えー、エスコバルさんは、バツイチ希望です。

 なにしろ熱烈ゆみこファンと行動を共にしているので、ゆみこちゃんの話ばっかしているというか、聞かされている気がします(笑)。
 で、エスコバル@ゆみこがどんな人かとか、えんえん話していたりします。

 人生を諦観していて、元上官のネロ@水くんにしか興味のない元特殊部隊軍人のワイルドにーちゃん。
 彼の乾いた感じ、正塚喋りの似合う言葉の少なさがかっこいいっす。
 ときどき博多レオン@『マラケシュ』を思い出させる、黒塗りのお化粧がまた男前です。
 同じ人が演じていても、レオンとエスコバルは別人なので、思い出すことはほとんどない。でも、時折ふと、面影がよぎるのね。
 それは強い表情のときだったり、強さの合間の、空白のような少年じみた顔だったり。

 ネロにしか執着しない男だからこそ、彼の人生がネロだけだった、というのは嫌なんです(笑)。
 ネロと出会う前に、ふつーに恋愛して、ふつーに結婚していてくれ、と。出会いから結婚までの期間は短め、勢い系で。
 そんでもってエスコバルさん、恋愛は出来ても結婚を続けられる性格ではないと思うので、早々に破綻。けっこう泥仕合になったので、女にも結婚にも辟易。
 オレの人生ネロだけでいいや、と開き直るに至る(笑)。

 一方、ネロ氏は既婚歴ナシです。
 彼は真面目で保守的なので、勢いで結婚したりしない(笑)。女の子とつきあうときも、順番を大切にします。デートは門限を守ってまずは食事だけ、キスは次のデートのとき、てなふーに、彼の中にルールがある。が、本人はソレに気づいていない(笑)。
 世慣れているのもたしかなので、玄人女とのつきあいは、それなりに、スマートにこなす。

 ネロとエスコバルは元上官と部下だけど、エスコバルはネロにタメ口だし、根っこのトコで尊敬があるにしろ、ふたりは同等でなくてはならないの。
 エスコバルがネロの犬になるのは嫌。
 仕える立場だから、最後楯になって死んでいくのは違います。

 上官部下萌えってのもあって、わたしは基本的にソレすげー好きなんですが、ネロとエスコバルはそーゆーのより、同格な友人同士がイイです。
 あ、上官と部下という立場関係萌えは、わたしの場合、部下が上官を愛しまくっていて、世界のすべてだと思っている系です。上官が白いモノを「黒」だと言ったらまちがっていることをわかったうえで「黒」だと言うくらいに。(まちがっているとわからないような、盲信はNG)上官のためなら手も汚すし、彼が死ねば自分も死ぬ、だって彼が世界そのものだから。
 ヅカで言うと『龍星』の龍星@トウコと飛雪@あかしみたいな感じですな。

 龍星と飛雪はたしかに萌えだけど、ネロとエスコバルはそうなってしまったら嫌なの、チガウの。あくまで同格の友人、基本タメ口、でも、元上官と部下というのがベースにあるのがポイント。

 エスコバルがえらそーな態度で、文句ばっか言って、ネロに対して「やれやれ」ってやってるのに、それでもネロのことを「あんた」って呼ぶのが、すげー好き。

 「お前」ではなく、「あんた」。

 ネロは「お前」呼びなのにね。
 どんだけ不遜な態度を取っていても、根っこの部分に尊敬がある。自分の方が下の立場だと思っている。
 それが現れている気がして、すげー好き。

 最初、エスコバルがネロの部下だったなんてわかんないじゃん?
 親友なんだってことしか、わからない。
 あうんの呼吸でいつもそばにいる仲良しさん……なのに、エスコバルがネロを「あんた」と呼ぶのが不思議だった。大きな違和感だった。
 この関係性なら、呼び方は「お前」であるべきたろう? ネロはちゃんと「お前」呼びなのに。エスコバルの他者へ態度を見ても言葉遣いからしても、やっぱ「お前」が正しくて、「あんた」は変だ。
 最初からずーーっと引っかかっていたから。
 「オレはあんたの部下だった」とエスコバルが言い出したとき、謎が解けた。それでか!!
 で。
 一気に萌えた(笑)。

 「あんた」呼びさいこー!!
 いちばんの萌えポイント!!(笑)

 その昔、わかしまづがこじろーを「あんた」呼びしていたのと同じところにある萌えです。

 たかやとなおえみたいに、「あなた」までいくとチガウのよ。「あんた」なのがいいの。

 とまあ、こんなどーでもいい萌えを、真面目に語っていたりします、某ゆみこファンと。
 某ゆみこファンは「アタシは腐ってない! 腐の話題はわかんない!」とひとりで言ってますが、腐った話題もふつーにできる人だから境界線を引くのは無意味でしょう。

 いやその。
 『マリポーサの花』の物語や設定、キャラクタに関して、革命がどうの意識がどうの、かなり真剣に考察したり、疑問や描かれていない部分の補完するべく話し合ったり、討論めいたこともしてるんですが。
 『ソロモンの指輪』の美と歪み、テーマだのストーリーだの、多面的視界を心がけて可能性を探ったりも、してるんですが。

 いやあ、つくづくすごい作品2本立ての、すごい公演ですよ。

 ヅカ作品でこんなに中身に関してアツく掘り下げまくって話しまくることなんて、そうそうないもん。粗についてのツッコミ以外で。

 しかし。
 結局のトコ「ゆみこちゃんステキ、ゆみこちゃんかっこいい、ゆみこちゃんかわいい」ばっか聞いている気がするのは、錯覚でしょうか?

 で、当面のわたしの課題は、ネロとエスコバル、どっちが受かってことですな。 
 ……どっちも受臭くて、こまります(笑)。


 ついに来たか。

2008/08/22

2009年1月公演からの宝塚大劇場公演・宝塚バウホール公演のチケットお求め方法についてのお知らせ


 現在、宝塚大劇場公演のチケット販売のうち、一般発売開始日の宝塚チケットカウンター(宝塚大劇場窓口)ならびに阪急交通社 阪急三番街店(大阪・梅田)では、「朝7時30分までにお越しのお客様を対象にご購入順位を決める抽選を行い販売」させていただいております。お客様には、早朝にお集まりいただき、再度ご購入のために指定時刻にお越しいただくという二度のご負担をおかけしております。
 宝塚大劇場公演を2009年1月公演から年間10興行へ変更させていただくのにあわせ、この「抽選方式」での発売を取りやめ、次のとおり変更させていただきますので、ご理解を賜りますようお願い申し上げます。
(公式より抜粋)

 いずれなくなるだろうとは思っていたけれど、ついに三番街でのチケット抽選販売がなくなることが決定した。

 FCに入っていない一般ファンにとっては、窓口による抽選発売があるというのは、とてもありがたいことだった。
 「会への貢献」とやらで半強制的に、自分が購入するわけでもないチケットのために早朝から肉体労働を科せられていた人々にとっては、忌むべきモノだったのかもしれないが、フリーな立場で全組観劇基本の人間には、なくなると痛手だ。

 これでもう、最前列での観劇は、不可能になる。
 また、新公や千秋楽も観られなくなる。

 わたしみたいな、なんのツテもないヅカ友もいない、会にも入っていない、機関誌も買わない、ついでにネットだって最初からあるわけじゃなかった、素のジェンヌに興味なし、ただ舞台を観るだけでいい、ぬるーい人間が、長らくヅカファンをやって来られたのは、梅田でチケット販売があったからだ。
 発売日に決まった時間に並んで抽選すれば、希望日と希望席種が買えた。新人公演や千秋楽も買えた。抽選にはずれたら、その労力は全部無駄になるけど、自業自得とあきらめがついた。

 労力を惜しまず、運が良ければ、欲しいチケットを買える。
 ダフ屋が前日から人を雇って並ばせているのが基本の、チケットぴあ店頭とかの先着順では、買えないチケットを買うことができる、可能性があった。

 ムラと梅田だけ先着順ではない発売方式をとっていることで、不公平だとは思っていた。
 わたしがもしも、関西以外に住んでいて、大阪在住だってだけで梅田に並び、「最前列買っちゃった、新公も楽も買っちゃった」と毎回言っている人がいたら、「そんなの不公平」と思っただろう。
 全国の人が同じ条件で購入できるようにする、べきだと思う。

 ……思うけど、それはソレとして、その不公平さの恩恵を受けていたわけで。
 不公平なチケット販売方式で、他の地方の人よりは得をしていたと思うけれど、それはわたしが選んでそうなったわけじゃない。
 地元文化だからファンになっていたよーなもんで、ムラまで片道何万円交通費のかかるところで生まれ育っていたら、存在すら知らないままだったかもしれない。
 また、ムラに住んでいたって、ヅカに興味のない場合もあるし、「たまたまそこに住んでいた」ことによって得したり損したりはヅカに限らずあたりまえにあることで、言っても仕方がない。

 わたしはたまたま、得なところに住んでいた。
 だから、他の地方の人たちより、チケットを入手しやすかった。

 たまたま得をしていただけだから、ソレがなくなる未来があることも、想定していた。

 そして実際、梅田の発売状況を見ていて、将来的になくなることは想像がついた。

 並ぶ人数は毎回減っていき、また、千秋楽、新公、前方席目的の人々がほとんどで、悪い席(というか、ほとんどの席)は売れない。阪急が並びにかける人件費と釣り合いが取れていないことは、明らかだった。

 いつか、なくなるだろう。
 でも、わたしにとって得なシステムだから、いつまでも続いて欲しい。

 そう、思ってたんだけどな。

 
 わたしがヅカファンになった20年前から、梅田での並びはあった。
 ネットもない時代、「タカラヅカを観たい。でも、チケットの買い方がわからない」で、苦労した。
 窓口に問い合わせても、そのときいる人が、てきとーにチガウことを言うのが、当たり前だった。
 発売日を聞いても、購入方法を聞いても、正規係員の言うことが、実際とチガウことなんか、あったりまえにあった。
 抽選方式導入前は、何日も前から会の人たちが並んでいて、一般人はどうすることもできなかった。
 一般発売日に正規窓口の列に並んでいても、「名簿に名前がない人は購入できません」と意味のわからないことを言われたりな(名簿って!!)。
 一般発売とは名ばかりで、暗黙のルールを知らない人はお断りの世界だった。

 わたしも友人も、何度も悔し泣きしたなあ。
 常識の通用しない世界なんだ、と(笑)。

 経験を積んで、おぼえていくしかなくて。
 そーやって、「並び攻略方法」をカラダに叩き込んで。

 並びもだんだん特殊性が薄れ、一般人にも開放されるようになり。月に何度かある「並び」の日は、1日中梅田の人口密度が高かった。
 天海祐希や姿月あさとの時代の、あの行列の人数!!
 TMP音楽祭発売日の、あの行列の人数!!

 采配をふるう会の人たち、同窓会状態のグループ、あちこちで女性ばかりの輪ができ、話が弾み……すげー通行の邪魔(笑)。
 ささやかれる噂話、他愛なくかわいい話も、ちょっといい話や有益な情報も、また、感情論ですぎない劇評も誹謗中傷も、なんでもアリ。
 いわゆる「ヅカ友」がいないわたしやその友人たちは、ここでしか聞けない話に感心したり、あきれたり(笑)。

 や、わたしには「ヅカ友」がいなかったのよ。
 長い間。
 ブログをはじめるまで……というか、厳密には、ケロ退団までは。

 ヅカファンの友だちはいたけれど、それは「タカラヅカ」を通して出会った人ではなく、もともとの友だち。
 仲良し同士が同じアイドル・グループを好きになったり、同じマンガを好きになったりするのと同じで、たまたまタカラヅカだった。
 だから、ヅカ友だちに同い年・その前後が多い。もともと学生時代に一緒につるんでいて、一緒に好きになった。
 卒業してなかなか会えなくなったけれど、発売日には「それじゃあ、せっかくだから」と集まってくる。

 友だちと会って朝ごはん食べて並んでお昼ごはん食べて。
 当たった抽選券を譲り合って、助け合って。

 なにがどうじゃなく、集まってわいわいやることが、たのしかった。

 「並び」は梅田の華。……そう、言っていたね。

 発売方法として、不公平だし、効率悪いし、通路をふさぐから周囲にも迷惑だしと、いいことの方が少なかったのだろうが、それでも、ずっと、あった。
 
 いい悪いという概念を超え、昔からあり、続いてきた。

 それがなくなるということが、ただ寂しい。

 いつかなくなるだろう、仕方ない、それはわかっていても。

 時代が変わる。
 そのことに、年寄りは寂しさを感じるんだ。



 
>  今日、『ベルばら』の配役が発表になった夢を見たんですが、まっつはジェローデルでした。
>  アラン編でジェローデルって……出ないだろ?(顔文字省略・笑)
>  まっつのちりちりパーマが見たかったんだろうか、じぶん……。

 とゆーメールを、いつだっけ、まっつファンのころさんアテに書きましたね。

 そーか、正夢だったのか……。

 
 出番は何分あるんだろーな。
 とりあえずコスプレをたのしみにしよう(笑)。

 
 ……って、深く考えてなかった。

 オスカル@みわっち、つーのは先に発表されていたから、今回ジェローデル@まっつとあとから発表になっても、意識がつながらなかったの。

 そうよ、オスカル@みわっちじゃん!!

 まっつが、みわっちを愛する役!!

 美しいみわさんを、まっつが片想いしちゃう役! 下級生のくせに、正々堂々、正規の手順で求婚しちゃう役ぢゃないのっ!!(下級生×→部下○)

 まつみわ! まつみわ!!

