えー、さらにシャルル@ともちのことですが。

 『Paradise Prince』の美しい彼を絶賛し、きゃあきゃあめろめろなのは事実ですが、実は大きな不満点がある。

 ともちに、というか、景子せんせに対してかもしれないが。
 景子せんせの作品はほんとに少女マンガで、しかも現在の少女マンガではなく、昭和時代の感覚なんだよね。そして、景子せんせはいわゆる「腐女子」ではない。少女マンガ好きだからある意味オタクなんだが、腐ってないのよ。ただのオトメなのよ。
 そこがね、腐女子からするとはがゆいのよ。
 昭和時代の少女マンガに「少年愛」という分野が存在し、竹宮恵子とか萩尾望都とかが耽美世界をリリカルに描いていた、あの感覚で、この21世紀に少女マンガ世界を作ってるの。

 あの時代に少女だった身としては気持ちはわかるし、ヅカでお金を使っている大人の女性たちにとっても原風景となる世界観かもしれないが、それでもいちおー今は21世紀なわけで。

 腐女子が好きなマンガでもアニメでも、登場するのは美青年・美少年であって、オカマではないのよ。
 女性視点のホモがBLとして市民権を得ているが、BLの主要キャラにはオカマはいないの。みんなふつーに男言葉を使い男性の服を着て男性として生きる男キャラたちなのよ。
 ふつーに少女マンガ・テイストの男性キャラクタが、男性同士で愛し合うのがBLだとか同人であって、オカマはチガウのよ~~っ!!

 現実のオカマさんとかゲイの方々に対してどうこうということではなく、あくまでも腐女子だとかBLだとか、今の流行りモンに対しての話。
 現実のゲイの人は、男性として生活していてもどこかしら女性的だったりするのかもしれないが、そーゆー人もいるのかもしれないが、BLの中で描かれる美青年たちは内股で歩いたりしないのよ。ふつーに少女マンガ的に男の子なのよ。

 だからシャルル@ともちがアンソニー様@らんとむの愛人だったとして、カマっぽく内股になったりオネエらしい仕草をしたりするのは、チガウのよ。

 とことん漢らしく、女性っぽさのカケラもなく、ただひたすら「美」にだけこだわった美青年であってほしい。
 てゆーかさ。

 ぶっちゃけ、シャルルには、攻であってほしい。

 アンソニー様はふつーに女性の愛人もたくさん抱えているが、男性の愛人もいる……っていっても、「カラダは男だけど、心は女」という人を相手にしているんじゃあ、結局は「女が好き」なだけで、それほど「アンソニー様って趣味が広いのね」って感じじゃないよ。
 やっぱ、男も恋愛対象にするなら、中身も外見も全部まるっと男でないと。男として男も抱くし、さらに抱かれもする、くらいでないと。
 それくらいの懐の広さが欲しいぢゃん?
 それこそ真の「通」って感じぢゃん?(笑)

 シャルルが絶世の美青年のまま、カマっぽさなどどこにもなく、びしりとスーツを着こなしたオトコマエさで、アンソニー様にかしずいて欲しいですな。
 それこそが腐女子的萌えな世界ですよ。

 ともち×らんとむって、すげー濃くて(笑)、BLの中でも青年誌系画風でニーズはあると思うんだけどなー。逞しい長身美青年と小柄で華奢な少女めいた美少年でなきゃダメな時代は、20世紀と共に終了し、今は攻×攻とかでも平気でカップリングOKだしさ。

 ともちは現実のゲイの人たちを見るなりして研究したっぽいことをトークショーで言っていたが、ヲトメが見たいのは現実ではなく、ファンタジーだから。
 BLは現代のファンタジー、自分と同じ性がいないからこそ、自在に夢を見ることの出来るジャンル。
 突き抜けてファンタジーにしてくれたら、狂喜乱舞してたのなー。

 ともちも、そして景子せんせも、腐女子ではないのだろう。腐女子の心はわからないのだろう。

 それが、残念だ。
 宙組を観るのにちょっとヘタレていたのは、ともちんのことがあったりする。

 ずっとゴジラ認定で、「どこがいいの、カラダが大きいだけじゃん」と長い間思っていた悠未ひろ氏の魅力に目覚めたのが、『Le Petit Jardin』。
 それ以降、過去映像ですら「ともち、かっこいい」と思えるから不思議。ナマで観ていたときなんとも思わなかったのに!

 全組観劇するわたしは、それぞれの組に「お気に入り」の人がいる。好意の濃度はそれぞれチガウし、そのときどきでさらに変わったりもするが、とにかくどの組にも「ファン」と表現するジェンヌさんがいる。(わたしの好意度合いは「贔屓>ファン>好き」、贔屓はただひとり、ファン呼ばわりは10数人くらい? 好きはそのときの気分)

 たかちゃんファンで水くんファンであったわたしが、水くん組替え後、たかちゃん退団後、宙組で誰を中心に視界を組み立てるかといえば、ともちんですよ。
 たかちゃん時代に新公主演をし、水くんバウで2番手悪役なんぞをやり、それほど好きでなかったときでも、わたし的にとても馴染みのある人だった。
 組子全員が「動く背景」と呼ばれていたあの時代に、それでもじわじわと扱いが上がっていき、『ステラマリス』とか『不滅の恋人たち』とかで某上級生より意味のある役だったりで、彼の歩む道に光明を感じていた。
 やっぱ公演ごとに扱いが上がっていくとか、実力が上がっていく人を中心に視界を組み立てるのはたのしいじゃん? わくわくするじゃん? わたしはあまり路線スターにハマらないのだけど、路線スターを応援するのもたのしいなあ、って気分だったさ。

 そう思っていただけに……彼の扱いが目に見えて落ちていくことが、とてもイタかったのだわ。いやその、だからそもそも路線スターにはハマらないわけで、微妙路線にハマるのがわたしの性癖っちゅーかカルマなんだろうし、ご贔屓も今まさにそんな感じで、一足先にわかりやすく下級生に抜かされ脇のヒゲ中年役を演じているともちの姿はどうにも心がひりひりする状況で、なんか穏やかに眺められなかったのですよ。
 脇役スキーだから、彼が悪役専科の渋いおじさまになっていってくれることに、文句があるわけじゃない。真っ白な役しかできない真ん中スター様よりある意味オイシイのだから、嫌なわけじゃない。でも……このまま地味に小さくまとまっていく彼を見るのはなんかつらい。
 嫌じゃないけど、つらい。

 それが、宙組を観るのが億劫になる、正直なとこだった。や、んなマイナス気分のこと、ここでは書けなかったけどさ。「ともちかっこいい」しか書いていなかったよな? かっこいいのは事実だし! え、今までもけっこう愚痴ってた? 反省、反省☆

 でも今回、今までひそかにじれじれしていたコトを払拭する輝きを見たのだわ。

 『ダンシング・フォー・ユー』でともちは、「路線スター」としての扱いを受けていた。
 銀橋ソロがあったり、大階段群舞で要の位置にいたり。

 すげー、スター扱いじゃん?!
 
 と、よろこんだのは事実。好きな人がいい扱いを受けているのは、そりゃ単純にうれしい。

 でも別に、残念ながら、これでともちんがトップ路線へ返り咲いたとは、とくに思わない。
 だって演出家、中村Bだし。
 ジェンヌ個人の特質なんかまったく理解せず、理解する気もなく、上から順番に1、2、3……と立ち位置を決める演出家。どの組でもどの作品でもどの場面でもみんな同じ。
 たんにともちんのことを「上から4番目」って数えただけでしょう? 演じているのが悠未ひろだってこと、知らずにやってんぢゃねーの?
 ともちんをどうこう、ではなく、中村Bという演出家に懐疑心しか持っていないのですよ、わたしは。

 ともちの銀橋ソロ場面で、「ああ、ともちが歌える人で良かった」と、心から思いましたもの。
 歌えるともちだから歌うわけではなく、単に「上から4番目の人がここでソロを歌う」と中村Bのノートに書いてあるだけだろうから。もしともちが超ダンサーで超ド音痴だとしても、銀橋でソロもらうより無言で踊った方がイイって人だったとしても、中村Bは「上から4番目の人がここでソロを歌う」って歌わせただろうから。

 いやその、これで彼が真ん中へ復帰してくれてももちろんぜんぜんいいんだけど、その布石と取ってもそりゃいいけど、中村Bだから信じられない(笑)。
 人事的なことは、わたしが考えることでもないし、ここでどうこう言っても仕方ないし。いやそのグチは言うけど、それでどーなるもんでもないのはわかっているし。
 次回公演でもともちの扱いがいいといいな、と、心から思っているが。

 ともあれ、やりがいのある役割をもらい、意欲的に踊り、歌っているともちを見るのがたのしい。
 やっぱ舞台人だもの、センターでスポットあびるとすげーイキイキするよなー。
 精彩に欠けるよーに見えてヘコんだ全ツ『宙 FANTASISTA!』とか、さらに脇役感が上がっていて言及することができなかった『Passion』とかを経て、今ココで充実していることがわかる姿を見せてくれるのが、とにかくうれしい。

 ……という話では、なくて。

 『ダンシング…』でいい扱いだからたのしいのもうれしいのも本当だが、今回うれしかったのは、目の覚める思いだったのは、そのことではないの。

 『Paradise Prince』の、シャルル役なの。

 ええ、あのオカマ役。

 予備知識ナシで観るのが常なので、どんだけ驚いたか。
 オカマであることに、じゃない。

 悠未ひろが、美しいことに。

 彼がかっこいいことや、男として美しいことはわかっていたけれど、それはなんつーんだ、鋼の美しさや大地の大らかさ樹木の力強さだったりしたわけだ。
 男らしいから、美しい。男として、美しい。

 それはわたしの求めるものであったので、それだけでともちを「かっこいい」ときゃあきゃあ言っていた。
 わたしは中性的な、少女マンガ的な麗人ってモノに、本質的にはときめかないんだ。彼らの魅力を認め、きれいとか素敵とか思うのも事実だが、ダーリンとしては響かない。体格の問題ではなく、フリルのブラウスより装飾無しのスーツ姿が美しい人が好き。
 薔薇の花より、銃が似合う人が好き。

 ケロやまっつに「フリルのブラウスと薔薇の花」を求めていなかったよーに、ともちにもそんなもんを求めてなかった。
 それでいいと思っていた。

 でも今、ともちはまたチガウ美しさを放っている。

 や、別に彼に「フリルと薔薇」が似合うとも、中性的なフェアリーが似合うとも思っていない。
 だがオカマ役を演じることで、「女性」としての美しさを意識する役を演じることで、なんか今までとはチガウ「美」を、彼が表現していることが、わかるんだ。

 漢らしさを追求するために大きくなっていた動きが、女性的な繊細さを意識することで、変わる。
 大きさや漢らしさはそのままに、いや、いったん漢を極めたからこそ、そこに「女性」を意識することで「美」と「華やぎ」が生まれる。

 どうすれば「美しい」か。
 今までとチガウ方向の「美しさ」を表現する悠未ひろは、今までよりさらに「美しく」なっている。

 なんだよ、こんなにきれいな人だったんじゃん!!
 正統派の美形だったんじゃん!!
 今までは美より漢の方が勝っていたから、わかんなかったよ。

 このまま脇の渋いおじさんになっていくのかとしょんぼりしていたわたしは、まさかの逆転パンチにKNOCK OUT気分っす。
 なんだよ、まだここで、「美しく」なるなんて。まだ「変わる」ことができるなんて。
 ジェンヌってすごい、舞台人ってすごい。ともちってすごい。

 わくわくした。
 どきどきした。

 ……初見ではともちしか見ていなくて、薔薇をくわえて踊るアンソニー様@らんとむを見逃した。
 観劇後に「らんとむが赤い薔薇をくわえて踊ってるんだよね?」と言われ、「へ? そんなシーンあったっけ?」と首を傾げたよ……アンソニー様が薔薇を持ってるのはわかってたけどさ……2回目でよーやく捕獲したよ、薔薇らんとむ。いや、やっぱりついともち見てて、どこでやっているかをチラ見して確認した程度だが……(笑)。
 いい加減、宙組の感想書くべ。
 もう出遅れまくって今さらすぎるけど、それでもまず、叫ぶ。

 お帰りなさい、ウメちゃん。
 
 戻ってきてくれてうれしい。
 あのかわいらしさ、あの輝き。
 キュートな女の子も宿命の美女も、ウメちゃんならではの光で演じてくれる、その光を浴びに劇場に行くんだよ。

 お化粧変わっちゃったのか、ちょっと違和感あったり(現代モノだから、キツめな感じになってる?)、お歌が以前にも増して破壊力があったりで(笑)、なかなかすごいことになってるが、それらも含めて、お帰りなさい、ウメちゃん。
 会えてうれしい。

 お芝居の『Paradise Prince』は、他愛なくもかわいらしいハッピーなラヴコメディ。
 モダンアート界のプリンス・スチュアート@タニちゃんは、せっかくの地位も名声も捨て、ただの一般人としてアニメーション制作会社に入社する。アニメーション作家になるのは彼の子どもの頃からの夢だった。スチュアートが配属されたのはお荷物扱いの2Dチーム。CG全盛期に手書きアニメなんて時代遅れもいいところ。スタッフたちもやる気ナシ。
 やる気ナシの落ちこぼれ集団に夢追い人主人公投入でムード一新、「夢は見つづればいつか叶うんだ、みんながんばろう、おー!」とひとつの目的に向かって快進する、お約束の展開。ヒロインのキャサリン@ウメちゃんも夢と現実の狭間で迷っていたけれど、スチュアート効果で夢追い人スキルアップ! あっちゅー間にふたりはラヴラヴ。
 だが蜜月はいつまでも続かない。悪役登場だ、金ヅルのスチュアートを取り戻すために、アートプロデューサーのアンソニー@らんとむがキャサリンを脅迫した! スチュアートとキャサリン、ふたりの愛は、そして夢はどうなる?!

