最近あたし、日記の文章量多いねえ。ストレス溜まってんだねえ(笑)。他愛なく責任のない文章書くことで、発散してるんだねえ(笑)。

 『飛鳥夕映え』の話。
 ええ、まだこの話。駄作なのに何故、ここまで何度も話題にするかな(笑)。

 蘇我鞍作というキャラが壊れているために、どーしよーもなくなっている、この作品。
 前提1では「生まれながらの欠陥」の話をした。

 ので次、前提2にいってみよー。

 前提2は、ある意味タカラヅカ的に正しく、ある意味力技だ。

 蘇我鞍作は、とてつもなく魅力的な男である。

 あなたの愛する、いちばん魅力的な男役を想像するのだ。
 立っているだけで罪! かっこよすぎ! な、スーパースター様を想像するのだ! 存在しているだけで呼吸困難! 視線ひとつで妊娠しちゃうかも! な、セクスィースター様を想像するんだ!

 トップスターに理屈はいらない。
 同じ仕草、同じ台詞で、観客を殺す。他の人が言ったら笑っちゃう台詞だけど、**様が言ったら腰砕けた〜〜! みたいな。

 脚本が破綻していようと、わけがわからなかろうと、スターオーラで煙に巻く。

 正しくタカラヅカ、正しく力技。

 わたしとかねすきさんは、あまり時間のない観劇後、ちらりとだけ話をした。

「鞍作ってつまり、『トップスターの役』なんだよね」

 タカラヅカで「トップスター」という地位にいる人ならば、誰でも似合う役なんだ。

 ワタルくんはぜんぜんOKでしょう。
 懐の深い、雄々しい鞍作。「兄貴、ついて行くぜ!」てなもんで、人望を集めていそう。

 月組前トップのリカちゃんが演じていたら、さぞかしねーーーーっとりと濃い、やんらすぃ鞍作だったでせう。そりゃ女たちが放っておかないわ……浮気も二股も、仕方ないわ、存在自体が罪なんだもん、ということで。

「春野寿美礼さんがやったら、ものすごいことになっていたでしょうね」
 と、かねすきさんは笑顔でおそろしいことを言う。
 寿美礼ちゃんが鞍作を? …………ぶるぶるっ、想像するだけでもおそろしいわ。色気垂れ流しの邪悪(でも外面は天使)鞍作になったわよ……。女はもとより、男たちもたらしまくられていたわね……千人斬り鞍作……ぶるぶる。

 とゆーふーに、「トップスター」ならばそのスターオーラで「説得力」をつけてしまう、そーゆー「器」なキャラクタなんだわ、鞍作。
 スターの色を入れるのが前提だから、器自体は空なの。薄くて書き込み不足で辻褄が合ってないの。
 観客が、自在に「わたしだけの**様」を観られるように、ツッコミどころをたくさん残してあるの。

 ……にしても、ツッコミどころが多すぎっていうか、主人公に「欠陥がある」とまで考えなきゃならんほど壊れている必要はないと思うんだが(笑)。
 まあ、それでもヅカの駄作のなかではマシなうちだもんな、『飛鳥夕映え』。

 
 この『飛鳥夕映え』は、さえちゃんにあてがきされたものではないんだなあ、としみじみ思う。
 「トップスターならば誰でもハマる役」をあてられて、ハマることができないのが、さえちゃんの持ち味なんだもん。
 さえちゃんがトップに相応しくないとは、思ってない。そーゆートップがいてもいいと思う。
 ただ、座付き作者なら、そーゆーさえちゃんに相応しい作品を書いてあげて欲しかったよ。
 お披露目なんだからさー。ご祝儀ってことで、もっと繊細なキャラに書き直してくれればよかったのに。

 コム姫といい、さえちゃんといい、いわゆる「トップスター」らしい持ち味のない人に、いかにもな「トップスター」な役を与えてお披露目公演をコケさせるのが、座付き作者の癖なのかしら。

 
 あー、それにしても。
 鞍作@寿美礼ちゃんで、鎌足@あさこだったらあたしゃ、萌え狂ってたよ……。

     
 ほんとに使えないな、このサイト……。
 と、すでに何度目かわからないつぶやき。

 テレビを付けたら、マーティン・ショートが出ていた。トニー賞の再放送らしい。
 マーティン・ショートかぁ、マーティン・ショートというと、わたしにとっては『三人の逃亡者』のすばらしいヘタレ受男ぶりが忘れられないのよねえ。

 と、なんかとってもなつかしくなって、そーだ、レビューなんか書いちゃおう、と思ったのにさ。

 Amazonにデータがあるにもかかわらず、リンクすることができないのよ……。つ、使えねえ。

 画像が欲しかったのに。
 腐女子ならアンテナ立っちゃう素敵なパッケージなのに。

 だって、男が男をお姫様抱っこしている写真なのよ?!

 んな写真の映画、腐女子なら見たくなるでしょう?

 
 出所したばかりのベテラン銀行強盗ルーカス@ニック・ノルティは、今度こそ堅気になろうと決心、シャバに出てまず最初に口座を作ろうと入った銀行で、まさかの銀行強盗事件に遭遇。人質にされたうえ、犯人の仲間だと誤解されてしまう。
 ルーカスを巻き込んだ銀行強盗のネッド@マーティン・ショートは、ドジでまぬけな素人強盗。彼は幼い娘メグのために金が必要で強硬手段に出たんだ。
 なんやかんやで一緒に逃げるうちに、ルーカスはネッドとメグに情が移ってしまい……。

 監督・脚本フランシス・ヴェベール、出演ニック・ノルティ、マーティン・ショート。1989年作品。

 わたしのツボを直撃する、立場のチガウ男ふたりが力を合わせて逃避行、徐々に心が通じ合う話。「手錠でつながれた刑事と犯人」モノっていうかね。

 ルーカスもネッドも、最初はなりゆき、仕方なく。嫌々一緒にいるわけなんだけど。
 だんだん、惹かれ合っていくのね。

 この映画が愉快なのは、ネッドが子持ちだってこと。
 ネッドの娘、メグ。この子がもー、めちゃくちゃかわいい。
 強面ルーカスは、まずこのかわいいメグちゃんにほだされるの。ネッドは最悪だし、巻き込まれた立場も最悪、でもこの子だけはかわいいから許すか、みたいな。
 天使にはかないません! てか。

 たしかに、態度が軟化したきっかけはメグちゃんかもしれない。
 でもそれだけじゃないだろう?

 ルーカスが、ネッドにはまっていくさまが、実に目に愉快なのです。

 バカでヘタレでなんにもできなくて。でも、娘を愛していて。めちゃくちゃだけど、娘のために一生懸命で。そんなネッドを見ているうちに……ルーカス、惚れちゃったのね。
 ネッドのことが、愛しくてしょーがない、らしい(笑)。

 だけどルーカスは、必死に言う。
「メグのためだ。かわいいメグのためにしていることだ」
 ソレ、言い訳だって! あんたがメグを救うために一生懸命なのは、メグを愛しているネッドのためだってば!!

 最高なのは、パッケージ写真にもなっている、お姫様抱っこ。

 愛娘メグを奪還し、抱きしめたネッド。
 ……ここまではいいんだが、ヘタレなこの男、動けなくなっちゃったんだわ。
 ぼやぼやしているヒマはないっちゅーに、愛だけあってあとはなにもないヘタレ男、さっさと動けよ!!
 業を煮やしたルーカスは、メグを抱きしめているネッドごと、ひょいっと抱き上げて、走り出すのよ!!

 愛。
 愛ですわよ!!

 どこのBLですかっ?!

 メグがかわいいからだ、と言い訳しながら、ネッドに恋してるルーカス、ヲトメの瞳でルーカスを見上げるネッド、ひたすら天使のメグちゃん。
 この3人がもー、ツボでツボで。

 そのうちメグちゃんはネッドのことを「ママ」、ルーカスのことを「パパ」と呼ぶんだろうなあ、微笑ましいなあ、とハッピーエンドのその先まで想像して、ほっこりしちゃいますよ。

 
 ヘタレ男好きのわたしには、こたえられないヘタレ・ラブコメ。
 素直になれない大男ルーカスがかわいらしく、バカ男ネッドがものすげーキュートに見えてうろたえます(笑)。
 ああ、今のわたしは「ヘタレ男」と言えばかしげちゃんだからなぁ、ネッドをかしげで見たいなぁ、とか思うのことよ(笑)。
 じゃあルーカスは誰よ、かっしーを姫抱っこできる男って……ワタルしかいないじゃん(笑)。
 ふと、アポリネールを姫抱きするアリスティドを想像してしまった……い、いいかも……。

        
 戦いに疲れたので、日記でも書くことにする。

 今、冷酷心MAXに『ピクミン』やってるの。最近出た『2』じゃなく、『1』の方ね。時間制限があって、きついのなんのって。

 『ピクミン』ってさあ、子ども向けのフリして完璧大人向けのゲームだよねえ。子どもには残酷すぎるよコレ……いや、自然界はこれくらい残酷であたりまえかもしんないけどさ。
 死体のリアルさだとか、目的のために犠牲はあたりまえな考え方だとかさ……あまりにリアルに残酷で、くらくらするわ。

 えー、『ピクミン』は……ジャンルはなんだろ、アクションパズルとか、そんなかな。
 主人公(妻子持ち)になって、未知の惑星の生物「ピクミン」を誘導し、アイテムを探す。フィールドには危険と敵がいっぱい。主人公は自己の利益ためにピクミンを利用する。

 ピクミンには自我がない。
 主人公の思うがまま。
 母親のあとを追う幼児のように、主人公のあとを追う。
 この性質を使い、主人公はピクミンを敵と戦わせ、アイテムを運ばせる。
 ピクミンは疑うことなく主人公の命令に従う。ただ戦い、ただ死んでいく。

 
 今までどんなゲームやってたって、キャラを殺さないようにするのがあたりまえだったからなー。脇キャラでさえ死んだらリセット押すくらい、キャラを大切にしていたよ。
 しかし『ピクミン』は何匹死のうが気にしてられない。「個」がないから、気にせずに使い捨てられる。
 「生命」を「使い捨て」ることで「大義をなす」ゲーム。……すげえや。
 
 つくづく、よくできたゲームだ。
 キューブにはときおりこーゆーソフトがあるよね。マジすげえや、つーレベルのゲーム。
 PS2なら数倍は売れたし話題にもなったんだろうにねえ、という(笑)。

 ブラックさにくらくらし、ときおり虚しくなりつつも……。

 今、ラスボス戦なんですが。
 強すぎて、辟易。どーやって戦えばいいんだ……。

 すっかり冷酷になったわたしは、黄ピクミンに自爆させてますが。爆弾持たせて、ラスボスに食わせる。

 ちょっとすごい光景よ?
 わたしを信じて、わたしのために、何十匹の黄ピクミンが爆弾抱いて、黙って整列してるの。
 ラスボスに食べられるのを、じっと待ってるの。
 自爆させられるんだってこと、わかっているのかいないのか。わかっていてもせつないし、わからないまま言われたとおりにしているのだとしても、せつないよ。
 どっちにしても、殺すけどな。……そーゆーゲームだから。

           ☆

 『ピクミン』はともかく。

 『飛鳥夕映え』の話がしたかったんだ。

 あまりにも魅力に欠ける、蘇我鞍作という人物に惚れた人たちがわいのわいのやってる物語、それが『飛鳥夕映え』。
 鞍作という人は、周囲の人の台詞でだけ「すばらしい」と言われているが、やっていることといえば、ダンパで女の子をナンパしたり、パパの権力でおいしい地位につけてもらったり、女を二股かけたり、と、ろくなことをしていない。
 いくら台詞で「すばらしい」とか「優秀だ」と言われても、なにひとつ立派な行動をしていないので、そう思えっちゅーのは無理な話だ。
 なにかひとつでも、鞍作本人がすばらしい行動をとっていればいいんだが……それもないしな。
 人として最悪なことしかしていないが、何故だか周囲の人は彼を褒め称え、そのくせ最後はその周囲の人全員に見捨てられる、というよくわからないことになっている。

 わたしの感性ではこの話を理解できないので、ここは一発、理解できるようにねじ曲げるしかないな、と思った。

 
 つーことで、『飛鳥夕映え』の辻褄を合わせるための前提、その1。

 蘇我鞍作には、想像力がない。

 鞍作には、「自分」しかない。
 他人に心があり、感じたり傷ついたりするということが、理解できない。
 生まれつき「自己」以外のものを理解できない、そういう精神を持って生まれてしまったの。
 鞍作にとって他人は「ピクミン」と一緒。かわいがりもするし、やさしくもするけど、画面の向こうの疑似生命体と同じで、自分と同じように「心」があるとは思わない。
 利用されて死んでいくピクミンを見て、「可哀想」とは思うけど、利用して殺すことはやめない。だってピクミン、自我ないし。必要だからやってることだし。……てなもんだ。
 生まれつき、欠けているのよ。どうしようもないの。

 鞍作は基本的には、やさしい人。
 だけど他人に心があることを知らないから、傷つけるのも平気。
 雑草を踏む感じ。雑草が痛がるなんて人間は考えないよね。それと同じ。

 だから彼は、自分が気持ちいいことしかしない。
 自分の行動で傷つく人がいるなんてこと、生まれてから一度も考えたことがない。
 瑪瑙を愛しているのも本当。彼女に対して誠実なのも本当。
 だけど、誘われれば誰とでも関係を持つ。自分が他の人間と寝ることで、瑪瑙が傷つくなんて概念ははじめからない。
 政治で誰を踏みつけても平気。パパの権力をカサに着るのも平気。他人の傷みの存在を知らないから。

 だから鞍作はいつも、涼しい顔をしている。
 彼は天使。いかなるときも心に一点の曇りもない、正しく優しい人。

 自分に気持ちいいだけの人生を送っているんだから、そりゃ心に曇りなんかないわな……。
 ひとを疑ったことも、嫉妬したこともない。他人に心があることを知らないから、そんな醜い感情を持つ段階に至っていない。

 鞍作には想像力がない。目に見えないものは知らない。触れないものは、彼には「存在自体がない」ということ。

 そんな鞍作だから、周囲の者には魅力的に思える。

 鞍作ひとりが、圧倒的に特異、エイリアンくらい変わった人物だから。
 情緒に関してだけは日本語通じないけど、それ以外のことは優秀、そして権力者の息子で、美形。
 彼の奇妙さは、全部「よくわかんないけど、すばらしいもの」として受け止められていた。

