1枚だけ良席を手に入れられるならば、と、わたしは喜び勇んで「ミズドレ」の日を購入しました。

 すべて、星『ベルばら』を観た上での判断でした。

 星『ベルばら』はオスカルが特出+役替わり。
 そしてオスカル様は、フィナーレでフェルゼン様とデュエットダンスをするのです。

 ならば、アンドレが特出+役替わりをする雪組『ベルサイユのばら−オスカル編−』もまた、そういうことでしょう!
 フェルゼンとオスカルなんて、本編では大した絡みもないのに、わざわざデュエットダンスだよ?
 「ふたりの物語」であるはずのオスカルとアンドレなら、デュエットダンスはデフォルトでしょう!!
 ドレス姿のコム姫と、アンドレ役の男がエロく踊るのでしょう!!

 ……ちがった。
 最初のワタさん特出アンドレを観たときに、肩を落とした。
 フィナーレでたしかにコム姫は、アンドレ役者と踊る。
 ただし、男同士としてだ。
 そこがコム姫のものすげーとこ。
 男でも女でもない、超絶美しい生き物として、ワタさんとガシガシ踊っていた。

 なんだー、デュエットダンスぢゃない〜〜。
 男ワタル×女コム、見たかったなー。

 まあ、仕方ないか。
 両性具有のコム姫らしいっちゃー、らしいし。

 ワタドレのときはまだマシだったが、次のオサ様特出アンドレのときは、もお。
 このふたりでデュエットダンス、見たかったよ。ワタさんとは別の意味でな(笑)。……ってくらい、協調性のカケラもなく、ただ並んで踊りやがったし。

 コム姫って、やっぱり基本が唯我独尊なんだよなあ。
 相手役を必要としないっていうか。
 きっぱり「相手役」として組まないと、ふたりで踊っても、こんなに淡泊なダンスシーンになるのか。

 デュエットダンスではなく、男ふたりのダンスだったことに、失望しつつも、仕方なくうなずく。
 コム姫だもん、仕方ないや。

 ……ええ、納得しようとしていたよ。オサドレのときまではな。

 でもって、わくわくとミズドレを観に行って。

 
 なんなのぉ? あのつまんないフィナーレ。

 
 アンドレ役者のパートは、見事に削られていた。
 ワタさんやオサちゃんが出ていたシーンは全部、コム姫単独シーンとなっていた。

 「ふたり」であることを基本として作られたシーンが「ひとり」になると、すごく空間が広い。
 また、スター「ふたり」を想定して作られたシーンだから、やたら長い。
 そしてコムちゃん自身のダンスは、ふたりでもひとりでも、変わらない。とても淡泊に、美しく、踊っている。……ふたりのときでも、それほど相手を意識していない分、ひとりでもテンション同じっていうかね……。

 なんか、すごく騙された気分だ……。
 損したっていうか。
 同じ料金なのに、料理の品数が少ないっていうか。

 星『ベルばら』でいうと、「小雨降る径」をえんえんワタさんひとりで1曲踊っているよーなもん。
 それで、オスカル役者とふたりて踊っているのと同じ値段、つーのはなんかなあ。
 ワタさん単独ファンはその方がうれしいのか? ひとり踊りはべつに他でもできるから、せっかくだからいろんなオスカル役者と組んで踊って欲しい、とか思わないのか?

 特出のなくなった星『ベルばら』東宝では、「小雨降る径」をすずみんやしゅんくんでやってるじゃないか。
 特出がいないから、って、ワタさんひとりがえんえん1曲踊ったりしてないじゃん。

 なんで雪だけこんななの……?

 星『ベルばら』のとき、主役と大して絡まない役であるにもかかわらず、やたら扱いの大きかった「オスカル」という役を見ていたから。
 主役の相手役である雪『ベルばら』のアンドレは、ものすごーく大きな役だと思うじゃないですか。
 や、どう考えても「アンドレ」は重要な役だろう。

 いなくてもいい役だとは、夢にも思わなかったよ。

 すべては、星『ベルばら』を基準に、チケ取りをしたのよ。
 まさかまさか、ミズドレの日が、水ファン的にヅカファン的に、おいしくない日だとは思わずに!!

 ミズドレ、出番ねえ!!
 オープニングも、銀橋に出てきてくれない! ワタドレもオサドレも、銀橋の階段位置にいてくれたのに! コムカルひとりで銀橋ってなにソレ。
 物語がはじまっても、ミズドレ、待てど暮らせど出て来ねえ。
 アンドレ、いらない役だから。出番なんか必要ない。
 よーやく出てきたときには、怒濤の展開。やれペガちゃんだ、毒殺だ、今宵一夜だ。
 そして、いちばんおいしいバスティーユに出ない。そうか、アンドレがつまらないのって、コレに尽きるなー。
 よーやくフィナーレだ、と思ったら、ほんっっとに出番ないし。

 そりゃあなあ、番手は大切だけどな。
 花組のゆみまとのショボイ3番手羽根にしてもそうだけど、一般の客は番手を観に来ているのではないんだから、そんなもんを優先して舞台をショボくするのはやめようよ。
 フィナーレのアンドレ役者のパートをかっしーや水くんが踊ったからって、「オサ様のパートを踊らせるなんて、オサ様への冒涜だわ!」とか、ふつー思わないだろう。
 星組の「小雨降る径」のオスカル役者パートをすずみんやしゅんくんが踊ったからって、「コムちゃんのパートを踊らせるなんて、コムちゃんへの冒涜だわ!」と思わないように。

 派手な方に合わせておけばいいのに。
 お客がよろこぶ方へ。

 コアなファンたちも、特出トップスターが踊ったパートを組子が踊ったからといって、「しゅんくんがワタルさんの次の星組トップだわ。だってコムちゃんの役をやっているのだもの」とか思わないって!
 同じように、ワタさんやオサ様と同じパートを踊ったからといって、かっしーや水くんが以下略。ふつーに「ああ、組内2番手で、今日のアンドレ役だもんね」で済むのにー。
 そして、普段かっしーや水くんが踊っているパートは、壮キムを上げればすむことじゃん。その方がふたりのファンもうれしいだろうし。

 オープニングやフィナーレが地味になっていたことが、とても不服ですわ。ぶつぶつ。
 だって組子だけでやっている星『ベルばら』東宝は、オープニングでちゃんとトウカルが銀橋に出て来てるもん。「特別扱いは特出スターだけ」だったら、トウカルも準じなきゃダメっしょ。

 なんで雪組だけこんな扱いなのか、わかんない。


 わーん、『トロと旅する』録れてなかったよ〜〜。公式の嘘つき、「3月8日(水)7:20〜7:30」ってなってたから、そう予約していたのに。

 「ピエールのひとこと」だかでぶち切れてた……。

 ふだん見ていない番組なんで、よくわかんないんですが、「ピエールのひとこと」まで見られたら問題ナシ?
 もう水くんの出番が終わっていたなら、それであきらめもつくんだけど。

 最初にkineさんから、「夢の共演」ってゆーメールもらったとき(わたしもkineさんもトロファン・笑)、トロと水夏希が共演するって事実に大ウケしました。
 だってさあ、よりによって、水って……。

 素直に、なんでもっと美人を出演させないんだろうと思いましたよ……。

 わたしは水しぇん大好きだけど、一般的に見て彼がテレビ向け美形かどうかはゲフンゲフン、と。

 
 本日、見てみて納得。

 舞台化粧済みかぁ。
 しかもオスカルかぁ。

 んじゃ、問題ナシだなっ。

 
 しかも、共演してんの、トロやなくてピエールやん……オカマの犬……(笑)。

 わたしは外見はトロのファンですが、実際に『どこいつ』をプレイしたときいちばん好きなキャラはピエールでした。たしか弟もそうだったはず……トロは性格がウエットすぎてウザいんだわ(笑)。

 やっぱり「夢の共演」だったのかしら。


 オギーはもう、痛いものを作らなくなってしまったのだろうか。

 荻田浩一演出で『アルジャーノンに花束を』を上演する。
 そう知ったときに、心がふるえた。
 「痛い」ものを作るクリエイターが、「痛い」小説を原作に新作ミュージカルを作る。
 どれほど「痛い」作品を見せてくれることだろう。覚悟をして初日に東京・博品館劇場まで駆けつけた。

 −−−−。

 正直なところ、拍子抜けした。

 わたしが想像していたものとは、まったくちがったからだ。

 有名すぎる原作小説。
 知恵遅れの青年チャーリー・ゴードンが脳外科手術によって知能が上昇、常人を超え天才となり、またもとの白痴に戻っていく話。
 知能が幼児程度だったころは、美しくやさしいだけだった世界・人間たちが、知能が上がるに従ってそうでないことがわかってくる。世界は醜く、人間もまた醜い。
 チャーリーは人の弱さや醜さを知り、自身も人間としての成長をする。やがて、失われていくとしても。

 おどろいたのは、あまりに原作に忠実に作られていることだ。原作のエピソードのひとつひとつを、もどかしいほど丁寧に舞台化している。
 チャーリーの天使っぷりが際立っている以外に、大きな変化は見あたらない。

 わたしが期待していたのは、『アルジャーノン』を下敷きにした、「荻田浩一のオリジナル作品」だった。原作まんまを舞台化したものではなかった。
 オギーなら、この物語を「どう」料理するのか。
 もっと鋭く、もっと救いなく、深いところまで掘り下げるのではないか。

 たとえばチャーリーを「ペルソナ」としてアリスの内面を掘り下げるとか。
 天使ではない、「人間」でしかないアリスの醜さと対面する話。
 教える側であったはずのアリスは、いつの間にかチャーリーよりも低能な生き物となりはてている。彼女の無意識下にあった侮蔑や優越感、人間であるがゆえの醜いモノを、徹底的にえぐるとか。
 なのにチャーリーからすればアリスは「聖母」である矛盾。
 そーゆーものを突いてくる作品になるだろうと、勝手に思っていたのだわ。
 原作の中にエッセンスはあるけれど、チャーリーの一人称であるがゆえに描くことのできなかった部分を、オギーならば、と。

 や、アリスに限らず、切り口はいくらでもある。
 チャーリーの変化と共に、世界はベールを1枚ずつはがされてゆき、誰もが人である「業」をさらけ出していくのだから。

 
 ミュージカル『アルジャーノンに花束を』は、とても高品質な舞台だ。

 演出も音楽も出演者も、みなすばらしい。

 象徴的なセット。
 物語につかず離れず存在する、白ネズミとも少年とも見えるアルジャーノン@森新吾の美しさと、しんとしたかなしさ。
 「声」だけではじまり、チャーリー@浦井健治が登場した瞬間に明らかになる舞台。

 ネズミ用の巨大な「回し車」の前に立つ、無邪気な笑顔のチャーリー。

 その効果的な画面。

 うまい。

 いちいち、ひとつひとつが、うなりたいほどうまく、美しい。

 
 だけど。

 初日に続き、楽の前日の公演も一緒に観劇したkineさんと、話したんだ。

「どこまでが『規定』なのか、オギーに聞いてみたいね」と。

 プロであり、商業作品である以上、守らなければならない枠がある。縛りがある。
 作品を創る上で、「ここはこうしなければならない」「あれはあそこまでで止めなければならない」「それを付け加えなければならない」など、枠があるハズなんだ。

 原作付きなら、ストーリーは大筋はもとより枝葉のひとつまで一切変えてはならない、とか、この台詞はそのまま使わなければならない、とか。
 このタレントを、イメージを壊さない扱いで使わなければならない、とか。

 クリエイターが好き放題に創れるわけじゃない。

 原作まんまで、細かい解説やおせっかいなまでの説明台詞を入れ、誰が見てもわかるように、やさしく創られた今回の『アルジャーノンに花束を』。
 親切で、至れり尽くせり。
 初心者にも安心な作品。

 
 オギーって、こんな舞台を創る人だっけ……?

 そこに、拍子抜けしたんだ。

 いや、繰り返すけど、すばらしい舞台だよ。
 美しいし、うまいよ。
 うまい人が、その能力を発揮して自在に作り上げた作品だと思うよ。

 でも。

 なんか、チガウ。

 
 だからこそ、聞いてみたいんだ。
 オギー、これって、どこまで規定? どこまで仕事? ナマのオギーの部分で作られたのはどこまで?

 オギーはきっと、正しく進化しているのだと思う。
 自分の中の欠損や癒えることのない痛みを、生きるために吐き出しているかのような作品ばかり創っていたんじゃ、「プロ」としてはやっていけない。
 エンタメを作り続けるのならば、大衆に迎合したものを作らなければならない。
 この、「きれいなもの」だけで作られた『アルジャーノン』を見て、思う。
 「プロ」の作品だと。
 正しく能力を発揮させた、プロの仕事だと。

 観た人が反射的に自殺したくなるような危険なモノ、波長の合う人が観たら人生おかしくなりそうなほどの破壊力や毒を持ったものじゃない。
 これを創ったクリエイターは正気なのだろうか、どのあたりの場所に踏みとどまって、コレを創ったのだろうか、とその精神性を考え込んでしまうようなモノじゃない。

 ふつーの人が「気持ちよく」観られる程度の「わかりやすく、やさしい」軽い毒をエッセンスにした、「泣いて、感動できる」美しい作品。

 
 オギーは、正しく進化しているのだと思う。
 それでいいと思う。

 ただ。

 これからも、オギー本来の作品も、創り続けて欲しい。

 そう思うんだ。
 そう、切望するんだ。

 
 …………すべて、わたしの勝手な思いこみに過ぎないのかも、しれないけれど。


 わたしのための覚え書きなんで、いちばん上になきゃダメなのだわ。
 2006-02-17の分に、追記したもの。

雪組『ベルサイユのばら−オスカル編−』
・コムカルの美しさ、クールさ、そして、「オスカル」としてのダメさ(笑)について。
・ワタドレ万歳。
・水アラン萌え。萌え〜萌え〜萌え〜。
・かしジェローデルかっこいー。かっこいーかっこいーきゃー。
・作品まちがってる。いやその、今さら言う必要もないくらい世の常識だけど。植爺最悪。
・まちかまちかまちか。
・オサドレのダメさ加減について(笑)。
・アラン×オスカル萌え〜。


雪組新人公演
・キャストについて。
・アンドレとアラン。


第92期音楽学校文化祭
・正塚芝居萌え。
・水もどきの彼。その他モロモロ。

星組『ベルサイユのばら−フェルゼンとマリー・アントワネット編−』
・トウカル万歳。万歳万歳万歳。うきゃー!!
・花祭りの男A@しいちゃんかわいー。うきゃー!!
・タニでもOK発言の撤回について。


