ベルサイユに咲くまっつ・その6。@外伝 ベルサイユのばら-アラン編-
2008年10月2日 タカラヅカ さぁて、よーやくまっつだ、『外伝 ベルサイユのばら-アラン編-』だ、こあらった目線の見どころまっつ、いちばんのオススメ・ポイントだ。
わたし的に最大の見どころまっつは、革命場面です。
雪組『ジェローデル編』でひろみちゃんとそらくん、ふたりでやっていたポジションを、まっつひとりでやってるから、まっつファン的にすげーオイシイ。たのしい。
欠点をあげるとキリのない『外伝ベルばら』シリーズにおいて、貴重なかっこいい場面……そこでえんえんまるまるまっつセンターってナニ、ありえねー。
や、所詮「市民の男」で、名前もないし、きれーな服も着せてもらってないんだけどね。ロベスピエール@ひろみみたいに、役とバックボーンがあるわけじゃないから、「ただのモブシーン」とスルーする人はスルーして、「まっつ? いた?」ぐらいのもんかもしれないが。
それでも、まっつセンターで1場面。たぶん、名前のない役だから、まっつがやらせてもらえたんだろうと思う(笑)。
てゆーか、ここのまっつ、かっこいいよね?
パツキンキノコとか縦ロールリボンだとかちりちりロン毛だとか、ゆってる場合ぢゃないって!!
シトワイヤン帽子すっぽりかぶって髪の毛なんかちっとも見えなくて、顔に汚れ貼りつけてて、質素な服装でヒールの低い「本気で踊るぜ!」仕様の靴履いて(ジェロ様ヒールと高さ違いすぎ・笑)本気で踊ってる、市民の男@まっつがかっこいいのー!!
かっこよさとか好きとかを「ケロ」という単位で計るわたしは、市民の男@まっつを見て、「やっぱケロに似てるよ、この人!!」と、胸をハクハクさせておりました。
わたし固有のツボ(説明不可)にジャストミートするナニかを、「ケロ」と呼んでいるのであってね、一般的にケロ氏に似ているかどうかは関係ないのだ。わたしをときめかせるものはすべて「ケロに似ている」のよ!!
だから市民の男@まっつはケロに似ているの! ツッコミ不可。
ただ踊るだけでなく、「物語」を表現する場面だから、まっつもくすぐったいくらい大仰に演じている。
れみちゃんといちかちゃんを両側にはべらし、背中にかばい、見目もヨシ。
ときどきあの「こまってます」な、まっつならではの表情もしているし、眼光鋭くドシリアスな顔もしているし、大口開けてよろこんでるし。
腕を撃たれたあとも元気に踊っているとこを見ると、今、脳内麻薬出てんだなと思う(笑)。痛み忘れてんのねー。で、いちばん痛がってるのが勝利したあとなとこを見ると、緊張の糸がゆるんだため痛みがひどくなったんだな、と、想像する。やったーうれしー、でもいたたた、と、忙しそうなまっつにアテレコしてみたり。
とにかく、台詞無しに激しい場面を表現しているもんだから、なにもかも大きい。ダンスも、表情も、演技も。
バウホールなどの小劇場向きな小さな芝居をしがちなまっつが、全霊を挙げて大きな芝居をしているのが興味深い。たのしい。
がんばれまっつ。特別な照明はもらえなくても、全体的に薄暗い場面でも、そこが真ん中だとわかるくらい光を放て。小さなカラダで、大きく、大きく表現してみせろ。
今ここで、今までやったことのない表現が必要な役を与えられたことは、役者として舞台人として、すごく血肉になることだと思う。
いやあ、市民の男はいい役ですよ。かっこいいまっつが見られてしあわせしあわせ。
……でも、ここのコーラスって、録音だよねえ? 全ツでのコーラスは録音が基本(マイクに限りはあるし、ハコごとに音響設備チガウし)だとわかっちゃいるが、それが残念だ。
で。
この革命場面の市民の男@まっつの楽しみ方は、実はもうひとつある。
ビバ開襟シャツ!!
まっつらしくなく、胸元がどーんと開いてます。そーゆー衣装なんです。
これくらい開いている場合、それほど動かないことを想定してデザインされてるんじゃないですかね?
踊り狂っているまつださんの場合、中が微妙にのぞけます。
娘役のパンチラ、男役の開襟シャツの中をのぞくのは、ナマ観劇の醍醐味ですよね。ね?
まっつはガードが堅いというか、ちっとものぞかせてくれない人なんで、今回はじめてのぞくことができて、ドッキドキ(笑)です。
胸のギリギリ上くらいのラインまで、白いナニかをぴったりと身につけているよーです。あー、残念ながら、谷間は見えません。
……同じくらいの開襟で、某作品のゆーひさんは谷間と丘をばっちり見せてくれたんだが、まつださんにはそのよーなものは見あたりませんでした。たまたま見あたらなかっただけなのか、そもそも存在していないのかまでは、神ならぬ身にはわかりません。
もちろん、のぞくから見えるのであって、べつにまつださんがだらしなく衣装以外のモノを見せて踊っているわけではありませんから、誤解のなきよう。
え。オレがヘンタイなだけ?!
まっつの出番は、これだけ。
オープニングとジェローデル数分と、この革命と、場面にしてわずか3つ。全部で何分あるだろう? ってくらい。
まあ、そんなもんかね、立場的に。
それでも、この市民の男という役だけで、まっつファンとしては十分『ベルばら』をたのしむことができます、はい。……いろんな意味で(笑)。
わたし的に最大の見どころまっつは、革命場面です。
雪組『ジェローデル編』でひろみちゃんとそらくん、ふたりでやっていたポジションを、まっつひとりでやってるから、まっつファン的にすげーオイシイ。たのしい。
欠点をあげるとキリのない『外伝ベルばら』シリーズにおいて、貴重なかっこいい場面……そこでえんえんまるまるまっつセンターってナニ、ありえねー。
や、所詮「市民の男」で、名前もないし、きれーな服も着せてもらってないんだけどね。ロベスピエール@ひろみみたいに、役とバックボーンがあるわけじゃないから、「ただのモブシーン」とスルーする人はスルーして、「まっつ? いた?」ぐらいのもんかもしれないが。
それでも、まっつセンターで1場面。たぶん、名前のない役だから、まっつがやらせてもらえたんだろうと思う(笑)。
てゆーか、ここのまっつ、かっこいいよね?
パツキンキノコとか縦ロールリボンだとかちりちりロン毛だとか、ゆってる場合ぢゃないって!!
シトワイヤン帽子すっぽりかぶって髪の毛なんかちっとも見えなくて、顔に汚れ貼りつけてて、質素な服装でヒールの低い「本気で踊るぜ!」仕様の靴履いて(ジェロ様ヒールと高さ違いすぎ・笑)本気で踊ってる、市民の男@まっつがかっこいいのー!!
かっこよさとか好きとかを「ケロ」という単位で計るわたしは、市民の男@まっつを見て、「やっぱケロに似てるよ、この人!!」と、胸をハクハクさせておりました。
わたし固有のツボ(説明不可)にジャストミートするナニかを、「ケロ」と呼んでいるのであってね、一般的にケロ氏に似ているかどうかは関係ないのだ。わたしをときめかせるものはすべて「ケロに似ている」のよ!!
だから市民の男@まっつはケロに似ているの! ツッコミ不可。
ただ踊るだけでなく、「物語」を表現する場面だから、まっつもくすぐったいくらい大仰に演じている。
れみちゃんといちかちゃんを両側にはべらし、背中にかばい、見目もヨシ。
ときどきあの「こまってます」な、まっつならではの表情もしているし、眼光鋭くドシリアスな顔もしているし、大口開けてよろこんでるし。
腕を撃たれたあとも元気に踊っているとこを見ると、今、脳内麻薬出てんだなと思う(笑)。痛み忘れてんのねー。で、いちばん痛がってるのが勝利したあとなとこを見ると、緊張の糸がゆるんだため痛みがひどくなったんだな、と、想像する。やったーうれしー、でもいたたた、と、忙しそうなまっつにアテレコしてみたり。
とにかく、台詞無しに激しい場面を表現しているもんだから、なにもかも大きい。ダンスも、表情も、演技も。
バウホールなどの小劇場向きな小さな芝居をしがちなまっつが、全霊を挙げて大きな芝居をしているのが興味深い。たのしい。
がんばれまっつ。特別な照明はもらえなくても、全体的に薄暗い場面でも、そこが真ん中だとわかるくらい光を放て。小さなカラダで、大きく、大きく表現してみせろ。
今ここで、今までやったことのない表現が必要な役を与えられたことは、役者として舞台人として、すごく血肉になることだと思う。
いやあ、市民の男はいい役ですよ。かっこいいまっつが見られてしあわせしあわせ。
……でも、ここのコーラスって、録音だよねえ? 全ツでのコーラスは録音が基本(マイクに限りはあるし、ハコごとに音響設備チガウし)だとわかっちゃいるが、それが残念だ。
で。
この革命場面の市民の男@まっつの楽しみ方は、実はもうひとつある。
ビバ開襟シャツ!!
まっつらしくなく、胸元がどーんと開いてます。そーゆー衣装なんです。
これくらい開いている場合、それほど動かないことを想定してデザインされてるんじゃないですかね?
踊り狂っているまつださんの場合、中が微妙にのぞけます。
娘役のパンチラ、男役の開襟シャツの中をのぞくのは、ナマ観劇の醍醐味ですよね。ね?
まっつはガードが堅いというか、ちっとものぞかせてくれない人なんで、今回はじめてのぞくことができて、ドッキドキ(笑)です。
胸のギリギリ上くらいのラインまで、白いナニかをぴったりと身につけているよーです。あー、残念ながら、谷間は見えません。
……同じくらいの開襟で、某作品のゆーひさんは谷間と丘をばっちり見せてくれたんだが、まつださんにはそのよーなものは見あたりませんでした。たまたま見あたらなかっただけなのか、そもそも存在していないのかまでは、神ならぬ身にはわかりません。
もちろん、のぞくから見えるのであって、べつにまつださんがだらしなく衣装以外のモノを見せて踊っているわけではありませんから、誤解のなきよう。
え。オレがヘンタイなだけ?!
まっつの出番は、これだけ。
オープニングとジェローデル数分と、この革命と、場面にしてわずか3つ。全部で何分あるだろう? ってくらい。
まあ、そんなもんかね、立場的に。
それでも、この市民の男という役だけで、まっつファンとしては十分『ベルばら』をたのしむことができます、はい。……いろんな意味で(笑)。
宙組スペシャルイベント『チケットぴあ購入者限定 アフタートーク』大橋泰弘/悠未ひろ/美羽あさひ、ともちとまちゃみという、なにしろザ・愛人対決な顔ぶれのトークイベントなので。
「美羽あさひさんへ質問です。アンソニー様に男の愛人がいることは、ヴィクトリアとしては許せるんですか?」
ファンからの質問も、きわどいです。
自分の彼氏に、男の恋人がいることは、女として許せる?
……芝居の中の話とはいえ、「清く正しく美しく」のタカラヅカで、こんな質問がふつーに出てしまうこともすごいが。
それに対するゲストたちの答えもすごい。
アンソニー様@らんとむの愛人その1・ヴィクトリア@まちゃみはすごーくふつーに、愛人その2・シャルル@ともちと顔を見合わせて。
「だって愛人は、わたしたちだけじゃないし」
他にもいるんかいっ。
さすがだアンソニー様。
アンソニー様の愛人は性別問わずいろいろいろいろいるので、細かいことはいちいち気にしていられないとのことです。
「なにしろ、美しいものが好きな方だから」
ねえ? と、顔を見合わせてうなずくふたり。……オマエら……(笑)。
「アンソニー様のどこを好きなんですか」
という質問に。
愛人ふたりは顔を見合わせ、次に正面を向いて、同時に答えた。
「すべて、です」
声が揃ったぞ、おまいら。
言ったあとでともちもまちゃみも「やったね♪」てな満足気な笑みを浮かべている。
そうか、すべてなんだ……。
脳裏に浮かぶのは、紅い薔薇を手にしたホスト・ショットのらんとむ氏。アンソニー様というより、まさに蘭寿とむ。
「アンソニー様をいちばん愛しているのは、どちらですか」だったか、「愛の勝負に勝てるのは、どちら」だったかという質問で。
ともち「わたしです」(超真顔)
まちゃみ「いいえ、わたしです」(超真顔)
ともち「いいえ、わたしです」(超キメ顔)
まちゃみ「いいえ、わたしです」(超キメ顔)
……エンドレス。
ひとりの男への愛を語る男と女のバトルもすげー濃さと愉快さで、えーと、「清く正しく美しく」はいいんだろうか、と心配になる勢い。
つーからんとむ、オイシイなあ。
ついでに、この女子というか腐女子なやりとりの最中、隣の大橋せんせが微妙に遠くを見ているのがいいですな(笑)。
大橋せんせへの質問は「ヅカと外部の仕事の違いはあるか」とか「主演者をイメージして装置を作るか」などで。
「主演者をイメージして」に対して、ディナーショー(パリ祭)の主演者の身長の話になっていた。
先日のともちのパリ祭では、そりゃーもー、大きなゲートを作ったんだと。
今までも湖月わたるさんのときに、これでもかっと大きなゲートを作ったそうだが、それよりさらにでかいものを作ることになろうとは……! と語ってました。
咄嗟にゲストに絡めて返答するあたり、アタマのいい人だとは思うけれど、なんかソレ論点がズレてる気がしますよ、せんせ。
ステージに合わせたサイズで装置を作る、と同じ意味じゃないですか、出演者の身長に合わせて作る、つーのは。
そうではなくて、もっとチガウ意味での質問だったと思うんだけどな、「主演者をイメージして」というのは。……それは演出家の仕事で、職人さんは技術面だけしか考えないものなのかな。
あと、子どもの頃の夢は、という質問で、ともちはアイドル歌手と言ってました。
筒状のモノを見るとマイクに見立てて歌っていたらしい。そこで名前の挙がったアイドルがその、微妙っつーか……ピンクレディに、かわいいタイプとして中森明菜、松田聖子……えーと、ともちっていくつだっけ? ピンクレディ? かわこちゃんアイドルの頃の明菜と聖子?
歌うのは家族の前限定。人前では決して歌わなかったそうな。……内弁慶だったんだって。
さらに、「昔から大きかったんですか?」という質問に対し(誰だこんな質問・笑)、「生まれたときから大きかったです」と答え、総ツッコミ受けてました、ともち。
大橋せんせなんか完全に向き直って「生まれたときからその大きさ?」てな意味のことを突っ込んでいたよーな。
この大きさのまま生まれてきたわけではなく(笑)、赤ん坊としても標準より背が高かったそうです。そしてそのまま、ずーーっといつも大きいまま現在に至る。
「中学でいきなり背が伸びて」とかではない模様。そんなところで親近感(笑)。
とまあ、ファンの意見が加味される質問コーナーの方がより濃くておもしろかったのだけど。
この質問コーナーが、約15分。
「そろそろお別れの時間になりました……」
ちょっと待て。
トーク15分、質問コーナー15分って、ともちとまちゃみ、ふたりで30分しか出演してませんがな。
>大橋氏のトーク終了後は、本企画のメインとなる宙組出演者を迎えてのトークショー。
って、チケットぴあ公式サイトに書いてあるんですが、そのメインがたった15分ってナニ? メインゲスト出演時間がイベント総時間の3分の1強ってナニ?!
客席もずっと明るいままだったんで、バウの時計がよーっく見えましたもの。構成に疑問を感じたので、いちいち時間チェックしてたもの。
全部で約80分ほどのイベント。メインゲストはそのうちの30分しか登場せず。
第2回以降は変更されるのかしら。
中村Bのトーク時間が30分で、七十のトークが15分だったりしたら、熱狂七ファンのデイジーちゃんは耐えられるのかしら……と、心配をしてみたり。
たんに今回は、お喋り上手な大橋せんせだから、トークが長くなったのかな。
ともちとまちゃみの出演時間がめーーっちゃ短かったことは不満ですが、それ以外はとってもたのしかったです。
ふたりともかわいいー。持って帰りたい~~。
でもってチケットぴあさん、こーゆーの毎回やって下さいよ。花組でも是非。
そして、まっつ出してください、まっつ!
「美羽あさひさんへ質問です。アンソニー様に男の愛人がいることは、ヴィクトリアとしては許せるんですか?」
ファンからの質問も、きわどいです。
自分の彼氏に、男の恋人がいることは、女として許せる?
……芝居の中の話とはいえ、「清く正しく美しく」のタカラヅカで、こんな質問がふつーに出てしまうこともすごいが。
それに対するゲストたちの答えもすごい。
アンソニー様@らんとむの愛人その1・ヴィクトリア@まちゃみはすごーくふつーに、愛人その2・シャルル@ともちと顔を見合わせて。
「だって愛人は、わたしたちだけじゃないし」
他にもいるんかいっ。
さすがだアンソニー様。
アンソニー様の愛人は性別問わずいろいろいろいろいるので、細かいことはいちいち気にしていられないとのことです。
「なにしろ、美しいものが好きな方だから」
ねえ? と、顔を見合わせてうなずくふたり。……オマエら……(笑)。
「アンソニー様のどこを好きなんですか」
という質問に。
愛人ふたりは顔を見合わせ、次に正面を向いて、同時に答えた。
「すべて、です」
声が揃ったぞ、おまいら。
言ったあとでともちもまちゃみも「やったね♪」てな満足気な笑みを浮かべている。
そうか、すべてなんだ……。
脳裏に浮かぶのは、紅い薔薇を手にしたホスト・ショットのらんとむ氏。アンソニー様というより、まさに蘭寿とむ。
「アンソニー様をいちばん愛しているのは、どちらですか」だったか、「愛の勝負に勝てるのは、どちら」だったかという質問で。
ともち「わたしです」(超真顔)
まちゃみ「いいえ、わたしです」(超真顔)
ともち「いいえ、わたしです」(超キメ顔)
まちゃみ「いいえ、わたしです」(超キメ顔)
……エンドレス。
ひとりの男への愛を語る男と女のバトルもすげー濃さと愉快さで、えーと、「清く正しく美しく」はいいんだろうか、と心配になる勢い。
つーからんとむ、オイシイなあ。
ついでに、この女子というか腐女子なやりとりの最中、隣の大橋せんせが微妙に遠くを見ているのがいいですな(笑)。
大橋せんせへの質問は「ヅカと外部の仕事の違いはあるか」とか「主演者をイメージして装置を作るか」などで。
「主演者をイメージして」に対して、ディナーショー(パリ祭)の主演者の身長の話になっていた。
先日のともちのパリ祭では、そりゃーもー、大きなゲートを作ったんだと。
今までも湖月わたるさんのときに、これでもかっと大きなゲートを作ったそうだが、それよりさらにでかいものを作ることになろうとは……! と語ってました。
咄嗟にゲストに絡めて返答するあたり、アタマのいい人だとは思うけれど、なんかソレ論点がズレてる気がしますよ、せんせ。
ステージに合わせたサイズで装置を作る、と同じ意味じゃないですか、出演者の身長に合わせて作る、つーのは。
そうではなくて、もっとチガウ意味での質問だったと思うんだけどな、「主演者をイメージして」というのは。……それは演出家の仕事で、職人さんは技術面だけしか考えないものなのかな。
あと、子どもの頃の夢は、という質問で、ともちはアイドル歌手と言ってました。
筒状のモノを見るとマイクに見立てて歌っていたらしい。そこで名前の挙がったアイドルがその、微妙っつーか……ピンクレディに、かわいいタイプとして中森明菜、松田聖子……えーと、ともちっていくつだっけ? ピンクレディ? かわこちゃんアイドルの頃の明菜と聖子?
歌うのは家族の前限定。人前では決して歌わなかったそうな。……内弁慶だったんだって。
さらに、「昔から大きかったんですか?」という質問に対し(誰だこんな質問・笑)、「生まれたときから大きかったです」と答え、総ツッコミ受けてました、ともち。
大橋せんせなんか完全に向き直って「生まれたときからその大きさ?」てな意味のことを突っ込んでいたよーな。
この大きさのまま生まれてきたわけではなく(笑)、赤ん坊としても標準より背が高かったそうです。そしてそのまま、ずーーっといつも大きいまま現在に至る。
「中学でいきなり背が伸びて」とかではない模様。そんなところで親近感(笑)。
とまあ、ファンの意見が加味される質問コーナーの方がより濃くておもしろかったのだけど。
この質問コーナーが、約15分。
「そろそろお別れの時間になりました……」
ちょっと待て。
トーク15分、質問コーナー15分って、ともちとまちゃみ、ふたりで30分しか出演してませんがな。
>大橋氏のトーク終了後は、本企画のメインとなる宙組出演者を迎えてのトークショー。
って、チケットぴあ公式サイトに書いてあるんですが、そのメインがたった15分ってナニ? メインゲスト出演時間がイベント総時間の3分の1強ってナニ?!
客席もずっと明るいままだったんで、バウの時計がよーっく見えましたもの。構成に疑問を感じたので、いちいち時間チェックしてたもの。
全部で約80分ほどのイベント。メインゲストはそのうちの30分しか登場せず。
第2回以降は変更されるのかしら。
中村Bのトーク時間が30分で、七十のトークが15分だったりしたら、熱狂七ファンのデイジーちゃんは耐えられるのかしら……と、心配をしてみたり。
たんに今回は、お喋り上手な大橋せんせだから、トークが長くなったのかな。
ともちとまちゃみの出演時間がめーーっちゃ短かったことは不満ですが、それ以外はとってもたのしかったです。
ふたりともかわいいー。持って帰りたい~~。
でもってチケットぴあさん、こーゆーの毎回やって下さいよ。花組でも是非。
そして、まっつ出してください、まっつ!
ともちのトークイベントがある! わーい、行くべ行くべ。
宙組でいちばん好きなジェンヌさん、なのになんかここ数作どんどん扱いが微妙になっていって、なんであたしが好きになる人ってみんな真ん中から逸れていくの?!と、うなだれていたところです、はい。
『Paradise Prince』ではめちゃくちゃかっこいーし(ついでに愉快だし)、「上から順番に数字で数えて役付け」しか出来ない中村Bの『ダンシング・フォー・ユー』では、見応えのある役割を与えられているし。中村Bみたいに四角四面に番号でしか生徒を数えられない演出家にあたると、微妙な位置の生徒のファンは救われることがあるよなあ。(ex.『ラブ・シンフォニー』におけるまっつとか・笑)
この作品についてのトークなら、そりゃ聞きたいと思うよな。
しかもイベントに一緒に出るのがまちゃみ。
愛人対決?!(笑)
アンソニー様@らんとむの愛人コンビがトークイベント出演なんて、たのしすぎる。
つーことで、張り切って参加したMy誕生日の昼下がり、宙組スペシャルイベント『チケットぴあ購入者限定 アフタートーク』大橋泰弘/悠未ひろ/美羽あさひへ行ってきました。
アフタートークがはじまって、すでに45分経過……それでもまだ、ともちは登場しません。
大橋先生のトークはおもしろく、もっともっと聞きたいけれど、それとは別に時間が気になる。
えーっとコレ、何時間のイベントだっけ? まさか1時間ってことはないよな? いったいともちとまちゃみはいつ出てくるのか。ふたりのトークはどれくらいあるのか。
先にプログラムを教えてもらっていないので、やきもきしちゃいます。
あー、大橋せんせとはじっくりお話してみたいニャ。聞きたいこと、語って欲しいことがいっぱいだ。ヅカの裏話が聞きたいわけではなく、創作者として職人としての、大橋泰弘という人のことをもっと知りたいと思ったニャ。
……そんな機会、しがない一般人には一生ナイだろーけどな。
ともちを出せ! うがー!! というキモチと、大橋先生ラヴ(笑)、とゆーキモチが入り乱れる(笑)。
そーして、ようやくともちとまちゃみが登場したのは5時35分……イベント開始から、50分経ってからだった……。
うおおお、ともちかっこいー!!
学ラン? と、一瞬ワクテカしてしまうよーな黒スーツに、ド金髪。
カラダもでかいが、顔のパーツ全部でかいよな。
同じく黒のワンピ姿のまさみちゃんとは、身長的にも体格的にもすげーきれーなカップルだ。
ナマで彼らを見るのははじめて。
ともちは一見イケメンにーちゃんだし、かなりさばさば話しているのだが、やっぱ表情の優しさとかで女性らしさがある。
司会者はあまり場を仕切らないので、質問に誰がどう答えるか最初混乱が生じたけれど、その最初で「そうか、オレが仕切るんだな」と理解したともちが、そのあとはずーっと先頭に立ち、まちゃみはそのあとをついていくカタチにまとまった。や、あくまでも会話のイニシアチブにおいて。
その「そうか、オレか」という察しの良さと覚悟の決め方が、オトコマエ。「いえいえ、ワタシなんか」「アナタがお先にどうぞ」とか、謙遜したり譲り合ったりして時間を浪費しない。
ほんとに、「そうか、オレか」って顔したもんよ(笑)。そしてそのあとは、一切迷いなく自分がまず口火を切るよーになったもの。
や、一緒に出ているのがまちゃみだから、学年的にも自分が先でしかるべきだが、司会者のやり方とかムードで一概には言えないでしょ? それを一瞬で理解して以後迷いがない、つーのは、かっこよかったっすよ。
まちゃみはほんわかムードのかわいい女の子。つか、やっぱりこの子、顔好きだなあ……。地味だと思うけど、その地味さがまたいいんだよな(笑)。や、わたし好みの鼻をしているし(笑)。
今回のお芝居『Paradise Prince』にて、ともちは台本を読んだとき、まず「女役?」と、思ったそうな。
アンソニー様@らんとむの愛人役、ということで。
でかい女だな、ヲイ。
でも台詞はべつにことさら女性的ではないし、事務的なだけだし。
わかってないまま稽古初日のホン読みを終えて。
あとから、そういうことか! と、察したそうで。
……遅い(笑)。
で、そっから資料探し。
想像ではどうしよーもないので、資料に頼るしかないそうで。
……想像できにゃいの? そーゆーもんにゃの?(油断するとトロ@『まいにちいっしょ』口調になる。アタマの上に「?」とトバして首を傾げるトロのイメージ)
資料って……ナニを見たんだろう。
ともちは、言葉を濁し、ただ笑った。
そのなかにはBLも入ってただろーか……。
ともかく、ともち的にかなりがんばって勉強して、作り上げているらしい、あの金髪ロン毛美形秘書シャルル役を。
一方まちゃみも、今までにないクールでこわい女の役なので。景子たんから「表情をもっとこわく」と指導されたそうな。
クールで仕事できます美女、しかしお色気必須、てのがまた、彼女の引き出しにはないらしく、こちらも資料頼みでかなり勉強してがんばっているとか。
ショー『ダンシング・フォー・ユー』でのオススメは、ともちはもちろん銀橋ソロ、まちゃみはダルマ……の、脚。
脚を出すのは数年ぶりで、彼女的にけっこー覚悟のいることだったらしく、恥ずかしい緊張するてなことをごちゃごちゃ言ったのち、「ああっ、こんなこと言ったらますます注目されてしまう!」と悲鳴。
つーことで、ダルマ姿でセンターから登場する彼女、是非その脚に注目……「しないでください、顔を見てください、顔!!」だ、そーだ。かわいいのぅ。(すっかりオヤジ目線)
あんなに待ち望んだともちとまちゃみのトーク・コーナーなのに。
「たのしい時間はあっとゆー間に過ぎて、そろそろお時間が……」
という、定型句を司会者が口にしたのは、5時50分……ちょっと待て、まだ15分しか経ってませんがな。
大橋せんせのトークが30分で、ともちとまちゃみがふたりで15分って、どーやーことっ?!
「次は、みなさんからの質問コーナーに参りたいと思います。大橋先生もお呼びして……」
てことで、大橋先生、ともち、まちゃみ3人への質問コーナー。だから引き続きともちたちの話は聞ける、とはいえ……大橋せんせ30分、ジェンヌふたりが15分だったというのは変わらないわけで。
見切り発車なのかなんなのか、あらかじめ回収してあった質問の選定はされていなかったようで。
スタッフから質問用紙をどさりと渡された司会者があたふた。どれを読めばいいのか迷っている。や、一応質問用紙は全部ではなくよりぬき状態で、スタッフからの指示付箋とか貼ってあるようだったが、とっさに目を通して内容吟味しておもしろおかしく読み上げられるような時間はない。大変だな、司会者さん。
……早く書き上げて、まっつの全ツ語りに戻るはずだったのに……まだ続く。
宙組でいちばん好きなジェンヌさん、なのになんかここ数作どんどん扱いが微妙になっていって、なんであたしが好きになる人ってみんな真ん中から逸れていくの?!と、うなだれていたところです、はい。
『Paradise Prince』ではめちゃくちゃかっこいーし(ついでに愉快だし)、「上から順番に数字で数えて役付け」しか出来ない中村Bの『ダンシング・フォー・ユー』では、見応えのある役割を与えられているし。中村Bみたいに四角四面に番号でしか生徒を数えられない演出家にあたると、微妙な位置の生徒のファンは救われることがあるよなあ。(ex.『ラブ・シンフォニー』におけるまっつとか・笑)
この作品についてのトークなら、そりゃ聞きたいと思うよな。
しかもイベントに一緒に出るのがまちゃみ。
愛人対決?!(笑)
アンソニー様@らんとむの愛人コンビがトークイベント出演なんて、たのしすぎる。
つーことで、張り切って参加したMy誕生日の昼下がり、宙組スペシャルイベント『チケットぴあ購入者限定 アフタートーク』大橋泰弘/悠未ひろ/美羽あさひへ行ってきました。
アフタートークがはじまって、すでに45分経過……それでもまだ、ともちは登場しません。
大橋先生のトークはおもしろく、もっともっと聞きたいけれど、それとは別に時間が気になる。
えーっとコレ、何時間のイベントだっけ? まさか1時間ってことはないよな? いったいともちとまちゃみはいつ出てくるのか。ふたりのトークはどれくらいあるのか。
先にプログラムを教えてもらっていないので、やきもきしちゃいます。
あー、大橋せんせとはじっくりお話してみたいニャ。聞きたいこと、語って欲しいことがいっぱいだ。ヅカの裏話が聞きたいわけではなく、創作者として職人としての、大橋泰弘という人のことをもっと知りたいと思ったニャ。
……そんな機会、しがない一般人には一生ナイだろーけどな。
ともちを出せ! うがー!! というキモチと、大橋先生ラヴ(笑)、とゆーキモチが入り乱れる(笑)。
そーして、ようやくともちとまちゃみが登場したのは5時35分……イベント開始から、50分経ってからだった……。
うおおお、ともちかっこいー!!
