なんかひさしぶりに、升毅の正しい使い方を見た気がする。
 升さんはこーでなくちゃねー、と、その存在のうさんくささのみに感心していた。

 『NIN×NIN 忍者ハットリくん THE MOVIE』 鑑賞。
 見る予定はまったくなかったんだが、映画の日の恐怖。きんどーさんと待ち合わせて某シネコンに足を運ぶと、見る予定だった映画が完売。どうするどうする? 代わりになんか見る? 罪なく笑えそうだから、という理由でチョイス。

 にしても、『誰も知らない』を見に行って、『ハットリくん』を見てしまう人生の急転直下ぶりはどうよ?(笑)

 忍者の服部カンゾウ@香取慎吾は、修行のために江戸……東京へやって来た。そこで最初に会った人を主君とするそーで、うっかり出会ってしまったヘタレ小学生ケンイチ@知念侑季が主になった。
 ケンイチのもとでハットリくんが修行?しているうちに、世間では奇妙な事件が起こっていた。謎の変死と、その陰にうごめく超人……忍者の存在。その真相は……?
 監督・鈴木雅之、出演・香取慎吾、田中麗奈、ゴリ。

 
 ひさしく、「いい人」の升さんしか見てない気がしたからさー。
 升さんって、『沙粧妙子・最後の事件』の怪人・梶浦なのよー。あのうさんくさい役をやってしまう人なのよー(笑)。

 わたしが升毅と最初に会ったのは、近松門左衛門作品をテーマにしたお芝居だった。タイトル忘却。
 WHITEちゃんからチケットを渡されても、自分がなにを観るのかさっぱりわかってなかった。誘われるとなんでもほいほいOKしてしまうタチなので、そーゆーのはよくあることだ。映画や芝居の内容もそりゃ大事だが、わたしにとっては「友だちとデート」「わたしと一緒に観たいと思ってくれた」ってことも大事。誘われたことがうれしくて、芝居のタイトルさえ理解してなかった。
 そのときWHITEちゃんがわたしを誘った理由ははっきりしていた。上演場所が、わたしの家から徒歩5分だったからだ。
「他の人は誘えないよ、こんな場所」
 だそーだ。たしかにな(笑)。市民文化ホールの小ホールなんてところ、地元民だが入ったのは後にも先にもそれ1回こっきりだ。まあさらにもうひとつ、
「アンタ、国文科なんだから近松知ってるでしょ」
 というのも理由だったよーな。たしかにわたしの専攻は近世文学だから、近松も範囲だったけどさー。でもわたしのゼミは「男色大鑑」だったのよー。卒論は「西鶴が愛したホモのカタチ」てなテーマで、ホモの勉強で手一杯、近松はまったく門外漢だったのよー。のよー。のよー。

 しかし、そのときの芝居が、めちゃくちゃおもしろかった。
 全編ギャグとテンポ命の会話で進められていくんだが、実はミステリで、どんでん返しが爽快。ギャグだと思ってスルーしていたころに伏線ばりばり。
 プロットが緻密な話が好きなもんで、この物語には魅了された。相関図とか自力で書いて、何度も思い出しては感心したさ。……パンフレットさえ発売されてなかったんだよなー、あるのはちらし1枚だけ。なんなのこのショボさ。
 その芝居の主役が、升毅だった。今から10年くらい前だろうか。

「おもしろかったわ」
 とわたしが言うとWHITEちゃんはとてもよろこんでくれて、さらに芝居に誘ってくれた。升毅主宰劇団の公演に。

 なにを観たんだっけかな。あのころ升さんのお芝居立て続けに観たんで記憶が混同。
 なんにせよ、わたしは生の升毅を見て、おどろくことになる。

「ええっ、ハンサム?!」

 ものすげー色男ですがなっ。びっくり。

「なにを今さら」
 とWHITEちゃんは言うけれど。
 だってだって、わたしが市民文化ホールで観た升さんは、よぼよぼのじじい役だったじゃない。腰曲がってて顔は皺とシミだらけで。
「……そういえば、そうか」
 素顔の升さんは知らなかった。こんな男前だったの?
 そして升さんの美形ぶりにおどろいたその公演のロビーに、でかでかと貼ってあったさ。「テレビドラマ『沙粧妙子・最後の事件』に出演! 見逃すな!」と。

 ええ、見ましたとも、『沙粧妙子』。愉快なドラマだったわ。
 しかしテレビで見る升さんはくどすぎて、受け付けなかった。
 なんか、存在も演技も浮いてる……怪人役だから、それでいいのか?

 『沙粧妙子』以来、升さんはテレビに出ずっぱりだけど、どれもふつーな役ばっかで、わたし的には不満だった。
 最初に見たのがトリックスターのじじい役だったからなー。そしてテレビで最初に見たのが、怪人・梶浦だったからなー。
 ふつーに「いい人」は物足りない……。

 ……だもんで、ほんっとーにひさびさに、見たい升毅を見た気がした。
 『忍者ハットリくん』の、敵役。
 どこぞの映画のパクリのよーな安直なキャラだとしても、ぜんぜんOK(笑)。
 うさんくさくて、大仰で、二枚目で。
 いいなあ、升毅(笑)。
 こんなうさんくささを、モノにしてしまう個性はいいですよ。
 華のない人がやると、失笑ものの薄っぺらい悪役ですからなっ。

 
 映画自体は「こんなもんー?(語尾上がる)」って感じでした。
 罪なく気軽に見て笑って、それでおしまい。意義は果たしているんじゃないかな。『スマスマ』のコーナーのひとつであってもかまわない程度のノリだとしても。
 わかって見ているので、気にならなかった。
 お約束の嵐で、全体的に「テキトー」な感じもまた、親しみやすくていいんじゃないかと。慎吾がかわいいから、それでいいんだと思う。

     
 星組公演の感想が途中なんだが、てゆーか芝居の感想をまったく書いていない気もするが、あえてスルーして。

 今さらな話題をひとつ。

 「初めまして、白羽ゆりです」

 あれは先月の終わりごろだっけかな。
 母宛の郵便物がちゃぶ台に置いてあるのを見つけた。

 「トラピックス倶楽部」の会誌だった。袋が透明なので、中身がまんま見える郵便物だったのよ。
 旅行代理店・阪急交通社の通信販売旅行業務がたしか、トラピックスとゆーたはず。
 毎月1回以上旅行に出かける母は、トラピックス倶楽部の会員である。定期的に会誌が送られてくる。

 その最新号の会誌の表紙に、となみちゃんがいた。

 ばっちりカメラ目線で、スーツ姿で電話を受けている写真だ。

 そーいや、くららちゃんのあとのトラピックスのイメージキャラクタはとなみだと、どっかで聞いたな。
 耳にしていたことだったから、それは別におどろかない。

 おどろいたのは。

 その会誌の表紙に、でかでかと「初めまして、白羽ゆりです」と載っていたことだ。

 えーと。
 この会誌は、ツアーを売るための通信販売カタログなんだよね。「秋の特別増刊号」つって、「東海・西日本の紅葉」とか「美しきヨーロッパのクリスマス」とかいう、目玉になる「商品名」を表紙に書いているわけだよね。

 だが、カタログの本来の目的である「商品名」よりなによりも、「初めまして、白羽ゆりです」の文字が大きかった。

 これはいったい、なんの雑誌なの?
 売りたいのはツアー? それとも白羽ゆり?

 巻頭はもちろん、となみちゃんのインタビュー、撮り下ろし写真付き。

 …………なにごとですか。
 もんのすげー、力入ってません?

 雑誌のタイトルより、コピーより、「初めまして、白羽ゆりです」の方が大きいのよ?

 いくら関連会社だからって、ものすげーなー。
 このものすげープッシュの仕方に、となみちゃんの未来を想像してみたりな。
 歴代トラピックス・ガールって、みんなトップになったよねえ。しみじみ。

 
 そんでもってはじめて、阪急交通社の貸切公演に応募してみたんだけど、当たるといいなっ、謝恩価格(笑)。

           ☆

 それと。

 しいちゃんの外部出演にすげーおどろいたんですが(笑)。
 うん、演目より外部がどうこうより、
「何故しいちゃん?!」
 だった(笑)。

 そして、観に行こうと真面目に算段しているしているあたり、ファンだなあ、と(笑 ←何故笑う?!)。

       
 毎年恒例の第九の練習から帰宅して、自分の部屋に帰ると。

 真新しい体重計が、入口にセットされていた。
 
 
 …………。
 
 ……どーゆーこと?
 わたしに体重を測れと?
 太りすぎだと?

 わざわざわたしの留守中に、体重計買って置いていくって、どーゆーことよ、父?!
 しししししつれいなっ。(ひとは、やましいことがあると、うろたえるものだ)

          ☆

 検索ワードの話。

 日記を書いていてたのしいことのひとつに、検索ワードがわかる、というのがある。
 わたしの日記にたどりついた人たちが、なにを求めてやってきたのかがわかるのね。

 個人の日記なんてゆー、とても小さなささやかなモノでしかないところでも、そこから「世界」が見えちゃったりするのよ。

 今現在、アニメの『レジェンズ』の検索がめちゃ多いよー。
 そっか、人気ある作品だったんだね。わたしの周りで見ている人がいないから、知らなかったよ。てか、このトシだから、周囲にアニメなんぞ見ている人、いないもん(笑)。

 『レジェンズ』の検索の多さ(しかも、腐女子系多し・笑)にその人気を知り、それによって……『ソニックX』の人気のなさを思い知る。

 ええ、昔わたし、『ソニックX』の感想をめちゃ力入れて書きましたことよ。
 なのになのに、ソニックで検索して来る人、ほとんどいなかったよ……めそ。

 『澪つくし』も後半戦ではすげー検索の数だった。人気ドラマだったんだね、再放送だっつーに。

 あと、一時期「佐藤浩市 受」という検索がやたら多かった(笑)。
 芹沢鴨ばんざい。

 
 ヅカ日記でも、検索の多さで作品や人の人気がわかる。
 たった一度でも日記に書けば、人気のある作品や人ならば、その一度の記述ゆえに検索かけて訪問者があるわけだもの。

 ええ。
 今回、あまりの結果におどろいたことがある。

 『花供養』の人気のなさ!

