日付めちゃくちゃだから、いつどこでどの話を書くべきか迷うけれど。
 ゆーひ『THE LAST PARTY』の話を書いたから、も少し続けておこう。

 ゆうひくんが成長したなと思ったのは、ちゃんとヒロインを愛していたこと。もそうだ。

 初演のとき、台詞ほどるいるいゼルダを愛しているようには見えなかったので。

 昔から一貫して、ゆーひくんは「人を愛する演技」が下手だった。
 恋してめろめろになっているよりは、嫉妬だとか憎しみだとかを表現する方が得意だった。(実にナイスな芸風だ)
 かわいがる、演技はできるけど、愛することは苦手。「演出」通りの規定動作をするだけ。
 ゆうひくんのルックスで、「愛」や「恋」を表現できたら、こわいものなしだろうと常々思っていた。
 だって、観客は総オトメだからね。小学生でも80歳過ぎのばーさまでも、みんな「オトメ」。甘いハンサムに甘い恋をささやかれることを求めている。
 ゆーひくんが恋にめろめろになって、本気で女の子を口説けるよーになったら、客席で一緒にとろけている女性続出だろーなと。
 まあ、ゆーひくんのクールでシャイな持ち味ゆえに、「一緒にいたいとか言ってんじゃねーよ」って、冷たく言い捨てられた方がゾクゾクくる、てな好みの人もいると思うけど(あたしゃ、ちょっと言われたい)。

 スコットは、ゼルダを愛している。

 それが「わかる」ことが、おどろきだった。

 めろめろのくたくたになってるわけじゃないけれど。
 大人の男が、その範疇で恋していることが、ちゃーんとわかるよ。

 そっかあ、成長したんだねぇえ。大人になっちゃったんだねぇえ。
 ゆーひくんが、あのゆーひくんが、ふつーに相手役を愛してるよお。

 もちろん、ゼルダ@かなみちゃんがものごっつうまいこともあると思う。

 ああ、かなみちゃん、ほんとすごいなあ。
 あの華やかさ、そして安定した実力。
 弱い男役なんか消し飛ばしてしまいそうな存在感。

 初演のとき、持ち味に合っているのはるいるいで、実力で役をモノにしているのがかなみちゃんだと思った。
 それにさらに磨きを掛けて、今のゼルダがいる。大輪の牡丹の花が咲いている。(何故か、薔薇ではない)

 かなみちゃんの力強いゼルダを愛し、愛しきるだけの器を持たないスコットが、人生に倦んでいる。
 それは美しく、かなしい姿だ。

 初演を見たとき、「美しいけれど、『痛み』のない作品」だと思った。
 それは『THE LAST PARTY』に限らず、植田景子作品すべてに共通している。
 人間のほんとうの意味での汚さは絶対に描かず、きれいな部分だけをきれいに描く。それが景子女史作品。

 透明に美しい、少女マンガの世界。

 もちろん、ここはタカラヅカだからそーゆー芸風はアリだし、景子女史のそーゆーところが好きだ。

 でも、「痛いモノ好き」なわたしは、ちょっと物足りなくもある。

 それが今回、ゆーひスコットに「翼」がなくなっていたため、「痛み」があったのよ。

 スコットは翼なんか持たない、ふつーの男。
 ただちょっと器用だっただけ。早熟だっただけ。
 でも、彼自身もまわりも、彼に翼があると信じ込んでしまった。

 飛べない空を、地面から見上げる、その生き方。

 伸ばす手と、地を蹴る足、そのたびに倒れて土にまみれる身体。
 翼なんかないのに。
 決して、飛べないのに。
 何度も彼は、地を蹴り続ける。

 やがて、自分に翼がないのだと気づいた彼は。
 彼の背中の翼を信じる愛する者のために、いつでも飛べる、今も飛んでいるふりをし。
 空を、見上げる。

 でも。
 飛びながら見つめる空と、地面から見上げる空。
 どちらが美しいかなんて、誰にもわからない。だれにも決められない。

 ……そーゆー話。そーゆー痛み。

 そうか。
 ゆうひくんのスキルが上がると、こーゆー役が出来るようになるんだ。

 もともと、「屈折した瞳」を得意とする子だった。
 満たされない心の飢え、を、瞳にやどした子だった。
 寂寥とか鬱屈とか退廃とか、そーゆーの得意分野だったじゃん!!

 持ち味に演技力が加わると、こーゆーくすんだ大人の男をやれるよーになっちゃいますか、おーぞらゆーひ!

 そのくせ、屈託なく笑うと、幼児のよーなあどけなさで、ファンを悩殺していましたよね、おーぞらゆーひ!

 だんだん必殺技の増える、油断ならないヤツだな、おーぞらゆーひ!

 
 ゆうひくんが安定したせいか、かなみちゃんが安定しているせいか、初演のときよりマックス@嘉月さんが薄くなっていた。
 初演のときはさー、嘉月さんがかなりのウエイトで舞台を支えている感じがしていたんだけど。
 今回はもう少し薄いというか控え目というか、脇のひとりとして落ち着いた感じ。それはそれで、いいよなー。

 
 ラストでわざわざ役者が役を離れて「Dear スコット」とか、役に話しかける蛇足は健在。
 まあ、景子女史はコレがやりたくて作家やってんだろうなーと思う。キムシンが説教したがるのと同じで。

 しかし、謎の説明台詞があちこち増えていて、おどろいたり興醒めしたり(笑)。
 ただでさえ説明くさい芸風なのに、さらに説明増やすか(笑)。

 オギーといい景子タンといい、必要な説明は書かないのに、不要な部分で説明を増やすのは、法則なんですかねえ。
 才能ある人たちって、やっぱちょっと感覚チガウのかな。

 加筆されていた部分で良いと思ったのは、アーネストの食事シーンぐらいのものだ。

 そして、食事が出たことでまた景子タンらしさが上がったし。
 食べ物が出なきゃ、景子作品ぢゃないよな(笑)、という。

 アーネスト@ほっくんは、これまたものすげーよかったし。

 ただ。
 えーとこれは、ドリーさんのお友だちの台詞だっけ。
 「アーネストの役替わり、どうだった?」という質問に対して。

「おもしろくなくなって、ふつーになった」

 すっごい共感。
 そうなの、そーなのよ。

 さららんのときは、すっごいおもしろかったもの、アーネスト!

 ……はい、ここでツッコミ。

 アーネストは、おもしろがる役じゃないから!

 わかってるけど、おもしろかった。さららんがあのテンションで出てきたときには大ウケ、声殺すのに必死。
 さららんのあーゆー芸風、好きだったなあ。
 作品を壊していたことは、たしかだけど(笑)。

 ほっくんはちっとも笑えなかった。てゆーか、マジによかった。
 そのことにも、すっげーおどろいた。
 やっぱほっくん、うまい人なんだな。

 しかも、ほくしょーさんなのに、美形です。

 ハンサムなんだよ、かっこいいんだよ!
 演技しているときのほっくんって、最近やっぱいい男だ。

 そして。
 ラストの蛇足部分で、ほっくんは「アーネスト」ではなく、それを演じる役者HOKUSHOになる。
 すると、途端、いつもの鈍くさいみっちゃんのカオになる。

 うわわ。
 すげえよ、ほくしょーさん。
 役者ってすげえ、と思わせてくれるよ。
 

 いい舞台だった、『THE LAST PARTY』。


 ゆーひさんの話。

 
 もう今さら過ぎて気後れするが。
 じつは、『THE LAST PARTY』を観に行った。わざわざ東京まで。
 他のなにも観ない、ただゆーひくんのためだけに行った。

 そこで。

 いろいろと、ショックを受けて帰ってきた。

 
 大空祐飛ってのは、いったいなんなんですかね?
 素朴な疑問。

 風花ちゃんのサヨナラバウで美貌に一目惚れして以来、ずっと見てきたけれど。
 人間って、これほど変わるのか?

 ここんところのわずかな間に、ゆーひくんはどんどん変わっていってます。
 舞台の片隅で、ふてくされたカオで投げやりに踊っていたあの男の子は、どこまでいってしまうの?

 わたしにとってはほんのついこの間、ゆうひくんはケロの弟だった。
 ケロとふたり、「別格スター」という昨今絶滅しているよーな微妙ポジにいた。
 トップ路線ではないけれど、「スター」として扱われているらしい、適度に露出のある位置。
 主役よりも脇を好きな人間がいちばんハマりやすい位置と扱い。
 ちょい悪の男の子。ひとりだけよそ見している不良少年のような芸風。笑顔は貴重だし、気まぐれで日々の舞台に差がありまくる。

 そんな、「真ん中」ではないからこそ活きる魅力を持った男の子。

 みんなアンソニーよりテリーが好きだもんなー。王子様より不良少年の方が人気あったりするもんなー。

 それが、前回の月組公演『JAZZYな妖精たち』を観て、別の人になっていることにおどろいた。
 きらきらしてる。
 きらきらしている人のナナメ横で、その光を浴びて暗い光を放つ人だったのに。
 本人が、発光している。

 「真ん中」の光を持つ人になっている。

 ケロと一緒にバウ主演したときから、そりゃわかっていたよ。ケロはこれが最初で最後だろうけどゆうひくんはチガウだろうって。
 ケロとは似て非なる道を歩く子だろうとは思っていたけれど。

 ケロの隣にいたときの、おおぞらゆーひぢゃない。

 ここにはいるのは、別の人。
 脱皮して、別の形態になっている。

 その段階で、充分わたしは惑乱していたってばさ。
 人ってわずかな間でこんなに変わるものなのかと。

 だから『ベルサイユのばら』のオスカル特出で安心した。
 男装の麗人でもなく、そもそも「女」ですらなく、いつもの(しかも、地味なときの)おおぞらゆーひでしかなかった、どんくさくもかわいらしい姿を見て。
 あ、なんだ、あーゆーとこは変わってないや。人見知りさんめ。

 オスカルのダメダメっぷりで、ほっとしたくらいなのに。

 この『THE LAST PARTY』。

 また、変わっている。
 『JAZZYな妖精たち』のときから、また。

 
 そうだ、謝らないとな。
 『ベルばら』のオスカル特出のときにわたし、ゆーひくんが大根役者だと書いた。
 ええ、わたしの大空さんの認識はそんなもんですよ。なにをやってもおーぞらゆーひ、持ち味でできる役はハマるけど、それ以外はダメダメ。
 『THE LAST PARTY』初演のときなんか、タニちゃんもひっくるめてスコット役は、演技力のある人で見たかったと書いたさ。

 ごめん。
 今ソレ、撤回する。

 ゆうひくん、うまくなってる。

 そうか、ゆーひくん、男だもんな。男がオスカル役やってうまくできないからって、男として大根役者だとは言えないよな。
 器用な男なら、女役も役の一貫としてナチュラルにこなせるのかもしれないけれど、ゆーひくんはそういうタイプじゃないだけのことだね。

 ゆーひの演技はこのレベル、と勝手に決めつけていたので、『THE LAST PARTY』再演を観て、アゴが落ちた。

 演技、うまい。

 えええっ、演技できる人だったの?!!

 どこまで変わるの、おーぞらゆーひ。
 ついこの間まで、鈍い光を脇で放つ人だった。それが、ぴかぴかの真ん中の光を放つようになり、そのうえ、演技力まで会得したの?!

 スロースターターにも程がある。
 同期がトップスターになっているこんな学年で、なにエンジンかかってんだ。そーゆー脱皮はふつー新公学年で済ませておくものだ。

 10年以上かけて出来上がった姿を愛でていた者としては、これは最終形態、だと思うじゃないか。
 ケロが変わらなかったように、ゆうひくんも変わらないと思うじゃないか。

 どこまで行くんだろう。
 どこまで変わり続けるんだろう。

 こんなに不思議な人は知らない。

 たった1年半前、「きれーだけど、こなすだけで精一杯、演技がどうこう言えるレベルじゃないな」と思えた『THE LAST PARTY』のスコット役。
 そうさ、たった1年半前だ。
 ケロの最後のディナーショーのころ。
 初の単独主演、しかもひとり芝居ウエイトで精神的にも肉体的にもぎりぎりだったろうに、ゆーひくんは2日ともディナーショー会場に現れた。片方の日なんか、ショーのあとケロの控え室に入ったまま、ひとり長い間出てこなかったとかいう。
 あのころ。あのとき。わたしも、へろへろになって宝ホとバウに通っていた。
 たった1年半。

 ケロがいなくなって、1年ちょい。

 こんなわずかな間で。

 ゆうひくんは、変わり続ける。

 
 『THE LAST PARTY』は、主役をかっこよく見せるいい作品だ。誰にとっての「あて書き」だとか「ハマリ役」だとかいうのではなく、スコット役を演じた人のファンすべてが、「スコットはわたしのご贔屓のためのあて書き、ハマリ役」と思いこめる作りになっている。
 だからゆうひ・タニ以外のファンの人は、「スコット役が、わたしのご贔屓の**ちゃんならいいのに」と思うだろう役だ。

 わたしも1年半前は、スコット役はケロで観たいと思ったさ。スーツも黒タキもケロの得意分野、よいお父さんだってエロエロだって得意、なによりも、苦悩して挫折してヘタレて泣くのなんか、得意中の得意だぞっと。
 誰をもかっこよく見せてくれる役だけど、たのむよ、演技うまい人がやってくれよ……ゆーひもタニも、演技はアレな人ぢゃん……。
 そう思っていたのに。

 ゆうひくん、うまい。
 スコット役を、モノにしている。

 「スコット役をやっている大空祐飛」ではなく、「スコット」になっていた。

 そこにいるのは、「大人」だった。
 人間の、大人の男。

 傷が見える、痛みが見える。
 夢の世界の住人、タカラジェンヌが「ジェンヌだからいいじゃない」とフェアリー性だけで演じるきらきらしいものではなくて。
 ふつーに、芝居であり、ミュージカルだった。

 せっかくのいい作品なんだから、演技力のある人で観たい。

 1年半前そう思った、願いが、叶えられている。

 
 そのことにおどろき、ある意味ぼーぜんとして。

 
 そして。
 そしてこれは。

 たぶん、他の誰も思っていないのだろうと思うけれど。
 わたしの思いこみ、思い上がりの域の話なんだろうけれど。

 
 ケロが、いた。

 ゆーひくんのなかに。

 ケロの弟だったころから、ゆーひくんはゆーひくんで、ケロとは似合うけれど別の人だった。似合うと似ているはチガウ。むしろ別の個性だからこそ、コントラストがきれいだった。
 ケロが得意とするモノをゆーひくんは持たないし、ゆーひくんがあったりまえに持つモノをケロが持たなかったり。ま、ふたりとも歌は下手だったけど(笑)、それぞれがそれぞれの魅力を持ったコンビだった。

 だから、ゆうひくんを見て「ケロに似てる」と思ったことなんて、一度もない。
 ゆうひくんを見て、対の位置や隣にケロがいたことを思い出すのは常だけど、ゆうひくん自身に面影を見ることなんかなかった。

 なのに。

 はじめて、気づいた。

 あ、ケロだ。
 ケロがいる。

 こんなとこに、ケロがいる。

 背広の肩の線とか。
 背中とか。

 そんな、なにげない、他愛ないもののなかに、確実にケロが見えた。
 や、もちろんそれは「大空祐飛」なんだけど。

 そっかあ、ケロ、いたんだ。
 ケロがゆーひくんとふたり、子犬みたいに兄弟みたいにじゃれあってたあの時間は、消えてしまったわけじゃないんだ。
 ゆうひくんが自分の中にふつーに取り込み、「大空祐飛」として昇華させているんだ。

 無駄じゃない。
 消えてない。

 なにひとつ、無駄なものなんてない。

 ゆうひくんを形作る歴史のひとつに、汐美真帆もあった。

 そのことに、はじめて気づいた。
 はじめて。

 そして。

 ただもう、そのことだけにも、泣けて泣けて。

 『THE LAST PARTY』がもともと泣ける話であることや、人間ゆえの痛みを表現してくれるゆーひスコットにも泣けて、もう大変さ。

 幕が下りたあとも、しばらく立てずに客席に坐り込んでいた。隣のドリーさんとふたりして(笑)。や、ドリーさんはケロ云々はないとしても(だってソレって、わたしの勝手な思いこみだもんよ)、ゆーひくんのすごさに完敗して。

 すげえよ、大空さん。
 どこまで行ってしまうの。

 どこまで行くにしろ、たどりつくところがどこであるにしろ。

 ずっと、見ていたい。

 ゆーひくん。
 わたしの、特別な人。


 大変なことになっています。

 花組バウワークショップ『Young Bloods!!−青春花模様− 』初日。

 整理がつかないので、箇条書きしときます。そのうち、ちゃんとした文章にまとめる……つもり。

 いつものことだが、予備知識ナシ。そのか以外の出演者名すら、まともにチェックしてない状態で観劇。

第1幕−青春花模様−花の武蔵!!