学ラン? と、一瞬ワクテカしてしまうよーな黒スーツに、ド金髪。
カラダもでかいが、顔のパーツ全部でかいよな。
同じく黒のワンピ姿のまさみちゃんとは、身長的にも体格的にもすげーきれーなカップルだ。
ナマで彼らを見るのははじめて。
ともちは一見イケメンにーちゃんだし、かなりさばさば話しているのだが、やっぱ表情の優しさとかで女性らしさがある。
司会者はあまり場を仕切らないので、質問に誰がどう答えるか最初混乱が生じたけれど、その最初で「そうか、オレが仕切るんだな」と理解したともちが、そのあとはずーっと先頭に立ち、まちゃみはそのあとをついていくカタチにまとまった。や、あくまでも会話のイニシアチブにおいて。
その「そうか、オレか」という察しの良さと覚悟の決め方が、オトコマエ。「いえいえ、ワタシなんか」「アナタがお先にどうぞ」とか、謙遜したり譲り合ったりして時間を浪費しない。
ほんとに、「そうか、オレか」って顔したもんよ(笑)。そしてそのあとは、一切迷いなく自分がまず口火を切るよーになったもの。
や、一緒に出ているのがまちゃみだから、学年的にも自分が先でしかるべきだが、司会者のやり方とかムードで一概には言えないでしょ? それを一瞬で理解して以後迷いがない、つーのは、かっこよかったっすよ。
まちゃみはほんわかムードのかわいい女の子。つか、やっぱりこの子、顔好きだなあ……。地味だと思うけど、その地味さがまたいいんだよな(笑)。や、わたし好みの鼻をしているし(笑)。
今回のお芝居『Paradise Prince』にて、ともちは台本を読んだとき、まず「女役?」と、思ったそうな。
アンソニー様@らんとむの愛人役、ということで。
でかい女だな、ヲイ。
でも台詞はべつにことさら女性的ではないし、事務的なだけだし。
わかってないまま稽古初日のホン読みを終えて。
あとから、そういうことか! と、察したそうで。
……遅い(笑)。
で、そっから資料探し。
想像ではどうしよーもないので、資料に頼るしかないそうで。
……想像できにゃいの? そーゆーもんにゃの?(油断するとトロ@『まいにちいっしょ』口調になる。アタマの上に「?」とトバして首を傾げるトロのイメージ)
資料って……ナニを見たんだろう。
ともちは、言葉を濁し、ただ笑った。
そのなかにはBLも入ってただろーか……。
ともかく、ともち的にかなりがんばって勉強して、作り上げているらしい、あの金髪ロン毛美形秘書シャルル役を。
一方まちゃみも、今までにないクールでこわい女の役なので。景子たんから「表情をもっとこわく」と指導されたそうな。
クールで仕事できます美女、しかしお色気必須、てのがまた、彼女の引き出しにはないらしく、こちらも資料頼みでかなり勉強してがんばっているとか。
ショー『ダンシング・フォー・ユー』でのオススメは、ともちはもちろん銀橋ソロ、まちゃみはダルマ……の、脚。
脚を出すのは数年ぶりで、彼女的にけっこー覚悟のいることだったらしく、恥ずかしい緊張するてなことをごちゃごちゃ言ったのち、「ああっ、こんなこと言ったらますます注目されてしまう!」と悲鳴。
つーことで、ダルマ姿でセンターから登場する彼女、是非その脚に注目……「しないでください、顔を見てください、顔!!」だ、そーだ。かわいいのぅ。(すっかりオヤジ目線)
あんなに待ち望んだともちとまちゃみのトーク・コーナーなのに。
「たのしい時間はあっとゆー間に過ぎて、そろそろお時間が……」
という、定型句を司会者が口にしたのは、5時50分……ちょっと待て、まだ15分しか経ってませんがな。
大橋せんせのトークが30分で、ともちとまちゃみがふたりで15分って、どーやーことっ?!
「次は、みなさんからの質問コーナーに参りたいと思います。大橋先生もお呼びして……」
てことで、大橋先生、ともち、まちゃみ3人への質問コーナー。だから引き続きともちたちの話は聞ける、とはいえ……大橋せんせ30分、ジェンヌふたりが15分だったというのは変わらないわけで。
見切り発車なのかなんなのか、あらかじめ回収してあった質問の選定はされていなかったようで。
スタッフから質問用紙をどさりと渡された司会者があたふた。どれを読めばいいのか迷っている。や、一応質問用紙は全部ではなくよりぬき状態で、スタッフからの指示付箋とか貼ってあるようだったが、とっさに目を通して内容吟味しておもしろおかしく読み上げられるような時間はない。大変だな、司会者さん。
……早く書き上げて、まっつの全ツ語りに戻るはずだったのに……まだ続く。
『Paradise Prince』には、恐ろしい台詞がある。
と、大橋先生は言った。
台本を渡されたとき、その台詞のすごさに思わず、景子先生へ台詞を書き換えられないか聞いてみたという。もちろん、こだわりの景子先生には完全却下された。
その、恐ろしい台詞とは。
「その絵を、300万ドルで買おう」
ふつーの人なら、この台詞をコワイとはべつに思わない。
客席もぽかーんとしていた。
大橋先生は、さらに語る。
「300万ドルの絵って、誰が描くんですか。アタシに300万ドルの絵が描けるわけナイでしょう! んな絵が描けるなら、こんなとこいませんよっ」
そらそーだっ(笑)。
しかも、片方は破れた絵を使って。さらに片方は、あのらくがきみたいなでべそのプリンスの絵を使って。半分ずつ見せる、とかいう「絵」としてありえない発表のされ方をして。
それで300万ドル……「3億3千万円ですよ?!」……日本円にするとさらにアレさが高まる(笑)。
テレビドラマでもそうだけど、アート関係のサクセスものとか、大成功を収めるアート作品が「はあ?」なモノって、けっこう多い。そんなつまんないもんが、世界的評価を受けるのかと。
わたしは音楽の善し悪しはわからないけど、音楽モノも「なんであの演奏で優勝?!」とか、いろいろあるんだろうな、フィクション世界では。
物語では簡単に「恵まれないヒロインがその才能を開花し、権威ある賞を受賞して世界へ羽ばたく」とかやっちゃうけど、お約束のストーリーだけど、……スタッフは、大変だよな。
権威ある賞を受賞する作品、とやらを作るのはヒロインではなく、スタッフだもの。
「ドルだったのが救い。ドルだからまだ300万ドルって言ってもファンタジーになるけど、3億3千万円って言ったらもう……」
と、装置家の大橋先生の、装置家視点のお話がとてもおもしろかったです。
宙組スペシャルイベント『チケットぴあ購入者限定 アフタートーク』大橋泰弘/悠未ひろ/美羽あさひに行ってきました。
ともち! ともち! 9月29日にともちのトークイベントがある? やだー、これってわたしのため?!(違います)
自分の誕生日に好きな人のイベントがあるって、こりゃ行くしかないべ?
大劇場にて、近くの座席の人は、みんな同じイベントチケット組らしく、そして悠未ひろファン限定の会話が成立していて、なんかすごーくわくわくした。
主語を言わなくても、誰のことを言っているか通じるんですよ。わーい、ここのへんのひとたち、みんなともち見てる~~、わたしと視界一緒(笑)。
や、もちろんまちゃみファンもいるんだろうけど、わたしの周囲はともちファンだった。
『チケットぴあ購入者限定 アフタートーク』。ふつーに公演を1回観劇して、おまけのプログラム付きで、さらに終演後バウホールでトークショーがある。トークショーの座席は当日抽選。
……なのに、チケットは1枚なの。プログラム引き換え券とか、トークショーの抽選整理券は?
通常と同じチケぴプリントの券面に、細かい字で注意事項が全部書いてある。この1枚で全部済ませるみたいだ。
大劇場に着くと、ロビーに受付テーブルが出ていた。チケットを見せるとプログラムとトークショーの質問用紙を渡される。チケットの裏に日付印をぺたん。「渡すモノは渡したよ」という証拠らしい。
2008.9.29のスタンプが、記念だな。具体的な年齢は考えたくもない**回目(笑)のお誕生日。十数年前の誕生日に、やっぱりこうして観劇していて、舞台の上のケロに出会ったんだよな。
ふつーに1時公演が終り、時刻は4時過ぎ。
バウホール階段下……近くにて、抽選用のテーブルが用意され、4時15分から抽選開始。なんがすげー長い列がロビーに伸びる。
座席が当日抽選のため、ツレと座席が離れる場合もある、と注意事項が書いてあったが、抽選自体は「おひとり様」「ペアの方」で抽選箱が分かれていた。……どういう座席配分なのか、気になるところ(笑)。
4時45分からアフタートーク開始……なのだが。
司会のおねーさんが出て来て、まず、バウホール入口で配られた化粧品サンプルの宣伝がはじまる。うひゃー。
そして次に、「このイベントのために特別に作られた映像をごらんいただきます」と言って、舞台中央に用意されたスクリーンで、ビデオ鑑賞。
この映像がねー……。
特別でもなんでもなかった(笑)。
稽古場風景、初日映像。スカステを見ていればなんのめずらしさもないモノを、えんえん。
ともちとまちゃみのトークの日なんだから、ふたりの映像かと思いきや、ただの汎用映像。映るのはタニちゃんばっかで、横にいるはずの、後ろにいるはずの、ともちが映らないっ。ああっ、いるのにまた見切れてるっ。の、繰り返し。
言い訳のように、パリ祭映像が映り、前回の『Passion』のまちゃみ映像が映る。パリ祭はまだともち主演だからいいけど、『Passion』は所詮タニちゃん中心だから、まちゃみのいいところで画面はタニちゃんに変わり、彼女のための映像とは言いにくい。
ほんとに、ありあわせで間に合わせたんだなあ……。
イベントで映像流すってわかってたんなら、ふたりの追っかけ映像撮っておけばいいのに。
『チケットぴあ購入者限定 アフタートーク』はあと2回あるけど、この分だと「特別映像」とやらのほとんどはこの「タニちゃん中心・ふつーのスカステニュース」をえんえん流されそうだ。で、最後にちょろっとゲスト絡みの映像を流す、と。1回はいいけど、同じ映像2回見るのはちょっとなあ。
あ、タニちゃんに含みはない。ただ、タニちゃん中心の映像は他でも見られるので「ここだけの特別映像」でなくても……というだけっす。
この映像が長かった。15分くらい?
5時5分から、まずは装置の大橋せんせのお話スタート。
大橋せんせのトークはおもしろい、と評判だったわけだが……本当に、おもしろかった。
どうして装置家になったのか、今までの失敗、印象に残る装置、海外公演のこと、外部でのお仕事のこと。
緩急を付けて語ることができる人。どう話せばおもしろいか、ちゃんとわかって自分で演出できるんだ。
出来事を客観的に見て、自分の中で再構築して「他人」に向かって放出できる……って、すごいことだよ。ヅカに限らず、話すことが下手な人って「他人」に話すということができないから。自分の中でわかっているから、相手に伝わっているかどうかは無頓着・そこまで気が回らない、のがほとんどだもの。
大橋先生が人気あるの、わかるわー。
こんだけアタマのいい喋り方をする人は、そりゃ人望も得られるわ。
やっぱ仕事の出来る男の人って、かっこいい。
自分の仕事に、自分自身に自信がある。それだけの才能と実績がある。
見せかけだけの無能な人に、人は集まらない。「仕事」がはじまれば人はみな自分の元へ集まってくる……それを「事実」として、驕りでもなくふつーに話してしまう。
おもしろいおっちゃん、だけど、その奥にある強い強い部分がすげーかっこいい。
300万ドルで絵が売れるよーな芸術家ではないけれど、腕のいい職人としての自負のある人。
その職人魂が、かっこいい。
……職人だから、依頼主の注文に従わなければならないわけで。予算がシビアであることを、そりゃーもー語ってくれました(笑)。どう誤魔化して……いやいや、錯覚させたり配分したりして、がんばっているのかを(笑)。
大橋先生のトークはすげーおもしろいんだが……。
あのー、ともちは、いつ出てくるの?
続く。
と、大橋先生は言った。
台本を渡されたとき、その台詞のすごさに思わず、景子先生へ台詞を書き換えられないか聞いてみたという。もちろん、こだわりの景子先生には完全却下された。
その、恐ろしい台詞とは。
「その絵を、300万ドルで買おう」
ふつーの人なら、この台詞をコワイとはべつに思わない。
客席もぽかーんとしていた。
大橋先生は、さらに語る。
「300万ドルの絵って、誰が描くんですか。アタシに300万ドルの絵が描けるわけナイでしょう! んな絵が描けるなら、こんなとこいませんよっ」
そらそーだっ(笑)。
しかも、片方は破れた絵を使って。さらに片方は、あのらくがきみたいなでべそのプリンスの絵を使って。半分ずつ見せる、とかいう「絵」としてありえない発表のされ方をして。
それで300万ドル……「3億3千万円ですよ?!」……日本円にするとさらにアレさが高まる(笑)。
テレビドラマでもそうだけど、アート関係のサクセスものとか、大成功を収めるアート作品が「はあ?」なモノって、けっこう多い。そんなつまんないもんが、世界的評価を受けるのかと。
わたしは音楽の善し悪しはわからないけど、音楽モノも「なんであの演奏で優勝?!」とか、いろいろあるんだろうな、フィクション世界では。
物語では簡単に「恵まれないヒロインがその才能を開花し、権威ある賞を受賞して世界へ羽ばたく」とかやっちゃうけど、お約束のストーリーだけど、……スタッフは、大変だよな。
権威ある賞を受賞する作品、とやらを作るのはヒロインではなく、スタッフだもの。
「ドルだったのが救い。ドルだからまだ300万ドルって言ってもファンタジーになるけど、3億3千万円って言ったらもう……」
と、装置家の大橋先生の、装置家視点のお話がとてもおもしろかったです。
宙組スペシャルイベント『チケットぴあ購入者限定 アフタートーク』大橋泰弘/悠未ひろ/美羽あさひに行ってきました。
ともち! ともち! 9月29日にともちのトークイベントがある? やだー、これってわたしのため?!(違います)
自分の誕生日に好きな人のイベントがあるって、こりゃ行くしかないべ?
大劇場にて、近くの座席の人は、みんな同じイベントチケット組らしく、そして悠未ひろファン限定の会話が成立していて、なんかすごーくわくわくした。
主語を言わなくても、誰のことを言っているか通じるんですよ。わーい、ここのへんのひとたち、みんなともち見てる~~、わたしと視界一緒(笑)。
や、もちろんまちゃみファンもいるんだろうけど、わたしの周囲はともちファンだった。
『チケットぴあ購入者限定 アフタートーク』。ふつーに公演を1回観劇して、おまけのプログラム付きで、さらに終演後バウホールでトークショーがある。トークショーの座席は当日抽選。
……なのに、チケットは1枚なの。プログラム引き換え券とか、トークショーの抽選整理券は?
通常と同じチケぴプリントの券面に、細かい字で注意事項が全部書いてある。この1枚で全部済ませるみたいだ。
大劇場に着くと、ロビーに受付テーブルが出ていた。チケットを見せるとプログラムとトークショーの質問用紙を渡される。チケットの裏に日付印をぺたん。「渡すモノは渡したよ」という証拠らしい。
2008.9.29のスタンプが、記念だな。具体的な年齢は考えたくもない**回目(笑)のお誕生日。十数年前の誕生日に、やっぱりこうして観劇していて、舞台の上のケロに出会ったんだよな。
ふつーに1時公演が終り、時刻は4時過ぎ。
バウホール階段下……近くにて、抽選用のテーブルが用意され、4時15分から抽選開始。なんがすげー長い列がロビーに伸びる。
座席が当日抽選のため、ツレと座席が離れる場合もある、と注意事項が書いてあったが、抽選自体は「おひとり様」「ペアの方」で抽選箱が分かれていた。……どういう座席配分なのか、気になるところ(笑)。
4時45分からアフタートーク開始……なのだが。
司会のおねーさんが出て来て、まず、バウホール入口で配られた化粧品サンプルの宣伝がはじまる。うひゃー。
そして次に、「このイベントのために特別に作られた映像をごらんいただきます」と言って、舞台中央に用意されたスクリーンで、ビデオ鑑賞。
この映像がねー……。
特別でもなんでもなかった(笑)。
稽古場風景、初日映像。スカステを見ていればなんのめずらしさもないモノを、えんえん。
ともちとまちゃみのトークの日なんだから、ふたりの映像かと思いきや、ただの汎用映像。映るのはタニちゃんばっかで、横にいるはずの、後ろにいるはずの、ともちが映らないっ。ああっ、いるのにまた見切れてるっ。の、繰り返し。
言い訳のように、パリ祭映像が映り、前回の『Passion』のまちゃみ映像が映る。パリ祭はまだともち主演だからいいけど、『Passion』は所詮タニちゃん中心だから、まちゃみのいいところで画面はタニちゃんに変わり、彼女のための映像とは言いにくい。
ほんとに、ありあわせで間に合わせたんだなあ……。
イベントで映像流すってわかってたんなら、ふたりの追っかけ映像撮っておけばいいのに。
『チケットぴあ購入者限定 アフタートーク』はあと2回あるけど、この分だと「特別映像」とやらのほとんどはこの「タニちゃん中心・ふつーのスカステニュース」をえんえん流されそうだ。で、最後にちょろっとゲスト絡みの映像を流す、と。1回はいいけど、同じ映像2回見るのはちょっとなあ。
あ、タニちゃんに含みはない。ただ、タニちゃん中心の映像は他でも見られるので「ここだけの特別映像」でなくても……というだけっす。
この映像が長かった。15分くらい?
5時5分から、まずは装置の大橋せんせのお話スタート。
大橋せんせのトークはおもしろい、と評判だったわけだが……本当に、おもしろかった。
どうして装置家になったのか、今までの失敗、印象に残る装置、海外公演のこと、外部でのお仕事のこと。
緩急を付けて語ることができる人。どう話せばおもしろいか、ちゃんとわかって自分で演出できるんだ。
出来事を客観的に見て、自分の中で再構築して「他人」に向かって放出できる……って、すごいことだよ。ヅカに限らず、話すことが下手な人って「他人」に話すということができないから。自分の中でわかっているから、相手に伝わっているかどうかは無頓着・そこまで気が回らない、のがほとんどだもの。
大橋先生が人気あるの、わかるわー。
こんだけアタマのいい喋り方をする人は、そりゃ人望も得られるわ。
やっぱ仕事の出来る男の人って、かっこいい。
自分の仕事に、自分自身に自信がある。それだけの才能と実績がある。
見せかけだけの無能な人に、人は集まらない。「仕事」がはじまれば人はみな自分の元へ集まってくる……それを「事実」として、驕りでもなくふつーに話してしまう。
おもしろいおっちゃん、だけど、その奥にある強い強い部分がすげーかっこいい。
300万ドルで絵が売れるよーな芸術家ではないけれど、腕のいい職人としての自負のある人。
その職人魂が、かっこいい。
……職人だから、依頼主の注文に従わなければならないわけで。予算がシビアであることを、そりゃーもー語ってくれました(笑)。どう誤魔化して……いやいや、錯覚させたり配分したりして、がんばっているのかを(笑)。
大橋先生のトークはすげーおもしろいんだが……。
あのー、ともちは、いつ出てくるの?
続く。
ベルサイユに咲くまっつ・その5。@外伝 ベルサイユのばら-アラン編-
2008年9月28日 タカラヅカ ジェローデルさんって、デフォルトはどんな格好でしたかね?
なにしろ過去にいろんなパターンがあったので、よくわかっていない。
でも、いちばんわかりやすいのは軍服姿かな。
『外伝 ベルサイユのばら-アラン編-』のジェローデル@まっつについて、わたしの危惧は、「宮廷服で現れたらどうしよう」でした。
なまじ、前回の水しぇんのイメージがあったりするもんだから……あの、物議を醸し出した全ツポスター、あんな感じの衣装だったらどうしよう? トップ様じゃないから、衣装ランクは落とされているにしろ、あのテイストで来られたら。
トップ様はカラダにぴったり合ったお衣装を新調してもらえるけど、まっつの場合アリモノで間に合わされるわけでしょ? 体格に合ってナイぶかぶか衣装に埋もれてる可能性、高いじゃないですか。
ちりちりロン毛に腰下までの上着とフリルフリルび~らびら、膝丈パンツに白タイツ、宮廷靴。……ソレ、いじめですから!
軍服+ロングマント+スターブーツの3コンボで来るとは、思ってなかった。
びびびびっくりしたっ、ココだけコレだけの出番に、「ジェローデル」としてのお約束をすべて揃えて来ましたよ!
ジェロの軍服はそのままに、マントなしにするとか、ただのロングブーツにするとか、ランク落とされる可能性だってあるわけだから、3コンボにびっくり。
スターブーツ着用のまっつ、はぢめて見た。
アンドレ@壮くんがふつーのブーツなのに、まっつがスターブーツって。
すげー落ち着かない光景だ……。
タカラヅカって、スターの序列を衣装で表現するじゃん? びんぼー人役でもトップスターはきらきら豪華衣装だし、立場上の役でも格下スターは質素な衣装。
だから今までアンドレはド平民なのに貴族よりも派手な豪華衣装に身を包み、マントをひるがえしていた。
それが今回は、原作に忠実……でもないが、準じた扱いになっている。番手に関係なく、役の上でお金持ちな人やえらい人が豪華な衣装を着ている。
その一環なんだけどね、まっつ>えりたんの衣装のものものしさ。差はブーツだのマントだのだけで、モノ自体は2番手仕様のアンドレ軍服の方がいいモノが使われているはずだが。
てゆーか、今回物語中でスターブーツ履いてるのって、まとぶん、みわっち、まっつ、組長、星原先輩なんだよね……。組長と星原先輩はスターブーツの必要性がないってゆーか、それなら壮くんに履かせてやってほしい……。
衣装ランクが謎なことになっているが、なにはともあれ、まっつのスターブーツ。
ひょっとしたら、もう二度とないかもしれない、スターブーツ。ヒールの高さは、ものすごいです。
よくあれで歩けるな……。スターさんはみんなスターブーツ着用はお約束だから『ベルばら』でなくてもよく履いてるけど、あそこまでヒール高かったっけ? たかちゃんとかワタさんとか、けっこー安定感のあるヒールだったような……はっ、ソコと比べちゃイカンですよねっ。たしかトド様はこれくらいの高さの履いてたし……はっ、ソコと比べちゃイカンですよねっ。
なんにせよ、あんまし、似合っているとは思わ……ゲフンゲフン。
ほんとに太股の真ん中近くまで靴になっちゃってる勢いで、まっつのミニマムさが強調されている気がしたんだが。わたしの考えすぎか。
髪型は問題なくデフォルトなジェローデルぶりで、「わー、ジェローデルコスだー」と思うくらいにはジェローデルでした。(ナニそれ)
体型のちっこさはともかく、男役としての基礎のできた人だから、歌舞伎もふつーにできるんだな、と。あのもってまわった、いかにも「説いてます」な口調がツボだ(笑)。
タカラヅカのお約束的観点で、名のある役で、役に相応しいだけの格好させてもらって、数分間の出番でもまあ「『ベルばら』祭りに参加した」感はあるから、ソレでよし。
……な、ジェロ様は置いておいて。
わたし的に最大の見どころまっつは、革命場面です。
雪組の『ジェローデル編』でひろみちゃんオイシイなー、そらくんファンは必見だなー、と思っていた、革命の戦闘をダンスで表現した場面。
まっつセンターで群舞一場面(しかも長い)って、どうよ?!
びびびびっくりしたっ。はわわ。はわわわっ。
雪組のときは、それまでの平民議員たてこもり事件からの流れでロベスピエール@ひろみちゃんが物語に関係しているキャラクタとして、この革命場面を引っ張っている。そして、ダンサーそらくんがここぞ、というダンスソロを披露しているんだな。
今回の『アラン編』では、ひろみちゃんとそらくん、ふたりでやっていたポジションを、まっつひとりで務めてますがな。
リーダーっぽくセンターで歌い、踊り、リーダーのくせにひとり飛び出してって、撃たれる、という(笑)。リーダーひろみと撃たれる人そらの役を、ひとりでやってるもんだから、なんとも熱血なキャラになってますよ、まっつなのに!(笑)
と、よーやくこあらった的見どころまっつ語りになったところで、続く。
なにしろ過去にいろんなパターンがあったので、よくわかっていない。
でも、いちばんわかりやすいのは軍服姿かな。
『外伝 ベルサイユのばら-アラン編-』のジェローデル@まっつについて、わたしの危惧は、「宮廷服で現れたらどうしよう」でした。
なまじ、前回の水しぇんのイメージがあったりするもんだから……あの、物議を醸し出した全ツポスター、あんな感じの衣装だったらどうしよう? トップ様じゃないから、衣装ランクは落とされているにしろ、あのテイストで来られたら。
トップ様はカラダにぴったり合ったお衣装を新調してもらえるけど、まっつの場合アリモノで間に合わされるわけでしょ? 体格に合ってナイぶかぶか衣装に埋もれてる可能性、高いじゃないですか。
ちりちりロン毛に腰下までの上着とフリルフリルび~らびら、膝丈パンツに白タイツ、宮廷靴。……ソレ、いじめですから!
軍服+ロングマント+スターブーツの3コンボで来るとは、思ってなかった。
びびびびっくりしたっ、ココだけコレだけの出番に、「ジェローデル」としてのお約束をすべて揃えて来ましたよ!
ジェロの軍服はそのままに、マントなしにするとか、ただのロングブーツにするとか、ランク落とされる可能性だってあるわけだから、3コンボにびっくり。
スターブーツ着用のまっつ、はぢめて見た。
アンドレ@壮くんがふつーのブーツなのに、まっつがスターブーツって。
すげー落ち着かない光景だ……。
タカラヅカって、スターの序列を衣装で表現するじゃん? びんぼー人役でもトップスターはきらきら豪華衣装だし、立場上の役でも格下スターは質素な衣装。
だから今までアンドレはド平民なのに貴族よりも派手な豪華衣装に身を包み、マントをひるがえしていた。
それが今回は、原作に忠実……でもないが、準じた扱いになっている。番手に関係なく、役の上でお金持ちな人やえらい人が豪華な衣装を着ている。
その一環なんだけどね、まっつ>えりたんの衣装のものものしさ。差はブーツだのマントだのだけで、モノ自体は2番手仕様のアンドレ軍服の方がいいモノが使われているはずだが。
てゆーか、今回物語中でスターブーツ履いてるのって、まとぶん、みわっち、まっつ、組長、星原先輩なんだよね……。組長と星原先輩はスターブーツの必要性がないってゆーか、それなら壮くんに履かせてやってほしい……。
衣装ランクが謎なことになっているが、なにはともあれ、まっつのスターブーツ。
ひょっとしたら、もう二度とないかもしれない、スターブーツ。ヒールの高さは、ものすごいです。
よくあれで歩けるな……。スターさんはみんなスターブーツ着用はお約束だから『ベルばら』でなくてもよく履いてるけど、あそこまでヒール高かったっけ? たかちゃんとかワタさんとか、けっこー安定感のあるヒールだったような……はっ、ソコと比べちゃイカンですよねっ。たしかトド様はこれくらいの高さの履いてたし……はっ、ソコと比べちゃイカンですよねっ。
なんにせよ、あんまし、似合っているとは思わ……ゲフンゲフン。
ほんとに太股の真ん中近くまで靴になっちゃってる勢いで、まっつのミニマムさが強調されている気がしたんだが。わたしの考えすぎか。
髪型は問題なくデフォルトなジェローデルぶりで、「わー、ジェローデルコスだー」と思うくらいにはジェローデルでした。(ナニそれ)
体型のちっこさはともかく、男役としての基礎のできた人だから、歌舞伎もふつーにできるんだな、と。あのもってまわった、いかにも「説いてます」な口調がツボだ(笑)。
タカラヅカのお約束的観点で、名のある役で、役に相応しいだけの格好させてもらって、数分間の出番でもまあ「『ベルばら』祭りに参加した」感はあるから、ソレでよし。
……な、ジェロ様は置いておいて。
わたし的に最大の見どころまっつは、革命場面です。
雪組の『ジェローデル編』でひろみちゃんオイシイなー、そらくんファンは必見だなー、と思っていた、革命の戦闘をダンスで表現した場面。
まっつセンターで群舞一場面(しかも長い)って、どうよ?!
びびびびっくりしたっ。はわわ。はわわわっ。
雪組のときは、それまでの平民議員たてこもり事件からの流れでロベスピエール@ひろみちゃんが物語に関係しているキャラクタとして、この革命場面を引っ張っている。そして、ダンサーそらくんがここぞ、というダンスソロを披露しているんだな。
今回の『アラン編』では、ひろみちゃんとそらくん、ふたりでやっていたポジションを、まっつひとりで務めてますがな。
リーダーっぽくセンターで歌い、踊り、リーダーのくせにひとり飛び出してって、撃たれる、という(笑)。リーダーひろみと撃たれる人そらの役を、ひとりでやってるもんだから、なんとも熱血なキャラになってますよ、まっつなのに!(笑)
と、よーやくこあらった的見どころまっつ語りになったところで、続く。
ベルサイユに咲くまっつ・その4。@外伝 ベルサイユのばら-アラン編-
2008年9月27日 タカラヅカ 最初にタカラヅカのジェローデルを見たとき、ナニこのイイ人?!と、びっくりした。
原作にあるキャラクタとしての歪みを排除し、ただオスカルに求婚して身を引くという、「いいところ」しか描かれていなかったからだ。
すごく簡単に、おとぎ話の人格のない王子様になっている。
あるのは「王子様」という記号だけ。
ジェローデルがどんな人物で、何故オスカルを愛したのかはまったく伝わらない。
そのくせ、革命に身を投じようとするオスカルを問答無用で殴りつける。
あ、この男、ジェローデルじゃない。
オスカルを愛してなんかいない。愛してないから身を引くのも簡単だったし、一方的に殴りつけたりするんだ。
ドン引きしました。ヅカの……植爺のジェローデル。
最近の『ベルばら』では、ジェローデルがオスカルに暴力をふるうことはなくなってきた。
口で言ってわかる場面で、問答無用で一方的に暴力。てのは、時代的にまずいってことかな。
なんにせよ、ひどい扱いなんだけどな、ジェローデル。
ただきれいな衣装を着てオスカルに絡む、というだけで重宝がられている役。
そして、このジェローデルを主役にした『外伝 ベルサイユのばら-ジェローデル編-』。
原作に近いキャラクタにしてくれるのか……と思いきや、さらにかけ離れ、ぶっ壊れていた。
原作ジェロの素晴らしさは、「悪」として描かれがちな貴族社会を代表する貴族的な青年であり、かつ、「正しい」魅力的な人物として描かれたことにある。
なのに植爺は、ジェローデルが「アンチ身分制度」「アンチ貴族」的な考え方を持つ人間とした。
何故そうしたのかは、わかる。
現代のわたしたちの感覚では、「人間は平等」で「差別をすることは悪」だからだ。
安い方へ、簡単な方へ、おもねったわけだ。
現代人の感覚で正しい主張を持つキャラクタ、ということに、捏造したんだ。
でもそれじゃ、別人だから!