 どんな作品でも人でも、一度でも日記に書けば、検索がかかるもんなのよ。わたしみたいな一個人のどーでもいいよーな日記にも、何故か訪問者はいるものなの。

 『花供養』は、検索してくる人が、ほとんどいなかった。
 ほんとーに、いなかった。
 『ソニックX』より、少なかった。

 観た人も少なけりゃ、興味を持つ人さえ、少なかったってことか……。
 歌劇団……なんでそんな興行をうったんだ……商売下手すぎ。

 
 『レジェンズ』腐女子関連のワードでネットの海を航海中のあなた、素敵な腐女子サイトがあったらぜひ教えてください。メアドは「HOME」にあります! ……と、他力本願してみる(笑)。

     
 冷静な感覚が戻らないまま、48時間。
 てゆーかコレたんに、風邪がひどくなっているせいだと思う。夜になると熱が上がる。
 のーみそを使いたくないので、コントローラを握る。『バイオハザード』はやっぱおもしろいねえ。キューブのリメイク『バイオ1』。正しいリメイクだわ。ボリュームアップとクオリティアップしながらも、「お約束」ははずさない器用さ。しかし、なんか『静岡』テイスト入ってない? リサだっけ、鎖の彼女とその周辺はかなりダーク……というか、『勝手に改蔵』の羽美ちゃんの精神世界のよーなこわさがあるんですが……。
 ジル編終了。次はクリスやるべかな。

 クリスを見ていると、ついワタさんを思い出す……。

 
 さて、星組公演『ドルチェ・ヴィータ!』

 細かいことはさておき、キャラクタについてちょいと意外だったこと。

 トウコとまとぶんの、毒のなさ。

 博多座でタニちゃんが演じていたサテュロスはまとぶんが演じ、トウコちゃんはディアボロという新しい役を演じておりました。

 共通項は、両性具有と毒と華。……のはず。

 しかし。
 ふたりとも、それらがとっても薄かったよーな。

 
 改めて、タニの偉大さを知る。
 タニちゃんサテュロスはものすっげー悪の華でした。毒がぎらぎら、なのに目が離せない蠱惑する力。
 問答無用で引きつける力。
 華、とは魔力である。そう思わせる強い強い輝き。

 ふだんのタニちゃんは、耽美世界に邪魔なくらい健康的で幼児的なのにね。
 あの変身ぶりはびっくりだ。
 子どもの残酷さが、オギー演出によって引き出された結果だと思う。虫の足を1本ずつちぎって遊ぶ幼児が持つ、毒。善悪の知識以前の存在が持つ、闇の部分。
 それは本人が無邪気であればあるほど、際立つモノだから。

 
 タニの役がトウコではなくまとぶだ、と聞いたときに納得したんだ。
 まとぶんなら、きっと美しいサテュロスになるだろう、と。まとぶんは黒っぽい役が得意な人だから、タニちゃんよりも柄に合っている分、男役としても女役としても、すばらしいものを見せてくれるだろう、と。

 ところが。
 サテュロスはあきらかにトーンダウンしていた。

 もちろん、まとぶんは美しい。それなりに華もある。
 しかし彼には、毒がなかった。

 まとぶんってさあ、男っぽい芸風で売ってたじゃん。素顔のかわいらしさとのギャップを大きくする戦略だったのかどうかは知らんが。
 黒い役、男くさい役をする人だったじゃん。わたし的には納得がいかなかったが、世間がそう認識しているよーなので、そうなんだろうと思っていた。
 だから毒もあるだろうと思っていたのよ。そこにいるだけで不安をあおるよーな、「棘」を演じられると思って安心していたのよ。

 びっくりだ。
 そうかまとぶん、あなた正当派の白い貴公子だったのね……。やっぱり今までの黒い男っぽさは、つくったものだったんだ……。

 毒のないサテュロスは、ただの美人なおねーさんでしかありません……。目にはたのしいけれど、作品の力にはなっていないっすよ。
 脇役サテュロスのすずみんとみらんくんの方が、「女装した男」だとわかる分、毒々しくて正しいくらいです。

 まとぶんはすっきり二枚目の一等航海士をやっているときの方が、絶対輝いてるっす……。

 
 サテュロスが失速してしまった舞台に、新たに加わったキャラクタ、ディアボロ。

 観る前は、ものすごーく期待していた。
 オギー全開なあの世界に、「悪魔」が加わる。しかも演じるのが陰の魅力を持つトウコ。
 どれほどダークで、痛いものを見せられるのだろうか、と。

 ありゃ?

 悪魔は、「毒」を持つ存在ではありませんでした。
 水先案内人というか、狂言回し? 解説役?

 抽象的だった物語に、ディアボロという「わかりやすい存在」を投入することによって、噛み砕いて説明されちゃってました。
 しかもこのディアポロ、ものすげー饒舌だし。トウコは歌の人だからねー、歌う歌う、歌で解説しまくりー。

 そうか。
 オギーだもんな。

 「悪魔」なんてわかりやすい名前のキャラに、ほんとうに悪魔的な役割をふるわけがない。

 『パッサージュ』でいちばん「毒」に満ちていたのが、「天使」のコムだったよーに。
 『バビロン』でいちばん残酷だったのが、「白い鳩」のかよこだったよーに。

 「悪魔」がほんとに悪魔なわけないじゃん……(笑)。

 そもそもトウコは、陰の魅力を持つ人だが、「毒」は持たない人だ。
 「哀」だとか「翳」だとか「寂」だとかは持っていても、「毒」は持たないんだよ。
 泥に落ちても自分で立ち上がって歩き出す人だから。

 
 ディアボロが「毒」を持たず、サテュロスが「毒」を持たず。
 そんじゃこの作品、どーなっちゃってんの? というと。

 博多座バージョンと、テーマ変わってます。確実に。

 大劇バージョンの『ドルチェ・ヴィータ!』のテーマは、ずばり別れです。

 後半、サヨナラショーみたいになってます。
 えーらいこっちゃ。

 海・船乗り・旅行者・港の街……モチーフはすべて「別れ」を含んだもの。
 出会いと別れ、寄せては返す波、つかのま・たまゆら・いっしゅん。
 なんてたのしそうに、「別れ」を演出していやがるのか。

 唯一の通し役?であり、作品の案内役であるディアボロが、あるときは妖しく、あるときは陽気に、あるときは哀切に、「別れ」を盛り上げる。
 彼個人が毒を持つ必要はない。彼はニュートラルにその場にいればいい。
 愉快なシーンも、きらきら陽気なシーンも、それが「海と港」である以上、舞台の外側には見えない部分に「別れ」の棘を持っている。
 舞台が棘、世界が毒、だから悪魔は案内するだけでいい。

 
 ああ、そして。
 主役であり、この舞台の、世界の中心立つワタさん。

 どんなに世界に棘があっても、別れがあっても、かなしみに満ちていても。
 彼自身、かなしい歌を歌っていても。かなしい役を演じていても。
 ワタさんの持つ生命力が、世界を絶望には染め上げない。

 そこにあるのは、すがすがしい別れだ。
 かなしみの向こうにある、うつくしいものだ。

 世界に、光がさす。
 泣いた人にも笑った人にも、同じように光は射す。

 闇の聖女・檀ちゃんが世界の色を決め、哀と時の吟遊詩人・トウコが語り、それらに翻弄されながらも堅固な存在感で希望を織る……ワタさんがいてこその、『ドルチェ・ヴィータ!』だ。

 
 キャラクタの力。
 その役者が持つ色。

 オギーはそれを全開にさせるから、おもしろいよね。
 「作品よりも人を見る」ヅカとして、正しいよね。

         
 後日追加予定だったが、もーいいや。10月1日の日記はあのままにしておこう。
 てな気分になった24時間後。

 星組公演『花舞う長安』『ロマンチカ宝塚’04』初日を観てきました。

 前座の中国物ショーのことは、今のとこ置いておく。

 問題は、『ロマンチカ宝塚’04−ドルチェ・ヴィータ!−』だ。

 
 わたしはヅカファンになって16年、ご贔屓の退団というものを経験したことがない。
 トド様のファンだったもんでな。退団どころか寿命の心配をするよーな立場になってしまったよ。
 トド様からスライドするカタチでわたしのNo.1になったのが、ケロちゃんだ。
 もともと真ん中に立つ人より脇が好きなわたしが、ハマるにふさわしい人だ。(トド様だって、わたしが好きになったときは群舞の隅にしかいなかったんだよ)
 

 この夏、何故タカラヅカなのか、という話を知人とした。
 知人は、タカラヅカなんて観たこともないし、たぶん一生観ることはない人だ。わたしがわたわたと大阪−東京間を行き来し、情熱と時間と金をかけているのを不思議に思った模様。

「タカラヅカって、そんなにいいですか? どこがいいんですか?」

 答えはひとつじゃない。魅力はいろいろある。
 だが、そのなかでいちばん重要で、特異なものであることを、強く語った。

「出会った瞬間から、別れることが決まっているところ」

 万物流転、この世のすべては変わり続ける。不変のものなどない。
 わたしもあなたも、すべての人も、出会った全部といずれ別れるし、失わずにすむものなんてひとつもない。
 それは事実だ。

 だけど、長いありきたりな人生の中で、それを実感することはそうそうない。
 朝起きて家族の顔を見るたび、「いつか死ぬんだ」「明日永遠に失うかもしれない」なんてこと、考えていられない。新しく出会った人に「はじめまして、いつか確実に永遠に別れることになりますけど、今はよろしくお願いします」とは言わない。
 日常という長いスパンの間では、「普遍の事実」も意識には上がってこない。

