本日は本公・新公ダブルヘッダ。
 本公演の最後のパレードで、花組が好きだ、今の花組が好きだ、と、なんか泣きたくなった。
 や、今に限定しなくても、いつだって好きなんだけどさ。
 最近続くいろんな発表、いろんな変化で、不安が尽きないんだ。

 今の花組が好きだよ。
 わたしだけでなく、いろんな人たちが、いろんな組のファンたちが、みんなそれぞれそう思っていると思う。

 
 それはさておき、新人公演『太王四神記』

 まだ本公演の感想をまともに書いてないんでアレだが、キモチがアツいうちに新公を書いておく。

 演出は生田大和。生田せんせで思い出すのは『ファントム』新公なんだが、あのちまちましたカットぶりからすれば、なかなか大胆につぎはぎするようになったなあ。
 まず、神話とタムドク誕生時の神器と守り主の話は全カット。初日に観て「いらないんぢゃね?」と思ったところを本当に潔くカットしていた。で、なくても問題なかった(笑)。
 せり上がりヒョンゴ@真瀬の語りも最小限に、子どもタムドク@姫花、子どもヨン・ホゲ@イブの「自主練」から物語スタート。
 前景の背後で盆を回して次の場面までのロスタイムを無くしたり、間を省略したのちの場面と場面をつなぐために立ち位置や登場位置を左右ひっくり返したり、細かいことやってる(笑)。

 新公のいちばんの感想は、年齢設定の正しい『太王四神記』だわ、てことだったり(笑)。
 や、わたしは原作知らないけど、舞台を観るだけでも本公演の主人公たちの年齢設定には「?」が飛び交っていたので。

 キハが、タムドクより年上だった。

 キハ@ののすみの第一声から、「え?」と思ったのは、その大人っぽさと、知性。
 タムドク@だいもんとはじめて出会う書庫の場面で、明らかにタムドクより年上の女性だった。
 子犬のような瞳(笑)の少年王子になつかれ、思案しながらも心を寄せていく知的な女性。

 反面、タムドクの幼さが気になった。
 こんなに子どもでええんかいな、と思っていたが。

 この物語は、タムドクの成長物語なんだ。と、思わせる、無邪気な少年から大人の男へ、王者へのあざやかな変貌。

 キハとの年齢差は、あとになればなるほど気にならなくなる。タムドクが急激に大人びていくからだ。
 傷つくたびに、障害に出会うたびに、彼は大人になっていく。あるときを境に変わるのではなく、なめらかに、されどハイスピードで、彼は人生を駆け抜けていく。

 そして、スジニが、少女だった。

 元気で健気な少女。アニメ的というか、記号として役割のわかりやすい女の子。
 キハより年下だとわかるし、タムドクに「妹」と言われても違和感がない。
 タムドクと同い年くらいだから幼すぎる気もするが、タムタムだって最初はえらく幼かったわけだし、彼の急激な成長を鑑みればスジニはこれくらいの年齢でいい。

 でもって、パワーバランスも、ある意味正しい?

 主人公は圧倒的にタムドクであり、2番手は、タムドクの敵であるプルキルだった。

 神話時代からタムドク誕生までがカットされているので、プルキルの出番は少なくなっており、ホゲの出番はほぼそのままなんだが、プルキル@まぁくんが2番手に見えた。
 主人公が最終場面で対決する相手が2番手、つーのは、ヅカ的に正しいんぢゃね? ……プルキルの最期の描き方は、本公以上にどうかと思うが。

 ヨン・ホゲは、ふつーの人だった。

 ホゲ@鳳くんは、王としての器などまーーったく持っていないのに、プルキルに操られ、自滅していく様が、哀れだった。
 明らかにふつーの人、なんで王様になれるなんて思っちゃったんだろう、という場違い感は「英雄タムドクの物語」としてはぜんぜんアリだと思う。

 本公演の年齢・パワーバランスを否定するわけではなく、こういうのもアリか、という意味っす。
 両方楽しめてお得。

 
 最初のうち、タムドクがえらく幼い作りだから、わたしはけっこうがっかりしていた。
 何度となく書いてきたが、女性である以上「少年」は演じやすいんだ。男役としての技術が拙い人でも、子役なら誤魔化しが利く。
 だいもん、子役ばっかやらされていたから、もう大人の男はできなくなっちゃったのかな。満を持しての新公主役で、こんなかわいらしい少年を演じられてもなー。

 とまあ、油断していたら。

 彼は、どんどん加速していった。

 歌声の、圧倒的な力。

 歌える子だとはわかっていたけれど、そこに感情がのり、芝居が加わると、爆発的な力になる。
 2幕のキハを想って歌う歌、語りのような独り言のようなつぶやきからはじまり、魂の絶唱に至る昂揚ときたら!
 ぞくぞくした。

 てゆーかもー、あちこち泣かされた。

 歌で芝居することを知っている声だ。
 饒舌な歌声。
 前へ出、表現しようとする声。

 決して派手ではないんだけどね。
 堅実な「表現者」の歌声だった。物語好き、芝居好きの人間としては、この歌声が綴る、この歌声が表現する「物語」に、つい引き込まれる。

 課題は、ビジュアルかなあ……。
 本役さんの髪型を踏襲するのではなく、とにかく「自分に似合うモノ」で勝負してもよかったんじゃないだろーか。

 てゆーかだいもん、公称身長169cmなんだね……まとぶさんと同じで、ゆーひさんより1cm低いだけなんだ……いやその、触れぬが華だとわかっちゃいるが、花組生え抜きさんの公称身長と、組替えさんの公称身長には深い溝があるなと。

 
 キハはなんかあちこち、こわかった。
 ののすみに操られる役とか狂っちゃう系の役やらせちゃダメだよ、やりすぎちゃうよこの子(笑)。
 本当のキハと、操り人形キハの差がすごい。
 あ、今人形スイッチ入った、てときの顔が、生理的にぞわっとする。

 お告げの舞を舞うときとか、笑ってんですけど、この人。心の壊れた笑顔がめちゃくちゃこわい。

 精神ヤヴァイときはともかくとして。
 大人の女性として少年タムドクの前に現れるのが、いいなと思う。
 ヨン夫人を自害へ追い込んだことで自分を責めるタムドクに、彼が「欲しかった言葉」を投げかける姿の力強さ。
 タムドクにとって、この女性が「救い」であることがわかる。
 また彼の、おどおどとした抱擁がイイしな(笑)。そのあとに、年上の彼女にイイカッコするために「ひとりで街へ行く練習しないと、君を案内できない」と言うあたりの、台詞のつながりがなめらかだ。うんうん、がんばれ少年。

 『太王四神記』で年下の男の子との恋、を楽しむことが出来るとは思わなかったわ。
 彼はかわいい年下の男の子。彼はわたしに恋して、どんどん大人になっていく。
 かわいこちゃんだと油断していたら、はっとするほど豊かな大人の男性になって、いつの間にかわたしが彼の一挙手一投足にどきどきしている……!
 てな感じっすか?(笑)

 
 他の子の感想は別欄へ続く。
 あれは、なんて作品だっただろう。
 たしかノンちゃんがトップスターで、コウちゃんがワイヤーで吊られてばびゅーんって意味もなく飛んでいた。作品自体は「勘弁してくれ(怒)」ってもんで記憶から抹消されているけれど、そこで抜擢されていたぷくぷくほっぺのピエロ姿の男の子のことは、おぼえている。
 大きな瞳がきらきらしていて、ほんとうに少女マンガの登場人物みたいだった。
「めちゃくちゃかわいいっ」「天海に似てる」「まだ研2だって?!」……観劇後、仲間内でも話題騒然。

 大和悠河、という名は、ヅカファンならば避けては通れないビッグネームだった。
 それは彼が入団してからずっと。入団直後から、ずっと。

「いつか君は王になる。ならなければいけない」
 そう言われ続けて、生きてきた人。

 タニちゃんは、トップスターになる宿命を背負って生まれた。

 本名のタニオカさんはタニオカさんの人生があるだろうが、タカラジェンヌ「大和悠河」として生まれた瞬間から、「トップスターになる」という宿命を負っていたんだ。

 それは、わたしも含め、市井の人間が想像もつかない重責だったろう。

 未来の王様が通る道を造るために、そこを通ることができただろういろんな人たちが迂回させられたり、進むことを断念させられたり、よその道へ追いやられたりした。
 いろんな人たちが兵士たちに蹴散らされていく様を眺めた上で、その道を改めて通らなければならなかった人。

 ……「宿命」であったことは一目瞭然だし、誰もが認めることであったけれど、長い年月のうちにそれは「義務」と化していた。
 宿命と義務はちがうよ。
 タニちゃんの不幸は、そこにあったかもしれない。

 宿命が義務に変わる前に、トップスターになれれば良かったのだけど。
 彼の歩む英雄譚は、途中から大きく色を変えた。
 宙組に組替えが決まり、決まったのに星組に特出し続け、どこの所属かわからないまま時間だけが過ぎ、よーやく宙組生として本公演に出たときから、タニちゃんの迷走がはじまった気がする。

 最初、まっすぐに最短距離で頂点へ続いていると思った彼の道は、思いの外蛇行を繰り返しときには迷路になり、予想の倍近くの道のりだった。
 迷走していたと思う。
 彼は「夢の世界の住人」だったけれど、「おとぎ話の登場人物」ではなかったので。夢の世界に住んでいる、生身の人間だったので。

 迷走してなお。

 彼の輝きは、褪せることがなかった。

 その輝きは、王の印。王になるべき定めの証。

2009/01/19
宙組主演男役 大和悠河 退団のお知らせ


宙組主演男役 大和悠河が、2009年7月5日の東京宝塚劇場宙組公演『薔薇に降る雨』『Amour それは・・・』の千秋楽をもって退団することとなり、2009年1月20日に記者会見を行います。

 公式HPを見て、「嘘だ」「嘘だ」……と、声に出して何度もつぶやいていた。
 わたしが「大和悠河」を好きとかキライとか以前に、「大和悠河」というファンタジーを信じていたからこそ、こんなの、わかんない。
 彼は「王になる宿命」の人。王子様、と呼ぶに相応しい人。
 だけど王の息子に生まれたから王になるんじゃない。なんの地位も名もない生まれであっても、彼は王になる、そういう宿命の人。

 正直なとこ、わたしは宙組時代以降の彼の芝居に共感出来ず、彼の演じているものを理解できないことが多かったのだけど、そんなわたしをもってしても、その強い光の前に彼が王であること、この世界に必要な人であることに、異論はなかった。

 彼の光を浴びていることが、心地よかった。

 ただ、きらきらしいだけじゃない。
 迷走し、たぶんいっぱい苦しんだだろうけれど、それらを超えていく強さを持った人。迷いや間違いすら、結果として「正しい」と収束させる力を持った人。
 王としての資質、ってのは、それゆえの「宿命」や「重責」に耐える「強さ」をも言うんだ。
 現在の彼の輝きは、ピエロの格好でただ持って生まれただけの輝きを発していた、あの幼い抜擢スターの輝きとはチガウ。
 もともとの輝きに加え、長い時間を掛けて、苦しんで、手に入れた輝きだ。

 それらすべて含め、彼は王であり、トップスターであり、わたしたちの「夢」だった。 

 思ったより遙かに長い道のりだったけれど、王は王座にたどり着いた。
 彼が立つに相応しい場所だ。
 これから、彼の新しい物語がはじまるのだと思った。
 かしちゃんのときも思ったけれど、人には相応しい場所がある。真ん中でこそ、発揮できる力もある。
 スロースタートになるかもしれないが、王が真ん中に立つことで徐々にその光で周囲の人たちを振り向かせることができるだろう。
 時間を掛けて、取り組んでいくのだと思った。一朝一夕で結果の出ることではないから。
 これほど時間を掛けて、彼を王にしたのだから。

 
 どうして「今」なのかな。
 トップスターとしてのタニちゃんの旬は、まだこれからも続くだろうに。
 むしろこれから、芳醇な輝きを増すだろうに。

 「王」の決断なのだから、それがきっと、正しいことなのだと、遠く市井の隅から想像することしかできないけれど。 
 変だな、なんか疲れてるなあ、と改めて今週の自分の行動を振り返ってみれば。

 4日連続でムラ通いしてますがな。
 そりゃ消耗するわ……。
 身体もだが、財布もな……。よぼよぼ。

 『太王四神記』の感想をまともに書いていないが、まあソレは先送りして(通うこと前提だからなー)、とりとめない雑記をば。
 

 初日に「あんな高すぎる場所に飾っても見えねーよ!」と書いた出演者写真パネルの位置が、変わっていた。
 初日はたしか天井付近に1列に並べてあったのに、翌々日に行ったときはキャトルレーヴの入口の上に1列に並んでいた。この高さなら見える。
 ……歌劇団、やればできる子。
 

 初日に立見したときは、2幕は座席券譲ってもらって、坐って観ていたので、気づかなかった。
 最後の大技、クレーン朱雀ちゃん、立見だと、主役ふたりの首から上が見えねえ!!
 途中でぐーんと上に上がるじゃん? 2階席サービスって感じで。あの間中ずーーっと、首ナシ状態。
 立見客は客ぢゃないってことっ?!
 と、嘆いていたら、一緒に立見していたnanaタンが、「あたしたちが大きすぎるせいだよ……ふつーの身長の人には見えるんじゃない?」と言っていた。……そうなの? みんな、見えてるの?

 やー、なんにせよ、立見券が出てくれる公演はありがたいっす。こちとら貧乏でねえ……。
 

 お正月が終わると、さすがに立見券には期待できない。平日はがんばって当日B席をGETだー!
 でもってその当日B席。
 吊りモノで、セリの上の人たちの首から上が見えねえ!!
 承前のコムル村の一行とか全滅(笑)。つまり、あの高さだと見えないの。1階で見ているときは存在すら気づかない、飾り以外の意味のない天井の吊りモノで顔が、芝居が、見えないって……イケコ……当日Bに坐ったことないやろ……。
 当日B客は客ぢゃないってことっ?!
 それともこれも、わたしの座高が高すぎるせいか……?
 

