今日はnanaタンと一緒に『スカウト』。nanaタンは今、オサゆみ通いで忙しいんだけど、わざわざめぐむを見るためにやって来たのよ。幕間も終幕後も、ものすげー勢いで「どれだけめぐむが素敵か」を語りましたよ、あの人(笑)。

 ちなみに、この『スカウト』のなかで、nanakoさんがいちばんウケていたのは、「かっぱ」でした。
 かっぱスキーのnanaタン、ショーンとサムの会話で「かっぱ」のひとことがあるなり、隣の席で両手で口を押さえて悶絶してました。
 いやあ、このひとことがあること、みんなにも口止めしておいてよかったよ。是非ナマで聞いて欲しかったからさっ(笑)。
 彼女は某カッパタンを愛し、めぐむを愛する。

 わたしはといえば、潔くまっつに見とれているので(笑)、nanaタンとわたしのオペラグラスは交差しまくり。同じ位置になることがない。

 あーもー、いいなー、まっつ。大好きだ。

 顔を眺めていられるだけで幸福だとはいえ、「萌え」が主食のこのわたし。なんとか萌えられないかと虎視眈々。
 よーやく、萌えどころのとっかかりを見つけて、そっちでウハウハしてます。

 アズ@まっつは、何故かショーン@らんとむの「大切な人」に取り憑き、殺すんだよね。

 まずは恋人のジェシカ。次に友人のフランク。サムには興味ない(笑)。
 ジェシカに取り憑いたのが偶然だったとしても、次の獲物がフランクだったのは、ショーンに注目していたせいだよね。自分の姿が見える「人間」に興味を持ったから。
 ラルゥ@いちかがショーンのそばにいつもいるのは、わかる。彼女はショーンに取り憑いているのだから。でも、アズはどうして? 何故かいつも、アズもショーンのそばにいるのよ。彼を見守っているの。
 アズを怒らせることのできる唯一の人間が、ショーンなんだよね。

 繰り返される、ショーンVSアズ。決着はつかないまま、終幕。

 ショーンは「戦士」となりこれからも悪魔と戦うそーだから、アズやラルゥとも長いつきあいになるだろう。
 ラルゥは「ゲーム」としての体裁を崩さないしたたかな悪魔だけど、アズはチガウ。けっこー感情的だし三枚目だったりもする。
 とゆー「基礎知識」の上で。

 ショーン×アズで、萌えておきます(暫定処置)。

 あたし攻スキーなんで、アズ攻の方がいいんですよほんと。でもなあ、相手、らんとむだからな。ちょっと想像力が働かないとゆーか……。

 いやその、子犬のよーにじゃれてるまっつといちか見ているだけでも、通う価値のある公演ですが。いちかの尻に敷かれているまっつも、まちがいなく萌えなんですが。
 でも。
 あたし、腐女子だから。(ウルフ@アパシネ風に)

 せっかくまっつが素敵なんだから、こんなにまっとーに耽美な役のまっつを見られるのは貴重だから、無理矢理だろーがなんだろーが、萌えておきますよ!!
 ここで萌えなきゃ、お天道様に申し訳がたたねえってもんよ。がんばれわたしー!

 あー、あと、らんとむさんにウインクするまっつに萌えです、はい。
 まっつ、客席に向かってするウインクは微妙なのに、仲間内では果敢にウインクしてるよなあ。オサ様相手にもウインクしてたもんなあ。

 見れば見るほど、まっつを好きになってます。正しいファンの姿だわ、萌えている内容はちょっくら腐ってるけど。

 ただこの作品において、まっつは歌手ではなくダンサー(笑)なので、歌が聴きたくてうずうずもしてますよ。掛け合いはあってもソロはないからなぁ。フィナーレの4人コーラスも、まっつの声ばりばりに聞こえてるけど、やっぱりソロで歌い上げているわけじゃないし。
 歌はエンカレまで我慢だなー。

 
 そーやってまっつを堪能した帰り道。
 ソリオ宝塚では、まさき尽くし。

 龍真咲、ソリオのイメージキャラクタに就任したんだねー。この間までかなめくん尽くしだったソリオが、今は真咲だらけ。素顔がきれーな子はいいよなー。

 ちなみに、『龍真咲トークショー』やってました。

 そんな告知してたか? 『スカウト』通いしているわたしなのに、ソリオはずっと通っているのに、真咲のポスターも見ていたのに、カケラも知らなかったぞっと。
 ちょうど会場をセッティングしているところだったのでそのままそこに紛れ込み、良席GET。たかだか20席ちょい(……)しかないトークショー会場の貴重な座席にて、初のナマまさき!!
 まかせろ、この前の新公もバウ主演もばっちり観ているわ! どんな話題もついていけるわよーっ。

 なんか、トークショーの間中、真咲がわたしだけに笑いかけてくれているよーな錯覚に陥り、幸福でした(笑)。や、わたしの真後ろにテレビカメラがあっただけのことなんだけどね。真咲、いちいちカメラ目線で喋るのなー(笑)。

 初のトークショーだということで、どーってことのない話題に終始した。場所がソリオの中の通路だったこともあり、ものすごく空気が散漫だったしなー。

 それでも、龍真咲。
 スポットライトをあびることのできるヒト。
 どうかこのまま、突き進んで欲しい。本人が言っていた通り、そこには正解も指導者もない、自分が正しいと信じるものを、表現し続けてくれ。
 

 ……そして、やっぱしまっつに似てるなー、とか、まっつよりわかりやすくやわらかい顔だよなーとか、まっつもこんなイベントやってくんねーかなー無理か……(ぼそっ)、とか、つらつら思うのだった……まっつまっつ。


 うおー、月大劇も友会全滅だぞーっ。平日も入力してるのに、なんでこうどの公演もはずれるんだよー、ムラなのにー!

 と、ヒト叫びしたところで、花バウ『スカウト』の話。

 なんか、さんざん不満点ばかり列記したせいで、読んでくれた人に「遠征して観るほどの価値があるのか疑問になった」とか、不安を持たせちゃったみたいっす。

 いやいやいや!
 『スカウト』、おもしろいから!!

 らんとむさんがとにかくむーっちゃかっこいい。なんなのあのロン毛。反則でしょう。似合いすぎ。ヒロインきほちゃんを抱きしめるとことか、足の間に坐らせるとことか、鼻息荒くなるくらいときめきますよ。
 悪魔さおた氏がこれまた、すげーかっこいい。ひとりだけロングジャケット着て踊ってるんですがね、ケツの青い小僧っこには真似できない美しさなんですよ。
 みわさんは新たな魅力爆発してますよ。出てくるだけで笑える。そのくせ、群舞にまじってるときは、いつものギラギラした色男です。
 きほちゃんはものすっげー美しい。あのスタイル! 黒尽くめ基本の中、彼女ひとりは必ず「白」なんですよ。その白さを、完璧なスタイルで説得力にしている。演技もうまいよねー。
 すみかちゃんが、すげーキュートっす。コケティッシュ!! あの丸いお尻がたまらん。若いのにうまいよー。
 あー、あと、まぁくんの甘い二枚目ぶりもいいっす。それと、髪型失敗してるだろの大門くんがひそかなツボ(笑)。

 めぐむに役が付いてます。
 さすが正塚、『La Esperanza』新公で抜擢しただけのことはある。めぐむのこと、さりげにお気に入りだよね(笑)。
 看護士ですよ、めぐむ。白衣着てますよ。医者のきよみとふたり、並ぶと迫力ですよ。
 てゆーかあの病院、かわいい看護婦のねーちゃんはいないのか?
 きよみ医師とめぐむ看護士にはさまれるらんとむくんが、「うわっ、小柄?!」と、目の錯覚を起こしてしまいます(笑)。野郎系病院……医療技術よりも腕っ節で採用してそーでこわい……(笑)。

 医師に向かって、言いたい放題のめぐむ看護士が、すげー萌えです。
 いつだったかの回、めぐむがひとりごとのよーに「ったく、かわいくない」と吐き捨てていたのは、わたしの空耳ですか? 一緒にいたドリーさんは聞いてないってゆーんだけど。
 「かわいくない」? 看護士が医師に向かって言うかね?!
 えっ? えっ? つまり、そーゆーことだよね? めぐむは、きよみに「かわいくなってほしい」んだよね? めぐむ×きよみってことだよねっ?(役名で言いましょう、誤解を受けます)

 悪魔のめぐむも、かっこいいです。ダンサーチームじゃないんで、悪魔としての出番は少ないけど。歌手として、よく端で歌ってるよね。

 
 そして、なんといっても、一花。
 一花を見るだけでも、この公演を見る価値がある。

 チェリさん、がんばって少しでも早く劇場に来て。一花がらんとむの前に登場するシーンを見なければ、値段分の何割かは確実に損するから! と、いきなり私信。

 一花がかわいーわうまいわ素晴らしいわ。
 影の主役だよねー。

 あまりに一花が素敵なので、一花とらんとむが恋に落ちる続編希望ですよわたしゃ。
 どーせこの話他愛ないプロローグみたいなもんだしさ。ノリは『MIB』なんだから、いくらでも続き作れるじゃん。
 
『MIB』って、世の中的に駄作認定されてたっけ? わたし、『1』は好きだったわよ。『2』はつまんなかったけど。それでも、『3』があったらまた観に行くわよ?

 
 そう。
 すべて、「ノリ」と「笑い」だけで話が進んでいくのね。
 だから、たのしいし、笑えるのよ。
 ショーンが死んだ恋人ジェシカの悪魔を足蹴にしても、サムを足蹴にしているとしか思えない扱いをしても、ちゃんと笑えるし、わたしも笑っているわ。
 悪魔たちが言う通りの、「ゲーム」そのものなのよね、展開が。ゲームだから、死んでもリセットボタンひとつで元通り!な世界観。

 ただ。
 わたしは、「笑い」以上のモノが欲しかったし、今までの正塚作品にはそれがあったと思っている。
 ソレを、残念に思っているの。心から。

 
 でもまあ。
 ここはタカラヅカだし。
 最初に観たときに「あちゃー」と思ったけど、次に観たときには、達観したよ。

 まっつが素敵だから、あとのことはどーでもいいや。

 ええ。
 悪魔まっつを見るためだけに、いくらでもしあわせに通えますわ。
 タカラヅカって、そーゆーもんよね?
 この役、みわっちがやった方がかっこよかったんじゃあ?……なんてこと、考えてませんことよっ、ええっ、わたしまっつファンですからっっ。
 ありがとう正塚!! いつもまっつには愉快な役をくれるよねっ。正塚とわたし、たぶん役者の好み同じだわ(笑)。

 黒尽くめ基本のこの舞台。
 登場人物の髪も、黒かダークカラーなの。

 そんななか、まっつひとりが金髪。

 ……萌え。

 みんなと同じ黒髪だったら、周囲に埋没するから、仕方なく金髪にしたんだろーな、なんて、思ってませんことよっ。思いませんてばっ、わたしまっつファンなんですからっ。

 金髪でロン毛で鬼畜なまっつに萌えです。

 まっつまっつまっつ!!


 わからないことがある。

 何故、サム役が、みわっちなんだ?

 断言してもいい。
 もしも、正塚が大好きな未沙のえるが星組『ベルばら』でメルシー伯爵なんかやってなかったら、こちらに出演可能なスケジュールだったら。

 サムを演じていたのは、未沙のえるだよな?

 花組バウ『スカウト』の、バランスの悪さ、お笑いとシリアスの不誠実さについて考えると、役と役者が合っていないことに行き着く。

 美形スターのみわっちが、まぬけなおっさん役をやっているから「役が合っていない」と言っているわけじゃない。
 主役との「人間関係」の重さの話をしているんだ。

 サムは徹底したお笑いキャラだ。ストーリー上必要なキャラクタだし、台詞も出番も多い。
 だが、それだけだ。
 主人公のショーンは、サムのことをなんとも思っていない。必要だからつきあっている、必要だから利用しているだけ。サムに対して個人的な感情はない。
 暴漢に襲われたとき助けてくれるおまわりさんが重要なのと同じ感覚だな。おまわりさんがいなかったら、主人公死んでたよ、いてくれてありがとう! でも、友だちでも家族でもないから、事件が終わったらはいサヨナラ。
 あのアンフェアぎりぎりの「オチ」で、サムがどれだけ「どーでもいい存在」か、証明されてるよな? ショーンはサムとは「出会ってない」んだぜ? あれはみんな「なかったこと」。その程度の存在さ。
 もちろん、あの「オチ」にサムもじつは絡んでいる、という裏設定があるかもしれないが、舞台上でなんの説明もされていないのだから、なしと判断するよ。
 結論。ショーンにとってサムは、どーでもいい相手。
 傷つけてもいい、利用するだけの相手。
 まぬけなサムと丁々発止の会話をすることで、笑いを取ることだけが目的。

 ショーンが徹頭徹尾そーゆーキャラで、どんな深刻なこともお笑いにしてしまう世界観だとしたら、それはそれでアリだと思う。わたしだって、「命がかかっているのに、それを笑うなんて!」と言うよーな、野暮なツッコミはしないさ。

 だが、そうではないのだ。
 サムに対しては冷酷にギャグで通しているのに、別の人に対しては、チガウんだよ。

 ショーンの友人で、恋敵になるフランク@まりん。
 彼の「命」がかかっているときは、ものすげーシリアスなの。
 いちばんシリアスなシーンじゃないか? 笑いもギャグも一切なしだぞ?
 なんでもギャグで笑わせる世界観なら、ここでも笑い連発にするべきだろ? フランクをまぬけに泣きわめかせて、滑稽な態度を取らせるべきなんじゃないのか?

 フランクに対してあれだけ誠実だったショーン。なのに、サムに対しては冷酷。
 これが、ものすごーく変。

 本来なら、フランクこそが、みわっちの演じるべき役なんじゃないの?

 まりん氏になんの含みもありませんよ。役の「重さ」の話をしているだけだから。
 主人公が「死なせたくない」「傷つけたくない」と思い、気遣う相手。仲間で、恋敵。彼と対峙するシーンがいちばんシリアス。
 ……この役を、2番手男役が演じるのがふつーじゃないか?
 ショーンに命を救われ、改心したフランクが、協力者となる。……これでいいじゃん。
 サムの役の比重を落とし、フランクをクローズアップする。
 そうすれば、いくらサムに対してひどいことをして、サムのことを笑う演出にしても、変じゃないよ。ショーンの人格も壊れないし、作品の不誠実さもなくなる。

 サムをみわっちが演じる、ならば、それだけの比重が必要だろー。
 美形の路線スターの愛音羽麗が、まぬけで滑稽なおっさん役を! すごーい、みわっちって、あんな役もできるんだー、新鮮だわー! とゆーサプライズ感だけでは変だ。
 美形役であるナシではなく、きれいな役でないからどうだというのではなく。
 みわっちに「まぬけなおっさん」を演じさせることに意味があり、この役がみわっちでなければならないというのなら、今のままではおかしい。
 最後に「出会ってなかった」「いなかった」ことにしていい程度の「脇役」なんだよ?
 たとえ美形役であったとしても、きれーな衣装でかっこいー言動を取る役であったとしても、わたしは同じことを言うよ。
 ショーンに「どーでもいい」と思われている程度のキャラクタを、滑稽さで笑いを取るだけの役を、2番手がやるのは、作品のバランスを壊している。

 
 わたしはずーっと、みわっちがいつ「意味のある役」になるのか、「2番手らしい役」になるのかを、期待して観ていたんだ。

 まぬけなのも変人なのも、「ここぞ!」というオイシイシーンを盛り上げるための伏線だと思っていたの。
 今までさんざん滑稽さで笑わせてきた人が、ほんとうに必要なシーンで、人間としての本質を見せる。
 「殺してくれ」と言うショーンに対し、真剣に「バカ野郎!!」と殴りつけるとか。
 軽いお笑いシーンになっていたあのシーンは、ほんとーなら、いちばん盛り上がる「いいシーン」になるもんなんじゃないの?
 今までの三枚目ぶりが嘘のよーに、おバカ眼鏡をすちゃっと取ると、そこは超二枚目の愛音さんだ。あの美貌でらんとむさんに詰め寄るんだよ。「君が死んでどうなる。あいつらの思うつぼじゃないか!」とかな。
 それでもらんとむさんの決心は変わらないんだ。さんざんやりあったあとに、らんとむさんの固い固い決意に折れ、みわさんが苦渋の決断をするんだよ。「友情」ゆえに、引き金を引くのさ。さながら、『ファントム』のエリックとキャリエールのようにな。

 真摯に向き合えば、お笑い三枚目サムのままの格好でも、その姿は男前になるはずだ。
 フランクのときは、真摯に向き合っていたじゃないか。どーしてサムはチガウんだ。

 もしくは。

 疑っていたさ。
 サムがあまりに無意味に滑稽なので、実は彼こそが黒幕であることを。
 お笑いにショーンを射殺し、泣きわめくサム。
 彼が高笑いし出すのを、今か今かと待ちわびた。
 ショーンを殺すためのゲーム、引き金を引いたのはサムだけど、そうさせたのはショーン自身だから、ゲームクリア!つーことで、悪魔のサムが耽美に思い切りダークに踊り出すのを、期待したよ。

 もしくは。

 すべてが終わり、サーシャが病院に現れ「スカウト」の話をする、そのときに。
 これまた美青年エージェント姿になったみわさんが登場するのを、期待したさ。
 サムはサーシャのボスだったんだ!的展開をな。

 まさか、サムとは「出会っていない」ことになっており、存在自体打ち消されているとは思わなかったよ。ひでー。

 
 繰り返すが、みわっちが「まぬけなおっさん」であることが不満なんじゃない。あたしゃヘタレキャラ自体は大好物だ。
 たとえ今のままの役作りであっても、最後に関係する重さのある役ならよかったさ。徹底したお笑いキャラぶりも、みわっちの魅力のひとつとして加えられるだろうさ。
 キーパーソンであっても、台詞や出番が多くても、サム役をみわっちがやっていることで、物語のバランスが壊れている。
 それが不満なんだ。

 サムがどーしてもみわっちが演じる必要があるというなら、ショーンに彼を愛させろ。
「誰でもいいけど、消去法で仕方なくあんたになった。あんたが傷ついても殺人犯になっても関係ない、殺してくれ」
 ではなく、
「理解者はあんただけだ。あんただから殺して欲しい。オレのために、殺人犯になってくれ」
 と言わせろ。

 フランクよりも、サムに愛を。

 
 あたしは、とむ×みわで萌えたかったのよ!!(結局ソレか)


 「心」の存在しない物語に、感動はない。

 正塚晴彦らしくない失敗。
 何故にこうまで、この物語には「心」がない?

