時に過去は、整列して振り返る。毅然と、鋭利に。そして、甘く。@凍てついた明日
2008年7月20日 タカラヅカ末筆ながら、初演に関わって下さったすべてのスタッフ・キャストに感謝を述べたいと思います。スタッフの大半は健在ですが、キャストの多くは宝塚の花園を去りました。彼女らの青春のひと時が作品に結晶して、輝きを与えてくれたのだと信じております。
『凍てついた明日−ボニー&クライドとの邂逅』プログラムに掲載されていた、オギーの言葉だ。
演出家のメッセージの、言葉通り、最後の1文。
初演ファンとして。
泣いた。
こーゆー人だから、『凍てついた明日』を含め、あれらの作品を生み出し続けているのだろう。
彼のすべてを肯定するわけではないが、ついていけないところもあるにはあるが、それでも。
この作家に出会えたことは、大きな幸運だ。
タカラヅカファンで良かった。
ケロに会いたいな。
あのころの彼に。
愛に汚れ、罪に踊る。−腐女子警報−@凍てついた明日−ボニー&クライドとの邂逅
2008年7月19日 タカラヅカ 腐った話をしよう。
腐女子脳による、BL視点の『凍てついた明日−ボニー&クライドとの邂逅』だ。そっち系苦手な人は読まないように。今回本気で男×男話行きます。
クライドを救うことが出来たのは、テッドのみだと思うんだ。
救う……とりあえず、生命を。
えー、下敷きにするのは主要人物(クライド、テッド、ジェレミー、アニス、ジョーンズ)がみんな8等身美形で、かつヒロインとクライドの間に「愛」があったBチームの方ね。クライドがヒロインのアニスを心から愛し、それゆえにコワレてしまっている物語。
なにをもって「主要人物」とするか、つーと、「クライドに対して思い入れがあるか」よ。だからボニー、レイモンドなどは脇役認定。彼らはクライドを愛していないし、クライドも彼らに興味がない。
生きる意味を見失っているクライドを、こちら側へつなぎ止めるには、彼の意志とは関係なく、「お前が必要だ」と示すことだと思う。
クライドの家族だのジェレミーだのがそれを言ったところで、クライドには届かない。
その程度の声が届くようなら、クライドはこんなところまで堕ちて来ていない。
言葉でどうこう言ったって、ダメなんだよ。
クライドのキモチなんか考えるな。力尽くで、拉致ってしまえ。
閉じこめて、ただ愛だけを注ぎ込め。
アイシテイル、ヒツヨウダと訴え続けろ。
言葉だけではなく、直接的な抱擁と、欲望で、彼の存在意義を思い知らせろ。
BLとゆーものは、大人のファンタジーの一種だと思っている。
SFとか異世界ファンタジーと同じ、テーマをより明確に描くための手段。
親に隠れて子犬を飼う少年の葛藤より、全人類に背いてエイリアンを匿う少年の方が、よりドラマティックに物語を展開できる。見つかったら引き離される、のは同じでも、子犬とエイリアンでは禁忌の度合いがチガウ。背負うモノ、葛藤の大きさがチガウ。
現代の高校生のカップルが親に反対されてつきあえないのと、剣と魔法の王国の、敵対する勢力の姫と騎士が引き裂かれるのでは、テーマの描かれ方がチガウだろう。
描きたいテーマをよりわかりやすく、ドラマティックに描くために、ファンタジーは有効な手段である。
BLもまた、人と人とのつながり、葛藤や愛憎を「ファンタジー」世界を舞台にすることで純度を高めて抽出する手段だ。現実とは別の、フィクション、ルールをわかった上でたのしむジャンル。
大人向きだから、エロスや歪みを過分に含む。
てゆーか、エロあってこそだろ、BLは(笑)。
テッド×クライドで、やること一通りして下さい。
下手なやさしさは捨て、ドSに徹するんだ、テッド。
BLの1ジャンルとして長い伝統を持つ「監禁モノ」(笑)。愛ゆえに相手を監禁し、愛欲の限りを尽くす。大抵は、攻が受を監禁する。
最初は反発と嫌悪しかなかった受だが、抱かれ続けるウチに、次第に攻を愛するよーになる、というのがお約束。
常識でいうとこんなのただの犯罪だし、女の立場で考えると「ふざけんな、レイプ魔を愛するわけないだろ」ってなもんだが、多くの人々の支持を受けているジャンルであることはたしか。
あくまでもファンタジーだから、現実の良識を持ち込んではならないのだ。
それは「歪むほどの、激しい愛」。ただふつーに愛するだけではなく、狂気の域に達するほど愛す・愛される、ということ。
BLは女性目線で描かれるから、攻は魅力的でなければならない。こんな狂った愛し方をしなくてもいずれ受は攻を愛したろうに、てな納得のいく相手でなければならない。
恋人同士が相愛になる過程を間違えたかすっ飛ばしたか、という物語に落ち着かなければいけない。
罪を犯すほど、狂気に陥るほど、容赦ない愛だけの世界。
……コレを、テッド×クライドでヨロシク。
クライドが自分自身に愛情を持てないのなら、誰かが力尽くで愛してやるしかない。
クライドを必要としている人がいることを、思い知らせてやるしかない。
なんの責任も持ちたくないクライドが過剰な愛を拒絶しようとしても、彼の気持ちなんか関係なく、愛を押しつけるしかない。
彼の母も姉も、弟分も、できなかった。彼らはクライドを愛していると、必要だと言うだけで、手を汚そうとはしなかった。
唯一ジェレミーはかなりがんばってクライドの側にいたのだけど。結局彼は、クライドの嫌がることはなにもできない。だからクライドが死にたがったら、黙って死なせてやることしかできなかった。
そうじゃなくて、死にたがるあのバカ美形男を、ぶん殴って「生きろ、このバカ」と言う人間が必要だったんだ。
彼の側で彼に嫌われないようにしている人間ではなく、彼の敵であり、彼に嫌われても仕方のない人間が、やるべきなんだ。
生きることにどんな意味があるとか、罪と過ちと傷だけ背負って生きるのはつらいとか、四の五言わせず「ただ、生きろ」と。あとのことは全部、まず生きてから考えろと。
……もちろん、友情としてソレをやることは出来る。
愛にはいろいろあるんだから、なにも全部恋愛だとか性愛に変換することはない。
しかし、人間にとってもっともプリミティヴな感情と行為に昇華してしまった方が、よりわかりやすいんだ。
テッドがクライドを死なせないために罪を犯したとする。
クライドを逃がすためにフランク捜査官を射殺して、クライドを連れて逃げたとして。
そのテッドの行動の理由を「友情だ」というより、いっそ「愛している」と言った方がクライドも、楽だろう。
友情、と言われてしまったら、それは無償の行為になってしまう。無償の厚意ゆえにテッドの人生どん底、クライドからすりゃ、そんなもん一方的に背負わされたら重いっつーの。
でも恋愛だと言えば、相応の欲を持っての行動になる。クライドの心だとか身体だとか、なにかしら見返りを求めての行動だと納得できる。
人間、無償のモノには、鈍感になる。
自分がナニも代償を払わないから、与えられてあたりまえ、あってあたりまえ。空気とかきれいな水とか親の愛とか。
無償の愛では、クライドを救えない。アニスから逃げたように、重荷を背負いたくなくて心を閉ざすだけ。
そーゆー高尚なモノではなく、もっと下世話に、原始的に。
愛している。愛を与える代わりに、ナニか返せ。心を。……それが無理なら、カラダを。快楽に溺れ、無防備になる一瞬を。
テッドに求められ、一方的に愛を与えられることで、反面、カラダを奪われることで、「求められている」「必要とされている」ことを、クライドが思い知るように。
クライドが、愛を認めるまで。
愛から逃げることしか知らなかった、あのダメ男が、愛を受け入れることを知るまで。
彼が、テッドを愛するまで。
BLのお約束に則って、監禁モノで愛を貫いてくれ。
エロと歪みで彩った、とびきり切ない愛の物語を、描くことができるさ。
それはたしかに、別のカタチでの「明日」だと思うよ。
……実際、テッドのヘタレっぷりが、もどかしくてな。
ナニあの男。1幕では2番手つーか、ヘタしたらW主演? てくらいの勢いなのに、あっとゆー間に逃げ腰になっちゃって。
自分に自信が持てないゆえにクライドから手を離したんだよ。結局、自分を守っただけじゃん。
だからクライドは、ひとりで堕ちていくしかなかった。トモダチのふりして、卑怯なヤツ。
そしてテッドは、自分が卑怯だということも自覚しているんだろうけどな。自覚していじけてりゃーいいってもんでもないさ。あのいじけっぷりが、彼の人間らしさで、愛しさでもあるんだけどさ。
テッドに、男になって欲しいよ。
愛した男ひとり、救って見せろ。人生懸けて。
つーことで、テッド×クライド希望。
腐女子脳による、BL視点の『凍てついた明日−ボニー&クライドとの邂逅』だ。そっち系苦手な人は読まないように。今回本気で男×男話行きます。
クライドを救うことが出来たのは、テッドのみだと思うんだ。
救う……とりあえず、生命を。
えー、下敷きにするのは主要人物(クライド、テッド、ジェレミー、アニス、ジョーンズ)がみんな8等身美形で、かつヒロインとクライドの間に「愛」があったBチームの方ね。クライドがヒロインのアニスを心から愛し、それゆえにコワレてしまっている物語。
なにをもって「主要人物」とするか、つーと、「クライドに対して思い入れがあるか」よ。だからボニー、レイモンドなどは脇役認定。彼らはクライドを愛していないし、クライドも彼らに興味がない。
生きる意味を見失っているクライドを、こちら側へつなぎ止めるには、彼の意志とは関係なく、「お前が必要だ」と示すことだと思う。
クライドの家族だのジェレミーだのがそれを言ったところで、クライドには届かない。
その程度の声が届くようなら、クライドはこんなところまで堕ちて来ていない。
言葉でどうこう言ったって、ダメなんだよ。
クライドのキモチなんか考えるな。力尽くで、拉致ってしまえ。
閉じこめて、ただ愛だけを注ぎ込め。
アイシテイル、ヒツヨウダと訴え続けろ。
言葉だけではなく、直接的な抱擁と、欲望で、彼の存在意義を思い知らせろ。
BLとゆーものは、大人のファンタジーの一種だと思っている。
SFとか異世界ファンタジーと同じ、テーマをより明確に描くための手段。
親に隠れて子犬を飼う少年の葛藤より、全人類に背いてエイリアンを匿う少年の方が、よりドラマティックに物語を展開できる。見つかったら引き離される、のは同じでも、子犬とエイリアンでは禁忌の度合いがチガウ。背負うモノ、葛藤の大きさがチガウ。
現代の高校生のカップルが親に反対されてつきあえないのと、剣と魔法の王国の、敵対する勢力の姫と騎士が引き裂かれるのでは、テーマの描かれ方がチガウだろう。
描きたいテーマをよりわかりやすく、ドラマティックに描くために、ファンタジーは有効な手段である。
BLもまた、人と人とのつながり、葛藤や愛憎を「ファンタジー」世界を舞台にすることで純度を高めて抽出する手段だ。現実とは別の、フィクション、ルールをわかった上でたのしむジャンル。
大人向きだから、エロスや歪みを過分に含む。
てゆーか、エロあってこそだろ、BLは(笑)。
テッド×クライドで、やること一通りして下さい。
下手なやさしさは捨て、ドSに徹するんだ、テッド。
BLの1ジャンルとして長い伝統を持つ「監禁モノ」(笑)。愛ゆえに相手を監禁し、愛欲の限りを尽くす。大抵は、攻が受を監禁する。
最初は反発と嫌悪しかなかった受だが、抱かれ続けるウチに、次第に攻を愛するよーになる、というのがお約束。
常識でいうとこんなのただの犯罪だし、女の立場で考えると「ふざけんな、レイプ魔を愛するわけないだろ」ってなもんだが、多くの人々の支持を受けているジャンルであることはたしか。
あくまでもファンタジーだから、現実の良識を持ち込んではならないのだ。
それは「歪むほどの、激しい愛」。ただふつーに愛するだけではなく、狂気の域に達するほど愛す・愛される、ということ。
BLは女性目線で描かれるから、攻は魅力的でなければならない。こんな狂った愛し方をしなくてもいずれ受は攻を愛したろうに、てな納得のいく相手でなければならない。
恋人同士が相愛になる過程を間違えたかすっ飛ばしたか、という物語に落ち着かなければいけない。
罪を犯すほど、狂気に陥るほど、容赦ない愛だけの世界。
……コレを、テッド×クライドでヨロシク。
クライドが自分自身に愛情を持てないのなら、誰かが力尽くで愛してやるしかない。
クライドを必要としている人がいることを、思い知らせてやるしかない。
なんの責任も持ちたくないクライドが過剰な愛を拒絶しようとしても、彼の気持ちなんか関係なく、愛を押しつけるしかない。
彼の母も姉も、弟分も、できなかった。彼らはクライドを愛していると、必要だと言うだけで、手を汚そうとはしなかった。
唯一ジェレミーはかなりがんばってクライドの側にいたのだけど。結局彼は、クライドの嫌がることはなにもできない。だからクライドが死にたがったら、黙って死なせてやることしかできなかった。
そうじゃなくて、死にたがるあのバカ美形男を、ぶん殴って「生きろ、このバカ」と言う人間が必要だったんだ。
彼の側で彼に嫌われないようにしている人間ではなく、彼の敵であり、彼に嫌われても仕方のない人間が、やるべきなんだ。
生きることにどんな意味があるとか、罪と過ちと傷だけ背負って生きるのはつらいとか、四の五言わせず「ただ、生きろ」と。あとのことは全部、まず生きてから考えろと。
……もちろん、友情としてソレをやることは出来る。
愛にはいろいろあるんだから、なにも全部恋愛だとか性愛に変換することはない。
しかし、人間にとってもっともプリミティヴな感情と行為に昇華してしまった方が、よりわかりやすいんだ。
テッドがクライドを死なせないために罪を犯したとする。
クライドを逃がすためにフランク捜査官を射殺して、クライドを連れて逃げたとして。
そのテッドの行動の理由を「友情だ」というより、いっそ「愛している」と言った方がクライドも、楽だろう。
友情、と言われてしまったら、それは無償の行為になってしまう。無償の厚意ゆえにテッドの人生どん底、クライドからすりゃ、そんなもん一方的に背負わされたら重いっつーの。
でも恋愛だと言えば、相応の欲を持っての行動になる。クライドの心だとか身体だとか、なにかしら見返りを求めての行動だと納得できる。
人間、無償のモノには、鈍感になる。
自分がナニも代償を払わないから、与えられてあたりまえ、あってあたりまえ。空気とかきれいな水とか親の愛とか。
無償の愛では、クライドを救えない。アニスから逃げたように、重荷を背負いたくなくて心を閉ざすだけ。
そーゆー高尚なモノではなく、もっと下世話に、原始的に。
愛している。愛を与える代わりに、ナニか返せ。心を。……それが無理なら、カラダを。快楽に溺れ、無防備になる一瞬を。
テッドに求められ、一方的に愛を与えられることで、反面、カラダを奪われることで、「求められている」「必要とされている」ことを、クライドが思い知るように。
クライドが、愛を認めるまで。
愛から逃げることしか知らなかった、あのダメ男が、愛を受け入れることを知るまで。
彼が、テッドを愛するまで。
BLのお約束に則って、監禁モノで愛を貫いてくれ。
エロと歪みで彩った、とびきり切ない愛の物語を、描くことができるさ。
それはたしかに、別のカタチでの「明日」だと思うよ。
……実際、テッドのヘタレっぷりが、もどかしくてな。
ナニあの男。1幕では2番手つーか、ヘタしたらW主演? てくらいの勢いなのに、あっとゆー間に逃げ腰になっちゃって。
自分に自信が持てないゆえにクライドから手を離したんだよ。結局、自分を守っただけじゃん。
だからクライドは、ひとりで堕ちていくしかなかった。トモダチのふりして、卑怯なヤツ。
そしてテッドは、自分が卑怯だということも自覚しているんだろうけどな。自覚していじけてりゃーいいってもんでもないさ。あのいじけっぷりが、彼の人間らしさで、愛しさでもあるんだけどさ。
テッドに、男になって欲しいよ。
愛した男ひとり、救って見せろ。人生懸けて。
つーことで、テッド×クライド希望。
誰でもよかった……でも、君だった。@凍てついた明日−ボニー&クライドとの邂逅
2008年7月18日 タカラヅカ 今ごろになって『凍てついた明日−ボニー&クライドとの邂逅』の感想。……だって他に書くモノが溜まっていて、なかなかここにたどりつけなかったんだもん……。
配役が発表になったとき、たのしみにしていたんだ。
レイモンド@コマ。
コマならきっと、愉快に、そしてステキにレイモンドを創り上げてくれると。
……えーと。
すみません、この役でコマ株がかなり落ちました(笑)。
技術がどうあれ、爆発したり暴走したりするのがコマくんだろ? なんで、ただ足りないままで終わってしまうの?
レイモンドは初演に比べ歌が増えていたりするのに、すげー地味になってました。
台詞がはっきり聞こえないのもイタイな。
コメディ担当でもあるはずなのに、笑えない……。言い回しやアクションに気を取られ、自爆した感じ?
もっとコマくんならではのレイモンド像はなかったのか??
脇役として、比重の低い役に成り下がることが、今回の意義だったんだろうか。もっとガチンコ勝負してほしかったな。
この役でコマ株暴落したけど、また別の役で上がってくれるだろーから、あまり気にしてない(笑)。コマはハズすときはハズすけど、クリティカルもキメてくれるから、ギャップをたのしんでるよー。
ボニー@さゆちゃんもまた、よくやっていたのだとは思う。
ボニーだと思わなければ、あんな感じでいいのかも。
新進女優だとか美貌の皇后とかヴァンパイアの耽美少女だとか孤独な強盗だとかは演じられなくても、セリメーヌ@『君を愛してる−Je t’aime−』みたいな役は、とてもキュートに演じられるから、そこを突き詰めていけば、それはソレでいいのかもしれない。
ふつーの女の子、というのは、ファンタジーでフェアリーになりがちなタカラヅカのなかではかえって新鮮な個性かも?
ただ、みなこと同じ衣装、つーのは気の毒でしょーがなかった。とくに2幕のボレロ・スタイル。あのボレロはいかんやろ、オギー。
ジェレミーの衣装がAチームBチームでちがっていたんだから、ボニーの衣装だって変えられたんだろうに。
さゆちゃんはボレロ無しにしてやるくらいの配慮は、演出家には必要だってば。
ネル@リサちゃんは、後半さらによくなっていた。
クライドに対する温度と距離がイイ。
たしかに愛しているけれど、距離があるんだよね。愛しているのに、アナタがこわい……アニスが言うように。
姉弟とはいっても、確実に「別の人間」である距離感。その絶望。
テッドとの関係も、だんだん色が付いて来たなー、と。
あの朴念仁を誘惑してくんないかな、ネル。バツイチの手管で。……そうやって、傷を舐め合ってくれよ。キミたち、悲しすぎるからさ。
ボニー母@五峰姐さんの演技は、よくわかりません。
初演のシビさんのコピーに見え、コピーできてないあたり、どういう意図があってあんなことになっているのか、わかんねぇ。
五峰さんいい女なんだけど、芸幅がすげー狭いから、一種類の役しか出来ないんだよなあ……ハマる役だと雰囲気ごとすごーくイイんだけど。
この役は……??
クライド母@京さんは、納得の巧さ。
こーゆー役やったら、すげーハマるよなー。「どれだけまちがっていてもいい、生きていて欲しい」……滔々と語る様が、たしかに愚かで……そう、「親」というものの勝手さと愚かさで、泣ける。
ここまで来てしまう前に、息子と向かい合うべきだったのに、困難な現実から目を背け続けて。取り返しのつかないところまで、来てしまった。
クライドと血がつながっていることが、よくわかる。
この公演で、いちばん男を上げたのは、ガオリくんじゃないか?
と、思うほどに、ロイ@ガオリがかっこいい。
なんなの、あの色気。
台詞無し、ダンスとマイムだけで、すごい存在感。
動作がすごくきれいなの。
彼が動いた瞬間に、目がいくの。無駄に多いオーディエンスの中、あそこに重要人物がいるってわかる。
2幕だっけか、歌うハマコの後ろに、初演フィナーレ衣装で登場するガオリがかっこいい。顔は帽子で見えないんだけど、その動きで彼だとわかる。
あのハマコと並んで遜色ない「男役」としての美しさって、どうよ?
いつの間にそんなことに?
エロくて黒くて、危険で。
ロイという男がどんな人間か、あざやかに記憶に刻まれるよ。
れのくんはオーディエンス。
大した役割はない。……ない、のに、あちこちにいる。
そう、舞台の真ん中に。
とても、目立つ位置に。
彼は、お花担当ですか(笑)。
部屋が殺風景だと、とりあえず花を飾るでしょ? 野郎しかいなくてむさ苦しかったら、マスコットとして女の子を置くでしょ? 暗い色ばっかで落ち込むと、明るい差し色を入れるでしょ?
れのくんは、そーゆーポジション?
なにをするでもなしに、ただ美貌を活用する。
いいなあ、オギー。わかってる使い方ですよそりゃ(笑)。
アニス@みなこちゃんは、どうも舞台荒し体質だとわかった(笑)。毎回主役を奪う勢いで演技されると大変だ。
引く演技ができるようになったら鬼に金棒だよな。
髪型といい、着こなしといい、「アニス」という少女がよくわかった。
お金持ちのお嬢様ってわけじゃなく、中流家庭の女の子。
なんつーか、ユーミンの「DOWNTOWN BOY」をすごく思い出すんだよ。
あんなにナイーブな人にはそれまで会ったことなかったという歌い出しではじまる、恋の歌。
不良少年と恋をした、ふつうの家の女の子。
彼についていくことは出来ず、泣きながら恋を終わらせた女の子。
お嬢様なんかじゃない、等身大の姿が、よりいっそう痛いよね。
でもって、テッド@ヲヅキ。
いいところでカマしたり噛んだり、忙しいヤツだな(笑)。
なんか見るたびナニかやらかしていたよーな?
1幕は2番手なのに、どんどん影が薄くなっていくのがつらい。
役としての描き方のせいもあるけれど、ヲヅキ自身欲がないとゆーか、自分の立場に甘んじている印象。
主役を喰うぐらいの気合いで臨んだら、どんなタペストリーが織られただろう?
それでもあのガタイ、あの美しさは群を抜いている。WSなんかに出てちゃダメだろキミ、と言える出来映えなのがウレシイ。
作品がおもしろいからこそ、足りない人たちにはかなり歯がゆいモノを感じるし、また、それすらも、この作品を彩るひとつだろうとも思う。
好きにキャスティングしていいなら、AチームBチーム混ぜて、選抜チームを作ってみたいなあ。
ボニー@みなこでジェレミー@まなはるだと、ジェレミーの比重はどうなるかとか、でかいジョーンズ@彩風くん相手でも、ボニー@みなこは母性を見せることができるのかとか?
役替わり無しの人たちも、別の役で見てみたいし。
レイモンド@ヲヅキなら満足できる比重になったのかしら、とか、ジェレミー@あずりんだったらどこまでやれたんだろうとか? ジョーンズ@ハウルだとさぞや美しかろうとか?
……たんに好みの人を並べただけか(笑)。
なんにせよ、作品の厚みゆえにWSとは名ばかりの、重さのある公演だった。
初演に引き続き、今回も観ることが出来て良かった。
配役が発表になったとき、たのしみにしていたんだ。
レイモンド@コマ。
コマならきっと、愉快に、そしてステキにレイモンドを創り上げてくれると。
……えーと。
すみません、この役でコマ株がかなり落ちました(笑)。
技術がどうあれ、爆発したり暴走したりするのがコマくんだろ? なんで、ただ足りないままで終わってしまうの?
レイモンドは初演に比べ歌が増えていたりするのに、すげー地味になってました。
台詞がはっきり聞こえないのもイタイな。
コメディ担当でもあるはずなのに、笑えない……。言い回しやアクションに気を取られ、自爆した感じ?
もっとコマくんならではのレイモンド像はなかったのか??
脇役として、比重の低い役に成り下がることが、今回の意義だったんだろうか。もっとガチンコ勝負してほしかったな。
この役でコマ株暴落したけど、また別の役で上がってくれるだろーから、あまり気にしてない(笑)。コマはハズすときはハズすけど、クリティカルもキメてくれるから、ギャップをたのしんでるよー。
ボニー@さゆちゃんもまた、よくやっていたのだとは思う。
ボニーだと思わなければ、あんな感じでいいのかも。
新進女優だとか美貌の皇后とかヴァンパイアの耽美少女だとか孤独な強盗だとかは演じられなくても、セリメーヌ@『君を愛してる−Je t’aime−』みたいな役は、とてもキュートに演じられるから、そこを突き詰めていけば、それはソレでいいのかもしれない。
ふつーの女の子、というのは、ファンタジーでフェアリーになりがちなタカラヅカのなかではかえって新鮮な個性かも?
ただ、みなこと同じ衣装、つーのは気の毒でしょーがなかった。とくに2幕のボレロ・スタイル。あのボレロはいかんやろ、オギー。
ジェレミーの衣装がAチームBチームでちがっていたんだから、ボニーの衣装だって変えられたんだろうに。
さゆちゃんはボレロ無しにしてやるくらいの配慮は、演出家には必要だってば。
ネル@リサちゃんは、後半さらによくなっていた。
クライドに対する温度と距離がイイ。
たしかに愛しているけれど、距離があるんだよね。愛しているのに、アナタがこわい……アニスが言うように。
姉弟とはいっても、確実に「別の人間」である距離感。その絶望。
テッドとの関係も、だんだん色が付いて来たなー、と。
あの朴念仁を誘惑してくんないかな、ネル。バツイチの手管で。……そうやって、傷を舐め合ってくれよ。キミたち、悲しすぎるからさ。
ボニー母@五峰姐さんの演技は、よくわかりません。
初演のシビさんのコピーに見え、コピーできてないあたり、どういう意図があってあんなことになっているのか、わかんねぇ。
五峰さんいい女なんだけど、芸幅がすげー狭いから、一種類の役しか出来ないんだよなあ……ハマる役だと雰囲気ごとすごーくイイんだけど。
この役は……??
クライド母@京さんは、納得の巧さ。
こーゆー役やったら、すげーハマるよなー。「どれだけまちがっていてもいい、生きていて欲しい」……滔々と語る様が、たしかに愚かで……そう、「親」というものの勝手さと愚かさで、泣ける。
ここまで来てしまう前に、息子と向かい合うべきだったのに、困難な現実から目を背け続けて。取り返しのつかないところまで、来てしまった。
クライドと血がつながっていることが、よくわかる。
この公演で、いちばん男を上げたのは、ガオリくんじゃないか?
と、思うほどに、ロイ@ガオリがかっこいい。
なんなの、あの色気。
台詞無し、ダンスとマイムだけで、すごい存在感。
動作がすごくきれいなの。
彼が動いた瞬間に、目がいくの。無駄に多いオーディエンスの中、あそこに重要人物がいるってわかる。
2幕だっけか、歌うハマコの後ろに、初演フィナーレ衣装で登場するガオリがかっこいい。顔は帽子で見えないんだけど、その動きで彼だとわかる。
あのハマコと並んで遜色ない「男役」としての美しさって、どうよ?
いつの間にそんなことに?
エロくて黒くて、危険で。
ロイという男がどんな人間か、あざやかに記憶に刻まれるよ。
れのくんはオーディエンス。
大した役割はない。……ない、のに、あちこちにいる。
そう、舞台の真ん中に。
とても、目立つ位置に。
彼は、お花担当ですか(笑)。
部屋が殺風景だと、とりあえず花を飾るでしょ? 野郎しかいなくてむさ苦しかったら、マスコットとして女の子を置くでしょ? 暗い色ばっかで落ち込むと、明るい差し色を入れるでしょ?
れのくんは、そーゆーポジション?
なにをするでもなしに、ただ美貌を活用する。
いいなあ、オギー。わかってる使い方ですよそりゃ(笑)。
アニス@みなこちゃんは、どうも舞台荒し体質だとわかった(笑)。毎回主役を奪う勢いで演技されると大変だ。
引く演技ができるようになったら鬼に金棒だよな。
髪型といい、着こなしといい、「アニス」という少女がよくわかった。
お金持ちのお嬢様ってわけじゃなく、中流家庭の女の子。
なんつーか、ユーミンの「DOWNTOWN BOY」をすごく思い出すんだよ。
あんなにナイーブな人にはそれまで会ったことなかったという歌い出しではじまる、恋の歌。
不良少年と恋をした、ふつうの家の女の子。
彼についていくことは出来ず、泣きながら恋を終わらせた女の子。
お嬢様なんかじゃない、等身大の姿が、よりいっそう痛いよね。
でもって、テッド@ヲヅキ。
いいところでカマしたり噛んだり、忙しいヤツだな(笑)。
なんか見るたびナニかやらかしていたよーな?
1幕は2番手なのに、どんどん影が薄くなっていくのがつらい。
役としての描き方のせいもあるけれど、ヲヅキ自身欲がないとゆーか、自分の立場に甘んじている印象。
主役を喰うぐらいの気合いで臨んだら、どんなタペストリーが織られただろう?
それでもあのガタイ、あの美しさは群を抜いている。WSなんかに出てちゃダメだろキミ、と言える出来映えなのがウレシイ。
作品がおもしろいからこそ、足りない人たちにはかなり歯がゆいモノを感じるし、また、それすらも、この作品を彩るひとつだろうとも思う。
好きにキャスティングしていいなら、AチームBチーム混ぜて、選抜チームを作ってみたいなあ。
ボニー@みなこでジェレミー@まなはるだと、ジェレミーの比重はどうなるかとか、でかいジョーンズ@彩風くん相手でも、ボニー@みなこは母性を見せることができるのかとか?
役替わり無しの人たちも、別の役で見てみたいし。
レイモンド@ヲヅキなら満足できる比重になったのかしら、とか、ジェレミー@あずりんだったらどこまでやれたんだろうとか? ジョーンズ@ハウルだとさぞや美しかろうとか?
