ガイ@キムがかっこいい。
 としか書いていない気もする、『はじめて愛した』

 でもそれが最重要なので、ソレについてまだ書く(笑)。

 また記憶喪失モノなのかよ。
 ってことで、プゲラな思いで公式の「あらすじ」を見たの。読むというより、「見た」。予備知識いらない派なので、ちゃんと読んではいない。

 最初の1行しか、まともには読んでなかったと思う。

> 一匹狼の殺し屋バードは、表向きはガイ・コンスタンティンと名乗るフリー・カメラマンを装っていた。

 あー、はいはい、殺し屋ねー。
 この1行ですでに、あらすじを読む気がなくなる(笑)。

 そんでもって、実際に舞台を観て。
 キムらしくない、ぼそぼそとした暗い喋り方のモノローグが続いて。
 なんか鬱屈した世界がそこにあって。
 キムらしくない、大人のかっこいーちょっと枯れた風情の男として、踊っていて。

 そして。

 その闇を感じさせる、でも病みきってはいない「健やかさ」を根底に持つ男が言うんだ。

「俺の名は、ガイ・コンスタンティン。裏の呼び名は、バード」

 や、ここも台詞ではなく、モノローグなんだけど。

 ここでたしか、振り返るのね。顔を見せるのね。ここからが本番、本編スタート!てな。

 あらすじとチガウやん!!
 
 あらすじは、「一匹狼の殺し屋バード」が「表向きはガイ・コンスタンティンと名乗っていた」なのよ。
 これには「あー、はいはい」だったのよ。
 でも実際は逆やん。

 ガイという、心に闇を抱えた男。
 それはあくまでも、ガイという男。
 中心はカメラマンとして生きながら、裏の名前と生き方を持つ、そんな自分に意味を見出せないでいるガイという男じゃん。
 あらすじを見ると、「殺し屋バード」が本来の姿で、「ガイ」は仮の姿だ。
 でも実際は逆、ガイが本来の姿で、殺し屋はあくまでも裏……本来の彼ではない、いびつな部分の話だ。

 心は闇、踏みしめるのは煉獄に続く大地。
 そんな男が、振り返ってつぶやく。
「俺の名は、ガイ・コンスタンティン。裏の呼び名は、バード」

 翼を持たない男が、もうひとつの世界でのみ、翼を持つ。
 あくまでも、裏。
 真実ではない。

 虚構の世界でのみ彼は、鳥になる。

 翼を持たない、地を這う者だからこそ。

 翼を、欲する。

 
 すみません、すでにココで、相当キてます。
 ハートに矢が突き刺さってます。

 「裏の呼び名は、バード」……呼び名ですよ、本名ではなく、名前ではなく、ただの呼び名、記号、その場限りのモノ。

 彼は本来鳥ではないから、飛べないから、だからこそ、「手に入らないモノ」を「その場限りの名」にしているのですよ!! 呼ぶときの音でしかないわけだから、「消えモノ」なんですよ、ナニもない、消えてなくなる仮の名に、はかないあこがれをこめているんですよ。

 ナニその闇っぷり! ナニその痛さ!

 生き方を見失ったまま、殺し屋家業をすることになって。
「で、これからオマエをなんて呼べばいいんだ?」
 とか、アッシュ@まやさんに言われて。
「別に。ガイでいいだろ」
「それじゃまずい。別の通り名を付けるべきだな」
「なんでもいい……そうだ、バード。バードでいいよ」
 この、「なんでもいい」のあとの「……」で、遠い目をして、窓の外を白い鳩が飛んでいくのを追うともなしに、目で追って。

 「そうだ、バード」と、うつろにつぶやいて。
 「バードでいいよ」と、ナニかを失った少年のように言うの。

 もちろん、マサツカだからまやさんだから、この「なんでもいい」のあとの「……」の間に、アッシュはひとり勝手に「強そうな名前がいいな、いや、神秘的な方がいいか」とかいつもまやさんの調子でいろいろ名前を言っていて、観客を笑わせてるのよ。でもガイはおかまいなしに自分の世界に入っているのよ。
 だからアッシュは、
「バード? そんな陳腐な名前でいいのか?」なんて無神経にも言っちゃうのよ。
「いいよ、陳腐で」
 自嘲するように、突き放すように、笑うの。
 ……ガイは。

 って、そんなストーリーまで、どどどっと脳内走るんですが?!

 「一匹狼の殺し屋バード」が「表向きはガイ・コンスタンティンと名乗っていた」とは、まったくチガウ話なんですが?
 あらすじでプゲラして、なめてかかっていた分、最初からガツンとやられまして。
 そっから先は姿勢正して観ちゃったよ(笑)。

 
 実際、誰も彼を「バード」とは呼ばないの。
 彼は「ガイ」であって、バードなんて、どこにもいないの。

 虚構の存在なのよ、「バード」って。
 引き金を引く、そのときだけ存在する「役」なのよ。

 ガイはバードの行う「殺人」に疑問を持っている。
 だけど汚れた自分を知り悩む彼が、痛みや苦悩から解き放たれるのは、彼が「バード」として獲物を狙っているときのみ。

 「バード」であるから苦しみ、「バード」であるときにのみ、苦しみを忘れる。
 逃げ場のない、泥沼。

 その苦悩の根元が、彼が切望しただろう、翼……鳥という名を持つ。
 その皮肉、苦み。

 そんな苦い名を、自分で名乗る彼の抱える、闇。

 でも彼は、根底まで病んでいるわけじゃないの。彼の魂は強く、「健やかさ」をたしかに持っているの。
 だからこそ、痛いの。
 本来の彼がいるのは、ここではない。ナニかまちがって、ここにたどりついてしまったのだと、わかるから。

 「一匹狼の殺し屋バード」なんて、いないじゃないのよーー! ナニこのあらすじーー!!

 まあ、実際ガイが殺し屋バードとして活動するには、仲間が何人もいるわけで。
 一匹狼ではまったくナイので、ここでも「あらすじとぜんぜんチガウ!」なんだけど、それはまあご愛敬ってやつよね、マサツカせんせ?(笑)

 
 んでもって、この虚構の「バード」という男。
 ガイが「バード」として仕事をしている、最初の狙撃シーン。

 これが、美しいの。

 是非後方とかの、「上から見下ろせる席」で見て欲しい。
 名工の仕事姿が美しいのと同じ、磨き上げられた美しさなのよ。

 初日は友会で当たった悲しみの後方カス席(その半額で前方席がいくらでも売っていたのに!涙)だったので、上から見下ろすカタチになり、その美しさが堪能できた。
 次に見たときは前方席過ぎて、横から見るカタチになって、「あ、ここからより後ろからの方がイイ」と思いました、この場面に関してだけは。

 いやあ、マジ美しいです、バードさん。
 んでもって、バードさんの中の人、ガイくんもカッコイイしねえ。
 ガイくんの中の人のキムくんも、すげーカッコイイしっ。

 ああ結局、かっこいいしか言ってないっ。
 ビンゴ必勝法って、ナニかありますか?

 ブログ周回遅れ更新がつらい、書くネタは決まっているのに、カレンダーに予定書き込んであるのに、書くヒマがない。

2010/10/22

宝塚大劇場特別企画 【第五回】雪組出演者による「SNOW ドリームトーク&“BINGO”」

【イベント開催日】
2011年1月28日(金) 17:30~予定
※詳細スケジュールは決定次第ご案内いたします。
【会場】
宝塚大劇場内メインロビー
※当日は立見でのご観覧になります。
【抽選対象期間】
2011年1月1日(土)~1月13日(木) ※貸切公演を除く16公演
【イベント参加者抽選方法】
抽選対象公演期間中、毎公演抽選にてご当選者を選出いたします。
幕間に劇場改札付近の特設掲示板にてご当選者の席番号を発表させていただきます。
※引換期限は抽選対象公演日のみです。翌日以降は無効とさせて頂きます。
【イベント内容】
出演者とMCによるトーク&ビンゴゲーム
【出演者】
(雪組)音月 桂、未涼 亜希、緒月 遠麻、早霧 せいな、舞羽 美海、夢華 あみ

 雪組だけやたら人数多いな(笑)。

 イベント出演なんて何年ぶりですか、まつださん。
 見たいよ見たいよ見たいよ。

 だがしかし。
 参加できるとは思えない……。わたしのくじ運のなさときたらもお。

 しかもこの参加者抽選方法って、チケットの座席番号で、でしょう? 確率低すぎだよ。
 あ、そうか、チケット売れてない日を選んで行けばいいんだ。2000人が抽選参加する日より、1000人しかいない日の方が、確率はどーんと上がる!
 と考えて、肩を落とす。花組バージョンのとき、何回機会があったことか、そしてハズレ続けたことか。客席あんなに寂しかったのに……ゲフンゲフン。いやそれでも『虞美人』よりは人口密度があったけれど……ゲフンゲフン。
 ほんっとわたし、くじ運ないのよ。
 唯一、同じ抽選方式だった『AQUA5ライブ』は当たったけど、友人に進呈して自分では行けなかったしな……自分が行く場合はほんっと当たらないもんよ。

 そーやってなんとか当選し、ビンゴに参加できたとして、まっつの賞品Getできる確率って、どんだけ……?

