わずか4分の1、1月から3月までの「2009年 宝塚歌劇公演ラインアップ」が発表された。

 2008年分以降、どうやら劇団は3ヶ月おきに小出しにしか発表しないつもりらしい。
 2005年12月半ばに、丸1年後の2006年12月24日に千秋楽を迎えるコム姫の公演タイトルが『堕天使の涙』『タランテラ!』だとわかったことが、なつかしい……。
 2006年12月半ばに、丸1年後の2007年12月24日に千秋楽を迎えるオサ様の公演タイトルが『アデュー・マルセイユ』だとわかったことが、なつかしい……。
 

 タイトルといえば、星組のタイトルに別れを匂わせるものがあって、心穏やかではないです。
 『アデュー・マルセイユ』がそうであるように、サヨナラ関連の言葉をタイトルにする場合は、トップスターの退団公演であることが多い、から。
 タカラヅカの慣例で。

 このタカラヅカの慣例、つーのがなあ。
 創作者からすれば「タイトルに別れ関連の言葉は通常使ってはならない」なんて縛りは、ナンセンスだろうなあ。表現したいモノが別れだったら(主役とヒロインが別れて終わる物語なんか星の数ほどある)、それらしきタイトルだって付けたいだろうに、ヅカでは許されない。
 別れをテーマにすることが許されるのは、トップ退団時のみ。
 ……てのは、やっぱ変だと思うよー。

 変だとは思うが、タカラヅカはそういうところだから。

星組 『My dear New Orleans(マイ ディア ニューオリンズ)』−愛する我が街−(仮題)/『ア ビヤント』

 芝居ではなくショーで、別れの言葉をタイトルにするってのは、なかなかおもしろいと思うけれど。
 演出が藤井くんなので、愛情あふれるたのしいモノになることを期待。
 芝居は景子せんせなので、きっと美しいでしょう。……ちなみにわたしは、『イカロス』がダメだったクチなので、景子タンの「トウコ姫幻想」が変化してくれていることを、願ってやみません(笑)。

 
雪組 『風の錦絵』/『ZORRO 仮面のメサイア』 

 こちらは、石田と日本物とトド様出演がショーで良かった、としか。
 今わたしほんと、石田ダメ度が上がってまして。
 芝居では台詞がひとつもなく、ただただ踊り続けてくれることを、心から望みます。

 ……幕が開いたら、現代の服装の若者カップル出てきて「日舞とかってわかんねー、日本物つまんねー」って言ってるところへシタリ顔の老人が登場、「馬鹿者、日本物の奥の深さというものはだな……」と解説はじめるんぢゃないかと震撼。
 テーマの「風がどーたらこたーら」もこれでもかと下品な言葉の羅列で全解説、くだらないダジャレとシモネタてんこ盛り、おてもやんと水洟と10円ハゲもデフォルトで、その合間に日本物ショーが展開される……ことが、ありませんように。
 
 芝居は、谷せんせがんばれ。とにかくがんばってくれ。
 『愛と死のアラビア』だって、演目発表当時はわくわくしてたんだ、まさかあんなことになると思わずに。

 
 「2009年 宝塚歌劇公演ラインアップ」って、発表されたの2公演だけかよ。少なっ。

 あとは1月のバウ公演『忘れ雪』と今年(!)のDC公演続報、2月の中日劇場『外伝 ベルサイユのばら−アンドレ編ー』
 
 ヲヅキはバウ組ですかね。
 テルキタ? テルキタ? やっぱこのふたりは対でいきますか。
 原作のチョイスといい、こだまっちの萌えが、どのへんに焦点を置くのかがたのしみです。(そこか?)

 大劇場公演が『ベルばら』でないのなら、他劇場で当たってしまうのはもう必要悪だと思って耐えるしかない、のでしょう。
 ウメちゃんのオスカルが見てみたい、と反射的に考え、そこだけはわくわくしたんですが。
 もしもオスカルが史上初の娘役になった場合、ウメちゃん自身はどんなに凛々しい持ち味があったとしても、植爺はさらに女々しく演出するのではないかと怯えます。
 男役が演じても、あんなにキモチワルイなよなよした女なのに……娘役だったりしたら。その娘役がどうこう、ではなく、あくまでも植爺が「娘役だから、より女らしく」するんじゃないかと。

 ……えー、あえて最悪なことを考えておいた方が、実際観劇したときに「なんだ、けっこうイイじゃん!」と思えるかもしれないので、予防線を張っておくのだ。
 うむ。

 
 で、「季刊 タカラヅカ・ラインアップ」の次号予告はどうなってんですか?
 3ヶ月後だから、11月末?


 オサ様の夢を見た。

 黒燕尾に素顔化粧。ああ、もうヅカメイクはしないんだ。これが卒業したってことなんだ。
 あの薄いほにゃ〜っとした顔で、それでも黒燕尾なことに感心しつつ。

 ホテルの廊下のようなところ。いや、オフィスビルの廊下にも思える、そっけない廊下。彼……彼女?は、これからたぶんステージなんだろう。
 わたしのツレがオサ様に話しかけ、ふたりがなにか話しているのを、わたしは「うわー、オサ様だ〜〜」と思いながら眺めている。

 黒燕尾はたしかに黒燕尾なんだけれど、下半身は太股丸出しのハイレグで、ハイヒール。まぎれもない、女性の姿。これが卒業したってことなんだ。
 黒のシルクハットにステッキ持って、ハイレグのロケット衣装みたいな姿なのに、それでも黒燕尾なことに感心しつつ。

 ああ、オサ様だ……でもわたし、引っ越しの最中なの。今より少し大きな部屋に引っ越しているところ。新しい部屋には荷物が積み上げてあって、急いで荷ほどきしなきゃいけないの……でもオサ様だ……もっと眺めていたい……。

 と、布団のなかでほにゃほにゃ夢見ていたら、母に叩き起こされた。

 何故、母?
 わざわざ合鍵使ってわたしの家に入ってきて、2階のわたしの部屋までやってきた?
 なんでまた? どんな事件があって襲撃されるの?? 母とお出かけの約束とかしてたっけ?

 アタマの上でピヨピヨなにか回っている状態のわたしに、母は鼻息荒く言う。

「なんだアンタ、いたの?! 自転車は?!」

 いたの、って、部屋まで入って来てなにゆってんだ……自転車? 自転車がなんだってのよ……知らないわよ、そんなの。

「自転車がないから、てっきり留守だと思ってた! 自転車はどうしたの?」

 自転車がない? なんだソレ。あたしは今起きたとこだよ、自転車なんか知らない……ああっ!!

 そーだ自転車。
 昨日、駅まで乗ってって、梅田で第九のレッスン受けて、買い物して、帰ってきたときは、あったりまえに駅から家まで歩いちゃったよ!! 普段自転車乗って駅まで行かないから。

 昨日は筋肉痛が酷くて、歩くのしんどかったから自転車にしたんじゃん……。
 なのに、帰りにはそんなことすっかり忘れてた。
 筋肉痛、イタイ……歩くのつらい……そう思いながら、ひーひー歩いたわ。
 どっかに子猫でも落ちてないかと思って、わざと公園とか神社とか寄り道して、さらに筋肉痛にひーひー言って。

 ……自転車取りに、用もないのに駅まで行かなきゃならんわけか……遠い目。

 
 なんで筋肉痛かって、そりゃアータ、日頃の運動不足、坐り仕事に坐り遊びしかしていないおばさんなので、ちょっと数時間立ちっぱなしだったり、濃密な人混みを歩きたおすと脚だの腰だの痛くなるんですよ。

 一昨日の「わくわく水さん」……ぢゃなくて、「わくわく宝島」のせいで筋肉痛って……きっと一緒に行った他のみんなはありえないんだろうーな……くくく。

 
 と、そんなはじまりの日。

 「2009年 宝塚歌劇公演ラインアップ」が、ほんの少し発表になりました。

 3ヶ月分ずつ更新、というのがデフォルトになっている、ということがナニ気にショック大きいです。
 2008年だけの異例処置ではなく、来年もこの調子で行くのかと思うとうんざりする。

 以前は大劇場半年分と、他劇場公演(演目は後半未定)1年分が一気に出たんですが。
 だからラインアップ発表は「前半」「後半」という呼び名が付いていたんですが。

 バウや全ツ、中日、日生、博多、梅芸と、公演を「やる」のだという予告とどの組であるかは1年分一気に出ていた。
 バウはコンセプトに従って1年間やる場合が多かったので、全組の演目と主演名まで出たりな。

 前もって「いつどこで、何組が公演するか」がわかっていないと、予定を立てにくい、と思うんだが。
 世の中の人はタカラヅカだけで生きていないんだから、先に「ここでこの公演やるから、予定組んでおいてね!」とやっておかないと、あとから発表しても客を逃がすだけなんじゃないのか?

 小出しにした方がそのたび話題になって宣伝効果がある、と思っているんだろうか。
 でも、1年分の「公演をこの日程でやりますよ発表」をしていた以前だって、主演者と演目は未定が多かったので、結局はソレを小出しに発表していたわけだし。宣伝効果なら同じことだろうと思うが。

 1月分から3月分まで発表。この調子で3ヶ月ごとに発表していくわけか。もう年間スケジュールでも前半でも後半でもなく、「2009年 宝塚歌劇公演ラインアップ」には、「spring」とか「summer」とか付けた方がいいんじゃないの? 通販カタログみたいなノリでさー。

 2006年12月半ばに、丸1年後の2007年12月24日に千秋楽を迎えるオサ様の公演タイトルが『アデュー・マルセイユ』だとわかったことが、なつかしい……。

 
 てなことを、そーいや「2008年 宝塚歌劇公演ラインアップ」が発表された去年の8月も書いてますな、まったく同じことを。
 年寄りなので、昔のやり方ばかりを支持し、新しいことに反発するのですよ、ええ。昔とチガウぢゃないか、昔の方が良かった、と言って、今を否定するのですよ。
 あー、ぐちぐち。

 つーことで、発表された演目への感想は翌日欄へ。


 トド様ディナーショーの、その他出演者が発表になりました。

 まっつと、いちか。

 ……え、ふたり??

 ディナーショーって通常、4人くらいは出演してるよねえ? でないと場が保たないから。
 ふたりだけっつーことは、ただのコーラス隊ではなく、ほんとに「出演者」カウントなのかしら?
 それとも他にもコーラス隊が出るのかな? 研1生とか外部の人とか? だとしても、先に発表になったふたりはそーゆーのと一線を画してるよねえ?

 DSの脇がふたりだけ、つーの、どんなことになるのか、わたしにはよくわかんないや。や、DSっていうのは「お金持ちの行くもの」とずーーっと思い込んでいたので、びんぼーな自分には無関係なもの、そんなものが開催されていたとしても「ないのと同じ」だった。
 昔は今のようにスカステもないしね。トップと2番手までかな、ビデオが出たのは? しかも収録時間は1時間しかないのに1万円もする、高価すぎるビデオソフト。ビデオですら、びんぼー人には手が出ない。
 だから「はじめから、そんなイベントは存在していない」と思っていた。わたしが目にすることは一生ないのだから。

 つーことで、DSの脇がふたりだけ、という前例があったかどうかもわからない。
 わたしの乏しい知識の中では、はじめて聞くけれど。

 
 まあ、ほんとにまっつといちか、ふたりだけしか出ないとしてだ。

 トド様のお着替え時に、絶対にふたりが歌って場をつなぐことになるな。
 まっつの歌が、聴けるってわけだよな。
 デュエットだとしても、男と女なわけだから、声は絶対かぶらない、ハモり前提のデュエットだよな。

 でもって。

 わたしが見たり聞いたりした数少ないDSでは、男役の女装はわりと高い確率で存在する。
 主役のトド様、男の中の男トドロキ・ユウのことだ、両手に花ぐらい、やるかもしんねえ。
 つまり、まっつ、女装してトド様に絡みますか?

 まっつが以前参加したトド様のDSでも、脇の男たちは全員女装していたっけなー……。
 あでやかに美女なみわっち、見てはいけないモノと成り果てていたそのか、かりやんに比べ、まっつは「……ふつー?」という印象の薄さで、トークでトド様にいじられることさえなかった……はず。

 あれから4年? 今のまっつならきっとインパクトのある美女になるわよね? ……どっちのインパクトかわかんないけども。

 まっつオチして以来、まっつの女装って見たことないんで、ここいらで是非拝んでみたいわん。……や、本公演ではやらんでいいので、目撃者の少ないところでやってもらった方がいいって絶対。(似合わないと決めつけている発言)

 また、男役スターのDSの場合、主役のスターが女装して、共演男子と絡んだりするパターンも、けっこーある、よな?
 主役のトド様、男の中の男トドロキ・ユウのことだから、まさかそんなことはありえないと思うが、美女トドロキとなって、男まっつと絡むなんてことが、まったくないとは言えない……よな?