……たんに好みの人を並べただけか(笑)。
なんにせよ、作品の厚みゆえにWSとは名ばかりの、重さのある公演だった。
初演に引き続き、今回も観ることが出来て良かった。
ずっと一緒にいたかったんだ。@凍てついた明日−ボニー&クライドとの邂逅
2008年7月17日 タカラヅカ つーことで、『凍てついた明日−ボニー&クライドとの邂逅』Bチームの感想。
誰が出るのかさっぱりわからないまま観劇。ボニーとアニスが役替わりしていること、あずりんに役がないことくらいしか、理解してなかった(笑)。
で。
……びっくりした。
Bチーム、スタイルええんや。
クライド@かなめ、テッド@ヲヅキが長身8等身なのは周知のこととはいえ、ヒロインのアニス@みなこもまた美しいプロポーションだし、ジェレミー@真那春人くんがまた長身小顔の8等身、ジョーンズ@彩風咲奈くんはさらにでかくてこれまた小顔に長い手足のモデル体型ときたもんだ。
すげー並びだなヲイ。
みんなきれいでスタイル良くて、素直に感嘆した。眼福。
真那春人、という名前は知らなかったが、顔を見てわかった。
『銀薔薇』の下級生じゃん。
『シルバー・ローズ・クロニクル』初日に「あれは誰だ」と言っていた最下級生。
(http://koalatta.blog48.fc2.com/blog-entry-1489.html 『銀薔薇』初日感想)
「もうひとりの子よりイイ」てなことを書いている、もうひとりっつーのがAチームのジェレミーか……わたしの感想は『銀薔薇』から変わっていないようだな(笑)。
Bチームのジェレミーくん、まず美貌に注目した。
おお、ジェレミーが美形だ。背が高くてスタイルいい。てゆーか、ちゃんと、若者だ。
Aチームのジェレミーは体型も衣装も子どもで、ボニーにコナをかけようとしたり、ビリーと恋愛したりするようには見えなかった。
クライドとの精神的距離も大きく開いており、主要キャラクタとして格が落ちていた。
再演のジェレミーはそういう位置づけなのかと肩を落としていたところだったので、まなはるくんのジェレミーの「若い雄」ぶりに心が沸き立った。
トウコのジェレミーと同じポジションを期待できる? と。
オープニングの群衆、ボニー&クライドを悪く言う人々の中、「チガウ、チガウ、チガウ!!」と叫んで走り抜けていくところから、明らかに違った。……や、わたしの席からは声だけで、姿は見えなかったんだけど。その叫びの悲痛さに、姿は見えなくても注目したよ。
で、改めて姿を見たら、きれーな若者だったのでさらによろこんだ。
子どもではなく少年、大人になる前の若い獣であるということが、彼をあやうく、そして魅力的に見せている。
「助けてくれたじゃないか」とクライドの背に言い募る姿、「オレを置いていくのか」と怒りと悲しみに取り乱す姿、クライドへの愛情もそうだけど、ビリーとちゃんと恋人同士である、ということがジェレミーという少年をリアルにしている。
クライドとボニーが倒産した銀行を、そうとは知らず襲うところで、わたしはライトの当たっていないジェレミーとビリー@ぎゃびいを見ていた。
クライドたちに拒絶されたジェレミーは、傷ついた心を抱えてビリーのもとを訪れていた。
「オレは行き場所がなくて……ごめん、結局いつもここへやってくる」……そんなことを言う。
「バカね、それでいいのよ」
ビリーは微笑んでジェレミーを抱きしめ、ライトは消える。
ライトが消え、下手でクライドたちが銀行強盗をしているのに、それでもジェレミーたちを見ていた。
ジェレミーとビリーは、キスをしていた。
ライトの当たっていないなか、ずっと。
このふたり、こんなにちゃんと恋愛してたんだ。
知らなかった。
ジェレミーという男の物語を、見た。
たしかに。
ぶっちゃけ、今までとくに考えたことがなかったんだ。ジェレミーとビリーが、その、どこまでの関係かは。
ジェレミーがビリーを拠り所にしていることはわかっていたけれど、初演ビリー@まひるはそりゃー色気なくてな(笑)、キスだけのままごと恋愛もアリだろーと思っていたし、再演Aチームはジェレミーとジョーンズの区別があまりないくらいで、ビリーと恋愛しているとは気づいてなかった。
でも、まなはるくんのジェレミーを見て、はじめて気づいた。
そっか、ジェレミーとビリーって、ちゃんと結ばれてたんだな。彼女の部屋に泊まるってのは、そーゆーことなんだ。彼女の肌で、彼女の魂で、癒されていたんだ。
次の場面は、愛し合った翌日、なわけだ。最初かどーかは知らんが、確実に。
「あたしもつれてってよ」「バカ言え。お前まで連れ回してどうする」「それならアンタがそばにいてよ!」……この会話が、泣けるんですが。
ふたりが愛し合っていることが、わかるだけに。
ジェレミーが不器用に、だけどたしかにビリーを愛していることが、わかって。
だからこそ。
そこへやってくるフランク捜査官@ハマコが、残酷なんだ。恐いんだ。
容赦なく恫喝し、ビリーに乱暴する。ビリーを救いたかったら、クライドを裏切れと、ジェレミーを脅迫する。
ジェレミーがビリーを愛していることがわかるから。どれほど大切に思っているか、わかるから。
引き裂かれるジェレミーの心が、わかる。
クライドと、ビリー。
愛する人たちの間で、その愛ゆえに、ジェレミーは罪を犯す。
そして。
「死にに行かなくたっていいじゃないか!」という、ジェレミーの名台詞(なにしろ、しいちゃんのお茶会のクイズにも出題されたくらい、印象的な名台詞だ・笑)につながるわけだ。
このジェレミーには泣かされた。
まなはるくん、まだ研3だろ? うまいなー。
もうひとりの美形くん、ジョーンズ@彩風くん、こちらは研2。
おお。ジョーンズ、でかい(笑)。
子役には無理があるでかさです(笑)。ヲヅキに次いで長身てか?
でもかわいい。あま〜い美少年。
そして、これまたちゃんと演技するんだ。
子役ではあるけれど、かなり設定は高め。思春期くらいには達していそうだ。
モノの善悪の区別はついているからこそ、クライドたちへの裏切りの意味と、保身の狭間が思わぬ痛さを持つ。
役替わりビリー@ぎゃびいは、いつの間にかおねーさんになっていたんだなあ。
ビリーはぎゃんぎゃんうざい役だけど、彼女が意外と骨太に立ってくれたから、またチガウ味になった、感じ。
ぎゃびいに色気があるとも思えないが、なんだろ、生々しい存在感があったな。
ブランチ@カレンは、Aチームのぎゃびいより好き(笑)。どっしりした感じと、歌声の安定がイイ。
メアリーも役替わりなんだが、うーん、あんまりわかんなかった。
ボブ@朝風れいくんは、Aチームで「ブルース・レクイエム」の歌手だったので、役が付いているBチームでは誰が歌うのかと思っていたら、彼のままで「ボブが歌って良いのか?」と突っ込んだ(笑)。今回の「ブルース・レクイエム」は、どうしても彼の声が必要だったんだな。
声も演技も、悪くはない。けど、弱いかなあ。癖がないというか、カタチが出来上がる前というか。でも、顔はけっこー好きだー。
あずりんはオーディエンスなんだけど、見えやすいとこにはいない。
もともと真ん中で踊らせてもらっていたとこぐらいしか、いい位置はないんじゃないかなー。
2幕の銀行員は、ヒゲが似合っていてよかった。ああ、ほんとに好みの顔だ〜〜。スカフェが終わってしまったのが残念。もっともっと顔を見ていたかったよ。
あずりんのジェレミーも、見てみたかったなあ……。
誰が出るのかさっぱりわからないまま観劇。ボニーとアニスが役替わりしていること、あずりんに役がないことくらいしか、理解してなかった(笑)。
で。
……びっくりした。
Bチーム、スタイルええんや。
クライド@かなめ、テッド@ヲヅキが長身8等身なのは周知のこととはいえ、ヒロインのアニス@みなこもまた美しいプロポーションだし、ジェレミー@真那春人くんがまた長身小顔の8等身、ジョーンズ@彩風咲奈くんはさらにでかくてこれまた小顔に長い手足のモデル体型ときたもんだ。
すげー並びだなヲイ。
みんなきれいでスタイル良くて、素直に感嘆した。眼福。
真那春人、という名前は知らなかったが、顔を見てわかった。
『銀薔薇』の下級生じゃん。
『シルバー・ローズ・クロニクル』初日に「あれは誰だ」と言っていた最下級生。
(http://koalatta.blog48.fc2.com/blog-entry-1489.html 『銀薔薇』初日感想)
「もうひとりの子よりイイ」てなことを書いている、もうひとりっつーのがAチームのジェレミーか……わたしの感想は『銀薔薇』から変わっていないようだな(笑)。
Bチームのジェレミーくん、まず美貌に注目した。
おお、ジェレミーが美形だ。背が高くてスタイルいい。てゆーか、ちゃんと、若者だ。
Aチームのジェレミーは体型も衣装も子どもで、ボニーにコナをかけようとしたり、ビリーと恋愛したりするようには見えなかった。
クライドとの精神的距離も大きく開いており、主要キャラクタとして格が落ちていた。
再演のジェレミーはそういう位置づけなのかと肩を落としていたところだったので、まなはるくんのジェレミーの「若い雄」ぶりに心が沸き立った。
トウコのジェレミーと同じポジションを期待できる? と。
オープニングの群衆、ボニー&クライドを悪く言う人々の中、「チガウ、チガウ、チガウ!!」と叫んで走り抜けていくところから、明らかに違った。……や、わたしの席からは声だけで、姿は見えなかったんだけど。その叫びの悲痛さに、姿は見えなくても注目したよ。
で、改めて姿を見たら、きれーな若者だったのでさらによろこんだ。
子どもではなく少年、大人になる前の若い獣であるということが、彼をあやうく、そして魅力的に見せている。
「助けてくれたじゃないか」とクライドの背に言い募る姿、「オレを置いていくのか」と怒りと悲しみに取り乱す姿、クライドへの愛情もそうだけど、ビリーとちゃんと恋人同士である、ということがジェレミーという少年をリアルにしている。
クライドとボニーが倒産した銀行を、そうとは知らず襲うところで、わたしはライトの当たっていないジェレミーとビリー@ぎゃびいを見ていた。
クライドたちに拒絶されたジェレミーは、傷ついた心を抱えてビリーのもとを訪れていた。
「オレは行き場所がなくて……ごめん、結局いつもここへやってくる」……そんなことを言う。
「バカね、それでいいのよ」
ビリーは微笑んでジェレミーを抱きしめ、ライトは消える。
ライトが消え、下手でクライドたちが銀行強盗をしているのに、それでもジェレミーたちを見ていた。
ジェレミーとビリーは、キスをしていた。
ライトの当たっていないなか、ずっと。
このふたり、こんなにちゃんと恋愛してたんだ。
知らなかった。
ジェレミーという男の物語を、見た。
たしかに。
ぶっちゃけ、今までとくに考えたことがなかったんだ。ジェレミーとビリーが、その、どこまでの関係かは。
ジェレミーがビリーを拠り所にしていることはわかっていたけれど、初演ビリー@まひるはそりゃー色気なくてな(笑)、キスだけのままごと恋愛もアリだろーと思っていたし、再演Aチームはジェレミーとジョーンズの区別があまりないくらいで、ビリーと恋愛しているとは気づいてなかった。
でも、まなはるくんのジェレミーを見て、はじめて気づいた。
そっか、ジェレミーとビリーって、ちゃんと結ばれてたんだな。彼女の部屋に泊まるってのは、そーゆーことなんだ。彼女の肌で、彼女の魂で、癒されていたんだ。
次の場面は、愛し合った翌日、なわけだ。最初かどーかは知らんが、確実に。
「あたしもつれてってよ」「バカ言え。お前まで連れ回してどうする」「それならアンタがそばにいてよ!」……この会話が、泣けるんですが。
ふたりが愛し合っていることが、わかるだけに。
ジェレミーが不器用に、だけどたしかにビリーを愛していることが、わかって。
だからこそ。
そこへやってくるフランク捜査官@ハマコが、残酷なんだ。恐いんだ。
容赦なく恫喝し、ビリーに乱暴する。ビリーを救いたかったら、クライドを裏切れと、ジェレミーを脅迫する。
ジェレミーがビリーを愛していることがわかるから。どれほど大切に思っているか、わかるから。
引き裂かれるジェレミーの心が、わかる。
クライドと、ビリー。
愛する人たちの間で、その愛ゆえに、ジェレミーは罪を犯す。
そして。
「死にに行かなくたっていいじゃないか!」という、ジェレミーの名台詞(なにしろ、しいちゃんのお茶会のクイズにも出題されたくらい、印象的な名台詞だ・笑)につながるわけだ。
このジェレミーには泣かされた。
まなはるくん、まだ研3だろ? うまいなー。
もうひとりの美形くん、ジョーンズ@彩風くん、こちらは研2。
おお。ジョーンズ、でかい(笑)。
子役には無理があるでかさです(笑)。ヲヅキに次いで長身てか?
でもかわいい。あま〜い美少年。
そして、これまたちゃんと演技するんだ。
子役ではあるけれど、かなり設定は高め。思春期くらいには達していそうだ。
モノの善悪の区別はついているからこそ、クライドたちへの裏切りの意味と、保身の狭間が思わぬ痛さを持つ。
役替わりビリー@ぎゃびいは、いつの間にかおねーさんになっていたんだなあ。
ビリーはぎゃんぎゃんうざい役だけど、彼女が意外と骨太に立ってくれたから、またチガウ味になった、感じ。
ぎゃびいに色気があるとも思えないが、なんだろ、生々しい存在感があったな。
ブランチ@カレンは、Aチームのぎゃびいより好き(笑)。どっしりした感じと、歌声の安定がイイ。
メアリーも役替わりなんだが、うーん、あんまりわかんなかった。
ボブ@朝風れいくんは、Aチームで「ブルース・レクイエム」の歌手だったので、役が付いているBチームでは誰が歌うのかと思っていたら、彼のままで「ボブが歌って良いのか?」と突っ込んだ(笑)。今回の「ブルース・レクイエム」は、どうしても彼の声が必要だったんだな。
声も演技も、悪くはない。けど、弱いかなあ。癖がないというか、カタチが出来上がる前というか。でも、顔はけっこー好きだー。
あずりんはオーディエンスなんだけど、見えやすいとこにはいない。
もともと真ん中で踊らせてもらっていたとこぐらいしか、いい位置はないんじゃないかなー。
2幕の銀行員は、ヒゲが似合っていてよかった。ああ、ほんとに好みの顔だ〜〜。スカフェが終わってしまったのが残念。もっともっと顔を見ていたかったよ。
あずりんのジェレミーも、見てみたかったなあ……。
で、『凍てついた明日−ボニー&クライドとの邂逅』って、なんだったんだろう?
愛する作品の再演が観られたことはうれしいし、初演への思い入れとは別に、新しいカタチでの『凍てついた明日』をたのしんだ。
だけどやっぱり、この再演WSでは、『凍てついた明日』として足りていないと思うんだ。
出演者に力がないことは、はじめからわかっている。今の若者はタカラヅカに限らず成長が遅いため、昔ほどカタチを作ることができない。(そのかわり、いつまでも若々しい)
実力不足はそりゃー作品ファンとしては不満だけど、それはもう最初からわかっていたことだからあまり気にしていない。
それよりも、オギーの半端なアレンジが、不満だ。
アテ書きのオギーだから、実力不足の若者たち用に書き直してくるだろうと思った。
足りない部分をどう補ってくれるのかを、たのしみにしていたんだ。
実際、新作と言ってもいいくらいの細かい再構築ぶりで、相変わらずプライドを持って仕事をしているんだと感激はした。
しかし。
根本的に、ズレている気がする。
足りていなくても、できてなくても、とにかく『凍てついた明日』を演じさせる、というのが目的なのか?
えーっと、月組WSの『ホフマン物語』みたいに? ぜんっぜん歌えないことはわかっているけど、出来映えよりも「挑戦しました」「あの歌を歌いました」という事実だけを優先?
高いハードルに挑むことで、経験値を上げるのが目的? 結果は問うな、成功よりも努力を尊ぶのがタカラヅカだ。
それとも、技術が足りない若者たちで、足りないことが欠点にならないよう、彼らの持てるモノだけでなんとかできるよう、『凍てついた明日』を演じさせる、というのが目的なのか?
歌いこなせないことがわかっている歌は、はじめから歌わせない。できないことはやらせない。興行としてのクオリティ優先、お金を取ってお客様に観ていただくんだから、努力よりも成功を必要とする? や、ジェンヌはいかなるときも努力しているという前提で言うけれど。
どちらにしても、今回の『凍てついた明日−ボニー&クライドとの邂逅』は、中途半端だ。
シビさんとトウコという、ヅカを代表する歌い手たちの「持ち歌」ともいえる名曲「ブルース・レクイエム」。
作品のテーマとなるこの歌を、歌いこなせる生徒は残念ながら、このWSにはいない。(ハマコ除く)
歌える人間がいないから、歌わせなかった。
それは正しい判断だ。
ただでさえ『凍てついた明日』は、難しい物語だ。初演上演時、「わからない」「それでふたりは天国で結ばれたの?」などという感想があちこちで聞こえてきた。
実力者たちで演じてなお、ついてきてくれるファンが少なかった。
その物語を、台詞もろくに喋ったことがないような若者たちを多く使って再演するんだ。役者に力無くても観客が理解できるよう、わかりやすく作り直す必要がある。
膨大な説明台詞の挿入、画面を派手にするためのショー部分の挿入、人物の比重調整、実に細かく加筆修正してある。
下級生たちでも、演じられるように。彼らの演技でも、観客が理解できるように。ぶっちゃけ、テルの演技力でも、やっていけるように(笑)。
ハードルを低く設定してあることがわかり、「オギー、やるなあ」と最初は思ったんだ。
でもさー。
そこまでするなら、何故、「ブルース・レクイエム」を削除しなかったんだ?
「ブルース・レクイエム」だけでなく、「クライドのテーマ」もかな。
つまり、『凍てついた明日』のテーマ部分、全部別物にするべきだった。
わたしは初演ファンで、『凍てついた明日』といえば「ブルース・レクイエム」だと思っているし、『凍てついた明日』を再演する以上「ブルース・レクイエム」を聴きたかったと思う。たとえ、どれほど足りない歌声でも。
「ブルース・レクイエム」がないと、『凍てついた明日』だと思えない。
それくらい思い入れているけれど、それてもなお、思うんだ。
「ブルース・レクイエム」は、不要だった。
「ブルース・レクイエム」はジェレミー@トウコの歌だった。クライドとボニーを裏切り、死地へ追いやった……ことになるジェレミーが、泣きながら歌う。
捨てられたのは、裏切られたのは、彼の方なのだけれど。結果として、彼が裏切り者となった。誰よりも、クライドとボニーを愛しているのに。
そのジェレミーが歌う。魂の絶唱。
だが、再演では、この歌を歌える人がいない。
ジェレミーは歌わない。
Aチームのジェレミーは歌わなくて当然の比重だったけれど、Bチームの子なら歌ってもいいと思ったけどな。歌の実力は知らないが、役として。
物語の中では、役としては、誰も歌わない。ジェレミーがワンフレーズ、テッドが1曲の中の1部分だけというように、わずかに口にするだけ。
「曲」として1曲まんま歌うのはオーディエンス、つまり役以外の子たち。それほど上手くはないが、ニュートラルに素直な音を出せる子たちが歌っていた。
『凍てついた明日』のテーマだから、たしかにこの歌を1曲まるまる聴かせることは、まちがいじゃない。
でも。
プロモーションビデオはいらん。
物語の中で、登場人物が歌うから、曲に意味があったんだ。
歌うことで、「芝居」として表現できるという前提で、「ブルース・レクイエム」はあった。「クライドのテーマ」もね。
台詞を言うより、踊るより、なによりも有効な表現手段。必然だったから、それらの歌だったんだ。
なのに再演ではまず曲ありきで、安易に1曲まるまる流してしまう。
役ではなく、ナレーションに過ぎない人が、芝居としてではなく、BGMとして歌う。
そして主役は、曲のイメージに合わせて、苦悩のパントマイムをする。
イメージ映像なの、「ブルース・レクイエム」という曲の。プロモーションビデオなの。
この歌詞に合わせて、はい、立ち上がります。顔を歪めます。はい、この歌詞に合わせて閉塞感を出して。
……1曲まるまる、曲に合わせて、クライド@かなめくんのパントマイム。
「ブルース・レクイエム」は、なによりも歌自体がテーマであり、「芝居」なんだよ。
ただ正しい音程でキレイに歌う声をバックに、曲のイメージ演技をするモノぢゃない。
この歌て「表現」できる人がいないなら、登場人物に歌わせないなら、「ブルース・レクイエム」自体、なくしていい。なくすべきだ。
「クライドのテーマ」もまた、この歌を歌うことで「演技」ができないなら、長々と歌わせなくていい。歌うことだけに精一杯、振付をこなすことに精一杯、程度ならクライドがまるまる1曲歌わなくていいから、他のことで同じ場面を表現させてよ。
半端なんだよなあ。
とにかく、名曲「ブルース・レクイエム」が長くてこまったよ。かなめくんの「苦悩してます」イメージ演技だけでまるまる1曲は。
歌だけで聴かせることのできる歌声ではなかったし、癖のない綺麗な声ではあったけど、そこにドラマはなく、冗長で無駄な場面に思えた。
これで数分取るなら、もっと別のことをしてくれよ、と思った。
「ブルース・レクイエム」が名曲であるがゆえに、思わぬ落とし穴になった、って感じ。
主要人物に歌える人がいないなら、「ブルース・レクイエム」は削除。
かわりに、歌以外で同じテーマを、同じだけ印象的に表現できる方法を探す。
そうやって、過去にとらわれすぎずに『凍てついた明日』を再構築したものをも観てみたかった。
WS版も、そりゃ興味深く、おもしろい作品だったけどさ。
……や、実力ある人々で初演に近いカタチで再演してくれて、いいんだけど。
トウコとあすかで観てみたいのが本音っつーか、このふたり用にオギーがどんな『凍てついた明日』を、「ブルース・レクイエム」を演出するのかが、観たいのだけど。
愛する作品の再演が観られたことはうれしいし、初演への思い入れとは別に、新しいカタチでの『凍てついた明日』をたのしんだ。
だけどやっぱり、この再演WSでは、『凍てついた明日』として足りていないと思うんだ。
出演者に力がないことは、はじめからわかっている。今の若者はタカラヅカに限らず成長が遅いため、昔ほどカタチを作ることができない。(そのかわり、いつまでも若々しい)
実力不足はそりゃー作品ファンとしては不満だけど、それはもう最初からわかっていたことだからあまり気にしていない。
それよりも、オギーの半端なアレンジが、不満だ。
アテ書きのオギーだから、実力不足の若者たち用に書き直してくるだろうと思った。
足りない部分をどう補ってくれるのかを、たのしみにしていたんだ。
実際、新作と言ってもいいくらいの細かい再構築ぶりで、相変わらずプライドを持って仕事をしているんだと感激はした。
しかし。
根本的に、ズレている気がする。
足りていなくても、できてなくても、とにかく『凍てついた明日』を演じさせる、というのが目的なのか?
えーっと、月組WSの『ホフマン物語』みたいに? ぜんっぜん歌えないことはわかっているけど、出来映えよりも「挑戦しました」「あの歌を歌いました」という事実だけを優先?
高いハードルに挑むことで、経験値を上げるのが目的? 結果は問うな、成功よりも努力を尊ぶのがタカラヅカだ。
それとも、技術が足りない若者たちで、足りないことが欠点にならないよう、彼らの持てるモノだけでなんとかできるよう、『凍てついた明日』を演じさせる、というのが目的なのか?
歌いこなせないことがわかっている歌は、はじめから歌わせない。できないことはやらせない。興行としてのクオリティ優先、お金を取ってお客様に観ていただくんだから、努力よりも成功を必要とする? や、ジェンヌはいかなるときも努力しているという前提で言うけれど。
どちらにしても、今回の『凍てついた明日−ボニー&クライドとの邂逅』は、中途半端だ。
シビさんとトウコという、ヅカを代表する歌い手たちの「持ち歌」ともいえる名曲「ブルース・レクイエム」。
作品のテーマとなるこの歌を、歌いこなせる生徒は残念ながら、このWSにはいない。(ハマコ除く)
歌える人間がいないから、歌わせなかった。
それは正しい判断だ。
ただでさえ『凍てついた明日』は、難しい物語だ。初演上演時、「わからない」「それでふたりは天国で結ばれたの?」などという感想があちこちで聞こえてきた。
実力者たちで演じてなお、ついてきてくれるファンが少なかった。
その物語を、台詞もろくに喋ったことがないような若者たちを多く使って再演するんだ。役者に力無くても観客が理解できるよう、わかりやすく作り直す必要がある。
膨大な説明台詞の挿入、画面を派手にするためのショー部分の挿入、人物の比重調整、実に細かく加筆修正してある。
下級生たちでも、演じられるように。彼らの演技でも、観客が理解できるように。ぶっちゃけ、テルの演技力でも、やっていけるように(笑)。
ハードルを低く設定してあることがわかり、「オギー、やるなあ」と最初は思ったんだ。
でもさー。
そこまでするなら、何故、「ブルース・レクイエム」を削除しなかったんだ?
「ブルース・レクイエム」だけでなく、「クライドのテーマ」もかな。
つまり、『凍てついた明日』のテーマ部分、全部別物にするべきだった。
わたしは初演ファンで、『凍てついた明日』といえば「ブルース・レクイエム」だと思っているし、『凍てついた明日』を再演する以上「ブルース・レクイエム」を聴きたかったと思う。たとえ、どれほど足りない歌声でも。
「ブルース・レクイエム」がないと、『凍てついた明日』だと思えない。
それくらい思い入れているけれど、それてもなお、思うんだ。
「ブルース・レクイエム」は、不要だった。
「ブルース・レクイエム」はジェレミー@トウコの歌だった。クライドとボニーを裏切り、死地へ追いやった……ことになるジェレミーが、泣きながら歌う。
捨てられたのは、裏切られたのは、彼の方なのだけれど。結果として、彼が裏切り者となった。誰よりも、クライドとボニーを愛しているのに。
そのジェレミーが歌う。魂の絶唱。
だが、再演では、この歌を歌える人がいない。
ジェレミーは歌わない。
Aチームのジェレミーは歌わなくて当然の比重だったけれど、Bチームの子なら歌ってもいいと思ったけどな。歌の実力は知らないが、役として。
物語の中では、役としては、誰も歌わない。ジェレミーがワンフレーズ、テッドが1曲の中の1部分だけというように、わずかに口にするだけ。
「曲」として1曲まんま歌うのはオーディエンス、つまり役以外の子たち。それほど上手くはないが、ニュートラルに素直な音を出せる子たちが歌っていた。
『凍てついた明日』のテーマだから、たしかにこの歌を1曲まるまる聴かせることは、まちがいじゃない。
でも。
プロモーションビデオはいらん。
物語の中で、登場人物が歌うから、曲に意味があったんだ。
歌うことで、「芝居」として表現できるという前提で、「ブルース・レクイエム」はあった。「クライドのテーマ」もね。
台詞を言うより、踊るより、なによりも有効な表現手段。必然だったから、それらの歌だったんだ。
なのに再演ではまず曲ありきで、安易に1曲まるまる流してしまう。
役ではなく、ナレーションに過ぎない人が、芝居としてではなく、BGMとして歌う。
そして主役は、曲のイメージに合わせて、苦悩のパントマイムをする。
イメージ映像なの、「ブルース・レクイエム」という曲の。プロモーションビデオなの。
この歌詞に合わせて、はい、立ち上がります。顔を歪めます。はい、この歌詞に合わせて閉塞感を出して。
……1曲まるまる、曲に合わせて、クライド@かなめくんのパントマイム。
「ブルース・レクイエム」は、なによりも歌自体がテーマであり、「芝居」なんだよ。
ただ正しい音程でキレイに歌う声をバックに、曲のイメージ演技をするモノぢゃない。
この歌て「表現」できる人がいないなら、登場人物に歌わせないなら、「ブルース・レクイエム」自体、なくしていい。なくすべきだ。
「クライドのテーマ」もまた、この歌を歌うことで「演技」ができないなら、長々と歌わせなくていい。歌うことだけに精一杯、振付をこなすことに精一杯、程度ならクライドがまるまる1曲歌わなくていいから、他のことで同じ場面を表現させてよ。
半端なんだよなあ。
とにかく、名曲「ブルース・レクイエム」が長くてこまったよ。かなめくんの「苦悩してます」イメージ演技だけでまるまる1曲は。
歌だけで聴かせることのできる歌声ではなかったし、癖のない綺麗な声ではあったけど、そこにドラマはなく、冗長で無駄な場面に思えた。
これで数分取るなら、もっと別のことをしてくれよ、と思った。
「ブルース・レクイエム」が名曲であるがゆえに、思わぬ落とし穴になった、って感じ。
主要人物に歌える人がいないなら、「ブルース・レクイエム」は削除。
かわりに、歌以外で同じテーマを、同じだけ印象的に表現できる方法を探す。
そうやって、過去にとらわれすぎずに『凍てついた明日』を再構築したものをも観てみたかった。
WS版も、そりゃ興味深く、おもしろい作品だったけどさ。
……や、実力ある人々で初演に近いカタチで再演してくれて、いいんだけど。
トウコとあすかで観てみたいのが本音っつーか、このふたり用にオギーがどんな『凍てついた明日』を、「ブルース・レクイエム」を演出するのかが、観たいのだけど。
ラストシーンの変更は、ナニを意味するのか?