 人々は、鞍作に勝手にいろんな夢を抱いて、勝手に好意を持っていた。
 ひとりずつがきっと、別の「鞍作」を見ていたのだと思う。

 どれだけ人格に致命的な欠落があろうと、鞍作は権力者の息子。後ろ盾がある以上はすべてプラスにしか見えなかった。

 そう、あくまでも、彼に権力がある場合のみ、だ。

 権力が消えるとき、彼の存在価値も消失する。

 鎌足の暗躍により、鞍作の権力は絶対のものではなくなった。
 後ろ盾が揺らいだ場合、はじめて人々は鞍作の欠陥に目を向ける余裕を持つ。
 鞍作本人はたしかに、類を見ない変わった人だし、天使みたいに美しくてやさしいけど……でも、あの男、変じゃないか? 他人の「心」に興味がなさすぎる。情緒がなさすぎる。

 鞍作が他人の心を想像できない、欠落した人だとわかったとき、皇極帝を含め、すべての人が敵に回った。
 権力もなく、他人を踏みつけるしか能のないお人形さんを、のさばらせておいても仕方ないってことさ。
 
 ……というストーリーラインなら、辻褄が合うんじゃないかしら。

 これは前提その1なんで、他にいくらでも別のパターンはあるんだけども。
 これくらいねじ曲げた設定かまさないと、鞍作が理解できないんだもんよー。
 この設定のうえで、鎌足とか他のキャラの愛憎をねっとり描くのは、たのしそうだけどなー。

        
 ショー『タカラヅカ絢爛?』を観て、ゆーひくんの姿にほっとしたなあ。
 あああ、きれいだー。美しいゆーひくんこそ、ゆーひくん。
 日本物化粧より、黒塗りの方が男前な、日本人ゆうひ。……ふふふ。

 ところで、その美しいゆーひくんを眺めてうはうはしていたとき。
 ふと手前を見ると、舞台の群舞センターの娘役が、ものすげー大胆なスカートさばきで踊り狂ってました。
 プロローグ、ゆーひくんが白い大胆開襟衣装で歌っているところです。

 スカートを手で持ち上げ振り回して踊るので、お嬢さんたちの健康的な太股がちらちらリズム、時折白いパンツまでチラリズム。
 それはいい。太股見せとパンチラは観客サービスってもんだ。

 問題は、だ。
 パンチラはサービスの範疇だが、パンツ全部見せはタカラヅカ的にどうよ?つーことだわさ。

 目を疑いましたさ。

 センターにいる娘役のひとりなんだけど。
 スカートひるがえしすぎて、白いパンツがまるっと全部見えてるんだもんよ。
 パンツだけじゃないよ。
 その上の背中まで、見えてるんですけど?!

 ワンピースの裾を胸の下まで持ち上げた状態。
 へそから下が、まる見え。

 な、なんなの?
 それはもーチラリズムとかサービスとかの域を超えてないか?

 20人くらいいるのかな、同じ衣装の娘さんたち。みんな太股をちらちら、パンツを一瞬ちらり、という程度でがしがし踊っている。
 そのなかにたったひとり、パンツ丸出しで踊っている娘がいるのよ!!

 そりゃ、わたしの本日の席は5列目だから、下からのぞきこむ角度になっているせいも、あるかもしんないけどさ。
 それにしても、パンツとその上の背中だのへそだのまで、見せるのはどうよ。

 口があんぐり開いてしまったわたし、踊るパンツ娘の顔を確認しました。

 その慎みのない娘役は、 楠恵華でした……。

 なにをやってるんだ、のぞみちゃん……。ぐはあ。
 男だからいいのか? パンツ見せても。背中まで見せても?

 いつもゆーひしか見てなかったんで知らなかったけど、オープニングって野郎どももさりげなーくまざってドレス着て踊ってたのね……。
 びびびびっくりしたー。

        
 芝居が終わって客席が明るくなるなり、無邪気な子どもの声が響きました。

「ねえ、なんでみんな寝てたの?」

 微妙な沈黙。

「いやぁねえ、この子はぁ」
「ホホホホホ」
「大きな声で、もう」

 おばさま方の誤魔化し笑いが一斉に上がる。
 「いやだわ」とか「声が大きい」とは言っても、「寝てなんかいなかったわよ」とは誰も言わないんだね。
 その点正直なのだわ。……ちなみに、かなり前列だったんですけどね、おばさま方の席。

 てなことがあった、月組公演『飛鳥夕映え』。今回で3回目、念願のゆうひ鎌足の日!!

 今回の出演者のなかで、誰がいちばん好きかと言われれば、答えはひとつ、ゆーひくんです!
 なにしろゆうひくんは、ある一時期ケロちゃんを抜いて、わたしのなかでNo.1色男であったことすらある、大好きジェンヌさんです。
 彼がプルミタスをやっていたときはねえ……あたしマジ、恋してたからさぁ。めろめろだったのよ、プルちゃんに。あまりにプルミタスを愛しすぎて、当時書いていた同人小説のクオリティが下がったくらいさ……素直にガラ×フアンで書けばいいものを、プルに惚れたがゆえに作品が歪んじゃったのよ……ふっ。青いわね、あたしも。
 そんなこともあったくらい、とにかくゆうひくんは大好きでねえ。プルミタスのころほど頭に血を上らせて惚れきってはいないものの、たぶん永久に「特別なダーリン」なのよ、わたし的に。

 そのゆうひくんが、大劇で2番手の役をやる。

 ああああありえねえ。
 発表を見てうろたえたくらい、いろんな意味で特別視。

 だもんで、指折り数えておりました、ゆうひ2番手の日を。
 役替わり初日、大阪にさえいれば、駆けつけていたと思うのよ。ゆうひくん見たさに。
 いろいろあって、今日よーやく観に行くことができて。
 
 ああ…………。

 
 どーしてわたし、石川麻呂@かしげばっか見てるんですか?(涙)

 
 かしげの石川麻呂、めちゃくちゃ好みです……。
 鎌足より好みだ……どどどどうしよう。

 かっしー演じる鎌足は、かしげがやっているとは思えないほど(えっ)すっげーかっこよかったっす。心ときめきましたとも。
 どーしたんだかしげ、賢い役もできたのか! 悪役もできたのか! 色男もできたのか! と、仮にも2番手スターに対する言葉ぢゃねーな、なおどろきの声をあげていたのは、ついこの間。

 なのにその鎌足より、石川麻呂が好みです……。

 
「緑野さん、ヘタレ男好きでしたね?

 石川麻呂がよかったと語るわたしに、かねすき嬢はあっさり答えを突きつけてくれました。

 うん。
 そうなの。
 わたし、ヘタレ男大好きなの。

 かしげはヘタレな方が萌えるのよ〜〜っっ!!

 石川麻呂、初登場からすでにべそかいてます。
 最初に下手からせり上がってくるじゃん。そのときからもう、トップテンション。瞳が涙できらきら。

 腰ぬけるかと思った……べそかきかっしーに胸きゅん(笑)。

 オープニングはずーっと石川麻呂、泣き出しそうなうるうる瞳のまま。
 きらきら軽皇子、冷徹鎌足と並んで歌っている間もずーっと、うるうる。

 誰かこの男、小突いてやって。ころんとこけてくれるでしょう。……てな不安定さ。

 無邪気でかわいいっちゅーかちとおバカ風味な少年時代から青年時代の半ばまで、誘い受満点なうたたね姿に、生真面目に恋を語るさま、鎌足に脅されてぶるっちゃうさま……それからあとはひたすら、ゆらゆら揺れる瞳でヘタレまくり。
 なんかなにもかも、ツボなんですが。

 よっしゃ鎌足、石川麻呂ヤっちゃってください、どうぞ! 泣かせてください、泣かせてなんぼだ、そんな男!!

 脅迫されても無理矢理ヤられても、きっと石川麻呂は自分を不幸だとは思わないはず。鎌足を憎みも責めもしないはず。
 きっと彼は、「不甲斐ない自分」を責めるんだ……。
 そーゆーオーラ出まくりだった、石川麻呂。

 た、たのしい……。
 たのしいぞ、石川麻呂@かしげ!!

 ちょっと夢中でした、石川麻呂に。
 へ、変だな、わたし、ゆーひくん目当てだったのに! ゆうひはその持ち味から、悪役はぜんぜん問題ナシだと思っていたので、素直に萌えるつもりでいたんだけど。

 やっぱりなんといっても、見た目の美しくなさっての、大きいよね……。

 ゆうひくん、日本物のお化粧、なんとかしてほしいっす……。

 顔立ちが顔立ちだから、似合わないのは仕方ないけどさ。それにしても、いろいろとつらいお顔なんだわ、ゆーひ鎌足。
 ゆうひくんの売りは「美しさ」「スタイルの良さ」「色気」だと思っているので、美しくないとかなりマイナスになるんだよなー……。

 ゆーひは持ち味がクール系だから悪役はテリトリー内だけど、鎌足役は微妙にそこからはずれていることに気づいた。
 ゆーひのいちばん得意な役って、「クール」で「ひねている」役じゃん……。
 斜に構えてないとダメなのよ。プルミタスもそうだし、サー・トービー@十二夜も、じつはものすごい好きだったド・ゴーテ@ゼンダ城も、悪役+ひねた役だったわ。
 ゆうひくんがもっとも魅力的に見える役って、不良青年の役なんだもんよー。

 鎌足って、世をすねてる不良青年じゃないもん。
 もっと前向きな悪役なんだもん。
 努力家だし、真面目だし、大物だし、能動的だし。こんなに前向きな悪役、ゆうひの持ち味じゃないわ。

 ゆーひくん、得意分野に持ち込んでくれてもよかったのになー。
 鎌足をもっとシニカルな不良青年にしちゃってもよかったのに。ゆーひがゆーひらしく、いちばんかっこよく見える鎌足に。

 ゆうひ鎌足のデキが特別悪かったというわけじゃなく、そこそこがんばってはいたけれど、わたし的にはいまいちだった、ということです。
 ファンだから要求が大きくなっちゃってるのかも。
 プルミタスで見た夢を、また見られるかもしれないと、勝手に期待してたからさ。

 それでも、ゆーひ鎌足はあと1回チケット押さえてあるので、もっぺん行くぞー。2番手のゆーひなんて、たぶん最初で最後だから(笑)目に焼き付けておくのだ。

 …………もう一度、石川麻呂@かしげに会えるんだ…………うきゃー。(あれ?)

      
しつこくてすまん、『スパイダーマン2』の感想その3。

 この物語、アクション・ヒーローものというより、恋愛モノとしてわたしはたのしんだ。
 愛しているのに、それを言えないもどかしさやせつなさ、両想いなのにすれ違っていくふたりを、とーってもたのしくじれじれして見た。

 それと、もうひとつ。

 ねえねえ、ピーター@トビー・マグワイアと、その親友ハリー@ジェームズ・フランコの関係、エロくない? 腐女子的に(笑)。

 ピーターとヒロインMJの関係は、「愛しているのに、言えない」だけど、ピーターとハリーの関係は「愛しているけど、溝を埋められない」だよねええ?

 ハリーの父親は、『1』でスパイダーマンに殺されている。
 なんでかっちゅーと、悪人だったから。しかも、悪の大怪人だもんよー。ラスボスだったんだもんよー。殺されても仕方ないわな。

 だけどハリーはそれを知らない。
 罪のない父親を、スパイダーマンが殺したと思っている。
 そして、ピーターのことを疑っている。ピーターはスパイダーマンのことをなにか知っているのに、自分がヒーローの知り合いっちゅーことでおいしい思いをするために秘密にしていると、勘ぐっている。
 ピーターへの友情と、反感と疑惑と。それがけっこー複雑にちらちら揺れている。

 ハリーは、自分の生活がうまくいっていて幸福なときは、ピーターにもやさしい。それが一転不幸になると、途端ピーターに冷徹になる。父親の死について、責めはじめる。
 キモチはわかるよ。心に余裕のあるときは誰にでも寛大でいられるけど、そうでなくなったら、そんなこと言ってられないもんな。
 親友、という心やすい立場にある分だけ、当たりやすいんだよね。

 ピーターは、ハリーを失いたくない。
 ハリーの父親を殺したことも、彼がものすっげー悪人で化物だったことをハリーに知らせて、傷つけたくもない。
 だから、「自己保身のためにスパイダーマンをかばう男」とハリーに罵られても、なにも言い返せない。
 「愛しているけど、溝を埋められない」のよー。ふふふー。

 そしてついに、ハリーはスパイダーマンの正体を知った!!

 囚われのスパイダーマンと、自暴自棄なハリー。
 ここ、なんかみょーにやんらすぃ画面で、よろこんじゃったんですが(笑)。

 ここでピーターはしっかりと説明して、ハリーの誤解を解かねばならんかったのですよ。
 ハリーだってそれを望んでいたでしょう。
 親友を憎みたくなんかないわけだから。
 だけどなにかと運のないピーター。ハリーに言い訳しているヒマがなかった。ハリーの傷ついた心より、怪人にさらわれたMJを助ける方が先だ!!

