『春のおどり』をご覧になりませんか?@春のおどり
2006年4月17日 タカラヅカ「OSKをご存じですか」というメールが届いた。
えーと、はい、知ってます。大阪人のたしなみとして、認識はしています。
近鉄沿線のイベントに行くと、ミニ興行をしてくれていたりするので、そのときはありがたく観ておりました。地方博とかで、整理券さえGETすればタダで観られるヤツ。よろこんで並んだわ。
あと、テレビで何回か観たな。『レディ・アンをさがして』とか、菊池秀行原作のとか。
知っているけど、ナマをちゃんと観たことがない。
何故か。
たんに、出会いがなかったのですわ。
わたしは北大阪人で、阪急沿線で生まれ育った。南大阪の文化には、触れる機会があまりなくて。や、他の地域の人にゃーわからんだろうが、大阪ってキタとミナミではかなり文化も言葉もチガウのよ。
10代も終わりになれば行動範囲も広がり、南大阪にもアンテナが向くようになったけれど、そのころにはすでに「宝塚歌劇」と出会っており、びんぼーなわたしはヅカだけで手一杯、他のモノに趣味を広げる余裕がなかった。
お金さえあれば、観に行ってたんだけどなあ。
その昔堂島で働いていたころ、ドーチカの掲示板に『アップフェルラント物語』とか、『天上の虹』とか、ヲタク心をくすぐるポスターが貼ってあるのを、横目で眺めながら出勤していたもの。
OSK解散のニュースがあちこちで目にとまるころ、第九の練習で南大阪に行ったとき、友だちとの待ち合わせの近鉄駅で、ぼーっとポスターを眺め、タカラヅカの未来にも暗いものを感じていたり。
大阪で生きている以上、自然と目に耳に入ってくる。
タカラヅカではない、女性だけの歌劇団のこと。
紆余曲折の末OSKが復活し、興行していることも耳に入る。純粋に、よかったと思う。ヅカで手一杯のわたしには関係ないことでも、業界が活発になる話は聞いていてうれしい。
とゆー、それだけの認識。
そんなわたしに、「OSKの『春のおどり』ご覧になりませんか?」というお誘いが舞い込んできた。
ご招待ですってよ。えええっ、いいんですか?! 見ず知らずのわたしに?!
しっぽ振ってミナミの松竹座まで行きました。
招待主からインフォメ預けになっていたチケットを、ロビーで受け取ってビックリ。
最前列センターでした。
く、くらくらっ。
いいんですかっ、コレっ?!
なんか舞い上がって、開演までそのへんうろうろしてました。おー、花道だー。うわー、松竹座って係員多いなー。うろついてると、やたら目が合う(笑)。わたしってかなり不審者?
東京のHOTEL DOLLYから直行したので、大荷物だし(笑)。
ところで。
OSKこと「NewOSK日本歌劇団」のことを、わたしはなーんにも知りません。
存在を認識している、テレビで観たことがある、程度では、なんも知らんのと同じです。
そして、なにも知らないくせに、事前に予習はまったくしとりません。
予備知識、キライなんだわ。
勉強しなきゃたのしめないよーなものは、べつにたのしみたいと思わないクチ。
なんにも知らないわからない、知識レベルの低いわたしのよーな者が観て、ふつーにたのしめるものでなきゃ、つまんない。
通な人だけが楽しめるもの、知識人だけが理解できる高尚なものなんて、興味ないもん。
……たんに、生来のナマケモノで、勉強が大嫌い、とゆーだけのことでもあるんだけど(笑)。
そんなわたしが、わけわかってないまま観劇開始。
『春のおどり』は第一部が「義経桜絵巻」とある。ポスターも義経モノの扮装になっている。
さあ、予備知識のないうっかりモノがこれだけの情報で席に坐り、なにを思うか。
タイトルが『春のおどり』だから、日舞ショーだよね?
わたしの単純なのーみその認識は、「おどり」=日舞、「ダンス」=洋舞なのだった!!
義経をテーマにした日舞ショーだと思ったの!!
第二部のタイトルは、まーったく目に入ってなかったの。だってポスター義経だし! 『春のおどり』だし!
ちなみに、第二部タイトルは、「ハッピー・ゲーム−人生は素晴らしいゲーム!−」です。
こんなタイトルなのに、それでもあたしゃ、日舞ショー2本立てだと、信じ込んでいた。
だってだって、『春のおどり』なんだもん! 「おどり」って言えば、日舞なんだもんっ。
『義経桜絵巻』と『ハッピー・ゲーム』なら、日本物と洋物の2本立てなんだなってわかったけど、通しタイトルが『春のおどり』だから、わかんなかったんだもん!!
日本物『春のおどり』の中に、義経ショーと部分的に洋物テイストも入れた和物ショーがあるんだと思ってたんだもん、『花扇抄』みたいに!
……すんません、めっさ無知で。
と、ここまでなーんもわかっていないまま、第一部。
なにしろ、日舞ショーだと思い込んでいたから。
芝居だったので、おどろいた。
ミュージカルだったの?
いや、たしかにあのポスターからすれば、そんな感じはしたけど、だってタイトルが『春のおどり』だから(以下略)。
芝居? ミュージカル? と、アタマが「???」だったので、相当出遅れる(笑)。
そうか、芝居なんだ、歴史ミュージカルなんだ、やーんたのしー。
と、アタマを切り替えたあたりで狐が登場し、幻想シーン突入。
で、びっくりする(笑)。
なまじそこまでが、忠実に大河歴史物っぽい(大河歴史物名場面集? 物語はかなりつぎはぎ風味)展開だったので。
終わりそうだけど、これで終わるとしたら、やっぱりこれは歴史ミュージカルではなく、ショーだったのか? と、さらに混乱。
ほんとーにそこで、終わってしまった。
うわーうわーうわー。
せっかくの超良席で、なにやってんですかわたし!!
クチぽかんと開けたまま、終わっちゃったよ。
無知ゆえの混乱があったことは置くとして(笑)。
芝居だとしても和物ショーだとしても、わたし的にたぶん、「ファンタジー」が足りなかったなと。
ストーリーを解説するまでもない、みんなが知っているままの『義経記』をネタにわかりやすいシーンや有名なシーンを再現し、ひとつの物語にしてあるわけなんだけど。
有名どころにこだわったせいなのか、話の端折り方はすごい。タッキーの大河ドラマのように、源義朝と常盤御前の都落ちからはじまるんだもの。えーとコレ、何時間の芝居だ? このペースでやって、牛若丸はいつ義経になるんだ? 時間の単位が大きすぎないか?
場面場面で時間も出来事も気前よくぽーんと跳び、そのくせ場面場面でちゃんと「芝居」をする。
その真面目に「歴史芝居」な部分と、「狐登場」のギャップに、伏線プリーズ!と、思いました。
「歴史芝居」と「狐」の間をつなぐ、「ファンタジー」があればなあ。
てゆーかソレってたんに、わたしの好みってだけだけど。
オープニングから、「失われたもの」感が強ければ強いほど、途中の栄華がせつないというか。
つっても、『春のおどり』だもんな。辛気くさいオープニングはできないか……。
幕開き、舞台狭しと居並ぶきらびやかな中世貴族の、見目麗しさ華やかさに息をのむ、のは、日本物の醍醐味だもんなー。
ただ、『義経記』はあまりにオイシイ題材だから、よりファンタジーであった方がわたしの好みだったと思う。あれほどストーリーつぎはぎ「物語は知っていて当然。名場面を見てたのしんでくれ」な作りなだけに。
つぎはぎ感をフォローするためにも、「ファンタジー」が必要だったなと思う。
とまあ、いつものよーに、物語の構成についてうだうだ考えてみるところから、わたしの初OSK体験記ははじまるのだ。
えーと、はい、知ってます。大阪人のたしなみとして、認識はしています。
近鉄沿線のイベントに行くと、ミニ興行をしてくれていたりするので、そのときはありがたく観ておりました。地方博とかで、整理券さえGETすればタダで観られるヤツ。よろこんで並んだわ。
あと、テレビで何回か観たな。『レディ・アンをさがして』とか、菊池秀行原作のとか。
知っているけど、ナマをちゃんと観たことがない。
何故か。
たんに、出会いがなかったのですわ。
わたしは北大阪人で、阪急沿線で生まれ育った。南大阪の文化には、触れる機会があまりなくて。や、他の地域の人にゃーわからんだろうが、大阪ってキタとミナミではかなり文化も言葉もチガウのよ。
10代も終わりになれば行動範囲も広がり、南大阪にもアンテナが向くようになったけれど、そのころにはすでに「宝塚歌劇」と出会っており、びんぼーなわたしはヅカだけで手一杯、他のモノに趣味を広げる余裕がなかった。
お金さえあれば、観に行ってたんだけどなあ。
その昔堂島で働いていたころ、ドーチカの掲示板に『アップフェルラント物語』とか、『天上の虹』とか、ヲタク心をくすぐるポスターが貼ってあるのを、横目で眺めながら出勤していたもの。
OSK解散のニュースがあちこちで目にとまるころ、第九の練習で南大阪に行ったとき、友だちとの待ち合わせの近鉄駅で、ぼーっとポスターを眺め、タカラヅカの未来にも暗いものを感じていたり。
大阪で生きている以上、自然と目に耳に入ってくる。
タカラヅカではない、女性だけの歌劇団のこと。
紆余曲折の末OSKが復活し、興行していることも耳に入る。純粋に、よかったと思う。ヅカで手一杯のわたしには関係ないことでも、業界が活発になる話は聞いていてうれしい。
とゆー、それだけの認識。
そんなわたしに、「OSKの『春のおどり』ご覧になりませんか?」というお誘いが舞い込んできた。
ご招待ですってよ。えええっ、いいんですか?! 見ず知らずのわたしに?!
しっぽ振ってミナミの松竹座まで行きました。
招待主からインフォメ預けになっていたチケットを、ロビーで受け取ってビックリ。
最前列センターでした。
く、くらくらっ。
いいんですかっ、コレっ?!
なんか舞い上がって、開演までそのへんうろうろしてました。おー、花道だー。うわー、松竹座って係員多いなー。うろついてると、やたら目が合う(笑)。わたしってかなり不審者?
東京のHOTEL DOLLYから直行したので、大荷物だし(笑)。
ところで。
OSKこと「NewOSK日本歌劇団」のことを、わたしはなーんにも知りません。
存在を認識している、テレビで観たことがある、程度では、なんも知らんのと同じです。
そして、なにも知らないくせに、事前に予習はまったくしとりません。
予備知識、キライなんだわ。
勉強しなきゃたのしめないよーなものは、べつにたのしみたいと思わないクチ。
なんにも知らないわからない、知識レベルの低いわたしのよーな者が観て、ふつーにたのしめるものでなきゃ、つまんない。
通な人だけが楽しめるもの、知識人だけが理解できる高尚なものなんて、興味ないもん。
……たんに、生来のナマケモノで、勉強が大嫌い、とゆーだけのことでもあるんだけど(笑)。
そんなわたしが、わけわかってないまま観劇開始。
『春のおどり』は第一部が「義経桜絵巻」とある。ポスターも義経モノの扮装になっている。
さあ、予備知識のないうっかりモノがこれだけの情報で席に坐り、なにを思うか。
タイトルが『春のおどり』だから、日舞ショーだよね?
わたしの単純なのーみその認識は、「おどり」=日舞、「ダンス」=洋舞なのだった!!
義経をテーマにした日舞ショーだと思ったの!!
第二部のタイトルは、まーったく目に入ってなかったの。だってポスター義経だし! 『春のおどり』だし!
ちなみに、第二部タイトルは、「ハッピー・ゲーム−人生は素晴らしいゲーム!−」です。
こんなタイトルなのに、それでもあたしゃ、日舞ショー2本立てだと、信じ込んでいた。
だってだって、『春のおどり』なんだもん! 「おどり」って言えば、日舞なんだもんっ。
『義経桜絵巻』と『ハッピー・ゲーム』なら、日本物と洋物の2本立てなんだなってわかったけど、通しタイトルが『春のおどり』だから、わかんなかったんだもん!!
日本物『春のおどり』の中に、義経ショーと部分的に洋物テイストも入れた和物ショーがあるんだと思ってたんだもん、『花扇抄』みたいに!
……すんません、めっさ無知で。
と、ここまでなーんもわかっていないまま、第一部。
なにしろ、日舞ショーだと思い込んでいたから。
芝居だったので、おどろいた。
ミュージカルだったの?
いや、たしかにあのポスターからすれば、そんな感じはしたけど、だってタイトルが『春のおどり』だから(以下略)。
芝居? ミュージカル? と、アタマが「???」だったので、相当出遅れる(笑)。
そうか、芝居なんだ、歴史ミュージカルなんだ、やーんたのしー。
と、アタマを切り替えたあたりで狐が登場し、幻想シーン突入。
で、びっくりする(笑)。
なまじそこまでが、忠実に大河歴史物っぽい(大河歴史物名場面集? 物語はかなりつぎはぎ風味)展開だったので。
終わりそうだけど、これで終わるとしたら、やっぱりこれは歴史ミュージカルではなく、ショーだったのか? と、さらに混乱。
ほんとーにそこで、終わってしまった。
うわーうわーうわー。
せっかくの超良席で、なにやってんですかわたし!!
クチぽかんと開けたまま、終わっちゃったよ。
無知ゆえの混乱があったことは置くとして(笑)。
芝居だとしても和物ショーだとしても、わたし的にたぶん、「ファンタジー」が足りなかったなと。
ストーリーを解説するまでもない、みんなが知っているままの『義経記』をネタにわかりやすいシーンや有名なシーンを再現し、ひとつの物語にしてあるわけなんだけど。
有名どころにこだわったせいなのか、話の端折り方はすごい。タッキーの大河ドラマのように、源義朝と常盤御前の都落ちからはじまるんだもの。えーとコレ、何時間の芝居だ? このペースでやって、牛若丸はいつ義経になるんだ? 時間の単位が大きすぎないか?
場面場面で時間も出来事も気前よくぽーんと跳び、そのくせ場面場面でちゃんと「芝居」をする。
その真面目に「歴史芝居」な部分と、「狐登場」のギャップに、伏線プリーズ!と、思いました。
「歴史芝居」と「狐」の間をつなぐ、「ファンタジー」があればなあ。
てゆーかソレってたんに、わたしの好みってだけだけど。
オープニングから、「失われたもの」感が強ければ強いほど、途中の栄華がせつないというか。
つっても、『春のおどり』だもんな。辛気くさいオープニングはできないか……。
幕開き、舞台狭しと居並ぶきらびやかな中世貴族の、見目麗しさ華やかさに息をのむ、のは、日本物の醍醐味だもんなー。
ただ、『義経記』はあまりにオイシイ題材だから、よりファンタジーであった方がわたしの好みだったと思う。あれほどストーリーつぎはぎ「物語は知っていて当然。名場面を見てたのしんでくれ」な作りなだけに。
つぎはぎ感をフォローするためにも、「ファンタジー」が必要だったなと思う。
とまあ、いつものよーに、物語の構成についてうだうだ考えてみるところから、わたしの初OSK体験記ははじまるのだ。
『ドルチェ・ヴィータ!』千秋楽ファーストラン祭り。
2006年4月16日 タカラヅカ
今宵アナタと、どりーずないと。
えー、東京へ遠征してました。
目的は観劇でも仕事でもなんでもありません。
『ドルチェ・ヴィータ!』のスカステ放送、ファーストランを、HOTEL DOLLYで見るために。
たかがテレビ放送を見るためだけに、東京へ。
自分ちで見られるのに、東京へ。
HOTEL DOLLYへ集まったのは、2004年末共に狂乱の日々を送った戦友たち。
ドリーさん、kineさん、サトリちゃん、そして当時はまだ知り合っていなかったけれど、いつも同じ空間にいたジュンタさん。チェリさんは残念ながら不参加。
『ドルチェ・ヴィータ!』ムラ初日にkineさんと知り合い、ケロのディナーショーのときにドリーさんと知り合い、『ドルチェ・ヴィータ!』東宝初日にサトリちゃんと知り合った。
みんなそろってスクラム組んで、声を張り上げながら全力疾走した日々。
東京のドリーさんの自宅は合宿所状態。敬意と愛情を込めて、そこをHOTEL DOLLYと呼ぶ。
あの、せつなくて愛しい日々を共に過ごした場所で、同志たちと共に『ドルチェ・ヴィータ!』を見る。
2004年12月26日。
あの日の映像を見る。
そのためだけに、夜行バスに乗った。
ドリーさんのお部屋は、見事なまでに『ドルチェ・ヴィータ!』仕様になっていた。
玄関から「海に沈んだカエル」(写真参照)がお出迎えだよ。
あの日を一緒に過ごしたカエル。キザなイタリア人のkineさんが、プレゼントしてくれたものだ。ドリーさんには白いカエルを、わたしには水兵さんのカエルを。
そのカエルを見つめるわたしに、ドリーさんが言う。
「泣かないでね(笑)」
ななな泣かないよ。泣きそうだけど。
他にもリアルト橋や青の洞窟の写真が貼られ、「海」「ブルー」をテーマにしたデコレーションがされ、ドリーさんの手料理もイタリア尽くしだ。
「中華料理という選択肢もあるな、と思ったけど、やっぱりイタリアにした」
とゆードリーさんに、出席メンバー全員から、「中華はナイ!!」と総ツッコミ。イタリアで正解ですよドリーさん。『花舞う長安』はスルーです。
イタリアワインを飲みながら(ドリーさんはさらに、イタリアワインのコルクと格闘しながら)、みんなで『ドルチェ・ヴィータ!』を見る。
ずっとじわじわと、痛かったの。
たとえば、劇場で、スカステの4月の番組表の表紙を見たとき。
たとえば、家でなんとなく流しているスカステで、予告が流れたとき。
『ドルチェ・ヴィータ!』に関するもの、なにもかもが、痛い。
不意を突かれると、泣きたくなる。
だから、HOTEL DOLLYが必要。
あの日を過ごした仲間たちと、けじめをつける。
痛さをこわがらないで、美しい思い出にするために。
みんなでカメラアングルにツッコミながら、鑑賞した。
アングルには不満バリバリだ。
唯一のグッジョブは、コーザノストラのしい×ケロが映っていたこと。
あとは「何故そこでソレを映す!!」「信じられない!」「ここで引くか?!」「アップ過ぎ! なにやってんのかわかんないじゃん!」の連続。
くそーっ、わたしが編集するなら、こんな妙なことはしないのに。ケロのことは置くとしても、無意味なアングルが多かった。ストーリー重視でもなくスター重視でもなく、テーマの見えない編集だ。
映像自体はカメラの数だけあるんだよね?
だったら、その編集前の映像全部流して、そこから好きなアングルだけ買えるようにしてよ。別料金払うからさ。
スカステの方針として一貫しているトウコの泣き顔を撮るっつーのは、客のニーズをわかってるなー、と思うけども。
まさかねー、袴姿で階段を下りてくる退団者を撮らずに、それを見つめているトウコの横顔を撮る、つーのは……スカステ、方針はっきりしすぎ(笑)。
アングルがどうであれ、美しい舞台だ。『ドルチェ・ヴィータ!』。
もう今はいない人たちが、いるところ。
白いスーツの男は、淋しい悪魔と共に海に沈んだ。
今はしあわせかな。
しあわせだといいな。
帰らない日々を歌う人々のあと、最後の最後に太陽が現れる。
新しい1日を、希望を歌うおおきな男が現れる。身体だけでなく、心がおおきな男。
ワタさんで良かった。
ほんとうに、ケロを送ってくれたのが、湖月わたるで良かった。
光と熱をありがとう。
救われた。
そう思うよ。
笑い、ツッコミ、文句を垂れ、そしてびーびー泣きながら、狂乱の夜は更ける。
0時を過ぎれば、ドリーさんのお誕生日だ。
『ドルチェ・ヴィータ!』ナイトは、ドリーさんのバースディナイトでもある。
おめでとー、ドリーさん。
あなたの1年が、素晴らしいものでありますように。
あなたが生まれてくれた、わたしと出会ってくれた、友だちになってくれたことに、感謝を込めて。
そして、この仲間たちと出会えたこと、一緒に笑い、一緒に泣けたことに、感謝して。
くそぉ、人生っていいよなー。
うれしいことや、素敵なことがいっぱいだ。
そりゃねそれと同じくらい、かなしいことも転がってるんだけどさ。
わたしゃ単純だから、同じ数のうれしいことがあれば、それでもう、「人生丸儲けだ!」と思うよ。
思い出話や、四方山話。
タカラヅカ全体のこと、ケロのこと、現在上演中の公演のこと。
「『THE LAST PARTY』のスコットがイケコで、アーネストがキムシンだよね」
とかゆー話とかな(笑)。ハマりすぎだぞ、小池とキムシン。
ドリーさん、kineさん、サトリちゃん、ジュンタン、ありがとー。
チェリさん、晃さん、DVD送るから待っててね。
HOTEL DOLLYと、『ドルチェ・ヴィータ!』に乾杯。
えー、東京へ遠征してました。
目的は観劇でも仕事でもなんでもありません。
『ドルチェ・ヴィータ!』のスカステ放送、ファーストランを、HOTEL DOLLYで見るために。
たかがテレビ放送を見るためだけに、東京へ。
自分ちで見られるのに、東京へ。
HOTEL DOLLYへ集まったのは、2004年末共に狂乱の日々を送った戦友たち。
ドリーさん、kineさん、サトリちゃん、そして当時はまだ知り合っていなかったけれど、いつも同じ空間にいたジュンタさん。チェリさんは残念ながら不参加。
『ドルチェ・ヴィータ!』ムラ初日にkineさんと知り合い、ケロのディナーショーのときにドリーさんと知り合い、『ドルチェ・ヴィータ!』東宝初日にサトリちゃんと知り合った。
みんなそろってスクラム組んで、声を張り上げながら全力疾走した日々。
東京のドリーさんの自宅は合宿所状態。敬意と愛情を込めて、そこをHOTEL DOLLYと呼ぶ。
あの、せつなくて愛しい日々を共に過ごした場所で、同志たちと共に『ドルチェ・ヴィータ!』を見る。
2004年12月26日。
あの日の映像を見る。
そのためだけに、夜行バスに乗った。
ドリーさんのお部屋は、見事なまでに『ドルチェ・ヴィータ!』仕様になっていた。
玄関から「海に沈んだカエル」(写真参照)がお出迎えだよ。
あの日を一緒に過ごしたカエル。キザなイタリア人のkineさんが、プレゼントしてくれたものだ。ドリーさんには白いカエルを、わたしには水兵さんのカエルを。
そのカエルを見つめるわたしに、ドリーさんが言う。
「泣かないでね(笑)」
ななな泣かないよ。泣きそうだけど。
他にもリアルト橋や青の洞窟の写真が貼られ、「海」「ブルー」をテーマにしたデコレーションがされ、ドリーさんの手料理もイタリア尽くしだ。
「中華料理という選択肢もあるな、と思ったけど、やっぱりイタリアにした」
とゆードリーさんに、出席メンバー全員から、「中華はナイ!!」と総ツッコミ。イタリアで正解ですよドリーさん。『花舞う長安』はスルーです。
イタリアワインを飲みながら(ドリーさんはさらに、イタリアワインのコルクと格闘しながら)、みんなで『ドルチェ・ヴィータ!』を見る。
ずっとじわじわと、痛かったの。
たとえば、劇場で、スカステの4月の番組表の表紙を見たとき。
たとえば、家でなんとなく流しているスカステで、予告が流れたとき。
『ドルチェ・ヴィータ!』に関するもの、なにもかもが、痛い。
不意を突かれると、泣きたくなる。
だから、HOTEL DOLLYが必要。
あの日を過ごした仲間たちと、けじめをつける。
痛さをこわがらないで、美しい思い出にするために。
みんなでカメラアングルにツッコミながら、鑑賞した。
アングルには不満バリバリだ。
唯一のグッジョブは、コーザノストラのしい×ケロが映っていたこと。
あとは「何故そこでソレを映す!!」「信じられない!」「ここで引くか?!」「アップ過ぎ! なにやってんのかわかんないじゃん!」の連続。
くそーっ、わたしが編集するなら、こんな妙なことはしないのに。ケロのことは置くとしても、無意味なアングルが多かった。ストーリー重視でもなくスター重視でもなく、テーマの見えない編集だ。
映像自体はカメラの数だけあるんだよね?
だったら、その編集前の映像全部流して、そこから好きなアングルだけ買えるようにしてよ。別料金払うからさ。
スカステの方針として一貫しているトウコの泣き顔を撮るっつーのは、客のニーズをわかってるなー、と思うけども。
まさかねー、袴姿で階段を下りてくる退団者を撮らずに、それを見つめているトウコの横顔を撮る、つーのは……スカステ、方針はっきりしすぎ(笑)。
アングルがどうであれ、美しい舞台だ。『ドルチェ・ヴィータ!』。
もう今はいない人たちが、いるところ。
白いスーツの男は、淋しい悪魔と共に海に沈んだ。
今はしあわせかな。
しあわせだといいな。
帰らない日々を歌う人々のあと、最後の最後に太陽が現れる。
新しい1日を、希望を歌うおおきな男が現れる。身体だけでなく、心がおおきな男。
ワタさんで良かった。
ほんとうに、ケロを送ってくれたのが、湖月わたるで良かった。
光と熱をありがとう。
救われた。
そう思うよ。
笑い、ツッコミ、文句を垂れ、そしてびーびー泣きながら、狂乱の夜は更ける。
0時を過ぎれば、ドリーさんのお誕生日だ。
『ドルチェ・ヴィータ!』ナイトは、ドリーさんのバースディナイトでもある。
おめでとー、ドリーさん。
あなたの1年が、素晴らしいものでありますように。
あなたが生まれてくれた、わたしと出会ってくれた、友だちになってくれたことに、感謝を込めて。
そして、この仲間たちと出会えたこと、一緒に笑い、一緒に泣けたことに、感謝して。
くそぉ、人生っていいよなー。
うれしいことや、素敵なことがいっぱいだ。
そりゃねそれと同じくらい、かなしいことも転がってるんだけどさ。
わたしゃ単純だから、同じ数のうれしいことがあれば、それでもう、「人生丸儲けだ!」と思うよ。
思い出話や、四方山話。
タカラヅカ全体のこと、ケロのこと、現在上演中の公演のこと。
「『THE LAST PARTY』のスコットがイケコで、アーネストがキムシンだよね」
とかゆー話とかな(笑)。ハマりすぎだぞ、小池とキムシン。
ドリーさん、kineさん、サトリちゃん、ジュンタン、ありがとー。
チェリさん、晃さん、DVD送るから待っててね。
HOTEL DOLLYと、『ドルチェ・ヴィータ!』に乾杯。
「緑野さんは、まっつじゃなくてそのかだと思った」
と、何人かに言われてますが。
……まっつでしたね。本格的に落ちたのは。
わたしも、そのかかなと思ったんだけど。
博多でそのか見て泣いたときはキタかと思ったんだけど。
そのかをそのかとして好きだけど、その、どうにも、痛くて。
初恋のチュンサンを想いつづけているユジンの前に、チュンサンそっくりのミニョンが現れ、苦悩するように。(イタイ喩えはやめなさい)
そのかを好きだけど、好きな分だけ痛くてつらくて、思わず目を逸らしたら、そこにまっつがいた。
男友だちに片思いの相談をしているうちに、片思いの相手ではなく、その相談相手に恋してしまったように。(イタイ喩えはやめなさい)
安全牌だと油断していた男に、気がついたときにはハマっていたよーに。(だから、イタイ喩えは……)
ケロともそのかとも、まったく似ていない、けれど彼らに似合うだろう男。
つっこみやすさと、いじりやすさ。
てゆーかこの、「目を逸らしたら」てなハマり方が、とってもまっつらしいというか。や、その、わたし的に。
いいよなまっつ。
「まっつ、人気ありますよ。ご贔屓の他に『わりと好き』っていう人のところで、よく名前が上がりますから」
……わりと、かよ。2番目以下の男かよ。
でもそーゆーとこが好き(笑)。
あー、まっつってサンヒョクが似合うキャラだよねー。フランツキャラだしさー。(何故『冬ソナ』と『エリザベート』を同列に語る)
ふつーに恋愛物のヒロインが「相手にしない」「いい人」キャラ(笑)。ハンサムで育ちが良くてお金持ちなのにさー。有能で性格もいいのにさー。
その報われない、儚げなイメージが、わたしを虜にする(笑)。
ケロもそのかも水くんも、わたしのなかでは男認定で、ナマの性別なんか認めてないけど、まっつは、女の子でも好きと、彼らとはずいぶんチガウ意味で好きだったりする。
これぐらいチガウハートでなきゃ、あれからまだ1年ちょいだ、ありえねーわな。
少しでも長く、まっつを眺めていられたらいいな。
それだけを、切に願う。
と、何人かに言われてますが。
……まっつでしたね。本格的に落ちたのは。
わたしも、そのかかなと思ったんだけど。
博多でそのか見て泣いたときはキタかと思ったんだけど。
そのかをそのかとして好きだけど、その、どうにも、痛くて。
初恋のチュンサンを想いつづけているユジンの前に、チュンサンそっくりのミニョンが現れ、苦悩するように。(イタイ喩えはやめなさい)
そのかを好きだけど、好きな分だけ痛くてつらくて、思わず目を逸らしたら、そこにまっつがいた。
男友だちに片思いの相談をしているうちに、片思いの相手ではなく、その相談相手に恋してしまったように。(イタイ喩えはやめなさい)
安全牌だと油断していた男に、気がついたときにはハマっていたよーに。(だから、イタイ喩えは……)
ケロともそのかとも、まったく似ていない、けれど彼らに似合うだろう男。
つっこみやすさと、いじりやすさ。
てゆーかこの、「目を逸らしたら」てなハマり方が、とってもまっつらしいというか。や、その、わたし的に。
いいよなまっつ。
「まっつ、人気ありますよ。ご贔屓の他に『わりと好き』っていう人のところで、よく名前が上がりますから」
……わりと、かよ。2番目以下の男かよ。
でもそーゆーとこが好き(笑)。
あー、まっつってサンヒョクが似合うキャラだよねー。フランツキャラだしさー。(何故『冬ソナ』と『エリザベート』を同列に語る)
ふつーに恋愛物のヒロインが「相手にしない」「いい人」キャラ(笑)。ハンサムで育ちが良くてお金持ちなのにさー。有能で性格もいいのにさー。
その報われない、儚げなイメージが、わたしを虜にする(笑)。
ケロもそのかも水くんも、わたしのなかでは男認定で、ナマの性別なんか認めてないけど、まっつは、女の子でも好きと、彼らとはずいぶんチガウ意味で好きだったりする。
これぐらいチガウハートでなきゃ、あれからまだ1年ちょいだ、ありえねーわな。
少しでも長く、まっつを眺めていられたらいいな。
それだけを、切に願う。
365日の現実よりも、たった1秒の夢のために。@Young Bloods!!