・かわいい女の子が、開演アナウンスをやってました。あれ? 娘役がアナウンス? 「……花組の、桐生園加です」 そのかなのか!!
・声が高いことは知ってたけど、「男役声」を作ってもいない、ナマの声でアナウンスすると、こーゆー声になっちゃうんですか……。
・それでも、もちろん拍手です、開演アナウンス。

・佐々木小次郎が、日向燦です! マメから登場だよ、小次郎だよーっ、総髪だよーっ。化粧濃いよーっ。
・そのか、後ろ向きで登場。後ろ向きで……後ろ……な、なかなか前を向かない……台詞も後ろ向き。ぐちぐちぶつぶつヘタレ武蔵。てか台詞、聞こえない。
・振り向いた武蔵!! スターブーツぢゃない!!
・どっかの武蔵さんは、ブーツ履いてました。どっかの小次郎さんもですけど。でもこの世界の武蔵と小次郎は、ふつーに草鞋履いてるんですね。

・武蔵、ポニーテール(ちょんまげ)の裾が、カールしてます。……何故だ……。

・最初の演技、歌、相当やばいです……うわーうわーうわー。てゆーか音声さん、声聞こえないよ、オケやSEに負けてるよ、なんとかしてーっ。
・舞台はがらりと変わり、2006年の日本!
・ブレザー男子と、ベスト+ミニスカ女子が、歌い踊る……っ!!
・高校生です。マジで、高校生やってます、ハタチ過ぎたタカラジェンヌたちが! なかにはまだ十代の子もいるかもしれんが、それにしても、制服プレイですか!!

・てゆーか、場面の名前が、「青春園加学園」なんですけど。
・みんな、とても歌がやばい件について。
・『スクール・ウォーズ』に『スケバン刑事』って、20年も前のネタは、今の若い子たちに通じるんですか? ああ、リメイクされるんだっけか。
・じゅりあちゃんは、どこまで行ってしまうのでしょう。男役さんが、女装しているよーにしか見えません。
・「アタシ、萌子。萌え〜〜!の、萌子よ♪」

・コジロー君@マメの登場を見逃すな!!

・いや、見逃すことはないだろう。『スカウト』の一花の登場を見逃すようなモノだ。
・コジロー君と、日向学園ホスト部のみなさんに乾杯!!

・ミーでユーで、フェルゼンなのだ。
・「つかまえてごらんなさ〜〜い」「待てぇ、こいつぅ」「うふふ」「あはは」♪ ×2回。
・いや、そもそもあんな合コンありえないから!
・光る白い歯。コジロー君素敵! ホスト部のみんな素敵!

・武蔵は二刀流に開眼し、コジロー君は必殺技・某鳥返しを披露する。
・愛を懸けた決闘だ!! 誠意と真心、そして夢を胸に!!

・……って、その優勝は、優勝したことにしていいのか?!(笑)

・武蔵君は風と共に去り、「さよならは言わない」のだ。

・どうしよう、そのかが、地味だ。

・これが花組クオリティ? 脇の下級生たちまで、幕が開くなりアピール全開、「ワタシを見て!」「オレに惚れな!」と主役の顔して踊ってます。
・とくにマメ。……え、えらいことに。
・みんな、少しは手加減しようよ……真ん中の人が、地味になってますよ。
・どこを見ればいいんだ。見るとこ多すぎ。てゆーか真ん中、そのかがんばれーっ。

・そのかがこんなに舞台にいて、台詞喋って、演技してるのはじめて見た。
・…………似てる。
・なんでだ。話し方や、ちょっとした声の出し方、表情などに、デジャヴに襲われ、惑乱する。

・ちなみに、テーマソングは『恋のマイアヒ』だ。

・あー、芝居の内容ですか? ネタバレしたら笑えないと思うんで、細かくは書きませんが。
・ひとことでいうなら、『伊賀のカバ丸』+『うる星やつら』ってとこですかね?(半笑)
・よくこの内容を、実写化したなーというか、商業演劇の板の上にあげよーと思ったな。

・最初の開演アナウンスは、拍手で迎えられた。そして、休憩を挟んだあとの、2幕の開演アナウンスは。
・爆笑されてましたが。いいんですか?

 
第2幕

・「たいへん長らくお待たせいたしました。ただいまより、第2幕−青春花模様−絢爛SONOKA祭り!!を開演いたします」
・アナウンスはすげー真面目なのに……観客が、サブタイトルのものすごさに、大ウケしてるよ……。

・ところでサイトーくんは、ケロファンにケンカを売っているのかな?

・『ドルチェ・ヴィータ!』のセーラーボーイ&ガールキター!!
・そのかにセーラー(デザイン微妙に変。てかその帽子はよせ)を着せるな。
・心臓に悪いな、『ドルチェ・ヴィータ!』かよ……と思っていたら、次のシーン。
・『王家に捧ぐ歌』の「美人選び」パロキター!!
・全員が美女。全員が女官。すごつよ姿に、愛称入りプラカード。「ワタシがいちばん美人!」「ワタシよ!!」そのかに迫りまくる。
・サンコン氏がすげえ……しゅん様がすげえ……。

・じゅりあちゃんは、どこまで行ってしまうのでしょう。
・スーツそのかとスーツじゅりあのキスシーンが、男同士のイケナイ世界に見えてしまうワナ。
・じゅりあちゃん、娘役の寿命を縮めていなければいいが……オトコマエすぎる。

・遼かぐら(研3)から、目が離れなくなる件。
・男役が女装してるのかと思った。
・ぱんつ見せすぎです。
・ロングドレス姿が、めーっちゃオトコマエ。

・そのか、歌いまくり。 

・そのかが、へろへろに。
・何故、そのかにそこまで歌わせる? 黙って踊らせてくれ。ダンスに集中させてくれ。

・体力勝負だなあ。

・中島みゆき曲絶唱シーン。
・世界にただひとりの「攻」そのかに、この世のすべての「受」(男女問わず)が絡み、別れ消えていくシーンは、すばらしいです。
・そのかひとりが、男。あとは、男役だろーと娘役だろーと関係なく、誰もが「女性パート」として絡むの。ドシリアスに。
・男@そのかに、せつなく色っぽく絡む男@しゅん様。男@そのかに、色っぽく深刻に絡む男@マメ……etc.
・そして、男@そのかだけが残る……。

・ところで、「横浜ベイスターズのテーマ」に、隣の席でkineさんが大ウケしてました。
・kineさん、プロ野球ヲタクだった過去もある人だからな……あっ、ばらしちゃった。

・若者たちひとりひとり、全員にそれぞれ見せ場アリ。
・そしてみんな、その見せ場に食らいつき、逃がさない。見せ場がなくても、キザりまくり、アピりまくる。
・恐るべし、花組クオリティ。
・てか、娘たちも濃いぞ……。

・そのかは、大変。
・なにしろ歌いまくる。歌ですよ歌。歌多すぎ。
・自分の仕事をこなすだけで精一杯、客席にアピってる余裕はない。
・結果、そのかが地味に、周りがコテコテに。

・てゆーか、いちばん目立つのがマメ氏だという現実。


・『スカウト』で、すべての話題を一花がさらったよーに。
・『DAYTIME HUSTLER』で、見終わった観客が最初に口に出す名前がヲヅキであったよーに。

・真ん中は、大変だ。がんばれそのか!!

・最初はどーなることかと思ったそのか氏、芝居も最後はちゃんとかっこよくなっていたし、ショーも純粋に「ダンサー」、「ダンス中心のスター」という面では、きちんと仕事をしていた。
・のどか氏と端正に踊っているところがいちばん安心できたよーな。
・あとは場慣れだな。
・「真ん中」に慣れろ。
・客席を見てくれ。
・君のオーラを、内に向かわせず、客席に向かって解き放ってくれ。

・『恋のマイアヒ』のそのかダンス、すてき。
・てゆーか、今も曲がアタマを回ってこまる……マイヤヒー♪ マイヤフー♪
 

 
・そのかを見守りたいと、心から思う。

・そのか〜そのか〜そのか〜。
・なんか、泣ける。

 

齋藤吉正クオリティ全開。

・誰か、止める者はいなかったのか(笑)。

・いいとか悪いとか、まちがってるとか壊れてるとか、そんなささいなことは、吹っ飛ばす作品。

 百聞は一見しかず。とにかく、観てくれ。すごいから。


 とまあ、さんざん「夢オチさいてー。そんなの『物語』としてありえない、反則」と書きまくっておいて、だ。
 作家としての良心やプライド、存在意義まで疑わせてもらったけど、ソレはソレとして。

 夢オチの『スカウト』萌え。

 すみません、わたしにはいろいろな「階層」があって。
 純粋に「物語」として、『スカウト』の不誠実さ、作家の驕りに立腹し、あきれている層もあるんだが。
 画面の美しさや、会話のテンポのよさを評価している層や、お笑いに特化した部分をそのままたのしんでいる層、役者たちの個人技に心酔している層と、いろいろあって。
 らんとむのかっこよさや、きほちゃんの光、いちかの芸達者さやみわっちの三枚目ぶりと鋭いまでの美形ぶりに、ミーハーしてきゃあきゃあ言っている層もあり。
 ナニより、まっつの素敵さに、ふにゃふにゃになっている層も、かなりの大きさで存在し。

 それらすべての階層が、ふつーに、同時に、存在しているの、わたしのなかに。

 だから、正塚に不満バリバリの層が饒舌にテキストを埋めているけど、ほんとに、キライなだけでもなければ、作品を腐すことが目的でもないのよ。
 同じクチで、言わせてもらうもん。

 夢オチ、萌え〜〜。

 
 とゆーことで、この欄では「リセット」説は撤回、「夢オチ」前提で語らせてもらいます。

 夢です、夢。全部夢。はじめからまるっと全部、「なかったこと」。

 すべてが「仕組まれていたこと」で、ショーン@らんとむの夢だと言うなら。
 現実に「在る」とわかっているのは、ショーンが事故に遭う前に登場していた人たちと、2度目の覚醒以後に登場した人々のみ。
 ジェシカやフランク、ダンサー仲間たち。医者と看護士。そして、サーシャと……アズ@まっつ。

 ラルゥ@いちかは架空の存在かもしれないけど、プログラムの中のキャラクタかもしれないけど、アズは生きているんだ。実在なんだ。

 しかも、サーシャに簡単にあしらわれている。もしも彼が、完全に「敵」ならば、サーシャにアゴで使われたりはしないだろう。口答えひとつできずに従う、ということは、「倒すべき敵」ではなく、「組織の下っ端」ということだ。
 アズ、味方だったのか!
 サーシャの組織のエージェントかと思われていたラルゥが架空キャラで、アズが実在キャラ? てことはラルゥとアズが同一人物、てのもアリ?

 ラルゥとアズは、そもそも2個イチの存在である。ふたりは対で登場し、ふたりだけで踊る。ギャグ全開になるまでは、まるでカストルとポルックスのよーに、ふたりでべったり一緒にいる。ライトの外だから見にくいだろーけど、最初のショーンの病室にジェシカが登場するまでの間、上手の階段でラルゥとアズは双子か恋人同士のようにくっついて坐っているよ。このときのふたりが、すげー雰囲気アルんで、いつもたのしく見ていたけど。
 ラルゥは性格が統一しないはじけきった女の子で、このうえにいくつ人格があっても変じゃない。
 ラルゥの複数の人格の上に、さらにアズも含まれるとしたら。
 いや、実在がアズの方だから、あくまでもアズがあったその上で、さらにラルゥというキャラクタも作り上げられているとしたら。

 愉快なんですけど。

 アズのもうひとつの人格が、ラルゥ。感情的なアズが突っ走りそうになると現れる、ラルゥ。「お前がかき乱されてどうするよ?」「恥ずかしいよ」……ラルゥはあまりに強い、完璧なキャラクタだから。そのとりとめのなさも含めて。
 女の子の姿をしながら、あちこち男言葉になって。基本は女の子のはずが、あちこち脱線して。
 男のアズが本体だから、つい、そっちが出てしまうとか。

 それって、萌えるー(笑)。

 ま、そんなややこしいこと考えなくても、ラルゥはサーシャたちの組織が作った架空キャラ、テストをコントロールするただのナビゲータ、ということでもいいよ。

 嘘の世界で、ショーンとサーシャ、そしてアズだけが本物だった、ということでも。

 なにしろ、ラストの病室シーンで、アズにはそれまでの記憶がある。すべてがショーンの夢で、眠ったままテストを受けていただけだとすれば、ショーンがアズを知っていたとしても、アズはショーンを知らないはずだ。アズにとっては、初対面のはずだ。なのに、アズとショーンは「これまでの続きの会話」をするんだよね。気を付けて観たけれど、やっぱりふたりの会話は、「続き」だ。初対面じゃない。
 「夢オチ」だったというわりに、夢の中で恋をしたサーシャとの関係は、夢が醒めたあとも続いていることだし、ショーンはただの作られたプログラムの中にいたというより、ネットワークゲームのような世界にいたんじゃないかと思われる。
 複数のプレーヤーたちが、それぞれの端末で、ゲームに参加していた。そうやって、物語の流れを管理していたと考えるべきだろう。
 サーシャは実際にサーシャというキャラクタになってゲームに関与していたし、そこで生きていた。アズもまた、悪魔キャラとして、ゲームの中でショーンに会っていたんだ。だからこそ、彼がやりすぎてショーンを殺しそうになると、ナビゲータのラルゥが現れてフォローする、という展開になったんだ。

 アズは、組織に飼われている悪魔。人間側ではあるけれど、目を離すと人間に取り憑いて破滅させたりとろくでもないことをする。悪魔と戦うためには、悪魔の協力者がいる。悪魔と戦う武器……それは、味方になった悪魔=仲魔のこと。
 スカウトされ、無事にテストに合格し、晴れて「戦士」となったショーン。
 彼の仲魔……コンビを組む悪魔とは、アズのことじゃないか?

