恒例の、1年の観劇回数です。

 周囲を見回してみると、みんなちゃんと内訳書いてるんだ。どの作品を何回観た、って。
 わたしはソレ、やったことないなあ。
 半券をざくっと数えるだけ。
 いちいち内訳出すのはあまりに面倒くさい。ついでに、知りたくもない(笑)。贔屓組だけはネタとして数えてるけど(回数がハンパないので)。

 つーことで、今年の手元にある半券を、とても大雑把に数えてみました。ヌケがあるかもしんないけど、そんなのスルー、気にすんな。

 なんと、97回。

 フタ桁です。
 やりました、緑野こあらはついにやりました、念願の、フタ桁達成です!!

 チェリさんに会うたび「それで、今何回なんですか?(笑)」と聞かれることもなくなるのだわ! だって初志貫徹、有言実行だもの! 「もう3月だから30回突破したでしょ?」「もう6月だから50回は軽いですよね」って、わたしが戒めを守れていないという前提で言ってくるんですよあの人!

 すごいわわたし、えらいわわたし。
 なによー、やればできるんじゃない。ほほほほほ。(大威張り)

 去年より24回も減っているってすごいなヲイ。
 贔屓組が大劇1回公演で、しかも作品がアレだったことが関係していると思う。本公演が年2回あれば、単純計算倍だもんな。えーと、花本公演は20回観ているわけだから、それが倍なら……。あ、あれ? えーと?

 ……つまり、今回24回減ったのって、ほんっとーに単純に、花組公演が1回だけだったから?

 わたしの努力とか自制とかぢゃなく、たんに公演がやってなかったから? まっつが出ていなかったから?
 それだけなのっ?!

 わーーん。(威張った分、背を丸める)
 

 回数より、金額が問題かもしれない。
 「まっつを前で見るのぉ~~!」とかゆって、散財してたもんな、あたし。
 それに、びんぼー人のくせにディナーショーなんぞも行っちゃったし。オサ様コンサートも行っちゃったし。

 ああああ。
 今年もまた、欲望のままに生きてしまった……。

 で、でもこの調子で来年もフタ桁観劇で済まそうと思います。
 てゆーか、値上げされちゃうわけだから、マジで回数減らさないと。同じ感覚で生きてたら、破産するわ。
 枚数だけでなく、金額の上限も決めておかないとな……あああ、トウコちゃんにいくらかかるんだろう……。(無い袖は振れないだろう、いくらなんでも)
「水しぇんってほんときれいだよね」

 と、言ったら、nanaタンに、「えええっ?!」と、叫ばれた。

 『君を愛してる-Je t’aime-』のスカステCMを、今さらふたりで見ていたんだ。

 あの素敵ベスト姿でまっすぐにカメラを見つめ、「君を愛してる」と言うジョルジュ@水くんを見て、わたしは心の底から本気で、なんの気負いもなく、素で言ったのに。

 ……のに、異を唱えられるとは思わなかったっ。

「かっこいいとは思うけど、きれいっていうのは……」
「きれいじゃん! めっさきれいじゃん!! すっごいきれいじゃん、美形じゃん!」
「かっこいいけど……」

 水夏希は、美しいですよ!

 そりゃわたし、水しぇんのことキモチワルイとかヘビとかオカマとか、いろいろいろいろ言って来てますけど!(某オスカルとか、某黄泉の帝王とか・笑)
 彼が「美しい」という前提がなきゃ言いませんよ。
 水先輩がとことんオトコマエで美貌の青年だからこそ、どんなタワゴトだってアリなんです。わたしごときがナニ言ったって、彼の美しさは揺るがないもん。

 ……てゆーのは、全世界の常識ぢゃなかったのか?
 『カラマーゾフの兄弟』どりーず西会総見(笑)後、「水さんの無精髭かっこよかったねえ」「ずっとヒゲつけてればいいのに」「それじゃ無精髭になんないじゃん」と、ヒゲのことしか誉めない面々に「他に言うことはないのっ?!」「水しぇんかっこいいじゃん!」とひとりでわめいていたわたしは、少数派なの?
 たんにわたしの周囲に水ファンがいないだけよね? ね?

 
 宙組東宝楽の日、「たっちん、今日で卒業だねえ」とかしみじみしつつ、遙か遠い大阪の地で、わたしとnanaタンは今年1年の打ち上げをやってました。
 「しい様、となみちゃん退団を嘆く会」だったりもします。
 食料買い込んで、nanaタンちで双子の猫を愛でながら、1日なにをするでもなくダラダラとヅカDVD見て過ごす、という。

 1年を振り返るにあたり、わたしにとってのショー作品NO.1は、言うまでもなく『ソロモンの指輪』であり、1位が『ソロモンの指輪』で、2位以下ナシ、てなくらい順位をつけるまでもない結果なのだけれど。
 芝居では、

「最後に『夢の浮橋』が来ちゃったからねえ」

 と、華麗なる逆転劇がわたしの中で行われたことを語ってましたさ。
 2008年の芝居1位は、月組の『夢の浮橋』。美しさ、痛さ、物語、テーマ、そして萌え(笑)と、ぶっちぎりのトップ・クオリティ。文句なし。

「最後に『夢の浮橋』が来なかったら、『君を愛してる』が1位だったのに」

 と、素で言って、nanaタンを絶句させていたよーななかったよーな。

 え? 『君を愛してる』が1位でしたよ、『夢の浮橋』を観るまでは。『スカーレット・ピンパーネル』でも『マリポーサの花』でもありませんよ?

 や、どんだけ好きだったか、『君を愛してる』。
 『夢の浮橋』と同じくらい、毎回号泣して観てたってばよ(笑)。
 美しさ、楽しさ、物語、テーマ、そして萌え(笑)と、ぶっちぎりの大好き作品でしたからなっ。
 もともとキムシンファンですからわたし。彼の作品はツボにジャストミートするの。欠点があることもわかるけど、そんなことは置いておいて、好きだと思える。

 でもって、フィラント@キム、好きだったなあ。
 あの『君愛』CMのフィラント・バージョン。「君を愛してる。……あはははは♪」とやるアレが、悶えるほどスキ(笑)。
 もー、もー、最低、あの男っ。だいっきらいっ! ……でも好き。と、思える、あのドSさがたまらん。
 フィラントをキムにやらせたキムシン、神。

 て、話をしていたら、nanaタンが『君を愛してる』のDVDをかけてくれたのな。
 その、問題のCMを。

 キムの前に、えんえん水しぇんの「君を愛してる」攻撃があるじゃん?
 アレをほぼ1年ぶりにまじまじと見て、改めて彼の美しさに感動したのよ。
「『君愛』DVD買おうかな」
 と、言うくらいに。……まっつの出ているDVDは一度も買ったことナイのにねー。

 そしてやっぱ、フィラントの「あはははは♪」は凶悪で大好きだしっ。ああ、ときめくー!!
 あの魂の強さ、健全であるがゆえの無神経さ、無邪気であることの罪、わたしのもっとも好きなモノが全部詰まってる。
 フィラントって最強キャラだわ。
 わたしのヅカファン人生でもっとも好きなキャラクタはアルフォンソ@『Crossroad』なんだけど、彼に匹敵する好きさだわ。

 
 つーことで、今年のヅカ納めは、nanaタンちでダラダラと『君を愛してる』DVDを鑑賞して終わりました。
 水しぇんかっこいー、となみちゃんかわいー。ハマコ最強。そしてキム、やっぱすげー好きだー。
 元旦から『君を愛してる』初日を観て、12月の最後に『君を愛してる』DVDって、なんてステキ(笑)。
 
 
「たしかに最初はイワン様のこと爆笑したけど、次からは笑えなくなったもん!」

 イタゆみこファンを自称するnanaタンは言う。
 『カラマーゾフの兄弟』初観劇時、ふたりで劇場前にて地団駄踏む勢いで大笑いしたんだよなー。
 なのに、笑うどころか「イワン様かっこいい」と思ってるって。

「あー、ファンってそーゆーもんだよねー」

 わたしは同意する。気持ちはわかるよ、だって。

「あたしだって、海馬の帝王最初に観たときは爆笑したけど、結局は『カッコイイ』って思ったもん」

「イヤ、海馬の帝王は笑えるでしょ(素)」

 ヲイ。

「だから、ファンってゆーのは、そーゆーもんであって……」
「でも海馬の帝王は笑えるって」

 否定してんぢゃないわよっ。(地団駄)
 日記を溜めていると、話題から周回遅れになっていってますな。つか、『カラマーゾフの兄弟』の感想、まったく書いてないし。イワン様の「だいしんもんかーん♪」と「夢は世界征服♪」に、大爆笑したんですが。

 ちょっと前は『428』が忙しかったんですが、そのあとはなんか携帯のデータ整理とかにハマっちゃって、携帯をPCに接続して中のメールデータとか画像データとかを、何日も何日もえんえんタイトルつけてファイリング、てのやってました……わたし、「整理整頓」が大好きなんですよ。そんなことしたってなんの役にも立たないし、二度と見返すことなんかないとわかっているのに、それでも整理するのが好きなの。
 DVDレコーダの中の録り溜めた番組を、CMカットしたりスカステニュースをカテゴリ別に編集したり、データをえんえんメディアに落として、Excelで一覧表作りながら現実にタイトルカード作ってファイルしていったりとか。
 あああ、それにしても『夢をかなえるゾウ』の最終回録画し損なうなんて! ずっとCMカットしてメディアに完全保存版作ってたのに! しかも録画し損ねた理由が、親の家で弟とだらだら『428』について語っていたためだなんて!! 気がついたら日付が変わっていただなんて! 罪が深いわ、『428』!(責任転嫁)

 なんの役にも立たないことを、毎日必死にやってました。……ああ、楽しい。なんで「整理整頓」ってこんなに楽しいんだろう……。

 掃除はキライなんですけどね(笑)。
 整理整頓は好き。
 ホコリだらけ、モノだらけの乱雑な部屋で、だけどラックには完璧にDVDその他が整理されて並んでいる……という、どーしよーもないヲタクっぷりです(笑)。

 てゆーか、携帯のデータ整理をしようとしたいちばんの理由は、年賀状用の猫写真をチョイスするためだったんだが……子猫を飼いはじめて2ヶ月、撮った写真はすでに400枚ほど。PCで管理しなきゃ、もーわけわかんない!と。

 なのにまだ年賀状画像作成してないって、どうよ……。
 デザインのイメージはあるんで、それに使えそうな猫写真を探さなければ。
 友人諸姉、来年も年賀状は元旦に届きません……。

 まっつ似?だった子猫は、すくすく大きくなって、まっつにはまったく似ていなくなりました。
 よかった、「まっつ」って名前をつけなくて。

 
 今日も楽しくレコーダのデータを整理整頓。よーやく星組全国ツアー『外伝 ベルサイユのばら-ベルナール編-/ネオ・ダンディズム!III』スカステニュース+NOWONのDVD完成。ニュースで流れていた14種類のCMも網羅(笑)。
 
 そうこうしているうちに、

2008/12/26
2009年公演ラインアップ【梅田芸術劇場メインホール】
<7月・花組『ME AND MY GIRL』>

 なんてことになってますね。

 星組退団者、となみ姫退団に加え、花組で『ME AND MY GIRL』再演で、なかなかに追い打ちを掛けられていますが、本公演でなくて良かった!と、前向きに考えます。
 公演期間短いしね。
 1回観る分にはたのしい作品なんだし。

 しかし、役がないよなー……。
 まっつ、出演するとしてナニやるの? バターズビー卿あたり? もう今さらテニスウェア着て踊ったりしないだろうし。

 みわっちジャッキーだけは、マジで勘弁して欲しいです。男役のみわさんを見せろー! うがーっ。
 
 去年の今日は『A-“R”ex』千秋楽で、ゆーひくんの組替え発表に腰を抜かしておりましたな。

 そして、その前の前の前の年の今日は、ケロの卒業の日でした。

 12月26日は、グレアムの誕生日で、ケロの卒業の日。クリスマスの翌日、ではなくて。
 毎年毎年、「ああ、今日って12月26日だ」と思うんだ。

 
 ところで今日発売の「ファミ通」見たんだけど、『428』マジで売れてないね。どーしてわたしが好きなモノってこう、世間一般で売れない(人気ナイ)んだろう??
 なんか立て続けすぎて、気持ちの整理がつかない。

 今日は『カラマーゾフの兄弟』千秋楽で、わたしはサバキGETして機嫌良く観劇していた。

 それが幕間に、人づてにとなみちゃんの挨拶状が届いたことを知って。

 正式発表が出たわけじゃないし、周囲の人だれもそんな話してないし、半信半疑で2幕に臨み。
 表情とか演技とか、舞台にいるすべての人から「となみちゃん、辞めちゃうの?」に対する答えを探る自分が嫌だ。
 ずっとずっと、心臓がバクバクしていた。
 落ち着け、もしとなみちゃんが退団するとして、となみちゃんはそれをとっくに決めている。発表が今日や明日だとしても、今この舞台で特別になにか感極まるってことはない。
 水しぇんだってハマコだって、今日が特別なわけじゃない。きっともう知って、なにもかも受け止めた上で、仲間としてあそこにいるんだ。

 繰り返されるカーテンコール、テレビカメラの入っていない千秋楽。
 となみちゃんは白いドレスの裾を抱きかかえるように、何度もとことこと小走りに現れる。
 その姿が愛らしくて、姿はたしかにグルーシェニカなのに、そこにいるのは「となみちゃん」であるギャップがかわいくて。
 きっと思いは同じなんだろう、水しぇんがそんなとなみちゃんを見て「グルーシェニカが飛んできた(笑)」みたいなことをつぶやいていた。

 飛んできたグルーシェニカは立ち止まった位置が一歩前だったのか、真正面の客席を見たまま後ろへ一歩下がろうとして、思い切り、つまづいた。
 ドレスの裾を踏んでしまったのか、ヒールがすべったのか、マンガみたいにぺしゃんと後ろへ坐り込みそうになるとなみを、隣のハマコが咄嗟に支えたのがオトコマエ。
 
 となみちゃんは立ち直りが遅くて、「なにが起こったの?」とびっくり目のまんま、ハマコは慈愛の笑顔。よーやく自分がつまづすいてコケかけてハマコに助けられたのだと現状を理解するに至ったとなみちゃんがハマコを見てにっこり笑う……この、時差が素敵だ。
 生憎水しぇんはもう前を向いてご挨拶をはじめようとしてるところだったので、この一連の出来事は見ていない……水くんのリアクションも見たかった(笑)。

 カテコの間、となみちゃんは何度も何度も、劇場内をゆっくりと見回していた。
 大きな瞳で。

 ……チガウよね? まだ、サヨナラじゃないよね? わたしが「退団」を念頭に置いて見ているから、ことさらそんな風に思っちゃってるだけだよね?