2006年4月14日 タカラヅカ あの合コンは、男×男が基本ですか?
『Young Bloods!! −青春花模様−』の合コン、突っ込むのも無意味なほどめちゃくちゃなんだけど。
それにしたって、園加学園・男3人女3人+教師2人、対する日向学園が男4人だけって。
園加学園の男たちは、男と知り合うのが目的で合コンに参加したってこと?
そして実際、とてもたのしそーに、ホスト部の男たちと歓談しているし。
ライ@夕霧らい、レア@彩城レアのことですよ!!
いつの間にか園加学園の女の子たちはいなくなり(サクラ? サクラなのか?!)、教師ふたりは『銀恋』のデュエット、コジロー君は爆睡、武蔵とスー子のみがなんか話しているその後ろで。
男×男で、なにふつーに合コンして盛り上がってるんですか?!(笑)
ポマードべったりオールバック黒タキ男ふたりはべらして、両手に花で舞い上がっているライはともかくとして。
やべえのは、黒タキホストとツーショットで飲んでいる、虚弱めがねっこレアですよ!!
ツーショはやばい。やばいって。しかも相手、ユーズミ@しゅん様だし! 主導権はもちろんしゅん様にあるようで、レアはなにか神妙なカオで話を聞いていたり、うながされて飲み物を取ってあげたり。このまま酔いつぶされたりしたら、絶対お持ち帰りされるって!! いや、酔ってなくても言いくるめられて持っていかれる! 逃げて、めがねっこ!
と、関係ないとこで盛り上がりましたね、第1幕。
アピールしまくり弱肉強食の花組クオリティで、いちばんダメダメなレアは、反対に目立っていた気がする。ショーの方でも、ひとりだけ途方に暮れたようなカオで踊ってるんだね……キザってみせても、次の瞬間へなちょこ化しているとゆーか。
さて、第2幕の「絢爛SONOKA祭り!」。
この公演のいちばんの痛手は、「歌手」をひとりも出演させなかったことだ。
ダンスがメインのワークショップだってわかってるよ。わかってるけどさ。歌もあれだけ歌われているわけだからさ。
聴かせるレベルの歌い手さんがひとりもいないショーって、すごい……。
しかも、真ん中が 音痴 ……歌が苦手なのに。
月組版を観たとき、nanakoさんとふたりで、危惧したんだよね。
「花組でも、主役は同じくらい歌うのか……?」
思わず震撼したわたしたちは、あわてて打ち消した。
「チガウよ、月組は真咲だからあんなに歌いまくってるんだよ」
「そうだよね、そのかは踊りまくるんだよね。歌わないよね」
……歌いまくってますがなっ。涙。
歌わなくていいから! ダンスに集中してくれていいから!
ああ、しかし、踊るそのかの横で朗々と歌えるソロ歌手がいない……。
言っても詮無きことだが、そのまつで芯を取る舞台が観たかったよ……踊るそのか、その横で歌うまっつ。得意分野がチガウってすばらしい。そのか組替えだし、次の本公演ショーないし、もうそんなシーン観られないんだね……涙。
そりゃ、ふつーレベルの方々はいらっしゃいますが。のどかちゃんもしゅん様もふつーには歌えるし、スー子ちゃんも大してうまくないにしろ声はきれいよ。しかし。ソロでえんえん聴かせる、場を収束できるほどの「歌手」ぢゃない……歌手がいない……。
いくらダンスメインを謳っていても、これはきついっす。
もちろん、下手でもなんでも、がんばっている彼らを観ることに意味があるのだから、たのしんでいるし惜しみない賞賛を贈ってもおりますが。
「知らなかった、こんなに歌のうまい子が!」とゆーサプライズはなかったなー。エンカレに期待しろってかー。
そのかは、ものごっつーがんばっていた。
歌うわ踊るわ、大活躍。
ここまで忙しいと、なにも考えている暇ないんじゃないかってぐらいの仕事量。
ぽかんと眺めているだけで、あっという間に終わる矢継ぎ早感。
そのかのスーツ姿、好きだな。
あの人に似ている、というだけではなくて。
そのかの笑顔が好きだな。
大きな口とカエル顔が好き。笑っているとね、あの人にはまったく似てないの(笑)。
ただやはり、演出の方向性の間違いを感じずにはいられない。
サイトーくんに、愛があるのはわかる。
そのかを好きでいろいろやってくれたんだろうということは。
でもさ。
1幕のバカコメディは、そのかの魅力を発揮できるいちばんの演目だったか? あるいは、そのかにとっていちばん勉強になる演目だったか?
ちがうだろ?
サイトーくんは、ただ自分のやりたいことをやっただけだろ?
そのかへの好意とは、別に。
そのかの魅力をいちばん表せるとしたら、それはバカコメディだのコント芝居だのではない。
さわやかなかわいこちゃんダンスでもない。
シリアスとさわやかの比率を逆転させてほしかったな、そのかの場合。パワフルだのテクニカルだのは、シリアス部分でも表現できるんだから。
セクシーさの合間にかわいさが垣間見える大人の男である方が、「ヘタレ男」だとか「街のかわいいちんぴら」であるよりキャッチーな魅力だと思う。
体力の限界よりは、じっくりと練られた場面を見せてくれよ。コント芝居よりは、とろけるような素敵な芝居を見せてよ。まず、機会を与えて。若さを言い訳に力勝負しないで。
「ヤング」だから青春コントでかわいこちゃんという発想の偏狭さがとほほだ。
月組に続いて花組も、主演の持ち味無視でそうだったから、残り3つの組も全部同じなんだろうかと震撼する。
ところで、この公演の千秋楽を観ていちばんおどろいたのは、サイトーくんが、「これが成功したら、辞めてもいい。命を懸けて書いた作品」だと言っていたらしいこと。byそのか挨拶。
こんなバカコント脚本が、それほどまでに書きたかったものなのか?!!
口が開いちゃったよ……大丈夫かサイトー。
男の趣味が同じわたしとnanakoさんは、『Young Bloods!! 』を観たあと、こぞって「しゅん様ステキー!!」と叫んでいたんだが(ちなみに、月組『Young Bloods!! 』を観たあとは、「白鳥かすがって好みのタイプ」とふたりして言っていた・笑)、楽を終えた今、別のことを叫んでおく。
マメ、素敵。
どうしよう。マメがオトコマエに見える……どきどき。
自己PRの片手側転とか、かっこよすぎ。つーかあーた、女ぢゃないよな? ふつーに男だよな?
『Young Bloods!! −青春花模様−』の合コン、突っ込むのも無意味なほどめちゃくちゃなんだけど。
それにしたって、園加学園・男3人女3人+教師2人、対する日向学園が男4人だけって。
園加学園の男たちは、男と知り合うのが目的で合コンに参加したってこと?
そして実際、とてもたのしそーに、ホスト部の男たちと歓談しているし。
ライ@夕霧らい、レア@彩城レアのことですよ!!
いつの間にか園加学園の女の子たちはいなくなり(サクラ? サクラなのか?!)、教師ふたりは『銀恋』のデュエット、コジロー君は爆睡、武蔵とスー子のみがなんか話しているその後ろで。
男×男で、なにふつーに合コンして盛り上がってるんですか?!(笑)
ポマードべったりオールバック黒タキ男ふたりはべらして、両手に花で舞い上がっているライはともかくとして。
やべえのは、黒タキホストとツーショットで飲んでいる、虚弱めがねっこレアですよ!!
ツーショはやばい。やばいって。しかも相手、ユーズミ@しゅん様だし! 主導権はもちろんしゅん様にあるようで、レアはなにか神妙なカオで話を聞いていたり、うながされて飲み物を取ってあげたり。このまま酔いつぶされたりしたら、絶対お持ち帰りされるって!! いや、酔ってなくても言いくるめられて持っていかれる! 逃げて、めがねっこ!
と、関係ないとこで盛り上がりましたね、第1幕。
アピールしまくり弱肉強食の花組クオリティで、いちばんダメダメなレアは、反対に目立っていた気がする。ショーの方でも、ひとりだけ途方に暮れたようなカオで踊ってるんだね……キザってみせても、次の瞬間へなちょこ化しているとゆーか。
さて、第2幕の「絢爛SONOKA祭り!」。
この公演のいちばんの痛手は、「歌手」をひとりも出演させなかったことだ。
ダンスがメインのワークショップだってわかってるよ。わかってるけどさ。歌もあれだけ歌われているわけだからさ。
聴かせるレベルの歌い手さんがひとりもいないショーって、すごい……。
しかも、真ん中が
月組版を観たとき、nanakoさんとふたりで、危惧したんだよね。
「花組でも、主役は同じくらい歌うのか……?」
思わず震撼したわたしたちは、あわてて打ち消した。
「チガウよ、月組は真咲だからあんなに歌いまくってるんだよ」
「そうだよね、そのかは踊りまくるんだよね。歌わないよね」
……歌いまくってますがなっ。涙。
歌わなくていいから! ダンスに集中してくれていいから!
ああ、しかし、踊るそのかの横で朗々と歌えるソロ歌手がいない……。
言っても詮無きことだが、そのまつで芯を取る舞台が観たかったよ……踊るそのか、その横で歌うまっつ。得意分野がチガウってすばらしい。そのか組替えだし、次の本公演ショーないし、もうそんなシーン観られないんだね……涙。
そりゃ、ふつーレベルの方々はいらっしゃいますが。のどかちゃんもしゅん様もふつーには歌えるし、スー子ちゃんも大してうまくないにしろ声はきれいよ。しかし。ソロでえんえん聴かせる、場を収束できるほどの「歌手」ぢゃない……歌手がいない……。
いくらダンスメインを謳っていても、これはきついっす。
もちろん、下手でもなんでも、がんばっている彼らを観ることに意味があるのだから、たのしんでいるし惜しみない賞賛を贈ってもおりますが。
「知らなかった、こんなに歌のうまい子が!」とゆーサプライズはなかったなー。エンカレに期待しろってかー。
そのかは、ものごっつーがんばっていた。
歌うわ踊るわ、大活躍。
ここまで忙しいと、なにも考えている暇ないんじゃないかってぐらいの仕事量。
ぽかんと眺めているだけで、あっという間に終わる矢継ぎ早感。
そのかのスーツ姿、好きだな。
あの人に似ている、というだけではなくて。
そのかの笑顔が好きだな。
大きな口とカエル顔が好き。笑っているとね、あの人にはまったく似てないの(笑)。
ただやはり、演出の方向性の間違いを感じずにはいられない。
サイトーくんに、愛があるのはわかる。
そのかを好きでいろいろやってくれたんだろうということは。
でもさ。
1幕のバカコメディは、そのかの魅力を発揮できるいちばんの演目だったか? あるいは、そのかにとっていちばん勉強になる演目だったか?
ちがうだろ?
サイトーくんは、ただ自分のやりたいことをやっただけだろ?
そのかへの好意とは、別に。
そのかの魅力をいちばん表せるとしたら、それはバカコメディだのコント芝居だのではない。
さわやかなかわいこちゃんダンスでもない。
シリアスとさわやかの比率を逆転させてほしかったな、そのかの場合。パワフルだのテクニカルだのは、シリアス部分でも表現できるんだから。
セクシーさの合間にかわいさが垣間見える大人の男である方が、「ヘタレ男」だとか「街のかわいいちんぴら」であるよりキャッチーな魅力だと思う。
体力の限界よりは、じっくりと練られた場面を見せてくれよ。コント芝居よりは、とろけるような素敵な芝居を見せてよ。まず、機会を与えて。若さを言い訳に力勝負しないで。
「ヤング」だから青春コントでかわいこちゃんという発想の偏狭さがとほほだ。
月組に続いて花組も、主演の持ち味無視でそうだったから、残り3つの組も全部同じなんだろうかと震撼する。
ところで、この公演の千秋楽を観ていちばんおどろいたのは、サイトーくんが、「これが成功したら、辞めてもいい。命を懸けて書いた作品」だと言っていたらしいこと。byそのか挨拶。
こんなバカコント脚本が、それほどまでに書きたかったものなのか?!!
口が開いちゃったよ……大丈夫かサイトー。
男の趣味が同じわたしとnanakoさんは、『Young Bloods!! 』を観たあと、こぞって「しゅん様ステキー!!」と叫んでいたんだが(ちなみに、月組『Young Bloods!! 』を観たあとは、「白鳥かすがって好みのタイプ」とふたりして言っていた・笑)、楽を終えた今、別のことを叫んでおく。
マメ、素敵。
どうしよう。マメがオトコマエに見える……どきどき。
自己PRの片手側転とか、かっこよすぎ。つーかあーた、女ぢゃないよな? ふつーに男だよな?
まさに「青春園加学園!」!!@Young Bloods!!
2006年4月13日 タカラヅカ ギャグひとつにしても、「男子ギャグ」と「女子ギャグ」がある。
男子の笑いツボは、女子とはチガウのだ。
去年、映画の『ホールド・アップ・ダウン』を見たときとか、痛感したよ。うっわー、男子ギャグだー。男子の感覚でポップでクールなコメディをやってるんだろうけど、女子のわたしには笑えないことの方が多かった。ジャニーズ主演映画なのに、なんでこうまで男子ギャグなんだ、と思ったなー。演じているのが男たちだから、彼らはきっと脚本に大ウケしたんだろうけど。
花組『Young Bloods!! −青春花模様−』は、男子ギャグテイストで作られている。マンガで言うなら『伊賀のカバ丸』+『うる星やつら』。『うる星』が少年マンガなのは周知のことだろうし、『カバ丸』は少女マンガに男子ギャグのテイストを持ち込んで成功した作品だ。
なにしろヒロインふたりが、両方ともツンデレって、どういうことよ?(笑)
生徒会長兼剣道部主将に不良少女ときたもんだ。方向性は逆だが、どっちも定番テンプレヒロイン。
そしてライバルキャラが白学ランに腰までの黒髪ロン毛のカンチガイ男(とりまき付き)ときたら、80年代少年マンガの王道ですか?
ストーリーも定番中の定番。
ヘタレ剣道部を率いる真面目強気娘スー子@澪乃せいらのもとに、宮本武蔵@そのかがタイムスリップしてきた。
おりしも剣道の大会目前。ライバル校剣道部のカンチガイ貴公子コジロー君@マメに「大会で負けたら交際をOKする」と宣言したスー子は、武蔵を部員に加えて団体戦に出場する。しかしこの宮本武蔵、史実とはちがい、卑怯でヘタレな弱虫だった……。
ヘタレ武蔵はツッパリ娘ジュリ@じゅりあに喝を入れられ、スー子のため、剣道部の仲間たちのために剣を取る。
よわよわダメ男だった武蔵は成長し、逃げない男となってもとの世界へ帰っていく。
「よくこの脚本を、舞台にしようと思ったな」と、初日を観たわたしとkineさんはうなずきあった。
商業作品というよりははてしなく学芸会に近い。あるいは、宴会芸か。
ふつーの学校の学園祭で、「3年A組」とかが上演していそうだ。
作品のいい悪い以前に、「宴会芸」と思わせるネタだけでできあがった物語、というのがすごい。
ネットでファンが罪なく「タカラヅカ学園とかあったらいいのにねー。男役はみんな男子生徒で、娘役は女生徒。専科のおねーさまたちや上級生たちが先生でぇ」とか、ネタとして話している、そのままのノリだ。
それを、給料もらってやっちゃいますか。
ワークショップとはいえ、商業演劇の板の上に載せちゃいますか。
すげーな、サイトー。
齋藤吉正、全開。
切っても切ってもサイトー、どこを取ってもねっとりサイトー。
OK、OK、あきれながらもOKです。
でもな。
コレしか出来なくなったら、終わりだぞ?
サイトーくん、1作ごと確実に退化しているからな。
ここで止めておこうよ。なっ?
ここが最低ライン、コレより下は、プロとしてマジやばいからさ。なっ?
前回の月組版もすごかったけど、今回のワークショップのお約束って、サムさ爆発、お笑い芝居なの?
なんだか、藤井くんもサイトーくんも、「若さ」を誤解している気がする。
若いから、現代を舞台にした、軽いノリだけで突っ走る芝居でヨシ、って思ってる?
えー、ソレ、若さとぜんぜん関係ないから。
若者が演じているから、まだサムさがマシ、っていうのはそもそも、設定と脚本に問題があるから。
演出家が「若さ」を言い訳にしているとしか思えない。
月組版と今回の花組版、芝居だけでいうなら、どっちがマシか、答えに窮するところだ。
脚本がよりさいてーなのは齋藤作品、学年のせいもあり出演者の総合能力が低かったのが藤井作品、だからなあ。
それでも、ナマで味わう分にはたのしめるよ。
ライヴってのは、それだけで意味がある。
こわいのは、テレビで放送されたときだよ……ぶるぶる。
脚本についてのツッコミはしない。
そーゆー次元の作品じゃない。
ひとことで言うなら、「お手上げ」だ。
ああ、ひとつだけ。
伏線を張るべきだった。
武蔵が現れて生徒たちでわいわいぎゃーぎゃー、「タイムスリップだ」「どーする?」「とりあえずわたしたちの教室に」てな会話の中に、ラストへの伏線を混ぜる。
「チョンマゲ君、ずっとここにいればいいじゃな〜い(はぁと)」
「ダダダダメだよ、そそそそんなことしたら、歴史が変わっちゃうよ。オオオレたちの知っている史実とチガウことが起これば、そのあとの歴史がぜぜ全部変わり、オレたちの今いる世界だって、どどどうにかなっちゃうんだよ」
(さりげなく、萌子とライの会話でお送りします・笑)
この「SF基本設定」の説明があるだけで、ずいぶんマシになると思うぞっと。
あとはホレ、ただのナンセンス青春学園コント芝居だから、なにも言いません。にっこり。
サイトーくんの脚本はたしかにひどいんだけど、花組には合っているのかもしれない。
なにしろ、出演者全員、アピール強すぎるから。
どこを見たらいいのかわからない。
わたしはそのかファンで、そのかを見に行ったのに、そのかだけを落ち着いて見ていられない。
舞台のそこかしこ、画面のあちこちで、なにかしらやっているのが目に入って。
目に入ると、気になって。
こ、こまった。
おまえら、やりすぎ(笑)。
他組と比べるのもなんだが。
月組というのは、総じておとなしい組なんだなと、常々感じていたことを今回また再確認した。
リカコンでもアサコンでも、共演の下級生たちは「主役の邪魔にならないように」と決して出過ぎた真似をしない、ひたすらバックダンサーに努めていた。
真咲主演の『Young Bloods!! 』でも、スター・真咲とその他下級生たち、であり、それぞれが決してはみ出すことなくスタンドプレイすることなく、おとなしくまとまっていた。
それがいいとか悪いとかじゃなく、ああ、カラーってのはあるもんなんだなと。
花組は、弱肉強食か(笑)。
誰が真ん中かなんて関係なく、ガンガン出てきやがる(笑)。
『TAKARAZUKA舞夢!』の黒タキ祭りを思い出すわ。お茶会でちはる兄貴が感嘆していたっけ。研いくつのハナ垂れ小僧までもがリーゼントを撫でつけ、キザりまくっていることに「花組クオリティ万歳」と。
おかげで、そのかが地味だ(笑)。
武蔵は主役とはいえ、まともなキャラなので(タイムスリップしてきたヘタレ武蔵がまともカウントされる世界観って……)、どーしても割を食うのなー。
この世界観でまともなのは武蔵と、ヒロインのスー子とサブヒロインのジュリのみ。
で、武蔵はボケキャラ。
ツッコミはスー子とジュリ。
しかしジュリは出番が少ないし、あまり他人に積極的に絡まないから、真のツッコミキャラはスー子だけになっている。
だもんで……つらかった。スー子、ツッコミ下手!!
他はべつにいいんだけどねー。「私を捕まえて〜〜(はぁと)」とか、いい味出してるんだけど。
ツッコミの空気の読めなさ具合はもー、じれったくてたまらん。
……いやその。
タカラジェンヌだから、コントが出来なくても、かまわないんだけど。コント芝居をやらせるサイトーが悪いんだけど。
武蔵と園加学園キャラはどっちかっつーと薄くて(いちばん濃いのはジュリとミホ先生って……)、コジロー君と日向学園ホスト部剣道部の面々が全部力尽くで持っていくんだよなー。
ああもお、コジロー君@マメ、大好きだ(笑)。
話が「内容が無いよう」なノリなので、キャラ萌えするしかない。
……なんでかな……ホスト部のしゅん様にいちばん目が行くんですが……彼もなんだか、わたしを見ているような気がするんですが……(いやソレ、カンチガイだから!!)。
男子の笑いツボは、女子とはチガウのだ。
去年、映画の『ホールド・アップ・ダウン』を見たときとか、痛感したよ。うっわー、男子ギャグだー。男子の感覚でポップでクールなコメディをやってるんだろうけど、女子のわたしには笑えないことの方が多かった。ジャニーズ主演映画なのに、なんでこうまで男子ギャグなんだ、と思ったなー。演じているのが男たちだから、彼らはきっと脚本に大ウケしたんだろうけど。
花組『Young Bloods!! −青春花模様−』は、男子ギャグテイストで作られている。マンガで言うなら『伊賀のカバ丸』+『うる星やつら』。『うる星』が少年マンガなのは周知のことだろうし、『カバ丸』は少女マンガに男子ギャグのテイストを持ち込んで成功した作品だ。
なにしろヒロインふたりが、両方ともツンデレって、どういうことよ?(笑)
生徒会長兼剣道部主将に不良少女ときたもんだ。方向性は逆だが、どっちも定番テンプレヒロイン。
そしてライバルキャラが白学ランに腰までの黒髪ロン毛のカンチガイ男(とりまき付き)ときたら、80年代少年マンガの王道ですか?
ストーリーも定番中の定番。
ヘタレ剣道部を率いる真面目強気娘スー子@澪乃せいらのもとに、宮本武蔵@そのかがタイムスリップしてきた。
おりしも剣道の大会目前。ライバル校剣道部のカンチガイ貴公子コジロー君@マメに「大会で負けたら交際をOKする」と宣言したスー子は、武蔵を部員に加えて団体戦に出場する。しかしこの宮本武蔵、史実とはちがい、卑怯でヘタレな弱虫だった……。
ヘタレ武蔵はツッパリ娘ジュリ@じゅりあに喝を入れられ、スー子のため、剣道部の仲間たちのために剣を取る。
よわよわダメ男だった武蔵は成長し、逃げない男となってもとの世界へ帰っていく。
「よくこの脚本を、舞台にしようと思ったな」と、初日を観たわたしとkineさんはうなずきあった。
商業作品というよりははてしなく学芸会に近い。あるいは、宴会芸か。
ふつーの学校の学園祭で、「3年A組」とかが上演していそうだ。
作品のいい悪い以前に、「宴会芸」と思わせるネタだけでできあがった物語、というのがすごい。
ネットでファンが罪なく「タカラヅカ学園とかあったらいいのにねー。男役はみんな男子生徒で、娘役は女生徒。専科のおねーさまたちや上級生たちが先生でぇ」とか、ネタとして話している、そのままのノリだ。
それを、給料もらってやっちゃいますか。
ワークショップとはいえ、商業演劇の板の上に載せちゃいますか。
すげーな、サイトー。
齋藤吉正、全開。
切っても切ってもサイトー、どこを取ってもねっとりサイトー。
OK、OK、あきれながらもOKです。
でもな。
コレしか出来なくなったら、終わりだぞ?
サイトーくん、1作ごと確実に退化しているからな。
ここで止めておこうよ。なっ?
ここが最低ライン、コレより下は、プロとしてマジやばいからさ。なっ?
前回の月組版もすごかったけど、今回のワークショップのお約束って、サムさ爆発、お笑い芝居なの?
なんだか、藤井くんもサイトーくんも、「若さ」を誤解している気がする。
若いから、現代を舞台にした、軽いノリだけで突っ走る芝居でヨシ、って思ってる?
えー、ソレ、若さとぜんぜん関係ないから。
若者が演じているから、まだサムさがマシ、っていうのはそもそも、設定と脚本に問題があるから。
演出家が「若さ」を言い訳にしているとしか思えない。
月組版と今回の花組版、芝居だけでいうなら、どっちがマシか、答えに窮するところだ。
脚本がよりさいてーなのは齋藤作品、学年のせいもあり出演者の総合能力が低かったのが藤井作品、だからなあ。
それでも、ナマで味わう分にはたのしめるよ。
ライヴってのは、それだけで意味がある。
こわいのは、テレビで放送されたときだよ……ぶるぶる。
脚本についてのツッコミはしない。
そーゆー次元の作品じゃない。
ひとことで言うなら、「お手上げ」だ。
ああ、ひとつだけ。
伏線を張るべきだった。
武蔵が現れて生徒たちでわいわいぎゃーぎゃー、「タイムスリップだ」「どーする?」「とりあえずわたしたちの教室に」てな会話の中に、ラストへの伏線を混ぜる。
「チョンマゲ君、ずっとここにいればいいじゃな〜い(はぁと)」
「ダダダダメだよ、そそそそんなことしたら、歴史が変わっちゃうよ。オオオレたちの知っている史実とチガウことが起これば、そのあとの歴史がぜぜ全部変わり、オレたちの今いる世界だって、どどどうにかなっちゃうんだよ」
(さりげなく、萌子とライの会話でお送りします・笑)
この「SF基本設定」の説明があるだけで、ずいぶんマシになると思うぞっと。
あとはホレ、ただのナンセンス青春学園コント芝居だから、なにも言いません。にっこり。
サイトーくんの脚本はたしかにひどいんだけど、花組には合っているのかもしれない。
なにしろ、出演者全員、アピール強すぎるから。
どこを見たらいいのかわからない。
わたしはそのかファンで、そのかを見に行ったのに、そのかだけを落ち着いて見ていられない。
舞台のそこかしこ、画面のあちこちで、なにかしらやっているのが目に入って。
目に入ると、気になって。
こ、こまった。
おまえら、やりすぎ(笑)。
他組と比べるのもなんだが。
月組というのは、総じておとなしい組なんだなと、常々感じていたことを今回また再確認した。
リカコンでもアサコンでも、共演の下級生たちは「主役の邪魔にならないように」と決して出過ぎた真似をしない、ひたすらバックダンサーに努めていた。
真咲主演の『Young Bloods!! 』でも、スター・真咲とその他下級生たち、であり、それぞれが決してはみ出すことなくスタンドプレイすることなく、おとなしくまとまっていた。
それがいいとか悪いとかじゃなく、ああ、カラーってのはあるもんなんだなと。
花組は、弱肉強食か(笑)。
誰が真ん中かなんて関係なく、ガンガン出てきやがる(笑)。
『TAKARAZUKA舞夢!』の黒タキ祭りを思い出すわ。お茶会でちはる兄貴が感嘆していたっけ。研いくつのハナ垂れ小僧までもがリーゼントを撫でつけ、キザりまくっていることに「花組クオリティ万歳」と。
おかげで、そのかが地味だ(笑)。
武蔵は主役とはいえ、まともなキャラなので(タイムスリップしてきたヘタレ武蔵がまともカウントされる世界観って……)、どーしても割を食うのなー。
この世界観でまともなのは武蔵と、ヒロインのスー子とサブヒロインのジュリのみ。
で、武蔵はボケキャラ。
ツッコミはスー子とジュリ。
しかしジュリは出番が少ないし、あまり他人に積極的に絡まないから、真のツッコミキャラはスー子だけになっている。
だもんで……つらかった。スー子、ツッコミ下手!!
他はべつにいいんだけどねー。「私を捕まえて〜〜(はぁと)」とか、いい味出してるんだけど。
ツッコミの空気の読めなさ具合はもー、じれったくてたまらん。
……いやその。
タカラジェンヌだから、コントが出来なくても、かまわないんだけど。コント芝居をやらせるサイトーが悪いんだけど。
武蔵と園加学園キャラはどっちかっつーと薄くて(いちばん濃いのはジュリとミホ先生って……)、コジロー君と日向学園
ああもお、コジロー君@マメ、大好きだ(笑)。
話が「内容が無いよう」なノリなので、キャラ萌えするしかない。
……なんでかな……ホスト部のしゅん様にいちばん目が行くんですが……彼もなんだか、わたしを見ているような気がするんですが……(いやソレ、カンチガイだから!!)。
似てないよ。でも。@Young Bloods!!
2006年4月12日 タカラヅカ そのかが好きだ。
それは昔からであり、今にはじまったことじゃない。
たぶん、『ミケランジェロ』新公の、もんのすげー歌を聴いたときから、きっと、好きだった。あの歌聴いて、それでもまだ「メンドリーニ役の子、誰? かっこいい!!」と騒げたのだから。
わたしが生まれてはじめて観た花組の新公で、唯一おぼえて帰ったのが「桐生園加」だった。
そのか以外で記憶に残った他の子たちは、そもそもはじめから存在を知っていたのでノーカウントな。
この子が好き、と人に言えば、「ああ、緑野の好きそうなカオね」と言われた。
そう、ひとめでわかる好みのタイプ。
ケロに似てるなと思ったのは、ずっとあと。
ケロがどうこうではなく、もともと好きなカオであり、タイプだった。
好みの男ふたりが似ているのは必定、なんの不思議もない。
でも。
ケロがいなくなってから、気づいた。
実感した。
そのかって、こんなにケロに似ていたの?