 『スカウト』は、予告編に過ぎない。

 次からは、ショーンとアズのコンビによる、悪魔退治ドラマがスタート。1話完結で毎回豪華なゲストを迎え、ハラハラドキドキの物語が! 進展しそうでしない、ショーンとサーシャの恋の行方は?!

 てのは、どうよ?

 もちろん、腐女子はサーシャを置いておいて、男ふたりの友情に萌えるの(笑)。

 いつも丁々発止、顔を合わせればケンカばかりの人間と悪魔のコンビが、危機には手を取り合い、助け合って戦うの。意地を張り合ったり、わざと悪ぶってみたり。でもほんとうは、強い絆で結ばれているという、定番の相棒モノねっ。

 でかいカラダのダークカラーの髪の人間。ホットでハートフル。小柄で華奢な金髪の悪魔。クールで自己中。大型犬と、しなやかな猫。なのに、猫攻の、犬受。アズ×ショーン希望(笑)。希望ったら、希望。
 いつものケンカが行きすぎて、ついやっちゃったとか、そーゆーの希望(笑)。
 どつき漫才バージョンと、ドシリアス鬼畜バージョン、どちらもお気に召すまま。

 いやあ、『スカウト』、通ったからね(笑)。これだけ時間費やしてたら、萌えドコロにも開眼しますことよ。

 ショーン@らんとむ、かっこよすぎ。アズ@まっつ、きれい、かっこいい、かわいい、大好き。
 てことで、作品がどうあれ文句がどうあれ、所詮わたしは、もんのすげーたのしんでいるんだよ、『スカウト』で。


 わたしが『スカウト』の「テスト」というオチを、「夢オチ」だと思わず、時間が戻ったために「リセット」されたのだと思った理由は三つある。

 ひとつは、純粋に「夢オチ」なんてサイテーなオチを、正塚晴彦ともあろうものが、やるはずがない。とゆー思い込み。

 もうひとつは、わざわざ悪魔が四次元の生物であり、時間を自由に行き来できるという設定があること。
 夢オチだとこのネタが無意味になってしまう。

 みっつめが、「テスト」終了後にアズがいること。
 「夢オチ」ならば、アズとショーンは初対面ということになる。悪魔アズは「人間には姿が見えない」という前提で生きているはずだ。ショーンとふつーに会話すること自体ありえない。

 とまあ、「夢オチ」にすると、さらにつじつまが合わなくなるんだよね。
 どーして正塚、わざわざ「夢オチ」にしたんだろう? 百害あって一利ナシなのに。……あ、利はあるのか。ナニやってもいーじゃん、夢なんだからめちゃくちゃOKという、作者だけがお得というヤツ?

 「夢オチ」だと聞いて、前述の通りわたしとkineさんとドリーさんは即座に「聞かなかったことにしよう」と結論を出した。正塚のためにも『スカウト』という作品のためにも、そんなことは「聞かなかった」。
 あってはならない(笑)。

 つーことでわたしたちは、「夢オチ」だと知ってなお、そのことを「なかったこと」として話をすすめ、舞台をたのしんだ。舞台上で明言されていないのだから、余白の部分を自由に考えるのは客の特権だ。

 「テスト」は「夢オチ」ではなく、時間が戻ったために「リセット」されたものだとして。
 サーシャたち「対悪魔組織」はどの程度ショーンに関与していたのか。

 わたしは「すべて嘘だよーん。舞台にあったモノみんなみんな、作者の都合のいい嘘」だと考えるのは嫌だ。
 ブラフはアリだと思っているが、真実と誠意を信じたい。

 まず、「悪魔に操られ、正気と狂気の間で苦しむサーシャ」は本物だと思っている。

 たしかにサーシャはこのゲームの仕掛け人のひとりだが、ショーンと出会い彼に恋するところでは、あえて本来の記憶を封印し、「無力な少女」キャラになりきっていると思う。
 テストに必要だから、ふつーの人間になって現れたんだね。
 悪魔の浸食に耐えられたのは、彼女がふつーの人間じゃなかったからだろうし、植物人間になってしまったとしても、最終的には目覚めたと思う。ショーンのテストの結果がどうあれ。
 ま、仕事に「命張った」ってこと(笑)だと理解。
 これがショーンの採用試験である以上、「お姫様キャラ」が必要、されどなにも知らない一般人にそんな危険な役をやらせるわけにいかない。だからエージェントのサーシャが自ら記憶や特殊能力を封印して、「ヒロイン」を演じたのだろう。
 テスト終了まで、彼女の記憶は封印されたまま。
 「ふつーの女の子」として、悪魔に翻弄され、ショーンに恋をした。

 テストの中のサーシャが、エージェントとしての記憶を持たないだけに、テストの流れをコントロールするモノが必要だ。
 もうひとりのエージェント。

 それが、ラルゥだ。

 物語は、ラルゥの呼び声によってはじまる。
 ラルゥの声に導かれ、ショーンは交通事故に遭う。
 冥界でラルゥをはじめとする悪魔たちに喰われかけるが、天使サーシャ(この段階では、記憶も特殊能力もある)の力で現世に甦る。

 ショーンを翻弄し、導くのはラルゥ。
 さまざまな難題をふっかけては、ショーンを試し続ける。

 本来の記憶を封印され、「ふつーの女の子」となったサーシャの祖母は、ラルゥのもうひとつの姿。記憶のないサーシャを「ヒロイン」としてショーンへの恋を刷り込む。
 それはあまりに作為的。
 ラルゥが「対悪魔組織」のエージェントでなければ、無意味な行動だ。
 「ふつーの女の子」サーシャは、このテストのために作られた架空の存在だ。その祖母というキャラクタは、同じ組織の人間であると考えるのがふつーだろう。

 サーシャのために自ら死を選んだショーンに「誓いを立てますか?」と答えを迫る声もまた、ラルゥ。

 終始一貫して、ラルゥの行動は「テストをコントロールする者」だ。

 ラルゥはたぶん、ほんとーに悪魔なんだろう。
 悪魔の中でもとことん悪魔らしいキャラなので、「おもしろいから」とかそんな理由で人間側に協力、スパイとして悪魔側にいる。

 組織の女エージェント、サーシャとラルゥの「テスト後の日常会話」とか、見てみたいよな。

「ちょっとあなた、あそこまでやらなくてよかったんじゃない? ほんっとーに私、狂うところだったわよっ?!」
「なに言ってんだよ、敵を騙すにはまず味方からって言うだろーがよ、オレがあそこまで容赦なくやったからショーンがおめーのために、本気になってがんばっちゃったんだと思うの(はぁと)」
「それはわかるけどね」
「それはそーと、ショーンとはその後どうなのよ? すべての世話を? すべてって、すべて? やーん♪」
「……ゴホン」
「『あの人のことが嫌いなの? 好きなの? 嫌いなの?』」
「……あなた、たのしんでなかった? 普段のストレス解消とか?」
「帰って寝ようっと」
「待ちなさいコラ!」

 てな、女同士のかわいくも火花散る(笑)関係で、あまり気の合わない同僚、であってくれたりすると、たのしいのになー。

 「夢オチ」にしちゃうと、ラルゥまで「存在していない」ことになるから、もったいなさすぎる。
 「リセット」なら、ふつーの人間であるフランクたちとの出来事は全部消えてしまうけど、時間を好きに行き来できる悪魔たちだけは「消えてしまった部分」の記憶も持っているからねー。

 
 「お笑い」に逃げずに、ふつーに「ハードボイルド」な物語を作って欲しかったよ。
 わたしはちゃんと、たとえ「テスト」であっても、ショーンとサーシャは「恋」をしたんだと思っているからさ。


 無意味にお笑いになっている、主人公の人格が破綻している、など書き連ねてきたが。
 『スカウト』のオチを知っている人なら、こう言いたいかもしれない。

「そもそも、全部『テスト』だったわけでしょ? 論理的にどうこうとか性格が破綻とか、論点ズレてるんじゃないの?」

 この「すべてが所詮、『テスト』に過ぎなかった」というオチが、またひどい。

 このオチのひどさは、大きく分けてふたつある。

 ひとつめ。
 すべてが、「なかったこと」として、消えてしまった。

 ショーン@らんとむが最初の事故で目覚めたところから、最後の冥界のあとに目覚めたところまで、物語のほとんど全部がまるっと「なかったこと」になっている。
 サム@みわっちとの出会いも友情(……)も、フランク@まりんたちとの友情も、全部「なかったこと」。
 そして、この物語の中核であったはずのサーシャ@きほとの恋愛すら、「仕組まれたもの」になってしまった。
 これはひどい。

 そして、ふたつめ。
 そもそもテストって、なんのテスト?
 対悪魔戦士ってことなんだろーけど、そのテストの合格ガイドラインってなに?

 ショーンは、利己のために他人を傷つけて当然、という価値観の人間だったんですけど?
 「世界を守る理由は、愛する女性を守るため」で、その恋人が危なくなったら、「世界なんかどーでもいい、恋人さえ助かればそれでいい」という、そんな人間の、どのへんがよくて、合格したの?
 恋人を人質に取られたら、どんな非道なことでも平気でするぞ? それを責められたら、「他人のことなんか考えてる余裕ない!」と正当化するぞ?
 こんな男、戦士にしちゃダメだってば。

 破綻してます、完璧に。

 
 とまあ、ひどいだけのオチなんだよ、「テスト」ってのは。
 これじゃこのオチってさ、ただの言い訳にすぎないじゃん? 言い訳にもなってないけど。

 これだけでもひどかったんだが、さらにまだ、最悪な事実があったんだよねえ。
 そのことを、段階を踏みながら書こうと思う。

 
 ここで、確認すべきことがある。
 ショーンが最初に交通事故に遭い、3ヶ月の意識不明のあと目覚めた時点、これをA地点としよう。
 サーシャを助けるためにサムに殺してもらい、冥界でどんちゃん騒ぎを経て、「誓いを立てますか?」という謎の声に「誓う!」と叫び、目覚めた時点、これをB地点とする。

 わたしはこのふたつの時間軸、A地点とB地点は別のものと認識していた。

 A地点でショーンはたしかに目覚め、その後もふつーに生きていた。サムやフランクとの話も、全部本物。実際にあったこと。
 悪魔たちは「四次元の生物」であり、好きに時間を行き来できる。
 その悪魔たちとどう対峙するか、どう戦うかを視るのが「テスト」である以上、戦いの結果、時間が戻ってしまうことも可能性としてある。
 A地点からA’地点まで来たところで、ショーンが死んだ。それを救うために、対悪魔組織が時間に関与し、A地点まで時間を戻した。
 この場合、時間は一旦A’地点まで進んでいたのだから、時間を戻ったとしてもそこはもうA地点ではない。B地点である。
 だから医師と看護士の会話も少々チガウし、ジェシカの車もチガウ。ショーンの服もチガウ。
 なによりも、アズ@まっつがいる。
 アズはA地点からA’地点までの「記憶」を持っている。だから、ショーンとの会話が成立する。
 アズと「この間の会話の続き」をする以上、B地点とA地点は、時間的には同じであっても、別の世界だ。

 「テスト」だから、AからA’までの「出来事」は「なかったこと」になってしまった。
 でも、たしかにソレは在った。時間が戻り、リセットされてしまっただけのこと。

 この「なかったこと」「リセット」ってだけでも、わたしは冒頭にあげたふたつの理由から「ひどい」と言っていたんだけどね。

 事実は、もっとさらにひどかったのよ。

 『スカウト』ってさ、全部、ショーンの見ていた夢の話なんですよ。

 というオチがあることを聞いた。出典は某お茶会。わたしは誰のお茶会も参加しとりませんので、又聞きですが。
 A地点からB地点までが「夢」で、出来事すべてが「テスト」であったと。

 それを聞くなり、その場にいたわたしと、ドリーさんとkineさんは、「聞かなかったことにしよう」と言い切りましたよ(笑)。

 正塚晴彦という作家のために、『スカウト』という作品のために、そんな最低最悪な設定は、「聞かなかったことにしよう」と。

 物語を作る上で、やっちゃいけないこと、つーのがある。手法としての存在は認められているけれど、コレをやると客に非難されても仕方がない、まさに禁じ手というヤツ。

 それが、楽屋オチと、夢オチだ。

 わたしが最初に語っていた「リセット」と、「夢オチ」のちがい、わかる?

 『エリザベート』で解説すると。

 黄泉の帝王トートに愛された少女シシィ。彼女の人生には、トートの影がつきまとう。
 孤独と放浪の末、ついに彼女の人生に終焉がやってきた。暗殺者の手にかかる瞬間、エリザベートは……。

1・
 エリザベートは神に懇願した。
「神様、わたしは人生を間違えました。やり直しをさせてください。やり直すことが出来るなら、姉のお見合いについて行ったりしません。皇帝の求婚を受けたりしません。息子を突き放して自殺に追い込んだりしません。わたしはわたしに見合った人生を生き直します」
 祈るエリザベートの前に神様が現れた。「その願い、聞き届けよう」

 朝自分のベッドでエリザベート……15歳の無邪気なシシィは目覚める。
「夢? ……ううん、ちがう。時が戻ったんだ、神様感謝します!!」
 苦しみ、あがきつづけた半生の記憶は、たしかに胸の中にある。出会った人のこと、愛した人のこと、傷つけ、傷つけられた記憶も。闇の帝王トートの存在も。
 それでもなお、さらに前に進む余地を、彼女は与えられたのだ。

2・
 エリザベートは神に懇願した。
「これは夢よ、悪い夢だわ。早く覚めて!!」

 朝自分のベッドでエリザベート……15歳の無邪気なシシィは目覚める。
「夢? やーだ、変な夢見ちゃった」
 そう、なにもかもが夢だった。黄泉の帝王トートなど存在しないし、皇帝ともまだ出会っていない。年老いた皇帝が冷たい妻を追いかけて「君を愛してる、君が必要だ」と言いに来るなんて、ただの夢の中の出来事だ。脳内妄想ならなんでもあり。
 夢見るお年頃だから、仕方ない。

 1が「リセット」、2が「夢オチ」。

 1では、『エリザベート』のストーリー全部が「ほんとうにあったこと」しかし、「時間が戻ったために、消えてしまった」。
 『エリザベート』という舞台を観て、観客が感動していた場面場面、出来事や台詞、キャラクタ、すべて「ほんとうに、あったこと」。
 ただソレが「消えてしまった」だけ。

 2では、『エリザベート』のストーリー全部が「はじめから、なにもなかったこと」。
 『エリザベート』という舞台を観て、観客が感動していた場面場面、出来事や台詞、キャラクタ、すべて「はじめから、なにもなかった」。
 ただの、ヒロインの妄想に過ぎなかっただけ。