 ショーン@らんとむは事故に遭い、生死の境から奇跡的に回復した。以来彼には「悪魔」が見える。悪魔たちは人間にとりつき、心の隙をついては破滅させる。
 ショーンはなんとか仲間たちを護ろうとするが、もちろんふつーの人々は彼の言うことなんか信じない。彼の言葉に耳を貸すのは、元牧師だというへんてこりんな自称科学者サム@みわっちと、元教会に出入りする不思議な美少女サーシャ@きほのみ。
 人間を弄び、死なせることを「ゲーム」だと言いきる悪魔たちは、サーシャを操り、ショーンを翻弄する。ショーンはサーシャを、人間世界を護れるのか?!

 「心」不在の物語。

 人間と悪魔の間で繰り広げられる「ゲーム」の物語だから、仕方ない。……そういうことか?
 だが、わたしは人間だ。見ているのは、「人間」なんだ。
 人間の「心」を描いてくれない物語に、なんの価値がある?

 
 悪魔アズ@まっつと、人間ショーン@らんとむとの会話でこう表されるんだわ。
「人間は、悪魔たちから見れば『蚊』のよーなものだ」と。
 いつでも殺せるけど、蚊になんか触りたくもない。だから、自分の手は汚さずに、蚊が自滅するように仕向ける。どんなふうにどれくらいの蚊を自滅させるかを、悪魔たちは「ゲーム」としてたのしんでいる。

 彼らは悪魔だから、わたしたち人間とはちがう感覚で生きている。
 悪魔たちの言動は、まったく共感できない。
 それは仕方ないとあきらめる。
 悪魔だからな。

 舞台のほとんどを占める悪魔たちが、生理的に理解できない別生物であるのだから、せめてわずかな「人間の登場人物」だけは、ふつーに「人間」であってほしいじゃないか。

 ショーンのダンサー仲間たちなどがぞろぞろ登場するが、彼らの出番は少ない。
 ヒロインのサーシャは人間ではあっても、悪魔たちの「人形」なので人間とはカウントしづらい。

 この作品に出てくる、そしてちゃんと時間を掛けて描かれている「人間」って、ショーンとサムのふたりだけなんだよ。

 なのに、このふたりの関係が、ひどい。

 たったふたりしかまともなキャラクタがいない芝居なんだよ?
 ふたりは「悪魔と戦う」同志であり、唯一無二の仲間だ。相棒だ。なのに。

 ふたりには、信頼も愛情もなにもない。

 ただ、相手を利用しているだけなんだ。
 ショーンはサムになんの興味もない。必要だからつきあっているだけ。サムはショーンよりはマシだけど、やはり気持ちは薄い。

 ショーンにとって大切なのは自分だけで、あとはどーでもいいの。
 今の恋人サーシャは大切だけど、死んだ以前の恋人ジェシカはどーでもいい。ジェシカが悪魔になって現れた、うわっ、キモッ! 触るなよ!
 自分のダンサー仲間は大切だけど、それ以外はどうでもいい。サムはダンサー仲間じゃないから、どーなってもいいや。オレ余裕ないから、サムの気持ちなんか思いやる気はない、オレ正義。

 ……ショーンって、ひどすぎないか?(涙)

 死んだ恋人が変わり果てた姿で現れたのに、それがお笑いシーンなんだよ? 気持ち悪がって、ひたすら元恋人を払いのけるんだよ?
 まともな感性してたら、もっとショック受けないか? ただ気持ち悪がるなんて、それが「人間」のすることなの? 「心」はどこにあるの?

 仮死状態となったサーシャを助けるためには、同じよーに仮死状態にならなければならない。一度死んで、彼女の漂っている世界に行かなければならない。
 つーことでショーンは、彼女のために死のうとする。
 それはいい。
 問題は。

 サムに「殺してくれ」と言うことだ。

 サムのことなんて、これっぽっちも考えていない。
 大切なのは自分だけ。
 相手がどれほど傷つくかなんて、関係ない。
 嫌だそんなことはできないと抵抗するサムに、ショーンは開いた口がふさがらないほどに、残酷だ。「自分で死ぬのはきついから殺して欲しい。殺す側の気持ちを思いやる余裕なんかない」……自分ができないつらいことを、他人に押しつけて大いばり!!

 そして、救われないことにこのシーン、お笑いシーンなのだわ……。

 何故、笑うの?
 ギャグシーンなの?

 あなたの友だちが、突然「私を殺して欲しい」って現れたのよ?
 想像してみてよ、「借金を抱えてどうすることもできない。保険金で家族を救うために、私が死ぬしかないんだ。でも自分ではこわくて死ねない。どうか殺して欲しい。私のためを思うなら、ひと思いに殺して欲しい」と言われたらどうよ?
 説得するにしろ殺してやるにしろ、ものすげーシリアスシーンになるでしょ? 「人間」ならそうでしょ?
 一世一代の大事件でしょ? 「命」がかかってんのよ?

 なのにソレを「笑いモノ」にするのは、すでに「人間」じゃない。
 「心」がない。

 お笑いのどたばたのうちにサムがショーンを射殺、悪魔たちが大よろこび!!
 そう、悪魔たちが「ショーンが死んだ、ばんざーい! 宴会やっちゃうぞーっ」なのはいい。彼らはそーゆー生き物だ。

 出てくるのは悪魔と人間。
 悪魔は人間を「蚊」のよーなものだと言い、人間であるショーンは「蚊じゃない!」と言う。

 そうさ、蚊じゃないさ。
 でもな。

 そう言いながら、この扱いはなんなの?

 友だちを人殺しにさせるシーンをお笑いにして、ひとのこころの痛みを笑いモノにして、死んだ恋人を気持ち悪いゾンビにしてふりほどくさまをお笑いにして、自分の大切なもの以外はどれだけ不義理をしても傷つけても正義! 大切なのは自分だけ! そして世界を救うヒーロー!!

 コレのどこが「人間」なの?

 コメディだから、明るく気楽に笑わせることが目的だから、野暮なこと言わないでよ、と言われるかもしれないが。

 笑いに徹するなら筋を通してくれ。
 ダブルスタンダードは卑怯だ。

 たしかに、お笑い作品だから、笑える。
 役者の熱演や愉快な演技に、罪なく笑えるさ。

 しかし、感動がない。

 「心」がないからだ。

 サムを踏みつけにして平気なショーンが、愛や友情を尊ぶ発言をして、なんの説得力がある?
 悪魔とどこがチガウんだよ?

 悪魔たちの感性があまりにわたしたち人間とかけ離れていて、笑えるけど彼らの存在や行動に感動はなく、人間であるショーンやサムも「心」を持たない「ネタ」を表現するためだけの存在なので、彼らがナニをしてもカタルシスがない。

 「ゲーム」だとか最後の「オチ」だとかをやりたかったがために、「心」を描くのを忘れた結果か?
 正塚晴彦作品だとは思えない、不誠実な作品。

 
 笑えるたのしい舞台だけどね。画面もきれいだし、わたしの好きな人が素敵にかっこいいんだけど。

 物語に「心」がないと、こんなになんの感動も得られないんだな、と、かえって感心した。

 
 あ、わたしらしー表現で、ひとことで言うと。

 萌えねーよ。


 わたしの今年の目標は、観劇回数をフタ桁で抑える。だったんですよ。

 タカラヅカ依存症だろ、こんな毎日。
 ぐーたらひきこもりヲタクのくせに、夢の世界に入れあげてんじゃないわよ、親が泣いてるわよ!!

 つーんで、今年の目標は、タカラヅカ99回以内。

 
 えーと。

 
 ここ1週間ばかりの、わたしのスケジュール。

19日 月バウ『エンカレッジコンサート』千秋楽
20日 雪『ベルサイユのばら−オスカル編−』千秋楽
21日
22日 花DC『Appartement Cinema』
23日 月東京『THE LAST PARTY』
24日 花バウ『スカウト』初日
25日 花バウ『スカウト』
    宙『NEVER SAY GOODBYE』(観られたらいいな)

 ……間違ってるッ!
 こんな生活、間違ってる!
 まだ3月なのに、観劇回数が、30回越えてるって、どうなのよ?!
 目指せ99回以下だったじゃん! 去年よりさらにペース早い気がする!

 同じ公演、贔屓の出ている公演に通って20回30回つー人はザラにいると思うけど。
 わたし、そーゆー通い方してないし……。
 たんに、観られるモノは、全部観たいとゆーだけなんよ……タカラヅカ、公演多すぎ。

 これで星の東宝『ベルばら』を観ていたら、1週間で、現在公演中作品コンプリートができたのになー(笑)。
 毎日ちがう公演観て、1週間埋められるって、タカラヅカってすげーよなー。

 
 なにはともあれ、明日も『スカウト』観て来ます。作品はアレだが、まあ、画面はいいしなー。

 『スカウト』の内容を簡単に言うと、真夜中に放映している男オタク向け萌え萌えアニメみたいっす。
 顔は幼児なのに、バスケットボールみたいな乳をゆさゆさした半裸の娘たちがいっぱい出てきて、主人公の男に一方的に絡みまくるヤツ。
 ヅカだから、肌露出はしてないけど。ストーリーやノリはアレ系。
 ヒロインはアヤナミ系っつーか人形系だし、影のヒロインは小悪魔系でオレ女だし。
 誰ひとり人格ないし。
 人間関係希薄、を通り越して「ナイ?(首傾げ)」って感じだし。
 まあ、萌えな女の子キャラが、萌えなシチュでなんかやってるからいっかー、みたいな?

 正塚、あのトシでこんなアキバ系作品創るのすげーなー。
 正塚、3作連続同じ舞台セットってどうなの?(『BourbonStreet Blues』、92期文化祭、そして『スカウト』)
 正塚、ほっんとーに一花ちゃんがお気に入りなんだなー。
 正塚、まっつのこともけっこー気に入ってくれてんだなー。
 正塚、めぐむのこともけっこー好きだよね?
 正塚、みわっちのこと、どう思ってんだろ。あたしがみわさんファンだったらかなりキてると思うぞ?(2作連続コレかよ)

 みわっちの扱い、イコール、「人間」が、わたし的にかなり不満。

 人間はな、「蚊」ぢゃないんだーーっ!!

 正塚がホモ……ぢゃねえ、男の友情を描かずにナニを描くというんだっ。らんとむとみわっちでちゃーんと「男の友情」描いてくれよぅ。
 あれじゃあんまりだよぅ。 

 あー……まっつはいい役ですとも。いわゆるオイシイ役。ありがとう正塚。今までの正塚作品のまっつの扱いを見ても、ムゲにされることはないだろうとは思っていたけど、予想以上の扱いをしてくれた。
 2幕のはじまり方には、客席でうれし泣きしそーになった。
 うわーん、まっつー。
 まっつなのにクールビューティーってなにごと?(笑)
 そして、やっぱりまっつだからヘタレテイストって、お約束?(笑)

 まっつはいい。まっつは素敵。まっつファンのわたしは、それだけでうれしい。
 でも、引っかかることの方が多すぎる。
 作品的に。

 らんとむ、あんなにかっこいいのに……。みわっち、ほんとーはあんなに美しい人なのに……。どーしてこのふたりを、うまく使うことができないんだろう……。
 一花ちゃん、すげー熱演なのに。魅力的なのに。きほちゃん、ものすげーきれーなのに。どーしてこんなに素敵なWヒロインをもってして、なんのカタルシスも構築できないんだろう……。

 あー、「人間」としていちばんまともで、いちばんおいしいのは、悠真倫と、嶺輝あやとと、扇めぐむですな(笑)。

 てゆーか、めぐむ×きよみ希望。(役名で言いましょう、誤解を受けます)


 わたしは以前、「トウコなら、相手がタニでもテクニシャンに見せられるわ」と書いた。
 それは、最高級の讃辞。
 どんな下手っぴな男でも、彼女を抱けば「テクニシャン」だと誤解させることができる。女のテクで、男なんてどーにでも見せられるもんなんだ。
 それくらい、トウコはすげーんだ、と。

 ソレを、あっさり撤回しときます(笑)。

 とゆーのもだ、東宝『ベルサイユのばら−フェルゼンとマリー・アントワネット編−』れおんアンドレ初日を観て、ユズドレが、ちっともテクニシャンに見えなかったからだ。

 ははは。
 ラヴシーン巧者のエロエロトウコちゃんをもってしても、童貞の真面目熱血少年をテクニシャンに見せることはできなかったかー。

 れおんは下手なのではなく、「余裕がない」のが見て取れた。
 あそこまで余裕なく、「規定演技」を杓子定規でやられては、エロに盛り上げることはできまいて。
 タニちゃんはどれだけ下手でも、場慣れしている余裕があるからなー。

 ユズドレ初日の「今宵一夜」は、どう見ても「おねーさんと初心者の少年」で、エロくもなければときめきもない、ふつーの「今宵一夜」でした。

 れおんくんは、かっこいいんだけどね。
 新公でかっこいいのと同じで、予想していたより落ち着いていたし、伊達に場数は踏んでいない「真ん中に立つ力」を発揮していました。
 でも、なんかすごく、「ふつー」で。

「れおん、うまかったねー」
「うん、かっこよかったー」
 という感想は出ても、それ以上がない。

「れおん、ふつーだったね」

 というのが、いちばん率直な感想かと。

 それより、しいちゃんの花祭りの男の話題が、ユズドレ初日のすべてだったよーな(笑)。

 わたしは初日好きなので、楽を観られないならまず初日観劇を選ぶ。
 できあがっていない、ナマの拙さ、人間らしい不協和音を観るのが好きだ。
 それがあとになってすばらしいものになり、人の口を借りて「どれほどすばらしかったか」を聞く方が、心穏やかなんだ。
 自分が観たとき共感を得られなかったとしても、「あとになって、役者が成長していい舞台になったんだな」と思える方がたのしい。

「えー? ぜんぜんよくなかったよー? あんな舞台を観ていいって言う人の気が知れないわ」
 と思うより、
「えー? そんなによくなってたの? あたしが観たの初日だったからイマイチだったけど、そっかー、後半はそんなことになってたのかー。わーん、観たかった、うらやましー!」
 と思う方がいい。
 もちろん、有終の美としてテンションの上がっている千秋楽を観るのも大好きだけど。

 ユズドレも、あとになってどんどんよくなっていったと聞く。
 わたしは観られなかったけど、きっと素敵だったんだろうな。
 ひとががんばって成長し、努力の成果をあげているのを聞くのは、とても心地いい。
 美しいじゃないか。真摯さや誠実さ、カタチに残らない目に見えないものが実を結び、それを他人から評価されるなんて。大切な、ファンタジーだよ。必要なものだよ。

 東宝『ベルばら』は、伝い聞く部分が多かった。
 自分で一度体験したものをベースに、信頼できる友人たちの目と感性をもって再構築される、わたしの『ベルサイユのばら』は、なかなかどうして、得がたい作品になっているぞ。


 さて、なんやかんやでわたしは、東宝『ベルサイユのばら−フェルゼンとマリー・アントワネット編−』にも2回遠征した。役替わりコンプリートのためだ。
 東宝のみの役替わり、しいちゃんとれおんのアンドレとベルナール、そしてすずみんとしゅんちゃんの小雨降る径。

 役替わり、というと、これだけしか意識していなかった。

 ので。
 2度目の遠征のとき、れおんアンドレとしいベルナールを見るんだ、と思って席に着き。

 花祭りの男Aを見て、アゴが落ちた。

 知らなかったんだ。
 役替わりは、前述部分だけだと単純に思いこんでいた。それ以上はなにも考えなかった。ムラで見たときれおんがやっていた役がどーなっているか、考えることもなかった。アラン役がゆかりになっていることはわかっていたし、そんなふうに他の役も適切な学年の適切な人がやるんだろうと思っていた。

 他にも、役替わりがあったんだ。
 そーだ、そういやれおん、2幕最初になんかやってたっけ……わたしがついうっかり、あかしばかりを見ている場面で。

 ガツン、と、アタマを叩かれました。
 それくらいの衝撃だった。

 なんですか、あのキラキラしたかわいこちゃんは!!

