谷正純進化中。@やらずの雨
2006年6月16日 タカラヅカ 人情落語シリーズ3本目『やらずの雨』初日。
予備知識はまったくナシ、キムくんが主演、2番手が雪組デビューのひろみちゃん、ヒロインが転向したてのちとせちゃん、というだけしかわかっていない。落語の基礎知識もなにもないしな。
わたしは笑いのツボが少ない人間なので、喜劇とやらで笑うのがけっこー難しい。ふつーの人より笑えないんだよなー。まあそのかわり泣きツボがふつーの人の何倍もあるみたいだから、人生の釣り合いはとれてるんだろー。
これみよがしな「笑い」の押しつけが苦手で辟易してしまう性質なんだが、そのへんは覚悟を決めて観劇。3作目だもんな、いい加減こっちも慣れる(笑)。
材木問屋の若旦那徳兵衛@キムの波瀾万丈、人生山アリ谷アリ七転び八起き。いやあ、人生大忙しですね。
徳兵衛くん(花の23歳独身)は、超堅物の世間知らず。真面目が過ぎるっつーんで周囲が心配していきなりプロ中のプロ、花魁によるご指導をお膳立て。で、怒濤の初体験。
よっぽどヨかったらしく(凄腕だな花魁・笑)、 すっかりそっちに目覚めてしまった徳兵衛くん(花の26歳独身)は遊びの達人まっしぐら。芸者衆をはべらし、ついでに美少年太鼓持ち一八@ひろみをはべらし、じつはいい男の乞食・菰平@彩夏涼をはべらし、総攻道まっしぐら。
ところが驕る平家は久しからず、ついに勘当されて無一文に。金の切れ目が縁の切れ目、あれほど徳兵衛くんをちやほやした人々が去っていった。お安く絶望して身投げしようとした彼を拾ったのが芸者のお初@ちとせだった。
お初姐さんに怒鳴り倒されながら、徳兵衛くんの社会復帰がはじまる。まずは額に汗して働け!
お初怖さに嫌々労働にいそしむ徳兵衛ははじめて、人情というものを知るが……。
とにかく二転三転する徳兵衛の人生。人格がそのたびチガウ気もするが細かいことはキニシナイ!
作品の出来はともかく、「タカラヅカでやる人情落語もの」としての意義、企画・演出の腕が上がっていることに瞠目。
まず、舞台美術が派手だ。
作りつけの船宿だけでなく、吉原になったり川縁だったり川だったりと多彩に変化する。
衣装いろいろ、役もいろいろ。
下級生たちがいろーんな役で、通行人ひとつにまでなにかしら意欲満々に取り組んでいる。きちんとした「*番手」というような大きな役ではないが、それぞれ見せ場をもらい、顔を売り、この役を演じこの舞台に出ることが彼らの血肉になるだろうことが観ていてわかる。
そしてコレがいちばん大きいと思うんだが。
主役が、タカラヅカ的二枚目だ。
過去2作は、たしかにおもしろかったが、主人公はかっこよくなかった。笑わせることを主眼にしたため、主人公はとことんバカで情けない男だった。
それでも魅力がある、魅力を出す、のが男役スターの仕事だが、役のかっこわるさゆえに「タカラヅカでコレをやる意味があるのか?」という疑問がついてまわった。や、わたしは好きだったし、たのしんだけどな。たのしかったのは結果論であって、企画への疑問とは別の話よ。
落語の主役じゃ、タカラヅカ的じゃない。まぬけだったり卑怯だったり情けなかったりして、そーゆー面をことさら滑稽に演じ笑われるのは、ヅカのヒーローじゃない。
『なみだ橋』はまだ主役とヒロインが恋愛していたらしいが(らしい、て……)、『くらわんか』に至っては恋愛モノですらなかった。
それが3作目にしてはじめて、「タカラヅカの二枚目男役」が「ヒロインと恋愛」する話になった。
進化だよねえ、これは。
物語は3つのパートで成り立っている。
お堅いおぼっちゃまとどーしよーもない遊び人、そしてそれらを乗り越えたストイックないい男、と。
同じシチュエーションを繰り返すことで笑いを取る手法なんだが、それぞれ3つのパートのとくべーさんは別人。まともに考えたら「ありえねー」のひとことで終わってしまうが、まあそれも「お約束」だから問うのは野暮ってもんだろう。
長い1幕でおぼっちゃまと遊び人をやってしまい、短い2幕で二枚目をやる。
この2幕がねー、別人ぶりが際立っていてねー。てゆーか、1幕のことなんか「なかったこと」にした方がよくないか?ってくらい、ふつーにタカラヅカ的二枚目。
立ち方も発声も、なにもかもチガウ。
ヒロインお初も別人みたくしっとりしているし(笑)、「いっそ2幕だけで別芝居やってくれよ」というあきらかに別次元。
この2幕があるだけで、よっぽどよかったんじゃないのか? 1幕はまあ、お勉強ってことで。
今までの落語シリーズは1幕だけのテイストで、それにヅカ的な2幕がオマケでついているから、進化。
キムくんがうまいことは、べつにもう言うまでもない。
1幕の三枚目もうまいし、うってかわった2幕の二枚目もいい。
まあ、予想通り、てのがいちばんキムの弱点なのかもしれない。
ヒロインのちとせちゃんは、大変なことになってたな(笑)。
でけー。
お化粧も微妙?
きれいに見える角度と、そうでない角度の差が大きいというか、そうでない角度が多すぎるというか……。
正直、「なんでこの子がヒロインなんだろう……」と首を傾げていたんだが(ファンの台詞か)、2幕で歌い出した瞬間に、納得した(笑)。
そうとも、こーゆー武器があるから強いんだよな、ちとせちゃん。組配属当初から歌では抜擢されてたんだから。
とはいえ、新公ですらまともに台詞のある役をもらっていない研4の子が、いきなりの抜擢でよくここまでやったもんだ。
これからもがんばってほしい。
ひろみちゃんは雪組馴染みがよく眼福。合うよね。キムと並ぶと、サイズ的にもかわいこちゃん具合もお似合い。
まさか組替え一発目がここまで完璧にお笑い路線になるとは思ってなかったが、殻を破る意味ではよかったのかも。
にしてもこの太鼓持ちくん、後半、なんの脈絡もなく徳兵衛@キムへ愛の告白をはじめて、びっくりした。
なんなんだアレは。なくてもいいのに、突然語り出すからウケたぞ(笑)。
あと雪組下級生、見事に誰も知らなくて、おどろいた。
いや、何人かは知っているカオもあるんだが、わからん度の高さは他組のエンカレやヤンブラ以上だ(笑)。
なのに。
みんな、ふつーにうまくて、さらにおどろいた。
雪組、すげーなー。
過去2作の落語シリーズ、主役周辺以外はどえらいことになってたのに、雪組下級生たちの基礎力の高さはナニ?
……でも、誰が誰だか、ちっともわかんないまま終わった……。
作品としては、落語シリーズ中いちばん進化しているとは思うけれど。
まったく萌えなかった……。
せっかくひろみちゃんが、キムに愛の告白してるのになあ。どーもチガウんだよなあ。
シリーズでどれが好きかというと、『くらわんか』がいちばん好きだったなあ。下級生のへたっぴ具合ではワースト作品のはずなんだが(笑)。
『くらわんか』のときも思ったけど谷せんせ、男と女は「笑い」のセンスがチガウから、「男ギャグ」で落語作品を作り続けるのはどうかと思うよ? 男は笑えても、女は眉をひそめる系の笑いを使い過ぎ。虱ネタとかセックスネタとか、女性は絶対好きじゃないって。
予備知識はまったくナシ、キムくんが主演、2番手が雪組デビューのひろみちゃん、ヒロインが転向したてのちとせちゃん、というだけしかわかっていない。落語の基礎知識もなにもないしな。
わたしは笑いのツボが少ない人間なので、喜劇とやらで笑うのがけっこー難しい。ふつーの人より笑えないんだよなー。まあそのかわり泣きツボがふつーの人の何倍もあるみたいだから、人生の釣り合いはとれてるんだろー。
これみよがしな「笑い」の押しつけが苦手で辟易してしまう性質なんだが、そのへんは覚悟を決めて観劇。3作目だもんな、いい加減こっちも慣れる(笑)。
材木問屋の若旦那徳兵衛@キムの波瀾万丈、人生山アリ谷アリ七転び八起き。いやあ、人生大忙しですね。
徳兵衛くん(花の23歳独身)は、超堅物の世間知らず。真面目が過ぎるっつーんで周囲が心配していきなりプロ中のプロ、花魁によるご指導をお膳立て。で、怒濤の初体験。
よっぽどヨかったらしく(凄腕だな花魁・笑)、 すっかりそっちに目覚めてしまった徳兵衛くん(花の26歳独身)は遊びの達人まっしぐら。芸者衆をはべらし、ついでに美少年太鼓持ち一八@ひろみをはべらし、じつはいい男の乞食・菰平@彩夏涼をはべらし、総攻道まっしぐら。
ところが驕る平家は久しからず、ついに勘当されて無一文に。金の切れ目が縁の切れ目、あれほど徳兵衛くんをちやほやした人々が去っていった。お安く絶望して身投げしようとした彼を拾ったのが芸者のお初@ちとせだった。
お初姐さんに怒鳴り倒されながら、徳兵衛くんの社会復帰がはじまる。まずは額に汗して働け!
お初怖さに嫌々労働にいそしむ徳兵衛ははじめて、人情というものを知るが……。
とにかく二転三転する徳兵衛の人生。人格がそのたびチガウ気もするが細かいことはキニシナイ!
作品の出来はともかく、「タカラヅカでやる人情落語もの」としての意義、企画・演出の腕が上がっていることに瞠目。
まず、舞台美術が派手だ。
作りつけの船宿だけでなく、吉原になったり川縁だったり川だったりと多彩に変化する。
衣装いろいろ、役もいろいろ。
下級生たちがいろーんな役で、通行人ひとつにまでなにかしら意欲満々に取り組んでいる。きちんとした「*番手」というような大きな役ではないが、それぞれ見せ場をもらい、顔を売り、この役を演じこの舞台に出ることが彼らの血肉になるだろうことが観ていてわかる。
そしてコレがいちばん大きいと思うんだが。
主役が、タカラヅカ的二枚目だ。
過去2作は、たしかにおもしろかったが、主人公はかっこよくなかった。笑わせることを主眼にしたため、主人公はとことんバカで情けない男だった。
それでも魅力がある、魅力を出す、のが男役スターの仕事だが、役のかっこわるさゆえに「タカラヅカでコレをやる意味があるのか?」という疑問がついてまわった。や、わたしは好きだったし、たのしんだけどな。たのしかったのは結果論であって、企画への疑問とは別の話よ。
落語の主役じゃ、タカラヅカ的じゃない。まぬけだったり卑怯だったり情けなかったりして、そーゆー面をことさら滑稽に演じ笑われるのは、ヅカのヒーローじゃない。
『なみだ橋』はまだ主役とヒロインが恋愛していたらしいが(らしい、て……)、『くらわんか』に至っては恋愛モノですらなかった。
それが3作目にしてはじめて、「タカラヅカの二枚目男役」が「ヒロインと恋愛」する話になった。
進化だよねえ、これは。
物語は3つのパートで成り立っている。
お堅いおぼっちゃまとどーしよーもない遊び人、そしてそれらを乗り越えたストイックないい男、と。
同じシチュエーションを繰り返すことで笑いを取る手法なんだが、それぞれ3つのパートのとくべーさんは別人。まともに考えたら「ありえねー」のひとことで終わってしまうが、まあそれも「お約束」だから問うのは野暮ってもんだろう。
長い1幕でおぼっちゃまと遊び人をやってしまい、短い2幕で二枚目をやる。
この2幕がねー、別人ぶりが際立っていてねー。てゆーか、1幕のことなんか「なかったこと」にした方がよくないか?ってくらい、ふつーにタカラヅカ的二枚目。
立ち方も発声も、なにもかもチガウ。
ヒロインお初も別人みたくしっとりしているし(笑)、「いっそ2幕だけで別芝居やってくれよ」というあきらかに別次元。
この2幕があるだけで、よっぽどよかったんじゃないのか? 1幕はまあ、お勉強ってことで。
今までの落語シリーズは1幕だけのテイストで、それにヅカ的な2幕がオマケでついているから、進化。
キムくんがうまいことは、べつにもう言うまでもない。
1幕の三枚目もうまいし、うってかわった2幕の二枚目もいい。
まあ、予想通り、てのがいちばんキムの弱点なのかもしれない。
ヒロインのちとせちゃんは、大変なことになってたな(笑)。
でけー。
お化粧も微妙?
きれいに見える角度と、そうでない角度の差が大きいというか、そうでない角度が多すぎるというか……。
正直、「なんでこの子がヒロインなんだろう……」と首を傾げていたんだが(ファンの台詞か)、2幕で歌い出した瞬間に、納得した(笑)。
そうとも、こーゆー武器があるから強いんだよな、ちとせちゃん。組配属当初から歌では抜擢されてたんだから。
とはいえ、新公ですらまともに台詞のある役をもらっていない研4の子が、いきなりの抜擢でよくここまでやったもんだ。
これからもがんばってほしい。
ひろみちゃんは雪組馴染みがよく眼福。合うよね。キムと並ぶと、サイズ的にもかわいこちゃん具合もお似合い。
まさか組替え一発目がここまで完璧にお笑い路線になるとは思ってなかったが、殻を破る意味ではよかったのかも。
にしてもこの太鼓持ちくん、後半、なんの脈絡もなく徳兵衛@キムへ愛の告白をはじめて、びっくりした。
なんなんだアレは。なくてもいいのに、突然語り出すからウケたぞ(笑)。
あと雪組下級生、見事に誰も知らなくて、おどろいた。
いや、何人かは知っているカオもあるんだが、わからん度の高さは他組のエンカレやヤンブラ以上だ(笑)。
なのに。
みんな、ふつーにうまくて、さらにおどろいた。
雪組、すげーなー。
過去2作の落語シリーズ、主役周辺以外はどえらいことになってたのに、雪組下級生たちの基礎力の高さはナニ?
……でも、誰が誰だか、ちっともわかんないまま終わった……。
作品としては、落語シリーズ中いちばん進化しているとは思うけれど。
まったく萌えなかった……。
せっかくひろみちゃんが、キムに愛の告白してるのになあ。どーもチガウんだよなあ。
シリーズでどれが好きかというと、『くらわんか』がいちばん好きだったなあ。下級生のへたっぴ具合ではワースト作品のはずなんだが(笑)。
『くらわんか』のときも思ったけど谷せんせ、男と女は「笑い」のセンスがチガウから、「男ギャグ」で落語作品を作り続けるのはどうかと思うよ? 男は笑えても、女は眉をひそめる系の笑いを使い過ぎ。虱ネタとかセックスネタとか、女性は絶対好きじゃないって。
共通のテーマだから。@暁のローマ
2006年6月15日 タカラヅカ 実はまだ、ぜんぜん語り足りていないのだ、『暁のローマ』。
作劇に文句はある。
もっと練り込むべきだったと思うし、成功しているとは思っていない。
主演俳優の薄さに、かなーり物足りないものを感じてもいる。主演がちがったらどーなっただろう、とかも考える。
それでも、この作品が好きだ。
主演俳優を好きだったら、あるいは、主役の演技がツボっていれば、気の狂ったよーに通っていると思う(笑)。実際、同じよーにいろいろやばい作品だった『スサノオ』には通ったぞ、えらい回数。
や、あさこちゃん好きだけど、今回はダメだな、と。真ん中、他のキャラクタにも作品自体にも負けっぱなしだ……。
漫才ではじまりクライマックスのあとに漫才が入り、さらに「なんでもアリ!」てなおちゃらけフィナーレでお茶を濁して終わる。
……ことに、不満を感じていた。
正直漫才はいらないと、今でも思う。
でもフィナーレはアリかもなと思っている。
だってさ。
どさくさにまぎれて、フィナーレで、テーマを歌ってるよね?
そこまでで描かれていたのは、悲劇。
人間たちの汚さ。弱さ。愚かさ。
それらを全部するっと超えて、肯定して、そのうえでたのしく歌い踊り。
カエサル、ブルータス、アントニウス、オクタヴィアヌス、それからカシウスも他の暗殺者たちも、みんなみんな、ローマを狙っている。
ローマを自分のものにしたいと思っている。
男はみんな王になりたい。
私欲?
いや。私欲と善意の境目なんか、言い訳でしかない。
ローマはみんなのもの、と歌うブルータスと、ローマは私のもの、と歌う他の男たちと、ちがいなんかない。
「どんな悪い結果に終わった行いも、もとは善意からはじめられた」ように。
次々現れる男たちが、みんなローマを狙っている。みんなそれぞれの思いで、幸福になりたいと思っている。
誰ひとり、破壊しようとして、マイナスの意味で王になりたいわけじゃない。
自分自身のためであろうと他人のためであろうと、幸福が欲しくて前へ進んでいるんだ。誰もがみな。
だから、その原動力が私欲であれ善意であれ、区別など無意味だ。
ローマは誰のもの?
ローマをどうしたい?
誰のものであろうと、目指すものはひとつだろう?
幸福になりたい。
じゃあ、どうやって?
カエサルは自分が治めることで、ローマを幸福にしようとした。
アントニウスや他の野心家たちは、自分が幸福になることで自分の治めるローマを幸福にしようとした。
ブルータスは共和制で、ローマを幸福にしようとした。
目的はひとつ。
でも。
方法は、ひとつじゃない。
誰も彼もが、願っている。
誰も彼もが、それぞれの想いがある。
正義はひとつではないし、真実だってひとつではないんだ。
人間の数だけ、正義も真実もあるんだよ。
正義をひとつだと、真実をひとつだと思うから、自分が思う以外のものを許せなくなるんだ。
自分以外の価値観を許せなくなり、攻撃するようになるんだ。
「正しいのはいつも自分、愚かなのはいつも相手」
「もう3500年もこうして彷徨っている。見ろ、なにも変わっちゃいない」
「20年経っても 200年経っても 2000年経っても 何も変わりはしなかった!」
ローマは誰のもの?
カエサルとブルータスは歌う。ローマをどうするかで争い、悲劇に終わった男たちが笑いながら歌う。
「たとえ、愛し方はちがっても!」
ひとつじゃないのよ。
ちがう正義を信じた男たちが、「ちがう」ことを認め合う瞬間。
『暁のローマ』が悲劇なままで終わらず、ハッピーエンドになる瞬間。
ひとりずつチガウ人間たちが、チガウことを認めたうえで笑って一緒に歌う。
「どうして生きて死んでいく、その問いかけに答えたくて」
「アイシテイル」と。
ローマを愛している。
たとえ、愛し方はちがっても。
チガウから、いいんだよ。
ちがわなきゃダメだよ。
チガウから、争うし、傷つくけど。
「ひとつの心」しか認められないんじゃダメなんだよ。
人間の数だけ心があるんだもの。
そのうえで、生きていくんだ。
難しいけれど。苦しいけれど。
愛しているから。
同じものしか愛せないのではなく、チガウことがわかってもなお。
それでも、人生は続き、歴史は続く。
間違いながら、迷いながら。
悲劇を描き、肯定で終わる。
陽気なフィナーレである以上に。
「人間」を肯定して終わるんだ。
「すべての人に許しを、すべての恨みに許しを」
「祈ろう明日を、この地上にこそ希望を」
「恵まれて恵まれて、花は開く、いつしか実る」
アイシテイル、から。
作劇に文句はある。
もっと練り込むべきだったと思うし、成功しているとは思っていない。
主演俳優の薄さに、かなーり物足りないものを感じてもいる。主演がちがったらどーなっただろう、とかも考える。
それでも、この作品が好きだ。
主演俳優を好きだったら、あるいは、主役の演技がツボっていれば、気の狂ったよーに通っていると思う(笑)。実際、同じよーにいろいろやばい作品だった『スサノオ』には通ったぞ、えらい回数。
や、あさこちゃん好きだけど、今回はダメだな、と。真ん中、他のキャラクタにも作品自体にも負けっぱなしだ……。
漫才ではじまりクライマックスのあとに漫才が入り、さらに「なんでもアリ!」てなおちゃらけフィナーレでお茶を濁して終わる。
……ことに、不満を感じていた。
正直漫才はいらないと、今でも思う。
でもフィナーレはアリかもなと思っている。
だってさ。
どさくさにまぎれて、フィナーレで、テーマを歌ってるよね?
そこまでで描かれていたのは、悲劇。
人間たちの汚さ。弱さ。愚かさ。
それらを全部するっと超えて、肯定して、そのうえでたのしく歌い踊り。
カエサル、ブルータス、アントニウス、オクタヴィアヌス、それからカシウスも他の暗殺者たちも、みんなみんな、ローマを狙っている。
ローマを自分のものにしたいと思っている。
男はみんな王になりたい。
私欲?
いや。私欲と善意の境目なんか、言い訳でしかない。
ローマはみんなのもの、と歌うブルータスと、ローマは私のもの、と歌う他の男たちと、ちがいなんかない。
「どんな悪い結果に終わった行いも、もとは善意からはじめられた」ように。
次々現れる男たちが、みんなローマを狙っている。みんなそれぞれの思いで、幸福になりたいと思っている。
誰ひとり、破壊しようとして、マイナスの意味で王になりたいわけじゃない。
自分自身のためであろうと他人のためであろうと、幸福が欲しくて前へ進んでいるんだ。誰もがみな。
だから、その原動力が私欲であれ善意であれ、区別など無意味だ。
ローマは誰のもの?
ローマをどうしたい?
誰のものであろうと、目指すものはひとつだろう?
幸福になりたい。
じゃあ、どうやって?
カエサルは自分が治めることで、ローマを幸福にしようとした。
アントニウスや他の野心家たちは、自分が幸福になることで自分の治めるローマを幸福にしようとした。
ブルータスは共和制で、ローマを幸福にしようとした。
目的はひとつ。
でも。
方法は、ひとつじゃない。
誰も彼もが、願っている。
誰も彼もが、それぞれの想いがある。
正義はひとつではないし、真実だってひとつではないんだ。
人間の数だけ、正義も真実もあるんだよ。
正義をひとつだと、真実をひとつだと思うから、自分が思う以外のものを許せなくなるんだ。
自分以外の価値観を許せなくなり、攻撃するようになるんだ。
「正しいのはいつも自分、愚かなのはいつも相手」
「もう3500年もこうして彷徨っている。見ろ、なにも変わっちゃいない」
「20年経っても 200年経っても 2000年経っても 何も変わりはしなかった!」
ローマは誰のもの?
カエサルとブルータスは歌う。ローマをどうするかで争い、悲劇に終わった男たちが笑いながら歌う。
「たとえ、愛し方はちがっても!」
ひとつじゃないのよ。
ちがう正義を信じた男たちが、「ちがう」ことを認め合う瞬間。
『暁のローマ』が悲劇なままで終わらず、ハッピーエンドになる瞬間。
ひとりずつチガウ人間たちが、チガウことを認めたうえで笑って一緒に歌う。
「どうして生きて死んでいく、その問いかけに答えたくて」
「アイシテイル」と。
ローマを愛している。
たとえ、愛し方はちがっても。
チガウから、いいんだよ。
ちがわなきゃダメだよ。
チガウから、争うし、傷つくけど。
「ひとつの心」しか認められないんじゃダメなんだよ。
人間の数だけ心があるんだもの。
そのうえで、生きていくんだ。
難しいけれど。苦しいけれど。
愛しているから。
同じものしか愛せないのではなく、チガウことがわかってもなお。
それでも、人生は続き、歴史は続く。
間違いながら、迷いながら。
悲劇を描き、肯定で終わる。
陽気なフィナーレである以上に。
「人間」を肯定して終わるんだ。
「すべての人に許しを、すべての恨みに許しを」
「祈ろう明日を、この地上にこそ希望を」
「恵まれて恵まれて、花は開く、いつしか実る」
アイシテイル、から。
彼は殉教者。@フェット・アンペリアル
2006年6月14日 タカラヅカ 世界でただひとり認識、されちゃいました……(笑)。
前日欄で、サマービル@水輝涼×ニール@すずみん萌えしてるのって、わたしだけかしら? と書いたら。
やーん。
他にもいるよね? ね?
きっと、サマービル×ニールで萌えた人は奥ゆかしい人見知りさんばっかしで、声をあげて賛同したりしないだけなのよきっと。そーにちがいないわ。
ちなみに、まっつファンだってほんとーはほんの何万人もいるけど、みんな地味に応援したいひとばかりだから声をあげないのよね。それと同じよね。そうよね?(涙目)
つーことで、需要がなくてもさらにサマービルの話(笑)。
わたしはたぶん、水輝涼が痩せていないから好きなんだと思います(笑)。
素の水輝涼は知らんよ。舞台の上な。
ヅカの美形男役にありがちな薄いカラダでスタイル抜群! でないから好き。
あのカラダの厚みがリアル男子っぽくていいの。ヲトメのあこがれる王子様には程遠いが、近所に住んでるチョイ悪なにーちゃん的でかっこいー。
と、エンカレのときから思った(笑)。
さて、その適度な厚みを持つサマービルくん。
最初に観たときは「悪役でかっこいい」でしかなかった。
だが、彼がどーゆー人生をたどるのかを理解して観た2度目の観劇時に、ツボにハマった。
ポイントは、彼が、主の裏切りを知っていたかどうか。
ブランメル@萬ケイ様は、なんかよくわかんねーまま真犯人だった人。せっかくこつこつ積み上げてきた人生を、逆ギレしてぶっ壊したとゆー、「そんなご都合主義って……」な悪役様。
サマービルはブランメルの部下。ブランメルに拾われ、彼に心酔しているという設定。
わたしの印象では、ブランメルは単体で悪だくみしており、サマービルにすら真実は打ち明けていなかったのではないかと。
ブランメルが英国を裏切っているのを知っており、その手下として働いているなら、サマービルのウィリアムたちに対する態度がちがっていると思うんだ。もっとブランメルのために、ウィリアムたちを厳しく見張っただろうと思う。
サマービルが真実を知ったのは、ほんとーにあの場でだったろうと思う。
だからこそ萌え。
サマービルが忠誠を誓っているのは祖国イギリスでも女王様でもなく、ブランメル個人であり、正義でも道徳でもなく、ブランメルのためだけに生きることが、彼の人生であるとゆーこと。
ブランメルが売国奴であったとしても謀反人であったとしても、そんなのぜんっぜん関係ない。サマービルに迷いは一切ない。
それが、萌え。
ただ、サマービル自身は、ブランメルの変化に気づいていたと思う。
サマービルだって昔からあそこまでひねくれていたわけではないだろうし、少年時代はほんとーに「英雄」としてブランメルを尊敬していたんぢゃないかな。
それが時が流れると共に変化して行き。……ブランメルもまた、やばい方向へ変化して行き。
たとえ真実を打ち明けられなくても、主がやばい方向に変わっていっていること、心を病んでいることには、気づいていただろう。
ただ。
どーでもよかったんだろう。ブランメルを唯一神と決めたときから。
彼が変わり、泥に堕ちても。
彼の行くところについていく覚悟だから、その方向なんかどーでもよかった。
彼の向く方向を向き、彼の敵を殺す。それだけしか考えていないから。
興味がないから、考えなかったんだろう。
だからなんの迷いもなく、裏切り者ブランメルのために銃を抜いたんだろう。
迷いなく、幸福で、あわれな男。
それが萌え。
ブランメルが英雄でもなんでもない、ただのつまんないメッキ男だとわかるだけに。設定のいい加減さや、萬ケイ様のアレな演技も含めて。
そんなしょーもない男を神とあがめて、破滅し、そのくせそれがまた満足そうなサマービルという男が、たまらなく萌え。
このどーしよーもないケダモノが、かわいいニールくんをエロ不幸にしてくれたら、至上の喜びです(笑)。
前日欄で、サマービル@水輝涼×ニール@すずみん萌えしてるのって、わたしだけかしら? と書いたら。
やーん。
他にもいるよね? ね?