月組『Young Bloods!! 』
・龍真咲のすごさについて。
・芝居サムすぎだぞ藤井。
・「路線」という教育。


荻田浩一新作ミュージカル『アルジャーノンに花束を』

 
 なんで毎日こんなに忙しいんだろう……なにをしているわけでもないのに、時間だけが過ぎていく。

 
 2006-04-09、チェック完了。
 ……よーやく全部書けた……でもまだ、このあとに観たものの感想がいろいろ残ってる……追いつくの、いつだ……。


 1幕の芝居だけだったら、ほんとにつらいこの公演、月組ワークショップ『Young Bloods!!-sparkling MOON-』
 救いは2幕だ、ショー『Hot Blooded Moon』。

 音校の文化祭もね、いちばん盛り上がるのがショーなのよ。スターになっていなくても、「男役」ができあがっていなくても、踊っていればわりと場が盛り上がるの。

 全体を通してやっぱ「文化祭」テイストなんだけど。

 空気が動く、快感。

 ばらばらだった空気を、真咲が力尽くで動かしていく。それを感じる快感があるんだ。

 幕が開くなり、端正な空間に、真咲ひとり。
 「正当派男役」の風情で歌い出し、1曲終わって雰囲気ががらりと変わり、全員登場。

 あー、若いねー、未熟だねー、がちゃがちゃしてるねー。娘役はいいけど、男役たち、そのイケてないブラウスの着こなしはなんなの、とか思いつつ(笑)、全員ソングのあとは、上級生(つっても研5あたり?)たちだけの歌。
 このあたりでもう、今まで知らなかった萌花ゆりあちゃんをしっかり認識している(笑)。白鳥も光月も、本公演の群舞でもぜってー見間違えない(笑)。

 この次がびっくりのバレエシーン。
 研1の麗百愛ちゃんが、男役たちを従えて華麗に踊る。
 おおー、すげー。きれー。

 ただなあ。
 nanakoさんから聞いてたんだけどさ。

 麗ちゃん、頼む。踊るときは、Tバックを穿いておくれ。

 肌色のハミパンが目について目について、どうしようかと(笑)。

 少なくともnanaタンが見たときとわたしの見たときの2公演は、ぱんつ見せたまま踊っていたぞ。あ、千秋楽は出てなかったけど(確認したのか。したとも)。

 ところで、研1の紫門ゆりやくんって、去年の文化祭のバレエの「王子様」だよね? いや、王子役なんかなかったけど、いかにも王子様なキャラをひとりで踊っていたからさ。で、麗ちゃんがそのときの相手役だよね?
 そっかー、ふたりとも月組だったのかぁ。
 ノーチェックだったよ。(まちがってたらすまん)

 文化祭ではあれほど垢抜けて、飛び抜けて華やかで美しかった紫門くん。こうして劇団の舞台で見ると、まだまだ課題ばかりだー。がんばれー。

 小さな極楽鳥が腰振って踊るわ、インド的ダンスで首を振り続けてくれるわ、タップダンスはあるわで、ほんとに内容は盛りだくさん。

 芝居ではヒロインはれみちゃんだったけど、ショーではヒロイン不在。あえていうなら、みっぽーかな。

 nanakoさんはいちいちまっつと比べてウケてくれてるみたいだけど、色っぽいタンゴを真咲とみっぽーで踊ってくれたりして、素敵ですよほんと。

 真咲はキザり方も堂に入っていて。
 投げキスもそりゃーかっこいいですよ。だからいちいちまっつと比べないの!
 →http://7ch.jugem.cc/?day=20060301 by nanaタン

 真咲を見ていて強烈に思い出すのが、あさこちゃんだ。

 てゆーか、あさこに似すぎてる。

 影響受けまくってんだなあ。
 nanaタンが「素敵だけど、ハマることはない」と断言するのは、たぶんそのへんに理由があるんじゃないかとわたしは思ってるよ。
 うん、わたしも同意見……いやその、わたしゃまさきファンですが。

 そーしてわたしは真咲の他に、ふと気がつくと、瑞羽奏都くんのアゴに釘付けになっている。

 どどどどーしよー。
 アゴですよアゴ! わたしってばそんなにアゴスキー?
 瑞羽くん、まだ研2ですか……もう少し頬がシャープになってくれたら、マジ好みの顔ですわ。

 プログラムが進むにつれ、拍手の色が変わる。

 「大人はキタナイ!」的な歌を熱唱した真咲と仲間たち、そのあとの真咲のソロ。

 この、最後のソロが終わったあとの拍手の色がね。温度がね。
 すごいの。
 今までの拍手と、明らかにチガウ。

 少しずつ空気が動き、積み重ねられてきた目に見えないものが、一気に爆発するような。

 クライマックスだ。
 カタルシスだ。

 歌い終わったあとの、全力を出し切ったあとのスポーツ選手のような、一瞬空虚になる表情。
 そして、割れんばかりの拍手に身をゆだねる陶酔した表情。

 ナマである醍醐味。

 そして、フィナーレへ。

 
 ナマで観た、ということが、ほんとーに大きい公演だったと思う。
 あの空気の動き方、拍手の温度。
 あの場にいて、五感でダイレクトに感じられたことに意味がある。
 わたしは映像を信じていないので(笑)、きっとあの感覚はテレビでは伝わらないだろうなと思う。

 あとになって、冷静になって考えてみると「そんなにすごくもなかったんじゃないか?」とか、思わないでもないけど(笑)、たとえ真実がどうあれ、他人がどう感じたのであれ、わたし自身はあの瞬間に得がたい感覚を味わえた。
 それが、うれしい。

 
「将来値打ちが出るかもしれないから、大切にするの」
 と、nanakoさんは言った。
 入場者全員に配布されていたプログラムのことを。

 この舞台を生で観劇したことを、誇りにする日が来るかもしれない。

 無邪気にそう思えてしまう、そんな舞台。
 それって、すごくないか?


 月組ワークショップ『Young Bloods!!-sparkling MOON-』、おぼえている限り、キャストの感想を書いておこう。

 作品自体は、とってもサムかった。
 1幕目は現代物のミュージカル『ハーフムーン狂想曲』。

 タカラヅカは「現代」を表現するのにいちばんそぐわない劇団だ。「男役」という存在がすでに現実ではありえないのだから、無理に「現代」を舞台にする必要がどこにあるのか。
 たんに、藤井くんが大好きなJ-POPを使いたかっただけなんじゃないの? と、勘ぐってしまう。

 ふつーの大学生RYU@まさきは、恋人のREMI@れみと他愛ないことでケンカをしてしまう。そんな彼らが迷い込んだのは、ゲームの世界。ミスタープレイ@白鳥かすが、ミスメリイ@みっぽーが人間をコマにして遊んでいるらしい。
 そこでRYUたちは、さまざまな「いい男」「いい女」に出会いながら、本当の恋人を探すことになるが……。

 話はもちろん、「青い鳥は家にいました」ね。いろんな人に出会うけれど、結局いちばん素敵なのは元々の恋人、という。

 これがもー、すばらしく寒い!
 なんつーんですか、この感覚。「ナウい」とか、そーゆー感じ? 「昭和」時代の「青春モノ」?
 とても現代とは思えない遅れまくった感覚でありながら、さも「イケてる」顔して作られているのが、恥ずかしいやらかなしいやら。
 これでストーリーなり場面なりがよければまだ救いもあるが。
 藤井くんってほんと、ストーリーは作れないんだね……。整合性とか起承転結とか辻褄とか、一度でいいからまともな作品が見てみたい……。

 そんなとんでもない駄作を。
 実力も経験値もない若者たちが、体当たりで演じていました。

 たぶんこの脚本とセンスじゃ、演技巧者なトップスターが演じたって、寒かったと思うよ……。そりゃ舞台のクオリティは上がったろうけど、誰が演じても痛々しかったろう。そんな作品。

 だもんで、いっそなにもできない若者たちがやっている方が、作品の粗だかキャストの力不足だか、こんがらがってわからなくなっているのでまだよかったのかもしれない。

 ただ、「お勉強」としてのネタの料理の仕方はうまいと思う。
 「いい女」「いい男」を探すゲームなので、名もなき若手くんたちがそれぞれ必死になって「いい女」「いい男」を演じている。
 あるときはセクシーな美女、あるときはホスト、てなふーに、これでもかっ、な典型キャラを演じるのは勉強になったろう。
 若手くんたちはそーゆー「型」のお勉強、真咲やれみちゃんは「主役」として物語を動かしていくお勉強。

 実際、真咲もれみちゃんも「主役」としてなんの遜色もない。ふつーに主役だ。うまい。
 ふたりともスタイルよくてきれいで、目にもたのしい。
 ただしRYU真咲、そのジャケットはなんとかしてくれ。君の責任じゃないことはわかっているが、いくらなんでも「現代」で「ふつーの大学生」でソレはありえねーよ……。

 まだ研7のみっぽーちゃんが「大人の女」として違和感がないこともすごい。へんだなあ、小柄なかわいこちゃんなのになあ。ついこの間まで、少女役とかふつーにやっていたはずなのになあ。
 研5のひまりちゃん、こちらもふつーにうまい。丸くて表情があざやかで、アニメちっくなキャラクタが似合う。

 女の子はいいんだ。
 娘役は、男役よりずっと早く成長するものだから。研4ぐらいで完成しても不思議はない。

 男役は大変だ。
 研5の白鳥かすがくん、研4の光月るうくん……が、がんばれー。
 白鳥くんは芝居では「大人の男」だし、光月くんは「狂言回し」だ。どっちも基本値が低いときつい。
 それでも彼らはまだ、「男役」の型ができている方。そのうえで「ワンランクアップ」した役だったので、大変そうだった。

 次に役らしい役があったのは、理想の女@萌花ゆりあと、理想の男@流輝一斗。

 萌花ゆりあちゃんは研5ですか、なるほどきれーな子だぁ。スタイルが整っていて、ドレス姿がきれい。しかもなんか、えっちなカラダ……(笑)。

 いちばんガタイがよく、スーツ姿がかっこいい流輝一斗くん、研3……。しかも中卒ってことは、まだハタチっすか……。
 流輝くんは1幕のホストスーツのラインがみょーにきれいだった(笑)。みょーに、というのは、他になにができているわけでもないのに、それだけがとても目立ったから。
 お顔がまだぷくぷくしていて、役とガタイとのギャップが大きかったのもまた目立った要因かしら(笑)。

 ところで、謎の女装演歌歌手@貴千碧くん……千秋楽ではアドリブとばしてました。内輪受けらしくて、よくわかんないネタだったけど。真咲のものまね?
 わたし、この子おぼえてるわ。去年の文化祭で、いちばん濃かった子だ……。
 そう、去年。つまりまだ研1。それで、舞台の上でアドリブでものまねやりますか。大物だわー。

 作品があまりにアレだったので、わたしは余計に真咲に感謝した。
 ありがとうありがとう龍真咲。もしコレで君が学年通り、新公での役付通りのなにもできないルーキーくんだったら、どれほどおそろしい空間と時間になっていただろう。
 真咲が「ワタシ、ふつーにスターですが、なにか?」てな人だったから、まだ耐えられたんだよ。
 新公主役5回くらい経験しているよーな貫禄で演じてくれたから、なんとかカタチになったんだ。

 ああ、よかった……。

 
 長くなるので、いったん切る。


 「路線」というものについて、考える。

 「路線」というのは、ただの区別じゃない。受ける教育のちがいをいうんだ。
 「路線」である子は、そのための教育を受ける。スポットライトをただひとり浴びる力。空間を自分の存在感で埋める力。空気を動かす力。
 もちろん、それには「素質」が必要だ。だがそれだけではない。訓練だ。それらは、群舞や通行人をやっていて身に付くことではなく、実際に舞台で真ん中に立ち、訓練することで身につけて行くんだ。

 脇にいるときそれなりにかっこよくて、いい仕事をしている子でも、いざ真ん中に立たせれば魅力が失速する。そういうことはままある。真ん中に立つべく訓練を受けていないため、真ん中に求められる仕事ができないんだ。
 それくらい、「真ん中に立つ」というのは別のスキルを必要とする。
 うまいとかきれいとかいうのとは、別の能力。

 経験を積むことでスキルアップする舞台人というジョブで。
 「路線」として抜擢を受け、真ん中に立つための訓練を受ける。
 これが基本。

 だが。
 「路線」としての訓練を受けてもまったくスキルのあがらない子もいるっつーに。
 場を与えられることがなかったにもかかわらず、ちゃんと「真ん中」に立ててしまう子がいる。
 てのはいったい、なんなんだろう。

 できる子とできない子の差は、どこからくるんだ?
 人は、どこで分かれてしまうのだろう?