瓜二つというわけじゃない。ケロとそのかは別人。
でも、ときおりピンポイントで似ている。
それは、顔が似ているとかどのパーツがどうとか、わかりやすいものではなく、感覚の部分で突き刺さる。
『マラケシュ』のイヴンがそうだった。アリは似ているけど、ちょっとちがった。
ショーでもところどころ、似ている。スーツで踊られると、覿面だ。
それは、よろこびなんだろうか。
わたしはそのかはそのかとして好きになった。
そのかがかっこよすぎて美しすぎて涙が出た、博多『エンレビ』の「猛獣使い」役は、ケロにはまったく見えなかった。あれはまちがいなくそのかだった。
そのかを好きなのは、たしかなのに。
つらいのは、何故。
そのかが月組に組替えになると知り、ケロファンには動揺が走った。
チェリさんもドリーさんもわたしも、うろたえてメールだのBBSでのレスだのが行き交ったもんさ。
ケロに似た男が、ケロのいた月組に異動になる。
ゆうひくんと同じ舞台に立つそのかを、わたしたちはどんな想いで見つめるのだろうか。
それだけでもけっこー「試練」って感じだったのに。
どういうことだよ、齋藤吉正。そのかで、宮本武蔵ってなんだよ?!
ケロの役で。齋藤演出でやった、あの宮本武蔵を。わざわざケロに似た男にやらせますか!
これはなんの挑戦? 「サイトーくん、ケロファンにケンカ売ってる?」と、またしても仲間内でメールやレスが飛び交う(笑)。
もちろん、サイトーくんがなにも考えていないことも、ケロのこともそのかのことも、好きなことはわかるけど。
いろいろと無神経だわ。ま、そーゆーキャラだって知ってたから、ニガワラで済ませるけどさ。
『Young Bloods!! 』の舞台に立つそのかは、まちがいなくそのかだ。
初主演おめでとう、そのか。とてもうれしい。
でも、あちこちが痛い。ひりひりする。
別人だとわかっているのに、「似ている」ことにおどろく。
たぶん、共通言語を持った人にしかわからない「面影」。わからない人、感じない人は気にしないで、「似ている」ことに気づく人だけ受け止めて。
こんなに喋って、歌っているそのかをはじめて見た。
声が似ている。なんでだ。ところどころ、ケロを彷彿とさせる話し方なのは何故。
サイトーくん、わざとそうさせてるの? 「武蔵」だから、ケロの「武蔵」のような話し方をさせている? ケロがどうこうというより、サイトーくんの狭すぎる引き出しに、「武蔵」というとアレしかないのかもしれないね。
そのかを、好きだ。
ケロに関係なく。
でも、今はまだ、こんなに痛い。
5年あとならきっと、「似ている」ことを痛みではなく愛しさとして感じられただろう。
いや、愛しさはある。あるよ。似ている部分も好き。もともと「好み」の部分だもの。
そのかを好きでいることは、今のわたしには、とても痛いことなんだなあ。
それを思い知った。
「宮本武蔵」を真ん中で演じる桐生園加を見て。
痛いなら、見なければいい。好きじゃなくなればいい。
そーゆーもんかもしれんが、そうもできないのだ。
だってだって、好きなんだってば。
かっこよくてかわいくて、素敵なそのかが好き。
見ないなんてできないよ。
とゆーことで。
なにがつらいんだか痛いんだか、ぐちゃぐちゃな心を抱えて、そのかを見守る。
そのかが、しあわせでありますように。
それだけを祈る。
そのかがそのからしく、充実した日々を送れること。
それだけを祈る。
大好き。
痛くてつらくて、それでも好き。
それは昔からであり、今にはじまったことじゃない。
たぶん、『ミケランジェロ』新公の、もんのすげー歌を聴いたときから、きっと、好きだった。あの歌聴いて、それでもまだ「メンドリーニ役の子、誰? かっこいい!!」と騒げたのだから。
わたしが生まれてはじめて観た花組の新公で、唯一おぼえて帰ったのが「桐生園加」だった。
そのか以外で記憶に残った他の子たちは、そもそもはじめから存在を知っていたのでノーカウントな。
この子が好き、と人に言えば、「ああ、緑野の好きそうなカオね」と言われた。
そう、ひとめでわかる好みのタイプ。
ケロに似てるなと思ったのは、ずっとあと。
ケロがどうこうではなく、もともと好きなカオであり、タイプだった。
好みの男ふたりが似ているのは必定、なんの不思議もない。
でも。
ケロがいなくなってから、気づいた。
実感した。
そのかって、こんなにケロに似ていたの?
瓜二つというわけじゃない。ケロとそのかは別人。
でも、ときおりピンポイントで似ている。
それは、顔が似ているとかどのパーツがどうとか、わかりやすいものではなく、感覚の部分で突き刺さる。
『マラケシュ』のイヴンがそうだった。アリは似ているけど、ちょっとちがった。
ショーでもところどころ、似ている。スーツで踊られると、覿面だ。
それは、よろこびなんだろうか。
わたしはそのかはそのかとして好きになった。
そのかがかっこよすぎて美しすぎて涙が出た、博多『エンレビ』の「猛獣使い」役は、ケロにはまったく見えなかった。あれはまちがいなくそのかだった。
そのかを好きなのは、たしかなのに。
つらいのは、何故。
そのかが月組に組替えになると知り、ケロファンには動揺が走った。
チェリさんもドリーさんもわたしも、うろたえてメールだのBBSでのレスだのが行き交ったもんさ。
ケロに似た男が、ケロのいた月組に異動になる。
ゆうひくんと同じ舞台に立つそのかを、わたしたちはどんな想いで見つめるのだろうか。
それだけでもけっこー「試練」って感じだったのに。
どういうことだよ、齋藤吉正。そのかで、宮本武蔵ってなんだよ?!
ケロの役で。齋藤演出でやった、あの宮本武蔵を。わざわざケロに似た男にやらせますか!
これはなんの挑戦? 「サイトーくん、ケロファンにケンカ売ってる?」と、またしても仲間内でメールやレスが飛び交う(笑)。
もちろん、サイトーくんがなにも考えていないことも、ケロのこともそのかのことも、好きなことはわかるけど。
いろいろと無神経だわ。ま、そーゆーキャラだって知ってたから、ニガワラで済ませるけどさ。
『Young Bloods!! 』の舞台に立つそのかは、まちがいなくそのかだ。
初主演おめでとう、そのか。とてもうれしい。
でも、あちこちが痛い。ひりひりする。
別人だとわかっているのに、「似ている」ことにおどろく。
たぶん、共通言語を持った人にしかわからない「面影」。わからない人、感じない人は気にしないで、「似ている」ことに気づく人だけ受け止めて。
こんなに喋って、歌っているそのかをはじめて見た。
声が似ている。なんでだ。ところどころ、ケロを彷彿とさせる話し方なのは何故。
サイトーくん、わざとそうさせてるの? 「武蔵」だから、ケロの「武蔵」のような話し方をさせている? ケロがどうこうというより、サイトーくんの狭すぎる引き出しに、「武蔵」というとアレしかないのかもしれないね。
そのかを、好きだ。
ケロに関係なく。
でも、今はまだ、こんなに痛い。
5年あとならきっと、「似ている」ことを痛みではなく愛しさとして感じられただろう。
いや、愛しさはある。あるよ。似ている部分も好き。もともと「好み」の部分だもの。
そのかを好きでいることは、今のわたしには、とても痛いことなんだなあ。
それを思い知った。
「宮本武蔵」を真ん中で演じる桐生園加を見て。
痛いなら、見なければいい。好きじゃなくなればいい。
そーゆーもんかもしれんが、そうもできないのだ。
だってだって、好きなんだってば。
かっこよくてかわいくて、素敵なそのかが好き。
見ないなんてできないよ。
とゆーことで。
なにがつらいんだか痛いんだか、ぐちゃぐちゃな心を抱えて、そのかを見守る。
そのかが、しあわせでありますように。
それだけを祈る。
そのかがそのからしく、充実した日々を送れること。
それだけを祈る。
大好き。
痛くてつらくて、それでも好き。
捕食者と、被虐者。−腐女子注意報−@THE LAST PARTY
2006年4月11日 タカラヅカ さーて、最後にさくっと腐女子話いっときましょう。
1年半前の初演のときと、ちがっていたこと。
ゆーひさんの演技力の他に、大きく別物になっていたことがある。
今回の『ラスパ』は、素敵にホモでした(はぁと)。
萌えですよ萌え!!
きらきらだけしていた初演のときとちがって、今回は地に足の着いた痛さや苦しさもあったというのに。
萌え度は初演の比ぢゃありません!!
正直びびった。予想だにしてなくてなっ。
やっぱナニか、フェアリー色の強かった初演より、「大人の男」で「人生いろいろ」な今回の方が腐女子的にはオイシイのかっ。
それともナニ、役者のちがい?
スコットとアーネストは、何故にああまでも、ホモですか?
びっくりした。
わたしはゆーひくん大好きだし、基本攻キャラとして愛でてきたんですけど。うっかりパロ書いて同人誌作るくらい、ゆーひさんは萌えキャラ認定ですけど。
正直、ほくしょーさんはちがったんですよ。
健康的すぎるっつーか、ノンケ認定というか、萎えキャラ認定だったんですが。
このたびはじめて、ほくしょーさんで萌えました。
アーネスト、かっこいい〜〜っ!!じたばた。
粗野で野性的。直情的で曖昧を嫌う、「男性」そのもののような無神経さと力強さ。
顔立ち云々以前に、匂い立っているのね、「雄」であることが。
暴力ではなく嗜虐、勝利ではなく征服。
そーゆー、生々しいまでの、「雄」らしさを持つ男。
他者を踏みつけ蹂躙することを当然と考える、弱き者を罪悪と考える、あの傲慢さ。
肉食獣の強さとしなやかさ。そしてある意味の、愚鈍さ。
それがすばらしいの。
なんなの、あのものすげーまでの鬼畜キャラ。
キましたよ、わたしの攻スキーハート、ど真ん中にキましたー!!
登場当初の、粗野で純粋な若者ぶり。基本傍若無人なんだけど、純粋にスコットを尊敬していたことが見える。
なんといっても、あの食事シーン!
「雄」そのものにガツガツとむさぼり喰うさまが、なんとエロティックなことか。
もちろん、ほっくんアーネストのよさは、それと対比されるゆーひスコットのよさでもある。
スコットは、アーネストにあこがれている。
本人に出会う前から、その作品に憧憬し……恋を、している。
その荒々しさ。男性らしさ。
スコットにはないもの。持ち得ないからこそ、あこがれているもの。
作品に恋をして、実際に作者に会った。
すると、現れた年下の男は、作品そのものの「雄」だった。
この最初の出会いで、アーネストを見つめるスコットが、すごいの。
目の前で肉をむさぼり食う男を、情欲に濡れた被虐の目で見つめているのよ!!
スコットには、今目の前で男の顎で引きちぎられ、咀嚼されている肉片こそが自分に思えたんじゃないの?
や、すげーもん見ました。
ここまで色っぽい大空ゆーひさん見たの、ひさしぶりっ。
5列目観劇だったっつーのに、オペラグラスでゆーひくんの表情ガン見しましたよ、ええ!!
スコットが、「雌」のカオをしています。
犯され、征服される者の目で、「雄」を見つめています。
男女であってもハーレクイン的色っぽいシーン。
都会的な知的美女ヒロインの前に現れる、野性的な男! テンガロンハットのカーボーイだったりするのよ(笑)。ヒロインは「なんて野蛮な男!」と眉をひそめるんだけど、その粗野ゆえのセックスアピールに惹かれてゆき……的な(笑)。
しかし、男同士だと、さらにヤヴァイものを感じますな。
なんつっても、即物的だから。
欲情→本能的行為→すっきり。
と、一晩でフルコースっぽくなるから。
ほっくんがやりすぎているのか、ゆーひくんと相乗効果になっているのか。
どこの男男物語なんだこりゃ、と、見ていてアセるほどの濃さでした。
また、ここでつまらん加筆がされていて、ゼルダが同人女のよーな察しの良さで男ふたりの関係を揶揄していくし。
蛇足だからソレ。
正直、耳障りだった。
あー、でも、その蛇足台詞が増えたせいで、ほっくんとゆーひがやりすぎてるのかもしれないな。
「ゼルダが妬くくらい、この男ふたりはホモにしていいんだ! よーし、景子せんせーがそのつもりで書いてるなら、がんばってホモな演技しちゃうぞ!!」
とか、素直に思い込んだのかも。……ジェンヌの感性って、一般人とはチガウみたいだし(笑)。
出会いのシーンでコレだけかっ飛ばしてくれたから、あとはナニやってもOK、ずーっとナチュラルにアーネスト×スコットで貫かれていたよ。
精神を病んだ妻を今も愛しながら、無力感にうちひしがれ、自虐に走るスコット。
自分を汚し、貶め、痛めつけることが、彼の癒し。
だからすすんで、アーネストに身をゆだねる。
アーネストは、そんなスコットの弱さが許せない。
彼を蔑み、傷つけるためだけに貪りながらも、ほんとうはその奥の神聖さを崇拝している。
……って、すごい萌えなんですけどっ。
捕食者アーネストと、被虐者スコット。
恋い焦がれた獅子に噛み千切られ喰われる瞬間、小さな狐は絶頂を味わうのではないか……そーゆーエロスに満ちた背徳感。
いやあ、いいもん見ました。
役者が本気でぶつかりあう芝居を見るのはいいねっ。想像の翼も広がりますよ。
マジでおもしろかった、『THE LAST PARTY』。眼福眼福。
スコットとアーネストの出会いシーン、ナマの俳優たちで妄想キャスティングするなら、スコット@藤原竜也、アーネスト@坂口憲二希望。
無精髭だらけの薄汚い格好で現れ、ガツガツと肉をむさぼり喰う坂口憲二を、濡れた眼で見つめる藤原竜也(笑)。
年齢設定変だけど、わたし的に藤原竜也はゆーひくんイメージのべっぴんさん(背が高くて丸顔美人、スタイル抜群)なんでな(笑)。
1年半前の初演のときと、ちがっていたこと。
ゆーひさんの演技力の他に、大きく別物になっていたことがある。
今回の『ラスパ』は、素敵にホモでした(はぁと)。
萌えですよ萌え!!
きらきらだけしていた初演のときとちがって、今回は地に足の着いた痛さや苦しさもあったというのに。
萌え度は初演の比ぢゃありません!!
正直びびった。予想だにしてなくてなっ。
やっぱナニか、フェアリー色の強かった初演より、「大人の男」で「人生いろいろ」な今回の方が腐女子的にはオイシイのかっ。
それともナニ、役者のちがい?
スコットとアーネストは、何故にああまでも、ホモですか?
びっくりした。
わたしはゆーひくん大好きだし、基本攻キャラとして愛でてきたんですけど。うっかりパロ書いて同人誌作るくらい、ゆーひさんは萌えキャラ認定ですけど。
正直、ほくしょーさんはちがったんですよ。
健康的すぎるっつーか、ノンケ認定というか、萎えキャラ認定だったんですが。
このたびはじめて、ほくしょーさんで萌えました。
アーネスト、かっこいい〜〜っ!!じたばた。
粗野で野性的。直情的で曖昧を嫌う、「男性」そのもののような無神経さと力強さ。
顔立ち云々以前に、匂い立っているのね、「雄」であることが。
暴力ではなく嗜虐、勝利ではなく征服。
そーゆー、生々しいまでの、「雄」らしさを持つ男。
他者を踏みつけ蹂躙することを当然と考える、弱き者を罪悪と考える、あの傲慢さ。
肉食獣の強さとしなやかさ。そしてある意味の、愚鈍さ。
それがすばらしいの。
なんなの、あのものすげーまでの鬼畜キャラ。
キましたよ、わたしの攻スキーハート、ど真ん中にキましたー!!
登場当初の、粗野で純粋な若者ぶり。基本傍若無人なんだけど、純粋にスコットを尊敬していたことが見える。
なんといっても、あの食事シーン!
「雄」そのものにガツガツとむさぼり喰うさまが、なんとエロティックなことか。
もちろん、ほっくんアーネストのよさは、それと対比されるゆーひスコットのよさでもある。
スコットは、アーネストにあこがれている。
本人に出会う前から、その作品に憧憬し……恋を、している。
その荒々しさ。男性らしさ。
スコットにはないもの。持ち得ないからこそ、あこがれているもの。
作品に恋をして、実際に作者に会った。
すると、現れた年下の男は、作品そのものの「雄」だった。
この最初の出会いで、アーネストを見つめるスコットが、すごいの。
目の前で肉をむさぼり食う男を、情欲に濡れた被虐の目で見つめているのよ!!
スコットには、今目の前で男の顎で引きちぎられ、咀嚼されている肉片こそが自分に思えたんじゃないの?
や、すげーもん見ました。
ここまで色っぽい大空ゆーひさん見たの、ひさしぶりっ。
5列目観劇だったっつーのに、オペラグラスでゆーひくんの表情ガン見しましたよ、ええ!!
スコットが、「雌」のカオをしています。
犯され、征服される者の目で、「雄」を見つめています。
男女であってもハーレクイン的色っぽいシーン。
都会的な知的美女ヒロインの前に現れる、野性的な男! テンガロンハットのカーボーイだったりするのよ(笑)。ヒロインは「なんて野蛮な男!」と眉をひそめるんだけど、その粗野ゆえのセックスアピールに惹かれてゆき……的な(笑)。
しかし、男同士だと、さらにヤヴァイものを感じますな。
なんつっても、即物的だから。
欲情→本能的行為→すっきり。
と、一晩でフルコースっぽくなるから。
ほっくんがやりすぎているのか、ゆーひくんと相乗効果になっているのか。
どこの男男物語なんだこりゃ、と、見ていてアセるほどの濃さでした。
また、ここでつまらん加筆がされていて、ゼルダが同人女のよーな察しの良さで男ふたりの関係を揶揄していくし。
蛇足だからソレ。
正直、耳障りだった。
あー、でも、その蛇足台詞が増えたせいで、ほっくんとゆーひがやりすぎてるのかもしれないな。
「ゼルダが妬くくらい、この男ふたりはホモにしていいんだ! よーし、景子せんせーがそのつもりで書いてるなら、がんばってホモな演技しちゃうぞ!!」
とか、素直に思い込んだのかも。……ジェンヌの感性って、一般人とはチガウみたいだし(笑)。
出会いのシーンでコレだけかっ飛ばしてくれたから、あとはナニやってもOK、ずーっとナチュラルにアーネスト×スコットで貫かれていたよ。
精神を病んだ妻を今も愛しながら、無力感にうちひしがれ、自虐に走るスコット。
自分を汚し、貶め、痛めつけることが、彼の癒し。
だからすすんで、アーネストに身をゆだねる。
アーネストは、そんなスコットの弱さが許せない。
彼を蔑み、傷つけるためだけに貪りながらも、ほんとうはその奥の神聖さを崇拝している。
……って、すごい萌えなんですけどっ。
捕食者アーネストと、被虐者スコット。
恋い焦がれた獅子に噛み千切られ喰われる瞬間、小さな狐は絶頂を味わうのではないか……そーゆーエロスに満ちた背徳感。
いやあ、いいもん見ました。
役者が本気でぶつかりあう芝居を見るのはいいねっ。想像の翼も広がりますよ。
マジでおもしろかった、『THE LAST PARTY』。眼福眼福。
スコットとアーネストの出会いシーン、ナマの俳優たちで妄想キャスティングするなら、スコット@藤原竜也、アーネスト@坂口憲二希望。
無精髭だらけの薄汚い格好で現れ、ガツガツと肉をむさぼり喰う坂口憲二を、濡れた眼で見つめる藤原竜也(笑)。
年齢設定変だけど、わたし的に藤原竜也はゆーひくんイメージのべっぴんさん(背が高くて丸顔美人、スタイル抜群)なんでな(笑)。
君の瞳に映る空。@THE LAST PARTY
2006年4月10日 タカラヅカ 日付めちゃくちゃだから、いつどこでどの話を書くべきか迷うけれど。
ゆーひ『THE LAST PARTY』の話を書いたから、も少し続けておこう。
ゆうひくんが成長したなと思ったのは、ちゃんとヒロインを愛していたこと。もそうだ。
初演のとき、台詞ほどるいるいゼルダを愛しているようには見えなかったので。
昔から一貫して、ゆーひくんは「人を愛する演技」が下手だった。
恋してめろめろになっているよりは、嫉妬だとか憎しみだとかを表現する方が得意だった。(実にナイスな芸風だ)
かわいがる、演技はできるけど、愛することは苦手。「演出」通りの規定動作をするだけ。
ゆうひくんのルックスで、「愛」や「恋」を表現できたら、こわいものなしだろうと常々思っていた。
だって、観客は総オトメだからね。小学生でも80歳過ぎのばーさまでも、みんな「オトメ」。甘いハンサムに甘い恋をささやかれることを求めている。
ゆーひくんが恋にめろめろになって、本気で女の子を口説けるよーになったら、客席で一緒にとろけている女性続出だろーなと。
まあ、ゆーひくんのクールでシャイな持ち味ゆえに、「一緒にいたいとか言ってんじゃねーよ」って、冷たく言い捨てられた方がゾクゾクくる、てな好みの人もいると思うけど(あたしゃ、ちょっと言われたい)。
スコットは、ゼルダを愛している。
それが「わかる」ことが、おどろきだった。
めろめろのくたくたになってるわけじゃないけれど。
大人の男が、その範疇で恋していることが、ちゃーんとわかるよ。
そっかあ、成長したんだねぇえ。大人になっちゃったんだねぇえ。
ゆーひくんが、あのゆーひくんが、ふつーに相手役を愛してるよお。
もちろん、ゼルダ@かなみちゃんがものごっつうまいこともあると思う。
ああ、かなみちゃん、ほんとすごいなあ。
あの華やかさ、そして安定した実力。
弱い男役なんか消し飛ばしてしまいそうな存在感。
初演のとき、持ち味に合っているのはるいるいで、実力で役をモノにしているのがかなみちゃんだと思った。
それにさらに磨きを掛けて、今のゼルダがいる。大輪の牡丹の花が咲いている。(何故か、薔薇ではない)
かなみちゃんの力強いゼルダを愛し、愛しきるだけの器を持たないスコットが、人生に倦んでいる。
それは美しく、かなしい姿だ。
初演を見たとき、「美しいけれど、『痛み』のない作品」だと思った。
それは『THE LAST PARTY』に限らず、植田景子作品すべてに共通している。
人間のほんとうの意味での汚さは絶対に描かず、きれいな部分だけをきれいに描く。それが景子女史作品。
透明に美しい、少女マンガの世界。
もちろん、ここはタカラヅカだからそーゆー芸風はアリだし、景子女史のそーゆーところが好きだ。
でも、「痛いモノ好き」なわたしは、ちょっと物足りなくもある。
それが今回、ゆーひスコットに「翼」がなくなっていたため、「痛み」があったのよ。
スコットは翼なんか持たない、ふつーの男。
ただちょっと器用だっただけ。早熟だっただけ。
でも、彼自身もまわりも、彼に翼があると信じ込んでしまった。
飛べない空を、地面から見上げる、その生き方。
伸ばす手と、地を蹴る足、そのたびに倒れて土にまみれる身体。
翼なんかないのに。
決して、飛べないのに。
何度も彼は、地を蹴り続ける。
やがて、自分に翼がないのだと気づいた彼は。
彼の背中の翼を信じる愛する者のために、いつでも飛べる、今も飛んでいるふりをし。
空を、見上げる。
でも。
飛びながら見つめる空と、地面から見上げる空。
どちらが美しいかなんて、誰にもわからない。だれにも決められない。
……そーゆー話。そーゆー痛み。
そうか。
ゆうひくんのスキルが上がると、こーゆー役が出来るようになるんだ。
もともと、「屈折した瞳」を得意とする子だった。
満たされない心の飢え、を、瞳にやどした子だった。
寂寥とか鬱屈とか退廃とか、そーゆーの得意分野だったじゃん!!
持ち味に演技力が加わると、こーゆーくすんだ大人の男をやれるよーになっちゃいますか、おーぞらゆーひ!
そのくせ、屈託なく笑うと、幼児のよーなあどけなさで、ファンを悩殺していましたよね、おーぞらゆーひ!
だんだん必殺技の増える、油断ならないヤツだな、おーぞらゆーひ!
ゆうひくんが安定したせいか、かなみちゃんが安定しているせいか、初演のときよりマックス@嘉月さんが薄くなっていた。
初演のときはさー、嘉月さんがかなりのウエイトで舞台を支えている感じがしていたんだけど。
今回はもう少し薄いというか控え目というか、脇のひとりとして落ち着いた感じ。それはそれで、いいよなー。
ラストでわざわざ役者が役を離れて「Dear スコット」とか、役に話しかける蛇足は健在。
まあ、景子女史はコレがやりたくて作家やってんだろうなーと思う。キムシンが説教したがるのと同じで。
しかし、謎の説明台詞があちこち増えていて、おどろいたり興醒めしたり(笑)。
ただでさえ説明くさい芸風なのに、さらに説明増やすか(笑)。
オギーといい景子タンといい、必要な説明は書かないのに、不要な部分で説明を増やすのは、法則なんですかねえ。
才能ある人たちって、やっぱちょっと感覚チガウのかな。
加筆されていた部分で良いと思ったのは、アーネストの食事シーンぐらいのものだ。
そして、食事が出たことでまた景子タンらしさが上がったし。
食べ物が出なきゃ、景子作品ぢゃないよな(笑)、という。
アーネスト@ほっくんは、これまたものすげーよかったし。
ただ。
えーとこれは、ドリーさんのお友だちの台詞だっけ。
「アーネストの役替わり、どうだった?」という質問に対して。
「おもしろくなくなって、ふつーになった」
すっごい共感。
そうなの、そーなのよ。
さららんのときは、すっごいおもしろかったもの、アーネスト!
……はい、ここでツッコミ。
アーネストは、おもしろがる役じゃないから!
わかってるけど、おもしろかった。さららんがあのテンションで出てきたときには大ウケ、声殺すのに必死。
さららんのあーゆー芸風、好きだったなあ。
作品を壊していたことは、たしかだけど(笑)。
ほっくんはちっとも笑えなかった。てゆーか、マジによかった。
そのことにも、すっげーおどろいた。
やっぱほっくん、うまい人なんだな。
しかも、ほくしょーさんなのに、美形です。
ハンサムなんだよ、かっこいいんだよ!
演技しているときのほっくんって、最近やっぱいい男だ。
そして。
ラストの蛇足部分で、ほっくんは「アーネスト」ではなく、それを演じる役者HOKUSHOになる。
すると、途端、いつもの鈍くさいみっちゃんのカオになる。
うわわ。
すげえよ、ほくしょーさん。
役者ってすげえ、と思わせてくれるよ。
いい舞台だった、『THE LAST PARTY』。
ゆーひ『THE LAST PARTY』の話を書いたから、も少し続けておこう。
ゆうひくんが成長したなと思ったのは、ちゃんとヒロインを愛していたこと。もそうだ。
初演のとき、台詞ほどるいるいゼルダを愛しているようには見えなかったので。
昔から一貫して、ゆーひくんは「人を愛する演技」が下手だった。
恋してめろめろになっているよりは、嫉妬だとか憎しみだとかを表現する方が得意だった。(実にナイスな芸風だ)
かわいがる、演技はできるけど、愛することは苦手。「演出」通りの規定動作をするだけ。
ゆうひくんのルックスで、「愛」や「恋」を表現できたら、こわいものなしだろうと常々思っていた。
だって、観客は総オトメだからね。小学生でも80歳過ぎのばーさまでも、みんな「オトメ」。甘いハンサムに甘い恋をささやかれることを求めている。
ゆーひくんが恋にめろめろになって、本気で女の子を口説けるよーになったら、客席で一緒にとろけている女性続出だろーなと。
まあ、ゆーひくんのクールでシャイな持ち味ゆえに、「一緒にいたいとか言ってんじゃねーよ」って、冷たく言い捨てられた方がゾクゾクくる、てな好みの人もいると思うけど(あたしゃ、ちょっと言われたい)。
スコットは、ゼルダを愛している。
それが「わかる」ことが、おどろきだった。
めろめろのくたくたになってるわけじゃないけれど。
大人の男が、その範疇で恋していることが、ちゃーんとわかるよ。
そっかあ、成長したんだねぇえ。大人になっちゃったんだねぇえ。
ゆーひくんが、あのゆーひくんが、ふつーに相手役を愛してるよお。
もちろん、ゼルダ@かなみちゃんがものごっつうまいこともあると思う。
ああ、かなみちゃん、ほんとすごいなあ。
あの華やかさ、そして安定した実力。
弱い男役なんか消し飛ばしてしまいそうな存在感。
初演のとき、持ち味に合っているのはるいるいで、実力で役をモノにしているのがかなみちゃんだと思った。
それにさらに磨きを掛けて、今のゼルダがいる。大輪の牡丹の花が咲いている。(何故か、薔薇ではない)
かなみちゃんの力強いゼルダを愛し、愛しきるだけの器を持たないスコットが、人生に倦んでいる。
それは美しく、かなしい姿だ。
初演を見たとき、「美しいけれど、『痛み』のない作品」だと思った。
それは『THE LAST PARTY』に限らず、植田景子作品すべてに共通している。
人間のほんとうの意味での汚さは絶対に描かず、きれいな部分だけをきれいに描く。それが景子女史作品。
透明に美しい、少女マンガの世界。
もちろん、ここはタカラヅカだからそーゆー芸風はアリだし、景子女史のそーゆーところが好きだ。
でも、「痛いモノ好き」なわたしは、ちょっと物足りなくもある。
それが今回、ゆーひスコットに「翼」がなくなっていたため、「痛み」があったのよ。
スコットは翼なんか持たない、ふつーの男。
ただちょっと器用だっただけ。早熟だっただけ。
でも、彼自身もまわりも、彼に翼があると信じ込んでしまった。
飛べない空を、地面から見上げる、その生き方。
伸ばす手と、地を蹴る足、そのたびに倒れて土にまみれる身体。
翼なんかないのに。
決して、飛べないのに。
何度も彼は、地を蹴り続ける。
やがて、自分に翼がないのだと気づいた彼は。
彼の背中の翼を信じる愛する者のために、いつでも飛べる、今も飛んでいるふりをし。
空を、見上げる。
でも。
飛びながら見つめる空と、地面から見上げる空。
どちらが美しいかなんて、誰にもわからない。だれにも決められない。
……そーゆー話。そーゆー痛み。
そうか。
ゆうひくんのスキルが上がると、こーゆー役が出来るようになるんだ。
もともと、「屈折した瞳」を得意とする子だった。
満たされない心の飢え、を、瞳にやどした子だった。
寂寥とか鬱屈とか退廃とか、そーゆーの得意分野だったじゃん!!
