えーと。
 またしても、書くこと、書きたいことが溜まってしまった。……『SIREN2』にハマっていたのが問題なのよねえ。

 忘れないために、書く予定の内容、箇条書き。

 
雪組『ベルサイユのばら−オスカル編−』
・コムカルの美しさ、クールさ、そして、「オスカル」としてのダメさ(笑)について。
・ワタドレ万歳。
・水アラン萌え。萌え〜萌え〜萌え〜。
・かしジェローデルかっこいー。かっこいーかっこいーきゃー。
・作品まちがってる。いやその、今さら言う必要もないくらい世の常識だけど。植爺最悪。
・まちかまちかまちか。
・オサドレのダメさ加減について(笑)。
・アラン×オスカル萌え〜。

第92期音楽学校文化祭
・正塚芝居萌え。
・水もどきの彼。その他モロモロ。

星組『ベルサイユのばら−フェルゼンとマリー・アントワネット編−』
・トウカル万歳。万歳万歳万歳。うきゃー!!

荻田浩一新作ミュージカル『アルジャーノンに花束を』

 ゲームにハマったから忙しい、とか言いつつ、こんなに走り回っていたんだよなあ。
 並びにもマメに行ってるしさー。今日は実はらんとむバウの発売日で、白紙引いて泣きそうになってたしな……うわーん、まっつ〜〜。
 

 あと、タニちゃんはダメなのに、某氏はどうしてイイのか、ジュンタンの疑問にも、答える気でいたんだよ……ここで書くかどうかはともかく(笑)。

 そうこうしているうちに、ミズドレも観に行くし、新公もあるしなー。
 書いてるヒマあるのか、こんなに溜め込んで。


 笑いと脱力の『ベルサイユのばら−オスカル編−』、ロザリーの話の続き、その3。

 ベルナールと結婚しておきながら、「あんな男、一度も愛したことはないわ。わたしが愛しているのは、今でもオスカル様ただひとり」とオスカルに夜這いをかけたロザリー。

 やることやってすっきりして、何事もなかったかのように帰宅したその翌日。

 それでもわたしは、信じていた。
 今のままでは、ロザリーはひどすぎる。悪女もいいとこ、被害者ヅラした偽善者になってしまう。
 きっとこのあと、ロザリーがベルナールに言うんだわ。
「ゆうべ、オスカル様と話しました。これで少女のころの憧れに、きちんと終止符を打つことが出来ました。これからはあなたの妻として生きていきます」
 とかなんとか。
 常識で考えれば、「善人」という設定の第2ヒロインが、他人を平気で騙し、利用し、出し抜いてシレッとしたまま終わるなんてありえないもの。
 フォローがあるはずよ。たしかに人の道に外れることをしたかもしれないけれど、それを悔い、改め、新しい人生を進むっていうオチが用意されているはずだわ。常識から考えたってそうよ。ロザリーは「善人」設定なんだから。

 植爺に常識なんてものを求めたわたしが、バカだった。

 ベルナールとロザリー夫婦が会話をするシーンがあった。おお、ここできっと、ロザリーに対してのフォローが……。

「オスカルがパリに進駐するそーだ。今パリに来るのは危険だから、止めるように説得しなければ」
「オスカル様にはオスカル様の、深いお考えがあってのことです。止めたって絶対無理、無駄なことはしない方がいいわ」

 星組のベルナール@しいちゃん、ロザリー@ウメにゃんの夫婦会話がまんま展開されている……!!

 で、でも、星組Ver.とは意味がチガウよ?
 いくら同じ台詞でも、ロザリーはゆうべ、実際にオスカルに会って、今ベルナールが言っているのと同じことを本人に言ったのよ?
 オスカルの気持ちを洞察して語った星ロザリーとはちがい、雪ロザリーは本人の口から聞いたことをそのまま語っているだけ。

 もちろんそれはかまわない。洞察して語ろうと、本人の言葉をそのまま伝えようと、同じことを言っているのはたしか。
 しかし問題は。

 雪ロザリーは、それがオスカル当人の言葉だと言うことを隠匿した。

 えええっ?!
 なんで、自分の意見として語るの? ソレ、君の意見やなくてオスカルの意見やん! 本人から直接聞いたことを、何故隠す?

 ……言えないのか。
 ゆうべ、オスカルに会ったことは。
 浮気だから。
 夫を裏切ったわけだから。
 そしてソレを、悔いる気も改める気もないから、隠すんだ。

 これからも、夫を騙し続けるために。

 このときのまーちゃんがすごい。天使のようなキヨラカな微笑を浮かべて言うんだ。
「あの方の数奇な人生に相応しい最期があるとすれば」と。
 なにもかも見通し、知り尽くしているかのように。

 ゆうべ、密会していたくせに。
 その事実を完全に抹殺して、聡明さと慈愛ゆえひとの一生を見据えた聖母のよーな、美しくも感動的な言葉を並べ立てる。

 えーと。
 カンニングしておきながら、100点取って「当然のことですわ」と微笑むみたいな。
 本人から「止めても無駄」「これは運命」と聞かされていたから、それをそのまま言っただけなのに、さも自分が洞察したかのよーに語り、ひとから「すげー。ロザリーちゃんってアタマいいんだね」と言われるみたいな。

 卑劣。

 だけどその姿は、微笑みは、天使。

 
 何故。
 何故ロザリー、そんなことにっ?!!

 
 すごすぎるよ、植爺……。
 なに考えてこんなことにしたんだ。いや、知ってるよ、ナニも考えてないんだろ? 植爺だもんな。のーみそも感性も枯渇して半世紀は経ってるもんな……がっくり。

 星組Ver.であんなにかっこよかったベルナールは、まったく同じ台詞とシーンなのに、究極のバカ男に。

 アンタが尊敬の眼差しで見ているヨメは、浮気してんだよ……アンタを騙してるんだよ……今言ってることだって、浮気相手の受け売りだよ……それで感動しているアンタって……アンタって……。

 ベルナール@ハマコ、可哀想すぎる!!

 
 すまん。
 爆笑した。
 つか、笑うしか、ない。

 オスカルやアントワネットの「死に時」を予言した、星組Ver.の「死の天使ロザリー」も大概だけど。

 雪組版は、それをかるーく超えたね。

 「背徳の天使ロザリー」。

 
 夫を騙し続け、浮気相手の男のもとで夜を過ごしてきた女が、その浮気相手の「死に時」の話をするなんて、こわすぎる。

 オスカルとのデュエットダンスのあと、ロザリーはあまりにあっさり立ち去りすぎる。オスカルもさばさばしすぎている。
 これはやはり、あのデュエットダンスはつまり、そーゆーことだったんぢゃないかと思うんだ。
 植爺がどう考えているかは関係ない。あんなの、無視してよろしい。
 今あるものだけを分析していけば、そうとしか思えないんだ。

 明日死ぬかもしれない軍人の、自宅で過ごす最後の夜に現れた女。
 今生の別れかもしれない夜に、女は積年の想いを告げる。「愛しています」
 そこでデュエットダンスになったら、ふつーそれは、そういう意味だろ?
 恋の成就。愛の一夜。

 結ばれたからこそロザリーは、オスカルの愛を胸に抱いてあっさりと屋敷を後にする。

 オスカルは、ロザリーたち民衆の敵になることはないと約束してくれたけれど、ほんとうのところはわからない。
 オスカルは貴族で、ロザリーは平民側だ。
 どんなにオスカルが平民を守りたいと思っても、立場上そうできないことだって、あるだろう。

 これは、別れかもしれない。
 最初で最後の抱擁かもしれない。

 そう思って男の屋敷を後にした女が、その男の死期について語るとしたら。

 やはりこれは、アレじゃないのか?

「死によってしか結ばれない、そんな愛もある」by アンドレ@原作

 ロザリー、オスカルが自分のために死ぬと思ってる?!
 心中しよーってことになってる?!

 ロザリーの脳内で? それともオスカル、あんましアタマ使ってなさそうだから、うっかり雰囲気に流されてそれらしいこと言っちゃったとか??

 戦慄しました。
 あまりに、愉快すぎて。

 ぶっ飛びすぎてるよ、ロザリー。

 最後の最後まで、わたしの期待は裏切られ続けたわけだ。ロザリーが「善人」設定なら、こんなおそろしい女のままにしておくはずがない、という祈りは、届かなかったよ。

 ひどすぎる、ロザリーの扱い。
 おもしろすぎる、ロザリーの扱い。

 まさに、抱腹絶倒。腹がよじれるほど笑いました。

 
 それにしてもまーちゃん、大変だなあ……。


 抱腹絶倒捨て身のお笑い作品『ベルサイユのばら−オスカル編−』、ロザリーの話の続き。

 最大級の笑いは、2幕の夜這いをするロザリーだ。

 いつものオスカル様の私室、明日はパリ進駐、最後の夜。いつもならこれから「今宵一夜」がはじまるそのときに。

 姿は美女だが性格は男前なコムカル様が、異様な気配を感じて鋭く叫ぶのだ。
「怪しい奴! 何者だ出てこい!!」

 現れたのは、ベルナールに嫁いでそれっきりだったはずのロザリーだ!!
 1幕途中から出なくなっていたので、すっかり存在を忘れていたら、いきなり「曲者」扱いで登場。

 夜這いキタ−−−−!!

 なにしろ「曲者」ですよ。「怪しい奴」ですよ。
 妹同然にかわいがっていた女の子が里帰りしてきただけには、ありえない反応でしょ?

 どうやらロザリー、コムカルが身の危険を感じるほど、異様な気配を発していたらしい。
 やっぱナニか? ヤる気満々でカーテンの陰に隠れ、隙をうかがっていたのか? その気配を勘付かれてしまったのか? 気づかれなかったら、そのままコムカルが寝入るまでそこに隠れていたのか?

 ありえない。
 「曲者」として大仰に登場することもわからないし、そもそも何故今このタイミングで現れなければならないのかもわからない。

 笑わせるためとしか、思えない。

 曲者がロザリーだったこと、「今宵一夜」のはずなのに、アンドレではなくロザリーが現れたことにも、笑えて笑えて仕方なかった。

 ロザリーは怒濤の告白をする。
 パリは危険だから行くな、てなことを。
 そんなつまんねーことを言うために、「曲者」扱いされるように忍び込んだのか?

 なんでつまんねーことかというと、すでにその話題は「波状ギャグ」になっていたからだ。

 オスカル率いる衛兵隊がパリ進駐、と決まってから、出る人出る人全員が「そんな危険なところに!」と大騒ぎをするので、すでにその意見はギャグでしかない。
 同じこと、わかりきったことを繰り返すことによって笑わせるアレだな。

 ほんとうに「危険な任務に就くオスカル」という事象を表現したいなら、要所でガツンとやらなければいけない。
 次々登場する人々全員が同じことを言っていたのでは、「危険な任務」ではなく、「たんにオスカルが無能なんじゃないの?」という印象の方が強くなる。「信頼されていないんだな」ということで。

 だもんで、わざわざ屋敷に忍び込んでまで(なんで玄関からふつーに入ってこなかったんだろう……やはりよほどやましいことをたくらんで……ゲフンゲフン)やってきたロザリーが、そんなどーでもいいことを口走るのは、間抜けでしかない。
 「忍び込む」「隠れていた」「曲者! 出てこい!」という大仰さが前振りとしてあるだけに、さらに間抜け度アップ。

 いくら植爺がバカでも、ヅカでレズ話をやることはないだろうとタカをくくっていたわたしは、のんきに笑っていた。
 すげーなロザリー、夜這いしてまでこんなどーでもいいことをがなりたてるか。
 まあこーやって出番を増やし、「ロザリーはこんなにもオスカルのことを心配しているのですよ」というエピソードを入れたつもりなんだな。
 と、勝手に納得していたのですよ。

 だが、敵は植爺だ。
 最悪の予想の斜め上を行く謎の生命体。

 テンパッたロザリーは、本気で愛を告白しはじめた。

「好きです。愛しています!!」

 −−ちょーーっと待てっ!!
 告るか?!
 告っていいのかロザリー!!

 植爺はたぶん、「マンガを読めない」「コマを追えない」「ふきだしや枠の文章を理解できない」人だとわたしは思っている。
 だからきっと、原作も本当の意味では読んだことがないのだと思う。

 たしかに原作でもロザリーは同じ台詞を言っている。
 だがそれは、「ふきだし」でではない。モノローグだ。心の中だ。声に出しては言ってないんだってば!!

 てゆーか、言ったらソレ、すでにロザリーぢゃないだろう!!

 植爺……。
 マンガを読めないもんだから、ふきだしとモノローグの区別がついてないんだな……それでこんなとんでもないカンチガイを……。

 カンチガイだよな? 失敗だよな?
 まさか本気で、やってないよな? な? 人として、そこまでバカじゃないよな……?
 『ベルサイユのばら』を、「ロザリー」を、「オスカル」を、そこまで理解のカケラもしていなくて、なにもかもぶちこわしにして平気だなんて、そんなことはないよな? な?

 ………………。

 ロザリーというキャラクタが持つ、センシティヴな痛みを、「少女」という「失われるもの」だけが持つ、もっとも美しい儚いものを、ただのレズ話に貶めてしまうなんて。

 結婚し、夫がいて、毎日生活しているにもかかわらず、「愛しているのはあなただけ」と開き直って不倫する、ふつーの女、ふつーのおばさんの話に、貶めてしまうなんて。

 同性愛が悪いと言っているわけじゃない。
 もともとそういうスタンスで描かれているものなら、それでいいさ。
 だがロザリーは、そうぢゃないだろおおおぉぉぉ。

 だってだって、ロザリーはもう結婚しているんだよ?
 たとえ「オスカル様に振られた。やけくそよ、ええい、誰とでもかまわないわ、結婚してやるー!」でてきとーに結婚したのだとしても、あれから何年も経っているわけだろ?
 そんな女は最悪だから、きっかけはそうであったとしても、今ではちゃんと夫を愛しているのだと思っていた。
 フォローが入ると思っていた。
 ロザリーというキャラの人格を守るためにも。

 なのにロザリーは、ずーっとずーっと、夫を騙し続けていたらしい。
 愛してもいないのに、仕方なく結婚生活をしていたらしい。
 やけくそで一緒になった、あのときのままの気持ちだったらしい。

 ……最悪ですがな。
 そんないやらしい女、ロザリーぢゃない。

 あまりの展開に、腰を抜かしていたら。

 そんな人格破綻ロザリーを、オスカルはにっこり受け止め「うれしいよ」と、デュエットダンス。

 ええええええっ?!
 なんぢゃそりゃあああぁぁぁ!

 なに考えてんだ? なんなんだこの展開は?!
 マジレズやりますか植田よ?!

 そーやって長々といちゃくらしておいて。
 オスカル様はあっさり言うのだ。
「ありがとー。忘れないよ。じゃ、下男に送らせるから気をつけて帰ってね」
 なんなんだその、のーみそに花が咲いているよーなお気楽さは?!

 ロザリーも「はい(はぁと)」とみょーにすっきりした顔でとっとと帰っていくし。

 えーと。

 なにがしたかったんだ……?

