知り合ったばかりのオタクたちは、自己紹介をする。相手の情報を世間話の域で蒐集する。
「それで緑野さんって、ジャンルはなんなんですか?」
 名前の次に聞くのは、年齢でもなければ出身地でもない、職業でも年収でもない。
 ハマっているジャンルを聞く。ヅカで言うなら、「どなたのファンですか?」がそれに当たる。

「いやあ、とくにないんですよ。わたしのコミケのスタイルは、いわばウインドウショッピングですから」

 コミケは全日参加する。
 お目当てのサークルはとくにない。メインのジャンルさえない。
 大手には興味がない。
 人気ジャンルにもカップリングにも興味がない。
 A×Bだろーと、B×Aだろーと、あんまりこだわりなく買う。誰が受か、にはあまり重点を置いていない。間口がやたら広い。
 知っているジャンルのサークルがある区間を、とにかく歩く。歩き回る。隅から隅まで、全部歩く。
 知っているジャンル、なので、ひとつふたつではない。かなりのジャンルを歩く。芸能、ゲーム、マンガ、小説、アニメ、なんでもアリだ。東1〜6、西1・2、ほぼ全部歩く。
 壁には興味がない。ひたすら島を見て回る。
 周囲の迷惑になるので、カートやリュックなどを使って買い物しない。脇に抱えられる大きさのトートバッグのみ。
 ぶらぶら流して、気になった本を手に取り、興味を持ったら購入する。財布と腕の許す限り買う(正直、財布より先に腕が死ぬ。重くて持てなくなるんだわ……同人誌って重いから)。
 まさに、ウインドウショッピング。
 求めているのは新たな出会い。新たなときめき。
 まだ見ぬ宝島を目指して大海を進む。

「一般参加者の鑑ですね」

 ええっ。
 そうなんですか? わたし、鑑なの?

 最近のお嬢さんたちは、お目当てのサークルや、いわゆる壁だの大手だのしか興味がなく、目的のサークルでしか買い物をしないそうだ。そしてお目当て以外は見向きもせず、さっさと帰ってしまう。
 不景気だからかしら。

「緑野ちゃんみたいな買い方をする人ばっかだったら、弱小サークルももっと活気づくだろうにね」

 うお。なんか褒められている? どきどき。他人様から褒められる経験があまりないので、「まあ、どうしましょう♪」気分に。

 たしかに、たくさんのお客さんに、最初から見てももらえないってのはせつないよねえ。大手さんでなきゃ見向きもされない現状とやらがあるのなら、さみしいことだわ。

 せっかく褒めてくれた?(よろこばれた?)みたいな話の運びだったけど。

 でもなー、わたしはなにしろ、ウインドウショッピングだからなー。お目当てもなく、気に入ったモノをその場で買う人間だからなー。

 あまり、褒められた人間でもないんだよなあ。

 まさに、一期一会。
 多少気に入った作品と出会えても、つづきを買うことができない。
 サークル名も作家名も、まーーったくチェックしないからなー。つか、おぼえないから。記憶力なくて。
 そうやって見失った作家さんがどれほどいるか……永遠に同じジャンルにいてくれたらまた見つけて買えるけど、ジャンル替えされたら最後だ、もうわからない。
 今回も、冬コミで買って読んで、好きになった作家さんや作品がいろいろあったのに、ぜんぜん再会できなかったわ……もう二度と読めないのかもな……。

 こんなわたしだから、作家さんの名前やサークル名をおぼえて、わざわざ買いに行くのはほんとーにわずかばかりですわ。
 絵描きさんはまだ絵で判別つくけど、字書きさんなんかはさー、名前おぼえないせいで、似た名前の別人の本を買ってしまってヘコんだりなんだり、よくするしな(アホやわ……)。
 
 わたしの場合、必要なのは記憶することのできる脳味噌かしら……。
 こんなわたしなんぞが、一般参加者の鑑ですか??

 いや、なんにしろコミケ関連の称号なんぞ持ちたくないよな(笑)。

       
 宙組東宝公演『ファントム』話のつづき〜〜。

 あまりの美しさに感動し、涙し……そしてわたしは、ヲトメだからさー。
 たかちゃんに抱かれる花ちゃんを見て、自分が可憐な花ちゃんになってたかちゃんに抱きしめられているよーな錯覚を味わうのさ……ふふふ……いいなあ、醍醐味だよなあ、ヅカのトップコンビはこれくらい異世界を構築してくれなきゃだわー。

 
 大劇版と東宝版は、ラストシーンが変わってました。
 噂で聞いていたので、おどろきはしなかったけど。
 しかし、それもまた微妙だよなあ。
 わたしは大劇のラストシーンは嫌いだし、失敗だと思っているけど、かといってこうも安直に訂正されると納得できないものを感じてしまうわ。
 ラスト、エリックひとりが昇天するならするで、演出変えろよ、その直前を。なにもかも大劇のままなのに、ラストだけとってつけるなんて、なんてヘボいのかしら。演出家への不信感をさらに募らせる結果になったわ。
 ……新公のラストが良すぎたってことかしらねえ。
  

 せっかくだから全体を見ようと、オペラグラスは膝の上で観劇していたんだけどねえ。
 やっぱり2幕からはオペラあげまくりー(笑)。
 エリック@たかこのヒロインぶりを見逃してなるものかっ、と。

 キャリ×エリはいいですよ! 鼻息。
 キャリパパの歪んだ愛情、そしてエリックの純粋な愛が、すばらしいBLになってます。

 てゆーか、『ファントム』という作品に置いて、オペラ座の怪人エリックが美しい、というどーしよーもない二律背反を納得いくように解説するには、ソレしかないよねえ?

 愛する者を独り占めしたくて、地下に幽閉するキャリエール。
「お前は醜い。ゆえに誰からも愛されない」
 そう、洗脳しつづける。
 べつにエリック、醜くないのにね。子どものころはたしかにひどい痣があったけれど、成長してからは治ってきている。医者に診せるなりなんなりしていれば、もっと早く治ったんじゃないのか?てな感じには、痣が小さくなってるよ。
 でもエリックはソレを知らない。
 8歳のころ「海の化物を見た」と思い込んだままの、醜い顔だと信じ込んでいる。キャリエールの思惑通り。

「どこがオペラ座の怪人やねん、めちゃくちゃハンサムなにーちゃんが顔を剥き出しにして元気に踊りまくってるやん!!」
 という、観客のツッコミは、これで全部答えが出るよねー。
 エリックは美青年、ちーっとも醜くない。ただ、キャリエールが嘘を教えていただけ。

 天使のような少女クリスが、あの程度の痣を見ただけでびっくりしてケツまくって逃げる、てのもおかしいもんなー。
 彼女はその汚れなき心ゆえ、キャリパパの歪んだ愛を知ってびっくらこいたのよー。
 びっくりしたし恐怖も拒絶もあったけど、愛は愛として受け止める柔軟さを持っているから、キャリエールを責めることもせず「エリックに謝らなきゃ」とだけ必死になって言うのさ。キャリパパの罪を暴くよりも、自分がエリックを傷つけたことだけを悔やむのさ……いい子だ、クリス……ほろり。

 脳内補完も含めて、大好きだわ、『ファントム』。

  
 ああ、帰ったら『Crossroad』のビデオ見直そう……たかこと樹里ちゃんで超ラヴラヴホモ作品……樹里ちゃんがかっこいーのなんのって……。たかこがかわいーのなんのって……。
 腐女子をヅカにハメるときは、まず『Crossroad』を見せましょう、あまりにナチュラルにホモなんで、大抵の腐女子は一発でオチてくれます、な名作。
 あ、わたしはアルフォンソ×デュシャンです。逆でもいいけど。
 主役がたかちゃんで、相手役が樹里ちゃん、ヒロイン不在、という素敵作品『Crossroad』。

 樹里ちゃんとたかちゃんは、映りがいいカップルだよねええ。しみじみ。

     
 言葉の裏側を読むなんてこと、知らなかった。
 微笑んでいる人は、たのしかったりうれしかったりしているのだろうと思っていたし、親切にしてくれる人はやさしい人なのだと思い込んでいた。

 私は子どもだった。

 カルロッタが私を陥れようと画策していたなんて、夢にも思わなかった。
 やさしく微笑みながら、その裏で爪を研いでいたなんて知らなかった。そんな感情があることさえ、想像したこともなかった。
 先生−−エリックからそのことを聞かされても、私はほんとうのところ、理解できずにいた。カルロッタの笑顔ややさしい言葉のひとつひとつが、全部嘘だったなんて。人が、そんなふうに嘘をつくなんて。私には、理解できない。

 私がそう言うと、エリックはおどろいたように、やさしく笑った。
「そんな君だから放っておけない。君のことは、僕がここで守る」
 そう言ってくれた。

 ここ……オペラ座の地下。闇の満ちた異世界。
 彼はここで育ったのだという。

 外の世界を知らない彼は、無邪気に自分の領地を案内する。森に湖、木々や鳥たち、そしてお城。どれも私の目には彼が言うようなすばらしいものには映らない。いびつで奇妙なものたちに見える。
 たとえて言うなら、子どものころにした「ごっこ遊び」だろうか。掘っ立て小屋をお城に見立てたり、積み上げた薪を山に見立てたりして遊んだ。ひっくり返したテーブルを海賊船だと信じてみんなで乗り込んだり、箒の馬に乗って野を駆けた。……あの感じだった。
 偽りのお城にいる彼は、大きな子どもだった。本物の森も湖も知らない、あわれな少年だった。

 違和感があった。
 私はたしかに世間知らずな子どもだけど、それでも「おかしい」と感じることはできた。
 エリックは、おかしい。
 知り得た事実と、真実の間に齟齬がある。

 エリックの生い立ちは聞いた。オペラ座の元支配人キャリエールさんから、全部聞かされた。
 彼がどうやって生まれ、何故オペラ座の地下に住んでいるのか。
 キャリエールさんが、彼の実の父だということも。
 
 こみあげる違和感を押し隠し、私はエリックに懇願した。仮面を取り、素顔を見せて欲しいと。
 彼はその醜さゆえにいつも仮面をつけ、オペラ座の地下でしか生きることができないでいる。真実彼を愛し、共に生きるなら、彼の醜い素顔をも愛さなければならない。
 キャリエールさんは無理だと言った。それほどエリックは醜いのだと。エリックから逃げるようにと、私を説得し続けていた。

 私はそれに反し、ここにとどまることを選んだ。エリックを愛することを選んだ。
 どれほど彼が醜いとしても、私の愛が揺らぐことはない。
 だからどうか素顔を見せて。

 私の願いを聞き、愛を信じ、エリックはついに仮面をはずした。

 ずっと隠されていた、彼の素顔。
 その顔は…………。

 たしかに、痣はあった。顔の右半分に、痛ましい引きつれたような痣がある。
 でもそれは、私が想像していたほどの致命的な醜さでもなかったし、おぞましさもなかった。

 むしろ彼は、美しかった。
 肖像画で見る彼の母親の美貌を正しく受け継ぎ、父親であるキャリエールさんの端正さを正しく受け継いだ、美しい青年だった。

 そのとき私は、すべてを悟った。

 私の喉からは、悲鳴が漏れていた。
 拒絶が音となり、表情となっていた。

 言葉の裏側を読むなんてこと、知らなかった。
 私は子どもだった。
 あまりにも、子どもだった。

 何故エリックは、オペラ座の怪人にならなければならなかったのか。

 人としてのよろこびもたのしみもすべて奪われ、こんないびつな地下でいびつな世界で育たねばならなかったのか。

 とりたてて醜いわけでもないのに、「醜い」と信じ込まされ、苦悩と慟哭のなかにいなければならなかったのか。

 
 すべては、ひとの心ゆえだ。
 欲望ゆえだ。

 ジェラルド・キャリエール。
 やさしく温厚な紳士。多くの人から頼られる人格者。
 私のことを心配し、親身になってくれた人。

 それは全部、偽りだった!