 いやあ、妄想は膨らみますな(笑)。
 3人きりのステージって、どんなだろー。

 もちろん、トド様オンステージであり、まっつと一花はそのお手伝い程度の役割だとわかっておりますが。
 コーラスとバックダンサー要員なことも、わかっていますが。
 ただ、通常の半分以下の人員でやるバックダンサーは、比重が少しなりとも上がっているだろうな、と。

 モテモテ男の歌を歌うトド様を、まっつと一花で取り合う振付とか、ありそーだよなー。つか、あったらおもしろいのになー。

 一花をトド様とまっつで取り合う場合も、絶対まっつが振られる役なので、ヘタレまっつを期待です。

 
 これでも長年のトド様スキーだし、一花ちゃん好きだし、好きな人だけ3人きりのステージってすげーたのしみだ。

 問題は、値段だけどな。

 繰り返しますが、DSっていうのは「お金持ちの行くもの」ですよ、わたしは今でもそう信じています。
 わたしのようなびんぼー人が行っていいところでは、ありません。

 だって、にまんななせんえんあったら、大劇場公演が13回観られるのよ?! バウだったら6回も観られるのよ?!
 平日の大劇場の2階に、慎ましく通っているわたしに、そんな大金あるわけないじゃないの。

 あー、今年いっぱい掛けて節約して、なんとか1回だなあ……。

 ええ、「行く」という前提で話していますが、ナニか?
 びんぼーなくせに。
 分不相応なくせに。

 節約ってのはつまり大劇場公演の回数減らすってことで、今の雪組はもうチケット持ってるから無理として、未購入の宙と月は節約だなー。くそー。

 
 ところでチケットって、なんのツテもない一般人でも取れるものなの?
 DSって、よくわかんない。


 総じて「が、がんばれ」と手に汗握る「新人公演らしい新人公演」であった雪組新人公演『マリポーサの花』

 鮮烈に観客の注目を浴びたのは、リナレス@彩風咲奈くんだ。
 ナイトクラブのステージでのスペイン語の歌を歌い踊ったあとの、あの拍手。「新人公演がんばれ」という意味の拍手ではなく、真実彼の歌声に対する賞賛の拍手だった。
 すげえ。ただ「歌いました」になっている人々の中、「聴かせる」レベルまで歌ってくれるなんて。
 終演後、わざわざ博多から駆けつけてきた(博多?)kineさんと最初に話したのはこのリナレスくんのことだ。

 『凍てついた明日』でもそうだったけど、この子、うまいよね。
 もちろん、まだ声変わり前の少年ではあるんだけど、「子ども」ではなく「青年になる前の少年」なの。タカラヅカに必要なのはファミリーミュージカルの子役ではなく、恋愛モノが演じられる大人の男役なのだから、実年齢はまだ10代であろう彼が、「子役」でないことがうれしい。
 ただ、正塚芝居のリナレスは、女の子か子どもすれすれの喋り方をする。男らしい語尾は使わない。この台詞を言うにはまだ男役として若すぎて、リナレスのキャラ設定を下げてしまった感はある。語尾が「〜〜のか?」ではなく、「〜〜の?」である台詞で、大人に見せるの至難の技だよな。
 幼くなりはしたけれど、それゆえの純粋さで革命を夢見る少年像が見えた。

 舞台姿は、もりえくんにやたら似ていた。スタイルの良さも……顔も。素顔はぜんぜん似ていないのに、何故?

 
 エスコバル@りんきらくんは、そつなくこなしていた。ナニが悪いということはないんだろうけど……地味? 小さいというか、きちんと演じているわりに伝わってくるものが少ない。ネロ@せしるとそれほど友情があるようにも見えないし……。
 芝居の相性がよくないのかな。絡みのあるネロともアリシアとも、あまり噛みあっていなかったような。

 新公では、エスコバルの最後の見せ場である「バスティーユに白旗が!」「フランスばん……ざ、い(バタン)」シーンの演出を変えられていた。
 本公では、ネロを逃がしたあと死んでいくエスコバルの歌の背景に、チャモロの演説が流れる。あくまでも、背景だ。メインはエスコバルの歌であり、その最期だ。
 しかし新公ではチャモロの演説にチャンネルが合っており、ボリュームもこちらが上。エスコバルはその背景になってセリ下がり。……えええ?
 エスコバルの比重が下がってますがな。ジェレミー@『凍てついた明日』に続き、ここでも役の比重を下げられている? りんきらくんって、そーゆーキャラなの?

 
 ヒロインのセリア@みみちゃん。がんばってました。
 『凍てついた明日』でもそうだったけど、きれいで学年的に及第点の演技で、これといって印象に残るものがない……わたし的に。
 まだ研2だし、次のバウヒロもきまっているし、雪組では久々の美少女キャラの若手だし、今後に期待。

 
 アリシア@みなこちゃんは、さすがにうまかった。あのエスコバルが相手なので呼吸が難しかったと思うが、それでも合わせようとがんばっていた。
 
 イヴァン@モーリーは、また子役。これも正塚の台詞マジックだなと思う。この無骨な馬番くんは、大人の男だから味が出るのであって、まったく同じ台詞を子どもがやると、ふつーに「かわいいわね」で、笑える場面にはならない。
 モーリーは自分の意志で子役しかやらないのだろうか? かわいらしい子だから子役を振られがちなのはわかるが、こうして本役が青年なのに、それをわざわざ子ども役に変更してまで子役ばかり演じ続けるというは……本人的にどうなんだろ?
 子役ができるというのはオイシイから、子役専科を狙う(ハツネマヨ枠というか)というのはアリだと思うが、いい加減ふつーに男役やってるのも見てみたい。『ソロモンの指輪』でも子役やってんだからさぁ……。

 雪組に今切実に必要なのは、大人の……壮年以上が演じられる男だ。
 上級生渋系男役欠乏状態なので、新公で大人役を振られる子たちは期待の星、責任重大だよね? そのまま成長すれば活躍の場はあるのだから。

 フェルッティ@しゅうくんは着実にいい男に育ってきている。フランツ@『エリザベート』とドピルパン@『君を愛してる』と、おっさん役を重ね、愛嬌のある大人になってきているのがイイ。
 てか、しゅうくんってまだ新公学年だったんだね……出演してるからおどろいた(笑)。

 イスマヨール@みれいくんは、かっこいい系なおとーさん。本役のマヤさんとはまったくちがう、若くて硬質な愛情あふれるおとーさんだった。新公面子の中ではうまい方だと思う。……けど、わたしはちょっと苦手かなあ、彼の演技。本役のギャングでも感じるんだよなあ……。や、芝居なんて相性だからさー。

「雪組で2番手になるには、まずハマコを倒さなければならない」
「雪組で路線スターになるには、まずはあいようこおねーさまの相手役を務めなければならない」
 など、いろいろジンクスのある雪組だが、ここでもうひとつのジンクス発動。
「雪組新公主演者は、次にハマコの役を演じなければならない」

 『君愛』でのコマがそうだったように、今回はキングがハマコの役だ。
 大統領サルディバルはかっこいいというより間抜けな役なので、甘いマスクのヘタレちゃんな芸風になりつつあるキングが演じるとどんだけ情けないダメダメ大統領になるかと、仲間内で注目されていたキャスティングだが。

 サルディバル@キングは、思っていたよりずっとまともに大統領を演じていた。なにやってもきれい、つーのは強みだよなあ。すらりと長身の、えらく二枚目の大統領。たぶん女性票が強いんだろうなと(笑)。
 神経質で浅はかな感じで、チンピラ風のネロと良いコントラストだったかも。
 ただ、あの海苔のような口ヒゲは、良かったんだろうか?

 しかし、役の少ない芝居だ……。女の子に至っては、ほんとに見せ場がない。

 あずりんはフェルッティの手下1の方。
 見せ場がアレだけなので、これまた演技についてはどうこう思う間もなく。
 ただ、ダンスの立ち位置がよくてびびった。センターが基本ですか、そうですか。
 顔が好きなので、眺めているだけでたのしい。

 れのくんはらぎくんの役。やっぱきれーだなー、この子。あの横柄なアメリカ人役は、美形枠なのか(笑)。

 チャモロが誰なのか、事前チェックしていなかったので、ぐっちょんでおどろいた。
 新公のパワーバランスの中では、まだ英雄枠にハマっていたかな、と。本公はチャモロが登場するなり肩すかしになる(せしるに含みはない、役のイメージ的に専科さんクラスが登場すると思ってしまうから)ことを思えば、ここで最上級生登場は正しい。
 
 そーいや男の子たちは全員戦闘要員なので、その直前の民衆の大コーラスはリナレス以外全員女の子なんだよねえ……。不自然な画面になってしまうが、それもまた新公の醍醐味。

 
 ものすごーく難しい正塚作品だからこそ、この新公を糧にして、いい役者になってくれるんだと未来に期待しまふ(はぁと)。


 正塚芝居は難しい。

 『La Esperanza』も『ホテル ステラマリス』も、新人公演はそりゃー大変なことになっていた。

 『ベルばら』より『ファントム』より、確実に難しい。ヘタしたら『エリザベート』より、難しいかもしれない。

 だから、雪組新人公演『マリポーサの花』も、えーらいこっちゃだった。

 正塚芝居は、ハッタリが効かない。や、もちろん必要ではあるけれど、それ以前に、その役者が持っている技術、センスが浮き彫りにされてしまう。
 男役、娘役としての、一定レベルの技術をあったりまえに持った上でさらに、正塚芝居に「合う」かどうか、正塚芝居が「できる」かどうかで、その出来映えが大きく変わってくる。

 だからなんとも、分が悪い。
 正塚芝居で新公を、しかも主演、初主演なんぞをやらなきゃならない子は、他演出家作品よりあきらかに、ハードルが高いんだもの。

 できなくても、仕方ないよね。なにしろ正塚芝居だもん。上級生だって、技術だけでついて行けてない場合が、あったりするわけだし。
 難しすぎるんだよ。

 それを踏まえた上で。

 いやあ、ネロ@せしるくんは、大変なことになってました(笑)。

 ルキーニ@『エリザベート』も、アルガン@『君を愛してる』も、魅力的にこなしていたよな? なのになんでこんなことに……と思ったら、そうか、その2作は持って生まれた美貌とハッタリと勢いで演じられる役だった。
 ほんとーに地道な実力で勝負しなければならない役になると、技術の無さが露呈してこんなことになっちゃうのかと、ある意味目からウロコでした。

 歌がヘタなのは知っていたし、歌の下手さってわたしはあまり気にならないんだけど(でなければ水先輩ファンなんぞやってない・笑)、今回は「歌」以前の部分でびっくりした。

 歌になると、声がチガウの。

 演技しているときは、男役なの。
 なのに、歌い出すと、女の子の声になるの。

 オペラであちこちチェックしながら耳だけで歌声聴いて、「あれ、なにこのふつーの女の子の声?」と銀橋を見たら、ネロが歌っていた。
 ……素直に、びっくりした。
 娘役声でもない、ふつーの若い女の子の声。歌うことだけに必死になった、とにかく一生懸命な声。

 男役声で歌うことすら、できなかったのか……。

 声を作れないなら作れないで、歌いやすいトーンで歌ってくれてもかまわないんだ……ソレで音さえ取れるのなら。
 音程ふらつきまくるわ、舞台役者の声でも男役声でもないわで、聴いていてひたすらあわあわしました。わたしがあわてても仕方ないんだけど、なんか、「どうしようっ」て思っちゃって。
 や、手に汗握った。

 せしるといえば「美貌の人」なんだけど、その最大の売りである美貌がまた……。

 新公当日、突然仕事で観劇できなくなったチェリさんから届いたメールは、行けなくなったことを嘆きつつも「せしるが爆発頭をどう整えていたか、教えてください」で結んであった……。
 そこか!!
 新公の出来とかじゃなくて、そこなのか、いちばんの関心は(笑)。

 本役ではチャモロを演じているせしるくん。
 役のために、思い切りのいいちりちりパーマ姿。
 あそこまでちりちりだと、新公でネロを演じるときにどうするつもりだろう? 当日までに髪を切ったりまっすぐのばしたりするのかしら? というのが、仲間内の心配事だった。
 新公のためにばっさりやって、その後の本役はカツラで通すとか? や、それも仕方ないことだろう。あのちりちり爆発頭ではネロを演じられないだろうし。

 たけど新公日の昼公演を見ても、チャモロはチャモロだった。

 ……どうするつもりだろう?

 そう思っていたら。

 あー……。

 その。
 すごいことに、なってました。新公ネロ氏の髪型。

 前髪だけは力業でのばして、ねかせて、リーゼントに。
 真正面から見ると、微妙なトサカっぷり。なぜその高さ、その角度。……ちりちり爆発頭ゆえ、そのカタチにしかできなかったのだろうか。

 だが、正面はまだ良かったのだ。
 彼が横を向いたときに見える、不思議な造形。
 額から耳の上までは、無理してのばして撫でつけてある髪が、途中から、ちりちりうねりまくる。

 後ろ半分、ちりちり?!(白目)

 そしてさらに、後ろ姿。
 後ろはちりちり無法地帯!!

 ちりちり解禁! はてしなくちりちり! なまじ正面だけ無理に押さえてある分、後ろの解き放たれたちりちりがカオス!!