 わたしは基本景子せんせは役者へのアテ書きはしない人だと思っているが、この作品はアテ書きだと思う。
 タニちゃん、ウメちゃん、らんとむ、みっちゃんへはちゃんとアテ書きしているよね。
 そこから出来上がった物語だと思う。
 「夢はきっと叶う」という他愛ないおとぎ話を、いかにもなキャラクタでいかにも予定調和に収めました、てな。 

 内容的にはかなり無理があるというか、「あー、景子たん、『ドン・ファン』と同じ失敗してるなぁ」てな基本的な欠陥があるんだけど、深く考えなかったりリピートしなければ問題ないんじゃないかと……あれ、タカラヅカはリピート観劇前提だったっけ。
 景子先生は室内の装飾やコーディネイトはできても、建築はできない人。なのに建築もするから、「この家、たしかにすごく素敵なデザインだけど、この図面通りに建てたら屋根傾きますよ?」「この廊下、人間通れないですよ?」てなことになったりする。
 バウではちゃんと設計できるようだから、大きさと時間と人数の問題かな。

 まあそーゆー部分は置いておいて、画面の美しさとキャラの愛らしさを堪能するのも、タカラヅカの正しい在り方だと思う。

 主要4キャラクタのアテ書きぶりは、「ファンが期待するキャラクタ」そのまんまだ。
 キラキラ王子様でピーターパンなタニちゃん。
 現代的なキュートな女の子で、芯の強さといじらしさを持ち合わせたウメちゃん。
 イロモノぶっちぎりの赤面様らんとむ。
 オサレでイモっぽい、されど明るく愛らしいみっちゃん。

 現実の彼らが持つイメージを、まんま舞台に持ってきましたって感じ。
 そのイメージを快く思っているなら、この舞台はたのしめるだろう。ジェンヌと役とを混同して、あるいは相乗効果にたのしむのが、ヅカの愉しみ方のひとつではある、のだから。

 わたしは「丈に合わない、意気込みだけの名作とやらより、出演者アテ書きの凡作の方がイイ」と思っている。
 だからソレだけで『パラプリ』はたのしい。
 しかし。
 ひとつだけ、今回「そのアテ書きはどうよ?」と思ったことを書いておく。

 『パラプリ』はなにもかもが雪組の『君を愛してる』に酷似していて、いちいち脳内で「ああ、コレは『君愛』でいうアレのことね」と変換しまくりで、そのあたりは大変だったけど、まあソレはわたし個人の都合ってヤツで(笑)。
 水しぇんはかわいこちゃん役をやって「似合わない役をやらせるな」とブーイングにさらされたが、同じよーな役をタニちゃんは「さすがアテ書き!」と言われてしまう、その持ち味の差がイイ。5組あるんだから、トップの持ち味はちがってこそ、だ。

 主役がかわいい善良なセレブ青年で、身分違いの平民(笑)のヒロイン、どっぷり黒い役の2番手。『君愛』は3番手も主役とほぼ同位置のキャラ付けだったからトバして、4番手がコメディ担当、『パラプリ』ではコレが3番手。
 『君愛』ではこのコメディ担当のテルがとてもオイシイ役で、彼は大いに株を上げていたと思う。
 『パラプリ』でもコメディ担当は本来オイシイはずだ。……が、なにしろ演じているのがみっちゃんなので、この配役は疑問。

 テルのコメディっぷりがよろこばれたのは、彼がクールビューティのおすましさんだったからだ。体温の低そうな絶世の美青年が、その美貌をかなぐり捨ててヘタレ青年を演じることがギャップとなり、新たな魅力となった。
 しかし、みっちゃんは……。
 みっちゃん演じるおたく青年ラルフがテルの役だったら、なんの問題もない。クールビューティのかなめくんがあそこまでバカキャラを演じれば話題にもなるだろう。
 だが、なんといってもみっちゃんだ。そのぉ、外見的な美しさとかセンスとかにいろいろいろいろ味のある人だ。
 美貌のオシャレさんがコメディアンをするのはギャップが魅力になっても、イモなオサレさん(失礼)がコメディアンをやってもなんのギャップも生まれない。いつものみっちゃん、なだけだ。
 イモにーちゃんにイモにーちゃんの役をやらせてどーする!(さらに失礼) アテ書きなのはわかるし、みっちゃんの外的イメージまんまなのはわかるけど。
 ただでさえみっちゃんは前回『雨に唄えば』でコメディ担当してるんだよ? 2作連続コレはあんまりだ。
 みっちゃんの良さを活かしつつ、「かっこいい」役をやらせるべきだろう? 3番手なんだよ? 未来へつなげて行かねばならない時期なんだよ?
 みっちゃんはもっと作り込んだ、「舞台上の男役」としてならば、美しさを発揮できる人だ。彼の「役者・男役」としての魅力が「本人のキャラクタへのアテ書き」ゆえに殺されてしまっていることが、残念でならない。

 真のアテ書きとは、安直に役者の持ち味に当てるのではなく、持ち味を活かしつつ、さらに舞台上で魅力的に、かっこよく見せることだと思ったよ、今回。
 アテ書きだからって、すべてOKなわけじゃないんだなあ、と。勉強になりました。
 

 みっちゃんのキャラへの疑問はあるにせよ、あとの人たちはみんな「お約束」に終始した、安定したキャラクタたちだと思う。
 安定はいいね、安心して観ていられる。
 宙組のみんながまた、きれいだしね。かわいいしね。

 タニちゃんの美しさ、キラキラ具合はものすごいし。つか、どこまで脚なん?!という、驚異のプロポーションが現代物ゆえにわかりやすく見せつけられるし。 
 ウメちゃんがとにかくかわいくてきれいで、そのまま「持って帰りたい」と思うし。うおー、家に飾りてぇ。

 美しさゆえに、「タカラヅカを観た」と実感させてくれる。
 まっつタッチ、まっつタッチ、とほくほく浮かれていたけれど。

 帰りの特急の中で、おさかなまっつストラップがなくなっていることに気づいた。
 オリジナルで作って愛用していたグリーンのおさかなさん@『Red Hot Sea』姿のまっつが、ジョイントのわっかを残してまるっとなくなってました……。
 千秋楽休憩時間にはまだたしかにあったから、劇場内で落としたのか、駅までの道で落としたのか。
 立ち姿そのままくりぬいたプラスチック製。……落ちてたら、「なにコレ??」度高い羞恥アイテム。なにしろおさかなさんだからな……ヅカだとわからない人(が、世の中の大部分だろう)には、アニメのキャラ・コスとか思われるんだろうか……遠い目。

 そんなオチがあったにしろ。

 全ツ『外伝 ベルサイユのばら-アラン編-』千秋楽。

 アンドレ@壮くんの「アラン、お前もか」は、「アラン……」でためまくったあと、「お前も(吐息)報われない愛に……」と続けることで不自然さを払拭しておりました。えらいっ。

 ねえねえ、壮くんのこの吐息プレイ、無駄に色っぽいよね?
 無駄に……てのが、壮くんらしくて素敵っちゅーか植爺のせいでこんなプレイをするハメにっちゅーか、お前もかの「か」を言うとお笑いになるから「か」を発音しないための苦肉の策だけど結果としてアンドレ男前ってちゅーかイイ演出になってるっぽいっちゅーかやっぱり植爺許すまじ(笑)。
 
 なんで壮くんとみわっちのラヴシーンないの? まとぶと絡んでる場合ぢゃないっしょ? みわさんと絡めよ~~。
 オスカルが誰を愛しているかわからない、ってひどい演出だ……。

 『ベルばら』なんてどーせ場面のつぎはぎでストーリーないんだし(植爺がストーリーを作れない、が正しい)、「ラヴシーン特集」にしちゃえばいいのに。
 誰かを好きとかキライとか言っているとこだけでストーリーをつなぐ。

・オスカルに反発するアランと衛兵隊。
   ↓
・みんなの憧れディアンヌ、めんどーだから『エンター・ザ・レビュー』の「愛しのルイーズ」の替え歌とダンスでいいよ。
   ↓
・オスカルに憧れるディアンヌ。あー、でも植爺脚本だとディアンヌが愛していたのは実の兄のアランだっけ。んじゃここで、ディアンヌの脳内イメージの恋人アランとのラヴラヴデュエットダンス。オスカルは、ディアンヌとアランを引き裂くように登場。めんどーだから『エンター・ザ・レビュー』の「ボクのいちばん好きな人」をルイーズ……ぢゃねえ、ディアンヌが歌っちゃえ。振付も同じ……だと、みわっちがまとぷを姫抱っこして去っていくことになるから逆にして(笑)。
   ↓
・反発していたのに衛兵隊が先にオスカルへ心酔。女たちも一緒に登場して一緒に心酔しちゃえ。ひとり反発を続けるアランはおもしろくない。
   ↓
・婚約破棄され(アランがこれ以上オスカルに惹かれていくのを見ていられない、というのが実は真相)ディアンヌ自殺、自棄になるアランを一喝するオスカル。
   ↓
・(オスカルの縁談の話を聞き)オスカルに愛を打ち明けるアンドレ。主役じゃないから毒殺シーン無し。
   ↓
・ジェローデルへプロポーズのお断りをするオスカル。(ここで彼女の心がアンドレへ向かっていることがわかる)
   ↓
・アランとアンドレの口ゲンカ。
   ↓
・アランがオスカルに無理矢理チュー。アランを殴りつけようとして、殴れないアンドレ必須。
   ↓
・アランと衛兵隊、目の見えないアンドレのフォローをする発言。
   ↓
・パリ市民蜂起、アランと衛兵隊はオスカルについていくと宣誓。

 そーして、プロローグとエピローグの10年後のベルサイユはそのまま、ナポレオンはいらないんだけど、出さなきゃいけないの? 植爺的に?
 仕方ないからディアンヌの亡霊はそのまま。ただし最初と最後だけ。革命もオスカルたちを出してはいけないのなら、名もなき市民たちだけでやる。

 植爺がこだわり続ける「出演者の出番と台詞の行数」は、ちゃんと「トップ>ヒロイン>2番手>3番手>専科>組長>>>その他大勢」で割り振る。
 途中で死んでしまうディアンヌは、出番の少なさを補うために、出ている場面ではやたら豪華に歌い踊る。「ここでこんだけ時間と比重をかけてこんなどーでもいい場面をえんえんやるの変ぢゃね?」と思われても、やる。「オスカル編」で脳内オスカル様山盛りでえんえん歌い踊ったまーちゃんロザリーみたいにな。
 そして、エピローグではもちろん「愛しています、お兄さん」と禁断の告白ですよ。オスカル様に夜這いをかけたまーちゃんロザリーみたいにな。
 2番手の役が3番手の役より出番や台詞の行数が少なくてはいけないので、オスカル中心の場面は台詞や時間を減らし、アンドレをクローズアップ。おかげでやたらとアンドレは長台詞を喋るし、苦悩してひとりで歌う。そして主役のアランと絡む。ジェロは相変わらず1場面だけ。
 やたら思わせぶりに星原先輩の出番と台詞はえんえん続き、はっち組長も豪華な衣装で現れる。無意味でも、彼らに出番と台詞と衣装は、ハズしてはならない。

 とゆー、植爺クオリティを守りつつも、「とりあえずラヴシーン」をいろんなパターンで入れることによってサービス度を上げる。好きでもキライでも、「心が動く場面」さえきちんと描いていれば。その他の出来事は「台詞で解説」しても話はつながる。
 だからこそ、主役であるアランがオスカルへの想いをどう昇華させたか、革命直前に平民側につくと決めたオスカル、彼女へついていくとアランたちが宣言する場面は必要。
 これがあるからこそアランは、オスカル死後も彼女の遺志を継いで戦い続けるのだから。この場面から一気に時代を10年後につなぐことが可能。ここでのアランならば、10年後の隻腕将軍アランへオーバーラップできる。

 ……本当なら、そこからパスティーユになだれ込み、最高潮に盛り上がる……はずなんだけど、植爺のアホなこだわりのせいで、「物語」としていちばんいいところを「描いてはならない」ことになってるからな。オスカルの死と、彼女をかばって片腕を失うアラン、は「アラン物語」ならばもっとも重要なエピソードだろうに。
 描いてはならないんだから、仕方がない。

 
 「アラン物語」として必要な場面を全部奪われ、10年後にディアンヌの亡霊と立ち話をするだけのどーしよーもない脚本で、まとぶんは高いテンションでキモチと空気をつなぎ、よく演じきったと思う。
 歌舞伎が似合う……というか、熱が入りすぎるとどんどん歌舞伎になる特質(笑)があるので、その大仰さがいっそ清々しかった。
 ただまとぶんの歌舞伎って、ひとり歌舞伎で誰かと一緒だと精度が落ちるんだよね。ひとり芝居になって封印が解き放たれるっていうか絶好調になるっていうか。
 壮くんも植田歌舞伎の申し子ってくらい似合う芸風の人だけど、彼は誰が相手でも関係なく大歌舞伎演技絶好調だから、まとぶさんとは持ち味がチガウ。

 まとぶん、壮くん、みわっちと、三者三様の濃い~~ぃい芝居を繰り広げていて、そこはとても愉快。

 てゆーか、無理矢理チューのとこはみわさんオスカルが妙に生々しいんですが(笑)。
 アンドレに引き離されたあととか、なんかすごく「おんな」でびびる。濃くくどく演じていると、修羅場も濃くて、見ていてちょっとうろたえるというかテレるとゆーか。やーん、みわさんったらぁ(笑)。

 こんな、ピンポイントでエロいオスカル様なので、あのぶっちぎり芸風アンドレ様と、もっと絡んで欲しかったのよ、ラヴを入れて。

 まっつにタッチしてもらったっ。

 はいはいはい、全ツです、千秋楽です、『エンター・ザ・レビュー』です。

 中詰めの客席降り、まっつは下手の前から3人目。どのへんに立つかは劇場によって変わるので、中日のときのように確実にココ!という席はない。梅芸では16列目くらいだったけど、他劇場で13列目だったという話も聞いたし。
 だから半分運まかせ。このあたりなら、たぶんまっつが来るんじゃないかな……てな通路際席を押さえて行った。

 いやあ、どきどきしたねっ。
 来るかな来るかな来てくれ頼む……キターーーーァッ!!

 目の前を走り抜けていくまぁくんと一花ちゃんにもうれしがって手を出し、タッチしてもらってたんだが、それでも本命はまっつ(笑)。
 わたしの席の目の前でストップしたまっつ、前から横から「触って触って」と差し出された何本もの手を前に一瞬鼻白んで(間があった・笑)、「えいやっ」って感じにぱしんぱしん叩いていった。
 ……タッチ、というか、「叩かれた」って気がしたんですが、ぱちんっていい音したし、なんか本気っぽくて、じーーん……。(ヲイヲイ)

 『エンレビ』の中詰めは、なんだかひどく散漫で、落ち着かない気がする。
 博多座に通っていたときは、そんな風に思ってなかったんだけど。オサゆみスキャット合戦がものすごくて、聴き惚れていたから、いくら客席降りでみんながざわざわしていても、気が散ることがなかったのかな?
 まとえりだから歌の力がオサゆみほどではない、理由がソコにあるというなら、同じ面子で客席降りしてみんなざわざわしていた『ラブ・シンフォニーII』は? アレはただたのしいだけで、この『エンレビ』中詰めのように散漫な印象はないぞ?

 通路際でまっつ眺めて、その理由がわかった。
 『エンレビ』の客席降りって、短いんだ。
 たくさんのメンバーがわーーっと降りてきて、所定の位置について、ちょっと歌ったらすぐにまたわーーっと舞台へ戻っていく。
 ジェンヌが移動することと、その付属動作で観客の意識がバラバラになり、ざわざわが収まらないまま、「その状態をたのしむ」前に終わるんだ。
 『ラブシンII』の「キンバラ」客席降りはけっこー長くて、ジェンヌはえんえん通路で歌い踊っていた。観客もそのことに慣れ、ざわつきが収まり、また舞台に集中する。んで、観客が飽きる前、もっといてくれていいのに、ぐらいのタイミングで舞台へ戻っていく。
 「キンバラ」を歌い踊るゆまちゃんを間近でえんえん見ていたあの感覚、何度も目が合うわ、胸の谷間の深さに照れるわでどこ見ていいかわかんない、あの感じ……を、じっくり味わう間もない。
 まあ、まっつは真下はあんまり見てくれなかったし(通路際ではないところに知り合いがいたのか、にこっと笑って手を振っていた。かわいい)、まっつキターーッ、タッチしたーーっ、すぐそばに立ってるーーっ、と思ったらもう行っちゃった~~!! てな感じで、ぜんぜん落ち着くヒマがない。
 『ラブシンII』のときみたいに、えんえん歌い踊ってない。あんときは正味振付アリで踊ってたよね? 舞台を客席に替えた「パフォーマンス」だったよね?
 なのに今回はただあちこち見ながら揺れているだけ、「客席サービス」でしかなかった。だから観客もサービスされてざわめくだけで、芸を鑑賞する余裕はない。
 や、わたしの体感時間が短すぎただけかもしんないけどっ。なにしろまっつだしっ。

 中詰め、落ち着かない……ざわざわしているうちに終わっちゃう。
 うおおお、まっつまっつまっつ、どきどきしてるうちに終わっちゃったよおおお。
 

 サーカス場面はいじめっ子ではなく、やんちゃだけど「弟思いのおにーさん」になっていたような。
 のっぽさんを両側に侍らして自分は台に乗り「高い高い」と悦に入っていたり、人をつきとばしたりしているんだけど、りせに甘い(笑)。泣くりせをあやし、「強く生きろ」とガッツポーズ。「うん、ボク、強くなるよ」とりせもガッツポーズ。……なんだこの兄弟?(笑)

 旅の男はみわさんとの密着度はたしかに高いんだが……みわさんから肩を抱かれても、萌えないことがわかった。まっつから抱きつくことに、萌えるらしい。能動者が好きなの、あたし! されるよりする人が好き。受より攻が好き。愛されるより愛する人が好き。
 つーことで、昼公演、千秋楽共に「予定調和」っぽくトリオで密着する旅の男たちは、まだどこに触れるか決まっていなかったっぽい初日近辺の方が、好みだった(笑)。

 『エンレビ』はたのしく、「まっつタッチまっつタッチ☆」の興奮と共に終わったわけだが、実はわたし、『外伝 ベルサイユのばら-アラン編-』の方が破壊力デカかったのよ……。

 作品的にはあの通りぶっ壊れていて、真面目に脳みそを働かせるとストレスで胃に穴が開きそうになるので、わざと気を遠くして目で見て耳で聞いているのに日本語は脳に入れないようにして、役者の魂とか感情だけを脳へ送る、という高等技術に神経と体力をすり減らしていたんだけど。
 ジェローデル様ですら、彼の言っていることを真面目に脳みそへ送ると正気ではいられなくなるんだってば。贔屓でもダメなんだってば。あああ植爺め。

 その反動もあるんだと思う。
 植爺の狂った日本語を話す狂った人たち……に心を乱されずに済む、革命の場面。台詞がなく、ただ音楽とダンスだけの場面。
 神経をすり減らすことなく、舞台の人々の演技に注目できる場面……のセンターに、Myご贔屓がいる。

 かっこいい。

 え。……ええ?
 あのひとあんなに、かっこよかった?!