『凍てついた明日−ボニー&クライドとの邂逅』は、AチームとBチームではまったく物語が別物だったし、ラストシーンも違った。
ふたりが警官隊に蜂の巣にされるラスト、銃撃音が響く中。
Aチームでは、クライドとボニーは抱き合って静かに微笑していた。「ボニー&クライド」としてのふたりが浮かべている、もっともスタンダードな表情だった。台詞はない。
ちなみに、初演は白い衣装に着替えたふたりがひしと抱き合い、「愛してる」。再演Aチームはそこまでちゃんと抱き合っていないし、衣装もそのまま。
Bチームでは、クライドとボニーは、抱き合うことすらなかった。
見つめ合いはするが、別々に立っているだけ。
そして、銃撃音が終わったあとは共に正面を向き、視点すら合わせない。クライドが手前に立ち、ボニーは後ろから「愛してる」とつぶやく。
解釈は観た人の数だけあるのだろう。
ボニーがヒロインに見えなかったわたしには、Bチームのラストシーンは衝撃的でした。やっぱヒロインぢゃなかったのか、と(笑)。
ただの道連れでしかなく、どーでもいいと思っていた相手だが、警官隊の襲撃を受け、ボニーが撃たれたあとは「逃避行の道連れ」ではなく「黄泉路の道連れ」となったふたり。
現実から乖離しはじめた彼らは、ひとりで死ねない自殺志願者がサイトで道連れを募るよーに、ふたりだけで走りはじめる。
でも所詮は「道連れ」でしかないんだよね。そこに、愛はない。
だから最期のときも抱き合わない。触れあわない。心にあるのは、別の人。
ボニーの「愛してる」の台詞の浮きっぷりも、それがクライドに対して言ったものじゃないからだろう。クライドも背を向けたままだし。
Bチームの主人公はクライドだったので(Aチームはボニーだった)、彼中心で見ると、道連れにしたのがこんな女でしかなかった彼の行き詰まり感に、なお悲しくなる。
クライドもボニーも愛する人と生きていけない悲しみから、道を誤っている。
クライドはアニスと相愛であるにも関わらず、魂の違いから共に生きていけないために、互いが互いを失った。
でもボニーはチガウんだよね。彼女は夫のロイを愛していながら離婚するわけだけど、別に、そんなに好きなら彼を選べばよかったんだよ。ロイといれば不幸になる、彼もボニーを愛しているかわからない……つまり、自分を守るために別れたんだ。
いわばアニスの立場だけど、アニスは別のチンピラと逃げたりしない。クライドを捨ててまで選んだ自分のテリトリーでちゃんと生き続ける。どんなに苦しくても。……そんな女だからこそクライドが愛し、また、別れなければならなかった、とわかる。
ボニーはろくでなしのロイと別れたのに、結局またろくでなしのクライドと一緒になる。それならはじめから、ロイについていけばよかったんだ。彼と地獄まで行く覚悟がなかったくせに、代用品相手に身を汚すことで自分を哀れんでいる。
根本的な飢えや狂気や倦怠や、いわゆる「ボニー」を感じさせるキャラクタではない平凡感、小物感ゆえに、彼女が「不幸」だと思っていることが矮小に思えてならない。
クライドはボニーを道具として見ていないのだから、お互い様ではあるんだけれど、そんな小物な女しか最期に残らなかったんだ。
たぶん、自分の意志で、残さなかった。
テッドの愛にクライドが気づいていたかどうかは疑問だが、ジェレミーの愛情には気づいて然るべきだろう。
しかしクライドは、とことん鈍感だった。
ジェレミーがクライドを熱愛し、渇望しても、クライドはかわしていた。それは「気づいてはいけないこと」だったんだろう。
アニスを失い、心の聖域を架空の兄バックにのみ求めた彼は、現実に自分を愛している者の存在は、不要だった。
ジェレミーの愛に気づいてしまったら、彼はまた世俗の愛憎に、この世界に足をつけて思い悩むことになる。アニスとの別れで疲れ切った彼には、もうこれ以上愛であれ憎であれ、心を費やしたくなかったんだろう。
だから彼は、ボニーに手を伸ばした。
傷つけてもいい、どーでもいい相手。
自分が愛しているわけでも、自分を愛しているわけでもない女。
そんなどーでもいい相手を、心中の相手に選ぶところまで追いつめられた、クライドの壊れ方が、悲しい。
ボニーが脇役になっているため、Bチームではジェレミーの比重が上がっている。
Bチームのジェレミーはちゃんと「若い男」だ。少年ではあるが、Aチームのジェレミーのような「子ども」ではなく、大人ではないという意味での「少年」だ。
最初年上のボニーに憧れているが、次第に同世代の少女ビリーと愛し合うようになる。
クライドを尊敬し、かなりの熱を持って愛している。尊敬の念とは別に、彼の弟分ではなく片腕に……親友になりたいと思っている。同等になりたいのではなく、愛する人を助けられるだけの力が欲しいと思っている。
この子の存在があざやかな分、クライドの孤独、別れの悲劇が際立つ。
初演の泣きポイントはいくらでもあるが、ジェレミーに感情移入したときの爆発的なカタルシスが印象的だったために、再演Aチームを観たときに、ジェレミーのあまりに軽い扱い、感情移入どころじゃない脇役ぶりに拍子抜けしたんだが。
Bチームではちゃんとジェレミー視点が存在した。
最後の「死にに行かなくてもいいじゃないか!」の台詞にたどり着くまでの「ジェレミー」というキャラクタが見えた。
子どもではなく、若い男として、クライドより年下の少年として、クライドを熱愛している存在。や、腐った意味ではなく(笑)。
アニスはクライドを愛していたけれど、彼と共に堕ちてはくれなかった。
ボニーは共に堕ちてくれたけれど、彼を愛してはくれない。
ジェレミーだけが、クライドを愛し、彼と共にどこまでも堕ちてきた。彼の行くところへ、どこまでもついて行こうとした。
ずっとずっと、そばにあった。
クライドは、それに気づくだけでよかった。振り返るだけでよかった。
ジェレミーの愛を受け入れれば、違う明日があっただろう。
でもクライドは、それをしなかった。
本能的に。
無意識に。
ジェレミーの愛に気づかないよう、防御した。
もう、行く道は決まっていたから。
別の明日を探すことはやめ、ボニーの手を取って進んだ。
ある意味、ジェレミーもアニスと同じだったのかもしれない。
「ジェレミーはチガウ」から、と共に行くことを拒むのは、アニスと別れたのと同じ理由かもしれない。無意識であったにしろ。
そうしてクライドは、ボニーと抱き合うことすらなく、最期のときを迎える。
死してなお、ひとりで微笑む。ボニーを振り返りもせず。目線すら与えず。
その、いびつな魂。
その、孤独。
『凍てついた明日−ボニー&クライドとの邂逅』は、AチームとBチームではまったく物語が別物だったし、ラストシーンも違った。
ふたりが警官隊に蜂の巣にされるラスト、銃撃音が響く中。
Aチームでは、クライドとボニーは抱き合って静かに微笑していた。「ボニー&クライド」としてのふたりが浮かべている、もっともスタンダードな表情だった。台詞はない。
ちなみに、初演は白い衣装に着替えたふたりがひしと抱き合い、「愛してる」。再演Aチームはそこまでちゃんと抱き合っていないし、衣装もそのまま。
Bチームでは、クライドとボニーは、抱き合うことすらなかった。
見つめ合いはするが、別々に立っているだけ。
そして、銃撃音が終わったあとは共に正面を向き、視点すら合わせない。クライドが手前に立ち、ボニーは後ろから「愛してる」とつぶやく。
解釈は観た人の数だけあるのだろう。
ボニーがヒロインに見えなかったわたしには、Bチームのラストシーンは衝撃的でした。やっぱヒロインぢゃなかったのか、と(笑)。
ただの道連れでしかなく、どーでもいいと思っていた相手だが、警官隊の襲撃を受け、ボニーが撃たれたあとは「逃避行の道連れ」ではなく「黄泉路の道連れ」となったふたり。
現実から乖離しはじめた彼らは、ひとりで死ねない自殺志願者がサイトで道連れを募るよーに、ふたりだけで走りはじめる。
でも所詮は「道連れ」でしかないんだよね。そこに、愛はない。
だから最期のときも抱き合わない。触れあわない。心にあるのは、別の人。
ボニーの「愛してる」の台詞の浮きっぷりも、それがクライドに対して言ったものじゃないからだろう。クライドも背を向けたままだし。
Bチームの主人公はクライドだったので(Aチームはボニーだった)、彼中心で見ると、道連れにしたのがこんな女でしかなかった彼の行き詰まり感に、なお悲しくなる。
クライドもボニーも愛する人と生きていけない悲しみから、道を誤っている。
クライドはアニスと相愛であるにも関わらず、魂の違いから共に生きていけないために、互いが互いを失った。
でもボニーはチガウんだよね。彼女は夫のロイを愛していながら離婚するわけだけど、別に、そんなに好きなら彼を選べばよかったんだよ。ロイといれば不幸になる、彼もボニーを愛しているかわからない……つまり、自分を守るために別れたんだ。
いわばアニスの立場だけど、アニスは別のチンピラと逃げたりしない。クライドを捨ててまで選んだ自分のテリトリーでちゃんと生き続ける。どんなに苦しくても。……そんな女だからこそクライドが愛し、また、別れなければならなかった、とわかる。
ボニーはろくでなしのロイと別れたのに、結局またろくでなしのクライドと一緒になる。それならはじめから、ロイについていけばよかったんだ。彼と地獄まで行く覚悟がなかったくせに、代用品相手に身を汚すことで自分を哀れんでいる。
根本的な飢えや狂気や倦怠や、いわゆる「ボニー」を感じさせるキャラクタではない平凡感、小物感ゆえに、彼女が「不幸」だと思っていることが矮小に思えてならない。
クライドはボニーを道具として見ていないのだから、お互い様ではあるんだけれど、そんな小物な女しか最期に残らなかったんだ。
たぶん、自分の意志で、残さなかった。
テッドの愛にクライドが気づいていたかどうかは疑問だが、ジェレミーの愛情には気づいて然るべきだろう。
しかしクライドは、とことん鈍感だった。
ジェレミーがクライドを熱愛し、渇望しても、クライドはかわしていた。それは「気づいてはいけないこと」だったんだろう。
アニスを失い、心の聖域を架空の兄バックにのみ求めた彼は、現実に自分を愛している者の存在は、不要だった。
ジェレミーの愛に気づいてしまったら、彼はまた世俗の愛憎に、この世界に足をつけて思い悩むことになる。アニスとの別れで疲れ切った彼には、もうこれ以上愛であれ憎であれ、心を費やしたくなかったんだろう。
だから彼は、ボニーに手を伸ばした。
傷つけてもいい、どーでもいい相手。
自分が愛しているわけでも、自分を愛しているわけでもない女。
そんなどーでもいい相手を、心中の相手に選ぶところまで追いつめられた、クライドの壊れ方が、悲しい。
ボニーが脇役になっているため、Bチームではジェレミーの比重が上がっている。
Bチームのジェレミーはちゃんと「若い男」だ。少年ではあるが、Aチームのジェレミーのような「子ども」ではなく、大人ではないという意味での「少年」だ。
最初年上のボニーに憧れているが、次第に同世代の少女ビリーと愛し合うようになる。
クライドを尊敬し、かなりの熱を持って愛している。尊敬の念とは別に、彼の弟分ではなく片腕に……親友になりたいと思っている。同等になりたいのではなく、愛する人を助けられるだけの力が欲しいと思っている。
この子の存在があざやかな分、クライドの孤独、別れの悲劇が際立つ。
初演の泣きポイントはいくらでもあるが、ジェレミーに感情移入したときの爆発的なカタルシスが印象的だったために、再演Aチームを観たときに、ジェレミーのあまりに軽い扱い、感情移入どころじゃない脇役ぶりに拍子抜けしたんだが。
Bチームではちゃんとジェレミー視点が存在した。
最後の「死にに行かなくてもいいじゃないか!」の台詞にたどり着くまでの「ジェレミー」というキャラクタが見えた。
子どもではなく、若い男として、クライドより年下の少年として、クライドを熱愛している存在。や、腐った意味ではなく(笑)。
アニスはクライドを愛していたけれど、彼と共に堕ちてはくれなかった。
ボニーは共に堕ちてくれたけれど、彼を愛してはくれない。
ジェレミーだけが、クライドを愛し、彼と共にどこまでも堕ちてきた。彼の行くところへ、どこまでもついて行こうとした。
ずっとずっと、そばにあった。
クライドは、それに気づくだけでよかった。振り返るだけでよかった。
ジェレミーの愛を受け入れれば、違う明日があっただろう。
でもクライドは、それをしなかった。
本能的に。
無意識に。
ジェレミーの愛に気づかないよう、防御した。
もう、行く道は決まっていたから。
別の明日を探すことはやめ、ボニーの手を取って進んだ。
ある意味、ジェレミーもアニスと同じだったのかもしれない。
「ジェレミーはチガウ」から、と共に行くことを拒むのは、アニスと別れたのと同じ理由かもしれない。無意識であったにしろ。
そうしてクライドは、ボニーと抱き合うことすらなく、最期のときを迎える。
死してなお、ひとりで微笑む。ボニーを振り返りもせず。目線すら与えず。
その、いびつな魂。
その、孤独。
正義の鉄槌は下される。@凍てついた明日−ボニー&クライドとの邂逅
2008年7月14日 タカラヅカ ただ、こわかった。
恐怖ゆえに、泣いた。
雪組WS『凍てついた明日−ボニー&クライドとの邂逅』Bチーム。
主演者は同じで、ヒロインたち周囲のメインキャラが役替わりするイレギュラーな公演。
1幕で激しい違和感に襲われたのは、ボニーが、ボニーじゃないということだ。
史実を元にして書かれているから現実のボニーに対してどうだとか、有名映画があるからそこで描かれているボニーに対してどうだとか思うわけじゃない。
これは荻田浩一のオリジナル作品だから、史実も映画も無関係だ。唯一印象を縛るモノがあるとすれば、それは初演の『凍てついた明日』のみ。
それすら、演技に正解があるわけではないし、初演と再演は別物であっていいと思っている。
と、理解していてなお、とまどう。
このボニーは、チガウ。
そこにいるのは、ふつーの女の子だった。
当時のアメリカですらない。現代の、日本人の女の子だ。
公立高校でクラスメイトだった不良のかっこいい男の子と恋をして、あっという間に結婚。幼稚で短絡な関係だからもちろんあっけなく破綻、ハタチになるころには離婚、みたいな。
不況と言ってもレベルがチガウ、選ばなければ仕事はいくらでもある、現代日本。世間に対し漠然と不満だけ持ったフリーターの少女。責任転嫁はすでに習性、被害者意識だけがつねにある。
ボニーがあまりにもふつーの女の子で。
この子が「ボニー&クライド」のボニーである意味がどこにあるのか、とまどった。
ボニーが色を失い、アニスがヒロインとして確固たる輝きで存在した。
「クライド」という青年の物語のヒロインはアニスで、彼の物語のなかにボニーはいなかった。旅の道連れとなる仲間たちと同等の位置にあるだけ。
だが一応「ボニー&クライド」と銘打っている物語なので、「ボニー」というキャラクタも存在する。クライドの物語では脇役だが、それとは別に「ボニー」を視点とした物語も平行して存在するんだ。ボニーの物語の中では、もちろんクライドはただの脇役だ。
クライドとボニー、無関係なふたつの物語が、交互に描かれている。
暗い情熱と倦怠に支配されたクライドの物語、幼い自己完結の中にいるボニーの物語。
ただの道連れでしかないふたりだから、互いのことはなんとも思っていない。
ふつうの少女で、ふつうゆえに不良に惹かれる癖のあるボニーは、またしても不良青年クライドに惹かれる。高校時代、不良少年ロイに求められ、浅慮に結婚してしまったのと同じように、クライドに依存することで安易に救われようとする。
ふつう、であるがゆえの自己憐憫と逃避っぷりが、鼻につく(笑)。
現代の若者のアホっぷりを見るようで。自分の痛みには過敏で大騒ぎするくせに、他人の痛みには鈍感。ナイフを持って登校する高校生程度のメンタル。自分を守ることばかり考えて、他人を傷つけることにはなんの罪悪感もない。
ボニーがジョーンズと話す場面があるんだが、ここでもボニーは「母性」というものが欠如していることを露呈した。
演出も初演とも再演Aチームともちがい、ボニーはジョーンズをあやすようなアクションを取らない……のは、役者の母性の無さに対する、演出家の答えか。
ただ話しているだけで、彼女は自分のことしか考えていない。狭い狭い視界と感覚で生きる、平凡で愚かな少女。
クライドはアニスへの愛ゆえにコワレてしまっているが、ボニーは幼稚さゆえにまちがっているだけのふつーの女の子、に見えてつらい。悩まれても可哀想に見えない。感情移入できない。
「ボニー&クライド」であっても、主役はクライドなわけだから、いくらボニー視点があるといっても、クライドに愛されていないキャラクタは、比重が低い。
主役に顧みられない上に、本人にも感情移入できないキャラクタだと、出番が多いだけにつらいなあ。つか、なんのためにいるの、この子? と、首を傾げる。
それが。
2幕の運命の夜、警官隊の襲撃場面でそれらの答えが出る。
旅の終わりがなんとなく見えはじめているころ、クライドは心の聖域・兄バックがただの幻でしかないことを自嘲と共に自覚する。仲間たちの心は離れ、共に行動してはいるが、ぎくしゃくしている。
そんなときの警官隊の襲撃。指揮を執るのは特別捜査官フランク。
この襲撃場面が。
こわかった。
フランクを演じるのは、ハマコ。圧倒的な、実力の違い。舞台人としての、格の違い。
ハマコは、この公演で明らかに浮いていた。
実力のおぼつかない若手たちと、なにもかもがかけ離れていた。彼が声を出すだけで、「そこに世界のチガウ人がいる」とわかってしまう。
だから彼は記者として、外側から物語を見つめる人であり、クライドの聖域バックを演じるしかなかった。この世のモノではない役、限定だ。
聖域バックであるからこそ、天敵フランク役を兼ねることは、『凍てついた明日』の根幹だからはずせない配役だが、それにしてもフランク役が世界観から浮いているのは、気になっていた。
その、圧倒的な力で。
ささやかな子どもたちの世界が、踏みつぶされる。
襲撃場面に響き渡るのは、ハマコの歌声。
再演用のオリジナル曲。
この歌声が、容赦ない。
喘ぐことすら出来ない、強大な力。異を唱える隙も、哀願する余地もない。
ただ、叩き伏せられる。
それまで、クライドとボニーたち視点で物語は存在した。
ボニーはあまりにふつーの女の子で、彼女が「わたしだけが特別、わたしだけが傷ついている」と子ども特有の傲慢さで後生大事に抱え込んでいた悲劇、箱庭の中で自分だけに都合の良いお人形遊びをしていたささやかな子どもの王国が、大人の力によって、壊滅させられる。
無力だった。
ちっぽけだった。
彼女たちが、「世界」だと思って悦に入っていたモノ、すべてが。
大人の前では、なんの意味もない。
花畑で「プリンセスごっこ」をしていた少女たちのもとへ、大人がブルドーザーでやってきて、彼女たちが草で何時間も掛けて作ったお城を土から掘り起こして殲滅するような、容赦のなさ。次元の違い。
ボニーがあまりにもふつーの女の子で、無力で、愚かで、ちっぽけだから。
彼女と同等の比重だった他メンバーたちもまた、無力な子どもたちだから。
愚かでもちっぽけでも、子どもには子どもの世界がある。
大人から見ればただのガラクタでも、彼らにとっては宝物、秘密基地、夢のお城。
大人から見れば鼻で笑ってしまうようなことでも、彼らには生きるか死ぬかの深刻な苦悩。
それまでミクロな視点で子ども世界の悩みや苦しみを描いてきたのに……彼らの計り知れない巨大な力で、それを叩き潰されるなんて。
子どもたちが大人の力でねじ伏せられる、その容赦無さがこわくて、ただこわくて、涙が止まらなかった。
その圧倒的な力のなかで、さらに壊れるクライド。
銃弾の中で、呆然と立ち尽くす姿。
あまりに、無力で。
彼らが後生大事に抱え込んでいた夢のお城は、こんなにも脆くて。
こわくて、かなしくて、痛くて。
ボニーがふつうの女の子でしかなかったからこそ、そのふつーの子どもたちに加えられる、「大人」の暴力が、権力が、正義が、こわかった。
恐怖ゆえに、泣いた。
雪組WS『凍てついた明日−ボニー&クライドとの邂逅』Bチーム。
主演者は同じで、ヒロインたち周囲のメインキャラが役替わりするイレギュラーな公演。
1幕で激しい違和感に襲われたのは、ボニーが、ボニーじゃないということだ。
史実を元にして書かれているから現実のボニーに対してどうだとか、有名映画があるからそこで描かれているボニーに対してどうだとか思うわけじゃない。
これは荻田浩一のオリジナル作品だから、史実も映画も無関係だ。唯一印象を縛るモノがあるとすれば、それは初演の『凍てついた明日』のみ。
それすら、演技に正解があるわけではないし、初演と再演は別物であっていいと思っている。
と、理解していてなお、とまどう。
このボニーは、チガウ。
そこにいるのは、ふつーの女の子だった。
当時のアメリカですらない。現代の、日本人の女の子だ。
公立高校でクラスメイトだった不良のかっこいい男の子と恋をして、あっという間に結婚。幼稚で短絡な関係だからもちろんあっけなく破綻、ハタチになるころには離婚、みたいな。
不況と言ってもレベルがチガウ、選ばなければ仕事はいくらでもある、現代日本。世間に対し漠然と不満だけ持ったフリーターの少女。責任転嫁はすでに習性、被害者意識だけがつねにある。
ボニーがあまりにもふつーの女の子で。
この子が「ボニー&クライド」のボニーである意味がどこにあるのか、とまどった。
ボニーが色を失い、アニスがヒロインとして確固たる輝きで存在した。
「クライド」という青年の物語のヒロインはアニスで、彼の物語のなかにボニーはいなかった。旅の道連れとなる仲間たちと同等の位置にあるだけ。
だが一応「ボニー&クライド」と銘打っている物語なので、「ボニー」というキャラクタも存在する。クライドの物語では脇役だが、それとは別に「ボニー」を視点とした物語も平行して存在するんだ。ボニーの物語の中では、もちろんクライドはただの脇役だ。
クライドとボニー、無関係なふたつの物語が、交互に描かれている。
暗い情熱と倦怠に支配されたクライドの物語、幼い自己完結の中にいるボニーの物語。
ただの道連れでしかないふたりだから、互いのことはなんとも思っていない。
ふつうの少女で、ふつうゆえに不良に惹かれる癖のあるボニーは、またしても不良青年クライドに惹かれる。高校時代、不良少年ロイに求められ、浅慮に結婚してしまったのと同じように、クライドに依存することで安易に救われようとする。
ふつう、であるがゆえの自己憐憫と逃避っぷりが、鼻につく(笑)。
現代の若者のアホっぷりを見るようで。自分の痛みには過敏で大騒ぎするくせに、他人の痛みには鈍感。ナイフを持って登校する高校生程度のメンタル。自分を守ることばかり考えて、他人を傷つけることにはなんの罪悪感もない。
ボニーがジョーンズと話す場面があるんだが、ここでもボニーは「母性」というものが欠如していることを露呈した。
演出も初演とも再演Aチームともちがい、ボニーはジョーンズをあやすようなアクションを取らない……のは、役者の母性の無さに対する、演出家の答えか。
ただ話しているだけで、彼女は自分のことしか考えていない。狭い狭い視界と感覚で生きる、平凡で愚かな少女。
クライドはアニスへの愛ゆえにコワレてしまっているが、ボニーは幼稚さゆえにまちがっているだけのふつーの女の子、に見えてつらい。悩まれても可哀想に見えない。感情移入できない。
「ボニー&クライド」であっても、主役はクライドなわけだから、いくらボニー視点があるといっても、クライドに愛されていないキャラクタは、比重が低い。
主役に顧みられない上に、本人にも感情移入できないキャラクタだと、出番が多いだけにつらいなあ。つか、なんのためにいるの、この子? と、首を傾げる。
それが。
2幕の運命の夜、警官隊の襲撃場面でそれらの答えが出る。
旅の終わりがなんとなく見えはじめているころ、クライドは心の聖域・兄バックがただの幻でしかないことを自嘲と共に自覚する。仲間たちの心は離れ、共に行動してはいるが、ぎくしゃくしている。
そんなときの警官隊の襲撃。指揮を執るのは特別捜査官フランク。
この襲撃場面が。
こわかった。
フランクを演じるのは、ハマコ。圧倒的な、実力の違い。舞台人としての、格の違い。
ハマコは、この公演で明らかに浮いていた。
実力のおぼつかない若手たちと、なにもかもがかけ離れていた。彼が声を出すだけで、「そこに世界のチガウ人がいる」とわかってしまう。
だから彼は記者として、外側から物語を見つめる人であり、クライドの聖域バックを演じるしかなかった。この世のモノではない役、限定だ。
聖域バックであるからこそ、天敵フランク役を兼ねることは、『凍てついた明日』の根幹だからはずせない配役だが、それにしてもフランク役が世界観から浮いているのは、気になっていた。
その、圧倒的な力で。
ささやかな子どもたちの世界が、踏みつぶされる。
襲撃場面に響き渡るのは、ハマコの歌声。
再演用のオリジナル曲。
この歌声が、容赦ない。
喘ぐことすら出来ない、強大な力。異を唱える隙も、哀願する余地もない。
ただ、叩き伏せられる。
それまで、クライドとボニーたち視点で物語は存在した。
ボニーはあまりにふつーの女の子で、彼女が「わたしだけが特別、わたしだけが傷ついている」と子ども特有の傲慢さで後生大事に抱え込んでいた悲劇、箱庭の中で自分だけに都合の良いお人形遊びをしていたささやかな子どもの王国が、大人の力によって、壊滅させられる。
無力だった。
ちっぽけだった。
彼女たちが、「世界」だと思って悦に入っていたモノ、すべてが。
大人の前では、なんの意味もない。
花畑で「プリンセスごっこ」をしていた少女たちのもとへ、大人がブルドーザーでやってきて、彼女たちが草で何時間も掛けて作ったお城を土から掘り起こして殲滅するような、容赦のなさ。次元の違い。
ボニーがあまりにもふつーの女の子で、無力で、愚かで、ちっぽけだから。
彼女と同等の比重だった他メンバーたちもまた、無力な子どもたちだから。
愚かでもちっぽけでも、子どもには子どもの世界がある。
大人から見ればただのガラクタでも、彼らにとっては宝物、秘密基地、夢のお城。
大人から見れば鼻で笑ってしまうようなことでも、彼らには生きるか死ぬかの深刻な苦悩。
それまでミクロな視点で子ども世界の悩みや苦しみを描いてきたのに……彼らの計り知れない巨大な力で、それを叩き潰されるなんて。
子どもたちが大人の力でねじ伏せられる、その容赦無さがこわくて、ただこわくて、涙が止まらなかった。
その圧倒的な力のなかで、さらに壊れるクライド。
銃弾の中で、呆然と立ち尽くす姿。
あまりに、無力で。
彼らが後生大事に抱え込んでいた夢のお城は、こんなにも脆くて。
こわくて、かなしくて、痛くて。
ボニーがふつうの女の子でしかなかったからこそ、そのふつーの子どもたちに加えられる、「大人」の暴力が、権力が、正義が、こわかった。
で、ご挨拶の彼は。@新人公演『スカーレット・ピンパーネル』
2008年7月13日 タカラヅカ 新人公演『スカーレット・ピンパーネル』の話。えーっと、主要人物以外の人たちについて。
アルマン@真風くんは相変わらずうまくないんだが、本役と同じテイストっつーか……えーと、和くんの役を真風くんに続けてやらせるの、やめた方がいいかも。吸収率のいい若手時代だからこそ、勉強させるならもっと骨太とか濃ゆい人の役がよくないか? と、老婆心。
それよりも、デュハースト@みやるりと、アンドリュー@ミッキー。
前回の新公『エル・アルコン』の部下コンビですな。マスターズ@みやるりとスコット@ミッキー。
銀橋の「ミッション」がまったく歌えなくて、悲しく伴奏だけが響き渡った、めったにないほど潔く自爆していたふたり。
成長著しくないですか、彼ら。
みやるりは『ANNA KARENINA』があったから成長度が段階踏んで見えたけれど、ミッキーはびっくりっす。
台詞言って演技しているときより、スカピン団のひとりとして歌い踊っているときにイキイキキラキラしていて、「あのアイドル的貴公子誰?!」とガン見しちゃったよー。
他の5人がモブ化していただけに、みやるりの知的な美貌とミッキーのアイドル的輝きは目に付きました。
ところでなんで水輝涼はあんなに役付き悪いの?
最後の新公なんだよね?
二枚目として歌いまくる姿を拝みたかったっす。
てゆーか、ロベスピエール役が見たかった……。悪役で、歌があって、しゅんくんの上司で。ベニーに騙されて。
うおおお。水輝涼がもったいないー。
ロベスピエール@碧海くんに含みがあるわけではございません。彼はよくやっていたと思う。『ANNA KARENINA』の純朴青年より、前回新公のコールサック、今回のロベスピエールのような一癖ある役の方が彼を成長させていると思う。
プリンス・オブ・ウェールズ@しーらんは、本役よりさらにアニメ的だった。そのまま『ONE-PIECE』とかに出てきてもおかしくない。
くるくる回る姿がかわいい。
てゆーか、よく思い切ったなー(笑)。
まいけるはショーヴランの部下役。念願の大人役だが……うーん、ショーヴランが強烈で、印象が薄い……。
ルイ・シャルル@華雅りりかちゃんは、滑舌がよくなくて、こもった声なのが惜しい。無理して子ども声を作ろうとした結果かな?