 宙組ビンゴの、みっちゃん賞品を欲しい友人が騒いでいるようですが(笑)、ビンゴって参加者側からは働きかけの出来ない、戦術も駆け引きもナニもない、ただの運任せゲームぢゃないですか。
 幸運な人しか幸せにはなれないのです。

 わたしは某サイトのビンゴゲームに毎回参加してるんですが、今までビンゴできたのはたった2回、しかも最終日にアイテムによるドーピングでよーやく、ですよ? 自力では一度もビンゴできてない、参加し続けてもうずいぶんになるのに。
 そこのビンゴゲームはアイテムによる駆け引きがあるので、どこでどのアイテムを使うかで、多少は自分の力も加わるんだけど。
 ふつービンゴって、こちらからナニも出来ないし。
 わたしのくじ運ぢゃ、無理……。
 40人しか参加者のいないお茶会でも、半数の人がなにかしら当たっていても、わたしはナニも当たらない、そんなくじ運ですから(笑)。ヅカヲタ歴22年で、貸切公演で縦列ごとに当たるサイン色紙すら、なつめさんフェルゼンが1回当たったっきり、しかもそれは見ず知らずの人に右から左にあげてしまって手元にナニも残らず、だったりする、そんなくじ運ですから(笑)。

 
 あまりに遠き道のりに目眩を感じつつ。

 現実的なところでは、スカステで、素顔まっつの賞品解説が流れることに、今からわくわくしておりまつ。

 まっつまっつまっつ。
 そもそもの間違いは、スナイパーに素手で殺しをさせようとしたことだと思うの。

 殺し屋が、仕事現場を目撃されてしまったことからはじまる物語、『はじめて愛した』

 目撃者は殺す、口を封じる。それはお約束。
 だけどガイ@キムは、レイチェル@あゆっちを殺せなかった。
 何故ならレイチェルは、記憶を失っていたからだ……!

 ってことなんだけど。
 レイチェルの収容されている病院に、ガイが口封じに行くところ、違和感ばりばり。

 ガイは元狙撃兵で、今も狙撃専門の殺し屋。ビルの上からライフルでターゲットをヒットするのが仕事。
 そんな彼が、なんで素手で殺しに行くの??

 わざわざ黒手袋して、眠っているレイチェルに……って、絞殺??
 サイレンサーでプシュッですらなく?

 引き金を引く殺人と、その手で首を絞める殺人は、内容が違いすぎる。
 ぶっちゃけ、スコープをのぞいて引き金を引くことはできても、ナマの腕で人は殺せないんじゃないの? 伝わる感触がぜっんぜんチガウよ?
 一発で即死させる狙撃と違い、首絞めたら相手抵抗するよ? もがくよ? 体液ダダ漏れするよ? 音も臭いもないスコープ越しの世界とは違いすぎるよ?

 ガイはスナイパーなんだから、病室のレイチェルを遠くから狙撃するのがセオリーでしょ? 目撃者だという確証もないから、ろくな警備もされてなかったんだし。

 罪のない目撃者を殺すことに躊躇があるにしろ、それならなおさら、苦しませずに一発でしとめないか? 加えて、病院に忍び込んで殺害すれば、目撃者をさらに増やすおそれがあり、「殺さなければならない罪のない目撃者」がネズミ算式に増加するかもよ?
 そんなバカなことを、プロの殺し屋がしますか?

 マサツカせんせの設定の穴に、最初からつまずきまくりです……(笑)。
 
 でもま、手袋をはめるガイがカッコイイので、無問題。

 
 とゆーことで、「ガイがカッコイイ」話の続きです。

 全編通して格好いいけど、そのなかでもツボに入ったところだけ。

 ライフルを構えていたり、殺し用の手袋装着だったり、「殺し屋」としての姿が美しい、ってのはある。
 それがなんであれ、「プロ」の動きは美しいやね。

 また、実際の戦闘……アクションがカッコイイ、てのはある。
 やっぱ人間、「強い」てのは格好いいのだわ。
 簡単に殴り倒されちゃうクリッツィ@コマは観客に笑われるけれど、バカ息子@咲ちゃんを殴り倒しちゃうガイはカッコイイ。

 それは当たり前のことなんだけど、だからハリウッド映画でも少年マンガでもアクションシーンが念入りに描かれるわけなんだけど。

 そんな「物理的に腕っ節が強い」格好良さを前提として、さらにツボなのが、その「前提」っぷりなの。

 自宅でバカ息子を撃退したあと。
 話しながら、ガイがごくふつーに、ひっくり返った椅子だのスタンドだのを直しはじめるのが、イイ!!

 こっちは丸腰だってのに銃を見せびらかすバカギャング相手に一戦交えて、記憶喪失だとか刑事だとかいろいろありまくって。
 ものすげー大変だったはずなのに、ガイは「日常」の家具を直している。

 別に、大変でも危機でもなかったんだ?
 ガイにとっては「日常」を覆す、取り乱してわけわかんなくなるよーな事態では、まったくなかったんだ!
 という、格好良さ。

 スタンドは元に戻せば済むけど、椅子の脚が折れているのを見て軽く溜息つくのが最高ですねっ。
 ナニその落ち着きっぷり!!

 
 それと、もうひとつ。
 2幕になってから、アッシュ@まやさんが組織に狙われた、それはみんなレイチェルを生かしているせいだ!!と逆恨み逆ギレしたナタリー@夢華さんが、レイチェルを狙う場面がある。

 それに対し、ガイは説得を試みる。
 撃つな、レイチェルを殺したところで組織的にはナニも変わらない、アッシュが危険なのは同じだ、と。それより他に手を打つべきだ、と。

 銃を構えた冷静ではない女の子を説得するのは命がけ。
 ガイの腕ならナタリーを射殺することなんてたやすいだろうにそうはせず、真摯に語り続ける。
 ……てのがカッコイイ、とは思う。しかしこれは前哨戦。

 ときめくのは、彼が突然、「撃つなよ!」と叫ぶところ。

 ナタリーに言ってるんじゃないの。
 ナタリーに銃の照準を合わせている、アンリ@りんきらに言っているの!!

 アンリはガイを助けるために、やっているの。
 ナタリーが引き金を引こうとしたら、その前にアンリがナタリーを射殺するつもりなんだ。
 それがわかっていて、ガイは言う。「撃つな」と、アンリに。

 アンリが狙っていることなんて、ガイが言うまで誰も知らない。
 この場にいないアンリの気配を察して、先回りして牽制するのよ。

 も、役者がチガウって感じ。
 ナタリーがいくら銃口突きつけてすごんだって、格が違いすぎて話にならない。

 ここのアンリもまた、格好いいんだ。
 撃つなと言われても、銃口ははずさない。いつでも撃てる体勢で、姿を現す。
 ガイの言葉を尊重して現時点で発砲はしないけれど、退く気もないんだという意志。
 自分が銃口を向けている相手が、仲間だったアッシュの家族だと知っていてなお、「敵」ならば容赦しない、その冷酷さ。

 ガイとアンリが「プロ」同士であることがわかる。
 そして、お互いを思い合っていることも。絆がそこにあることも。

 うわーーーっ、カッコイイ~~!!

 
 多くは語らない、動作の中で、出来事の中で、男の格好良さを語る、これぞマサツカ節!(笑)
 男の友情はいいよなあ。
 てゆーかこーゆーのを、キムちぎでやってくれよ(笑)。さぞ美しいだろうに……(今回のお笑い刑事役ってば……)。

 いやその、アンリが美貌の男でない、イケてない太ったおっさんだっつーのが、実にリアルに「男の友情」って感じでイイんですけどね(笑)。

 
 修羅場をくぐってきた男だからこそ、あちこちに「本物」の強さが見える。
 ガイ本人はそれをことさら強さだとは思っていない、「当たり前」「日常」だと思っている。
 ソコが、カッコイイのっ!! 力説!