 れおんアンドレ初日のことです。わたしと『ベルばら』担kineさんはいそいそと劇場に駆けつけておりました。
 つまり、最初の最初。誰もそれまでに、見たモノはいない。

 いちばん最初に、花祭りの男A@しいちゃんを、見たのですよ!! なんの予備知識もなく!

 kineさんは役替わりのことは知っていたそーです、あの人プログラム買うから。でもわたしはそんなもん買わないし見ないし、なんにも知らないよー!
 なにひとつ知らないまま、舞台を観て。

 どどどどーしよー、しいちゃんが素敵だよーーっ!!

 太陽の笑顔がそこにある。
 きらきらきらきら、大輪の笑顔がそこにある。

 ムラでれおんがやっていた役だよ? 周り、若者たちばっかだよ? なのに違和感ないって、どーゆーことなの?!

 デッキブラシ持って踊っていたセーラーさんより、さらに若返ってますけどっ?!

 おそるべし、立樹遥。
 ほんとにフェアリーだな。年齢不詳だな。

 終演後のわたしたちの話題をかっさらってくれたよ。目当てはいちおー、れおんアンドレだったはずなのに。

「なんでサトリちゃんがここにいないのっ」
 と、拳握ってわめいてましたよ、わたしたちゃ。
 しいちゃんといえば、我らがピュアファン・しいちゃんラヴのサトリちゃん。この日彼女は「アンドレじゃないから」と言って観に来ていなかったのだ。
 アンドレがなんだ、いやアンドレはたしかに重要だが、この花祭りの男を観ずしてどーするピュア立樹ファン!
 こんなにこんんなに素敵なしいちゃん、ピュアファンこそに見てほしい。

 とまあ。
 花祭りの男の話を先にしてしまいましたが。

 とゆーのも、だ。
 わたしは『ベルばら』は祭り。参加することに意義がある。参加は1回で充分。役替わりコンプ優先、シイドレとユズドレを1回ずつ観ればソレでヨシ、だったのだ。

 アンドレ役替わりを1回ずつ観て、それでおしまい。
 日程からしいちゃんを先に観て、次がれおんね。

 わたしの東宝『ベルばら』観劇は、シイドレが初。
 はじめての東宝『ベルばら』。はじめての……トウコオスカル。

 えーと。

 トウカルに夢中になって、シイドレを見忘れました。

 あちゃー。
 しいちゃん観る気満々だったのに! しいファンの片隅にいるつもりだったのに!! ファン失格ぢゃんコレ!!

 ま、まあ、シイドレは全ツで観てるしな……モゴモゴ。

 シイドレのことは、トウカル越しにしか見ていません。
 トウカルの横にいたこととか、トウカルに対しての横幅だとか胸板だとか、身長だとか。トウカルが最終的に選んだ男、としてしか、認識してないんですよ。

 でも、トウカルのラヴシーンにあれほどドキドキしたのは、シイドレの包容力と愛の寛さゆえだと思ってます。
 ラヴシーンになるまで、とくにシイドレにドキドキすることはなかったんすよ。なのに、トウカルを抱きしめる彼に、カラダの厚みを感じて、ドキドキした。
 あ、生身の男だ。
 トウカルが生身の女であるように。
 きれーなお衣装を着た人形ではない、体温と性を持った、意志と未来を持った生身の男なんだ、ってことを認識した。

 『ベルばら』で、時代錯誤の「今宵一夜」で、まさか「ラヴシーン」だと思ってドキドキするなんて、ありえない。
 なのに、はしたないほど(笑)ドキドキしたのは、シイドレとトウカルだったからだと思う。

 アンドレが説得力のない相手だったら、トウカルがどれほどがんばって「女の一生」を表現しても空回りしただろうから、シイドレは充分その任を果たしていたんだなー。
 ……見てないんで、よくわかんないけど。ごめんよごめんよ。トウコがすごすぎたんだよ……わたし的に。

 
 だもんで、東宝しいちゃんを語ろうと思ったら、いちばんのトピックスは「花祭りの男」になっちゃうんだわ。

 
 1ヶ月以上も前だもんなあ、わたしにとっての東宝『ベルばら』。ドリーさんと一緒に『スカウト』祭りに突入してたんで、『ベルばら』が遠くてさ……。

 『ベルばら』に関しては、なんといってもkineさんがいるので、わたしが語る必要も資格もないかと。

 ただ、みんながシイドレのあまりに素敵さに涙したとかいう、シイドレ楽は、観てみたかったなあ……残念。


 かしちゃん、組替えしちゃやだあぁぁ〜〜っ!!

 と、幕開きからスイッチオン、いきなり泣けたんですが。

 なんかもー、今さら感漂う、雪組『ベルサイユのばら−オスカル編−』、千秋楽の話。

 前々から言っているように、わたしはコム姫とかしげの並びを「正しくない」と思っていた。
 持ち味的に、致命的に合っていない。
 互いの長所を打ち消す、最悪な並びだと。

 「少しも早く」このトップと2番手の配置をなんとかするべきだ。
 トップが組の顔であり、変更できないのなら、2番手を動かすべきだ。
 コムちゃんがトップになってしまった以上、かしげが組替えされるのは仕方ないと思っていた。それがお互いのためであり、また、組のためだとも思っていた。

 わたしは長々と雪組ファンをやっており、かしちゃんのことはかれこれ10年見守っている。
 かしちゃんに出て行って欲しいわけじゃない。
 ただ、コムちゃんとでは、かしちゃんの魅力が活かせないのなら、コムちゃんの魅力をも相殺してしまうのなら、組替えは仕方ないと納得していただけのことだ。

 水くんが組替えでやってくるとわかったときに、とてもよろこんだ。水くんなら、コム姫との相性がいい。互いの長所を高め合うことのできるコンビだ。

 ずっとかしちゃんの組替えをのぞんできたし、水くんがやってくることで、組替えの予告をされようなものだと、覚悟もしていた。
 わかっていたんだ。この日が来ることは。

 なのに。

 コム姫お披露目公演からずっと、「かっしー組替え」を唱え続けていた、このあたしが。

 それなのに。

 かしちゃんに、どこにも行って欲しくない。

 ここにいて。
 このまま、雪組にいてよお。出ていっちゃ、いやだよお。

 ……と、詮無きことを思っては、びーびー泣きました。

 
 「組」ってのは、「組子」ってのは、そーゆーもんなんだよなあ。
 合っていよーがいまいが、やっぱり、コムちゃんの隣に、かっしーにいてほしかったんだよ。

 わたしの愛した雪組に、かっしーにそのまま、いてほしかったんだよ。

 
 とまあ、組替え関連の話は置くとして。

 
 楽まで取っておきました、かしげアンドレ。
 うまいことなんかわかってる、きれいなことだってわかっている。
 ジェローデルがあれだけきれいで、貴族然としているんだ。アンドレも、きれいすぎて品があって、平民に見えなかったりするんだろーな。

 そう勝手に思ってはいた。ええ、思ってました。が。

 プロローグでせり上がってきた白軍服+白マントのカシドレを見て。

 どこの王子様ですか、あーた。

 本気で、アンドレに見えなかった。美しすぎて。

 かしちゃん……ほんとに、美貌の人やな……その美貌がまったく活かされないままここまで来ちゃったのに、こんなとこでまたその王子様力を発揮してからに……。

 と、彼の無駄なまでも美貌に大ウケしました。や、その、「組替えしちゃやだ」とスイッチ入って泣きながらも。

 とまあ、プロローグはそうだったのよ。
 問題は、そのあとだ。
 ストーリーに入ってから。

 
 正直、おどろいた。
 かしちゃんならきっとこんなふう、と、勝手に思っていたモノがあったから。

 男臭いアンドレがいた。

 あ、あれ?
 かしちゃんなのに?

 白くて薄い(や、髪の毛のことぢゃなくて!)きれーなだけのいい人俳優・貴城けいだろ?
 なにやっても「いい人」、なにやっても「アタマ悪そう」、なにやっても「きれいだけど、それだけ」の貴城けいさんでしょう?!
 アンドレやったって、きれーでひとのいい「幼なじみ」を「薄く」演じるんじゃなかったの? お人形みたいな美貌に、あったかい笑顔浮かべて。

 なんか、男らしいんですけど?

 ちょっとした表情のひとつひとつ、言葉の端々。
 どっちかっつーと、荒い。粗い、ぢゃないわよ、荒い、よ。

 平民で、馬丁やってるの、わかるわ……。
 おぼっちゃまにはない、野生を感じる。

 荒いモノを持つ男だからこそ、やさしく在れる、みたいな。

 ちょ……ど、どうしよう。

 カシドレが、かっこいいです。ドキドキドキ。

 なにしろ、アンドレは所詮アンドレなので。とくに、今回の『ベルばら』は「ペガちゃん登場、ロザリーの夜這い付き」という、お笑い巨編だ。アンドレにときめくことなんて、前提からありえなかった。
 役者の持ち味をたのしむのみの、イベントとしてしか、考えてなかったんだ。

 なのになのに、カシドレったら、マジでかっこいいです。どーしよー!!
 ワイルドなアンドレ! きゃーっ!

 アンドレなのに、かっしーなのに、ときめいちゃってるわよーっ。(かしファンを名乗りながら、その失礼な言いぐさはなんですか)

 あーもー、かっしーって油断しているとこに「来る」んだよなあ。いつもいつも。
 無防備なとこにガツンとくるから、堪えるのなんのって。
 

 でも実際、組替え栄転が決まってから、かっしーは変わったと思う。
 ジェローデル役ででも、短いフィナーレででも。
 今までにない「力」を感じる。

 かしちゃんは、真ん中にいてこそ輝ける人だと思う。
 彼の持つ、一般的な感覚ど真ん中の美しさや、白さや薄さは、「主人公」にこそ求められるモノだ。
 これは、持って生まれるモノだ。後天的にどうこうできるモノぢゃない。
 色の濃い役や悪役は、誰がやってもある程度格好良く見せることができる。オイシイ役と呼ばれる由縁だ。
 かしちゃんは、そーゆー「誰がやっても魅力的に見える役」をやって魅力が最大級に出る人じゃない。
 白い、薄い、「真ん中」の役をやってこそ、正しく能力を発揮できる人。
 「真ん中」にいないときは、その白さと薄さゆえに目立たないけれど。濃い持ち味の人が演じる濃い役や悪役ほどの強い光も発することはできないけれど。
 「真ん中」に行けば、輝ける人だよ。
 わたしはそう信じている。

 雪組にいる今はまだ「真ん中」ではないけれど。
 その自覚を持って立っているのが、わかるから。

 輝きだした。

 アンドレは「白い役」だもんなあ。辛抱役で、とらえどころのない、まさに「主役」的な役。
 なるほど、この役を魅力的に見せることが、トップスターの条件のひとつだよなあ。

 
 ああ……かしちゃん、好きだー。かっこいーよー。

 
 フィナーレで、かし水がそろって踊るシーンがある。ほんと一瞬だけど。
 これが見たかったんだと、心から思ったよ。
 水くんが来て、いずれかしちゃんは組替えで去るだろう。ならばせめて、ふたりが共に舞台に立つ短い間に、このふたりががっちり組んだシーンが見たかった。

 ものすげー贅沢じゃん? かっしーと水だよ? これほどの男役をふたり並べて使えるんだよ?

 だからこそ、このふたりが並び立った貴重な公演が『霧のミラノ』と『ワンダーランド』と『ベルサイユのばら』いう大駄作揃いなのが、くやしい。くやしいくやしいくやしい〜〜っ!!
 かし水の無駄遣いばっかしやがって! どこが座付きだ、役者をまともに使うこともできないくせに〜〜っ。

 行かないでかしちゃん。
 まだ、済んでないよ。せっかくの、コムかし水の夢の並び、ちっとも堪能してないってば。
 まともな作品で、まともにお芝居している姿が見たいよ。そーよ、『銀の狼』やってよ、『銀の狼』。ショーは『ドリーム・キングダム』で! 水がトドのポジに入って。
 再演モノでいいから! まともなモノで、納得させて。
 かしちゃんが、行ってしまうことを。

 
 しょぼん。
 と、肩を落としながら。

 かしちゃんの新しい組での人生に、幸多きことをこころから祈る。

 や、まだ東宝あるけどさ。(チケットないけど、とりあえず行くつもりではいる)


 あいちゃん、って、誰だよ。

 雪組『ベルサイユのばら−オスカル編−』、千秋楽。
 最後の挨拶で、まちかが「あいちゃん」と呼ばれていることに、ものすげー違和感を持った。

 知ってるよ。
 本名だって、入団前の芸歴だって。
 それでも、わたしにとってのまちかは、「まちかめぐる」であり、「まちかめぐる」でしかなくて、「あいちゃん」なんて人は、知らないのだ。

 まちかは、まちかだろう? 宝塚歌劇団雪組の、まちかめぐるじゃないか。
 それを辞めて、「あいちゃん」になるなんて、ひどいよ。

 わたしは真っ当な意味でのファンではぜんぜんないのだから、まちか退団を嘆くのは変だと思うけど。
 思うけど、嘆くよ。惜しむよ。

 男役、麻愛めぐるの卒業を、心から惜しむ。

 ……のはともかくとして。
 最後の最後の公演まで、まちかはとってもまちからしく、わたしたちを沸かせてくれた。

 なんつってもさー、プロローグからまちか登場だもん。アンドレの影ですよ。かしげ、水、壮、キム、かなめ……雪組が誇る美形男役たちにまざっての登場ですよ!!
 初見のときからあたしゃ、ツボ直撃で声殺してひーひー笑って、隣のkineさんに笑っていた理由を図星さされたり。
 アンドレの影でもものすげえのに、さらにまちか様はやってくれた。

 電波娘ロザリーの脳内ピンク妄想に出演するオスカル様たち。ひとりのオスカル様ぢゃ足りないロザリーが、これでもかとオスカル様をはべらしてウハウハするシーンで。

 最初に登場するオスカル様が、振り向くと、まちかめぐる!!