そしてあのぼさぼさのカツラは、なにか意図があったんだろうか……。
マリー@キトリは、こわかった(笑)。
なんなの、あの気の強さ。アルマンが弱っちいせいもあるかもしれんが(笑)、終始気が強くて気が強くて、すげーこわい女の子だった。
最初の啖呵からして、「こんな役あったっけ?!」と本役と同じ役とは思えないくらい、びっくりした。
せあらちゃんはやっぱいいなあ。
美しくて、品があって。
美女がずらりと並んでいても、それでも目を引いてきれいだー。
せあらちゃんのヒロインが見たいよー。
さて、わたしは本役さんたちの席の前列に坐っていたので、後ろの彼らの声があちこち耳に入ったわけだが。
最後のご挨拶時の、にしきさんの反応がすげー愉快だった。
新公主演経験者であり、スターとしてのキャリア十分なしゅんくんがしっかりとした長の挨拶をしたあと、初主演のベニーの挨拶になる。
ベニーは挙動不審にマイクの前へ出て、「紅ゆずるです」と挨拶をする……のだが。
なんつーか、タイミングがおかしい。挨拶の場合、どこからどこまで一息に話し、どこで拍手を入れる、という慣例というかリズムができあがっているんだ、ヅカの客席では。
ベニーはその慣例っつーかリズムを無視した挨拶をするんだな。だから観客も、どこで拍手を入れたらいいものやら、とまどっているし、ベニーもしどろもどろ。
そして、なんとか名乗りを上げた直後、上級生への感謝の言葉を述べようとして、言葉に詰まってしまった。
小さな子どもが、しゃくりあげるように。
にしきさん「キタキタっ(笑)」
感極まって泣き出しかけたベニーは、それでもなんとか感謝の言葉を絞り出した。で、そのまま明後日からまたがんばります、と言って、
「本日は本当に……」
にしきさん「終わっちゃうんだ(笑)」
「……ありがとうございました」(礼。拍手。降りはじめる幕)
にしきさん「短っ(笑)」
だから後ろ、にしきさん、ウケ過ぎです。
いちいちツッコミが的確で。……いいなあ(笑)。
そして舞台では、ベニーを見守っているしゅんくんが、やはり同じように反応している。
彼も、まさかベニーがこんなに短く挨拶を終えてしまうとは思ってなかったろう。まりもちゃんと目を見合わせて、「ヲイヲイ」って感じに笑ってる。
いやあ、ここのしゅんくんに、萌えました。
すごく攻ないい顔して、ベニーを見守ってるのよー。
ベニーの言葉にいちいち頷いて、なのに挨拶の真ん中すっとばして締めの言葉になっちゃったときはびっくりして、やれやれって感じに許容して。
いっぱいいっぱいのベニーが自分の横に戻ってくるときに、「あ、きっと彼、なにか言ってあげる気だな」と思うよーな顔でベニーを見た。
実際、カーテンコールですぐに幕が上がったとき、ベニーはそのままの位置で唐突に、挨拶の続きをはじめた。(ふつーは前に出ます)
隣のしゅんくんに、言われたんだよね? 「挨拶肝心のとこが抜けたぞ」って。カテコででもいいから、ちゃんと言っておけって。
それでベニーは、たぶんテンパッちゃってまともな判断力がなくなっていたんだろう、言われるがまま、自動人形みたいに幕が開くなり「抜け落ちていた台詞」を脈絡なく話し出し……それにいちいちしゅんくんが保護者のように頷いているのが、もお……。
さらに、ベニーが台詞をすっ飛ばしたのを、横から教えてやり……詰まったベニーをつついたり、タイミングの指示したり、見事なまでの、保護者付き挨拶! に、大ウケしましたよ……萌えましたよ……。
麻尋しゅんがこんなにいい男に見えたの、はじめてだ……(笑)。
かっこいいなー、しゅんくん。
でもって、ダメダメベニー、かわいいなー。
同期っていいよなー。萌えの宝庫だわ。
東宝の新公も観たいなあ……。くそー、チケットないしカネもないし。
今回の新公、見どころだらけですよぅ。
アルマン@真風くんは相変わらずうまくないんだが、本役と同じテイストっつーか……えーと、和くんの役を真風くんに続けてやらせるの、やめた方がいいかも。吸収率のいい若手時代だからこそ、勉強させるならもっと骨太とか濃ゆい人の役がよくないか? と、老婆心。
それよりも、デュハースト@みやるりと、アンドリュー@ミッキー。
前回の新公『エル・アルコン』の部下コンビですな。マスターズ@みやるりとスコット@ミッキー。
銀橋の「ミッション」がまったく歌えなくて、悲しく伴奏だけが響き渡った、めったにないほど潔く自爆していたふたり。
成長著しくないですか、彼ら。
みやるりは『ANNA KARENINA』があったから成長度が段階踏んで見えたけれど、ミッキーはびっくりっす。
台詞言って演技しているときより、スカピン団のひとりとして歌い踊っているときにイキイキキラキラしていて、「あのアイドル的貴公子誰?!」とガン見しちゃったよー。
他の5人がモブ化していただけに、みやるりの知的な美貌とミッキーのアイドル的輝きは目に付きました。
ところでなんで水輝涼はあんなに役付き悪いの?
最後の新公なんだよね?
二枚目として歌いまくる姿を拝みたかったっす。
てゆーか、ロベスピエール役が見たかった……。悪役で、歌があって、しゅんくんの上司で。ベニーに騙されて。
うおおお。水輝涼がもったいないー。
ロベスピエール@碧海くんに含みがあるわけではございません。彼はよくやっていたと思う。『ANNA KARENINA』の純朴青年より、前回新公のコールサック、今回のロベスピエールのような一癖ある役の方が彼を成長させていると思う。
プリンス・オブ・ウェールズ@しーらんは、本役よりさらにアニメ的だった。そのまま『ONE-PIECE』とかに出てきてもおかしくない。
くるくる回る姿がかわいい。
てゆーか、よく思い切ったなー(笑)。
まいけるはショーヴランの部下役。念願の大人役だが……うーん、ショーヴランが強烈で、印象が薄い……。
ルイ・シャルル@華雅りりかちゃんは、滑舌がよくなくて、こもった声なのが惜しい。無理して子ども声を作ろうとした結果かな?
そしてあのぼさぼさのカツラは、なにか意図があったんだろうか……。
マリー@キトリは、こわかった(笑)。
なんなの、あの気の強さ。アルマンが弱っちいせいもあるかもしれんが(笑)、終始気が強くて気が強くて、すげーこわい女の子だった。
最初の啖呵からして、「こんな役あったっけ?!」と本役と同じ役とは思えないくらい、びっくりした。
せあらちゃんはやっぱいいなあ。
美しくて、品があって。
美女がずらりと並んでいても、それでも目を引いてきれいだー。
せあらちゃんのヒロインが見たいよー。
さて、わたしは本役さんたちの席の前列に坐っていたので、後ろの彼らの声があちこち耳に入ったわけだが。
最後のご挨拶時の、にしきさんの反応がすげー愉快だった。
新公主演経験者であり、スターとしてのキャリア十分なしゅんくんがしっかりとした長の挨拶をしたあと、初主演のベニーの挨拶になる。
ベニーは挙動不審にマイクの前へ出て、「紅ゆずるです」と挨拶をする……のだが。
なんつーか、タイミングがおかしい。挨拶の場合、どこからどこまで一息に話し、どこで拍手を入れる、という慣例というかリズムができあがっているんだ、ヅカの客席では。
ベニーはその慣例っつーかリズムを無視した挨拶をするんだな。だから観客も、どこで拍手を入れたらいいものやら、とまどっているし、ベニーもしどろもどろ。
そして、なんとか名乗りを上げた直後、上級生への感謝の言葉を述べようとして、言葉に詰まってしまった。
小さな子どもが、しゃくりあげるように。
にしきさん「キタキタっ(笑)」
感極まって泣き出しかけたベニーは、それでもなんとか感謝の言葉を絞り出した。で、そのまま明後日からまたがんばります、と言って、
「本日は本当に……」
にしきさん「終わっちゃうんだ(笑)」
「……ありがとうございました」(礼。拍手。降りはじめる幕)
にしきさん「短っ(笑)」
だから後ろ、にしきさん、ウケ過ぎです。
いちいちツッコミが的確で。……いいなあ(笑)。
そして舞台では、ベニーを見守っているしゅんくんが、やはり同じように反応している。
彼も、まさかベニーがこんなに短く挨拶を終えてしまうとは思ってなかったろう。まりもちゃんと目を見合わせて、「ヲイヲイ」って感じに笑ってる。
いやあ、ここのしゅんくんに、萌えました。
すごく攻ないい顔して、ベニーを見守ってるのよー。
ベニーの言葉にいちいち頷いて、なのに挨拶の真ん中すっとばして締めの言葉になっちゃったときはびっくりして、やれやれって感じに許容して。
いっぱいいっぱいのベニーが自分の横に戻ってくるときに、「あ、きっと彼、なにか言ってあげる気だな」と思うよーな顔でベニーを見た。
実際、カーテンコールですぐに幕が上がったとき、ベニーはそのままの位置で唐突に、挨拶の続きをはじめた。(ふつーは前に出ます)
隣のしゅんくんに、言われたんだよね? 「挨拶肝心のとこが抜けたぞ」って。カテコででもいいから、ちゃんと言っておけって。
それでベニーは、たぶんテンパッちゃってまともな判断力がなくなっていたんだろう、言われるがまま、自動人形みたいに幕が開くなり「抜け落ちていた台詞」を脈絡なく話し出し……それにいちいちしゅんくんが保護者のように頷いているのが、もお……。
さらに、ベニーが台詞をすっ飛ばしたのを、横から教えてやり……詰まったベニーをつついたり、タイミングの指示したり、見事なまでの、保護者付き挨拶! に、大ウケしましたよ……萌えましたよ……。
麻尋しゅんがこんなにいい男に見えたの、はじめてだ……(笑)。
かっこいいなー、しゅんくん。
でもって、ダメダメベニー、かわいいなー。
同期っていいよなー。萌えの宝庫だわ。
東宝の新公も観たいなあ……。くそー、チケットないしカネもないし。
今回の新公、見どころだらけですよぅ。
カウンタの3並びを自分で踏もうと画策していたのに、気が付いたら過ぎてましたよ……。ゾロ目がうれしい小市民なので。
誰か踏んだ人いる? 100万ヒットのときみたいに、身内で狙っていたんぢゃないかと予想してるんだが(笑)。
そーいや本公演の感想をまともに書いていない気もするが……。
新人公演『スカーレット・ピンパーネル』がたのしかったのは、もちろん本公演がきちんとたのしいモノであるからだ。
本公演との手触りの違いが愉快だったりする。
トウコのパーシーは、老練だ。
一筋縄ではいかない強さと複雑さを持ち、そのくせマルグリットに対してだけ大人になりきれないでいる。なにもかも持ち合わせた大人の男が見せる少年性がたまらん。
ベニーのパーシーは、アタマがよくなさそーなとこがいい。
雰囲気と運だけでヒーローやっていそうなゆるさが、より「冒険活劇」的だ。少年ジャンプの主人公は理詰めでがんじがらめになっているより、あちこち抜けてる方がいいんだってば。
パーシーがアホっぽい分、副長のデュハースト@みやるりのアタマがよさそーに見える。
天然ヒーローなトップと、切れモノな片腕、とゆーのは萌え構図ですよ、はい。
れおんのショーヴランは、まぬけで体育会系でかわいい。
トウコの手のひらの上で転がされている感じがイイ。いじられても可哀想じゃないというか、どれだけマルグリットに振られても堪えてないというか人の話聞いてないというか、鈍感そうなとこがイイ(笑)。マルゴちゃんは本気で嫌がってるのに、ショーちゃんマジで気づいてないだろ(笑)。
しゅんくんのショーヴランはもっとシリアスで凶悪。マルゴとはディープな恋愛関係が過去にあった模様。だからこそ、今彼女に否定されるのが納得できない。
彼がやたらとシリアスなので、本公よりさらにコメディなグラパンと、相性悪いったら(笑)。
ただ、モブと主要人物たちの力の差は歴然としていた。
キャラクタを創るには、年期が必要なのだ、と痛感させられた。
パーシー@ベニーには仲間たちがいる。
イギリス貴族仲間たち7人、執事ひとり、妻の弟のフランス人ひとり、合計9人ですか。
図書室に彼ら全員集まると……うざい(笑)。
ごちゃごちゃと人数だけはいるが、ただいるだけで、区別がつかない。
下級生ばかりで顔の見分けがついていない、こともあるだろうが、それにしたってキャラ立ちがしていなさすぎるせいだ。
本公演でも「人数こんなにいらない……でも役がないから仕方ないよな、少しでも役をつけてあげないと」と事情を察するに至る不自然な人数なんだが、新公になると不自然を通り越してしまう(笑)。
「みんなキラキラ衣装の二枚目」という設定の中、キャラクタを差別化できるのって、せいぜい3人までなのかなあ、と思ってみたり。
アルマン@真風、デュハースト@みやるり、アンドリュー@ミッキーまでですか、かろうじてカタチになってるの。つまり、ふつーに役割のある人まで……って、それだけなの?!
お笑いキャラのオジー@れんたですら、埋没している。や、れんたがうまくないだけ、つーのは大いにあるが。
本公演でも、さすがに7人いるイギリス貴族たちはキャラ立てに苦労している。
戦隊モノが5人なのは、それ以上のキャラ立てが難しいからだ。一目見て、彼らの特技や性格がわかるなんて、数人が限度。戦隊モノは女の子が混じってるからまだ差別化しやすいけど、男だけで7人となると……無理だろ。
じっくり見ていればわかるかもしれないが、そーではなく初見でキャラクタがすばりわかるかどうかの話ね。
やっぱ、しいちゃん、すずみん、あかしぐらいしか、一発では「こんな人」ってわからないよなー。
2回目以降、ベニーとしーらんはキャラがなんとなくわかるが、ともみんとしゅんくんはわからない……。さらに、しゅんくんは未だにわからない……。
7人が7人とも、あざやかにキャラクタを確立してくれたら、とても豪華な並びになるが、ただのモブだとすると7人は多い。
そこにアルマンと執事まで入って9人になると、手が付けられないモブの多さ……。
「頼む、画面をもっとすっきりさせてくれー」と思ってしまった新人公演。
最初から水増しした感が強いスカピン団なので、それぞれのキャラクタに書き込みはされていないのだろう。
つまり、どう演じるか、そのキャラクタを息づかせるかは、役者の力量次第。
力のない人が演じるとただのモブ、その他大勢、頭数合わせでそこにいるだけの人、になってしまう。
新公を見ると本公のすばらしさ、本役のすばらしさを実感するもんなんだが、今回もっとも感じたのはスカピン団だ。
あの多すぎる人数で、それでもキャラ立ちさせようとしている本公のスカピン団は、やっぱすごいんだな、と。
新公スカピン団は、キャラ立ち以前に「男役」としての在り方が課題だろう。
男として存在すること自体に手こずっているから、キャラクタ付けどころじゃない。
実力的に誰が抜きんでているわけでもないから、みんな等しく足りなくて、きれーな衣装を着た下級生、というだけでずらりと並ばれても……つまんないなー。
スカピン団の場面が楽しかったのは、本役さんたちの技術ゆえか。
本公と新公を比較しても、ふつーは意味なんかないんだが、今回は技術の差とは別に、キャラクタの差が愉快だったので言及してみた。
がんばれ新公スカピン団。技術が足りないのは仕方ないとして、キャラクタ作りをここはひとつ、こだわってみせてくれ。目指せ、脱モブ化!! そしたらきっと、たのしいと思うんだ。
なんせ主要人物がみんな、本公とは別物なんだから(笑)。別にしちゃっていいんだよー。
誰か踏んだ人いる? 100万ヒットのときみたいに、身内で狙っていたんぢゃないかと予想してるんだが(笑)。
そーいや本公演の感想をまともに書いていない気もするが……。
新人公演『スカーレット・ピンパーネル』がたのしかったのは、もちろん本公演がきちんとたのしいモノであるからだ。
本公演との手触りの違いが愉快だったりする。
トウコのパーシーは、老練だ。
一筋縄ではいかない強さと複雑さを持ち、そのくせマルグリットに対してだけ大人になりきれないでいる。なにもかも持ち合わせた大人の男が見せる少年性がたまらん。
ベニーのパーシーは、アタマがよくなさそーなとこがいい。
雰囲気と運だけでヒーローやっていそうなゆるさが、より「冒険活劇」的だ。少年ジャンプの主人公は理詰めでがんじがらめになっているより、あちこち抜けてる方がいいんだってば。
パーシーがアホっぽい分、副長のデュハースト@みやるりのアタマがよさそーに見える。
天然ヒーローなトップと、切れモノな片腕、とゆーのは萌え構図ですよ、はい。
れおんのショーヴランは、まぬけで体育会系でかわいい。
トウコの手のひらの上で転がされている感じがイイ。いじられても可哀想じゃないというか、どれだけマルグリットに振られても堪えてないというか人の話聞いてないというか、鈍感そうなとこがイイ(笑)。マルゴちゃんは本気で嫌がってるのに、ショーちゃんマジで気づいてないだろ(笑)。
しゅんくんのショーヴランはもっとシリアスで凶悪。マルゴとはディープな恋愛関係が過去にあった模様。だからこそ、今彼女に否定されるのが納得できない。
彼がやたらとシリアスなので、本公よりさらにコメディなグラパンと、相性悪いったら(笑)。
ただ、モブと主要人物たちの力の差は歴然としていた。
キャラクタを創るには、年期が必要なのだ、と痛感させられた。
パーシー@ベニーには仲間たちがいる。
イギリス貴族仲間たち7人、執事ひとり、妻の弟のフランス人ひとり、合計9人ですか。
図書室に彼ら全員集まると……うざい(笑)。
ごちゃごちゃと人数だけはいるが、ただいるだけで、区別がつかない。
下級生ばかりで顔の見分けがついていない、こともあるだろうが、それにしたってキャラ立ちがしていなさすぎるせいだ。
本公演でも「人数こんなにいらない……でも役がないから仕方ないよな、少しでも役をつけてあげないと」と事情を察するに至る不自然な人数なんだが、新公になると不自然を通り越してしまう(笑)。
「みんなキラキラ衣装の二枚目」という設定の中、キャラクタを差別化できるのって、せいぜい3人までなのかなあ、と思ってみたり。
アルマン@真風、デュハースト@みやるり、アンドリュー@ミッキーまでですか、かろうじてカタチになってるの。つまり、ふつーに役割のある人まで……って、それだけなの?!
お笑いキャラのオジー@れんたですら、埋没している。や、れんたがうまくないだけ、つーのは大いにあるが。
本公演でも、さすがに7人いるイギリス貴族たちはキャラ立てに苦労している。
戦隊モノが5人なのは、それ以上のキャラ立てが難しいからだ。一目見て、彼らの特技や性格がわかるなんて、数人が限度。戦隊モノは女の子が混じってるからまだ差別化しやすいけど、男だけで7人となると……無理だろ。
じっくり見ていればわかるかもしれないが、そーではなく初見でキャラクタがすばりわかるかどうかの話ね。
やっぱ、しいちゃん、すずみん、あかしぐらいしか、一発では「こんな人」ってわからないよなー。
2回目以降、ベニーとしーらんはキャラがなんとなくわかるが、ともみんとしゅんくんはわからない……。さらに、しゅんくんは未だにわからない……。
7人が7人とも、あざやかにキャラクタを確立してくれたら、とても豪華な並びになるが、ただのモブだとすると7人は多い。
そこにアルマンと執事まで入って9人になると、手が付けられないモブの多さ……。
「頼む、画面をもっとすっきりさせてくれー」と思ってしまった新人公演。
最初から水増しした感が強いスカピン団なので、それぞれのキャラクタに書き込みはされていないのだろう。
つまり、どう演じるか、そのキャラクタを息づかせるかは、役者の力量次第。
力のない人が演じるとただのモブ、その他大勢、頭数合わせでそこにいるだけの人、になってしまう。
新公を見ると本公のすばらしさ、本役のすばらしさを実感するもんなんだが、今回もっとも感じたのはスカピン団だ。
あの多すぎる人数で、それでもキャラ立ちさせようとしている本公のスカピン団は、やっぱすごいんだな、と。
新公スカピン団は、キャラ立ち以前に「男役」としての在り方が課題だろう。
男として存在すること自体に手こずっているから、キャラクタ付けどころじゃない。
実力的に誰が抜きんでているわけでもないから、みんな等しく足りなくて、きれーな衣装を着た下級生、というだけでずらりと並ばれても……つまんないなー。
スカピン団の場面が楽しかったのは、本役さんたちの技術ゆえか。
本公と新公を比較しても、ふつーは意味なんかないんだが、今回は技術の差とは別に、キャラクタの差が愉快だったので言及してみた。
がんばれ新公スカピン団。技術が足りないのは仕方ないとして、キャラクタ作りをここはひとつ、こだわってみせてくれ。目指せ、脱モブ化!! そしたらきっと、たのしいと思うんだ。
なんせ主要人物がみんな、本公とは別物なんだから(笑)。別にしちゃっていいんだよー。
彼の哄笑が聞こえる。@新人公演『スカーレット・ピンパーネル』
2008年7月11日 タカラヅカ とにかく、おもしろかった。
新人公演『スカーレット・ピンパーネル』。
今回の話題は抜擢された主演の紅ゆずるに尽きる、のだと思う。
数日前からこんな僻地ブログにも彼の名前で検索が来まくっている。そしてもれなく3年前の記事に行きつく。がっくり。(ところで、「檀ちゃんの太股」で検索したの誰? ノリいいなヲイ・笑)
わたしもベニーは好きだし、それこそ3年前からずーっと見守ってきた子の晴れ姿、うれしいしわくわくだし、実際彼はよくやっていたしきれーだし、誇らしいキモチでいっぱいなんだが。
でも、ナニよりわたし的に「キタ!」のは、ショーヴラン@しゅんくんだ。
登場した瞬間から、トップテンション。
すでに「そこにいる」人だった。
なんかすごく鋭角的に、まっすぐに、届いたの。
あ、こーゆー人、って。
オープニングはカットされているから、彼とピポー軍曹とのやりとりはナシ。「コメディ・フランセーズ」からの登場。
マルグリット@まりもちゃんへの脅迫。彼女への執着と怒り。どす黒いモノが蠢いている。
次が、「マダム・ギロチン」だ。
登場して、歌になる。
もともと派手な歌だよ、盛り上がる歌だよ。
それにしたって、初速がすごい。
エネルギーの塊が、ぶつかってくる、感じ。
背景と、主役クラスのキャラクタのちがい。
舞台にはたくさん人がいるのに、モブの人たちと、ショーヴランの、存在の違い。彼だけがライトを浴びてマイクを使って台詞を言っている、とかゆー次元のことじゃなくて、ほんとうに登場した瞬間に、彼に目が行った。
彼が「特別」であることがわかる。
なにか別次元でイッちゃってる、闇雲な爆発。
場の空気関係ナシ。ほんと、びっくりするくらい唐突。
その、世界と関係なく爆発している孤独な魂に、涙が出た。
浮いてるのよ、まちがいなく。
ショーヴランだけ別物。
「マダム・ギロチン」を歌うパリ市民たちだって十分ダークなんだけど、ショーヴランは彼らすらぶっちぎってる。
狂気と暴力と退廃の真っ只中にいてなお、独立した闇が燃えている。
新人公演な分、ダークさや怖さ、歪みは薄くなっている。人数も減っている上に、若者たちにそんな狂ったものをモブで出せといっても無理だろう。
そんななかで、ショーヴランだけ狂気まっしぐら。
彼は、「世界」を変えようとしている。
舞台の空気は彼について来ていない。なのに彼は突き進む。力尽くで、空気を変える。彼が燃えあがることで、爆発することで、強引に空気を自分の側に寄せる。
ねじ伏せる。
そこにあるもの、世界を、舞台を。
意識してやっているというより、たんに暴走してるだけだろう(笑)。
無意識だろうと、ブレーキをかけられないだけの暴走だろうと、そんなのどーでもいい。
わたしは、ショーヴランの狂気に魅せられた。
最初の「マダム・ギロチン」で心臓がばくばくして、涙が出て。
そっから先は、ショーヴラン主役。
主役交代?! つーかはじまったばっかでパーシー@ベニーは銀橋で1曲歌っただけやがな? まだパーシーの見せ場がないまま、それだけで主役交代はフェアじゃないだろう。
……と、セルフツッコミは入るけれど、仕方ない。
「マダム・ギロチン」のショーヴランで射抜かれてしまったので、そっから先は彼が主役(笑)。
おかげで、パーシー、ムカつく(笑)。
こっちはマジに話してんの。シリアスなの、真面目なの。それをいちいちギャグでかき回しやがって、うざいっつーの。
グラパン、ギャグやりすぎ。お笑いに走るのはある意味簡単なんだから、楽な方に逃げて客席にこびるな〜〜。
と、ショーヴラン目線で『スカピン』をたのしみました(笑)。
もちろん、わたしのなかには複数のチャンネルが同時に存在しているので、パーシーが主役としてのふつーの見方もして、彼の光とやわらかさをオイシク味わっておりました。
マルグリットがなびかないことにも、苛々(笑)。や、ショーちゃん目線ですから!
彼の独り相撲ではなく、昔はほんとーにアツい恋人同士だったことが、あったんだろう。理想に燃える少女を惑乱させるくらいの熱は、ショーヴランにはふつーにあるって。
ショーヴラン主役だから、彼の歌がカットされてるのを、心から惜しんだしな。
わたしにもっと見せて、ショーヴランを。あの狂った歌をもっと聴かせて!
ふつーのラインよりはるかに高いところにある、ショーヴランのテンション。その高さが、彼のふつー。
こわい人。とてもついていけない。……そこがイイ。
マルグリットとの過去が独りよがりではないと思える以上、弟アルマン@真風を拷問するときの優柔不断さや、マルグリットに対峙するときのサディスティックさ(かわいさ余って憎さ百倍)ぶりに、説得力がある。
ショーヴランの狂気がぞくぞくさせてくれるからこそ、彼が力尽くでねじ伏せた世界を、パーシーがあっけらか〜んと陽気にひっくり返すのも、ショーヴラン目線でムカつきつつ、たのしかった。
自分の中で視点が確立したために、オセロゲームみたいに白と黒、表と裏が次々覆されていく感覚がより顕著になった。
おもしろい。
『スカーレット・ピンパーネル』って、こんなにおもしろい話だったのか!
おもしろい物語だということはわかっていたけれど、本公演では感じたことのないおもしろさだった。
ショーちゃん目線でパーシーに翻弄されると、すっげーおもしろいぞ?! 本気でムカつく、とゆーのは、本気で、物語にハマりこんでいるとゆーことだ。本気で、おもしろいとゆーことだ。
パーシーはなんつーか、サワヤカだ。
たおやかでキラキラしていて、アタマがよさそーには見えない(笑)。
スカピン団のブレーンはデュハースト@みやるりだろう。パーシーは人望でリーダーを務めるタイプで、おつむはライト感覚。つまり、天然。
天然はこわいぞ? こーゆータイプが「正義の味方」だと、悪役は絶対太刀打ちできない(笑)。なにしろ天然、ナチュラルボーン。
天使みたいな天然ヒーローと、いつも煮えたぎっているハイテンション悪役の一騎打ち。
ほんとーにふたりが闘うわけじゃないが、ふたりはそれぞれ出てきたときに舞台のムードを変える。
パーシーはキラキラペパーミントグリーンな空気に、ショーヴランは黒と赤茶の重い空気に。
オセロが裏、表、裏とターンごとにひっくり返されるように。
快感だった。
ふたつの力がせめぎ合う、そのカタルシス。
しゅんくんって、おもしろいなあ。
彼の場合、ぶっちゃけ顔が好みではないので(すまん、わたしはベニーが好きだ)、恋に落ちることはまずナイと思うんだが、芸風が素敵すぎる。
本公演では役作りも薄くて、「ナニやってんだよヲイ」ってくらい精彩に欠けているんだが、自分が真ん中になると途端輝き出すよなー。主演でなくても、真ん中でナニかするとなると、スイッチ入るみたいだ。
いい人とかかわいい役とかではなく、真の悪人こそが、彼のハマり役だと思う。
なまじ顔がかわいいから、女の子みたいな扱いばかりされてきたけれど、彼の持ち味は真逆だってば。
「悪」や「黒」を演じられる持ち味は、大事にして欲しい。てゆーか、ドSキャラは、貴重種だってこと。保護しろ、保護!!
これで頬がシャープになってくれればなあ……。
麻尋しゅんがショーヴランだったから、新人公演『スカーレット・ピンパーネル』は、おもしろかった。
や、わたし的に。
新人公演『スカーレット・ピンパーネル』。
今回の話題は抜擢された主演の紅ゆずるに尽きる、のだと思う。
数日前からこんな僻地ブログにも彼の名前で検索が来まくっている。そしてもれなく3年前の記事に行きつく。がっくり。(ところで、「檀ちゃんの太股」で検索したの誰? ノリいいなヲイ・笑)
わたしもベニーは好きだし、それこそ3年前からずーっと見守ってきた子の晴れ姿、うれしいしわくわくだし、実際彼はよくやっていたしきれーだし、誇らしいキモチでいっぱいなんだが。
でも、ナニよりわたし的に「キタ!」のは、ショーヴラン@しゅんくんだ。
登場した瞬間から、トップテンション。
すでに「そこにいる」人だった。
なんかすごく鋭角的に、まっすぐに、届いたの。
あ、こーゆー人、って。
オープニングはカットされているから、彼とピポー軍曹とのやりとりはナシ。「コメディ・フランセーズ」からの登場。
マルグリット@まりもちゃんへの脅迫。彼女への執着と怒り。どす黒いモノが蠢いている。
次が、「マダム・ギロチン」だ。
登場して、歌になる。
もともと派手な歌だよ、盛り上がる歌だよ。
それにしたって、初速がすごい。
エネルギーの塊が、ぶつかってくる、感じ。
背景と、主役クラスのキャラクタのちがい。
舞台にはたくさん人がいるのに、モブの人たちと、ショーヴランの、存在の違い。彼だけがライトを浴びてマイクを使って台詞を言っている、とかゆー次元のことじゃなくて、ほんとうに登場した瞬間に、彼に目が行った。
彼が「特別」であることがわかる。
なにか別次元でイッちゃってる、闇雲な爆発。
場の空気関係ナシ。ほんと、びっくりするくらい唐突。
その、世界と関係なく爆発している孤独な魂に、涙が出た。
浮いてるのよ、まちがいなく。
ショーヴランだけ別物。
「マダム・ギロチン」を歌うパリ市民たちだって十分ダークなんだけど、ショーヴランは彼らすらぶっちぎってる。
狂気と暴力と退廃の真っ只中にいてなお、独立した闇が燃えている。
新人公演な分、ダークさや怖さ、歪みは薄くなっている。人数も減っている上に、若者たちにそんな狂ったものをモブで出せといっても無理だろう。
そんななかで、ショーヴランだけ狂気まっしぐら。
彼は、「世界」を変えようとしている。
舞台の空気は彼について来ていない。なのに彼は突き進む。力尽くで、空気を変える。彼が燃えあがることで、爆発することで、強引に空気を自分の側に寄せる。
ねじ伏せる。
そこにあるもの、世界を、舞台を。
意識してやっているというより、たんに暴走してるだけだろう(笑)。
無意識だろうと、ブレーキをかけられないだけの暴走だろうと、そんなのどーでもいい。
わたしは、ショーヴランの狂気に魅せられた。
最初の「マダム・ギロチン」で心臓がばくばくして、涙が出て。
そっから先は、ショーヴラン主役。
主役交代?! つーかはじまったばっかでパーシー@ベニーは銀橋で1曲歌っただけやがな? まだパーシーの見せ場がないまま、それだけで主役交代はフェアじゃないだろう。
……と、セルフツッコミは入るけれど、仕方ない。
「マダム・ギロチン」のショーヴランで射抜かれてしまったので、そっから先は彼が主役(笑)。
おかげで、パーシー、ムカつく(笑)。
こっちはマジに話してんの。シリアスなの、真面目なの。それをいちいちギャグでかき回しやがって、うざいっつーの。
グラパン、ギャグやりすぎ。お笑いに走るのはある意味簡単なんだから、楽な方に逃げて客席にこびるな〜〜。
と、ショーヴラン目線で『スカピン』をたのしみました(笑)。
もちろん、わたしのなかには複数のチャンネルが同時に存在しているので、パーシーが主役としてのふつーの見方もして、彼の光とやわらかさをオイシク味わっておりました。
マルグリットがなびかないことにも、苛々(笑)。や、ショーちゃん目線ですから!