貴族社会を否定したら、それはもうジェローデルではないから!
貴族としての、わたしたちの目から見れば歪みを持ちつつも、それでも潔く魅力的な人物だったのに。
身分違いの恋を描いた「ヌーベル・エロイーズ」を鼻で笑う傲慢さが、ジェローデルの魅力だったにも関わらず、ソレを読んで大感動したとか言わせる冒涜ぶりに、嫌悪で鳥肌立ったもんな。
貴族としてのうのうと生きながら、おいしいところは享受したまま、口でだけ美しいことを言う偽善者になった。
まあたぶん、植爺は原作を読んだことがないんだと思う。
読んでないから、インタビューでわざわざ「文庫の何ページのところが」といちいちページ数を上げて説明するんだろう。内容ではなくページ数で管理しているから。
とまあ、比重が高くなるにつれ、ますますひどいことになるのが植爺に触られたキャラクタの宿命。
明らかに出番が少ないだろう、『外伝 ベルサイユのばら-アラン編-』のジェローデル@まっつは、どんなことになるのか?
戦々恐々でした。
出番が少ないことは、想定内。
まあ、通行人でしかない扱いだとは、さすがに思ってなかったけれど、比重としてはあんなもんかと。
ブイエ将軍のあとをついて歩くだけの背景とかで、もう何カ所か出るかと思っていた程度なんで。
人の話を聞かないのが芸風であるアンドレ@壮くん相手に、怒濤の長台詞。
立ち位置やら流れやらを全解説し、さらに「妻を慕う召使いを側に置いてやってもいいよ、ワタシは心が広いから」と言ってのける。
原作通りにするならば、この台詞は「悪意+貴族としての傲慢さを基盤とする厚意+自己満足」という複雑な感情を持つ。
それをまっつジェロは。
腹の底から善良に言ってのけた。
こう来ましたか。
完璧な、「いい人ジェローデル」。
誠実で思いやりあふれた大人物。
嫌味に聞こえる台詞を嫌味にしないのは、まっつの得意分野だよな(笑)。さすがは、やってることだけなら悪役な相沢くん@『舞姫』を誠実に演じきった男。
まっつジェロは含みなどなく、心の底から親切心で言っている。
いい人だー。
その、いい人だってことが、あの短い出番でわかるってすげえや。
育ちの良さ、それゆえの心根の真っ直ぐさ、気品と落ち着き。そこにある、素直で誠実な心。
……たしかに、恋敵としてこんな男が出てきたら危機感を持つだろうな、と観客を納得させるだけのモノはある(笑)。
ただし。
言っていることは、ひどいんだけどな。
お金がなくて病気の家族を医者に診てもらうことがてきずに泣いている人間に向かって、「びんぼーは大変だね、家族が死んでひとりぼっちになったらウチで使用人として雇ってあげるよ、ボクは心が広いから」と言い放つよーなもんじゃん?
勝手に殺すな、まだ生きてるんだっ、このままじゃ死んでしまう、と泣いているのに、死んだあとに雇ってやるからボクいい人? ふざけるな。
善意の使い方を完璧に間違えてます(笑)。
もちろん、悪いのは植爺。
しかしこの空気読めなさぶりが、ステキです。これぞヅカのジェローデル!
対するアンドレも、人の話なんか聞いてないし。自分の世界入っちゃって、それどころぢゃないし。
いい勝負だ(笑)。
完全な善人として、誠実な人間として、あの間違いきった提案をしているところに、萌えを感じます。
歪んだ人間、好物ですから。
自分が正しいと思って、善意だと思って、どんな非道な行いも堂々としそうだ、あのジェローデル。天使の微笑みで平民惨殺、とかふつーにやりそーだねー。
言っていることの酷さと、誠実なまっつの演技の乖離っぷりがツボ。
そうだよな、植爺作品ってのは、こーやってたのしむもんなんだよな。いちいち嫌悪に鳥肌立てたり、激怒に眩暈がしたり、してたら負けだよな。
よーし、勝ちに行くぞ(笑)。
続く。
原作にあるキャラクタとしての歪みを排除し、ただオスカルに求婚して身を引くという、「いいところ」しか描かれていなかったからだ。
すごく簡単に、おとぎ話の人格のない王子様になっている。
あるのは「王子様」という記号だけ。
ジェローデルがどんな人物で、何故オスカルを愛したのかはまったく伝わらない。
そのくせ、革命に身を投じようとするオスカルを問答無用で殴りつける。
あ、この男、ジェローデルじゃない。
オスカルを愛してなんかいない。愛してないから身を引くのも簡単だったし、一方的に殴りつけたりするんだ。
ドン引きしました。ヅカの……植爺のジェローデル。
最近の『ベルばら』では、ジェローデルがオスカルに暴力をふるうことはなくなってきた。
口で言ってわかる場面で、問答無用で一方的に暴力。てのは、時代的にまずいってことかな。
なんにせよ、ひどい扱いなんだけどな、ジェローデル。
ただきれいな衣装を着てオスカルに絡む、というだけで重宝がられている役。
そして、このジェローデルを主役にした『外伝 ベルサイユのばら-ジェローデル編-』。
原作に近いキャラクタにしてくれるのか……と思いきや、さらにかけ離れ、ぶっ壊れていた。
原作ジェロの素晴らしさは、「悪」として描かれがちな貴族社会を代表する貴族的な青年であり、かつ、「正しい」魅力的な人物として描かれたことにある。
なのに植爺は、ジェローデルが「アンチ身分制度」「アンチ貴族」的な考え方を持つ人間とした。
何故そうしたのかは、わかる。
現代のわたしたちの感覚では、「人間は平等」で「差別をすることは悪」だからだ。
安い方へ、簡単な方へ、おもねったわけだ。
現代人の感覚で正しい主張を持つキャラクタ、ということに、捏造したんだ。
でもそれじゃ、別人だから!
貴族社会を否定したら、それはもうジェローデルではないから!
貴族としての、わたしたちの目から見れば歪みを持ちつつも、それでも潔く魅力的な人物だったのに。
身分違いの恋を描いた「ヌーベル・エロイーズ」を鼻で笑う傲慢さが、ジェローデルの魅力だったにも関わらず、ソレを読んで大感動したとか言わせる冒涜ぶりに、嫌悪で鳥肌立ったもんな。
貴族としてのうのうと生きながら、おいしいところは享受したまま、口でだけ美しいことを言う偽善者になった。
まあたぶん、植爺は原作を読んだことがないんだと思う。
読んでないから、インタビューでわざわざ「文庫の何ページのところが」といちいちページ数を上げて説明するんだろう。内容ではなくページ数で管理しているから。
とまあ、比重が高くなるにつれ、ますますひどいことになるのが植爺に触られたキャラクタの宿命。
明らかに出番が少ないだろう、『外伝 ベルサイユのばら-アラン編-』のジェローデル@まっつは、どんなことになるのか?
戦々恐々でした。
出番が少ないことは、想定内。
まあ、通行人でしかない扱いだとは、さすがに思ってなかったけれど、比重としてはあんなもんかと。
ブイエ将軍のあとをついて歩くだけの背景とかで、もう何カ所か出るかと思っていた程度なんで。
人の話を聞かないのが芸風であるアンドレ@壮くん相手に、怒濤の長台詞。
立ち位置やら流れやらを全解説し、さらに「妻を慕う召使いを側に置いてやってもいいよ、ワタシは心が広いから」と言ってのける。
原作通りにするならば、この台詞は「悪意+貴族としての傲慢さを基盤とする厚意+自己満足」という複雑な感情を持つ。
それをまっつジェロは。
腹の底から善良に言ってのけた。
こう来ましたか。
完璧な、「いい人ジェローデル」。
誠実で思いやりあふれた大人物。
嫌味に聞こえる台詞を嫌味にしないのは、まっつの得意分野だよな(笑)。さすがは、やってることだけなら悪役な相沢くん@『舞姫』を誠実に演じきった男。
まっつジェロは含みなどなく、心の底から親切心で言っている。
いい人だー。
その、いい人だってことが、あの短い出番でわかるってすげえや。
育ちの良さ、それゆえの心根の真っ直ぐさ、気品と落ち着き。そこにある、素直で誠実な心。
……たしかに、恋敵としてこんな男が出てきたら危機感を持つだろうな、と観客を納得させるだけのモノはある(笑)。
ただし。
言っていることは、ひどいんだけどな。
お金がなくて病気の家族を医者に診てもらうことがてきずに泣いている人間に向かって、「びんぼーは大変だね、家族が死んでひとりぼっちになったらウチで使用人として雇ってあげるよ、ボクは心が広いから」と言い放つよーなもんじゃん?
勝手に殺すな、まだ生きてるんだっ、このままじゃ死んでしまう、と泣いているのに、死んだあとに雇ってやるからボクいい人? ふざけるな。
善意の使い方を完璧に間違えてます(笑)。
もちろん、悪いのは植爺。
しかしこの空気読めなさぶりが、ステキです。これぞヅカのジェローデル!
対するアンドレも、人の話なんか聞いてないし。自分の世界入っちゃって、それどころぢゃないし。
いい勝負だ(笑)。
完全な善人として、誠実な人間として、あの間違いきった提案をしているところに、萌えを感じます。
歪んだ人間、好物ですから。
自分が正しいと思って、善意だと思って、どんな非道な行いも堂々としそうだ、あのジェローデル。天使の微笑みで平民惨殺、とかふつーにやりそーだねー。
言っていることの酷さと、誠実なまっつの演技の乖離っぷりがツボ。
そうだよな、植爺作品ってのは、こーやってたのしむもんなんだよな。いちいち嫌悪に鳥肌立てたり、激怒に眩暈がしたり、してたら負けだよな。
よーし、勝ちに行くぞ(笑)。
続く。
ベルサイユに咲くまっつ・その3。@外伝 ベルサイユのばら-アラン編-
2008年9月26日 タカラヅカ そもそもジェローデルって、どーゆー人だろう。
原作のジェロとヅカのジェロはずいぶんチガウと思うんだが。や、植爺製のキャラクタは全部原作と別物だけど、ジェロもまた別人だ。
最初にヅカのジェロを観て、ナニこのイイ人?!と、びっくりしたよ。
まず、原作のジェローデルの話。
原作を読んだのは子どものころだったけど、ジェローデルってのは「嫌味なキャラ」認定で、『ドラえもん』でいうところのスネオ、『ちびまる子ちゃん』でいうところの花輪くんだった。悪人ではないけれど、キザでお金持ちをハナにかけている嫌なヤツ。
そもそもジェローデルって、脇役だったよね?
アンドレが顔もろくに描かれていなかった脇役だったように。
長い長い連載だと、話が途中で変化することがいくらでもある。
途中からアンドレが主要キャラになったように、ジェローデルもただの「名前があるだけの脇役」から、人格を持ったひとりのキャラクタに格上げされた。
ジェローデルのクラスチェンジが行われたのが、「オスカルへのプロポーズ」だ。
停滞し、ある意味袋小路に入っていたキャラクタの立場を急激に変えるための「事件」が必要だった。
それが、「オスカルの結婚」。
今までオスカルは「男装の麗人」ではあっても、フェルゼンに女として見てもらえなかったように、貴婦人たちがきゃーきゃー騒いでいるように、誰も彼女を「女」として認めていなかった。
キャラクタを表現するには、「第三者の目」が必要だ。Aさんはこんな人、と表現したいとき、Aさん自身やその身内がなにか言うより、まったくの第三者がAさんを語る方が説得力がある。
オスカルはたしかに魅力的な人物だけど、女としてはまったく論外なんじゃないの? 男たちはオスカルみたいな女、大嫌いなんじゃないの? 誰もオスカルを魅力的だと言う男が出てこないじゃん?
そこで、「世間的に見て、最高級の男」の登場ですよ。身分と富があり、高い地位を得ており、美貌と知性を持ち、それでいて長男ではなく婿養子も可(笑)。
そんな最高級の男が、オスカルに求婚する。
その事実で、「オスカル」というキャラクタの格を上げるわけです。女子が大好きなのは、「複数のいい男に愛されるヒロイン」の話です。切ない片恋とか禁じられた恋に一途な純愛ヒロインも、彼女を愛するいい男が複数出てくるのがお約束。カレシひとりにしか愛されないヒロインの話なんて、女子はときめきません。
この条件を満たす男、ということで、作者はまったくの新キャラを作るのではなく、今までただの脇役として、ろくに書き込みもせずに便利使いしていたジェローデルを山の中から掘り起こしてきた。
後付け設定であることは、それまでジェロがオスカルを愛していたなんて表現がまったくない(そもそもジェロに出番も台詞もない)ことでもわかる。
ただの人格もナニもない「脇役」から、「主人公を愛している男(当て馬)」に華麗にクラスチェンジ。
それまで人格がなかったわけだから、クラスチェンジして登場したときには「役割」を持って性格が形成されている。
ジェローデルの役目は、ずばり「当て馬」だ。
オスカルのダーリンはアンドレである。
オスカルはアントワネットや王家を裏切り、フランス革命に参加する。
それらの「オスカル」というキャラクタを形成する事柄を際立たせるために、当て馬はキャラメイキングされる。
だからこそ、ジェローデルは「貴族」だった。
貴族らしい、貴族。
生まれたときから特別扱い、他人の犠牲の上にある享楽を「当たり前」として生きる。
平民のことは人間以下と見下している。自分には血統を含めて、自信と誇りがある。
だからジェローデルは、オスカルに求婚した。
立場的にいって、人間的にいって、自分が選ばれて当然だから、オスカルの父・ジャルジェ将軍へ申し込みに行った。
ラヴ・ストーリーにおいての当て馬は大抵、なにもかも持ち合わせていなければならない(笑)。
大富豪でイケメンで性格も良くてヒロインを尊重しなければならない。
女の子が言われてよろこぶ言葉「本当は寂しがりやさん」とか「がんばりすぎないで、休んでもいいんだよ」とかを言うのがお約束。「ボクだけが知っている」「本当のキミはこんなに」「無理しないでいいんだ」……当て馬美形キャラの台詞はパターンが決まっているので、書きやすいなぁ(笑)。
とにかく女子の目から見て、めちゃくちゃ都合のいい相手。
その都合のいい王子様を振って、欠点や障害のある彼や恋を貫くから「感動物語」になるわけだ。
ジェローデルもオスカルの前ではわっかりやすい王子様ぶりを大発揮!
オスカルに対しては「都合のいい王子様」、そして物語全体から見れば「主人公を愛している男(当て馬)」だから、身分や立場などが真のダーリンであるアンドレとは、正反対であること。
それが、ジェローデルというキャラクタの意義。
貴族らしい貴族だから、ジェローデルはアンドレを見下している。アンドレ個人を、ではなく、平民を。
平民であるアンドレが特別扱いされていることが気に入らないし、オスカルに愛されているコトへの嫉妬もある。
でも嫉妬するには、相手が平民なので相応しくない。人間がサルに嫉妬するのはみっともない。同次元で語るべき相手ではない。でも、実際のところオスカルはアンドレを愛してるっぽいし……。いや、そんなことはありえない、人間がサルを愛するなんて、常識としてあり得ない。人間であるワタシがサルと同じ次元に落ちてどうする。
とゆー、ややこしい感情もあり、ジェローデルはアンドレに対し、いぢわるをする。
それが、「妻を慕う召使いを側に置いてやってもいいよ、ワタシは心が広いから」発言だ。
いや、悪意だけじゃない。「人間とサルは住む世界が違うんだ」という事実を知らしめた上で、「オレっていい人、なんてビッグなんだ」と悦に入っているわけだな。悪意だけでなくほんとうに、「サルに対しての、親切心」だと思って言っている。
悪意だけでなく親切心があったとしても、だ。
「サル」扱いされたら、そりゃ怒るわな。ジェローデルが言うのは、自分とは同じ次元でない下等生物に対する寛大な提案だ。
アンドレは悦に入っているジェローデルへ、ショコラをぶっかける。
原作のジェローデルが素晴らしいのは、現代社会の「人間は平等」という感覚のモノから見て、「悪役」としか思えない言動を取っているにも関わらず、オスカルに拒絶されたあと潔く身を引くことができる、ということだ。
オスカルが自分ではなくサルを……アンドレを取ったことは驚愕だけれど、そこで「サルに負けるなんて!!」と騒ぐことなく、オスカルの意思を尊重する。
自分のことではなく、愛した人のしあわせを選ぶ。
貴族らしい貴族で、人間を差別するのがとーぜんという、現在のわたしたちとはチガウ感覚で生きているとしても。
その感覚の中で、公正さと潔さを持つ。
「サルを選ぶなんて何事? そんな考え方はまちがっている、ワタシに従いなさい」と言い出すこともできた。キャラメイキング時に。
わたしたちの感覚での「完全な悪役」にしてしまうことができたんだ。
だけどそうはせず、「オスカル」という人物を愛したキャラクタとした。
真にオスカルを愛したのなら、自分と意見が違うからといって相手の意見を完全否定し、従わせるようなことは、しないはずだ。
オスカルを理解し、その人格を愛しているなら、たとえ自分の常識とはかけはなれた答えを出されても、尊重するしかない。
そんな人しか、オスカルを愛さないし、理解できない。
ジェローデルというキャラクタが成功しているのは、いかにもお貴族サマな態度や考え方でアンドレとの対比をあざやかに描き出したし、その決着の付け方でオスカルというキャラクタの格も上げたことだ。
どんな相手に愛され、どう応えるか。
それによってキャラクタの格が決まる。
つまらないヤツにしか愛されないのは、その程度のキャラクタだからだ。
ジェローデルは「悪」として描かれがちな貴族社会を代表する貴族的な青年であり、かつ、「正しい」魅力的な人物として描かれた。
矛盾しがちな設定を、全部プラスへ昇華し、なおかつ、単純に女の子の好きなラヴ・ロマンスとしてドキドキな展開にしているあたりが、当時の作者の非凡なセンスの現れだと思う。
とゆー、原作考察の上で。
タカラヅカのジェローデルは。
続く。
原作のジェロとヅカのジェロはずいぶんチガウと思うんだが。や、植爺製のキャラクタは全部原作と別物だけど、ジェロもまた別人だ。
最初にヅカのジェロを観て、ナニこのイイ人?!と、びっくりしたよ。
まず、原作のジェローデルの話。
原作を読んだのは子どものころだったけど、ジェローデルってのは「嫌味なキャラ」認定で、『ドラえもん』でいうところのスネオ、『ちびまる子ちゃん』でいうところの花輪くんだった。悪人ではないけれど、キザでお金持ちをハナにかけている嫌なヤツ。
そもそもジェローデルって、脇役だったよね?
アンドレが顔もろくに描かれていなかった脇役だったように。
長い長い連載だと、話が途中で変化することがいくらでもある。
途中からアンドレが主要キャラになったように、ジェローデルもただの「名前があるだけの脇役」から、人格を持ったひとりのキャラクタに格上げされた。
ジェローデルのクラスチェンジが行われたのが、「オスカルへのプロポーズ」だ。
停滞し、ある意味袋小路に入っていたキャラクタの立場を急激に変えるための「事件」が必要だった。
それが、「オスカルの結婚」。
今までオスカルは「男装の麗人」ではあっても、フェルゼンに女として見てもらえなかったように、貴婦人たちがきゃーきゃー騒いでいるように、誰も彼女を「女」として認めていなかった。
キャラクタを表現するには、「第三者の目」が必要だ。Aさんはこんな人、と表現したいとき、Aさん自身やその身内がなにか言うより、まったくの第三者がAさんを語る方が説得力がある。
オスカルはたしかに魅力的な人物だけど、女としてはまったく論外なんじゃないの? 男たちはオスカルみたいな女、大嫌いなんじゃないの? 誰もオスカルを魅力的だと言う男が出てこないじゃん?
そこで、「世間的に見て、最高級の男」の登場ですよ。身分と富があり、高い地位を得ており、美貌と知性を持ち、それでいて長男ではなく婿養子も可(笑)。
そんな最高級の男が、オスカルに求婚する。
その事実で、「オスカル」というキャラクタの格を上げるわけです。女子が大好きなのは、「複数のいい男に愛されるヒロイン」の話です。切ない片恋とか禁じられた恋に一途な純愛ヒロインも、彼女を愛するいい男が複数出てくるのがお約束。カレシひとりにしか愛されないヒロインの話なんて、女子はときめきません。
この条件を満たす男、ということで、作者はまったくの新キャラを作るのではなく、今までただの脇役として、ろくに書き込みもせずに便利使いしていたジェローデルを山の中から掘り起こしてきた。
後付け設定であることは、それまでジェロがオスカルを愛していたなんて表現がまったくない(そもそもジェロに出番も台詞もない)ことでもわかる。
ただの人格もナニもない「脇役」から、「主人公を愛している男(当て馬)」に華麗にクラスチェンジ。
それまで人格がなかったわけだから、クラスチェンジして登場したときには「役割」を持って性格が形成されている。
ジェローデルの役目は、ずばり「当て馬」だ。
オスカルのダーリンはアンドレである。
オスカルはアントワネットや王家を裏切り、フランス革命に参加する。
それらの「オスカル」というキャラクタを形成する事柄を際立たせるために、当て馬はキャラメイキングされる。
だからこそ、ジェローデルは「貴族」だった。
貴族らしい、貴族。
生まれたときから特別扱い、他人の犠牲の上にある享楽を「当たり前」として生きる。
平民のことは人間以下と見下している。自分には血統を含めて、自信と誇りがある。
だからジェローデルは、オスカルに求婚した。
立場的にいって、人間的にいって、自分が選ばれて当然だから、オスカルの父・ジャルジェ将軍へ申し込みに行った。
ラヴ・ストーリーにおいての当て馬は大抵、なにもかも持ち合わせていなければならない(笑)。
大富豪でイケメンで性格も良くてヒロインを尊重しなければならない。
女の子が言われてよろこぶ言葉「本当は寂しがりやさん」とか「がんばりすぎないで、休んでもいいんだよ」とかを言うのがお約束。「ボクだけが知っている」「本当のキミはこんなに」「無理しないでいいんだ」……当て馬美形キャラの台詞はパターンが決まっているので、書きやすいなぁ(笑)。
とにかく女子の目から見て、めちゃくちゃ都合のいい相手。
その都合のいい王子様を振って、欠点や障害のある彼や恋を貫くから「感動物語」になるわけだ。
ジェローデルもオスカルの前ではわっかりやすい王子様ぶりを大発揮!
オスカルに対しては「都合のいい王子様」、そして物語全体から見れば「主人公を愛している男(当て馬)」だから、身分や立場などが真のダーリンであるアンドレとは、正反対であること。
それが、ジェローデルというキャラクタの意義。
貴族らしい貴族だから、ジェローデルはアンドレを見下している。アンドレ個人を、ではなく、平民を。
平民であるアンドレが特別扱いされていることが気に入らないし、オスカルに愛されているコトへの嫉妬もある。
でも嫉妬するには、相手が平民なので相応しくない。人間がサルに嫉妬するのはみっともない。同次元で語るべき相手ではない。でも、実際のところオスカルはアンドレを愛してるっぽいし……。いや、そんなことはありえない、人間がサルを愛するなんて、常識としてあり得ない。人間であるワタシがサルと同じ次元に落ちてどうする。
とゆー、ややこしい感情もあり、ジェローデルはアンドレに対し、いぢわるをする。
それが、「妻を慕う召使いを側に置いてやってもいいよ、ワタシは心が広いから」発言だ。
いや、悪意だけじゃない。「人間とサルは住む世界が違うんだ」という事実を知らしめた上で、「オレっていい人、なんてビッグなんだ」と悦に入っているわけだな。悪意だけでなくほんとうに、「サルに対しての、親切心」だと思って言っている。
悪意だけでなく親切心があったとしても、だ。
「サル」扱いされたら、そりゃ怒るわな。ジェローデルが言うのは、自分とは同じ次元でない下等生物に対する寛大な提案だ。
アンドレは悦に入っているジェローデルへ、ショコラをぶっかける。
原作のジェローデルが素晴らしいのは、現代社会の「人間は平等」という感覚のモノから見て、「悪役」としか思えない言動を取っているにも関わらず、オスカルに拒絶されたあと潔く身を引くことができる、ということだ。
オスカルが自分ではなくサルを……アンドレを取ったことは驚愕だけれど、そこで「サルに負けるなんて!!」と騒ぐことなく、オスカルの意思を尊重する。
自分のことではなく、愛した人のしあわせを選ぶ。
貴族らしい貴族で、人間を差別するのがとーぜんという、現在のわたしたちとはチガウ感覚で生きているとしても。
その感覚の中で、公正さと潔さを持つ。
「サルを選ぶなんて何事? そんな考え方はまちがっている、ワタシに従いなさい」と言い出すこともできた。キャラメイキング時に。
わたしたちの感覚での「完全な悪役」にしてしまうことができたんだ。
だけどそうはせず、「オスカル」という人物を愛したキャラクタとした。
真にオスカルを愛したのなら、自分と意見が違うからといって相手の意見を完全否定し、従わせるようなことは、しないはずだ。
オスカルを理解し、その人格を愛しているなら、たとえ自分の常識とはかけはなれた答えを出されても、尊重するしかない。
そんな人しか、オスカルを愛さないし、理解できない。
ジェローデルというキャラクタが成功しているのは、いかにもお貴族サマな態度や考え方でアンドレとの対比をあざやかに描き出したし、その決着の付け方でオスカルというキャラクタの格も上げたことだ。
どんな相手に愛され、どう応えるか。
それによってキャラクタの格が決まる。
つまらないヤツにしか愛されないのは、その程度のキャラクタだからだ。
ジェローデルは「悪」として描かれがちな貴族社会を代表する貴族的な青年であり、かつ、「正しい」魅力的な人物として描かれた。
矛盾しがちな設定を、全部プラスへ昇華し、なおかつ、単純に女の子の好きなラヴ・ロマンスとしてドキドキな展開にしているあたりが、当時の作者の非凡なセンスの現れだと思う。
とゆー、原作考察の上で。
タカラヅカのジェローデルは。
続く。
ベルサイユに咲くまっつ・その2。@外伝 ベルサイユのばら-アラン編-
2008年9月25日 タカラヅカ 今キャトルレーヴ梅田店にて、「ジェローデル特集」なんてゆーモノをやっていますニャ。
「ジェローデル」を演じた人、つーことで、みずしぇん、かしちゃん、まっつがピックアップされてますのニャ。
水夏希の横で、微笑む未涼亜希。
はうっ。(がーーん)
素顔写真ですよ、ビジュアル命の水先輩の横に、この間の歌劇ポートの、超サワヤカ笑顔まっつがいますよ!!(机叩き)
OGだからか、かしちゃんの写真は小さく、下の方。
水しぇんとまっつです。メインは。
はわわ。はわわわ。(白目)
トップスター様たちと、まっつが同列に並べられている~~。わわわわ。
……取り乱したため、ちょっくら口調がトロだのクロだの風になってます。『まいにちいっしょ』絶賛プレイ中のため、日常会話でもトロだのクロだのなりがちです。いいトシしてキモいので自重するのが大変です。
いやあ、すばらしい破壊力でした、「ジェローデル特集」。
あの狭い梅田キャトレの一画、ほんとにめっさ小さな、ささやかなコーナーなんだけど。
水・貴城という美形キラキラなお二方と一緒に、未涼氏が特集されちゃってること自体が、シュールな光景でした。
や、特集ったってね、ジェローデルったってね、らしいモノなんかほとんどないなんだけどね。
「ジェローデル様ってどんな人?」というスタッフ手作りボードがあるだけで、あとはどこがジェロなんだか。
よーするに在庫一掃コーナーです。売れ残ってんだろーなー、という微妙商品を陳列してあるだけ。
セット売りが基本で、水しぇんとかしちゃんは「非売品ポストカード」付きで、過去商品を詰め合わされている。わざわざセットを買うメリットは、そのポスカ1枚のみ。割引一切無しの定価まんまなセットなんだもの。
トップ様はそりゃ、オリジナルなポスカも作ってもらっているさ。しかし我らがまっつは、通常ポスカすら発売されていない。ジェローデル役だっつーに、プログラムに扮装写真すら載っていない。
それでも、まっつもセット売りされているのだ……過去の舞台写真が。
3枚セットに袋詰めされており、2枚は外から見えるけど、3枚目は謎。「3枚目はお楽しみ♪」なんだそうだ。
……定価だよ?
割引無しの定価で、なんで中身のわかんない写真を買えるんだ?
せめて割引するなり、なにか他におまけをつけるなりしようよ?! 非売品ポスカ付きのトップおふたりと扱い違い過ぎるじゃん。や、商品の微妙さは同じだったけど。でもって非売品ポスカも使い回しで「それ、何年も前から配ってるヤツだよね……?」であっても、最近のファンはなにも知らずに手を出すかもしんないし。
あああ、とことん微妙だ、まっつ……。セット売りされてる写真も新公時代のだったりするし、平気でギスターブ@『天使の季節』とかだし! よりによってソレかよ……。
いやその、全部がギスターブぢゃないですけどね……ソレじゃイヂメですけどね……。
まったく売れなかったら悲しすぎるから、なにか買って帰ろうかとも思ったんだけど……ダメだ、恥ずかしすぎて買えないっ。
「3枚目はお楽しみ♪」なんて過去写真セットを定価で買うって、どんだけ夢見てる人なんだ。絶対、表に出したら売れない人気無さNo.1写真の抱き合わせ販売に決まってる。
それともナニか、「まっつのいちばん人気ナイ写真ってどんなのかしらっ」とポジティヴにチャレンジするべきだったのか?