持ち味に演技力が加わると、こーゆーくすんだ大人の男をやれるよーになっちゃいますか、おーぞらゆーひ!
そのくせ、屈託なく笑うと、幼児のよーなあどけなさで、ファンを悩殺していましたよね、おーぞらゆーひ!
だんだん必殺技の増える、油断ならないヤツだな、おーぞらゆーひ!
ゆうひくんが安定したせいか、かなみちゃんが安定しているせいか、初演のときよりマックス@嘉月さんが薄くなっていた。
初演のときはさー、嘉月さんがかなりのウエイトで舞台を支えている感じがしていたんだけど。
今回はもう少し薄いというか控え目というか、脇のひとりとして落ち着いた感じ。それはそれで、いいよなー。
ラストでわざわざ役者が役を離れて「Dear スコット」とか、役に話しかける蛇足は健在。
まあ、景子女史はコレがやりたくて作家やってんだろうなーと思う。キムシンが説教したがるのと同じで。
しかし、謎の説明台詞があちこち増えていて、おどろいたり興醒めしたり(笑)。
ただでさえ説明くさい芸風なのに、さらに説明増やすか(笑)。
オギーといい景子タンといい、必要な説明は書かないのに、不要な部分で説明を増やすのは、法則なんですかねえ。
才能ある人たちって、やっぱちょっと感覚チガウのかな。
加筆されていた部分で良いと思ったのは、アーネストの食事シーンぐらいのものだ。
そして、食事が出たことでまた景子タンらしさが上がったし。
食べ物が出なきゃ、景子作品ぢゃないよな(笑)、という。
アーネスト@ほっくんは、これまたものすげーよかったし。
ただ。
えーとこれは、ドリーさんのお友だちの台詞だっけ。
「アーネストの役替わり、どうだった?」という質問に対して。
「おもしろくなくなって、ふつーになった」
すっごい共感。
そうなの、そーなのよ。
さららんのときは、すっごいおもしろかったもの、アーネスト!
……はい、ここでツッコミ。
アーネストは、おもしろがる役じゃないから!
わかってるけど、おもしろかった。さららんがあのテンションで出てきたときには大ウケ、声殺すのに必死。
さららんのあーゆー芸風、好きだったなあ。
作品を壊していたことは、たしかだけど(笑)。
ほっくんはちっとも笑えなかった。てゆーか、マジによかった。
そのことにも、すっげーおどろいた。
やっぱほっくん、うまい人なんだな。
しかも、ほくしょーさんなのに、美形です。
ハンサムなんだよ、かっこいいんだよ!
演技しているときのほっくんって、最近やっぱいい男だ。
そして。
ラストの蛇足部分で、ほっくんは「アーネスト」ではなく、それを演じる役者HOKUSHOになる。
すると、途端、いつもの鈍くさいみっちゃんのカオになる。
うわわ。
すげえよ、ほくしょーさん。
役者ってすげえ、と思わせてくれるよ。
いい舞台だった、『THE LAST PARTY』。
大人になる。@THE LAST PARTY
2006年4月9日 タカラヅカ ゆーひさんの話。
もう今さら過ぎて気後れするが。
じつは、『THE LAST PARTY』を観に行った。わざわざ東京まで。
他のなにも観ない、ただゆーひくんのためだけに行った。
そこで。
いろいろと、ショックを受けて帰ってきた。
大空祐飛ってのは、いったいなんなんですかね?
素朴な疑問。
風花ちゃんのサヨナラバウで美貌に一目惚れして以来、ずっと見てきたけれど。
人間って、これほど変わるのか?
ここんところのわずかな間に、ゆーひくんはどんどん変わっていってます。
舞台の片隅で、ふてくされたカオで投げやりに踊っていたあの男の子は、どこまでいってしまうの?
わたしにとってはほんのついこの間、ゆうひくんはケロの弟だった。
ケロとふたり、「別格スター」という昨今絶滅しているよーな微妙ポジにいた。
トップ路線ではないけれど、「スター」として扱われているらしい、適度に露出のある位置。
主役よりも脇を好きな人間がいちばんハマりやすい位置と扱い。
ちょい悪の男の子。ひとりだけよそ見している不良少年のような芸風。笑顔は貴重だし、気まぐれで日々の舞台に差がありまくる。
そんな、「真ん中」ではないからこそ活きる魅力を持った男の子。
みんなアンソニーよりテリーが好きだもんなー。王子様より不良少年の方が人気あったりするもんなー。
それが、前回の月組公演『JAZZYな妖精たち』を観て、別の人になっていることにおどろいた。
きらきらしてる。
きらきらしている人のナナメ横で、その光を浴びて暗い光を放つ人だったのに。
本人が、発光している。
「真ん中」の光を持つ人になっている。
ケロと一緒にバウ主演したときから、そりゃわかっていたよ。ケロはこれが最初で最後だろうけどゆうひくんはチガウだろうって。
ケロとは似て非なる道を歩く子だろうとは思っていたけれど。
ケロの隣にいたときの、おおぞらゆーひぢゃない。
ここにはいるのは、別の人。
脱皮して、別の形態になっている。
その段階で、充分わたしは惑乱していたってばさ。
人ってわずかな間でこんなに変わるものなのかと。
だから『ベルサイユのばら』のオスカル特出で安心した。
男装の麗人でもなく、そもそも「女」ですらなく、いつもの(しかも、地味なときの)おおぞらゆーひでしかなかった、どんくさくもかわいらしい姿を見て。
あ、なんだ、あーゆーとこは変わってないや。人見知りさんめ。
オスカルのダメダメっぷりで、ほっとしたくらいなのに。
この『THE LAST PARTY』。
また、変わっている。
『JAZZYな妖精たち』のときから、また。
そうだ、謝らないとな。
『ベルばら』のオスカル特出のときにわたし、ゆーひくんが大根役者だと書いた。
ええ、わたしの大空さんの認識はそんなもんですよ。なにをやってもおーぞらゆーひ、持ち味でできる役はハマるけど、それ以外はダメダメ。
『THE LAST PARTY』初演のときなんか、タニちゃんもひっくるめてスコット役は、演技力のある人で見たかったと書いたさ。
ごめん。
今ソレ、撤回する。
ゆうひくん、うまくなってる。
そうか、ゆーひくん、男だもんな。男がオスカル役やってうまくできないからって、男として大根役者だとは言えないよな。
器用な男なら、女役も役の一貫としてナチュラルにこなせるのかもしれないけれど、ゆーひくんはそういうタイプじゃないだけのことだね。
ゆーひの演技はこのレベル、と勝手に決めつけていたので、『THE LAST PARTY』再演を観て、アゴが落ちた。
演技、うまい。
えええっ、演技できる人だったの?!!
どこまで変わるの、おーぞらゆーひ。
ついこの間まで、鈍い光を脇で放つ人だった。それが、ぴかぴかの真ん中の光を放つようになり、そのうえ、演技力まで会得したの?!
スロースターターにも程がある。
同期がトップスターになっているこんな学年で、なにエンジンかかってんだ。そーゆー脱皮はふつー新公学年で済ませておくものだ。
10年以上かけて出来上がった姿を愛でていた者としては、これは最終形態、だと思うじゃないか。
ケロが変わらなかったように、ゆうひくんも変わらないと思うじゃないか。
どこまで行くんだろう。
どこまで変わり続けるんだろう。
こんなに不思議な人は知らない。
たった1年半前、「きれーだけど、こなすだけで精一杯、演技がどうこう言えるレベルじゃないな」と思えた『THE LAST PARTY』のスコット役。
そうさ、たった1年半前だ。
ケロの最後のディナーショーのころ。
初の単独主演、しかもひとり芝居ウエイトで精神的にも肉体的にもぎりぎりだったろうに、ゆーひくんは2日ともディナーショー会場に現れた。片方の日なんか、ショーのあとケロの控え室に入ったまま、ひとり長い間出てこなかったとかいう。
あのころ。あのとき。わたしも、へろへろになって宝ホとバウに通っていた。
たった1年半。
ケロがいなくなって、1年ちょい。
こんなわずかな間で。
ゆうひくんは、変わり続ける。
『THE LAST PARTY』は、主役をかっこよく見せるいい作品だ。誰にとっての「あて書き」だとか「ハマリ役」だとかいうのではなく、スコット役を演じた人のファンすべてが、「スコットはわたしのご贔屓のためのあて書き、ハマリ役」と思いこめる作りになっている。
だからゆうひ・タニ以外のファンの人は、「スコット役が、わたしのご贔屓の**ちゃんならいいのに」と思うだろう役だ。
わたしも1年半前は、スコット役はケロで観たいと思ったさ。スーツも黒タキもケロの得意分野、よいお父さんだってエロエロだって得意、なによりも、苦悩して挫折してヘタレて泣くのなんか、得意中の得意だぞっと。
誰をもかっこよく見せてくれる役だけど、たのむよ、演技うまい人がやってくれよ……ゆーひもタニも、演技はアレな人ぢゃん……。
そう思っていたのに。
ゆうひくん、うまい。
スコット役を、モノにしている。
「スコット役をやっている大空祐飛」ではなく、「スコット」になっていた。
そこにいるのは、「大人」だった。
人間の、大人の男。
傷が見える、痛みが見える。
夢の世界の住人、タカラジェンヌが「ジェンヌだからいいじゃない」とフェアリー性だけで演じるきらきらしいものではなくて。
ふつーに、芝居であり、ミュージカルだった。
せっかくのいい作品なんだから、演技力のある人で観たい。
1年半前そう思った、願いが、叶えられている。
そのことにおどろき、ある意味ぼーぜんとして。
そして。
そしてこれは。
たぶん、他の誰も思っていないのだろうと思うけれど。
わたしの思いこみ、思い上がりの域の話なんだろうけれど。
ケロが、いた。
ゆーひくんのなかに。
ケロの弟だったころから、ゆーひくんはゆーひくんで、ケロとは似合うけれど別の人だった。似合うと似ているはチガウ。むしろ別の個性だからこそ、コントラストがきれいだった。
ケロが得意とするモノをゆーひくんは持たないし、ゆーひくんがあったりまえに持つモノをケロが持たなかったり。ま、ふたりとも歌は下手だったけど(笑)、それぞれがそれぞれの魅力を持ったコンビだった。
だから、ゆうひくんを見て「ケロに似てる」と思ったことなんて、一度もない。
ゆうひくんを見て、対の位置や隣にケロがいたことを思い出すのは常だけど、ゆうひくん自身に面影を見ることなんかなかった。
なのに。
はじめて、気づいた。
あ、ケロだ。
ケロがいる。
こんなとこに、ケロがいる。
背広の肩の線とか。
背中とか。
そんな、なにげない、他愛ないもののなかに、確実にケロが見えた。
や、もちろんそれは「大空祐飛」なんだけど。
そっかあ、ケロ、いたんだ。
ケロがゆーひくんとふたり、子犬みたいに兄弟みたいにじゃれあってたあの時間は、消えてしまったわけじゃないんだ。
ゆうひくんが自分の中にふつーに取り込み、「大空祐飛」として昇華させているんだ。
無駄じゃない。
消えてない。
なにひとつ、無駄なものなんてない。
ゆうひくんを形作る歴史のひとつに、汐美真帆もあった。
そのことに、はじめて気づいた。
はじめて。
そして。
ただもう、そのことだけにも、泣けて泣けて。
『THE LAST PARTY』がもともと泣ける話であることや、人間ゆえの痛みを表現してくれるゆーひスコットにも泣けて、もう大変さ。
幕が下りたあとも、しばらく立てずに客席に坐り込んでいた。隣のドリーさんとふたりして(笑)。や、ドリーさんはケロ云々はないとしても(だってソレって、わたしの勝手な思いこみだもんよ)、ゆーひくんのすごさに完敗して。
すげえよ、大空さん。
どこまで行ってしまうの。
どこまで行くにしろ、たどりつくところがどこであるにしろ。
ずっと、見ていたい。
ゆーひくん。
わたしの、特別な人。
もう今さら過ぎて気後れするが。
じつは、『THE LAST PARTY』を観に行った。わざわざ東京まで。
他のなにも観ない、ただゆーひくんのためだけに行った。
そこで。
いろいろと、ショックを受けて帰ってきた。
大空祐飛ってのは、いったいなんなんですかね?
素朴な疑問。
風花ちゃんのサヨナラバウで美貌に一目惚れして以来、ずっと見てきたけれど。
人間って、これほど変わるのか?
ここんところのわずかな間に、ゆーひくんはどんどん変わっていってます。
舞台の片隅で、ふてくされたカオで投げやりに踊っていたあの男の子は、どこまでいってしまうの?
わたしにとってはほんのついこの間、ゆうひくんはケロの弟だった。
ケロとふたり、「別格スター」という昨今絶滅しているよーな微妙ポジにいた。
トップ路線ではないけれど、「スター」として扱われているらしい、適度に露出のある位置。
主役よりも脇を好きな人間がいちばんハマりやすい位置と扱い。
ちょい悪の男の子。ひとりだけよそ見している不良少年のような芸風。笑顔は貴重だし、気まぐれで日々の舞台に差がありまくる。
そんな、「真ん中」ではないからこそ活きる魅力を持った男の子。
みんなアンソニーよりテリーが好きだもんなー。王子様より不良少年の方が人気あったりするもんなー。
それが、前回の月組公演『JAZZYな妖精たち』を観て、別の人になっていることにおどろいた。
きらきらしてる。
きらきらしている人のナナメ横で、その光を浴びて暗い光を放つ人だったのに。
本人が、発光している。
「真ん中」の光を持つ人になっている。
ケロと一緒にバウ主演したときから、そりゃわかっていたよ。ケロはこれが最初で最後だろうけどゆうひくんはチガウだろうって。
ケロとは似て非なる道を歩く子だろうとは思っていたけれど。
ケロの隣にいたときの、おおぞらゆーひぢゃない。
ここにはいるのは、別の人。
脱皮して、別の形態になっている。
その段階で、充分わたしは惑乱していたってばさ。
人ってわずかな間でこんなに変わるものなのかと。
だから『ベルサイユのばら』のオスカル特出で安心した。
男装の麗人でもなく、そもそも「女」ですらなく、いつもの(しかも、地味なときの)おおぞらゆーひでしかなかった、どんくさくもかわいらしい姿を見て。
あ、なんだ、あーゆーとこは変わってないや。人見知りさんめ。
オスカルのダメダメっぷりで、ほっとしたくらいなのに。
この『THE LAST PARTY』。
また、変わっている。
『JAZZYな妖精たち』のときから、また。
そうだ、謝らないとな。
『ベルばら』のオスカル特出のときにわたし、ゆーひくんが大根役者だと書いた。
ええ、わたしの大空さんの認識はそんなもんですよ。なにをやってもおーぞらゆーひ、持ち味でできる役はハマるけど、それ以外はダメダメ。
『THE LAST PARTY』初演のときなんか、タニちゃんもひっくるめてスコット役は、演技力のある人で見たかったと書いたさ。
ごめん。
今ソレ、撤回する。
ゆうひくん、うまくなってる。
そうか、ゆーひくん、男だもんな。男がオスカル役やってうまくできないからって、男として大根役者だとは言えないよな。
器用な男なら、女役も役の一貫としてナチュラルにこなせるのかもしれないけれど、ゆーひくんはそういうタイプじゃないだけのことだね。
ゆーひの演技はこのレベル、と勝手に決めつけていたので、『THE LAST PARTY』再演を観て、アゴが落ちた。
演技、うまい。
えええっ、演技できる人だったの?!!
どこまで変わるの、おーぞらゆーひ。
ついこの間まで、鈍い光を脇で放つ人だった。それが、ぴかぴかの真ん中の光を放つようになり、そのうえ、演技力まで会得したの?!
スロースターターにも程がある。
同期がトップスターになっているこんな学年で、なにエンジンかかってんだ。そーゆー脱皮はふつー新公学年で済ませておくものだ。
10年以上かけて出来上がった姿を愛でていた者としては、これは最終形態、だと思うじゃないか。
ケロが変わらなかったように、ゆうひくんも変わらないと思うじゃないか。
どこまで行くんだろう。
どこまで変わり続けるんだろう。
こんなに不思議な人は知らない。
たった1年半前、「きれーだけど、こなすだけで精一杯、演技がどうこう言えるレベルじゃないな」と思えた『THE LAST PARTY』のスコット役。
そうさ、たった1年半前だ。
ケロの最後のディナーショーのころ。
初の単独主演、しかもひとり芝居ウエイトで精神的にも肉体的にもぎりぎりだったろうに、ゆーひくんは2日ともディナーショー会場に現れた。片方の日なんか、ショーのあとケロの控え室に入ったまま、ひとり長い間出てこなかったとかいう。
あのころ。あのとき。わたしも、へろへろになって宝ホとバウに通っていた。
たった1年半。
ケロがいなくなって、1年ちょい。
こんなわずかな間で。
ゆうひくんは、変わり続ける。
『THE LAST PARTY』は、主役をかっこよく見せるいい作品だ。誰にとっての「あて書き」だとか「ハマリ役」だとかいうのではなく、スコット役を演じた人のファンすべてが、「スコットはわたしのご贔屓のためのあて書き、ハマリ役」と思いこめる作りになっている。
だからゆうひ・タニ以外のファンの人は、「スコット役が、わたしのご贔屓の**ちゃんならいいのに」と思うだろう役だ。
わたしも1年半前は、スコット役はケロで観たいと思ったさ。スーツも黒タキもケロの得意分野、よいお父さんだってエロエロだって得意、なによりも、苦悩して挫折してヘタレて泣くのなんか、得意中の得意だぞっと。
誰をもかっこよく見せてくれる役だけど、たのむよ、演技うまい人がやってくれよ……ゆーひもタニも、演技はアレな人ぢゃん……。
そう思っていたのに。
ゆうひくん、うまい。
スコット役を、モノにしている。
「スコット役をやっている大空祐飛」ではなく、「スコット」になっていた。
そこにいるのは、「大人」だった。
人間の、大人の男。
傷が見える、痛みが見える。
夢の世界の住人、タカラジェンヌが「ジェンヌだからいいじゃない」とフェアリー性だけで演じるきらきらしいものではなくて。
ふつーに、芝居であり、ミュージカルだった。
せっかくのいい作品なんだから、演技力のある人で観たい。
1年半前そう思った、願いが、叶えられている。
そのことにおどろき、ある意味ぼーぜんとして。
そして。
そしてこれは。
たぶん、他の誰も思っていないのだろうと思うけれど。
わたしの思いこみ、思い上がりの域の話なんだろうけれど。
ケロが、いた。
ゆーひくんのなかに。
ケロの弟だったころから、ゆーひくんはゆーひくんで、ケロとは似合うけれど別の人だった。似合うと似ているはチガウ。むしろ別の個性だからこそ、コントラストがきれいだった。
ケロが得意とするモノをゆーひくんは持たないし、ゆーひくんがあったりまえに持つモノをケロが持たなかったり。ま、ふたりとも歌は下手だったけど(笑)、それぞれがそれぞれの魅力を持ったコンビだった。
だから、ゆうひくんを見て「ケロに似てる」と思ったことなんて、一度もない。
ゆうひくんを見て、対の位置や隣にケロがいたことを思い出すのは常だけど、ゆうひくん自身に面影を見ることなんかなかった。
なのに。
はじめて、気づいた。
あ、ケロだ。
ケロがいる。
こんなとこに、ケロがいる。
背広の肩の線とか。
背中とか。
そんな、なにげない、他愛ないもののなかに、確実にケロが見えた。
や、もちろんそれは「大空祐飛」なんだけど。
そっかあ、ケロ、いたんだ。
ケロがゆーひくんとふたり、子犬みたいに兄弟みたいにじゃれあってたあの時間は、消えてしまったわけじゃないんだ。
ゆうひくんが自分の中にふつーに取り込み、「大空祐飛」として昇華させているんだ。
無駄じゃない。
消えてない。
なにひとつ、無駄なものなんてない。
ゆうひくんを形作る歴史のひとつに、汐美真帆もあった。
そのことに、はじめて気づいた。
はじめて。
そして。
ただもう、そのことだけにも、泣けて泣けて。
『THE LAST PARTY』がもともと泣ける話であることや、人間ゆえの痛みを表現してくれるゆーひスコットにも泣けて、もう大変さ。
幕が下りたあとも、しばらく立てずに客席に坐り込んでいた。隣のドリーさんとふたりして(笑)。や、ドリーさんはケロ云々はないとしても(だってソレって、わたしの勝手な思いこみだもんよ)、ゆーひくんのすごさに完敗して。
すげえよ、大空さん。
どこまで行ってしまうの。
どこまで行くにしろ、たどりつくところがどこであるにしろ。
ずっと、見ていたい。
ゆーひくん。
わたしの、特別な人。
ある意味、マゾ的快感にひたれる。@Young Bloods!!
2006年4月8日 タカラヅカ 大変なことになっています。
花組バウワークショップ『Young Bloods!!−青春花模様− 』初日。
整理がつかないので、箇条書きしときます。そのうち、ちゃんとした文章にまとめる……つもり。
いつものことだが、予備知識ナシ。そのか以外の出演者名すら、まともにチェックしてない状態で観劇。
第1幕−青春花模様−花の武蔵!!
・かわいい女の子が、開演アナウンスをやってました。あれ? 娘役がアナウンス? 「……花組の、桐生園加です」 そのかなのか!!
・声が高いことは知ってたけど、「男役声」を作ってもいない、ナマの声でアナウンスすると、こーゆー声になっちゃうんですか……。
・それでも、もちろん拍手です、開演アナウンス。
・佐々木小次郎が、日向燦です! マメから登場だよ、小次郎だよーっ、総髪だよーっ。化粧濃いよーっ。
・そのか、後ろ向きで登場。後ろ向きで……後ろ……な、なかなか前を向かない……台詞も後ろ向き。ぐちぐちぶつぶつヘタレ武蔵。てか台詞、聞こえない。
・振り向いた武蔵!! スターブーツぢゃない!!
・どっかの武蔵さんは、ブーツ履いてました。どっかの小次郎さんもですけど。でもこの世界の武蔵と小次郎は、ふつーに草鞋履いてるんですね。
・武蔵、ポニーテール(ちょんまげ)の裾が、カールしてます。……何故だ……。
・最初の演技、歌、相当やばいです……うわーうわーうわー。てゆーか音声さん、声聞こえないよ、オケやSEに負けてるよ、なんとかしてーっ。
・舞台はがらりと変わり、2006年の日本!
・ブレザー男子と、ベスト+ミニスカ女子が、歌い踊る……っ!!
・高校生です。マジで、高校生やってます、ハタチ過ぎたタカラジェンヌたちが! なかにはまだ十代の子もいるかもしれんが、それにしても、制服プレイですか!!
・てゆーか、場面の名前が、「青春園加学園」なんですけど。
・みんな、とても歌がやばい件について。
・『スクール・ウォーズ』に『スケバン刑事』って、20年も前のネタは、今の若い子たちに通じるんですか? ああ、リメイクされるんだっけか。
・じゅりあちゃんは、どこまで行ってしまうのでしょう。男役さんが、女装しているよーにしか見えません。
・「アタシ、萌子。萌え〜〜!の、萌子よ♪」
・コジロー君@マメの登場を見逃すな!!
・いや、見逃すことはないだろう。『スカウト』の一花の登場を見逃すようなモノだ。
・コジロー君と、日向学園ホスト部のみなさんに乾杯!!
・ミーでユーで、フェルゼンなのだ。
・「つかまえてごらんなさ〜〜い」「待てぇ、こいつぅ」「うふふ」「あはは」♪ ×2回。
・いや、そもそもあんな合コンありえないから!
・光る白い歯。コジロー君素敵! ホスト部のみんな素敵!
・武蔵は二刀流に開眼し、コジロー君は必殺技・某鳥返しを披露する。
・愛を懸けた決闘だ!! 誠意と真心、そして夢を胸に!!
・……って、その優勝は、優勝したことにしていいのか?!(笑)
・武蔵君は風と共に去り、「さよならは言わない」のだ。
・どうしよう、そのかが、地味だ。
・これが花組クオリティ? 脇の下級生たちまで、幕が開くなりアピール全開、「ワタシを見て!」「オレに惚れな!」と主役の顔して踊ってます。
・とくにマメ。……え、えらいことに。
・みんな、少しは手加減しようよ……真ん中の人が、地味になってますよ。
・どこを見ればいいんだ。見るとこ多すぎ。てゆーか真ん中、そのかがんばれーっ。
・そのかがこんなに舞台にいて、台詞喋って、演技してるのはじめて見た。
・…………似てる。
・なんでだ。話し方や、ちょっとした声の出し方、表情などに、デジャヴに襲われ、惑乱する。
・ちなみに、テーマソングは『恋のマイアヒ』だ。
・あー、芝居の内容ですか? ネタバレしたら笑えないと思うんで、細かくは書きませんが。
・ひとことでいうなら、『伊賀のカバ丸』+『うる星やつら』ってとこですかね?(半笑)
・よくこの内容を、実写化したなーというか、商業演劇の板の上にあげよーと思ったな。
・最初の開演アナウンスは、拍手で迎えられた。そして、休憩を挟んだあとの、2幕の開演アナウンスは。
・爆笑されてましたが。いいんですか?
第2幕
・「たいへん長らくお待たせいたしました。ただいまより、第2幕−青春花模様−絢爛SONOKA祭り!!を開演いたします」
・アナウンスはすげー真面目なのに……観客が、サブタイトルのものすごさに、大ウケしてるよ……。
・ところでサイトーくんは、ケロファンにケンカを売っているのかな?
・『ドルチェ・ヴィータ!』のセーラーボーイ&ガールキター!!
・そのかにセーラー(デザイン微妙に変。てかその帽子はよせ)を着せるな。
・心臓に悪いな、『ドルチェ・ヴィータ!』かよ……と思っていたら、次のシーン。
・『王家に捧ぐ歌』の「美人選び」パロキター!!
・全員が美女。全員が女官。すごつよ姿に、愛称入りプラカード。「ワタシがいちばん美人!」「ワタシよ!!」そのかに迫りまくる。
・サンコン氏がすげえ……しゅん様がすげえ……。
・じゅりあちゃんは、どこまで行ってしまうのでしょう。
・スーツそのかとスーツじゅりあのキスシーンが、男同士のイケナイ世界に見えてしまうワナ。
・じゅりあちゃん、娘役の寿命を縮めていなければいいが……オトコマエすぎる。
・遼かぐら(研3)から、目が離れなくなる件。
・男役が女装してるのかと思った。
・ぱんつ見せすぎです。
・ロングドレス姿が、めーっちゃオトコマエ。
・そのか、歌いまくり。
・そのかが、へろへろに。
・何故、そのかにそこまで歌わせる? 黙って踊らせてくれ。ダンスに集中させてくれ。
・体力勝負だなあ。
・中島みゆき曲絶唱シーン。
・世界にただひとりの「攻」そのかに、この世のすべての「受」(男女問わず)が絡み、別れ消えていくシーンは、すばらしいです。
・そのかひとりが、男。あとは、男役だろーと娘役だろーと関係なく、誰もが「女性パート」として絡むの。ドシリアスに。
・男@そのかに、せつなく色っぽく絡む男@しゅん様。男@そのかに、色っぽく深刻に絡む男@マメ……etc.
・そして、男@そのかだけが残る……。
・ところで、「横浜ベイスターズのテーマ」に、隣の席でkineさんが大ウケしてました。
・kineさん、プロ野球ヲタクだった過去もある人だからな……あっ、ばらしちゃった。
・若者たちひとりひとり、全員にそれぞれ見せ場アリ。
・そしてみんな、その見せ場に食らいつき、逃がさない。見せ場がなくても、キザりまくり、アピりまくる。
・恐るべし、花組クオリティ。
・てか、娘たちも濃いぞ……。
・そのかは、大変。
・なにしろ歌いまくる。歌ですよ歌。歌多すぎ。
・自分の仕事をこなすだけで精一杯、客席にアピってる余裕はない。
・結果、そのかが地味に、周りがコテコテに。
・てゆーか、いちばん目立つのがマメ氏だという現実。
・『スカウト』で、すべての話題を一花がさらったよーに。
・『DAYTIME HUSTLER』で、見終わった観客が最初に口に出す名前がヲヅキであったよーに。
・真ん中は、大変だ。がんばれそのか!!
・最初はどーなることかと思ったそのか氏、芝居も最後はちゃんとかっこよくなっていたし、ショーも純粋に「ダンサー」、「ダンス中心のスター」という面では、きちんと仕事をしていた。
・のどか氏と端正に踊っているところがいちばん安心できたよーな。
・あとは場慣れだな。
・「真ん中」に慣れろ。
・客席を見てくれ。
・君のオーラを、内に向かわせず、客席に向かって解き放ってくれ。
・『恋のマイアヒ』のそのかダンス、すてき。
・てゆーか、今も曲がアタマを回ってこまる……マイヤヒー♪ マイヤフー♪
・そのかを見守りたいと、心から思う。
・そのか〜そのか〜そのか〜。
・なんか、泣ける。
・齋藤吉正クオリティ全開。
・誰か、止める者はいなかったのか(笑)。
・いいとか悪いとか、まちがってるとか壊れてるとか、そんなささいなことは、吹っ飛ばす作品。
百聞は一見しかず。とにかく、観てくれ。すごいから。
花組バウワークショップ『Young Bloods!!−青春花模様− 』初日。
整理がつかないので、箇条書きしときます。そのうち、ちゃんとした文章にまとめる……つもり。
いつものことだが、予備知識ナシ。そのか以外の出演者名すら、まともにチェックしてない状態で観劇。
第1幕−青春花模様−花の武蔵!!