 「消えてしまった」だけでも充分ひどいけど、「最初から、なにもなかった」はさらにひどいよね。

 「夢オチ」とゆーのは、そーゆー最悪の手法だ。

 どんな名作でも、「ぜんぶ夢でした。アハッ」とやれば駄作となるし、どんなめちゃくちゃな駄作でも、「だって夢だから、なんでもアリだもーん」と肯定されてしまう。

 タカラヅカのあらゆる作品の最後に、「ぜーんぶ夢でした。チャンチャン」と付けてみて。その反則具合がわかるから。

 つーことで、最初の「そもそも、全部『テスト』だったわけでしょ? 論理的にどうこうとか性格が破綻とか、論点ズレてるんじゃないの?」に、戻る。

 「夢オチ」としてしまったら、すべての粗を「だって夢だから、なんでもアリだもーん」で誤魔化せてしまうのよ。
 「テスト」どころの話じゃない。

 「テスト」としても破綻しているし、それらすべてを「夢オチ」で終わらせてしまう、いくらなんでもあんまりだ。

 ここまで誠意のない作品は、愛せないよ。


 『スカウト』語りの続き。
 1幕は、ふつーだった。されど。

 2幕になると、ストーリーも「心」も関係なくなる。「お笑い」のみを追求しはじめる。
 死んだ恋人のジェシカが悪魔となって現れても、ショーンの「心」は痛まない。「気持ち悪いから、触るな」という言動を取って、観客を笑わせる。
 たとえ真実愛していたわけではないとしても、その言動は「人間」として、ありえない。「心」がない。あるのは、観客を笑わせる、という作者の利己心のみ。
 愛するサーシャのために、自分も死ぬというショーン。それはいい。それはアリだろう。だが、その「人殺し」をサム@みわっちに押しつけ、悪びれることもないというのは、いかがなものか。
 ショーンは1幕で変わったんじゃなかったのか? 狂人扱いされても仲間を助ける、そーゆー男になったんだろう? なのに、他人を傷つけても平気なの?
 ……まあ、サムをどれだけ傷つけても平気、他人なんか世界なんかどーでもいい、サーシャさえ助かればいいんだ、という考え方もアリだとは思う。ショーンにとっての「世界」がサーシャである以上、彼女がいない世界なんか、滅びてもいいんだろーさ。
 「世界中を敵に回しても、俺はお前だけを守る」とか、「世界中の人が死んでも、君だけ無事ならそれでボクは幸福だ」とかは、アリな価値観だよ。無力な老婆を突き飛ばして、愛する彼女に花を渡すよーな、「すべてに冷たい人なのに、ワタシにだけはやさしいの。キャっ♪」と、そーゆー壊れた男を好きな女は大勢いる。わたしは好きじゃないけど。
 そーやって、ショーンが「他人のことなんか知らね。もう俺はヒーローじゃないから、好き勝手するんだ!」と言って、サムを傷つけ利用するのも、アリだとして。そこまでしてたったひとりの人を愛する男、という表現だとして。
 わからないのは、何故ここが、お笑いシーンなのかということだ。
 前にも書いたけど、悪魔と戦う「同志」であるふたりが、命のやりとりをするんだよ? ショーンが助かったのは結果論であって、この時点ではほんとーに殺してしまうわけだよ?
 真の意味での信頼がなければありえない出来事だし、それゆえにもっともシリアスな、感動的なシーンになるべきところなんだ。どれだけ自分勝手な行動であろうと、シリアスであれば、「恋人への愛」と「男同士の友情」として描ける大切なシーンだ。それこそ、『ファントム』のキャリパパとエリックのよーに。正塚作品で言うなら、『バロンの末裔』の狩り場のシーンぐらいの正面切った断腸の想いを表現すべきシーンだよ。
 それが何故か、「お笑い」。
 ここを「お笑い」にする理由がわからない。ショーンの「愛のために他人を傷つける行動」を笑わせる、というのは、「愛」そのものを否定したいのか?
 愛のために暴走する姿を笑えと?
 『王家に捧ぐ歌』のファラオ暗殺のシーンですちゃらかな音楽をかけて笑わせるよーな感じ? 「愛のため」に国が滅ぶのどーのと大騒ぎだった場面、つーことで例題。
 作者はなにがしたいんだ?
 お笑いにする意味もわからないが、それでもお笑いにするしかないというなら、浪花節にすることはできたのに。
 ショーンがサムを信頼しているから、その手で殺して欲しいのだと、すちゃらかな「サムソング」でこれでもかと訴えかけ、サムが感動して滑稽に泣き崩れれば、画面的にも展開的にもまったく同じものになる。
 なのにソレすらなく、ショーンはただ身勝手なだけで、サムは滑稽なだけで、笑わせるためだけにおかしな言動を取る。
 「お笑い」にする必要性がない。論理的に説明できない。あるのは、観客を笑わせる、という作者の利己心のみ。

 
 1幕はふつーの「正塚芝居」だったのに、2幕で急に「お笑いもの」になった。
 1幕で作り上げたものを、2幕で破壊する。

 ただ「笑わせる」という目的だけを考えて、キャラの人格は破壊され、言動はおかしくなり、物語はめちゃくちゃになる。

 わからないのは、何故、そうまでして、笑わせなければならなかったかだ。

 ここが吉本新喜劇だというならわかる。
 「笑い」がテーマで、客は腹を抱えて大笑いするために金を出している。

 だがここはタカラヅカで、正塚はタカラヅカの座付き作家だ。
 タカラヅカなのに、何故、主役を「人格破綻者」にしてまで、笑わせなければならなかったんだ?

 どんなに「笑い」にこだわった作品であっても、物語的に「正しい」なら、それはかまわない。
 笑いすべてが悪いと言っているわけじゃない。
 「笑わせる」ために、キャラや物語を壊しているから、変だと言っているんだ。

 「笑い」の使い方を、まちがったのだと思う。
 悪魔たちは「心」を持たないのだから、彼らでいくら笑わせてもいい。ラルゥは軽やかに最低で、ショーンをもてあそびまくればいい。ショーンの死体を囲んでドンチャン騒ぎ、あれが正しい悪魔の姿だろうよ。
 だが、人間であり、「心」のあるショーンで「お笑い」をする必要はどこにもない。悪魔たちの「心」のないお遊びに翻弄されることで、滑稽な態度をさらして笑われればいいんだ。
 ひとことに「笑い」と言っても、誰も彼もが滑稽なことをすればいいってもんじゃない。他カンパニーの喜劇だって、ちゃんとルールに基づいて作られているだろう?

 
 「笑い」を得たいがためだけに、大きく間違ってしまった……ソレが、痛すぎる。

 しかも、「お笑い」を作る上でのルールやガイドラインもわかっていないまま、手当たり次第に「滑稽なこと」をさせて、観客を笑わせる……。

 それはあんまりだよ、正塚せんせー。
 「心」は、どーしちゃったの?
 1幕には、たしかにあったのに。


「緑野さんは、あと1ヶ月くらい『スカウト』ネタを書き続けるんじゃないの?」
 と、ゆーことを言われてますが。

 何故? わたしがまだ語り足りていないってバレてるの?

 ちゃんと千秋楽の日の話も書いたのにー。なんか、終わりっぽいはずなのにー。

 いやその、その通りです。
 終わってからも絶賛『スカウト』祭り中でした。
 楽のあともずーっと、アタマの中でらんとむ氏の歌がエンドレスで回り続けるくらいに。

 でもさ。

 実はとっても複雑なんだ。

 やっぱりわたし、この作品、どーしても好きになれない。

 くやしいよ。
 らんとむはすげーかっこいいし、画面がオシャレで、役者が魅力的で、特撮的ベタベタさでノリのいい音楽がダサカッコよくて、とても笑える素敵な舞台なのに。
 なにより、まっつがものすげー素敵なのに。

 なのに、好きになれない。
 くやしい。

 なんでこんな、ひどい話なんだ。

 わたしは、どれだけ1場面1場面がオシャレで魅力的であっても、贔屓が素敵でも、「物語」に納得できなきゃ、好きになれないんだ。
 それが今回、よーっくわかった。

 何度も自問したよ。
 まっつがかっこいいんだから、まっつを見ているだけでしあわせなんだから、ソレでいいじゃないかって。
 まっつにいい役をくれて、愛情のある使い方をしてくれて、正塚せんせーありがとう!って、そう言えばいいじゃないかと。

 でも、ダメだ。
 まっつを見てしあわせなのと、作品を好きかどうかはまったく別物だ。

 好きになろうと努力した。
 努力したけど、ダメだったよ。しょぼん。

 わたしが好きな作品てのは、「心」が必要なんだ。
 「心」のない物語には、心が動かないんだ。

 どれほどコワレていても、起承転結や辻褄が変でも、つたなくても足りていなくても、好きなものは好きだった。
 ダメなところ、引っかかるところにブツブツ文句言いつつも、それでも愛しい作品はある。
 作品を好きで、そのうえでの欠点なら、文句言い言いスルーできる。
 だが、美点がいくらあっても、作品を好きでなかったら、たのしめないんだ。

 正塚晴彦は、どこで「心」を置き忘れたのか。

 第1幕は、ふつーだった。
 ラルゥ@一花とのやりとりはギャグテイストだが、それくらいは表現のひとつとして、ぜんぜんOK。
 サム@みわっちが完璧にギャグキャラだが、それも味だと思う。

 ショーン@らんとむは、「生きた」、「心」のある人間だった。

 才能あるダンサー兼振付家で、「今がよければそれでいい」と刹那的に生きる傲慢なイケメン。無国籍な話のハズなのに、歌舞伎町にいそうだな、この男。と、思わせてしまうのが、らんとむ氏の素敵なトコロ(笑)。
 今の職場が嫌になっても、いくらでも行くアテはある。義理とか人情とか関係ない。恋人のジェシカ@すみかとも、ドライな関係。人生ナナメに生きてるショーンには、手に入らないものなどナニもない。

 ……だったはずが。

 事故によって、すべてを失う。
 仕事も、恋人も。
 しかも、悪魔なんてものが見えてしまう。
 悪魔のことを仲間たちに知らせようとするが、もちろん誰も信じない。狂人扱いされるのみ。そりゃそーさ、その程度のつきあいしかしてなかったんだ。
 刹那的に、傲慢に生きてきた。それでよかった。
 だが今ほんとうに、ショーンはひとりになってしまった。孤独でもいい、もともと俺はそういう人間だと、ショーンは雑踏の中で歌う。そんな彼に、まとわりつく影。彼の孤独をあざわらうよーに。
 真の意味で「独り」になったショーンの前に現れる少女サーシャ@きほ。彼女と出会ったことで、ショーンは変わる。
 「仲間」を助けたくて、「悪魔」から守りたくて、狂人扱いされよーと突き放されよーと関係なく、走り出す。
 ショーンが変わったからこそ、仲間たちも変わる。フランク@まりんは、荒唐無稽な悪魔話を信じる。ショーンの真摯さに、心を動かされて。
 「心」が本物であるからこそ、ひとの「心」に届き、「心」が動く。それまでてきとーに生きてきたショーンは、そんなことも知らずにいた。伝えたい、守りたいと思った、その「心」は、ちゃんと「力」になるんだ。そのことを、はじめて知った。手応えとして感じた。
 だからショーンは、サーシャに惹かれる。「生きることがつらいときに、私はあの人に出会った」てのは『凱旋門』だが、つまりはそーゆーことだよな。絶望していたショーンの前に現れた白い光が、サーシャだった。
 「あなたを守りたい。あなたの生きる世界を守りたい」と、そこまで一気に話がぶっ飛んでしまうのも、仕方がない。サーシャによって、ショーンの「世界」は変わったのだから。
 そーして、ショーンは戦いを決意する。「戦う理由(わけ)はこの胸にある」ですよ、ヒーローソングですよ。そーやって、幕が下りるわけですよ。

 1幕はね、わかるの。ちゃんとショーンに「心」があること。
 問題は2幕。

 
 長くなるんで、続く。


 ところで、『スカウト』千秋楽は観られませんでした。
 さすがに、サバキ出なかったよー。観たかったけどさー。

 チケットを持っているハイディさんに、「まっつ見てね、まっつ。かっこいいから!」と強く言うと、
「大丈夫。kineさんよりは、ちゃんと見るから!」
 と、ナイスな答えが返った(笑)。

 楽は観られなかったけれど、前楽は、観られてしまった。
 サバキ待ちだらけだったのに、声をかけてくれる人がいたんだ。ありがとーありがとー、もうぜんぜんだめかと、『スカウト』を観納めることができないまま、公演が終わってしまうのかと悲嘆していただけに、めちゃうれしかった。

 しかも。

「ごめんなさい、こんなお席で」
 と言って譲ってくれたその席は、段上がり上手端。

 まっつ席キターーーー!!

 上手端ですよ、上手端!
 今までいろんな席に坐ったけれど、前方センターよりおいしかったのが、前方上手端なのよ!
 まっつがいつも目の前!
 それだけじゃない。

 まっつの歌声を聴くための、最良の席。

 まっつは今回、コーラスばっかだから。大勢の中にとけている「まっつの声」をより鮮明に聴くためには、歌っているまっつの近くにいる方がいいのね。
 前方上手席にいるときほど、まっつの歌声を堪能できたことってない。

 最後の最後に。
 オットコマエに低音で歌う、まっつの声を堪能しました。
 やっぱ、最初の事故のときの歌がいちばん好き。その前のらんとむ&すみかたちの歌にコーラス入れてるときの声も好きだけどさー。

 わたしはつくづく、まっつの声が好きなんだと実感。

 もともとわたしは、腐女子だから。アニメとかが好きだった(過去形かい)人間だから、好きになる人の「声」は重要なファクタ。
 顔が好みで、さらに、声が好みだったら、一気にオチるみたいだ。あとは芸風かー。演技下手な人には、ハマれないからなー。

 1幕では、まっつの声にめろめろで、幕間でドリーさんに「しあわせそうだな、ヲイ」と言われてしまったよ……はあぁ。溜息。
 そうなのよ、しあわせだったのよ。障害物なしで、思い存分まっつだけガン見して、まっつの歌声だけ聴き分けて。

 楽の前の公演は、VISA貸切だったので、観客の反応が新鮮。演じている側も、気持ちいいだろうな、あんな素直に笑ってもらえたら。
 バウってのは基本出演者のファンだけで埋まるものだから、リピーターばっかになりがちなのね。一見さんがいないから、アドリブ禁止の正塚ギャグ芝居をやっても、笑いがあまり起こらないの。もうみんな、台詞もタイミングも熟知した観客ばっかだもんよ。
 その点、貸切公演はいいさね。初見の客が圧倒的に多くて、空気がいい。観客が素直に笑い、舞台の上もとてもテンション高くなめらかに進んでいくのがわかる。
 みんながたのしそうだと、いいよね。

 あんまりしあわせだったので、楽のサバキが取れなかったからといって、大劇宙組を観る気になれず。
 もう少し、『スカウト』と、まっつを噛みしめていたいのだ……。これで最後なんだからさー。
 

 そのあと、楽を見終わったハイディさんと合流、ええ、ちゃんとまっつのことも見てくれたみたいよ! 少なくとも、kineさんよりは(笑)。
 とはいえ、結局いちかのすごさと、らんとむのかっこよさの話ばっかになっちゃうけどさ(笑)。さおたさんに浮気していた話も聞きましたけどさ(笑)。

 いい楽だったんだね。
 さおたさんの挨拶も、ハートフルだったようで。
 ……うおお、観たかったよー。残念だー。
 でも、際限なく欲張っても仕方ない。チケ運も金もなかったのだから、あきらめる。