 周到な陰謀。
 キャリエールさんは、仕方なくエリックをここに閉じこめたんじゃない。父親が息子にそんなことをするなんておかしい。いくら顔に痣があるからって、親だと名乗りもせずにただ閉じこめるなんて、ありえない。オペラ座の怪人伝説を作って人を遠ざけるなんて、バカげている。
 第一、地下に幽閉しなければいけないほどの醜さって? どれほど醜ければ、そんなことがまかりとおるの?
 感じていた、違和感。
 事実と真実の間の齟齬。

 それは陰謀。

 キャリエールさんは、エリックを独占したかったんだ。

 愛する女性そっくりの息子。
 神に背く愛だから、地上では成就できない。
 ならば、神の光の届かない場所で。
 誰にも邪魔されず、誰の目にも触れさせず、禁忌も法律も倫理もなにも教えず知らせず、その存在を独占する。

 やさしい顔をして。親切なふりをして。
 私のことを心配するふりをして。
 ほんとうは、私を遠ざけたかったんだ。
 エリックから。

 私は悲鳴を上げる。止まらない。
 こわい。こわい。こわい。

 いったい何年、ここにいたの、エリック。こんなおぞましいかなしい場所に閉じこめられていたの。
 父親であるはずの男の、エゴによって。

 ひとりの男の、あまりにも歪んだ愛が、こわくて私は悲鳴を上げた。
 逃げ出した。
 夢中で走った。
 泣きながら、走った。

 言葉の裏側を読むなんてこと、知らなかった。
 私は子どもだった。
 あまりにも、子どもだった。

 こんなに恐ろしくも悲しい愛があることを、知らなかった。


          ☆

 よーやく宙組東宝公演『ファントム』を観てきました。ふふふ、感動直撃の1階3列目〜。

 『ファントム』に関してはわたし、これまであまりに萌えが先行していたので、冷却期間をおいてこうして改めて鑑賞しますと、とても新鮮でございました。
 作品というか、演出に文句は山ほどある。キャストの配役や配分についても文句は山積みだ。
 キャラ萌えだけで全部ごまかされるよーなもんじゃない。

 それでも。

 この作品は、わたしをときめかせる。

 思わず『パッサージュ』を観たくなってしまう、最後のデュエットダンスで(『パッサージュ』でトド様が地響きみたいな声で歌っていた曲だよねえ?)、なんか涙が出たよ。
 あまりに、美しくて。
 ダンスの技量がどうとかいう話ではなくて。
 宝塚の男役と娘役、その美しさに涙が出たんだ。

 日本刀とかさ、実用を極めるがゆえに実用を超えた美を持つものがあるじゃん。
 アレなんだわ。

 たかちゃんと花ちゃんは、この世で夢を見させてくれる存在なんだ。タカラヅカという存在なんだ。

 踊るふたりは美しい。
 その美しさがわたしをときめかせ、また癒す。

 美しい。美しいよお。どきどきして、しあわせだよお。
 このどきどきが、泣けてくるくらいの感動が、またわたしを幸福にするよお。

 うつくしいものは、こんなにも力を持つ。
 ひとを、救う。しあわせにする。

 それは、すごいことだ。
 すごいよなあ。
 なんかもー心から、しみじみ思ったよ……。

 あー、もう文字数がない……つづくー。

     
 英一郎さん@鷲生功が、かしげちゃんに見える……。そんな今日このごろ、みなさんはいかがお過ごしですか。

 『澪つくし』、おもしろいですねえ。
 ああ、エンタメってのはこうあるべきだよ。誰も傷つけず、キチガイも出さず、それでもこうやってちゃんと盛り上げてたのしませてくれる。
 この物語でなにかと「障害」として立ちふさがるのは板東久兵衛@津川雅彦なんだけど、彼は決して悪役じゃない。むしろかわいらしい、愛すべき人だ。
 るいさん@加賀まりこへプロポーズしたとことかさー、マジかっこいいと思ったし、「このオヤジ、好きだ」と思ったし。
 みんな愛すべき人たちなんだけど、それぞれの立場や考え方のせいでぶつかったり、障害になったりしながら、それでもキモチを通じ合わせて人生を刻んでいく。
 いとしくて、やるせなくて、そしてあたたかくて。
 こういう物語を書きたいと、心から思うよ。

 『澪つくし』を見ていて、前から思ってたんだけど、とくに成人してからの英一郎さんが、なんか知らんがかしげに見えてさー。
 なんでだろー?
 顔が長くてデコが広くて髪が薄くなりそうでヘタレだからか?
 パーツがそれほど似ているわけでもないのに、何故か全体としてかっしーに見える……。やはりヘタレだからか……。

 英一郎さんに足りないのは、色気だと思うよ。
 いい人オーラは出まくってるんだけど。

 いっそいい男と絡んでくれたりしたら、萌えなんだけどなー……。惣吉@川野太郎と絡んでくれたらいろいろと萌えだったのになー。せっかく英一郎さん、惣吉のこと好きだ発言してたのになー(笑)。

 ああそして、この物語の中で、ケロに演じて欲しいのはやはり、梅木@柴田恭兵だわ……。見守る男、耐える男、でも惣吉に比べてどーしよーもなく小者でうすっぺらい男……。あのヘタレ具合と卑屈さがいーのー。うっとり。

 
 いや、『澪つくし』の話ではなく。
 夏祭りに出かけるために、DVDレコーダのHDD内の整理をしていたのよ。『澪つくし』はもちろん、全話Rに焼いてるからさー。あ、1本だけ録り逃してるけど(5月22日の日記参照・笑)、それ以外は完璧よん。

 今回は車中2泊+3泊4日の長丁場だからニャ、HDD内を空けておかなければ、録画できないのだわー。

 
 つーことで、しばらく大阪を留守にします。
 宙組『ファントム』と花組『ラ・エスペランサ』とコミケの日記を帰ってから一気に書くぞー、おー!
 
 
 ……という日記を、書くはずだったんだがな。
 このサイトが死んでいたため、せっかく書いた日記もUPできなかったのさ。ふふふ。
 今ごろノートパッドからコピペしてUPするのもものがなしいよな……。

     
 日記を書けない時間が長すぎるせいで、なにを書くつもりだったか忘れてしまうよ……なんでこんなに不安定なの、このサイト。

 
 さてさて、夏、お盆時期といえば、恒例の夏祭りです。
 ええ、東京のビッグサイトで開催されるアレですわ。
 わたしは毎年、すばらしー熱意を持って参加しております。

 が。

 今年は、なにやってんだろうねえ。
 ダメダメだねえ。

 カタログ、買い忘れてたんだわ……。

 いつだったかしらね、少し前、以前書いた大昔のコミケカタログの日記が、よそ様の日記にリンクされ、そこからの訪問者がつらつらやってくるよーになったとき、気がつきましたよ。
 あっ、カタログ買ってない!! って。

 すーっかり、失念してました。

 まあいいか、出遅れたけどこれから購入して、急いでチェックしよう。

 そう思っていたのだけど。

 どこにも売ってないし。

 どこへ行っても「完売」の文字。
 ぼーぜん。
 売り切れるモノだったのか……。
 いつもいつも、余りまくってたじゃん。コミケ終わったあとも、値段下げて売ってたじゃん。
 そのことに安心して、タカをくくってたよ。いつでも手に入る、って。

 毎年あまりに余りまくるもんだから、入荷数減らしたんだね、販売店。無理もない。

 しかし、カタログなしでコミケなんて……。
 ヤキが回ったな、あたしも。

 とりあえず、一晩だけ泊めてもらう友人のダイコに連絡、カタログを見せてもらう約束を取り付け、胸をなで下ろしたけどさー。

 なんか年々、コミケへの情熱が薄れていっている気がする。
 それがかなしい。
 昔むかし、まだ若かったわたしにとって、年2回のお祭りはほんとーに特別で大切な一大イベントだったのに。カタログを買い忘れるなんてこと、あり得なかったのに。

 これがトシをとるということなんだなぁ。ちょっとしょぼん。

          ☆

 私信。
 はなはなマロンさん、豪勢なお宝箱、ありがとうございました〜。
 家族との戦いに勝ち、ちゃんと食しました、ふふふふふ。

 冷凍されたケロちゃん……箱を開けるときのとまどいとときめきときたら……ふふふ。
 と、他の人にはなんのことかわからないだろー、意味深なことを書いてみたりする。はなはなさんにわかればそれでヨシ(笑)。……ん? 通じてるよね?(最近わたし日本語不自由だわ)

     
 毎年恒例の、夏の家族行事。
 今年は青春18切符で天橋立へ。
 よーするに電車に乗りたい父の提案。

 両側が海、という不思議な光景のなかを自転車で快走する。自然の驚異、天橋立。
 歩くにはちと長いので、レンタサイクルがおすすめ。駅前よりも天橋立近くまで進んだ方が安い店があるよん。

 ちゃんと山の上に登り(リフト利用)、股の間から眺めたよ。
 なるほど、アタマを下げてのぞくことによって平衡感覚を失わせ、天と地の区別を曖昧にさせるんだね。
 名前通り、天に架かった橋のよーに見えたさ。

 
 さて、本日8月9日夕刻、こうやって家族行事にいそしむわたしのもとに、一通のメールが届きました。

>有難うございました。成仏できそうです。CAN子

 横からそのメールを読んだ弟が、声を上げる。

「なにごとだ、ソレ?!」

 ……たしかに、なにも知らない人が見たら仰天するメールだなあ(笑)。

「今日は月組の千秋楽だよ。あるスターさんが退団するの。最後の舞台は、やっぱりその人のファンが観るべきだと思うからさー、チケット譲ったんだよ。それに対してわざわざお礼と報告をしてくれたんだ。CANちゃん律儀な人だから」
「……成仏って言うんだ……?」
「見送るファンも、心の整理をつけなきゃなんないの。そうでないと、怨霊と化す場合があるからね」
「すごい世界だ……」

 絶句する弟の横で、わたしは返事を打つ。

>お見送りご苦労様ですm(_ _)m
>(以下略)

 それを横からのぞいた弟が、やはりつぶやく。

「成仏……怨霊……お見送り……すごい世界だ……」

 人の心が織りなす世界だ、複雑怪奇魑魅魍魎(笑)。

      
 映画の感想、続けて書いておこう。……つっても、あんまりため込みすぎて、すでにわけわかんなくなりつつあるんだけど。

 日比谷シャンテシネで行われた「第26回 ぴあフィルムフェスティバル」とゆーのを、1回だけ見ました。
 コミケで同人誌を買うノリで、プロ予備軍映画監督作品を見てみよう、と。いちおーふるいにかけられたあとの作品だから、ちゃぶ台を返したくなるよーな駄作はないだろうし。
 ……東宝劇場で『スサノオ』の当日券に並んだあと、幕が上がるまでの間に、ちょーどよい上映時間だったから、なんて単純な理由だけではありませんてば(笑)。

 わたしが見たのは、『かりんとうブルース』監督・川西良子(24歳)と、『新しい予感』監督・浅野晋康(25歳)の2作品。ああ、若いっていいわねえ。

 「ぴあフィルムフェスティバル」っつーのがどういうものなのか、いまいちわかってなかったんで、「どんなもんじゃらほい」と映画館に入ったわけなんだけど。

 客席、さむっ。

 ガラガラでした。いやはや。
 平日の午前中だから仕方ないけど。……それにしても、そーゆーもんなのか。

 そして、思った通り、客席、関係者率高すぎっ。

 ほんとーになんの関係もない、純粋な客は何人いたんでしょう……わたしひとりでないことを祈るばかり。
 制作者や出演者の友人知人だけでなく、映画や芝居に関係していない、ほんとーにただの素人客って、わたしの他にいたんだろうか……。地方開催の小さな同人誌即売会みたいに、お客は書き手ばかり、みたいな感じ……サークル参加者が同時にお客でもある、つーか。
 
 わたしひとり場違いじゃないかい? と居心地悪さも感じつつ、それでも鑑賞、わたしはただの映画好き。

 1本目は『かりんとうブルース』。
 舞台は1軒のおんぼろアパート。味のあるおばあちゃんが大家さん。そこに住んでいるミュージカル女優志望の女の子と、不倫女子大生のそれぞれの人生と物語。R−15指定がついてたのは、こっちの映画かな? 女子大生の女体盛りがあったぞ(笑)。

 なんつーか、「ああ、キタキタ」と思った。
 わたしは今、たしかに同人誌即売会にいるんだな、と。
 商業作品が販売されている書店ではなく、アマチュアの書き手さんが自費出版している同人誌の、即売会。
 商業ベースにのっていないからこそ制約なく自由に才能をほとばしらせているんだろーけど、とどのつまり「こりゃわざわざ出版社が金を出して商品にしようとは思わないわ」と思えるよーな、そんな同人誌を読んだ気分。