きっと、サマービル×ニールで萌えた人は奥ゆかしい人見知りさんばっかしで、声をあげて賛同したりしないだけなのよきっと。そーにちがいないわ。
ちなみに、まっつファンだってほんとーはほんの何万人もいるけど、みんな地味に応援したいひとばかりだから声をあげないのよね。それと同じよね。そうよね?(涙目)
つーことで、需要がなくてもさらにサマービルの話(笑)。
わたしはたぶん、水輝涼が痩せていないから好きなんだと思います(笑)。
素の水輝涼は知らんよ。舞台の上な。
ヅカの美形男役にありがちな薄いカラダでスタイル抜群! でないから好き。
あのカラダの厚みがリアル男子っぽくていいの。ヲトメのあこがれる王子様には程遠いが、近所に住んでるチョイ悪なにーちゃん的でかっこいー。
と、エンカレのときから思った(笑)。
さて、その適度な厚みを持つサマービルくん。
最初に観たときは「悪役でかっこいい」でしかなかった。
だが、彼がどーゆー人生をたどるのかを理解して観た2度目の観劇時に、ツボにハマった。
ポイントは、彼が、主の裏切りを知っていたかどうか。
ブランメル@萬ケイ様は、なんかよくわかんねーまま真犯人だった人。せっかくこつこつ積み上げてきた人生を、逆ギレしてぶっ壊したとゆー、「そんなご都合主義って……」な悪役様。
サマービルはブランメルの部下。ブランメルに拾われ、彼に心酔しているという設定。
わたしの印象では、ブランメルは単体で悪だくみしており、サマービルにすら真実は打ち明けていなかったのではないかと。
ブランメルが英国を裏切っているのを知っており、その手下として働いているなら、サマービルのウィリアムたちに対する態度がちがっていると思うんだ。もっとブランメルのために、ウィリアムたちを厳しく見張っただろうと思う。
サマービルが真実を知ったのは、ほんとーにあの場でだったろうと思う。
だからこそ萌え。
サマービルが忠誠を誓っているのは祖国イギリスでも女王様でもなく、ブランメル個人であり、正義でも道徳でもなく、ブランメルのためだけに生きることが、彼の人生であるとゆーこと。
ブランメルが売国奴であったとしても謀反人であったとしても、そんなのぜんっぜん関係ない。サマービルに迷いは一切ない。
それが、萌え。
ただ、サマービル自身は、ブランメルの変化に気づいていたと思う。
サマービルだって昔からあそこまでひねくれていたわけではないだろうし、少年時代はほんとーに「英雄」としてブランメルを尊敬していたんぢゃないかな。
それが時が流れると共に変化して行き。……ブランメルもまた、やばい方向へ変化して行き。
たとえ真実を打ち明けられなくても、主がやばい方向に変わっていっていること、心を病んでいることには、気づいていただろう。
ただ。
どーでもよかったんだろう。ブランメルを唯一神と決めたときから。
彼が変わり、泥に堕ちても。
彼の行くところについていく覚悟だから、その方向なんかどーでもよかった。
彼の向く方向を向き、彼の敵を殺す。それだけしか考えていないから。
興味がないから、考えなかったんだろう。
だからなんの迷いもなく、裏切り者ブランメルのために銃を抜いたんだろう。
迷いなく、幸福で、あわれな男。
それが萌え。
ブランメルが英雄でもなんでもない、ただのつまんないメッキ男だとわかるだけに。設定のいい加減さや、萬ケイ様のアレな演技も含めて。
そんなしょーもない男を神とあがめて、破滅し、そのくせそれがまた満足そうなサマービルという男が、たまらなく萌え。
このどーしよーもないケダモノが、かわいいニールくんをエロ不幸にしてくれたら、至上の喜びです(笑)。
サマービルの方が年下だよね?−腐女子注意報−@フェット・アンペリアル
2006年6月13日 タカラヅカ「しあわせなら手を叩こう」
で、なんの迷いもなく手を叩いてしまったひとりです。
『フェット・アンペリアル』千秋楽。
普段ならニール@すずみんが「……しあわせですか?」とサマービル@水輝涼に言うところ。
千秋楽ではニール、いきなり歌い出しました。
で、舞台も客席も、なんの疑問もなく「パン、パン」と手を打った。
えええっ? アドリブだろコレ?! 舞台はともかく、どーして客席まで一糸乱れず手を叩くの?!!
自分もやっておきながら、星組クオリティに大ウケした一瞬。
千秋楽はほんと、遊びすぎ。
5分に1回お遊びっていうか、とにかく数え切れないほどアドリブとばしまくって、そのたび大爆笑になり、本来の物語が迷走していた。
アドリブはたのしいし、実際大笑いさせてもらったけど、正直やりすぎだと思ったよ。(とくにすずみさん。ほんっとーにあーたやりすぎ)
作品を堪能したかったので、いちいち笑いに邪魔されるのがつらかった。
それに、スカステで放送されるの、この千秋楽なんだよねえ……? ソフト化されないならなおさら、コレってまずいんじゃないの? 半永久的に残るのがこのお遊び命の物語置き去り、何度も笑いで中断する千秋楽映像だなんて、あんまりだ。
作品をきちんと残して欲しかったよ……。
千秋楽は、オマケみたいなもん。本来の『フェット…』は別物なんですよみなさん!
とまあ、苦言を呈しつつも。
千秋楽で、ホモ萌えしました。
終幕後、隣の席のサトリちゃんと抱き合って「いい公演だった、ありがとう!」と素直に感動していたのはたしかなんだが。
その足で劇場を出るかたわら、kineさんに、
「ニール@すずみんは、受だと思う? 攻だと思う?」
と真面目に訊ね、
「知りません」
と、一刀両断された。
ヘタレ攻が大好物のわたしは、ニールみたいなキャラは攻がいいんですよ、ほんと! あーゆーかわいい男は、かわいく攻をやるべきなんですってば。
だから迷ったんですが。
最終的に、ニールは受ということで、落ち着きました。
相手ですか?
もちろん、サマービル@水輝涼です。
「やっぱり」
大人なkineさんは頷くのです。
「緑野さんがカップリングするなら、絶対サマービル絡みだと思った」
kineさんねえ、本人腐女子ぢゃないそうですが、わたしの嗜好を読んでいるというか、たびたび言い当てるんですよねえ。
もともと、ニールとサマービルの絡みは好きだったんです。
ウィリアムとエンマを逃がすためにどさくさにまぎれるニールと、それを張り倒すサマービル、ニールの「……しあわせですか?」の台詞。
そのあとニールの大切なステッキを、嫌みったらしく弄ぶサマービルと「返せ!」と取り返すニール、「歌、うまかったじゃないか」とかなんとか、これまた皮肉たっぷり言い捨てるサマービル。
どっちも性格悪いキャラというか、「スネ夫がふたりで覇を競っている」って感じで愉快だったんですが。
千秋楽は、このふたりの我の張り合いがさらに愉快なことになっていて。
前述の「しあわせですか?」が、「しあわせなら手を叩こう」になってしまったので、ニールの決め台詞(笑)がひとつなくなったなー、と思っていたら、取り返すステッキと「歌、うまかったじゃないか」のくだりにスライドされていた。
いつもなら冷笑で去っていくサマービルが、戻ってくるんだもんよ。いつもより派手に「キーッ!」とサマービルの背中にステッキ振り上げて怒るアクションをしていたニールの前に。
怒ってステッキを振り上げてはみたものの、ニールくんは文化系青年、サマービルは武闘派。サマービルと正面切ってケンカできるはずもなく、じたばたと怒りアクションを誤魔化すニールが言う。「しあわせですか?」
ここでサマービル、ニールくんをぶん殴りでもするのかと思いきや。
歌い出すんだもの。
エンカレでその名を馳せた「いい声」で(笑)。
大真面目に、サマービルキャラのまま。
ニールが唖然とその背を見送るのがまた、すばらしくて(笑)。
なんなのこいつら。かわいすぎるっ。
わきわきわきっ、やほひセンサー感度良好、電波受信!!
サマービル×ニールって、すげーイイぢゃないですか!!
なにがイイって、ニールが不幸そうなところがですよ!!
サマービルなんかに惚れちゃったら、絶対不幸ですよ。
サマービル、最後死んでなくて、ふつーに刑務所送りになるわけですよ。んで、なんかニールは放っておけなくて、彼が極刑にならないよう尽力するわけですよ。
サマービルはブランメル命だから、主を亡くしたあと(ブランメル氏は取り調べ中に自殺とかがいいなあ)とても傍迷惑な自棄状態になっているのを、ニールが支えちゃったりするわけですよ。
できれば、拘留中のサマービル(拘禁服とか萌えですなっ。彼は凶暴なので人権無視のひどい状態で拘留されているの。ふふふ)を救うために骨を折って、そのどさくさでアヤマチまで行っちゃうといいですな。ニールが拘禁服をはずしてやるなり襲いかかられたりなー。よりによってニールが人払いしたあとで、助けを呼ぶこともできないとかなー。
ニールはもちろんシンシアと結婚して、息子のベニーなんかも作っちゃってるんですがね(息子、名前チガウって!)。
あーんなことがあったあとも、根が真面目なニールはその後何年もサマービルに面会に行ったり、なにかと気を配っているわけですよ。や、もう二度と襲われないように自衛しながら(笑)。
で、そののちサマービルが出所してきてから、彼が社会復帰できるようにがんばっちゃったりしてね。もちろん嫌味言いつつ。
いくらなんでも、お互いいいトシだから妙なことにはならないだろう、と油断しているニールに、いくつになってもケダモノのサマービルが牙を研いでいて……。
と、ドリームは留まるところを知りません!!
うーむ、サウフェ@王家に捧ぐ歌のときもすずみんは総受だったんだよな、そういえば。
今までとくに意識してなかったが、わたしにとってすずみさんは受キャラ認識なのかもしれん。
いやあ、彼は攻でもいい味出すと思うけどねえ。
ただ今回は、相手が悪かったということで。水輝涼が相手じゃ、受になるしかないよな、すずみん!(役名で言いましょう、誤解を受けます)
ところで、こんなカップリングで萌え萌えなのは、世界中で、わたしひとりなんでしょうか?
……孤独だニャ……。
で、なんの迷いもなく手を叩いてしまったひとりです。
『フェット・アンペリアル』千秋楽。
普段ならニール@すずみんが「……しあわせですか?」とサマービル@水輝涼に言うところ。
千秋楽ではニール、いきなり歌い出しました。
で、舞台も客席も、なんの疑問もなく「パン、パン」と手を打った。
えええっ? アドリブだろコレ?! 舞台はともかく、どーして客席まで一糸乱れず手を叩くの?!!
自分もやっておきながら、星組クオリティに大ウケした一瞬。
千秋楽はほんと、遊びすぎ。
5分に1回お遊びっていうか、とにかく数え切れないほどアドリブとばしまくって、そのたび大爆笑になり、本来の物語が迷走していた。
アドリブはたのしいし、実際大笑いさせてもらったけど、正直やりすぎだと思ったよ。(とくにすずみさん。ほんっとーにあーたやりすぎ)
作品を堪能したかったので、いちいち笑いに邪魔されるのがつらかった。
それに、スカステで放送されるの、この千秋楽なんだよねえ……? ソフト化されないならなおさら、コレってまずいんじゃないの? 半永久的に残るのがこのお遊び命の物語置き去り、何度も笑いで中断する千秋楽映像だなんて、あんまりだ。
作品をきちんと残して欲しかったよ……。
千秋楽は、オマケみたいなもん。本来の『フェット…』は別物なんですよみなさん!
とまあ、苦言を呈しつつも。
千秋楽で、ホモ萌えしました。
終幕後、隣の席のサトリちゃんと抱き合って「いい公演だった、ありがとう!」と素直に感動していたのはたしかなんだが。
その足で劇場を出るかたわら、kineさんに、
「ニール@すずみんは、受だと思う? 攻だと思う?」
と真面目に訊ね、
「知りません」
と、一刀両断された。
ヘタレ攻が大好物のわたしは、ニールみたいなキャラは攻がいいんですよ、ほんと! あーゆーかわいい男は、かわいく攻をやるべきなんですってば。
だから迷ったんですが。
最終的に、ニールは受ということで、落ち着きました。
相手ですか?
もちろん、サマービル@水輝涼です。
「やっぱり」
大人なkineさんは頷くのです。
「緑野さんがカップリングするなら、絶対サマービル絡みだと思った」
kineさんねえ、本人腐女子ぢゃないそうですが、わたしの嗜好を読んでいるというか、たびたび言い当てるんですよねえ。
もともと、ニールとサマービルの絡みは好きだったんです。
ウィリアムとエンマを逃がすためにどさくさにまぎれるニールと、それを張り倒すサマービル、ニールの「……しあわせですか?」の台詞。
そのあとニールの大切なステッキを、嫌みったらしく弄ぶサマービルと「返せ!」と取り返すニール、「歌、うまかったじゃないか」とかなんとか、これまた皮肉たっぷり言い捨てるサマービル。
どっちも性格悪いキャラというか、「スネ夫がふたりで覇を競っている」って感じで愉快だったんですが。
千秋楽は、このふたりの我の張り合いがさらに愉快なことになっていて。
前述の「しあわせですか?」が、「しあわせなら手を叩こう」になってしまったので、ニールの決め台詞(笑)がひとつなくなったなー、と思っていたら、取り返すステッキと「歌、うまかったじゃないか」のくだりにスライドされていた。
いつもなら冷笑で去っていくサマービルが、戻ってくるんだもんよ。いつもより派手に「キーッ!」とサマービルの背中にステッキ振り上げて怒るアクションをしていたニールの前に。
怒ってステッキを振り上げてはみたものの、ニールくんは文化系青年、サマービルは武闘派。サマービルと正面切ってケンカできるはずもなく、じたばたと怒りアクションを誤魔化すニールが言う。「しあわせですか?」
ここでサマービル、ニールくんをぶん殴りでもするのかと思いきや。
歌い出すんだもの。
エンカレでその名を馳せた「いい声」で(笑)。
大真面目に、サマービルキャラのまま。
ニールが唖然とその背を見送るのがまた、すばらしくて(笑)。
なんなのこいつら。かわいすぎるっ。
わきわきわきっ、やほひセンサー感度良好、電波受信!!
サマービル×ニールって、すげーイイぢゃないですか!!
なにがイイって、ニールが不幸そうなところがですよ!!
サマービルなんかに惚れちゃったら、絶対不幸ですよ。
サマービル、最後死んでなくて、ふつーに刑務所送りになるわけですよ。んで、なんかニールは放っておけなくて、彼が極刑にならないよう尽力するわけですよ。
サマービルはブランメル命だから、主を亡くしたあと(ブランメル氏は取り調べ中に自殺とかがいいなあ)とても傍迷惑な自棄状態になっているのを、ニールが支えちゃったりするわけですよ。
できれば、拘留中のサマービル(拘禁服とか萌えですなっ。彼は凶暴なので人権無視のひどい状態で拘留されているの。ふふふ)を救うために骨を折って、そのどさくさでアヤマチまで行っちゃうといいですな。ニールが拘禁服をはずしてやるなり襲いかかられたりなー。よりによってニールが人払いしたあとで、助けを呼ぶこともできないとかなー。
ニールはもちろんシンシアと結婚して、息子のベニーなんかも作っちゃってるんですがね(息子、名前チガウって!)。
あーんなことがあったあとも、根が真面目なニールはその後何年もサマービルに面会に行ったり、なにかと気を配っているわけですよ。や、もう二度と襲われないように自衛しながら(笑)。
で、そののちサマービルが出所してきてから、彼が社会復帰できるようにがんばっちゃったりしてね。もちろん嫌味言いつつ。
いくらなんでも、お互いいいトシだから妙なことにはならないだろう、と油断しているニールに、いくつになってもケダモノのサマービルが牙を研いでいて……。
と、ドリームは留まるところを知りません!!
うーむ、サウフェ@王家に捧ぐ歌のときもすずみんは総受だったんだよな、そういえば。
今までとくに意識してなかったが、わたしにとってすずみさんは受キャラ認識なのかもしれん。
いやあ、彼は攻でもいい味出すと思うけどねえ。
ただ今回は、相手が悪かったということで。水輝涼が相手じゃ、受になるしかないよな、すずみん!(役名で言いましょう、誤解を受けます)
ところで、こんなカップリングで萌え萌えなのは、世界中で、わたしひとりなんでしょうか?
……孤独だニャ……。
キャラ萌えしても、腐女子萌えに至らず。@フェット・アンペリアル
2006年6月12日 タカラヅカ ところで、すずみんが、素敵すぎるんですが。
『フェット・アンペリアル』の話。
もー、どーしましょー。
見たかった涼紫央がソコに!!
ウィリアム@しいちゃんにはヲトメとしてときめくんですが(笑)、ニール@すずみんには、腐女子としてときめきます。
わたしはいつものよーに、なんの予備知識もなく観ていたんだけど、周囲の人が言うわけですよ、「すずみん、悪役らしいよ」と。
ほー、そうなのか、悪役なのか。悪役のすずみんっていいよなあ、ふふふ。てなくらいの気持ちで観ていたら。
どこが悪役?! この、大嘘つきめ(笑)。
嫌味な嫌な奴、として登場したニールくん。よくあるいぢわるキャラとしてスタートしたのに、どんどんどんどん、わかってくる。その、かわいらしさが。
なんなのよー、この男。かわいいぢゃないのーっ。
俗に「2番手はオイシイ」というけれど、その「オイシイ2番手」の具現のよーだぞ、涼紫央!!
目を離せない、いじりたいキャラクタ。
ああなのに、しいちゃんとWだと、色気がなさ過ぎて萌えられない。何故そんなに健康的なんだお前ら。男ふたりで友情してるのに、そっち系にアタマが働かない〜〜っ。
エンマになってウィリアムと一緒に走り出したい、とは思うけど、ウィリアムでホモ萌えはできない……。くそーっ、ウィリアムには純粋ヲトメハートしか動かないわ。
そのため、ニールがどんだけいじられキャラであったとしても、相手役不在でカップル萌えできない……くやしい。
星組の大野作品って、どうしてこう、健全路線なの? 『花のいそぎ』もあまりもの健全さに目眩がしたもんだけど……大野せんせの星組イメージって健全健康優良児? そーいや『エピファニー』も健全だったなあ……男が男に惚れるエピソードも含まれていたのに……。
このかわいらしい物語で、ホモなのはブランメル@萬ケイ様とサマービル@水輝涼だけだ。
水輝涼。……エンカレでいちばん濃かったあの水輝涼。
今この男、キてるんですか? しゅんくんと対で踊ってたりしますけど? なんか、ひとりでものすげー色男ぶってますけど? いいんですか?
この物語で、たぶんいちばんの悪役サマービル。萬ケイ様に拾われ、お稚児さんしていたらしーが、どうもこの物語の時点では下克上済、サマービル×ブランメルだった模様。
萬ケイ様があまりにダメダメ受で、水輝涼がオトコマエ攻で、どーしよーかと。
萬ケイ様はもっと演技が巧い印象があったんだが、なんか今回ほんと精彩を欠いていた。どーしたんだ? 初日は台詞すっ飛ばしたり棒立ちになっていたり、体調悪い?と心配したくらいだ。
雰囲気色男だから、それだけでカタチにはなってるんだけど。脚本の粗を補うほどの演技はしていなかったなぁ。
萬ケイ様がいまいちだったので、水輝涼とのカップリングもいまいち映えなかった。残念。せっかく素敵なホモだったのに。
ホモになりそーでならないと言えば、星組が誇るロリショタキャラ麻尋しゅん。
エンカレで男臭さ全開で、「ボクが目指しているのはこっち!」と全身でアピールしていたのに、またしても子役かい。
気の毒になあ。彼自身がどれほど大人の色男を目指しても、与えられる役は子役ばかり。美少年に生まれるのも考え物だな。
ウィリアムの弟アーサー役。すでに軍人だから、子役ではないのだが、話し方も声も子役の範疇。BLのショタキャラポジ。
もっとちゃんと大人の男としての役作りも出来たろうに、わざわざショタキャラなのは演出家の意図なんだろうな。不自然なほどに子どもっぽかったもの。
そしてまた、うまいんだしゅんくん。ちゃんと自分の仕事をわきまえている。
だがわたしはロリショタ萌えする気はないので、「娘役が今回だけ男役をやっている?」みたいな役作りでは腐女子ハートは萎えるばかり。
てゆーか、なんでこう健康的なんだ。美形兄弟が愛憎やって抱擁したりしているのに。
腐女子的は、萌えツボをことごとくハズされて、ちと不完全燃焼でした。
ヲトメハートて盛り上がれたから、いいっちゃーいいんだが。両方あるとさらに盛り上がれるだけに、惜しいなと(笑)。
しかし千秋楽に、よーやくホモ萌えに着地するんだが、それはまた別欄で(笑)。
『フェット・アンペリアル』の話。
もー、どーしましょー。
見たかった涼紫央がソコに!!
ウィリアム@しいちゃんにはヲトメとしてときめくんですが(笑)、ニール@すずみんには、腐女子としてときめきます。
わたしはいつものよーに、なんの予備知識もなく観ていたんだけど、周囲の人が言うわけですよ、「すずみん、悪役らしいよ」と。
ほー、そうなのか、悪役なのか。悪役のすずみんっていいよなあ、ふふふ。てなくらいの気持ちで観ていたら。
どこが悪役?! この、大嘘つきめ(笑)。
嫌味な嫌な奴、として登場したニールくん。よくあるいぢわるキャラとしてスタートしたのに、どんどんどんどん、わかってくる。その、かわいらしさが。
なんなのよー、この男。かわいいぢゃないのーっ。
俗に「2番手はオイシイ」というけれど、その「オイシイ2番手」の具現のよーだぞ、涼紫央!!
目を離せない、いじりたいキャラクタ。
ああなのに、しいちゃんとWだと、色気がなさ過ぎて萌えられない。何故そんなに健康的なんだお前ら。男ふたりで友情してるのに、そっち系にアタマが働かない〜〜っ。
エンマになってウィリアムと一緒に走り出したい、とは思うけど、ウィリアムでホモ萌えはできない……。くそーっ、ウィリアムには純粋ヲトメハートしか動かないわ。
そのため、ニールがどんだけいじられキャラであったとしても、相手役不在でカップル萌えできない……くやしい。
星組の大野作品って、どうしてこう、健全路線なの? 『花のいそぎ』もあまりもの健全さに目眩がしたもんだけど……大野せんせの星組イメージって健全健康優良児? そーいや『エピファニー』も健全だったなあ……男が男に惚れるエピソードも含まれていたのに……。
このかわいらしい物語で、ホモなのはブランメル@萬ケイ様とサマービル@水輝涼だけだ。
水輝涼。……エンカレでいちばん濃かったあの水輝涼。
今この男、キてるんですか? しゅんくんと対で踊ってたりしますけど? なんか、ひとりでものすげー色男ぶってますけど? いいんですか?
この物語で、たぶんいちばんの悪役サマービル。萬ケイ様に拾われ、お稚児さんしていたらしーが、どうもこの物語の時点では下克上済、サマービル×ブランメルだった模様。
萬ケイ様があまりにダメダメ受で、水輝涼がオトコマエ攻で、どーしよーかと。
萬ケイ様はもっと演技が巧い印象があったんだが、なんか今回ほんと精彩を欠いていた。どーしたんだ? 初日は台詞すっ飛ばしたり棒立ちになっていたり、体調悪い?と心配したくらいだ。
雰囲気色男だから、それだけでカタチにはなってるんだけど。脚本の粗を補うほどの演技はしていなかったなぁ。
萬ケイ様がいまいちだったので、水輝涼とのカップリングもいまいち映えなかった。残念。せっかく素敵なホモだったのに。
ホモになりそーでならないと言えば、星組が誇るロリショタキャラ麻尋しゅん。
エンカレで男臭さ全開で、「ボクが目指しているのはこっち!」と全身でアピールしていたのに、またしても子役かい。
気の毒になあ。彼自身がどれほど大人の色男を目指しても、与えられる役は子役ばかり。美少年に生まれるのも考え物だな。
ウィリアムの弟アーサー役。すでに軍人だから、子役ではないのだが、話し方も声も子役の範疇。BLのショタキャラポジ。
もっとちゃんと大人の男としての役作りも出来たろうに、わざわざショタキャラなのは演出家の意図なんだろうな。不自然なほどに子どもっぽかったもの。
そしてまた、うまいんだしゅんくん。ちゃんと自分の仕事をわきまえている。
だがわたしはロリショタ萌えする気はないので、「娘役が今回だけ男役をやっている?」みたいな役作りでは腐女子ハートは萎えるばかり。
てゆーか、なんでこう健康的なんだ。美形兄弟が愛憎やって抱擁したりしているのに。
腐女子的は、萌えツボをことごとくハズされて、ちと不完全燃焼でした。
ヲトメハートて盛り上がれたから、いいっちゃーいいんだが。両方あるとさらに盛り上がれるだけに、惜しいなと(笑)。
しかし千秋楽に、よーやくホモ萌えに着地するんだが、それはまた別欄で(笑)。
でも、彼は現れない。永久に。@フェット・アンペリアル
2006年6月11日 タカラヅカ 『フェット・アンペリアル』の主人公ウィリアムのキャラ造形には、言いたいことありまくりだけど、そこはもう、都合良くアタマの中で別物に変換してます。
わたしの脳内では、ウィリアムは「空気読めないただのバカ」でも「無能なくせに文句ばかり言う偽善者」でもありません。
しいちゃんが演じているやさしさとおおらかさ、不器用さ、そして未熟さゆえの棘や無神経さと、朴訥な魅力にあふれた青年とゆーことで納得しています。
ほんとは脚本上でもそう描くつもりだったんだろうと思う。失敗しているだけで。
脚本の失敗を、しいちゃんがナチュラルに(計算できているとは思えん)正しい方向に肉付けした結果が、あのウィリアムだろうなと思う。
だからわたしは、ウィリアム@しいちゃんに、救って欲しかった。
今いるこの場所から、連れ出して欲しかった。
たったひとつを選ぶということは、選ばなかった他のすべてを捨てるということ。
ウィリアムがわたしの目の前に現れて、手を取って走り出すとしたら。それについて行くとしたら。
わたしは、わたしのすべてを捨てることになる。
親とも兄弟とも、二度と会えない。
友だちとも会えない。
名前も仕事も、この緑野こあらというハンドルネームも全部捨てる。
……考えるだけで、せつなさに泣けてくるわ。
そーやってせつなくてたまらないのに、それでも、ウィリアムが現れたら、一緒に行くんだろうなと思う。
ウィリアムってゆーのは、そーゆー男なんだと思う。
きっと、ケンカするなぁ。
あんたのせいであたしはなにもかもなくしたのよ、って責める日があるだろうな。
それでも、それらの後悔や痛みを全部超えられるほど、彼の存在が意味を持つんだろう。
彼が、救いとなるんだろう。
……わたしはウィリアムに恋しているわけでもないし、ぶっちゃけ、しいちゃんがいちばんのご贔屓でもないんだが。
しいちゃんの魅力っていうのは、そーゆーところにあると思う。わたしにとって。
彼の存在が、ひとつのファンタジーである。
しいちゃんの持つ「厚み」が好きだ。カラダの話。
素のしいちゃんは知らないよ。ジェンヌさんはみんなすっげー細いし。
ただ、舞台の上のしいちゃんは、リアルな「厚み」を持つ。女を抱きしめることのできる、男の身体としての厚み。
アンドレをやったとき、オスカル@トウコ相手に「うわ、これからこのふたりセックスするんだ」と思い知らせた、牡としての生々しさ。
わたしが倒れ込んでいっても、びくともせずに支えてくれるだろうと思わせてくれる、「厚み」。
性を持たないタカラジェンヌでありながら、ナマの性を感じさせる危うさと、ひだまりのようなあたたかさ。
現実に疲れたとき、「逃げ場」として目の前に現れてくれるのに、彼ほど適した人もいない。
性を感じさせるくせに、強烈な「癒し」の君でもあるんだよなあ。
うん、性があるからいいんだよな。
女同士で救うの救われるの、癒すのどうのって、なんかチガウし。
彼が「男」だから、「女」であるわたしを救えるのだと思うよ。
言葉や感覚がチガウ、通じない部分は永遠に通じないままに、それでもカラダの交わりだけで「ま、いいか」と納得……安心させてしまう存在。
や、ファンタジーですから!
あくまでも、架空の話ですから!
男役は「男」認識ですから!