 わたしがまともにサバキ待ちしたのって、ラストの2日間だけだったし、平日は2枚ばかし余ったチケットをさばいたクチだったのだけど(チケ取りは計画的にしましょう)、全体的にチケ難だったよね、この公演。
 ナマに感じたこととして。

 現在のらんとむ氏に、バウホールは、小さすぎた。

 現在、というのは、「正塚作品」だとか「組替え前」だとか、「ポスターの出来」だとか「他の出演者」だとか、そーゆーものも全部ひっくるめた現在ね。
 バウ+青年館ぐらいが妥当だったのではないかと。

 そーすりゃもっと、チケット取りやすかっただろうなあ。
「ポスターかっこいいし、ちょっと観てみたいな」程度の人でも、ふつーに発売日にがんばれば観られる、ぐらいの売れ行きがいちばんのぞましいよな。
 

 ハイディさんも巻き込んで、偶然会ったドリーさんのお友だちズのマナさんたちの「変身写真館」デビューにつきあったりなんだりしているうちに、らんとむの出を見られるくらいの時間になった。

 バウの楽屋口のところで、出演者たちがなにかしらわいわいやっている。横断幕にハミングで、らんとむ氏の組替えさよならイベントらしい。
 スカステよ……こーゆーところこそ、放送してほしいんだがな……楽屋口階段下にいる一般人のわたしたちからは、「なにかやっている」ことはわかっても、「なにをしている」かはわからないのだ。
 なんにせよ、たのしそうだ……。いいなあ、あったかいなあ、花組……。
 そーやって、組子たちに見送られて降りてきたらんとむ氏は、とてもオトコマエでございました。

 素のジェンヌに興味のないわたしは、これだけ『スカウト』に通っていたわりに(公演9日のうち、6日……)入りも出もまともに見たことがなく、グッズ購入のために会場まで行ったのに、お茶会にすら参加しなかったのだけど。

 はじめて、ナマのまっつを見て、また派手に幸福感に酔うことができたのでした……。

 なんだよー、かわいーぢゃん、美人ぢゃん、ふつーに小柄で華奢な女の子ぢゃん。髪も長いし、低すぎる声さえなければ、完璧にかわいこちゃんだぞっ。

 まっつを人混みの後ろから眺めているわたしを、横から眺めていたらしいドリーさんが、「すっごい、うれしそうでしたね」と言ってくれました……そーですか、ニヤけてましたか。照。

 
 しあわせな祭りでした。

 結果的にMy楽となった前楽を観終わったあと、爪が割れて、流血していることに気づきました。

 親指の爪の白い部分がぱきっと割れて、ピンク部分に達する勢いで裂けていたことには、わりとすぐに気づいたんだけど。
 どーしよ、爪割れてるよ、このままだとなんかのはずみでナマ爪はがしちゃうかもしんないぞ? と、焦っているときに。

 指に、血がついてる。少しだけど、点、点と。

 ?
 なんだ?

 マジでなにかわからなくて、ドリーさんや誠さんに「これ、血だよねえ? なんで流血してるんだ?」と自分で首をひねってました。

 少しあとで、気づいた。
 ひとさし指の腹が、ぱっくり割れていることに。
 いじったら、新鮮な血が出てきたのでわかった。

 えーと。
 割れた爪で、切ったんですかね? てゆーかなんで、どこで、わたしは爪を割ったんだ?

「まっつ見て、そんなに興奮しなくても」

 ドリーさんは、語尾に(苦笑)とつけたよーな、なまあたたかい笑顔をくれる。
 べべべつに、まっつのせいぢゃないわよっ。爪を割ったことにも、それで指を切って流血していることにも気づかないくらい、舞い上がっていたなんて。そんなバカな。

 ケガに気づかなかったわりに、気づいてしまったあとは、ずーっとちくちく痛いっす。
 今も、ひとさし指を使わずにキー叩いてます……。

 はぁぁあ。まっつ……(と、つぶやいてみる)。


 帰宅してから気がついた。
 あっ、今日なにも嘘ついてないっ。
 まっつ絡みでチョーシこいた嘘でもつこうかと思っていたのに。(やめなさい)

 
 今日は東京からはるばる、kineさんとモロさんが『スカウト』観劇に現れました。

 モロさんはわたしのまっつメイト。まっつまっつまっつ!!

 kineさんは……あれ? kineさん、『スカウト』の午後公演を1本だけ観て、また東京へとんぼ返り。……って、なんかものすげーファンな行動ですけど? 何故花組のためにソコまで……(笑)。そーいやらんとむ好きだっけ。

 このkineさんが、ひどいんですよっ。

「まっつ? 見てないから、わからない」
 
 ってゆーんですよっ。
 あれほどわたしが「まっつまっつ、まっつを見てかっこいいから!」とわめきつづけているのに。

「私が見る必要ないし。緑野さんがひとの5倍くらい見てるでしょ?」

 や。そーゆー問題ぢゃないから!!

 わたしとしては、まっつは素敵だから、全世界の人に注目して欲しいわけですよ。(真顔)
 

 まあ、わかるけどさー。
 kineさんとわたしは、オトコの好み、ぜんぜんチガウから。
 わたしがどんなに言っても、まちかだってゆうほさとるだって見てくれなかったしさ。『銀狼』の水くんだって、カケラも見てくれなかったしさ。
 kineさんは、他人がどう言おうと、自分の見たいモノしか見ないのだ(笑)。

 いいのよ。
 モロさんがいるから。モロさんとまっつ語りするから!! モロさん腐女子だから、アズ攻の話で盛り上がったから!(受は誰ですか? もちろん、あの人ですよ)

 
 わたしはもうチケットを持っておらず、サバキが取れなかったらドリーさん、kineさん、モロさんとごはんするだけでいいや、と、はるばる片道小1時間もかけてムラまで行ったわけですが。

 ありがたや、なんとか観劇することができました。もう一度、アズ@まっつに会えました。

 
 ああ……アズ@まっつを、ポケットに入れてウチに連れて帰りたい……。

 
 アズのことをちっとも見てくれないkineさんとは、らんとむの歌う「ふるえるまつげ♪」のくだりにゃ、とろけるよねっということで、盛り上がってました。

 作品が「虚構」「ゲーム」でしかなく、誠意とか心とかに大きく欠けているとしても。伏線が拾われないで放置されていることも。オチがあんまりすぎることも。
 全部全部蹴飛ばして、「話に説得力を持たせる」のが、主役の力。

 蘭寿とむは、正しく「タカラヅカのトップスター」の資質を持つ。

 アレな脚本を、力尽くで「いいもん観たよーな気がする」と、観客を錯覚させる力を持つこと。
 タカラヅカにおいて、限られた主演作に、駄作を与えられるのはあたりまえ。佳作が当たる確率の方がはるかに低いんだから。

 2005-05-05の日記で書いた。
 駄作はあたりまえ、だからこそその駄作を力技で「金を取ってもいいレベルに立て直す」のが、トップスターの仕事。

 『スカウト』は駄作じゃないよ。充分、見応えのある作品だと思う。これがさいとーくんだとかこだまっちの作品なら、褒めているだろうさ、穴だらけだけど、とりあえずよくやったと。
 ただ、正塚晴彦だからな。
 正塚でコレ、つーのがネックなだけで、若手作家の作品なら充分いい作品。

 主人公もヒロインも「人形」、「ゲームとして仕組まれた恋」「操られるだけのストーリー」であるにもかかわらず、そこにがあることを表現した、そのホットでハートフルな芸風は、らんとむの力。

 かっこいいけどばらばらな部品を、とりあえずアートっぽく並べてみました、な物語を、圧倒的な熱量で溶接し、ひとつの物語に再構築させてしまった蘭寿とむに、拍手。

 らんとむなら、どんな駄作も力技で「よくわかんないけど、最後は感動しちゃった」レベルまで、ハッタリかましてくれるんじゃないかと、期待する。
 それは、トップスターの資質だ。
 たのむぜらんとむ。ヅカの未来を担うひとりとなってくれ。

 
 さて、いよいよ明日が最終日。
 チケットは持ってないが、とりあえずは行く(笑)。

 ドリーさん、ハイディさん、誠さん、お茶しよーねー、ごはんしよーねー、楽の話、聞かせてね。
 てゆーか誰か、千秋楽のまっつをガン見して、まっつの話聞かせてくださいよ。
 サバキ待ちはするけど、さすがに明日は手に入りそうにないから、楽チケ持ってる人、プリーズ、まっつの話!!
 緑野こあらは、まっつ情報に飢えてます。よろしくシスターズ!!


「……で。この話って、おもしろいんですか?」

 花バウ公演『スカウト』を観終わったあと、チェリさんが真顔で言ったのが印象的。

 チェリさん、あちこち笑って、オペラグラスも使って、たのしそーに観ていたのにねえ。

 それを言われたわたしとドリーさん、一瞬絶句して顔を見合わせて、

「いや……まあ、ねえ」
「まあ、そういうことで」

 とかなんとか、言葉を濁したのがまたなんとも。

 わたしだってちゃんとたのしんでいますとも。笑って観ていますよ。いつだって。

 でも、返答に困る作品なんだよなー。
 ストーリーじゃなく、ノリとボケとツッコミだけをつなげてあるよーな作品。
 プロローグというか、これからはじまる「特撮戦隊モノ」の予告編のよーな、他愛ない話だからなー。

「らんとむの歌う主題歌だって、特撮ソングのノリだしな」

 と、うっかりわたしが言ってしまったので、今日ドリーさんからは「主題歌、前奏から笑ってしまう」とゆー、笑いに震えているかのよーなメールが来たし。

 
 今回、まっつが「歌手ではない」ということで。

「じゃ、誰が歌ってるんですか?」
 と聞かれれば、胸を張ってお答えしましょう。

 蘭寿とむさんです。

 らんとむオンステージ! ワンマンショー!! 状態。

 歌うのはとむ氏ひとりだと思っていて、まちがいはないっす。
 ひたすら彼が歌います。
 これでもかと歌います。

 曲はロック調っつーか、特撮か、アニメっぽいです。

 わたしは、らんとむ氏の声も歌も好きなので、まーったく問題ナシです。

 いくら歌ってくれてもヨシ。

 まっつときほちゃんとゆー、歌手ふたりが出演しているわりに、ヒロインのきほちゃんにソロが1曲あるだけ、まっつはソロなし、あとはみわさんの怪声ソロが1曲あるだけ。

 コーラスはいろいろ愉快な曲があり、なかでも「お経ソング」のみわっちの合いの手は秀逸です。
 曲名も歌詞もわからんが、観た人には「アレのことだ」ってわかるよね? 悪魔さんたち登場のときの、「お経」としか言いようのないみょーちくりんな歌。
 あのお経ソングに、「あ〜〜」とか「ひいぃぃ〜〜」とか、不気味に情けない声が重ねて聞こえるよね?
 まっつ見るのに必死だったから気づくのが遅れたけど、あれって、みわっちの声だったんだね。気づいたときは、すげーウケた。
 悪魔全員ショーンを威すためにダンス中だから、残る出演者はたったふたり、サム@みわっちとサーシャ@きほ。このふたりが上手端でスタンドマイクでコーラスしてるのは、最初から認識していたけど、パートまでは判別できてなかったからさー。
 みわさん、外見はすげーかっこいいのにさー……出している声は、「ひいぃぃいい……」だったりするんだもんよー。
 みわさん、グッジョブ!!

 
 ところでわたし、今回まっつのソロがないのが残念でならなかったのですが。
 それを吹きとばすくらい、コーラスのなかのまっつの声にしびれました。

 最初にショーンが交通事故に遭い、冥界?をさまようところ。
 ラルゥ@一花を中心とした悪魔たちが、ショーンを喰ってしまおーと踊るところね。

 あそこのまっつの歌声に、感動しましたっ。

 最初は誰がどのパート歌ってるかなんて、わたしのバカ耳じゃさっぱりわかってなかったんだけどさー。
 まっつの声だけに注目していたら。

 すごい、気持ちいいっっ。

 なんなのあのセクシーな低音!!
 かっこいいかっこいいかっこいいっ。

 そっか、ソロだとあの音はありえないんだわ。コーラスだから、他に音があるからこそ、まっつがあの音を、あの旋律を歌うんだ。
 そう思うと、足をバタバタして転げ回りたいくらい、うれしくなった。

 うおーっ。
 あの歌を、あの旋律をもっと聴きたい〜〜。
 まっつ〜〜。

 
 ストーリーなんかなくても、在る部分のストーリーがツッコミどころ満載のナンチャッテSFというか、ファンタジーと言えばなんでも許されると思ってないか?な出来であったとしても、とどのつまりは、おもしろい作品なんだと思う。

 少なくとも、出演者のファンにとっては。

 あたしゃ、まっつのかっこよさとかわいさと、声と歌だけで、こんなにたのしいんだもん。

「まっつって、英語がちゃんと英語に聞こえる、めずらしいタカラジェンヌなんですね」

 って、笑顔で言ったのは、たしかnanakoさん(笑)。
 まっつファンのみなさん、2幕は着席するの遅れちゃダメですよ、幕開きからまっつの見せ場ですから!
 舞台中央にひとりで現れ、「Ladies and gentlemen!」とやりますからね!! ひとりで喋ってひとりでキザって、そして群舞のセンターで1曲踊っちゃいますから!

 あと、2幕終盤でも、群舞のセンターで思いっきりキザるシーンがあるんだけど……アレはねー(笑)、ダジャレを飛ばして、みんなに引かれるシーンだからねー(笑)、ショースター的かっこいーオレ様シーンは、やっぱ2幕冒頭でしょうな(笑)。

 まっつ的には、へたにキザらず、端正に無表情に踊っているときが、いちばん美しいけどねー。

 
 ところでわたし、今回のバウでしみじみ思いました。

 らんとむの、アゴに触りてえぇ!!

 アゴスキーなわたしのハートに、グッとくるものがありました、今回のとむ氏のアゴ。
 こう、指でクッと持ち上げたいですね。
 そんでもって、酔った目で某ノリノリソングの「♪ふるえるまつげ」のくだりを歌ってほしいっす。

 あー、とむ受でもいいかもなー。(って、攻は誰だよ)

 最後にぼそりと腐った発言をして、本日の日記終了。


 さあ、今日はまたしても『スカウト』の日よっ。東京からドリーさんも来ているし、チェリさんとも会えるし!

 スカステニュースの『龍真咲トークショー』映像で、自分が映っていないことをチェックして胸を撫で下ろし、さあ、家を出るぞ、と思ったところで、念のために忘れ物チェック、チケットもまっつ&そのか手帳も忘れてないわ〜〜、と。

 ……チケット、2時半公演の分ぢゃん。

 11時公演だと信じ切って、家を出るところだったよ……。

 
 つーことで、時間が派手に余ってしまったので、家でのんきに日記書いてます。

 『スカウト』って、サバキ出てんですかね?
 自分がいつも、ぎりぎりに劇場に駆け込むんで、そのへんよくわかってないんですが。

 千秋楽、サバキ出ないかなあ……とりあえず、あきらめずにサバキ待ちはするつもりだけど。
 週末のチケはまったく持ってないっすから。
 悪魔まっつ、すっげー好きです。

 色男らんとむを問答無用で殴り倒す鬼畜まっつですよ? コレだけでハァハァもんでしょ?(付加疑問文)

 まっつに会いたい〜〜。

 
 つーことで、午後から『スカウト』に行ってきました!