 なんだろ、よく知っているはずなのに、もう何度も見ているのに、なんかぜんぜんチガウんですけど。
 まっつのダンスが端正であることはわかっているけれど、いつもはそこになんつーか融通のきかなさを感じていたんだが、そこから一歩踏み出した、前へ切り込んだような、強さを感じた。
 強い、って、薄幸キャラまっつにはあまり感じたことのない印象だ。

 強い、キャラクタ。
 あの市民の男は、強い。
 信念を持ち、未来へ進む男だ。
 登場する瞬間から、スイッチ入ってるよね。歩き方からすでに、彼の背負うモノの重さが見える。

 軍隊の前に立つには、非力な一市民でしかない。訓練された戦士じゃない。だけど。
 砲弾に翻弄されながらも、あきらめず戦い続ける。
 ひるんだ仲間たちを背後に残し、ひとり玉砕覚悟で前へ出る。
 撃たれた彼を中心に、仲間たちの士気が昂揚していく。意識の方向性が定まる。

 思わず前へ出てしまってひとりで踊って撃たれる、のではなく、わかったうえで前へ出るんだ。
 その、硬質な決意。スタンドプレイとしてのソロダンスではなく、殉教者の信念を表す、強いダンス。

 そこから先は、ある種祭りの激しさ、トランス状態へ。

 名もない、台詞もない役で、なんでこんなにしっかりがっちり、かっこいいのか。
 素敵なのか。

 見ていて心臓ばくばくして、大変でした。
 うおおお、かっこいー、かっこいいよお。ごめんまっつ、あたしアナタをナメてた。どんだけ素敵なのよ~~、と、アホファン丸出しにとろけきってました……。
 ああ、心臓に悪い……。

 
 そして、話はとんでまたしてもショーの、そのあと。
 最後のご挨拶時に、『銀ちゃんの恋』DC楽で王子がすっかりスルーしていたトドDSのことを、ハッチ組長が話を出してくれました。「本人の口から」ってことで、まっつ自身が喋り出した。
 場所、日程、出演者を説明するわけだが……「パレスホテル」はすらりと言えたのに、「ホテル阪急インターナショナル」が出てこない。
 一瞬、真っ白になるまっつ。
 観客にどっと笑われ、そのあとでよーやく正解を絞り出した。
 宣伝するまっつはとても真面目風、声もしっかり男役……なのにHHIが出てこないあたりがかわいい……(笑)。

 まっつの「声」が大好きなので、思いがけず最後に声を聴けて、すごーく得した気分。

 ああ、まっつまっつまっつ。

 思うんだけどさー、やっぱジェローデルがアンドレにやさしいのは、変だと思うの。

 植爺脳では「主人公はなにがなんでも正しい」ということになっているから、『外伝 ベルサイユのばら-ジェローデル編-』で「いい人」として描かれたジェロ様は、なにがあっても「いい人」で正義の人、原作でアンドレを攻撃するために口にされた台詞をも、『外伝 ベルサイユのばら-アラン編-』では、「いい人」ゆえの「思いやりある台詞」にねじ曲げてしまった。

 恋敵を牽制し、貴族としての優越感・無神経さでアンドレに言う、「妻を慕う召使いを、妻のそばに置いてやる心の広さはあるつもりだ」という台詞。
 アンドレにショコラをぶっかけられるくらい、酷い物言い。

 なのに植爺は、この台詞を「心の底からやさしい人が、親切心で言っている」と思い込んでいるよーだ。アホですか。

 植爺がアホなのは今さら検証しても仕方のない事実だから置くとして、ただ単に、ジェローデルがアンドレに「心からやさしく、アンドレのためを思って」この台詞を言うのはおかしい、おかしいことにはなにか他に理由がある、その理由とはナニか、ということを、考えてみる。
 
 ウザイ恋敵でしかも侮蔑の対象である平民、に対し、心からやさしく、しかも「ずっと妻のそばにいてもいい」って……ふつーレベルの「いい人」でもこれはおかしい。
 本当に「いい人」なら、主人である貴族女性に恋し、苦悩する男を描いた恋愛小説を例題にして、「あの小説と同じ立場にしてあげるよ」と持ちかけたりはしない。
 ありえないことだらけなのに、それでもジェローデル@まっつは、心の底から誠実に、思いやりあふれ、アンドレ@壮くんに語りかける。

 これらの矛盾を解決する方法、矛盾に対する解答はひとつ。

 ジェローデルが本当に欲しがっている相手は、アンドレだった。

 コレしかないなっ(笑)。

 ジェローデルは、アンドレを見初めた。
 上官オスカル@みわっちのそばに、いつも付き従っている平民の男。
 オスカル無しのアンドレはあり得ないし、アンドレ無しのオスカルもまたあり得ない。2個イチに考えるしかないふたりだと、ジェローデルは見抜く。

 アンドレに「ジャルジェ家を出て、ジェローデル家に仕えないか、給料いっぱいあげるよ」と言っても無駄なのはわかっている。
 アンドレが欲しかったら、オスカルを口説くしかない。

 アンドレを自分のそばに置くためには、まずオスカルを自分のそばに持ってくるしかないんだ。
 デュ・バリー夫人がオスカルを取り巻きに加えたくて、彼女を動かすためにまずその母親を自分の侍女にしたように。
 ベルサイユに生きる貴族たちの常識ですな、将を射んと欲すればまず馬を射よ。

 つーことで、ジャルジェパパに根回し。オスカル本人はなにも言わず、パパに話通して、次にアンドレ……って、どんだけオスカル蚊帳の外なんだ、どーでもいい存在なんだ。

 ジェローデルが好きなのは、アンドレだから。
 そばにいて欲しくて、必死に口説く。
 心から誠実に、やさしく。
 キミのためを思っているんだ。私のもとにいることが、キミのシアワセなんだ。

 いい人オーラびしばし出して、慈愛の目で語るジェローデル@まっつがステキです。
 アンドレは人の話なんか聞いてないけどな(笑)。そんなとこも含めて、ステキなわけだしな(笑)。

 ジェロ×アンドレ。
 アンドレが総受キャラなのは、わたしが読んだ『ベルばら』同人誌ではデフォだったし(アラン×アンドレが主流? フェルゼン×アンドレもわりと見た)、植爺演出のアホさにこーゆー理由をひねり出すのはアリでしょう。

 
 ……なんてことを、改めて考えた、全国ツアー千秋楽。
 はるばる行ってきました、三重県。

 楽公演は午後6時開演、終演は9時過ぎるわけだから交通機関が大変ですよ。
 せっかく「鉄道の日」切符(青春18きっぷのよーなもん)の使える期間なのにさー。終演時間が遅すぎて、鈍行では当日中に大阪に帰れないよ。
 遠征をお財布に効率よくするためには、いろいろ調べるし工夫もする。つか、それこそが醍醐味、ビバびんぼー旅行。
 帰りは近鉄特急を利用するしか選択肢がないとしても、通常運賃を払う気はなく、金券屋で株主優待券(近鉄全線特急以外1回限り自由に乗車可)を購入。特急券と併用できるからな。なんばに到着するときには御堂筋の終電が終わっているので、鶴橋乗り換えでJR利用、大阪に出る、と。
 行きは特急運賃を節約、株主優待券握りしめて鈍行を乗り継いで行く。なんせ通い慣れた名古屋経路。……2月に3週間強で鈍行利用4往復とかしてましたからね……路線図も頭に入るわ……。
 ただいま再プレイ中の『逆転裁判』(DS版はシナリオ追加されているので、ソレ目当てに1からやっている)をお供に長い列車の旅路。

 目的地の近鉄津駅に着いたら、目の前で銀ちゃんチーム一同がわいわいやってて、びびった。
 
 田舎駅らしい改札口前に、見るからに場違いな華やかな一団が、すげーミスマッチ……(笑)。あー、ゆーひくんいないや。

 街の中央方面へと消えていく彼らとは逆に、わたしはなにもないひたすらなにもない道を、劇場へ向かって歩く。彼らはきっと食事でもしに行ったんだろう。チケットを持っていないわたしは、サバキ待ちするために早く劇場に着かねばならんがな(笑)。

 三重県総合文化センターは、そりゃー広く、とことんどこまでも広く、途方に暮れるくらい広かったです。
 劇場だけでなく、図書館その他県民のための施設が集まった建物なので。
 なのにレストランは1箇所のみで、昼公演と夜公演の間、実質45分あるかないかの短い時間、レストラン利用希望者の長い行列が伸びてました……うわー。
 文化会館の周囲には飲食店がいくつかあるんだけど、なにしろ「車利用者用」なので、広く、とことんどこまでも広く、途方に暮れるくらい広い駐車場のその向こうに建物があり、そこまで行って満席だったときのダメージを思うと、とてもはるばる行く気にはなれない。地図上では「隣のレストラン」なんだがな(笑)。
 また、地図上では「すぐ横」にコンビニがあるのでそちらへ向かってみると……道を歩いている人たちがみな一様に「スナック菓子」の入ったコンビニ袋を持っている。雰囲気からして、『ベルばら』を観に来た人たちだ。何故観劇にスナック菓子?
 嫌な予感は的中した。
 コンビニの食料棚は空っぽ。お弁当もおにぎりもサンドイッチも、菓子パンもナニもない。どこの被災地?!状態。
 今すぐ手軽に小腹を満たせるモノとして、仕方なくスナック菓子を手にした女性たちが長蛇の列をなし、店内で渦を巻いている。
 数台あるレジで稼働しているのは1台だけ、ひとりの店員が必死になって会計をしている。
 ……演目のチェックをしておかなきゃダメだよ、コンビニ経営者さん。ふつーの出し物の場合客は昼か夜どちらかの公演を観て帰るだけだろうけど、ヅカはWヘッダー基本だもん、わずかな時間に腹ごしらえするためにおにぎりとかを買いに来るんだってば。
 こりゃダメだと、別のコンビニを目指したよ。どこでも徒歩基本のわたしは、歩くための地図は準備してあるから(博多駅から博多座、名古屋駅から中日劇場、は徒歩が基本ですわ)、近くのコンビニはチェック済み。ちょっと離れた店なら、食料も十分にあった。

 とにかく、とことんどこまでも広く、途方に暮れるくらい広かった……なにもかもが。
 徒歩で生きる人はいないのか、帰り道は駅前に来るまで20分間通行人ナシだしな。広い道路に車はびゅんびゅん行き交っていたが。
 大阪では人がじゃかじゃかいて、車は走りにくいわ停めるとこないわ、建物はぎゅっとひしめきあっているわ、ってなもんだが、田舎は逆。すべて逆。

 劇場も、広かった。1900人収容って……広い……。梅芸メインホール規模ですなー。東宝より100少ない程度ですよ……。
 1階30列以上あるし、3階席まであるし、3階席でもA席だし、3階最後方B席ですら梅田より高い3500円……物価高いな、津。

 劇場入口では「すみませーん、あの宝塚ファンの人たちを背景に記念写真撮ってくださ~~い♪」とか、無邪気に声掛けられたりな(笑)。……オレたちヅカファンは見せ物か?? うん、まぁ、ある種異様かもしれんが……。

 そんな遠征。

 脇のキャラまでみんな濃くてたのしい『銀ちゃんの恋』

 わたし的に出てくると目が離せなくなってしまって困るのが、秘書@さあや。

 わたし、彼女を主人公にした物語が見たいです、マジで。
 独身だよね? それなりのトシだよね?

 なんつーか、彼女で『ブリジット・ジョーンズの日記』系の女の子物語が見たい。

 一生懸命生きている、等身大の女のコ@……というには年齢ちょっといってます、空回り盛大に、障害への激突ぶり盛大に、恋や仕事、人生に向き合う姿をハートフルに、ユーモアたっぷりに描くのー。

 あのねあのね、橘@めおくんとの恋物語が見たいっっ。

 冷徹な秘書ぶり、職務に忠実ゆえにKYな言動も取るし、終始強気な憎まれ役。
 だけどバーのカラオケで酔っぱらって熱唱、若い男の子に絡んで、逃げようとするところをひっつかまえてさらに絡んで嫌がられて……あああ、ストレス溜まってんだなあ、ついでにオトコいないんだなあ的なとこがイイのよっ。
 生意気スター橘もまた、この冷徹女秘書にはガツンとやられているわけだから。

 ぜひ、ふたりには恋に落ちてほしいですな(笑)。
 じれったさがたのしい爆笑ラヴ・ロマンスになるぞー。

 恋を自覚するまでも絶対たのしいどつき漫才になるだろうし、恋を自覚してから告白・両想いまではじれじれのすれ違いツンデレ合戦で、両想いになったあとは看板スターと秘書という立場ゆえに苦悩して、自分の立場を守ろうとする橘がケツまくったり、仕事忠実な秘書が身を引こうとしたり、何度も別れそうになるけど、結局離れられないのっ。
 いやあ、オンナノコが大好きなパターン全部つぎこんで、ひたすらハートウォーミングなラヴが見たいですな。ハリウッド映画系のアレを、昭和満載な舞台設定で(笑)。
 
 もちろん、『銀ちゃんの恋』キャラクタ総出演。
 なかでも重要になってくるのが、ロマンスグレー専務@王子。
 良き上司、相談役として登場しているのだが、いつの間にやら恋のお相手候補に名乗りを上げてくるのだ?! お約束ですね!! 美形でオトナで会社での肩書き有りな人ですよ!
 この人を愛せば、しあわせになれる。安定とやすらぎが手に入る……でも。と、ヒロインは心揺れてナンボですから!