 真正面、サイド、後ろ頭と、全部、造形が違います!
 トリックアートみたい。この像は前から見ると船ですが、横から見るとなんと家です! みたいな。

 プロローグから我が目を疑い、オペラでガン見。
 す、すげえ。
 すげえよせしる!! ここまですげー髪型、はぢめて見たっっ。

 なんか、チョコボを思い出したよ……。黒チョコボな。前から見たチョコボ、横から見たチョコボ、そしてお尻の愛らしいチョコボの後ろ姿……。

 芝居が進むと、せしるはどんどんイッちゃってしまう。
 テンション上がって、声がさらにでかくなる。怒鳴る。叫ぶ。ひっくり返る。

 エスコバル@りんきらくんとの相性が微妙なこともあり、噛み合っているとは思えないまま、それでもひとりで突っ走る。

 せっかくの美貌も、ハッタリも、なにもなく。
 ただもう板の上の小さな空間でいっぱいいっぱいになって、はち切れそうになって、きゃんきゃん怒鳴っている。

 見ていて手に汗握る、ところをはるか通り過ぎた。

 ただもう「無事に終わってくれ」と祈るようなキモチだった。

 愛しい。
 この子、愛しいから。

 その空回っているところも、なんにもできていないところも、そーゆーのひっくるめて、彼の舞い上がった姿ごと、あいくるしい。

 こんなにぎりぎりになって、誰も助けてくれないところで、こんなにこんなにがんばって。

 ……正塚芝居だもんなあ。
 難しすぎるよ。

 せしるもだけど、他の子たちもみんないっぱいいっぱいで、空気作るとか読むとかどころじゃない。
 せしるが空回っていても、誰も助けられない。

 年度が替わって最初の新公でなく、2本目の新公ならまだちがったのかな。それか、87期が出演していたら、ここまでえーらいこっちゃにはならなかったろうか?
 ヒロイン研2、2番手研3じゃあ、初主演者の重責は計り知れないよ……。

 大変だったね、せしる。

 でも、祈るようなキモチだったのとは別に、すっげー愉快でもあった。
 だってせしる、絶対脳内麻薬出まくってるよね?
 ランナーズ・ハイ状態なのがわかるんだもの(笑)。

 で、その勢いで挨拶もして。
 そのミョーな語りに笑われて、ビミョーな顔して。

 いいなあ、せしる。いいキャラだ。
 君はそのままの君でいてくれ。
 舞台は技術だけじゃない、プラスアルファのナニかが必要。
 せしるはきっと、そのナニかを持っているよね。

 だからいいんだ。

 ……いやその、もう少し技術を付けてくれても、ぜんぜんかまわないんだけど。


探しものはなんですか?@SKY STAGE CAFE
 祭りは参加しとくもんだろ?

 てことで、単なるうれしがりとして、「SKY STAGE CAFE」へ。

 びんぼーなくせに、スカステ・ランチ1200円を食す。や、非売品ぶぅーぶうちわはすでに『GOGO5』でもらってるんだが。……今は亡き愛猫にヨダレで汚され(上で丸まって寝てた)、使いものにならなくなったこともあり、もうひとつあってもいいかなと。

 お目当ては、なんといってもカフェ内のスナップ写真。(画像参照)

 まっつを探すぞ。

 ええ、TCAで群舞の隅っこを探すように。ジェンヌ勢揃いイベントで大階段整列数百人からひとりを探すように。
 数百枚のL版スナップ写真から、まっつが写っているモノを探すつもりだった。

 カフェ内にはいろいろ写真が貼ってあるのだけど、大体のコーナーはスター様のみ。歴代から現役まで、スカステに登場したことのある方々の写真がいっぱい。
 そっちには、まっつはいない。ええ、いませんとも。いろんな箇所に写真群がまとめられているんだけど、一目で「ああ、ここにはいないな」とわかる(笑)。

 いるとしたら唯一、「ぶぅーぶブログ内写真コーナー」ですよ。ブログにまっつが写っている画像があったのはおぼえているから、ひょっとしたら1枚くらいは貼ってあるかも。『JURIのやっぱりGOGO5!?』は含まれていないはずだから(セット展示からして、『どんだけGOGO5』止まりのはず)、確率がかなり下がっちゃうけどさ。

 もちろん、ひとり写りがあるとは思っていない。そんなスター様でないことはわかっている。
 数人口とか、スターさんの脇にちょろっととか。
 どんなにちっこくても、ピント合ってなくても、隅っこでも、顔の一部とかでも、探すぞー、おー! それが愛の力だー! おー!

 意気込んで写真の前に立ち。

 一瞬で、見つけてしまった。

 てゆーか、まっつ、ひとり写りじゃん!!

 「なみだのでるうた」で、ひとりマイクを持って歌う、まっつのアンニュイな姿が。バストアップで堂々ひとり写りです。

 びびびびっくりしたっ。
 ひとり写りってバストアップって、そんなバカな。そんな扱いしてもらえるなんてー!
 いやあ、びっくりしたー。

 なんやかんやでまっつ写真は、そのひとり写りも含め、7枚ありました。
 いちかとツーショットもあったぞー。きゃー。

 まっつに限らず。
 ぶぅーぶ氏のスナップ写真たちは、どれもステキで見ていてすげーたのしい。

 無造作にボードに貼ってあるだけなので、こっそりはがして持って帰れそうだ……いやいやいや、やっちゃいけません、そんなこと!
 あちこちに係のおじさんが立っているのは、盗難・破損防止のためかな? 写真はOKらしく、お客はみんなお目当て写真を写真撮影するのに必死(笑)。

 わたしはまっつと、すげーラフに笑っている水しぇんと、おすましあずりんをパチリ。
 わたしがあまりに写真に食いつき続けているので、同行の友人たちにはニラニラ笑われる。……だからあたしは、グッズ好きなんだってば。まっつ写真にも、ポーズをキメてなくて素で笑っているある意味変顔してる水しぇん写真にも、おすましあずりんにも食いつくんだってば。

「……あずりん?」
 そこで何故、その面子に混ざってその名前? と、突っ込まれるが。

 や、前期スカフェだから、彼の写真もけっこー貼ってあって。黒髪あずりんは好みど真ん中です、はい。
 あゆちゃんと結婚式挙げているときの写真があれば、もっと良かったのになー。アレ、ときめきだったのになー(笑)。

 カフェの中でスカステが流れていることは、みんなスルー。
 だって、店内どこからでも見える大画面、つーならともかく、ふつーサイズのブラウン管テレビでちんまりビデオ流されても高揚感に欠ける。てか、あの位置に置いてあって、見える席がいくつあるんだ? 5席もないんじゃ?

 目玉のひとつである『JURIのどんだけGOGO5!?』セットは、見るだけなのが淋しい……。ガチャガチャとか触ってみたかったなー。
 実際にステージで見たときより、かなり詰め詰めで置かれていて、ニセモノ臭い(笑)。
 会場が毎回変わるの前提で作られたセットだから、伸縮自在なのはわかるが……。

 各テーブルにはスカステ番組表表紙のパウチした束が置いてあったが、スカステ利用者にはさんざん毎月眺めたものだからありがたみに欠ける……からか、ちらりとでも手に取ったのはスカステ未加入のkineさんだけだったよーな? あとの仲間たちは手にも取らねぇ(笑)。

 
 わたしがいつまでも写真に食いついている他は、結局どこの店だろうと同じ、仲間たちでわいわいわいわい他愛ない話してさんざんダベって終了(笑)。

 そのあと梅田に出て、「エスコバルさんのビールで乾杯するのぉーっ」とうるさい某ゆみこファンふたりと、仕事帰りのチェリさん合流でビール専門居酒屋へ。(わたしはビール飲めません・笑)

 スカステ・カフェでわたしが撮った写真を見てチェリさんは。

「まっつかと思った」

 あのソレ、水しぇんです。たしかに、顔の系統が同じカテゴリだとは思うけど。寿美礼サマとかおっちょんとか。

「まっつに似てる」

 あのソレ、あずりんです。スカステ未加入のチェリさんはスカフェなんぞまったく知りません。

 てゆーか、水くんのこともあずりんのことも、ほんとにチラ見しただけで「まっつ」って、あたしの好きなものはなんでもまっつまっつだって決めて付けて話してないか??
 ……あながち間違いでもないけど。
 でも別に、似てないと思うし。……ねえ?

  
 はー。
 まっつ切れだなあ。


 はじめて、『TAKARAZUKA CAFE BREAK』でまっつを見た。

 放送局の限られた番組ゆえ、番組自体見たことなかったの。
 我が家では、UHFは入らない。や、ザラザラ画面ならサンテレビが入らないこともないんだが、別にそんな画面を見なくても、スカステがあるし。無理して見る必要がなかったし、そもそもまっつはこの番組にあまりお呼びが掛からないし。
 てゆーかまっつ、何年ぶりの登場?
 わたしがまっつオチして3年? 4年? 以来はじめての登場なのでは……?

 サンテレビを見られたのは、テレビ大阪が開局するまでのこと。テレビ大阪が出来てからは、サンテレビは映らなくなった。
 つーことだから、かなり長い間ご無沙汰していたことになる。

 が、今年になって川向こうに要塞のような巨大マンションが建ち、周囲一帯電波障害、地上波壊滅、という事態になった。
 あまりに華々しい被害なのでマンション側が動き、津々浦々アンテナ工事をし、ケーブルテレビを通して地上波テレビを見られるようにしていった。
 で、ケーブル化してくれたおかげで、UHF局まで映るようになった。
 サンテレビだけでなく、KBS京都まで。……えー、このふたつの局はかなり番組かぶってます。どっちかだけ見られれば、それで問題ないくらいには。

 『ここはグリーンウッド』のものすげー実写ドラマにアゴを落としている場合ではなく(笑)、『TAKARAZUKA CAFE BREAK』も見られるってことじゃん。わーい。

 つーことで、最近になってようやく『カフェブレ』体験中。
 サンテレビとKBS京都とあるけど、どっちで見るのがいいかしら、と、悩むところ。
 番組自体はもちろん同じモノだが、テロップの入り方がチガウ。
 サンテレビはCMに入る前に、でかでかと「加美乃素」とスポンサー名が入り、せっかくの舞台映像が隠れてしまう。ロゴまんまってことかな、この文字が毛筆体で太いんだわー。
 KBS京都はスポンサー表示無しで、「提供は……でお送りします」の時間もそのまま番組を流してくれる。画面は欠けることなく、きれーなまま。しかし、最初から最後まで時刻表示が出ているのだわ。番組内のテロップと被りまくり。
 うーん、どっちもどっちだなあ。テロップで自己主張しなければ、加美乃素に好意を持つんだが、これじゃ逆効果(笑)。

 なんにせよ、はじめての『TAKARAZUKA CAFE BREAK』。

 スカステで放送している『TAKARAZUKA CAFE BREAK』は見るけれど、アレは何年も前の番組で、「現代」じゃない。
 本家局とちがって周回遅れ放送とはいえ、ほぼリアルタイムに見るのは、はじめてだ。

 ふつーのテレビで、『愛と死のアラビア』やってるー。すげー。

 『カフェブレ』内の舞台映像を見て、感心してみる。契約した人だけが見られるディープなチャンネルでなく、いちお誰でも見られる地上波で、こんなことやってるー。すげー。
 や、もう東宝楽も終わってるんだけど、それでもリアルタイム感(笑)。
 ろくにライトも当たっていないアブ・サラン@まっつをピン撮りしようと、カメラさんががんばってます。

 スタジオのまっつは、厚みのありそな黒髪をすっきりまとめて、デコ全開で登場です。

 話の内容よりなにより、ただ、まっつの顔を眺めているだけの、幸福な時間でした。

 や、どーせ大した話はしてないし(コラ)、儀礼的な会話で終始するっていうかだし(ヲイ)、ぶっちゃけまっつの声聞いてるだけでいいや(マテ)、つーか。
 いやいや、集中して聞いていたつもりですが(えー)。

 とにかく、まっつがずっと映っていることが、新鮮で新鮮で。

 スカステの『NOWON』とかに出てても、実際映るのは60分の6分の1以下とか7分の1以下とかでしょ?
 ずーっと25分間、ほぼまっつが映っているなんて、すげー貴重な体験じゃん?

