かしちゃん、組替えしちゃやだあぁぁ〜〜っ!!

 と、幕開きからスイッチオン、いきなり泣けたんですが。

 なんかもー、今さら感漂う、雪組『ベルサイユのばら−オスカル編−』、千秋楽の話。

 前々から言っているように、わたしはコム姫とかしげの並びを「正しくない」と思っていた。
 持ち味的に、致命的に合っていない。
 互いの長所を打ち消す、最悪な並びだと。

 「少しも早く」このトップと2番手の配置をなんとかするべきだ。
 トップが組の顔であり、変更できないのなら、2番手を動かすべきだ。
 コムちゃんがトップになってしまった以上、かしげが組替えされるのは仕方ないと思っていた。それがお互いのためであり、また、組のためだとも思っていた。

 わたしは長々と雪組ファンをやっており、かしちゃんのことはかれこれ10年見守っている。
 かしちゃんに出て行って欲しいわけじゃない。
 ただ、コムちゃんとでは、かしちゃんの魅力が活かせないのなら、コムちゃんの魅力をも相殺してしまうのなら、組替えは仕方ないと納得していただけのことだ。

 水くんが組替えでやってくるとわかったときに、とてもよろこんだ。水くんなら、コム姫との相性がいい。互いの長所を高め合うことのできるコンビだ。

 ずっとかしちゃんの組替えをのぞんできたし、水くんがやってくることで、組替えの予告をされようなものだと、覚悟もしていた。
 わかっていたんだ。この日が来ることは。

 なのに。

 コム姫お披露目公演からずっと、「かっしー組替え」を唱え続けていた、このあたしが。

 それなのに。

 かしちゃんに、どこにも行って欲しくない。

 ここにいて。
 このまま、雪組にいてよお。出ていっちゃ、いやだよお。

 ……と、詮無きことを思っては、びーびー泣きました。

 
 「組」ってのは、「組子」ってのは、そーゆーもんなんだよなあ。
 合っていよーがいまいが、やっぱり、コムちゃんの隣に、かっしーにいてほしかったんだよ。

 わたしの愛した雪組に、かっしーにそのまま、いてほしかったんだよ。

 
 とまあ、組替え関連の話は置くとして。

 
 楽まで取っておきました、かしげアンドレ。
 うまいことなんかわかってる、きれいなことだってわかっている。
 ジェローデルがあれだけきれいで、貴族然としているんだ。アンドレも、きれいすぎて品があって、平民に見えなかったりするんだろーな。

 そう勝手に思ってはいた。ええ、思ってました。が。

 プロローグでせり上がってきた白軍服+白マントのカシドレを見て。

 どこの王子様ですか、あーた。

 本気で、アンドレに見えなかった。美しすぎて。

 かしちゃん……ほんとに、美貌の人やな……その美貌がまったく活かされないままここまで来ちゃったのに、こんなとこでまたその王子様力を発揮してからに……。

 と、彼の無駄なまでも美貌に大ウケしました。や、その、「組替えしちゃやだ」とスイッチ入って泣きながらも。

 とまあ、プロローグはそうだったのよ。
 問題は、そのあとだ。
 ストーリーに入ってから。

 
 正直、おどろいた。
 かしちゃんならきっとこんなふう、と、勝手に思っていたモノがあったから。

 男臭いアンドレがいた。

 あ、あれ?
 かしちゃんなのに?

 白くて薄い(や、髪の毛のことぢゃなくて!)きれーなだけのいい人俳優・貴城けいだろ?
 なにやっても「いい人」、なにやっても「アタマ悪そう」、なにやっても「きれいだけど、それだけ」の貴城けいさんでしょう?!
 アンドレやったって、きれーでひとのいい「幼なじみ」を「薄く」演じるんじゃなかったの? お人形みたいな美貌に、あったかい笑顔浮かべて。

 なんか、男らしいんですけど?

 ちょっとした表情のひとつひとつ、言葉の端々。
 どっちかっつーと、荒い。粗い、ぢゃないわよ、荒い、よ。

 平民で、馬丁やってるの、わかるわ……。
 おぼっちゃまにはない、野生を感じる。

 荒いモノを持つ男だからこそ、やさしく在れる、みたいな。

 ちょ……ど、どうしよう。

 カシドレが、かっこいいです。ドキドキドキ。

 なにしろ、アンドレは所詮アンドレなので。とくに、今回の『ベルばら』は「ペガちゃん登場、ロザリーの夜這い付き」という、お笑い巨編だ。アンドレにときめくことなんて、前提からありえなかった。
 役者の持ち味をたのしむのみの、イベントとしてしか、考えてなかったんだ。

 なのになのに、カシドレったら、マジでかっこいいです。どーしよー!!
 ワイルドなアンドレ! きゃーっ!

 アンドレなのに、かっしーなのに、ときめいちゃってるわよーっ。(かしファンを名乗りながら、その失礼な言いぐさはなんですか)

 あーもー、かっしーって油断しているとこに「来る」んだよなあ。いつもいつも。
 無防備なとこにガツンとくるから、堪えるのなんのって。
 

 でも実際、組替え栄転が決まってから、かっしーは変わったと思う。
 ジェローデル役ででも、短いフィナーレででも。
 今までにない「力」を感じる。

 かしちゃんは、真ん中にいてこそ輝ける人だと思う。
 彼の持つ、一般的な感覚ど真ん中の美しさや、白さや薄さは、「主人公」にこそ求められるモノだ。
 これは、持って生まれるモノだ。後天的にどうこうできるモノぢゃない。
 色の濃い役や悪役は、誰がやってもある程度格好良く見せることができる。オイシイ役と呼ばれる由縁だ。
 かしちゃんは、そーゆー「誰がやっても魅力的に見える役」をやって魅力が最大級に出る人じゃない。
 白い、薄い、「真ん中」の役をやってこそ、正しく能力を発揮できる人。
 「真ん中」にいないときは、その白さと薄さゆえに目立たないけれど。濃い持ち味の人が演じる濃い役や悪役ほどの強い光も発することはできないけれど。
 「真ん中」に行けば、輝ける人だよ。
 わたしはそう信じている。

 雪組にいる今はまだ「真ん中」ではないけれど。
 その自覚を持って立っているのが、わかるから。

 輝きだした。

 アンドレは「白い役」だもんなあ。辛抱役で、とらえどころのない、まさに「主役」的な役。
 なるほど、この役を魅力的に見せることが、トップスターの条件のひとつだよなあ。

 
 ああ……かしちゃん、好きだー。かっこいーよー。

 
 フィナーレで、かし水がそろって踊るシーンがある。ほんと一瞬だけど。
 これが見たかったんだと、心から思ったよ。
 水くんが来て、いずれかしちゃんは組替えで去るだろう。ならばせめて、ふたりが共に舞台に立つ短い間に、このふたりががっちり組んだシーンが見たかった。

 ものすげー贅沢じゃん? かっしーと水だよ? これほどの男役をふたり並べて使えるんだよ?

 だからこそ、このふたりが並び立った貴重な公演が『霧のミラノ』と『ワンダーランド』と『ベルサイユのばら』いう大駄作揃いなのが、くやしい。くやしいくやしいくやしい〜〜っ!!
 かし水の無駄遣いばっかしやがって! どこが座付きだ、役者をまともに使うこともできないくせに〜〜っ。

 行かないでかしちゃん。
 まだ、済んでないよ。せっかくの、コムかし水の夢の並び、ちっとも堪能してないってば。
 まともな作品で、まともにお芝居している姿が見たいよ。そーよ、『銀の狼』やってよ、『銀の狼』。ショーは『ドリーム・キングダム』で! 水がトドのポジに入って。
 再演モノでいいから! まともなモノで、納得させて。
 かしちゃんが、行ってしまうことを。

 
 しょぼん。
 と、肩を落としながら。

 かしちゃんの新しい組での人生に、幸多きことをこころから祈る。

 や、まだ東宝あるけどさ。(チケットないけど、とりあえず行くつもりではいる)


 あいちゃん、って、誰だよ。

 雪組『ベルサイユのばら−オスカル編−』、千秋楽。
 最後の挨拶で、まちかが「あいちゃん」と呼ばれていることに、ものすげー違和感を持った。

 知ってるよ。
 本名だって、入団前の芸歴だって。
 それでも、わたしにとってのまちかは、「まちかめぐる」であり、「まちかめぐる」でしかなくて、「あいちゃん」なんて人は、知らないのだ。

 まちかは、まちかだろう? 宝塚歌劇団雪組の、まちかめぐるじゃないか。
 それを辞めて、「あいちゃん」になるなんて、ひどいよ。

 わたしは真っ当な意味でのファンではぜんぜんないのだから、まちか退団を嘆くのは変だと思うけど。
 思うけど、嘆くよ。惜しむよ。

 男役、麻愛めぐるの卒業を、心から惜しむ。

 ……のはともかくとして。
 最後の最後の公演まで、まちかはとってもまちからしく、わたしたちを沸かせてくれた。

 なんつってもさー、プロローグからまちか登場だもん。アンドレの影ですよ。かしげ、水、壮、キム、かなめ……雪組が誇る美形男役たちにまざっての登場ですよ!!
 初見のときからあたしゃ、ツボ直撃で声殺してひーひー笑って、隣のkineさんに笑っていた理由を図星さされたり。
 アンドレの影でもものすげえのに、さらにまちか様はやってくれた。

 電波娘ロザリーの脳内ピンク妄想に出演するオスカル様たち。ひとりのオスカル様ぢゃ足りないロザリーが、これでもかとオスカル様をはべらしてウハウハするシーンで。

 最初に登場するオスカル様が、振り向くと、まちかめぐる!!

 この演出考えたの誰ですか。すごすぎる。
 大爆笑しました。声殺している場合ぢゃない、マジ吹き出したって!!
 すごいなあ、植爺。クレーンペガちゃんといい、客を笑わせることに命懸けてるよなあ。

 フィナーレでは「雪組クオリティ」として、ハマコと対で使われているし。また、まちかの歌声が、ハマコに打ち消されてまったく聞こえないのも、雪組クオリティ。

 ああ、最後まで、まちかはまちかだ。
 心を震わせてくれる、まちかめぐるだ。

 ショー部分ではそーゆーふーに、吹き出させてくれたりするけれど、芝居ではとっても男らしくおっさんらしく、リアルに重厚に場を締めてくれる。

 わたしはかしちゃんアンドレを観たのが千秋楽だけなんで、楽になってよーやく、まちかのメルキオール役を観た。
 やー、なにがおどろいたかって、あの髪型が、デフォだったこと。

 壮くんがメルキオールをやっているとき、なにが目についたかっていうと、あの髪型なのよ。『魔法使いサリー』のカブみたいな、後ろ髪が信じられないほど反り返った不思議ヘア。
 壮くん、なにをどうまちがってあんな髪型してるんだろう。寿美礼ちゃんが「サリーちゃんのパパ」みたいな髪型にしているからって、「サリーちゃんの弟」にしなくてもいいだろうに。……と、思っていたくらい、みょーな髪型だったのに。

 まちかも、同じ髪型でした。

 後ろ髪、反り返ってるよ!! アニメキャラだよ!! 不動明とか兜甲児とか、そのへんだよ!!

 そうか、あれが「メルキオール」というキャラクタのデフォルトなんだ。記号なんだ。変えてはならないんだ。……何故あんな……。

 壮くんがやるとかわいい気がしないでもないけど、まちかがやるとなんとも微妙で、反り返った後ろ髪ばかりに目が行き、まったくどうしよーかと思いました(笑)。

 でもまちかのメルキオール、ルイーズ@いづるんとかわいい夫婦でしたよ。
 トシが離れていることや、嫁が美人であることなんかもあり、あの力関係がとってもナチュラルに思えるのね。嫁がどれだけ無神経で空気読めなくて自己中でも、かわいくてしょーがないんだろうな。
 ルイーズもまた、強い態度を取りつつも実はメルキオールに甘えている感じが、またヨシ。
 そっか……まちか、ナニ気に包容力あるんだよね……。

 最後に観たまちかが、美人の嫁とラヴラヴで微笑ましくて、よかったっす。

 
 組長が読み上げる、退団者本人からの手紙で、まちかが「ショー『ワンダーランド』に出たとき、男役を極めたと思ったから、退団を決めた」と書いているのを聞き、脳裏に走りましたよ。

 全国ツアー『ワンダーランド』の、あの凄まじい幕開きが。

 コムちゃんの開演アナウンスが流れ、舞台に明かりが灯るなり、並んだ男役たちのセンターに、まちかとハマコが!!
 キム・壮のポジションかよ!!
 すげえ、すげえよ雪組!! まちか&ハマコで、ショーの幕開けちゃうんだ!!

 と、大ウケした『ワンダーランド』。
 あの作品で「男役を極めた」と言われたら、そりゃたしかに、うなずくしかない。

 まちかは、まちか。
 まちかめぐるとして、去っていく。

 『ワンダーランド』の幕開きも、振り向くオスカル@まちかも、そうさ博多座『パッサージュ』の「白い光」役だって、永遠にわたしのなかに残り、語り継がれるのさ。

 「あいちゃん」って誰だよ。わたしはそんな人知らない。
 わたしは真っ当なファンじゃなかった。こーやってまちかまちか言って、たのしんでいただけの人間だ。だから愛称なんて、知りもしなかった。

 それでも、まちか。
 ずっと、まちか。

 忘れないよ。


 『Appartement Cinema』が、TBSドラマの『ランデヴー』にとてもよく似ていたので、今、『ランデヴー』が見たくて見たくてしょーがない。

 『ランデヴー』放映は、1998年。主演は田中美佐子・桃井かおり。
 舞台は、無国籍なホテル。ひとりの男を想い続け、待ち続ける洒落た老婦人が経営している。
 ホテルには、ワケ有りな個性的な人々が逗留しており、そこでドラマが繰り広げられる、わけだ。
 主人公のひとりは「家出主婦」。彼女は「失われた青春」を再体験したくて、「恋」をしたくて、うずうずしている。
 もうひとりの主人公は、アンニュイで気まぐれな女流ポルノ作家。彼女の前に現れる「猫のような」気まぐれな男。彼は「不治の病」に冒されているのだが、とてもひょうひょうと人生をたのしみ、恋をたのしんでいる。

 最終的に老婦人の恋に決着がつき、ホテルは閉業することになる。
 余命が尽きかけていた「猫のような男」は、猫のように姿を消す。猫は死骸を人目にさらさない生き物だから。どこかで、あの軽やかな姿で恋をしているのかもしれない、けれどね。

 
 展開される物語はちがうけれど、キーワードがいちいち同じだから、反応してしまう(笑)。
 ひとりの男を想い続ける老婦人の経営するホテル、ぐらいならテンプレ的設定なんだけどなあ。そこに「不治の病」の「猫のような男」が加わると、ニアミス率がぐーんと高くなるなー。

 
 『ランデヴー』は高品質のファンタジードラマだった。
 ファンタジーってのは、妖精が出てきて英雄が剣で戦う物語だけを言うんじゃないの。
 「異世界」を正しいルールによって構築したモノを言うのよ。

 『ランデヴー』は現代日本を舞台にしながら、見事に「異世界」を作り上げていた。正しいルールがあり、そのなかで荒唐無稽な出来事や、個性的すぎる人々が泣いたり笑ったりしていたの。

 わたしはあの、やさしい空間が好きだった。
 あたたかくゆるいコメディーなのに、全編に言いようのない「せつなさ」が漂っている。
 「終わる」ことが前提の夢を見ているような。「失う」ことがわかっている愛しいモノを、今、この瞬間、精一杯抱きしめているような。

 それは「夏」という季節と、「不治の病の男」に象徴され、砂時計の美しいガラスの中の、減っていく砂をただ眺めているような、静かなかなしみがしあわせのなかに浸透していく。

 おかしくて、大笑いしたり画面に向かって突っ込んだりしながら、いつも大泣きして見ていた。
 それは「ファンタジー」だけど、そこで描かれているのはまぎれもなく「ひとのこころ」だったから。

 大好きなドラマのひとつだ。

 
 しかし。

 ソフト化されてないんだわ。

 
 当時は、人気がない作品はビデオが発売されなかったの。
 わたしがおもしろいと思う作品は、ビデオ化されない確率が高かった(笑)。
 『踊る大捜査線』だって、ビデオ化されなかったのよ? 本放送時は人気がまったくなくて。

 『ランデヴー』もまた、人気はまったくなかったなあ。
 98年のベストドラマは、わたし的に『殴る女』と『ランデヴー』だったんだが。
 どっちも、ソフト化されていない。
 わたしが「ハイクオリティ! すげー出来のいい、おもしろい作品だ!」と思ったモノが、どれだけ世の中の評価とかけ離れているか、という証明みたいなもんだな(笑)。

 当時は相方とドラマ感想同人誌を出していたので(笑)、よーっくおぼえてるよ。

 
 見たいと思っても、世の中に流通してないんだよなあ。
 流通していないから、「おすすめ!」と言うこともできないさ。

 でも、なんか今、あのせつない幸福な空気を、味わいたいなあ。

 『Appartement Cinema』には、いろいろ消化不良なところがあってな……(笑)。
 なまじ設定やキーワードが似ているだけに、「足りない部分」がクローズアップされて印象に残ってしまう。
 もちろん、「別の話」だとわかったうえで、ね。


 結局のとこ、コム姫が自力GETしたのって、水くん愛用品だけだよね?