 
 正塚せんせの描くカップルたちは、「数年後には別れてそうだな」と思える人たちが少なくはないんだが(笑)、ガイとレイチェルはふつーに幸福に一緒になっていそうだ。
 それはひとえに、ガイのあたたかさゆえだと思う。

 マサツカ節な主人公はあんまし女を幸せにしそうにないし、ガイだって脚本だけでいうならひどい男だ。
 それでも彼の愛を、未来を信じたくなるのは、彼に体温があるからだ。

 中二病全開にうだうだモノローグしていても、彼の魂には健やかさがある。
 陰は陰として肯定して、そのうえで前を向いて歩いていく強さがある。あたたかさがある。

 彼が、やさしい男だと、わかるから。

 あのやさしい男が愛を誓うなら、きっと女は幸せになれるだろう。

 そう、素直に信じられる。

 だからガイは、こんなにカッコイイんだ。

 お笑い刑事役、と身も蓋もない形容をしたが、ベルモンド@ちぎが好きだ。

 どうしよう、『はじめて愛した』って、キャラがいちいち好き過ぎる(笑)。

 2回目を観に行ったときに、観客の反応でいちばん驚いたのが、ベルモンド@ちぎだ。
 笑われまくってます。
 初日では笑いの起こらなかったところでも、がんがん笑いが入る。

 ちょっと、ぽかーん。

 ちぎくんの演技が変わったわけじゃない。「笑わせよう」と滑稽になったわけじゃない。
 変わったのは、観客の方。

 笑っていい役だと、認識されたんだ。

 初日は観客も手探りだから。『はじめて愛した』ってドシリアスで笑っちゃいけない芝居だよね?みたいな先入観もあるし。
 ベルモンドが同じことをしていても、初日はしーんとしていた。笑っていいとは誰も思ってなかったから。
 なんかスベってる役だなあ……可哀想だなあ……おかしいなあ……でも、ちぎちゃん美形だし刑事だし、コマはいつものコマだから笑ってイイとわかるけど、ちぎちゃんのことはどうなんだろう。みたいな?
 小さな笑いは起こっていたけど、局地的だった。

 でも最後まで観て、結局ベルモンドって空回りした可哀想な刑事で、お笑い担当じゃん?!とわかった。
 『はじ愛』自体2幕はかなりコメディ入ってるっちゅーか、笑ってイイ作品だとわかった、これなら安心しておかしいところで笑える!
 てなもんで。

 「笑ってイイ」と観客が判断したため、ベルモンドはお笑いキャラになっていた。

 わたしは「くすっ」ぐらいはあっても、爆笑するよーな役だとは思っていないので、ガツンガツン笑いの入る客席にちょっと置いてきぼりをらいましたが、まあそれもアリかなと。
 ベルモンドが笑われているのは、彼がかわいいから。中の人が愛されているから。
 ちぎくんを好きな人からすりゃ、彼がナニやってもかわいい、うれしいわけで。そんな人にとってベルモンドのかわいらしさはもお、声に出して笑わずにはいられないわけで。
 笑いは笑いを呼び、「笑ってもイイ」空気はさらなる笑いを呼ぶ。とくにどーってことない場面や仕草にも笑いが起こる。……これが行きすぎると、「TPO関係なく、出てくるだけで客が笑う」になるんだけど、さすがにちぎくんは美形で2番手だからそんな芸人扱いまでは行かず、ぎりぎり踏みとどまる。
 愛のある笑いはイイですよ。

 
 ちぎくんは美しい。
 昔っから美形だが、それにしても今の彼の美しさってナニ?! パネェよマジで!!状態。

 そんな彼が演じる、報われない空回り刑事。
 これがもお、もおっ、たまらん萌えだっ。

 タカラヅカばんざい、タカラヅカってすごい。

 ベルモンドは最初から最後まで空回りし続け、ヒロインに相手にもされない……どころか、敵認定までされてしまう。彼自身は善良で真面目で一途で正しい人なのに、まーーったく報われない。
 ふつーのドラマなら、この役は「愛嬌のある三枚目俳優」が演じると思う。伊藤淳史とか大泉洋とかあたりの。

 なのにヅカでは、超美形のちぎくんなんですよ。
 顔立ちの整い方でいえば主人公のガイより上なのに、空回り振られ役なんですよ。

 でもって、愛嬌系個性系の俳優が演じても十分かわいい役なのに、美形様が演じてしまうもんだから、かわいさ倍増。

 あんだけカッコイイのに美形なのに、あの報われなさはナニ。
 真面目で一途で正義漢で、ナニも間違っていないのに、あの間の悪さはナニ。

 かわいくてかわいくてたまらん。
 見ていてハァハァする(笑)。

 てゆーかこの役、さいこーだ。
 贔屓にやって欲しい。
 わたしのツボ直撃です、ベルモンド。

 わたしは樹@『天の鼓』が好みすぎて身悶えた人間です。「真面目で一途で可哀想な凡人キャラ」は大好物です!!
 ベルモンドを贔屓が演じたら悶絶してると思う、客席で。
 大好きすぎて、大騒ぎしていると思う。
 贔屓はちぎくんほどの一般的汎用的誰が見ても安心な美形ぢゃないが、それでもイイ味は出してくると思うし。

 「この役を贔屓で見たい!」と思うのは、思わせてくれるのは、そんだけ今のベルモンドが、ちぎくんが素敵だから。美味しく見えるから。
 いいなあ、素敵だなあ。

 
 ただ「かわいい」ってだけじゃなく、ベルモンドは悲しく、ある意味「痛い」キャラクタである。
 そこがまた、わたしのツボなんだ。

 正しいはずのベルモンドは、誰も救えない。
 彼自身あんなに一生懸命なのに、誠実なのに、なんの力もない。
 刑事としても、ひとりの男としても、レイチェル@あゆっちを救おうと必死なのに、なんの役にも立っていない……ガイ@キムに簡単ぷーに利用されたぐらいか、彼の使い道、役に立った部分って。

 人生って、世の中って、そんなもんだよね。
 誠意だけで、ナニかできたら、苦労はないよ。

 努力とか愛とか正直とか、そんなもんで成功できるのはフィクションの中だけだよ。

 それが現実だとわかっているから、その現実の中で喘いでいるベルモンドは、痛くて悲しい。
 ベルモンド自身は最初ガイの正体を知らないし、レイチェルのキモチが動いていることも知らないし、最後はだまされて踊らされていることも永久に知らないままだしで、自分の無力さに落ち込みはしても、自分を滑稽だと思うことはないだろうけど。
 観客としてすべての出来事を見ている者からすりゃ、ベルモンドは滑稽でしかなくて。
 誠実に生きているだけの彼が滑稽に見える、その「現実」の残酷さを「痛い」と思う。

 正直者が馬鹿を見る。
 ベルモンドを表す言葉ですよ。
 ひどいよ、こんなのおかしいよ。なんでベルモンドがバカな笑われ役なの、不幸に終わるの、彼こそが成功し、幸福になってくれなきゃおかしいよ。
 理不尽だ。悲しい。悔しい。

 そう思えるキャラクタ。
 ええ、それこそが、萌え。

 ほんとにもー、ベルモンドがかわいすぎる。
 彼の善良さと報われなさがたまらん。しあわせになってほしい(笑)。←笑うのか。
 いやほんと、不幸なとこがたまらなく好きだったりするのね。

 ベルモンド主役でスピンオフ見たいなああ。
 彼がまた、盛大に空回りするのー。んで、そんなベルモンドに、相棒のカッセル@ホタテくんが振り回されるのー。うっとり。

 趣味に走りまくった続編という名の二次創作を脳内で繰り広げると、ガイも登場します、だってわたしガイ好きだから! ガイとベルモンドはもっとちゃんと絡めるべきだと思うの、絶対おもしろいと思うの、あのふたりの温度感。
 ベルモンドのあのしょぼい花束につっこまないガイのクールさっちゅーか、なまあたたかくスルー、半目な感じがいいのよー(笑)。
 高温でくるくる空回るベルモンドを、ガイがてきとーにいなして、マイペースになんかやってるとことか、見たいわー。んで、ぎゃーすかゆってるベルモンドが「聞いてるか?」と言ってきたら、すかさず「聞いてるよ」と答える。んでまたベルモンドがぎゃーすか言い出したらガイはよそ見。「聞いてるか?」「聞いてるよ」「よし、じゃあ行くぞ!」「ああ」「ふたりいればこわいものナシ……って、ちょっと待て、どこ行くんだ、置いていくな!」みたいな(笑)。ガイにはなんの他意も悪意もナシ。ベルモンドが空回ってるだけ。

 でもって今回ほんと、ちぎくんが水しぇんに見えて、びびった……。
 こんだけ声が似てると心臓に悪い……。
 地味にまだ続いている、『はじめて愛した』感想(笑)。

 ジュリアーノ@咲ちゃんに足りていない部分が山ほどあること、成長する未来があるにしろ今この時点で、この舞台上においては足りなさが丸見えでいろいろと残念なこと……は、置いておいて。

 ジュリアーノ萌え。

 ジュリアーノは大学時代、ギャングのぼっちゃんだってことを隠して、レイチェル@あゆっちとつきあっていたという。

 あのー。

 隠せないだろ、性格は。

 出自はたしかに、言わないとわからないかもしれない。手下も遠ざけ、屋敷を出て、ひとり暮らししていたら、誤魔化せるか。
 でも、あの尊大な態度、キレやすい性格は、変えられないだろ。
 ただの知人とかクラスメイトなら、がんばって作った外面(が、あるのか?)しか見ないかもしれないけど、恋人としてつきあったら、どうしても出るだろ、元の性格が。
 完璧に別人を演じられるよーなスキルはないよ、ジュリアーノ。バカ丸出しだよ、ジュリアーノ。
 彼が外面を作っていたとして、純粋に接している時間の長さに比例して、バレたと思う。気に入らないことがあると瞬時にキレ、即暴力、という性格が。

 現在のレイチェルが可哀想だから誤魔化されそうになるが、別にジュリアーノは出会ったときから暴力で脅して拉致していたわけではない。
 昔はふつーにラヴラヴだった、つきあっていた、というから、わからなくなる。

 ラヴラヴだったころって、レイチェルはジュリアーノのこと、どう思ってたの?