 結果フラれることなんか、無問題。
 まっつがみわさんラヴ、つーだけでヨダレもんです。

 や、どーせ植爺だし、アラン編だし、ジェローデルに出番が何分あるか、オスカルを愛しているという設定があるかどうかすら、わからないんだし(原作を改悪し、衛兵隊や平民をいぢめるアホ貴族、というだけの存在価値に成り下がっている可能性だってあるもんな>ジェローデル)。

 本編に期待はしないが、扮装だけはするわけだから、そのビジュアルを目に焼き付けて、あとは原作のストーリーや名場面で、脳内補完しますわ。
 アンドレ@えりたんにショコラをぶっかけられるジェローデル@まっつ、とか!! むはーっ。


 かのイベントに、行けるのだろうか?

 たった1日限りの水しぇんたちのイベント。
 「AQUA5ミニライブ&トークイベント」ですよ。
 CDを買った人だとか、特定の公演を見た人だとかだけが「抽選」に参加する権利を得、その中から500人だけ手に入れられるという、超レアイベント。

 ……参加人数500人ってゆーと、某GOGO5と同じ数なんだけど、まったく手に入る気がしないのは何故だろう……。
 わたしは過去2回、GOGO5チケを手に入れておりますが、抽選で当たるはずもなく、某チケット掲示板で苦労の末GETしたわけなんですが。
 果たしてAQUA5チケは、掲示板に出るのだろーか?

 
 そもそもわたしには、くじ運がない。
 ヅカファンやって20年になるが、貸切公演でナニか当たったことがあるのはただ一度、フェルゼン@大浦みずき様のサイン色紙のみだ。

 大浦フェルゼンって何年前よ? てかソレ、わたしがヅカファンなりたてのころじゃん? 以来ただの一度も当たったことがないって、どんだけ稀有な人生なんだ??
 お茶会の抽選会も、一度も当たったことないしな。参加人数50人以下茶会ですら、当たらない(笑)。

 てなわけて、当たるわけない、と思いつつも、参加だけはしてみました、「Weekly 3 O’CLOCKお楽しみ抽選会」。提供はコカ・コーラ、出演スターはゆみこ。

 以前、観劇するだけで入口のとこでカロリーメイトひとり1箱もらったりした記憶があるから、今回もそーゆーもんだと思っていた。
 コカ・コーラ社のドリンク1本もらえるんだと、「安い・もらう・タダ」が大好きなパタリロ属人種として、わくわく入場したんだが……。
 あれえ? おみやげなんもなし? つまんねーつまんねー。
 抽選当たるとはとても思えないし、参加賞に期待してたのにー。

 商品もドリンクはなく、すげーちっちゃなタオルハンカチ(シロクマ柄。画像はnanakoさんとこ参照してくれ)、いかにもコカ・コーラな赤いタオルとどこがコカ・コーラ?な黒いTシャツセット、折りたたみ自転車でした。
 あー、あの自転車欲しいなー。あたしゃ下町育ちのチャリ育ち、自転車は生活の一部。大阪の下町は車ではなくチャリがいちばん効率よい移動手段なのだよ。どこまでも平地なうえ、道は狭く入り組んでるからなー。
 いつだったか、あのロゴ入り赤い自転車欲しくて、応募1口24枚とかゆー暴利なシール集めて送ったっけ……。(もちろんはずれた)

 さて、問題の抽選会。
 ゆみこ氏は『ソロモンの指輪』フィナーレのキンキラ衣装で登場、下手花道。
 イベントがあるって先にわかっていれば、1列目1番を取っておいたのになあ……。発売日の梅田並びにてすげーいい番号引いたんで、わたしとnanaタンとふたり分、どこでも最前列タケノコ買えたのだよ……平日3時なんか選びたい放題だったさ……。
 や、あとからでないとこんな「集客目的が見え見えのイベント」をあえてやんないだろーけど。

 あとから無理矢理突っ込んだイベントなので、とにかく時間がない。
 ジェンヌさんは、着替えて次の芝居の用意をしなければならない。『ソロモンの指輪』では白くて力入りまくったフェアリーなラメラメ化粧(1列目で見たとき、すごかった)をしている彩吹さんも、黒いワイルドにーちゃんに変身しなければならないんだ。
 ただでさえ休憩時間が短縮されて30分ぽっきりになった昨今、時間がないんだってば。
 登場したゆみこちゃんは、司会のおねーさんに促されるままとっとと10枚抽選券を引き、引きながらも質問に答え、きびきび喋って、とっとと退場した。

 機敏かつ、効率よし!(笑)

 ナニ話そうかなー、と考えたり、詰まったり、えー、あー、とかゆってる時間ないから!! 言うことだけ言って、早く着替えに戻らなきゃー!!
 終演後の挨拶などで目にするジェンヌさんはもっとゆっくり考え考え話しているイメージだけど、このときのゆみこちゃんはとても機敏でした(笑)。

 さて、ゆみこちゃんがいなくなったあとも、司会者大忙し。
 なにしろ休憩時間は30分、そしてこのあとの芝居は2時間もある。

Q. 2500人が一斉に劇場内トイレを使用する場合、いったい何分必要か?

A. わかりません。でも、これたけは言える。30分じゃ、無理。


 劇場内のトイレが何個あるか、ひとり何分必要か知らないけれど、2500人を休憩時間内で処理することはできないだろう。
 同時に行くことはない、幕間にトイレが不要な人も何割かはいる、という前提でいろんなことやものが設置されていると思う。

 たしかに、このあとの出し物が1時間弱で終わるショーならば、短い幕間にわざわざ並んでトイレに行くなんて面倒なことを、あえて不要と判断する層だってあるだろう。
 しかし今回は、たっぷり2時間ある芝居だったりするんだなこれが。
 いつもなら不要な人でも、「念のために済ませておこうかな」と思う場合が、少なからずあると思うぞ。

 その場合、必要な時間は??

 や、この日の客席は2500人はいなかったし、ぶっちゃけそんな入っていたらそもそもこのイベント自体組まれていないと思うが。

 にしても、休憩が短くなるのはまずい。
 時は金なり。

 つーことで、司会のおねーさんも、必死。すっげー巻き進行。早送りビデオみたい。
 ハンカチやシャツなどの当選者を、自分で抽選して自分で読み上げ、自分でコメントし、最後にはさっきゆみこが引くだけ引いて置いていったAQUA5ライヴチケ当選分10枚を読み上げる。

 もちろん、はずれました。

 当たるわけない、つーか、すべての商品の当選番号の、1階席:2階席の割合が15:1ぐらいでした。
 2階席で当選したのはTシャツセットひとつのみだったかな。
 あとは自転車もライヴチケ10枚も、全部1階席だけでした。
 そりゃ2階席の人口密度はかなり低かったけれど、この確率差はナイだろう……。2階席のわたしはかなしかったっす。読み上げはじめる第一声でハズレとわかるんだもんなー。

 みなさん、アタリを狙うなら1階席ですよ!! や、ただの偶然だとしても、そーゆーのって続いたりするし!

 半券で応募する用紙は持ち帰り、念を込めて記入し、改めて投函する予定(笑)。
 当選確率の上がるおまじないとかないっすかね?

 当たるもはずれるも、神の思し召し。あとは神頼みっすね!!

 
 最初に言っておく。

 わたしは、このショーが好きだ。
 オギー新作『ソロモンの指輪』

 オギーファンとして、とても興味深く、たのしめる。

 そのうえで。

 ちょっと感情的に、叫んでみる。

 オギーは、二度と水夏希に近づくな。

 初見では違和感程度で済んだ……というか、考えたくなかったんだけど、2回目で血の気が引いた。

 「水夏希」の扱いについて。
 その、冷酷さ、残酷さについて。

 いや、その。
 あくまでも、わたしひとりが勝手に思ったことで、わたしひとりの感想に過ぎないんだが。
 他の人はこんなふーに、カケラも思うことはないのかもしれないが。

 わたしには、きつかった。

 解説を見ると、水くんは「指輪の精」ということになっている。
 タイトルは『ソロモンの指輪』で、「指輪の精」だ、最初わたしはそのまんまに受け止めて観劇し……首を傾げた。
 なんだろう、この違和感。
 水くんは指輪の精で、ジンガイの存在だよね? この物語世界の中心、統べる者だよね? 統べる、つーのは支配ではなく、牽引というか要というか、まあそーゆー意味で。
 美しく派手な衣装、派手な登場。たしかに彼は、カオスの中心にいる。
 いる……けれど。

 こみあげる違和感。

 さまざまな登場人物、人間、天使、動物、鳥、王、乞食、美女、美女らしきもの、海、水、誘惑者、囚われ人、……数えていくときりがないほどのパーツ、断片。

 そして。

 混沌のなか、ひとりだけが、浮かび上がってくる。

 どこにも、居場所のない者として。

 主役であるはずの、タイトルロールであるはずの「指輪の精」……水夏希が。

 なんなの、この疎外感。なんなの、この孤独。
 なんなの……この、場違い感。

 ここは、彼のいるべき場所ではない。

 寄せては返す波のように、たたみかけられる。追い討ちをかけられる。
 退路を経ち、絶望の淵へと、ゆっくりと誘導していく。
 一撃で突き落とさない、じわじわと、彼自身が自分で、追い詰められていく。

 誰も、手を汚さない。

 だからこわい。
 だから痛い。

 誰も、直接には彼を傷つけない、殺さない。彼が自分で破滅するよう見守って……ただ、見守って。
 彼は気づいていない。
 崖っぷちに追い詰められていること。あとはもう、飛ぶことしかできないこと。

 飛んでも、どこへも行けない。
 だって彼には、翼がない。

 ただ、おちるだけ。

 ラストの場面。
 黄金と白金に満ちた世界、人々に見守られて。
 血糊の花を全身に咲かせて、彼は踊る。

 豪華な衣装の、美しい人々の中。
 彼ひとりだけがシンプルな……装飾の少ないあるがままの姿で、血まみれで。

 彼の髪を飾る王冠は、追いつめられ自害したかの王を彷彿とさせ。

 ただ、見守る人々。
 手は汚さず、とどめもささず。

 彼自身が「終る」のを、ただ見ている。

 
 ザーっと血の気が引いて、心臓がばくばくして、も、どーしよーかと。
 どんな物語がそこにあるのか、他人がどう見るのか知らないが、わたしは水しぇん中心に俯瞰して眺めてて、苦しくなって、つらくて哀しくて、ちくしょー、オギーめ、水しぇんになんてことすんのよおーっ、と、憤った(笑)。

 最後の血糊衣装と髪型と髪飾り、アレはやりすぎだろヲイ。同時上演の芝居の主人公の名を、オギーが知らなかったとは言わせない。
 うきーっ。

 でもべつに、水くん自身が貶められているわけじゃない。すばらしい作品の、主役であることには、間違いないのだから。
 「正視できないほど痛々しい役」を演じているだけのこと。
 反射的に「オギーのバカっ!」と思っただけで、役者と役は切り離して考えるべきよね。

 そうよ、水しぇんのMプレイを愉しむ作品だと思えばいいんだ。

 ははは、そーだよな、水くんってSとMなら絶対Mキャラだもんな。
 そこを堪能すればいいんだよな。
 痛々しさにハァハァすればいいんだよな。
 ……うわーん、今はまだつらいよお、見ていて胸がハクハクするよお。
 もっと主演ファンにやさしいもの作ってくれよ……。

 『ソロモンの指輪』には、ちと感情的になっているので、まだ整理がついてません。

 主役として、作品世界の中心ですべてを掌握している……と見せかけて、彼はなにも得ておらず、翻弄され、欺かれている、とゆーのがね……。
 はじめから世界に拒否られ、孤独な存在として浮いているならともかく。
 見ているうちに真実に気づき、立場が、信じていたモノが、逆転するのがすげーこわい。ぞっとする。
 ラストシーン、キラキラ衣装のみんなに凝視される血糊姿が、ブラック過ぎて。

 あー……。
 痛いなぁ……。

 好きだけど。
 それでも、無視できない吸引力を持った作品だと思っているけれど。
 それだからこそ。


 寝耳に水、とはこのことだ。
 花東宝楽から夜行バスで帰宅し、風呂入ったりごはん食べたりばたばたしたのち、よーやく一息ついて。あー、やっぱバスだとまだ寝たりないなーとぼーっとしているところへ。

 携帯に、モバタカからメールが届いた。

「花組 退団者のお知らせ」

 ……はあ?
 寝ぼけたアタマで考える。今日、なんの集合日だっけ?
 いやいやいや、昨日千秋楽だったんだってば。なんの集合日でもありえないってばよ。
 わけわかんないまま、本文読んで。

 大伴れいか退団。
 しかも、昨日の千秋楽付け。

 叫んじゃったよ。声あげちゃったよ。
 だってそんな、ありえないでしょう。

 
 『愛と死のアラビア』『Red Hot Sea』東宝楽、みおさんは絶好調だった。

 力の入り方が、ハンパじゃない。
 そりゃーもー、ものすごい勢いで、芝居を、ぶっ壊していた。

 ムラと違い、わたしは東宝公演には通っていない。久々に見るみおさんのすごさに、ただびっくりした。「東宝では、いつもこんななの?」ムラにも増して、えらいことになってますが。
 友人たちの弁によると、いつもよりはるかにすごい、少なくとも1週間前はこんなじゃなかった、もっとマシだった、とのこと。

 みおさんの舞台クラッシャーぶりはすでに「花組名物」で、毎回観劇後の話題にはなるけれど、すでにそれが「当たり前」のことなので、感想の部類に入らない。
 みんなもう「そういうもの」とあきらめて、許容している。
 そんな状態であるにもかかわらず、「あれってどうなの」と人々の注目を集めるくらい、すごいことになっていた、花楽日。