 水しぇんはひたすら喋り続け、ほんっとーにえんえん喋り続け、あんなにオトコマエなドミートリー姿でまぎれもなく「ちかちゃん」で、他愛ないことやこの公演で退団する子たちのことやなんかを、ものすげーテンションでオチもないままただえんえんまくしたてていたわけだけど(愛しすぎる・笑)、最後にゆみこやとなみちゃんにも挨拶を振った。
 ゆみこはふつーに「公演についての挨拶」をした。
 でもとなみちゃんは。

 挨拶ではなく、文章ではなく、ただ単語をふたつ並べて叫んだ。
 話した、ではない。叫んだんだ。

「水さん最高!」「雪組最高!」

 …………今まで何度も見た。
 退団者が袴姿でブーケ持って、カテコのときに「一言」とトップに話を振られて叫ぶ姿。

 なんかトドメを刺されて、ぼーぜんと劇場をあとにした。

 そのあと、モバタカから「雪組主演娘役 白羽ゆり 退団のお知らせ」が届いた。

 
 ……今日、となみちゃんを、そして雪組の舞台を観られてよかったんだと思う。

 みんなみんな、やさしかった。
 舞台の彼らがいつとなみちゃんの進退を知ったのかは知らないけれど、今日の舞台、カーテンコールの数が多くて素の姿を見せる時間が多かった、その間中、となみちゃんを見つめる人たちの瞳が、とてもやさしかった。
 となみちゃんがとても、愛らしかった。

 美しかった。
 『タカラヅカスペシャル2008~La Festa!~』。2幕の組別クリスマス場面、星組はトウコちゃんが「クリスマス・イブ」を歌う。
 このイベントでのトップ3人のトリはいつもトウコ。溜めをもって登場、派手に歌う。イベントの構成が、来年退団するトウコを中心に置くように盛り上げてある。

 このクリスマスソング・コーナーでも、花組、月組ときて、トリがトウコの星組だ。

 「クリスマス・イブ」は切ないラヴソングだ。
 歌の世界観を、トウコのドラマティックかつ濃い歌声がより一層盛り上げる。

 「きっと君は来ない ひとりきりのクリスマスイブ♪」
 その歌声に乗せて。

 しいちゃんが登場する。

 街灯の前でたたずむ姿。
 「きっと君は来ない」……それでも、待つために、ここへ来た。

 そこへ、ドレス姿のあすかが現れる。
 彼の待ち人だ。

 来てくれた。
 しいちゃんはあすかを見て、表情を動かす。

 ……いつものしいちゃんなら、ここでにぱっと笑う。大きな、輝度の高い、太陽の笑顔だ。
 わたしも無意識のうちにその笑顔を期待した。

 だが彼は。

 太陽の笑顔ではなく、静かに微笑した。まっすぐにあすかを見つめながら。

 切ない、大人の微笑だった。

 きゅぅぅうん、と、鳴りました。ええ、鳴りましたとも。緑野こあらの胸が、きゅんと鳴りましたのよ。腹の虫ではなく!(←お約束のツッコミ)

 聞いた話によると、別の回ではふつーにいつものように全開に笑っていたようなので、演出がどうとかではなく、たんにしいちゃんのそのときの気分によるものなのかもしれない。
 ただ、わたしが見たときは、しいちゃんはひどく大人な笑い方をした。

 とっさに頭に浮かんだのは、『Over The Moon』のアンリだ。
 わたしの中で特別な、ものすごくかっこよかった「まちがった」男の役。

 わたしののーみそはとても単純にできているので、単に「目の前のしいちゃんにときめいた」から、「過去のしいちゃんでいちばんときめいた姿」がオーバーラップしただけだと思う。

 ただもう、今ここでこんなにしいちゃんにきゅんと来るとは思ってなかったので、ひとりでひーひー言ってた。……ひとり観劇だったから、誰とも感動を分かち合えないし! てゆーかふつーの人は歌うトウコちゃん見てて、しいちゃんガン見してないんじゃないかとか思うし。

 うおおお、しいちゃんかっこいいー!!
 なんなのよあの表情。しいちゃんなのに。太陽にぱぱっのしいちゃんなのにー!

 そのあともしいちゃんは、ゆるやかな笑顔であすかを見つめ、ふたりで踊った。
 あくまでも大人の男、大人の表情。明るさだけで持っていかない、大きさと深さ。

 はずれない視線。ずっとずっと、ひとりの女だけを見つめている。

 流れるのはトウコのドラマティックな歌声。
 熱く、そしてどこか悲しい歌声。
 微笑み、見つめ合う恋人同士なのに。幸福な、美しい姿なのに、どこか切ない。

 美しかった。
 踊るしいちゃんとあすかちゃんが美しくて、あすかちゃんの幸せそうな顔と、しいちゃんのほほえむ瞳が、とても美しくて……ありえない美しさだからこそ、どこか切なかった。

 しいちゃんすげえ、ここまできてなお、この古狸みたいなわたしをときめかせるか。しいちゃんのことなんかずっと知ってるし見てるし、もう手の内なんかみんな知ってるつもりなのに、なのにまだこんなにときめかせるのー?!  うおー、立樹遥すげえ!!

  
 てなことを、いつもの調子でのんきに書く予定だった。

 いつだってしいちゃんは、特別な人。
 ずっとずっと、特別な人。

 ふつうに考えれば、大きく世代交代が行われる今、退団するのは予測できたことだと思う。
 しいちゃんの芸幅の狭さを考えれば、別格としてやっていくのには、いろいろと課題があるし。実力面から見ても、今がちょうど辞めどきなんだろう。
 ポジション的に今ならぎりぎり「スター」として辞められるとか、今後これ以上のスター的扱いはされないだろうとか、そーゆー「ヅカ」にはまりきった、うがった見方をしても、今が辞めどきなんだろう。
 舞台の充実ぶりとか輝きとか、絶頂期にあえて卒業することを美学とする「タカラジェンヌ」として、今がそのときなんだろう。

 ふつうに考えれば。
 
 でもわたしは、ふつーなんか考えてなかったし、求めてなかった。
 どんだけ「辞めどき」の理由を指折り数えたって、関係ない。

 しいちゃんは辞めない。
 ずっとずっと、わたしの求めるままの姿でそこにいてくれる。

 しいちゃんの意志とか人生とか考えず、ただそれだけをのぞんでいた。
 あくまでもわたしの望みであり欲望でしかないので、わたしはわたしの都合のいい未来しか描かない。

 しいちゃんがいなくなる未来なんか、想像してなかった。

 ふつうに考えてどうだろうと、んなこと関係なく、「しいちゃんは退団しない」って思い込んでいた。
 予感なんてないし、心構えもない。

 ピュアしいちゃんファンの友人が静かに覚悟を決めていても、語っていても、わたしには馬耳東風、なに言ってんの? しいちゃんが辞めるわけないじゃん、本気でそう思っていた。

 
 だから。

 こまった。
 
 わたしは、こまっている。
 どうしたらいいのか、わからない。
 しいちゃんがいなくなる未来が理解できない。

 悲しいとか寂しいとか以前に、現実問題、こまっている。
 だってそんなのありえないんだから。

 「明日、太陽がなくなる」……そう言われてこまるのと同じように。
 こまる。
 途方に暮れる。
 どうすればいいの?
 1幕最大の見せ場は、各トップスターの持ち歌ソロ披露。
 って、これはいかなるイベントの場合もそうだけど。

 今回の『タカラヅカスペシャル2008~La Festa!~』。にて、いつもとちがったのは、狂言回し@マヤさんという、ヅカ最高級のエンターティナーの存在があったことだ。

 ナンチャッテ和物ショー終了を告げる赤いカーテンが閉まった後、中央から白洲次郎@トドロキが登場した。
 微妙に茶金髪なんだけど、ピンクてらてら口紅なんだけど、その端正なスーツ姿はまぎれもなく激動の昭和を担った大人物。
 そこへもうひとり、下手から正装の紳士が登場する。
 吉田茂@マヤさんだ。

 『黎明の風』クライマックスの主人公・次郎とヒロイン・ポジだった吉田氏のいちゃいちゃシーン……ぢゃねえ、感動場面を再現する。
 そうだよなあ、マヤさんの吉田茂、かっこよかったよなあ……って、チガウがな、本役は汝鳥サマだってば!
 一瞬錯覚してしまうくらい自然に吉田茂で。対するトドロキもすげー男前で。『黎明』は泣ける話だったなあ……わたしが「タカラヅカ」に求めるモノではなかったのでスルーしてしまったけれど、初見では泣きましたともさ。
 基本本編と同じ台詞の応酬なんだけど、麻生総理ネタをわざわざ入れるあたり、いかにもイシダ。就任直後ならともかく、この冷え切った世相でなにも今入れなくていいのに、と溜息。

 マヤさんはすぐにまた下手へ引っ込み、トドの主題歌ソロとなる。
 
 トドはディナーショーを観たとこだから、中性的でフェミニンな姿より、作り込んだ「男役」としての姿にほっとする。
 「男役」でいることは、体力気力が必要なんだと思う。だから年齢を重ねるとそれらの衰えにより、フェミニンさが出てしまったり、雰囲気がまろやかになったりするんだろう。それはコアなファンだけに見せていればいい姿で、公の場では「男役」であってほしい。
 DSみたいに中性的だったら困るな、男役トップスターの上に立つ立場の人なんだから、男の中の男でいてくれないと、という危惧がわたしのどこかにあったんだろう。
 んなことを吹っ飛ばす漢らしさ!
 野太い声、ナチュラルボーンな背広姿、骨太な華と、トドらしいかっこよさにあふれていた。

 てゆーかやっぱカッコイイよなあ、この人。
 イシダが苦手で宙組公演を観られなかったことを、改めて惜しく思う。
 
 でもってナニ気にトドの客席降りってレアな気がする。彼のトップ時代は客席降りがなかったと思うし、ショーより芝居の人だからなおさら、「芝居の姿」で客席降りして主題歌を熱唱する姿にくらくらする(笑)。
 わーん、センター寄り通路の人たち、うらやましすぎー!!

 
 白洲次郎が退場したあと、舞台へ登場するのはイスマヨール@マヤさんと、リナレス@キムだ。
 センターの階段を、ふたりで降りてくる。リナレスは松葉杖姿。
 そこへ上手から現れるロジャー@かなめ、手には大きな「クール宅急便」のダンボール。
「ロジャー、まだ取材してるのか?」
 とか、本編とは関係なくオリジナル会話を展開。

 うおー、髪のもしゃもしゃが足りないリナレス! でもってダークカラーのオールバックなロジャー!(なんか萌えてるみたいですよこの人)

 ええっと、ロジャーってリナレスを拷問した本人ぢゃなかったですか……? や、描かれていなかった部分なので、受け取り方は個人任せでしょうが。

 リナレスを拷問して殺しかけておいて、それでもいけしゃーしゃーと「記者のロジャーですよ、CIA? なんのこと?」と登場しているロジャーと、「拷問されましたとも、ヘタすりゃ死ぬところでしたよ、他ならぬアンタのせいでっ!」と睨みつけつつ、表向きは「はいはい、記者さんでしたね、そーでしたね」と慇懃な態度を取るリナレス、ふたりの不穏な空気に気づくこともない、なにも知らず平和なイスマヨール……という新場面ですかコレは。
 リナレスの「生きてるよ!」という吐き捨て台詞がたまりません。

 そうか、ロジャーはまだあれから、アメリカには帰らずずっとあの国に残ってCIAのお仕事を続けてるんだな。
 政治犯関係者であるリナレスたちを、遠巻きに見張っているんだわ。
 えー、てことはロジャー×リナレス? ロジャー、ドSだから攻? えー? かなめ攻はかまわないんだけど、わたし的にキムこそ総攻キャラなんで、受られるとちょっと混乱するわ(笑)。

 何故か宅配便のおにーさんも兼ねるロジャーが持ってきたのは、マリポーサの花。ロシアからのお届け物らしい。ネロ@水しぇんはロシアまで亡命していたのか……。

 クール宅急便の箱と松葉杖をイスマパパに渡してパパ下手へ退場、残ったリナレスとロジャーで『マリポーサの花』主題歌熱唱。

 キムやりすぎ、キム最高(笑)。

 だっていちおー彼、リナレスのわけですよ。歌の前に小芝居やってるわけだから。
 リナレスなのに……色気むんむん。

 すげー勢いでセクシービーム発してます。
 何故この歌で、このキャラで、そこまで過剰にお色気やってんのこの人?!

 対するロジャーが、とってもロジャーでクールなんですよ!(笑)
 ロジャーはロジャーとして歌い踊ってるのに、リナレスがキャラ違ってるので、場違い感増大。

 お、おもしれー!!

 
 んで次に登場するのはムハンマド@マヤさん。
 たしか先に彼がセンターから板付き登場したので、アラビアなシルエットからみんな「まとぶさんだわ!」と一斉にオペラを上げ……ライトが点いてマヤさんだとわかり、一斉にオペラが下がるのもまた一興(笑)。
 トマス@まとぶは上手から歩いて登場。

 水色のアラブ衣装のトマスを見て、なんかすごく馴染みのあるものを見た気がした。
 ええ、20回観たんだもんな、あの公演……遠い目。作品はぜんぜん好きじゃなかったのに、それでも20回……遠い目。『ソロモンの指輪』こそ20回観たかったよ。『スカーレット・ピンパーネル』や『夢の浮橋』をもっと観たかったよ。
 それでも通った贔屓組の公演。
 海馬に刻みついて消えそうにない(笑)。

 『愛と死のアラビア』の一場面を再現……しつつ、トマスは次回公演『太王四神記』の宣伝を超早口でまくしたててた。ああ、こーゆーキャラ似合うなあ、まとぶん……ほろり。
 がんばってお笑いやってスベる感じが愛しい、我が贔屓組のトップさん。

 雪組のふたりが舞台だけだったから客席降りはトドだけかと思ったら、まとぶんも主題歌ソロは客席降り。
 つーことはあとのふたりも降りるよね? しかも同じルートで。
 センター通路の人たち、美味しすぎ!! うらやましー!

 
 次は『ME AND MY GIRL』のビル@あさこ登場。黒燕尾の上にロングコート姿。
 そこへ警官@マヤさんが下手から登場して、浮浪罪について説明するんだが……「どーしたんだパーチェスター」とあっけなくビルに看破され、あとは漫才突入。
 てゆーか主役がパーちゃんになって、ビルが合いの手いれるだけの人になっているよーな。
 パーちゃんは踊りすぎて腰を痛め、お屋敷の弁護士を首になったとか。……踊れないとできない職業なんだ……。

 あさこ氏の客席降りはなんといっても、ナマ着替えプレイですよ!!

 歌いながらあの人、無意味にコート脱ぐんですよ!!