 ちょっとわがままでキレやすい、大金持ちのおぼっちゃま?

 高級品身につけてるしぃ、車持ってるしぃ、会うたびブランド品プレゼントしてくれるしぃ、デート豪華だしぃ。
 玉の輿じゃん♪ と、喜んでたとか……? 母親@ヒメも歓迎してたっぽいし。

 それがセレブじゃなくギャングだとわかって、手のひらを返した……?

 そりゃ、ジュリアーノぢゃなくてもキレるわ。

 本人に罪のない、生まれの問題で切られたんじゃあねえ。手のひら返されたんじゃねえ。
 まあ、ほんとのとこレイチェルは、そこまで打算でつきあっていたわけじゃないでしょうが。

 実際問題として。
 「お金持ちでキレやすいおぼっちゃん」のときは、わがままで暴力的なところが「素直で自分に正直、子どもっぽくてカワイイ」と思えても、ギャングだとわかったあとは「凶暴で危険、ナニをされるかわからない」と思えるのは、仕方ない。
 人間として、リアルな心の動きだと思う。
 同じように「思い通りにならないとキレて殴る」行為が、セレブなら許されても、ギャングなら許されない。
 セレブだと思っていたときはイイ顔して、ギャングとわかって恐怖と軽蔑を突きつける、レイチェルとその母の行動は実にありがち、仕方ない。
 リアルですよ、ええ。誰だってアナタだって、そうでしょ?てなもん。

 しかし、現実的にはそうであったとしても、フィクションで、恋愛モノで、ヒロインで、「カタチや肩書きに左右されて、態度を変える」可憐でやさしいキャラ、つーのもなあ。大変だなあ(笑)。

 その後レイチェルはガイ@キムと出会い、彼が殺し屋とわかっても愛するので、肩書きが問題ではないとわかる。
 ギャングだからってのはきっかけに過ぎず、性格的にジュリアーノを嫌うようになったのだろうとは思う。
 ジュリアーノがギャングでなく、セレブであったとしても。母親が「玉の輿よ! どこが不満なの!」と騒いだとしても、レイチェルはいずれジュリアーノと別れたと思う。
 でも、彼女が態度を変えたのはジュリアーノがギャングとわかったときであり、また、彼を嫌だと思うすべての理由をそこに集約させている。や、その通りだろう、ジュリアーノが暴力的なのもキレやすいのも我慢を知らないのも、全部彼がギャングのおぼっちゃまとして育った所以だろう。
 だから彼を否定する理由として「ギャングだから」とするのは仕方ないんだが……ジュリアーノからしたら、納得いかんだろう。

 今までふつーにつきあってきた、恋人同士だった。なのに、ギャングだとわかったら、別れ話。
 こりゃひどい。

 
 レイチェルの心の動きはリアルだし、実際ジュリアーノはひどい男だし、当然っちゅーか、仕方ないと思える展開。
 それでも、ジュリアーノを可哀想だと思わせるものが、咲ちゃんにはある。
 
 クロード@しゅうくん相手に吠えているとことかは、ギャグマンガの脚をタコのようにばたつかせているガキにしか見えないんだが(笑)、そのあとレイチェルママと話しているときに、すごくいたいけな顔をする。

 ギャングだってことを知らなかった頃、ママは今とはまったくチガウ態度だった。
 ジュリアーノのことを、娘の彼氏と認めていた……かわいがっていた、んじゃないか?
 カラダが大きくてわがままで裏表のないジュリアーノは、変にスレた学生たちよりも純真に映ったんじゃないか?

 昔はちがったじゃないか、と笑おうとするジュリアーノに、ギャングだと知らなかったからだ、と返すママ。凍り付くジュリアーノ。
 その傷つきっぷりがね。
 意味もわからず母親に殴られた幼児のようで、主人に殴られた犬のようで。

 愛を、存在を、否定された。
 その痛みが、ストレートに伝わる。

 ジュリアーノがあんまり純に傷つくもんだから、想像してしまうのよ。
 ギャングだと知らなかった頃、ママはすごくやさしかったんじゃないかって。やさしいだけじゃなく、いけないことをしたときはぴしゃりと叱られたり……それがまたこわかったり。
 ふつうに、「母親」として。
 ジュリアーノはレイチェルも大好きだけど、彼女の家に遊びに行くのも好きだったんじゃないかって。ママにやさしくされたり、叱られたりするのも楽しみだったんじゃないかって。

 弟とは仲悪かった気がする(笑)。
 弟は絶対シスコンだし。決めつけ。「あんな乱暴者、やめとけよ」ってレイチェルにことあるごとに言って、ジュリアーノにもつんけんして。
 弟とジュリアーノがケンカになって家の中走り回って、ママが雷落として。
 一緒にごはん食べて。弟とジュリアーノは目が合うとふんっとそらして。弟は高校生くらい、そしてジュリアーノは弟かそれ以下の精神年齢(笑)。

 好きだったんじゃないかな。
 いけ好かない弟(笑)も含めて、レイチェルの家が。家族が。

 単にレイチェルと過ごしてきた時間だけでなく、家族とのふれあいも全部否定されたから、ことさら暴挙に走るはめになったんじゃないか。
 ただ、生まれの問題だけで、なにもかも否定されて。

 
 続く。
 地味に続いている、『はじめて愛した』感想、ジュリアーノ編の続き。

 ジュリアーノ@咲ちゃんは、レイチェル@あゆっちの弟を殺した。

 レイチェルはそれに絶望し、自殺まで追いつめられる。

 レイチェルも彼女の母@ヒメも、ジュリアーノを責めるばかりで、もちろんそれは当然なんだが、ほんとのとこ、ジュリアーノは弟を殺すつもりはなかったと思うんだ。
 弟がシスコンでもともとふたりがつきあうのに反対だった、というのはわたしの妄想だが(笑)、それ以後、ジュリアーノがギャングだとわかったあと、弟がふたりがつきあうのに反対していたのは物語からわかる。
 
 殺すつもりはなかった。
 ジュリアーノは基本、レイチェルの嫌がることはしたくないんだ。
 喜ばせたいと思っているんだ。好かれたいと思っているんだ。
 なのに、弟を殺すはずがない。
 母子家庭で育ち、家族を愛している、ふつーの娘なんだから。
 愛する女の子の、弟を殺したいはずがない。

 だけどジュリアーノは、キレやすい性格で。キレたら即暴力、即拳銃。ギャングの若様として、そーゆー環境で育ち。
 レイチェルと別れろと言う弟に、ついかっとなって……うっかり、殺しちゃった。
 そんなつもり、なかったのに。

 弟のことでなじられると、ジュリアーノはバツの悪い顔をする。最初からレイチェルを脅すための「見せしめ」として殺したのなら、そんな顔する必要ない。
 殺すつもりはなかった、彼女を泣かせるつもりはなかった。なのに、自分の落ち度でそんなことになってしまった。だから、痛いところを突かれた、という顔をする。そして、キレる。
 間違いを指摘されたら認めたり謝ったりするのではなく、威嚇したり暴れたりして誤魔化して来たんだね。
 誰も彼を叱ってくれなかった。謝り方を教えてくれなかった。
 だからジュリアーノは、暴れ続ける。
 大切なモノを傷つけて、自分も傷ついて。

 
 レイチェルママとジュリアーノの場面が、わざわざあることを考える。
 ヒメに役を付けるため・出番を作るため(笑)とかゆーことは、置いておいて。
 別にレイチェルの母親を出す必要はないんだ。出したとしても、ちらりとでいい。ジュリアーノが母親を人質にしているとわかる程度で。
 なのにわざわざ、しっかりと1場面使って、ふたりのやりとりを見せている。