 男の方にも、彼を愛するキャラを出すのが定番だが、橘に絡めてたのしい女の子キャラがとくにいないので、ここはジミー@だいもんで。
 橘がついうっかり手を付けてしまった美少年(笑)。純情可憐な彼は、一夜の戯れを真実の恋だと思い込んだ……! 恋のライバルが美少年って、どーしたもんだ、さあや?! つか橘最低!!(笑)

 引っかき回しに出てくる銀ちゃん@ゆーひとその他子分たち。
 女のしあわせ、を見せつける子持ちの小夏@すみ花。
 結婚生活の難しさ、子育て大変を語る監督@まりんと、トメ@まめ。
 意味もなく登場して高笑いして去っていくスポンサー@ふみか。

 橘主演映画撮影をベースにて、そこに全部の物語を絡めて。
 映画は『エリザベート』とか『ベルサイユのばら』とか、とにかく派手なコスチュームもので。や、よりによって日本で日本人で実写映画でなんかやらんやろソレ、という嘘くさい作品で(笑)。
 めおくんがトートとかアンドレ(フェルゼンも可)とかやってんの(笑)。劇中劇アリでもちろん名場面の再現やって、その扮装のままでキャリアスーツ姿のさあやとどつき漫才やったり、真剣にレンアイしたりするの。
 うわあ、想像するだけでときめく(笑)。

 橘子分の輝良まさとやアーサーも、黒天使姿とか衛兵隊姿で腰巾着してるの。
 新進看板美人女優@姫花が、エリザベートの鏡の間ドレスとかアントワネット頭に船載ってます状態とかで、台詞もないままうろうろしていたり。や、彼女は声を出すとえらいことになる、リナ@『雨に唄えば』状態の美人女優という設定があって、スポンサー@ふみかのごり押しで彼女を使うしかないんだけど、ミュージカル映画にそりゃないべってことで、なんと秘書@さあやが吹き替えをすることに……とか、思いつきだけで書いてるので話がどんどんアレになっていってますが、まあこんな感じで、盛りだくさんにたのしけきゃそれでいーや。

 ふぅ。
 とにかく、さあやとめおくんでラヴ・ロマンスが見たいなー。『銀ちゃんの恋』のスピン・オフで!
 演出家が石田なら、べったべたにふたりがカラオケで「銀恋」を歌うシーンとかありそうだなー。

 
 さあやに限らず、脇のひとりひとりがみんな精魂込めて小芝居していて、芝居の空気の中で生きていて、いい感じっす。

 二枚目のらいが見られなくてちょっと残念……しかし意味もなく盆踊りでキザっているような?
 さらに、二枚目のちゃーが見られなくて残念すぎる。助監督かわいいけど、ヘタレ姿ばかり……あああ、あたしの黒沢中尉が。
 二枚目といえば殺陣師がいい男でオトナでびびります。真瀬くんか、アレ? 池田屋親父は芝居らしい声が出ていていいですな。レネくんであってる?
 ……初日にプログラム買いそびれると、ずーーっと買いそびれるこの鈍くささ。公式HPの「主な配役」には細かい出番は載ってないし(笑)。や、わたしは基本プログラムは買わないけど、ゆーひくん主演作は買うって決めている。そのうち買いに行こう。で、まちがってたら、あとでこっそりツッコミ入りで訂正しておこう(笑)。まちがったこと書いているのも、それを「チガウやん」と追記するのも、リアルタイムに感想を書き残す醍醐味だと思っているので。

 あ。
 この公演で「すみれコードなんぢゃ……?」と思ったのは、他のナニでもなく、スターブーツの扱いだ。
 スターしか履くことの許されない、スターブーツ。ヅカならではの文化。コレを履けばみんな足長さん、美貌を底上げできるマジック・アイテム。
 ……その秘密兵器の効力を、「使用前」「使用後」を見せることでわかりやすく説明してしまったのは、いいのか?
 裸足のヤス@みつるがスターブーツを履くなり、すげー足長&長身になりましたよ?! ヅカのスターってこうやって補正・底上げされてんの? さすが『ベルサイユのばら2001』でフェルゼン@たかこが宮廷靴を全否定してスターブーツにこだわったって噂が立つくらい、見た目の美しさが段違い、ってそんな舞台裏見せちゃっていいのかよ?!
 いやその、『銀ちゃんの恋』自体が「タカラヅカ文化」を自虐的なまでにあげつらうことで、笑いを取っている作品ですがね……。

「この公演で、地味にいちばん株を上げたのは、王子かもしれないねえぇ」

 と、『銀ちゃんの恋』DC千秋楽、わたしとnanaタンとユウさんはしみじみ言ってました。

 カンペを手にしてはいるのだけど、それを開くことはなく、公演の長としての挨拶、花組の今後の予定、退団者の紹介まで全部やってのけた。
 紙に書かれた原稿を読むだけなのにカミカミで、場をドン引きさせる長ばかり見てきた者にとって、すべてを「そつなくこなす」初公演長の王子の株は上がりまくり(笑)。

 ジェンヌの本拠地は大劇場である以上、すべてのジェンヌに大劇場で緑の袴姿で卒業して欲しいと思っているけれど、王子の言葉を聞きながら「本公演以外の退団も、ソレはそれでアリなのかもな」と思った。

 『銀ちゃんの恋』で退団する3人、ちなちゃん、よしやくん、ちゃー。
 出演者勢揃いのラストに、胸に花を付けて現れた3人を、長の王子がひとりずつ紹介していく。
 この紹介がさ、ただ名前を呼ぶだけではなく、「こんな子だった」と王子の言葉で語られるの。がんばりやさんだとか、いつも元気でとか。わたしの海馬ではとても記憶できなかったんだが、お仕着せの原稿ではなく、「組の上級生の目線」による、ひとりずつの紹介だったの。

 本公演での退団時も、退団者からの手紙をカーテン前で組長が読み上げるよね。雪組ではそれだけでなく、ナガさん目線による解説もある(これがすごくスキ。ナガさんあったかい)。
 でもこのとき、語られている当人、退団者はその場にいない。袴に着替えているわけだから。

 それが、他劇場公演ではカーテンコール挨拶まんまで最後だから、退団者たちもずっと舞台にいる。
 ひとりずつ順番に「この子は、こんな子だった。こんなにステキだった」と、王子がその子の目を見ながら語る姿が、すごく良かった。
 よしやくん、ちなちゃん、そしてちゃーが、すごくくすぐったい、だけどきらきらした目で王子を見ているの。なにを言われるのか、言ってもらえるのか、期待のこもった目で見ているの。気恥ずかしそうであり、たまらなくうれしそうであり。

 そんな彼らの姿が、ものすごく、気持ちいい。
 ステキ。
 愛しい。

 キレイゴトかもしれないけれど、わたしが「夢の世界」タカラヅカに求めるもののひとつが、まちがいなくそこにあった。

 そして繰り返されるカーテンコールで、出演者みんなではじけきって踊って、退団者ももみくちゃになって笑って。
 遊んで。

 整然と迎える本拠地でのサヨナラももちろんいいけど、こーゆーのもアリだよなあ。
 と、思った。

 しあわせであれ。
 今も、そしてこれからも。ずっとずっと。


 しかし王子、みわっちDSやまりんサロンコンサートの案内はしてくれたのに、まっつと一花の出演するトド様DSのことはきれーにスルーしてたね……。花組公演ぢゃないけど、組子が出演するのに~~。

 
 タカラヅカ・スターであるがゆえの強烈な光で君臨する銀ちゃん@ゆーひくんを見て、それでも彼の「影」が薄くなったわけではないんだな、と思う。

 ゆうひくんの持つ、独特の陰と淫の魅力は別に変化していない。
 銀ちゃんは反省の色もなく大暴れしているのに、時折見せる暗さ、鋭さはゆーひくんならではの色だからだ。

 影の濃さはそのままに、光が濃くなったんだなー。
 今までは光もあんましあたってないのに、影ばっか濃くて大きかったからなあ。バランス悪くて脇にいるしかなかったんだよなあ。
 物理法則として、濃い影は強い光のもとにできなくては、おかしい。影だけ濃かったときは、法則からはずれていたためにいびつさが際立っていた。
 今、影の濃さに等しいだけの、正しい光が存在している。コントラストの美しさ、ルールに則った安定感。
 スターとして、真ん中に相応しい人になったよなあ。

 いや、真の真ん中向きな人は、もう少し影を小さくカラダの下に隠してしまうべきなんだろうけど。
 トウコちゃんみたいに光と同じ量の影をまとう人がアリなんだから、ゆーひくんの濃い影もアリかなー、と。

 声が涸れているのが気になった。出番と台詞量でいけば『THE LAST PARTY』の方がすごかったと思うが、なにしろ怒鳴り芝居だからなー、銀ちゃん。みつるも大変そうだったし、みんな体当たりだぁ。

 
 カテコでうっかりと、ヒゲのダンディ@ふみかのウィンクくらって、息が止まりました……。
 あああ、いいカンパニーだなあ。

 何度も書きかけて、やめた。
 言葉を綴ることが、ひどく嘘くさく感じる。

 安蘭けいの退団が発表された、ことについて。

 ほぼリアルタイムで公式を見ていたと思う。
 今後のチケ取り予定を手帳に書き込んでいるところだった。
 トップページ(html版)に何度目かに戻ったとき、最新情報が更新されていた。

 とりあえずなにか書こう、と思ってブログの入力画面へ行き……やめた。
 そしてまた、思い直して入力画面へ行き。

 それを、繰り返す。
 

 「安蘭けい」という、可能性。
 それはタカラヅカを離れたところで途絶えるわけではないだろう。

 だけどわたしが「見たい」と切望するのは「タカラヅカの安蘭けい」だった。

 他の誰でもない、トウコちゃんで見たいものが山ほどあった。
 具体的に役名などない。作品名などない。

 トウコが演じる。

 それだけで、「見たい」と思えるものだった。

 「物語」好きな人間として、安蘭けいが息づかせる「物語」を欲していた。ずっと、ずっと。
 これからも、いくらでも、欲し続けていた。

 
 時は無限ではなく、終焉があることは、わかっていた。
 予測もしていたし、覚悟もしていた。

 それでも、「タカラヅカの安蘭けい」という可能性が、終わりを告げるのが悲しい。
 切ない。


 『銀ちゃんの恋』は、おもしろかった。

 だけどやはりわたしは、石田作品は好きになれないと思った。

 映画は見ているが、初演は未見。だから初演『銀ちゃんの恋』を語ることは出来ないし、今回の再演が初演とどう変化しているのかはわからない。

 はじめて出会う作品として『銀ちゃんの恋』を観、思ったことは。

 大空祐飛ゆえに、この作品がぎりぎりのところで成り立っているということへの、驚き。

 ゆーひぢゃなかったら、どうなってたんだヲイ、という疑問。

 ゆーひくんゆえに成功してるけど、それは結果論であって、なんでそもそもこんな作品を上演してるんだろう? と、首をひねった。

 有名な『蒲田行進曲』を原作とするこの『銀ちゃんの恋』は、タカラヅカという表現形態が持つ「良さ」を活かしにくい。
 むしろ、タカラヅカでは描いてはならないネタばかりを、ことさらにあげつらっている。
 わざわざヅカでやらなくていいのに。と、思う。

 同じテーマを、ハリウッドを舞台に華やかに表現したりするのが、ヅカの醍醐味だと思う。あくまでもおしゃれに、美しく。
 それは『蒲田行進曲』でもつかでもないと言うだろうが、そうとも、ヅカなんだから、別ジャンルなんだから、それでいいんだ。そのためにヅカはあるんだ。
 つか芝居や『蒲田行進曲』が観たいなら、相応しい場所で観ればいい。なにもヅカでなくても。

 という疑問が終始消えなかった。

 ……が。
 それでもなお、『銀ちゃんの恋』は「タカラヅカ」だった。
 何故ならば主人公の銀ちゃんを演じるゆーひくんが、とてつもなく、タカラヅカ・スターだったからだ。

 「タカラヅカ」という、荒唐無稽な世界で生きる、特殊なイキモノだった。
 いくら下世話で汚れた世界を描こうと、ゆーひくんがぶっちぎりで「異世界タカラヅカ」だった。
 彼が「世界」を支えていた。
 世の中が灰色で、そーだよな所詮世の中こんなもんだよなと思われそうなもんなのに、ゆーひくんが総天然色で現れて、自分の周りに原色を復活させていった。彼が通るところにいちいち色がつき、彼が消えると色も消える。なんかのトリック映像でも見ている気分だった。

 演技力がどうとかいう、以前の問題で。
 彼がいなかったら、この芝居はどこかよその劇団の芝居みたいになっていた気がする。

 出演者は総じて芝居の出来る子たちが集められていた。
 だから脇まで不安なく観ていられる。台詞も出番もろくにない子たちだって、みんなふつーに演技うまいもの、台詞言えるもの。
 だからこそ余計に、手堅く別カンパニー公演系になる。脚本も演出もヅカではなく、石田お得意の下品さや笑い取りに満ちているわけだし。

 うまいだけじゃダメだ。
 だってここはタカラヅカ。
 「他で観るからいいよ」なモノでは、意味がないんだ。ここでしか観られないモノでなきゃ、ダメなんだ。
 芝居なんか、星の数ほどある劇団がいろんなとこでやってんだってば。ヅカでなきゃ存在しないモノを、表現してくれなきゃ。

 ここがタカラヅカであり、宝塚歌劇団がこの作品を上演している、公演の存在意義を、ゆーひくんがひとりで担っていた。

 ということが、すごく、おもしろい。

 外部の芝居でも、タカラヅカ・スターがひとりいれば、真ん中でその力を存分に発揮すれば、それは「タカラヅカ」として成立しうるのか。
 その事実に感動した。

 
 『銀ちゃんの恋』は、タイトルに反して銀ちゃん自身は「主人公」ではない。
 主人公はヤス@みつるであり、小夏@すみ花だ。銀ちゃん@ゆーひは、彼らの目を通して描かれるのみで、銀ちゃん自身の物語はない。
 極端な話、銀ちゃんは登場せず、ヤスや小夏の会話の中だけで描くことも可能だ。
 登場しなくても物語進行に支障のないキャラクタは、主人公ぢゃないわな(笑)。

 だけど、銀ちゃんは「主役」なんだ。
 彼の人生も悩みも考えも、直接には描かれないけれど、彼個人の場面はストーリーと離れひとりで歌っているだけだったりするけれど、ヤスと小夏の視点による物語でしかないけれど、主人公では絶対にないけれど、それでも銀ちゃんこそが「主役」なんだ。
 扇の要。絵の部分しか人は見ようとしないけれど、扇が扇として成り立つのは要があるから。

 物語的には存在しなくても構わない、概念だけでもイイくらいの「影」役でありながら、実際の舞台の上では誰よりも強烈な「光」を放つ、アンバランスさ。
 それがこの作品の魅力となり、他の作品とは一線を画した味わいになっている。

 おーぞらゆーひが、えらいことになってんなぁ。
 そのことがひたすら、おもしろい。

 
 また、この作品を「タカラヅカ」たらしめている要因のひとつに、ヤス役が、みつるであることが、あると思う。

 ヤスという役は、芝居巧者がやってはいけないのだ。
 や、ヘタな人がいいと言っているわけではなく、ある程度巧くなきゃぶちこわしになるが、ほんとの意味で演技の巧い、職人系の人がやってはいけない。
 まりんとかマメとかじゃダメだってこと。タイプとして、未沙さんとかもダメ。

 ヤスを演じていいのは、キラキラ・アイドルだけだ。

 だってここは、タカラヅカだから。
 乞食役でも美しい衣装を着るところだから。

 みっともないなさけないブ男の役を、そのままありのまんま演じてしまえる人は、ダメなんだ。

 銀ちゃんが鼻にティッシュ突っ込んでてなお美しくあるように、ヒゲのダメ男すらキラキラ・キュートでなければ意味がないんだ。「タカラヅカ」である意味が。

 外部の役者さんみたい、と思わせる演技をしちゃいけないんだ、ヤス役は。
 汚い役だからこそ、とびきりきれいな男の子が演じ、「かわいい」と思わせなくてはならないんだ。

 美しい大空祐飛と美しい華形ひかるでこその『銀ちゃんの恋』。『蒲田行進曲』ではなく、宝塚歌劇団の『銀ちゃんの恋』だ。


 
「この役を、まっつがやってたんですか??」

 終演後、ロケットボーイ役に関して、友人のチェリさんが言った。首を傾げながら。

 あの役を、まっつが? まっつってアレよね、あの***で**だったりする、**なまっつよね……?
 頭の上にとびかう「?」マーク。**に入る言葉はてきとーに想像してくれ、チェリさんも別に口に出して言ったわけぢゃない。

 目に映ったロケットボーイ@まぁくんの姿と、博多座ではまっつだった、という知識のギャップ……符号しそうにない両者の隔たりに、混乱するばかり、と。

 わはは。
 わかる、言いたいことはわかるよっ!!