 ぐわーっ、あの席坐りたい、目の前で瀬奈じゅんが服を脱ぐって!! なにソレなにソレ、なにごとー?!
 そして、小脇に抱えたコートが、13列目の人たちに当たっているのも目撃。ええ、見ましたとも。
 あさこちゃんのコートに当たられたい~~。

 んで結局あさこ氏は、せっかく脱いだコートを舞台の上で再度着込むし。
 わずかな間に、無意味に脱いで、着る。これがプレイでなくて、なんだというの。

 
 おっと文字数切れ、星組編は別欄へ続く~~!
 昨年のTCAで、大泣きしたなあ。あれってオサ様サヨナラショーだったよなあ……中村Bの本家ショーより、よっぽど。
 そんなことを、ぼーっと考える。
 年々記憶力がおぼつかなくなっていて、昨年のことがひどく遠く、いっそ10年前の方が鮮明だったりする……ええソレが年寄りの証。

 生まっつの出る舞台は絶対観るわよおっ、な勢いで、とにかく駆けつけました、『タカラヅカスペシャル2008~La Festa!~』。水しぇん出演の友会優先公演。
 席は微妙な1階端席。まっつがかぶってしまって見えないんじゃないかと危惧しつつ、わたしのくじ運(+財力・笑)ではこの席が精一杯。
 まっつを見るためには2~3階席の方がいいのはわかってるけど、腐っても1階席、なんか客席降り多すぎでびっくりだ。端とはいえ通路際だったのでおいしかった。
 あかし席でしたわ、客席降り。あかし、顔芸すげえ。そしてまっつは遠かった……(笑)。

 
 1幕は日本物と聞いていたが……響きわたるのは派手なビート。
 えーと。
 すげえデジャヴ。
 あたしコレ知ってる……観たことある……年寄りの記憶回路が大昔の記憶を引っぱり出してくる。

 『ライト&シャドウ』(ドラマシティ公演。93年星組・麻路さき主演/94年雪組・高嶺ふぶき主演。両方観た)の2幕がこんなだった。
 民謡をロックテイストにハイテンポで展開させる、ナンチャッテ和物ショー。
 演出は、もちろん石田昌也。

 幕間に、改めて今回の『タカスペ』の演出家を確認しちゃったよ。
 ええ、1幕はイシダ作でした。
 93年度に『ライト&シャドウ』を観たときは「こんなもん観たくない、ふつーのかっこいいショーを見せてよ、イシダのバカっ!!」と憤慨した記憶があるが(笑)、今回はコレもアリだろうと、思った。

 クリスマス時期に「フェスタ」と名付けてやる今年最大級のイベントに、マジに日本物をやられたらたまんない。
 ナンチャッテ日本物ショーで、助かった。
 
 なんというか、忙しすぎる構成だった。

 腰を落ち着けて鑑賞する場が、ほとんどない。
 出てきたと思ったら引っ込む、イシダの幕末もの芝居と同じだな(笑)。わざわざセットを乗っけて袖から登場して、2~3言台詞を言うだけでまたセットごと袖に引っ張られて消えていく、アレ。登場時間2~3分の繰り返し。

 イベントだから、ソレもありなのかな。
 短いスパンでいろんな人たちがわいわい現れ、点呼を取るヒマも隙も与えず消えていく、その繰り返し。
 早送りビデオみたい。

 早送り再生が等速になるのは、民謡メドレー中盤、トップたちのソロになってからだ。
 それまでの民謡メドレーのセンターはまとぶんをトップバッターに、娘役トップ・2番手たちだった。まとぶんは最初の登場だからか、せわしない演出のままだった気がする。バックダンサーも10人以上いて、どさくさ感強し。そっからわずかな時間に次々とスターにソロを与え、その他出演者たちをバックで踊らせにゃならんので、もー大変。

 あさこちゃん登場の「佐渡おけさ」でよーやく、ほっと息をつける感じ。
 で、次のトウコがもお、すげータメ有り登場で、「真打ち!」って感じ。

 てゆーかトウコ、ナンチャッテ日本物ショー似合うなあ……。しみじみ。

 そうか、そうだよな、『花吹雪恋吹雪』の人だもんな。『厳流』の人だもんな。
 こーゆー、着物着てるけどテイストは洋モノって、トウコの十八番じゃん。
 
 そのハッタリ力の、気持ちよさ!!

 のびやかで大仰な歌声が、かっこよすぎる。

 まとぶは大勢と一緒、あさこはトップ娘ふたりをはべらして両手に花、だったのに、トウコはひとりで朗々と歌いきる。

 それから、あさこ、まとぶ登場、きりやんとゆーひも登場。トウコ真ん中に戦隊モノみたいで愉快。や、5人とも衣装が色違いで(笑)。
 かっこいい。

 この人たちが、この舞台の中心キャストなんだ。

 そう、今回のオープニング、なんとトドロキ理事は出ていなかった。

 ライトが点くなり舞台上にずらりと並ぶ出演者たち、真ん中は各組トップ、トウコ、あさこ、まとぶんのみだ。
 オープニングのあと、ちょろりとMCが入るんだが、それもトップ3人のみ。
 なんか新鮮な並びだ。新鮮な姿だ。
 トークはもちろんぐだぐだだが、いいんだソレで(笑)。

 トドはミエコ先生とふたりで、あのせわしない民謡メドレーの合間に愉快に踊っていた。そこが、初登場。
 あのトドロキがオープニングに出ないとは、時代は変わって行くんだねえ……。(まあ、その分2幕での出番が多かった気はするが、イベントの顔であるオープニングにいないのは、やはり感慨深い)

 劇場が梅芸で、オケボックスがないので、オケは舞台の上。
 1幕のセットは祭提灯を模したチープな吊りモノだけだったんだが、トップ+2場面の次に、いきなり屏風が登場した。

 それまでのわいわいきゃーきゃーな祭りムードが一転。
 急に、ドシリアスです。

 漢・トドロキ真骨頂。

 「田原坂」ですよ。
 最初の端正な姿もいいが、いったん屏風の後ろにはけたあとの、抜刀姿がまた、美しい。

 ナンチャッテ日本物ショーだから、みんな金髪リーゼントにヘッドマイク、派手な口紅で着物着て踊り狂ってるわけで。
 トドもまた、金髪っぽい茶髪をぴったり撫でつけた「男役」姿。
 日本物の化粧や髪型は、してないの。口紅だっててらてらピンクだし。

 それでも彼は、武士だった。

 右手に血刀 左手に手綱 馬上ゆたかに美少年、ですよ。トドのあの野太い声で「美少年」と言われると、ギャップでなんか耳に残りますな(笑)。

 トドがセリ下がったあと、ミエコ先生が派手な琉球衣装で登場……したけど、ソロではなく、キムとれおんがそれぞれ歌い、いちかとコトコトがコーラスしているので、そっちに気を取られる。

 キムとれおんは前半のメドレーでも、コンビで登場していた。

 キムが濃くて押し出しがいいのはいつものことだが、なんかれおんがさらに華を増した気がする。彼が登場すると、ばーーんっ、て感じ。それに、歌もうまくなったよねえ……聴いてて気持ちいい。

 こっから先は沖縄コーナー? 民謡フィナーレ?
 トップも登場、各組男役たちもみんな登場、舞台狭っ、めまぐるしっ。や、まっつ見るのに忙しいってゆーか(笑)。

 でもって、指揮者の御崎せんせがナニ気に「祭り仕様」、髪を束ねていなせにしているのが愉快だったし、コーラスの星組っ子たち、元気良すぎ(笑)。
 民謡だから合いの手ががんがん入るんだが……星っ子たち、味でてるよー(笑)。

 
 ここではじめて、カーテンが閉まる。
 ここまでずーっとワンセンテンスだったんだよねえ。そりゃ落ち着かないわなあ、怒濤だよなあ(笑)。

 カーテン前に現れたのは、微妙に金茶パツの……白洲次郎@トドロキだっ。

 てことで、文字数切れ。ぷりちーマヤさんの活躍は、別欄で。
 今さら過ぎて語るのも気が引けますが。

 『YOUNG STAR GUIDE 2008』の話です。

 なんで今さら?!
 発売10月ぢゃなかったっけ?? でもってスカステの『「YOUNG STAR GUIDE 2008」メイキング』も10月の話だよね?

 たしかに発売されたのも放送されたのもずっと前のことで、さらに年が変わってからちんたら12月分の日記書いてたりするんで、ほんっとーに今さらだけどさ。

 語るのが遅れたのは、いちおー理由がある。

 『ヤンスタガイド』、もちろんわたしは発売当初に立ち読みに行った。購入に、ではない。立ち読み。
 もちろん買うつもりだが、1冊で十分なので、キャトレなど一般窓口では買えなかったんだ。

 某会へ、購入申し込みをしていたから。

 わたし自身はどの会にも所属していないのだが、ヅカファンやっていれば会の意味くらいはなんとなくわかる。
 「どこで買っても同じ」ものならば、キャトレや書店で買うのではなく、会を通して購入すれば、その会の生徒さんの応援になる。
 劇団からの覚えが目出度くなるのか、単純に小銭の問題なのかまでは知らないが、とにかく、会を通して買った方がイイ。
 だからこそ、会に入っている人たちは出版物やカレンダーなど、「ウチの会で買って」と言ってくる。
 
 どこで買っても同じモノで、同じ値段で、どうせ買うつもりのモノならば、友人の力になれた方がイイ。
 生徒さんの力に、ささやかでもなれた方がイイ。

 つーことで、某会に入っている友人に、わたしの分も一緒に購入してもらうことになりました。
 そのため発売日に立ち読みは出来ても、手に入らない。
 会から会員さんへ送られてくるのは発売よりずっとあと、さらにわたしの手に入るのは、その友人と会うことができてから。

 そんなこんなで。
 『ヤンスタガイド』がわたしの手に入ったのは、12月に入ってからなんすよ。
 あー、なんか1ページだけサイン入ってます、その生徒さんの。手が滑ったのか、曲線ラインがゆらゆらしているあたりが素敵(笑)。
 
 
 まっつの、静止画の強さは健在っすね!

 雑誌を手にするより先に、スカステを見ているわけですよ。
 そいでもって撮影時のまっつの老けっぷりも、目の当たりにしているわけですよ。
 わー、まっつ老けてる~~、目の下のシワはもう見慣れてるけど、口元がかなりやばいんじゃあ? と、ハラハラした(笑)。
 まっつまだ若いのになあ……。なんでこう、顔に苦労が出てるかなあ、と。

 対するそのかの若者っぷりがまぶしくてね!(いい笑顔)
 まっつとそのか、実年齢は1コちがいなだけだよね? なんでこんなに肌の張りがチガウの?(笑)

 ところが、出来上がった『ヤンスタガイド』、静止画のまっつはとてもまっつらしい端正さでまとまっていて、動画でびびったよーな明らかな老けは見えなくて。
 よかったよかった。
 まあ、老けててもどっちでもいいんですけどね。
 若くきれいであることに越したことはない、のはたしかだけれど、人間の魅力はソレだけじゃない。
 まっつが若造ではない年輪を刻んでいることに、わくわくするの。

 
 しかし……。

 薔薇とまっつって、どーなんですかね?

 続くそのかも薔薇持ってたんで、「この雑誌のコンセプトって、薔薇?!」とびびってざーーっと眺めたけど、薔薇なのはまっつとそのか、薔薇だけじゃなく花盛りなかなめ姫のみ。
 そのかはキュートにバラの花束抱えてるけど、まっつの「薔薇」は正味「薔薇」だよね?

 つまり、耽美というの意味の薔薇だよね?

 しかも、70年代少女マンガ風というか。
 ひらひらレェスの美少年が、あわい薔薇一輪持って佇みますっていうか。

 ……誰が考えたんですが、このコンセプト?
 まつださんはジーンズ穿いてるとこからして、耽美やるつもりでいたとは思えないんですけど……。
 スタッフの誰かが「未涼亜希? 耽美系で撮ればいいんじゃねーの?」とてきとーに言ったとか?
 「まっつって昭和時代の萩尾望都キャラって感じだしぃ」とか、そーゆーの?

 や、たしかにソレ系もアリだと数年前はわたしも思ったことあるけど、さすがにもうこの学年、おっさん大人になってしまったまっつに、美少年系の夢は見ないってゆーか……。

 いやその。
 ぴんくの薔薇を持ってしどけなくたたずむまつださんは、昭和少女マンガの美少年のやうで、素敵ですよ。
 や、がんばったよなあ。つか、役者ってすげえなあ(笑)。
 

 そのかとのツーショットが、うれしいです。
「緑野さんってソレで、まっつのカップリングは誰が本命なの」
 てな質問に、「園松」と即答したわたしですから。

 ふたりの、衣装の統一感の無さが、素敵です。

 事前に打ち合わせしてないんかいっ(笑)。
 ふつーにおねーさんなまっつと、謎の遊牧民なそのか。
 衣装がばらばらすぎるせいか、こっちの衣装ではツーショット無しって……なんでふたりではるばる鳥取まで行って、別々に写真撮られてるんだ(笑)。

 黒スーツマフィアなふたりを、もっと見たいっす。
 てゆーか、バウとかで見たかったんだよなあ、このふたりの芝居……。
 
 
 『ヤンスタガイド2008』のでかさには、びびりました。
 最初にキャトレで見たとき。
 たしかこれまでの『ヤンスタガイド』はA5じゃなかった? 倍になっているよーな。
 わたしはミニチュア好きだったりするので、でかい本はあまり好きではないんだが、でかいまっつ写真は激レアなので、その限りにあらず!
 『ヤンスタガイド』かでかくなっていてうれしい!

 そのかは巨乳だと、目撃した知人が言っていたので、彼の潔い開襟ぶりに目を疑います。広げてつぶしてるのか……?(フェアリーに対して、深く突っ込むのはやめなさい)

 雪組メンの行き過ぎたメイクは、トップスターを尊敬するあまり影響受けまくってるのかと思ってみたり。
 同期写真でコマが浮きまくっているのを見て「やっぱ事前打ち合わせとかしないんだ……」と、再度納得したり。
 かなめくんやひろみちゃんはいいけど、ぶっちゃけヲヅキはやめといたれよ、そのヘア&メイク……と思ってみたり。

 美貌でいうなら、ちぎとみりおだなー、とか。

 それでもともちんが好み過ぎて困るとかな。
 スカステのメイキング映像でも、最初のともちにかなり喰らいましたよあたしゃ。あうあう。

 あー、メイキングのMCの園松は……。
 まっつには、トーク番組向いてねーんぢゃ? と、思いました。いやその、まっつ見られてうれしいんだけど。これからもなにかやって欲しいんだけど、それにしてもコレ、ファン以外はちっともおもしろくないだろ、という喋り……ゲフンゲフン。

 あ、ヤンスタガイド発売にかこつけて、梅田キャトレで未涼亜希・桐生園加特集やってました。
 木ノ実さんに聞いて、わざわざ行ったもん、梅田!

 小さなテーブルに、園松写真が並べられてた。「出演してます」と説明付きでDVDも置いてあった。
 その上にはモニターがあり、ヤンスタメイキングのダイジェスト映像が流れている。

 ヒゲ率高っ。

 いやその、ジョン卿@そのか、ジオラモ@まっつ写真がこうばーんと並んでいるとねー……(笑)。
 なんとも渋いコーナーだわ。

 店内撮影禁止だからさー。あああ、記念に残したかったよ、あの姿。
 わたしは、大野せんせーと趣味が合わないのだろうか?

