『ANNA KARENINA』Bチーム、どいちゃんがさらにステキになっていた。

 Aチームのときよりさらに、こなれた感じ。オヤジ演技してます、てのが薄れ、ナチュラルオヤジ。
 でもって、顔はあの通りきれーじゃん。あの美貌でオヤジっぷりが上がってるなんて。
 すばらしいっす。

 いいなあ、どいちゃん……。

 ただ、Bチームのアンナとは、似てなかった(笑)。

 Aチームのアンナ@まりもちゃんの地に足のついた力強さと、スティーバ@どいちゃんの奔放さは似ていたのだけど。
 今回のアンナ@せあらは神経が細く、精神ギリギリ感にあふれていたので、スティーバとは似ても似つかねえ(笑)。
 スティーバは自由に生きることはしても、人の道のボーダーラインは決して踏み外さないだろう。魂がとても健康そうだ。また、情熱のままに生きても、心を壊して破滅したりはしないだろう。自由と孤独のちがいを理解した太い神経を持っていそうだ。

 このステキスティーバと、キティ父@ゆーほさとるがふたりしてソファの陰から顔をのぞかせる場面があるんだが。

 ゆーほとどいちゃんが、ふたりでモグラ@「モグラ叩き」状態!!

 なにソレ。なんのサービスですかソレはっ。
 きゃーきゃーきゃー。

 しかもふたりともヒゲ。Wヒゲ男!!(ただ今ヒゲスキー・笑)

 と、Aチーム観劇時からひとり大喜びしてました。

 初演で同じ演出があったかどうか知らないのですが、あったとしても萌えなかったから海馬に残っていないんだと思う、たんに。
 まりえったはともかく、相手がゆっさんでは萌えようがない……。ええ、役名だとか演出があったかどうかおぼえてなくても、キティ父がゆっさんだったのはおぼえてますとも。
 もちろん、悠さんの方が美形だと思いますが……わたしは何故かゆーほ氏の顔が好きなのですよ。ダーリン系の好きとはチガウハートですが、無視できない顔立ち(笑)。

 ゆーほはステキにゆーほで、ますますいい男です。
 ヒゲのオヤジがより好みですが、ヒゲ無しでどさくさに紛れて青年としてモブにまざっているのもステキです。

 ゆーほを見ると、わたしの海馬は無条件で『ヘイズ・コード』の、しずくちゃんを転がしネクタイをゆるめるゆーほが脳内再生されるんですよ。
 あああ、かっこいー。
 あのゆーほにどれだけときめいたか……。
 今もまだまだ、ゆーほにドキドキしていられますわ(笑)。←笑うのか。

 
 さて。いきなりオヤジ話題からはじめてしまいましたが、BチームWキャストの美少年たちのハナシもしておきましょう。

 コスチャ@碧海りまくんは、若く、かわいく……わりとふつー?
 客席から笑いが起こらないことに、おどろきました。
 田舎貴族コスチャ、Aチームのしーらんは微笑ましくもコメディタッチで、あちこち客席から笑いが起こってました。あれはたんに、しーらんがやりすぎていたのか……。
 ふつー、な碧海くんはべつに笑えるほどのおかしみはなく……地味に小さくまとまってました。
 この役、こんなにおとなしい出番の少ない役だったっけ? と思ったのは、初演しいちゃんは無駄にきらきら(しいちゃん名物)していたし、しーらんは暑苦しかったせいでしょう。
 碧海くん、かわいかったけれど……うーん、惜しいなぁ。相手役のキティ@妃白ゆあちゃんとふたりして、ずいぶん地味になってたっす……。

 セルプホフスコイ@十碧れいやくんは……えーと、とにかく、がんばれ、と。
 まだ研2だもんな、男役として舞台に立つだけでも大変そうだ。
 せっかく体格がよいのに、かなりビジュアル・ダウンしている着こなし、もてあましている風の立ち姿。女の子まんまの声……。
 去年の文化祭でけっこう目を引いた子だったので、こうやって役がつき、舞台で悪戦苦闘してくれているのは、見ていてうれしい。
 がんばれ、今はまだ無理でも、いつか勝利してくれ。

 
 去年の文化祭といえば、その濃い美貌で目立っていた夏樹れいくん。
 そうか、星組に配属されていたんだね。大劇では下級生までわかんないから、こうやって小規模人数公演になるまで気づかなかった。
 役ついてないモブの人に、やたら濃い顔の美形がいるなー、と思っておとめと文化祭プログラムで確認したら、ああたしかにあの濃いぃ顔の子だー(そんなおぼえ方)。
 モブの青年将校役でひとことふたこと喋っているのを見る限り、それほど演技も悪くないのでは? 学年相応って感じで。
 美形は大好きなので、今後の伸びに期待っす。

 
 ところでまいけるくんは、また子役でしたねー。

 いい加減この子に大人の男をやらせてやってくださいよ。
 実際子役うまいけど。すげー、うまくてびびるけど。

 Aチームで見たとき、パパのカレーニン@ベニーがやりすぎていて、顔芸しまくりパパとまいけるの幼児演技のコントラストはものすごく、一歩まちがうとコメディ?な勢いに満ちてました。
 幼児としての演技はすごくうまいけれど、やっぱカラダが大きいので年齢不詳のセリョージャと、その後ろで「くわっ」「くうぅぅ!」「どーんっ」と激しく苦悩しているカレーニン……。

 Bチームのカレーニン@みやるりは控えめ抑えめなパパだったので、セリョージャがどんなに寂しそうにしていても、それを別物にするようなうるささ(笑)はなかったです。

 これだけ子役演技できたら、いつかヅカを卒業したあとにふつーの劇団でやっていけそうだなあ。
 大人の男性がいる舞台でなら、女性がふつーに子役をするし、まいけるならほんとに子どもに見えるだろう。
 つっても、まだまだ卒業しちゃダメだぞ。大人の男も極めてくれなきゃだわ。せっかく芝居がうまい子なんだから。

 ピエロは出てきた瞬間まいけるだってわかった。
 体型かな? 動きかな? 物語の流れ的に、景子タンの演出パターン的に(笑)セリョージャだろうと直感で思った。
 まいけるが踊れる子かどうかなんて知らないから、ピエロくんは動きがキレイで、「あ、踊るんだ〜〜」とうれしい発見でした。

 
 今年のWS、月「あいうえお書き取りドリル」、花「ライトノベル」星「純文学」と、バラエティに富んだラインアップですなあ。
 次の雪はなんだろ。ヲタク向けノベルかなあ。宙は大衆向け時代小説?(原作がどうあれ、石田芝居は純文学ではナイ)

 とてもたのしみです。


 星WS『ANNA KARENINA』、ヒロインでタイトルロールのアンナ@せあらちゃん。

 なんだかすごくなつかしい。
 せあらちゃんヒロインなんて、いつぶりだよ? すずみんWSの『それでも船は行く』以来? あのころは『長崎しぐれ坂』新公ヒロインもあって、せあらちゃんはキラキラ輝いていた。
 これからウメちゃんに次いでのヒロイン系の女の子としてやっていくんだろうと思っていたのに……なんかどんどん扱いが悪くなって。
 何故だ。
 すげー美少女だし、声きれいだし、演技うまいし、なにが不満なんだ、歌劇団。
 このまま埋もれさせるのはもったいないよ〜〜。

 と思っているときにこのWSヒロイン。まりもちゃんとWキャストって、それって3年前と同じじゃん……この3年はなんだったんだ。

 まりもちゃんが着実に成長しているように、せあらちゃんもきちんと実力を見せてくれました。

 お人形のような美しさと、神経質さがイイ。張りつめきった弦のように、高い音を最後に切れてしまう……そのあやうさ。

 精神的にかなりヤヴァいとこへ行っていることが、よくわかる。なにしろお相手のヴィロンスキー@しゅんくんがまた、かなりヤヴァい男なので。あの男と恋愛できるだけでもかなりキツいとこにいる人だってことがわかるし、どっちを向いても説得力。

 しゅんくんの相手がせあらちゃんで、せあらちゃんの相手がしゅんくんで良かったと思いました。
 ……や、チガウ取り合わせもアリかなと思うが。せあらちゃん、ともみん相手ならふつーに恋愛できたのかな? しゅんくんとはアレ、「愛」といっていいのかどうか……ゲフンゲフン。

 ただせあらちゃんは、わたしが胸に思い描く「アンナ・カレーニナ」という女性にもっとも相応しかったです。
 美しい音色の中に、耳障りな金属音が混ざっている……そんなイメージなんだ、わたしのアンナ。や、原作知らないけど、役者云々を考えずに脚本・演出から受けるものだけで。

 
 カレーニン@みやるりは。

 ベニーがAチームでよかった。

 痛感。
 恐怖ですくみ上がるくらい、激しく思った。

 わたしにとって「カレーニン」はかしちゃんだ。他はない、つーくらい、強く刷り込まれていた。
 ソレを、Aチームのベニーは潔く、ぶっ壊してくれた。

 ははは。
 アレはベニーだ、かしちゃんじゃない。別物過ぎて、比べるのも無意味。

 とても愉快なカレーニンさんを見て、機嫌良く観劇できた。

 ……よかった。ほんとに、このベニーなカレーニンが先で。

 みやるりカレーニンは、かしちゃんそっくりだった。

 びびった。
 瞬間息が詰まるくらい、びびった。

 みやるりってこんなに、かしちゃんに似てたっけ?
 瞳の大きな美人さんだってことはわかっていたし、89期トップクラスの美貌の主だってことは、わかっていたけれど。
 みやるりとかしちゃんを関連づけて考えたことなんか、一度もなかった。

 ヒゲか? ヒゲがいかんのか??
 演技なのか?
 そしておそろしいことに、声まで似てるんだわ。
 びびびびったよー。

 わたしが観劇したあと入れ違いで観劇したドリーさんが「かしげに似てる。骨格が同じなら声が同じなのはわかるけれど、それにしても、声まで似てる」と感心して出てくるし、その後観劇したnanaタンもまた「かしちゃんに似てる!!」と騒いでいるし。
 みんな口々に「かしげに似てる」。

 いちおー、未だに「男役・貴城けい」に心を残す者として、「かしちゃんそっくり」な男の子が「かしちゃんの役」をやっているのを見ると、平静ではいられないのですよ。
 うろたえましたよ。
 自分の中で整理がつかなくて。

 それでもなんとか観劇できるのは、先にベニーの愉快なカレーニンさんを見ていたせいだ。

 もう、「カレーニン」はかしちゃんひとりだけじゃなくなっていたから。
 同じ名前の、ハイテンションで「がーんっ」「どーんっ」「ぐはっ」なカレーニンさんを見たあとだったから。
 免疫がついて、発病を回避できた、って感じ。

 ベニーはワクチンですか(笑)。
 ありがとうベニー。君がいてくれてよかった。

 
 みやるりが演技しているところを、はじめてまともに見た……と、思う。
 てゆーか、歌、はじめて聴いた。が、がんばれ、と手に汗握って聴いた(笑)。
 89期でみりおと1、2を争う美貌の主なのに(本科すみれ売りにて、わたしが写真を単体で撮ったのはみりおとみやるりのみ。本能に従い、もっとも美しいと思う男の子を選んだ)、みりおの躍進に比べみやるりはいまひとつ……どころかまったく。
 新公でも役はろくにつかないし、たしかに『ヘイズ・コード』では演技あんましうまくないのかなー、とか思ったけれど。
 なんだよ、ふつーにできるんじゃん。

 たしかにうまくはないけど(ごめん)、今までろくに「声」すら出したことのない子が、はじめてまともな「役」をもらってやっているのなら、十分な出来だろ。
 機会さえあれば、もっと成長できるんじゃないのか?

 なにより惜しいよ、あの美貌……。

 
 みやるり演じるカレーニンさんは、ほんとにふつーの人でした。
 悪役でも敵役でもなんでもない。常識のこちら側、わたしたち側にいる人。
 ヴィロンスキーとアンナがあっちのお花畑雷鳴付き、にいる人たちなんで、カレーニンさんのまともさが、泣けるほどいじらしいです。

 どう考えたって、アンナとは不釣り合いなの。
 同じ地平にはいないのよ。
 相手にされてないの。
 なのに、「アンナを最後に守ってやれるのは、夫である私だけなのです」とか言ってるんですよ。
 信じている……いや、信じたいのか。
 もしもアンナが戻ってきたとして、それはもうアンナの外側だけで、魂ではないだろうに。魂は決してカレーニンのもとでは暮らせないだろうに。

 カレーニンさんのふつうっぷり、まともさと、常識の範囲でしかモノを考えられない小物っぷりに、ときめきます。
 もー、好きだ〜〜、この人。

 かしちゃんカレーニンの、どこを好きだったか。何故好きだったか。ベニーカレーニンでは忘れていた(笑)いろんなことを、みやるりカレーニンを見て思いだした。

 アンナとヴィロンスキーのぶっとびっぷりと、カレーニンのまともさは、ほんとうにいいコントラストだ。

 主役たちの三角関係が実に綺麗に正三角を描いていて、気持ちよかった。


「どうだった?」
 と聞かれ、

「おもしろかった(笑)」

 と答えることの意味を察してくれ(笑)。

 星組WS『ANNA KARENINA』Bチーム。
 主演はしゅんくん、ヒロインはせあらちゃん。

 すっげーおもしろかった。

 わたしはこの作品、カレーニンが好きなので、どうしてもカレーニン視点で観てしまう。次に、物語の核となるアンナ視点。
 主役のはずのヴィロンスキーには、あまり目が行かない。
 ……んだけど。

 今回も、前回と同じよーに、カレーニンとアンナ中心に観ていたんだよ。
 それが。
 途中から、ヴィロンスキーにくぎ付け。

 や、だって。
 おもしろすぎるぞ、あの人。

 アツい。
 とんでもなく、アツい。
 Aチームのともみんも熱かったが、ともみんの誠実で体育会系の熱さではないんだ。
 なんつーかこー、かなりヤヴァい……狂ってます系のアツさなんだ、しゅんくん。

 アンナのことを愛しているのかどうか、正直なとこよくわかんない。
 ただ、いつもものすげーテンションで彼女を見つめている。
 そしてときどき、ぞっとするくらい、冷たい眼をする。

 あ、愛してるんですか、ほんとに?
 なんかまちがってないかキミ?

 とにかくいつもテンションがふつーじゃないので、慟哭するとえらいことに。
 白目むいてますよ、大丈夫ですか?!