 宝塚歌劇95周年記念「宝塚大劇場 新春・特別企画イベント」の、特製ポストカードプレゼント。
 幕間に出演者が出てきて抽選会やるヤツじゃなく、もうひとつの方。
 これ……やる意味あるのか?
 わたしもそんなもんやってるの知らずに劇場へ行っていたし、たぶんほとんどの人がそんなもんに興味を持っていない。
 幕間休憩中に放送で「*番の列の方」とか言ってるんだけど、……聞いてる人いるの? 放送の声は大きくないし、客席はざわついているしで、わたしも最初放送に気づかなかった。途中で「あ、なんか言ってる」と注目したけど。
 メール打ちがてらロビー2階から入口横に設けられた「プレゼント引き取りブース」を眺めていたんだが、誰も引き取りに行かない。制服のおねーさんがふたり、ぽつんと立っていた。
 今どきポスカ目当てで小1万かかる観劇をしないだろうし、行けば全員もらえるならともかく、抽選でわずかな人に当たるだけ、しかも抽選している姿を見せもしないんじゃ、やってること自体気づいてもらえないよ。
 虚しい……。

 あれはいつのころだっけ? 89期生だっけかが入団した年くらいにたしか、「木曜3時公演を観劇したら、もれなくポスカ・プレゼント!」ってやってたよね? あんなふーに、全員に配っちゃえばいいのにー。や、たんにわたしがうれしいのにー(笑)。


 劇場内のチラシ・コーナーに置いてあった、現公演のあらすじチラシがなくなった。
 たしか、以前プログラムの表紙が「トップスター写真どーん」から、イメージデザインに変わったときから、あのチラシも作られるようになったと思う。
 もともとヅカのプログラムは300円くらいの安価なモノで、子どものお小遣いでも買えた。それで出演者の顔写真、脚本まで載っていたんだからお買い得。代わりにサイズは一回り小さなB5、表紙と口絵4ページしかカラーがなく、残りの写真は全部モノクロ、それ以外は紙質も低いものだったけど、価格からすりゃ文句はない。なんせショーの脚本まで載ってたから、歌詞が全部わかったんだよなあ。
 それが突然、脚本無しでオールカラー、分厚い上質紙使って1000円で売りはじめたんだよ。今までなかった無関係な人の解説とか関連情報とかに無意味にページ割いて、中身の無さを水増しして。
 たしかにプログラムもじわじわ値上げされていたけど、それでも良心的な内容だったから、最後はたしか600円だったけど、機嫌良く買っていたんだ。それが中身が改悪されて倍額近い1000円だもんよ……あのときから買うのやめたんだ。

 今までの良心的なプログラム制作を捨てた劇団の、最後の良心のカケラが、あの無料あらすじチラシだったんだと思う。
 「いきなり1000円にしてごめんね、脚本無くしてごめんね。こんなぼったくりじゃあ、小林一三翁の精神に反するよね。でもお金が必要だから仕方ないんだ。高すぎてプログラムを買えなかったり、そこまでする気もなく気軽な娯楽として劇場にやってきたライトな人のために、無料のチラシを作ったからね。これで勘弁してよね?」……という、劇団のキモチだと思って、あのチラシの登場を受け止めたんだ。

 栄えある95周年に、その良心のカケラも、ついに捨てたか……。象徴的な話だなー。 

  
 毎公演ごとに発売される、携帯ストラップ。芝居とショーで2種類発売されるもんなんだが、今回は1本モノなので、芝居をテーマに2種類。通常2種類まったくチガウものを作るところが、チャームを兼用できているのでコストが下がっているだろうに、定価は同じ。
 まあソレはいいとして。
 その2種類が、青龍イメージのものと、朱雀イメージのもの。
 なんで青龍?!
 朱雀はしょーがないよ? 物語に大きく関わっているわけだし。でも青龍って、後半になってよーやく出てくるキャラじゃん?
 最初から最後まで出ずっぱりの玄武こそ、グッズ化すべきでしょう!!
 亀ぢゃ不満なのっ?!

 
 リニューアルされた大劇場。
 床の絨毯が新しくなり、ふかふかの薔薇柄になっていた……が、ソレは入口前の一部だけだった。
 正面入口のみ張り替えて、あとは旧絨毯のまま……。途中で切り替えてあった。
 絨毯張り替え、って大袈裟に言ってたけど、それってあの広大な劇場の十分の1ぐらい……?
 お金ないんやなー、劇団……。
 

 新しくなったフルールに、「フルール焼き」なるメニューがあった。
 店の名を冠したメニューだ。どんだけウマいのだろうと、わたしと友人たちは期待に胸を躍らせて洋食コーナーへ並んだ。
 見本写真から察するに、お好み焼きだろう。エビ・イカ、豚から選ぶことができる、というのも、いかにもお好み焼き。
 小さなハート型をしており、それが4つお皿に並べてある。「お花の形だからフルール焼きなのねっ」と、その心遣いによろこんだ。
 有名な話だが、フルールのたこ焼きはウマい。焼いているおばちゃんはコワイが(笑)、たしかにウマいのだ。
 ウマいたこ焼きを出す店の、お好み焼きだ。焼いている人がチガウにしろ、おかしなものは出さないだろう。

 おかしなものだった。

 大阪に生まれ育ち、有名店でないその辺の町の小さな無名店でも、カラオケボックスでもスーパーのお総菜コーナーでも、お好み焼きなんてもんはそこそこウマいものしか存在しないと思い込んで生きてきた。
 こ、こんなマズいものがあるなんて……っ。

 いやまあ、一度食べてみてくれ。
 新しい大劇場名物になると思う、たこ焼きとは逆の意味で。

 
 とまあ、いろいろ。つれづれ。
 「花組公演『太王四神記』出演者による幕間ミニトークショー」、出演者・未涼亜希の回の話、続きっす。
 

 いやあとにかくわたし、舞台姿でトークをする未涼亜希を見たの、はじめてですから!
 以前の宝塚歌劇では、組長の他はトップか2番手までですよ、舞台上から挨拶したりトークしたりするのは。貸切公演とかしかなかったっすからね、そーゆー機会って。
 だって大劇場ですよ。ファン向けのイベントじゃないっすよ、「宝塚歌劇」というブランド名だけでやって来た一般のお客様相手っすよ。
 以前のヅカじゃありえなかった、不況万歳。(ヲイ)

 まっつがどんどん「男役スター」から、「素」になっていく様がかわいい。
 声が小さく早くなって聴き取れなくなるのも、両手でマイク握って立つ姿がオンナノコになってしまっているのも(最初はちゃんと男だったのに、どんどんにじみ出てくる・笑)、慣れてないのが丸わかりで、うきゃ~~っ、てくらい、たのしいっす。

 とにかく、客席を見るのを忘れてしまうのか、司会のじゅりあちゃんを見て喋るので、横顔ばっか見せている。

 横顔まっつ! 横顔まっつ!

 まっつの横顔が大好物のわたしは、ひとりオペラを上げてガン見してみたり。周囲の誰もオペラ使ってない!(この近さで使う人はいないって)

 やー。
 いいもん見たなあ。

 ヒョンゴ先生なのに、両手でマイクを「きゅっ」て握って立つ姿。脇が閉まってるの、男の立ち姿ぢゃないの(笑)。
 きっと素顔でイベントに出ているときは、あーゆー立ち方で、「男役」ではあっても「男」ではないんだよね。
 「男」の姿のままでやっているもんだからもお……ナニあの頼りなげな萌えキャラ風情はっ。ハァハァ。(注・衣装は水戸黄門です)

 
 とまあ、幕間トークショーも十分すぎるほどたのしかったんですが。

 この日はさらに大盤振る舞いがあった。

 2幕フィナーレの「玄武ファイター」にて。

 黒尽くめでガシガシ踊る、超カッコイイ場面。芝居本編ではご隠居さんで三枚目な役のまっつが、本来のクールビューティまっつらしく、ハードにクールにキメまくる場面。
 そこで。

 まっつのヘアバンドが、飛んだ。 

 はじけ飛んだ。ぴょーんと床に落ちた。
 うおおお。

 生デコまっつ!!

 ボリュームのある黒髪オールバックを押さえていたモノがなくなったので、黒髪が、フリーダムに!

 踊ると揺れます、乱れます。
 うおおお。

 カッコイイっ!!

 心拍数、跳ね上がりました。

 曲が終わり、暗転の最中、まっつは落ちていたヘアバンドを自分で拾い、脱兎の如く駆け去りました。すげー高速の動きだった、拾い上げるとこ(笑)。

 まっつメイトと一緒の観劇だったわけだから、終演後もふたりできゃーきゃー。
 うおお、まっつ~~、まっつ~~。

 ごちそうさまっす、乱れ髪まっつ!

 
 ちなみに。
 この日は、販売DVDの収録日だったよーです。
 カメラが何台も入ってました。

 頼むよTCAさん!
 全体流すだけでいいから、後半のヘアバンド無しまっつも撮ってね? 収録してね?!

 大人の事情でチケット発売後に開催が決まったイベント、「花組公演『太王四神記』出演者による幕間ミニトークショー」
 16日は我らがまっつの日。

 わたしは、新しいまっつメイトとの初デートに浮かれつつ行って来ました。

 や、ほんとにまっつファン周囲にいないから。わたしの周囲はゆみこファンしかいないし、もちょっと外側を見回すと世界にはゆーひファンしかいないよーな勢いだし、まっつ中心の視界でまっつの話だけで盛り上がれることに、いつもいつも飢えているのよ。
 筆無精なわたしがろくに返事を書かないのに、それをものともせずまっつ愛に満ちあふれたメールをすげー勢いで送り続けてくれたパッショネイトなころさん、会えてうれしかったっす、ありがとう!

 隣の席がまっつファンである、という安心感で、本編・トークショー問わず、欲望のままに、まっつをガン見し続けました。

 
 幕間のミニトークショーは、マジで短いです。
 実質5分?
 最初と最後の挨拶を抜いたら、ほんとに何分喋ってるのかわからんっす。

 まっつは1幕最後の水戸黄門衣装で登場。ただし、杖がありません。
 杖持ってくればいいのにー。や、2500人劇場がまっつファンだけで埋まっているとは残念ながら思っていないわたしは、「まっつが出てきても、誰なのか、どの役の人なのか、わかんないんじゃね?」と気が気ではなかったので。
 杖を持って出てくれば、「ああ、あの人」とわかってくれるんじゃないかなー。でもって親近感持って2幕を見てくれて、そいでついでに「あの杖の人、いい感じよね、なんて人かしら」って配役表見て「ふーん、未涼亜希っていうのね」ってわかって、さらにプログラムの写真見て、「あら、きれいな人じゃない」って思って、さらに「なんか好きになったかも、またこの未涼さんって人を見に来ようかしら」って、思わないとは限らないってゆーかそんな可能性だって万にひとつナイとは言えないんじゃないかもしれないってゆーかもー、なにを言ってんだかヲイ。

 名前と役名と挨拶をし、杖は大切な神器だから置いてきた、てなことを話したまっつ。
 コムル村について話すんだけど、「男しかいない村で、神器を守るという役目のある村で……」のあとはなんかもう、ムニャムニャ。なに言ってんのか、よくわかんなかった。

 しかし、わたしはここではじめて知った。
 コムル村って、男しかいなかったのか!!
 嫌な村だなソレは。修道僧みたいな感じなのか? だからあんな制服(村服?)着てるのか? 男ばっかで愛憎渦巻いてんの? や、人間の集まりなんだからいろいろあるでしょ?
 ヒョンゴ村長の寵を争って、若手村民が張り合ったり抜け駆けしたり嫉妬したり? 表のトップスターは村長だけど、影のアイドルがいたり、番長がいたり? 魔性の美少年に年長さんたちが骨抜きになっていたり、そーゆーの?(男ばかり、で何故かそんな想像になる)

 男ばかりだとマジで気づいてなかったし、じつは村民に誰がいるのかも知りません。
 だってコムル村の場面は、ヘアバンドまっつしか見てませんから。

 あとはインチキ占い師ヒョンゴ先生の話になる。
 インチキ、とスジニ@みわっちに言い切られているけれど、ヒョンゴ先生はそれなりに占いの知識があるんではないかと思ったまつださんは、自分でも手相の勉強を多少はしてみたらしい。
 そして武道会くじ発売の場面とかで、街の人たち相手に「黒のくじを買え」と占っているらしい。

 えーと、ヒョンゴ先生、くじを売ってるのはヒョンミョン@だいもんとスジニで、彼らはヒョンゴ先生の仲間で……自分たちが売っているモノを「占い」で売りつけるってゆーのは、詐欺って言わないか……?

 しかしなんで黒を薦めているのかは話題に出ず。司会のじゅりあちゃんがそこの場面で街の女として登場し、はしゃいでいる話になだれ込む。
 ええ、じゅりあちゃんはものすげー勢いでヒョンゴ先生に迫ってますからなあ、あそこ。占いの話なのか、ヒョンゴ先生自身に迫っているのか教えて欲しかったんだが、その話もなく、ぐだぐだ。

 今回に限らず、ヅカのこーゆートークイベントで、プロの司会者ではなく生徒同士の話になるとどうしても、客観性が失われてしまう。
 自分たちだけがわかっている話を、自分たちだけで話してぐたぐだで終了、という。他人に説明をする場合に必要な5W1H……すなわち、Who(誰が)What(何を)When(いつ)Where(どこで)Why(どうして)How(どのように)したのか、ができていない。
 主に「どうして」が説明できないことが多い気がする。
 誰々がなになにしたんだよねー、あれはウケたねー、きゃー(笑)で終わる。なんでそんなことになっているのかは、説明がない。話している彼らにとってはすでにわかっている話なので、Why?な話ではないからだ。
 どの場面で誰がどんな風に出ていて、とかは、「そんな些細なことまで言わなくても通じてるのに」ってくらい一生懸命説明するんだけど、そこで起こっている「愉快な出来事」について、「何故そんなことになっているのか」は説明無し。
 むしろ、「何故するのか」さえ話してくれれば、どこの場面でナニをしているとかわからなくても「そんなこと考えて、なんかたのしそーにやってるんだな」と思えるんだが、こだわるところのピントがズレてるんだなー。客観性がないから。

 まっつに限らず、ジェンヌは大抵の場合そうなんだが、まっつにしても同じことになっていたので「……オマエもか(笑)」なキモチで微笑ましく眺める。ええ、微笑ましいですよ、そのダメっぷりが! 所詮ファンですから!!(笑)

 さらにまっつは、最初ははっきりと観客を意識して喋っていたのに、どんどんじゅりあちゃんの方を向いて喋り出し、声はどんどん低く小さく早くなり、ナニ言ってんのか、物理的に聴き取れねえ?!という事態に(笑)。

 まっつがなんかぼそぼそ早口で喋ってる~~、きゃ~~。

 遠くの席ならいざ知らず、マイク無しでも聞こえるんじゃね? てな席にいるのに(下手SS席・笑)、それでもナニ言ってんだかよくわからないって。

 舞台の上で、あんなに滑舌良くはっきり喋ってるのって、やっぱ「演技」だからなんだ。
 ふつーに喋っちゃうと、こんなふうに聞こえにくくなっちゃうもんなんだ。

 そのことに萌え(笑)。

 ……てオマエ、なんでもいいのか?! なんでもいいんだ、ファンだからっ。(自問自答)