 
 1年は365日あるのに、どーしてよりによって、同じ日なんだ。
 花組DC初日と、『VO5 presents スカイ・ステージ・トークSpecial #11「朝海ひかる・水夏希」』の日。

 花DC『Appartement Cinema』 PM4時 梅田
 コム水トークショー PM7時 清荒神

 ……どう考えても、間に合わない。
 プリーズ、どこでもドア!! わたしに寿美礼サマか水くん、どちらかをあきらめろとっ?!

 ただのトークショーじゃないのよ、コム水なのよ? わたしのニーズにぴったりあった顔ぶれなのにっ。大好きなふたりなのにっ。
 たとえこんな機会がこれからもあったとしても、わたしが見に行けるかどうかはわからない。なにしろわたし、水くん出演公演のチケ運壊滅状態が続いてるからなっ。
 トークショーはただ一度、DC公演は10日ばかりある。それならDCをあきらめ……られない。だってだって、わたしが持っているのがこの初日1枚限り、しかもわたしの枯渇したチケ運で唯一手に入れていた良席、3列目ですよ、3列目。寿美礼サマを近くで見るのよー。
 あきらめきれない寿美礼サマ。
 そしてトークショーのお席を聞いたら、こちらも5列目とかいうしっ。通路際だから、絶対水くんかコムちゃんは横を歩いてくれるはずだしっ。
 あきらめきれない水くん。
 うわあぁぁん、何故奇跡の良席がWブッキングしちゃうのぉ〜〜?!

 苦悩の結果。
 両方行くことにしました。

 DCを最後まで観て、トークショーは遅れていく。
 さすがに、初日3列目で、芝居の途中で席は立てない。
 トークショーは、遅刻した人はどんなに良席のチケットを持っていても、いちばん後ろの予備席に坐らされる、というルールが明記してある。
 5列目は惜しい。惜しいけど、仕方ない。最後列でも、生のコム水を見られるだけでいいよ。いちばん後ろの予備席直行だから、遅れて入っても迷惑にならないというのは、精神的に楽だし。
 トークショーに誘ってくれたハイディさんは、こんなもったいないことをするわたしを、寛大に許してくれたし。ああ、ハイディさんと並んで5列目で見たかったよ……でもでも、ありがとう〜〜おかげで生コム水見られました〜〜。

 つーことで、花初日を最後まで観、オサ様の愉快な挨拶も聞き、カテコも最後まで参加して、ダッシュで阪急電車に飛び乗った。清荒神着が7時20分過ぎ。
 ……正直、花組でよかったよ。総じてテンション低い組だから。星組だったらもっと公演時間が押して、こんな時間にベガホールにはたどり着けまい。

 最後列の、テレビカメラの横の関係者席に坐らせてもらったときは、ステージ上のコム水は役替わりオスカルの話で盛り上がっていた。

 関係者席にまぎれてしまったせいで、周囲のテンションの低さはちと悲しかったさ。隣のスーツ姿の男の人とか、仕事で坐ってるのがまるわかりで。ちっともたのしんでないのな。ファンでなければたのしめるわけないもんよ……ファン向け内輪ネタのトークショーなんて。
 笑っているのはわたしひとり、拍手するのだってわたしひとり。……いいもん、どんな場合でもたのしむもん。

 トークショーの内容は、終わったあとにハイディさんがとってもナチュラルに言い切りましたよ。

「コム水でしたね」

 コム×水。オトコマエに王様然としているコムちゃんに、引っかき回されている風の水くん。真面目な水くんに、テンション低いままずばりつっこむコムちゃん。
 ええ、わかっていましてよ。舞台では水×コム推奨のわたしですが、実際の力関係が逆だということは(笑)。てゆーか水くんって受キャラ認定だし、ほんとのとこ。わたしは攻キャラスキーなんで、攻でいてほしいとドリームを保ちつづけてますけどね。
 なんにせよ、コム姫相手にあたふたしている水くんが見られてしあわせ。片思いスキーなわたしは、水くんがコムちゃんにつれなくされているのがたまらなく萌えです(笑)。
 つれなく、ったって、コムちゃん的にアレはべつに冷たいわけでもなんでもなく、ニュートラルな状態なんだろうなと思えるだけに、なおいいです。

 プロの芸能人がこういう催しでどこまで素の顔を見せるものなのか、わたしには知りようもありませんが、コムちゃんはほんとに期待を裏切らない人で。
 恒例の神経衰弱ゲームがあったんですが、コレがもお、素敵にコムちゃんで。
 16分割のパネルを使ってトランプの神経衰弱をし、当たったパネルに載っている品をもらえるというゲーム。賞品はすべて、スポンサーであるVO5関連ね。
 水くんはふつーに自力で、ふたつ賞品をGETした。コムちゃんはその時点でナシ。
 やる気があるのかないのか、記憶力がアレなのか、コムちゃんはぜんぜんパネルをおぼえていない。既出品が出ても、見当はずれのパネルをめくろうとする。
 が。
 あまりに見当はずれなコムちゃんに、客席が反応。まちがったパネルをめくろうとすると悲鳴があがる。
 結局コムちゃんは、客席の力を借りてさくさく賞品GET。自分で考える必要ないの、正しい答えは客席のファンが教えてくれる。
 コムちゃんが自力で当たりを出したのはたったひとつ。あとは全部、客席の誘導に従っただけ。
 自力でがんばった水くんが賞品たったふたつで、コムちゃんは両手に持ちきれないほど手に入れている。
 その姿が、もお。
 ツボりました。
 いちばん後ろの席でわたしゃ、声殺して笑い転げてた。
 しかも、コムちゃんが自力で手に入れた唯一の賞品、水くんの愛用している銘柄じゃなかった? よりによってソレだけ自力GETせんでも……てゆーか、譲ってやれよ(笑)。

 万事この調子で、マイペースにのほほんとしているコムちゃんと、いまいち報われない水くんが、じつにわたし好みのぬるい空気をかもしだしていました。

 どうせすぐにテレビで放送されることがわかっているので、わりと油断して眺めていたんだけど、唯一、テレビに絶対映らないシーンはオペラグラスでガン見しました。ええ、花DCには無用だったのに、トークショーのためだけにオペラグラス用意して行きましたよ。
 客席へのプレゼントコーナーはテレビ放映ではCUT前提だから、生でしか見られない。
 水くんの「几帳面さ」を司会者が褒めたら、コムちゃんもそれに対抗。水くんよりさらに几帳面に抽選券を並べてみせる。コムちゃんの「水くんいじり」は、実にいいですなー。
 そして「次の雪組公演のS席チケットプレゼント」で、コムちゃんの天然喋りの「S席って、どこ?」からはじまり、「SS席があるのは大劇場か東宝か」でもめはじめるコム水。当選者を読み上げている司会者の話なんか聞いてねえ。ひたすらふたりでマイク切ってごちゃごちゃ話している。
 ……かわいい。

 退場のとき、わたしの席のすぐ横でコムちゃんが立ち止まり、会場側を振り返ってくれたので、とっても間近でその小さな顔も眺められたし。あああ、細い……人間ぢゃねえぇえ。溜息。

 行くことができて、ほんとによかったっす。
 ありがたやありがたや。


「寿美礼サマの初恋の人が、ゆみこ」

 と、仲間内掲示板に速報したら、疑われちゃったわよ、「緑野からストーリー教わると、どうも他の人とチガウ話なことがある」って。

 そっかー?
 そんなにちがってるかー?

 でも、今回の表現は別に、まちがってないよねえ?(笑顔)

 花組ドラマシティ公演『Appartement Cinema』初日、観に行けなかったnanakoさんの特命を受け、幕間+観劇終了後即、携帯で観劇レポートを書き込みながら、じたばた行ってきました。

 相変わらず、予備知識ナシ。
 オサ、ゆみこ、まとぶ、彩音以外の出演者も知らない。

 殺し屋ウルフ@オサ様の初恋の人が、スタン@ゆみこ。
 誰が見ても、そうだよな? まちがってないよな?

 オサゆみ芝居は数あれど、オサ→ゆみこっての、めずらしくないか?
 ゆみこ→オサはいくらでもあったけどさー。
 ゆみこに片想いしてるオサ様って、なんか新鮮〜。

 ま、わたしが解説すると「他の人とはチガウ話」になるのかもしれないが。

 断言してもいいわ。
 この『Appartement Cinema』、nanakoさんなら、「ゆみこがヒロイン!」って言うわ(笑)。

 そーゆー話であり、キャラ配置でありましたことよ。
 ……ん? いつもか?(花組って……)

 
 老婦人シモーヌ@千雅てる子が経営するホテル・コンチネンタル。そこには、ワケ有りな人々ばかりが逗留していた。
 落ち目のアイドル・アンナ@彩音、売れない作家コンスタンチン@みつると、その別居中の妻でベストセラー作家のメリッサ@としこ、引きこもりネットヲタクのアドルフ@りせ、家出中の人妻サラ@きらり。
 そして、謎の男ウルフ@オサ。
 そこに記憶喪失の男レオナード@ゆみこがやってきたことで、物語が動き出す。
 ウルフは元殺し屋で、彼の最後の標的がそのレオナードだった。記憶を失っているので、レオナードはもちろんウルフのこともおぼえていない。
 ウルフの弟分オーランド@まとぶは心配するが、ウルフは何故かレオナードを殺そうともせず、ホテル・コンチネンタルを出て行こうともしないのだった……。

 あ。そうそうこの話、コメディでした。シリアス芝居だと思って観てたから、びっくりした。

 
 今回の萌えどころは、なんといってもオーランド@まとぶです。

 この男がもー、地団駄踏んで転げ回りたいくらい潔く、ウルフ兄貴にマジ惚れしてるのっ。爆裂片想いなのっ。

 わたしは片想いスキーなので、オーランドの片想いっぷりがもー、ツボでツボで。

 オーランド→ウルフ→レオナード、という救いのない片想い連鎖が、たのしーのー(笑)。

 ウルフはオーランドの気持ちを知っていながら、決して応えることはない。
 ウルフに返せるだけの愛情を、彼なりの誠実さで返している。それは、オーランドの求めるものではないけれど……それでも、ちゃんと返しているの。応えていないだけで。
 だからオーランドは自棄にもなれないし、ウルフから離れることも出来ない。まさに、生殺し(笑)。

 それが、萌えっ。

 オサ様素敵、まとぶ素敵!

 最後は、ハッピーエンドだよね、このふたり。
 ウルフはたぶん、なにもかもわかっていたと思うから。

 いちばん残酷な方法で、オーランドの愛に応えたんだと思う。

 誘い受だからなぁ、オサ様……ぢゃねーや、ウルフ(笑)。

 
 作品的には、かなりバランス悪い。

 消化不良のエピソード多し、無駄な設定多し、てゆーかレオナード@ゆみこの描き方はアレでいいのか? とか、男の友情と、女との恋愛、どっちがやりたかったんだよ? とか、失敗点はとーっても目につく。

 でも、「これが若さというモノか……」って感じだ。
 会話やセンスが、「若い」。
 若いって、こんなに気持ちいいことなんだー。老人の作った前世紀の遺物ばっか有り難がるように強制されてるからさー、なんかいちいち新鮮だわ。

 とくにオープニングの美しさとオシャレさは、注目ですよお客さん。

 
 初日はもー、いろんとこが大変で、音声トラブルはあるわ照明トラブルはあるわ、えらいことになってたけど。
 せっかくウルフとアンナのシリアスなラヴシーン(つーか、ベッドシーンの前振り)として終了したはずの第1幕が、大爆笑されてしまったりと、貴重なモノも見せてもらえたしなー。
 せっかく長椅子で絡み合って幕が下りたのになー。
 起きあがって、のそのそ袖にはけていくところをわざわざ照明つけて見せてくれたりしたら、そりゃ観客も大笑いするわ(笑)。

 りせは素敵にへなちょこだし、みつるととしこさんの夫婦ってそりゃどうなのよ、とか、てゆーかりせ×みつるでヨロシクとか(役名で言いましょう、誤解を受けます)、千雅てる子女史とまとぶんのデュエットダンスがものすげーよかったとか(ここはまとぶ以外にないですよ、王子様だもん!!)、きらりちゃんかわいーゆまちゃんかわいー、彩音ちゃん成長したなーとか、見どころもたくさん。

 オサ様が明るく能動的に彩音ちゃん口説いてて、しょっちゅーフラれて、でもめげなくて、キザったり投げチューしたり、ものすげーテンションですよ。あー、ほれ、『ONE-PIECE』のサンジくんみたい。
 あーゆーキャラです、オサ様。

 でもってゆみこがゾロっぽい? 立ち位置的に。けっこうまともっぽいのに、女に口説かれて、なし崩しに関係してますが。
 そーやって関係したわりに、あんまし気持ちもなさそーな結末ですが。

 サンゾロとかゾロサンとか好きな人には、さらにたのしいかも?(てきとー)

 でもまあ、やっぱいちばんのトピックスは、ゆみこに片想いしているオサ様ですね。(役名で言いましょう、誤解を受けます)
 なんかめずらしーものを見ている気がして、落ち着きが悪かったぞ(笑)。
 ゆみこのキャラがやわらかそうに見えて本質はクールなもんで、オサ様に告られても、それほど感銘を受けてないよーで。淡々としているというか。
 このふたりの関係も、すごーくおもしろいんだが。てゆーか、ゆみこだな……複雑なキャラクタだ……脚本が悪いから複雑になっただけ、という気もするが……がんばれゆみこー。

 
 わたしはとりあえず、今回は、まとぶ×オサで萌えておきます。(役名で言いましょう、誤解を受けます)

 ん? 『パレルモ』もこのふたりで萌えだっけ? あ、アレはヴィットリオ×ロドリーゴだから逆だー。今回は、誘い受下克上(笑)。

 
 細かい話は、またいずれ。


 東宝版『ベルサイユのばら−フェルゼンとマリー・アントワネット編−』を見終わったあと、わたしは鼻息荒く言った。

「トウコなら、相手がタニでもテクニシャンに見せられるわ」

 いかにもアレが下手っぴそうな男が相手でも、女がうまく演技すれば騙せる。当の男本人も、観客も。
 「ひょっとして**って、テクニシャン?」と、誤解させることができる。

 わたしのこの言葉に、星『ベルばら』未見だったドリーさんは、
「それって、最高級の誉め言葉じゃないですか」
 と、感心していた。

 そうさ。
 最高級の誉め言葉さ。

 以前わたしは、「抱かれたくない男役」として、タニの名をあげた。べつにタニちゃんが嫌いなわけじゃない。純粋に下手そうだから、あげただけだ。
 実際彼は『不滅の恋人たちへ』で、壊滅的なラブシーンを見せてくれ、客席に笑いと悶絶を振りまいていた。いやその、タニちゃんはそーゆーとこが愛しいキャラだから、それでいいのだけど。

 そのタニをもってすら。
 トウコなら、「テクニシャン」だと誤解させてしまえるだろう!!