 台詞のボリュームがすごいぞ。気合いの入りまくった低い声、マイク無しでも劇場中に届くんじゃあ?な大音量。
 最後の高笑いは、なんと二段重ね。
 あまりに派手にいつまでも笑い続けるので、途中からマイクがフェードアウトされていた。

 これほどすごいのは、やっぱ千秋楽だからってことで、気合い入ってるんだろうな。

 そう、思っていた。
 みおさんはみおさんなんで、もう仕方ない。

 ショーではわたしの視線の動く範囲にいない役だったので、どうしていたかはわからない。通し役だったからなー。
 たぶん、ノリノリで務めていただろうと思う。誰よりもノリノリで、たのしそーでなければ、みおさんじゃない。
 
 
 あのいつもにも増してものすごい破壊力は、彼のジェンヌ人生最後の気合いだったのか。
 万感の思いを込めた、高笑いだったのか。

 舞台人として、役者として、適合値の低い人だった。
 芝居のセンスの無さ、ダンスにおけるリズム感のなさは、致命的だったと思う。

 だからといって、こんな辞め方って、ない。

 きちんと見送りたかった。
 わたしとは感性が合わなかったため、苦手以外のナニモノでもなかったけれど、万感を込めた高笑いだったのなら、そうだったと理解して受け止めたかった。

 なんだかせつない。
 20年以上ひとつの仕事を続けた人の最後が、「事後承諾」だなんて。

 深い事情があってのことだろうけれど。
 せつないなあ。


 退団者を見送ったあとは、まっつ・みつる会の後ろあたりでギャラリーしてた。
 花組東宝千秋楽。

 や、わたしはまっつファンだし、ジュンタンは胸骨押さえながら「みつる〜〜っ」って騒いでるしで(笑)。
 つまり、位置的にかなり帝国ホテル寄りだった。

 なんやかんやでどりーず東組ほとんど参加の『愛と死のアラビア』『Red Hot Sea』最終日。前楽だけ観て仕事に行ったパクちゃんも、前楽だけ観てあとはだらだらしていたkineさん、ジュンタンも、観劇はしないけれど日比谷にいるドリーさんも、とにかくみんなで一度ランチに集まり、わたしが千秋楽を観たあと再集結……って、お昼食べた店にまだいたのか、アンタら(笑)。

「ずいぶん終るの遅かったね」
 と言われ、わたしは首を傾げる。
 だって退団者はふたりだけだし、しつこくカーテンコールがあったわけでもないし、想定内の時間なのでは?

「東宝になってから、ムラより10分は公演が伸びてるから。まとぶんが、演技タメすぎて」

 爆笑。
 やっぱり? やっぱりそうなの?
 まとぶさん、歌にしろ芝居にしろ絶好調でタメまくって演じてるもの! 気のせいぢゃなかったんだ。あんなにタメて、時間の辻褄合ってるのかなあ、って思ってた……合ってなかったのか(笑)。

「だから、指揮者、大変。まとぶんが伸ばす分を巻こうと必死」

 まとぶんにこれ以上タメさせまいと、必死にじゃかじゃか演奏しているらしい。

 舞台はナマモノ、生きている。
 芝居に熱が入りすぎて公演時間変わっちゃうのって、なんかすげー愛しい。
 それはたぶん、「新生花組」である今だけのことだろう。まとぶんもきっと、これからトップスターとしていろんなことを身に付けて、公演時間も肌でおぼえていくんだろうと思う。
 たのしいなあ、まとぶんと花組。
 「今」が愛しく、彼らが持つ「未来」が愛しい。

 ふたりの退団者、みほちゃんとかりやんも、すがすがしく美しくて。

 ありがとう。美しいものを、ありがとう。心が透明になる、この快感をありがとう。

 まっつウォッチがわたしのスタンダードなわけだが、この日まっつはとてもきれいだった。
 退団者が挨拶をしているとき、とてもやさしく、あたたかい表情で、仲間を見つめて微笑んでいた。

 かりやん、みほちゃんと続く最後のご挨拶、彼らを見て、まっつを見て、テレビがアングルを変えて放送するがごとく忙しく眺めながら、交互だからこそ、旅立っていく人の清らかな笑顔と、まっつのやさしい表情とが相乗効果でさらに泣けた。

 花組名物はっちさんの噛み噛み挨拶、せめて退団者からのメッセージは噛まずに読んで欲しいと切望しつつもまた裏切られ(笑)、それでも涙に声を詰まらせるダンディ組長に、こちらもびっくりし。

 まとぶんの挨拶は彼の誠実さまんまに、じんわり心に広がって。
 この人をよろこばせたいなあ、しあわせになってほしいなあ、と、心から思う。

 まとぶん、トップお被露目公演千秋楽おめでとう。
 誰にとっても、大切な大切な1日。

 だから。

 帝国ホテルから煙が出ているのを見たときは、ほんとおどろいた。
 最初に異変に気づいたのは、なんといってもかしましい消防車の存在で。
 大都会なわけだから、サイレンが聞こえるのはべつに、めずらしいことでもないだろう。そんなの大阪で生きてたってしょっちゅうある。
 だからけたたましいサイレンがすぐそばを通っても、わたしはぜんぜん気にしてなかった。
「ねえ、サイレンそこで止まったよ?」
 言われて気づく。そーいや、消防車、そこで止まってる。次々やって来ては、すぐそこ……帝国ホテル前で止まっている。
「なんか空、黒くない?」
 夜だから、空は暗い。天気も悪いから雲が黒くてもあたりまえ。そう思って気にしてなかったけど……ほんとに、黒い。てかアレ、雲ぢゃない。……煙じゃん。

 びっくりだ。
 どうやらほんとうに、なにか災害があったらしい。

 消防車が大きなボリュームで放送している。
「消防車が通ります、協力してください、道を空けてください」

 えーと。
 その放送って、わたしたちに向けて言ってる?
 消防車の目の前には、1000人からの人だかり。秩序をもって並んだ人々の群れ。

 今、わたしたちに「道を空けろ」と言われても……大混乱になりますよ?

 どれだけサイレンが鳴り響き、黒い煙が広がっても、沿道のヅカファンは動じなかった。
 サイレンに負けず、拍手で花組生たちを見送る。
 退団者はすでに出たあと、トップ3の出あたりがいちばん、サイレンすごかったかな?
 ホテル前の交差点に車を用意するのが大変そうだった。

 本当に避難や通路確保が必要なら、わたしたちも蹴散らされたことだと思う。
 しかし帝国ホテル火災は、あくまでもホテル周辺だけの騒ぎで終了した。ひとつ向かいの道の、劇場とその沿道には無関係。
 ……わたしたちより、ホテル周囲に集まった野次馬の大群の方が、問題だったんだろうと思う。放送したってどかないんだもの。

 
 反対側に帰ってしまう人たちはわかんなかったけれど、前を通ってくれるスターさんたちの美しい姿を堪能しました。
 まとぶん、ゆーひくん、壮くん、みわっち……みんなみんなマジ美形、眼福。
 めぐむもまぁくんも眺められてうれしい。みつるとめおちゃんとりせがキュートできれいで溜息。いちかちゃんとあやねちゃんもすげーかわいい。

 わたしは普段出待ちをほとんどしないから、よくわかっていないとはいえ、たぶんまっつが出てくるのは最後になるだろうと思っていた。
 退団者が同期なんだから、きっといろいろお仕事があるんだろう、と勝手に想像。
 
 うん、ほんとに最後だった。
 秩序ある人垣が壊れた、祭りのあとの散漫な喧噪にまぎれて、いちばん最後にまっつがよーやく出てきた。

 きれいだった。

 長めの黒髪、高い鼻、大きな目。
 ずっと待っていたファンの人たちのところへ行き、なにか挨拶をしている。なに話しているのかまでは、わかんない。でも、まっつまっつなハスキーヴォイスだけは時折耳に届く。

「あれってまっつ? まっつ? えー、まっつ?」
 わたしと同じよーにギャラリーしている見知らぬおねーさんの、興奮した声の方が、よっぽど耳に入る(笑)。
「なんかチガウ? まっつってあんななの? えー?!!」
 おねーさん、すげー興奮している。
「きれいっ、かっこいいっ」
 興奮して、ツレ相手に叫ぶ。うんうん、気持ちはわかる、わかるよっ。
「知らなかったっ、ほんとはきれいなんだ?!」
 ……えーと。
 正直すぎる感想に、笑いツボ直撃される。
 つまりアナタ、今までまっつのことは相当アレだと思ってたんですね?(笑)
 キモチはわかる。……て、わかっていいのか?

 まっつが穏やかに笑っている姿を遠く眺めて、「終わったな」と噛みしめた。
 ひとつの公演が、終わった。

 観劇を重ねるたびに、好きな人が多くなる。
 ステキだと思う人たちが多くなる。

 だけどわたしはまっつが好きで、他は考えられないのだという事実をも、思い知る。
 ……不思議だなあ。

               ☆
 
 夜行バスで帰宅後、まっすぐ親の家に行きかけ、ドアに手を掛けたところで思い至った。

 そか、猫、いないんだ。

 遠征するときはいつも、親の家に猫を預けていたから。
 早朝帰宅するとき、寝静まった親の家に合鍵で入り、茶の間のテーブルの上で丸くなっている猫を抱き上げて、それから自分の家に帰る……この行動が、すでに染みついていた。

 『JURIのやっぱりGOGO5!?』遠征のときは、いつものように、朝、猫を引き取りに親の家に寄った。

 もう、いないんだ。
 親の家に寄る必要もない。

 ドアから手を離し、ひとりで帰った。


 夏コミ参戦する人に、頼んでいました。

 まっつが載っている本があったら、なんでもいいから買ってきて。

 公演感想でもパロディでも、ぶっちゃけ妄想系でもなんでもイイ、まっつさえ載っているならば(笑)。
 こあらった・ぐりーんはいつでもまっつに飢えきってます。わたしに、もっとまっつを!!

 それに対する回答は。

「ありません」

 花組サークルは1個あったそーだが、そこの本にまっつはいなかったってさ……。

 同人界でも人気ないのか、まっつ?!(でもとかゆーな)

 そのことを嘆いていると、いつも冷静なkineさんが、やはり冷静に答えた。
「自分で書くしかないですよ(冷静)」

 まっつの同人誌?
 あたしが作るの?!

 わたしは根っからのパロ畑のヲタクだから、公演パロ本になるよ?
 ついでに腐った字書きだから、ホモ本になるよ?

 リチャード×マックスとか、ジオラモ×モーリスとか、バロット×フォンダリとか、誰も喜ばないカップリングしか書けないよ?!

 基本攻視点でしか書かないし。やほひは受を愛して受視点で書くのがセオリーなのに。
 や、わたしは攻キャラスキーなので、好きなキャラは攻になるんですよ……。
 まつださん自身は自分を受だと思ってるのかもしれませんが(『ファントム』お茶会発言参照)、舞台の未涼さんしか知らないわたしは、勝手にイメージします、はい。

 いやその。
 ヅカホモ本は需要もないことだし、作っても仕方ないってば。(経験談・笑)

 それより、内容カケラもなく、未涼亜希がどれほど素晴らしいかを羅列した本を作った方が、まだ建設的かもしれん。
 作品ごとの萌えポイントとか、下手なイラストとか描いて、ただひたすら「まっつ好き」と訴えかけるだけの本……。
 正しいファンジン(まだあるのか、この言葉?)だと思うが、これもまた、まったく需要なさそうだよな(笑)。

 まあ、わたしにとって同人誌は読むモノであって、作るモノではないので、いつか誰かがまっつ本を作ってくれたらいいなあ、と夢を見るに留めておきます。

 あ、まっつ本がこの世のどこかにあるというなら、是非ご一報下さい。ジャンル、カップリング(カップリング??)問いません!!