トウコやしいちゃんを語ると話がナマっぽくなって、書いていてふとアセる……(笑)。
そーゆー意味での「しいちゃん」を、改めて感じさせてくれたから、作品にも主人公造形にも、いろいろ物言いたいことはあっても、この作品はヲトメ心に響くんだよなあ。
素直に、ヒロインに同化できるから。
エンマになって、ウィリアムに恋できるから。
だから、気持ちいい。
でもって。
サトちゃん、ごめん。
なんか謝ってみる。
友だちのダーリン相手に、ひどいこといっぱい書いてしまったよーな気がする……。
わたしの脳内では、ウィリアムは「空気読めないただのバカ」でも「無能なくせに文句ばかり言う偽善者」でもありません。
しいちゃんが演じているやさしさとおおらかさ、不器用さ、そして未熟さゆえの棘や無神経さと、朴訥な魅力にあふれた青年とゆーことで納得しています。
ほんとは脚本上でもそう描くつもりだったんだろうと思う。失敗しているだけで。
脚本の失敗を、しいちゃんがナチュラルに(計算できているとは思えん)正しい方向に肉付けした結果が、あのウィリアムだろうなと思う。
だからわたしは、ウィリアム@しいちゃんに、救って欲しかった。
今いるこの場所から、連れ出して欲しかった。
たったひとつを選ぶということは、選ばなかった他のすべてを捨てるということ。
ウィリアムがわたしの目の前に現れて、手を取って走り出すとしたら。それについて行くとしたら。
わたしは、わたしのすべてを捨てることになる。
親とも兄弟とも、二度と会えない。
友だちとも会えない。
名前も仕事も、この緑野こあらというハンドルネームも全部捨てる。
……考えるだけで、せつなさに泣けてくるわ。
そーやってせつなくてたまらないのに、それでも、ウィリアムが現れたら、一緒に行くんだろうなと思う。
ウィリアムってゆーのは、そーゆー男なんだと思う。
きっと、ケンカするなぁ。
あんたのせいであたしはなにもかもなくしたのよ、って責める日があるだろうな。
それでも、それらの後悔や痛みを全部超えられるほど、彼の存在が意味を持つんだろう。
彼が、救いとなるんだろう。
……わたしはウィリアムに恋しているわけでもないし、ぶっちゃけ、しいちゃんがいちばんのご贔屓でもないんだが。
しいちゃんの魅力っていうのは、そーゆーところにあると思う。わたしにとって。
彼の存在が、ひとつのファンタジーである。
しいちゃんの持つ「厚み」が好きだ。カラダの話。
素のしいちゃんは知らないよ。ジェンヌさんはみんなすっげー細いし。
ただ、舞台の上のしいちゃんは、リアルな「厚み」を持つ。女を抱きしめることのできる、男の身体としての厚み。
アンドレをやったとき、オスカル@トウコ相手に「うわ、これからこのふたりセックスするんだ」と思い知らせた、牡としての生々しさ。
わたしが倒れ込んでいっても、びくともせずに支えてくれるだろうと思わせてくれる、「厚み」。
性を持たないタカラジェンヌでありながら、ナマの性を感じさせる危うさと、ひだまりのようなあたたかさ。
現実に疲れたとき、「逃げ場」として目の前に現れてくれるのに、彼ほど適した人もいない。
性を感じさせるくせに、強烈な「癒し」の君でもあるんだよなあ。
うん、性があるからいいんだよな。
女同士で救うの救われるの、癒すのどうのって、なんかチガウし。
彼が「男」だから、「女」であるわたしを救えるのだと思うよ。
言葉や感覚がチガウ、通じない部分は永遠に通じないままに、それでもカラダの交わりだけで「ま、いいか」と納得……安心させてしまう存在。
や、ファンタジーですから!
あくまでも、架空の話ですから!
男役は「男」認識ですから!
トウコやしいちゃんを語ると話がナマっぽくなって、書いていてふとアセる……(笑)。
そーゆー意味での「しいちゃん」を、改めて感じさせてくれたから、作品にも主人公造形にも、いろいろ物言いたいことはあっても、この作品はヲトメ心に響くんだよなあ。
素直に、ヒロインに同化できるから。
エンマになって、ウィリアムに恋できるから。
だから、気持ちいい。
でもって。
サトちゃん、ごめん。
なんか謝ってみる。
友だちのダーリン相手に、ひどいこといっぱい書いてしまったよーな気がする……。
仕事しようよ。@フェット・アンペリアル
2006年6月10日 タカラヅカ 『フェット・アンペリアル』のいちばんの失敗って、わたし的に主人公がかっこわるいことだと思う。
わたしはヘタレ男が大好物だが、それとはまた別の話。
ウィリアムのキャラ造形、失敗してると思うんだけどなあ。
しいちゃんが演じることでハートフルになってるから、セーフだけど、文字だけで彼の言動を追ったらひでーことになってると思うんだけどなあ。
しいちゃんじゃなかったらわたし、この男逆ツボ直撃で嫌悪まで行っていたかもしれない。
わたしはどうにも、「仕事のできない人間」が好きじゃないんだ。
人間には能力差も向き不向きもある。だからなにをもって「仕事ができる・できない」を決めるかというと、難しいんだが。
純粋に能力だけでなく、仕事に取り組む態度だとか努力だとか、メンタル面も含めて「仕事ができない人間」が逆ツボ。
人並み以下の能力しか持たなくても、明るくはきはき働いて、場のムードをよくしている人とか、努力している人とかはいい。
無能なくせに努力もせず、不満ばかりを口にし、チームの足を引っ張る。他人の仕事の邪魔をする。義務はなにひとつ果たさないくせに、要求ばかりする。……そーゆーのが「仕事のできない人」で、わたしはどーにも好意を持てない。
ウィリアムとゆーキャラでいちばん引っかかったのは、オマエ、仕事しろよということだった(笑)。
まず、ウィリアムは自分の意志でスパイ稼業に脚を突っ込んだ。とても浅慮な理由で転属したようだから、「思ってたよーな仕事ぢゃない」と幻滅しても仕方ないっちゃー仕方ないが。
でもソレ、自分の責任じゃん。大人なんだから。
自分で選んだ仕事なのに、不満たらたら。大して使いモノにもならないし、あまつさえ命令無視の大暴走をやってのける。大事に至らなかったからよかったけど、個人の感情でプロジェクトをぶちこわすってなに。ありえない。
ウィリアムが無能なことしか描いてない脚本に疑問を持つ。
彼を浅慮で感情的な善人とするのはいい。だが、そーゆー人格面と仕事の能力は別。善人と有能、つーのはいくらでも並び立つ長所だ。
この芝居で描かれたウィリアムときたら、文字の上だけで判断すると、マイナス面ばかりだ。
・ダンスが下手、女の子に叱られ、ぶすったれる。
・女を口説くはずが、手玉に取られる。
・振られ男の演技をするが、大根。
・仕事への不満たらたら。
・命令無視、暴走。
これらのエピソードが愉快だったり、キャストがかわいかったりするのとは、別問題だからね。
ウィリアムというキャラクタを造形するために、これらのエピソードが必要だというのもいい。実際、しいちゃんが演じる以上、ハートフルでかわいいのだから。
だがそれなら何故、ウィリアムが有能な軍人であり、頼もしい男であるエピソードを入れないのか。
ダンスだの恋愛ゲームだのといったちゃらけた部分は苦手、よりによってその苦手分野の職に就いてしまった、本来は有能な軍人なんだ、ということにしてくれよ。中佐という階級は金で買ったわけぢゃないんだろう?
今のままじゃ、なんにもできないくせに文句ばっか言って仕事の邪魔をするうざい男だよ。
1幕で唯一、ウィリアムが「軍人」として「男」としてかっこいいシーンがある。
敵に銃を突きつけられてもおびえもせずに対峙し、余裕で会話する。……これって、わかりやすくかっこいいシーンだよね? ウィリアムとは本来こーゆー男なんだよね? ふつーに軍人やっているときは、銃や脅しに屈することなく堂々としているかっこいー人なんだよね?
ここしか、ウィリアムが有能であることを表すシーンがないのに……このシーンも、失敗してるし。
なんで、ウィリアムに銃を突きつけるのがふた回りも小さな、子どものような女の子なの?
本来なら、かっこいいシーンのはずなのに。
相手が華奢な女の子だってことで、台無し。
そりゃあ、あんな見るからに弱そうな女の子に銃を突きつけられたからって、脅威にはならんわな。ウィリアムが堂々としていたって、「そんなの、あたりまえじゃん」になってしまって、ちっともかっこよくない。むしろ、あんな弱そうな女の子に暴力を振るう男、みたいに見えてしまう。
どうしてここ、こんなことにしてしまったの?
同じように女を使っての謀略合戦、英国はウィリアムたち男も投入しているのに、某北の大国は女の子だけなの? なんで、女ふたりでウィリアムを脅しに現れなきゃなんないんだ。英国と同じように武装した男たちがわらわらと現れたっていいじゃないか。女はその後ろで冷たく構えていればいい。
武装した男たちを前に臆さず対峙し、勝ってしまうほどの冷静さと強さ。……これまで、エンマだのミス・ハワードだの、女たち相手にたじたじになっていた情けないウィリアムが?! と瞠目させるほどのインパクトで。
ウィリアムがちゃんと仕事もしている、できる人だと見せてくれたうえでなら、それを自分で覆すような行動を取ってもいいさ。
きちんと自分の義務を果たしてきた人間だからこそ、「嫌だ!」という理由でエンマをさらって逃げることの大きさが際立つ。
なにもできない仕事の足をひっぱるだけのお荷物男がさらに任務を投げ出してエンマと逃げたって、弱いじゃん。もともとバカだから、さらにバカなことをした。って、それだけになっちゃうじゃん。
あくまでも、脚本上の話ね。
実際の舞台では、役者の演技が加わるからチガウよ? しいちゃんウィリアムは納得のできる心のつながりで暴走してくれたよ。
でもさあ。
ほんとに、しいちゃんじゃなかったらコレ、どーなってたんだ、と思うよ。持ち味が無神経系の人がウィリアムをやっていたら、ほんとに目障りなバカになったろうなと。
今回、大野せんせの悪いところが出たなーと思ったのは、主人公の描き方。大野せんせの作品っていつも主人公はなにもしないんだけど、それをさらに楽な方に逃げた結果かなと。
そのキャラクタがどんな人であり、どんなバックボーンを持ち、どんなふうに動いて物語に絡み、動かしていくかではなく、「このエピソードがあれば、このキャラがかわいいよね」とか「この台詞言わせたらおもしろいよね」という、「キャラいじり」に重点が置かれ過ぎていたこと。
えーと、そーゆーのは同人誌がやることで、本編がやることじゃないよ?的っていうか。番外編でやるならいいけど、本筋薄くしてまでソレやらなきゃいけないの?的っていうか。
物語を動かす計算部分ってさ、書くの大変だし、難しいし、キャラのかわいいシーンを書くのはたのしくて簡単だけど。
大野せんせには、簡単な方に逃げて欲しくなかった。
2幕のウィリアムがダブルスパイを突き止めるくだりも、見事に手抜きされちゃってさ。
スパイものなのに、肝心のスパイものの醍醐味であるだろう場面がダンスで誤魔化されちゃうってなんなの。ウィリアムのかっこいいシーンのはずなのになあ……。
重ねて言うが、キャラがいいだけに、基本部分での失敗っつーか「手抜き?(首傾げ)」的なところが、くやしいの。
もっとちゃんと作り込んで欲しかった。
役者の持ち味に頼るのではなく、きちんと主人公をいい男にして欲しかった。
エンマとの出会いと別れを通してウィリアムが成長し、それ以後は仕事もできるようになりました、ということだから、作品中でどれほどバカでもいいの、とは思わないわ。最低限の社会常識を持った人間でいて欲しいから。そのうえで、悩みもし、傷付きもし、感情にまかせて走り出して欲しいの。
空気読めないバカだから平気でバカなことをする、では意味がない。
あくまでも、私感だけどなー。「仕事のできない人」好きじゃない、つーのは。
とゆー、わたしの逆ツボ直撃キャラでありながら、それでも魅力的に演じてくれたしいちゃんに喝采。
わたしはヘタレ男が大好物だが、それとはまた別の話。
ウィリアムのキャラ造形、失敗してると思うんだけどなあ。
しいちゃんが演じることでハートフルになってるから、セーフだけど、文字だけで彼の言動を追ったらひでーことになってると思うんだけどなあ。
しいちゃんじゃなかったらわたし、この男逆ツボ直撃で嫌悪まで行っていたかもしれない。
わたしはどうにも、「仕事のできない人間」が好きじゃないんだ。
人間には能力差も向き不向きもある。だからなにをもって「仕事ができる・できない」を決めるかというと、難しいんだが。
純粋に能力だけでなく、仕事に取り組む態度だとか努力だとか、メンタル面も含めて「仕事ができない人間」が逆ツボ。
人並み以下の能力しか持たなくても、明るくはきはき働いて、場のムードをよくしている人とか、努力している人とかはいい。
無能なくせに努力もせず、不満ばかりを口にし、チームの足を引っ張る。他人の仕事の邪魔をする。義務はなにひとつ果たさないくせに、要求ばかりする。……そーゆーのが「仕事のできない人」で、わたしはどーにも好意を持てない。
ウィリアムとゆーキャラでいちばん引っかかったのは、オマエ、仕事しろよということだった(笑)。
まず、ウィリアムは自分の意志でスパイ稼業に脚を突っ込んだ。とても浅慮な理由で転属したようだから、「思ってたよーな仕事ぢゃない」と幻滅しても仕方ないっちゃー仕方ないが。
でもソレ、自分の責任じゃん。大人なんだから。
自分で選んだ仕事なのに、不満たらたら。大して使いモノにもならないし、あまつさえ命令無視の大暴走をやってのける。大事に至らなかったからよかったけど、個人の感情でプロジェクトをぶちこわすってなに。ありえない。
ウィリアムが無能なことしか描いてない脚本に疑問を持つ。
彼を浅慮で感情的な善人とするのはいい。だが、そーゆー人格面と仕事の能力は別。善人と有能、つーのはいくらでも並び立つ長所だ。
この芝居で描かれたウィリアムときたら、文字の上だけで判断すると、マイナス面ばかりだ。
・ダンスが下手、女の子に叱られ、ぶすったれる。
・女を口説くはずが、手玉に取られる。
・振られ男の演技をするが、大根。
・仕事への不満たらたら。
・命令無視、暴走。
これらのエピソードが愉快だったり、キャストがかわいかったりするのとは、別問題だからね。
ウィリアムというキャラクタを造形するために、これらのエピソードが必要だというのもいい。実際、しいちゃんが演じる以上、ハートフルでかわいいのだから。
だがそれなら何故、ウィリアムが有能な軍人であり、頼もしい男であるエピソードを入れないのか。
ダンスだの恋愛ゲームだのといったちゃらけた部分は苦手、よりによってその苦手分野の職に就いてしまった、本来は有能な軍人なんだ、ということにしてくれよ。中佐という階級は金で買ったわけぢゃないんだろう?
今のままじゃ、なんにもできないくせに文句ばっか言って仕事の邪魔をするうざい男だよ。
1幕で唯一、ウィリアムが「軍人」として「男」としてかっこいいシーンがある。
敵に銃を突きつけられてもおびえもせずに対峙し、余裕で会話する。……これって、わかりやすくかっこいいシーンだよね? ウィリアムとは本来こーゆー男なんだよね? ふつーに軍人やっているときは、銃や脅しに屈することなく堂々としているかっこいー人なんだよね?
ここしか、ウィリアムが有能であることを表すシーンがないのに……このシーンも、失敗してるし。
なんで、ウィリアムに銃を突きつけるのがふた回りも小さな、子どものような女の子なの?
本来なら、かっこいいシーンのはずなのに。
相手が華奢な女の子だってことで、台無し。
そりゃあ、あんな見るからに弱そうな女の子に銃を突きつけられたからって、脅威にはならんわな。ウィリアムが堂々としていたって、「そんなの、あたりまえじゃん」になってしまって、ちっともかっこよくない。むしろ、あんな弱そうな女の子に暴力を振るう男、みたいに見えてしまう。
どうしてここ、こんなことにしてしまったの?
同じように女を使っての謀略合戦、英国はウィリアムたち男も投入しているのに、某北の大国は女の子だけなの? なんで、女ふたりでウィリアムを脅しに現れなきゃなんないんだ。英国と同じように武装した男たちがわらわらと現れたっていいじゃないか。女はその後ろで冷たく構えていればいい。
武装した男たちを前に臆さず対峙し、勝ってしまうほどの冷静さと強さ。……これまで、エンマだのミス・ハワードだの、女たち相手にたじたじになっていた情けないウィリアムが?! と瞠目させるほどのインパクトで。
ウィリアムがちゃんと仕事もしている、できる人だと見せてくれたうえでなら、それを自分で覆すような行動を取ってもいいさ。
きちんと自分の義務を果たしてきた人間だからこそ、「嫌だ!」という理由でエンマをさらって逃げることの大きさが際立つ。
なにもできない仕事の足をひっぱるだけのお荷物男がさらに任務を投げ出してエンマと逃げたって、弱いじゃん。もともとバカだから、さらにバカなことをした。って、それだけになっちゃうじゃん。
あくまでも、脚本上の話ね。
実際の舞台では、役者の演技が加わるからチガウよ? しいちゃんウィリアムは納得のできる心のつながりで暴走してくれたよ。
でもさあ。
ほんとに、しいちゃんじゃなかったらコレ、どーなってたんだ、と思うよ。持ち味が無神経系の人がウィリアムをやっていたら、ほんとに目障りなバカになったろうなと。
今回、大野せんせの悪いところが出たなーと思ったのは、主人公の描き方。大野せんせの作品っていつも主人公はなにもしないんだけど、それをさらに楽な方に逃げた結果かなと。
そのキャラクタがどんな人であり、どんなバックボーンを持ち、どんなふうに動いて物語に絡み、動かしていくかではなく、「このエピソードがあれば、このキャラがかわいいよね」とか「この台詞言わせたらおもしろいよね」という、「キャラいじり」に重点が置かれ過ぎていたこと。
えーと、そーゆーのは同人誌がやることで、本編がやることじゃないよ?的っていうか。番外編でやるならいいけど、本筋薄くしてまでソレやらなきゃいけないの?的っていうか。
物語を動かす計算部分ってさ、書くの大変だし、難しいし、キャラのかわいいシーンを書くのはたのしくて簡単だけど。
大野せんせには、簡単な方に逃げて欲しくなかった。
2幕のウィリアムがダブルスパイを突き止めるくだりも、見事に手抜きされちゃってさ。
スパイものなのに、肝心のスパイものの醍醐味であるだろう場面がダンスで誤魔化されちゃうってなんなの。ウィリアムのかっこいいシーンのはずなのになあ……。
重ねて言うが、キャラがいいだけに、基本部分での失敗っつーか「手抜き?(首傾げ)」的なところが、くやしいの。
もっとちゃんと作り込んで欲しかった。
役者の持ち味に頼るのではなく、きちんと主人公をいい男にして欲しかった。
エンマとの出会いと別れを通してウィリアムが成長し、それ以後は仕事もできるようになりました、ということだから、作品中でどれほどバカでもいいの、とは思わないわ。最低限の社会常識を持った人間でいて欲しいから。そのうえで、悩みもし、傷付きもし、感情にまかせて走り出して欲しいの。
空気読めないバカだから平気でバカなことをする、では意味がない。
あくまでも、私感だけどなー。「仕事のできない人」好きじゃない、つーのは。
とゆー、わたしの逆ツボ直撃キャラでありながら、それでも魅力的に演じてくれたしいちゃんに喝采。
まず、キャラクタありきということ。@フェット・アンペリアル
2006年6月9日 タカラヅカ 今さらだが『フェット・アンペリアル』。
しいファンのはしくれとして初日に駆けつけ、そしてちょっとしょぼんだった。
大野せんせの新作っつーんで、期待しすぎたんだと思う。ストーリーなさ過ぎ、主人公なにもしなさ過ぎと、肩すかしを食らった。
冗長な1幕と、端折りすぎた2幕。なにがやりたかったのか意味不明な悪役、唐突に出てきては去っていく脇キャラたち、主張はするけど有益なことはなにもしない主人公、思わせぶりだけどべつに深いところまで考えられていなさそーなあれこれ。
えーとコレ、ただのキャラもの?
萌え〜なキャラクタが出てきて、そのキャラらしい萌え〜な会話をしたりする、ただそれをたのしむだけのもの?
キャラを好きになってくれ、その他のことは全部気にするな。……そーゆー作り?
もちろん、そーゆー世界観はアリだと思う。実際さいとーくんやこだまっちなんか、ソレだけの作家だ。
アニメやコミックやライトノベル、シリーズもののコメディドラマだとか、「キャラの人気」だけで成り立っているモノは多くある。
タカラヅカもまた、キャストを魅力的に見せてなんぼ、「**ちゃんで**な役が見たいわ(はぁと)」を満たしてくれればそれでOK、ストーリーも辻褄もなにもいらない! つーのは、アリだと思っているよ。
ただ、大野せんせだから。
TCAで1シーン演じればそれでOKな、ただのキャラものなんか描かないはずだという思いこみがあってな。
それで、しょぼんとしたのよ。
大野作品としては、レベル低い……。
誤解しないでくれ。
大野作品としては低レベル、なのであって、タカラヅカ的に水準は超えてるから!
誤解しないでくれ。
大野作品としてただのキャラものっつーのはわたし的に「どうなのよソレ」と思うだけで、キャラものとしても高水準だから!
大野作品だから、もっと上をのぞんでしまうのよ。
消費者は貪欲なの。
実際、キャラクタは、すげーイイ。
魅力的。誰も彼もが。
「この役者で、この役が見たかった……っ!!」という願望を、全部まるっとかなえてくれている。
すげえ。
構成的にとほほと思いながらも、ウィリアム@しいちゃんに腕を取られて一緒に駆け出したい、と思った。
ヒロイン・エンマ@ウメとシンクロして。
共に逃げるこの瞬間こそが世界のすべて、人生のすべて。
そう思えて、幸福な切なさで涙が出た。
しかし、繰り返すがわたしは「ただのキャラ萌え」を大野作品に求めていなかったので、いまいちノりきれずに初日を過ごした。
ただのキャラ萌えなら、翌日初日を迎えた『コパカバーナ』の方が萌えた。せつなさもパワーで押し切る『コパ』の方に感じた。
コメディだと思って観たのに大泣きに泣けたので、『コパ』の点数は高くついてしまったのだな(笑)。
『フェット…』が、大野作品だからと構えて観て期待していたほどではなかったので、点数が低くついてしまったのと対照的に。
その『コパ』初日に、2日連続観劇したkineさんが太鼓判を押す。「『フェット…』がよくなっていた」と。
初日はたしかに、微妙な脚本を誇張するかのように出演者たちも微妙だったが、今日は脚本の微妙さをカバーできるくらい出演者たちがよくなっていたと。
舞台はナマモノだ。
そーゆーことは多分にある。
実際、脚本が微妙だっつってもだ、植爺だの谷だの酒井だのとちがい、大野せんせの脚本は「出演者次第でいくらでもカバーできる」程度のアレさだ。植爺の某作品などは、元が腐りきっているから誰がどうあがいてもキ○ガイ作品でしかないが、『フェット…』なら、上演回数を重ね、出演者の熱が上がれば充分佳作になりうる。
てゆーか、最初からそう思っていたし。こんなにノりが悪いのは、初日だからだろうな、と。
だもんでわたしは、初日のみの感想をUPするのは控えておいた。
2回目を観てから書こう。そう思った。
ちといろいろばたばたしていて、結局2回目に観ることができたのは、千秋楽の前、ドリーズ総見のときだった。
集まってきた仲間たちと並んで観劇。
続けて千秋楽も観たのだけど、この楽の前公演の方がよかった。
出演者が脚本を埋めている、熱と演出の絶妙のバランス。こなれていて、だけど慣れきってもいなくて。
そして、『フェット…』は初老の男が青春時代を回想するカタチではじまる作品だから、2回目以上の観劇ではじめて「作品と同じ目線」になれるのね。
なにもかも知ったうえで、キャラも出来事も結末も、なにもかもわかったうえで、「過ぎ去りし日の想い出」をたどる。そこではじめて、物語は正しく回転をはじめる。
「過ぎ去りし日」はもうそこにないからこそ、せつなさを帯びる。
誠実に生きたことがわかる落ち着いた初老の男が、若さゆえに勇み足な女性をエスコートして踊る。彼は、ダンスの名手らしい。
恋人の身を案じて浮き足立つ女性に、彼は寛くあたたかな強さで言う。「誰も見捨てたりはしない」と。
時は戻り、その初老の男の青年時代の話になる。
ダンスがへたっぴーで、女性に特訓を受けたりしている。それが主人公のウィリアム@しい、見るからに不器用そうな好青年なのに、スパイになるんだってさ。
ウィリアムのダンス教師がエンマ@ウメ、ふたりの相性は最悪。
ウィリアムに必要なのは、ダンスの腕だけじゃない。女を手玉に取る能力だ。女には男、男には女。人を操るには色事師としてのスキルを求めるのがいちばん早い……らしいよ、英国情報部。
表立って戦争してるだけじゃ足りないこの時代、政治の要職につく男たちを影で操るのは女、どの国も色仕掛けで歴史を動かそうと高級娼婦を装った女スパイたちを投入。騙し合いの化かし合い。
ウィリアムの仕事はその、英国の「国家機密」とも言える女スパイ・エンマの補佐。
エンマは女の武器でフランス皇帝の弟に取り入るのだが……ウィリアムは彼女のそんな生き方を黙って見ていられない。女スパイの仮面からときおりのぞく素顔が、その強さが、とても痛々しいからだ。
彼女のためになにかできないのだろうか……つまずく現実ゆえに、ウィリアムは成長していく。
青く愚かで勇み足ばかりの彼が、冒頭の落ち着いた初老の紳士へたどりつくまでの、「エンマ」という名の甘い痛みの記憶。
初老のウィリアム@ヒロさんの目線で再び物語を味わうことこそが、この物語の真髄。
正直、もう少し整理してくれればさらによくなったのになあ、と惜しい気持ちは変わっていない。
初日に受けた印象、冗長な1幕と、端折りすぎた2幕、つーのは最後まで同じだったから。
それでも、「キャラクタが魅力的である」というだけで、乗り切れてしまう。
過去はせつなく、甘美なものだから。
「失われたもの」を見つめる視線は、傷さえも愛しいものに変えてしまうから。
つまりは、キャラものなんだと思うよ。
あて書き勝ちというか。
出演者を好きなら、少なくとも嫌いでないのなら、充分酔える作品。
出演者のことを、さらに好きになれる。
これって、「キャラもの」としてのいちばん正しい姿じゃないだろうか。
しいファンのはしくれとして初日に駆けつけ、そしてちょっとしょぼんだった。
大野せんせの新作っつーんで、期待しすぎたんだと思う。ストーリーなさ過ぎ、主人公なにもしなさ過ぎと、肩すかしを食らった。
冗長な1幕と、端折りすぎた2幕。なにがやりたかったのか意味不明な悪役、唐突に出てきては去っていく脇キャラたち、主張はするけど有益なことはなにもしない主人公、思わせぶりだけどべつに深いところまで考えられていなさそーなあれこれ。
えーとコレ、ただのキャラもの?
萌え〜なキャラクタが出てきて、そのキャラらしい萌え〜な会話をしたりする、ただそれをたのしむだけのもの?
キャラを好きになってくれ、その他のことは全部気にするな。……そーゆー作り?
もちろん、そーゆー世界観はアリだと思う。実際さいとーくんやこだまっちなんか、ソレだけの作家だ。
アニメやコミックやライトノベル、シリーズもののコメディドラマだとか、「キャラの人気」だけで成り立っているモノは多くある。
タカラヅカもまた、キャストを魅力的に見せてなんぼ、「**ちゃんで**な役が見たいわ(はぁと)」を満たしてくれればそれでOK、ストーリーも辻褄もなにもいらない! つーのは、アリだと思っているよ。
ただ、大野せんせだから。
TCAで1シーン演じればそれでOKな、ただのキャラものなんか描かないはずだという思いこみがあってな。
それで、しょぼんとしたのよ。
大野作品としては、レベル低い……。
誤解しないでくれ。
大野作品としては低レベル、なのであって、タカラヅカ的に水準は超えてるから!
誤解しないでくれ。
大野作品としてただのキャラものっつーのはわたし的に「どうなのよソレ」と思うだけで、キャラものとしても高水準だから!