 父親を殺したのは、親友のピーターだった。
 という現実だけを突きつけられ、そのまま放置されてしまったハリー。

 …………そりゃあ、復讐の鬼になるでしょうよ。
 
 
 まあ問題は、父親の遺したあのお笑い変身マスクセットとかが再び出てきたので、「あー、あのなさけねー姿で親友と戦うことになるんやなー」と予想させることですが。
 ハリー、せっかく男前なのにねえ。変態マスクになるのかなあ。

 
 なんにせよ、ピーターとハリーは腐女子的に大変オイシイです。
 もー、うはうは♪
 3年後公開予定だっけかの『スパイダーマン3』では、おそらくハリーが敵キャラでしょう。
 『3』もたのしみだが、腐女子的な意味では『2』の寸止め感の方がいいかもしれん。変態マスクに変身してないから余計に(笑)。

 ハリーの、ピーターへの愛憎っぷりがいいんだよなー。
 ハリー×ピーターかなぁ。
 やっぱハリーには鬼畜属性で、ピーターをなぶりたおしてほしいなあ。ピーターには、健気に耐えてほしいなあ。
 縛られてるピーターが大変目にビタミンな光景だった(笑)ので、あそこでぜひ、ハリーにはエロ鬼畜野郎に変貌してがんばってほしかったですなあ。
 ここのエロシーンだけでも、やほひ界でよくある世界に突入可だよねえ。しみじみ。
 
 あとさ……その……。
 わたしは、ヅカ腐女子だからさ……。
 スパイダーマン云々じゃなくて、この親友愛憎劇のふたり、ハリーとピーターをさ……ケロとトウコで見たいと思っちゃったよ……。
 ハリー@ケロ、ピーター@トウコな……。ハリーの片想いぶりがまたいいんだよなー。ピーターのかわいこちゃんぶりとかな……。
 ふふ……ふ……。

 
 と、恋愛映画としても、アクション映画としても、腐女子映画としても、大変見事なすばらしい作品でした、『スパイダーマン2』。
 映画館の大きなスクリーンでたのしむべき1本。
 ただし、前もって『1』は見ておくこと。ほんとに話続いてるから、どこから見てもOKってわけじゃないよ。そりゃ『2』からでも見られるけど。

 おすすめナリ〜。

      
人は人を救えるんだってことさ。

 変身して巨悪と戦う必要はないよ。
 ビルの谷間を飛び回らなくていい。
 巨大怪獣や悪の組織と戦わなくてもいいんだ。

 人は、人を救えるんだよ。

 たとえば電車でさ、気分が悪くなってこのままだと絶対倒れる、てときに、
「どうしたの? 気分悪いの? ここに坐りなさい」
 って知らないおばさんに席譲られて、よくわかんないまま、新しいドリンクの缶握らされてて、気がついたらもうそのおばさんはいなくて。

 道ばたでたまたま通った人に、道順を聞いたら快く教えてくれた。言われた方へ歩いていると、すごい勢いでその人が走ってきた。
「ちがうの、わたしの説明が悪かったみたい。そっちじゃなくて、ここで曲がるの」
 言うだけ言って、またもときた方へ去っていく。

「助けてください」
 切羽詰まってどうしようもなくて、ぜんぜん知らない人に声をかけた。
「わかった。まかせなさい」
 迷いのない声が返り、救いの手がさしのべられた。「大丈夫だから、落ち着いて。自分のできることをきちんとしたら、間に合うんだから。可能性はあるんだから。落ち着いて、がんばりなさい」

 出来事自体、行為自体はとてもささやか。地球を救うわけでなし、災害を防ぐわけでなし。
 だけど彼らはぜんぜん関係ないのに、そんなことしてもその人の人生にはなんの得にもならないのに、わざわざ手を貸して、自分の時間使って労力使って、他人……わたしに、やさしくしてくれた。
 名前も知らない、通り過ぎただけの人たち。

 人は人を救える。
 助けられたわたしは、厚意を受けたわたしは、しつこく感謝の気持ちを持ちつづける。
 ありがとう、ありがとう。
 いつかわたしも、人を助けられる人になる。

 それは、「希望」だから。

 殺伐とした世の中で、こわい事件かなしいニュースの飛び交う日々の中で。
 そんななかで、この世界にはあんな人たちがいる。大したことじゃなくても、いや、大したことじゃないからこそ、ふつーにあたりまえに、日常の範囲内の出来事として、やってしまう人たちがいる。
 なんの気負いもなく、ひとに親切にできる人たちがいる。
 それは希望だから。
 誰かが特別なんじゃなくて、誰だってきっと、人を救うことができるんだって。人にやさしくすることができるんだって。

 わたしだって、誰かを救ったり、やさしくしたりできるんだって。

 希望だから。

 
 電車でわたしを助けてくれたおばさんは、わたしを抱え起こすだけの体力があったわけだね。道を教えてくれた人は、道を知っていた。
 親切にしたくても、自分が病気で起きあがれないとか、道を知らないとかだったら、してあげられないことだったよね。
 自分にある力で、余力の部分で、人になにかしてあげられたってことだよね。
 というと、聞こえが悪い? 余力でほどこした、とかに取られると嫌だな。
 たしかに余力だけど、いくら余力があっても、それをしなければならない、って決まってるわけでもないのに、自発的にしてくれたってことだよ。
 判断し、行動したのはその人たちだから。
 目の前で子どもが溺れてたら、なにかできないか、きっと本気で考えてわたわたするね。飛び込んで助けようとするかはともかく、警察に連絡するとか、泳ぎのうまそうな人を呼ぶとか、なにかアクション起こすよね。
 見て見ぬふりしたって、誰も責めないのにね。
 なにかできるなら、したいと思うよね。

 つまりは、そーゆーことなんだと思うのよ。
 スパイダーマンこと、ピーター・パーカー@トビー・マグワイアの抱え込んだ「現実」は。

 彼には「力」がある。
 人を助けられる力。
 あるから、使う。
 人を助け続ける。

 でも、そーやってヒーロー業をしていると、実生活に支障が出た。愛する女の子を自分のヒーロー人生に巻き込めないから、告白することもできないし、時間やスケジュールを守れないから仕事や勉強もできない。
 じゃあ、やめればいいじゃん。
 ヒーローやめて、ふつーに生活すればいい。好きな女の子に好きだって言えば?

 ピーターの迷いも悩みも、べつにぜんぜん、特別じゃないし。

 道を歩いてたら、目の前で倒れる人がいた。
 どうしよう、あたし今、時間ないんだ。救急車呼んだりなんだりしてる余裕ないよ! 生活かかってんのに!!
 ……てなときに、どうするか、でしょう?
 自分の都合を犠牲にして、知らない人を助けるか、「ごめんね、見なかったことにする」って立ち去るか。

 立ち去ったとしても、べつに罪にはならないし。助ける義理もないし。

 でもわたし、助けられたのに。わたししかできないことだったのに。
 できるのにしないって、どういうこと?
 あたし、そんなんでいいの?

 そりゃ、「なんであたしが」とか、「わたしばっか損してる」とか思うよ。
 思うけど……やっぱ、助けずに後悔するより、助けて後悔する方がいいでしょう?

 そーゆー傷み。
 われらがヒーロー、スパイダーマン。

 人助けして自分の生活助けられないなんて、なーんかバカげてるよね。損だよね。
 だけど、見て見ぬふりはできないんだよね。
 ヒーローだとか正義だとかいう以前に。

 だって、余力があるんだから。
 道を知ってるんだから、知らない人が教えてくれって言ってきたら、教えてあげるでしょうよ。

 これからどーしてもはずせない会議なんだよ、これすっぽかしたり遅れたりしたら、クビ切られるんだよ。
 なのになんで、今このタイミングで目の前で子ども溺れてるの? オレに助けろってか? でもそんなことしてたらオレの人生がおわっちまうっての。
 ……て、そんな選択、人生にいくらでもあるわな。

 ピーターの人生はまさにソレで。
 一度は「もうやめだ!」と投げ出したけど、やっぱり見捨てたままではいられずに、走り出す。

 子ども助けたのはいいけど、完璧遅刻だよ……。服もびしょびしょだし、書類も落とした。急いでるから、って名前も告げずに走り去ったから、親から礼金もらうこともできねーなー。
 もうダメだ、なにやってんだオレ。なんも意味ないじゃん。

 そりゃその通りで。どんなに善行したって、直接ピーターにいいことなんか返ってこない。
 だけど、人々は忘れない。
 スパイダーマンのことを。

 今日ね、知らない人が助けてくれたの。親切にしてくれたの。
 とてもとても、うれしかったの。感謝しているの。
 世の中には、あんな人がいるんだね。こわい人ばっかじゃないんだね。
 
 人は、人を救うことができる。
 通りすがりに助けてくれたひとのことを、忘れない。つらいときに、手をさしのべてくれた人の存在を、忘れない。

 いつかわたしも、誰かを救う。
 大したことはできなくても、ちっぽけでも、なにか、してあげられる人になる。

 人々はスパイダーマンを讃える。
 この世界に、ヒーローがいることを誇りに思う。
 人に救われた、だからこそ人を救うことを身をもって感じる。
 見せ場のひとつであった電車のシーン、身を挺して乗客を守ったスパイダーマンと、彼を守るために怪人の前に立ちはだかる「ふつうの人々」。

 ひとは、やさしくなれるんだよ。
 そう思える映画。

 だからこそ、ヒーローは必要さ。

   
1日ズレてるけど、昨日の分の日記を今日書いておきます。

 夏休みなんだね、世の中。
 それを失念していたので、大阪・梅田で途方に暮れたよ。

 てゆーのも映画館、軒並み2回分先までsold-outなんですが。

 2回分先、ってソレ、4時間待ちってこと?!
 なんじゃそりゃあ。

 夏休み入って最初の水曜日か……そりゃ、映画館も混むわな。

 暑くなってからこっち、映画を見る本数が減ってしまったのことよ。だって、いつもの映画館までとても行けないもん。40分も自転車乗ってたら死ぬって。
 仕方なく、映画を見るためだけに梅田まで出るハメになるんだけど……あああ、そうか、夏休みか……梅田は人でいっぱいニャ。いつもの映画館なら、こんなに混むことはないのに……郊外型シネコン万歳。

 見るつもりだった映画が売り切ればかりで、「なんでもいい、見られる映画はどれよ?」と映画館をはしごして、よーやくたどりついたのが、『スパイダーマン2』でした。

 こーゆービッグタイトルは複数の映画館が複数のスクリーンを使って一斉に上演しているので、どこかのスクリーンには空きがあるのさ。ありがたいねえ。
 もっとも、こーゆービッグタイトルに興味がなかった場合は地獄だけどな。どこへ行っても同じタイトルしか上演してないっちゅーことやから。

 場所はナビオTOHOプレックス、しかもシアター1。
 ええ、先日『ペイチェック』を見たスクリーン。
 ……ちょっと期待しました、春野寿美礼に会えることを。
 ナビシネ随一の巨大スクリーンで歌い踊る寿美礼ちゃんに再会できるかと、早いウチからシートに坐ってスタンバってたんですが……。
 会えませんでした。ちぇー。もうVISAのCMやってないんだー。

 まあ、なにはともあれ、『スパイダーマン2』。
 『1』がけっこうたのしかったし、口コミで耳にする評判もよいようなので、わりかし期待してました。

 期待以上。
 てゆーか、ものすげーおもしろかった。


 実はまだ他にも感想書いてない映画が何本もあるんだが(おぼえているだけで4本。他にもあるかな……なんか最近物忘れひどいから、忘れてるかな……)、それを置いておいて、先にこっちの感想書く!

 
 せつない系の恋愛映画が好きなら、ぜひ見るべし!!

 監督サム・ライミ、出演トビー・マグワイア、キルスティン・ダンスト。

 そもそも『1』のわたし的「つかみ」となったのは、最初のピーター@トビー・マグワイアのナレーションだったんだよね。
 「これはある女の子をめぐる話」だっけ? 『スパイダーマン』という強烈な特撮ヒーローもののタイトルで、最初のナレーションがコレ。
 特別でもなんでもない、どこにでもある、恋の物語。
 ふつうの男の子の、ふつうの恋の物語。

 そう。
 設定がとんでもない物語の場合、そこに出てくる人間たちはどこまでも「平凡」である必要がある。
 べつの惑星が舞台でも、異世界ファンタジーでも、大昔でも未来でも。
 設定を現代社会にしないなら、キャラクタは絶対に、リアリティを追求しなければならない。
 そうしなければ、「物語」が成立しなくなる。ありえない舞台でありえないものたちがありえないことをする話に、誰が感情移入できるだろうか。

 反対に、現代社会やら、わたしたちのいるところと地続きの舞台設定の場合は、キャラをとんでもなくするとおもしろくなる。平凡な世界に、型破りなキャラクタを、って。

 ありえない舞台では、ありがちなキャラとその言動を。ありがちな舞台では、ありえないキャラとその言動を。

 『スパイダーマン2』を見ていちばん「近いな」と感じたのは、あの『タイタニック』。
 舞台設定やそこで起こる出来事はとーんでもないことになってんだけど、そこにいる人たちはものすげーふつーに恋愛やら青春やらをやっている。

 物語のとんでもなさと、そこに生きる人たちのリアリティ。
 それが鮮烈で、きもちいい。

 あ、でも『タイタニック』は、同じ恋愛モノでも「ラヴラヴもの」であり、『スパイダーマン2』は「すれちがいもの」なのよねー。
 両想いのふたりが、互いに誤解したりなんだりで盛大にすれ違っちゃう、見ていて「痛い」系の話なのよねー。

 精神的に痛い恋愛が好きな人には、ツボな物語だと思う、『スパイダーマン2』。わたしのツボにクリティカル・ヒット。わーん、痛いー、痛くてキモチいいー(笑)。

 
 前回の大騒ぎから2年、ピーター@トビー・マグワイアはなんとも不器用な日々を送っている。だってヒーロー・スパイダーマンと貧乏大学生の二重生活だ、うまくいくはずがない。
 マスクかぶって無償の人助けしてたら、アルバイトも勉強もろくにやってるヒマがないんだ。
 ピーター最愛のMJ@キルスティン・ダンストは女優として活躍、エリート青年とつきあっている模様。ヒーローをやるために、ピーターの人生は真っ暗闇。恋をあきらめ、夢をあきらめ? 約束を守れないいい加減なヤツだと後ろ指をさされ、親友に罵られ、貧乏で、大切な唯一の家族である年老いた叔母にもなにもしてやれず?
 迷うピーターはついに、ヒーロー廃業を決心。手作りのスパイダーマン・スーツ(色落ちするので、洗濯には注意必要)を街角のゴミ箱へ……。

 ピーターの迷いっぷりがいい。
 彼の苦悩とヘタレ具合が、なんとリアルで愛しいことか。

 たまたま彼の抱えている事情が「ヒーロー」だってことなだけで、それ以外の彼の日常は、誰にでもありえることなんだ。
 一生懸命やっているのに、運が悪くてうまくいかない。
 両想いだってわかっているのに、愛していると伝えられない。
 誤解なんだけど、それを説明することができない。
 自分も不幸だけど、周囲にも迷惑な存在だよね。
 言い訳したいよ、今すぐに! わたしは悪くなんかないんだって。仕方がないの、わたしにもこれが精一杯なの。わたしを理解してよ。わたしを赦してよ。同情してよ、ほめてよ、感謝してよ!
 ……でも、言えない、ということ自体、自業自得なんだよね。わたしがヘタレだから、こんなふうになっちゃうんだよね。わたしが神様みたいになんでもできるなら、わたし自身も救うし、こんなふうに周囲に迷惑をかけたりもしないですむのに。
 結局、わたしが力不足だってことなんだよ……。

 そーゆー痛さ。
 ヒーローであることを隠して生きるために、いろいろつらい目に遭うピーターくん。でもソレ、自業自得だし。君がヒーローやりながらなお、ピーターとしての生活も完璧にできるくらい有能な男なら、なんの問題もなかったんだよ。世間一般の変身ヒーローみたいに。
 そうできないのは、自分のせい。そもそも変身しなくてもヘタレだったし、ヒーローになってなお、日常ではヘタレでしかない、そうとも人はそうそう変われるモノじゃないんだ。

 わたしかもしれない・あなたかもしれない傷みを抱いて、ヘタレ男ピーターくんは、今日も自分にできることをやっている。目の前の問題と精一杯戦っている。
 なんとも歯がゆい不器用ぶりで。

 そーゆー痛さがいいのね。

 ヒーローものなのに、なんとも開放感のない主人公。アクション・シーンの視覚的開放感とは対照的に。
 
 たのしいので、つづく。

        
 東京まで行ったのに『ファントム』観られなかった、くやしいぞ記念日記(笑)。いや、新宿の某ショップで時間つぶしながら、つらつら日記をハンドヘルドPCに書いてたもんで、そいつをそのままUPします。

 6月11日の腐女子語り『ファントム』のつづきです。

 テーマはズバリ、ハッピーエンド!!(笑)

 
 キャリパパがちゃっかりエリックとデキあがって、でもストーリーラインは本編まんまだからエリックはキャリパパの手で射殺されて。

 ああ、悲劇ですねえ。
 このまま終わってたら、アンハッピーっすねえ。腐女子的には悲劇もオイシイんだけどさ。

 だからまあ、キャリパパとエリックの物語としては、ここでENDマークよろしく。
 こっから先の話は、時間軸は繋がってるけど、別の話ね。

 なんせ、ヒロイン替わってますから!!