 そしてまっつとじゅりあちゃんはスジニに黒朱雀の印があった話で観客がすでに知っていることを「あ、これは言ってはいけないことだった、2幕のお楽しみってことで」とあわてて言うのをやめていた……1幕でヒョンゴ先生自分でソレ言ってたのになあ。やっぱ客観性が……ゲフンゲフン。
 めおちゃんのミニトークショーのときも、「ソレは秘密にするよりも、ここで説明しておいた方がいいのに」ってことを「2幕を見てのお楽しみってことで」とわざわざ秘密にしていたことを思い出した。

 
 長くなったので、一旦切る。
 良くも悪くも、タカラヅカにはスター制度がある。

 トップスターを頂点とした、組単位のピラミッドだ。
 このシステムの是非を問うのではなく、前提として、すべてが語られ、回っていく。

 トップスターになるまでの道のりも、一本道ではないものの、通るべきチェックポイントは変わらずにあるので、途中枝分かれしていようが蛇行していようが関係ない。
 ファンは応援する生徒たちと同じように、ロールプレイングを楽しむことが出来る。

 新人公演主演、は、トップスターへの道の中にある、もっとも大きなチェックポイントだ。
 新公主演してはじめて、「スター」であると認識される。

 ジェンヌはみんな魅力を持っているし、トップ路線だけが価値ではないし、新公主演者のみをスターだと思っているワケじゃない。
 ただ、客観的な「記録」として最初に「スター」と認識されるのが新公主演だと思っている。

 スター制度の劇団である以上、「好きなスターのいる組しか観ない」という層が少なからず存在する。
 全部の組を愛し、観劇する人間も多いだろうが、ファン層の全部じゃない。
 「贔屓の組」だけ観ていれば完結できる作りなのだから、当然のことだ。

 その一定の組しか観ない人たちもが認識するのが「スター」だ。
 実際の人気とか実力とかではなく、ほんとーにただの便宜上のものとして、「新人公演主演者」というのは名前だけは出るんだ。公式雑誌にもテレビにも。

 組ファン以外のヅカファンの目に耳に名前や存在が入る、そのわかりやすい区切りだと思っている。

 
 て、なにが言いたいのかというと。

 新公主演していない下級生は、「無名」である。

 と、ゆーこと。

 いいえ、**さんは知っている人が多いから無名じゃないわ! とかゆー次元の話ではなく。
 機会を与えられ、ファンの目につく要素が多くても、それはただの口コミでしかない。
 新公主演してはじめて、いろんな出版物に名前が出、某スポーツ新聞に1面ぶち抜きで写真が掲載されたりするよーになる。

2009/01/15

月組公演『エリザベート』 エリザベート役について
5月22日~6月22日:宝塚大劇場、7月10日~8月9日:東京宝塚劇場において、『エリザベート』-愛と死の輪舞(ロンド)-[潤色・演出/小池修一郎]を月組により上演致しますが、この程、ヒロイン・エリザベート役が決定致しましたので、お知らせいたします。
尚、その他の配役につきましては、決定次第お知らせいたします。

エリザベート役 ・・・ 凪七瑠海(宙組)

※凪七は月組公演『エリザベート』に特別出演のため、4月17日~5月18日:宝塚大劇場、6月5日~7月5日:東京宝塚劇場における宙組公演には出演致しません。
-公式より-

 ……カチャを知らない人、多いんじゃね?

 月組しか観ないで、月組を愛してきた人にとって、どこの誰かもわからない人が突然やってくる……てな感じになるんじゃね?
 「スター」として認識のある人なら、「スターの特出」ということになるけど。
 無名の下級生の場合は?

 
 タカラヅカの主演というのはかなり特殊なポジションなので、真ん中に立つべき人は段階を踏んで鍛えていくもんだ。
 それをまったく無しでいきなり真ん中に立たなければならないカチャは大変だと思う。

 わたし個人としては、「エリザベート」という特別な役はちゃんと娘役で観たいし、トップスター制度と同じように組制度をヅカの特色として愛しているので月組の組子で観たかった。
 カチャは文化祭から見ている、わたし的に思い入れのある89期のスタイル良しさんで愛着のある子だ。初舞台ロケットではGOアカツキと共に、話題をさらった子だ。躍進してほしいと思う。
 

 こんなことして誰のためになるのかさっぱりわからないが、カチャにも月組さんにも幸多かれと願う。や、マジで願うよ。
 いい結果につながりますように。
 鳴海@かなめがホモなのはガチとして。
 あんまり見え見え過ぎて、ときめかない。
 なんつーかこー、慎みがないよな。もう少しオブラートに包んでくれないと、萌えないわ。据え膳に興味ないのが腐女子の心意気ってもんよ。

 えー、バウ・ピュア・ストーリー『忘れ雪』の話です。

 なんでいちいちタイトルの前に「バウ・ピュア・ストーリー」とつけるかというと、つけたいからです。つけないと、やってらんないからです(笑顔)。
 
 まあそれはともかく、鳴海の話。
 彼の行動の辻褄を合わせるには、一希@キムを愛していたことにするしかない。

 でなければ深雪@みみを隠したりしないし、父親を裏切りもしないだろう。
 深雪を愛していたとか、唐突過ぎてわけわかんないし、そのわりにやってることは彼女に対して思いやりがないし、で、ただの「言い訳」にすぎないことがわかる。
 静香@みなこと同じで、一希を誰にも渡したくなかったんだろう。
 深雪を一希から遠ざければ済むと思っていたが、一希が狂ったように彼女を捜すから、作戦を変更するしかなかった。

 原作では、一希の死因はリンチされたからではなく、GO!GO!静香さんに刺されるかららしい。
 なんで原作通りにやらなかったんだろう?
 原作でも一希は笹川たちにひどく殴られるが、生命にかかわるよーなケガではなかったそうだ。殴られてぼろぼろになりながら、それでも深雪のために走る……で、なんの問題もなかったし、死因が別にあるなら、あんなに長々と暴力シーンを描く必要はなかったはずだ。
 刺殺ではなくリンチ死だという設定に変更するから、あれだけ長々と暴行シーンを描かなくてはならなかったんじゃ?

 こだまっちがなんで設定を変更したのかは知らんが、この変更によっていちばん割を食ったのは鳴海だと思う。
 リンチにあって大ケガをした一希が、その身体で深雪のところへ行くのを、なんの手当もせずに鳴海は送り出している。

 はい、ここでポイントなのは、鳴海の職業です。
 彼は、医師です。
 このままじゃ死んでしまうほどの重傷人を、手当もせずに送り出すんですよ。

 一希の状態はわかったはずだ。だって素人じゃなく、医者なんだから。
 深雪を探しに行けば、死ぬ。それがわかってて、送り出した。
 それで誰が幸せになる? 死んでしまう一希はもちろん不幸だし、よしんば一希と深雪が会えたとして、そのために一希が死んだら、ふつー深雪も傷つくわな。自分のせいで誰か死んだら、相手が誰であれ一生もんのトラウマだ。つまり深雪も不幸になる。深雪が無事だった、会えた、とそのときは自己満足に浸ることができたとして、一希が深雪を愛しているのなら、彼女が不幸になれば一希も不幸だよな。ここでさらに不幸が増える。

 原作通り、一希のケガが生命にかかわるものでないなら、手当より一希の気持ちを優先させた鳴海の行動もアリだが、死ぬとわかっていて送り出すこだまっちバージョンは明らかにおかしい。

 鳴海は、一希を殺したかった。としか、思えん。

「誰かに盗られる くらいなら あなたを殺していいですか」
 ……どこの「天城越え」……。

 そしてたった1年後、自分の行動が引き金になって父親まで死んでしまったというのに、やたら陽気な鳴海。
 嘘臭い理由で深雪の目が治ったと喜び、一希父@マヤさんまで駆り出して一希の遺骨を深雪に渡し……なんか、なにもかもが嘘臭い。

 全部、鳴海の策略なんじゃないの?

 そもそも深雪が行方不明になり、一希が狂ったよーにその行方を追っていた……そのときからすでに、鳴海は一希を騙していたんだよね? そーゆーことをするのが平気な人なわけだ。
 んじゃ、途中から真実を話し、いい人になった、なんて、なんの証拠もないよな。なんせ目的のためにはどんなことでもする、父親譲りのパーソナリティの男なんだから。

 深雪が失明した、てのは、嘘だった。
 一時的に見えなくなっているだけで、簡単な治療で治る程度のものだった。
 が、鳴海は一生治らない、そんな醜い姿では一希に会えないと強迫観念を植え付けた。

 だって、深雪の事故からほとんど日にちは経ってないんだよね? 何ヶ月も何年も経ってないよね? なのに深雪は他にどこのケガもなく、ただ目だけが見えなくなっている。大ケガをして、それが治った、というほどの時間も経っていない。ケガはほんっとーに大したことはなかったんだろう。
 精神的に追いつめて、「目が見えない」と思い込ませただけかもしれん。
 目が見えない=蛇に象徴される醜い姿、と思い込むのも変だし。
 そこになにかしら作為がないと。

 深雪が自分の意志で一希に会わなくなるようにしたわけだ。鳴海くんお金持ちだから、ほとぼりが冷めるまで何年でも深雪を軟禁するつもりだったんだろう(笑)。どーせ家出娘だし?
 その間に一希が深雪をあきらめればヨシ、そうでなくてもてきとーなところで深雪を野に放って、片を付けるつもりだった。

 プランAはもちろん、一希を殺すこと、だ。
 自分のモノにならないなら、殺してしまえばいい。そーすりゃ脳内恋人の一希はいつまでも鳴海のモノ(はぁと)。

 そして、さらに大掛かりなプランB。
 一希が死んだ、と見せかけて、実は生きている。

 べつに一希の傷は死ぬよーなものじゃなく、たんに気を失っただけだが、目の見えない深雪にはわからない。鳴海一族の医師たち・政治家たち総動員して死体すり替え、一希(とゆーことになっている死体)は実の家族の目に触れることなく荼毘にされ、遺骨になってしまう。
 本物の一希は、鳴海の隠れ家へ。鎖でも薬でもお好きなように(はぁと)。

 用ナシの深雪は奇跡的に手術が成功したとかいって目があっさり治って、ハッピーエンド。プランA・Bともにここは同じ。

 深雪の失明も嘘くさかったが、あっけなく治ってしまうのはさらに嘘くさい。そして、一希の死もまた嘘くさく、あののーみそ晴天な後日談で、いつ一希が「実は生きてたんだ」「まあ、びっくり!」ふたりが抱き合って(一希父と鳴海は微苦笑しつつ去る)、完……になると思ってたら遺骨が出てきて「マジでアレで死んだんだ一希?!」とびっくりしたさ。

 あの嘘くさい演出も展開も、全部鳴海の策略だった、つーことなら「それもアリだな」と思える。

 とまあ、いろいろ考えたところで、萌えないんだけどなー。ロジャー×リナレスの方がずっと萌えるわ。そこに愛がまったくなさそーなとこが。
 こだまっち自身も、大して萌えてないんだろうなと思う……やれやれ。
 キムを偉大だと思う。

 舞台人として、タカラジェンヌとして、そして、将来トップスターになるべき人として、その実力に敬服する。

 バウ・ピュア・ストーリー『忘れ雪』の主演として、見事に演じきった音月桂のものすごさを、改めて思い知った。

 ひどい脚本、アレな演出を、キムが力尽くで支えている。
 正攻法というか、正当派というか。
 キムはすごい。ほんとに、すごい。
 年相応のキャラが無邪気にたのしそーにしているだけの場面でも、「素」の顔をのぞかせることはない。一分の隙もなく「演技」しつづけている。

 手加減無し。
 まさに獅子搏兎!
 百獣の王は、ウサギごときを追うのにも全力を尽くすのだ。

 ぼろぼろで壊れる寸前の建物を、キムが必死になって支えている。や、ぼろぼろなんじゃなくて、はじめから「この設計図で建てるのは不可能ですよ」「でも建てるしかないんだ、仕事だから」と、図面通りに作り、やはり崩れ落ちそうだから、キムが支えている、つーか。

 でも、設計図自体はそれほどまちがっているわけではないの。
 『忘れ雪』の物語自体は、ツッコミどころは満載でも、ご都合主義の嵐でも、失笑台詞や無意味な演出だらけでも、全体の流れはべつに、まちがってない。コレはコレでありだと思う。

 まちがったのは、コレをタカラヅカで上演したこと。

 ぺらぺらの資材で豪雪地域に南の国のコテージを作ってみました、寒くてとても暮らせません、てゆーか一晩で雪に押しつぶされました、みたいな。コテージの設計図自体は、たとえ三流レベルの図面であろーと、まちがっているというほどのこともなかったのに、建てる場所を激しく間違えた。

 こんなもんをやらされた、キムと雪組っこたちは、大変だ。

 でもみんな、けなげなまでに真摯に作品と向き合っている。……ほろり。

 キムがすごいこと、彼が力業で作品を支えていることは、よーっくわかっている。
 しかし。

 今回ばかりは、キムの「正当派」な演技が、このトンデモ作品に合っていない。
 すげー不協和音……。

 高校の文化祭レベルのストーリーで、プロが演技しちゃってるから、脚本と乖離しまくり。

 『忘れ雪』のトンデモさに必要なのは、演技力じゃない。
 トンデモ力だ。
 リアルさではなく、異次元さ。
 CGだと丸わかりの宇宙空間を背景にポーズ決めて、絵になっちゃう系の能力。
 計算より感覚。技術より本能。

 コレ、主役がキムじゃなかったら、もっと気持ちよく大爆笑できただろうに。

 壮くん主演の『お笑いの果てに』で腹がよじれるほど笑えたように。

 や、『忘れ雪』も笑ったよ? 大いに笑えたけれど、チガウんだよなー。どっかーんってロケット発射みたいな笑いじゃないの、バナナの皮で滑った系のスケールの小さな笑いなの。
 まともに受け入れるにはつらいだけの作品なんだから、あとはたのしむしかないじゃん?
 でもその「お笑い度」が中途半端なのよ。

 せっかくのトンデモ作品なのに、キムがその演技力で、現実につなぎ止めているの。

 つなぎ止めちゃダメよ! そんなことしたら、作品のアラしか見えなくなる。ヒロインのサイコさんなところからはじまって、主人公のダメさにも目がいってしまうから!

「そもそもいちばん悪いのって、一希じゃん?」

 で終わってしまうから。

 設定から起承転結全部に「ふざけんな」とか、キャラみんなアレすぎるとか、ショーガールてんこ盛りのありえない店とか、無意味な鼓笛隊でどこまで時間稼ぐんだとか、ぬいぐるみは勘弁とか、役なさすぎ、ヲヅキの無駄遣い極まれり、バウなのにコロスしかまともに仕事のない人がほとんどって座付きとして最低キましたーとか、なにより暴力シーンの描き方最悪とか、キリがないから!!