・かわいい女の子が、開演アナウンスをやってました。あれ? 娘役がアナウンス? 「……花組の、桐生園加です」 そのかなのか!!
・声が高いことは知ってたけど、「男役声」を作ってもいない、ナマの声でアナウンスすると、こーゆー声になっちゃうんですか……。
・それでも、もちろん拍手です、開演アナウンス。
・佐々木小次郎が、日向燦です! マメから登場だよ、小次郎だよーっ、総髪だよーっ。化粧濃いよーっ。
・そのか、後ろ向きで登場。後ろ向きで……後ろ……な、なかなか前を向かない……台詞も後ろ向き。ぐちぐちぶつぶつヘタレ武蔵。てか台詞、聞こえない。
・振り向いた武蔵!! スターブーツぢゃない!!
・どっかの武蔵さんは、ブーツ履いてました。どっかの小次郎さんもですけど。でもこの世界の武蔵と小次郎は、ふつーに草鞋履いてるんですね。
・武蔵、ポニーテール(ちょんまげ)の裾が、カールしてます。……何故だ……。
・最初の演技、歌、相当やばいです……うわーうわーうわー。てゆーか音声さん、声聞こえないよ、オケやSEに負けてるよ、なんとかしてーっ。
・舞台はがらりと変わり、2006年の日本!
・ブレザー男子と、ベスト+ミニスカ女子が、歌い踊る……っ!!
・高校生です。マジで、高校生やってます、ハタチ過ぎたタカラジェンヌたちが! なかにはまだ十代の子もいるかもしれんが、それにしても、制服プレイですか!!
・てゆーか、場面の名前が、「青春園加学園」なんですけど。
・みんな、とても歌がやばい件について。
・『スクール・ウォーズ』に『スケバン刑事』って、20年も前のネタは、今の若い子たちに通じるんですか? ああ、リメイクされるんだっけか。
・じゅりあちゃんは、どこまで行ってしまうのでしょう。男役さんが、女装しているよーにしか見えません。
・「アタシ、萌子。萌え〜〜!の、萌子よ♪」
・コジロー君@マメの登場を見逃すな!!
・いや、見逃すことはないだろう。『スカウト』の一花の登場を見逃すようなモノだ。
・コジロー君と、日向学園ホスト部のみなさんに乾杯!!
・ミーでユーで、フェルゼンなのだ。
・「つかまえてごらんなさ〜〜い」「待てぇ、こいつぅ」「うふふ」「あはは」♪ ×2回。
・いや、そもそもあんな合コンありえないから!
・光る白い歯。コジロー君素敵! ホスト部のみんな素敵!
・武蔵は二刀流に開眼し、コジロー君は必殺技・某鳥返しを披露する。
・愛を懸けた決闘だ!! 誠意と真心、そして夢を胸に!!
・……って、その優勝は、優勝したことにしていいのか?!(笑)
・武蔵君は風と共に去り、「さよならは言わない」のだ。
・どうしよう、そのかが、地味だ。
・これが花組クオリティ? 脇の下級生たちまで、幕が開くなりアピール全開、「ワタシを見て!」「オレに惚れな!」と主役の顔して踊ってます。
・とくにマメ。……え、えらいことに。
・みんな、少しは手加減しようよ……真ん中の人が、地味になってますよ。
・どこを見ればいいんだ。見るとこ多すぎ。てゆーか真ん中、そのかがんばれーっ。
・そのかがこんなに舞台にいて、台詞喋って、演技してるのはじめて見た。
・…………似てる。
・なんでだ。話し方や、ちょっとした声の出し方、表情などに、デジャヴに襲われ、惑乱する。
・ちなみに、テーマソングは『恋のマイアヒ』だ。
・あー、芝居の内容ですか? ネタバレしたら笑えないと思うんで、細かくは書きませんが。
・ひとことでいうなら、『伊賀のカバ丸』+『うる星やつら』ってとこですかね?(半笑)
・よくこの内容を、実写化したなーというか、商業演劇の板の上にあげよーと思ったな。
・最初の開演アナウンスは、拍手で迎えられた。そして、休憩を挟んだあとの、2幕の開演アナウンスは。
・爆笑されてましたが。いいんですか?
第2幕
・「たいへん長らくお待たせいたしました。ただいまより、第2幕−青春花模様−絢爛SONOKA祭り!!を開演いたします」
・アナウンスはすげー真面目なのに……観客が、サブタイトルのものすごさに、大ウケしてるよ……。
・ところでサイトーくんは、ケロファンにケンカを売っているのかな?
・『ドルチェ・ヴィータ!』のセーラーボーイ&ガールキター!!
・そのかにセーラー(デザイン微妙に変。てかその帽子はよせ)を着せるな。
・心臓に悪いな、『ドルチェ・ヴィータ!』かよ……と思っていたら、次のシーン。
・『王家に捧ぐ歌』の「美人選び」パロキター!!
・全員が美女。全員が女官。すごつよ姿に、愛称入りプラカード。「ワタシがいちばん美人!」「ワタシよ!!」そのかに迫りまくる。
・サンコン氏がすげえ……しゅん様がすげえ……。
・じゅりあちゃんは、どこまで行ってしまうのでしょう。
・スーツそのかとスーツじゅりあのキスシーンが、男同士のイケナイ世界に見えてしまうワナ。
・じゅりあちゃん、娘役の寿命を縮めていなければいいが……オトコマエすぎる。
・遼かぐら(研3)から、目が離れなくなる件。
・男役が女装してるのかと思った。
・ぱんつ見せすぎです。
・ロングドレス姿が、めーっちゃオトコマエ。
・そのか、歌いまくり。
・そのかが、へろへろに。
・何故、そのかにそこまで歌わせる? 黙って踊らせてくれ。ダンスに集中させてくれ。
・体力勝負だなあ。
・中島みゆき曲絶唱シーン。
・世界にただひとりの「攻」そのかに、この世のすべての「受」(男女問わず)が絡み、別れ消えていくシーンは、すばらしいです。
・そのかひとりが、男。あとは、男役だろーと娘役だろーと関係なく、誰もが「女性パート」として絡むの。ドシリアスに。
・男@そのかに、せつなく色っぽく絡む男@しゅん様。男@そのかに、色っぽく深刻に絡む男@マメ……etc.
・そして、男@そのかだけが残る……。
・ところで、「横浜ベイスターズのテーマ」に、隣の席でkineさんが大ウケしてました。
・kineさん、プロ野球ヲタクだった過去もある人だからな……あっ、ばらしちゃった。
・若者たちひとりひとり、全員にそれぞれ見せ場アリ。
・そしてみんな、その見せ場に食らいつき、逃がさない。見せ場がなくても、キザりまくり、アピりまくる。
・恐るべし、花組クオリティ。
・てか、娘たちも濃いぞ……。
・そのかは、大変。
・なにしろ歌いまくる。歌ですよ歌。歌多すぎ。
・自分の仕事をこなすだけで精一杯、客席にアピってる余裕はない。
・結果、そのかが地味に、周りがコテコテに。
・てゆーか、いちばん目立つのがマメ氏だという現実。
・『スカウト』で、すべての話題を一花がさらったよーに。
・『DAYTIME HUSTLER』で、見終わった観客が最初に口に出す名前がヲヅキであったよーに。
・真ん中は、大変だ。がんばれそのか!!
・最初はどーなることかと思ったそのか氏、芝居も最後はちゃんとかっこよくなっていたし、ショーも純粋に「ダンサー」、「ダンス中心のスター」という面では、きちんと仕事をしていた。
・のどか氏と端正に踊っているところがいちばん安心できたよーな。
・あとは場慣れだな。
・「真ん中」に慣れろ。
・客席を見てくれ。
・君のオーラを、内に向かわせず、客席に向かって解き放ってくれ。
・『恋のマイアヒ』のそのかダンス、すてき。
・てゆーか、今も曲がアタマを回ってこまる……マイヤヒー♪ マイヤフー♪
・そのかを見守りたいと、心から思う。
・そのか〜そのか〜そのか〜。
・なんか、泣ける。
・齋藤吉正クオリティ全開。
・誰か、止める者はいなかったのか(笑)。
・いいとか悪いとか、まちがってるとか壊れてるとか、そんなささいなことは、吹っ飛ばす作品。
百聞は一見しかず。とにかく、観てくれ。すごいから。
現実にいる悪魔。@スカウト
2006年4月7日 タカラヅカ とまあ、さんざん「夢オチさいてー。そんなの『物語』としてありえない、反則」と書きまくっておいて、だ。
作家としての良心やプライド、存在意義まで疑わせてもらったけど、ソレはソレとして。
夢オチの『スカウト』萌え。
すみません、わたしにはいろいろな「階層」があって。
純粋に「物語」として、『スカウト』の不誠実さ、作家の驕りに立腹し、あきれている層もあるんだが。
画面の美しさや、会話のテンポのよさを評価している層や、お笑いに特化した部分をそのままたのしんでいる層、役者たちの個人技に心酔している層と、いろいろあって。
らんとむのかっこよさや、きほちゃんの光、いちかの芸達者さやみわっちの三枚目ぶりと鋭いまでの美形ぶりに、ミーハーしてきゃあきゃあ言っている層もあり。
ナニより、まっつの素敵さに、ふにゃふにゃになっている層も、かなりの大きさで存在し。
それらすべての階層が、ふつーに、同時に、存在しているの、わたしのなかに。
だから、正塚に不満バリバリの層が饒舌にテキストを埋めているけど、ほんとに、キライなだけでもなければ、作品を腐すことが目的でもないのよ。
同じクチで、言わせてもらうもん。
夢オチ、萌え〜〜。
とゆーことで、この欄では「リセット」説は撤回、「夢オチ」前提で語らせてもらいます。
夢です、夢。全部夢。はじめからまるっと全部、「なかったこと」。
すべてが「仕組まれていたこと」で、ショーン@らんとむの夢だと言うなら。
現実に「在る」とわかっているのは、ショーンが事故に遭う前に登場していた人たちと、2度目の覚醒以後に登場した人々のみ。
ジェシカやフランク、ダンサー仲間たち。医者と看護士。そして、サーシャと……アズ@まっつ。
ラルゥ@いちかは架空の存在かもしれないけど、プログラムの中のキャラクタかもしれないけど、アズは生きているんだ。実在なんだ。
しかも、サーシャに簡単にあしらわれている。もしも彼が、完全に「敵」ならば、サーシャにアゴで使われたりはしないだろう。口答えひとつできずに従う、ということは、「倒すべき敵」ではなく、「組織の下っ端」ということだ。
アズ、味方だったのか!
サーシャの組織のエージェントかと思われていたラルゥが架空キャラで、アズが実在キャラ? てことはラルゥとアズが同一人物、てのもアリ?
ラルゥとアズは、そもそも2個イチの存在である。ふたりは対で登場し、ふたりだけで踊る。ギャグ全開になるまでは、まるでカストルとポルックスのよーに、ふたりでべったり一緒にいる。ライトの外だから見にくいだろーけど、最初のショーンの病室にジェシカが登場するまでの間、上手の階段でラルゥとアズは双子か恋人同士のようにくっついて坐っているよ。このときのふたりが、すげー雰囲気アルんで、いつもたのしく見ていたけど。
ラルゥは性格が統一しないはじけきった女の子で、このうえにいくつ人格があっても変じゃない。
ラルゥの複数の人格の上に、さらにアズも含まれるとしたら。
いや、実在がアズの方だから、あくまでもアズがあったその上で、さらにラルゥというキャラクタも作り上げられているとしたら。
愉快なんですけど。
アズのもうひとつの人格が、ラルゥ。感情的なアズが突っ走りそうになると現れる、ラルゥ。「お前がかき乱されてどうするよ?」「恥ずかしいよ」……ラルゥはあまりに強い、完璧なキャラクタだから。そのとりとめのなさも含めて。
女の子の姿をしながら、あちこち男言葉になって。基本は女の子のはずが、あちこち脱線して。
男のアズが本体だから、つい、そっちが出てしまうとか。
それって、萌えるー(笑)。
ま、そんなややこしいこと考えなくても、ラルゥはサーシャたちの組織が作った架空キャラ、テストをコントロールするただのナビゲータ、ということでもいいよ。
嘘の世界で、ショーンとサーシャ、そしてアズだけが本物だった、ということでも。
なにしろ、ラストの病室シーンで、アズにはそれまでの記憶がある。すべてがショーンの夢で、眠ったままテストを受けていただけだとすれば、ショーンがアズを知っていたとしても、アズはショーンを知らないはずだ。アズにとっては、初対面のはずだ。なのに、アズとショーンは「これまでの続きの会話」をするんだよね。気を付けて観たけれど、やっぱりふたりの会話は、「続き」だ。初対面じゃない。
「夢オチ」だったというわりに、夢の中で恋をしたサーシャとの関係は、夢が醒めたあとも続いていることだし、ショーンはただの作られたプログラムの中にいたというより、ネットワークゲームのような世界にいたんじゃないかと思われる。
複数のプレーヤーたちが、それぞれの端末で、ゲームに参加していた。そうやって、物語の流れを管理していたと考えるべきだろう。
サーシャは実際にサーシャというキャラクタになってゲームに関与していたし、そこで生きていた。アズもまた、悪魔キャラとして、ゲームの中でショーンに会っていたんだ。だからこそ、彼がやりすぎてショーンを殺しそうになると、ナビゲータのラルゥが現れてフォローする、という展開になったんだ。
アズは、組織に飼われている悪魔。人間側ではあるけれど、目を離すと人間に取り憑いて破滅させたりとろくでもないことをする。悪魔と戦うためには、悪魔の協力者がいる。悪魔と戦う武器……それは、味方になった悪魔=仲魔のこと。
スカウトされ、無事にテストに合格し、晴れて「戦士」となったショーン。
彼の仲魔……コンビを組む悪魔とは、アズのことじゃないか?
『スカウト』は、予告編に過ぎない。
次からは、ショーンとアズのコンビによる、悪魔退治ドラマがスタート。1話完結で毎回豪華なゲストを迎え、ハラハラドキドキの物語が! 進展しそうでしない、ショーンとサーシャの恋の行方は?!
てのは、どうよ?
もちろん、腐女子はサーシャを置いておいて、男ふたりの友情に萌えるの(笑)。
いつも丁々発止、顔を合わせればケンカばかりの人間と悪魔のコンビが、危機には手を取り合い、助け合って戦うの。意地を張り合ったり、わざと悪ぶってみたり。でもほんとうは、強い絆で結ばれているという、定番の相棒モノねっ。
でかいカラダのダークカラーの髪の人間。ホットでハートフル。小柄で華奢な金髪の悪魔。クールで自己中。大型犬と、しなやかな猫。なのに、猫攻の、犬受。アズ×ショーン希望(笑)。希望ったら、希望。
いつものケンカが行きすぎて、ついやっちゃったとか、そーゆーの希望(笑)。
どつき漫才バージョンと、ドシリアス鬼畜バージョン、どちらもお気に召すまま。
いやあ、『スカウト』、通ったからね(笑)。これだけ時間費やしてたら、萌えドコロにも開眼しますことよ。
ショーン@らんとむ、かっこよすぎ。アズ@まっつ、きれい、かっこいい、かわいい、大好き。
てことで、作品がどうあれ文句がどうあれ、所詮わたしは、もんのすげーたのしんでいるんだよ、『スカウト』で。
作家としての良心やプライド、存在意義まで疑わせてもらったけど、ソレはソレとして。
夢オチの『スカウト』萌え。
すみません、わたしにはいろいろな「階層」があって。
純粋に「物語」として、『スカウト』の不誠実さ、作家の驕りに立腹し、あきれている層もあるんだが。
画面の美しさや、会話のテンポのよさを評価している層や、お笑いに特化した部分をそのままたのしんでいる層、役者たちの個人技に心酔している層と、いろいろあって。
らんとむのかっこよさや、きほちゃんの光、いちかの芸達者さやみわっちの三枚目ぶりと鋭いまでの美形ぶりに、ミーハーしてきゃあきゃあ言っている層もあり。
ナニより、まっつの素敵さに、ふにゃふにゃになっている層も、かなりの大きさで存在し。
それらすべての階層が、ふつーに、同時に、存在しているの、わたしのなかに。
だから、正塚に不満バリバリの層が饒舌にテキストを埋めているけど、ほんとに、キライなだけでもなければ、作品を腐すことが目的でもないのよ。
同じクチで、言わせてもらうもん。
夢オチ、萌え〜〜。
とゆーことで、この欄では「リセット」説は撤回、「夢オチ」前提で語らせてもらいます。
夢です、夢。全部夢。はじめからまるっと全部、「なかったこと」。
すべてが「仕組まれていたこと」で、ショーン@らんとむの夢だと言うなら。
現実に「在る」とわかっているのは、ショーンが事故に遭う前に登場していた人たちと、2度目の覚醒以後に登場した人々のみ。
ジェシカやフランク、ダンサー仲間たち。医者と看護士。そして、サーシャと……アズ@まっつ。
ラルゥ@いちかは架空の存在かもしれないけど、プログラムの中のキャラクタかもしれないけど、アズは生きているんだ。実在なんだ。
しかも、サーシャに簡単にあしらわれている。もしも彼が、完全に「敵」ならば、サーシャにアゴで使われたりはしないだろう。口答えひとつできずに従う、ということは、「倒すべき敵」ではなく、「組織の下っ端」ということだ。
アズ、味方だったのか!
サーシャの組織のエージェントかと思われていたラルゥが架空キャラで、アズが実在キャラ? てことはラルゥとアズが同一人物、てのもアリ?
ラルゥとアズは、そもそも2個イチの存在である。ふたりは対で登場し、ふたりだけで踊る。ギャグ全開になるまでは、まるでカストルとポルックスのよーに、ふたりでべったり一緒にいる。ライトの外だから見にくいだろーけど、最初のショーンの病室にジェシカが登場するまでの間、上手の階段でラルゥとアズは双子か恋人同士のようにくっついて坐っているよ。このときのふたりが、すげー雰囲気アルんで、いつもたのしく見ていたけど。
ラルゥは性格が統一しないはじけきった女の子で、このうえにいくつ人格があっても変じゃない。
ラルゥの複数の人格の上に、さらにアズも含まれるとしたら。
いや、実在がアズの方だから、あくまでもアズがあったその上で、さらにラルゥというキャラクタも作り上げられているとしたら。
愉快なんですけど。
アズのもうひとつの人格が、ラルゥ。感情的なアズが突っ走りそうになると現れる、ラルゥ。「お前がかき乱されてどうするよ?」「恥ずかしいよ」……ラルゥはあまりに強い、完璧なキャラクタだから。そのとりとめのなさも含めて。
女の子の姿をしながら、あちこち男言葉になって。基本は女の子のはずが、あちこち脱線して。
男のアズが本体だから、つい、そっちが出てしまうとか。
それって、萌えるー(笑)。
ま、そんなややこしいこと考えなくても、ラルゥはサーシャたちの組織が作った架空キャラ、テストをコントロールするただのナビゲータ、ということでもいいよ。
嘘の世界で、ショーンとサーシャ、そしてアズだけが本物だった、ということでも。
なにしろ、ラストの病室シーンで、アズにはそれまでの記憶がある。すべてがショーンの夢で、眠ったままテストを受けていただけだとすれば、ショーンがアズを知っていたとしても、アズはショーンを知らないはずだ。アズにとっては、初対面のはずだ。なのに、アズとショーンは「これまでの続きの会話」をするんだよね。気を付けて観たけれど、やっぱりふたりの会話は、「続き」だ。初対面じゃない。
「夢オチ」だったというわりに、夢の中で恋をしたサーシャとの関係は、夢が醒めたあとも続いていることだし、ショーンはただの作られたプログラムの中にいたというより、ネットワークゲームのような世界にいたんじゃないかと思われる。
複数のプレーヤーたちが、それぞれの端末で、ゲームに参加していた。そうやって、物語の流れを管理していたと考えるべきだろう。
サーシャは実際にサーシャというキャラクタになってゲームに関与していたし、そこで生きていた。アズもまた、悪魔キャラとして、ゲームの中でショーンに会っていたんだ。だからこそ、彼がやりすぎてショーンを殺しそうになると、ナビゲータのラルゥが現れてフォローする、という展開になったんだ。
アズは、組織に飼われている悪魔。人間側ではあるけれど、目を離すと人間に取り憑いて破滅させたりとろくでもないことをする。悪魔と戦うためには、悪魔の協力者がいる。悪魔と戦う武器……それは、味方になった悪魔=仲魔のこと。
スカウトされ、無事にテストに合格し、晴れて「戦士」となったショーン。
彼の仲魔……コンビを組む悪魔とは、アズのことじゃないか?
『スカウト』は、予告編に過ぎない。
次からは、ショーンとアズのコンビによる、悪魔退治ドラマがスタート。1話完結で毎回豪華なゲストを迎え、ハラハラドキドキの物語が! 進展しそうでしない、ショーンとサーシャの恋の行方は?!
てのは、どうよ?
もちろん、腐女子はサーシャを置いておいて、男ふたりの友情に萌えるの(笑)。
いつも丁々発止、顔を合わせればケンカばかりの人間と悪魔のコンビが、危機には手を取り合い、助け合って戦うの。意地を張り合ったり、わざと悪ぶってみたり。でもほんとうは、強い絆で結ばれているという、定番の相棒モノねっ。
でかいカラダのダークカラーの髪の人間。ホットでハートフル。小柄で華奢な金髪の悪魔。クールで自己中。大型犬と、しなやかな猫。なのに、猫攻の、犬受。アズ×ショーン希望(笑)。希望ったら、希望。
いつものケンカが行きすぎて、ついやっちゃったとか、そーゆーの希望(笑)。
どつき漫才バージョンと、ドシリアス鬼畜バージョン、どちらもお気に召すまま。
いやあ、『スカウト』、通ったからね(笑)。これだけ時間費やしてたら、萌えドコロにも開眼しますことよ。
ショーン@らんとむ、かっこよすぎ。アズ@まっつ、きれい、かっこいい、かわいい、大好き。
てことで、作品がどうあれ文句がどうあれ、所詮わたしは、もんのすげーたのしんでいるんだよ、『スカウト』で。
ラルゥ×サーシャって萌えな関係だと思う(笑)。@スカウト
2006年4月6日 タカラヅカ わたしが『スカウト』の「テスト」というオチを、「夢オチ」だと思わず、時間が戻ったために「リセット」されたのだと思った理由は三つある。
ひとつは、純粋に「夢オチ」なんてサイテーなオチを、正塚晴彦ともあろうものが、やるはずがない。とゆー思い込み。
もうひとつは、わざわざ悪魔が四次元の生物であり、時間を自由に行き来できるという設定があること。
夢オチだとこのネタが無意味になってしまう。
みっつめが、「テスト」終了後にアズがいること。
「夢オチ」ならば、アズとショーンは初対面ということになる。悪魔アズは「人間には姿が見えない」という前提で生きているはずだ。ショーンとふつーに会話すること自体ありえない。
とまあ、「夢オチ」にすると、さらにつじつまが合わなくなるんだよね。
どーして正塚、わざわざ「夢オチ」にしたんだろう? 百害あって一利ナシなのに。……あ、利はあるのか。ナニやってもいーじゃん、夢なんだからめちゃくちゃOKという、作者だけがお得というヤツ?
「夢オチ」だと聞いて、前述の通りわたしとkineさんとドリーさんは即座に「聞かなかったことにしよう」と結論を出した。正塚のためにも『スカウト』という作品のためにも、そんなことは「聞かなかった」。
あってはならない(笑)。
つーことでわたしたちは、「夢オチ」だと知ってなお、そのことを「なかったこと」として話をすすめ、舞台をたのしんだ。舞台上で明言されていないのだから、余白の部分を自由に考えるのは客の特権だ。
「テスト」は「夢オチ」ではなく、時間が戻ったために「リセット」されたものだとして。
サーシャたち「対悪魔組織」はどの程度ショーンに関与していたのか。
わたしは「すべて嘘だよーん。舞台にあったモノみんなみんな、作者の都合のいい嘘」だと考えるのは嫌だ。
ブラフはアリだと思っているが、真実と誠意を信じたい。
まず、「悪魔に操られ、正気と狂気の間で苦しむサーシャ」は本物だと思っている。
たしかにサーシャはこのゲームの仕掛け人のひとりだが、ショーンと出会い彼に恋するところでは、あえて本来の記憶を封印し、「無力な少女」キャラになりきっていると思う。
テストに必要だから、ふつーの人間になって現れたんだね。
悪魔の浸食に耐えられたのは、彼女がふつーの人間じゃなかったからだろうし、植物人間になってしまったとしても、最終的には目覚めたと思う。ショーンのテストの結果がどうあれ。
ま、仕事に「命張った」ってこと(笑)だと理解。
これがショーンの採用試験である以上、「お姫様キャラ」が必要、されどなにも知らない一般人にそんな危険な役をやらせるわけにいかない。だからエージェントのサーシャが自ら記憶や特殊能力を封印して、「ヒロイン」を演じたのだろう。
テスト終了まで、彼女の記憶は封印されたまま。
「ふつーの女の子」として、悪魔に翻弄され、ショーンに恋をした。
テストの中のサーシャが、エージェントとしての記憶を持たないだけに、テストの流れをコントロールするモノが必要だ。
もうひとりのエージェント。
それが、ラルゥだ。
物語は、ラルゥの呼び声によってはじまる。
ラルゥの声に導かれ、ショーンは交通事故に遭う。
冥界でラルゥをはじめとする悪魔たちに喰われかけるが、天使サーシャ(この段階では、記憶も特殊能力もある)の力で現世に甦る。
ショーンを翻弄し、導くのはラルゥ。
さまざまな難題をふっかけては、ショーンを試し続ける。
本来の記憶を封印され、「ふつーの女の子」となったサーシャの祖母は、ラルゥのもうひとつの姿。記憶のないサーシャを「ヒロイン」としてショーンへの恋を刷り込む。
それはあまりに作為的。
ラルゥが「対悪魔組織」のエージェントでなければ、無意味な行動だ。
「ふつーの女の子」サーシャは、このテストのために作られた架空の存在だ。その祖母というキャラクタは、同じ組織の人間であると考えるのがふつーだろう。
サーシャのために自ら死を選んだショーンに「誓いを立てますか?」と答えを迫る声もまた、ラルゥ。
終始一貫して、ラルゥの行動は「テストをコントロールする者」だ。
ラルゥはたぶん、ほんとーに悪魔なんだろう。
悪魔の中でもとことん悪魔らしいキャラなので、「おもしろいから」とかそんな理由で人間側に協力、スパイとして悪魔側にいる。
組織の女エージェント、サーシャとラルゥの「テスト後の日常会話」とか、見てみたいよな。
「ちょっとあなた、あそこまでやらなくてよかったんじゃない? ほんっとーに私、狂うところだったわよっ?!」
「なに言ってんだよ、敵を騙すにはまず味方からって言うだろーがよ、オレがあそこまで容赦なくやったからショーンがおめーのために、本気になってがんばっちゃったんだと思うの(はぁと)」
「それはわかるけどね」
「それはそーと、ショーンとはその後どうなのよ? すべての世話を? すべてって、すべて? やーん♪」
「……ゴホン」
「『あの人のことが嫌いなの? 好きなの? 嫌いなの?』」
「……あなた、たのしんでなかった? 普段のストレス解消とか?」
「帰って寝ようっと」
「待ちなさいコラ!」
てな、女同士のかわいくも火花散る(笑)関係で、あまり気の合わない同僚、であってくれたりすると、たのしいのになー。
「夢オチ」にしちゃうと、ラルゥまで「存在していない」ことになるから、もったいなさすぎる。
「リセット」なら、ふつーの人間であるフランクたちとの出来事は全部消えてしまうけど、時間を好きに行き来できる悪魔たちだけは「消えてしまった部分」の記憶も持っているからねー。
「お笑い」に逃げずに、ふつーに「ハードボイルド」な物語を作って欲しかったよ。
わたしはちゃんと、たとえ「テスト」であっても、ショーンとサーシャは「恋」をしたんだと思っているからさ。
ひとつは、純粋に「夢オチ」なんてサイテーなオチを、正塚晴彦ともあろうものが、やるはずがない。とゆー思い込み。
もうひとつは、わざわざ悪魔が四次元の生物であり、時間を自由に行き来できるという設定があること。
夢オチだとこのネタが無意味になってしまう。
みっつめが、「テスト」終了後にアズがいること。
「夢オチ」ならば、アズとショーンは初対面ということになる。悪魔アズは「人間には姿が見えない」という前提で生きているはずだ。ショーンとふつーに会話すること自体ありえない。
とまあ、「夢オチ」にすると、さらにつじつまが合わなくなるんだよね。
どーして正塚、わざわざ「夢オチ」にしたんだろう? 百害あって一利ナシなのに。……あ、利はあるのか。ナニやってもいーじゃん、夢なんだからめちゃくちゃOKという、作者だけがお得というヤツ?