 あー、きれーだなー、デコから目元、頬、顎のラインとか完璧ぢゃね? アニメ的な色塗りし甲斐のある、すげー整った輪郭だあ。
 と、感心しつつ、その完璧なラインを、鼻が裏切っているなと、さらに感心する。
 鼻さえふつーなら、地味目ながらハイクオリティな造作の顔なのに。鼻がでかすぎるから、なんかツッコミどころのある顔になってんなあ、と。
 でも、そのでかい鼻が、好きでしょーがない(笑)。

 鼻を含めて、まっつが美しくて、ただ見とれる。

 ふう。
 朝から(サンテレビの放送は、朝からだ)眼福でした。

 さーて、金曜日はKBS京都でもまっつな『カフェブレ』放送だ、こっちも見るぞーぉ!(うれしいらしい)


 えー、エスコバルさんは、バツイチ希望です。

 なにしろ熱烈ゆみこファンと行動を共にしているので、ゆみこちゃんの話ばっかしているというか、聞かされている気がします(笑)。
 で、エスコバル@ゆみこがどんな人かとか、えんえん話していたりします。

 人生を諦観していて、元上官のネロ@水くんにしか興味のない元特殊部隊軍人のワイルドにーちゃん。
 彼の乾いた感じ、正塚喋りの似合う言葉の少なさがかっこいいっす。
 ときどき博多レオン@『マラケシュ』を思い出させる、黒塗りのお化粧がまた男前です。
 同じ人が演じていても、レオンとエスコバルは別人なので、思い出すことはほとんどない。でも、時折ふと、面影がよぎるのね。
 それは強い表情のときだったり、強さの合間の、空白のような少年じみた顔だったり。

 ネロにしか執着しない男だからこそ、彼の人生がネロだけだった、というのは嫌なんです(笑)。
 ネロと出会う前に、ふつーに恋愛して、ふつーに結婚していてくれ、と。出会いから結婚までの期間は短め、勢い系で。
 そんでもってエスコバルさん、恋愛は出来ても結婚を続けられる性格ではないと思うので、早々に破綻。けっこう泥仕合になったので、女にも結婚にも辟易。
 オレの人生ネロだけでいいや、と開き直るに至る(笑)。

 一方、ネロ氏は既婚歴ナシです。
 彼は真面目で保守的なので、勢いで結婚したりしない(笑)。女の子とつきあうときも、順番を大切にします。デートは門限を守ってまずは食事だけ、キスは次のデートのとき、てなふーに、彼の中にルールがある。が、本人はソレに気づいていない(笑)。
 世慣れているのもたしかなので、玄人女とのつきあいは、それなりに、スマートにこなす。

 ネロとエスコバルは元上官と部下だけど、エスコバルはネロにタメ口だし、根っこのトコで尊敬があるにしろ、ふたりは同等でなくてはならないの。
 エスコバルがネロの犬になるのは嫌。
 仕える立場だから、最後楯になって死んでいくのは違います。

 上官部下萌えってのもあって、わたしは基本的にソレすげー好きなんですが、ネロとエスコバルはそーゆーのより、同格な友人同士がイイです。
 あ、上官と部下という立場関係萌えは、わたしの場合、部下が上官を愛しまくっていて、世界のすべてだと思っている系です。上官が白いモノを「黒」だと言ったらまちがっていることをわかったうえで「黒」だと言うくらいに。(まちがっているとわからないような、盲信はNG)上官のためなら手も汚すし、彼が死ねば自分も死ぬ、だって彼が世界そのものだから。
 ヅカで言うと『龍星』の龍星@トウコと飛雪@あかしみたいな感じですな。

 龍星と飛雪はたしかに萌えだけど、ネロとエスコバルはそうなってしまったら嫌なの、チガウの。あくまで同格の友人、基本タメ口、でも、元上官と部下というのがベースにあるのがポイント。

 エスコバルがえらそーな態度で、文句ばっか言って、ネロに対して「やれやれ」ってやってるのに、それでもネロのことを「あんた」って呼ぶのが、すげー好き。

 「お前」ではなく、「あんた」。

 ネロは「お前」呼びなのにね。
 どんだけ不遜な態度を取っていても、根っこの部分に尊敬がある。自分の方が下の立場だと思っている。
 それが現れている気がして、すげー好き。

 最初、エスコバルがネロの部下だったなんてわかんないじゃん?
 親友なんだってことしか、わからない。
 あうんの呼吸でいつもそばにいる仲良しさん……なのに、エスコバルがネロを「あんた」と呼ぶのが不思議だった。大きな違和感だった。
 この関係性なら、呼び方は「お前」であるべきたろう? ネロはちゃんと「お前」呼びなのに。エスコバルの他者へ態度を見ても言葉遣いからしても、やっぱ「お前」が正しくて、「あんた」は変だ。
 最初からずーーっと引っかかっていたから。
 「オレはあんたの部下だった」とエスコバルが言い出したとき、謎が解けた。それでか!!
 で。
 一気に萌えた(笑)。

 「あんた」呼びさいこー!!
 いちばんの萌えポイント!!(笑)

 その昔、わかしまづがこじろーを「あんた」呼びしていたのと同じところにある萌えです。

 たかやとなおえみたいに、「あなた」までいくとチガウのよ。「あんた」なのがいいの。

 とまあ、こんなどーでもいい萌えを、真面目に語っていたりします、某ゆみこファンと。
 某ゆみこファンは「アタシは腐ってない! 腐の話題はわかんない!」とひとりで言ってますが、腐った話題もふつーにできる人だから境界線を引くのは無意味でしょう。

 いやその。
 『マリポーサの花』の物語や設定、キャラクタに関して、革命がどうの意識がどうの、かなり真剣に考察したり、疑問や描かれていない部分の補完するべく話し合ったり、討論めいたこともしてるんですが。
 『ソロモンの指輪』の美と歪み、テーマだのストーリーだの、多面的視界を心がけて可能性を探ったりも、してるんですが。

 いやあ、つくづくすごい作品2本立ての、すごい公演ですよ。

 ヅカ作品でこんなに中身に関してアツく掘り下げまくって話しまくることなんて、そうそうないもん。粗についてのツッコミ以外で。

 しかし。
 結局のトコ「ゆみこちゃんステキ、ゆみこちゃんかっこいい、ゆみこちゃんかわいい」ばっか聞いている気がするのは、錯覚でしょうか?

 で、当面のわたしの課題は、ネロとエスコバル、どっちが受かってことですな。 
 ……どっちも受臭くて、こまります(笑)。


 ついに来たか。

2008/08/22

2009年1月公演からの宝塚大劇場公演・宝塚バウホール公演のチケットお求め方法についてのお知らせ


 現在、宝塚大劇場公演のチケット販売のうち、一般発売開始日の宝塚チケットカウンター(宝塚大劇場窓口)ならびに阪急交通社 阪急三番街店(大阪・梅田)では、「朝7時30分までにお越しのお客様を対象にご購入順位を決める抽選を行い販売」させていただいております。お客様には、早朝にお集まりいただき、再度ご購入のために指定時刻にお越しいただくという二度のご負担をおかけしております。
 宝塚大劇場公演を2009年1月公演から年間10興行へ変更させていただくのにあわせ、この「抽選方式」での発売を取りやめ、次のとおり変更させていただきますので、ご理解を賜りますようお願い申し上げます。
(公式より抜粋)

 いずれなくなるだろうとは思っていたけれど、ついに三番街でのチケット抽選販売がなくなることが決定した。

 FCに入っていない一般ファンにとっては、窓口による抽選発売があるというのは、とてもありがたいことだった。
 「会への貢献」とやらで半強制的に、自分が購入するわけでもないチケットのために早朝から肉体労働を科せられていた人々にとっては、忌むべきモノだったのかもしれないが、フリーな立場で全組観劇基本の人間には、なくなると痛手だ。

 これでもう、最前列での観劇は、不可能になる。
 また、新公や千秋楽も観られなくなる。

 わたしみたいな、なんのツテもないヅカ友もいない、会にも入っていない、機関誌も買わない、ついでにネットだって最初からあるわけじゃなかった、素のジェンヌに興味なし、ただ舞台を観るだけでいい、ぬるーい人間が、長らくヅカファンをやって来られたのは、梅田でチケット販売があったからだ。
 発売日に決まった時間に並んで抽選すれば、希望日と希望席種が買えた。新人公演や千秋楽も買えた。抽選にはずれたら、その労力は全部無駄になるけど、自業自得とあきらめがついた。

 労力を惜しまず、運が良ければ、欲しいチケットを買える。
 ダフ屋が前日から人を雇って並ばせているのが基本の、チケットぴあ店頭とかの先着順では、買えないチケットを買うことができる、可能性があった。

 ムラと梅田だけ先着順ではない発売方式をとっていることで、不公平だとは思っていた。
 わたしがもしも、関西以外に住んでいて、大阪在住だってだけで梅田に並び、「最前列買っちゃった、新公も楽も買っちゃった」と毎回言っている人がいたら、「そんなの不公平」と思っただろう。
 全国の人が同じ条件で購入できるようにする、べきだと思う。

 ……思うけど、それはソレとして、その不公平さの恩恵を受けていたわけで。
 不公平なチケット販売方式で、他の地方の人よりは得をしていたと思うけれど、それはわたしが選んでそうなったわけじゃない。
 地元文化だからファンになっていたよーなもんで、ムラまで片道何万円交通費のかかるところで生まれ育っていたら、存在すら知らないままだったかもしれない。
 また、ムラに住んでいたって、ヅカに興味のない場合もあるし、「たまたまそこに住んでいた」ことによって得したり損したりはヅカに限らずあたりまえにあることで、言っても仕方がない。

 わたしはたまたま、得なところに住んでいた。
 だから、他の地方の人たちより、チケットを入手しやすかった。

 たまたま得をしていただけだから、ソレがなくなる未来があることも、想定していた。

 そして実際、梅田の発売状況を見ていて、将来的になくなることは想像がついた。

 並ぶ人数は毎回減っていき、また、千秋楽、新公、前方席目的の人々がほとんどで、悪い席(というか、ほとんどの席)は売れない。阪急が並びにかける人件費と釣り合いが取れていないことは、明らかだった。

 いつか、なくなるだろう。
 でも、わたしにとって得なシステムだから、いつまでも続いて欲しい。

 そう、思ってたんだけどな。

 
 わたしがヅカファンになった20年前から、梅田での並びはあった。
 ネットもない時代、「タカラヅカを観たい。でも、チケットの買い方がわからない」で、苦労した。
 窓口に問い合わせても、そのときいる人が、てきとーにチガウことを言うのが、当たり前だった。
 発売日を聞いても、購入方法を聞いても、正規係員の言うことが、実際とチガウことなんか、あったりまえにあった。
 抽選方式導入前は、何日も前から会の人たちが並んでいて、一般人はどうすることもできなかった。
 一般発売日に正規窓口の列に並んでいても、「名簿に名前がない人は購入できません」と意味のわからないことを言われたりな(名簿って!!)。
 一般発売とは名ばかりで、暗黙のルールを知らない人はお断りの世界だった。

 わたしも友人も、何度も悔し泣きしたなあ。
 常識の通用しない世界なんだ、と(笑)。

 経験を積んで、おぼえていくしかなくて。
 そーやって、「並び攻略方法」をカラダに叩き込んで。

 並びもだんだん特殊性が薄れ、一般人にも開放されるようになり。月に何度かある「並び」の日は、1日中梅田の人口密度が高かった。
 天海祐希や姿月あさとの時代の、あの行列の人数!!
 TMP音楽祭発売日の、あの行列の人数!!

 采配をふるう会の人たち、同窓会状態のグループ、あちこちで女性ばかりの輪ができ、話が弾み……すげー通行の邪魔(笑)。
 ささやかれる噂話、他愛なくかわいい話も、ちょっといい話や有益な情報も、また、感情論ですぎない劇評も誹謗中傷も、なんでもアリ。
 いわゆる「ヅカ友」がいないわたしやその友人たちは、ここでしか聞けない話に感心したり、あきれたり(笑)。

 や、わたしには「ヅカ友」がいなかったのよ。
 長い間。
 ブログをはじめるまで……というか、厳密には、ケロ退団までは。

 ヅカファンの友だちはいたけれど、それは「タカラヅカ」を通して出会った人ではなく、もともとの友だち。
 仲良し同士が同じアイドル・グループを好きになったり、同じマンガを好きになったりするのと同じで、たまたまタカラヅカだった。
 だから、ヅカ友だちに同い年・その前後が多い。もともと学生時代に一緒につるんでいて、一緒に好きになった。
 卒業してなかなか会えなくなったけれど、発売日には「それじゃあ、せっかくだから」と集まってくる。

 友だちと会って朝ごはん食べて並んでお昼ごはん食べて。
 当たった抽選券を譲り合って、助け合って。

 なにがどうじゃなく、集まってわいわいやることが、たのしかった。

 「並び」は梅田の華。……そう、言っていたね。

 発売方法として、不公平だし、効率悪いし、通路をふさぐから周囲にも迷惑だしと、いいことの方が少なかったのだろうが、それでも、ずっと、あった。
 
 いい悪いという概念を超え、昔からあり、続いてきた。

 それがなくなるということが、ただ寂しい。

 いつかなくなるだろう、仕方ない、それはわかっていても。

 時代が変わる。
 そのことに、年寄りは寂しさを感じるんだ。



 
>  今日、『ベルばら』の配役が発表になった夢を見たんですが、まっつはジェローデルでした。
>  アラン編でジェローデルって……出ないだろ?(顔文字省略・笑)
>  まっつのちりちりパーマが見たかったんだろうか、じぶん……。

 とゆーメールを、いつだっけ、まっつファンのころさんアテに書きましたね。

 そーか、正夢だったのか……。

 
 出番は何分あるんだろーな。
 とりあえずコスプレをたのしみにしよう(笑)。

 
 ……って、深く考えてなかった。

 オスカル@みわっち、つーのは先に発表されていたから、今回ジェローデル@まっつとあとから発表になっても、意識がつながらなかったの。

 そうよ、オスカル@みわっちじゃん!!

 まっつが、みわっちを愛する役!!

 美しいみわさんを、まっつが片想いしちゃう役! 下級生のくせに、正々堂々、正規の手順で求婚しちゃう役ぢゃないのっ!!(下級生×→部下○)

 まつみわ! まつみわ!!