 そんなことを考える余地がないくらい、別世界に連れて行ってくれなきゃ。

 わたし、キムはなんでもできる子だと思っていたけど、……そうか、トンデモ作品をトンデモに突き抜けることはできなかったのか……。

 『さすらいの果てに』をお笑いにせず、その実力で「脚本はアレだけど、ふつーに感動できる作品」にまで昇華させた実績を持ってしても、今回は無理だったんだな。

 というのも、中村A作の『お笑いの果てに』はほんっとーに完璧なまでにぶっ壊れていた最低作だけど、舞台が外国で、時代が現在ではなかった。
 そこでまずファンタジーが成立していたので、キムの実力で立て直すことが可能だったんだと思う。

 しかし『忘れ雪』は、現代日本が舞台ということになっている。
 タカラヅカがもっとも不得意とするジャンルだ。

 現代日本人で、センスはともかく現代っぽい服装をした人たちが、身も蓋もない日本名で呼び合っている……のに、メルヘンな雪の精が舞っている、この状態でどうしろというんだ。

 いくらキムでも無理だって。
 『お笑いの果てに』とはスタート地点がちがうんだって。

 正攻法で支えるより、突き抜けた方がイイよ……。

 演技せずに勢いだけでやっちゃった方が、半端感が消えたかもしれない、と思う。たとえばあれしかできないキングなんかは、この作品世界にうまく調和しているのだから。

 キムはなまじうますぎるし、さらにパッションがありすぎるんだなー(笑)。

 
 このトンデモ作品を支えているのは、キムだ。
 ヅカのトップの資質は「駄作を佳作に替える力」を持つこと。キムの実力を、まざまざと見せつけられた。
 この子はトップスターになるに相応しい力を、持っている。

 それを痛感した上で。

 その実力ゆえに作品と調和せず、異種格闘技戦っぽくなっている、その姿。
 ある意味貴重。
 興味深い。

 いいもん観た(笑)。
 バウ・ピュア・ストーリー『忘れ雪』の1幕が終わった瞬間、

「静香、こわすぎっ」
「てゆーか深雪サイアク、なにあの女」


 とゆー会話からはじまった幕間休憩、女4人(笑)。

 リアル女子が嫌うタイプの女をヒロインにして、女性相手に「ピュア」を訴えるのはなかなか難しいだろうなあ。

 あ、役者の話ではないですよ、あくまでも、物語の中のキャラクタのこと。
 内容がすごすぎて、演じている生徒さんの話までたどりつかない(笑)。まず、キャラやストーリーについて、つっこまずにはいられない。

 人生どん底のときにやさしくしてくれた異性に恋するのは王道だし、子どもの頃の恋をずっと胸に抱き、7年間も想い続けてきたのに相手にはきれーさっぱり忘れられていた……ってのは、せつないよな。
 思い出してくれない男を強引にデートに誘って想い出作り……とかも、アリだよな。
 あきらめているけど、やっぱり思い出して欲しくて、愛して欲しくて、思わせぶりなことを言ったりしたりしちゃうのも、わかるよな。
 やってることはストーカーに近いけど、そうせざるを得ないキモチはわかるかな。
 と、思っていた。

 しかし。
 そんなもんは全部、吹っ飛ぶのだ。

 最悪のタイミングで、真実を押し付けることで。

 過ちに気づいた男がフォローすることも出来ない、自分だけが安全なタイミングで真実を伝え、相手を傷つけておいて、自分は国外逃亡。
 育ての親だの婚約者だのに、迷惑かけまくって、自分だけが楽になる。

 なんだ、結局大切なのは自分だけ、愛してるのは自分だけ。相手の男も、それまで築いてきた人間関係も、全部どーでもいいことだったんだ。

 ヒロイン深雪は1幕最後でこの大爆弾カマシてくれるので、「ピュア」が霧散した。

「言っちゃダメでしょアレは」
「言ったらただの嫌な女だよねー」
「てかこわいよ……全部計算……?」
「むしろ静香の方がマシじゃん?」
「静香こわくていいよねー」

 偽善者より悪人の方が支持されるのは、フィクションの常。

「でもなんで一希おぼえてないの? 7年前でしょ?」

 もちろん、小学生の女の子との結婚の約束を後生大事にしている高校生の男は嫌だ(笑)。健康な高校生なら忘れててイイ。

「でもふつー、あれだけヒント出されたら思い出すでしょ」
「一瞬会っただけじゃなくて、犬のトレーニングの間中一緒にいたわけでしょ? 一週間?」
「ふつー名前くらい教えてるよね。出来事と本人の名前と犬の名前まで合ってたら、ふつーなら思い出すでしょ?」

「わかった。一希は、すり替えられてるんだ」

「あの一希は、高校時代の一希とは別人なの。昔の一希は死ぬとかしてて、今の一希と入れ替わってるの」

 ピュア・ストーリー『忘れ雪』が、サスペンスな展開をする、とどっかで聞いたような気がしていたし、1幕のサイコ・ホラー的展開ぶりに、「コレ絶対『火曜サスペンス劇場』だよね?」という前提で、話が進む。

 一希記憶喪失ネタ、一希入れ替わりネタ、そーなると犯人は一希父の陰謀なのかとか、いやそもそも深雪が尋ねていく病院を間違えたとか、話は自在に展開する。

「大体、高校時代の一希と現在の一希と、同一人物に見えないし」
「なんで現在の方が背が低くて、アタマが小さいの? 身長はふつう縮まないし、なにより頭蓋骨が縮小することはありえないから」 
「なんでそもそも高校時代をキムでやらないの? 高校時代の出会い場面の背景でキムがなんか苦悩して歌ってるから、キムの回想で、キムはおぼえてるんだと思ったよ」

「キムでふつーに高校生くらいやれるだろうに」
「高校時代は太っててイケてなかったって設定なのかな。だから?」
「てゆーかなんであーたんがやってるの?」
「「「アレ、あーたんじゃないから!!」」」(総ツッコミ入ります)

「しかし犬。アレはいいの?!」
「しかも1匹じゃないし」
「あの2匹の犬、ドラマがあるのがすごい」
「よく動いてたねー」

「犬のぬいぐるみが出てくることは問題だけど、それで笑っちゃって大変だけど、でも、本当の問題も、笑えるところも、ソコじゃないからね」
「ペガちゃんが出たことも確かに問題だしお笑いだけど、深刻な問題も真に笑えたのもソコじゃない、むしろそんなことは些細なことだった、てのと同じね。……あ、どっちも雪組か」

「しかし深雪、あの絵の実力で留学して大丈夫なの?」
「や、300万ドルの絵@『Paradise Prince』よりはいいんじゃね?」
「一希の布のめくり方がホラーでびびった」
「あちこち演出ホラー入ってるよね」

 あとはヒメの掛け声がドス利きまくってすごかったとか、「そらちんがシンバル叩いてる!!」(ソレだけでうれしいらしい)、「雪組はデートというと遊園地に行かにゃならんのか?」とか、「医学部と獣医学部が同じクラスになる大学ってどこだろう」の検証とか、「ランドセルは何年生まで使用していたか」とか、「てゆーかミツルって! せしるがミツルって!」(せしる氏の役名がミツル……このことに、みんなすごく食らいつく、4人とも花担)……まあ話題はいろいろ。

「ねーねーソレで、誰が死ぬの?」
「真犯人は誰?」
「最後は崖の上? それとも倉庫街?」

 『火サス』としか考えてませんよ、この人たち。船越英一郎か片平なぎさが出てくるのよね?
 
 無邪気に尋ねる3名に、唯一原作を読破しているドリーさんは、口の端をムズムズさせながら、「それは、見てのお楽しみ(はぁと)」と微笑んだ。

 
 ……もちろん、2幕終了したときも、トンデモ作品への感想は熾烈を極めましたとも。
 てゆーか、静香、大人気(笑)。

 原作通りのオチ希望。GO! GO! 静香!!

 
 ところで。
 ケロメイトであるわたしとドリーさんは、幕間にふたりしてプログラムで若手くんの写真をチェックしてました。
 多くを語る必要はなかった。
「バーテンだよね?」
「そう、バーテン!」
「ケロに似た子いなかった?」
「いた」
「てゆーか、みっさまにも似ていたような……」

 ええ、「ケロとみっさまを足して2で割らず、足しっぱなし」のよーな顔の男がいたんですよ(笑)。ふたりとも同時に食いついているのが愉快。
 あ、ぐっちょんではなくてね。

 
 長々会話中心に書いたのは。
 
 バウ・ピュア・ストーリー『忘れ雪』。
 これは、仲間と語り合いたくなるドラマだ。
 仲間の大切さ、ありがたさに気づかせてくれる……そんな作品なのだ。
(劇評風に)

 ええ、ひとりで観てたら、大変っすよ。喋りたくて喋りたくて、ストレスになる(笑)。
 とてもピュアな青年がいた。
 人を疑うことを知らず、憎むことを知らず、彼自身不幸を抱えているのに微笑みを絶やさず、すべてのものにやさしい……天使のような青年がいた。
 彼の職場には、彼をひそかに愛し、彼を手に入れようと虎視眈々とつけねらう女がいた。もちろん美人で女子力が高く、手料理なんか披露しちゃうタイプの女だ。
 また、彼には長いつきあいの親友がおり、心から信頼しあっている……と思っているのはピュアな彼だけで、親友は実はホモで、彼のことを手に入れたくていろいろ策を弄していた。
 表面だけは善人らしくにこにこつきあう狼たちの中で、とにかくピュアな青年は、にこにこ笑って生きていた。
 そこへ、青年に一目惚れした少女が現れる。えーと、すごくピュアな少女、という設定らしい。ピュアでけなげな彼女は、ピュアでけなげなゆえに盗みをはたらいたり、ストーキングしたり、青年の留守宅に何度も勝手に入り、彼の秘密を暴いたり、やりたい放題。ピュア最強。
 だけど青年はなにしろ バカ 天使なので、少女がナニをしたって天使の微笑みで赦し続けるのだ……。てゆーか、青年と少女は惹かれ合っていくのだ。何故?!
 あとから出てきたストーカー女に、青年を取られてたまるものか!! と、職場の女も、親友のホモ男も善人の顔を脱ぎ捨て、戦いを開始する。罠を張り巡らす。
 ピュアでイノセントな純愛物語の、明日はどっちだ?!!

 
 えー、こだまっち最新作『忘れ雪』を観た。

 内容は、愛憎ドロドロお笑いとキ○ガイ満載の昼の帯ドラマだ。東海テレビ制作の。『真珠夫人』とか『牡丹と薔薇』とか。たわしコロッケとか財布ステーキの出てくるアレ。

 ストーカー体質のヒロイン・深雪@みみが彼女の脳内で恋をし、恋人認定した男・一希@キムを現実でじわじわと追いつめる。一希のそばにはもうひとり完璧最強ストーカー体質の女・静香@みなこがいて、彼女も策を弄し手を尽くし一希を追いつめる。さらにそんな出来事すべてを俯瞰した上で一希を独占しようと、ストーカー体質の親友・鳴海@かなめもまた、一希にむらがる女たちを一掃しようと策を練る。
 一希の運命やいかに?!

 ……て、まともな人間率低すぎないっ?!(白目)

 メインキャラは主役以外全員ナチュラルに犯罪体質な人ばっかって……。

 『真珠夫人』だって『牡丹と薔薇』だって、宣伝文句は「純愛」だ。まともな人間がひとりも出てこなくったって、キチ○イしか出てこなくったって、「純愛」だ。
 
 べつに、東海の昼ドラが悪いわけじゃない。確実にニーズはあるのだから。
 ただなあ。
 東海昼ドラは、「わかって」作ってるわけだからなあ。
 キャベツの千切りと一緒にたわし皿に載せて出して「たわしコロッケ召し上がれ」って、視聴者が「笑わない」とは、思って作ってない。むしろ、「笑わせる」ためにやっている。
 「視聴者のみなさん、テレビの前で盛大につっこんでくださいね。ママ友同士で『昨日、大爆笑したわー』って盛り上がってくださいね」という意図で作られている。
 出演者も「来週の展開はまたものすごいことになりますよー、お見のがしなく(笑)」みたいなこと言って、「わかった」上で仕事をしている。
 だからいいんだ。狂った人しか出ない狂ったドラマだとしても、作っている人たちはあえてソレを狙って作っているのだから。

 しかし……。
 やっていることはお笑い昼ドラなのに、スタッフたちは純愛「月9」だと思い込んでいたら、なにかと困るよなあ。

 前期の月9、いわゆる月曜9時のフジテレビのドラマ枠で2008年秋~冬にかけて放送された『イノセント・ラヴ』がそんな感じ。

 冒頭に書いた天使のような青年をめぐるピュアなラヴストーリーは、ドラマ『イノセント・ラヴ』のキャラ紹介っす。
 キャラのとんでもなさもやっていることもストーリー展開も愛憎ドロドロお笑い昼ドラとまったく同じなんだけど、何故か「純愛」ってカテゴリで「せつない恋愛モノ」だと思って作っていそうで、その半端さがすごく気持ち悪かったんだが。

 『忘れ雪』は、『イノセント・ラヴ』と、いちいちかぶって困った(笑)。

 ストーリーラインは違うんだけど(『イノラヴ』の方がマシ)、キャラの立ち位置かぶりまくってるし、それ以上に、笑うしかない話なのに「ピュア」とか思って作ってそうな、とほほ感が同じ。
 いっそ突き抜けてバカドラマに徹してくれれば、たのしめるのに。
 半端は、いかん。 

 爆笑しながら観劇したが、ほんとうの意味で「コレおもしろすぎ、もっぺん観たいかも」というわくわく感に欠けていた。
 とりあえず笑えるけど、気持ちのいい笑いじゃないんだよなあ。
 
  
 とにかく、頭……というか、心?のおかしな人たちばかりなので(笑)、「まともな人がひとりもいない!」「一希大変だなー、ストーカーだらけかよ」と思って観ていたわけだが。

 そのうち、一希まで、壊れ出した。

 長々とリンチされる彼は、途中でお花畑に行ってしまうのだった。や、マジで。マリア様の肖像とか出てくるんだよ! 殴られ過ぎて頭イッちゃったのな。

 そして、いったんお花畑に行ってしまった彼は、そっから先もう完全には戻って来られなかったようで。
 どんどんどんどん、コワレていく!!

 ちょっと、コワイんですけどっ? リナレス、リナレスがいるよ! やばいですよ狂っちゃってますよこの人!