「夢オチ」だと聞いて、前述の通りわたしとkineさんとドリーさんは即座に「聞かなかったことにしよう」と結論を出した。正塚のためにも『スカウト』という作品のためにも、そんなことは「聞かなかった」。
あってはならない(笑)。
つーことでわたしたちは、「夢オチ」だと知ってなお、そのことを「なかったこと」として話をすすめ、舞台をたのしんだ。舞台上で明言されていないのだから、余白の部分を自由に考えるのは客の特権だ。
「テスト」は「夢オチ」ではなく、時間が戻ったために「リセット」されたものだとして。
サーシャたち「対悪魔組織」はどの程度ショーンに関与していたのか。
わたしは「すべて嘘だよーん。舞台にあったモノみんなみんな、作者の都合のいい嘘」だと考えるのは嫌だ。
ブラフはアリだと思っているが、真実と誠意を信じたい。
まず、「悪魔に操られ、正気と狂気の間で苦しむサーシャ」は本物だと思っている。
たしかにサーシャはこのゲームの仕掛け人のひとりだが、ショーンと出会い彼に恋するところでは、あえて本来の記憶を封印し、「無力な少女」キャラになりきっていると思う。
テストに必要だから、ふつーの人間になって現れたんだね。
悪魔の浸食に耐えられたのは、彼女がふつーの人間じゃなかったからだろうし、植物人間になってしまったとしても、最終的には目覚めたと思う。ショーンのテストの結果がどうあれ。
ま、仕事に「命張った」ってこと(笑)だと理解。
これがショーンの採用試験である以上、「お姫様キャラ」が必要、されどなにも知らない一般人にそんな危険な役をやらせるわけにいかない。だからエージェントのサーシャが自ら記憶や特殊能力を封印して、「ヒロイン」を演じたのだろう。
テスト終了まで、彼女の記憶は封印されたまま。
「ふつーの女の子」として、悪魔に翻弄され、ショーンに恋をした。
テストの中のサーシャが、エージェントとしての記憶を持たないだけに、テストの流れをコントロールするモノが必要だ。
もうひとりのエージェント。
それが、ラルゥだ。
物語は、ラルゥの呼び声によってはじまる。
ラルゥの声に導かれ、ショーンは交通事故に遭う。
冥界でラルゥをはじめとする悪魔たちに喰われかけるが、天使サーシャ(この段階では、記憶も特殊能力もある)の力で現世に甦る。
ショーンを翻弄し、導くのはラルゥ。
さまざまな難題をふっかけては、ショーンを試し続ける。
本来の記憶を封印され、「ふつーの女の子」となったサーシャの祖母は、ラルゥのもうひとつの姿。記憶のないサーシャを「ヒロイン」としてショーンへの恋を刷り込む。
それはあまりに作為的。
ラルゥが「対悪魔組織」のエージェントでなければ、無意味な行動だ。
「ふつーの女の子」サーシャは、このテストのために作られた架空の存在だ。その祖母というキャラクタは、同じ組織の人間であると考えるのがふつーだろう。
サーシャのために自ら死を選んだショーンに「誓いを立てますか?」と答えを迫る声もまた、ラルゥ。
終始一貫して、ラルゥの行動は「テストをコントロールする者」だ。
ラルゥはたぶん、ほんとーに悪魔なんだろう。
悪魔の中でもとことん悪魔らしいキャラなので、「おもしろいから」とかそんな理由で人間側に協力、スパイとして悪魔側にいる。
組織の女エージェント、サーシャとラルゥの「テスト後の日常会話」とか、見てみたいよな。
「ちょっとあなた、あそこまでやらなくてよかったんじゃない? ほんっとーに私、狂うところだったわよっ?!」
「なに言ってんだよ、敵を騙すにはまず味方からって言うだろーがよ、オレがあそこまで容赦なくやったからショーンがおめーのために、本気になってがんばっちゃったんだと思うの(はぁと)」
「それはわかるけどね」
「それはそーと、ショーンとはその後どうなのよ? すべての世話を? すべてって、すべて? やーん♪」
「……ゴホン」
「『あの人のことが嫌いなの? 好きなの? 嫌いなの?』」
「……あなた、たのしんでなかった? 普段のストレス解消とか?」
「帰って寝ようっと」
「待ちなさいコラ!」
てな、女同士のかわいくも火花散る(笑)関係で、あまり気の合わない同僚、であってくれたりすると、たのしいのになー。
「夢オチ」にしちゃうと、ラルゥまで「存在していない」ことになるから、もったいなさすぎる。
「リセット」なら、ふつーの人間であるフランクたちとの出来事は全部消えてしまうけど、時間を好きに行き来できる悪魔たちだけは「消えてしまった部分」の記憶も持っているからねー。
「お笑い」に逃げずに、ふつーに「ハードボイルド」な物語を作って欲しかったよ。
わたしはちゃんと、たとえ「テスト」であっても、ショーンとサーシャは「恋」をしたんだと思っているからさ。
そして彼は、夢から覚めた。@スカウト
2006年4月5日 タカラヅカ 無意味にお笑いになっている、主人公の人格が破綻している、など書き連ねてきたが。
『スカウト』のオチを知っている人なら、こう言いたいかもしれない。
「そもそも、全部『テスト』だったわけでしょ? 論理的にどうこうとか性格が破綻とか、論点ズレてるんじゃないの?」
この「すべてが所詮、『テスト』に過ぎなかった」というオチが、またひどい。
このオチのひどさは、大きく分けてふたつある。
ひとつめ。
すべてが、「なかったこと」として、消えてしまった。
ショーン@らんとむが最初の事故で目覚めたところから、最後の冥界のあとに目覚めたところまで、物語のほとんど全部がまるっと「なかったこと」になっている。
サム@みわっちとの出会いも友情(……)も、フランク@まりんたちとの友情も、全部「なかったこと」。
そして、この物語の中核であったはずのサーシャ@きほとの恋愛すら、「仕組まれたもの」になってしまった。
これはひどい。
そして、ふたつめ。
そもそもテストって、なんのテスト?
対悪魔戦士ってことなんだろーけど、そのテストの合格ガイドラインってなに?
ショーンは、利己のために他人を傷つけて当然、という価値観の人間だったんですけど?
「世界を守る理由は、愛する女性を守るため」で、その恋人が危なくなったら、「世界なんかどーでもいい、恋人さえ助かればそれでいい」という、そんな人間の、どのへんがよくて、合格したの?
恋人を人質に取られたら、どんな非道なことでも平気でするぞ? それを責められたら、「他人のことなんか考えてる余裕ない!」と正当化するぞ?
こんな男、戦士にしちゃダメだってば。
破綻してます、完璧に。
とまあ、ひどいだけのオチなんだよ、「テスト」ってのは。
これじゃこのオチってさ、ただの言い訳にすぎないじゃん? 言い訳にもなってないけど。
これだけでもひどかったんだが、さらにまだ、最悪な事実があったんだよねえ。
そのことを、段階を踏みながら書こうと思う。
ここで、確認すべきことがある。
ショーンが最初に交通事故に遭い、3ヶ月の意識不明のあと目覚めた時点、これをA地点としよう。
サーシャを助けるためにサムに殺してもらい、冥界でどんちゃん騒ぎを経て、「誓いを立てますか?」という謎の声に「誓う!」と叫び、目覚めた時点、これをB地点とする。
わたしはこのふたつの時間軸、A地点とB地点は別のものと認識していた。
A地点でショーンはたしかに目覚め、その後もふつーに生きていた。サムやフランクとの話も、全部本物。実際にあったこと。
悪魔たちは「四次元の生物」であり、好きに時間を行き来できる。
その悪魔たちとどう対峙するか、どう戦うかを視るのが「テスト」である以上、戦いの結果、時間が戻ってしまうことも可能性としてある。
A地点からA’地点まで来たところで、ショーンが死んだ。それを救うために、対悪魔組織が時間に関与し、A地点まで時間を戻した。
この場合、時間は一旦A’地点まで進んでいたのだから、時間を戻ったとしてもそこはもうA地点ではない。B地点である。
だから医師と看護士の会話も少々チガウし、ジェシカの車もチガウ。ショーンの服もチガウ。
なによりも、アズ@まっつがいる。
アズはA地点からA’地点までの「記憶」を持っている。だから、ショーンとの会話が成立する。
アズと「この間の会話の続き」をする以上、B地点とA地点は、時間的には同じであっても、別の世界だ。
「テスト」だから、AからA’までの「出来事」は「なかったこと」になってしまった。
でも、たしかにソレは在った。時間が戻り、リセットされてしまっただけのこと。
この「なかったこと」「リセット」ってだけでも、わたしは冒頭にあげたふたつの理由から「ひどい」と言っていたんだけどね。
事実は、もっとさらにひどかったのよ。
『スカウト』ってさ、全部、ショーンの見ていた夢の話なんですよ。
というオチがあることを聞いた。出典は某お茶会。わたしは誰のお茶会も参加しとりませんので、又聞きですが。
A地点からB地点までが「夢」で、出来事すべてが「テスト」であったと。
それを聞くなり、その場にいたわたしと、ドリーさんとkineさんは、「聞かなかったことにしよう」と言い切りましたよ(笑)。
正塚晴彦という作家のために、『スカウト』という作品のために、そんな最低最悪な設定は、「聞かなかったことにしよう」と。
物語を作る上で、やっちゃいけないこと、つーのがある。手法としての存在は認められているけれど、コレをやると客に非難されても仕方がない、まさに禁じ手というヤツ。
それが、楽屋オチと、夢オチだ。
わたしが最初に語っていた「リセット」と、「夢オチ」のちがい、わかる?
『エリザベート』で解説すると。
黄泉の帝王トートに愛された少女シシィ。彼女の人生には、トートの影がつきまとう。
孤独と放浪の末、ついに彼女の人生に終焉がやってきた。暗殺者の手にかかる瞬間、エリザベートは……。
1・
エリザベートは神に懇願した。
「神様、わたしは人生を間違えました。やり直しをさせてください。やり直すことが出来るなら、姉のお見合いについて行ったりしません。皇帝の求婚を受けたりしません。息子を突き放して自殺に追い込んだりしません。わたしはわたしに見合った人生を生き直します」
祈るエリザベートの前に神様が現れた。「その願い、聞き届けよう」
朝自分のベッドでエリザベート……15歳の無邪気なシシィは目覚める。
「夢? ……ううん、ちがう。時が戻ったんだ、神様感謝します!!」
苦しみ、あがきつづけた半生の記憶は、たしかに胸の中にある。出会った人のこと、愛した人のこと、傷つけ、傷つけられた記憶も。闇の帝王トートの存在も。
それでもなお、さらに前に進む余地を、彼女は与えられたのだ。
2・
エリザベートは神に懇願した。
「これは夢よ、悪い夢だわ。早く覚めて!!」
朝自分のベッドでエリザベート……15歳の無邪気なシシィは目覚める。
「夢? やーだ、変な夢見ちゃった」
そう、なにもかもが夢だった。黄泉の帝王トートなど存在しないし、皇帝ともまだ出会っていない。年老いた皇帝が冷たい妻を追いかけて「君を愛してる、君が必要だ」と言いに来るなんて、ただの夢の中の出来事だ。脳内妄想ならなんでもあり。
夢見るお年頃だから、仕方ない。
1が「リセット」、2が「夢オチ」。
1では、『エリザベート』のストーリー全部が「ほんとうにあったこと」しかし、「時間が戻ったために、消えてしまった」。
『エリザベート』という舞台を観て、観客が感動していた場面場面、出来事や台詞、キャラクタ、すべて「ほんとうに、あったこと」。
ただソレが「消えてしまった」だけ。
2では、『エリザベート』のストーリー全部が「はじめから、なにもなかったこと」。
『エリザベート』という舞台を観て、観客が感動していた場面場面、出来事や台詞、キャラクタ、すべて「はじめから、なにもなかった」。
ただの、ヒロインの妄想に過ぎなかっただけ。
「消えてしまった」だけでも充分ひどいけど、「最初から、なにもなかった」はさらにひどいよね。
「夢オチ」とゆーのは、そーゆー最悪の手法だ。
どんな名作でも、「ぜんぶ夢でした。アハッ」とやれば駄作となるし、どんなめちゃくちゃな駄作でも、「だって夢だから、なんでもアリだもーん」と肯定されてしまう。
タカラヅカのあらゆる作品の最後に、「ぜーんぶ夢でした。チャンチャン」と付けてみて。その反則具合がわかるから。
つーことで、最初の「そもそも、全部『テスト』だったわけでしょ? 論理的にどうこうとか性格が破綻とか、論点ズレてるんじゃないの?」に、戻る。
「夢オチ」としてしまったら、すべての粗を「だって夢だから、なんでもアリだもーん」で誤魔化せてしまうのよ。
「テスト」どころの話じゃない。
「テスト」としても破綻しているし、それらすべてを「夢オチ」で終わらせてしまう、いくらなんでもあんまりだ。
ここまで誠意のない作品は、愛せないよ。
『スカウト』のオチを知っている人なら、こう言いたいかもしれない。
「そもそも、全部『テスト』だったわけでしょ? 論理的にどうこうとか性格が破綻とか、論点ズレてるんじゃないの?」
この「すべてが所詮、『テスト』に過ぎなかった」というオチが、またひどい。
このオチのひどさは、大きく分けてふたつある。
ひとつめ。
すべてが、「なかったこと」として、消えてしまった。
ショーン@らんとむが最初の事故で目覚めたところから、最後の冥界のあとに目覚めたところまで、物語のほとんど全部がまるっと「なかったこと」になっている。
サム@みわっちとの出会いも友情(……)も、フランク@まりんたちとの友情も、全部「なかったこと」。
そして、この物語の中核であったはずのサーシャ@きほとの恋愛すら、「仕組まれたもの」になってしまった。
これはひどい。
そして、ふたつめ。
そもそもテストって、なんのテスト?
対悪魔戦士ってことなんだろーけど、そのテストの合格ガイドラインってなに?
ショーンは、利己のために他人を傷つけて当然、という価値観の人間だったんですけど?
「世界を守る理由は、愛する女性を守るため」で、その恋人が危なくなったら、「世界なんかどーでもいい、恋人さえ助かればそれでいい」という、そんな人間の、どのへんがよくて、合格したの?
恋人を人質に取られたら、どんな非道なことでも平気でするぞ? それを責められたら、「他人のことなんか考えてる余裕ない!」と正当化するぞ?
こんな男、戦士にしちゃダメだってば。
破綻してます、完璧に。
とまあ、ひどいだけのオチなんだよ、「テスト」ってのは。
これじゃこのオチってさ、ただの言い訳にすぎないじゃん? 言い訳にもなってないけど。
これだけでもひどかったんだが、さらにまだ、最悪な事実があったんだよねえ。
そのことを、段階を踏みながら書こうと思う。
ここで、確認すべきことがある。
ショーンが最初に交通事故に遭い、3ヶ月の意識不明のあと目覚めた時点、これをA地点としよう。
サーシャを助けるためにサムに殺してもらい、冥界でどんちゃん騒ぎを経て、「誓いを立てますか?」という謎の声に「誓う!」と叫び、目覚めた時点、これをB地点とする。
わたしはこのふたつの時間軸、A地点とB地点は別のものと認識していた。
A地点でショーンはたしかに目覚め、その後もふつーに生きていた。サムやフランクとの話も、全部本物。実際にあったこと。
悪魔たちは「四次元の生物」であり、好きに時間を行き来できる。
その悪魔たちとどう対峙するか、どう戦うかを視るのが「テスト」である以上、戦いの結果、時間が戻ってしまうことも可能性としてある。
A地点からA’地点まで来たところで、ショーンが死んだ。それを救うために、対悪魔組織が時間に関与し、A地点まで時間を戻した。
この場合、時間は一旦A’地点まで進んでいたのだから、時間を戻ったとしてもそこはもうA地点ではない。B地点である。
だから医師と看護士の会話も少々チガウし、ジェシカの車もチガウ。ショーンの服もチガウ。
なによりも、アズ@まっつがいる。
アズはA地点からA’地点までの「記憶」を持っている。だから、ショーンとの会話が成立する。
アズと「この間の会話の続き」をする以上、B地点とA地点は、時間的には同じであっても、別の世界だ。
「テスト」だから、AからA’までの「出来事」は「なかったこと」になってしまった。
でも、たしかにソレは在った。時間が戻り、リセットされてしまっただけのこと。
この「なかったこと」「リセット」ってだけでも、わたしは冒頭にあげたふたつの理由から「ひどい」と言っていたんだけどね。
事実は、もっとさらにひどかったのよ。
『スカウト』ってさ、全部、ショーンの見ていた夢の話なんですよ。
というオチがあることを聞いた。出典は某お茶会。わたしは誰のお茶会も参加しとりませんので、又聞きですが。
A地点からB地点までが「夢」で、出来事すべてが「テスト」であったと。
それを聞くなり、その場にいたわたしと、ドリーさんとkineさんは、「聞かなかったことにしよう」と言い切りましたよ(笑)。
正塚晴彦という作家のために、『スカウト』という作品のために、そんな最低最悪な設定は、「聞かなかったことにしよう」と。
物語を作る上で、やっちゃいけないこと、つーのがある。手法としての存在は認められているけれど、コレをやると客に非難されても仕方がない、まさに禁じ手というヤツ。
それが、楽屋オチと、夢オチだ。
わたしが最初に語っていた「リセット」と、「夢オチ」のちがい、わかる?
『エリザベート』で解説すると。
黄泉の帝王トートに愛された少女シシィ。彼女の人生には、トートの影がつきまとう。
孤独と放浪の末、ついに彼女の人生に終焉がやってきた。暗殺者の手にかかる瞬間、エリザベートは……。
1・
エリザベートは神に懇願した。
「神様、わたしは人生を間違えました。やり直しをさせてください。やり直すことが出来るなら、姉のお見合いについて行ったりしません。皇帝の求婚を受けたりしません。息子を突き放して自殺に追い込んだりしません。わたしはわたしに見合った人生を生き直します」
祈るエリザベートの前に神様が現れた。「その願い、聞き届けよう」
朝自分のベッドでエリザベート……15歳の無邪気なシシィは目覚める。
「夢? ……ううん、ちがう。時が戻ったんだ、神様感謝します!!」
苦しみ、あがきつづけた半生の記憶は、たしかに胸の中にある。出会った人のこと、愛した人のこと、傷つけ、傷つけられた記憶も。闇の帝王トートの存在も。
それでもなお、さらに前に進む余地を、彼女は与えられたのだ。
2・
エリザベートは神に懇願した。
「これは夢よ、悪い夢だわ。早く覚めて!!」
朝自分のベッドでエリザベート……15歳の無邪気なシシィは目覚める。
「夢? やーだ、変な夢見ちゃった」
そう、なにもかもが夢だった。黄泉の帝王トートなど存在しないし、皇帝ともまだ出会っていない。年老いた皇帝が冷たい妻を追いかけて「君を愛してる、君が必要だ」と言いに来るなんて、ただの夢の中の出来事だ。脳内妄想ならなんでもあり。
夢見るお年頃だから、仕方ない。
1が「リセット」、2が「夢オチ」。
1では、『エリザベート』のストーリー全部が「ほんとうにあったこと」しかし、「時間が戻ったために、消えてしまった」。
『エリザベート』という舞台を観て、観客が感動していた場面場面、出来事や台詞、キャラクタ、すべて「ほんとうに、あったこと」。
ただソレが「消えてしまった」だけ。
2では、『エリザベート』のストーリー全部が「はじめから、なにもなかったこと」。
『エリザベート』という舞台を観て、観客が感動していた場面場面、出来事や台詞、キャラクタ、すべて「はじめから、なにもなかった」。
ただの、ヒロインの妄想に過ぎなかっただけ。
「消えてしまった」だけでも充分ひどいけど、「最初から、なにもなかった」はさらにひどいよね。
「夢オチ」とゆーのは、そーゆー最悪の手法だ。
どんな名作でも、「ぜんぶ夢でした。アハッ」とやれば駄作となるし、どんなめちゃくちゃな駄作でも、「だって夢だから、なんでもアリだもーん」と肯定されてしまう。
タカラヅカのあらゆる作品の最後に、「ぜーんぶ夢でした。チャンチャン」と付けてみて。その反則具合がわかるから。
つーことで、最初の「そもそも、全部『テスト』だったわけでしょ? 論理的にどうこうとか性格が破綻とか、論点ズレてるんじゃないの?」に、戻る。
「夢オチ」としてしまったら、すべての粗を「だって夢だから、なんでもアリだもーん」で誤魔化せてしまうのよ。
「テスト」どころの話じゃない。
「テスト」としても破綻しているし、それらすべてを「夢オチ」で終わらせてしまう、いくらなんでもあんまりだ。
ここまで誠意のない作品は、愛せないよ。
「心」はどこに・その2。@スカウト
2006年4月4日 タカラヅカ 『スカウト』語りの続き。
1幕は、ふつーだった。されど。
2幕になると、ストーリーも「心」も関係なくなる。「お笑い」のみを追求しはじめる。
死んだ恋人のジェシカが悪魔となって現れても、ショーンの「心」は痛まない。「気持ち悪いから、触るな」という言動を取って、観客を笑わせる。
たとえ真実愛していたわけではないとしても、その言動は「人間」として、ありえない。「心」がない。あるのは、観客を笑わせる、という作者の利己心のみ。
愛するサーシャのために、自分も死ぬというショーン。それはいい。それはアリだろう。だが、その「人殺し」をサム@みわっちに押しつけ、悪びれることもないというのは、いかがなものか。
ショーンは1幕で変わったんじゃなかったのか? 狂人扱いされても仲間を助ける、そーゆー男になったんだろう? なのに、他人を傷つけても平気なの?
……まあ、サムをどれだけ傷つけても平気、他人なんか世界なんかどーでもいい、サーシャさえ助かればいいんだ、という考え方もアリだとは思う。ショーンにとっての「世界」がサーシャである以上、彼女がいない世界なんか、滅びてもいいんだろーさ。
「世界中を敵に回しても、俺はお前だけを守る」とか、「世界中の人が死んでも、君だけ無事ならそれでボクは幸福だ」とかは、アリな価値観だよ。無力な老婆を突き飛ばして、愛する彼女に花を渡すよーな、「すべてに冷たい人なのに、ワタシにだけはやさしいの。キャっ♪」と、そーゆー壊れた男を好きな女は大勢いる。わたしは好きじゃないけど。
そーやって、ショーンが「他人のことなんか知らね。もう俺はヒーローじゃないから、好き勝手するんだ!」と言って、サムを傷つけ利用するのも、アリだとして。そこまでしてたったひとりの人を愛する男、という表現だとして。
わからないのは、何故ここが、お笑いシーンなのかということだ。
前にも書いたけど、悪魔と戦う「同志」であるふたりが、命のやりとりをするんだよ? ショーンが助かったのは結果論であって、この時点ではほんとーに殺してしまうわけだよ?
真の意味での信頼がなければありえない出来事だし、それゆえにもっともシリアスな、感動的なシーンになるべきところなんだ。どれだけ自分勝手な行動であろうと、シリアスであれば、「恋人への愛」と「男同士の友情」として描ける大切なシーンだ。それこそ、『ファントム』のキャリパパとエリックのよーに。正塚作品で言うなら、『バロンの末裔』の狩り場のシーンぐらいの正面切った断腸の想いを表現すべきシーンだよ。
それが何故か、「お笑い」。
ここを「お笑い」にする理由がわからない。ショーンの「愛のために他人を傷つける行動」を笑わせる、というのは、「愛」そのものを否定したいのか?
愛のために暴走する姿を笑えと?
『王家に捧ぐ歌』のファラオ暗殺のシーンですちゃらかな音楽をかけて笑わせるよーな感じ? 「愛のため」に国が滅ぶのどーのと大騒ぎだった場面、つーことで例題。
作者はなにがしたいんだ?
お笑いにする意味もわからないが、それでもお笑いにするしかないというなら、浪花節にすることはできたのに。
ショーンがサムを信頼しているから、その手で殺して欲しいのだと、すちゃらかな「サムソング」でこれでもかと訴えかけ、サムが感動して滑稽に泣き崩れれば、画面的にも展開的にもまったく同じものになる。
なのにソレすらなく、ショーンはただ身勝手なだけで、サムは滑稽なだけで、笑わせるためだけにおかしな言動を取る。
「お笑い」にする必要性がない。論理的に説明できない。あるのは、観客を笑わせる、という作者の利己心のみ。
1幕はふつーの「正塚芝居」だったのに、2幕で急に「お笑いもの」になった。
1幕で作り上げたものを、2幕で破壊する。
ただ「笑わせる」という目的だけを考えて、キャラの人格は破壊され、言動はおかしくなり、物語はめちゃくちゃになる。
わからないのは、何故、そうまでして、笑わせなければならなかったかだ。
ここが吉本新喜劇だというならわかる。
「笑い」がテーマで、客は腹を抱えて大笑いするために金を出している。
だがここはタカラヅカで、正塚はタカラヅカの座付き作家だ。
タカラヅカなのに、何故、主役を「人格破綻者」にしてまで、笑わせなければならなかったんだ?
どんなに「笑い」にこだわった作品であっても、物語的に「正しい」なら、それはかまわない。
笑いすべてが悪いと言っているわけじゃない。
「笑わせる」ために、キャラや物語を壊しているから、変だと言っているんだ。
「笑い」の使い方を、まちがったのだと思う。
悪魔たちは「心」を持たないのだから、彼らでいくら笑わせてもいい。ラルゥは軽やかに最低で、ショーンをもてあそびまくればいい。ショーンの死体を囲んでドンチャン騒ぎ、あれが正しい悪魔の姿だろうよ。
だが、人間であり、「心」のあるショーンで「お笑い」をする必要はどこにもない。悪魔たちの「心」のないお遊びに翻弄されることで、滑稽な態度をさらして笑われればいいんだ。
ひとことに「笑い」と言っても、誰も彼もが滑稽なことをすればいいってもんじゃない。他カンパニーの喜劇だって、ちゃんとルールに基づいて作られているだろう?
「笑い」を得たいがためだけに、大きく間違ってしまった……ソレが、痛すぎる。
しかも、「お笑い」を作る上でのルールやガイドラインもわかっていないまま、手当たり次第に「滑稽なこと」をさせて、観客を笑わせる……。
それはあんまりだよ、正塚せんせー。
「心」は、どーしちゃったの?
1幕には、たしかにあったのに。
1幕は、ふつーだった。されど。
2幕になると、ストーリーも「心」も関係なくなる。「お笑い」のみを追求しはじめる。
死んだ恋人のジェシカが悪魔となって現れても、ショーンの「心」は痛まない。「気持ち悪いから、触るな」という言動を取って、観客を笑わせる。
たとえ真実愛していたわけではないとしても、その言動は「人間」として、ありえない。「心」がない。あるのは、観客を笑わせる、という作者の利己心のみ。
愛するサーシャのために、自分も死ぬというショーン。それはいい。それはアリだろう。だが、その「人殺し」をサム@みわっちに押しつけ、悪びれることもないというのは、いかがなものか。
ショーンは1幕で変わったんじゃなかったのか? 狂人扱いされても仲間を助ける、そーゆー男になったんだろう? なのに、他人を傷つけても平気なの?
……まあ、サムをどれだけ傷つけても平気、他人なんか世界なんかどーでもいい、サーシャさえ助かればいいんだ、という考え方もアリだとは思う。ショーンにとっての「世界」がサーシャである以上、彼女がいない世界なんか、滅びてもいいんだろーさ。
「世界中を敵に回しても、俺はお前だけを守る」とか、「世界中の人が死んでも、君だけ無事ならそれでボクは幸福だ」とかは、アリな価値観だよ。無力な老婆を突き飛ばして、愛する彼女に花を渡すよーな、「すべてに冷たい人なのに、ワタシにだけはやさしいの。キャっ♪」と、そーゆー壊れた男を好きな女は大勢いる。わたしは好きじゃないけど。
そーやって、ショーンが「他人のことなんか知らね。もう俺はヒーローじゃないから、好き勝手するんだ!」と言って、サムを傷つけ利用するのも、アリだとして。そこまでしてたったひとりの人を愛する男、という表現だとして。
わからないのは、何故ここが、お笑いシーンなのかということだ。
前にも書いたけど、悪魔と戦う「同志」であるふたりが、命のやりとりをするんだよ? ショーンが助かったのは結果論であって、この時点ではほんとーに殺してしまうわけだよ?
真の意味での信頼がなければありえない出来事だし、それゆえにもっともシリアスな、感動的なシーンになるべきところなんだ。どれだけ自分勝手な行動であろうと、シリアスであれば、「恋人への愛」と「男同士の友情」として描ける大切なシーンだ。それこそ、『ファントム』のキャリパパとエリックのよーに。正塚作品で言うなら、『バロンの末裔』の狩り場のシーンぐらいの正面切った断腸の想いを表現すべきシーンだよ。
それが何故か、「お笑い」。
ここを「お笑い」にする理由がわからない。ショーンの「愛のために他人を傷つける行動」を笑わせる、というのは、「愛」そのものを否定したいのか?
愛のために暴走する姿を笑えと?
『王家に捧ぐ歌』のファラオ暗殺のシーンですちゃらかな音楽をかけて笑わせるよーな感じ? 「愛のため」に国が滅ぶのどーのと大騒ぎだった場面、つーことで例題。
作者はなにがしたいんだ?
お笑いにする意味もわからないが、それでもお笑いにするしかないというなら、浪花節にすることはできたのに。
ショーンがサムを信頼しているから、その手で殺して欲しいのだと、すちゃらかな「サムソング」でこれでもかと訴えかけ、サムが感動して滑稽に泣き崩れれば、画面的にも展開的にもまったく同じものになる。
なのにソレすらなく、ショーンはただ身勝手なだけで、サムは滑稽なだけで、笑わせるためだけにおかしな言動を取る。
「お笑い」にする必要性がない。論理的に説明できない。あるのは、観客を笑わせる、という作者の利己心のみ。
1幕はふつーの「正塚芝居」だったのに、2幕で急に「お笑いもの」になった。
1幕で作り上げたものを、2幕で破壊する。
ただ「笑わせる」という目的だけを考えて、キャラの人格は破壊され、言動はおかしくなり、物語はめちゃくちゃになる。
わからないのは、何故、そうまでして、笑わせなければならなかったかだ。
ここが吉本新喜劇だというならわかる。
「笑い」がテーマで、客は腹を抱えて大笑いするために金を出している。
だがここはタカラヅカで、正塚はタカラヅカの座付き作家だ。
タカラヅカなのに、何故、主役を「人格破綻者」にしてまで、笑わせなければならなかったんだ?