 それくらい、トウコはすごいのだ。

 つか。

 トウコ、エロ過ぎ。

 トウコが、ラヴシーンがうまいとかエロいとかは、アイーダのときにわかっていたことだ。
 わかっていたけど……。

 エロい。やばいくらいエロい(笑)。

 
 わたしは、「今宵一夜」を古いと思っている。時代遅れで、美しくもないし、ときめきもない、ただの形式、ただの型。
 いかにも「手順」て感じにポーズを変えるだけの、見せ物。
 そーゆーものだ、とあきらめて眺めている。

 なのにその「今宵一夜」でドキドキ+赤面させるよーな、エロいラヴシーンをかますって、どーなのよ?!

 び、びっくりした。
 目からウロコ。
 「今宵一夜」って、ここまでできるもんなんだ?
 やる人によって、これほどまでにチガウもんなんだ?

 トウコ、すげえ。

 なんか、ひとさまのラヴシーンをデバガメしているよーな、いたたまれない気恥ずかしさで、ドキドキした。

 だってさぁ……。
 トウカル、細かいんだもん。
 シイドレの膝の上で仰向けられたときの、一瞬のおびえた瞳と、次の瞬間の恍惚としたあえぎのよーな吐息はなんなんですかありゃ。
 オペラグラス釘付けだったあたしゃ、興奮のあまり手が震えて、画面が揺れたよ(笑)。

 わたしは今の今まで、知らなかった。考えたことがなかった。
 「今宵一夜」って、この暗転したあと、幕が下りたそのあと、オスカルとアンドレはやっちゃうんだわー……。
 原作はともかくヅカの「今宵一夜」は、口では「抱け」だの「今宵一夜アンドレ・グランディエの妻に」とか言ってるけど、現実問題として、考えたことがなかった。
 だって、リアリティのカケラもない「型通り」のラヴシーンで、そこに愛はあっても「性」はなかったんだもの。
 生身の男女の恋愛だなんて、考えたことがなかった。
 セックスの存在する、ふつーの恋愛だったなんて、マジ、ただの一度も考えたことなかったのよ。

 だから、びびった。

 あ、このふたり、これからやるんだ。
 ……という、リアルさに。

 
 どうなんだろうね、トウコちゃん。このリアルな演技は、ヅカとしていかがなものか。

 安蘭けいという役者は、好き嫌いが大きく分かれる人だと思う。
 この精神面に訴えかけてくるリアルで繊細な演技は、大味であることをヨシとされるタカラヅカの舞台において、特異なものだなと。
 嫌いな人は、とことん嫌いだろーなー。生理的にダメ!ってぐらい、ダメだろーなー。
 そのことが、よーっくわかった(笑)。

 でも、わたしは大好きだ。

 好きでよかった。すごくたのしい。すごくうれしい。

 お笑い作『ベルばら』でさえ、型芝居の「今宵一夜」さえ、ふつーの芝居のようにドキドキさせてくれるんだもん。
 トウコを好きでよかった。得した(笑)。

 トウコのエロさは、男たち目線ではなく、あくまでも女性のもの。
 いわばハーレクインなんだよね。女が見てドキドキする、美しいラヴシーンのエロさ。

 オスカルというキャラクタに「性」が存在すると、彼女の「厚み」が変わってくる。
 絵に描いた餅じゃないの。わたしたちと同じ、「人間」の女なの。
 恋もするし、セックスもする、ふつーの女。「劇画の中の主人公」ではなく、生身の女として、そこにいる。

 
 もちろん、「今宵一夜」以前も、すげーよかった。
 普段は強い女性、だからこそ、彼女の「女の子」の部分が垣間見える瞬間が、とてつもなく魅力的。

 フェルゼンに「もしかして、君は僕のことを……」と隠していた恋心を指摘されるところ。
「ちがいます」
 と、必死に言うオスカルの、大きな瞳が潤んでいるのを見て、こちらも胸が詰まる。
 うわ、泣いちゃうよ泣いちゃうよ、この強く美しい人が。
 否定して、強がって、真正面を見据えて背筋を伸ばす「軍人」「男として生きる」彼女の瞳に盛り上がる涙。

 なんなの、この痛々しさ。

 誰か彼女を抱きしめてあげて。……そう思って、ハンカチ握りしめちゃうよ(笑)。

 そんな、ぎりぎりのところで強がって生きている女の子が、自分をずっと見守っていてくれた幼なじみの男性に身をゆだねる。
 それまでの彼女の強い姿、そのくせ傷ついていた姿を知っているだけに、「初夜」を前にした「女」としての恥じらいやとまどい、おびえと陶酔を見せつけられると……どどどどーしよー、すげーエロいんですけど。
 対するシイドレは、そんな処女の繊細な機微に気づくよーな男ではないが(笑)、大丈夫、愛情とやさしさだけは持ち合わせている。安心していいよ。この男となら、きっとしあわせになれる。
 と、はじめて知る男の腕に抱擁におびえ、身を固くしているトウカルに、教えてあげたい(笑)。
 大丈夫。君は、しあわせになれるよ。しあわせになるべき人だよ。
 心からそう思い、「うわっうわっ、これからやっちゃうんだ、やっちゃうんだなどーしよー!!」と、オペラの視界が地震を起こすほど動揺しながら、暗転を迎えたのですよ、わたしは(笑)。

 えーいっ、アンドレのしあわせもの!! あんないじらしい女の子(しかもヴァー……いかんいかん、自重)をモノにしやがってぇー!!

 そして。
 翌朝。

 わたしたちの前に姿を表したオスカルは。

 まぶしいほど毅然としていた。

 きらきらしていた。
 魂が、足場を確立し、力強く輝いている。
 危なっかしかった女の子は、もういない。彼女はもう、迷わない。
 男の腕の中でおびえていたあの女の子が。
 愛を知り、性を知り、ひとりの人間として女として、ここにたどりついた。

 ここまできたんだ……!

 彼女は、ここまできた。
 さんざん迷って、傷ついて、そしてたどりついたんだ。悩み抜いてボロボロになって、そして得た輝きなんだ。
 ここ、てのは場所ではなくて。
 魂のいる階層というか。

 すべてのものが、彼女をここへ導いた。
 すべての人、すべての出会い、すべての痛みやかなしみ、よろこびや愛情、なにもかもが、無駄ではなかった。
 彼女は、ここ、に、たどりついたのだから。

 オスカルの美しさが、その迷いない毅然とした態度が。
 なんかもー、見ていて泣けてきて。

 ひとりの人間の、魂の成長、カタルシスを見せてもらった。

 ひとは、ここまでくることができるんだ! みたいな。

 闇を突き抜け、自分の力で光を掴んだ女性。
 もー、ここでENDマークでいいよ、ってくらい、輝いていた。

 でも、ご存じの通り、物語はまだ先があって。
 迷いなくブイエ将軍に絶縁と王家への反逆を宣言したオスカルは、戦いに身を投じることになる。
 彼女の目の前でアンドレが殺され、彼女自身も戦場で散ることになる。
 アンドレの最期に取り乱す姿、そのくせ立ち上がり、軍人としてバスティーユ攻撃の先陣を切り、銃弾倒れるその壮絶な最期まで、痛々しさ全開。

 その直前の、魂の輝き、幸福感がすさまじいだけに、直後の悲劇が際立つのなんのって。

 もう見飽きたバスティーユなのに。
 今回星も雪も、さんざん『ベルばら』を観てきたのに。

 はじめて、「バスティーユ」で号泣した。

 あんまり泣きすぎて、幕が下りたあとも芝居に戻れなかった。すずみんがなにか言ってるし、ワタさんとなにか話しているんだけど、耳に入らなかった。
 しばらく、そのまま泣いてた。

 ……立ち直れたのは、牢獄のシーンになったころかな(ダメぢゃん)。

 
 なんか、やっぱしバランス壊しているよーな気もするなー、トウカル……(笑)。
 盛り上げすぎっていうか。

 なんにせよ、すごすぎるよトウコ。
 演技は相性だから、ソレがよくない人にはまったく通じないと思うけど。
 わたしはトウコちゃんとは相性いいので、もー感動しまくりだよ。あーもー、トウコすげートウコ大好きートウコエロエロ〜〜。

 でもって。

 フィナーレの「薔薇のタンゴ」がまた、新鮮な衝撃でした。

 あのけなげでかわいー女の子が、男になって、
   「オラオラオラ〜〜ッッ!!(巻き舌)」って言ってる……!

                               (白目・背景ベタフラ)



 『ベルサイユのばら−オスカル編−』、役替わりによる3人のアランを一通り見た。

 といっても、わたしは「アンドレ役替わりコンプ」を優先にしているので、現時点で水を3回、キムを1回、ヲヅキを1回見ただけだが。

 
 基本はなんといっても水アランだ。

 文句なしにカッコイイ。
 はまり役だよね。ねっ。
 ちょい悪で、ワイルドで男前。あとはポスター並に軍服を着崩してくれたら最高なんだが(笑)。

 どんなに荒っぽく作っていても「二枚目」の範疇を決して逸脱しないこだわりが見える。
 「悪」のよーに登場しても、「悪人」には絶対見えない。見えてはいけないことを知っているんだ。
 「アラン」としての正しいキャラクタぶりが、心地いい。いい仕事してるなあ、水夏希。

 
 それに対して、キムアラン。

 ……この子に平均的な身長があれば、いったいどうなっていたんだろう。と、今回改めて思った。

 幼く見えるというのは、両刃の剣だよなあ。
 少年っぽさは武器になるが、「大人」に見えないのは大きな弱点だよなあ。
 舞台である以上、重要なのは顔立ち云々ではなく、2500席ある客席からどう見えるかであって、先入観のない一般客が判断すればいいだけのことなんだけど。
 それはわかっているのだけど。
 わたしがキムアランを見たのは、1列目観劇のとき1回だけなんだよね。
 近くで見ているとどーしても、演技以前にそのかわいい顔や若々しい持ち味が視界を奪うのよ。アランという役とキムという役者のギャップにとまどうのよ。

 アランはたしかに「年下の男の子」なんだけど、それにしても若いなー。思わせぶりに声だけ響かせたあと大仰に出てくるのが小柄な男の子だってのは、視覚的につらいなー。

 とゆー、どーにもならない違和感を、とりあえず棚上げしておいて。

 黒いアランだった(笑)。

 だってこの男、いろーんなとこで笑ってるんだもん。
 相手が真剣に話していたり、場が緊迫しているしているときにだよ、キムアランは笑ってやがるのよ。

 ニヤニヤと、高みの見物。
 あのぶあつい唇をゆがめて。おもしろいものを見る目で冷笑してやがるのよー。

 性格わるっ!!(笑)

 水アランが怒って凝視しているようなところで、ニヤニヤ笑いしてんだもんなー。ひでーよなー。
 好きだけど、そーゆーとこ(笑)。

 外見が若く見えてしまうというマイナス面を、精神的に大人の男であるという演技で補おうとしているんだ。
 自分が関わっていることでは怒ったり怒鳴ったりするけれど、傍観者の場合はいちいち感情的になったりせず、黒い笑いを浮かべて成り行きを見守っている。
 青くないんだぜ俺は、な感じが実にイイ。

 こうやって、弱点を踏まえた上で、それでも負けずに役を作ってくる。
 この子がもし、恵まれた体格を持っていたら……せめて平均の身長ならば。
 どれほどのものを、見せてもらえたんだろう?
 そう思うと、せつない気持ちになる。
 もちろん、今の体格だからこそ、彼がここまで奮闘しているのかもしれない、恵まれていたら素質にあぐらをかいて成長していなかったかもしれない、ということもわかったうえでな。

 キムくん……身長伸びないかなぁ。この子に身長さえあれば、もっともっと役の可能性が広がるのにー。くやしー。

 
 と、本公演のアランたちがいて、たった1回の本番しかなかった、新公のヲヅキアラン。

 水アランが萌えだし、キムアランの黒さも好き。
 でも。

 
 わたし、キャラ的にはいちばんヲヅキアランが好きだ。

 あの武骨な誠実さがね……。ヲトメ心直撃なのよ。

 水アランが怒り、キムアランがニヤニヤ笑っているところで、ヲヅキアランは沈鬱にさえ見える真剣な眼差しをしている。オスカルがブイエ将軍とやりあったりしているところね。
 誠実に正しい意見を口するオスカルと同調してテンションを上げる水、「へえ、結構言うじゃん」てなふーに笑うキムも、好きだけど。

 そう言うオスカルの胸の痛みまで思いやっているかのよーな、痛みをこらえているかのよーな、真剣すぎる目でオスカルを見つめ続けるヲヅキが、好き。

 出来事に対して、どんなリアクションを取るか。
 それで、性格って出るよね。

 目の前に派手に転んだ人がいるとして。

 その滑稽さを笑う人、ツッコミを入れる人、囃し立てる人、心配する人。
 水アランなら真っ先に「大丈夫か」と助けに行き、キムアランなら悪意ではなく親しみから皮肉なことを言い、ヲヅキアランなら、黙って眉をひそめるんだろう。転んだ人の痛みを想像して。

 そーゆー妄想をしてしまえるくらい、ヲヅキアランが好きだー(笑)。
 
 ま、1回こっきりで2度と会えないとわかっているから、余計に妄想をたくましくしている可能性はある(笑)。

 
 と、3人のアラン語りをしたので、次はもうひとりのアラン……安蘭けいのオスカルの話でもするかなー。


 去年わたしは、ポケットカレンダーを入手しそこなった。
 買えたのは、最初に発売されたトップスターの分のみ。ゆーひくんはあとからでも買えたけど、水くんとか檀ちゃんとか買えなかったよぅ。現物を見ることさえできなかったよぅ。

 つーことで今年は、とても気合いを入れてのぞんだ。
 水くんを買うぞ買うぞ、買うぞってば。そりゃ、まっつのポケカレがあれば、どんなに微妙写真であっても鼻息荒く買うだろーけど、出てないし。水くんとゆーひくんは絶対買うのよ、なんだって。
 発売日に駆けつけましたよ、キャトルレーヴ!(ちなみに日比谷シャンテ店)

 でもって、アレもコレもとやっていたら、ポケカレばかり6枚、6人分……。
 カレンダーとして持ち歩けるのは何枚かしら。去年は結局トド様を持ち歩き、オサ様をPC横に飾っていたんだけど。

 今現在、PC横に飾ってあるのは2枚。コム姫@銀の狼、水くん@銀の狼。
 ええ、ペアですよ。とーぜんですよ。水コム! 水コム!