大野作品だから、もっと上をのぞんでしまうのよ。
消費者は貪欲なの。
実際、キャラクタは、すげーイイ。
魅力的。誰も彼もが。
「この役者で、この役が見たかった……っ!!」という願望を、全部まるっとかなえてくれている。
すげえ。
構成的にとほほと思いながらも、ウィリアム@しいちゃんに腕を取られて一緒に駆け出したい、と思った。
ヒロイン・エンマ@ウメとシンクロして。
共に逃げるこの瞬間こそが世界のすべて、人生のすべて。
そう思えて、幸福な切なさで涙が出た。
しかし、繰り返すがわたしは「ただのキャラ萌え」を大野作品に求めていなかったので、いまいちノりきれずに初日を過ごした。
ただのキャラ萌えなら、翌日初日を迎えた『コパカバーナ』の方が萌えた。せつなさもパワーで押し切る『コパ』の方に感じた。
コメディだと思って観たのに大泣きに泣けたので、『コパ』の点数は高くついてしまったのだな(笑)。
『フェット…』が、大野作品だからと構えて観て期待していたほどではなかったので、点数が低くついてしまったのと対照的に。
その『コパ』初日に、2日連続観劇したkineさんが太鼓判を押す。「『フェット…』がよくなっていた」と。
初日はたしかに、微妙な脚本を誇張するかのように出演者たちも微妙だったが、今日は脚本の微妙さをカバーできるくらい出演者たちがよくなっていたと。
舞台はナマモノだ。
そーゆーことは多分にある。
実際、脚本が微妙だっつってもだ、植爺だの谷だの酒井だのとちがい、大野せんせの脚本は「出演者次第でいくらでもカバーできる」程度のアレさだ。植爺の某作品などは、元が腐りきっているから誰がどうあがいてもキ○ガイ作品でしかないが、『フェット…』なら、上演回数を重ね、出演者の熱が上がれば充分佳作になりうる。
てゆーか、最初からそう思っていたし。こんなにノりが悪いのは、初日だからだろうな、と。
だもんでわたしは、初日のみの感想をUPするのは控えておいた。
2回目を観てから書こう。そう思った。
ちといろいろばたばたしていて、結局2回目に観ることができたのは、千秋楽の前、ドリーズ総見のときだった。
集まってきた仲間たちと並んで観劇。
続けて千秋楽も観たのだけど、この楽の前公演の方がよかった。
出演者が脚本を埋めている、熱と演出の絶妙のバランス。こなれていて、だけど慣れきってもいなくて。
そして、『フェット…』は初老の男が青春時代を回想するカタチではじまる作品だから、2回目以上の観劇ではじめて「作品と同じ目線」になれるのね。
なにもかも知ったうえで、キャラも出来事も結末も、なにもかもわかったうえで、「過ぎ去りし日の想い出」をたどる。そこではじめて、物語は正しく回転をはじめる。
「過ぎ去りし日」はもうそこにないからこそ、せつなさを帯びる。
誠実に生きたことがわかる落ち着いた初老の男が、若さゆえに勇み足な女性をエスコートして踊る。彼は、ダンスの名手らしい。
恋人の身を案じて浮き足立つ女性に、彼は寛くあたたかな強さで言う。「誰も見捨てたりはしない」と。
時は戻り、その初老の男の青年時代の話になる。
ダンスがへたっぴーで、女性に特訓を受けたりしている。それが主人公のウィリアム@しい、見るからに不器用そうな好青年なのに、スパイになるんだってさ。
ウィリアムのダンス教師がエンマ@ウメ、ふたりの相性は最悪。
ウィリアムに必要なのは、ダンスの腕だけじゃない。女を手玉に取る能力だ。女には男、男には女。人を操るには色事師としてのスキルを求めるのがいちばん早い……らしいよ、英国情報部。
表立って戦争してるだけじゃ足りないこの時代、政治の要職につく男たちを影で操るのは女、どの国も色仕掛けで歴史を動かそうと高級娼婦を装った女スパイたちを投入。騙し合いの化かし合い。
ウィリアムの仕事はその、英国の「国家機密」とも言える女スパイ・エンマの補佐。
エンマは女の武器でフランス皇帝の弟に取り入るのだが……ウィリアムは彼女のそんな生き方を黙って見ていられない。女スパイの仮面からときおりのぞく素顔が、その強さが、とても痛々しいからだ。
彼女のためになにかできないのだろうか……つまずく現実ゆえに、ウィリアムは成長していく。
青く愚かで勇み足ばかりの彼が、冒頭の落ち着いた初老の紳士へたどりつくまでの、「エンマ」という名の甘い痛みの記憶。
初老のウィリアム@ヒロさんの目線で再び物語を味わうことこそが、この物語の真髄。
正直、もう少し整理してくれればさらによくなったのになあ、と惜しい気持ちは変わっていない。
初日に受けた印象、冗長な1幕と、端折りすぎた2幕、つーのは最後まで同じだったから。
それでも、「キャラクタが魅力的である」というだけで、乗り切れてしまう。
過去はせつなく、甘美なものだから。
「失われたもの」を見つめる視線は、傷さえも愛しいものに変えてしまうから。
つまりは、キャラものなんだと思うよ。
あて書き勝ちというか。
出演者を好きなら、少なくとも嫌いでないのなら、充分酔える作品。
出演者のことを、さらに好きになれる。
これって、「キャラもの」としてのいちばん正しい姿じゃないだろうか。
あのひとの周りだけ、ぼんやり発光していたから。
2006年6月8日 タカラヅカ ちょっくらここで、オサ様話題。
わたしが機嫌良く月組『暁のローマ』を観に行っているときに、オサ様と花組ご一行様がぞろぞろ客席に現れたことがありました。
へんだなあ、わたしの目はみわっちはいつも見分けられるんだけど、まっつがいたかどうか、わからないんだよなあ。地味だからかなあ。
風の噂では、その日まつださんは来ていなかったとか。
まあともかく、花組総見(会の総見とは意味ちがい・笑)の日。
幸か不幸か、わたしはオサ様と同じ列に坐っていた。
オサ様、ゆみこちゃん、彩音ちゃんは1列目どセンター、わたしはいつもの1列目の端っこ。
同じ列、つってもすげー遠い(笑)。
でも、同じ列、って、すごいよ。
大劇場の座席列はゆるやかに湾曲しているから。
わたしの席から、障害物ナシで寿美礼サマの横顔が見えるの。
せっかくの最前列観劇だっつーにわたし、財布を忘れて遅刻したので(サザエさんか!)芝居のときは花組一行が来ていることを知らなかったの。
わたしが劇場にたどり着いたときは、ゆーひさんがカクカク脚あげながら扇動ソング歌ってたからなあ。
オサ様が1列目センターに坐っている、ことを知って観劇したのは、ショーのみ。
そしてショーってさ、明るいことが多いんだよね。舞台だけでなく、客席前方も。
わたしはあちこちで、寿美礼ちゃんを見ていた。
ごめん、舞台もそりゃ見たかったし、実際せっかくの最前列だ、きゃーきゃー見てはいたんだけど。めおちゃんにウインクされてびびったりとか、いろいろしていたんだけど(笑)。
それと同時に、客席にいる寿美礼ちゃんの横顔を見ていた。
近かったら、見ることなんか出来なかったと思うよ。ブロックまるまるひとつ離れていたから、安心して見られたんだ。
寿美礼ちゃんは、たのしそうだった。
なんだかとても澄んだ表情で、わらっていた。
それがなんだか、きゅんとせつなかった。……あああ、痛いファンだあたしも。
そして、寿美礼ちゃんが、あさこちゃんを好きだということも、よーっくわかった。
その、澄んだやさしい表情でオサ様が見つめているのは、あさちゃんなのよ。
舞台にいるあさこの動きに合わせて、顔が動くからわかるの。
真ん中にいたあさこが上手に移動すれば、オサ様の顔も右へ向くの。
かなみちゃんだって花組にいたのにねえ。あさこかなみが真ん中にいて、ふたりが上手と下手に分かれて移動するときとか、オサちゃんは迷わずあさこを目で追っている(笑)。
そうか、あさこが好きか。
あさこを見に来たのか。
それはなんだか、ほっこりあたたかくなるような、不思議とせつなくなるような、複雑な感覚が胸に広がりますよ。
あさちゃんも、下手花道(わたしの目と鼻の先)でゆらさんに襲われるとき、「まさちゃん助けて〜〜!!」と叫んで、愛をアピールしていたし。
大好きだったなあ、オサアサ。ロマンだったよ、まったく。
劇団は萌えなユニットを平気で解散させるからなあ。
ひさしぶりにナマの寿美礼ちゃんを見て、なにがどうじゃないけどせつなかった。
美形だとは思えないけど、見るたびに「好きだ」と思う。
次々とトップさんが退団発表をしていくなか、いつか寿美礼ちゃんの順番も来るのだろう。
時間は流れ時代は変わる。それは仕方のないことだ。
わかっているけれど、恐怖する。いや、わかっているからこそ、か。
春野寿美礼がいなくなってしまったら、わたしはどうすればいいんだろう、みたいな。
後悔のないよう、今を、見つめ続けるしかないんだよな。
わたしが機嫌良く月組『暁のローマ』を観に行っているときに、オサ様と花組ご一行様がぞろぞろ客席に現れたことがありました。
へんだなあ、わたしの目はみわっちはいつも見分けられるんだけど、まっつがいたかどうか、わからないんだよなあ。地味だからかなあ。
風の噂では、その日まつださんは来ていなかったとか。
まあともかく、花組総見(会の総見とは意味ちがい・笑)の日。
幸か不幸か、わたしはオサ様と同じ列に坐っていた。
オサ様、ゆみこちゃん、彩音ちゃんは1列目どセンター、わたしはいつもの1列目の端っこ。
同じ列、つってもすげー遠い(笑)。
でも、同じ列、って、すごいよ。
大劇場の座席列はゆるやかに湾曲しているから。
わたしの席から、障害物ナシで寿美礼サマの横顔が見えるの。
せっかくの最前列観劇だっつーにわたし、財布を忘れて遅刻したので(サザエさんか!)芝居のときは花組一行が来ていることを知らなかったの。
わたしが劇場にたどり着いたときは、ゆーひさんがカクカク脚あげながら扇動ソング歌ってたからなあ。
オサ様が1列目センターに坐っている、ことを知って観劇したのは、ショーのみ。
そしてショーってさ、明るいことが多いんだよね。舞台だけでなく、客席前方も。
わたしはあちこちで、寿美礼ちゃんを見ていた。
ごめん、舞台もそりゃ見たかったし、実際せっかくの最前列だ、きゃーきゃー見てはいたんだけど。めおちゃんにウインクされてびびったりとか、いろいろしていたんだけど(笑)。
それと同時に、客席にいる寿美礼ちゃんの横顔を見ていた。
近かったら、見ることなんか出来なかったと思うよ。ブロックまるまるひとつ離れていたから、安心して見られたんだ。
寿美礼ちゃんは、たのしそうだった。
なんだかとても澄んだ表情で、わらっていた。
それがなんだか、きゅんとせつなかった。……あああ、痛いファンだあたしも。
そして、寿美礼ちゃんが、あさこちゃんを好きだということも、よーっくわかった。
その、澄んだやさしい表情でオサ様が見つめているのは、あさちゃんなのよ。
舞台にいるあさこの動きに合わせて、顔が動くからわかるの。
真ん中にいたあさこが上手に移動すれば、オサ様の顔も右へ向くの。
かなみちゃんだって花組にいたのにねえ。あさこかなみが真ん中にいて、ふたりが上手と下手に分かれて移動するときとか、オサちゃんは迷わずあさこを目で追っている(笑)。
そうか、あさこが好きか。
あさこを見に来たのか。
それはなんだか、ほっこりあたたかくなるような、不思議とせつなくなるような、複雑な感覚が胸に広がりますよ。
あさちゃんも、下手花道(わたしの目と鼻の先)でゆらさんに襲われるとき、「まさちゃん助けて〜〜!!」と叫んで、愛をアピールしていたし。
大好きだったなあ、オサアサ。ロマンだったよ、まったく。
劇団は萌えなユニットを平気で解散させるからなあ。
ひさしぶりにナマの寿美礼ちゃんを見て、なにがどうじゃないけどせつなかった。
美形だとは思えないけど、見るたびに「好きだ」と思う。
次々とトップさんが退団発表をしていくなか、いつか寿美礼ちゃんの順番も来るのだろう。
時間は流れ時代は変わる。それは仕方のないことだ。
わかっているけれど、恐怖する。いや、わかっているからこそ、か。
春野寿美礼がいなくなってしまったら、わたしはどうすればいいんだろう、みたいな。
後悔のないよう、今を、見つめ続けるしかないんだよな。
博多の夏。@コパカバーナ
2006年6月7日 タカラヅカ「さようなら、博多。もう何年かは来ないわ」
と、去年の夏思った。
『マラケシュ』にハマりまくり、何往復したんだっけか? あの夏は異常だったよな、3週間で博多3往復と東京1往復したんだっけか?
『マラケシュ』は仕方ない。
オギーで寿美礼ちゃんだもん。オギーファンで寿美礼ちゃんファンのわたしのタガがはずれるのも無理からぬこと。
リュドヴィークに会いたくて、寿美礼サマに恋してはるばる本州を越え九州の地に通ったわけだ。
そこまでするのは、オギー+ダーリンという、夢の共演あってのこと。
わたしが今まで博多まで遠征したのは、
2001年 雪組 凱旋門/パッサージュ
2004年 星組 花舞う長安/ドルチェ・ヴィータ!
2005年 花組 マラケシュ/エンレビ
と、見事に荻田浩一作品のみ。でもってわたし、トドファンでケロファンでオサファンだから(笑)。
オギーはキャストにあて書きするから、配役が変わったらタイトル同じでも別物必至だもん、ファンならどこのハコでも行くしかない。
『マラケシュ』で数年分は博多に通った。2006年は宙組か、宙にダーリンはいないから博多くんだりまで行くことはないだろう、オギー演出でもない限り。
そう思っていたのに。
オギーぢゃないのに。
もう博多には当分行きたくないのに。博多という街がどうこうではなく、たんに、遠いから。高くつくから。
まさかの人事異動。
かしちゃんをはじめ、宙組新世代人事が発表になった日に、決めました。
かしちゃんトップお披露目を観に、博多へ行く。
や、いちお、息の長いかっしーファンですから。細々とした雪組ファンでもありますから。
かしるいタニらんとむほっくんともちって、どーゆー組になるんだ宙組?!
そんなごった煮めいたどこの組だかわかんないよーな愉快な顔ぶれで行う最初の公演、見逃す手はない。や、ほくしょー氏は博多座出ないけど。
なんにせよ、初物好きですからわたし。初日ダイスキですからわたし。
ああ、3年連続夏は博多か……遠い目。金ないのになー。
と、思いつつも星組『コパカバーナ』初日観劇。
作品もキャラも気に入った。大いにウケた。
それと同時に。
宙組コレ、どーすんだよっ?!(笑)
そのことに、わくわくした。
同じ作品を、宙組で続演。
かっしー、るいるい、タニ、らんとむで。博多座で。
かっしーとるいちゃんはいい。
問題ない。
かしちゃんトニー、ハマるだろーな、いい人オーラ全開で、ちょっとヘタレててさぞやかわいいだろう。
るいるいローラも、あの舌っ足らずなアニメ声でのーみそゆるい系の気の強い女の子を演じたら、身悶えものでキュートだろう。
問題は。
リコ@タニちゃん。
トウコのノリノリ中年ヒゲエロオヤジにときめきながら、同じハートで危惧していた。
タニちゃんこの役、どーすんのっ?!
トウコはトウコだから、おやぢでいい。
スケベもエロエロもおやぢも、トウコの持ち味だから!(注・トウコちゃんは美貌の男役スターです)
トウコはおやぢでいいけど、タニちゃんはやめとけ。な? 同じ役作りだけは、しないでくれよ? トウコのアレは、トウコ個人の持ち味だから! タニちゃんはタニちゃんの持ち味で勝負していいんだから!!
なまじ、リコの部下コンビゆーほとともみんは、どっかで見たチェックのスーツを着ている。
ええ。タニちゃんがオールバックにちょびヒゲつけておやぢ役をやっていた『ガイズ&ドールズ』で、両側にはべっていたゆーひたちの着ていたスーツですよ。
何故よりによって『ガイドル』の衣装?!
これでタニちゃんがトウコと同じ役作りできたら、ネイサンまんまやがな。
タニちゃんにはぜひ、ポスターまんまのキャラで演じて欲しい。
ロックシンガーのよーな派手なイケメン。
若く美しい青年。
でも、台詞や性格は星版と同じ。つまり、冷酷で傲慢。
タニちゃんがあの美貌で、若くして権力を得たマフィアの御曹司として傍若無人の限りを尽くしたら……萌える。
コンチータ@あすかは、自分よりはるかに年下のリコ@タニにマジ惚れ。彼に愛され、彼の庇護の元でスターとして生きることを望んでいる。
多少トシは食っていても、美貌のスターであることはかわらないのに……そのコンチータにリコは言う。「おばさん」と。
若く傲慢な男は、その若さゆえの残酷さで、ひとりの女の心をズタズタに引き裂く。
……って。ももも萌えー。
タニちゃんぜひ! 王子様なまま鬼畜キャラやっちゃってください!!
まちがっても、トウコと同じ役作りはしないで。
ところで、らんとむの役はなんですか?
他に役、ないぢゃないですか。
主演バウを華々しく終え、組替え一発目に「役がない」なんて、今までの例を見てもありえない。
組替えご褒美で誰だってなにかしらオイシイ役をもらっている。
だもんで想像。てゆーか、希望。
グラディス@らんとむプリーズ!!
年増役だけど、男役がやる分には年齢関係ないし! しかも、とむみたくゴツい男がやるなら迫力になってステキっつーもん。
らんとむの森高コスプレ……ハァハァ。
あのものすげー衣装を着て微笑むらんとむ。
ドスをきかせて「アタシはコパガールよっっ!」と啖呵を切るらんとむ。
あああ、見たい〜〜。
そしてkineさんとも言っていたんだけど、サムはきっとすっしーだろうから、最後の3組カップルのデュエットダンスでは、かしげ×るい、タニ×あすかときてもうひと組、すっしー×らんとむになるってことなのよー。
きゃ〜〜っ、そんなの見たい見たい見たい〜〜。
らんとむがグラディスなら、みらんがやっていたオカマの振り付け師@ともちだろーし!!
あのサイズでオカマ! ステキ!!
見たいわ〜〜、オカマのともちー!!
と、夢が膨らみますのよ……。
や、どーなるかなんてわかんないけど。
今年の夏も、博多だー。
ら、来年こそは、関西だけで満足したいなー……。遠い目。
と、去年の夏思った。
『マラケシュ』にハマりまくり、何往復したんだっけか? あの夏は異常だったよな、3週間で博多3往復と東京1往復したんだっけか?
『マラケシュ』は仕方ない。
オギーで寿美礼ちゃんだもん。オギーファンで寿美礼ちゃんファンのわたしのタガがはずれるのも無理からぬこと。
リュドヴィークに会いたくて、寿美礼サマに恋してはるばる本州を越え九州の地に通ったわけだ。
そこまでするのは、オギー+ダーリンという、夢の共演あってのこと。
わたしが今まで博多まで遠征したのは、
2001年 雪組 凱旋門/パッサージュ
2004年 星組 花舞う長安/ドルチェ・ヴィータ!
2005年 花組 マラケシュ/エンレビ
と、見事に荻田浩一作品のみ。でもってわたし、トドファンでケロファンでオサファンだから(笑)。
オギーはキャストにあて書きするから、配役が変わったらタイトル同じでも別物必至だもん、ファンならどこのハコでも行くしかない。
『マラケシュ』で数年分は博多に通った。2006年は宙組か、宙にダーリンはいないから博多くんだりまで行くことはないだろう、オギー演出でもない限り。
そう思っていたのに。
オギーぢゃないのに。
もう博多には当分行きたくないのに。博多という街がどうこうではなく、たんに、遠いから。高くつくから。
まさかの人事異動。
かしちゃんをはじめ、宙組新世代人事が発表になった日に、決めました。
かしちゃんトップお披露目を観に、博多へ行く。
や、いちお、息の長いかっしーファンですから。細々とした雪組ファンでもありますから。
かしるいタニらんとむほっくんともちって、どーゆー組になるんだ宙組?!
そんなごった煮めいたどこの組だかわかんないよーな愉快な顔ぶれで行う最初の公演、見逃す手はない。や、ほくしょー氏は博多座出ないけど。
なんにせよ、初物好きですからわたし。初日ダイスキですからわたし。
ああ、3年連続夏は博多か……遠い目。金ないのになー。
と、思いつつも星組『コパカバーナ』初日観劇。
作品もキャラも気に入った。大いにウケた。
それと同時に。
宙組コレ、どーすんだよっ?!(笑)
そのことに、わくわくした。
同じ作品を、宙組で続演。
かっしー、るいるい、タニ、らんとむで。博多座で。
かっしーとるいちゃんはいい。
問題ない。
かしちゃんトニー、ハマるだろーな、いい人オーラ全開で、ちょっとヘタレててさぞやかわいいだろう。
るいるいローラも、あの舌っ足らずなアニメ声でのーみそゆるい系の気の強い女の子を演じたら、身悶えものでキュートだろう。
問題は。
リコ@タニちゃん。
トウコのノリノリ中年ヒゲエロオヤジにときめきながら、同じハートで危惧していた。
タニちゃんこの役、どーすんのっ?!
トウコはトウコだから、おやぢでいい。
スケベもエロエロもおやぢも、トウコの持ち味だから!(注・トウコちゃんは美貌の男役スターです)
トウコはおやぢでいいけど、タニちゃんはやめとけ。な? 同じ役作りだけは、しないでくれよ? トウコのアレは、トウコ個人の持ち味だから! タニちゃんはタニちゃんの持ち味で勝負していいんだから!!
なまじ、リコの部下コンビゆーほとともみんは、どっかで見たチェックのスーツを着ている。
ええ。タニちゃんがオールバックにちょびヒゲつけておやぢ役をやっていた『ガイズ&ドールズ』で、両側にはべっていたゆーひたちの着ていたスーツですよ。
何故よりによって『ガイドル』の衣装?!
これでタニちゃんがトウコと同じ役作りできたら、ネイサンまんまやがな。
タニちゃんにはぜひ、ポスターまんまのキャラで演じて欲しい。
ロックシンガーのよーな派手なイケメン。
若く美しい青年。
でも、台詞や性格は星版と同じ。つまり、冷酷で傲慢。
タニちゃんがあの美貌で、若くして権力を得たマフィアの御曹司として傍若無人の限りを尽くしたら……萌える。
コンチータ@あすかは、自分よりはるかに年下のリコ@タニにマジ惚れ。彼に愛され、彼の庇護の元でスターとして生きることを望んでいる。
多少トシは食っていても、美貌のスターであることはかわらないのに……そのコンチータにリコは言う。「おばさん」と。
若く傲慢な男は、その若さゆえの残酷さで、ひとりの女の心をズタズタに引き裂く。
……って。ももも萌えー。
タニちゃんぜひ! 王子様なまま鬼畜キャラやっちゃってください!!
まちがっても、トウコと同じ役作りはしないで。
ところで、らんとむの役はなんですか?
他に役、ないぢゃないですか。
主演バウを華々しく終え、組替え一発目に「役がない」なんて、今までの例を見てもありえない。
組替えご褒美で誰だってなにかしらオイシイ役をもらっている。
だもんで想像。てゆーか、希望。
グラディス@らんとむプリーズ!!
年増役だけど、男役がやる分には年齢関係ないし! しかも、とむみたくゴツい男がやるなら迫力になってステキっつーもん。
らんとむの森高コスプレ……ハァハァ。
あのものすげー衣装を着て微笑むらんとむ。
ドスをきかせて「アタシはコパガールよっっ!」と啖呵を切るらんとむ。
あああ、見たい〜〜。
そしてkineさんとも言っていたんだけど、サムはきっとすっしーだろうから、最後の3組カップルのデュエットダンスでは、かしげ×るい、タニ×あすかときてもうひと組、すっしー×らんとむになるってことなのよー。
きゃ〜〜っ、そんなの見たい見たい見たい〜〜。
らんとむがグラディスなら、みらんがやっていたオカマの振り付け師@ともちだろーし!!
あのサイズでオカマ! ステキ!!
見たいわ〜〜、オカマのともちー!!
と、夢が膨らみますのよ……。
や、どーなるかなんてわかんないけど。
今年の夏も、博多だー。
ら、来年こそは、関西だけで満足したいなー……。遠い目。
あのヒトの脚線美に(笑)。@コパカバーナ
2006年6月6日 タカラヅカ さあて、一発自慢をしよう。
わたし、3列目どセンターで観劇したの。
ありがとうキティちゃん、誘ってくれて。『コパカバーナ』は超良席でしか観劇していないわ。それも他力本願、友だちのおかげで。
いやいや、自慢つーのはだ、良席観劇のことぢゃないよ。席自慢なんか不毛だ。いつもあたしゃ、梅芸は3階席ばっかだし(チケ運皆無)。
そーぢゃなくて。
星組組長、英真なおき氏の「ぱんつ」を見ました。
自慢だろ?
コレって、自慢していいことだよなあっ?!
我らが英真くみちょが、今回は女役。しかも、3番手ヒロインつー感じの役どころだ。
森高コスプレかバレリーナのチュチュか、てな地面と平行に広がった超ミニスカワンピを来た煙草売りの娘グラディス役。
くみちょの女役、というだけでもかなりアレなのに、超ミニスカート。しかもふつーの女の子が着てもかなりアレなアイドル系コスプレ衣装。
くみちょ、太股まで剥き出し状態。
いやその、足はきれいなんだけどね。細くてね。でも、見たいかと言われると、かなり微妙つーかね……ゲフンゲフン。
前方席ダイスキ、前方席に坐ったときは娘役のぱんつチェックするのダイスキな、このわたし。
檀ちゃんとかトウコちゃんとか、必死にぱんつチェックしてきました、今まで。
娘役のひろがるスカートの中をのぞくのが……ゲフンゲフン、スカートの中が偶然見えてしまうのが、前方席観劇の醍醐味。
そして。
ああ、そして。
見えてしまったのです、グラディス@くみちょのぱんつが!!
あのミニスカでくるくる踊る彼女の、健康的な白いぱんつが。
「……微妙」
「微妙ですね」
わたしが「英真くみちょのぱんつ見たっ」と報告しても、友人たちはうらやましがってくれない。
なによーっ、檀ちゃんだとかトウコちゃんのときはうらやましがったくせにー。
英真くみちょのぱんつ。
レアだろ?
自慢だろ?
自慢していいことだよなあっ?!
さて。
わたしはこのグラディスつー、パワフルなおばさんキャラが好きです。
てゆーかこの作品には好きなキャラしかいないんだけど(笑)。
グラディスの歌う「アタシはコパガールよっっ!」の歌が好き。(正式曲名なんぞ知らん)
女と生まれたからには、一度は見る夢だろう。
美貌と色気で頂点立つ、つーのは。
男たちをひれ伏させ、女たちに憎まれる。
金持ちも王子様も、アタシの前にひざまずきなさい。だってアタシはコパガールよ!
「男はみんな王になりたい」ぢゃないけど(笑)、小気味いい野望と自尊心の歌だよなー。
ありえないとわかっているからこそのファンタジーというか。
わたしなんかにゃ、ほんとに「異世界」でしかないが、だからこそ余計に、ソレを胸張って歌ってしまえるキャラクタの「強さ」に感動する。
素直に、「かっこいい」と思える。
てゆーか、泣きポイントだったりする、グラディスの歌。
夢につまずいてしょぼくれている若い女の子に、年長の、大昔の女の子(笑)が語る壮大なファンタジー。
誇りを持って生きろ、女の子たち。
ところで、みらんの役は、デフォルトでオカマなんですか?
群舞のときのギラギラ感と、役をやっているときのカマっぽさのギャップがステキ。
ほんとにみらん、いい役者だなあ。
ゆかりくんは相変わらず美しいし、どんどん男役になってきているし、コトコトとモモサリはキュートだし。
ゆーほとともみんはいいコンビだし、一輝慎くんと舞夕くんはやっぱどこにいてもきらきらわたしの目の中に飛び込んでくるし、何故なんだ天緒圭花くんがどんどんわたし好みになってきてびびってるし、かつきとエレナは何故にそうかわいこぶってても濃いんだとか、ゆっちもほんとに負けてないなーだとか、どこ見ていいかわかんないっ状態とゆーか、目がいくつあっても足りない状態とゆーか。
いやあ、こまったこまった。
幸福な困惑。
舞夕くんには何度も目線もらいました、ごちそーさま。かわいこちゃんはいいねえ、ほんと。
あともうひとり、目に入ってこまったというか、再会してしまったのが、大輝真琴くん。
……自分的にとても慣れない名前なんで、慣れるためにも書いてみる。
91期で1、2を争うファニーフェイスの**さん(本名)ぢゃん。星組配属だったのか。
おおき・まこと、愛称はまこと、まいける、だそーだ、『おとめ』によると。まいける、って、本名からか……?
だから、文化祭は本名でなく芸名でプログラム販売してくれよ……入団と同時に誰が誰だかわかんなくなるよ。
本名でしかおぼえてなかったので、芸名見てもぴんとこない。
大輝くんみたく、顔に特徴あればノーマークでも舞台で見分けつくけどさあ。
なんにせよ、ローラのオーディションのときピアノを弾きに登場したとき、それだけで「あれ? あの子って**さんだよね?」と思い出せるくらい個性的な顔立ち、つーのは強みですな。
いったん目に入っちゃうと、きっとこれからずーっと、見つけてしまうだろうと思う……。
初日にスタンディングオベーションがあったのは、星組のお約束だと思っているが。
なんでもないふつーの日も、スタンディング上等!だった。
というのも、ワタさんが舞台の上から「さあ、みなさんもご一緒に」とスタンディングを誘導するからだ。
ああ、星組クオリティ。
参加しなきゃ星組ファンぢゃない(笑)。
決まった振付があるわけぢゃないが、とりあえず立ち上がって、揺れながら手拍子をする。
オケのみなさんに拍手拍手。
とってもハッピーな気持ちで終演を迎えることの出来る作品。
千秋楽、行きたいなあ。
なんで月組とかぶってるのかなあ。
ゆらさん退団ぢゃなかったら、星『コパ』楽を取るんだが、ゆらさんの袴姿と同期トドの共演は捨てられないんだよ。や、いちおーわたし、トドファンだし!