 アンナ@せあらちゃんもかなりハイテンションな人なので、ふたりして、ものすごいことに。

 えーっと、餅つきってあるじゃないですか。ひとりが杵で餅をつき、もうひとりが臼の中の餅を返す。ついて、返して、ついて、返して、ふたりのコンビネーションで餅ができあがる。
 この餅つきの早まわし映像みたい。
 つく人と返す人が「ハイッ」「ハイッ」て相乗効果でスピード上がって、きゅんきゅんきゅーんって高速回転してるみたい。

 ヴィロンスキーとアンナがすげー勢いで盛り上がって、とんでもないお花畑へ突進していく。

 まさしく、運命で結びつけられた男と女。
 よくもここまで同じハートで壊れたふたりが出会ったもんだ。

「そっかぁ、そーだよなー。そもそも『アンカレ』って相当アレな人たちのハナシだよなー」
 と、遠い目をして納得してしまう。
 その罪ゆえに男は自殺未遂、女は死にかかってようよう命を取りとめたってゆーのに。

 九死に一生を得て、なんの進歩もしない人たちのハナシだよなー。

 ふつーはあそこでなにかしら考え直すもんだけどなー。
 生まれたばかりのふたりの赤ん坊捨てて、ふたりでれっつごーぱらだいす! うふふ・あはは♪ だもんなー。

 それが悪いといっているわけじゃない。
 コレはそーゆーアレな人を描いた作品なんだから。
 そのコワレた行動を取る人たちに、説得力があればそれでいい。

 愛ゆえだったり、愚かさゆえだったり。
 人間なんだから、正しいことだけやって生きられるわけじゃない。

 しゅん&せあらカップルはその説得力として「ちょっと精神ヤヴァめな人たち」とゆー色付けをして、力技で突っ走ってくれた。
 アンナがヤヴァめな人なのはデフォルトだけど、彼女よりはるかにヴィロンスキーの方がやばいってのは、新しいよなー(笑)。

 しゅんくんもせあらちゃんも上手い人たちなので、とにかくひとりで演技を完結させている。
 それぞれ単体でうまいんだ。
 結果、誰のことも見ていない、誰のことも愛していないよーな、暴走した『アンカレ』が出来上がった。

 このふたりに挟まれたカレーニン@みやるりのふつーさの哀しいこと!

 や、そりゃキミぢゃダメだよ……。
 常識とか理性とか倫理とか、ふつーの人がふつーに持っているものとは、かけはなれた世界にいるふたりだもの。彼らと同じ言語で喋ろうとしたら彼らの世界へ入らなきゃダメだもの。
 ふつーの人には、無理。

 アンナとヴィロンスキーのエイリアンぶりとゆーか、精神アレっぷりが際立っているために、カレーニンとの三角関係がじつにあざやかに浮かび上がった。

 いいなあ。この『ANNA KARENINA』好きだわー。
 おもしろくておもしろくて。

 景子せんせの白く淡く美しい作品世界をぶっ壊す勢いのBチーム主役に報復絶倒、毒を食らわば皿までよ。

「しゅんヴィロにせあらアンナ、ベニーカレーニンで見てみたかったな」

 Aチームで作品世界と無関係に暴走していた素敵カレーニン@紅。
 最強の取り合わせぢゃね?
 とゆーとドリーさんは。

「そんなテンション高すぎる人ばっかの芝居は見たくない」

 と、ばっさり。
 ははは、ダメっすか。
 景子せんせの作品とは言えなくなっちゃって、熱血火の玉溶鉱炉、誰も相手のこと見てませんぜ、空気読みませんぜ、でもまとうカラーは統一感アリ、ランナーは孤独にただひとりで爆走するものよ、てな素敵作品になっただろうなあ。うっとり。

 脚本通りとはとても思えないし、名作にもなっていないが、このトンデモなさは、正しいんじゃないの?
 だってアンナもヴィロも、まともならしないことをする人たちじゃん? ふたりの間に生まれた赤ん坊のことなんか、まったくアタマになさそうよ? そんなの動物ですらないわ。「人間」という、同種で捕食関係以外で殺しあえたりする特殊な生物ならではの行動じゃん?

 ラストでライバル兼友人のセルプホフスコイ@十碧れいやくんが「ヴィロは、ふつーの人が決して手に出来ないナニかを手にしたんじゃないか?」と、人生の勝ち組はボクなのにこの敗北感はナニ?てなふーに言うじゃないですか。
 ここで力いっぱい、突っ込んじゃいましたわ。

 や、ふつーの人は手にしなくていいから、そんなアレなもの! と(笑)。

 うらやましくない。悪いけどぜんっぜんうらやましくないよ、ヴィロとアンナの愛は(笑)。

 そーゆー感覚ではなく、ただ、観客としてふたりの物語を「たのしい」と思う。「有り」だと思うし、「これで良し」と思う。

 ほんと、おもしろかったなあ、『アンカレ』Bチーム。
 しゅんくんの芸風を好きだとしみじみ思いました。


 今、アタマの中がちょっくら『はみだしっ子』に染まっていて。

 先日祖母が亡くなったんだが、人の死とか身近に感じちゃうと俄然『はみだしっ子』は近くなるね。「生」とか「存在」とか「生きること」とか。そんなことに足を取られると、『はみだしっ子』に心を染められる。

 ひとである痛み、わたしがわたしである絶望なんぞを思い出し、途方に暮れる。
 中学生のわたしが泣いていたように、このトシになってもなにひとつ悟りなんか得られない。救いなんかない。
 それでもわたしはわたしをやっていくしかないのだけれど。

 ……なーんて、放っておくと泥沼にはまりそうなので、もっとお気楽に妄想配役で遊ぼう! と、思う。

 今アタマの中が『はみだしっ子』ならば、『はみだしっ子』で妄想配役ですよ、ええ!

 はみだしっ子たちが10歳そこそこの子どもであることや、その昔レコードで小山茉美とか藤田淑子とか実力派声優たちが声をあてていたときですら違和感がぬぐえず、メディアミックスは不可能であり、そもそもするべきではないと思っているが、そーゆーことを棚上げして、キャスティングしてみる。
 遊びですから。
 深く考えず。ノリです、ノリ。

 
 グレアムを演じられるのは、安蘭けい以外にいない。

 ……と、思う。

 このややこしすぎる繊細で根暗で破滅的な少年を演じきることができるのは、現在のタカラヅカではトウコ以外にいない。
 つか、トウコで見たい。
 トウコがどんな演技をするのか、どこまで表現してくれるのか、純粋に見てみたい。
 黒髪+片目とゆービジュアルも、トウコちゃん向きだ。

 
 アンジーは、真飛氏で見てみたい。
 元祖ツンデレ美少年。女顔で派手好きでフリルのブラウス着用のキツいキャラだが、大人になってから読み返すと、彼がかなしいほど「まとも」な感性を持った「男の子」だとわかる。
 だからこそ常人離れした他の3人たちの間で、アンジーはあんなにつらい思いをするわけだ。
 一見誰よりも器用で、人生ナメているようで、ほんとのとこいちばん誠実で、不器用だと思う。つか、グレアムへの片想いっぷりが泣ける(腐った意味ではなくて・笑)。

 
 サーニンは、霧矢氏で。
 社会生活に不適応な野生児……だけど、実は4人の中でもっとも強く「現実」で生きていけると思う、その魂の健やかさ。
 つまずいても曲がっても迷っても、サラブレッドが本能に従って疾走するように、きっと駆け抜けていってくれると信じたくなる男の子。

 
 マックスはののすみで。
 マックスだけは、男役では無理。4人組の末っ子、泣き虫でいじけ虫でしつこくて、とびきりうざくてかわいらしいトラブル・メーカー。

 
 ジャックはすんません、水しぇんがいいです。
 なんで謝るのかわからんが、なんとなく謝る(笑)。
 富も地位もある大人の男、頼りがいがありグレアムたちガキんちょがどうあがいても崩れない強さと、アンジーと同レベルにケンカできる子どもっぽさを併せ持つ。
 
 んで、ジャックの親友ロナルドは、しいちゃんがいいです。
 いやその、なんとなく。ロナルドがしいちゃんだと、わたしが萌えるからです。
 あの飄々とした「大人子ども」なところがたまりません。意外に神経質なところもたまりません。
 しいちゃんがいいです。

 
 女性キャラは、すごく難しい。
 あすかちゃんはエイダかダナ。トウコがグレアムなので、彼に深く絡むキャラでなきゃ嫌だ(笑)。んで、あすかがダナなら、エイダはウメちゃんで。
 パムはとなみちゃんに天然の魅力で。オフィーリアはかなみんがいいんだが……ダメかなあ。
 フェル・ブラウンは彩音ちゃん。

 
 んでもって、アルフィーが越リュウ。シドニーはゆうひくんで見たかったり(笑)。
 大人になってから読み返すと、シドニーの耽美っぷりと色男っぷりに悶えますわー。アルフィーとの関係に萌えますわー(笑)。

 ジョイはキムくん。あの上っ面だけの陽気さとその奥の弱さを見せて欲しい。 
 リッチーは何故かほっくんで見てみたいぞっと。フランク・ファーターはまっつがいいのー。まっつはインテリでSなキャラがいいのー。
 クークーの牧師が壮くん(笑)。あの狭量さは萌え。
 写真のマスターがゆみこちゃん。心の傷をファインダーに閉じこめて。

 ヴァトゥがれおんで、ブラッドは一花希望。小林少年再び(笑)。
 らんとむ氏はウィンくんで。強くなさそうなわりに血の気が多く、愛のためには暴走上等。
 カールがすずみん。あの奇抜な服装を是非着こなしてくれ。

 
 えーと、こんなもん?
 クークー役が思いつかない……いっそウメちゃんでもアリかなーとは思うんだが。オギー役者がハマる役だよね。常世とは別の重力で生きているような。

 
 はー。
 ありえないとわかって遊ぶのはたのしいっす。

 『はみだしっ子』をはじめ、三原順作品は一生わたしのなかに刺さり続けるんだと思う。
 わたしの、永遠の棘。
 この痛みすら、わたしの一部として。


 例えば…
 ボクは父親が死ぬまぎわの頃は
 笑ってばかりいたのだけど…
 ひどいと思う
 冷たいと…?
 みんな…口には出さなかったけど
 不満そうだった…
 でもボクには
 それしかできなかったんだよ!

 この間の本…
 「ローズウォーターさん−−」
 あとがきを読んで…買ったんだ
 著者の他作品からの引用で…
 「笑うのも泣くのもほかにどうしようもない時 人間がやる事だ」って…
 それで…“この人もそんな時笑ったのかな”って

               三原順『はみだしっ子』より引用


 わたしという人間を構成する根幹に、三原順作品が深く関わっている。
 良くも悪くも10代のわたしは『はみだしっ子』の……特にグレアムの思想に共鳴・同調し過ぎていた。生意気盛りの中〜高校生時代に影響を受けたものっつーのは根強い。
 人生のあちこちで、ここかしこで、フラッシュバックするんだ。
 グレアムの言葉が。
 『はみだしっ子』の場面が。

 

「稽古場レポート見た? まっつの話出てたよ」

 とドリーさんに教えられ、あわててスカステニュースを見る。
 や、最近忙しくてニュースどころじゃなくて。

 んで、遅ればせながら稽古場レポートの話。

 スカステ恒例の、スカイ・レポート。
 今回はさおたさん、だいもんと、れみちゃんという謎の取り合わせ。
 さおたさんは副組長就任後の初の本公演だから、れみちゃんも組替え後の初の本公演だから、とわかるけど……だいもん? れみちゃんと同期だから?
 や、べっぴんさん揃いで眼福なトリオですが。つか、さおたさん顔小さっ。

 で、この3人にスカイ・レポーターズのまりんとみほちゃんが質問をするカタチで、今回の公演の見どころや稽古場の雰囲気を紹介する、わけだが。

 公演の話はさておき(あんまし予備知識入れたくないので流し見)、話題がみほちゃんの退団について、になって。
 「なんで辞めちゃうのー」と惜しむ声があがるなか。

「まっつが動揺してたよ」

 唐突にこの場にいない人の名を出すまりん氏。

 まりん、GJ!

 さらに、
「3人いると思ってた同期がいっきに2人一緒に辞めちゃうんだもんね」
 と、まっつの置かれた立場を解説。

 まりん、GJ!

 そして、当のみほちゃんが語る「同期ふたりが退団、ひとり残されることになったまっつ」は。

「まっつに言ったら、動揺しすぎて笑ってました(笑)」

 ええええ。

 まっつ、大丈夫?

 この話を聞いて、アタマの中にまず冒頭記載のグレアムの台詞が浮かびましたとも、ええ。

 たしかケロのときは、電話でトウコに辞める旨を伝え、トウコが「辞めんといて」と電話口で泣き出した……という、美しくも萌えな話を当時噂として耳にしたんだが。ただの噂なんで真偽は知らん。でも、泣き出してしまうトウコちゃん、というのは実に萌えだ。

 まつださん……笑い出したんですか……。
 な、なんかコワレ気味?

 ショックが大きすぎて笑い出したまつださんを心から心配すると同時に。
 そんなまつださんに、心から萌えておきます。


『凍てついた明日』との邂逅・その2。
 ブログをはじめる前、わたしはとってもアナログに観劇感想を書いていた。
 お手製ノートに、手書きだ。

 画材店で黒上質紙を束で買い、中綴じにして製本する。A4サイズの黒一色ノートが手に入らないため、自分で作っていたの。
 そこに公演チラシや、雑誌や新聞の切り抜き、ポスカ、チケットの半券等、観劇関係のものをスクラップし、色紙等で飾る。
 文字は白ペンで。太さを使い分け、レタリングしたりもする。

 現在スクラップブッキングが流行っているけれど、それよりずーーっと前から、好きでやっていたんだな(笑)。今みたいにソレ用の素材は売ってないから、自分でいろんなものを工夫して貼り込んでいた。
 グッズ作りもそうだけど、クラフトするのほんと好きだから。

 写真は2000年に書いた『凍てついた明日』の感想ページ。
 なにしろ力作ゆえ、観劇後すぐには作れないの、スクラップ。素材集め、雑誌の記事集めとかしなきゃなんないし(笑)。

 ほんとはもっとレイアウトに凝りたいし、いろいろ飾りたかったんだけど、テキストが多すぎてできなかった。
 書きたいことが多すぎて、テキスト部分を確保するため、あまり画面に凝ることができなかったのなー。
 テキストだけで1ページ、とかはしたくなくて、必ずなにか切り抜きを貼り、空いたところにテキストを書く、というこだわりがあったから。
 ノート見開き2ページで、「デザイン」としてきれいでなきゃ嫌なの。観劇日記なんだけど、文章の内容とは別に、「ビジュアル(写真)とテキスト(本文)のバランス、それらを総合した視覚効果」も最低限クリアしなきゃ嫌なの。
 今も昔も「デザインする」ということが大好きだった。

 この観劇ノートとブログ(当時はweb日記)をしばらく平行して書いていたけれど、ノート制作があまりに時間が掛かるので、ついにブログだけになってしまった。
 やっぱテキストだけだと楽だし、早い。

 観劇ノートはいつか、このブログ本文を使って作ろう。雑誌記事や写真など、その公演に関した公的なものから自分自身の感想まですべてそのノート1冊で済む、究極の「老後の愉しみグッズ」だもんよ。
 このノートを作るために、当時は「歌劇」「GRAPH」など全部の雑誌を買っていたし、記事の両面が欲しいときは同じ雑誌を2冊ずつ買ったりしていたよ(笑)。
 情熱を掛けて作っていただけあって、やっぱ今見てもすごいわ、この情報量。ノート1冊重いのなんのって。

 文章の書き方は今とあまり変わってなくて、ポイントとなる言葉や文章の大きさ・書体を変えている。

 とにかく長いので(笑)、全部は書けないけれど、大きな文字で書いてある言葉を抜き出してみる。


 愛では救えない魂。
 そんな声で泣かないで。
「二人は悪党でした。言うことを聞かないと殴られました」
 このトキほど美しいと思ったことはなかった。
 ひとりぼっち。
 「愛」は癒せるのだろうか。
 愛が、血を流したまま。
 「愛」ってなに?
 そんなのあっても、ちっとも満たされない。しあわせになれない。
 だけど、愛してる。
 愛が、血を流したまま。
 魂が同じ。
 同じカタチに、壊れている。
 傷ついている。
「本当に、行きたい場所を探すのよ」
 めぐりあった、同じ魂の相手。
ボニーとクライドの旅がはじまる。
 同じところが欠けた人間ふたりがあたためあったって、ちっともあたたかくならないんだよ。
 カナシイカナシイ、クルシイクルシイ。
「愛」はひとを癒せるのか。
「愛」はひとを救えるのか。