 興味深くはあるけど、ちーっともおもしろくないんだわ。

 コレを「売れ」と言われたらわたし、途方に暮れるなあ。一般視聴者はコレを求めてないもんなあ。
 いっそ一般人お断りの純文学路線なら、「わからない人が低俗なのよ」と高尚ぶりたい人をターゲットにした宣伝方法もあるだろうけど、そこまでも行ってないしなあ。
 半端にカジュアルで、半端に好き勝手。
 作者が「おもしろい」と思っているものを、他の人も「おもしろい」と思うかどうか、客観性に欠けているというか。もしくは、他の人に「おもしろい」と思わせるほど技量が足りていないというか。

 創造者なのだから、作者が面白いと思うモノ・書きたいモノを描けばいい。
 だけどわたしなんかは俗物だから、作者ひとりがたのしいモノより、より多くの人がたのしいと思うモノの方が好き。そーゆースタンスがある作品が好き。
 てゆーか、この作者はどちらの方向を目指しているのかなあ。わかる人だけがわかればそれでいい路線ってやつかな? 同人誌にはありがちなやつ。きっと琴線に触れる人には、とても素敵な作品になるんだろうと思う。
 残念ながら、わたしの琴線にはかすらなかった。

 
 1本目がソレだったので、わたしも耐性がついた。
 そうか、ここは同人誌即売会なんだ。プロじゃない、ってことは、客観性とかエンタメ性とかは関係ない場合があるんだ。ネタ一発の「ちょっといいじゃん」みたいな作品が「作品」として上映されちゃう場所なんだ。

 それをわかったうえで、たのしもう。

 と思った矢先の2本目、『新しい予感』。
 「少年バット」(笑)を思い出させる通り魔殺人事件から物語ははじまり、ダメ男のヘタレ恋の告白(大阪弁がちと寒い)、職業=空き巣・住居=車のこまったちゃんな男ふたり(片割れが告白していたダメ男)と、なんか泥沼な恋愛模様の女子大生が出逢い、ふつーにありそでなさそな彼らの物語が転がり出す。

 ……ええ?
 これって、同人誌?

 ふつーに、おもしろいんですけど。

 てゆーか、おもしろかった。
 かわいくて、ちょっぴりせつなくて、ちとテーマ全開だったりして(笑)、起承転結きちんと計算されてクライマックス盛り上がって、未来につながる気持ちのいいハッピーエンド。

 3人の主人公たち、みんな好き。それぞれかわいい。

 わかりやすいエンタメ映画。テーマの前向きさとか、基本となる物語のベースがほんとに「お約束」の安定感がある。

 わたし、エンタメの基本は、見終わったあとに「ああ、おもしろかった。わたしもがんばって生きるぞー」と思わせてくれるものだと思ってる。アンハッピーだろうと暗かろうと、ちゃんとエンタメしていたら、見終わったあとはそう思えるから。
 この『新しい予感』という作品は、ちゃんとそう思わせてくれた。
 うまい作品だと思う。いちいち小技が利いている。作者の人、アタマいいんだー、って感じ。感性云々より、「アタマいいんだろうな」と思った(笑)。そーゆー作り方。作者……つーか監督、25歳かぁ、すごいなー。この映画撮ったのはもっと前だろうし、そんなに若くして、これだけの技量があるんだ。そーだよなあ、オギーだって『凍てついた明日』を演出したときはまだ20代半ばとかだったんだよねえ、才能はトシじゃないよねえ。

 『かりんとうブルース』も『新しい予感』も、根っこにあるテーマは同じだと思う。
 「それでも、がんばって歩いていこうよ」てな。
 それでも、ってのが、ポイント。
 人生いろいろ、トラブル、アクシデントいろいろ、傷も痛みもいろいろ。それら全部ひっくるめて風呂敷で包んでよいしょっと背負って、ちょっとよろめいて、なんとか踏ん張って、歩き出す。前へ。
 それでも、前へ。

 エンタメというか、世の創作物の大半はそーゆーもんだ。お約束の中のお約束、基本の中の基本。
 問題は、その規定演技を、どう組み立て、演出するか。

 『新しい予感』がおもしろかったのは、その基本軸を、「見ているお客が気持ちいいように」過不足なく飾り立ててあったからだろう。
 通り魔殺人、ストーカー、ピッキング、自殺未遂、ヤクザ、という見た目に派手な要素を使い、だけどえげつなくはせず、風が通るくらいの密度で「青春」を描く。普遍的なものを、現代感覚で描く。

 なるほどなー。
 この2本をつづけて見たおかげで、大変勉強になりました。
 商業作品じゃないからこそ、よりテキストとしてわたしの血肉になる感じ。
 他のエントリー作品も見てみたかったわ、受賞結果の出る前に。

 この2作品は、フェスティバルの各賞にまったく入りませんでした。
 そんなもんなんだー。

 今度大阪でフェスティバルが開催されるので、グランプリ受賞作品ぐらいは見に行くかな〜。

        
「コレ、見に行ったの」

 と、人に言うと失笑される映画というものがある。
 最近では『マッハ!』を見に行ったと言ったら、あちこちで失笑された(笑)。そーよね、笑うしかないよねー、あんなもんお金出して見に行ったとか言われたら。

 人に言うと失笑される映画、『花咲ける騎士道』を見ました。『白いカラス』とハシゴするタイトルがコレかい(笑)、というセルフツッコミつきで。

 監督ジェラール・クラヴジック、製作・脚本リュック・べッソン、出演ヴァンサン・ペレーズ、ペネロペ・クルス。

 ファンファン大佐@岡田真澄の名前の由来となった美男子俳優ジェラール・フィリップの代表作『ファンファン・ラ・チューリップ』のリメイク作。邦題は半世紀前と同じ。
 とはいえ、そんな昔の作品、まったく知りませんとも(笑)。

 わたしがこの映画を見に行った理由はただひとつ、タカラヅカファンだからです。

 ははははは。
 タカラヅカで上演OKだよコレ。
 バカバカしくも華麗なコスプレ・アクション・ラヴコメ。

 18世紀のフランス。戦争真っ直中っていうか、そもそもなんで戦争やってんのか、誰もわかってないんぢゃねーかってくらいそれは日常。
 ひたむきな下半身と都合のいい舌と軽い人格、そしてすばらしい美貌を神から授かったプレイボーイのファンファン@ヴァンサン・ペレーズは、手を付けまくった女たちから逃げるために、軍隊へ志願する。おりしも彼は、ジプシーの占い師アドリーヌ@ペネロペ・クルスから「王女と結ばれる運命」と予言されていた。
 アドリーヌは軍の徴兵官の娘で、兵隊を集めるために嘘の占いをしていただけなんだけど、ファンファンはすっかりその気。そして偶然、森でポンパドール夫人と王女を助けることになり……。

 
 のーみそを回転させる必要はありません。
 深く考えず、お伽噺を見るノリで、目でだけたのしみましょう。
 コスプレがすてきで、アクションがにぎやかで、美男美女ががちゃがちゃやってるので、気楽に笑いたいときには最適。

 この映画を見ながら、ひどくなつかしかったのは、昔のジャッキー・チェンの映画を見ているようだったから。
 『プロジェクトA』とかジャッキー全盛期の、あのノリ。
 う・わー。なっつかしー。昭和時代のかほりだー。
 でも、ジャッキー映画より画面全部美しいから、イイ(笑)。

 登場人物、バカばっか。
 ついでに情緒もナシ。
 ディズニー・アニメのようにわかりやすいキャラ立て、お約束の演技、展開、オチ。
 いいですなあ、ここいうの(笑)。

 
 ここまで大劇場向けの作品を、映画館で見られるとは。
 ストーリーはシンプルなのに登場人物が多いので、大劇向きだよほんと。軍服もドレスも宮廷服もなんでもござれだし。
 いくらでも脚色できる隙間だらけだし。

 今のヅカの布陣でなら、やはり星組で観たいっすよ。

 ファンファン@ワタルくん!!
 バカで本能しかなくて、男前で女にだらしなくて。めちゃくちゃ強くてかっこよくて。
 アドリーヌ@檀ちゃん!!
 かっこいー美女。男装もしちゃいます。ドレスも着ちゃいます。アホ男ファンファンに舌打ちしつつ惹かれつつ。

 2番手男役の役は、ファンファンを助ける男あたりを二枚目リメイクして相棒にするか、あるいは敵の仮面の男をヅカらしい二枚目悪役に色を付けるかすればヨシ。

 兵士たちを若手の美形男の子たちに個性豊かに演じさせて、たのしげにわいわいやれば目にもたのしいだろーなー。
 別格女役のポンパドール夫人(男役がやってもいいな)、若手美形娘役の王女、それからファンファンを追いかける女たちで、娘役も花盛りに割り振って。

 フランス王とその側近たちも、巧者が演じればオイシイ役になるだろうし。

 …………ただ、Myダーリンのケロちゃんは、この布陣だとろくな役にならない気がする…………。きっとすごいバカな役に……。

    
 まあなんにせよ、罪なくたのしい映画でした。
 くだらないと言えば、その通りなんだけどねー。「見てきた」と言ったら失笑されるのも、わかるんだけどねー。

 あ。
 女性陣のおっぱいはすばらしかったです。ガイジンはああでなきゃねー。子どものころは、ガイジンさんはみんな、あんなおっぱいなんだと思っていた、その通りのお椀型のおっぱいです。
 ハリウッド女優のぺたんこの胸を見慣れていると、なんか新鮮なフランス映画(笑)。

     
愛する者を殺してまで、守りたかった秘密。

 実際に見てからものすっげー時間が経ってしまってるけど、感想書く余裕がなかったもんでな(ヅカの話ばっかしてるから・笑)。

 『白いカラス』、監督ロバート・ベントン、出演ニコール・キッドマン、アンソニー・ホプキンス、エド・ハリス。

 正直わたし、アンソニー・ホプキンス好きやないんやけどな……。原作のレクター博士@羊たちの沈黙他を好きで、映画のレクター博士@アンソニー・ホプキンスはあまりにもMyイメージとかけはなれすぎていて。その関連でどうも、苦手感がある。
 その苦手俳優のベッドシーン有り映画を見に行くあたり、チャレンジャーだよなー。

 それでも、「痛い系」の臭いを嗅ぎつけて、行ってきました。

  
 コールマン・シルク@アンソニー・ホプキンスは黒人差別発言を批判され、辞職に追い込まれてしまった大学教授。彼は作家のネイサン・ザッカーマン@ゲイリー・シニーズの自宅に襲撃をかけ、自分の辞職騒ぎを本にしてくれと依頼する。とーぜんネイサンは断るが、2人の間には不思議な友情が芽生えていった。しばらくして、コールマンにはフォーニア@ニコール・キッドマンという若い恋人が出来る。フォーニアは不幸のデパートメントストアってな生い立ちを持つ美女。だがコールマンも実は、負けてはいないかなしい秘密があった……。

 
 この映画もまた、予告が喋りすぎ。
 いちばんのクライマックスを、先に予告や広告媒体で全部見せている。
 真犯人の名前を先に見せられてしまったミステリを見ているよーだったよ……。

 たしかに、この映画を「売る」ためにはそこを宣伝するしかないんだろうけど、そこを先に言ってしまうのはほんと、真犯人の名前を先に教えるよーなもんだよ。
 それがいちばんかなしかった。

 
 痛い物語。
 ひとりの、卑怯者の物語。
 自分ひとりがかわいくて、自分ひとりが幸福になるために、それ以外の全部を裏切り、捨ててきた男の物語。

 人種差別がどうとか虐待だのDVだの、いろんな要素は含んでいるよーだが、わたしとしてはそれらはとりあえず蚊帳の外。
 それらのものは「ある」としたうえで、それらが「ある」世界で生きる、ひとりの卑怯者の物語として受け止めた。

 主人公コールマンの「いちばん」は、「自分」。
 自分を守るため、自分を「いい子いい子」するために、他人を傷つける。

 それは、仕方のないことかもしれない。
 誰だってそうかもしれない。
 彼をそんな風に追いつめてしまう、社会が悪いとは思う。
 だけどこんな社会の中で、みんながんばって生きているんだよ。コールマンだけが不幸なわけじゃない。