 不思議で、とても興味深いことだ。

 龍真咲を考えてみる。

 この子の知名度は、どれくらいあったのだろう。
 新公主演もしていない。それどころか2番手も、3番手もしていない。
 スカステでニュース読んだりはしていたらしいけど、そーゆータレントとしての知名度ではなく、「舞台人」としての。
 いちばん大きな役がついたのって、新公『エリザベート』のルドルフぐらい? でもその直後の新公では副組長の役だったし。
 「舞台人」としての知名度は、決して高くなかったろう。

 新公ですら、ろくに役がつかない。まったくつかないわけじゃなくても、「路線」として世間に認識されるような扱いは受けていない。
 なのにこの子は、「真ん中」に立つ力を持っている。

 ワークショップ『Young Bloods!!-sparkling MOON-』、芝居とショー2本立て。

 出演平均学年研3.2だというこの公演。
 芝居は藤井くんらしいサムさ全開、詰めの甘さ全開で、出演者の経験値の低さを底上げするようなものではない。
 ショーは「ショーである」ということ自体が難問。民族的に自己表現力に欠け、またそれをたのしむ能力にも欠ける日本人である以上、ショーは敷居が高い。素人演劇というジャンルは成立しやすいが、素人ショーカンパニーつーのが成立しにくいことが、それを表しているはず。

 そんなふうに、今回のワークショップはすげー難しいものであると思う。

 それを、主演経験ナシの龍真咲はやってのけた。しかも、今回のワークショップ主演最下級生。3月現在、まだ研5。

 それって、すごいことだと思うよ。
 「男役」ができあがるまで、「スター」ができあがるまで、どれほどの時間と機会が必要かを考えたら。

 「路線」と「非路線」があり、路線だけに帝王学をたたき込んでいる、今のタカラヅカに一石を投じる出来事だと思う。
 どんなに「路線」教育をしても力が付かない人がいるっつーに、教育を受けていなくてもここまでやってしまう人がいる、という現実が明らかになったのだから。

 しかし、どこで分かれるんだろうなあ。
 人間ってのは、おもしろいなあ。

 若者ばかりの今回のワークショップ。
 レベル的には文化祭に毛が生えた程度だと思うよ。
 ただ、文化祭と決定的に違うのが、「スター」の存在。「スター」を頂点としたピラミッドが形成され、「スター」がそのスター力で舞台を掌握する。ピラミッドは頂点に近い位置にいる人ほど能力値が高く、下に行くほど下がる。トップスターが研5の真咲で、最下級生が研1のひよっこたち。……うわー、若い……。
 娘役はともかく、男役で形を保っているのは白鳥と光月ぐらいのもん。そんな状態で、舞台に真咲が現れるときの空気の動き方ときたら。「あ、スターが現れた」ってはっきりわかる。
 この子のために、この舞台が存在している。そう思わせる力。

 龍真咲自身については、とくにおどろきはない。
 予想していた通りの実力であり、結果だった。
 わたしがこの子に注目したのは研2のときだった。まず、容姿の美しさ。……でも、それだけならべつになんとも思わない。心が動いたのは、その歌声にだ。研2にして「男役の声」で魅力的に歌うことが出来た。姿のかわいさのせいで、かえってびびったよ。こんなに男前な声なの? って。
 次が翌年の新公。たった一言しか台詞のない、いてもいなくてもいい役。ただの背景。……そんな役に過ぎないのに、彼は戦闘意欲に満ちていた。このどーでもいい役で、本気でファンを増やす気でいる。自分の美しさ、魅力を最大限にアピールして、勝つつもりでいる。その姿勢に、「君のファンになるよ」と決めた(笑)。それは2003-04-22の日記にも書いてある。

 わたしが劇団の人間なら、あの時点で真咲を抜擢してる。明確な上昇志向を感じたからだ。
 なにをすればいいのかわからない、自分がなんなのかわからない。永遠のモラトリアムにいるよーな今の若者たちの中で、「自分がなにを欲しているか」「欲しいものを手に入れるために、なにをすべきか」を明確に自覚しているなんて、それだけでもすごい。群の中で、ちがう色を放っている。
 それに、前年のバウで演技も歌もできることがわかっているから、安心して路線に乗せただろうよ。
 なのに一向に彼の役付が上がらないことが、不思議でならなかった。

 
 だから。
 今回のワークショップ主演は、こころからうれしい。
 正しい人事だと思えた。
 能力のある人が評価されない世界なんて、見ていてつまらないもの。夢を見られないもの。
 

 わたしはジェンヌをファンタジーだと思っているので、ナマの生徒に近づくこともないし、お茶会だのにも行かないし、トーク番組なども見ることはない。だから、舞台の上がすべて。舞台の上から感じるものがすべて。わたしは真咲を生意気そーで性格悪そうで好戦的な子だと勝手に思っているが、それはすべて舞台から受ける印象だ。ほんとのとこは知らない。
 知らないまま、そういった舞台姿を愛でている。
 才能の世界は弱肉強食。弱いものを食い荒らし、強いものだけが残っていく。のしあがっていく。そーゆードリームがあってもいいじゃないか。
 好きだよ、真咲。善良である、というだけでなんの成果もあげられない人たちを蹴落として、実力で輝いてくれ。

 まぎれもないスター誕生に、心地よく酔っている。


 雪組新人公演『ベルサイユのばら−オスカル編−』を観て思った。
 主役がオスカルなのはわかる。だが、準主役って?
 アンドレが準主役なのも、たしかだとは思う。だが、新公の扱いから客観的に考えて、アンドレひとりが準主役だとは思えない。

 アンドレとアラン、W2番手だよね?

 新人公演限定の話ね。

 第1幕において、アンドレは「いらない」存在として位置づけられている。プロローグに出たっきり、2幕になるまで出てこない。
 第1幕の「出来事」は、「オスカル隊長が衛兵隊を掌握する」と「ロザリー嫁に行く」だけ。このふたつの出来事は独立しており、より時間を掛けて描かれているのが「衛兵隊」の方だ。そして「衛兵隊」の中心となるのがアラン。
 1幕の「2番手」はまちがいなくアランだ。

 2幕になって、よーやくアンドレが登場する。オスカルがひとりでがんばって掌握した衛兵隊で、なんにもしなかったアンドレがえらそーに踊っている(笑)。
 そんななにもしないでオイシイとこ取りしている男が、「オスカルが俺のモノにならないなら、殺してやる」と決意するものすごい展開。
 ことの是非はともかく、第2幕ではアンドレが2番手。いきなり彼の露出が増えているから。

 1幕と2幕で、2番手役がチガウのね。
 それはそれで面白い試みだ。

 アンドレは名場面のある「名の通った」役だからちゃんとオイシイし、アランは「破綻していない」キャラだからやりがいがある。どちらも、オスカルを愛する男たち。
 いいバランスだと思うよ。

 
 最初に演目が発表になったとき、本公演には絶望したけれど、新人公演にだけは期待した。

「新公オスカルとアンドレって、かなめとオヅキだよね?」

 かなめ&オヅキで「今宵一夜」、見たい〜見たい〜見たい〜(笑)。

 と、仲間内で盛り上がっていた。

 でも実際にキャスティングが発表されると、かなめくんはアンドレで。オヅキはアランで。ちと拍子抜けした。

 つってもすぐに納得したけれど。
 最近のかなめくんを見ていて。

 この子に、オスカルやらせちゃダメだ。

 せっかくの恵まれた資質が、このままでは無駄になる。
 ただのなよっとしたきれいな男役、として小さくまとまってしまう。
 今、女役なんかやっている場合ではない。内股で歩いたりシナを作って坐ったりする「植爺オスカル」なんかやらせちゃいけない。
 かなめくんは、「男らしさ」の勉強をしなければ。
 包容力とか、たくましさとか。強引さとか、荒々しさとか。

 新公を見終わったあと、いろんな人から聞かれたんですが。
「で、かなめくんは壮化してた?」
 ……みんなの関心事はソレなの? かなめくんが、どんどん壮くんに似てくる件について。薄く、軽くなってくる件について。

 これ以上壮化しないためにも、かなめくんには今、がんばって欲しいのよ〜〜。

 だから、彼がオスカル役でなかったことには、納得した。純粋にオヅキ×かなめのラヴシーンが見たかったので、それだけは残念だったが。

 実際のところ、凰稀かなめという人は、すばらしい素質を持っていると思う。
 2幕部分である衛兵隊訓練シーンに、いきなり彼が混ざっていた……そのときの、あでやかさときたら。
 息をのんだ。
 他が全部セピア色なのに、彼ひとり原色だよ。彼ひとりが、色を持っているよ。
 美しい。
 華やか。
 美はすべてを凌駕する。
 アンドレっつーのはどーしよーもない破綻男なんだが、そんなことは誤魔化されてしまう。
 この美しい人を眺めていられるだけで、いい。そう思えてしまう。

 すげえよ凰稀かなめ。
 こんなに、美しいなんて。

 軍服が似合う。マントが似合う。
 真ん中に立つことが、あたりまえに見える。
 美しいってすごいや。

 ……実力はどうなんですかね。わたしにはわかりません。美貌ですべて帳消しになってしまうんで、判断できないんですよ(類似・星組名物綺華れい)。
 ただ、友人たちからの質問、「かなめくんは壮化してた?」に対しての返答なら出来ます。

 YES。まだまだ、壮くんです。

 壮くんだってさ、組替えしてきた当初は、そりゃー輝いていたんだよ。『Over The Moon』のときとかさ、群舞の中にいる壮くんを見て、その華やかさに息をのんだものさ。
 今はすっかり雪に馴染んで、地味になってるけどさ……ゲフンゲフン。ヘタレ好きのわたしとしては、きらきら華やかだったころの壮くんより、自爆気味の今の方が愛しいんだが……ゲフンゲフン。

 壮くんは壮くんひとりでいいので、かなめくんは独自の魅力を開花させて欲しい。
 これほどの美しさを持っているのだから。
 ここに「大きさ」が加われば、無敵だと思うよ、ほんと。

 
 主役であるところのオスカル@コマちゃんに関しては、語る言葉をわたしは持たない。
 あんまし見てないんだ〜〜。よそ見ばっかししてたからさ〜〜。
 本役のコム姫よりは正しいオスカルだったんじゃないかな。温度があったからさ。ふつーに。
 ただビジュアルのキツさは今後の課題なんだろうな。スポーツ報知3/2の巨大新公舞台写真、マジで「あー、ベルナールとロザリーのシーンかぁ」と思ったもの。次の瞬間、「新公にハマコ出てないよ? てことはコレ、オスカル?!」とおどろいたさ……。
 本公演の方がコマちゃんオトコマエだから、オスカルのカツラや衣装が似合ってなかったんだね。

 ロザリー@かおりは、うまかった。外見の健康的さは相変わらずだけど、的確に「可憐な少女」を演じている。安定している、てのは強みだよなあ。
 演出のせいもあるし、オスカルに温度があったせいもあるだろうけど、ロザリーというキャラが人格崩壊まではしてなかった。本公演の方はえらいことになってるのに、新公ではそれほど変じゃない。
 「若さ」と「温度」で、多少妙なところも押し通せてしまうってことか。

 そーいやジャルジェ将軍とその奥方が、お人形のような美形カップルで、ツボったなあ(笑)。
 そらくんとリサちゃんかよ。美男美女がこんな役なんだー。ほんとに役ないよなあ、『ベルばら』。

 美形といえば、さすが新公、衛兵隊の美形度がすげー下がっていた(笑)。うわー、丸い〜〜。みんなむちむちしてる〜(笑)。
 今回研7生たちはもう出演してないんだもんねえ。そのぶん下級生たちががんばっているわけで……うわー。
 そんななか、メルキオール@せしるの美貌だけが、浮き上がっていた。
 冗談みたいに美しいねえ、せしる……。あの小さな後ろアタマとか、完璧だよねえ。これで美貌に釣り合う実力があれば言うことないのに……いやその、がんばってましたとも。ええ。

 この公演から娘役に転向した純矢ちとせちゃんは、おねーさまズのひとり。台詞はひとつかふたつあったかな程度。
 本公演でもドレス着て踊ってるけど、ほんとに違和感ない。ふつーにきれいな娘役さんだ。目でかいー。カエル顔がとなみちゃん系? 台詞なくてもアツく小芝居していたので、お芝居好きな娘役さんとしてがんばってほしい。

 
 客席には、本役さんたちがずらり着席。
 わたしは相変わらず、まちかさんを見ていました(笑)。横顔きれいだよね、とか、他の人に言って同意を得られなかったりな(笑)。もうこうして、現役ジェンヌのまちかさんを客席で見かけられるのは、最後なのか……そう思うとしょぼんな気持ち。
 わたしの席からいちばん近いのが壮くんで、いちばん見やすいのがまちかで、やっぱり水くんは遠くてろくに眺めることも出来なかった……そんな客席ウォッチング。


 それは、史上最良の『ベルばら』でした。

 雪組新人公演『ベルサイユのばら−オスカル編−』
 植爺によって汚染された『ベルばら』が、大胆にメスを入れられ、腐った部分を切り落とし別の物語にと作りかえられていました。

 演出は、鈴木圭。ええ、あの伝説の『ファントム』新公の演出家です。

 いつだったか、わたしは書きました。
 第1幕の「出来事」は、「オスカル隊長が衛兵隊を掌握する」と「ロザリー嫁に行く」だけだと。
 そして、この「出来事」に関係していないから、「アンドレ」は無意味だと。

 鈴木演出では、まさしく「出来事」のみにしぼって構成されていました。

 まず、長すぎるプロローグを、小公子ソロ→アンドレ@かなめ登場→オスカル@コマ登場→幕が閉まり、その間オスカル、アンドレ、ロザリー@かおりで銀橋渡り、と短く終わらせる。
 幕が開くと、そこはいきなり「衛兵隊」。
 「俺たちゃまぬけな衛兵隊」とまるまるした男の子たちが歌っている。
 ええっ? いきなり「衛兵隊」? あいようこおねえさまの、きょうふしーんは?!!(新公にあいようこさんは出ません)

 衛兵隊に初出勤したオスカル。彼らとの対立、アラン@ヲヅキとの一騎打ちと、現在の彼女が抱える問題を浮き彫りにする。

 幕が閉じると、銀橋にロザリー登場。「ヲトメの祈り」と可憐に歌い、本舞台はジャルジェ家の居間に。ロザリー、歌うまいー。すげー。
 居間には、やたらと横に体格のいいベルナール@宙輝れいかがいて、演説をぶつ。
 どーやらロザリーを好きらしいベルナールだが、告白はうまくいかない。ジャルジェ家のみなさんがわいわい登場してしまったんだ。

 他愛ない話に興じるジャルジェ家の人々。「ライバルがいるから、夜も眠れないわ!」と嘆くルルー。違和感なくかわいいぞルルー。「ライバルって誰?」と言うおねーさま方。ルルーは言う。「ロザリーよ!」−−幕。
 幕?
 えええっ?! 「ロザリー?」「小間使いじゃないの」とか、「オスカルお姉ちゃまの日記を見ちゃったの」とかの話はさくっとCUT?!!

 幕というか、正確には「廊下を表す大道具の仕切」が出てきたわけだけど。
 ソレが閉まったので、そこはジャルジェ家の廊下になる。

 そこでオスカルが、ロザリーにベルナールからの縁談を話す。ロザリー大ショック。
 オスカルの軍服を抱きしめ、かなしく「ヲトメの祈り」を歌う。
 そして彼女は、決意する。「わたしはパリに参ります!」−−ベルナールと結婚することを。

 えええっ?! ロザリーの妄想シーンは?! あのクソ長い意味のない脳内妄想爆裂シーンは?! なに食わぬ顔でCUT?!

 舞台はまたしても、衛兵隊。
 兵士たちの家族がやってきて食料もらったりなんだり大騒ぎ。あのクソうるさいだけの無神経女ルイーズ@愛原実花が、うるさくない。かわいい女になってるぞ? 声もでかいし無神経テイストは同じだが、亭主に惚れていることがわかって、なんだかかわいいのだ。
 そこへやってきたオスカルが、反発するアランに想いを語って聞かせ、兵士たちの前で「子守歌」を披露する。
 こーしてオスカル隊長は、無事衛兵隊を掌握することができました。

 ここで閉まる、幕。
 幕前に現れるのは、小公子@れのと、ばらの少年少女たち。
 彼らはあったりまえの顔で歌い出す。「嵐は嵐は花を散らせていく。今日も散るのか薔薇ひとつ〜♪」……アレ?
 ええっとソレ、チガウ歌だよね? 今回の雪組『オスカル編』にはその歌ないよね?
 本公演にない歌来ますか! しかもここでちゃんと違和感のない説明が入る。今まで出番のなかったアンドレのこと。彼の立場や想い、そして「目が見えなくなっている」ことも。

 幕が開くとそこは、衛兵隊の訓練中。
 つまり、第2幕だ。

 ええっ? 第2幕? つーと1幕では、アンドレ出番ナシ?