 ふたりでいることの、孤独。
「どこに行きたいの、ボニー」
「なにが欲しいんだ、クライド」
 夢見たものは、「永遠」。
「兄さん。そこにいないのは知っているんだ」
 「永遠」が存在しないことを。
「愛したい。君を心から」
 救いたいのに。
 救われたいのに。
「愛」はひとを癒せるのか。
「愛」はひとを救えるのか。

 誰か助けて。
 誰か救って。
 この魂を。


 長い文章の中の、大きな文字だけの抜粋だから、イタいしクドいね(笑)。

 ボニーとクライドについてえんえん書いて、ここからあとはジェレミーについての記述がえんえん続く。


 うれしかったんだよね。大好きだったんだよね。
 クライドが好き。
 それだけで、ついてきた。
 堕ちてきた。
 法律も常識も道徳も、なんの意味もなかったんだよ。
「おれ、いつでもあんたについていくよ。あんたあのとき、おれを助けてくれたじゃないか」
「他の誰かじゃない。あんただったんだ」
 「永遠」を求めるクライドは、変わってしまうのさ。「永遠」じゃないからね。
 「永遠」はなくて。
 「愛」もなくて。
 「愛」と「孤独」は、べつのところにあるね。
 それは、わたしも行けるの?
「あなたは、ちがうもの」
「そうだな。お前はちがう」
「どうして。おれを置いていくつもりか、クライド。置き去りにして。あんたたちだけで行ってしまうつもりか」
「誰でもよかった。たとえ、あなたじゃなくても」
「誰でもよかった。でも、君だったんだ」
 自分を捨てた相手に、泣きながら訴える。“死なないで”
 なんてきれいな笑顔。
 好きだから。大好きだから。
 一緒に行きたかったんだよ。
 連れていってよ。
 まちがってても、歪んでてもいいから!
「愛」は役立たずだ。
見送ることしか、できないなんて。

 「愛してる」
それは。
「自己肯定」なんだと、思う。

 わたしは、わたしをゆるしてもいいんだ。


 んであとはケロの話になり、他のいろんなキャラ解析になり、ノート1冊ちょい『凍てついた明日』だけで埋まっている。

 ケロ話は2ページだけなんで(笑)、大きな文字で書いてあるのも、


「1枚1枚が俺たちの生きてきた証だ」
 壮絶な怒りと悲しみ
 たしかに生きている、その瞳。


 だけだなー(笑)。

 ジョーンズ@ハマコについてもすげーアツく語っているし(「ハマコちゃん」って書いてる……そ、そうか、当時はちゃん付けで呼んでたんだ)、某たまお氏の演技についての不満点も語っている。

 そして、彼らよりもフランク+バック@みやたんについて、すげー鼻息で語っているぞ(笑)。

 最初はクライドに微笑みながら語りかけているバックが、だんだん喋らなくなり、ついには無言で背中を向けたままになって。
「なにか言ってくれよ兄さん。俺をおいていかないでくれよ」……ジェレミーがクライドに言う台詞を、やはり哀しくすがるようにバックに言うクライド。だけど兄は振り返らない。
「兄さん。そこにいないのは、知っているんだ」……幻想。すべては。
 そのうえ。
 クライドが哀願した、振り向かない背中が振り向いたとき。
 それは幻想の兄バックではなくて捜査官フランクだった。
 そして。
 バロウ・ギャングたちの逃走劇の最中、バックは死ぬ。
 その事実を、フランクは冷たく言い捨てる。
「兄? そんな奴最初から気にしてはいない。いなかったも同じだ」

 これほど凄まじい物語を、知らない。

 
 この物理的なまでの痛みを、衝撃を、遺しておきたくて必死に書いた。資料となる切り抜きをちりばめながら、あきれるほどの情熱で。

 この記憶は、上書きされるのだろうか。
 「再演」によって?


 98年雪組バウホール公演『凍てついた明日』の思い出を語る。
 や、なにしろ年寄りですから! 過去にしがみついてなんぼですから!

 トウコのキスシーンが、ヘタだった。
 
 ……って、語るべき最初のことがコレ?!
 いやその。
 けっこう衝撃的でしたから。優等生でなんでもできちゃう安蘭けい氏の意外な弱点。
 うるさい女の口をキスで黙らせる……という、ありがちゆえにキャッチーなシチュエーションにて。
 ジェレミー@トウコはへたっぴゆえに、チューしてないのが丸わかり。実に興ざめなことをしておりました。
 わたしゃ『凍てついた明日』を複数回観たが、全回へたっぴで、トウコとビリー@まひるの顔はものごっつー離れていて、また客席からソレが丸見えだった。
 女同士なんだからほんとにするわけないのはわかっているが、ソレを忘れさせてこそのタカラヅカ。「してません」「ただの振りだけです」ってのが丸見えなのは夢がなさ過ぎる。

 あんなにチューがヘタだったトウコさんが、『王家に捧ぐ歌』ではものごっつー色っぺーキスシーンをかましてましたなあ……年月は人を変えるのですな。

 
 トウコちゃんがキスヘタだったことは、置くとして。

 当時の記憶を振り返り、記しておく。や、再演によって記憶が上書きされてしまうかもしれないから。『ANNA KARENINA』を観て、ちょっと焦った模様(笑)。
 

 当時のわたしは、今のように「全公演観るわ!」てな人じゃなかった。
 本公演は全組1回は観るけど、バウまでは観ない。だってバウは完売が基本で、発売日早朝からプレイガイドに並ばないとチケットが手に入らなかったんだもの。興味のない人の主演公演にそこまで労力はかけられない。

 そして幸か不幸か雪組バウ公演の多くは、早朝から並ばなくても、発売日の昼にプレイガイドへ行けばまだふつーに売ってたんだよねー、チケット。
 『アリスの招待状』もこの『凍てついた明日』も、そーやって難なくチケットを買ったと思う。どちらもケロ目当てで、まだどれだけ出番や台詞があるかもわからない脇の下級生ケロのために早朝から並ぶまでのガッツはなく、発売日の昼に梅田のバイト帰りに三番街に寄る……てのがお決まりのパターンだった。(さすがに『晴れた日に永遠が見える』は完売でこんな時間には買えなかった。『アナジ』は並んで買ったし、たしか完売した。『ICARUS』は完売していたと思う。サバキが取れなくて苦労した。『心中・恋の大和路』は余っていた。……以上、雪時代ケロバウの話でした・笑)

 演出家は知らない人だし(歌ヘタな人が苦手ゆえ、当時は星組をほとんど観ていなかった。ゆえに『夜明けの天使たち』はタイトルを聞いたことがある程度)、主演のタータンは歌は巧いけど……つか、ダンスも芝居も巧くて三拍子そろった人だけど、そのビジュアルと声質ゆえにすごーく苦手だった人。わたしはマンガ・アニメヲタクゆえ、「声」が好みでないと全体的に苦手度が上がるんだなー。

 とてもじゃないが期待なんかできなかった。ケロがいなかったら、絶対観ていない。

 その程度の熱意で観劇し。

 人生変わるほど感動する(笑)。

 どんだけ感動したかって、いきなりイラスト描いてヲタ友へFAX送りつけるくらい、感動した(笑)。
 当時のわたしはヅカファンではあったがまだヲタクと呼べるほどではなく、どっちかっつーとマンガ・アニメヲタクだった。ふつーにマンガ絵を描いてヲタク仲間と本を作ったりコミケに行ったりして遊んでいた。や、わたしは基本字書きだったんだが、絵も描いた。
 タカラヅカなんか観たこともないマンガヲタク仲間へ、すげー熱意で感動を語ったわけだ。

 わたしがあまりに絶賛するもので、「ヅカは興味ないけど、この作品だけは観てみてもいいか」とヲタ友が重い腰を上げてくれた。
 売れてない公演でよかった、まったくの初心者がひとりでおっかなびっくり青年館へ行き、ふつーに観劇できたんだから(笑)。
 ええ、友人は東京在住、わたしは大阪、エスコートもなしでヅカデビューがいきなり青年館て。
 そして彼女も一発でオギーファンになった。オギーの外部舞台は観に行く人になった。……ええ、ヅカにもジェンヌにもハマることなく、外部限定(笑)。

 どうも、ヲタクの心を壮絶に揺さぶるナニかがあったらしい。
 以後もヲタ友にビデオを見せるとすげー反応が返る。

 が。
 当時の評判はよくなかった。

「よくわからない」

 客席で、ロビーで、えんえん耳にした。

「暗い」「つまんない」「題材がよくない」「史実とチガウ」「映画とチガウ」

 1枚しかチケットを持ってなかったわたしは、初日の幕が開いてからありがたくチケットカウンターで買い足すことができた。人気ないと買い放題ねー、助かるわー。(自虐)
 つっても、今とは時代がチガウので「売れてない公演」ったって、空席は後方端席ぐらいのもんだったけどな。(現代の「売れてない公演」てのは、客席半分近く空席だよなー)

 2回目の観劇からは、オープニングですでに号泣、2時間ほぼ泣きっぱなし。
 タータンを好きぢゃないとか言ってる場合か。すごい作品だよ〜〜。

 でもほんと、当時は語り合える人がいなくて。
 周囲は友人知人、隣の座席になっただけの人やトイレの列の前後だった人、あんまりな感想がとびかっていて。

「最後死んじゃうから可哀想で泣いた」

 にも腰くだけだが、

「えーと、あのラストシーンは、愛し合うふたりは天国で幸せになりましたってこと?」

 とか言われちゃうと、もお……。
 わたしはひたすら無口でした。感想からただの世間話に話題変えたりな。

 「主人公たちが死ぬ=天国で幸せになりました」という「タカラヅカ脳」な人たちより、エヴァとかにハマってるヲタク仲間に観て欲しい、ヲタク仲間と語り合いたいと、心から思いましたよ……。

 わたしはもちろん主役に感情移入して観るので、クライド@タータンとボニー@ぐんちゃんに夢中だった。
 回数を重ねることにより、周囲のキャラ視点にもなり、すべての人がせつなくて泣けた。

 観劇後に誰か友人が言ったんだよね。Be-Puちゃんだったかな。

「クライドってさ、まだハタチそこそこの青年なんだってねえ……」

 ……は? ハタチ、そこそこ? え? 誰が?

 30過ぎのおっさんの話ぢゃなかったのおぉ?!

 たしかに作品中年号が出てくるので、クライドたちがいくつだったか推察できる。
 クライドはボニーと出会ったときに21とかそのへんだ。

 しかし。
 耳に入る情報と、目に映る情報が、違いすぎる。
 ボニーはともかく、クライドはどう見ても30過ぎてるよ……。
 モラトリアムの幼い青年の暴走ではなく、分別ある大人が人生に悩んで暴走したよーに見えるよ……。

 クライドの年齢によって、作品の意味が大きく変わるので(幼いゆえの痛みと、大人の痛みはチガウ)、作者の意図がソコでわからなくなった(笑)。そして、主演がタータンだからこそこんなに感動したのだと思いつつも、タータンで正しかったのか? と疑問も持つのだった。

 てゆーか、そしたらレイモンド@ケロはいくつよ……彼も20代の若造だったのか……? 見た目おっさんだったぞ……と、混乱は広がる(笑)。

 
 かなめくん主演の再演WSに期待しているのは、「年齢通りのクライド・バロウ」を見られるのではないか、ということだ。
 ハタチちょい過ぎの、まだ若すぎる、成熟していない感性ゆえの悲劇として。
 それだけで、タータンとは別物だろう。

 過去の記憶を書き換えられたくない。
 だけど、新しい出会いにわくわくしているのも、ほんとう。


 ところで、真風くん。

 改めて、思い知りました。

 彼の顔が、好みで好みで、しょーがない。

 『ANNA KARENINA』Aチーム観劇時、なにがどうじゃなく、ただ真風涼帆くんの顔を見ているだけでわくわくしました。

 水しぇんだ。水しぇんがいるよぅ。

 研3の彼がいっぱいいっぱいになって、主役ヴィロンスキー@ともみんの友人セルプホフスコイ役の演技しているのを見て、キムの偉大さを改めて思い知ったさ(笑)。
 『アンナ・カレーニナ』初演当時、研4キムは研11コム姫の友人として、ふつーに演技してたもんなあ。

 真風くんはやっぱりナニができるわけじゃないんだけど(とくにダンスはあらら)、それでも、あの顔、あの姿だったつーだけでもお、どーでもよくなっちゃうわ。
 や、成長はしているのよ。『Kean』のときはどーなることかと思ったけれど、『エル・アルコン』新公ではソレよりマシになっていたし、今回はさらにマシになっていたもの!
 これから経験を重ね、実地でしごかれ成長していくのよ。役者を育てるのは舞台なんだから。若いうちからこうやって機会を与え、いい男に育てていくのよ〜〜。

 うん。
 一気にうまいわけじゃない分、見守るたのしさあると思う。思うぞ。うん。

 
 ところでなんでみんな、ことさらセルプホフスコイって呼ぶんだろうね?
 言いにくさNo.1っしょ、この名前?
 別に名前で呼びかけなくてもいいような会話のやりとりでさえ、無意味に名前を連呼する。
 書き分けの出来ないマンガで、誰が誰だかわからせるために、いちいち名前を呼んでいる感じ?
 
 
 さて。

 じつこの公演で、もっとも感動したのは、主演のともみんでもヒロインのまりもちゃんでもなく、愉快なベニーでも好みの真風くんでもなく。

 ベッツィ@コロちゃんです。

 幕開き、従僕のたよりない声のあと、凛と立つ貴婦人。

「紳士淑女の皆様、ようこそ」

 この声を聞いた途端、泣きそうになった。

 元アニヲタで「声」に反応しがちなわたしの、本能に届いたんだと思う。

 格好いい……!!

 理屈じゃない。
 四の五全部吹っ飛ばして、まず、そう思った。
 そして、あまりのかっこよさに泣きそうになった。

 毅然と立つ姿。場を支配する力。
 この女性がなんなのか誰なのかさっぱりわかんなくても、その存在に注目させてしまう、威圧感。

 初演の記憶なんかすーっかり海馬の奥深く、ほぼなにもおぼえていなかったわたしは、ここではじめて圭子ねーさまの役だ! と、思い出した。
 美穂圭子さんが初演に出演していたことすら、忘れてました。が、コロちゃんを見て記憶が見事によみがえったよ。

 圭子ねーさまは、格好いい女性だ。素で喋っているときはものごっつーかわいらしい人だが、舞台では氷の女や鉄の女も演じられる、素晴らしい舞台人だ。
 その圭子ねーさまの役を、コロちゃんが演じていた。役としては、初演まんまをトレースしていたと思う。
 でも、圭子女史が備えている威厳と、コロちゃんの威圧感は似て非なるものだ。
 コロちゃんのベッツィは、より好戦的な感じがした。
 たぶん、圭子ねーさまより余裕がないためだと思う。より前へ! より強く! と心に誓っている感じ。前へと走り続けていなければいつの間にか後ろへ下がってしまう、そんな思いで戦い続けているような。

 強く格好いい女性でありながら、どこか張りつめた緊張感が漂う。
 そんなベッツィだからこそ、アンナ自殺後の「今夜もまた、舞踏会がはじまるわ!」が痛みを伴って、胸に響く。

 まあ、正直ベッツィの「余計なお世話」がどういう意味なのか、理解しきれていないんだけどね。
 初演も今回も。
 別れようとしたアンナとヴィロンスキーをわざわざ会わせ、破滅に向かわせるのは、それまでのベッツィからは考えられない行動だし、その後のベッツィからしても、唐突というか取って付けたというか、どーにも浮いている気がするんだわ、わたしには。
 彼女の行動の理由がわかれば、わかるだけでなく、作品中で浮き上がって見えなければ、もっとおもしろい物語になるだろうにな。
 わたしにとって。

 
 初演の役名をまーーったくおぼえていなかったわたしは、「キムの役」「圭子ねーさまの役」てなふうに、役者名で役を判別した。
 でもって。

 あ、まりえったの役だ。

 どいちゃん登場。
 えええ、どいちゃん、まりえったの役なのぉ?