 彼だけが不幸なわけじゃないけれど、不幸から逃れるために彼は、「嘘」をつく。
 他人を騙す。

 嘘をつく、ということは、真実に関わるすべてを否定するということ。

 コールマンは自分の出自について嘘をついた。
 生まれてきたこと、育ってきたこと、それらすべてを偽った。

 彼を愛し、彼と想い出を共有してきたすべてを、裏切った。

 コールマンは家族と縁を切る。嘘で塗り固めたしあわせを手に入れるために、それまでのすべてを拒絶した。
 婚約者には、「母は死んだ」と教えた。出自を誤魔化している彼は、婚約者に家族を会わすことができないから。
 母は生きている。息子のことを愛している。愛と献身と誇りを持って、息子を育てた母親。なのにコールマンはその母親を殺す。
 「母は死んだ」……存在を否定するということは、殺したのと同じことだ。

 彼は母親を殺した。
 愛しているのに殺した。
 自分のちっぽけなしあわせのために。

 このひとごろしめ、ひとごろしめ、ひとごろしめ。

 そして彼は成功を手にするが、因果は巡り、次に愛する妻を殺すことになる。

 彼は嘘をつき通していた。妻にも、世間にも。
 その嘘ゆえに、妻は死んだ。
 彼が真実を口にしていたなら、死なずにすんだだろうに。
 その昔、母の存在と彼女の心を殺したように、今度は妻の生命を尽きさせた。

 このひとごろしめ、ひとごろしめ、ひとごろしめ。

 他人を傷つけ、殺し、それでも自分だけがかわいいのか。自分だけを守りたいのか。
 世間が悪いのは言い訳だ。「世間」が差別と偏見に満ちているからって、「自分」が人を裏切っていいわけじゃない。傷つけていいわけじゃない。

 卑怯者め。

 世間への呪詛と、自分への憐憫と言い訳で、ぐるぐる巻きになったミイラみたいだ。
 それでも、しあわせになりたいのか。そんなになってまで、まだしがみつくのか。
 なんて無様でおぞましい。

 そう。
 それでも、心は生きている。
 汚れた包帯、腐った肉の奥で。
 無様でおぞましいミイラは、それでも救いを求めている。

 コールマンは、同じように傷を抱えた女、フォーニアに出会う。
 
 母を殺し、妻を殺し、愛する者を殺すことによって自分の心さえ殺してきた男が、それでも両腕を伸ばして愛を抱きしめる。
 ひとごろしの卑怯者は、ようやく己れの罪を解放する。
 傷みのなかで。
 痛みのなかで。

 こんなにこんなに、いたくてきたなくてまっくらななかで。

 清涼な光を感じる。

 希望を感じる。赦しを、誇りを、可能性を、よろこびを、感じる。

 
 ある卑怯者の物語。
 彼の汚さはわたしの汚さであり、彼が辿り着いた希望はわたしの希望でもある。

 だからやっぱり、人間を好きだと思う。
 生まれてきて良かったと思う。
 わたしは。

 
 暗くて重くて救いのない話なんだけど、ツボにハマる人には、ふつーのエンタメと同じく、「ああおもしろかった。さあ、明日からまた、がんばって生きるぞ」と元気をもらえる映画だぞっと(笑)。

 とりあえずニコール・キッドマンはきれい。『コールド・マウンテン』の謎の適齢期美女より、よっぽど説得力のある美女だぞ(笑)。
 あと、コールマン役がホプキンスでさえなければ、ネイサンとの関係は萌えだったと思う。アンソニー・ホプキンスぢゃ萌えられん……。

     

       
 わたしはあまり、噂を信じない。
 とことん腐女子なので、真実だとわかるもの以外は全部「虚構」と割り切ったうえで遊ぶ方がたのしいんだ。
 だからなにを聞いても、表面的にソレで動揺しても、なにか思うところがあったとしても、根っこの部分はがんとして動かない。
 噂に流されるほど若くもなければ、純粋でもないってことだな(笑)。

 その話を聞いたのは、6月1日だから、2ヶ月以上も前か。ムラでは『ファントム』が上演中だった。

「**ちゃんは**だから、**なのよ」

 と、ムラにある某ホテルの某レストランで隣のテーブルにいたおばさま方が、人事関係の話に花を咲かせていた。
 語っているのはひとりのおばさまで、あとの人たちは聞き役らしい。

 けっこう毒のある話だったので、わたしは「ほえー、すげーことを『事実』として断定で語ってるなぁ」と、聞くともなしに聞いていたんだが(わたしも友だちと喋りながらメシ食ってたわけだから)。

「で、次の月組は『エリザベート』で、さえちゃんがトートをやるわけよ!」

 おばさまは断言する。

 さえちゃんトートか……ビジュアルはいいけど、それ以外はものすげーチャレンジャーだなあ。劇団もそこまで命知らずじゃないよなあ。

 断定系で語る、ワケ知り顔のおばさまの話を耳にしても、あまり気にしない、本気にしない。公式発表があるまで踊る気はナシ。
 愉快なネタなら、「虚構」と割り切って脳内だけでたのしむけど、それ以外はスルーが基本。言いふらす気もないし、憤慨する気もない。

 人事に限らず、誰が性格悪いとか、誰が誰を虐めたとか、退団の本当の理由だとか、もー、耳に入る噂は全スルー。わたしは舞台しか観てない一般人だから、わかりようのないことは気にしないの。
 あ、でもいいことだけは信じたいなー。誰がやさしいとか、性格いいとか、そういうことは。誰と誰が仲がいいとかも(ふふふ)。
 その方が平穏(笑)。
 

 そして本日、2005年上半期ラインアップが発表された。

 ほんまにやるんや、『エリザベート』。

 チャレンジャーだな、劇団。
 演目だけではなにもわからない、大きすぎるタイトル。
 他の組、他の演目なら、これだけで十分なんだけど、現在の月組ではかなしいかな、主要キャストが発表にならないと「発表したうちに入らない」と思ってしまう。現在の組子だけでできるタイトルではない、と思ってしまうからさ。
 
 
 さてさて、件のおばさまは、キャストのことも語っていた。

「シシィ役は、花總さんが特別出演するのよ」

 …………そのときは、さえトートってだけでも愉快な想像なのに、そのうえお花様光臨ですか! と、笑い話としてNice!と思ったんだけど。

 さえトートが現実になったわけだしな。

 お花様シシィが現実だったらどうしよう(笑)。
 愉快なんで、わたしとしてはべつにかまわないんですが。

 
 それよりわたしは、『王家に捧ぐ歌』のウバルドが誰かの方がよっぽど心配です。
 ケロちゃんがいいよう。ケロで見たいよう。

     
 わたしの両足の親指は、巻き爪だ。

 いつのころからかは、わからない。
 生まれつきじゃないか? ってくらい、昔からそうだ。後天的なものらしいから、生まれつきではないのだろうけどさ。
 気がついたら、巻き爪だった。

 若いころは、「巻き爪」という言葉を知らなかった。
 足の親指が痛いけれど、爪が切りにくいけれど、わたしのカラダはこれがふつうなんだと思って、それ以上はなにも考えなかった。

 大人になってから、「外反母趾」という言葉を知り、ついでに「巻き爪」という言葉も知った。
 そうか、わたしって巻き爪だったんだ! 感心。道理で痛いわけだ。

 巻き爪っちゅーのは、爪が微妙に変形して、指の肉を噛む現象。爪は伸びるものだから、肉に突き刺さるわけだな。
 自分のカラダが、自分のカラダを傷つける。

 爪が刺さって痛いから、いつもわたしは、爪をこまめに短く切っていたさ。
 肉の中に巻き込んでいて、爪切りが入らないので、理容師用の先の尖ったハサミを肉と爪の間にねじ込んで、無理矢理切っていたさ。

 そうやってこのトシまで生きてきたけれど。

 今年ふと、思ったの。
 爪が伸びると、肉を噛んで痛い。
 でもその痛い部分を通り過ぎれば、どうなるんだろう。
 爪がもっともっと伸びたら、今まで肉に当たって痛かったところは通り過ぎちゃうんじゃあ?

 今は夏だし、わたしは会社勤めもしていない。一夏中、サンダルで過ごすことだってできる。
 靴を履く場合は、痛くて爪は伸ばせなかったけれど、サンダルなら問題ない。

 よーし、爪を伸ばしてみよう。
 巻き爪の人間が爪を伸ばしたらどーなるのかなっ。わくわく。

 
 そうやって、2ヶ月が経ちました。

 
 べつに毎日爪を観察していたわけではなかったので、ある日ふと、気づいたの。
 足の親指の爪は、順調に伸びていた。他の指の爪はまめに切っていたけど、親指だけはアンタッチャブル、そのまま伸ばし続けていた。
 その、伸びた親指の爪を見て。

 はじめて、「巻き爪」に危機感を持った。

 わたしはほんと、知らなかったんだ。
 巻き爪の人間が、爪を伸ばしたらどうなるか。

 爪が肉に当たって痛いわけだから、伸ばしたら痛いかなー、でもちょっと我慢すれば、痛い部分は通り過ぎるよね? 爪は伸びるもんなんだから。足の指よりも長い爪になれば、もう爪は肉を噛めないわ。
 と期待して、痛いときを待った。
 しかし、いつまでたっても痛くならなかった。
 爪はちゃんと伸びている。なのに、痛くない。

 そう。
 巻き爪は、伸びないんだ。

 巻き爪になっているのは、足の親指のカラダの内側部分だ。外側はふつう。
 右足で説明すると、右足の親指の爪は、左側が巻き爪で、右側がふつう。
 そしてこの爪は、2ヶ月でななめに伸びた。

 肉に食い込んでいる左側は伸びず、右側だけが伸びたんだ。

 1枚の爪なのに、左側の成長は止まっており、右側だけが伸び続けている。
 三角定規みたいな、斜めの線で爪が伸びてるわけ。

 伸ばした2ヶ月分、爪のカタチが変形している。

 
 ……さすがに、びびりました。
 やばいだろコレ、人として。

 
 とゆーことで、ただいま巻き爪矯正中。そろそろ1週間になるかな。
 ちょっぴり痛痒い。いつも足の爪を意識している感じ。

「あら、おNEWのサンダルね」
 わたしの足元に注目したWHITEちゃん、
「爪に糸くずがついてるわよ」
 と、指で取ってくれようとしたけれど。

 やめて。
 と、思わず悲鳴(笑)。

 ソレ、糸くずじゃなくて矯正用のクッションなの。引っ張られたらやばいからやめて〜〜。
 巻き爪について説明したけど、彼女は「アタシは爪はまめに切ってるからわからないわ」という、ピントのずれた返答をしたので、たぶん巻き爪という概念を知らないんだと思う。それは幸せなことだから、それでいいよ。
 わたしだって、自分がそうだと知らなかったくらいだし。
 

 さて、わたしは正しい爪をGETできるのか。
 健康いちばん、ふつうがいちばん。

       
 あれは、いくつのときだったろう。
 今はなき水都祭で、わたしと友人のぺーちゃんは、橋を渡った。

 水都祭。
 淀川河川敷で開催された、花火大会。豊里大橋付近が会場。
 規模はけっこー大きかった。
 ただ、交通の便がとても悪かったんだよなー。遠方の者は来るな、ご近所限定、てか。

 わたしはいつも、自転車に乗って行っていた。
 いつだったか、車で行ったらひどいめに遭ったからな(大きなイベントに車で行くのは無謀です。渋滞で動けないっつの)。

 水都祭があったころ、わたしとぺーちゃんはいつもいつも、ふたりで花火を見に行った。

 だだっぴろい河川敷で、屋台で買ったフランクフルトを囓りながら、ふたりで並んで花火を眺めた。
 花火は大きくて、豪華で、とても美しかった。

 花火が終わったあとの帰り道、豊里大橋の上でわたしたちはふと、思ったんだ。
「ねえ、わざわざ橋の向こうからこっちにやってくる人がこんなにいるってことは、向こう岸の方が眺めがいいってことなのかなあ?」
 花火が終わったあとに、橋を渡ってくる人ってのは、橋のこちら側に住んでいる人たちだよね。こちら側の岸でも花火はよく見えるし屋台もにぎやかだし、なんの問題もないのに、わざわざこの巨大な橋を徒歩で渡ってまで、向こう岸に行っていた、ということは。
「来年は、向こう岸まで行ってみる?」

 大きな大きな橋。
 徒歩で渡りたいとは、まず思わない橋。
 わたしたちの住む側の眺めで満足して、外側の世界になんかなんの興味もなかった、若かったころのわたしたち。

 そしてその翌年、わたしたちは、橋を渡った。

 自転車はこちら側のいつもの場所に停めて。徒歩で、橋を渡った。

 向こう岸だからって、べつになにも変わらないよねえ。
 人がいっぱいで、屋台がいっぱいで。橋を渡った分、疲れたなーって感じ?