星組のアツさが好き。
星組が演じるラテンもの、つーだけで、『コパカバーナ』はステキだよね。
わたし、3列目どセンターで観劇したの。
ありがとうキティちゃん、誘ってくれて。『コパカバーナ』は超良席でしか観劇していないわ。それも他力本願、友だちのおかげで。
いやいや、自慢つーのはだ、良席観劇のことぢゃないよ。席自慢なんか不毛だ。いつもあたしゃ、梅芸は3階席ばっかだし(チケ運皆無)。
そーぢゃなくて。
星組組長、英真なおき氏の「ぱんつ」を見ました。
自慢だろ?
コレって、自慢していいことだよなあっ?!
我らが英真くみちょが、今回は女役。しかも、3番手ヒロインつー感じの役どころだ。
森高コスプレかバレリーナのチュチュか、てな地面と平行に広がった超ミニスカワンピを来た煙草売りの娘グラディス役。
くみちょの女役、というだけでもかなりアレなのに、超ミニスカート。しかもふつーの女の子が着てもかなりアレなアイドル系コスプレ衣装。
くみちょ、太股まで剥き出し状態。
いやその、足はきれいなんだけどね。細くてね。でも、見たいかと言われると、かなり微妙つーかね……ゲフンゲフン。
前方席ダイスキ、前方席に坐ったときは娘役のぱんつチェックするのダイスキな、このわたし。
檀ちゃんとかトウコちゃんとか、必死にぱんつチェックしてきました、今まで。
娘役のひろがるスカートの中をのぞくのが……ゲフンゲフン、スカートの中が偶然見えてしまうのが、前方席観劇の醍醐味。
そして。
ああ、そして。
見えてしまったのです、グラディス@くみちょのぱんつが!!
あのミニスカでくるくる踊る彼女の、健康的な白いぱんつが。
「……微妙」
「微妙ですね」
わたしが「英真くみちょのぱんつ見たっ」と報告しても、友人たちはうらやましがってくれない。
なによーっ、檀ちゃんだとかトウコちゃんのときはうらやましがったくせにー。
英真くみちょのぱんつ。
レアだろ?
自慢だろ?
自慢していいことだよなあっ?!
さて。
わたしはこのグラディスつー、パワフルなおばさんキャラが好きです。
てゆーかこの作品には好きなキャラしかいないんだけど(笑)。
グラディスの歌う「アタシはコパガールよっっ!」の歌が好き。(正式曲名なんぞ知らん)
女と生まれたからには、一度は見る夢だろう。
美貌と色気で頂点立つ、つーのは。
男たちをひれ伏させ、女たちに憎まれる。
金持ちも王子様も、アタシの前にひざまずきなさい。だってアタシはコパガールよ!
「男はみんな王になりたい」ぢゃないけど(笑)、小気味いい野望と自尊心の歌だよなー。
ありえないとわかっているからこそのファンタジーというか。
わたしなんかにゃ、ほんとに「異世界」でしかないが、だからこそ余計に、ソレを胸張って歌ってしまえるキャラクタの「強さ」に感動する。
素直に、「かっこいい」と思える。
てゆーか、泣きポイントだったりする、グラディスの歌。
夢につまずいてしょぼくれている若い女の子に、年長の、大昔の女の子(笑)が語る壮大なファンタジー。
誇りを持って生きろ、女の子たち。
ところで、みらんの役は、デフォルトでオカマなんですか?
群舞のときのギラギラ感と、役をやっているときのカマっぽさのギャップがステキ。
ほんとにみらん、いい役者だなあ。
ゆかりくんは相変わらず美しいし、どんどん男役になってきているし、コトコトとモモサリはキュートだし。
ゆーほとともみんはいいコンビだし、一輝慎くんと舞夕くんはやっぱどこにいてもきらきらわたしの目の中に飛び込んでくるし、何故なんだ天緒圭花くんがどんどんわたし好みになってきてびびってるし、かつきとエレナは何故にそうかわいこぶってても濃いんだとか、ゆっちもほんとに負けてないなーだとか、どこ見ていいかわかんないっ状態とゆーか、目がいくつあっても足りない状態とゆーか。
いやあ、こまったこまった。
幸福な困惑。
舞夕くんには何度も目線もらいました、ごちそーさま。かわいこちゃんはいいねえ、ほんと。
あともうひとり、目に入ってこまったというか、再会してしまったのが、大輝真琴くん。
……自分的にとても慣れない名前なんで、慣れるためにも書いてみる。
91期で1、2を争うファニーフェイスの**さん(本名)ぢゃん。星組配属だったのか。
おおき・まこと、愛称はまこと、まいける、だそーだ、『おとめ』によると。まいける、って、本名からか……?
だから、文化祭は本名でなく芸名でプログラム販売してくれよ……入団と同時に誰が誰だかわかんなくなるよ。
本名でしかおぼえてなかったので、芸名見てもぴんとこない。
大輝くんみたく、顔に特徴あればノーマークでも舞台で見分けつくけどさあ。
なんにせよ、ローラのオーディションのときピアノを弾きに登場したとき、それだけで「あれ? あの子って**さんだよね?」と思い出せるくらい個性的な顔立ち、つーのは強みですな。
いったん目に入っちゃうと、きっとこれからずーっと、見つけてしまうだろうと思う……。
初日にスタンディングオベーションがあったのは、星組のお約束だと思っているが。
なんでもないふつーの日も、スタンディング上等!だった。
というのも、ワタさんが舞台の上から「さあ、みなさんもご一緒に」とスタンディングを誘導するからだ。
ああ、星組クオリティ。
参加しなきゃ星組ファンぢゃない(笑)。
決まった振付があるわけぢゃないが、とりあえず立ち上がって、揺れながら手拍子をする。
オケのみなさんに拍手拍手。
とってもハッピーな気持ちで終演を迎えることの出来る作品。
千秋楽、行きたいなあ。
なんで月組とかぶってるのかなあ。
ゆらさん退団ぢゃなかったら、星『コパ』楽を取るんだが、ゆらさんの袴姿と同期トドの共演は捨てられないんだよ。や、いちおーわたし、トドファンだし!
星組のアツさが好き。
星組が演じるラテンもの、つーだけで、『コパカバーナ』はステキだよね。
しあわせの黄色い羽根。@コパカバーナ
2006年6月5日 タカラヅカ 『となりのトトロ』っちゅー映画があるよな。
説明不要の超有名映画。
わたしにとって『となりのトトロ』ってのは、禁断の号泣作品なのだわ。
最初っから最後まで、なにかコワレたみたいに、泣き通すことになる。最後は泣きすぎて気分が悪くなること請け合い、実にやばい禁断の一作。
最初に映画館で見たときから、ずっと。繰り返しテレビで放映されてるけど、それをうっかり見てしまってもやはり泣ける。同時上映だった某戦争映画では泣けないけど(泣かせ目的の「可哀想」表現で泣いても、わたし的には泣いたとカウントしない)、『トトロ』はダメだ、わたしのフェイバリットな映画のひとつ。
『トトロ』のなにがそんなに泣けるのか。
そこに、幸福があるからだ。
幸福な家族が、幸福そうに笑っている。
なにげない日常に愛があり、小さな感動に満ちている。
あいすべきひとたちが、しあわせそうにしている。
ただそれだけで、泣けて泣けて仕方ない。
せつなくてたまらない。
陽気でハッピーなコメディ・ミュージカル『コパカバーナ』。
ごめん、わたしコレ、コメディだと認識してない。
だって笑えないもの。
アメリカンジョークの応酬で成り立った作品らしいが、その会話の無駄さ野暮ったさおもしろくなさわけわからなさは、笑えるはずがない。
笑えるのはキャラクタのみ、役者のハマり具合のみよ。
じゃあどーしてこんなにこの作品を好きなのか。
泣けるから好き。
初日から、だーだー泣いた。
2回目観に行って、さらに笑うシーンはなくなり、さらに泣くシーンが増え、クライマックス以降はカーテンコールが終わるまで泣き通した。
どうして泣けるのか?
そこに、幸福があるからだ。
トニー@ワタルとローラ@となみが、愛し合っている。
愛し合うふたりが、愛を歌う。
愛だけを歌う。
幸福なハッピーエンド。
障害を乗り越えたふたりが、互いをかえがたい大切なものとして慈しみ歌う。
愛と幸福に、トロトロにとろけた姿。
そのことに、泣ける。
あいすべきひとたちが、しあわせそうにしている。
ただそれだけで、泣けて泣けて仕方ない。
せつなくてたまらない。
わたし的に、『となりのトトロ』で号泣するのと同じハートだ。
リコ@トウコとコンチータ@あすかもそうだし、サム@マヤさんとグラディス@くみちょもそうだ。
愛し合い、しあわせそうにしている人たち。
特別でもなんでもなく、たぶん、それがふつーの姿である人たち。
彼らの幸福さに、わたしもまた幸福になる。
せつなくて、いとしくて。
でもって。
となみちゃんのかわいらしさに、クラクラになる件。
ヒロイン、ローラ@となみのかわいいことといったら!
おつむ弱めのかわいこちゃんを演じるとヅカ1ですか、となみちゃん。いやその、ローラがアタマゆるい系のヒロインかは意見の分かれるところだと思いますが、となみがやるといい感じにゆるい。
一生懸命で、でもズレてて、気が強くて。
わたし、個人的にくやし泣きする女の子って好きなの。
悲しんで泣くとか弱くて泣くとか、そーゆー泣き方は女の子ならあたりまえだよね。
でも、くやし泣きっつーのはさー、向上心がなきゃできないことだから。自尊心があり、それにふさわしい扱いを得るべきだと思っているってこと。現実と理想のギャップに憤ることができるってこと。
あきらめることで楽をしない。卑下することで保身をしない。かっこわるくてもくやし泣きをする女の子が好き。
……女の子がくやし泣きするところって、大抵お笑いシーンにされちゃうけどね。「くやしい〜〜、キィ〜〜ッ!!」って。
ローラももちろん、笑われていたけどね。
それでも、ひとことも言い返せずに「傷付いたわたし」をアピールして泣きながら逃げていく女の子より、ずっといいよ。
そんなふーに、人前でくやし泣きしちゃえる女の子ローラ。なりふり構わず一生懸命。そりゃかわいいだろ。トニー@ワタルも一目惚れするだろ。
わたしはもちろん一目惚れだ。大好きだローラ。
笑えないアメリカンジョークだらけで構成されたこの芝居で、もっとも笑えるのがローラのオーディション風景。
おかしな黄色い羽根を脳天につけて、ピアノの上でポーズを取る、それだけでもー爆笑。しかもやたらドスのきいた声で歌い出して。
思い切りハズしている姿が、かわいいのなんの。
そんなイケてない女の子が、トニーのプロデュースでみるみる「いい女」に変身するのが気持ちいい。
ダサいはずの歌がノリよくアレンジされ、ミニドレス姿でセクシーに踊り出したときの、あの高揚感!!
椅子ですよ、椅子!!
脚線美を晒し、椅子を大きくまたいで坐ったときの、あの美しさ。気品と色気。
スリットからのぞく太股!!
きゃ〜〜っ!!
太股っ! 太股っ! 太股っ!
太股スキーとしては、たまりません、あそこ。
サムがローラの太股に釘付けになっているのが、よーっくわかる。うんうん、わたしと同じだよサム!!
おバカキャラはもういいから、セクシーダイナマイトな悪女とかやってくんないかなぁ、となみちゃん……あの太股を使ってさ……ハァハァ。
1幕後半以降、ローラがなにかにつけて「トニー」と口にするのもまた、いいよなあ。
なんでもない会話に、目が覚めたときに、とにかくいつも、愛する人の名を口にする。
ほんとに好きなんだね。彼が人生の一部になっているんだね。
ドラマティックなシリアス恋愛ではないけれど、そんなささやかなところに思いの深さが見えて好きだ。
あああ、ローラかわいい。
サマンサもかわいい。眼鏡萌え。
ワタルくんは相変わらずの包容力。
このひとだからこそ、こんなにダダ泣きできるくらいのカップルを見せてくれるんだろうなあ。
『コパ』のショーシーンなんか、ありえねーくらいかっこいいし。
歌ですか?
わたし、ワタさんの歌とは相性よくないようで、彼の歌はいつも「ヘタ」だと思ってますが。
ヘタだと思うということと、好き嫌いはまったく別で。
ワタさんが歌ってくれてぜんぜんOKよ。歌詞が聴き取れなくても、気にならない。
ワタさんが真ん中で、ワタさんらしく歌ってくれる、それでいい。それで幸福。
オサコンと同じ曲をここで聴けたのもうれしい。『コパ』のプログラム買ってないから、曲名わかんないけども。何度も何度も使われていて、そのたびになつかしくなり……(笑)。
トニーとローラがお似合いで、しあわせそうで、バカップル(笑)で、それだけでうれしい。
説明不要の超有名映画。
わたしにとって『となりのトトロ』ってのは、禁断の号泣作品なのだわ。
最初っから最後まで、なにかコワレたみたいに、泣き通すことになる。最後は泣きすぎて気分が悪くなること請け合い、実にやばい禁断の一作。
最初に映画館で見たときから、ずっと。繰り返しテレビで放映されてるけど、それをうっかり見てしまってもやはり泣ける。同時上映だった某戦争映画では泣けないけど(泣かせ目的の「可哀想」表現で泣いても、わたし的には泣いたとカウントしない)、『トトロ』はダメだ、わたしのフェイバリットな映画のひとつ。
『トトロ』のなにがそんなに泣けるのか。
そこに、幸福があるからだ。
幸福な家族が、幸福そうに笑っている。
なにげない日常に愛があり、小さな感動に満ちている。
あいすべきひとたちが、しあわせそうにしている。
ただそれだけで、泣けて泣けて仕方ない。
せつなくてたまらない。
陽気でハッピーなコメディ・ミュージカル『コパカバーナ』。
ごめん、わたしコレ、コメディだと認識してない。
だって笑えないもの。
アメリカンジョークの応酬で成り立った作品らしいが、その会話の無駄さ野暮ったさおもしろくなさわけわからなさは、笑えるはずがない。
笑えるのはキャラクタのみ、役者のハマり具合のみよ。
じゃあどーしてこんなにこの作品を好きなのか。
泣けるから好き。
初日から、だーだー泣いた。
2回目観に行って、さらに笑うシーンはなくなり、さらに泣くシーンが増え、クライマックス以降はカーテンコールが終わるまで泣き通した。
どうして泣けるのか?
そこに、幸福があるからだ。
トニー@ワタルとローラ@となみが、愛し合っている。
愛し合うふたりが、愛を歌う。
愛だけを歌う。
幸福なハッピーエンド。
障害を乗り越えたふたりが、互いをかえがたい大切なものとして慈しみ歌う。
愛と幸福に、トロトロにとろけた姿。
そのことに、泣ける。
あいすべきひとたちが、しあわせそうにしている。
ただそれだけで、泣けて泣けて仕方ない。
せつなくてたまらない。
わたし的に、『となりのトトロ』で号泣するのと同じハートだ。
リコ@トウコとコンチータ@あすかもそうだし、サム@マヤさんとグラディス@くみちょもそうだ。
愛し合い、しあわせそうにしている人たち。
特別でもなんでもなく、たぶん、それがふつーの姿である人たち。
彼らの幸福さに、わたしもまた幸福になる。
せつなくて、いとしくて。
でもって。
となみちゃんのかわいらしさに、クラクラになる件。
ヒロイン、ローラ@となみのかわいいことといったら!
おつむ弱めのかわいこちゃんを演じるとヅカ1ですか、となみちゃん。いやその、ローラがアタマゆるい系のヒロインかは意見の分かれるところだと思いますが、となみがやるといい感じにゆるい。
一生懸命で、でもズレてて、気が強くて。
わたし、個人的にくやし泣きする女の子って好きなの。
悲しんで泣くとか弱くて泣くとか、そーゆー泣き方は女の子ならあたりまえだよね。
でも、くやし泣きっつーのはさー、向上心がなきゃできないことだから。自尊心があり、それにふさわしい扱いを得るべきだと思っているってこと。現実と理想のギャップに憤ることができるってこと。
あきらめることで楽をしない。卑下することで保身をしない。かっこわるくてもくやし泣きをする女の子が好き。
……女の子がくやし泣きするところって、大抵お笑いシーンにされちゃうけどね。「くやしい〜〜、キィ〜〜ッ!!」って。
ローラももちろん、笑われていたけどね。
それでも、ひとことも言い返せずに「傷付いたわたし」をアピールして泣きながら逃げていく女の子より、ずっといいよ。
そんなふーに、人前でくやし泣きしちゃえる女の子ローラ。なりふり構わず一生懸命。そりゃかわいいだろ。トニー@ワタルも一目惚れするだろ。
わたしはもちろん一目惚れだ。大好きだローラ。
笑えないアメリカンジョークだらけで構成されたこの芝居で、もっとも笑えるのがローラのオーディション風景。
おかしな黄色い羽根を脳天につけて、ピアノの上でポーズを取る、それだけでもー爆笑。しかもやたらドスのきいた声で歌い出して。
思い切りハズしている姿が、かわいいのなんの。
そんなイケてない女の子が、トニーのプロデュースでみるみる「いい女」に変身するのが気持ちいい。
ダサいはずの歌がノリよくアレンジされ、ミニドレス姿でセクシーに踊り出したときの、あの高揚感!!
椅子ですよ、椅子!!
脚線美を晒し、椅子を大きくまたいで坐ったときの、あの美しさ。気品と色気。
スリットからのぞく太股!!
きゃ〜〜っ!!
太股っ! 太股っ! 太股っ!
太股スキーとしては、たまりません、あそこ。
サムがローラの太股に釘付けになっているのが、よーっくわかる。うんうん、わたしと同じだよサム!!
おバカキャラはもういいから、セクシーダイナマイトな悪女とかやってくんないかなぁ、となみちゃん……あの太股を使ってさ……ハァハァ。
1幕後半以降、ローラがなにかにつけて「トニー」と口にするのもまた、いいよなあ。
なんでもない会話に、目が覚めたときに、とにかくいつも、愛する人の名を口にする。
ほんとに好きなんだね。彼が人生の一部になっているんだね。
ドラマティックなシリアス恋愛ではないけれど、そんなささやかなところに思いの深さが見えて好きだ。
あああ、ローラかわいい。
サマンサもかわいい。眼鏡萌え。
ワタルくんは相変わらずの包容力。
このひとだからこそ、こんなにダダ泣きできるくらいのカップルを見せてくれるんだろうなあ。
『コパ』のショーシーンなんか、ありえねーくらいかっこいいし。
歌ですか?
わたし、ワタさんの歌とは相性よくないようで、彼の歌はいつも「ヘタ」だと思ってますが。
ヘタだと思うということと、好き嫌いはまったく別で。
ワタさんが歌ってくれてぜんぜんOKよ。歌詞が聴き取れなくても、気にならない。
ワタさんが真ん中で、ワタさんらしく歌ってくれる、それでいい。それで幸福。
オサコンと同じ曲をここで聴けたのもうれしい。『コパ』のプログラム買ってないから、曲名わかんないけども。何度も何度も使われていて、そのたびになつかしくなり……(笑)。
トニーとローラがお似合いで、しあわせそうで、バカップル(笑)で、それだけでうれしい。
エロは世界を救う。……た、たぶん。@コパカバーナ
2006年6月4日 タカラヅカ 『コパカバーナ』はとびきりたのしかった。
翻訳に難アリでも、キャラものとしてたのしめる。
この公演でいちばん愉快だったのは、トウコのエロオヤジっぷりだ。
えーと、トウコちゃん。
あなた前回の星組公演では、オスカル様だったんですよね? あのいじらしくも魅力的な女の子、だったわけですよね?
1幕のトウコの出番はオープニングの「スティーヴン@妄想中」のラテンシーン以来ほとんどなく、後半になってからよーやく登場するんだけど。
登場シーンから、アゴが落ちた。
ヒゲ?!
初日ですから。誰も、トウコがこんな役作りで来るとは思ってません。ざわつく客席。
そのざわめきは、トウコ的にツボったんでしょう。なんか彼、すっげー機嫌いいんですけどっ?(笑)
たのしそうでした、トウコちゃん。
日記書くのずーっと放置していたんで、すでに別の日にも『コパ』観に行ったんだけど、初日の方がトウコちゃんノリノリだった。すっげーたのしそうだった(笑)。
安禄山再びっ。
「へっへっへっ」と二枚目タカラヅカスターにあるまじき笑いをあげていた、あのすけべ中年男と同じですよ。
安禄山よりダンディに決めてますが、スケベ度は同じ、ノリノリなのも同じ。安禄山は楊貴妃を襲う1シーンしか活き活きおやぢしてなかったけど、リコは全編活き活きしまくってますから!
トウコちゃん……あなたって人は……。
あまりにたのしそーなスケベオヤジっぷりに涙。大好きだ。
やりすぎ。やりすぎだから!!
でもって「やりすぎ」といえば。
わたしはもともとあすかちゃん大好きなんだが、トウコ×あすかとくると、すごいね。
なんなのあの濃さ。
『コパカバーナ』はコメディで罪なく嘘臭く(笑)大げさに話が進む。コメディにはコメディのルールがあり、ストーリー展開もオチもそれを逸脱してはならない。
リコもコンチータも、正しくコメディキャラとして作られている。トウコのオヤジっぷりは嘘臭いほどの大袈裟さに満ち、コンチータもまたみょーにべたべたした喋り方をする。カテゴライズされたキャラたち。
なのに。
ああ、なのに。
クライマックス、トウコ×あすかのふたりがぶっちぎりでシリアス芝居をはじめる!!
キミらソレ、変だから! 浮いてるから!
そこで悲劇的に盛り上がっちゃイカンから! お笑いキャラなのに!!
あーもー、大好きだ。
他の全部ぶっとばして主役になってしまうリコとコンチータ。
アツい、クドい、ネバい(笑)。
ああ、いいなあ。
トウコとあすかってほんと、芝居合うわー。このふたりでとことんアツくてクドくてネバネバした、ドシリアス悲劇恋愛モノとか観たい。
リコとコンチータがあまりに悲劇ぶっちぎりだから、最後のオチの部分が活きる。
スティーヴン@わたるの生きる世界と、彼の創造に過ぎなかった『コパカバーナ』の世界が重なる瞬間。
車椅子に乗ったリコが、かわいすぎるっ!!
なんなの、あの得意そうな顔! どこのいたずら坊主よ?
そしてそれを受け止め慈しむ、幸福そうなコンチータの余裕ある笑顔。
『コパ』のリコとコンチータの最期が悲劇的だっただけに、あたりまえにしあわせそうにしている現代のリコとコンチータの姿が、泣けて仕方がない。
ちくしょー、このオチを知っていて、わざと泣かせの演技してやがるんだなっ、きたないぞっ。……と、理不尽なことを言いたくなるよーな鮮やかな転身。
ストーリーの芯になる部分が好みで、キャラがハマッていて好みだったりすると、他のことに多少難があってもぜんぜん関係ないんだな、という見本のような作品だ。月組の『暁のローマ』と同じハートか(笑)。
リコとコンチータが好きで好きでしょーがない。泣けて泣けてしょーがない。
現代パートでは「笑わせる」ための演技をしているし、トウコちゃんなんかアドリブ満載で遊びまくっているのに。
そんな姿に泣ける。笑いながら、だーだー泣いている。
だから、とびきりハッピーな気分になれる。
「いいもん観たっ」とご機嫌になれる。
大好き。
だから、大好きな人たちがしあわせそうに笑うこの作品が好き。
翻訳に難アリでも、キャラものとしてたのしめる。
この公演でいちばん愉快だったのは、トウコのエロオヤジっぷりだ。
えーと、トウコちゃん。
あなた前回の星組公演では、オスカル様だったんですよね? あのいじらしくも魅力的な女の子、だったわけですよね?
1幕のトウコの出番はオープニングの「スティーヴン@妄想中」のラテンシーン以来ほとんどなく、後半になってからよーやく登場するんだけど。
登場シーンから、アゴが落ちた。
ヒゲ?!
初日ですから。誰も、トウコがこんな役作りで来るとは思ってません。ざわつく客席。
そのざわめきは、トウコ的にツボったんでしょう。なんか彼、すっげー機嫌いいんですけどっ?(笑)
たのしそうでした、トウコちゃん。
日記書くのずーっと放置していたんで、すでに別の日にも『コパ』観に行ったんだけど、初日の方がトウコちゃんノリノリだった。すっげーたのしそうだった(笑)。
安禄山再びっ。
「へっへっへっ」と二枚目タカラヅカスターにあるまじき笑いをあげていた、あのすけべ中年男と同じですよ。
安禄山よりダンディに決めてますが、スケベ度は同じ、ノリノリなのも同じ。安禄山は楊貴妃を襲う1シーンしか活き活きおやぢしてなかったけど、リコは全編活き活きしまくってますから!
トウコちゃん……あなたって人は……。
あまりにたのしそーなスケベオヤジっぷりに涙。大好きだ。
やりすぎ。やりすぎだから!!
でもって「やりすぎ」といえば。
わたしはもともとあすかちゃん大好きなんだが、トウコ×あすかとくると、すごいね。
なんなのあの濃さ。
『コパカバーナ』はコメディで罪なく嘘臭く(笑)大げさに話が進む。コメディにはコメディのルールがあり、ストーリー展開もオチもそれを逸脱してはならない。
リコもコンチータも、正しくコメディキャラとして作られている。トウコのオヤジっぷりは嘘臭いほどの大袈裟さに満ち、コンチータもまたみょーにべたべたした喋り方をする。カテゴライズされたキャラたち。
なのに。
ああ、なのに。
クライマックス、トウコ×あすかのふたりがぶっちぎりでシリアス芝居をはじめる!!
キミらソレ、変だから! 浮いてるから!
そこで悲劇的に盛り上がっちゃイカンから! お笑いキャラなのに!!
あーもー、大好きだ。
他の全部ぶっとばして主役になってしまうリコとコンチータ。
アツい、クドい、ネバい(笑)。
ああ、いいなあ。
トウコとあすかってほんと、芝居合うわー。このふたりでとことんアツくてクドくてネバネバした、ドシリアス悲劇恋愛モノとか観たい。
リコとコンチータがあまりに悲劇ぶっちぎりだから、最後のオチの部分が活きる。
スティーヴン@わたるの生きる世界と、彼の創造に過ぎなかった『コパカバーナ』の世界が重なる瞬間。
車椅子に乗ったリコが、かわいすぎるっ!!
なんなの、あの得意そうな顔! どこのいたずら坊主よ?
そしてそれを受け止め慈しむ、幸福そうなコンチータの余裕ある笑顔。
『コパ』のリコとコンチータの最期が悲劇的だっただけに、あたりまえにしあわせそうにしている現代のリコとコンチータの姿が、泣けて仕方がない。
ちくしょー、このオチを知っていて、わざと泣かせの演技してやがるんだなっ、きたないぞっ。……と、理不尽なことを言いたくなるよーな鮮やかな転身。
ストーリーの芯になる部分が好みで、キャラがハマッていて好みだったりすると、他のことに多少難があってもぜんぜん関係ないんだな、という見本のような作品だ。月組の『暁のローマ』と同じハートか(笑)。
リコとコンチータが好きで好きでしょーがない。泣けて泣けてしょーがない。
現代パートでは「笑わせる」ための演技をしているし、トウコちゃんなんかアドリブ満載で遊びまくっているのに。
そんな姿に泣ける。笑いながら、だーだー泣いている。
だから、とびきりハッピーな気分になれる。
「いいもん観たっ」とご機嫌になれる。
大好き。
だから、大好きな人たちがしあわせそうに笑うこの作品が好き。
世紀の恋人たち。@コパカバーナ
2006年6月3日 タカラヅカ 『リンダキューブ』というゲームがある。
古いゲームだな。
8年後に滅びる惑星を舞台としたRPG。物語は3つ、それぞれ同じ舞台とキャラクタのパラレル・ストーリー。
3つのシナリオ、出てくるのはいつも同じ顔ぶれ。主人公はケン、恋人はリンダ。
物語のはじまりも同じだし、終わりも同じ。
惑星が8年後に滅びることがわかり、ケンとリンダが「箱船」の乗務員になるところからはじまり、8年後惑星が滅び、ケンとリンダとつがいの動物たちを乗せた「箱船」が別の惑星に向かって旅立つところで終わる。
同じ人々が、同じ舞台と同じ設定で、別の物語を紡ぐ。はじまりも結末も、キャラクタも同じ、3つの物語。
3つのうち、シナリオAとシナリオBは、物語がめちゃくちゃ過酷でね。
かなしさを含んだ恐怖が広がる。いつだって、いちばんおそろしいのは人間で、いちばんかなしいのも人間だ。
人間の持つ醜さを目の当たりにし、己の無力に膝を折り。
ボロボロになりながら、それでも握りしめた恋人の手だけを真実とし、未来へ旅立つ。
そーゆー物語をふたつ越えて。
最後の、シナリオCに辿り着く。
舞台も、登場人物も同じ。主人公はケン、恋人はリンダ。
だけど。
シナリオAで、シナリオBで、かなしく破滅していった人たちが、ここではにこやかに笑って生きている。
パラレル・ストーリーだから。
舞台も設定も登場人物も、物語のはじまりも終わりも同じ。
だけど、物語だけがチガウ。
あのとき救えなかった人たちが、救いたかった人たちが、この物語では、幸福に生きている!