 わたしだって初日初回にまぁくんを見て、痛感したもの。

 そもそも、まっつがこの役をやったことが、間違いだよな。と。

 『エンター・ザ・レビュー』名物の兄鳥。
 雛鳥をイメージしたロケットのセンターで、若々しくかわいらしくコミカルに踊る役だ。
 もうすっかり定番になってしまっているこの役は、最初は、存在しなかった。

 初演のムラ公演は91期生の初舞台お被露目公演でもあった。
 雛鳥たちのロケットは、初舞台生用の初々しくも希望あふれるロケットだったんだな。
 それが東宝版になると、初舞台生たちはそれぞれの組にバラけたあとなので、もう「お被露目ロケット」である必要はない。人数も減るし、振り付けも変わる。
 その帳尻合わせに急遽作られたのが、兄鳥役だ。
 初代兄鳥は、らんとむ。
 いつぞやのヘラクレス兄貴を彷彿とさせる、見事な体操のおにーさんぶりだった。
 その後、博多座にてまっつ、前回の全ツではみつる、と毎回役者が変わっていった。誰かの固定役ではなく、再演ごとに新たなキャストにするのが兄鳥のコンセプトなのかもしれない。

 ……てなことは、置くとして。
 とにかく最初はなかったんだよ、この役。
 『エンレビ』をムラでしか観ていない関西在住べつに花組贔屓でもないからオサ様全ツ『うたかたの恋』は超チケ難で手に入らなかった、今回の全ツはチケット手に入ったから観てみたわ、程度の人だと、兄鳥ロケットボーイ自体、見るのがはじめてなわけで。

 そーゆー役がある、ことは聞きかじっていても、目にするのははじめて。
 友人のチェリさんはまさにそーゆー人で。
 
 まずまぁくんの姿を見せられて、「これをまっつがやったんですよ」と言われても、混乱するよなあ。

 やったんですよ、あのまんまを(笑)。

 ロケットボーイってのは、ふつー若手がやる役だ。
 必要なのは男役スキルでも歌唱力でもダンス力でもない。そりゃあった方がいいに決まっているが、優先順位は低い。
 もっとも必要なのは。

 華とアイドル性だ。

 キラキラしていること。
 美しいこと。
 若々しく、かわいらしいこと。

 どんなに美形でも暗くてはダメだし、スター性があって押し出しが良くても、大人びていたり重苦しくてはダメ。
 「ヤッ♪」の掛け声が似合う元気いっぱいのかわいい女の子たち、の真ん中に立つのだから、それと同じカラーの輝きが必要。

 かわいこちゃん的さわやかアイドルが、望ましい。

 それが基本定義だから、最初に東宝で新たにロケットボーイが追加になったとき、「永遠の研45・漢らんとむ」が盛大に若ぶっておにーさんしている姿が話題になった(笑)。
 博多座まっつが幸いしたのは、あのらんとむの役、という先入観があったことだ。
 らんとむの兄鳥が、無理して若ぶってかわいこちゃんぶってええっと、なステキさだってこともあり、その次のまっつがまたしてもこう、無理している感アリアリなステキさで、『エンレビ』の兄鳥って、微妙さを競うのが目的?!(白目)とゆー、なんともマニアック一直線な配役だった。

 それが、前回の全ツでみつるになり、ふつーにキラキラアイドルの役になり、今回のまぁくんに至ってはさらに初々しく、本来の「ロケットボーイ」の定義まんまになった。

 らんとむ→まっつ→みつる→まぁくん、と段階踏んで見てきたわたしですら、なかなかショッキングな絵ヅラなのに、全部すっとばしてまぁくんを見て、「あの役、まっつもやったんだよ」と言われても、そりゃ混乱するよなあ?(笑)

 いやぁ、まぁくんの兄鳥は、すげーかわいかった。
 すらりとした長身、長い手足、若さとかわいさ、かっこよさがキラキラして、いかにもな「期待の新進スター!」な感じが。
 あの「あイテ☆」な振付も、素直にかわいいと思える。くそー、いいなあ(笑)。

 まっつセンターの場面がなくなったことは心から残念だと思っているが、それと「やっぱ兄鳥はチガウよな」と思う気持ちは本当だ。
 で、イヤよイヤよもナントカで、実は「まっつの兄鳥、大好きだ」と思っているのも本当。で、さらに、「だけどまっつの兄鳥は恥ずかしくていたたまれなくて、正視できない(笑)」と思っているのも本当。
 いやあ、人間って複雑ですなあ(笑)。

 とりあえず今は、ひたすらキラキラしているまぁくんの輝きを、素直に楽しんでいます。
 
 そして、かわいい明るいロケットから、ドラマティックなフィナーレ「愛しかない時」に移るのがイイ。この曲好き。
 階段から男役たちが登場して総踊りになるの、かっこいいよねえ……。
 
 デュエットダンス組がここにいないことが残念です。や、彼らはあとから出て来て、ちゃんとカップルで踊ってくれるわけだけど……この群舞にもいてほしーよー。見たいよー。

 デュエットダンスが4組ってのは、オサふーだからこそ成り立った感があったんだが、まとぶ時代でも変わらないんだね。や、そのまんま好きだから同じでいいんだけど。

 そして怒濤のパレードへ。
 全ツだもんなあ、階段少ないし人数少ないしで、なんかあれよあれよとゆってる間に終わった気がする……。

 良くも悪くも、4回目。
 4年間に同じ組で4回再演はないだろ、と思いつつも、なにしろ同時上演作がアレでしょ?
 『エンター・ザ・レビュー』で良かったっ、と、心から思います。はい。
 
 
 タイトル「4回目」シリーズで統一するつもりだったのが、こんなに長く何日欄にも渡って書いちゃうと「4回目」「4回目」って見た目がウザいから早々に脱落(笑)。それならはじめからふつーにタイトル付ければよかった。
 そして今日は、ミニパソに書きためていたテキストをパソコンに移そうとして、何故か接続できずに焦り、いろいろいじっているうちに、データを全部消してしまった。いやあ、血の気が引いたねえぇ。ゴミ箱にも残ってないし、ファイルごと消失だし。
 結局ミニパソを再セットアップして、パソコンの方はソフトを再インストールして、新しくパートナー関係築いて……と、どたばた。
 なんとか失ったデータの補完完了。あー、びびった。
 てゆーか、再インストールするために、この乱雑な部屋の中からCDを探し出すのに骨が折れた……。

 全ツ市川、楽しかったみたいだなあ。
 ころ様、まっつレポthanksです。
 サーカス場面のまっつ、梅田ではいじめっ子だったのに、やさしいお兄さん風になってるそうです。わああぁぁん、見たいよう見たいよう。

 最後に「オーレ♪」とキメる、ジプシーの男は、みわっちでなければならない。
 そもそも初演時はゆみこの役だったのだけど、再演、再々演、再々々演とみわっちがやっている時期の方が長いこともあり、わたしの中ではみわっちの役だ。

 濃く、クドく、ねちっこく。
 戦闘意欲満々にセクスィビーム放射させて、歌う。

 みわっちが、もっともみわっちらしいと思える役。

 てゆーかもぉ、彼のクドいやらしさに、ウケる。

 こーでなきゃ、みわさんはこうでなきゃ!! 机叩いて支持しちゃうよーっ。

 今回の全ツ『エンター・ザ・レビュー』では、曲のアレンジがちょっとチガウ? 最初に聞いたときに「あれ?」と思ったんだが、何度も聞いているうちに、わかんなくなった(笑)。

 『エンレビ』のみわさんを見て「いいなあ」と思うのは、彼が主に「女の子たち」を引き連れていること。
 みわさんは女性としても美しい人だから、下級生時代は同期の天勢、紫城、拓麻と共にずーっと娘役転向を噂されていた。男役でも耽美担当、美少年ポジで男と絡まされることが多かった。
 わたし的にみわさんがしっくりこなかったのは、そのへんなんだよなあ。
 彼は耽美とか美少年とかより、真っ当に女の子たち相手に包容力を発揮するふつーの男らしい男として在ってくれた方が、ときめく。(まつみわ!とか言ってるのとは、もちろん別ハートですよっ)
 くどくど光線発しながら、女の子たちをはべらしてキザりまくる。
 『エンレビ』の「男同士の絡み」や「耽美担当」はトップと2番手で、3番手はふつーに「男女担当」なので、女の子相手にいい男ぶりを発揮するみわさんを堪能できる。

 みわっちのね~~~~っとりソロのあとにカーテンが開くと、白い舞台に白尽くめのまとぶんがひとり立っている。

 新場面「ウナモール」とやら。ええ、先述のトップと2番手のお耽美シーンです。

 今までの「アランフェス」が耽美衣装の男ふたりが「モナムー」「モナムー」って歌いながらいちゃいちゃする場面だったわけで。オサ様と樹里ちゃんはふつーにべたべただったが、オサ様とゆみこになるとキスシーンも加わり、マジでいちゃいちゃになった、という。
 男ふたりの禁断の愛、そして周囲で踊るドレス姿のオカマを含む女たち。
 えーと、そーゆー場面だったよね、「アランフェス」。

 それをわざわざまとぶんと壮くんに合わせて新場面に変更ってことは、ナニをやるんだろう……と、思っていたら。

 変更した意味は、よくわからなかった。

 やっぱり耽美衣装の男ふたりが禁断の愛を歌い踊ってますが?
 周囲で踊るのがオカマではなく、ふつーに男子になったことと、禁断の恋人同士の衣装が白と黒でわかりやすく役割分担されたことぐらい?

 えーと、昭和時代に流行った「耽美小説」が、21世紀になって「BL」になったよーなもん?(そんな喩え……)

 オサゆみだとどっちが受かわかりにくくて、まあそのわかりにくいところが魅力だったけど、壮まとなら属性は誰が見ても間違いようがないから、その一目瞭然なところをウリにしようと?(そんな喩え……)

 にしても、不思議だなぁ。

 公認ドS男とドM男のエロ絡みシーンなのに、ときめきません。

 どんなに美形であっても、我らが壮一帆が健康的過ぎることも、大きな要因のひとつだとは思う。
 ムチを持ってさえ、陽性の輝きを持つ人だから。

 でも、壮くんだからダメってことは、別にないんだよ。
 トゥスンとトマスは萌えでした。ええ。ここにイブラヒムが加わったりもするけど、わたし的に本命はトゥスン×トマス。イブラヒムは片想い上等。

 『愛と死のアラビア』が萌えだったよーに、壮まと萌えはアリなんだけど、「ウナモール」には萌えません。

 たぶん、わかりやすい「ドS×ドM」のカップリングに萌えないんだと思う。
 そんな、需要と供給がぴったり合ってどちらもシアワセな関係に萌えないわよっ(笑)。
 なにかが「足りない」「欠けている」ことに、萌えは発生するのです。
 白いまとぶさんを黒い壮さんが翻弄したりしても、たのしくないです。むしろ対立してくれる方が、オイシクいただけます。

 新場面のわりにやってること同じだし、男ふたりとその他背景というパワーバランスも同じだし。
 ええいっ、まっつに歌わせて欲しかったわ、愛の歌を。壮まとの愛を、まっつが歌うのよ。まっつの声に乗って、壮まとがエロエロ愛のなんやかんやを繰り広げるの。……それなら、たのしかったと思う、わたしは(笑)。

 地方のヅカに対して先入観も予備知識も心構えもない人たちに、男同士の愛の絡みを見せてどーするんだろうなぁ、とは思う。
 いやその、ホモな話ではなく、まとぶさんの心の葛藤を抽象化したものだとしてもだ、現実的に目の前で繰り広げられるのは男たちの愛の世界でしかないんだし。
 ……地方に住む腐女子を釣るのが目的なのか? たしかに腐女子ならば同人誌即売会やら声優イベントやら、いろんなものを追っかけて5大都市に日参することぐらいふつーにするから、彼らがヅカに目覚めてくれたら精力的にお金を落としてくれるだろーけど。

 なんにせよ、美しい場面です。
 まとぶんも壮くんもほんとに美形だ。
 そんな美しい彼らがお耽美なフリフリ衣装着て、お耽美なことをやっているのに、なーんかくすぐったくなってしまうのは、わたし個人の問題なんでしょう、きっと。

 あー、でも、まとぶを壮くんが後ろから抱きしめるよーな振付のとこで、客席のオペラグラスが一斉に上がるのは、見ていて壮観ですわね。(どこを見てるんだ)
 ……みんなスキやなぁ……。

 このドシリアスお耽美場面が静かに暗転すると、次は一気に曲調が変わります。
 上手花道、梅芸では見えないことが多いところに雛鳥たち登場。
 続いて下手花道、梅芸では見えないことが多いところに兄鳥登場。

 さあっ、ロケットだ。

 続く。

 猛獣使い@壮一帆。

 これほど、素晴らしい配役があるだろうか(笑)。
 いやその、語尾に(笑)がついちゃうのはその、ねえ、なにしろ壮くんだし(笑)。

 壮くんはその、ダンスはかなりアレな人なんだが、そんなことは置いておいて、キャラクタで持っていってしまうわけだから。

 振付が変更されていて、「できないことはやらない」になっているのも、またヨシ。
 そのかの空中できれいに揃った両脚とその高さが目に焼き付いていたりすると、壮くんの「片足だけ上げてみました」な振付はその変更っぷりにびっくりするけど、そんなことにこだわるのは野暮ってもんだ。
 壮くんのダンスは、顔で踊るもんなんだから、無問題。銀ちゃん@『銀ちゃんの恋』だってソレでいいって断言してるし!!(笑)

 とにかく。

 かっこいい。

 すげーすげーかっこいいよお。
 でもって。
 すげー、たのしそーだよお(笑)。

 ドS全開に、ムチを鳴らす壮一帆。
 似合いすぎ(笑)。

 壮くんのすごいところは、全身からにじみ出る、自分肯定オーラ。

 自分大好き、オレってすごい、オレってかっこいい。
 そう全身で叫んでいる。

 壮くんにもそりゃ悩みやつまずきはあるだろう。それでも彼自身の芸風は、ひたすら肯定の輝きを持っている。

 わたしのようなコンプレックスだらけの人間からすると、四の五言わずに全肯定して地球にでんと立ち、てかーーっと輝きにかーーっと笑っている壮くんが、まぶしくてならない。

 ムチをふるい、女の子たちの間に君臨する猛獣使いは、壮くんの肯定力が正しく発揮され、すげーキモチイイ。
 肯定力=皇帝力だよなあ。
 迷いがない、揺るぎのない思いが、力になる。

 はい、『エンター・ザ・レビュー』です、猛獣使いです、壮一帆です。

 また、彼の美貌の冴えわたること。

 壮くんってほんっとに美形だよなあ。
 長身細身小顔で少女マンガの人みたいだ。タカコ似だってことで、『愛燃える』新公主演あたりは、雪組ファンの間で騒がれたよなあ。(古い話だ)
 
 美しくもかっこいい壮くんと、女豹ちゃん@一花の身長差を楽しむ。……が、壮くんの相手役はもう少し大人っぽくてもいいのになぁ、なんてゼイタクを言ってみる。一花ちゃんはキュートだけど、ストレートな色っぽさはないんだよなあ。
 せっかくだから思いっきりエロエロな壮くんを見てみたかったと思ってみたり。
 いっそ相手、男役でもよかったんぢゃあ……?

 で、がらりと空気変わって、舞台はパリからニューヨークへ。
 ふたつの都市をつなぐ旅の若者たちがスーツケース持って、上手花道に登場。
 みわっち、まっつ、りせ。……みわさん、この役何回目だっけ……。

 ニューヨークの人々はみんな小芝居していて、目がいくつあっても足りない。てゆーかオレ、まっつばっか見てるからダレが誰だかわかってないのがくやしい(笑)。プログラムも買ってないしなー。
  
 アフリカの場面。
 ここはなんといっても、しゅん様。
 最初は「あ、しゅん様だー」と思って見ていたけど、その次見たときはとくにしゅん様だからって気にせずに全体を眺めていたのね。
 なのに。

 目の端に、入ってくるのよ、しゅん様が。
 ちゃんと見てなかったけど、今すごいことやってなかった?? え、今、すげーきれーじゃなかった??