 今回の『夢の浮橋』において、その疑問が浮かび上がった。

 作品は好みだ。
 めーちゃ好みだ。2008年NO.1の好き作品。ありがとう、この作品を見せてくれて! てなもんだ。

 登場人物もみんな好きだ。
 適材適所、細かく行き届いたアテ書きが小気味いい。

 物語が好きでキャラクタが好きで、出演している人たちすべてをさらに好きになった。

 が。
 疑問が残る。

 薫@霧矢大夢について。

 薫っつーのは、この耽美作品『夢の浮橋』におけるヒロインだ。
 性別は男だが、主人公の想い人とゆー、現実の女より、はるかに美しい存在だ。
 ヴァーチャルだからこそ、無責任なまでに美しくあるべきポジションだ。

 きりやさんが美しい人であるということに異論はないが、その、……美しさ、というものにはいろんなタイプがあってだね……きりやさんの美しさってのは、この「薫」というキャラにハマるタイプの美しさだろうか?

 金髪巻き毛でフリルのブラウス着て青いバラを一輪持って佇むのが似合う人と、短髪で油まみれのツナギ着て首からよれよれタオルをぶら下げている方が似合う人がいるでしょう。
 どちらが優れているとかじゃなくて、たんに、持ち味の違いとして。

 きりやさんの美しさは、どっちかっつーと油ツナギで、フリルのブラウスではないと思うんだ。
 フリルブラウス・タイプなら、『Apasionado!!』の吸血鬼があんなことにはなってないんじゃないかと思うんだが、いや、その、ええっと。

 だからこそ、そこに引っかかる。

 大野拓史は、霧矢大夢に、ナニを見ているのだろう?

 大野せんせの目にきりやさんは、くるくる巻き毛のフリルブラウスが似合う、倒錯の美少年に見えているのかしら……。

 1回だけならたまたまかなと思えるけど、大野せんせは前回のきりやさんの出演作でも、似たよーなイメージでキャラメイキングしてるのよねえ……。
 今よりはるかに若く少年めいていたとはいえ、当時も別に「男から愛し、求められるほどの倒錯の美少年」というイメージからはかけ離れた健康少年だったきりやさんに、突き抜けた耽美キャラをやらせていたわ……男同士の濃ゆいラヴストーリーを展開し、さすがのわたしもその濃さについてゆけず、チケットを手放したもんですよ……。(1日2回は無理)

 いやその、きりやさんに「永遠の片恋」というモチーフを当てはめるのは、いいのよ。
 『更に狂はじ』のときも、きりやさんはタニちゃんへの愛を胸に、彼を守るために屈辱に唇を噛みしめながらチャルさんに身を任していたのだから。タニちゃんはきりやさんのキモチも献身も犠牲も知らず、となみちゃん追いかけるのに夢中♪ うふふ・あはは♪ とゆー、素敵っぷり。
 心の一部を欠損したまま、暗い暗い淵をのぞき込んで生きるのは、いいんです。
 きりやさんは骨太な好青年タイプでありながら、毒のあるものも演じられる人ですから。
 今回の薫役だって、根っこは同じでしょ。

 毒や闇を演じられることはわかっているけど……倒錯とか耽美とかって、きりやさんとはチガウ気がするのよ……イメージ的に。

 そーゆー、「帯をしゅるしゅるとかれて夜具へ転がされる姿」に色気がある人ぢゃないと思うんだけど……。むしろ、といて転がす側の方がハマるんじゃないかと思ってみたり。

 「本宮ひろ志が『黒執事』に見えてんぢゃないの?」

 と、小気味よく評してくれたのはヲタ友のかねすきさんですが。
 本宮ひろ志の古き良き時代のかほり漂う、とても男性向きな力強い絵柄が、華麗でお耽美な女子向けの、いかにもイマドキなヴィジュアルに、大野せんせの脳内で変換されてしまっているんじゃないか、と。

 たしかにきりやんなら本宮ひろ志キャラも似合うだろーなー。ハチマキとサラシ、ふんどしも似合うと思うわー。
 だけど大野くんの目には、デコラティヴなゴシック系の耽美キャラに見えている、と。

 べつに、それほど特異なことではありません。
 美意識なんて個人固有のモノであり、絶対普遍唯一無二の価値観なんて存在しないのですから。

 つーことで、前提の疑問に戻る。
 わたしは、大野せんせーと趣味が合わないのだろうか?

 考えてみれば、大野くんの耽美作品『睡れる月』でも、コムちゃんへの愛を胸に、彼を守るために屈辱に唇を噛みしめながらヒロさんに身を任していたかしげに、痛烈なキャラ違いを感じ、とまどった。
 かしちゃんは確かにとんでもない美貌の持ち主だが、持ち味が健康的すぎて真っ白すぎて、色気が無さ過ぎる。てゆーか、かしちゃん自身が耽美を誤解して「ボク、ジルベールよん」とやりすぎて愉快なことになっていた。
 美貌だけで、耽美は演じられないのだと、体現してくれたもんだった。

 きりやん、かっしーと、大野くんの考える被虐の美青年は、わたしの趣味とまったくかすらない。

 なんでこんな、お天道様の下を歩くのが似合う魂が健康な人たちで被虐耽美やるんだ??
 同じ役でハマっていたのはゆみこ@『月の燈影』ぐらいのもんだぞ?

 あー、耽美と被虐と受キャラについて、大野くんとは一度ゆっくりヲタクトークをしてみたいっす。

 や、薫@きりやん、大好きだけど(笑)。きりやんでなきゃやだ、と思ってるけど。
 でもやっぱり、大野せんせとわたしは、絶対チガウものをきりやんに視ていると思う(笑)。
 それこそ「本宮ひろ志と『黒執事』」くらいに。
 小宰相の君@あいあいは、いい女だと思う。

 と、今さらまだ『夢の浮橋』の話です。

 小宰相の君の、自由に生きている大人の女な感じ……と、その奔放さの奥にあるかなしさがまたイイ。

 宮中の女たちにはない自由さとしたたかさは、視点である匂宮@あさこを通して、どんだけ魅力的に映るか。
 彼女は「希望」だと思う。

 毎日つまんない。ここはわたしのいるべき場所ではない。ここではわたしは正当に評価されていない。ここではないどこかでなら、わたしは輝けるんじゃないだろうか。
 ビジョンがあるわけではなく、ただ漠然と「いつか王子様が来て、すべてうまく行く日が来ないかしら」と考えている人間にとっての、希望。救い。
 ある日、魔法使いが現れて、立派なドレスとカボチャの馬車と硝子の靴をぽーんと与えてくれるの。
 ある日、ランプの精が現れて、のぞみをなんでも3つかなえてくれるの。
 その類いの、希望。

 今いる現実から、別の場所へ連れて行ってくれる。
 「私」はなんの努力もしなくてイイし、なにも変わらなくてイイ。
 「私」にだけ都合のいい奇跡。

 物語としてよくあるのは、そーゆー「都合のいい奇跡」を主人公自らの意志で退けて、「自分の幸せは、自分の努力で勝ち取るよ」と意識を新たにしてハッピーエンド、とかね。
 異世界を知ることで、今まで退屈だと軽んじていた自分の世界の良さを再認識して「今いまる場所で一生懸命生きるよ」と意識を新たにしてハッピーエンド、とかね。
 そーゆー道具立てに見える存在なんだけどね、小宰相の君。

 実際は、その「ここではないどこか」の住人である小宰相の君も、決して自由な存在ではなく、彼女も彼女の世界に囚われ、苦悩しているひとりでしかなかった。
 主人公に「美しい世界」を見せておきながら、その美しい世界が絵空事でしかないと……そんなもの、どこにもないのだと、知らしめた。

 だから、彼女は哀しい。
 それまでの活き活きした姿と相まって。

 彼女が自由であることも、強く美しいひとであることも、変わりはないのだけど。
 匂宮を視点とする「わたし」が思い描くような理想郷ではなかったんだ、彼女と彼女の生きる世界は。

 このテーマ部分を担うアップダウンを、あいちゃんは実に華やかに的確に演じてくれた。
 いい娘役さんだ。わたしが彼女を認識したのが『血と砂』のソルーナさんの愛人役(カポーテを取った瞬間の、あのプロポーション!)と、ゆーひの子ども時代役(弟の方が背が高いのが萌え)。あれから7年経つのか……実力と華は今まさに円熟期に入ろうとしている。……なんで彼女がトップスターでないのかは、よくわかんない。
 
 
 作品のヒロイン、ということになっているのかな? 浮舟@しずくちゃんは、すごく役に合っていた。
 プロの役者さんの間に素人のシンデレラガール@アイドル出身がぽつんと混ざっているよーな実力の断絶ぶりが、かえって味になっている。
 消え入りそうな歌声も、浮舟のイメージだ。

 作品が正しく回っているので、彼女の浮舟役でなんの不満もない。
 実力が伴わないだけで、センスのない子じゃないもの。弾けない琴を弾こうと、そうすることしかできないその絶望感に、そのかなしさに、共に涙できるもの。
 この痛々しさ、無力さを見れば、そりゃあ抱きしめたくもなるわ。わたし、視点が匂宮ですから!(笑) 彼と同化して、思わず浮舟を抱きしめちゃいますよ。

 その後、薫の告白に人形のように肯くところも、好き。
 美しく、かなしい姿。
 
 浮舟はまさしくカタシロであって、生身の存在じゃないのよね。
 ぶっちゃけ、名前だけ、琴を弾くシルエットだけで登場しなくてもかまわないんだもの。
 美しくはかないイメージさえあれば。

 そーゆー「いなくてもいい」「姿はあるけれど、現世の存在ではない」役を、つまりそんだけ「美しくなくてはならない」役を、このパワーバランスでしずくちゃんにアテ書きした大野くんはすごいなと。

  
 浮舟がシルエット可な存在である以上、影のヒロインが必要になるんだが、それが女一の宮@あーちゃんなんだよね。

 「もうひとりの匂宮」であり、主人公と対をなす存在である女性。
 アンネローゼ様はやっぱ美しく、強くなくちゃねー(笑)。(えーと、匂宮がラインハルトになるんでしょーか?)

 宮中という、匂宮の生きる世界で、確実に生きている彼女だからこそ、物語の「語り手」であり、影のヒロインとして成立した。
 てゆーかさー、匂宮が女一の宮に迫るところが、いちばんドキドキしたんですが。
 あそこの匂宮がいちばん好き。ヲトメ心がきゅんきゅん(笑)しました。

 主人公をもっとも魅力的に見せる女がヒロイン、であるならば、まちがいなく彼女がこの物語のヒロインだと思う。
 あーちゃんの正統派の実力と、美しさ。少々地味目かもしれないが、女主人公たる能力を持った人だ。うん、女主人公ってのはまろやかな雰囲気が必要なんだよなあ。鋭角的な美貌ではなくて。
 彼女が副組長ってのがまた、月組のすごいとこだなー。

 
 大輪の華と豊かなヒロイン経験を持つあいちゃん、技術と経験は劣るが楚々とした美貌を持つしずくちゃん、そして堅実な実力とハンパないキャリアを持つあーちゃんと、タイプのチガウ「ヒロイン級の娘役」を3人も配した、すげー贅沢な公演だ。
 女の子が魅力的な作品は、それだけで成功だと思うよ。
 二の宮@あひくんが好きだ。

 なんか久しぶりに、素直な気持ちであひくんにときめくことができている。
 あひくんは色悪とか善良なだけとかバカとかじゃなく、「大人のやさしい男性」を演じると二枚目力がぐーんとUPするな。

 「物語」を愉しむ上で、主人公の兄に見える美形ってのは、必要なんだよ。今回の『夢の浮橋』に限らず。

 現在のタカラヅカは、男役の仕上がりに昭和時代の倍くらい時間がかかるようになったのに、時代の回転の速さからか長い時間を掛けて出来上がった男役たちがどんどん辞めていく。
 トップスターになるのにも時間がかかるから、ふと気がつけばトップだけ年長で、あとは若者ばかり、なんてことになったりもする。

 だけど「物語」って、大人の主人公と子どもたちばかりでは成り立たないだろ?
 
 トップが主人公、2番手がその恋敵として、それ以外の役が、役の年齢とは関係なく少年にしか見えない幼い男たちばかりてのは、見ていて落ち着かない。困る。

 専科さんを含め、脇になら年長者を演じられる人たちがいるが、そうではなく、場合によっては主人公の恋敵を演じても遜色ない、「路線としての教育を受けた大人の男」が必要なんだ。

 現在の月組トップスターのあさこちゃんは、組では飛び抜けて上級生だし、彼ときりやんだけでは表現できる物語に幅がなくなってしまう。
 3番手位置にいるあひくんが、「大人」であることがうれしい。……彼の場合、てぎる役がこれまたかなり限られていて、スベるとえらいことになるっつーがアギラールとかジェラルドとかでわかっちゃった感はあるにしろ。
 うまく役がはまったときは、とても素敵な二枚目になる。

 二の宮の、誠実さと実直さがいいの。ときめきなの。
 まっすぐで不器用で、愚直なところがいいの。

 フランツ@『エリザベート』好きには、たまりません。
  
 某ゆみこファンが、月組『エリザベート』再演に関して、「あひくんのフランツだけは嫌!」と言っていたのに、『夢の浮橋』観劇後は「あひくんのフランツ、いいかも」と言い出したのが、すげー納得。
 歌はともかく(笑)、キャラクタとしてアリだと思う。
 大人ゆえの、寛大さゆえのかなしさを持つ男、ての。

 中の君@蘭ちゃんとのデート場面、毎回泣けるし。
 「光無き 奥津城」って歌詞が切ない。どんだけ辛い人生送ってんだよ、それでも戦い続けてるんだよ。
 ……歌が毎回手に汗握る出来なので、カマされて涙が引っ込んだりもしょっちゅうですが(笑)、それでも二の宮が好きだっ。

 
 体育会系従者・時方@そのかと、お調子者従者・道定@まさきのコンビがいいなあ。

 実直だけど役には立たないそのか。
 役には立つけど口は軽いまさき。

 侍女ちゃんたちに簡単に負かされてしまうそのかのヘタレっぷり、女に弱いだけならやさしいからかなと思えるけど、ほんとに兵士相手でも一撃すら出来ずに終わる、役立たずさは、萌えです。

 一方まさきは面倒な場面は雲隠れして、コトが終わってからひょっこり顔を出したり、口止めされていることをあっさり漏らしたりと、かなりアレなキャラクタ。
 てゆーか、この悲劇はすべて、おめーが元凶じゃん。でもそんなこと、まったく気にしてないところが、萌えです。
 ちゃっかりもんのおちょーしもん、しかも軽薄で浅慮。なのに、ちゃんと匂宮@あさこを浮舟@しずくの元へ手引きしたりと、実質問題とても役に立っているところも、ツボです。