 そう思っていたのは、実際に花火が上がったときに、吹き飛んだ。

 花火は、真上だった。

 頭の上に、花火があった。
 炎の花が、花びらが、きらめきながら降ってくる。
 視界のすべてが、花火だった。

 360度の丸いお椀のような宇宙全体に、花が咲いていた。

 わたしもぺーちゃんも、口を開けたまま、真上を見ていた。
 こんな大きな花火を見たことがない。
 花火って、こんなに大きかったんだ?
 近くで見ると、真上になるんだ?

 知らなかった。
 知らなかったよ。
 何年も何年も、自分の岸で満足していたよ。こんなに大きな花火を知らずにいたよ。
 そこに橋があることさえ、気づいてなかったんだ。

 
 あの花火が、忘れられない。
 わたしにとっての花火は、きっと一生あのときの花火なんだろう。

 降ってくる。
 手を伸ばすと、花びらをつかめそうだ。
 大きな花火、包み込むような光のシャワー。
 その下にいる、若かったわたしとぺーちゃん。

 あれから何年経ったかわからない。いつの間にか水都祭はなくなり、北大阪の花火と言えば、淀川花火大会のことになった。
 淀川花火大会もそりゃー華やかだ。豪華だ。
 今年もまた、わたしは母とふたり、ケンカしいしい出かけたさ(なんで母はああもわたしを怒らせるのがうまいんだろう)。
 毎年新作花火が披露され、その独創性や技術の高さに舌を巻く。毎年新作、って、すごいことだよねえ、花火のパターンなんてもう頭打ちかと思うのに、それでもなにかしら新しいものを創ってくるんだから。

 こんなにすばらしい花火大会なのに。
 180度の円形スクリーンを見ているかのよーに、天頂まで花火なのに。
 たぶん、技術的にも格段と進歩しているだろうに。

 わたしにとっての「花火」は、大昔にぺーちゃんと見た、あの花火なんだ。
 頭上全部を埋め尽くしていた、「わたしの上に降ってくる」花火なんだ。

 
 しかし今年から「有料席」ができたんだね、淀川花火大会。
 一部を有料にするのは構わないが、わざわざ高い幕を張って、無料空間の視界を妨げるのはどうよ。
 今まで無料だった場所で金を取るだけでは足りず、金を出さない人間のために遮蔽物をわざわざ造って、「ほら、そこだと見えないでしょ? 見たかったら金を出しなさい」とやるのは、ものすげーことだと思うよ。
 映画館で言うなら、通常料金席の前に手すりを造って、「手すりが邪魔で映画がよく見えないでしょ? 特別料金を払って、指定席に坐ればよく見えますよ」とやっているよーなもんだよねえ。
 いちばん見やすい場所を有料にするくらいは別に構わないよ。不景気だから、金がいるんだろうよ。そして、花火大会っちゅーのは、小細工しなくてもちゃんと有料席が売れるもんさ。人出がものすごいことぐらい、誰でも知ってるから、わずかな金で快適を買う人がいっぱいいるんだよ。
 なのにわざわざ、遮蔽物を金を出して造るなよ。

 わたしたち土手に坐って見たから、そんな幕なんか障害にならなかったけどさ。例年通り河川敷で見た人たちは、水上花火が見えなかったんじゃないかな。

 
 小雨がぱらついていたし、風もあったのでとても涼しい花火大会だった。
 あれくらいの雨、わたしにはまったく問題なかったので、いいんだけど。
 残念だったのは、観覧席が風下だったこと。

 こればっかは、運だよねえ。

 花火は、風上で見たいよ。
 風下だと煙が邪魔で花火が見えにくいんだもの。

 来年はわたしたちの後ろから風が吹きますように。

 
「んで来年は、アイゼン履けばいいんじゃないかな」
「そうか、アイゼンか!!」

 土手はかなり急な斜面。見晴らしは最高だったのだが、そこに坐っているのはけっこー大変だった(笑)。
 足場があればいいな、ということで、来年は杭と金槌でも持っていくか、とか話してたんだけど。
 それよりもっといいものがあるじゃん。
 アイゼン−−登山用品の、鉄かんじき。
 氷雪上を歩行するための器具。

「わたしは6つ爪のアイゼンを履くから、アンタには4つ爪のを貸してあげるわ」
 と、母は鼻高々。

 ふつーの家庭には、アイゼンってふつーにあるもんなんすかね?
 我が家では、冬場はあったりまえに茶の間にぶらさがってたりしますが(母が雪山登山したあと、洗って干しているから)。

 来年は、アイゼン履いて花火大会。

     
 オークションやら掲示板に、『花供養』が花盛りの今日この頃。
 もちろんわたしは観に行きますよ、『花供養』。
 『花供養』のために2回も上京する予定だと言ったら、友人のチェリさんに「ほんとうにハマコさんファンなんですね!!」と感心されちゃいました。てへ。

 …………って、チガウ。
 わたしは、トド様ファンだってばーっ。

 デイジーちゃん、はじめて会う人に「ハマコさんとまちかめぐるさんのファンの緑野さん」って紹介するのやめてよーっ。
 好きとファンは別なのよ。わたしは気が多いから好きな人はいっぱいいるけど、ファンだと明言するのは数人だけだもん。数人、てあたりからすでに、気が多いってことなんだけど。

 まあとにかく、トド様のことはずっと好きです。
 ずっと好きだから、べつにもうTCAで主役みたいなカオしてくれなくても、大劇主演してくれなくても、かまわないんだけどな。ただの脇役になって、本専科さんみたいなお仕事に専念してくれても、ぜんぜんかまわないんだけどな。
 それでもずっと、好きでいるから。出る舞台は全部観に行くから。
 求道者のような生き方ごと、見守っていくから。

 とゆーことで。
 今回もばたばたと行ってきました、トド様の個展。

 ちと毎日忙しすぎて、時間が取れなくてねー。先年みたいにじっくり眺めることはできず、駆け足で見て回っただけなんだけど。

 さらにこなれてきた印象。
 数は少なくなっていたし、小品ばっかだったけど。
 手慣れてきた感じがした。技巧的にアップしたかどうかはわからないけど、第1回のときに感じたひっかかりのようなものがなくなっていた。技巧云々よりも、「表現する」ということに慣れたんだな、という気がした。

 真面目で細かくて、美しい絵。
 壮大なものより、せせこましい構図を好む。なにもないよーなシンプルな絵は苦手なのか、あるいは興味がないんだろう。
 自然と建造物のみ。人物画は存在しないし、風景画でも人物は排除されている。
 明確なテーマなどは感じられず、てきとーに好きなモノを好きに描いたような印象。個展タイトルである『心の旅』そのままなんだろう。

 美しいけれど、わたしの好きなタイプの絵ではない。
 わたしはもっと饒舌な絵が好き。
 表現したいこと、叫びたいことが画板からほとばしっているような絵が好き。トド様の絵は端正すぎる。お行儀が良すぎる。この絵は、「描かなければ死んでしまう」てな叫びをこめて描かれたモノじゃない。
 ……ま、当然だけど。

 トド様の描いた絵だからこそ、興味を持てる。
 好きな人の描いた絵だからこそ。

 美しい人が美しい絵を描く、なんて、素敵な設定じゃないか。外見に似合った趣味に乾杯。

 そう。
 わたしがトド様の個展でいちばん微笑ましくもとほほな笑いを浮かべてしまうのは、犬の絵だ。

 第1回のときもあっんだよね。トド様作の犬の絵。アムールちゃん、つーんですか、トド様写真集にも出てた犬?
 トド様がその犬のことを大好きなのも、かわいがっているのもわかるんだけど。
 他と比べて、下手だし。
 トド様、風景画ばっか描くのは、生き物描くの苦手だからなんだね……としみじみしてしまう、「死んだよーな目をした犬の絵」。「不自然な媚びをまとった剥製のような絵」……。
 犬の絵だけ、なにだかキモチわるいっす。「生きてない、この犬、絶対生きてないよっ」てな居心地の悪さを感じるの。なのに、その犬は妙に媚びた「かわいいでしょ、このポーズ」みたいな姿をしている。

 端正な風景画の中に、このとほほな犬の絵を混ぜてあるところが、もう。
 トド様、バカだなー。かわいいなー。
 と、思う(笑)。

 モデルの犬への愛情ゆえ、その絵がイケてないことに、気づかないんだね。その犬を好きでもなんでもない、知らない人間が見たら、気味の悪いほどの媚びが発せられていることにも、気づかないんだね。
 この不自然な「媚び」を絵にしてしまうほど、トド様の目にアムールちゃんはかわいいく映ってるんだろうな。

 不細工なはな垂れガキの写真を持ち歩いて、「かわいいだろ、オレの息子!!」と誰彼構わず自慢して歩くバカ親父のよーな、とほほな微笑ましさを感じます。普段が頑固でストイックな「日本のお父さん」であるだけに、息子の話だけに相好を崩す感じが、さらに……。
 かわいいなー、トド様(笑)。でもちょっと恥ずかしいなー(笑)。

 またしても発売日をすっかり忘れていたので(ファンの発言か)、トークショーには行けませんでした。第1回のときは、掲示板でGETできたんだが、今回はそれもなかった。オークションは倍額以上になったので手が出ず(トド様ファンは金持ちが多いから、太刀打ちできん)。
 トド様はお喋りがうまいわけでもないし、エンタティナーでもないので、トークショーに参加する意義は「その美しいお顔を間近で見る」だけだしなー。東京会場のカス席が売れないのは絶対そのせいだしなー(笑)。トド様を遠くで見ても意味ないもんなー。
 大阪のトークショーには行きかったのことよ。生トド様を見たかったわん。

       
 日記の背景色を変えました。
 ふと、オムライスが食べたくなって。
 オムライスへの熱い思いを、表現してみました。

          ☆

 さあて、本日は大忙し。
 朝から月組東宝の並び行って(ああ、またも1番乗りはダフ屋かい)、チケット買ったあと速攻帰宅し、並びグッズ(折りたたみ椅子とかな)を家に放り込み着替えてダッシュ、11時から梅田でプチ同窓会!!
 わーん、会うの何年ぶり? みんな変わってないねー。名字も変わってないねー(笑)。ホテルのランチ・バイキングで死ぬほど喰らう。甘いモノ苦手なのに何故、デザートも全種類制覇しようと果敢な努力をしてしまうのでしょうか(答え・食い意地が張っているから)……甘くて死ぬ……口と胃が気持ち悪い……。
 某紅茶店に移動して、うまい茶をすすりながら(なんでみんな、あれだけ食べたあとでまた甘いモノを食べられるの……? わしゃ無理じゃー)、喉が嗄れるまで喋り倒す。
 解散後は電車に飛び乗り、一路ムラへ。
 花の道のベンチでかねすきさんたちと喋り倒したのち、さあいよいよお楽しみのかしちゃんお茶会だーっ!!

 
 かしげちゃんは、レア感のないジェンヌさんでした。
 つーのもだ、客席遭遇率が高くてな。わたしのよーに平日の昼間にひょこひょこ観劇していると、生徒さんに遭遇しやすい。そしてかしちゃんはマメにいろいろ観に来る人なので、出現率が高い。
 自分の席に行くため歩いていたら、横からかっしーが現れて、ふたりで並んで席まで歩くことになったりとか、したなあ。あれはびっくりした。つか、横を歩いている人がかっしーだと気づくまでにタイムラグがあった(ジェンヌがひとりでふつーに並んで歩いてるなんて、誰が思うよ! 気づいたあとは心臓ばくばくだった・笑)。

 入り出待ちをしない人間なんで、客席で会う以外、生ジェンヌを見ることはないんだが、平日観劇ライフを送っていたら遭遇率は高いよほんと。

 とまあ、かっしーのことはそうやって昔から客席でしょっちゅー見かけていました。

 ので、今回はじめてお茶会に参加し、生かっしーを目の前で見て(登場時に全テーブルを回ってくれる)驚愕したこと。

 細っっ!!