何度も売り場をうろうろしたけど、結局勇気がなくて買えなかった……。あうう。
なんにせよ、水しぇんとまっつが並んでボードに収まっている、あの特集タイトルだけは見物です。
店内撮影可なら、是非記念に残しておきたかった……。
と。
『外伝 ベルサイユのばら-アラン編-』にジェローデルが出るのも、そして未涼亜希がジェローデル役なのも、植爺なりの「生徒」への愛情なんだろうな、とは思います。
『アラン編』のジェローデルは、決していい役ではない。つか、いなくてもいいだろてな役だ。
やたら名前だけ連呼される「ジェローデル」は、先に上演された『外伝 ベルサイユのばら-ジェローデル編-』のジェローデルのことで、今作のジェロ様のことじゃないし。
植爺のアタマには、まっつがジェロだってことは、すでになくなっていそうだし。
わたしは今回の『外伝 ベルサイユのばら-アラン編-』でのまっつの本役は「市民の男」で、ジェローデルはアルバイトだと思っているクチだが、それでも、たとえ名ばかりであったとしても、「ジェローデル」という役を演じた、ことに意味があるんだ。
タカラヅカの財産である、『ベルサイユのばら』。
ぶっちゃけわたしは「二度といらん、公演するな」と思っているし、歴史的価値と功績は認めるにしろ作品自体はカスだと思っているのだが、そーゆーこととは別に、財産であることは、たしか。
守り、受け継がれていくモノである。
そこに、名前が残る。
それは重要なことなんだ。
これから先も、上演が決まるたびプログラムには「歴代主要キャラ名一覧表」が載るわけだ。全ツとはいえ、「外伝」と銘打って月組以外の全組に渡って行った公演だ、葬られることなく記載されるだろう。
そこに、まっつの名前が残る。
ただ、「ジェローデル」を演じた人、として。
そのジェローデルっつーのが、ただ舞台を左から右へ横切っていっただけの人だったとしても、関係ない。オスカルを愛する男、アンドレのライバルキャラ、スピンオフで主役もできる、「ジェローデル役」という外側のことしか残らないんだ。
べつにジェローデルを出す必要はなかったし、他作品を見ても「何故フェルゼンを出してアンドレを出さない」とか、わけのわかんないことをしている植爺だが、とりあえず彼に悪意はないのだろうとは思う。
「名前」のある役を生徒にさせる。別に、特にかわいがっている子でなくても、学年と順番に相応しければ。「市民の男」より「ジェローデル」の方がその子のためだろう、と思うことは、彼の善意であり厚意なんだろう。彼は彼なりに生徒を愛しているんだろうと、思っている。
時代遅れな価値観と愛情表現だが。
そんな名前だけの役より、ふさわしい比重の役は他にもあるし、演出家や役者ならそれこそを重要に考えるものだろうが……なにしろ、植爺だし。
あんな扱いでも、まっつが「ジェローデル」を演じた、ということは、大きなコトなんだろうと、思う。
これから先、「未涼亜希? 誰?」と言われても「タカラヅカ時代には『ベルばら』でオスカルをめぐって三角関係になる、ジェローデルって役をやった人」と説明できるのだから。「トップスターの多くが、一度はやった役なんだよ」とか。なにも知らない人を煙に巻く説明を、しよーと思えばできるのだから(笑)。
なんかしらんがとにかく、すごいことなんだよな。
と。
梅田キャトレにて、水夏希の横で、微笑む未涼亜希を見て思った。
「ジェローデル」を演じた人、つーことで、みずしぇん、かしちゃん、まっつがピックアップされてますのニャ。
水夏希の横で、微笑む未涼亜希。
はうっ。(がーーん)
素顔写真ですよ、ビジュアル命の水先輩の横に、この間の歌劇ポートの、超サワヤカ笑顔まっつがいますよ!!(机叩き)
OGだからか、かしちゃんの写真は小さく、下の方。
水しぇんとまっつです。メインは。
はわわ。はわわわ。(白目)
トップスター様たちと、まっつが同列に並べられている~~。わわわわ。
……取り乱したため、ちょっくら口調がトロだのクロだの風になってます。『まいにちいっしょ』絶賛プレイ中のため、日常会話でもトロだのクロだのなりがちです。いいトシしてキモいので自重するのが大変です。
いやあ、すばらしい破壊力でした、「ジェローデル特集」。
あの狭い梅田キャトレの一画、ほんとにめっさ小さな、ささやかなコーナーなんだけど。
水・貴城という美形キラキラなお二方と一緒に、未涼氏が特集されちゃってること自体が、シュールな光景でした。
や、特集ったってね、ジェローデルったってね、らしいモノなんかほとんどないなんだけどね。
「ジェローデル様ってどんな人?」というスタッフ手作りボードがあるだけで、あとはどこがジェロなんだか。
よーするに在庫一掃コーナーです。売れ残ってんだろーなー、という微妙商品を陳列してあるだけ。
セット売りが基本で、水しぇんとかしちゃんは「非売品ポストカード」付きで、過去商品を詰め合わされている。わざわざセットを買うメリットは、そのポスカ1枚のみ。割引一切無しの定価まんまなセットなんだもの。
トップ様はそりゃ、オリジナルなポスカも作ってもらっているさ。しかし我らがまっつは、通常ポスカすら発売されていない。ジェローデル役だっつーに、プログラムに扮装写真すら載っていない。
それでも、まっつもセット売りされているのだ……過去の舞台写真が。
3枚セットに袋詰めされており、2枚は外から見えるけど、3枚目は謎。「3枚目はお楽しみ♪」なんだそうだ。
……定価だよ?
割引無しの定価で、なんで中身のわかんない写真を買えるんだ?
せめて割引するなり、なにか他におまけをつけるなりしようよ?! 非売品ポスカ付きのトップおふたりと扱い違い過ぎるじゃん。や、商品の微妙さは同じだったけど。でもって非売品ポスカも使い回しで「それ、何年も前から配ってるヤツだよね……?」であっても、最近のファンはなにも知らずに手を出すかもしんないし。
あああ、とことん微妙だ、まっつ……。セット売りされてる写真も新公時代のだったりするし、平気でギスターブ@『天使の季節』とかだし! よりによってソレかよ……。
いやその、全部がギスターブぢゃないですけどね……ソレじゃイヂメですけどね……。
まったく売れなかったら悲しすぎるから、なにか買って帰ろうかとも思ったんだけど……ダメだ、恥ずかしすぎて買えないっ。
「3枚目はお楽しみ♪」なんて過去写真セットを定価で買うって、どんだけ夢見てる人なんだ。絶対、表に出したら売れない人気無さNo.1写真の抱き合わせ販売に決まってる。
それともナニか、「まっつのいちばん人気ナイ写真ってどんなのかしらっ」とポジティヴにチャレンジするべきだったのか?
何度も売り場をうろうろしたけど、結局勇気がなくて買えなかった……。あうう。
なんにせよ、水しぇんとまっつが並んでボードに収まっている、あの特集タイトルだけは見物です。
店内撮影可なら、是非記念に残しておきたかった……。
と。
『外伝 ベルサイユのばら-アラン編-』にジェローデルが出るのも、そして未涼亜希がジェローデル役なのも、植爺なりの「生徒」への愛情なんだろうな、とは思います。
『アラン編』のジェローデルは、決していい役ではない。つか、いなくてもいいだろてな役だ。
やたら名前だけ連呼される「ジェローデル」は、先に上演された『外伝 ベルサイユのばら-ジェローデル編-』のジェローデルのことで、今作のジェロ様のことじゃないし。
植爺のアタマには、まっつがジェロだってことは、すでになくなっていそうだし。
わたしは今回の『外伝 ベルサイユのばら-アラン編-』でのまっつの本役は「市民の男」で、ジェローデルはアルバイトだと思っているクチだが、それでも、たとえ名ばかりであったとしても、「ジェローデル」という役を演じた、ことに意味があるんだ。
タカラヅカの財産である、『ベルサイユのばら』。
ぶっちゃけわたしは「二度といらん、公演するな」と思っているし、歴史的価値と功績は認めるにしろ作品自体はカスだと思っているのだが、そーゆーこととは別に、財産であることは、たしか。
守り、受け継がれていくモノである。
そこに、名前が残る。
それは重要なことなんだ。
これから先も、上演が決まるたびプログラムには「歴代主要キャラ名一覧表」が載るわけだ。全ツとはいえ、「外伝」と銘打って月組以外の全組に渡って行った公演だ、葬られることなく記載されるだろう。
そこに、まっつの名前が残る。
ただ、「ジェローデル」を演じた人、として。
そのジェローデルっつーのが、ただ舞台を左から右へ横切っていっただけの人だったとしても、関係ない。オスカルを愛する男、アンドレのライバルキャラ、スピンオフで主役もできる、「ジェローデル役」という外側のことしか残らないんだ。
べつにジェローデルを出す必要はなかったし、他作品を見ても「何故フェルゼンを出してアンドレを出さない」とか、わけのわかんないことをしている植爺だが、とりあえず彼に悪意はないのだろうとは思う。
「名前」のある役を生徒にさせる。別に、特にかわいがっている子でなくても、学年と順番に相応しければ。「市民の男」より「ジェローデル」の方がその子のためだろう、と思うことは、彼の善意であり厚意なんだろう。彼は彼なりに生徒を愛しているんだろうと、思っている。
時代遅れな価値観と愛情表現だが。
そんな名前だけの役より、ふさわしい比重の役は他にもあるし、演出家や役者ならそれこそを重要に考えるものだろうが……なにしろ、植爺だし。
あんな扱いでも、まっつが「ジェローデル」を演じた、ということは、大きなコトなんだろうと、思う。
これから先、「未涼亜希? 誰?」と言われても「タカラヅカ時代には『ベルばら』でオスカルをめぐって三角関係になる、ジェローデルって役をやった人」と説明できるのだから。「トップスターの多くが、一度はやった役なんだよ」とか。なにも知らない人を煙に巻く説明を、しよーと思えばできるのだから(笑)。
なんかしらんがとにかく、すごいことなんだよな。
と。
梅田キャトレにて、水夏希の横で、微笑む未涼亜希を見て思った。
ベルサイユに咲くまっつ・その1。@外伝 ベルサイユのばら-アラン編-
2008年9月24日 タカラヅカ 『外伝 ベルサイユのばら-アラン編-』初日。
わたしは、1階席ほぼドセンターにいた。劇場の真ん中あたり。「舞台」を観るにも、贔屓をガン見するにも最適なあたり。
しかし。
この席には、思わぬ落とし穴が。
はいはいはい、お待たせしました、まっつの話です。
誰も待ってない、とかのツッコミ不可、まずまっつを語らないと他の感想が落ち着いて書けないもんよ。
全組使いまわしのオープニングが華やかにはじまったとき。
ヒロインを真ん中に、2、3番手が並び(役とは無関係に序列だけで決まる、なにしろ全組使いまわし前提だから)、その周囲を小公女もどき、小公子もどきが半円を描いて囲む。「ベルサイユ~~、ベルサイユ~~」と、お約束の歌をみんなで歌う。
わたしはなにしろドセンターにいるから、すべてが一望でき……一望……あれ? まっつが、いない?
番手のない男たちは全員金髪マッシュルーム……つーか、おかっぱヘア、白タイツに宮廷靴で膝丈パンツ履いて「ソレ、なんの罰ゲーム?」なことになっている。まっつだってここにいるはず……だ。
最初に目に飛びこんできたのは、めぐむ氏の満面の笑顔。金髪を揺らして、凶悪なまでににっこり笑っている。反対側にいるのは、りせだ。りせのすごいとこは、この学年になってもこーゆー格好がそれなりに似合っちゃうこと。このフェアリーめ(笑)。
まぁくん、しゅん様、よっち……ふつーに学年順に並んでいる彼らのなかに、まっつがいない。
なんで? あんまり似合わないからはずされた? て、めぐむより似合ってないってこと?(めぐむ氏に失礼です)
答えは、しばらくしてから出ました。
いる。
まっつ、いる。
彩音ちゃんの真後ろ!!
ははは。前にいるのが彩音ちゃんぢゃ、まっつが見えなくても仕方ないな。体格的に同じくらいだもんな……て、そーゆーことぢゃなくてだ、大きなドレス姿だからだ、そうだとも! 決してどっちかがごついとかちっこいとかゆー話ではなくてっ(笑)。
席がなまじドセン過ぎて、ちょーどかぶっちゃって見えなかったんですよ……。
つーことで、かなり出遅れました。金髪キノコなまっつ捕獲。
えーと。
まあ、似あう似合わないで言えば、似合わなくてとーぜんなわけで。研11、*歳にもなって小公子は、いくらなんでも無理があってしかるべき。(ジェンヌはフェアリーです、年齢なんてありません。考えてはいけません)
とくにまっつは顔のシワがチャームポイント。目許だの口元だのにシワがあるのが胸きゅんなわけです。しかし、シワのある小公子っつーのは……ゲフンゲフン。
年齢と役が合っていないのはもうどうしようもないとして。
けっこう、イケてるんじゃないですか?
……あ、あれ? 同意は得られませんか? ダメですか?
顔の輪郭的には、おかっぱもOKだもん。エーベルバッハ少佐的な造作になってたわよ、輪郭と髪型が。
そりゃ、真の意味でお似合いだとは思いませんが、思ったよりマシだったというか……あれ? チガウの? ダメ?
キノコまっつに対し、友人たちがそろってニラニラ言葉を濁しているんですが。あのなまあたたかい笑いは、わたしに対してですか?
そりゃわたしも、初日初回は「うわー」でしたけど、続けて見ているうちに耐性がついたってゆーか、「で、まっつのマッシュルームはどうですか」と聞かれて「けっこーかわいいんじゃね?」と答えて、「ええっ?!」と本気で叫ばれるよーには成長したってゆーか。いやその、叫ばなくてもいいじゃないすか。
髪型もだけど、衣装も大概だよなアレは。白タイツって誰が穿いても微妙だわな。まっつのふくらはぎの細さを愛でるタイムだと思ってるけど。
マッシュルーム自体はあっちゅー間で、まっつ以下6名だっけかな(プログラム買ってないんで復習できない)は、スミレ色の軍服に着替えて登場、こっちの方が長い。
ほっとするけれど、そりゃ金髪キノコ脛剥き出しよりこっちの方がいいけど、でもまっつと軍服・縦ロールにおリボン、つーのは……いや、見慣れたら問題ナイからいいんだけど。
『ベルばら』を構成するお約束のひとつひとつが、わたしのまっつ観と隔たっていて大変(笑)。
6名いた軍服男たちは、パレード直前に2名に減る。まっつとりせを残して、他の4名がいなくなる。が、舞台には小公女・小公子がわらわら入れ替わりに現れるから無問題。まっつはいちかちゃんからシャンシャンを受け取ってパレードモードへ。このシャンシャン受け取りがなかなかに一瞬で、ふたりの目線の交わし具合とかいい感じ。
銀橋がないときのパレード定番、同じところをみんなでぐるぐる回って、オープニング終了。さあ、こっから先、まっつの出番まではけっこー長い(笑)。
まっつの役はジェローデル。
しかしこのジェローデル、出番は1場面のみだし、アンドレ@壮くんとしか絡まない。絡むってゆーか、自分の世界に入っているアンドレ相手に、一方的に喋るだけ。会話になってない。てゆーか、ジェローデルとして舞台にいるのはわずか数分だけだ。
歌もナイし、ダンスもナイ。
いい役では、まったくない。
こんなことなら、衛兵隊士の方がずっと良かったんじゃ……? とまあ、思えるよーな役なんだわな。
しかし、見てみればわかるけど、衛兵隊に、まっつの入る余地はナイよ。
オープニングが終って、カーテン前に衛兵隊士たちが登場する。
めぐむ、まぁくん、しゅん様、よっち。
ソロありの荒くれダンスだ。つか、めぐむのソロから物語開始だよ、おいしいなあ。
この4人が、かっこいいんだわ。
すらりとした長身に、着崩した軍服が映える。
さらにカーテンが開き、りせ他の衛兵隊士たちがダンスに加わる。
う・わー……。
なんかこいつら、すげーかっこいいんですけど?
みんな新公学年以下の若手たちで、声を出すとオンナノコで大変なんだけど、とりあえず体格には恵まれている。長身でスタイルよくて、かっこいい。
花組って、いつの間にこんな長身男役が揃うよーになってたんだ?
ちびっこ組はみんなDCで、でかいのばっか全ツに配役された模様。
このビジュアル優先な若者たちの間に、まっつは入れない……。ひとりだけなんか世界が違ってしまう。
声と所作ができているのはめぐむとまぁくん、しゅん様だけ、つーのが、まあ、大変っちゃー大変なんだけど。あ、今回よっちがすげーがんばってた。りせは……ええと、がんばれ。
衛兵隊に入れないんじゃあ、役柄がかなり限られるよなあ。と、ちょっと哀しくなりました。時代は確実に流れている。
まあそれはともかく。
植爺脚本のものすごさにアゴを落とし、戦慄し、怒りだの嫌悪だのに振り回されながらも、熱演するアラン@まとぶ他のみんなに、胸が熱くなり。
ついに、ジェローデル@まっつが登場した。
続く。
わたしは、1階席ほぼドセンターにいた。劇場の真ん中あたり。「舞台」を観るにも、贔屓をガン見するにも最適なあたり。
しかし。
この席には、思わぬ落とし穴が。
はいはいはい、お待たせしました、まっつの話です。
誰も待ってない、とかのツッコミ不可、まずまっつを語らないと他の感想が落ち着いて書けないもんよ。
全組使いまわしのオープニングが華やかにはじまったとき。
ヒロインを真ん中に、2、3番手が並び(役とは無関係に序列だけで決まる、なにしろ全組使いまわし前提だから)、その周囲を小公女もどき、小公子もどきが半円を描いて囲む。「ベルサイユ~~、ベルサイユ~~」と、お約束の歌をみんなで歌う。
わたしはなにしろドセンターにいるから、すべてが一望でき……一望……あれ? まっつが、いない?
番手のない男たちは全員金髪マッシュルーム……つーか、おかっぱヘア、白タイツに宮廷靴で膝丈パンツ履いて「ソレ、なんの罰ゲーム?」なことになっている。まっつだってここにいるはず……だ。
最初に目に飛びこんできたのは、めぐむ氏の満面の笑顔。金髪を揺らして、凶悪なまでににっこり笑っている。反対側にいるのは、りせだ。りせのすごいとこは、この学年になってもこーゆー格好がそれなりに似合っちゃうこと。このフェアリーめ(笑)。
まぁくん、しゅん様、よっち……ふつーに学年順に並んでいる彼らのなかに、まっつがいない。
なんで? あんまり似合わないからはずされた? て、めぐむより似合ってないってこと?(めぐむ氏に失礼です)
答えは、しばらくしてから出ました。
いる。
まっつ、いる。
彩音ちゃんの真後ろ!!
ははは。前にいるのが彩音ちゃんぢゃ、まっつが見えなくても仕方ないな。体格的に同じくらいだもんな……て、そーゆーことぢゃなくてだ、大きなドレス姿だからだ、そうだとも! 決してどっちかがごついとかちっこいとかゆー話ではなくてっ(笑)。
席がなまじドセン過ぎて、ちょーどかぶっちゃって見えなかったんですよ……。
つーことで、かなり出遅れました。金髪キノコなまっつ捕獲。
えーと。
まあ、似あう似合わないで言えば、似合わなくてとーぜんなわけで。研11、*歳にもなって小公子は、いくらなんでも無理があってしかるべき。(ジェンヌはフェアリーです、年齢なんてありません。考えてはいけません)
とくにまっつは顔のシワがチャームポイント。目許だの口元だのにシワがあるのが胸きゅんなわけです。しかし、シワのある小公子っつーのは……ゲフンゲフン。
年齢と役が合っていないのはもうどうしようもないとして。
けっこう、イケてるんじゃないですか?
……あ、あれ? 同意は得られませんか? ダメですか?
顔の輪郭的には、おかっぱもOKだもん。エーベルバッハ少佐的な造作になってたわよ、輪郭と髪型が。
そりゃ、真の意味でお似合いだとは思いませんが、思ったよりマシだったというか……あれ? チガウの? ダメ?
キノコまっつに対し、友人たちがそろってニラニラ言葉を濁しているんですが。あのなまあたたかい笑いは、わたしに対してですか?
そりゃわたしも、初日初回は「うわー」でしたけど、続けて見ているうちに耐性がついたってゆーか、「で、まっつのマッシュルームはどうですか」と聞かれて「けっこーかわいいんじゃね?」と答えて、「ええっ?!」と本気で叫ばれるよーには成長したってゆーか。いやその、叫ばなくてもいいじゃないすか。
髪型もだけど、衣装も大概だよなアレは。白タイツって誰が穿いても微妙だわな。まっつのふくらはぎの細さを愛でるタイムだと思ってるけど。
マッシュルーム自体はあっちゅー間で、まっつ以下6名だっけかな(プログラム買ってないんで復習できない)は、スミレ色の軍服に着替えて登場、こっちの方が長い。
ほっとするけれど、そりゃ金髪キノコ脛剥き出しよりこっちの方がいいけど、でもまっつと軍服・縦ロールにおリボン、つーのは……いや、見慣れたら問題ナイからいいんだけど。
『ベルばら』を構成するお約束のひとつひとつが、わたしのまっつ観と隔たっていて大変(笑)。
6名いた軍服男たちは、パレード直前に2名に減る。まっつとりせを残して、他の4名がいなくなる。が、舞台には小公女・小公子がわらわら入れ替わりに現れるから無問題。まっつはいちかちゃんからシャンシャンを受け取ってパレードモードへ。このシャンシャン受け取りがなかなかに一瞬で、ふたりの目線の交わし具合とかいい感じ。
銀橋がないときのパレード定番、同じところをみんなでぐるぐる回って、オープニング終了。さあ、こっから先、まっつの出番まではけっこー長い(笑)。
まっつの役はジェローデル。
しかしこのジェローデル、出番は1場面のみだし、アンドレ@壮くんとしか絡まない。絡むってゆーか、自分の世界に入っているアンドレ相手に、一方的に喋るだけ。会話になってない。てゆーか、ジェローデルとして舞台にいるのはわずか数分だけだ。
歌もナイし、ダンスもナイ。
いい役では、まったくない。
こんなことなら、衛兵隊士の方がずっと良かったんじゃ……? とまあ、思えるよーな役なんだわな。
しかし、見てみればわかるけど、衛兵隊に、まっつの入る余地はナイよ。
オープニングが終って、カーテン前に衛兵隊士たちが登場する。
めぐむ、まぁくん、しゅん様、よっち。
ソロありの荒くれダンスだ。つか、めぐむのソロから物語開始だよ、おいしいなあ。
この4人が、かっこいいんだわ。
すらりとした長身に、着崩した軍服が映える。
さらにカーテンが開き、りせ他の衛兵隊士たちがダンスに加わる。
う・わー……。
なんかこいつら、すげーかっこいいんですけど?
みんな新公学年以下の若手たちで、声を出すとオンナノコで大変なんだけど、とりあえず体格には恵まれている。長身でスタイルよくて、かっこいい。
花組って、いつの間にこんな長身男役が揃うよーになってたんだ?
ちびっこ組はみんなDCで、でかいのばっか全ツに配役された模様。
このビジュアル優先な若者たちの間に、まっつは入れない……。ひとりだけなんか世界が違ってしまう。
声と所作ができているのはめぐむとまぁくん、しゅん様だけ、つーのが、まあ、大変っちゃー大変なんだけど。あ、今回よっちがすげーがんばってた。りせは……ええと、がんばれ。
衛兵隊に入れないんじゃあ、役柄がかなり限られるよなあ。と、ちょっと哀しくなりました。時代は確実に流れている。
まあそれはともかく。
植爺脚本のものすごさにアゴを落とし、戦慄し、怒りだの嫌悪だのに振り回されながらも、熱演するアラン@まとぶ他のみんなに、胸が熱くなり。
ついに、ジェローデル@まっつが登場した。
続く。
たぶん、わりと近くにある異世界。
2008年9月23日 タカラヅカ公式より
バウ・ロマン
『逆転裁判』-蘇る真実-
原作・監修・制作協力/株式会社カプコン
脚本・演出/鈴木圭
■主演・・・(宙組)蘭寿 とむ
本日の発表の中で、もっともコレに食いつきました。
噂はマジだったのか!
先日の全ツ観劇の折、まっつメイトの木ノ実さん相手に語ったことが、真実に……。
成歩堂がらんとむっつーのは、イメージぴったりだ。つか、全ジェンヌの中で、彼ほど相応しい漢はおるまい。
んで、御剣は七帆がいいっ。絶対絶対七帆っ。
イトノコが十。七と十は逆でもよさそーかもしれんが、そんなこたぁない、腐った女子として、御剣@七帆は譲れない(笑)。
『逆裁』自体は、わたしの逆ツボに入るゲームだったため(このブログに感想書いてあります。プレイしたの、5年も前か……)、1本目しかプレイしてませんが、その1本目ですら、ナルホドくんとミツルギでなんとか乗り切った感じ。ミツルギのエピソードに入ってはじめて、「女子に人気が高いのは、コレでか……!」と納得した。
ミツルギ萌えだけで、2本目をプレイしよーかどうしようか、真面目に検討したもんなー(笑)。
これを機会に、続きをプレイしようか、と思ったら。
「やるなら1からだろ? アドバンス版からDS版に移植されたときに、エピソード追加されてるから、DSで1本目からやり直しだな」
と、弟にさらりと言われました。
えええ、そんなことになってたの? んじゃもう一度トノサマンとかやんなきゃいけないのかよーっ?!
ゲーマーの弟も、『逆裁』をヅカでミュージカル化、にはさすがに絶句しとりました。
なにしろカプコンだからなあ。カプコンソフトでヅカにできそーなものっていったら、いちばん相応しいのは『Devil May Cry』ぢゃないかと思うんだが……。戦闘はどーせダンスなんだし、化け物さんたちの美しい表現方法なんかいくらでもあるだろーし。
しかし何故、演出が鈴木圭?
カプコン側から企画が持ちかけられたとき、歌劇団には、『逆裁』をプレイしたことのあるモノが、鈴木圭以外誰もいなかった。
というのが、FAぢゃないかと踏んでるんですが。
演出家のおじーちゃんたちが、携帯ゲーム機で脳トレ以外をやるとは思えん。
もちろん、ゲーム会社からの話だから、劇団は真っ先にサイトーくんに話を振った。
「カプコンってわかるか? 『逆転裁判』ってわかるか?」
「そりゃわかりますよ、基礎知識レベルです」
「じゃあ、プレイしたことあるんだな?」
「ありませんよ、ボクはギャルゲー専門です」
……とゆー会話があったんぢゃないかと思ってみたり。
で、消去法で鈴木氏に。他にいない、全権大使、たのむよ鈴木くん!!てなもんで。
ゲームとヅカのコラボは、アリだと思う。
ぶっちゃけ、今のヅカは先行き暗いと思う。
以前なら集客できてしかるべき演目でも、客足はさっぱりだ。全組まんべんなくムラで観ていると、危機感が募る。
どの組がとかどのスターがとかゆー以前に、「タカラヅカ」自体に、人を集める力がなくなってきているのだと思う。
今現在のファンの総数だけでは、乗り切れないところまで来ているのではないかと、危惧している。
だから、新しい客を取り込まなければならない。
だが、なんといっても特殊なジャンルだ。
むやみやたらに宣伝しても、あまり結果にはつながらないだろう。
昔ならテレビCMだけでも有効だったかもしれないけれど、今は一般大衆向けに15秒だけCMしたところでどーにもならない。
宣伝費が捨てるほどあるなら、サブリミナル効果を引き起こすぐらいえんえん流せばいいけど、そーでないなら、ターゲットを絞るべきだ。
娯楽はタダで与えられるもの、と思っている人相手は、効果が薄い。
つまり、テレビ好き相手にがんばっても、無理がある。スイッチを入れるだけでいつでも娯楽を得ることができ、どこにいかなくても、一円も出さなくても楽しめる。……そーゆー前提で生活している人は、テレビのCMやバラエティに出演しているのを見て多少興味を持ったぐらいじゃ、どこでどうやったら観られるのかを調べ、どうやってチケットを買うのかを調べ、1万円近い金を払い、交通費と時間をかけてまで劇場に来ない。
今までの生活の中にないモノには、手を出さない。
だから狙うのは、「ライヴに行くことを経験として知っている人」か、「趣味に手間と金を掛けることを厭わない人」だ。
興味を持った、じゃあチケット取って観てみようかな。
と、フットワーク軽く考えられる人。
興味を持った、じゃあまずDVDとか手近なソフトを入手してみようかな。
と、好奇心をカタチに変換することが出来る人。
舞台関係のもの……芝居、歌、パフォーマンス、お笑い、だけに限らず、スポーツや武道、ダンスやスケートとかの試合や大会もそうだよね。
ナマで、その会場にチケット代出して入ってたのしむ……ということを、経験している・日常としている人。
この多彩な娯楽のあふれかえる中で、自分のが価値を見出したモノには、有形無形問わずに入れ込むし、手間暇惜しまない。発売日に何時間並ぶのも平気だし、関連商品コンプリートにいくらだって出す、てな人。
エンタメ系の娯楽はタダで与えられると思い込んでいる人たちの心を動かすことは容易ではないが、もともとこーゆースキルを持った人たちなら、なにかきっかけがあれば、こちら側を振り向かせることは可能だと思う。
どこも業界は先細り、新規顧客開拓したくてうずうずしているんだ、滅多なことでは動かない層に働きかけるより、可能性のあるところを狙おうよ。
ヲタク業界は、そーゆー意味で狙い甲斐がある、と思う。
好きなモノに時間と金を掛けることを、厭わないからな。実際にチケット買って、イベントに駆けつけたりするわけだからな。
彼らの興味を引くことが出来れば、だけど。
とりあえずわたしは、わたしのもっと身近なゲーム仲間でもある弟に、「『逆裁』のミュージカル、一緒に行かない?」と言ってみたが、「絶対行かない」と即答された。
……ちっ。
愛が支配する。@外伝 ベルサイユのばら-アラン編-
2008年9月22日 タカラヅカ たぶん植爺は、ジェローデル役がまっつだって、忘れてると思う。
『外伝 ベルサイユのばら-アラン編-』では、やたらめったら「ジェローデル」という名前が出てくる。
ええ、なにしろ、主人公であるアラン@まとぶんが、なにもかも投げ出して自殺を決めた理由が、ジェローデルが死んだためですから。
作中に実際登場するジェローデル@まっつと、アランは面識無し。会ったこともないし、そんな人がいることすら、お互い知らないだろう。
だけど名前だけは出まくるのだ。
10年後、隻腕将軍と呼ばれるよーになったアランと、その周辺で。
作中のまっつジェロと、アランが語る「ジェローデル」は別人だと思う。作者自身が、そう思っていると思う。てゆーか、作中にジェローデルと呼ばれている人物を出したこと、じーさん忘れてるって。
アランがやたらめったら語りまくっている「ジェローデル」とは、ナニモノか。
『外伝 ベルサイユのばら-ジェローデル編-』の、ジェローデル@水しぇんです。
電波な会話をしながら修道院でソフィア@とにゃみに抱かれて死んだ、あの色男のことですよ。
植爺は自身初のスピンオフに酔っているようです。
素人がなにか描いたときに陥りがちな、「内輪ウケ」ってやつ。
自分の別作品のネタを引っ張ってきて、「このキャラには、ナニかあるのよ」とチラチラと思わせぶりにする。そりゃ作者の脳内にはなにかしら壮大な設定があるのかもしれないが、客にはそんなもんわかんないから、その話をちゃんとこの物語内で描く気がないなら、思わせぶりに出されてもウザイだけなんですけど?