 夫がいる身で他の人間に夜這いをかけて「夫なんか愛してないわ。あなたがメラニーと婚約したから、くやしくてチャールズのプロポーズを受けたのよ! 私が愛しているのはアシュレ、あなただけよ!!」てなノリでオスカルに告ったロザリーもひでー女だが、それをにっこり笑顔で受け入れて、そのくせとっとと追い払うオスカルも、大概だよな。

 夜這いしてまで愛を告白してきた女の気持ちを、どうやらこの男、カケラも本気にしていないようだ。

 えー、男だとか女だとか言う前に、「相手がどれくらい真剣にものを言っているか」ってのは、伝わるものだ。
 どんなに突拍子もないことでも、相手が涙ながらに本気で語っているのなら、ふつーの人間なら、本気で受け止めるものだろう。

 なのにこの男……オスカルは、まったくその気がなかった。へらへら笑って「うれしいよ」とスルーした。
 どうやらオスカルにとってロザリーってのは、どうでもいい存在だったらしい。
 彼女の真実の叫びは、オスカルには1ミリたりとも届かなかったのだ。なにしろはじめから、オスカルに聞く気がなかったから。

 ロザリーも人格破綻したひでー女だが、オスカルも負けてない。他人の気持ちなんかまったく理解できない、欠けた人間であるらしい。

 ロザリーを適当にあしらって追い返し、この男が次にしたことといえば。
 いそいそと上着を脱いで、アンドレを呼んだ。

 アンドレを口説くために、ロザリーを追い返したのか!!

 ひ、ひでー!!

 ロザリーを追い返したあとでいそいそと服を脱ぐのが、もお。ヤる気満々って感じで、なおイヤンです(笑)。

 ……笑えた。
 てゆーか。
 笑うしかない。

 壊れきった人々の、壊れきった一夜の話に、ひたすら大ウケした。
 せっかくのワタドレとコムカルの「今宵一夜」だったのに。その前に笑いすぎて、気分を変えるのに苦労した。

 あー、コムカルのことを「男」呼ばわりしてますが。
 男ですよ、アレ。
 あんな無神経な奴、野郎認識で十分です(笑)。ロザリーに対しての態度、女性ならありえない。植爺がアタマの中で作った変な男です。

 
 さて。
 ここまでぶっとんだ、ぶっ壊れたロザリーというキャラクタ。
 オスカルに夜這いかけて、ラヴラヴいちゃいちゃしてから、夫のもとへ帰っていった不倫女。

 翌日がまた、すごいの。

 長くなりすぎたから、続く(笑)。


 「抱腹絶倒」という言葉が、これほどふさわしい舞台が他にあるだろうか。『ベルサイユのばら−オスカル編−』

 たしかに、あらかじめクレーン操作のペガサスが登場すると聞いていたので、「ああ、ついに開き直ってお笑い路線を目指すんだな、植爺」と悟ってはいた。誰もよろこばない、嘲り笑われるだけの演出を大枚はたいてするのが植田紳爾という人だ。そんなものに乗せられるコム姫に心から同情するが、「仕方ないことだ。いつかアンシャンレジームが終焉を迎えるときまで、植爺の横暴に耐えるしかないんだ」とあきらめていたさ。

 たしかに、噂のペガちゃんはすごかった。
 身も蓋もないクレーン車が夢の舞台の上に現れ、悪趣味きわまりないみょうちくりんな物体にまたがったコム姫が、満面の笑顔でやんごとなき方のように、下々の者たちに手を振っていた。
 そのシーンになにか意味があればまだ救いはあるが、もちろん、そこにはなんの意味もない。ただ、あきれ、笑うだけのシーンだ。
 クレーン車はクレーン車でしかない動きをし、これまた涙を誘うちゃちな翼がワイヤーで引っ張られてぱたぱたと羽ばたく真似事をする。
 たしかに笑えるが、それと同時にもの悲しくもなる、おそろしいシーンだった。

 この作品が「抱腹絶倒」なのは、このドアホウなクレーン車の登場のことではない。

 物語すべてが、お笑いなのだ。

 笑った。
 わたしとkineさんは、声を必死に殺しつつ、身をふたつに折って笑った。肩だの腕だのを叩き合いながら爆笑した。ひとりで耐えることなんか不可能だった。

 こんなおもしろいものを見て、笑わずにいられるものか。

 もー、腹筋鍛えられたよ。
 リピートしてたら、ウエスト細くなるんじゃないか?

 こんなに笑ったのって、壮くん主演の『お笑いの果てに』以来じゃないか?

 おもしろかった。
 理不尽だとか不快だとか嫌悪だとか、壊れているとかまちがっているとか、そーゆー段階じゃない。
 笑える。
 その一言に尽きる。

 笑いのツボはありすぎて、どこから説明していいのかわからん。
 だが、確実に言えるのは、ロザリーの扱いだろう。
 
 最初に「ロザリーがオスカルを慕っているというエピソードを入れる」という話を聞いたときに、嫌な気持ちはした。
 「女が軍服を着てなにが悪いの。男装の女性にあこがれてなにが悪いの」だかいう台詞を気持ち悪いバカ女にわざわざ言わせる感性の男が、「ロザリーがオスカルを慕う」ことをまともに表現できるはずがない。いやそもそも「理解」できるはずがない。
 きっと気持ち悪い、「男から見た一方的なレズ話」になる。

 それでもここはタカラヅカだから、AVにあるよーな、「男から見た一方的なレズ話」を露骨にやるはずがない。わけのわからない、「植爺、理解できなかったんだな」てな的外れなシーンが増えるだけだろう、と思っていたのよ。

 まさか、本気でレズをやるとは。

 植爺が理解できてないのはあたりまえだから仕方ないとして、できないならできないで、マジで百合話にするなよ。男だけがたのしいような偏ったレズ話を、女性客相手の舞台でやるなっつーの。溜息。

 なんにせよ、ロザリーのくだりは笑わせてもらった。

 まずご丁寧にベルナール@ハマコが1幕でも登場する。
 これがまた、ハマコあて書き?! というか、植爺、ハマコのこと好きだよね。というか、すばらしくもツボを押さえた、うるささ。

 どっから見ても「借り物です」というよーな、似合わない、無意味に豪華な衣装を着たベルナール。
 なんであんなちんちくりんな格好をしているんだろう……と思って見ていたら、怒濤の説明台詞。
 場の空気も読めず、自分の気分だけで突っ走る人間、としてベルナールを表現。これがまた、ハマコによく似合っていてねぇ。「演説癖」がある、という、素敵なキャラの立て方。
 ハマコがえんえん説明台詞をがなりたて、しかもソレを「つい癖が」てな言い訳で締めくくられちゃうと、それだけで笑いツボ直撃、わたしゃひぃひぃ笑ってました。

 わたし植爺大嫌いだけど、唯一、ハマコの使い方だけは好きだわ。
 ハマコがいちばんハマコらしく、その存在と魅力を発揮できる役をやらせるよね。
 もちろん、与えられた「役」を、ハマコが正しく表現しているからこそ、彼が植爺に気に入られているのだと思うけれど。
(コム姫お披露目作品はすごかったよなあ……ハマコの扱い。2番手だったよ……遠い目)

 その空気を読めない暑苦しい暴走男、ロザリー@まーちゃんを好きで、彼女にプロポーズをしに来たらしい。
 さあ、これから告白だっ! てなときに、お約束にタイミングを外されて。ロザリーに脈がないことなんか、観客には丸わかりだけれど、当のベルナールには伝わっていないことも、やはり丸わかりで。

 そーゆー「なさけなさ」もまた、なんともいえずハマコ。

 ロザリーに告白できなかったベルナール、彼女への告白をすっとばして、保護者であるオスカル@コム姫に話を持ち込んだらしい。
 ここで、「あの似合わないフリフリ服は、プロポーズのための勝負服だったのか!」とわかる。

 あのちんちくりんな格好が、勝負服!!
 プロポーズのために、必死になっておめかししてきたんだ。たぶん、借り衣装だよね。サイズ合ってなかったもの。
 そうまでして張り切ってきたのに、ロザリーにはあっさりスルーされて。
 それで、仕方なくオスカルに助力を求めに行ったんだ。

 かわいい。
 かわいいぞハマコ。
 つか、ベルナール。

 かわいくてかわいくて、おかしくて仕方がない。

 しかも。
 ロザリーはベルナールのことなんか、なーんとも思ってない。ま、当然だわな。まーちゃんとハマコじゃ、月とスッポンもいいとこだよ。おこがましいよ。見た目親子ぢゃん。(注意・だからわたし、ハマコ大好きですってば)
 なんとも思ってないけど、ふたりのキューピッド役を買って出た人間が、問題。
 オスカル様は、ロザリーの想い人だってば!

 愛する人から、「あいつはいいヤツだ。結婚しなよ」と言われてしまったら……!!
 ロザリー、大ショック!!

 叶わぬ恋とは知りながら、それでも大切に心に秘めていたのに。
 漢らしくてさばさばしていていつも低温、そして男らしい鈍感さに充ちたオスカル隊長は、ロザリーが取り乱してもまーったく察しない。
「突然のことで、びっくりしたんだな。はっはっはっ」
 ……鈍感にも程があるぞ、このバカ男!
 コム姫オスカルは、終始低温で男らしい。この鈍感さがもー、いるいる、いるよねっ、こーゆー男!! って感じでさー。んもー、じれったいっつーか、笑えるっていうか。

 オスカルに「お前のことなんか、なーんとも思ってないよーん」と言われたも同然のロザリー、ひとしきり「幻想のオスカル様(もどき含む)とせつないダンス」をやってのけたあと、健気に決心するのだ。

「オスカル様と結ばれないなら、男なんてどれでも同じ。オスカル様の言う通りに結婚します!!」

 −−ヲイヲイヲイ!!
 愛はないのか!
 愛してもないのに、自暴自棄になって結婚するのかよ?!
 ベルナールの立場は?!!

 笑った。
 腹をよじって笑った。

 ひでー。
 ひどすぎるよロザリー。
 ベルナールはそんなこととは知らず、心から喜ぶんだぜえ?

 あまりの展開に、笑うしかない。

 されど、わたしはまだ信じていたんだ。
 このままでは、ベルナールは悲惨すぎるしロザリーは人非人すぎる。
 きっと後半、バスティーユのどさくさでもいいから、ロザリーが独白するなり、ベルナールに告白するなりするんだわ。
「わたしは最初、あなたを愛していたから結婚したわけじゃありません。だけど、今のわたしはあなたの妻です。あなたと共に生きたいと思っています」
 とかなんとか。
 初恋の思い出、少女のころの憧れと、生身の女の愛はチガウ。今現実のロザリーは、ひとりの男としてベルナールを愛しているのだと、ちゃんと決着を見せてくれると思っていたのよ。
 でないとロザリー、ひどすぎるもんなー。ひとりの男の純情を、人生を、弄び踏みにじる悪女だよ。

 原作のロザリーとベルナールの恋を粉微塵にするひどい脚色だからこそ、フォローがあることを信じていたんだ。
 原作者が怒るだろ、これじゃ。

 なーのーにー。

 2幕に入り、「ロザリーの恋」はさらにとんでもないことになる。

 長くなったので、続く(笑)。


 現在プレイ中の『SIREN2』のヅカキャスティングを書きながら、2年ちょい前に発売された『SIREN』のことを、なつかしく思い出していた。
 2003年11月。
 『王家に捧ぐ歌』の成功も華々しく、新生星組に、そしてそこにいるケロに、無限の可能性を信じていたころ。誰かが欠けるなんてこと考えもせず、「次の作品はどんなだろ」「どんな役が似合うだろう」と夢ばかり見ていた。
 そのころのケロ友といえばチェリさんだけだったので、ふたりで「ケロにこんな役をやってほしい」とか「こんな衣装を着て、こんなシチュエーションで出てほしい」とか、よく話していたよ。
 そんなころだから当然、『SIREN』のキャスティングを妄想するのだって、星組でさ。ワタさんと檀ちゃんを中心にさ。
 ダークヒーロー宮田がワタさん。闇の聖女・八尾さんが檀ちゃん。多感な高校生主人公・恭也がトウコで、盲目のヒロイン(会話は命令形)の美耶子がウメちゃん、てなふーに。
 ケロはニヒル(笑)な大学教授・竹内だったなー。
 『SIREN』がヅカで上演されるはずもないが、キャラをあてはめてはたのしんでいた。

 『SIREN』を夢中でプレイしていたころ。
 あのころはまだ、ケロがいた。

 星組は代替わりしたばかりで、ワタさんも檀ちゃんもケロもしいちゃんも、組替えしてきたばかりで。
 みんなでがっしり肩を組んで、雄叫びあげながら前進しているような。
 そーゆー暑苦しくも頼もしい、「フロンティア」なパワーがあって。

 好きだったよ。
 あの昂揚感。
 はじまりの力。

 なにかのはずみで自分の昔の日記を目にして、妄想配役にケロの名前があると、せつない。
 あのころは、現在進行形で夢を見ていられたんだ。
 ありえないことはわかっているけど、勝手にキャスティングをしてはひとりでたのしめた。

 ワタさんがいて、檀ちゃんがいて、トウコちゃんがいて、ケロがいて、しいちゃんがいて、まとぶがいて、すずみんが、れおんが、かのちかが、恵斗くんが、せんどーさんが、ウメが。
 無邪気に、夢を見ていた。
 「今」のまま。

 『SIREN2』が発売になった。
 待ちに待った続編。
 やっぱり、ヅカでキャスティングを考える。
 ……そして、思い出す。『SIREN』のキャスティングを、2003年の星組で、わくわく考えていたこと。

 
 あのころが、もう、存在しないこと。

 
 時は流れるのだということ。
 祭りはいつか終わるのだということ。

 
 終わり、そしてはじまり、永遠に永遠に、回り続けるのだということ。

 
 あのころは、ケロがいた。
 そしてわたしは、幸福だった。
 今が不幸なわけではなくて、ただ、あのころはあのころのしあわせがあった。光があった。

 そしてそこには、絶対に、ワタルくんがいた。

 わたしはとくにワタさんファンではなかったと思うけれど、それを超えて、彼は不動の存在だった。
 太陽ってのは、そういうもんだろう。
 そこにあるのが前提だから、ふだんは顧みもしない。わたしは影を好み、あの人の影やこの人の影、自分の影を追いかけて、終わらない影踏み遊びをしている。
 光があるから。太陽があるから。
 だからわたしは安心して、太陽に背を向けて影を追って遊んだ。

 太陽がなくなったら、もう影踏みできないね。
 「もういいよ」を言ってもらえなくて、いつまでも数を数えつつけている鬼になったような気分だ。

 
 あのころは、ケロがいた。
 でも、「あのころ」が過ぎてしまってなお、太陽はわたしをしあわせにしてくれていたんだね。ずっと。あたりまえに。
 だから今、こんなに寂しい。