 それによって、台詞だけで「オマエが逃げたら、母親がどうなるかわからないぞ」と言わせるのとは、違ったモノが見えてくる。

 ジュリアーノがギャングだとバレていなかった頃、彼は当たり前にレイチェルの家族ともつきあっていた。ママにもかわいがってもらっていた。
 ギャングだとバレた途端手のひらを返され、そのことにジュリアーノが傷つくほどには、仲良くやっていたんだろう。
 嫌いな相手、どーでもいい相手に「ギャングだからキライ」と言われても、ムカつきはしても、ショックは受けないだろう。生まれてからずーっと同じ台詞は表で裏で言われ続けていただろうし。
 ママに「ギャングだから」と否定され、ジュリアーノは「痛い」表情をする。一瞬、深く傷つく……すぐにアタマ悪くキレて吠えるけれど。

 ママはたしかに人質で、レイチェルを捕まえておくためのエサなんだうけど。
 スパイ物とかでよくある「母親の命が惜しかったら組織に協力しろ」ネタの場合、母親はどこか遠くに監禁されていて、顔も見られないのがデフォ。「母は元気なの? 会わせて、声を聞かせて!」「お前が命令に従えば会わせてやる」……で、大抵すでに人質は殺されてるのな。死んだという確証がない限り、命令に従うしかないから。
 大人ひとりを生かして見張り続けるのは大変だよ? そんな労力払うくらいなら、殺して「生きている」と思わせる方が遙かに楽。
 ママは地下牢に監禁されているわけじゃなく、ふつーにアパートかなんかで暮らしているわけでしょ。
 そんだけややこしいことを、お金と労力使ってやってるのは、ひとえにレイチェルのため。

 ジュリアーノは、レイチェル自身もだけど、彼女を形作った彼女の背景も愛していたんじゃないかな。

 やさしくてこわいママがいて、美人の娘がいて、生意気な弟がいて。
 「ただいま」と言って、帰る家。

 レイチェルがママにハグして、夕飯の支度を手伝う話をして。紹介されたジュリアーノは、場違い感に棒立ちしていて。椅子を勧められて、あわてて坐って。
 キッチンから聞こえる母と娘の会話や、豪華ではなくても大切に整えられたインテリアを眺めて、時折声を掛けられたら居住まいを正して。
 帰ってきた弟にねめつけられて、睨み返して。こいつ気にいらねえ!と双方思って(笑)。
 家族みんなで囲む食卓、他愛ない日常の会話。
 レイチェルがレイチェルとして育ってきた場所。彼女が笑う場所。

 母親を殺すことだって出来た。でもあえて生かした。家や金を与え、ナニ不自由ない生活をさせた。
 弟を殺すつもりなんかなかった。いろいろとうるさいヤツだったけれど、殺したいとは思ってなかった。あんなに突っかかってこなけりゃ、ナニもしなかったんだ。
 ただ、レイチェルが欲しかった。彼女に、喜んで欲しかった。笑って欲しかった。愛して欲しかった。

 子どもの癇癪まんまにレイチェルを探し、探させ、ガイ@キムの家でよーやくレイチェルを見つけたときの、うれしそうな顔。

 ただ、会いたかったんだ。会えてうれしいんだ。そんな顔。

 
 ジュリアーノはほんとにどーしよーもないアホボンだけど。
 こんな男に人生費やすのは無駄でしかないと思うけど。

 「ギャングに生まれたのはオレのせいじゃない」「だからオレは悪くない」「オレはナニもしなくていい」と、なにひとつ現状を変える努力はせずに、責任転嫁して暴力をふるうだけ。
 まともな人間関係を一切築けなかったから、いちばんの部下にも「清々したよ」と見捨てられる。
 それがとーぜんの、どーしよーもない男だけど。

 ジュリアーノのどーしよーもなさの中に、いたいけな子どもの顔が見え隠れするから、切ない。

 そんなふうにしか育つことが出来なかった、いびつな子どもの悲しさが。哀れさが。

 レイチェルと結婚して、「家族」を作りたかったよね。
 「ただいま」と言って、帰りたかったよね。
 それでも続いている、『はじめて愛した』の感想。

 クリッツィ@コマが好きだっ。

 アッシュ@マヤさんチームの情報屋。つっても、ばっちりべったり仲間というわけではなく、彼自身はフリーであるっぽい。
 アッシュやガイ@キムを好きで、なんとなく近くにいる感じ。

 コマはいい役者になったな。つか、マサツカ芝居と合うんだろう。ハリー作品のときは空気がチガウ。
 なんかなつかしい、と思うのは、彼がまとう朴訥とした雰囲気が、若い頃のきりやん@『PJ』を思い出させるのか。

 正塚作品は、台詞による情報量が少ない。
 コトバで解説するのではなく、「ああ」とか「うん」とかの短い日常のやりとりで、背後にあるモノを想像させる。
 だから、コトバ以外の部分の雄弁さが、キャラクタを分ける鍵。

 これまでのマサツカ芝居でコマは、台詞も出番も少ない役を与えられ続け、印象的に空気を動かしてきた。テンポだけで客を笑わせる芝居をしてきた。
 段階踏んで着実に前進しているイメージ。
 あれらの役があり、今回のクリッツィ役がある。

 クリッツィもまた、「いつものコマ」に分類できる役だ。
 本人は真面目だけど、客に笑われるまぬけな役。ほっこり息抜き的役割。ああ、なんていつものコマ。

 でもさ。

 クリッツィって、めっちゃかっこよくない? 耽美キャラぢゃない?

 まず、見た目のギャップ。
 単純に、美形です、クリッツィ。
 オーディエンスとして、役と離れて歌ってるとこだとわかりやすいよね、見た目だけならほんとキレイですってば。

 下っ端体質でいろいろとアゴで使われたりケンカ弱くて簡単に転がされたり、しているけれど。
 三枚目的立ち位置にいるけれど。

 ひとりで佇んでいるときとか、主要人物の話をじっと聞いているとき、見つめているときが、やたら美しいですが。

 西洋の教会とかの神像だの彫刻だの美しさではなく、原色と毛皮で塗り分けられたジャングルの神像や仮面の美しさっていうか。
 血と肉と大地を感じさせる、プリミティヴな美しさ。

 土臭いとか泥臭いとか(笑)、そんな意味でもありますが。

 白く美しい教会の像はわたしにとって遠い世界の出来事で、きれいねと思ってもソコ止まりだけど、毒々しい色の大地の面は思わず二度見するっちゅーか手にとってしまうような、吸引力がある。

 なんか、やばいな。
 やばい美しさだ、コマ。

 ひとことで言うと、色っぽいんだと思う。
 ……生々しく。

 おきれいな高尚な美しさは遠く眺めるだけだけど、生々しい美しさはわたしに関与してくる。絡め取ろうとしてくる。だからびびる(笑)。

 持っているモノがエロ気十分なのに、朴訥で鈍くさいキャラを演じている。
 そのギャップに、くらくらくる。
 黙っているときの美しさ、妖しい耽美っぷりと、口を開いたときの下っ端感。それはギャップであり、乖離ではない。
 自然に融合している。
 いや、あの耽美っぷりと下っ端感が、たまらん。それこそが、リアルな色気になっている。

 単純に腕っ節が強いとかクールとか、そーゆーものは美しさとして「わかりやすい」から表現方法として取られがち。
 ケンカ弱いとか、女の子にパシリ扱いされてるとか、マイナスになる要素を持ちながら美しさや色っぽさを醸し出しているから、コマさんやばい(笑)。

 そして、語りすぎないキャラクタ。

 ナレーションで、全解説しないし!(重要)

 ガイはちょーカッコイイ男だけど、モノローグ(録音)でうだうだ言い過ぎなんだよっ。モノローグ全カットしてくれ、その方が絶対カッコイイ。
 あんな解説なくても、短いナマの会話だけでも心情の表現は出来るし、背景だって想像できるし、客だって理解できるよ。……ヅカの客は1から10までコトバで説明しないと理解できないって、マサツカおじさんが絶望している結果があのナレーションの洪水かもしれないが。

 ともあれ、脇役であるおかげで、クリッツィはアホなモノローグをうだうだつぶやかないので、男ぶりが上がってますのよ。

 ナタリー@夢華さん相手に「たぶん、なにか飽きるんだよ」とか語っているところ。
 アレこそがマサツカ芝居の真骨頂だよなああ。
 言葉少なすぎて、ナニ言いたいのかわかんないところ(笑)。

 ヅカファン相手には全部コトバでどう思ったからどうだったとか、解説しなきゃいけないから、主役にはあーゆー芝居はさせられない。
 主役の顔さえ、かっこいい衣装や姿さえ見てれば満足なヅカファンには、無粋なモノローグ(録音)芝居を押しつけておいて、主役ファンがどーでもいーとスルーしているだろう脇に、ずっぽりマサツカ芝居をさせる。
 正塚せんせの上から目線っつーか、悦に入った考え方が透けて見える……よーな気がしないでもないんですが、それでもやっぱ、このわけわかんねーやりとりこそを、もっと見たいと思うな。