彼の独り相撲ではなく、昔はほんとーにアツい恋人同士だったことが、あったんだろう。理想に燃える少女を惑乱させるくらいの熱は、ショーヴランにはふつーにあるって。
ショーヴラン主役だから、彼の歌がカットされてるのを、心から惜しんだしな。
わたしにもっと見せて、ショーヴランを。あの狂った歌をもっと聴かせて!
ふつーのラインよりはるかに高いところにある、ショーヴランのテンション。その高さが、彼のふつー。
こわい人。とてもついていけない。……そこがイイ。
マルグリットとの過去が独りよがりではないと思える以上、弟アルマン@真風を拷問するときの優柔不断さや、マルグリットに対峙するときのサディスティックさ(かわいさ余って憎さ百倍)ぶりに、説得力がある。
ショーヴランの狂気がぞくぞくさせてくれるからこそ、彼が力尽くでねじ伏せた世界を、パーシーがあっけらか〜んと陽気にひっくり返すのも、ショーヴラン目線でムカつきつつ、たのしかった。
自分の中で視点が確立したために、オセロゲームみたいに白と黒、表と裏が次々覆されていく感覚がより顕著になった。
おもしろい。
『スカーレット・ピンパーネル』って、こんなにおもしろい話だったのか!
おもしろい物語だということはわかっていたけれど、本公演では感じたことのないおもしろさだった。
ショーちゃん目線でパーシーに翻弄されると、すっげーおもしろいぞ?! 本気でムカつく、とゆーのは、本気で、物語にハマりこんでいるとゆーことだ。本気で、おもしろいとゆーことだ。
パーシーはなんつーか、サワヤカだ。
たおやかでキラキラしていて、アタマがよさそーには見えない(笑)。
スカピン団のブレーンはデュハースト@みやるりだろう。パーシーは人望でリーダーを務めるタイプで、おつむはライト感覚。つまり、天然。
天然はこわいぞ? こーゆータイプが「正義の味方」だと、悪役は絶対太刀打ちできない(笑)。なにしろ天然、ナチュラルボーン。
天使みたいな天然ヒーローと、いつも煮えたぎっているハイテンション悪役の一騎打ち。
ほんとーにふたりが闘うわけじゃないが、ふたりはそれぞれ出てきたときに舞台のムードを変える。
パーシーはキラキラペパーミントグリーンな空気に、ショーヴランは黒と赤茶の重い空気に。
オセロが裏、表、裏とターンごとにひっくり返されるように。
快感だった。
ふたつの力がせめぎ合う、そのカタルシス。
しゅんくんって、おもしろいなあ。
彼の場合、ぶっちゃけ顔が好みではないので(すまん、わたしはベニーが好きだ)、恋に落ちることはまずナイと思うんだが、芸風が素敵すぎる。
本公演では役作りも薄くて、「ナニやってんだよヲイ」ってくらい精彩に欠けているんだが、自分が真ん中になると途端輝き出すよなー。主演でなくても、真ん中でナニかするとなると、スイッチ入るみたいだ。
いい人とかかわいい役とかではなく、真の悪人こそが、彼のハマり役だと思う。
なまじ顔がかわいいから、女の子みたいな扱いばかりされてきたけれど、彼の持ち味は真逆だってば。
「悪」や「黒」を演じられる持ち味は、大事にして欲しい。てゆーか、ドSキャラは、貴重種だってこと。保護しろ、保護!!
これで頬がシャープになってくれればなあ……。
麻尋しゅんがショーヴランだったから、新人公演『スカーレット・ピンパーネル』は、おもしろかった。
や、わたし的に。
聴きたかったのは、「ブルース・レクイエム」だ。
『凍てついた明日』が再演され、シビさんの歌声への郷愁は最高値に達していた。WSには「歌手」がいなかったんだもの。ハマコは「ブルース・レクイエム」は部分しか歌ってくれてないし。
「ブルース・レクイエム」を聴きに行こう……わたしとnanaタンの、『イゾラベッラ サロンコンサート(第3回 矢代鴻)』へ参加する合言葉だった。
でも。
たしかに「ブルース・レクイエム」が好きだし、とても大切な思い出の曲で、実際に再びナマで聴くことができて感涙しきりだったけれど。
わたしが会いたかったのは「歌手・矢代鴻」だった。
「ブルース・レクイエム」はきっかけとか言い訳でしかない。
シビさん自身がMCで言い訳していたように(笑)、ミュージカル曲なんつーもんは、そのミュージカルの流れの中ではじめて成立するモノであって、1曲だけ抜き出して歌ったからってなんぼのもんぢゃない。
「ブルース・レクイエム」を聴くという目的は果たされたけれど、それ以上に素晴らしい歌声の数々に泣かされた。
……のはともかくとして、MCはお笑い一直線。
シビさんの言葉通りに再現することは不可能なので、脳内要約。
・3時間も前に入り、楽屋……というか、隅にトイレットペーパーなんぞが積んである小さな箱のような部屋で待機していた。待つのが長かった。
・このコンサートにも、台本はあった。ちゃんと用意されていたらしい。が、シビさんは「要りません、アタシは勝手に喋ります」と全ボツにした。
・「ブルース・レクイエム」の曲紹介時に、「星組の安蘭けいさんがあちらにいらしてます」と、客席のトウコちゃんを紹介。
・2階席組は1階席の様子なんかわかんなかったから、びっくりした。この小さな会場にジェンヌ来てるんかよー……つーか、よく見ると1階席の4分の1は関係者席(歌劇団関係)だった。つーと70名のうち一般人は50名強? シビさん自身のお客様やFCの席もあるだろうし、純粋な一般客は何人いたんだ、とくに1階席は??
・「安蘭けいさんが来ているからといって、そちらばかり見ないように。今日の主役はワタクシですから。いいですね? アタシを見ているフリで目だけ横目にして安蘭さんを見ていてもわかるんですからネッ!」
・小さなステージ上にはストロー付き水のペットボトルとハンカチが用意されていた。が、「ハンカチ? いらない! アタシ汗かきません」と無碍に。そ、そうか、汗かかないんだ。(矢代鴻トリビア)
・水のペットボトルを手にし、客席に向かってずずずいっと突き出す。
・えーとソレは、なんのパフォーマンス?
・「瀬奈じゅんが作ってくれましたっ」
・シビさんは通常早変わりなんつーものとは無縁。着替える時間ならいっぱいある、ぶっちゃけ出番がそうナイのがふつー。なのに卒業公演であった『A-“R”ex』は、出番いっぱい、早変わりまであった。大忙しでペットボトルのフタを開け閉めして水を飲んでいるシビさんに「穴開けたらええですやん」と、大阪弁丸出しきりやんが、わざわざキャップに穴を開けてくれたらしい。
・ペットボトルのフタ……あのキャップに穴開けるって、すごいよねー……固いよねー……。ふつーに売ってるのにね、ストロー用のワンタッチキャップ。
・とまあ、DCではきりやん活躍。さらに公演は青年館へ。
・「瀬奈じゅんが、『母上、コレをお使い下さい』って作ってプレゼントしてくれたのっ」……なんの変哲もない水ボトルのキャップは、紫色に着色(?)の上、スパンコールまできらめいていた。
・「キラキラしてるでしょー? ステージにはこっちの方が合うかと思って、こっちを持って来たの!」……孝行息子自慢をするシビさん。
・キラキラキャップを作るあさこちゃんもすごいが、白キャップに穴開けただけの男の手作りきりやさんにもときめきます(笑)。
・そして、「こっちを持ってきた」ってことは、白キャップに穴を開けただけ、のきりやんプレゼント品も、ちゃんと家に置いてあるんだってことに、感動した(笑)。よかったね、きりやん。あさこちゃんの凝った作品と同列に扱われてるよ〜〜。
・歩くこともままならないほどぎっしりテーブルが詰め込まれているのに、客席降りアリ。
・キュートな恋の歌を歌いながら、客席に語りかけるシビさん。客席はみごとに女性ばかりなので、一本釣りで愛の言葉を語りかけてもなんか違和感?(笑) 「アタシに言われても困るわよね?」といちいちセルフツッコミ(歌の合間ですがな!)を入れるシビさん。
・下級生時代、グループサウンズの追っかけをしていたらしい。(矢代鴻トリビア)
・のどかな時代だったんだな……今の下級生がそんなことをした日にゃあ、ネットで噂になってフルボッコだわ。
・そーやって一緒に追っかけをしていた、卒業公演も観に来てくれた同期生が、最近亡くなったらしい。人との出会いがあったからここまでやってこれた、友だちがいたから今の自分があると、あれほど笑わせまくっていたMCで、それでも一気に泣かせてくれたりするから、さすがだ。(台本ナシで!)
わたしはシャンソンもジャズもさっぱりわからない無教養な人間だが、シビさんの歌うそれらの曲は好きだ。
あざやかな、ドラマがあるから。
過去形でしあわせを歌う「La Boheme」の切ない美しさ、オチまで完璧な「想い出のサントロペ」。
「若い頃なら歌えなかった。今のワタシでも、まだ早いかもしれない」と言う、「時は過ぎてゆく」。
まだ早いかもしれない……タカラヅカを定年まで勤め上げた舞台人が、その年輪をもってしても、「まだ早い」と言う、奥の深さ。
この人はまだまだ進化し続けるんだ。
ゴールなんかじゃない。
まだ成長し続ける。前へ進み続ける。
シビさんを見ていて強烈に思うことは、大人になることの、愛しさと誇らしさだ。
今よりも、未来の自分は素晴らしいかもしれない。たしかにトシは取るけど、婆になるけど、そんな肉体的なことではなく、美しいなにかを得ているかもしれない。
今こうして、美しい姿で背筋を伸ばし、輝いている人が目の前にいる。
「ワタシは友だちよ、呼んでくれたらいつでも駆けつけるわ!」と歌う「You’ve Got a Friend」。
歌は英語なんだけど、すげーデジャヴ、この曲をシビさんの声で、日本語で、まったく別の歌詞で聴いたことがある……ああっ、そーだ、『デパートメント・ストア』でシビさんがタータンとデュエットしてた! まりえったの合いの手入りで!!(笑) で、たしかビデオでは著作権ゆえにCUTされてるマボロシの名デュエット……。
アンコールはもう1曲英語の曲があったよーな?
そのあとさらに「酒と泪と男と女」……河島英五っすか! 凛々しくキメてくれた。
さらにアンコールで、新人公演(!)での初ソロ曲をアカペラで披露してくれた。さ、さすがにわからん(笑)。
若い頃のシビさんも、きっと素敵だったろうと思う。
でも、今のシビさんの方が美しく、豊かだと思う。そして、これからのシビさんもさらに、深みを増していくのだろう。
こんなふうに、美しい人になりたいと思う。
時間を重ねるからこその美しさを、得たいと思う。
最後はご本人によるお見送り付き。ひとりずつと握手してくれた。
実際、目の前にしたシビさんは小顔でスレンダーで、とても美しい人だった。この年代の女性がこれだけ小顔で、このスタイルでこの姿勢で……かっこよすぎ。
そこに「ドラマ」を創り出す歌声。
ただ上手い、きれいなだけの歌声には、惹かれない。興味がない。
女優として、舞台人として、歌い続けたシビさんだからの歌声。
心から満足して店をあとにしました。
胸の奥で、幾重にも反響している。彼女の歌う、「物語」が。
『凍てついた明日』が再演され、シビさんの歌声への郷愁は最高値に達していた。WSには「歌手」がいなかったんだもの。ハマコは「ブルース・レクイエム」は部分しか歌ってくれてないし。
「ブルース・レクイエム」を聴きに行こう……わたしとnanaタンの、『イゾラベッラ サロンコンサート(第3回 矢代鴻)』へ参加する合言葉だった。
でも。
たしかに「ブルース・レクイエム」が好きだし、とても大切な思い出の曲で、実際に再びナマで聴くことができて感涙しきりだったけれど。
わたしが会いたかったのは「歌手・矢代鴻」だった。
「ブルース・レクイエム」はきっかけとか言い訳でしかない。
シビさん自身がMCで言い訳していたように(笑)、ミュージカル曲なんつーもんは、そのミュージカルの流れの中ではじめて成立するモノであって、1曲だけ抜き出して歌ったからってなんぼのもんぢゃない。
「ブルース・レクイエム」を聴くという目的は果たされたけれど、それ以上に素晴らしい歌声の数々に泣かされた。
……のはともかくとして、MCはお笑い一直線。
シビさんの言葉通りに再現することは不可能なので、脳内要約。
・3時間も前に入り、楽屋……というか、隅にトイレットペーパーなんぞが積んである小さな箱のような部屋で待機していた。待つのが長かった。
・このコンサートにも、台本はあった。ちゃんと用意されていたらしい。が、シビさんは「要りません、アタシは勝手に喋ります」と全ボツにした。
・「ブルース・レクイエム」の曲紹介時に、「星組の安蘭けいさんがあちらにいらしてます」と、客席のトウコちゃんを紹介。
・2階席組は1階席の様子なんかわかんなかったから、びっくりした。この小さな会場にジェンヌ来てるんかよー……つーか、よく見ると1階席の4分の1は関係者席(歌劇団関係)だった。つーと70名のうち一般人は50名強? シビさん自身のお客様やFCの席もあるだろうし、純粋な一般客は何人いたんだ、とくに1階席は??
・「安蘭けいさんが来ているからといって、そちらばかり見ないように。今日の主役はワタクシですから。いいですね? アタシを見ているフリで目だけ横目にして安蘭さんを見ていてもわかるんですからネッ!」
・小さなステージ上にはストロー付き水のペットボトルとハンカチが用意されていた。が、「ハンカチ? いらない! アタシ汗かきません」と無碍に。そ、そうか、汗かかないんだ。(矢代鴻トリビア)
・水のペットボトルを手にし、客席に向かってずずずいっと突き出す。
・えーとソレは、なんのパフォーマンス?
・「瀬奈じゅんが作ってくれましたっ」
・シビさんは通常早変わりなんつーものとは無縁。着替える時間ならいっぱいある、ぶっちゃけ出番がそうナイのがふつー。なのに卒業公演であった『A-“R”ex』は、出番いっぱい、早変わりまであった。大忙しでペットボトルのフタを開け閉めして水を飲んでいるシビさんに「穴開けたらええですやん」と、大阪弁丸出しきりやんが、わざわざキャップに穴を開けてくれたらしい。
・ペットボトルのフタ……あのキャップに穴開けるって、すごいよねー……固いよねー……。ふつーに売ってるのにね、ストロー用のワンタッチキャップ。
・とまあ、DCではきりやん活躍。さらに公演は青年館へ。
・「瀬奈じゅんが、『母上、コレをお使い下さい』って作ってプレゼントしてくれたのっ」……なんの変哲もない水ボトルのキャップは、紫色に着色(?)の上、スパンコールまできらめいていた。
・「キラキラしてるでしょー? ステージにはこっちの方が合うかと思って、こっちを持って来たの!」……孝行息子自慢をするシビさん。
・キラキラキャップを作るあさこちゃんもすごいが、白キャップに穴開けただけの男の手作りきりやさんにもときめきます(笑)。
・そして、「こっちを持ってきた」ってことは、白キャップに穴を開けただけ、のきりやんプレゼント品も、ちゃんと家に置いてあるんだってことに、感動した(笑)。よかったね、きりやん。あさこちゃんの凝った作品と同列に扱われてるよ〜〜。
・歩くこともままならないほどぎっしりテーブルが詰め込まれているのに、客席降りアリ。
・キュートな恋の歌を歌いながら、客席に語りかけるシビさん。客席はみごとに女性ばかりなので、一本釣りで愛の言葉を語りかけてもなんか違和感?(笑) 「アタシに言われても困るわよね?」といちいちセルフツッコミ(歌の合間ですがな!)を入れるシビさん。
・下級生時代、グループサウンズの追っかけをしていたらしい。(矢代鴻トリビア)
・のどかな時代だったんだな……今の下級生がそんなことをした日にゃあ、ネットで噂になってフルボッコだわ。
・そーやって一緒に追っかけをしていた、卒業公演も観に来てくれた同期生が、最近亡くなったらしい。人との出会いがあったからここまでやってこれた、友だちがいたから今の自分があると、あれほど笑わせまくっていたMCで、それでも一気に泣かせてくれたりするから、さすがだ。(台本ナシで!)
わたしはシャンソンもジャズもさっぱりわからない無教養な人間だが、シビさんの歌うそれらの曲は好きだ。
あざやかな、ドラマがあるから。
過去形でしあわせを歌う「La Boheme」の切ない美しさ、オチまで完璧な「想い出のサントロペ」。
「若い頃なら歌えなかった。今のワタシでも、まだ早いかもしれない」と言う、「時は過ぎてゆく」。
まだ早いかもしれない……タカラヅカを定年まで勤め上げた舞台人が、その年輪をもってしても、「まだ早い」と言う、奥の深さ。
この人はまだまだ進化し続けるんだ。
ゴールなんかじゃない。
まだ成長し続ける。前へ進み続ける。
シビさんを見ていて強烈に思うことは、大人になることの、愛しさと誇らしさだ。
今よりも、未来の自分は素晴らしいかもしれない。たしかにトシは取るけど、婆になるけど、そんな肉体的なことではなく、美しいなにかを得ているかもしれない。
今こうして、美しい姿で背筋を伸ばし、輝いている人が目の前にいる。
「ワタシは友だちよ、呼んでくれたらいつでも駆けつけるわ!」と歌う「You’ve Got a Friend」。
歌は英語なんだけど、すげーデジャヴ、この曲をシビさんの声で、日本語で、まったく別の歌詞で聴いたことがある……ああっ、そーだ、『デパートメント・ストア』でシビさんがタータンとデュエットしてた! まりえったの合いの手入りで!!(笑) で、たしかビデオでは著作権ゆえにCUTされてるマボロシの名デュエット……。
アンコールはもう1曲英語の曲があったよーな?
そのあとさらに「酒と泪と男と女」……河島英五っすか! 凛々しくキメてくれた。
さらにアンコールで、新人公演(!)での初ソロ曲をアカペラで披露してくれた。さ、さすがにわからん(笑)。
若い頃のシビさんも、きっと素敵だったろうと思う。
でも、今のシビさんの方が美しく、豊かだと思う。そして、これからのシビさんもさらに、深みを増していくのだろう。
こんなふうに、美しい人になりたいと思う。
時間を重ねるからこその美しさを、得たいと思う。
最後はご本人によるお見送り付き。ひとりずつと握手してくれた。
実際、目の前にしたシビさんは小顔でスレンダーで、とても美しい人だった。この年代の女性がこれだけ小顔で、このスタイルでこの姿勢で……かっこよすぎ。
そこに「ドラマ」を創り出す歌声。
ただ上手い、きれいなだけの歌声には、惹かれない。興味がない。
女優として、舞台人として、歌い続けたシビさんだからの歌声。
心から満足して店をあとにしました。
胸の奥で、幾重にも反響している。彼女の歌う、「物語」が。
『イゾラベッラ サロンコンサート(第3回 矢代鴻)』へ、行ってきましたっ。
これで3回目になる「イゾラベッラ サロンコンサート」シリーズ。3回目だっつーに、どうだった、どんなだったとまったく耳に入らない。どんな催しでもどっかから「行った」という話は伝わってくるものなのに。
第2回の圭子ねーさまコンサートのチケ取り敗退したことが本気でくやしくて、シビさんのときは万全の態勢で臨んだ。発売の朝10時から、正座して電話掛けしたねっ。
……いったいどんなシステムでチケット販売しているのか、伝聞ですら知らなかったので。
おどろいた。
電話で聞かれたのは、「希望日と枚数、フルネームとFAXナンバー」のみ。わたしの場合FAXとTELが同じ番号だったので、「電話番号はFAXと同じですか?」と最後に付けたしのように聞かれたな。
「申し込み用紙をFAXします」と言われたので、くわしいことはその申し込み用紙に書いてあるんだな、記入してFAX返しするんだな、と思ってとくになにも聞き返さず、質問にだけ答え、「お願いします、ありがとうございます」と電話を切った。
そしたら、送られてきたのは振込み口座番号と「当日は直接会場へお越し下さい」という意味の案内文だけ。えええ、チケットの引き取り方法は? 郵送なら住所聞くでしょ? 劇場だのコンビニだので受け取りならそのテの案内あるでしょ?
チケット無しですか。
会場受付で名前と人数言うだけですよ。……お茶会ですか。
どーりで「譲ります」すら出ないわけだ……これじゃ転売するわけにも行くまい。
直前になって入金受領のお知らせ電話がかかってきたらしいが、親が電話に出たので詳細はわからず。(ウチのFAX調子悪いから、わざと親の家の番号を言ったんだ……住所とか記入して送り返すのならきれーな印字ができる方がいいと思って)
いやあ、なんつーか、ハンドメイド感漂ってますなあ……。
そして、当日。
生憎の雨の中、ツレのnanaタンと待ち合わせてレストラン「イゾラベッラ」へ。
ふつーにレストランのエントランスなので、せまい。雨のため、傘の始末で人が溜まってしまうとどーすることもできない狭さ。そんななか受付で名前を言うと、チケットを渡してくれた。
このチケットがさー……どっから見ても、ただの色画用紙にモノクロコピー。
お茶会チケットはまだ色があるよなー……カラープリンタかカラーインクの単色使ってるよなー(笑)。
テーブルに用意されていたメニュー表もそのノリでした。うーん、ハンドメイド(笑)。
1階席はふつーにレストランなテーブル配置でしたが、わたしたちが通された2階席は大食堂のノリでした。つまり、大きなテーブルに詰め込み相席。同じ値段なのに、1階席と2階席があり、2階席は明らかに狭いです。ステージまで遠いです。
てゆーか、壁際席からはステージが見えません。
とりあえず、うまかったです。
ワンドリンク付き(ワイン、ビール、ソフトドリンクが選べる)なので、白ワインで乾杯。
スタッフも多く、マメに給仕してくれました。てゆーか、ウエイトレス、かわいい。
女の子がかわいいと、それだけでうれしくなります(ヲヤヂ目線)。
部屋(2階は多分パーティルーム)と席が狭すぎて圧迫感あったけどなー。ひとり参加にはきついロケーションだなー。
食事が終わると、2階席のパーテーションが片付けられ、1階席を見下ろす吹き抜け空間となる。
1階席の人たちは2階席があるのを知らなかったらしい。みんな「なにごと?」「上の人たちナニ?!」と奇異の目で見上げてくるのよ……おーい。
そして当然といえば当然だが、「見やすい位置に移動して下さい」とスタッフに言われた。……だって壁際席だとステージがマジでナニも見えないんだってば。
みんな椅子を移動させて、1階のステージが見える位置にやってくるんだけど……テーブルが邪魔。とにかくぎゅうぎゅうに詰め込んであるもんだから、椅子だけで移動する隙間すらろくにない。
で。
……いいよなあ、大阪のおばちゃんたち。
「ちょっと、このテーブルどけてくれる?」
ウェイターのにーちゃん捕まえて、指図。
2階席の20人ほどが一致団結してシアター席を作った。
テーブル後ろへ追いやって、観やすいようにずらりとシアター形式に椅子を並べちゃったのよ(笑)。
あんなに狭くて観にくかった2階席が、いきなり2階SS席に変身。だってステージのド真ん前。
えーと、今までもこんなことやってたんですか、このコンサート? それとも今回の客が強かったのかしら?
なんにせよその行動力もツボだったわ、2階席の皆様方!
で、ついにシビさん登場。
シビさんはヅカメイクではない、舞台用のメイクで、金色の袖に特徴のあるジャケットとロングスカート、インナーが紫だったかな、スレンダーに華やかに着こなしておられました。
無教養なわたしでも耳馴染みのある「The Man I Love」を歌いながらの登場、まずはノンストップで2曲。
この最初の歌で。
すごく切なくなって、泣けたんですが。
シビさん退団から半年ですか。
それっぽちの月日でなにが変わるわけでもない。
シビさんだって記憶にあるままのシビさんで、なつかしいとか切ないとかゆーよーなもんでもないんだが。
でも、失ってしまったものの大きさを、見せつけられたの。
再会することによって。
変わらないあのひとを見ることによって。
時の流れを思い、再会のよろこびを思い、うれしいのにかなしくて、胸がきゅんきゅんした(笑)。
そうやってシリアスに美声を響かせてくれ、しょっぱなから泣かせてくれたってのに。
曲が終わってはい最初の挨拶、MCコーナー、スタート。ええ、喋り出すと、お笑い一直線です!!
翌日欄へ続く!!
これで3回目になる「イゾラベッラ サロンコンサート」シリーズ。3回目だっつーに、どうだった、どんなだったとまったく耳に入らない。どんな催しでもどっかから「行った」という話は伝わってくるものなのに。
第2回の圭子ねーさまコンサートのチケ取り敗退したことが本気でくやしくて、シビさんのときは万全の態勢で臨んだ。発売の朝10時から、正座して電話掛けしたねっ。
……いったいどんなシステムでチケット販売しているのか、伝聞ですら知らなかったので。
おどろいた。
電話で聞かれたのは、「希望日と枚数、フルネームとFAXナンバー」のみ。わたしの場合FAXとTELが同じ番号だったので、「電話番号はFAXと同じですか?」と最後に付けたしのように聞かれたな。
「申し込み用紙をFAXします」と言われたので、くわしいことはその申し込み用紙に書いてあるんだな、記入してFAX返しするんだな、と思ってとくになにも聞き返さず、質問にだけ答え、「お願いします、ありがとうございます」と電話を切った。
そしたら、送られてきたのは振込み口座番号と「当日は直接会場へお越し下さい」という意味の案内文だけ。えええ、チケットの引き取り方法は? 郵送なら住所聞くでしょ? 劇場だのコンビニだので受け取りならそのテの案内あるでしょ?
チケット無しですか。
会場受付で名前と人数言うだけですよ。……お茶会ですか。
どーりで「譲ります」すら出ないわけだ……これじゃ転売するわけにも行くまい。
直前になって入金受領のお知らせ電話がかかってきたらしいが、親が電話に出たので詳細はわからず。(ウチのFAX調子悪いから、わざと親の家の番号を言ったんだ……住所とか記入して送り返すのならきれーな印字ができる方がいいと思って)
いやあ、なんつーか、ハンドメイド感漂ってますなあ……。
そして、当日。
生憎の雨の中、ツレのnanaタンと待ち合わせてレストラン「イゾラベッラ」へ。
ふつーにレストランのエントランスなので、せまい。雨のため、傘の始末で人が溜まってしまうとどーすることもできない狭さ。そんななか受付で名前を言うと、チケットを渡してくれた。
このチケットがさー……どっから見ても、ただの色画用紙にモノクロコピー。
お茶会チケットはまだ色があるよなー……カラープリンタかカラーインクの単色使ってるよなー(笑)。
テーブルに用意されていたメニュー表もそのノリでした。うーん、ハンドメイド(笑)。
1階席はふつーにレストランなテーブル配置でしたが、わたしたちが通された2階席は大食堂のノリでした。つまり、大きなテーブルに詰め込み相席。同じ値段なのに、1階席と2階席があり、2階席は明らかに狭いです。ステージまで遠いです。
てゆーか、壁際席からはステージが見えません。
Menu
シマアジのカルパッチョ
アンチョビ風味の水茄子のマリネ添え
サフランを練り込んだ自家製タリアテッレ
小海老とズッキーニのソース
ローストした仔牛背肉のマルサラワインソース
エストラゴン風味のザバイオーネ添え
パイナップルクリームのミルフィーユ仕立てとココナッツゼリー
コーヒー
とりあえず、うまかったです。
ワンドリンク付き(ワイン、ビール、ソフトドリンクが選べる)なので、白ワインで乾杯。
スタッフも多く、マメに給仕してくれました。てゆーか、ウエイトレス、かわいい。
女の子がかわいいと、それだけでうれしくなります(ヲヤヂ目線)。
部屋(2階は多分パーティルーム)と席が狭すぎて圧迫感あったけどなー。ひとり参加にはきついロケーションだなー。
食事が終わると、2階席のパーテーションが片付けられ、1階席を見下ろす吹き抜け空間となる。
1階席の人たちは2階席があるのを知らなかったらしい。みんな「なにごと?」「上の人たちナニ?!」と奇異の目で見上げてくるのよ……おーい。
そして当然といえば当然だが、「見やすい位置に移動して下さい」とスタッフに言われた。……だって壁際席だとステージがマジでナニも見えないんだってば。
みんな椅子を移動させて、1階のステージが見える位置にやってくるんだけど……テーブルが邪魔。とにかくぎゅうぎゅうに詰め込んであるもんだから、椅子だけで移動する隙間すらろくにない。
で。
……いいよなあ、大阪のおばちゃんたち。
「ちょっと、このテーブルどけてくれる?」
ウェイターのにーちゃん捕まえて、指図。
2階席の20人ほどが一致団結してシアター席を作った。
テーブル後ろへ追いやって、観やすいようにずらりとシアター形式に椅子を並べちゃったのよ(笑)。
あんなに狭くて観にくかった2階席が、いきなり2階SS席に変身。だってステージのド真ん前。
えーと、今までもこんなことやってたんですか、このコンサート? それとも今回の客が強かったのかしら?
なんにせよその行動力もツボだったわ、2階席の皆様方!