 ……なんて、潔い。
 第1幕の「出来事」は、「オスカル隊長が衛兵隊を掌握する」と「ロザリー嫁に行く」だけ。
 ほんっとーに、このふたつ以外のシーンは、CUTされていた。

 アンドレの妄想も、もちろんペガちゃん登場もない。
 いなくていい人と、なくていいシーンだもんな。ははは。

 1幕ってほんと、いらなかったんだよなー。ほとんどなー。ははは。

 その代わり、第2幕はほぼ忠実に再現されていた。
 衛兵隊の訓練シーン、ブイエ将軍登場、反発するオスカル、ジャルジェ将軍登場でオスカルをビンタ、「ジェローデルと結婚しろ」、アンドレモノローグ、毒殺未遂、ジェローデル@谷みずせの「身を引きましょう」出番これだけかいっ、「パリ進駐なんてあぶないわ」ジャルジェ家の人々がぎゃーぎゃー、ロザリー夜這い、でもあんまし変じゃないぞ、若さゆえの勢いって感じだロザリー、「今宵一夜」、ロザリーとベルナール夫妻の寒い会話、アンドレ戦死ときて、バスティーユ。

 
 そして、なにがすごいかって、終わり方。

 バスティーユで終わる、『ベルサイユのばら』なんて、はじめて観た。

「隊長、見てください。バスティーユに、白旗がぁあああっ!!」
 叫ぶアラン。
「ついに落ちたか。……フランス、万歳」
 で、オスカル死去。
 「バスティーユが落ちたぞぉ」の叫び声の中、ロザリーの悲鳴が響き渡り、兵士たちが敬礼する。

 幕。

 ……これで、幕。

 歴史巨編?

 なんか、すごいいいもん観たよーな気がする?

 これだからタカラヅカって、と嘲笑される「ガラスの馬車」が、出てこないのよ!!

 「歴史の歯車の中では無にも等しい」オスカルが、それでも人の世で人の子として、懸命に生きた。
 そんなオスカルの人生に、ガラスの馬車なんか出てこない。オスカルはそんな「逃げ」は必要としていない。彼女はなにも、後悔などしていないのだから。
 あのガラスの馬車が最悪なのは、「所詮女子ども」って笑われるセンスなのもそうだけど、オスカルの人格と人生を否定しているからなのよ。
 「ふたりは可哀想に死んでしまったけれど、天国でしあわせになりました」って意味でしょ?
 オスカルは「可哀想」なんかじゃない。彼女は自分の人生を自分の意志で生きた。そして、満足して死んだ。なにも後悔していないし、他人から憐れまれるなど笑止千万。
 「死んでしまった」から「可哀想」って、なんなのその幼児以下の感覚。
 何故彼女が「フランス万歳」と言って死んでいったのか、まったく理解していない人間のやりそうなことだ。

 自分の意志で自分の信じるもののために戦い、未来を勝ち取って、静かに微笑んで死んでいった戦士の背後で、勝利の雄叫びがあがっている。
 そこで、幕。

 美しい終わり方じゃないか。

 観たかった、『ベルサイユのばら』のラストシーンだ。

 やっぱ鈴木演出はよいなあ。
 明日から、コレでやってくんないかなあ。
 そしたら1時間半で済むから、2部はショーにできるのに。

 同時上演するショーは、『ドリーム・キングダム』がいいなあ。
 トドの役を、水くんにして。
 薔薇@コム姫で、薔薇収集家@水……うっとり。
 「ばら」つながりで、観客も安心して観られるじゃん。ホモすぎてまずい、ということも、芝居の方がオスカルで「男装の麗人」だから、アタマの固いおばちゃんたちも、「ああ、ショーも男装の麗人役なのね」って誤解してくれるよー。

 史上最良の『ベルばら』。
 そりゃ、まだ変なところはいくらでもある。でもそれは、植爺が生きている以上仕方ない部分だ。現在の段階で、最良の結果を叩き出してくれた。
 キャストの力量は、本公演にかなうまでもないとして。あくまでも、「脚本」「構成」のみの話な。
 こんなにすばらしいものを観てしまっては、本編がますます観られなくなる……。


 ヲヅキ万歳!!

 雪組新人公演『ベルサイユのばら−オスカル編−』、緒月遠麻目当てで行ってきました。
 予備知識なく行ったんで、開演して半分を過ぎるくらいまで、演出家が誰か考えることもしてなかったっす。

 観ている最中に、思ったね。
 この演出、鈴木圭だよね? ぜってー鈴木圭だ。鈴木圭にちがいない!!

 最後の出演者の挨拶で、「演出の鈴木先生」と言うのを聞き、やっぱり鈴木圭だ、と納得した(笑)。

 なんでかっつーたら、もお。

 史上最良の『ベルばら』でした。

 演出が。
 あのぶっ壊れた話を、よくぞここまで整理したな、という。
 もちろん、まだおかしなところはあるけれど、そこは植爺本編が変で、そのまま使わなくてはならないという足枷があったせいでしょう。悪いのは植爺だ。
 鈴木演出のすばらしさはまた、欄を改めて語るとして。先に叫んでおきたいこと。

 
 アラン@ヲヅキ最高!!

 素敵です。
 かっこいーっす。
 ドキドキドキ。

 最初はわたし、新公らしくいろんな人を見ようときょろきょろしてました。
 されど。

 途中から、気づいた。開き直った。

 ヲヅキを見ていられれば、それだけでしあわせなんだ。

 アラン初登場の「VSオスカル」あたりはまだ、わたしの視界も広かったんだけど。次の「妹めろめろアラン」あたりから、オペラグラスはアラン固定。他の人は視界に存在しません。

 妹めろめろアラン、めちゃくちゃかわいーのー。
 あの武骨な大男がよ? その前のシーンで、ものすげーおっかなくオスカルに噛みついていた獰猛な大型獣がよ?
 本気で妹をかわいがってるの。
 ディアンヌ@大月さゆちゃんの来るのが遅い、ってやきもきしているところ、それが行きすぎて「すねている」状態になるのね。かわいー。
 そしてよーやく現れたディアンヌに対し怒鳴るのも、「心配していた」のがよくわかり……わーん、この大男、好き〜〜。

 アラン@ヲヅキのことをひとことで表現するならば、誠実な男です。

 気の荒い大男ではあるけれど、彼はとても誠実。それが、台詞ではない、喋っていないときの表情のひとつひとつに現れているの。

 アランの登場シーンは大抵話の中心がオスカルなので、彼はいつもオスカルを注目している。
 彼自身に動きのある「子守歌」シーンなどは、反感や苛立ちから自覚と行動に至るまでの表情の変化があざやかだし、それ以外は真剣そのものの表情でオスカルを見つめている。
 その真剣さには下心がない。原作では、アランはオスカルに恋愛感情を持っているけれど、ヲヅキにそれは感じられない。奥底にはあるのかもしれんが、そんな「ヨコシマ」なものよりも、人間としての「誠実さ」が強く出ている。
 オスカルが口にする「正しい」意見を、ブイエ将軍に逆らうときのやりとりを、アランはいつもひどく重く、真摯に見つめている。そう、彼は「重い」。軽くないんだ。気は荒いのだろーし、心の沸点も低いんだろうけれど、いったん腹を決めたあとはひどく慎重だ。
 他の兵士たちが簡単にわめき剣を抜いてオスカルをかばおうとしているときも、アランだけは動かない。まず言葉で意志を表現し、そのうえで最後の最後に剣を抜き、先に口にした「言葉」に対する決意と行動を示す。これだけのアクションに、ブレがない。終始真剣で、軽はずみではない、覚悟のある行動をとる男として存在する。
 で、いったん剣を抜いたあとの恫喝っぷりは、登場当初に見せた「気の荒さ」まんまだから……うまい。
 かっこいい。
 かっこいいよーっ、ヲヅキ〜〜っ!!

 ハンサムではない。美形だとは、とても言えない。
 だけど、まちがいなく彼は、「女が惚れる男」だ。
 男は顔ぢゃねえ。を、実践する男。

 この強い男が、歯を食いしばって慟哭するラストシーンには感動したよ。
 オスカルが撃たれ、彼女が死んでしまうことを理解しながらも、「軍人としてのオスカル」を尊重するからこそ安易に駆け寄ったり泣いたりせず、自分の持ち場で「バスティーユに白旗が」の台詞を言う。
 覚悟しているのがわかる。オスカルを失うこと。それでも、毅然と立ち続け、己れの使命を果たす。

 敬礼しながら、何度も歯を食いしばろうとして、それでもこみ上げてくるものを抑えきれずに嗚咽する姿に、泣けるんですが。

 ええ。
 アラン@ヲヅキ見ていたら、幕が下りちゃったんですよ。

 んで。
 あれ? と、思った。
 いつもの紗幕ではなく、緞帳ってやつで。
 しかも、舞台に誰もいない。

 あれええ?
 死んでるオスカルだけを残して紗幕が下り、そこに星座の動画が映されて、「オスカ〜ル、オスカ〜〜ル(黄泉の声)」でガラスの馬車、でしょ?

 オスカルいない?
 本物の幕?!

 オスカル戦死、「バスティーユが落ちたぞぉ」の叫び声の中、ロザリーの悲鳴で幕ですか!!

 すげー。

 てっきりこのあと、お笑いシーンがあるものだと思って、油断していた。
 感動シーンで終わっちゃったよ……鈴木演出ときたら、これだからっ!!(喜)

 油断していたから。

 ごめん、マジでオスカル、見てません……。

 オスカルに限らず、他の誰も。
 終演後にnanaタンといつものよーにごはんして、いろいろ喋り倒していたんだけど、話が合わないってば!

「で、あのときコマちゃんが……」
「ごめん、見てない。ヲヅキ見てたから」
「かなめくんが……」
「ごめん、見てない。ヲヅキ見てたから」

 そのかわり、ヲヅキがどーしてたか、なにしてたかなら、いくらでも語れるんだけどねええ。

 ほんとーに同じものを見ていたのか? とゆーくらい、わたしの知らないことばっかでしたよ……だってコマちゃんなら、スカステ様がしっかり撮影してくれるはずだもん。あんまし映してもらえない人を見ておくしかないじゃないかー。

 
 あああ。
 それにしても、ヲヅキ……。なんであんなに素敵なの……。
 今思い出しても、ドキドキするわー。


 第92期音楽学校文化祭の話を、おぼえているうちに書いておきたかったんだが、こまったなー、もうろくにおぼえてないよ……。
 第1部の感想は、先に走り書きとは言えテキストにしてあったんで、それをもとにして少しはおぼえていられたんだけど。
 第2部以降はさっぱりおぼえていない……。

 プログラム、もう少し親切にしてくれよ……。
 芝居にしても、役名だけ見ても誰がどの役だったかわかんねーよ。ダンスに至ってはもう、なにがなんやら。

 ただ今年は『花の道』イベントがあったので、なんとなく親近感がわいた。
 文化祭を観に行くときに、「ああ、あのときのあの子たちを見るんだなあ」と思った。
 つっても、『花の道』イベントでおぼえていることと言えば、このとんでもない状態でプレッシャーをものともせずにソロを歌いきった子と、水くんに似た子がいたなー、ぐらいのことしかないんだけどね。

 
 文化祭を見てきて思うのは、「わたしが好きなのは、タカラヅカなんだな」ということ。

 「日舞」「楽器演奏」「歌」「芝居」「ダンス」とあるなかで、わたしの記憶に残るのは、「歌」と「芝居」のみだ。他はあまり、わたしの気持ちを動かさない。

 それは何故かを考えたんだ。

 わたしが好きなのは「タカラヅカ」。現実にはありえないかっこいー男役がいて、現実にはありえないかわいい娘役がいるところ。

 文化祭の出し物って、本公演ほど「性別差」がないんだわ。

 「日舞」「楽器演奏」には、性別差がない。基本的に。袴姿で「清く正しく美しく」舞い、演奏する。ピアノ演奏は性別によって衣装はちがうけど、ただ真面目に演奏しているだけで、「男役ならではの弾き方」などをしているわけではない。
 「ダンス」もまた、性別関係ないものが多い。全員同じ衣装でガシガシ踊っていたり、男役が女性としてバレエを踊っていたりする。
 培ってきた「技術」を発表する場なんだろう。

 「歌」と「芝居」のみが、性別がくっきりと分かれる。
 男役は男役らしく、娘役は娘役らしく歌い、演技する。
 だからわたしは、このふたつが好きで、より強く印象に残るのだろう。

 わたしが好きなのは「タカラヅカ」だから。見たいのは、「タカラヅカ」だから。
 よそのカンパニーの発表会を観に来ているわけではないから。
 

 性別差がはっきり分かれる「歌」と「芝居」において、娘役と男役の成熟度のちがいを思い知る。

 娘役は、文化祭ですでにある程度「カタチ」になっている人が多い。そりゃまあ、もとが女だからな。

 『花の道』であれほど朗々とした歌声を披露した少年も、いざ「男役の声」で「クラシック・ヴォーカル」として男性の歌を歌うとなると、こんなに大変なことになるのか、と改めて思った。
 そりゃ、うまいよ。うまいけど。
 正しい音階で歌えるだけじゃダメなんだな。「男役」って大変だ。

 芝居にしても、男役さんたちはもー、大変。
 甲高い声、丸いお尻、ふくふくほっぺ、それでも衣装を着て、「男」の芝居をしなければならない。

 今回の芝居、「キスシーン」アリだったんだよなー。
 しかも「うるさい女の口を、キスでふさぐ」系のヤツ。

 た、大変やなー。
 ちょっと、ぼーぜんとしてしまった。

 女の子にしか見えない、芝居もちとアレな丸い少年が、がんばって悪ぶって、恋人役の大人っぽい女性にチューしてました。

 練習したんやろなー。ふたりで、えんえん。
 タイミングとか角度とか。それでもなんつーかこー、微妙すぎて。

 見ていて、恥ずかしかった(笑)。

 娘役さんたちは、いいんだ。みんなそれなりにカタチになってるし、うまい人たちもいっぱい。
 男たちが、ビミョー。
 歌も芝居も、さあ大変。

 日舞とかダンスとかは、まだ「男役らしくない」とかが目立たないから、素直にたのしめる(笑)。

 引っかかりが出来る、「歌」と「芝居」こそが、わたし的には記憶に残るんだけど。

 
 娘さんで目につく人がいたんで、意識するともなく注目していると、その公演最後の挨拶が彼女でした。とくにきれいっつーわけではないんだが、すっきりした首の線と姿勢が目に残る感じ。
 お芝居はふつーにうまかったな。

 そうそう、芝居のヒロイン、『BourbonStreet Blues』のヒロインと同じ衣装(てゆーか、舞台自体が同……ゲフンゲフン)だったんだけど、ふつーにかわいかった。ああ、ヒロインがヒロイン衣装着てる〜〜、みたいな。
 正塚芝居はホモ上等なうえ、百合歓迎って感じで、今回とても好みでした。ヒロインとその女友だちのやりとりとか、好きだわ(笑)。

 娘役でいちばん歌がうまいのは、クラシック・ヴォーカルでソロを歌った娘さんなんだろうなあ。
 ただわたしは、あまり好みではなかったようで、ぼーっと聴いてました。それよか、首席の娘さんの歌声の方が好みだった気がする……。うーん、それよりもコーラスの方が好きだったのかな?
 冒頭日舞の首席さんのソロと、コーラスのみなさんによる「清く正しく美しく」、すげー胸に迫るものがあったんですが。

 なにより「顔」で目についた男役が、ふたり。

 前述の冒頭日舞のコーラスにいた男の子。
 なんなの、あの濃さ。……えーと、「きれい」って言うべきなのかな。わたしの偏った私感によれば、天海祐希と壮一帆を足して2で割ったよーな顔。派手。長身で、たぶん美形。たぶん、つーのはだ、顔立ちよりナニより、「なんであんなに目に飛び込んで来るんだ」というとまどいが先に立ったため。
 次におどろいたのは、文化祭の舞台なのに、水夏希がいたこと。
 みみみ水くん? なにやってんですか、こんなとこで?!
 『花の道』のときに、似ている子がいるのはわかっていたけど。ここまで似ていると、「ものまね大会」とか「そっくりショー」とか見ている気分になる。
 まあなあ、花ちゃんのそっくりさんがあれほどうようよ劇団にいるわけだから、水くんのそっくりさんが入団してもかまわないのか。
 若くて、背の高い水夏希……これから、どーゆー風に成長するんだろう?