 愛するエリックを失い、人生真っ暗のジェラルド・キャリエール。ぴちぴちの42歳(てきとー)。
 キャリパパも自殺したかったけど、宗教上それもできなくて。
 すったもんだの事後処理の末、なにもかも失ったキャリエールを迎えたのは、ふくれっ面のフィリップ・ドゥ・シャンドン(30歳くらい希望・29歳以下却下)だった。……てな話。どうすか?

 フィリップも可哀想なのよ。挫折を知らない人生歩んできて、こわいモノなしだったのに、はじめて女の子に振られちゃってさ。彼としては「愛する恋人」が化け物にさらわれた! 行くぜヒーロー、立ち上がれオレ、てなもんで、張り切って剣振り回してたのにさ、肝心の恋人はフィリップなんか眼中になくて、「ひょっとしてオレ、ただのカンチガイ野郎?」ってくらい相手にされてなくて。
 今までにない本気の恋だったらしいのに。それが失恋、しかもこれ以上ないくらい手ひどい振られ方。「あら、フィリップいたの?」ってくらい完全存在忘却。……拒絶されるよりひでえ。
 そのうえ友だちのキャリエールまで大変なことになってるし。てゆーかジェラルド、オレのこと今までだましてた?! オペラ座のファントムのこと、なんにも聞いてないよ?! 息子ってなにソレ?!
 クリスティーヌはまだいいよ。全部オレのひとりよがりだったんだろうさ。出会ってから日も浅かったし、舞い上がってたことは認めるし。しかしジェラルドとは何年のつきあいだ? 友だちだと思ってたのはオレだけか?
 裏切られた気持ちと疎外感と、それでもキャリエールを信頼している気持ちとで、揺れ動くシャンドン伯爵(笑)。

 見慣れた相手の意外な一面にときめくことはよくあることで、失恋したばっかでナイーーヴなフィリップには、ぜひ「知らなかった、君のそんな顔」に胸を突かれ、そのままキャリパパの余生の伴侶になってほしいっす。

 のーてんきに金と権力と美貌で人生を謳歌していた青年貴族が、友人の真の苦悩を知り、それゆえに友情が恋にかわるわけですな!

 キャリエールがエリックの所行を黙認していたことや射殺したことや、もろもろの罪に問われたとして、それを救えるのはフィリップだけだと思うのでとくに、フィリップにはがんばってほしい。
 物理的には、金と権力にものを言わせて。札びらきって、キャリパパを釈放させるのだ。無実ぐらい、金と権力で手に入れられる時代でしょ?(笑)
 精神的には、そりゃもちろん、その「愛」で!! フィリップ、貞操観念低そうだから、キャリパパをカラダでなぐさめちゃえ(笑)。
 金と権力で救ってやったことを盾にとって、命令受しちゃえ。大丈夫、キャリパパ男前だから、一度でもヤっちゃえばOK、あとは覚悟決めてくれるよ。

 ほーら、ハッピーエンドだ!(笑)

 個人的には、そーやって命令で関係強要したあとに、キモチがすれ違っちゃったりしてじれじれするのが好みですな。
 キャリパパはフィリップの誘いに乗った時点でもう、フィリップへの愛を認めているのだけど、フィリップはそれに気づいてない。自分が命令したからだとか、今もキャリパパはエリックを愛しているのだと思い込んで、ヲトメ全開なせつなーい恋愛モノに持っていきたいですなあ。
 それからすったもんだと事件やいろんな出来事や、ついでにベッドシーンも手替え品替えいろいろあって、すれ違っていたふたりの心が通じ合うのがいいですなあ。誤解してただけで、両想いなんじゃーん!って。
 フィリップ@トウコちゃんの「揺れる瞳」を堪能し、キャリエール@じゅりぴょんの男前ぶりを堪能したいところです。
  

 てな、たのしい「オペラ座の怪人・その後」を考えているんだけど。
 ああ……誰か同人誌とか出してくんねーかなー……。
 
     
 なんで火曜日なのに、2回公演じゃないの〜〜、と、かなしみの緑野です。
 よりによって灼熱日、またしても東京に行ってたんですが、ヅカは観られなかったです。昼1回だけの公演の日だったんで、用事と時間がかちあっていて、どう調節しても観られませんでした。めそ。あああ『ファントム』うぅ。たかちゃあん。当日券並ぶ気満々だったのにぃ。

 東京宝塚劇場『ファントム』のポスターには、「絶賛上演中」というシールが貼ってありました。
 そうよねえ、「上演中」という事実のみを書くしかないよねえ。チケットはもう売り切れてるんだから。

 わたしは自分が大阪在住で、ムラを中心にしか観劇生活をしてこなかったので、ひとつきだけ東京で観劇生活をしておどろいたことがある。
 数年ぶりに買った『宝塚GRAPH』のキャリエール×エリック抱擁シーン等の切り抜きを、東京でわたしが借りていた部屋の壁に貼っているときに、ふと気づいたの。
 まだ『ファントム』、こっちではやってないんだ。
 わたしが東京かその周辺に住んでいたなら、当然東京公演までその演目を観るのを待っていたと思う。自分のテリトリーで観られるのがわかっていたら、高い金を出して遠征しないだろうから。
 となると、先にこうやって、出版物に公演の写真が載るわけだ。本拠地ではひとつき以上も前に公演しているわけだから。

 東京に住んでいたら、まだ観てもいない公演の写真を、見ることになるんだ。

 ……共感の得られないおどろきだとは思うよ。“雑誌に「自分がまだ観ていない公演の写真が載るんだ」ってことが、おどろき”だなんて、そういうことが起こることにはじめて気づいたなんて。

 でもわたしには、ほんとーにおどろきだったの。
 ヅカファンやって16年、これまでずーーーーっと、「雑誌の舞台写真」っちゅーのはわたしにとって「終わった公演」が載るものだったんだもの!!
 もう自分の中では「終わってしまった」公演。
 ページをめくると「あら、なつかしいわね。観に行ったわ」と感じる写真が載っている。
 そういうものだったのよ、16年間。
 記憶を確認したり、なつかしむためにあったのよ、雑誌の舞台写真は。

 あ、なにもわたし、すべての公演を観ているわけじゃないんで、全ツとか名古屋や博多の公演写真なんかは、もちろん観ていない舞台の写真が雑誌に載っているよ。でも、はじめから観る予定のない公演の写真はまた、別だし。
 自分がこれから観る作品が、先に写真という既成事実になって先に目に入る、ことがおどろきなの。

 もちろん、ムラ公演のあとに東京公演があることは知っているし、雑誌にも東京公演の話題が載っていたりする。
 でもそれはものすごく遠い話というか、「あら、あの公演まだやってたの」って感じで、自分には関係ない世界のようだった。
 なにしろ、ムラの公演中心の身なので、いくら同じ演目が東京でやっていてもそれは「終わった公演」なのよ。わたしの体内感覚ではめでたく千秋楽なの。ENDマーク出ちゃってるから、「思い出」に昇華されちゃってるの。

 ものすごくハマった作品だとか、誰かわたしにとって大切な人が退団するとか、なにか理由がない限り、ムラ公演の楽と同時に、わたしのなかでも華麗にフィナーレ、その公演は「終わってしまう」。目の前にないから、記憶の奥へ沈む。
 だってそのときにはもう、ムラでは別の新しい公演がやっているわけだし。終わった公演のことまで考えていられない。わたしは通常公演は全組観るし、どの組も好きだし、たのしいし。初日が好きだからスタートダッシュに燃えているし。

 ムラ中心だから、知らなかった。
 東宝組って、写真とか記事とかが先なんだ。自分の目より記憶より、他人の目や記憶が先なんだ。

 いやあ、おどろいたよー。
 知らなかったんだもん。想像したことなかったんだもん。
 自分が体験したことないもんだから、ほんと、想像の余地がなかったの。

 『ファントム』の写真を部屋に貼りながら、「でも、東京ではまだコレやってないんだ。つか、こっちではまだ『スサノオ』やってるしな」と、感慨深かった。
 大好きな『スサノオ』をまた観られたのはうれしかったけど、やはりわたしにとって『スサノオ』は「終わった公演」だったので、「すごい、終わった公演をまた好きなだけ観られるなんて!」という、タイムマシンに乗ったような興奮があったこともたしかだ。

 東京タイムマシン。
 わたしにとっては、そんなもの。

 数ヶ月のタイムラグ。
 時間の断絶、記憶の浮遊。

 東宝公演が特別感あふれているのも、そのせいだろうなあ。
 なんかなつかしくて愛しい感じなのね。
 わたしにとって「過去」であり、「終わってしまったもの」に、また会える公演だから。
 さよならを言って別れたともだちに、また会えたような。

 だからこそ、観たかったのになー、『ファントム』。
 チケットを押さえてあるのは2回だけなんで、それ以外に東京行くことがあれば、当日券で立ち見する気満々なのになー。

 キャリエール×エリックの、あのあとの物語を考えたのよ。
 あのあとっちゅーのは、6月11日の日記参照ね。

 微妙に文字数足りないんで、腐女子語りは翌日欄へ。

        
 月組公演『飛鳥夕映え』、かしげ鎌足バージョンの感想その2。

 作品にも演出にも、責任はある。
 『飛鳥夕映え』はおもしろくない。

 たしかにそれは、作品の力不足だ。

 しかし。

 2回目観てもなお、主役のキャラクタがわからないっていうのは……演じている者にも、問題があるんじゃないか?

 タカラヅカに駄作は数あれど、どんな号泣キチガイ作品であったとしても、トップスターはトップスターである底力で、なんとか魅力を発掘するのだ。
 スター力ともいうちからで、駄作を支えるのだ。そうやってタカラヅカは90年やってきたのだ。

 『飛鳥夕映え』程度の駄作は、ヅカの歴史の中にいくらでもあった。てゆーか、まだかわいい方だ。下の上、くらいだ。
 これくらいの作品、トップスターが力技で魅力を作り上げねばならんのだ。

 だからこそ。

 はじめて思った。

 鞍作役がさえちゃんでなければ。と。

 鞍作も役替わりがあればいいのに、と妄想配役をたのしみはしたよ。でもわたし、「タカラヅカ」のファンだから。トップ至上主義は身に染みついてるのよ。冗談で言っても、本気でトップの役をどうこうは思わないわ。
 まずトップスターありき。作品も他のキャスティングも、全部そのあとについてくるもの。
 トップスターの力量が多少アレでも、そんなのトップだから不問。それくらい、「トップスター」という地位は特殊なものだと思う。

 さえちゃんが月組のトップスターで、それはデフォルト、前提ってやつだから、そのことを疑問視することなどまったくなかった。
 もちろん、他の組の他の人でも同じね。トップスターはいつでも「前提」で、そのうえでいろいろ思うのよ。

 「前提」だから、考えなかった。
 鞍作という役をやっているのがさえちゃんでなければ、もう少しマシな作品になっていたのに、とは。

 ……さすがにね、2回観てまったく主役のキャラクタがわからなかったことには、うろたえたの。
 どんな駄作でも、嫌いな話でも、なにかしら主役のキャラぐらいは伝わってきたから。彼がなにを考えていて、なにをどう感じる人かぐらいは、意識して考えなくてもわかったの。

 
 そう。
 鎌足@かしげを見ながら思ったのよ。
 この鎌足はいい。腐女子的にもOKだ。

 だが、何故だ?
 ぜんぜん、萌えないんですけどっ?!

 このわたしが、こんなにおいしい鎌足を前にして、萌えないですって?!
 どうして? 鎌足はこんなにも鞍作を愛しているでしょう? どうしてソレで萌えないのよ?!

 と自問自答してよーやく、気づいたのです。

 鞍作のせいだ。

 鞍作に人格が見えないなら、萌えられない……。がっくり。

 そこでわたし、まずいつものよーに、鞍作というキャラを作った演出家の方が悪いと思ったのことよ。脚本でもっとなんとかしていれば、と。
 しかし。

 考えたのよ。

 もしも鞍作が、あさこだったら、って。

 …………。
 …………。
 …………。

 萌える。
 めちゃくちゃ、萌える。
 フンガー!!
鼻息。

 
 それではじめて、気がついたのよ。
 そうか、演出だけの問題じゃないんだ、って。

 さえちゃんなんだ……。

 「トップスター」は前提だから、さえちゃんに問題があるなんて真の意味では考えたことなかったよ……。
 世間で言われるほどわたし、さえちゃんが下手くそだと思ってないしさ。技術云々とは別のところにあるのが「タカラヅカ」だから。「彩輝直である」という「才能」は、アリだと思っていたからな。(「彩輝直」の位置に誰の名前をあてはめてもOKだ。それがタカラヅカ)

 
 ああ、そして。

 ひょっとしてさえちゃん、ものすげー下手で作品壊してるんでわ? と思ったきっかけが。

 だって、さえちゃんだと萌えないし、という、目眩がするほど腐女子な理由って、どうよソレ?!

 ヲタク・センサーゆえかよ!
 なさけなさすぎるよ!!