どんなに「笑い」にこだわった作品であっても、物語的に「正しい」なら、それはかまわない。
笑いすべてが悪いと言っているわけじゃない。
「笑わせる」ために、キャラや物語を壊しているから、変だと言っているんだ。
「笑い」の使い方を、まちがったのだと思う。
悪魔たちは「心」を持たないのだから、彼らでいくら笑わせてもいい。ラルゥは軽やかに最低で、ショーンをもてあそびまくればいい。ショーンの死体を囲んでドンチャン騒ぎ、あれが正しい悪魔の姿だろうよ。
だが、人間であり、「心」のあるショーンで「お笑い」をする必要はどこにもない。悪魔たちの「心」のないお遊びに翻弄されることで、滑稽な態度をさらして笑われればいいんだ。
ひとことに「笑い」と言っても、誰も彼もが滑稽なことをすればいいってもんじゃない。他カンパニーの喜劇だって、ちゃんとルールに基づいて作られているだろう?
「笑い」を得たいがためだけに、大きく間違ってしまった……ソレが、痛すぎる。
しかも、「お笑い」を作る上でのルールやガイドラインもわかっていないまま、手当たり次第に「滑稽なこと」をさせて、観客を笑わせる……。
それはあんまりだよ、正塚せんせー。
「心」は、どーしちゃったの?
1幕には、たしかにあったのに。
「心」はどこに。@スカウト
2006年4月3日 タカラヅカ「緑野さんは、あと1ヶ月くらい『スカウト』ネタを書き続けるんじゃないの?」
と、ゆーことを言われてますが。
何故? わたしがまだ語り足りていないってバレてるの?
ちゃんと千秋楽の日の話も書いたのにー。なんか、終わりっぽいはずなのにー。
いやその、その通りです。
終わってからも絶賛『スカウト』祭り中でした。
楽のあともずーっと、アタマの中でらんとむ氏の歌がエンドレスで回り続けるくらいに。
でもさ。
実はとっても複雑なんだ。
やっぱりわたし、この作品、どーしても好きになれない。
くやしいよ。
らんとむはすげーかっこいいし、画面がオシャレで、役者が魅力的で、特撮的ベタベタさでノリのいい音楽がダサカッコよくて、とても笑える素敵な舞台なのに。
なにより、まっつがものすげー素敵なのに。
なのに、好きになれない。
くやしい。
なんでこんな、ひどい話なんだ。
わたしは、どれだけ1場面1場面がオシャレで魅力的であっても、贔屓が素敵でも、「物語」に納得できなきゃ、好きになれないんだ。
それが今回、よーっくわかった。
何度も自問したよ。
まっつがかっこいいんだから、まっつを見ているだけでしあわせなんだから、ソレでいいじゃないかって。
まっつにいい役をくれて、愛情のある使い方をしてくれて、正塚せんせーありがとう!って、そう言えばいいじゃないかと。
でも、ダメだ。
まっつを見てしあわせなのと、作品を好きかどうかはまったく別物だ。
好きになろうと努力した。
努力したけど、ダメだったよ。しょぼん。
わたしが好きな作品てのは、「心」が必要なんだ。
「心」のない物語には、心が動かないんだ。
どれほどコワレていても、起承転結や辻褄が変でも、つたなくても足りていなくても、好きなものは好きだった。
ダメなところ、引っかかるところにブツブツ文句言いつつも、それでも愛しい作品はある。
作品を好きで、そのうえでの欠点なら、文句言い言いスルーできる。
だが、美点がいくらあっても、作品を好きでなかったら、たのしめないんだ。
正塚晴彦は、どこで「心」を置き忘れたのか。
第1幕は、ふつーだった。
ラルゥ@一花とのやりとりはギャグテイストだが、それくらいは表現のひとつとして、ぜんぜんOK。
サム@みわっちが完璧にギャグキャラだが、それも味だと思う。
ショーン@らんとむは、「生きた」、「心」のある人間だった。
才能あるダンサー兼振付家で、「今がよければそれでいい」と刹那的に生きる傲慢なイケメン。無国籍な話のハズなのに、歌舞伎町にいそうだな、この男。と、思わせてしまうのが、らんとむ氏の素敵なトコロ(笑)。
今の職場が嫌になっても、いくらでも行くアテはある。義理とか人情とか関係ない。恋人のジェシカ@すみかとも、ドライな関係。人生ナナメに生きてるショーンには、手に入らないものなどナニもない。
……だったはずが。
事故によって、すべてを失う。
仕事も、恋人も。
しかも、悪魔なんてものが見えてしまう。
悪魔のことを仲間たちに知らせようとするが、もちろん誰も信じない。狂人扱いされるのみ。そりゃそーさ、その程度のつきあいしかしてなかったんだ。
刹那的に、傲慢に生きてきた。それでよかった。
だが今ほんとうに、ショーンはひとりになってしまった。孤独でもいい、もともと俺はそういう人間だと、ショーンは雑踏の中で歌う。そんな彼に、まとわりつく影。彼の孤独をあざわらうよーに。
真の意味で「独り」になったショーンの前に現れる少女サーシャ@きほ。彼女と出会ったことで、ショーンは変わる。
「仲間」を助けたくて、「悪魔」から守りたくて、狂人扱いされよーと突き放されよーと関係なく、走り出す。
ショーンが変わったからこそ、仲間たちも変わる。フランク@まりんは、荒唐無稽な悪魔話を信じる。ショーンの真摯さに、心を動かされて。
「心」が本物であるからこそ、ひとの「心」に届き、「心」が動く。それまでてきとーに生きてきたショーンは、そんなことも知らずにいた。伝えたい、守りたいと思った、その「心」は、ちゃんと「力」になるんだ。そのことを、はじめて知った。手応えとして感じた。
だからショーンは、サーシャに惹かれる。「生きることがつらいときに、私はあの人に出会った」てのは『凱旋門』だが、つまりはそーゆーことだよな。絶望していたショーンの前に現れた白い光が、サーシャだった。
「あなたを守りたい。あなたの生きる世界を守りたい」と、そこまで一気に話がぶっ飛んでしまうのも、仕方がない。サーシャによって、ショーンの「世界」は変わったのだから。
そーして、ショーンは戦いを決意する。「戦う理由(わけ)はこの胸にある」ですよ、ヒーローソングですよ。そーやって、幕が下りるわけですよ。
1幕はね、わかるの。ちゃんとショーンに「心」があること。
問題は2幕。
長くなるんで、続く。
と、ゆーことを言われてますが。
何故? わたしがまだ語り足りていないってバレてるの?
ちゃんと千秋楽の日の話も書いたのにー。なんか、終わりっぽいはずなのにー。
いやその、その通りです。
終わってからも絶賛『スカウト』祭り中でした。
楽のあともずーっと、アタマの中でらんとむ氏の歌がエンドレスで回り続けるくらいに。
でもさ。
実はとっても複雑なんだ。
やっぱりわたし、この作品、どーしても好きになれない。
くやしいよ。
らんとむはすげーかっこいいし、画面がオシャレで、役者が魅力的で、特撮的ベタベタさでノリのいい音楽がダサカッコよくて、とても笑える素敵な舞台なのに。
なにより、まっつがものすげー素敵なのに。
なのに、好きになれない。
くやしい。
なんでこんな、ひどい話なんだ。
わたしは、どれだけ1場面1場面がオシャレで魅力的であっても、贔屓が素敵でも、「物語」に納得できなきゃ、好きになれないんだ。
それが今回、よーっくわかった。
何度も自問したよ。
まっつがかっこいいんだから、まっつを見ているだけでしあわせなんだから、ソレでいいじゃないかって。
まっつにいい役をくれて、愛情のある使い方をしてくれて、正塚せんせーありがとう!って、そう言えばいいじゃないかと。
でも、ダメだ。
まっつを見てしあわせなのと、作品を好きかどうかはまったく別物だ。
好きになろうと努力した。
努力したけど、ダメだったよ。しょぼん。
わたしが好きな作品てのは、「心」が必要なんだ。
「心」のない物語には、心が動かないんだ。
どれほどコワレていても、起承転結や辻褄が変でも、つたなくても足りていなくても、好きなものは好きだった。
ダメなところ、引っかかるところにブツブツ文句言いつつも、それでも愛しい作品はある。
作品を好きで、そのうえでの欠点なら、文句言い言いスルーできる。
だが、美点がいくらあっても、作品を好きでなかったら、たのしめないんだ。
正塚晴彦は、どこで「心」を置き忘れたのか。
第1幕は、ふつーだった。
ラルゥ@一花とのやりとりはギャグテイストだが、それくらいは表現のひとつとして、ぜんぜんOK。
サム@みわっちが完璧にギャグキャラだが、それも味だと思う。
ショーン@らんとむは、「生きた」、「心」のある人間だった。
才能あるダンサー兼振付家で、「今がよければそれでいい」と刹那的に生きる傲慢なイケメン。無国籍な話のハズなのに、歌舞伎町にいそうだな、この男。と、思わせてしまうのが、らんとむ氏の素敵なトコロ(笑)。
今の職場が嫌になっても、いくらでも行くアテはある。義理とか人情とか関係ない。恋人のジェシカ@すみかとも、ドライな関係。人生ナナメに生きてるショーンには、手に入らないものなどナニもない。
……だったはずが。
事故によって、すべてを失う。
仕事も、恋人も。
しかも、悪魔なんてものが見えてしまう。
悪魔のことを仲間たちに知らせようとするが、もちろん誰も信じない。狂人扱いされるのみ。そりゃそーさ、その程度のつきあいしかしてなかったんだ。
刹那的に、傲慢に生きてきた。それでよかった。
だが今ほんとうに、ショーンはひとりになってしまった。孤独でもいい、もともと俺はそういう人間だと、ショーンは雑踏の中で歌う。そんな彼に、まとわりつく影。彼の孤独をあざわらうよーに。
真の意味で「独り」になったショーンの前に現れる少女サーシャ@きほ。彼女と出会ったことで、ショーンは変わる。
「仲間」を助けたくて、「悪魔」から守りたくて、狂人扱いされよーと突き放されよーと関係なく、走り出す。
ショーンが変わったからこそ、仲間たちも変わる。フランク@まりんは、荒唐無稽な悪魔話を信じる。ショーンの真摯さに、心を動かされて。
「心」が本物であるからこそ、ひとの「心」に届き、「心」が動く。それまでてきとーに生きてきたショーンは、そんなことも知らずにいた。伝えたい、守りたいと思った、その「心」は、ちゃんと「力」になるんだ。そのことを、はじめて知った。手応えとして感じた。
だからショーンは、サーシャに惹かれる。「生きることがつらいときに、私はあの人に出会った」てのは『凱旋門』だが、つまりはそーゆーことだよな。絶望していたショーンの前に現れた白い光が、サーシャだった。
「あなたを守りたい。あなたの生きる世界を守りたい」と、そこまで一気に話がぶっ飛んでしまうのも、仕方がない。サーシャによって、ショーンの「世界」は変わったのだから。
そーして、ショーンは戦いを決意する。「戦う理由(わけ)はこの胸にある」ですよ、ヒーローソングですよ。そーやって、幕が下りるわけですよ。
1幕はね、わかるの。ちゃんとショーンに「心」があること。
問題は2幕。
長くなるんで、続く。
My楽とまっつとナマまっつとナマ爪。@スカウト
2006年4月2日 タカラヅカ ところで、『スカウト』千秋楽は観られませんでした。
さすがに、サバキ出なかったよー。観たかったけどさー。
チケットを持っているハイディさんに、「まっつ見てね、まっつ。かっこいいから!」と強く言うと、
「大丈夫。kineさんよりは、ちゃんと見るから!」
と、ナイスな答えが返った(笑)。
楽は観られなかったけれど、前楽は、観られてしまった。
サバキ待ちだらけだったのに、声をかけてくれる人がいたんだ。ありがとーありがとー、もうぜんぜんだめかと、『スカウト』を観納めることができないまま、公演が終わってしまうのかと悲嘆していただけに、めちゃうれしかった。
しかも。
「ごめんなさい、こんなお席で」
と言って譲ってくれたその席は、段上がり上手端。
まっつ席キターーーー!!
上手端ですよ、上手端!
今までいろんな席に坐ったけれど、前方センターよりおいしかったのが、前方上手端なのよ!
まっつがいつも目の前!
それだけじゃない。
まっつの歌声を聴くための、最良の席。
まっつは今回、コーラスばっかだから。大勢の中にとけている「まっつの声」をより鮮明に聴くためには、歌っているまっつの近くにいる方がいいのね。
前方上手席にいるときほど、まっつの歌声を堪能できたことってない。
最後の最後に。
オットコマエに低音で歌う、まっつの声を堪能しました。
やっぱ、最初の事故のときの歌がいちばん好き。その前のらんとむ&すみかたちの歌にコーラス入れてるときの声も好きだけどさー。
わたしはつくづく、まっつの声が好きなんだと実感。
もともとわたしは、腐女子だから。アニメとかが好きだった(過去形かい)人間だから、好きになる人の「声」は重要なファクタ。
顔が好みで、さらに、声が好みだったら、一気にオチるみたいだ。あとは芸風かー。演技下手な人には、ハマれないからなー。
1幕では、まっつの声にめろめろで、幕間でドリーさんに「しあわせそうだな、ヲイ」と言われてしまったよ……はあぁ。溜息。
そうなのよ、しあわせだったのよ。障害物なしで、思い存分まっつだけガン見して、まっつの歌声だけ聴き分けて。
楽の前の公演は、VISA貸切だったので、観客の反応が新鮮。演じている側も、気持ちいいだろうな、あんな素直に笑ってもらえたら。
バウってのは基本出演者のファンだけで埋まるものだから、リピーターばっかになりがちなのね。一見さんがいないから、アドリブ禁止の正塚ギャグ芝居をやっても、笑いがあまり起こらないの。もうみんな、台詞もタイミングも熟知した観客ばっかだもんよ。
その点、貸切公演はいいさね。初見の客が圧倒的に多くて、空気がいい。観客が素直に笑い、舞台の上もとてもテンション高くなめらかに進んでいくのがわかる。
みんながたのしそうだと、いいよね。
あんまりしあわせだったので、楽のサバキが取れなかったからといって、大劇宙組を観る気になれず。
もう少し、『スカウト』と、まっつを噛みしめていたいのだ……。これで最後なんだからさー。
そのあと、楽を見終わったハイディさんと合流、ええ、ちゃんとまっつのことも見てくれたみたいよ! 少なくとも、kineさんよりは(笑)。
とはいえ、結局いちかのすごさと、らんとむのかっこよさの話ばっかになっちゃうけどさ(笑)。さおたさんに浮気していた話も聞きましたけどさ(笑)。
いい楽だったんだね。
さおたさんの挨拶も、ハートフルだったようで。
……うおお、観たかったよー。残念だー。
でも、際限なく欲張っても仕方ない。チケ運も金もなかったのだから、あきらめる。
わたしがまともにサバキ待ちしたのって、ラストの2日間だけだったし、平日は2枚ばかし余ったチケットをさばいたクチだったのだけど(チケ取りは計画的にしましょう)、全体的にチケ難だったよね、この公演。
ナマに感じたこととして。
現在のらんとむ氏に、バウホールは、小さすぎた。
現在、というのは、「正塚作品」だとか「組替え前」だとか、「ポスターの出来」だとか「他の出演者」だとか、そーゆーものも全部ひっくるめた現在ね。
バウ+青年館ぐらいが妥当だったのではないかと。
そーすりゃもっと、チケット取りやすかっただろうなあ。
「ポスターかっこいいし、ちょっと観てみたいな」程度の人でも、ふつーに発売日にがんばれば観られる、ぐらいの売れ行きがいちばんのぞましいよな。
ハイディさんも巻き込んで、偶然会ったドリーさんのお友だちズのマナさんたちの「変身写真館」デビューにつきあったりなんだりしているうちに、らんとむの出を見られるくらいの時間になった。
バウの楽屋口のところで、出演者たちがなにかしらわいわいやっている。横断幕にハミングで、らんとむ氏の組替えさよならイベントらしい。
スカステよ……こーゆーところこそ、放送してほしいんだがな……楽屋口階段下にいる一般人のわたしたちからは、「なにかやっている」ことはわかっても、「なにをしている」かはわからないのだ。
なんにせよ、たのしそうだ……。いいなあ、あったかいなあ、花組……。
そーやって、組子たちに見送られて降りてきたらんとむ氏は、とてもオトコマエでございました。
素のジェンヌに興味のないわたしは、これだけ『スカウト』に通っていたわりに(公演9日のうち、6日……)入りも出もまともに見たことがなく、グッズ購入のために会場まで行ったのに、お茶会にすら参加しなかったのだけど。
はじめて、ナマのまっつを見て、また派手に幸福感に酔うことができたのでした……。
なんだよー、かわいーぢゃん、美人ぢゃん、ふつーに小柄で華奢な女の子ぢゃん。髪も長いし、低すぎる声さえなければ、完璧にかわいこちゃんだぞっ。
まっつを人混みの後ろから眺めているわたしを、横から眺めていたらしいドリーさんが、「すっごい、うれしそうでしたね」と言ってくれました……そーですか、ニヤけてましたか。照。
しあわせな祭りでした。
結果的にMy楽となった前楽を観終わったあと、爪が割れて、流血していることに気づきました。
親指の爪の白い部分がぱきっと割れて、ピンク部分に達する勢いで裂けていたことには、わりとすぐに気づいたんだけど。
どーしよ、爪割れてるよ、このままだとなんかのはずみでナマ爪はがしちゃうかもしんないぞ? と、焦っているときに。
指に、血がついてる。少しだけど、点、点と。
?
なんだ?
マジでなにかわからなくて、ドリーさんや誠さんに「これ、血だよねえ? なんで流血してるんだ?」と自分で首をひねってました。
少しあとで、気づいた。
ひとさし指の腹が、ぱっくり割れていることに。
いじったら、新鮮な血が出てきたのでわかった。
えーと。
割れた爪で、切ったんですかね? てゆーかなんで、どこで、わたしは爪を割ったんだ?
「まっつ見て、そんなに興奮しなくても」
ドリーさんは、語尾に(苦笑)とつけたよーな、なまあたたかい笑顔をくれる。
べべべつに、まっつのせいぢゃないわよっ。爪を割ったことにも、それで指を切って流血していることにも気づかないくらい、舞い上がっていたなんて。そんなバカな。
ケガに気づかなかったわりに、気づいてしまったあとは、ずーっとちくちく痛いっす。
今も、ひとさし指を使わずにキー叩いてます……。
はぁぁあ。まっつ……(と、つぶやいてみる)。
さすがに、サバキ出なかったよー。観たかったけどさー。
チケットを持っているハイディさんに、「まっつ見てね、まっつ。かっこいいから!」と強く言うと、
「大丈夫。kineさんよりは、ちゃんと見るから!」
と、ナイスな答えが返った(笑)。
楽は観られなかったけれど、前楽は、観られてしまった。
サバキ待ちだらけだったのに、声をかけてくれる人がいたんだ。ありがとーありがとー、もうぜんぜんだめかと、『スカウト』を観納めることができないまま、公演が終わってしまうのかと悲嘆していただけに、めちゃうれしかった。
しかも。
「ごめんなさい、こんなお席で」
と言って譲ってくれたその席は、段上がり上手端。
まっつ席キターーーー!!
上手端ですよ、上手端!
今までいろんな席に坐ったけれど、前方センターよりおいしかったのが、前方上手端なのよ!
まっつがいつも目の前!
それだけじゃない。
まっつの歌声を聴くための、最良の席。
まっつは今回、コーラスばっかだから。大勢の中にとけている「まっつの声」をより鮮明に聴くためには、歌っているまっつの近くにいる方がいいのね。
前方上手席にいるときほど、まっつの歌声を堪能できたことってない。
最後の最後に。
オットコマエに低音で歌う、まっつの声を堪能しました。
やっぱ、最初の事故のときの歌がいちばん好き。その前のらんとむ&すみかたちの歌にコーラス入れてるときの声も好きだけどさー。
わたしはつくづく、まっつの声が好きなんだと実感。
もともとわたしは、腐女子だから。アニメとかが好きだった(過去形かい)人間だから、好きになる人の「声」は重要なファクタ。
顔が好みで、さらに、声が好みだったら、一気にオチるみたいだ。あとは芸風かー。演技下手な人には、ハマれないからなー。
1幕では、まっつの声にめろめろで、幕間でドリーさんに「しあわせそうだな、ヲイ」と言われてしまったよ……はあぁ。溜息。
そうなのよ、しあわせだったのよ。障害物なしで、思い存分まっつだけガン見して、まっつの歌声だけ聴き分けて。
楽の前の公演は、VISA貸切だったので、観客の反応が新鮮。演じている側も、気持ちいいだろうな、あんな素直に笑ってもらえたら。
バウってのは基本出演者のファンだけで埋まるものだから、リピーターばっかになりがちなのね。一見さんがいないから、アドリブ禁止の正塚ギャグ芝居をやっても、笑いがあまり起こらないの。もうみんな、台詞もタイミングも熟知した観客ばっかだもんよ。
その点、貸切公演はいいさね。初見の客が圧倒的に多くて、空気がいい。観客が素直に笑い、舞台の上もとてもテンション高くなめらかに進んでいくのがわかる。
みんながたのしそうだと、いいよね。
あんまりしあわせだったので、楽のサバキが取れなかったからといって、大劇宙組を観る気になれず。
もう少し、『スカウト』と、まっつを噛みしめていたいのだ……。これで最後なんだからさー。
そのあと、楽を見終わったハイディさんと合流、ええ、ちゃんとまっつのことも見てくれたみたいよ! 少なくとも、kineさんよりは(笑)。
とはいえ、結局いちかのすごさと、らんとむのかっこよさの話ばっかになっちゃうけどさ(笑)。さおたさんに浮気していた話も聞きましたけどさ(笑)。
いい楽だったんだね。
さおたさんの挨拶も、ハートフルだったようで。
……うおお、観たかったよー。残念だー。
でも、際限なく欲張っても仕方ない。チケ運も金もなかったのだから、あきらめる。
わたしがまともにサバキ待ちしたのって、ラストの2日間だけだったし、平日は2枚ばかし余ったチケットをさばいたクチだったのだけど(チケ取りは計画的にしましょう)、全体的にチケ難だったよね、この公演。
ナマに感じたこととして。
現在のらんとむ氏に、バウホールは、小さすぎた。
現在、というのは、「正塚作品」だとか「組替え前」だとか、「ポスターの出来」だとか「他の出演者」だとか、そーゆーものも全部ひっくるめた現在ね。
バウ+青年館ぐらいが妥当だったのではないかと。
そーすりゃもっと、チケット取りやすかっただろうなあ。
「ポスターかっこいいし、ちょっと観てみたいな」程度の人でも、ふつーに発売日にがんばれば観られる、ぐらいの売れ行きがいちばんのぞましいよな。
ハイディさんも巻き込んで、偶然会ったドリーさんのお友だちズのマナさんたちの「変身写真館」デビューにつきあったりなんだりしているうちに、らんとむの出を見られるくらいの時間になった。
バウの楽屋口のところで、出演者たちがなにかしらわいわいやっている。横断幕にハミングで、らんとむ氏の組替えさよならイベントらしい。
スカステよ……こーゆーところこそ、放送してほしいんだがな……楽屋口階段下にいる一般人のわたしたちからは、「なにかやっている」ことはわかっても、「なにをしている」かはわからないのだ。
なんにせよ、たのしそうだ……。いいなあ、あったかいなあ、花組……。
そーやって、組子たちに見送られて降りてきたらんとむ氏は、とてもオトコマエでございました。
素のジェンヌに興味のないわたしは、これだけ『スカウト』に通っていたわりに(公演9日のうち、6日……)入りも出もまともに見たことがなく、グッズ購入のために会場まで行ったのに、お茶会にすら参加しなかったのだけど。
はじめて、ナマのまっつを見て、また派手に幸福感に酔うことができたのでした……。
なんだよー、かわいーぢゃん、美人ぢゃん、ふつーに小柄で華奢な女の子ぢゃん。髪も長いし、低すぎる声さえなければ、完璧にかわいこちゃんだぞっ。
まっつを人混みの後ろから眺めているわたしを、横から眺めていたらしいドリーさんが、「すっごい、うれしそうでしたね」と言ってくれました……そーですか、ニヤけてましたか。照。
しあわせな祭りでした。
結果的にMy楽となった前楽を観終わったあと、爪が割れて、流血していることに気づきました。
親指の爪の白い部分がぱきっと割れて、ピンク部分に達する勢いで裂けていたことには、わりとすぐに気づいたんだけど。
どーしよ、爪割れてるよ、このままだとなんかのはずみでナマ爪はがしちゃうかもしんないぞ? と、焦っているときに。
指に、血がついてる。少しだけど、点、点と。
?
なんだ?
マジでなにかわからなくて、ドリーさんや誠さんに「これ、血だよねえ? なんで流血してるんだ?」と自分で首をひねってました。
少しあとで、気づいた。
ひとさし指の腹が、ぱっくり割れていることに。
いじったら、新鮮な血が出てきたのでわかった。
えーと。
割れた爪で、切ったんですかね? てゆーかなんで、どこで、わたしは爪を割ったんだ?
「まっつ見て、そんなに興奮しなくても」
ドリーさんは、語尾に(苦笑)とつけたよーな、なまあたたかい笑顔をくれる。
べべべつに、まっつのせいぢゃないわよっ。爪を割ったことにも、それで指を切って流血していることにも気づかないくらい、舞い上がっていたなんて。そんなバカな。
ケガに気づかなかったわりに、気づいてしまったあとは、ずーっとちくちく痛いっす。
今も、ひとさし指を使わずにキー叩いてます……。
はぁぁあ。まっつ……(と、つぶやいてみる)。
帰宅してから気がついた。
あっ、今日なにも嘘ついてないっ。
まっつ絡みでチョーシこいた嘘でもつこうかと思っていたのに。(やめなさい)
今日は東京からはるばる、kineさんとモロさんが『スカウト』観劇に現れました。
モロさんはわたしのまっつメイト。まっつまっつまっつ!!
kineさんは……あれ? kineさん、『スカウト』の午後公演を1本だけ観て、また東京へとんぼ返り。……って、なんかものすげーファンな行動ですけど? 何故花組のためにソコまで……(笑)。そーいやらんとむ好きだっけ。
このkineさんが、ひどいんですよっ。
「まっつ? 見てないから、わからない」
ってゆーんですよっ。
あれほどわたしが「まっつまっつ、まっつを見てかっこいいから!」とわめきつづけているのに。
「私が見る必要ないし。緑野さんがひとの5倍くらい見てるでしょ?」
や。そーゆー問題ぢゃないから!!
わたしとしては、まっつは素敵だから、全世界の人に注目して欲しいわけですよ。(真顔)
まあ、わかるけどさー。
kineさんとわたしは、オトコの好み、ぜんぜんチガウから。
わたしがどんなに言っても、まちかだってゆうほさとるだって見てくれなかったしさ。『銀狼』の水くんだって、カケラも見てくれなかったしさ。
kineさんは、他人がどう言おうと、自分の見たいモノしか見ないのだ(笑)。
いいのよ。
モロさんがいるから。モロさんとまっつ語りするから!! モロさん腐女子だから、アズ攻の話で盛り上がったから!(受は誰ですか? もちろん、あの人ですよ)
わたしはもうチケットを持っておらず、サバキが取れなかったらドリーさん、kineさん、モロさんとごはんするだけでいいや、と、はるばる片道小1時間もかけてムラまで行ったわけですが。
ありがたや、なんとか観劇することができました。もう一度、アズ@まっつに会えました。
ああ……アズ@まっつを、ポケットに入れてウチに連れて帰りたい……。
アズのことをちっとも見てくれないkineさんとは、らんとむの歌う「ふるえるまつげ♪」のくだりにゃ、とろけるよねっということで、盛り上がってました。
作品が「虚構」「ゲーム」でしかなく、誠意とか心とかに大きく欠けているとしても。伏線が拾われないで放置されていることも。オチがあんまりすぎることも。
全部全部蹴飛ばして、「話に説得力を持たせる」のが、主役の力。
蘭寿とむは、正しく「タカラヅカのトップスター」の資質を持つ。
アレな脚本を、力尽くで「いいもん観たよーな気がする」と、観客を錯覚させる力を持つこと。
タカラヅカにおいて、限られた主演作に、駄作を与えられるのはあたりまえ。佳作が当たる確率の方がはるかに低いんだから。
2005-05-05の日記で書いた。
駄作はあたりまえ、だからこそその駄作を力技で「金を取ってもいいレベルに立て直す」のが、トップスターの仕事。
『スカウト』は駄作じゃないよ。充分、見応えのある作品だと思う。これがさいとーくんだとかこだまっちの作品なら、褒めているだろうさ、穴だらけだけど、とりあえずよくやったと。
ただ、正塚晴彦だからな。
正塚でコレ、つーのがネックなだけで、若手作家の作品なら充分いい作品。
主人公もヒロインも「人形」、「ゲームとして仕組まれた恋」「操られるだけのストーリー」であるにもかかわらず、そこに心があることを表現した、そのホットでハートフルな芸風は、らんとむの力。
かっこいいけどばらばらな部品を、とりあえずアートっぽく並べてみました、な物語を、圧倒的な熱量で溶接し、ひとつの物語に再構築させてしまった蘭寿とむに、拍手。
らんとむなら、どんな駄作も力技で「よくわかんないけど、最後は感動しちゃった」レベルまで、ハッタリかましてくれるんじゃないかと、期待する。
それは、トップスターの資質だ。
たのむぜらんとむ。ヅカの未来を担うひとりとなってくれ。
さて、いよいよ明日が最終日。
チケットは持ってないが、とりあえずは行く(笑)。
ドリーさん、ハイディさん、誠さん、お茶しよーねー、ごはんしよーねー、楽の話、聞かせてね。
てゆーか誰か、千秋楽のまっつをガン見して、まっつの話聞かせてくださいよ。
サバキ待ちはするけど、さすがに明日は手に入りそうにないから、楽チケ持ってる人、プリーズ、まっつの話!!
緑野こあらは、まっつ情報に飢えてます。よろしくシスターズ!!