 この演出考えたの誰ですか。すごすぎる。
 大爆笑しました。声殺している場合ぢゃない、マジ吹き出したって!!
 すごいなあ、植爺。クレーンペガちゃんといい、客を笑わせることに命懸けてるよなあ。

 フィナーレでは「雪組クオリティ」として、ハマコと対で使われているし。また、まちかの歌声が、ハマコに打ち消されてまったく聞こえないのも、雪組クオリティ。

 ああ、最後まで、まちかはまちかだ。
 心を震わせてくれる、まちかめぐるだ。

 ショー部分ではそーゆーふーに、吹き出させてくれたりするけれど、芝居ではとっても男らしくおっさんらしく、リアルに重厚に場を締めてくれる。

 わたしはかしちゃんアンドレを観たのが千秋楽だけなんで、楽になってよーやく、まちかのメルキオール役を観た。
 やー、なにがおどろいたかって、あの髪型が、デフォだったこと。

 壮くんがメルキオールをやっているとき、なにが目についたかっていうと、あの髪型なのよ。『魔法使いサリー』のカブみたいな、後ろ髪が信じられないほど反り返った不思議ヘア。
 壮くん、なにをどうまちがってあんな髪型してるんだろう。寿美礼ちゃんが「サリーちゃんのパパ」みたいな髪型にしているからって、「サリーちゃんの弟」にしなくてもいいだろうに。……と、思っていたくらい、みょーな髪型だったのに。

 まちかも、同じ髪型でした。

 後ろ髪、反り返ってるよ!! アニメキャラだよ!! 不動明とか兜甲児とか、そのへんだよ!!

 そうか、あれが「メルキオール」というキャラクタのデフォルトなんだ。記号なんだ。変えてはならないんだ。……何故あんな……。

 壮くんがやるとかわいい気がしないでもないけど、まちかがやるとなんとも微妙で、反り返った後ろ髪ばかりに目が行き、まったくどうしよーかと思いました(笑)。

 でもまちかのメルキオール、ルイーズ@いづるんとかわいい夫婦でしたよ。
 トシが離れていることや、嫁が美人であることなんかもあり、あの力関係がとってもナチュラルに思えるのね。嫁がどれだけ無神経で空気読めなくて自己中でも、かわいくてしょーがないんだろうな。
 ルイーズもまた、強い態度を取りつつも実はメルキオールに甘えている感じが、またヨシ。
 そっか……まちか、ナニ気に包容力あるんだよね……。

 最後に観たまちかが、美人の嫁とラヴラヴで微笑ましくて、よかったっす。

 
 組長が読み上げる、退団者本人からの手紙で、まちかが「ショー『ワンダーランド』に出たとき、男役を極めたと思ったから、退団を決めた」と書いているのを聞き、脳裏に走りましたよ。

 全国ツアー『ワンダーランド』の、あの凄まじい幕開きが。

 コムちゃんの開演アナウンスが流れ、舞台に明かりが灯るなり、並んだ男役たちのセンターに、まちかとハマコが!!
 キム・壮のポジションかよ!!
 すげえ、すげえよ雪組!! まちか&ハマコで、ショーの幕開けちゃうんだ!!

 と、大ウケした『ワンダーランド』。
 あの作品で「男役を極めた」と言われたら、そりゃたしかに、うなずくしかない。

 まちかは、まちか。
 まちかめぐるとして、去っていく。

 『ワンダーランド』の幕開きも、振り向くオスカル@まちかも、そうさ博多座『パッサージュ』の「白い光」役だって、永遠にわたしのなかに残り、語り継がれるのさ。

 「あいちゃん」って誰だよ。わたしはそんな人知らない。
 わたしは真っ当なファンじゃなかった。こーやってまちかまちか言って、たのしんでいただけの人間だ。だから愛称なんて、知りもしなかった。

 それでも、まちか。
 ずっと、まちか。

 忘れないよ。


 『Appartement Cinema』が、TBSドラマの『ランデヴー』にとてもよく似ていたので、今、『ランデヴー』が見たくて見たくてしょーがない。

 『ランデヴー』放映は、1998年。主演は田中美佐子・桃井かおり。
 舞台は、無国籍なホテル。ひとりの男を想い続け、待ち続ける洒落た老婦人が経営している。
 ホテルには、ワケ有りな個性的な人々が逗留しており、そこでドラマが繰り広げられる、わけだ。
 主人公のひとりは「家出主婦」。彼女は「失われた青春」を再体験したくて、「恋」をしたくて、うずうずしている。
 もうひとりの主人公は、アンニュイで気まぐれな女流ポルノ作家。彼女の前に現れる「猫のような」気まぐれな男。彼は「不治の病」に冒されているのだが、とてもひょうひょうと人生をたのしみ、恋をたのしんでいる。

 最終的に老婦人の恋に決着がつき、ホテルは閉業することになる。
 余命が尽きかけていた「猫のような男」は、猫のように姿を消す。猫は死骸を人目にさらさない生き物だから。どこかで、あの軽やかな姿で恋をしているのかもしれない、けれどね。

 
 展開される物語はちがうけれど、キーワードがいちいち同じだから、反応してしまう(笑)。
 ひとりの男を想い続ける老婦人の経営するホテル、ぐらいならテンプレ的設定なんだけどなあ。そこに「不治の病」の「猫のような男」が加わると、ニアミス率がぐーんと高くなるなー。

 
 『ランデヴー』は高品質のファンタジードラマだった。
 ファンタジーってのは、妖精が出てきて英雄が剣で戦う物語だけを言うんじゃないの。
 「異世界」を正しいルールによって構築したモノを言うのよ。

 『ランデヴー』は現代日本を舞台にしながら、見事に「異世界」を作り上げていた。正しいルールがあり、そのなかで荒唐無稽な出来事や、個性的すぎる人々が泣いたり笑ったりしていたの。

 わたしはあの、やさしい空間が好きだった。
 あたたかくゆるいコメディーなのに、全編に言いようのない「せつなさ」が漂っている。
 「終わる」ことが前提の夢を見ているような。「失う」ことがわかっている愛しいモノを、今、この瞬間、精一杯抱きしめているような。

 それは「夏」という季節と、「不治の病の男」に象徴され、砂時計の美しいガラスの中の、減っていく砂をただ眺めているような、静かなかなしみがしあわせのなかに浸透していく。

 おかしくて、大笑いしたり画面に向かって突っ込んだりしながら、いつも大泣きして見ていた。
 それは「ファンタジー」だけど、そこで描かれているのはまぎれもなく「ひとのこころ」だったから。

 大好きなドラマのひとつだ。

 
 しかし。

 ソフト化されてないんだわ。

 
 当時は、人気がない作品はビデオが発売されなかったの。
 わたしがおもしろいと思う作品は、ビデオ化されない確率が高かった(笑)。
 『踊る大捜査線』だって、ビデオ化されなかったのよ? 本放送時は人気がまったくなくて。

 『ランデヴー』もまた、人気はまったくなかったなあ。
 98年のベストドラマは、わたし的に『殴る女』と『ランデヴー』だったんだが。
 どっちも、ソフト化されていない。
 わたしが「ハイクオリティ! すげー出来のいい、おもしろい作品だ!」と思ったモノが、どれだけ世の中の評価とかけ離れているか、という証明みたいなもんだな(笑)。

 当時は相方とドラマ感想同人誌を出していたので(笑)、よーっくおぼえてるよ。

 
 見たいと思っても、世の中に流通してないんだよなあ。
 流通していないから、「おすすめ!」と言うこともできないさ。

 でも、なんか今、あのせつない幸福な空気を、味わいたいなあ。

 『Appartement Cinema』には、いろいろ消化不良なところがあってな……(笑)。
 なまじ設定やキーワードが似ているだけに、「足りない部分」がクローズアップされて印象に残ってしまう。
 もちろん、「別の話」だとわかったうえで、ね。


 結局のとこ、コム姫が自力GETしたのって、水くん愛用品だけだよね?

 
 1年は365日あるのに、どーしてよりによって、同じ日なんだ。
 花組DC初日と、『VO5 presents スカイ・ステージ・トークSpecial #11「朝海ひかる・水夏希」』の日。

 花DC『Appartement Cinema』 PM4時 梅田
 コム水トークショー PM7時 清荒神

 ……どう考えても、間に合わない。
 プリーズ、どこでもドア!! わたしに寿美礼サマか水くん、どちらかをあきらめろとっ?!

 ただのトークショーじゃないのよ、コム水なのよ? わたしのニーズにぴったりあった顔ぶれなのにっ。大好きなふたりなのにっ。
 たとえこんな機会がこれからもあったとしても、わたしが見に行けるかどうかはわからない。なにしろわたし、水くん出演公演のチケ運壊滅状態が続いてるからなっ。
 トークショーはただ一度、DC公演は10日ばかりある。それならDCをあきらめ……られない。だってだって、わたしが持っているのがこの初日1枚限り、しかもわたしの枯渇したチケ運で唯一手に入れていた良席、3列目ですよ、3列目。寿美礼サマを近くで見るのよー。
 あきらめきれない寿美礼サマ。
 そしてトークショーのお席を聞いたら、こちらも5列目とかいうしっ。通路際だから、絶対水くんかコムちゃんは横を歩いてくれるはずだしっ。
 あきらめきれない水くん。
 うわあぁぁん、何故奇跡の良席がWブッキングしちゃうのぉ〜〜?!

 苦悩の結果。
 両方行くことにしました。

 DCを最後まで観て、トークショーは遅れていく。
 さすがに、初日3列目で、芝居の途中で席は立てない。
 トークショーは、遅刻した人はどんなに良席のチケットを持っていても、いちばん後ろの予備席に坐らされる、というルールが明記してある。
 5列目は惜しい。惜しいけど、仕方ない。最後列でも、生のコム水を見られるだけでいいよ。いちばん後ろの予備席直行だから、遅れて入っても迷惑にならないというのは、精神的に楽だし。
 トークショーに誘ってくれたハイディさんは、こんなもったいないことをするわたしを、寛大に許してくれたし。ああ、ハイディさんと並んで5列目で見たかったよ……でもでも、ありがとう〜〜おかげで生コム水見られました〜〜。

 つーことで、花初日を最後まで観、オサ様の愉快な挨拶も聞き、カテコも最後まで参加して、ダッシュで阪急電車に飛び乗った。清荒神着が7時20分過ぎ。
 ……正直、花組でよかったよ。総じてテンション低い組だから。星組だったらもっと公演時間が押して、こんな時間にベガホールにはたどり着けまい。

 最後列の、テレビカメラの横の関係者席に坐らせてもらったときは、ステージ上のコム水は役替わりオスカルの話で盛り上がっていた。

 関係者席にまぎれてしまったせいで、周囲のテンションの低さはちと悲しかったさ。隣のスーツ姿の男の人とか、仕事で坐ってるのがまるわかりで。ちっともたのしんでないのな。ファンでなければたのしめるわけないもんよ……ファン向け内輪ネタのトークショーなんて。
 笑っているのはわたしひとり、拍手するのだってわたしひとり。……いいもん、どんな場合でもたのしむもん。

 トークショーの内容は、終わったあとにハイディさんがとってもナチュラルに言い切りましたよ。

「コム水でしたね」

 コム×水。オトコマエに王様然としているコムちゃんに、引っかき回されている風の水くん。真面目な水くんに、テンション低いままずばりつっこむコムちゃん。
 ええ、わかっていましてよ。舞台では水×コム推奨のわたしですが、実際の力関係が逆だということは(笑)。てゆーか水くんって受キャラ認定だし、ほんとのとこ。わたしは攻キャラスキーなんで、攻でいてほしいとドリームを保ちつづけてますけどね。
 なんにせよ、コム姫相手にあたふたしている水くんが見られてしあわせ。片思いスキーなわたしは、水くんがコムちゃんにつれなくされているのがたまらなく萌えです(笑)。
 つれなく、ったって、コムちゃん的にアレはべつに冷たいわけでもなんでもなく、ニュートラルな状態なんだろうなと思えるだけに、なおいいです。

 プロの芸能人がこういう催しでどこまで素の顔を見せるものなのか、わたしには知りようもありませんが、コムちゃんはほんとに期待を裏切らない人で。
 恒例の神経衰弱ゲームがあったんですが、コレがもお、素敵にコムちゃんで。
 16分割のパネルを使ってトランプの神経衰弱をし、当たったパネルに載っている品をもらえるというゲーム。賞品はすべて、スポンサーであるVO5関連ね。
 水くんはふつーに自力で、ふたつ賞品をGETした。コムちゃんはその時点でナシ。
 やる気があるのかないのか、記憶力がアレなのか、コムちゃんはぜんぜんパネルをおぼえていない。既出品が出ても、見当はずれのパネルをめくろうとする。
 が。
 あまりに見当はずれなコムちゃんに、客席が反応。まちがったパネルをめくろうとすると悲鳴があがる。
 結局コムちゃんは、客席の力を借りてさくさく賞品GET。自分で考える必要ないの、正しい答えは客席のファンが教えてくれる。
 コムちゃんが自力で当たりを出したのはたったひとつ。あとは全部、客席の誘導に従っただけ。
 自力でがんばった水くんが賞品たったふたつで、コムちゃんは両手に持ちきれないほど手に入れている。
 その姿が、もお。
 ツボりました。
 いちばん後ろの席でわたしゃ、声殺して笑い転げてた。
 しかも、コムちゃんが自力で手に入れた唯一の賞品、水くんの愛用している銘柄じゃなかった? よりによってソレだけ自力GETせんでも……てゆーか、譲ってやれよ(笑)。

 万事この調子で、マイペースにのほほんとしているコムちゃんと、いまいち報われない水くんが、じつにわたし好みのぬるい空気をかもしだしていました。

 どうせすぐにテレビで放送されることがわかっているので、わりと油断して眺めていたんだけど、唯一、テレビに絶対映らないシーンはオペラグラスでガン見しました。ええ、花DCには無用だったのに、トークショーのためだけにオペラグラス用意して行きましたよ。
 客席へのプレゼントコーナーはテレビ放映ではCUT前提だから、生でしか見られない。
 水くんの「几帳面さ」を司会者が褒めたら、コムちゃんもそれに対抗。水くんよりさらに几帳面に抽選券を並べてみせる。コムちゃんの「水くんいじり」は、実にいいですなー。
 そして「次の雪組公演のS席チケットプレゼント」で、コムちゃんの天然喋りの「S席って、どこ?」からはじまり、「SS席があるのは大劇場か東宝か」でもめはじめるコム水。当選者を読み上げている司会者の話なんか聞いてねえ。ひたすらふたりでマイク切ってごちゃごちゃ話している。
 ……かわいい。

 退場のとき、わたしの席のすぐ横でコムちゃんが立ち止まり、会場側を振り返ってくれたので、とっても間近でその小さな顔も眺められたし。あああ、細い……人間ぢゃねえぇえ。溜息。

 行くことができて、ほんとによかったっす。
 ありがたやありがたや。


「寿美礼サマの初恋の人が、ゆみこ」

 と、仲間内掲示板に速報したら、疑われちゃったわよ、「緑野からストーリー教わると、どうも他の人とチガウ話なことがある」って。

 そっかー?
 そんなにちがってるかー?

 でも、今回の表現は別に、まちがってないよねえ?(笑顔)

 花組ドラマシティ公演『Appartement Cinema』初日、観に行けなかったnanakoさんの特命を受け、幕間+観劇終了後即、携帯で観劇レポートを書き込みながら、じたばた行ってきました。

 相変わらず、予備知識ナシ。
 オサ、ゆみこ、まとぶ、彩音以外の出演者も知らない。

 殺し屋ウルフ@オサ様の初恋の人が、スタン@ゆみこ。
 誰が見ても、そうだよな? まちがってないよな?