 とびきりスウィートでハニィな顔立ちの美少年、なのにヒゲつけておっさん役ですよ。

 そしてまた彼が、いい感じでやわらかいです。
 アンナの兄・スティーバ役は、女にだらしないけれど詰めのところで妻を愛しているという、バランスの難しい役。ただのスケベオヤジでなく、色気と包容力、そして胡散臭さが必要。
 どいちゃんがそのスティーバを、くすぐったいやわらかさで演じていたのが印象に残った。

 この役を余白のある柔軟さで演じられるってことは、彼はこれからもっと伸びていきそうだ。
 うわあ、たのしみだなあ。

 
 今回の星組WSは、キャスティングが素晴らしいと思っている。

 本当に、「ワークショップ」なんだ。
 専科さんナシ。大人の助けは借りない。
 柚長、きんさんと上級生は出ているけれど、真ん中の役からはハズした、縁の下の力持ち的位置。
 ヴィロンスキーのママン役は、初演が専科さんだからパワーバランスからいって柚長なのは仕方ないとして、たとえばベッツィをきんさんが演じるのもアリなわけよ。
 初演が圭子ねーさまなんだから、きんさんがどーんとその実力で舞台を締めても、不思議はない。
 また、星組ではすでに(十分若いけれど)おっさん役者として足場を固めているゆーほさとるが出演しているというのに、スティーバ役をゆーほにさせず、まだ研8なりたてのどいちゃんにやらせる。

 舞台は、ヒーロー、ヒロインだけで成り立っているわけじゃない。
 大人の男役、女役を、きちんと育てようとしている。

 もっとも、良い役を与えたって明らかに実力不足で作品が成り立たないくらい壊してしまう、というなら問題だし、いくらWSだからってそんなもんを金取って見せられたらたまらない。
 でも、主役もヒロインもちゃんと学年や立場に相応しい実力があり、上級生が出番は少なくてもあちこちで芝居を支え、メインからちょっとはずれているけれどやりがいがあってオイシイ役たちを、下級生たちが演じる。
 こうすれば、作品は壊れない。
 勉強になるしな。それぞれが。

 とにかく戦闘意欲バリバリの星組だから、与えられた役を生きようと、みんなすごいテンションだ。

 たのしいってば。


 改めて、いい話だなあ、と思う。

 『ANNA KARENINA』Aチーム観劇にて。

 ストーリーが好みかどうかは置くとして、「タカラヅカ作品」として、実に美しく、まとまっていると思うのですよ。相変わらず蛇足がウザい面はあるにせよ(景子タン名物)、クオリティ高いよなー、と。
 観終わったあとの仲間たちの感想が、そろって「景子せんせ、やっぱ巧いわ」だもんよー。

 他のカンパニーではどうだか知らんが、「宝塚歌劇団」ではすばらしい才能を持った人だと思う。

 『舞姫』を観た直後なので、ふたつの作品の類似点というか、景子タンの「パターン」っぷり(本人の萌えなんだろうな)に少々苦笑しつつ、それは作家性のうちだから問う必要はないだろう、とスルーして。
 
 出演者の感想をば。

 
 主役ということになっている、ヴィロンスキー@ともみん。
 なんといっても姿の美しさだなー。
 長身に映える軍服姿。かっこいー。とくにダンスシーンになるとさらにオトコマエ度アップ。

 そして、際立つ、無骨な善良さ。

 えーと。
 ヴィロンスキー伯爵って、どーゆー人なんだっけ? 原作未読だし、『アンカレ』も何度も観たわけじゃないし、そもそもどーゆー人であるべきなのか、よくわかっていない。
 舞台から感じられるものだけがすべて。

 愛に奔放な母を見て育った、真面目な体育会系青年。かーちゃんがアレなんで、反動で恋愛観は保守的。恋愛結婚したいなー、と思っているので、つりあいの取れたキティお嬢様にアプローチされても積極的になれない。
 それがついうっかり、人妻アンナとfall in love、なにしろ元が真面目で無骨な体育会系男、ブレーキ掛けられずにGoGoGo!
 とにかく真面目で善良なもんで「彼女を苦しめているのは私だ」と思い込んだが最後、ピストル自殺。……詰めが甘いので未遂。

 ここまではわりとすんなり、眺めていられるんだ。
 今までラグビー(イメージ)しかしてこなかったハンサム・マッチョくんが、恋にめろめろになって、挫折するまでの話、として。

 問題は、そのあと。
 別れるしか道はない、とわかったあとで再会し、生まれたばかりの子どもを捨てて、ふたりで駆け落ち、つーのは、真面目なハンサム・マッチョくんのしていいことじゃないぞ。

 そうまでしなければならない愛、を描くには、あまりにもともみんヴィロンスキーはまともで、善良に見えた。
 自分勝手に他人を傷つける人には見えなかった。常識があるように見えた。

 アンナもヴィロンスキーも、行動があまりにもアレ過ぎて、常識では計れないし、感情移入もしがたいんだよね。常識のこちら側にいるカレーニンに同情が集まるのも仕方のない話。

 ヴィロは難しい役だよなあ。
 いっそ少年の暴走にしてしまえば行動の言い訳になるのだけど、大人の男であるわけだし。
 言動のおかしさを覆い隠せるくらいの絶対的な、神懸かりな「魅力」がないと恋敵のカレーニン(常識)や、かわいいカップルのコスチャ(安定)に負けてしまうんだよなあ。
 ヴィロにとってマイナス要素が多すぎる。彼に感情移入し、「(彼の行動は)仕方のないことだったのだ」と観客に納得させるには、『舞姫』ぐらい原作を改竄し外堀を埋めなければならない。

 ヴィロンスキーという役の持つ「不条理さ」を、ともみんは「熱さ」で埋めようとしていた。
 愛している、とボルテージを上げることによって、行動のアレさの理由とした。
 うん、そーするしかないよなー。
 とことん高温に、苦悩し、愛を語る。がんばれ。

 誠実で木訥なラガーマン。悩むときも真正面からだ。苦悩の深さは彼のまともさの表れだ。障害には真ん中からぶつかっていくんだ。

 ……初演のコム姫はそんなふーにカケラも思わなかったので、ともみんならではのヴィロンスキーなんだよなー。

 
 やっていることは同じでも、ヒロイン・アンナ@まりもちゃんは、ヴィロンスキーほど不条理じゃない。
 何故ならば彼女は最終的に精神を病んでしまうからだ。
 そこにたどり着くほどに愛し、愛に生きるキャラクタだからだ。
 健常な精神を持ったままアレな行動をするヴィロよりは、彼女の言動にはブレがない。

 だからそもそもこの物語は『アンナ・カレーニナ』であり、『ヴィロンスキー』ではないんだ。
 アンナ視点の物語ならば、正しくスムーズに流れるのに、ヴィロンスキー視点にしようとするから綻びが出る。

 アンナがまともな青年ヴィロンスキーの道を誤らせた。
 アンナを中心に、物語すべてが回る。

 とどのつまり、アンナが主役に見えた。
 まりもちゃんの押し出しもいいしな。

 まりもちゃんの持つ「強さ」……「野生」といってもいいかな。その強さが、あるべき場所を見失い、そのズレによって地盤が揺らぎ崩壊に至る……みたいな、「地に足がついている」ゆえの狂気が興味深い。
 そして、そんな力強い彼女だからこそ、熱血ラガーマンともみんが堕ちてしまうのだろう。

 
 アンナが主役で、その夫カレーニン@ベニーが暴走、恋人ヴィロンスキーはまともで善良な分、割を食ったかな。
 でもみんなそれぞれ、愛すべき人たちだ。

 
 コスチャ@しーらんは、かわいかった。
 いい役だよね、ほんと。
 重い物語の中で、ほっこりと息をつかせる存在。

 ……が、ほっこりを通り越して客席を笑わせてしまうのは、しーらんならでは?(笑) えーと、初演でもダンスの場面って笑い起こってたっけ? ほんとにギャグみたくなってたけど。

 コスチャとキティ@水瀬さんの扉越しのシーンを観てしみじみと、「おはよう、お寝坊さん」@『落陽のパレルモ』を書いた人だなあ……と思ったよ(笑)。
 なんなのこの少女マンガっぷり。昭和時代の少女マンガだよね、今どきあり得ない、絶滅したリリカルさだよ!!
 存在しない扉を挟んで手を重ねるふたり、だよ……。

 しーらんが「かわいこちゃん全開」で、されど相変わらずの高温とクドさを発揮していて愉快。

 キティお嬢様役の水瀬さんはまだ研2なんだー。
 んでもって今確認したんだけど、93期文化祭でヒロインやってた、幕開きの「清く正しく美しく」ソロの娘役さんなんだー。
 なるほど、歌えて演技できるわけだ。
 姫花ショック(笑)のあとなので、誰を見ても「けっこううまいじゃん」と思うようになってしまってはいるんだが、それでもほんとにふつーにやっていたよね。
 でも文化祭で観たときの方が美しく思えたから、やっぱ「タカラジェンヌ」として舞台に立つのは別なんだろうな。
 これからどんどん美しさを磨き、がんばってほしい。

 コスチャとキティが微笑ましいカップルである分、ヴィロンスキーとアンナの悲劇が増すわけだから、WSの中でもとびきり若い子たちがこの役に挑戦するのは正しいよな。
 彼らが若く幼く、初々しいことがまた、舞台効果になる。

 キャスティングも興味深く、バランスいいよな。


「初演の記憶と戦うところからはじまった」
 と、中日『メランコリック・ジゴロ』初日に、ドリーさんが言っていた。台詞や歌、全部インプットされている作品を、再演として別キャストで観る上での、どうしようもない混乱。
 他意があるわけではないのに、どうしても二重映しになる。比べてしまう。

「ソレからいちばん先に解き放たれたのが、壮くんスタン」

 初演を観ていないわたしにも、意味はわかった。

 あまりにも別物過ぎて、初演の記憶云々とは関係なくなってしまう爆弾演技。比べるもナニもないよねー、別キャラじゃんコレ。ははは。
 
 はい。
 そんなことを、思い出しました。

 『ANNA KARENINA』Aチーム観劇にて。

 カレーニン@ベニーにウケる。

 カレーニンはかしちゃんの当たり役。かしちゃんのイメージ、思い出が大きすぎて、懐かしさだけで泣けて仕方なかった。
 が。

 それも最初のうちだけ。

 だってさー。
 ベニー演じるカレーニンさんたら、おもしろすぎて泣いてる場合じゃなくなっちゃったよ。かしちゃん偲んでる場合ぢゃないよ。

 顔芸し過ぎ。

 感情のひとつひとつが、ぜーーんぶ顔に出る。しかも、かなり大仰な「これでもかっ」という激しさで。
 「くわっ」「がーん」「くくっ」「うっ」……全部、擬音で表現できるんです、このカレーニンさんの表情……。

 えーと。
 カレーニンさんって、こんな愉快なおじさんでしたっけ?

 べつに初演のコピーをする必要はないので、ハイテンションおじさんでもぜんぜんかまいませんとも。
 カレーニンさんの救いは、孤独な人なので、そうやって渾身の顔芸していても、誰も彼を見ていないことです。
 会話している相手がよそを向いているときとか、ひとりぼっちの独白とかで顔芸しているので、舞台上ではクールな大人としてまかり通っているのだと思います。
 しかし客席から全部観ている者からすれば、人と話しているときは抑え気味、視線がはずれるなり「がーーんっ」とか「どーーんっ」(『ワンピース』風書き文字)とかやられると、ツボ直撃です。目をくわっとむき出すことが多いんだけど、まさに『ワンピース』とかで目が飛び出て驚きを表す、あのデフォルメを見ている気分……。

 ここまで別物にされてしまうと、かしちゃんの幻影に悩まされることもないっす。
 おもしろい。おもしろいぞ紅ゆずる!! 演技がうまいのかどうか、すでに別次元キャラなのでわけわかんないが、やる気はわかった。その高い戦意に敬意を表する。

 ただ不思議なのは、そのビジュアル。
 お化粧変えた、ベニー?
 ベニーといえば、なにより美形という思い込みがあるので、なんかちがっているような気がした。べつにヒゲのせいではなくて。
 気合い入りすぎてるせいかなー?

 これくらいテンション高く作っても、それほど浮かないのは、星組『ANNA KARENINA』が総じてハイテンションだからだ。

 景子せんせの作品と、星組は合わないのかもしれないと思った(笑)。
 熱血火の玉だからなー、星組。
 全員前へ前へと飛び出してくるからなー。
 白く透明に繊細な世界、とは、微妙に別物……。

 初演はコム姫のクールさが場を支配していたので、ひたすら硬質で美しかったなー。
 や、今回の星組が悪いと言っているわけではなくて。
 空気感がまったくチガウなんて、舞台ってのはなんておもしろいんだろうな、と。

 
 カレーニンがやりすぎているため、作品の軸がブレてしまっている、気はした。

 わたしの目に見えている「カレーニン」という男は表情豊かで感情豊か、彼の心の中まで全部わかる。
 しかし作品中の人々は、カレーニンの外側しか見えず、彼の感情は伝わっていないことになっている。

 これは、「カレーニン」主役ならアリな表現なんだ。
 カレーニンの一人称なら、観客は彼の「心の声」もナレーションとかで聞くことができる。カレーニン中心の世界だから、他人に見せている顔と真実の姿を同時に追うことができる。

 でもコレ、カレーニン主役じゃないし。

 アンナ@まりもとヴィロンスキー@ともみんもがカレーニン以上に「主役」として暴風を吹き荒らしてくれたらバランスが保てるんだけど、どうもそーゆーわけでもなくて。

 ヴィロンスキーを頂点に、アンナ、カレーニンとで描くべき三角形が、アンナが頂点でカレーニン暴走、ヴィロンスキーがあおりを食って小さくなっている。
 大変だなー。

 若手くんたちは自分たちのことだけに精一杯で、舞台の空気や対人関係までは気が回らないようだ。
 ひとりずつ、すげーがんばっているのだけれど、この役とこの役で作り上げる調和、とかはそもそも存在していない感じ。
 まりもちゃんもともみんもうまいのに、ベニーのこの役作りだってべつにアリだと思うのに、それでもバランスはよくないし、作品の軸はブレている。

 舞台上、すべての人たちが戦っている。

 みんなみんな、前へ向いて「うおおおっ」と雄叫びを上げながら、「自分」と戦っている。

 アツいなあ。
 このアツさは『ANNA KARENINA』という作品とはぜんっぜん関係ないと思うんだけど、みんな大真面目に『ANNA KARENINA』をやりながら、高温を発している。
 自分と戦うのはイイが、もう少し空気とかバランスとか調和とか……ああ、もーいいや。愛しいから、それでイイ。

 ハイテンションでマンガみたいなカレーニン@ベニーが、存在しうる世界観。
 景子せんせーの本来の脚本にはないだろうその暑苦しさが、魅力となる舞台があっても、いいじゃないか。

 いいワークショップだなあ。しみじみ。


 『ANNA KARENINA(アンナ・カレーニナ)』再演WSを観て、思ったこと。

 わたし、役名なにもおぼえてない。

 出てくるのは、「**のやった役」。
 圭子ねーさまの役、まりえったの役、しいゃんの役、ヒメの役……すべて、初演時の役者名でおぼえている。役自体の名前はおぼえていない。
 だって、難しすぎるんだもの、ロシア固有名詞! わたしみたいなアタマ悪い人間にはわかんないよーっ。
 おぼえていた名前が、アンナとカレーニンとキティだけだという事実。……し、主役はっ?!