 俳優でもアイドルでも、出会うとき、好きになるときに「でもこの人はいずれ絶対にこの世から消えてなくなる」と思うことはない。
 廃業するかもしれないし、亡くなることだってあるかもしれないけれど、それは未知数であるし、廃業しようが亡くなろうが、その人物は事実上消えることがない。

 だが、タカラヅカの男役だけは、チガウ。
 「別れ」が「絶対」なんだ。
 はじめから決められているんだ。

 廃業したら最後、その人はこの世に存在しなくなる。たとえ芸能活動を続けていても、「男性」としてのその人は消滅する。

 失うことがわかっていて、それでも「今」を愛する。

 なんとも絶望的で、すごいことじゃないか。

 質問した知人は感心していた。
 「今」しかないから走ることを、わかってくれた。

 
 タカラヅカという不思議。
 いずれ失うと宿命付けられたものを愛する不思議。


 人間はすごいねえ。
 傷つくことがわかっていても、愛することをやめないんだから。

 痛いのがいやなら、はじめからやらなきゃいいのにね。
 いずれ死ぬのに、なにもかもなくすのに、それでも誰かを愛するじゃん。
 すごいよね、人間って。

 そーゆー人間のすごさの縮図だと思うの。
 タカラヅカを愛するのは。

 どーせ最後は苦しんで死ぬだけなんだから、生まれてこなければよかったのに、と言わない、人間という生き物の愛しさ。

 別れることが、失うことがわかっていて、それでも愛する強さ。しぶとさ。ふてぶてしさ。

 壮絶だよね。

 
 さて、わたしは今その、「タカラヅカの醍醐味」のただ中にいる。
 16年ファンをやってきて、はじめて、だ。

 なにしろ未知の経験なので、自分がどうなるのかがわからない。
 こわくもあり、興味深くもある。

 でもせっかくだから、味わいつくしたいと思っている。
 こんな経験、他ではできないからな。
 生まれてきてよかったぜ、ラッキー! てなくらい、今、かなしくてかなしくてたまらないことを、噛みしめている。

 だってさ、こんなにかなしいのは、それだけ好きだったってことだからね。

 かなしいのが自慢だぞ、こんちくしょー。

 てな。
 気持ちを満喫できるのが、『ドルチェ・ヴィータ!』だったのだわ。

 
 最初はふつーに拍手したり、手拍子したりして機嫌良く観ていたんだけどね。

 途中から、それどころじゃなくなった。

 
 ねえねえ、なんで人は祈るとき、両手を組み合わせるんだろうね?

 そうしないと、崩れるからだよ。

 途中から、ずっと、両手を組み合わせていた。
 祈りのポーズ。
 自分で自分の手を握る。指と指を交差させて。

 胸の前で両手を組んで。
 祈ってるのかな。なにを?

 抑えているのかもしれない。
 なにか、わたしというモノを破って、とびだしてきそうだった。
 それを抑えるために、指を交差しているのかもしれない。
 力をこめているのかもしれない。

 オペラグラスも使えない。
 魂がぐつぐつ動いているのを感じる。
 自分が今、息をしていることを強く感じる。

 祈っているのかな。なにを?
 両手を組んで。指と指を交差させて。力をこめて。

 崩れる。なにかがとびだす。なにが?

 うおー。
 いい感じ。
 長年人間やってきて、感じたことのない惑乱。

 魂が動く。
 お盆を床に落としたとき、∞のマークを描くようにくわんくわんと揺れていることがあるよね。
 あんな感じだ。

 「タカラヅカの醍醐味」のただ中にいるわたしと、そんなわたしへ向けてオギーが放ったメッセージが、わたしを揺り動かす。

 いや、まったく、すごい。

 まだちょっと、アタマが整理できていないっていうか、理屈のところまでいってないのね。
 感覚だけ、感情だけなの。
 わたしは今むきだしのわたしのままなの。

 すごいものを見た、ということと、それによって反応したわたしの内側のことだけを書いている状態。
 おもしろいから、興味深いから、書いておく。

 つらくてかなしくて、だけどだからこそ、それがものすごいパワーになってわたしをぐちゃぐちゃにしている。
 体温が上がっているのがわかる。この感覚が続けばまたきっとわたし、倒れる(笑)。カラダが感情についていけなくなる。感情の生き物だよな、まったく。

 オギーはきっと、「かなしい」とか「別れ」とかにとても敏感な人なんだと思う。
 だからこそ、そこを突いてくるんだと思うよ。
 「技術」として、うまい。
 どうやれば「かなしい」かを、きちんとわかって作っている。「かなしい」が正しくわかる人は、「うれしい」もわかるんだよ。
 そして「うれしい」が「かなしい」のもうひとつの顔であることも。

 とってもぐちゃぐちゃな感想ですが(笑)。

 タカラヅカという世界を愛し、誰が退団するかを踏まえた上で観ると、ものすげー「うまい」作品です。『ドルチェ・ヴィータ!』。
 退団者に愛や興味がなくても、「タカラヅカ」というルールを知っている人が観れば、そのうまさがわかるはず。
 才能豊かな人が作った、高い水準の作品。ヅカを愛する人たち、美しいものが好きな人におすすめ。

 そして。
 ケロファンは感涙必至、破壊力∞。

   <…
 
      荻田浩一、神。

       
 昨夜から、体調不良。
 寒気がする、目眩がする、腹が痛い、指先に力が入らない。
 あー、風邪だな、こりゃ。と、母に言うと。

「アンタもなの? もー、なんでみんなそうなのよ。父も風邪引いたって今朝からぎゃーぎゃー言ってるのよ」

 えっ、父もなの?
 そういや母も数日前に風邪引いたって言ってたね、大丈夫なの?

「アタシはすっきり治ったわよー。なのになんなの、アンタたち。ひとが治ったコロに引かないでよ」

 
 原因がわかりました。

 母よ。あーた、わたしと父に伝染して治したわねっ?!

        
 出会ってから、今日でちょうど10年目。

 誕生日おめでとう、わたし。
 それから、あのひとと出会った記念日おめでとう、わたし。

 1995年9月29日。バウホール公演『大上海』観劇。

 数字の上では、9年前。そして今日から10年目。
 だけど、出会った1周年記念日はないんだね……。来年の誕生日には、もうあのひとは存在していない。

 
 最後に私信。

 birthdayメールくれた方々、ありがとー。感謝っす。
 でも結局、「スターからのメッセージ」は聞けていません……(笑)。

    
        
 9月28日、深夜。
 メールを書いているうちに、日付変更線を越えた。

 あら、もう29日だわ。

 29日はMyバースデー、そいでは恒例の「タカラヅカ・デスクトップカレンダー」を立ち上げて、スターさんからの「お誕生日おめでとう」メッセージを聞きましょう。

 すでに、誰を選んだかおぼえてない……。年寄りの記憶力はこんなもん。だからこそ、自分で自分にサプライズを仕掛けているよーなたのしみをもって、カレンダーを立ち上げた。

 
 エラー

 
 メッセージは、聞けませんでした。

 
 なななななぜぇっ?!

 どーして?
 画面はグレーのまま。
 なにかプログラムに不足があるらしい。
 わたしなにか、必要なモノを消してしまっていたのかしら。

 再インストールすりゃ、いいわけだけど。
 すでに日記として活用している(このサイトでの日記は、日記として役に立っていない)から、再インストールによる初期化はごめん。

 めそめそめそ。
 かなしいときには、かなしいことばかりつづくのよ……。

 
 日記のネタは溜まる一方なので、またそのうちどーんと、書きます……。
 今はフテ寝するー。

       
 千秋楽。
 わたしは立ち見でした。
 ええ、チケット運ないもんで。

 いつもの位置に立ちながら、「1ヶ月半後も、ここにこうして立っているんだな」と思って、泣きたくなった。

 1ヶ月半後。
 ええ、もちろん立ち見です。チケット運ないもんで。

 ヘルナンデスと踊るギジェルモ社長にオペラグラスを合わせて、あの巨大な劇場のいちばん後ろから、見えなくなるまで見つめていました。
 めそ。

 
 ところが。
 『タカラヅカ舞夢』の方は、ちゃっかり座席にいたました、わたし。

 見知らぬ方が、チケットをくださったので。

 ありがとうありがとう、見知らぬ方。
 11列目サブセンター。
 ショーは観ないで帰るから、という方から、席を譲っていただけたのでした。ハラショー。
 客席から登場の水しぇんが間近だばんざい! 銀橋の兄貴の視線が近いよばんざい!

 そーやって、隣の席の見知らぬお嬢さんとふたりして、うきゃうきゃ盛り上がってました。
 共に兄貴のご挨拶で涙し、幕が下りたあとも脱力して立ち上がれずにいました。

 
 兄貴は最後まで男前でした。
 わたしたちの見たい矢吹翔でいてくれました。

 そして、春野寿美礼は春野寿美礼でした。
 腹の底なんか見せないで、元気にキャラ作って盛り上げてました。

 時間がなかったので、終演後のお見送りは出来なかったけれど、すがすがしくも男前な兄貴の姿を瞼に刻んで、帰路につきました。

 
 1ヶ月半後。
 てゆーか、1ヶ月と少しあと。

 カウントダウンのはじまっているその日が、重い。

        
 何故カルロスは、ミルバを愛さないんだろう。
 そんな疑問を抱きつつも千秋楽。

 脚本上では、カルロスはミルバを愛しているようだが、実際のカルロスは、ミルバのこと愛してないよねえ?
 花組公演『La Esperanza』は、重ねて観れば観るほど、主役カップルの愛のなさに唖然とする。

 作品のカラーやテーマをぶちこわしているのは、まちがいなく主役のふたりだ。

 『La Esperanza』は地味な作品。
 宿命だの悲劇だの、ドラマチックな告白だのがない分、役者が自力で愛を高めなければならない。
 台詞やシチュエーションの底上げナシに、愛し合っていることを観客にわからせなければならない。
 なーのーにー。