 覚悟はしていたつもりだったので、存外の喪失感におどろいている。

 2006年2月13日。湖月わたる、退団発表。

 ……ごめん、ちょっと泣いた。
 きっと、これからもっと泣く。


「オスカルお姉ちゃまのブログを見ちゃったの。AAいっぱいでえんえんフェルゼン萌え〜って意味のことばっか書いてあるの!」
「フェルゼン? あのスウェーデンの色事師? 不倫二股まかせろの?!」
「まああ、オスカルってばほんとに見る目がないわね!」
「あんな男に夢中になって、結婚もせずにフラフラしてるの?」

 なにがウザイって、毎日実家に集まって、うわさ話をするしか能のない小姑たちだ。
 30代独身子ナシ、キャリアウーマンのオスカルは、心からうんざりしていた。
 嫁に行った5人の姉たちは、毎日子連れで実家に集まってはくだらない時間を過ごしている。彼女たちの興味は噂と愚痴、自分の目に映る範囲の物事のみ。世界情勢も経済もなにも知らない。
 結婚もせず子どもも産まず、仕事ばかりをしているオスカルを理解できない彼女たちは、オスカルを憐れんでなにかと世話を焼く。
 日記を盗み読むのも精神状態や人間関係を邪推するのも、みんなみんな「オスカルのために」やっていること。自分の価値観のみを正義と信じる人たちと議論しても時間の無駄だ。オスカルはすでにあきらめている。

 小姑たちの価値観その1・「女は恋をし、男のことだけを考えていなければならない」→好きな男がいない女など、精神的・肉体的に欠陥があるにちがいない。可哀想だから、わたしたちがなんとかしてあげなければ!
 →「対策」好きな男はいる。が、決して結ばれない相手である。盗み読みされることを前提に、日記を書いておく。

 小姑たちの価値観その2・「女は結婚し、子どもを産まなければならない」→結婚もしない、子どもも産まない女など、精神的・肉体的に欠陥があるにちがいない。可哀想だから、わたしたちがなんとかしてあげなければ!
 →「対策」私ってこれでいいのかしら。いいえ、これでいいのよ! と、ことあるごとに「自問自答している」ポーズを見せつける。彼らの理解できる範囲で、理解できる悩み(もちろん嘘だが)を打ち明けてやる。

 とまあ、こんな生活を続けていたのだ。
 小姑たちがうるさいから、家ではオスカルはずっと猫をかぶって生きていた。わざとらしく内股で歩いてみせ、「お母様」「お姉様」とシナを作って甘えてみせたり、弾きたくもないバイオリンを女の子らしい仕草で弾いてみたり、日々努力を重ねてきた。

 本来のオスカルは、凛々しくクールで、ふてぶてしささえあるオトコマエな人間だ。
 噛みついてくる部下の男に、余裕の微笑みで対峙するくらい、性別を超えた強さを持っている。
 人生に迷いなんぞないし、自分のすべきこと、やりたいこともわかっている。

 もしも、ほんとうに「オスカル」という人間を理解しているのなら、彼女に「女なんだから」という価値観を押しつけはしなかっただろう。
 今の職場で、部下の荒くれ男たちを統率している姿を見れば、わかるはずだ。
 ニヒルな笑みを浮かべ、淡々とされど活き活きと指揮を執っている誰よりも頼もしい人物。それこそが、「オスカル」の真の姿だと。

 だが、固定概念に凝り固まった狭量な者たちは、なにも見ようとはしない。
 家族たちは口を揃えて「女には女のしあわせが」と言い、善意の皮をかぶった厚かましさでプライバシーを侵害し、自分の価値観のみを押しつける。
 それでもオスカルは、家族にそれなりの愛情を持っていたので、黙って耐え続けていた。
 なんとか耐えられる。だって私は、あの針のむしろのような家庭だけが人生のすべてじゃないもの。私には仕事がある。職場にいるときこそが、私の本当の人生だもの。
 今の職場だって、苦労の末にようやく得ることが出来たのだ。
 最初オスカルが配属されたのは、「家柄さえよければそれでヨシ」のお飾り職だった。きれいな制服を着て、にっこり笑ってさえいればいい、そんな仕事。
 それでも姉たちとちがい、外で仕事をしているというだけでうれしかったのだが……年を取るにつれ、そんなお飾り職ではなく、ほんとうの意味でのやりがいのある仕事をしたいと思うようになった。お人形さんのままでなんかいたくない……父や上司と揉めながら、ようやく現在の職場に転勤することが出来たのだ。
 私には、仕事がある。私を信じてくれている部下たちがいる。
 その想いがあるからこそ、あんなひどい家庭でも耐えていられたのだ。

 しかし。
 ついに、オスカルは決意をした。

 家を捨てることを。
 自分らしく生きることを。

 両親や姉たちの「女なんだから」というドリームを壊さないよう、あれほど日々耐え続けてきたというのに。
 職場だけを聖地として、心のバランスを取ってきたのに。

 それすら、踏みにじられたのだ。

 今のオスカルの職場は、「家柄さえよければヨシ」で無能な者が大きな顔をしていられるような、おきれいな囲いの中ではない。
 そこの社員たちは「いい家のお嬢さん」であるだけでオスカルを尊敬したり従ったりしない。
「女の命令なんか聞けるか」と主張する男たちを、実力でねじ伏せた。家柄でもなく性別でもなく、オスカル個人をチーフとして認めさせたのだ。もとが素直な彼らは、オスカルの持つ背景など関係なく、彼女を尊敬し、慕うようになった。
 オスカルは生まれてはじめて、のびのびと呼吸が出来るようになっていた。ありのままの自分でいられる場所を得たのだ。それを許してくれる仲間を得たのだ。

 部下たちの信頼を力に、オスカルは今日も職場でアホウ上司とやり合っていた。正しいのはオスカルだ。理論で負けそうになると上司は「女のくせに、生意気な」と負け犬の常套句を吐いた。論旨を曲げて、反則勝ちしようというのだ。
 逃がす気などないオスカルが、追撃しようとしたときに。
「上司に向かって、なんという口の利き方だ」
 突然オスカルの父親が現れ、わけのわからない仲裁をしたのだ。論理も常識もない、ただ娘を殴りつけて黙らせる、という最低最悪な方法で。

 なんで仕事でいちいち親が出てくるのよ、信じられない。いやありえないだろふつー。
 14歳で入社して以来勤続20年、30過ぎてなお親の監視付きの職場なんて。縁故就職なんかした私がバカだった。支店に転勤しよーがどうしようが、いちいち「家」だとか「親」だとかがまとわりつく。
 たしかに、オスカルの父もこの会社の幹部役員である。だからといって、畑違いの部署に乱入してきて、部下たちの前でオスカルを殴りつけて黙らせるというのは、度が過ぎている。この段階でオスカルは、「こいつ、マジでもうダメだ」と内心考えてはいた。
 それでも、それもまた「過保護が過ぎる親のアホウな愛」だと自分を納得させようとしてはいたのだ。
 
 だが、しかし。
 このアホウ父親ときたら、そのうえ縁談まで持ち出したのだ。
 今まさに、いちばん人生で輝いた充実のときを送っている娘に、それらを全部捨てて、彼女にとってもっとも苦痛な「固定概念」の中だけで生きろ、と命令したのだ。
 しかもその縁談のチョイスっぷりがひどい。オスカルが本社勤務だったころ部下だった男が相手だという。
 仕事において自分より下だった男と、結婚しろだ? しかも本社勤務のころって、「家柄さえよければソレでヨシ」な男ばっかだったんですけど? そこの仕事に疑問を感じて転勤した人間に、そこで疑問を感じずに生きているよーな男と結婚しろと?

 オスカルは絶望した。
 就職することを許してくれた父だけは、まだ自分を少しは理解してくれているのかもしれないと、はかない望みを持っていたのに。
 彼もまた、オスカルの本質などまったく顧みもせず、自分の正義のみを押しつけてくる人間だったのだ。

 どうしよう。
 私にはもう、帰る家がない。

 どうやって縁談を断ろうかとアタマを抱えているときに、もうひとつオスカルに難問が沸いて出た。
 幼なじみのアンドレから、突然愛を告白されたのだ。しかもこの男、告白の仕方がとんでもない。「俺のモノにならないから、殺してしまおうと思った」そうで、オスカルを毒殺しかけたのだ。思考がナチュラルにストーカー。
 アンドレはオスカルの家の使用人だ。身分違いっちゅーことで、ひとりでテンパっていたらしい。……身分云々より、まずは相手の気持ちだろう。好きでもない男に無理心中未遂されたんじゃ、オスカルもたまらない。
 今の部署に転勤になってから、オスカルはアンドレを遠ざけていた。他意はない。仕事がたのしくて仕方ないので、お目付役なんぞにうろうろされたくなかったのだ。しばらく顔を見ていないなと思ったら、いきなり毒殺かよ。
 アンドレだけは、オスカルにドレスを着ろだとか女は女らしくしろだとか言わなかったのに。それはオスカルの生き方を理解していたというより、たんに惚れていたからなにも言う気がなかったということか。

 オスカルは、決意した。
 家を捨てることを。
 それまでの自分の人生を捨て、新たにやり直すことを。

 折しも職場では、新規プロジェクトの件で現場と上層部が対立していた。オスカルの部下たちは、自分たちが利用されて切り捨てられることを予感して騒ぎ立てていた。
「私が直接指揮を執る」
 オスカルは、部下たちにそう宣言した。上層部側についたりしない。お前たちと心中する覚悟だと。
 オスカルの表情に、曇りはなかった。
 そう。オスカル個人に心酔しているこの部下たちの力を借りて、古き因習に充ちた「家」と「同族会社」とに決別するのだ。

 もうひとり、力を得たい相手がいた。部下、という立場ではなく、オスカルのためだけに手足となって骨身を惜しまず働く男手が必要だった。
 冷静に白羽の矢を立てたオスカルは、真夜中にその相手を自室に呼び出した。
 上着を脱ぎ、女らしい服装になる。わざとらしく、シナを作って坐ってみせる。わざとらしく、弱音なんか吐いてみる。……なにもかもわざとらしいし、心なんかこもってるはずもないが、なにしろ相手はオスカルにベタ惚れだ。そんなこと気づきゃしねえ。
 されど相手はあまりにヘタレで鈍感なので、オスカルがここまで腹をくくって色仕掛け(かなり低温)していても、踏み出してこない。
 面倒になったオスカルは、つい「HOW TO 色仕掛け」のルールを忘れて叫んでしまう。
「アンドレ、私を抱け!」
 ……身も蓋もないし、抱けもなにも、オスカルあんた低温なままんなこと言っても色気もなにもあったもんぢゃあ……てな投げやりさだったが、なにしろ相手は以下略、「俺は今日まで生きてきてよかった!」とかなんとか、感動して天に向かって吠えていたので、万事良好。

 
 こうしてオスカルは、「ジャルジェ家のオスカル」という鎖を断ち切るための賭に出た。
 誰にも邪魔されず、華々しく人生をリセットするために。

 翌日オスカルは、くだんのアホウ上司に辞表を叩きつけた。ただ辞めるだけではない、造反だ。部下たちはみな、オスカルについていくことを表明している。
 それまで堪り堪っていた鬱憤すべてを吐き出し、ついでにアホウ上司の顔を潰して溜飲を下げ、オスカルは晴れやかに笑った。

 しなやかでしたたかな、美しい獣。
 それが、家族も上司たちも、誰もはじめから見ようとしなかった「人間・オスカル」のほんとうの顔だった。


 彼女は、すばらしい女性だった。
 美しくやさしく奥ゆかしく、清楚でたおやか。非の打ち所のない女性だ。働き者で、どんなときも愚痴ひとつこぼさず、笑顔で家庭を支えている。
 一回りも年のちがう夫に尽くし、彼のやすらぎとなっている。
 似合いの夫婦だと、誰もが言った。夫が彼女に惚れきっているのは誰の目にもわかったし、彼女も幸福な微笑をたたえ、夫に寄り添っていた。
 彼女は完璧な女性であり、理想の妻であった。
 不穏な情勢の中、時代の最先端で働く夫にとって、家で彼を待っている彼女の存在だけが救いだった。帰宅した最初の瞬間に、彼を出迎えてくれる、彼女の笑顔。そう、結婚して何年経とうと、彼女は夫の顔を見るとうれしそうに微笑むのだ。夫の存在が、なによりの幸福だというように。
 そして彼女のその笑顔こそが、夫をなによりも幸福にしていた。

 だが、夫は知らない。
 彼女が彼と結婚した理由を。

 彼女には、ずっと想っている人がいた。
 独身時代の彼女は、ある貴族のお屋敷で小間使いをしていた。そのお屋敷の若様に恋をしていたのだ。はじめての恋だった。
 決して実ることはないからと心に秘め、側近くに仕えることだけをよろこびとしていた彼女に、当の若様が縁談の世話をしたのだ。
「妹のように思っているお前には、ぜひしあわせになって欲しい」
 残酷なやさしさ。
 密かに愛するその当人から、他の男へ嫁げと言われるなんて。それも、純然たる厚意ゆえに。
 彼女はひとり泣き、告げられぬ想いを胸の奥深くに沈め、その縁談を受けた。……愛する人が、わたしのために選んでくれた相手に嫁ごう。そう、決意して。

 夫は知らない。
 彼女が彼と結婚した理由を。
 彼女が誰を愛しているのかを。

 それでも彼女は完璧な女性であり、理想の妻であった。彼女を愛し、守ってくれる夫のために心から尽くし、笑顔で生きていた。

 だが。
 ある夜彼女は、夫に黙って家を出た。
 夫は一度眠るとなにが起こっても朝まで起きない。健康な男なのだ。心も、身体も。
 それゆえに彼女は、安心して同衾する粗末な寝台から降り、時間を掛けて身支度をした。いつも着ている質素な服ではなく、嫁入り前に初恋の人から贈られたドレスを着、髪を整え、ささやかではあったが心尽くしに着飾った。
 眠る夫を残し、家を出た。
 目指すのは、初恋の若様の屋敷。

 若様は軍人だった。
 このたび若様が、危険な場所に赴任することがわかったのだ。あの方が、戦死するかもしれない……その恐怖は、彼女を動かすのに十分だった。
 昔勤めていた屋敷だ、入ることはたやすい。彼女は誰にも見とがめられずに、若様の寝室に忍び入った。
 深夜だというのに若様は起きていた。進駐を明日に控え、眠れないでいたのだろうか。

 行かないでください。そんな危険なところに。
 そう懇願するだけのつもりだったのに。
 変わらない若様の笑顔を見ていると、彼女は心の蓋が開くのを止められなかった。
「好きです。愛しています」

 叶うことなどないとわかっていても。妹だと思われていても。

「バカだね。そんなことで思い悩んでいたの?」
 若様はにっこり笑って、彼女を抱き寄せた。

 
 まだ夜が明けないうちに、彼女は帰宅した。若様の屋敷の馬車で送られて。
 案の定、夫は眠ったままだ。
 彼女は静かにドレスを脱ぎ、髪を解いた。自分に触れた若様のぬくもりを反芻しながら。
 今日は夫には触れたくない。寝台には戻らず、そのまま普段の質素な服に着替えた。
 そして、音をたてないように家事をはじめる。
 働き者の彼女が、夜明け前から働き出すことなど、決してめずらしいことではないのだから。