 「顔」が目立ったふたりだから、あとはなにをしていても、どこにいても目立つ目立つ。最初から最後まで、ずーっとわたしの視界の中にいた(笑)。ふたりとも、芝居も出演していたしな(どちらもオヤジ役)。
 ただ、第1部後半は、前日欄の通り某細目くんに持って行かれちゃったんだけど。

 
 今回はなんといっても、芝居が楽しかったからなあ。
 もう一度観たかったよー。せっかくだから、もうひとつのキャスティングでも。
 キスシーンのあるあの役は、1組の方でもあんなに「いやん」な恥ずかしさに充ちているのかしら。そのカノジョはあんなに大人びた……つか、若々しさのない役だったのかしら。
 主役ロベールくんの親友くんは、1組でもあんなに行きすぎたホモなのかしら。1組で演じていたのは、たぶん『花の道』ソロの少年だよねえ? 彼だとどんなふーになったのかなあ。
 含蓄と遊び心のある作品だったから、ただ純粋に、もう一度たのしみたかったよ。

 
 にしても。
 もっとちゃんと、メモしておけばよかったなー。
 記憶が風化するのが早すぎる……老化してるんだなぁ……しみじみ。しくしく。


 第92期音楽学校文化祭の日は、彼らの初舞台公演チケットの発売日で、その前日には芸名と口上日程が発表されていた。……からといって、なんの意味もない。
 文化祭は芸名ではなく本名で出演するからだ。誰が誰だかわかりゃしねえ。わたしは彼女たちの個人情報なんぞに興味はなく、「舞台人」としてしか考える気がないので、「本名なんぞ知らなくていいから、芸名を教えてくれ」と思う。
 そして、本名でしかない女の子たちだと、こーゆーところで感想を書きにくい。毎年、名前を出さないようにしか感想を書いてないしな。本名の、「ふつーの女の子」たちの名前を列記するのは、「タカラヅカ」という「夢の世界」にそぐわない気がしてなー。
 つーことで今回もまた、名前は出さずにてきとーな感想いってみよー。

 
 このブログをはじめたばかりのころ、わたしは一度だけ「すみれ売り」を見学に行った。ちょーど無職になったところでヒマだったんだ。こんなにヒマなのは今だけだろうから、この際イベントごとはなんでも参加しちゃえ、という気分で。(まさかそれからずっとそのヒマ状態が続くとも思わずにな……)
 そーやって音校生時代からなんとなく見ていると愛着も湧くが、いきなり文化祭だけを見ても、ぴんと来ない。わたしのよーな一般人は、文化祭をリピートできるわけでもないし。1回限りの観劇じゃ、個人識別なんて難しい。
 いきなり文化祭だけを観に行った去年と一昨年は、とくに誰かが鮮明に印象に残り続ける、ということはなかったよ。

 されど今年は、劇団で音校生参加のイベントがあった。
 『花の道』なんちゃらかんちゃらというヤツ。イベント自体は「客をナメてんのか?」とゆーよーなひどいものだったが、部分的にはたのしめた。
 それに、音校生たちも参加していたんだな。

 『花の道』と言えば、サトリちゃんだ。
 わたしとサトリちゃんはふたりして「麻実れい様すてき〜〜!!」と意気投合、みょーに盛り上がっていた。

 そのサトリちゃんが言うんだ。
「大劇場公演観劇の日が、たまたま『すみれ売り』の日だったんですよ。そのときに、いいな、と思う子がいて……」
 ええ? どれどれ、どの子?
 『花の道』イベントでは、小林大先生様の指揮で歌うために、気の毒な音校生たちが狭い大階段にみっちり整列させられている。
 サトリちゃんが言うところの「あの子」は、わたしにはよくわからなかった。該当の場所にいる子を見ても、立見位置からじゃ遠すぎてよくわかんない。

 だもんで、そのとき見た顔も聞いた名前も、わたしはきれーに忘却した。

 
 そして、文化祭を観て。その日のうちに、仲間内前提の某所で感想を書き散らした。そっちでは、音校生たちの実名出して。

 そのあとで会ったサトリちゃんに言われたんだ。

「ねー? **さん、よかったでしょー?!!」

 そうか、**さん。
 『花の道』のときサトリちゃんが言っていた子だ!
 あのときは、ぜんぜんなんとも思わなかった。遠目で見ても、それほどきれいとか好みとか思わなかったし。
 名前も聞いていたのに、そんなのすっかり忘れていたよ。

 サトリちゃんオススメの子だってわかっていたら、もっとちゃんと、最初から注目していただろう。のーみそのシワの少ないわたしは、友人の言葉なんかきれーに忘れて観劇したんだ。

 最初から気になっていたわけじゃない。ネット全盛期のこの世の中だ、音校入学前の芸歴が取り沙汰されていたりするんで、開演前にプログラムを見て「ああ、あの芸歴をとやかく言われている子が、この子か」ぐらいの認識。
 実際に幕が上がってしまえば、そんなことはどーでもよくなる。てゆーか、忘れる、わたしのアタマぢゃ(笑)。

 そうやって、なんにも先入観の残っていないまま、観て。

 顔でなく「舞台人」としていちばん印象に残ったのが、そのサトリちゃんオススメの子だった。

 まず目につくのが、「笑顔」。
 ただ笑っているだけでなく、「わかった」笑顔なの。
 素顔はともかく、化粧顔はべつに美形ではない。線目。輪郭もあか抜けていない。
 だがこの線目男、アピールしまくるのだ。目を線にして笑いまくるのだ。
 客席にいて、確実に「目線」が来るの。「アナタを見ていますよ」てな笑顔が来るのよ。
 わたしは水くん似の某さんを眺めていたかったのに、気がつくとこの線目くんをガン見している。だってだって、向こうがわたしを見ているんだもん! わたしに微笑みかけてくるんだもん! おばさん、視線はずせなくなっちゃったよぉー!
 ……カンチガイでもなんでも、「釣られる」のはたのしいですよほんと。

 第1部はこの線目くんに持って行かれました。
 ポピュラー・ヴォーカルでちらりとソロがあったんだが、声がいちばん好みだった。他のお上手な人たちよりも、いちばん好きな声だったのよ。びっくりした。

 お芝居がどうなのか、台詞の声がどうなのかを知りたかったけれど、残念ながらこの線目くんは、わたしの観た回の芝居担当組ではありませんでした。あーあ。

 第3部のダンスでは、それほど見せ場はなかったかな。他の子に目移りしている間に終わってしまったよーな(笑)。

 第1部の「ヴォーカル」が、「舞台人」スキルをいちばん発揮できる演目だと思う。
 第2部の芝居や第3部のダンスは、純粋な「技術」の方に重点が置かれている気がして。まず下手っぴじゃ話にならんだろー、というか。とくにダンスなんか、個人技ではなく団体技であるせいもあるかな。スターひとりが踊ってあとはバックダンサー、とかではないからさ。抜け駆けナシ、調和が第一というか。
 でも第1部はソロやデュエットが基本、少人数で舞台に立つ。たったひとりで空間を埋めなければならなかったりするから。
 歌の技術はともかく(それほどものすげー差が出るもんでもない。下手な子はソロもらえてないし)、「自己アピールの仕方」には顕著に差が出る。
 所作や姿勢、「舞台」との関わり方に、本人の意識が出るのな。

 それでいちばん目がいったのが、サトリちゃんオススメの線目くんだったのだわ。
 あくまでも、わたしにはね。

 あとで調べたところ、この線目くんの初舞台口上初日は、4月4日11時です。……観に行けるかなあ?

 他の感想は、翌日欄に。


 第92期宝塚音楽学校文化祭、第2部の芝居『A MONOLOGUE』の話の続き。
 
 文化祭の感想というより、ただの芝居の感想。てゆーか、ただの萌え話(笑)。

 自分勝手な主人公ロベールくんと、そんなロベールくんにベタ惚れの親友くんについての話っす。

 
 結局のところ、ロベールくんは恋人と心中してしまうのだけど。ロベールくんの作戦と、王様たちの陰謀でごたごたしたあげくにね。いや、ほんとーに心中したのか、フェイクだったのか、明確な答えは出されていないのだけど、まあ世間的には「心中した」ことになる。

 ロベール死後の、親友くんだよ、ものすげーのは。
 ひとり1シーン基本のモノローグ芝居だから、親友くんが最後にもう一度出てくるとは思ってなかった。
 あれ、まだ出てくるんだー、と、思ってたら。

 親友くん、すでにトップテンション!!

「何故、ロベールを救うことができなかったんだあぁぁあ! そこまで追いつめられていたなんてぇぇえ! いや、追いつめられていたことぐらい、察していたはずなのに、僕はなにもできなかったああぁぁあ!!」
 てな意味のことをひとりでわめいて、慟哭してます。

 慟哭。
 まさに。

 それまでの芝居のカラーもムードも関係なく、親友くんひとりでものすげー嘆きっぷり。

 そ、そうか。
 そんなに好きだったのか、ロベールのこと。
 あんなにひどく罵られたのに、それでも彼を愛してたんだ。生きていて欲しかったんだ。

 その嘆きがあまりに激しすぎて、またしてもわたしはツボ直撃、笑いをかみ殺すのに必死。

 潔いまでにホモだな、君!(笑)

 すばらしいよ、そこまであの自分勝手な男を愛せるなんて! 君のことなんか、カケラも思い出しもせず、自分のことばっか考えていた男だったのに。

 
 なんつーかねー、この芝居、水コムで観たいよ(笑)。

 ロベールくん@コム姫、親友くん@水くん。

 ロベールって、マジでコム姫向きだから! 誰もが愛さずにいられない美貌の貴公子で、マイペースで自分のしたいことしか結果として絶対やらなくて。
 平民娘を愛しているのも本当だろうが、どーにもこーにも自分勝手というか、とどのつまり「ソレ、ほんとーに相手を愛してるの?」てな感じなとことか。でもそれがまかり通ってしまう雰囲気というか、キャラというか、魅力というか。

 そして、親友くんは絶対水くん。あの暑苦しさ(笑)。真面目さ(笑)。そしてなにより、ロベールへの片想いっぷり(笑)。
 コム姫に「君は不実な人間だ」と罵られて、マジでうろたえてほしい。「君に感謝されたい」と超自分本位な悩みを真面目に正当化してほしい。コム姫を救えなかったと、号泣してほしい。

 見たいよー、見たいよー。
 水コム〜〜。てゆーか、水くんの爆裂片想い〜〜(わたしは片想いスキー)。

 
 正塚のいいホモ芝居を観たわ、ひさしぶりに。昔の正塚は、これくらいのホモ濃度はデフォルトだったのにさー。最近はどうも薄くなってつまんなかったのよねー。

 でも、この芝居でここまでたのしめたのには、脚本だけてなく、やっぱり役者の問題もあったとは思うよ。
 役者……92期の生徒たち。

 登場人物24人全員に名前がついていて、プログラムには役柄の説明がなにもないので、芝居中に名前を呼ばれるキャラクタ以外は、誰が演じている、なんて名前のキャラなのかわかりません。
 しかも、この配役表が謎でね。
 主役がいちばん上、という書き方をしていないの。
 芝居は1組と2組に分かれ、1組が12時公演、2組が16時公演に出演。それぞれ同じ芝居をやる。
 配役表はなんと、1組の出演者の名前のあいうえお順なの。
 1組はいいよ、「あいうえお順か」ってまだわかるから。
 2組は、1組の人の「あいうえお順」に並べられた「役名」順になってるの。
 なんじゃそりゃ。
 わけわかんねー。

 つーことで、芝居で名前を呼ばれたキャラ以外は名前がわからず、役の大きさ重要さで判断することも出来ず、演じていた生徒の名前もわからない。

 親友くんの役名は、なんていうんだろうねえ?
 ロベールくん、一度も彼の名を呼んであげないもんだから、わからずじまいだったよ(笑)。

 2組で親友くんを演じた男の子。
 正直演技はまだまだだし、化粧顔も体型もそれほどきれいだとは思えなかったんだけど。

 しかし。
 顔ぐちゃぐちゃにしてマジ泣きしながらの慟哭芝居、空気無視のトップテンションは、大変愉快だった。
 いやあ、その自爆上等の全力疾走はすばらしい。
 小器用に小さくまとまったりせず、そのまま爆走してくれ。そつなく格好悪くなく、8分目の力なんかで勝負することをおぼえないでくれ。
 かっこわるくていいから、鼻水垂らしながら慟哭してくれていいから、誠実な演技をしてくれ。
 その芸風を、大切にして欲しい。