 カルロスは、ミルバ以外と接するときはハートフルだ。フアンのことは本当に大切にしているらしいし、ベニートの熱さを苦笑しつつも気に入っている様子。おにーちゃんのことは大好きで甘えまくってるし、事件後のフラスキータへの深い思いもわかる。
 なのにどーして、ミルバには表面的にしか接しないんだろう。

 ミルバは、カルロス以外といるときの方が、魅力的だ。いちばん彼女が輝くのはギジェルモやヘルナンデスと一緒にいるとき。活き活きとした素敵な女の子になる。
 なのにどーして、カルロスといるときはくすんでしまうんだろう。

 相性が悪いってのは、こういうことをいうんだなあ。と、思う。
 一緒にいるだけで、相手に悪影響を与える。べつに悪意も害意もないのに、自然とそうなってしまう。
 人間って不思議だ。

 そしていちばん不思議なのは、どうしてこんなに相性の悪いふたりが、トップコンビなのかってことだけどな。

 もちろん、相性云々ぐらい、真の役者ならば演技力でカバーするもんなんだろうけど、残念ながらこのふたりにはそこまでの力量がない。技術ではなく、カバーする気がないだけかもしれんが。
 自己完結した表面的な演技だけで、ちゃんと演じているつもりらしい。自己愛の透けて見えるふたり。そういう意味では、相性はいいのかな。結局自分しか好きじゃないわけだから。そんなふたりがくっつくのは、世の中のためかも。

 
 とまあ、ちと辛辣かもしれませんが。
 「自分しか愛せない」ナルシストで傲慢な美青年、てのもキャラとしてはアリだと思うんで、花組トップスター様にはこのまま突っ走っていって欲しいです。

 そしてわたしの好みとしては、そーゆー男の妻は、けなげなまでに夫に惚れていてほしいのですわ。
 その昔、ヤンさんに一顧だにされないにかかわらず、みはるちゃんがけなげについていっていたよーに。

 オサちゃんの相方が、オサちゃんと同じように「自分しか愛せない」タイプのふーちゃんだっつーのは、つまらんです。
 ただの仮面夫婦じゃん、そんなの。
 萌えないわ。

 
 たか花やワタ檀がたのしいのは、夫婦がラヴラヴあつあつだから。
 愛があることが、目に見えるから。

 この殺伐とした現代に、目に見える「愛」があるなんて、すばらしいじゃないですか。
 それこそ「夢の世界」じゃないですか。
 わたしは夢が見たいのです。
 夢を見せてください、劇場にいる間だけ。

 
 ヒロインと恋愛する主人公、というのは、オサ様に関してはもうあきらめているんで、「誰からも愛されるけど、誰も愛さない男」としてのカルロスを堪能しました。

 いいよねえ、カルロス!
 出会う人出会う人に、猛烈に愛されて。
 でも本人、そんなのぜんぜん気づいてなくて。

 事件の夜、フラスキータが何故わざわざ自分を追いかけてきたか、素で理解してないんだよね。
 しかも、彼女が撃たれたことにさえ気づかないし。おにーちゃんのことしか考えてないから。……ほんとに、彼女のことなーんとも思ってなかったんだよねえ。ただの「職場の同僚」だったんだねえ。
 新しい職場でも、やたらみんなカルロスを好きだよね。ジュースをくれた女の子とか、マジでカルロスに惚れてがんばってアタックしてるんだろーに、もちろんカルロスはそんなことまったく気づいてないし。ベニートを案内してきて、そのまま一緒に喋りたがっている男もそうだね。カルロスの「特別」になりたくて、うずうずしている。
 でもカルロスは、彼らの「愛」にまったく気づかない。ただの「職場の同僚」だよね。

 だって、「愛されている状態」が、「平常」だから。

 愛されているのがあたりまえ。やさしくされるのがあたりまえ。
 それがデフォルトだから、気づかない。
 カルロスはマイペースにかろやかに、自由に生きる。

 愛があふれている暑苦しい男ベニート。彼もまた、いそいそとカルロスのもとに通う。そう、自分からアプローチしないと、カルロスからはしてくれないからね。触れ、抱きつけ、スキンシップ過多、とにかく全身で愛を表現しろ、でないとカルロスにはまったく通じないぞ(笑)。

 顔はクールな二枚目なのに、黙って踊っていれば超絶色男なのに、言動が三枚目の愛すべき男ベニートと、一見人当たりのいい美男子、フレンドリーでハートフル、しかしその実誰の愛も届かない砂漠男のカルロスは、とてもいいコンビだと思う。

 カルロスがどんどん「愛の届かない男」だとわかるにつれ、ベニートの「愛の暑苦しい男」ぶりがヒートアップしていったと思う。
 初日付近とちがい楽付近では、ふたりのコントラストは笑えるくらいくっきりしていた。

 すさんだ目をしたクールな男に「愛が届かない」よりも、陽気で前向きで社交的なやさしい男に「愛が届かない」方が、より残酷で、愉快じゃないか?
 カルロスはやさしく誠実ないい男だよ。潔く真面目な男だよ。だからこそ彼の小悪魔ぶりが、不思議な「味」になっている。

 愛されるばかりで、自分から誰かを愛することはないんだね?
 ダンスのことしか考えてないんだね?
 フアンを大切にしているのも、彼が「自分の夢を継ぐ者」だからだね?
 本能に忠実なペンギンめ。
 ミルバを愛さないカルロスが、とても好きだ。彼の壊れた部分がとても好きだ(笑)。

 もちろん、カルロスとミルバの間に愛が見えないことで、作品の質を盛大に下げているけどね。
 今さらキャスティングが変わるわけじゃないから、それはもーあきらめてるの(笑)。ミルバ役が別の人なら、別の物語になったんだろうけどね。

 そして、「片想いキャラ」が好きなわたしは、ベニートが好きだ。
 この男の、カルロスへの潔い片想いっぷりが、ものすげーツボ。ぜんぜん報われてないのもまた、ツボ。
 『巖流』の武蔵の、小次郎への爆裂片想いっぷりがツボだったよーに、愛を隠さない男は大好きです。玉砕上等、空回り上等の暑苦しさが大好きです。

 あー、ベニートとカルロスでなんか書きたい……。ベニートの報われなさぶりと、カルロスの小悪魔ぶりを書きたい……。
 フアンとカルロスもいいんだけどなー。フアンは徹底的に健気、カルロスは大人で、なしくずしに……的な話。

 これだけキャラに萌えられる話は、さすが正塚だわ……。

 てな感慨に耽っておりましたよ、千秋楽。
 もう彼らに会えないのがかなしい。
 千秋楽だからなのか、カルロスは微妙に柄が悪くて(笑)、いつもよりクールで悪党入ってました。千秋楽だから熱っぽくなるかと思いきや、逆なのね。より「素」の部分が出るのかな。
 愉快だからヨシ。

     
ディーノってさあ、水くんに似てるよねえ?

 と、思ったのは、何週か前の、ディーノのシャワーシーンにて。濡れて、髪型がちがったせいかな。
 にしても、似てるよね?

 とくに横顔(笑)。

 
 今年のアニメで、いちばんアタリだったのが、この『レジェンズ〜甦る竜王伝説〜』だ。
 毎週ツッコミ入れつつ、大笑いして見ている。ギャグがツボに合うのよー。『ハレのちグゥ』がツボだったのと同じ感覚。キャラのツッコミ具合が快感。

 「レジェンズ」というモンスターたちが、現代によみがえってどたばたしている物語。何故かレジェンズはタリスポッドという器具で育成する。おもちゃを売るために制作されたことがよくわかる設定。

 レジェンズはどーやら、人間と一夫一婦制でパートナー関係を構築するらしい。一夫一婦、といっても、性別は限定解除。男同士の方が多いみたいだ。
 

 さて、主人公のシュウ(今どきな小学生)と、彼のレジェンズ・シロン。

 とにかくシロンさんってば、最初っからめちゃくちゃかっこよくて、シロンさんのかっこよさだけでこのアニメ見続けるぞ(笑)ってくらいのもんだったが。

 最近、とみにかわいくなってません、彼?

 シュウはバカで天然で役立たずのヘタレガキ。シロンは男前で強くてクールでとことんかっこいい大人の男。
 運命だか宿命だか知らないけど、一夫一婦制なんで離れられなくなってしまったふたり。
 最初はめちゃくちゃ「不条理だ、なんでこんなヤツと!」だったのが、半年かかって(半年かよ!)両想いっぽくなってきた。

 なにしろシロンは大人なので、勝手にいろいろ考えて「シュウのために」身を引いたりする。
 そしてシュウはバカだから、シロンがいなくなっても気づかない。いないならいないで、その重要さに気づかない。
 

 『レジェンズ』が愉快なのは、わたしのツボのひとつである「異種族間恋愛」であることと、さらに「大人と子どもの恋」がたーっぷり味わえること。

 シロンは大人。大人だから、いろいろ考える。迷う。
 なんで俺が、あんなガキのこと……。現実を認めたくなくて、ぐだぐだ悩む。

 シュウは子ども。しかも、かなり精神年齢の低い、情緒未発達なバカガキ。あまりにバカなので、なにも考えないし、悩まない。
 いつも目の前のたのしいことに夢中。食べ物とか野球とか。
 そして自覚のないままに、本能の部分で思うわけだ。シロンがそばにいなくちゃ、ダメだと。

 かっこいー大人のシロンは、子ども相手に恋をして、どんどんかわいい男になってくる。
 バカヘタレガキのシュウは、大人相手に恋(未満だなー、まだ)をして、どんどんいい男になってくる。

 いやあ、シュウのあまりものバカっぷりが、ツボでツボで。
 この子がへんに賢かったり、まともだったら、こんなにおもしろくなかったよなー。
 あまりにも突き抜けてバカだから、かわいいのなんのって。

 シュウ × シロン で!!

 当然ですね!
 シロンは受ですよ、1話から、登場した瞬間から。
 そしてシュウは絶対攻。バカ攻。ああ、いいなあ、シュウ(笑)。

 
 それから、もうひとつのカップル。
 ディーノと、彼のレジェンズ・グリードー。

 こちらも、盛り上がってますね!