で、ついにシビさん登場。
Program
オープニング
The Man I Love / All The Way
宝塚メドレー
ヴィエント・デ・ブエノスアイレス / オリンピアスの唄 / ブルース・レクイエム
マイ・フェイヴァリット
夢の中に君がいる / La Boheme / 想い出のサントロペ / 時は過ぎてゆく
フィナーレ
You’ve Got a Friend
シビさんはヅカメイクではない、舞台用のメイクで、金色の袖に特徴のあるジャケットとロングスカート、インナーが紫だったかな、スレンダーに華やかに着こなしておられました。
無教養なわたしでも耳馴染みのある「The Man I Love」を歌いながらの登場、まずはノンストップで2曲。
この最初の歌で。
すごく切なくなって、泣けたんですが。
シビさん退団から半年ですか。
それっぽちの月日でなにが変わるわけでもない。
シビさんだって記憶にあるままのシビさんで、なつかしいとか切ないとかゆーよーなもんでもないんだが。
でも、失ってしまったものの大きさを、見せつけられたの。
再会することによって。
変わらないあのひとを見ることによって。
時の流れを思い、再会のよろこびを思い、うれしいのにかなしくて、胸がきゅんきゅんした(笑)。
そうやってシリアスに美声を響かせてくれ、しょっぱなから泣かせてくれたってのに。
曲が終わってはい最初の挨拶、MCコーナー、スタート。ええ、喋り出すと、お笑い一直線です!!
翌日欄へ続く!!
だから前へ、進め。@新人公演『スカーレット・ピンパーネル』
2008年7月8日 タカラヅカ 見知らぬ方々の「紅ゆずる」での検索が、もれなく2005年3月7日の記事「紅ゆずるの謎」に行きつく現実をなんとかしてください……。
タイトル欄に彼の名前を書いてしまっているので検索で引っかかりまくるのよー。「檀れい」で検索してきた人がもれなく「檀ちゃんの太股」記事に行きつくのと同じで。
……彼らについて、もっと他にマシなこと書いているのもあるのに、タイトルに書いてあるとこにしか行かないという……。がっくり。
星組新人公演『スカーレット・ピンパーネル』に行って来ました。
キモチの良い新人公演だった。
すごいたのしい。
客席も舞台もノリノリだー。
初主演おめでとー、ベニー。
今まで新公で主立った役のついたことにないベニーが、突然まさかの初主演。
ベニーが路線系の役やったのって、『愛短』の和くんの役くらい? 前回の『エル・アルコン』ではにしきさんの役だったし、『シークレット・ハンター』でも組長役だよねえ?
路線としての訓練を受けさせてもらえなかった子がいきなり大劇場の真ん中に立たされて、どーなるのか。
とりあえず群集の中でも目を引く美貌があるのだから、技術がどうあれ「真ん中」を成り立たせることは、不可能ではない。
はい。
成り立ってました。
1本モノを短縮して上演するわけだから、あちこちカットされるわけだ。演出は小池作品だからもちろん小柳タン。今までさんざんものすげーぶったぎりをしてくれていたから、どーなることかと危惧していたが、今までの中でいちばんいい短縮具合だった。月『エリザ』も『ネバセイ』もひどかったからなあ。
オープニングがカットされているため、パーシー@ベニーは上手花道からセリ上がり。じじいの変装ナシ、最初から美貌全開ヒーロー姿、いきなり銀橋主題歌独唱だ。
歌がうまいわけじゃない。ヘタじゃないけど、よく歌っているけど、足りているわけじゃない。
だけど。
彼は、前へ進む。
なんつーの? 足りていないから萎縮したり、取り繕ったりするんじゃなく、さらに強く、前へ出るの。ちょっと弱くなった? と感じさせた次の瞬間、さらに前へ気を発する。
前進しなければ後退するんだってことを、知っている。
足を止めることは立ち止まることではなく、後退することなの。動く歩道を逆走しているよーなもん。歩いているからこそかろうじて同じ位置をキープできる。
「真ん中」に負けてしまう子は、動く歩道の上で立ち止まってしまう子だ。後ろに運ばれてしまっているのにも気づかず、歩くことをやめてしまう子。自分的には立ち止まっているだけで下がっているわけじゃないんだろうけど、たしかにキミ単体はそうでも、キミを乗せた板はどんどん後退していってるんだよ?
あちこちで、ベニーが「前へ」出てくるのが痛快だった。
場面や台詞、歌の途中でアクセル踏むの。さらに加速させるの。
二枚目部分でそうやって前へ進み。
グラパン役のときは、とことんお笑い。
倉庫番でトップスター相手にアドリブ力を磨き、アラン&ダランでみきちぐ相手にお笑いセンスを磨いた。……それらの経験は、グラパンを演じるためにあったんだ。
なんてことを、思ってしまうくらいには、素敵にコメディでした、グラパン。
でかい図体で両手を広げていつもゆらゆら。よちよち歩き、ゆらゆら揺れる。
本公演ではパーシー@トウコVSマルグリット@あすか、ふたりの対決に息を飲むが、新公ではパーシーの相手はマルグリットではなく、ショーヴランでした。
腐った意味ではなく(笑)。
最後のご挨拶でのしゅん×ベニーには萌えましたが(笑)、そーゆー意味ではなく、作品中での力関係において、パーシーVSショーヴランだったの。
ヒロイン、マルグリット@まりもちゃんは、よくやっていたし、悪かったわけではまったくないが、本役のコピーであるおとなしさ、小ささが感じられた。
たしかにマルグリットはヒロインだし、受動態だし、ヅカのヒロインたるもの受身に寄り添ってこそ、なんだろーけど、この役を通常のヅカの娘役として演じてしまうと、こんなに小さな役になってしまうのかと、おどろいた。
薄いというか、目立たないというか。
まりもちゃん自身の実力で押し出しは悪くないんだけど……火花は、散らない。
トウコとあすかの間で感じる緊迫感、青い火花が散る感じ……あれは、寄り添っていたんじゃダメなんだなと。
ヒロイン経験豊かなまりもちゃんだからこそ、一か八かの破れかぶれ的爆発とか、そーゆーのとは程遠い安定感があった。よいことだとは思うけど、横で爆発している人がいたので、彼にみんな持って行かれた感じ(笑)。
ええ、爆発してました。
おもしろすぎるぞ、ショーヴラン。
ショーヴラン@しゅんくん。
出てきた瞬間から、トップテンション!! すげーすげーすげー。こわーー!!
彼は、THE 悪役。
かわいげとかまぬけさとか、本役にあるものがナイ。
彼だけドシリアス。彼が登場すると作品の色が変わる。
で、パーシーが出るとまた空気が変わるんだ。ぱぁぁあっと、パステルカラーに。
また、グラパンははっきり言ってお笑いやりすぎなので(笑)、これまた空気が変わるんだよね。
ショーヴランが闇と血の色に空気を染め、パーシーがヅカ的光とキレイ色に染め、またショーヴランが闇と狂気に染め直し、グラパンがお笑いコメディ色に染め直し、と、舞台の空気を上書き合戦。
なにコレ、マジおもしれ〜〜!!
トップと2番手が、対等に闘っている。
娘役トップを置き去りに(笑)。
今の星組、本公演のパワーバランスではありえない光景。
『スカーレット・ピンパーネル』って、こんな話だったの? なんか本公演とチガウものが展開されてますが??
ひさしぶりに、すごくわくわくする新公だった。
新人公演だから、という言い訳抜きに、ひとつの公演、作品として興味深く、また、おもしろかった。
客席も正直だ、なんかほんと空気チガウし。
こんなにたのしかった新公って、キムの『スサノオ』以来かなあ……。
くわしい感想はまたいずれ。
タイトル欄に彼の名前を書いてしまっているので検索で引っかかりまくるのよー。「檀れい」で検索してきた人がもれなく「檀ちゃんの太股」記事に行きつくのと同じで。
……彼らについて、もっと他にマシなこと書いているのもあるのに、タイトルに書いてあるとこにしか行かないという……。がっくり。
星組新人公演『スカーレット・ピンパーネル』に行って来ました。
キモチの良い新人公演だった。
すごいたのしい。
客席も舞台もノリノリだー。
初主演おめでとー、ベニー。
今まで新公で主立った役のついたことにないベニーが、突然まさかの初主演。
ベニーが路線系の役やったのって、『愛短』の和くんの役くらい? 前回の『エル・アルコン』ではにしきさんの役だったし、『シークレット・ハンター』でも組長役だよねえ?
路線としての訓練を受けさせてもらえなかった子がいきなり大劇場の真ん中に立たされて、どーなるのか。
とりあえず群集の中でも目を引く美貌があるのだから、技術がどうあれ「真ん中」を成り立たせることは、不可能ではない。
はい。
成り立ってました。
1本モノを短縮して上演するわけだから、あちこちカットされるわけだ。演出は小池作品だからもちろん小柳タン。今までさんざんものすげーぶったぎりをしてくれていたから、どーなることかと危惧していたが、今までの中でいちばんいい短縮具合だった。月『エリザ』も『ネバセイ』もひどかったからなあ。
オープニングがカットされているため、パーシー@ベニーは上手花道からセリ上がり。じじいの変装ナシ、最初から美貌全開ヒーロー姿、いきなり銀橋主題歌独唱だ。
歌がうまいわけじゃない。ヘタじゃないけど、よく歌っているけど、足りているわけじゃない。
だけど。
彼は、前へ進む。
なんつーの? 足りていないから萎縮したり、取り繕ったりするんじゃなく、さらに強く、前へ出るの。ちょっと弱くなった? と感じさせた次の瞬間、さらに前へ気を発する。
前進しなければ後退するんだってことを、知っている。
足を止めることは立ち止まることではなく、後退することなの。動く歩道を逆走しているよーなもん。歩いているからこそかろうじて同じ位置をキープできる。
「真ん中」に負けてしまう子は、動く歩道の上で立ち止まってしまう子だ。後ろに運ばれてしまっているのにも気づかず、歩くことをやめてしまう子。自分的には立ち止まっているだけで下がっているわけじゃないんだろうけど、たしかにキミ単体はそうでも、キミを乗せた板はどんどん後退していってるんだよ?
あちこちで、ベニーが「前へ」出てくるのが痛快だった。
場面や台詞、歌の途中でアクセル踏むの。さらに加速させるの。
二枚目部分でそうやって前へ進み。
グラパン役のときは、とことんお笑い。
倉庫番でトップスター相手にアドリブ力を磨き、アラン&ダランでみきちぐ相手にお笑いセンスを磨いた。……それらの経験は、グラパンを演じるためにあったんだ。
なんてことを、思ってしまうくらいには、素敵にコメディでした、グラパン。
でかい図体で両手を広げていつもゆらゆら。よちよち歩き、ゆらゆら揺れる。
本公演ではパーシー@トウコVSマルグリット@あすか、ふたりの対決に息を飲むが、新公ではパーシーの相手はマルグリットではなく、ショーヴランでした。
腐った意味ではなく(笑)。
最後のご挨拶でのしゅん×ベニーには萌えましたが(笑)、そーゆー意味ではなく、作品中での力関係において、パーシーVSショーヴランだったの。
ヒロイン、マルグリット@まりもちゃんは、よくやっていたし、悪かったわけではまったくないが、本役のコピーであるおとなしさ、小ささが感じられた。
たしかにマルグリットはヒロインだし、受動態だし、ヅカのヒロインたるもの受身に寄り添ってこそ、なんだろーけど、この役を通常のヅカの娘役として演じてしまうと、こんなに小さな役になってしまうのかと、おどろいた。
薄いというか、目立たないというか。
まりもちゃん自身の実力で押し出しは悪くないんだけど……火花は、散らない。
トウコとあすかの間で感じる緊迫感、青い火花が散る感じ……あれは、寄り添っていたんじゃダメなんだなと。
ヒロイン経験豊かなまりもちゃんだからこそ、一か八かの破れかぶれ的爆発とか、そーゆーのとは程遠い安定感があった。よいことだとは思うけど、横で爆発している人がいたので、彼にみんな持って行かれた感じ(笑)。
ええ、爆発してました。
おもしろすぎるぞ、ショーヴラン。
ショーヴラン@しゅんくん。
出てきた瞬間から、トップテンション!! すげーすげーすげー。こわーー!!
彼は、THE 悪役。
かわいげとかまぬけさとか、本役にあるものがナイ。
彼だけドシリアス。彼が登場すると作品の色が変わる。
で、パーシーが出るとまた空気が変わるんだ。ぱぁぁあっと、パステルカラーに。
また、グラパンははっきり言ってお笑いやりすぎなので(笑)、これまた空気が変わるんだよね。
ショーヴランが闇と血の色に空気を染め、パーシーがヅカ的光とキレイ色に染め、またショーヴランが闇と狂気に染め直し、グラパンがお笑いコメディ色に染め直し、と、舞台の空気を上書き合戦。
なにコレ、マジおもしれ〜〜!!
トップと2番手が、対等に闘っている。
娘役トップを置き去りに(笑)。
今の星組、本公演のパワーバランスではありえない光景。
『スカーレット・ピンパーネル』って、こんな話だったの? なんか本公演とチガウものが展開されてますが??
ひさしぶりに、すごくわくわくする新公だった。
新人公演だから、という言い訳抜きに、ひとつの公演、作品として興味深く、また、おもしろかった。
客席も正直だ、なんかほんと空気チガウし。
こんなにたのしかった新公って、キムの『スサノオ』以来かなあ……。
くわしい感想はまたいずれ。
金色のキノコを愛して、悪夢は見ないの。
2008年7月7日 タカラヅカ まっつのマッシュルームヘアが見られるってことらしいですよ?!
花組の全国ツアー『外伝 ベルサイユのばら-アラン編-』『エンター・ザ・レビュー』にまっつが出演する。
花組の『外伝 ベルサイユのばら-アラン編-』と雪組が一足先に上演した『外伝 ベルサイユのばら-ジェローデル編-』では、プロローグが共通ではないかと噂されている。
物語に関係ないただきれーなだけのショーシーンで、オスカルとかアンドレとかフェルゼンとか、物語の主要人物さえ登場しない。オスカル役のキムもフェルゼン役のゆみこちゃんも、わざわざ誰でもないただの人になって踊っていた。
そして書き下ろしのテーマソングが、ご丁寧に今回『ベルばら』スピン・オフを上演する3つの組の名前を織り込んであるときた。
『ジェローデル編』の幕が上がるなり、金髪マッシュルーム・ヘアの男たちがゆらゆら歌い踊っていて、「さすが『ベルばら』!!」と思わず白目になったもんだった。
だから花組でもとーぜん同じカツラと衣装、場面と歌を使い回すだろうと踏んで、まっつのマッシュルームヘアが見られるってこと?!と、ツボったのだが、よーっく考えると路線寄りな男たちはちゃんと軍服で踊ってたわ、と、考え直した。
なーんだ、まっつの金髪マッシュルームは見られないのか。ちっ。
と、数日前に書いた。
それに対してnanaタンから訂正入りました。
「軍服の男たちもみんな、その前にマッシュルームやってるから」
えええ?!
そうだっけ? だってヲヅキはマッシュルームの中にいなかったわ!!
「ヲヅキは出てないから!!」
や、速攻ツッコミ入ったわ、『雨に唄えば』終演後の某レストランにて、仲間たちから(笑)。
そ、そうね、ヲヅキは『凍てついた明日』に出演中でいなかったわね。なにを混乱しているんだ、わたし。
「ひろみちゃんは最初にマッシュルームやって、そのあと軍服だった。まっつは全ツでは、ひろみちゃんくらいの位置でしょ?」
と、nanaタンが冷静に解説してくれました。
マッシュにひろみちゃんいたのか……わたしは、そらくんのマッシュがキョーアクにこわかったことしかおぼえてないっす……。
つーことで、まっつもパツキンキノコっぽいです。
わーい、まっつの小公子だー(棒読み)。や、正確には小公子ほど幼児プレイな役ではなかったはずだが。
主立った男役は全員マッシュらしいですよ。
1回観ただけ、プログラムも買っていないわたしにはわかりませんでしたが。
花組もみーんなマッシュ。
めぐむと、しゅん様を想像しました……。うわあああ。植爺、本気か。
……いやあ、たのしみですねええ。
そして本日はみわっちのディナーショーが発表されました。
おおお。スター街道、正しく進んでる感じだなー。
とことん濃くて、「これぞタカラヅカ・スタァ」なDSがいいなあ。
でもって東宝『スカピン』は友会全滅しました。そりゃそうだよな、とさみしくも自分的には納得していたんだが。
友人はカード7枚フルエントリーで、さらに全滅したとか。……どんだけすごいんだそりゃ。
わたしなんぞが全滅でもとーぜんだわなー。
わたしはソレより、『GOGO5!?』がはずれたっぽいことにヘコんでます……。うわああああ、まっつ〜〜。
やっぱいちばんのご贔屓チケットは当たらない、というジンクスが活きまくってますがな!! うわーん!!
花組の全国ツアー『外伝 ベルサイユのばら-アラン編-』『エンター・ザ・レビュー』にまっつが出演する。
花組の『外伝 ベルサイユのばら-アラン編-』と雪組が一足先に上演した『外伝 ベルサイユのばら-ジェローデル編-』では、プロローグが共通ではないかと噂されている。
物語に関係ないただきれーなだけのショーシーンで、オスカルとかアンドレとかフェルゼンとか、物語の主要人物さえ登場しない。オスカル役のキムもフェルゼン役のゆみこちゃんも、わざわざ誰でもないただの人になって踊っていた。
そして書き下ろしのテーマソングが、ご丁寧に今回『ベルばら』スピン・オフを上演する3つの組の名前を織り込んであるときた。
『ジェローデル編』の幕が上がるなり、金髪マッシュルーム・ヘアの男たちがゆらゆら歌い踊っていて、「さすが『ベルばら』!!」と思わず白目になったもんだった。
だから花組でもとーぜん同じカツラと衣装、場面と歌を使い回すだろうと踏んで、まっつのマッシュルームヘアが見られるってこと?!と、ツボったのだが、よーっく考えると路線寄りな男たちはちゃんと軍服で踊ってたわ、と、考え直した。
なーんだ、まっつの金髪マッシュルームは見られないのか。ちっ。
と、数日前に書いた。
それに対してnanaタンから訂正入りました。
「軍服の男たちもみんな、その前にマッシュルームやってるから」
えええ?!
そうだっけ? だってヲヅキはマッシュルームの中にいなかったわ!!
「ヲヅキは出てないから!!」
や、速攻ツッコミ入ったわ、『雨に唄えば』終演後の某レストランにて、仲間たちから(笑)。
そ、そうね、ヲヅキは『凍てついた明日』に出演中でいなかったわね。なにを混乱しているんだ、わたし。
「ひろみちゃんは最初にマッシュルームやって、そのあと軍服だった。まっつは全ツでは、ひろみちゃんくらいの位置でしょ?」
と、nanaタンが冷静に解説してくれました。
マッシュにひろみちゃんいたのか……わたしは、そらくんのマッシュがキョーアクにこわかったことしかおぼえてないっす……。
つーことで、まっつもパツキンキノコっぽいです。
わーい、まっつの小公子だー(棒読み)。や、正確には小公子ほど幼児プレイな役ではなかったはずだが。
主立った男役は全員マッシュらしいですよ。
1回観ただけ、プログラムも買っていないわたしにはわかりませんでしたが。
花組もみーんなマッシュ。
めぐむと、しゅん様を想像しました……。うわあああ。植爺、本気か。
……いやあ、たのしみですねええ。
そして本日はみわっちのディナーショーが発表されました。
おおお。スター街道、正しく進んでる感じだなー。
とことん濃くて、「これぞタカラヅカ・スタァ」なDSがいいなあ。
でもって東宝『スカピン』は友会全滅しました。そりゃそうだよな、とさみしくも自分的には納得していたんだが。
友人はカード7枚フルエントリーで、さらに全滅したとか。……どんだけすごいんだそりゃ。
わたしなんぞが全滅でもとーぜんだわなー。
わたしはソレより、『GOGO5!?』がはずれたっぽいことにヘコんでます……。うわああああ、まっつ〜〜。
やっぱいちばんのご贔屓チケットは当たらない、というジンクスが活きまくってますがな!! うわーん!!
キラキラと雨は降る。@雨に唄えば
2008年7月6日 タカラヅカ 宙組梅田芸術劇場公演『雨に唄えば』初日観劇。
なんかすごく、安心していたの。
大スター役のタニちゃん!
大映画スターで女の子がきゃーきゃー、胡散臭くかっこつけてモテモテで。
タニちゃんなら絶対ハマる、美貌と華で説得力。
実際、登場した瞬間からスターだ!! と、心から思った。
客席の上手扉から登場するってことはおぼえていたから、最初を見逃すまいとそわそわ(笑)。ライトが当たった瞬間の「おお〜〜っ」という昂揚を、素直に愉しみました。
実際ドン@タニちゃんがことさらかっこつけてスター様やってるのって、冒頭からキャシー@アリスとの出会いぐらいまでなんだよね。
でもそのキザっぷりが。
ショーで観る、あのタニちゃんなのよ。
タニちゃんがキザってるー、ポーズとってるー、ウインクしたぁ!!
ショースターとしてのタニちゃんを愉しむ、あの感覚まんま。ちょっとお尻がもぞもぞするよーなこそばゆさ、おかしさのあるかっこつけぶり。
それこそタニちゃん。あれほどの美貌なのに、冷たくも固くも見えない、不思議なやわらかさのある人。
このわざとらしいキザっぷりがあるから、この役って今のタニちゃんにぴったりなんだ。
と、冒頭でツボりながら思い。
さらに、キャシーと出会ったあと。
すごくやさしい顔で、笑うのね。
キャシーを見つめて。
タニちゃんやっぱ、なんか演技変わった?
輝度はそのままに、オーラのカタチが変わった気がする。鋭角的だったものが、まろやかになったような。
若くて一生懸命なドン。
ひょうひょうとして見えるけど、一生懸命だよね。
え、歌ですか?
ぜんぜんOKですよ。
そりゃ上手くはないんだけどさ。うーんわたし、タニちゃんと水くんに関しては、歌の出来はほんとに気にならないみたい。終演後友人にタニちゃんの歌唱力について言われるまで、マジでなにも思わずに聴いていたよ。
……開演アナウンス聞いて、ほんとうれしかった。マイク通りのいい、大人の声だった。タニちゃん今、こんな声でアナウンスするんだ、と。
やっぱトップスターは開演アナウンスするべきだ。劇団がこれ以上トップスターを軽んじないことを願うよ、ほんと。
初演をろくにおぼえていないのだけど、観ているうちによみがえってくる。
てゆーか。
七帆くん、その役なの?!
主要4キャラ以外、配役なんぞナニも知りませんでしたから。
耽美キャラの七帆くんがもじゃリーゼント眼鏡ヒゲオヤジで現れたときは、どーしよーかと(笑)。
あれって監督でしょ、初演では萬ケイ様の役じゃん!!
てっきりみっこさんの役が七帆くんだと思ってた。二枚目で、萌えだったもん。
そっちはいりすだった。
ヘタレオヤジが七帆で、美形青年がいりす。
……逆じゃん? ふつーなら。今までの配役パターンなら。
でも、このミスマッチ感がたまらん。
監督@七帆かわいー!
本人がたのしそーにやってるのがまた、ポイント高いわー。
ヘタレオヤジな七帆くん、素敵。相手役は誰かなあ。やっぱいりす? いや、所長@タマちゃんか。(腐女子発言)
初演がアタマにあるから、ミュージカル場面で色男な七帆くんが観られるかなと期待したんだが、その役はすずはるき氏がやってました。
七帆くんの美貌はフィナーレまでおあずけ。つか、フィナーレあってよかった(笑)。
ヒロイン、キャシー@アリスちゃんはかわいくてうまくて、期待通り。
外部ヒロインまで経験している子だから、安心していられた。
声もきれいで歌もよくて、リナの吹き替えを彼女がやるということも、納得。
ウメちゃんの記憶が呼び起こされて、なんか切なくもあるんだが、それはソレとして。
初演と比べるばかりが感想ではあり得ないが、ドンを見ていて初演のトウコを思い出す、というか比べてどうこう思うことはまったくなかったが、キャシーはちょっと記憶との戦いになったな。
それくらい、わたしにとってのウメちゃんキャシーは鮮烈だったんだろう。
キャシーがケーキから飛び出してくる場面、ほんとに華やかだったんだな、ウメちゃんって子は。
コズモ@らんとむ氏は、スロースターターなのかなー。
てゆーかすごく難しい役だったのか。初演でもコズモ役ってよくわかんないと思ったんだけど。
らんとむならもっと、ひとりの人間としてのコズモを見せてくれると思っている。なんつーんですか、ごちゃごちゃ背景からくっきり浮かび上がるような。コメディ場面でも、かっこいい場面でも。
役の軽さが気になったけれど、それでも立ち姿や動きの美しさが眼福だわ〜〜。
ドン、コズモ、キャシーの3人はキラキラきれいでかわいくて、くすぐったい幸福感がある。
彼らはとことん「タカラヅカ」なんだよな。
そう、思うよ。
あと、途中のショー場面でセンターの大ちゃんの歌を聴いてウケた。あんなに美しいのに、声を出すとびっくりって、リナちゃんですか(笑)。
早口言葉の先生も彼で、これまたびっくり。何故そんなものすごいキャスティングなんだ?(笑) 手に汗握ったが、噛まずに言い切ってたぞ。拍手。
りくくんがとにかく目に付く。目に入る。
役らしい役があるわけでもなく、モブに混ざってるんだけど、それでも「あ、あそこに蒼羽りくがいる」といちいち思う。
……きれーな子だなあ。
所長@タマちゃんがなんかすげーナチュラルに大人として存在していて、「えーと、この人学年いくつだっけ」と首を傾げた(笑)。
大人っつーか、おっさん。初演では星原先輩のやっていた役……。
星原先輩だと萌えようがなかったが(さすがにな)、タマちゃんなら腐女子フィルタOKだ、カップリング自由自在だ、やったー!!(落ち着け)
ところで女の子たちがみんな軒並み強そうなのは、なんなんですか(笑)。
ラジオ司会をやっている鈴奈さんが超ハイテンションでこわいのはデフォルトとして(これまたイイ声なんだ)、リナの発声法のせんせとか、付き人とか、撮影所にいる女の子たちがみんな顔芸しっかりやってる。
いい感じだなヲイ(笑)。
なんにせよ初日だから、これからみんなどんどん良くなっていくんだろう。
リナ@みっちゃんのキャラクタとしてのバランスの悪さが残念だけど、それすら融合して新しい『雨に唄えば』が出来上がっていくのだと思う。
にしてもタニちゃんのキラキラっぷりは、すごいわ。
初日でなんか固さが感じられたんだけど、それでもキラッキラしてた。
固さが取れ、自在に呼吸するようになったら、またさらに「きゃ〜〜☆」という女の子の歓声が相応しい大スター度が上がるんだろうな。
なんかすごく、安心していたの。
大スター役のタニちゃん!
大映画スターで女の子がきゃーきゃー、胡散臭くかっこつけてモテモテで。
タニちゃんなら絶対ハマる、美貌と華で説得力。
実際、登場した瞬間からスターだ!! と、心から思った。
客席の上手扉から登場するってことはおぼえていたから、最初を見逃すまいとそわそわ(笑)。ライトが当たった瞬間の「おお〜〜っ」という昂揚を、素直に愉しみました。
実際ドン@タニちゃんがことさらかっこつけてスター様やってるのって、冒頭からキャシー@アリスとの出会いぐらいまでなんだよね。
でもそのキザっぷりが。
ショーで観る、あのタニちゃんなのよ。
タニちゃんがキザってるー、ポーズとってるー、ウインクしたぁ!!
ショースターとしてのタニちゃんを愉しむ、あの感覚まんま。ちょっとお尻がもぞもぞするよーなこそばゆさ、おかしさのあるかっこつけぶり。
それこそタニちゃん。あれほどの美貌なのに、冷たくも固くも見えない、不思議なやわらかさのある人。
このわざとらしいキザっぷりがあるから、この役って今のタニちゃんにぴったりなんだ。
と、冒頭でツボりながら思い。
さらに、キャシーと出会ったあと。
すごくやさしい顔で、笑うのね。
キャシーを見つめて。
タニちゃんやっぱ、なんか演技変わった?
輝度はそのままに、オーラのカタチが変わった気がする。鋭角的だったものが、まろやかになったような。
若くて一生懸命なドン。
ひょうひょうとして見えるけど、一生懸命だよね。
え、歌ですか?
ぜんぜんOKですよ。
そりゃ上手くはないんだけどさ。うーんわたし、タニちゃんと水くんに関しては、歌の出来はほんとに気にならないみたい。終演後友人にタニちゃんの歌唱力について言われるまで、マジでなにも思わずに聴いていたよ。
……開演アナウンス聞いて、ほんとうれしかった。マイク通りのいい、大人の声だった。タニちゃん今、こんな声でアナウンスするんだ、と。
やっぱトップスターは開演アナウンスするべきだ。劇団がこれ以上トップスターを軽んじないことを願うよ、ほんと。
初演をろくにおぼえていないのだけど、観ているうちによみがえってくる。
てゆーか。
七帆くん、その役なの?!
主要4キャラ以外、配役なんぞナニも知りませんでしたから。
耽美キャラの七帆くんがもじゃリーゼント眼鏡ヒゲオヤジで現れたときは、どーしよーかと(笑)。
あれって監督でしょ、初演では萬ケイ様の役じゃん!!
てっきりみっこさんの役が七帆くんだと思ってた。二枚目で、萌えだったもん。
そっちはいりすだった。
ヘタレオヤジが七帆で、美形青年がいりす。
……逆じゃん? ふつーなら。今までの配役パターンなら。
でも、このミスマッチ感がたまらん。
監督@七帆かわいー!