 オサゆみ芝居は数あれど、オサ→ゆみこっての、めずらしくないか?
 ゆみこ→オサはいくらでもあったけどさー。
 ゆみこに片想いしてるオサ様って、なんか新鮮〜。

 ま、わたしが解説すると「他の人とはチガウ話」になるのかもしれないが。

 断言してもいいわ。
 この『Appartement Cinema』、nanakoさんなら、「ゆみこがヒロイン!」って言うわ(笑)。

 そーゆー話であり、キャラ配置でありましたことよ。
 ……ん? いつもか?(花組って……)

 
 老婦人シモーヌ@千雅てる子が経営するホテル・コンチネンタル。そこには、ワケ有りな人々ばかりが逗留していた。
 落ち目のアイドル・アンナ@彩音、売れない作家コンスタンチン@みつると、その別居中の妻でベストセラー作家のメリッサ@としこ、引きこもりネットヲタクのアドルフ@りせ、家出中の人妻サラ@きらり。
 そして、謎の男ウルフ@オサ。
 そこに記憶喪失の男レオナード@ゆみこがやってきたことで、物語が動き出す。
 ウルフは元殺し屋で、彼の最後の標的がそのレオナードだった。記憶を失っているので、レオナードはもちろんウルフのこともおぼえていない。
 ウルフの弟分オーランド@まとぶは心配するが、ウルフは何故かレオナードを殺そうともせず、ホテル・コンチネンタルを出て行こうともしないのだった……。

 あ。そうそうこの話、コメディでした。シリアス芝居だと思って観てたから、びっくりした。

 
 今回の萌えどころは、なんといってもオーランド@まとぶです。

 この男がもー、地団駄踏んで転げ回りたいくらい潔く、ウルフ兄貴にマジ惚れしてるのっ。爆裂片想いなのっ。

 わたしは片想いスキーなので、オーランドの片想いっぷりがもー、ツボでツボで。

 オーランド→ウルフ→レオナード、という救いのない片想い連鎖が、たのしーのー(笑)。

 ウルフはオーランドの気持ちを知っていながら、決して応えることはない。
 ウルフに返せるだけの愛情を、彼なりの誠実さで返している。それは、オーランドの求めるものではないけれど……それでも、ちゃんと返しているの。応えていないだけで。
 だからオーランドは自棄にもなれないし、ウルフから離れることも出来ない。まさに、生殺し(笑)。

 それが、萌えっ。

 オサ様素敵、まとぶ素敵!

 最後は、ハッピーエンドだよね、このふたり。
 ウルフはたぶん、なにもかもわかっていたと思うから。

 いちばん残酷な方法で、オーランドの愛に応えたんだと思う。

 誘い受だからなぁ、オサ様……ぢゃねーや、ウルフ(笑)。

 
 作品的には、かなりバランス悪い。

 消化不良のエピソード多し、無駄な設定多し、てゆーかレオナード@ゆみこの描き方はアレでいいのか? とか、男の友情と、女との恋愛、どっちがやりたかったんだよ? とか、失敗点はとーっても目につく。

 でも、「これが若さというモノか……」って感じだ。
 会話やセンスが、「若い」。
 若いって、こんなに気持ちいいことなんだー。老人の作った前世紀の遺物ばっか有り難がるように強制されてるからさー、なんかいちいち新鮮だわ。

 とくにオープニングの美しさとオシャレさは、注目ですよお客さん。

 
 初日はもー、いろんとこが大変で、音声トラブルはあるわ照明トラブルはあるわ、えらいことになってたけど。
 せっかくウルフとアンナのシリアスなラヴシーン(つーか、ベッドシーンの前振り)として終了したはずの第1幕が、大爆笑されてしまったりと、貴重なモノも見せてもらえたしなー。
 せっかく長椅子で絡み合って幕が下りたのになー。
 起きあがって、のそのそ袖にはけていくところをわざわざ照明つけて見せてくれたりしたら、そりゃ観客も大笑いするわ(笑)。

 りせは素敵にへなちょこだし、みつるととしこさんの夫婦ってそりゃどうなのよ、とか、てゆーかりせ×みつるでヨロシクとか(役名で言いましょう、誤解を受けます)、千雅てる子女史とまとぶんのデュエットダンスがものすげーよかったとか(ここはまとぶ以外にないですよ、王子様だもん!!)、きらりちゃんかわいーゆまちゃんかわいー、彩音ちゃん成長したなーとか、見どころもたくさん。

 オサ様が明るく能動的に彩音ちゃん口説いてて、しょっちゅーフラれて、でもめげなくて、キザったり投げチューしたり、ものすげーテンションですよ。あー、ほれ、『ONE-PIECE』のサンジくんみたい。
 あーゆーキャラです、オサ様。

 でもってゆみこがゾロっぽい? 立ち位置的に。けっこうまともっぽいのに、女に口説かれて、なし崩しに関係してますが。
 そーやって関係したわりに、あんまし気持ちもなさそーな結末ですが。

 サンゾロとかゾロサンとか好きな人には、さらにたのしいかも?(てきとー)

 でもまあ、やっぱいちばんのトピックスは、ゆみこに片想いしているオサ様ですね。(役名で言いましょう、誤解を受けます)
 なんかめずらしーものを見ている気がして、落ち着きが悪かったぞ(笑)。
 ゆみこのキャラがやわらかそうに見えて本質はクールなもんで、オサ様に告られても、それほど感銘を受けてないよーで。淡々としているというか。
 このふたりの関係も、すごーくおもしろいんだが。てゆーか、ゆみこだな……複雑なキャラクタだ……脚本が悪いから複雑になっただけ、という気もするが……がんばれゆみこー。

 
 わたしはとりあえず、今回は、まとぶ×オサで萌えておきます。(役名で言いましょう、誤解を受けます)

 ん? 『パレルモ』もこのふたりで萌えだっけ? あ、アレはヴィットリオ×ロドリーゴだから逆だー。今回は、誘い受下克上(笑)。

 
 細かい話は、またいずれ。


 東宝版『ベルサイユのばら−フェルゼンとマリー・アントワネット編−』を見終わったあと、わたしは鼻息荒く言った。

「トウコなら、相手がタニでもテクニシャンに見せられるわ」

 いかにもアレが下手っぴそうな男が相手でも、女がうまく演技すれば騙せる。当の男本人も、観客も。
 「ひょっとして**って、テクニシャン?」と、誤解させることができる。

 わたしのこの言葉に、星『ベルばら』未見だったドリーさんは、
「それって、最高級の誉め言葉じゃないですか」
 と、感心していた。

 そうさ。
 最高級の誉め言葉さ。

 以前わたしは、「抱かれたくない男役」として、タニの名をあげた。べつにタニちゃんが嫌いなわけじゃない。純粋に下手そうだから、あげただけだ。
 実際彼は『不滅の恋人たちへ』で、壊滅的なラブシーンを見せてくれ、客席に笑いと悶絶を振りまいていた。いやその、タニちゃんはそーゆーとこが愛しいキャラだから、それでいいのだけど。

 そのタニをもってすら。
 トウコなら、「テクニシャン」だと誤解させてしまえるだろう!!

 それくらい、トウコはすごいのだ。

 つか。

 トウコ、エロ過ぎ。

 トウコが、ラヴシーンがうまいとかエロいとかは、アイーダのときにわかっていたことだ。
 わかっていたけど……。

 エロい。やばいくらいエロい(笑)。

 
 わたしは、「今宵一夜」を古いと思っている。時代遅れで、美しくもないし、ときめきもない、ただの形式、ただの型。
 いかにも「手順」て感じにポーズを変えるだけの、見せ物。
 そーゆーものだ、とあきらめて眺めている。

 なのにその「今宵一夜」でドキドキ+赤面させるよーな、エロいラヴシーンをかますって、どーなのよ?!

 び、びっくりした。
 目からウロコ。
 「今宵一夜」って、ここまでできるもんなんだ?
 やる人によって、これほどまでにチガウもんなんだ?

 トウコ、すげえ。

 なんか、ひとさまのラヴシーンをデバガメしているよーな、いたたまれない気恥ずかしさで、ドキドキした。

 だってさぁ……。
 トウカル、細かいんだもん。
 シイドレの膝の上で仰向けられたときの、一瞬のおびえた瞳と、次の瞬間の恍惚としたあえぎのよーな吐息はなんなんですかありゃ。
 オペラグラス釘付けだったあたしゃ、興奮のあまり手が震えて、画面が揺れたよ(笑)。

 わたしは今の今まで、知らなかった。考えたことがなかった。
 「今宵一夜」って、この暗転したあと、幕が下りたそのあと、オスカルとアンドレはやっちゃうんだわー……。
 原作はともかくヅカの「今宵一夜」は、口では「抱け」だの「今宵一夜アンドレ・グランディエの妻に」とか言ってるけど、現実問題として、考えたことがなかった。
 だって、リアリティのカケラもない「型通り」のラヴシーンで、そこに愛はあっても「性」はなかったんだもの。
 生身の男女の恋愛だなんて、考えたことがなかった。
 セックスの存在する、ふつーの恋愛だったなんて、マジ、ただの一度も考えたことなかったのよ。

 だから、びびった。

 あ、このふたり、これからやるんだ。
 ……という、リアルさに。

 
 どうなんだろうね、トウコちゃん。このリアルな演技は、ヅカとしていかがなものか。

 安蘭けいという役者は、好き嫌いが大きく分かれる人だと思う。
 この精神面に訴えかけてくるリアルで繊細な演技は、大味であることをヨシとされるタカラヅカの舞台において、特異なものだなと。
 嫌いな人は、とことん嫌いだろーなー。生理的にダメ!ってぐらい、ダメだろーなー。
 そのことが、よーっくわかった(笑)。

 でも、わたしは大好きだ。

 好きでよかった。すごくたのしい。すごくうれしい。

 お笑い作『ベルばら』でさえ、型芝居の「今宵一夜」さえ、ふつーの芝居のようにドキドキさせてくれるんだもん。
 トウコを好きでよかった。得した(笑)。

 トウコのエロさは、男たち目線ではなく、あくまでも女性のもの。
 いわばハーレクインなんだよね。女が見てドキドキする、美しいラヴシーンのエロさ。

 オスカルというキャラクタに「性」が存在すると、彼女の「厚み」が変わってくる。
 絵に描いた餅じゃないの。わたしたちと同じ、「人間」の女なの。
 恋もするし、セックスもする、ふつーの女。「劇画の中の主人公」ではなく、生身の女として、そこにいる。

 
 もちろん、「今宵一夜」以前も、すげーよかった。
 普段は強い女性、だからこそ、彼女の「女の子」の部分が垣間見える瞬間が、とてつもなく魅力的。

 フェルゼンに「もしかして、君は僕のことを……」と隠していた恋心を指摘されるところ。
「ちがいます」
 と、必死に言うオスカルの、大きな瞳が潤んでいるのを見て、こちらも胸が詰まる。
 うわ、泣いちゃうよ泣いちゃうよ、この強く美しい人が。
 否定して、強がって、真正面を見据えて背筋を伸ばす「軍人」「男として生きる」彼女の瞳に盛り上がる涙。

 なんなの、この痛々しさ。

 誰か彼女を抱きしめてあげて。……そう思って、ハンカチ握りしめちゃうよ(笑)。

 そんな、ぎりぎりのところで強がって生きている女の子が、自分をずっと見守っていてくれた幼なじみの男性に身をゆだねる。
 それまでの彼女の強い姿、そのくせ傷ついていた姿を知っているだけに、「初夜」を前にした「女」としての恥じらいやとまどい、おびえと陶酔を見せつけられると……どどどどーしよー、すげーエロいんですけど。
 対するシイドレは、そんな処女の繊細な機微に気づくよーな男ではないが(笑)、大丈夫、愛情とやさしさだけは持ち合わせている。安心していいよ。この男となら、きっとしあわせになれる。
 と、はじめて知る男の腕に抱擁におびえ、身を固くしているトウカルに、教えてあげたい(笑)。
 大丈夫。君は、しあわせになれるよ。しあわせになるべき人だよ。
 心からそう思い、「うわっうわっ、これからやっちゃうんだ、やっちゃうんだなどーしよー!!」と、オペラの視界が地震を起こすほど動揺しながら、暗転を迎えたのですよ、わたしは(笑)。

 えーいっ、アンドレのしあわせもの!! あんないじらしい女の子(しかもヴァー……いかんいかん、自重)をモノにしやがってぇー!!

 そして。
 翌朝。

 わたしたちの前に姿を表したオスカルは。

 まぶしいほど毅然としていた。

 きらきらしていた。
 魂が、足場を確立し、力強く輝いている。
 危なっかしかった女の子は、もういない。彼女はもう、迷わない。
 男の腕の中でおびえていたあの女の子が。
 愛を知り、性を知り、ひとりの人間として女として、ここにたどりついた。

 ここまできたんだ……!

 彼女は、ここまできた。
 さんざん迷って、傷ついて、そしてたどりついたんだ。悩み抜いてボロボロになって、そして得た輝きなんだ。
 ここ、てのは場所ではなくて。
 魂のいる階層というか。

 すべてのものが、彼女をここへ導いた。
 すべての人、すべての出会い、すべての痛みやかなしみ、よろこびや愛情、なにもかもが、無駄ではなかった。
 彼女は、ここ、に、たどりついたのだから。

 オスカルの美しさが、その迷いない毅然とした態度が。
 なんかもー、見ていて泣けてきて。

 ひとりの人間の、魂の成長、カタルシスを見せてもらった。

 ひとは、ここまでくることができるんだ! みたいな。

 闇を突き抜け、自分の力で光を掴んだ女性。
 もー、ここでENDマークでいいよ、ってくらい、輝いていた。

 でも、ご存じの通り、物語はまだ先があって。
 迷いなくブイエ将軍に絶縁と王家への反逆を宣言したオスカルは、戦いに身を投じることになる。
 彼女の目の前でアンドレが殺され、彼女自身も戦場で散ることになる。
 アンドレの最期に取り乱す姿、そのくせ立ち上がり、軍人としてバスティーユ攻撃の先陣を切り、銃弾倒れるその壮絶な最期まで、痛々しさ全開。

 その直前の、魂の輝き、幸福感がすさまじいだけに、直後の悲劇が際立つのなんのって。

 もう見飽きたバスティーユなのに。
 今回星も雪も、さんざん『ベルばら』を観てきたのに。

 はじめて、「バスティーユ」で号泣した。

 あんまり泣きすぎて、幕が下りたあとも芝居に戻れなかった。すずみんがなにか言ってるし、ワタさんとなにか話しているんだけど、耳に入らなかった。
 しばらく、そのまま泣いてた。

 ……立ち直れたのは、牢獄のシーンになったころかな(ダメぢゃん)。

 
 なんか、やっぱしバランス壊しているよーな気もするなー、トウカル……(笑)。
 盛り上げすぎっていうか。

 なんにせよ、すごすぎるよトウコ。
 演技は相性だから、ソレがよくない人にはまったく通じないと思うけど。
 わたしはトウコちゃんとは相性いいので、もー感動しまくりだよ。あーもー、トウコすげートウコ大好きートウコエロエロ〜〜。

 でもって。

 フィナーレの「薔薇のタンゴ」がまた、新鮮な衝撃でした。

 あのけなげでかわいー女の子が、男になって、
   「オラオラオラ〜〜ッッ!!(巻き舌)」って言ってる……!

