなんだろうなあ。
 愛人風イイ女があいちゃんアテ書きのように。

 ヘレナがいじらしい分だけさらに、「主人公に恋愛も描いてくれよ」と思うよな……正塚せんせぇ。
 トップ娘役がいないことと、主役が恋愛感情を持つかどうかは別物なのに。

 
 短い出番ながらテーマ語っちゃいます、な女の子ポーリーン@蘭はな。
 かーわーいーいー。
 このドライな女の子が、こんな性格と態度で人生渡っていけるのは彼女が美少女だから。

 女の子ってイイよなっ。 

 と、握り拳で思っちゃうよ。
 小悪魔OK、性悪OK。
 かわいければ許す。つか、かわいい女の子はそれを武器として、男たちを振り回してヨシだ。
 そーでなくっちゃ、だ。

 都合のいい男としてクリストファー@まさおとつきあいつつ、アリステアを真っ正面から口説くポーリーンは、かわいくてダイスキだ。
 んで、この子に夢中なクリスも好きだ(笑)。

 
 役の少ない正塚芝居。
 看護師アイリーン@ゆりのちゃん。
 『マジ鬱』に引き続き、ナニ気にマサツカのお気に入りか。
 知的で有能そうで、目を引きますな。感情が見えにくいところが、彼女の物語を知りたくなるようなステキなキャラクタ。

 あとは前述のアヌーク@ほたるちゃんが美しくてステキ。
 クールでダークな美女っぷり(笑)。
 そして、ナニ気にオチ部分の彼女のはじけっぷりが素晴らしい。

 空気読めないローザ先生@あーちゃんステキ。多くは語らない(本人はノンストップで喋ってるけど・笑)、説明もないが、彼女がどーゆー人なのか短い出番でわかりすぎる。

 
 女性キャラをもっと書き込んでほしいなあ……マサツカ作品の女性、好きなんだよなあ。
 魅力的なキャラクタがいっぱいいるのに。「無用」ってことで放置。
 もったいない。
 悪役チームでいちばん目を惹いたのは、わたし的にベレッタ@一色氏だ。

 ……仕方ないやん、一色氏スキーなんだもん。彼のあのみょーな枯れた色気を愛でているんだよ。
 コメディだとは思わないから、ふつーにシリアスな役だと思って見ていたよ。えらくもったいつけてるなあとは思ったけど。

 わたしは一色氏をあまり芝居のうまい人とは思ってなくて、だからまあ、せっかくのクール系二枚目役をやったらやりすぎておかしな感じになっているのかなと自己解決して見ていた。
 変な力みはあるけど、黒尽くめの殺し屋、かっこいー。

 お笑いだと思ってなかったし、悪役チームが芸人チームだなんて思ってなかったんだから。

 2度目の登場では、もったいつけてるどころかただの変な人になっていて、どーやら「笑っていい人」だとわかる。
 あー……二枚目役だと思ったのに……ただのお笑い役だったのか……。

 や、お笑い役っていうのはオイシイ役でもあるので、お客様に笑っていただくってことは、その分記憶に残る可能性があるわけで、「あの殺し屋の人、変だったねー(笑)」と観劇後に言ってもらえたら万々歳なんだってわかるけど。

 いやあ、一色氏演じる「空気読まない殺し屋」って、なんとも言えん、独特の味がありますねえええ。
 成功しているのかどうか、わたしにはわかんないけど。

 とりあえず顔が好みだから、すべて許す。

 あの顔でかっこつけられたり変な溜めで喋られたり、もーソレだけでたのしいっす。
 好きだなあ、一色氏。

 
 物語の流れ的にも設定的にも、最初ドシリアスで登場した悪役チーム。なのにクライマックスはお笑いで、オチもお笑いという誠意のない展開になる『ラスト プレイ』

 最初にヴィクトール@そのかが人質にされ、ムーア@きりやんが助けに行く段階で登場してもよさそーなもんなのに、話だけで出てこなかった。
 その後アリステア@あさこの記憶喪失話がえんえん続くので、さらに登場は遅くて。

 もりえくんは、いつ出てくるんだろう? と、首を傾げた。

 待てど暮らせど出てこない。
 ひょっとして見逃していたのか、役ついてなくて街の男とかコロスとかで帽子被って踊るだけの人だったのかと、マジで不安に思ったくらいだ。

 医者その1@マギー、医者その2@みりおが登場し、このランクでこの役と出番? んじゃいったいもりえはどーなってんの?