 コトバが少ないからこそ、その奥にあるモノを想像する。
 クリッツィという男を想う。

 アッシュの手下みたいな出方をするけれど、チーム入りしているわけじゃない。
 彼自身は、フリー。自分の意志で、アッシュやガイに協力している。
 だからいつでも、手を引ける。ひとりでどこへでも行ける。

 誰にも、依存していないから。

 アッシュにはナタリーという家族がいるし、アンリ@りんきらも妻がいる。
 でもクリッツィには家族も恋人も出てこない。最後、ナタリーに口説かれて彼女の店に居着くことを決めるのだから、その時点まで恋人もいないんだろう。

 クリッツィは、ひとり。なんのしがらみも持たない。

 自由であるということ。
 それは、強さだ。

 自由であるということ。
 それは、孤独だ。

 クリッツィの魅力は、「ケンカ弱いから格好悪い」とかわかりやすいところでは三枚目的に描かれているのに、彼に注目しているとその強さ、格好良さが見えてくるというところにある。
 この多重構造(笑)は、おもしろいわー。好きだわー。

 ナタリーに口説かれて、とりあえず彼女の元に身を寄せるけれど、いつでも彼はいなくなっちゃえるんだろうな。
 ナタリーは弱い女の子だけど、クリッツィは強い男だから。
 強くて、ある意味冷酷な男だから。
 不要になれば、ひとりで出て行く。籠の中には入らない。

 オーディエンスとして、ガイの葛藤を歌で見守っていた、あの硬質な眼差しそのままに。

 自分の翼で飛ぶから。
 で、まだ続いている『はじめて愛した』語り。

 で、まだ続いている、クリッツィ@コマ語り(笑)。

 クリッツィがケンカ弱いとこが好きっす。

 ケンカ弱くて、クロード@しゅうくんにはボコられるわ、駆けつけてきたカッセル@ホタテには一蹴されるわ。
 問題は、クリッツィがケンカに強いか弱いかではないの。

 理不尽な暴力をかざされたときに、逃げるという選択肢がないことなの。

 弱いのに彼は、当たり前に女の子をかばって立ちふさがった。
 とりたてておびえている風でもない。そりゃ勝つ気満々でもないが、ガクブルしながら楯になったわけでもない。

 弱いのは結果であり、これからもクリッツィは当たり前に、女の子を背中にかばうんだろう。
 ……弱いから、なんの役にも立たないにしろ(笑)。
 

 でもってわたしは、カッセルが好きだ。

 彼の「まともさ」が好き。
 相棒のベルモンド@ちぎがあまりに熱血刑事なので、それにつきあわされているカッセルの「ふつうさ」が最初、ナニか裏があるんぢゃねーの?ってくらい、疑わしかった(笑)。
 だってあまりにもカッセルひとりまともすぎて……。他はみんな、リアルだけどナニかしら「フィクションらしいドラマチックさ」を持っているのに、カッセルだけナニもない。んで、ナニもないただのモブ、人数合わせ、刑事はふたり一組だからとりあえずもうひとりいます的な人にしては、目立ちすぎている。
 だから最初は、ナニかあるのかと……(笑)。

 ほんとに、「ただのいい人」で「ふつーの人」で「まともな人」でした。

 …………。
 萌え~~っ。カッセルの、ふつーさ萌え~~!

 あのうるさすぎる相棒持ちながら、あんだけふつーでいられるって、どうよ?!(笑)
 横で高速回転空回りして発熱通り越して火熾ししてるよーなベルモンドがぎゃーぎゃーゆってて、それに引きずられるでなく自分のスタンスでつきあってられるのって、すごい!
 隣では公私混同で目撃者の女の子に惚れて空回りして、オチたり煮えたぎったりしてるのよ。それが仕事の相棒よ? どんだけうざいよそんなの(笑)。なのにカッセル、ふつーについていくし。

 で、ナニ気に強いし。

 本職!って感じに乱暴なクロードを、クリッツィがまったく歯の立たなかった相手を、簡単に転がしてしまうし。

 ベルモンドがきーきーうるさいだけで実は弱そうだから(金と力のない美男の見本)、地味でおっさんくさいカッセルがナニ気に強いところがまた、素敵にコントラスト。

 質実剛健なとこがたまらん。
 あんだけ強くて、威嚇で吠えることもできて、なのにあのベルモンドに従っているとことか。
 従うっていっても部下とか下僕ではなく、ふつーに相棒で、異を唱えることもないから従うっていうか、ほんとうにチガウと思ったらチガウと言うだろうっていうか。

 まともで強い真面目な男が、大暴れヒステリー女@きゃびいに振り回されっぱなしで終わるとことか。

 好みすぎる(笑)。

 
 で、話はクリッツィに戻る。

 レイチェル@あゆっちを守ろうとして、クロードにボコられるクリッツィ。
 転がされながらも立ち上がり、向かっていこうとしているのに……そこに駆けつけたカッセルに、暴漢と間違えられ、ぶん投げられる。
 ……あの可哀想さが、萌え(笑)。
 観客も容赦なく笑うしな。

 クリッツィの素敵なところは、そのことでぎゃーすか騒がないこと(笑)。
 女の子を守ってケガをしながら闘っていたのに、駆けつけた刑事にさらにケガをさせられるってどうよ?
 文句言っても泣き言言っても仕方ないのに、ナニも言わない。

 クリッツィをカッコイイと思うのは、こーゆーとこだ。
 三枚目的に描かれているクリッツィだから、ここで「ひでぇよ」と泣き言を言わせ、カッセルに食って掛からせることは簡単、観客も大笑いするだろう、その滑稽さに。
 だけどそんな描き方はしない。

 クリッツィはナニも言わない。
 腹は立てているが、カッセルをなじることなく立ち上がって、荷物拾って歩き出す。

 で、自分が最初にぶっとばした相手が悪者ではなく、守ろうとした女の子の関係者だとわかったカッセルが、「あ」って顔でクリッツィを見るのも好きだ(笑)。
 舞台上で、台詞で、いちいち詫びたりなんだりで時間を取ることはないが、暗転の間際、クリッツィが積み上げた荷物を、カッセルがいくつか手伝って持ってあげる、あの展開が好き。

 クリッツィは、いちいち謝られたくないのよね。
 男だから。
 自分が強ければ、ひとりでなんとかできていたのに、それが叶わずカッセル登場となった。
 カッセルが現れ、自分を投げ倒したのは、自分が弱かった結果。
 だから自分を暴漢と間違えたカッセルをなじらない、でもムカつくから目も合わせない。

 そしてカッセルは、間違いは間違いだから、悪いと思っている。怒って目も合わせないクリッツィに、詫びの意味で荷物を持つ。
 や、実際「すまん」ぐらいは口にしていると思うし。クリッツィは「別に」ぐらい返していると思うし。

 この、「男」ならではの関係に、萌え。

 
 わたしは、クリッツィのこと最初、アッシュ@マヤさんの仲間だと思っていた。チームだと思っていた。
 だから最後、作戦決行前後の彼の身の振り方に、誰も言及しないのが不思議だった。
 アンリ@りんきらとガイ@キムは、レジスタンス時代からの親友、アッシュもその時代を知る関係者。ナタリー@夢華さんはアッシュの家族。
 クリッツィだけ時代と次元が違う。
 彼は、アッシュがパリで殺人仲介業をはじめてからのつきあいだろう、年齢的にも。
 チームの一員ではなく、フリーの立場のまま、関わっていた。だから作戦が終わればもう関係はない。

 そもそも仲間仲間友情絆とべたべたしない、コトが終われば解散!な関係なんだ、アッシュたち。
 そしてまた、ナニかあるときには力を貸したりするんだろう。

 そんな彼らに関わっていたクリッツィだから。
 一仕事終わって行くあても帰るあてもない。まあてきとーにどうとでもするさ、な彼を、ナタリーが口説く。一緒に暮らそうと。
 ナタリーは今回の件で少し成長したとはいえ、基本が依存心の強いふつーの女の子だ。クリッツィを愛しているというよりは、誰か事情を知っている男と暮らしたかったんだろう、ひとりになりたくなくて。もちろん、クリッツィに好意はあるにしろ。
 そしてクリッツィも、そんなこんな全部わかってて、頷く。それもアリかと。

 
 で、ここで問題なのは。

 ナタリーはアッシュの店を守っていくそうな。てことは、彼女と一緒に暮らすクリッツィもまた、パリに残るということで。

 カッセルと、会うよね?

 クリッツィは情報屋としてのパイプを捨てるとは思えないし、結局はパリの裏社会を泳いでいくのだと思う。
 するととーぜん、パリ市警のベルモンド&カッセルコンビに、今後も関わる公算大よね?