「11時開演と間違えてた? どっからそんな?!」
 と、チェリさんとドリーさんに突っ込まれつつ。

 開演前、ドリーさんとふたり立ち話をしていたら、なんか金髪の人たちがどやどや現れた。あれ? ジェンヌかな? と思って見てみれば。

 『アパシネ』ご一行様勢揃い。

 オサ様がいますよ、ゆみこが、まとぶが、うっきゃ〜〜!!
 ふつーに、すぐ隣に立って、バウ座席表を見ながらあーでもないこーでもないと言ってますよ。

 固まったね。
 わたしとドリーさん、しばらくその場に立ちつくしていた。

 結局、オサちゃんたちが客席に入るのを見送ったかな。意識してではなく、固まっているうちに、そーゆーことになってしまったのだ。
 そのときに、ドリーさんが言ったひとことが、忘れられない。

「やっぱオサ様はすごいね。素で誘ってる」

 やっぱアレですか、フェロモン出てますか!! さすがだ春野寿美礼!!

 そーいやいつだったか『アパシネ』観に行ったとき、劇場前でnanaタンやキティちゃんと喋くってたら、横を水くんがひとりでふつーに通っていって、これまた固まったなあ。
 ジェンヌさんたちは元気だ。あちこちの劇場を行き来している。

 この回ではわたし、上手前方という、「まっつ席」でさー。もー、堪能しまくりだよ、まっつまっつまっつ!!
 ありがとうチェリさん、こんな素敵な席を取ってくれて!! まっつがずーっと真正面!!
 フィナーレでは、まっつに煽ってもらうまで、わざと手拍子しなかったし。
 あ、上手前方席の人たちにまっつが、手拍子をするよーに合図をするのよ。だからあえて、彼がソレをやるまで、黙ってみているの。まっつが「はいソコ、手拍子して!」とゼスチャーしてはじめて、「はい! します!!」とやるの〜〜。この席になったら、絶対そうするって決めてたの〜〜。うっとり〜〜。

 もうチケットないから、これで最後かもしれない、と、ひたすらまっつだけをガン見して、2時間が終わりました。
 ハァハァ。

 
 終幕するなり、ネットチェックをしていたチェリさんが、声を上げた。

「嘘。カルメンちゃん退団だって」

 わたしたちの間でカルメンというと、ひとりしかいない。

 ケロの相手役だった、椎名葵、たまこちゃん。

「うそっ、たまこが?!」
「待って、公式見るから」

 終演後の喧噪満ちるバウの客席で、わたしたちは、それを知る。

 たまこがカルメンで、わたしたちのケロがエル・マタドール=フアンだった、このバウホールで。

 折しも、本日集まっていたのは、わたしとチェリさんとドリーさん。

 あの伝説の『血と砂』初日に、このバウホールにいた面子。
 そのころはお互いの存在も知らず、ただケロを好きなだけで、あの濃密な空間に駆けつけていた。

 
 『血と砂』メンバーがまたひとり、卒業していくんだ……。

 
 ゆらさんの退団発表もまた、衝撃的だった。
 ずっとずっと、ここで夢の世界を支えてくれる人だと、期待していたから。

 タカラヅカ村は、雪。

 ……雪?!
 3月30日なんですけどっ? 明後日から4月なんですけど?

 『スカウト』のこと『NEVER SAY GOODBYE』のこと、組長人事やマチオ氏のこと、『血と砂』のことケロのこと、過去や未来を他愛なく語り続けるわたしたち。
 いつか今日も、過去になる。
 窓の外は雪。

 桜の木は小さなつぼみをつけたまま、冬の装い。

 春は来るよね。

 
 ……大阪に帰り、まず家族に聞いてみた。

「今日、雪降った?」
「雪? なんだそれ?」

 やっぱり。未だ冬なのは、タカラヅカ村だけかっ!!
 

 『Appartement Cinema』千秋楽!!
 なのにわたしは、劇場にいない。
 開演時刻とまさに同時刻、同じ建物内にいるっていうのにー!! うきーっ。
 わたしは所用のため、ホテルインターナショナルのティーラウンジにいました……くそーくそーくそー。わーんオサ様〜〜。

 なんかもー、どこでなにを書いたか最近忘れ気味なんだけど(複数場があるといかんね)、寿美礼ちゃんがかわいーのよ。
 『アパシネ』観てて、なにがずきゅんずきゅんするかって、わたしが春野寿美礼を好きだってことなのよ。
 やっぱこのヒト、好きだ〜〜っっ、と、心から思うのよ。

 会いたい……オサ様に会いたい……。
 や、もう無理だけど。

 『Appartement Cinema』に関しては、そのうちもうちょい語るとして。(まだ他に書いてないことが山積み。雪『ベルばら』とか星『ベルばら』とかまちかとか、月『エンカレ』とか月『ラスパ』とか……あっ、宙『ネバー』も観てたんだった!)

 今はアタマがとっても『スカウト』で、まっつ一色なので他公演語りはのちほど改めて。

 
 昨日の『龍真咲トークショー』では、サイン会もやっていた。
 それについての、わたしとnanaタンの会話。

「サイン会と言えばわたし、トドロキ様のサイン会行ったよ」
 と、わたし。
「それってトップのころ?」
 と、nanaタン。
 わたしたちは真咲のサインをもらう権利は得てなかったので、指をくわえているだけだったんだけどねー。

「いや、ずーっと前」
「3番手くらい?」
「いや、まだ若手っつーか……新公学年くらい?のころ」

「92年とか、それくらいだったよーな……」
 と、記憶を掘り起こしながら喋るわたしに。

「それじゃあ、そのころまだまっつは入団してもいない頃だね」

 nanakoさんは、すぱりと言う。

 ……がーん……。

 そ、そうか。そーだよな。
 まつださん、まだ音楽学校にすら入ってないわ。
 そんなに昔なのか、わたしが徹夜でトド様のサイン会に並んだのって。いや、徹夜したのは並びでじゃなくて、前夜が午前2時スタートで忘年会だっただけなんだけどさ。ビール掛けした服装のまま、朝から並びに行ったんだわ……徹夜のまま……若かった。
 
 数字で考えるよりも、「未涼亜希がこの世の存在する前」だと考えたことで、時の流れを実感。

 そしてそんなことで実感するのもどうかと思うぞ。
 ああ、時は流れるのだ。
 ヒトはこーしてばばあになるのだ。
 思い出は降り積もり、愛しさを増すのだ。

 
 てゆーか。

 nanakoさん、そこでまっつの話を出しますか。

 なんだかいろいろと、うきーっ!!な気分。
 あはは。(何故か笑う)


 今日はnanaタンと一緒に『スカウト』。nanaタンは今、オサゆみ通いで忙しいんだけど、わざわざめぐむを見るためにやって来たのよ。幕間も終幕後も、ものすげー勢いで「どれだけめぐむが素敵か」を語りましたよ、あの人(笑)。

 ちなみに、この『スカウト』のなかで、nanakoさんがいちばんウケていたのは、「かっぱ」でした。
 かっぱスキーのnanaタン、ショーンとサムの会話で「かっぱ」のひとことがあるなり、隣の席で両手で口を押さえて悶絶してました。
 いやあ、このひとことがあること、みんなにも口止めしておいてよかったよ。是非ナマで聞いて欲しかったからさっ(笑)。
 彼女は某カッパタンを愛し、めぐむを愛する。

 わたしはといえば、潔くまっつに見とれているので(笑)、nanaタンとわたしのオペラグラスは交差しまくり。同じ位置になることがない。

 あーもー、いいなー、まっつ。大好きだ。

 顔を眺めていられるだけで幸福だとはいえ、「萌え」が主食のこのわたし。なんとか萌えられないかと虎視眈々。
 よーやく、萌えどころのとっかかりを見つけて、そっちでウハウハしてます。

 アズ@まっつは、何故かショーン@らんとむの「大切な人」に取り憑き、殺すんだよね。

 まずは恋人のジェシカ。次に友人のフランク。サムには興味ない(笑)。
 ジェシカに取り憑いたのが偶然だったとしても、次の獲物がフランクだったのは、ショーンに注目していたせいだよね。自分の姿が見える「人間」に興味を持ったから。
 ラルゥ@いちかがショーンのそばにいつもいるのは、わかる。彼女はショーンに取り憑いているのだから。でも、アズはどうして? 何故かいつも、アズもショーンのそばにいるのよ。彼を見守っているの。
 アズを怒らせることのできる唯一の人間が、ショーンなんだよね。

 繰り返される、ショーンVSアズ。決着はつかないまま、終幕。

 ショーンは「戦士」となりこれからも悪魔と戦うそーだから、アズやラルゥとも長いつきあいになるだろう。
 ラルゥは「ゲーム」としての体裁を崩さないしたたかな悪魔だけど、アズはチガウ。けっこー感情的だし三枚目だったりもする。
 とゆー「基礎知識」の上で。

 ショーン×アズで、萌えておきます(暫定処置)。

 あたし攻スキーなんで、アズ攻の方がいいんですよほんと。でもなあ、相手、らんとむだからな。ちょっと想像力が働かないとゆーか……。

 いやその、子犬のよーにじゃれてるまっつといちか見ているだけでも、通う価値のある公演ですが。いちかの尻に敷かれているまっつも、まちがいなく萌えなんですが。
 でも。
 あたし、腐女子だから。(ウルフ@アパシネ風に)

 せっかくまっつが素敵なんだから、こんなにまっとーに耽美な役のまっつを見られるのは貴重だから、無理矢理だろーがなんだろーが、萌えておきますよ!!
 ここで萌えなきゃ、お天道様に申し訳がたたねえってもんよ。がんばれわたしー!

 あー、あと、らんとむさんにウインクするまっつに萌えです、はい。
 まっつ、客席に向かってするウインクは微妙なのに、仲間内では果敢にウインクしてるよなあ。オサ様相手にもウインクしてたもんなあ。

 見れば見るほど、まっつを好きになってます。正しいファンの姿だわ、萌えている内容はちょっくら腐ってるけど。

 ただこの作品において、まっつは歌手ではなくダンサー(笑)なので、歌が聴きたくてうずうずもしてますよ。掛け合いはあってもソロはないからなぁ。フィナーレの4人コーラスも、まっつの声ばりばりに聞こえてるけど、やっぱりソロで歌い上げているわけじゃないし。
 歌はエンカレまで我慢だなー。

 
 そーやってまっつを堪能した帰り道。
 ソリオ宝塚では、まさき尽くし。

 龍真咲、ソリオのイメージキャラクタに就任したんだねー。この間までかなめくん尽くしだったソリオが、今は真咲だらけ。素顔がきれーな子はいいよなー。

 ちなみに、『龍真咲トークショー』やってました。

 そんな告知してたか? 『スカウト』通いしているわたしなのに、ソリオはずっと通っているのに、真咲のポスターも見ていたのに、カケラも知らなかったぞっと。
 ちょうど会場をセッティングしているところだったのでそのままそこに紛れ込み、良席GET。たかだか20席ちょい(……)しかないトークショー会場の貴重な座席にて、初のナマまさき!!
 まかせろ、この前の新公もバウ主演もばっちり観ているわ! どんな話題もついていけるわよーっ。

 なんか、トークショーの間中、真咲がわたしだけに笑いかけてくれているよーな錯覚に陥り、幸福でした(笑)。や、わたしの真後ろにテレビカメラがあっただけのことなんだけどね。真咲、いちいちカメラ目線で喋るのなー(笑)。

 初のトークショーだということで、どーってことのない話題に終始した。場所がソリオの中の通路だったこともあり、ものすごく空気が散漫だったしなー。

 それでも、龍真咲。
 スポットライトをあびることのできるヒト。
 どうかこのまま、突き進んで欲しい。本人が言っていた通り、そこには正解も指導者もない、自分が正しいと信じるものを、表現し続けてくれ。
 

 ……そして、やっぱしまっつに似てるなー、とか、まっつよりわかりやすくやわらかい顔だよなーとか、まっつもこんなイベントやってくんねーかなー無理か……(ぼそっ)、とか、つらつら思うのだった……まっつまっつ。


 うおー、月大劇も友会全滅だぞーっ。平日も入力してるのに、なんでこうどの公演もはずれるんだよー、ムラなのにー!

 と、ヒト叫びしたところで、花バウ『スカウト』の話。

 なんか、さんざん不満点ばかり列記したせいで、読んでくれた人に「遠征して観るほどの価値があるのか疑問になった」とか、不安を持たせちゃったみたいっす。

 いやいやいや!
 『スカウト』、おもしろいから!!

 らんとむさんがとにかくむーっちゃかっこいい。なんなのあのロン毛。反則でしょう。似合いすぎ。ヒロインきほちゃんを抱きしめるとことか、足の間に坐らせるとことか、鼻息荒くなるくらいときめきますよ。
 悪魔さおた氏がこれまた、すげーかっこいい。ひとりだけロングジャケット着て踊ってるんですがね、ケツの青い小僧っこには真似できない美しさなんですよ。
 みわさんは新たな魅力爆発してますよ。出てくるだけで笑える。そのくせ、群舞にまじってるときは、いつものギラギラした色男です。
 きほちゃんはものすっげー美しい。あのスタイル! 黒尽くめ基本の中、彼女ひとりは必ず「白」なんですよ。その白さを、完璧なスタイルで説得力にしている。演技もうまいよねー。
 すみかちゃんが、すげーキュートっす。コケティッシュ!! あの丸いお尻がたまらん。若いのにうまいよー。
 あー、あと、まぁくんの甘い二枚目ぶりもいいっす。それと、髪型失敗してるだろの大門くんがひそかなツボ(笑)。

 めぐむに役が付いてます。
 さすが正塚、『La Esperanza』新公で抜擢しただけのことはある。めぐむのこと、さりげにお気に入りだよね(笑)。
 看護士ですよ、めぐむ。白衣着てますよ。医者のきよみとふたり、並ぶと迫力ですよ。
 てゆーかあの病院、かわいい看護婦のねーちゃんはいないのか?
 きよみ医師とめぐむ看護士にはさまれるらんとむくんが、「うわっ、小柄?!」と、目の錯覚を起こしてしまいます(笑)。野郎系病院……医療技術よりも腕っ節で採用してそーでこわい……(笑)。

 医師に向かって、言いたい放題のめぐむ看護士が、すげー萌えです。
 いつだったかの回、めぐむがひとりごとのよーに「ったく、かわいくない」と吐き捨てていたのは、わたしの空耳ですか? 一緒にいたドリーさんは聞いてないってゆーんだけど。
 「かわいくない」? 看護士が医師に向かって言うかね?!
 えっ? えっ? つまり、そーゆーことだよね? めぐむは、きよみに「かわいくなってほしい」んだよね? めぐむ×きよみってことだよねっ?(役名で言いましょう、誤解を受けます)

 悪魔のめぐむも、かっこいいです。ダンサーチームじゃないんで、悪魔としての出番は少ないけど。歌手として、よく端で歌ってるよね。

 
 そして、なんといっても、一花。
 一花を見るだけでも、この公演を見る価値がある。

 チェリさん、がんばって少しでも早く劇場に来て。一花がらんとむの前に登場するシーンを見なければ、値段分の何割かは確実に損するから! と、いきなり私信。

 一花がかわいーわうまいわ素晴らしいわ。
 影の主役だよねー。

 あまりに一花が素敵なので、一花とらんとむが恋に落ちる続編希望ですよわたしゃ。
 どーせこの話他愛ないプロローグみたいなもんだしさ。ノリは『MIB』なんだから、いくらでも続き作れるじゃん。
 
『MIB』って、世の中的に駄作認定されてたっけ? わたし、『1』は好きだったわよ。『2』はつまんなかったけど。それでも、『3』があったらまた観に行くわよ?