 他のところを見ていても、そのたびしゅん様に持って行かれるので、途中であきらめました。
 わかった。最初から、しゅん様を見るよ。

 すげー戦闘意欲で踊ってるくまちゃんとか、きらりとさわやかスパイスに踊ってるまぁくんとか、貫禄十分じゅりあとか、見たかったんだけどね。で、もうひとりの女の子がプログラム買ってないから誰かわかんなくて必死になって眺めて(振りが激しいので顔がろくに見えない)、体格からしてあかりちゃんかなと見当付けたり。

 にしても、アフリカのダンスは女の子がこわくてかっこいーなー。
 くまちゃんのこわさが好きだー(笑)。
 じゅりあは今回娘役ダンスリーダー・ポジなんだね。オープニングもとしこさんパートだったよな?
 じゅりあちゃんはなんつーかこう、独特の押し出しの良さがある。男役さん系っていうか。骨太で、強い。しなやかとか軽やかとか、娘役さんダンサーの持ち味とはちょっとチガウような。

 激しいダンスの後は、スマートなコーラス場面へ。
 壮くんと一花、さっきの猛獣使いコンビがうって変わってさわやかに歌ってます(笑)。
 女の子たちのハンチング帽姿がかわいーの。
 ここでめぐむくんが歌ってます。ちあきさんとふたりして歌手やってます。しぶいなヲイ。

 『エンター・ザ・レビュー』は、Wトップかってなくらい2番手の比重が大きく、また、トップ、2番手と歌ウマでなくてはならない。
 わたし的にまとぶんの歌はOKなんだが、壮くんの歌で「あれっ」と思うことが多い。
 壮くんだってヘタじゃないし、どんどんうまくなってきてると思っているけど、耳に残っている樹里ちゃんやゆみこの歌声の比較で、あちこち引っかかるようだ。
 まとぶんも立場としては同じはずなんだが、オサ様はわたしにとって特別というか別格過ぎるので、比べようもなくて気にならない、という可能性が高い。……ので、壮くんばかりが不利だなヲイ。
 つーことで、純粋に「揺れながらノリノリで歌う」場面にして、壮くんの歌声に「あれっ」とつまずく。たぶん、リズムの問題だな。
 そのうち、壮くんの歌声で聴き慣れるんだと思う。なにしろこのショー、過去にリピートし過ぎてるから……ムニャムニャ。

 まとぶんや彩音ちゃんが登場し、他のスターたちも勢揃い。舞台はヒートアップ、一気に中詰めへ。
 デュワデュワと歌うのはトップと2番手……あー、たしかにここはもう少し「歌手」カテゴリ人の方がいいのかも。
 客席降りがあるので、みんなもーざわついちゃって、それを包み込むほどのスキャットを歌える人がいないので、散漫になるのは否めない。
 でも、とにかくたのしい場面だから、勢いで乗り切っちゃうよなー。

 トップスター、2番手は舞台に残るので、2階席3階席も「見るとこないよ(泣)」状態にはならない。

 あああ、まっつが隣に来る席が欲しいよお。
 予想よりずーーっと後ろまで行ってしまったんだよ、まっつ。

 わいわい大騒ぎの中詰め、なんか撤収も早くて。
 うん、なんかほんと「撤収!」って感じにみんな舞台へ戻り、戻ったらすぐに終了、暗転。この、変わり身の速さ(笑)。

 ええ。
 雰囲気は一気に変わりますとも。

 「オーレ」ですら。ジプシーの男@みわさんですから。

 続く。

 2回目の観劇は、友人のkineさんと並んで観たわけだけど。

 えりたんがコメディアンとして登場してくるなり、横で盛大にウケまくっていた。肩揺れてるぜ、にーさん。

 そのことを終演後に突っ込むと、
「壮くんのコメディアンに食いつかずに、なにに食いつけとゆーんですか」

 と返された。

 そ、そーだよな。
 壮一帆ほど、愛くるしいイキモノはいないよなっ。

 ショー構成はわかりきっているけれど、誰がドコにナニで出ているかはわかっていても実感していない状態。

 壮くんがとびっきりの笑顔で登場したときは、思わず吹き出したもんよ。
 そうだ、コメディアン@壮くんだった!!
 そーだ、そうだよ、壮くんだよ!! きゃっほー!!

 樹里ちゃんのハマり役だった明るく元気で喋りまくり歌いまくりのコメディアン。博多、全ツとゆみこがやって、歌はともかくキャラクタとアドリブの寒さにファンをざわめかせた、イワク付きの役と場面。

 このとことん陽気でファニーな役が、壮一帆!!
 アップテンポの曲が超絶苦手な壮一帆!!

 歌、ぜんぜん歌えてねええ!!(笑)

 歌詞は聞こえない、ろれつ回ってない、テンポ遅れる、もーなにがなんやら。

 それでもいいのだ。
 あの笑顔で、全部許される。(断言)

 キャラ勝ちだよね? あのアホみたいなあっかるーい衣装に負けてないの。トンデモカツラにも負けてないの。
 ぴかーーっ、とか、てかーーっ、とか、光り輝いてるの。

 この光は、壮くんならではのモノ。
 とにかくもー、かわいすぎるっ。見ていてハァハァしちゃう。
 壮くんの輝きは天然物なんだが、太陽さん系だとは思うが、そのくせどこかケミカルな感じがたまらん。
 一点の曇りもない、だからこそいびつな感じ。や、自然光には影ができる、でも壮くんにはそれがない。その不自然さがイイの。彼が他の誰でもない、壮一帆だからこその魅力。

 コロンビーヌは、じゅりあとれみちゃん。もちろんかわいい。
 ……けど、ええっと、考えてみればじゅりあ、4年前から変わってない……?
 じゅりあは今でもすげーかわいいが、それは間違いないのだが、この役は新公学年以下の少女がやる役なんじゃあ……? と、ちらりと思う(笑)。

 コメディアンの案内で、舞台はサーカスへ。

 ルイーズ@彩音ちゃんがかわいい。ほんとに美少女。「愛しのルイーズ」と歌われるのがよーっくわかる。
 コケティッシュで、小悪魔的なところがイイ。にっこり笑ってオトコを振り回す、そこがまた魅力的という。

 箱を探したが見あたらず、ピエロ@まとぶんは階段上から登場。
 ここでのまとぶさんが、ずいぶんキャラが変わっていて。

 ナニ、あのかわいこちゃん?! そして、コメディっぷり?!

 オサ様のときかわいいけれど基本シリアスだったはずの場面が、とってもコミカルになってます。

 だって薔薇の花、りせから奪い取ってるし! ドロボーかよ?!(笑) へなちょこりせ、かわいそーに泣き出しちゃうし。まっつはそんなりせを、さらに足蹴にするし。
 てきとーに盗んだ薔薇をあげちゃうんだ、まとぶん?!

 ルイーズに薔薇をプレゼントし、お礼にキスしてもらって夢心地~~、も、コメディチックに。
 まとぶん、表情大きい。大きな目がぐるんぐるん。

 そこへ登場するアレキン@みわっち。

 ……みわさんは、みわさんです。いつものみわさんです。とくにナニがどうってわけぢゃありません。

 でも。

 みわさんが出るなり、さらにコメディ度が上がるのは何故っ?!

 奥の階段上にみわっちが現れると、思わず吹き出したもんよ。
 コメディアン@壮くんを見たときと同じ。

 だって……だって、濃ゆ過ぎるよ、みわさん!!(笑)
 
 現れました、昭和スター! 薔薇の花の似合う二枚目。お約束とか定番とか、待ってましたとゆーか、あまりにもいかにも過ぎる姿で登場し、「ルイーズ、ボクの可愛い恋人」と歌い出した日にゃあ……。

 おかしい。前に見たときはこんなに笑えなかったのに。前の全ツでは、もっとすんなりと少女マンガ的二枚目ヒーローだったのに。
 初演のらんとむ版アレキン並に、クサくなってるよ、みわっち!!(誉めてます)

 なんつーか、海外アニメに出てくる、主役の恋敵@セクシー二枚目マッチョ(アゴはふたつに割れてます)系ってゆーか。
 ピエロがやんちゃなコメディ系になった反動だろーか、アレキンもさらにパロディっぽくなったぞ。

 あの嘘くさいまでに二枚目のみわさんが彩音ちゃんにチューしてかっさらっていく、てのは愉快すぎ。

 てゆーか。

 まとぶん、殴られるし。

 えええ。ここでアレキンがピエロを殴るってアリ? 今までそんなのなかったよねえ?

 殴られたまとぶんがまた、すげー顔するし。
 ……この場面で爆笑が起こるとは、思ってなかった……。

 あんまりコメディ一本爆走中、なので、このあと演出が変わるのかと思ったら、ふつーにいつも通りの「ボクのいちばん好きな人」をピエロが悲しく歌って暗転。

 ええっと。
 いちばん好き、とか、そばにいてくれればそれだけで、とか、ゆーふーな関係には見えなかったんだが……。
 たのしかったから、いいか。まとぶん、かわいいし。

 暗転するとき、ピエロ@まとぶんのかぶった仮面が客席側になるのがいい。無機質なピエロの仮面が切ない。

 で。

 で、次がお楽しみ、猛獣使い@壮くんの登場だっ。


 『ベルばら』の感想はどーしても狂った作品の狂った部分への怒りの吐露に終始してしまうので、ちょっと置いておいて。

 『エンター・ザ・レビュー』覚え書き。

 良くできたショーだと思う。
 それぞれの場面に見どころがあり、全体のバランスもいい。衣装センスが良く、耳馴染みのいい曲を使い、大がかりなセットや舞台設備を必要としないのに見栄えがいい。
 斬新さはないが、穴のない、老舗の佳作といった感じ。

 だが、しかし。
 同じ組で4年間に4回も再演すな。

 よくできた作品だとは思うが、さすがにあきる……(笑)。

 
 まぁともかく。
 いい作品だってことは、救いだ。

 黒燕尾の男たち勢揃いではじまるオープニングは、タカラヅカの醍醐味。
 全ツだから階段が小さくて切ないが、トップスターがトップスターらしく階段の上から登場するのはイイ。
 どっかのお魚さんショーはトップが平面群舞の後ろから初登場で、前にたどり着くまで姿は見えないわ、銀橋から登場した2番手さんの方が演出が派手だったせいもあってか、拍手が起こらなかった回もあって、客席で凍ったもんよ。団体さんとかヅカに詳しくない人には、トップスターが登場したってわかんなかったんだよ……そんな演出するヤツに比べ、なんと直感的にわくわくさせてくれることか。

 手拍子の似合う曲、わかりやすい歌詞。繰り返されるタイトル、いかにもな主題歌、いかにもなオープニング。
 センターのまとぶんの美しさ、彼の両側のまっつ、壮くんの美しさ。
 素直に、これから「はじまる」ことに期待感が高まる。

 曲が終わり、中央階段上に両手に花状態のトップ娘役の登場だ。白いドレスに羽を背負い、レビュースターらしい姿……なんだけど。

 ここで拍手が途絶えるのは、デフォなの?

 その昔、ムラと東宝で当時のトップ娘役ふーちゃんが、みわっちとまっつを両側にはべらして登場したとき、示し合わせたかのようにぴたっと手拍子が止んで、びびったもんだったが。

 もちろん、曲の変わり目かつ、次の「パリはシャンパン」という曲が手拍子を入れにくいためもあるんだが、あまりに一気に静まりかえるのがこわかった。その、当時のふーちゃんの人気の度合いもあり。その。

 でもこれはあんまりだからか、博多の途中からか前回の全ツのときからか、登場時に無理矢理にでも拍手を入れて迎えてなかったか? すごーくタイミング的に入れにくいんだけど、それでもがんばって拍手してたよーな?

 梅田では見事に拍手ナシ。……まあ、トップとはいえ娘役だから、そんなもんなのかな? 公演回数が増えれば、観客も慣れて拍手するよーになるのかな。

 今回は彩音ちゃんを、白い飾り燕尾姿でりせとまぁくんがエスコート。……4年前の博多でまぁくんがこの位置に抜擢されているのを見て驚いたもんだったが……4年経っても同じかぁ(笑)。

 続いて階段上にみわさんが同じく白燕尾で登場。ドレスのよーにマントのよーに、フリル付き飾り燕尾をフリフリさせて「パリに帰りて」を歌う。
 みわさんはここで初登場。コレをやるためにオープニングにはいなかった。
 みわさんを彩るのは、白いドレスの女の子たち。黒燕尾群舞ではじまったショーが、さーっと白一色になるのが快感。
 みわさんのねばっこい歌声も快感(笑)。
 
 続いてまっつの「パリのタンゴ」。
 階段があるのに、階段下から5人一緒になって走り出る。相手役の女の子たちも同じ。
 で、次に登場する壮くん「ヌ・ム・キテ・パ」が階段上にひとり、と、さり気に工夫してある。
 ……しかし、樹里ちゃん、ゆみこと歌ウマさんが歌ってきた曲を歌わなければならない壮くんは大変だな。

 曲も曲の流れもすっかりお馴染み、アタマに入っている。意識してなくてもこの曲が来たから次はコレ、と刻み込まれている。とはいえ、プログラムは買ってないし、予習もしていない。作品として細胞に浸透しているから「次はコレ」とわかっているが、それでも登場のたびに「この人がコレか」系のおどろきがある、ややこしさ(笑)。

 アダルト「ヌ・ム・キテ・パ」の次は、スミレちゃん……いやさ、マトブセイコちゃんの出番だ。

 ……声を大にして言いたい。

 脚を見せろ。

 なんでそう、出し惜しみするんだ、脚を見せろ、肩を見せろ。なんでそう、露出度が低いんだっ。

 スケベ心だけで言っているのではない。
 顔以外出ていない状態のエトワール様@まとぶ女装は、なんかだかすごーくいかつかったのだわ。
 わざとらしく強調された曲線。詰め物でもしているのか?系の、骨太なライン。
 ターバンの上でアップにした髪。

 ……なんか、すごく、ごつい。
 すごく、オカマさん風味。

 何故?
 まとぶん、あんなに美人なのに!
 ふつーにきれーな人なのに、何故にこんなに「女装」になってるの?

 いやその、男役だから、「女装」になるのはある意味正しい進化っぷりなんだが……それにしても、もっときれーになれるだろうに。

 脚や肩を出せば、それだけで女度が上がるだろうに。男が詰め物して無理矢理女の振りをしているのではなく、ほんとにきれーな女性だとわかるだろうに。
 そう思うと、もったいないのよ。
 ウチのトップさんは女性としてもすげーきれーなんだーっ、という、組ファンとしての思い入れゆえ、です(笑)。

 スミレちゃんのエトワール様はお笑い系で、毎回ゆるいアドリブを繰り出しては微妙な空気を……いやその、ファンにとってはとても微笑ましい空気を作りだしていたんだが、セイコちゃんはお笑いナシ。全ツバージョンのマダム・スミレ系に真っ当に女装していた。
 で、やっぱり全ツバージョンってことで、ひとり残って客席降り。

 中日でもわかっていたことだけど、まとぶんはほんとサービスいい人だから。
 客席降りしたら、池の鯉とパンくず状態になるのは時間の問題。触って触って、触らせて。構って構って。
 濃ゆ~くお色気たっぷりに、だけどかわいらしく、大仰に歌い、客席を釣る。個人攻撃してますよ、一本釣りしまくってますよ!(笑) いいなあ、釣られた人。
 客席にたーーっぷりサービスしてくれるのがたまらん。
 ああ、だからこそ余計に露出度があれば……。(まだ言うか)

 しかしまあ、たったひとりで客席降り、をされてしまうと、2階席3階席は置き去りにされちゃうんだけどな。舞台の上空っぽで。

 女装スター様が去ったそのあとは。
 音楽が軽快なモノに変わり、照明が上手花道を照らす。

 さあっ、お楽しみ、コメディアン@壮くんの登場だっ。


 あれほど爆笑されたアンドレ@壮くん。

 男に無理矢理チューされている女の子を助けたのに、女の子はチュー魔を「やだ、待って~~」と追って行ってしまった。てことは、助ける必要なかったんじゃ? カップルがじゃれていただけで、ふたりのプレイを邪魔しただけなんじゃ?
 ……とゆー、ただのカンチガイお節介男になり果てたアンドレ。
 オスカルはアランを追っていった、てことはつまり、オスカルはアランを選んだってことなのに。
「アラン、お前もか」
 勝手にアランを片想いと決めつけて、かっこつけてぐたぐた独白。
 や、女はあっちの男を追っていっただろう! フラレたのはキミだけだから!!
 どこまでコケにされてるんだアンドレ。そして、そのことを理解もせず、悦に入ってるんだアンドレ。

 脚本も演出もコメディまっしぐらなんだから仕方ないけど、悪いのは間違いなく植爺だけど、実際に舞台に立ち、笑われるのは壮くんで。

 なんとかするのも、壮くんしかいない。

 『外伝 ベルサイユのばら-アラン編-』初日初回に未曾有の大爆笑をくらい、2回目は手さぐりながらも再度爆笑され、ついに2日目通算3回目の公演では。
 演技を、変えてきた。