 つーことで、今回は水コム萌え話(笑)。

 アラン@水×オスカル@コム。

 
 なにしろ今回の『ベルサイユのばら−オスカル編−』は、アンドレの比重が軽すぎる。いてもいなくてもいいような扱い。
 しかもオスカルやってるのがコム姫だから、基礎体温低すぎ。ちっともアンドレを必要としているように見えない。自分ひとりで、なんの問題もなく生きていけるキャリアウーマンだ。

 こんなオスカルだからさー。
 アンドレ以外の男と萌えても、仕方ないよねー(笑)。

 もともとアランっつーのは、オスカルを愛してしまう役だ。年下のやんちゃな男の子。好きな女の子をついいじめてしまうタイプのガキ大将。
 この素直じゃない男が、うっかり恋してしまう女上司。反発が大きければ大きいほど、ハマるときは激しくて。
 原作のアランは大好きです。作品中でいちばん好きだなー。どさくさまぎれの無理矢理チュー(バックに花)とか、ロマンですわー。

 そもそもアランは、「オスカル隊長命」のキャラ。
 そして、オスカルは……。

 本来のオスカルはともかくとして、今回のコムカル。あまりにクールでオトコマエ。余裕の笑いでアランたち荒くれ男に対峙する。

 なにが愉快かってさー。
 植爺は植爺だからなにも考えてないんだろうけど、今回の脚本、正しいアランの落とし方って感じになってるのよー。

 ファンファーレ付きで大仰に、主役のひとりです、というように登場したアラン。さんざんオスカルに噛みつき、ついには決闘になる。一騎打ちの末、アラン敗北。
 負けたことも屈辱なのに、間髪入れずオスカルは彼を手当してしまう。しかも、アランの腕前を誉めながら。
 そして、地面に落ちているアランの剣を拾うのはオスカル。握りの部分をアランに向けて差し出す。……これって屈辱だよね?
 前の隊長の顎を砕いてやったとか言ってアランは威嚇しているのに、オスカルは動じない。きれいな笑顔を返す。
 エリート士官が左遷されてやってきたに違いない、痛いところを突いてやろうと思って、「なにをやらかして衛兵隊に来ることになった?」と問えば、やはり返るのは余裕の笑顔だ。
「お前のような男に会いたかったからかもしれない」
 俺? 俺かよ?!
 さらに追い打ちだ、動揺する心を悟られまいと、「いつか刺し殺す!」と脅してみたのに。
 それでも彼女はわらうのだ。
「お前になら、刺し殺されても恥にはならん」
 俺になら、殺されてもいいってか?!!

 アラン青年、恋に落ちるの図。

 まさに「正しいアランの落とし方」、たたみかけるよーに口説き文句の猛ラッシュ。

 お、おもしれー。
 最初に観たときから、大爆笑。

 植爺だから、原作にある台詞のパッチワークなんだけど、使い方と演出がねー。そのうえ、役者のキャラがねー。
 なにしろ本来一緒にいるはずのアンドレがいないからねー。オスカルひとりで、口説き文句羅列してるんだもんねー。

 コムカルがあまりにクールでおびえも迷いもなく、晴れ晴れとした笑顔でアランに対しているのがすごい。
 そしてアランくんがいちいち派手に反応するんだわ。
 百戦錬磨のおねーさんと、うぶな不良少年のやりとりみたい。

 とくに、この台詞のコンポはすげー破壊力だ。クリティカル連発、即死もの。

「お前のような男に会いたかったからかもしれない」
 ズキュン。
「お前になら、刺し殺されても恥にはならん」
 ズキュン。

「あなたのような人に会うために、ここへ来たの。あなたになら、殺されてもいいわ」
 年上の美女に会うなりこう言われて、正気でいられる男がいるか?(笑)
 出会ってわずか十数分の間に、ものすげー濃度で口説かれてるからなー、アランってば。

 次のシーンではご丁寧に、アランの妹と母が登場。
 ブロンドにあこがれているミーハー娘(のーみそ軽め)の妹はともかくとして。
 口うるさい母まで、オスカル嬢を認めた?!
 嫁姑の問題解決? 彼女ならOKってわけですか、おかーさん。
 家族思いのアランの、最後のきっかけ。母の歌う子守歌が、ポンとアランの背中を押した!(笑)

 Fall in LOVE、そして彼は恋に落ちた。

 
 すげーよ、この脚本。
 おもしろすぎ。

 そしてナニがたのしいかって、こんなふーにアランをめろめろにするHOW TOぶりを極めていながら。

 コムカルに、まったくその気がナイこと。

 ハタから見りゃ、「ヲイヲイ、それは男をオトすつもりでやってるとしか思えないぞ?」な思わせぶりすぎる言動なのに、コムカル的にはそんなつもりはまったくナシ、口でいろいろ言ってはいるけど、どっから見てもアランに興味なさそーなのが、丸わかりなのが、もお……っ!!

 コムカル素敵! 魔性の女!!(笑)

 うるさいお目付役のアンドレに、わざわざ「ついてくるな」と言ったんでしょ? だからアンドレは衛兵隊にはいないのよね? 馬丁のニコラスも遠ざけているんでしょ? 1幕ではそーゆーことになってるわよね。

 好みの野性的なイケメンたちに囲まれてしあわせ。出勤するのがたのしいわ! と、羽を伸ばしまくっているよーにしか思えませんけど、オスカル様。
 それくらい、たのしそーなさばさばした笑顔だよね。

 
 だもんで。

 わたしとしては、アンドレはこの際どーでもいいから、アランとオスカルのラヴストーリーが見たくてしょーがありません。

 オスカルの思わせぶりな言動のひとつひとつに揺れ動くアラン。強引に出てみてもかわされるし、かといって無視していると絡んでくる。あの女は、いったいなにがしたいんだ? 俺を弄んでたのしんでいる?!
 やきもきしつつも、彼女から視線がはずせない。腹が立つ、苛立って仕方がない……のに、彼女のことしか考えられない。
 かけひきと、純情と、仕事と、立場と。
 ベタベタコテコテに、ラブロマンス希望。
 オスカルに誘われて、1回ぐらい勢いでヤッちゃうとたのしいですな。
 なのに翌日、彼女はなんの変わりもなく上官として隊にいて。クールで。美しくて。
 あれは夢? いや、そんなはずはない……しかし。
 翻弄されるアラン。
 オスカル的にはホレ、衛兵隊のリーダーである生意気男を喰っちゃった方が、これから楽だし、程度の気持ちでいいから(笑)。あの不敵に笑うコムカルなら、それくらいの度量ふつーにありそうだし。
 低温に鬼畜な美女を、どうやって振り向かせるか。男アランの腕の見せどころ。バカにされたままでなんか、引き下がれない。
 さて、このふたりにハッピーエンドはありえるのか?

 ……パラレルストーリーとして、真面目にパロ小説書けそうだよ(笑)。
 オスカルが、アンドレではなくアランと恋に落ちる物語。

 原作では、アランはアンドレとも友情で結ばれているので、仁義に厚い彼は友だちの恋人に手を出すことはしなかった。(いや、ぶち切れてチューだけしてたけどな)
 しかしホレ、植爺版ペガちゃん飛ぶよな今作では、アンドレは衛兵隊にいない。隊が平和になってからのこのこ現れていいとこ取りするだけの男だ。アランの友人になりようもないし、そんな男がいることすら、1幕のアランは知らないわけだよ。
 オスカルは、単身衛兵隊へやって来た。まったくのフリーの妙齢の美女だ。
 アランが本気になって恋愛しても、不思議じゃないさ。

 歴史の渦の中で、このふたりはどんな恋を展開しただろう……そう思うと、ものすげー、たのしい。


 雪組『ベルサイユのばら−オスカル編−』第2幕を、自分の萌えを踏まえて、ストーリーの大改造をやってみる。
 1幕のときと同じく、「時間制限」を無視するのはフェアではないと思うので、植爺版と平行して書いてみる。
 「数字・場所。」と表記しているのが植爺版。そのあとに「↓私案」と書いてあるのがわたしの妄想。交互に出てくるから、混乱せずにヨロシク。

 
1・衛兵隊。
 みんなそろって訓練中。何故か豪華な軍服にマントをひるがえすアンドレもいるぞ。ブイエ将軍の一喝で、これが訓練だとわかったが、はじめて観たときゃあたしゃ、「遊んでる」と信じてたねー。だって踊ってるんだもん(笑)。その前のシーンで近衛兵が歌い踊っているのは「遊んでる」ことになっていたし。
 オスカルとブイエ将軍の会話も変だが、そこに乱入してくるジャルジェ将軍との会話はもっと変。原作の無意味なパッチワークだから、破綻しているのなー。
 ジャルジェ将軍はオスカルに「ジェローデルと結婚しろ」と命令する。アンドレ、がーーん。

 ↓私案
 仕方がないのでほぼそのまま。会話をなんとかしたいけど、わたしの基本スタンスは「本編はできるだけ変えない」ことだから。このスタンスを無視するなら、こんな「部分的私案」とか言ってないで、最初から全部書き直すわ(笑)。
 つーことで、ブイエ将軍との変な会話そのまま、乱入してくる変人ジャルジェ将軍もそのまま。ただ、衛兵隊たちを解散させるときに幕が閉まり、幕前芝居になる。オスカルとアンドレ、ジャルジェ将軍とジェローデルの4人が残る。
 「ジェローデルと結婚しろ」「このジェローデル少佐は家柄といい身分といい云々」と言うジャルジェ将軍。アンドレ、がーーん。そそくさとひとり退場。

2・幕前と銀橋。
 オスカルの結婚話に大ショックのアンドレ。毒殺を決意。ソロ。

 ↓私案
 幕前芝居の続き。
「命令だ。少しも早くジェローデルと結婚しろ」「はぁ? なんでわざわざジェローデル限定?!」「それもそうだな。それなら盛大に舞踏会をして、花婿を捜そう!」「なんですとっ?!」−−パパとオスカルが会話している最中に幕が開き、そこはジャルジェ家の居間になる。パパとオスカルとジェローデルとで、屋敷で話しているとゆー設定。だって道端で結婚話もないもんだよ。
 単体の結婚話が一大イベントに発展してしまい、オスカルとジャルジェパパは口論しながら退場。ジェロひとりが残される。

3・オスカルの部屋。
 なんか気味の悪い母娘の会話。今君たちが話すべきなのは、ジェロとの結婚話のことだろう。ソレを話さずにどーでもいいことを話しているから余計に気持ち悪い。
 アンドレ登場、毒殺未遂。「お前を愛していたんだぁっ!!」……いやソレ、犯罪だから。

 ↓私案
 ジャルジェの居間の続き。お茶を持って現れたアンドレ、どーやらオスカル縁談話が気になってメイドの仕事を横取りしたらしい(笑)。ところが居間にはもうジャルジェ将軍もオスカルもおらず、ジェローデルだけ。
 持ってきた3人分のお茶をテーブルに並べていると、ジェローデルが話しかけてくる。「結婚後もオスカルの側にいさせてあげるよ、フフフ」アンドレ、ぶちキレてジェロの顔にお茶をかける。「そのショコラが以下略」
 銀橋へ出て、愛と絶望を歌う。毒殺決意。

4・幕前。
 ダグー大佐とジェローデルのアタマの悪い会話。だってまったく同じ会話をさっきもしていたよな? そして、パリ進駐のことについてだらだら話す。
 オスカル登場、ジェローデルの「身を引きましょう」。オスカル、銀橋ソロへ。

 ↓私案
 オスカルの居間。母と姉との会話はCUT。心からいらん。オスカルがひとりでバイオリンを弾いている。そこへ現れたアンドレ、「舞踏会の準備は進んでいるのか?」てな会話をしながらワインに毒を。でもって怒濤の告白へ。

5・衛兵隊。
 パリ進駐のことで大騒ぎ。てゆーか兵士の家族たち出過ぎ。うぜー。夫や兄の職場に押しかけてナニやってんだこいつら。ありえない。
 オスカルへの兵士たちの不信感もものすごい。こんなんでどのへんが心酔しているんだ。現れたオスカルが一喝。「従いましょう、あなたの指揮なら」

 ↓私案
 お楽しみの舞踏会だー。花道に登場した貴婦人@美穂圭子女史のソロからはじまる(笑)。彼女の歌の途中から貴公子たちがぞろぞろ幕前に登場、「オスカル様のドレス姿たのしみだー」とかなんとかのーてんきにざわざわ。反対側からは淑女たちの群れ。「オスカル様結婚、断固反対!」彼らとは一線を画し、余裕のジェローデルも登場。
 幕が開き、ジャルジェ家の広間。集まった人々の前に、超美男子のオスカル様が!(笑)
 オスカル様、マドモアゼルたちを次々に口説き、チューしてオトしまくる!!
 衛兵隊のみんなも登場、舞踏会はめちゃくちゃ、オスカル様の高笑いで終了。

6・ジャルジェ家の廊下
 ジャルジェ家の人々勢揃い。ましてもパリ進駐の話をぎゃーぎゃー。勘弁してくれよ、同じ話、3回目だよ。

 ↓私案
 舞踏会、オスカルの高笑いから幕が閉まり、オスカルとジェローデルのふたりきりになる。
 でもってここでパリ進駐の話をする。舞踏会をめちゃくちゃにしたことで結婚話はお流れ、オスカルは予定通り近日中に衛兵隊を率いてパリへ出動すると。
 でもジェローデルだけはめげていない。舞踏会が失敗に終わった以上、正式な求婚者は自分ひとりだと食い下がる。が、オスカルはアンドレの話をしてジェローデルの求婚を断り、ジェローデルの「身を引きましょう」になる。オスカル、銀橋ソロへ。

7・オスカルの居間。
 まずはばあやとパリ進駐について話し、次にロザリーの襲撃、これも名目はパリ進駐の話だし、それからアンドレとの「今宵一夜」と大忙し! いったい何回パリ進駐の話した? 「危険」「心配」「矢面」もー飽き飽き!