本人がたのしそーにやってるのがまた、ポイント高いわー。
ヘタレオヤジな七帆くん、素敵。相手役は誰かなあ。やっぱいりす? いや、所長@タマちゃんか。(腐女子発言)
初演がアタマにあるから、ミュージカル場面で色男な七帆くんが観られるかなと期待したんだが、その役はすずはるき氏がやってました。
七帆くんの美貌はフィナーレまでおあずけ。つか、フィナーレあってよかった(笑)。
ヒロイン、キャシー@アリスちゃんはかわいくてうまくて、期待通り。
外部ヒロインまで経験している子だから、安心していられた。
声もきれいで歌もよくて、リナの吹き替えを彼女がやるということも、納得。
ウメちゃんの記憶が呼び起こされて、なんか切なくもあるんだが、それはソレとして。
初演と比べるばかりが感想ではあり得ないが、ドンを見ていて初演のトウコを思い出す、というか比べてどうこう思うことはまったくなかったが、キャシーはちょっと記憶との戦いになったな。
それくらい、わたしにとってのウメちゃんキャシーは鮮烈だったんだろう。
キャシーがケーキから飛び出してくる場面、ほんとに華やかだったんだな、ウメちゃんって子は。
コズモ@らんとむ氏は、スロースターターなのかなー。
てゆーかすごく難しい役だったのか。初演でもコズモ役ってよくわかんないと思ったんだけど。
らんとむならもっと、ひとりの人間としてのコズモを見せてくれると思っている。なんつーんですか、ごちゃごちゃ背景からくっきり浮かび上がるような。コメディ場面でも、かっこいい場面でも。
役の軽さが気になったけれど、それでも立ち姿や動きの美しさが眼福だわ〜〜。
ドン、コズモ、キャシーの3人はキラキラきれいでかわいくて、くすぐったい幸福感がある。
彼らはとことん「タカラヅカ」なんだよな。
そう、思うよ。
あと、途中のショー場面でセンターの大ちゃんの歌を聴いてウケた。あんなに美しいのに、声を出すとびっくりって、リナちゃんですか(笑)。
早口言葉の先生も彼で、これまたびっくり。何故そんなものすごいキャスティングなんだ?(笑) 手に汗握ったが、噛まずに言い切ってたぞ。拍手。
りくくんがとにかく目に付く。目に入る。
役らしい役があるわけでもなく、モブに混ざってるんだけど、それでも「あ、あそこに蒼羽りくがいる」といちいち思う。
……きれーな子だなあ。
所長@タマちゃんがなんかすげーナチュラルに大人として存在していて、「えーと、この人学年いくつだっけ」と首を傾げた(笑)。
大人っつーか、おっさん。初演では星原先輩のやっていた役……。
星原先輩だと萌えようがなかったが(さすがにな)、タマちゃんなら腐女子フィルタOKだ、カップリング自由自在だ、やったー!!(落ち着け)
ところで女の子たちがみんな軒並み強そうなのは、なんなんですか(笑)。
ラジオ司会をやっている鈴奈さんが超ハイテンションでこわいのはデフォルトとして(これまたイイ声なんだ)、リナの発声法のせんせとか、付き人とか、撮影所にいる女の子たちがみんな顔芸しっかりやってる。
いい感じだなヲイ(笑)。
なんにせよ初日だから、これからみんなどんどん良くなっていくんだろう。
リナ@みっちゃんのキャラクタとしてのバランスの悪さが残念だけど、それすら融合して新しい『雨に唄えば』が出来上がっていくのだと思う。
にしてもタニちゃんのキラキラっぷりは、すごいわ。
初日でなんか固さが感じられたんだけど、それでもキラッキラしてた。
固さが取れ、自在に呼吸するようになったら、またさらに「きゃ〜〜☆」という女の子の歓声が相応しい大スター度が上がるんだろうな。
「絶世の美女」という仕事。@雨に唄えば
2008年7月5日 タカラヅカ リナがこんなに重要な役だと思ってなかった。
初演時のわたしは、リナ@まとぶんになんの興味もなかった。好きな人以外視界に入らないわたしは、当時の感想でもまとぶんのことはほとんどなにも書いていない。簡単にほめているだけ。
コズモ@タニちゃんに関しては辛口にもどかしさをつづっているが、それはわたしがタニちゃんを見ていたからで、見ていないまとぶんに対しては辛口も甘口もない。ほんと、目に入ってなかったんだもん。
興味なかったからスルーしていたリナという役、というか、まとぶん。
まとぶリナって、すごかったんだ。と、はじめて知った。
再演『雨に唄えば』初日観劇。ウメちゃんのいない寂しさを改めて感じながら、それでもキモチだけは前向きに、びんぼーゆえに席は悪いけど、たのしむぞー、おー!
入り口でゆーひくんの『銀ちゃんの恋』チラシと、寿美礼サマのコンサートチラシをもらって、そこでもテンション上がる(笑)。うおおお、ゆーひくんかっけー、オサ様きれー。
キラキラ大スター役がタニちゃんだし、ホットならんとむがコズモだし、芸達者なみっちゃんがリナだし、アリスちゃんだってかわいくてうまいことはわかってるし、とすごーく油断して観劇した。
…………リナが、チガウ。
リナがチガウと、物語に入りこめない〜〜。
恋敵であり、トラブルメーカーであり、唯一の悪役であるところの美人女優リナ。
彼女をひとことで表すならば、外見しか取りえのない女。
黙っていれば絶世の美女だが、悪声でとことんおバカ。ずるくて卑怯でわがままで、ソコがかわいいのはたしかだが、とにかく最悪。潔く悪役。バカっぷりがかわいいけれど、それでも彼女が悪役、唯一の障害役。
彼女は自業自得で最後はなにもかも失うことになるんだが、リナがリナであるがゆえに、彼女の破滅に誰も涙したりしない。観客はドンとキャシーに感情移入して、すかっとさわやかに勝利に酔える。
みっちゃんのリナは……なんかすごーく役作りがチガウ気がする……。
まず、外見が「絶世の美女」ではない。
コレは痛い。相当痛い。が、コレはリナがみっちゃんだとわかった段階で予想できた。予想よりはきれいに作ってくれていると思う。……肩のゴツさはともかくとして。
みっちゃんは演技で美形になれる人だ。男役として、役になりきっているときはちゃんと美しい。だからリナ役も表情の問題が大きいと思う。美女としての美しい表情や所作をあまりしていない。できないのか、してないのかはわかんない。
コメディであることを前提としすぎた、笑いを取るためにキャラを崩しすぎている印象。たしかにリナはコメディ担当だけど、「美女」であることを忘れちゃダメだよ〜〜。どんなにおバカな表情をしても美しい人ならともかく、まず「美女」を作りあげた上で崩すようにしなきゃ。
リナの悪声は作品の重要なポイント。
絶世の美女が素っ頓狂な悪声、のーみそからっぽの喋り方をするからインパクトになる。
ところがみっちゃんリナは。
悪声というほどのこともなかった。
ふつーの女性の声。
そして台詞によって素っ頓狂な悪声にもなる。
一定してないの。ふつーに喋っているときも多い。とくに彼女が悪声だとわかる最初の第一声のふつーさには、かえってびっくりした。最初の声で笑わせなきゃならないのに!
笑わせる目的のときは、突然わざとらしいまでの悪声。でも、そうでないときはふつーに近い声。
リナは「見た目は絶世の美女、でも喋ると悪声でアホ」なのに、みっちゃんのは「見た目はふつー程度にキレイな女性、声もふつー、あんましアホぢゃない」?!
声がふつーだったり、歌になるとさらにふつーになったりで、心底おバカに見えない。不思議ちゃんぶった、浅慮なだけのふつうの女性に見える。
不思議ちゃんキャラの方がウケるからわざと語尾に萌え擬音をつけて喋っている女の子? 上昇志向が強く、じつは健気だったりする?
リナが「ふつーの女の子」で「じつは健気」だったりすると、彼女が不幸になることでハッピーエンドな物語が壊れるよ〜〜。
せめて声だけでも一定にできないのだろうか。
悪声とそうでないときがあると、わざと変な声を出している、たくらみのある人になっちゃうよ。
まとぶんのときはたしか、初日からしばらくは「マイク操作であの変な声を作っている」と噂になり、「あれはマイクの力」「いや、あれは本人の声」と物議の種になりましたっけ。
結局まとぶん自身があの変な声を出しているとわかったんだが、そんな議論が起こるくらい、一定して変な声だったんだ。
いい仕事してたんだなあ、まとぶん……気づいてなかったっす……。
しかし悪声で一定にするのは本当に難しいのかもしれないな。歌がうまいみっちゃんだから、「音」を操ることは長けていると思うんだ。それでもあんなふうに不安定な音しか出せないっていうのは、男役にあの金切りアニメ声を出させるのは無理があるってことかな。
かといって、みっちゃんが出しやすいふつうの女性の声で演じられても、それはリナじゃないし。うーん。
いっそ金切りアニメ声の呪縛を離れ、男役まんまなオカマ声の女優にするのはどうだ?
観客は「見た目に相応しい美しい声と上品な喋り方」を期待するが、現実のリナは地を這うようなおっさん声で、そのうえアホアホ喋りである、とすれば、物語はなーんも変えなくてもそのまま進行できるし、みっちゃんもキャラクタ作成で混乱することがないかも。
まとぶんがあんな声を出していたからといって、そのまんまをみっちゃんがやらなければならないことはないだろうに。や、この際原作がどうとかも置いておいて。
よーするに、宙組『雨に唄えば』のリナが魅力的で、作品世界に合っていればいいだけのことなんだから、細かいディテールなんか変えてもいいじゃんよー。
……ダメなのか。
もちろん、今のみっちゃんリナは単体で見れば、かわいい。
贔屓目もあるだろうが、いじりたくなるよーな愛すべき女の子だと思う。個人的にふくれっ面が思わず膝を叩くくらいかわいかった(笑)。
でも単体で見て終わらせていいわけじゃないからなあ、ミュージカルなんだし。
初日だから、声の出来上がりがよくないだけかもしれない。声が安定すればまたちがってくるかな。でも役作り自体違和感あるけどなー。
笑わせるためにはじけるんじゃなく、やりすぎるんじゃなく、まず「役」としての仕事をまっとうして欲しい……と思う。
みっちゃんの芝居でこんなに首を傾げたのって、はじめてじゃないか?
いつもすげー的確な人で、その技術には安心しきっていただけに、びっくりだ。
もちろんわたしの個人的感想に過ぎないし、芝居に正解も間違いもないことはわかっている。
このリナも含めて、新しい『雨に唄えば』なんだから、次に観るときは印象が変わっているかもしれない。
「そうか、この『雨唄』はここがこうだから、リナがこうだったんだわ!!」と目からウロコが落ちることになるかも。
この違和感も、初日ならではの醍醐味だな。
初演時のわたしは、リナ@まとぶんになんの興味もなかった。好きな人以外視界に入らないわたしは、当時の感想でもまとぶんのことはほとんどなにも書いていない。簡単にほめているだけ。
コズモ@タニちゃんに関しては辛口にもどかしさをつづっているが、それはわたしがタニちゃんを見ていたからで、見ていないまとぶんに対しては辛口も甘口もない。ほんと、目に入ってなかったんだもん。
興味なかったからスルーしていたリナという役、というか、まとぶん。
まとぶリナって、すごかったんだ。と、はじめて知った。
再演『雨に唄えば』初日観劇。ウメちゃんのいない寂しさを改めて感じながら、それでもキモチだけは前向きに、びんぼーゆえに席は悪いけど、たのしむぞー、おー!
入り口でゆーひくんの『銀ちゃんの恋』チラシと、寿美礼サマのコンサートチラシをもらって、そこでもテンション上がる(笑)。うおおお、ゆーひくんかっけー、オサ様きれー。
キラキラ大スター役がタニちゃんだし、ホットならんとむがコズモだし、芸達者なみっちゃんがリナだし、アリスちゃんだってかわいくてうまいことはわかってるし、とすごーく油断して観劇した。
…………リナが、チガウ。
リナがチガウと、物語に入りこめない〜〜。
恋敵であり、トラブルメーカーであり、唯一の悪役であるところの美人女優リナ。
彼女をひとことで表すならば、外見しか取りえのない女。
黙っていれば絶世の美女だが、悪声でとことんおバカ。ずるくて卑怯でわがままで、ソコがかわいいのはたしかだが、とにかく最悪。潔く悪役。バカっぷりがかわいいけれど、それでも彼女が悪役、唯一の障害役。
彼女は自業自得で最後はなにもかも失うことになるんだが、リナがリナであるがゆえに、彼女の破滅に誰も涙したりしない。観客はドンとキャシーに感情移入して、すかっとさわやかに勝利に酔える。
みっちゃんのリナは……なんかすごーく役作りがチガウ気がする……。
まず、外見が「絶世の美女」ではない。
コレは痛い。相当痛い。が、コレはリナがみっちゃんだとわかった段階で予想できた。予想よりはきれいに作ってくれていると思う。……肩のゴツさはともかくとして。
みっちゃんは演技で美形になれる人だ。男役として、役になりきっているときはちゃんと美しい。だからリナ役も表情の問題が大きいと思う。美女としての美しい表情や所作をあまりしていない。できないのか、してないのかはわかんない。
コメディであることを前提としすぎた、笑いを取るためにキャラを崩しすぎている印象。たしかにリナはコメディ担当だけど、「美女」であることを忘れちゃダメだよ〜〜。どんなにおバカな表情をしても美しい人ならともかく、まず「美女」を作りあげた上で崩すようにしなきゃ。
リナの悪声は作品の重要なポイント。
絶世の美女が素っ頓狂な悪声、のーみそからっぽの喋り方をするからインパクトになる。
ところがみっちゃんリナは。
悪声というほどのこともなかった。
ふつーの女性の声。
そして台詞によって素っ頓狂な悪声にもなる。
一定してないの。ふつーに喋っているときも多い。とくに彼女が悪声だとわかる最初の第一声のふつーさには、かえってびっくりした。最初の声で笑わせなきゃならないのに!
笑わせる目的のときは、突然わざとらしいまでの悪声。でも、そうでないときはふつーに近い声。
リナは「見た目は絶世の美女、でも喋ると悪声でアホ」なのに、みっちゃんのは「見た目はふつー程度にキレイな女性、声もふつー、あんましアホぢゃない」?!
声がふつーだったり、歌になるとさらにふつーになったりで、心底おバカに見えない。不思議ちゃんぶった、浅慮なだけのふつうの女性に見える。
不思議ちゃんキャラの方がウケるからわざと語尾に萌え擬音をつけて喋っている女の子? 上昇志向が強く、じつは健気だったりする?
リナが「ふつーの女の子」で「じつは健気」だったりすると、彼女が不幸になることでハッピーエンドな物語が壊れるよ〜〜。
せめて声だけでも一定にできないのだろうか。
悪声とそうでないときがあると、わざと変な声を出している、たくらみのある人になっちゃうよ。
まとぶんのときはたしか、初日からしばらくは「マイク操作であの変な声を作っている」と噂になり、「あれはマイクの力」「いや、あれは本人の声」と物議の種になりましたっけ。
結局まとぶん自身があの変な声を出しているとわかったんだが、そんな議論が起こるくらい、一定して変な声だったんだ。
いい仕事してたんだなあ、まとぶん……気づいてなかったっす……。
しかし悪声で一定にするのは本当に難しいのかもしれないな。歌がうまいみっちゃんだから、「音」を操ることは長けていると思うんだ。それでもあんなふうに不安定な音しか出せないっていうのは、男役にあの金切りアニメ声を出させるのは無理があるってことかな。
かといって、みっちゃんが出しやすいふつうの女性の声で演じられても、それはリナじゃないし。うーん。
いっそ金切りアニメ声の呪縛を離れ、男役まんまなオカマ声の女優にするのはどうだ?
観客は「見た目に相応しい美しい声と上品な喋り方」を期待するが、現実のリナは地を這うようなおっさん声で、そのうえアホアホ喋りである、とすれば、物語はなーんも変えなくてもそのまま進行できるし、みっちゃんもキャラクタ作成で混乱することがないかも。
まとぶんがあんな声を出していたからといって、そのまんまをみっちゃんがやらなければならないことはないだろうに。や、この際原作がどうとかも置いておいて。
よーするに、宙組『雨に唄えば』のリナが魅力的で、作品世界に合っていればいいだけのことなんだから、細かいディテールなんか変えてもいいじゃんよー。
……ダメなのか。
もちろん、今のみっちゃんリナは単体で見れば、かわいい。
贔屓目もあるだろうが、いじりたくなるよーな愛すべき女の子だと思う。個人的にふくれっ面が思わず膝を叩くくらいかわいかった(笑)。
でも単体で見て終わらせていいわけじゃないからなあ、ミュージカルなんだし。
初日だから、声の出来上がりがよくないだけかもしれない。声が安定すればまたちがってくるかな。でも役作り自体違和感あるけどなー。
笑わせるためにはじけるんじゃなく、やりすぎるんじゃなく、まず「役」としての仕事をまっとうして欲しい……と思う。
みっちゃんの芝居でこんなに首を傾げたのって、はじめてじゃないか?
いつもすげー的確な人で、その技術には安心しきっていただけに、びっくりだ。
もちろんわたしの個人的感想に過ぎないし、芝居に正解も間違いもないことはわかっている。
このリナも含めて、新しい『雨に唄えば』なんだから、次に観るときは印象が変わっているかもしれない。
「そうか、この『雨唄』はここがこうだから、リナがこうだったんだわ!!」と目からウロコが落ちることになるかも。
この違和感も、初日ならではの醍醐味だな。
彼が「ファンタジー」である、ということ。@銀ちゃんの恋
2008年7月4日 タカラヅカ ゆーひくんの、『銀ちゃんの恋』ポスター見ましたっ。
ゆーひくん、最高っ!!
バナー画像時点でも、ありえないギンギラ悪趣味衣装を見事に着こなし、「衣装はお笑い芸人みたいなのに、着ているのがゆーひだと笑えない……てゆーか、かっこいい」と呆然としてしまうくらいだったのに。
その、お笑い芸人衣装でさらにハエ叩きまで持って、ソレでもかっこいい、って、いったいなんなの、おーぞらゆーひ?!
突き抜けたハッタリと胡散臭さが、「ファンタジー」を創り上げている。
別の世界(舞台・芝居、という、わたしたちがいるのとは別の場所)を見せてくれるであろう期待感。
やー、もー、すげえなあ。
『銀ちゃんの恋』なのに、そして実際とてもトンデモな演出をされたポスターなのに、それでもかっこいいんだもん。
ゆーひ、恐ろしい子!!(白目)
初演のポスターを知っているだけに、ずっと不安でしたから。
ゆーひくんだからたぶんひとり写りだろうけど、タイトルが『銀ちゃんの恋』だし、初演ポスターはみんなであんなことになっていたんだから、やっぱヤスと小夏も載っているかもしれない。んで、まっつがヤスかもしれないという可能性はずっとあったわけだから、あのポスターであのデザインでまっつを見るのは相当ヘコむぞと、取らぬ狸の皮算用、勝手にいろいろ考えて不安がってました(笑)。
初演のポスターはなんていうか、土曜日のお昼に放送されていた吉本新喜劇のノリでした。
新聞の4コママンガみたいな絵に、顔だけ役者の顔写真の切り抜きが貼ってあるの。表情は思い切り喜劇ちっく……つーか、お笑い芸人らしく。
当時のバウポスターはモノクロ基本の多色刷りだったから、写真は白黒で。
タカラヅカだとは、よく見ないとわからない。ほんとにヨシモトの手書き看板みたいだった。
耽美NO.1のゆーひくんが、あんな扱いをされるのかと思うと、胸が痛かったよ、ママン。
ところがどっこい。
フタを開けてみれば、不遜なまでのイケメン・ポスター。キャッチコピーもいいじゃん、「銀ちゃん今日も反省の色なし。」……わくわくするわ。
……先日久しぶりに『殉情』を観て、やっぱ石田芝居とは根本からわかりあえないと肩を落としたところだったので(笑)、『銀ちゃんの恋』ポスターが素敵で心強いです。マジで光明が差した(笑)。
あとはキャスティングだよなあ。
手堅く攻めてくれますよーに。劇団の「大人の都合」全開なキャスティングは勘弁して下さいよ。他の演目はともかく、この作品は実力本位でお願いします。
個人的に、ヤスがだいもんだといいなあ、と思っている。や、ありえないことはわかっているが。だいもんの芝居が観たいんだよー。
なにはともあれ。
大空祐飛、万歳。
ゆーひくん、最高っ!!
バナー画像時点でも、ありえないギンギラ悪趣味衣装を見事に着こなし、「衣装はお笑い芸人みたいなのに、着ているのがゆーひだと笑えない……てゆーか、かっこいい」と呆然としてしまうくらいだったのに。
その、お笑い芸人衣装でさらにハエ叩きまで持って、ソレでもかっこいい、って、いったいなんなの、おーぞらゆーひ?!
突き抜けたハッタリと胡散臭さが、「ファンタジー」を創り上げている。
別の世界(舞台・芝居、という、わたしたちがいるのとは別の場所)を見せてくれるであろう期待感。
やー、もー、すげえなあ。
『銀ちゃんの恋』なのに、そして実際とてもトンデモな演出をされたポスターなのに、それでもかっこいいんだもん。
ゆーひ、恐ろしい子!!(白目)
初演のポスターを知っているだけに、ずっと不安でしたから。
ゆーひくんだからたぶんひとり写りだろうけど、タイトルが『銀ちゃんの恋』だし、初演ポスターはみんなであんなことになっていたんだから、やっぱヤスと小夏も載っているかもしれない。んで、まっつがヤスかもしれないという可能性はずっとあったわけだから、あのポスターであのデザインでまっつを見るのは相当ヘコむぞと、取らぬ狸の皮算用、勝手にいろいろ考えて不安がってました(笑)。
初演のポスターはなんていうか、土曜日のお昼に放送されていた吉本新喜劇のノリでした。
新聞の4コママンガみたいな絵に、顔だけ役者の顔写真の切り抜きが貼ってあるの。表情は思い切り喜劇ちっく……つーか、お笑い芸人らしく。
当時のバウポスターはモノクロ基本の多色刷りだったから、写真は白黒で。
タカラヅカだとは、よく見ないとわからない。ほんとにヨシモトの手書き看板みたいだった。
耽美NO.1のゆーひくんが、あんな扱いをされるのかと思うと、胸が痛かったよ、ママン。
ところがどっこい。
フタを開けてみれば、不遜なまでのイケメン・ポスター。キャッチコピーもいいじゃん、「銀ちゃん今日も反省の色なし。」……わくわくするわ。
……先日久しぶりに『殉情』を観て、やっぱ石田芝居とは根本からわかりあえないと肩を落としたところだったので(笑)、『銀ちゃんの恋』ポスターが素敵で心強いです。マジで光明が差した(笑)。
あとはキャスティングだよなあ。
手堅く攻めてくれますよーに。劇団の「大人の都合」全開なキャスティングは勘弁して下さいよ。他の演目はともかく、この作品は実力本位でお願いします。
個人的に、ヤスがだいもんだといいなあ、と思っている。や、ありえないことはわかっているが。だいもんの芝居が観たいんだよー。
なにはともあれ。
大空祐飛、万歳。
あの年、あの拍手の雨の中で。
2008年7月3日 タカラヅカ すっかり忘れていたんだけれど、わたしは初演の『雨に唄えば』を3回観ていたらしい。2回だと思い込んでいた。そっか、遠征を2回したんであって、観劇自体は3回だったんだな。
もう5年も前になるのか。
日生劇場で上演された『雨に唄えば』は、超絶チケ難公演でねぇ。チケットは即日完売、掲示板には「求む」があふれ、えらいことになっていた。
手に入れるのに、すげー苦労した記憶がある。
前年からはじまった日生劇場公演。その『風と共に去りぬ』がまた、すげーチケ難で。とくにコム姫スカーレットの前半日程はとんでもないヒートアップぶりだった。
その記憶も新しく、「日生公演は特別」な印象が強かった。実際、複数の組を巻き込んだ特別公演、劇団的にもかなり力の入った演目をするハコだと。
第2弾がヅカでは初演となる有名海外ミュージカル『雨に唄えば』だ。
トップ交代があったばかりの星組で、2番手トウコが主演を務める。月組から宙組へ異動が発表されたばかりのタニちゃんが、組を超えて2番手として出演。ヒロインは研4になったばかりで新公ヒロインさえ未経験のウメちゃん。準ヒロが星組で急激プッシュを受けて特別扱いまっしぐらの美形男役まとぶん。
これらのことからでも、どれだけ「特別」な公演としてヅカファンの話題をかっさらったか。
前年の『風共』しか前例がないため「日生ってトドロキクラスの人が主演するものなんじゃないの?」てことで、トウコちゃん主演に巷では物議が醸された。
今なら2番手クラス主演公演でなんとも思われてないけど、最初は「トップが主演すべきもの」だと思われていたから、ややこしかった(笑)。
また当時は新専科制度が残っており、トウコはそれまで2番手とは言っても組内2番手に過ぎず、次々やってくる新専科さんたちとひとまとめに「次期トップ候補」とされていた。人気、実力、そして現組子であり、トップスターを見送る現在の公演に出演している唯一の次期候補者であるということで、かなり有力視されていたと思うけど。
が、結局トウコのトップは見送り、またしても2番手のまま据え置きになった。トップスターは新専科からワタルくんの落下傘、次期トップが現トップのサヨナラ公演に出演しないこともあるのだという、それまでの常識をくつがえす例を作ることになった。や、ワタルくんは宙組発足前は星組で、若手時代を過ごしているので心情的にはそれほど違和感はないはずだが、落下傘であることは間違いない。
そんな新生星組が固まる前、トウコの進退に注目が集まっていたときの、「トップクラスの人が主演するはず」だと思われていた日生劇場での公演だ。
一方月組ではきりやんの猛烈プッシュが起こり、阪急系列のあちこちにきりやんのポスターが貼られ、東宝系映画館ではきりやんのCMが毎日流れていた。阪急カードのイメージキャラクタがタニからきりやんに変更されたのと連動するかのように、まさかのタニちゃん組替え。
各組2番手によるバウ公演が発表される。各組2番手は、あさこ、きりやん、かしげ、トウコ、水。ここにタニちゃんの名前はない。前年から月組の単独2番手であったはずのタニが、2番手ではなくなり、宙(ちゅう)に浮いた状態になる。
さらにウメちゃんは新公ヒロはまだであっても、池田銀行という大きなスポンサーがちょっと前からついていた。それまで組ファン以外にほぼ無名であったとしても、トップ娘役からスポンサーのバトンを受け取った女の子として、一気に注目を集めていた。
そしてさらに、男役が演じる準ヒロイン。まとぶんは路線上級生を追い抜き、一気に組内3番手にまで駆け上がってきた御曹司。今のれおんとかなりかぶるな。あんな感じで階段を2つ3つトバして駆け上がっている感じ。
劇団からの追い風は力となり、なにかと人々の口の端に上る人だった。
こんな人事的にも渦中にいる人たちが出演する、公演。
話題にならないはずがない。
チケ難ぶりと客席の高揚は、忘れられない。
ついでに、トウコファンのアツさも(笑)。千秋楽でもなんでもなくても、繰り返されるカーテンコール、スタンディングオベーション。根っこが雪担のわたしは、そのアツさにびびりまくった(笑)。トウコが、っていうか、星組のカラーかな、あれは。
で、肝心の舞台内容は、というと。
あまり、おぼえていない。
もちろん最低限の記憶はあるけど、それだけだ。
作品を好きじゃないってことと、トウコがかっこよかったことと、ウメがかわいかったことしか、おぼえてない。
たしかに罪なく楽しい物語で、機嫌良く笑ったけれどそれだけで、好きだとは思えなかった。
1回目の遠征でそう思い、それても2回目の遠征時にはドン@トウコ素敵だけのキモチで、作品への不満は全部どーでもよくなった(笑)。
到底好みではない物語なのに、トウコがすっげーリアルに細かく演技していて、主人公の気持ちをつないでいって、彼を見ていると彼の人生を追体験できてカタルシスを味わえた。
トウコちゃんってやっぱすげえ!! と、思い知って帰途についたんだ。
最初に見たときは、彼が大スターに見えなくて、キラキラが足りなくて、かなり首を傾げていたのに。
そんなもん関係なくなるくらい、「役者」としての力を見せつけてくれた。
トウコが真ん中の舞台はキモチイイ。彼(彼女)が空気を動かす。同じ空間にいるひとりとして、トウコが起こすストームに乗ったときの、気持ちよさ。
その快感だけおぼえていて、あとはぜんぜんおぼえてないなあ。
そりゃストーリーはおぼえてるけど、細かい脇の役がどうとか名前とか、きれーに抜け落ちてるわ。
思えば2003年はなにかと激しい年だったんだなあ。
日生『雨に唄えば』を皮切りに、あさこ『二都物語』、水『里見八犬伝』、トウコ『厳流』という超絶チケ難2番手バウが続く。
きりやんに向かって風が吹いていたその最中、まさかの休演。きりやん主演のはずだった『なみだ橋 えがお橋』は急遽さららんが代役。きりやんは年末の大劇場公演から戻ってきたけれど、あれほど急激に彼を押し上げていた風はゆるやかになった。……以来、現在に至る。
この年の日生とバウで即日完売、大盛況だった主演クラスの人たち、トウコ、タニ、まとぶん、ウメ、あさこ、水、彩音は、現在みんなトップスターで、バウがまったく売れなかったかしちゃんはすでに退団、出演できなかったきりやんは今も5年前と同じ2番手のまま。
時は流れ、戻ることはない。
記憶は薄れ、上書きされていく。
当時の記録を引っ張り出しながら、振り返っておく。
『雨に唄えば』が、タニちゃん主演で再演される。新しい『雨唄』を愛するために、過去の整理を。
もう5年も前になるのか。
日生劇場で上演された『雨に唄えば』は、超絶チケ難公演でねぇ。チケットは即日完売、掲示板には「求む」があふれ、えらいことになっていた。
手に入れるのに、すげー苦労した記憶がある。
前年からはじまった日生劇場公演。その『風と共に去りぬ』がまた、すげーチケ難で。とくにコム姫スカーレットの前半日程はとんでもないヒートアップぶりだった。
その記憶も新しく、「日生公演は特別」な印象が強かった。実際、複数の組を巻き込んだ特別公演、劇団的にもかなり力の入った演目をするハコだと。
第2弾がヅカでは初演となる有名海外ミュージカル『雨に唄えば』だ。
トップ交代があったばかりの星組で、2番手トウコが主演を務める。月組から宙組へ異動が発表されたばかりのタニちゃんが、組を超えて2番手として出演。ヒロインは研4になったばかりで新公ヒロインさえ未経験のウメちゃん。準ヒロが星組で急激プッシュを受けて特別扱いまっしぐらの美形男役まとぶん。
これらのことからでも、どれだけ「特別」な公演としてヅカファンの話題をかっさらったか。
前年の『風共』しか前例がないため「日生ってトドロキクラスの人が主演するものなんじゃないの?」てことで、トウコちゃん主演に巷では物議が醸された。