 その体当たりっぷりがあったからこそ、この「文化祭用芝居」でしかない実験作品に、こうまで萌えられたのだから。


 萌えはどこに転がっているかわからない。

 音楽学校文化祭で萌えました。
 
 雪組『ベルばら』感想の途中だけど、いい加減忘れそうなので、ここいらで第92期宝塚音楽学校文化祭の話を書いておこう。いやその、テキスト自体は観終わってすぐに書いてあったんだけど、UPするタイミングを失っていてねぇ……。

 でもって、まずは萌えの話。

 あー、ガキンチョに萌えたわけではありません。かん高い声の、本名まんまの女の子たちが演じる男役未満に萌えることはまぁないです。微笑ましく見つめるのみで。
 芝居だ芝居、萌えたのは。作品。

 正塚晴彦作・演出『A MONOLOGUE』。

 ひさしぶりに、正塚のいいホモを観たよ。
 物語の舞台は、どっかの劇団の稽古場。中世貴族の悲恋モノ芝居のオーディションを受けるために、若者たちがあーだこーだやっている。
 どっかで見たよーなハナシ。劇中劇のストーリーも、劇中劇について話し合う劇団員というハナシも。
 89期文化祭の正塚芝居もこんなじゃなかった? 自分たちが演じる芝居について、劇団員たちが話し合う、つーの。
 今回チガウのは、劇団員と劇中劇の人々が同じなことかな。89期のときはチガウ人たちがやっていたよね。
 つまり、時代物の人たちがドラマティックに大仰な物語を展開しているかたわらで、現代人の男の子や女の子たちがその物語について語っている。このふたつのパートが完璧に分かれていた。
 今回は、語る現代人も、劇中劇の時代物のキャラも同じ人たちが演じている。いかにもな正塚喋りの現代の男女が、ひとたび役になりきるとクラシックな「台詞」を喋る時代物のキャラクタとなる。そのギャップをたのしめ、てか。

 演じている生徒たちのことは、今は置くとして。

 たのしかったのは、この劇中劇。
 主人公のロベールくんは、大貴族のボンボン。すべてに恵まれ、すべてを備えた好青年らしい。
 彼をめぐって国家規模(笑)の陰謀が企てられる。
 当事者にとっては大変だし、たしかにまあ、国王自ら立案執行している陰謀だから国家規模なんだけど、やっていることはかなりセコい。
 ロベールくんちがお金持ちなんで、びんぼーな王様がそのお金を横取りしようとしたんだな。
 ロベールくんにラヴラヴな恋人がいることを知っていながらお姫様との結婚を迫り、「断ったら領地没収だ」てなことに持ち込むつもり、と。
 そのことがわかるだけにロベールくんは憤慨。やり方が汚いじゃないか!
 ロベールくんの両親はもちろん「お姫様と結婚しなさい」と言うし、身分違いの恋人は自ら身を引こうとするし。
 追いつめられたロベールくんは、ある作戦を思いつく。題して「ロミオとジュリエット大作戦」。うまくいけば家も王家の対面も守り、恋人とちゃっかり新生活できる!!
 しかし、そんなロベールくんの作戦すら、王様たちはお見通しで……。

 というストーリーラインにおいて。
 愉快だったのは、ロベールくんの親友。
 こいつがもー、爆走ロベールLOVE男でね。
 愉快だった。ものすげー愉快だった。

 なにしろ文化祭作品なので、24人の出演者全員に見せ場を!趣旨で作られている。
 主人公ロベールとその恋人以外のキャラは、ひとり1回の出番が基本。1回出てきて自分の立場や気持ちを独り言のよーに話し、次に自分が取るべきアクションについて語る。そうすることによって、物語が進んでいくのね。この人がこうする、それを受けたこの人がこうした、そしてそれによって次の人がこうした、と。モノローグによってハナシが展開していくの。
 親友くんのモノローグ、アツいアツい。ロベール相手に話しているときもそのラヴっぷりがすごかったが、ひとりになって独白しはじめると、もう……!!
 頭の中、ロベールのことだけなの(笑)。

 ロベールが取るべき最良の方法は、平民の娘との恋をあきらめ姫君と結婚すること。
 でも親友くんは、ロベールが恋をあきらめれないことを知っている。
 だから言うんだ。
「姫君の夫となっても、恋人を変わらずに愛してそばに置いておくだけの度量はあるだろう?」
 てなことを。
 恋人のことは愛人にしちゃえばいいじゃん。ソレでなに食わぬ顔で姫君と結婚しちゃえ。それがいちばんだよ。
 それに対し、真面目なロベールくんはぶち切れる。

「君から、そんな不実な言葉を聞こうとは!!」

 不実って、そんな。
 親友くんは、誰を裏切り誰を傷つけようと、ロベールくんのことだけを考えたからこそ、そう言ったのに。それを「不実」と言い切りますか。
 怒りと軽蔑をぶつけられ、親友くんオロオロ。

 わたしこの、「不実」のひとことに萌え狂いました(笑)。
 愛ゆえになにも見えなくなっていた親友くんの、いちばん痛いトコを突いてきたわけだから。
 親友くんの人格否定にまで至る、容赦ない罵倒だよ。

 愛するロベールにそこまで言われ、親友くんはうろたえながら、それでも必死になって、そっぽを向くロベールに取りすがる。
「どうか、早まったことだけはしないでくれ」と。

 早まったこと……思いあまって、平民娘と駆け落ちとか、心中とか。王様への反抗とか。
 なにをどう言われようと、親友くんが心配するのはただひたすら、ロベールくんのことだけなんだ。

 さて、モノローグ芝居なんでこのあとロベールくんが退場、親友くんのモノローグになる。
 ひとりでロベールくんのことを心配し、ひとりであーだこーだ言い続けるわけだな。

 このひとりごとが、またツボ。

 ロベールにとっていちばんいいのは、姫君と結婚すること。
 でも、平民娘と別れられないと言うなら、姫君と結婚して平民娘は愛人にするしかない。
 それが大人の判断。
 「不実」だと罵られたとしても、これがロベールを守る方法。

 だが。
 そこまで「大人の判断」をしていながら、たとえロベールに憎まれても軽蔑されても、彼を守りたいと思っているはずの、親友くんだったが。

「平民娘との愛を貫け、と言って、君に感謝されたいという欲望に負けそうになる」

 なんてことを、苦悩しながら口走るんだよこの男!!

 ちょっと待て。
 「愛を貫け」と言ってやりたい、まではわかる。だが、そう言うことによって「ロベールに感謝されたい」という欲望って、なんだそりゃ??!

 ロベールに愛されたいのか。
 彼によく思って欲しいのか。
 平民娘との真実の愛とか、ロベール自身の気持ちとかとは関係なく。

 親友くん自身が、ただ、ロベールに愛されたいだけなのか。

 ……こ、このホモめっっ!!(笑)

 大真面目に、時代物らしい大仰な言い回しで、なにをやってるんだよ正塚晴彦! 

 この段階ですでに、わたしは内心腹を抱えて笑っていた。
 なんなんだ、この男たち。おもしろすぎるぞ。

 親友くんの一方通行な愛と、そんな彼を見向きもしないで自分の事情だけに手いっぱい、不幸に酔っているロベールの狭量ぶりが、もお、ツボでツボで。

 長くなったので、ここでいったん切る。翌日欄へ続く。


 わたしは断言できる。

 彼が最期に見たものは、ペガちゃんにまたがるオスカルだ。

 役替わりコンプリートめざしてムラ通いしてます、雪組『ベルサイユのばら−オスカル編−』アンドレ3人目は水くんです。
 星『ベルばら』は立見とB席でしか観なかったくせに(東宝含む)、雪『ベルばら』はSだのAだので観ています。だってだって、オサ様や水くんは、ちゃんと見たいんだもん(はぁと)。
 つーことで今回はリッチにS席、最前列です。いつもの下手端!

 ミズドレに関しては、なんの心配もなかった。オサドレに対して 期待 危惧していたようなダメダメっぷりなど、カケラもない。
 水くんの芸風に、アンドレ役は合っている。てゆーかこの人、コムちゃんのこと愛しているのはデフォだよね? や、変な意味ぢゃなく(笑)。
 だからなんの心配もなく、ただ、「水コム! 水コム!」と拳を振り上げ、純粋にたのしむために行ったんだ。

 そーして、気づかされてしまった。

 わたしはこれで雪『ベルばら』は3回目だ。
 最初に見たときは、大爆笑だった。
 腹がよじれるほど笑った。それだけで、終わってしまった。
 2度目に見たときは、1回目のように笑えず、ムカついたり退屈だったりとあちこちつらくなっていたけれど、オサドレがダメダメ過ぎて笑えたので、なんとか場がもった。

 しかし3回目のミズドレは……。

 つ、つらい。
 作品が、つらいっ。

 笑えなくなったらコレ、つらいよおおぉ。
 生理的嫌悪に満ち満ちてるよぉ。
 壊れてる壊れてる壊れてる。その壊れ方が、気持ち悪いよぉ。

 ミズドレにはなんの不満もない。正しくアツく、素敵なアンドレだ。
 とくに突っ込むところがないだけに、作品のつらさの方が大きくなってしまった。……って、それってどうなの?(泣)

 いろんなところでアタマを空っぽにし、不快な壊れた日本語を、耳には入れても意味は考えないようにし、ただ眺めてたのしむようにつとめた。
 最前列でもたのしめない作品って、ある意味すげえ……。

 つーことで、お笑いマジックの切れた雪『ベルばら』に辟易しつつ。

 ミズドレを堪能。
 

 ワタドレのときは、作品自体に爆笑していて気づかなかった。オサドレのときは、オサドレ自身に爆笑していて気づかなかった。
 ミズドレになってはじめてわたし、気づいたの。思い至ったの。

 あのクソ恥ずかしいクレーンペガサスって、アンドレの妄想なんだよね?

 実際にオスカルがあんなことになっているわけでもなく、肖像画にそう描かれているわけでもなく。
 よせばいいのにアンドレが勝手に脳内妄想で盛り上がってるんだよね。

 ……なんであんなみょーちくりんなものを妄想するんだアンドレ!!
 悪趣味にもほどがある!!

 いつもついうっかり、ペガちゃんが出てくるとそっちを見ちゃうんだけど。
 今回は水くんが目の前を通って下手セリに消えていくから、ペガちゃん無視でミズドレだけを見ていたの。

 そしたらミズドレ、すげーうれしそうでねええぇ。
 うっとりしてやがってねぇ。

 下手セリに消えていくのが、わたしの真横なわけですよ。1mあるかないかの距離なわけですよ。
 セリに乗っちゃうと本人は静止するから、ずーっと同じ表情のまま、固まっているわけですよ。

 水くん、目がカマボコ状態。

 なんなのその表情!!
 イッちゃってる! イッちゃってるよーっ!!(笑)

 そう。
 彼は、夢を見ているのです。
 愛するオスカルがペガサスに乗り、宙を駆けていく様を。
 彼の脳内にあるもの、それが、わたしたちが今目にし、ブリザードな気分を味わされている、「クレーンペガちゃん」なのです。

 ミズドレ、趣味悪すぎるから! 夢見過ぎだから!
 アンタの愛してるコムカルは、そーゆー人ぢゃないから。アンタが勝手に脳内で誇張しちゃってるだけだから。落ち着いてよちょっとぉーっ!

 ……と、胸ぐら掴んでわめきたくなりました(笑)。

 
 そう。
 「夢見過ぎ」。
 この言葉は、ミズドレのためにある言葉です。

 なにしろわたしの席は、隅っこなので。みんなが大嫌いなタケノコ席なので。
 真横から舞台を見るので、センターからは見えにくいものもよく見えちゃったりします。

 「毒殺」騒ぎのとき。
 愛をわめきながらアンドレは、オスカルを抱きしめます。「動かないで聞いてくれ」と言って、抱きしめ、次にくるりと向きを変え、最後にすがりつくよーに膝を折ります。
 オスカルの、腹のあたりに顔を押しつけます。あまりのことにぼーぜんとしたオスカルが、「それで、どーしよーというのだ?」と言うまで、腹だか腰だかを抱いて、顔を押しつけています。

 このとき、オスカルが正面を向いているため、アンドレは観客席に背中を向けているのですが。

 横からだと、アンドレの顔もよく見えるのだわ。

 ミズドレは、陶然とした顔で、コムカルの腹に顔を押しつけてます。

 う、わー……うっとりしてるよー……やべーよー……。

 なんか夢見てるよこの人……。

 万事この調子でねえ。
 ミズドレ、ナチュラルにヤバい人っぽい(笑)。
 まあ、こーゆー役作りなら、「俺のモノにならないなら殺してやる」なストーカー思考も納得だけど。

 温度が高いのも、コムカルを大好きでたまらないのもわかるから、ちょっと「アタマが夢見てる人」でもぜんぜんOK。つか、あんだけかっこよかったら、彼は正義ですよ(笑)。
 ビジュアル最高。わーん、素敵。
 たとえ、ときどき目がカマボコになっていても(笑)、素敵。

 ミズドレの脳内のコムカルは、「ペガサスに乗っているのがデフォ」なんですよ。いやいや、「天使の羽根」ぐらい、すでに生えてるかもなー。
 そんな幸福な彼ですから。

 撃たれまくった最後に「オスカル……」とうれしそーに笑って手を差しのべるその先には、まちがいなくオスカルがいたはず。
 それも、現実のクールでオトコマエなオスカルではなくて。

 ペガちゃんにまたがった、まちがったドリーム全開のオスカル様が!!

 
 もしも、最期の瞬間のミズドレの脳内を眺めることが出来たら……植爺も真っ青な、ベッタベタの「昭和」なドリーミー・コムカルが見られたことでしょう。

 
 ……と。
 作品に辟易しつつも、水くんの芸風にはたのしく妄想させていただきました。
 ありがとう水夏希。
 大好き。

 
 
 でもね。水くんは、アランの方が100倍いい男だわ。


 春野寿美礼は、ほんとーにダメな人だなあ。と思う。

 雪組『ベルサイユのばら−オスカル編−』特別出演アンドレ役を見て。

 
 他に書きたいこと、書くべきことが溜まっているが、明日(新公日のことだな)ミズドレを観に行ってしまうんで、先にオサドレの話を書いておく。
 カシドレは千秋楽を観劇予定。『ベルばら』なんぞ最低回数に抑えたいので、役替わりは1回しか観ない。楽を取っちゃったから、かしちゃん見るのは我慢我慢。
 ……そーいやアサドレだけチケ取りするの忘れてたんだけど、見られるのかしら。

 
 今回の『ベルばら』祭りにおいて、いちばん注目したことが、なにを隠そうこのオサ様アンドレだ。最初に発表されたときから、「絶対見る」と決めていた。『ベルばら』に絶望し、しばらくムラに近寄らなくなったとしても、新公とオサドレだけは見ようと決めていた。
 もちろんそれは、わたしがオサファンだっつーのもある。ある、が。

 これほどおもしろい組み合わせがあるか? ……ネタとして。

 オスカルは、クールいちばんのコム姫だ。ひとを愛する演技は苦手。……とゆーか、そもそもそんな演技をする気があるのかどうかすら、よくわからないひょうひょうとした人。
 それに対するアンドレが、ナルシスト自分うっとりのオサ様だよ?
 これほどやばい芸風のふたりが「今宵一夜」やるの?