 まともな人が、誰ひとりいなくなった!(白目)

 えー、原作を読んだドリーさんの弁によると、原作での一希の死因はチガウそうです。原作通りなら一希はべつに「ついにコワレた?」ってほどのことはないと思うが、舞台の死因だと、やっぱ精神的にどっかスイッチ入っちゃって、そのせいで死んだ、としか思えないなあ。

 狂った人たちがわーわーやって、それでなんか死んじゃって、それでもいちおー、人が死ねば悲しいわけで、あっけにとられていたとはいえ、周囲に泣いている人もいるしまあこーゆー話なんだと厳粛に受け止めていたのに、その直後の後日談がほとんどギャグだし。
 あまりにのーてんきなうふふあははな人たちに、

 一希、犬死っ?!(白目)

 と、震撼して終わった……。あ、だから犬が物語のキーとなっているのか。(たぶんチガウ)
 ストーカーたちに翻弄され、追いつめられ、狂って死んだ主人公、合言葉は「ピュア」。

 キム……大変だな……。
 

 や、一見の価値あります、マジで。
 1月10日はえべっさんの日。
 小雪が舞う中、近所の神社へ笹を買いに行くと、コスプレした人たちが弓を射てました。えべっさん宝くじの当選番号を決めていたらしい……知らなかった、こんなことやってたんだ。華やかな中世衣装のおにーちゃんおねーちゃん(ハタチ前後でルックスそれなりにヨシ、男子は狩衣姿、女の子は巫女さんコス!)で、くるくる回る的を射る、という。弓道ってやっぱ美しいよねえ。日本文化って美しいねえ。

「えーと、いちばん安い笹を下さい」
 と、とっても辛気くさい買い方をしているのに、金烏帽子の巫女さんが鈴を鳴らして祈念してくれました。巫女コスの若いかわいー女の子に祈ってもらえるなんて、いいサービスだな、この神社。
 最寄り神社なので、生まれてすぐのお宮参りから七五三から、ずーーっとお世話になって来たんだが、最近どんどんイベントが派手になってきている気がする……これも冬の時代ゆえの営業努力なのかな。

 そこで縁起物購入特典福引きをしたところ、「銅賞」を引きました。
 帰宅して家族に報告したら、驚かれたよ。この街に住んで数十年、家族を代表して毎年1回だけえべっさん福引きをするわけだが、当たったことない。わたしがひとりで行ってきた今年が、初の快挙だ! って。
「アンタ、すごく幸運なんじゃ?」
 と言われ、首を傾げる。

 本日発売のトウコちゃんサヨナラショーのチケット、買えませんでしたけど?

 1分未満でサイトに入れたけれど、すでに「販売枚数終了」だった。
 ヅカファンじゃない友だちも協力してくれてたんだけど、とーぜん無理だった。

 とてもツイてる人間だとは思えん。

 だけど、「そうだ、今こそ!」と思い立ち、財布を某下級生会お茶会おみやげのトートバッグ(最近のお茶会みやげの中で、「使える」という意味で最大のヒット、ヘヴィに愛用中・笑)に突っ込み、近所の書店へ行きました。

 「歌劇」1000号記念を買うのー!!

 わたしは通常「歌劇」や「GRAPH」などを購入することはなく、まっつ関連だけnanaタンにもらってました。nanaタンも「贔屓が出たときだけ買う」人だったはずが、さすが2番手ともなるとどの号にもまんべんなく載っているので「定期購読契約した方が早いんぢゃ?」状態(笑)。
 今回の「歌劇」1月号、わたしが「買うつもりだ」と言うと、「どうして? まっつの新春ポートならあげるよ?」と、いつものよーに親切に言ってくれました。

 ありがとう、でもいいの、今回は自分で買う。
 だって、記念トレカが欲しいから。

 そう言うと、すげー納得されました(笑)。ええ、わたしはグッズ大好きヲタクですから。
 非売品とか初回特典とかに踊らされる収集癖のあるヲタクなのよー。アイテム集めがメインのゲームとかすげー好きなんだよー。

 創刊1000号記念号ってことで、「歌劇」1月号にはトップスター+トドのカードが封入されている。どのカードが入っているかはわからない。開けてみてのお楽しみ。

 全部集める気はないが、ふつーに1枚は持っていたい。
 そして、どーせなら好きな人のを持っていたい。

 気の多いわたしは、カードメンバー6人中4人までは「持っていたい」認識の人だ。今のトップさんはみんな素敵だけれど、あえて言うなら、こんな感じ。
 確率6人分の4、つまり3分の2。当たる確率の方が大きい。

 が。
 なにしろわたしは、くじ運がない。
 はずれる方が難しいときでも、しっかりはずれている。

 1冊しか買う気がない「歌劇」で、はずれたらやだなー、とじれじれしていた。

 だからこそ今、えべっさんの力を借りて、かわいー巫女さんの祈念の力を借りて、いざ運試し!!

 女性誌にやたらと力を入れている近所書店は、売り場面積の3分の1が女性用雑誌で、ヅカ関連書籍も豊富だ。
 「歌劇」も「GRAPH」も平積みしてある。
 つまり、選ぶ余地があるんだ。1冊しか売ってなかったから、という理由で選ぶわけじゃなく、吟味して1冊購入した。

 どきどきどき。
 帰宅して、巻末付録の袋をやぶる手も震える……てゆーかこの袋、開けにくくない? きれいに開けたかったのに、びりびりですよ。え、わたしが不器用なだけ?

 結果。

 水しぇんでしたーっ!!

 よっしゃー、アタリだーー!!
 幸先いいぞ、イェー!!

 や、一瞬トド様に見えたことはナイショです。
 見た瞬間ナチュラルに「あ、トド様だ♪」と思い、よく見ると水しぇんだった。

 白い服の水先輩が、険しい表情していて、すげーオトコマエ。
 美しいなあ。ほれぼれ。

 他の人のカードも見てみたいなあ。

 
 ……て、よく見ればこの記念トレカ、「アタリシールが出たら、さらにプレゼント(はぁと)」とか書いてある。
 なんなのソレ?!

 とーぜんシールなんかついてませんでした。
 なになに、ナニがもらえるの?

 「お好きなスター名」と「電話番号」を書けって、なにソレ……。

 「お好きなスター」から、電話が来たりするの?!!(たぶんチガウ)

 しかし、ほんとに電話だったらすげーなー。

 電話に出たら、「宝塚歌劇団の水夏希です」とか、ふつーに言われちゃったりしたらっ。
「緑野こあらさん、ご当選おめでとうございます。『歌劇』は創刊1000号を迎え……」
 とかなんとか、すげー真面目に「言わされてる」感満々に水しぇんが語り、その「台本通りでしかない」話のあちこちに、「なにか『イイコト』を言って、相手をよろこばせてあげよう」という、これまた生真面目な誠意が透けて見えたりとかして、うわあああ、萌え~~。

 トウコちゃんだったらどんだけ規定演技の中に笑いを入れてくるかとか、トド様は絶対四角四面で台本通りでおもしろくないぞとか、想像するとたのしいなあ。

 あ、でもコレって、べつにトップスターでなくても「好きなスター」なら誰でもいいのか。

 ……まっつでも?

 まっつから電話かかってきたら、まず「すいません、録音しますからちょっと待ってください」と言って、嫌がられる。「はい、もういいですよ、喋ってください」と仕切って、ものごっつーお義理感見え見えのことしか喋ってもらえなくて、そのアンニュイさにもさらに萌えるとか?

 や、実際はまっつから電話とか、あったら舞い上がってしまってパニック起こして、記憶も言語回路もぶっとんだまま終了、でしょうが。

 ほんと、このプレゼントってなんなんだろ。電話番号だけ別に書かせるのは、住所以下の記載部分を宛名カードに利用する都合だけだと思うし(笑)。
 写真にサイン入ったものが送られてきて終了、かな。

 ……て、当たってから言えってね。

  
 新春ポートのまっつは、ふつーにまっつでした。
 見開きページのお隣のれおんさんの派手さに、完璧に負けているとゆーかそもそも競う土俵にいないんだけど、それにしても地味さにツボる(笑)。
 パソコン前に飾ってある2008年新春ポートのまっつと取り替えなきゃな。結局1年間飾ってたわけだ。

 『太王四神記』座談会で、小池せんせがまっつだけ最初の呼びかけで「まっつ」呼び(他の人は最初の呼びかけだけはちゃんと芸名か、あるいは役名のみ)なのにひそかにウケたり、まっつのまっつらしい牛の絵に心奮えたり、まあその、まっつ関連だけ拾い読みしてみる。

 
 えべっさん福引きで初の快挙! で沸き立つ緑野家の夕餉の席で、遅れてこのニュースを知った弟はもひとこと。

「1年分の幸運を、もう使い切ったってわけだ」

 ちょっとぉー、やめてよ、縁起でもないっ。
 チケ運チケ運、神様わたしにチケ運ください。金運も欲しいけど。

 
 ちなみに、
 えべっさん福引きの「銅賞」の賞品は「ウスターソースの小瓶」です。ええ、ささやかですとも。
 こんなレベルのくじ引きすら、何十年当たったことない緑野家って……!(白目)
らんとむ in ファミ通。
 わたしが毎週欠かさず読んでいる唯一の雑誌が、「ファミ通」である。
 ……って、いい年した女がどうなの? ってもんではあるが、「欠かさず」「リアルタイムで」読んでいるとなると、ファミ通だけだ。

 その長年読み続けている雑誌に、らんとむが載っていた。

 本日発売の2009年1月23日号、『逆転裁判』の記事だ。
 らんとむとまちゃみと七帆のインタビュー付き。

 ファミ通に現役ジェンヌが載るなんて、1998年の速水リキ以来じゃん?!

 ……って、何年ファミ通愛読してんだあたしゃ……。

 えー、「ファミ通」というのは、誌名からして「子ども向きゲーム雑誌」に見えがちですが、じつのところ30代男子向けホビー雑誌です。
 ゲームだけでなく、アニメ・アイドル・映画など一通り扱っています。そりゃま、ゲームがメインだけども。
 読者ページの「ゲーム関係なしの無法地帯」ぶりを見れば、「ゲーム」という共通言語を持った男子たちが集まって楽しんでいる場所、だとわかります。

 子ども向けを装いながら、出てくるネタはふつーにR35なんで、むしろ「わんぱくちぴっこ向け雑誌プレイ」を好んでやっている雑誌だと思っています。

 痛雑誌のひとつで、編集者たちがまるで芸能人のようにコスプレして誌面に出まくり、内輪ウケと楽屋落ちの嵐。
 なんつーんだ、すげー厨な雑誌だと思う。
 いかにも男子がやりそうな悪ふざけ。

 わたしのよーに女子からすれば、ドン引きすることもしばしば。

 長年読んでいれば、ゲームレビューがアテにならないこと(大人の事情が透けて見える)や、メーカーとの馴れ合いぶりとか、とほほなことが山ほどありますが、それでも読み続けられるのはわたしがいい年したオトナだからかも、しれません。
 キレイキレイな若者でなく、諦観を持った年寄りだから。
 イタいところも含め、愛でることが出来るとゆーか。

 
 さて、98年の『アルバレアの乙女』以来の、ヅカとゲームのコラボ(笑)。

 えーと、『アルバレアの乙女』は当時まだめずらしかった乙女ゲーで、プレステ版の主題歌を宝塚歌劇団のtap(宝塚エンジェルプロジェクト)が歌っていました。
 予約特典のポスターが、なんとtapのポスターだったんだよ。リバーシブルで、片面がゲームイラスト。
 たしか持ってるよ、ポスター……。遠い目。
 ゲームは絵がものすごすぎて買うこともプレイすることも、とてもできなかったが、ヅカファンなのでポスターのみ手に入れた。

 で、リキくんのインタビューがファミ通に載ったのね。リキくんひとりで1ページ。
 たしか、保存してあったと思う……。遠い目。

 
 今回の『逆裁』ミュージカルの記事は、らんとむたち3人で1ページ弱。少なっ。
 もっと誌面さいてくれよー。
 てゆーか、写真小さすぎ。
 らんとむ美人なんだから、でーんと大きく載せてよー。

 らんとむたちが載っているのは、女性向けゲームページ、だそうで、イラストがヅカ調になっているのがまたイタい(笑)。

 先述の通りファミ通は男子目線で作られた雑誌なので、女子が読んでも楽しいかどうか微妙だし、それでもがんばって女子向けページを作ろうと毎回努力しているんだがどうもスベっている。
 今回も「女の子にゲームについて聞いてみた」とアンケートをたった50人に取った結果を載せてあるんだけど……うーん。
 なんかもお、痛々しい感じ……(笑)。

 まあ今回、らんとむさんたち目当てにヅカファンが買うかもしれないから、それをきっかけに女子購読者が増えるといいね、としか……。

 
 らんとむたちのインタビューの内容は、なにしろ3人で1ページ弱なんで、ほんと大したことは言っていない。
 『逆裁』を今プレイしてます、おもしろいです、とか、ゲームファンのイメージを壊さないようにがんばりますとか、ヅカファン以外の人に観てもらえるとうれしいとか、そんな意味のことを3人が3回語ってEND。

 これじゃ、彼らの魅力っつーか、そもそもどんな人なんか、読者には伝わんないよー。
 これが精一杯なのかなー。しょぼん。
 

 てゆーかチケット即日完売で、新規ファンの手に渡っているのか、はたして??
 新しい制度がまたひとつ、発表になった。
2009/01/08

宝塚大劇場 星組公演(3月8日15時、9日13時)の当日券発売について

宝塚大劇場 星組公演『My dear New Orleans(マイ ディア ニューオリンズ)』『ア ビヤント』の下記サヨナラショー実施公演の当日券は、抽選による発売とさせていただきます。
また、3月9日(月)13時公演は、エスプリホールにおいて当日の公演の舞台映像をスクリーンにてご鑑賞いただける「エスプリホール映像鑑賞券」も、当日券と同様に抽選にて発売いたします。

・抽選後、宝塚大劇場チケットカウンターにおいて「ご購入整理券」に記載の整理番号順にお一人様1枚、「当日B席」「立見券」を含む当日券をご購入いただけます。
 注・千秋楽は「ご購入整理券」で選べる範囲に「エスプリホール映像鑑賞券」が追加される。
 

 今年から席種区分と価格が変更になり、年間スケジュールも大きく変わった。
 それにともない、チケット発売方法が変わった。

 コレがけっこう、とまどいの元で。

 なのにとまどっているのはわたしひとり? 周囲の誰も興味なさそうで、言っても「え、そうなの?」とか「変わったの? てゆーか前はどうだったの? どっちにしろ知らなかった」程度で、温度差があった。

 みんな興味ないのかなあ。

 立見券の発売方法なんて。

 わたしは立見ダイスキだから、通常から立見券の動向に興味があった。
 なんで立見が好きかってそりゃ答えはひとつ、びんぼーだからだ。
 わたしが億万長者なら立見なんかしないやい。びんぼーなくせに分不相応な趣味を持ってしまったがため、びんぼー人らしくみみっちい観劇ライフを送ってるんじゃないか。

「値段だけが問題なら、当日B券があるじゃない」
 だから立見券なんて気にしなくても、と言う人もいる。

 びんぼーなわたしは、もちろん当日B券もダイスキだ。立ち見より安い2000円だもの!