 夫は知らない。
 その朝彼女が何故、いつもにも増して美しかったのか。

 
「若様が、戦地に赴任されるそうだ。我々夫婦は若様に恩がある。そんな危険なところへ行ってはならないと説得するべきだ」
 翌日、遅れて情報を得た夫が言う。
 彼女は静かに応えた。
「若様には、若様のお考えがあるのよ」
 信念のある方なのだから、説得など無意味だということを。たとえそれで若様が命果てたとしても、当人が選んだ生き方である限り、それ以上の最期はないのだと。
 おだやかに、しかし凛とした強さを持って語る彼女に、夫は言葉を詰まらせた。
 彼女は、聖母のように清らかな微笑みを浮かべていた。

 夫はそんな彼女にさらに心酔した。これほどの女性が他にいるだろうか。
 彼女は、すばらしい女性だった。
 美しくやさしく奥ゆかしく、清楚でたおやか。そして、誰にも真似できない強さと、誰にも到達できない深さを持っている。

 そう。
 夫は知らない。
 彼女の、聖母の微笑みの理由を。

 夫は知らないのだ。

 
 『ベルサイユのばら−オスカル編−』を観て、腹がよじれるほど笑ったのですが、『SIREN2』をプレイするのが忙しくて、感想を書いているヒマがありません。

 なにしろわたしはヘボゲーマーなので、プレイ時間のわりにちっとも進んでないんですが。

 三上と阿部の「アイコンタクト」逃避行には萌えました(笑)。

 三上修(小説家。33歳)は目が不自由である。
 彼は愛犬ツカサの視界を借りることで、常人と同じように動くことが出来る。

 が、ツカサは三上をかばって死んでしまった。
 ひとりになり、目も見えなくなってしまった三上を拾ったのが、阿部倉司(無職。殺人容疑により逃亡中。24歳)だ。

 ここは夜見島。
 謎の住民消失事件以後、無人島となった不気味な島だ。
 島を訪れた三上たちを待っていたのは屍人(しびと)という武装したゾンビたち。
 生き残るのは至難の業。

 目の見えない三上は、阿部にツカサの「代役」を頼む。つまり、阿部が三上の「目」となるわけだ。

 このミッションの主役は阿部くん。
 テレビにも出ている有名美青年作家と知り合いになれて、無邪気に浮かれる阿部は、三上が「人の話なんか聞いちゃいねー」「てゆーか人にわかるよーに説明する気なんかハナからねー」ちょっとこまった男だということにだんだん気づき、アタマを抱えることになるんだが。
 なにはともあれ、そんなナルシー男を連れて、ミッションクリアせねばならない。
 屍人たちの目を盗み、あるいは戦って、安全なところまで逃げなければ。

 三上は盲目に近い状態だが、阿部の「目を借りる」ことで常人のように動くことが出来る。
 この「目を借りる」というのがさ。

 「見つめあう」ってことなのよ。

 なにか行動を起こす前、阿部はまず、三上と見つめあわなければならない。

 狙撃銃を持った屍人の視界を横切らなければならないとき。
 屍人の視界にできる死角をついて素早く移動するわけだが。
 阿部だけ素早く動いても、ダメ。三上も連れて行かなきゃならない。せっかく無事に安全ポイントまでたどりついたのに、後ろに三上がいない、もとの位置で立ちつくしている、とわかったときの落胆。ええいっ、あとついて来いよっ。仕方なくまた、屍人の死角をついて元の位置に戻って。
 三上と、見つめあう。
 さあ、オレはこれから走るからな。オレが走ったら、アンタもついて来いよ?
 言葉に出さない、目だけで語る。
 ちゃんと見つめあったなら、ほーら、三上はおとなしくついてくる。
 背中を向けてばかりじゃダメ。振り返って、三上といちいち見つめあわなければ。それを怠ると、三上は立ち止まってしまう。

 えーと。
 なんなんですか、この愉快なシステムは。

 野郎ふたりが見つめあってます。
 なにかっちゃー見つめあってます。
 そうしないと、クリアできないんだもん。

 お姫様と騎士?
 姫は騎士が見守っていないと、一歩も動かないの?

 阿部は三上をかばい、ひとり戦う。
 三上はなにもしない。後ろについてくるだけ。

 次にナニをするか「指示」が出るんだけど、「三上修を安全なところに隠す」とか、あったりまえに出るしな。そーか、姫を安全なところに隠して、阿部くんひとりで戦うのね。
 安全ポイントで「隠れろ」と指示を出すと、三上はいそいそと隅へ行って、膝を抱いて坐るしな。なんなの、そのかわいこぶり(笑)。

 
 いやあ、愉快でした。
 実際プレイしてるとウザいんですけどね、三上(笑)。
 野郎ふたりでえんえん「見つめあい」する絵ヅラには、ウケましたよー。

 今、+6:00あたりっす。
 冥府で大騒ぎしてます。
 三上姫は阿部騎士が止めるのも振り切って、某彼女のもとへ行き、大変なことになってますが(笑)。

 まだまだ序盤だろうから、これから彼らがどうなるのか、どーゆー謎があり、また物語が進むのか、なんにもわかってません。
 前作より格段にプレイしやすくなっているので、初心者にも敷居が低くなっているんじゃないかな? わたしのよーなヘボでも、最初のウチはぜんぜん死なずにすんだぞ。今はもう死にまくってるけど(三沢の金鉱社宅ミッションで、数十回死んだ……)。
 「視界ジャックによるミッションクリア」は純粋におもしろい。銃を使えないひ弱キャラで、武装した屍人たちの死角から死角をつき、知恵をふりしぼって脱出するのが好き。サスペンス最高。
 
 
 なんでもヅカキャスティングをするこのわたし。
 今回もなんとなーく、イメージしてます。

 盲目の美青年「人の話なんか聞いちゃいねー」三上修は、寿美礼サマ(笑)。
 そのナイト役を押しつけられた「アタマ弱そうなチンピラ兄ちゃん」阿部倉司は、そのか。

 美少女の揺れる瞳にドキマギ「まともで善良。てゆーかぶっちゃけ地味?」一樹守が、ゆみこちゃん。
 男たちを翻弄する謎の美少女「あなただけは、わたしを信じてくれるわよね……?(上目遣い、瞳きらきら・ゆらゆら)」岸田百合は、やっぱトップ娘役だから、彩音ちゃん?

 青春自衛官「キレるとこわいんです」永井頼人は、絶対らんとむで(笑)。

 ……まっつがいない。
 まっつがいないよう。
 一樹あたり、まっつでもいいかなと思うんだけど。でも一樹っていちおう主人公っぽいから、まっつじゃダメかなと。
 ……主人公だからダメ、って、わたしのまっつ観はいったい……。

 セーラー服にツインテールの女子中学生・矢倉市子と、着物姿のエキセントリック少女(モノは言いようだな)太田ともえを、ゆまちゃんと一花ちゃんのどちらがいいかで悩んでみたり。
 正当派ヒロインっぽい木船郁子をあすかちゃん、いかにも現代娘な女占い師・喜代田章子をきほちゃんでいいかなとか。

 まとぶやみわっち配役のできる、きれいめのにーちゃんたちが今後出てきてくれることを希望しつつ、ゲームに戻ろう。


 ごめんよ、ジュンタン……。
 ジュンタンの「抱かれたくない」男役、読んでて誰のことか速攻わかったよ……(笑)。そして「ごめん」なのは、わたし的にタニちゃんと彼が同じカテゴリだからだわ……(笑)。
 (http://diarynote.jp/d/73628/20060201.html)←ジュンタン@爆裂タニぃファンのブログ(はぁと)。

 えー、わたしの2006-01-30の日記、「まっつの場合。@……たい男役、……たくない男役。」についての後日談。とゆーか、追記?
 

 真面目にね、「抱かれたい・抱かれたくない男役バトン」かぁ、と考えたときに、「ダメだこりゃ」と思ったのよ。
 たとえばkineさんに回しても、絶対スルーされると思ったし、ドリーさんも無理だろうし、サトリちゃんとは今話しているからダメだし、あと思い浮かぶ面子も、ニガ笑いでスルーするかもなー、と思ったら、とてもバトンなんか回せませんでしたよ(笑)。

 もちろん、ジュンタンなら「反応」はあると思った。

 それこそ、「ちょっとお、誰が『下手そう』なんですっ?!」と、会うなり叫んでくれたよーに。
 前置きナシで叫ばれても、なんのことかわかったし(笑)。

 そして、ジュンタンの「抱かれたい男役」が誰かも、聞くまでもなくわかったしなー。
 そのうえ、「抱かれたくない男役」まで、わかっちゃったよ……(笑)。

 あとkineさんに、「バトン回しても、絶対スルーしたでしょ?」と聞いたら、「…………」と沈黙されてしまった。
 これまた正解。kineさんはあーゆーネタだと、絶対引くもん〜。
 沈黙ののち、バトンの意味について、論理的に解説を求められましたよ。そーゆーところも、とってもkineさん(はぁと)。

 
 わたしが知りたいな、興味深いなと思ったのは、「抱かれたい」「抱かれたくない」と同時に、「贔屓」と「嫌いな生徒」かな。
 はたして、「抱かれたい男役」と「贔屓」はイコールであるのか。
 「抱かれたくない男役」と「嫌いな生徒」はイコールであるのか。

 たとえばわたしは、えーと、どっちにしろイコールではない、と言えるのではないかと。

 わたしはものすげえ水ファンだと思ってますが、今いちばん萌えなのはまっつなので、「抱かれたい男役」=「贔屓」ではない。まっつには別に、抱かれたくないっす。

 また、タニちゃんのことは嫌ってないし、そりゃピュアファンとはいかないが、愛でている自覚があるので「抱かれたくない男役」=「嫌いな生徒」でもない。
 純粋に「下手そう」と思うから選んだだけで……ゲフンゲフン。

 ちなみに、ジュンタンが「下手そう」だから「抱かれたくない」と言っている某男役は、ぜんぜんOKっす。彼なら下手でもいいわ(笑)。
 ……と、なかなか複雑だよなあ(笑)。

 身内だけで盛り上がった「どのジェンヌに似ているか(顔の話ではなく、キャラや芸風。……にしても、イタイ話題・笑)」と同じく、自分を含めた「ひと」が、ジェンヌをどーゆーイメージで見ているかがわかって、興味深いなと。
 

 あー、わたしの場合、ジェンヌ個人よりも「役」で言った方が選びやすいわ。

 まっつの役で言うと、カルロス@新公La Esperanzaなら、抱かれたいっす。ぜひお願いしたいっす(笑)。


 映画を見たり、ゲームをやったり、忙しい今日このごろ。『SIREN2』発売までに『流行り神』を全部終わらせるつもりが、どーにもノれなくて断念。
 ねえ、『流行り神』ってアレどうなの? 「小説」とか「物語」とかいう観点でプレイすると、ものごっつーストレス溜まるんですが。
 ホラーとかオカルトとか好きでない人が頭の中だけで作った物語、って感じ……。システムとかいい感じなだけに、テキストも下手でないだけに、全編に漂う「鈍くささ」や「カンチガイ」がもどかしくて……。
 アタマのいい人が、アタマの良さのせいで大失敗してるっていうか。
 もったいないなー。おもしろくなる要素はちゃんとあるのに、ただのクソゲーですか……。

 とゆーひとりごとは置いておいて。

 それでもまだ、星組『ベルサイユのばら−フェルゼンとマリー・アントワネット編−』の話。

 『ベルばら』は祭りなので、祭り部分のみをたのしんだ。
 すなわち、役替わりだ。
 オスカル中心に観劇。それ以外はあんまり見てない。

 意識をシャットアウトしないとつらいんだもの。
 原作への冒涜のつぎはぎ台詞だとか破壊された日本語だとか無神経きわまりない音(言葉以下)の数々を脳みそに入れたくないもので。
 できるだけ無我の境地で、僧侶のように澄み切った心で、耳に入る「日本語に似た音」に意味を考えないよーに努力した。禅僧のような気合いですわ。

 オスカルを見て、アンドレを見て、ベルナールを見て、ジェローデルを見て、余力があったらアントワネットとかロザリーとか、衛兵隊だとか村人だとか貴族たちだとかを見て。

 ゆかりちゃんの美しさに心を洗われ、その扱いの悪さに腹が立ちそうになるのをぐっとこらえ、みらんの色男ぶりに心ときめき、その扱いの悪さに腹が立ちそうになるのをぐっとこらえ。

 自分の視線の行き先に、現星組での贔屓順を思い知った。

 もともと好きなしいちゃんやトウコちゃんたちをのぞくと、わたしがいちばんよく注目しているのは、みらんくんのよーです。

 放っておくと、見てるよー。
 気を抜くと、見てるよー。
 意識していないとき、自然と彼をさがして眺めているよー。

 なんか彼、どんどんいい男になるよね。
 クドイ色男。

 舞台で「善人オーラ」を出していないのが、好みのよーです。

 若い子にありがちだけど、モブをやっているときとかに「善人オーラ」を出している人がわりといる。
 なんでそんなもんを出しているかというと、「素がそのまま出ている」から。
 若くてあんましモノ考えてなくて、それゆえに「まだ汚れてません」てな意味の「善人オーラ」を出している。
 演技じゃないからソレ。「無知」ってだけだから。
 背景役であったとしても、舞台人である以上、「無知」をそのまま放出しているのはどうかと思う。
 ……まあ、かわいいっちゃかわいいけど。

 みらんのいいところは、まだ若造の域にいながら、ソレがない。
 そんなもんはとっくの昔に卒業している。
 舞台の上に相応しい「色」をまとって、そこにいる。

 それが、わたしの目を奪うんだ。

 あーゆー、「自分の仕事」をわきまえ、きちっとこなしている子は、いいねえ。見ていて気持ちがいい。
 脇を支える役者としての基礎をきちんと持ちながらも、スターとしての計算も身に付いていそうなところが、素敵。
 ケロちゃんのポジを継ぐのはこの子だよなあ、と思う。

 kineさんと話していたんだけど、みらんくんの芸幅の広さは、武器だよねえ。

 白い善良なおぼっちゃまもできる。
 さわやかな二枚目もできる。
 黒いスパイスな役もできる。
 ぐだぐたの悪党もできる。
 若者も、大人の男もできる。

 ……できないのは、耽美キャラぐらい?(ごめん・笑)

 これからの大真みらんを、心からたのしみにしている。
 「歌劇」でイタさ全開の「えと文」を書いているよーだが、性格が多少アレでも才能ある舞台人なんだから問題ナシ(笑)。

 
 みらんを好きなのは、べつにいいんだ。
 自分的に、納得できる。

 そのう、わたし的にかなりびっくりだったことが、もうひとつ。

 大劇場の隅っこからぼーっと肉眼でモブを眺めていて、「あっ、あの子かっこいー。好みだわ」と思ってあわててオペラグラスでのぞいたとき。

 それがあかしだったときの衝撃ときたら。

 あかし?!
 あかしですとっ?!