 ジェンヌさんはみんな細いです。舞台で太めに見える人も、実際はめちゃ細い。別の星から来たよーなスタイルの人たちだってことはわかってる、知ってる。
 かっしーが細いことだって知っていた。

 しかし、この細さはやばいだろ。

 …………かっしー、ほんまに今、過酷な生活してんやなあ。ここまで痩せるか……すげーよ。
 激痩せしていても、かっしーは美人さんでした。ほんとに美しい人でした。
 が。
 今のかっしーは、本来の美貌の何割かは削がれています。痩せすぎ。ほんとうはもっともっと美しい。知ってる。
 なんかいろんな意味で痛々しくて、胸がきゅんきゅんしますわ……。今わたし、生涯で最高潮にかっしーを愛しているかもしれない……(最高潮って、あとは落ちるだけなんかい。と、セルフツッコミ)。

 さて、お茶会のかしちゃんを眺めていて思ったことは、画面と音声が合っていない、ということでした。

 わたしの目は、壇上にいる美しい女性を見ている。
 だがわたしの耳に届く音声は、ちと舌足らずなかわいいアニメ声。

 えーと、あの美しい大人の女性が、この子どものよーな喋り方をしている……ん、だよ、な?
 吹き替えじゃないよな。これたしかに、かしちゃんの声だよな。テレビでインタビューに答えていたりする、あの声だよな。

 ショー『タカラヅカ絢爛』でわたしが嫌いなあのスポーツクラブのシーンの、妖精フェロ@かしちゃん。
 あのキャラって、作ってるわけじゃなかったんだ……。てゆーか、地??

 あー、えーと、シーンが嫌いなだけで、フェロが嫌いなわけじゃないよ。妖精たちはかわいいけど、シーンが嫌いなの。タカラヅカで2公演も続けて上演する意義があるシーンだとは思ってない。

 お茶会の内容についてはこんなとこで書くもんでもないと思っているので、いつも通りに書かないっす。だから感想のみに終始するのさ。
 かしちゃんのことは「天然さんだろーなー」となんとなーく思っていたけど、確信。ほんまに天然や。いろんな意味で。

 でも、歌うときだけは急に男前になる(笑)。鎌足の銀橋の歌〜〜。
 さすがだー。かっこいー。

 ああそれにしても、今まで参加したことのあるお茶会の中で、いちばんここに書けない感想がいっぱいあるお茶会でしたよ(笑)。天然に見えていて、あれが全部計算された演技だったりしたら、すごいのになー、とか、思ってしまうし。謎が深まるかっしー。ミステリアス(笑)。

 そして思うのだ。
 これからも、かっしーを応援していこうと。
 お茶会に行くと、その生徒さんをさらに好きになるもんだ。
 謎の多いところごと、夢をふくらませて応援していくわん。

 ……にしてもかっしー、マジに美人さんだー。ここまできれいでなくてもいいだろうに、ってくらい、きれい。溜息。

        
 見るつもりはないのに、どーしても目についてしまう人、というのがいる。
 雪組ではまちかめぐる、月組ではマチオだった。
 だのに何故かしら、もうマチオさんはあまり目に入らないの。彼よりも、目に入る人がいるから。
 
 紫水梗華ちゃん。

 とにかくもー、どこにいても目に入ってくる。気がつくと見ている。

 わたしと紫水梗華ちゃんの出会いは日が浅い。出会いったって、客席にいるわたしにとっての、出会い、にすぎないけどな。

 彼女をはじめて意識したのがリカコンのときだ。

 もちろん、それまでにも存在は知っていたさ。『シニョール・ドンファン』はけっこうな回数観ていたし。
 知っていることと、認識することは別だ。

 リカコンのときにわたしは、改めて紫水梗華っちゅー人に出会った。

 ……だって、こわかったんだもん。

 リカコンのとき、わたしは貧血を起こしていた。へたばっていて、とても立てる状態じゃなかった。
 オペラグラスも持てない、拍手もできない。背もたれにそっくり返るよーに坐り込んで、呼吸するのに必死。

 そんなときに、客席降りがあった。
 通路をたたたーっと軽やかに駆けてくるジェンヌさんたち。
 会場はノリノリ、みなさん総立ち!!

 の、なか。
 たったひとり、坐り込んでいるわたし。

 よりによって通路際。客席降りがあると聞いて、わざわざ押さえた席。
 ええ。
 通路を走ってきた娘役さんに、睨まれました。

 ここここわーっ。
 わたしは、震え上がりました。
 い、今の娘役さん、あの子だよね、『ドンファン』のマリー役の!
 睨まれちゃった、睨まれちゃったよーっっ。
 わーん!!

 …………もちろん、わたしのカンチガイ、思い違い、ということも十分あります。
 みんなが総立ちで盛り上がっているなか、ひとりだけ立つことができない後ろめたさゆえに、勝手にそう思ってしまったのかもしれません。
 また、彼女の目つきがもともと鋭いとかで、ただ視線を合わせただけでそんなふうに見えてしまうのかも、しれません。

 なんにせよわたしは、びびりまくりました。
 こわいよこわいよ、あの子こわいよーっ。

 強烈な刷り込み。
 ああ、忘れられないアナタ(笑)。

 以来、どこにいても彼女を見てしまいます。また、一度おぼえてしまうと、どこにいても目立つ顔であり、人なんだわ。

 …………かっこいいよ、ね。紫水梗華ちゃん。ポッ。

 顔だけ見ると男役だもんねえ。カラダもごつい系だしねえ。ダンスしゃきしゃきだしねえ。いやあ、かっこいー立ち役娘だわー。
 とくに『タカラヅカ絢爛?』ときたら、見せ場もあるしさー。あの豊かな表情がかわいいのよーっ。刺さりそうな顎と、悪役顔!! いよっ、男前!!(娘役です)

 いつもの下手端最前列に坐っていたので、下級生はいつもすぐ目の前。わたしは紫水梗華ちゃんをいっぱいいっぱい目で追っていたのだけど、彼女は一度も目線をくれませんでした。くすん。
 ひろみちゃんにスエニョパティしてもらえたからいいもん。ありがとひろみちゃん!!

 
 あと、赤いタイツの越リュウ様が真横で、鼻血吹くかと思いました。
 太股。
 リュウタロー様の、太股っっ!! ハァハァ。

 なんか、越リュウの赤いタイツ姿って、他の誰よりも見てはいけないものを見てしまった……って気になるよねえ。

 
 ゆうひくんは今日も微妙に胸にあて布してました。
 なんであて布復活しちゃったんだろ。
 いつだったか2階席で観たとき、ゆーひくんの大胆すぎる胸元に目が釘付けでした。
 てゆーかその、見えてたんですけど。

 ちくしょお、さすがだおおぞらゆーひ、サービスいいぢゃねえかっ!!

 と、感激しまくったんですが。
 ここ2回ほどわたしが観たときは、あて布でガードしちゃってるのよー。やーん。見せてくれてもぜんぜんよかったのにー(笑)。

 
 見せっぷりといえば、のぞみちゃん。
 本日もまた、盛大にパンツ見せまくりでした……。

 先日、もち吉に激辛せんべい買いに行く際、楽屋口の前を通ったら、ちょーどのぞみちゃんが出てくるところでした。
 わたしはすっげーナチュラルに、
「あっ、パンツ娘だ!!」
 と、心の中で思ってしまいました。
 ……素顔ののぞみちゃんに会えて、ラッキーです。うふ。

         
 さて、新公の日は、本公演も観てました。『飛鳥夕映え』、ゆうひ鎌足を近くで観るためだけに取った、いつもの1列目下手端。
 鎌足は銀橋渡りあるしぃ、キメ台詞を言うのは下手花道でだしぃ。たのしみよねえ。

「だってだって、かしげ麻呂が下手からせり上がってくるんだもん!! うっきゃ〜〜、どきどきぃ」

 アレ?
 客席で再会したデイジーちゃん相手にわたしの口は、勝手にチガウことをわめいてました。

「かしげ?」
 デイジーちゃんも、とーっても訝しげにわたしを見ます。

 いや、その、このチケットを買ったときはゆうひくん目当てだったけど、いざフタを開けてみたら、かしちゃんの方が好みで……もにょもにょ。

 そして芝居が終わった幕間に。
 デイジーちゃんは断言してくれましたさ。

「かしげ麻呂、いかにも緑野さんが好きそうなキャラでしたね」

 わーん、いかにも、とか言うしぃ。どーせヘタレ好きだよぅ。

 デイジーちゃんは別のお友だちと一緒だったんだけど、そのままわたしとふたりでえんえん盛り上がる。

 『飛鳥夕映え』花組キャスティングで。

 鞍作@おさ、鎌足@あさこ。
 うっきゃ〜〜、ソレ萌え〜〜、萌え狂う〜〜。
 鎌足主役で、鞍作があさちゃんでもいいよな。
 イイです、あたし、通います〜〜。
 軽皇子@ゆみこ、石川麻呂@とむ。
 ハマってますねっ! でも逆もいいかも。
 ゆみこちゃんの泣きの演技は絶品だからねえ。麻呂を見たいかも。

 …………すみません、幕間の客席で妄想配役、とってもイタイ言動ですね。いちお、ひそひそ話ではあったんですが。
 ふたりして寿美礼ちゃんファンなもんでな……つい……。

 しかしゆーひくんの鎌足、どうしてあんな風なんだろね? 小さくまとまっちゃってさ。
 てっきりプルミタス風でくると思ってたんだけど。つか、プルミタスと鎌足のちがいってなに? どっちも逆恨みラヴでしょ? 愛の裏返しで復讐してやる!でしょ?

「プルミタスのときは、相手がケロさんだから、あそこまで愛憎が深く表現されちゃっただけじゃないですか」

 デイジーちゃんは素で大変愉快なことを言う(笑)。
 ううむ、いい考察だねえ、相手がケロだから、か。愛しすぎて憎しみとの区別がなくなってしまった相手を、追いつめていく役。あのときのゆーひくんの暗い情熱、ほとばしる色気、それはすべて、ケロちゃんゆえ、ですかー(笑)。
 機嫌が悪いとショーでもにこりともしない大人げないキャラだから、相手役次第、というのもありえる気がして、微笑ましいですわん。

 
 今回、あさちゃん軽皇子を眺めながら、「軽皇子の愛はどこにあるんだろう」としみじみ考えてしまったよ。

 脚本だけで考えれば、軽皇子もまた、鞍作ラヴだよね。
 この男は好きな相手を褒め称えるのが得意で、見ていて恥ずかしいくらい、隙あれば鞍作を褒めている。
 わたしの目には鞍作がすばらしい人物にはどうあがいても見えないんで、「軽皇子……あんたソレ、ただのあばたもえくぼだから」と、彼がのろけるたびにツッコミを入れてしまうんだけど。
 鞍作を愛しているなら愛しているでかまわないから、もっと行動に移せよ〜〜、はがゆい男だなー。
 なんせ軽は、自己完結している。

「鞍作に相応しいのは、鎌足だ」と。

 そしてなにかと、鞍作と鎌足をくっつけよーとする。
 なんではじめからあきらめて、恋の橋渡しをしますか。鞍作をしあわせにできるのは、君かもしれないだろー?
 恋愛マンガに出てくる都合のいい好青年みたいな役回り。

 わたしとしては、鞍作があまりに魅力に欠けるので、軽様には是非、鎌足ラヴでがんばって欲しいです!!