とりたててドラマティックでも感動的でもない、平凡であったりまえの、滑稽ですらあるほのぼのとした日常。
その、どーでもいいような「ふつうさ」に、泣けてくる。
ふつうにしあわせにしている。世界を揺るがすような事件に関わったり、永遠の若さを手に入れたりしていないけれど、かわりに、ふつーにつつましく、しあわせにしている。
そのことに、救われた。
映画だとかアニメのような起承転結のある物語中心だったシナリオA・Bとちがい、Cには物語らしい物語もない。ケンとリンダはなんの障害もなく結ばれ、ラヴラヴ新婚カップルとして仕事に励む。ドラマティックな「物語」をたのしむのではなく、ただ純粋に「ゲーム」をたのしむ。それが、最後のシナリオだった。
完璧な仕掛け。
3つのパラレル・ストーリーが紡ぎ出す「物語」。
ソレを、思い出した。
前置きが長くてすまんね、星組梅田芸術劇場公演『コパカバーナ』初日に行ってきました。チケット譲ってくれてありがとうドリーさん、感動の1階5列目観劇。
予備知識なんか、まったくナシ。知っているのは「コパカバーナ」という有名曲と、いかにもラテンなポスター写真だけ。舞台がどこなのかも知りやしねえ。宙組版のポスターがスーツものだったので「『ノバ・ボサ・ノバ』みたいな舞台ではないらしい」と想像するくらいのもんだ。
舞台は現代ですか?
ソングライターのスティーヴン@ワタルが作曲中。やたらと色っぽい妻の声にも生返事、夢中でお仕事。
……仕事なんだか趣味なんだか、だんだん彼の妄想はヒートアップ、「理想の女の子ローラ」と「ハンサムで才能あふれるソングライターの卵トニー」の物語作りに夢中になる。
トニーはもちろん、自分自身。……イタタタタ。
時は終戦直後、場所はニューヨーク。
ナイトクラブ「コパカバーナ」でトニー@ワタルとスターを夢見るローラ@となみは出会う。才能はあるのにチャンスに恵まれなかったふたりが運命の出会いをすることによって大成功、夢への階段がほらそこで手招きしている!状態に。
ところがそこに、ギャングのリコ@トウコがやってきた。ローラを見初めた彼は酒と薬で彼女を拉致、景気よくハバナの自分の屋敷のベッドに直行。
…………ベッドですよ。早いですね。露骨ですね。
トニーはリコからローラを取り返すために、命懸けで彼のナイトクラブ「トロピカーナ」へ乗り込む。そこではリコの長年の愛人で往年のスター(本人は現役バリバリ希望)コンチータ@あすかが、リコの執着がローラに移ったために立場を危うくしていた。
コンチータの協力で、トニーは「トロピカーナ」のショーに紛れてローラ救出大作戦を決行するが……。
トニー、ローラ、リコ、コンチータ。
みんな「あて書き?!」ってくらい、ハマっている。
なんと活き活きと個性的なキャラクタを演じていることか。
物語は、ソングライターのスティーヴンの物語と、彼の創る『コパカバーナ』という物語がつかず離れず、リンクして進む。
この作品でいちばん文句があるのはなんといっても翻訳のひどさだ。
昭和初期に翻訳されたものをそのまま使ってる? 日本語としてすでに変。文法ちがうだろそりゃ。
テイストも変だし、センスもひどい。
現代語訳してくれ。
言葉は生き物であり、時代と共に変化するモノだ。
ただでさえアメリカ人と日本人は笑いのセンスがまったくチガウ。「アメリカ人なら爆笑しているんだろうな」と想像しながらつまらない言葉のやりとりをえんえんえんえん聞かされるのはつらい。
映画『プロデューサーズ』の客席みたいだ……。わたしが行ったとき、アメリカンジョークの応酬で進むこの映画、観客ドン引きで静まりかえっていたよ……その空気の冷たさの相乗効果としてまた映画の寒さに引き……の循環コースまっしぐら。
「笑い」というのは、文化・風土・時代によってまったくチガウもんなんだよなあ。「泣き」が共通しているのとは対照的に。だからこそ、とても難しい。だからこそ、もっともセンスが問われる。センスのない演出家にやらせちゃイカンよ……。
現代の作品としてきちんと演出されていたなら、もっとたのしい作品だったろう。
「翻訳物」という縛りがあって、オリジナルを言葉ひとつ変えてはいけない、というなら、タカラヅカで上演する意味ないよ?
タカラヅカは海外ミュージカルをただ右から左へ輸入するカンパニーじゃない。「タカラヅカらしいモノ」を見せるところだ。輸入物が観たいだけなら、他のカンパニーへ行くって。
『コパカバーナ』を「タカラヅカ」として、現代の感覚と言葉で演出できたら、どんなに素晴らしい作品になっていたかと思うと、それがくやしい。
だってコレ、時空を越えたラヴロマンスだよね?(笑)
うまく作れば、『ドルチェ・ヴィータ!』的構成のラヴストーリーになったんだ。
男と少女が時空を越えて何度も巡り会い、そして別れる物語『ドルチェ・ヴィータ!』。
男と少女が、彼らを取り巻く男たち女たちが、時空を越えて何度も巡り会い、そして結ばれる物語『コパカバーナ』。
細かいことは置いておいて、「タカラヅカ」的にとことん盛り上げれば、ものすげーラヴロマンス。もちろん、笑いも観劇後の幸福感も忘れずに。
「理想の美女ローラ」を創り上げて歌うスティーヴンと、その想像の中の美女でしかないはずのローラが、せつなく恋のデュエットをする。
ローラは愛するトニーと引き離され、ひとりで愛する男を想って歌う。
引き離されているのは、場所なのか、距離だけの問題なのか。
彼女に応えて歌うのは、現代にいるスティーヴンなのか、あるいは同じ世界にいるトニーなのか。
スティーヴンが語る「彼の想像した物語」でしかなかったはずの『コパカバーナ』が彼の生きる「現代」、わたしたちが生きる「現実」とリンクする。
トニーはローラを愛し、トニーであるスティーヴンはサマンサを愛し、リコもコンチータもサムもグラディスも愛を繰り返して生きている。
愛が廻り、愛がつながっていく。
永遠に回り続けるメビウスの輪。
別の時代、別の世界、別の名前で出会っていても、たとえ不幸に終わっていても。
何度でも出会い、愛し続ける。
普遍的で、ヘヴィで、せつないテーマを、陽気な笑いと派手な画面でしっちゃかめっちゃかにかき回しながら進めて盛り上げて、ハッピーに終わる。
タカラヅカだよね? コレって、コレこそが、タカラヅカだよね?
『リンダキューブ』を思い出した。
せつなくてやるせない、だけど幸福な愛の物語を思い出した。
ひとはだれでも、「箱船」に乗る人類最後の恋人同士。
世界が終わるとき、あなたの手を握る。あなたこそが、わたしの希望。
どんな平凡な、ふつーの人であっても。ギャングだとかスターだとか、華々しい人生じゃなくっても。みんな、みんな、きっと。
わたしが愛したあなたが、あなたが愛したわたしが、きっと「世紀の恋人」。
いつかどこかの時代では、最高にスペクタルな恋を演じていたかもよ?
いつかどこかの世界では、最高に悲劇的な最期を遂げていたかもよ?
だからこの平和でつまらない現代で、平凡にしあわせになろうね。
古いゲームだな。
8年後に滅びる惑星を舞台としたRPG。物語は3つ、それぞれ同じ舞台とキャラクタのパラレル・ストーリー。
3つのシナリオ、出てくるのはいつも同じ顔ぶれ。主人公はケン、恋人はリンダ。
物語のはじまりも同じだし、終わりも同じ。
惑星が8年後に滅びることがわかり、ケンとリンダが「箱船」の乗務員になるところからはじまり、8年後惑星が滅び、ケンとリンダとつがいの動物たちを乗せた「箱船」が別の惑星に向かって旅立つところで終わる。
同じ人々が、同じ舞台と同じ設定で、別の物語を紡ぐ。はじまりも結末も、キャラクタも同じ、3つの物語。
3つのうち、シナリオAとシナリオBは、物語がめちゃくちゃ過酷でね。
かなしさを含んだ恐怖が広がる。いつだって、いちばんおそろしいのは人間で、いちばんかなしいのも人間だ。
人間の持つ醜さを目の当たりにし、己の無力に膝を折り。
ボロボロになりながら、それでも握りしめた恋人の手だけを真実とし、未来へ旅立つ。
そーゆー物語をふたつ越えて。
最後の、シナリオCに辿り着く。
舞台も、登場人物も同じ。主人公はケン、恋人はリンダ。
だけど。
シナリオAで、シナリオBで、かなしく破滅していった人たちが、ここではにこやかに笑って生きている。
パラレル・ストーリーだから。
舞台も設定も登場人物も、物語のはじまりも終わりも同じ。
だけど、物語だけがチガウ。
あのとき救えなかった人たちが、救いたかった人たちが、この物語では、幸福に生きている!
とりたててドラマティックでも感動的でもない、平凡であったりまえの、滑稽ですらあるほのぼのとした日常。
その、どーでもいいような「ふつうさ」に、泣けてくる。
ふつうにしあわせにしている。世界を揺るがすような事件に関わったり、永遠の若さを手に入れたりしていないけれど、かわりに、ふつーにつつましく、しあわせにしている。
そのことに、救われた。
映画だとかアニメのような起承転結のある物語中心だったシナリオA・Bとちがい、Cには物語らしい物語もない。ケンとリンダはなんの障害もなく結ばれ、ラヴラヴ新婚カップルとして仕事に励む。ドラマティックな「物語」をたのしむのではなく、ただ純粋に「ゲーム」をたのしむ。それが、最後のシナリオだった。
完璧な仕掛け。
3つのパラレル・ストーリーが紡ぎ出す「物語」。
ソレを、思い出した。
前置きが長くてすまんね、星組梅田芸術劇場公演『コパカバーナ』初日に行ってきました。チケット譲ってくれてありがとうドリーさん、感動の1階5列目観劇。
予備知識なんか、まったくナシ。知っているのは「コパカバーナ」という有名曲と、いかにもラテンなポスター写真だけ。舞台がどこなのかも知りやしねえ。宙組版のポスターがスーツものだったので「『ノバ・ボサ・ノバ』みたいな舞台ではないらしい」と想像するくらいのもんだ。
舞台は現代ですか?
ソングライターのスティーヴン@ワタルが作曲中。やたらと色っぽい妻の声にも生返事、夢中でお仕事。
……仕事なんだか趣味なんだか、だんだん彼の妄想はヒートアップ、「理想の女の子ローラ」と「ハンサムで才能あふれるソングライターの卵トニー」の物語作りに夢中になる。
トニーはもちろん、自分自身。……イタタタタ。
時は終戦直後、場所はニューヨーク。
ナイトクラブ「コパカバーナ」でトニー@ワタルとスターを夢見るローラ@となみは出会う。才能はあるのにチャンスに恵まれなかったふたりが運命の出会いをすることによって大成功、夢への階段がほらそこで手招きしている!状態に。
ところがそこに、ギャングのリコ@トウコがやってきた。ローラを見初めた彼は酒と薬で彼女を拉致、景気よくハバナの自分の屋敷のベッドに直行。
…………ベッドですよ。早いですね。露骨ですね。
トニーはリコからローラを取り返すために、命懸けで彼のナイトクラブ「トロピカーナ」へ乗り込む。そこではリコの長年の愛人で往年のスター(本人は現役バリバリ希望)コンチータ@あすかが、リコの執着がローラに移ったために立場を危うくしていた。
コンチータの協力で、トニーは「トロピカーナ」のショーに紛れてローラ救出大作戦を決行するが……。
トニー、ローラ、リコ、コンチータ。
みんな「あて書き?!」ってくらい、ハマっている。
なんと活き活きと個性的なキャラクタを演じていることか。
物語は、ソングライターのスティーヴンの物語と、彼の創る『コパカバーナ』という物語がつかず離れず、リンクして進む。
この作品でいちばん文句があるのはなんといっても翻訳のひどさだ。
昭和初期に翻訳されたものをそのまま使ってる? 日本語としてすでに変。文法ちがうだろそりゃ。
テイストも変だし、センスもひどい。
現代語訳してくれ。
言葉は生き物であり、時代と共に変化するモノだ。
ただでさえアメリカ人と日本人は笑いのセンスがまったくチガウ。「アメリカ人なら爆笑しているんだろうな」と想像しながらつまらない言葉のやりとりをえんえんえんえん聞かされるのはつらい。
映画『プロデューサーズ』の客席みたいだ……。わたしが行ったとき、アメリカンジョークの応酬で進むこの映画、観客ドン引きで静まりかえっていたよ……その空気の冷たさの相乗効果としてまた映画の寒さに引き……の循環コースまっしぐら。
「笑い」というのは、文化・風土・時代によってまったくチガウもんなんだよなあ。「泣き」が共通しているのとは対照的に。だからこそ、とても難しい。だからこそ、もっともセンスが問われる。センスのない演出家にやらせちゃイカンよ……。
現代の作品としてきちんと演出されていたなら、もっとたのしい作品だったろう。
「翻訳物」という縛りがあって、オリジナルを言葉ひとつ変えてはいけない、というなら、タカラヅカで上演する意味ないよ?
タカラヅカは海外ミュージカルをただ右から左へ輸入するカンパニーじゃない。「タカラヅカらしいモノ」を見せるところだ。輸入物が観たいだけなら、他のカンパニーへ行くって。
『コパカバーナ』を「タカラヅカ」として、現代の感覚と言葉で演出できたら、どんなに素晴らしい作品になっていたかと思うと、それがくやしい。
だってコレ、時空を越えたラヴロマンスだよね?(笑)
うまく作れば、『ドルチェ・ヴィータ!』的構成のラヴストーリーになったんだ。
男と少女が時空を越えて何度も巡り会い、そして別れる物語『ドルチェ・ヴィータ!』。
男と少女が、彼らを取り巻く男たち女たちが、時空を越えて何度も巡り会い、そして結ばれる物語『コパカバーナ』。
細かいことは置いておいて、「タカラヅカ」的にとことん盛り上げれば、ものすげーラヴロマンス。もちろん、笑いも観劇後の幸福感も忘れずに。
「理想の美女ローラ」を創り上げて歌うスティーヴンと、その想像の中の美女でしかないはずのローラが、せつなく恋のデュエットをする。
ローラは愛するトニーと引き離され、ひとりで愛する男を想って歌う。
引き離されているのは、場所なのか、距離だけの問題なのか。
彼女に応えて歌うのは、現代にいるスティーヴンなのか、あるいは同じ世界にいるトニーなのか。
スティーヴンが語る「彼の想像した物語」でしかなかったはずの『コパカバーナ』が彼の生きる「現代」、わたしたちが生きる「現実」とリンクする。
トニーはローラを愛し、トニーであるスティーヴンはサマンサを愛し、リコもコンチータもサムもグラディスも愛を繰り返して生きている。
愛が廻り、愛がつながっていく。
永遠に回り続けるメビウスの輪。
別の時代、別の世界、別の名前で出会っていても、たとえ不幸に終わっていても。
何度でも出会い、愛し続ける。
普遍的で、ヘヴィで、せつないテーマを、陽気な笑いと派手な画面でしっちゃかめっちゃかにかき回しながら進めて盛り上げて、ハッピーに終わる。
タカラヅカだよね? コレって、コレこそが、タカラヅカだよね?
『リンダキューブ』を思い出した。
せつなくてやるせない、だけど幸福な愛の物語を思い出した。
ひとはだれでも、「箱船」に乗る人類最後の恋人同士。
世界が終わるとき、あなたの手を握る。あなたこそが、わたしの希望。
どんな平凡な、ふつーの人であっても。ギャングだとかスターだとか、華々しい人生じゃなくっても。みんな、みんな、きっと。
わたしが愛したあなたが、あなたが愛したわたしが、きっと「世紀の恋人」。
いつかどこかの時代では、最高にスペクタルな恋を演じていたかもよ?
いつかどこかの世界では、最高に悲劇的な最期を遂げていたかもよ?
だからこの平和でつまらない現代で、平凡にしあわせになろうね。
わたしは、いつから不幸だったのだろう。@フェット・アンペリアル
2006年6月2日 タカラヅカ わたしは幸福な人間である。
大抵機嫌がいいし、腐りながらも愚痴りながらものんきに生きている。
わたしは不幸ではないし、助けなんか求めていないし、なにかに飢えているわけでもないが。
しいちゃんなら、わたしを救ってくれるのではないかと思った。
星組バウホール公演『フェット・アンペリアル』を観て。
ごめん、ウィリアム@しいが、ぢゃなく、モロに「しいちゃん」が。
主人公ウィリアムは、しいちゃんでなくてはならない。しいちゃんあってこそのウィリアムという男。
立樹遥という光。
わたしは自分を不幸だとは思っていない。いないはずだが。
だが、人間だから。きっとすべてのひとがあたりまえに持っている閉塞感だとか絶望感だとかは、ふつーに持ち合わせているから。
それらから、救ってくれる、強引に手を取って走り出してくれる人だと思った。
そして、救って欲しいと、思った。
あたりまえに持っている閉塞感だとか絶望感だとかから。
今、キーを打っているわたしの前に、ウィリアム@しいちゃんが現れないかしら。
そして、わたしの腕を取って走り出してくれないかしら。
ついて行くから。
ついて行くのに。
大抵機嫌がいいし、腐りながらも愚痴りながらものんきに生きている。
わたしは不幸ではないし、助けなんか求めていないし、なにかに飢えているわけでもないが。
しいちゃんなら、わたしを救ってくれるのではないかと思った。
星組バウホール公演『フェット・アンペリアル』を観て。
ごめん、ウィリアム@しいが、ぢゃなく、モロに「しいちゃん」が。
主人公ウィリアムは、しいちゃんでなくてはならない。しいちゃんあってこそのウィリアムという男。
立樹遥という光。
わたしは自分を不幸だとは思っていない。いないはずだが。
だが、人間だから。きっとすべてのひとがあたりまえに持っている閉塞感だとか絶望感だとかは、ふつーに持ち合わせているから。
それらから、救ってくれる、強引に手を取って走り出してくれる人だと思った。
そして、救って欲しいと、思った。
あたりまえに持っている閉塞感だとか絶望感だとかから。
今、キーを打っているわたしの前に、ウィリアム@しいちゃんが現れないかしら。
そして、わたしの腕を取って走り出してくれないかしら。
ついて行くから。
ついて行くのに。
カシウスの愛はどこに。@暁のローマ
2006年6月1日 タカラヅカ カシウスが、ブルータスを好きだったのはほんとうだと思う。
彼は自分以外のすべてを見下していたし、ブルータスのことも利用していただけだけど、彼が本心を叫ぶシーンでブルータスのことを認めていたのは、たしかだと思う。
『暁のローマ』語り、今回のテーマは、「カシウスの愛はどこに」(笑)。
カシウスはクールにシニカルに、この世のすべてを見下して生きてきた男だ。
ブルータスも例外ではない。「野心をくすぐれ」と歌う彼は、人間を操ることなどたやすいと思っている。実際、ブルータスも彼の思いのままに動いた。
人生、チョロイ。人間なんて、チョロイ。男はバカばかりで彼の策略で簡単に騙せるし、女もまたバカばかりで彼の美貌で簡単に騙せてきたんだろうよ。暗殺者チームは彼の思いのまま。ブルータスの妹をたらし込んだのも計算尽くだろーから、女も思いのまま。
カシウスは、ブルータスを利用していた。
……この段階で、愛はない。
友だとか兄弟だとか、美しげなことを言っているが、本気ではない。
ブルータスの利用価値を認めているだけだ。
下手に出てはいるが、冷え冷えとしたたたずまいが崩れることはない。
だが後半、クールだった彼は豹変する。
なにもかも失い、追われる身になって。
あれほど余裕綽々にすべてのものを俯瞰していたくせに、激昂し叫び出す。
このとき彼は、アントニウスを非難し、ブルータスを持ち上げる。
とーぜんだわな。
カシウスという男の「立ち位置」を考えれば、そうするしかないんだ。
だって彼は、「ブルータスを選んだ」のだから。
カエサルを倒して、自分が王になる。
この野望をかなえる傀儡として選んだ相手が、ブルータス。アントニウスじゃない。
アントニウスを選んでいれば、王になれたのかもしれない。たとえ3分の1であっても、ローマを治められたのかも。
だけどカシウスが選んだのは、ブルータスだった。
それは、見込み違いか。
選び違えてしまったカシウスが愚かだったということか。
クールさの仮面を投げ捨てて激昂するカシウスは、アントニウスを否定する。
「アントニウスを選ばなかった自分を正当化するため」に、アントニウスを貶めなければならない。
さらに、この状況まで追いつめられたカシウスにとって、残っているのはブルータスだけだ。
市民はアントニウスを選んだ。カシウスの選んだブルータスを否定して。
そう、世界は無知と軽薄と悪意に満ちていて、価値があるのは自分と、自分が選んだブルータスしかない。
カシウスには、ブルータスしかいない。
「立ち位置」的にも、そして自分の精神的優位、存在意義を確立するためにも、ブルータスを必要とし、ブルータスのすばらしさを認め、愛さなければならないんだ。
「この男をすばらしい人物だと認めなさい。認めなければ、オマエを死刑にします」
「この男を愛しなさい。この男に愛を告げなければ、オマエを死刑にします」
運命の女神が、そう命令している。
他に選びようのない二者択一。
ブルータスはすばらしい、ブルータスを愛している。……そう定義づけなければ、カシウスは破滅する。
カシウスは、ブルータスを愛しているのか?
愛しているとして、その愛は本物か?
他に選択肢がなかったから、自分を守るためだけに、ブルータスを愛したのだとしたら、それは本当の意味で愛したことにはならないだろう。
と、ここまでが状況確認と疑問提示。
わたしの結論は最初に書いた。
それでも、カシウスが、ブルータスを好きだったのはほんとうだと思う。
なにもかも失ったカシウスは、ブルータスを愛するしかない状況だった。
……だから愛した。という側面も、たぶんある。
自分を守るために、自分に利益をもたらす相手に好意を持つのは人間の本能だから。
でもそれ以上に、ほんとーに、好きだったんだよ。
最初はたしかに、ただ利用していただけだったんだろうけど。
本人が言っている通り、カエサル暗殺後の市民への演説、アレがポイントだったんだろうとは思う。
今まで他人を見下し、偽りで操ることしかしてこなかったカシウスだ、嘘偽りない真心で多くの人々の気持ちを動かしたブルータスを見て、目からウロコだったんだろう。
嘘やお世辞、脅しや利益でしか、人間の心は動かないと思っていた。そーやってカシウスは人を動かしてきた。
それがどうだ。
ブルータスはチガウ。人の心の美しい部分で、人を動かしてみせる。
そのことに、純粋に感動した。
その直後。
アントニウスが、なにもかもひっくり返す。
言葉巧みに市民を扇動し、誘導し、洗脳する。市民を動かすのは狭小な人情と、金。
アントニウスがやって見せたことこそ、カシウスが今までやってきたことだ。
相手が望むコトバを口にしてやり、持ち上げ、気持ちよくしてやる。さらに利益があることを教える。……そーやって人を操ってきた。
見せつけられたのは、自分の暗部、歪んだ鏡。
善意のブルータスのあとで見れば、その醜さが際立つ。
しかも。
アントニウスの方が、カシウスより遙かに大物なのだ。
カシウスがちまちまやってきたのと同じ方法論で、大勢の市民たちを一瞬で傀儡に変えてしまった。
コレは、効くだろ。
人生観変わるぐらいショック受けても仕方ないだろ。
なまじ自分を「非凡」だと信じてきた男だから。
カシウスは、「世界」に否定された。
自分にはあると信じていた翼が、ただの思いこみ、偽物に過ぎないことを知らされた。
「私は嫌だ! 私はチガウ! 私は戦う!」
アントニウスを否定し、アントニウスを選んだ民衆を否定し、アントニウスを選んだ「世界」を否定する。
駄々をこねる子どものように。
その情けない姿が。
自分のレーゾンデートル崩壊を認めまいとあがいている大人と、自分の好きなモノを貶められたことに憤るガキ、両方に思えるのよ。
利用していたくせに、見下していたくせに、ブルータスが他人から蔑まれると、ムカつくんだね(笑)。
いや、人格者ブルータスを見下していたのは自分だけだった。特別なカシウスだからこそ、ブルータスごときどうとでもできた。
そんな自分が、ブルータスのすばらしさを彼の演説によってはじめて感じたところだったのに。それを自分の嫌な部分だけで構成されたようなアントニウスによって貶められるなんて。
アントニウスは、歪んだ鏡。
冗談じゃない、俺はあんなに醜くない。
俺には崇高な理想があるのだから、私欲で動いているアントニウスとはチガウ。
理想ってなにさ? 他人を騙し利用することを正当化できるナニがあるというんだ? ーーというツッコミは今は置いておく。
カシウスが自分を正当化していること自体が、「どんなに悪い結果に終わった行いも、元は善意からはじめられたのだ」というコトバに集約されているんだよね。
アントニウスに貶められることによってはじめて、カシウスは自分の心を知る。
ブルータスを、愛していると。
民衆がアントニウスを選んだことが許せない。俺のブルータスがあんな男以下だと評価されるのが許せない。民衆の支持を失い、みじめに追われるなんて許せない。
アントニウスを罵るカシウスの、情けない格好悪い姿が、もう。
あー、そんなにブルータスが好きかぁ……。
そんなに、自分のことを好きでいたいのかぁ……。
そうやって、心を守るしか、ないんだね。そこまで、追いつめられてしまったんだね。
「ブルータス、歌ってくれ!」
すがりつくように言う。
カシウスが持っている唯一のもの、彼が選び、彼が愛し、彼を救うただひとつのもの、ブルータス。
ローマはみんなのもの、と歌うふたりは、「世界にたったふたりきり残された、最期の絆」そのものだ。
カシウスは、ブルータスを愛していた。
自分を守るための、ずるいものが含まれていたにしろ。そうするしか、他に選択肢がなかったのだとしても。
それでも、愛している。
美しいだけでも正しいだけでもなくて。
汚くて間違っている部分も含めて。
カシウスが、ブルータスを好きだったのは、たしかだと思うんだ。
彼は自分以外のすべてを見下していたし、ブルータスのことも利用していただけだけど、彼が本心を叫ぶシーンでブルータスのことを認めていたのは、たしかだと思う。
『暁のローマ』語り、今回のテーマは、「カシウスの愛はどこに」(笑)。
カシウスはクールにシニカルに、この世のすべてを見下して生きてきた男だ。
ブルータスも例外ではない。「野心をくすぐれ」と歌う彼は、人間を操ることなどたやすいと思っている。実際、ブルータスも彼の思いのままに動いた。
人生、チョロイ。人間なんて、チョロイ。男はバカばかりで彼の策略で簡単に騙せるし、女もまたバカばかりで彼の美貌で簡単に騙せてきたんだろうよ。暗殺者チームは彼の思いのまま。ブルータスの妹をたらし込んだのも計算尽くだろーから、女も思いのまま。
カシウスは、ブルータスを利用していた。
……この段階で、愛はない。
友だとか兄弟だとか、美しげなことを言っているが、本気ではない。
ブルータスの利用価値を認めているだけだ。
下手に出てはいるが、冷え冷えとしたたたずまいが崩れることはない。
だが後半、クールだった彼は豹変する。
なにもかも失い、追われる身になって。
あれほど余裕綽々にすべてのものを俯瞰していたくせに、激昂し叫び出す。
このとき彼は、アントニウスを非難し、ブルータスを持ち上げる。
とーぜんだわな。
カシウスという男の「立ち位置」を考えれば、そうするしかないんだ。
だって彼は、「ブルータスを選んだ」のだから。
カエサルを倒して、自分が王になる。
この野望をかなえる傀儡として選んだ相手が、ブルータス。アントニウスじゃない。
アントニウスを選んでいれば、王になれたのかもしれない。たとえ3分の1であっても、ローマを治められたのかも。
だけどカシウスが選んだのは、ブルータスだった。
それは、見込み違いか。
選び違えてしまったカシウスが愚かだったということか。
クールさの仮面を投げ捨てて激昂するカシウスは、アントニウスを否定する。
「アントニウスを選ばなかった自分を正当化するため」に、アントニウスを貶めなければならない。
さらに、この状況まで追いつめられたカシウスにとって、残っているのはブルータスだけだ。
市民はアントニウスを選んだ。カシウスの選んだブルータスを否定して。
そう、世界は無知と軽薄と悪意に満ちていて、価値があるのは自分と、自分が選んだブルータスしかない。
カシウスには、ブルータスしかいない。
「立ち位置」的にも、そして自分の精神的優位、存在意義を確立するためにも、ブルータスを必要とし、ブルータスのすばらしさを認め、愛さなければならないんだ。
「この男をすばらしい人物だと認めなさい。認めなければ、オマエを死刑にします」
「この男を愛しなさい。この男に愛を告げなければ、オマエを死刑にします」
運命の女神が、そう命令している。
他に選びようのない二者択一。
ブルータスはすばらしい、ブルータスを愛している。……そう定義づけなければ、カシウスは破滅する。
カシウスは、ブルータスを愛しているのか?