 大人の男グリードーと、まだ子どもでしかないディーノ。
 グリードーは体育会系というか、融通が利かないタイプ。傷つきやすい繊細な少年ディーノの気持ちを察することなどできるはずもない。

 現在、盛大にすれ違ってますね!!
 たのしいですね!

 大人はいつも考えすぎ、子どもは感情でのみ動く。

 この恋の行方がいいんですよ。
 大人であるシロンとグリードーが、「相手のために」身を引こうとするのに、子どもであるシュウとディーノはそれをまったく理解しない。
 そして、それぞれのキャラのちがいで、「すれ違い」は見事に別の物語になる。
 身を引き、ひとりで旅立ち、ぼろぼろになるシロン。それにまーったく気づかないシュウ。
 一緒にいながらも「戦いに情は不要だ」と感情を切り捨てようとするグリードー、それに取り乱すディーノ。
 なんて愉快な2組のカップル。

 あ、 グリードー × ディーノ で!!

 ディーノくんは受です。
 最初のうちはともかく、今はもう、天下無敵の受道突っ走ってます、この子。
 あの顎なのに(笑)。

 
 今いちばんたのしいアニメ。
 作品全体の「マドンナ」キャラが、デブな男の子ってとこまで、すばらしいです。
 マックはデブ少年なんだけど、癒し系で聖母キャラ。誰からも愛され、大切にされまくってる。頭もよくてやさしくて、真の意味で「かしこい」少年なんだよねえ。

 J1&J2の語りも心地よいし、G・W・ニコル(ツボ直撃。爆笑した)も大好き。
 わたしはもともと女声のハーモニーの方が好きなんだけど、このアニメではじめて、男声のハーモニーの美しさに酔いしれた(笑)。
 わざとハモるよーに喋るよね、男たち。

 
 ああ、とにかく。
 ディーノの顎と、彼の恋から、目が離せませんわ!!

          ☆

 んで、私信ですが。
 つーか、アニメ日記の最後に書いても伝わるかどーか、あやしいんですが。

 ココナッツミルク様、日記の感想thanksです。
 よろこんでもらえてうれしい〜〜。てゆーか、照れ照れ〜〜。
 いつも好き勝手ほざいていて、すみません。なにしろ腐女子なもので……ゲホゴホ。
 寿美礼ちゃんファン日記、いつもたのしく読んでます。同じ人を好き、ってことで、一方的に親しみを感じてます……すすすすみません。ほんと一方的っす。

 世間的に評価が低いらしい『La Esperanza』も、明日で千秋楽。

 カルロスに会えなくなるのがさみしい……。東宝はチケット手に入らないし。明日で見納めっす。

 わたしが好きな作品を、同じように好きだと言ってくれる人がいて、とてもうれしいです。るーるー。

     
 寿美礼ちゃんの写真集はAmazonで取り扱いがあったのに、パーソナルブックはナシかい……。

 宝塚パーソナルブック? Vol.1 安蘭けいを買ってきましたー。

 今どき笑っちゃうよーな「美少年」ぶりに、まずウケた。
 フリルのブラウスに、リボンタイって……『風と木の詩』?!

 表紙はワイルドなのよ?
 なのに、ページをめくるとジルベールなのよ?

 愉快ですね。

 ノーブルに美しいトウコちゃんがつづき、タニちゃんとのさわやか対談、そして舞台写真集、モノクロの嘘っぽい(失礼)日常風景、プライベートのスナップ写真、2ページ使ってのインタビュー、黒・白と視覚もあざやかなかっこいー写真がつづき、さらに。

 おバカ・ヤンキー集団がいた……。

 トウコ兄貴と、その舎弟たち。
 この21世紀では気志團以外では現存していないだろう、庇のよーなリーゼント・ヘア。
 髪型はいいんだが、問題は服装。
 半端な丈の学ランにサングラス。……何故いっそのこと長ランじゃないんだ……半端丈がすげー気になる……ウエストラインより上の短ランでもいいのに……どーして真面目高校生ラインの長さでツッパリやってるの?
 ズボンもドカンじゃないしさー。しかもみんなさりげなくハイヒール履いてるし。
 あああ、半端だ、半端だぞ、ヤンキーぶりが!(笑)

 でも、兄貴素敵だ。

 あの舎弟たちは全員、兄貴にベタ惚れですねっ。兄貴のためなら火の中水の中ですよねっ。

 愉快ですね。

 トウコ兄貴だけは、ハイヒール履いたりしてないのよ。ヤンキーらしい革靴でコーディネイト。
 となると兄貴、相当小柄ですね。舎弟どもの間にまじると、お姫様状態ですか?

 愉快ですね。

 リーゼント・ヤンキー(木刀付き)の次のページをめくると、これまた脱がされるのを待っているよーな、微妙に開いた襟元に手をやり、フェロモン放出中のトウコ姫。
 えーと、その不適に開けたボタンは、誘ってるんですよね? 鎖骨を見せて、「come on」ってゆーとるわけですね?

 愉快ですね。

 ラストは『卒業』ですか、教会から花嫁奪取のタキシード男。式服着てるってことは、参列者だったんかい。仁義のない男だな(笑)。

 でも、このバイクにまたがっている男らしい顔が、いちばん好き。

 その昔、雪組にいたときはこーゆー顔した、こーゆーキャラだったんだよなあ。
 星組に行って受姫になっちゃったけど。

 
 とりあえず、愉快な1冊でした。
 大きさは前回と同じにして欲しかったけど。よーするにアレでしょ、合法的に値上げしたかったんでしょ? バウホールのプログラムの値上げと同じで。

 予約特典のポストカードは、タニちゃんと対談しているときの別バージョン・ショットでした。
 思ってたよりサイズがでかくて、おどろいた……。

 
 今回のパーソナルブックは全部で7冊。
 ……さみしいよねえ。10冊出して欲しかったわ。いや、全部買う気はまったくないけど。輝いている人たちを、少しでも多くこうしたカタチにして欲しいと思うのよ。
 あと3人プラスされるとしたら、誰だろ。
 花1人、月2人、雪1人、星1人、宙2人だから、花・雪・星の3番手よね。ゆみこ・壮・まとぶんか。出せばいいのにー。

 シリーズ7巻のうち応募券4枚で写真プレゼント、だそうだから、ほんとに7人で打ち止めなのね。
 冒険ナシ、手堅くきやがったな。
 さて、応募券目当てで4人分は買うかなー。水しぇんとゆうひくんと、……あと1冊は誰にするかなー。
 

 てゆーかさ。
 ケロのパーソナルブックが欲しかった……心から、欲しいよ……。めそ。

     
 さえちゃんが、かわいいのだ。

 もう何回目かわからない、月組『飛鳥夕映え』を観ながら、思った。

 さえちゃん鞍作、かわいい……。

 
 最初わたしは、首を傾げていた。
 鞍作というキャラクタが、どーしても理解できなかった。掴めなかった。
 脚本が悪いせいだと思った。演出が悪いせいだと思った。
 そして。
 何度か観ているうちに、気がついた。
 たしかに脚本も演出も悪い。でも、さえちゃんが悪いのも、事実。
 鞍作という役は、「トップスター」あて書きキャラだ。タカラヅカの「トップスター」ならば、似合って当然の役だった。
 周囲の人全員から愛され(もしくは憎まれ)、英雄肌で世界の中心にどんと立つヒーロー像。
 仮にもヅカのトップに上りつめた人ならば、できてあたりまえ、ハマってあたりまえの役。
 なのにさえちゃんは、この役を持てあましていた。ハマることができなかった。
 技術の低さもそうだが、なによりセンターとしての吸引力に欠けていた。
 英雄に見えない。
 トップに見えない。
 それがいちばん、痛かった。

 この事実にはかなりがっくりきたので、さえちゃんに関してはもうあきらめていた。
 さえちゃん以外の人を見てたのしもう。
 そう割り切ってた。

 ああ、なのに。

 なんか、さえちゃんがかわいい……。
 鞍作がかわいい……。

 なんか一段とハスキーになった声がかわいい。
 英雄には見えないけど、たよりないぽやぽやした男の子に見えるけど、それはそれで、いいかもしれない。
 鎌足@かしげには相手にされてないっぽくて、誘って振られて「がーん」て顔してるのがまた、かわいい。振られるとは思ってなかったんだな、おぼっちゃま……。かわいいぞ。

 さえちゃんに期待して、裏切られてヘコんで、あきらめて、それら全部を突き抜けちゃったみたい。

 なんかもー、どーでもいー。かわいいからゆるーす。

 はっ。
 この心境って、後水尾天皇@花供養の心境?!
 色即是空、すべては無。
 悲しみも苦しみも、突き抜けて悟りの境地へ。

 
 さえちゃんは進化してます。亀よりのろいけど、確実に前へ進んでいます。
 ムラよりは東宝の鞍作の方がいいよ。
 少しずつだけど、彼がどういう人なのかが見えてきた。

 
 かっしー鎌足は、笑っちゃうほど悪役。
 鞍作を愛しているよーには見えなかったな。あまりに悪役を極めすぎていて。
 むしろ、誰からも嫌われた経験のない鞍作が、鎌足に拒絶されて、その反動でfall in LOVE しちゃってる感じで愉快でした。
 鎌足に片想いしてる鞍作か……。その方がいいなー。さえちゃん鞍作は、おとなしく受キャラしてた方がいいのよ。もともと受属性なんだから。
 鎌足を振り向かせよう作戦、を、軽様だとか麻呂くんだとかに協力要請したりしてさー。気を引きたくて部下を引きつれて踊ってみたりさー。つっても鎌足は、同期3人で飲んで喋るのに夢中で、鞍作のダンスろくに見てくんないけどさ。
 惚れられるのがあたりまえ、口説かれるのがあたりまえで、自分からはなにもしたことなかったから、アプローチの仕方がわかんないままだったから、ついに気持ちを伝えられないまま、暗殺されちゃうのね。
 かわいそうな鞍作……ほろり。

 鎌足の悪役度・冷酷度が突き抜けていることと、鞍作のキュートさが上昇していたおかげで、そんな腐女子舞台を観ました、今回。

 片想い鞍作。いいじゃん(笑)。

        
 せっかく東京へ行ったのだから、もちろん観てきました『飛鳥夕映え』あーんど『タカラヅカ絢爛?』

 ところで東宝はサバキ禁止じゃなくなってんですかねえ。先日も今回も、シャンテ前にはチケットを出した人がずらり整列。当日券も売りきれないし、気易くていい感じ。……あれ? でも今回は祝日だったんだけどな……。買い手市場なんで助かります。

 なんにせよ、今回のトピックスは、ゆうひくんの胸ですわ。

 先日とはチガウ席で観てみようと思ってチケットを探した結果、2階席をGETしたので(値段は聞かないで・笑)、ショーではゆうひくんの胸を見る気満々でした(1階で観るときは、のぞみちゃんのパンツを見るのが醍醐味)。

 幕開きの白い衣装。

 そこまで見せていいのか、おおぞらゆーひ!!