 なにかの間違いだと思ってみても。

 また別の日に、「あっ、あの子かっこいー。好みだわ」と思ってあわててオペラグラスでのぞいて。

 またしてもあかしだったときの衝撃ときたら。

 あかしなの。
 あかしなのよーっ。

 何度も何度も、えんえんえんえん、あかしなの。

 あかしが、わたしの目を奪うの。

 どうしよう。

 
 何故にこのよーに取り乱しているかというと。
 星のあかしといえば、雪のまちかめぐると同等だったんですよ、わたし的に。

 見るつもりもないのに、目に入る。
 ぶっちゃけ、見たくなくても、目につく。

 見ないように、視界に入れないように気を遣わなければならないキャラ(キャラ?)だったんだ。

 念のために言っておくが、嫌いなわけではない。
 わたしは苦手な人は目に入らないので、記憶にも残らないから、日記に書くことすらない。
 ただ、「見たい」という能動的な意識で見ている人と、「他にもっと見たい人がいる」状態なのに、目に飛び込んできて視界を奪ってしまうキャラとはチガウってことだ。
 他の人が見たいのに、つい目についてしまうから、意識して見ないようにしているの。

 ……雪のまちかもそうだけど、どっちかっちゅーと「好き」の変形であることが多い。
 でなきゃわざわざ視界に入ってこない。

 それはわかっている。
 もともと好きだよ、あかしくん。

 でもな、わたしの「色男センサー」からははずれていてな。
 他に見たい人がいるのに、目について目について、もうっ、わたしの視界に入らないでよーっ。……てな感じだったのよ、長い間。

 だって、利助なのよ?

 『巖流』で、あまりの色気のなさに腐女子ドリームをさまたげていた、小うるさいガキ。
 『花のいそぎ』の腐女子ロマンを確実に削いでいた、色気のカケラもないガキ。

 耽美とか退廃とか色気とかから、もっとも遠いところにいる、健康的な体力小僧。
 野球部とか体操部にいそうだ……。バスケとかサッカーとか剣道じゃないの。
 だから、好意はあっても、それだけだったのに。

 見たくないのに、目に入る。
     ↓
 かっこいい、と思って注目する。

 に、なってしまったんですけど、どうしよう?!

 どっちにしろ、「目に入る」「見ている」ことには変わりないんだけど。
 意味が180度ちがいます。
 どうしようどうしよう。

 なまじ、今まで「利助め!」と思ってきただけに。
 今さらそんないい男になられても、こまる。

 あかしめ。あかしったら。利助のくせに、そんなにかっこいいなんて、なにごとなの?!

 今まで「利助」扱いだったので、とまどってます。
 利助ってのはすなわち、「ポチ」と同意語ですよ。雑種の子犬です。丈夫だけど、きれいでもないし、アタマだってそんなによくない。そーゆー犬のイメージ。や、たしかにポチはポチで好きだったけど。
 ポチだと思ってそーゆーかわいがり方していた雑種犬が、ある日突然、かっこいー人間の騎士に変身して現れたてな衝撃です。
 どうしよう。かっこいい……どきどきどき。

 最初から「二枚目路線」だと思っていたら、ここまで衝撃受けない。
 ポチが二枚目になったから、あたふたしているの。
 泣き虫ちびっこだった年下の幼なじみが、たくましいイケメンになって帰ってきたよーなおどろきと、ときめき。
 ドンクサ眼鏡くんが、眼鏡を取ったら実は美形だったよーなおどろきと、ときめき。
 意識の落差が大きいだけに、大変です。事件です。

 
 つーことで今、あかしくん好きです。
 ときめいてます。

 ときめいている自分に、とまどっています(笑)。


 宙組友会全滅にめげる。たかちゃんを見守ってほんの18年。最後を見送ることはできるのでしょーか……。溜息。

 ……はともかくとして、星組『ベルサイユのばら−フェルゼンとマリー・アントワネット編−』千秋楽の話。

 ああ、星組だなあ。

 千秋楽の、みょーにアツい空気を感じて思う。

 誰も退団しない、1度も幕が下りないままに挨拶になる、最近じゃめずらしい「ふつーの」千秋楽。
 なのに、星組ってばアツいの。
 カテコはとーぜん、スタンディングだし。
 パレード再度あるし。
 てゆーか、観客、立ったままだし。

 カーテンコールもスタンディングも、正式な、本来の意味でのものじゃないのよ。
 舞台が素晴らしくて感動のあまり、というのが本来の意味だとすれば、本日のスタンディングは絶対チガウ。
 だって『ベルばら』だよ? 感動のあまりスタンディングして拍手するのなんて、某汐美真帆さんぐらいのもんぢゃないの?(自虐的なネタ)

 なんかねー、祭り好きだから立ったって感じがしたのよ。

 だって『ベルばら』だし。ファンだってストレス堪りまくりだよねえ。
 こんなうんざりする作品、ヅカファンであればあるほどディープになればなるほどつらい演目に、1ヶ月半も通った人たちが、こんな作品こんな脚本こんな演出にめげずにぐれずに健気に一途に演技し続けた舞台人たちに対し、心からの拍手をしたくなる気持ちはわかるよねえ。
 なんか拍手やスタンディングの雰囲気がねー、「かんどー」でもなく「お約束」でもなく、なんか「発散型」?って感じに思えたの。(そりゃ、「お約束」がまったくないとは言わないが)

 『ベルばら』は、最低最悪の演目だ。
 あれほど毎日大入り満席であったとしても、千秋楽に当日券が売り切れないという事実で、ファンにとって最悪な演目であったことがわかる。
 客席はところどころ赤い。
 団体客や一般客が入らず、ディープなファンがほとんどを占める日だからだ。
 門の前は、サバキの嵐。保険で多く押さえた人たちが、余らせたチケットを鈴なりになってさばいていた……少しは売れたんだろうか。
 当日券が売り切れていないため、2階最後列はずらりと赤い。A席B席ともに、席種最後列、LRなどの最端も人が少ない。
 どんなに悪い席でも、あるいは当日に並んででも千秋楽が観たい! と思う人が極端に少ない演目だったんだよな。
 リピート前提のファンにとって、魅力のない演目であった証。

 贔屓を人質にとられているファンは、どれほど苦痛であっても劇場にお金と時間を使って通わなければならない。
 そして、どんなに最悪な作品であっても、生徒たちが真摯に演じている姿を見ると、それでも感動してしまうし、たのしんでしまう。
 苦痛と快感が同時に存在するジレンマ。
 人間は一定値の苦痛を超えると、それに対して痛覚がマヒし、快楽であるという錯覚すら起こす。
 早い話が、開き直り。
 『ベルばら』は、祭りだ。
 苦痛や嫌悪はスルーして、たのしむことだけに努めよう。

 とゆー、抱え込んでいたジレンマ、錯覚だと知りつつも快楽だけに注目し、苦痛から目を背けていた不自然さ、ストレスが、最後の最後に爆発したというか。

 祭りだー!!

 って感じ。

 スタンディングしたまま、銀橋のパレードって、なにソレ。ふつーパレードはじまったら坐るだろ。一度立ってもあわてて着席するだろ。だって後ろの人が見えないじゃん。
 アツいなあ。

 ことの是非はともかく。
 なんかわたしは、ひたすらなつかしくて。

 ああ、星組だなあ。
 そうそう、星組ってこうだよ。
 千秋楽ってこーゆー温度だよ。

 ……つい先日までこのアツさは「わたしの組の平熱」であり、星組は「わたしの組」だったんだ。

 好きだよ、このアツさ。
 誇りだった。おしゃれでも洗練されてもいない、泥臭い灼熱感。
 一歩引いてクールぶってる人、オシャレぶってる人からすれば「ぷっ」てな土着感だけど。
 それが、誇りだったんだ。

 半裸に原色の飾りをつけて、「オラオラオラ〜〜!」と炎を囲んで踊り狂う人たちのイメージ。
 足首までのドレスに宝石を身にまとった人々が優雅に集う、ささやき声しかしない舞踏会ではなくて。
 カーニバル! な感じが、大好きだった。
 ほんとうに、誇りだったんだよ。

 ……過去形で話しているのが、かなしい。淋しい。

 つい先日までわたし、星担だったんだよなあ。
 そしてつい先日、氷点下の寒さのある、花組千秋楽を体験したところだからさー。
 なんか、いろいろとかなしくて。

 星組の星組らしい暑苦しさを、なつかしく思うのだ。感じるのだ。
 そんな自分がまた、少し淋しいんだ。

 うん、淋しいなんて変だよね。思い上がりだよね。
 贔屓組が移るということは、「好きでなくなる」ということじゃない。
 好きな組が増えるということだ。

 ケロが星組に来るまで、わたし、星組ほとんど観たことなかったじゃん。いちばん縁のない組だったじゃん。
 それが、いちばん好きな組になって。

 今、星組にケロはいないし、わたしのホームは別の組に移ってしまったけれど、それで星組を好きでなくなったわけじゃない。
 星組は好き。
 ずっと好き。

 星組の、星組らしさが好き。

 それをつくづく、思い知った。
 星組千秋楽。

 
 『2001』を観たときに思った。
 オスカル……そんなにフェルゼンを好きなら、押し倒しちゃえよ。君なら、絶対勝てるって!

 『2001』の、ミズカル。あまりにオカマで、嘘くさい女っぷりで、そう思ったんだ。
 フェルゼンを好きなら、ヤッちゃえよ。力尽くでモノにしちまえ。お人形のようなたかこフェルゼンなんか、ちょろいって。

 あれから5年。
 同じことを、思った。

 オスカル……そんなにフェルゼンを好きなら、押し倒しちゃえよ。君なら、絶対勝てるって!

 ミズカルではございません。
 ユヒカル、君は何故にそれほど男らしい?

 ゆーひくんが、男にしか見えません。
 いつものゆーひくんです。若干声は高めだけど、それだけ。

 ゆーひくん……オスカルが女だって、知ってる?

 『ベルサイユのばら−フェルゼンとマリー・アントワネット編−』オスカル役替わりコンプ、最後のひとりは我らがゆーひくん。『ベルばら』に懸ける金も時間も惜しいので、観劇はオスカル各1回ずつ、ゆーひくんの場合は本日千秋楽を観劇。
 だからもう彼は、すでに10日間ほどオスカルを演じてきたわけです。
 10日もやってきて、コレか……。

 美貌だがクールで男らしいコムカル、正統派の男装の麗人カシカル、いたいけな少年テイスト・キリカル、キャリアウーマン・ミズカルときて、トリを飾るユヒカルは、ホモの美青年でした。

 ははははは。
 ツボ入った。
 入りましたよ。
 オスカルが男だー。ついでに、ホモだー(笑)。

 ゆうひくんの演技力について、以前からかなりやばいものを感じていたんだけど、このオスカル役でよーっくわかった。ゆーひくんやっぱり、演技はそうとうアレだったんだね(笑)。
 持ち味だけでやってしまえる役ならボロは出ないし、長年やってきたこともあり男役としてならなんとかなる。『長い春』のフローレンスのよーな「イメージ誇大系」のわざとらしい女役も、なんとかなる。
 しかし、「女だけど男の格好をして、男社会で働き、そのへんの男より男らしいけれど、実はものすごく女らしい女」@植爺作オスカル、という、ややこしい役は、引き出しにないんだ。表現できないんだ。

 フローレンスのときのように、曲線を強調した姿でもないし、女言葉でもない。軍服にマント、言葉も所作も大仰。それで「女だけど男」「男だけど女」を表現できる技術は、ゆーひくんにはなかった。

 そこにいるのは、いつもの「男役・大空祐飛」だった。男装の麗人オスカルぢゃない。
 オスカルという名の、男の人。フェルゼンという男に道ならぬ恋をして、「男同士だから……」とその恋を封印し、幼なじみのアンドレという男に「ホモでもいいじゃないか、愛はすべての隔たりを超えられる」ということを教わり、彼と結ばれる……。

 すげー。
 男同士の恋愛モノだー。

 ユヒカルってば、体格よすぎ。女ぢゃないってアレ(笑)。
 ワタルゼン相手でも、「攻か。攻なのかオマエ(笑)」って感じだし。
 ワタルゼンの貞操の心配しちゃったわー。なにしろベルサイユのフェルゼン邸はメルシー伯爵が簡単に忍び込めるくらい、警備はカスカスでしょ? ユヒカルがその気になれば簡単に夜這いできちゃうよ?
 まあねえ、突然現れたユヒカルにベッドに押し倒され、驚愕の表情を浮かべるワタルゼンつーのも、見てみたい気はするけどさー。あー、悲鳴とかも聞いてみたいですねえ。ワタルゼンいい人だから、友だちのユヒカルを本気で殴れなくて、躊躇しているウチに押さえ込まれちゃうのね。そしたらもー、ユヒカル強いし、そのまま禁断の世界へまっしぐらね。
 『ベルサイユの薔薇−オスカルとフェルゼン編−』……薔薇、が漢字なのがポイントね。

 ワタルゼンでもアレなのに、トウドレが相手だと、もお。
 トウドレ、可憐です!
 どーしよー、もー。
 トウドレ、芸風はおやぢなんだげど、姿がめちゃくちゃ可憐でさ。なんせ隣に立つユヒカルがゴツいから。
 うわー、相乗効果。トウドレの小ささ、華奢さが強調されてる。ユヒカルのでかさ骨格の力強さ、なにより肩幅の広さが強調されてるよ。

 オスカル役替わり全部見てきて、いや、平成元年から生で『ベルばら』体験してきて、はじめて、「今宵一夜」で吹き出した。

 縮尺まちがってます!
 オスカルでかいよオスカル!