 …………友人たちには知られていることだけど、わたしじつはべつに、あさこちゃん特別好きではないです。萌えジェンヌだと認めてはいるけど。好きか嫌いなら好きだけど、ファンじゃないです。オサアサは大好きだけど、あさちゃん個人だとふつーに好きなだけです。たぶん、この日記でもそれはわかると思う。ふつーに好きなだけで、あまり興味はないんだなって。
 あさことさえこなら、さえこの方が好きです。つか、さえちゃんのことは、個別に好きだとあちこちで明言している。キャラ的に萌えるんだもん。いじりたいキャラなんだもん。

 だからこそ。
 鞍作がさえこでなく、あさこなら萌えた、という事実に、けっこーショックです。

 めそめそ。

 
 鞍作に情緒があるように見えなくて、ただ台詞を言っているだけのお人形さんに見えて、まったく感情移入できなくて、理解もできない。
 だから、そんな人を相手に陰謀を巡らしている鎌足が不憫に思える。バカに思える。

 見ながら、思ったんだ。
 鎌足よ、鞍作なんてやめて、軽皇子にしとけよ。鞍作なんて愛しても抱いてもぜんぜんおもしろくないって。
 ほら、軽皇子だって、きれいでお育ちがいいぞ。家柄のいい人にしか欲望持たないんだよね、鎌足。だったら軽皇子にしとけって。征服して悦に入るなら、そっちの方がたのしいって!!

 軽皇子なんつー、脇に萌えを振らなければならないほど、鞍作がダメですか……。

 そして、そんなふーに考えている自分を顧みてよーやく、さえちゃんがダメなんだってことに気づきますか……。

 偏った感性だな、わたし……。とほほ。

 
 まあなんにせよ、おもしろい芝居ではないです、『飛鳥夕映え』。
 主役がお人形過ぎて。
 せっかくお人形ならお人形としての特性を活かせる演出にすればいいものを……ぶつぶつ。ああやっぱり、それでもわたし、さえちゃんではなく演出の方に文句があるわ。

 ま、わたしの感性とわたしの感想なんて、この巨大な歴史の歯車の前には無にも等しいので、多少まがっていも偏っていても的はずれでも、どうかみなさん、寛大にスルーしてやってください。

 
 つーか……かしげ×あさこが見たいな、個人的に……しみじみ。と、つぶやいてみる。

       
 さて、TCAの感想だけで数日使っちゃいましたが。
 月組公演『飛鳥夕映え』の2回目にも行ってきました。えーと、15日かな。

 目当てはもちろん役替わり、大好きなかっしーの鎌足です。

 実はわたし、かっしー鎌足の日も、いつもの1列目の端席を押さえてあったんだけど、その日は大阪に帰れなくて、泣く泣く手放した。……同等席交換も難しく(みんな端席嫌いなんだよね)、仕方なくかっしーを少しばかり遠い席で観たよ……ああ、前で観たかった。真ん中でなくてもいいんだ、人の顔を見るためだけならば。とにかく前方席で見たかったのよ、美しいかっしーを。

 ええ。
 期待通りの、美しい鎌足でした。

 
 ところでわたし、今回の鎌足@かしげを見て、いちばん、腹の底からおどろいたことは。

 かっしー、頭良さそうな役もできたんだ!!

 われらがかしげちゃんの、愛すべき特色は、なにをやってもアタマ悪そうなキャラに見えることだったからねえぇぇ。
 なにをやってもどんな役を演じても、誠実さと頭の悪さが透けて見える、それがかっしーだったからねえ。

 まさか、頭の良さそうなかしげちゃんを、この目で見られる日が来ようとはなあ。長生きはするもんだなあ。

 ついでに、成功したかしげの悪役も、はじめて見た(笑)。

 かっしーてば、なにをやってもどんな役を演じても、かなしいくらい「いい人」だったからなあ。
 生真面目で器用じゃなくて誠実な、とにかく「いい人」。
 悪役をやっていても、一生懸命悪役しているのが透けて見える、小人物な「いい人」。

 ハンサムで背が高くて地位も財産もそこそこあって、しかも誠実でやさしくて、ヒロインのことを誰よりも愛しているんだけど、
「あなたはとても素敵な人よ。でもごめんなさい、あたし、やっぱり彼を愛しているの」
 と、結局最後は振られてしまう、またすっきり身を引いてしまう、恋愛ドラマの当て馬のよーな「いい人」かしげ。

 だからかっしー、人気ないんだよね……。
 恋愛ドラマの視聴者は、ヒロインに感情移入して見るからさ。ただの「いい人」かしげには立場以上の好意はなくて、たとえ地位や財産がなくても、他に女(あるいは男とか・笑)の影があったとしても、あさこのよーな色男のもとに走るんだよなー。

 わたしはずっと、かしげちゃんのそのかしげちゃんらしい鈍くささ、美貌の持ち腐れとしか思えない薄さ(いや、髪の毛のコトじゃなくて)と善良さを愛でてきました。

 『追憶のバルセロナ』でなにをまちがったか黒いオイシイ役をいただきながらも、持ち前の鈍くささと善良さで台無しにしていた、あのなさけない姿ですら、あたたかく見守ってきましたとも。
 『バルセロナ』の役ができなかった人が、鎌足なんつーわかりやすい悪役をできるんかいね? フェロモン炸裂のあさちゃんやらゆうひやらと並んで、色気皆無のさわやかさんが、どうする気だね?
 とまあ、いろいろ勘ぐってはおりました。
 かっしーのかっしーらしさを愛してはいるが、致命的な欠点だとも思っていたからな。「いい人」以外演じられないというのは。

 救いは、得意の日本物だってことかな。
 日本物の雪組で御曹司として育ったかしげは、日本物が得意。若いころから鍛えられている。素地があるのは強みだよね。説得力になるから。
 それだけを支えに、見に行きましょう、大好きなかっしーを。
 たとえまたしても失敗して、「なんちゃって悪役」だとか「頭悪そうで見ていて失笑」だとかいう鎌足になっていても、だ、大丈夫、それでもわたし、かしげを好きなままでいるわ!!

 
 きゃ〜〜っ、かっしー素敵ー! 鎌足さまぁ♪

 意外や意外、ちゃんと頭の良さそうな、悪役らしい悪役のかっしーがいました。
 なまじ美貌だから、悪をやると映える。

 はあ。
 かっこいいかしげなんて、見るの『アナジ』以来だよ……。何年ぶりだよ……。
 素敵なかしげなんて、見るの『アンナ・カレーニナ』以来だよ……。何年ぶりだよ……。

 とまあ、うれしいおどろきに満ちていました。

 
 悪役の鎌足はきちんと悪役で、日本物の所作にも優れ、歌も演技もそこそここなしている。
 そしてわたしは、この芝居を観るのが2回目。
 それなら今度こそわかるはずだわ、鞍作という人のことが。

 わかりませんでした。
 ねえ、鞍作って、いったいどういう人?


 ふつうは、1回観ただけでわかるもんなんだが……。初日の翌日だったかに観に行ったときは、さっぱりわからなかったの。主役の鞍作という人のキャラクタが。
 作品がアレなせいだと、そのときは納得した。

 タカラヅカは座付き作者が、「タカラヅカのための作品」を書き下ろす。よその作家がそのときだけ雇われて演出するわけじゃないんだ。専属のクリエイターが需要明確に書き下ろすんだよ。
 それだからこそ、主役を演じるトップスターの魅力を引き出して当然だと思っている。だって、そのために座付きとして存在しているんだから。
 それゆえにわたしは、この口うるさい日記で、演出を責めることはしても、演じる人の力量を責めることはあまりない。そりゃま、感想の範囲として多少は言及するけどさ。生徒の力量よりも演出の方に興味があるのよ。
 ダンスが下手な人に「このシーンのダンスが下手だから、作品をぶちこわしている」とは言わない。ダンスが下手だとわかっているスターに、「このダンスが踊れないと作品がぶちこわしになる」よーなダンスシーンを書き下ろした作家を責める。なんのための座付きだ。「ダンスが下手なスター」だとはじめからわかっていて、「スターを魅力的に見せる」ことが使命のくせに、そんなバカなことをするなんて、と。
 「このダンスが踊れないと作品がぶちこわしになる」よーな作品が書きたかったら、別のときにやればいい。求められているのはあくまでも「スター」であって、「タカラヅカ」であって、その演出家個人ではないのだから。「タカラヅカ」という枠の中ですばらしい作品を創るクリエイターが必要とされているのだから。
 好きな演出家はいろいろいるけれど、彼らが「ヅカ」ではなく、ふつーに外部の人たちを使って芝居を書いても、観に行きたいと思うことはあまりない。人気の荻田浩一だって、彼の外部オリジナル芝居を観に行く人はほんとーにわずかだ。つまりそれくらい、必要とされているのは「タカラヅカであること」なんだ。
 「タカラヅカである」以上、作家はスターの特性に合わせた芝居を書く使命がある。それでメシを食ってるんだから、当然だ。発注通りの製品を納品するのが社会人としてあたりまえのこと。
 だから、『飛鳥夕映え』をはじめて観たときも、まず言及したのは作品の低品質ぶりだ。
 つまらないよ、この話……。ただの「あらすじ」って感じで、中身ないじゃん……。主役のキャラクタが見えないって、どういうこと? もっとさえちゃんに合った話にしてやれよー。
 
 そう。作品を語っても、主演者の力量についてどうこう言う気はなかったさ。

 でもさ……。
 2回目を観て、思った。

 たしかに作品も、けっして名作ではない。問題点ありまくりだ。誰が演じてもおもしろくなるっちゅーレベルの物語じゃないよ。
 しかし。

 文字数ないからつづく。

    
スポーツニッポン新聞大阪本社では、この「TCAスペシャル」をグラフで速報した「宝塚歌劇90周年特集号」(タブロイド版、24ページ、オールカラー)を17日に発売(定価200円)します。


 ということで、買いに行ってきました、近くのコンビニまで。

 なんつーか、愛を試されますわね。
 雑誌とかじゃなく「新聞」だから。
 コンビニに、わざわざ新聞だけを買いに行くのって……本気!って感じしない?

 しかも、相当恥ずかしい紙面なのだよ、これが……。

 スポーツ新聞の紙面センスで、タカラヅカ。
 そりゃーもー、身も蓋もなく恥ずかしい新聞だぞっ?!

 わたしの行ったコンビニには、やる気なさそーに「宝塚歌劇90周年特集号」というポスターが新聞売り場に貼られていました。

 わたしは「近所のおばさん」なのがひとめでわかるやぼったい格好に財布ひとつだけ握りしめて、まっすぐ新聞売り場に行き、迷わず宝塚新聞を1部取り、レジへ直行しました。
 客がいなかったせいもあるんだろうけど、レジの男の子、このわずかな間ずっとわたしのこと見てたわよ。ごめんね、おばさん、宝塚ファンなのよー。この悪趣味な新聞買いに、わざわざやってきたのよー。

 もちろん、袋なんぞ拒否してナマで持って歩いたけどなっ(笑)。

 
 中身は……まあ、よくも悪くも「紹介記事」だけです。
 広く浅く、初心者向け、宝塚に興味はあるけどまだ観たことがない人などをターゲットに編集されたらしい、24ページまるまるつかって広告記事、みたいな。
 コアなファンは、初心者向けにどんな紹介のされ方をしているかチェックしたり、トップスター+1の撮り下ろし写真目当てにするぐらいしかありませんな。

 それにしても、「トップスター」って単語、使われまくってますなー。「主演男役」なんていう、わけのわからない単語は一切ない。
 初心者向け宣伝ならば、なにがなんでも「トップスター」という名前は必要だ。わかりやすいもの。

 スポニチの写真っていつも微妙なんだけど、今回もまた盛大に微妙ナリ……。なんでその写真使うかな……もっときれいなものもあったんじゃないのか??
 トップスターの素顔写真がすげーでっかく載ってるんだが……なまじでかいだけに……。
 まず、寿美礼ちゃんの目元のシワにヘコんだ。
 たのむよ、スポニチ……。シワぐらい修正してやってくれよ……。
 そして、とどめが、たかこ。
 や、やばい。その顔はやばいだろおっ?!
 素顔写真のたかちゃんはいつもとても美人さんなので、安心してたのに……なにもこんな、破壊された表情を載せなくても。よよよ。

 あと、以前読んだことのある記事もそのまま再録されてました。前にこの日記で書いた、『ファントム』の裏方さんの話とか。
 手抜き……。
 

 駅売り新聞で200円、さて、これで新規ファン開拓はできたのかしら。
 
 
 そして、万が一これから買いに行く人に、助言。
 どんなに恥ずかしくても、できる限り中身をその場でたしかめろ。

 なにしろ新聞だから、印刷最悪。

 わたしの買ったものには、せっかくのスターさんのアップ写真ほとんどに、印刷上のヨゴレみたいな引きずったよーな線が入ってた。どのページも同じ位置に同じヨゴレだから、輪転機の段階でヨゴレがついたんだと思う。
 200円だからもうあきらめるけど。

 これから買う人、できるだけきれいな印刷のをGETするのだ。エールを送る。

     
 さすがにもう書くの飽きてきた、『TCAスペシャル2004「タカラヅカ90−100年への道−」』の感想その6、これで最後です。

 芝居以外のパートは、各組ごと+特出チームで超絶簡単な歌い継ぎショーになってました。
 花月雪星宙の順で、年代順。
 最初の花組が気の毒なのは、歌のセンスが半世紀前だということ……なんだけど、さすがだタカラヅカ、半世紀前も現代も大してちがいはねぇ。
 タカラヅカはあきれるほどタカラヅカなのである。
 第2部昭和後半からよーやく、実際に馴染みのある曲になってくれた。
 ……それにしても、そのいちばん馴染みがあり、かつなつかしい曲を歌ってくれるのが星組さんたちで……破壊力抜群。
 星組に歌手を。切実な祈りですわな。

 不思議だったのは、最後の宙組。最近の曲のパートなのはわかるけど、何故か宙組ヒットステージだった。
 なんで宙組が宙組の曲を歌ってるの? トウコは『王家に捧ぐ歌』の曲を歌うし。
 歴史を振り返るのが目的で、自分の持ち歌を披露する場ではないでしょう?