 そのかだけだったら、癒されるけど役には立たないもんなー。性格に難アリでも、まさきが必要だよなー。
 大野せんせったら、なんてアテ書き……ゲフンゲフン。

 役名はぴんとこないので、つい役者名で書いちゃったけど、他意はないです。

 このふたり、銀橋でじゃれてたりするんだけど、萌えないな。

 そのかを口説くときは、もっと邪悪でいてくれないと!>まさき

(緑野こあらはまさおさんに、かなりドリーム入ってます。かわいこちゃんぶってくれるのはぜんぜんかまいませんが、その奥に邪悪さをチラつかせてくれないと! 受でも攻でもいいけど、鬼畜でいてくれないと! ……や、だからドリームですってば、深く考えないで下さいねっ・はぁと)

 
 萌えといえば、光源氏@萬ケイ様と、夕霧@ソルーナさん。

 プロローグから、このふたりに号泣させていただきましたから。

 美しい傀儡、萬ケイ様のしんとした哀しさ、切なさも良いのですが、冷酷な施政者、ソルーナさんの追いつめられた非情さに、哀しさ切なさを感じるのですよ。

 だって、夕霧よ?
 『源氏物語』の夕霧が、こんだけ血も涙もない権力亡者になってんのよ? 彼の若い頃のエピソードとか知ってりゃあ、どんだけの心の遍歴を経て、こんだけ冷酷な大人になったのかと、想像するだけで痛いじゃないっすか。
 敬愛してきた偉大な父を、「傀儡」と言い切ってしまう、その心が痛くて哀しくて、泣けて泣けてしょーがない。

 ソルさんはどんどんいい男になるなあ……って、わたしのよーな若輩者が語るのもおこがましいキャリアの方ですが、それでも近年加速をつけて色男化してると思う。
 でもって彼、鬼畜役似合うよねええ。溜息。

 
 その素敵夕霧の息子たち、悪役兄弟のマギーは無駄に悪役じみていて、マンガっぽすぎた気がする。相変わらずやりすぎていて、やりすぎゆえに悪役ぶりがベルク・カッツェ風味……。
 そして、そのやりすぎさんの横にいた悪役兄@もりえは、割を食ってひたすら地味だった……。
 てゆーか、もりえが兄だったのを、「兄上!」とマギーが呼ぶまで気づかなかった。マギーが前へ出すぎてるんだよなー。
 『想夫恋』でもそうだったけど、もりえくんはこーゆー衣装・髪型だと栄えなくて気の毒だ。せっかくのスタイルの良さや小顔さがわかりにくく、ほんとに顔立ちだけしかわからなくなりがちだから。

 この兄弟もいつも一緒なわりに、萌えない。

 マギーがもっとブラコン全開とかやってくれたら、たのしいのに。や、いついかなるところにも萌えを求め、供給されたいと思ってますんで、ゆーだけゆーときます(笑)。

 
 薫@きりやんのお付きの越リュウ様が、無駄に格好良く無駄に色気ダダ漏れなのはもお、言うまでもなく。
 彼、武芸の達人でもあるんだよね? チャンバラごっこしてる匂宮と薫の間にあざやかに割って入るんだから。

 万能美形色気ダダ漏れストイック執事@リュウ様最高。

 いやあ、あれほど「執事」という役職が似合う男もいないっ。2作連続執事! ブラボー!
 薫にはひたすらストイックに仕え、匂宮には弱さを見せるところがまた、セクシーで良いですな。

 
 と、『夢の浮橋』男たちの感想つれづれ。
 お待たせしました、腐った話です。『夢の浮橋』です。

 誰がお待たせって、わたしがだよ。腐った話を書きたかったんだけど、まず作品語りしないことには腐女子話ができなかった。

 長々と書いた「彼がわたしに還る物語を。@夢の浮橋」は別に、腐女子話ではない。薫と匂宮の愛憎の物語だと語っているだけで、あそこに腐女子視点は絡めていないんだ。
 BLでなくても、人間同士の話である以上、「愛」はあるのだから。

 わたしにはいくつものチャンネルがあり、腐女子視点で萌えるのと平行して、作品自体に邪心ナシで感動していたりも、平気でするので、誤解なきよう。
 ほんとに、作品自体に感動して、毎回号泣してたんだってば。まずそっちを吐き出さなければ、ヲタク話ができないほどに。

 で、それだけじゃなくて、ほんとに腐女子ど真ん中な、腐女子なだけの腐女子語りもしたかったんだっ(笑)。

 
 初見時、ふつーに匂宮@あさこ主人公として、彼だけを見、彼に感情移入してがーがー泣いた。

 観劇後すぐに会ったnanakoさん(月組未見)は、いつものようにこう聞いてきた。

「で、ヒロインは誰だったの?」

 月組には現在トップ娘役がいない変則状態なので、そのことを聞いたのかもしれないが、なにしろ彼女は『ヘイズ・コード』初日観劇後に、

「予備知識入れたくないけど、ホモかどうかだけ教えて」

 と、真顔で聞いてきた人だからな。

 大野拓史といえばデコラティヴ・ホモを書く人だ。『更に狂はじ』だとか『月の燈影』だとか『睡れる月』だとか、耽美ホモ一直線!!な芸風。
 大野作品の場合、主人公の真の相手役は女性とは限らない。

 ふつーに匂宮視点で浮舟とのせつない恋にダダ泣きしてなお、わたしは素で答えた。

「ヒロインは、きりやん」

 匂宮は浮舟を愛していたけれど、愛っていうかアレはえーっと、依存? でもって薫も依存していて、匂宮が真実愛していたのは薫で、でもそれすら愛とかゆー美しげなものとは違っていて……てなことを、もごもご説明した。
 や、だって未見で予備知識を好まない人にどこまで説明していいやら。

 するとnanakoさんは「ま、『宇治十帖』って言ったら、そんなもんだよね」と、ひとりで納得していた。そーか、薫がヒロイン、で納得なのが『宇治』なのか。『源氏物語』って愉快だ。

 とまあ。
 初見から、匂宮と薫とのラヴ・ストーリーだってことはわかったけれど、別に萌えはなかった。薫@きりやんがわかんなかったし、きれいに見えなかったし。
 薫を「わからなかった」というのは、なんつーんだろ、すごく違和感があったのね。きりやんの演技って、コレでいいの?って。

 んで2回目はきりやんガン見して(笑)。
 で、彼の薫像に震撼して。

 わたしのなかで『夢の浮橋』って作品が一気にクリアになった。

 だが、それでもまだ、胸の中でもたつくものがあった。納得しきれない、理解しきれていない部分があった。

 そのあとで、答えに行き着いたんだ。
 答えを得たとき、わたしの視界は輝度を増し、可視範囲もがずーーんと広がった。

 そう。
 わたしのなかにあった迷い、不理解、混沌。
 それは、つまり。

 匂宮と薫って、どっちが受なのよ? ……と、ゆーことだった。

 属性がわかんないと、モヤモヤするのよ! 困るのよ!

 たしかに主人公が匂宮だから、その相手役って意味でヒロインは薫だけど、だからって受攻とは関係ないし。ふつーに男女のカップルでも、「アレはヒロインが攻だよねー」という物語は山ほどある。
 匂宮と薫って、どっちが攻? どっちが受?

 わたしは攻スキーだ。
 好きな人には攻でいてほしい。
 でもって、あさこちゃんときりやんだと、きりやんの方が好きだ。だからきりやんは攻が好きだ。『Ernest in Love』のアルジは、ほんとに素敵な攻だったわ。アルジこそが、わたしの求めるきりやさん(はぁと)。
 その昔、ヅカホモ同人やってたときも、きりやんは攻キャラだった。(作品パロなので、ジェンヌ自身のことぢゃないっすよ)
 好きな人は攻になるんだってば、わたしの場合。

 だから余計、混乱していた。
 匂宮と薫の属性について。

 それがよーやく、すこーんと突き抜けたのだわ。答えを得たのだわ。

 薫受だわ!!

 匂宮×薫ですわよ。
 これぞMy真理。

 受攻がはっきりするなり、『夢の浮橋』は見事に立体的に浮かび上がってきましたね(笑)。
 腐女子ハートがきゅんきゅんします、なんて素晴らしい物語なんだ、『夢の浮橋』。

 わたしの中の「受攻法則」に、「より愛している方が攻」とゆーのがあります。
 愛し、求めるから攻になるんです。男子ですから。愛してる、から「抱かれたい」と思うのは女子の感覚、そんなこと思う男子は嫌です。愛したなら、「抱きたい」と思ってもらわなくては。
 だから、愛している方が攻。

 薫を一方的に愛し、求めているのは匂宮なので、匂宮が攻です。

 ……ええ、この法則があるにも関わらず、なかなか受攻が決まらなかったのは、ひとえにわたしが攻スキーで、きりやさんが攻であって欲しいと思っていたからです。わたしの愛情が、センサーを鈍らせていたの。

 ええいっ、あきらめろ。きりやさんは今回は受なの、受。
 そーだよな、大野せんせだもんな。大野くんは『更狂』できりやんを耽美な受キャラにしてたっけ。大野くん的にきりやさんって受キャラなのか?

 でもって、あさこ氏が攻。

 はい、わたしは攻スキーです。つまり今回、匂宮@あさこが、好きすぎて、困ります。

 匂宮、大好きだ。
 あの報われなさが。あの弱さが。あの歪みが。
 新公で同じ役をやったみりおくんが強くて健康できらきらしていて、まったく萌えなかったこともあり、さらにあさこ氏の匂宮がどんだけわたし好みなのかを思い知りました。

 匂宮は絶対に、薫を役職では呼ばないんだよね。
 ただひとり、「薫」と呼び続ける。

 反対に、薫は匂宮に対し、一線を引き続ける。女一の宮も交えてのイベントで会ったときぐらいしか、匂宮にくだけた口調で話さない。
 浮舟のことで対峙したときなんか、完璧な慇懃さ。匂宮のことも「兵部卿宮」としか呼ばないし。

 このふたりの「温度差」が、じたばたするくらい好きだ。萌えだ(笑)。

 わたしは片想いスキーなの。愛される人より、愛する人が好き。
 匂宮の、爆裂片想いっぷりが、ツボ過ぎる。

 宮中すべての人から一目置かれ、愛されている匂宮が、真実愛している人には相手にもされていない。
 名前ですら、呼んでもらえない。慇懃な「ですます調」で話されちゃって、突き放されまくる。

 なんなの、このMプレイ。匂宮、攻なのにドMって!!(ハァハァ)

 物語の最後、薫は匂宮の足元にひざまずく。生涯を共にすると誓う。
 だけどそれは、あくまでも臣下としてなんだよね。呼びかけは「宮様」であって、子どもの頃のように「匂宮!」とは呼び捨てないんだよね。

 この「世界」で、匂宮と薫はふたりっきりなの。
 匂宮は薫のためにすべてを捨てて、狂気と絶望の世界へ足を踏み入れたの。
 この世にたったふたりしかいない、そして薫はたしかに匂宮のものになった……けれど、あくまでも「東宮」と「臣下」、ひいては「帝」と「臣下」でしかなく。

 薫を得てもなお、匂宮の片恋は続くの!
 
 永遠に満たされないのよ、匂宮は。
 たとえば「命令」すれば、薫は粛として抱かれもするだろうけれど、ソレは真に匂宮が求めたことではないのよ。
 欲しかったものではないのよ。

 薫も鈍い上に融通が利かないから、そっから10年20年と平気ですれ違いそうだわ。
 両想いでも満たされないまま、片翼に片恋を続けるんだわ。一対でないと、飛ぶことが出来ないふたりなのに、心は通じないまま、それでも大空を高く飛び続けるの。それが王たるものの宿命だから。

 もー、もー、萌え狂ってますよ。
 今すぐオレに同人誌作らせろってノリで(笑)。

 大野拓史、恐るべし。
 HDDレコーダは、すぐにいっぱいになってしまう。

 ここんとこわたしはチュンソフトの新作『428』をプレイするのに忙しい。伝説の名作『街』の続編……ではないが、同じシステムで作られた作品。
 『街』のファンは今すぐ買ってくれ、プレイしてくれ。

 ベストエンディングを見るのは簡単だが、『街』の醍醐味はバッドエンド探し。バッドエンドを全部見つける方が、ベストエンドにたどり着くよりはるかに難しい(笑)。
 制作者の気合いの入ったバッドエンドが、すげーたのしい。「なんでネコ……?」とか、アレ『静岡』好きにはたまりませんて(笑)。

 とりあえず、タマがかわいい。タマがかわいすぎる。

 猫好きとゆるキャラ好きは必見だ。

 タマの出番が少なすぎるのは不満だ。もっとタマを!!

 ……てことで、Excelでフローチャート作りつつちんたらプレイしている(弟に「攻略本でも作るつもりか?」と突っ込まれる。ええ、攻略サイト立ち上げられるくらいには、どの選択肢でなにがどーなるかいちいち調べまくってプレイしてますがナニか?)ので、テレビを見ているヒマがない。

 ふと気がつくと、HDDの残量が30分になっていた。

 あれ?
 たしかこの間がんばって整理して、60時間残量あったよね?

 あれ? あれっていつだ? 『428』プレイより前、溜め込んでいたプログUPする前にまずHDD整理したから、2週間くらい前?

 2週間で59時間30分も、ナニを録画してるんだあたしは?!

 そりゃゴールデンタイムの民放の連続ドラマ全部録画してる(今期のアタリは『夢をかなえるゾウ』と『ブラッディ・マンデイ』と『流星の絆』。他もそれなりに楽しい)けど、深夜アニメもいくつか録画してるけど、タカラヅカニュースも毎日録画してるけど、それにしたって溜まりすぎじゃあ??