 「今宵一夜」の場面、オスカルとアンドレは決して立って並ばない。ものすげー気を遣って、オスカルは坐っているか膝立ちするかになっている。
 それで、今まではなんとか誤魔化されてきた。でかいな、と思ったのはカシカルのみで、それもカシカルが女らしかったので帳消しになった。
 しかし。

 ゆーひほどでかいと、誤魔化しきれない。

 身長だけの問題じゃない。骨格だとか、姿全体で、でかいんだ。

 坐っていてさえ、でかいことがわかる。また、わざとらしい女坐りとかしちゃうもんだから、「女の仕草をわざとしている男」ってことで、違和感の分さらにでかく見える。

 そのでかいオスカルが、小さくて可憐なアンドレに、わけわかんない台詞@植爺クオリティをがなりたてながらしがみついた日にゃあ。

 すげーおもしろかった、「今宵一夜」。

 笑えたー。

 ホモのラヴシーンめいていて、素敵。
 だもんで、翌日の「戦闘が終わったら、結婚式だ」の台詞に、ウェディングドレスを着るのはどっち? と、ナチュラルに思っちゃった。

 ドレスなあ。やっぱトウドレが着るのかな。似合うだろうな。

 つーことで『ベルサイユの薔薇−オスカルとアンドレ編−』……薔薇、が漢字なのがポイントね。

 あと、「オスカル・ストッパー」のベルナールが、取り乱すオスカルを抱き留めるところ。

 ゆーひくん、脚なげー! と、しみじみ思いました。

 だってしいちゃん、胴を抱き留めるはずが、お尻抱いてるよ。脚が長い分、胴の位置が高いから、ふつーに抱きしめたらお尻を抱いちゃうのね。
 尻ぢゃいかん、と思い直すのか、角度を変えるときに改めて胴に腕を回してみたり、しいちゃんもがんばってる(笑)。

 バスティーユはふつーにかっこいいし。
 オスカルがかっこいい、のではなく、大空祐飛がかっこいい。ふつーに、男役として。

 ああ……いいなあ、ユヒカル。

 ゆーひくんの技術じゃあ、植田芝居もオスカルも無理だったのねー。そーゆーとこも、愛しいわ。

 温度が低いのも、うまく見えない一端なんだろうな。高温な人は、多少難があっても、発熱することで誤魔化しちゃうから。
 ゆーひくん、やっぱり基礎舞台温度、低い……(コムちゃんほどクールでもない)。

 それもあってか、やっぱり人を愛する演技、下手だね(笑)。
 持ち味が低温だと、難しいよねええ。

 いいのよ。ゆーひくんは、ゆーひくんだけの魅力があるんだから。
 演技は相性だ。
 下手でも大根でも、相性さえよければ感情移入して見られる。わたしはゆーひくんとは相性がいいので、「ひょっとして、ゆーひくんの演技力って相当やばいんじゃ?」とか思いつつも、ぜんぜん平気で見てこられた。
 ぶっちゃけ、あの美しい姿を見ているだけで、気持ちいいので、その他のことは無問題だったりするんだ(笑)。

 植田芝居とオスカルがダメなだけで、月組では浮いてないんだから、「男役・大空祐飛」としての演技はできるんだから、ぜんぜん平気だよね?

 千秋楽の挨拶で、ワタさんがゆーひくんのことを「儚げなオスカル」とかなんとか言っていたけど、女じゃなく、男として「儚げ」って意味だよな? 悩めるホモ美青年だからだよな?(笑) ルドルフ@エリザベートが「儚げ」なのと同じ意味だよな?

 男にしか見えない、罰ゲームでもやらされているよーなオスカル姿が、愛しかったです。

 
 そして、最後のお楽しみの「小雨降る径」は……やっぱり感想は肩幅すげーなー。だったりする(笑)。

 ガイジン美女みたいな体格だ。迫力。
 きれいだけれど、硬質。そして、色気、なし。
 男役やってるときの方が色っぽいよなー。

 そんでもって、なんつっても、胸の谷間。

 男役やってても、谷間だとか丘だとか見せてくれる気前のイイゆーひくんだもんな。女役ならそりゃ見せてくれるよなっ。

 きりやんとゆーひは胸アリで、コム、かしげ、水はナシか……月組と雪組の差が、こんなところに。

 
 『ベルばら』は祭りだ。
 オスカル役替わりフルコンプ、完遂。


 しい担サトリちゃんが沈黙していたので、びびってなにも書けなかったんですが、先日彼女とミナミでデートしたおりに謎が解消。安心して書くことが出来ます。

 『ベルサイユのばら−フェルゼンとマリー・アントワネット編−』のベルナール役、立樹遥氏について。

 しいちゃん、すげーかっこいいよねっ?!

 最初に観たときに、瞠目したんですが。
 えっ?えっ? なになに、しいちゃんてばかっこいーっ!!
 やーん、このベルナール好き〜〜。

 わたしは大喜びしたし、kineさんも同意見だったのだけど。しい担のサトリちゃんがなにも言わない。ピュアファンと一般ファンの間には感じ方に差があるし、ピュアファンにしかわからない地雷があるかもしれない。
 下手に騒ぐのもナニかな、と、他のことを先に書いていたの。

 なーんだ、サトリちゃんもベルナール素敵って思ってたんじゃん。ファンほど筆が重くなることってあるよね。

 つーことで、安心して書きます。
 しいちゃんベルナールのかっこよさについて。

 1幕はほとんど出番なし。オープニングで別人として踊ってるぐらいのもん。
 ベルナールとしては、2幕のジェローデルの回想で初登場。

 回想で登場かよっ?! ジェロさんとベルナくんの関係はっ?! ……親密だよねこのふたり、という話はまあ置くとして。

 初登場からして、アツいアツい。
 その前の場面が「今宵一夜」だったのに、それを吹き飛ばす高温度。オスカルの身を案じ、妻のロザリー@ウメと口論。
 ここでなにが素敵かって、言葉の上では言い争っているのに、ロザリーへの愛が見えること。
 台詞云々じゃないんだよね。
 大きなベルナールが、痛々しいほど華奢なロザリーを、守るようにして話す。口論であってもだ。
 ウメちゃんは「男役転向」を希望されるほど長身かつ凛々しい娘役だけど、その彼女がとても小さく儚く見える。もちろんそれは、彼女自身の演技もあるけど。
 しいちゃんの演技の相乗効果、てのもあると思うんだ。
 ベルナールが、ほんとーにロザリーを「自分がこの腕で守るべきもの」として、愛に満ちた基本タンスでいるから。
 あの「大事大事」「目に入れても痛くない」系の演技されたら、そりゃ彼の腕の中の女子は、儚く可憐に見えますよーっ。
 てゆーか、ロザリーうらやましー。わたしもあんなふーにあやされてみたいっす。

 次にシャトレ夫妻が登場するのは、あの「バスティーユ」だし。
 ナチュラルにテンション高い(笑)。

 ここでのベルナールの役目ははっきり言って、「オスカル・ストッパー」。
 橋の上で無惨に撃たれるアンドレのもとへ、駆け寄ろうとするオスカルを、抱き留める。

 いやあ、しいちゃんガタイいいから! 説得力あるのな。この大男に抱き留められたら、そりゃ「取り乱した乙女☆」オスカルも、動けませんて。
 その「大きな」感じもツボ。オスカルが暴れても、びくともしない感じがいいの。
 もちろんベルナール自身も、すげーつらそうだしね。
 オスカルを放したあと、ロザリーのもとへ吸い寄せられるよーに行くのも、いい。

 バスティーユのダンスは、もちろんかっこいーし。
 衣装似合ってるよね。ダークカラーの丈の長いジャケット。あー、なんか、オトコマエなしいちゃん、ひさしぶりに見る気がする……(全ツのことはすでに記憶から遠ざかっている模様)。

 あとねあとね、オスカルが死んだあとの慟哭も好きよ。
 天を仰いで、顔ぐしゃぐしゃにして男泣きに泣いてる。
 泣いてるしいちゃん、好きだなあ……。くどくて暑苦しくてツボ。

 ……って、ここまでがジェローデルの回想つーのがね……ジェロつん、どこでナニを見て、ナニを聞いたんだ……。

 ところで最後の牢獄シーン、しいちゃんどんどんやりすぎて来てないか?
 王妃に対しての台詞、語尾伸ばしすぎ、震わせすぎ(笑)。
 1箇所ならアリだと思うけど、「お覚悟を」的台詞を喋るたびにやられると、笑う(笑うのか)。
 ただ、その「やりすぎ感」こそがしいちゃんらしいので、わたしはOKなんだけど。

 
 でもって最初に観たときにおどろいたんだけど……。

 しいちゃんって、組内3番手なんだ。

 フィナーレの、大階段黒燕尾の位置がね。扇形になるところ、トウコちゃんの横、なんだわ。上手側がトウコ、隣がしいちゃん。ふたりだけ。

 そりゃね、現星組には大人の事情があって、涼氏と柚希氏の順列を明確に出来ない、ことはわかってますよ。
 そのあおりをくってしいちゃんの立場が上がっていることは、わかってます。暫定処置なんだろーな、ということは。

 にしても、『ベルばら』ですよ。
 組の事情なんか関係ない、一般人がたくさん観に来るビッグタイトルで、3番手位置。

 それって、すごいよなあ。

 パレードの立ち位置も、そーゆー扱いだし。

 暫定処置でもなんでも、うれしーぞー。
 ベルナールという、初心者にもわかりやすい役をやって、フィナーレやパレードでいい位置をもらっている。きらきらした笑顔で踊っている。
 ……ああ、たくさんの人が、しいちゃんを見てくれますように。
 たくさんの人がしいちゃんに気づいて、しいちゃんの魅力を理解し、しいちゃんをおぼえてくれますように。
「あのきらきらした大きな人、また見たいわね」
 とか、思ってくれないかなあ。
 ベルナール役の人、6月にバウホールで主演するんですよー。なんだか気になりませんか〜〜?
 と、宣伝したいハァト。……たぶんコレ、「ウチの子自慢」だな……「ウチの子、すごいんですよ、奥様ちょっと見てくださいな」てな。

 いやはや。
 薔薇タンはともかく(ともかく?)、フィナーレのしいちゃん好き。かっこいー。
 ついでに、パレードのしいちゃんも好き。かっこいいかっこいいかっこいい。
 わたし、丈の長いジャケットのしいちゃん、相当好きみたい。

 
 たのしみの少ない、『ベルばら』だからこそ、がんばってたのしまなきゃ。
 あとは東宝まで、しいドレと柚ドレ、そしてトウカルを観に行くぞっと。

 
 でもって、最後にちょっとひとりごと的に、ベルナールさんの話。

 最後の牢獄に、フェルゼンを招き入れたのはベルナールだよね。
 メルシー伯爵を面会させるのを表向きに、その従者とかなんとかかこつけて、フェルゼンも中へ入れた。
 フェルゼンは、この段階で本気でアントワネットを逃がす気でいる。
 逃走ルートの確保や資金の調達もできているんだろう。処刑の前夜にそりゃ無理だろ! というツッコミは置くとして、だ。たとえ他の誰もが「計画はすでに失敗」だと思っていても、フェルゼンひとりは本気で助け出す気でアントワネットのもとに行っている。なにしろ本人が、そう言ってるんだし。
 アントワネットが断ったのは結果論でしかない。

 ロザリーは、アントワネットが死を選ぶことを知っていただろう。
 だが、ベルナールは?

 ベルナールもおそらく、わかっていた。アントワネットが王妃として最期を迎えることを選ぶのも、また、今さら助けに来たってもう遅い、救出計画なんかとっくの昔に失敗してるってことも。
 わかっていない、アントワネットを救えるはずだと本気で信じていたのは、フェルゼンひとりだろうよ。

 それでも。

 ベルナールは、心のどこかで信じていたんじゃないだろうか。
 アントワネットを救えることを。

 連行するために牢獄へ戻ってきたとき、アントワネットがいなくなっていることを、願っていたんじゃないだろうか。
 フェルゼンがアントワネットを連れて逃げることを。そんな未来があることを。
 信じたかったんじゃないのか。

 ありえない、無理だ、とわかっていながら。

 心のどこかで。

 だけどやはり、アントワネットはそこにいて。処刑のときを待っていて。
 王妃として死ぬ、その潔さを敬い、これでいいんだと納得していながら。
 それでも……。

 そーゆー「迷い」や「ロマンチスト」的な部分があってこその、ベルナールだと思うのよ。
 ロザリーほどの割り切りはなくてな。ウェットで、そのくせアツくて。

 そーゆースタンスあってこその、最後の台詞「カペー未亡人!!」があるのだと、わたしは勝手に思っている。

 
 すみません、いきなり一発目からホモ語りしちゃいましたが。
 『想夫恋』はふつーにラヴロマンスですよ、男女の。
 知家@ほっくんと小督@あいちゃんの物語で合ってます。
 美しい画面で繰り広げられる、美男美女の、儚い恋の物語っす。

 こだまっちの「萌え」の追及姿勢が、とてもわたし好みです。
 『天の鼓』で書きたかったんだろーけど、構成力のなさのせいでブレてしまって書けなかったテーマを『龍星』で書き直し、さらにこの『想夫恋』で抽出して書き直している、とゆー感じかしら。
 好きなテーマなので、こうやって何度も何度もアプローチを変えて書いてくれるとうれしい。
 嫌いな人には「同じ話ばっかり焼き直すな!」ということになるんだろうけど(笑)。

 
 ところで、北翔海莉の新しい魅力開花ってことでいいですかね?

 主人公の知家をひとことで言うと、ストイックですよ。
 熱血しないアンドレというか。(隆房がオスカルですから)
 あー、キルヒアイスに近いか。(とゆーと、隆房がラインハルト?)
 オスカルに毒盛ったりレイプしよーとしたりしない、真の意味で影に生きるアンドレ。

 こーゆー大人の「耐える男」を演じるほっくんが、新鮮です。
 なにしろこの間見たのは「白い血だから白血病! ミャハ☆」の妖精王子だし。
 いい感じにオトコマエですよ、ほっくん。
 正直、笛はもう少しなんとかしてほしいですが(笑)。

 
 あいちゃんは、納得の姫っぷり。
 「姫君」という記号しかないよーな女の子の役だが、それを観客の期待通りに演じてくれて気持ちいい。
 正直、お琴はもう少しなんとかしてほしいですが(笑)。

 
 ストイックな大人の男と、美しい姫君が「時代」という縛りの中で恋をした。
 ドラマティックに悲劇で、華やかで、実にイイです。
 脚本の心理展開に甘い面があるので、「どーしてそーなるの?」を観客が埋めなければならないんだけど、許容範囲ではないかと。
 わたしはちと、じれったいですが。

 
 知家と小督、そして隆房の3人を徹底的に描写するべきだったよなあ。
 そーでないと、隆房の死後、知家と小督がすれ違い続ける(知家が小督を拒み続ける)のがわかりにくくなる。弱くなる。
 隆房を2番手役にすることはできなかったのか?
 なんのために帝をもりえにしたのかわからん。

 隆房@みりおは、その華と容姿のかわいらしさを発揮し、よくつとめていたけれど。
 でもまだやっぱり、2番手役にはいろいろ「足りない」感が残る。
 隆房役がもりえちゃんなら、またちがったモノが見られたんだろうな。

 
 純粋に「作品」として見た場合、知家、小督、隆房の役の「格」を再考して欲しいと思うし、隆房を正しく2番手役とするなら、新人よりも、キャリアのあるもりえで見たかったと思う。
 もちろん、みりおくんがこれからの人であり、この重責を経てさらにスキルアップしイイ役者になっていくんだってことは、わかっているよ。
 今のみりおくんと、今の彼が演じている隆房が魅力的なこともね。
 ただ、「作品」的に不思議でさ。
 なんで帝の比重を変に上げて、ストーリーを弱くしちゃってるんだろう、と。

 こだまっちが、もりえに萌えなかったと、ただそれだけのことなのかと、勘ぐっちゃうよ……?