 『マリポーサの花』は、好きな作品である。

 好き嫌いでいえば、好き。
 でも、大劇場で上演するな、と、心から思う(笑)。

 大劇で上演している以上、失敗作ぢゃねーの? とも、思う。
 ただし、駄作だとは思わない。失敗作と駄作はチガウ。

 
 正塚芝居の魅力として、「会話」があると思う。

 説明台詞ではなく、生きた会話の中で、観客に情景を想像させる。
 わたしたちの日常会話に近い作り。
 こだわりきった言葉の選び方。
 主語や固有名詞のない、短いやりとり。
 説明台詞は使わないけれど、台詞の情報量は多い。
 舞台設定、キャラクタの立ち位置、誰がどーしてどうなったか、説明すれば1行で済むことを、核心を突くのではなく周囲をなぞるだけの短い会話のやりとりで醸し出すから、かえって容量を食っていたりする。

 観客は集中して、台詞を聞き取らなければならない。
 一見とりとめのない日常のやりとりの中から、その奥にある情景を自分で浮かべ、必要なことを選び取っていかなければならない。

 それは、快感だ。

 濃密な演技空間で、役者のナマの芝居に酔う。
 自分で想像し、さらに世界を掘り下げていく。

 ……なんか久しぶりに、正塚世界に触れた気がする(笑)。

 ネロ@水とエスコバル@ゆみこの会話ひとつひとつから、彼らが生きるこの国を、政治や経済の情勢を、人々の暮らしを、そしてネロとエスコバルの人となりを、関係を、人生を想像していくのが、たのしい。

 あー、『二人だけの戦場』観ていたときの感覚だなー。
 多民族国家と軍隊、即発ムードの漂う情勢と人々の暮らし、命綱となるカリスマ大統領……それらの世界設定を、軍事法廷というクソ難しい固い台詞の洪水の中で展開していった、あの物語。

 わたしは正塚作品全部観ているわけじゃないし、多く知っているわけでもないので、わたしにとっての「正塚晴彦」の原点である『二戦』が響きまくっているけれど、別の人には別の作品が共鳴しているのかもしれないね。

 で、やっぱり、思うわけよ。
 この会話劇、心理劇は、大劇場でやっちゃいかん、て(笑)。

 舞台の使い方がすげーヘタだし、人の使い方ヘタだし。あのすっかすかの舞台、観ていてつらすぎるっつの。
 つか、モノローグの多用やめろ。録音テープ流されると萎える。
 無理矢理「ミュージカル」にするために、ナイトクラブの経営者、つー設定使うのいい加減にしろ。すげー手抜きっぽい。
 お金持ちのご令嬢とおぼっちゃんが、なんでナイトクラブでアルバイトするのよ? 無理ありまくりだろ。
 無理矢理すぎる時系列破壊、混乱の元だっつーの。出会い場面を回想する意味がない。
 てゆーかわたし、何故ネロがセリアを愛したのか、よくわかんないんですが。
 ネロとセリア@となみの恋愛場面が大好きで、ふたりの別れの場面とかすげー泣けるんだけど、でもそもそも、なんでこのふたりが愛し合ってるのかわかっていない(笑)。
 ヒロインの描き方、もう少しなんとかしようよ……。
 チャモロ@せしるは、どうなの。せしるがどうということではなく、名前だけで、実物を登場させるべきではなかったと思う。
 出てきたら、なんかあまりにアレな、ふつーのにーちゃんで拍子抜けしたナリ。

 好きな作品だけど、文句もいろいろある(笑)。

 バウホールで完全版が観たいなあ。
 キャストそのままなら、ドラマシティでないと無理か。トップと2番手、3番手が出るなら、バウはありえないよなー。

 出演者はせいぜい30人ほどで、合計2時間の2幕モノで、じっくりと、ねっとりと。
 増えた時間はヒロインとの恋愛に費やしてくれ。
 彼女が大農園主のお嬢様なら、ナイトクラブで太股見せて踊ったりせず、本気でおじょーさまにしてくれよ。息子の方は学生だし、他に目的もあるしで、クラブでバイトしててもいいからさ。
 ミュージカルの言い訳をナイトクラブのショータイムにだけ任せるの、勘弁してくれえ。ミュージカルなら他の部分でミュージカルにしてくれ。
 裏家業の協力者の娘、という出会い方ではなく、ヒロインとは別の出会い方をしてくれ。その上で「イスマヨール@マヤさんの娘だった」てことにしてくれ。
 とにかく、ポスター通りの比重で、ヒロインとの恋愛を描いてくれ。切望。

 改稿と再演を望む。

 
 ……て、今現在公演中作品に言うのは失礼千万だが。

 好きだからこそ、もったいなくてな。

 
 文句は山ほどあるが、それでも、好きだ。
 失敗作? と思ってたって、好きだ。

 たのしい。

 いちばん好きなのは、ポスター通りに、ネロとセリアの恋愛。
 それから、実はロジャー@かなめ。
 ……わはは、今回かなめくん、ツボ直撃。大好きだ、あのキャラクタ!!(笑)
 次に、ナニ気に壊れててコワイ、リナレス@キム。
 別腹でエスコバルくん。

 登場人物全員ネロを大好きなのも、イイですな。

 エスコバルがネロ命!(ハチマキに「LOVE」表記)なのはガチとして、ロジャーも口説きに来るわ、フェルッティ@ヲヅキも熱烈にアプローチするわ、イスマヨールとはラヴラヴだわ、政治犯@そらくんも絶対一目惚れしてるわ、チャモロだってメロメロだね絶対!だし、ナニ気にリナレスも告ってるし(「ボクはアナタをキライじゃなかった」だっけ?笑)、大統領@ハマコとは過去にイロイロイロイロ(笑)ありそうだし、ハーレム状態?(笑)

 たのしーなー。

 でもって、わかりやすいところでは、「エスコバル→ネロ→リナレス」の一方通行ぶりに萌えです。

 でもって、実はロジャー×フェルッティ萌えです(笑)。
 やーん、ヲヅキ受〜〜(笑)。


 タイトルを素直に使わない・台詞にしないのが漢・正塚晴彦のこだわり。

 『マリポーサの花』も、作品中に名前は出てこない(はずだよな?)。

 たとえば、ネロ@水とセリア@とにゃみが、一面のマリポーサの花畑で、「この花はスペイン語でマリポーサ、英語でジンジャー♪」とか歌ったりしない。
 「私、マリポーサの花を見ると身振ひの出るほど好もしひの」「セリアさんはマリポーサの花のやうな人だ」とか、言わない。
 「この花には想い出があるんだ。昔、まだ父が生きていた頃……」とか、「ちょっとイイ話」とかをはじめない。

 キーアイテムであり、最後の「泣かせ」の小道具であるにもかかわらず、ソレがタイトルそのものの花であると説明することなく、無造作に使われる。

 戦闘に赴く男が、泣いてすがる女を納得させるため、黙って行かせてもらうために、目についた花を手に取り、「生きている証として、毎月この日にこの花を贈る」と約束する。
 たとえ戦闘で死ぬことはなくても、男はもうこの国にはいられない。
 女に想いを伝える術がない。
 だから、花を贈る。
 同じ日に、同じ花を。
 それが、生きている証。愛している証。

 その瞬間までこの花は物語に絡まないし、なんの解説もない。
 プロローグでネロとセリアが手にしているが、それは「これからはじまる物語で解説される」という前提だから、関係ない。

 ここまで、花になんのエピソードも解説もしないことが、かえってかっこいい。
 正塚らしい(笑)、と思う。

 また、「この国」としか語られない、舞台となっている国のモデルがキューバであり、「この花」がキューバの国花であることを思えば、さらに意味深になる。

 や、語られないのだから、架空の国でいいと思っているけど。現実の国だの歴史だのを架空と謳っているフィクションに持ち出すのは野暮だと思っているし。

 正塚芝居は、説明台詞がほとんどない。
 主語や固有名詞を省いた、短い会話の応酬。研ぎ澄まされた、無駄のない言葉たち。行間を読む芝居。

 正塚らしくて大好きだ、このテンポ、このセンス。

 ネロがセリアにこの花を贈るのは、ほんとに、あのときあの場にあったから、というだけなのが、イイ。
 あれはセリアの屋敷ですか? それとも病院? なんにせよ、建物の中に花が飾ってあったのね。
 ネロは咄嗟にその花をセリアに贈った。
 セリアを納得させる、希望を持たせるために、ナニか必要だった。

 で。
 このナニかってさ……ぶっちゃけ、なんでもよかったのよね。

 そこにあったものを、差し出しただけだから。

 いやあ、マリポーサの花で良かったね。

 たとえば、そこに置いてあったのがたまたま蟹の置物だったら。
 某かに道楽店の看板みたいな、リアルなヤツ。

 ネロは大真面目な顔で、蟹の置物を手に取り、「生きている証として、毎月この日に蟹を贈る」と約束するはめになったわけだ。

 で、セリアのもとには毎月、蟹が届けられるわけだ。

 たとえば、そこに置いてあったのがたまたまたぬきの置物だったら。
 信楽焼の、大福帳持ったアレ。

 ネロは大真面目な顔で、たぬきの置物を手に取り、「生きている証として、毎月この日にコレを贈る」と約束するはめになったわけだ。

 で、セリアのもとには毎月、信楽焼のたぬきが届けられるわけだ。
 
 
 ……や、それくらい無造作なとこが、この作品のクールなところだな、と(笑)。

 正塚万歳。

 

 えーと。
 花の名前、解説してたっけ?(その程度の海馬・笑)←最後の最後に言ってます、水しぇん。聞いてやれよ、最後の台詞(笑)。


 8月12日は、博多へ行く予定の日だった。
 nanaタンとふたりして「きりやんビルを見るのー!!」と意気をあげていた。
 とりあえず日にちだけ決めて、チケットもナニも持ってない。大丈夫、博多座だもん、行けばどっかで観られるよ。当日券に並べば1階後方の車椅子用予備席の一部は売りに出されるだろーし、最悪立ち見でも観られさえすれば、それでイイ。
 なにしろ通い慣れた(笑)博多座だ。勝手はわかっている。

 行き当たりばったりなのは、いつものこと。
 東京手ぶら観劇とか、名古屋手ぶら観劇とか、しょっちゅーしてるもんな、チケットは現地調達基本ってゆーか。

 それでたしか数年前、『マラケシュ』観に博多に通ったよね。なにもかも行き当たりばったりに。

 いつものことなんで、すっかりナメてかかっていた。

 ところがどっこい。

「ムーンライト九州の予約が取れない……」

 思わぬ伏兵。劇場チケットは行きさえすればなんとでもなるが、交通手段はそうはいかない。
 へんだな、『マラケシュ』に通ったときは電車けっこー空いてたよな? ひとりでふたり席ぶんどって寝てたり、寒くない席に移動したりできるくらい、空いてたよな?
 前日にいきなり「明日博多へ旅立とう!」と決めても列車の予約は出来た。
 その刷り込みがあったから、油断していた。

 ……あのときは、お盆期間じゃなかったってことか……。

 世間的にどういう時期か考えず、自分たちの都合だけでしか考えてなかった。
 や、この日しか空いてないんだよ。休みとか他組との観劇スケジュールの都合とか、nanaタンとわたしが一緒に行ける日って。

 博多行き、どーするべ。

 と、思っているところへ、雪組初日。
 ゆみこがあまりにかっこよくて、nanaタンが天高く舞い上がって帰ってこない(笑)。
 博多へ行くアシがない、のはたしかだが、雪初日で確信した、「12日はこりゃ雪組観劇へ変更だな」。

 博多行きをあきらめたからには、わたしも雪組を観るつもりでいた。
 オギーファンで水ファンの端くれですから。
 でも。

 案の定nanaタンは雪を観ると言っていて、先に行って一緒にチケット買っておくよ、と言ってきてくれた(nanaタンの方が家がムラに近いのだ)。
 わたしがここで「nanaタンがゆみこに舞い上がったために忘れられた」と全世界に向けて発表してしまった(笑)、「まっつの切り抜き」も持ってきてくれるって。
 
 水しぇんにもまっつ(の、切り抜き)にも後ろ髪を引かれるが、断った。

 ……猫に残された時間が、もうほとんどないことがわかっていたので。
 できるだけ、家にいようと思った。

 そして、8月12日。
 ほんとーなら、予定通りなら、博多にいた日。
 猫が、息を引き取った。

 猫は、わたしと弟に看取られて、11年と5ヶ月の生涯を閉じた。

 野生の強さか、死期を間近にするまで猫は元気そのもの、いつも通りだった。
 あまりに突然、急変した。

 列車の予約さえ取れていたら、深刻な事態だと気づかずに(気づきたくなくて、思いたくなくて)、旅立っていたかもしれない。いや、前日になって急遽取りやめにして、ツレのnanaタンに迷惑を掛けることになっていたかもしれない。

 博多に行かなくて、よかったのだと思う。
 大切な家族の最期に、そばにいることができて。

 ……博多座『ME AND MY GIRL』と、家族の死が直結で記憶に結びついてしまったことが、悲しいけれど。
 これから博多『ミーマイ』観たかったなあ、と思うたびに、猫のことを思い出すんだ、と決定づけられてしまったことが、悲しいけれど。
 それと同時に、そんなわたしの事情とは関係なく、博多座『ME AND MY GIRL』が素晴らしいモノであってほしいと思う。

  
 そして、今。

 フィラント@キムに会いたいな。と、思う。

 彼が歌う「お気楽ソング」を聴きたい。

 今ムラで公演しているのが、『君を愛してる−Je t’aime−』『ミロワール』だといいのに。

 今やっている公演がどうこう、というわけではなくて。
 癒されるために、『君を愛してる』が観たいなあ。

 未来が見えないくらい、過去だけに囚われてまるまって泣いているときに、救いになる、救ってくれると思うのは、キムくんの明るさと、強さだった。

 べそかきながら、キムに会いたいと思った。

 あの太陽の輝きとアツさで、救って欲しいと思った。

 フィラントの「お気楽ソング」を聴きたい。
 ハマコ神父の「愛について」を聴きたい。

 シンプルに、しあわせな物語を観たい。

 
 ……いやその、わたしのダーリン(笑)は、まっつさんですが。
 地べたにめり込んで立ち上がれないよーなときに、まっつのベドウィン音頭が有効かどうかは……ちょっと……。
 相沢くん@『舞姫』なら、救ってくれたかもしんないけど、アブ・サラン氏@ヒゲの17歳『愛と死のアラビア』が、わたしを癒してくれるとは思えない……(笑)。

 まっつはまっつなだけで、わたしの支えになっているのだけれど。


お祈り。

2008年8月12日
 小学2年生のときに、今の家に住むようになった。
 祖父と祖母とわたしの3人。
 途中から、猫1匹が加わった。

 3人と1匹の生活。

 少女だったわたしは、毎晩眠る前に、誰にともなく祈っていた。

「世界が平和でありますように。おじーちゃんとおばーちゃんと猫が、元気で長生きしますように」

 
 それまで眠っていたはずの猫が突然、大きな声で鳴き出した夜、そのすぐあとに電話が鳴った。
 祖母の訃報の電話だった。

 そして、家に残ったのは、祖父とわたしと猫。
 ふたりと1匹の生活。

 おばーちゃんになついていた、おばーちゃんが逝く瞬間に突然鳴き出した猫は、それからすぐにおばーちゃんのあとを追っていった。
 おばーちゃん、ひとりだと寂しかったんだと思う。
 猫はおばーちゃんを守りに行ったんだ。