 すみません……再演観るまで、主役の名前も忘れてました……そうそう、アレクセイ・ヴィロンスキーね。

 その初演すら、1回しか観てません。しかも、コンタクトレンズが行方不明で、メガネで観劇したはず(コンタクトより視界が悪く、また、オペラグラスを使えない)。
 複数回観たかったんだけどね、チケット取れなかったの。
 あのときのコム姫の人気はそりゃーすごいことになっていてだね……。2001年の文豪作品バウシリーズ、実際に全公演同じプレイガイドに並んだ(あ、星組だけ並んでないか)けど、コム姫の『アンカレ』がもっとも白熱していたと記憶している。
 次が水くんの『フィガロ!』とまさかのケロゆひ『血と砂』で両作品とも完売チケ難、あさこちゃんの『マノン』は取れなくて困るほどじゃないが完売したはず。(ねったんの『イーハトーブ』のみ売り切れなくてずーーっと発売中だったが)

 当時のバウは売り切れて当然、努力しないと観劇できないものだった。出演者の会に入っていればいくらでも手に入ったとか、完売でもサバキはあったとか、そーゆー話ではなく、純粋に一般ファンの立場では。……だから『アンカレ』も1回しか入手できず。

 映像は持っていたよーな気もするが、一度も見ていないので、ほんっとーに初演を1回観たっきりのあやしい記憶しかない。

 今年の再演バウWS、月組、花組と初演を知らない作品だったので、わたしにとっての「再演バウWS」はこの『ANNA KARENINA』がはじめてなんだ。

 てゆーかなんでタイトル表記、アルファベットに変えるかなー。カタカナでいいじゃん。
 わたしは基本的に日本語以外のタイトルは好きじゃない。「商売」なんだから、わかりやすいキャッチーなタイトルが必要だと思っているから。
 「『ANNA KARENINA』ぐらい、誰でも読めるじゃん」というのとは、別の意味で。誰でも読めるから、あるいはこんな文字も読めない人は来なくていい、というのは作り手の傲慢さだろう、と思う。
 日本語だと意味がそのまま出てしまって、英語にすることで意味に幅を持たせることができる、というのであえて英語なのは仕方ないかとも思うけれど……人名をわさわざ英語(? 少なくともロシア表記ではないわな)にする意味は? アルファベットの方が見た目かっこいいからとか? プログラムとかに変更の意義が書いてあるのかしら。なにか深淵な思いがあるのかしら。
 まあなんにせよ、やなタイトルになったなー。

 
 と、こんなとこで「再演ゆえの変更」にとまどいつつ。

 なによりも、自分の記憶の再確認に気が行ってしまう。
 わたしにとっての『アンナ・カレーニナ』とは。

 かしちゃんとしいちゃん。

 競馬のシーンでかしちゃんの記憶に直結して涙が出、あとはしいちゃんの役に癒されていた記憶が、ぐるぐる回るよ。

 かしちゃんカレーニン好きだった。
 コムちゃんコムちゃん、軍服軍服、と浮かれて出かけていったのに、すっかりかっしーにヤラれて帰ることになったんだ。
 かっしーのことは「いい人」認識で、「がんばれかっしー」と言い続けて早幾年、クラスメイトの便利屋クラス委員的ポジション(「かしげくん? いい人よねー」「うん、いい人だから好きよー、恋愛する気になんないけど」「ありえないよねー、いい人だけど(笑)」みたいな)だったのに。
 かっしーをかっこいいと思うなんて!!
 自分でも盛大にとまどった(笑)。

 そして、コスチャ@しいちゃん。
 ああまさに、わたしの愛するしいちゃんがそこにいる!
 純朴でヘタレで、かっこいいのに美形なのに、しっぽの垂れたヘタレワンコ(ただし大型犬)っぷりにくるくる回りたくなるくらい萌えた。
 相手役のキティお嬢様@ヒメちゃんも美しく、なんともステキな並びだったさ……ヒメちゃんがその後あーゆーキャラになるとは、このときはまだ夢にも思ってなくてな……遠い目。
 しいちゃんはこのあとのぐんちゃんバウ『Over The Moon』でもめちゃくちゃステキでさ……拳握って振り上げて、きゃーきゃーよろこんでたころだなあ……遠い目。

 あまりに彼らの記憶が鮮明で、7年も前に1回観ただけだっつーに、「どれだけ好きだったか」ばかりが胸にこみあげてくる。

 今現在を演じている彼ら、とは別に。

 
 WSだということは、救いなのかもしれない。

 はっきりいって、とてもつたない。初演に比べれば。
 2001年当時、コム研11、かしげ研10、しいちゃん研9、キム研4。
 それに比べて、ともみん研8、ベニー研7、しーらん研6、真風研3。みんなほぼ3年若いのだから。
 真ん中の人たちはなんとかなっていたとしても、それ以外の人たちが若い分モロに「うわ、新人公演」感を上げているし。

 最初から「若手のお勉強の場、つたなくて当然」だとわかっている分、心穏やかに観ていられる。
 これがちゃんとした学年のスタークラスの人々で上演された、通常バウならささやかな違いにもっと心かき乱されただろう。
 もちろん、再演に耐えられるクオリティの作品だからこそ、ちゃんとしたキャストで観てみたい気持ちもあるが。

 二重写しになる記憶、そして感情。
 過去は美しく彩られがちだから、郷愁と現在の出来を混同しないよう切り離しながらの観劇。

 それでも、再演を「たのしい」と思う。
 過去の記憶を愛しみながら、現在を受け入れ、書き換えるのではなく別のところへ入れる感覚。
 や、複雑な感じですが。

 『アンカレ』は良い作品だし、好きだったけれど、魂傾くくらい耽溺した作品ってわけじゃないからな。その分冷静なのかもしれない。
 『舞姫』を愛しながらも「いつかきっと再演される」と自分を律しながら観ていたように、「演劇」というものである以上、「消えてなくなる文化」を愛した以上、覚悟しているところがあるんだな。
 どんなに「この作品」を愛しても、終演すれば消えてなくなってしまうし、映像は映像でしかなく、その作品自身ではない。
 どんなに愛し、大切にしていても、幕が下りた途端、物理的には「消失」するんだ。
 消えてしまったのだから、そのあと「どんな扱い」をされても仕方がない。
 そう、「再演」されても仕方がないんだ。……と、覚悟をしている。
 だから今のところどの作品にしても、『エリザベート』の再演(雪組初演のあと、星組での上演)のときほどの拒絶反応はない。つか、あのときに「胸の奥にしまっていたどんなに大切な宝物でも、他人に引きずり出されめちゃくちゃに引き裂かれるものなのだ」という免疫がついたらしい(笑)。
 うーん、『血と砂』が再演されたらまた、ものすごーく混乱するのかしら。や、再演していいようなまともな作品ぢゃないけどなアレは。

 覚悟をしている。
 だから、今は「再演」をたのしんでいる。
 胸の痛みごと。


 取らぬ狸の皮算用。
 どーせオギーのことだ、初演通りなんて保証はないし、第一タイトル自体初演とは違ってるわけだし、初演の印象で語っても意味はないことを承知した上で。

 それでも『凍てついた明日−ボニー&クライドとの邂逅−』配役感想、その2。

 
 興味深い配役は、ボニーとアニスの役替わり。

 ヒロイン・ボニーを演じるさゆちゃんとみなこちゃんが、それぞれアニス役も演じるという。

 それって。

 クライドと共に生きながら彼を愛せなかった女と、クライドを愛しながら彼と共に生きられなかった女を、同じ役者が演じるってことですがな。

 すげえなソレ。

 さゆちゃんもみなこちゃんも正念場、ハードルめっちゃ高いけどがんばって欲しい。

 
 作品のキーパーソン、バックとフランクは期待通りハマコ先生。
 孤独なクライドの唯一の心のよりどころ……つーかぶっちゃけ「実在」していない彼の心の中のサンクチュアリ、兄のバック。
 そして、クライドを追いつめる、彼の天敵フランク。

 クライドの救いと絶望は、同じ役者によって演じられるという、おそろしい演出。
 初演でも震撼したさ。オギー神、と思ったさ。
 加えてクライドがはじめて殺す相手……彼が「戻れない」道へ転がり落ちていくきっかけの役も、同じ役者なんだよね。……どこまで容赦ない物語なんだか。

 『アルバトロス、南へ』でもハマコ先生はこのバック、フランク、その他の役、みたいな感じで活躍していた。
 若手中心で演じることになるこの難しすぎる作品を、ハマコなら力業で支えてくれるだろう。
 シュミット役が載っていないけれど、初演通りこれもハマコでいいのかな。

 
 意外だったのはレイモンド@コマと、ジェレミー役のちびっこたち。

 出演者名を見たときから、ジェレミーはコマだと思っていた。
 トウコの代表作、そして持ち歌となるほどの素晴らしい役だ。実力と番手から、ふつーにコマだと思って……あまり、たのしみじゃなかった。
 や、コマくんに含みがあるわけではなく、「コマならまぁ、そこそこやるだろうな」という安心感ゆえに。
 初演と比べてどうこうではなく、今回の公演のジェレミー役として、技術の無さや芝居のヘタさとかで作品を壊したり、白けさせたりはしないだろう、と思うゆえに。
 少々足りないところは、パッションで補うだろうと。熱量の放出にかけては定評があるからな(笑)。

 まさか、新公アルセストと、ごめん、もうひとりはぜんぜん知らない……よーな下級生に振られるとは思ってなかった。

 この段階で、「初演とは役の比重がぜんぜんちがってるんじゃあ?」「素直に、誰が見ても、どっからとっても、別物」な作品ってことなんじゃあ?
 とゆー気がしないでもないが、彼らが若い未知の力でどーんと作品を盛り上げてくれることを祈る。

 そしてコマのレイモンドがたのしみだ。さぞやアツくるしく……ゲフンゲフン、その、ヤヴァイ男に仕上げてくれるかなー、と。
 レイモンドって絶対演じてたのしい役だよね。

 
 しかし、名曲「Blues Requiem」は誰が歌うんだ?

 稀代の歌姫・シビさんの役が、五峰姐さんなんですけど……。

 五峰姐さんはすげーいい女だけど、音……ゲフンゲフン……その、歌がかなり激しく得意でない方なんですが……。

 シビさん、トウコの歌い継ぎの神懸かりっぷりが耳に魂に焼き付いているモノからしたら、今回のキャスティングはなかなかスリリングです。
 ハマコ氏が歌うように、演出変更されるのかなー。

 
 演出変更されるか気になるのは、ロイ役に、台詞があるかどうかです。

 ボニーの暴力亭主、ロイ。
 台詞ナシ、ダンスと動きだけですべて表現、しかもボニーの脳内しか出てこないという難役ですが。
 やはり今回も、ダンスや動きのみなんでしょうかねえ。喋られても興ざめだけど。
 んじゃガオリくんの声は聴けないんでしょーか。オーディエンスでなんか喋ってたっけ、初演のちー坊? ひとことぐらい解説してたよーな。
 

 研2になったばかりの彩風くん、役がつきましたな。
 ちはやくんと同様、かわいい少年のジョーンズが見られそうで、たのしみです。

 この「かわいい少年」という点においては、初演を超えることができるかもしれません。はい。

 初演はねええ、なにしろハマコ先生でしたから。

 あのころハマコ先生は子役専科だったんですよ。大劇場でも子役やってました。
 なにしろ小柄だし、見かけはともかく学年だけは「下級生」だったので。

 うわ、ハマコまた子役かよ?! と思ったのを、痛烈におぼえてますよ……。
 子どもに見えないのに、また子役なんだもん……。
 や、うまかったんですけど。冒頭の「彼は悪人でした!」の台詞から、うまくてうまくてしょーがなかったし、ボニーと微笑みあって歌う歌も、すげー透明に美しい声だったんだけど。

 サロペット姿は、ちょっとな……。

 子役といっても、ジョーンズはアタマの足りない車好きのティーンエイジャーってとこだから、まったくの子役ではないんだけどね。

 
 ところで、れのくん。
 ……えーと。
 役、ついてない……?

 役ついてない人、何人いるの? かなり少数だよね?
 名前はなくても役は多いし、オーディエンスという役割があるからいいのかもしれないが……れのくんもハウルくんも主要キャストに入らないのか……ちょっと、しょぼん。

 
 わたし『凍てついた明日』のビデオ2本持ってるはずなんだが(どっちも純正品。同じモノを2本キャトレで定価購入。や、それくらい好きなんで)、どっちも見あたりません。
 役名とか出番とか確認したかったのにー。リーフレット読みたかったのにー。
 どこに行ったのかなぁ。

 記憶だけで書いてるんで、まちがいがあったらこっそり教えてくれぃ。

 
 あー。
 うっかり夜中から『佐々木夫妻の仁義なき戦い』の溜め込んでたビデオを見出しちゃって、ラストまで一気見したら徹夜になっちゃったよ(笑)。
 いろいろすごいことになってるが、それでもやっぱ好きだわ、このドラマ。ファンタジーとしてアリだと思う。


 『SIREN』カウントダウンに無中になっているうちに、雪組WS『凍てついた明日』の配役発表があったようだ。

 いやあ、今日は2時半過ぎから、弟とふたりしてPCに張り付いてましたから(笑)。
 なんの説明もなく、画面に「さ」という文字ひとつと謎の音声(ノイズまじりの英語)があるだけのサイト。そして、カウンターが逆回転している。
 そのカウンターっつーのが、ファンが見ればひと目で「ああっ」とわかる、あのカウンターで。
 カウンターが00:00:00になるのが今日の午後3時だっつーんで、早々にスタンバっておりました。や、早売りファミ通誌面とやらは、すでにネット上で見ていたんですがね。公式がどう出るか、やっぱ祭りにはリアルタイムで参加すべきでしょう(笑)。

 3時ジャストに、どうも画面がオチたみたいで、公式サイトに入れたのは3時5分でした……つーか重くて大変だった。
 でもカウンターの00:00:00見たし、その瞬間音声が女の悲鳴の途中でぶちりと途切れ、画面がブラックアウトするあのインパクトは、祭りに参加した甲斐があったなと(笑)。

 「日本で売れないのはわかってるから、アメリカで売るつもりで作りました」てな大人の事情が透けて見える外人さん向けな設定にいろいろ不安はありますが(リンクナビゲーター廃止がいちばん不満)、それでもデモムービー見てるとすげーわくわくしてくる。恩田姉妹こわすぎ。テンポアップした「奉神御詠歌」が素敵過ぎ。
 羽生蛇村に行きたい。もう一度、あの世界を自分で歩きたいんだ。

 ムービーをエンドレスで何回見ただろう(笑)。弟とふたりして、あーでもないこーでもないと話しながら。

 問題はPS3を持っていないってことなんだけど、発売日に弟が本体+ソフトを大人買いしてくれるかなー、と期待。どーせならソフト同梱版SIRENオリジナル本体発売してくれよ、ソニーさん。マナ字架のワンポイント入りで(笑)。

            ☆
 
 とまあ、『SIREN』の話はいい加減にして(笑)、本題、『凍てついた明日−ボニー&クライドとの邂逅−』の配役感想。

 ヲヅキがレイモンドぢゃない?!