 もっとも激しい大爆笑ポイントであった台詞、「アラン、お前もか」の言い方を変えた。

 「アラン……」で溜めを作り、小さく「お前もか」とつぶやく。
 やったね、これなら笑われない。

 さらに4回目の公演では、「お前もか」を、ほとんどささやくように言っていた。集中してなきゃ聞き取れないくらいに。

 壮くんのささやき声に萌え。

 なんだよ、リアルタイムで演技が変わっていくなんて、変えるなんて、壮くん舞台役者みたいなことしてんじゃん。舞台役者なんだけどさ。
 空気読まないのが壮くんの愛すべき持ち味で、ひとりで突っ走るのが彼の醍醐味なんだけど、そんな彼が変化していることが、興味深い。つか、愛しい。
 『愛と死のアラビア』でも彼はどんどん変わっていったし(東宝まで行くと狙いすぎてて好きじゃない)、役者として今の彼はとてもおもしろい時期にいるんだなと思う。

 あれほど大爆笑だったのに、2日目はそれほど笑われなくなってしまい、初日の感想を聞いて「どれほど笑えるのか」と期待してやって来たチェリさんなんかはがっかりしてたみたいだ(笑)。
 や、初日はすごかったの。植爺演出まんまだったからね。2日目は舞台の上で役者たちが工夫しはじめたの。植爺のままじゃダメだからって。2日目ならもうあのじーさん観に来てないだろーから、演技変えてもわかんないだろうし。

 コメディにしか見えなかったやりとりも、アンドレ、アラン@まとぶ、オスカル@みわっちたちが力尽くで乗り切っていく。
 ブイエ将軍を追うアラン、アランを追うオスカル……ここで流れる音楽がコメディちっくで運動会の徒競走風味なのは変わらないが、それでもがんばって盛り上げてる。
 ……いやその客席も、「笑っちゃダメだ」と言い聞かしている風情はあったが……植爺から『ベルばら』を救え! という使命感に、舞台も客席も心をひとつにしている一体感に満ちあふれた、緊張と感動のある公演になったのではないかと。

 そもそも、アランとオスカルの無理矢理チューを描くのなら、アランがオスカルに心を開く場面を入れなきゃいけないのね。
 オスカルに惹かれる……が、それを認めない。やせ我慢している。それらがついに爆発して無理矢理チューになる。
 が、一切なくていきなりチューだから、ギャグになる。

 植爺が「必要なエピソード」「不要なモノ」の区別のつかない人だということはわかりきった事実であるけれど、今回もソレが致命的な欠陥となっている。
 「アラン」が主役である以上描かなくてはならないエピソードをことごとくはずし、どーでもいいことに時間と場面を割く。いらない台詞をただ何度も繰り返し、冗長で散漫な時間稼ぎをすることを「役者のため」だと思っている。

 植爺や谷に共通して感じることなんだけれど、「台詞の行数」というものに神話があるのではないだろうか。
 台本をもらったときに台詞の行数が多いと「今回の役は素晴らしい」、少ないと「今回は私、大切にされてないんだ」と判断する、みたいな。
 演技の内容でも役の質でもなく、重要視されるのは台本の行数。どれだけマーカーを引けるか。
 だから「格上(と、劇団が思っている)」の人には、無駄に台詞が多い。
 不必要でも、台詞が多い。
 物語として必要だから台詞があるのではなく、ただたくさん喋らせるためだけに台詞がある。
 物語的には不要なのに、「役者の格付け」のためだけに喋らせなければならないから、同じことを何度も繰り返したり、ただ水増し会話をするためだけの水増し場面を何度も作る。
 「役者の格付け」として、アラン>ディアンヌ>アンドレ>オスカルなので、アランとディアンヌの「台詞の行数」を増やさなければならない。だからアランがディアンヌの亡霊とえんえんえんえんえんえんえん喋る場面を作らなければならない。役の重要度ではなく、役者の格付けで計るあたり、終わっているのだが、植爺だから仕方ない。
 星原先輩とハッチ組長が無意味に長々喋るのも、彼らの「格」ゆえ。
 また、そこしか出番がない人や、学年・立場の考慮で「最低何行は台詞を喋らせなきゃな」というのも、あるらしい。ジェローデル@まっつが登場するなりひとりでえんえん何行分も説明台詞を喋り、芝居として成り立っているのか謎なくらいひとりで完結して去っていくのも、そこしか出番のない女の子たちが壊れたレコードだかCDだかのよーに「ソレさっきも聞いた」台詞を何度も何度も同じことをぐるぐる喋り続けるのも、そのためだろう。
 行数稼ぎ。
 「原稿用紙3枚分作文を書きなさい」と言われた小学生が、同じことを何度も何度も書いて、無理矢理マス目を埋めるよーに。

 台本を開いたときにわかる、台詞の行数。
 目で見えるモノにしか価値を感じることが出来ない、とゆーことですかね。や、わかりやすく「アナタを大切にしてますよ旦那(モミ手)」という文化だとは思うけど。
 わたしが演出家で、芝居のことなんかまったくわかってない権力の横槍を煙に巻くためになら、このテを使うかしらね。
 それにしても、植爺の「台詞の行数教」には絶望するばかり。

 必要なエピソードもないまま、いきなりクライマックスの無理矢理チューをやらされたアランとオスカル、コキュにされたアンドレが可哀想だ。

 それでも、笑われないよう、舞台上で、ナマで、戦い続けた彼らが、素晴らしい。 

 続く。
 全国ツアー『外伝 ベルサイユのばら-アラン編-』で、もっとも感動したことは。

 アンドレ@壮一帆の「お前もか」台詞だ。

 初日初回の幕間に、携帯から仲間内某所へ『ベルばら』感想第一報を取り急ぎ書き込んだ。

>アランとアンドレの口喧嘩(おまえのかーさんデベソレベル)に場内失笑、アランとオスカルの
>無理矢理チューに場内爆笑、その直後のアンドレ独白「おまえもか」に、大爆笑!!

 ええ。
 壮大な、お笑い作品でした。

 平民議員の立てこもりを武力掃討しろと命じるブイエ将軍@星原先輩、命令を拒否するオスカル@みわっち。
 「命令を聞かないなら軍法会議の上、銃殺だ!」とわめくブイエ将軍。……あのー、大貴族の令嬢を、銃殺にはできませんよ。そーゆー社会だからこそ貴族社会は腐敗してるわけで。原作でもブイエ将軍はオスカルに対して銃殺という言葉は吐きません。できっこないし。必要ないし。
 そこに割って入るアラン@まとぶん。「俺たちの隊長になに勝手なこと言ってんだ、べらんめぇ。俺たちは隊長以外の命令には従わねーぞ」
 ……アランとオスカルがわかりあう場面はナシ、「ゲスめ!」と罵り合っていただけなのに、いきなりです。
 オスカルに続いてその部下にまで逆らわれたブイエ将軍、カンカンです。「えーい、お前も銃殺だっ」なんでもかんでも銃殺。腹を立てたら銃殺。「死刑!」とわめいて銃を乱射する某おまわりさんレベルですね。
 大貴族のオスカルには謹慎、下っ端アランには銃殺。これが正しい大貴族的判断なんですが……まあ、植爺だし。
 ブイエ将軍がただのヒステリーオヤジに成り下がり、「なんでもかんでも死刑!」とわめく人になったところから、壮大なお笑い前振りははじまっているのです。

 銃殺、という言葉を乱発している段階で、「ほんとに銃殺? ただの戯言じゃん?」というふーに、言葉の重みはなくなっている。
 軽くなった「銃殺」という言葉に対し、「あの野郎、ぶっ殺してやる!」とこれまた軽くアランが反応。「アラン、待て!」と血相かえて追いかけるオスカルもまた、ギャグめいてくる。
 そして、追いかけっこ開始。
 ブイエ将軍を追って上手へ走るアラン、それを追って走るオスカル。
 走って行っちゃったなー、と思ったらカーテンが開き、上手から走り出てくるアランとオスカル。

 昔のギャグアニメでよくあった手法だね。長い廊下のドアからドアへ追いかけっこするの。右から出て左、次は左から出て……って。ときどき追うモノと追われるモノが逆転して「ん?」ってやったり。

 やすやすとオスカルに追いつかれてしまったアランはふたりでもみ合い……突然、キス。
 某Paradise Princeのアニメで表現した方がハマるんじゃ? てな一連のやりとりのあと、突然チューされても。

 場内から、笑いが起こりました。

 いちおー原作を知っているモノとしては、「ああ、コレは原作のあのシーンをやりたくて、盛大にスベったんだな」とわかるので、同情しつつも笑いをこらえていたのだが、さらにそこへアンドレ登場。

 ふたりのラヴシーンを目撃したアンドレ、がーーーーんッ!
 劇画調です。カミナリ付きのベタフラを背景に、白目むいてます。

 場内から、容赦のない笑いが起こりました。

 それまでがあのコドモの落書き調Paradise Princeの世界だったわけです。全員2等身キャラだったりしたの。
 なのにそこへいきなりひとりだけ劇画調。
 かわいいほのぼのマンガが、ショックな場面だけ梅図かずお調になる、あの感じ。もしくはお蝶夫人になる感じ。

 や、壮くんの演技ってもともとソレ系だし。
 そしてここの演出が、いちいちアンドレが立ち止まって「がーーーーんッ」てやるし。
 アランを殴ってふたりを引き離すのは、その「がーーーーんッ」のあと。

 殴られたアランは脱兎の如く消え去るし、オスカルも「アラン~~!」と彼の後を追っていくし。

 ……て。
 オスカル、後追うのかよ?!

 他の男に無理矢理チューされて、恋人(未満)に助けられた……んぢゃ、ないのかよ?
 殴って助けてくれた男でなく、殴られて逃げた男を追うってことは。
 女が愛してたのは、無理矢理チューした男の方? 助けに入った男は、ただのアホ? 愛し合う男と女の微妙な空気を読めずに邪魔をしただけ? 橋の上で欄干に持たれて川面を眺めている女に「早まるなぁ~~っっ」と突進して、自分が川に落ちちゃう系のカンチガイ男?

 ひとりだけテイストのチガウ演技で乱入し、助けたはずの女にも顧みられず置き去りにされたアンドレは、ものごっつー哀愁背負い、かっこつけて言うのだ。

「アラン、お前もか」

 はい。
 これで笑うなっつー方が、無理でしょう。

 場内、大爆笑。

 呼吸の合った笑いというのは、すごいね。みんな同じタイミングで笑うもんだから、まさに「どっ」という擬音をつけたいほど見事に揃った大爆笑だった。
 お笑い芸人のライヴでも、なかなかここまで全員の心がひとつになった笑いのタイミングってのは難しいんぢゃないか?

 …………悪いのは、演出だ。脚本だ。植爺だ。
 出演者は悪くない。
 その、壮くんの演技もたしかに拍車をかけているけれど、いちばん悪いのは言うまでもなく演出。

 ここでここまで笑われるなんて、キャストは誰も想像してなかったろう。
 もっともいい場面、感動的な場面のはずなのに、大爆笑喰らうなんて。
 演じている彼らのダメージを思うと、胸が痛む。
 笑っておいて胸が痛むもないもんだ、偽善者発言だこりゃ。しかし、偽善でもなんでも、目に映るものがギャグ以外のナニモノでもなく反射的に笑えてしまうことと、「笑っちゃダメだろ、役者に失礼だろ」と思う気持ちはまちがいなく同時に存在するわけで。
 ……「役者に失礼だから、失笑してはいけない」という前提も、役者に失礼な話だと思う。笑われるような演技をしてしまったのは、彼ら自身である、のだから。いくら悪いのが演出とはいえ、それであっても、笑われない演技をするのが、彼らの仕事。理不尽でも、彼らの仕事。

 爆笑を浴びながら、それでも壮くんは演技を続けた。
 ドシリアス芝居を続けた。
 その真剣さに、笑っていた人々も姿勢を正し、「笑っちゃダメだ」と気分を切り替えた。

 
 初日は劇場内がファンばかりになりがちなので、ふつーの人が笑わないところで笑ったりする。役者個人をよく知っているので、「あの人がこんな台詞を」系のことでウケたりもする。
 あんなに笑われたのは、初日初回でファン人口が多かったせいだよ。
 ……出演者がそう納得づけていたかどうかは、知らないが。

 初日2回目の公演では、彼らの演技はそれほど変化がなかった。
 もちろん、気前よく、笑われていた。

 リピーターも多いだろうから、免疫のついた人間はわたしも含め、吹き出すことはなかったろうが。

 しかし、これから先ずーっとコレで行くの? 笑われ続けるの? ソレって『ベルばら』的にどうなの?
 まあ、『ベルばら』って、植爺のアレさを笑うためにあるよーな作品だけどさ。

 そう首をひねっていたんだが。

 翌日。

 壮くんは、演技を変えてきた。

 笑われないために。
 負けないで。
 逃げないで。
 真正面から。

 壮一帆ばんざい。

 続く。

 シリーズ最新作『安楽椅子探偵と忘却の岬』(出題編)が放送されましたね。
 記憶喪失の男、フラッシュバックする殺人事件、オレって実は殺人犯?!と苦しむ主人公、わたしはアナタの味方よ、と寄り添う看護師の美女。舞台は「海馬地区」、地名も固有名詞も海馬海馬、脳と岬関係一色。
 ……恒例行事として家族で見て、タイムテーブル作ったりして真面目に推理してるわけですが、「君の海馬は私のモノだ」とか、「海馬に乗った征服者」とか、言いたいのに言えないのがつらいっ。言っても通じないのがつらいっ。

 海馬教授@まっつ、ステキでしたよね?!!

 
 とまあ、わたしはこの先一生、「海馬」と聞くとまっつを思い浮かべるのかとか、そんな単語に関連づけられて一生とか言われるまっつの立場は、とか、いろいろいろいろ考えつつ。

 『エンター・ザ・レビュー』まっつ語りの続きです。

 旅の若者は客席から登場だとわくわくしていたのに、上手花道から。博多バージョンにしてくれよぉ。
 なにしろ「梅田芸術劇場メインホール」ってのは、たとえS席からでも花道が見えない設計になっていることで有名な劇場。花道登場だと、見えない場合が多いっす。
 面子はみわっち、まっつ、りせ。

 わずかではあるが、まっつの声が聴ける貴重な場面。
 ナマ着替えであわあわしながらも満面の笑みで歌う姿を堪能すべし。
 衣装はモスグリーンのスーツ。……ん? 『ラブ・シンフォニー』のときに見たカラーだな。いつの間にかこの渋い色がまっつカラーに?(博多のときと衣装ちがってます)
 ここでまっつが踊る相手はれみちゃん。
 
 ……なのは、置くとして。

 この場面での見逃してはならない重要チェックポイントは、みわっちに抱きつくまっつです。

 可愛い女の子を拾いに……じゃねえ、ハントしニューヨークへ出かけたパリジャンたち。ターゲットとなるかわいこちゃんをロックオンするときに。

 まつださんたら、みわさんに横から抱きついてます。
 そして、オトコマエなみわさんはソレに応え、ちゃんとまっつの腰を抱き返してくれてます。
 まつみわ! まつみわ! わくわく!!
 みんな上手端をチェックだ、見逃すな!!