 今までで最高の見せっぷりでした。
 谷間はもちろん、ぷっくらしたふたつのお山まで見えてます。

 あまりに堂々と見せているので、興奮すると同時にうろたえました。
 いいいいいのかわたし、こんなもん見てて。
 見せていただいて、いいのかしら。
 顔も姿も青年なのに、胸だけ女の子。アンドロギュネスの美。乳房を持つ男性。両性具有、あるいは無性?
 加速する倒錯感。

 娘役の巨乳を見るより、はるかに興奮します。
 本来あってはならない、見せてはならないモノが、ちらちらと隙間見える。おお、これぞチラリズムの妙。

 その気前の良さは、誰のためだ?!

 男客を悩殺したいのか、女客か?

 男役の胸元に注目する男客は少ないんじゃないかなー、と思いつつ……やはり女客悩殺が目的? しかし、男役の豊満なチチを見て悩殺される女って? はっ、わたし?!

 ゆうひくんの胸は、ちゃーんとドーランが塗ってありました。谷間まで。ふくらんでいる部分まで。本来見せない部分まで。
 ふつーなら衣装の下で見えない部分まで、毎日ドーラン塗ってるのか……どこまで塗ってあるんだろう……自分で塗るんだよねえ……手伝ってもらったりはしないよねえ……遠い目。
 そんな手間なことせんでも、衣装にあて布をするとか、肉色シャツを着るとかすれば、なんの問題もないのに、チチにドーラン塗ってまで、生の肌で勝負するのね。

 その心意気やヨシ!!(鼻息)

 
 ちなみに、見せっぷりがいいのは最初の白い衣装だけで、他のときは肉色シャツを着ていたり、言い訳のように小さなあて布がしてあったりして、ガードされてました。
 チラリズムの帝王おおぞらゆーひ。
 漢字で書かないのは、真面目なファンの方々の検索がこわいからです(笑)。

 ああ、どきどきさせてもらったわー。
 いつまでもそのままのゆーひくんでいてください。

     
 トド様の挨拶を聞きに、『花供養』千秋楽へ行ってきました。
 トド様の挨拶は独特なので、生で聞いてなんぼっすよ。

 わたしがトド様の挨拶をはじめて聞いたのは、『天守に花匂い立つ』新人公演のときでした。トド様が研6になったばかりの1月。彼は中卒なんで、まだ22歳、学生の年齢ですわな。
 そのときからすでに、トド様はトド様でした。あのみょーちくりんな挨拶をカマしてました。

 当時のわたしは金も経験もなく、挨拶がある公演を観に行くスキルがなかったため、ジェンヌの生挨拶を観られるのはトド様の新公だけ、状態でした(トド様の新公だけは、性根を入れてチケットGETしてたからなー)。
 だもんで、「すべてのジェンヌさんは、あーゆー挨拶をするもんなんだ」と思いこんでました。
 たとえ挨拶であっても、キャラを作り、「男役」になりきったまま喋らなければならないのだと。

 だから、トド様以外の人の挨拶をはじめて聞いたときは「ポカーン」となりましたわ。
 とくに、最初に聞いたのがよりによってタータンだったもんでな……ショックは大きかったわ。
 あれは『華麗なるギャツビー』の新人公演。いつもの調子で挨拶をカマしたトドロキ氏が、突然、2番手を務めたタータンに、話を振ったのだわ。ぬきうちだったらしい。挨拶は他人事、と見守りムードだったタータンは、突然指名を受けて、嬌声を上げる。
 スーツ芝居だ。タータンももちろんスーツ姿。本役のいっちゃんよりはるかに貫禄のあるおやぢぶり。実際堂々たる芝居と歌で舞台を盛り上げた。
 その貫禄あふれたおやぢが、だ。挨拶を振られるなり、「いやぁぁん☆」てな女の子になったのだわ。内股、上目遣いでもじもじ(顔はおやぢ)。おずおずとマイクの前に出てきて、あのかんわいらしー「タータン喋り」で、舌っ足らずに甲高く挨拶をはじめた(顔はおやぢ)。
 えええっ?! 挨拶って、「男役」のキャラのまんまでなきゃ、ダメなんじゃないの? 本名の女の子まんまの姿でしていいもんなの?
 びっくりした。
 さっきまで完璧におっさんだったのに、名前呼ばれるなり豹変、て、すげえ……。ただ立っているだけでも、「男役」ってのは技術なんだなあ。気を抜くと女の子になっちゃうもんなんだー。ほえー。
 てゆーか、挨拶って……ふつーに喋っていいもんだったんだ……節を作って歌わなくてもいいもんなんだ……。

 トド様のおかげで、何年も誤解してましたよ。
 タータンを皮切りに、他の人の挨拶を聞く機会も増えたが、あーんな変な挨拶をする人はトド様の他にはいない。
 トド様が変だったんだ……挨拶はふつーに挨拶、ふつーに喋っていいもんだったんだ……。

 とまあ、唯一無二のトドロキ御大。あの阿呆……愉快な挨拶は、生で聞かなくっちゃ。つーことで、遠路はるばる東京へ。

 舞台は熱く、また、落ち着いておりました。トバしすぎてこちらが引いてしまうようなこともなく、情熱を感じさせる静かさが満ちておりました。これはこれで、すばらしいことでしょう。

 しかし。
 とどのつまりわたしは、この物語が好きになれないのだと心から思った。
 後水尾天皇の無神経で自己中で、くどく女々しくひがみっぽい性格がキライだし、宗教に逃げてハッピーエンドというオチもキライだ。
 わたしは困難に立ち向かう物語が好きだし、それを乗り越え、成長する物語が好きだ。『花供養』はそういったテーマと対局の部分で描かれているのだから、はじめからわかっていることを「キライ」と言っても仕方がない。わかっているさ。嫌なら見るなってこった。

 同じテーマでも、脚本や台詞の選び方ひとつでいくらでも変わると思うんだが、何故かこの作品では、キャラクタのひとりひとりがとても無神経に見えるように描いてある。
 同じ意味を言うんでも、よりによってどーしてそんな言い方を? 言葉の使い方まちがってない? それって他人に言っていいことじゃないのでは? がてんこ盛り。
 同じテーマとストーリーラインでも、もっと感動的にできるだろうに……何故こんなに心が冷える台詞と演出なんだ……とほほ。

 まあ、もともと好みじゃない話だから、仕方ないさ。ちょっとした言葉のニュアンスが引っかかって、さらに気持ちを萎えさせるのさ。
 ツボな話なら、多少言葉が無神経でも用法がまちがっていても、いいように解釈しちゃうからなー。

 わたしの好みからもっともはずれているのは、「無」という悟りの使い方。
 後水尾天皇にしろお与津御寮人にしろ、本人の意思や努力とは関係ないところで不幸な境遇を強いられている。かなしい想いをしている。それは気の毒なことだ。
 色即是空、宗教に走ってしまうのも、仕方ないことかもしれない。
 しかし。
 悲しみや苦しみも、この世のものはすべて「無」である、と悟りに至る彼らに、わたしは盛大につっこんでしまう。
 悲しみや苦しみが「無」ならば、よろこびや愛もすべて「無」ってことだな。と。
 あれだけ愛してるのどーのと大騒ぎこいといて、敵前逃亡かよ。愛していたこと、今までの人生のよろこびややさしさ、全部「色即是空」で「なかったこと」かよ。
 泣きながらでも、美しいモノをそこに築いていたはずなのに、それを捨ててしまうのね。
 人間らしい汚さを捨てる代わりに、人間らしい美しさも捨てるのね。

 それが、いちばん嫌。

 悟りに達した人間は美しい。世俗の泥を突き抜け、悟りの水面に美しい花を咲かせる。たしかにそれは、すばらしいことだろう。そこにたどりつくまでの慟哭と苦悩も深いだろう。
 それがすばらしいこと尊いこと、美しいことを知った上で、わたしは思う。

 世俗の泥の中であがく生き方が好きだと。

 汚いものを抱えながら、かなしみながら苦しみながら、それでも愛して笑って生きる。それこそを、真にすばらしいと思っている。

 天使なんか愛せない。わたしが愛するのは善と悪、天と地、聖と俗の間で揺れ動く人間だ。
 かなしみや苦しみを否定する人なんか、愛せない。

 後水尾天皇に徳川に反乱を起こせとか戦えとか言ってるんじゃないのよ。誰だってなにかしら制約を受け、枷をはめられて生きている。そのなかで、どう生きるかが重要。
 彼には彼の世界の中で、苦しみながらもあがきつづけてほしかった。どれだけ自己中でヘタレでもかまわないから。弱くない人間なんかいないから。彼なりの真摯さを見せて欲しかった。