 そして、家に残ったのは、祖父とわたし。
 ふたりだけ。

 祖母の納骨式の日、行方不明だった従兄弟がひょっこり現れた。一時期はこの家に預けられていたこともある、縁薄めの兄弟みたいな相手だ。
 彼は、1匹の子猫を連れてきた。

 久しぶりに会った従兄弟は「どこのヤクザ?!」な風体だったけど、顔と調子の良さだけで生きてきた身軽さで、わたしたちに子猫を託してまたいなくなった。以来、生死を含めて行方不明のまま。

 わたしたちのもとには、猫1匹が残った。

 そしてはじまった、祖父とわたしと猫1匹の生活。

 加齢によるおぼつかない足取りで、それでもおじーちゃんは猫を抱いてよちよち歩いた。
 毎日毎日、よちよち歩いた。
 猫を抱いて歩く祖父の隣を、わたしも歩いた。彼らが転ばないよう、見守りながら。

 21世紀を間近に控えた頃、祖父もこの家を去った。
 入院先の病院で、猫に会いたがっていた。家族は見舞いに行けるけれど、猫は行けない。
 元気になって家に帰り、また猫を抱くのだと、最後まで言っていた。

 そして、家に残ったのは、わたしと猫。
 ひとりと1匹の生活。

 3人と1匹だったのに。
 気がつけば半分だ。

 猫を膝に抱いて、わたしはブログなんぞをはじめる。
 大好きなタカラヅカのことを書く。
 ブログのプロフィールに載せるのは、とーぜん猫の写真。

 ひとりと1匹の生活。
 寂しいね、人口半減だよ。でも、ひとりぢゃないから、いいか。

 そして。

 いつからわたし、お祈りしなくなっていたのかな。

「世界が平和でありますように。おじーちゃんとおばーちゃんと猫が、元気で長生きしますように」

 祈っても、なにひとつ叶わないし。
 わたしはもうとっくに少女ではなく、漠然とした祈りより、明日の予定とか心配事とか、目の前の現実に振り回されていて。

 
 2008年8月12日、夜。
 猫が逝った。
 

 最初は、3人と1匹だったのに。
 今はこの家に、わたしひとり。

 小学2年生でこの家に来た。自分の部屋をもらい、暮らしはじめた。
 それ以来、はじめて、ひとりになった。

 変だな。
 夢の中ではしょちゅう、当たり前におじーちゃんは居間でテレビ見てて、おばーちゃんは編み物してるんだけどなあ?
 猫だって、丸まってたり伸びてたり、エサくれって鳴いてたり、してるのになあ?

 
 わたし、いつからお祈り、しなくなっていたのかな。
 わたしの祈りなんか、なんの意味もないけれど。

 
 ありがとう。
 今、こんなにさみしいのもかなしいのも、今までひとりじゃなかったからだ。


 今より少し昔、ある国にネロくんという少年がいました。

 ネロくんの通う小学校の庭は雑草だらけ、石ころだらけでちっともくつろぐことができません。
 ネロくんは考えました。この庭を整備して、みんながたのしく過ごすことのできる空間を作ろう。

 クラス委員のサルディバルくんや、ガキ大将のエスコバルくんも、話に乗ってきました。ネロくんたち上級生たちだけでなく、遊び場をほしがっていた下級生たちも仲間に入りました。チーム結成、みんなで力を合わせて、素敵な庭を作ろう!

 子どもたちだけでは金銭的にも能力的にも権利的にも、限界があります。まずネロくんたちは、学校にお願いしました。庭を整備したい、やってもいいよね? それで、できたら道具とか借りたいんだけど……。
 でも、「余計なことは考えるな、子どもは勉強だけしていればいい」と、先生たちは取りあいません。
 それどころか、力づくで庭作りの邪魔をします。自分たちで持ち寄ったバケツに拾った石ころや雑草を入れていたら、それを蹴飛ばしてまた地面にまき散らしたり、作業をしている小さな子を怒鳴りつけたり。
 先生を怖がって学校に来なくなる子や、転校していく子もいました。
 みんなでたのしめる空間を作りたかっただけなのに、ネロくんたちはぼろぼろです。

 それでも、大人たちの力を借りずに、妨害にも負けずに、自分たちだけで庭を作ることに成功しました。
 石や雑草を取り除いて、花壇を作りました。手作りのベンチも置きました。まだまだ課題はあるけれど、以前よりはきれいです。もっと花を増やし、くつろぐための小さな屋根や東屋、池や噴水も作りたい、小動物も放し飼いにしたい……できるかどうかはともかく、ネロくんたちの夢は際限がありません。

 庭作りが軌道に乗ると、「ボクもやる」「私にも手伝わせて」と協力希望者がたくさん出て来たので、ネロくんは庭作り実行委員から降りることにしました。サルディバルくんがとても張り切って庭作りをしているので、任せても大丈夫でしょう。
 もともとネロくんは、みんなの注目を浴びてナニかするのは好きじゃないんです。誰もやらないから、ネロくんがあえてやっていただけ。できるのにやらないのは、ネロくんとしては「チガウだろ、ソレ」なことだから、あえてやっていだけにすぎないんです。

 みんなのための庭作りだったのに、ふと気づくと庭にいるのは児童たちではなく、知らない大人たちばかりです。
 子どもたちの庭がきれいになったので、なにもしなかった先生が自分たちの手柄にして、国のえらい人を呼んだりして、大人のくつろぐ場所として占領してしまいました。
 大人たちを引き込んだのは、サルディバルくんでした。「夢の庭を作るには、大人の力が必要だ」……たしかに、噴水や小川を作るには、子どもだけじゃ無理でしょうけれど……大人に手伝ってもらうのと、大人に取り上げられてしまうのは違うんじゃないでしょうか?
 子どもだけで、力を合わせて、ひとつずつ夢を叶えてきたのに。

「夢の庭なんかどうでもいいんだ。サルディバルは大人にゴマをすって、成績を上げてもらってるんだ」と、エスコバルくんは言います。エスコバルくんは何故か、ネロくんについて実行委員を辞めてしまっていました。なにを気に入ったのか、いつもネロくんのそばにいます。
 ネロくんは、大人たちともサルディバルくんとも、表立ってケンカはしませんでした。でも、子どもたちが庭で遊びたそうにしているときは、そっとつきそって庭に入り、大人たちが文句を言ってくる楯になりました。
 サルディバルくんも、ネロくんの行動に対して、強く諌めることはできません。

 あるとき、ネロくんはセリアちゃんというきれいな女の子に出会いました。一目惚れです。セリアちゃんもネロくんに興味があるようです。
 セリアちゃんには、リナレスくんという弟がいるのですが、この子がなかなか問題児でした。一見明朗快活で大人受けのイイ優等生なんですが、実は「大人はみんなキタナイ、みんな敵だ」という思春期の子どものかかる病気にずっぽり浸っていました。たしかに、この学校とその周辺の大人たちはかなりアレなので、リナレスくんの言っていることはあながち間違いでもないのですが。
「ボクたちの庭が大人の都合で利用されている、このまま見ていていいのか」リナレスくんは真正面から大人たちとぶつかるつもりのようです。そんなことをしてもナニも変わらないとネロくんは説くのですが、リナレスくんは聞き入れません。
 ネロくんだって庭を作るために最初は、今のリナレスくんのように真っ向から先生たちに立ち向かいました。そうしてボロボロになったんです。こんなやり方じゃダメだと考え直し、大人たちの手を借りずに庭を作ったのです。
 ひとりで突っ走るリナレスくんをなんとか助けようと、ネロくんは必死になります。だってリナレスくんは、セリアちゃんの弟だし。

 リナレスくんの暴走には、理由がありました。
 以前退学になったチャモロくんが、お礼参りに帰って来るという噂があるのです。
 チャモロくんは不良ではなく人望厚い児童会長だったのですが、それゆえに理不尽な校則について学校側と正面衝突し、ついに退学にまでなってしまった子です。
 学校側はいかなるときも、チャモロくんの動向にはハラハラしています。どうもチャモロくんは就学していたころに、学校側にとって都合の悪い事実やらなんやら、握っているようです。
 チャモロくんが帰ってきたら大騒ぎになる……。見てみぬふりはできません。ネロくんはひとり立ちあがります。だって学校側は、チャモロくんが学校に入ったら、なにかと理由を付けて問題を起こしたことにし、警察に補導させようと狙っているんです!
 チャモロくんと、リナレスくんを含め、彼に心酔している他の児童たちとを無事に再会させるために、ネロくんは学校側と、大人たちと、真っ向から闘う決意をしました。
 そのためには、ネロくん自身がもう、学校にはいられなくなるかもしれません。
 「そんなことしたら、退学させられる」セリアちゃんは泣いて止めますが、ネロくんの決意は揺るぎません。
 もうこんな学校見捨てて、ふたりでどっかへ行こう……セリアちゃんはそう言います。浮浪児になったって平気、家出でもなんでもする、と。ネロくんさえそばにいてくれたら、それでいい、と。
 だけどネロくんは首を振ります。
 セリアちゃんにそんなことはさせられません。彼女はふつーに平和な学校で、ふつーにしあわせに生きるべきです。
 彼女が笑って過ごせる学校にしたいのです。
 ネロくんがステキな庭を作りたかったのは、セリアちゃんのような女の子を、そこで微笑ませるためです。その笑顔を守るためです。
 元児童会長のチャモロくんなら、今の学校の腐敗を糾弾し、問いただすことが出来るでしょう。彼を補導するために罠まで張る大人たちの現状を見れば、彼はきっと本腰を入れて闘うはずです。
 そのために今は、チャモロくんを守らなければ……。

 大人たちとの戦いに赴くネロくんを、プラスチックの剣やぱちんこ、水鉄砲で武装したエスコバルくんが待ち構えていました。「おれを置いて行く気か」……彼はこうなってもなお、ネロくんについて行くつもりのようです。
 子ども対大人の戦い。……勝負は見えているのですけれど。
 それでも、ネロくんは行くんです。

 花のたくさん咲く、みんなが笑って過ごせる庭を、作りたいから。
 そこで微笑むあの子を見たいから。
 今、できることがあるなら、するしかないだろう?

 
 そうして。
 戦いののち、学校に庭には白いマリポーサの花が咲いています。
 なにがあっても、花は花でしかなく、なにも語ることはありません。


             ☆

 とかまあ、そんなこんな。
 ネロくん、好きだなあ。


 宝塚歌劇団は、ふつーに営利企業である。芸術保護が目的でもなければ、ボランティア団体でもない。
 純粋に、商売をしているはずだ。
 夢とか愛とか、美しいことを謳っているが、それは商売のためのキャッチコピー、イメージ戦略でしかないとわかっている。

 わたしはヅカが好きで、そこに夢や愛を求めているけれど、べつに彼らがカスミ喰って生きてるとは思っていない。
 美しいモノを道具にした商売だとわかっている。

 営利目的で商売しているんだから、商品ってのは大切だと思う。
 とくに「売れる」商品は大切だろう。

 和音美桜の退団発表を知り、歌劇団の商売方法に、心から首を傾げた。

 今年になって劇団は、レストランでのサロンコンサートを開催しはじめた。
 出演者は生徒(OG)ひとりとピアノ奏者のみ。ライティングも音響も、最低限。レストランでのパーティ・レベル。演出はナシに等しい。
 低コスト……ってゆーか、出演者の持ち出しだけで劇団的には一銭も出してないんじゃないかという、かなりアレなコンサートだ。
 その代わり、チケット代も低価格。ディナー付きで1万円。

 たぶん、出演者は持ち出しばかりでほとんど収入にはなっていないだろう。練習にかける労力を考えれば、時給いくらにもなってないんじゃないか?
 儲けはレストランと、機会を与えた劇団にのみ入っていそうだ。

 だが、コンサートは名誉なことだし、誰でも出来ることではないのだし、お金の問題ではなく「開催すること・出演すること」に意義があるだろう。

 宝塚歌劇団は、個人を売るプロダクションじゃない。
 トップスター・クラスになれば単体でも売れるだろうが、彼らでさえ「宝塚歌劇団」というブランドに価値がある。
 華やかな舞台、男役・娘役のいる架空空間ごと、すべてでもって「売れる」レベルに達する。

 だから、トップスターでもない職人上級生や、娘役単体では、集客できない。
 数百人単位のディナーショーですらなく、上限70人のレストラン・コンサートですら、開催は「冒険」だった。(冒険でないのなら、今までやっていなかったはずがない)

 それが成功だったのかどうなのか、とりあえずコンサートは今のところ第5回まで、終了もしくは前売りを終えている。

 そのチープなコンサートで、唯一、和音美桜だけが追加公演の開催があった。

 トップクラスの路線スターでないと「売れる」レベルに達しない宝塚歌劇団で、たっちんは「売れる」人間だということを、証明した。

 そりゃたしかにたかがレストラン・コンサート、たかが70席。
 だけど他の誰なら発売10分強で完売させ、その後もキャンセル待ちが続き、追加公演決定までこぎ着ける?
 路線の男役スターではなく、トップですらない娘役でだよ?

 たっちんは、儲けさせてくれる「商品」じゃないか。

 経営者なら、売れ筋商品は大切にするよな?
 売れ筋商品を利用して、もっとオイシイ思いをするために、戦略を練ったりするよな?