 つーことで、丸1日かけて、HDD整理。ドラマも前述したタイトル以外は見たら消していく。や、お気に入りはCMカットしてメディアに落としてますよ、完全保存版ですよ、あたしゃドラマヲタクでもありますから。ドラマのDVDだけでもかなりの数抱え込んでますよ。

 そんなことをしていると、プレリザーブから、抽選結果が届いた。

抽選結果のお知らせ[宝塚歌劇星組 宝塚大劇場公演『My dear New Orleans』-愛する我が街-/他〔兵庫〕]
緑野 こあら 様

以下のお申し込みにつきましては、
残念ながらチケットをご用意することができませんでした。


 ああ……やっぱりダメだったか。
 トウコちゃんの楽と前楽、申し込んでたんだ。一般発売では取れるわけがないから、一縷の望みを託して。

 このときはまだ、「やっぱりな」で済んだんだけど。

 問題は。

 1日部屋のテレビの前で、パソコン立ち上げてExcelにデータ打ち込みながらHDD整理をしている(映像データが膨大すぎてメモごときでは管理できないので、Excelで管理表作ってますがナニか?)わたしのもとへ、次々とメールがやってくるですよ。

 友人たちから。

「落選」
「力になれず」
「ごめんね」


 次々と。

 プレリザーブの入力を、わたしは友人たちにも頼み込んでいた。
 ヅカファンはみんな自分自身のために入力するだろうから、ヅカとは無関係な人たちに頼んだ。
 無関係といっても、ネットをやっていて、チケぴを利用している人たち限定だ。普段からチケットを取ってあれこれする人でないと「プレリザーブ」と言っても通じない。誰でも登録できるったって、そもそもなんの知識もない人にゼロから説明するのも、そこまで迷惑を掛けるのも避けたいから。
 自分でチケ取りしてコンサートとかに行っている人限定で、お願いメールを出した。
 ありがたいことに、みんな快く引き受けてくれた。てゆーかジャニファンのフットワークの軽さは頼もしいなあ。「ヅカもチケ取り大変なんだね」って、「ヅカ‘も’」って、ジャンルは違えど通じるものがあるというか(笑)。

 わたしは友人が少ないので大した人数にお願いしたわけではないが、彼らが真面目に当落の報告を入れてくれた場合……。

 立て続けに、落選通知がやってくるわけだ。

 自分ひとりの落選通知は「やっぱり」だった。
 しかしこう次々と「ダメだった」「ダメ」「ダメ」と言われ続けると。

 凹んだ。

 なんか、どんどんヘコんでいった。
 10通弱、立て続けに否定されまくったら、なんかもー、どんどん気分が下降、地面にのめり込むほどだった。

 協力者たちに感謝の意と他の人の結果報告とかを1通1通返しながら、これまたさらにヘコむ。
 返事にいちいち「ダメだった」とわたし自身書くわけで……ダメダメの何乗?!

 わたしがあんまりヘコむので、友人たちはまたあたたかい励ましのメールをくれるわけで、これじゃいかんと空元気なメールを打って……。
 ああああ。

 
 なんかひたすらしょぼんなまま、1日が終わった。

 スカステを整理していても、ぜんぜんまっつ出てないしさ……。まっつとそのかのスカステコールってあるよね? あるはずだと思って探してるんだけど、一度も見てないよ。

 まっつとは会えなかったけれど。

 スカステニュースを整理しているときにたまたま、あさこちゃんの「スター☆セレクトQUESTION?」のラスト部分だけが耳に飛び込んできた。

「良いお年を」

 や、ほんとにこの一言だけだったんだけど。
 画面には、黒い軍服みたいなジャケットの瀬奈さんがいて、微笑むというより、微笑んだあとの顔、って感じで、映像が止まっていて、んで、一瞬でスタジオのスカフェたちの姿に切り替わってしまったのだけど。

 かっ……かっこええ……っ!!

 「良いお年を」って、それだけだったんだけど、ほんとその一言だったんだけど。
 なんかすげーときめいたんですがっ。
 かっこいいっ。

 そこだけしか見てなくて、ヅカのスターだとか公演の宣伝だとかそーゆー話はなく、ほんとに日常でわたしたちがクチにする言葉だけ耳にしたからか、なんかとてもリアルに、心に響いた。

 うおー、あさこちゃんやっぱかっこいいなあ。すげーいい男だー、こんな美男子が現実に生きてるなんて、この世界も捨てたモンじゃないよなあ。(男役はバーチャル設定ですってば・笑)

 
 丸1日の努力の甲斐あって、なんとか25時間ほど空きを作りました、HDD。
 しかし油断すると一瞬で埋まるよなあ、これくらいの時間……。

 さて、また『428』に戻ろう。
 物語をどう見るか、どう感じるかは、観客の自由だ。

 『夢の浮橋』を、わたしは「まともで健康なふつうの人間だった青年が、狂気に身を染める物語」だと思っている。

 「愛ゆえに」。

 イザナギはイザナミを取り戻そうと黄泉の国へ行き、結局は叶わなかった。
 イザナギは間違えたんだよ。
 イザナミを得たいのなら、現世に連れ戻そうなんてせずに、自分が黄泉の国の住人になるべきだったんだよ。

 愛しているなら、すべて捨てれば良かったんだ。

 世界すら。

 
 『夢の浮橋』で象徴的に登場する、階段。
 プロローグで光源氏と薫が上っていき、ラストシーンで匂宮がひとり上っていく、あの階段。

 わたしはあの階段に、「世界」を見る。

 
 匂宮は視点であり、薫はこの物語の軸だ。
 薫が登場したときから物語ははじまり、それまでは承前でしかない。

 視点である匂宮が、あの日失った薫を探す物語。
 少年の日、横にいるはずの薫が、階段を上っていった。
 そのときから、薫は「あちら側」へ行ってしまった。同じ宮中で生きているのに、姿はたしかにここにあるのに、本当の意味で薫はいなくなってしまった。

 匂宮は、薫を探す。
 伊達男を気取り、浮き名を流し、香をたきしめ薫に対抗しつつ、彼は薫を探している。
 現世に薫はいない。薄々気づきながらも、知らない振りで探し続ける。
 そして。
 祭りの中で匂宮は薫を見つける。それは、光る君の姿をしていたかも、しれない。
 薫が生きる世界を、垣間見る。

 そこではじめて、痛感するんだ。

 薫を得たいのならば、彼の住む世界に行くしかないんだ。

 この世で、こちら側でどれほど薫を恋うても、薫は決して振り向かない。
 だって薫は同じ世界にはいないのだから。

 闇の芽を宿して現世に戻った匂宮は、思い知った答えにたどり着くための道を、歩みはじめる。
 薫のいる場所へ、続く道。

 それまで生きていた正常な平穏な世界を捨て、匂宮は狂気と絶望の世界を選んだ。
 他の誰もいない。
 ふつうの人間は、存在しない。
 そこにいるし話せるし触れるけれど、同じ地平で生きていないから、魂を触れあわせることは出来ない。
 そんな、二重写しになったもうひとつの世界へ、自ら足を踏み入れた。

 誰もいない?
 いや、ちがう。

 ここには、薫がいる。

 あの日失った薫を追いかけて、ここまで来た。
 薫のいる世界へ、やって来た。

 たとえ薫が今まで通り自分になんの興味も持たず、拒絶されるとしても……少なくとも今の自分は、薫と同じ世界で、同じものを見ている。

 
 そして、薫。

 少年の日、匂宮を置いて階段を上っていった薫は。
 あの階段を上がることで、彼も確実にナニかを捨てていた。失っていた。
 失っていたことにすら、気づいていなかった。

 今、自分と同じ地平に立つ匂宮を見て。
 同じ世界に、自分ひとりしかいない永遠の孤独の世界に、匂宮が現れたのを見て。

 気づくんだ。
 あの日、自分を失ったものを。

 あのときまで、たしかに自分の中にあったものを。

 匂宮が、世界を捨ててまで、魂を闇に侵させてまで、追ってきた。
 薫が失ったものを、薫に還らせるために。

 それがわかるから、薫は匂宮にひざまずくんだ。

 自分のために、すべてを捨てた男に。
 匂宮がすべてを捨てたならば、自分がすべてを捧げようと。

 そうすることで、彼は彼の中へ還る。

 
 運命のふたり。
 裂くことはできないふたり。

 こうして視点は、軸とひとつになる。主人公とテーマはひとつになり、そのために語り手は彼らとは別の、もうひとりの匂宮である女一の宮が必要だった。

 
 とまあ、こんなふーに思ったのよ。
 『夢の浮橋』という物語を。

 あくまでも、わたし個人の感想として。
 毎年恒例、もはや年中行事の『1万人の第九』に行ってきました。
 ええっと、タイトルは『サントリー10000人の第9 歌のある星へ』が正しいのか? ロゴはそうなっていたけど。

 自分が参加しはじめて何回になるのかわかんなくなりがちなんだけど、総監督・指揮の佐渡せんせが「10回、10年目です」と言っていたので、「ああ、そうか」と思った。佐渡せんせと同期なので、わたしもこれで10回、10年目だ。

 ゲネプロの前半、午前中はごめん、ほとんど記憶にない。『街』……ぢゃねえ、『428』を明け方までプレイしていて、ほとんど寝てなかったのな。
 お隣の席の人も自分が声を出すとき以外はいびきかいて爆睡しているし、お隣の人のせいばかりでもないが、なんか気もゆるみっぱなしでした。
 で、やっぱ寝起きで歌っても声が出るはずはなく、ゲネプロの第九は自分的に最低。
 午後は絶対寝ちゃダメだと気合いを入れ直す。……いやその、一眠りできたため、もう寝なくても大丈夫になった、ともいうが(笑)。

 前もって配られていたプログラムとは無関係に、ゲネプロは進む。去年ぐたぐだだったせいか? 今年は最初に「本日の予定」として、プログラム記載の時間通りにやる気はないのだと演説された……んじゃ最初からプログラムに書かなければいいのに、とは、思う。
 お昼ごはんをお昼に取ることはできないのが『1万人の第九』なので、ちゃんとしたお弁当は持っていかず、短い休憩時間に何度も分けて食べられるように、パンやおにぎりを用意するのが、10年連続参加しているささやかな知恵(笑)。
 いつが休憩でも、べつにいいさ。

 今年のゲストはCHEMISTRY。
 前日のリハーサルも当日のゲネプロも、テレビでよく見るジーンズにジャケット、帽子姿。
 テレビで見る姿とおんなじ……で、去年の中島美嘉の変わりっぷりを、なつかしく思い出す(笑)。

 ふたりとも細いなー。かっこいいにーちゃんたち。
 余分なものを削ぎ落とした系の、正味ヴォーカル力を問われるアレンジの楽曲で、すばらしい歌声を披露してくれる。

 彼らの歌に、1万人の合唱団がコーラスを入れるわけだが、例年通り楽譜をもらったのがレッスン最終日。圧倒的な、練習不足。
 なんで毎年毎年、楽譜作成と練習が遅れに遅れるんだろう。たぶんコーラスはいちばん後回しにされているのだと思うけど、1万人いるからたとえ半分の人が練習不足で満足に歌えなくても、それでも5千人は歌えるわけだからどーにでもなる、ってことだろうけど、毎年「ひでえな(笑)」とは思う。
 タイトル的には「1万人の第九」で、1万人の合唱団を全面に押し出しているが、「コンサート開催」する大人の事情でいけば、合唱参加者はいちばんどーでもいい存在なんだよな。それがあちこち透けて見える(笑)んだけど、それさえまあ「所詮そんなもんだろ」と思う10年目。

 コーラスがダメダメなのは主催者側もあきらめていると思うけど、それにしても、練習不足のあおりをくって、CHEMISTRYのふたりがコーラスの練習につきあわされるのは、大変っつーか気の毒っつーか。
 はじめて見た(笑)。

 毎年1万人の合唱団もコーラス担当させられてるんだけど、これまではゲストのシンガーさんの歌声がなくてもかまわない位置に挿入するコーラスだったり、誰もが知っている歌を主旋律通りに勝手に歌っていいから練習する必要もなかったりしたんだよね。
 ちょっと難しいときは、さすがに練習できる期間に楽譜が配られていた。
 去年はゲストの曲にはコーラス入れず、別のオリジナル曲にコーラス、だったし。
 今年がはじめて。ゲストの歌声が練習時に必要なコーラスだから、ソレ無しで歌えるようになるには練習が必要なのに、楽譜配布が遅く練習不足、リハーサルでいきなりぶっつけにやっても合うはずがなく、ゲネプロではゲストさんをコーラス練習につきあわせるはめになった、てのは。

 コーラスを合わせるためだけに、余分に歌わされたCHEMISTRYのふたり、乙。

 や、外野としては余分にふたりの歌声が聴けてラッキーだったが。
 今までのゲストさんにそんなことをさせていないのをおぼえているだけに、「どーすんだコーラス、ぜんっぜん合ってないよ、でもこのままCHEMISTRYの歌声無しに練習したって合うわけないし、かといってあのふたりに素人コーラスの練習のために歌わせるわけにもいかないし、どーすんだ??」と心配してたんだが。
 ケミストリーのおふたりさんが、いい人たちで良かった(笑)。

 
 わたしの席あたりは、なんつーか、「会話が少ない」ところだった。
 どうやらみんな個人参加者でツレなし、常連ゆえにひとり参加平気、新鮮味無しってとこらしい。
 お隣さんは終始いびきかいてるし、反対側のお隣さんも静かに目を閉じている。
 わたしもゲーム機持ち込みでヒマなときはゲームしたり、新たに入手したミニパソでテキスト打ってたり。
 ひとりだからってべつに、なんの問題もない。

 とはいえ、そんな一匹狼たちも次第に会話をはじめる。
「何回目ですか?」
「山本直純時代からです」
「佐渡さんだと、ぜんぜんちがいますねー」
 そんなふうに。

「はじめは仲間たちと参加してたんだけど、みんな脱落していって、ひとりになって」
「ひとりでも、まあいいかって」
「恒例というか、毎年というか」
「とりあえず参加しないと12月じゃないっていうか」

 もう、生活の一部。
 人生の一部。
 だから、ここにいる。

 新鮮味はない。だからどうってこともない。

 だけど。
 それでも、ここにいる。

「今年はハズレですねー、この席」
「スクリーン真後ろはないですよねー」

 大阪城ホールには液晶大画面と大スクリーンがあるんだけど、液晶画面はともかく、スクリーンの方は周囲が明るいと真っ白になって見えないし、鏡像になるし。おかげで、CHEMISTRYの立ち位置が逆ですよ。
 スクリーンは光を映すから、カメラ映像のCHEMISTRYに、演出ライトの水玉が二重写しになって、えらくファンタスティックになるし(笑)。

 いびき爆睡のお隣さんは、本番でもやっぱりいびきかいて爆睡していたけれど、それでも自分が歌うときには背筋を伸ばして一生懸命歌っていた。

 本番は、格別。それは合唱団だけでなく、ソリストさんたちのメドレーも、ケミストリーの歌声の響きも。
 あ、女性ソリストさんは特に、ドレスとお化粧が加わるから、見た目もすげーチガウ(笑)。ケミストリーのおふたりさんも、気合いの入ったスーツ(川畑氏はコート、と司会から突っ込まれていた)姿で、彼らにもドレスコードはあるんだ、と感動。(それぞれ素敵だったが、そのスーツを某瀬奈氏が着たとこを見たいと、さぞやかっこいいだろーと思っていたことはナイショ・笑)