 90周年大運動会のとき、賞を取ったのはふたりなのに、コム姫はひとりでとっとと表彰されてしまった。他の人たちはみんな、ふたりそろって表彰台に上がっていたのに。置き去りにされたのは、寿美礼ちゃん。……同期なのに、この揃わなさはナニ?(笑)なふたり。
 ナチュラルに息が合わなさそうなマイペースな色男ふたりで、世紀の恋人たちをやりますか。
 ……劇団、ほんとなにも考えてないな(笑)。

 組み合わせを聞くだけで「ぜってー観てぇ(笑)」と思わせる、無謀なキャスティング。
 チケ取りするときも、「友会入力、他の日付は全部B席でいいから、オサドレの日だけはSSで!」と言い(自分も友人たちもみんなはずれました)、一般発売日は「チェリさん、一緒にオサドレ観ようねっ」と騒ぎ……(土壇場で、「やっぱオサ様より水くんが前で観たい」とミズドレ最前列を買う)。
 ちょっと空回りましたが(笑)、最初からすげー気合い入れてチケ取りに臨みましたよ。

 ああ、そして。

 
 期待を裏切らない、ダメっぷり!!

 
「オサドレはどうでしたか?」
 という質問に、胸を張って答えられる。

「アンドレのコスプレをした“春野寿美礼”が、たのしそーに朗々と歌っていたわ」

 わはははは。

 アレ、アンドレぢゃないです。
 アレは、「春野寿美礼」です。

 寿美礼ちゃん、演技する気、ないだろ(笑)。
 イベントだもんな。TCAと同じだよな。

 オサ様、なんかこー、たのしそうでねえ。
 特出はじめてで、お客様扱いで、軍服でマントで、すっげーたのしそう。
 てか、笑いすぎだから。
 アンドレがんなにニタニタしてんぢゃないわよぅ。

 そこにいるのは、「春野寿美礼」。アンドレぢゃない。
 星『ベルばら』に出た各組2番手さんたちは、それぞれ工夫して、個性を出して、本気で役替わりに取り組んでいたのに。オスカルになりきろうとしていたのに。
 雪『ベルばら』特出アンドレ、トップバッターのワタさんだって、フェルゼンより向いてるとはいえ、真面目に役に取り組んでいたのに。
 ……オサ様と来たら……。

 オサ様がハナからアンドレやっていない横で。コム姫がまた、オサドレに合わす気なんかさらっさらなく、「まちがったオスカル像」のままマイペースに快走しているし。

 なんなんですか、この『ベルばら』。

 脚本もひどいうえに、主役ふたりがさらにバラバラ。
 どこへ行くんだ、『ベルサイユのばら』。

 面白すぎる。

 「愛」も「温度」もない「今宵一夜」に爆笑し、双方見つめあうことのほとんどない「ガラスの馬車」に爆笑しました。

 そしてすばらしいのが、フィナーレ。
 性別不詳の美しい生き物コム姫と、特出トップスターが絡んで踊る大階段ダンスで。

 コム姫とオサ様が、互いに関係なく自在に踊っていた姿に、心奮えました。

 オサ様は、「オレ様No.1、オレ様トップスター」って感じだし、コム姫は、「我関知せず」って感じだし。

 すごーい。相手役じゃないんだー。
 トップスターがふたり、なんだー。

 変だなあ、ワタさんのときはちゃんと、相手役だったのになー。ふたりで踊ってるよーに見えたのになー。

 
 ほんとにねぇ。
 オサちゃんってほんと、ダメだよなあ。
 なんでそう、ナルシー一直線なんだろう。演技しようよ。合わせようよ。オスカルが主役で、アンドレはその相手役なんだからさ。

 でもさ。

 わたし、星『ベルばら』のキリカル見たときに、「『ベルばら』って、歌のうまさはあまり関係ないんだな。それよりも、はったりを利かせられるかの方が意味が大きいんだ」と思ったんだ。
 ワタさんの歌も、きりやんの歌も、それほど差がないよーに思えてしまったから。きりやんはこーゆー大仰な歌より、ミュージカルナンバーの方がうまいよな、とか。

 それ、撤回する。

 オサ様の歌聴いて、「歌のうまさ、関係ある!」って思った。
 てゆーか、すごかった。

 響き渡る、美声。

 う・わー。
 『ベルばら』ソングなのに。大仰で古くさくてハッタリ命の曲なのに。

 オサ様が歌うと、こんなに心地いいの?!

 銀橋を歩きながらたのしそーに朗々と歌う、それはまちがいなく「アンドレ」ではなく、ただの「春野寿美礼」で。
 この人、ここにナニしに来てんだろう、とアタマを抱えたくなるくらい、場をぶち壊していて。

 なのに。
 ああなのに。

 なのに、素敵すぎる。

 アンドレとは関係ない、「春野寿美礼」の笑顔に、めちゃくちゃ癒される。

 
 春野寿美礼は、ほんとーにダメな人だなあ。と思う。

 でも。
 それと同時に。
 それ以上に。

 ほんとーに、どうしようもなく、魅力的な人だなあ。と思う。

 ああ、もお。
 大好きだ。


 アンドレ出番ナシ、存在価値疑問な今回の『ベルサイユのばら−オスカル編−』
 まさかここまでひどいことになっているとは思わないから、わたしもkineさんもいそいそ観に行きましたよ、我らが湖月わたる出演日。

 脚本がどうあれ、演出がどうあれ。

 アンドレ@ワタさんは、すばらしい。

 そーいやワタさん、つい数日前まで星組でフェルゼンやってたんだねええ。星『ベルばら』ではわたし、イベントである特出オスカル見るのに必死で、フェルゼンってほんとろくに見てなくて。
 わたしのなかでは、あまり「フェルゼン」というキャラのイメージがついていないの、ワタさんに。や、なにしろあんま見てないから。
 見ていなくても、そこにいてくれるとうれしい、安心感のある人だから。油断していられるというか。

 だもんでワタさんが「アンドレ」としてそこにいるのは、とってもナチュラル。
 それ以外の姿を思い出せないくらいに。

 わたしは、ワタドレを見るのははじめて。
 『2001』のときの役替わりは見ていない。だってアレ東宝だけだったしな。当時のわたしは、星組にもっとも馴染みがなく、馴染みのない組の役替わりを観に東宝まではとても行けなかったのよ。それに、もし観に行く機会があったとしても、アンドレ役を選べたなら、ワタさんより樹里ちゃんを選んでいただろうし。
 ワタさんがアンドレが似合うことなんか、最初からわかっていたからあんまし興味なかったんだよなあ。
 で、もちろんビデオも見てないしな。ナマで観られなかったら、それでおしまい。

 そーゆーわけで、はじめてのワタドレ。
 しかも、相手がコムカル。

 期待しないわけがないぢゃないですかっ。
 ワタコム、ワタコム!! 大好物ですよ、わたし!!
 ワクテカしながら席について、そして。

 
 コムカルの、あまりのオトコマエさに泣く……。

 
 コムカル、男いらんやん……アンドレいらんやん……。

 そりゃ脚本も悪いよ。悪いけどさー。
 外見は完璧な「オスカル」なのに、中身はふつーの「オトコマエなにーちゃん」だぞありゃ。ロザリー相手のときとか、どこが女なんだ。

 コム姫は、トップになってキャラ変わったと思う。それ以前は外見に相応しい美少年キャラだったし、押し出しの弱さとかたよりなさがあったんだけど。
 トップスターとして君臨して数年、んな弱い芸風持ってないって。外見に騙されがちだけど、この人すげー強ぇよ。オトコマエだよ。小柄で華奢なだけに、体格いい人がオトコマエなことよりすげぇよ。

 『月夜歌聲』で「アンドレとオスカル」とほぼ変わらない役を演じたはずのふたり。
 あのときはねえ、すごい似合いのふたりだと思って見てたんだけどねえ。いやその、あの作品にはいろいろ言いたいことがあってね、しいちゃんのダメっぷり(笑)とか、ワタさんの歌のものすごさとか、京劇長すぎだろとか、いやそれ以前にどっかで見たまんまの話をなんとかしろとかな……。
 ワタコムの並びは大好きだったけど、あのときはコム姫が「男装の麗人」ではなく「ふつーに女の人」だったんで、わたしの腐女子ハートはあまりときめかず、1回観て残りのチケットはさばいちゃったんだわ。

 『月夜歌聲』のときは、「女の人」だったのよ、コム姫。男として育てられていても、ふつーに女の人。
 そして、ワタさんを愛していることもわかった(笑)。

 ところが、どーしたこったい。

 本家本元の「アンドレとオスカル」をやって、コム姫が「女の人」にも、「ワタさんを愛している」よーにも見えないのは、どーゆーことですか?!

 ワタさんは専科時代より確実にうまくなっている。あらゆる意味で。年輪を重ねることによって、さらにいい男になっている。
 そのワタさんをしても、コム姫を「女」にできないっつーたらアンタ……。
 問題は、絶対コム姫の方だろう(笑)。

 ま、そんなとんでもない男らしいオスカルを相手に。

 ワタドレは、それでも包容力を発揮していた。

 ……必要とされていないのに。コムカル、ひとりで生きていけるのに。
 そんなヤツ相手に、さらに上を行く温度と包容力。
 ワタドレすげえ! すげえよ!!(笑)

 コムカルの温度がどれだけ低かろうと、そんなもん関係なくワタドレは加熱する。

 鉄でも石でも、抱きしめていれば熱が移るんだよ。相手の温度を変えることができるんだよ。
 ワタさんに、それを見せてもらった。

 すばらしーのは、「毒殺」シーン。
 ワタドレ、熱い熱い。
 そのヒートウェーブに巻き込まれて、クールコムカルが翻弄されているのが、素直に心地よい。

 なにしろ「毒殺」だからねえ。人として間違ってる、暴走しているシーンだからねえ。
 これを「変態ストーカー男の所行」にしないために、どう演技するか。アンドレ役の技量が問われるところさ。

 ワタドレはその圧倒的な「熱」でたたみかけた。
 コムカルは、その「熱」に素でおどろいているように見えた。平熱の低い人が、いきなり熱風かけられて目をぱちくりしている感じ。

 ワタさんの場合、なんといってもあの体格がすばらしいんだよなあ。
 彼の芸風を確立する、恵まれた体格。

 あの長身で、力任せに抱きしめられるんだよ?

 コム姫、つま先浮いてます!!

 きゃあ〜〜っっ、アイーダちゃん現象!!
 『王家』の銀橋ラヴシーンでなにが萌えだったかって、コレよコレ!
 ラダメスに抱きしめられたアイーダの、踵が宙を彷徨いつま先が浮くの。
 『キャンディ・キャンディ』世代にはたまらない萌え萌え萌え〜な胸キュン・シチュ。

 コムカルのつま先が浮き、「翻弄される」という言葉が相応しい激しさで振り回されるの。抱きしめられるの。
 コムカル、あれほど男らしく低温だったのに、素で呆然としているの。

 ……たまりません。
 こんな萌えシーンを見せてくれるとは。
 ワタドレすげえよ。すげーすげーすげー!
 オトコマエ過ぎてどーしよー、だったコムカルが、ふつーに女の子に見えるよ!

 湖月わたるってのは、得がたい人だよ。
 どんな女も、その大きさで懐の広さで、「女の子」にしてしまえる。

 そして女たちは、求めているからね。
 どんなに強い女だろーと、おばさんだろーと、百戦錬磨の男遊び女だろーと。
 自分を、その腕の中で「女の子」にしてしまえる男を。
 少女のころの自分に、いちばんきれいだった、頼りなくて儚かったころの自分に戻してくれる、そしてそれを「赦して」くれる男を。
 本能の部分で、求めているから。

 湖月わたるは、すばらしいんだ。

 相手役だけでなく、観ているものの「少女」まで引き出す力。

 コムカルがあまりにオトコマエであっただけに、それにまったく負けていない、負けたままではいないワタドレに、心から感動しました。
 ……これでコムカルにもっと色気があればどんなに……とか思うのは、もう詮無きこととしてあきらめましょう(笑)。

 
 そして。
 このとてつもない脚本と、とてつもなくオトコマエなコムカルと、ハートフルで包容力あふれるワタドレを観ていて。

 オサドレに不安が募っていくのですよ……。どんなアンドレとオスカルになるんだよ……。


 アンドレ役が特出であり、お稽古時間を取るのが難しいためだろう、彼の出番は極端ら減らされていた。
 主役の相手役の出番を減らす、ということが「作品」の屋台骨をどれほど揺るがすか−−わかりやすい失敗例が今回の『ベルサイユのばら−オスカル編−』だ。

 アンドレがぜんぜん出てこない、オスカルひとりでなんでも、なんとなくこなしてしまうもんだから、「オスカルとアンドレのラヴストーリー」としての意味が薄れてしまっているんだな。

 もちろん、悪いのは脚本だ。
 ここまでアンドレを無意味にしてしまうなんて、ありえない。

 しかし。

 脚本の壊れっぷりに拍車をかけているのは、まちがいなくコム姫だ。

 朝海ひかるの持ち味は「クール」だ。
 よくも悪くも低温。

 役がどうであれ、本人の気持ちがどうであれ、あくせくしているように見えないし、情熱があるようにも見えない。
 少年のような瑞々しい美貌と華奢な身体、中性的・女性的でありながらも、オトコマエな芸風。
 マイペースでクール、ドライな持ち味。

 それはコム姫の魅力である。

 ええ。魅力ですとも。わたしはそんなコムちゃんが大好きだ。

 されどこのコム姫のコム姫たる持ち味が、オスカルにはまったく合わない。

 
 もお、おかしくておかしくて。
 愉快で仕方がない。

 ただでさえぶっ壊れている笑える話を、コム姫が、華麗により強力にぶっ壊しているんだもの。

 
 オスカルという役には、温度と湿度が必要なんだ。ホットでウェットでなきゃイカンのだ。
 一見クールに軍服着て指揮官をやっていても、実はかなり頑固で熱情的で繊細な人だもんよ、オスカル隊長。
 悩んだり怒ったり泣いたり、なにもかもが激しい、ものすげー人間くさいキャラクタだ。
 だからこそ、貴族に生まれ育ちながら、現体制に疑問を持ち、革命に参加するようになるんだから。