愛しているとして、その愛は本物か?
他に選択肢がなかったから、自分を守るためだけに、ブルータスを愛したのだとしたら、それは本当の意味で愛したことにはならないだろう。
と、ここまでが状況確認と疑問提示。
わたしの結論は最初に書いた。
それでも、カシウスが、ブルータスを好きだったのはほんとうだと思う。
なにもかも失ったカシウスは、ブルータスを愛するしかない状況だった。
……だから愛した。という側面も、たぶんある。
自分を守るために、自分に利益をもたらす相手に好意を持つのは人間の本能だから。
でもそれ以上に、ほんとーに、好きだったんだよ。
最初はたしかに、ただ利用していただけだったんだろうけど。
本人が言っている通り、カエサル暗殺後の市民への演説、アレがポイントだったんだろうとは思う。
今まで他人を見下し、偽りで操ることしかしてこなかったカシウスだ、嘘偽りない真心で多くの人々の気持ちを動かしたブルータスを見て、目からウロコだったんだろう。
嘘やお世辞、脅しや利益でしか、人間の心は動かないと思っていた。そーやってカシウスは人を動かしてきた。
それがどうだ。
ブルータスはチガウ。人の心の美しい部分で、人を動かしてみせる。
そのことに、純粋に感動した。
その直後。
アントニウスが、なにもかもひっくり返す。
言葉巧みに市民を扇動し、誘導し、洗脳する。市民を動かすのは狭小な人情と、金。
アントニウスがやって見せたことこそ、カシウスが今までやってきたことだ。
相手が望むコトバを口にしてやり、持ち上げ、気持ちよくしてやる。さらに利益があることを教える。……そーやって人を操ってきた。
見せつけられたのは、自分の暗部、歪んだ鏡。
善意のブルータスのあとで見れば、その醜さが際立つ。
しかも。
アントニウスの方が、カシウスより遙かに大物なのだ。
カシウスがちまちまやってきたのと同じ方法論で、大勢の市民たちを一瞬で傀儡に変えてしまった。
コレは、効くだろ。
人生観変わるぐらいショック受けても仕方ないだろ。
なまじ自分を「非凡」だと信じてきた男だから。
カシウスは、「世界」に否定された。
自分にはあると信じていた翼が、ただの思いこみ、偽物に過ぎないことを知らされた。
「私は嫌だ! 私はチガウ! 私は戦う!」
アントニウスを否定し、アントニウスを選んだ民衆を否定し、アントニウスを選んだ「世界」を否定する。
駄々をこねる子どものように。
その情けない姿が。
自分のレーゾンデートル崩壊を認めまいとあがいている大人と、自分の好きなモノを貶められたことに憤るガキ、両方に思えるのよ。
利用していたくせに、見下していたくせに、ブルータスが他人から蔑まれると、ムカつくんだね(笑)。
いや、人格者ブルータスを見下していたのは自分だけだった。特別なカシウスだからこそ、ブルータスごときどうとでもできた。
そんな自分が、ブルータスのすばらしさを彼の演説によってはじめて感じたところだったのに。それを自分の嫌な部分だけで構成されたようなアントニウスによって貶められるなんて。
アントニウスは、歪んだ鏡。
冗談じゃない、俺はあんなに醜くない。
俺には崇高な理想があるのだから、私欲で動いているアントニウスとはチガウ。
理想ってなにさ? 他人を騙し利用することを正当化できるナニがあるというんだ? ーーというツッコミは今は置いておく。
カシウスが自分を正当化していること自体が、「どんなに悪い結果に終わった行いも、元は善意からはじめられたのだ」というコトバに集約されているんだよね。
アントニウスに貶められることによってはじめて、カシウスは自分の心を知る。
ブルータスを、愛していると。
民衆がアントニウスを選んだことが許せない。俺のブルータスがあんな男以下だと評価されるのが許せない。民衆の支持を失い、みじめに追われるなんて許せない。
アントニウスを罵るカシウスの、情けない格好悪い姿が、もう。
あー、そんなにブルータスが好きかぁ……。
そんなに、自分のことを好きでいたいのかぁ……。
そうやって、心を守るしか、ないんだね。そこまで、追いつめられてしまったんだね。
「ブルータス、歌ってくれ!」
すがりつくように言う。
カシウスが持っている唯一のもの、彼が選び、彼が愛し、彼を救うただひとつのもの、ブルータス。
ローマはみんなのもの、と歌うふたりは、「世界にたったふたりきり残された、最期の絆」そのものだ。
カシウスは、ブルータスを愛していた。
自分を守るための、ずるいものが含まれていたにしろ。そうするしか、他に選択肢がなかったのだとしても。
それでも、愛している。
美しいだけでも正しいだけでもなくて。
汚くて間違っている部分も含めて。
カシウスが、ブルータスを好きだったのは、たしかだと思うんだ。
「真ん中に立つ訓練」ができる役がたくさん。@新人公演『暁のローマ』
2006年5月31日 タカラヅカ かなり「オイシイ」作品なんじゃないかと思うんだ、新人公演『暁のローマ』を観て。
象徴であるだけにカエサル@マギーがここぞという見せ場に恵まれたオイシイ役であることは、説明するまでもないだろう。
名目はともあれ、真の主役であるブルータス@まさきがオイシイ役であることも、誰にでもわかるだろう。
ヒロイン・ポルキア@れみちゃんは割を食っているとはいえ、ちゃんと見せ場は配慮してある。
2番手のアントニウス@みりおは漫才を除いても、後半にどかんとした見せ場がある。
3番手カシウス@かすがは主人公の親友の振りをしながら実は悪役という、オイシイ役。
オクタヴィアヌス@るうも出番自体は少なくても、たったひとりで舞台に立って歌うという、他には変えられない見せ場がある。
他にも、ブルータスママやカエサル妻、クレオパトラとナマ腹ダンサー、占い師、暗殺者チーム、特に病弱卑怯男と扇動歌手コンビ、と、それぞれ「見せ場」のある役がいっぱいだ。
どの役も、「この役でこのシーンをきちんとつとめあげれば、舞台人としてスキルが上がる」だろうということが、想像できる。
どの役も、その役が割り振られて不思議ではないポジションの子が「あの役にあたるかも」と思ったときに、わくわくするものがある。
やりがいのある役。
たとえ一時でも、場の中心になって物語に関わる魅力。
多くの場合、物語を進めることに必死でキャラに見せ場を作るヒマなんかなかったりするもんなんだが、『暁のローマ』は構成失敗している分、キャラの見せ場をいろいろ作れたんだな(笑)。
脇キャラの見せ場削って、ストーリーをもっと書き込めば良かったのにねえ。てか、失敗している部分はソコぢゃないし。
ま、なんにせよ、「数人のキャラクタしか描けない」と言われたキムシンが、破格のサービス精神でいろんなキャラに見せ場を用意してますよ!
ブルータスママ@青葉みちる嬢が地味だったことは意外。
役が派手だから、派手になるのがデフォルトだと思っていたの。そーかアレは、嘉月さんならではの派手さだったのか……。
青葉みちる嬢はうまい人なので、きちんと仕事はしていたんだが。見た目がふつーに女の人なので、毒々しさがないとインパクトに欠けるんだな。
……て、この書き方だと、えりりんが「見た目がふつーの女の人ぢゃなく、毒々しさに満ちている」って意味に取られるな。……や、その通りなんだけど。
モブに混ざっているあいちゃんが、派手すぎて、笑える。
カエサルの愛人ズでうきゃうきゃやっていたり、ローマ市民できゃーきゃーやっていたり。
濃い。派手。
そこまでやらなくていいから! ってくらい、はじけてる。
同じ振付で踊っていても、なにもかもが派手だ。
たのしそうだなー、あいちゃん……。
エジプシャン・ダンサーの衣装がちがっていたのは、何故ですか?
わたしはねっ、わたしはフジコちゃんのナマ腹を期待していたのよーっ。
最前列観劇の際みっぽーちゃんの割れた腹筋を堪能させてもらったから、新公のフジコちゃんの腹筋を見たかったのよ。新公は後方席だったけど、オペラグラススタンバイOK、ダンサー出たー、腹だ腹、腹を見るぞ。
衣装の飾りで、腹筋が見えん……。がっくり。
ナマ腹なのはたしかだ。
だが、腹の真ん中に飾りがくるよーになっており、腹筋もヘソも見えないようになっていた。
何故?
みっぽーは見せて、フジコは見せない?
その差はなんなの?
フジコはそんなに高い女なのか? 簡単に腹は見せないわよーっオホホホホッ!!てか?!
しょぼん。(ダンスも見てやれよ)
リガリウスは美形がやってはいかん役なのかなぁ……衣装ピンクなのになあ。本公新公とも意志を持って役者を選んでいる? じゃあキャラ立てはアレで正しいのか……わかりやすく最低な男だから、せめて美形キャラにしないと救いがないかとも思ったんだけど、そこで美形に逃げないのがキムシンのポリシーなのかしら。
と、ちょっと歯切れ悪い文章を書いてみる。
暗殺者チームで目を引いたのは、顎ヒゲ男でした。歌も台詞もないにぎやかしキャラだが、なんかすっげー色男。
わたしのヒゲスキーハートをきゅっととらえたわ!
真ん中が安定しているがゆえに、とても充実した新公でした。
新公初主演挨拶って、泣いてぐぢゅぐぢゅになるもんだっていうイメージがここんとこずーっとあったから、マギーの笑顔の簡潔挨拶がまた新鮮。てか、長のあいちゃん喋り過ぎ(笑)。
華と実を備え、躍進してほしいっす。心から。
あとこれは、蛇足というか、ぜんぜん関係ないことなんだけど。
この『暁のローマ』について、公の場で挨拶する月船さららが見たかったな(笑)。
ありえないけど!
さららんはカエサルより、絶対ブルータス役者だし。
さららんが新公主演で、しかも主演の役がブルータスで、新公挨拶をさららんがやったら……。
そう考えると、心奮える。
キムシン作品とさららん。
どれほどアツい暴走挨拶をカマしてくれるか、想像するだけで愉快だ。
さららん……すばらしいキャラクタだった。
象徴であるだけにカエサル@マギーがここぞという見せ場に恵まれたオイシイ役であることは、説明するまでもないだろう。
名目はともあれ、真の主役であるブルータス@まさきがオイシイ役であることも、誰にでもわかるだろう。
ヒロイン・ポルキア@れみちゃんは割を食っているとはいえ、ちゃんと見せ場は配慮してある。
2番手のアントニウス@みりおは漫才を除いても、後半にどかんとした見せ場がある。
3番手カシウス@かすがは主人公の親友の振りをしながら実は悪役という、オイシイ役。
オクタヴィアヌス@るうも出番自体は少なくても、たったひとりで舞台に立って歌うという、他には変えられない見せ場がある。
他にも、ブルータスママやカエサル妻、クレオパトラとナマ腹ダンサー、占い師、暗殺者チーム、特に病弱卑怯男と扇動歌手コンビ、と、それぞれ「見せ場」のある役がいっぱいだ。
どの役も、「この役でこのシーンをきちんとつとめあげれば、舞台人としてスキルが上がる」だろうということが、想像できる。
どの役も、その役が割り振られて不思議ではないポジションの子が「あの役にあたるかも」と思ったときに、わくわくするものがある。
やりがいのある役。
たとえ一時でも、場の中心になって物語に関わる魅力。
多くの場合、物語を進めることに必死でキャラに見せ場を作るヒマなんかなかったりするもんなんだが、『暁のローマ』は構成失敗している分、キャラの見せ場をいろいろ作れたんだな(笑)。
脇キャラの見せ場削って、ストーリーをもっと書き込めば良かったのにねえ。てか、失敗している部分はソコぢゃないし。
ま、なんにせよ、「数人のキャラクタしか描けない」と言われたキムシンが、破格のサービス精神でいろんなキャラに見せ場を用意してますよ!
ブルータスママ@青葉みちる嬢が地味だったことは意外。
役が派手だから、派手になるのがデフォルトだと思っていたの。そーかアレは、嘉月さんならではの派手さだったのか……。
青葉みちる嬢はうまい人なので、きちんと仕事はしていたんだが。見た目がふつーに女の人なので、毒々しさがないとインパクトに欠けるんだな。
……て、この書き方だと、えりりんが「見た目がふつーの女の人ぢゃなく、毒々しさに満ちている」って意味に取られるな。……や、その通りなんだけど。
モブに混ざっているあいちゃんが、派手すぎて、笑える。
カエサルの愛人ズでうきゃうきゃやっていたり、ローマ市民できゃーきゃーやっていたり。
濃い。派手。
そこまでやらなくていいから! ってくらい、はじけてる。
同じ振付で踊っていても、なにもかもが派手だ。
たのしそうだなー、あいちゃん……。
エジプシャン・ダンサーの衣装がちがっていたのは、何故ですか?
わたしはねっ、わたしはフジコちゃんのナマ腹を期待していたのよーっ。
最前列観劇の際みっぽーちゃんの割れた腹筋を堪能させてもらったから、新公のフジコちゃんの腹筋を見たかったのよ。新公は後方席だったけど、オペラグラススタンバイOK、ダンサー出たー、腹だ腹、腹を見るぞ。
衣装の飾りで、腹筋が見えん……。がっくり。
ナマ腹なのはたしかだ。
だが、腹の真ん中に飾りがくるよーになっており、腹筋もヘソも見えないようになっていた。
何故?
みっぽーは見せて、フジコは見せない?
その差はなんなの?
フジコはそんなに高い女なのか? 簡単に腹は見せないわよーっオホホホホッ!!てか?!
しょぼん。(ダンスも見てやれよ)
リガリウスは美形がやってはいかん役なのかなぁ……衣装ピンクなのになあ。本公新公とも意志を持って役者を選んでいる? じゃあキャラ立てはアレで正しいのか……わかりやすく最低な男だから、せめて美形キャラにしないと救いがないかとも思ったんだけど、そこで美形に逃げないのがキムシンのポリシーなのかしら。
と、ちょっと歯切れ悪い文章を書いてみる。
暗殺者チームで目を引いたのは、顎ヒゲ男でした。歌も台詞もないにぎやかしキャラだが、なんかすっげー色男。
わたしのヒゲスキーハートをきゅっととらえたわ!
真ん中が安定しているがゆえに、とても充実した新公でした。
新公初主演挨拶って、泣いてぐぢゅぐぢゅになるもんだっていうイメージがここんとこずーっとあったから、マギーの笑顔の簡潔挨拶がまた新鮮。てか、長のあいちゃん喋り過ぎ(笑)。
華と実を備え、躍進してほしいっす。心から。
あとこれは、蛇足というか、ぜんぜん関係ないことなんだけど。
この『暁のローマ』について、公の場で挨拶する月船さららが見たかったな(笑)。
ありえないけど!
さららんはカエサルより、絶対ブルータス役者だし。
さららんが新公主演で、しかも主演の役がブルータスで、新公挨拶をさららんがやったら……。
そう考えると、心奮える。
キムシン作品とさららん。
どれほどアツい暴走挨拶をカマしてくれるか、想像するだけで愉快だ。
さららん……すばらしいキャラクタだった。
視点変更できるよろこび。@新人公演『暁のローマ』
2006年5月30日 タカラヅカ 新人公演の主演者が発表になったとき、大喜びした。
カエサル@マギー、ブルータス@まさき。
マギーにはぜひ一度真ん中に立って欲しかった。あのクドいアツい持ち味は、月組では異端(笑)。異端ならば、端に置くより真ん中へ。彼は実力も持ち合わせているしね。
『Young Bloods!! 』主演はうれしかったけれど、これでまさきが新公主演独占、という状況になるのは嫌だった。他に誰もいないならともかく、1期上にマギーがいるのだから、まずは彼に主演して欲しい。
……と願っていた者にとって、トド様降臨の今回の作品はうってつけ。トド役が「主役」だとしても組トップスターたるあさこの役もやりがいのあるオイシイ役だとわかっていたから。マギーとまさきで厚い(変換ミスにあらず)モノが観られるにちがいない、と。
まあ、あそこまでトドが「象徴」に過ぎず、あさここそが「主役」で来るとは、発表当時は思ってなかったけどな。
そーして、新人公演『暁のローマ』観劇。
まず、カエサル@マギー氏の、あまりに堂に入った「スター」ぶりにウケた。
最初に登場する、ほんとにいっちばん最初の銀橋渡りで、余裕の笑顔で客席に目線トバしまくってるんですけどっ?!(笑)
誰だオマエ(笑)。
どこの大スター様だ。
しかも、なんかえらくサワヤカで。
芝居とは関係ないショーシーンのよーでした。
掴みはOK。
このずーずーしいほどにきらきらした登場シーンだけで、すべて許せる(笑)。
スタァ様よ。スタァ様がお渡りになったわ! て感じ。
ローマの大スタァ・カエサル様。市民たちはきゃーきゃー。
そこへ遅れて登場する、深刻ブルータス@まさき。
きらきらきゃーきゃーカエサルとのコントラストがステキ。
さて。
この新公でわたし、はじめて、ブルータス視点で物語を観ました。
本公演は、神の視点(文章作法用語? 通じるよね?)で観ていたの。誰に肩入れするわけでもなく。
それをはじめて、ブルータスに視点を固定した。三人称一視点っつー感じ。
『スサノオ』のときもそうだったけど。
主人公に視点固定して観ると、すっげーたのしいねっ!!
周囲なんか見なくていい、主人公ひとりの行動と心の動きを追っていると、すげー気持ちいい。
こんな話だったのか、『暁のローマ』(笑)。や、今まで感じていたこととチガウものが見えたわけでもないが、たのしさがちがったんだ、段違いに。
あさこファンがうらやましー。こんなに気持ちよくなれていたのか。
とても快調に、あちこちで泣けました。
まさきは、うまかったです。
想定内。
サプライズは特になく、だからこそつまずくことなく「作品」を楽しめた。
ふつーにたのしく、「物語」を味わうことが出来る。
……あのー、コレって、すごくないですか?
他の場合の話ぢゃないっす。今回。
主演やってるふたり、今まで、大劇場の真ん中に立ったことないんだよ?
前回の新公、カエサル様は専科さんの役でブルータスは副組長の役だったんだよ? 2番手や3番手すら、やったことないんだよ?
なのに、真ん中で「ふつー」に「スター」をやれてしまうんだよ? 「ふつー」に「公演」を「物語」を、進めてしまえるんだよ?
彼らがどーして今まで日の目を見なかったのか、不思議でならない。月組新公事情はわけわかんなかったもんなあ。
まさきはやっぱりあさこに似ていて、影響受けていることがよくわかる。
でも時折にじみ出ている「黒さ」はまさき自身の持ち味なんだろうな。黒さ……性格の悪さ?(笑) や、わたしは彼がどんな人なのか知らないけど、彼の舞台からはいつも、そーゆーモノを感じるので(笑)。
まさきに視点固定で観ていたので、彼から「にゅるっ」と「黒いモノ」が這い出る瞬間瞬間がツボでした。
あさこブルータスを踏襲しようとしていて、それでもその奥から時折出てくる「龍真咲」がたのしい。
や、今コワかったよブルータス。ソレ、キミが目指している本役ブルータスにはナイから! チガウから! なのに、目指していない、隠しているモノがトーガの隙間からのぞいている(笑)。
目指しているモノと持ち味の差が、本人にコントロールできていないところが不安定で、ツボ。真面目にコピーしているのにね。真面目にコピーしているからこそ、あちこちでほころびが見えるんだね。
どこか歪んだ、あやういブルータス。たのしいぞ(笑)。
さて、配役を見たときいちばん危惧したのは、アントニウス@みりおでした。
歌や演技という技術面ではなく、ズバリ、漫才の心配。
幕前に現れ、漫才をする。
相方のオクタヴィアヌスはただの合いの手入れ、場を導くのはアントニウスひとり。
ある意味主役より難題であるこのシーンを、キャリア不足の新人少年でどう乗り切るつもりなのか。
最初でスベッたらどれだけ悲惨なことになるか、『エリザベート』新公でキャストも観客も思い知っているだろう。
とりあえず、杞憂に終わった。
脚本が、書き換えられていたためだ。
アントニウスひとりですべてを担うのではなく、オクタヴィアヌスとふたりで話を進めることになっていた。むしろ、オクタヴィアヌスがすすんでボケをかますことにより、アントニウスがツッコミやすく、話を進めやすくなっていた。
なるほどー。
やっぱりスタッフ側も、アレを新人にやらせるのは荷が重すぎると判断したか。
ハードルを相当低くしてもらって、アントニウス@みりおとオクタヴィアヌス@るうはなんとか、ふたりががりで漫才を乗り切った。
決してうまくなかったし、やばい空気(学芸会空気っつーか)は漂っていたけど、タカラジェンヌは漫才できなくても無問題!!(笑)
漫才で手に汗握ってしまったので、その後のアントニウスについては点数甘いですよ。いちばん難しいのは漫才だから、アントニウス最大の見せ場「市民への演説」シーンも特に気負うことなく眺めた。
本公演よりかなりマイクボリュームに気を遣ってもらっているなー、という印象(笑)。
健闘を讃える。よくがんばった。
容姿の秀でたかわいこちゃんなので、このまま順当に育ってほしいなー。
カシウス@白鳥かすがが、タータンに見えた件について。
なんでだろ。あちこちで、「すっきり顔のタータン」に見えた。わたしだけか?
なんかふつーにうまくてびっくりだ。
歌えるし、演技できるし。男役になってるし。
そういや彼、今までもふつーにいい役もらっていたよね、新公で。マギーやまさきより役付上の人だったよね。
地道にキャリアを積んで成長しているわけだ。
花組に行ってもぜひ、このまま男道を進んでくれ。
ポルキア@れみちゃんが、ぐんちゃんに見えた件について。
かわいい妻、のときはともかく、狂ってからは特に『バッカスと呼ばれた男』以降のぐんちゃんに見えた。
れみちゃん、痩せた? そのせいで顔に険が出てしまったのかな?
難しい役だなと再確認。
ポルキアの書き込み不足は問答無用でキムシンが悪い(笑)。
ポルキアはかわいくなくてはならないのだと思う。
妖艶だったり計算高かったり反抗的であったりしてはいけない。
かわいらしく、罪なくあること。
そうでないと最後の狂気にまでつながらない。
れみちゃんはかわいかった。だからいいのだ。
長くなったから、一旦切る。
カエサル@マギー、ブルータス@まさき。
マギーにはぜひ一度真ん中に立って欲しかった。あのクドいアツい持ち味は、月組では異端(笑)。異端ならば、端に置くより真ん中へ。彼は実力も持ち合わせているしね。
『Young Bloods!! 』主演はうれしかったけれど、これでまさきが新公主演独占、という状況になるのは嫌だった。他に誰もいないならともかく、1期上にマギーがいるのだから、まずは彼に主演して欲しい。
……と願っていた者にとって、トド様降臨の今回の作品はうってつけ。トド役が「主役」だとしても組トップスターたるあさこの役もやりがいのあるオイシイ役だとわかっていたから。マギーとまさきで厚い(変換ミスにあらず)モノが観られるにちがいない、と。
まあ、あそこまでトドが「象徴」に過ぎず、あさここそが「主役」で来るとは、発表当時は思ってなかったけどな。
そーして、新人公演『暁のローマ』観劇。
まず、カエサル@マギー氏の、あまりに堂に入った「スター」ぶりにウケた。
最初に登場する、ほんとにいっちばん最初の銀橋渡りで、余裕の笑顔で客席に目線トバしまくってるんですけどっ?!(笑)
誰だオマエ(笑)。
どこの大スター様だ。
しかも、なんかえらくサワヤカで。
芝居とは関係ないショーシーンのよーでした。
掴みはOK。
このずーずーしいほどにきらきらした登場シーンだけで、すべて許せる(笑)。
スタァ様よ。スタァ様がお渡りになったわ! て感じ。
ローマの大スタァ・カエサル様。市民たちはきゃーきゃー。
そこへ遅れて登場する、深刻ブルータス@まさき。
きらきらきゃーきゃーカエサルとのコントラストがステキ。
さて。
この新公でわたし、はじめて、ブルータス視点で物語を観ました。
本公演は、神の視点(文章作法用語? 通じるよね?)で観ていたの。誰に肩入れするわけでもなく。
それをはじめて、ブルータスに視点を固定した。三人称一視点っつー感じ。
『スサノオ』のときもそうだったけど。
主人公に視点固定して観ると、すっげーたのしいねっ!!
周囲なんか見なくていい、主人公ひとりの行動と心の動きを追っていると、すげー気持ちいい。
こんな話だったのか、『暁のローマ』(笑)。や、今まで感じていたこととチガウものが見えたわけでもないが、たのしさがちがったんだ、段違いに。
あさこファンがうらやましー。こんなに気持ちよくなれていたのか。
とても快調に、あちこちで泣けました。
まさきは、うまかったです。
想定内。
サプライズは特になく、だからこそつまずくことなく「作品」を楽しめた。
ふつーにたのしく、「物語」を味わうことが出来る。
……あのー、コレって、すごくないですか?
他の場合の話ぢゃないっす。今回。
主演やってるふたり、今まで、大劇場の真ん中に立ったことないんだよ?
前回の新公、カエサル様は専科さんの役でブルータスは副組長の役だったんだよ? 2番手や3番手すら、やったことないんだよ?
なのに、真ん中で「ふつー」に「スター」をやれてしまうんだよ? 「ふつー」に「公演」を「物語」を、進めてしまえるんだよ?
彼らがどーして今まで日の目を見なかったのか、不思議でならない。月組新公事情はわけわかんなかったもんなあ。
まさきはやっぱりあさこに似ていて、影響受けていることがよくわかる。
でも時折にじみ出ている「黒さ」はまさき自身の持ち味なんだろうな。黒さ……性格の悪さ?(笑) や、わたしは彼がどんな人なのか知らないけど、彼の舞台からはいつも、そーゆーモノを感じるので(笑)。
まさきに視点固定で観ていたので、彼から「にゅるっ」と「黒いモノ」が這い出る瞬間瞬間がツボでした。
あさこブルータスを踏襲しようとしていて、それでもその奥から時折出てくる「龍真咲」がたのしい。
や、今コワかったよブルータス。ソレ、キミが目指している本役ブルータスにはナイから! チガウから! なのに、目指していない、隠しているモノがトーガの隙間からのぞいている(笑)。
目指しているモノと持ち味の差が、本人にコントロールできていないところが不安定で、ツボ。真面目にコピーしているのにね。真面目にコピーしているからこそ、あちこちでほころびが見えるんだね。
どこか歪んだ、あやういブルータス。たのしいぞ(笑)。
さて、配役を見たときいちばん危惧したのは、アントニウス@みりおでした。
歌や演技という技術面ではなく、ズバリ、漫才の心配。
幕前に現れ、漫才をする。
相方のオクタヴィアヌスはただの合いの手入れ、場を導くのはアントニウスひとり。
ある意味主役より難題であるこのシーンを、キャリア不足の新人少年でどう乗り切るつもりなのか。
最初でスベッたらどれだけ悲惨なことになるか、『エリザベート』新公でキャストも観客も思い知っているだろう。
とりあえず、杞憂に終わった。
脚本が、書き換えられていたためだ。
アントニウスひとりですべてを担うのではなく、オクタヴィアヌスとふたりで話を進めることになっていた。むしろ、オクタヴィアヌスがすすんでボケをかますことにより、アントニウスがツッコミやすく、話を進めやすくなっていた。
なるほどー。
やっぱりスタッフ側も、アレを新人にやらせるのは荷が重すぎると判断したか。
ハードルを相当低くしてもらって、アントニウス@みりおとオクタヴィアヌス@るうはなんとか、ふたりががりで漫才を乗り切った。
決してうまくなかったし、やばい空気(学芸会空気っつーか)は漂っていたけど、タカラジェンヌは漫才できなくても無問題!!(笑)
漫才で手に汗握ってしまったので、その後のアントニウスについては点数甘いですよ。いちばん難しいのは漫才だから、アントニウス最大の見せ場「市民への演説」シーンも特に気負うことなく眺めた。
本公演よりかなりマイクボリュームに気を遣ってもらっているなー、という印象(笑)。
健闘を讃える。よくがんばった。
容姿の秀でたかわいこちゃんなので、このまま順当に育ってほしいなー。
カシウス@白鳥かすがが、タータンに見えた件について。
なんでだろ。あちこちで、「すっきり顔のタータン」に見えた。わたしだけか?