編集者に見せたら、絶対すぱっとカットされますよ、そんな「作者の自己満足内輪ネタ」なんてもん。
連載決まってて、様子見の読み切りでだったら、やらせてもらえるかもしれないけど。
ふつーは「この作品1本で収束できる話を書け」って言われる。
「外伝3部作」(4部作?)と謳っているのだから、ある程度のリンクは今のご時世必要だと思う。会話の一部分が、他外伝を観ている人にだけ「あれのことね」とわかり、にやりとできるとか、その程度。
主人公の自殺の理由が、「別の物語を観てね!」って、そりゃねーだろ。
てゆーか、その「別の物語」である『ジェローデル編』を観ても、実際のとこわかんないし。『ジェロ編』も植爺作らしくぶっ壊れてるから。
フランス革命から10年後、私欲ゆえに権力を欲するナポレオンと対立しているアラン。
アランの希望はひとつ、革命で散っていった「ただひとりの愛する人」オスカルの志を守り、貫くこと。
自由、平等、博愛……オスカルが目指した世界を作ること。
ナポレオンをのさばらしていたら、オスカルへ顔向けできない。
とゆー趣旨だったはずだ。
それが。
「ジェローデルがナポレオンに殺された。もうダメだ、オレもあきらめて死ぬことにするよ。オスカルの志? 知らね、誰かなんとかしてくれんじゃね? がんばっても無駄だから、全部投げ出すことにするわ」
1時間半かけてだらだら回想シーンやってゆーれいと話して、その結果がコレかよ?!
「誰かがやってくれる」……ほんとにそう言うんだよ、アラン。ついさっきまで「オスカルに顔向けできない」ってわめいてたくせに。誰かって誰だよ?!と、盛大に突っ込んださ。少なくとも、作中にはアランの志を引き継いでなおも戦い続ける闘士は、ひとりも登場していない。
背負ってきた使命をなんのアテもなく投げ出して逃げて終わる主人公、って、はじめて見た……。
で、投げ出す理由が、観客の知らない「ジェローデル」という人物の死。
作中のジェローデルはただの貴族のぼんぼんで、「フランスのために独裁者暗殺に立ち上がった英雄」ではまったくないし。
ジェローデルの死を「理由」にするなら、『アラン編』でその英雄ジェローデルの活躍を描かないと。
それすらないから観客は、
「ジェローデルって……まっつがやってた役? 出番数分のいなくても別に良かったんぢゃ? てな扱いの、ただアンドレに求婚報告だけして去っていったマイペースな人よね? なんでまっつが死んだからって、まとぶんがショック受けて後追い自殺するの? デキてたの?」
て、混乱するんじゃん!! や、話は全部役名で言おうな、それとデキてたまでは考えなくても、「後追い自殺」はふつー変だと思うから!!
植爺はまっつのことなんかすっかり忘れていて、アタマの中には『ジェローデル編』の水しぇんのことしかないのよ。
で、自分のアタマの中にあるもんだから、自分=世界のすべてだと思っているから、なんの説明もなくて平気なの。自分だけわかっていて、それを他人に説明することは考えてないの。知らないの。
おかげでアランは、オスカルの志よりジェローデルの死にショック受けて自殺する軟弱なホモ男になってしまった。
いや、水×まとぶでも、まっつ×まとぶでも、わたしはオイシクいただきますから、ソレについてはぜんぜんかまわないんだけど、世の中的にソレはまずいだろう、植爺よ。
てゆーか、理由がどうあれ、「なにもかも投げ出して逃げる主人公」ってのは、どうなのよ。
周囲の人間が「もう無理だ」と言っているのに「最後まであきらめるな。希望を捨てるな」とがんばり続ける主人公が、志半ばで倒れるならともかく。
周囲の人間(ゆーれいだけど)が「最後まであきらめるな。希望を捨てるな」と言っているのに、肝心の主人公は「もう無理だ」と言って自殺。
……えーと。
ある意味、「新しい」のか?
「嫌なことがあったらさっさとあきらめて自殺しよーぜぃ! 逃げた方が楽だからなっ」という、イマドキなメッセージ?
ただわたしは、「タカラヅカ」でそーゆーものは見たくないな。
キレイゴトでいいから、最後までがんばる主人公をヅカ的に「正しい」と思うし、最後まであきらめない人間が志半ばで倒れることを悲劇だと思う。逃げる人はべつに悲劇じゃない……逃げることしかできなかった心の弱さは悲劇だと思うけれど。
まあ、いちばんこわいのは、植爺がナニもわからずに書いていることだと思うが。
この人がこんな作品を垂れ流し続けていることが、すでにホラーだわ……。
わたしは「タカラヅカ」というジャンルが好きで、「タカラヅカ」的なモノを好きなので、アランの自殺の理由は「挫折して逃避、責任転嫁して自殺」なんて考えたくないので、ヅカらしく愛ゆえに死んだんだと思うことにします。
つまり。
「ああ愛しいジェローデル、あなたの死を知ってなお生き続けることなどワタシにはできません! あなたのあとを追って死にます!! ラブイズフォエバー!!」
……とゆー、正統派な理由だと、思っておきます(笑)。
愛ですよ、愛!!
すべては愛ゆえにです。
『外伝 ベルサイユのばら-アラン編-』では、やたらめったら「ジェローデル」という名前が出てくる。
ええ、なにしろ、主人公であるアラン@まとぶんが、なにもかも投げ出して自殺を決めた理由が、ジェローデルが死んだためですから。
作中に実際登場するジェローデル@まっつと、アランは面識無し。会ったこともないし、そんな人がいることすら、お互い知らないだろう。
だけど名前だけは出まくるのだ。
10年後、隻腕将軍と呼ばれるよーになったアランと、その周辺で。
作中のまっつジェロと、アランが語る「ジェローデル」は別人だと思う。作者自身が、そう思っていると思う。てゆーか、作中にジェローデルと呼ばれている人物を出したこと、じーさん忘れてるって。
アランがやたらめったら語りまくっている「ジェローデル」とは、ナニモノか。
『外伝 ベルサイユのばら-ジェローデル編-』の、ジェローデル@水しぇんです。
電波な会話をしながら修道院でソフィア@とにゃみに抱かれて死んだ、あの色男のことですよ。
植爺は自身初のスピンオフに酔っているようです。
素人がなにか描いたときに陥りがちな、「内輪ウケ」ってやつ。
自分の別作品のネタを引っ張ってきて、「このキャラには、ナニかあるのよ」とチラチラと思わせぶりにする。そりゃ作者の脳内にはなにかしら壮大な設定があるのかもしれないが、客にはそんなもんわかんないから、その話をちゃんとこの物語内で描く気がないなら、思わせぶりに出されてもウザイだけなんですけど?
編集者に見せたら、絶対すぱっとカットされますよ、そんな「作者の自己満足内輪ネタ」なんてもん。
連載決まってて、様子見の読み切りでだったら、やらせてもらえるかもしれないけど。
ふつーは「この作品1本で収束できる話を書け」って言われる。
「外伝3部作」(4部作?)と謳っているのだから、ある程度のリンクは今のご時世必要だと思う。会話の一部分が、他外伝を観ている人にだけ「あれのことね」とわかり、にやりとできるとか、その程度。
主人公の自殺の理由が、「別の物語を観てね!」って、そりゃねーだろ。
てゆーか、その「別の物語」である『ジェローデル編』を観ても、実際のとこわかんないし。『ジェロ編』も植爺作らしくぶっ壊れてるから。
フランス革命から10年後、私欲ゆえに権力を欲するナポレオンと対立しているアラン。
アランの希望はひとつ、革命で散っていった「ただひとりの愛する人」オスカルの志を守り、貫くこと。
自由、平等、博愛……オスカルが目指した世界を作ること。
ナポレオンをのさばらしていたら、オスカルへ顔向けできない。
とゆー趣旨だったはずだ。
それが。
「ジェローデルがナポレオンに殺された。もうダメだ、オレもあきらめて死ぬことにするよ。オスカルの志? 知らね、誰かなんとかしてくれんじゃね? がんばっても無駄だから、全部投げ出すことにするわ」
1時間半かけてだらだら回想シーンやってゆーれいと話して、その結果がコレかよ?!
「誰かがやってくれる」……ほんとにそう言うんだよ、アラン。ついさっきまで「オスカルに顔向けできない」ってわめいてたくせに。誰かって誰だよ?!と、盛大に突っ込んださ。少なくとも、作中にはアランの志を引き継いでなおも戦い続ける闘士は、ひとりも登場していない。
背負ってきた使命をなんのアテもなく投げ出して逃げて終わる主人公、って、はじめて見た……。
で、投げ出す理由が、観客の知らない「ジェローデル」という人物の死。
作中のジェローデルはただの貴族のぼんぼんで、「フランスのために独裁者暗殺に立ち上がった英雄」ではまったくないし。
ジェローデルの死を「理由」にするなら、『アラン編』でその英雄ジェローデルの活躍を描かないと。
それすらないから観客は、
「ジェローデルって……まっつがやってた役? 出番数分のいなくても別に良かったんぢゃ? てな扱いの、ただアンドレに求婚報告だけして去っていったマイペースな人よね? なんでまっつが死んだからって、まとぶんがショック受けて後追い自殺するの? デキてたの?」
て、混乱するんじゃん!! や、話は全部役名で言おうな、それとデキてたまでは考えなくても、「後追い自殺」はふつー変だと思うから!!
植爺はまっつのことなんかすっかり忘れていて、アタマの中には『ジェローデル編』の水しぇんのことしかないのよ。
で、自分のアタマの中にあるもんだから、自分=世界のすべてだと思っているから、なんの説明もなくて平気なの。自分だけわかっていて、それを他人に説明することは考えてないの。知らないの。
おかげでアランは、オスカルの志よりジェローデルの死にショック受けて自殺する軟弱な
いや、水×まとぶでも、まっつ×まとぶでも、わたしはオイシクいただきますから、ソレについてはぜんぜんかまわないんだけど、世の中的にソレはまずいだろう、植爺よ。
てゆーか、理由がどうあれ、「なにもかも投げ出して逃げる主人公」ってのは、どうなのよ。
周囲の人間が「もう無理だ」と言っているのに「最後まであきらめるな。希望を捨てるな」とがんばり続ける主人公が、志半ばで倒れるならともかく。
周囲の人間(ゆーれいだけど)が「最後まであきらめるな。希望を捨てるな」と言っているのに、肝心の主人公は「もう無理だ」と言って自殺。
……えーと。
ある意味、「新しい」のか?
「嫌なことがあったらさっさとあきらめて自殺しよーぜぃ! 逃げた方が楽だからなっ」という、イマドキなメッセージ?
ただわたしは、「タカラヅカ」でそーゆーものは見たくないな。
キレイゴトでいいから、最後までがんばる主人公をヅカ的に「正しい」と思うし、最後まであきらめない人間が志半ばで倒れることを悲劇だと思う。逃げる人はべつに悲劇じゃない……逃げることしかできなかった心の弱さは悲劇だと思うけれど。
まあ、いちばんこわいのは、植爺がナニもわからずに書いていることだと思うが。
この人がこんな作品を垂れ流し続けていることが、すでにホラーだわ……。
わたしは「タカラヅカ」というジャンルが好きで、「タカラヅカ」的なモノを好きなので、アランの自殺の理由は「挫折して逃避、責任転嫁して自殺」なんて考えたくないので、ヅカらしく愛ゆえに死んだんだと思うことにします。
つまり。
「ああ愛しいジェローデル、あなたの死を知ってなお生き続けることなどワタシにはできません! あなたのあとを追って死にます!! ラブイズフォエバー!!」
……とゆー、正統派な理由だと、思っておきます(笑)。
愛ですよ、愛!!
すべては愛ゆえにです。
「外伝 ベルサイユのばら」4部作。
2008年9月21日 タカラヅカ 『ベルサイユのばら』外伝。
最初は「3部作」と謳われていたが、先日4作目が発表された。どーやら「4部作」であるとゆーことだろう。
1作目の『外伝 ベルサイユのばら-ジェローデル編-』では、フランス革命から15年くらい経ったあとの話、として描かれる。
や、厳密に何年とは言われていないが、「ナポレオンがすでに皇帝である」と語られているので、15年は経っている、とふつーは判断する。
そして、主人公のジェローデルはナポレオン暗殺を企て、失敗するのだ。
そして2作目の『外伝 ベルサイユのばら-アラン編-』。ここではフランス革命から10年後、とゆーことになっている。ナポレオンはまだ皇帝にはなっていない。そして。
ここがポイントなんだが、今さっき、ジェローデルがナポレオン暗殺に失敗して殺された、とゆー話が何度も何度も何度も出てくる。
……植爺、1作目で失敗したことを、こっそり修正してきたな(笑)。
つーことで、すでに上演された2作の舞台設定は「フランス革命から10年後」「まだ皇帝ではないナポレオン暗殺計画」です。
ふたつの作品は、見事なまでに、使い回しをしていました。
プロローグが同じ、衣装が同じ、音楽が同じ。
いやあ、人が変わっても、設定や立ち位置がちがっても、同じラヴソングを歌われちゃうとはねー。
そして、台詞が同じ、会話が同じ、ストーリーが同じ。
ジェローデルとソフィアでも、アランとディアンヌでも、同じシチュエーションで同じ会話。
これだけ同じってことは、残りの外伝も全部同じことをやるつもりだと思う。
4作なのに、制作費は1作分。
作曲家に払うギャラも、大道具さんとかに払うギャラも材料費も、1作分でOK。ゴミも少ないし、なんてエコロジーな興行。
つーことで、外伝4部作を、比べてみよう企画!
『外伝 ベルサイユのばら-ジェローデル編-』
1・フランス革命から10年後。
ナポレオン暗殺を企て、失敗したジェローデルは修道院に逃げ込み、そこで恋人のソフィアと再会した。
ふたりは「フランス革命前夜」を回想しはじめる。
2・オスカルとの出会い。女でありながら、フランスの未来のため、平民たちのために、真摯に悩んでいた彼女との想い出。
3・さあ、ついに革命だ。ロベスピエールや平民たちが闘っている。シリアスなダンス場面。脇役ばかりで、主要キャラは登場せず。
4・ソレが終わるとあらびっくり、前半主役?の勢いで描かれていたオスカルが「死にました」と事後承諾で終了。
フランス革命に関わるために、ジェローデルはなにかしらがんばるらしい。
5・現在に戻る。ふたりの愛の歌、愛のやりとり。長々と回想していたあとに、ソフィアに看取られてジェローデル死亡。
『外伝 ベルサイユのばら-アラン編-』
1・フランス革命から10年後。
ナポレオン暗殺を企て、失敗したジェローデルは修道院で射殺された。
その話を聞いたアランは、ベルサイユ宮殿跡にてディアンヌの幽霊と「フランス革命前夜」を回想しはじめる。
2・オスカルとの出会い。女でありながら、フランスの未来のため、平民たちのために、真摯に悩んでいた彼女との想い出。
3・さあ、ついに革命だ。平民たちが闘っている。シリアスなダンス場面。脇役ばかりで、主要キャラは登場せず。
4・ソレが終わるとあらびっくり、前半主役?の勢いで描かれていたオスカルが「死にました」と事後承諾で終了。
フランスのために、その後アランはなにかしらがんばったらしい。
5・現在に戻る。ふたりの愛の歌、愛のやりとり。長々と回想していたあとに、ナポレオン配下に急襲され、ディアンヌの幽霊に看取られてアラン死亡。彼もナポレオン暗殺に荷担していたのだ。
『外伝 ベルサイユのばら-ベルナール編-』
1・フランス革命から10年後。
ナポレオン暗殺を企て、失敗したジェローデルは修道院で射殺された。それに荷担していたアランもまたベルサイユ宮殿跡で射殺された。
その話を聞いたベルナールは、ロザリーと「フランス革命前夜」を回想しはじめる。
2・オスカルとの出会い。女でありながら、フランスの未来のため、平民たちのために、真摯に悩んでいた彼女との想い出。
3・さあ、ついに革命だ。平民たちが闘っている。シリアスなダンス場面。脇役ばかりで、主要キャラは登場せず。
4・ソレが終わるとあらびっくり、前半主役?の勢いで描かれていたオスカルが「死にました」と事後承諾で終了。
フランスのために、その後ベルナールはなにかしらがんばったらしい。
5・現在に戻る。ふたりの愛の歌、愛のやりとり。長々と回想していたあとに、ナポレオン配下に急襲され、ロザリーに看取られてベルナール死亡。彼もナポレオン暗殺に荷担していたのだ。
『外伝 ベルサイユのばら-アンドレ編-』
えー……。
いくらなんでも、ナポレオン暗殺は、やらないよねえ? アンドレもう、バスティーユで死んでるんだし。
しかし植爺だからなあ。
1・フランス革命から10年後。
白いマント姿で佇むアンドレ……の、幽霊。
ナポレオン暗殺を企てた男たち、ジェローデル、アラン、ベルナールたちが集まり「フランス革命前夜」を回想しはじめる。
2・アンドレとの出会い。女でありながら、フランスの未来のため、平民たちのために、真摯に悩んでいたオスカルを、影のように支えていた男との想い出。
3・さあ、ついに革命だ。平民たちが闘っている。シリアスなダンス場面。脇役ばかりで、主要キャラは登場せず。
4・ソレが終わるとあらびっくり、前半主役?の勢いで描かれていたオスカルが「死にました」と事後承諾で終了。
それでもアンドレ……の幽霊が出張ってきて、その後のフランスのあーたらこーたらを解説しまくる。
5・現在に戻る。長々と回想していたあとに、ナポレオン配下に急襲され、ジェローデル、アラン、ベルナールはそれぞれ死亡。
アンドレの幽霊のみが残り、朗々と主題歌熱唱。
-完-
プロローグは全部使い回し、主題歌も挿入歌も同一。革命場面も同じだ。
さあ、各組の革命場面でダンスソロを踊るのは誰かなっ。雪組-そらくん、花組-まっつと来たので、kineさんは星組-あかしかともみん、と予想してますが(笑)。
植爺はどうも、スピンオフとか統一テーマとかをいろいろと誤解しているらしい。
同じ話を同じネタで同じ会話で使い回すのは、スピンオフでもテーマでもなんでもないんだが。
まあ、植爺だし(笑)。
最初は「3部作」と謳われていたが、先日4作目が発表された。どーやら「4部作」であるとゆーことだろう。
1作目の『外伝 ベルサイユのばら-ジェローデル編-』では、フランス革命から15年くらい経ったあとの話、として描かれる。
や、厳密に何年とは言われていないが、「ナポレオンがすでに皇帝である」と語られているので、15年は経っている、とふつーは判断する。
そして、主人公のジェローデルはナポレオン暗殺を企て、失敗するのだ。
そして2作目の『外伝 ベルサイユのばら-アラン編-』。ここではフランス革命から10年後、とゆーことになっている。ナポレオンはまだ皇帝にはなっていない。そして。
ここがポイントなんだが、今さっき、ジェローデルがナポレオン暗殺に失敗して殺された、とゆー話が何度も何度も何度も出てくる。
……植爺、1作目で失敗したことを、こっそり修正してきたな(笑)。
つーことで、すでに上演された2作の舞台設定は「フランス革命から10年後」「まだ皇帝ではないナポレオン暗殺計画」です。
ふたつの作品は、見事なまでに、使い回しをしていました。
プロローグが同じ、衣装が同じ、音楽が同じ。
いやあ、人が変わっても、設定や立ち位置がちがっても、同じラヴソングを歌われちゃうとはねー。
そして、台詞が同じ、会話が同じ、ストーリーが同じ。
ジェローデルとソフィアでも、アランとディアンヌでも、同じシチュエーションで同じ会話。
これだけ同じってことは、残りの外伝も全部同じことをやるつもりだと思う。
4作なのに、制作費は1作分。
作曲家に払うギャラも、大道具さんとかに払うギャラも材料費も、1作分でOK。ゴミも少ないし、なんてエコロジーな興行。
つーことで、外伝4部作を、比べてみよう企画!
『外伝 ベルサイユのばら-ジェローデル編-』
1・フランス革命から10年後。
ナポレオン暗殺を企て、失敗したジェローデルは修道院に逃げ込み、そこで恋人のソフィアと再会した。
ふたりは「フランス革命前夜」を回想しはじめる。
2・オスカルとの出会い。女でありながら、フランスの未来のため、平民たちのために、真摯に悩んでいた彼女との想い出。
3・さあ、ついに革命だ。ロベスピエールや平民たちが闘っている。シリアスなダンス場面。脇役ばかりで、主要キャラは登場せず。
4・ソレが終わるとあらびっくり、前半主役?の勢いで描かれていたオスカルが「死にました」と事後承諾で終了。
フランス革命に関わるために、ジェローデルはなにかしらがんばるらしい。
5・現在に戻る。ふたりの愛の歌、愛のやりとり。長々と回想していたあとに、ソフィアに看取られてジェローデル死亡。
『外伝 ベルサイユのばら-アラン編-』
1・フランス革命から10年後。
ナポレオン暗殺を企て、失敗したジェローデルは修道院で射殺された。
その話を聞いたアランは、ベルサイユ宮殿跡にてディアンヌの幽霊と「フランス革命前夜」を回想しはじめる。
2・オスカルとの出会い。女でありながら、フランスの未来のため、平民たちのために、真摯に悩んでいた彼女との想い出。
3・さあ、ついに革命だ。平民たちが闘っている。シリアスなダンス場面。脇役ばかりで、主要キャラは登場せず。
4・ソレが終わるとあらびっくり、前半主役?の勢いで描かれていたオスカルが「死にました」と事後承諾で終了。
フランスのために、その後アランはなにかしらがんばったらしい。
5・現在に戻る。ふたりの愛の歌、愛のやりとり。長々と回想していたあとに、ナポレオン配下に急襲され、ディアンヌの幽霊に看取られてアラン死亡。彼もナポレオン暗殺に荷担していたのだ。
『外伝 ベルサイユのばら-ベルナール編-』
1・フランス革命から10年後。
ナポレオン暗殺を企て、失敗したジェローデルは修道院で射殺された。それに荷担していたアランもまたベルサイユ宮殿跡で射殺された。
その話を聞いたベルナールは、ロザリーと「フランス革命前夜」を回想しはじめる。
2・オスカルとの出会い。女でありながら、フランスの未来のため、平民たちのために、真摯に悩んでいた彼女との想い出。
3・さあ、ついに革命だ。平民たちが闘っている。シリアスなダンス場面。脇役ばかりで、主要キャラは登場せず。
4・ソレが終わるとあらびっくり、前半主役?の勢いで描かれていたオスカルが「死にました」と事後承諾で終了。
フランスのために、その後ベルナールはなにかしらがんばったらしい。
5・現在に戻る。ふたりの愛の歌、愛のやりとり。長々と回想していたあとに、ナポレオン配下に急襲され、ロザリーに看取られてベルナール死亡。彼もナポレオン暗殺に荷担していたのだ。
『外伝 ベルサイユのばら-アンドレ編-』
えー……。
いくらなんでも、ナポレオン暗殺は、やらないよねえ? アンドレもう、バスティーユで死んでるんだし。
しかし植爺だからなあ。
1・フランス革命から10年後。
白いマント姿で佇むアンドレ……の、幽霊。
ナポレオン暗殺を企てた男たち、ジェローデル、アラン、ベルナールたちが集まり「フランス革命前夜」を回想しはじめる。
2・アンドレとの出会い。女でありながら、フランスの未来のため、平民たちのために、真摯に悩んでいたオスカルを、影のように支えていた男との想い出。
3・さあ、ついに革命だ。平民たちが闘っている。シリアスなダンス場面。脇役ばかりで、主要キャラは登場せず。
4・ソレが終わるとあらびっくり、前半主役?の勢いで描かれていたオスカルが「死にました」と事後承諾で終了。
それでもアンドレ……の幽霊が出張ってきて、その後のフランスのあーたらこーたらを解説しまくる。
5・現在に戻る。長々と回想していたあとに、ナポレオン配下に急襲され、ジェローデル、アラン、ベルナールはそれぞれ死亡。
アンドレの幽霊のみが残り、朗々と主題歌熱唱。
-完-
プロローグは全部使い回し、主題歌も挿入歌も同一。革命場面も同じだ。
さあ、各組の革命場面でダンスソロを踊るのは誰かなっ。雪組-そらくん、花組-まっつと来たので、kineさんは星組-あかしかともみん、と予想してますが(笑)。
植爺はどうも、スピンオフとか統一テーマとかをいろいろと誤解しているらしい。
同じ話を同じネタで同じ会話で使い回すのは、スピンオフでもテーマでもなんでもないんだが。
まあ、植爺だし(笑)。
幽霊のいる風景。@外伝 ベルサイユのばら-アラン編-
2008年9月20日 タカラヅカ 私の名前はディアンヌ。
驚かないでね、ユ・ウ・レ・イ、なのっ♪
うふふ、あはは。
10年も前に死んじゃったんだけど、大好きなお兄さんに取り憑いて、ずーーっとこの世にいるの。
時が止まったままだから、いつまでも少女のまんまよ。
お兄さんはいい人だから、私が取り憑いていても、嫌がったりしないの。私が姿を現して、話しかけてもちゃんと相手をしてくれるの。
うふふ、あはは。
今日は想い出の場所にやってきたわ。お兄さんがフランス衛兵隊隊士だったころに毎日来ていた、練兵場跡。ベルサイユ宮殿の廃墟が見えるわ。
お兄さんはココで、昔話をはじめるの。昔愛したひとの話を。
うふふ、あはは。
私はそれをじっくり聞いてあげるの。
時間を掛けて、聞いてあげるの。
この場所にいなくちゃならないの。
だって。
もうすぐここに、ナポレオンの刺客がやってくるの。お兄さんを殺しに来るのよ。
だからここにいなくちゃね。
私がどうして死んだか、教えてあげるね。
自殺したの。
自分で死んだの。
裏切られて死んだの。
世の中全部、恨んで死んだの。
世界全部、呪って死んだの。
特に、お兄さんを憎んで死んだの。恨んで死んだの。呪って死んだの。
お兄さんは、私のモノだったのに。私だけのモノだったのに。
なのにお兄さんは、別の女性を愛した。
お兄さんの心が離れていくことに耐えられなくて、私は結婚を決めた。お兄さんの出世の手伝いができるように、貴族の男と。
私の力添えで出世できれば、きっとお兄さんは私に感謝する。なにも与えてくれないあのひとよりも、私を愛するようになる。そう思うと、結婚できることがうれしくてうれしくて、たまらなかった。
全部、お兄さんのためだった。
なのに希望を託した結婚が、ダメになった。相手の貴族は私を捨て、お金持ちの娘と結婚してしまった。
お兄さんの未来のために、あのひとからその心を取り返すために、最後の手段だったのに。身を捨てて、懸けていたのに。
お兄さんのために。お兄さんのせいで。
裏切られた私は、首を吊った。
世の中全部、恨んで死んだの。
世界全部、呪って死んだの。
特に、お兄さんを憎んで死んだの。恨んで死んだの。呪って死んだの。
苦しかったわ。悲しかったわ。惨めだったわ。
だから……ねっ。
お兄さんも、苦しまなきゃダメよ。悲しまなきゃダメよ。惨めにならなきゃダメよ。
うふふ、あはは。
お兄さんの愛したあのひとは革命で無惨に死に、お兄さんも片腕を失った。結婚もせず、私だけを話し相手に孤独に時を過ごした。
苦しい苦しい10年だったわね。
なのにお兄さん、偉くなり過ぎちゃったの。
隻腕将軍とかおだてられちゃって、このままいけば、きっと幸せになっちゃうわ。
そんなのダメ。許さない。
ほら、死の足音が近づいてくるわ。
うふふ、あはは。
私の名前はディアンヌ。
驚かないでね、ア・ク・リョ・ウ、なのっ♪
あんな死に方したんだもん、天国には行けないわ。
みんなみんな、不幸になるがいい。
☆
はいはいはい、大爆笑作『外伝 ベルサイユのばら-アラン編-』初日観劇して来ました。
すごかったっすよ、幽霊と話すヒーローの話。
整合性なんかどこにもない、正気の人間が作るのは不可能だろーめちゃくちゃさ。
きっとひどい作品だ、と心構えていたにもかかわらず、その斜め上を行く電波っぷり。
なんかねえ、途中から感動したというか、悟りの域に入っちゃって。
ここまですごいものを作ることが、ふつーの人間に出来るだろうか。いや、出来まい。やっぱ植爺はふつーぢゃないわ、と。
や、とりあえずおもしろいから、話のタネに1回は観てくれ! 損はない!(笑)
コムまー『ベルばら』でまさかのガチレズ話を展開した植爺、今回は近親相姦です。
ディアンヌが愛していたのは、実は兄のアランだった。告白されたアランは、「いじらしい妹よ」と話を絶妙に変換して華麗にスルー。おお、いいぞアラン、GJ!