 ……いや、そーゆー話じゃないことはわかってるんだけどな。
 よーするに、わたしの好きな物語ではなかったのよ、致命的に。

 だもんで、いちばん盛り上がっている3幕、兄弟が怒鳴り合って生きるの死ぬのと大騒ぎしているところが、笑いツボ直撃なのよ。
 いかんなあ。泣かせどころで、そんな反応。情緒が不足しているのだわ。

 
 さて、トド様の挨拶ですが。
 彼はただ一度だけ、「素」で喋ったことがあります。わたしが知る限り、ただ一度。
 『バッカスと呼ばれた男』のムラ千秋楽。同期がこの日をもって退団するときに。
 マイクの前で、トド様は「男役・轟悠」ではなく、本名の石**子ちゃんになった。いつもの挨拶をしようとして……泣いてしまい、喋れなくなったの。
 素で喋り、素で泣いている彼を見たのは、あとにも先にもそれっきりだ。
 すぐに泣きやみ、いつもの挨拶をはじめたけれど。つーか、涙に濡れた顔のまま、それでもあの挨拶を無理矢理はじめてしまうことに、おどろいたんですけど。

 愛すべき人だと思うよ。
 強情で、不器用で。古き良き日本男児のような人だと思う。

マッツ・ミケルセン目当てで見に行った、『キング・アーサー』の感想、続き。

 わたしは知らずに見に行ってしまったんだが、この映画はいわゆるアーサー王伝説ではなく、その元となった人たちの物語、だそうだ。

 ローマ時代、ローマ・コーラ社ブリテン支店長のアーサー@クライヴ・オーエンは本社幹部の命令で、任期満了寸前の契約社員たちをなだめすかし、最後の仕事をすることになった。
 彼らのいるブリテン地域はもともとコーラという飲み物に対して懐疑的。「こんなにおいしいんですよ」と宣伝しても、地元のブリテン人たちは耳を貸さない。「コーラなんて飲んだら骨が溶ける。コーラ会社はブリテンから出て行け!」と地元飲料同業組合ウォードからは過激な反発があるし、どうにも販売成績がふるわない。
 そのうえ、ライバル社サクソン・コーラがブリテンをターゲットに決め、猛攻をかけてきていたからたまらない。
 もともと大した売り上げがない土地を守るために、わざわざ莫大な経費を掛けてライバル社と争うのもバカバカしい。ローマ・コーラ社はブリテン撤退を決めた。
 なまじ大がかりなプロジェクトとしてブリテンに支店を出したため、撤退にはいろいろ雑事があった。それをやりくりしなければならないのが、支店長アーサーの仕事だった。
 アーサーはブリテン出身のローマ・コーラ社員だったので、コーラを必要としないブリテン人と、コーラを売る目的の社員としての板挟みになっていた。
 ローマ・コーラ社はブリテンを去るが、そうするとはるかに過激で販路拡大のために手段を選ばないサクソン・コーラがブリテンを蹂躙するのは目に見えている。地元同業組合ウォードは叩きつぶされるだろう。ウォードの美女組合員グウィネヴィア@キーラ・ナイトレイとの出逢いもきっかけのひとつとなり、アーサーはブリテンのために立ち上がった。
 ムカつく上司に辞表を叩きつけ、辞職したのだ。大企業の恩恵と束縛を断ち切り、ひとりの男として生き方を決める。「コーラなんかいらない! その地域にはその地域にしかない飲み物があるんだ」……同業組合と共に、大手サクソン・コーラと戦うのだ!

 いやべつに、コーラを例に挙げたことに他意はないです。
 アーサー支店長があまりに本社のやり方と大企業ってもんと、地元住民との軋轢に苦労してるもんでさー。
 契約社員でしかない円卓の騎士たちは言いたいこと言ってるしねえ。ローマ・コーラ社から給料もらってはいるけれど、会社のことは大嫌いだから、どんなにアーサー個人を好きでも「どーせアンタは正社員だしな。契約社員の気持ちなんかわかんねーさ」って。
 ああ、中間管理職のつらさ。
 上は横暴だし、下は権利ばかり主張するし。
 コーラなんかなくてもブリテンの人々は何百年機嫌良く生きてきてるんだ。なのによそからやってきて、「こんなにおいしいんですよ、これを飲まないと許しませんよ(にっこり)」とやられても、そんなの余計なお世話だし。アーサーだって知ってるし。なのに、アーサーはコーラを売る側の人間で。本社のやり方はひどいしまちがってるし。サラリーマンは辛いよ。

 ……って物語だと思って見てたんだけど、やっぱチガウんですかね。

 「人間アーサー」を描いた物語とするには、あまりに説明不足。
 何故ランスロット@ヨアン・グリフィズの少年時代からはじまるの? 彼を視点とするなら、彼とアーサーの関係をしっかり描かないとわけわかんないよ。しかもこの視点、途中であっさり死ぬし。最後まで見守ってこその視点だろうが。
 円卓の騎士とアーサーの関係がまったく描かれていないもんだから、薄いのなんのって。アーサーはただの小者、情けない中間管理職にしか見えない。

 戦闘シーンがかっこよくないことも、爽快感を下げているよなあ。
 主人公たちが強く見えないの。なまじ何人もいるから、個性を描き切れていない分埋没しちゃって。
 おもしろかったのは氷原のシーンだけだなんて。

 アーサー役の俳優は、わたしには宇梶剛士に見えて仕方なかったんだよね……でもって宇梶剛士っておおむねコメディ俳優だからさ……濃さとくどさで笑いを取る人だし……うわーん、見ててきついよーっ。
 宇梶剛士が苦悩してるーっ、宇梶剛士がマジで二枚目してるーっ、こそばゆいよーっ。
 てゆーか、顔が宇梶剛士だということは置いておいても、この地味で華のない人が何故英雄役なの? 華がないとセンターはつとまらないんだということを実感した。

 まあ、マッツ・ミケルセンを見られたからそれでいいか。作品に多くは望むまい。
 ミケルセンはトリスタン役でした。おお。いい役じゃないですかー! 無口で鷹がお友だちですよ。顔に入れ墨なんかしちゃってますよ。
 前に見た役がヘタレよろめき中年男(笑)だったので、コスプレしてアクションしているのが新鮮で新鮮で。
 このシワの目立つ地味な顔が、わたしはつくづく好みだと思いました。ああ、いい男だ……。

 ランスロット役の人はマジで美形で、目の保養でした。
 もっといい役だとよかったのにね。ポスターはかっこいいのにね。
 だってこのランスときたら、アーサーのヒステリー妻でしかなかったですよ。なにかっちゅーと「どーゆーことよ、アタシ聞いてないわっ。そんなだからアナタはダメなのよっ」みたいにきーきー言ってばかり。アーサーとランスは倦怠期の夫婦みたいでした……痴話ゲンカばっかり。
 言葉の少ない不器用な夫に、押しの強いヒステリー妻。……とほほな関係だな。
 ランスとアーサーの関係が描かれていないために、このランスの空回りぶりがまた、ふたりの男前度を下げるのだった……。
 萌えないわ。こんなの。

 ネタはいいのに脚本・演出で失敗した作品、でFA?

       
ここ数日、書きためてあった映画感想をUPしていってます。
 タカラヅカを語っていたら、映画の感想書く日記の欄がなくて(笑)。
 つーことで、最新の日付でUPされていても、見たのはずいぶん前だし、書いたのもけっこう前だったりします。
 だから文中に出てくることがらも、びみょーに古かったりします。今ごろ「トド様の個展」とか出てきたりねー(笑)。ふつーの日なのに「今日は映画の日」と書いていたりねー。
 まあ、日付のことは気にしないでやって下さい。日記のネタがないとき用に書きためてあった分だから。

 ……日記のネタは、いくらでもあるんだけど。いい加減、せっかく書いた映画感想が腐りそうだったもんでさー。ちょっくら、ヅカ語りは休止してここ3日ばかり映画な日々。

 ヅカ語りは明日以降再開かな。またしても『花供養』観に行くので(ええ、ファンですから・笑)。

          ☆

 あるときから、「マッツ・ミケルセン」という単語で検索して、わたしの日記に辿り着く人が多くなった。

 ?

 マッツ・ミケルセンといえば、眼鏡白衣泣き顔という3コンボをやってのけたデンマークの萌え俳優でしょう?
 デンマークでは有名なのかもしんないが、日本での知名度はいまいちの人じゃなかったっけ?
 なんでこんな、彼の名前で検索する人がたくさんいるの?

 と、思っていたら。

 そうか、有名アメリカ映画に出演したせいなんだね。
 検索元をたどって知りました。
 それならわたしも見に行きましょう。多くの人がマッツ・ミケルセンに興味を持ったその映画を。

 てことで、見に行きました『キング・アーサー』
 監督アントワン・フークワ、出演クライヴ・オーエン、キーラ・ナイトレイ。

 すみません、わたしにとって「アーサー王」というと、“希望よ光 遙かな空よ”で、“僕は叫ぶ おっおー 僕は叫ぶ おっおー”とかになっちゃうんですよ……。
 なんでカラオケには『白馬の王子』しか入ってないんすかね? わたしは『円卓の騎士物語・燃えろアーサー』の方が絶対好きです。かっこいいじゃん。ドラマチックじゃん。主題歌『希望よそれは』の“燃えるたてがみ 風切る翼”のフレーズとか、子ども心に「かっこいー歌詞だ」と思ってたんだが。記憶だけで書いてるんで、まちがっておぼえてるかもしんないですが(なにしろ4半世紀前のアニメだ)。
 当時はトリスタンが好きだったけど(そんな小学生……)、今思えばランスロットがいいかもなあ、と思う。あーゆー堅苦しい男、今のわたしなら好きだわ絶対。どのみちアーサーに興味はなかったな(そんな小学生……)。
 お昼のワイドショーで挿入歌を熱唱する神谷明の顔を見て、ショックを受けたのも忘れられない想い出だ……。

 アニメの『アーサー王』世代なもので、中学生になってから本を読んで、円卓の騎士のおっさんぶりにショックを受けたおぼえがある。
 アニメは全員少年もしくは青年だったからさ……ヒゲ男なんかひとりもいなかったし。
 なんかむしょーにアニメが見たくなってきたな……(笑)。
 
 という、あくまでも子ども時代の記憶だけ、映画に関しての予備知識なんぞ予告編以外になにもナシ、マッツ・ミケルセンはなんの役で出てるんだろー、まあ見りゃわかることは調べるまでもなかんべー、という軽い気持ちで見に行きました。

 これ、いわゆる「アーサー王伝説」とは別モンやったんか……。

 知らなかった……。
 予告編見てても、気づかなかったよ。
 だって少年アーサーがエクスカリバー抜いてたし! 救世主してたし! ギネビア王妃(わたしの読んだ本の表記がコレだったので、刷り込まれている)が弓かまえてるのは変だと思ったけど、それくらいのサービスはアリかと思ってたし!