 ↓私案
 オスカルの居間。ばあやとは話してもいいが、ロザリーの夜這いはいらん。てゆーか、あってはならない、あんなもの。
 まっとーに「今宵一夜」。すでにこの「今宵一夜」は時代遅れもいいところだと思っているが、わたしの基本スタンスは「本編はできるだけ変えない」だから、そのまま。

8・幕前
 出たぞ、ジャルジェ家の人々。またしてもパリ進駐の話。心配したり泣いたり。出動する衛兵隊を見送っているのだが、泣きが入りすぎ。

 ↓私案
 ロザリーの銀橋ソロ。ヲトメの祈りの歌詞ちがい。オスカルの身を案じながらも、信念に生きるあの方ならきっと悔いのない選択をするだろう、わたしはそれを信じている、みたいな意味のことを台詞と歌で。

9・パリ市内。
 ベルナールとロザリー。夜這いで言った台詞と同じ台詞を今度は夫婦で繰り返す、大変恐ろしいシーン。
 次に衛兵隊とその家族と街の人々。5のシーンでもかわしたよーな会話を、また繰り返す人々。勘弁してくれよ。同じ会話しかできないのか。ジャルジェ家の人々といい兵士の家族たちといい、家族がらみのシーンは全部無駄な重複と無神経な歪みに充ちている。
 ブイエ将軍登場、市民への発砲を命令。オスカル登場でソレに反逆、衛兵隊は平民側につくことに。
 見晴らしのいい橋の上のアンドレ、そりゃ撃たれるだろうよ、というところで撃たれて死ぬ。

 ↓私案
 銀橋から本舞台へ来たロザリー、現れるベルナール。ほぼ「9・パリ市内。」と同じ。
 1幕で衛兵隊家族の話を省略しているので、ここでも家族たちによるまちがった人情劇はない。兵士たちに詰め寄る民衆たち、というだけ。
 アンドレの死に方はまぬけすぎると初見のときから思っているが、基本スタンスは「本編はできるだけ変えない」だから、そのまま。

10・バスティーユ
12・天国
 そのまま。
 ガラスの馬車も天国も、わたしは嫌いだし、いらないと思ってるけどね。基本スタンスは以下略。

 
 各場面の長さはまちまちだから、植爺版とそのままリンクしているわけでもない。でも、ここは長くなってるけど、かわりにここが短くなってるから、てことで、トータルしたら同じ枠に収まると思う。
 「家族」の話を全CUTし、かわりにオスカルの恋愛話を入れれば、こんなに華やか。
 なにしろ「家族」たちときたら「パリ進駐」の話しかしないから、出てくるときはいつも同じ話、しかもいつもヒステリー状態。ジャルジェ家の人々にしろ兵士の家族にしろ。重複会話はやめてくれ。うざすぎ。
 そんなもんで娘役の出番を作らなくても、オープニングと婿探しの舞踏会でチャラだ〜。

 あー、オスカル様の婿探し舞踏会、コムカルで見たかったよー。


 そーいや、カウンタの「777777」を自分で踏んでやろうと狙っていたのに、ぜんっぜんダメだったなー。最近わたしの予想をはるかに超えて回ってますよ、カウンタ……。
 1日のカウンタ数の3分の1くらいの人は、読んでくれてるのかなー。笑われているだけという可能性も……ゲフンゲフン。

 
 『ベルばら』史上最高峰だと思える、素晴らしいキャスティングの今回の雪組『ベルサイユのばら−オスカル編−』
 せっかくの萌えキャスティングなんだ、萌えシーンを観たいじゃないか!

 今回語る萌えポイントは、ジェローデル@かしげ。

 かしジェロいいよなっ! 最高だよなっ! 美しいわ、貴公子だわ、うさんくさいわ。
 もー、地団駄踏みたいくらい素敵。

 かしちゃんに、ひざまずかれたい!

 王子様コスプレのニコリともしないかしげに、目の前でひざまずかれて、手を差しのべられてみろ。腰砕けるぞ。ふにゃふにゃになっちゃうぞ。
 最初にジェローデルの「身を引きましょう」を見たとき、悲鳴あげそうになったよ。あんまりにも胸キュン(笑)で。
 うおー、かっしー素敵〜〜。ヲトメの夢の具現だわ〜〜。

 こんなにこんなに素敵なのに、かっしーてば出番少なすぎ。ジェローデルの使い方無駄すぎ。わたしならもっと出番増やして、萌えシーンつくるのに!

 
 そのかしジェロで見たい萌えシーン。

 アンドレにショコラをぶっかけられるジェローデル。

 
 自信満々にオスカルにプロポーズしたジェローデル。アンドレがオスカルを愛していることを知りながら、いかにも寛大なお貴族様ぶる。

「ぼくにも、妻を慕う召使いを妻のそばにつけてやるくらいの心の広さはあるつもりですよ、ふふふ」
 てなナニサマ発言にキレたアンドレが、持っていたカップのショコラ(飲み物な)をジェローデルの顔にぶっかけるの。
「そのショコラが熱くなかったのを幸いに思え!」
 ってな。

 このシーンを、ジェローデル@かしげ、アンドレ@水で見たい。

 見たいー見たいー見たいー。
 萌えー萌えー萌えー。

 と、kineさんとふたりでゆーとったんですが(笑)。

 いかにもお貴族様で高慢なジェローデル、しがない平民のアンドレ。ここまで言われたアンドレだ、オスカル毒殺まで思い詰めても仕方ないか、というか。
 ジェローデルのモノになったオスカルを、これからもそばでずーっと見ていろ、とジェロつんは「親切で」言うのですよ。なにしろ彼は「心が広い」そうなので。

 もちろんこの台詞は、ジェローデル的「牽制」だったと思う。ジェローデルはフリフリフリルなお貴族様男でありながら、ナニ気に聡明だ。
 アンドレがオスカルの「分身」であること、引き離されてはオスカルが「オスカル」でありえないことを薄々気づいているからこそ、あえて言っている。
 恋の駆け引き、アンドレを恋敵として認めた上で、精神戦を仕掛けてきているのに。キレて飲み物をぶっかけるなんて、アンドレ小物。まあ、彼の立場では無理もないが。

 ジェローデルにはとことんキザに、お貴族様的に、攻めてほしいのですよ。
 アンドレ@水を言葉責めするジェローデル@かし……見たい……ハァハァ。

 特出アンドレのときは、ワタさんを言葉責めするかっしー、とか、オサ様を言葉責めするかっしーとか、あさちゃんを以下略とか、それはそれでたのしいものが見られると思うし……ハァハァ。

 ジェローデルといえば、オスカルを口説くシーンしか見せ場がないと思ってないか? 彼の素敵シーンはけっこー他のところにあったりするのだ(笑)。

 
 そして、ジェローデルのプロポーズ事件でいちばんオイシイのは、なんといってもオスカル様の花婿探し大舞踏会だろ?

 『シンデレラ』の王子様の花嫁探しの逆バージョン。
 女性としてのオスカルに求婚したい男たちを一堂に集め、オスカル自身に選ばせる、という催し。
 ジャルジェ将軍の命令で、オスカルは最高のドレスを仕立てて舞踏会に出なければならない。

 が。
 オスカルはもちろん、そんなもんに従いはしない。
 さいこーーに素晴らしい男性用の礼服を仕立て、花婿探しのはずの舞踏会で男たちを無視して、女の子たちと踊りまくる。
「そんなにかたくならないで、かわいい人」
「このさくらんぼのような唇を盗んでも罪にはならないだろうか」
 などとゆー歯の浮きそうなキザ男台詞オンパレードで!!

 オスカル様にぽわわんとなった女の子たちにキスまでしちゃうんだぞ?! しかも手当たり次第だぞ?!

 そこに衛兵隊のみんなも乱入して、舞踏会はしっちゃかめっちゃかになる。

 コムカルで見たい。

 女の子たちを次々と抱き、キザ台詞並べ立てて口説き、チューするコムカル!!

 見たい〜〜ハァハァ!!

 この花婿探しの舞踏会があれば、娘役たちの出番も一気に解消だ。輪っかのドレスもいっぱい、画面も派手だ。何人もの娘役が、トップ様と踊って、チューしてもらえるんだよ? あいようこおねーさまだって、コムカル様にキスしてもらえるかも?!

 このバカ騒ぎの中、他の男たちがあきれて文句を言っているというのにただひとり、着飾ったジェローデルは「フフフ」と大人の笑いを浮かべているのよ。ええ、彼も舞踏会用にめっちゃ気合い入った衣装を仕立てて着ているのよ。軍服着たきり雀のジェロなんてジェロじゃないわー。

 今のままじゃ、ジェローデルの出番少なすぎ。かしちゃんがもったいなさすぎ。
 とことんキザでかっこいージェローデルが見たいの。
 そして、とことんオトコマエなオスカル様もなっ。

 なんで植爺は、原作のオイシイところを全スルーして、つまらないものを作るんだろう。
 男尊女卑のじーさんのツボと、現代女性ツボがチガウのは当然じゃないか。いい加減にしてほしい。心から。

 
 とゆーことで、翌日欄に以上のことをまとめたうえでの「第2幕」の私案を書く。


 雪組『ベルサイユのばら−オスカル編−』を、自分の萌えを踏まえて、ストーリーの大改造をやってみる。
 「時間制限」を無視するのはフェアではないと思うので、植爺版と平行して書いてみる。
 「数字・場所。」と表記しているのが植爺版。そのあとに「↓私案」と書いてあるのがわたしの妄想。交互に出てくるから、混乱せずにヨロシク。

 
1・オープニング。
 大階段使って意味のない長さ、キャラ配分。涼風オスカル編のときもそうだったが、こうでもしないと『ベルばら』=輪っかのドレスという図式に足りなくなるらしい。

 ↓私案
 某貴族の舞踏会シーン。派手に歌い踊り、ここでオープニングを兼ねる。輪っかのドレスもたーっくさん。オスカル様も舞踏会衣装でキッラキラ。アンドレもロザリーもいいお衣装でキッラキラ。ジェローデルもキッラキラ。銀橋も使ってひたすら派手に。
 そこに「黒い騎士が出たぞーっ!」で大騒ぎ。ロザリーがなんと人質に!

2・ジャルジェ家の庭。
 あいようこおねーさまのきょうふしーん。キモい幼児喋りの女たちと、無用に長いジャルジェ氏の語り。アンドレとオスカルの出会い。そのまま30年後にタイムワープ。ジェローデル登場ののち、オスカル銀橋ソロへ。

 ↓私案
 黒い騎士の隠れ家の牢屋で、ロザリーが回想する。「はじめわたしは、すべての貴族を憎んでいた……。そう、黒い騎士と同じように」(録音)
 牢屋は幕前、ロザリーは影武者でヨロシク。
 で、幕開いてジャルジェ家の庭。オスカルに剣を習うロザリー。「貴族が憎いのだろう? そんなへっぴり腰で貴族に殺された母の仇を討てるのか?」てな、余裕綽々に説明台詞(笑)をおっしゃるオスカル様と、逆ギレして泣き出すロザリー。
 姫抱っこ姫抱っこ!!
 オスカルにときめくロザリーに、理解者面で同類相哀れむアンドレのシーンを入れるもヨシ。
 回想終わり、ヲトメの祈りを歌っているところへ、オスカル様とアンドレ登場。ロザリー救出に隠れ家にやってきたのだ!

3・衛兵隊。
 ♪おれたちゃまぬけな衛兵隊♪ 「わたしを誰だと思っている」「このお方を誰だと思っている」二重台詞いらないから!のオスカル隊長初出勤の日。アランとの一騎打ち。

 ↓私案
 派手にチャンバラ希望、黒い騎士とその手下たちと、オスカル+アンドレ。戦いながら、「王宮の飾り人形!」「市民たちの貧窮を知ってて安寧としている貴族たちは、黒い騎士に襲われて当然だ」てなベルナール哲学を披露、オスカルがソレについうっかり聞き入ってしまったためにできた隙をアンドレがかばう。
 最終的にベルナール捕縛に成功。オスカルは彼を自分の屋敷に運び込むことにした。

4・ジャルジェ家。
 銀橋ロザリーソロから、ベルナールの演説、そしてやたら長くて長くて気が遠くなりそうな、無意味で害悪なジャルジェ家の人々の無駄会話。

 ↓私案
 ジャルジェ家に匿われたベルナールは、オスカルにフランスの現状を訴える。それを聞いて衛兵隊への転属を決めるオスカル。「以前から、ずっと考えていた……」と。以前から、がポイントね。ベルナールの説教で気が変わったのではなく、それはきっかけにしか過ぎない。オスカルはそれまでにちゃんと自分で考え、悩んでいたのだと。
 決意するオスカルは、ケガをしてベッドで眠っているアンドレの部屋で、ソレをひとりごととして言ってくれ(笑)。アンドレ、眠っているだけだから特出トップさんでも稽古時間を考えなくてすむよね(笑)。
 ジャルジェ家の人々が出てもいいが一瞬だけ、「衛兵隊? そんな危険なところへ!」とひとこと言うだけにしてくれ。モブによる状況説明は必要だが、植爺のはしつこくて長すぎるんだ。

5・ジャルジェ家の廊下。
 オスカルから「ベルナールと結婚しろ」と言われ、ショックを受けるロザリー。そして、妄想スイッチオン!! 長いよ長すぎるよ、いつまで妄想してんだロザリー!!

 ↓私案
 3・衛兵隊。を、無駄台詞をはぶいてコンパクトに。アンドレがいないのは、ケガをして家で寝ているせい。特出トップさんの稽古時間軽減のためじゃないぞっと(笑)。

6・ふたたび衛兵隊。
 無意味に音楽付きで登場するディアンヌ。無意味にうるさい女たち。オスカル登場で、子守歌ひとつですっかりその気。「フランスのために立ち上がろう!」「おおーっ!」……しあわせな人たちだ。

 ↓私案
 ベルナールと心を通じ合わせるロザリー。
 あー、このへんで「オスカル様がわたしに剣を教えたりしたのは、貴族への復讐を手伝うためではなく、憎しみだけで他が見えなくなっていたわたしを落ち着かせ、他のことを考える時間を与えるためだったのです」……母の仇を討って自分も死ぬ、そう言っていた自分は、なんと愚かだったことか。死んだ母もそんなことは望んでいない、てなことをベルナールに語る感じで入れておく。ロザリーもまた、最初は貴族を憎んでいたけれど、オスカルに会って変わった……ベルナールの今と同じ状況であることを、効果的に。
 ロザリーとベルナールの気持ちをお見通しのオスカルが、ふたりをパリへ解放してやる。
 ここでオスカルとロザリーのデュエットダンス。ひたすらゆめゆめしく、美しく。そしてそれは、ベルナールへパートナーチェンジすることで終わる。
 少女の時間は終わり、ロザリーは人生のパートナーを見つけて、自分の意志と足で、去っていくのだ。
「行ってしまった……わたしの春風……」
 とか言いながら、ソレを見送るオスカル様。

7・ジャルジェ家。
 すっかり忘れられていたアンドレ登場。ルルーとじゃれたりしているところへ、ジャルジェ将軍とジェローデル。「オスカルが心配だ」とバカのひとつおぼえの話をえんえん。アンドレは、「オスカルはこのアンドレが守ってみせます」と断言。

 ↓私案
 6・ふたたび衛兵隊。を、最初の女たちパートを縮めてコンパクトに。てゆーか、いらん、女たち。モブとして現れ、ひとりずつの台詞が聞き取れないくらいの扱いでざわざわしていればよし。
 ここで必要なのは、「兵士たちは、自分の食べ物を始末して家族に分け与えている。それくらい窮乏しているのだ」ということ。
 ディアンヌとその母は別にいてもいいけど、ファンファーレで登場する必要はないし、イザベルはいらない。アランに家族がいる、程度でいい。主題がボケる。
 オスカルがそれらすべてを知っており、そのうえで「フランスのために」と歌い、全員唱和でヨシ。

8・アンドレの妄想。
 ひとりになったアンドレが、はじめて会った日から今日までのこと、愚にもつかないことをぶつぶつ言う。「はじめて会った日」のことは、作品冒頭で長い時間を掛けてやってるんだから、またここで台詞で長々言わなくてもいいのに。
 挙げ句の果てには「俺には見える」とか言って、ペガサスにまたがったオスカルの姿を妄想する。
 クレーンペガちゃん登場! アンドレ正気か! それでいいのかアンドレ!!