 ……ジェンヌを「商品」だなんて、思いたいわけでも、思っているわけでもありませんが、あえて今はそーゆー観点で語る。

 あのコンサートの売れ行きで、劇団はたっちんの価値を見直したと思うんだ。
 人気なんて目に見えにくいモノで、とくに娘役なんてバウヒロやってその公演がチケット完売したとしても、「主演男役の実績」としてしかカウントされないでしょう?
 たっちんの個人ファンクラブがチケットの代行販売をしていて、その枚数で判断できるとしても、それはあくまでもコアなファンの数でしかないでしょう? 「いちばん好き」だけで成り立つわけじゃない。FCに入るほどじゃなくても「この人の舞台は観に行きたい」と思う人たちがどれほどいるかは、わからない。
 低価格のコンサートを開催することによって、FC会員だけに留まらない、ライト層まで人気のある娘役だってこと、「商売」になる娘役だってこと、証明したと思うんだ。

 なのに、たっちんは退団するという。

 劇団、バカちゃないの?
 営利企業でしょ? 商売なんでしょ? なんでお金になるとわかっている子を辞めさせちゃうの?

 劇団がわざわざ売れ筋商品を切るわけがないから、たっちん本人の意志だろうと思う。

 ……たっちんが納得できるだけの、魅力を感じていられるだけの場所では、なかったってことか。

 たっちんがヅカを愛していないと思っているわけではなくて。

 彼女には、大きな可能性がある。
 ヅカという特殊なところで、娘役に冷たいところで、ちゃんと人気を得ているのだ、ヅカ以外のところで十分活躍できるだろう。
 その可能性を殺してでも、留まるべき場所じゃ、なかったんだろうな。

 残念だ。
 ただもー、残念だ。

 そして劇団に、はがゆさを感じるわけだ。

 たっちんが「売れる」子だってわかったんだから、もっと彼女を大切にすればいいのに。これからもっともっと、劇団を儲けさせてくれただろうに。
 直接的な金銭云々じゃなくても、その実力ゆえにイメージとかクオリティとか、お金で買えないところを底上げしてくれただろうに。

 たっちんの未来を、可能性を信じるからこそ、この決断を仕方がないとも思う。
 また、残念だとも思う。

 そしてやっぱ劇団って、商売下手だな。と、思う。



 
 雪組初日観劇感想の続き。じっくり書く予定はないので、簡単に、ざくっと。

 んで、2時間にもわたる芝居、『マリポーサの花』は。

 今すぐコレ、バウホールで上演してくれ。

 大劇場でやる芝居ぢゃない。
 よくも悪くも。

 わたしは今日2階の隅っこで観劇したんだが、舞台が遠かった……。
 普段ここまで「遠い」とは感じない。
 だって芝居が「小さい」の。言葉が悪いというなら、言い換えよう。「繊細」で「深い」ので、2500人劇場に向いてないの。
 広大な舞台全面を使って、たった2人か3人程度でえんえんえんえん向かい合って喋っている場面の連続。
 気分はストレート・プレイなので、歌やダンスが唐突で、無理矢理入れました感はあるわ、浮いてるわで。
 せっかくの戦闘シーンも舞台の広さに合ってない。場をもてあましている。

 フィナーレのショーシーンに至っては、もう、なんというか……正塚せんせ、ショーは向いてないんだね、つか、誰だ正塚にフィナーレ作らせたのは。て、感じだし。芝居も大劇場は向いてないんだね、と駄目押しされた気分(笑)。

 頼む、バウにしてくれ。
 せめて、ドラマシティ希望。
 その程度のハコでやるべき作品だ。

 バウ公演ならコレ、佳作になりうるから。

 大劇場で上演する意義がわからない。
 全ツで『銀の狼』を上演した意義がわからないように。

 『マリポーサの花』は、コースに入ってるからと、お弁当食べる座席目的でやってくる団体さんや、夏休みに行楽感覚でやってくる家族連れの楽しめる演目じゃない。
 一点に集中して2時間観劇できる、役者の呼吸がわかる範囲の小中劇場で、濃密な空間でやってくれ。

 もったいない。

 あの大きなハコで、散漫にダラダラ上演してしまうのが、もったいないよぅ。

 てゆーかわたしに、バウホール版『マリポーサの花』を見せてくれ。水夏希を見せてくれ。がうがう。

 や、とにかく水くんが格好いい。

 大丈夫、ファンは水くん眺めに通えます。
 あの人……水くんが演じるネロさん、好きです。

 愛し合うモノ同士なら地の果てでもしあわせ……てのがヅカ的世界観だけど、ネロはそうじゃなくて。

 愛する女の手を離してまで、闘う理由。
 ネロさん、好きです。
 
 となみちゃんは「正塚芝居のとなみちゃん」。いつも似たカラーになるのは、それが正塚のとなみちゃんのイメージなのかな?
 
 キムは学生革命家。若く、青く……そして、狂気を秘める。
 理想による暴力の正当化を語る彼は、純粋さと善良さの奥に毒があってえらいことになってます(笑)。

 ゆみこはワイルドキャラ。水しぇんに潔いまでに片想い。片想いゆみこ好きなんでたのしい。(役名で言おうよ)
 しかしほんとに片想い爆裂してんなー、可哀想だなここまで来ると。
 惚れた男の愛した女のために、生命懸けますか。どこまでも尽くし続けますか。すげー健気だぞヲイ。水しぇん少しは振り向いてやれよ!!
 と、思ってたら、最後、報われてるじゃん!!
 なんだー、まるきし片想いでもないんだー。よかったねー!! いい笑顔だ、ラスト。

 アタマのいい役をするかなめくんを、はぢめて見た気がする? アタマ良く見えにくいけど、アレってアタマいい役だよね?
 にこやかに冷酷、さわやかにドS?

 ヲヅキは何故ああまで笑われるのでせう……みんな、ヲヅキだからって笑い過ぎぢゃあ?
 大学院生の娘がいるんだから、40代だよね?
 熱烈に水夏希を口説く、緒月遠麻。そして、完膚無きまでに振られるヲヅキトオマ(笑)。いや、いいもん見た。(だから役名で言えって……)

 コマの役は必要なのか? や、正塚定番キャラだけど。
 定番といえばシナちゃんも、定番キャラだった(笑)。つか、メイドコス萌え。

 いづるん、たのしい。あの呼吸、うまい。
 しゅうくんがナニ気にオイシイ。

 まやさんがいるのは定番を通り越して当たり前なのでヨシとして。

 元軍人、という設定の水くんとゆみこのふたりが、ほんとーに「強い男」として描かれてます。
 ヘタに殺陣とかやるより、「強い」ことがわかる描き方してる。凄腕のプロフェッショナルたちなんだろう。ハードボイルドなんだろう。
 ……ヲヅキ演じるマフィアやハマコ演じる大統領がまぬけに見えるのが、ちとつらいですが。や、敵対するモノが強くないと、そんな奴らをのしても強く見えにくいから。

 2階席から見た戦闘シーンの空間のすかすかぶりがなあ……。戦闘服姿の水ゆみはすげーかっこいいのに。
 バウでなら、きっとかっこいい場面になったんだろうになあ。

 『ソロモンの指輪』は2階席からもそりゃー美しくてオススメだが、『マリポーサの花』は1階前方席で観るモノかもしれんな……。2階はつらい……。
 あ、『ソロモンの指輪』ではらしくない歌い方で大変なことになっていたゆみこが、『マリポーサの花』ではゆみこらしいきれーな歌声でじっくり聴かせてくれて、ほっとした(笑)。
 
 
 帰り道、わたしは宝塚駅下の書店で本日発売の「ファミ通」買って、電車の中でずっと読んでたわけだが(『SIREN』攻略記事、あれだけ?! 今わたし、最終章で詰まってんですけど?!)、ふと顔を上げると『マリポーサの花』のポスターが目に入った。

 美しい水しぇんと、美しいとなみちゃん、ふたりだけのポスター。

 わたしのヅカファン人生において、トップコンビだけしか載っていない大劇場ポスターって見たことなかったよな、と、以前過去を振り返ってみたんだ。
 『ミレニアム・チャレンジャー』東宝版はタカハナふたり写りだけど、それは新専科制度導入のどさくさで、ムラ版にはちゃんと2番手のワタルが載っていた。
 『追憶のバルセロナ』はブンちゃんまひるちゃんふたり写りだけど、このときは別に同時上演のショー『ON THE 5th』があって、2・3番手がそっちに載っていた。
 だからやっぱり、1枚こっきりのポスターでトップコンビふたり写り、つーのは異例中の異例なんだ。

 なんで2番手のゆみこが載っていないんだろう、とずっと不思議だったが、謎が解けた。

 水となふたり写りポスターに添えられたキャッチ・コピーは、「それは、生きている証」だ。

 そうかコレって、ゆみこのことだ。

 ゆみこが演じている役、えーと名前なんだっけ、なんか耳慣れない難しい名前(笑)。
 彼のテーマソングじゃん、生きる意味がどーのって。

 なんのために生きるのか、自分の人生に意味はあるのかって自問していた彼の、得た答え。
 それが、愛する男と、その男が生命懸けで守ろうとした女なんじゃん。

 ポスターにゆみこがいないわけだ。
 だってコレ、ゆみこの脳内にある「俺の宝物」「俺が守ったモノ」の図ぢゃん!!(笑)

 ……とまあ、そんなこんな。


 雪組『ソロモンの指輪』『マリポーサの花』初日。
 ……まっつの歌劇ポート持って来てくれるって言ったnanaタンが、舞い上がってて舞い上がってて、それどころぢゃなくなってたっす……(涙)。オサコンのハナシも博多行きのハナシも一切できなかったっす。nanaタンはゆみこファンばっかと集まって、ひたすら「ゆみこゆみこ」言ってたっす(笑)。で、わたしはオギーファン同士であーだこーだ言ってたっす(笑)。

 ゆみこファンが舞い上がるキモチはわかる(笑)。
 

 で、簡単に感想いきます。まず、『ソロモンの指輪』

 ショー先行型で30分、芝居がなんと2時間という変則公演。

 オギーに30分でショーを作らせるとどうなるか(笑)。

 「抜き」の場面ナシでぶっとばす作品になりました。

 あはははは。
 いいなー、コレ。

 最初、このショーと芝居の時間配分を聞いたときは、芝居の正塚ありきの配分かと思ったの。
 正塚芝居をじっくりやるには1時間半では足りないから、芝居に時間を掛けてショーは短縮したんだと思った。

 でもひょっとして、逆かもしんない?
 オギーショーにはラインダンスも大階段も羽根のパレードもいらないから、30分になったんじゃないの?
 余分なものをはぶき、やりたいことだけやる……その結果じゃないの?

 つーことで、ぶっとばして30分、あっちゅー間に終りました。
 情報量多すぎで消化しきれない。

 童話的にユーモアと毒を含んだオープニングから、あとは異次元へGO!
 大人のための童話、きれいで歪んだ世界。
 いろんな動物たちも次々登場。いちばんちっちゃなシナちゃんが、いちばん大きなキリンであることが、痛快。あ、シマウマのドレスはここにあったよ、マルグリット!>『スカピン』
 オギー定番、海のシーンが圧巻。つか、水(not水夏希)・ブルーの出てこないオギーショーってあったっけ?

 舞台全面を使った巨大な輪の上に立つ水しぇんと、輪の中でずーーっと揺れてている極楽鳥の黒い羽根を観たときに、ぞくぞくした。あの羽根の波、1階席でも見えるのかな? 盆が回って輪が低くなったあとなら見えたと思うけど。

 ゆみこちゃんが歌で苦戦していたのがかえって印象的。なんかすげーキーで歌わされてる。『タランテラ!』でハマコが苦戦していたみたいに。
 ゆみこの得意とする「きれい」な歌ではなく、「汚い」歌い方をしていた。たぶん、ゆみこの守備範囲にない歌い方と、声。
 今は歌いこなせていないけれど、『タランテラ!』のハマコのように、公演が進むに従って自分のモノにして行くんだろうな。

 反対に「汚い」歌い方が得意なキムは絶好調(笑)。あのがなる歌い方と好戦的に歪めた顔、好きだわー。
 守備範囲にないものを与えられたゆみこと、『タランテラ!』のときと同じよーな役回りのキム……どちらが良いのかは、よくわかんない。

 通常の長さのあるショーならば、コレにわかりやすく全員集合の中詰めと、ロケットと大階段パレードがついて、いつも通りのメリハリに落ち着いていたんだと思う。
 中詰めはないわ、ロケットはないわ、大階段もその前でのトップスターのお約束デュエットダンスもないわで、で、このショーいつどこで終わるの? て感じになってたっす。

 てゆーか、拍手がない。入れられない。
 明日以降、どこで拍手入れるんですかね? とりあえず今日はほんとに拍手なかった。

 水しぇんは「人ではない」通し役なのに……なんか、弱いっちゅーか印象薄いよーな気が……ものすごい人数が舞台にいるせいかなあ?
 わたし自身が落ち着かなかったせいかもしれない。あちこち見るのに忙しくて。

 ひろみちゃんオイシイなあ。
 動物たちが美女揃い。
 若手男たちも女装有りだ。
 つか、ラギ×シナ?! すげー。
 銀橋渡ったの、さゆちゃんだよね? 一緒に行ったチェリさんは「そんなの見てない」ってゆーんだが、わたしの幻か? 誰かと見間違えた?
 いづるん、ヒメちゃん、大活躍(笑)。
 にしてもオギー、かおりよりヒメなんだね、歌手としての重要度。
 コマがかっこいー。わーい。
 天使のかなめ。……は、いいとして、それに影のように付き従う悪魔?のヲヅキ、あのカツラと衣装はいいのか……? ヲヅキファンのチェリさんがよろこんでたから、アレでいいのか……。
 でもさー、その天使のかなめくんがさー、翼、片方しかないの。 失った翼が、ヲヅキなんだろうか?
 ハマコは声、自在。台詞声も歌声もイロイロ。
 圭子女史のドラマティック・ヴォイスがないのが淋しい……。
 シビさんの語り部たる歌声がなくて寂しい……。
 となみちゃんはとにかく美しい。……が、あまり出番はないような……?