 マーリンが魔法使いじゃない! エクスカリバーがふつーの剣だ! てゆーか円卓の騎士が人数少ない! さみしい! つーかアーサー地味過ぎ!! 中間管理職の哀愁背負いすぎ!!

 英雄譚を見るつもりで行ったら、ものすごーくびんぼくさいサラリーマン派閥苦労物語を見せられてしまった……。

 
 文字数足りないので、次の欄へ続く。

        
素朴な疑問。
 何故わたしの見た映画には、全編字幕がついていたのでしょう?

 しかも、台詞だけじゃないのよ?
 ト書きまで全部ついてたの。
 (ドアを開ける音)とか(バルブを閉める音)とかまで、( )つきで全部字幕が出るの。
 文字放送? 耳の不自由な人がわかるように、音関連は全部文字で説明?

 変だなと思ったし、目障りで仕方なかったんだけど、なんの説明もなかったので「そういう映画なんだ」と思って我慢した。

 でも、帰ってから調べてみたら、他の人が見た映画にはそんなものついてなかったって言うし!!
 なんで字幕付きだったの?!
 台詞だけならまだしも、ト書きまで!! 字幕のないときはほとんどない状態だし、絵が売りのアニメーション映画なのに、字幕でせっかくの絵が隠れる。

 ものすっげー邪魔。

 はじめて見た。文字放送映画。
 わかってたら、見なかった……。

 字幕が邪魔で気が散ってしまったことも、関係していると思う。いくら見ないでおこう、気にしないでおこう、と思っても、そこに読める言語で字幕があるとつい見てしまう。そして言葉の持つ意味にアタマの何割かが向いてしまう。
 本当の意味で、映画に集中できていなかったかもしれない。

 あまり、おもしろくなかった……。

 絵はすごかった。
 字幕でいつも絵が隠れていたけど、それでもやっぱり絵はすごくきれいで、見ていてたのしかった。

 でも、それだけだったよーな。

 『スチームボーイ』、監督・脚本・大友克洋、声の出演・鈴木杏、小西真奈美、中村嘉葎雄。

 質問。
 この映画の主人公は、誰ですか?


 レイ@鈴木杏が主役かと思って見ていたら、物語に入りそびれました……。
 というのもこの子、いてもいなくても、大差ないんですわ、物語的に。

 少年主役の冒険活劇で、主人公がいなくても大差ない、ってどういうことよ?!

 びっくりしたなー、もー。
 まさかこんな根本的なおどろきがあるとは思わなかった。

 レイの父と祖父が、壮大な親子ゲンカしているだけで、はじまり終わるのですよ。
 あのなじーちゃん、とーちゃん、そーゆーことは自分ちでやれ。
 ロンドン破壊して大量殺人してまでするな。な?

 じじいとおやじの親子ゲンカが主なストーリーなので、主役のはずのレイの活躍する余地がないのです。
 てゆーか、レイ、いなくてもいいし。
 じじいがもっと元気なら、自分で全部やってたでしょう。じじいがじじいで動けないから、彼のマリオネットとしてレイが走り回っていただけで。

 レイには個性も意志も目的もほとんどないし。

 なにがしたいんだお前……。いつもまきこまれ流されているだけの薄い男の子、でも気が強くて勇敢。ってすごい矛盾だなあ。ふつー気が強くて勇敢なら、ただ流されているだけじゃないだろうし、流されているだけなら内気でちょっと臆病な男の子、とかになりそうなもんだし。
 勇敢な男の子なら彼のまっすぐさで盛り上げ、臆病な男の子なら彼の成長と勇気とで盛り上げられると思うんだけど。
 なにしろ勇敢なのに流されているだけなので、盛り上がらないし、成長もしない。
 画面は派手に破壊の限りがつくされているのに、主人公に精神的な変化がまったくないままなので、盛り上がらないったらもー。

 世界設定だけ凝ったクソゲーみたいに映画だ(笑)。
 ゲームシステムはおざなり。でも画面は凝りまくり。設定資料集とスタッフの鼻息の荒い解説書だけ充実。みたいな。

 どれだけ世界設定が凝っていても、そこに生きる人たちが魅力的でないと、世界も色褪せるんだよなー。
 その見本みたいな映画。

 冒険活劇の主人公ならば、やはり彼の意志と行動で物語を回していくのが基本でしょう。じじいとおやじにテーマをだらだら台詞で語らせてないで、レイがどんな男の子で、なにを考えなにをし、彼の意志と行動でなにが変わっていくかに焦点を当てて話を作ろうよ。じじいとおやじはあくまでも脇役なんだからさ。

 それから、プロの声優を使おうよ……。たのむよ……。
 魅力のないキャラクタが、棒読みのせいでさらにつまらない人たちになってるよ。
 鈴木杏ちゃん、もっとうまいと思ってたんだけどな。やっぱり微妙に下手くそ。小西真奈美の方がキャラが変わっていたせいもあってか、うまく聞こえたよ。

 
 とにかく、絵はすばらしい。
 わたしは絵を見るためだけにお金を出したと思おう。
 ……だからこそ、わけのわかんねー字幕で絵が隠れていたことがくやしい。ト書きまで出すなー!!

     
 わたしは子どもが好きではない。ガキよりはじじいの方が好きだ。
 ついでに、子どもを主役格に据えた物語も好きではない。大人の視点で子どもを美化したり勝手な理想や郷愁を押しつけたりして描いている可能性が高く、気持ち悪いからだ。

 なのに何故、『ぼくセザール 10歳半 1m39cm』を見に行ったか。

 主人公役の子が、きりやんに似ていたから。

 それだけか。
 それだけなのか、自分?!

 チビでちょっとデブでこまっしゃくれた男の子、セザール@ジュール・シトリュク。
 1m39cmの男の子の目線で語られる物語。

 ……っていってもなあ。
 1m39cm?
 わたし、10歳半のときすでに160cm近くあったから、そんな目線おぼえてねーよ。
 
 監督リシャール・ベリ、出演ジュール・シトリュク、マリア・ド・メディルシュ、ジャン=フィリプ・エコフェ。

 多感な小学生セザール@ジュール・シトリュクはもちろんのことだが小学生の世界で生きている。大人の世界はよくわからないし、大人もセザールを大人の世界からつまはじきにする。
 おかげでセザールは父@ジャ=フィリップ・エコフェの仕事を誤解し、「パパは刑務所に入った」と思い込んでしまう。
 パパが受刑囚、というとんでもない嘘をついた子ども、としてセザールの子ども社会での立場も大人からの信頼も地に落ちた。……悪いのは、子どもだからって軽んじて、同じ目線に降りてきてコミュニケーションを取らないパパなのに。
 折しも、セザールの親友モルガン@マボ・クヤテが離婚のため一度も会ったことのない父を捜しにロンドンまで行くという。元ロンドン在住だった学校一の美少女サラ@ジョゼフィーヌ・べリもソレにつきあうという。サラに片想い中のセザールとしては、ふたりだけで旅行に行かせるなんてとんでもない! モルガンは背が高くてかっこいい男の子だし! ただでさえモルガンとサラは美男美女でお似合いだし!
 パパの顔を見たくないセザールは、パパに会いたいモルガンと、複雑な家庭に育ったサラと3人で国境を越える。大人たちを出し抜いて。

 
 この映画がわざわざ日本に入ってきたのって、ひとえに、子どもたちがかわいいからだろうなあ。
 悪いが、それ以上はナニもない映画だった。
 テーマはありふれていてストーリーも起伏に乏しい。テンポがいまいちでユーモアも薄い。かといってシリアスでもなく、ものすごーい感動があるわけでなく、どっちかってーと淡々と進む。
 セザールの一人称のナレーションに頼り切った作り。ナレーションの背伸びした「子どもの理屈」がなかったら、とてもじゃないが見ていられない。てかナレーション多すぎ。
 全体の何割がナレーションなんだ?? まるでラジオドラマのよーだ。
 もしも日本語吹き替えでテレビで放送したりするなら、声優を使わずに本物の子どもに声をやらせてくれ。この映画に関しては、本物の子どもを使わなきゃダメだ。プロの声優がどれほど上手に子どもの演技をしても、ダメ。
 だって、子どもがかわいい以外に魅力がないんだもの。
 演技が下手でもなんでもいいから、本物の子どもに喋らせなきゃダメだー。

 画面はきれいでおしゃれ。セザールの目線1m39cmにこだわったカメラアングルはうまいと思う。
 でも、視覚だけだもんなあ、たのしいのは。
 セザールかわいー、モルガンかっこいー、サラ美人ー。……これだけかい。

 子どもが好きな人にはいいと思う。
 わたしだって、これが本物の猫がいっぱい出てきて、ストーリーなんかあんまりないけど猫がとにかくかわいい、っていうなら、それはそれでたのしんで見たと思う。猫が動いているってだけでうれしいから。
 それと同じノリだな。
 好きなモノが出てかわいいことをしている、というだけで幸福になれる人向き。

 ああそして、やっぱりセザールってば、きりやんに似てるー。
 きりやんが子どもだったらこんな感じかなぁ。
 ……という観点では、たのしめました。

    

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