 好きな歌を好きな人で聴けて、うれしかったんだけどさ。
 うわー、たかこの『ミレチャ』久々に聴いた〜〜。好きだったな、コレ(笑)。『エクスカリバー』も、作品のばかばかしさは置いておいて、歌は好きだったよ……。

 宙組ファンには何故かおいしいイベントでした、どういうことだ、TCA。
 

 フィナーレの「学年別」ヒットパレードはヅカファンの本能としてたのしんだ。
 ヅカにおける学年、同期ってやつはほんと、独特の魅力を持っているよねえ。TCAに出るようなスターを「同期」で並べると、華やかさと親近感がばーっと増すんだもの。

 てゆーか。

 ゆうひさん、あなた何故、2番手さんと一緒に歌っちゃいますか。

 答え、同期だからです。
 …………わかってる、わかってるけどっ。なんかすっげーうれしいんですが(笑)。

 かしげ、あさこ、ゆうひの並びが。
 月組公演でさえ存在しないシーンが、TCAで観られたなんて……わーい、この目で見られてうれしいよう。

 これだけ「同期大安売り」の構成じゃ、Myダーリン・ケロちゃんは出る場所がなかったなと思うけどさ。いくら同期でも、安蘭けい様と並んでフィナーレには出れまいよ……かしあさとゆーひ以上に、立場開きすぎてるもんなぁ。

 
 最初に言ったけれど、いちばん文句なしでたのしかったのが、1部の2番手6人(多い……)の「歴史の時間」だ。
 『ドンブラコ』からはじまる、どーしよーもない古くさい歌たちを、力技でギャグにして、たのしいエンタメシーンとして昇華させた。
 2番手6人は、それぞれとんでもないお笑い眼鏡をかけて、コミカルに大袈裟に歌う踊るおどける。
 だから、6人は多いってば。
 誰を見ればいいのかわからない〜〜。みんな素敵すぎ〜〜。バカ眼鏡姿なのにぃ(笑)。
 あさこと組むトウコとかな……目に新しくていいなぁ。こういう豪華なシーンをいっぱい観たかったのにな。ここだけだなんてな。
 6人が横1列で、歌っていない人もそれぞれなにかしらやっているもんだから、目が6つ欲しかったよ、マジで。

 
 さて、最後にトド様なんだが。
 トドロキ氏はまさにタカラヅカの象徴のように思えた。
 ごめん、あまりいい意味でじゃない。

 トド様は徹頭徹尾、タカラヅカの持つ「伝統」というか、「古くささ」を踏襲していらっしゃいました。
 彼はひたすら古い。重い。
 もちろん生涯をヅカに捧げるお人だから、かたくなに伝統的男役である必要があるんだろうけど。
 今回のTCAの悪趣味だったところ、つまらなかったところ、憤慨したところ、そーゆー悪い意味での「伝統にあぐらをかいた観客無視の自己満足」が感じられる部分での、タカラヅカの象徴のような存在に見えたんだ。

 これからどうなるんだろうなぁ、タカラヅカ。
 これからどうなるんだろうなぁ、轟悠。
 ……ってくらいに、悪い意味での古くささを感じたんだよ。

 伝統が素晴らしいのはわかったから、連呼しまくらないでください。自画自賛しないでください。
 本当に素晴らしいなら、ここぞというときに、ちらりともったいつけて見せていただければそれで、十分ですから。
 あとは苔にまみれた過去ではなく、「現代」を見せてください。
 「現代」が輝けば輝くほど、そこにつづく「過去」や「伝統」がすばらしかった、ということなのだから。
 自分で声高に宣伝しなくても、ちゃんと伝わりますから。

 つーことで、トド様はタカラヅカの悪い見本みたいな使われ方してないで、もっと出番少なくてもぴりりとかっこよく(あるいは愉快な)登場の仕方をして欲しかったよ。
 それこそ、トップスター色男5人組扮する美女(!)を転がしてくれる、とかさー(笑)。中年の色男は、自分より背の高い女を転がしてもOKなんだからさー。たかちゃんなんか、絶対大喜びでドレスアップして迫ってくると思うのになー。たとえヒールとカツラで身長185cmを超えていたとしてもだ!!(笑)
 個人的に美女オサちゃんと、色男トド様の絡みが見たかった……。

 とりあえずトド様、エリマキトカゲ衣装だけはやめて……現役時代から、ファンはかなしい想いをしつづけているのよ……あなたソレ、致命的に似合わないから。
 MCも苦手なんだから、わざわざしなくていいっす……。

 出番少なくても、真ん中に立たなくなっても、ずっとずっと好きだから。
 タカラヅカの悪しき象徴には、ならないで。

 
 第1部があまりにひどかったため(笑)、幕間では相当脱力していたわたしですが、2部がそこそこたのしかったので、なんだかんだいって機嫌良く帰路につきました。
 宙組ヒットパレードと、フィナーレの学年別スター特集がたのしかったんだもーん。お花様のエトワールにはひっくり返ったけどさー(笑)。

 参加することに意義のある、TCA。
 大抵駄作立腹作だが、それでもがんばってチケ取りするぞ。いや、ここ何年か続けさまにチケット手に入っているから、次こそは無理な気もするが。努力だけはするぞ。

 年に一度のお祭りだから。
 タカラヅカが、好きだから。

       
 TCA感想の途中ですが。

 いづるん、娘役転向って、なんじゃそりゃあ。

 日記にAAは使わない主義だが、思い切り貼り付けたい気分。
 ああ……、貴重な耽美役者が路線変更してしまうなんて。

 いづるんは下級生時代から娘役転向を打診されていると、噂だけはさんざん耳にしていたさ。
 みわっち、るいるい、いづるん。
 同期のこの3人は、劇団から性転換を希望されていながら、それでも男役に固執しているのだと。芝居やショーで女役を振られながらも、それでもがんばって男役していると。
 それが2年前だったか、るいるいがまさかの性転換。
 ……るいるいは新公学年だったから、まだわかる。
 もう、残るふたりの性転換はないと安心していたよ。だって新公卒業したんだもん。

 いいトシになってからの、性転換なんて。

 耽美で毒と無垢さを持つ実力派の男役。
 ふつーのヒトをやるとただ地味なだけだが、ソレ系の男を演じると匂い立つ色気があった。腐女子にはこたえられない持ち味のヒト。

 腐女子のわたしは、とてもかなしい。
 いづるんの最後の男役姿が、TCAだったんじゃん……。去年とちがって今年のTCAは、ぜんぜん役もらってなかったしよ……そりゃ、脇で踊っていても習性でいづるんさがして眺めてたけど、最後だと思って見てないもん! 先に言ってよ、うわあぁぁぁん!!

 救いは、今年もTCAをナマで観ていたことか……。ビデオとかじゃあ、脇は映らないからなぁ。

 もちろん、性転換しようがどーしよーが、いづるんのことはずっと好きだけどさっ。泣。

 ドラマシティ公演終わったら、また男役に転向しなおさないかな。

          ☆

 『TCAスペシャル2004「タカラヅカ90−100年への道−」』の感想その5。

 よーやく第2部の話。

 月組芝居の『心中・恋の大和路』はきれいに手堅く終わってました。
 てか、きれーよー、さえちゃん、えみくらちゃん。短いわりにどーんと盛り上げることのできる、お得なシーンだ。
 これも「時代物」、コスプレ系なのでイベントで上演するうえの「古さ」は関係ない。
 愛ゆえに死にゆくふたりと、彼らを見守る者たちという、日本人が好きな「泣かせ」芝居。
 ある意味この芝居のこのシーンは、「歌が命」だと思う。主役ふたりのデキより、歌い手のデキが重責というか。
 雪組バウのときはハマコが歌い上げていたし(もちろん彼は号泣していた)、いつぞやのTCAのときはタータンだったんじゃないかな。つまり、それくらいのレベルの歌をナチュラルに求められる。
 歌手はほっくん。
 ……めちゃうま。
 
 帰りの電車で、デイジーちゃんと話していた。

「ほっくんとハマコのちがいってなんだろう?」

 ほっくんは路線で、ハマコは路線外。それはみんなが知っている事実。
 ふたりとも実力派。素顔はともかく、舞台姿はオヤジ系。
 同じように実力があって、同じようにきらきら美形じゃないのに、ひとりはスター、ひとりは脇役。

 デイジーちゃんの答えは、容赦なく端的でした。

「若さ」

 …………いや、それはその通りなんだけどっ。
 ハマコだって若いころがあったのよ。生まれたときからオヤジだったわけじゃないわ。
 いちおー、新公主役だってやってるんだし。

「少なくとも、ほっくんの歌は、コブシ回ってません

 …………納得。
 同じくらいうまい歌だとしても、ほっくんの歌は端正で、ハマコの歌はコテコテなんだわ……コブシ回りまくっちゃうんだわ……。
 
「緑野さんはほんと、ハマコさんファンですよね」
 とまた、真顔で言われる始末さ……。

 ほっくんの歌は過不足ない正しい歌声だった。ああなのにわたし、ハマコの人を選びまくる歌声を聴きたいとか思っちゃってるよ……わぁあん。
 
 
 そして芝居のトリは花組『ベルサイユのばら』。

 えー、わたしもデイジーちゃんも、おさ様ファンです。去年なんか、ふたりして寿美礼ちゃんのBJ先生に腰くだけてました。
 そりゃあもう、素敵でしたもの、BJ先生……エロエロで。
 しかし、今年は『ベルばら』?
 てゆーか、フェルゼン??

 なんでオスカルじゃないの?

 見たかったのは、オサアサで、オスカルとアンドレよ!!
 オスカル@おさとアンドレ@あさこで「今宵一夜」とかやってくれたら、それだけでTCAチケットの相場が跳ね上がったことでしょう。

 フェルゼンか……たしかに、消去法でフェルゼンしかないけど(アンドレ役者ではないわな)、微妙なキャスティングやな……。
 てゆーか寿美礼ちゃん、意外にコスプレ似合わないヒトだよね……?

 トウコちゃんとキャラや芸風のかぶる人なんで、トウコちゃんがやって似合わなかったものは、寿美礼ちゃんもやめておいた方が無難というか。
 あの衣装とカツラにはきびしいものがあるんじゃないかとか。

 いろいろ杞憂してしまった。

 でも、結局のところ。
 ファンですから。盲目です。

 似合っているのかいないのか、わたしにはさっぱりわかりません。
 ただもー寿美礼ちゃんなんで、なにやってもヨシ! みたいな(笑)。

 『ベルばら』はタカラヅカが誇る大駄作の代表作だし、そのなかでもフェルゼン編は最下層に位置するキチガイ作品だけど、それはもう考えない。この作品はふつうの作品ではなく、すでに「ネタ」と化している「別物」なのだから。
 「ネタ」だから、なにを何度やってもいいのだ。
 「なんの説明をしなくても、みんながわかる」ヅカファンの共通認識作品という意味で、意義のある作品なのだから。

 てなわけで、開き直ってたのしみましょう。

 ああ……この歌が好き。

 ベルばらの曲はどれも前時代的で大仰。これでもかっとドラマティック。
 だからこそ。

 寿美礼ちゃんの声が映える……うっとり。

 
 寿美礼ちゃんのフェルゼンも心配されていただろうけど、世間的に演目の無謀さを責められていたのは、むしろ相方の方だったと思う。
 アントワネット@ふーちゃん……。

 だからやめようよ、劇団。こーゆー生徒の持ち味をまったく考えない配役は。
 観客が見たいもの、ではなく、劇団がやらせたいものをやるんだよね。客より自己満足が大切なんだよね……。

 オサカルとアサドレが見たかったなー。
 寿美礼ちゃんの脚にすがりつくあさちゃんが見たかったなー。
 寿美礼ちゃんに「私を抱け」の台詞を言って欲しかったなー(笑)。
 くそー、年に一度のお祭りぐらい、オサアサ見せてくれたっていいじゃん(笑)。

 
 とまあ、芝居に関してはこんなふうに思って見ていました。
 イベントで一部分だけ上演する、という観点において成功していたのは、なんといっても宙組『虞美人』でしょう。
 ついで月組『心中・恋の大和路』と花組『ベルばら』かな。
 あくまでも、「イベント」としてね。
 しかし、どーせイベントなら、組の垣根を越えて「夢の顔合わせ」にしてくれた方が愉快だったけどね。トップと娘役トップのシャッフルとかさ。

 項羽@ワタルに虞姫@花ちゃんとか、フェルゼン@おさにアントワネット@檀ちゃんとか。
 もしくは、トップ男役に対し、ヒロインは全員2番手男役とか。
 
 なにかひねりが欲しかったわ。
       
 『TCAスペシャル2004「タカラヅカ90−100年への道−」』の感想その4です。

 
 第1部の星組芝居『霧深きエルベのほとり』(昭和38年初演)について。

 …………。
 コスプレものはさ、いいんだよ。古びないからさ。別枠ってやつだからさ。
 
 数十年前のテレビ時代劇を見てもとくになにも思わないけど、数十年前のテレビ青春ドラマを見たら、吹き出しちゃうよねえ。
 首にネッカチーフ巻いてギター弾いて、夕陽に向かって走られたりしたら、爆笑するよねえ。
 
 舞台の上に、小林旭がいました。

 当時の最先端のモードだったのかもしれません。あれこそが、もっとも粋で美しい男の姿だったのかもしれません。
 しかし、この21世紀にギターを抱いた渡り鳥をマジで見せられると、失笑してしまいました。お尻がむずむずするー。

 いや、べつにギターは抱いてなかったけど。
 でもモロに当時の小林旭な姿だったのよ、カール@ワタルってば。いちいち上着を脱いで肩にかけるしね。
 ワタルくん自身はかっこいいよ。こんな男っぽい役だからこそ、魅せてくれますさ。
 しかし……ギャグじゃなくて本気で小林旭を演じますか……この21世紀に、まんまやりますか……。

 伝統は大切だし、過去の名作も大切にするべきだ。
 しかし、再演するのだけは絶対にやめてくれ。
 そう観客に切実に思わせてくれるという意味で、意義のある作品だったと言える。
 時代は移り変わるのだ。
 とくに「かっこいいもの」は流行りすたりが激しいのだ。ちょっと前のアイドルの髪型ひとつとっても、今では笑いの対象にしかならなかったりするんだ。
 安直に古いモノを現代に再現しても、その作品のよさは伝わらないんだよ。
 その作品の「本質」を取り出して、現代の感覚で「再構築」するぐらいの手間暇かけないと、センスのいい「再演」にはならない。

 なのにヅカってところは、昔の作品を一言一句まちがえずにコピーすることを「再演」だとカンチガイしてるからなあ。それを「伝統を守る」ことだとカンチガイしてるからなあ。
 伝統とセンスは別物なのに。
 
 とまあ、とても愉快にとほほに、舞台に小林旭がいました。

 しかもこの「いなせなマドラスさん」は、突然盛り上がって豊満なおねーさん@かのちかにすがりつきます。カラダじゃなく、精神的に。
 つらい片想いを、べつの女に告白することで昇華しようというらしい。

 それはいいけど。
 あのー、娘役トップスター@檀ちゃんはどこですか?

 舞台で盛り上がっているのは、カール@ワタルくんとヴェロニカ@かのちかちゃん。
 え、えーと? なんじゃこりゃ?

 宙組の「世界はふたりのために」芝居を観た後に、娘役トップ不在芝居って、どういうことよ?