 もうすっかり慣れきったイベントではあっても。 

 恒例で、年中行事。
 特別、ではなくて、あたりまえ、であったとしても。

 1万人の声が響くこの瞬間は、たしかな感動なんだ。

 それがあるからこそ、みんな時間を捻出して、ここに集まるんだ。

 
 ……なにしろ、恒例だから。

「お疲れ様でしたー」
「また来年ねー」
「また来年、お会いしましょう」

 見知らぬ独り参加者同士、笑顔で挨拶するんだ。
 「また来年」……恒例だものね、年中行事だもんね。

 なにも変わらず、平穏無事に。
 わたしもあなたも、そして日本も世界も。

 またいつものように、「歓喜の歌」を歌える日が来ることを祈って。
 もう悲惨さとあきらめがほとんどなのに
 まだ抵抗の気持ちが残ってる

 けど ねェ
 グレアム

 その抵抗だけが、
 ボクの中で唯一の真実なのさ…


 
 匂宮はわかっている。
 浮舟との、幸福な未来なんかないってこと。

 匂宮は東宮になり、いずれ帝になる。
 浮舟のような女が、宮中で生きられるはずもない。

 今、彼女の手を取ったからって、彼女と共に愛を貫いたからって、待っているのは破滅だけだ。

 それでも彼は、走るんだ。

 自分で選ぶことの出来ない人生の中、精一杯、自分の意志で。自分の、愛で。

 浮舟への想いが、匂宮に残された最後の「己れ自身」だった。
 最後の自由、最後の若さ。

 最後の、抵抗。

 もう子どものままではいられない。気楽な皇子のひとりではいられない。
 この国を担う責任。……いや、この国を欲しているのは匂宮ではなく、匂宮を背後から操ろうとする為政者たち。
 強大な彼らに操られ、傀儡となることが決められた人生。

 終焉まで見通せる長い長い道のりを前に、若者・匂宮は愛だけにすべてを懸けて走った。
 自分の意志で。
 人形ではない、己れ自身で。

 匂宮の賢さは、空気を読む機敏さと、分をわきまえる力があったことじゃないかな。

 自分に求められるものがなんなのかを察し、そのように振る舞う。「期待に応える性質」だと嘯きながら。
 兄の手前、政治に興味無しのプレイボーイを気取ってきたのもそうだし、姉の手前、愛を封印してきたのもそうだろう。

 姉……女一の宮は、この『夢の浮橋』の語り手を務める。
 彼女は「もうひとりの匂宮」だ。
 匂宮と女一の宮は、同じ色の魂を持つ。

 無垢だった幼少期を終わらせたのは、胸に抱いた秘密ゆえ。
 匂宮は実の姉を愛していたし、おそらくは女一の宮もまた、実の弟を愛したのだろう。

 それでいて、彼らはその想いを封印した。互いに互いの気持ちに気づきながらも、なにも知らぬ顔で、仲の良い姉弟を演じ続けた。

 行動と、責任と。

 「心」を素直に表現することが許されない貴族社会で、「心」でひとを恋う、「恋」はそれだけで罪になる。誰にも迷惑を掛けない祝福された間柄だとしても、「心」を発するからには、きれいなままではいられない。

 あたりまえに、演じてきた。人々が期待するままの役割を。
 空気を読む機敏さで、分をわきまえて。

 そうすることで、戦ってきた。王宮という、戦場で。

 誰もが、あやつり人形だ。

 心のままに生きている者なんかいない。

 それがわかったうえで、匂宮は抗うんだ。
 たったひとりで、反旗を翻すんだ。
 自分の、運命に。

 それが、浮舟だ。
 浮舟への愛だ。

 
 はじめから、わかっているんだけどね。

 浮舟との、幸福な未来なんかないってこと。
 共に生きられるはずがないんだってこと。

 わかっていて、それでも浮舟を欲したのは、匂宮のエゴであり、弱さだ。
 匂宮の弱さ、薫の弱さ、すべてがより弱い浮舟に流れ込み、彼女は溺れるしかなかった。沈むしかなかった。

 浮舟の自殺未遂は、仕方のない結果だった。

 
 物語は、なんのためにある?
 わたしは、「変わる」ことだと思っている。
 主人公が出来事を通してなにかしら「変わる」こと。「変身」のカタルシスあっての「物語」だと思う。

 『夢の浮橋』の主人公は、匂宮だ。
 わたしたちと物語世界をつなぐ視点であり、わたしたちが共感を抱くふつうの感覚を持ったキャラクタであり……物語を通して、彼が「変わる」ことで、カタルシスをもたらす。

 薫に憧れながら彼の精神世界に近づくことは出来ないままモラトリアムを生きていた匂宮は、社会的責任を負わされることになり、はじめて自分の人生と対峙する。己れの意志だけではどうにもならない流れの中で、彼は、大きく変わる。

 浮舟を愛さずにはいられなかったことも彼の変化ゆえだし、彼女の入水を知って自分の罪を自覚するのも変化ゆえ。

 そしてさらに。
 匂宮は、変わる。

 抗うことの出来ない大きな力によって、匂宮は運命を決められた。
 匂宮は兄の生き甲斐を奪ってまで、自分が王になる意志などなかったのに、匂宮が王になると、彼が不在の場で決められてしまった。
 匂宮を、傀儡として操ろうとする者たちによって。

 たしかに、抗えない流れはある。
 ある、が。

 人形にはならない。

 匂宮は、真の王になる。

 人形ではない。彼が、自身を治めるのだ。
 あやつり糸を握っていた者たちに、その生命でもって宣言する。傀儡にはならない、と。
 己れの首筋に刃を向け、糸を断ち切る。
 操られるくらいなら、自害する。王となる生命を、身体を失いたくないなら、あやつり糸を放せ。

 自身を統べるということは、すべての責任を、自分ひとりで負うということ。

 誰のせいにも出来ない。
 すべての過ち、すべての罪。
 なにもかも、自分自身で背負うということ。

 王になる。その、絶望。

 操られるのは、楽だ。
 自分のせいじゃない。そう言える。過ちも罪も、判断に迷うことも、全部誰かのせいにして解放される。
 匂宮は、それらすべてを、超えた。

 なにもかも自分で背負うし、また、「命令」することで相手の罪や罪悪感をもひとりで背負う。

 誰も彼を、救えない。

 彼は、王になった。
 この瞬間から、彼は王だ。
 もう誰も、彼を救えない。

 この世のすべての罪を、彼が背負うから。

 ひとの上に立つ、統べるとは、そういうことだ。
 すべての人に命令し、従わせるとは、そういうことだ。

 上宮太子の剣を手に、日出処を統べる者として、匂宮は帝になる運命を自ら受け入れる。
 王になる……その決意の、かなしさ。救いのなさ。

 
 そして彼は、「あの階段」にたどり着くんだ。

 
 続く。

 愉快なのは、明らかに、匂宮の片想いだということ。

 浮舟に対してじゃないよ? 浮舟は、匂宮を好きだったと思う。
 匂宮が一方的な想いを寄せていたのは、薫に対して。
 腐った意味ではなく(笑)。や、腐ってても別にいいけど。なにしろ、大野くん作『宇治十帖』の二次創作『夢の浮橋』だから。

 原作を下敷きにしているけれど、原作とは無関係っていうか。
 史実のボニー&クライドと、オギーの『凍てついた明日』が無関係なのと同じっていうか。
 「創作」てのは、これくらい自由であっていいと思っている。

 原作はさておき、あくまでも、『夢の浮橋』の中での話。

 匂宮は一途に薫にこだわり続けているけれど、薫の方は匂宮には大した興味はない。
 匂宮が浮舟に手を出しているとわかったとき、匂宮には直接ナニも言わず、周囲の大人たち……権力者たちに密告して引き離そうとするあたり、愛情がない(笑)。

「女房が友人に寝取られた! くそー、友人の会社と取引先に『この男、不倫してますよ』って怪文書送ってやる!」
 ……とは、しないだろ、ふつー。
 ふつーならまず、友人と話すだろ。……友人なら。

 そんな手間を掛けるより、夕霧たちを動かす方が簡単だったんだね、薫の気持ち的に。また、その決断・行動の速さは、薫の正気の部分であり、優れた知性の持ち主である証拠なんだろう。実に的確で、無駄のない行動だ(笑)。
 友人に対してそんな非道な手段を平気で執るあたり、薫の「心」の部分が蝕まれている証拠なんだろう。まるでなにかに操られるように、無表情に、他人の罪を責める。

 「愛」と「罪」が同義語である薫にとっての、最後の砦が浮舟だった。

 初恋の女一の宮にはその想いを過去形で、すでに失われたものとして話し、幼なじみの匂宮を平気で陥れる。
 母は人形、自分は不義の子。
 心から愛した大君は彼のものにはならず、失われた。

 薫が浮舟を愛していたかどうかは、知らない。
 浮舟はあまりに都合の良すぎる存在だ。
 愛する大君に似ていて、愛する母のように人形めいた女。

 浮舟を匂宮に盗られてはじめて、愛したんじゃないかとも思える。

 浮舟は匂宮を愛することでさらに、「想い出の中の母」と符合したんだよね、
 夫以外の男の子を産み、その夫ではない男のことでしか、感情を表さなかった母に。

 盗られて惜しくなったとかではなく、はじめて「気づいた」んじゃないか。
 自分が浮舟にナニを求めていたか。

 罪しか知らない薫は、愛し方を知らない。
 浮舟という理想の恋人を囲いながら、彼女になにを求めていいか、自分がなにを欲しているか、気づいてなかった。

 匂宮に対して生身の女の感情を浮かべる浮舟を見て、はじめて、気づいた。
 あれが、自分の欲しかったものだと。

 だから薫は、浮舟をかき口説く。
 もう一度自分とやり直してくれと。
 欲しかったものはわかった。どうしたいのかわかった。

 愛したいんだ。
 生きている、女を。

 人形ではなく、人間を。

 薫の中の、正常な部分。半分闇に沈んでいた彼が、必死になって這い上がり、光射す方へと進み出した。
 彼の出生、半生を思えば、どれほどのものを超えて、浮舟をかき口説いているか。
 すがって、いるか。

 ただの色恋の次元を超えて、魂を、現世を懸けて。

 浮舟は肯いた。
 薫とやり直すと、薫ものでいると応えた。

 薫はよろこんで、浮舟を抱きしめる。
 けれど。

 薫は、気づいていない。
 腕の中の浮舟が、すでに「ひと」ではないことを。

 薫と、匂宮。選べなかった彼女は、心を失った。
 彼女が愛していたのは、匂宮だと思う。だけど、薫の懇願をうち捨てられなかった。

 薫が欲したのは、生身の女。
 人形ではない、生きた人間。

 なのに。

 彼がすべてを懸けて欲した女は、彼の腕に落ちた瞬間、人形となった。

 糸の切れたあやつり人形のような女を抱きしめ、薫は愛を歌う。

「罪も懼れない」と。

 「愛」と「罪」が同義語であった薫が。
 それらすべてを超えて。

 超えて……、愛したのに。

 薫が、哀れでならない。

 結局薫には、人形しか残らない。

 罪の子よ。
 愛という罪を背負って生まれた子よ。

 なにもかもが、彼の前を過ぎ去っていく。指の間をすり抜けていく。

 最後の砦である浮舟を守ろうと、自分から「愛」を奪ってゆく匂宮に敵対する姿は、薫が「こちら側」で生きようとした証。
 狂気の世界から、わたしたちのいる世界へ戻り、なんとか暮らしていこうとしていた。浮舟とふたりで、こちら側で生きようとしたんだ。

 でもそれも、裏切られる。
 浮舟の自殺によって。
 未遂であったとこは、関係ない。死んでまで、薫から逃れようとした、その事実だけで。

 薫がこの世界で、正気で、生きる理由が浮舟だったのに。
 浮舟は、薫を全否定した。

 浮舟が現世で生きる理由のすべてだったのだから、彼女からの否定は、世界からの否定だ。

 薫は拒絶された。
 「世界」に。

 物語の中でただ一度、取り乱す薫。

 浮舟の自殺を「お前のせいだ!」と匂宮に掴みかかる。
 ただ、このときだけ。

 「お前」……それまで、頑なに身分を全面に出した話し方しかしなかった薫が、なにもかもかなぐり捨てる。
 たぶん、子どものころは「お前」呼びしていたのだろう。

 そう、子どもの頃のように。

 少年に返る薫とは対照的に、匂宮は大人の顔を見せる。
 大人……自分の歩む道の先まで見据えた、哀れな大人の、顔を。

 続く。
 愛ゆえに、ひとは汚れる。罪を犯す。

 『夢の浮橋』最大の見せ場。傀儡たちの祭り、傀儡として舞う光源氏。

 祭りとは、この世とあの世、天と地をつなぐ行為である。
 今この瞬間、神は地上に降り、人は神と交わる。
 現実と虚構の境目はあやしくなり、実像がにじむように虚像と溶け合う。
 禁忌がいざなうトランス。光と闇と、過剰な音楽。

 あれは誰。あれは彼。あるいは。

 戒められた糸。
 あやつり糸なのか、封印なのか。

 自由な王子様としての人生から、正式な皇位継承者としての重責を負うことなったわけだから、この傀儡場面を匂宮の人生転機の迷いと見るのもアリだろう。つか、それがスタンダード?
 東宮の地位は彼が選んだモノではなく、彼以外のものの利害勘定で押し付けられたものだ。彼は、ただの駒でしかない。あやつり人形でしかない。
 抗い難い力の前に、プチ家出をしてみたって、なにが変わるわけじゃない。見知らぬ人々に戯れに上宮太子の剣を奪われたとき、必死になって取り返した。つまりはそういうこと、彼は宮中でしか生きられない。

 答えは出ている。
 自分で選ぶことの出来なかった人生を、生きるしかない。
 傀儡のように。

 心を失ったあとの光る君が、それでもその政治的価値を利用され、権力者たちに操られていたように。

 ……傀儡の光源氏が表すものが政治的な意味だけならば、彼はなにも口にする必要はないんだが。
 光る君は「声」を出す。

「紫の上」と。

 糸に戒められ、自分から自由を失った男は、愛する女の名を呼ぶ。「何故、私から逃れようとする」……彼が囚われているモノは、愛。己れ自身。

 壊れてしまった心。
 愛ゆえの過ち、愛ゆえの罪。

 罪を重ね、ひとは生きる。

 
 匂宮のプチ家出は終わり、少年はひとつ大人になる(笑)。
 もとい、わたしたちの生きる世界から、境目にある「祭り」に参加することで「常世」をのぞいてしまったんだよね。
 あれほど「ふつう」の青年だった匂宮は、少し別の因子を魂に宿すことになる。

 それは予感。
 いずれ彼が向かう先、のぞいてしまった闇への禁忌と恐怖……そして、恍惚に背中を押されるように、焦燥にジリジリ追いつめられるように。

 彼は、薫の女である浮舟と恋をする。

 匂宮には、浮舟しかいなかった。
 薫に愛されたお人形。

 匂宮は、ずっと薫を探していた。
 正常で健康な匂宮には、狂気の世界にいる薫へ近づくことは出来ない。

 少年の日、地上から見上げることしかできなかった。階段を上がっていく、光る君と薫を。

 だけど祭りの日、聖と闇が交差する篝火の中で、匂宮はあの日の世界を垣間見た。
 光源氏が……そしておそらく、薫がいる(あるいは、薫が行く)世界を。

 真っ白な魂に落ちた闇。それは広がり、染み込み、変質していく。

 祭りの夜を機に、それまでの健康で真っ白だった匂宮は消失した。魂の染みが広がり、いずれは闇に覆い尽くされる……その予感に、匂宮は焦がされる。

 変容している今、匂宮は浮舟を愛する。

 この女しかいない。
 人形としてしか生きられない、居場所のない女。弾けない琴を鳴らし、泣くしかできない哀れな女。

 匂宮は、浮舟を欲する。
 正常なままなら気づかなかった、真っ白なままなら知らずにいた、激しい飢えのままに。

 行動と、責任と。

 プレイボーイで知られる匂宮は、本当の意味での「恋」には手を出さなかった。行動には、責任が生じる。本気の恋には、それだけの責任がある。
 なんの障害もない、現代のわたしたちだってそうだ。愛であれ憎であれ、人間が人間に本気で働きかけたとき、放った心の重みは、全部自分に返ってくる。よろこびであれ、かなしみであれ。
 「心」を素直に表現することが許されない貴族社会で、「心」でひとを恋う、「恋」はそれだけで罪になる。誰にも迷惑を掛けない祝福された間柄だとしても、「心」を発するからには、きれいなままではいられないんだ。