 オギー信者仲間でケロ友で現在ヲヅキファンのチェリさんが「一緒にオヅキレイモンドを見ましょうね♪」と脳内決定して盛り上がってたんですが。
 彼女の思い入れを除いても、確率的にレイモンドかなと、わたしも思っていたのはたしか。

 テッド・ヒントン@ヲヅキか。そーきたか!!

 すまん、レイモンドのフルネームはおぼえてないが、テッドはフルネームでおぼえてる。
 だって。

 萌えキャラだから。

 レイモンドは単体でオイシイ役だけど、テッドはクライドとの関係でオイシイ役。
 否ヅカファンのアニヲタ仲間に『凍てついた明日』を見せるとまずテッドに食らいつく。

 初演はテッド役の人がいまいちアレだったんでオイシイとあまり思われていない(わたしの周囲では)が、実はすげーオイシイ役だぞっと。

 クライド@かなめ、テッド@ヲヅキってことはだ。

 テルキタで愛憎物語ってことだなっ。

 愛しながら憎み、憎みながら愛する……なれなかったもうひとりの自分、ペルソナ。歩むことができたかもしれない、もうひとつの人生。憧憬と苛立ち、結局のところ憎んでいるわけでも嫌っているわけでもないのに、殺し合う宿命のふたり、つーことですな?
 てゆーか、テッドってクライドに片想いしてる役だよね?(笑)
 でもってテッドはネル(クライドのねーちゃん、バツイチ)といい感じになったりするよね? 愛する幼なじみの姉になびくあたり、「ほんとうに欲しかったのは姉の方じゃないっしょ?」とゆー感じが見え見えでなお萌えという……。
 でもってテッドにはボブという部下(後輩?)がいて、この子に無邪気に愛されてるよね? クライドにジェレミーという弟分がいるように。ペルソナなふたりだから、クライドとテッドはいちいち対な設定になってるよね?

 テッドとボブの相合い傘は、絶対演出変えないでね、オギー!!

 ボブ役って前半あずりんじゃん、わたし好みの彼じゃん!!
 かなめのことしか見えない・考えられないヲヅキが、かなめを救いたくて雨の中濡れながら手を尽くしていて、そんなヲヅキに黙って後ろから自分の傘を差し掛けるあずりん……ヲヅキを守るために、自分が濡れるあずりん。

 なんなの、その萌え構図。(役名で言いましょう、誤解を受けます)

 「かなめ←ヲヅキ←あずりん」という、絶望的な一方通行ラヴ!!
 なにソレ、楽しすぎる〜〜っ。

 初演時、テッドに関してはほんとじれったかったからなあ。あの役、芝居の巧い人がやったら、作品のパワーバランスがもっとよくなったのに、と。
 ヲヅキには是非、その芝居力を発揮して、脚本通りのオイシイ役に仕上げて欲しいっす。

 
 雪組は月組WSのように前半後半で役替わりだという噂を聞きかじっていたので、ヲヅキも2役やるのかと思っていた。
 テッドとレイモンドで役替わりしてほしかったなー。

 
 レイモンドは彼単体でかっこいいし、見せ場もあるし、笑いも取れるし、変なキャラクタなんでその分派手でオイシイ役。
 ただ、役の比重を「主人公との関係」で計ると、「クライドの仲間で一緒に行動する」という以外につながりがない。
 クライドはべつにレイモンドのことを好きじゃないし、レイモンドもクライドを好きじゃない。なれあいと利害だけの関係。
 演じる役者の力量で、主要キャラに見えるか、脇役に見えるかが変わってくると思う。

 だからこそ、ヲヅキが演じるレイモンドも、見たかったよ。

 てゆーか。
 テッド役だと、ラヴシーンがない。
 レイモンド役なら作品中数十回キスをするもんよ(笑)。

 なにかにつれChu!Chu!しまくるハイテンションなヲヅキを見たかったなー。

 
 他配役については別欄で。


 
 はい、ヒゲスキー話題を引きずっております、新人公演『ME AND MY GIRL』感想の続き。

 幕開きから、瑞羽くんのヒゲに注目です。

 ちょっとちょっとちょっと。
 かっこいいぢゃないですか。かっこいいよね? ね?

 黒服ですよ、ヒゲですよ。えーっと、その後ランベス・キングやってたからそのかポジなんですか?

 とにかく瑞羽くんは本公演でもやたら目に入ります。元星組のゆかりくんに似ているので(ついでに花の理世にも・笑)、わたしの目に飛び込んでくるよーです。

 しかし冒頭のヒゲ男、かっこよかったー。

 
 と、いきなり脇の話から入りましたが。
 Wキャストでなく通し役の主要人物、ジャッキーは蘭乃はなちゃん。

 うーん……。

 本公演であいちゃんのジャッキーを見て、あいちゃんの技術や華に不足があるわけではないが、登場時に「ジャッキー」だとわからなかった。
 わたしにとってジャッキーというのは、とんでもないインパクトのある役だったためだ。

 美人でセクシーでコケティッシュだということは必須条件、問題はそれ以外。
 つまり、ビルに迫る姿がコミカルになる、とんでもねー感があること。
 この女に迫られたら、そりゃビルも逃げるわ……みたいな。
 ふつーに美男美女のきわどいやりとり、に見えてはいけない。んな生々しいもの、ヅカで見たくない。
 あくまでも、わたしは。

 天海時代、スポーツ新聞にカラーででかでかと写真が載った。
 見出しは、「天海、たじたじ」とか、そんな感じ。ジャッキーがお色気でビルに迫るソファーのシーンで、マミさんジャッキーが太股を高々と上げ、天海ビルがムンクの「叫び」のよーな顔をしている写真だった。
 写真の解説には「セクシーな美脚でビル(天海)を誘惑するジャッキー(真琴)」とか書いてあったっけ。
 『ME AND MY GIRL』の初日記事。『ミーマイ』なのに、サリーは写ってない。所詮おっさん向けスポーツ紙だから、タカラヅカ記事もいつもこんな感じ。露出の大きい衣装とかロケットとかをわざわざ写真にするんだ。
 超チケ難だった天海『ミーマイ』だから、初日チケが手に入るはずもなく、わたしはまずなによりもこのスポーツ新聞記事で、『ME AND MY GIRL』という作品を見たことになる。
 マミさんの演じる役が女なのか女の格好をした男なのか知らないが(予備知識は入れない派)、太股丸出しに迫るシーンがあるんだ。ゆりちゃん大変だなー、マミさんに脚で誘惑されたらそりゃ恐かろう、ムンクの「叫び」顔にもなろうってもん。

 んで実際、劇場で問題の場面を見ても、スポーツ紙の写真を裏切らないトンデモ場面になっていたし。
 うわー、マミさんこわー、ゆりちゃん逃げて〜〜。

 とゆー、完璧な刷り込みがあるのですよ。
 だからスター娘役として成熟したあいちゃんの演じるジャッキーにすら、違和感を持った。
 「ジャッキーがふつーの人だ」「こんなにふつーだと、ジャッキーじゃない」と。

 だもんで新公は。

 …………あいちゃんより、さらにふつーだ。
 いや、あいちゃんはふつーよりずっとずっと綺麗で華やかだったんだ。スターとしての輝きがあったんだ。それゆえに、わたしの持つイメージとはチガウにしろ、ジャッキーとして成立していたんだ。
 と、思い知りました。

 蘭乃さんがどうこうではなく、わたしの「ジャッキー観」の話ですな。
 蘭乃さんは学年のわりによくやっていたのだと思う。つか、ほんと大変だろこの役。
 しかしあまりに「ふつーの女の子」で、ドラマに出てくる「ヒロインの友だち」くらいの存在感で、わたしのイメージするジャッキーとかけ離れすぎていて、とまどってしまった。
 なにもマミさんみたいなイロモノにならなくても、目を見張るくらいの美貌とか華とか、あるいは作り物でいいから巨乳とかがあれば、カテゴライズされたカタチとしてたのしめたんだろうけど……蘭乃さんはふつーに「娘役」が演じる「ふつーの女の子」でした。
 ふつーの女の子が下着姿で男を誘惑するのは、あまりたのしくないです、わたし……。

 この役を娘役が演じるのは、限界があるんだと、個人的に思う。
 とくに、路線娘役なら、この役を巧くできても得るものはあまりないのでは? 巧く出来れば出来るほど、別格女役度が上がるってゆーか。ヒロインとは別スキルっていうか。
 だから足りていなかった蘭乃さんは、きっとヒロインタイプの娘さんなんだと思うよ。

 男役の演じる女性キャラ、という役割でいいと思う。
 ビルを捕って食いそうな迫力があってこそ、ぱんつ姿で誘惑、が笑えるんだわ、わたしには。

 あまりにふつーの女の子で、清楚ではあってもセクシーに見えないジャッキーにとまどいまくっていたんだが、2幕になってからはけっこう吹っ切れていたように見えた。このまま続けて何回か公演したら、ぐっと良くなるんじゃないか? ……新公は1回きりだから、その点惜しいなー。

 最後の挨拶時に大泣きしていて「え、この子退団するんだっけ?」と、ここでもとまどった(笑)。

 
 1幕2幕が抜粋・短縮され、休憩ナシでぶっ続け上演。
 1幕が終わって幕が下りたあとどうやって2幕に続けるのかと思ったら、いきなりショーがはじまった。
 や、本公演のフィナーレの最初、もりえとまさきともうひとり(役替わり)で主題歌を歌いながら銀橋を渡る、アレ。

 び、びっくりしたー。
 1幕と2幕の間にそんなもんが入るって知らないからさー。

 そして歌い踊るのが貴千碧と麗百愛で、さらにびっくりした

 まんちゃんと百愛ちゃんの歌、はぢめて聴いた……!!

 や、カップルが2組出てきたんで、4人のシーンだったんだけど。あとのふたりは誰かわかんなくて。

 いやあ……。

 歌が、ものすごかった……。

 何故この面子で歌わせる……。月組若手きってのダンサーだろ、歌わなくていいよ、踊ってくれええ。

 いやはや。おどろきましたー。

 
 新公演出はさいとーくん。
 限られた時間でコンパクトに、物語が通じるように短縮していたと思う。
 画面が派手なのはさいとーくんのいいところだよなー。
 あと、『エル・アルコン−鷹−』の直後なので、しずくちゃん的にもさいとーくん演出でよかったんじゃないかなあ、と勝手に想像してみたり。

 いつもより長く、Wキャストの新人公演は見どころが多くてたのしかった。
 若い子たちをたくさん見ることが出来て、有意義だったよー。


 新人公演『ME AND MY GIRL』、Wキャストな人たちの話、その2。

 ジョン卿はいちおーどちらの幕もそれなりに出番アリ、2幕の方がなおオイシイかな。

 1幕はマグくん。
 ジョン卿、でかっ。
 なんか大男なジョン卿が小さな犬(想像)に追われながら現れましたよ(笑)。や、犬は本公演を観たときからフィンチ@きりやん愛犬のイメージですから。
 体格に恵まれた人だ。WSでも思ったけど、「姿」に華のある人。
 演技やたたずまいその他まだまだ勉強中って感じだけど、マリア@りおんくんとの並びは美男美女で眼福。
 若いうちに、こーゆー「大人の色男」の勉強をするのはいいことだ。等身大の、作りこまなくてもある程度カタチになる若者役ばかりじゃ偏りが出るからなー。鷹揚さを出そうとがんばっているのが見えていい感じ。
 ビジュアルを活かして大きな男役になってほしー。

 2幕は、るうくん。
 ジョン卿が、縮んだ。
 出てくるなり1幕のジョン卿との体格のギャップにウケた。
 が。

 本気で、色男だ。

 体格的に恵まれてるとは言い難いコンパクトな姿なのに、かっこいい。
 どーしよー、かっこいーよー。

 なんかるうくんが見るたびステキになっていくんですけど、どーゆーこと?
 ジャージな妖精で「白い血の病気、ミャハっ♪」ってやってたときとか、のちの初代ローマ皇帝でカーテン前で漫才してたときとか、こんなにかっこよく成長するなんて、思ってなかった。
 図書室のビル@みりおとの場面、色男と美少年の取り合わせを心からたのしみました。やーん、美形ふたりがじゃれてる〜〜、素敵だわ〜〜。

 どうしても若くなっちゃってるため、30年も恋してるとか肝心な場面でカラダにガタがきてどうの、とかいうのは違和感アリだけど、それはもう問うまい。
 本公演のきりやんだって、台詞やシチュエーションに相応しいほど年配には見えなかった。
 きりやんの方がなお大人の色男、30年恋しててもいいけど、ラヴシーンで足が……なんてほど年寄りには見えない。や、若くてもカラダが不自由な人はいるわ、てな話じゃなくて。このシチュエーションが説得力かつ魅力アップにつながったのは汝鳥さんだけだー。つまり、ヅカである以上美しくあることが大前提なので、原作通りに高年齢にする必要はない、台詞と若さが合ってなくてもそれは言わないお約束、てなもん。
 だから若く美しいジョン卿はアリだと思う。きりやんのかっこよさと台詞の不一致に本公演で首を傾げたが、新公でさらにんなこたぁどーでもいいと確信しました(笑)。

 たしかに若いけど、小僧でないことはわかるくらいには大人だから、もーソレでイイ。

 
 てゆーか、わたしはやはりただのヒゲスキーなんでしょうか……。ヒゲ男への食いつきがやたらよすぎるような気もする。

 とゆー流れで、次のWキャストな人。
 ヘザーセット。

 ヘザーセットに、ヒゲが生えてる〜〜!!(喜)

 1幕は華央くん。ほらあのおっさん顔の人。

 ナニができる人なのかは知らないが、ステキにおっさん系ってことで記憶に残っている彼。
 ヒゲがふつーに似合っている(笑)が、執事というには野郎度が高いような……。
 月組新公1回とばしの身としては、前回彼がナニをやっていたのか知らないし、ちゃんと声を聞くのすらはじめてだ。
 無骨な仕事一筋なおっさん風で、「執事」というものの一般的なイメージとは別に、こーゆーのもアリだろう、と。
 演技はこれからかなー、と思うが、外見がちゃんと男役だから今後に期待。

 で。
 このヘザーセットさん。
 2幕になると、いきなりキラキラ美形に変身してました(笑)。

 や、ジョン卿とかマリアとかは役替わりだってわかって観ていたんだけど。
 ヘザーセットまで役替わりだってわかってなかったんで、油断してた。
 2幕、かいどーくんじゃん。
 なんすごーく久しぶりな気がする。前回新公を観ていないこともあるけど、それにしても『大坂侍』以来の印象。えーと彼、年末のバウやDCに出てたっけ? いたらおぼえていそうなもんなんだが。

 かいどーくんのヒゲ姿はまさしく少女マンガでした。

 主人公もそのダーリンも同じ顔、おかーさんもおとーさんも学校の先生も、とにかく出てくる人全部同じ顔のマンガってあるじゃん。
 みんなお目々キラキラでまつげばっちしで。
 若者と年寄りの差は眼の下と口元に線が入っているかどうか、だけ。
 顔の描き分けのできない少女マンガ。
 ヒロインやダーリンと同じお目々キラキラ美形なのに、ヒゲがあるので「おじさんキャラ」とゆーことになってる人みたいだった。ヒゲのかいどーくん。
 つまり、似合ってなかった……ヒゲ……(笑)。
 1幕の華央くんと逆。でもって持ち味っつーか見た目の印象逆なのに、同じ役なんだね、同一人物なんだね。