 観終わった途端、もう一度見せろ!! と、思った。
 とにかくあっちゅー間。
 回る世界のの中で惑乱されているうちに終わる。

 あの輪が欲しい。
 太陽を切り取った、闇の中の輪。
 王冠のような黄金の輪。
 鎖とか首輪とか……耳に残る歌詞、循環、まわる、めぐる、いつか還る。

 30分で、芝居の前、ショー先行型で。
 よかったんだと思う。
 「いつもの、ヅカのショー」ではない、という先入観を観客に与えることができて。
 いろいろ考えてるヒマも、退屈しているヒマもないぞっと(笑)。
 

 観た人の数だけ、出演者の数だけ物語がありそうな、オギー・ワールド。
 次の観劇がたのしみだ。

 
 アンドリュー様@すずみんの、敬語萌え。

 アンドリュー・フォークスは、パーシー@トウコに対し、何故か敬語。
 デュハースト@しいちゃんは、タメ口なのに。

 フォークスはデュハーストと同じく、スカピン団の中では「年長組」で大人キャラ。
 スカピン団随一の貴公子、キラキラ王子様キャラ。最初からパーシーの仲間で親友ポジのはず。

 なのになんで敬語なのー?
 仲いいんでしょ、信頼しあってるんでしょ? なのになんでパーシーに敬語なのー?(笑)

 基本タメ口のスカピン団の男子たちも、任務遂行中は微妙に敬語を使ってみたりもするんで、フォークスだけ特別ではないのかもしれない。

 しかし。
 年長組で親友であるフォークスが、パーシーにのみ敬語、というのは、友人関係でソレは萌えである。

 どんだけパーシーのこと好きなんだ、という(笑)。

 しかし、さらに。

 アンドリュー様が、敬語キャラならなお萌え。

 シュザンヌ@コトコトには敬語を使ってないし、パーシー以外にはふつーに喋っているらしい、アンドリュー・フォークス。

 わかってないなあ、イケコ。
 親友にも敬語、好きな女の子にも敬語、年少の仲間にも敬語と、相手の立場に関係なく「ですます調」で話す美形キャラっつーのは、テンプレ的萌えキャラですよ!!
 女子向けアニメとかロマンスゲームに必須なキャラクタですってば(笑)。

 や、なんにせよアンドリュー様があの華やかな容姿で、パーシーに敬語で話しているのはわたし的に萌えです。

 
 つーことで、ちょっくら『スカーレット・ピンパーネル』の、スカピン団の話。

 観れば観るほど愉快なスカピン団。キャラクタがわかってくると、すげーたのしいんだ、彼ら。
 

 えー、わたしの中でエルトン@ともみん株が上がってます。

 ともみんはねー、新公『エル・アルコン』以来、気になる人なんですわ(笑)。
 それまで『エル・アルコン』本公演でビッグジョンとして目の前でポーズ決められても、『レビュー・オルキス―蘭の星―』で目の前にハイレグダルマ姿で立たれても流し目もらっても、「ふーん」でしかなかったのに、新公後は「おおお、ともみんだー」と大喜びしていたし、ハイレグ姿に至っては「脚長ぇ、ナイスバディ〜〜!」と嘆息しておりましたもの(笑)。や、最前列に新公の前に1回、あとに1回坐ったもので。
 前と後とで、感想・関心がぜんぜんチガウ。
 人間って不思議ですわねえ。

 つーことで、エルトン@ともみん、なんかイイよなっ。
 あの「体育会系筋肉バカ」っぽいとこがいいのー。無骨なとこ、木訥なとこがいいのー。
 そして、よりによってあの男のカノジョがコロちゃんだってことがいいのー(笑)。

 ジュリー@コロちゃんてば、「誰が『スカーレット・ピンパーネル』か?」と女の子たちでわいわい歌っているとき「裸で敵と戦うらしい」とゆーてますね? その後もさらに「裸」と繰り返しては、「きゃ〜〜!」と恥じらいつつよろこんでますよね?

 たくましい男の裸が好きなんだ……つまり、マッチョ好きなんだ。

 そして。
 ともみんの、あのカラダが好きなんだっ。

 握手っ。キミとシェイクハンド!
 わたしも、あのカラダが好きっ。

 や、リアル男のリアル・マッチョが好きだっつーわけではなく、あくまでもヅカ内での、少女マンガ的世界観における、マッチョですよ。
 ともみんの長身と脚の長さ、薄すぎない体格。
 善良さのにじみ出る素朴な顔立ちと、のーみそまで筋肉的言動。

 ちっちゃくてまるっこくて、そして「裸!」と連呼するちょっとえっちな女の子がカノジョだっつーのも、バランスとしてイイ。どっちも正直つーか、動物的でかわいい。
 エルトンとジュリー、このカップルがすげー好き。
 

 アルマン@和くんが、愉快すぎる。

 アルマンってそもそもどーゆーキャラクタなんですか?
 あんなにまぬけでいいの?

 公安委員に乱暴される姉マルグリット@あすかに対し、くってかかるのはマリー@ねねちゃん。アルマンは見てるだけ。
 機転をきかせたパーシーが「表で革命の象徴である三色旗を燃やそうとしているモノがいた。なあアルマン?」とハナシを振っても、「は? ……(ぽかーん)……あ、あああ、そうだ(動揺)」と、嘘なのが、まるわかり。
 パーシーのハナシも相当胡散臭いんだが、アルマンののーみそのスロー回転ぶりで、さらに嘘丸だしになっている。
 公安委員@ゆーほとどいちゃんがそれに輪を掛けたまぬけだったおかげで、助かってるけど。

 平和なイギリスを出て、混乱のパリへ戻ると言うアルマン。
 そんな危ないこと認められない、と反対するマルグリット。
「大丈夫です、私がそばで監督しますわ」と、マリーが名乗り出ると、「それならいいわ」と前言撤回マルグリット。
 どんだけ信用ナイんだ、アルマン?!

 そして、パーシーがあれほど「恋人にも家族にも秘密だ」つってスカピン団の仲間入りを許したっつーに、パリに帰るなりマリーに秘密漏らしてるし。
 パーシーがあんなに苦しそうに、最愛の妻に秘密を持っていることを目の当たりにしているくせに。
 そんでもって「あなたにも愛のレッスンが必要ですね」とか、空気読めない発言をして悦に入っているくせに。
 他人ががんばっているところを見ているくせに、知っているくせに、自分は簡単プーに裏切り。「キミには隠し事をしたくなかったんだ」ってアンタ、自分が楽したいだけやん!! 最悪の場合、彼女を巻き込んでしまうってこと、わかってんのかー?!

 で、パーシーは「マリーに秘密話しちゃった。仲間にしてイイよねっ?」とゆーアルマンからの手紙を受け取るわけだ。
 「イイよね?」ぢゃねーだろー、あのアホボン!! と、憤慨する間もなく。
「アルマンが捕まった!!」
 パーシーの脳裏に、さぞや激しくこの台詞が瞬いたことだろう。「仲間にするんぢゃなかったっ!!」

 手を血で汚さないのがスカピン団なのに、「このボクを拷問したショーヴランなんか、殺しちゃえ! とーぜんの報いだっ!」と言い出して、パーシーにさくっと却下されるし。

 事件解決大団円、パーシーとマルグリットがいい雰囲気になっているのに、空気読めないで割って入ろうとするし。

 『スカーレット・ピンパーネル』イチのお笑いキャラって、実はアルマン??

 なまじ無駄に美形なのがステキです。
 あーもー、いいなあ、アルマン。
 あのアホキャラぶり、KYぶりがハートにじんじん響きます(笑)。

 初日から楽へ向けて、観るたびにアホっぷりに磨きが掛かっていくのも、素晴らしいです。

 そーゆー方向へキャラ立ちして、いいのか? おもしろいから、いいのか。
 しかしアルマンって、そーゆーキャラなのか、本来?

 謎は残るが、かわいいからイイ(笑)。


 えー、とりあえずわたしは、蓮水ゆうやの顔が好きです。
 美しいのはちぎくんの方だと思うけど、好きな顔はちーくん。

 ん? コレなんかデジャヴだなと思ったら、『Le Petit Jardin』のときに同じこと書いてるわね(笑)。

 つーことで、他のキャスティングがさっぱりわかってないしヒロイン誰さ? 状態であったにも関わらず、期待して駆けつけました宙組WS『殉情』Bチーム。だって好きな顔眺められるの、うれしいもーん。

 顔は好きだし、今まで観た舞台での姿も野心的なところが好き、好感の持てる若いきれーな男の子。実力だってあるよね。主役だなんてうれしいな、と思っていたんだが。

 え、えっと。

 この作品は、そして佐助という役は、ほんとーに難しいんだと思った。
 比べてもしょーがないと思いつつも、Bチームを観て、Aチームの偉大さを痛感した。

 佐助@ちーくんは、ちゃんと大人の男に見えました。
 や、上手いんだ。
 上手いんだよ。
 少年じゃないし、女の子にも見えない。
 ちゃんと大人の男。

 だから、その……。

 ふつーに大人の男に見えてしまったので、……作品が、気持ち悪かった。

 佐助という役に、生身の男を感じさせてはいけないんだ。ファンタジーであり、性を超越したところまで描かないといけないんだ。
 そうしないと、下心アリで尽くしている、女の子の手を握りたくてにまにましている、男の生々しさを感じてしまう……。

 ちぎくんは、とんでもなく美しかった。
 あまりに美しくて、ファンタジーの域まで到達していた。だから彼がナニをどうしたっていやらしくなんかならなかった。

 ちーくんはリアルに男性だった。
 そして、こまったことに。

 春琴@れーれちゃんは、ただの子どもだった。
 子どもだからわがまま言ってるだけ。春琴というキャラクタには達していない。

 長身のリアル男性が、小学生の女の子にかしずいて、にまにましてる……。

 すげー犯罪臭い……。
 えーと、これはこれで禁忌だから、こーゆー『春琴抄』もアリなんでしょうか。
 ロリコン男の夢みたいな話になってますが。

 フィナーレで、役を離れて登場したちーくんが、マジかっこよかったっす。
 うわああぁん、こんなにかっこいいんじゃないか、ハンサムなんじゃないか。
 なんであんな役やらせるんだよおお。彼の持ち味と今現在の技術と相手役の技量では、やばいロリコン男になっちゃって、かっこいいとかゆー次元の人ぢゃなくなってたよおお。

 
 れーれちゃんは、学年的な及第点はあったと思います。
 きれいだし、お芝居は十分上手い。春琴役は無理だったとしても、そんなの仕方ない。難しすぎるって。
 ただ、歌はえらいことになっていたが。声、出てない? 途中から息だけになっていたような……。
 かわいいし、これからに期待〜〜。

 
 現代パートのカップルは……ええっと、現代衣装の着こなしがんばれ。とくに男の子。お尻のラインとか、やっぱ難しいよなあ。
 女の子の方はそれなのにかわいかったかな。
 ただ、やっぱ着こなしで男に見えない、現代衣装のカップルだと、芝居自体の善し悪し以前に引っかかってしまう。成り立ちにくいというか。
 衣装がちがえば、またちがって見えたんだろうになあ。

 
 お蘭@藤咲えりちゃんは、うまかった。ただ……地味なのにおどろいた。
 芝居も歌もいいのになー。彼女の歌ではじまる場面の散漫さが惜しい。なんであんなにおとなしく、色が薄くなってしまうんだろう?

 
 主要キャラクタが役替わりなだけで、芸達者な上級生が引き続きがっちり支えてくれているので、舞台としてそんなに遜色あるわけではないと思う。
 主役だけで作っているわけじゃないから。

 だけどクオリティ的につらい気がしたのは、やっぱ豪華キャスティングを揃えたAチームを観てしまっていたせいかな。

 『春琴抄』が原作であるだけに、春琴の比重が大きく、佐助以上に春琴の出来上がりにかかっていた……ことは、あるかもしれない。

 
 プログラムも買ってないし、予備知識もないままだったから、2幕の夜叉場面で、GOアカツキ登場で、心底びびった(笑)。

 振り返ったらGOなんだよ?
 びびるって!!(笑)

 こわいってそんな演出!!(笑)

 や、退団するGOに見せ場が(……見せ場? 何故よりによって夜叉?!)あってよかったっす。

 スカステの退団インタビュー見たけど、GO、きれいになっていたね。
 文化祭のときからだと、すげービジュアル上がってるよー。
 これからなのになあ。惜しいなあ。

 こわい、と、そう思えるほどの漢臭い若者、そうそういないもの。
 GOとの別れが、しんしんと胸に染みたっす。


 初体験の相手ってのは、重要だ。
 いきなり超ベテランが相手で、すっげー愉しませてもらって、満足できたことはよかった。
 しかし。

 ソレが基準になってしまうと、あとがキツイ。

 ベテランのスタンダードを、経験不足の若者に求めても、無理ってことだ。
 肩すかしを食らってしまう。
 べつに、その若者がヘタだってわけじゃないのに。十分上手いのに。
 若くてきれいな分、見た目の楽しさだってあるのに。

 最初がシビさんだったのは、良かったのか、悪かったのか。

 
 すっかり味を占めて、『イゾラベッラ サロンコンサート(第4回 和音美桜)』へ行ってきました。
 シビさんにしろたっちんにしろ、発売開始10数分で完売なんで、キャパとオペレータの処理速度がそんなもんなのかもしれない。
 今回わたしは電話つながらなかったけれど、nanaタンが無事GETしてくれました。

 前回で勝手がわかっているので安心して、ある意味油断して参加しました。nanaタンと、今回はユウさんも一緒。3人だとどんなテーブル配置になるのかと思ったら、6人席で3人ずつグループで坐らされた。