 首を傾げていると、ようやく出てきたヒロイン@檀ちゃん、銀橋で「カール〜〜」と叫んで終わりです。
 …………はあ??
 なんじゃこりゃあ?

 首にネッカチーフの小林旭で、相手役はほとんど出番ナシで、いくらダイジェストorハイライトとはいえ、もう少しなんとかならなかったのか。
 これを見てうれしい人は、うちのママみたいな人かなぁ。
 うちの母は、テレビを見ていて「たのしめるかどうか」は「知っている場所が映るかどうか」にかかっているのよ。
 自分が知っている場所とか行ったことのある場所が映ると、それだけで大喜び。「ここ、知ってるわ! あのときアタシは誰々と一緒で、なになにってことがあって」てなふーに自分語りをはじめる。知らない場所には興味もなければ、感情移入もしない。
 「知っている場所だから」うれしい・たのしい、っていうのは、その番組を見て「おもしろい」と思っているんじゃなく、たんに「そこを知っている自分自身が愛しい」ってことよねえ。
 「ギターを抱いた渡り鳥」を丁寧に再現することでよろこぶ人は、そこに「その作品を好きで見ていた若いころの自分」を映し見ることができるから、うれしい、ということなんじゃないかな。
 もちろんそれは、悪いコトじゃない。「変わらないもの」「なつかしいもの」を見て、過ぎし日々を愛しく思い返すのはいいさ。
 ……でも、制作側がソレしか念頭にないっちゅーのは、問題だろうよ。

 演出家はオギーでした。
 なにやってんだろね、オギー。「個」を捨てて「仕事」に徹した?
 まあここまでセンスがちがってしまったモノを再演するんだから、作り手はいっそおもしろがっちゃうかもしんないけど。どうせ枷をはめられるなら、とことんダサくありのままに再演してやれ! みたいな。

 ワタルくんは「いなせなマドラスさん」姿が似合っていたので、ファンはOKなのかしら?
 その昔、トド様が舞台で学ランを着ていたことがあったのを、思い出したよ。
 周囲も「似合ってる」と言うし、実際ものすげー似合ってた。違和感なし。
 しかしソレ、どうよ?
 たしかに似合ってる。似合ってるけど……ソレ、ぜんぜんうれしくないし。そんなもんが似合っちゃまずいだろ、というか、そんなもんが似合う人を好きでいるのはどうかっちゅー気がするというか。
 あのもやもやした感じを、思い出したわ……(笑)。
 わたしは時折トド様の男らしさに、過ぎたものを感じて「とほほ」な気持ちになったが、ワタルくんのファンはそんなことにはならないのかしら。
 小林旭でもぜんぜんOKなのかなー。ファンがいいなら、もうそれで正解ってもんだけど。

 服装のセンスでお笑い系ビジュアルだったけど、物語的にはけっこう好みっぽかった。
 別の女に、好きな女の名で呼びかけてすがりついて……って、ツボだわー。

 あー、それにしても。
 どうしてもわたし、ここにケロがいないことに違和感……。
 ヒロインと一緒にいる男@しいちゃん、ケロの方が似合うのにー……と、思ってしまうのでした……ふふふ……ごめんね、しいちゃん。しいちゃんも大好きだけど、ヒロインにくっついて出てくるだけのあのしどころのない役は、まさにケロっぽいと思ってしまったのよ(笑)。

 それにしても星組って、すごい組だなあ、と改めて思ったのは。

 歌手がすずみんだってこと。
 下手すりゃまとぶんだって「歌手」のくくりにされそうな勢いだよな。
 マジで歌える男がいないんだ……。

 トウコちゃん、カムバック(切実)。

 
 という、宙・星・雪組によるたのしい第一部でした。

 
 幕間休憩の折、デイジーちゃんとふたりして、かなしみばかり語ってしまいました(笑)。
 去年のTCAはたのしかったなあ。

 
 あー、まだ終わらないわ……わたし、短い文章って書けないのよ、修行不足だから。
 次の欄につづく。

     
 『TCAスペシャル2004「タカラヅカ90−100年への道−」』の感想その3です。

 予備知識なく観ていたので、舞台の上だけがすべて。
「お稽古の都合で、各2番手・専科は特出した組での出演になる」と舞台上で解説されたので、「そうなんだ」とそのまま納得した。

 そして、この最初の解説があったもんだから。
 信じていたのよ。
 2番手さんはみんな、それぞれの特出組に出演、と。出演するんだからそりゃ、「お芝居」にも出るんだと。

 雪組の芝居『星の牧場』において。
 わたしこの芝居、なにがなんやらさっぱりわからなかったんですが。
 ストーリーも舞台もなにもわからないし、コム姫の歌詞は相変わらず初見ではなに言ってんだかさっぱり聞き取れないし(わたしの耳と相性が悪いんだろうな)、まーちゃんのナレーションは立て板に水で情報量が多すぎて、予備知識のないものには「??」でしかなかったし。
 さっぱりわかんないけど、モブの人々がきれーだなー、ということと、コムちゃんその格好はどうなのよ、その靴思い切りふつーの靴だよね、あたしソレと同じよーなの持ってたわ、とか、服装が微妙過ぎてこまるけど……なのにどーしてそんなにかわいいの?! と、いろいろ困惑して観ていたんですわ。
 わけわかんないなりに、コムちゃんがなにかしらラヴい台詞を言っている。
「会いたかった」「もうお前を離さない」「ずっと一緒だ」……てな意味のことを。

 に。

 馬……?
 馬相手に、ラヴラヴ?
 コムちゃん、愛を語りまくり? その笑顔は全部馬のもの?

 で、馬役って、誰よ。

 わたしの頭の中には、たったひとりの顔しか浮かびません。

 馬役って、水くんっ!?

 
「いくら水くんが顔長いからって、ソレはないですよ」
 雪組パートが終わったあとの幕間、デイジーちゃんに一蹴されました。
「特出組は、芝居には出ないんですよ」
 そ、そんなの知らなかったもん。てっきり芝居にも出ると思い込んでたから。

 馬は水くんだと信じてた。

 
 結局、舞台に馬は登場せず、コムちゃんはいもしない馬にずっとひとり語りかけ、最後はまたがって走り出しました。
 笑顔きらきらの美少年。

 ……きらきらなのはいいんだけど……やっぱかなり微妙……いもしない馬にまたがって「ハイヨー!」とかやっちゃうのって。そしてまた、やたら長いし、馬にまたがってますシーン。

 もと芝居がどうなのか知りようもありませんが、この雪組芝居パートはかなり特異な感じがしました。
 ヅカっぽくないというか、どこぞの小劇団っていうか、ダンスアクトのノリっていうか。
 過去作品のダイジェストorハイライト、であるはずが、「テーマを表現するためだけの、雰囲気重視」。ストーリー性、エンタメ性無視。なにやら昇華したいモノがあって、それを優先して抽象的な世界を作りましたっていうか。

 演出家の名前を見て、納得。
 木村信司。

 …………とことんまでキムシンやな、こいつ。
 あまりにキムシンがキムシンらしいことをしているので、苦笑しちゃいましたさ。そっか、そんなに君は自分自身が好きか。いつもいつも「俺は俺が好き!」って叫び続けられると、思わず笑っちゃうよ。微笑ましいやら、脱力するやら。
 まあ、彼の個性は、ソレはソレでアリだと思っている。「恥ずかしいヤツだ」とも、心から思っているが。

 なんにせよ、コムちゃんはかわいかった。
 そしてわたしは。

 馬@水夏希が見たかった。

 馬に愛を語るモミイチ@コム。
 馬を撫で、頬ずりし、ちゅうなんかもしちゃうモミイチ。
 馬とラヴラヴ追いかけっこなんかをしちゃうモミイチ。「つかまえてごらんなさぁい♪」「こいつぅ♪」
 馬と草原を転げ回るモミイチ。抱き合っちゃったり、上になったり下になったり、脚からめたり見つめ合ったり。

 ……馬。
 馬を出せ!!
(鼻息ッ!)

 雪組芝居パートを眺めながら、わたしの心は宙を飛んでいました……馬の登場を待ちわびて。

 
 ちがったんや……。がっくり。

 
 そういえば、それより前に上演された宙組『虞美人』にも星組『霧深きエルベのほとり』にも、特出組は出てなかったね……。
 でも宙組はたかちゃんとお花様だけの組だから、誰が出ていなくても気にならないし、星組の特出はタニちゃんでしょ、タニはほとんど星組生って気がしているから、これまたあえて出てなくても気にならなかった。
 そんなことより、雪組に水くんが出ないことの方が、わたし的には異様に映ったよ……ふふ…ふ…。

 
 宙組『虞美人』は、すばらしゅーございました。
 項羽@たかこと虞姫@花ちゃん、超ラヴラヴ。
 うっわー、世界がふたりだけのためにあるバカップルがしあわせそーにいちゃくらしてるよー。それだけのシーンだよー。
 正直、ものすごいツボでした(笑)。
 元がどんな作品なのかは知りませんが(昭和26年作品じゃ知りようがないわな)、現代感覚で過不足なくエンタメとして盛り上げてくれるなら、こんなワンシーンだけでなく全部観たいわ、と思えるくらいいい感じ。
 世界を壊しても誰を不幸にしても、互いの愛だけが大事、という傍迷惑きわまりない「権力を持ったバカップル」の姿が浮き彫りにされて、「英雄ってのは、歴史大作ってのはこうでなきゃね(笑)」って感じがして、とても愉快でした。
 わたしはそーゆーの好きよ(笑)。
 お衣装も派手で美しく、ハッタリがきいて小気味いい。お花様は文句なく美しいし、たかこの武将ぶりもまたくぅわーっこいい。

 こういう派手くさいコスチュームものは、どんなに古くさくてもイベントで再演する意義があると思う。
 コスプレものは古びないんだよね、ビジュアル的に。

 再演芝居トップバッターの宙組『虞美人』を観て、「おや、わりといい感じじゃない?」と思っていただけに、衝撃は大きかった。
 

 次は、星組『霧深きエルベのほとり』、昭和38年初演。

 これが、もお。
 文字数ないので、翌日欄につづく。

     
 さて、『TCAスペシャル2004「タカラヅカ90−100年への道−」』の感想ですが。

 ひとことで言うと、最悪でした。苦笑。

 なんつーかねー、身の置きどころのない恥ずかしさに満ちてました。
 わたしはこんなもんを観ていていいんだろうか、いいかげん足洗うべきなんじゃないだろうか、という厭世観と、それでもたのしいしなあ、というファン真理が交互に襲ってくる、なんとも複雑な時間でした。

 去年のTCAはたのしくて、大絶賛したじゃない。デイジーちゃんとふたり、大喜びしてたじゃない。

 なのに今年は、ふたりで絶望したよ……。
 あまりに悪趣味で。

 つまらないだけならまだしも、ファンの背筋を凍らせるってのは、すごいよなあ。

 宝塚歌劇は「変わらない」ことを指標にあげている劇団だ。伝統を守る、ということな。
 それはそれでいい。世の中には変わらないものも必要だ。
 しかし、それでも時代は流れているんだ。「変わらない」ゆえに「現代に必要ない」と判断されて絶滅したらどうするんだろう。
 このあたりのさじ加減はむずかしいだろうさ。
 むずかしいのはわかるが、あまりに古くさいものを古くさいまま出されても、観ている側はつらいだけだ。

 古くさいものを、現代人が拒絶反応を示さない表現で、差し出せばいいのに。
 何故、それをしないんだ?

 今、古くさいモノは現代人に愛されている。
 昭和時代を感じさせるものだとか、レトロなものは癒し系として立派に商売になっているじゃないか。
 古くさい作品を板にあげるなら、それを踏襲すればよかったのに。
 すなわち、「レトロ感」「郷愁」「癒し」に包み込み、ファンタジーとして成立させるんだ。セピア色の古い写真を見るような、愛しいせつなさを全面に押し出せばいいんだ。
 
 なのに、なんの努力も工夫もせずに、ただ古くさいモノを差し出して、悪趣味さを「伝統だから」と開き直っている。
 それでいいのか。がっくり。

 いくらでもすばらしく味付けできる素材を持ちながら、土や虫の付いたままテーブルに並べられた料理みたいだ。あの、せめて洗ってください、切って盛りつけてください、このままじゃどんなにすばらしい由緒正しい食材でも、食べられません。
 昔の人は土の付いたまま生で食べていたのかもしれないけど、現代人は洗って切って火を通したものを食べるんですよ。……え、それが「伝統」ですか……嫌なら食うな、ですか……いや、そーゆーことが言いたいんじゃなくて、全否定しているわけじゃなくて、ここをこうすればずっとよくなるのにっていう……すみません、余計なお世話ですね。

 そう。
 TCAってのは、参加することに意義がある。
 毎年必死にチケ取りするけど、そうやってがんばった末に大抵、実物を観てがっくり肩を落とすのさ。
 あたし……こんなもんのために、あんなにがんばってチケ取りしたのか……。
 わかっているのに、毎年参加したくて奔走する。
 何年かに一度、たのしいモノを観られるから。その低い確率のために、観続けるのさ、TCA。

「コレ、あたしたちは定価だからいいですけど、高いお金出して手に入れた人とか、どう思って観てるんでしょうねえ」
「価値観はひとそれぞれだから……」
「これなら、立ち見でもよかったですね」
「そうだね……」
 デイジーちゃんとふたりして、怒りなんだか失望なんだかを幕間から語り合う。

 今年はハズレの年でした。
 もー、華麗なまでに大ハズレ。
 毎年バクチだ、TCA。去年が大当たりだったから、しばらくはハズレが続くのが世の常ってやつかもしれん。
 来年もまた、がんばってチケ取りするさ〜。
 惚れた弱みさ。泣。

 
 とまあ、文句ばかり言っていても仕方ないので。
 ふつーに感想行きます。

 オープニングのみ、組単位でした。

 特出としていろんな組に出稼ぎ中の2番手たちが、それぞれの組にいるの。

 なんか。
 なんか、泣きそうだったんですが。

 トップバッター花組で、おさちゃんの隣にあさちゃんがいるんですよ。
 
 う・わー……。

 なんか、泣きそう。
 自分で自分におどろいた。
 そんなに、この並びが好きだったのか。
 そりゃオサアサが好きだったけど、なければないで仕方ないっていうか、ふつうに受け止めている現実だと思っていたのに。
 いざこうして、在りし日のオサアサな並びを観て、こんなにせつなくなるなんて。