でも、ふたりでラヴソングは歌っちゃう。
オスカルはステキに変人。ちょっと教祖様入ってるらしく、隙あれば「人間は自由なのだ教」の街頭演説はじめる。あのソレ、さっきも聞きました……がてんこ盛り。しょうがないか、教祖様だしな。
教義を語るだけではなく、向上心も持ち合わせている彼女は、ペロッと舌を出して自分のアタマをコツンとやり、(イメージです)「私もまだ修行が足りないな、反省、反省(はぁと)」と言ったりする(現実です)。
モテモテですが、誰を好きなのかは、謎です。……魔性の女?!(白目)
アンドレは、絶好調です。
もー、もー、この狂った作品を支えているのは彼だっ!! 最高だ、アンドレ!!
人の話は聞かない、空気読まない、自分の世界しか見えない。すげーことになっているが、彼こそが物語に正しく迎合し、自在に空気を吸って生きている。
独白の長いことってば。
どこの場所だか知らないが、1曲歌って「オスカル、オスカル、愛しのオスカル~~」と自分の気持ちやら立ち位置やらをえんえんえんえん独り言。
あんまり長々とやっているから、ジェローデルが通りかかった。まあもちろん、人の話を聞かないアンドレだから、ジェロ様の長台詞なんか聞いちゃいねえ。ジェロ様がいなくなっても関係ねぇ。
そのままやっぱり「オスカル、オスカル、愛しのオスカル~~」と自分の気持ちやら立ち位置やらをえんえんえんえん独り言。あのソレ、さっきも聞きました……てゆーか、「忘れもしない、お前とはじめて出会った日のこと」……リセットどころかマイナス地点から語り直すつもりかお前?!!
あんまり長々とやっているから、今度はアランが通りかかった。そしてふたりで「小学生のケンカ」をおっぱじめる。「お前のかーちゃんデーベーソ」「お前のとーちゃんデーベーソ」的やりとりの挙げ句、「なんだとーっ」「こいつぅ!」ととっくみあい……。てゆーかここ、どこ? ジェロがふつーに歩いてて、アランがふつーに歩いてる、いったいどこでアンタ、長々と独り言言ってたの?
このぶっとばしているアンドレに、これまたぶっとばしているオスカルが、絶妙の空気感で存在しているの。
あうんの呼吸、アンドレが回転レシーブ、それをそのままダイレクトにオスカルが弾丸スパイク、アラン取れない! コートに沈んだ!! ……あー、そんな感じっす。
いやあ、いいなあ、壮ドレにみわカル……。このふたり、いいよー。
大変なのは、アランだ……。
主役のハズが、やっていることと言えば、幽霊のディアンヌと「物語のあらすじ」を解説しているだけだし。
アンドレとオスカルがぶっとばしている分、リズム合わなくて空回ってるし。てゆーか、アランってばすげーまともな人だ……。
他の人たちがまともぢゃないから、ただひとりまともな彼が、ひとりで割喰ってる。
なのに、その唯一まともな彼のコント相手は、ゆーれいだし。
ナニ、この凄まじい話(笑)。
あー。
まとぶさんも、えりたんも、みわっちも、大好きだー。
花組ダイスキ。たのしー。
や、とにかくおもしろいですってば、『アラン編』。それは嘘ぢゃない(笑)。
驚かないでね、ユ・ウ・レ・イ、なのっ♪
うふふ、あはは。
10年も前に死んじゃったんだけど、大好きなお兄さんに取り憑いて、ずーーっとこの世にいるの。
時が止まったままだから、いつまでも少女のまんまよ。
お兄さんはいい人だから、私が取り憑いていても、嫌がったりしないの。私が姿を現して、話しかけてもちゃんと相手をしてくれるの。
うふふ、あはは。
今日は想い出の場所にやってきたわ。お兄さんがフランス衛兵隊隊士だったころに毎日来ていた、練兵場跡。ベルサイユ宮殿の廃墟が見えるわ。
お兄さんはココで、昔話をはじめるの。昔愛したひとの話を。
うふふ、あはは。
私はそれをじっくり聞いてあげるの。
時間を掛けて、聞いてあげるの。
この場所にいなくちゃならないの。
だって。
もうすぐここに、ナポレオンの刺客がやってくるの。お兄さんを殺しに来るのよ。
だからここにいなくちゃね。
私がどうして死んだか、教えてあげるね。
自殺したの。
自分で死んだの。
裏切られて死んだの。
世の中全部、恨んで死んだの。
世界全部、呪って死んだの。
特に、お兄さんを憎んで死んだの。恨んで死んだの。呪って死んだの。
お兄さんは、私のモノだったのに。私だけのモノだったのに。
なのにお兄さんは、別の女性を愛した。
お兄さんの心が離れていくことに耐えられなくて、私は結婚を決めた。お兄さんの出世の手伝いができるように、貴族の男と。
私の力添えで出世できれば、きっとお兄さんは私に感謝する。なにも与えてくれないあのひとよりも、私を愛するようになる。そう思うと、結婚できることがうれしくてうれしくて、たまらなかった。
全部、お兄さんのためだった。
なのに希望を託した結婚が、ダメになった。相手の貴族は私を捨て、お金持ちの娘と結婚してしまった。
お兄さんの未来のために、あのひとからその心を取り返すために、最後の手段だったのに。身を捨てて、懸けていたのに。
お兄さんのために。お兄さんのせいで。
裏切られた私は、首を吊った。
世の中全部、恨んで死んだの。
世界全部、呪って死んだの。
特に、お兄さんを憎んで死んだの。恨んで死んだの。呪って死んだの。
苦しかったわ。悲しかったわ。惨めだったわ。
だから……ねっ。
お兄さんも、苦しまなきゃダメよ。悲しまなきゃダメよ。惨めにならなきゃダメよ。
うふふ、あはは。
お兄さんの愛したあのひとは革命で無惨に死に、お兄さんも片腕を失った。結婚もせず、私だけを話し相手に孤独に時を過ごした。
苦しい苦しい10年だったわね。
なのにお兄さん、偉くなり過ぎちゃったの。
隻腕将軍とかおだてられちゃって、このままいけば、きっと幸せになっちゃうわ。
そんなのダメ。許さない。
ほら、死の足音が近づいてくるわ。
うふふ、あはは。
私の名前はディアンヌ。
驚かないでね、ア・ク・リョ・ウ、なのっ♪
あんな死に方したんだもん、天国には行けないわ。
みんなみんな、不幸になるがいい。
☆
はいはいはい、大爆笑作『外伝 ベルサイユのばら-アラン編-』初日観劇して来ました。
すごかったっすよ、幽霊と話すヒーローの話。
整合性なんかどこにもない、正気の人間が作るのは不可能だろーめちゃくちゃさ。
きっとひどい作品だ、と心構えていたにもかかわらず、その斜め上を行く電波っぷり。
なんかねえ、途中から感動したというか、悟りの域に入っちゃって。
ここまですごいものを作ることが、ふつーの人間に出来るだろうか。いや、出来まい。やっぱ植爺はふつーぢゃないわ、と。
や、とりあえずおもしろいから、話のタネに1回は観てくれ! 損はない!(笑)
コムまー『ベルばら』でまさかのガチレズ話を展開した植爺、今回は近親相姦です。
ディアンヌが愛していたのは、実は兄のアランだった。告白されたアランは、「いじらしい妹よ」と話を絶妙に変換して華麗にスルー。おお、いいぞアラン、GJ!
でも、ふたりでラヴソングは歌っちゃう。
オスカルはステキに変人。ちょっと教祖様入ってるらしく、隙あれば「人間は自由なのだ教」の街頭演説はじめる。あのソレ、さっきも聞きました……がてんこ盛り。しょうがないか、教祖様だしな。
教義を語るだけではなく、向上心も持ち合わせている彼女は、ペロッと舌を出して自分のアタマをコツンとやり、(イメージです)「私もまだ修行が足りないな、反省、反省(はぁと)」と言ったりする(現実です)。
モテモテですが、誰を好きなのかは、謎です。……魔性の女?!(白目)
アンドレは、絶好調です。
もー、もー、この狂った作品を支えているのは彼だっ!! 最高だ、アンドレ!!
人の話は聞かない、空気読まない、自分の世界しか見えない。すげーことになっているが、彼こそが物語に正しく迎合し、自在に空気を吸って生きている。
独白の長いことってば。
どこの場所だか知らないが、1曲歌って「オスカル、オスカル、愛しのオスカル~~」と自分の気持ちやら立ち位置やらをえんえんえんえん独り言。
あんまり長々とやっているから、ジェローデルが通りかかった。まあもちろん、人の話を聞かないアンドレだから、ジェロ様の長台詞なんか聞いちゃいねえ。ジェロ様がいなくなっても関係ねぇ。
そのままやっぱり「オスカル、オスカル、愛しのオスカル~~」と自分の気持ちやら立ち位置やらをえんえんえんえん独り言。あのソレ、さっきも聞きました……てゆーか、「忘れもしない、お前とはじめて出会った日のこと」……リセットどころかマイナス地点から語り直すつもりかお前?!!
あんまり長々とやっているから、今度はアランが通りかかった。そしてふたりで「小学生のケンカ」をおっぱじめる。「お前のかーちゃんデーベーソ」「お前のとーちゃんデーベーソ」的やりとりの挙げ句、「なんだとーっ」「こいつぅ!」ととっくみあい……。てゆーかここ、どこ? ジェロがふつーに歩いてて、アランがふつーに歩いてる、いったいどこでアンタ、長々と独り言言ってたの?
このぶっとばしているアンドレに、これまたぶっとばしているオスカルが、絶妙の空気感で存在しているの。
あうんの呼吸、アンドレが回転レシーブ、それをそのままダイレクトにオスカルが弾丸スパイク、アラン取れない! コートに沈んだ!! ……あー、そんな感じっす。
いやあ、いいなあ、壮ドレにみわカル……。このふたり、いいよー。
大変なのは、アランだ……。
主役のハズが、やっていることと言えば、幽霊のディアンヌと「物語のあらすじ」を解説しているだけだし。
アンドレとオスカルがぶっとばしている分、リズム合わなくて空回ってるし。てゆーか、アランってばすげーまともな人だ……。
他の人たちがまともぢゃないから、ただひとりまともな彼が、ひとりで割喰ってる。
なのに、その唯一まともな彼のコント相手は、ゆーれいだし。
ナニ、この凄まじい話(笑)。
あー。
まとぶさんも、えりたんも、みわっちも、大好きだー。
花組ダイスキ。たのしー。
や、とにかくおもしろいですってば、『アラン編』。それは嘘ぢゃない(笑)。
誉め言葉の洪水に押し流される(笑)。
2008年9月19日 タカラヅカ「この人を見て思い出すのは、フレッド・アステアですね。水夏希さんは本当に手足が長くて顔が小さくて背が高くって、カラダのさばき、手と足の動かし方が圧倒的に図抜けて感じるんです」
「水夏希さんのダンス・パフォーマンスは一見の価値有り、見ないと損する。図抜けた踊りの上手さ……この人の立ち姿が、なにもしないでもアラン・ドロンの哀愁、孤独を感じます」
「水夏希のしびれるかっこよさ、ダンスの上手さを堪能していただきたいと思っています。宝塚は5組あるわけですが、水夏希さんの男の色気は別格のように思います」
「全編を貫くダンディズム、男のかっこよさ、銀幕スターのような男らしい孤独なヒーローを『マリポーサの花』で堪能して欲しいと思います」
ここまで手放しで、喋りっぱなしの無音ナシで誉めちぎられることに、ツボりました。
ええ、たまたまテレビつけたらショッピング・チャンネルで宝塚チケットの叩き売りやってて。
商品を売るためには手段は選ばないってことなんだろうけど、誉める誉める、誉め続ける。
資料が水しぇんと作品についてしかないらしく、となみちゃんやゆみこなど、他の人のことは一切触れず、エンドレスで水しぇんだけを絶賛する。
語るべきことが大してあるよーでもなさそーなのに、とにかく20分くらい?喋り続けなければならない、つーんでもー、同じことを繰り返しつつけるの。
とにかく絶賛。ひたすら絶賛。
あまりにツボに入ったので、思わず録画しちゃった(笑)。わたしの水夏希映像コレションDVDに加えておくわ。コレクションしてますとも、水オチしたその日から(笑)。
そっかあ、水しぇんって手足が長くて顔が小さくて背が高かったのかー。いかんいかん、人から言われるまで考えたこともなかったよ。
このあと番組では、宙組タニちゃんの絶賛に移るんだが、こちらもすげー愉快だった。
水夏希と大和悠河を比べて語るのよ、叩き売りのおにーさんたら。水夏希がダークな魅力、大人の男の色気、大和悠河はきらきら太陽、若々しいアイドル、と。
これも何度も何度も繰り返す(笑)。
おもしろいなあ、ショップ・チャンネル。
「水夏希さんのダンス・パフォーマンスは一見の価値有り、見ないと損する。図抜けた踊りの上手さ……この人の立ち姿が、なにもしないでもアラン・ドロンの哀愁、孤独を感じます」
「水夏希のしびれるかっこよさ、ダンスの上手さを堪能していただきたいと思っています。宝塚は5組あるわけですが、水夏希さんの男の色気は別格のように思います」
「全編を貫くダンディズム、男のかっこよさ、銀幕スターのような男らしい孤独なヒーローを『マリポーサの花』で堪能して欲しいと思います」
ここまで手放しで、喋りっぱなしの無音ナシで誉めちぎられることに、ツボりました。
ええ、たまたまテレビつけたらショッピング・チャンネルで宝塚チケットの叩き売りやってて。
商品を売るためには手段は選ばないってことなんだろうけど、誉める誉める、誉め続ける。
資料が水しぇんと作品についてしかないらしく、となみちゃんやゆみこなど、他の人のことは一切触れず、エンドレスで水しぇんだけを絶賛する。
語るべきことが大してあるよーでもなさそーなのに、とにかく20分くらい?喋り続けなければならない、つーんでもー、同じことを繰り返しつつけるの。
とにかく絶賛。ひたすら絶賛。
あまりにツボに入ったので、思わず録画しちゃった(笑)。わたしの水夏希映像コレションDVDに加えておくわ。コレクションしてますとも、水オチしたその日から(笑)。
そっかあ、水しぇんって手足が長くて顔が小さくて背が高かったのかー。いかんいかん、人から言われるまで考えたこともなかったよ。
このあと番組では、宙組タニちゃんの絶賛に移るんだが、こちらもすげー愉快だった。
水夏希と大和悠河を比べて語るのよ、叩き売りのおにーさんたら。水夏希がダークな魅力、大人の男の色気、大和悠河はきらきら太陽、若々しいアイドル、と。
これも何度も何度も繰り返す(笑)。
おもしろいなあ、ショップ・チャンネル。
最初に好きになった男の子は、わたしより背が低かった。
新規更新がトップ画面に反映されないのをいいことに、ちょっくら自分語り(笑)。
わたしにとって、「背が高い」ことはずーーっと重荷だった。
一般的に身長は高い方がヨシとされているようだが、それは身体的特徴を巧く人生に活かせている場合のみだと思う。
身長が高くても低くてもふつうぐらいでも、同じことだ。長身を活かしてスポーツで活躍したり美しい服を着こなしたり、小柄ゆえにできる職業や服装を充実させたりと、結局はその人の生き方次第。体重は後天的にコントロールしやすいが、身長は持って生まれたモノが大きい。
こんなふうに、生まれてしまった。自分で選ぶことの出来なかった種類のことだから、ひとより背が高いことを受け入れるまでに、あきらめられるまでに、時間が掛かった。
そりゃわたしより大きな女性もいくらでもいるし、今の時代はさらに長身の女性があたりまえに闊歩しているが、わたしの少女時代、そしてわたしの抱え込んだ狭いちっぽけな社会では、わたしの大きさはけっこうなハンデだった。
背が高かったせいで嫌な目にはいろいろあったが、恋愛面だけを見ても「このデカ女」と、好きな男子に言われるときの、ダメージのデカさときたら。
「デカ女」「女オトコ」はずーーっと言われてきたし、大して気にならないくらいに言われ慣れていたんだが、やっぱり好きな子に言われると、つらかった。
とくに、わたしが好きだったのは、クラスでいちばん小柄な男の子だった。
仲が良くて、いつも一緒に遊んでいた。反面、いちばんのケンカ友だちでもあった。毎日毎日どつき漫才していた。
仲がいいので周囲から冷やかされることもあったが、そのとき決まって「こんなデカ女なんか」とその子は言った。まあわたしも「こんなチビ、冗談じゃない」てなことは返していたから、お互い様だが。
女の方が背が高い、ことは、恥ずかしいことなんだ。
ソレをネタに冷やかされたり、からかわれたり、笑われたりするんだ。
わたしも恥ずかしいし、彼も恥ずかしいと思うことなんだ。
そんな固定観念、どーかしていると思うが、小学生のわたしは本気でそう思った。
女の子は、自分より背の高い男の子しか、好きになっちゃいけない。
でなければ、世間に笑われるのだ。後ろ指をさされるのだ。
冷静に考えればおかしいとは思うが、それでも、けっこうふつーの感覚じゃね?
自分より背の高いダーリンを想像するのは。
少女マンガではいつだってヒロインより相手の男の子の方が長身だもの。女の子の方が大きい場合は、わざわざそのことをテーマにしていたりする、くらい、ありえないことなんだもの。
女子同士で「好きな男の子の話」「どんな子が理想か話」をするとき、ふつーに「あたしより背が高くてぇ」って、言うよな?
わたしもふつーに「あたしより背の高い男の子」を恋愛対象としていた。
クラスを見回して、わたしより大きな子がひとりかふたりしかいなくても、「あたしより背の高い男の子」しか好きになっちゃいけないと思っていた。
恥ずかしい思いをするから。わたしも、その子も。
思春期ゆえの思い込みの激しさ、自意識過剰さで、そう頑なに思い込んでいた。
やはり人より大きかった母もまた、
「男の人と出会ったときはまず身長をチェックしたわ。自分より背が高い人でないと、好きにはならない。おとーちゃんとはじめて出会ったときも、『この人、アタシより数センチ背が高い!』って思ったから、つきあったんだもの!」
と、豪語していた。
うん、やっぱどーしてもそうなるよね。
デートのときにぺたんこ靴しか履けないこと、並んで写真を撮るときに猫背になること、数えるとキリがない、劣等感。
恥ずかしい思いをしたくないから、出会う男の子たちをまず、身長で判断していた。この子は好きになってもいい、この子はダメ。
つーことで。
はい、ここでよーやく、ヅカの話になる。
好きになるからには、わたしより背の高い人でなきゃダメ。
ええ。
ヅカにハマった当初、本気でそう思っていました。
現実世界ですら、男たちの低身長さに悩まされているのよ? 疑似恋愛を割り切ってたのしむバーチャル世界でまで、なんでチビを好きにならなきゃいけないの?
舞台の男役たちはみんなかっこよくて大きくて、夢の世界だった。
ええ、みんな大きく見えたんだってば。
背の高い人しか、タカラヅカには入れないんだと思っていたし。テレビで見るジャニーズは、共演する女優やアイドルと同じくらいの身長のおチビさんばっかだけど、ヅカの男役は娘役よりみんな大きい、長身さんばっかだわ! 背の高い美形がよりどりみどり、みんな長身、ステキ!
……ハマったあとで、「宝塚おとめ」を見て男役の身長に愕然とする。
ほとんどの男役が「168cm」だった。
168? それっぽっちなの?? 舞台ではもっと大きく見えたよ?
轟悠の美貌に一目惚れしたわたしは、ページを繰って彼の身長を確認した。
彼もまた「168cm」だった。
168か。168。うん、ぎりぎりセーフ。わたしの公称身長と同じだもん、わたしより小さいわけじゃないから、好きになってもいいよね。
そう、自分に言い聞かせた(笑)。
自分よりチビは好きにならない……そう、自分に戒めがあったんだってば。
で、あるときナマのトドロキを目撃し、小ささに、おどろいた。
「トドロキって168だよね? アレで公称168? 嘘でしょ?」
「うん、緑野の公称168と反対の意味で、同じくらいには嘘だね」
一緒にいたツレ(わたしよりアタマひとつ小さい)に、すぱっと切り捨てられたなあ。
トドが思っていたよりずーーっと小さかったことは「見なかったこと」として、わたしの「自分より小さい人は好きにならない」というMyルールは守り通した(笑)。
気になるジェンヌは、身長もチェックする。
ケロちゃんの身長だって、最初に調べたさ。
公称「169cm」。やった、わたしの公称より大きい。わたしより背が高いから、「好きになってもいい人」だわ!!
そう安心していたのに。
『血と砂』初日に、公称身長170cm(もちろんチェック済)のゆーひくんとの身長差が1cmにはとても見えないケロの小柄ぶりに、疑問を持った。
変だな、ケロは169だから、ゆーひくんと並んでも同じくらいの身長のはずなのに……。
「おとめ」には、身長167cmと記載されていた。
ソレって、あたしより小さいってことじゃん?!!
信じられなくて、過去の「おとめ」を引っ張り出していちいち調べていったさ。だってケロちゃん、昔は169って書いてたもん! わたしがケロちゃんを知った頃は、公式出版物に169って書いてた!!
答えは、「組替え」だ。
雪組にいたときは169cm、月組に組替えになって翌年には167cmに変更されていた……。
そーだよなー……トウコちゃんの公式身長が167cmだもんなぁ。トウコより大きなケロは169cmと表記するしかないよなあ。
雪組のサバ読みっぷりって……たしかいっちゃんも退団後にどーんと公式身長縮んでたなぁ。
その後ケロは再度の組替えによって、再びトウコと同じ組になり、でも今さら公式身長を変えることが出来ず月組時代の「167cm」で通し、「ケロとトウコって同じ身長? ……嘘丸出し」と、ファンに溜息をつかせることになったわけだが(笑)。
自分より小さな人は好きにならない……そのルールが、ケロの「身長サバ読み」によって、崩れ去ったのだ!!
わーん、ひどいよケロちゃん! 169cmだって言ってたぢゃないか~~!!
そりゃトドの「168cm」も明らかな大嘘だが、彼は未だに168だと平気な顔で生きている。騙すのも商売のうちなんだから、騙してくれている分には、素直に騙されるさ。
ケロの場合は、途中で嘘を訂正しちゃったんだもん。罪が重いさ。どーして騙しておいてくれなかったの。
あれほど、「身長」にこだわったわたし。
ケロの裏切り(笑)のおかげで、そのこだわりも葬り去られた。
小さいからなんだ、ステキな人はステキなんだっ。好きになってナニが悪い!
トウコちゃんもきりやんも、好きになった。まさかの小男ブーム。つか、彼らは背が低いからこそ、さらに魅力的なんだと思うようになった。
いやその。
わたしがもう思春期の少女ではなく、高身長に特別なこだわりを持たない年齢になってしまったこともある。
レンアイに多大な夢は持たなくなった。
そして、人よりデカい自分のことも、あきらめられるよーになった。
あんなにがんとして拒絶していたヒールのある靴も、履くようになった。
わたしは、わたしでしかない。
あの子よりわたしの方が背が高いから……ソレが恥ずかしくてキモチを封印するしかなかった、幼い日のわたしに言ってやりたい。
背の低い男の子を好きになってもよかったんだよと。いや、いくらそう言われても、自分の中の劣等感はぬぐえなかったにしろ。
好きになってしまえば、どうしようもないんだ。
やはり人より大きかった母もまた、
「おとーちゃんとはじめて出会ったときも、『この人、アタシより数センチ背が高い!』って思ったから、つきあったんだもの!」
と、豪語していたが、大人になった子どもたちから「どー見ても、誰が見ても、父より母の方が背が高いっつーの」と、客観的に突っ込まれていたさ。
恋は盲目、父に一目惚れした母の目には、「自分より小さな人は好きにならない」というルールを守るために、現実の方が歪められて映ったわけだから。
いろんなものに縛られていた若い頃にまっつに出会っていても、こんなに好きにはなっていなかったんだろうな、という話。
この年になってから出会えて、よかったんだと思う。
……たぶん(笑)。
新規更新がトップ画面に反映されないのをいいことに、ちょっくら自分語り(笑)。
わたしにとって、「背が高い」ことはずーーっと重荷だった。
一般的に身長は高い方がヨシとされているようだが、それは身体的特徴を巧く人生に活かせている場合のみだと思う。
身長が高くても低くてもふつうぐらいでも、同じことだ。長身を活かしてスポーツで活躍したり美しい服を着こなしたり、小柄ゆえにできる職業や服装を充実させたりと、結局はその人の生き方次第。体重は後天的にコントロールしやすいが、身長は持って生まれたモノが大きい。
こんなふうに、生まれてしまった。自分で選ぶことの出来なかった種類のことだから、ひとより背が高いことを受け入れるまでに、あきらめられるまでに、時間が掛かった。
そりゃわたしより大きな女性もいくらでもいるし、今の時代はさらに長身の女性があたりまえに闊歩しているが、わたしの少女時代、そしてわたしの抱え込んだ狭いちっぽけな社会では、わたしの大きさはけっこうなハンデだった。
背が高かったせいで嫌な目にはいろいろあったが、恋愛面だけを見ても「このデカ女」と、好きな男子に言われるときの、ダメージのデカさときたら。
「デカ女」「女オトコ」はずーーっと言われてきたし、大して気にならないくらいに言われ慣れていたんだが、やっぱり好きな子に言われると、つらかった。
とくに、わたしが好きだったのは、クラスでいちばん小柄な男の子だった。
仲が良くて、いつも一緒に遊んでいた。反面、いちばんのケンカ友だちでもあった。毎日毎日どつき漫才していた。
仲がいいので周囲から冷やかされることもあったが、そのとき決まって「こんなデカ女なんか」とその子は言った。まあわたしも「こんなチビ、冗談じゃない」てなことは返していたから、お互い様だが。
女の方が背が高い、ことは、恥ずかしいことなんだ。
ソレをネタに冷やかされたり、からかわれたり、笑われたりするんだ。
わたしも恥ずかしいし、彼も恥ずかしいと思うことなんだ。
そんな固定観念、どーかしていると思うが、小学生のわたしは本気でそう思った。
女の子は、自分より背の高い男の子しか、好きになっちゃいけない。
でなければ、世間に笑われるのだ。後ろ指をさされるのだ。
冷静に考えればおかしいとは思うが、それでも、けっこうふつーの感覚じゃね?
自分より背の高いダーリンを想像するのは。
少女マンガではいつだってヒロインより相手の男の子の方が長身だもの。女の子の方が大きい場合は、わざわざそのことをテーマにしていたりする、くらい、ありえないことなんだもの。
女子同士で「好きな男の子の話」「どんな子が理想か話」をするとき、ふつーに「あたしより背が高くてぇ」って、言うよな?
わたしもふつーに「あたしより背の高い男の子」を恋愛対象としていた。
クラスを見回して、わたしより大きな子がひとりかふたりしかいなくても、「あたしより背の高い男の子」しか好きになっちゃいけないと思っていた。
恥ずかしい思いをするから。わたしも、その子も。
思春期ゆえの思い込みの激しさ、自意識過剰さで、そう頑なに思い込んでいた。
やはり人より大きかった母もまた、
「男の人と出会ったときはまず身長をチェックしたわ。自分より背が高い人でないと、好きにはならない。おとーちゃんとはじめて出会ったときも、『この人、アタシより数センチ背が高い!』って思ったから、つきあったんだもの!」
と、豪語していた。
うん、やっぱどーしてもそうなるよね。
デートのときにぺたんこ靴しか履けないこと、並んで写真を撮るときに猫背になること、数えるとキリがない、劣等感。
恥ずかしい思いをしたくないから、出会う男の子たちをまず、身長で判断していた。この子は好きになってもいい、この子はダメ。
つーことで。
はい、ここでよーやく、ヅカの話になる。
好きになるからには、わたしより背の高い人でなきゃダメ。
ええ。
ヅカにハマった当初、本気でそう思っていました。
現実世界ですら、男たちの低身長さに悩まされているのよ? 疑似恋愛を割り切ってたのしむバーチャル世界でまで、なんでチビを好きにならなきゃいけないの?
舞台の男役たちはみんなかっこよくて大きくて、夢の世界だった。
ええ、みんな大きく見えたんだってば。
背の高い人しか、タカラヅカには入れないんだと思っていたし。テレビで見るジャニーズは、共演する女優やアイドルと同じくらいの身長のおチビさんばっかだけど、ヅカの男役は娘役よりみんな大きい、長身さんばっかだわ! 背の高い美形がよりどりみどり、みんな長身、ステキ!
……ハマったあとで、「宝塚おとめ」を見て男役の身長に愕然とする。
ほとんどの男役が「168cm」だった。
168? それっぽっちなの?? 舞台ではもっと大きく見えたよ?
轟悠の美貌に一目惚れしたわたしは、ページを繰って彼の身長を確認した。
彼もまた「168cm」だった。
168か。168。うん、ぎりぎりセーフ。わたしの公称身長と同じだもん、わたしより小さいわけじゃないから、好きになってもいいよね。
そう、自分に言い聞かせた(笑)。
自分よりチビは好きにならない……そう、自分に戒めがあったんだってば。
で、あるときナマのトドロキを目撃し、小ささに、おどろいた。
「トドロキって168だよね? アレで公称168? 嘘でしょ?」
「うん、緑野の公称168と反対の意味で、同じくらいには嘘だね」
一緒にいたツレ(わたしよりアタマひとつ小さい)に、すぱっと切り捨てられたなあ。
トドが思っていたよりずーーっと小さかったことは「見なかったこと」として、わたしの「自分より小さい人は好きにならない」というMyルールは守り通した(笑)。
気になるジェンヌは、身長もチェックする。
ケロちゃんの身長だって、最初に調べたさ。
公称「169cm」。やった、わたしの公称より大きい。わたしより背が高いから、「好きになってもいい人」だわ!!
そう安心していたのに。
『血と砂』初日に、公称身長170cm(もちろんチェック済)のゆーひくんとの身長差が1cmにはとても見えないケロの小柄ぶりに、疑問を持った。
変だな、ケロは169だから、ゆーひくんと並んでも同じくらいの身長のはずなのに……。
「おとめ」には、身長167cmと記載されていた。
ソレって、あたしより小さいってことじゃん?!!
信じられなくて、過去の「おとめ」を引っ張り出していちいち調べていったさ。だってケロちゃん、昔は169って書いてたもん! わたしがケロちゃんを知った頃は、公式出版物に169って書いてた!!