 ↓私案
 ベルナールからオスカルをかばった傷が原因で、目が見えなくなりつつあるアンドレ。
 私案ではふたりの出会いをやっていないので、ここで「はじめて会った日」から今日までの話をえんえん台詞で言うのはアリ。花道登場でぶつぶつ台詞で言ってるうちに、本舞台の幕が開き、ジャルジェ家の庭で剣の稽古をする子ども時代のアンドレとオスカルがいる。
 そのままアンドレは銀橋へ、そこでオスカルへの愛を絶唱、本舞台では子役に変わって、現在の美しいオスカルが登場して幻想的に終わる。
 ……がのぞましいが、ペガちゃんを使わなきゃダメというなら、台詞だけそのままで、本舞台は8・アンドレの妄想。まんまにペガちゃん登場でどうだ!!

 ……おさまったな。私案でも、なんとか「時間制限」内に。
 削られた「ジャルジェ家の人々」「衛兵隊の家族たち」という娘役の出番は、オープニングの舞踏会シーンと、第2幕の舞踏会で相殺する。
 ええ、2幕にも舞踏会シーンを入れるのですよ。『ベルばら』といえば「輪っかのドレス」ですから! それを出さない植爺が変。

 1幕がロザリーの扱いについて、だったので、次は2幕、ジェローデルの扱いについて書く。


 植爺作・雪組『ベルサイユのばら−オスカル編−』がまちがいまくり、破壊されまくりなのは、宇宙の法則なので、もう検証するまでもないことだが。

 キャスティングがすばらしいのは、事実だ(除・栄養失調で入院するヲヅキ)。

 オスカル@コム姫、ロザリー@まーちゃん、ジェローデル@かしげ、アラン@水。
 オリジナルのあて書き作品?! てくらい、キャラはハマってるのよ。

 だから、くやしくてならない。
 今の雪組で、これほど贅沢な顔ぶれで、あんな超絶駄作しか創れない植爺が。

 オスカル編でロザリーの比重が大きくて、アンドレが他組トップ特出、組内2番手がジェローデルとアランをやる。……という縛りで原作を料理するなら。

 
 まず、ロザリーについて。

 ロザリーをあんな「自分のために他人を騙しても平気。ストーカーして夜這いも当然。キャハ!」な気持ち悪い女にすることが「ロザリーの出番を増やす」ことだとカンチガイしている植爺。
 アレで観客たる女性に、どんな夢を見ろと?

 コムカルとまーロザリーなら、いくらでも萌えシーンが作れるのにっ!! くそーっ。

 ロザリーの物語を書くなら、ネタはふたつある。
 ひとつは、言わずとしれた彼女の出生の謎、ポリニャック伯夫人ネタ。「首飾り事件」ほどサブストーリー色が強くないから、本筋に絡めて描くことが可能なエピソード。
 しかしこれは、宮廷とアントワネットを出さなければならないので、オスカル編には不向きかもしれない。
 もうひとつは、「黒い騎士」ベルナールとの恋愛だ。
 これをきちんと描けば、オスカルの信念や人格の説明にもなるし、ロザリーもおいしいはず。
 少女時代のあこがれから、ひとりの女として恋をする、ロザリーの成長物語として美しくまとめることができるはずだ。

 まちがっても、少女時代のあこがれと性愛を混同し、夜這いをかけるよーなロザリーにはしちゃいけない。

 トップコンビを絡めなければならない、というなら、その「ほんとうの恋」を知る前の、少女ロザリーと夢の王子オスカル様のふれあいを描けばいいのさ。

 わたしなら、ロザリーに剣の修行をさせるオスカルのエピソードを使うね。

 母の仇を討ちたいというロザリーに、剣を教えるオスカル。いかにも小手先で、あしらっているかのような教え方。とーぜんロザリーはうまくできず、庭の池に落ちて泣き出してしまう。
「オスカル様は、あたしをからかってたのしんでいらっしゃるんだわ!」
 キレて八つ当たりするロザリーを、有無を言わさず抱き上げるオスカル。
「誤解だ……からかっているだなどと……」
 それまでの余裕綽々な姿から想像もつかないほど、真剣な、誠実な顔で。
 姫抱っこして、言うんだよ?!

 だだをこねて泣くまーロザリー。それを強引に姫抱っこし、真剣な表情で見つめるコムカル。頬を赤らめるまーロザリー。

 み、見たいっ。
 見たいよ、コムまーでっ。

 コムカルに姫抱っこされて「誤解だ……」とか言われたら、もー他のなにを放り出しても信じちゃうって。「アナタについていきます」になるって。そうだろう?!(鼻息)

 その流れで、コムカルに恋の憧れを感じてしまうヲトメの祈りを一発歌えばいいんだよ、ロザリー。
 あんなに素敵なんだもの、ロザリーでなくても恋しちゃうって。

 
 ただ、このエピソードを入れるとなるとストーリーの大改造が必要で、時間配分がネックになるから、現在のプログラムと平行して考えてみようと思う。
 ……プログラム買ってないから、記憶のみに頼っての記述になるが。

 あの長い原作を2時間半に収めるのは大変、とよく言うが、「**編」と銘打ってポイントをしぼって上演するのは不可能ではない。
 植爺の構成力がおかしいだけで、他の人ならふつーにできるんじゃないのか?

 改稿を考える上でのポイントは、「無意味なシーンの削除」だ。

 今回の『オスカル編』第1幕の「出来事」は、「オスカル隊長が衛兵隊を掌握する」と「ロザリー嫁に行く」だけ。
 つまりソレ以外は削っていいんだ。

 いちばん無用なのが、「ジャルジェ家の人々」。彼らの出ているシーンを削るだけで、かなりの時間を別の必要なシーンに割り振ることが出来る。

 あと、どう考えてもおかしいのが、ディアンヌとイザベル。

 植爺のわかりやすくていいところは(わたしは好きではないにしろ)、主要人物登場を派手にするところ。
 こんなにたくさん人が出てくる舞台で、貧乏人だろうと殺し屋だろうとみーんなキラキラきれいな衣装を着ているこの舞台で、主要キャラと脇役を混同させずにアタマの悪い観客にもひとめで見分けさせる技。

 主要人物登場には、ファンファーレをつける。

「誰だ? 出てこい」
 とか、
「あ、あそこから**(人名)が!」
 などとやって、みんなの注意を促し、そのうえでジャジャーンとファンファーレを鳴らして、登場させる。
 植爺のお約束。

 今回このお約束で登場するのは、アンドレとオスカル、そしてアランと、ディアンヌ。

 ……ディアンヌ?

 どう考えてもおかしいだろうソレ! オスカルと同じ扱いなのか、ディアンヌ?

 答えは簡単。
 初演の涼風オスカル編のときのディアンヌは、トップ娘役の役だったからだ。

 植爺は過去の場面を使い回すとき、そのまま使うんだ。
 マンガのコマをハサミで切り取って別のマンガに貼り付けるように。
 前後のつなぎがおかしいことなんか、考えもしない。

 同じ場面を使い回すのは別にかまわないが、それならつぎはぎして変じゃないように、調整をしなくてはならない。

 涼風オスカル編とちがい、今回のディアンヌはトップの役じゃない。いなくてもいい役だ。
 そんな役のためにファンファーレはおかしいし、いちいち物語を中断してまで全員で注目させる必要はない。

 涼風編でディアンヌとイザベルが必要なのは、ディアンヌが途中で死ぬから、彼女亡き後に「平民側の可哀想な女の子」イザベルが必要だったためだろう。
 ディアンヌが自殺するエピソードを入れないなら、イザベルは必要ない。

 また、これはいつも思うことなんだが。

 植爺は、家柄にコンプレックスがあるのか?

 いつもいつも、無意味に「貴族」「貴族」と繰り返す。
 「貴族の生まれだと聞く」「貴族にあるまじきことを」「幽閉されているとはいえ、スウェーデン貴族の屋敷に」「由緒ある貴族の娘が」「フランス貴族として」……耳障りなんですけど。
 今回はベルナールやロザリーまで「わたしたちは貴族! 平民じゃないの!」と言い出すし。
 アランにしろ、二度も「貴族」だと繰り返す。「人間なのは貴族だけで、俺たちはそれ以下だ」と言わせ、「アンタだって貴族やってさっき言うてたやん!」と観客をわざわざ混乱させる。

 ここまで無意味に、害があるだけの「貴族」という言葉を繰り返させ続けるのは、精神的ななにかがあるせいじゃないかと思う。その言葉にこだわらなければいけないトラウマがあるとか。
 人は劣等感があると、それを隠すためにわざとソコにこだわるからなあ。

 ベルナールとロザリーに至っては、怒濤の説明台詞なんで、いくらそこで説明しても初見の観客にはなにがなんだかわかるわけもないんだから、そもそもそんな話をすることがまちがっている。

 アランが貴族なのに平民と同じ存在だということについては、説明すらない。それなら、貴族だって話は「なかったこと」にすればいいのに。アニメのアランがそうであるように。(ええ、アニメではアランが貴族であることは一切「なかったこと」になってるんですよ。彼は平民代表みたいなカオして生きてます)

 植爺がどうしても「アランは貴族」だと言いたいなら、説明会話を入れなくては。
「4代以上続いた貴族の家柄でないモノは、一切の昇進を禁止する」という規則があること。貴族社会すら、大貴族たちの地位を守るために回っていること。
 そんな現状で、アランの一家が「貴族」とは名ばかりの、平民以下の貧しい暮らしをしていること。
 この基本説明がないままに、「貴族VS平民」平民側リーダー・アランてのはおかしすぎる。

 植爺はほんとにアホだなと思うよ。……あ、シンプルに言っちゃった。

 ディアンヌとイザベルにしろ、ジャルジェ家の人々にしろ、無理矢理役を作っているんだろうとは思う。娘役たちに出番を与えるために。
 それはわかるが、間違ってるから。

 ジャルジェ家の人々のシーンと、ディアンヌとイザベル、そして衛兵隊の家族のシーンを削っても、他に出番を作ればいいだけの話だ。

 次の欄で、以上のことをまとめたうえでの「第1幕」の私案を書く。


 ちょっくらアサドレ見てきました〜〜。
 チケットなしで行ったから、どうなることかと思ったけど、無事にサバキGET。最初にS席手に入れて、次にB席手に入れて、SをさばいてBで観ました。
 雪組にはわたし、『ベルばら』なのにお金かけてるわ……B・A・S・B・Aで観てる。新公もSだったしな。アンドレ役への愛情度が現れてますな……この席種差(笑)。

 つーことで、4回目の『ベルサイユのばら−オスカル編−』、アンドレ4人目。

 なにがつらかったって、新公を観たあとの、最初の本公演だったのですよ、わたし的に。

 いらないシーン、いらない台詞ばかりで、うんざり。

 あの「史上最良」の『ベルばら』を観てしまったあとだから、つらいのなんのって。

 オープニングが終わって、あいようこおねーさまが登場した途端、泣きたくなったもの。こんなものを見るために、わたしは朝っぱらからこんな田舎までがんばってやってきたのかと。
 いやいや、脚本とキャスティングを憎んで、キャストを憎まず。あいようこおねーさまに罪はない。オスカルズをやっているまちかに罪がないように。
 悪いのはすべて、あいようこに幼女役をやらせたり、まちかおじさんにオスカルをやらせたりするスタッフサイドだ。

 それにしても、「幼女役のあいようこ」って、必殺技の名前にできそうなくらい、ものすげー響きだよなー。
 てゆーかあの役、別に「幼女」じゃないんだけどなー。中学生くらいでしょ、年齢。下手すりゃもっと上。あの時代なら結婚していてもおかしくない年齢のはず。植爺クオリティだからのーみそ5歳だけど。
 

 さて、月組トップスター・瀬奈じゅん様のアンドレ。

 印象は分をわきまえた、端正なアンドレでした。

 ワタドレほど男臭いわけでも包容力があるわけでもなく、オサドレほどイッちゃってるわけでもなく、ミズドレほどドリーム入ってるわけでもなく。

 少女マンガ的な、きれいなアンドレでした。
 かっこよくて、適度に熱があって、適度に男らしくて。
 うるさくもないし、暑苦しくないし、はき違えていないし。

 なんつーか、女の子が見て「いいな」と思えるスタンダードな「素敵な男の子」だった。
 こんなカレシいたらいいなー。友だちにも自慢できるしぃ。かっこいいしー、やさしいしぃ。みたいな。
 王子様とかじゃなく、現実で夢を見たくなる、素敵な青年。

 コムカルとの並びの、美しいこと!

 コムカルぐらい低温な人には、これくらいの温度の人がいちばん合うのかもしれない。
 お互い、欠点をカバーし、美点をなおクリアに発揮している感じ。

 でも意外だったのは、その「控え目」さ。
 最初はアンドレだからかな、と思っていた。影たる役目の男だから。
 演技ゆえに、派手な光を消しているのかしら。

 されどそのままフィナーレ。
 あさこちゃんは控え目なまま。
 せっかくの男ふたりのダンスも、まぶしいとは思えず。……いや、たしかにきれいだし、かっこいいんだけど。ちょっと、違和感。

 トップスターとしての、キャリアのちがいが出ているのかしら?
 自組でならまだ見せ方もわかるけれど、他組でゲストで先輩トップスターと並んで、本来の光を発揮できるまでには至っていない?

 コムちゃんの方が強い輝きを放っていることに、おどろいた。……温度ないのに(笑)。

 
 ああ、それにしても、トップ特出アリの日はいいなあ。
 オープニングもフィナーレも演出が派手だぁ。組子だけだと、地味すぎるよねー、あのフィナーレ演出。ぶつぶつ。

 
 さあ、『ベルばら』役替わりコンプも残すところあとひとり。
 千秋楽にカシドレを見て、華麗にフィニッシュだ〜〜。

 
 ああ、それにしてもヲヅキ……かっこいいなあ。と、脈絡なくつぶやいて終わってみる(笑)。


 1枚だけ良席を手に入れられるならば、と、わたしは喜び勇んで「ミズドレ」の日を購入しました。

 すべて、星『ベルばら』を観た上での判断でした。

 星『ベルばら』はオスカルが特出+役替わり。
 そしてオスカル様は、フィナーレでフェルゼン様とデュエットダンスをするのです。

 ならば、アンドレが特出+役替わりをする雪組『ベルサイユのばら−オスカル編−』もまた、そういうことでしょう!
 フェルゼンとオスカルなんて、本編では大した絡みもないのに、わざわざデュエットダンスだよ?
 「ふたりの物語」であるはずのオスカルとアンドレなら、デュエットダンスはデフォルトでしょう!!
 ドレス姿のコム姫と、アンドレ役の男がエロく踊るのでしょう!!