 オスカルの人間的な葛藤が、時代を超え世代を超え、共感を生むんだ。
 彼女の持つ悩みや迷い、痛みや理想は、時代に関係なく誰もが持つ普遍的なものだからだ。
 仕事であれ恋愛であれ家庭問題であれ、いつも壁にぶつかりグダグダ悩み苦しみ、それでも自分の力で超えていく。
 だからオスカルは愛される。
 スーパーマンじゃないから。等身大の「人間」だから。

 なのに。

 コム姫オスカルってば、悩みなさ過ぎ。

 葛藤なんか、どこにもない。
 強い。ひたすら強い。
 超絶オトコマエ。

 余裕の微笑みを浮かべながら、障害を障害ともせず、ひらりと超えていく。

 ただでさえアンドレの出番が少なくて、存在価値が薄れているというのに。
 コム姫が強すぎる、クールすぎるから、ますますアンドレの立場がない。 

 このオスカルなら、無人島ででも、ひとりで生きていけるよ。
 誰かの手なんて、必要ないってば(笑)。

 
 恋愛面だけでなく、生き方においても迷いがまったくない。

 貴族に生まれながら革命に参加することになるって、ものすげー葛藤があるはずなんだがなー。
 登場からすでに、平民の衛兵隊員たちと共に生きる気満々だろ。衛兵隊転属を決めたところから話がはじまるわけだが、そのときにはもう、革命まで行っちゃう気だろ。カケラも迷ってないだろ(笑)。

 悩みも葛藤もなく、自分の生きたいように人生を軽やかに進む。
 そんなの、オスカルぢゃない(笑)。

 家族も必要じゃないし、男(恋人)もいらない。クールで余裕。
 そんなの、オスカルぢゃない(笑)。

 オスカルぢゃない。オスカルぢゃないよ?
 でも、どうせコレは植爺のめちゃくちゃ『ベルばら』だから。
 オスカルが「強い」という意味で別人でも、ぜんぜんOK。
 いやむしろ、痛快だ。

 男になんか頼らない。ナヨナヨしない。それどころか、自分に惚れているバカ男を利用してやる。
 「女のくせに」と難癖をつけるバカどもを冷笑、「あなたは女なのよ」押しつけてくる狭量女たちに上辺だけ笑顔。どちらもてきとーにあしらう。
 足枷でしかない家族や旧体制たる貴族社会を捨てて、自分に心酔しているイケメン兵士たちを引きつれ、第2の人生へGO!
 −−そんな、クールでふてぶてしいさまが、愉快で愉快で。

 
 コム姫がどういうつもりで演技しているのかなんて、知らないよ。
 ただ、わたしにはそう見えるんだってば(笑)。

 
 爆笑した。

 『ベルばら』というものを、しれっとぶち壊していくコム姫に。

 コム姫ソレ、チガウから! オスカルは、『ベルばら』は、そうじゃないから!!

 でもそんなところが、たまらなく好き。

 確信犯に見えてくるよ。
 植爺のアホウさ加減も作品のめちゃくちゃぶりも全部わかった上で、それに翻弄されているふりで、黙って従っているふりで、それらすべてを、飛び越えていくの。
 それこそ、あのバカバカしいペガちゃんに乗りながら悟りきったような、すがすがしい笑顔をしているように。

 いいなあ、コムカル。うっとり。

 
 だがもちろんソレは、コムカルが完璧に美しいという前提あってのことだ。

 コム姫演じるオスカルは、外見だけでいうなら、まさに完璧。これほど「オスカル」という記号に相応しい人がいるだろうか、という似合いっぷり。
 そこにいるだけで「あっ、オスカル様だ!」と思えてしまう、「男装の麗人オスカル」を表現している。軍服もマントも、フリフリブラウスもなんでもござれ、男の格好をして凛々しく、されど女性だということもわかり、かといって女々しくもない。この絶妙のバランス。

 この「完璧な外見」があるからこそ、あの「ソレ、オスカルぢゃないから!」な芸風が活きるんだ。
 植爺なんか絶対、外見で誤魔化されてるよ(笑)。コムカルが植爺らしさを全部ぶっ壊し、否定して存在していること、気づいてない(笑)。

 ものすごーく理不尽な校則があったとして、「こんな校則守るもんか。フン!」って逆らっても、なんにもならないでしょ?
 不良がいくら、「まちがっているのは学校だ。だから俺は従わないんだ」と言っても、なにも変わらないでしょう?
 それよりも、いい成績を取って教師たちに気に入られ、他の生徒たちの人望を集め、生徒会長になるなりして「理不尽な校則」を廃止するよう働きかける方が現実的でしょう?
 教師だって人の子、「反抗的な不良」の言うことには耳を貸さなくても、「素直で真面目な優等生」の言葉には耳を傾けるでしょう?

 コムカルの「外見」と「中身」のギャップに、そーゆーしたたかさを感じるの。

 植爺がよろこぶ「完璧なオスカル」の姿を作り上げ、そのくせ舞台の上では植爺の女性観と正反対の「自立したオスカル」を演じる。

 コムカルには、弱さがない。葛藤がない。
 ひとりで生きていける。
 誰よりも強い。

 「女であること」を強要する、あのアタマの悪い家族たちの前でわざとらしく甘えてみせ、ストーカーアンドレを色仕掛けでコマし、衛兵隊隊士たちの前ではニヒルに笑う。
 究極のシングル・ウーマン。

 かっこいい。

 かっこいいよ、コムカル!!

 どんなにオスカルとしてまちがっていても、話をぶち壊していても、大好きだ。
 気持ちよく、爆笑させてもらったよ。


 抱腹絶倒『ベルサイユのばら−オスカル編−』
 笑いポイントだけでできあがったよーなこの話、ロザリーがどえらいことになってはいたが。

 オスカルにも、問題大アリだ。

 わたしは基本的に、ビデオを見ない。よっぽどのことがないと、わざわざそんなもん見ないさ。舞台も映画もナマが命、自宅のちっちゃなテレビで見たいとは思っていない。
 だもんで、わたしが語る記憶ってのは、ナマで観たときのことばかりだ。ビデオで補完したりしていないので、きっとまちがいまくっていると思うよ。プログラムも買ってないしな。
 何年前のことであろと、当時の記憶のみだもの。

 特に『ベルばら』なんて。ナマで観るのも苦痛なのに、ビデオ見るわけないじゃん。

 つーことで、わたしはすでに風化した記憶をたどる。以前に観た『オスカル編』……えーとえーと、涼風主役で月組だったな。トウコたちの初舞台だっけ? アントワネットやフェルゼンが出なかったんだよな?
 ロザリーとディアンヌ、準ヒロインがふたりもいて混乱したよなー。
 たしか、カリンチョとネッシーと天海のアンドレ観たんだっけか。なつめさんは苦手だったのでスルー。
 ビジュアルがいちばんアレだと思っていたカリンチョさんのアンドレがいちばんよくておどろいたことと、天海のダメっぷり(笑)ぐらいしかおぼえてねー。
 まああとはなんといっても、巨大スクリーンに大爆笑したことぐらいで。

 十数年前に数回観ただけの記憶だ。ろくにおぼえてない。
 そのおぼつかない記憶をたどりながら、首を傾げる。

 『オスカル編』って、こんなだっけ?

 
 『オスカル編』であろうと、『オスカルとアンドレ編』であろうと、基本はオスカルとアンドレのラヴストーリーだと思っていたの。
 いちばんの見せ場がふたりの結ばれる「今宵一夜」である以上、ふたりの物語だと思っていたのよ。オスカルとアンドレ、どちらに重点が置かれるかで『**編』と名前が変化するだけで、基本は同じだと。

 今回の『オスカル編』を観て思った。
 たしかに、主人公はオスカルだ。それはいい。
 だが、あくまでも、「オスカル」のみなんだ。

 アンドレがいない。

 とゆーか。

 アンドレ、いらない。

 えーと?
 『ベルばら』って、そーゆー話だっけ? アンドレいなくてもストーリー成り立つもんだっけ?

 
 物語はいつものよーに、オスカルとアンドレの出会いからはじまる。
 オスカル7歳、アンドレ8歳。
 剣の稽古をする子ども時代のふたりが木の後ろで本役と入れ替わり、30代になった大人のふたりが現れる演出は健在。

 「ふたりの物語」である限り、「ふたりの出会い」から描かれるのは正しい。おねーさまたちの花摘みうぜぇよというのは置いておいて、オスカルとアンドレが出会うエピソードが冒頭に来るのは正しいんだ。

 子どものころに出会ったふたりは、こーして大人になった今も、いつも一緒にいる。
 それを表現するエピソードは正しく機能している。

 なのに。
 こっから先が、おかしい。

 アンドレが、いない。
 出てこない。

 オスカルはひとりで衛兵隊に乗り込み、大暴れする。
 ひとりで、ロザリーに結婚の世話を焼いたりする。
 ひとりで、衛兵隊隊士たちに子守歌を聴かせて心酔させる。

 1幕はテンポ最悪でいらないシーンばかりなんだが、いちおーここでの「出来事」としては、「オスカル隊長が衛兵隊を掌握する」だよな?
 そのつぎの「出来事」が、「ロザリー嫁に行く」だよな?

 物語の中心となる「出来事」、場面に、アンドレがいない。
 すべて、オスカルひとりでやり遂げる。

 もちろん、アンドレがなにかしなければならないというわけじゃない。
 オスカルひとりで行うのは正しい。
 ただ。

「さながらカストルとポルックスのように」とゆーほど、「いつも一緒」という設定だから、変なんだよ。

 女のオスカルが衛兵隊に赴任する、のは、みんなが大騒ぎしてうぜぇくらい大変なことだったはずだ。そーゆー大変なときだからこそ、オスカルを愛するアンドレは、影のように彼女の側にいなければならない。
 なにをするでなくても、ただ、いつも側にいる。それが本来のアンドレという男の愛し方だろう。
 オスカルも、自分ひとりでなんでもやってかまわないけれど、側にアンドレがいる、そのことが自分の力となっていたことに気づき、愛を自覚するに至るわけだろう。

 オスカル人生でいちばん大変なときに、そばにいないアンドレって、アンドレの意味あるのか?

 せっかく「ふたりの出会い」から描かれた物語は、「アンドレ不在」で、「オスカルひとり」の物語として進む。

 ひとりでなんの問題もなく生きているオスカルに対し、問題がすべて解決したところでのんきにアンドレが現れ、「ペガサス」がどーの「肖像画」がどーのとうわごとを並べ、意味のないクレーンペガちゃんのシーンになって1幕が終わるわけだ。

 そして2幕、オスカルがひとりでまとめあげた衛兵隊に、なーんにもしなかったアンドレがどこの貴族大将軍のよーな豪華な軍服とマント姿でまざって、えらそーにしている。
 はあ? アンタ誰?状態ですな。
 自分ではナニもしなかったのに、おいしいとこだけ取ってるの?

 そんな男に、「オスカルに縁談が! 俺のモノにならないなら殺してやる!」と言い出されても……。どこの電波ストーカー男の思考回路だよ。

 1幕にアンドレがいなかったこと、これがすべての悪因。
 2幕でのアンドレの行動が全部壊れてしまうんだ。
 

 とまあ、悪いのはまちがいなく脚本だよ。作劇の基本を知らない人が素人臭い失敗をしているだけのこと。

 でもなあ。

 コムちゃんのオスカルにも、問題アリなんだわ。

 と、冒頭のテーマにたどりついたところで、翌日欄につづく(笑)。


 宙組一般発売に惨敗して、地に伏して泣く。
 ……てなことは、置いておいて。

 
 『SIREN2』、終わっちゃいました。
 永井くんのエンディング見て、一樹のエンディング見て、そいからアーカイブ・コンプして(うっかり髪飾り拾っちゃって、また1からやり直したりな……遠い目)、阿部くんのエンディング見ました。
 その他はウザそーなんで、もういいや。

 『SIREN1』は丸1ヶ月、100時間以上かかったんですがね。さすがに『2』は簡単だったっす。ノーマルモードでプレイしたんですが。
 聞くところによると、難易度は「イージー<ノーマル<ハード<<<SIREN1」らしいですからねえ。
 にしても、こんなにあっさり終わっちゃうなんて……。3分の1の時間かよ……。

 
 『SIREN2』関連の検索が来まくっていて、「ごめんっ、ヅカ話なんかしてて。ヅカキャスティングとかしててごめんよー」な気持ちなんですが。
 ゲームの話ぜんぜんしてないのに、単語を書いちゃったもんだから、検索だけは山ほど来るのよ……恥ずかしいから、ウチなんか読みに来ないでよぅ。

 
 あー、『SIREN2』の感想を一言で言うと。

「未完成?」

 
 前半と後半では、明らかに密度がチガウの。
 前半はみっちり物語もステージも作り込まれているのに、後半になるとスッカスカ。
 前半で丁寧に織られた物語が、そのまま放置され、とりあえず外側の包装だけ取り繕ってある感じ。
 主人公が何人もいるんだけど、まともに作られたのは一樹のシナリオだけみたい。その一樹ももちろん、完璧ではなく、穴だらけなんだけど。……でもまあ、一樹は許容範囲?
 他の人たちに至っては、「なかったこと」にされている印象。

 「少年ジャンプ」の打ち切り作品にいちばん近いなー。
 長期連載のつもりで伏線張ったりキャラ出したりエピソード膨らませたりしていたのに、「あと3週で最終回にしてね」と言われ、細かいこと全部投げ出して、とりあえず主人公が宿敵倒してENDマークつけました、みたいな。
 伏線も他のキャラたちの話も、途中で全部放置。

 あー、時間なかったんだろうなあ。
 発売日を守るために、できなかった部分は「なかったこと」にしたんだー。
 そういう印象。

 もったいない。
 前半はすげーおもしろいのになー。
 つまんねー映画とメディアミックスなんかしてるからだよー。
 (映画『サイレン』の感想を一言で言うなら、「堤監督、『TRICK』だけ作っててください」ですわ)

 
「でもまあ、『ゼノギアス』よりマシ?」

「『ゼノギアス』よりマシでしょう!」
「『ゼノギアス』以下なんて、ありえないだろそりゃ」

 わたしと弟の会話。

 うん、それでもたのしかったよ『SIREN2』。
 難易度が驚異的に下がり、初心者にもオススメしやすくなってる。誰でもクリアできるよ〜入門編としてぜひやってみてくれ。で、たのしかったら『1』の方に挑戦してみて。

 
 未完成品だとしても、『ゼノギアス』という前例があるわけだし、ぜんぜん世の中的にOKだよね?(笑顔)


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