 でも当日Bは発売数が圧倒的に少ないの。
 42席のみだっけ。
 人気無し公演ならそこそこの時間に行けば手に入るが、人気公演だと朝から行って並ばないと手に入らない。S席、A席が山ほど売っていても、当日Bだけは即完売大人気。

 たった42席、手に入るかどうか怪しい、当日までわからないチケットに、望みは掛けられない。

 それよりも「安全」なのが立見券。

 何故ならば立見券は、発売枚数が多いのよ。

 昔は200枚くらい発売していたっけ。
 消防法の関係で、今は数が減らされているけれど、当日Bよりははるかに多い。
 それに、立見は敬遠する人も多い。
 発売枚数は多いのに、ライバルは少ない。って、すげーありがたいんですけど?

  
 そして当日Bとちがって立見は前売りされていた。

 あらかじめ、手に入れておくことが出来たんだ。
 安く気軽に観られ、そのうえ前もって入手できる。って、すげー便利なんですけど?
 手に入るかどうか、観劇できるかどうかわからない状態で、あの田舎村まではるばる行くよりも、「観ることが出来る」とわかったうえで予定を立てられる。って、すげー便利なんですけど?

 TCAとかサヨナラショー付き公演とか、チケ難必至のときに、前売りで発売されるチケット枚数が「+100枚」であるっていうのは、ありがたいじゃん?
 チケぴのみ取り扱いのTCAはともかく、本公演はネット・電話・店頭発売に比べダフ屋が少ないムラでの早朝抽選販売のみ取り扱いだったので、ほんとのファンの手に入りやすかったし。

 また、タカラヅカに「会」という制度があり、FC会員さんたちには会による公演チケットの取り次ぎというものがある。だが申し込んだからといって、100%会からチケットを取ってもらえるわけじゃない。
 観劇日の数日前にチケットの取り次ぎがOKか、お断りかの回答が出る。
 どうしても見たい公演は、この「お断り」時の保険として自分でもチケットを用意しておく。お金に余裕のある人や、お断りされる可能性の方が高い人はそこそこの座席チケットを用意しておくかもしれないが、「どうせ捨てることを前提」にする保険チケットだ、高い座席券ではなく立見券を選ぶことも多い。

 わたしは会に入っていないので、わたしに関係があるのはこの「保険チケット放出」時。
 1週間から数日前に、チケット掲示板に立見券がわらわら出はじめる。
 これも当日Bとちがって、前もって手に入るわけだから、ありがたいさ。

 
 そうやって長年、立見チケットとつきあってきた。
 不況になるに従って立見が出る回数は減り、このブログをはじめた当初は「初日は立見で観る」ことをモットーとしていたのに、「初日に立見は出ない」ものになり、楽に近くなっても立見が出ないことが当たり前になってしまったけれど。

 さらに、タニちゃんお披露目とかまとぶんお披露目とか、「座席は完売していないのに、立見を発売」とか謎な状況になったりし、「この立見発売方式、おかしくね?」と首を傾げることにもなったけれど。

 2009年の大幅改正から、立見券が「当日のみ」の取り扱いになった。

 今までのように、前売りで座席券が売り切れたら、それに続けて立見券を発売したりしない。
 もう前もって、手に入らない。
 かわりに、ぴあその他で座席券が余っているのに、ムラで発売初日に一旦座席券が完売したからと立見券を発売することもない。

 
 これはけっこー大きな変化なんだが、わたしの周囲は誰も興味持ってなくて。
 『太王四神記』初日、わたしは立見で観劇したかったんだが、立見が前売されていない。これまでの公演なら先に買えていたチケットが、今は買えない。

 じれじれしたなあ。

 改正が発表になったとき、不便になった、と嘆息したが、実は唯一希望も持ったんだ。

 トウコちゃんの、サヨナラショー付き公演のチケットについて。

 今までの方式ならば、立見券約100枚も、一般発売時に販売していた。
 ムラの並びが無くなり、今まで通り立見券も前売りする状態でぴあなどに丸投げした場合、立見券までダフ屋に持っていかれることになる。
 が、立見が当日のみになれば、ダフ屋が絡んでこない。

 サヨナラショー付き公演は当日抽選になるだろうから、先着順でもない。

 つまり。
 従来は当日B席42枚しか、アタリがなかった。
 当日抽選に何千人並んでいたとしても、アタリは42枚。

 だがそこに、立見券100枚が加われば。

 アタリは、3倍になる。 

 トウコちゃんのサヨナラショーを観られる確率が、3倍になったわけだ。

 いやその、3000人の分の42、だった確率が、3000人分の142になっただけで、結局当たらないのがふつーだと思うけど。3000人よりもっと並びに来るかもしれないし。

 でも、この「3倍」ってのは、夢のある話だよ。

 去年、チケット前売り方法が改正されたとき、「トップサヨナラ公演の当日券、どうなるの?」と思った、その答えがようやく正式発表された。
 やれやれ、長かった。

                ☆
 
 以前は公式HPに発表されたニュースを転記したりすることはなかったんだが、最近は考えを改めた。
 ブログはじめて7年、さすがに書いてきたモノと時間が多くなるとあとから見て混乱する。

 あとから振り返ることを前提に、時事性のあるネタはなんの話をしているのかわかるよーにしておこうと思う。
 えー、その昔、大騒ぎして入手した『2008 TAKARAZUKA CALENDAR Another Shots』に、緑茶をぶっかけました。

 わたしではなく、我が家の新参家族である子猫が。

 『Another Shots』だけではないっす。
 『おとめ』数年分、パーソナルブック各種、OSKプログラムや過去のTCAプログラム、『ケイゾク』などの映画プログラム……。
 よーするに、B5版のビジュアルブック全滅です。

 それぞれカバーをかけて、大切に保存してあったものたちです。
 表紙・背・裏表紙はカバーをかけてあるので守ることができるけれど、「本」である以上、開く部分……上下とサイドはむき出しぢゃないですか。開かなきゃ読めないわけだから、中のページは守りようがない。

 緑茶がぶちまけられたのは、本の並んでいた書棚の上です。
 天板のない、オープン型のラック。背の低いタイプで、PC台の横に沿うよーな感じで置いてあったの。で、PCのキーボードテーブルの上に置いてあったマグカップを子猫に叩き落とされ、その下のラック直撃。
 ふつーに背表紙が見えるように立てて収納された本の上部分、製本用語?でいうところの「天」部分はカバーもなく無防備。しかも、ラックにぎっしり並んでいたから、範囲は狭くてもかなりの冊数が犠牲になった。

 いちばん被害が甚大なのは、『2007年度版おとめ』。表紙はあさこちゃん。上から緑茶が瀧のよーに表紙を伝い、あさこちゃんに緑色の縦縞が。もちろん紙はふやけてぶわんぶわん。
 次が『2008年度版おとめ』でトウコちゃん表紙。こちらも表紙まで、量は少な目だが伝っている。
 あとは大抵、本の天部分が緑色にふやけている。

 あああああ。

 モノは所詮モノでしかなく、残念ではあっても、あきらめきれないってほどのものでもないし、汚れてぶわんぶわんに膨らんでしまったにしろ、読めることはたしかだから、しょうがないで終了、するしかないんだが。

 それにしても、かなしい……。
 ゆーひが、きりやんが、キムが……。手元でよく眺めていた人ほど、被害甚大って、せっかくのパソブ……。オサ様はぎりぎりセーフ、檀ちゃん写真集もなんとか汚れてないか。

 いちばん取り返しがきかないのが、『Another Shots』かなあ。1年間にヅカ雑誌31冊買って応募する、アレですよ、アレ。
 はあああ。

 とりあえず今は、ぶわんぶわん化を最小限に抑えるため、濡れた本たちの上に重しをして、押し花状態にしてあります。

 カバーも全部はずして捨てたので、また買いなおさなきゃ……。ヲタク用透明カバー使用だから、ヲタク書店に行かなきゃ売ってないのよ。やれやれ。
 

 子猫はやんちゃすぎて暴れん坊過ぎて、毎日すごい勢いでいろんなものを落としまくってます。
 トド様、ゆーひくんのパーソナルカレンダーは壁から引っ掻き落とされた。今は隠してあるので、眺めることもできやしねえ。(カレンダーとして、それはどうなの)

 
 ところでこのサイト、いつの間にか左側に「日記内を検索」ってのが出来てるのね。
 苦節7年、コレがないためとても不便だったんだが、ついに、いつの間にか、出来てる。や、5年前くらいにあってくれれば便利だったけど、記事が2500近くなった今ではあんまし意味無いような気もするけど……いちおー進歩?

 とりあえず「まっつ」を検索してみる。

まっつ の検索結果のうち 22804.diarynote.jp からの日本語のページ 169 件

 1878件のヅカ日記のうち、たった169かぁ。
 わたしも意外にまっつまっつ書いてなかったのね。(まっつまっつ言い出したの、最近だし)

 
 ところでみんな、川原泉には食いつきいいっすね(笑)。
「ぶっちゃけ、ヒョンゴって、嘘ついてんじゃね?」

「スジニに黒朱雀の印がどうのこうのって、アレなに? 伏線かと思ってたら、ぜんぜん関係ないまま終わっちゃったんですけど?」
「結局、朱雀は最初から最後までキハだったじゃん? スジニはなに?」

「ワシが思うに、よーするにヒョンゴ殿はスジニは結婚しちゃダメだとゆーことが言いたかっただけではないかと」

「えー、ひどーい。結婚しちゃダメだなんてぇ」
「そーだよなー。結婚したいよなー」
「ねー」

「はい、そこのバカップルは口を挟まない。そもそも前世でタムタムとカップルだったのはスジニでしょ? なのに現世でスジニがタムタムに想いを掛けているって流れに話がなると……」
「ヒョンゴ村長が眉を八の字にして待ったを掛けた、と」
「息子の花嫁のために用意した、ワシの『ちょっといい話』の衣装が無駄に~~」
「結婚してはならない理由は、スジニが黒朱雀になるかもしれないから……でも朱雀だろうと黒朱雀だろうと、関係者はキハのみで、スジニは無関係。スジニを黒朱雀だのなんだのと言っているのは、ヒョンゴのみ。これって……」

「幕開きの怒濤の回想シーン、ヒョンゴ村長ってばどさくさにまぎれて捏造してないか?」
「自分の子ども時代が、あーんな少女とみまがう美少年だもんねえ。自分で語って、アレはないわな」
「真実の中に嘘を混ぜることで、全部真実だってことにしてんじゃね?」

「……なんのために?」

「結婚させず、どこへもやらず、スジニを手元に置くことがヒョンゴ殿の目的ではないかと推察する」

「つまり……『光源氏計画』だね」

「姐さん、鋭い!」
「女の勘だよ」

「赤ん坊の頃からその手で育て、好みの女性に成長させる。せっかく美しい年頃の娘になったのに、ここで横から取られてたまるものかと……」
「黒朱雀の話を捏造する!」
「さすが参謀ヒョンゴ殿!」

 鍛冶屋の姐さんとか、田舎部族の若者とかその恋人とか、元仮面の男とかその育ての親の将軍とか、某村のはしこい青年だとか、まあいろんな面子が口々に勝手なことを言っていた。

 そこへ話題の主が現れた。

「捏造ってナニ、冗談じゃないっ」

「だって宝塚歌劇版『太王四神記』の『スジニ=黒朱雀説』は完璧な説明不足ってゆーか『ソレ、なかったことになってね?』的ぐだぐださで終わってしまうから、語り手ヒョンゴがフカシこいたってことでしか説明つかないじゃん」
「何故そーなるっ、悪いのは演出家だろう?!」

「光源氏計画はいいけどさー……ヒョンゴって、女の趣味変わってるよなー。スジニって美人だけど、男みたいだし。アレが理想って……」
「すでに尻に敷かれてるよな。武装してふつーに戦場出るし。村長よりぜんぜん強いし」

「育て方を間違えただけです、しとやかで奥ゆかしい女性が好みです、本来は……ほんとうなら……」

 こんなはずじゃなかった。私が貴重な青春を犠牲にしてお育てしたお嬢様なんだから、もーちっとなんとか……臈長けてたおやかな、はにかみやさんのお姫様になったっていーはずなのに。
 とかなんとか、出典どこかわかりますか?な、某アンドレ@『ベルばら』ぢゃないぞっと、の台詞を涙ながらに語るヒョンゴ先生、老けているけどこれでもまだぴっちぴちの30代。

「辻褄の合わないことは全部、語り手のヒョンゴのせいってことにしとけば、話は収まるってことで」
「原作は無視、舞台の上で描かれたモノだけがすべて。ということはやはり、光源氏……」
「ヒョンゴの趣味って……」

「お師匠様の趣味がどうしたって?」

 ひょっこり現れた、もうひとりの話題の主に、皆は黙って「うんうん」とうなずき掛け、その場を去っていく。

 残されたヒョンゴとスジニの後ろに、ピンクのハートマークに続く真っ白な道を見るのが、少女マンガの王道かと。
 がんばれヒョンゴ先生。

             ☆


 や、だから原作無視で。

 みわまつ万歳。
『太王四神記』って、なまじ大作だから?舞台上にすごーくたくさんの人がいて動き回っているから、まっつがどこにいるかわかんなくなるわ! ただでさえまっつ、小さくて地……ゲフンゲフン」

 と、ご心配の貴女へ。

 大丈夫です。
 今回は絶対にまっつを見失いません。

 たしかに、舞台上の人口密度はすごい。
 いつもすげー人数がわいわいやっていて、下級生たちにも見せ場や台詞や歌がそれぞれあり、組ファンとしては目がいくつあっても足りない状態、だとしても。
 まっつが一緒に行動するのが戦士たちだから、そのなかでもっとも小柄で華奢(女の子のスジニより・笑)なまつださんが、他の男たちにかぶって姿が完璧に見えなくなる恐れが多分にあるとしても。
 ぶっちゃけ地味で、その他大勢に埋没しがちであったとしても。

 大丈夫。

 「玄武の神器」を探せば、一発さ♪

 ヒョンゴ@まっつは、登場からラストシーンまで、一貫して「玄武の神器」……曲がった杖を持っています。

 西洋の魔法使いが持っているよーな、アレ。
 すげーじじいくさい、アレ。
 ぜんぜんかっこよくない、アレ。

 姿はいつものまっつですっきり美しいのに、杖を持っているのでとってもおじいさん風に見える。
 そしてまたまっつが、みょーにじーさんぽい演技をしているので、まっつ自身の姿と、杖と、演技とで、なんか落ち着きが悪い。
 本人の若さ・美しさは演技に引きずられ、別に若くない・地味なおっさんだよね? の方にシフトしてんじゃないかと思う。
 役の年齢からして、もう少し若く演技してもいいと思うんだけど、「玄武」であることに、小池のイメージが引きずられてるのかもしれないな。