あっ、今日なにも嘘ついてないっ。
まっつ絡みでチョーシこいた嘘でもつこうかと思っていたのに。(やめなさい)
今日は東京からはるばる、kineさんとモロさんが『スカウト』観劇に現れました。
モロさんはわたしのまっつメイト。まっつまっつまっつ!!
kineさんは……あれ? kineさん、『スカウト』の午後公演を1本だけ観て、また東京へとんぼ返り。……って、なんかものすげーファンな行動ですけど? 何故花組のためにソコまで……(笑)。そーいやらんとむ好きだっけ。
このkineさんが、ひどいんですよっ。
「まっつ? 見てないから、わからない」
ってゆーんですよっ。
あれほどわたしが「まっつまっつ、まっつを見てかっこいいから!」とわめきつづけているのに。
「私が見る必要ないし。緑野さんがひとの5倍くらい見てるでしょ?」
や。そーゆー問題ぢゃないから!!
わたしとしては、まっつは素敵だから、全世界の人に注目して欲しいわけですよ。(真顔)
まあ、わかるけどさー。
kineさんとわたしは、オトコの好み、ぜんぜんチガウから。
わたしがどんなに言っても、まちかだってゆうほさとるだって見てくれなかったしさ。『銀狼』の水くんだって、カケラも見てくれなかったしさ。
kineさんは、他人がどう言おうと、自分の見たいモノしか見ないのだ(笑)。
いいのよ。
モロさんがいるから。モロさんとまっつ語りするから!! モロさん腐女子だから、アズ攻の話で盛り上がったから!(受は誰ですか? もちろん、あの人ですよ)
わたしはもうチケットを持っておらず、サバキが取れなかったらドリーさん、kineさん、モロさんとごはんするだけでいいや、と、はるばる片道小1時間もかけてムラまで行ったわけですが。
ありがたや、なんとか観劇することができました。もう一度、アズ@まっつに会えました。
ああ……アズ@まっつを、ポケットに入れてウチに連れて帰りたい……。
アズのことをちっとも見てくれないkineさんとは、らんとむの歌う「ふるえるまつげ♪」のくだりにゃ、とろけるよねっということで、盛り上がってました。
作品が「虚構」「ゲーム」でしかなく、誠意とか心とかに大きく欠けているとしても。伏線が拾われないで放置されていることも。オチがあんまりすぎることも。
全部全部蹴飛ばして、「話に説得力を持たせる」のが、主役の力。
蘭寿とむは、正しく「タカラヅカのトップスター」の資質を持つ。
アレな脚本を、力尽くで「いいもん観たよーな気がする」と、観客を錯覚させる力を持つこと。
タカラヅカにおいて、限られた主演作に、駄作を与えられるのはあたりまえ。佳作が当たる確率の方がはるかに低いんだから。
2005-05-05の日記で書いた。
駄作はあたりまえ、だからこそその駄作を力技で「金を取ってもいいレベルに立て直す」のが、トップスターの仕事。
『スカウト』は駄作じゃないよ。充分、見応えのある作品だと思う。これがさいとーくんだとかこだまっちの作品なら、褒めているだろうさ、穴だらけだけど、とりあえずよくやったと。
ただ、正塚晴彦だからな。
正塚でコレ、つーのがネックなだけで、若手作家の作品なら充分いい作品。
主人公もヒロインも「人形」、「ゲームとして仕組まれた恋」「操られるだけのストーリー」であるにもかかわらず、そこに心があることを表現した、そのホットでハートフルな芸風は、らんとむの力。
かっこいいけどばらばらな部品を、とりあえずアートっぽく並べてみました、な物語を、圧倒的な熱量で溶接し、ひとつの物語に再構築させてしまった蘭寿とむに、拍手。
らんとむなら、どんな駄作も力技で「よくわかんないけど、最後は感動しちゃった」レベルまで、ハッタリかましてくれるんじゃないかと、期待する。
それは、トップスターの資質だ。
たのむぜらんとむ。ヅカの未来を担うひとりとなってくれ。
さて、いよいよ明日が最終日。
チケットは持ってないが、とりあえずは行く(笑)。
ドリーさん、ハイディさん、誠さん、お茶しよーねー、ごはんしよーねー、楽の話、聞かせてね。
てゆーか誰か、千秋楽のまっつをガン見して、まっつの話聞かせてくださいよ。
サバキ待ちはするけど、さすがに明日は手に入りそうにないから、楽チケ持ってる人、プリーズ、まっつの話!!
緑野こあらは、まっつ情報に飢えてます。よろしくシスターズ!!
とどのつまりは。@スカウト
2006年3月31日 タカラヅカ「……で。この話って、おもしろいんですか?」
花バウ公演『スカウト』を観終わったあと、チェリさんが真顔で言ったのが印象的。
チェリさん、あちこち笑って、オペラグラスも使って、たのしそーに観ていたのにねえ。
それを言われたわたしとドリーさん、一瞬絶句して顔を見合わせて、
「いや……まあ、ねえ」
「まあ、そういうことで」
とかなんとか、言葉を濁したのがまたなんとも。
わたしだってちゃんとたのしんでいますとも。笑って観ていますよ。いつだって。
でも、返答に困る作品なんだよなー。
ストーリーじゃなく、ノリとボケとツッコミだけをつなげてあるよーな作品。
プロローグというか、これからはじまる「特撮戦隊モノ」の予告編のよーな、他愛ない話だからなー。
「らんとむの歌う主題歌だって、特撮ソングのノリだしな」
と、うっかりわたしが言ってしまったので、今日ドリーさんからは「主題歌、前奏から笑ってしまう」とゆー、笑いに震えているかのよーなメールが来たし。
今回、まっつが「歌手ではない」ということで。
「じゃ、誰が歌ってるんですか?」
と聞かれれば、胸を張ってお答えしましょう。
蘭寿とむさんです。
らんとむオンステージ! ワンマンショー!! 状態。
歌うのはとむ氏ひとりだと思っていて、まちがいはないっす。
ひたすら彼が歌います。
これでもかと歌います。
曲はロック調っつーか、特撮か、アニメっぽいです。
わたしは、らんとむ氏の声も歌も好きなので、まーったく問題ナシです。
いくら歌ってくれてもヨシ。
まっつときほちゃんとゆー、歌手ふたりが出演しているわりに、ヒロインのきほちゃんにソロが1曲あるだけ、まっつはソロなし、あとはみわさんの怪声ソロが1曲あるだけ。
コーラスはいろいろ愉快な曲があり、なかでも「お経ソング」のみわっちの合いの手は秀逸です。
曲名も歌詞もわからんが、観た人には「アレのことだ」ってわかるよね? 悪魔さんたち登場のときの、「お経」としか言いようのないみょーちくりんな歌。
あのお経ソングに、「あ〜〜」とか「ひいぃぃ〜〜」とか、不気味に情けない声が重ねて聞こえるよね?
まっつ見るのに必死だったから気づくのが遅れたけど、あれって、みわっちの声だったんだね。気づいたときは、すげーウケた。
悪魔全員ショーンを威すためにダンス中だから、残る出演者はたったふたり、サム@みわっちとサーシャ@きほ。このふたりが上手端でスタンドマイクでコーラスしてるのは、最初から認識していたけど、パートまでは判別できてなかったからさー。
みわさん、外見はすげーかっこいいのにさー……出している声は、「ひいぃぃいい……」だったりするんだもんよー。
みわさん、グッジョブ!!
ところでわたし、今回まっつのソロがないのが残念でならなかったのですが。
それを吹きとばすくらい、コーラスのなかのまっつの声にしびれました。
最初にショーンが交通事故に遭い、冥界?をさまようところ。
ラルゥ@一花を中心とした悪魔たちが、ショーンを喰ってしまおーと踊るところね。
あそこのまっつの歌声に、感動しましたっ。
最初は誰がどのパート歌ってるかなんて、わたしのバカ耳じゃさっぱりわかってなかったんだけどさー。
まっつの声だけに注目していたら。
すごい、気持ちいいっっ。
なんなのあのセクシーな低音!!
かっこいいかっこいいかっこいいっ。
そっか、ソロだとあの音はありえないんだわ。コーラスだから、他に音があるからこそ、まっつがあの音を、あの旋律を歌うんだ。
そう思うと、足をバタバタして転げ回りたいくらい、うれしくなった。
うおーっ。
あの歌を、あの旋律をもっと聴きたい〜〜。
まっつ〜〜。
ストーリーなんかなくても、在る部分のストーリーがツッコミどころ満載のナンチャッテSFというか、ファンタジーと言えばなんでも許されると思ってないか?な出来であったとしても、とどのつまりは、おもしろい作品なんだと思う。
少なくとも、出演者のファンにとっては。
あたしゃ、まっつのかっこよさとかわいさと、声と歌だけで、こんなにたのしいんだもん。
「まっつって、英語がちゃんと英語に聞こえる、めずらしいタカラジェンヌなんですね」
って、笑顔で言ったのは、たしかnanakoさん(笑)。
まっつファンのみなさん、2幕は着席するの遅れちゃダメですよ、幕開きからまっつの見せ場ですから!
舞台中央にひとりで現れ、「Ladies and gentlemen!」とやりますからね!! ひとりで喋ってひとりでキザって、そして群舞のセンターで1曲踊っちゃいますから!
あと、2幕終盤でも、群舞のセンターで思いっきりキザるシーンがあるんだけど……アレはねー(笑)、ダジャレを飛ばして、みんなに引かれるシーンだからねー(笑)、ショースター的かっこいーオレ様シーンは、やっぱ2幕冒頭でしょうな(笑)。
まっつ的には、へたにキザらず、端正に無表情に踊っているときが、いちばん美しいけどねー。
ところでわたし、今回のバウでしみじみ思いました。
らんとむの、アゴに触りてえぇ!!
アゴスキーなわたしのハートに、グッとくるものがありました、今回のとむ氏のアゴ。
こう、指でクッと持ち上げたいですね。
そんでもって、酔った目で某ノリノリソングの「♪ふるえるまつげ」のくだりを歌ってほしいっす。
あー、とむ受でもいいかもなー。(って、攻は誰だよ)
最後にぼそりと腐った発言をして、本日の日記終了。
花バウ公演『スカウト』を観終わったあと、チェリさんが真顔で言ったのが印象的。
チェリさん、あちこち笑って、オペラグラスも使って、たのしそーに観ていたのにねえ。
それを言われたわたしとドリーさん、一瞬絶句して顔を見合わせて、
「いや……まあ、ねえ」
「まあ、そういうことで」
とかなんとか、言葉を濁したのがまたなんとも。
わたしだってちゃんとたのしんでいますとも。笑って観ていますよ。いつだって。
でも、返答に困る作品なんだよなー。
ストーリーじゃなく、ノリとボケとツッコミだけをつなげてあるよーな作品。
プロローグというか、これからはじまる「特撮戦隊モノ」の予告編のよーな、他愛ない話だからなー。
「らんとむの歌う主題歌だって、特撮ソングのノリだしな」
と、うっかりわたしが言ってしまったので、今日ドリーさんからは「主題歌、前奏から笑ってしまう」とゆー、笑いに震えているかのよーなメールが来たし。
今回、まっつが「歌手ではない」ということで。
「じゃ、誰が歌ってるんですか?」
と聞かれれば、胸を張ってお答えしましょう。
蘭寿とむさんです。
らんとむオンステージ! ワンマンショー!! 状態。
歌うのはとむ氏ひとりだと思っていて、まちがいはないっす。
ひたすら彼が歌います。
これでもかと歌います。
曲はロック調っつーか、特撮か、アニメっぽいです。
わたしは、らんとむ氏の声も歌も好きなので、まーったく問題ナシです。
いくら歌ってくれてもヨシ。
まっつときほちゃんとゆー、歌手ふたりが出演しているわりに、ヒロインのきほちゃんにソロが1曲あるだけ、まっつはソロなし、あとはみわさんの怪声ソロが1曲あるだけ。
コーラスはいろいろ愉快な曲があり、なかでも「お経ソング」のみわっちの合いの手は秀逸です。
曲名も歌詞もわからんが、観た人には「アレのことだ」ってわかるよね? 悪魔さんたち登場のときの、「お経」としか言いようのないみょーちくりんな歌。
あのお経ソングに、「あ〜〜」とか「ひいぃぃ〜〜」とか、不気味に情けない声が重ねて聞こえるよね?
まっつ見るのに必死だったから気づくのが遅れたけど、あれって、みわっちの声だったんだね。気づいたときは、すげーウケた。
悪魔全員ショーンを威すためにダンス中だから、残る出演者はたったふたり、サム@みわっちとサーシャ@きほ。このふたりが上手端でスタンドマイクでコーラスしてるのは、最初から認識していたけど、パートまでは判別できてなかったからさー。
みわさん、外見はすげーかっこいいのにさー……出している声は、「ひいぃぃいい……」だったりするんだもんよー。
みわさん、グッジョブ!!
ところでわたし、今回まっつのソロがないのが残念でならなかったのですが。
それを吹きとばすくらい、コーラスのなかのまっつの声にしびれました。
最初にショーンが交通事故に遭い、冥界?をさまようところ。
ラルゥ@一花を中心とした悪魔たちが、ショーンを喰ってしまおーと踊るところね。
あそこのまっつの歌声に、感動しましたっ。
最初は誰がどのパート歌ってるかなんて、わたしのバカ耳じゃさっぱりわかってなかったんだけどさー。
まっつの声だけに注目していたら。
すごい、気持ちいいっっ。
なんなのあのセクシーな低音!!
かっこいいかっこいいかっこいいっ。
そっか、ソロだとあの音はありえないんだわ。コーラスだから、他に音があるからこそ、まっつがあの音を、あの旋律を歌うんだ。
そう思うと、足をバタバタして転げ回りたいくらい、うれしくなった。
うおーっ。
あの歌を、あの旋律をもっと聴きたい〜〜。
まっつ〜〜。
ストーリーなんかなくても、在る部分のストーリーがツッコミどころ満載のナンチャッテSFというか、ファンタジーと言えばなんでも許されると思ってないか?な出来であったとしても、とどのつまりは、おもしろい作品なんだと思う。
少なくとも、出演者のファンにとっては。
あたしゃ、まっつのかっこよさとかわいさと、声と歌だけで、こんなにたのしいんだもん。
「まっつって、英語がちゃんと英語に聞こえる、めずらしいタカラジェンヌなんですね」
って、笑顔で言ったのは、たしかnanakoさん(笑)。
まっつファンのみなさん、2幕は着席するの遅れちゃダメですよ、幕開きからまっつの見せ場ですから!
舞台中央にひとりで現れ、「Ladies and gentlemen!」とやりますからね!! ひとりで喋ってひとりでキザって、そして群舞のセンターで1曲踊っちゃいますから!
あと、2幕終盤でも、群舞のセンターで思いっきりキザるシーンがあるんだけど……アレはねー(笑)、ダジャレを飛ばして、みんなに引かれるシーンだからねー(笑)、ショースター的かっこいーオレ様シーンは、やっぱ2幕冒頭でしょうな(笑)。
まっつ的には、へたにキザらず、端正に無表情に踊っているときが、いちばん美しいけどねー。
ところでわたし、今回のバウでしみじみ思いました。
らんとむの、アゴに触りてえぇ!!
アゴスキーなわたしのハートに、グッとくるものがありました、今回のとむ氏のアゴ。
こう、指でクッと持ち上げたいですね。
そんでもって、酔った目で某ノリノリソングの「♪ふるえるまつげ」のくだりを歌ってほしいっす。
あー、とむ受でもいいかもなー。(って、攻は誰だよ)
最後にぼそりと腐った発言をして、本日の日記終了。
ムラに行く日は、いつも天候不良って気がする。……てゆーか、降雪?!@スカウト
2006年3月30日 タカラヅカ さあ、今日はまたしても『スカウト』の日よっ。東京からドリーさんも来ているし、チェリさんとも会えるし!
スカステニュースの『龍真咲トークショー』映像で、自分が映っていないことをチェックして胸を撫で下ろし、さあ、家を出るぞ、と思ったところで、念のために忘れ物チェック、チケットもまっつ&そのか手帳も忘れてないわ〜〜、と。
……チケット、2時半公演の分ぢゃん。
11時公演だと信じ切って、家を出るところだったよ……。
つーことで、時間が派手に余ってしまったので、家でのんきに日記書いてます。
『スカウト』って、サバキ出てんですかね?
自分がいつも、ぎりぎりに劇場に駆け込むんで、そのへんよくわかってないんですが。
千秋楽、サバキ出ないかなあ……とりあえず、あきらめずにサバキ待ちはするつもりだけど。
週末のチケはまったく持ってないっすから。
悪魔まっつ、すっげー好きです。
色男らんとむを問答無用で殴り倒す鬼畜まっつですよ? コレだけでハァハァもんでしょ?(付加疑問文)
まっつに会いたい〜〜。
つーことで、午後から『スカウト』に行ってきました!
「11時開演と間違えてた? どっからそんな?!」
と、チェリさんとドリーさんに突っ込まれつつ。
開演前、ドリーさんとふたり立ち話をしていたら、なんか金髪の人たちがどやどや現れた。あれ? ジェンヌかな? と思って見てみれば。
『アパシネ』ご一行様勢揃い。
オサ様がいますよ、ゆみこが、まとぶが、うっきゃ〜〜!!
ふつーに、すぐ隣に立って、バウ座席表を見ながらあーでもないこーでもないと言ってますよ。
固まったね。
わたしとドリーさん、しばらくその場に立ちつくしていた。
結局、オサちゃんたちが客席に入るのを見送ったかな。意識してではなく、固まっているうちに、そーゆーことになってしまったのだ。
そのときに、ドリーさんが言ったひとことが、忘れられない。
「やっぱオサ様はすごいね。素で誘ってる」
やっぱアレですか、フェロモン出てますか!! さすがだ春野寿美礼!!
そーいやいつだったか『アパシネ』観に行ったとき、劇場前でnanaタンやキティちゃんと喋くってたら、横を水くんがひとりでふつーに通っていって、これまた固まったなあ。
ジェンヌさんたちは元気だ。あちこちの劇場を行き来している。
この回ではわたし、上手前方という、「まっつ席」でさー。もー、堪能しまくりだよ、まっつまっつまっつ!!
ありがとうチェリさん、こんな素敵な席を取ってくれて!! まっつがずーっと真正面!!
フィナーレでは、まっつに煽ってもらうまで、わざと手拍子しなかったし。
あ、上手前方席の人たちにまっつが、手拍子をするよーに合図をするのよ。だからあえて、彼がソレをやるまで、黙ってみているの。まっつが「はいソコ、手拍子して!」とゼスチャーしてはじめて、「はい! します!!」とやるの〜〜。この席になったら、絶対そうするって決めてたの〜〜。うっとり〜〜。
もうチケットないから、これで最後かもしれない、と、ひたすらまっつだけをガン見して、2時間が終わりました。
ハァハァ。
終幕するなり、ネットチェックをしていたチェリさんが、声を上げた。
「嘘。カルメンちゃん退団だって」
わたしたちの間でカルメンというと、ひとりしかいない。
ケロの相手役だった、椎名葵、たまこちゃん。
「うそっ、たまこが?!」
「待って、公式見るから」
終演後の喧噪満ちるバウの客席で、わたしたちは、それを知る。
たまこがカルメンで、わたしたちのケロがエル・マタドール=フアンだった、このバウホールで。
折しも、本日集まっていたのは、わたしとチェリさんとドリーさん。
あの伝説の『血と砂』初日に、このバウホールにいた面子。
そのころはお互いの存在も知らず、ただケロを好きなだけで、あの濃密な空間に駆けつけていた。
『血と砂』メンバーがまたひとり、卒業していくんだ……。
ゆらさんの退団発表もまた、衝撃的だった。
ずっとずっと、ここで夢の世界を支えてくれる人だと、期待していたから。
タカラヅカ村は、雪。
……雪?!
3月30日なんですけどっ? 明後日から4月なんですけど?
『スカウト』のこと『NEVER SAY GOODBYE』のこと、組長人事やマチオ氏のこと、『血と砂』のことケロのこと、過去や未来を他愛なく語り続けるわたしたち。
いつか今日も、過去になる。
窓の外は雪。
桜の木は小さなつぼみをつけたまま、冬の装い。
春は来るよね。
……大阪に帰り、まず家族に聞いてみた。
「今日、雪降った?」
「雪? なんだそれ?」
やっぱり。未だ冬なのは、タカラヅカ村だけかっ!!
スカステニュースの『龍真咲トークショー』映像で、自分が映っていないことをチェックして胸を撫で下ろし、さあ、家を出るぞ、と思ったところで、念のために忘れ物チェック、チケットもまっつ&そのか手帳も忘れてないわ〜〜、と。
……チケット、2時半公演の分ぢゃん。
11時公演だと信じ切って、家を出るところだったよ……。
つーことで、時間が派手に余ってしまったので、家でのんきに日記書いてます。
『スカウト』って、サバキ出てんですかね?
自分がいつも、ぎりぎりに劇場に駆け込むんで、そのへんよくわかってないんですが。
千秋楽、サバキ出ないかなあ……とりあえず、あきらめずにサバキ待ちはするつもりだけど。
週末のチケはまったく持ってないっすから。
悪魔まっつ、すっげー好きです。
色男らんとむを問答無用で殴り倒す鬼畜まっつですよ? コレだけでハァハァもんでしょ?(付加疑問文)
まっつに会いたい〜〜。
つーことで、午後から『スカウト』に行ってきました!
「11時開演と間違えてた? どっからそんな?!」
と、チェリさんとドリーさんに突っ込まれつつ。
開演前、ドリーさんとふたり立ち話をしていたら、なんか金髪の人たちがどやどや現れた。あれ? ジェンヌかな? と思って見てみれば。
『アパシネ』ご一行様勢揃い。
オサ様がいますよ、ゆみこが、まとぶが、うっきゃ〜〜!!
ふつーに、すぐ隣に立って、バウ座席表を見ながらあーでもないこーでもないと言ってますよ。
固まったね。
わたしとドリーさん、しばらくその場に立ちつくしていた。
結局、オサちゃんたちが客席に入るのを見送ったかな。意識してではなく、固まっているうちに、そーゆーことになってしまったのだ。
そのときに、ドリーさんが言ったひとことが、忘れられない。
「やっぱオサ様はすごいね。素で誘ってる」
やっぱアレですか、フェロモン出てますか!! さすがだ春野寿美礼!!
そーいやいつだったか『アパシネ』観に行ったとき、劇場前でnanaタンやキティちゃんと喋くってたら、横を水くんがひとりでふつーに通っていって、これまた固まったなあ。
ジェンヌさんたちは元気だ。あちこちの劇場を行き来している。
この回ではわたし、上手前方という、「まっつ席」でさー。もー、堪能しまくりだよ、まっつまっつまっつ!!
ありがとうチェリさん、こんな素敵な席を取ってくれて!! まっつがずーっと真正面!!
フィナーレでは、まっつに煽ってもらうまで、わざと手拍子しなかったし。
あ、上手前方席の人たちにまっつが、手拍子をするよーに合図をするのよ。だからあえて、彼がソレをやるまで、黙ってみているの。まっつが「はいソコ、手拍子して!」とゼスチャーしてはじめて、「はい! します!!」とやるの〜〜。この席になったら、絶対そうするって決めてたの〜〜。うっとり〜〜。
もうチケットないから、これで最後かもしれない、と、ひたすらまっつだけをガン見して、2時間が終わりました。
ハァハァ。
終幕するなり、ネットチェックをしていたチェリさんが、声を上げた。
「嘘。カルメンちゃん退団だって」
わたしたちの間でカルメンというと、ひとりしかいない。
ケロの相手役だった、椎名葵、たまこちゃん。
「うそっ、たまこが?!」
「待って、公式見るから」
終演後の喧噪満ちるバウの客席で、わたしたちは、それを知る。
たまこがカルメンで、わたしたちのケロがエル・マタドール=フアンだった、このバウホールで。
折しも、本日集まっていたのは、わたしとチェリさんとドリーさん。
あの伝説の『血と砂』初日に、このバウホールにいた面子。
そのころはお互いの存在も知らず、ただケロを好きなだけで、あの濃密な空間に駆けつけていた。
『血と砂』メンバーがまたひとり、卒業していくんだ……。
ゆらさんの退団発表もまた、衝撃的だった。
ずっとずっと、ここで夢の世界を支えてくれる人だと、期待していたから。
タカラヅカ村は、雪。
……雪?!
3月30日なんですけどっ? 明後日から4月なんですけど?
『スカウト』のこと『NEVER SAY GOODBYE』のこと、組長人事やマチオ氏のこと、『血と砂』のことケロのこと、過去や未来を他愛なく語り続けるわたしたち。
いつか今日も、過去になる。
窓の外は雪。
桜の木は小さなつぼみをつけたまま、冬の装い。
春は来るよね。
……大阪に帰り、まず家族に聞いてみた。
「今日、雪降った?」
「雪? なんだそれ?」
やっぱり。未だ冬なのは、タカラヅカ村だけかっ!!
時は流れる。うきーっ!!
2006年3月29日 タカラヅカ 『Appartement Cinema』千秋楽!!
なのにわたしは、劇場にいない。
開演時刻とまさに同時刻、同じ建物内にいるっていうのにー!! うきーっ。
わたしは所用のため、ホテルインターナショナルのティーラウンジにいました……くそーくそーくそー。わーんオサ様〜〜。
なんかもー、どこでなにを書いたか最近忘れ気味なんだけど(複数場があるといかんね)、寿美礼ちゃんがかわいーのよ。
『アパシネ』観てて、なにがずきゅんずきゅんするかって、わたしが春野寿美礼を好きだってことなのよ。
やっぱこのヒト、好きだ〜〜っっ、と、心から思うのよ。
会いたい……オサ様に会いたい……。
や、もう無理だけど。
『Appartement Cinema』に関しては、そのうちもうちょい語るとして。(まだ他に書いてないことが山積み。雪『ベルばら』とか星『ベルばら』とかまちかとか、月『エンカレ』とか月『ラスパ』とか……あっ、宙『ネバー』も観てたんだった!)
今はアタマがとっても『スカウト』で、まっつ一色なので他公演語りはのちほど改めて。
昨日の『龍真咲トークショー』では、サイン会もやっていた。
それについての、わたしとnanaタンの会話。
「サイン会と言えばわたし、トドロキ様のサイン会行ったよ」
と、わたし。
「それってトップのころ?」
と、nanaタン。
わたしたちは真咲のサインをもらう権利は得てなかったので、指をくわえているだけだったんだけどねー。
「いや、ずーっと前」
「3番手くらい?」
「いや、まだ若手っつーか……新公学年くらい?のころ」
「92年とか、それくらいだったよーな……」
と、記憶を掘り起こしながら喋るわたしに。
「それじゃあ、そのころまだまっつは入団してもいない頃だね」
nanakoさんは、すぱりと言う。
……がーん……。
そ、そうか。そーだよな。
まつださん、まだ音楽学校にすら入ってないわ。
そんなに昔なのか、わたしが徹夜でトド様のサイン会に並んだのって。いや、徹夜したのは並びでじゃなくて、前夜が午前2時スタートで忘年会だっただけなんだけどさ。ビール掛けした服装のまま、朝から並びに行ったんだわ……徹夜のまま……若かった。
数字で考えるよりも、「未涼亜希がこの世の存在する前」だと考えたことで、時の流れを実感。
そしてそんなことで実感するのもどうかと思うぞ。
ああ、時は流れるのだ。
ヒトはこーしてばばあになるのだ。
思い出は降り積もり、愛しさを増すのだ。
てゆーか。
nanakoさん、そこでまっつの話を出しますか。
なんだかいろいろと、うきーっ!!な気分。
あはは。(何故か笑う)
なのにわたしは、劇場にいない。
開演時刻とまさに同時刻、同じ建物内にいるっていうのにー!! うきーっ。
わたしは所用のため、ホテルインターナショナルのティーラウンジにいました……くそーくそーくそー。わーんオサ様〜〜。
なんかもー、どこでなにを書いたか最近忘れ気味なんだけど(複数場があるといかんね)、寿美礼ちゃんがかわいーのよ。
『アパシネ』観てて、なにがずきゅんずきゅんするかって、わたしが春野寿美礼を好きだってことなのよ。
やっぱこのヒト、好きだ〜〜っっ、と、心から思うのよ。
会いたい……オサ様に会いたい……。
や、もう無理だけど。
『Appartement Cinema』に関しては、そのうちもうちょい語るとして。(まだ他に書いてないことが山積み。雪『ベルばら』とか星『ベルばら』とかまちかとか、月『エンカレ』とか月『ラスパ』とか……あっ、宙『ネバー』も観てたんだった!)
今はアタマがとっても『スカウト』で、まっつ一色なので他公演語りはのちほど改めて。
昨日の『龍真咲トークショー』では、サイン会もやっていた。
それについての、わたしとnanaタンの会話。
「サイン会と言えばわたし、トドロキ様のサイン会行ったよ」
と、わたし。
「それってトップのころ?」
と、nanaタン。
わたしたちは真咲のサインをもらう権利は得てなかったので、指をくわえているだけだったんだけどねー。
「いや、ずーっと前」
「3番手くらい?」
「いや、まだ若手っつーか……新公学年くらい?のころ」
「92年とか、それくらいだったよーな……」
と、記憶を掘り起こしながら喋るわたしに。
「それじゃあ、そのころまだまっつは入団してもいない頃だね」
nanakoさんは、すぱりと言う。
……がーん……。
そ、そうか。そーだよな。
まつださん、まだ音楽学校にすら入ってないわ。
そんなに昔なのか、わたしが徹夜でトド様のサイン会に並んだのって。いや、徹夜したのは並びでじゃなくて、前夜が午前2時スタートで忘年会だっただけなんだけどさ。ビール掛けした服装のまま、朝から並びに行ったんだわ……徹夜のまま……若かった。
数字で考えるよりも、「未涼亜希がこの世の存在する前」だと考えたことで、時の流れを実感。
そしてそんなことで実感するのもどうかと思うぞ。
ああ、時は流れるのだ。
ヒトはこーしてばばあになるのだ。
思い出は降り積もり、愛しさを増すのだ。
てゆーか。
nanakoさん、そこでまっつの話を出しますか。
なんだかいろいろと、うきーっ!!な気分。
あはは。(何故か笑う)