 ここまでは、ふつうっていうか、「そうか、あたしはそんなにもオサアサが好きだったんだ」ってことで納得していたんだけど。

 雪組で、コムの隣にかしげがいるのを観て、さらに泣きたくなった、事実におどろいた。

 だってあたし、コムちゃんもかっしーも好きだけど、このふたりの並びは好きじゃなかったんだよ! お互いのいいところを相殺するコンビだから。
 組替え希望ってくらい、このふたりの並びは好きじゃなかったんだ。

 なのに。
 今年はかっしー試練の年、星だの月だの狸だのと休みナシ武者修行中で。
 こうしてひさしぶりに雪に帰ってきて、コムの隣にいるのを観て。

 なんか、泣きたいくらい、せつない。

 ああ、特出ってのは、そういうことなんだと思った。
 オサアサだからじゃなくて、コムかしげだからどうなんじゃなくて。

 2番手特出、ってのは、それくらい特異なことで、気持ちを無意識にでも磨り減らしている状態なんだ。

「早く自分の組に戻ってほしいですよねえ」
 と、幕間にデイジーちゃんも言う。オサアサやたか水の並びに泣きたくなったらしい。
 同じだよデイジーちゃん。わたしも、組が組としてひとつになっている、あたりまえの「タカラヅカ」の姿に泣きたくなった。
 「伝統」を守るというなら、それこそを守って欲しいよ。古くさい作品をマンセーするばかりじゃなくて。

 オープニングとそのあとの2番手6人のシーンが、今回のTCAでいちばんよかった……って、かなしい事実だなあ。ソレだけかい……通常の公演より3割もチケット代割高なのに……。
 つまり、出演者のキャラだけがよかったってことで、演出でよかったところはひとつもないってことなんだよね。溜息。

 お客が観たいモノ、なんてまったく考えずに、劇団がやりたいこと、をやっただけなんだと思う。
 大衆演劇じゃないな、こりゃ。

 
 なんにせよ。
 「スター」勢揃いに意義があるTCA。

 トップスターは6人。
 …………6人って。
 多いよ。
 なんともすわりが悪いっちゅーか、観ていて落ち着かない並び。

 だって中央、トド様なんだもん。

 学年順って、残酷だ。
 トド様の両脇、たかことワタルなんだよ?!(笑)


 う・わー……トド様、埋もれてる……。

 おさコムの間ならまだしも、巨人ふたりの間かよ。
 背が低いだけじゃなく、スタイルの悪さも際立ってますがな。

 トップ5人と並ばず・一緒に出てきて喋らず、別格で最初と最後に少し歌うとかだけでよかったのでわ……?
 いやわたし、トド様ファンだからこそ思ったんですけど。
 なんか、彼ひとりあきらかに「時代がチガウ」のがかなしくて。
 変だな、たかちゃんとトド様、同い年(学年)なのにな……なんであんなに、世代がちがって見えるんだろう……。
 
 期待していなかったにしろ、トップ6人のMCは超絶サムかったです。

 翌日欄につづく。

   
 何故唐突に、昨日の欄の日記で、『心中・恋の大和路』の話をしているか。

 こたえはひとつ、行ってきましたのよ、『TCAスペシャル2004「タカラヅカ90−100年への道−」』へ。

 予備知識を好まないので、どんなプログラムなのか、誰がなにに出るのかはまったく知らないまま観ました。

 まさかまた、『心中・恋の大和路』を見せられるとは思わなかったよ。

 てゆーかコレ何年か前のTCAでやってたよねえ?
 まったく同じシーンを。
 たしか、いっちゃんと花ちゃんで。
 わたしが観た回は誰のミスなのか、銀橋でいっちゃんと花ちゃんが真面目にお芝居しているっちゅーに、楽屋の音がそのまま聞こえちゃって、場内爆笑だったなあ。たしかマリコの声だったと思うんだけど……「あー、喉乾いたー」とか、そんな素の会話がまんま聞こえたんだわ……。
 あれって何年前かなあ。
 お花様……まだトップ娘役なんだよなあ……。いっちゃん、タカネくん、トド、ずんちゃん、タカコ……歴代の夫たち……しみじみ。

 『ベルばら』や『風共』までいくと、「もう仕方ない」と思うけど、『心中・恋』を繰り返しこんなふうに使うのはなんとも安直な気がする。
 てゆーかバウ作品なんだから、観た人少ないだろうに。いくら再演していても、『ベルばら』とはケタがチガウだろう。
 自己満足のニオイがぷんぷんするなあ。

 いや、『心中・恋』は名作だと思うし(そりゃ古い作品だから、現代の感覚で観ると気が遠くなるシーンも多々あるが・笑)、今回もきれいに盛り上げてくれましたよ。
 ただこんなに簡単に、同じイベントで同じコトをやる劇団の姿勢が疑問なの。

 まあ、それはさておき、今回の『心中・恋』のハイライト・シーン。
 演じるのは月組、忠兵衛@さえちゃん、梅川@くらりん。ハマコが演じていた与平役はほっくん、これまたすばらしい歌声を披露。
 そして。

 ああそして、八右衛門@ゆうひ!!

 ケロがやっていたあの江戸の色男、親友を愛しすぎている男前・八右衛門がゆーひくんですがな!!

 ああああ青天のゆうひ……。

 語るゆうひの姿に、Myダーリンの姿が重なって見えます……だもんでもう、感慨深いのなんのって。
 あのころわたしは、八右衛門役のケロがかっこよく見えてうろたえたもんだが、ゆーひくんはいついかなるときもかっこいいので、違和感なし。
 てゆーか、なんか貫禄あるし、どうしたんだゆうひ……。

 やっぱさあ、同じ役をやるっちゅーんでさあ、ふたりだけで練習とかしたんじゃないかとか、夢見ちゃうよねえ。
 ゆーひくんは日本物(江戸モノだぜい)苦手だろうし、キャリアも不足してるし、ケロにーさんは得意だし経験豊富だし。
 ここはやはり、ぷらいべえとれっすんだよねええ。

 いやはや。

 ケロがいないTCAで、ケロの影を追っておりましたよ、わたしゃ(涙)。

 
 ま、ともかく。
 去年に引き続き、今年もデイジーちゃんと一緒だったんだが、幕間にしろ終演後にしろ、ふたりとも感想がいちいち同じで笑える。

 今年のTCAに対して、言いたいことはいろいろあるにしろ。

 終演後にわたしたちがふたりして吠えていたことは。

「ねえねえ、七帆ひかるくん、みょーにかっこよくなかった?」

「かっこよかったですよーっ」
「きれいだったよね? びっくりした」
「あたしも七帆くんばっか見てましたっ。緑野さんなら絶対、同じだと思った!!」

 わたしとデイジーちゃん、男の好み一緒だから(笑)。
 わたしがいいと思う男のことは、大抵デイジーちゃんもいいと思って見ているのよ。

 帰りの電車では、えんえん七帆くんの美しさについて語る(笑)。

 ビデオにはきっとろくに映ってないんだろうなあ。真ん中しか映らないもんなあ。残念ナリ。
 きれいだったんだよ、ほんと。
 一般的にどうかはわかりませんが、わたしとデイジーちゃんの目には、きらきらの美形に映ったのよ。
 趣味が同じ友だちがいるっていいわあ……。
 あ、ちなみに、わたしとデイジーちゃんはもちろん、七帆くんの素顔も好みです(笑)。

 
 さて、TCA全体の感想は、明日の欄へ。

     
 昔語りをさせてくれ。
 ばばあなもんでな、なにかっちゃー昔の話をしたくなるのよ。

 その昔……何年前か、もうすっかり忘れたが。
 わたしはカラオケボックスで働いていたのだよ。
 店員はわたしひとり。店を開けるまでのお掃除タイムに、わたしはいつも有線の「宝塚チャンネル」を聞いていた。
 そう、当時は有線放送にそーゆーチャンネルがあったのさ。
 プログラムは日替わりで、ショーだったり芝居だったりをのべつまくなし1日中流していた。
 『TMP音楽祭』はあきるほど聴いたわ。いろんな年のを。『戦争と平和』は長すぎて一度も最後まで聴くことができなかったなあ。1本ものはお掃除タイム以上の長さがあるもんだから。『大いなる遺産』はいつも途中でわけがわからなくなる……音だけだとつらいよなあ。『微笑みの国』はとりあえず歌がきれいー。
 てなふうに、観たことがある作品もない作品も、わたしは機嫌良く聴いていた。

 そんななかで、ひとつ、ものすげー気になる作品があった。

 どうやら、日本物らしい。
 お芝居だ。愛し合う恋人同士が主人公……女の方はどうやら遊女らしい。
 お掃除をしながら「ふーん」と思って聴いている。所詮耳で聴くだけだし、仕事をしながらなので、それほど本気で聴き入っているわけじゃない。
 ……わけじゃ、なかったんだが。

 ど、どうなるの、このふたり??

 気がつくと、わたしは真剣に聴き入っていた。

 女は遊女、男はどこぞのぼんぼん、男はなにやら禁を破って、女とふたりで逃げたらしい。
 
 ふたりで逃げて、それでどうなるの? 無事に逃げられるの? しあわせになるの?

 耳をそばだてて放送を聴くのだが。

 わからない。

 結末が、まったくわからないのだ。
 台詞を待っているうちに、あ、あれ? 別の番組がはじまった。
 今の芝居は? ラストどうなったの?

 なにしろ有線放送だ。いつなにが流れるかわからないので、わたしのお掃除タイムにたまたまその芝居が流れる確率は低かったが、それでも何回かは聴くことができた。
 よし、今度こそラストをきちんと聴くぞー。
 と思って聴いていても、やっぱりラストがわからない。
 たぶん、アンハッピーなんだと思う。逃げたふたりは死んでしまうんだと思う……そんな感じだ。
 にしても、ラストがわからないっつーのは、気になるよー。ストレスだよー。
 なまじそこまでがおもしろいお話だからさー。

 ずっと気になってはいた。
 有線放送から「宝塚」が消え、わたしの職場だったカラオケボックスがなくなってしまったあとも。

 気にはなってたけど、どうしようもない。
 なんせ有線放送、プログラムのタイトルもわからない。出演者もわからない。
 きっと古い作品だ。わたしがヅカを好きになる前の上演作品。そんなもの、調べようもないし、二度と観ることもできない。
 当時はインターネットもなかったし、スカステがあるわけでもなかったからな。わたしは潔くあきらめていた。

 
 そして時は流れ。
 わたしは、汐美真帆っちゅー人のファンになっていた。
 なにはともあれ、この人が出ている舞台はとりあえず観る。そういうスタンスだった。
 ……にしても、そのとき彼が出る作品は、えらく微妙な感じだった。
 日本物で、心中もの、しかも昔の作品の再演、主演がわたしのまったく興味のない人、という、「ケロちゃん出てなかったら観なくてすむのに……」とかなしい気持ちになるよーな公演だった。

 仕方ないから、観に行った。1回だけ。
 何故かBe-Puちゃんとふたりで。
 Be-Puちゃんも観る気はさらさらなかったらしく、わたしへのおつきあい程度の気持ちだったはず。
「日本物だしー」
「コウちゃんだしー」
「今さら心中とかいうしー」
「再演ものだしー」
「青天だしー」
「出演者地味過ぎだしー」
 熱意のないわたしたちも問題だが、この公演の企画自体にも問題あるだろう。

 汐風幸主演で、汐美真帆2番手、って、いくらなんでも地味過ぎだろう!(笑)

 チャレンジャーだよ劇団。
 つーか、コウちゃん関係のお客様だけでなんとかなると思ったのか?? ふつー一般のヅカファンはこんな渋過ぎる公演、観たがらないって。
 
 客入りがどうだったかまでは、おぼえていない。わたしの友人たちのなかで、この公演をわざわざ観に行ったのは、わたしとBe-Puちゃんのふたりだけだった。

 そして、実際に観てみて。

 わたしは、昔の記憶がよみがえるのを感じた。

 これ、アレだ!!
 お掃除タイムに聴いていた、ラストがわかんないままのヤツ!!


 時はめぐり、人はめぐって、わたしはふたたび出会ったのだ。
 思わず聴き入っていたあの物語に。
 タイトルもなにもわからなかった、あの物語に。

 音だけでは理解に至らなかったいろんなシーンを、実際に目にすることのできるよろこび。

 ああ、そして。

「……Be-Puちゃん……あたし、目がおかしいのかなあ……ケロちゃんが美形に見える……

 幕間で、わたしはおそるおそる言ってみる。

「おかしくないって。わたしにも美形に見えるから!」

 Be-Puちゃんも断言。
 やっぱりぃぃ? わたしの目がおかしいわけじゃないよね? なんか、ケロちゃんがすっげー男前なんですけど!
 どきどき。
 わたしはケロファンではありましたが、残念ながら彼を美形だと思ったことは、一度もなかったのです。
 ハンサムじゃないけど、好き。……というスタンスだったんだ。『80周年運動会』とか見てたら、無理もないって。

 ああなのになのに、二枚目ですがな、Myダーリン!!
 目からウロコ。

 こんなに素敵な人だったの??

 美形なケロちゃんにめろめろになりつつ。
 わたしはついに、数年越しの物語の結末を、観ることができたのです。

 禁を破り、愛する遊女と逃げた男は、手に手を取って雪の中に消えていくのです……。

 ラストシーン、台詞なし。

 そうだったのか。
 だから、音だけだとどうなったのか、わからなかったんだ……!


 何年か越しの謎が解けました。

 てゆーか。

 ラスト数分間、だだ泣き。

 幕が下り、客席が明るくなったとき、わたしとBe-Puちゃんは呆然と顔を見合わせました。

 ふたりとも、顔ぐちゃぐちゃ。
 泣くとは思ってなかったので、ハンカチ用意せずに油断しきって観てたのね。
 クライマックスで鞄ごそごそできないし、で、ふたりともハンカチ出せないままだだ泣きした結果、ずぶぬれ顔で顔を見合わせる結果に。

「泣いた……すっげー泣いた……」
「泣くとは思わなかった……」

 演目を見ただけだと、あんなにあんなに「誰が観るの、コレ」なタイトルでキャストだったけど。

 名作ですがな。キャストもすばらしいですがな。

 ごめんコウちゃん、すばらしかったよ……。泣かせてもらったよ……。
 おまけに、ケロがばりばり二枚目だし……なんておそろしいんだ、舞台ってやつは。役者ってやつは。嘆息。

 こうして、長年謎だった物語は、わたしのなかで最良のカタチで結末を迎えた。

 その作品の名は、『心中・恋の大和路』
 ケロをはじめて二枚目だと思い、しじみ売り役のいづるんに瞠目し、ハマコの熱唱に心ふるわせた公演。
 忘れられない物語。

   
  

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