 原作ドラマは見たことないんで知らないけど、四神の「玄武」は北や黒、冬を表し、老人の姿で表現されることが多い。……てなふーに、いわゆる「四神」については、ヲタクのたしなみとして最低限知っています。
 悪の四天王とかいうと、ありがちなのが玄武が老人で、朱雀が紅一点、青龍と白虎が青年だよねー、とか。最初に知ったのがどこでなにでだったかわかんないくらい、ヲタク常識として四神相応とか四霊獣とか五行とかの知識は、ふつーにある。

 だから「玄武」の神器が「杖」だと言われれば、すごーく納得。そりゃそうだろう、と。玄武ってじじい役のこと多いもんなー。
 つーことでまっつも、じじい風演技を指導されているのかもしれない。
 んじゃなんで見た目はヒゲも白髪もなく若者なのか……ってことだが、スジニを拾ったときに子どもだったことを思えば、ヒョンゴの年齢はスジニ(つまり、タムドク、ホゲ)より10歳くらい上なだけ、タムタムがハタチならヒョンゴ先生はまだ30そこそこってことになる。
 ヒョンゴ先生自身が「子どもだった私」とナレーションしているので、スジニとの出会いの年齢は、青年時ではなく子ども年齢だったのでしょう。演じているのがイブちゃんだったと思う(プログラム買ってない)、娘役さんによる子役だから、すげー幼い感じ。

 ヒョンゴの実際年齢通りにまっつは外見を作り、されど演技は「玄武」らしく老人風、という不思議なモノになる。

 なんにせよまっつは、いつも杖を持っている。

 どんなときも持っている。
 衣装を替え、場が違っても、持っている。
 戦場ですら、持っている。杖を持っているせいで、剣を抜くことも出来ない……のに、持っている。

 杖を探せば、まっつがわかる。

 安心ですね、みなさん!
 まっつがどんなに小さくても地味でも大衆に埋没しても、杖を目標にして探せばノープロブレム、問題なしですよ!!
 まっつの小さな頭の上にぴょこっと飛び出してますから。他の誰より、杖が上に出てますから。

 まず群衆の頭の上を探して、飛び出している杖を見つける。→その下にまっつ。
 はい、簡単ですねっ♪

 そしてまた、まつださんてばあちこちに登場している。

 幕開き、いちばん最初に上手セリからひとりでせり上がり、自己紹介後に淡々と語りはじめ……それだけでなく、神話だの承前だのが終わり、本編スタートしたのちも民衆がわいわいやってるとこには大抵まざってます。
 謎の神学生みたいなずるずるした格好とか、越後の縮緬問屋のご隠居みたいな、さらに謎な格好して。

 最初のナレーション部分はほんとーに淡々とアナウンサーのように正確に明瞭にクール・ビューティまっつの本懐みたく話しているんだが、本編では三枚目系で登場してます。
 スジニ@みわっちに振り回されてるわ、ヒョンミョン@だいもんにあしらわれてるわで、村長の威厳はどこに?!状態。

 ヒョンゴ先生は終始眉を八の字に寄せた、ヘタレまっつの顔をしています。

 天下一武道会のギャラリーやってるとことか、無駄にテンション高くて、かわいいっすよ、ヒョンゴ先生。

 神器探しクエストでタムタム・パーティの一員として鎧姿も披露してくれるんだが、なにしろ武装してなお杖持ってるわけだから。使い物にならないの、丸わかりだよねえ……。
 師匠ポジションなんだから、鎧着なくてもいいだろーに、おじさん張り切って剣まで帯いて、いざ戦闘がはじまるとスジニに背中にかばわれたりしているところが、じたばたしちゃうほど、萌えです。

 あの「毒にも薬にもならない」、「誰からも安全パイと思われている」感じが、いいっすねえ。
 インテリとしての尊敬はされてるんだろーけど、この男に求婚されたら大抵の女は困惑するよなー、というか。
 浮気もしないだろうし、地位も稼ぎもあるし、幸せにはなれるんだろーけど、どーにもときめかないってゆーか、男としてカウントしたこともなかったわ、みたいな。
 ええ、ソコがいいんです。
 わたしはそーゆーキャラクタを発掘して愛でるのが好きです。真ん中は真ん中で見てるけど、脇スキー的に地味なとこにアンテナが動くという業を持つ(笑)。

 役目忠実でそれ以上がないあたり、すげーまっつらしいんだけど、今のヒョンゴ先生をたのしんだうえで、あえて無い物ねだりしてみる。
 原作とか脚本とかを離れ、今この舞台、この世界のヒョンゴ先生として、「色気」のプラスアルファが欲しいっす(笑)。
 ヒョンゴ先生自身が誰を愛しているのか、わかるとたのしーのに。

 
 まあともかく、他のナニより今回はまっつの「声」は美しいなあと、改めて感動しております。
 歌とか以前に、「語る声」が美しいって、すごいや。めっさ心地よい声だ。
 元アニヲタにはたまらん。
 サイトーヨシマサを、なつかしく想う、新しい年のはじめ。

 ……てのも、どうかと思うが。

 『太王四神記』を観て、もっとも痛烈に感じたことは、斎藤吉正演出で観たかった。と、いうことだ。

 こーゆー他愛ないヒーローものは、つじつまなんかどーでもいいからひたすら派手にかっこよくあるべきだと思う。どうせ長大な原作の消化なんかできないんだから、そんなことあきらめて、中身の深さより、見た目の派手さのみを追求すべきだ。

 サイトーくんなら、もちろん話はもっとぐだぐだになる。ぶっこわれて整合性なんかなくて、とくに時間の流れや場所の感覚はわけわかんなくなる。なんじゃこりゃ、とあきれてアゴを落としているうちに、話が進み、「えっ、なんなの?!」ととまどっているウチに、話が終わる。

 だけど。
 10分に一度はストーリーと無関係にかっこいい見せ場がばーんと入り、1幕に3回は「ひょっとしてここで幕?!」ってくらいクライマックス的に無意味に盛り上がる。
 常識とか整合性を放棄している分、登場人物はより記号的にわかりやすく、かっこよくなる。英雄はより英雄らしく大見得を切り、悪役はさらに悪役として高笑い、苦悩はより激しく物語の進行を止めてまで慟哭する。

 音楽はキャッチーなアニメソングになり、1回聴くだけで耳に残り、劇場を出るときはもれなく口ずさんで帰れる。
 正義のタムドク@まとぶとその仲間たちのヒーローソング、対するダークヒーローヨン・ホゲ@ゆーひとその部下たちの復讐ソング(復讐はハズせませんから!・笑)、さらにわかりやすく悪の秘密組織と化したプルキル@壮くん率いる火天会の悪ダマソングが、盆を回し全セリを上下させ銀橋を使いまくり、映画張り大スクリーンの映像と併せてとんでもない派手派手しさに!
 やー、登場人物紹介であの大劇場ホリゾントいっぱいの巨大スクリーンに、まとぶさんやゆーひさんの美貌が映し出されることを思うとわくわくしますな。ついでに、三つ編みヒゲえりたんのトンデモ美貌にも!

 でもってエロエロシーンがある。タムドクとキハ@彩音ちゃんのラヴシーン、キハとヨン・ホゲの色っぽいシーンが必ずあって、そのベタなピンクさに観客が固唾をのむ(笑)。ついでに一斉にオペラが上がる(笑)。
 それからこれがすごく重要だが、スジニが萌えキャラなる。
 アニメ定番ボク女として、わかりやすくかわいい衣装になる。原作がどうあれ、大衆に埋没するよーな地味服は着せない。どんなにベタで恥ずかしいほどでも、「あそこに準ヒロがいる!」とわかる扱いをする。てゆーか、みわっちにスジニはやらせない。ふつーにすみ花あたりだろ。

 でもって、タムドクの死んだ母@さあやがなにかっちゃー回想シーンで現れる。母の幻に語りかけるタムタムは必須。
 さらにホゲは母を殺されたことをすごーく根に持つ。なにかっちゃー母のことを持ち出す。王になりたいのも、母@じゅりあの悲願だからだ。
 マザコンはサイトーくんのお約束!(笑)

 いやあ、サイトーくんだったらどんだけゆーひさんをエロエロに慟哭させてくれたかと思うと……。まとぶさんを虐めてくれたかと思うと……。黒あやねちゃんにS女ぶりを発揮させてくれたかと思うと……。
 そしてフィナーレの女の子たちに、耳としっぽが……ゲフンゲフン。

 
 小池演出だと地味だなーと思ってしまうあたり、どんだけ毒されてんだあたしゃ、と思ったが、会う人会う人「コレ、サイトー演出で観たかった!」と言うから、類は友を呼んでいるんでしょーな。

 小池せんせはとにかく色気がないのが致命的なんだよな。基本的に恋愛とか情念が描けない人だから、人物描写の軽さが際立つ。
 軽いなら軽いで、もっと派手にぶっとんでくれりゃあいいのに、常識の範囲で収まってしまう。
 演出力はすごくあるんで、それによってメンタル面の薄さをカバーしてるから体裁は保たれてるんだけどさ。

 地味で盛り上がりに欠けることが、いちばん気になった。初見では。
 テンションが一定だから、メリハリに欠けるのよ。

 2回目は「そーゆーもん」と思って観るので、気にならなかった。
 てゆーか、2回目からの方が、おもしろい。

 1回観て「盛り上がらない」と思った人、2回観てみてくれ。

 わたしは原作ドラマをまーーったく知らないし、プログラムも買ってないし、人物相関図もまともに眺めてないし、あらすじすら読んでいない人間だが、それでも立ち見位置から観劇して話にはちゃんとついていけたから、別に難しい物語でも予習が必要でもなんでもない。
 いろいろわからないことはあるが(笑)、細かいことは気にしなくても、物語自体はたのしめる。
 ので、「とりあえず1回だけ」でもOKだ。

 ……まあ、音楽が残念なことは、変わらないんだけど……何回も何回も観れば、気にならなくなるかなあ。
 音楽にもお金を掛けるべきだったと思うよ……。

 無い物ねだりをしてもしょうがないので、小池演出の『太王四神記』を愉しむつもり。
 てゆーか、演出はうまいからさー。わたし好みの作家ではないっちゅーだけで。

 まっつがこれだけたくさん出て、たくさん喋ってるのも小池だからだと感謝してまつ。谷やキムシンだったら台詞3つだったかもしれん。サイトーくんでも、まっつは好みの役者ではなさそーだから、もっと疎外されてそうだしな(笑)。

 なんにせよ、前作が『愛と死のアラビア』だったのだから、今回はパラダイスだ!
「教えてヒョンゴ先生。『太王四神記』の冒頭、神話部分がよくわかりません。ぶっちゃけ、いらないんぢゃないですか、アレ?」

「そんなことを言ってはいけません。物事にはすべからく因果というものがあってだね、現在の事象を語るために過去の要因を説くことが必要なのだよ」

「教えてヒョンゴ先生。神話部分はまあそんなこともあったのかふーんで済むけど、その直後のチュシンの星が現れたときの怒濤の出来事、アレ、いくらなんでもありえなくね? タムドクとヨン・ホゲが産まれたまでは良くても、あと一気に四神器がどーなったかまで描くのは乱暴すぎるんじゃ? 主役ふたりの他に、神器×4で、しかもその4人の家族まで一気に出てくるんで、ありえない人口登場密度なんだけど?」

「このジェットコースターについて来てこそ、本物のタカラヅカファンなのだ。……まあここだけの話、そんなもんわかってなくても、ストーリー自体は単純だから、気にしなくてよろしい」

「教えてヒョンゴ先生。チュシンの星が現れたときに、タムドクとヨン・ホゲが産まれて、そのときすでにキハは妹を隠したりしてたんだよね? ……て、キハってそんときいくつですか? てゆーかキハって、実はすげー年増?」

「そ、それは、言ってはならないことだ。タムドクと書庫ではじめて会ったときのキハがものすごーく若い少女ぶっていたことなんかは、考えてはいけないことなのだ」

「教えてヒョンゴ先生。タムドクが生まれた日に、スジニはすでに生まれていて、姉のキハが抱いて隠しても大丈夫なくらい、ある程度育っていたわけですよね。ということは、スジニって、タムドクと同い年か、年上?」

「そ、それは、言ってはならないことだ。物語の性質上、タムドクとヨン・ホゲがいちばん年少になってしまうが、ロマンが壊れるから、考えてはならない。スジニは少女、タムドクに子ども扱いされる少女。たとえ演じている人の学年が研12とか今年で13とかでも、スジニは少女。いいね、わかったね?」

「教えてヒョンゴ先生。公式HPのあらすじに、孤独なタムドクを幼い頃から理解し支えたのは、神官キハだった。ってあるけど、いったいいつ幼いタムドクをキハが支えていたんですか? 書庫で出会って出会った瞬間誰にも言ってはいけない秘密をぺらぺら喋って、父王の寝所にまで連れて行ってたけど、実はあの場面だけで10年くらい時間が経ってたんですか?」

「え? い、いやそれは先生も知らなかったっ、2回観劇したあとに人から言われてはじめて知った……てゆーか、HPのあらすじなんかはじめて読んだよ。そ、そうだね、きっとあの出会い場面のキハの少女ぶりっこからして、タムドク10歳、キハ16歳とかで、出会って話している数分間で実は10年の月日が流れ、心を許したタムドクが『本当はチュシンの日に生まれたんだ、でもこれはナイショだよ♪』と打ち明けるんだ。父王は10年間病に臥せっていたんだよ」

「奥が深いですね! あの数分間で10年の時の流れを示していたなんて。毒殺に10年もかかっていたんじゃあ、悪者のヨン夫人も業を煮やして悪者医者に早く殺してしまえとせっつきますよね!」

「うむ、その通りだ。ちなみにその間ずーっと私たちコムル村の者たちはどこぞの宿場だかにいたことになるが……細かいことを、気にしてはいけない」

「教えてヒョンゴ先生。幼なじみだと銀橋でじゃれ合わなければならないの? なんかすごく既視感があるんですけど」

「たしかにどこかで見たような気はするし、とくに片割れはついこの間『俺たちはVieil Amiだ』とか言っていたよーな気がするが、気にしてはならない。そんなこと言ったら最後のクレーン朱雀ちゃんはどこの昇天シーンだとか、幕が下りたあとに下手セリから2番手がキラキラ衣装で登場して主題歌ソロで銀橋とか、キリがないので、却下」