答えは、「組替え」だ。
雪組にいたときは169cm、月組に組替えになって翌年には167cmに変更されていた……。
そーだよなー……トウコちゃんの公式身長が167cmだもんなぁ。トウコより大きなケロは169cmと表記するしかないよなあ。
雪組のサバ読みっぷりって……たしかいっちゃんも退団後にどーんと公式身長縮んでたなぁ。
その後ケロは再度の組替えによって、再びトウコと同じ組になり、でも今さら公式身長を変えることが出来ず月組時代の「167cm」で通し、「ケロとトウコって同じ身長? ……嘘丸出し」と、ファンに溜息をつかせることになったわけだが(笑)。
自分より小さな人は好きにならない……そのルールが、ケロの「身長サバ読み」によって、崩れ去ったのだ!!
わーん、ひどいよケロちゃん! 169cmだって言ってたぢゃないか~~!!
そりゃトドの「168cm」も明らかな大嘘だが、彼は未だに168だと平気な顔で生きている。騙すのも商売のうちなんだから、騙してくれている分には、素直に騙されるさ。
ケロの場合は、途中で嘘を訂正しちゃったんだもん。罪が重いさ。どーして騙しておいてくれなかったの。
あれほど、「身長」にこだわったわたし。
ケロの裏切り(笑)のおかげで、そのこだわりも葬り去られた。
小さいからなんだ、ステキな人はステキなんだっ。好きになってナニが悪い!
トウコちゃんもきりやんも、好きになった。まさかの小男ブーム。つか、彼らは背が低いからこそ、さらに魅力的なんだと思うようになった。
いやその。
わたしがもう思春期の少女ではなく、高身長に特別なこだわりを持たない年齢になってしまったこともある。
レンアイに多大な夢は持たなくなった。
そして、人よりデカい自分のことも、あきらめられるよーになった。
あんなにがんとして拒絶していたヒールのある靴も、履くようになった。
わたしは、わたしでしかない。
あの子よりわたしの方が背が高いから……ソレが恥ずかしくてキモチを封印するしかなかった、幼い日のわたしに言ってやりたい。
背の低い男の子を好きになってもよかったんだよと。いや、いくらそう言われても、自分の中の劣等感はぬぐえなかったにしろ。
好きになってしまえば、どうしようもないんだ。
やはり人より大きかった母もまた、
「おとーちゃんとはじめて出会ったときも、『この人、アタシより数センチ背が高い!』って思ったから、つきあったんだもの!」
と、豪語していたが、大人になった子どもたちから「どー見ても、誰が見ても、父より母の方が背が高いっつーの」と、客観的に突っ込まれていたさ。
恋は盲目、父に一目惚れした母の目には、「自分より小さな人は好きにならない」というルールを守るために、現実の方が歪められて映ったわけだから。
いろんなものに縛られていた若い頃にまっつに出会っていても、こんなに好きにはなっていなかったんだろうな、という話。
この年になってから出会えて、よかったんだと思う。
……たぶん(笑)。
サブドメインが取得できるようになったので、早々に登録、無事にkoalaをGETしたので、このブログのURLは「http://koala.diarynote.jp/」になった。
つっても今までのURLでも見られるけど。
DiaryNoteが新しくなっていろいろ変更点があった。
そのなかのひとつに、左の「最新の日記」欄に「最新の日記が表示されない」というものがある。
今までは「いちばん最近に書いた・更新した日記がいちばん上に表示された」が、今はもう「わたしが最近に書いた」ことより、「最新の日付」を優先しているのだな。
だから1週間前の日付位置に新しい記事をUPしても、それは「最新の日記」ではない。「日付が現在に近い日記」だけを「最新」として表示する。
過去日付に新しい記事を書いても、書いたことに気づく人はまあいないってことだなー。や、RSS登録している人はともかく、ふつーにブクマからここへ来ている場合、更新されたかどうか不明ってことだな。
……それを隠れ蓑にしてマニアックな話とか、こっそり書くことが出来るか(笑)。
DiaryNoteを使い出して7年になるが、以前酷い目に遭ったので、それ以来「1日1記事、3000文字」をMyルールにしている。
同じ日付に複数記事をUPできるし、1記事に2万文字書けるそうだが、わたしは信じない(笑)。
以前DiaryNoteのうたい文句を信じて「同じ日付に複数記事、1記事3000文字以上」書いていたら、全部壊れて消失したんだわ。
1日に2つ以上記事があった場合、最初のひとつのテキストだけが残り、それ以外の記事は最初のひとつと同じになった。
「『愛と死のアラビア』ってこんな話?・1」「『愛と死のアラビア』ってこんな話?・2」「『愛と死のアラビア』ってこんな話?・3」という記事を同じ日付、1日にUPしていた場合、「『愛と死のアラビア』ってこんな話?・1」が3つになったわけ。「2」と「3」は消失。
また、ひとつの記事が3000文字以上会った場合、3000弱を区切りにそれ以上のテキストは消失。
「『愛と死のアラビア』ってこんな話?・1」が4000文字だったとしたら、3000文字くらいからあとは突然文章が切れているの。
当時は「メールでバックアップ」という機能もなくて、数年分のテキストが一気に消失したのよ。
DiaryNoteに問い合わせても、もちろん回答はなかった。7年間で2~3回問い合わせたことがあるんだが、一度も回答してもらったことがないので、そーゆーもんだと思って使っている。返事がないとわかっているから、ほんとーに困ったときしかメールしないんだが、それでも放置プレイだしな。
運営サイドはなにもしてくれない。
だから、自衛するしかない。
「1日1記事、3000文字」がMyルール。
どんなに一気に書ききりたい話題でも、長くなったら2日、3日と時間が経つのを待って、3000文字で区切ってからUPする。
複数の話題を1日に書きたいときでも、日にちが変わるのを待つ。
同じ日に、複数記事は書かない。3000文字以上書かない。そーしないと、サイトが壊れて消失するかもしれない。
DiaryNoteなんて、信じてない。
そもそも、無料で使えるサイトなんだから、保証がないことは理解している。
いつ全削除されて全データ消失するか、わかったもんじゃない……と、自覚した上で、利用している。
そうなったとしても、わたしからはなにも働きかける術がない。問い合わせたって、きっと返事もらえないし(笑)。
て、この日記も「最新の日記」に出ることはないので、気軽に書いてみた(笑)。
つっても今までのURLでも見られるけど。
DiaryNoteが新しくなっていろいろ変更点があった。
そのなかのひとつに、左の「最新の日記」欄に「最新の日記が表示されない」というものがある。
今までは「いちばん最近に書いた・更新した日記がいちばん上に表示された」が、今はもう「わたしが最近に書いた」ことより、「最新の日付」を優先しているのだな。
だから1週間前の日付位置に新しい記事をUPしても、それは「最新の日記」ではない。「日付が現在に近い日記」だけを「最新」として表示する。
過去日付に新しい記事を書いても、書いたことに気づく人はまあいないってことだなー。や、RSS登録している人はともかく、ふつーにブクマからここへ来ている場合、更新されたかどうか不明ってことだな。
……それを隠れ蓑にしてマニアックな話とか、こっそり書くことが出来るか(笑)。
DiaryNoteを使い出して7年になるが、以前酷い目に遭ったので、それ以来「1日1記事、3000文字」をMyルールにしている。
同じ日付に複数記事をUPできるし、1記事に2万文字書けるそうだが、わたしは信じない(笑)。
以前DiaryNoteのうたい文句を信じて「同じ日付に複数記事、1記事3000文字以上」書いていたら、全部壊れて消失したんだわ。
1日に2つ以上記事があった場合、最初のひとつのテキストだけが残り、それ以外の記事は最初のひとつと同じになった。
「『愛と死のアラビア』ってこんな話?・1」「『愛と死のアラビア』ってこんな話?・2」「『愛と死のアラビア』ってこんな話?・3」という記事を同じ日付、1日にUPしていた場合、「『愛と死のアラビア』ってこんな話?・1」が3つになったわけ。「2」と「3」は消失。
また、ひとつの記事が3000文字以上会った場合、3000弱を区切りにそれ以上のテキストは消失。
「『愛と死のアラビア』ってこんな話?・1」が4000文字だったとしたら、3000文字くらいからあとは突然文章が切れているの。
当時は「メールでバックアップ」という機能もなくて、数年分のテキストが一気に消失したのよ。
DiaryNoteに問い合わせても、もちろん回答はなかった。7年間で2~3回問い合わせたことがあるんだが、一度も回答してもらったことがないので、そーゆーもんだと思って使っている。返事がないとわかっているから、ほんとーに困ったときしかメールしないんだが、それでも放置プレイだしな。
運営サイドはなにもしてくれない。
だから、自衛するしかない。
「1日1記事、3000文字」がMyルール。
どんなに一気に書ききりたい話題でも、長くなったら2日、3日と時間が経つのを待って、3000文字で区切ってからUPする。
複数の話題を1日に書きたいときでも、日にちが変わるのを待つ。
同じ日に、複数記事は書かない。3000文字以上書かない。そーしないと、サイトが壊れて消失するかもしれない。
DiaryNoteなんて、信じてない。
そもそも、無料で使えるサイトなんだから、保証がないことは理解している。
いつ全削除されて全データ消失するか、わかったもんじゃない……と、自覚した上で、利用している。
そうなったとしても、わたしからはなにも働きかける術がない。問い合わせたって、きっと返事もらえないし(笑)。
て、この日記も「最新の日記」に出ることはないので、気軽に書いてみた(笑)。
道しるべは歌う。@My Heart
2008年9月16日 タカラヅカ しあわせな時間だった。
春野寿美礼の歌声に、満たされる。
春野寿美礼ファーストコンサート『My Heart』千秋楽。
わたしはひたすら、リラックスしていた。
そしてそのことに、どれほど2週間前の初日に自分自身が緊張していたかを、思い知る。
ヅカを卒業した寿美礼サマがどんな姿のどんな人になっているのか、また、その姿を見てわたしがどんな風に思うのか、想像もつかない、想像しても仕方がない、百聞は一見にしかず、とにかく自分で体験するしかなくて。
人生なにごとも経験だから、とにかく飛び込んでみる。体験してみる。
新しい、春野寿美礼を。
初日は、受け止めるだけで精一杯だった。
あらゆることにいっぱいいっぱいで、歌を聴くどころぢゃなかった。……今にして思えば。
実際のところ、寿美礼サマは良くも悪くも変わっていなかった。
ヅカメイクではないので、ビジュアル的にはかなり評価の分かれるところだと思うが……あの顔立ちも含めて寿美礼サマ。造作だけでなく、そこに浮かぶ表情の魅力重視でヨロシク。
ただリラックスして、歌を聴く。
それが許される、しあわせ。
いつかこの歌声を失ってしまうのだ、と背中を焦がされるよーな思いで聴いていたんだ……いつも、いつも。
タカラヅカは終わりのある楽園。誰であっても、それは変わらない。退団発表がなくても、無意識に、どこかにその焦りはあった。
そこから、ほんとうに、解き放たれたんだ。
これから、はじまる。
はじまって、くれたんだ。
これからがある、未来があるんだ。時間があるんだ。
そのことの、よろこび。幸福。
ああわたし、ほんとに幸せなんだ、と思う。
至福というほどの強さではなく、もっとゆるい感覚。だからこそなお、ナチュラルに幸せなのかもしれない。
初日はわたしもたしかに歌を堪能するどころの精神状態ではなかったが。
それにしてもこのコンサート期間中で、オサ様の歌声、さらに響きを増してるよね?
回を重ねることで、さらに美しくなってるよね?
歌声の艶だけではなく。
ぐだぐだなトークもまた、のびる一方で(笑)。
あー、オサコンを思い出すな。オサ様ひとりで喋らせると、収拾がつかなくてなって与太りまくって、わけわかんなくなるの。
初日はまだ言葉足らずに「や、言いたいことはわかったから」と観客が察するのに任せたおぼつかない喋りだったのが、千秋楽ではこれまで毎回喋っていたネタに追記していくうちに、さらにぐたぐたに渦巻状になった喋りっぷりで、手に汗握った。
後ろで指揮者の塩田せんせが、すげー温かく見守ってくれているのが、わかる。や、オサ様のトーク終了の合図で演奏はじめなきゃいけないから、背中で空気を計っているわけだが……そーゆー事務的なことだけじゃなく、トークが迷子になると苦笑したりエールを送っているのが感じられるのね。
指揮が塩田せんせで良かった。踊りまくったりあおったりして、「参加」してくれているのがうれしい。
ぐだぐだなトーク、論旨も結論もどっかへ行ってしまって帰ってこない、愉快なことを言っているわけでも洒落ているわけでもない、しかも1文節ずつ区切って溜めて喋る(そのため本人も最初ナニを言うつもりだったか、途中でわからなくなる)どーしよーもなさ(笑)。
そのダメダメっぷりから、歌い出すと一気に変わる。
彼……彼女は、予言者のようだと、思った。
紫色のドレスの場面で、痛切にその思いがわきあがった。
このひとの指し示すところへ、わたしは行くんだ。
春野寿美礼がどんな人か知らないし、知りたいとも思ってないが、ただわたしはこのひとの舞台から発するモノを受け止め、このひとの示す方向へ行くんだ。
現役時代からそうだったように、勝手に盛り上がって崇め奉って、勝手に幻滅したり嫌ったりしながら、「それでも好き」と半ベソかいてついて行くんだろう。
このひとが向かう先を、視たいと思う。
このひとの奏でる歌を、聴きたいと思う。
どこに行くのか、わかんないけど。
「今」の寿美礼サマは、なんかすごーく「過渡期」だ。
良くも悪くも変わっていなくて、なのにもう「男役」ではない。
男役だった過去を否定するのでなく、大切に受け止めながらも、さらにどこかへ向かおうとしている。
初日にあった気負いというか、張りつめきったナニかは消え、別のモノがにじみ出てきている。
借りてきた猫が、ベッドの下で毛を逆立てていたんだけど、おそるおそる出てきましたっていうか。
置いてあったエサを食べたら、またベッドの下に逃げ込むんだけど、そっから先は出てくる頻度が上がって、ついにはベッドの上でおなかを上にして寝てしまったというか。
カーテンコールは、けっこー早めにオサ様がステージに戻ってきたのに、そっから先がなかなかはじまらず。
「なんかみんな準備してるみたいで……」
て、なんの準備かと思ったら、出演者みんなオサ様写真入りうちわで顔を隠して登場。
それだけに留まらず、舞台上のオケの人たちまでみんなみんな、同じうちわ。
ただし塩田せんせだけ自分の顔写真うちわ(笑)。
そーやってひとしきり盛り上がったあと、アンコール曲の「My Heart」へ。
スタンディングの客が一斉に坐り出す、お行儀の良さ(笑)。
歌い終わったオサ様の背後にカラーテープが滝のようにばさーっと落ちて、金色の紙吹雪が舞って……しかし、自らの余韻に浸りきっているオサ様はなにも気づかず。
何拍も遅れて後ろを振り返り、マジでびびっている姿がステキ。
追い出しアナウンスが流れても、拍手はやまなくて。
目を線にしたオサ様が袖から登場して、「*階のお客さんイェ~~ッ!!」をやり、「先に進むよ~~ッ!!」をやり。
ついには、「オレについてこいよ~~!」と叫ぶ始末。
デジャヴ。
この劇場で、同じように拳を振り上げていた、あのころ。
今はもうあのころではないはずなのに。
オサ様自身が、繰り返されるカーテンコールのなか、もーわけわかんなくなってるっぽいのが、すごくイイ。
今「オレ」って言ったよあのひと。
今でも「オレ」なんだ。ついぽろっと出ちゃうくらいには、あのひとの過ごした花園での時間は、あのひとの血肉になっているんだ。
すげー堂々と「オレ」なまま袖に入り。
次に出てきたときはすげーテレテレに、「もう男役じゃなかった」と我に返ったそうで、「私についていらして(はぁと)」とやってくれた。
その揺らぎをそのままに。
どんな姿を見せてくれるのか、たのしみにしていたい。
このひとが指し示す、その先を。
春野寿美礼の歌声に、満たされる。
春野寿美礼ファーストコンサート『My Heart』千秋楽。
わたしはひたすら、リラックスしていた。
そしてそのことに、どれほど2週間前の初日に自分自身が緊張していたかを、思い知る。
ヅカを卒業した寿美礼サマがどんな姿のどんな人になっているのか、また、その姿を見てわたしがどんな風に思うのか、想像もつかない、想像しても仕方がない、百聞は一見にしかず、とにかく自分で体験するしかなくて。
人生なにごとも経験だから、とにかく飛び込んでみる。体験してみる。
新しい、春野寿美礼を。
初日は、受け止めるだけで精一杯だった。
あらゆることにいっぱいいっぱいで、歌を聴くどころぢゃなかった。……今にして思えば。
実際のところ、寿美礼サマは良くも悪くも変わっていなかった。
ヅカメイクではないので、ビジュアル的にはかなり評価の分かれるところだと思うが……あの顔立ちも含めて寿美礼サマ。造作だけでなく、そこに浮かぶ表情の魅力重視でヨロシク。
ただリラックスして、歌を聴く。
それが許される、しあわせ。
いつかこの歌声を失ってしまうのだ、と背中を焦がされるよーな思いで聴いていたんだ……いつも、いつも。
タカラヅカは終わりのある楽園。誰であっても、それは変わらない。退団発表がなくても、無意識に、どこかにその焦りはあった。
そこから、ほんとうに、解き放たれたんだ。
これから、はじまる。
はじまって、くれたんだ。
これからがある、未来があるんだ。時間があるんだ。
そのことの、よろこび。幸福。
ああわたし、ほんとに幸せなんだ、と思う。
至福というほどの強さではなく、もっとゆるい感覚。だからこそなお、ナチュラルに幸せなのかもしれない。
初日はわたしもたしかに歌を堪能するどころの精神状態ではなかったが。
それにしてもこのコンサート期間中で、オサ様の歌声、さらに響きを増してるよね?
回を重ねることで、さらに美しくなってるよね?
歌声の艶だけではなく。
ぐだぐだなトークもまた、のびる一方で(笑)。
あー、オサコンを思い出すな。オサ様ひとりで喋らせると、収拾がつかなくてなって与太りまくって、わけわかんなくなるの。
初日はまだ言葉足らずに「や、言いたいことはわかったから」と観客が察するのに任せたおぼつかない喋りだったのが、千秋楽ではこれまで毎回喋っていたネタに追記していくうちに、さらにぐたぐたに渦巻状になった喋りっぷりで、手に汗握った。
後ろで指揮者の塩田せんせが、すげー温かく見守ってくれているのが、わかる。や、オサ様のトーク終了の合図で演奏はじめなきゃいけないから、背中で空気を計っているわけだが……そーゆー事務的なことだけじゃなく、トークが迷子になると苦笑したりエールを送っているのが感じられるのね。
指揮が塩田せんせで良かった。踊りまくったりあおったりして、「参加」してくれているのがうれしい。
ぐだぐだなトーク、論旨も結論もどっかへ行ってしまって帰ってこない、愉快なことを言っているわけでも洒落ているわけでもない、しかも1文節ずつ区切って溜めて喋る(そのため本人も最初ナニを言うつもりだったか、途中でわからなくなる)どーしよーもなさ(笑)。
そのダメダメっぷりから、歌い出すと一気に変わる。
彼……彼女は、予言者のようだと、思った。
紫色のドレスの場面で、痛切にその思いがわきあがった。
このひとの指し示すところへ、わたしは行くんだ。
春野寿美礼がどんな人か知らないし、知りたいとも思ってないが、ただわたしはこのひとの舞台から発するモノを受け止め、このひとの示す方向へ行くんだ。
現役時代からそうだったように、勝手に盛り上がって崇め奉って、勝手に幻滅したり嫌ったりしながら、「それでも好き」と半ベソかいてついて行くんだろう。
このひとが向かう先を、視たいと思う。
このひとの奏でる歌を、聴きたいと思う。
どこに行くのか、わかんないけど。
「今」の寿美礼サマは、なんかすごーく「過渡期」だ。
良くも悪くも変わっていなくて、なのにもう「男役」ではない。
男役だった過去を否定するのでなく、大切に受け止めながらも、さらにどこかへ向かおうとしている。
初日にあった気負いというか、張りつめきったナニかは消え、別のモノがにじみ出てきている。
借りてきた猫が、ベッドの下で毛を逆立てていたんだけど、おそるおそる出てきましたっていうか。
置いてあったエサを食べたら、またベッドの下に逃げ込むんだけど、そっから先は出てくる頻度が上がって、ついにはベッドの上でおなかを上にして寝てしまったというか。
カーテンコールは、けっこー早めにオサ様がステージに戻ってきたのに、そっから先がなかなかはじまらず。
「なんかみんな準備してるみたいで……」
て、なんの準備かと思ったら、出演者みんなオサ様写真入りうちわで顔を隠して登場。
それだけに留まらず、舞台上のオケの人たちまでみんなみんな、同じうちわ。
ただし塩田せんせだけ自分の顔写真うちわ(笑)。
そーやってひとしきり盛り上がったあと、アンコール曲の「My Heart」へ。
スタンディングの客が一斉に坐り出す、お行儀の良さ(笑)。
歌い終わったオサ様の背後にカラーテープが滝のようにばさーっと落ちて、金色の紙吹雪が舞って……しかし、自らの余韻に浸りきっているオサ様はなにも気づかず。
何拍も遅れて後ろを振り返り、マジでびびっている姿がステキ。
追い出しアナウンスが流れても、拍手はやまなくて。
目を線にしたオサ様が袖から登場して、「*階のお客さんイェ~~ッ!!」をやり、「先に進むよ~~ッ!!」をやり。
ついには、「オレについてこいよ~~!」と叫ぶ始末。
デジャヴ。
この劇場で、同じように拳を振り上げていた、あのころ。
今はもうあのころではないはずなのに。
オサ様自身が、繰り返されるカーテンコールのなか、もーわけわかんなくなってるっぽいのが、すごくイイ。
今「オレ」って言ったよあのひと。
今でも「オレ」なんだ。ついぽろっと出ちゃうくらいには、あのひとの過ごした花園での時間は、あのひとの血肉になっているんだ。
すげー堂々と「オレ」なまま袖に入り。
次に出てきたときはすげーテレテレに、「もう男役じゃなかった」と我に返ったそうで、「私についていらして(はぁと)」とやってくれた。
その揺らぎをそのままに。
どんな姿を見せてくれるのか、たのしみにしていたい。
このひとが指し示す、その先を。
やわらかい声が・その2。@彩吹真央お茶会『ソロモンの指輪/マリポーサの花』
2008年9月15日 タカラヅカ 大変盛況な、すげー人数の多いお茶会だったというのに。
まぎれこんでいたわたしは、ゲームで最後の10人ほどに勝ち残りました。
彩吹真央お茶会『ソロモンの指輪/マリポーサの花』にて、「ゆみこちゃんがどう答えるかを当てる三択クイズ」で、「行きたい国」だとか「見たい映画」だとか、一般的なモノからマニアックなモノまで、ゆみこちゃんの回答を予想するゲームだ。
6問連続正解しましたね。友人たちはあっちゅー間に敗退したというのに。
で、最後の7問目でハズレ。当てられたのは、3人のみだっけか。
まあね、決勝戦で負けるのがわたしのパターンなんで、正直「またか」と思いました。
100円玉1枚握りしめて隣の人とじゃんけんして、勝ったら相手の持っている100円玉1枚をもらう。負けた人はゲームから脱落。勝った人はさらに同じように勝った人と勝負。次にもし負けたらこの段階で手に入れていた100円玉2枚を相手に渡す。勝ち続けると、手持ちの100円玉が倍倍になっていく。
そうやって、勝った人が負けた人の100円玉を手に入れるゲームで、どんどん勝ち残って、手に入れた100円玉が何十枚にまでなって、生き残っている人がたったふたりにまで絞られ……決勝戦、これで勝ったら参加者全員の100円玉を独り占め……てとこで、負けるんだよなー。
いつだってそうだ。それがわたしの人生。
わたしが当てられなかった質問は、「ゆみこさんの休日の過ごし方」でした。
1.ランチのあと、マッサージ。
2.買い物のあと、マッサージ。
3.ドライブのあと、マッサージ。
「マッサージは前提」らしいです、ゆみこちゃんもこの三択ぶりに突っ込んでた(笑)。
わたしは「ランチ」を選びました。
だって、買い物もドライブもしない日だってあるだろーけど、ごはんだけは毎日必ず食べるだろーから。……現実的過ぎましたか?
ゆみこさんの答えは「買い物」でした。
『ソロモンの指輪』を語るとき、ゆみこちゃんは「断定」をしません。
「わたしは、こう思ってやっている」という言い方をする。オギー・ワールドは数学じゃない。答えはひとつじゃない。オギーも自分の考えを押し付けるよーな演出はしていない。
だから出演者も、「こう思って、こう見えるといいなと思って、こうやっている」と言う。ひとりでどうこう、だけでなく、共演者と話して、意見交換して、それぞれの場を作り上げていく。……それですら、「答え」ではなくて。
可能性のひとつ、寄せては返す波のひとつのような、感覚。
「そう思って観てください」ではなく、「そう思って演じていると、思って観てください」であるということ。
公正な、寛い感性のある人だなと思う。
一方、『マリポーサの花』については、よく語る(笑)。こちらはけっこー、「こう観てほしいの!」という欲求がある模様。役者としてのこだわりが見える。
エスコバルさんの職業は? という質問に、すげー憮然と「は? クラブの経営」と答えているのが、個人的にツボだった。
や、たんにわたしの友人の爆裂ゆみこファンが、「エスコバルさんの職業って謎よね? ひょっとして用心棒?」とか、たのしそーに言ってて、わたしが「ネロとふたりでクラブを共同経営してるんでしょ?」と言っても、聞く耳持たなかったの。なんかいろいろ夢見て、いろいろ設定空想しては、たのしんでいるようだったが……ふつーにあの店のオーナーの片割れなわけですよ。
政権樹立の大役者のひとりで、地位を放棄した代わりに相当の金額はもらっているだろうし。それを元手にして、ネロとふたりでナイトクラブをはじめた、と。
公式設定は30歳だそうですが、やっぱ30歳には見えませんて。
長瀬智也とか小泉孝太郎とかと同じ年……。や、日本人タレントと比べてもアレだけど、やっぱ身近な30歳っつーとまだまだ若造っていうか、未熟感が強いってゆーか。
「過去のある男」としては、+5歳くらいは欲しいなあ。「キリコ・キュービィ18歳」に盛大に突っ込んだ(「いくらアニメはキャラ設定を若くしなければならないからって、ソレはないだろう!」……ヲタクかつ古すぎる例えですまん)ようなモノで、無理して若造にしなくても……と、つい思ってしまうのは、わたしがイイ年だからか。
作中、アリシア@いづるんの台詞でしか語られない「野獣のようなエスコバルさん」ですが、セットのパネルの向こうで本当にエスコバルさんがミゲル@まなはるを締め上げている……というのは、ファンの間では周知の事実。
公演がはじまって間もない頃、ゆみこファンが「知っていて当然」となんの説明もないままアリシアのよーに、「上手端からなら野獣な姿が見えるかしら!」と鼻息荒く語り出すのを、わたしはセリア@とにゃみのよーに「なにが?」と聞いていました。アリシアとセリアの会話、すごくリアルだわ……。
で、その周知の事実を、実際に目の前でやってくれました。
ミゲル役は立候補したファンのお嬢さんで、銃を構えたふりをしているところを、ゆみこちゃんが「まずこうして」「こう跳ね上げて」「こう」と、腕を取って銃口をはずし、その勢いで殴り倒すところまで実演。
もちろん殴るふり、なんだが、お嬢さんはちゃんと殴られたふりをしてくれた。GJ!
わたしとnanaタンは、自分たちの席で、自分たちふたりで、それを復習。こーやってこーやって、こう、ね。ふむふむ。
ただ問題は、このかっこいーゆみこ氏が、狙われた人を、ナチュラルに間違えていたことです。
「ここにフェルッティが……緒月のやっている役ですけどね、フェルッティがいて、それを狙うミゲルがここに立って……」
あのー。
ミゲルがなんで、「マイアミの大富豪」を暗殺せにゃならんのですか?
彼は大統領を暗殺しようとしたわけで、マイアミの大富豪はなんの関係もありません(笑)。
司会者は質問や進行を明瞭でない発音で読み上げるのみで、ツッコミを入れたりはしないので、間違いは正されることはなくスルー。
「ビリーズブートキャンプ」を「ビリー・ザ・フェイマス」とゆみこが言い続けたときもスルーされ、客席がざわつくので本人が間違いに気づいて訂正するまで放置されてたしな。
司会者はいつもあんな感じなのかな?
正味2時間喋り通す、濃ぃ~~いお茶会で、感じたことは、ゆみこちゃんのやわらかさ、だ。
それは本人固有のものというだけではなく、その場にいるわたしにたちに向かって発せられるやわらかさだった。
ゆみこちゃんは、この場にいる人を……ファンを、信頼している。
心を開き、あずけている。
それが感じられるやわらかさだった。
だからきっと、ここは心地いい空気が流れているんだろうな。
べたべたな大阪弁でつづられる、心をあずけた言葉たち。
優れた歌唱力を、豊かな声質を持つ人だけど、それ以上のものを放っているんだね。
まぎれこんでいたわたしは、ゲームで最後の10人ほどに勝ち残りました。
彩吹真央お茶会『ソロモンの指輪/マリポーサの花』にて、「ゆみこちゃんがどう答えるかを当てる三択クイズ」で、「行きたい国」だとか「見たい映画」だとか、一般的なモノからマニアックなモノまで、ゆみこちゃんの回答を予想するゲームだ。
6問連続正解しましたね。友人たちはあっちゅー間に敗退したというのに。
で、最後の7問目でハズレ。当てられたのは、3人のみだっけか。
まあね、決勝戦で負けるのがわたしのパターンなんで、正直「またか」と思いました。
100円玉1枚握りしめて隣の人とじゃんけんして、勝ったら相手の持っている100円玉1枚をもらう。負けた人はゲームから脱落。勝った人はさらに同じように勝った人と勝負。次にもし負けたらこの段階で手に入れていた100円玉2枚を相手に渡す。勝ち続けると、手持ちの100円玉が倍倍になっていく。
そうやって、勝った人が負けた人の100円玉を手に入れるゲームで、どんどん勝ち残って、手に入れた100円玉が何十枚にまでなって、生き残っている人がたったふたりにまで絞られ……決勝戦、これで勝ったら参加者全員の100円玉を独り占め……てとこで、負けるんだよなー。
いつだってそうだ。それがわたしの人生。
わたしが当てられなかった質問は、「ゆみこさんの休日の過ごし方」でした。
1.ランチのあと、マッサージ。
2.買い物のあと、マッサージ。
3.ドライブのあと、マッサージ。
「マッサージは前提」らしいです、ゆみこちゃんもこの三択ぶりに突っ込んでた(笑)。
わたしは「ランチ」を選びました。
だって、買い物もドライブもしない日だってあるだろーけど、ごはんだけは毎日必ず食べるだろーから。……現実的過ぎましたか?