 結果フラれることなんか、無問題。
 まっつがみわさんラヴ、つーだけでヨダレもんです。

 や、どーせ植爺だし、アラン編だし、ジェローデルに出番が何分あるか、オスカルを愛しているという設定があるかどうかすら、わからないんだし(原作を改悪し、衛兵隊や平民をいぢめるアホ貴族、というだけの存在価値に成り下がっている可能性だってあるもんな>ジェローデル)。

 本編に期待はしないが、扮装だけはするわけだから、そのビジュアルを目に焼き付けて、あとは原作のストーリーや名場面で、脳内補完しますわ。
 アンドレ@えりたんにショコラをぶっかけられるジェローデル@まっつ、とか!! むはーっ。


 かのイベントに、行けるのだろうか?

 たった1日限りの水しぇんたちのイベント。
 「AQUA5ミニライブ&トークイベント」ですよ。
 CDを買った人だとか、特定の公演を見た人だとかだけが「抽選」に参加する権利を得、その中から500人だけ手に入れられるという、超レアイベント。

 ……参加人数500人ってゆーと、某GOGO5と同じ数なんだけど、まったく手に入る気がしないのは何故だろう……。
 わたしは過去2回、GOGO5チケを手に入れておりますが、抽選で当たるはずもなく、某チケット掲示板で苦労の末GETしたわけなんですが。
 果たしてAQUA5チケは、掲示板に出るのだろーか?

 
 そもそもわたしには、くじ運がない。
 ヅカファンやって20年になるが、貸切公演でナニか当たったことがあるのはただ一度、フェルゼン@大浦みずき様のサイン色紙のみだ。

 大浦フェルゼンって何年前よ? てかソレ、わたしがヅカファンなりたてのころじゃん? 以来ただの一度も当たったことがないって、どんだけ稀有な人生なんだ??
 お茶会の抽選会も、一度も当たったことないしな。参加人数50人以下茶会ですら、当たらない(笑)。

 てなわけて、当たるわけない、と思いつつも、参加だけはしてみました、「Weekly 3 O’CLOCKお楽しみ抽選会」。提供はコカ・コーラ、出演スターはゆみこ。

 以前、観劇するだけで入口のとこでカロリーメイトひとり1箱もらったりした記憶があるから、今回もそーゆーもんだと思っていた。
 コカ・コーラ社のドリンク1本もらえるんだと、「安い・もらう・タダ」が大好きなパタリロ属人種として、わくわく入場したんだが……。
 あれえ? おみやげなんもなし? つまんねーつまんねー。
 抽選当たるとはとても思えないし、参加賞に期待してたのにー。

 商品もドリンクはなく、すげーちっちゃなタオルハンカチ(シロクマ柄。画像はnanakoさんとこ参照してくれ)、いかにもコカ・コーラな赤いタオルとどこがコカ・コーラ?な黒いTシャツセット、折りたたみ自転車でした。
 あー、あの自転車欲しいなー。あたしゃ下町育ちのチャリ育ち、自転車は生活の一部。大阪の下町は車ではなくチャリがいちばん効率よい移動手段なのだよ。どこまでも平地なうえ、道は狭く入り組んでるからなー。
 いつだったか、あのロゴ入り赤い自転車欲しくて、応募1口24枚とかゆー暴利なシール集めて送ったっけ……。(もちろんはずれた)

 さて、問題の抽選会。
 ゆみこ氏は『ソロモンの指輪』フィナーレのキンキラ衣装で登場、下手花道。
 イベントがあるって先にわかっていれば、1列目1番を取っておいたのになあ……。発売日の梅田並びにてすげーいい番号引いたんで、わたしとnanaタンとふたり分、どこでも最前列タケノコ買えたのだよ……平日3時なんか選びたい放題だったさ……。
 や、あとからでないとこんな「集客目的が見え見えのイベント」をあえてやんないだろーけど。

 あとから無理矢理突っ込んだイベントなので、とにかく時間がない。
 ジェンヌさんは、着替えて次の芝居の用意をしなければならない。『ソロモンの指輪』では白くて力入りまくったフェアリーなラメラメ化粧(1列目で見たとき、すごかった)をしている彩吹さんも、黒いワイルドにーちゃんに変身しなければならないんだ。
 ただでさえ休憩時間が短縮されて30分ぽっきりになった昨今、時間がないんだってば。
 登場したゆみこちゃんは、司会のおねーさんに促されるままとっとと10枚抽選券を引き、引きながらも質問に答え、きびきび喋って、とっとと退場した。

 機敏かつ、効率よし!(笑)

 ナニ話そうかなー、と考えたり、詰まったり、えー、あー、とかゆってる時間ないから!! 言うことだけ言って、早く着替えに戻らなきゃー!!
 終演後の挨拶などで目にするジェンヌさんはもっとゆっくり考え考え話しているイメージだけど、このときのゆみこちゃんはとても機敏でした(笑)。

 さて、ゆみこちゃんがいなくなったあとも、司会者大忙し。
 なにしろ休憩時間は30分、そしてこのあとの芝居は2時間もある。

Q. 2500人が一斉に劇場内トイレを使用する場合、いったい何分必要か?

A. わかりません。でも、これたけは言える。30分じゃ、無理。


 劇場内のトイレが何個あるか、ひとり何分必要か知らないけれど、2500人を休憩時間内で処理することはできないだろう。
 同時に行くことはない、幕間にトイレが不要な人も何割かはいる、という前提でいろんなことやものが設置されていると思う。

 たしかに、このあとの出し物が1時間弱で終わるショーならば、短い幕間にわざわざ並んでトイレに行くなんて面倒なことを、あえて不要と判断する層だってあるだろう。
 しかし今回は、たっぷり2時間ある芝居だったりするんだなこれが。
 いつもなら不要な人でも、「念のために済ませておこうかな」と思う場合が、少なからずあると思うぞ。

 その場合、必要な時間は??

 や、この日の客席は2500人はいなかったし、ぶっちゃけそんな入っていたらそもそもこのイベント自体組まれていないと思うが。

 にしても、休憩が短くなるのはまずい。
 時は金なり。

 つーことで、司会のおねーさんも、必死。すっげー巻き進行。早送りビデオみたい。
 ハンカチやシャツなどの当選者を、自分で抽選して自分で読み上げ、自分でコメントし、最後にはさっきゆみこが引くだけ引いて置いていったAQUA5ライヴチケ当選分10枚を読み上げる。

 もちろん、はずれました。

 当たるわけない、つーか、すべての商品の当選番号の、1階席:2階席の割合が15:1ぐらいでした。
 2階席で当選したのはTシャツセットひとつのみだったかな。
 あとは自転車もライヴチケ10枚も、全部1階席だけでした。
 そりゃ2階席の人口密度はかなり低かったけれど、この確率差はナイだろう……。2階席のわたしはかなしかったっす。読み上げはじめる第一声でハズレとわかるんだもんなー。

 みなさん、アタリを狙うなら1階席ですよ!! や、ただの偶然だとしても、そーゆーのって続いたりするし!

 半券で応募する用紙は持ち帰り、念を込めて記入し、改めて投函する予定(笑)。
 当選確率の上がるおまじないとかないっすかね?

 当たるもはずれるも、神の思し召し。あとは神頼みっすね!!

 
 最初に言っておく。

 わたしは、このショーが好きだ。
 オギー新作『ソロモンの指輪』

 オギーファンとして、とても興味深く、たのしめる。

 そのうえで。

 ちょっと感情的に、叫んでみる。

 オギーは、二度と水夏希に近づくな。

 初見では違和感程度で済んだ……というか、考えたくなかったんだけど、2回目で血の気が引いた。

 「水夏希」の扱いについて。
 その、冷酷さ、残酷さについて。

 いや、その。
 あくまでも、わたしひとりが勝手に思ったことで、わたしひとりの感想に過ぎないんだが。
 他の人はこんなふーに、カケラも思うことはないのかもしれないが。

 わたしには、きつかった。

 解説を見ると、水くんは「指輪の精」ということになっている。
 タイトルは『ソロモンの指輪』で、「指輪の精」だ、最初わたしはそのまんまに受け止めて観劇し……首を傾げた。
 なんだろう、この違和感。
 水くんは指輪の精で、ジンガイの存在だよね? この物語世界の中心、統べる者だよね? 統べる、つーのは支配ではなく、牽引というか要というか、まあそーゆー意味で。
 美しく派手な衣装、派手な登場。たしかに彼は、カオスの中心にいる。
 いる……けれど。

 こみあげる違和感。

 さまざまな登場人物、人間、天使、動物、鳥、王、乞食、美女、美女らしきもの、海、水、誘惑者、囚われ人、……数えていくときりがないほどのパーツ、断片。

 そして。

 混沌のなか、ひとりだけが、浮かび上がってくる。

 どこにも、居場所のない者として。

 主役であるはずの、タイトルロールであるはずの「指輪の精」……水夏希が。

 なんなの、この疎外感。なんなの、この孤独。
 なんなの……この、場違い感。

 ここは、彼のいるべき場所ではない。

 寄せては返す波のように、たたみかけられる。追い討ちをかけられる。
 退路を経ち、絶望の淵へと、ゆっくりと誘導していく。
 一撃で突き落とさない、じわじわと、彼自身が自分で、追い詰められていく。

 誰も、手を汚さない。

 だからこわい。
 だから痛い。

 誰も、直接には彼を傷つけない、殺さない。彼が自分で破滅するよう見守って……ただ、見守って。
 彼は気づいていない。
 崖っぷちに追い詰められていること。あとはもう、飛ぶことしかできないこと。

 飛んでも、どこへも行けない。
 だって彼には、翼がない。

 ただ、おちるだけ。

 ラストの場面。
 黄金と白金に満ちた世界、人々に見守られて。
 血糊の花を全身に咲かせて、彼は踊る。

 豪華な衣装の、美しい人々の中。
 彼ひとりだけがシンプルな……装飾の少ないあるがままの姿で、血まみれで。

 彼の髪を飾る王冠は、追いつめられ自害したかの王を彷彿とさせ。

 ただ、見守る人々。
 手は汚さず、とどめもささず。

 彼自身が「終る」のを、ただ見ている。

 
 ザーっと血の気が引いて、心臓がばくばくして、も、どーしよーかと。
 どんな物語がそこにあるのか、他人がどう見るのか知らないが、わたしは水しぇん中心に俯瞰して眺めてて、苦しくなって、つらくて哀しくて、ちくしょー、オギーめ、水しぇんになんてことすんのよおーっ、と、憤った(笑)。

 最後の血糊衣装と髪型と髪飾り、アレはやりすぎだろヲイ。同時上演の芝居の主人公の名を、オギーが知らなかったとは言わせない。
 うきーっ。

 でもべつに、水くん自身が貶められているわけじゃない。すばらしい作品の、主役であることには、間違いないのだから。
 「正視できないほど痛々しい役」を演じているだけのこと。
 反射的に「オギーのバカっ!」と思っただけで、役者と役は切り離して考えるべきよね。

 そうよ、水しぇんのMプレイを愉しむ作品だと思えばいいんだ。

 ははは、そーだよな、水くんってSとMなら絶対Mキャラだもんな。
 そこを堪能すればいいんだよな。
 痛々しさにハァハァすればいいんだよな。
 ……うわーん、今はまだつらいよお、見ていて胸がハクハクするよお。
 もっと主演ファンにやさしいもの作ってくれよ……。

 『ソロモンの指輪』には、ちと感情的になっているので、まだ整理がついてません。

 主役として、作品世界の中心ですべてを掌握している……と見せかけて、彼はなにも得ておらず、翻弄され、欺かれている、とゆーのがね……。
 はじめから世界に拒否られ、孤独な存在として浮いているならともかく。
 見ているうちに真実に気づき、立場が、信じていたモノが、逆転するのがすげーこわい。ぞっとする。
 ラストシーン、キラキラ衣装のみんなに凝視される血糊姿が、ブラック過ぎて。

 あー……。
 痛いなぁ……。

 好きだけど。
 それでも、無視できない吸引力を持った作品だと思っているけれど。
 それだからこそ。


 寝耳に水、とはこのことだ。
 花東宝楽から夜行バスで帰宅し、風呂入ったりごはん食べたりばたばたしたのち、よーやく一息ついて。あー、やっぱバスだとまだ寝たりないなーとぼーっとしているところへ。

 携帯に、モバタカからメールが届いた。

「花組 退団者のお知らせ」

 ……はあ?
 寝ぼけたアタマで考える。今日、なんの集合日だっけ?
 いやいやいや、昨日千秋楽だったんだってば。なんの集合日でもありえないってばよ。
 わけわかんないまま、本文読んで。

 大伴れいか退団。
 しかも、昨日の千秋楽付け。

 叫んじゃったよ。声あげちゃったよ。
 だってそんな、ありえないでしょう。

 
 『愛と死のアラビア』『Red Hot Sea』東宝楽、みおさんは絶好調だった。

 力の入り方が、ハンパじゃない。
 そりゃーもー、ものすごい勢いで、芝居を、ぶっ壊していた。

 ムラと違い、わたしは東宝公演には通っていない。久々に見るみおさんのすごさに、ただびっくりした。「東宝では、いつもこんななの?」ムラにも増して、えらいことになってますが。
 友人たちの弁によると、いつもよりはるかにすごい、少なくとも1週間前はこんなじゃなかった、もっとマシだった、とのこと。