 1幕と2幕では縮んでいたり少女マンガだったりと、Wキャストなだけで外見を同じにしなければならないわけでもないんだろうけど、それにしてもどのキャラもほんとバラバラな人選だよな……。

 かいどーくんは外見に助けてもらえないせいか、落ち着いた大人の執事、という役に苦戦していた気がする。
 やりたいことはわかるけれど、まだ技術が追いついていない感じ?
 こんだけキラキラした美少年なんだから、技術が加われば無敵ってもん、がんばってほしー。

 
 えーと、Wキャストはこれだけかな。
 んじゃ次はその他の人たちの感想をば。


 せっかく発売日に買ったんだから、とうれしがって書いてみる。

 わたしはヲタクなので、本は大切にする。
 所有すること、コレクションすることに意義があり、保存状態がよくなきゃ意味がないわけだから。
 ええ、マンガヲタクだったんで。
 コミックスには全部透明カバーをつけていたクチですよ。
 同人誌にまでカバーつけてたクチですよ。

 ヅカヲタになってからも、この性質は変わらず。
 購入した本は、すべてカバーを付けています。

 マンガ専門店とかで販売している透明カバーを、わざわざ買いに行ってます。もうマンガを買うことはほとんどないので、カバーのためだけに泉の広場やグラビルの上や某旭屋の上に行ったりしてます。(キタ大阪在住のヲタクにはわかるはずの固有名詞たち・笑)
 マンガヲタク用の透明カバーがいちばん質が良くて安いのだわ。東急ハンズとかで売っているものは高くて使い勝手もイマイチ。やっぱヲタクな商品はその道のヲタクが支持しているものに限る。

 パーソナルブックや写真集とかいう、チェリッシュなモノだけでなく、毎年買う「おとめ」も舞台プログラムも、全部カバー付けてます。

 きれいですよ。いつでも眺めてうっとり出来ますよ。

 「本」というカタチになったものは、わたしにとって特別な力があるんですよ。
 10代から20代と、ほんとにマンガや小説で育ちましたからねええ。

 だからこそ、本はできるだけ、買いたくない。

 捨てられないから。カバー付けて大切に大切にしまい込んでしまうから。
 そして、我が家は狭いから。
 ……もう限界だってば。置くトコないよ。若い頃好きだったマンガや小説本だって、捨てることなくカバー付けたまま全部置いてあるもの。一度好きになったものは捨てられない。マンガだけで500冊、小説は何冊あるかなー。遠い目。

 ヲタクって、どーしよーもないなー、と思う。
 実はさー、あたしさー、「宝塚GRAPH」までカバー付けてるんだよなー。
 雑誌にまでカバー付けるよーになったらオシマイだよなー。ははは。雑誌なんて読み捨てが基本のハズなのになー。マンガ・アニメヲタクだったときだって、「花とゆめ」だの「ジャンプ」だの「アニメージュ」だの「OUT」だのにカバー付けることだけはなかったよ。

 いやその、「GRAPH」を買うのは大抵表紙目当てだからさー。好きな人の表紙のときしか買わないしさー。表紙のために買うわけだから、その表紙を綺麗に保存するでしょ? カバー付けるしかないでしょ?
 や、まっつがちらりと載っている、なんてときは、やさしいnanaタンがそこだけ切り取ってプレゼントしてくれているので足りているとゆーか……どーせまっつが載ることは年に数えるほどだし、1ページだけとかだし。そこだけもらえれば終了、つーか。
 まっつがたくさん載っていたら、どんな雑誌でも買いますけどねっ。載ってないもんよっ。買いたくても買えないだけだもんっ。

 わたしにもっとまっつを! ……て、話がズレてる。

 
 はい、ヲタク習性説明はいい加減やめにして、『宝塚おとめ(2008年度版)』の話。

 全部読むのはさすがに無理なので、花組と、あとは気になる人たちだけ拾い読み。

 圭子ねーさまが専科なこと、花・月の上級生の並び……つーか副組長の位置に今さらながら違和感持ったり。
 まっつのいるページから、みほちゃんとかりやんがいなくなってしまうんだ……てことにしゅんとしたり。
 てゆーか花組にゆーひくんがいることに、改めておどろいてみたり。
 すげーなー、好きな人がみんな花組にいるよー……。

 花組だけしかちゃんと目を通していなくても、発見がいろいろあるんだから、全部読み切ったらさぞや愉快なことがいろいろあるんだろうなと思う。

 みおさんを超える「宝塚おとめ」記述ジェンヌはいるのだろうか?
 みおさんとこだけ、活字がぎっしり。
 この人以上に「好きだった役」を書き込んでいる人は、いるんでしょうか。毎年ものすごい情熱なんですが……。

 「好きな色」に「黄色」と書いている人は少ないなあ。……いやその、ハマコ先生の黄色好きがアタマにあって。ちなみにそのかも黄色好きだよね。ハマコ先生の「緑・黄」、そのかの「赤・黄」という原色・反対色っぷりには、心奮えます……。

 まっつのことはまっつ専用欄で書いていたんだけど、書き上げた途端消失してしまったので、こっちでちょっと触れておくかー。どんだけ日本物やりたいねん。「演じてみたい役」が全部日本物つー人もめずらしいのでは……。(「リチャード三世」はわざわざ「日本物で」やりたいとレビュー本に注意書きがあった)

 しゅん様の「演じてみたい役」に相沢くん@『舞姫』があるのがうれしい。まっつ自身が「好きだった役」に上げていないので、ここでしか名前が出てきてないんだよー。

 天真みちるくんの「好きな食べ物」にぎょっとして、どーゆーことなのか調べてしまった(笑)。同組内でやんないと、びっくりするってば。

 芽吹幸奈ちゃんの愛称から「くま」が消えてもう何年も経つよねえ……。最初に出会ったときの愛称でずーっと呼んじゃうものだけど、いい加減くみちゃんと呼び直すべきなんだろうか。
 はっ、それを言ったらトド様が「トム」でタニちゃんが「ゆうが」になってしまうわ……。

 水しぇんの顔が好きだ。こだわりのあるメイクも好き。

 あずりんの顔がやっぱり好みだ。

 ちーくんの顔も好きだ。つーかなんか、オサ様っぽいぞ、この写真。
 Goがどんどんきれいになっている気がして震撼。

 ウメちゃんきれいだ。きれいだきれいだ。わーん、早く会いたいよ。

 今のトップさんは男女ともに美形揃いで眼福。
 巻末のカラーポートがみんなきれい。

 辞典と同じで、読めば読むほど発見があるのだろうけれど、わたしの海馬では読んだ端から忘れていくのでどーしよーもない(笑)。今もおぼえてるのこれくらいだし。読んでるときはもっといろいろ「うわ」と思っていたのになー。

 しかし、この本でいちばん醍醐味っちゅーか、汎用性と深さがあるのは、実は冒頭の「生徒一覧」だと思う……。

 組ごとの学年分布、上級生の数の差はかなり興味深い……。

 
 最後に。
 『宝塚おとめ』2008と2006を並べてみよう!

 『ノルウェーの森』的視覚効果ってゆーか、対になっていてきれいだぞっと(笑)。

 デザインやってる人、同じなんだろーね、毎年。でもって引き出しの少ない人なんだろうね(笑)。


 すっごくたのしかったの、新人公演『ME AND MY GIRL』

 Wキャストって、おもしろいね。

 わたしは新公観劇暦が浅いので、Wキャストの新公観るのはじめてだったの。雪組の新公は20年近く観て来てるけど、他の組はせいぜい6〜7年前からくらいしか、観てないので。
 雪組ではWキャストの新公はなかったの。『エリザベート』初演新公は1幕2幕とほぼ本公演に近い形でやって、幕間休憩まであったんだけど、それでもキャストは固定だったし。

 とくにご贔屓もなく、「新人公演」自体をのほほんとたのしんでいる者には、Wキャストってすごくたのしい。や、当のWキャストになっちゃってる生徒さんのファンは気が揉めるだけでたのしくないかもしんないけど。
 下級生のチャンスが2倍になるってことだから、単純にうれしいなー。いっそ主演含め、主要人物全部Wにしちゃえばよかったのに、とか思う(笑)。
 だってジェラルドとかパーチェスターとか、2幕の人たちはほとんど見せ場ナシなんだもん。この人たちをWにするより、ビルをWキャストにした方が下級生たちのためだったんじゃあ? ……や、誰がビルをできるかとか、とくに思いつくわけでもないが(個人的に、るうの主演が観てみたいっす)。

 つーことで、Wキャストな人々の感想。

 最初に出てくる、ジェラルド@ゆりやくん。
 91期いちばんの美貌の君(私見バリバリ・笑)に、よーやく大役キターー!!
 文化祭からその美貌を愛でてはいたけれど、その後とくになにがあるではなく、わたしの視界から遠くなる一方だった彼。よーやく彼の芝居が見られるのだわ、とわくわく。

 えーと。
 演技は……そのう、学年と、今までの役付きに相応しい感じだったかと。
 そっか、芝居がとくにできるわけじゃないんだね……だからあれだけ美しいのに抜擢されることはなかったんだね……。みりおくんが研1から新公でも活躍していたのは、美貌にプラスアルファがあったからなんだよな、と、美貌つながりで再確認する。

 そして、ジェラルドの衣装の「難しさ」を知った。
 アーガイルのベストとブリティッシュな短パン、ハイソックス……。大人が演じる幼児のような格好。本物の英国紳士ならふつーに着こなし、また日常着なのかもしれないが、我々日本人はそんなもんを大人が着ることもないし、また、それを日常として目にすることもないので、特異に映る。
 本役のあひくんが大きなカラダと、そのう、腰の位置の高くない体形でその衣装を着て、とても大変なことになっているのを、知っているので。
 別の人が着るとどうなるのか、ぶっちゃけ足の長さがどう映るのか気にしていたんだけど。
 うーん……。あひくんほどすごいことにはならないが、やはり「かっこよく見える」服装ではないよなあ。スタイルのいい若い子が着てもマイナスにならないだけで、プラスには働かないっつーのは。

 演技も声もふつうに「若い男の子」「いかにも新人公演」なのに、それでも本役よりも違和感がないのは、「若い男の子が、若い風情でそこいる」からなんだろう。育ちが良さそうな、頼りないきれいな男の子。
 それはソレでアリかな。
 「大人にしか見えない大きな男が幼児喋りをしている」という違和感は、やはり本役ならではらしい。

 
 でもって2幕のジェラルド@宇月くん。……出番少なっ。
 なによりそのことにおどろいた。
 ジェラルドの、ジェラルドとしての見せ場がなかったので、ジェラルドだとはちょっとわからない……なんつーか、ふつうの青年に見えた。
 悪い意味じゃない。
 わたしはそもそも「ジェラルドというのはこうあるべき役だ」とか知らないし、ずんちゃんのジェラルドは「かわいかった」以外の感想がナニも残っていない(好みではなかったらしい)。
 だから本役のあひくんがすべてなんだけど、彼のジェラルドは知能の発達になにか障害があるような役作りに見えるので、「年齢相応の知性を持ったジェラルド」を見てみたいと思っていた。
 そのため、宇月くんのジェラルドは、見ていてなんか、ほっとした。あ、ふつーだ。ふつーの青年だ。ジェラルドってふつーでもアリなんだ。と、なんかうれしかった。

 2幕ジェラルドに、もう少し見せ場と出番が欲しかった。

 
 次に出てくるWキャストな人は、パーチェスター。

 1幕は五十鈴くん。
 コメディに徹した外見とコミカルな動き。役への意欲の高さが登場時からあふれていた。
 彼が歌手だということは周知の事実、「早く歌ってくれ」とわくわくして見せ場を待ったさ。
 「お屋敷の弁護士が申し上げる♪」の歌は、彼ならではの歌い上げアレンジ付き(笑)。そーだよなー、歌手属性の子なんだから、特性を生かしたアレンジは正しい。本役のマヤさんをコピーするだけが新公じゃない。
 歌が武器で、センターで1曲歌い、場面の中心になるという経験は、彼の大きな財産になったろうな。完璧に場を支配していたとは到底思えないが、彼がそうするつもりで真正面からぶつかっていることは、よーっくわかった。
 がんばれ。

 
 2幕は美翔くん。出番少なっ。……や、ジェラルドよりはマシだけど。
 五十鈴くんより美形寄りの人だと記憶しているので(五十鈴くんに含みはない)三枚目役をどうするのかなと思っていたが、スマートになりすぎず、ちゃんと三枚目を作っていた。
 Wキャストって、ふたりとも同じ役作りでなきゃだめなの? ジェラルド役はたんに技術の差で1幕と2幕が別人だったけど、パーチェスターは役作りを同じにしようとしない方がよかったんじゃないかなぁ。
 同じであるがゆえに、美翔くんの方が割を食ってしまったよーな気がした。もっと二枚目系でやってくれた方が彼の魅力は活きたろうな、と。

 
 んで、マリア叔母さま。

 1幕の子はまったく知らない子だった。
 彩星りおんちゃん……って、そんな娘役いたっけなぁ。

 男役だったの?

 すごーく若くてきれいなマリアで、凛としていて、かっいい大人の女性だなあ、と思って見ていた。
 観劇後、nanaタンと「マリアってそもそもいくつなんだろう」「ビルの父親の末の妹なら、若くてもおかしくないよね」「ジョン卿と幼なじみで、ふたりでサクランボを食べていたころが10歳くらいとして、それから30年……40そこそこでもおかしくない」と話し込むくらい、若くて美しいマリアでした。
 つか、マリアが現役美人な方が宝塚歌劇ファンとしてはたのしい。使命を果たすために張りつめていた大人の女性が、ずっとそばで見守っていた幼なじみの愛に気づいてハッピーエンド、って、ロマンじゃん。
 もちろん、初老の女性だとかすごーく中年な感じのふくよかな女性が甘酸っぱいロマンスを演じるのも、女性目線としてはたのしいけれど……。
 「美しさ」をいちばんに考えるタカラヅカなら、マリアが若く美しい女性でもなんの問題もない。つか、主役のビルがこの新公では10代かハタチそこそこの少年なわけだし。彼とのバランス的にも、マリアの美しさは眼福でした。

 男役さんだなんてまったく気づかないくらい、ふつーにうまかった。
 違和感なし。

 
 2幕は羽咲まなちゃん。
 彼女が登場するなり「うわ、マリアが縮んだ」と思ったのは、そうか、1幕が男役さんだったからか。りおんくんも決して男役としては大きくない人だと思うけれど、同じ役を男女でやると体格差が大きいな。
 りおんくんのいかにも女優さん、みたいなすらりとしたマリアのあとでは、なんだか年齢設定も一気に変化したみたいで、ちょっと違和感があった。
 こちらはそれほど若くないマリア。本役ほど中年女性ってわけでもないけれど。
 1幕より貫禄にあふれ、歌声が素晴らしかった。

 
 文字数ないんで続く。


 今さらですが、『ME AND MY GIRL』新人公演の感想をば。

 いつもより長いんだね。2時間くらいあった。でも休憩ナシ。……ムラは夜が早いから、これが限界なんだろうなあ。大阪のわたしでも、終演8時過ぎなんて公演じゃあ、帰宅するの10時前になっちゃうわけだし。(阪急電車、遅いし、乗り継ぎ悪いし)
 それでも、遠方客のことなんか考えず、全場やってほしいと思うけどな(笑)。帰れない奴は泊まれ。泊まれない奴はあきらめろ。……と、自分が観たいから、とゆーだけで自己中発言。や、言うだけで叶うわけないし。

 今回1幕・2幕で役替わりがあり、どっちに出ていたかで出番や見せ場に隔たりがありすぎて、「ふつーに通しでやってくれればいいのに」と心から思ったもんでな。
 1幕はわりとそのまま、2幕はぶった切りまくりって感じ?