 初日っす。
 たっちん人生はじめてのソロ・コンサート、しかも初日。

 えーと。

 ぐだぐだでした。

 大変なことになってました(笑)。
 「歌を歌う」ことと、「コンサートを開く」ことは、イコールではないスキルが必要なのだと、痛感しました。

 歌はね、いいの。
 たっちんだから。
 もちろん、すげーうまいのよ。

 曲は『WEST SIDE STORY』とか『ファントム』とか『モーツァルト!』とかの馴染みのある曲で、素晴らしい歌声でございました。

 しかし。

 彼女は、いっぱいいっぱいでした。
 アタマの中にあるのは「失敗しないで、進行させる」「終わらせること」であって、「音で楽しむ」ことは二の次だった。

 歌だけに集中できていない。
 歌い出せばうまいんだけど、たぶん、彼女のMAXはもっと別にある。

 アタマの中は手順で一杯、「言うべきコト」を言うことで精一杯で、終始なにかに急き立てられるように喋っていた。
 喋っているときはとにかく大変そうで、痛々しくて、歌い出すと途端リラックスするのがわかった。

 このコンサート・シリーズ、最初にわたしが参加したのがシビさんだったから。
 彼女はそりゃあ自由自在に喋り、観客を笑わせ、愉しませ、のびのびと歌っていた。
 空間のすべてを、自分で操っていた。支配していた。
 シビさんの操る空間にいることが、心地よかった。

 ソレを基準値にして、次も来てしまったら……うわああ。
 空間を支配するとか操るとか、とんでもない。空間に飲まれないように必死になってあわあわしている女の子が、店の中にひとりでぽつんといた。

 あのー……。
 これは、たっちんが悪いのではなく、プロデュースした人が悪いんだと思うよ。
 彼女は歌手であって、司会者でもエンターティナーでもないんだもの。
 シビさんにできたからといって、たっちんにソレができなきゃいけない、とは、誰も思わないでしょう。

 司会者を付けろ。

 OGでいいから、プロでなくてもいいから、たっちんが信頼している、最低限楽に呼吸が出来る司会者を、用意するべきだった。
 そして会話を司会者に振らせ、進行役をさせる。
 たっちんは受け答えだけして、あとは歌うことに集中。

 たっちんに、歌を歌わせてあげて。
 呼吸をさせてあげて。

 司会進行なんてどーでもいいもので、あんなに混乱させないで。見ていてつらかったってばよ〜〜!!

 ジェンヌのお茶会に、何故司会者がいるのかわかった……。
 受け答えならできても、自分でなにもかも進行させるのはすげー大変なんだ……。

 たっちんの「おぼえてきた台本を一生懸命喋っています」と丸わかりな暗唱ぶりで、「楽しい時間はあっという間に過ぎて、次は最後の曲です」と言ったときにゃあ、アンタ、楽しんでへんやん!! と、盛大につっこんでしまいました(笑)。

 たっちんがほんとうに「たのしんで」歌ったなら、あんなもんぢゃなかったと思うよ。

 空気が動いたと思う。
 たった70席しかないハコの中。
 大劇場2500席の空気を動かすことができる人なんだから。

 
 シビさんは歌いながら何度も客席を練り歩き、盛大に一本釣りをしていたが、たっちんはステージから微動だにせず(笑)。釣りなんてとんでもない、アウェイで闘う孤独な戦士のようだ。笑顔なんだけど。すごいがんばって笑っていたけれど。
 コンサートが終わったあとはまっすぐに店を出て行き、握手はナシ。えええ、たっちんと握手できると期待してたのにー。あれってシビさんだけだったの??

 たっちんはピンクのかわいいドレス姿で、ちっちゃくて細くて、ほんとにお人形さんみたいだった。
 彼女が登場した途端、「かわいー!」と、歓声があがり、拍手が起こった。
 アウェイなんかじゃないよ、みんなみんな、キミが大好きで来たんだよ。……がんばって拍手して、必死に見つめて、歌に聴き入ったけど、ステージのたっちんに伝わったかなあ。最後に握手があったら、じかに伝えるつもりだったんだけどなあ。

 うまいだけでない、きれいなだけでない、物語を綴る歌声。
 この人でミュージカルを見てみたい、この子が表現する物語を見てみたい……そう思わせる力。

 でもって、音を操れる人って、訓練しなくても男役声で歌えるんだね。
 男役の歌「ラ・マンチャの男」を颯爽と歌うのを聴いて、感心した。
 男役として本格的に何年も訓練したわけじゃないのに、ふつーに歌の上手い男役が歌うよーに歌っちゃうんだー。すげー。
 キモチいいアルト、太さのある押し出しのイイ声。

 「歌」だけならほんとうに、すばらしいものを聴かせてくれた。

「本気で歌の上手いクリスティーヌって、はじめて聴いたかも」
「天使の歌声だったねー」
 と、帰り道で話すくらいに(笑)。

 ただ、「コンサート」としての出来は、かなり苦しい。
 すげー素人っぽい催しだった。

 ……来月のルイスはどうなるんだろう?
 彼はシビさんぐらいに喋って歌って場を支配できるんだろうか? 歌うこと、舞台で演技することとは、まったく別のスキルだが?

 ピアニストも今回も前回も同じ人だったけど、わたし的にはかなり不満な人だったしなー。なんであの人なんだろう??
 ただ譜面を弾くだけで、「コンサート」を作る味方にはなってくれない人だぞ?

 いやその、来月は参加しないので余計なお世話にすぎないが……。
 劇団が、興行の方針を見直してくれると良いなあ。
 ジェンヌはもっと、正しく活かそうよぉ。コンサートをやってくれること自体は、すごくうれしいのに。


 金も時間もないから、贔屓組以外は観劇回数を減らそう。分相応の生き方をしよう、と今年も誓ったはずだが、気が付いたら『スカーレット・ピンパーネル』は本公演5回、新公1回観ていた。ほぼ毎週通ってたことになるぢゃないですか……。

 『スカーレット・ピンパーネル』は、キモチの良い公演だった。

 おもしろい作品であり、実力あるキャストがそれに応え、クオリティ高い舞台に仕上げていた。
 単純に「舞台がいいから。作品がおもしろいから」通ってしまったということもある。

 でも、それだけじゃなくて。

 作品が良いこと。出演者が良いこと。
 そして、観客が、純粋にたのしんでいること。

 千秋楽をのぞいて、隣席に坐った知らない人たちは初見だったと思う。
 その人たちがみな一様に、たのしんでいることがわかった。声を上げて笑い、「なにコレ、おもしろいじゃん!」と幕間に興奮してツレと話している。
 どこがどう、と理屈を並べる前にただ純粋に、「おもしろい!」と声を上げる。
 ……その単純さこそが、心地いい。

 充実した舞台、それをたのしむ観客。その熱気に満ちた空間。
 そこにいることが、すでにたのしかった。
 わくわくした。

 ……いやその、平日に劇場に行くと人口密度は低かったんだけど。それでも、そこにいる人たちの満足度が高い空間って、雰囲気いいんだよ。
 他の公演が空気悪いってわけじゃなくて、それらとは別に、思いがけないプレゼントをもらった子どものわくわく感っていうか、「おっ?」という高いテンションが劇場内に満ちていることがたのしいの。

 千秋楽はわたし、当日サバキGETしてすべりこみ観劇したんだけど、隣の人と「この公演イイですよねっ」「どうしても観たくて来たんです!!」と、アツく語りあってしまった(笑)。
 そして、噛みしめた。

 心から「たのしい」と語れる公演の、たのしさを。

 某アラビアな公演は、ほんとにつらかったの。
 出演者ファンで、がんばってる彼らを眺めるだけでたのしかったのもしあわせだったのも本当だけど、それでも作品はほんとにつらかったの。
 席が隣り合わせただけの人に話しかけられることって、ヅカではままある光景だけど、「きれいですよね」とか、当たり障りのないことしか言えない現実って。
 てゆーかそんな公演にムラだけで11回も通ったとか、誰にも言えないって(笑)。
「アレを11回……愛ですね……」と、ヅカ友にも感心(同情?)されるよーな現実って。

 しかし、『スカーレット・ピンパーネル』は。
「ほんとにおもしろいですよねっ。わたし、5回目です、今日で!」
 胸を張って言える。

 安蘭けいがどんだけすごいか、遠野あすかがどんだけすごいか、柚希礼音の成長ぶりやアンサンブルの迫力を、名もなき群衆を演ずる組子たちの血の通った熱情を、手放しで語ることが出来る。

 たしかに、役はない。少ない。
 ほとんどの子がモブだ、名もなき群衆だ。
 でも、目がいくつあっても足りない。群衆であっても、それぞれがドラマを演じている。
 厚みのある歌声を支えるひとりひとりに注目するだけで、涙が出る。

 あああ、おもしろいなあ。
 この舞台の出演者のファンだったら、しあわせだよなあ。

 好きな人たちが創り上げた、おもしろい舞台。
 誰にでも自信を持って、胸を張って「おもしろい」と言えること。

 簡単なことのようで、けっこー難しいんだ。

 人の好みは千差万別、すべての人がイイと思うモノなんかこの世に存在しないのはわかっているけれど。
 たとえば『タランテラ!』とか、個人的にものすげー作品だと思っているけれど、万人にはお勧めできない。
 『タランテラ!』と『スカーレット・ピンパーネル』どっちが好きかっていったら『タランテラ!』の方が絶対好きだけど、すげーと思ってるけど、でも、誰にでも「すごいから!」とは言えない。
 わたしは好きだけど、と前置きがつく。

 自分が好きだと、心地よいと思い、世間的に見ても汎用的おもしろさがあるか、クオリティがあるか……すべてのバランスが整った作品なんて、ほんとに希有だから。

 『スカーレット・ピンパーネル』は、おもしろい。

 誰にでもそう言えること、そのこと自体がすでに、わたしにとっては快感だった。
 ありがたくてうれしいことだった。

 ……からこそ、誰にでも言いたい。
 『スカピン』、おもしろいぞー!!
 や、ほんとーの意味でのわたしの好みど真ん中ではないけれど、そーゆーのとは別のチャンネルでたのしんでる。(なんでわたしがど真ん中な好みのモノって人気出ないんだろ? 変だなー)
 

 ムラの千秋楽は、無礼講だ。
 映像にも残らないから、ナニをやってもイイ。
 だからある意味期待して、ある意味あきらめていた。

 トウコちゃんが、やりすぎてしまうこと。

 グラパンにしろパーシーにしろ、コメディやりすぎ、遊びすぎ。
 開き直って愉しんで、存分に笑った。だって、ムラ楽だもん。無礼講だもん。ファン以外お断りな特別な日だもん。その是非を問うのではなく、そーゆーもんだと割り切って。

 アドリブの日替わりギャグは「ここでのお遊び」と切り離してたのしめるけど、グラパンとしての平常演技がどんどん悪乗りし過ぎているのは気になっていたから、このムラ楽を最後に、東宝ではリセットしてほしいな。

 うれしかったお遊びは、グラパン@トウコのメルシェ氏@ゆーほに対する「ポットだからってぽーっとして」と、ゆーほの愛称をネタにしたアドリブ。
 ファンだけにわかる、言葉の意味。わきあがる拍手がうれしい。

 ゆーほは手堅く演じていました。
 公安委員の制服似合うよなあ。黒がかっこいいよなあ。
 入りをギャラリーしたときの写真をkineさんに見せてもらったけれど、かわいーんだこれが。ふつーにかわいいんだよ、ゆーほ。
 あの高い大きな鼻。特徴ある横顔。
 舞台に生きるためにあるよーな顔立ちなのに。
 辞めてしまうなんて、思ってなかった。

 わたしのなかのベストゆーほは、エドワード@『ヘイズ・コード』なんですが。
 美女しずくちゃんを床に転がし、ネクタイを緩める、あのセクスィ〜〜でドSなエリートっぷり!!(注・ラレイン@みなみちゃんの妄想)
 どっかに映像残ってないんですか、あのゆーほ。スカステでは映ってませんでした。
 あんなにあんなにステキだったのに、組長が読み上げる「退団者からのメッセージ」の中の、本人認定「好きな役」に入ってませんでした……。
 本人的にどうでも、わたしはあのゆーほがいちばん好き。ドキドキしたわ〜〜。

 袴姿での最後の挨拶も、すげー端的で。
 ほんとに必要最低限だけ述べて、完。余計な感想、修飾ナシ、なあたりが潔いなと(笑)。
 ゆーほの人となりなんか知りようがないけれど、ああ端正な人だと思った。

 袴姿の祐穂さとるは、なんだかとても「タカラヅカ男役」だった。
 や、当たり前っちゃー当たり前だが。
 
 「タカラヅカ男役」って、独特の文化じゃないですか。他には存在しない、特殊なモノ。
 その特殊さ、世界にひとつだけであることに、きりりと誇りを持って、すごく「タカラヅカ男役」だった。

 こんな顔、してたんだ。
 と、改めて思った。
 こんなにクラシカルに「タカラヅカ男役」なんだね。

 
 カーテンコールは、短かった。
 ……て、ソレでも某組よりはるかに回数も多いし、1回目からスタオベ基本でアツいんだけど(笑)。
 それでも、星組比では短かったし、あっさりしていた。

 自負があった。
 力強く、「まだ、道の途中」である空気があった。
 この公演が持つ力、作品が持つ力。
 それらが、過剰なカテコや拍手より雄弁に、空間に満ちていた。

 『スカーレット・ピンパーネル』は、キモチの良い公演だった。

 出演者もファンも、誇りと自信を持って作品に対峙している。
 その満ち足りた空気が、心地よかった。

 うわあああん、劇場の空気ごと、この作品、この公演、好きだよおお。


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