 みおさんの舞台クラッシャーぶりはすでに「花組名物」で、毎回観劇後の話題にはなるけれど、すでにそれが「当たり前」のことなので、感想の部類に入らない。
 みんなもう「そういうもの」とあきらめて、許容している。
 そんな状態であるにもかかわらず、「あれってどうなの」と人々の注目を集めるくらい、すごいことになっていた、花楽日。

 台詞のボリュームがすごいぞ。気合いの入りまくった低い声、マイク無しでも劇場中に届くんじゃあ?な大音量。
 最後の高笑いは、なんと二段重ね。
 あまりに派手にいつまでも笑い続けるので、途中からマイクがフェードアウトされていた。

 これほどすごいのは、やっぱ千秋楽だからってことで、気合い入ってるんだろうな。

 そう、思っていた。
 みおさんはみおさんなんで、もう仕方ない。

 ショーではわたしの視線の動く範囲にいない役だったので、どうしていたかはわからない。通し役だったからなー。
 たぶん、ノリノリで務めていただろうと思う。誰よりもノリノリで、たのしそーでなければ、みおさんじゃない。
 
 
 あのいつもにも増してものすごい破壊力は、彼のジェンヌ人生最後の気合いだったのか。
 万感の思いを込めた、高笑いだったのか。

 舞台人として、役者として、適合値の低い人だった。
 芝居のセンスの無さ、ダンスにおけるリズム感のなさは、致命的だったと思う。

 だからといって、こんな辞め方って、ない。

 きちんと見送りたかった。
 わたしとは感性が合わなかったため、苦手以外のナニモノでもなかったけれど、万感を込めた高笑いだったのなら、そうだったと理解して受け止めたかった。

 なんだかせつない。
 20年以上ひとつの仕事を続けた人の最後が、「事後承諾」だなんて。

 深い事情があってのことだろうけれど。
 せつないなあ。


 退団者を見送ったあとは、まっつ・みつる会の後ろあたりでギャラリーしてた。
 花組東宝千秋楽。

 や、わたしはまっつファンだし、ジュンタンは胸骨押さえながら「みつる〜〜っ」って騒いでるしで(笑)。
 つまり、位置的にかなり帝国ホテル寄りだった。

 なんやかんやでどりーず東組ほとんど参加の『愛と死のアラビア』『Red Hot Sea』最終日。前楽だけ観て仕事に行ったパクちゃんも、前楽だけ観てあとはだらだらしていたkineさん、ジュンタンも、観劇はしないけれど日比谷にいるドリーさんも、とにかくみんなで一度ランチに集まり、わたしが千秋楽を観たあと再集結……って、お昼食べた店にまだいたのか、アンタら(笑)。

「ずいぶん終るの遅かったね」
 と言われ、わたしは首を傾げる。
 だって退団者はふたりだけだし、しつこくカーテンコールがあったわけでもないし、想定内の時間なのでは?

「東宝になってから、ムラより10分は公演が伸びてるから。まとぶんが、演技タメすぎて」

 爆笑。
 やっぱり? やっぱりそうなの?
 まとぶさん、歌にしろ芝居にしろ絶好調でタメまくって演じてるもの! 気のせいぢゃなかったんだ。あんなにタメて、時間の辻褄合ってるのかなあ、って思ってた……合ってなかったのか(笑)。

「だから、指揮者、大変。まとぶんが伸ばす分を巻こうと必死」

 まとぶんにこれ以上タメさせまいと、必死にじゃかじゃか演奏しているらしい。

 舞台はナマモノ、生きている。
 芝居に熱が入りすぎて公演時間変わっちゃうのって、なんかすげー愛しい。
 それはたぶん、「新生花組」である今だけのことだろう。まとぶんもきっと、これからトップスターとしていろんなことを身に付けて、公演時間も肌でおぼえていくんだろうと思う。
 たのしいなあ、まとぶんと花組。
 「今」が愛しく、彼らが持つ「未来」が愛しい。

 ふたりの退団者、みほちゃんとかりやんも、すがすがしく美しくて。

 ありがとう。美しいものを、ありがとう。心が透明になる、この快感をありがとう。

 まっつウォッチがわたしのスタンダードなわけだが、この日まっつはとてもきれいだった。
 退団者が挨拶をしているとき、とてもやさしく、あたたかい表情で、仲間を見つめて微笑んでいた。

 かりやん、みほちゃんと続く最後のご挨拶、彼らを見て、まっつを見て、テレビがアングルを変えて放送するがごとく忙しく眺めながら、交互だからこそ、旅立っていく人の清らかな笑顔と、まっつのやさしい表情とが相乗効果でさらに泣けた。

 花組名物はっちさんの噛み噛み挨拶、せめて退団者からのメッセージは噛まずに読んで欲しいと切望しつつもまた裏切られ(笑)、それでも涙に声を詰まらせるダンディ組長に、こちらもびっくりし。

 まとぶんの挨拶は彼の誠実さまんまに、じんわり心に広がって。
 この人をよろこばせたいなあ、しあわせになってほしいなあ、と、心から思う。

 まとぶん、トップお被露目公演千秋楽おめでとう。
 誰にとっても、大切な大切な1日。

 だから。

 帝国ホテルから煙が出ているのを見たときは、ほんとおどろいた。
 最初に異変に気づいたのは、なんといってもかしましい消防車の存在で。
 大都会なわけだから、サイレンが聞こえるのはべつに、めずらしいことでもないだろう。そんなの大阪で生きてたってしょっちゅうある。
 だからけたたましいサイレンがすぐそばを通っても、わたしはぜんぜん気にしてなかった。
「ねえ、サイレンそこで止まったよ?」
 言われて気づく。そーいや、消防車、そこで止まってる。次々やって来ては、すぐそこ……帝国ホテル前で止まっている。
「なんか空、黒くない?」
 夜だから、空は暗い。天気も悪いから雲が黒くてもあたりまえ。そう思って気にしてなかったけど……ほんとに、黒い。てかアレ、雲ぢゃない。……煙じゃん。

 びっくりだ。
 どうやらほんとうに、なにか災害があったらしい。

 消防車が大きなボリュームで放送している。
「消防車が通ります、協力してください、道を空けてください」

 えーと。
 その放送って、わたしたちに向けて言ってる?
 消防車の目の前には、1000人からの人だかり。秩序をもって並んだ人々の群れ。

 今、わたしたちに「道を空けろ」と言われても……大混乱になりますよ?

 どれだけサイレンが鳴り響き、黒い煙が広がっても、沿道のヅカファンは動じなかった。
 サイレンに負けず、拍手で花組生たちを見送る。
 退団者はすでに出たあと、トップ3の出あたりがいちばん、サイレンすごかったかな?
 ホテル前の交差点に車を用意するのが大変そうだった。

 本当に避難や通路確保が必要なら、わたしたちも蹴散らされたことだと思う。
 しかし帝国ホテル火災は、あくまでもホテル周辺だけの騒ぎで終了した。ひとつ向かいの道の、劇場とその沿道には無関係。
 ……わたしたちより、ホテル周囲に集まった野次馬の大群の方が、問題だったんだろうと思う。放送したってどかないんだもの。

 
 反対側に帰ってしまう人たちはわかんなかったけれど、前を通ってくれるスターさんたちの美しい姿を堪能しました。
 まとぶん、ゆーひくん、壮くん、みわっち……みんなみんなマジ美形、眼福。
 めぐむもまぁくんも眺められてうれしい。みつるとめおちゃんとりせがキュートできれいで溜息。いちかちゃんとあやねちゃんもすげーかわいい。

 わたしは普段出待ちをほとんどしないから、よくわかっていないとはいえ、たぶんまっつが出てくるのは最後になるだろうと思っていた。
 退団者が同期なんだから、きっといろいろお仕事があるんだろう、と勝手に想像。
 
 うん、ほんとに最後だった。
 秩序ある人垣が壊れた、祭りのあとの散漫な喧噪にまぎれて、いちばん最後にまっつがよーやく出てきた。

 きれいだった。

 長めの黒髪、高い鼻、大きな目。
 ずっと待っていたファンの人たちのところへ行き、なにか挨拶をしている。なに話しているのかまでは、わかんない。でも、まっつまっつなハスキーヴォイスだけは時折耳に届く。

「あれってまっつ? まっつ? えー、まっつ?」
 わたしと同じよーにギャラリーしている見知らぬおねーさんの、興奮した声の方が、よっぽど耳に入る(笑)。
「なんかチガウ? まっつってあんななの? えー?!!」
 おねーさん、すげー興奮している。
「きれいっ、かっこいいっ」
 興奮して、ツレ相手に叫ぶ。うんうん、気持ちはわかる、わかるよっ。
「知らなかったっ、ほんとはきれいなんだ?!」
 ……えーと。
 正直すぎる感想に、笑いツボ直撃される。
 つまりアナタ、今までまっつのことは相当アレだと思ってたんですね?(笑)
 キモチはわかる。……て、わかっていいのか?

 まっつが穏やかに笑っている姿を遠く眺めて、「終わったな」と噛みしめた。
 ひとつの公演が、終わった。

 観劇を重ねるたびに、好きな人が多くなる。
 ステキだと思う人たちが多くなる。

 だけどわたしはまっつが好きで、他は考えられないのだという事実をも、思い知る。
 ……不思議だなあ。

               ☆
 
 夜行バスで帰宅後、まっすぐ親の家に行きかけ、ドアに手を掛けたところで思い至った。

 そか、猫、いないんだ。

 遠征するときはいつも、親の家に猫を預けていたから。
 早朝帰宅するとき、寝静まった親の家に合鍵で入り、茶の間のテーブルの上で丸くなっている猫を抱き上げて、それから自分の家に帰る……この行動が、すでに染みついていた。

 『JURIのやっぱりGOGO5!?』遠征のときは、いつものように、朝、猫を引き取りに親の家に寄った。

 もう、いないんだ。
 親の家に寄る必要もない。

 ドアから手を離し、ひとりで帰った。


 夏コミ参戦する人に、頼んでいました。

 まっつが載っている本があったら、なんでもいいから買ってきて。

 公演感想でもパロディでも、ぶっちゃけ妄想系でもなんでもイイ、まっつさえ載っているならば(笑)。
 こあらった・ぐりーんはいつでもまっつに飢えきってます。わたしに、もっとまっつを!!

 それに対する回答は。

「ありません」

 花組サークルは1個あったそーだが、そこの本にまっつはいなかったってさ……。

 同人界でも人気ないのか、まっつ?!(でもとかゆーな)

 そのことを嘆いていると、いつも冷静なkineさんが、やはり冷静に答えた。
「自分で書くしかないですよ(冷静)」

 まっつの同人誌?
 あたしが作るの?!

 わたしは根っからのパロ畑のヲタクだから、公演パロ本になるよ?
 ついでに腐った字書きだから、ホモ本になるよ?

 リチャード×マックスとか、ジオラモ×モーリスとか、バロット×フォンダリとか、誰も喜ばないカップリングしか書けないよ?!

 基本攻視点でしか書かないし。やほひは受を愛して受視点で書くのがセオリーなのに。
 や、わたしは攻キャラスキーなので、好きなキャラは攻になるんですよ……。
 まつださん自身は自分を受だと思ってるのかもしれませんが(『ファントム』お茶会発言参照)、舞台の未涼さんしか知らないわたしは、勝手にイメージします、はい。

 いやその。
 ヅカホモ本は需要もないことだし、作っても仕方ないってば。(経験談・笑)

 それより、内容カケラもなく、未涼亜希がどれほど素晴らしいかを羅列した本を作った方が、まだ建設的かもしれん。
 作品ごとの萌えポイントとか、下手なイラストとか描いて、ただひたすら「まっつ好き」と訴えかけるだけの本……。
 正しいファンジン(まだあるのか、この言葉?)だと思うが、これもまた、まったく需要なさそうだよな(笑)。

 まあ、わたしにとって同人誌は読むモノであって、作るモノではないので、いつか誰かがまっつ本を作ってくれたらいいなあ、と夢を見るに留めておきます。

 あ、まっつ本がこの世のどこかにあるというなら、是非ご一報下さい。ジャンル、カップリング(カップリング??)問いません!!