 ……シンジケートのボスとして登場したときは、ほっとしたよ。
 役付いてんじゃん! しかも、かなり大きな役じゃん!! と。

 ……大きくなかったね。
 ただのアホでただのお笑いだって、知らなかったんだもん。

 でも、それはとどのつまりアテ書きだったのかもしれない。
 わたしはシリアスに展開するべきところを「バカばっかりでーす♪」とお笑いに逃げてオトしてどっか~~んって、ドリフのコントみたいにぐちゃぐちゃにして笑って終了、というのは好きじゃない。逃げるな、楽なことをするな、真面目にやれ、と思う。
 が、それはアテ書きの結果というのもあるんだろうか?

 というのも、「マフィアのボスです」ともったいつけて登場したローレンス@もりえくんが、どーにもこーにも、頼りなかったからだ。

 えーと、この人が、ボス?
 いや、シンジケートのボスは不明で、この地域を任されている男、つーことだからラスボスではなくて章末に登場する中ボスなんだろうけど、ラスボスと対決する予定のない物語の場合は、組織の中では幹部止まりでも、物語的にはラスボス扱いなんでしょ?
 ラスボスにしては、貫禄なさ過ぎでしょ? つか、なんかひょろいおにーちゃんだし。もっと貫禄のある、大人の男であるべきじゃないの?
 
 もりえくんはなまじスタイルが良くて、スマートな二枚目の風情を持っている。
 しかも、顔が童顔。
 それでもったいつけた大人の胡散臭い男の演技をしているので、ひ弱さ増大。

 どうせなら、「ハタチそこそこの若造だけど、このへんのボスなんだぜ。若いだけに考えナシだからナニするかわかんなくてコワイぜ」とやってくれれば良かったのになー。
 見た目と芝居が合ってない気がして、視覚情報に混乱が生じた。

 だけどここはタカラヅカなので、全部好意的に解釈する。
 もりえくん、大人の役なんだー。がんばってるなあ。ボスに見えないけど、ボスなんだな、がんばれー。

 見る側ががんばって「ボスに見てあげないと」と思っていたら。

 ……ただのアホキャラでした。

 第一印象は、正しかったのか。

 貫禄がないのも似合ってないのも、もったいつけて「ボスです」という喋り方をしているのが違和感でも、最後にドリフ的お笑いどっかーんになるなら、それらは全部正しかったの??

 いやしかしなんかチガウ気がする……。
 もりえくんが目指したモノと、この展開はチガウのでは? マサツカは、ナニを思ってこんな演出にしているんだろう??

 いっそ、もっとわかりやすく胡散臭いキャラにするとかすればよかったのに。
 ヒゲつけて、ことさらに大物な仕草をさせて。
 マサツカの美学に反するのかな、役を演じる底上げのために外見をいじるのって。
 でもヒゲのもりえの方がセクシーでかっこいいのに~~。外見からわかりやすくした方が、観客もすんなり入っていけるのに~~。
 もりえくんはがんばっているんだけど、この演出の半端さには首を傾げるばかり。

 まあなんにせよ、地団駄を踏むもりえは、この作品の見どころのひとつである。きっぱり。

 とりあえずかわいいから、いいんだよなきっと。

 お笑い役っていうのはオイシイ役でもあるので、お客様に笑っていただくってことは以下略。

 
 でもほんとのとこ、シリアスにかっこいいことで、「オイシイ」と思える役を書いて欲しいなあ、座付き作家様。

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