 ……楽しみだ(笑)。
 しつこく続く、『はじめて愛した』感想。

 クロード@しゅうくんが、かっこいい。
 これほどかっこいい彼を見たのははじめて。
 体格的に悪役を振られることは多いけれど、クロードは大仰な記号的悪役ではなく、「生きた」悪の部分が物語の棘のように存在感を出している。

 最初はいきなり暴力シーン……つっても、殴られている側。
 殴ってるのがジュリアーノ@咲ちゃんで、はっきり言ってごめんよへたっぴだから、「こんなヘタレに殴られてるから、ヘタレ以下の人??」と誤解されそうだ。(ジュリアーノがヲヅキだったら本気でこわかったろうなあ、暴力シーン・笑)。
 まあ、脚をタコのよーにして「うわーんっ」と暴れているギャグマンガの子どものよーなジュリアーノは、他の役者と格が違いすぎるので置いておくとして。
 見るからに格下のバカに殴られながら登場の、クロードさん。
 ジュリアーノがアレだから気付いてなかったけど、敷物に血が飛び散るほどひどい折檻だったらしい。

 どう見たって、強そうなのはクロード。なのにアホボンに殴られ、罵られるまま。
 その気になれば、あのへろへろに遅い拳をかわして、むちむちしたカラダを殴り倒すことくらい、簡単だろう。
 でもそれをせずに、じっと耐えている。

 ジュリアーノに対しては、コミュニケーションを放棄しているらしく、ほとんど話さない。
 だからクロードの立ち位置がわからなかった。
 アホボンに殴られ威張られ、黙して従うのは、アホはアホとしてそんなぼんぼんを好きだからだろうか? 忠義心だろうか? ぼんぼんの親父に義理があるとか?

 クロードはただの「ジュリアーノの手下」とするには目立ちすぎている。
 台詞や出番が多いわけではないけれど、最初から「あれ?」と目をとめたくなるドラマを抱えている。
 カッセル@ホタテが、「刑事の片割れ」にしては目立ちすぎるように。

 ストーリー的に主要人物ではないのだけど、ただの脇で名前もない、刑事とか手下とかでくくられてしまっても仕方ない、そんな役がドラマを感じさせる……そこがツボです。

 キレやすいだけのゆるいおぼっちゃんにえらそーにされ、でもなんかただの端役にしては存在感、レイチェル@あゆっち相手にはぺらぺら喋ってとりつくろって下っ端感、カッセルごときに(笑)にやっつけられちゃう、カッセルともども立ち位置不明感、そして最後のアレ。
 
 最後のアレが、さいこーです(笑)。

 街中で突然狙撃されたジュリアーノ。驚いて駆けつけるけれど、それ以上ではなく。ジュリアーノ本人にどやしつけられ、いちおー介抱するふりはするけど、本心ではなく。
 絶命したジュリアーノに「清々したよ」で、死体放置。

 ただの下っ端にしてはなんか引っかかる、名前もない「手下」ではないのは、これだったのか!
 台詞だけならクロードは、異を唱えずにジュリアーノに従っている。
 だけどなんか引っかかる……彼がどう思っているのか、どんな立ち位置なのかわからない……そう思っていたのは、最後で昇華される。
 だからなのか、と。

 わたし的クロードのツボは、妻帯者であることです(笑)。

 ジュリアーノに言われるんだよね、「レイチェルを見つけてこないと、お前の女房ごと殺してやる」とかなんとか。
 あ、女房いるんだ。
 結婚しているかいないかはともかく、決まった女がいるんだ。

 ひとりものではない。
 ……それが、クロードという男を考えるのに大きく左右するよな。

 ひとりものなら、嫌気がさせばどこへでも行けるかもしれない。自分ひとりが戦い、殺されれば済むなら、反抗も出来るだろう。
 でも、妻がいるなら。
 愛した女がいるなら、そうもいかないよね。
 黙って耐えるしかないよね。リーマンはつらいやね(笑)。

 なんのしがらみも、守るべきモノもないまま、アホボンに仕えているのと、守りたい生活があるから耐えているのとでは、まったくチガウよなー。
 クロードひとりのことなら、ジュリアーノに好き勝手させて不満そうにしていると「それだけの器の男」だけど、妻のためにあえて留まっているなら、今の状態は彼の器とは別に考えられるもんな。

 でもっでジュリアーノのアホさ加減もいいよな。
 自分の愛する女を捜させるために、部下の愛する女を殺すぞと脅すなんて。
 どんだけ無神経かつ、身勝手。
 そりゃクロードにも愛想尽かされるわ。

 余分なことは言わず、死体を放置する姿が冷酷で、プロっぽくで素敵です。

 
 ジュリアーノの手下はあとふたり、ザッキーとレオくん、こちらはキャラ不明、名前はあっても「手下1、2」レベル。
 ナニかやっていたかもしれないが、わたしにはわからなかったよごめん。
 どちらもイケメンで、ジュリアーノチームは無駄にカッコイイ(笑)。

 でもってわたし、やはりレオくんの顔が好きです。
 ナニをしているでもないのに、目に入る。
 声を出すとけっこーあちゃ~な感じなんだがな(笑)。
 台詞無しで舞台横切っていくだけで「あ、今の!」と思う。ポイントはやはり横顔か(笑)。
 待ちに待った、「2011年スケジュール帳」の発売日です。

 9月には来年のダイアリー売り場が作られるこのご時世において、毎年11月発売のタカラヅカ・スケジュール帳。
 半年分の演目をどーんと一気に発表していた頃とは違い、毎年発売が難しくなっているんぢゃないかな。公演の年間スケジュールがひと目でわかるページがあるとかを売りにしているのに、肝心のスケジュール欄が空白だったり、意味ねー!!なことも、過去にあった。

 今年はまだマシ。
 あと2日で11月とはいえ、10月中に発売だし、年間スケジュール(どの組がどの時期にどこで公演しているか)は発表されているし。

 わたしは昔からスケジュール帳は使い込む方。7色ペンとミニスタンプやシールを持ち歩き、出来事別に色やシールを変え、マンスリーページにびっしり予定を、ウィークリーページにイラストや日記、ポエム(笑)まで書き込む人間だった。若い頃は手帳と筆記用具類だけでポーチ1個分だったさ。
 今はおばさんなのでそこまでしてないが、カスタマイズは基本。

 マンスリーページに全公演の初日新公千秋楽をチェックし、発売日と友会入力日も発表されている分は全部書き込む。
 書き込むというか、わたしの場合、オリジナルで作ったシールを貼る。大きさや色、枚数など、過去の経験から最適なモノをいちいち作っている。
 観劇予定と実際に観劇済みシールも別に作る。2010年までは花組が他組の3倍という偏ったシールだったが、2011年用に雪組が他組の3倍にデータを変更。
 このシールデータの変更や微調整、印刷してカットし、手帳に貼り込む作業がけっこー時間を食う。ふつーに半日仕事(笑)。

 そのため、1日でも早く、手帳が欲しい。
 11月はじまりの手帳なら、9月発売でもいいよってくらい。

 そういった準備のこと以外に、今年はものすごーく新しい手帳を欲していた。

 とゆーのもだ、わたしの今年のスケジュール帳ってば、お茶をこぼしてガビガビなんだわ、早々に。
 表紙だってカスタマイズしているし、中身もオリジナルシールと書き込みでいっぱい、とっても充実した自慢の1冊なんだが、どんだけお気に入りでも黄緑のシミとガビガビバリバリのページは如何ともしがたい。
 少しも早く、新しい手帳が欲しかった。

 つーことで、発売日にいそいそとキャトルレーヴへ。
 今年も表紙はリバーシブルなのね、ピンクとグリーンの2色並んでいるわ、例年通り手帳用のシールも売っているわ、フッそんなわずかな観劇予定シールで足りると思っているのまったく足りないから買わずに自分で作るわよ、と売り場を眺めると。
 トップスターの表紙?