 『マリポーサの花』は、好きな作品である。

 好き嫌いでいえば、好き。
 でも、大劇場で上演するな、と、心から思う(笑)。

 大劇で上演している以上、失敗作ぢゃねーの? とも、思う。
 ただし、駄作だとは思わない。失敗作と駄作はチガウ。

 
 正塚芝居の魅力として、「会話」があると思う。

 説明台詞ではなく、生きた会話の中で、観客に情景を想像させる。
 わたしたちの日常会話に近い作り。
 こだわりきった言葉の選び方。
 主語や固有名詞のない、短いやりとり。
 説明台詞は使わないけれど、台詞の情報量は多い。
 舞台設定、キャラクタの立ち位置、誰がどーしてどうなったか、説明すれば1行で済むことを、核心を突くのではなく周囲をなぞるだけの短い会話のやりとりで醸し出すから、かえって容量を食っていたりする。

 観客は集中して、台詞を聞き取らなければならない。
 一見とりとめのない日常のやりとりの中から、その奥にある情景を自分で浮かべ、必要なことを選び取っていかなければならない。

 それは、快感だ。

 濃密な演技空間で、役者のナマの芝居に酔う。
 自分で想像し、さらに世界を掘り下げていく。

 ……なんか久しぶりに、正塚世界に触れた気がする(笑)。

 ネロ@水とエスコバル@ゆみこの会話ひとつひとつから、彼らが生きるこの国を、政治や経済の情勢を、人々の暮らしを、そしてネロとエスコバルの人となりを、関係を、人生を想像していくのが、たのしい。

 あー、『二人だけの戦場』観ていたときの感覚だなー。
 多民族国家と軍隊、即発ムードの漂う情勢と人々の暮らし、命綱となるカリスマ大統領……それらの世界設定を、軍事法廷というクソ難しい固い台詞の洪水の中で展開していった、あの物語。

 わたしは正塚作品全部観ているわけじゃないし、多く知っているわけでもないので、わたしにとっての「正塚晴彦」の原点である『二戦』が響きまくっているけれど、別の人には別の作品が共鳴しているのかもしれないね。

 で、やっぱり、思うわけよ。
 この会話劇、心理劇は、大劇場でやっちゃいかん、て(笑)。

 舞台の使い方がすげーヘタだし、人の使い方ヘタだし。あのすっかすかの舞台、観ていてつらすぎるっつの。
 つか、モノローグの多用やめろ。録音テープ流されると萎える。
 無理矢理「ミュージカル」にするために、ナイトクラブの経営者、つー設定使うのいい加減にしろ。すげー手抜きっぽい。
 お金持ちのご令嬢とおぼっちゃんが、なんでナイトクラブでアルバイトするのよ? 無理ありまくりだろ。
 無理矢理すぎる時系列破壊、混乱の元だっつーの。出会い場面を回想する意味がない。
 てゆーかわたし、何故ネロがセリアを愛したのか、よくわかんないんですが。
 ネロとセリア@となみの恋愛場面が大好きで、ふたりの別れの場面とかすげー泣けるんだけど、でもそもそも、なんでこのふたりが愛し合ってるのかわかっていない(笑)。
 ヒロインの描き方、もう少しなんとかしようよ……。
 チャモロ@せしるは、どうなの。せしるがどうということではなく、名前だけで、実物を登場させるべきではなかったと思う。
 出てきたら、なんかあまりにアレな、ふつーのにーちゃんで拍子抜けしたナリ。

 好きな作品だけど、文句もいろいろある(笑)。

 バウホールで完全版が観たいなあ。
 キャストそのままなら、ドラマシティでないと無理か。トップと2番手、3番手が出るなら、バウはありえないよなー。

 出演者はせいぜい30人ほどで、合計2時間の2幕モノで、じっくりと、ねっとりと。
 増えた時間はヒロインとの恋愛に費やしてくれ。
 彼女が大農園主のお嬢様なら、ナイトクラブで太股見せて踊ったりせず、本気でおじょーさまにしてくれよ。息子の方は学生だし、他に目的もあるしで、クラブでバイトしててもいいからさ。
 ミュージカルの言い訳をナイトクラブのショータイムにだけ任せるの、勘弁してくれえ。ミュージカルなら他の部分でミュージカルにしてくれ。
 裏家業の協力者の娘、という出会い方ではなく、ヒロインとは別の出会い方をしてくれ。その上で「イスマヨール@マヤさんの娘だった」てことにしてくれ。
 とにかく、ポスター通りの比重で、ヒロインとの恋愛を描いてくれ。切望。

 改稿と再演を望む。

 
 ……て、今現在公演中作品に言うのは失礼千万だが。

 好きだからこそ、もったいなくてな。

 
 文句は山ほどあるが、それでも、好きだ。
 失敗作? と思ってたって、好きだ。

 たのしい。

 いちばん好きなのは、ポスター通りに、ネロとセリアの恋愛。
 それから、実はロジャー@かなめ。
 ……わはは、今回かなめくん、ツボ直撃。大好きだ、あのキャラクタ!!(笑)
 次に、ナニ気に壊れててコワイ、リナレス@キム。
 別腹でエスコバルくん。

 登場人物全員ネロを大好きなのも、イイですな。

 エスコバルがネロ命!(ハチマキに「LOVE」表記)なのはガチとして、ロジャーも口説きに来るわ、フェルッティ@ヲヅキも熱烈にアプローチするわ、イスマヨールとはラヴラヴだわ、政治犯@そらくんも絶対一目惚れしてるわ、チャモロだってメロメロだね絶対!だし、ナニ気にリナレスも告ってるし(「ボクはアナタをキライじゃなかった」だっけ?笑)、大統領@ハマコとは過去にイロイロイロイロ(笑)ありそうだし、ハーレム状態?(笑)

 たのしーなー。

 でもって、わかりやすいところでは、「エスコバル→ネロ→リナレス」の一方通行ぶりに萌えです。

 でもって、実はロジャー×フェルッティ萌えです(笑)。
 やーん、ヲヅキ受〜〜(笑)。


 タイトルを素直に使わない・台詞にしないのが漢・正塚晴彦のこだわり。

 『マリポーサの花』も、作品中に名前は出てこない(はずだよな?)。

 たとえば、ネロ@水とセリア@とにゃみが、一面のマリポーサの花畑で、「この花はスペイン語でマリポーサ、英語でジンジャー♪」とか歌ったりしない。
 「私、マリポーサの花を見ると身振ひの出るほど好もしひの」「セリアさんはマリポーサの花のやうな人だ」とか、言わない。
 「この花には想い出があるんだ。昔、まだ父が生きていた頃……」とか、「ちょっとイイ話」とかをはじめない。

 キーアイテムであり、最後の「泣かせ」の小道具であるにもかかわらず、ソレがタイトルそのものの花であると説明することなく、無造作に使われる。

 戦闘に赴く男が、泣いてすがる女を納得させるため、黙って行かせてもらうために、目についた花を手に取り、「生きている証として、毎月この日にこの花を贈る」と約束する。
 たとえ戦闘で死ぬことはなくても、男はもうこの国にはいられない。
 女に想いを伝える術がない。
 だから、花を贈る。
 同じ日に、同じ花を。
 それが、生きている証。愛している証。

 その瞬間までこの花は物語に絡まないし、なんの解説もない。
 プロローグでネロとセリアが手にしているが、それは「これからはじまる物語で解説される」という前提だから、関係ない。

 ここまで、花になんのエピソードも解説もしないことが、かえってかっこいい。
 正塚らしい(笑)、と思う。

 また、「この国」としか語られない、舞台となっている国のモデルがキューバであり、「この花」がキューバの国花であることを思えば、さらに意味深になる。

 や、語られないのだから、架空の国でいいと思っているけど。現実の国だの歴史だのを架空と謳っているフィクションに持ち出すのは野暮だと思っているし。

 正塚芝居は、説明台詞がほとんどない。
 主語や固有名詞を省いた、短い会話の応酬。研ぎ澄まされた、無駄のない言葉たち。行間を読む芝居。

 正塚らしくて大好きだ、このテンポ、このセンス。

 ネロがセリアにこの花を贈るのは、ほんとに、あのときあの場にあったから、というだけなのが、イイ。
 あれはセリアの屋敷ですか? それとも病院? なんにせよ、建物の中に花が飾ってあったのね。
 ネロは咄嗟にその花をセリアに贈った。
 セリアを納得させる、希望を持たせるために、ナニか必要だった。

 で。
 このナニかってさ……ぶっちゃけ、なんでもよかったのよね。

 そこにあったものを、差し出しただけだから。

 いやあ、マリポーサの花で良かったね。

 たとえば、そこに置いてあったのがたまたま蟹の置物だったら。
 某かに道楽店の看板みたいな、リアルなヤツ。

 ネロは大真面目な顔で、蟹の置物を手に取り、「生きている証として、毎月この日に蟹を贈る」と約束するはめになったわけだ。

 で、セリアのもとには毎月、蟹が届けられるわけだ。

 たとえば、そこに置いてあったのがたまたまたぬきの置物だったら。
 信楽焼の、大福帳持ったアレ。

 ネロは大真面目な顔で、たぬきの置物を手に取り、「生きている証として、毎月この日にコレを贈る」と約束するはめになったわけだ。

 で、セリアのもとには毎月、信楽焼のたぬきが届けられるわけだ。
 
 
 ……や、それくらい無造作なとこが、この作品のクールなところだな、と(笑)。

 正塚万歳。

 

 えーと。
 花の名前、解説してたっけ?(その程度の海馬・笑)←最後の最後に言ってます、水しぇん。聞いてやれよ、最後の台詞(笑)。


 8月12日は、博多へ行く予定の日だった。
 nanaタンとふたりして「きりやんビルを見るのー!!」と意気をあげていた。
 とりあえず日にちだけ決めて、チケットもナニも持ってない。大丈夫、博多座だもん、行けばどっかで観られるよ。当日券に並べば1階後方の車椅子用予備席の一部は売りに出されるだろーし、最悪立ち見でも観られさえすれば、それでイイ。
 なにしろ通い慣れた(笑)博多座だ。勝手はわかっている。

 行き当たりばったりなのは、いつものこと。
 東京手ぶら観劇とか、名古屋手ぶら観劇とか、しょっちゅーしてるもんな、チケットは現地調達基本ってゆーか。

 それでたしか数年前、『マラケシュ』観に博多に通ったよね。なにもかも行き当たりばったりに。

 いつものことなんで、すっかりナメてかかっていた。

 ところがどっこい。

「ムーンライト九州の予約が取れない……」

 思わぬ伏兵。劇場チケットは行きさえすればなんとでもなるが、交通手段はそうはいかない。
 へんだな、『マラケシュ』に通ったときは電車けっこー空いてたよな? ひとりでふたり席ぶんどって寝てたり、寒くない席に移動したりできるくらい、空いてたよな?
 前日にいきなり「明日博多へ旅立とう!」と決めても列車の予約は出来た。
 その刷り込みがあったから、油断していた。

 ……あのときは、お盆期間じゃなかったってことか……。

 世間的にどういう時期か考えず、自分たちの都合だけでしか考えてなかった。
 や、この日しか空いてないんだよ。休みとか他組との観劇スケジュールの都合とか、nanaタンとわたしが一緒に行ける日って。

 博多行き、どーするべ。

 と、思っているところへ、雪組初日。
 ゆみこがあまりにかっこよくて、nanaタンが天高く舞い上がって帰ってこない(笑)。
 博多へ行くアシがない、のはたしかだが、雪初日で確信した、「12日はこりゃ雪組観劇へ変更だな」。

 博多行きをあきらめたからには、わたしも雪組を観るつもりでいた。
 オギーファンで水ファンの端くれですから。
 でも。

 案の定nanaタンは雪を観ると言っていて、先に行って一緒にチケット買っておくよ、と言ってきてくれた(nanaタンの方が家がムラに近いのだ)。
 わたしがここで「nanaタンがゆみこに舞い上がったために忘れられた」と全世界に向けて発表してしまった(笑)、「まっつの切り抜き」も持ってきてくれるって。
 
 水しぇんにもまっつ(の、切り抜き)にも後ろ髪を引かれるが、断った。

 ……猫に残された時間が、もうほとんどないことがわかっていたので。
 できるだけ、家にいようと思った。

 そして、8月12日。
 ほんとーなら、予定通りなら、博多にいた日。
 猫が、息を引き取った。

 猫は、わたしと弟に看取られて、11年と5ヶ月の生涯を閉じた。

 野生の強さか、死期を間近にするまで猫は元気そのもの、いつも通りだった。
 あまりに突然、急変した。

 列車の予約さえ取れていたら、深刻な事態だと気づかずに(気づきたくなくて、思いたくなくて)、旅立っていたかもしれない。いや、前日になって急遽取りやめにして、ツレのnanaタンに迷惑を掛けることになっていたかもしれない。

 博多に行かなくて、よかったのだと思う。
 大切な家族の最期に、そばにいることができて。

 ……博多座『ME AND MY GIRL』と、家族の死が直結で記憶に結びついてしまったことが、悲しいけれど。
 これから博多『ミーマイ』観たかったなあ、と思うたびに、猫のことを思い出すんだ、と決定づけられてしまったことが、悲しいけれど。
 それと同時に、そんなわたしの事情とは関係なく、博多座『ME AND MY GIRL』が素晴らしいモノであってほしいと思う。

  
 そして、今。

 フィラント@キムに会いたいな。と、思う。

 彼が歌う「お気楽ソング」を聴きたい。

 今ムラで公演しているのが、『君を愛してる−Je t’aime−』『ミロワール』だといいのに。

 今やっている公演がどうこう、というわけではなくて。
 癒されるために、『君を愛してる』が観たいなあ。

 未来が見えないくらい、過去だけに囚われてまるまって泣いているときに、救いになる、救ってくれると思うのは、キムくんの明るさと、強さだった。

 べそかきながら、キムに会いたいと思った。

 あの太陽の輝きとアツさで、救って欲しいと思った。

 フィラントの「お気楽ソング」を聴きたい。
 ハマコ神父の「愛について」を聴きたい。

 シンプルに、しあわせな物語を観たい。

 
 ……いやその、わたしのダーリン(笑)は、まっつさんですが。
 地べたにめり込んで立ち上がれないよーなときに、まっつのベドウィン音頭が有効かどうかは……ちょっと……。
 相沢くん@『舞姫』なら、救ってくれたかもしんないけど、アブ・サラン氏@ヒゲの17歳『愛と死のアラビア』が、わたしを癒してくれるとは思えない……(笑)。

 まっつはまっつなだけで、わたしの支えになっているのだけれど。


 今より少し昔、ある国にネロくんという少年がいました。

 ネロくんの通う小学校の庭は雑草だらけ、石ころだらけでちっともくつろぐことができません。
 ネロくんは考えました。この庭を整備して、みんながたのしく過ごすことのできる空間を作ろう。

 クラス委員のサルディバルくんや、ガキ大将のエスコバルくんも、話に乗ってきました。ネロくんたち上級生たちだけでなく、遊び場をほしがっていた下級生たちも仲間に入りました。チーム結成、みんなで力を合わせて、素敵な庭を作ろう!