 軽は鞍作のことを褒めまくるけど、鎌足のことも変に持ち上げるんだよね。
 鞍作と鎌足が両想いになれるよう、身分の垣根を越えられるよう、見守っている。
 そんじゃ軽様、鞍作を好きだと自分でも思ってたけど、じつは鎌足ラヴだった、ってことで、大丈夫だね! 問題ないね?!
 どっちにしろ、「私が彼に愛されるはずがない」って不戦敗の男だから。片恋の相手を、恋敵とハッピーエンドにするために骨を折るよーな負け犬体質の王子様だから。
 軽が愛していたのはじつは鎌足だった説、OKよね。

 そうすれば、軽様と鎌足のくだりが納得いくのよ。

 それまで軽のことなんか歯牙にもかけなかった(なにしろ鞍作しか見ていないからな)鎌足が、突然軽皇子に近づいてきた。
 しかも、「次の帝に」とか、嘘丸出しの持ち上げ方をする。
 軽様、どっきん。いくらなんでも手のひら返しすぎだよ、鎌足。こんなに脈絡もなく軽様口説いたって、真意が他にあるの見え見えじゃん。
 それでも軽様は、鎌足に従う。策略の存在に気づきながらも、伊勢へ行くことを承諾する。
 ほんとーに鞍作を愛し、その身を案じているなら、ここで鎌足の言いなりにはならないよねえ。軽様の方が身分が上なんだから、命令されるいわれはないっつの。

 はじめて、鎌足から自分に近づいてきた。
 そして彼は、鞍作を滅ぼそうとしている。

 軽様は、騙されたふりをして、鎌足に従った。

 そのことで鞍作は殺され、鎌足は愛する者をその手で葬るというとんでもない過ちを犯した。

 たぶん、鎌足はこのあと己れの過ちに苦しむことになるだろう。愛が行きすぎて、相手を滅ぼしてしまったんだから。
 その鎌足を手に入れるのが、軽皇子だ。

 ……ほーら、うまく収まった。
 軽皇子が鎌足のあの底の浅い言葉に騙されたとは、到底思えないからさー。石川麻呂や皇極帝みたいに、不利益があったわけじゃないのに、鎌足に従うなんておかしいもの。
 やはり軽皇子は、結果を知っていて荷担したのでしょう。
 憎い恋敵を死なせ、恋する相手を手に入れるために。……たとえ、無意識にだとしても。

 軽皇子、奥さんを愛しているようにも見えなかったしなー。本命は別にあるから仕方ないわなー。

 ほーら、これならセナゾラだしなっ。軽×鎌足。軽皇子はあくまでも白い王子様。でも、白いだけに卑劣かも、みたいな、人間の暗部を持っていて欲しいです(笑)。

        
 月組新公『飛鳥夕映え』感想のつづきっす。

 わたし的注目配役は、山背大兄皇子@龍真咲くんでした。
 なにしろ本役さんが濃いので(笑)、どーするんだろーなー、まさかあのままじゃないだろーなー、とは思ってたんだけど、薄目に落ち着いていてほっとするやら、ちと物足りないやら(笑)。
 でもふつーにうまいよね。青さがいい感じ。
 ……わたしの目には、お化粧がいまいちに見えたんだけど、どうなんだろ。もっときれいだよね、真咲くん。

 鎌足@もりえちゃん、石川麻呂@めおちゃんには結構不満……つか、これが新公らしさってもんなのかしら。

 軽皇子@ひろみちゃんの役作りが、すっげーかっとばしていたと思うんだけど、アレはどうなの??
 スローテンポな棒読み喋り、どことなく泳いだよーな目線。
 『ベルばら』のルイ16世を彷彿とさせる皇子様でした。
 政治とも皇位継承ともあえて距離を取って生きる、浮世離れした皇子様でした。
 役としてアリな姿だとは思うけど、この役作りだと少なくとも「2番手(3番手)の役」ではないよなあ。なんせルイ16世だからなぁ。アントワネットがフェルゼンと浮気してるのを知ってて笑顔でスルーする人、なるほど軽皇子も小足媛が石川麻呂と浮気してても笑顔でスルーですか、共通項ですか。

 皇極帝@たまこちゃんが、ゆら姐さんのコピーまんまな演技に台詞回しだったので、軽皇子と並べて考えると「この姉に、この弟か……遺伝子ってやつはよぅ」って感じでした。

 今回の新公で発見だったのは、小足媛@青葉みちるちゃん。
 うーまーいー。
 落ち着いた美しさに、情感のある演技。今すぐ本公と替わってくれてもいい……わたし的に……美しい人と恋に落ちる石川麻呂が見たい……。

 丸い牛さんはどんどん出世していくし、長い牛さんも今回役が付いて、こんなに演技して喋ってるのはじめて見たし。
 顔が好みの麻月れんかちゃんは、せっかくの新公で名前のある役だったのに、おヒゲが半分風にそよいでいて、手に汗握らせてくれたし。

 そして、月組公演を観ていると雪組のまちかめぐる氏なみに目について仕方ないふたり、紫水梗華ちゃんと美夢ひまりちゃんにどーしても目がいってしまう。
 紫水梗華ちゃん、新公、半分男役なんやね……そうだよね、君、顔だけ見てたら男役だもんね。身長さえあれば、いい男になったろうに、惜しいなあ。
 生駒役は正直、すげーこわかった……最後の邪悪な笑いが……こここわー。
 ひまりちゃんは、いきなりセンターで歌い出したから、ものすげーびっくりしたよ……役ついてないと思ったら、ちゃんと見せ場もらってんだ……本公演でもいつもいい位置にいるもんねえ。

 主演のほっくんとヒロインのあいちゃんを除けば、「新公らしい新公」ってやつだった。

 だからこそ、カーテンコールにうんざり。

 どうしてヅカファンってこう、対抗意識燃やすんだろうねえ。
 雪組新公で数年ぶりにカーテンコールが起こってから(きりやんの『ノバボサ』以来?)、どの組の新公も、「カーテンコールやらなきゃ! 負けてしまう!!」てなもんで、カーテンコールがお約束になってしまった。
 きっとこれから半永久的にカーテンコールがあるんだろうな……。

        
 最近日記を書きすぎていて(笑)、日付ズレちゃってるけど、新人公演『飛鳥夕映え』観てきましたー。

 ツッコミどころの多い『飛鳥夕映え』の中で、わたしがいちばん盛大にツッコミたかったというか、椅子から落ちそうになった箇所がある。

 ラヴラヴの恋人・瑪瑙がいるにも関わらず、なーんの罪の意識も葛藤もなく、年増の皇極帝と二股情事にふける鞍作。
 なんでそんなおっかなそーな年増と? 悪食にもほどがあるだろう??
 政治のために皇極帝を利用している、という風もない。つーか、なにも考えていないように見える。誘われたら誰とでも寝るのかな。やれやれ。
 作品を通していちばん色っぽいシーンが、年増との浮気シーン、って、どういうことなのよ、タカラヅカ。と、疑問ばかりが浮かんで途方に暮れるこのシーン。
 
 ここまでは、いいんだ。まだ。
 わたしならこんな変な演出はしないけど、まあ、駄作に多くは求めないさ。

 問題は、このあと。
 おばさんとエッチしたあとの、帰り道の鞍作。

 彼は突然、歌い出します。

「ひたむきに生きて〜〜♪」

 ひたむき?!

 おばさんだの芸人だの、誘ってくる女たちと節操なくヤりまくったそのアシで、言いますか、ソレを。

アンタのひたむきなところって、下半身のこと?

ひた‐むき 【▽直向き】
[形動][ナリ]一つの物事だけに心を向けているさま。忍耐強く、いちずに打ち込むさま。「―な努力」「―な情熱」

 誰とでも寝るのが、ひたむきな生き方か……たしかにそりゃ、ある意味ひたむきだな……。
 すばらしい生き方だ……人間というより、動物だと思うけどな……。

 
 とまあ、この展開には両足を上げて椅子から落ちそうになりましたのよ。まさしくギャフンなキモチ。参りました、お手上げです、っていうか。

 二股男がヒロイン以外の女とヤったあとで、歌っていい歌詞じゃないわな……。

「ひたむきに浮気してきました! とっても真面目にしてきました! 夢を求めて生きるボクは、下半身にひたむきです!」
 と歌われてもな……。

 もちろん、作者の意図が「下半身」にないことはわかっているよ。鞍作の独白とも言える歌でしょ。英雄の英雄ゆえの苦悩なんかを歌わせたかったわけでしょ。
 でもそれならさ、どーしてここで歌わせるの?
 おばさんとエッチしたあとで、なんでこの歌なわけ?
 鎌足との溝云々のところとか、政治家は大変だニャ的なところだとか、他にいくらでも歌うべきところはあったのに。
 浮気のあとのしどけない姿で歌うのは、変だよ。鞍作の仕事は女と寝ることか? 彼がホストなら、客と寝たあとで独白の歌を歌ってもいいよ。ああ、仕事に打ち込んでいるけど、大変なのよね、でも夢のためには耐えなきゃね、とか思えるけど。
 鞍作、ホストじゃないし。たぶん。←弱気発言

 
 本公演で、いつ観ても「てめーのひたむきはソレかいっ」と盛大に突っ込んでしまう、このシーンで。

 新公では、ツッコミは感じませんでした。

 
 というのもだ。
 新公ではじめてわかったの。

 そっかぁ、鞍作ってこーゆー人だったんだ……。

 ほっくん演じる鞍作には、説得力がありました。

 少年時代はやんちゃというか、腕白で利発。早熟っていうか、大人相手でもませた口を利いて議論しそうな感じ。さかしくて、ちとムカつきそう(笑)。
 その後青年期に入り、若く優秀な政治家となる。

 …………政治家に見えたの。ホストじゃなくて。

 なんだ、政治のこと考えてんじゃん。下半身より頭脳の方がひたむきそうだわ。

 何故だ。同じ脚本なのに。台詞に過不足はないのに。
 同じコトをやっていて、ひとりは下半身にひたむき、ひとりは夢にひたむきに見えるのは何故?

 皇極帝と寝たあとに、「ひたむきに生きて〜〜♪」と歌われても、なんとも思わなかった。

 皇極帝との情事は彼の人生の小さな出来事に過ぎず、観客であるわたしは「蘇我鞍作」という人物の全体を観ているので、んな小さな出来事のあとに、大筋である彼の独白がきても、ぜんぜん変だと思わなかったんだ。

 そ、そうか……あのタイミングであの歌を歌っても、「ひたむき」と「直前までの情事」はイコールにならないんだ……。

 鞍作はちゃんと優秀な、若きリーダーに見えた。
 その堂々とした立ち居振る舞い、落ち着いた言動、なによりも説得力となる豊かな歌声。

 歌のポイントは、ほんとに大きい。
 この芝居、ここぞってとこで歌が入る。
 この歌を歌いこなせるかどうかで、盛り上がりがぜんぜんチガウ。

 すげえや、駄作なのに、ちゃんと盛り上げてるよ。
 力尽くで辻褄を合わせてるよ。

 主役としての仕事を、きちんとこなしているよ。

 ちょっとわたし、口が開いたままでした。

 うまいことは知っていたけどね、ほっくん。ほんまにうまかったんやな。
 今までは、本役がリカちゃんで、ほっくんとは致命的に合わない役ばかり新公で演じることになっていたから、どんなに技術的にうまくても観ていてつらいものがあったんだが。
 こーゆー骨太な英雄キャラは、ハマるんだ……。

 ほんと、すばらしかったです、ほっくん。
 
 彼に足りないものは、美貌と華だけです。

 …………うまいんやけどな。
 こんなにこんなに、うまいんやけどな。
 でも、ごめん、ほっくん。
 君やっぱり、真ん中に立つにはビジュアルつらすぎるよ…………。

 
「芝居の最後でさ、瑪瑙が鞍作のこと、『青年』って言うでしょ。アレ聞いてはっとしたよ。そうか、青年なんだ、って。おじさんにしか見えなかったからさー

 帰りの電車で、WHITEちゃんは言う。

「熟年夫婦の物語だと思って観てたから、ラストで正気に返ったよ」

 熟年夫婦……。鞍作と瑪瑙がですか……。
 肯定はしても、否定はできないわたし。

 そんな新人公演。

    
 ようやく行ってきました、星組バウホール公演『花のいそぎ』。作・演出・大野拓史、主演・真飛聖。

 めずらしく友会でそこそこ良席が手に入っていたので、一般チケ取りには一切参加せず、初日や楽にも興味なく、マイペースにたのしみにしておりました。

 物語はあの小野篁を主人公とする、学園ラブコメ、超能力ネタ入り。
 時代設定を平安時代にしてあるだけで、内容的にはラノベまんま。てゆーかコレ、ラノベだよね?(笑) コバルト文庫とかで出てそうな感じなんですが(笑)。

 影に生きる超能力一族に生まれた篁@まとぶんの夢は、遣唐使。「危険物注意」のレッテルを貼られている超能力一族だからね、しがらみのないところへ行きたいと思うのは当然さ。
 留学へのステップとして大学寮文章院の学生になった篁くんは、藤原常嗣@れおん他の学友たちと親交を深め、また時の権力者・藤原冬嗣@ヒロさんの腹心・清原夏野@萬ケイ様の娘、三の君@コトコトとも出会うわけだ。
 三の君と恋に落ちた篁くんだが、時代がソレを許さない。三の君は藤原家へ嫁ぐことが決まっている。若いふたりは仲間たちの声援を背に、手に手を取ってかけおちするが……。

 
 おもしろかった。

 マジ佳作です。
 時代背景を上手に使い、せつない恋愛物語を盛り上げ、かつ現代感覚で学園モノにしてある。
 異世界を舞台に日常ドラマやるのって、実はけっこー難しいんだよね。舞台説明が大変だし、異世界が舞台だと日常ドラマをニーズとして認めない人たちが多いし。
 いいじゃん、異世界ファンタジーで日常ドラマやっても。ふつーの学園モノやってもいいじゃん。
 