                               (白目・背景ベタフラ)



 『ベルサイユのばら−オスカル編−』、役替わりによる3人のアランを一通り見た。

 といっても、わたしは「アンドレ役替わりコンプ」を優先にしているので、現時点で水を3回、キムを1回、ヲヅキを1回見ただけだが。

 
 基本はなんといっても水アランだ。

 文句なしにカッコイイ。
 はまり役だよね。ねっ。
 ちょい悪で、ワイルドで男前。あとはポスター並に軍服を着崩してくれたら最高なんだが(笑)。

 どんなに荒っぽく作っていても「二枚目」の範疇を決して逸脱しないこだわりが見える。
 「悪」のよーに登場しても、「悪人」には絶対見えない。見えてはいけないことを知っているんだ。
 「アラン」としての正しいキャラクタぶりが、心地いい。いい仕事してるなあ、水夏希。

 
 それに対して、キムアラン。

 ……この子に平均的な身長があれば、いったいどうなっていたんだろう。と、今回改めて思った。

 幼く見えるというのは、両刃の剣だよなあ。
 少年っぽさは武器になるが、「大人」に見えないのは大きな弱点だよなあ。
 舞台である以上、重要なのは顔立ち云々ではなく、2500席ある客席からどう見えるかであって、先入観のない一般客が判断すればいいだけのことなんだけど。
 それはわかっているのだけど。
 わたしがキムアランを見たのは、1列目観劇のとき1回だけなんだよね。
 近くで見ているとどーしても、演技以前にそのかわいい顔や若々しい持ち味が視界を奪うのよ。アランという役とキムという役者のギャップにとまどうのよ。

 アランはたしかに「年下の男の子」なんだけど、それにしても若いなー。思わせぶりに声だけ響かせたあと大仰に出てくるのが小柄な男の子だってのは、視覚的につらいなー。

 とゆー、どーにもならない違和感を、とりあえず棚上げしておいて。

 黒いアランだった(笑)。

 だってこの男、いろーんなとこで笑ってるんだもん。
 相手が真剣に話していたり、場が緊迫しているしているときにだよ、キムアランは笑ってやがるのよ。

 ニヤニヤと、高みの見物。
 あのぶあつい唇をゆがめて。おもしろいものを見る目で冷笑してやがるのよー。

 性格わるっ!!(笑)

 水アランが怒って凝視しているようなところで、ニヤニヤ笑いしてんだもんなー。ひでーよなー。
 好きだけど、そーゆーとこ(笑)。

 外見が若く見えてしまうというマイナス面を、精神的に大人の男であるという演技で補おうとしているんだ。
 自分が関わっていることでは怒ったり怒鳴ったりするけれど、傍観者の場合はいちいち感情的になったりせず、黒い笑いを浮かべて成り行きを見守っている。
 青くないんだぜ俺は、な感じが実にイイ。

 こうやって、弱点を踏まえた上で、それでも負けずに役を作ってくる。
 この子がもし、恵まれた体格を持っていたら……せめて平均の身長ならば。
 どれほどのものを、見せてもらえたんだろう?
 そう思うと、せつない気持ちになる。
 もちろん、今の体格だからこそ、彼がここまで奮闘しているのかもしれない、恵まれていたら素質にあぐらをかいて成長していなかったかもしれない、ということもわかったうえでな。

 キムくん……身長伸びないかなぁ。この子に身長さえあれば、もっともっと役の可能性が広がるのにー。くやしー。

 
 と、本公演のアランたちがいて、たった1回の本番しかなかった、新公のヲヅキアラン。

 水アランが萌えだし、キムアランの黒さも好き。
 でも。

 
 わたし、キャラ的にはいちばんヲヅキアランが好きだ。

 あの武骨な誠実さがね……。ヲトメ心直撃なのよ。

 水アランが怒り、キムアランがニヤニヤ笑っているところで、ヲヅキアランは沈鬱にさえ見える真剣な眼差しをしている。オスカルがブイエ将軍とやりあったりしているところね。
 誠実に正しい意見を口するオスカルと同調してテンションを上げる水、「へえ、結構言うじゃん」てなふーに笑うキムも、好きだけど。

 そう言うオスカルの胸の痛みまで思いやっているかのよーな、痛みをこらえているかのよーな、真剣すぎる目でオスカルを見つめ続けるヲヅキが、好き。

 出来事に対して、どんなリアクションを取るか。
 それで、性格って出るよね。

 目の前に派手に転んだ人がいるとして。

 その滑稽さを笑う人、ツッコミを入れる人、囃し立てる人、心配する人。
 水アランなら真っ先に「大丈夫か」と助けに行き、キムアランなら悪意ではなく親しみから皮肉なことを言い、ヲヅキアランなら、黙って眉をひそめるんだろう。転んだ人の痛みを想像して。

 そーゆー妄想をしてしまえるくらい、ヲヅキアランが好きだー(笑)。
 
 ま、1回こっきりで2度と会えないとわかっているから、余計に妄想をたくましくしている可能性はある(笑)。

 
 と、3人のアラン語りをしたので、次はもうひとりのアラン……安蘭けいのオスカルの話でもするかなー。


 去年わたしは、ポケットカレンダーを入手しそこなった。
 買えたのは、最初に発売されたトップスターの分のみ。ゆーひくんはあとからでも買えたけど、水くんとか檀ちゃんとか買えなかったよぅ。現物を見ることさえできなかったよぅ。

 つーことで今年は、とても気合いを入れてのぞんだ。
 水くんを買うぞ買うぞ、買うぞってば。そりゃ、まっつのポケカレがあれば、どんなに微妙写真であっても鼻息荒く買うだろーけど、出てないし。水くんとゆーひくんは絶対買うのよ、なんだって。
 発売日に駆けつけましたよ、キャトルレーヴ!(ちなみに日比谷シャンテ店)

 でもって、アレもコレもとやっていたら、ポケカレばかり6枚、6人分……。
 カレンダーとして持ち歩けるのは何枚かしら。去年は結局トド様を持ち歩き、オサ様をPC横に飾っていたんだけど。

 今現在、PC横に飾ってあるのは2枚。コム姫@銀の狼、水くん@銀の狼。
 ええ、ペアですよ。とーぜんですよ。水コム! 水コム!

 つーことで、今回は水コム萌え話(笑)。

 アラン@水×オスカル@コム。

 
 なにしろ今回の『ベルサイユのばら−オスカル編−』は、アンドレの比重が軽すぎる。いてもいなくてもいいような扱い。
 しかもオスカルやってるのがコム姫だから、基礎体温低すぎ。ちっともアンドレを必要としているように見えない。自分ひとりで、なんの問題もなく生きていけるキャリアウーマンだ。

 こんなオスカルだからさー。
 アンドレ以外の男と萌えても、仕方ないよねー(笑)。

 もともとアランっつーのは、オスカルを愛してしまう役だ。年下のやんちゃな男の子。好きな女の子をついいじめてしまうタイプのガキ大将。
 この素直じゃない男が、うっかり恋してしまう女上司。反発が大きければ大きいほど、ハマるときは激しくて。
 原作のアランは大好きです。作品中でいちばん好きだなー。どさくさまぎれの無理矢理チュー(バックに花)とか、ロマンですわー。

 そもそもアランは、「オスカル隊長命」のキャラ。
 そして、オスカルは……。

 本来のオスカルはともかくとして、今回のコムカル。あまりにクールでオトコマエ。余裕の笑いでアランたち荒くれ男に対峙する。

 なにが愉快かってさー。
 植爺は植爺だからなにも考えてないんだろうけど、今回の脚本、正しいアランの落とし方って感じになってるのよー。

 ファンファーレ付きで大仰に、主役のひとりです、というように登場したアラン。さんざんオスカルに噛みつき、ついには決闘になる。一騎打ちの末、アラン敗北。
 負けたことも屈辱なのに、間髪入れずオスカルは彼を手当してしまう。しかも、アランの腕前を誉めながら。
 そして、地面に落ちているアランの剣を拾うのはオスカル。握りの部分をアランに向けて差し出す。……これって屈辱だよね?
 前の隊長の顎を砕いてやったとか言ってアランは威嚇しているのに、オスカルは動じない。きれいな笑顔を返す。
 エリート士官が左遷されてやってきたに違いない、痛いところを突いてやろうと思って、「なにをやらかして衛兵隊に来ることになった?」と問えば、やはり返るのは余裕の笑顔だ。
「お前のような男に会いたかったからかもしれない」
 俺? 俺かよ?!
 さらに追い打ちだ、動揺する心を悟られまいと、「いつか刺し殺す!」と脅してみたのに。
 それでも彼女はわらうのだ。
「お前になら、刺し殺されても恥にはならん」
 俺になら、殺されてもいいってか?!!

 アラン青年、恋に落ちるの図。

 まさに「正しいアランの落とし方」、たたみかけるよーに口説き文句の猛ラッシュ。

 お、おもしれー。
 最初に観たときから、大爆笑。

 植爺だから、原作にある台詞のパッチワークなんだけど、使い方と演出がねー。そのうえ、役者のキャラがねー。
 なにしろ本来一緒にいるはずのアンドレがいないからねー。オスカルひとりで、口説き文句羅列してるんだもんねー。

 コムカルがあまりにクールでおびえも迷いもなく、晴れ晴れとした笑顔でアランに対しているのがすごい。
 そしてアランくんがいちいち派手に反応するんだわ。
 百戦錬磨のおねーさんと、うぶな不良少年のやりとりみたい。

 とくに、この台詞のコンポはすげー破壊力だ。クリティカル連発、即死もの。

「お前のような男に会いたかったからかもしれない」
 ズキュン。
「お前になら、刺し殺されても恥にはならん」
 ズキュン。

「あなたのような人に会うために、ここへ来たの。あなたになら、殺されてもいいわ」
 年上の美女に会うなりこう言われて、正気でいられる男がいるか?(笑)
 出会ってわずか十数分の間に、ものすげー濃度で口説かれてるからなー、アランってば。

 次のシーンではご丁寧に、アランの妹と母が登場。
 ブロンドにあこがれているミーハー娘(のーみそ軽め)の妹はともかくとして。
 口うるさい母まで、オスカル嬢を認めた?!
 嫁姑の問題解決? 彼女ならOKってわけですか、おかーさん。
 家族思いのアランの、最後のきっかけ。母の歌う子守歌が、ポンとアランの背中を押した!(笑)

 Fall in LOVE、そして彼は恋に落ちた。

 
 すげーよ、この脚本。
 おもしろすぎ。

 そしてナニがたのしいかって、こんなふーにアランをめろめろにするHOW TOぶりを極めていながら。

 コムカルに、まったくその気がナイこと。

 ハタから見りゃ、「ヲイヲイ、それは男をオトすつもりでやってるとしか思えないぞ?」な思わせぶりすぎる言動なのに、コムカル的にはそんなつもりはまったくナシ、口でいろいろ言ってはいるけど、どっから見てもアランに興味なさそーなのが、丸わかりなのが、もお……っ!!

 コムカル素敵! 魔性の女!!(笑)

 うるさいお目付役のアンドレに、わざわざ「ついてくるな」と言ったんでしょ? だからアンドレは衛兵隊にはいないのよね? 馬丁のニコラスも遠ざけているんでしょ? 1幕ではそーゆーことになってるわよね。

 好みの野性的なイケメンたちに囲まれてしあわせ。出勤するのがたのしいわ! と、羽を伸ばしまくっているよーにしか思えませんけど、オスカル様。
 それくらい、たのしそーなさばさばした笑顔だよね。

 
 だもんで。

 わたしとしては、アンドレはこの際どーでもいいから、アランとオスカルのラヴストーリーが見たくてしょーがありません。

 オスカルの思わせぶりな言動のひとつひとつに揺れ動くアラン。強引に出てみてもかわされるし、かといって無視していると絡んでくる。あの女は、いったいなにがしたいんだ? 俺を弄んでたのしんでいる?!
 やきもきしつつも、彼女から視線がはずせない。腹が立つ、苛立って仕方がない……のに、彼女のことしか考えられない。
 かけひきと、純情と、仕事と、立場と。
 ベタベタコテコテに、ラブロマンス希望。
 オスカルに誘われて、1回ぐらい勢いでヤッちゃうとたのしいですな。
 なのに翌日、彼女はなんの変わりもなく上官として隊にいて。クールで。美しくて。
 あれは夢? いや、そんなはずはない……しかし。
 翻弄されるアラン。
 オスカル的にはホレ、衛兵隊のリーダーである生意気男を喰っちゃった方が、これから楽だし、程度の気持ちでいいから(笑)。あの不敵に笑うコムカルなら、それくらいの度量ふつーにありそうだし。
 低温に鬼畜な美女を、どうやって振り向かせるか。男アランの腕の見せどころ。バカにされたままでなんか、引き下がれない。
 さて、このふたりにハッピーエンドはありえるのか?

 ……パラレルストーリーとして、真面目にパロ小説書けそうだよ(笑)。
 オスカルが、アンドレではなくアランと恋に落ちる物語。

 原作では、アランはアンドレとも友情で結ばれているので、仁義に厚い彼は友だちの恋人に手を出すことはしなかった。(いや、ぶち切れてチューだけしてたけどな)
 しかしホレ、植爺版ペガちゃん飛ぶよな今作では、アンドレは衛兵隊にいない。隊が平和になってからのこのこ現れていいとこ取りするだけの男だ。アランの友人になりようもないし、そんな男がいることすら、1幕のアランは知らないわけだよ。
 オスカルは、単身衛兵隊へやって来た。まったくのフリーの妙齢の美女だ。
 アランが本気になって恋愛しても、不思議じゃないさ。

 歴史の渦の中で、このふたりはどんな恋を展開しただろう……そう思うと、ものすげー、たのしい。


 雪組『ベルサイユのばら−オスカル編−』第2幕を、自分の萌えを踏まえて、ストーリーの大改造をやってみる。
 1幕のときと同じく、「時間制限」を無視するのはフェアではないと思うので、植爺版と平行して書いてみる。
 「数字・場所。」と表記しているのが植爺版。そのあとに「↓私案」と書いてあるのがわたしの妄想。交互に出てくるから、混乱せずにヨロシク。

 
1・衛兵隊。
 みんなそろって訓練中。何故か豪華な軍服にマントをひるがえすアンドレもいるぞ。ブイエ将軍の一喝で、これが訓練だとわかったが、はじめて観たときゃあたしゃ、「遊んでる」と信じてたねー。だって踊ってるんだもん(笑)。その前のシーンで近衛兵が歌い踊っているのは「遊んでる」ことになっていたし。
 オスカルとブイエ将軍の会話も変だが、そこに乱入してくるジャルジェ将軍との会話はもっと変。原作の無意味なパッチワークだから、破綻しているのなー。
 ジャルジェ将軍はオスカルに「ジェローデルと結婚しろ」と命令する。アンドレ、がーーん。

 ↓私案
 仕方がないのでほぼそのまま。会話をなんとかしたいけど、わたしの基本スタンスは「本編はできるだけ変えない」ことだから。このスタンスを無視するなら、こんな「部分的私案」とか言ってないで、最初から全部書き直すわ(笑)。
 つーことで、ブイエ将軍との変な会話そのまま、乱入してくる変人ジャルジェ将軍もそのまま。ただ、衛兵隊たちを解散させるときに幕が閉まり、幕前芝居になる。オスカルとアンドレ、ジャルジェ将軍とジェローデルの4人が残る。
 「ジェローデルと結婚しろ」「このジェローデル少佐は家柄といい身分といい云々」と言うジャルジェ将軍。アンドレ、がーーん。そそくさとひとり退場。

2・幕前と銀橋。
 オスカルの結婚話に大ショックのアンドレ。毒殺を決意。ソロ。

 ↓私案
 幕前芝居の続き。
「命令だ。少しも早くジェローデルと結婚しろ」「はぁ? なんでわざわざジェローデル限定?!」「それもそうだな。それなら盛大に舞踏会をして、花婿を捜そう!」「なんですとっ?!」−−パパとオスカルが会話している最中に幕が開き、そこはジャルジェ家の居間になる。パパとオスカルとジェローデルとで、屋敷で話しているとゆー設定。だって道端で結婚話もないもんだよ。
 単体の結婚話が一大イベントに発展してしまい、オスカルとジャルジェパパは口論しながら退場。ジェロひとりが残される。

3・オスカルの部屋。
 なんか気味の悪い母娘の会話。今君たちが話すべきなのは、ジェロとの結婚話のことだろう。ソレを話さずにどーでもいいことを話しているから余計に気持ち悪い。
 アンドレ登場、毒殺未遂。「お前を愛していたんだぁっ!!」……いやソレ、犯罪だから。

 ↓私案
 ジャルジェの居間の続き。お茶を持って現れたアンドレ、どーやらオスカル縁談話が気になってメイドの仕事を横取りしたらしい(笑)。ところが居間にはもうジャルジェ将軍もオスカルもおらず、ジェローデルだけ。
 持ってきた3人分のお茶をテーブルに並べていると、ジェローデルが話しかけてくる。「結婚後もオスカルの側にいさせてあげるよ、フフフ」アンドレ、ぶちキレてジェロの顔にお茶をかける。「そのショコラが以下略」
 銀橋へ出て、愛と絶望を歌う。毒殺決意。

4・幕前。
 ダグー大佐とジェローデルのアタマの悪い会話。だってまったく同じ会話をさっきもしていたよな? そして、パリ進駐のことについてだらだら話す。
 オスカル登場、ジェローデルの「身を引きましょう」。オスカル、銀橋ソロへ。

 ↓私案
 オスカルの居間。母と姉との会話はCUT。心からいらん。オスカルがひとりでバイオリンを弾いている。そこへ現れたアンドレ、「舞踏会の準備は進んでいるのか?」てな会話をしながらワインに毒を。でもって怒濤の告白へ。

5・衛兵隊。
 パリ進駐のことで大騒ぎ。てゆーか兵士の家族たち出過ぎ。うぜー。夫や兄の職場に押しかけてナニやってんだこいつら。ありえない。
 オスカルへの兵士たちの不信感もものすごい。こんなんでどのへんが心酔しているんだ。現れたオスカルが一喝。「従いましょう、あなたの指揮なら」

 ↓私案
 お楽しみの舞踏会だー。花道に登場した貴婦人@美穂圭子女史のソロからはじまる(笑)。彼女の歌の途中から貴公子たちがぞろぞろ幕前に登場、「オスカル様のドレス姿たのしみだー」とかなんとかのーてんきにざわざわ。反対側からは淑女たちの群れ。「オスカル様結婚、断固反対!」彼らとは一線を画し、余裕のジェローデルも登場。
 幕が開き、ジャルジェ家の広間。集まった人々の前に、超美男子のオスカル様が!(笑)
 オスカル様、マドモアゼルたちを次々に口説き、チューしてオトしまくる!!
 衛兵隊のみんなも登場、舞踏会はめちゃくちゃ、オスカル様の高笑いで終了。

6・ジャルジェ家の廊下
 ジャルジェ家の人々勢揃い。ましてもパリ進駐の話をぎゃーぎゃー。勘弁してくれよ、同じ話、3回目だよ。

 ↓私案
 舞踏会、オスカルの高笑いから幕が閉まり、オスカルとジェローデルのふたりきりになる。
 でもってここでパリ進駐の話をする。舞踏会をめちゃくちゃにしたことで結婚話はお流れ、オスカルは予定通り近日中に衛兵隊を率いてパリへ出動すると。
 でもジェローデルだけはめげていない。舞踏会が失敗に終わった以上、正式な求婚者は自分ひとりだと食い下がる。が、オスカルはアンドレの話をしてジェローデルの求婚を断り、ジェローデルの「身を引きましょう」になる。オスカル、銀橋ソロへ。

7・オスカルの居間。
 まずはばあやとパリ進駐について話し、次にロザリーの襲撃、これも名目はパリ進駐の話だし、それからアンドレとの「今宵一夜」と大忙し! いったい何回パリ進駐の話した? 「危険」「心配」「矢面」もー飽き飽き!