 
 中詰めは下手奥から3人で登場。でもすぐに引っ込んじゃう。
 そのあとみんなとわらわらと登場して、下手から客席降り。先頭がまぁくん、まっつは3人目だったかな。
 とにかくあっちゅー間に後ろへだーーっと行ってしまって、うわ、まっつが遠いとあうあうした(笑)。
 梅田でも2日目はノリノリで、いろーんな人とタッチしてたなー、まっつ(指くわえて見てた人)。

 今回ほんとにまっつ、歌がないから、衣装に潔くマイクがついてないです。……や、最近のまっつっていつもピンマイク付けてるイメージだったから、胸にナニもないのが新鮮だ。
 この中詰めもたしか、つけてなかったよなあ……。
 全ツだからコーラスは録音基本だし、ソロがない以上マイクも不要なのはわかるが、すっきりしてんなー。

 
 アランフェスに代わる新場面は、衣装が替わっててよかった。

 アランフェスに登場するコロスたちはロングドレスにターバン姿で性別不詳……って、今調べたらあの役、「アランフェスの女」って名前なのね。し、知らんかった、女だったんだ……。
 だってそのかいたじゃん!! もちろんまっつだっていたし。(大劇バージョン)
 オカマ……もとい、中性の役だと思い込んでた。だからごつすぎて見た目のこわいドレス姿の人がいるんだと。
 女だったんだ……そのかもまっつも、女役だったんだ……。

 話が逸れたが、ええっとつまり、新場面になって、性別不詳で見ていて混乱してしまうよーな話でなくなっていて、ほっとしました。
 まっつのドレス+ターバン、そのうえ無表情、つーのは、ムラで見たときかなり微妙だったので、あのままだったらけっこうアレだなと思っていたので。

 ふつーに男子(耽美風味)な姿で、よかったっす。
 正味踊っているので、動きのキレを目に収めるがヨシ。しゅん様と並んでるの好きだなー。まっつがんばれー(笑)。

 
 ラストの4組のデュエットは下手から奥の階段を通って登場。端っこなもんで、ライトのアタリが悪いです(笑)。
 ここのワインレッド系の飾り燕尾衣装、それぞれきれいだよね。位置的にまっつはまずDVDには映らないのでガン見ヨロシク。博多のときも見事に映像には残ってない。
 片手リフトがあるんだが、なかなかどーして手に汗握る。
 博多のときはもっと軽やかに彩音ちゃんを回していた印象があるんだが(回転もけっこースピードがあった)、今回はけっこう大変そう……に、見える。あんまし持ち上がってないときもあったり。載ってるれみちゃんも態勢キツそう。

 
 パレードは、博多でゆみこちゃんの隣で大きな羽根に攻撃されているまっつがかわいかったので、今回壮くんの大羽根に翻弄されるまっつを期待したんだが、並び方が変わっていて、壮くんの隣ぢゃなかった……しょぼん。
 が、代わりにまっつ一花はたのしめます。

 最後のご挨拶時に「ご当地ジェンヌ紹介」があり、大阪生まれってことでまっつも挙手。
 大阪出身者は数が多いので、ちゃんと紹介してもらえないんだー。みんなで一斉に手を挙げて終わり、だから、まっつはまだしも、後列の子たちとかちゃんと紹介になってないよなぁ。
 最初は黙って手を挙げるだけだったまっつ、ただひとり兵庫県出身で元気いっぱいの壮くんに影響されてか、回を重ねるごとにアクションが出てきた。
 「はいっ」と声を出して、びしっと挙手。
 その声がいかにもその気で作ってる声で、その動作がいかにもその気でかっこつけてる動作で。いいなあ。
 こーゆー慇懃な態度でかっこいいのが、まっつのいいとこだと思う。あー、まっつの執事役見てみてぇ(笑)。

 
 ところでまっつ、黒髪歴更新中?

 『明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴』の書生さんのために2007年はじめから……わたしお稽古待ちとかしたことないから確認できないが、ソレのお稽古期間からだとしたら2006年12月から黒髪になって、そのあと2007年の相沢@『舞姫』、ジオラモ@『アデュー・マルセイユ』、2008年のバロット@『メランコリック・ジゴロ』、相沢@『舞姫』、ベドウィン@『愛と死のアラビア』とずーーっと黒髪で通してきて、今回はおフランスだからパツキンかしらと思いきや総ヅラだから関係なく、来年の大劇場公演は韓国モノだから黒髪必須……。

 丸2年以上黒髪人生って、ジェンヌではめずらしいのでは?

 いやその、黒髪まっつ大好物なのでいいんだけど。
 来年のカレンダーも引き続き黒髪で(スカステで撮影風景見たけど、髪型アレ、失敗してるんじゃ……? ゲフンゲフン)、こーなったら、どこまで記録更新できるのか、たのしみです。


 とにもかくにも、まっつです。

 『マリポーサの花』も『ソロモンの指輪』もまだ書いてないこといろいろあるし、書きかけのテキストもメモの走り書きもあるし、千秋楽だって行ったのになにも書いてないし、『Paradise Prince』はアフタートークだけ書いて公演感想書いてないし。
 花組全ツの話だって、まだちっとも書けてないし。
 あ、すっかり忘れてたけど、『グレート・ギャツビー』だって観てたんだった。

 書く予定の感想、溜まりまくってるけど、なにはともあれ、まっつです。
 まっつのことを書いてしまわないと、他のことに手が届かない。気が回らない。

 『エンター・ザ・レビュー』の、まっつ語り、行きます!

 ……『エンター・ザ・レビュー』。
 初演は2005年3月。
 再演は同年8月。
 再々演は2006年11月。
 今回2008年9月、再々々演。

 まっつは、初演と再演に出演、今回で3回目。

 4年前とポジション変わってないって、アリ?

 いやむしろ、見せ場だった場面のみを変更されているので、単独の見せ場ナシ?
 それってポジション・ダウ……ゲフンゲフン。

 組をふたつに割って行われる公演では、通常の大劇場公演より出演人数が少ない分役付きが上がるもんなんだけど、そこで落とされるっつーのが、劇団の意志のように見えてイヤンですな。
 初日、一緒にごはんしながら、まっつメイトの木ノ実さんと「前と同じってのは覚悟してたけど、まさか減らされるとはねー」と、しみじみしちゃいましたよ。

 とゆーことで、ショーではまっつセンターの場面ナシ。まとまったソロもナシ。
 4年前の博多と同じオープニングの歌い継ぎと、旅の若者のワンフレーズがある程度。

 だが、しかーしっ(笑)。

 ツボはあるのだ。

 なにがどーであろーと、たのしーのだ。

 つーことで、こあらった・ぐりーん(誰?)の語る、見どころまっつ!

 
 オープニング、階段上に立つまとぶさんのみにスポットライトが当たる。
 舞台は暗いまま。
 が、まっつはすでに舞台にいる。
 シルエット確認できます。

 ここで注意。
 前もってプログラムチェックして、「あ、まっつ最初から登場してるわ。えりたんが出ててみわっちが出ていないってことは、まっつはセンター下手側ね!」と早合点して、壮さんのシルエットをガン見しないよーに。

 まっつは、上手です。

 オープニングはまとんぶんを真ん中に、上手にまっつ、下手に壮くんのトライアングルです。
 なんでかってそりゃ、次の場面のスタンバイの都合です。

 壮くんは下手にはけて下手から登場、まっつは上手からはけて上手から登場するという、純然たる都合のためですが、通常と立ち位置が逆なのでご注意あれ。

 博多では冒頭の黒燕尾場面にまっつは出ていないので(次の白燕尾からの登場)、ここの黒燕尾はサービスだと思って、がっつり食いつきます。
 シルエットからガン見ですよ、ライト当たってなくても関係ないですよ!
 お着替えしなきゃならんので、一瞬でいなくなるので、ほんとにサービスでしかない出番だと思う(笑)。
 

 で、まとぶ→彩音→みわっちと歌い継いで、次がまっつ。
 4年前と同じ「パリのタンゴ」。
 白の飾り燕尾に着替えての5人口。女の子たち登場で、5組のカップルに。相手役は一花ちゃん。

 まっつ×一花。
 やっぱこのカップル好き~~。かわいー。

 4年前と同じ曲だからこそ、その成長ぶりに瞠目する。

 うわ、いい声。
 まっつ、前より断然うまくなってる。
 や、当たり前っちゃー当たり前のことなんだが。それでも、すげー響きの良い声で。
 まっつの「声」が好きなモノにとってはうっとりポイントですわ。

 
 壮くんの「ヌ・ム・キテ・パ」が終わったあとはエトワール様@マトブセイコちゃんの出番。
 まっつは博多に引き続き、エスコートのために登場します。

 マダム、お手をどうぞ、とやってエスコート、次に手にキス。
 エトワール様の手首にはフワフワモシャモシャの飾りが付いているので、何度見ても「くすぐったくないのかなー」と思う。まっつはドシリアスにやってるけど、フワフワが顔に当たってんじゃね?
 あ、エスコートの相方、みわさんは投げキスです。

 
 その次が、サーカスの場面なわけだが。

 わたし的に、いちばんの萌えは、ここです(笑)。 

 ロケットのおにーさんである兄鳥役がまっつではなくなり、もうまっつの幼児プレイにいたたまれなくなる、とゆーことはないのだと思っていた。

 しまった……サーカスがあったんだった。

 まつださんが、盛大に幼児プレイしてますよ!!

 アルルカン衣装に、ポンポンみたいな目に痛いブルーのカツラ。
 たしか某上級生ファンの友人に、「まっつってウチの人以上にヅラ似合わないね……」と博多映像を見て感心された記憶のある、びみょーな姿。
 その、いろいろとアレな姿のまっつが、今回もまた、その、ええっと。

 年齢設定いくつなんだ、この役? 

 かわいこぶってます。
 もー、口ぽかーんなくらい、かわいこぶってます。

 そして、いろんな男たちと、いちゃついてます。

 いや、その。男とゆーか、男の子とゆーか。なにしろその場にいるの、全員コドモだから(笑)。

 ここでのまっつのキャラクタは、どーやらジャイアンです。わがままで意地悪な乱暴者。まっつのくせに。
 とにかくじっとしてなくて、あちこちでイタズラしたり乱暴したりしてます。まっつのくせに。

 とくにりせは、いいオモチャのようです。

 りせの薔薇の花を取り上げたり、泣いているりせを見て腹を抱えて笑ったり。ひどいです。まっつのくせに。

 また、どさくさにまぎれてしゅん様と抱き合っていたり、好き放題やってます。まっつのくせに。
 自分主導で抱き合ったくせに、そのあとで「ナニすんだよ」としゅん様を突き放したり、ひどいです。まっつのくせに。

 幼児なのに、ドSです。

 ナニやってんだ、まっつ(笑)。

 アドリブOKらしく、この場面は毎回チガウことやってるので要注目。おもしろいぞまっつ。

 いじめっ子なSまっつのくせに、梅田の最後の回では、いつもは泣いているりせを笑い飛ばしたり小突いてたりしていたところで、りせの涙を、指で拭いてあげてました。

 なななななにやってんのーーっ?!!

 なにをいけしゃーしゃーとラヴいことやってんのよ。いつもいぢめてるのは、本心の裏返し? そーゆー設定なの?
 アメとムチ? いつもはいじめて、ここぞってとこで甘くやさしくするの? アンタそれ、完璧な鬼畜攻マニュアルぢゃん?!!

 まっつ×りせかよ、まいったなー。(ナニが?)

 
 いやあ、楽しすぎだ、サーカスの場面。
 振付では女の子と踊ってるけど、アドリブではりせをいじめ、他の男の子たちとばかり絡んでいるいじめっ子まっつ萌え。
 
 全国津々浦々のまっつファンのみなさま、「本日のイタズラまっつ」報告してくださいよ、ナニをやってるか知りたいっすよ。

 続くっ。
 大空祐飛って、おもしろい。

 こんなにおもしろい人、昨今めずらしいんぢゃね? と、思いました。
 『銀ちゃんの恋』初日。

 おもしろい、というのは、interestingっつー意味な。別に爆笑するような、お笑い芸人とかギャグがどーのというような、おもしろさじゃない。

 この人ものすごく、おもしろい。「大空祐飛」というファンタジー自体が、無二のおもしろさを持っている。

 同じ人なんてこの世にいないし、みんなひとりずつ別の人生背負って生きているわけだけど、たかが「タカラヅカ」ひとつ取っても、ゆーひくんのようなポジションの人はいないわけで。
 彼の歩んできた道のりも、他の「路線」と呼ばれるどんな人ともちがっていて。
 学年にしたって、90年超えの歴史の中ではじめてなわけで。

 98年の荻田浩一作『LAST STEPS』で一目惚れして以来、薄く浅く、長~く眺めてきたおーぞらゆーひさんは、ここに来てなんとも不思議な、独自の華を開花させている。

 や、語り出すと止まらなくなるので(年寄りの昔話はくどいもんじゃ。よぼよぼ)、とりあえず肝心なことを、叫んでおこう。

 大空祐飛が、かっこいい。

 これでもかっ、と、かっこいい。
 どんだけものすげー格好していても、どんだけひどいことをしていても、なにをしてもいつでもどこでも、かっこよすぎる。

 美しいということ、かっこいいということは、これほどの説得力になる。

 他の全部吹っ飛ばし、別の次元の地球を存在させ、その地球をぐるんぐるん回してしまうほどの、力がある。

 このかっこよさは、体験するべきだ。
 タカラヅカでしかありえないトリップ感覚だからだ。

 「タカラヅカ」というファンタジーを好きなら、体験しとくべきだ。

 「タカラヅカ的でない」ネタを、ここまで「タカラヅカ」にしてしまう「タカラヅカでしかありえない美しさ・かっこよさ」を体現する男役に、会うべきだ。

 
 んじゃ、出演者感想走り書き行きます。

 小夏@すみ花。
 泣き演技のものすごさ。この子が泣くと、全世界が泣く。
 ロリ少女から公称24歳落ち目女優まで、なんの遜色なく演じてしまうおそろしさ。
 この子の演技力なくして、この公演はありえない。

 ヤス@みつる。
 かーわーいーいー。なんなのこのかわいさっ。なんか別のイキモノだコレ。背中にチャックついてんぢゃね? ジャージとかスタジャンとか、スニーカー姿がかわいいの。足首ない感じとか、ちょっとゆるキャラっぽい。
 声がいつもと違ってるのがちと心配。

 橘@めお。
 ちょっとちょっと、ステキなんですけどっ。ゆーひさんと並ぶと「どこの月組?」って感じだが(笑)、めおちゃんアテ書き? オリジナル?ってくらい、ハマってる。

 朋子@きらり。
 かわいい、うまい、つか似合いすぎだろ(笑)。いいなー、この子。あのリュック欲しい(笑)。

 ジミー@だいもん。
 …………娘役かと思った。うまいしきれいなんだが……その、そろそろ新公以外で「男役」が見たいっす。子役とオンナノコ寄りの青年役が続くっちゅーのは、ちょっとさみしい。またも少年のような高い声で喋ってますよ。や、ほんとうまいっす……。
 めおくんとのラヴシーンはたのしいですが……でででもねだいもん、めおくんに惚れちゃダメだよっ?! 絶対不幸になるからっ。(なんの心配?! や、キャラクタとしてのめお様は、受をしあわせにできる攻ではないと思うので……って、さらになんの心配っ?!)

 女秘書@さあや。
 これもまたハマり過ぎ……見たかったさあやがそこに。アルバイトで歌ってたの、さあやだよね?(プログラム買ってない……)

 ヤスの母@邦さんがまた、すみ花とふたりして泣かせてくれるし。スポンサー様@ふみかは胡散臭さ爆発してるし、監督@まりんは緩急自在だし。
 銀ちゃんの子分のマメは普段はパンチパーマ? すごい髪型で三枚目風だが、髪型を隠してちょんまげしてるときは濃ゆい風情の二枚目になってるし。や、シリアスにチャンバラとかしてるわけだから。マメってやっぱかっこいい。かっこいいんだってば。
 同じく子分のらいらいは、時代を感じさせるアラレちゃん眼鏡がかわいい。でも、マメの方が二枚目に見えてしまった……。不覚。(えっ?)
 油断して見てたんだが、保険屋さんってちゃー?←ちがいます(笑)。(だからプログラム買ってない。体調悪くて早々に帰っちゃったんだよ、キャトレ寄るつもりだったのにっ)

 アーサーがきれいで、どきどきした(笑)。
 ますますきれーになってません、この子? 輝良まさととニコイチで活躍(笑)。燕尾ですみ花と踊ったり、白い脚見せてチャンバラやったり、力仕事したり大忙しだ。
 つか、新選組姿似合うよね? 美剣士だよね?

 カメラに映し出されるゆーひくんが、ことごとく格好良かった。どさくさまぎれのマメのドアップもまたヨシ(笑)。
 小夏とヤスの新婚家庭に、アライグマがあったよーななかったよーな……。
 DV絶好調のヤスがおたまを客席まですっとばしていたのは、見間違いではなかったらしい。ゆーひくんのツッコミのもと、カテコで客席から返却されてた。

 王子は長の仕事、はじめて? 慎重な挨拶、噛まずに乗り切ったのは某組長より立派だったような(笑)。

 開演アナウンス、終演アナウンスもゆーひくんではなく、「銀ちゃん」でした。
 終演アナウンスのあとは、銀ちゃんの歌う「蒲田行進曲」テープが流れるのでみんなすぐに退場しちゃだめだぞ? 最後までゆっくり座席で堪能するんだー!


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