なんかふつーにうまくてびっくりだ。
歌えるし、演技できるし。男役になってるし。
そういや彼、今までもふつーにいい役もらっていたよね、新公で。マギーやまさきより役付上の人だったよね。
地道にキャリアを積んで成長しているわけだ。
花組に行ってもぜひ、このまま男道を進んでくれ。
ポルキア@れみちゃんが、ぐんちゃんに見えた件について。
かわいい妻、のときはともかく、狂ってからは特に『バッカスと呼ばれた男』以降のぐんちゃんに見えた。
れみちゃん、痩せた? そのせいで顔に険が出てしまったのかな?
難しい役だなと再確認。
ポルキアの書き込み不足は問答無用でキムシンが悪い(笑)。
ポルキアはかわいくなくてはならないのだと思う。
妖艶だったり計算高かったり反抗的であったりしてはいけない。
かわいらしく、罪なくあること。
そうでないと最後の狂気にまでつながらない。
れみちゃんはかわいかった。だからいいのだ。
長くなったから、一旦切る。
誰よりも、醜いあなたに。@暁のローマ
2006年5月29日 タカラヅカ どうしよう。
カシウス@ゆーひが、かっこいい。
おろおろおろ。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。
『暁のローマ』の話っす。ああ、わたしのPC、「あかつき」って入力したらカナ変換しやがったわ……それはGOアカツキよ、漢字だ漢字。暁郷のローマ……GOカエサル……見てみてえ……。
なんて、現実逃避してないで、話を戻そう。
カシウス。
最初から、「かっこいい」を連発していた。
あまりに美しく、見栄えのする男だから。
そして、ブルータス@あさことの並びが良く、「萌え」な関係としてもたのしい役だった。
そーゆー意味でミーハー心で、わたしは騒いでいた。
大空祐飛が美しいのもカッコイイのも、地球の常識だから、ソレを騒ぐことにとりたてて意味はない程度の気持ちで。
そーぢゃなくて。
「カシウス」というキャラクタ自体に、ハマってしまったのだ……。
『スサノオ』もそうだったけど、『暁のローマ』はリピートすればするほどたのしくなる。
『スサノオ』のときも、初見では「失敗だろこりゃ」と肩をすくめて両手を広げて見せたんだが。もちろん、アオセトナ@水しぇんのステキさにきゃーきゃー言っていたし、作劇に難アリでもキムシンの叫ぶテーマ自体は好みなので、リピートすることになんの疑いも持たなかった。
で、実際リピート観劇すると、どんどんハマる。おもしろい。萌える。泣ける。
どんどん、好きになる。
……それと同じだ。『暁のローマ』も。
リピートしているうちに、なんかやばいことになってしまった。
カシウス萌え。
ゆーひが、ではなく、カシウスという男。
もちろんゆーひくんだからというのはあるが。
ゆーひくんの演じる役に萌えるのは、プルミタス以来かもしれん……。
ゆーひ個人を好きなことと、役への萌えは別もんだからな。
『暁のローマ』は、人間の醜さをこれでもかと描いている。
誰も彼もが、等しく醜い。そして誰ひとり、ほんとーの悪人ではない。
唯一「善人」として描かれるブルータスは善人であるがゆえの「過ち」を犯す。
善も悪もない。そこにあるのは、ただ「人間」だ。
カシウスは野心家だ。
クールで計算高く、本心を見せない。
自分を高みに置き、他の人間たちを見下している。
その姿が、かっこいい。
ブルータスをたきつけ、暗殺者たちを操る。
人の心の弱さや醜さを嘲笑い、利用する。
その姿が、かっこいい。
大体において、彼には表情が少ない。
ゆーひくんの持ち味にぴったりあったクールさ、シニカルさ。
暗く、動き少なく、たたずむ目の鋭さ。
その悪役ぶりを、たんにかっこいいと愛でていたんだ、わたしは。
最後、破滅するのもまたかっこいいしね。
ただぼーっとわたしは、芝居を見ていた。ゆーひくんを好きだから、ゆーひくんばかり見ていた。それだけだった。
クールでダークなゆーひくんなんて、素敵なあて書きだわキムシンありがとう!なだけだった。
それが。
なにもかも失ったカシウスが叫び出す瞬間に、変わった。
それまでは、順調だった。
ブルータスの妹と結婚し、彼に近づいた。
「王になりたい」だけのバカな暗殺者たちを利用し、人の善いブルータスを利用し、カエサル@トドを暗殺した。市民たちの気持ちも掴んだ。
しかし。
アントニウス@きりやんによって覆された。
「ローマを救った英雄」は「憎むべき反逆者」になった。
市民たちに追われ、みじめに逃げまどい、よーやく身を隠した。
順調だったのに。
なにもかも、彼の思惑通りだったのに。
人間たちはみんな愚かで、カシウスの手のひらで踊るだけの存在だったのに。
いつも、見下していた。
シニカルに嘲笑していた。
無表情に、クールに、ひとりだけ落ち着いていられた。
なのに。
なにもかも失って。
なにもかもを見下して笑っていた男は、はじめて、声を荒らげる。
「私は嫌だ! 私はチガウ! 私は戦う!」
なんて、情けない男。
痛い。
なんて痛さだ。
他人すべてを見下し、嘲笑っていたのに。
自分より下等だと思っていたものたちに、裏切られ、拒絶されて。
それを認めたくなくて、取り乱す。
トクベツなんかぢゃないよ。
あんたは、トクベツじゃない。あんたが軽蔑していた「下等な市民たち」と同じ、ただのくだらない人間だ。
神話が壊れるとき。
神が死ぬとき。
自分が「トクベツななにか」であると信じていた。他の奴らとはチガウ、オレだけはトクベツだ。
そう思って、せせら笑って生きてきたのに。
自分が特別でもなんでもない、ただの「ふつーの人」であることを知り。
プライドもレーゾンデートルも粉々になり。
自分を否定したくなくて、他者を否定する。「世界」を否定する。
「オレをトクベツだと認めない世界なんて、世界の方がまちがってる!!」
呪文。
正しいのは自分、まちがっているのは自分以外のすべて。
本能では「真実」に気づきながらも感情が否定する。気づかないふりをする。
気づいてしまったら、認めてしまったら、もう生きてはいけない。
「特別である」ことが、存在意義だったのだ。他人がではなく、自分がそう定義してしまったのだ。
ただの凡人に過ぎないことがわかってしまったら、まちがっているのが世界ではなく自分だと認めてしまったら、もう生きていけない。
だから、否定する。
生命を懸けて。
魂を懸けて。
絶叫する。
「まちがっているのは、世界の方だ!」
オレは正しい、オレは正しい、呪文を繰り返す。心を守るために。ただ、生きるために。
ただ、狂わないでいるために。
それまでが、クールに無表情にすまし返っていただけに。
取り乱して叫び出す姿が、あまりにあさましくて。
必死になって他人を否定し、自分を肯定する姿が、醜くて。
その、あまりにみっともない姿に、心奮えた。
ゆーひくんがなまじ美しすぎ、かっこよすぎるもんで、初見では気づかなかった。
彼の、醜さに。
いや、醜いだけなら「かっこいい」に分類してもいいかもしれないが、感情をむき出しにするかっこわるさに気づいたとき、もう後戻りが出来なくなった(笑)。
何故あそこでラップなのか、今までのメロディを捨てて歌い出すのか。
その意味を、考えもしなかったんだ。
や、その、アレがラップだって、初見では気づかなかったし。
初日観劇後、デイジーちゃんから「祐飛さんのラップはどうでした?」とメールをもらって、「ラップ? はて? あの人そんなことしてました?」とマジで返した(笑)。
一緒に初日を観たチェリさんにも「ラップってどこ?」とメールしたし。チェリさんも「そんなのありましたっけ?」状態だし。ふたりで考えたけど、ぜんっぜんわからなかった(笑)。
だってほら、ゆーひさんだしさ……できることとできないことが……ゲフンゲフン。
カシウスは、醜い。
誰より美しい姿をしながら、クールでニヒルでありながら、ほんとうは誰よりも人間くさい醜さを持っていた。
そのことに気づいてしまったから。
カシウスが、かっこいい。
カシウスが、愛しくてならない。
カシウス@ゆーひが、かっこいい。
おろおろおろ。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。
『暁のローマ』の話っす。ああ、わたしのPC、「あかつき」って入力したらカナ変換しやがったわ……それはGOアカツキよ、漢字だ漢字。暁郷のローマ……GOカエサル……見てみてえ……。
なんて、現実逃避してないで、話を戻そう。
カシウス。
最初から、「かっこいい」を連発していた。
あまりに美しく、見栄えのする男だから。
そして、ブルータス@あさことの並びが良く、「萌え」な関係としてもたのしい役だった。
そーゆー意味でミーハー心で、わたしは騒いでいた。
大空祐飛が美しいのもカッコイイのも、地球の常識だから、ソレを騒ぐことにとりたてて意味はない程度の気持ちで。
そーぢゃなくて。
「カシウス」というキャラクタ自体に、ハマってしまったのだ……。
『スサノオ』もそうだったけど、『暁のローマ』はリピートすればするほどたのしくなる。
『スサノオ』のときも、初見では「失敗だろこりゃ」と肩をすくめて両手を広げて見せたんだが。もちろん、アオセトナ@水しぇんのステキさにきゃーきゃー言っていたし、作劇に難アリでもキムシンの叫ぶテーマ自体は好みなので、リピートすることになんの疑いも持たなかった。
で、実際リピート観劇すると、どんどんハマる。おもしろい。萌える。泣ける。
どんどん、好きになる。
……それと同じだ。『暁のローマ』も。
リピートしているうちに、なんかやばいことになってしまった。
カシウス萌え。
ゆーひが、ではなく、カシウスという男。
もちろんゆーひくんだからというのはあるが。
ゆーひくんの演じる役に萌えるのは、プルミタス以来かもしれん……。
ゆーひ個人を好きなことと、役への萌えは別もんだからな。
『暁のローマ』は、人間の醜さをこれでもかと描いている。
誰も彼もが、等しく醜い。そして誰ひとり、ほんとーの悪人ではない。
唯一「善人」として描かれるブルータスは善人であるがゆえの「過ち」を犯す。
善も悪もない。そこにあるのは、ただ「人間」だ。
カシウスは野心家だ。
クールで計算高く、本心を見せない。
自分を高みに置き、他の人間たちを見下している。
その姿が、かっこいい。
ブルータスをたきつけ、暗殺者たちを操る。
人の心の弱さや醜さを嘲笑い、利用する。
その姿が、かっこいい。
大体において、彼には表情が少ない。
ゆーひくんの持ち味にぴったりあったクールさ、シニカルさ。
暗く、動き少なく、たたずむ目の鋭さ。
その悪役ぶりを、たんにかっこいいと愛でていたんだ、わたしは。
最後、破滅するのもまたかっこいいしね。
ただぼーっとわたしは、芝居を見ていた。ゆーひくんを好きだから、ゆーひくんばかり見ていた。それだけだった。
クールでダークなゆーひくんなんて、素敵なあて書きだわキムシンありがとう!なだけだった。
それが。
なにもかも失ったカシウスが叫び出す瞬間に、変わった。
それまでは、順調だった。
ブルータスの妹と結婚し、彼に近づいた。
「王になりたい」だけのバカな暗殺者たちを利用し、人の善いブルータスを利用し、カエサル@トドを暗殺した。市民たちの気持ちも掴んだ。
しかし。
アントニウス@きりやんによって覆された。
「ローマを救った英雄」は「憎むべき反逆者」になった。
市民たちに追われ、みじめに逃げまどい、よーやく身を隠した。
順調だったのに。
なにもかも、彼の思惑通りだったのに。
人間たちはみんな愚かで、カシウスの手のひらで踊るだけの存在だったのに。
いつも、見下していた。
シニカルに嘲笑していた。
無表情に、クールに、ひとりだけ落ち着いていられた。
なのに。
なにもかも失って。
なにもかもを見下して笑っていた男は、はじめて、声を荒らげる。
「私は嫌だ! 私はチガウ! 私は戦う!」
なんて、情けない男。
痛い。
なんて痛さだ。
他人すべてを見下し、嘲笑っていたのに。
自分より下等だと思っていたものたちに、裏切られ、拒絶されて。
それを認めたくなくて、取り乱す。
トクベツなんかぢゃないよ。
あんたは、トクベツじゃない。あんたが軽蔑していた「下等な市民たち」と同じ、ただのくだらない人間だ。
神話が壊れるとき。
神が死ぬとき。
自分が「トクベツななにか」であると信じていた。他の奴らとはチガウ、オレだけはトクベツだ。
そう思って、せせら笑って生きてきたのに。
自分が特別でもなんでもない、ただの「ふつーの人」であることを知り。
プライドもレーゾンデートルも粉々になり。
自分を否定したくなくて、他者を否定する。「世界」を否定する。
「オレをトクベツだと認めない世界なんて、世界の方がまちがってる!!」
呪文。
正しいのは自分、まちがっているのは自分以外のすべて。
本能では「真実」に気づきながらも感情が否定する。気づかないふりをする。
気づいてしまったら、認めてしまったら、もう生きてはいけない。
「特別である」ことが、存在意義だったのだ。他人がではなく、自分がそう定義してしまったのだ。
ただの凡人に過ぎないことがわかってしまったら、まちがっているのが世界ではなく自分だと認めてしまったら、もう生きていけない。
だから、否定する。
生命を懸けて。
魂を懸けて。
絶叫する。
「まちがっているのは、世界の方だ!」
オレは正しい、オレは正しい、呪文を繰り返す。心を守るために。ただ、生きるために。
ただ、狂わないでいるために。
それまでが、クールに無表情にすまし返っていただけに。
取り乱して叫び出す姿が、あまりにあさましくて。
必死になって他人を否定し、自分を肯定する姿が、醜くて。
その、あまりにみっともない姿に、心奮えた。
ゆーひくんがなまじ美しすぎ、かっこよすぎるもんで、初見では気づかなかった。
彼の、醜さに。
いや、醜いだけなら「かっこいい」に分類してもいいかもしれないが、感情をむき出しにするかっこわるさに気づいたとき、もう後戻りが出来なくなった(笑)。
何故あそこでラップなのか、今までのメロディを捨てて歌い出すのか。
その意味を、考えもしなかったんだ。
や、その、アレがラップだって、初見では気づかなかったし。
初日観劇後、デイジーちゃんから「祐飛さんのラップはどうでした?」とメールをもらって、「ラップ? はて? あの人そんなことしてました?」とマジで返した(笑)。
一緒に初日を観たチェリさんにも「ラップってどこ?」とメールしたし。チェリさんも「そんなのありましたっけ?」状態だし。ふたりで考えたけど、ぜんっぜんわからなかった(笑)。
だってほら、ゆーひさんだしさ……できることとできないことが……ゲフンゲフン。
カシウスは、醜い。
誰より美しい姿をしながら、クールでニヒルでありながら、ほんとうは誰よりも人間くさい醜さを持っていた。
そのことに気づいてしまったから。
カシウスが、かっこいい。
カシウスが、愛しくてならない。
正しく「星組」。@Young Bloods!!
2006年5月28日 タカラヅカ あかししか見ていないので、いまいち語りに説得力のない星組『Young Bloods!!−Twinkle Twinkle STAR−』の話。
えー、娘役では、コロちゃんがすごかったっす。
芝居ではとーってもナチュラルにコメディエンヌぶりを発揮。
とてもありがちな「やり手の女社長」を熱演。
コロちゃんに関しては、「ええっ、こんなにうまかったの?!」というおどろきがない。
てか、うまいよね? 知ってるし。
……ん? なんで知ってるんだ?
今までコロちゃん、なんかまともに役もらったことってあったっけ?
改めて思い返してみると、「役」としてはなにもない。
ただ。
わたしの印象に残りまくっているコロちゃんは、『王家に捧ぐ歌』中日公演のエチオピア娘。
わたしは4列目だっけか、数字は忘れたけどかなり前方席で観劇していた。
そのときの黒塗りコロちゃんがもー、濃かったのだわ。濃すぎ。目の前で繰り広げられる、慟哭芝居の数々。コロちゃんガン見しちゃったってばよ、あまりに濃すぎて。
台詞がなかろーがライトが当たっていなかろーが、おかまいなしにガンガンとばしていた。
あの姿を見、声の美しさを知っていたらもー、なんの心配もありません。
コロちゃん? ああ、うまいよね、知ってるよー。と。
意外だったのは、彼女が「ダンサー」としても「ショースター」だったことだ。
歌の人だという思いこみがあったので、軽やかにかつ熱く踊っているのを見てびっくり。
なんだ、ダンスもイケるんじゃん。小気味いいキャラクタだ。
芝居はヒロイン不在というか、れおんがいろんな娘役と絡んでみました、てな感じなんだけど、別格スターっぽいのが華美ゆうかちゃん。
あまりに堂に入った「大人の女」ぶりがすごい。変だなあ、『巖流』の阿国なのになあ。『ドルチェ・ヴィータ!』のかわいこちゃんシンガー・トリオなのになあ。
わずかな間に、ちがった方向で華開いてるよなあ(笑)。あまりにもソレって、星娘DNAだよなあ(笑)。
まりんちゃんはどんどん歌がやばくなっているよーな気がする……わ、わたしの耳がおかしいのかな。昔は歌のうまい子だという認識だったんだがな……。
にしても、かわいい。
めーっちゃかわいい。
芝居ではスターを夢見る等身大の女の子、ショーでの目玉はなんといっても「イーハトーヴ」の少女。もー、めっちゃかわいい。少女役なんか、マジでお人形みたいだ。
他の組に比べて、下級生の見せ場自体は少ない気がした。れおんオンステージな印象。実力の乖離がそう誤解させただけかしら。
「押されている」と思ったのは天寿光希。首席入団で「TTOK」の表紙を飾った子だよね?
まだ男役にはなっておらず、女の子のまま子役を熱演。
ショーでは中性的なかわいこちゃん少年。
さて、この子はこれからどう変わっていくんだろう?
あとはなんといっても、壱城あずさ。芝居は相当アレで、どーなることかと手に汗握ったが、ショーではソレを払拭して余りあるやる気っぷりだった。
こちょこちょといろいろやってるよー。や、本人的にはかなりキザってアピってるつもりなんだろう。その心意気やヨシ!(笑)
あー、この子も89期なわけかー。
そして、全体としても「星組」を感じました。
月組はおとなしいのでカラーがまるでチガウからいいとして、花組と星組はカラーが「似て非なる」。
花組は個人芸というか、「オレを見ろ!」「ワタシを見て!」と戦闘意欲満々でアピりまくる。客はそれをたのしく受け止める。
星組は、たしかに個人でアピりもしているんだけど、それよりも「祭りだわっしょい!」とゆーか、「お客さん、たのしんでいってね!!」という感が強い。客も一緒になって大騒ぎする、参加するというか。
しばらく星組を離れていたので、ソレを忘れていたのですよ……。
「さあ、みなさんもご一緒に!」
と舞台から指図され、立ち上がって一緒に踊らなければならなかったとき、うっわー、星組に来ちゃったよ!!と思い知った(笑)。
花組なら「踊るオレたちを見てくれ!」なのに、星組だと「一緒に踊れ!」になるんだ……。
なまじ、わたしが観たのが千秋楽だから。
客席、ファンとリピーターばっかだし!!
踊ること前提で、シャンシャン?まで持ち込んでるし!
すんません、予備知識なかったんで、引きました……(笑)。
隣の席が会の人たちで、手拍子も拍手もずーっと「目の高さ」なんすよ……ショーの間中ずっと。わたしよりセンター側の人たちだから、目の端にずーっと揺れているものが入るのって、かなりつらい。音が大きいのは、もーべつにいいんだけど。
18年観劇してきて、他人の手拍子の手が邪魔でつらかったのって、はじめてだ。しかも手振りが大きいから、何度となくわたしにぶつかってきたし。わたし、自分の席にいるだけなのに……肘置きにだって触れてないのに。
かなりこわがって、反対側に寄って、小さくなってました(笑)。
昔何故自分が星組を苦手とし、ほとんど観なかったのかを思いだした(笑)。
人見知り(笑)な人間には入りにくいのだ、星組って。
熱狂の坩堝に突然放り込まれても、自分と周囲の温度差にびびってしまう、という。
ただし。
いったん中へ入ってしまうと、すっげーたのしいのだ、星組って。
阿波踊りぢゃないけど、熱狂している人たちを引いて眺めているより、中に入って一緒に踊ってしまえば快感なのだ。
隣の席の人たちがめちゃくちゃこわいけど、後ろの席の人たちもすげーこわいけど(会話が聞こえるんだ、熱烈リピーターなんだ)、びびるなわたし、引くなわたし!
星組は、こーゆー組なんだ。理解して、ソレをたのしめ!!
つーことで。
一緒に踊ってきました、カーテンコールで(笑)。
や、ちっとも踊れてなかったけどなっ。遅れていたし、まちがいまくってたけどさっ。んなもん、生まれてはじめて見た振りをそのままコピれるなら、ダンスの授業で居残りレッスンさせられたりしなかったさ!!(かなしみの高校時代。わたしはダンスなんか大嫌いだった)
カテコでは、あかしのオトコマエさをさらに堪能したよ。
なんと言っていいかわからず沈黙してしまっているれおんの手を取り、問答無用で「ばんざーい」と上げさせてしまったその姿。
ああ、なんてステキに攻キャラなの……と、感動してしまいました。
えへっ(照笑)。
えー、娘役では、コロちゃんがすごかったっす。
芝居ではとーってもナチュラルにコメディエンヌぶりを発揮。
とてもありがちな「やり手の女社長」を熱演。
コロちゃんに関しては、「ええっ、こんなにうまかったの?!」というおどろきがない。
てか、うまいよね? 知ってるし。
……ん? なんで知ってるんだ?
今までコロちゃん、なんかまともに役もらったことってあったっけ?
改めて思い返してみると、「役」としてはなにもない。
ただ。
わたしの印象に残りまくっているコロちゃんは、『王家に捧ぐ歌』中日公演のエチオピア娘。
わたしは4列目だっけか、数字は忘れたけどかなり前方席で観劇していた。
そのときの黒塗りコロちゃんがもー、濃かったのだわ。濃すぎ。目の前で繰り広げられる、慟哭芝居の数々。コロちゃんガン見しちゃったってばよ、あまりに濃すぎて。
台詞がなかろーがライトが当たっていなかろーが、おかまいなしにガンガンとばしていた。
あの姿を見、声の美しさを知っていたらもー、なんの心配もありません。
コロちゃん? ああ、うまいよね、知ってるよー。と。
意外だったのは、彼女が「ダンサー」としても「ショースター」だったことだ。
歌の人だという思いこみがあったので、軽やかにかつ熱く踊っているのを見てびっくり。
なんだ、ダンスもイケるんじゃん。小気味いいキャラクタだ。
芝居はヒロイン不在というか、れおんがいろんな娘役と絡んでみました、てな感じなんだけど、別格スターっぽいのが華美ゆうかちゃん。
あまりに堂に入った「大人の女」ぶりがすごい。変だなあ、『巖流』の阿国なのになあ。『ドルチェ・ヴィータ!』のかわいこちゃんシンガー・トリオなのになあ。
わずかな間に、ちがった方向で華開いてるよなあ(笑)。あまりにもソレって、星娘DNAだよなあ(笑)。
まりんちゃんはどんどん歌がやばくなっているよーな気がする……わ、わたしの耳がおかしいのかな。昔は歌のうまい子だという認識だったんだがな……。
にしても、かわいい。
めーっちゃかわいい。
芝居ではスターを夢見る等身大の女の子、ショーでの目玉はなんといっても「イーハトーヴ」の少女。もー、めっちゃかわいい。少女役なんか、マジでお人形みたいだ。
他の組に比べて、下級生の見せ場自体は少ない気がした。れおんオンステージな印象。実力の乖離がそう誤解させただけかしら。
「押されている」と思ったのは天寿光希。首席入団で「TTOK」の表紙を飾った子だよね?
まだ男役にはなっておらず、女の子のまま子役を熱演。
ショーでは中性的なかわいこちゃん少年。
さて、この子はこれからどう変わっていくんだろう?
あとはなんといっても、壱城あずさ。芝居は相当アレで、どーなることかと手に汗握ったが、ショーではソレを払拭して余りあるやる気っぷりだった。
こちょこちょといろいろやってるよー。や、本人的にはかなりキザってアピってるつもりなんだろう。その心意気やヨシ!(笑)
あー、この子も89期なわけかー。
そして、全体としても「星組」を感じました。
月組はおとなしいのでカラーがまるでチガウからいいとして、花組と星組はカラーが「似て非なる」。
花組は個人芸というか、「オレを見ろ!」「ワタシを見て!」と戦闘意欲満々でアピりまくる。客はそれをたのしく受け止める。
星組は、たしかに個人でアピりもしているんだけど、それよりも「祭りだわっしょい!」とゆーか、「お客さん、たのしんでいってね!!」という感が強い。客も一緒になって大騒ぎする、参加するというか。
しばらく星組を離れていたので、ソレを忘れていたのですよ……。
「さあ、みなさんもご一緒に!」
と舞台から指図され、立ち上がって一緒に踊らなければならなかったとき、うっわー、星組に来ちゃったよ!!と思い知った(笑)。
花組なら「踊るオレたちを見てくれ!」なのに、星組だと「一緒に踊れ!」になるんだ……。
なまじ、わたしが観たのが千秋楽だから。
客席、ファンとリピーターばっかだし!!
踊ること前提で、シャンシャン?まで持ち込んでるし!
すんません、予備知識なかったんで、引きました……(笑)。
隣の席が会の人たちで、手拍子も拍手もずーっと「目の高さ」なんすよ……ショーの間中ずっと。わたしよりセンター側の人たちだから、目の端にずーっと揺れているものが入るのって、かなりつらい。音が大きいのは、もーべつにいいんだけど。
18年観劇してきて、他人の手拍子の手が邪魔でつらかったのって、はじめてだ。しかも手振りが大きいから、何度となくわたしにぶつかってきたし。わたし、自分の席にいるだけなのに……肘置きにだって触れてないのに。
かなりこわがって、反対側に寄って、小さくなってました(笑)。
昔何故自分が星組を苦手とし、ほとんど観なかったのかを思いだした(笑)。
人見知り(笑)な人間には入りにくいのだ、星組って。
熱狂の坩堝に突然放り込まれても、自分と周囲の温度差にびびってしまう、という。
ただし。
いったん中へ入ってしまうと、すっげーたのしいのだ、星組って。
阿波踊りぢゃないけど、熱狂している人たちを引いて眺めているより、中に入って一緒に踊ってしまえば快感なのだ。
隣の席の人たちがめちゃくちゃこわいけど、後ろの席の人たちもすげーこわいけど(会話が聞こえるんだ、熱烈リピーターなんだ)、びびるなわたし、引くなわたし!
星組は、こーゆー組なんだ。理解して、ソレをたのしめ!!
つーことで。
一緒に踊ってきました、カーテンコールで(笑)。
や、ちっとも踊れてなかったけどなっ。遅れていたし、まちがいまくってたけどさっ。んなもん、生まれてはじめて見た振りをそのままコピれるなら、ダンスの授業で居残りレッスンさせられたりしなかったさ!!(かなしみの高校時代。わたしはダンスなんか大嫌いだった)
カテコでは、あかしのオトコマエさをさらに堪能したよ。
なんと言っていいかわからず沈黙してしまっているれおんの手を取り、問答無用で「ばんざーい」と上げさせてしまったその姿。
ああ、なんてステキに攻キャラなの……と、感動してしまいました。
えへっ(照笑)。