 なにやら新商品。
 スケジュール帳リフィル(2枚組) 価格840円(税込)とな。

 スケジュール帳の表紙は透明カバー。中の紙を変えることで、いくらでもカスタマイズ可能。だから去年から中身の紙が両面印刷のリバーシブルになっているくらいだ。

 そのスケジュール帳に合わせて、トップ5人+トドの写真印刷済み表紙が売られている。
 うわー、みんなきれー、かっこいー。
 タカラヅカスケジュール帳でなくても、B6サイズの手帳なら使えますよっと。

 しかし、表紙ったってぶっちゃけただの紙なのに、それが840円……。ボるなあ、歌劇団。

 手帳1冊握ってレジに並ぶわたし、ヅカ手帳なんて恥ずかしいモノ、買う人はどれくらいいるのかしらねと毎年思うんだが……さすが発売日だからか、列の人はほとんどが手帳を持っていた。しかも、ゆーひくんの表紙率高し。さすがはビジュアル王。

 わたしは表紙は買いませんよ。
 や、売っていたなら買いますけどね、ご贔屓写真の表紙が。
 売ってないから買えません(笑)。

 いいのよ、自分で作るから。

 手帳を早く手に入れたいのはもうひとつ、大きな理由がある。

 オリジナル表紙を作るため。

 B6サイズの手帳ですから、ポストカードサイズ。なにも専用表紙を販売してくれなくても、劇団がポスカを発売してくれていたら、それを入れれば済む。
 だがMyご贔屓はポスカ未発売。表紙に入れられるモノがない。ヅカ手帳のサイズが2LサイズからB6サイズに変更になったときに、さんざん嘆きました(笑)。2Lサイズのときは、劇団発行の舞台写真を入れられたのに。

 表紙がないなら、作るしかない。ポスカがないなら、作るしかない。
 つーことで、毎年自作に励んでおりまっつ。

 どーせサイズはわかってるんだから、手帳が発売される前から表紙画像を作っておくのもイイが、いちおー毎年、オフィシャル表紙のロゴを流用したりして「手作りだけど、劇団発行っぽく」しているの(笑)。
 だからやっぱり、手帳が発売してからでないと、現物が手元にないと、表紙を作れない。

 てなわけで、発売日買いですよ。

 あ、今回は透明カバー外にポケットがついてない。
 2010年版のみ、カバー外に大きな全面ポケットが付いていた。便利といえば便利だが、引っかかって邪魔だったんだよねー。そこから汚れていくし。なくなったのは、やっぱ不評だったのか。

 2009年版にはあった見開きマンスリーページの、縦一列のスケジュール欄が復活。コレがあると現在の公演をラインで書き込めて便利。

 なんつっても巻末のスター情報ページが感慨深い。
 トップのページにはキムが載っていて、2番手のページは半分が入れ替え、まさお、みりお、ちぎが載っている。5組で2番手は6人か……。

 2012年の手帳は、どうなってるんだろうか……。

 
 なんにせよ。

 お茶をこぼしたりせず、きれーに使うぞー。
 で、まだ続いている『はじめて愛した』感想。

 なんか久々に楽しかったんだもん。
 こんだけ「キャラクタ」に魅力を感じる公演はイイよなー。
 物語的にどうよとか、キャスティングに疑問はあっても、キャラ萌えできるとそれだけでリピートが楽しくなる。

 女性キャラはヒロイン・レイチェル@あゆっちの他はナタリー@夢華さんとジャンヌ@きゃびいぐらい。レイチェルママやぼんぼんの愛人やメイドさんや弁護士もあるけど、物語の中で「キャラクタ」として書かれているのは3人だけだよね。
 愛人@かおりちゃんはすごく難しい役で、それをまた的確に演じていてすごいと思うけど、でも物語の中では「顔」のある役ではない……もったいないことに。

 その、たった3人しかいない女性キャラの中、ナタリーはいい役なんだけど、容姿と役が合っていない感じ。大人ばかりが出てくるこの物語の中で、彼女の「若さ」と「幼さ」はハイライト的に活かせるはずなんだが、演じている夢華さんは柄違いの感が強い。
 等身大の役だろうに、なんであんなに大人びて……つーか、若さがなく見えるんだろう。顔立ちのせいかなあ。
 ぼんぼんジュリアーノ@咲ちゃんが、心の幼さはともかく、年齢的にはもっと大人の役なのに子どもっぽすぎるのと、対照的。
 劇団期待の下級生に経験を積ませるのはもちろん大切だけど、足りなさすぎると作品として見る場合そこが残念だなぁ。

 ナタリーがもっと、見るからに若いきらきらした女の子なら、レイチェルとの関係もガイ@キムとの関係も、変わって見えただろう。
 なにより、クリッツィ@コマとの関係も。
 クリッツィ好きな者としては、それが惜しくて仕方ない。
 ナタリーって、『ラストプレイ』でいうところのポーリーン@蘭はなちゃんだよねえ。クラブで歌い踊る、若くてちょっと考え無しな、現代的な女の子。かわいいは正義、だけで生きてる系の。だから好意を持っている年上の男に、平気で「次のステージも見ていってよ」と言える。
 夢華さん、ふつーにうまいんだけどね。きらきらした美少女ってわけじゃないので、「かわいいは正義」系の女の子の役はつらい。
 ナタリーがいい年の大人の女だと、物語のニュアンスが変わっちゃうんだよなあ。

 ので、ナタリーのことは置いておいて。
 もうひとりの女性キャラ、ジャンヌ。

 ジャンヌ最高。

 場をさらう、って意味では、彼女は半端ナイぞ。
 登場からキャラ立ちしているけれど、圧巻はヒステリー場面。
 レイチェルを尋問する刑事@ちぎに食って掛かる!

 殺し屋ガイを愛していると言うレイチェルを「おかしい」と言う刑事に「謝れ!」と詰め寄るジャンヌの剣幕、言葉の雨霰。
 止めようとする相棒刑事@ホタテを振り切り、吠える、暴れる。

 そして言うだけ言って、刑事に謝らせて、わーっと泣き出す。

 彼女の感情の流れがリアルで、たまらん。
 他人のために本気で怒って、怒鳴って、緊張の糸が切れて号泣。これは、わかる。わかるよジャンヌ。
 てゆーか、一緒に泣いた(笑)。
 彼女の剣幕が本気だから、食って掛かる彼女とたじたじの刑事は滑稽だから、観客は笑っているけど、たしかにおかしいけど、でも泣けた。
 
 他人のために、やさしさゆえに感情を爆発させる、その姿がおかしいものか。

 それが滑稽な風情でも、笑えることとは別に、泣ける。
 本気ってのは、伝わるから。誠実さってのは、届くから。

 刑事も彼女にたじたじで追い出されてしまうけれど、きっとあのあと「すげー女だなヲイ」って話したと思うけど、悪くは言わないと思うんだ。
 ジャンヌが間違っていないこと、そしてレイチェルのために本気で怒っていたゆえだって、わかるから。
 刑事ふたりはまともにいい人たちだから、自分たちが罵られたからといって、ジャンヌを悪人認定はしないはず。
 むしろ、落ち込んだと思うぞ、レイチェルを好きな刑事くん。言い過ぎたのは事実だもの。それを自覚するだけの度量のある男だもの。そして相棒がそれをなぐさめる、と(笑)。

 ジャンヌがすごいと思うのは、そうやって、「やさしさの表し方」を知っていること。
 怒るべきときに怒り、いたわるべきときに、いたわる。

 レイチェルがどん底にいるとき、特別なことはナニも言わないけれど、ただ「夕飯食べにウチへおいで」と声を掛け、出て行く。「こんなときひとりでいない方がイイよ」と押しつけてそばにいたりせず(笑)、相手を尊重して、その意志に任せる。「おいで」とあたたかい居場所を用意して、待っていてくれる。
 これは、すげー上級者ですよ。
 心底、見習いたいと思った。

 若かりしころ、落ち込んで夜の道ばたに坐り込んで泣いていたとき、「帰ろ」とナニも聞かずに迎えに来てくれた、先輩(美人)のことを、思い出した。背中なでられて、べそべそ泣き続けたっけ……。先輩んちでお風呂借りて、そこでも丸まって泣き通して、でもお風呂から出たあとはなんとなく、生きていける気になったなあ。
 てなことを、思い出してよりじーんとした。が、若かりしころの自分が、なんでそんなに泣いていたのかはおぼえていないという……あんときは生きるか死ぬかの大問題だと思ったからこそ、あんなに大騒ぎしていたはずなのに。がーん、トシとったなオレ。

 そんな大きさ、やさしさのある大人の女になりたいですよ、無駄にトシ食うだけでなく。
 自分はダメダメなままですが、だからこそ、ジャンヌのような女性にはあこがれます。大好きです。

 アンリ@りんきらも、めちゃいい男だしなああ。でぶだけどさぁ。恐妻家ですっかり尻に敷かれちゃってるけど、そこがまたいいんだよなあ。

 最後のどんでん返しのキモとなる、アンリ製の防弾シャツ。縫製係のジャンヌが手を抜いたために、ガイは大ケガするわけで。
 そのことを悔やむジャンヌと、彼女の手抜きを知らずに自分の設計ミスだと悔やむアンリ。

 アンリがジャンヌにダダ惚れだということが、わかるイチ幕(笑)。
 彼女への大いなる愛で、すべてを背負い、包み込むアンリと、そんな夫の言葉をまったく聞いていないジャンヌ。
 イイ。ここが、すごくイイ。
 大好きだ(笑)。

 きゃびいはいい役者になったなああ。しみじみ。

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