今なら2番手クラス主演公演でなんとも思われてないけど、最初は「トップが主演すべきもの」だと思われていたから、ややこしかった(笑)。
また当時は新専科制度が残っており、トウコはそれまで2番手とは言っても組内2番手に過ぎず、次々やってくる新専科さんたちとひとまとめに「次期トップ候補」とされていた。人気、実力、そして現組子であり、トップスターを見送る現在の公演に出演している唯一の次期候補者であるということで、かなり有力視されていたと思うけど。
が、結局トウコのトップは見送り、またしても2番手のまま据え置きになった。トップスターは新専科からワタルくんの落下傘、次期トップが現トップのサヨナラ公演に出演しないこともあるのだという、それまでの常識をくつがえす例を作ることになった。や、ワタルくんは宙組発足前は星組で、若手時代を過ごしているので心情的にはそれほど違和感はないはずだが、落下傘であることは間違いない。
そんな新生星組が固まる前、トウコの進退に注目が集まっていたときの、「トップクラスの人が主演するはず」だと思われていた日生劇場での公演だ。
一方月組ではきりやんの猛烈プッシュが起こり、阪急系列のあちこちにきりやんのポスターが貼られ、東宝系映画館ではきりやんのCMが毎日流れていた。阪急カードのイメージキャラクタがタニからきりやんに変更されたのと連動するかのように、まさかのタニちゃん組替え。
各組2番手によるバウ公演が発表される。各組2番手は、あさこ、きりやん、かしげ、トウコ、水。ここにタニちゃんの名前はない。前年から月組の単独2番手であったはずのタニが、2番手ではなくなり、宙(ちゅう)に浮いた状態になる。
さらにウメちゃんは新公ヒロはまだであっても、池田銀行という大きなスポンサーがちょっと前からついていた。それまで組ファン以外にほぼ無名であったとしても、トップ娘役からスポンサーのバトンを受け取った女の子として、一気に注目を集めていた。
そしてさらに、男役が演じる準ヒロイン。まとぶんは路線上級生を追い抜き、一気に組内3番手にまで駆け上がってきた御曹司。今のれおんとかなりかぶるな。あんな感じで階段を2つ3つトバして駆け上がっている感じ。
劇団からの追い風は力となり、なにかと人々の口の端に上る人だった。
こんな人事的にも渦中にいる人たちが出演する、公演。
話題にならないはずがない。
チケ難ぶりと客席の高揚は、忘れられない。
ついでに、トウコファンのアツさも(笑)。千秋楽でもなんでもなくても、繰り返されるカーテンコール、スタンディングオベーション。根っこが雪担のわたしは、そのアツさにびびりまくった(笑)。トウコが、っていうか、星組のカラーかな、あれは。
で、肝心の舞台内容は、というと。
あまり、おぼえていない。
もちろん最低限の記憶はあるけど、それだけだ。
作品を好きじゃないってことと、トウコがかっこよかったことと、ウメがかわいかったことしか、おぼえてない。
たしかに罪なく楽しい物語で、機嫌良く笑ったけれどそれだけで、好きだとは思えなかった。
1回目の遠征でそう思い、それても2回目の遠征時にはドン@トウコ素敵だけのキモチで、作品への不満は全部どーでもよくなった(笑)。
到底好みではない物語なのに、トウコがすっげーリアルに細かく演技していて、主人公の気持ちをつないでいって、彼を見ていると彼の人生を追体験できてカタルシスを味わえた。
トウコちゃんってやっぱすげえ!! と、思い知って帰途についたんだ。
最初に見たときは、彼が大スターに見えなくて、キラキラが足りなくて、かなり首を傾げていたのに。
そんなもん関係なくなるくらい、「役者」としての力を見せつけてくれた。
トウコが真ん中の舞台はキモチイイ。彼(彼女)が空気を動かす。同じ空間にいるひとりとして、トウコが起こすストームに乗ったときの、気持ちよさ。
その快感だけおぼえていて、あとはぜんぜんおぼえてないなあ。
そりゃストーリーはおぼえてるけど、細かい脇の役がどうとか名前とか、きれーに抜け落ちてるわ。
思えば2003年はなにかと激しい年だったんだなあ。
日生『雨に唄えば』を皮切りに、あさこ『二都物語』、水『里見八犬伝』、トウコ『厳流』という超絶チケ難2番手バウが続く。
きりやんに向かって風が吹いていたその最中、まさかの休演。きりやん主演のはずだった『なみだ橋 えがお橋』は急遽さららんが代役。きりやんは年末の大劇場公演から戻ってきたけれど、あれほど急激に彼を押し上げていた風はゆるやかになった。……以来、現在に至る。
この年の日生とバウで即日完売、大盛況だった主演クラスの人たち、トウコ、タニ、まとぶん、ウメ、あさこ、水、彩音は、現在みんなトップスターで、バウがまったく売れなかったかしちゃんはすでに退団、出演できなかったきりやんは今も5年前と同じ2番手のまま。
時は流れ、戻ることはない。
記憶は薄れ、上書きされていく。
当時の記録を引っ張り出しながら、振り返っておく。
『雨に唄えば』が、タニちゃん主演で再演される。新しい『雨唄』を愛するために、過去の整理を。
ヒロインが、替わっていました。
雪組WS『凍てついた明日−ボニー&クライドとの邂逅』。主役のクライド@かなめがAチームBチーム通して替わらず、ヒロインのボニー役がAチームみなこちゃん、Bチームがさゆちゃん、とWキャストであることは、最初からわかっていた。
だからBチームを観劇して、Aチームとヒロインが役替わりしていてもあたりまえ、今さらナニ言ってんの? と、思われるかもしれません。
しかし、わたしが言ってるのは、役替わりのことぢゃないの。
ヒロインが、ボニーぢゃなくなってた。
「ボニー&クライド」なのに。タイトルなのに。ヒロインがボニーぢゃない。
ヒロインは、アニスでした。
や、わたしの目にはそう映った、というだけですが。
主役がクライドで、彼と共に物語を回していく根幹にある存在は、アニス。ボニーは仲間たちのひとりで、テッドやジェレミー以下の存在になってました。
いやあ、びっくりした。
もちろんなんの予備知識もなく、役替わりの細かい知識もなく(ジェレミー役、名前見てもわかんなーい、とか、その程度)、チケットもなかったからサバキで観劇して。
……舞台ってやっぱ、おもしろいよなあ。
テレビや映画では、ありえないことがふつーに起こっているんだもの。
テレビなどでは、脇役がどんなにいい演技をしていたって、カメラが映しているのは主演女優の大根演技だったりして、製作意図通りにしか物語は進まない。
北島マヤ@『ガラスの仮面』がテレビ女優でも映画スターでもなく、舞台女優であるわけだよなあ。カメラを通す芝居じゃ無理だもんよー。
『La Esperanza』新人公演を観たとき、「主役はミルバ@あすかだ」と痛感した。ミルバの感情のゆれ、表情のひとつひとつにドラマが集約されていると感じ、彼女を中心とした視界で物語をたのしんだ。本来の主役、カルロス@まっつは脇役、ミルバの恋人役でしかなかった。
ところが、テレビで放映された『La Esperanza』では、カルロスが主役に見えた。だって、カメラがカルロスを映してるんだもの。場の空気の中心がミルバだったとしても、そんなこと関係なくカルロスを「脚本上の主役だから」という理由でアップで映し続ける。
自分が客席から実際に観たナマの舞台と、カメラで切りぬかれ、他者の目と手によって編集されたテレビ番組との「差」に愕然とした。
また、ムラで観たときはオリガ@ふーちゃんがヒロインだったのに、東宝ではイヴェット@あすかがヒロインだった『マラケシュ』を思いだした。
脚本は同じだし、演出も大して変わったわけじゃないのに、ヒロインが別の人になっていた。
そしてコレもまた、テレビで見るとヒロインは一応ふーちゃんのまま。なにしろ彼女ばかりをアップで映すからな。
役者の力量によって、役の比重が変わることは、ある。
テレビや映画ではあり得ない、舞台のおもしろさ。舞台のこわさ。
アニスがヒロイン、というのは、初演を含めて一度も観たことのない、新しい『凍てついた明日』だったので、とても興味深かった。
なんつっても、クライドが、イイ男だ。
やっぱタカラヅカに必要なのは愛だねっ。
愛を心に抱いている男は、かっこよく見えるよ。
主人公とヒロインの「愛」の場面が物語の中心にどーんと深く重く根を下ろしているから、そのあとなにがどーしよーとちゃんと「愛の記憶」があり、主人公がかっこよく見える。
1幕のクライドとアニスの場面の、痛さときたら。
切り裂く、という言葉が相応しい。アニスの嘆きが、叫びが、世界を切り裂く。
アニスは、自分自身を切り裂き、自分の最も愛する人をも切り裂く。
愛しているのに、共に生きることはできない。彼が彼だから、彼女が彼女だから、愛し、愛された、宿命のふたりなのに、ふたりは彼らだからこそ、共に生きることができない。
あなたナシでは生きられない。あなたとは、生きていけない。……その矛盾にすべてが切り裂かれ、血を流す。
アニスとの愛と別れが激しいだけに、クライドの破滅への道が鮮烈になる。
切り裂かれ、なお笑いつづけた男。笑うことしか、できなかった男。
愛する人に「あなただから」と否定されたクライドは、憑かれたように破滅へと突き進む。
アニスに説得力があると、彼女がヒロインだと、こんなに激しいラヴストーリーになるのか、コレ。
クライドが、すげーかなしくて、いい男だ……。
アニスへの愛が激しいと、彼の「世界」の関わり方にブレがなくなるの。
アニスを愛し、彼女のことだけは大切にする。ボニーはまさしく「ただの、道連れ」。ボニー自身にはなんの興味もないし傷つけてもイイと思っている。
拘置所でボニーにピストルをねだるクライドの鬼畜ぶりに、心が奮えた(笑)。
「それっていけないことよね?」
「俺と一緒に行くってのは、そういうことだろ」
アニスには、言わなかったくせに! アニスのことは大切に守っているくせに。ボニーはどーなってもいいのね。汚して、泣かせていいのね。
愛を理由に、他人を利用する。傷つける。
とことん利己的。
ひどい男。
……クライドのコワレっぷりが、好みです。
アニス以外の他人に興味なくて、自分の行方さえ考えることがめんどくせーって感じで。
彼の幼さ、閉じきった世界が、愛しい。
かなめがかっこいい。ほんとに、かっこいい。
美しいってのはいいなあ。しみじみ。
芝居ができる人だとは依然思えないんだけど(ごめん)、アニスと対峙していたときの激しさ、狂おしさだけで、あとのぼーっとした投げやりっぷりも、全部一貫した姿に見えます。
たぶんアニスの出番が多いとクライドが喰われちゃって主客転倒しちゃうんだろう。Aチームでみなこ演じるボニーが主役になって、クライドがその相手役になってしまったように。
でもこれくらいの出番だと、バランスがいい。ちゃんとクライドが主役だ。かっこいい。
つーことで、「ボニーがボニーぢゃない」と愕然としたことはたしかだが、それでもたのしかったんだ、Bチーム。
雪組WS『凍てついた明日−ボニー&クライドとの邂逅』。主役のクライド@かなめがAチームBチーム通して替わらず、ヒロインのボニー役がAチームみなこちゃん、Bチームがさゆちゃん、とWキャストであることは、最初からわかっていた。
だからBチームを観劇して、Aチームとヒロインが役替わりしていてもあたりまえ、今さらナニ言ってんの? と、思われるかもしれません。
しかし、わたしが言ってるのは、役替わりのことぢゃないの。
ヒロインが、ボニーぢゃなくなってた。
「ボニー&クライド」なのに。タイトルなのに。ヒロインがボニーぢゃない。
ヒロインは、アニスでした。
や、わたしの目にはそう映った、というだけですが。
主役がクライドで、彼と共に物語を回していく根幹にある存在は、アニス。ボニーは仲間たちのひとりで、テッドやジェレミー以下の存在になってました。
いやあ、びっくりした。
もちろんなんの予備知識もなく、役替わりの細かい知識もなく(ジェレミー役、名前見てもわかんなーい、とか、その程度)、チケットもなかったからサバキで観劇して。
……舞台ってやっぱ、おもしろいよなあ。
テレビや映画では、ありえないことがふつーに起こっているんだもの。
テレビなどでは、脇役がどんなにいい演技をしていたって、カメラが映しているのは主演女優の大根演技だったりして、製作意図通りにしか物語は進まない。
北島マヤ@『ガラスの仮面』がテレビ女優でも映画スターでもなく、舞台女優であるわけだよなあ。カメラを通す芝居じゃ無理だもんよー。
『La Esperanza』新人公演を観たとき、「主役はミルバ@あすかだ」と痛感した。ミルバの感情のゆれ、表情のひとつひとつにドラマが集約されていると感じ、彼女を中心とした視界で物語をたのしんだ。本来の主役、カルロス@まっつは脇役、ミルバの恋人役でしかなかった。
ところが、テレビで放映された『La Esperanza』では、カルロスが主役に見えた。だって、カメラがカルロスを映してるんだもの。場の空気の中心がミルバだったとしても、そんなこと関係なくカルロスを「脚本上の主役だから」という理由でアップで映し続ける。
自分が客席から実際に観たナマの舞台と、カメラで切りぬかれ、他者の目と手によって編集されたテレビ番組との「差」に愕然とした。
また、ムラで観たときはオリガ@ふーちゃんがヒロインだったのに、東宝ではイヴェット@あすかがヒロインだった『マラケシュ』を思いだした。
脚本は同じだし、演出も大して変わったわけじゃないのに、ヒロインが別の人になっていた。
そしてコレもまた、テレビで見るとヒロインは一応ふーちゃんのまま。なにしろ彼女ばかりをアップで映すからな。
役者の力量によって、役の比重が変わることは、ある。
テレビや映画ではあり得ない、舞台のおもしろさ。舞台のこわさ。
アニスがヒロイン、というのは、初演を含めて一度も観たことのない、新しい『凍てついた明日』だったので、とても興味深かった。
なんつっても、クライドが、イイ男だ。
やっぱタカラヅカに必要なのは愛だねっ。
愛を心に抱いている男は、かっこよく見えるよ。
主人公とヒロインの「愛」の場面が物語の中心にどーんと深く重く根を下ろしているから、そのあとなにがどーしよーとちゃんと「愛の記憶」があり、主人公がかっこよく見える。
1幕のクライドとアニスの場面の、痛さときたら。
切り裂く、という言葉が相応しい。アニスの嘆きが、叫びが、世界を切り裂く。
アニスは、自分自身を切り裂き、自分の最も愛する人をも切り裂く。
愛しているのに、共に生きることはできない。彼が彼だから、彼女が彼女だから、愛し、愛された、宿命のふたりなのに、ふたりは彼らだからこそ、共に生きることができない。
あなたナシでは生きられない。あなたとは、生きていけない。……その矛盾にすべてが切り裂かれ、血を流す。
アニスとの愛と別れが激しいだけに、クライドの破滅への道が鮮烈になる。
切り裂かれ、なお笑いつづけた男。笑うことしか、できなかった男。
愛する人に「あなただから」と否定されたクライドは、憑かれたように破滅へと突き進む。
アニスに説得力があると、彼女がヒロインだと、こんなに激しいラヴストーリーになるのか、コレ。
クライドが、すげーかなしくて、いい男だ……。
アニスへの愛が激しいと、彼の「世界」の関わり方にブレがなくなるの。
アニスを愛し、彼女のことだけは大切にする。ボニーはまさしく「ただの、道連れ」。ボニー自身にはなんの興味もないし傷つけてもイイと思っている。
拘置所でボニーにピストルをねだるクライドの鬼畜ぶりに、心が奮えた(笑)。
「それっていけないことよね?」
「俺と一緒に行くってのは、そういうことだろ」
アニスには、言わなかったくせに! アニスのことは大切に守っているくせに。ボニーはどーなってもいいのね。汚して、泣かせていいのね。
愛を理由に、他人を利用する。傷つける。
とことん利己的。
ひどい男。
……クライドのコワレっぷりが、好みです。
アニス以外の他人に興味なくて、自分の行方さえ考えることがめんどくせーって感じで。
彼の幼さ、閉じきった世界が、愛しい。
かなめがかっこいい。ほんとに、かっこいい。
美しいってのはいいなあ。しみじみ。
芝居ができる人だとは依然思えないんだけど(ごめん)、アニスと対峙していたときの激しさ、狂おしさだけで、あとのぼーっとした投げやりっぷりも、全部一貫した姿に見えます。
たぶんアニスの出番が多いとクライドが喰われちゃって主客転倒しちゃうんだろう。Aチームでみなこ演じるボニーが主役になって、クライドがその相手役になってしまったように。
でもこれくらいの出番だと、バランスがいい。ちゃんとクライドが主役だ。かっこいい。
つーことで、「ボニーがボニーぢゃない」と愕然としたことはたしかだが、それでもたのしかったんだ、Bチーム。
フライングから1日。@花組振り分け発表
2008年7月1日 タカラヅカ まっつのマッシュルームヘアが見られるってことでしょーか?!
と、反射的にツボに入り、しばらく大ウケしました。
花組の全国ツアーとドラマシティ公演の出演者が発表になり、まっつが全ツの『外伝 ベルサイユのばら-アラン編-』『エンター・ザ・レビュー』に出演すると判明。
雪組の『外伝 ベルサイユのばら-ジェローデル編-』を観た限り、プロローグは3組共通、エコロジーで使い回し、地球にやさしい構成に思えたので。つか、3組とも同じだよな、植爺のことだから。
あのプロローグってたしか、男役はトップが役の扮装、2、3番手が謎の軍服男、他はみんなマッシュルームヘアだったよね? と。
やーん、研11にもなって小公子〜〜。そんなの、いたたまれないほど、微妙!!(笑)
まっつは痛々しいほど萌えですから。いたたまれないほど萌えですから。
似合わないとわかっている、金髪マッシュルームに白タイツとか穿かれたら、わたしは萌え狂ってるわ〜〜!! まあそののち怒ってるかもしんないけど、でもとりあえず絶対おもしろがってる〜〜!!
と、nanaタン相手にいつもの店できゃーきゃー言ってたんですが、冷静になって考えてみると、2、3番手の謎の軍服男と一緒に、路線寄りの男たちは地味目の軍服着て踊ってましたわ、ふつーに。
なんだ。
まっつの小公子は見られないのか。ちっ。
嫌な予感が当たってしまったことが、わたしの今後に響きそうで、ちと不安です。
嫌な予感、つーのは、わたしのジンクスのこと。
「ご贔屓の出る公演チケットは、当たらない」「手に入らない」……今までケロの出る公演は人気の度合いに関係なくはずれまくっていたし、水しぇんの出る公演も人気の度合いに関係なくはずれまくっていた。
それが最近になってよーやく水くんチケは適度に入手できるよーになり、かわりにぱったりと、まっつ出演チケットが、当たらなくなった。
神様が、わたしのご贔屓はまっつだと認めたらしい。
や、神様に認めてもらえなくていいから、まっつチケを苦労せずに入手したいです。こんなジンクスは嫌です。
でもって昨日6月30日。
花組全ツ初日の梅芸先行入力締め切り日。……締め切りは、午前11時。宝塚友の会の午後5時締め切りに慣れている者には、どーにもなじめない時間設定。
「あっ、花全ツ入力しなきゃ!!」
と気づいたのは、午後2時でした……。
梅芸先行で取れなかったら、チケット難民になる確率がどーんと上がるじゃないですか!!
だって『ベルばら』だし。雪組だってものすげーチケ難だったんだってば。
チケットが取れない……てことは、まっつ、全ツに出るってことじゃあ?
と、逆説的に考えました……。
もっともその1時間半後、公式に「アンドレ@壮一帆 オスカル@愛音羽麗」と発表になったので、みわさんまでが全ツならまっつはDCかも? そんなら公演が長いから「観られない」ってことだけはないな、と思ったんだけど。
もっともこの公式発表、わたしが見た5分後には消えていたんだが……。
トップに「花組 全国ツアー公演『外伝 ベルサイユのばら −アラン編−』 一部の配役決定(2008/06/30)」と出ていて、公演案内にふつーに主な配役が載っていたんだ。
主な配役が出たってことは、次は振り分けが出るかなとリロードしてたらトップからリンクが消え、びっくりして公演案内を見ると、そこにはふつーに「アンドレ@壮一帆 オスカル@愛音羽麗」と載ってるし、なんでトップのお知らせを消したんだろう? と首をひねっているうちに、その公演案内の方も消えた。
……フライングだったのか。
はじめて見た。
演目はわたし的には『ベルばら』も『銀ちゃん』もどっちでもいいっつーか、たぶん苦手度は同じくらいなので贔屓がどちらに出てくれてもかまわないっつーか、問題はチケット入手だけなんだよなあ。
全ツはもうチケット発売がはじまっているので、出遅れた分取り戻すのが大変だなー、と気が重いし、超人気のゆーひさん主演公演で膨大なゆーひさんファン相手にチケット争奪戦をやるのかと思うとこれまた臆するものがあるし、とどちらも大変そうだと思ってたんだよな。
そっかー、全ツかぁ。
嫌な予感が当たってしまった。
「チケット取れない」ゆえに「まっつが出演する?」という昨日の戦慄通り。
わたしのジンクスは健在なのか。やだなー。
今からチケット探ししなきゃ。
まっつがなんの役をするのかわかんないし、ぶっちゃけ出番あるのか? と不安ではありますが、初『ベルばら』だからこそ、『ベルばら』を堪能して欲しいと思います。
ほら、同じよーに初『ベルばら』で浮かれきってニコニコキラキラしまくっていた某フェルゼン様を雪組で見たところですから!
わたしは植爺作である以上『ベルばら』大嫌いだけど、ジェンヌさんにとってはやっぱり「特別」な作品なんだろうから。
『エンター・ザ・レビュー』はなんにも考えてくれない「上から順」が基本の酒井せんせなので、いろいろいろいろ(笑)不安です。
もともとの『エンレビ』が樹里ちゃん退団公演でWトップ?てな仕様になっていたこと、トップと2番手が卓越した歌手であることが大前提であること、ついでに2番手はエンターティナーで、かつダンサーであることも前提であることなど、酒井せんせが理解しているかどーか、はなはだ疑問です(笑)。
初演で2番手が演じた、客席いじりをしなければならない「コメディアン」はエンターティナー、「猛獣使い」はマジでダンサーでないとあの振付踊りこなせないはずなんですが……。
まあ、再演、再々演にて、某フェルゼン様がかなり痛々しくも愉快に演じていたから、アドリブがどれだけスベろうといたたまれない空気が流れようと、エンターティナー以外の人が「コメディアン」をやっちゃうのもアリかとは思いますが。
てゆーかわたしゃえりたんコメディアンが見たくて仕方ないですが(笑)。
(書きながら、某フェルゼン様が愛しくてならないっす・笑)
樹里ちゃん、そのかとダンサーたちが魅せてくれた「猛獣使い」、某フェルゼン様もなかなか健闘していたし、さらに振付簡単にして雰囲気だけそのまま残して、えりたんがやっちゃうのもアリかと思いますが。すげーイキイキやりそーだ、とわくわくします。
(書きながら、某フェルゼン様が愛しくてならないっす・笑)
「猛獣使い」はさおたさんで見たかったなー、とか、はかない願いを抱いてましたよ……。
スターダンサーがいないのなら、まとぶんと彩音ちゃんで見たいけどなー、「猛獣使い」。
トップコンビの、華やかで愛のあるアツいエロを見たいっす。
まあ、「上から順」の酒井だから、んな変更はないだろう……。
いくら「上から順」でも、『エンレビ』出演4連続のみわさんの配役は考えてやってくれよ……無理なのかな、酒井だし……。でもそのかに「猛獣使い」をやらせた英断もあったんだから、中村Bよりマシだと信じていいのかな。
あ、まっつの兄鳥ももうおなかいっぱいです(笑)。
と、反射的にツボに入り、しばらく大ウケしました。
花組の全国ツアーとドラマシティ公演の出演者が発表になり、まっつが全ツの『外伝 ベルサイユのばら-アラン編-』『エンター・ザ・レビュー』に出演すると判明。
雪組の『外伝 ベルサイユのばら-ジェローデル編-』を観た限り、プロローグは3組共通、エコロジーで使い回し、地球にやさしい構成に思えたので。つか、3組とも同じだよな、植爺のことだから。
あのプロローグってたしか、男役はトップが役の扮装、2、3番手が謎の軍服男、他はみんなマッシュルームヘアだったよね? と。
やーん、研11にもなって小公子〜〜。そんなの、いたたまれないほど、微妙!!(笑)
まっつは痛々しいほど萌えですから。いたたまれないほど萌えですから。
似合わないとわかっている、金髪マッシュルームに白タイツとか穿かれたら、わたしは萌え狂ってるわ〜〜!! まあそののち怒ってるかもしんないけど、でもとりあえず絶対おもしろがってる〜〜!!
と、nanaタン相手にいつもの店できゃーきゃー言ってたんですが、冷静になって考えてみると、2、3番手の謎の軍服男と一緒に、路線寄りの男たちは地味目の軍服着て踊ってましたわ、ふつーに。
なんだ。
まっつの小公子は見られないのか。ちっ。
嫌な予感が当たってしまったことが、わたしの今後に響きそうで、ちと不安です。
嫌な予感、つーのは、わたしのジンクスのこと。
「ご贔屓の出る公演チケットは、当たらない」「手に入らない」……今までケロの出る公演は人気の度合いに関係なくはずれまくっていたし、水しぇんの出る公演も人気の度合いに関係なくはずれまくっていた。
それが最近になってよーやく水くんチケは適度に入手できるよーになり、かわりにぱったりと、まっつ出演チケットが、当たらなくなった。
神様が、わたしのご贔屓はまっつだと認めたらしい。
や、神様に認めてもらえなくていいから、まっつチケを苦労せずに入手したいです。こんなジンクスは嫌です。
でもって昨日6月30日。
花組全ツ初日の梅芸先行入力締め切り日。……締め切りは、午前11時。宝塚友の会の午後5時締め切りに慣れている者には、どーにもなじめない時間設定。
「あっ、花全ツ入力しなきゃ!!」
と気づいたのは、午後2時でした……。
梅芸先行で取れなかったら、チケット難民になる確率がどーんと上がるじゃないですか!!
だって『ベルばら』だし。雪組だってものすげーチケ難だったんだってば。
チケットが取れない……てことは、まっつ、全ツに出るってことじゃあ?
と、逆説的に考えました……。
もっともその1時間半後、公式に「アンドレ@壮一帆 オスカル@愛音羽麗」と発表になったので、みわさんまでが全ツならまっつはDCかも? そんなら公演が長いから「観られない」ってことだけはないな、と思ったんだけど。
もっともこの公式発表、わたしが見た5分後には消えていたんだが……。
トップに「花組 全国ツアー公演『外伝 ベルサイユのばら −アラン編−』 一部の配役決定(2008/06/30)」と出ていて、公演案内にふつーに主な配役が載っていたんだ。
主な配役が出たってことは、次は振り分けが出るかなとリロードしてたらトップからリンクが消え、びっくりして公演案内を見ると、そこにはふつーに「アンドレ@壮一帆 オスカル@愛音羽麗」と載ってるし、なんでトップのお知らせを消したんだろう? と首をひねっているうちに、その公演案内の方も消えた。
……フライングだったのか。
はじめて見た。
演目はわたし的には『ベルばら』も『銀ちゃん』もどっちでもいいっつーか、たぶん苦手度は同じくらいなので贔屓がどちらに出てくれてもかまわないっつーか、問題はチケット入手だけなんだよなあ。
全ツはもうチケット発売がはじまっているので、出遅れた分取り戻すのが大変だなー、と気が重いし、超人気のゆーひさん主演公演で膨大なゆーひさんファン相手にチケット争奪戦をやるのかと思うとこれまた臆するものがあるし、とどちらも大変そうだと思ってたんだよな。
そっかー、全ツかぁ。
嫌な予感が当たってしまった。
「チケット取れない」ゆえに「まっつが出演する?」という昨日の戦慄通り。
わたしのジンクスは健在なのか。やだなー。
今からチケット探ししなきゃ。
まっつがなんの役をするのかわかんないし、ぶっちゃけ出番あるのか? と不安ではありますが、初『ベルばら』だからこそ、『ベルばら』を堪能して欲しいと思います。
ほら、同じよーに初『ベルばら』で浮かれきってニコニコキラキラしまくっていた某フェルゼン様を雪組で見たところですから!
わたしは植爺作である以上『ベルばら』大嫌いだけど、ジェンヌさんにとってはやっぱり「特別」な作品なんだろうから。
『エンター・ザ・レビュー』はなんにも考えてくれない「上から順」が基本の酒井せんせなので、いろいろいろいろ(笑)不安です。
もともとの『エンレビ』が樹里ちゃん退団公演でWトップ?てな仕様になっていたこと、トップと2番手が卓越した歌手であることが大前提であること、ついでに2番手はエンターティナーで、かつダンサーであることも前提であることなど、酒井せんせが理解しているかどーか、はなはだ疑問です(笑)。
初演で2番手が演じた、客席いじりをしなければならない「コメディアン」はエンターティナー、「猛獣使い」はマジでダンサーでないとあの振付踊りこなせないはずなんですが……。
まあ、再演、再々演にて、某フェルゼン様がかなり痛々しくも愉快に演じていたから、アドリブがどれだけスベろうといたたまれない空気が流れようと、エンターティナー以外の人が「コメディアン」をやっちゃうのもアリかとは思いますが。
てゆーかわたしゃえりたんコメディアンが見たくて仕方ないですが(笑)。
(書きながら、某フェルゼン様が愛しくてならないっす・笑)
樹里ちゃん、そのかとダンサーたちが魅せてくれた「猛獣使い」、某フェルゼン様もなかなか健闘していたし、さらに振付簡単にして雰囲気だけそのまま残して、えりたんがやっちゃうのもアリかと思いますが。すげーイキイキやりそーだ、とわくわくします。
(書きながら、某フェルゼン様が愛しくてならないっす・笑)
「猛獣使い」はさおたさんで見たかったなー、とか、はかない願いを抱いてましたよ……。
スターダンサーがいないのなら、まとぶんと彩音ちゃんで見たいけどなー、「猛獣使い」。
トップコンビの、華やかで愛のあるアツいエロを見たいっす。
まあ、「上から順」の酒井だから、んな変更はないだろう……。
いくら「上から順」でも、『エンレビ』出演4連続のみわさんの配役は考えてやってくれよ……無理なのかな、酒井だし……。でもそのかに「猛獣使い」をやらせた英断もあったんだから、中村Bよりマシだと信じていいのかな。
あ、まっつの兄鳥ももうおなかいっぱいです(笑)。