 ……ちがった。
 最初のワタさん特出アンドレを観たときに、肩を落とした。
 フィナーレでたしかにコム姫は、アンドレ役者と踊る。
 ただし、男同士としてだ。
 そこがコム姫のものすげーとこ。
 男でも女でもない、超絶美しい生き物として、ワタさんとガシガシ踊っていた。

 なんだー、デュエットダンスぢゃない〜〜。
 男ワタル×女コム、見たかったなー。

 まあ、仕方ないか。
 両性具有のコム姫らしいっちゃー、らしいし。

 ワタドレのときはまだマシだったが、次のオサ様特出アンドレのときは、もお。
 このふたりでデュエットダンス、見たかったよ。ワタさんとは別の意味でな(笑)。……ってくらい、協調性のカケラもなく、ただ並んで踊りやがったし。

 コム姫って、やっぱり基本が唯我独尊なんだよなあ。
 相手役を必要としないっていうか。
 きっぱり「相手役」として組まないと、ふたりで踊っても、こんなに淡泊なダンスシーンになるのか。

 デュエットダンスではなく、男ふたりのダンスだったことに、失望しつつも、仕方なくうなずく。
 コム姫だもん、仕方ないや。

 ……ええ、納得しようとしていたよ。オサドレのときまではな。

 でもって、わくわくとミズドレを観に行って。

 
 なんなのぉ? あのつまんないフィナーレ。

 
 アンドレ役者のパートは、見事に削られていた。
 ワタさんやオサちゃんが出ていたシーンは全部、コム姫単独シーンとなっていた。

 「ふたり」であることを基本として作られたシーンが「ひとり」になると、すごく空間が広い。
 また、スター「ふたり」を想定して作られたシーンだから、やたら長い。
 そしてコムちゃん自身のダンスは、ふたりでもひとりでも、変わらない。とても淡泊に、美しく、踊っている。……ふたりのときでも、それほど相手を意識していない分、ひとりでもテンション同じっていうかね……。

 なんか、すごく騙された気分だ……。
 損したっていうか。
 同じ料金なのに、料理の品数が少ないっていうか。

 星『ベルばら』でいうと、「小雨降る径」をえんえんワタさんひとりで1曲踊っているよーなもん。
 それで、オスカル役者とふたりて踊っているのと同じ値段、つーのはなんかなあ。
 ワタさん単独ファンはその方がうれしいのか? ひとり踊りはべつに他でもできるから、せっかくだからいろんなオスカル役者と組んで踊って欲しい、とか思わないのか?

 特出のなくなった星『ベルばら』東宝では、「小雨降る径」をすずみんやしゅんくんでやってるじゃないか。
 特出がいないから、って、ワタさんひとりがえんえん1曲踊ったりしてないじゃん。

 なんで雪だけこんななの……?

 星『ベルばら』のとき、主役と大して絡まない役であるにもかかわらず、やたら扱いの大きかった「オスカル」という役を見ていたから。
 主役の相手役である雪『ベルばら』のアンドレは、ものすごーく大きな役だと思うじゃないですか。
 や、どう考えても「アンドレ」は重要な役だろう。

 いなくてもいい役だとは、夢にも思わなかったよ。

 すべては、星『ベルばら』を基準に、チケ取りをしたのよ。
 まさかまさか、ミズドレの日が、水ファン的にヅカファン的に、おいしくない日だとは思わずに!!

 ミズドレ、出番ねえ!!
 オープニングも、銀橋に出てきてくれない! ワタドレもオサドレも、銀橋の階段位置にいてくれたのに! コムカルひとりで銀橋ってなにソレ。
 物語がはじまっても、ミズドレ、待てど暮らせど出て来ねえ。
 アンドレ、いらない役だから。出番なんか必要ない。
 よーやく出てきたときには、怒濤の展開。やれペガちゃんだ、毒殺だ、今宵一夜だ。
 そして、いちばんおいしいバスティーユに出ない。そうか、アンドレがつまらないのって、コレに尽きるなー。
 よーやくフィナーレだ、と思ったら、ほんっっとに出番ないし。

 そりゃあなあ、番手は大切だけどな。
 花組のゆみまとのショボイ3番手羽根にしてもそうだけど、一般の客は番手を観に来ているのではないんだから、そんなもんを優先して舞台をショボくするのはやめようよ。
 フィナーレのアンドレ役者のパートをかっしーや水くんが踊ったからって、「オサ様のパートを踊らせるなんて、オサ様への冒涜だわ!」とか、ふつー思わないだろう。
 星組の「小雨降る径」のオスカル役者パートをすずみんやしゅんくんが踊ったからって、「コムちゃんのパートを踊らせるなんて、コムちゃんへの冒涜だわ!」と思わないように。

 派手な方に合わせておけばいいのに。
 お客がよろこぶ方へ。

 コアなファンたちも、特出トップスターが踊ったパートを組子が踊ったからといって、「しゅんくんがワタルさんの次の星組トップだわ。だってコムちゃんの役をやっているのだもの」とか思わないって!
 同じように、ワタさんやオサ様と同じパートを踊ったからといって、かっしーや水くんが以下略。ふつーに「ああ、組内2番手で、今日のアンドレ役だもんね」で済むのにー。
 そして、普段かっしーや水くんが踊っているパートは、壮キムを上げればすむことじゃん。その方がふたりのファンもうれしいだろうし。

 オープニングやフィナーレが地味になっていたことが、とても不服ですわ。ぶつぶつ。
 だって組子だけでやっている星『ベルばら』東宝は、オープニングでちゃんとトウカルが銀橋に出て来てるもん。「特別扱いは特出スターだけ」だったら、トウカルも準じなきゃダメっしょ。

 なんで雪組だけこんな扱いなのか、わかんない。


 わーん、『トロと旅する』録れてなかったよ〜〜。公式の嘘つき、「3月8日(水)7:20〜7:30」ってなってたから、そう予約していたのに。

 「ピエールのひとこと」だかでぶち切れてた……。

 ふだん見ていない番組なんで、よくわかんないんですが、「ピエールのひとこと」まで見られたら問題ナシ?
 もう水くんの出番が終わっていたなら、それであきらめもつくんだけど。

 最初にkineさんから、「夢の共演」ってゆーメールもらったとき(わたしもkineさんもトロファン・笑)、トロと水夏希が共演するって事実に大ウケしました。
 だってさあ、よりによって、水って……。

 素直に、なんでもっと美人を出演させないんだろうと思いましたよ……。

 わたしは水しぇん大好きだけど、一般的に見て彼がテレビ向け美形かどうかはゲフンゲフン、と。

 
 本日、見てみて納得。

 舞台化粧済みかぁ。
 しかもオスカルかぁ。

 んじゃ、問題ナシだなっ。

 
 しかも、共演してんの、トロやなくてピエールやん……オカマの犬……(笑)。

 わたしは外見はトロのファンですが、実際に『どこいつ』をプレイしたときいちばん好きなキャラはピエールでした。たしか弟もそうだったはず……トロは性格がウエットすぎてウザいんだわ(笑)。

 やっぱり「夢の共演」だったのかしら。


 オギーはもう、痛いものを作らなくなってしまったのだろうか。

 荻田浩一演出で『アルジャーノンに花束を』を上演する。
 そう知ったときに、心がふるえた。
 「痛い」ものを作るクリエイターが、「痛い」小説を原作に新作ミュージカルを作る。
 どれほど「痛い」作品を見せてくれることだろう。覚悟をして初日に東京・博品館劇場まで駆けつけた。

 −−−−。

 正直なところ、拍子抜けした。

 わたしが想像していたものとは、まったくちがったからだ。

 有名すぎる原作小説。
 知恵遅れの青年チャーリー・ゴードンが脳外科手術によって知能が上昇、常人を超え天才となり、またもとの白痴に戻っていく話。
 知能が幼児程度だったころは、美しくやさしいだけだった世界・人間たちが、知能が上がるに従ってそうでないことがわかってくる。世界は醜く、人間もまた醜い。
 チャーリーは人の弱さや醜さを知り、自身も人間としての成長をする。やがて、失われていくとしても。

 おどろいたのは、あまりに原作に忠実に作られていることだ。原作のエピソードのひとつひとつを、もどかしいほど丁寧に舞台化している。
 チャーリーの天使っぷりが際立っている以外に、大きな変化は見あたらない。

 わたしが期待していたのは、『アルジャーノン』を下敷きにした、「荻田浩一のオリジナル作品」だった。原作まんまを舞台化したものではなかった。
 オギーなら、この物語を「どう」料理するのか。
 もっと鋭く、もっと救いなく、深いところまで掘り下げるのではないか。

 たとえばチャーリーを「ペルソナ」としてアリスの内面を掘り下げるとか。
 天使ではない、「人間」でしかないアリスの醜さと対面する話。
 教える側であったはずのアリスは、いつの間にかチャーリーよりも低能な生き物となりはてている。彼女の無意識下にあった侮蔑や優越感、人間であるがゆえの醜いモノを、徹底的にえぐるとか。
 なのにチャーリーからすればアリスは「聖母」である矛盾。
 そーゆーものを突いてくる作品になるだろうと、勝手に思っていたのだわ。
 原作の中にエッセンスはあるけれど、チャーリーの一人称であるがゆえに描くことのできなかった部分を、オギーならば、と。

 や、アリスに限らず、切り口はいくらでもある。
 チャーリーの変化と共に、世界はベールを1枚ずつはがされてゆき、誰もが人である「業」をさらけ出していくのだから。

 
 ミュージカル『アルジャーノンに花束を』は、とても高品質な舞台だ。

 演出も音楽も出演者も、みなすばらしい。

 象徴的なセット。
 物語につかず離れず存在する、白ネズミとも少年とも見えるアルジャーノン@森新吾の美しさと、しんとしたかなしさ。
 「声」だけではじまり、チャーリー@浦井健治が登場した瞬間に明らかになる舞台。

 ネズミ用の巨大な「回し車」の前に立つ、無邪気な笑顔のチャーリー。

 その効果的な画面。

 うまい。

 いちいち、ひとつひとつが、うなりたいほどうまく、美しい。

 
 だけど。

 初日に続き、楽の前日の公演も一緒に観劇したkineさんと、話したんだ。

「どこまでが『規定』なのか、オギーに聞いてみたいね」と。

 プロであり、商業作品である以上、守らなければならない枠がある。縛りがある。
 作品を創る上で、「ここはこうしなければならない」「あれはあそこまでで止めなければならない」「それを付け加えなければならない」など、枠があるハズなんだ。

 原作付きなら、ストーリーは大筋はもとより枝葉のひとつまで一切変えてはならない、とか、この台詞はそのまま使わなければならない、とか。
 このタレントを、イメージを壊さない扱いで使わなければならない、とか。

 クリエイターが好き放題に創れるわけじゃない。

 原作まんまで、細かい解説やおせっかいなまでの説明台詞を入れ、誰が見てもわかるように、やさしく創られた今回の『アルジャーノンに花束を』。
 親切で、至れり尽くせり。
 初心者にも安心な作品。

 
 オギーって、こんな舞台を創る人だっけ……?

 そこに、拍子抜けしたんだ。

 いや、繰り返すけど、すばらしい舞台だよ。
 美しいし、うまいよ。
 うまい人が、その能力を発揮して自在に作り上げた作品だと思うよ。

 でも。

 なんか、チガウ。

 
 だからこそ、聞いてみたいんだ。
 オギー、これって、どこまで規定? どこまで仕事? ナマのオギーの部分で作られたのはどこまで?

 オギーはきっと、正しく進化しているのだと思う。
 自分の中の欠損や癒えることのない痛みを、生きるために吐き出しているかのような作品ばかり創っていたんじゃ、「プロ」としてはやっていけない。
 エンタメを作り続けるのならば、大衆に迎合したものを作らなければならない。
 この、「きれいなもの」だけで作られた『アルジャーノン』を見て、思う。
 「プロ」の作品だと。
 正しく能力を発揮させた、プロの仕事だと。

 観た人が反射的に自殺したくなるような危険なモノ、波長の合う人が観たら人生おかしくなりそうなほどの破壊力や毒を持ったものじゃない。
 これを創ったクリエイターは正気なのだろうか、どのあたりの場所に踏みとどまって、コレを創ったのだろうか、とその精神性を考え込んでしまうようなモノじゃない。

 ふつーの人が「気持ちよく」観られる程度の「わかりやすく、やさしい」軽い毒をエッセンスにした、「泣いて、感動できる」美しい作品。

 
 オギーは、正しく進化しているのだと思う。
 それでいいと思う。

 ただ。

 これからも、オギー本来の作品も、創り続けて欲しい。

 そう思うんだ。
 そう、切望するんだ。

 
 …………すべて、わたしの勝手な思いこみに過ぎないのかも、しれないけれど。


 わたしのための覚え書きなんで、いちばん上になきゃダメなのだわ。
 2006-02-17の分に、追記したもの。

雪組『ベルサイユのばら−オスカル編−』
・コムカルの美しさ、クールさ、そして、「オスカル」としてのダメさ(笑)について。
・ワタドレ万歳。
・水アラン萌え。萌え〜萌え〜萌え〜。
・かしジェローデルかっこいー。かっこいーかっこいーきゃー。
・作品まちがってる。いやその、今さら言う必要もないくらい世の常識だけど。植爺最悪。
・まちかまちかまちか。
・オサドレのダメさ加減について(笑)。
・アラン×オスカル萌え〜。


雪組新人公演
・キャストについて。
・アンドレとアラン。


第92期音楽学校文化祭
・正塚芝居萌え。
・水もどきの彼。その他モロモロ。

星組『ベルサイユのばら−フェルゼンとマリー・アントワネット編−』
・トウカル万歳。万歳万歳万歳。うきゃー!!
・花祭りの男A@しいちゃんかわいー。うきゃー!!
・タニでもOK発言の撤回について。


月組『Young Bloods!! 』
・龍真咲のすごさについて。
・芝居サムすぎだぞ藤井。
・「路線」という教育。


荻田浩一新作ミュージカル『アルジャーノンに花束を』

 
 なんで毎日こんなに忙しいんだろう……なにをしているわけでもないのに、時間だけが過ぎていく。

 
 2006-04-09、チェック完了。
 ……よーやく全部書けた……でもまだ、このあとに観たものの感想がいろいろ残ってる……追いつくの、いつだ……。


 1幕の芝居だけだったら、ほんとにつらいこの公演、月組ワークショップ『Young Bloods!!-sparkling MOON-』
 救いは2幕だ、ショー『Hot Blooded Moon』。

 音校の文化祭もね、いちばん盛り上がるのがショーなのよ。スターになっていなくても、「男役」ができあがっていなくても、踊っていればわりと場が盛り上がるの。

 全体を通してやっぱ「文化祭」テイストなんだけど。

 空気が動く、快感。

 ばらばらだった空気を、真咲が力尽くで動かしていく。それを感じる快感があるんだ。

 幕が開くなり、端正な空間に、真咲ひとり。
 「正当派男役」の風情で歌い出し、1曲終わって雰囲気ががらりと変わり、全員登場。

 あー、若いねー、未熟だねー、がちゃがちゃしてるねー。娘役はいいけど、男役たち、そのイケてないブラウスの着こなしはなんなの、とか思いつつ(笑)、全員ソングのあとは、上級生(つっても研5あたり?)たちだけの歌。
 このあたりでもう、今まで知らなかった萌花ゆりあちゃんをしっかり認識している(笑)。白鳥も光月も、本公演の群舞でもぜってー見間違えない(笑)。

 この次がびっくりのバレエシーン。
 研1の麗百愛ちゃんが、男役たちを従えて華麗に踊る。
 おおー、すげー。きれー。

 ただなあ。
 nanakoさんから聞いてたんだけどさ。

 麗ちゃん、頼む。踊るときは、Tバックを穿いておくれ。

 肌色のハミパンが目について目について、どうしようかと(笑)。

 少なくともnanaタンが見たときとわたしの見たときの2公演は、ぱんつ見せたまま踊っていたぞ。あ、千秋楽は出てなかったけど(確認したのか。したとも)。

 ところで、研1の紫門ゆりやくんって、去年の文化祭のバレエの「王子様」だよね? いや、王子役なんかなかったけど、いかにも王子様なキャラをひとりで踊っていたからさ。で、麗ちゃんがそのときの相手役だよね?
 そっかー、ふたりとも月組だったのかぁ。
 ノーチェックだったよ。(まちがってたらすまん)