ゆみこさんの答えは「買い物」でした。
『ソロモンの指輪』を語るとき、ゆみこちゃんは「断定」をしません。
「わたしは、こう思ってやっている」という言い方をする。オギー・ワールドは数学じゃない。答えはひとつじゃない。オギーも自分の考えを押し付けるよーな演出はしていない。
だから出演者も、「こう思って、こう見えるといいなと思って、こうやっている」と言う。ひとりでどうこう、だけでなく、共演者と話して、意見交換して、それぞれの場を作り上げていく。……それですら、「答え」ではなくて。
可能性のひとつ、寄せては返す波のひとつのような、感覚。
「そう思って観てください」ではなく、「そう思って演じていると、思って観てください」であるということ。
公正な、寛い感性のある人だなと思う。
一方、『マリポーサの花』については、よく語る(笑)。こちらはけっこー、「こう観てほしいの!」という欲求がある模様。役者としてのこだわりが見える。
エスコバルさんの職業は? という質問に、すげー憮然と「は? クラブの経営」と答えているのが、個人的にツボだった。
や、たんにわたしの友人の爆裂ゆみこファンが、「エスコバルさんの職業って謎よね? ひょっとして用心棒?」とか、たのしそーに言ってて、わたしが「ネロとふたりでクラブを共同経営してるんでしょ?」と言っても、聞く耳持たなかったの。なんかいろいろ夢見て、いろいろ設定空想しては、たのしんでいるようだったが……ふつーにあの店のオーナーの片割れなわけですよ。
政権樹立の大役者のひとりで、地位を放棄した代わりに相当の金額はもらっているだろうし。それを元手にして、ネロとふたりでナイトクラブをはじめた、と。
公式設定は30歳だそうですが、やっぱ30歳には見えませんて。
長瀬智也とか小泉孝太郎とかと同じ年……。や、日本人タレントと比べてもアレだけど、やっぱ身近な30歳っつーとまだまだ若造っていうか、未熟感が強いってゆーか。
「過去のある男」としては、+5歳くらいは欲しいなあ。「キリコ・キュービィ18歳」に盛大に突っ込んだ(「いくらアニメはキャラ設定を若くしなければならないからって、ソレはないだろう!」……ヲタクかつ古すぎる例えですまん)ようなモノで、無理して若造にしなくても……と、つい思ってしまうのは、わたしがイイ年だからか。
作中、アリシア@いづるんの台詞でしか語られない「野獣のようなエスコバルさん」ですが、セットのパネルの向こうで本当にエスコバルさんがミゲル@まなはるを締め上げている……というのは、ファンの間では周知の事実。
公演がはじまって間もない頃、ゆみこファンが「知っていて当然」となんの説明もないままアリシアのよーに、「上手端からなら野獣な姿が見えるかしら!」と鼻息荒く語り出すのを、わたしはセリア@とにゃみのよーに「なにが?」と聞いていました。アリシアとセリアの会話、すごくリアルだわ……。
で、その周知の事実を、実際に目の前でやってくれました。
ミゲル役は立候補したファンのお嬢さんで、銃を構えたふりをしているところを、ゆみこちゃんが「まずこうして」「こう跳ね上げて」「こう」と、腕を取って銃口をはずし、その勢いで殴り倒すところまで実演。
もちろん殴るふり、なんだが、お嬢さんはちゃんと殴られたふりをしてくれた。GJ!
わたしとnanaタンは、自分たちの席で、自分たちふたりで、それを復習。こーやってこーやって、こう、ね。ふむふむ。
ただ問題は、このかっこいーゆみこ氏が、狙われた人を、ナチュラルに間違えていたことです。
「ここにフェルッティが……緒月のやっている役ですけどね、フェルッティがいて、それを狙うミゲルがここに立って……」
あのー。
ミゲルがなんで、「マイアミの大富豪」を暗殺せにゃならんのですか?
彼は大統領を暗殺しようとしたわけで、マイアミの大富豪はなんの関係もありません(笑)。
司会者は質問や進行を明瞭でない発音で読み上げるのみで、ツッコミを入れたりはしないので、間違いは正されることはなくスルー。
「ビリーズブートキャンプ」を「ビリー・ザ・フェイマス」とゆみこが言い続けたときもスルーされ、客席がざわつくので本人が間違いに気づいて訂正するまで放置されてたしな。
司会者はいつもあんな感じなのかな?
正味2時間喋り通す、濃ぃ~~いお茶会で、感じたことは、ゆみこちゃんのやわらかさ、だ。
それは本人固有のものというだけではなく、その場にいるわたしにたちに向かって発せられるやわらかさだった。
ゆみこちゃんは、この場にいる人を……ファンを、信頼している。
心を開き、あずけている。
それが感じられるやわらかさだった。
だからきっと、ここは心地いい空気が流れているんだろうな。
べたべたな大阪弁でつづられる、心をあずけた言葉たち。
優れた歌唱力を、豊かな声質を持つ人だけど、それ以上のものを放っているんだね。
やわらかい声が。@彩吹真央お茶会『ソロモンの指輪/マリポーサの花』
2008年9月14日 タカラヅカ ヅカファンのほとんどはゆみこファンかもしれない。
わたし個人のごくごく狭い範囲だけで世界を計るならば、世の中はゆみこファンだらけだ。
……と、ゆーことで、彩吹真央お茶会『ソロモンの指輪/マリポーサの花』行ってきました。
えええ、なんでわたしが? って、そりゃあもお、某ゆみこファンに半分拉致られたってゆーか、えーと(笑)。先日のライヴイベントのメンバー勢揃い。
「毎週観劇して、イベントも行って、お茶会にも参加するんだから、もうすっかりゆみこファンだね」と、ゆみこファン認定されていますが、「ほんとのこと言っていいんだよ、彩吹さんがいちばん好きでしょ?」と自白を迫られたりもしてますが、ええっとええっと、まっつ~~!!(叫んでみる)
彩吹さんがヨン様で、水さんがチェ・ジウでした。
彩吹&水で、『冬ソナ』!!
いやその。
クライマックスの港場面にて、ネロ@水しぇんに「行け」と言ったあとのエスコバル@ゆみこ。テーマソングを歌いながらセリ下がっていくが、絶命シーンは描かれていない。
つーことで。
エスコバルは、生きていた!
とゆー、極秘物語が存在していたのだった。ごく一部のジェンヌの世間話のなかで(笑)。
一命を取りとめたエスコはなんと記憶を失っていた。
海外へ渡った彼は、政変により亡命したサルディバル@ハマコと再会、サルちゃんに言いくるめられて、彼のボディーガードなんかやっちゃう。
ここんとこ、イイですねえ。
サルディバルの前に、記憶のないエスコバル。
なんかエロいですねえ。
記憶がないのをいいことに、自分のモノにしちゃうわけですか、サルちゃん。そんなにエスコが欲しかったのか?
……とゆー話に持っていってもイイし、サルちゃんの本命はネロくんでもイイ。ネロへの復讐心から、エスコを手に入れる、つーもぜんぜんアリだ。ネロをいたぶるなら、まずエスコだろ(笑)。
ええ、もちろんネロ登場ですよ。
外国で運命の再会。
ネロくん、大ショック。
「たったひとりのトモダチ」が、サルちゃんのお手つきになっている?!!
しかも、ネロのことがわからない?!!
「俺だ、ネロだっ、俺がわからないのかああぁぁ!!」
エスコの肩を掴んでがしがし揺さぶるネロくん。
このへんまではあたしゃ、「ソレってどこの『Appartement Cinema』?!」と思いながら聞いていたわけだが。
語る彩吹氏は言い切った。
「『冬ソナ』みたいですよねっ(笑)」
『冬のソナタ』ですか。
てゆーか、その場合ヨン様がエスコで、チェ・ジウがネロかよ?!
テーマソングとコスプレ姿が脳裏を走りました。……意外に似合いそうだな。とくに水しぇん。(えっ?)
……まっとーなレポは、わたしをお茶会に連れてった某ゆみこファン(笑)のブログを読むなりしてくれ。
レポ機能の付いていないわたしは、とにかく感想をば記す。
ゆみこちゃんのことは『嵐が丘』のゲイル役から眺めて来てますが(当時のゆみこはトウコちゃんにクリソツで、「トウコが2役やってる?!」と誤解する観客続出だった)、ナマで喋っているのを見るのは、はじめてです。
つーことで、お茶会ってゆーか、彩吹真央、初体験記って感じかしら。
しみじみと、顔、変わったなあ。と思った。
やっぱ人間、最初に見たモノがインプットされるじゃん?
わたしにとってのゆみこちゃんはそのゲイルとか、新公でトウコの役をやったりしていた頃の印象が根強く残っていて。
あのころとは、さすがに顔自体がずいぶん変わっていて、別人に近い勢いだった。
今思うと、素顔のガオリくんは、若い頃(失礼)のゆみこに似ていると思う。わたしの記憶にあるゆみこちゃん@雪組新進スターは、あーゆー顔だった。あ、さらに目が大きかったかな。
えー、そんでもって、シンプルなおどろきは。
大阪弁丸出しなんだ。
標準語で話す気、まったくナシっす。徹頭徹尾、大阪弁。
テレビでは標準語で話してるよねえ……?
大阪出身なのは知ってるが、きりやんとかすずみんとか、公の場でも大阪人キャラを通している人たちと違い、なんつーかこー、もっと優等生的で、ぶっちゃけ地味なイメージがあった。
大阪弁で、ひたすら話す。とことん話す。えんえん話す。
てゆーか、お茶会、優に2時間あった……。
わたしはあまりお茶会って参加しないんでよく知らないけど、「平均1時間半」の催しって印象。ある下級生は1時間強で終わったしなー。ツーショットとかしてたら、話を聞いている時間もあんましナシ、終始バタバタってこともあったさ。
2時間あると、こんだけ話を聞くことが出来るんだ。ほえー。
写真撮影がないことも大きい。握手があるのみで、写真は無し。
「ジェンヌと一緒に記念撮影」が苦手なわたしには、すげーありがたい。
待たされる時間をできるだけ少なく、ジェンヌのトークを優先してくれているのか?
実際、すげー盛況なお茶会で。
人数多っ。
参加人数100人前後のお茶会ばかり参加し続けている身としては、落ち着かないほどの規模でした。
たしかにこの人数なら、記念撮影はできないか。
そうやって、正味喋ってくれるので、とても興味深い。
お茶会に参加する理由はいろいろあるだろうけど、わたしとしては写真も握手もいらんから、ジェンヌのナマのトークを聞きたいので、ゆみこ茶の構成はうれしかった。
や、東宝茶会限定とかゆー噂の、「撮影会」は是非見てみたいけどな(笑)。わざわざステージ作ってあって、そこでゆみこ氏がポーズを取ってくれるという……いいなー、そんなんが贔屓茶であったらしっぽ振って飛んでくわー。
歌も2曲歌ってくれるし。
それまで素の顔で喋っていたジェンヌが、「男役の顔」になって歌い出す瞬間が、すごく好きなの。声だって変わるし。
お茶会場で、予期しない人に会ったりなんだり。
あー……ほんとに、わたしの周囲のヅカファンはゆみこファンばっかだぁ。まっつファンは、どこにいるんだろー?
わたし個人のごくごく狭い範囲だけで世界を計るならば、世の中はゆみこファンだらけだ。
……と、ゆーことで、彩吹真央お茶会『ソロモンの指輪/マリポーサの花』行ってきました。
えええ、なんでわたしが? って、そりゃあもお、某ゆみこファンに半分拉致られたってゆーか、えーと(笑)。先日のライヴイベントのメンバー勢揃い。
「毎週観劇して、イベントも行って、お茶会にも参加するんだから、もうすっかりゆみこファンだね」と、ゆみこファン認定されていますが、「ほんとのこと言っていいんだよ、彩吹さんがいちばん好きでしょ?」と自白を迫られたりもしてますが、ええっとええっと、まっつ~~!!(叫んでみる)
彩吹さんがヨン様で、水さんがチェ・ジウでした。
彩吹&水で、『冬ソナ』!!
いやその。
クライマックスの港場面にて、ネロ@水しぇんに「行け」と言ったあとのエスコバル@ゆみこ。テーマソングを歌いながらセリ下がっていくが、絶命シーンは描かれていない。
つーことで。
エスコバルは、生きていた!
とゆー、極秘物語が存在していたのだった。ごく一部のジェンヌの世間話のなかで(笑)。
一命を取りとめたエスコはなんと記憶を失っていた。
海外へ渡った彼は、政変により亡命したサルディバル@ハマコと再会、サルちゃんに言いくるめられて、彼のボディーガードなんかやっちゃう。
ここんとこ、イイですねえ。
サルディバルの前に、記憶のないエスコバル。
なんかエロいですねえ。
記憶がないのをいいことに、自分のモノにしちゃうわけですか、サルちゃん。そんなにエスコが欲しかったのか?
……とゆー話に持っていってもイイし、サルちゃんの本命はネロくんでもイイ。ネロへの復讐心から、エスコを手に入れる、つーもぜんぜんアリだ。ネロをいたぶるなら、まずエスコだろ(笑)。
ええ、もちろんネロ登場ですよ。
外国で運命の再会。
ネロくん、大ショック。
「たったひとりのトモダチ」が、サルちゃんのお手つきになっている?!!
しかも、ネロのことがわからない?!!
「俺だ、ネロだっ、俺がわからないのかああぁぁ!!」
エスコの肩を掴んでがしがし揺さぶるネロくん。
このへんまではあたしゃ、「ソレってどこの『Appartement Cinema』?!」と思いながら聞いていたわけだが。
語る彩吹氏は言い切った。
「『冬ソナ』みたいですよねっ(笑)」
『冬のソナタ』ですか。
てゆーか、その場合ヨン様がエスコで、チェ・ジウがネロかよ?!
テーマソングとコスプレ姿が脳裏を走りました。……意外に似合いそうだな。とくに水しぇん。(えっ?)
……まっとーなレポは、わたしをお茶会に連れてった某ゆみこファン(笑)のブログを読むなりしてくれ。
レポ機能の付いていないわたしは、とにかく感想をば記す。
ゆみこちゃんのことは『嵐が丘』のゲイル役から眺めて来てますが(当時のゆみこはトウコちゃんにクリソツで、「トウコが2役やってる?!」と誤解する観客続出だった)、ナマで喋っているのを見るのは、はじめてです。
つーことで、お茶会ってゆーか、彩吹真央、初体験記って感じかしら。
しみじみと、顔、変わったなあ。と思った。
やっぱ人間、最初に見たモノがインプットされるじゃん?
わたしにとってのゆみこちゃんはそのゲイルとか、新公でトウコの役をやったりしていた頃の印象が根強く残っていて。
あのころとは、さすがに顔自体がずいぶん変わっていて、別人に近い勢いだった。
今思うと、素顔のガオリくんは、若い頃(失礼)のゆみこに似ていると思う。わたしの記憶にあるゆみこちゃん@雪組新進スターは、あーゆー顔だった。あ、さらに目が大きかったかな。
えー、そんでもって、シンプルなおどろきは。
大阪弁丸出しなんだ。
標準語で話す気、まったくナシっす。徹頭徹尾、大阪弁。
テレビでは標準語で話してるよねえ……?
大阪出身なのは知ってるが、きりやんとかすずみんとか、公の場でも大阪人キャラを通している人たちと違い、なんつーかこー、もっと優等生的で、ぶっちゃけ地味なイメージがあった。
大阪弁で、ひたすら話す。とことん話す。えんえん話す。
てゆーか、お茶会、優に2時間あった……。
わたしはあまりお茶会って参加しないんでよく知らないけど、「平均1時間半」の催しって印象。ある下級生は1時間強で終わったしなー。ツーショットとかしてたら、話を聞いている時間もあんましナシ、終始バタバタってこともあったさ。
2時間あると、こんだけ話を聞くことが出来るんだ。ほえー。
写真撮影がないことも大きい。握手があるのみで、写真は無し。
「ジェンヌと一緒に記念撮影」が苦手なわたしには、すげーありがたい。
待たされる時間をできるだけ少なく、ジェンヌのトークを優先してくれているのか?
実際、すげー盛況なお茶会で。
人数多っ。
参加人数100人前後のお茶会ばかり参加し続けている身としては、落ち着かないほどの規模でした。
たしかにこの人数なら、記念撮影はできないか。
そうやって、正味喋ってくれるので、とても興味深い。
お茶会に参加する理由はいろいろあるだろうけど、わたしとしては写真も握手もいらんから、ジェンヌのナマのトークを聞きたいので、ゆみこ茶の構成はうれしかった。
や、東宝茶会限定とかゆー噂の、「撮影会」は是非見てみたいけどな(笑)。わざわざステージ作ってあって、そこでゆみこ氏がポーズを取ってくれるという……いいなー、そんなんが贔屓茶であったらしっぽ振って飛んでくわー。
歌も2曲歌ってくれるし。
それまで素の顔で喋っていたジェンヌが、「男役の顔」になって歌い出す瞬間が、すごく好きなの。声だって変わるし。
お茶会場で、予期しない人に会ったりなんだり。
あー……ほんとに、わたしの周囲のヅカファンはゆみこファンばっかだぁ。まっつファンは、どこにいるんだろー?
そして、箱船が行く。
2008年9月13日 タカラヅカ 演出家・荻田浩一退団が、ついに公表された。
知っていた答えを、改めて手に取る感触。
タカラジェンヌがいつか退団するように、このときがくることがわかっているからこそ、少しでも遠くあれと願ってやまなかった。
あれは『パッサージュ』観劇後だったと思う。ムラのホテルでごはんを食べながら、かねすきさんと話した。
「オギーがタカラヅカにいることは、奇跡だと思う」
『パッサージュ』はあまりに痛く救いのない作品で、こんなものを吐き出さずにいられないひとは、現実社会でどうやって生きていくのだろう、と、いらん心配をした。
また、その画面の美しさやセンスの良さと反対に(あるいは、その陰に隠れた)、あまりに反社会的な、ダークな特性に、彼の商業作家としての限界を感じた。
商業作家として、大衆に受けいられるモノを生み出すのならば、彼の持つ毒を、闇を、なんとか誤魔化さなければならない。大衆はそんなもん、のぞまないからだ。
真の姿だけで勝負し、ソレを受け入れてくれる一部の人たちにだけ認められればいい……そう思っていたのでは、商業作家は務まらない。結果的にそーゆー位置に落ち着くとしても、最初から「30%の人に売れればいいや」と思って出す企画なんか、商業ベースに挙げてはくれないんだ。「100%売れます!」という企画でないと。
オギーの特性の独特さは、かなり生息の場を限られる……と、思った。
だからこそ、タカラヅカはオギーにとって最適な場所だと思えた。
タカラヅカの「美しさ」は「毒」を隠すことが出来るからだ。
外部で、本能のままに毒全開闇全開にどろどろしたものをやったとしても、一部のマニアに支持されて終わりだ。信者は出来ても、収入にはつながらない。
他のなにより漠然とした、広い意味での「大衆」を相手にする大きな場で、大きいからこそ多少の毒をも飲み込んで、覆い隠すことの出来るところにいるべきだ。
だからオギーが、タカラヅカにいるのは正しいことで、また、こんな才能がよりによってタカラヅカにいることは、奇跡だと思った。
オギーにとっても。タカラヅカにとっても。
それから、時は流れ。
オギーの作風は、どんどん「大人」になっていった。
現実社会でどうやって生きていくんだろう? と思った繊細さ……言葉を換えるなら、「弱さ」は、それを補うだけの技術を得ることで別の姿へ変わっていった。
本質は変わっていないのだとろうと思う。わたしが勝手に思っているだけだが。
「こんな内面世界を持つひとが、狂わずに、自殺せずに生きていけるのだろうか?」と思わせるような作風自体は、変わっていないのだろうと思う。
だけど、時と共に、「どうやってこの世界で生きていくか」というHOW TOを手に入れていった。
毒の濃度や表現を変え、大衆性と折り合いを付け、最初から「100%売れます!」という企画を出せるだけのスキルを得た。それを繰り返すことで安定した実力を、知名度を得た。
これだけ世慣れてくれば、世間的な力を手に入れれば、安全な囲いの中でなくても、生きていける。
実際、外部での評価も高い。
タカラヅカでなくても、生きていけるだけの強さを、彼は手に入れていた。
それでもわたしは、「タカラヅカの荻田浩一」であることに、安心していた。
タカラヅカは、特殊な世界だ。
外部がどれほど魅力的な世界であったとしても、タカラヅカにはタカラヅカにしかない魅力がある。
タカラヅカでしかできないことがある。
1クリエイターとして、その魅力は捨てがたいモノだと思っていたからだ。
そこでしか生きていけないからそこにいるのではなく、魅力があるから、あえてそこにもいる。そう思っていた。
安心していた。「タカラヅカ」というものが持つ、力に。
そして。
……きしみは、感じていた。
オギーと「タカラヅカ」……あるいは、「宝塚歌劇団」とのきしみ。
美しい音楽の中、不吉なノイズはたしかに聞こえていた。
それでもわたしは、ただのノイズだと思った。
「タカラヅカ」には、力がある。オギーのような才能をつなぎ止めておけるだけの魅力がある。
そう思うこと、信じることで、耳をふさいだ。
そうやってさらに時が過ぎ、ついに答えが打ち出された。
オギーが退団することは、ずっと予感があった。実際、話も聞こえてきていた。
現実問題として「もうオギー作品が観られないの?!」という個人的な絶望感はある。
だが、それとは別に。
荻田浩一をつなぎとめておけない「タカラヅカ」という創作ジャンルに、危機感を持つ。
ジャンルとして。創作する表現の場として。
世界に例を見ない、他にはない特殊な形態だ。ここで「表現したい」と思ったら、他で代用は利かないんだ。
宝塚歌劇団は、芸術家のパトロンではなく、利潤追求を旨とする会社だ。そこに所属する者として、待遇をめぐって納得に至らず決裂するのは、社会人としてあり得ることだと思う。
だが、どれほど物質面・精神面で摩擦があろうと、創作者として「代用の利かない魅力」を感じているならば、踏み止まることができるはずだ。
なにかと秤に掛けて、オギーはタカラヅカを捨てた。
タカラヅカを捨ててでも、なにか別のモノを選んだ。
選ぶ、という行為は、選ばなかったモノすべてを捨てるということ。ノアは選び、そして地上のすべては水に沈んだ。
「タカラヅカ」は、唯一無二の創作形態であるにも関わらず、クリエイターに「捨ててもかまわない」と思わせる程度のモノなんだ。
……という、ショック、ですな。
荻田浩一が「どこへ行くのか」であり、宝塚歌劇団が「どこへ行くのか」である……喪失感。
タカラヅカ自体が斜陽であることは、ずっと感じている。
単純にファンの数が減っているのだろうなと思う。
全組平日にムラ通いしてりゃー、嫌でもわかる。どの組が、というより、タカラヅカ全体が。
どうやったら盛り返せるのか、正直わからない。
世界に求められていない娯楽なのだ、と言われればそれまでだが。
それでもわたしは「タカラヅカ」を愛しているし、ここでしかできない創作ジャンルとして、表現形態としての「タカラヅカ」に価値と誇りを見出している。
「タカラヅカ」というジャンルで、荻田浩一作品を観続けたかった。
彼がすぐれたクリエイターであり、これからも素晴らしい作品を生み出していくことはわかっているが、それとは別に、「タカラヅカ」で観たかったんだ。
この特殊な場所でしかできない作品を、退団後も彼が作り続けてくれることを、祈る。クリエイターとして「タカラヅカ」という表現を欲してくれることを、祈る。
知っていた答えを、改めて手に取る感触。
タカラジェンヌがいつか退団するように、このときがくることがわかっているからこそ、少しでも遠くあれと願ってやまなかった。
あれは『パッサージュ』観劇後だったと思う。ムラのホテルでごはんを食べながら、かねすきさんと話した。
「オギーがタカラヅカにいることは、奇跡だと思う」
『パッサージュ』はあまりに痛く救いのない作品で、こんなものを吐き出さずにいられないひとは、現実社会でどうやって生きていくのだろう、と、いらん心配をした。
また、その画面の美しさやセンスの良さと反対に(あるいは、その陰に隠れた)、あまりに反社会的な、ダークな特性に、彼の商業作家としての限界を感じた。
商業作家として、大衆に受けいられるモノを生み出すのならば、彼の持つ毒を、闇を、なんとか誤魔化さなければならない。大衆はそんなもん、のぞまないからだ。
真の姿だけで勝負し、ソレを受け入れてくれる一部の人たちにだけ認められればいい……そう思っていたのでは、商業作家は務まらない。結果的にそーゆー位置に落ち着くとしても、最初から「30%の人に売れればいいや」と思って出す企画なんか、商業ベースに挙げてはくれないんだ。「100%売れます!」という企画でないと。
オギーの特性の独特さは、かなり生息の場を限られる……と、思った。
だからこそ、タカラヅカはオギーにとって最適な場所だと思えた。
タカラヅカの「美しさ」は「毒」を隠すことが出来るからだ。
外部で、本能のままに毒全開闇全開にどろどろしたものをやったとしても、一部のマニアに支持されて終わりだ。信者は出来ても、収入にはつながらない。
他のなにより漠然とした、広い意味での「大衆」を相手にする大きな場で、大きいからこそ多少の毒をも飲み込んで、覆い隠すことの出来るところにいるべきだ。
だからオギーが、タカラヅカにいるのは正しいことで、また、こんな才能がよりによってタカラヅカにいることは、奇跡だと思った。
オギーにとっても。タカラヅカにとっても。
それから、時は流れ。
オギーの作風は、どんどん「大人」になっていった。
現実社会でどうやって生きていくんだろう? と思った繊細さ……言葉を換えるなら、「弱さ」は、それを補うだけの技術を得ることで別の姿へ変わっていった。
本質は変わっていないのだとろうと思う。わたしが勝手に思っているだけだが。
「こんな内面世界を持つひとが、狂わずに、自殺せずに生きていけるのだろうか?」と思わせるような作風自体は、変わっていないのだろうと思う。
だけど、時と共に、「どうやってこの世界で生きていくか」というHOW TOを手に入れていった。
毒の濃度や表現を変え、大衆性と折り合いを付け、最初から「100%売れます!」という企画を出せるだけのスキルを得た。それを繰り返すことで安定した実力を、知名度を得た。
これだけ世慣れてくれば、世間的な力を手に入れれば、安全な囲いの中でなくても、生きていける。
実際、外部での評価も高い。
タカラヅカでなくても、生きていけるだけの強さを、彼は手に入れていた。
それでもわたしは、「タカラヅカの荻田浩一」であることに、安心していた。
タカラヅカは、特殊な世界だ。
外部がどれほど魅力的な世界であったとしても、タカラヅカにはタカラヅカにしかない魅力がある。
タカラヅカでしかできないことがある。
1クリエイターとして、その魅力は捨てがたいモノだと思っていたからだ。
そこでしか生きていけないからそこにいるのではなく、魅力があるから、あえてそこにもいる。そう思っていた。
安心していた。「タカラヅカ」というものが持つ、力に。
そして。
……きしみは、感じていた。
オギーと「タカラヅカ」……あるいは、「宝塚歌劇団」とのきしみ。
美しい音楽の中、不吉なノイズはたしかに聞こえていた。
それでもわたしは、ただのノイズだと思った。
「タカラヅカ」には、力がある。オギーのような才能をつなぎ止めておけるだけの魅力がある。
そう思うこと、信じることで、耳をふさいだ。
そうやってさらに時が過ぎ、ついに答えが打ち出された。
オギーが退団することは、ずっと予感があった。実際、話も聞こえてきていた。
現実問題として「もうオギー作品が観られないの?!」という個人的な絶望感はある。
だが、それとは別に。
荻田浩一をつなぎとめておけない「タカラヅカ」という創作ジャンルに、危機感を持つ。
ジャンルとして。創作する表現の場として。
世界に例を見ない、他にはない特殊な形態だ。ここで「表現したい」と思ったら、他で代用は利かないんだ。
宝塚歌劇団は、芸術家のパトロンではなく、利潤追求を旨とする会社だ。そこに所属する者として、待遇をめぐって納得に至らず決裂するのは、社会人としてあり得ることだと思う。
だが、どれほど物質面・精神面で摩擦があろうと、創作者として「代用の利かない魅力」を感じているならば、踏み止まることができるはずだ。
なにかと秤に掛けて、オギーはタカラヅカを捨てた。
タカラヅカを捨ててでも、なにか別のモノを選んだ。
選ぶ、という行為は、選ばなかったモノすべてを捨てるということ。ノアは選び、そして地上のすべては水に沈んだ。
「タカラヅカ」は、唯一無二の創作形態であるにも関わらず、クリエイターに「捨ててもかまわない」と思わせる程度のモノなんだ。
……という、ショック、ですな。
荻田浩一が「どこへ行くのか」であり、宝塚歌劇団が「どこへ行くのか」である……喪失感。
タカラヅカ自体が斜陽であることは、ずっと感じている。
単純にファンの数が減っているのだろうなと思う。
全組平日にムラ通いしてりゃー、嫌でもわかる。どの組が、というより、タカラヅカ全体が。
どうやったら盛り返せるのか、正直わからない。
世界に求められていない娯楽なのだ、と言われればそれまでだが。
それでもわたしは「タカラヅカ」を愛しているし、ここでしかできない創作ジャンルとして、表現形態としての「タカラヅカ」に価値と誇りを見出している。
「タカラヅカ」というジャンルで、荻田浩一作品を観続けたかった。
彼がすぐれたクリエイターであり、これからも素晴らしい作品を生み出していくことはわかっているが、それとは別に、「タカラヅカ」で観たかったんだ。
この特殊な場所でしかできない作品を、退団後も彼が作り続けてくれることを、祈る。クリエイターとして「タカラヅカ」という表現を欲してくれることを、祈る。