 ↓私案
 オスカルの居間。ばあやとは話してもいいが、ロザリーの夜這いはいらん。てゆーか、あってはならない、あんなもの。
 まっとーに「今宵一夜」。すでにこの「今宵一夜」は時代遅れもいいところだと思っているが、わたしの基本スタンスは「本編はできるだけ変えない」だから、そのまま。

8・幕前
 出たぞ、ジャルジェ家の人々。またしてもパリ進駐の話。心配したり泣いたり。出動する衛兵隊を見送っているのだが、泣きが入りすぎ。

 ↓私案
 ロザリーの銀橋ソロ。ヲトメの祈りの歌詞ちがい。オスカルの身を案じながらも、信念に生きるあの方ならきっと悔いのない選択をするだろう、わたしはそれを信じている、みたいな意味のことを台詞と歌で。

9・パリ市内。
 ベルナールとロザリー。夜這いで言った台詞と同じ台詞を今度は夫婦で繰り返す、大変恐ろしいシーン。
 次に衛兵隊とその家族と街の人々。5のシーンでもかわしたよーな会話を、また繰り返す人々。勘弁してくれよ。同じ会話しかできないのか。ジャルジェ家の人々といい兵士の家族たちといい、家族がらみのシーンは全部無駄な重複と無神経な歪みに充ちている。
 ブイエ将軍登場、市民への発砲を命令。オスカル登場でソレに反逆、衛兵隊は平民側につくことに。
 見晴らしのいい橋の上のアンドレ、そりゃ撃たれるだろうよ、というところで撃たれて死ぬ。

 ↓私案
 銀橋から本舞台へ来たロザリー、現れるベルナール。ほぼ「9・パリ市内。」と同じ。
 1幕で衛兵隊家族の話を省略しているので、ここでも家族たちによるまちがった人情劇はない。兵士たちに詰め寄る民衆たち、というだけ。
 アンドレの死に方はまぬけすぎると初見のときから思っているが、基本スタンスは「本編はできるだけ変えない」だから、そのまま。

10・バスティーユ
12・天国
 そのまま。
 ガラスの馬車も天国も、わたしは嫌いだし、いらないと思ってるけどね。基本スタンスは以下略。

 
 各場面の長さはまちまちだから、植爺版とそのままリンクしているわけでもない。でも、ここは長くなってるけど、かわりにここが短くなってるから、てことで、トータルしたら同じ枠に収まると思う。
 「家族」の話を全CUTし、かわりにオスカルの恋愛話を入れれば、こんなに華やか。
 なにしろ「家族」たちときたら「パリ進駐」の話しかしないから、出てくるときはいつも同じ話、しかもいつもヒステリー状態。ジャルジェ家の人々にしろ兵士の家族にしろ。重複会話はやめてくれ。うざすぎ。
 そんなもんで娘役の出番を作らなくても、オープニングと婿探しの舞踏会でチャラだ〜。

 あー、オスカル様の婿探し舞踏会、コムカルで見たかったよー。


 そーいや、カウンタの「777777」を自分で踏んでやろうと狙っていたのに、ぜんっぜんダメだったなー。最近わたしの予想をはるかに超えて回ってますよ、カウンタ……。
 1日のカウンタ数の3分の1くらいの人は、読んでくれてるのかなー。笑われているだけという可能性も……ゲフンゲフン。

 
 『ベルばら』史上最高峰だと思える、素晴らしいキャスティングの今回の雪組『ベルサイユのばら−オスカル編−』
 せっかくの萌えキャスティングなんだ、萌えシーンを観たいじゃないか!

 今回語る萌えポイントは、ジェローデル@かしげ。

 かしジェロいいよなっ! 最高だよなっ! 美しいわ、貴公子だわ、うさんくさいわ。
 もー、地団駄踏みたいくらい素敵。

 かしちゃんに、ひざまずかれたい!

 王子様コスプレのニコリともしないかしげに、目の前でひざまずかれて、手を差しのべられてみろ。腰砕けるぞ。ふにゃふにゃになっちゃうぞ。
 最初にジェローデルの「身を引きましょう」を見たとき、悲鳴あげそうになったよ。あんまりにも胸キュン(笑)で。
 うおー、かっしー素敵〜〜。ヲトメの夢の具現だわ〜〜。

 こんなにこんなに素敵なのに、かっしーてば出番少なすぎ。ジェローデルの使い方無駄すぎ。わたしならもっと出番増やして、萌えシーンつくるのに!

 
 そのかしジェロで見たい萌えシーン。

 アンドレにショコラをぶっかけられるジェローデル。

 
 自信満々にオスカルにプロポーズしたジェローデル。アンドレがオスカルを愛していることを知りながら、いかにも寛大なお貴族様ぶる。

「ぼくにも、妻を慕う召使いを妻のそばにつけてやるくらいの心の広さはあるつもりですよ、ふふふ」
 てなナニサマ発言にキレたアンドレが、持っていたカップのショコラ(飲み物な)をジェローデルの顔にぶっかけるの。
「そのショコラが熱くなかったのを幸いに思え!」
 ってな。

 このシーンを、ジェローデル@かしげ、アンドレ@水で見たい。

 見たいー見たいー見たいー。
 萌えー萌えー萌えー。

 と、kineさんとふたりでゆーとったんですが(笑)。

 いかにもお貴族様で高慢なジェローデル、しがない平民のアンドレ。ここまで言われたアンドレだ、オスカル毒殺まで思い詰めても仕方ないか、というか。
 ジェローデルのモノになったオスカルを、これからもそばでずーっと見ていろ、とジェロつんは「親切で」言うのですよ。なにしろ彼は「心が広い」そうなので。

 もちろんこの台詞は、ジェローデル的「牽制」だったと思う。ジェローデルはフリフリフリルなお貴族様男でありながら、ナニ気に聡明だ。
 アンドレがオスカルの「分身」であること、引き離されてはオスカルが「オスカル」でありえないことを薄々気づいているからこそ、あえて言っている。
 恋の駆け引き、アンドレを恋敵として認めた上で、精神戦を仕掛けてきているのに。キレて飲み物をぶっかけるなんて、アンドレ小物。まあ、彼の立場では無理もないが。

 ジェローデルにはとことんキザに、お貴族様的に、攻めてほしいのですよ。
 アンドレ@水を言葉責めするジェローデル@かし……見たい……ハァハァ。

 特出アンドレのときは、ワタさんを言葉責めするかっしー、とか、オサ様を言葉責めするかっしーとか、あさちゃんを以下略とか、それはそれでたのしいものが見られると思うし……ハァハァ。

 ジェローデルといえば、オスカルを口説くシーンしか見せ場がないと思ってないか? 彼の素敵シーンはけっこー他のところにあったりするのだ(笑)。

 
 そして、ジェローデルのプロポーズ事件でいちばんオイシイのは、なんといってもオスカル様の花婿探し大舞踏会だろ?

 『シンデレラ』の王子様の花嫁探しの逆バージョン。
 女性としてのオスカルに求婚したい男たちを一堂に集め、オスカル自身に選ばせる、という催し。
 ジャルジェ将軍の命令で、オスカルは最高のドレスを仕立てて舞踏会に出なければならない。

 が。
 オスカルはもちろん、そんなもんに従いはしない。
 さいこーーに素晴らしい男性用の礼服を仕立て、花婿探しのはずの舞踏会で男たちを無視して、女の子たちと踊りまくる。
「そんなにかたくならないで、かわいい人」
「このさくらんぼのような唇を盗んでも罪にはならないだろうか」
 などとゆー歯の浮きそうなキザ男台詞オンパレードで!!

 オスカル様にぽわわんとなった女の子たちにキスまでしちゃうんだぞ?! しかも手当たり次第だぞ?!

 そこに衛兵隊のみんなも乱入して、舞踏会はしっちゃかめっちゃかになる。

 コムカルで見たい。

 女の子たちを次々と抱き、キザ台詞並べ立てて口説き、チューするコムカル!!

 見たい〜〜ハァハァ!!

 この花婿探しの舞踏会があれば、娘役たちの出番も一気に解消だ。輪っかのドレスもいっぱい、画面も派手だ。何人もの娘役が、トップ様と踊って、チューしてもらえるんだよ? あいようこおねーさまだって、コムカル様にキスしてもらえるかも?!

 このバカ騒ぎの中、他の男たちがあきれて文句を言っているというのにただひとり、着飾ったジェローデルは「フフフ」と大人の笑いを浮かべているのよ。ええ、彼も舞踏会用にめっちゃ気合い入った衣装を仕立てて着ているのよ。軍服着たきり雀のジェロなんてジェロじゃないわー。

 今のままじゃ、ジェローデルの出番少なすぎ。かしちゃんがもったいなさすぎ。
 とことんキザでかっこいージェローデルが見たいの。
 そして、とことんオトコマエなオスカル様もなっ。

 なんで植爺は、原作のオイシイところを全スルーして、つまらないものを作るんだろう。
 男尊女卑のじーさんのツボと、現代女性ツボがチガウのは当然じゃないか。いい加減にしてほしい。心から。

 
 とゆーことで、翌日欄に以上のことをまとめたうえでの「第2幕」の私案を書く。


 雪組『ベルサイユのばら−オスカル編−』を、自分の萌えを踏まえて、ストーリーの大改造をやってみる。
 「時間制限」を無視するのはフェアではないと思うので、植爺版と平行して書いてみる。
 「数字・場所。」と表記しているのが植爺版。そのあとに「↓私案」と書いてあるのがわたしの妄想。交互に出てくるから、混乱せずにヨロシク。

 
1・オープニング。
 大階段使って意味のない長さ、キャラ配分。涼風オスカル編のときもそうだったが、こうでもしないと『ベルばら』=輪っかのドレスという図式に足りなくなるらしい。

 ↓私案
 某貴族の舞踏会シーン。派手に歌い踊り、ここでオープニングを兼ねる。輪っかのドレスもたーっくさん。オスカル様も舞踏会衣装でキッラキラ。アンドレもロザリーもいいお衣装でキッラキラ。ジェローデルもキッラキラ。銀橋も使ってひたすら派手に。
 そこに「黒い騎士が出たぞーっ!」で大騒ぎ。ロザリーがなんと人質に!

2・ジャルジェ家の庭。
 あいようこおねーさまのきょうふしーん。キモい幼児喋りの女たちと、無用に長いジャルジェ氏の語り。アンドレとオスカルの出会い。そのまま30年後にタイムワープ。ジェローデル登場ののち、オスカル銀橋ソロへ。

 ↓私案
 黒い騎士の隠れ家の牢屋で、ロザリーが回想する。「はじめわたしは、すべての貴族を憎んでいた……。そう、黒い騎士と同じように」(録音)
 牢屋は幕前、ロザリーは影武者でヨロシク。
 で、幕開いてジャルジェ家の庭。オスカルに剣を習うロザリー。「貴族が憎いのだろう? そんなへっぴり腰で貴族に殺された母の仇を討てるのか?」てな、余裕綽々に説明台詞(笑)をおっしゃるオスカル様と、逆ギレして泣き出すロザリー。
 姫抱っこ姫抱っこ!!
 オスカルにときめくロザリーに、理解者面で同類相哀れむアンドレのシーンを入れるもヨシ。
 回想終わり、ヲトメの祈りを歌っているところへ、オスカル様とアンドレ登場。ロザリー救出に隠れ家にやってきたのだ!

3・衛兵隊。
 ♪おれたちゃまぬけな衛兵隊♪ 「わたしを誰だと思っている」「このお方を誰だと思っている」二重台詞いらないから!のオスカル隊長初出勤の日。アランとの一騎打ち。

 ↓私案
 派手にチャンバラ希望、黒い騎士とその手下たちと、オスカル+アンドレ。戦いながら、「王宮の飾り人形!」「市民たちの貧窮を知ってて安寧としている貴族たちは、黒い騎士に襲われて当然だ」てなベルナール哲学を披露、オスカルがソレについうっかり聞き入ってしまったためにできた隙をアンドレがかばう。
 最終的にベルナール捕縛に成功。オスカルは彼を自分の屋敷に運び込むことにした。

4・ジャルジェ家。
 銀橋ロザリーソロから、ベルナールの演説、そしてやたら長くて長くて気が遠くなりそうな、無意味で害悪なジャルジェ家の人々の無駄会話。

 ↓私案
 ジャルジェ家に匿われたベルナールは、オスカルにフランスの現状を訴える。それを聞いて衛兵隊への転属を決めるオスカル。「以前から、ずっと考えていた……」と。以前から、がポイントね。ベルナールの説教で気が変わったのではなく、それはきっかけにしか過ぎない。オスカルはそれまでにちゃんと自分で考え、悩んでいたのだと。
 決意するオスカルは、ケガをしてベッドで眠っているアンドレの部屋で、ソレをひとりごととして言ってくれ(笑)。アンドレ、眠っているだけだから特出トップさんでも稽古時間を考えなくてすむよね(笑)。
 ジャルジェ家の人々が出てもいいが一瞬だけ、「衛兵隊? そんな危険なところへ!」とひとこと言うだけにしてくれ。モブによる状況説明は必要だが、植爺のはしつこくて長すぎるんだ。

5・ジャルジェ家の廊下。
 オスカルから「ベルナールと結婚しろ」と言われ、ショックを受けるロザリー。そして、妄想スイッチオン!! 長いよ長すぎるよ、いつまで妄想してんだロザリー!!