 文化祭ではあれほど垢抜けて、飛び抜けて華やかで美しかった紫門くん。こうして劇団の舞台で見ると、まだまだ課題ばかりだー。がんばれー。

 小さな極楽鳥が腰振って踊るわ、インド的ダンスで首を振り続けてくれるわ、タップダンスはあるわで、ほんとに内容は盛りだくさん。

 芝居ではヒロインはれみちゃんだったけど、ショーではヒロイン不在。あえていうなら、みっぽーかな。

 nanakoさんはいちいちまっつと比べてウケてくれてるみたいだけど、色っぽいタンゴを真咲とみっぽーで踊ってくれたりして、素敵ですよほんと。

 真咲はキザり方も堂に入っていて。
 投げキスもそりゃーかっこいいですよ。だからいちいちまっつと比べないの!
 →http://7ch.jugem.cc/?day=20060301 by nanaタン

 真咲を見ていて強烈に思い出すのが、あさこちゃんだ。

 てゆーか、あさこに似すぎてる。

 影響受けまくってんだなあ。
 nanaタンが「素敵だけど、ハマることはない」と断言するのは、たぶんそのへんに理由があるんじゃないかとわたしは思ってるよ。
 うん、わたしも同意見……いやその、わたしゃまさきファンですが。

 そーしてわたしは真咲の他に、ふと気がつくと、瑞羽奏都くんのアゴに釘付けになっている。

 どどどどーしよー。
 アゴですよアゴ! わたしってばそんなにアゴスキー?
 瑞羽くん、まだ研2ですか……もう少し頬がシャープになってくれたら、マジ好みの顔ですわ。

 プログラムが進むにつれ、拍手の色が変わる。

 「大人はキタナイ!」的な歌を熱唱した真咲と仲間たち、そのあとの真咲のソロ。

 この、最後のソロが終わったあとの拍手の色がね。温度がね。
 すごいの。
 今までの拍手と、明らかにチガウ。

 少しずつ空気が動き、積み重ねられてきた目に見えないものが、一気に爆発するような。

 クライマックスだ。
 カタルシスだ。

 歌い終わったあとの、全力を出し切ったあとのスポーツ選手のような、一瞬空虚になる表情。
 そして、割れんばかりの拍手に身をゆだねる陶酔した表情。

 ナマである醍醐味。

 そして、フィナーレへ。

 
 ナマで観た、ということが、ほんとーに大きい公演だったと思う。
 あの空気の動き方、拍手の温度。
 あの場にいて、五感でダイレクトに感じられたことに意味がある。
 わたしは映像を信じていないので(笑)、きっとあの感覚はテレビでは伝わらないだろうなと思う。

 あとになって、冷静になって考えてみると「そんなにすごくもなかったんじゃないか?」とか、思わないでもないけど(笑)、たとえ真実がどうあれ、他人がどう感じたのであれ、わたし自身はあの瞬間に得がたい感覚を味わえた。
 それが、うれしい。

 
「将来値打ちが出るかもしれないから、大切にするの」
 と、nanakoさんは言った。
 入場者全員に配布されていたプログラムのことを。

 この舞台を生で観劇したことを、誇りにする日が来るかもしれない。

 無邪気にそう思えてしまう、そんな舞台。
 それって、すごくないか?


 月組ワークショップ『Young Bloods!!-sparkling MOON-』、おぼえている限り、キャストの感想を書いておこう。

 作品自体は、とってもサムかった。
 1幕目は現代物のミュージカル『ハーフムーン狂想曲』。

 タカラヅカは「現代」を表現するのにいちばんそぐわない劇団だ。「男役」という存在がすでに現実ではありえないのだから、無理に「現代」を舞台にする必要がどこにあるのか。
 たんに、藤井くんが大好きなJ-POPを使いたかっただけなんじゃないの? と、勘ぐってしまう。

 ふつーの大学生RYU@まさきは、恋人のREMI@れみと他愛ないことでケンカをしてしまう。そんな彼らが迷い込んだのは、ゲームの世界。ミスタープレイ@白鳥かすが、ミスメリイ@みっぽーが人間をコマにして遊んでいるらしい。
 そこでRYUたちは、さまざまな「いい男」「いい女」に出会いながら、本当の恋人を探すことになるが……。

 話はもちろん、「青い鳥は家にいました」ね。いろんな人に出会うけれど、結局いちばん素敵なのは元々の恋人、という。

 これがもー、すばらしく寒い!
 なんつーんですか、この感覚。「ナウい」とか、そーゆー感じ? 「昭和」時代の「青春モノ」?
 とても現代とは思えない遅れまくった感覚でありながら、さも「イケてる」顔して作られているのが、恥ずかしいやらかなしいやら。
 これでストーリーなり場面なりがよければまだ救いもあるが。
 藤井くんってほんと、ストーリーは作れないんだね……。整合性とか起承転結とか辻褄とか、一度でいいからまともな作品が見てみたい……。

 そんなとんでもない駄作を。
 実力も経験値もない若者たちが、体当たりで演じていました。

 たぶんこの脚本とセンスじゃ、演技巧者なトップスターが演じたって、寒かったと思うよ……。そりゃ舞台のクオリティは上がったろうけど、誰が演じても痛々しかったろう。そんな作品。

 だもんで、いっそなにもできない若者たちがやっている方が、作品の粗だかキャストの力不足だか、こんがらがってわからなくなっているのでまだよかったのかもしれない。

 ただ、「お勉強」としてのネタの料理の仕方はうまいと思う。
 「いい女」「いい男」を探すゲームなので、名もなき若手くんたちがそれぞれ必死になって「いい女」「いい男」を演じている。
 あるときはセクシーな美女、あるときはホスト、てなふーに、これでもかっ、な典型キャラを演じるのは勉強になったろう。
 若手くんたちはそーゆー「型」のお勉強、真咲やれみちゃんは「主役」として物語を動かしていくお勉強。

 実際、真咲もれみちゃんも「主役」としてなんの遜色もない。ふつーに主役だ。うまい。
 ふたりともスタイルよくてきれいで、目にもたのしい。
 ただしRYU真咲、そのジャケットはなんとかしてくれ。君の責任じゃないことはわかっているが、いくらなんでも「現代」で「ふつーの大学生」でソレはありえねーよ……。

 まだ研7のみっぽーちゃんが「大人の女」として違和感がないこともすごい。へんだなあ、小柄なかわいこちゃんなのになあ。ついこの間まで、少女役とかふつーにやっていたはずなのになあ。
 研5のひまりちゃん、こちらもふつーにうまい。丸くて表情があざやかで、アニメちっくなキャラクタが似合う。

 女の子はいいんだ。
 娘役は、男役よりずっと早く成長するものだから。研4ぐらいで完成しても不思議はない。

 男役は大変だ。
 研5の白鳥かすがくん、研4の光月るうくん……が、がんばれー。
 白鳥くんは芝居では「大人の男」だし、光月くんは「狂言回し」だ。どっちも基本値が低いときつい。
 それでも彼らはまだ、「男役」の型ができている方。そのうえで「ワンランクアップ」した役だったので、大変そうだった。

 次に役らしい役があったのは、理想の女@萌花ゆりあと、理想の男@流輝一斗。

 萌花ゆりあちゃんは研5ですか、なるほどきれーな子だぁ。スタイルが整っていて、ドレス姿がきれい。しかもなんか、えっちなカラダ……(笑)。

 いちばんガタイがよく、スーツ姿がかっこいい流輝一斗くん、研3……。しかも中卒ってことは、まだハタチっすか……。
 流輝くんは1幕のホストスーツのラインがみょーにきれいだった(笑)。みょーに、というのは、他になにができているわけでもないのに、それだけがとても目立ったから。
 お顔がまだぷくぷくしていて、役とガタイとのギャップが大きかったのもまた目立った要因かしら(笑)。

 ところで、謎の女装演歌歌手@貴千碧くん……千秋楽ではアドリブとばしてました。内輪受けらしくて、よくわかんないネタだったけど。真咲のものまね?
 わたし、この子おぼえてるわ。去年の文化祭で、いちばん濃かった子だ……。
 そう、去年。つまりまだ研1。それで、舞台の上でアドリブでものまねやりますか。大物だわー。

 作品があまりにアレだったので、わたしは余計に真咲に感謝した。
 ありがとうありがとう龍真咲。もしコレで君が学年通り、新公での役付通りのなにもできないルーキーくんだったら、どれほどおそろしい空間と時間になっていただろう。
 真咲が「ワタシ、ふつーにスターですが、なにか?」てな人だったから、まだ耐えられたんだよ。
 新公主役5回くらい経験しているよーな貫禄で演じてくれたから、なんとかカタチになったんだ。

 ああ、よかった……。

 
 長くなるので、いったん切る。


 「路線」というものについて、考える。

 「路線」というのは、ただの区別じゃない。受ける教育のちがいをいうんだ。
 「路線」である子は、そのための教育を受ける。スポットライトをただひとり浴びる力。空間を自分の存在感で埋める力。空気を動かす力。
 もちろん、それには「素質」が必要だ。だがそれだけではない。訓練だ。それらは、群舞や通行人をやっていて身に付くことではなく、実際に舞台で真ん中に立ち、訓練することで身につけて行くんだ。

 脇にいるときそれなりにかっこよくて、いい仕事をしている子でも、いざ真ん中に立たせれば魅力が失速する。そういうことはままある。真ん中に立つべく訓練を受けていないため、真ん中に求められる仕事ができないんだ。
 それくらい、「真ん中に立つ」というのは別のスキルを必要とする。
 うまいとかきれいとかいうのとは、別の能力。

 経験を積むことでスキルアップする舞台人というジョブで。
 「路線」として抜擢を受け、真ん中に立つための訓練を受ける。
 これが基本。

 だが。
 「路線」としての訓練を受けてもまったくスキルのあがらない子もいるっつーに。
 場を与えられることがなかったにもかかわらず、ちゃんと「真ん中」に立ててしまう子がいる。
 てのはいったい、なんなんだろう。

 できる子とできない子の差は、どこからくるんだ?
 人は、どこで分かれてしまうのだろう?

 不思議で、とても興味深いことだ。

 龍真咲を考えてみる。

 この子の知名度は、どれくらいあったのだろう。
 新公主演もしていない。それどころか2番手も、3番手もしていない。
 スカステでニュース読んだりはしていたらしいけど、そーゆータレントとしての知名度ではなく、「舞台人」としての。
 いちばん大きな役がついたのって、新公『エリザベート』のルドルフぐらい? でもその直後の新公では副組長の役だったし。
 「舞台人」としての知名度は、決して高くなかったろう。

 新公ですら、ろくに役がつかない。まったくつかないわけじゃなくても、「路線」として世間に認識されるような扱いは受けていない。
 なのにこの子は、「真ん中」に立つ力を持っている。

 ワークショップ『Young Bloods!!-sparkling MOON-』、芝居とショー2本立て。

 出演平均学年研3.2だというこの公演。
 芝居は藤井くんらしいサムさ全開、詰めの甘さ全開で、出演者の経験値の低さを底上げするようなものではない。
 ショーは「ショーである」ということ自体が難問。民族的に自己表現力に欠け、またそれをたのしむ能力にも欠ける日本人である以上、ショーは敷居が高い。素人演劇というジャンルは成立しやすいが、素人ショーカンパニーつーのが成立しにくいことが、それを表しているはず。

 そんなふうに、今回のワークショップはすげー難しいものであると思う。

 それを、主演経験ナシの龍真咲はやってのけた。しかも、今回のワークショップ主演最下級生。3月現在、まだ研5。

 それって、すごいことだと思うよ。
 「男役」ができあがるまで、「スター」ができあがるまで、どれほどの時間と機会が必要かを考えたら。

 「路線」と「非路線」があり、路線だけに帝王学をたたき込んでいる、今のタカラヅカに一石を投じる出来事だと思う。
 どんなに「路線」教育をしても力が付かない人がいるっつーに、教育を受けていなくてもここまでやってしまう人がいる、という現実が明らかになったのだから。

 しかし、どこで分かれるんだろうなあ。
 人間ってのは、おもしろいなあ。

 若者ばかりの今回のワークショップ。
 レベル的には文化祭に毛が生えた程度だと思うよ。
 ただ、文化祭と決定的に違うのが、「スター」の存在。「スター」を頂点としたピラミッドが形成され、「スター」がそのスター力で舞台を掌握する。ピラミッドは頂点に近い位置にいる人ほど能力値が高く、下に行くほど下がる。トップスターが研5の真咲で、最下級生が研1のひよっこたち。……うわー、若い……。
 娘役はともかく、男役で形を保っているのは白鳥と光月ぐらいのもん。そんな状態で、舞台に真咲が現れるときの空気の動き方ときたら。「あ、スターが現れた」ってはっきりわかる。
 この子のために、この舞台が存在している。そう思わせる力。

 龍真咲自身については、とくにおどろきはない。
 予想していた通りの実力であり、結果だった。
 わたしがこの子に注目したのは研2のときだった。まず、容姿の美しさ。……でも、それだけならべつになんとも思わない。心が動いたのは、その歌声にだ。研2にして「男役の声」で魅力的に歌うことが出来た。姿のかわいさのせいで、かえってびびったよ。こんなに男前な声なの? って。
 次が翌年の新公。たった一言しか台詞のない、いてもいなくてもいい役。ただの背景。……そんな役に過ぎないのに、彼は戦闘意欲に満ちていた。このどーでもいい役で、本気でファンを増やす気でいる。自分の美しさ、魅力を最大限にアピールして、勝つつもりでいる。その姿勢に、「君のファンになるよ」と決めた(笑)。それは2003-04-22の日記にも書いてある。

 わたしが劇団の人間なら、あの時点で真咲を抜擢してる。明確な上昇志向を感じたからだ。
 なにをすればいいのかわからない、自分がなんなのかわからない。永遠のモラトリアムにいるよーな今の若者たちの中で、「自分がなにを欲しているか」「欲しいものを手に入れるために、なにをすべきか」を明確に自覚しているなんて、それだけでもすごい。群の中で、ちがう色を放っている。
 それに、前年のバウで演技も歌もできることがわかっているから、安心して路線に乗せただろうよ。
 なのに一向に彼の役付が上がらないことが、不思議でならなかった。

 
 だから。
 今回のワークショップ主演は、こころからうれしい。
 正しい人事だと思えた。
 能力のある人が評価されない世界なんて、見ていてつまらないもの。夢を見られないもの。
 

 わたしはジェンヌをファンタジーだと思っているので、ナマの生徒に近づくこともないし、お茶会だのにも行かないし、トーク番組なども見ることはない。だから、舞台の上がすべて。舞台の上から感じるものがすべて。わたしは真咲を生意気そーで性格悪そうで好戦的な子だと勝手に思っているが、それはすべて舞台から受ける印象だ。ほんとのとこは知らない。
 知らないまま、そういった舞台姿を愛でている。
 才能の世界は弱肉強食。弱いものを食い荒らし、強いものだけが残っていく。のしあがっていく。そーゆードリームがあってもいいじゃないか。
 好きだよ、真咲。善良である、というだけでなんの成果もあげられない人たちを蹴落として、実力で輝いてくれ。

 まぎれもないスター誕生に、心地よく酔っている。


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