 
 そう。
 すべて、「ノリ」と「笑い」だけで話が進んでいくのね。
 だから、たのしいし、笑えるのよ。
 ショーンが死んだ恋人ジェシカの悪魔を足蹴にしても、サムを足蹴にしているとしか思えない扱いをしても、ちゃんと笑えるし、わたしも笑っているわ。
 悪魔たちが言う通りの、「ゲーム」そのものなのよね、展開が。ゲームだから、死んでもリセットボタンひとつで元通り!な世界観。

 ただ。
 わたしは、「笑い」以上のモノが欲しかったし、今までの正塚作品にはそれがあったと思っている。
 ソレを、残念に思っているの。心から。

 
 でもまあ。
 ここはタカラヅカだし。
 最初に観たときに「あちゃー」と思ったけど、次に観たときには、達観したよ。

 まっつが素敵だから、あとのことはどーでもいいや。

 ええ。
 悪魔まっつを見るためだけに、いくらでもしあわせに通えますわ。
 タカラヅカって、そーゆーもんよね?
 この役、みわっちがやった方がかっこよかったんじゃあ?……なんてこと、考えてませんことよっ、ええっ、わたしまっつファンですからっっ。
 ありがとう正塚!! いつもまっつには愉快な役をくれるよねっ。正塚とわたし、たぶん役者の好み同じだわ(笑)。

 黒尽くめ基本のこの舞台。
 登場人物の髪も、黒かダークカラーなの。

 そんななか、まっつひとりが金髪。

 ……萌え。

 みんなと同じ黒髪だったら、周囲に埋没するから、仕方なく金髪にしたんだろーな、なんて、思ってませんことよっ。思いませんてばっ、わたしまっつファンなんですからっ。

 金髪でロン毛で鬼畜なまっつに萌えです。

 まっつまっつまっつ!!


 わからないことがある。

 何故、サム役が、みわっちなんだ?

 断言してもいい。
 もしも、正塚が大好きな未沙のえるが星組『ベルばら』でメルシー伯爵なんかやってなかったら、こちらに出演可能なスケジュールだったら。

 サムを演じていたのは、未沙のえるだよな?

 花組バウ『スカウト』の、バランスの悪さ、お笑いとシリアスの不誠実さについて考えると、役と役者が合っていないことに行き着く。

 美形スターのみわっちが、まぬけなおっさん役をやっているから「役が合っていない」と言っているわけじゃない。
 主役との「人間関係」の重さの話をしているんだ。

 サムは徹底したお笑いキャラだ。ストーリー上必要なキャラクタだし、台詞も出番も多い。
 だが、それだけだ。
 主人公のショーンは、サムのことをなんとも思っていない。必要だからつきあっている、必要だから利用しているだけ。サムに対して個人的な感情はない。
 暴漢に襲われたとき助けてくれるおまわりさんが重要なのと同じ感覚だな。おまわりさんがいなかったら、主人公死んでたよ、いてくれてありがとう! でも、友だちでも家族でもないから、事件が終わったらはいサヨナラ。
 あのアンフェアぎりぎりの「オチ」で、サムがどれだけ「どーでもいい存在」か、証明されてるよな? ショーンはサムとは「出会ってない」んだぜ? あれはみんな「なかったこと」。その程度の存在さ。
 もちろん、あの「オチ」にサムもじつは絡んでいる、という裏設定があるかもしれないが、舞台上でなんの説明もされていないのだから、なしと判断するよ。
 結論。ショーンにとってサムは、どーでもいい相手。
 傷つけてもいい、利用するだけの相手。
 まぬけなサムと丁々発止の会話をすることで、笑いを取ることだけが目的。

 ショーンが徹頭徹尾そーゆーキャラで、どんな深刻なこともお笑いにしてしまう世界観だとしたら、それはそれでアリだと思う。わたしだって、「命がかかっているのに、それを笑うなんて!」と言うよーな、野暮なツッコミはしないさ。

 だが、そうではないのだ。
 サムに対しては冷酷にギャグで通しているのに、別の人に対しては、チガウんだよ。

 ショーンの友人で、恋敵になるフランク@まりん。
 彼の「命」がかかっているときは、ものすげーシリアスなの。
 いちばんシリアスなシーンじゃないか? 笑いもギャグも一切なしだぞ?
 なんでもギャグで笑わせる世界観なら、ここでも笑い連発にするべきだろ? フランクをまぬけに泣きわめかせて、滑稽な態度を取らせるべきなんじゃないのか?

 フランクに対してあれだけ誠実だったショーン。なのに、サムに対しては冷酷。
 これが、ものすごーく変。

 本来なら、フランクこそが、みわっちの演じるべき役なんじゃないの?

 まりん氏になんの含みもありませんよ。役の「重さ」の話をしているだけだから。
 主人公が「死なせたくない」「傷つけたくない」と思い、気遣う相手。仲間で、恋敵。彼と対峙するシーンがいちばんシリアス。
 ……この役を、2番手男役が演じるのがふつーじゃないか?
 ショーンに命を救われ、改心したフランクが、協力者となる。……これでいいじゃん。
 サムの役の比重を落とし、フランクをクローズアップする。
 そうすれば、いくらサムに対してひどいことをして、サムのことを笑う演出にしても、変じゃないよ。ショーンの人格も壊れないし、作品の不誠実さもなくなる。

 サムをみわっちが演じる、ならば、それだけの比重が必要だろー。
 美形の路線スターの愛音羽麗が、まぬけで滑稽なおっさん役を! すごーい、みわっちって、あんな役もできるんだー、新鮮だわー! とゆーサプライズ感だけでは変だ。
 美形役であるナシではなく、きれいな役でないからどうだというのではなく。
 みわっちに「まぬけなおっさん」を演じさせることに意味があり、この役がみわっちでなければならないというのなら、今のままではおかしい。
 最後に「出会ってなかった」「いなかった」ことにしていい程度の「脇役」なんだよ?
 たとえ美形役であったとしても、きれーな衣装でかっこいー言動を取る役であったとしても、わたしは同じことを言うよ。
 ショーンに「どーでもいい」と思われている程度のキャラクタを、滑稽さで笑いを取るだけの役を、2番手がやるのは、作品のバランスを壊している。

 
 わたしはずーっと、みわっちがいつ「意味のある役」になるのか、「2番手らしい役」になるのかを、期待して観ていたんだ。

 まぬけなのも変人なのも、「ここぞ!」というオイシイシーンを盛り上げるための伏線だと思っていたの。
 今までさんざん滑稽さで笑わせてきた人が、ほんとうに必要なシーンで、人間としての本質を見せる。
 「殺してくれ」と言うショーンに対し、真剣に「バカ野郎!!」と殴りつけるとか。
 軽いお笑いシーンになっていたあのシーンは、ほんとーなら、いちばん盛り上がる「いいシーン」になるもんなんじゃないの?
 今までの三枚目ぶりが嘘のよーに、おバカ眼鏡をすちゃっと取ると、そこは超二枚目の愛音さんだ。あの美貌でらんとむさんに詰め寄るんだよ。「君が死んでどうなる。あいつらの思うつぼじゃないか!」とかな。
 それでもらんとむさんの決心は変わらないんだ。さんざんやりあったあとに、らんとむさんの固い固い決意に折れ、みわさんが苦渋の決断をするんだよ。「友情」ゆえに、引き金を引くのさ。さながら、『ファントム』のエリックとキャリエールのようにな。

 真摯に向き合えば、お笑い三枚目サムのままの格好でも、その姿は男前になるはずだ。
 フランクのときは、真摯に向き合っていたじゃないか。どーしてサムはチガウんだ。

 もしくは。

 疑っていたさ。
 サムがあまりに無意味に滑稽なので、実は彼こそが黒幕であることを。
 お笑いにショーンを射殺し、泣きわめくサム。
 彼が高笑いし出すのを、今か今かと待ちわびた。
 ショーンを殺すためのゲーム、引き金を引いたのはサムだけど、そうさせたのはショーン自身だから、ゲームクリア!つーことで、悪魔のサムが耽美に思い切りダークに踊り出すのを、期待したよ。

 もしくは。

 すべてが終わり、サーシャが病院に現れ「スカウト」の話をする、そのときに。
 これまた美青年エージェント姿になったみわさんが登場するのを、期待したさ。
 サムはサーシャのボスだったんだ!的展開をな。

 まさか、サムとは「出会っていない」ことになっており、存在自体打ち消されているとは思わなかったよ。ひでー。

 
 繰り返すが、みわっちが「まぬけなおっさん」であることが不満なんじゃない。あたしゃヘタレキャラ自体は大好物だ。
 たとえ今のままの役作りであっても、最後に関係する重さのある役ならよかったさ。徹底したお笑いキャラぶりも、みわっちの魅力のひとつとして加えられるだろうさ。
 キーパーソンであっても、台詞や出番が多くても、サム役をみわっちがやっていることで、物語のバランスが壊れている。
 それが不満なんだ。

 サムがどーしてもみわっちが演じる必要があるというなら、ショーンに彼を愛させろ。
「誰でもいいけど、消去法で仕方なくあんたになった。あんたが傷ついても殺人犯になっても関係ない、殺してくれ」
 ではなく、
「理解者はあんただけだ。あんただから殺して欲しい。オレのために、殺人犯になってくれ」
 と言わせろ。

 フランクよりも、サムに愛を。

 
 あたしは、とむ×みわで萌えたかったのよ!!(結局ソレか)


 「心」の存在しない物語に、感動はない。

 正塚晴彦らしくない失敗。
 何故にこうまで、この物語には「心」がない?

 ショーン@らんとむは事故に遭い、生死の境から奇跡的に回復した。以来彼には「悪魔」が見える。悪魔たちは人間にとりつき、心の隙をついては破滅させる。
 ショーンはなんとか仲間たちを護ろうとするが、もちろんふつーの人々は彼の言うことなんか信じない。彼の言葉に耳を貸すのは、元牧師だというへんてこりんな自称科学者サム@みわっちと、元教会に出入りする不思議な美少女サーシャ@きほのみ。
 人間を弄び、死なせることを「ゲーム」だと言いきる悪魔たちは、サーシャを操り、ショーンを翻弄する。ショーンはサーシャを、人間世界を護れるのか?!

 「心」不在の物語。

 人間と悪魔の間で繰り広げられる「ゲーム」の物語だから、仕方ない。……そういうことか?
 だが、わたしは人間だ。見ているのは、「人間」なんだ。
 人間の「心」を描いてくれない物語に、なんの価値がある?

 
 悪魔アズ@まっつと、人間ショーン@らんとむとの会話でこう表されるんだわ。
「人間は、悪魔たちから見れば『蚊』のよーなものだ」と。
 いつでも殺せるけど、蚊になんか触りたくもない。だから、自分の手は汚さずに、蚊が自滅するように仕向ける。どんなふうにどれくらいの蚊を自滅させるかを、悪魔たちは「ゲーム」としてたのしんでいる。

 彼らは悪魔だから、わたしたち人間とはちがう感覚で生きている。
 悪魔たちの言動は、まったく共感できない。
 それは仕方ないとあきらめる。
 悪魔だからな。

 舞台のほとんどを占める悪魔たちが、生理的に理解できない別生物であるのだから、せめてわずかな「人間の登場人物」だけは、ふつーに「人間」であってほしいじゃないか。

 ショーンのダンサー仲間たちなどがぞろぞろ登場するが、彼らの出番は少ない。
 ヒロインのサーシャは人間ではあっても、悪魔たちの「人形」なので人間とはカウントしづらい。

 この作品に出てくる、そしてちゃんと時間を掛けて描かれている「人間」って、ショーンとサムのふたりだけなんだよ。

 なのに、このふたりの関係が、ひどい。

 たったふたりしかまともなキャラクタがいない芝居なんだよ?
 ふたりは「悪魔と戦う」同志であり、唯一無二の仲間だ。相棒だ。なのに。

 ふたりには、信頼も愛情もなにもない。

 ただ、相手を利用しているだけなんだ。
 ショーンはサムになんの興味もない。必要だからつきあっているだけ。サムはショーンよりはマシだけど、やはり気持ちは薄い。

 ショーンにとって大切なのは自分だけで、あとはどーでもいいの。
 今の恋人サーシャは大切だけど、死んだ以前の恋人ジェシカはどーでもいい。ジェシカが悪魔になって現れた、うわっ、キモッ! 触るなよ!
 自分のダンサー仲間は大切だけど、それ以外はどうでもいい。サムはダンサー仲間じゃないから、どーなってもいいや。オレ余裕ないから、サムの気持ちなんか思いやる気はない、オレ正義。

 ……ショーンって、ひどすぎないか?(涙)

 死んだ恋人が変わり果てた姿で現れたのに、それがお笑いシーンなんだよ? 気持ち悪がって、ひたすら元恋人を払いのけるんだよ?
 まともな感性してたら、もっとショック受けないか? ただ気持ち悪がるなんて、それが「人間」のすることなの? 「心」はどこにあるの?

 仮死状態となったサーシャを助けるためには、同じよーに仮死状態にならなければならない。一度死んで、彼女の漂っている世界に行かなければならない。
 つーことでショーンは、彼女のために死のうとする。
 それはいい。
 問題は。

 サムに「殺してくれ」と言うことだ。

 サムのことなんて、これっぽっちも考えていない。
 大切なのは自分だけ。
 相手がどれほど傷つくかなんて、関係ない。
 嫌だそんなことはできないと抵抗するサムに、ショーンは開いた口がふさがらないほどに、残酷だ。「自分で死ぬのはきついから殺して欲しい。殺す側の気持ちを思いやる余裕なんかない」……自分ができないつらいことを、他人に押しつけて大いばり!!

 そして、救われないことにこのシーン、お笑いシーンなのだわ……。

 何故、笑うの?
 ギャグシーンなの?

 あなたの友だちが、突然「私を殺して欲しい」って現れたのよ?
 想像してみてよ、「借金を抱えてどうすることもできない。保険金で家族を救うために、私が死ぬしかないんだ。でも自分ではこわくて死ねない。どうか殺して欲しい。私のためを思うなら、ひと思いに殺して欲しい」と言われたらどうよ?
 説得するにしろ殺してやるにしろ、ものすげーシリアスシーンになるでしょ? 「人間」ならそうでしょ?
 一世一代の大事件でしょ? 「命」がかかってんのよ?

 なのにソレを「笑いモノ」にするのは、すでに「人間」じゃない。
 「心」がない。

 お笑いのどたばたのうちにサムがショーンを射殺、悪魔たちが大よろこび!!
 そう、悪魔たちが「ショーンが死んだ、ばんざーい! 宴会やっちゃうぞーっ」なのはいい。彼らはそーゆー生き物だ。

 出てくるのは悪魔と人間。
 悪魔は人間を「蚊」のよーなものだと言い、人間であるショーンは「蚊じゃない!」と言う。

 そうさ、蚊じゃないさ。
 でもな。

 そう言いながら、この扱いはなんなの?