 
 あともうひとつ。
 キャスティングの謎……というと語弊があるが、首を傾げていることがある。

 すみません。
 最初に謝っておきます。
 彩央寿音くんと、そのファンの人、ごめんなさい。
 今の『想夫恋』をパーフェクトに好きな人にも、ごめんなさい。

 わたし、他のナニより、狭霧@彩央寿音が「力不足」だと思いました。
 学年や、今までのキャリアからは妥当な結果であり、よくやっていると思う。本人がものすげーがんばっているのもわかる。
 だけど。
 純粋に「客」の立場として、あの狭霧役はねえだろと思う。

 ほんとにコレは、キャリアの問題なんだと思うよ。彩央寿音くんに含むところはナニもない。
 学年で、できるできないってあるよね。

 狭霧は、主人公知家@ほっくんの「影」なんだから、少なくともほっくんと同等か、それに近い力を持った人がやるべきだった。
 この間までバウで公演していた『不滅の恋人たちへ』でいうところのアルフレッド・デジュネー@チャルさんの役どころだよ?
 『不滅の恋人たちへ』のチャルさんは、主人公ミュッセ@タニの「影」として変だったけど、今回の『想夫恋』の場合は、逆の意味で変だよ。
 タニちゃんの「影」なら、タニちゃんに近い立場や実力の人がやるべき。あの布陣でいうなら、あひくんが演じるべき役だった。……なのにチャルさんが演じ、舞台を別の地平へひとりで飛ばしていた。
 そのチャルさんがやっていたよーな役を、まだ研4だか5になるんだかの若者が演じるのは、無理があるよな、『想夫恋』。
 『不滅…』はベテラン過ぎて変だったし、『想夫恋』は初心者すぎて変。
 何故にこんなキャスティング。

 『想夫恋』のキャストを見回してみて、狭霧役がいちばん適任なのはのぞみちゃんだと思う。
 実力的にも学年的にも、濃さも芸風も(笑)、合っていただろうに。
 ヒゲのおっさんやってる場合じゃないし、ピンクのミニスカァトで踊っている場合でもないって! カーテンコールで目を線にして「好々爺」って感じに笑ってる場合でもないって(笑)。

 狭霧役がぴしりと締まったなら、もっともっといい作品になるのになー。惜しいなー。

 ……勝手なことをほざいてごめんよぅ。
 狭霧という大役を得た彩央寿音くんが、重みのあるめっさいい男に成長してくれることを、心待ちにしている。

 
 美しくて萌えで、よいラヴロマンスだと思うだけに。
 あちこちもどかしいのだ。

 ……あのやる気のなさげなポスターも、なんとかしてほしいよ、ほんと。
 やる気のなさげ、てのはキャストじゃなく、演出家な。もっと凝れたはずなのに、それを放棄した感じがしてさー。


 キムタク様映画の制作発表のおかげで、ウチのよーな辺境にも「檀れい」で検索がやたら来てます。
 しかし、その検索がほぼ100%、2005-01-07の「檀れい様の太股話」にたどりついているんですが。……さめざめ。

 
 さて、本日は月組バウ『想夫恋』初日に行って来ました。

 いつものよーに予備知識なし。知っているのは、ポスターがものすごいことと、演出家がこだまっちだということ。

 いやはや。
 あのポスターで、なにを思えというの。なにを想像し、なにを感じろと?

 ポスターのおかげで思考ストップしておりましたが。
 実際に観てみて。
 まず、断言しましょう。

 とても、美しい舞台です。

 あのポスターなのに。美しさと対極にあるのに。なのになのに、じつは美しい作品なのですよ。

 えーと。
 最初に、カップリング明記しておきますか。

 ほっくん × みりお でした。

 ……どーしよーかと思った。
 この作品のヒロイン、ひょっとしてみりお? えとえと、2番手もみりお? えとえと、もりえちゃんは?

 こだまっちの萌えは、わかりやすい。ヲタク女の思考回路として、とてもわかりやすいんだわ。
 もりえには萌えなかったのね……。

 ついでに、ソルーナさん × ほっくんでしたよ……こちらもどうしようどうしよう、絵面がアレなんでうろたえた(笑)。

 
 物語の説明をしておきましょー。

 藤原隆季@ソルーナさんは、妻を亡くしたばかりで、寂しかった。ちょーどそのとき、笛の芸と身を売っていた少年が、複数の男に乱暴されているのを見つけ、助けた。天涯孤独で行くあてのない少年を、隆季は家に連れ帰り、妻の代わりにかわいがることにした。
 それが、知家@ほっくんだ。
 隆季にはすでに息子、隆房@みりおがいたんだがな。息子と大して歳の変わらない男の子を愛人にするなんて、なかなか非道だよな。まあ、時代的に許されてるんだろうけど。
 つっても、表向きには妻でも愛人でもなく「養子」だ。隆房の義兄だ。知家は、「自分は所詮愛人」と分をわきまえ、勉強もスポーツも、なんでも隆房に遠慮して、一歩下がった人生を送る。
 隆房は、貴族のぼんぼんらしく天真爛漫に育ち、知家にも非常になついている。ふたりはカストルとポルックスのように心を許しあって成人したわけだ。

 いくら兄弟同然に育ったとはいえ、知家は所詮隆季の愛人。藤原家を継げるはずもなく。
 嫁取りをして家督を継ぐのは、年下の隆房だ。
 隆房は、都一の美女で琴の名手、小督@あいあいと結婚することになった。なにしろ政略結婚だから、実際に嫁取りする段にならなきゃ顔も知らない。
 宴の日にそれぞれがそれぞれに一目惚れし、隆房→小督→知家、そしてさらに、知家→小督という関係になった。知家と小督は両思いだが、なにしろ小督の結婚相手は隆房と決まっている。絶望的な三角関係だ。
 しかし、この三角関係が実はややこしい。
 知家と小督は両思い、だと思うじゃん。小督という美女を、兄弟で取り合うのかと思うじゃん。

 実は、チガウのだ。

 隆房が平清盛@立さんの陰謀により、謀殺されることになった。
 生死の狭間で、真実がわかる。
 えーと、主人公の知家、君がほんとに愛してるのは、隆房だね? 小督に惹かれたのは、彼女が隆房の妻になる女だからだね?
 隆房、君が小督に惹かれたのは、知家が彼女に惹かれていることを知っていたからだね?

 1幕最後は、えらいことになってます。

 知家と隆房が、ドラマティック・ラヴを繰り広げています。

 そして、知家の腕の中で隆房が事切れ、小督はよそで拉致られて、幕。

 
 ……な、なんか、ものすごいもの見たよーな?(首傾げ)

 1幕が終わって、考える。

 それで、ポスターに出ていたもりえちゃん、なにしてた?

 出番、なかったなー……。

 
 真のヒロイン、隆房は、あわれにも1幕で死んでしまった。
 じゃあ2幕はどうなるのかというと。

 主人公・知家は、隆房のためだけに生きていた。

 隆房が「小督を頼む」と言い残したから、小督を見守る人生。
 隆房はもう、舞台には現れないけれど、すべてが彼の遺言で動いていく。

 知家は小督を愛さない。少なくとも、血肉を持った生身の男の愛ではない。高貴なものを捧げ守る感じ?
 そりゃーなー、小督の存在は、「隆房との絆」を表す最後のサンクチュアリなんだもの。

 小督は生身の女だから、知家に「愛してるのよ、あなたはどうなの?」と詰め寄りもするのだけど、知家は指一本触れない。
 究極のプラトニックラヴだということにして、知家は小督を遠ざける。

 あきらめた小督は、高倉天皇@もりえと結ばれる。……が、政変いろいろで、結局天皇は夭逝し、小督は出家することに。

 ラストは、隆房の墓の前。
 桜散る美しい春の終わり、知家は尼になった小督に、人生すべてを清算してすっきりする。
 小督を愛し見守ること、それが隆房への愛の証。
 小督とのことを清算することで、よーやく知家は隆房との約束を果たしたのだ。

 知家はずっと、自分を抑え、なにもかもあきらめて生きてきた。隆季に拾われ、彼の庇護の元で長らえた命だ。欲しいモノを欲しいと言わず、一歩下がり続けた人生だった。
 隆季や、彼の息子の隆房の顔色をうかがい、生きてきた。もしも彼が、思いのままに生きていたら、どうなっていたのか。
 
 隆季の愛人であるという負い目がなかったら。
 素直に隆房を愛していると言えたなら。
 ……すべては、過ぎたことだ。

 そうやってすべてが終わり、ゼロになったときに、彼は「彼自身の影」に人生の応報を受けることになる……。

 
 という、物語でした。

 壮大でかなしい、知家という男の愛の放浪。
 『天の鼓』『龍星』ときて、さらに萌えツボを整理してきたな、という感じ。

 こーゆー物語だから。

 もりえちゃんの役は、いてもいなくてもあんまし関係なかったっす。

 ポスターに出てるのにね……。そんな扱いなんだ……。こだまっち……。

 ポスターとは、まったく別の物語でした。
 美しさも、内容も。
 知家@ほっくんと、小督@あいあいと、隆房@みりおの物語だった。

 薄墨の桜をイメージとする、暗く美しい画面。
 やるせない「人の業」を描いた作品。
 さいとーくんもそうだけど、ヲタクは脇キャラを複数描くのに血道を上げるよね。この『想夫恋』も、たくさんの脇キャラの「業」を盛り込んである。
 帝@もりえも、そのなかのひとり。……なかのひとり、でしかないんだよなあ。

 もりえちゃん以外は、お化粧姿もきれいだった。(すまん、もりえちゃんに含みはないんだが、その、どーしてもな……もちろん、演技はよかったんだけどな)
 とくにあいあい。きれーだよー、よかったよー。ポスター見たときは、どーなることかと。
 ほっくんも、オトコマエ。顔の色以外は。……なんであんなものすごい色なんだ……死人のように白いぞ……。

 知家@ほっくんを見ていて、誰かに似てる誰かに似てる、と喉につかえた小骨のようだったんだけど。

 途中で、気づいた。
 松岡昌宏に似てるんだ。や、その、わたしの印象では。

 プログラム(買ってない)の稽古場写真とか、ほっくんマジでかっこいー。
 表情の使い方をおぼえたんだなあ。
 きっとこれからもっともっと、かっこよくなるよね。
 たのしみだ。

 
 祝・まっつエンカレ出演。

 出演者発表に、小躍りしてます。
 まっつだまっつだ、まっつの歌が聴ける〜〜。

 しかも、めぐむも一緒ぢゃないですか。きゃ〜〜。

 問題は、チケットです。
 ……手に入るのか……?

 5公演、全部行きたいんだけどなあ。
 そんな人、きっといっぱいいるよね。

 がんばります!!


 せんどーさん目当てで行った、吉本新喜劇『金の卵ライブVol.2』の話、その2。

 前もってオーディション番組を見ていたので、他の出演者たちにもなんとなく馴染みがあった。
 あー、いたいた、そんな感じで見ることが出来たよ。

 群を抜いてうまい! と思ったのが、老人役の人。
 小劇団出身ということで、なんの違和感もなく彼の「舞台」を観ることが出来る。
 目が飛び出る特技、マジこわいんですけど(笑)。

 あと個人的に、メイド役の子が好きだなあ。
 しゃきしゃきした動きと喋りが快感。おとなしい演技も、はじけている演技も好み。
 てゆーか、足蹴りが好き。
 亭主役の人をドアの向こうへ押しやるときの足がね。なんかね。好き(笑)。

 
 わたしは誘われるままにこのライヴを観に来てしまったので、これがほんとのところどーゆーものかもわかってなかった。
 最後の挨拶を観て、「あれ? 今日初日かと思ってたけど、千秋楽だったのかな?」と思ったので、サトちゃんに聞いてみた。
「1回限り。いわば、新公ですよ」
 という返事。
 新公。
 そーだったのか!
 たった1回限りの舞台、そのためだけに練習してきたんだ。
 ……1回限りなのに、わたしみたいなのが最前列買えたの……? てっきり何回もあるから、チケット余ってるんだと思ってたよ……。

 客席もまさに「新公」って感じで。
 わたし、以前アマチュアの映画祭に行ったことあるんだけど、客席が見事に「関係者ばかり」だったのよね。その映画の関係者でなくても、演劇関係者とか業界の人とかばかりで。純粋に映画を見に来た一般人って、わたしの他にいるんだろうか……と焦った記憶が。客席、ガラガラだったし。いる人みんな、知り合い率高いようだし。
 今回の客席は、前売り状況からすればびっくりするくらいふつーに埋まっていたし、ふつーのお笑いファンも来ていたんだろうけど、やっぱ関係者率も高いようで。耳に入る話し声から推察して、「あー、ほんとに新公なんだー」って感じ。

 終演後の挨拶は、いかにも「新公」で、たのしいけれどわたし的にはちょっとNG(笑)。
 というのも、彼らの「必死さ」「余裕のなさ」がそのまま出てしまって、引いちゃったからだ。
 必死なのはわかる。
 余裕がないのもわかる。
 でもさ。
 君ら、プロなんだろ?
 プロとしてここにいるんだろ?
 たとえ終演後の「素の顔でご挨拶」だとしても、最低限の「演技」は必要だと思う。……わたしは。
 一部の出演者が、あまりに必死なので、わたしは「こわい」と思ってしまった。
 こんなにナーバスな人には、とても話しかけられない。ロビーで出演者が客を見送るのはお約束だけど、そこで客が出演者に声を掛けることも激励することもできるけど、こんな挨拶されちゃ、とてもできないよー。
 芸に対して、舞台に対して、真剣なのは素晴らしいと思う。
 でもそれは舞台だけにしてくれ。稽古場だけにしてくれ。客に対して、そのナーバスさを見せつけないでくれ。
 自分の居場所に固執するのは当然のことだけど、それを見ている者に押しつけないでよー。頼むよー。
 ちょっと引いた(笑)。

 でも、引きながらも、そーゆー「未成熟さ」を愛しいとも思うんだよ。
 がんばってくれ。
 心から思う。

 
 新公であるだけに、彼らを見守るのはたのしそうだ。
 こんなふうに「ふつーの小劇団の芝居」なら、お笑いが苦手なわたしでもたのしめる。
 ……そのうち、わたしの苦手なお笑いの地平へ羽ばたいていくのかな。

 でもきっと、「ライヴである」というのも大きいと思う。
 わたしは吉本が肌に合わないのだけど、それは多分に「テレビで見ている」せいもあると思う。
 ライヴを中継で見たって、ほんとうのよさはわからない。それは、どのジャンルでもそうだと思う。
 ベタベタの吉本も、生ならばたのしいのかもしれない。
 客席の空気とか、大きいもの。

 
 毛嫌いしていた吉本。
 されど、わたしの最初の吉本体験は、こーして幸福に終わった。

 
 ところでせんどーさん。
 吉本の公式プロフィール、ヅカ時代と、身長がずいぶんちがいますけど?
 4cmもサバよんでたんや……(笑)。


 せんどーさん目当てで行ってきました、吉本新喜劇『金の卵ライブVol.2』

 わたしはキタの人間なので、ミナミはとんとわかりません。
 映画好きなんで、映画館目当てにミナミをうろつくことはありますが、吉本関係の建物は全スルーしており、いざ自分が行くとなると、「どこにあるの?」状態でした……。
 グランド花月の目の前の映画館も、道具屋筋の映画館も、あたりまえに行ってるのになー。ついでに言うとジュンク堂にもふつーに行ってたんだけど。……グランド花月はまったく目に入ってなかった。興味がないって、こーゆーことなんだよなー……。