 子どもたちだけでは金銭的にも能力的にも権利的にも、限界があります。まずネロくんたちは、学校にお願いしました。庭を整備したい、やってもいいよね? それで、できたら道具とか借りたいんだけど……。
 でも、「余計なことは考えるな、子どもは勉強だけしていればいい」と、先生たちは取りあいません。
 それどころか、力づくで庭作りの邪魔をします。自分たちで持ち寄ったバケツに拾った石ころや雑草を入れていたら、それを蹴飛ばしてまた地面にまき散らしたり、作業をしている小さな子を怒鳴りつけたり。
 先生を怖がって学校に来なくなる子や、転校していく子もいました。
 みんなでたのしめる空間を作りたかっただけなのに、ネロくんたちはぼろぼろです。

 それでも、大人たちの力を借りずに、妨害にも負けずに、自分たちだけで庭を作ることに成功しました。
 石や雑草を取り除いて、花壇を作りました。手作りのベンチも置きました。まだまだ課題はあるけれど、以前よりはきれいです。もっと花を増やし、くつろぐための小さな屋根や東屋、池や噴水も作りたい、小動物も放し飼いにしたい……できるかどうかはともかく、ネロくんたちの夢は際限がありません。

 庭作りが軌道に乗ると、「ボクもやる」「私にも手伝わせて」と協力希望者がたくさん出て来たので、ネロくんは庭作り実行委員から降りることにしました。サルディバルくんがとても張り切って庭作りをしているので、任せても大丈夫でしょう。
 もともとネロくんは、みんなの注目を浴びてナニかするのは好きじゃないんです。誰もやらないから、ネロくんがあえてやっていただけ。できるのにやらないのは、ネロくんとしては「チガウだろ、ソレ」なことだから、あえてやっていだけにすぎないんです。

 みんなのための庭作りだったのに、ふと気づくと庭にいるのは児童たちではなく、知らない大人たちばかりです。
 子どもたちの庭がきれいになったので、なにもしなかった先生が自分たちの手柄にして、国のえらい人を呼んだりして、大人のくつろぐ場所として占領してしまいました。
 大人たちを引き込んだのは、サルディバルくんでした。「夢の庭を作るには、大人の力が必要だ」……たしかに、噴水や小川を作るには、子どもだけじゃ無理でしょうけれど……大人に手伝ってもらうのと、大人に取り上げられてしまうのは違うんじゃないでしょうか?
 子どもだけで、力を合わせて、ひとつずつ夢を叶えてきたのに。

「夢の庭なんかどうでもいいんだ。サルディバルは大人にゴマをすって、成績を上げてもらってるんだ」と、エスコバルくんは言います。エスコバルくんは何故か、ネロくんについて実行委員を辞めてしまっていました。なにを気に入ったのか、いつもネロくんのそばにいます。
 ネロくんは、大人たちともサルディバルくんとも、表立ってケンカはしませんでした。でも、子どもたちが庭で遊びたそうにしているときは、そっとつきそって庭に入り、大人たちが文句を言ってくる楯になりました。
 サルディバルくんも、ネロくんの行動に対して、強く諌めることはできません。

 あるとき、ネロくんはセリアちゃんというきれいな女の子に出会いました。一目惚れです。セリアちゃんもネロくんに興味があるようです。
 セリアちゃんには、リナレスくんという弟がいるのですが、この子がなかなか問題児でした。一見明朗快活で大人受けのイイ優等生なんですが、実は「大人はみんなキタナイ、みんな敵だ」という思春期の子どものかかる病気にずっぽり浸っていました。たしかに、この学校とその周辺の大人たちはかなりアレなので、リナレスくんの言っていることはあながち間違いでもないのですが。
「ボクたちの庭が大人の都合で利用されている、このまま見ていていいのか」リナレスくんは真正面から大人たちとぶつかるつもりのようです。そんなことをしてもナニも変わらないとネロくんは説くのですが、リナレスくんは聞き入れません。
 ネロくんだって庭を作るために最初は、今のリナレスくんのように真っ向から先生たちに立ち向かいました。そうしてボロボロになったんです。こんなやり方じゃダメだと考え直し、大人たちの手を借りずに庭を作ったのです。
 ひとりで突っ走るリナレスくんをなんとか助けようと、ネロくんは必死になります。だってリナレスくんは、セリアちゃんの弟だし。

 リナレスくんの暴走には、理由がありました。
 以前退学になったチャモロくんが、お礼参りに帰って来るという噂があるのです。
 チャモロくんは不良ではなく人望厚い児童会長だったのですが、それゆえに理不尽な校則について学校側と正面衝突し、ついに退学にまでなってしまった子です。
 学校側はいかなるときも、チャモロくんの動向にはハラハラしています。どうもチャモロくんは就学していたころに、学校側にとって都合の悪い事実やらなんやら、握っているようです。
 チャモロくんが帰ってきたら大騒ぎになる……。見てみぬふりはできません。ネロくんはひとり立ちあがります。だって学校側は、チャモロくんが学校に入ったら、なにかと理由を付けて問題を起こしたことにし、警察に補導させようと狙っているんです!
 チャモロくんと、リナレスくんを含め、彼に心酔している他の児童たちとを無事に再会させるために、ネロくんは学校側と、大人たちと、真っ向から闘う決意をしました。
 そのためには、ネロくん自身がもう、学校にはいられなくなるかもしれません。
 「そんなことしたら、退学させられる」セリアちゃんは泣いて止めますが、ネロくんの決意は揺るぎません。
 もうこんな学校見捨てて、ふたりでどっかへ行こう……セリアちゃんはそう言います。浮浪児になったって平気、家出でもなんでもする、と。ネロくんさえそばにいてくれたら、それでいい、と。
 だけどネロくんは首を振ります。
 セリアちゃんにそんなことはさせられません。彼女はふつーに平和な学校で、ふつーにしあわせに生きるべきです。
 彼女が笑って過ごせる学校にしたいのです。
 ネロくんがステキな庭を作りたかったのは、セリアちゃんのような女の子を、そこで微笑ませるためです。その笑顔を守るためです。
 元児童会長のチャモロくんなら、今の学校の腐敗を糾弾し、問いただすことが出来るでしょう。彼を補導するために罠まで張る大人たちの現状を見れば、彼はきっと本腰を入れて闘うはずです。
 そのために今は、チャモロくんを守らなければ……。

 大人たちとの戦いに赴くネロくんを、プラスチックの剣やぱちんこ、水鉄砲で武装したエスコバルくんが待ち構えていました。「おれを置いて行く気か」……彼はこうなってもなお、ネロくんについて行くつもりのようです。
 子ども対大人の戦い。……勝負は見えているのですけれど。
 それでも、ネロくんは行くんです。

 花のたくさん咲く、みんなが笑って過ごせる庭を、作りたいから。
 そこで微笑むあの子を見たいから。
 今、できることがあるなら、するしかないだろう?

 
 そうして。
 戦いののち、学校に庭には白いマリポーサの花が咲いています。
 なにがあっても、花は花でしかなく、なにも語ることはありません。


             ☆

 とかまあ、そんなこんな。
 ネロくん、好きだなあ。


 宝塚歌劇団は、ふつーに営利企業である。芸術保護が目的でもなければ、ボランティア団体でもない。
 純粋に、商売をしているはずだ。
 夢とか愛とか、美しいことを謳っているが、それは商売のためのキャッチコピー、イメージ戦略でしかないとわかっている。

 わたしはヅカが好きで、そこに夢や愛を求めているけれど、べつに彼らがカスミ喰って生きてるとは思っていない。
 美しいモノを道具にした商売だとわかっている。

 営利目的で商売しているんだから、商品ってのは大切だと思う。
 とくに「売れる」商品は大切だろう。

 和音美桜の退団発表を知り、歌劇団の商売方法に、心から首を傾げた。

 今年になって劇団は、レストランでのサロンコンサートを開催しはじめた。
 出演者は生徒(OG)ひとりとピアノ奏者のみ。ライティングも音響も、最低限。レストランでのパーティ・レベル。演出はナシに等しい。
 低コスト……ってゆーか、出演者の持ち出しだけで劇団的には一銭も出してないんじゃないかという、かなりアレなコンサートだ。
 その代わり、チケット代も低価格。ディナー付きで1万円。

 たぶん、出演者は持ち出しばかりでほとんど収入にはなっていないだろう。練習にかける労力を考えれば、時給いくらにもなってないんじゃないか?
 儲けはレストランと、機会を与えた劇団にのみ入っていそうだ。

 だが、コンサートは名誉なことだし、誰でも出来ることではないのだし、お金の問題ではなく「開催すること・出演すること」に意義があるだろう。

 宝塚歌劇団は、個人を売るプロダクションじゃない。
 トップスター・クラスになれば単体でも売れるだろうが、彼らでさえ「宝塚歌劇団」というブランドに価値がある。
 華やかな舞台、男役・娘役のいる架空空間ごと、すべてでもって「売れる」レベルに達する。

 だから、トップスターでもない職人上級生や、娘役単体では、集客できない。
 数百人単位のディナーショーですらなく、上限70人のレストラン・コンサートですら、開催は「冒険」だった。(冒険でないのなら、今までやっていなかったはずがない)

 それが成功だったのかどうなのか、とりあえずコンサートは今のところ第5回まで、終了もしくは前売りを終えている。

 そのチープなコンサートで、唯一、和音美桜だけが追加公演の開催があった。

 トップクラスの路線スターでないと「売れる」レベルに達しない宝塚歌劇団で、たっちんは「売れる」人間だということを、証明した。

 そりゃたしかにたかがレストラン・コンサート、たかが70席。
 だけど他の誰なら発売10分強で完売させ、その後もキャンセル待ちが続き、追加公演決定までこぎ着ける?
 路線の男役スターではなく、トップですらない娘役でだよ?

 たっちんは、儲けさせてくれる「商品」じゃないか。

 経営者なら、売れ筋商品は大切にするよな?
 売れ筋商品を利用して、もっとオイシイ思いをするために、戦略を練ったりするよな?

 ……ジェンヌを「商品」だなんて、思いたいわけでも、思っているわけでもありませんが、あえて今はそーゆー観点で語る。

 あのコンサートの売れ行きで、劇団はたっちんの価値を見直したと思うんだ。
 人気なんて目に見えにくいモノで、とくに娘役なんてバウヒロやってその公演がチケット完売したとしても、「主演男役の実績」としてしかカウントされないでしょう?
 たっちんの個人ファンクラブがチケットの代行販売をしていて、その枚数で判断できるとしても、それはあくまでもコアなファンの数でしかないでしょう? 「いちばん好き」だけで成り立つわけじゃない。FCに入るほどじゃなくても「この人の舞台は観に行きたい」と思う人たちがどれほどいるかは、わからない。
 低価格のコンサートを開催することによって、FC会員だけに留まらない、ライト層まで人気のある娘役だってこと、「商売」になる娘役だってこと、証明したと思うんだ。

 なのに、たっちんは退団するという。

 劇団、バカちゃないの?
 営利企業でしょ? 商売なんでしょ? なんでお金になるとわかっている子を辞めさせちゃうの?

 劇団がわざわざ売れ筋商品を切るわけがないから、たっちん本人の意志だろうと思う。

 ……たっちんが納得できるだけの、魅力を感じていられるだけの場所では、なかったってことか。

 たっちんがヅカを愛していないと思っているわけではなくて。

 彼女には、大きな可能性がある。
 ヅカという特殊なところで、娘役に冷たいところで、ちゃんと人気を得ているのだ、ヅカ以外のところで十分活躍できるだろう。
 その可能性を殺してでも、留まるべき場所じゃ、なかったんだろうな。

 残念だ。
 ただもー、残念だ。

 そして劇団に、はがゆさを感じるわけだ。

 たっちんが「売れる」子だってわかったんだから、もっと彼女を大切にすればいいのに。これからもっともっと、劇団を儲けさせてくれただろうに。
 直接的な金銭云々じゃなくても、その実力ゆえにイメージとかクオリティとか、お金で買えないところを底上げしてくれただろうに。

 たっちんの未来を、可能性を信じるからこそ、この決断を仕方がないとも思う。
 また、残念だとも思う。

 そしてやっぱ劇団って、商売下手だな。と、思う。



 

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