 友だちを人殺しにさせるシーンをお笑いにして、ひとのこころの痛みを笑いモノにして、死んだ恋人を気持ち悪いゾンビにしてふりほどくさまをお笑いにして、自分の大切なもの以外はどれだけ不義理をしても傷つけても正義! 大切なのは自分だけ! そして世界を救うヒーロー!!

 コレのどこが「人間」なの?

 コメディだから、明るく気楽に笑わせることが目的だから、野暮なこと言わないでよ、と言われるかもしれないが。

 笑いに徹するなら筋を通してくれ。
 ダブルスタンダードは卑怯だ。

 たしかに、お笑い作品だから、笑える。
 役者の熱演や愉快な演技に、罪なく笑えるさ。

 しかし、感動がない。

 「心」がないからだ。

 サムを踏みつけにして平気なショーンが、愛や友情を尊ぶ発言をして、なんの説得力がある?
 悪魔とどこがチガウんだよ?

 悪魔たちの感性があまりにわたしたち人間とかけ離れていて、笑えるけど彼らの存在や行動に感動はなく、人間であるショーンやサムも「心」を持たない「ネタ」を表現するためだけの存在なので、彼らがナニをしてもカタルシスがない。

 「ゲーム」だとか最後の「オチ」だとかをやりたかったがために、「心」を描くのを忘れた結果か?
 正塚晴彦作品だとは思えない、不誠実な作品。

 
 笑えるたのしい舞台だけどね。画面もきれいだし、わたしの好きな人が素敵にかっこいいんだけど。

 物語に「心」がないと、こんなになんの感動も得られないんだな、と、かえって感心した。

 
 あ、わたしらしー表現で、ひとことで言うと。

 萌えねーよ。


 わたしの今年の目標は、観劇回数をフタ桁で抑える。だったんですよ。

 タカラヅカ依存症だろ、こんな毎日。
 ぐーたらひきこもりヲタクのくせに、夢の世界に入れあげてんじゃないわよ、親が泣いてるわよ!!

 つーんで、今年の目標は、タカラヅカ99回以内。

 
 えーと。

 
 ここ1週間ばかりの、わたしのスケジュール。

19日 月バウ『エンカレッジコンサート』千秋楽
20日 雪『ベルサイユのばら−オスカル編−』千秋楽
21日
22日 花DC『Appartement Cinema』
23日 月東京『THE LAST PARTY』
24日 花バウ『スカウト』初日
25日 花バウ『スカウト』
    宙『NEVER SAY GOODBYE』(観られたらいいな)

 ……間違ってるッ!
 こんな生活、間違ってる!
 まだ3月なのに、観劇回数が、30回越えてるって、どうなのよ?!
 目指せ99回以下だったじゃん! 去年よりさらにペース早い気がする!

 同じ公演、贔屓の出ている公演に通って20回30回つー人はザラにいると思うけど。
 わたし、そーゆー通い方してないし……。
 たんに、観られるモノは、全部観たいとゆーだけなんよ……タカラヅカ、公演多すぎ。

 これで星の東宝『ベルばら』を観ていたら、1週間で、現在公演中作品コンプリートができたのになー(笑)。
 毎日ちがう公演観て、1週間埋められるって、タカラヅカってすげーよなー。

 
 なにはともあれ、明日も『スカウト』観て来ます。作品はアレだが、まあ、画面はいいしなー。

 『スカウト』の内容を簡単に言うと、真夜中に放映している男オタク向け萌え萌えアニメみたいっす。
 顔は幼児なのに、バスケットボールみたいな乳をゆさゆさした半裸の娘たちがいっぱい出てきて、主人公の男に一方的に絡みまくるヤツ。
 ヅカだから、肌露出はしてないけど。ストーリーやノリはアレ系。
 ヒロインはアヤナミ系っつーか人形系だし、影のヒロインは小悪魔系でオレ女だし。
 誰ひとり人格ないし。
 人間関係希薄、を通り越して「ナイ?(首傾げ)」って感じだし。
 まあ、萌えな女の子キャラが、萌えなシチュでなんかやってるからいっかー、みたいな?

 正塚、あのトシでこんなアキバ系作品創るのすげーなー。
 正塚、3作連続同じ舞台セットってどうなの?(『BourbonStreet Blues』、92期文化祭、そして『スカウト』)
 正塚、ほっんとーに一花ちゃんがお気に入りなんだなー。
 正塚、まっつのこともけっこー気に入ってくれてんだなー。
 正塚、めぐむのこともけっこー好きだよね?
 正塚、みわっちのこと、どう思ってんだろ。あたしがみわさんファンだったらかなりキてると思うぞ?(2作連続コレかよ)

 みわっちの扱い、イコール、「人間」が、わたし的にかなり不満。

 人間はな、「蚊」ぢゃないんだーーっ!!

 正塚がホモ……ぢゃねえ、男の友情を描かずにナニを描くというんだっ。らんとむとみわっちでちゃーんと「男の友情」描いてくれよぅ。
 あれじゃあんまりだよぅ。 

 あー……まっつはいい役ですとも。いわゆるオイシイ役。ありがとう正塚。今までの正塚作品のまっつの扱いを見ても、ムゲにされることはないだろうとは思っていたけど、予想以上の扱いをしてくれた。
 2幕のはじまり方には、客席でうれし泣きしそーになった。
 うわーん、まっつー。
 まっつなのにクールビューティーってなにごと?(笑)
 そして、やっぱりまっつだからヘタレテイストって、お約束?(笑)

 まっつはいい。まっつは素敵。まっつファンのわたしは、それだけでうれしい。
 でも、引っかかることの方が多すぎる。
 作品的に。

 らんとむ、あんなにかっこいいのに……。みわっち、ほんとーはあんなに美しい人なのに……。どーしてこのふたりを、うまく使うことができないんだろう……。
 一花ちゃん、すげー熱演なのに。魅力的なのに。きほちゃん、ものすげーきれーなのに。どーしてこんなに素敵なWヒロインをもってして、なんのカタルシスも構築できないんだろう……。

 あー、「人間」としていちばんまともで、いちばんおいしいのは、悠真倫と、嶺輝あやとと、扇めぐむですな(笑)。

 てゆーか、めぐむ×きよみ希望。(役名で言いましょう、誤解を受けます)


 わたしは以前、「トウコなら、相手がタニでもテクニシャンに見せられるわ」と書いた。
 それは、最高級の讃辞。
 どんな下手っぴな男でも、彼女を抱けば「テクニシャン」だと誤解させることができる。女のテクで、男なんてどーにでも見せられるもんなんだ。
 それくらい、トウコはすげーんだ、と。

 ソレを、あっさり撤回しときます(笑)。

 とゆーのもだ、東宝『ベルサイユのばら−フェルゼンとマリー・アントワネット編−』れおんアンドレ初日を観て、ユズドレが、ちっともテクニシャンに見えなかったからだ。

 ははは。
 ラヴシーン巧者のエロエロトウコちゃんをもってしても、童貞の真面目熱血少年をテクニシャンに見せることはできなかったかー。

 れおんは下手なのではなく、「余裕がない」のが見て取れた。
 あそこまで余裕なく、「規定演技」を杓子定規でやられては、エロに盛り上げることはできまいて。
 タニちゃんはどれだけ下手でも、場慣れしている余裕があるからなー。

 ユズドレ初日の「今宵一夜」は、どう見ても「おねーさんと初心者の少年」で、エロくもなければときめきもない、ふつーの「今宵一夜」でした。

 れおんくんは、かっこいいんだけどね。
 新公でかっこいいのと同じで、予想していたより落ち着いていたし、伊達に場数は踏んでいない「真ん中に立つ力」を発揮していました。
 でも、なんかすごく、「ふつー」で。

「れおん、うまかったねー」
「うん、かっこよかったー」
 という感想は出ても、それ以上がない。

「れおん、ふつーだったね」

 というのが、いちばん率直な感想かと。

 それより、しいちゃんの花祭りの男の話題が、ユズドレ初日のすべてだったよーな(笑)。

 わたしは初日好きなので、楽を観られないならまず初日観劇を選ぶ。
 できあがっていない、ナマの拙さ、人間らしい不協和音を観るのが好きだ。
 それがあとになってすばらしいものになり、人の口を借りて「どれほどすばらしかったか」を聞く方が、心穏やかなんだ。
 自分が観たとき共感を得られなかったとしても、「あとになって、役者が成長していい舞台になったんだな」と思える方がたのしい。

「えー? ぜんぜんよくなかったよー? あんな舞台を観ていいって言う人の気が知れないわ」
 と思うより、
「えー? そんなによくなってたの? あたしが観たの初日だったからイマイチだったけど、そっかー、後半はそんなことになってたのかー。わーん、観たかった、うらやましー!」
 と思う方がいい。
 もちろん、有終の美としてテンションの上がっている千秋楽を観るのも大好きだけど。

 ユズドレも、あとになってどんどんよくなっていったと聞く。
 わたしは観られなかったけど、きっと素敵だったんだろうな。
 ひとががんばって成長し、努力の成果をあげているのを聞くのは、とても心地いい。
 美しいじゃないか。真摯さや誠実さ、カタチに残らない目に見えないものが実を結び、それを他人から評価されるなんて。大切な、ファンタジーだよ。必要なものだよ。

 東宝『ベルばら』は、伝い聞く部分が多かった。
 自分で一度体験したものをベースに、信頼できる友人たちの目と感性をもって再構築される、わたしの『ベルサイユのばら』は、なかなかどうして、得がたい作品になっているぞ。


 さて、なんやかんやでわたしは、東宝『ベルサイユのばら−フェルゼンとマリー・アントワネット編−』にも2回遠征した。役替わりコンプリートのためだ。
 東宝のみの役替わり、しいちゃんとれおんのアンドレとベルナール、そしてすずみんとしゅんちゃんの小雨降る径。

 役替わり、というと、これだけしか意識していなかった。

 ので。
 2度目の遠征のとき、れおんアンドレとしいベルナールを見るんだ、と思って席に着き。

 花祭りの男Aを見て、アゴが落ちた。

 知らなかったんだ。
 役替わりは、前述部分だけだと単純に思いこんでいた。それ以上はなにも考えなかった。ムラで見たときれおんがやっていた役がどーなっているか、考えることもなかった。アラン役がゆかりになっていることはわかっていたし、そんなふうに他の役も適切な学年の適切な人がやるんだろうと思っていた。

 他にも、役替わりがあったんだ。
 そーだ、そういやれおん、2幕最初になんかやってたっけ……わたしがついうっかり、あかしばかりを見ている場面で。

 ガツン、と、アタマを叩かれました。
 それくらいの衝撃だった。

 なんですか、あのキラキラしたかわいこちゃんは!!

 れおんアンドレ初日のことです。わたしと『ベルばら』担kineさんはいそいそと劇場に駆けつけておりました。
 つまり、最初の最初。誰もそれまでに、見たモノはいない。

 いちばん最初に、花祭りの男A@しいちゃんを、見たのですよ!! なんの予備知識もなく!

 kineさんは役替わりのことは知っていたそーです、あの人プログラム買うから。でもわたしはそんなもん買わないし見ないし、なんにも知らないよー!
 なにひとつ知らないまま、舞台を観て。

 どどどどーしよー、しいちゃんが素敵だよーーっ!!

 太陽の笑顔がそこにある。
 きらきらきらきら、大輪の笑顔がそこにある。

 ムラでれおんがやっていた役だよ? 周り、若者たちばっかだよ? なのに違和感ないって、どーゆーことなの?!

 デッキブラシ持って踊っていたセーラーさんより、さらに若返ってますけどっ?!

 おそるべし、立樹遥。
 ほんとにフェアリーだな。年齢不詳だな。

 終演後のわたしたちの話題をかっさらってくれたよ。目当てはいちおー、れおんアンドレだったはずなのに。

「なんでサトリちゃんがここにいないのっ」
 と、拳握ってわめいてましたよ、わたしたちゃ。
 しいちゃんといえば、我らがピュアファン・しいちゃんラヴのサトリちゃん。この日彼女は「アンドレじゃないから」と言って観に来ていなかったのだ。
 アンドレがなんだ、いやアンドレはたしかに重要だが、この花祭りの男を観ずしてどーするピュア立樹ファン!
 こんなにこんんなに素敵なしいちゃん、ピュアファンこそに見てほしい。

 とまあ。
 花祭りの男の話を先にしてしまいましたが。

 とゆーのも、だ。
 わたしは『ベルばら』は祭り。参加することに意義がある。参加は1回で充分。役替わりコンプ優先、シイドレとユズドレを1回ずつ観ればソレでヨシ、だったのだ。

 アンドレ役替わりを1回ずつ観て、それでおしまい。
 日程からしいちゃんを先に観て、次がれおんね。

 わたしの東宝『ベルばら』観劇は、シイドレが初。
 はじめての東宝『ベルばら』。はじめての……トウコオスカル。

 えーと。

 トウカルに夢中になって、シイドレを見忘れました。

 あちゃー。
 しいちゃん観る気満々だったのに! しいファンの片隅にいるつもりだったのに!! ファン失格ぢゃんコレ!!

 ま、まあ、シイドレは全ツで観てるしな……モゴモゴ。

 シイドレのことは、トウカル越しにしか見ていません。
 トウカルの横にいたこととか、トウカルに対しての横幅だとか胸板だとか、身長だとか。トウカルが最終的に選んだ男、としてしか、認識してないんですよ。

 でも、トウカルのラヴシーンにあれほどドキドキしたのは、シイドレの包容力と愛の寛さゆえだと思ってます。
 ラヴシーンになるまで、とくにシイドレにドキドキすることはなかったんすよ。なのに、トウカルを抱きしめる彼に、カラダの厚みを感じて、ドキドキした。
 あ、生身の男だ。
 トウカルが生身の女であるように。
 きれーなお衣装を着た人形ではない、体温と性を持った、意志と未来を持った生身の男なんだ、ってことを認識した。

 『ベルばら』で、時代錯誤の「今宵一夜」で、まさか「ラヴシーン」だと思ってドキドキするなんて、ありえない。
 なのに、はしたないほど(笑)ドキドキしたのは、シイドレとトウカルだったからだと思う。

 アンドレが説得力のない相手だったら、トウカルがどれほどがんばって「女の一生」を表現しても空回りしただろうから、シイドレは充分その任を果たしていたんだなー。
 ……見てないんで、よくわかんないけど。ごめんよごめんよ。トウコがすごすぎたんだよ……わたし的に。

 
 だもんで、東宝しいちゃんを語ろうと思ったら、いちばんのトピックスは「花祭りの男」になっちゃうんだわ。

 
 1ヶ月以上も前だもんなあ、わたしにとっての東宝『ベルばら』。ドリーさんと一緒に『スカウト』祭りに突入してたんで、『ベルばら』が遠くてさ……。

 『ベルばら』に関しては、なんといってもkineさんがいるので、わたしが語る必要も資格もないかと。

 ただ、みんながシイドレのあまりに素敵さに涙したとかいう、シイドレ楽は、観てみたかったなあ……残念。


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