「教えてヒョンゴ先生。ヒョンゴ先生ってじつは、越後の縮緬問屋のご隠居ですよね?」

「スジニが助さんで、ヒョンミョンが格さん? 玄武の杖が印籠? ボタンひとつで光ります? ……先生も、あの衣装デザインの本音を聞きたいところです」

「教えてヒョンゴ先生」

「ストーリーへのツッコミは、面倒くさいのですべて却下。他のことにしてください」

「じゃあ先生、作品中、いちばんのナルシストは誰ですか?」

「難しい質問ですね。三つ編みがチャームポイントのプルキルと、一筋の乱れ髪にこだわりアリのイルスが強いかもしれませんが、実のところチョロが最強でしょう。自分の素顔を見た瞬間の彼の『これが俺の顔?』という台詞のあとに、心の声『……美しい(はぁと)』が聞こえてきますからね」

「教えてヒョンゴ先生。コ将軍って、どんだけ人望ナイんですか? 将軍なのに、タムドクのもとへ馳せ参じるとき単独って……部下のひとりも従ってくれなかったんですよね?」

「新公学年でありながらトップスターの師匠にナチュラルに見える、あの得難い才能のヒゲぶりを賞賛するべきであり、無粋なツッコミをしてはいけない。パソン姐さんの作る鎧が12枚しか出来ない以上、コ将軍に部下を連れてこられても困るのだから、アレでいいんだ。また、組長と並んで遜色ないチョ・ジュドのヒゲぶりとか、部族長たちとか、花組ヒゲ部の若手たちは有望だよ」

「……戦力的に役立たずのヒョンゴ先生が鎧を着るのをやめれば、ひとり戦士を連れて行けたのでは?」

「先生も必死に戦ってるんですっ。たとえ女の子のスジニに守られていても、腰の剣を一度も抜くことが無くても、鎧ぐらい着たっていいぢゃないですかっ。普段が謎の神学生か、越後の縮緬問屋のご隠居なんだからっ。かっこいい衣装も着せてよねっ!」

「教えてヒョンゴ先生。魔術師プルキルって、2千年も生きてて、小さな高句麗ひとつ征服できず、やっていたことは秘密組織の総統って、なんかショッカーレベルなんですけど、まあそれはいいとして、結局のとこ、最後アレどーなったんですか?」

「………………まあその、なんだ。最後に愛は勝つってことで。先生、原作のドラマ見てないからわけわかんないけど、まあハッピーエンドだからいいじゃんってことで」

 
 まとめ。

 『太王四神記』は、愉快です。

 それだけわかっていれば、ヨシ。愉しむ上での合い言葉は、「細かいことは、気にすんな」です。

 まとぶさんとゆーひさんが、すげーかっこいいです。えりたんが素敵です。
 ま、そーゆーことで。

 「宝塚歌劇95周年 新春口上」がどんなカタチで行われるのかは、わかっていなかった。

 90周年のときはもともと各組トップスター特出公演だったこともあり、本舞台を使ってとても派手にやっていたと記憶している。
 あのときは植爺の『天使の季節』が酷すぎて、作品と植爺個人に対する怒りと嫌悪で記憶がぶっとんでるのよねー……口上はどんなだったっけ? 各組カラーのスパン燕尾とドレスじゃなかったっけ……? ショーの特出場面と混同してる? どっちにしろ、ちゃんとした「催し物」だったよね?

 ところが今回はいかにも後付けで、おまけめいた扱いだったので、特別なことはやらないんだろうなと思っていたら。

 袴姿のトド他トップスターが、銀橋で挨拶するのみだった。

 本舞台はカーテン前すら使わねえ(笑)。
 まあ、スターさんが客席に近くていいっちゃーいいのか。

 立ち見だったわたしはオペラグラスでまず真ん中のトド様を見、次にその上手側横のトウコちゃんを見、さらに続けてトド様を挟んで反対側の隣の水しぇんを見……彼らが、素顔であることに気づいた。

 素顔化粧に袴姿で、大劇場に立ってんだ!! すげえ!

 トウコちゃんの袴姿を見る、というのがわたし的に重要事項だったんだけど、まさか「素顔」だとは思ってなかった。

 タカラジェンヌの「素顔」を見る機会は少ない。
 会活動していたり、入り出待ちをしていればそうでもないだろうが、舞台しか見ないゆるいファンにとって、舞台メイクをしていないナマの顔を見ることなんて、ほんとにそうそうないんだ。
 トウコちゃんのトークイベントとか、当たったことないから、ほんとにわたしろくに見たことないってば。

 もういつ以来かわからない、素顔のトウコちゃんだ。

 うわーうわー、素顔で袴なんて。
 そんな姿、見られるとは思ってなかった。てっきりヅカメイクの「舞台用」の姿だと思っていた。

 きりりと美しい、「安蘭けい」としての姿。
 まっすぐな眼差し、まっすぐな美しさ。

 オトコマエな声も、凛と響き渡る。

 
 ……ええ。
 トド様、トウコちゃんまでは、ぴんと来てなかったの。
 彼らの化粧がどうとか。
 なにも思わず、「ああ、トド様だ」「ああ、トウコちゃんだ」とオペラをのぞいて……水しぇんを見て、はじめて、素顔化粧だと気づいた。

 2500人収容劇場で、最果て立ち見席から見ても、違和感のないトド様とトウコちゃんの素顔っぷりに、拍手。

 いやあ、水しぇんはねえ……メイク顔と素顔のギャップがなかなか大きい人なのでねえ……おかげで、そこで気づくことが出来たよ、「この人たち、ヅカメイクしてない!!」って(笑)。トドとトウコだけだったら、気づかなかったかも(笑)。

 や、水しぇんはソコがチャームポイントなんですよ! ええ!(笑)
 ついでに水しぇんの素顔メイクがもー、きらきらでねー、「袴姿でお正月で95周年口上でソレか?!(笑)」とツッコまれるのを待っているかのような、気合いの入った「ミズ流メイク」でねー。やーん、水しぇん素敵。

 水しぇんのおかげで、「素顔に袴姿のこの顔ぶれを一同にすることの希少価値」を、改めて思い知りました。
 目に焼き付けるべ、と他のみんなもそれぞれガン見。とくに、これが最後の機会になるかもしれない84期のふたりを、あわてて、改めて。
 となみ姫は素顔でもあでやか、オペラなくてもわかる顔立ち、反対にあすかちゃんはすごく素朴にかわいい女の子。舞台イメージでは、となみちゃんが天然さんであすかちゃんが悪女がキマるタイプの女優さんだったりするのにね。

 銀橋に1列で整列して挨拶して歌って、下手にとことこ、上手にとことこ、一礼して、また真ん中に戻って終わり。(ん? 上下逆か?)
 これだけなんだ……。
 てゆーか、月組さんいないし。90周年は東宝公演出演組のトップもムラの口上に参加していたんだから、今回月組がいないことの言い訳にはならない。
 トップ娘役不在だから、出すに出せないか。やっぱ「タカラヅカ」としての形式を壊す「トップ不在」なんて状況は、早く修正して欲しい。

 90周年に比べれば、とてもおまけ感の強い口上だったけれど、端数周年なんてこんなもんか。
 見られただけでもありがたい。

 口上が終わるなり、客席からばらばらと退場する人たちがいて、「口上だけが目当てだったんだなあ」と感心する。
 花組ファンとして、公演を観てもらえないことに寂しいキモチはあるが、「ご贔屓の袴姿のためだけに」時間を捻出して駆けつけるキモチを否定できるはずもなく。 
 スタンスは人それぞれ。

 
 カーテン前の吊りモノも口上仕様から『太王四神記』に変更され、さあ、いよいよ幕が上がる。

 95周年か。
 よい1年になりますように。
チケ難民 元旦早々 サバキ待ち
                -こあら 心の俳句-


 ……なんて、今年一年思いやられる状態ですが、あけましておめでとうございます。
 結局初日は立ち見して、それでも2幕は見知らぬ方に「口上目当てで来たから、もう帰るの。よかったら私の席で観る?」とチケットもらってほくほくS席観劇。……てのも、わたしのヅカファン人生を象徴しているのでしょうか。
 

「しいちゃんの鏡開きを見るの! しいちゃんの袴姿を見るの!」
 と、意気込んで早くから列に並び、真正面から障害物無しで鏡開きを見られたのは良かったんだが。

 ……わたし、誰が出演するか、わかってなかったのね。アタマに「しいちゃん」しかなくて、たしかしいちゃんと相方のすずみんが出演する、とだけ思い込んでいて、司会者が出演者の名前を呼んだとき最初に「立樹遥」って言わないから、心底びっくりした。
 えー、司会者のおねーさんは、「柚希礼音さん」から呼びはじめました。続けて「立樹遥さん、涼紫央さん」……。
 そうか、れおん出るんだ! そ、そりゃそうか。しいすずだけでやるわけないか。
 れおんくんに含みがあるわけではなく、わたしの偏狭な海馬が勝手に自己完結していた模様。

 退団を発表してから、はじめてファンの前に正式に姿を見せ、言葉を発するしいちゃん。
 彼自身からなにかしら退団についての言葉を聞けるのかなと思ったけれど、なにも無しでした。
 あくまでも組子として、タカラジェンヌとしての言葉のみ。退団するトウコちゃんの公演であることのみ。
 自分の退団なんかおくびにも出さず、しいちゃんは終始あの太陽の笑顔だった。
 おひさま色の着物がまぶしい。

 れおんくんはどんどんスターとして貫禄がついてくるね。たくさんの未来と責任を担って、さらにいい男になってくれ。

 すずみんはあのはんなりとした笑顔と、高めのウエスト位置の袴姿がすげーキュート。去り際もひとり手を振ってくれて、周囲からも「かわいい♪」の声があがっていた。

 
 さて。
 95周年の幕を開けた本拠地宝塚大劇場はいろいろとマイナーチェンジされていた。

 鏡開きで一足先に入った大劇場エントランスの絨毯は新調済で、バラ柄がいかにも「ヅカだ~~」な、ふっかふかぶり。
 そして、出演者スチールが、遠く吹き抜けの壁上方に飾ってある。

 旧大劇場時代は食堂などがあるロビーに飾ってあり、現在の劇場になってからは誰も見ない・通らない2階トイレ前にひっそりと飾ってあったやつ。
 トイレ前に飾るより、エントランスに飾るのは正しいけど、あんなに遠い位置じゃ誰が誰かわかりませんがな……劇団のやることって、やっぱどっかズレてるっつーか……。

 鏡開きがはじまるまでヒマだったので、わたしは目をこらしてスチールを眺めてました。
 プログラム写真と同じのはずだから、まとぶ、ゆーひ、あやねの3人だけ写真がチガウ。ポスター仕様の加工がされている。
 他のみなさんはふつーに劇団撮影のスチール。星原先輩からはじまって、学年順に並んでいる。
 遠目であまりよくわかんないけど、男たちヒゲ率高いなあ。髪型もえらいことになってんなあ。
 ……あれ?

 ひとりだけ、写真がチガウ。

 みんな韓国モノ……というか、アジアっぽい歴史物らしい扮装なのに。
 ひとりだけ、すっきりとなんの扮装もしていない人がいる。

 位置からいってアレ、まっつ、だよね?

 何故?
 どーしてまっつだけ、扮装してないの?

 額を出しただけのすっきりした髪型、スタンドカラーのふつーっぽい衣装、って……フィナーレの衣装とか?

 まっつ、役ついてない?!(白目)

 プログラムに、下級生たちは扮装無しのショー衣装で写真載ってるじゃん。アレと同じ?
 学年順で並んでるから、役の付いている人たちの間にまざっちゃってるけど、まっつひとり韓国モノ衣装なくて、フィナーレのショー衣装?

 ……そんなはずないことはわかっていても、びびりましたねー(笑)。

 みんな扮装してえらいことになってるのに、まっつひとり、あまりにまっつのままで。

 ひとりだけ涼しい顔してますよこの人……。

 
 鏡開き終了後、御神酒でほろ酔いのドリーさんと合流したんだが、言われましたともさ。

「まっつの汎用性の高さはすごいね!」

 いやあ、まっつ変わらないねー。すごいねー。と、しみじみ言われた(笑)。

 そこではじめてプログラムを見せてもらったんだけど、ほんとにまっつすげえ。

 どこの国の、どこの時代の人かわからない姿。

「このままヨーロッパ物にも出演できちゃうね」
「ショーもそのままいけるし」
「使い回しいくらでもOK」

 とってもエコなまっつ。地球にやさしいまっつ。

 プログラムの表紙が、今までのイメージイラストから、まとぶんの写真に変わってました。
 まとぶんはすごーくかっこいい。今回はポスターがかっこいいので、その写真流用なのでまたかっこいい。

 しかし……ヅカ写真ばーん、のプログラムは、なかなかに恥ずかしいのでは……?

「なにいってんのよ、ヅカのプログラムは恥ずかしいからいいのよ!」

 ドリーさん、熱弁。
 電車の中で表紙を丸めて人に見られないように気を遣ってこそこそ開くのが醍醐味であると、語る語る。……今この人酔ってるしなー(笑)。

 まとぶんの写真はかっこいいし、デザインも気を遣ってあったので、昔の「スチール写真全身像」を使っただけのナニも考えていない表紙写真よりはマシか。わたしアレ、キライだったのね。ヅカメイク写真が恥ずかしいというより、素人以下のデザインセンスが嫌だったの。
 どの公演だったか今は思い出せていないけど、たしかトド時代の雪組公演からプログラムが一掃され、表紙が写真無しのデザインのみになって、どんだけうれしかったか。写真を使ったかっこわるいレイアウトほど苦手な物はないのよ、素人の年賀状みたいで。
 表紙がデザインになった最初のプログラムは製本その他問題アリまくりで、ふつうにページを繰っているだけでページが空中分解したわねえ……なつかしいわー。当時のネットでも「プログラムがばらばらになりました! こんなのわたしだけ?!」の投稿が目についたなー。や、みんなそうだから、そーゆー仕様だから!
 「素人演芸場の手作りプログラム」から「商業演劇の、プロがデザインしたプログラム」に変更したかと思ったら、「ページが全部はずれていく、冊子としてありえないクオリティ」だったりと、ひとつのことをこなしたら、他のことがダメになる、宝塚歌劇団ってステキなところ。

 さて、新しいプログラムはがんばって「ヅカメイク写真」を「ヅカらしい時代錯誤さ異世界さを大切に、最低限かっこよく」表紙としてデザインしてほしいわん。

 あー、わたしは相変わらず買ってないですが。脚本掲載が復活したら買います(笑)。

 レストランもいちいちマイナーチェンジされていて、フルールのたこ焼きが値上げされてました。ちっ。せちがらい世の中だぜ。

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