 ライヴはそのグランド花月の向かい、baseよしもとで行われました。
 バウホールよりも小さなハコですわ。
 居住性の良くない劇場なので、長時間はつらいだろうな。わたしは最前列だったんで前後に狭いことはなかったけど、左右は狭いし椅子が薄っぺらすぎてケツが痛いし……まあチケ代安いから仕方ないのか。

 なにしろ、カケラも予備知識がない。

 大阪人のたしなみというか刷り込みとして、小学生のころは土曜日に帰宅するとまず吉本新喜劇を見て、夕方になると「タカラヅカ花の指定席」を見ていたんだが。
 成長するに従って、「わたしはどうも、吉本とは肌が合わないらしい」ということがわかった。
 テレビに出てくる吉本らしき芸人さんたちのギャグが、笑えないどころかムカつく、という状態に。お笑い番組がかかっていると、チャンネルを替える、もしくはテレビを消す、というのが習慣になった。

 だから、せんどーさんが吉本のオーディションを受けると知ったとき、ショックだったなあ。
 ふつーのミュージカル女優とかになってくれたら、これからもせんどーさんの舞台を見ることが出来るのに。吉本ぢゃ、わたしもうせんどーさんを見られない! と。

 それでも、せんどーさんが気になって、テレビのオーディション番組を見た。
 夢を目指す若者たちの、真摯な姿には素直に感動した。泣けた。授業をする教官の言葉などには素直に聞き入った。
 しかし。
 ……オーディション合宿に出てくるプロの芸人さんたちの芸には、まったく笑えなかった。冷たい風しか吹かなかった。
 「笑うのを我慢したらごちそうが食べられる」という課題で、「笑って当然」というスタンスで披露される芸の、サムいことサムいこと。わたしはテレビの前でドン引きしていた。
 これで笑う人って、どんな人だ……? これをおもしろいと思える人でないと、たのしめないんだよな……?
 募るのは絶望感ばかり(笑)。

 自分ひとりではとても、この苦手感を突き破ってまで吉本体験をしようとは思わなかったよ。
 ありがとう、サトリちゃん。

 サトリちゃんに誘ってもらい、あわててチケぴでチケットを押さえ(発売日過ぎてたにもかかわらず、最前列GET・笑)、おっかなびっくり行ってきました。
 こんなにもこんなにも、予備知識ナシ、てゆーかマイナスイメージしかないこのわたしが。

 
 おもしろかった。

 ほんとに。
 吉本新喜劇だから、と構えてしまっていたけど、ぜんぜん、ふつーに、おもしろかったのだわ。

 まず、テレビで見る「よしもと」とずいぶんちがった。

 新人さんばかりの舞台だから? 登場するなり変なギャグだの持ち芸だのを披露してドン引きさせる趣向がなかった。
 ふつーに「お芝居」が進んでいくの。

 もちろん、そのお芝居の中にはギャグありコントありなんだけど。
 そんなのぜんぜんOK。てゆーか、小劇団の芝居のノリ。
 今まで観た小劇団系の芝居と、どこがチガウんだ? ギャグやテンポ命の会話でトントンつないでいく芝居はいくらでも観てきた。

 
 嵐の夜。
 老人と幼い孫が話している。
 裕福な家庭。老人が一代で築いた会社をひとり息子が継ぎ、さらに発展させた。とてもよくできた息子である。しかし、その息子の妻は……。
「こんな嵐の夜だった……」
 不安と緊張感のあるオープニング。
 暗転ののち、舞台は数年前にさかのぼる。老人に両親の話をねだっていた幼い孫が、まだ赤ん坊のころ。
 嵐の夜。
 若く美しい妻は、屋敷の執事と不倫し、共に主人を殺害しようと計画していた。
 主人は心臓が悪い。なにかっちゃー発作を起こして大騒ぎしている。ソコにつけ込んで殺してしまおうというわけだ。
 なにも知らない主人は妻にベタ惚れ。そろそろふたりめの子どもが欲しい、と言って、その準備のために新しくメイドを雇うことにした。嵐の夜だっちゅーに、求人広告を見たメイドがやって来、あっさり就職。
 そこへさらに、この嵐で道に迷ったカップルが宿を求めてやってきた。
 嵐ゆえの孤島となった屋敷で、主人と妻、主人の父親である老人、執事とメイド、飛び入りのカップルがそれぞれバタバタしているわけだ。幽霊騒動が起こったりなんだり。
 そこへ飛び込んでくる警官。「一家惨殺犯人が、この近くに逃げ込んでいるので注意してください」
 殺人犯は、男女ふたり組だという。
 迷い込んできたカップルが犯人だろうか……? と言っている側から、雇われたばかりのメイドが怪しい動き。亭主らしい男を屋敷に引き入れ、なにやら画策している。
 殺人計画を練る妻と執事、その悪だくみを立ち聞きしてしまい動揺するカップル、メイドとその亭主、と、嵐で閉ざされた屋敷の中は混戦模様。
 そしてついに……。

 
 我らがせんどーさんは、もちろん美しい妻役でした。
 立ち姿が美しい。フェミニンな服装にピンヒール。そして、思いきりのいい開襟(笑)。
 おー。さすがせんどーさん、胸の谷間はちゃんと披露してくれるんですね。せんどーさんの巨乳を愛でるのが好きだったので、ブラウスの胸元にはチェック入れちゃいましたよぅ。

 わざとらしい良妻ぶりが素敵。
 元タカラジェンヌ、という肩書きを汚さない役を与えてもらってるんだなあ、と思った。

 というのも、他の役と比べてやたらと「きれいな」役だったからだ。美女役だから、という意味ではなくて。
 他の女性たちはみんな、もっと「きれいでない」演技や立場を必要とされている。下品な物言いだったり、漫才芸だったり。
 でもせんどーさんだけが、「ゲスト出演の女優さん」って感じ。

 それは、最後の挨拶のときも感じた。
 他の出演者たちがテンポの善し悪しはともかく、みんな一丸となって喋りボケツッコミしているなか、せんどーさんだけがマイクを持ったまま、なにもせずに笑っていた。

 下品だったり、ひどい扱いを受けているせんどーさんを見たら、それはそれでショックだったと思うけど。
 それとは別に、「それでいいのか?」とか「せんどーさん、甘やかされてるなあ」とか思ってしまった。

 まあなあ。
 せんどーさんにはたぶん、集客力があるから。
 せんどーさんFCの人たちが、オリジナルうちわを手に客席にいたもの。
 こういう客がついている、名前を持っている人を、あえてムゲにはしないか。
 せっかくついている客を失望させ、足を途絶えさせるよーなことはしないよなあ、商売なら。

 変わっていないせんどーさんに安堵しつつも、焦燥も感じる。それでいいのか? と思う。
 仙堂花歩は、これからどこへ向かうのだろう?

 
 1日ズレてますが。まっつつながりで、先に書く(笑)。

 31日に、よしもとに行ってきました。
 大阪生まれの大阪育ち、されど吉本と阪神が嫌いなこのわたし、それでもサトリちゃんに誘われて、ひょいひょいついて行きましたのよ。
 目的は、よしもとデビューした我らがせんどーさんです。

 昼からミナミをうろついて、「とらや」で布の衝動買いしたりしながら(謎)、baseよしもとに辿り着いたのは、開演数分前でした。

 入口に列が出来ていたので並んでいたら、ガードマン服のおいちゃんが列の整理をしている。

「あんたら、チケットは? ある? あるならこっち」

 当日券の列らしいですな。
 もちろん前売りGET済みのわたしたちは、おいちゃんに言われるままに奥に進みました。
「はいコレ」
 と、列を捌きながらおいちゃんは、わたしとサトリちゃんに「アンケート」と書かれた紙を差し出しました。

 ああ、アンケートね、ライヴならふつーあるよね、「この公演をなにで知りましたか」とか「公演の感想をどうぞ」とか。

 大荷物を抱えたまま(買い物する予定なかったのになー)小さな劇場に入ったわたしたち、座席に落ち着いてからはじめて、その渡されたアンケート用紙をまともに見た。

 設問は、たった2つだけだった。

■あなたが「抱かれたい」と思うヨシモト芸人を一人だけ記入してください。

■あなたが「抱かれたくない」と思うヨシモト芸人を一人だけ記入してください。


 これだけかよっ?!
 あとはそれぞれに、「選んだ理由」欄があるだけ。

 ふつー「アンケート」ってさぁ……遠い目。

 こんなアホウなアンケート、答える気はさらさらなく。てゆーかそもそも知らん。テレビに出ていても、誰がヨシモトで誰がそうでないか、興味なかったらわかんないよ。

 アンケートのとんでもなさにサトリちゃんとふたりで笑っていたところ。
 サトリちゃんは言うのだ。

「アンケート、やったらどうなりますかね?」

 主格のない文章だが、なんのことかはわかる。

 タカラヅカで、このアンケートを取ったらどうなるか? という意味だ。

 「抱かれたい」男役。「抱かれたくない」男役。
 さあ、みんなどう答える?

 
 真面目に、考えてみた。

 
 そして、わたしが答えたのは。

 
「『抱かれたい男役』が、まっつでないことだけはたしかだ」

 好きだけどな、まっつ。
 今いちばん好きだけどな。

 でも、抱かれたくはないな……(笑)。

 でもって、わたしとサトちゃんが思わず固い握手をかわしてしまった、意見一致の「抱かれたい男役」は。

「麻実れい!」
「ターコさんならお願いしたい!!」


 えーと。
 すでに彼女は、「男役」ではないよーな……。
 わたしたちふたりとも、彼女の現役時代知らないし。女になってからしか、知らないんですが。
 それでもやっぱり、「抱かれたい」なら麻実れい(笑)。

 
 んじゃ、「抱かれたくない男役」は?

 しばし考える。
 そして。

「ジュンタン@爆裂タニぃファン、には悪いけど……タニちゃん?」

 おそるおそるわたしが言うと、サトリちゃんの目がきらめく。

「同志!!」
 再度、固くかわされる熱い握手。

 いやその。理由は「下手そうだから」。……ごめんよごめんよタニちゃん。

「バトン回してみたらどうですかね?」
 と、サトちゃん。

 設問たったふたつ? 抱かれたい男役と、抱かれたくない男役? その理由込みで?
 バトンは無理だよ、わたし友だち少ないから(笑)。

 
 OGのターコさんはともかく。
 現役で「抱かれたい男役」を選ぶなら、もちろん水くんです、わたしは。
 理由は、わたしが好きだから。愛がすべてですよ、ええ!!

 ……まっつ?
 もちろん、まっつがいちばん好きですとも。

 まつださんの場合、「抱かれたい男役」というよりも、「抱きた……ゲフンゲフン。

 
 せんどーさん目当ての「初よしもと」は、大変たのしかったです。
 やー、吉本嫌いなのにさー、マジでふつーにたのしかったよー。びっくり。
 その話はまた、欄を改めて。

 あ。
 アンケートは、思った通り2種類ありました。
 ふつーに「この公演をなにで知りましたか」とか「公演の感想をどうぞ」とかいう設問があるやつと。
 ただ、入口のおいちゃんが、わたしたちにはふつーの方を渡さなかったのよ。
 ヲイヲイ(笑)。


 水くんへの愛を語ったあとで、なんですが。

 実はミズカル観賞後、nanakoさんちでオサコンDVDの鑑賞会をやりました。
 元花組ファン、贔屓が卒業してからはオサが嫌いなので花組もろくに見なくなったBe-Puちゃんを巻き込んで(笑)。

 ごめんよBe-Puちゃん、現花担のわたしとnanakoさんに挟まれた段階で、あきらめてくれ! 花組とオサLOVEですよ、わたしたち!(笑)
 ついでに、わたしはまっつのことばっかひとりで喋ってるしなっ(笑)。

 おかげで、気の毒なBe-Puちゃんにとって「まっつ布教DAY」になってましたな。
 わたしがえんえんえんえん、DVD見ながらまっつの出番その他を解説するから。Be-Puちゃん、まっつのこと知らないし見分けついてなかったし、そもそも興味もないだろうに。

「緑野さんが好きなタイプってことは、私は好みじゃないってことよね」
 と、Be-Puちゃんは最初から断言。そうさ、わたしらいつでも好みは正反対(笑)。
 それでも帰るときには無理矢理、「まっつについての知識詰め込まれ済み」状態だったね……(笑)。

 とまあ、気持ちよくまっつ尽くしでした。

 
 ところで、まっつと言えば。

 龍真咲って、まっつに似てるよね。

 と、言って、友人たちから全否定されました。

 ちょっと待てみんな、よく聞いてくれ。
 芸風ぢゃないんだ、キャラぢゃないんだ、顔だ顔! 顔が似ているって言ってるんだ。

 わたしがそもそもまっつを好きになった最初の理由はであり、真咲を好きになった最初の理由もなんだよ。
 同類項の顔なんだよ。

 だから、

「華がチガウ」
「きらきら度がチガウ」
「ギラギラ度がチガウ」
「耽美度がチガウ」

 とか言わないで。そーゆー話してないから!(ちなみに、上記の例はすべて まさき>まっつ)

 輪郭、鼻、耳の位置、体格とか、すげー似てるってばよ。
 ふたりとも澄まし顔で並んでいたら、「姉妹?」ってくらいには似てるよぅ。
 舞台顔も似てるけど、素顔はさらに似てるってば。

 ただ、キャラアピールしたら別人になるだろうけど。
 持ち味、ちがいすぎるから。

 ……おかしいなあ。
 元の顔が同じで、共に小柄で華奢で、歌が得意なのに。
 どーしてこうまで芸風がチガウのか。
 その方が不思議で、興味深い。

 まっつ = 儚げ。ヘタレ。端正。
 まさき = 鬼畜。生意気。耽美。

 ……どっちも、ものすげー好みです。
 もともと顔が好きで、芸風が好みって、なんだそりゃ。正反対なのに、どっちもわたしの好みストライクですよ。

 まっつの薄さや、まさきの戦闘意欲にあふれた舞台姿が好きです。

 にしても。
 まっつさん、どーしてあんなに薄いかなあ……(笑)。
 顔、似てるのになー。真咲はあんなに戦闘意欲満々な舞台態度なのになー(笑)。真咲の舞台とみわっちの今の舞台、イメージかぶるわー。自分が色男だって自覚して、本気で客をオトシにかかってる、あの鼻息の荒さ。

 ま、わたしはまっつがまっつだから好きなんですけどね(笑)。
 あの能面のよーな顔も、微妙な笑顔も、スベっている投げチューも、みんなみんなまるっと愛しいです。

 東京在住まっつメイトから、まっつ東宝お茶会の話を聞き、遠い大阪の空でひとりまっつに想いを馳せています。
 そうか生まっつはそんなに美形なのか……わたしはファンになってから一度も生まっつを見たことがないからなー(笑)。

 まっつに飢えているので(笑)、次のらんとむバウに今からわくわくしています。
 ポスターのらんとむ、すげーかっこいいよねーっ。一人写りだ一人写りだ、すげー。
 わくわくっ。


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