 ↓私案
 3・衛兵隊。を、無駄台詞をはぶいてコンパクトに。アンドレがいないのは、ケガをして家で寝ているせい。特出トップさんの稽古時間軽減のためじゃないぞっと(笑)。

6・ふたたび衛兵隊。
 無意味に音楽付きで登場するディアンヌ。無意味にうるさい女たち。オスカル登場で、子守歌ひとつですっかりその気。「フランスのために立ち上がろう!」「おおーっ!」……しあわせな人たちだ。

 ↓私案
 ベルナールと心を通じ合わせるロザリー。
 あー、このへんで「オスカル様がわたしに剣を教えたりしたのは、貴族への復讐を手伝うためではなく、憎しみだけで他が見えなくなっていたわたしを落ち着かせ、他のことを考える時間を与えるためだったのです」……母の仇を討って自分も死ぬ、そう言っていた自分は、なんと愚かだったことか。死んだ母もそんなことは望んでいない、てなことをベルナールに語る感じで入れておく。ロザリーもまた、最初は貴族を憎んでいたけれど、オスカルに会って変わった……ベルナールの今と同じ状況であることを、効果的に。
 ロザリーとベルナールの気持ちをお見通しのオスカルが、ふたりをパリへ解放してやる。
 ここでオスカルとロザリーのデュエットダンス。ひたすらゆめゆめしく、美しく。そしてそれは、ベルナールへパートナーチェンジすることで終わる。
 少女の時間は終わり、ロザリーは人生のパートナーを見つけて、自分の意志と足で、去っていくのだ。
「行ってしまった……わたしの春風……」
 とか言いながら、ソレを見送るオスカル様。

7・ジャルジェ家。
 すっかり忘れられていたアンドレ登場。ルルーとじゃれたりしているところへ、ジャルジェ将軍とジェローデル。「オスカルが心配だ」とバカのひとつおぼえの話をえんえん。アンドレは、「オスカルはこのアンドレが守ってみせます」と断言。

 ↓私案
 6・ふたたび衛兵隊。を、最初の女たちパートを縮めてコンパクトに。てゆーか、いらん、女たち。モブとして現れ、ひとりずつの台詞が聞き取れないくらいの扱いでざわざわしていればよし。
 ここで必要なのは、「兵士たちは、自分の食べ物を始末して家族に分け与えている。それくらい窮乏しているのだ」ということ。
 ディアンヌとその母は別にいてもいいけど、ファンファーレで登場する必要はないし、イザベルはいらない。アランに家族がいる、程度でいい。主題がボケる。
 オスカルがそれらすべてを知っており、そのうえで「フランスのために」と歌い、全員唱和でヨシ。

8・アンドレの妄想。
 ひとりになったアンドレが、はじめて会った日から今日までのこと、愚にもつかないことをぶつぶつ言う。「はじめて会った日」のことは、作品冒頭で長い時間を掛けてやってるんだから、またここで台詞で長々言わなくてもいいのに。
 挙げ句の果てには「俺には見える」とか言って、ペガサスにまたがったオスカルの姿を妄想する。
 クレーンペガちゃん登場! アンドレ正気か! それでいいのかアンドレ!!

 ↓私案
 ベルナールからオスカルをかばった傷が原因で、目が見えなくなりつつあるアンドレ。
 私案ではふたりの出会いをやっていないので、ここで「はじめて会った日」から今日までの話をえんえん台詞で言うのはアリ。花道登場でぶつぶつ台詞で言ってるうちに、本舞台の幕が開き、ジャルジェ家の庭で剣の稽古をする子ども時代のアンドレとオスカルがいる。
 そのままアンドレは銀橋へ、そこでオスカルへの愛を絶唱、本舞台では子役に変わって、現在の美しいオスカルが登場して幻想的に終わる。
 ……がのぞましいが、ペガちゃんを使わなきゃダメというなら、台詞だけそのままで、本舞台は8・アンドレの妄想。まんまにペガちゃん登場でどうだ!!

 ……おさまったな。私案でも、なんとか「時間制限」内に。
 削られた「ジャルジェ家の人々」「衛兵隊の家族たち」という娘役の出番は、オープニングの舞踏会シーンと、第2幕の舞踏会で相殺する。
 ええ、2幕にも舞踏会シーンを入れるのですよ。『ベルばら』といえば「輪っかのドレス」ですから! それを出さない植爺が変。

 1幕がロザリーの扱いについて、だったので、次は2幕、ジェローデルの扱いについて書く。


 植爺作・雪組『ベルサイユのばら−オスカル編−』がまちがいまくり、破壊されまくりなのは、宇宙の法則なので、もう検証するまでもないことだが。

 キャスティングがすばらしいのは、事実だ(除・栄養失調で入院するヲヅキ)。

 オスカル@コム姫、ロザリー@まーちゃん、ジェローデル@かしげ、アラン@水。
 オリジナルのあて書き作品?! てくらい、キャラはハマってるのよ。

 だから、くやしくてならない。
 今の雪組で、これほど贅沢な顔ぶれで、あんな超絶駄作しか創れない植爺が。

 オスカル編でロザリーの比重が大きくて、アンドレが他組トップ特出、組内2番手がジェローデルとアランをやる。……という縛りで原作を料理するなら。

 
 まず、ロザリーについて。

 ロザリーをあんな「自分のために他人を騙しても平気。ストーカーして夜這いも当然。キャハ!」な気持ち悪い女にすることが「ロザリーの出番を増やす」ことだとカンチガイしている植爺。
 アレで観客たる女性に、どんな夢を見ろと?

 コムカルとまーロザリーなら、いくらでも萌えシーンが作れるのにっ!! くそーっ。

 ロザリーの物語を書くなら、ネタはふたつある。
 ひとつは、言わずとしれた彼女の出生の謎、ポリニャック伯夫人ネタ。「首飾り事件」ほどサブストーリー色が強くないから、本筋に絡めて描くことが可能なエピソード。
 しかしこれは、宮廷とアントワネットを出さなければならないので、オスカル編には不向きかもしれない。
 もうひとつは、「黒い騎士」ベルナールとの恋愛だ。
 これをきちんと描けば、オスカルの信念や人格の説明にもなるし、ロザリーもおいしいはず。
 少女時代のあこがれから、ひとりの女として恋をする、ロザリーの成長物語として美しくまとめることができるはずだ。

 まちがっても、少女時代のあこがれと性愛を混同し、夜這いをかけるよーなロザリーにはしちゃいけない。

 トップコンビを絡めなければならない、というなら、その「ほんとうの恋」を知る前の、少女ロザリーと夢の王子オスカル様のふれあいを描けばいいのさ。

 わたしなら、ロザリーに剣の修行をさせるオスカルのエピソードを使うね。

 母の仇を討ちたいというロザリーに、剣を教えるオスカル。いかにも小手先で、あしらっているかのような教え方。とーぜんロザリーはうまくできず、庭の池に落ちて泣き出してしまう。
「オスカル様は、あたしをからかってたのしんでいらっしゃるんだわ!」
 キレて八つ当たりするロザリーを、有無を言わさず抱き上げるオスカル。
「誤解だ……からかっているだなどと……」
 それまでの余裕綽々な姿から想像もつかないほど、真剣な、誠実な顔で。
 姫抱っこして、言うんだよ?!

 だだをこねて泣くまーロザリー。それを強引に姫抱っこし、真剣な表情で見つめるコムカル。頬を赤らめるまーロザリー。

 み、見たいっ。
 見たいよ、コムまーでっ。

 コムカルに姫抱っこされて「誤解だ……」とか言われたら、もー他のなにを放り出しても信じちゃうって。「アナタについていきます」になるって。そうだろう?!(鼻息)

 その流れで、コムカルに恋の憧れを感じてしまうヲトメの祈りを一発歌えばいいんだよ、ロザリー。
 あんなに素敵なんだもの、ロザリーでなくても恋しちゃうって。

 
 ただ、このエピソードを入れるとなるとストーリーの大改造が必要で、時間配分がネックになるから、現在のプログラムと平行して考えてみようと思う。
 ……プログラム買ってないから、記憶のみに頼っての記述になるが。

 あの長い原作を2時間半に収めるのは大変、とよく言うが、「**編」と銘打ってポイントをしぼって上演するのは不可能ではない。
 植爺の構成力がおかしいだけで、他の人ならふつーにできるんじゃないのか?

 改稿を考える上でのポイントは、「無意味なシーンの削除」だ。

 今回の『オスカル編』第1幕の「出来事」は、「オスカル隊長が衛兵隊を掌握する」と「ロザリー嫁に行く」だけ。
 つまりソレ以外は削っていいんだ。

 いちばん無用なのが、「ジャルジェ家の人々」。彼らの出ているシーンを削るだけで、かなりの時間を別の必要なシーンに割り振ることが出来る。

 あと、どう考えてもおかしいのが、ディアンヌとイザベル。

 植爺のわかりやすくていいところは(わたしは好きではないにしろ)、主要人物登場を派手にするところ。
 こんなにたくさん人が出てくる舞台で、貧乏人だろうと殺し屋だろうとみーんなキラキラきれいな衣装を着ているこの舞台で、主要キャラと脇役を混同させずにアタマの悪い観客にもひとめで見分けさせる技。

 主要人物登場には、ファンファーレをつける。

「誰だ? 出てこい」
 とか、
「あ、あそこから**(人名)が!」
 などとやって、みんなの注意を促し、そのうえでジャジャーンとファンファーレを鳴らして、登場させる。
 植爺のお約束。

 今回このお約束で登場するのは、アンドレとオスカル、そしてアランと、ディアンヌ。

 ……ディアンヌ?

 どう考えてもおかしいだろうソレ! オスカルと同じ扱いなのか、ディアンヌ?

 答えは簡単。
 初演の涼風オスカル編のときのディアンヌは、トップ娘役の役だったからだ。

 植爺は過去の場面を使い回すとき、そのまま使うんだ。
 マンガのコマをハサミで切り取って別のマンガに貼り付けるように。
 前後のつなぎがおかしいことなんか、考えもしない。

 同じ場面を使い回すのは別にかまわないが、それならつぎはぎして変じゃないように、調整をしなくてはならない。

 涼風オスカル編とちがい、今回のディアンヌはトップの役じゃない。いなくてもいい役だ。
 そんな役のためにファンファーレはおかしいし、いちいち物語を中断してまで全員で注目させる必要はない。

 涼風編でディアンヌとイザベルが必要なのは、ディアンヌが途中で死ぬから、彼女亡き後に「平民側の可哀想な女の子」イザベルが必要だったためだろう。
 ディアンヌが自殺するエピソードを入れないなら、イザベルは必要ない。

 また、これはいつも思うことなんだが。

 植爺は、家柄にコンプレックスがあるのか?

 いつもいつも、無意味に「貴族」「貴族」と繰り返す。
 「貴族の生まれだと聞く」「貴族にあるまじきことを」「幽閉されているとはいえ、スウェーデン貴族の屋敷に」「由緒ある貴族の娘が」「フランス貴族として」……耳障りなんですけど。
 今回はベルナールやロザリーまで「わたしたちは貴族! 平民じゃないの!」と言い出すし。
 アランにしろ、二度も「貴族」だと繰り返す。「人間なのは貴族だけで、俺たちはそれ以下だ」と言わせ、「アンタだって貴族やってさっき言うてたやん!」と観客をわざわざ混乱させる。

 ここまで無意味に、害があるだけの「貴族」という言葉を繰り返させ続けるのは、精神的ななにかがあるせいじゃないかと思う。その言葉にこだわらなければいけないトラウマがあるとか。
 人は劣等感があると、それを隠すためにわざとソコにこだわるからなあ。

 ベルナールとロザリーに至っては、怒濤の説明台詞なんで、いくらそこで説明しても初見の観客にはなにがなんだかわかるわけもないんだから、そもそもそんな話をすることがまちがっている。

 アランが貴族なのに平民と同じ存在だということについては、説明すらない。それなら、貴族だって話は「なかったこと」にすればいいのに。アニメのアランがそうであるように。(ええ、アニメではアランが貴族であることは一切「なかったこと」になってるんですよ。彼は平民代表みたいなカオして生きてます)

 植爺がどうしても「アランは貴族」だと言いたいなら、説明会話を入れなくては。
「4代以上続いた貴族の家柄でないモノは、一切の昇進を禁止する」という規則があること。貴族社会すら、大貴族たちの地位を守るために回っていること。
 そんな現状で、アランの一家が「貴族」とは名ばかりの、平民以下の貧しい暮らしをしていること。
 この基本説明がないままに、「貴族VS平民」平民側リーダー・アランてのはおかしすぎる。

 植爺はほんとにアホだなと思うよ。……あ、シンプルに言っちゃった。

 ディアンヌとイザベルにしろ、ジャルジェ家の人々にしろ、無理矢理役を作っているんだろうとは思う。娘役たちに出番を与えるために。
 それはわかるが、間違ってるから。

 ジャルジェ家の人々のシーンと、ディアンヌとイザベル、そして衛兵隊の家族のシーンを削っても、他に出番を作ればいいだけの話だ。

 次の欄で、以上のことをまとめたうえでの「第1幕」の私案を書く。


 ちょっくらアサドレ見てきました〜〜。
 チケットなしで行ったから、どうなることかと思ったけど、無事にサバキGET。最初にS席手に入れて、次にB席手に入れて、SをさばいてBで観ました。
 雪組にはわたし、『ベルばら』なのにお金かけてるわ……B・A・S・B・Aで観てる。新公もSだったしな。アンドレ役への愛情度が現れてますな……この席種差(笑)。

 つーことで、4回目の『ベルサイユのばら−オスカル編−』、アンドレ4人目。

 なにがつらかったって、新公を観たあとの、最初の本公演だったのですよ、わたし的に。

 いらないシーン、いらない台詞ばかりで、うんざり。

 あの「史上最良」の『ベルばら』を観てしまったあとだから、つらいのなんのって。

 オープニングが終わって、あいようこおねーさまが登場した途端、泣きたくなったもの。こんなものを見るために、わたしは朝っぱらからこんな田舎までがんばってやってきたのかと。
 いやいや、脚本とキャスティングを憎んで、キャストを憎まず。あいようこおねーさまに罪はない。オスカルズをやっているまちかに罪がないように。
 悪いのはすべて、あいようこに幼女役をやらせたり、まちかおじさんにオスカルをやらせたりするスタッフサイドだ。

 それにしても、「幼女役のあいようこ」って、必殺技の名前にできそうなくらい、ものすげー響きだよなー。
 てゆーかあの役、別に「幼女」じゃないんだけどなー。中学生くらいでしょ、年齢。下手すりゃもっと上。あの時代なら結婚していてもおかしくない年齢のはず。植爺クオリティだからのーみそ5歳だけど。
 

 さて、月組トップスター・瀬奈じゅん様のアンドレ。

 印象は分をわきまえた、端正なアンドレでした。

 ワタドレほど男臭いわけでも包容力があるわけでもなく、オサドレほどイッちゃってるわけでもなく、ミズドレほどドリーム入ってるわけでもなく。

 少女マンガ的な、きれいなアンドレでした。
 かっこよくて、適度に熱があって、適度に男らしくて。
 うるさくもないし、暑苦しくないし、はき違えていないし。

 なんつーか、女の子が見て「いいな」と思えるスタンダードな「素敵な男の子」だった。
 こんなカレシいたらいいなー。友だちにも自慢できるしぃ。かっこいいしー、やさしいしぃ。みたいな。
 王子様とかじゃなく、現実で夢を見たくなる、素敵な青年。

 コムカルとの並びの、美しいこと!

 コムカルぐらい低温な人には、これくらいの温度の人がいちばん合うのかもしれない。
 お互い、欠点をカバーし、美点をなおクリアに発揮している感じ。

 でも意外だったのは、その「控え目」さ。
 最初はアンドレだからかな、と思っていた。影たる役目の男だから。
 演技ゆえに、派手な光を消しているのかしら。

 されどそのままフィナーレ。
 あさこちゃんは控え目なまま。
 せっかくの男ふたりのダンスも、まぶしいとは思えず。……いや、たしかにきれいだし、かっこいいんだけど。ちょっと、違和感。

 トップスターとしての、キャリアのちがいが出ているのかしら?
 自組でならまだ見せ方もわかるけれど、他組でゲストで先輩トップスターと並んで、本来の光を発揮できるまでには至っていない?

 コムちゃんの方が強い輝きを放っていることに、おどろいた。……温度ないのに(笑)。

 
 ああ、それにしても、トップ特出アリの日はいいなあ。
 オープニングもフィナーレも演出が派手だぁ。組子だけだと、地味すぎるよねー、あのフィナーレ演出。ぶつぶつ。

 
 さあ、『ベルばら』役替わりコンプも残すところあとひとり。
 千秋楽にカシドレを見て、華麗にフィニッシュだ〜〜。

 
 ああ、それにしてもヲヅキ……かっこいいなあ。と、脈絡なくつぶやいて終わってみる(笑)。


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