 
 なにはともあれ、主演の話から。

 ビル@みりお、かわいいっ。

 若くキラキラしたかわいい男の子。
 男役がすごい久しぶりのはずだけど、ちゃんと男役であることを作ってきてくれて、うれしい。……や、だって、『ホフマン物語』でも娘役やってたわけだし。なんかいつも半端に娘役やってる感じ……だったのに。

 男役が好きなんだなあ。すげー生き生きしてる。
 このままちゃんと男役が見たいな、と心から思いました。

 もともと少年声なので(大人の男の声ではないので)、ちゃらけているときとシリアスなときの声の差があまりなくて、わたし的にはすごーく聞きやすかった。
 あまりに声を変えて駄洒落つーかオヤジギャグっつーか、よく言えば言葉遊び?をやられると、笑いツボの少ないわたしにはいろいろいろいろ(笑)つらいので。

 若さと勢いがある方が、ビルという役には合ってるのかな。わたしのイメージでは。
 サリー@しずくとの関係も、最初からもうかわいくて微笑ましくて。10代カップルって感じなのがいい。無知さも下品さも、青春の息吹があって、おばさんにはせつないよーな甘酸っぱさに見えたよ。

 ジャッキー@蘭乃さんに誘惑されて、クッション股間にはさんでポカポカやってるところも、なんか納得の絵面だった(笑)。がんばれ高校生、ここは理性だ。……てな。

 そして少年が大人になっていく姿が、気持ちいい。
 若さが前面に出ているので、そんなビルが大人の表情で恋に、無力な自分に傷ついていくさまが、きゅんとさせる。

 
 技術的に「ここはすごい!」があるわけじゃないんだけれど、どれも手堅く及第点はあるよね。
 そこに美貌が加わるわけだから、強いわ。

 みりおくんはほんとに順調に育てられているなと思う。
 新公では研1からずっと抜擢され続け、かといっていきなり無理なことはさせず、少しずつ場数を踏んで、経験を積ませ名前を売り……昨今ここまで平均的な階段を作ってもらった子はいないんじゃ?ってくらい、順調だよなあ。
 タニちゃんみたいな極端な抜擢の仕方は、現代ではいろいろ難しいんだと思う。だからこそ、みりおくんのような育て方がちょうどいいバランスなのかも?

 大切に大切に育てられた、掌中の玉。だからこそ、大輪の華を咲かして欲しい。

 与えられた役割を、今のところはひとつずつちゃんとこなしてきている。
 いちばんの課題はやっぱ、「大人の男」かなぁ。
 姿や顔立ちの美しさ、かわいらしさゆえにどうしても若く見えてしまうからなぁ。
 ホフマンもビルも少年の魅力で大丈夫な役だったんで、次はぜひ「どーあがいても大人の男」な役を見てみたいぞ。

 つか劇団様、みりおくんが美しいことはよーっくわかったんで、もう彼に女役をやらせないで下さいまし。
 もう少し成長して、男になったあとならいいけど、性別分化前に女の子ばっかやってると、男としての成長を妨げることになるよぉ。
 美少年の女役は手っ取り早い人気取りなのはわかるけど、やりすぎはどうかと。
 男役スター、明日海りおくんが見たいです。

 
 ヒロイン・サリー@しずくちゃんは(笑)。

 ごめん、語尾に(笑)がついてしまう。

 いやあ、相変わらずヘタっぴで、安心した(笑)。

 そうだよな、しずくちゃんだもんな、こうだよな。
 月組に組替えになって、なんかちょっと遠く感じていたというか、「ああ、もう星の子じゃないんだわ……くすん」みたいなキモチがあって(元星担)、美貌を見込まれての組替えみたいに周囲で言われていて、たしかに美貌だけどあの、ほんとにソレだけですよ? いいんすか、どきどき……みたいな勝手な心配とかあって。
 わたしが知っている通りのしずくちゃんで、かえって安心した。

 最初にこんだけなにもできません、つーのをばーんとさらしておけば、こっからは上がっていくだけ、成長していくだけだもん、はらはらしないですむっていうか。
 『シークレット・ハンター』新公の、美貌と、なにもできなさっぷりのギャップにウケた、あのときの感覚を思い出した。
 いやそれも、姫花ちゃんを知ってしまったあとでは物足りなくなるくらいの出来なんだが……(姫花おそるべし)。

 や、しずくちゃん比では、よくなってる。成長してるよ(笑)。

 他はともかく、歌だけはほんとになんとかしないとまずいとは思うけれど……。途中で声が出なくなるんじゃないかと心配した。ほんとにか細い声だなあ。

 下町っこファッションではあまりかわいらしくなく、最後の姫ドレス姿ではばーんと美しい……ところは、さすが!
 そうなのよ、この変身っぷりを見たかったのよ。
 やっぱ差がある方が見ていてわくわくするものね。

 技術の足りていないしずくちゃんをリードするみりおくんが、よりオトコマエに見えたのも事実。
 微笑ましいカップルだわ。

 つーことで、堪能しました、89期主演コンビ。
 美形っていいわ。

 
 本来の『ME AND MY GIRL』がどういうものなのかは、わからない。
 ビルの年齢設定がどうとか、どう見えるように演じるのが正しいとか。
 ただ、わたしの好みでは、この物語は若いカップルの話の方がぐっとくる。


 機関誌を買っていないこともあり、初舞台生の芸名が、よくわかりません。

 ほんとにもー、文化祭プログラムに芸名載せてくれよー。ぶつぶつ。

 名前だけなら公式サイトに載っているけれど、写真がないので誰が誰やら。
 確実に名前がわかるのは、成績上位でスカステで挨拶している子ぐらいのもんだ。

 まあ、わたしが顔を覚えているのもそのあたりだけだから、いいっちゃーいいかもしれんが。でも**さんとか**さんとかは、芸名わかんないからこのまま個別認識できないまま忘れていきそうだ……。

 
 『ME AND MY GIRL』、わたしが観劇したときは、娘役さんひとりと男役さんふたりが口上、娘さんがセンターだった。成績順じゃなく、女の子がひとりだったから真ん中が女の子なのかな。成績順なら真ん中は男の子だったはず。……まあ、並び方の法則とか、そもそもよくわかんないんだけども。

 文化祭の芝居で主役やっていた男の子が口上していたと思うんだが……彼の顔はわたし、時間が経つとわかんなくなるみたいだ。

 そして。

 どこにいても、決して見間違えない、見逃さないのが、2008-02-27の日記で書いた筋肉娘ちゃん。……と、意外なことに影役の男の子。

 筋肉娘……たぶん芸名は、仙名彩世さん。
 彼女はどこにいてもわかる。口上のときのその他でずらりと並んだ中でも、ロケットでわらわらしているときでも。
 あー、筋肉ちゃんあそこにいるわー、と視認できた。ロケットでは、背中の筋肉もよーっく見えたし。

 意外だったのは、芝居で「影」を演じた彼……たぶん芸名は漣レイラくん。
 文化祭を観ているとき、わたしは途中まで彼の個別認識が出来ていなかったんだ。
 芝居で前髪を下ろしていたため、リーゼント姿の想像がつかなくて。顔立ち自体は好みというわけでもないので最初のヴォーカル・コンサートではノー・チェック、次の芝居でうまいことがわかったけど、前髪で顔がよくわかんない……最後のダンス・コンサートではどこにいるやら、さっぱり。
 あとの方になってからよーやく、「あ、この子が影くんだ」と区別がつくようになった。

 そうやって、途中までわかんなかったくらいだから、「初舞台生」という特殊ジャンルにまぎれてしまったらきっと、わかんなくなるだろうなと思っていた。
 筋肉ちゃんのことは、絶対見つけられる自信あったけど、影くんは自信なかったんだよ。

 なのに。

 目につくわー……。

 筋肉ちゃん……仙名さんより、目につく。てゆーか、飛び込んでくる。

 
 口上時、ロケット時に「あ、影くんだ」とわかるのはともかく。

 初舞台生の出番はその2箇所のみだと信じて油断していた他の場面で、満面の笑みで踊っているのを観て「影くん? なんでいんの?!」とびっくりするくらいには、彼のこと、しっかりおぼえて、区別してるらしい。

 初舞台生、芝居にも出てたのね。
 マジなにも知らなかったから、2幕冒頭の大人数タップの中に彼がいて、びっくりした。
 てゆーか、一瞬とはいえすげーいい位置で踊ってなかったか?
 初舞台生がいるわけない、と思い込んでいたから。おかげでずーっと目を疑っていて、他に誰がいたのかわかんないぞ(笑)。きっといろいろいたんだろうに。

 
 恒例の初舞台生ラインダンス、衣装がかわいくてよかったなー、と。
 されど振付は……ううむ。
 とくに誰が目立つわけでもない、おとなしめっちゅーかぶっちゃけ地味な感じだったような。

 去年の魚では蒼羽りくくんがすっげー目立ちまくっていたので、あれくらい目立つ子がいるかなと思ったんだが。
 そーゆー振付なのかな。

 
 この日は新人公演もあったので、やはり上記2名はどこにいてもわかる(笑)。
 レイラくんの方が仙名さんより役付がいい? 男の子と女の子で比べても意味ないかもしれないが、印象として。……たんにレイラくんが目につきまくるせいかもしれないが。
 仙名さん、メイド役だったから後ろで立ってるだけ、とかだったからなぁ。客の男とかやってるレイラくんの方がいろいろ動きがあって、本人も楽しそうだった。

 事前にいちいち出番をチェックしているわけでもないので、テニス娘役で仙名さんがぱーーっと出てきたときはショッキングだった。
 や、だって露出度高いんだもん、衣装。肩と背中丸出し、筋肉丸出し。うわー(笑)。
 うんうん、あの背中はいいわよねー。

 レイラくんはでかいので、サワヤカ・テニス少年として女の子と踊っていても見栄えがするし。

 
 結局ふたりだけ突出し、他の人のことはわかんなくなっちゃったみたい。
 あああ、性能の悪い海馬が憎い……。

 若いウチからおぼえていた方が、この子たちが成長したときにたのしいのにー。それがヅカの醍醐味なのにー。

 正統派っぽい愛風ゆめちゃんや和海しょうくんが、見つけられません……文化祭では顔おぼえたと思ったのにー。
 正統からたぶん微妙にズレてる(と思う)ふたりしか、わかんないっす。

 「ぜんぜん知らない子たち44人」を一度に並べられると、たぶんほんとーに純粋に、好みかそうでないか、だけが働くんだと思う。本能だけが残るというか。

 顔立ちだけでなく、他のことも加味した、本能的な好みだけが。

 
 94期生たちが、よいジェンヌ人生を送れますように。
 充実した舞台人となりますように。

 好みの男、女に成長する子たちが、たくさんいますように。


 パーチェスター@マヤさんが、素晴らしかった。

 だらだらと『ME AND MY GIRL』感想の続きっす。

 噂に違わぬ素晴らしさ。
 『ME AND MY GIRL』といえばみんな「未沙のえるのパーチェスター」と言う。

 マヤさんの持つ独特のおかしさは、すごい。
 なにがどう、ではなく、目を引き、笑いがこみ上げる。
 決して埋没しない。

 「お屋敷の弁護士」パーチェスターはもともと儲け役だと思うけれど、それを遺憾なく受け止め、自分の役にしてしまっているのがすごい。
 ほんとうに、オンリー・ワンな人だと思う。
 あの魅力は、他の人では決して出せない。

 ナニかやってほしい、彼の出番はまだか、と身構えてしまうくらい、期待感に満ちている。

 が。

 それってべつに、パーチェスターだからってわけじゃない。マヤさん演じるユーモラスな役は、多かれ少なかれその色を持っている。

 マヤさんのパーチェスターを素晴らしいと思い、オンリー・ワンの魅力を痛感しつつ。

 未沙のえるに頼っていたら、ダメだろ。

 と、思う。

 マヤさんなら、多少のことはなんでもやってしまう。作品がぶっこわれていても、演出家が手を抜いていても、下級生たちが出来上がっていなくても、とりあえずマヤさんに丸投げしてしまえば、場が持つ。作品を支えてくれる。今回の『ミーマイ』のことじゃなく、いろんな公演で。
 だからマヤさんを重宝するのはわかるんだけど……。

 トップスターを育てるのが必要であるように、「未沙のえる」を育てるのも重要じゃないか?
 や、マヤさんはオンリー・ワンだから、コピー芸風の人ってことじゃなくて。彼とは別人だけど、その任を果たせる人。

 マヤさんのパーチェスターが今回の『ミーマイ』のウリのひとつであり、実際観られて良かった、いてくれて良かったと思うこととは別に、こーゆー儲け役を安易に「出来るとわかっている人」に任せてしまわず、組子にやらせて鍛えた方がいいんじゃないかと思った……。

 パーチェスターは難しい役だよ。儲け役であると同時に。
 昔コウちゃんが演じ、マヤさんと比べられてさんざんな評価をされたように(コウちゃんのパーチェスターはすごく良かった、でもマヤさんには負けるわねー、てな言い回しがデフォルト)、きっと誰がやったってマヤさんの足元にも及ばず、いろいろいろいろ言われてしまうんだろう。
 それでも、この役をやることで、役者として大きく成長できるだろう、とわかるだけに。

 タカラヅカの未来を考えるなら、早急に「未沙のえる」を……いや、マヤさんだけじゃないな。立さんや萬ケイさんや星原先輩や、芸達者な大人の男を育てるべきだ。

 ……て、ナニ偉そうに言ってんですかねぇ。
 なんか観ていて焦ってしまうような、未来に不安を抱いてしまうような、そんなわけのわからない感覚を持ったのですよ。
 パーチェスターがあまりにふつーに「マヤさん」で。たとえば『愛するには短すぎる』のブランドンがマヤさんならではの、なんともいえないおかしみに満ちていたように。
 この人しかできない素晴らしい仕事だけど、だからこそ、ひとりしかいないこの人だけにこのテの役全部背負わせていると、今後いったいどうなるんだ、という、わたしが持ったところでなーんの意味もない焦燥感に身を焼きました(笑)。

 マヤさんラヴ♪ ……つーことで。はい。

 
 でもって。

 
 彼のいる執事カフェへ行きたいです。

 はい。
 ヘザーセット@越リュウ萌え。

 なんなの、あの美形執事っ!!
 「執事」というモノに対するヲトメのあこがれを具現してるわよ?!

 も、どーしよー。
 美しくて静かで折り目正しくて……小僧ではない大人の男っぷりと、適度な枯れ方がたまらない……。

 越リュウに「お嬢様」って呼ばれたい〜〜っ。
 や、「奥様」でもいい〜〜っ。

 わーん、あの執事ほしーよー。

 今までわたしの「ベスト執事」は、トドロキ@『華麗なるギャツビー』だったんですが、越リュウが抜かしました、塗り替えました。
 
 彼の美しさを眺めるだけで、折り目正しい執事っぷりを眺めるだけで、価値のある舞台ですよ……ハァハァ。

 わたしはべつに「執事萌え」属性は、とりたてて持ってなかったんですが。
 越リュウ様には完敗です。

 はい。


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