でもって、個人的な『ファントム』語りの続き。

 現在上演中のものも含め、どの公演をも否定する意味ではなく、過去2公演もとっても楽しんだし、現公演も楽しむ気満々であるがゆえに、『ファントム』という作品について思うところを記す。
 実は以前も書いたけれど、今回も同じことを思ったので、再度記す。

 
 キャリエールさんのしたこと。
 既婚者でありながら、そのことをナイショにして少女とつきあい、妊娠させた。結婚できると信じていた少女は失踪、心を病む。堕胎薬の影響だかで生まれた子どもは奇形児、少女は狂ったまま早世。
 醜い息子に仮面を与え、オペラ座の地下へ幽閉。自分が父だともすべての元凶だとも告げず、息子を「オペラ座の怪人」に仕立て上げ、自分は社会的地位も信頼も失わずにずーっと見守る。

 さて、このような行動を取る人を、フィクション界で「是」とするのに必要な要因は、なんでしょうか。
 現実なら完全アウト、どんなことがあっても許されることぢゃないが、『ファントム』はフィクションなので。ええでも、フィクションだとしても、さすがに彼の行動はひどいです、ふつーならアウトです、でもなんとか「仕方ないね」と観客を思わせるだけの理由が必要です。

 わたしは、「愛」だと思います。

 今の『ファントム』がいろいろ誤魔化した上で描いている愛じゃないです。
 誤魔化しナシで真っ向勝負、「仕方ない、仕方ないよソレは!」と全部答え合わせしてくれるだけの、究極の愛です。

 すなわち。

 キャリエールはエリックを愛していた。自分ひとりだけのモノにしたかったから、地下に幽閉した。

 ザッツ監禁愛。

 エリックの幸福とか人権とかは関係ない。
 あるのはエゴのみ。
 自分のためだけに、エリックを閉じこめた。

 誰にも見せたくないから、ホームレスを拾ってきたりしない。従者とはこの世のものではない存在、孤独なエリックが創りだした幻。エリックの影。

 外の世界を知らせず、人間の社会を教えず、自分だけを頼り、自分だけを愛するように洗脳して。
 だからエリックは人殺しがいけないことだとも知らないし、自分から外に出て行こうともしない。
 キャリエールが与える詩集だの戯曲だのだけを読んで、オペラ座の出し物の音だけ聴いて育つ。
 天使のように。

 キャリエールのお人形。それがエリック。

 
 さて、タカラヅカの『ファントム』の特徴は、エリックが美青年であるということ。
 地下に閉じこめなければならないほど醜い、怪物呼ばわりされてしまうほど醜い、愛する少女が悲鳴を上げて逃げ出すほど醜い……という設定のエリックが、とことん美青年であるという、矛盾。

 タカラヅカだから、美しくなくてはならない。だけど、オペラ座の怪人は醜くなくてはならない。
 ということで折衷案、顔にちょっとだけ痣がある。ほんとにちょっとだけで、別にぜんぜん醜くないしこわくもないけど、すごーく醜いってことにしておいて。そういうつもりで見て。
 という、無言のルール。

 空気を読めばルールには気付くけど、でもやっぱ、視覚というのは大きくて。
 エリック、きれいじゃん。ちっとも醜くないじゃん。
 それが事実なのに、あんなに愛を歌ったヒロインがそんなエリックの素顔を見て泣いて逃げ出すのは、変。
 ヒロイン、心せまっ。と、思えてしまう。

 これを解決する方法も、ひとつだと思う。
 すなわち。

 キャリエールはエリックを愛していた。自分ひとりだけのモノにしたかったから、彼に「ぼくは醜い」と信じ込ませた。

 ザッツ洗脳愛。

 確かに生まれながら痣はあったし、子どもの頃は今より酷かった。
 幼いエリックが自分の顔を見てびっくりするくらいには、ひどい痣だった。
 でもソレ、成長するに従って治っていったんだよね。
 その程度の痣や皮膚のトラブルを抱えている人は世間にいくらでもいるし、エリックは元の顔立ちの美しさでお釣りが来る、てなもん。

 だけどエリックは、キャリエールによって「醜い」と教え込まれた。
 信じ込まされた。
 二目と見られないバケモノなんだと刷り込まれた。

 年端もいかない子どもに「お前は醜い」と仮面を与えるんだよ、キャリエールは。克服するよう導くのではなく、さらに追いつめたんだ。
 少年の心を、壊した。歪ませた。

「ぼくは醜い」と。「ぼくはバケモノだ」と。

 それが可能なんだ。
 だってエリックは地下に幽閉されていて、誰とも会わない。トラウマゆえ仮面ナシでは鏡も見られない。
 外の世界なら、誰か真実を教えることも出来たろうけど。監禁されている少年には、真実などわからない。

 クリスティーヌがショックを受けたのは、エリックが醜かったからではない。
 美しかったからだ。

 問題なく美しい、十分外の世界で生活できる青年が、「自分は醜い怪物」と信じ込まされて20年ほども地下に監禁されていた現実に、耐えられなかった。
 エリックの美しい素顔を見た途端、キャリエールの犯罪に気がついた。
 クリスティーヌをエリックから遠ざけようと必死だったあの男が、犯したほんとうの罪に。

 哀れなエリックは、自分が美しいことも知らず、劣等感と飢餓感を抱えて孤独の底にいる。
 手をさしのべてくれるのはキャリエールのみ。だから、キャリエールだけを信じる。彼の言葉をすべて、なにもかも。

 愛した女性に瓜二つの美貌と、天使の歌声を持つエリック。
 愛ゆえにキャリエールは罪を犯した。
 愛するひとを、自分ひとりの宝箱に隠した……。

 
 で、最後の銀橋場面になる。
 警察が踏み込み、これ以上キャリエールは「地下の楽園」を守れない。このままでは、彼の罪が白日のもとに晒される。
 美しい青年を「醜い」と信じ込ませて監禁した。
 罪を問われて投獄されるより、キャリエールがおそれたのは、愛する青年が遠くへ行ってしまうこと。
 エリックは醜くもなんともない、ただの監禁事件の被害者だ。罪を犯しはしたけれど、それは善悪の区別がなかったため。キャリエールがそう育てたため。外の世界へ出れば、新しい人生が待っているだろう。

 キャリエールは、エリックを殺さねばならなかった。
 自分ひとりのものとしておくために。

 エリックがすべてに気付いてキャリエールの歪んだ愛に殉じようとしているとしてもいいし、なにも知らないまま、親子の名乗りに感動していることにしてもいい。
 キャリエールとエリックの親子銀橋は、演出も台詞も歌詞も、なにもかもそのままで十分できる。

 エリックはクリスティーヌを愛している。クリスティーヌもエリックを愛している。
 それもそのままに。
 クライマックスの「助けてくれジェラルド」もそのままに。
 

 主人公はエリック。ヒロインはクリスティーヌ。その大前提のまま。

 キャリエールはエリックを愛していた。自分ひとりだけのモノにしたかった。

 というだけで、このいろいろと変な物語は、全部辻褄が合う。
 歪んでいても、確かに「愛」。
 まぎれもない「愛」の物語は、美しいだろう。
 哀しいだろう。

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