 昔、どっかのタレントのエッセイ本で、「SFなんてなくていい」という趣旨の本を読んだことがある。
 「『E.T.』は『子鹿物語』と同じ。わざわざ宇宙人にする必要ナシ。だからSFなんかいらない」とか、そういう論理で構成された本。
 現代を舞台として表現できることを、わざわざ異世界を舞台にして表現するのは無意味だ、ってことだな。

 何故、現代でもいい話を、わざわざ苦労して異世界にするか。

 その方が、テーマを明確に表現できるからだ。

 たとえば「障害を乗り越えて、貫く愛」を表現するのに、現代が舞台だとものすごーく大変なことになる。
 自由恋愛が認められており、物質的にも豊かな現代日本で、「障害」を作るのは困難だからだ。
 それこそ不倫だとか国籍がチガウとか親友・肉親の恋人だったとか、なにかしら理由をつけて、「障害」をでっちあげるわけだが、なにしろ自由な現代だから、そんな障害、本人たちの意志ひとつでどうにでもなることなんだよね。
 ソレをどうにもならないことなんだと、視聴者に納得させるために、いろいろ事件を起こしたり、仕掛けをしなければならない。

 だけど異世界モノなら、そんなややこしいことに時間を費やさず、ただテーマをストレートに表現できる。
 「身分制度」があり、「自由恋愛」が禁止されている世界だった、ということにしてしまえばいいわけだから。「障害」を簡単に作れるから、それを「乗り越え、貫く愛」を描くことに力を入れやすい。

 異世界を描くのは難しい。なにしろ現代とチガウから、チガウことをしっかりと設定し、わかりやすく解説しなければならない。
 と、解説部分では難しいが、テーマ表現という部分では、オイシイわけだ。
 テーマを表現するにふさわしい異世界を舞台にすれば、明確に表現できるからね。

 子鹿でも済むところを、わざわざエイリアンにしなければならなかったのは、テーマをわかりやすく差し出すためなんだよ。
 

 つーことで、わざわざ小野篁でこのふつーの学園超能力ラブストーリーをやった、作者を評価する。
 小野篁である必要はない気が多分にするが(笑)、まあそれはいいだろう。

 おもしろいから、無問題。

 ……にしてもわたしの辞書ソフト、「おののたかむら」だと変換してくんないのだわ。「中臣鎌足」や「蘇我入鹿」では一発変換してくれるのに。「あべのせいめい」もダメだから、陰陽師関係はフォローしてないってことかしらね。

 
 学園モノ云々もよかったけど、せつないラブストーリーで最後をまとめたことがポイント高いなー。

 展開がいちいちスノッブで、ありがち+お約束の嵐、先が読めまくるんだけど、それがまたいい。「お約束」であるということは、「ニーズが高い」ということだから。
 予想通りのキャラの言動と、予想通りのストーリー展開、予想通りのラスト。
 この、期待を裏切らないところがいい。
 それこそコバルト文庫を読んでいるよーな感じで。

 
 いい話だったよ。たのしかったよ。わくわくしたよ。泣けたよ。

 でもさ。
 ……でも。

 萌えない……。

 かねすきさん、わたしまったく萌えなかったわ。
 かわいいお話も、ありがち話も大好きなんだけど。

 かねすきさんが言うように、あまりにも、色気がなくて。

 なんでここまで、色気がないんだろう、この作品……。
 ラブストーリーなのに……泣かせるのに……。

 やはり、出演者の問題かな。

 作品の色気を削いでいるいちばんの原因は、藤原常嗣@れおんくんだと思うんですけど。

 常嗣を色気のある役者が演じていたら、大分雰囲気変わったと思うんだけど。
 とりあえず篁@まとぶんは色気のある男役だと思う。相方に色気があれば、いくらでも艶っぽい男になるだろう。
 しかし、れおんじゃなー。
 どーしてこいつはこー、健康的にがさつなんだろう……(笑)。そこが魅力ではあるけど(笑)。

 れおんを筆頭に、学友たちがもー、色気皆無。
 学園モノであることと、色気がないことは、イコールではないはずなんだが。
 若さと拙さが全面に出ていて、それ以上のものはまだ表現できていない感じ。

 そんななか、ひとりで色気放出していたのが、藤原良房@嶺恵斗

 気の毒に、ひとりお色気状態で、誰も受け止めてくれていない(笑)。
 いやあ、いい男だ、嶺恵斗。
 なんか本公演以外の星組公演では彼ばかりを誉めている気がするが。

 好みの男なんだもん(笑)。

 美形とは言い難いが(眼鏡をはずした人みたいな目つきだよなあ)、その立ち役的スタイルの良さが素敵。

 もともと恵斗くん好きなんですが、それ以上に、この作品の中で、わたしのいちばん好きになるキャラっていったら、そりゃまちがいなく良房でしょう(笑)。
 ヘタレ男好きの緑野が、注目するなら絶対良房。
 好きなキャラを、好きな役者が、好きなタイプで演じてくれていて、カモネギな美味しさでした。うまうま。

 ただ惜しむらくは、作品に色気がない。
 良房と、オヤジふたりが色気振りまいてても、このあっけらかーんと健康的な雰囲気はいかんともしがたい。

 萌えない……。

 
 萌えはないけど、作品はいいです。
 まとぶんきれー。
 れおんくんは、いつものれおんくん(笑)。
 女性陣のお化粧がわたし的に相当イケてないんだけど、それ以外は彼女たちも素敵です。
 フィナーレの男たちの群舞は眼福。タカラヅカファンでよかったと思う絢爛さ。
 観て損はないんで、是非観てくださいな。チケットは掲示板にいっぱい落ちてます〜〜。「完売」の札にあきらめないで。

   
 祝まとぶん、単独バウ初主演。
 ……について、チケット事情を眺めながら、思ったこと。

 1.まとぶんって、知名度あるんだな。
 2.でも人気は番手と学年にふさわしい程度なんだな。

 今年のバウはチケット入手に苦労しない。と、わたしは思っていた。雪組壮くん、月組きりやん、花組ゆみこちゃん、星組まとぶん。このなかでいちばんチケット難なのは、ただひとり2番手のきりやんぐらいだろう、と。あとの3番手の若者たちは、言っちゃ悪いが前売り完売はしないだろう。
 現に壮くんバウは余りまくっていたし、作品もアレレだったので幕が開いてからも苦戦していた。
 ゆみこちゃんも完売せず、ただしこちらはじわじわと売れていった。
 まとぶんも、先手の3番手ふたりと同じことになるだろうと踏んでいた。しかも日本物だしな。わたしの周囲ではカード貸切なども全スルー、壮くんやゆみこちゃんのチケットを余らせて苦労したらしいからな。もう同じ目には遭いたくない、とチケ取りに消極的だったさ。

 ところがどっこい。
 まさかの前売り即日完売、チケット難の嵐がやってきた。

 なんで? まとぶんってそんなに人気あったの?
 どうも腑に落ちない。
 まとぶんはいい男だし、人気があることは知っている。しかし、バウを日本物で即日完売できる器だとは、まだ思っていない。将来そうなるとしても、今はまだチガウだろ。

 なんだか、すごくいやーな感じがしたさ。
 予感は的中、発売からすぐに、掲示板の「交換」コーナーの「手持ちチケット」として、まとぶんバウのチケットがずらずら並びだしたよ。
 しかもものすげータカビー(死語ですか、すんまへん)な交換条件ばかり。

 交換の手札として、バウチケ押さえまくったんだね、みんな……。

 きりやんバウのときと同じだ。
 今年唯一の2番手バウ主演、きりやんのチケットも即日完売、掲示板には「求む」の嵐。
 すごーい、やっぱ2番手バウはチケ難だよねえ、去年がそうだったもんねえ(かしげのぞく)、と思わせる盛況ぶり。
 しかし。

 日が経つにつれ、きりやんチケットの価値は暴落した。

 交換のために押さえていた人たちが、いっせいに吐き出したからだ。
 ものすげー強気な条件で交換の手札として使われていたきりやんバウが、あっちゅー間に「譲る」の嵐、ダンピングで叩き売り。

 みんな、きりバウを、「なんにでも交換可能な魔法のチケット」だと思っていたんだね……きりやんに夢を見ていたんだね。
 去年の魔法が忘れられないんだね。水バウ、あさこバウ、とうこバウ。これらのチケットはみんな、魔法のカードだったよ……なんにでも変身可能だったさ。でもきりやんはちがったね。きりやんがどうこう、じゃなく、魔法の3人の人気がそれだけすごかったってことさ。

 まとぶんバウのチケット事情に関して、わたしはこのきりやんチケットのことを彷彿としたよ。
 とりあえず長くヅカファンやってるから、チケットの売れ行きの予測はある程度つくよ。(予測が立たないのはトド様公演ぐらい。トド様ファンってよくわからない……)

 だからこの、わたしや周囲の予想を裏切るまとぶんバウのチケット難は、通常ならありえないことだと思うんだ。
 どう考えても、まとぶんに水くんやあさこ、とうこと同じだけの人気があるとは思えないから。

 ええ。
 思った通り、日が経つにつれ、まとぶんバウの価値は暴落。
 あんなに強気に交換の手札として使われていたのに、「譲る」やダンピングの嵐が吹く。

 みんな、交換目的で押さえていただけやったんやな……。

 
 これはあくまでも、一般人としてチケット事情を眺めていたわたしの感想であって、真実かどうかはわからない。FCだとかスポンサーとか?芸事世界の裏事情は知りようがないし。
 「チケット難」→「掲示板の交換用手札として氾濫」→「譲る・値引きの嵐」という流れを見ての個人的な見解さ〜〜。

 ここでおもしろいのは、同じ立場であるいっぽくんやゆみこちゃんのバウは、はじめから交換用手札としての価値を認められず、まとぶんのみが認められたということだ。

 どういうことだろね?

 ふつーに公演を観ていたら、まとぶんの人気が去年の3強と同じかそれに継ぐものだとは、思わないと思うんだけど。

 やっぱり最初から交換目的でチケ取りする層というのは、タカラヅカ全体に愛がそれほどないのかもしれないなー。
 まとぶんの人気を読みまちがえたってことだよね。
 なんで読みまちがえるの? まとぶんバウを「なんにでも交換可能な魔法のチケット」だと夢見たわけでしょ。いくらなんでも、華々しすぎるよ、読みまちがえ方が。
 それってつまり、まとぶんに興味がないからなんじゃないの? よく知らないから、カンチガイしたんじゃないの?
 ……まあ、まとぶんを大好きでよく見ている人なら、そもそも交換目的でチケット取ったりしないか。

 
 人にはそれぞれ事情があるので、交換目的のチケ取りが全部悪いとは思ってないさ。
 ただ、そのためにほんとうにその公演を観たい人が、発売日に泣いたのかと思うとせつないだけ。予想外のチケ難ぶりに煽られて、高額チケットをあわてて購入したんじゃないかとか、余計な心配をしてしまうだけさー。

 
 これらの出来事から、冒頭の感想になるわけよ。

1.まとぶんって、知名度あるんだな。
 チケットゲッターたちは、まとぶんのチケットを手に入れれば、他の観たい公演に交換できると思った。もしくは高額で転売できると思った。
 それって、人気ではなく、知名度だよねえ。そんなに有名な子だったかわたしにはぴんとこないけど、名前が先行していたってことなんだろうな。

2.でも人気は番手と学年にふさわしい程度なんだな。
 思い通りの交換はできなかった。また、高額で転売することもできなかった。かといって、自分で観に行くには無理がある。……てな理由がすべてではないだろうが、フタを開けてみればチケットは余り、出回っている。
 まとぶんが人気がないというわけじゃない。そもそも彼くらいの学年と露出度の子に相応しい、ふつう程度のチケット状況に落ち着いた。

 
 そして、交換目的云々の話も含めて、今年前半のバウチケット事情が興味深いさ〜。

 まとぶんだけが、「価値がある」と交換目的の人に認められたという事実。いっぽくんとゆみこちゃんにその価値はない、と思われていた(まあ実際その通りだが)事実。
 これって、興味深い話だよねえ。

 いっぽくん・ゆみこちゃんと、まとぶんのちがいって、なんだろねえ。舞台人としてではなく、ゲッターの評価の真意ね。
 考察するとたのしそうだ。

    

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