 この物語では、愛と罪を同義語に使っている。
 単純に脚本中の単語を置換することもできるよ。愛と、罪。

 匂宮は、変わる。もう少年のままではいられない。きれいなままではいられない。

「私たちも、罪を犯す年頃となりました」

  
 匂宮が揺れ動いている傍らで。
 薫は狂気と正気の境をゆらゆらしている。

 宇治での宮中行事に顔を出して、匂宮や女一の宮と思い出話をしたり、正気な部分は十分にある。
 社交部分じゃない。彼の狂気の鍵は、「愛」。

 少年の日、敬愛する父・光る君は薫を、「罪の子」と呼んだ。
 愛の罪に心を壊した母は、人形のようになっていた。

 薫にとっての「愛」は、生まれたときから「罪」と同義語だった。
 自分自身すら、「罪」の申し子だった。

 罪の子と父に烙印を押された少年が、最初に狂気の世界へ足を踏み入れたのは、彼自身の「愛」の目覚めからではないかと思う。

 無垢なるものとして象徴的に描かれる子どもたち。
 嘘もない、秘密もない、無邪気だったサンクチュアリを最初に壊したのは……「愛」だ。

 少年の日、薫は幼なじみの少女・女一の宮を恋するようになった。
「あれが、私のはじめての隠し事でした」
 サンクチュアリは失われる。愛ゆえに。

 当時のその想いを知っていたかと問われ、沈黙する女一の宮。
 たぶん彼女も知っていた。知っていて、口に出さなかった。だから彼女にとっても、サンクチュアリはそのときに失われていた。

 愛という名の罪。
 無垢なままではいられない。
 愛を知り、人間たちは楽園から追放される。

 女一の宮を愛し、その想いを封じ込め、また女一の宮もまた胸の内に秘密を抱いているのがわかった……嘘偽りのない世界に生きていた子どもたちが、「秘密」を持った、聖域を汚した……罪の子薫が狂気へ進んでいくきっかけには、あまりある出来事だろう。
 だからこそ、ここでこの逸話が挿入されるのだろう。

 愛ゆえに、薫は壊れていく。

 表向きには正常で、光る君の再来と呼ばれる公達ぶりを発揮しながら、内側でゆっくり壊れ続ける。

 彼がひとを愛するとき、彼の中で罪がまたひとつ増えて行くんだ。

 大君に対しても、そうだったんだろう。
 光る君が紫の上の死に罪の意識を持っているように、薫もまた大君に対し償いきれない罪と悔いを持ち、苛まれている。

 愛が、罪だから。

 
 続く。
 今回、「宇月颯くん好きかも」と言ったら、同行のnanaタン、木ノ実さんから賛同の声があがった。

 続いて、「耳の位置がまっつっぽいよね」と言ったら、絶句されたあと、「そんなのわかんない」と返された。
 ……あれ?

 宇月くんはべつにまっつには似てないっす、耳以外(笑)。そして、あーゆー耳の子は他にもたくさんいる。
 宇月くん見てるとずんちゃん思い出すわ。笑顔が似てると思うの。

 新人公演『夢の浮橋』にて、宇月くんは二の宮役。本役はあひくん。
 もともとこの役が大好きなので、注目してたんだが、いやあ、あったかくてカッコイイおにーちゃんでした。ストレートに二枚目だよね。貴公子だよね。学者肌っぽい感じが、またツボ。
 銀橋の歌も、本役さんより安心して聴……ゲフンゲフン。相手役の娘役さんも、歌うまかったなー。

 
 それにしてもわたし、月組の下級生を知らなさすぎだ。元月担だったのになあ。贔屓が月組にいたのはもう何年も前……当時の下級生たち、みんなもう新公卒業してんだもんなー。

 来年はみりおくんが新公主演独占するのかな。まあそれもアリとして、再来年は誰になるんだろう……今回の新公見た限りでは、さっぱりわからん。
 あまりにみりお一人勝ちで、華とかキャラクタとか、「次の大劇場では、この子主演で観てみたいわ」と思う子が、わたしにはわかんなかったっす。
 
 道定@千海華蘭くんの目の輝きが印象に残ったけど……名前読めない……ええっと、ちなみ・からん……中卒の研3? 若っ。
 本公演で小君役の子だとわかり、納得。キャラ的に同じかー。別の役作りで見てみたかったな。似てしまうのは仕方ないけど。

 子役は演じやすいものなので、新公では特に「お得な役」になりがちだけど、こちらの小君@輝城みつるくんもはしこくてかわいかった。

 てゆーか、女一の宮・子役@愛風ゆめちゃんって、研1っすか。しかも中卒ってあーた、若いわよちょっと。文化祭でフラウ役やった子だよね? 顔小さっ、声きれー。若いのにほっぺがすっきりしているのがすごい。
 

 反対に年輩役について、いちばん言いたいことは。

 仲信@華央氏に、ヒゲかないっ!! なんで? 華央氏と言えばヒゲでしょう?! ……と、内容に関係ないことでダダこねてみたり。
 や、彼はどんどんいい男になってますなあ。越リュウのあとを継ぐべく、この路線でがんばってほしいナリ。

 夕霧@美翔くんが意外にうまかった。意外と言ってごめん、ちゃんとしたおっさん役(正統派におっさん、というか)は彼には難しいかなと思っていたので。
 新公バランスの中では、ちゃんとおっさんであり、悪役になっていた。

 光源氏@寿音くんは、うーん……。今までの彼からすれば、あんなもんなんかなあ。ヘタではないっていうか、うまい部類の子なんだろうけど、わたしとは合わないみたいだ。

 明石の中宮@羽咲まなちゃんは余裕! まかせて安心!
 
 
 自分が「鼻好き」だと自覚してから、正面顔より横顔チェックをするよーになり、主要人物を演じる若手ちゃんたちを「鼻」で判断するんだけど(笑)、小宰相の君@咲希あかねちゃんの鼻は、わたし的にOKです(笑)。
 特徴のある顔なのでどこにいてもわかる子ではあるけれど、鼻をじっくり眺めたのは今回がはじめて。てゆーか、こんな大きな役をする子だったんだね。
 本役のあいちゃんに台詞回しがそっくりで、よくコピーしたなと。器用というか、技術があるからできることだ。声もよく通る。
 いい女だなー、小宰相の君。

 でもってもうひとり、今回は鼓英夏くんの横顔を好みだと思いました。鼻を中心にきれいに弧を描いたラインが好きなのー。
 

 さて、本公演よりさらに「ヒロイン」としてきちんと描かれていた感のある、浮舟@蘭ちゃんは、「演技している」「歌っている」感じがイイです。
 本役のしずくちゃんは、「演技してない」「歌ってない」感じがイイと思っているので(笑)、本公と作品自体もヒロインの位置もチガウ新公では、ちゃんと「物語のヒロインとして存在している・演技している」蘭ちゃんは正統派ヒロインっぽくてイイ。
 日本物のお化粧のせいか、シナちゃんを思い出したわ、あちこちで。
 お花様系美少女……劇団はほんと、この顔好きだよな(笑)。

 きれいつながりで、衛門督@紫門くんは、なんかいつも泣きそうな顔に見えるんだが、何故だろう。きれいだから目立つんだけど。こーゆー「強い」役でも、なんかめそめそ顔に見える? わたしだけかな。
 でもってきれいといえば、海桐くん、やっぱきれいだ、壮くんだ。
 瑞羽くんもきれいだ、目につく。てゆーか台詞言って芝居してるの見てみたいんだけど……無言で踊るだけですか、今回も。

 
 役自体は多い割に、これといって目に飛び込んでこないのは、わたしが月組下級生に暗いだけだと思いたい。
 みりおくんの次の世代は、いったい誰になるんだろう? 
 薫が、ふつーの人だった……!(震撼)

 月組新人公演『夢の浮橋』、演出家は大野くん自身。
 本公演とはあえて、「別の作品」を作っているように見えました。

 まだ本公演の感想をまともに書いていないので、新公感想を書きにくいんだが、主人公である「匂宮」の存在が、まったくチガウ意味を持っていた……と、思う。

 本公演では、女一の宮を語り手に、匂宮を視点に物語は進み、薫はそれらの軸である、と書いた。

 しかし新公では、匂宮が、完全独立した「主役」である。

 匂宮は「視点」ではない。観客の視点も務めつつ、間違いなく物語の軸であり、語り手でもある。女一の宮はナレーションをしているだけ、薫は主要人物のひとりでしかない。
 本公演では薫が登場したときから物語の本編がはじまるが、新公では匂宮が登場したときからが本編だ。

 匂宮@みりおの『夢の浮橋』は、英雄譚だ。

 みりおが演じる匂宮は、明るく、強い。
 同じ物語、同じ台詞をたどっていてなお、彼は強い光を放っている。傷ついたときも彼の強さを損なうことはなく、その光は揺らぐことがない。

 彼が「日嗣の皇子」となる……やがて、王としてこの国に君臨するのは、正しい。
 そう思わせる、まっすぐな強さ。

 生まれながら王の若き日の物語。英雄譚の一節のようだ。
 浮舟@蘭ちゃんとの過ちも、薫@るうくんとの確執も、「若き日の出来事のひとつ」というか。

 「タカラヅカ」としては、正しいのだと思う。
 かっこいいヒーローが、かっこよく成長する物語。
 明るさと強さと正しさにあふれ、かわりに色気はなく(笑)、保護者も安心、子どもに見せて大丈夫な英雄物語。

 
 薫@るうくんは、あまりにふつーの人だった。
 そ、そうか、やっぱきりやんがやばかったんだ……と、再確認。

 匂宮と浮気中の浮舟を無言で見つめているときとか、霧矢さんはガクブルものでこわかったんだけど、るうくんはふつーに「可哀想」です。

 るうくんの薫は、「こちら側」の人だ。狂ってない。ぜんぜん正常な、ふつうの人。
 薫はミステリアスでもナニ考えてるのかわからない人でもなく、繊細で弱い、一般人が普通に理解して、共感できる青年でした。
 浮舟を大君の身代わりに屋敷に住まわせるのも薫の凡人たる弱さゆえだし、彼女を匂宮に盗られて告げ口するのも、小人物たる弱さゆえ。出生にコンプレックスを抱え、母の愛に飢え、ヒツジのように悲しい目で恋人の裏切りを見つめる。

 徹頭徹尾、薫はふつうの……凡庸な、愛すべき青年でした。

 英雄・匂宮とはなにもかも、違いすぎる。
 浮舟のことを匂宮に秘密にしていたのも、盗られたとわかった瞬間の身の振り方の素早さも、浮舟の自殺未遂を知ったときの匂宮への当たり方も、なにもかも、自分と匂宮の「器」の差を知って、意識しまくっているためだろう。

 「天才」と幼なじみで、なにかと比較される身に生まれてしまった苦労と苦悩。それがしみじみと伝わってくる。

 とにかく薫ときたら、草食動物系の可哀想さにあふれ、母性本能に訴えかけるいじらしいイキモノになってるよ~(笑)。
 いつも泣きそうな顔してる。浮舟入水を知ったときの茫然自失ぶりなんか、どんだけ可哀想か。

 最後の「跪いてプロポーズ」も、るうくんの場合は完全敗北、臣下としてお仕えします、だよなー。(別欄で語る予定だが、わたしはきりやんはチガウと思っている)

 
 匂宮というヒーローの物語で、薫はちゃんと脇役だし、薫が脇役になった分、浮舟がヒロインらしく見える。
 加えて、本公演は薫が登場したときから物語スタートだけど、新公は匂宮が登場したときから物語スタート。
 って、それじゃまるで本公演のあさこちゃんがみりおに負けてるみたいじゃん?!
 ……てなことではないんで、誤解しないで欲しい。

 タカラヅカ的に「正しい」のはみりお匂宮のヒーローっぷりなのかもしれないが、作者が描こうとしたのは、あさこの匂宮だということだ。

 健康で正常なふつーの男の子である匂宮@あさこが、別のところへ到達する物語。
 繊細さと淫靡さ、狂気を孕んだ、耽美の世界。

 ストレートな英雄譚ではなく、ややこしい情念だの心理だのにこだわった物語。
 それは、あさこの匂宮でなければならなかった。そのために、匂宮は「視点」からはじめ、「軸」となる薫によって「あの階段を上がる」ラストまでたどり着き、女一の宮@あーちゃんが悲しみを込めて「語る」必要があるんだ。

 みりおくんの「明るい強さ」を見せられることによって、あさこちゃんの「弱さと繊細さ」を思い知ったわ……。

 本公演、新人公演ともに、大野くん自身の演出。
 新公は別物にしたんだな。つか、みりおくん、アテ書き。

 作品のカラーも、キャラクタも、みりおくん中心に作り直してある。
 みりおの匂宮に対し、他の子のキャラクタも考慮して、配置してある。
 本公演のコピーをさせるつもりなら、あんなに「強い」ままの匂宮にはしないだろうし、感情(悲しみ)むき出しの薫にもしないだろう。

 すげーなー……。

 
 おもしろい作品は、技術の足りていない出演者の手による新人公演でも、やっぱりおもしろいものなんだけど、『夢の浮橋』はほんとーにおもしろかった。
 演出意図の変更を別にしても、やっぱ好きだわ、この作品。

 でもってみりおはほんと、真ん中向きだー。
 目を引く美貌、そして、華。
 なにより「強く正しい」光っぷり。これって、持ってる人意外に少ないよ。「正しい」だけならジェンヌはみんないい子たちだからか、放っておいても「善人」オーラが出てたりするんだけど。ただ「人が好い」ってだけだと、まぬけになっちゃうんだよね。ここに「強さ」がないと、かっこよくならない。ヒーローになれない。
 得がたい力だ。
 この素直な光をそのまま成長させていってほしい。

 るうくんは芝居は手堅くうまいんだけど……日本物のお化粧苦手なのかな? あまりきれいに見えなかったのがつらい。『ME AND MY GIRL』のとき、あんなに色男だったのに、何故??
 でもって歌、実は難しい曲だったのね……霧矢さんがふつーに歌ってたから気づいてなかった。るうくんは大変そうでした……そりゃあもお。

 他の人の感想は、別欄で。

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